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清風瑣言

弁水
熊明遇の茶記に、茶お享るは、水の功十の六に有と雲り、〈○中略〉江水は中流の人気遠きお汲べし、井者汲事多きお宜しと雲り、是大統の論也、山水にも石池乳泉にして涌あふれざるは、陰気お蓄ひて色鮮明ならず、或は浅縹に、或な微黒に、或者崖間樹蔭なるは、常た毒蠱なども住て潔からず、水味軽甘なりとも佳品とせず、江河長流は、汚穢流るれども、蕩々として其気の停る所なく、味は甘重にて且無毒也、但享て茶に青色お出さず、山泉に劣る所也、井水は汲事多くとも、泥土或は海潮の信ある地者、水味斥炉腥臭、飲食の品にあらず、予〈○上田秋成〉頃(このごろ)京師の客舎に茶お享て試るに、故(もと)是丘山の地なりと、いへども、千歳以来紅塵の陌、旦暮烟爨の稠密に汚穢滲漏して土臭となる乎、飲食佳品の水は希なるやうにおぼゆ、隻物に触て其本色お出し、腐煉の気お駆る者、山嵐寒冽の功のみ、一条通より上者猶清冽にて、茶お享れば青黄鮮明なれども、甘香は冽気に圧るゝに似たり、又洛東の井は、山下の濁溜にて土臭なき事能はず、茶韻興がたし、又市中所々に名水と聞えたる柳の水、さめが井、清和井、あがた井、杜鵑井等は、たま〳〵地中の水脈にあひて活動あるもの、土臭なし、冽気寒からず、旱天にも涸る事なく、茶お煎て猶佳品なるお、是亦猥に汲事お宥さゞれば、自ら渟潦の厄あり、隻々清流こそ食品の上首なれ、高野川、加茂の下上の泉川、西河も嵐山おかぎりて上は、急湍激流享るべからず、宇治の橋本、猶絶品也、下流も人気遠く塵垢おとゞめざるは、いづれも食品の水也、浪華は大江の中流三大橋の以東お上首とす、枝派の水は、塵穢泥臭、いづれも汲て煎るに不堪、あふ、坂、有栖等の乳泉、涌あふれて潔し、是も亦山下滴溜の弊にや、茶に青色なし、市中郊外の井、悉く斥炉泥腥、絶て食品なし、こゝに予が寓居の地、市陌お去事北に一里可、長柄川お南にし、大江東に流れて、柴島、山口、淡路荘等の地、井水清潔にして、しかも寒冽ならず、甘味有て土臭なく、大凡江河中流の品に似たり、茶お享て甘香、たゞ〳〵青色なきお恨とす、予又私説あり、山川石池乳泉といへども、天の陽光お承ざるかぎりは、陰気お蓄ふて寒冽なる故に、茶お享て色は美なれども、香味は劣るべし、水は腸光お承て調和せられ、甘味もこゝに生ずる乎、江河塵穢なき事能はずとも、無毒にして廿味有者、活動陽光の和お得たるなり、水の性ひたすら澄お力む、塵穢汚泥も是お操る事能はず、市陌に横たはれる流水も、夜の丑寅の間に汲めば、清泉に異ならずと雲も此謂也、〈○中略〉茶お享る者、水択ばずば不可有、水えらばざれば、茶に色香味の三絶なし、是お美ならしむるは、水源遠からず、流も緩きお佳品とす、軽甘、甘重の水、再び三沸の法お以て熟味なる、惟色香味の三絶お全くする水は天下にまれなるべし甘泉清流、茶の三絶に和するとも、是お死活ならしむるは、享る人の巧拙に有、能々意お用ふべき者也、予京摂の間に老て、他方の水味お試みず、虚しく井蛙の談おなすのみ、読人択びて取べし、又諸書に雨水お上品とす、熊明遇雲、無泉則用天水と、此説清泉に劣るとす、又雲、秋雨為上、梅雨次之と、毛文錫は、梅雨其味甘和、乃長養万物之水と雲り、五雑組に、閩人苦山泉難得、多用雨水、其味不及山泉、而清過之、然自淮而北、雨水苦黒、不堪享茶と雲り、古人の説に、暴雨は塵土お誘ひて清潔ならずと雲り、試るに暴雨ならずとも、市中の雨水は、必塵垢浮沫の厄あり、漉て享れば香味あれども、色は美ならず、東坡は、時雨降れば、器お多く庭中に置て是お貯へりとぞ、隻檐溜の水は不可食、又雪水は五穀之精、猶宜茶飲と雲説あり、丁謂の煎茶の詩に、痛惜蔵書籄、堅留待雪天と雲は、文雅の言のみ、雪水不能白とあれば、雨水には劣るべし、況雪水性感重陰とあるお見れば多飲べからず、文子の説に、水之道、上天為雨露、下地為江河、均一水也と雲へば、雨水と江水の品、相似たるも宜也けり、又甘泉香泉の名有は、若草木の傍に生ずる物に触てえかりや、〈○中略〉古人の言に、真源は無味、真水は無香と雲説もあれば、甘香共に、物に触て生ずと雲んも又理ありとせん乎、又茶経に、茶の産地の水に享れば佳ならぬ者なしと、是自然の理也、たま〳〵折鷹の品、京摂の水に美ならず、武都に享て宜しと聞、又人のかたれるに、筑紫の人折鷹お煎て、東方お拝し甘香の恩お謝すとぞ、茶の水に合ふは、音律の物に和して韻声お興さしむと同じく、天然の善縁常理お以て不可論、又水お貯ふは、瓦罌に勝る者なし、是お陰庭に居て蓋お去、紗帛お以て覆ひ、星露の気お承べし、水の英霊不散と雲り、又煮泉小品に、移水取石子置瓶中、既可以養其味、又可以澄水と見え、鐘伯敬の水品論にも、小石冷泉留早味と雲、又大瓮収蔵梅雨、下放鵝子石数十塊、経年不壊と雲り、又黄山谷の詩に、錫谷寒泉楕石倶と雲も是也、〈楕は形長狭なるお雲〉又択水中潔浄白石、帯泉煮之猶妙也と雲り、此石の類、青湾茶話に、河内の枚方の駅の上坂川と雲河原に有と雲り、此頃山僧雲水の路次、近江の石部の宿より、佳茗少許に、加へて、小石一枚お倶に封裹して餉来る、是茶の産地の石と倶に煎るべき風流、甚興有事におぼえし、又水お製する法有、常品の水お瓦缶に沸せて、屋上或は庭砌に架お造り、瓦缶お其上に置、蓋お去、一夜星露お承しむれば上品の水となれる事、試みし所也、此事知新錄に見えたり、又一法、羅牟毘伎(らんびき)お用て、水の英霊お取、是に星露お承しむれば、上品となる也、喫茶家清泉に偵きは一大厄なり、東坡は常に玉女河の水お愛し、符お齎せて汲しめ、且此流お枕に為ざる事お歎息せしとぞ、又山居の人は筧お造りて水お引、承之奇石、貯之以浄岡と見えたり、刳木取泉遠と雲は是也、又水は軽きお上首とのみ雲も、大統の論也、山水は渟潦の品も軽し、江水は茶に宜しきも、鹹苦腥臭の井より重きが有、茶譜に、山頂泉清而軽、山下泉清而重と見え、鐘伯敬も源泉必重、而泉之佳者重と雲へば、一概なるべからず、隻々水は石に出るもの佳也と雲へば、山泉湧流の品にこゆる者なし、文子の水之性清、沙石穢之と雲説のいぶかしきなり、水品の論猶多かり、試みざる者不言、水択ばざれば湯の功なし、湯者寔に茶の司命也、克々択びて煮べき者也、