p.0953 人ノ起居動靜ニ關スル事ヲ牧載シテ、名ケテ動作篇トス、而シテ拜、揖、跪、蹲、平伏、膝行等ノ事ハ、禮式部敬禮篇ニ載セ、舞、踊ノ事ハ樂舞部ニ、水練ノ事ハ武技部ニ、各〻其篇ヲ設ケタレバ、宜シク參照スベシ、
p.0953 擧動フルマヒ(○○○○)
p.0953 周旋(フルマヒ) 擧動(同) 擧止(同) 行迹(同)
p.0953 自然能擧止(フルマフ)、〈行坐風流也、舉謂レ動也、止息也、住也、〉
p.0953 ふるまひ 遊仙窟に擧止、日本紀に進止をよめり、振舞の義也、よて文選に 翔をよみ、或は翔字をもよめり、訯字は韵書に考へ得ず、
p.0953 一ふるまひと云は、振舞とも擧動とも書也、人の身のふりまはしを云也、然るに客人などに食物を食はするを、ふるまひと云はあやまり也、
p.0953 四十二年〈○允恭〉十二月、大泊瀨皇子〈○雄略〉欲レ聘二瑞齒別天皇〈○反正〉之女等一、〈女名不レ見二諸記一〉於レ是皇女等對曰、君王恒暴强也、〈○中略〉若威儀(フルマイ)言語如毫毛、不レ似二王意一豈爲レ親乎、
p.0953 豐御食炊屋姫天皇、〈○推古、中略、〉姿色端麗、進止(ミフルマヒ)軌制、
p.0953 もとのねざしいやしからぬが、やすらかに身をもてなし、ふるまひたる、いとかは らかなりや、
p.0954 擧動(タチフルマヒ/○○)〈白文集〉 擧止(同)
p.0954 たちふるまひ 長恨歌の擧止をよめり、たちいふるまひともいへり、起居擧動の意也、又立舞振舞といふも、體源抄にみゆ、
p.0954 一人の立振舞べきやうにて、品の程も心の底も見ゆるなれば、人めなき所にても、垣壁を目鵬心得て、うちとくまじきなり、〈○下略〉
p.0954 つぎの間に、ながすびつに、まなくゐたる人々、〈○中略〉御ふみとうつぎ、たちゐふるまふさ(○○○○○○○○)ま(○)など、つゝましげならず、物いひえわらふ、
p.0954 行住坐臥(ギヤウヂウザグハ)〈要覽、經律中皆以二行住坐臥一爲二四威儀一、〉 起居動靜(キキヨドウジヤウ)
p.0954 みぶり(○○○) 容儀をいふ、身のふりなり、
p.0954 人のふり(○○○○)見て我ふりなほせ 論語、見レ賢思レ齊焉、見二不賢而討自省也、
p.0954 つまはづれ(○○○○○) 爪端の義、擧動に就ていへり、俗語なり、
p.0954 起〈音豈 オコス(○○○)オク(○○)〉
p.0954 おく〈○中略〉 起をよめり
p.0954 故天皇不レ知二其之謀一而、枕二其后之御膝一、爲御寢坐也、爾其后以二紐小刀一、爲レ刺二其天皇之御頸一、三度學而、不レ忍二哀情一、不レ能レ刺レ頸而泣涙、落一溢於御面一、乃天皇驚起、問二其后一曰、〈○下略〉
p.0954 極窮女於二尺迦丈六佛一願二福分一示二奇表一以現得二大福一緣第廿八
聖武天皇世、奈羅京大安寺之西里有二一女人一、〈○中略〉罷家而寐、明日起見二于門椅所一有二錢四貫一、〈○下略〉
p.0954 むかし男有けり、ならの京ははなれ、此京は人の家まださだまらざりけるときに、西の京に女ありけり、〈○中略〉それをかのまめ男、うち物か72らひて、かへりきていかゞ思ひけん、時は やよひのついたち、雨そぼぶるにやりける、
おきもせずねもせで夜を明しては春のものとてながめくらしつ
p.0955 君はとけてもねちれ給はず、〈○中略〉やをらおきてたちぎゝ給へば、〈○下略〉
p.0955 題しらず よみ人しらず
つれもなき人をやねたく白露のおくとはなげきぬとは忍ばん
p.0955 正月一日のことなるべし
いかにねてをくるあしたにいふことぞ昨日をこぞとけふをことしと
p.0955 夙興(ツトニヲキ/○○)夜寢(ヨハニイヌル)〈毛詩〉
p.0955 朝起は七の德あり 明心賓鑑、景行錄云、觀二朝夕之早晏可三以識二人家之興替一、 傳家寶、早起三光、遲起三慌、
p.0955 寐起(ネヲキ/○○)
p.0955 七月ばかりいみじくあつければ、よろづの所あけながら夜もあかすに、月のころは、ねおきて見いだすもいとおかし、
p.0955 おひなる(○○○○)およる
女の詞に、人のねたるがおくることを、おひなるといふ、伊勢などにては、おひるなる(○○○○○)といふ、あづまにて寢(ヌ)ることをおよるといふ、御晝なる御夜なるといふこと也、
p.0955 ひるなる
起る事なり、今關東の俗にはひんなる(○○○○)といふなり、思ふに寢たるまは夜のさまなるが、おくれば晝となるの意なるべし、古事記には、此如の字をみな奈須とよめり、如レ晝の意もあらんか、
p.0955 林曰、承應ノ頃ノ官ノ日記ニ、大君御目覺ノ刻限ヲ記シタルニ、云云卯時御晝成ト アリ、此頃マデハ、通用ノ俗語ニ、古言ノ殘リタルコト多シト見ユ、中右記歟、目覺ルコトヲ、晝成ト記セシト覺ヘタリ、今婦女ノ辭ニオヒンナルト云ハ、此轉語ナリ、〈○中略〉
靜曰、邯鄲ノ能ニ、盧生ガ邯鄲ノ里ニテ、旅宿セシ處ニ、仙枕アリテ、粟ノ一炊ノ間ニ、五十年ノ榮華ノ夢ヲ見テ覺ントスルトキ、狂言ノ ガ出テ云フ言葉ニ、イカニオ旅人、粟ノオダイガイデキ候、トウ〳〵オ晝成レヤト云ナリ、是モ古代ノ言葉ヲ傳ヘタリ、
p.0956 先起稱二屬星名號一七遍、〈微音○中略〉次取レ鏡見レ面、次見レ曆知二日吉凶一、次取二楊枝一向レ西洗レ手次誦二佛名一、及買念蕁常所二尊重一神社中次記二昨日事、事多日々一中可レ記レ之次服レ粥、次梳レ頭、〈三箇日一度可レ梳レ之、日々不レ梳、○下略〉
p.0956 あした、さのみよるからおきて、人づかひのきびしきもあしく候、又あまりあさいねひさしきも、きたなきものにて候、よきほどに御ひるなりて、御てうづさるていに御さたあり、〈○下略〉
p.0956 十一、朝おき(○○○)の事、さのみいかなる大人も、いたづらにあさふしして、おきあがりて、かほのゆくへもしらず、ほれまどひたるありさまみにくし、〈○下略〉
p.0956 人の召仕れ候仁心得らるべき事
一若き人可レ被二心得一事、朝には早くおきて、鬢をかき髮をゆひて、親の前へ出べし、
p.0956 一朝はいかにもはやく起べし、遲く起ぬれば、召仕ふ者まで由斷しつかはれず、公私の用かくなり、はたしては必主君にみかぎられ申べしと、ふかくつゝしむべし、
一ゆふべには五ツ以前に寢しづまるべし、〈○中略〉寅の刻に起、行水拜みし、身の形儀をとゝのへ、其日の用所妻子家來の者共に申付、扨六ッ以前に出仕申べし、古語には子にふし寅に起よと候得ども、それは人により候、すべて寅に起て得分有べし、辰巳の刻迄臥ては、主君の出仕奉公もならず、又自分の用所をもかく、何の謂かあらん、日果むなしかるべし、
p.0957 口敎
一朝おひになり候はゞ、手水をおんつかひなされ候て、まつ神樣を御拜みなさるべし、
p.0957 忠義者半助
半助は、〈○中略〉日ごとに朝とく起て水をあび、垢離とりて後につとめけり、
p.0957 平生朝は未明に起きたまひて、手洗し、戸を開き家内掃除し、袴羽織を著し給ひ、手洗し、あらたに燈をけんじ、先づ天照皇太神宮を拜し奉り、竃の神を拜し、故郷の氏神を拜し、大聖文宣王を拜し、彌陀、釋迦佛を拜し、師を拜し、先祖父母等を拜し、それより食にむかひて、一々頂戴し、食し終りて口すゝぎ、しばらく休息し講釋をはじめ給へり、
p.0957 卧〈五貨反 フス和具ワ〉
p.0957 臥(フス)
p.0957 一書曰、〈○中略〉時伊弉册尊爲二軻遇突智一、所レ焦而終矣、其且レ終之聞、臥生(フシナガラ)二土神埴山姫、及水神罔象女一、
p.0957 其矢落下則中二天稚彦之胸上一、于レ時天稚彦新嘗休臥(ネフセル/○○)之時也、
p.0957 寬平御時、きさいのみやの歌合のうた、 きのつらゆき
夏の夜のふすかとすれば郭公鳴一こゑにあくるしのゝめ
p.0957 にくきもの
ねぶたしとおもひてふしたるに、蚊のほそこゑに名のりて、かほのもとにとびありくはかぜさへ、みのほどにあるこそいとにくけれ、
p.0957 長崎新左衞門尉意見事附阿新殿事
阿新、〈○中略〉或夜雨風烈シク吹テ、番スル郎等共モ、皆遠侍ニ臥タリケレバ、〈○下略〉
p.0958 うへぶし(○○○○) 著聞集に見ゆ、禁中に臥をいふ也、
○按ズルニ、上宿ノ事ハ、政治部上編宿直篇ニ其條アリ、參看スベシ、
p.0958 横陳(ソヒブシ/○○)〈遊仙窟〉 副臥(同)〈河海抄〉
p.0958 おくのかたは、くらうものむつかしと、女は思たれば、はしのすだれをあげてそひふし給へり、
p.0958 君はとけてもねられ給はず、いたづらぶし(○○○○○○)とおぼさるゝに、御めさめて、
p.0958 臥法(○○)
寢臥に内外敎の異なる有り、儒敷にては東首(○○)にして北面なり、論語に見えたり、佛敎にては北首(○○)にして西面なり、是を頭北西面ともいへり、是より僧徒はつねにこれにならふべきよし物に見えたり、仰向に臥を修羅臥(○○○)といひ、うつ伏に寢を餓鬼臥(○○○)といひ、左を下にして臥を貪欲人臥(○○○○)といひて、出家は右を下にして、寢ぬべしと有り、是を右脇臥(○○○)といふ、蘇悉地經、または法花珠林等の書にも出たり、
p.0958 釋最澄、〈○中略〉夏六月〈○弘仁十三年〉四日、於二中道院一右脇(○○)而寂、年五十六、
p.0958 一淸凉殿〈○中略〉
夜御殿
四方有二妻戸一、南大妻戸一間也、帳同二淸凉殿一、〈東枕(○○)〉疊御座敷也、
p.0958 上宿事
入二御夜御殿一之後、隨二女官吿一、〈長女御廁人也〉參二宿鬼間一、仰二殿司一、以二殿上疊一令レ敷二件所一、以レ履置殿司庇一、臥時北枕(○○)若東枕也、
p.0958 夜のおとゞは東御枕なり、おほかた東を枕として、陽氣をうくべき故に、孔子も東首し 給へり、寢殿のしつらひ、或は南枕(○○)常の事也、白河院は北首に御寢なりけり、北はいむ事也、又伊勢は南なり、大神宮の御方を御跡にせさせ給ふ事、いかゞと人申けり、但大神宮の遙拜はたつみに向はせ給ふ、南にはあらず、
p.0959 楠正行最期事
楠兄弟差違へ、北枕(○○)ニ臥ケレバ、〈○下略〉
p.0959 仁壽二年二月丙辰、散位從四位上和氣朝臣仲世卒、仲世〈○中略〉天性至孝、年十九爲二文章生一、大同元年、爲二大學大允一、奉レ公忠謹、毎レ至二寢臥一、首向二宮闕一、
p.0959 越雲夢
雲夢雖レ有二事故一、未二嘗東首而就一レ寢、蓋不レ欲レ趾二城方一也、其家適有二修造之事一、雖レ不レ欲レ趾二城方一、依二正室便房板障被隔等不二全具備一、不レ得レ不レ霽二東首一、家婢置二床東首一曰、今夜依二修造一、常寢不レ便、僅一宵耳、爲如レ此、雲夢曰、三十年不レ欲二東首就一レ寢、爲三吾不レ忘二君恩之大一也、遂不レ聽、
p.0959 源信僧郡四十一箇起請
應二重禁制一條々〈○中略〉
一亥子寅此三時可レ寢、自餘不レ可レ眠、〈○中略〉
巳上四十一箇條、可レ如二眼精一矣、
p.0959 眲〈莫卑反、眠也、目合也、禰夫留、又伊奴、〉
p.0959 〈寐俗通 彌臂反 フスイヌ和ミ〉 寐〈正俗 〉
p.0959 〈人委反 又音淤 イヌオホトノコモル〉 〈正〉
〈俗〉 〈イヌ フスネタリ〉 〈俗寐字〉
p.0959 寢(ヌル/○) 寐(ヌル)
p.0959 寢(イヌル/○) 寐(同) 寐(ヌル) 寢(同) 寐(ネル/○) 寢(同)
p.0960 寢上俗、下正、
p.0960 寐上俗、中通、下正、
p.0960 寐謐也、靜謐無レ聲也、
寢權假臥之名也、寢侵也、侵二損事功一也、
p.0960 ね(○)〈○中略〉 寢をよむはぬと通ず、宿も同じ、〈○中略〉
ねる 寢(イ)ぬをねるともいへり、寐も同じ、
p.0960 極窮女於二尺迦丈六佛一願二福分一示二奇表一以現得二大福一緣第廿八〈○中略〉
〈ネテ〉 寝〈如上〉
p.0960 捉レ雷緣第一
天皇〈○雄略〉盤余宮之時、天皇與レ后 二大安殿一、〈○中略〉
寐〈禰氐〉
p.0960 寐 たび かり ひとり あち うたゝ ひる まろ おびとかぬたびねといへり
p.0960 みねます 古事記に、御寢坐をよめり、今御寢なるといへり、
p.0960 故天皇不レ知二其之謀一而、枕二其后之御膝一、爲(ミ)二御寢(ネマ)一坐也(シキ)、
p.0960 本坐二難波宮一之時、坐二大嘗一而、爲二豐明一之時、於二大御酒一宇良宜而、大御寢也(オホミネマシキ)、
p.0960 一書曰、〈○中略〉時伊弉册尊曰、吾夫君尊何來之晩也、吾已飡泉之竈矣、雖レ然吾當二寝息(ネヤスマン)一、請勿レ視之、
p.0960 後其伊須氣余理比賣〈○神武后〉參二入宮内一之時、天皇御歌曰、阿斯波良能(アシハラノ)、志祁去岐袁夜邇(シケコキヲヤニ)、須(ス)賀多多美(ガタヽミ)、伊夜佐夜斯岐氐(イヤサヤシキテ)、和賀布多理泥斯(ワガフタリネシ)、
p.0960 まろうどはね給ぬるか、いかにちかゝらんとおもひつるを、されどけどをかりけ りといふ、ねたりけるこゑのしどけなき、いとよくにかよひたれば、いもうとときゝ給つ、
p.0961 ぬ〈○中略〉 寢をぬといふは、ぬるの略也、〈○中略〉古今集に、ぬとはしのばんといひ、伊勢物語に、女うちなきてぬとてと見えたり、
p.0961 譽謝女王作歌
流經(ナガラフル)、妻吹風之(ツマフクカゼノ)、寒夜爾(サムキヨニ)、吾勢能君者(ワガセノキミハ)、獨香宿良武(ヒトリカヌラム)、
p.0961 ぬる〈○中略〉 寢るをぬるといふは、ねるの轉也、
p.0961 幸二讃岐國安益郡一時、軍王見レ山作歌、〈○中略〉
山越乃(ヤマゴシノ)、風乎時自見(カゼヲトキジミ)、寐夜不落(ヌルヨオチズ)、家在妹乎(ナルイモヲ)、懸而小竹櫃(カケテシヌビツ)、
p.0961 いね(○○)〈○中略〉 日本紀、万葉集に、寐をよめり、口語にもいねのよきあしき、又正月詞に、寢るをいねつむ(○○○○)といふは、稻積の義也といへり、
p.0961 笠女郎贈二大伴宿禰、家持一歌廿四首〈○中略〉
皆人乎(ミナヒトヲ)、宿與殿金者(ネヨトノカネハ)、打禮杼(ウツナレド)、君乎之念者(キミヲシオモヘバ)、寐不勝鴨(イネガテヌカモ)、
p.0961 いぬる 寐をいとよみ、又ぬるとよめば、重ねいへる也
p.0961 寢 い(○) 朝寢等
p.0961 爾其沼河日賣未レ開レ戸、自レ内歌曰、〈○中略〉麻多麻傳(マタマデ)、多麻傳佐斯麻岐(タマデサシマキ)、毛毛那賀爾(モヽナがニ)、伊波那佐牟(イハナサム)遠(ヲ)、〈○下略〉
p.0961 伊波那佐牟遠(イハナサムヲ)は、寐者將レ(イハムナサ)宿にて、遠(ヲ)は毛能遠(モノヲ)と云意の辭なり、次なる須世理毘賣の御歌に、伊遠斯那世(イヲシナセ)ともあり、萬葉二〈四十二丁〉に、奧波(オキツナミ)、來依荒磯乎(キヨルアリソヲ)、色妙乃(シキタヘノ)、枕等卷而(マクラトマキテ)、奈世流君香聞(ナセルキミカモ)、〈世流は寐而有なり〉五〈八丁〉に、夜周伊斯奈佐農(ヤスイシナサヌ)〈安寐不レ令レ宿なり、斯は助辭、〉十四〈二十一丁〉に、伊利伎氐奈佐禰(イリキテナナネ)〈入來而寐よなり〉十七〈三十二丁〉に、吾乎麻都等(ワヲマツト)、奈須良牟妹乎(ナスラムイモヲ)、〈奈須良牟は將レ寐なり〉十九〈十八丁〉に、安寢不令宿(ヤスイシナサズ)、君乎奈夜麻勢(キミヲナヤマセ)、また安宿(ヤスイシ) 勿令寢(ナスナ)、これらを合せて心得べし、寐(ヌ)てふ言は、那奴泥(ナヌネ)と活くなり、〈○註略〉又伊と云も、寐(ヌル)ことなるを、寐乎安宿(イヲヤスクヌル)、宿毛不寢(イモネヌ)など、重ねて云も常なり、
p.0962 爾其后〈○須世理毘賣命〉取二大御酒坏一、立依指擧而歌曰、〈○中略〉阿夜加岐能(アヤカキノ)、布波夜賀斯多爾(フハヤガシタニ)、〈○中略〉麻多麻傳(マタマデ)、多麻傳佐斯麻岐(タマデサシマキ)、毛毛那賀邇(モモナガニ)、伊遠斯那世(イヲシナセ)、〈○下略〉
p.0962 戊午年六月、天皇道寐、忽然而寤之曰、予何長眠(ナカイ)若レ此乎、
p.0962 大行天皇幸二于難波宮一時歌
倭戀(ヤマトゴヒ)、寐之不所宿爾(イノネラレヌニ)、情無(コヽロナク)、此渚崎爾(コヽノスサキエ)、多津鳴倍思哉(タヅナクベシヤ)、
p.0962 廿日〈○承平五年正月、中略、〉夜はいもねず、はつかの夜の月いでにけり、
p.0962 藤原相如は粟田殿はかなく成給にけるを歎て、うちぬることもせられざりければ、夢ならで又もあふべき君ならばねられぬいをも歎かざらまし、とよみて程なく失にけり、
p.0962 㦌(ネイル/○)熟睡也
p.0962 憨寢(ヨクネイル)〈同上(冷齊夜話)童僕憨寢再鼾〉 熟寐(ヨクネイル)〈柳宗元讀書詩、倦極更倒臥熟寐乃一蘇、〉 熟寢(ヨクネイル)〈通鑒宋順紀、伺二帝熟寢一、〉
p.0962 三年〈○安康〉八月、穴穗天皇〈○安康〉意二將沐浴一、幸二子山宮一、〈○中略〉旣而穴穗天皇枕二皇后膝一、晝醉眠臥、於レ是眉輪王伺二其熟睡(トケテミネマセル)一、而刺弑之、
p.0962 うつくしきもの
おかしげなるちごのあからさまにいだきて、うつくしむほどに、かひつきてね入(○○)たるもらうたし、
p.0962 一ゆふべには五ツ以前に寢しづまるべし、夜盜は必子丑の刻に忍び入者也、宵に無用の長雜談、子丑にねいり、家財をとられ損亡す、外聞しかるべからず、
p.0962 七年九月勾大兄皇子〈○安閑〉親聘二春日皇女一、〈○中略〉乃口唱曰、〈○中略〉矢自矩矢盧(シシクシロ)、宇魔伊禰(ウマイネ/○○○○) 矢度儞(シトニ)、〈○中略〉婆施稽矩謨(ハシケクモ)、伊麻娜以幡孺底(イマダイハズテ)、阿開儞啓梨倭蟻慕(アケニケリワギモ)、
p.0963 夜雪の心を
夜ふるをしらぬは雪やねいりばな(○○○○○)
p.0963 いぎたなし(○○○○○) 寢ぎたなき也、ねごき(○○○)をいふ、
p.0963 鳥もなきぬ、人々おき出て、いといぎたなかりけるよかな、御車ひきいでよなどいふなり、
p.0963 難波村午頭天王綱引
毎歲正月十四日、産子の人は左右に分列して、大綱を爭ひ引て、其勝方其年福を得るといふ、さいつ頃、當國池田にも、此祭事ありて、十六七才ばかりなる角前髮の男、此綱引に出て、互に引爭ひ終りて、我宿に歸り、食もくはず、轉ながら寢て、起せども起ず、三日半續け寢(○○○○○○)にしたるといふ、
p.0963 御寢(○○)
p.0963 御寢成(ギヨシンナル/○○○)
p.0963 ごしんなる 爲二御寢一
音語なり、俗におしづまるといふことは同じくて、御鎭の意なり、
p.0963 藤原爲時作レ詩任二越前守一語第三十
今昔、藤原爲時ト云人有キ、〈○中略〉年ヲ隔テ直物被レ行ケル日、爲時博士ニハ非トモ、極テ文花有ル者ニテ、申文ヲ内侍ニ付テ奉リ上テケリ、〈○中略〉内侍此レヲ奉リ上ゲムト爲ルニ、天皇〈○一條〉ノ其ノ時ニ御寢ナリテ不二御覽一成ニケリ、
p.0964 紅葉の事
あんげんの比ほひ、御かたたがひの行幸有しに、〈○中略〉いつも御ねざめがちにて、つや〳〵御しん(○○○)もならざりけり、
p.0964 おしづまり(○○○○○) 日中行事に見ゆ、御寢をいふ也、
p.0964 御しづまりの程に、殿上の臺盤を校書殿のかべのもとに、よせかけさせて、たゝみよせて、をの〳〵ふしあへり、
p.0964 ゑいすゝみて、みな人々すのこにふしつゝしづまりぬ、
p.0964 おほとのごもり(○○○○○○○) 伊勢物語、源氏に見ゆ、大殿隱の義、御寢をいふ也、韵會に、婦人稱レ寢曰レ宮、宮者隱蔽之言也といふに同じ、萬葉集に、大殿をつかへまつりて、殿ごもり、隱(コモリ)いませばと見ゆ、
p.0964 おほとのこもり 大殿籠
夜のおとゞにこもらせ給て、御寢なるをいふ、轉ては只寢まするをもいふ、
p.0964 一御寢ヲヲトノゴモルト云フハ御殿ニ籠ル心歟如何
サモ申シツベキ事ナリ〈○下略〉
p.0964 うへ〈○一條〉のおまへのはしらによりかゝりて、すこしねむらせ給へるを、かれ見奉り給へ、今はあけぬるに、かくおほとのごもるべき事かはと申させ〈○藤原伊周〉給ふ
p.0964 おひなるおよる(○○○)〈○中略〉
あづまにて寢(ヌ)ることをおよるといふ、御晝なる御夜なるといふこと也、〈○下略〉
p.0964 永萬元年九月十四日、五更におよびて、頭亮の書札とて、かみやがみにたてぶみたる文を、頭中將家通朝臣のもとへもて來りけり、〈○中略〉もとのごとくかみやがみにたてぶみて、 使にかへしたびて、月をも御覽せで、御よるなれば(○○○○○○)此御ふみまいらするにおよばず、もし兼事ならば、あすもてまいれといはせてかへしければ、使しぶるけしきながらもて歸りけり、
p.0965 假 〈ウタヽネ(○○○○)〉
p.0965 〈ウタヽネ假 〉 〈同假寐也〉
p.0965 轉 (ウタタネ) 假 (同)〈浮海〉
p.0965 假寐(ウタヽネ)
p.0965 假寐(ウタヽネ)〈左傳註、坐眠曰二假寐一、毛萇云、不レ脱二衣冠一而寐也、〉
p.0965 假臥(ウタヽネ)〈後邊韶傳、曾晝日假臥、〉
p.0965 うたゝね 轉寢の義、俗にころびね(○○○○)といふ意也、
p.0965 題しらず 小野小町
うたゝね(○○○○)に戀しき人を見てしより夢てふ物はたのみ初てき
p.0965 假寐(カリネ/○○)
p.0965 假寐(カリネ)〈左傳〉
p.0965 いとめづらしき御ふみを、かた〴〵うれしうみ給に、この御とがめをなん、いかにきこしめしたることにか、
秋の野の草のしげみはわけしかどかりねの枕むすびやはせし
p.0965 人のもとにまかりて侍に、よびいれねば、すのこにふしあかして、つかはしける、
藤原成國
秋の田のかりそめふし(○○○○○○)もしてけるがいたづらいねをなにゝつまゝし
p.0965 假寢(マルネ/○○)〈小學假二寢閣前一、句讀、假寢不レ脱二衣服一而寢也、〉
p.0966 天平元年己巳冬十二月、歌一首〈幷〉短歌、
虚蟬乃(ウツセミノ)、世人有者(ヨノヒトナレバ)、大王之(オホキミノ)、御命恐彌(ミコトカシコミ)、礒城島能(シキシマノ)、日本國乃(ヤマトノクニノ)、石上(イソノノカミ)、振里爾(フリニシサトニ)、紐不解(ヒモトカズ)、丸寐(マロネ/○○)乎爲者(ヲスレバ)、吾衣有(ワガキタル)、服者(コロモハ)奈禮奴(ナレヌ)、毎見(ミルゴト)、戀者(ニコヒハ)雖益(マサレド)、〈○下略〉
p.0966 庭中花作歌一首〈幷〉短歌〈○中略〉
之吉多倍乃(シキタヘノ)、手枕末可受(タマクラマカズ)、比毛等可須(ヒモトカズ)、末呂宿乎須禮波(マロネヲスレバ)、〈○下略〉
p.0966 かやうの朝ぼらけにみれば、ものいたゞきたるものゝ、をにのやうなるぞかしときゝ給も、かゝるよもぎのまろねに、ならひ給はぬこゝちに、おかしうも有けり、
p.0966 源賴信朝臣男賴義射二殺馬盜人一語第十二
賴義モ其ノ音ヲ聞テ、〈○中略〉未ダ裝束モ不レ解デ丸寢ニテ有ケレバ、起ケルマヽニ、〈○下略〉
p.0966 孝行者儀三次
儀三次は穗波郡内住村の文七が三男なり、〈○中略〉去年の春の頃より、祖母の病重りて、起臥も心のまゝならざりしを、〈○中略〉夜ごとに帶をもとかず、そのかたはらに丸寢して、身のいたみを撫さすり、〈○下略〉
p.0966 ねやのまへに竹のある所にやどり侍て 藤原伊衡朝臣
竹近く夜床ねはせじ鶯のなくこゑきけば朝い(○○)せられず
p.0966 とりんぼう
とりん坊のみにあらず、總てぼうといふ俗語は、みな嘲りて添ふるなり、其種々、〈○中略〉
朝寢坊(○○○) 向の岡〈延寶八年不卜撰〉 朝寢坊鶉うらみん草枕 笑夢
晝寢坊(○○○) 富士石〈延寶七年調和撰〉 春の日を二日にしたり晝寢坊 見扣〈○中略〉
長寢坊(○○○) 同集〈○江戸廣小路、延寶六年印本、不卜撰、〉 朝顏のさこそ見るらめ長寢坊 不貫
p.0967 六月終
妹と我ねやのかさとにひるね(○○○)して日たかき夏のかげを過さむ
p.0967 見ぐるしきもの
夏ひるねしておきたる、いとよき人こそ今すこしおかしけれ、ゑせがたちはつやめきねはれて、ようせずばほうゆがみもしつべし、
p.0967 眞乘院に盛親僧都とてやんごとなき智者ありけり、〈○中略〉とき非時も、人にひとしく定てくはず、わがくひたき時、夜なかにも曉にも喰て、ねぶたければ、晝もかけこもりて、いかなる大事あれども、人のいふ事きゝいれず、目さめぬれば、いく夜もいねず(○○○○○○○)、心をすましてうそぶきありきなど、〈○下略〉
p.0967 一大伴俊明〈通稱山岡治左衞門柳螢侍臣〉後に剃髮して、明阿といはれき、〈○中略〉平生睡眠する事なく、つとめてねぶらじとにはあらねども、癇症にやたえてねぶたしといふ事を覺えずとかたられけり、夜は枕につきて、なほ筆紙をとりつゝ、書寫などせられければ、今にそのうつされたる事どもの、筆をひきつづけたるやうの筆くせありき、或時從者一人を具して、近きあたり旅行せられき、旅屋につきて、從者は道の疲にたへずして、枕をとるやおそきと、寐入りぬるを、明阿は例のねられねばよびおこして、淋しきに今しばしかたらひてなとて、ものがたりしでいねさせず、曉にいたりしかば、從者は大きにわびて、つとめていとまをこひて、獨り家にかへれりけるとそ、をかしき物語なりけり、
p.0967 古史徵のぞへごと
吾が伊夫伎の屋の平田の大人、〈○篇胤、中略、〉往し文化八年の十月、おなじ學の徒どち相はかりて、柴崎直古が、江戸より歸るに、誘ひ奉りて、吾郷へ請まをして、此國わたりの御弟子ども、夜晝うごなは り侍(サモ)らへるに、古典どもを、つばらに解き聞かしめ給ひ、猶まどはしき道のおくかも、ほど〳〵にわきまへ諭し給rへりしほどに、早くも十二月になりぬ、こゝに大人ののたまふは、年の極の事業しげく、春の始のいとなみも爲べければ、汝尢ち然るかたに勤(イソ)しみてよ、余は筥根山の雪霜ふみ別むがわびしければ、冬とも知らぬ、この暖國に旅ゐして、春をむかふべし、其につけては、此ほど汝たちの請へる事によりて、おのれも早くより思ふ旨あり、何處にまれ靜なる家の、一間なる處をと言ふまにま、直古が奧の一間を見たてゝ、移ろはせ參らす、さて有合ふ古書ども參らせよとあるに、鄙びたる郷の、初學のともが、何をかは持はべらむ、有ふりたる書ども五部六部、とり集(ツド)へて奉るを受取らして、汝等は家の業事しげかるべし、とく營みて勿おこたりそ、春をむかへて、長閑にこそと言ひさして、やがて幽り給へるは、五日の日にてぞ有ける、かくて後は、夜の衾も近づけ給はず、文机に衝居より給ひてより、夜も日もすがら書をよみ、かつ筆とりておはす、朝夕の御饌參らす間も、あからめもせで書よみつゝ、文机の上にてきこしをしたまひき、然てのみおはすほど、十日まり三日四日の比とおぼゆ、かく夜ひるならべて物し給ひなば、御軀やいたはり給ふべき、今夜よりは、夜床に入たまへと、甚くしひ申しければ、然らばしばし睡(マド)ろまむ、覺(サム)るまで勿おどろかしそ、枕もてことて、頓て衾引かづき、高息引してうま寐し給ふほど、日一日夜二(○○○○○)夜おなじ御有さまなり、餘りに長寐し給ふ事の、また心もとなくなりて、そと覺(オトロ)かし參らせければ、勿さましそと言てし物をと云ひてやがて、文机に居よりて勤(イソシ)み給ふこと、前の如くになむおはしける、當年もはや大晦日といふになりぬ、元日といふ日のつとめて、直古がりゆきて、あるじと共におまへに出て、年の始の壽詞まをせば、大人はいと早く淸らに身づくろひし、御面しろくほゝゑみて、去年とやいはむ、今年とやいはむ、よべの丑の時の鐘打ころまでに、書をへたるこの書よ、汝らがねもごろに請へるに、うつなひ實(マメ)だちて、さし幽りたる其日より、年の内にかき竟させ給へと 神たちに宇氣比まをしたりし、かひ有げなりとて、さし出し給ふに、まづ打おどろきつゝ、もて退きて讀見るに、旣に請まをせる古書どもに、こゝら記せる神代の事蹟の、まことまがひを撰りわきて、其正説をまさごとゝ文成し給へる一部は、すなはちこの古史成文、しか撰りとり給へることわりを、徵し給へる一部は、すなはち二の卷より次々の徵なりけり、また靈眞柱(タヤノミハシラ)といふをさへに著はして、道のおくかを示し給ふ、〈○中略〉
文政二〈己卯〉年四月 駿河國府人新庄仁右衞門道雄
p.0969 失寐(ネソコナフ/○○)〈法苑珠林、侍人心驚通夜失寐、〉 失寢(ネソコナフ)〈南史到漑傳、漑特被二武帝賞接一、毎與對レ棊從レ夕達レ旦、或復失寢、加以二低睡一、帝詩嘲レ之曰、狀若二喪レ家狗一、又似二懸レ風槌一、當時以爲二笑樂一、〉 寢不寐〈左傳〉
p.0969 此頃は、夜はごとにいねず、さま〴〵にねまほしく思ふほど、かねの音をかぞへ、鳥の聲をきゝ、筧の音もうるさくて、しばし目をとぢて見れども、夢みんやうもなしがくねまほしくおもふ程ねられねば、よしひとよはおきて明さばやと思ひきりても、兎角ねまほしき心のみわすられず、ほどちかきあたりに、いねし人も、今や夢など見るらんとおもへば、いとゞむねくるし、さらばよその事を思ひ出だしまぎれんと、心にもあらず、をかしき事、たのしき事など思ひみれど、いつかうちわすれて、夢をばいつか見んとのみ思ふなり、夜もやゝ更け行けば、いとゞさびしくて、こしかた行く末の事など思ひつゞけ、あるは心くるしき事など、かうがへて夢もみつかず、せん方なくてくすしにとひければ、只物をふかくかうがへて、心を勞し侍る事のなきやうにと諫む、されど短才重任、いかでかうがへ侍る事なくてありなん、〈○下略〉
p.0969 ねおびれ(○○○○) 源氏に、わか君のねおびれてなきたまふと見えたり、夜啼客忤をいふ也、
p.0969 ねびれて(○○○○) 寐ほれたるをいふ也、又ねおびれの略成べし、
p.0970 みつばかりなるちごの、ねをびれてうちしはぶきたるけはひもうつくし、
p.0970 君はなに心もなくね給つるを、いだきおどろかし給におどろきて、宮の御むかへにおはしたると、ねをびれておぼしたり、
p.0970 にげなきもの
老たる男のねまどひ(○○○○)たる
p.0970 ねほれる(○○○○) 寢怳る也ねとぼける(○○○○○)意也、著聞集にねぼけてと見えたり、
p.0970 女も又ねぼけ(○○○)て、おとこの口ぞとは思ひよらで、〈○下略〉
p.0970 嘉祥寺僧都海惠といひける人の、いまだ若くて病大事にて、かぎりなりける比、ねいりたる人、俄におきて、そこなるふみなど取入ぬぞと、きびしくいはれけれども、さる文なかりければ、うつゝならずおぼえて、前なる者どもあきれあやしみけるに、みづから立走て、あかりしやうじをあけて、たてぶみをとりて見ければ、ものども誠にふしぎにおぼえてみる程に、是をひろげて見て、しばし打あんじて返事書てさし置て、又頓てねいりにけり、起臥もたやすからずなりたる人の、いかなりけることにかと、あやしみける程に、しばしねいりて、汗おびたゞしく流れて、起上りてふしぎの夢を見たりつるとて、語られける、おほきなるさるの、あゐずりの水干きたるが、たてぶみたる文を持て來つるを、人の暹く取入つるに、自ら是を取て見つれば、歌一首あり、
たのめつゝこぬ年月をかさぬればくちせぬちぎりいかゞむすばん、とありつれば、御返事には、
心をばかけてぞたのむゆふだすき七のやしろの玉のいがきに、とかきて參らせつる也、是は山王よりの御うたを給りて侍る也と語られければ、まへなる人あさましくふしぎにおぼえて、是は只今うつゝに侍ること也、是こそ御ふみよ、又かゝせ給へる御返事よといひければ、正念に 住して、前なる文どもをひろげて見けるに、露たがふことなし、其後やまひをこたりにけり、いとふしぎなり、
p.0971 同御時、〈○順德天皇時〉小川瀧口定繼といふ御けしきよきぬし侍けり、四﨟座にて上﨟をこして久しく奉公してけり、名月の夜、主上南殿に出御ありて御遊ありけるに、かの定繼が下人、くろ戸のかたの御厩のほとりに、いねぶりして候けるが、にはかにはしりたちて、中將宣忠朝臣のあやのこうじの家へ、さかいきになりて、はしりむかひていふやう、たゞ今内裏へ急度まいらせ給へ、なを〳〵きと〳〵といひけり、中將さしもの急事何事にかとあやしう思〈○思原作レ候、據二一本改、〉ひて、たが奉行ぞとたづねられければ、小川瀧口殿のうけ給はらせ給ふて候といひて、やがてはしり歸りける程に、中將あはてさはぎて、はせまいりてうかゞひければ、たゞ今なんでんにわたらせ給ふよし女房申せば、御後のかたにてをとなふに、たぞと御たづねあれば、宣忠朝臣めされ候へるほどに、まいりたるよし申ければ、大かたさる事なければ、ふしぎに覺し召て、くはしく御たづね有ければ、使のいひつるごとく、定繼が承りて、其下人にて候よし申ければ、定繼承て相たづぬるに、はやくかの下人ねほれて、かくめしたりけるなり、あまりにはしりけるほどに、二條あぶらのこうぢを南へ〈○へ原脱、據二一本一改、〉かりおりける時、築地の角にはしりあたりて、かほさきかきてありけり、其よしを申あげければ、比興の沙汰にてやみにけり、定繼の申けるは、これは勝事にて候、ねほれ〈○れほれ一本作二ねぼけ一〉候はんからに、さる事やはつかうまつるべき、まさかさまのくせごとをもぞ引いだし候とて、此下人をやがてつかはず成にけり、おかしき事也、
p.0971 睡〈昔碎 ネフル(○○○)和スイ〉眠〈莫賢 ネフリ和メン〉
p.0971 眠〈ネフリ、ネムル、瞑亦作レ冥、〉 睡〈同〉
p.0971 睡(ネムル)眠(同)
p.0972 眠(ネムル)〈字彚、翁レ目也、〉 睡(同) 瞑(同)
p.0972 睡眠(スィメン)
p.0972 眠、泯也、無知混泯也、
p.0972 ねぶる 睡眠をいふ、寢經るの義也、ねぶたしといふ詞も、源氏枕草紙に見えたり、ねむるに同じ、
p.0972 ねぶりにおかさる(○○○○○○○○) 爲二睡侵一
目をさまして居らんとするに、睡の外より來りて、おのれが心ををかして、目をさまさせざるが如くなればいふ歟、又俗に茶を飮ばをかされて、寢られぬといふもこの意歟、敵に國ををかし襲はるゝを借ていふならん、
p.0972 或人法然上人に、念佛の時睡にをかされて、行をおこたり侍る事、いかゞしてこのさはりをやめ侍らんと申ければ、めのさめたらむほど念佛し給へと、こたへられたりける、いとたうとかりけり、
p.0972 眠正信房事
和州菩提山ノ本願僧正御房ニ、忠寬正信房ト云僧有ケリ、アマリニネブリケレバ、ネブリノ正信トゾ申ケル、御舍利講ノ法用散華スベカリケルガ、唄ヒクホドニ、例ノネブリケルヲ、唄ヲワリテソバナル僧、オドロカシケレバ、ネブルモノカラ、又物忩ナル僧ニテ、錫杖ヲ取テ手執錫杖ト誦シケルヲ、イカニヤトイハレテ、ヤラ唄カト思テトゾ云ケル、又或ル夜、九番鳥ノ鳴ケルヲ眠耳ニ、御所ニ忠寬々々ト召ズト聞ナシテ、事々シク御イラへ申テ御前へ參ル、イカニナニ事ゾト被レ仰レバ、召ノ候ツルト申ス、サル事ナシト仰アリケレバ、鳥ノ猶空ニ聲ノスルヲ指サシテ、アレニ召ノ候ツルトゾ申ケル、或ル時、御湯ノ後、汗ニヌレタル御小袖ヲ、フセゴニウチカケテ例ノ物忩ハヌレタル方ヲ上ニシテ、サカリナル火ニアブリテ、ネブリイタルホドニ、トクマイラセヨト仰ノ有 ケルニ、オドロキテ見レバ、白御小袖籠ノカタツキテ、香色ニコガシテケリ、アサマシト思テ、カヒマキテヌレタル方ヲ、上ニシテモチテ參ヌ、未ダヌレタルハイカニト仰ラルレバ、タヾタテマツリ候へ、シタハコガレテ候トゾ申ケル、尾籠也ト仰ラレテ、御小袖ハ給ハリテケリ、
p.0973 よひまどひ(○○○○○) 宵迷
日の暮夜になれば、はやうねぶたがるを、今もさいふなり、
p.0973 ふることゞものそこはかとなきうちはじめ、きこえつくし給へど、御みゝもおどろかずねぶたきに、宮もあくびうちし給て、よひまどひをし侍れば、物もえ聞えやらずと、の給ふほどもなく、いびきとかきゝしらぬをとすれば、〈○下略〉
p.0973 睡(井ネムル/○)〈説文、坐寢也、〉 坐寢(同)
p.0973 ゐねふり 坐睡の義なり
p.0973 醍醐大僧正實堅もちをやきてくひけるに、きはめたるねぶり人にて、もちを持ながらふら〳〵とねぶりけるに、まへに江次郎といふ格近者の有けるが、僧正のねぶりてうなづくを、われに此もちくえとけしき有ぞと心得て、はしりよりて手に持たるもちを取てくいてげり、僧正おどろきて後、こゝに持たりつるもちはと尋られければ、江次郎其もちははやくへと候つれば、たべ候ぬとこたへける、僧正比興の事なりとて、しよにんにかたりてわらひけるとぞ、
p.0973 元淡淵
淡淵若冠志レ學、好レ坐二暗室一、雖二白晝一閉レ戸、僅照二容光一、讀レ書、夜對二燈檠一毎至二雞鳴一、隱レ几坐睡、以爲二平生一、竟無レ就レ寢、家人皆異レ之、
p.0973 むまねふり(○○○○○) 馬上にて睡るをいふ、詩にも馬上續二殘夢一など見えたり、
p.0973 義朝靑墓落著事 義朝ノ一所ニ被レ落ケルハ、嫡子惡源太義平、次男中宮大夫朝長、三男右兵衞佐賴朝、〈○中略〉僅ニ八騎也、兵衞佐賴朝心ハ武シト雖モ、今年十三、物具シテ終日ノ軍ニ疲給ケレバ、馬睡ヲシ野路ノ邊ヨヲ打後レ給ヘリ、
p.0974 をなじ卿〈○藤原家成〉の大和國なる所領より、物を上けるさたの物夫よりはるかにさきだちて、のぼりける程に、はや馬ねぶりをして、たづなうちすてゝ馬にまかせて行程に、此馬大和國の家のかたへ行けり、つや〳〵としらずして、はるかに歸りにけり、さる程にさがりてのぼる夫に行あひてければ、夫これも何方へおはするぞといふ時、はじめてをどろきにけり、ねぼけてかくいふ夫を、逃てくだるぞと心へて、ぜひなくしかりて、やがて件の夫をからめたりける、夫のふ祥こそおかしく候つれ、
p.0974 そらね(○○○) 虚寢 僞寢
熟睡を宇麻ねといふに對へて、虚寐は僞寐にて、いねもせでいねたるまねするをいふ、虚言をもそらごとゝいふそらに同じ、すべて曾良は不實の意にて、そらしらずなどもいへり、
p.0974 ついでなきことに侍れど、物の恠と人の申し事どもの、させる事なくてやみにしは、さきの一條院の御卽位の日、大極殿御裝束すとて、人々あつまりたるに、たかみくらのうちに、かみつきたるものゝ、かしらのちうちつきたるを見つけたりける、あさましくいかゞすべきと、行事おもひあつかひて、かばかりの事をかくすべきかはとて、大入道殿〈○藤原兼家〉にかゝる事なん候と、なにがしのぬしして申させけるを、いとねぶたげなる御けしきにもてなさせ給ひて、物もおほせられねば、もしきこしめさぬにやとて、又御けしきたまはれど、うちねぶらせ給ひて、なを御いらへなし、いとあやしく、さまで御とのごもり入たるとは見へさせ給はぬに、いかなればかくておはしますぞととひ、御前に候にうちおどろかせ給ふさまにて、御裝束ははてぬなりやとおほせ らるゝに、きかせ給はぬやうにてあらんと、おぼしめしけるにこそとこゝうえて、たちたまひける、げにかばかりのいはひの御事、またけうになりてとまらんも、いま〳〵しきに、やをらひきくしてあるべかりける事を、心もなく申ものかなと、いかにおぼしめし候らんと、後にそその殿もいみじく悔しがり給ひける、
p.0975 俊賢卿蒙二中關白〈○藤原道隆〉恩一、五位而補二藏人頭一、越二多人一、思二此恩一而入道殿〈○藤原道長〉蒙二内覽宣旨一給日睡眠云々、傷二帥殿〈○道隆子伊周〉事一之故云々、ソラネブリウチシテイタフ、帥内大臣事故云々、
p.0975 にくきもの
家にても、みやづかひ所にても、あはでありなんとおもふ人のきたるに、そらねをしたるを、わがもとにあるものどものおこしよりきては、いぎたなしと思ひがほに、ひきゆるがしたるいとにくし、
p.0975 きりつぼには、ひと〴〵おほくさぶらひて、おどろきたるもあれば、かゝるをさもたゆみなき御忍びありきかなと、つきじろひつゝ、そらねをぞしあへる、
p.0975 此比天王寺よりある中間法師、京へのぼりける道にて、山ぶし一人、又いもじする男一人行つれて上りける、〈○中略〉人しづまる程に、此山ぶしおきゐて、かみをもとゞりにとりけり、いもじ男はたゞよくねいりぬ、法師はそらね入して、此山ぶしがふるまひ見ゐたる程に、〈○下略〉
p.0975 源藏ハニノ九へ行キテ、空眠リシテ半藏ノ來ルヲ待ケル、
p.0975 貉睡(タヌキネフリ/○○)〈事見二本草綱目一〉
p.0975 假睡(タヌキネイリ)〈水滸僅、婆娠聽二得是宋江回來一、只做二齁齁一假睡著、〉 佯睡(タヌキネイリ)〈冷薺夜話、王文公居二鍾山一、與二兪秀老一、至二報寧寺一、有レ頃秀老至公佯睡、〉 陽眠(タヌキネイリ)〈宋書顏延之傳、何尚之在レ直、延之以レ醉詣焉、尚之望見便陽睡、〉
p.0976 貍〈○中略〉
附錄、狢、〈狐貍類、源順曰、狢音鶴、漢語抄云、無之奈、似レ狐而善睡者也、必大按、(中略)山人曰、貍之斑色有二善睡者一、山俗釋二無之奈一、性如レ鈍不レ似二狸狐之慧一、細察二其睡一者、則非二眞睡一、乃使二耳而聾一也、故雖レ似二熟睡一、見レ人則駭走而竄矣、〉
p.0976 にくきもの
にはかにわづらふ人のあるに、げんざもとむるに、れいある所にはあらで、〈○中略〉かぢせさするに、此ごろものゝけにごうじにけるにや、ゐるまゝに、すなはちねぶりごゑ(○○○○○)になりたるいとにくし、
p.0976 卅あまりばかりなる僧の、ほそやかなる目をも、人に見あはせず、ねぶりめ(○○○○)にて時々あみだ佛を申、
p.0976 重遠〈○谷〉曰、土佐諸社之祭、十歲至二十二三歲一童女二人、潔齋七日、祭日朝白粉明衣飾レ之、神主附レ耳誦二祓文一、騎レ馬前行、名曰二行事殿一、蓋神之形代也、神輿游行之間、或一日或半日、行事殿睡眠不レ覺、左右捧持僅得レ居レ鞍、祭日氏人游人雜還絡繹、鐘鼓歌舞、喧囂踊躍、而睡眠不レ知、祭畢歸レ社、神主復附レ耳誦二祓文一、然後居然醒覺、是爲二常例一、萬有一不レ睡則必有二事故一、因去二其濁穢一、神主再三祓除遣レ之、往々復レ常、
○按ズルニ、睡眠病ノ事ハ、方技部疾病篇雜病條ニ載セタリ、
p.0976 (マトロム/○)
p.0976 目睡(マドロム)〈太平記〉
p.0976 少時坐睡(イナガラ)、則夢(マドロンテ)見二十娘一、
p.0976 まどろむ 遊仙窟に睡をよむ、少睡をいへり、目蕩ける義なるべし、
p.0976 たゞいさゝかまどろむとしもなき夢に、このてならしゝねこの、いとらうたげにうちなきてきたるを、〈○下略〉
p.0977 囈(○)〈魚世反、禰己止、〉
p.0977 㦣 孫愐云、㦣〈子例反〉寢言也、〈今案和名禰古止〉
p.0977 按玉篇、㦣寐言也、孫氏蓋依レ之、認文、㦣、㝱言不レ慧也、〈○中略〉是條舊〈○天文本〉及山田本、昌平本、曲直瀨本、下總本皆無獨那波本有レ之、今錄存、按和名在二條末一、與二本書通例一乖、在二齘齒下齭上一、亦次第失レ序、是條恐後人所レ增、伊呂波字類抄不レ載二㦣字一、類聚名義抄有二㦣字一不レ錄二和名一、知二家所レ見本無二是條一也、
p.0977 寐語(ネコト)
p.0977 語(ネゴト)〈事文類聚、睡中語也、〉 (同)〈字彚〉
p.0977 寐語(ネコト)〈王君玉雜纂、難二理會一醉漢寐語、〉 啽囈(ネコト)〈正字通、啽音菴、語含レ口也、囈寐語不レ成レ句也、〉 囈語(ネコト)〈拾異記、呂蒙囈語通二周易一、〉
p.0977 ねごと〈○中略〉 思ふ事を寐言といふ諺あり、異聞錄に、韓昭侯と棠溪公と事を謀るに、夜必ず獨寢る事を勤む、寐言して妻妾に漏む事を慮りてなりと見えたり、
p.0977 このきたのかた○藤原伊周母はしづみいり給ひて、いとたのもしげなくなりまさらせ給ふ、たゞよとともの御事には、とあ○伊周にたいめむして、しなん〳〵とぞ、ねごとにもし給、
p.0977 昏睡發二囈語一、足レ見一心之不存一、
p.0977 〈音悟サム〉
p.0977 〈サム〉
p.0977 覺(サムル)〈韵會、夢醒也、〉 寤(同/○)
p.0977 覺吿也
寤忤也、能與レ物相接忤地、
p.0977 五年十月己卯朔、天皇幸二來目一、居二於高宮一、時天皇枕二皇后膝一而晝寢、〈○中略〉天皇則寤(サメテ)之、語二皇后一曰、〈○下略〉
p.0978 寄レ物陳レ思
五更之(アカツキノ)、目不醉草跡(メザマシクサト/○○○○ )、此乎谷(コレヲダニ)、見乍(ミツヽ)座而(イマシテ)、吾止偲爲(ワレシシノバム)、
p.0978 曉ちかくなりにけるなるべし、となりの家々、あやしきしづのおの聲々めさまして、〈○下略〉
p.0978 醒睡(ヨサトヒ/○○)〈李義山雜纂、夜間常醒睡、〉
p.0978 寐覺(ネザメ/○○)
p.0978 ねざめ 寢覺と書り、いねて目のさむるなり、
p.0978 夜裏聞二千鳥喧一歌二首
夜具多知爾(ヨクタチニ)、寢覺而居者(ネザメテヲレバ)、河瀨尋(カハセトメ)、情毛之奴爾(コヽロモシヌニ)、鳴知等理賀毛(ナクチドリカモ)、
p.0978 關路千鳥といへる事をよめる 源兼昌
あはぢ島かよふ千鳥のなく聲にいくよねざめぬ須摩の關守
p.0978 おどろく(○○○○)〈○中略〉 夢を驚かすなどいふは、日本紀に寤をおどろかしとよめる意也、令レ驚の義也、おどろきを延て、おどろかしといふ一格の例あり、
p.0978 其天詔琴拂レ樹而地鳴動、故其所レ寢大神〈○須佐能男命〉聞驚而引仆二其室一、
p.0978 更大伴宿禰家持贈二坂上大孃一歌十五首〈○中略〉
夢之相者(ユメノアヒハ)、苦有家里(クルシカリケリ)、覺而(オドロキテ/○ )、搔探友(カキサグレドモ)、手二毛不所觸者(テニモフレネバ)、
p.0978 少時坐睡、則夢見二十娘一、驚覺(サメテ)攪之、忽然空レ手、
p.0978 居〈イタリ處也、當也、〉 坐 處 集 搶 座 踞〈已上同〉
p.0978 坐挫也、骨節挫屈也、
p.0978 居 をる 万葉
p.0979 一坐ト云フハ一向イル心歟
ツネニハイルヲザスルトハ云フ、但坐字ヒザマヅクトヨメル事モアリ、禮義記、武坐致(ヒザマヅクニ)レ右憲レ左何也ト云ヘリ、坐ヲバツミトモヨム、緣坐ト云、ソノ心也、
p.0979 坐作(○○)イスマヒ
p.0979 ゐずまひ 枕草紙に見ゆ、居住也、まひ反み也、或は坐作をよめり、
p.0979 棊をやんごとなき人のうつとて、ひもうちとき、ないがしろなるけしきにひろひをくに、をとりたる人のゐずまゐも、かしこまりたるけしきに、ごばんよりはすこしとをくて、〈○下略〉
p.0979 すわる(○○○) 居をいふ、すぐにをるの義なるべし、わとをと通ふ例多し、すうすゑとはたらけり、わる反、をる反、ともにう也、
p.0979 居(すは)るといふ事を、日向及北陸道又下野邊にてねまる(○○○)といふ、畿内にていしか(○○○)るといふ、關東又は泉州境邊にてへたばる(○○○○)と云、伊豆にてきかる(○○○)と云、但馬にてへこたれる(○○○○○)と云、長崎にてをらす(○○○)と云、土州にていざる(○○○)と云、
p.0979 なをる(○○○) 俗に正座をいふ、直く坐の義なるべし、ゐなをるともいへり、
p.0979 正坐(ロクニスハル/○○)〈壽世保元、後儒林傳、帝正坐自講、〉
p.0979 端坐(○○)
p.0979 端坐(ウヅイ)剩心驚
p.0979 女人好二風聲之行一食二仙草一以現身飛レ天緣第十三
大和國宇太郡漆部里有二風流女一、是卽彼部内漆部造麿之妾也、〈○中略〉毎於レ野採菜爲レ事、常住二於家一、淨レ家爲レ心、採調盛唱、子端坐含レ咲、馴言致レ食、常以二是行一、爲二身心業一、〈○中略〉
端坐〈シ支ミ乎奈與久曷○訓釋恐有レ誤〉
p.0980 踞坐(カシコマル/○○)〈要覽、謂二垂レ足實坐一也、〉
p.0980 恭坐(カシコマル)〈神異經、恒恭坐而不二相犯一、〉
p.0980 一かしこまると云はおそるゝ事也、貴人主人の威勢をおそるゝ心也、〈○中略〉今世ひざを折りて正しく座するを、かしこまるといふは、かしこまり坐すると云心也、貴人をうやまひおそれて座する也、正座の事をかしこまるとおもふは非なり、
p.0980 かしこまり〈五種ノ義アリ、本ノ心ハ恐ルヽ心ヨリ轉ジタル也、一ツニハ恐ルヽ恐レ入、二ツニハ敬スル心、三ツニハ謝スルコトニ、四ツニハ懈怠アヤマリ無沙汰ノイヒワケノ心、五ツニハ勘當ノ心、三絛四條五絛ハ體ノ語ナリ、〉
p.0980 跘跨(アグラ/○○)〈釋氏要覽〉 蹴跪(同) 寬坐(同)
p.0980 箕倨(アクラ)〈史張耳傳、高祖箕倨詈、索隱、崔誥云、屈レ膝坐、其形如レ箕、〉
p.0980 人の相伴する事
一人の相伴の事、貴人の前にて、めし又何にても相伴あらば、物のすはるまでは、ひざを立(○○○○)て可レ有、膳すはり候はゞひざをくむ(○○○○○)べし、但座敷せばく候て、貴人とひざくみのやうならば、ひざを立てもくふべし、時宜によるべし、
p.0980 左京屬紀茂經鯛荒卷進二大夫一語第三十
今昔、左京ノ大夫 ノ ト云フ舊君達有ケリ、〈○中略〉俎ノ上ニ荒卷ヲヲキテ、事シモ大鯉ナドヲ作ラム樣ニ、左右ノ袖ヲ引疏テ片膝立(○○○)テ、今片膝ヲバ臥テ、極メテ月々シク居シテ、〈○下略〉
p.0980 白川院夕御膳之時、侍從大納言成通卿候二陪膳一、御寢之間漸漏移、依更發二脚氣一、片膝ヲ立テ候ケリ、法皇被レ仰云、宇治ニイハレシバ、於二人前一搔膝(○○)シテ居事、以外白氣事也云々、御詞未レ了成通卿逐電云々、
p.0980 一淸凉殿〈○中略〉 御手水間
一間〈○註略〉凡主上御座不レ可レ向レ西之由、在二江記御手水可レ向レ北也、嘉保行一幸院一〈相撲〉御劒置二御座東一、是不レ可二西向芯也、向レ西トモ角ザマニ可二著座一也、
p.0981 踞〈其几其矣反、ヒサマツク、〉 䠒 〈俗ヒサマツク〉 跪〈渠鬼反、ヒサマツキ、音詭、又音危、〉 䠆〈䠆跪行、ヒサマツク、音長、〉 趾〈俗〉 〈正〉 〈俗〉
p.0981 跪〈ヒザマツク胡跪〉 蹲 踞 突 跽 䠆〈䠆跪〉 顙〈已上同ヒサマツク〉
p.0981 跪(ヒザマヅク) 踞(同)
p.0981 跪危也、兩膝隱レ地、體危隉也、
跽忌也、見レ所二敬忌一、不二敢自安一也、
p.0981 蹲〈音存、ウスクマリ、シリウタク、和ソン、〉 〈俗〉 踞〈シリウタク、ウスクマル、音據、〉 蹲踞〈ウスクマリイル〉 〈ウスクマル〉 跠〈ウスクマリイル〉
p.0981 蹲踞(ツクバフ) 倨傲(同) 蹲踞(ネマル)箕踞(ウヅイ)〈指南、伸二兩脚一坐曰二箕据一、〉 蹲踞(ウヅクマル)
p.0981 踞(シリウタケ)〈文選註、却倚也、〉 箕踞(同)
p.0981 うづゐ(○○○) 跠をいふ、うづくまり居也、論語に夷俟と見えたり、〈○中略〉
うづくまる 蹲踞をいふ、古事記にうづすまりとも、萬葉集にうすくまりとも見ゆ、うづみくまりにて、埋隱の義成べし、今いふつくばふ也、
p.0981 つくばふ 蹲居の俗語也、突匍匐の義成べし、つくぼる(○○○○)といふも同じ、
p.0981 弧孃女憑二敬觀音銅像一示二奇表一得二現報一緣第卅四
牡飢言、我飢賜レ飯、妻言、今進、起レ竃燃レ火居二于空 一、押レ頰而蹲、〈○中略〉
〈蹲ウスクマリ〉
p.0981 さて月ごろへて、女晝のつれ〴〵なりけるに、はぬいといふ物して、うずく まり居たりけるを見れば、〈○下略〉
p.0982 膝行(イサリ)
p.0982 膝行 ゐざる 眞名未レ考、居ながら去なり、足のたゝぬかたはものを、ゐざりといふもこれなり、
p.0982 ゐざる 膝行をいふ、坐ながら行の義也、源氏にゐざり出など見えたり、拾遺集に、かたゐざりするみどり子ともよめり、
p.0982 ゐじる 居蹂躙の義なるべし、ゐじりよるなどいへり、
p.0982 茶室
濳口(くゞりぐち) にじり上りともいふ、茶室へ入口なり、大〈サ〉まどのごとし、
p.0982 戀
あふことのかたゐざり(○○○○○)するみどり子のたゝん月にもあはじとやする
p.0982 文治二年二月廿八日丙子、此日除目初日也、〈○中略〉頭左中辨光長雖二參入一、依二膝脛等灸治一、不レ堪二膝行一、因之以二兼親一傳覽、
p.0982 建久三年七月廿五日丙申、幕下〈御束帶〉豫出二御西廊一、義澄捧二持除書一膝行而進之、
p.0982 匍〈蒲胡反、平、匍匐也、波良波比由久(○○○○○○)、〉
p.0982 匍〈蒲北反、匍匐、〉 匍匐〈ハラハフ(○○○○)、下音僕、伏也、〉
p.0982 匍匐小見時也、匍猶レ捕也、藉レ索可二執取一之言也、匐伏也、伏レ地行也、人雖二長大一、及二其求レ事盡レ力之勤一、猶亦稱レ之、詩曰、凡民有レ喪、匍匐救レ之、是也、
p.0982 跂(ハフ/○)〈文選註、凡生類之行皆曰レ跂、〉 這(同)〈人、草、〉
p.0982 はふ 匍匐をいふ、虫には蚑行と見え、蝨には緣と見えたり、草木にいふは延 也、万葉集に見ゆ、蔓延の義〈○下略〉
p.0983 はらばひ 神代紀に匍匐をよめり、腹もてはふをいふ也、万葉集に、赤駒の腹ばふとみゆ、新攝字鏡には、はらばひゆくとよめり、或は勃窣をよめり、
p.0983 故爾伊邪那岐命詔之、愛我那邇妹命乎、〈那邇二字以レ音下效レ此〉謂易二子之一木一乎、乃匍二匐御枕方一、匍二匐御足方一而哭時、〈○下略〉
p.0983 於レ是坐レ倭后〈○日本武尊妃〉等、及御子等諸下到而作二御陵一、卽匍二匐廻其地之那豆岐田一〈自レ那下三字以レ音〉而哭爲レ歌曰、那豆岐能(ナヅキノ)、多能伊那賀良邇(タノイナガラニ)、伊那賀良爾(イナガラニ)、波比母登富呂布(ハヒモトホロフ)、登許呂豆良(トコロヅラ)、
p.0983 故是口子臣、白二此御歌一之時、大雨、爾不レ避二其雨一、參二伏前殿戸一者、違出二後戸一、參二伏後殿戸一者、違出二前戸一、爾匍匐進赴、跪二于庭中一時、水潦至レ腰、
p.0983 嬰兒鷲所レ擒以後國得レ逢レ父緣第九
飛鳥川原板葺宮御宇天皇〈○皇極〉之代、癸卯年春三月頃、但馬國七美郡山里人家有二嬰兒女一、中庭匍匐、鷲擒騰レ空指レ東而翥、〈○中略〉
匍〈波良波不〉
p.0983 うつくしきもの
みつばかりなるちごの、いそぎてはひくる道に、いとちいさきちりなどの有けるを、めさとに見つけて、いとおかしげなるをよびにとらへて、おとななどに見せたる、いとうつくし、〈○中略〉いみじうこえたる兒の二つばかりなるが、しろふうつくしきが、二あゐのうすものなど、きぬながくて、たすきあげたるが、はひ出くるもいとうつくし、
p.0983 祗園女御の事
さしも御さいあいと聞えし、舐園女御を、たゞ盛にこそくだされけれ、此女御はらみ給へり、〈○中略〉 すなはち男をうめり、〈○中略〉ある時白川の院、熊野へ御かうなる、〈○中略〉その時たゞもり、やぶにいくらも有けるぬかごを、袖にもり入れ、御前へまいりかしこまつて、
いもが子ははふ程にこそなりにけれ、と申されたりければ、院やがて御こゝろえ有つて、
たゞもりとりてやしなひにせよ、とそ付させまし〳〵ける、
p.0984 一宮〈○敦貞〉おはしまして、おとゞ〈○藤原顯光〉やゝおきよ〳〵、むまにせんとおこしたてまつらせ給へば、我にもあらずおきあがり給て、たかばひ(○○○○)して、馬にのせたてまつり給て、ありかせ給へば、〈○下略〉
p.0984 立〈口鷙反タチトコロ〉 〈正〉
p.0984 立〈タツ〉 起〈起坐〉
p.0984 立林也、如三林木森然各駐二其所也、
p.0984 立擧(タチアガル)
p.0984 正述二心緖一
立念(タチテオモ)、居毛曾念(ヒイテモゾオモ)、紅之(フクレナイノ)、赤裳(アカモ)下引(スソヒキ)、去之儀乎(イニシスガタヲ)、
p.0984 おとゞはえたちもあがり給はず、かゝるよはひのすゑにわかくさかりの子にをくれたてまつりて、もこよふことゝはぢなき給ふを、〈○下略〉
p.0984 關東の亂波智略の事
氏直〈○北條〉亂波二百人扶持し給ふ中に、一の惡者有、かれが名を風摩と云、〈○中略〉夜討强盜して歸る時立すくり居すくりといふ事あり、明松をともし、約束の聲を出し、諸人同時にさつと立、颯と居る、是は敵まぎれ入たるを、えり出さんための謀なり、
p.0984 翹(ツマダツル/○) 〈文選註、足立也、〉
p.0985 つまだつ 佇をよめり、爪立の義なり、
p.0985 躑 猶〈豫之貎、又不レ退而愼之貎、萬久、又足須留(○○○)、〉 蹢躅〈猶豫貎、躑也、踟蹰也、足須留、〉
p.0985 跪〈徒何反アシスリ〉 跎〈正〉 躘〈音龍、音蹱、アシスリ〉
p.0985 詠二水江浦島子一一首幷短歌〈○中略〉
玉篋(タマクシゲス)、小披爾(コシヒラクニ)、白雲之(シラクモノ)、自箱出而(ハコヨリイデヽ)、常世邊(トコヨヘニ)、棚引去者(タナビキヌレバ)、立走(タチハシリ)、叫袖振(サケビソデフリ)、反側(コヒマロビ)、足受利四管(アシズリシツヽ)、頓(タチマチニ)、情淸失奴(コヽロキエウセヌ)、〈○下略〉
p.0985 むかし男有けり、女のえうまじかりけるを、年をへてよばひわたりけるを、からうじてぬすみ出て、いとくらきにきけり、〈○中略〉やう〳〵夜も明ゆくにみれば、ゐてこし女もなし、あしずりをしてなけどもかひなし、
p.0985 承久の頃、住吉へ然るべき人の參らせ玉ひけるに、折ふし神主經國京へ出たりけるが、人をはしらせて、住の江殿など掃除させよといひやりたりけるに、あまりのきらめきに、年比しるべき人々の、書をかれたるうたども、柱なげし妻戸にありけるを、皆けづり捨てけり、神主くだりて是を見て、こはいかにせんと、足ずりをして悲しめどもかひなかりけり、
p.0985 傍偟〈タチモトホル〉 彷偟〈同下音皇タチモトホル〉 俳徊〈音棑回也トタヽスム〉 〈タチモトホルトヤスラフ〉
p.0985 徘徊〈タヽスムタチモトホル〉 徊〈正タチモトホル〉
p.0985 寸歩〈タヽスム〉
p.0985 佃〈タチヤスラフ〉 俳 佯 俚 彳 〈タチマヨフ〉 躑〈已上タチヤスラフ〉
p.0985 彳亍(タチアガル/タヽスム)〈赤勅二音、字彚、小歩也、韵會、彳左歩也、亍右歩也、左右歩倶擧而後爲レ行者也、〉 彷徨(タヽズム)〈舊事紀、又史記註、俳徊也、〉 徜徉(同)〈彷徉、相羊、並同、〉 儲與(同/タチヤスラフ)〈文選〉 停俟(同/同)〈又云停盻〉
p.0985 たゝずむ 神代紀に彷徨をよめり、立息の義、ちや反た也、文選に躊躇もよみ、徒徛或は彳亍をもよめり、
p.0985 一書曰、〈○中略〉於レ是彦火火出見尊不レ知レ所レ求、但有二憂吟一、乃行至二海邊一彷徨(タヽズム)嗟嘆、
p.0986 うりんゐんの木のかげにたゝずみてよみける 僧正遍昭
わび人の分て立よるこのもとはたのむかげなく紅葉散けり
p.0986 かのかくや姫をみまほしくて、物もくはず思ひつゝ、かの家に行てたゝずみありきけれども、かひあるべくもあらず、
p.0986 たちもとほる(○○○○○○) 盤桓、躊躇、徘梱などをよめり、立旋ほるの義也、靈異記に躊躇をたちいざよふとよめり、
p.0986 用二寺物一復將レ寫二大般若一建レ願以現得二善惡報一緣第廿三
大伴連忍勝者、〈○中略〉歷二五日一乃甦、語二親屬一言、召使五人共副疾往、往道頭有二甚峻坂一、登二於坂止一而躊躇見〈○中略〉
躊躇〈多干意左(○○○○○○○)與比天〉
p.0986 跨〈苦化反、去、踞也、股也、躡也、渡癈(癈恐衍)也、越也、万太乃佐々比(○○○○○○)、〉
p.0986 踏跨〈上市柯反、下共依反、齊レ足而踊之貌、阿不止己牟(○○○○○)、又乎止留、又越也、〉
p.0986 跨〈昔化苦故二反マタカル(○○○○) ハタカル(○○○○)〉
p.0986 跨 あつとこえ 此字常にはまたがるとよむを、書にかく點せるは、あつといひて溝などをまたがりこゆる意歟、句絶の所にては、あつとこゆといふべし、あつとこふとはよむべからず、
p.0986 一跨をあとこゆるといふ、足迹のまたがりこゆるといふ意なるべし、
p.0986 あとこえ 跨をよめり、日本紀にあとこひと見え、あふとこひとも見えたり、新撰字鏡に躇跨をあふとこむとよみ、齊レ足而踊之貌と注せり、常にはまたがるとよめり、又あつとこひともいふ、
p.0986 またがる 跨をよめり、股上るの義也、またぐ(○○○)ともいふ、かる反ぐ也、新撰字鏡 にまたのさゝひとよめり、股の小間といふ義なるべし、〈○中略〉跨は越也、足過也と注せる義にや、
p.0987 はちかる(○○○○) 俗に跨をいふ、またがるの轉也、
p.0987 蹊〈遐雞反、平、徑也、徂行也、往來也、阿留久(○○○)、〉
p.0987 蹮〈アルク〉
p.0987 歩〈蒲故反 アユム(○○○) ユク アリク(○○○)和フ〉
p.0987 歩(アユム) 歩行(アリク)
p.0987 歩行(カチアルキ)〈先進遣風、歸至二里第一、歩行未二甞乘一レ輿〉 禹歩(オホマタアルキ)〈南史陳顯達傳、矢中二左目一而鏃不レ出、潘嫗善禁、先以レ釘釘レ柱禹歩作レ氣、釘卽出、乃禁二目中鏃一出レ之、〉僂行(セカゝメテユク) 〈史記、田光僂行見二荊卿一、按僂行傴僂而行也、〉 郤行(アトシサリ)〈前高紀太公擁レ彗迎レ門郤行、師古曰、郤退而行也、〉 郤足(アトシサリ)〈説苑、一蹶之故郤足不レ行、〉
p.0987 兩脚進曰レ行、行抗也、抗レ足而前也、
徐行曰レ歩、歩捕也、如下有レ所二伺捕一務安詳上也、
p.0987 ありく 日本紀に歩行、又遊行をよめり、有行の義成べし、新撰字鏡に蹊をあるくとよめり、往來也といへり、古事記の歌に、ありたゝし、ありかよはせと見えたるも、此義也といへり、薩州にては、さるくといふ、
p.0987 あゆむ 歩行をいふ、足緩の義成べし、源氏にあゆまひとも見えたり、まひ反み也、
p.0987 上方で買(かう)て來るを江戸にては買(かつ)て來る、〈○中略〉行(ゆく)を歩む、
p.0987 是時其子事代主神遊行(アルキテ)、在二於出雲國〈三穗三穗此云二美保一〉之碕一、以二釣魚一爲レ樂、
p.0987 元年三月、是月立二三妃一、〈○中略〉次有二春日和珥臣深目女一曰二童女君一、生二春日大娘皇女一、〈更名高橋皇女〉童女君者、本是采女、天皇與一一夜一而娠、遂生二女子一、天皇疑不レ養、及二女子行歩(アリキスルニ)一、天キ皇御二大殿一、物部目大連侍焉、女子過庭、目大連顧謂二群臣一曰、麗哉女子、〈○中略〉徐二歩(シメヤカニアリク)淸庭一者、言二誰女子一、天皇曰、何故問珥、目大連對曰、臣觀二女子行歩(アリク)一、容儀能似二天皇一、
p.0987 左京大夫付二異名一語第廿一 今昔、村上天皇ノ御代ニ、舊宮ノ御子ニテ、左京ノ大夫ト云人有ケリ、〈○中略〉歩ビハ背ヲ振リ、尻ヲ振テゾ歩ビケル、
p.0988 たけだちそゞうかに物し給に、ふとさもあひて、いとしうとくにおもゝちあゆまひ(○○○○)など、大臣といはんにたらひ給へり、
p.0988 〈細〉歩(アユミ)ざま也、〈哢〉歩體也
p.0988 歩行(○○)〈カチヨリユク〉
p.0988 かち(○○) 日本紀に歩をよめり、又徒行をかちよりゆくとよめり、今もかちはだしなどいへり、
p.0988 戊午年四月甲辰、皇師勒レ兵、歩趣(カチヨリ)二龍田一、
p.0988 寄レ物陳レ思
山科(ヤマシナノ)、强田山(コハタノヤマニ)、馬雖在(ウマハアレド)、歩吾來(カチヨリワレク)、汝念不得(ナレヲオモヒカネ)、
p.0988 君にむまは奉りて、われはか、ちより、くゝりひきあげなどして出たつ、
p.0988 笛は
よこぶえいみじうおかし、〈○中略〉車にても、かちにても、馬にても、すべてふところにさしいれてもたるも、何とも見えず、さばかりおかしき物はなし、
p.0988 一宿其外歩行之時、付二前後左右心一、不レ可二油斷一事、臣軌曰、事不レ愼者、取レ敗之道也、
p.0988 富田川合戰之事
城中ノ兵共、是コソ究竟ノ時ナ、レトテ、大西十兵衞、本田豐前守、立原備前守等打連テ、二千餘人皆歩行立(○○○)ニ成テ、彼河本ガ館へ切テカヽル、
p.0988 たじ〳〵(○○○○) 俗に小兒歩を習をいへり、跢字なるべし、梵書に多し、跢は跢字去聲、 小兒行也と見えたり、又傍人たつと〳〵と云も、多趍の義なるにや、
p.0989 〈子厚反〉 〈正〉 走〈二或下通〉 走〈若通 ハシル(○○○) ユクオモムク 和ソウ〉 趠〈勑敎反ハシル〉 〈俗造字ハシル〉 〈音梟ハシル〉 趫〈正〉 〈ハシル〉 趍〈遲音 今七踰反ワシル ハセテ〉 〈正〉 〈今〉 趨〈正 音クワシル〉 〈俗去字ハシル〉 趉〈渠勿反ハシル〉
p.0989 䢌〈音跋ハシル〉 迻〈音犇ハシル〉
p.0989 奔〈音犇ハシル〉
p.0989 赱走 〈上中通、下正、〉
p.0989 走(ハシル)
p.0989 趨(ワシル)
p.0989 疾行曰レ趨、趨赴也、赴レ所レ至也、
疾趨曰レ走、走奏也、促有レ所二奏至一也、
奔變也、有二急變一奔赴レ之也、
p.0989 佛銅像盜人所レ捕示二靈表一顯二盜人一緣第廿二〈○中略〉
趍〈走也〉
p.0989 はしる 走をいふ、しる反すなれば、はすに同じ、歌にも常にもさいへるを、書を讀にはわしるといひ習へり、新撰字鏡に迸をはしりかるとよめり、日光にて行事をわしるといへり、
p.0989 わしる(○○○) 走をよめり、はしるともいへり、靈異記に趍もよめり、
p.0989 かける 驅をいふは、かくるの俗語也、
p.0989 上方で買(かう)て來るを江戸にては買(かつ)て來る、〈○中略〉走(はし)るを欠(かけ)る、
p.0989 此車のさまをだに、人にかたらせてこそやまめとて、一條殿のもとにとゞめて、侍從殿〈○藤原公信〉やおはします、郭公のこゑきゝていまなんかへり侍るといはせたる、つかひたゞ今まいる、あがきみ〳〵となんのたまへる、さぶらひにまひろげて、さしぬきたてまつりつといふに、ま つべきにもあらずとて、はしらせて、つちみかどざまへやらするに、いつのまにかさうぞくしつらん、おびは道のまゝにゆひて、しば〳〵とをひぐる、ともに侍ひ、ざうしき、ものはかではしるめる、とくやれといとゞいそがしくて、つちみかどにきつきぬるにぞ、あへぎまどひておはして、まづ此くるまのさまいみじくわらひ給ふ、
p.0990 つごもり〈○十二月〉の夜、いたうくらきに、松どもともして、夜半すぐるまで、人の門たゝきはしりありきて、何事にかあらんこと〴〵しくのゝしりて、足を空にまどふが、曉がたよりさすがに音なくなりぬるこそ、年の名殘も心ぼそけれ、
p.0990 踕(アシバヤ/○)〈足疾曰レ踕〉
p.0990 藤原保昌朝臣値二盜人袴垂一語第七
今昔、世ニ袴垂ト云極キ盜人ノ大將軍有ケリ、心太ク、力强ク、足早(○○)手聞キ、思量賢ク世ニ並ビ无キ者ニナム有ケル、
p.0990 待賢門軍附信賴落事
爰ニ鎌田ガ下人八町次郎トテ、大カノ剛者、早走リ(○○○)ノ手キヽアリ、馬ニテコソ具スベケレドモ、中中徒立ヨカルベシ、高名セヨト云ケレバ、一年モ腹卷ニ小具足差堅メテ、眞前ニ進タリケルガ、敵ノ馬武者ノ遙先立テ落ケルヲ、八町ガ内ニテ押攻テ首ヲ取タリケレバ、夫ヨリシテ八町次郎トゾ云ケル、サレバ又此者三河守ノ聞ユル早馳ノ名馬ニ、兩鐙ヲ合セテ被レ懸ケルニ、少シモ不レ劣追付テ、甲ノ手返ニ熊手ヲ打カケン打カケント、續テ走ケレバ、賴盛モ甲ヲ打カタフケ打傾ケ、アヒシラハレケレバ、五六度ハ懸ハヅシケルガ、終ニ手返ニ打懸テエイヤト引バ、三河守旣ニ引落サレヌベウ被レ見ケルガ、帶タル太刀ヲ引拔テ、シトヽ切、熊手ノ柄ヲ手本二尺計置テ、ヅント切テ被レ落ケレバ、八町吹郎ノケ、ニ倒テコロビケリ、
p.0991 院宣ノ御使ニハ、推松トテ、キハメテ足早キ者アリケル、是エラバレテゾ被卞ケル、平九郎判官私ノ使ヲ相添テ、承久三年五月十五日ノ、酉刻ニ郡ヲ出テ、劣ラジ負ケジト下ケル程ニ、同十九日ノ午刻ニ、鎌倉近ウ、片瀨ト云所ニ走付タリ、平九郎ノ判官ノ使ハ、案内者ニテ、先ニ鎌倉へ走入テ、駿河守ニ文ヲ付タレバ、披見シテ、返事申スベケレ共、道ノ程モ、ハヾカラ敷間、態ト申サヌナリトテ追出シヌ、
p.0991 超〈耻驕反コユ(○○)ヲドル 和テウ〉
p.0991 超(コユル)
p.0991 超卓也、學レ脚有レ所二卑越一也、
p.0991 剽姚(ハヤハザ/○○)〈韵會、勁疾貌、出二漢書一、〉 勁捷(同)〈西京雜記、江都王勁捷、能超二七尺屏風一、淮南子註、勁利急疾也、〉 早態(同)
p.0991 於レ是天皇詔、雖レ怨二其兄一、猶不レ得レ忍二愛其后一、故卽有二得レ后之心一、是以選二聚軍中力士輕捷(○○)一而宣者、取二其御子一之時、乃掠二取其母王一、或髮或手、當隨二取獲一而掬以控出、
p.0991 六年二月癸丑朔、喚二鯽魚磯別王之女大姫郎姫、高鶴郎姫一、納二於后宮一並爲レ嬪、於レ是二嬪恒歎之日、悲哉吾兄王何處去耶、天皇聞二其歎一、而問之曰、汝何歎息也、對曰、妾兄鷲住王、爲レ人强力輕捷、由レ是獨馳二越八尋屋一而遊行、旣經二多日一不レ得二面言一、故歎耳、
p.0991 嘉祥三年十一月己卯、從四位下治部大輔興世朝臣書主卒、書主右京人也、〈○中略〉書主雖長二儒門一、身稍輕捷、超二躍高岸一、浮二渡深水一、猶同二武藝之士一、
p.0991 仁壽二年二月甲子、右兵衞佐兼信濃介從五位下紀朝臣最弟卒、〈○中略〉最弟武藝之士、膂力過レ人、登レ高渉レ深、輕捷少レ偶、追二捕京畿盜賊姧宄一、漸以絶盡、
p.0991 天皇諱惟仁、〈○中略〉嘉祥三年歲在庚午三月二十五日癸卯、生二天皇於太政大臣東京一條第一、十一月二十五日戊戌、立爲二皇太子一、于レ時誕育九月也、先レ是有二童謠一云、大枝(オホエ)〈乎(ヲ)〉超(コエ)〈天(テ)〉、走超(ハシリコエ)〈天(テ)〉、走超〈天(テ)〉、 躍(ヲ)〈止利(ドリ)〉騰(ア)〈加利(ガリ)○騰原在二躍字上一、據二一本一改〉 超(コエ)〈天(テ)〉、我(ワレ)〈耶(ヤ)〉護(マ)〈毛留〉田(タ)〈仁耶〉搜(アサリ)〈阿佐理〉食(ハ)〈無(ム)〉志岐(シギ)〈耶(ヤ)〉、雄々(ヲヽ)〈伊(イ)〉志岐(シギ)〈耶(ヤ)〉、
p.0992 仁和三年八月七日戊申、散位從四位上文室朝臣卷雄卒、〈○中略〉卷雄身體輕捷、甚有二意氣一、嘗戲騰躍、脚踏二駕レ車牛額一、超越立二於車後一、及レ爲二少將一、白晝有レ狐、走二東宮屋上一、卷雄奔登、拔レ劒斬之、凡其驍勇過レ人、皆此之類也、
p.0992 卽日〈○康平五年九月六日〉欲レ攻二衣川關一、〈○中略〉武貞〈○淸原〉攻二闘道一、賴貞〈○橘〉攻二上津衣川道一、武則〈○淸原〉攻二關下道一、自二未時一迄二戌時一、攻戰之間、官軍死者九人、被レ疵者八十餘人也、武則下レ馬廻二見岸邊一、召二兵士久淸一命曰、兩岸有二曲木一、枝條覆二河面一、汝輕㨗好飛超、傳二渡彼岸一、偸入二賊營一、方燒二其壘一、賊見二其營火起一合軍驚走、吾必破レ關矣、久淸云、死生隨レ命、則如二猿猴之跳梁一、著二彼岸之曲木一、牽レ繩纏レ葛、牽二卅餘人兵士一、同得二越渡一、卽偸到二藤原業近柵一、俄放レ火燒、
p.0992 同〈○源義家〉朝臣若さかりに、ある法師の妻を密會しけり、件の女の家、二條猪隈へん也けり、築地に棧敷をつくりかけて、棧敷のまへに堀ほりて、其はたに蕀などをうへたりけり、すこぶる武勇立る法師なりければ、用心などしける所也、法師のたがひたる隙をうかゞひて、夜ふけてかの堀のはたへ車をよせければ、女棧敷のしとみをあげて、すだれを持あげゝる、其時とび入けんはやわざの程、凡夫の所爲にあらず、此事たびかさなりにければ、法師聞つけて、妻をさいなみせためて問ければ、ありのまゝにいひてけり、さらばれいのやうに我なきよしをいひて、件の男を入よ〈○よ原作レま據二一本一改、〉といひければのがれがたなくて、いふまゝにことうけしぬ棧敷をあげて、れいのやうに入たらん所を、きらんと思て、此法師其道に圍碁盤のあつきを、楯のやうに立て、それにけつまづかせんとかまへて、太刀をぬきてまつ所に、案のごとく車をよせければ、女れいの定にしけるに、とびのをの方よりとび入ざまに、鳥のとぶがごとく也、ちいさき太刀をひきそばめて持たりけるをぬきて、とびざまに碁盤の角を五六寸計をかけて、とゞこほりなくきつて 入にけり、法師たゞ人にあらずと思ひて、いかにすべしともなく、おそろしく覺へければ、はふはふくづれおちてにげにけり、くはしく尋聞ば八幡太郎義家也けり、いよ〳〵おくする事限なかりけり、
p.0993 近衞御門倒レ人蝦蟆語第卌一
今昔 天皇ノ御代ニ、近衞ノ御門ニ人倒ス蝦蟆有ケリ、〈○中略〉而ル間一人ノ大學ノ衆有ケリ、〈○中略〉平ミ居ル蝦蟆ヲ踊り越ル(○○○○)程ニ、〈○下略〉
p.0993 牛若奧州下事
牛若ハ、〈○中略〉晝ハ終日學文ヲ事トシ、夜ハ終夜武藝ヲ被二稽古一タリ、僧正ガ谷ニテ、天狗トヨナ〳〵兵法ヲ習ト云々、去バ早足飛越、人間ノ業トハ不レ覺、
p.0993 文覺ながされの事
剰文覺に、是程まで、からきめを、見せ給ひつれば、〈○中略〉黃泉の72びに出なん後は、こづめづのせめをば、まぬかれ給はじ物をと、をどりあがり〳〵ぞ申ける、
p.0993 のと殿さいごの事
新中納言とももりの卿、〈○中略〉判官〈○源義經〉を見しり給はねば、物のぐのよき武者をば、判官かとめをかけて飛でかゝる、〈○中略〉判官の舟にのりあたり、あはやとめをかけて飛でかゝる、判官かなはじとや思はれけん、長刀をば弓手のわきにかひはさみ、みかたの舟の二丈ばかりのきたりけるに、ゆらりととび乘給ひぬ、のと殿はやわざやおとられたりけん、つゞいてもとび給はず、
p.0993 官軍引二退箱根一事
舟田入道ト大將義貞朝臣トニ人、橋ヲ渡リ給ヒケルニ、如何ナル野心ノ者ガシタリケン、浮橋ヲ一間ハリヅナヲ切テゾ捨タリケル、〈○中略〉此馬ノ落入ケル時、橋二間計落テ、渡ルベキ樣モナカリ ケルヲ、舟田入道ト大將トニ人手ニ手ヲ取組テ、ユラリト飛渡リ給フ、
p.0994 四條繩手合戰事附上山討死事
居野七郎是ヲ見テ、敵ニ氣ヲ付ジト、秋山ガ臥タル上ヲ、ツト飛越テ、爰ヲアソバセト、射向ノ袖ヲ敲テ、小跳シテ進タリ、
p.0994 相合就勝謀反附生害之事
上總介就勝ハ、九郎義經ニモ不レ劣輕業兵法ノ達者ニテ、鎗ヲ提、爰ヲ最後ト振舞レタリ、鷺就勝逐レ北テ深入シ給所ニ、敵取テ返ツケレバ、門前ノ土橋ヘハ引事ヲ不レ得、面三間ノ隍ヲ、閃リト飛テ渡リ給フヲ、寄手ノ者其是ヲ見テ、アラ恐シノ行迹ヤ、葛城高天ノ岑ニ住ナル、大天狗ノ變化ニヤト、不レ覺舌ヲ卷、心ヲ寒シテ立タリケリ、
p.0994 予〈○松浦淸〉ガ下邸ノ邊、辨天小路ト云ニ、某ト云ル御家人アリ、此人三尺バカリノ棒ヲ持テバニ丈許ノ處モ、少シ足ガヽリ有レバ躍上ル、又高處ヨリ跳下ルモ、三丈計ハ自在ナリ、又七尺バカリノ高キ所ハ、足ヲ擧テ堤ルコト、自由ニスルトナリ、奇ナル事ナリ、
p.0994 俯仰〈フシアフク 下奐掌反アフク(○○○) 和カウ〉
p.0994 仰〈アフク擧也、偃也、〉
p.0994 あふぐ 仰をよめり、あふのく(○○○○)ともいふ、天に向くの義也、神代紀に擧目をよめるは義訓也、
p.0994 時彦火火出見尊就二其樹下一、徒倚彷徨、良久有二一美人一、排レ闥而出、遂以二玉鋺一來當汲レ水、因擧目(アウギテ)視之、乃驚而還入、〈○下略〉
p.0994 一云、豐玉姫之侍者、以二主瓶一汲レ水終不レ能レ滿、俯視二井中一則倒映二人笑之顏一、因以仰觀有二一麗神一倚二於杜樹一、故還入白二其王一、
p.0995 戊午年、是時大伴氏之遠祖日臣命帥二大來目督將元戎一、蹈レ山啓行、乃尋二烏所一レ向、仰視而追之、遂達二于菟田下縣一、
p.0995 忠輔中納き口付二蠱ハ名一語第廿二
今昔、中納言藤原ノ忠輔ト云フ人有ケリ、此ノ人常ニ仰デ空ヲ見ル樣ニテノミ有ケレバ、世ノ人此レヲ仰ギ中納言トゾ付タリケル、
p.0995 いとゞぼけられて、ひるは日ひとひいをのみねくらし、夜はすぐすかにおきゐて、ずゞの行へもしらずなりにけりとて、手ををしすりて、あふぎゐたり、
p.0995 畠山少しもたゆまず渡りて行く、○宇治河、中略、ふりあふのいて(○○○○○○○)うしろをみれば、
p.0995 のけざま(○○○○) 竹取物語に見ゆ、仰樣の義成べし、のけにたふるゝなどいへり、
p.0995 のけざま 仰樣
あふのけざまともいふは、俗にのけにそるといふに同じ、
p.0995 中納言〈○中略〉籠に入て釣られ登りて、うかゞひ給へるに、〈○中略〉我物にぎりたり、今はおろしてよ、おきな、しえたりとの給ひてあつまりて、とくおろさんとて綱を引すぐしてつなたゆるときに、やしまのかなへのうへに、のけざまにおち給へり、
p.0995 御賀茂詣日は、社頭にて三度の御かはらけ、空にてまいらするわざなるを、その〈○藤原道隆〉御時には禰宜神主も心えて、大かはらけをぞまいらせしに、三度はさらなる事にて、七八度などめして、上社にまいり給ふ道にては、やがてのけざまにしりのかたを御まくらにて、不覺におほとのごもりぬ、
p.0995 俛〈音免 フスウツフス(○○○○○○)〉 俯俛〈フシアフク 上音府フス フシトコロ〉 伏〈音服 フスウツフス〉
p.0995 伏(フス) 俯(同) 俛(同)
p.0996 伏覆也、偃安也
僵正直畺然也、
p.0996 ふす 伏臥をよめり、神代紀に、俯順(フシテ)、俯視(フシテ)など見えたり、俯の音を用ゐたるにや、万葉に拜をよめり、義同じ、
p.0996 凶女不レ孝二養所生母一以現得二惡死報一緣第廿四
故京有二一凶婦一姓名未レ詳也、〈○中略〉時其母有二稚子一、携レ之還レ家俛視、道頭有二遣裹飯一、拾レ之慰レ餓、猶勞寢レ室、〈○中略〉
俛〈伏也〉
p.0996 打臥御子巫語第廿六
今昔、打臥ノ御子ト云フ巫世ニ有ケリ、〈○中略〉何ナレバ此ク打臥ノ御子トハ云フゾト思ヘバ、打臥(○○)ノミ物ヲ云ケレバ、打臥ノ御子トハ一広ケル也ケリ、
p.0996 とみにもたち給はねば、袖ををしあてゝ、うつぶし(○○○○)ゐたるも、からぎぬにしろいものうつりて、まだらにならんかし、
p.0996 人のかほもち大事に候、けゝしく人はぢたるさまに、うつぶき(○○○○)たるもわうし、またさしあふのきて、かほふりあげたるもわろし、
p.0996 はひぶし(○○○○) 物語に見えたり、這臥の義也、
p.0996 此下わらびはてつからつみつるなどいへば、いかで女官などのやうにつきなみてはあらんなどいへば、とりおろして、れいのはひぶしにならはせ給へるおまへたちなればとて、とりおろしまかなひさはぐほどに、〈○下略〉
p.0996 河内前司重通ト云者、童ニテ西宮ニアリケルニ、ミチアシカリケル所ニ、アユ ミノ板ヲ三四枚バカリシキワタシタリケルニ、朱雀院ノカタヨリ、シラヒゲナル翁ノ、モトドリハナチタル、スソヲトリテ、コノ板ヲワタラントシケルヲ、コノ重通ガオサナクテ、イタノ端ヲフミテウゴカシタリケレバ、此翁ヒレフシ(○○○○)ニケリ、〈○中略〉後ニキケバ、冷泉院ノオハシマシケル也、イトアヤシキコト也、
p.0997 〈二居月反、蹶同、入、擲之也、僵也、臥也、走也、動也、起也、搖之貌、豆万豆支天太不留(○○○○○○○○)、〉
p.0997 蹴然〈敬也、蹴踰也、太(○○○○○○)知豆万豆久、〉 〈不レ安之貌踟蟵也、豆万豆久(○○○○)、〉 峙〈留足也、猶豫之貌、太知豆万豆久、〉 踉蹡〈乎止留、又立豆万豆久、〉
p.0997 〈アトツマツク〉 躑〈音擲 又丁狄反ツマツク〉 跗跌〈音夫ツマツク〉 跌〈徒結反ツマツク〉 跲〈正 巨却反ツマツク〉 踕〈音捷ツマツク〉 踢〈他狄反ツマツク〉 〈俗遏字 阿葛反ツマツク〉 蹄 〈音徒タチツマツク〉 〈タチツマツク〉躓音〈致タマツク〉 躓〈俗〉 巨〈吉反ツマツク〉 蹴然〈タチツマツク〉 路〈ツマツク〉
p.0997 蹉跎(ツマヅク) 疐(同)〈毛詩〉 躓(同) 踒(同) 跌(同) 跉(同) 蹶(同)
p.0997 蹉(ケツマヅク) 跲(同)
p.0997 陸奧前司橘則光切二殺人一語第十五
今昔、陸奧前司橘則光ト云人有ケリ、〈○中略〉俄ニ忿リ突居タレバ、走リ早マリタル者、我レニ蹴躓テ倒タルニ違テ立上テ、起シ不レ立頭ヲ打破テケリ、
p.0997 母之爲忠孝有レ人事
鎌倉ノ故相州禪門ノ中ニ、祗候ノ女房有ケハ、腹アシク、タテ〳〵シカリケルガ、或時成長ノ子息ノ同ジクツカフマツリケルヲ、イサ、カノ事ニヨリテ、腹ヲ立テ打タントシケルホドニ、物ニケツマヅキテ、イタクタフレテ、イヨ〳〵ハラヲスヘカネテ、〈○下略〉
p.0997 仆〈音匐又赴 タフル(○○○) フス〉
p.0997 踣(タフル) 倒(司)〈超、僵、仆、䟮、僨、並同、〉 殪仆(タフレフス)〈文選〉
p.0997 仆踣也、頓踣而前也、
p.0998 たふる 倒をよめり、仆も僵も同じ、靈異記に、顚沛を訓ず、又蹄をよめり、倭名抄に狂をよめるも、心の顚倒する義也、たふすは彼よりいふ詞なり、倒るゝ所に土つかむといふ諺は、今昔物語にみえたり、今俗こけた所で火打石ともいへり、
p.0998 十二年十月壬午、天皇命二木工闘鷄御田一、〈一本云、猪名部御田蓋誤也、〉始起二樓閣一、於レ是御田登レ樓疾二走四方一、有レ若飛行一、時有二伊勢采女一、仰觀二樓上一、恠二彼疾行一、顚二仆於庭一、覆所レ擎饌一、
p.0998 信濃守藤原陳忠落二入御坂一語第卅八
今昔、信濃ノ守藤原ノ陳忠ト云フ人有ケリ、〈○中略〉守僻事ナ不レ云ソ、汝等ヨ寶ノ山ニ入テ手ヲ空クシテ返タラム心地ゾスル、受領ハ倒ル所ニ土ヲ メトコソ云ヘト云ヘバ、〈○下略〉
p.0998 蹭〈又橧 七贈反 蹬フス フシマロフ(○○○○○)〉 蹬〈音鄧 蹭也 俗又登フシマロフ〉
p.0998 〈マロフ(○○○)〉 辷 轉 樣 〈已上同〉
p.0998 宛轉(マロブ) 跎(同) 辷(同)〈本朝俗字、音義未レ詳、〉 轉輾(フシマロブ)〈毛詩註、臥不レ安レ席之意、〉 踠轉(同) 蹉跎(同)〈廣雅、失レ足貌、出二文選一、〉 躅(コロブ)轉(同) 辷(同)
p.0998 ころび 神代紀に嘖讓をよめり、万葉集に、自臥をころぶすとよめる意、ぶす反び、展臥の謂也、〈○中略〉
ころぶ 展轉をいふ、ころばすは令レ轉の義、はす反ぶ也、辷は倭字也、應仁記に見えたり、
p.0998 ころぶ 自伏
今俗には轉躓をころぶといふには異なり、されどもその意は相同じ、ころぶとは自伏なり、ころはおのづからといへる古語にて、おのづからふすなり、萬葉卷二讃岐狹岑島視二石中死人一、人麿の長歌の中に、浪音乃(ナミノトノ)、茂濱邊乎(シゲキハマベヲ)、敷妙乃(シキタヘノ)、枕爾爲而(マクラニナシテ)、荒床(アラトコト)、自伏君之(コロブスキミガ)、家知者(イヘシラバ)云々とあり、これその證なり、同卷これより上に、木瓶殯宮の長歌〈人麿〉にも、玉藻之如久(ゴトク)、許呂臥者(コロフセバ)とあるも、うちふすさまをい ふなり、
p.0999 展轉 こいまろび(○○○○○) 万葉、又反の字をも、こいとよめり、こやるといふも此言なり、
p.0999 こい(○○)〈○中略〉 万葉集に反をよめり、反轉の義な、りこやるといふも同じ、こいふし(○○○○) 万葉集に見ゆ、展臥の義也、
こいまろび 万葉集に展轉を訓じ、日本紀に反側をよめり、今いふこけまうぶ也、
こやる(○○○) こいと同じ、展轉の古語也、日本紀の歌に、こやせると見えたるを、万葉集に臥有と書、太子傳に、臥一字を用ゐたり、古事記に、つく弓のこやるといふも、弓をふするをいふとそ、
p.0999 於レ是大穴牟遲神敎二吿其菟一、今急往二此水門一、以レ水洗二汝身一、卽取二其水門之蒲黃一敷散而、輾二轉其上二者、汝身如二本膚一必差、
p.0999 輾轉者は許伊麻呂毘氐婆(コイマロビテバ)〈婆は濁音なり、氐婆は多良婆の意なり、〉と訓べし、万葉三〈五十八丁〉に展轉(コイマロビ)と見ゆ、〈十の五十四丁、十三の廿九丁にもあり、〉許伊(コイ)は臥伏(フス)を云て、又万葉に卽反側(コイフス)、臥有(コヤセル)なども多く見ゆ、假字は許伊(コイ)なり、此も万葉にあり、
p.0999 故追到之時、待懷而歌曰、〈○木梨之輕王、中略、〉都久由美能(ツクユミノ)、許夜流許夜理母(コヤルコヤリモ)、阿豆佐由美(アヅサユミ)、多氐理多氐理母(タテリタテリモ)、能知母登理美流(ノチモトリミル)、意母比豆麻阿波禮(オモヒヅマアハレ)、
p.0999 許夜流許夜理母(コヤルコヤリモ)は、伏(コヤ)る伏(コス)りもなり伏(フヌ)を許夜流(コヤル)と云は古言なり、書紀推古卷、太子の御歌に、許夜勢屢諸能多比等阿波禮(コヤセルソノタビトァハレ)、万葉五〈五丁〉に、宇知那比枳(ウチナビキ)、許夜斯努禮(コヤシヌレ)、九〈三十五丁〉に、妹之臥勢流(イモガコヤセル)、十三〈三十三丁〉に、偃爲公者(コヤセルキミハ)〈此外集中に、臥有と書る皆コヤセルと訓べし、フシタルと訓るはわろし、〉などあり、古今集なる歌、よこほりふせる佐夜の中山、と云を、奧義抄に、よこほりくやる、とある本あるよし見えたり、久夜流(クヤル)、許夜流(コヤル)同じ、又万葉五〈二十八丁〉に、宇知許伊布志提(ウチコイフシテ)、十二〈十二丁〉に、反側(コイフス)、十七二十三丁に、等許爾許伊布之(コニコイフシ)、此外展轉(コイマロビ)、反側(コイマロビ)などある許伊(コイ)も、許夜理(コヤリ)と一言の活用なり、
p.1000 二十一年十二月庚午朔、皇太子〈○厩戸〉遊二行於片岡一、時飢者臥(フセリ)二道垂一、〈○中略〉則歌之曰、斯那提流(シナテル)、箇多烏箇夜摩爾伊比爾惠氐(カタヲカヤマニイヒニエテ)、許夜勢屢(コヤセル)、諸能多比等阿波禮(ソノタビトアハレ)〈○下略〉
p.1000 十六年〈○天平〉甲申春二月、安積皇子薨之時、内舍人大伴宿禰家持作歌六首、〈○中略〉
和豆香山(ワヅカヤマ)、御輿立之而(ミコシタテシテ)、久堅乃(ヒサカタノ)、天所知奴禮(アメシラシヌレ)、展轉(コヒマロビ)、泥土打雖泣(ヒツチナケドモ)、將爲須便毛奈思(セムスベモナシ)、
p.1000 わがさいはいなく、はぢみるべきすぐせの有ければ、心ちのとし月こそあれ、かかる年月をみる事と、ふしまろびなき給、
p.1000 わかきもの共のことおほせられたるは、たのもしきことになんなどよろこぶをみるにも、ましておはせましかばとおもふに、ふしまろびてなかる、
p.1000 中納言殿〈○藤原隆家〉は京いでたまひて、たむばざかひにて御馬にのらせ給ぬ、御車はかへしつかはすとて、とし比つかはせ給けるうしかひわらはに、此うしはわがかたみにみよとてたべは、わらはふしまろびてなくさま、まことにいみじ、
p.1000 吷〈子葉市狹二反、志波不支、又口須々久(○○○○)、〉
p.1000 盥〈管實二音 洪二手面一也テアラフ(○○○○) クチスヽク〉
p.1000 漱、涑、〈所雷反、失豆反、 又速音 スヽク(○○○)クチスヽク 又速隻反〉
p.1000 嗽〈クチスヽク〉 漱〈已上同漱レ石是也〉
p.1000 盥〈テアラフ澡レ手也〉 澡〈澡浴水是也〉
〈已上同〉
p.1000 嗽口(ウガイ)
p.1000 十年潤二月、蝦夷數千冦二於邊境一、由レ是召二其魁帥綾糟等一、〈○中略〉於レ是綾糟等懼然恐懼、乃下二泊瀨中流一、面二三諸岳一、漱水而盟曰、〈○下略〉
p.1000 養老元年十一月癸丑、天皇臨レ軒詔曰、〈○中略〉覽二當耆郡〈○美濃〉多度山美泉一、自盥二手面一、皮膚 如〈○如恐加〉滑〈○中略〉又就而飮浴之者或白髮反レ黑、或頽髮更生、〈○下略〉
p.1001 朕〈○宇多〉聞、未旦求レ衣之勤、毎日整レ服、盥嗽拜レ神、
p.1001 康治二年十二月八日庚寅、午剋始見二周易一、至二九五爻一而止之、依レ爲二吉爻一也、今日依二入學吉一始見也、置二卷第一於書案一、再拜後見之、盥嗽、著二烏 直衣一見之、後々又可レ如レ此、此書殊可レ被レ敬之故、在二後々一尤可レ拜也、女犯、魚食不レ可レ憚、只盥嗽可レ見也、
p.1001 源平侍遠矢附成良返忠事
判官〈○源義經〉ハ軍負色ニ見エケレバ、鹽瀨ノ水ニ口ヲ嗽、目ヲ塞テ合レ掌、人幡大菩薩ヲ祈念シ奉、〈○下略〉
p.1001 一手水(○○)をつかはぬさきに、厠より厩庭門外迄見めぐり、先掃除すべき所を、にあひの者にいひ付、手水をはやくつかふべし、水はありものなればとて、多くうがひし捨べからず、家のうちなればとて、たかく聲はらひする事、人にはゞからぬ體にて聞にくし、ひそかにつかふべし、天に躅地に蹐すといふ事あり、
p.1001 平生朝は未明に起きたまひて、手洗(○○)し、〈○中略〉それより食にむかひて一々頂戴し、食し終りて口すゝぎ(○○○○)、〈○中略〉
暮がたにも、又さうちし、手水(○○)し、〈○中略〉
衣服こしにも、足に手をふれ給ふ事あれば、卽ち立て手水したまへり、
p.1001 沐浴〈木欲二音 上力シラアラフ(○○○○○○)下アム(○○) カハアム(○○○○)〉
p.1001 沐〈カシラアラフ濯髮也〉 浴〈カハアム〉
p.1001 浴〈ユアム(○○○) 洗浴酒身也、澡也、〉
p.1001 沐浴
p.1001 ゆあみ 沐浴をいふ、湯洗の義也、日本紀に洗をあみとよめり、
p.1001 浴(ユアフル) 沐浴(モクク/○○)〈沐濯レ髮也、浴洗レ身也、經音義、水酒レ身在レ首曰レ沐、在レ身曰レ浴、〉
p.1001 擇レ日沐浴、〈五箇日一度〉沐浴吉凶、〈黃帝傳曰、凡毎月一日沐浴短命、八日沐浴命長、十一日目明、十八日逢二盜賊一、午日失二愛敬一、亥日見レ址、惡日不レ可レ浴、其惡日、寅、〉 〈辰、午、戊、下食日等也、〉
p.1002 下食日沐浴誦
妙善王 金著王 追杖鬼 參尾王 波羅鬼〈○中略〉
浴間鐘撞時歌
コヨヒ鐘撞ザルサキニユアミヨトミヽツマナクニイヒテシモノヲ
p.1002 六十年七月、兄謂レ弟曰、淵水淸冷、願欲二共游沐(カハアミム)一、弟從見言一、各解二佩刀一置二淵邊一沐二於(カハアフル)水中一、
p.1002 倭建命、〈○中略〉卽入二坐出雲國一、欲レ殺二其出雲肆而、到卽結友、故竊以二赤檮一、作二詐刀一、爲二御佩一、共沐二肥河一、〈○下略〉
p.1002 瑞齒別天皇、〈○反正、中略、〉天皇初生二于淡路宮一、生而齒如二一骨一、容姿美麗、於レ是有レ井曰二瑞井一、則汲之洗二太子(アムシマツル)一、時多遲花落有二于井中一、因爲二太子名一也、多遲花者、今虎杖花也、
p.1002 丹比宿禰
火明命三世孫天忍男命之後也、〈○中略〉色鳴、大鷦鷯天皇〈○仁德〉御世、皇子瑞齒別尊、〈○反正〉誕二生淡路宮之時、淡路瑞井水奉レ灌二御湯一、于レ時虎杖花飛入二御湯瓫中一、色鳴宿禰、稱二天神壽詞一、奉レ號曰二多治比瑞齒別尊一、乃定三多治比部於二詣國一、爲二皇子湯沐邑一、卽以二色鳴一爲レ宰、
p.1002 三年〈○安康〉八月、穴穗夫皇〈○安康〉意將二沐浴一幸(ミユアミタマハンオホシテ)二于山宮一、遂登レ樓兮遊目、
p.1002 天平九年八月癸卯、命二四畿内二 及七道諸國僧尼一、淸淨沐浴、一月之内二三度、令レ讀二最勝王經一、
p.1002 聾者歸二敬方廣經典一得二現報一開二兩耳一緣第八
先潔二其身一、香水澡浴、依二方廣經一、〈○中略〉
澡浴〈加波阿彌氐〉 女人好二風聲之行一食二仙草一以現身飛レ天緣第十三大和國宇太郡漆部里有二風流女一、卽彼部内漆部造麿之妾也、〈○中略〉極窮无レ食无レ便无レ衣綴レ藤、日々沐浴潔レ身著レ綴、
p.1003 十三日〈○承平五年正月〉のあかつきにいさゝかに雨ふる、しばしありてやみぬ、男をんなこれかれゆあみなどせんとて、あたりのよろしき所にをりてゆく、〈○下略〉
p.1003 爲朝生捕被レ處二流罪一事
八郎〈○源爲朝、中略、〉古キ湯屋ヲ借リテ、常ニヲリユヲゾシケル、
p.1003 寬弘六年五月一日(別記也)乙卯、今日朝沐浴、或人云、五月不二沐髮一、又月一日忌レ浴云、仍見二曆林一五月一日沐髮良、此日沐令二人明目長命富貴一、又云五月一日日出沐浴、除二過三百一、令二人无一レ病、五月一日沐浴、延年除レ禍、一云朔日沐浴、不レ出二三月一、有二大喜一、依レ有二此等文一沐浴也、
p.1003 長和二年七月六日、妍子女御〈道長公第二女〉有二御産事一、降二誕皇女一、〈陽明門院〉可レ有二御浴殿事一、而七日不レ宜、陰陽師吉平務申、八日左大臣〈道長〉被レ仰云、世俗此日不レ浴如何、吉平申云、此事無二所見一、七月八日沐浴之由見二于尚書曆一、仍有御浴殿事一、
p.1003 天永三年四月八日、世俗云、今日不二沐浴一、但主上今日必有二御沐浴一、然世俗忌不二得心一可レ尋、元永元年十月二日、早旦沐浴頭アラフ、召二陰陽師光平泰長家榮一、令レ勘二日時一、
p.1003 保延二年十{月七日辛未、今日予〈○藤原賴長〉春日詣也、子剋許沐浴、著二衣冠一、
p.1003 義朝野間下向事附忠致心替事
長田莊司子息先生景宗ヲ近付テ、〈○中略〉御湯ヒカセ給ヘトテ、湯殿ヘスカシ入奉テ、〈○源義朝、中略、〉指弑シ可レ進、〈○中略〉ト計ヘバ、〈○下略〉
p.1003 安元三年三月一日辛丑、依二毎月幣一沐浴、神事如レ恒、付二幣於社司一、依二恒例事一也、 八月六日癸酉、爲 レ治二風痹一沐浴、
p.1004 せんじゆ
かのゝすけ〈○宗茂〉は情ある者にて、いたうきびしうもあたり奉らず、〈○平重衡〉やう〳〵にいたはりまいらせ、あまつさへ、ゆどのしつらひなんどして、御ゆひかせ奉る、
p.1004 文治二年正月一日庚辰、抑年來當日浴、而舊年浴之後、身無二不淨一之時、當日不二必浴一之由、見二故殿〈○藤原忠通〉御記一、仍今日不レ浴之、
p.1004 禁裏へ拜見の事有りて、參り給ふには、必沐浴したまへり、〈○中略〉
貴人へ見え給ふ時は、かならず沐浴したまへり、〈○中略〉
伊勢參宮の人を迎ひに行給ふ時は、沐浴して出で給へり、神を拜する心にて迎へ給ふとなり、自參宮したまふ時は、旅宿にて毎夜沐浴しだまへり、
先生故郷へ行き給ふには、かならず宅にて沐浴し出で給ふ、道の程七里ばかりの所なるが、故郷の宅に著し給ふまでは、二便を便じ給はず、是は身を汚さじとなり、
○按ズルニ、沐浴ニ關スル事ハ、居處部浴室篇、及ビ器用部澡浴具篇ニ載セタレバ、宜シク參看スベシ、
p.1004 行水(○○)
p.1004 行水(ギヤウズイ)
p.1004 長崎新左衞門尉意見事附阿新殿事
五月〈○元弘元年〉二十九日ノ暮程ニ、資朝卿〈○藤原〉ヲ籠ヨリ出シ奉テ、遙ニ御湯モ召レ候ハヌニ、御行水候ヘト申セバ、早斬ラルべキ時ニ成ケリト思給テ、〈○下略〉
p.1004 行水政右衞門 寶曆明和のころ、武藏の國豐島郡代々木村といへる處に、行水政右衞門と云ふ者ありけり、農家にして身上大いに富めり、這政ゑもん壯年より暑寒とも、冷水にて行水する事をこのむ、夏の夕湯を以身をあらひ、汗を流し去事、世間みな同じ事なり、獨這政ゑもんは水をもつて、身を洗ふ事をす、夏にかきらず、冬極寒の時といへども、盤に汲せ行水しける、亦食事も熱きものを喰ず、皆悉く冷物を食す、飯汁野菜のたぐひも、一端は焚せて、しばらく寒しおき、冷たる時にいたりて喰しける、其外何にまれ熱きものを喰たる事なし、寒中風雪などの日、他へ行て歸れば、忽ち井の水を汲せて、背より五六度あみ、夫より躬をぬぐひて、家に入て座し、少時ありて、ヤレ〳〵大いに温まりしと云けるとなり、予〈○八島五岳〉が父這事を聞、わざ〳〵尋ねいたり、政ゑもんに出會して談話せしに、當時齡百六歲なれども、齒一枚もぬけず、髮も白髮わづかにまじり、いたりて色白く、元來躬達者にて、當日庭上に薪を破りて居りしとなり、奈何なれば、然やうに冷物のみ好玉ふぞと問に、政ゑもん答て云やう、都て人壽百歲とて、百までは生らるゝ物なるを、世間の人、みな色食の一つより命を縮て、はやく死るなり、今の世の人の如く、熱食のみする時は、忽ち氣の上る病おこりて、頭上熱く下冷わたりて、死骸にひとし、是則ち下より死支度する初なりとは知ずして、愈色食の二つに心をとられ、終にははやく冥府におもむく、いと歎しき事ならずや、我如く冷物のみ食する時は、下熱かに上冷て壽永し、亦熱き湯に入て沐浴するときは、總身血のめぐりあしくなるなり、我壯年より冷物のみ喰し、水にて沐浴するをもて、百餘年の今日まで、病といふ事を知ず、願くは世人我如くして長壽を保ち給へかし、然どもおのれが如く、具の冷物は迚も喰しがたかるべし、唯熱食をやめて、温きものを食すべし、湯もぬるきを浴給へと、敎けるとなり、這政ゑもん夫より後も猶無病にて、久く存命せりとそ聞し、
p.1005 はりまのあかしといふ所に、しほゆあみ(○○○○○)にまかりて月のあかゝりけるよ、中 宮のだいばん所に奉り侍ける、 中納言資綱〈○歌略〉
p.1006 しほゆあみに、にしのうみのかたへまかりたりけるに、〈○中略〉
平康貞女〈○歌略〉
p.1006 建永二年〈○承元元年〉正月十八日甲午、將軍家〈○源實朝〉二所御精進始、爲二浴レ潮給一御濱出也、
p.1006 住吉大神社〈○中略〉
潮湯(六月十四日)〈此日近世より諸人社頭に群參し、住吉浦の潮水に浴し、百病平愈を禱るに、靈驗炳然し、土人曰、これを御祓の神輿洗といふ、又諺に云、此日熊野本宮の温泉こゝに涌出るとぞ、〉
p.1006 泝、 、〈同、桑故反、去、逆流而上曰レ泝、回也、行宇加夫、又於與支(○○○)、〉
p.1006 游〈音猷 オヨク〉 泳〈音詠 オヨク〉
p.1006 泳〈オヨク潛二行水中一也〉 激 淤 涾 渉 延 澗 汓 〈浮行也、古文作レ仔、〉 涵 瀰〈已上同、亦作レ遊、〉
p.1006 游者溺(ヲヨグモノハヲボル)〈淮南子、善游者溺、善騎者墮、各以二其所一レ好反自爲レ禍、〉 泅(ヲヨグ)〈説文、浮二行水上一也、〉 游(同)〈廣韵、浮也、〉 泳(同)〈毛萇云、潛行爲レ泳、〉 汆(同)〈音游、支那俗字、代醉、言人在二水上一也、〉
p.1006 およぐ 游をいふ、泳字もよめり、新撰字鏡には もよめり、押よぐる義にや、列子林注に、游は拍浮者也といへば、おふすと義かよふ成べし、俗におひがくともいへり、
p.1006 溺〈 音 シツム(○○○) タヽヨフ〉
p.1006 溺〈オホル(○○○) ナホル ゝイ溺レ水溺レ名〉
p.1006 溺(ヲボル)〈溺レ水〉 (同)〈音沒、支那俗字、代醉、言沒入レ水也、〉
p.1006 故其猨田毘古神坐二阿邪訶一〈此三字以レ音、地名、〉時、爲レ漁而於二比良夫貝一、〈自レ比至レ夫以レ音〉其手見二咋合一而沈二溺海鹽一、故其沈二居底一之時名、謂二底度久御魂一、度久二字以レ音其海水之都夫多都時名、謂二都夫多都御魂一、〈自レ都下四字以レ音〉其阿和佐久時名、諧二阿和佐久御魂一、〈自レ阿至レ久以レ音〉
p.1007 沈溺は淤煩禮(才ボレ)と訓べし、さて此神は、如此て是時に薨坐しにや、然には非ずや決めがたし、
p.1007 一云、〈○中略〉弟〈○彦火火出見尊〉時出二潮滿瓊一、卽兄〈○火酢芹命〉擧レ手溺困(ヲボレクルシム)、還出二潮涸瓊一則休而平復、
p.1007 戊午年六月、登二天磐盾一、仍引レ軍漸進、海中卒遇二暴風一、皇舟漂蕩、〈○中略〉三毛入野命亦恨之曰、我母及姨並是海神、何爲起二波瀾一以灌溺(オホヽスヤ)乎、則踏二浪秀一而往二乎常世郷一矣、
p.1007 住二河邊一僧値二洪水一弃レ子助レ母語第廿七
今昔ノ比、高鹽上リ、淀河ニ水增リテ、河邊ノ多ノ人ノ家流ケル時ニ、年五六歲許ニテ、色白ク形チ端正ニシテ、心ハへ嚴カリケル男子ヲ持チ、片時モ身ヲ不二離レ一愛スル法師アリ、而ル間其ノ水ニ此ノ法師ノ家押シ被レ流ニケリ、然レバ其ノ家ニ、年老タリケル母ノ有ケルヲモ不レ知ズ・此ノ愛スル子ヲモ知ズシテ、騷ギ迷ケルニ、子ハ前ニ流テ、母ハ一町許下ラ、浮ビ沈ミシテ流下ケルニ、此ノ法師色白キ見ノ流ケルヲ見テ、彼レハ我ガ子ナメリト思テ、騷ギ迷テ游ヲ搔テ流レ合テ見ルニ、我ガ子ニテ有レバ、喜ビ乍ラ片手ヲ以テ、子ヲ提テ、片手ヲ以テ游ヲ搔テ岸樣ニ來テ著ムト爲ル程ニ、亦母水ニ溺レテ流レ下ルヲ見テ、二人ヲ助レ可キ樣ハ无カリケレバ、法師ノ思ハク、命有ラバ子ヲバ亦モ儲ラム母ニハ只今別レナバ、亦可レ値キ樣无シト思テ、子ヲ打弃テ母ノ流ルヽ方ニ搔キ著テ、母ヲ助ケテ岸ニ上セツ、〈○下略〉