還魂紙料上
来迎売
或老人の話に、むかし小児の玩弄に、仏の像お紙の張貫、又は木にてつくり、竹の筒の裏へおさめ、其竹の筒おさぐれば、紙にて畳たる後光ひらきて、仏もともにあらはるゝ機捩お、藁苞やうのものにさしならべ、是おうちかたげて、御来迎々々々と、売き亢りしといへり、〈○中略〉中古風俗志〈新見老人の昔々物語な仲慶といふ老人、明和元年に増補ぜし書なり、〉に、古来より小児の玩物は、しか〴〵といふ条に、ぶりぶり、ぎてう、鈴守、豆太鼓、ぴい〳〵、おきやがり小法師、この小法師、いつれの時より歟、禅家の詛師、達磨大師の奪形となれり、勿体なき事なり、鳩車、板の琴、御来迚のからくりは、中古の物なり雲々、中古とは、いつの頃おさしていふ歟、元禄のころはばや此手遊の流行しと見えて、土佐掾正勝が、正本博多露左衛門色伝授といふ浄瑠璃に、彼露左衛門といふもの、来迎売となりて、郡島原へかよふことお載たり、蜀の禿やつれ男、わきて目に立ありさまに、えばし詠めて立尭まふ、竹のうちより光お出す、じたい御来迎は、大坂のしだしでござる、今はあづまのはてまで、も、くわつしはやりて、京九重や、あの君たち、手にふれて、笑ひの種となるもよし、〈中略〉東詞もめづらしく、うらばめせ〳〵、弥陀三貧の御来迎めせ雲々、是元禄年間、江戸にて編し浄瑠璃なり、〈跏さうしに、鍵永五年とあるは、再刻の年号なり、さてこ、に、彼手あそびは、大坂にて、しだしやうにいへり、滑考べし、〉 又俳諧江戸名物鹿子〈享保十八年印本〉御来迚売、若竹や誰と孕てかくや姫、素濃といふ句あり、画は、きり竹おかきたれば、摸し出さず、さて此句、竹の筒よりいつるからくりお、竹のなかより生れし、かくや姫にとりなし、光りおはなつお、余情にこめたるなるべし、古老の話によかて画せたる、まへの図〈○図略〉によく合へり、
或老人の話に、むかし小児の玩弄に、仏の像お紙の張貫、又は木にてつくり、竹の筒の裏へおさめ、其竹の筒おさぐれば、紙にて畳たる後光ひらきて、仏もともにあらはるゝ機捩お、藁苞やうのものにさしならべ、是おうちかたげて、御来迎々々々と、売き亢りしといへり、〈○中略〉中古風俗志〈新見老人の昔々物語な仲慶といふ老人、明和元年に増補ぜし書なり、〉に、古来より小児の玩物は、しか〴〵といふ条に、ぶりぶり、ぎてう、鈴守、豆太鼓、ぴい〳〵、おきやがり小法師、この小法師、いつれの時より歟、禅家の詛師、達磨大師の奪形となれり、勿体なき事なり、鳩車、板の琴、御来迚のからくりは、中古の物なり雲々、中古とは、いつの頃おさしていふ歟、元禄のころはばや此手遊の流行しと見えて、土佐掾正勝が、正本博多露左衛門色伝授といふ浄瑠璃に、彼露左衛門といふもの、来迎売となりて、郡島原へかよふことお載たり、蜀の禿やつれ男、わきて目に立ありさまに、えばし詠めて立尭まふ、竹のうちより光お出す、じたい御来迎は、大坂のしだしでござる、今はあづまのはてまで、も、くわつしはやりて、京九重や、あの君たち、手にふれて、笑ひの種となるもよし、〈中略〉東詞もめづらしく、うらばめせ〳〵、弥陀三貧の御来迎めせ雲々、是元禄年間、江戸にて編し浄瑠璃なり、〈跏さうしに、鍵永五年とあるは、再刻の年号なり、さてこ、に、彼手あそびは、大坂にて、しだしやうにいへり、滑考べし、〉 又俳諧江戸名物鹿子〈享保十八年印本〉御来迚売、若竹や誰と孕てかくや姫、素濃といふ句あり、画は、きり竹おかきたれば、摸し出さず、さて此句、竹の筒よりいつるからくりお、竹のなかより生れし、かくや姫にとりなし、光りおはなつお、余情にこめたるなるべし、古老の話によかて画せたる、まへの図〈○図略〉によく合へり、