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槐記
享保十二年閏正月十九日、参候、夕御膳御相伴の後、濃茶召上らる、自分に立て戴くべき由の仰〈○近衛家熙〉にて立る、御茶入平丸の糸目藤四郎に象牙のすぶた也、此には茶杓のおきやうあり、跡にて仰せ聞さるべし、先かやうの茶入は、茶杓も棗のごとくのせたるがよし、
総じてすぶたの始りは、利休が方にて象牙の蓋お挽せらるに、それまでは、随分むきずなるお撰しに、ふと挽けるうちに、このす出て疵になりたるほどに、挽易んと申しヽお利休見て、一段面白しとて、其すぶたにて茶湯おして、織部〈○古田織部正〉およびけるに、すの方お勝手にして、つまみの外へ茶杓おはづして、客の方に茶朽おかけるに、織部其茶入お請受て茶の湯おして、利休お呼て、すの方お外へなし、つまみより内の方へ、茶杓おかけたるお利休がみて、さてしもよく仕たり、どふでも織部ほどのもの有べからずとて、褒美しけるとなり、利休はすお卑下して勝手べ直し、織部は巣お賞玩して表へ直したり、今にてもあれ、利休が子孫たらんものはいさしらず、一統は、表へ巣お出すべきもの也と、常修院殿〈○慈胤法親王〉の御物がたり也、