p.0685 性情ハ、邦語ニ汎ク之ヲコヽロト云フ、ロヽロハ卽チ心ニシテ、原ト萬慮ヲ總包スルノ稱ナリ、而シテ剛毅、温和、遍急、愎很等ノ因テ分ルヽ所、之ヲ性ト謂ヒ、喜怒、哀樂、好惡、愛戀等ノ因テ發スル所、之ヲ情ト謂フ、
p.0685 性情
p.0685 心〈音深コヽロ〉
p.0685 人心土臧也、〈也字補〉在二身之中一象形、〈息林切、七部、〉轉士説㠯爲二火臧一、〈土臧者、古文尚書説、火臧者、今文冢説、○中略〉凡心之屬皆从レ心、
p.0685 心こゝろはこゞる也、るとろと通ず、心は凝定して、うごかざるを本とす、心の藏はこゝろのある所也、こゝろぶとを凝草とかくも、此意なり、こゞるくさ也、V 八雲御抄
p.0685 心 人 うつし はな ほか ふた した あたし もろ〈在二源氏宿木卷一〉 かくなはと云〈俊賴抄〉
p.0685 丹心(○○)
p.0685 丹心(キヨキコヽロ)日本紀 丹誠(同) 赤心(同)蓬心(キタナキコヽロ/○○)〈林希逸云、猶三茅塞二其心一也、〉 黑心(同)
p.0685 あかきこゝろ(○○○○○○) 万葉集に見ゆ、赤心をいふなり、續紀宣命に明支淨支直支誠之心 とも、又淸支明支正支直支心とも、淨伎明心とも見ゆ、神代紀に赤心とも、淸心とも、明淨とも、仲哀紀に明心、敏達紀に淸明心など見えたり、
p.0686 きたなきこゝろ 神代紀に、黑心又惡心濁心をよめり、莊子に蓬之心といへり、魏志に蓬心とも見ゆ、
p.0686 爾天照大御神聞驚而、詔下我那勢命〈○速須佐之男命〉之上來由者、必不二善心(ウルハシキコヽロ)一、欲レ奪二我國一耳上、〈○中略〉爾速須佐之男命答白、僕者無二邪心(キタナキコヽロ/○○)一〈○中略〉爾天照大御神詔、然者汝心之淸明、何以知、〈○下略〉
p.0686 天照大神素知二其神暴惡一、至レ聞二來詣之狀一、乃勃然而驚曰、吾弟之來豈以二善意(ヨキコヽロ/○○)一乎、〈○中略〉
一書曰、素戔鳴尊將レ昇レ天、〈○中略〉是時天照大神疑三弟有二惡心(アシキコヽロ/○○)一、起レ兵詰問、
p.0686 素戔鳴尊對曰、吾元無二黑心(キタナキ/○○)一、〈○中略〉時天照大神復問曰、若然者將何以明二爾之赤心(キヨキ/○○)一也、對曰、請與レ姉共誓、夫誓約之中、〈○註略〉必當レ生レ子、如吾所生、是女者則可レ以三爲有二濁心(キタナキ/○○)一、若是男者則可レ以三爲有二淸心(キヨキ/○○)一、
p.0686 八年正月壬午、幸二筑紫一、〈○中略〉問二熊鰐一曰、朕聞、汝熊鰐者、有二明心(キヨキ/○○)一以參來、〈○下略〉
p.0686 九年、有二壹伎直眞根子者一、〈○中略〉語二武内宿禰一曰、〈○中略〉時人毎云、僕形似二大臣一、故今我代二大臣一而死之、以明二大臣之丹心(キヨキ/○○)一、則伏レ劒自死焉、
p.0686 十年閏二月、蝦夷數千寇二於邊境一、由レ是召二其魁帥綾糟等一、〈○中略〉盟曰、臣等蝦夷自レ今以後、子子孫孫〈古語云、生兒八十綿連連、〉用二淸明心(スミアキラカナル/イサキアキラ)一、事二奉天闕一、
p.0686 元年八月庚辰、詔曰、〈○中略〉國法〈乎〉過犯事無〈久〉、明(○)〈支〉(○)淨(○)〈支〉(○)直(○)〈支〉(○)誠之心(○○○)以而、御稱稱而、緩怠事無〈久〉、務給而、仕奉〈止〉詔、〈○下略〉
p.0686 慶雲四年四月壬午、詔曰、天皇詔旨勅〈久〉、汝藤原朝臣〈乃○不比等〉仕奉狀者、〈○中略〉又朕卿〈止〉爲而、以二明淨心(○○○)一而、朕〈乎〉助奉仕奉事〈乃、○下略〉
p.0687 喩レ族歌一言〈幷〉短歌〈○中略〉
須賣呂伎能(スメロギノ)、安麻能日繼等(アマノヒツキト)、都藝氐久流(ツキテクル)、伎美能御代御代(キミノミヨミヨ)、加久佐波奴(カクサハヌ)、安加吉許己呂乎(アカキコヽロヲ/○○○○○○)、須賣良弊爾(スメラヘニ)、伎波米都久之氐(キハメツクシテ)、〈○中略〉
右〈○中略〉家持作二此歌一也
p.0687 大殿祭
親王、諸王、諸臣、百官人等〈乎〉、己乖乖不レ令レ在、邪意(アヤシキコヽロ/○○)、穢心(キタナキコヽロ/○○)無〈久〉、宮進〈米爾〉進、宮勤〈爾〉勤〈之米氐、〉咎過在〈乎波〉、見直〈志〉聞直坐〈氐〉、平〈良氣久〉安〈良氣久〉令二仕奉一坐〈爾〉依〈氐〉、大宮賣命〈止〉御名〈乎〉稱辭竟奉〈久登〉白、
p.0687 時高皇産靈尊、勅二大物主神一、汝若以二國神一爲レ妻、吾猶謂三汝有二疏心(ウトキ/○○)一、故今以二吾女三穗津姫一配レ汝爲レ妻、〈○下略〉
p.0687 一書曰、〈○中略〉雖レ然日神恩親之意、不レ慍不レ恨、皆以二平心(タイラカナルコヽロ/○○)一容焉、
p.0687 題しらず よみ人しらず
いで人は事のみぞよき月草のうつし心(○○○○)は色ことにして
p.0687 うつし心 現心(○○)
うつゝごゝろの誤歟、または物にうつる心なく、ひたぶるにその事に、なづみたるをいふ歟、また所によりて異なり、
p.0687 下部に酒のまする事は、心すべき事也、〈○中略〉具覺房手をすりて、うつし心なく醉たる者に候、まげてゆるし給はらんといひければ、〈○下略〉
p.0687 他心(アダシコヽロ/○○)日本紀 異情(同)〈万葉〉
p.0687 みちのくうた
君ををきてあだし心をわがもたば末の松山浪もこえなん
p.0688 かくや姫いはく、よくもあらぬ形ちをふかき心もしらで、あだ心(○○○)つきなば、後くやしき事も有べきをと、思ふばかり也、〈○下略〉
p.0688 むかし男、女いとかしこく思ひかはして、こと心(○○○)なかりけり、〈○下略〉
p.0688 五十一年、卽年以二千熊長彦一副二久氐等一、遣二百濟國一、〈○中略〉百濟王父子、並顙二致地一啓曰、〈○中略〉今臣在レ下、固如二山岳一、永爲二西蕃一、終無二貳心(○○)一、
p.0688 九年四月、遣二武内宿禰於筑紫一、〈○中略〉於レ是天皇則遣レ使以令レ殺二武内宿禰一、時武内宿禰歎之曰、吾無二貳心一、以レ忠事レ君、今何禍矣、無レ罪而死耶、
p.0688 男ならず、をんななりとも、おしうのためには、いのちをもすてんと、おぼしめされ候へ、おつとにも、おしうにも、二心だになければ、みやうがありて、ひとさらに、をうかにおもはず、〈○下略〉
p.0688 太上天皇御書下預時歌
山はさけ海はあせなん世成とも君にふた心我あらめやも
p.0688 ひとへごゝろ(○○○○○○) 單心
貳心にむかへて、たゞひとすぢの心をいふ、
p.0688 心のうちには、たゞふぢつぼの御ありさまを、たぐひなしとおもひ聞えて、〈○中略〉おさなきほどの御ひとへごゝろにかゝりて、いとくるしきまでぞおはしける、
p.0688 ころもがへ 光俊
たをやめのけふぬぎかふる衣手のひとへこゝろは我身なりけり
p.0688 二日ばかりありてきたり、ひと日の風はいかにとも、れいの人はとひてましといへば、げにとや、おもひけんことなし、〈○中略〉まけじ心(○○○○)にて又、 ちらさじとおしみをきけることの葉をきながらだにぞけさはとはまし
p.0689 たきつこゝろ(○○○○○○) 心の水のせきとめがたきをいへり、菅家萬葉に涌豆心と書り、
p.0689 女のもとにつかはしける よしの朝臣
あしびきの山下水のこがくれて瀧つ心をせきぞかねつる
p.0689 こゝろみじかき(○○○○○○○)やうに、きこゆる人なりと、いひければ、 よみ人しらず
いせの海にはへてもあまるたくなわのながき心(○○○○)は我ぞまされる
p.0689 正述二心緖一
伊田何(イデイカニ)、極太甚(ネモコロ〳〵ニ)、利心(トゴヽロノ/○○)、及失念(ウスルマデオモフ)、戀故(コフラクノユエ)、
p.0689 藤原夫人歌一首〈淨御原御宇天皇(天武)之夫人也、字曰二氷上大刀自一也、〉
安佐欲欲爾(アサヨヒニ)、禰能未之奈氣婆(ネノミシナケバ)、夜伎多知能(ヤキダチノ)、刀其己呂毛安禰波(トゴコロモアレバ)、於母比加禰都毛(オモヒカネツモ)、
p.0689 心説〈阿部政重求之〉
張明公曰、心(○)總二性情一、夫性(○)者其理也、五常是也、情(○)者其用也、七情是也、氣(○)者其運用也、意(○)者其所レ發也、志(○)者其所レ向也、念慮(○○)者意之餘也、身者其所レ居也、譬如三同源而有二派別一、如三一本而有二枝幹一也、然此心虚而無レ迹、故難レ存而易レ亡、唯敬則期存、能敬則 修、此心爲二身主一、故無レ貴無レ賤皆以レ修レ身爲レ本、本正則性情志氣思慮亦自正、可レ不レ敬乎、
p.0689 心
性(○)充二形體之間一、無二方形之可一レ指、其所二舍寓一之地、謂二心胸一、一身之中央、五臟之第一、神明之舍、性情之所レ具、一身之主宰也、
心(○)者屬レ火、生生無レ息、少不レ住、流行運動之謂也、古人指二性情(○○)一曰レ心(○○)、凡謂レ心乃性情相擧也、以二知覺一爲レ心、以レ理爲レ性、是切欲レ分二性心一、以レ性爲二本然之善一認來也、人心、道心、正心、皆知覺及理共具也、
p.0690 心 凡三十三則
心といふは、人の思慮運用するところをいふ、もと別義なし、經書に所レ謂心といふもの皆此通りなり、後世に、心に體用をたて、一念未レ發の所を心の體とし、思慮運用するところを心の用と云、宋朝以來の説にて、聖人の意にあらず、聖賢の所レ謂心は、皆已發に就てをしへをたてられたるものにて、詩書六經以來、一句も未發の心をのたまふことなし、
p.0690 心、志、意〈九則〉
心者、人身之主宰也、爲レ善在レ心、爲レ惡亦在レ心、故學二先王之道一、以成二其德一、豈有二不レ因レ心者一乎、譬二諸國之有一レ君、君不レ君則國不レ可二得而治一、故君子役レ心、小人役レ形、貴賤各從二其類一者爲レ爾、國有レ君則治、無レ君則亂、人身亦如レ此、心存則精、心亡則昏、然有レ君而如二桀紂一、國豈治哉、心雖レ存而不レ正、豈足レ貴哉、且心者動物也、故孔子曰、操則存、舍則亡、出入無レ時、莫レ知二其郷一、惟心之謂與、是言雖二操則存一、操レ之不レ可レ久、不レ得レ不レ舍、舍則亡、操レ之無レ益レ於レ存也、何則心者不レ可レ二者也、夫方二其欲一レ操レ心也、其欲レ操レ之者亦心也、心自操レ心、其勢豈能久哉、故六經論語、皆無二操レ心存レ心之言一、書曰、以レ禮制レ心、是先王之妙術、心不レ待レ操而自存、心不レ待レ治而自正、擧二天下治心之方一、莫二以尚一焉、後世儒者僅知二心之可一レ貴、而不レ知レ遵二先王之道一、妄作二種種工夫一、求三以存二其心一、謬之大者也、學者思レ諸、
p.0690 行藤氏問、心と性と異なりや、
先生○石田梅巖答て曰く、心(○)といへば、性情を兼ね、動靜、體用あり、性(○)といへば體にて靜なり、心は動ひて用なり、心の體を以ていはゞ、性に似たる所あり、心の體はうつるまでにて無心なり、性もまた無心なり、心は氣に屬し、性は理に屬す、理は萬物のうちにこもりあらはるゝ事なし、心はあらはれて物をうつす、又人よりいふ時は、氣は先にして性は後なり、天地の理よりいふ時は、理あつて後に氣を生ず、全體を以ていふ時は理一物なり、理の萬物のうちにあつて、あらはれざる事を譬 ば、道元和尚の歌に、
世の中はなにゝたとへん水鳥のはしふる露にやどるつきかげ、かくのごとく、はしふる露の其微塵の如きまでも、こと〴〵く月かげのうつるごとく、理は見えずといへども、裏に具るをしらるべし、我性を覺悟して見れば、神らしき物もなく、大極や、また佛らしきものもなし、よつて此性を會得すれば、儒、老、莊、佛、百家、衆技といへども、皆我神國の末社にあらずといふ事なし或書に曰く、日本一面の神國といへば、廣して狹し、微塵の中にも神國ありといはゞ、狹して廣し、行藤氏しかりとてかのうたをしるす、
p.0691 意(○)〈於記反 コヽロ和イ〉
p.0691 於レ是陰陽始遘合爲二夫婦一、及レ至二産時一、先以二淡路洲一爲レ胞、意所(ミコヽロ/○)レ不レ快、〈○下略〉
p.0691 意情
意者、性々發動、未レ及レ有レ迹之名也、旣有レ迹、乃曰レ情、發動之機微、是意也、心之所レ嚮也、性心者體、而意情者用也、
p.0691 意 凡十則
意とは、意志(○○)とつゞきて、心の内にたくわへおもふことなり、物ごととりつをきつ思案をし、又おもひやりすいりやうする皆意なり、先儒心の發也と註せらるゝはあたらず、然ればこゝろばせと訓ずるも、字義に叶はざることしるべし、
p.0691 心志意〈九則〉
意者謂レ起レ念也、人之不レ可レ無者也、雖二聖人一亦爾、如二子絶レ四毋一レ意、本以二孔子行一レ禮言レ之、孔子之心、與レ禮一矣、故當二其行一レ禮、若二全不一レ經レ意、然、是形二容其動容周旋中レ禮者一爾、後儒不レ識二語意所一レ在、或謂レ無二私意一、或謂二聖人盛德之至、自無二往來計較之心一也、皆泥矣、如二大學誠意一、乃以二好惡一言レ之、意之誠、格物之功効也、朱註以來、 皆不レ解二文意一、
p.0692 志(○)〈之異反 心サシコヽロ〉
p.0692 志〈コヽロサシ〉 愼 操 悃 詩〈已上同〉
p.0692 志(コヽロザシ) 大度(同)
p.0692 こゝろざし 志を訓ぜり、心指の義、心之所レ之也と注せり、
p.0692 志氣思慮
志者、心之所レ之、意情有レ所二定嚮一之謂也、志必因レ氣、思慮者意情之審二於内一也、思慮不レ致、乃乖戾、思曰レ睿、慮得之謂也、
p.0692 志 凡三則
志といふは、こゝろの存主する所にして、氣をひきゆるものなり、孟子に志氣之帥也といへり、帥といふは將帥の義にて、大將の事なり、志は氣を引まはすものなれば、大將の士卒を引まはすがごとし、ゆへに氣の帥なりといへり、こゝろのあるじとなりて、氣を引たつるものなり、
p.0692 心志意〈九則〉
志者心之所レ之、此説文之訓也、是以二字偏傍一爲レ説、字學家之言耳、仁齋先生曰、心之所二存主一也、得レ之、醫書腎藏二精與一レ志、亦可レ見已、
p.0692 天照大神素知二其神暴惡一、至レ聞二來詣之狀一、乃勃然而驚曰、〈○中略〉謂當レ有二奪レ國之志(コヽロザシ)一歟、V 日本書紀
p.0692 神渟名川耳天皇、〈○綏靖〉神日本磐余彦天皇第三子也、〈○中略〉天皇風姿岐嶷、〈○中略〉武藝過レ人、而志(コヽロサシ)尚沈毅、
p.0692 操〈コヽロハセ(○○○○○)志操也〉
p.0692 意(コヽロバへ/コヽロバセ) 心緖(同/同) 意氣(同) 景迹(同) 志操(同)
p.0693 意(コヽロバセ) 心の端(ハシ)也、しとせと通ず、古人曰、意者心之所レ發也、是心のはじめてをこるはし也、
p.0693 こゝろばせ 意を訓ぜり、東鑑に心端と書り、日本紀に景迹を訓ぜり、また心操をもよめり、
p.0693 十一年八月癸未、詔曰、凡諸應一考選一者、能撿二其族姓及景迹(コヽロハセ)一、方後考之、若雖二景迹一行能灼然、其族姓不定者、不レ在二考選之色一、
p.0693 凡官人景迹功過應レ附レ考者、〈謂(中略)景迹者景像也、猶レ言二狀迹一也、〉皆須二實錄一、〈○下略〉
p.0693 文治三年三月廿一日癸亥、佐竹藏人年來雖レ列二二品門客一、心操(コヽロバセ)聊不調、度々現二奇怪一之間、今朝蒙二御氣色一、〈○下略〉
p.0693 建久三年五月廿六日丁酉、若公〈○源賴家〉幼稚之意端(コヽロバシ)、插二仁惠一優美之由有二御感一、被レ獻二御劒於金剛公一、是年來御所持物云云、
p.0693 心緖( バヘ/○○)
p.0693 こゝろばえ 日本紀に意字、また意氣、立操、心許などをよめり、心映の義なるべし、
p.0693 こゝろばえ 心榮
心ばせに似たれども、その意異なり、心つき(○○○)といふも似たり、心よせ(○○○)といふに似たる所も有り、
p.0693 三年、輕皇子〈○孝德〉深識二中臣鎌子連之意氣(コヽロハへ)高逸、容止難一レ犯、乃使レ寵、
p.0693 おさなき人は、みつい給ふまゝに、いとよき心ざま(○○○)かたちにて、なに心もなくむつれまとはしきこえ給、
p.0693 またあるやうある人に奉るとて
心ね(○○)のほどを見するぞあやめぐさ草のゆかりにひきかけねども
p.0694 意氣(コヽロダテ/○○) 氣象(同) 資性(同) 氣質(コヽロムケ/○○)
p.0694 心底(シンテイ/○○)
p.0694 こゝろのそこ(○○○○○○) 日本紀に丹欵をよめり、赤心の意をもて、心底と訓ぜり、心底の字は謝薖が辭に見えたり、
p.0694 むかしみちの國にて、なでふことなき人のめにかよひけるに、あやしうさやうにて有べき女とも、あらず見えければ、
忍ぶ山しのびてかよふ道もがな人の心のおく(○○○○)も見るべく
p.0694 こゝろのくま(○○○○○○) 心の曲也、詩に辭二我心曲一と見えたり、
p.0694 伊勢の齋宮にまいりて歸る比、はやうしりたる女のもとより、
人はかる心のくまはきたなくて淸きなぎさにいかで行けん
p.0694 心緖(シンシヨ/○○)
p.0694 こゝろのを(○○○○○)ろ 萬葉集に見ゆ、心の緖也、ろは助語也、
p.0694 相聞
麻可奈思美(マガナシミ)、奴禮婆許登爾豆(ヌレバコトニヅ)、佐禰奈敝波(サネナヘバ)、己許呂乃緖訓爾(ココロノヲロニ)、能里氐可奈思母(ノリテカナシモ)、
p.0694 こゝうのつま(○○○○○○) 心の爪也、端緖をいふ也、
p.0694 そのかへさ、〈○賀茂祭〉法性寺殿〈○藤原忠通〉紫野にて御覽じけるに、〈○中略〉今一度北へわたれと仰ありければ、また北へわたりぬ、〈○中略〉このたびは兼行さきに南へわたりぬ、次に武正わたらんずらんと、人々まつほどに、武正やゝ久しくみえず、こはいかにとおもふほどに、むかひに引たる幔より東をわたるなりけり、いかに〳〵とまちけるに、幔より冠のこじばかりみえて、南へわだりけるを、人々なをすぢなきものゝ心ぎは(○○○)なりとほめけリとか、
p.0695 戀の歌とてよめる 太皇太后宮小侍從
戀そめし心の色(○○○)のなになればおもひかへすにかへらざるらん
p.0695 こゝろしらひ(○○○○○○) 源氏に見ゆ、日本紀に、通字有意字などをよめり、しらひは知也、らひ反り也、
p.0695 四年〈○天智〉十月庚辰、天皇〈○天智〉臥レ病以痛之甚矣、於レ是遣二蘇賀臣安麻侶一、召二東宮一〈○天武〉引二入大殿一、時安摩侶素東宮所レ好、密顧二東宮一曰、有意而(コゝロシラヒ)言矣、東宮於レ茲疑レ有二隱謀一而愼之、
p.0695 御文などをみせさせ給へかし、ふりはへさかしらめきて、心しらひのやうにおもはれ侍らんも、いまさらにいがたうめにや、
p.0695 なんでんのをにの、なにがしのおとゞを、おびやかしけるためしを、おぼしいでゝ心づよく(○○○○)、〈○下略〉
p.0695 題しらず よみ人しらず
みちのくのあだちのはらのしらま弓心こはく(○○○○)も見ゆる君かな
p.0695 寬平御時、きさいのみやの歌合のうた、 すがのゝたゝをむ
つれなきを今は戀じと思へども心よはく(○○○○)もおつる涙か
p.0695 ことさらにこゝろうき御心がまへ(○○○○)なりと、またいひかへしうらみ給つゝ、はるかにのみもてなし給へり、
p.0695 こゝろおきて(○○○○○○) 日本紀に厝懷をよめり、源氏に多き詞也、されど日本紀の意は、遠慮する義也、後撰集に、 今ははや打とけぬべき白露の心おくまで夜をやへにける、とよめる是也、源氏にいふは、心の處置をいへり、
p.0696 神日本磐余彦天皇〈○神武〉崩、〈○中略〉手硏耳命、行年已長、〈○中略〉其王立操厝懷(コヽロバヘコヽロオキテ)、本乖二仁義一、
p.0696 こもちの君も、〈○中略〉この御心をきての、すこし物思ひなぐさめらるゝにぞ、かしらもたげて、御つかひにも、になきさまのこゝろざしをつくす、
p.0696 人々、かいりうわうのきさきになるべき、いつきむすめななり、心だかさ(○○○○)くるしやとてわらふ、
p.0696 山階寺供養の後、宇治前太政大臣〈○藏原賴通〉のもとにつかはしける、
堀河右大臣〈○藤原賴宗〉
ふかきうみのちかひはしらずみかさ山心たかくもみえしきみ哉
p.0696 こゝろくゞ(○○○○○) 万葉集に情具久と見ゆ、心くゞもるをいへり、
p.0696 同坂上大孃贈二家持一歌一首
春日山(カスガヤマ)、霞多奈引(カスミタナビキ)、情具久(コゝロクゝ)、照月夜爾(テレルツキヨニ)、獨鴨念(ヒトリカモネム)、
p.0696 大伴宿禰坂上郎女歌一首
情具伎(コヽロクキ)、物爾曾有鷄類(モノニゾアリケル)、春霞(ハルカスミ)、多奈引時爾(タナビクトキニ)、戀乃繁者(コヒノシゲレバ)、
p.0696 はやくかの御かたに心よせ(○○○)さ〈○さ恐に誤〉てありし、やまとのすけなる人をめしいでゝ奉り給、
p.0696 これも今はむかし、比叡の山にちごありけり、僧たち、よひのつれ〴〵に、いざかひもちいせんといひけるを、このちご心よせにきゝけり、
p.0696 いとしげう侍しみちの草も、すこし打はらはせ侍らんかしと、こゝろとり(○○○○○)にきこえ給へば、〈○下略〉
p.0696 題しらず よみ人しらず ぬす人といふもことはりさ夜なかに君が心をとりにきたれば
p.0697 こゝろいられ(○○○○○○) 心の苛つく也
p.0697 いらる〈所レ煎にて胸をやく、こがすなどに同、せきたつ也、俗のセカ〳〵スル意也、○中略〉 補〈(中略)文雄云、(中略)こはもと草の莖などにある苛より出たる語にて、苛はあたり難き物故に、性急なるをいらち、いらだつなどいひ、さて轉じては、物をいそぐ事にいへるなるべし、俗にせきこむといふに同じ、廣足云、(中略)煎といふ語も、火勢にこがして、其物を强くするなれば、同言なるべくおぼゆ、〉
p.0697 人はかうこそのどやかに、さまよくねたげなめれ、わがいと人わらはれなるこころいられを、かたへはめなれて、あなづりそめられにたるとおもふも、むねいたければ、〈○下略〉
p.0697 久米禪師 二石川娘女時歌五首〈○中略〉
東人之(アヅマドノ)、荷向 乃(ノザキノハコノ)、荷之結爾毛(ニノヲニモ)、妹情爾(イモガコヽロニ/ ○○)、乘爾家留香問(ノリニケルカモ/○ )、 禪師
p.0697 こゝろにくし(○○○○○○) 伊勢物語に見ゆ、心置せらるゝをいへり、今もいふ詞也、V 伊勢物語
p.0697 まれ〳〵にかのたかやすにきてみれば、はじめこそ心にくゝ(○○○○)もつくりけれ、今はうちとけて、〈○中略〉手づからいゐがひとりて、けこのうつはものにもりけるをみて、心うがりて、いかずなりにけり、
p.0697 みぎのおとゞをば、心にくき、はづかしきもの丶、心ある人にし給ふ、
p.0697 いさゝかなる事につけて、世の中をうしと思ひて、出ていなんと思ひて、かゝる歌をなんよみて、物にかきつけける、
出ていなば心かるし(○○○○)といひやせん世のありさまを人はしらねば、とよみおきて、出ていにけり、
p.0697 わろき物は
いとあやしき事を、男などはわざとつくろはで、ことさらにいふはあしからず、わがことばにも てつけていふが、心をとり(○○○○)する事也、
p.0698 こゝろやまし(○○○○○○) 詩に我心痗(ヤミヌ)と見えたり、伊勢物語に心やみけり、
p.0698 つねのうちとけゐたるかたには侍らで、心やましき物ごしにてなん、あひて侍りし、
p.0698 いかでとおもひける人に、はつかにあひたりけれど、いらへなども、ことにせざりけ るに、月も朧なり、
おぼつかな曇れる空の月なれば心やましきよはにもある哉
p.0698 跳踃〈遊意之貌、安心之貎、喜也、心與之、又心也留(○○○)、〉
p.0698 こゝろやり〈○中略〉 遣レ情の義、心慰也といへり、
p.0698 遊二覽布勢水海一賦一首〈幷〉短歌〈此海者有二射水郡(越中)舊江村一也〉
物能乃敷能(モノノフノ)、夜蘇等母乃乎能(ヤソトモノヲノ)、於毛布度知(オモフドチ)、許己呂也良武等(コゝロヤラムト)、宇麻奈米底(ウマナメテ)、宇知久知夫利乃(ウチクチブリノ)、之良奈美能(シラナミノ)、安里蘇爾與須流(アリソニヨスル)、〈○下略〉
p.0698 御くらゐをさらせたまへれど、なをその世に、たのみそめたてまつり給へる人人は、いまもなつかしくめでたき御ありさまを、心やり所にまいりつかうまつり給かぎりは、心をつくして、おしみきこえ給ふ、
p.0698 こゝろゆかし(○○○○○○) 心の行義成べし
p.0698 大井にまかりて、舟にのり侍けるによめる、 大江匡衡朝臣
河舟にのりて心の行ときはしづめる身ともおもほえぬかな
p.0698 家集五月雨 西行上人
船とめしみなとのあしまさほたえて心ゆく(○○○)らん五月雨のころ
p.0699 大將の君は、いとさしもいりたちなどし給はぬほどにて、はづかしう心ゆるび(○○○○)なき物にみな思たり、
p.0699 素戔鳴尊〈○中略〉然後行覓二將婚之處一、遂到二出雲淸地一焉、〈淸地此云二素鵝一〉乃言曰、吾心淸淸之(コヽロスガ〳〵シ/○○○○)〈此今呼二此地一曰レ淸〉於二彼處一建レ宮、
p.0699 快〈苦壞反、心ヨシ(○○○)、〉
p.0699 こゝろよし 神代紀に快をよめり、情佳の義也、
p.0699 一書曰、〈○中略〉以二其稻種一始殖二于天狹田及長田一、其秋垂二穎八握一、莫莫然甚快也(コヽロヨシ)、
p.0699 とはのなどいふきはゝ、ことにこそ侍なれ、心うく(○○○)もの給なすかな、〈○下略〉V 伊勢物語
p.0699 昔男有けり、女をとかくいふ事、月日へにけり、岩木にしあらねば、心ぐるし(○○○○)とや思ひけん、やう〳〵哀と思ひけり、
p.0699 惆(コヽロボソシ/○)
p.0699 かんの殿、げにいとおかしげなり、はらからなど、いひむつまじき人もなし、心ぼそきに、心ざまなども、おもふやうにおはすなり、
p.0699 あづまへまかりける時、道にてよめる、 つらゆき
いとによる物ならなくに別ぢの心ぼそくもおもほゆる哉
p.0699 忙怕〈急務也、(中略)己々呂毛止奈加留(○○○○○○○○)、〉
p.0699 無二心元(ナシコヽロモト)一〈和俗所レ用、所レ出未レ詳、〉V 倭訓栞
p.0699 こゝろもとなし 伊勢物語に見ゆ、もとなしは、万葉集に見えたり、心に由緣なき義にや、もとなはよしなと同じといへり、常に無二心許一とかけり、延陵季子が吾心已許レ之より出たるにや、謝靈運が詩に、延州恊二心許一ともいへり、〈○下略〉
p.0700 むかし男有けり、〈○中略〉男いとかなしくて、ねず成にけり、つとめていぶかしけれど、わが人をやるべきにしあらねば、いと心もとなくてま、ちをれば、〈○下略〉
p.0700 正述二心緖一
徊徘(タチモトホリ)、往箕之里爾(ユキミノサトニ)、妹乎置而(イモヲテキテ)、心空在(コヽロソラナリ/○○)、土者蹈鞆(ツチハフメドモ)、
p.0700 白菊の花をよめる 凡河内みつね
心あて(○○○)におらばやおらんはつ霜のおきまどはせる白菊の花V 後撰和歌集
p.0700 太政大臣の左大將にて、すまひのかへりあるじし侍ける日、中將にてまかりて、 事をはりて、これかれまかりあかれけるに、やむごとなき人、二三人ばかりとゞめて、まらう どあるじ、さけあまたたびの後、ゑひにのりて、こどものうへなど申けるつゐでに、
兼輔朝臣
人のおやの心はやみ(○○○○)にあらねども子を思ふみちにまどひぬるかな
p.0700 うちにもきこしめして、ほどなくうちとけ、うつろひ給はん○女二宮を、いかゞとおぼしたり、みかどと聞ゆれど、〈○女二宮父〉心のやみ(○○○○)はおなじことになんおはしましける、V 書言字考節用集
p.0700 心鬼(コヽロノオニ/○○)〈見二源氏一、今按正法念經、閻羅獄卒、非二實有情一、以二衆生妄業力一故見レ之云々、〉
p.0700 こゝろのおに 源氏にみゆ、列子注に、疑心生二闇鬼一と見えたり、正法念經にも、閻羅獄卒非二實有情一、以二衆生妄業力一故見レ之と有り、
p.0700 かたはらいたく、心のをに出來て、いひにくゝ侍なん物をといへば、〈○下略〉
p.0700 心の鬼とは、心のあやまりを、我と耻おもふやうの心也、
p.0700 宮〈○女三宮〉は御こゝろのをにゝ、みえたてまつらん〈○源氏君〉もはづかしく、
p.0700 こゝろさらず(○○○○○○) 心不レ離の義、万葉集に見えたり、
p.0701 慕レ振二勇士之名一歌一首幷短歌〈○中略〉
安之比奇能(アシビキノ)、八峯布美越(ヤツヲフミコエ)、左之麻久流(サシマクル)、情不障(コヽロサハラズ/○○○)、後代乃(ノチノヨノ)、可多利都具倍久(カタリツグベク)、名乎多都倍之母(ナヲタツベシモ)、〈○中略〉
右二首、追二和山上憶良臣一作歌、
p.0701 こゝうがへ(○○○○○) 人と我と心を易也、古今集によめり、列子に旣已變二物之形一、又且易二人之慮一と見えたり、
p.0701 題しらず よみ人しらず
心がへする物にもかかたごひは苦しき物と人にしらせん
p.0701 ひさしくこずとて、ふすべてこぬ人に、
かりそめの心くらべ(○○○○)にあふ事の命もしらぬみとはしらずや、
p.0701 女はた中々やんごとなききはの人よりも、いたう思ひあがりて、ねたげにもてなし聞えたれば、心くらべにてぞすぎける、〈○下略〉
p.0701 恨躬耻運雜歌百首 沙彌能貪上
物思ひの心くらべのかた人になるともまけじたぐひなき身は
p.0701 白髮天皇〈○淸寧〉二年十一月、播磨國司山部連先祖伊與來目部小楯於二赤石郡一親辨二新嘗供物一、〈一云巡二行郡縣一、收二斂田租一也、〉適會二縮見屯倉首一、縱賞新室以レ夜繼レ晝、〈○中略〉天皇次起、自整二衣帶一爲二室壽一曰、築立稚室葛根、築立柱者、此家長御心之鎭(○○○)也、取學棟梁者、此家長御心之林(○○○)也、取置椽橑者、此家長御心之(○○)齊(○)也、取置蘆雚者、此家長御心之平(○○○)也、〈○下略〉
p.0701 こゝろのせき(○○○○○○) 心の關也、物に滯り結ふるをいへり、儒に誠意の人鬼關あり、釋に悟道の無門關あり、
p.0701 舍利講のつゐでに、願成佛道の心を、人々によませ侍けるによめる、 左京大夫顯輔
いかでわが心の月(○○○)をあらはしてやみにまどへる人をてらさむ
p.0702 こゝろのつき(○○○○○○) 心月をいふ、釋敎也、
p.0702 題しらず よみ人しらず
しぐれつゝもみつるよりも言のはの心の秋(○○○)にあふぞわびしき
p.0702 題しらず こまち
いろみえでうつろふ物は世中の人の心の花(○○○)にぞありける
p.0702 こゝろのはな 心の花也、圓覺經に、心華發レ明、照二十方刹一と見ゆ、またあだなる意にもいへり、
p.0702 ものいひ侍りけるおとこ、いひわづらひて、いかゞはせんなども、いひはなちてよと、いひ侍ければ、 よみ人しらず
小山田の苗代水はたえぬとも心のいけ(○○○○)のいひははなたじ
p.0702 しきしまのみちも、さかりにおこりて、心のいづみ(○○○○○)、いにしへよりもふかく、ことばのはやし、昔よりも茂し、
p.0702 こゝろのひ(○○○○○) 心火也、むねのほのほをいへり、〈○中略〉
こゝろのこま(○○○○○○) 法苑珠林に、心馬情猿と見え、自鏡錄に、意馬情猿と見え、息心銘に識馬心猿と見えたり、〈○中略〉
こゝろのとり(○○○○○○) 陶淵明が、籠中の鳥を放ちたる故事よりいふ也、
こゝろのくも(○○○○○○) 心の雲也、まよふこと也、
こゝろのきり(○○○○○○) 心の霧也、胸霧をいふ、
こゝろのちり(○○○○○○) 心の塵也、みだりなる意也、
こゝろのつゆ(○○○○○○) 心の露也、秋を悲む意也、
こゝろのなみ(○○○○○○) 心の浪也、さはがしき意也、
こゝろのしめ(○○○○○○) 心の注連也、愼みの意也、〈○中略〉
こゝろのたき(○○○○○○) 心の瀧也、せき留がたき意也、
こゝろのまつ(○○○○○○) 心の松也、みさほのかはらぬ意にも、待にもかけてよめり、
こゝろのすぎ(○○○○○○) 心の杉也、すなほなる意、心の麻も同じ、〈○中略〉
こゝろのうみ(○○○○○○) 心海也、梵書に見えたり、
p.0703 性〈音姓コヽロ〉
p.0703 人之易气性、〈句〉善者也、〈論語日、性相近也、孟子曰、人性之善也、猶二水之就一レ下也、董仲舒曰、性者生之質也、實樸之謂レ性、〉从レ心生聲、〈息正切十一部、〉
p.0703 天性(○○)〈ヒトヽナリ〉
p.0703 一書曰、〈○中略〉大日孁尊及月弓尊、並是質性(ヒトヽナリ/○○)明麗、故使レ照二臨天地一、素戔鳴尊、是性好二殘害(/○○○○)一、故令三下治二根國一、
p.0703 さが 日本紀祥字、善字、性字ともに訓ぜり、直をすぐとよみ、淸をすがとよむも皆通ぜり、祥、善、淸、直は、本性の德なる事知べし、源氏に世のさが、伊勢物語にさが見ん、俗に身のさが、又さがを隱すさがを顯す、などいふも、本性を指ていふなり、されば孝德紀に、瑕字をさがとよめるは僻也、生れつきなり、あるさま、氣ざしの方にもいへり、眞名伊勢物語に能をよめるは、態に通じてすがた也、
p.0703 きしやう〈○中略〉 口語にいふは氣性成べし、又氣象の義あり、
p.0704 性〈凡五條〉
性生也、人其所レ生、而無二加損一也、董子曰、性者生之質也、周子以二剛善剛惡、柔善柔惡、不レ剛不レ柔、而中焉者一爲二五性一是也、猶レ言二梅子性酸、柿子性甜、某藥性温、某藥性寒一也、而孟子又謂二之善一者、蓋以下人之生質、雖レ有二萬不一レ同、然其善レ善惡レ惡、則無二古今一無二聖愚一一上也、非下離二於氣質一而言上レ之也、
p.0704 性
理氣妙合、而有二生生無息底レ能感通知識者性也、人物生生、無レ不二天命一、故曰天命之謂レ性、理氣相合、則交感而有二妙用之性一、凡天下之間有レ象、乃有二此性一也、此象之生、不レ得レ已也、有レ象乃有二不レ得レ已之性一、有レ性乃有二不レ得レ巳之情意一、有二情意一乃有二不レ得レ已之道一、有二此道一乃有二不レ得レ巳之敎一、天地之道至誠也、
p.0704 性情才〈七則〉
性者、生之質也、宋儒所レ謂氣質者是也、其謂下性有二本然一有中氣質上者、蓋爲二學問一故設焉、亦誤二讀孟子一、而謂人性皆不下與二聖人一異上、其所レ異者氣質耳、遂欲下變二化氣質一以至中聖人上、若使三唯本然而無二氣質一、則人人聖人矣、何用二學問一、又若使三唯氣質而無二本然之性一、則雖レ學無レ益、何用二學問一、是宋儒所三以立二本然氣質之性一之意也、然胚胎之初、氣質已具、則其所レ謂本然之性者、唯可レ屬二之天一、而不レ屬レ於レ人也、又以爲理莫レ有レ所レ局、雖二氣質所一レ局、實有二所レ不レ局者一存、則禽獸與レ人何擇也、故又歸二諸正通偏塞之説一、而本然之説終不レ立焉、可レ謂二妄説一已、書曰、惟人萬物之靈、傳曰、人受二天地之中一以生、詩曰、天生二蒸民一、有レ物有レ則、民之秉レ彜、好二是懿德一、孔子釋レ之曰、有レ物必有レ則民之秉レ彜也、故好二是懿德一、文言曰、利貞者性情也、大傳曰、成レ之者性、是皆古人言レ性者也、合而觀レ之、明若レ觀レ火、蓋靈頑之反、然亦非二宋儒虚靈不昧之謂一、中偏之對、然亦非二宋儒不レ偏不レ倚之謂一、皆指二人之性善一移而言レ之也、辟下諸在レ中者之可二以左一可二以右一可二以前一可中以後上也、物者謂レ美也、美必倣レ効、是人之性也、是亦言二其善移一也、孔子又曰、上知與二下愚一不レ移亦言二其它皆善移一也、貞者不レ變也、謂二人之性不一レ可レ變也、成レ之者性、言下其所二成就一各隨中性殊上也、人之性萬品、剛柔輕重、遲疾動靜、不レ可二得而變一矣、然皆以二善移一 爲二其性一、習レ善則善、習レ惡則惡、故聖人率二人之性レ以建レ敎、俾二學以習一レ之、及二其成一レ德也、剛柔輕重、遲疾動靜、亦各隨二其性殊一、唯下愚不レ移、故曰、民可レ使レ由レ之、不レ可レ使レ知レ之、故氣質不レ可レ變、聖人不レ可レ至、而虞九德、周六德、各以二其性一殊、豈不レ然乎、先王之敎、詩書禮樂、辟如三和風甘雨、長二養萬物一、萬物之品雖レ殊乎、其得二養以長一者皆然、竹得レ之以成レ竹、木得レ之以成レ木、草得レ之以成レ草、穀得レ之以成レ穀、及二其成一也、以供二宮室衣服飮食之用一不レ乏、猶下人得二先王之敎一、以成二其材一、以供中六官九官之用上已、其所レ謂習レ善而善、亦謂下得二其養以成上レ材、辟二諸豐年之穀可一レ食焉、習レ惡而惡、亦謂下失二其養一以不上レ成、辟二諸凶歲之秕不一レ可レ食焉、則何必求下變二其氣質一以至中聖人上哉、是無レ它、宋儒不レ循二聖人之敎一、而妄意求レ爲二聖人一、又不レ知二先王之敎之妙一、乃取二諸其臆一、造下作持敬、究理、擴二天理一、去二人欲一、種種工夫上、遂以立二其本然氣質之説一耳、仁齋先生活物死物之説、誠千歲之卓識也、祗未レ知二先王之敎一、區區守二孟子爭辯之言一、以爲二學問之法一、故其言終未二明鬯一者、豈不レ惜乎、
p.0705 先生〈○石田梅巌〉常に門人へ自己の性を知るべき由を説き給へども、之を信ずる者纔に二三人なりしが、中にも齋藤全門ふかく信じ、日夜如何いかんと工夫をこらしけるに、ある夜ふと太皷の音を聞て性を知れり、爰においてます〳〵信を起し、日々に養ひしかば、漸々にして徹通せり、故に全門信を盡し朋友を助くれども、猶志立たざりける、木村重光は初より篤く信じけるゆゑ、年月をかさね工夫熟せしにや、或冬障子を張りゐて、頓に自己の性を知り、大によろこびて先生の許に至り、自ら得る所を呈す、
はつといふてうんといふたら是はさてはれやれこれはこれはさて〳〵、先生此時、重光が性を知ることを許し給へり、是より門弟子、端的に性をしることを實に信じ、工夫に心を盡し、信心髓に徹しぬれば、おの〳〵寢食をわすれ或は靜座し、あるひは切に問ひ、日あらずして性を知る者おほし、
先生門人の性を知れる者に吿げて曰く、學は爲すところ、義か、不義かと省みて、義にしたがふの み、義を積ずして性を養ふことは、聖人の道にはなき事なりと、常に示し給へり、
p.0706 柔和(ニウワ/○○)
p.0706 承和十年九月辛丑、正三位藤原朝臣愛發薨、〈○中略〉爲レ人和柔(○○)、不二妄發一レ忿、在二於政塗一、許レ爲二通熟一、
p.0706 弘仁二年四月丙戌、宮内卿正三位藤原朝臣雄友薨、〈○中略〉雄友性温和(○○)不二喜怒一、姿儀可レ觀、
p.0706 弘仁三年十月辛卯、右大臣從二位藤原朝臣内麻呂薨、〈○中略〉内麻呂者〈○中略〉奕世相家、少有二令望一、德量温雅(○○)、士庶悦服、〈○中略〉任兼二相將一、經二事三主一、皆被二信重一、上有レ所レ問、不二希レ指苟合一、如或不レ從、不二敢犯一レ顏、凡典二樞機一、十有餘年、靡レ有二愆失一、
p.0706 睿桓聖人母尼釋妙往生語第四十
今昔、睿桓ト云フ聖人有ケリ、其ノ母若ヨリ心柔耎(○○)正直ニシテ、人ヲ哀ミ生類ヲ悲ブ心深カリケリ、
p.0706 こうえうの事
むげに此君〈○高倉〉は、いまだよう主の御時より、せいをにうわにうけさせおはします、
p.0706 元淡淵
淡淵及二二十歲比一、身長六尺、手垂過レ膝、資性温和(○○)、動止縝重、自有二高貴一、府文學本蘭皐、〈名希聲字實聞〉稱云、亮節威望、足三以敦二天下之鄙一、
p.0706 伊藤竹里
竹里在二赤羽邸舍一、繼二述家學一、敎二授徒弟一、與二服南郭居一、僅隔二赤羽小流一、北岸南畔、不二甚相遠一、南郭以二蘐社之高足一、雄二視一世一、有下得二其許可一者上、人皆信二其言一、南郭一見、知二竹里之爲一レ人、稱爲二温厚(○○)長者一、
p.0707 剛毅(カウキ/○○) 剛氣(カウキ/○○)
p.0707 孝行者平左衞門妻
登米郡狼川原本町の百姓平右衞門が妻、姑につかへて孝なり、姑は氣づよき生(○○○○○)れにて、短慮なるを、いさゝかも其心にそむく事なかりき、
p.0707 一鐵(イツテツ/○○)〈今世謂二敢決强直一爲二一鐵一、蓋濃州士稻葉通朝入道一鐵以來之諺云々、〉
p.0707 剛操(○○)
師〈○山鹿素行〉嘗曰、大丈夫の世に在る、剛操の志あらざれば、心を存すること不レ能也、剛はよく剛毅にして、物に不レ屈を謂也、操は我義とする志を守て、聊不レ變の心なり、大丈夫此心を存せざれば、我好惡する處にをいて、必屈しやすく、義を守る處たしかならざるなり、故に剛操を以て信を立、義を堅くするの行とする也、淸廉正直も、剛操を以てせざれば不レ立、況や士たるの道、常に剛毅を以て質とし、其守る所を以て行とす、人誰か生死利害好惡あらざらんや、内に剛操を以て究理するがゆへに、死の至て可レ惡、猶安じて就レ死、害の至て可レ避、猶安んじて害をうく、財寶酒色の必可レ好、猶安んじて是をさくるに至るは、剛毅節操の高く守るに不レ有ば、誰か此行をなさんや、
p.0707 勇武剛强毅〈五則〉
剛柔(○○)之反、與二强勇一殊レ義、辟如二木與一レ金、木柔而金剛、至レ於レ水則至柔、而物莫二能與レ之爭一、是强也、非レ剛也、剛强之分、可二以見一已、朱子曰、勇者剛之發、剛者勇之體、孔子旣以二剛勇一爲二六言之二一、其爲二二德一者審矣、可レ謂レ妄已、蓋其爲レ人果敢烈烈、不レ可レ干レ之、是剛也、如二子房之勇一、豈然乎、是可三以知二剛勇之辨一也、如二易剛柔一以語二卦爻之德一、而易之道尚レ玩二其象一、玩レ象以求レ之、所レ包甚廣、故其所レ謂剛柔、不下與二它書一同上、宋儒混一レ之、故有二是失一已、學者察レ諸、
毅亦剛之類以二其力有一レ所レ堪言レ之、
p.0708 畫師諸葛監、字子文、淸水又四郎なるものは、生質剛悍(○○)なる人にて、古畫を集めカを盡して修せしと云、元來富めるものにてありしが、家産を破りて畫を修せりとぞ、然ども剛悍の性故、己を屈する事ならず、人をも容れず、人にも容られざりき、〈○中略〉其畫を見るに、一石一水といへども、華人の畫せしに法せずといふ事なし、因て其畫甚拙にみゆれども、其守る事の固なる、苟も己よりせしは一もなし、然ども其生質、諸侯貴人といへども、己をまげて屈する事なき故、生涯窮困のみ多かりき、
p.0708 偏急(ヘンキウ/○○)
p.0708 短慮(タンリヨ/○○)
p.0708 短慮(リヨ) 短氣( ギ/○○)
p.0708 たんき 性急をいふ、短氣なり、短慮も同じ、
p.0708 上方で買(かう)て來るを江戸にては買(かつ)て來る、〈○中略〉いら〳〵するをせつかち(○○○○)、
p.0708 みじかきこゝろ(○○○○○○○) 短慮をいふなり、やもめにてゐて、伊勢、
ながゝらぬ命のほどに忘るゝはいかに短かきこゝろ、なるらん
p.0708 くひな
水鷄だにたゝけば明る夏のよを心みじかき(○○○○○)人や歸りし
p.0708 孝行者九十郎
九十郎は若松の城下大町の者なり、〈○中略〉父義左衞門去々年より疝氣をやみ、起臥もむつかしく、しかも氣みじかき者なるを、〈○下略〉
p.0708 弘仁五年閏七月壬午、散位正四位上吉備朝臣泉卒、〈○中略〉性殊遍急(○○)、多忤二於物一、〈○下略〉
p.0708 去ル程ニ其歲〈○寬正二年〉ノ夏ノ比迄、政長〈○畠山〉ヨリモ人衆ヲ不レ出、城ヨリモカヽラ ズ、對陣取テ有シガ、短氣(○○)成義就〈○畠山〉衆、嶽山ニテ評定シケルハ、イツ迄加樣ニ兵粮詰ニセラレ、冥冥ト有ランヨリ、弘川ニ亂入、有無ノ合戰ニ運命ヲ見ルベシトテ、〈○下略〉
p.0709 景虎小田原へ寄來事
景虎〈○上杉〉天性健ナル若モノニテ、血氣盛ニシテ腹ヲ立忿ルトキハ、炎ノ中ニモ飛入ラント思ヒ、鬼ナリトモツカミヒシガント云短氣ノ勇者ナレドモ、小時過ヌレバ其勇サメ、萬事思慮スルヤウナル風體アリト聞ク、〈○下略〉
p.0709 瑞龍院樣の御噂之事
利長公御へや住より御奉公申上つる人々より合、物がたりいたしけるは、乍レ憚此殿樣、御心も短慮(○○)におわしまし、物毎被二仰出一御意之下より、埒明ざれば、相應し奉らず、〈○下略〉
p.0709 公〈○德川綱吉〉には心すみやかなる者を好ませたまひしかば、小性近習など、常に御側に侍座したる時、席上に虫など出る事あれば、それをとりすてよと仰らるゝに、たとひ毒虫にても、速に捉へざれば、御けしきあしかりしとか、何事も御心急(○○)におはしけれども、また事によりては、きはめて寬裕(○○)の御德度もおはしけるとぞ、V 雲萍雜志
p.0709 むかしある國の守は、短慮(○○)いはんかたなく獵に出でたる折からに、暴風砂を吹きて、口に入れどもうがひだにせずして、食物に砂ありとて、給仕の輩をしりぞけなどし、只諂ひ媚ぬる族を容れて、忠ある臣下を損ずること數多なりしが、ある時いかにして心やつかざりけん、鯉のあつ物の中に、釣ばりのありけるを取り出だして、膳の上に載せおき申されけるは、かゝる麁略の調理いたす者は、みないとまを遣すべし、庖丁の者には、切腹申しつくべきなりとありければ、料理せしものは、切られにけりとぞ、飮食のために、人を失ふこと、心あるべきことなるべし、梁の昭明太子は、飯の中に蠅の死したるがありしを、箸もて取り出で、給仕の輩に見せじと、膳部の かげに隱されしとぞ、いとありがたきことゞもなり、
p.0710 旭山澤元愷、字悌矦先生、世名平澤五助、山城國宇治の人なり、古昔宇治菟道と書せり、依て人皆菟道先生と稱せり、此人秀才之人なれ共、其質甚短慮(○○)にてありし、文を以世に知られたり、文章は實に拔群と可レ申、然ども生質右之通之人故、自身に應ずる才子ならざるよりは喜ばず、才なき人をば甚敷惡み、陀罵詈せらるゝ故人親まず、厭惡すゐもの多し、予〈○僧雲室〉も常に芥の如く罵詈せられり、然ども風流は實に天下一人と云べし、事は著述の漫遊文章にて、人の知る所なり、〈○下略〉
p.0710 拙者生得短氣(○○)にて、腹立ときは迹さき見ず怒り罵り、科なき諸道具を投ほうり、杖ぼうを振上たり、拳に息を吹かけたり、燃立ときは火に入るもしらざれ共、そろ〳〵短気しづまれば、其後悔亦甚し、後悔も我、短氣もわれ、後悔する短氣ならば、發さぬが能といふ人あれば、おれが發し度て發す短氣が、生質なれば是非なしと、また短氣發る、是にも醫者のあるべきゃ、御考給はるべし、〈○下略〉
p.0710 短氣(○○)はそんき
人はものねんじして、のどやかなるそよき、ことわざしげき世にふれば、にくげなることいひかくる人のありて、めざましう心やましとおもふふしありとも、ひたおもてにあらはさず、見しらぬさまして、心にその人をうとみてたりぬべし、なまはらだちやすく、おもひのまゝにいひもし、なしもしては、すこし心のどまりて、くやしうおもうことぞおほかるべき、ねぢけがましからでも、いときふにのどめたる所なきは、よからぬ人ぞかし、さては人をも身をもそこなひぬべし、またものまなぶ人のふみ見るも、卷の數おほくておもしろからぬを、ねんじつゝよめば、よきことのあると、心みじかく見さしてやみては、いたづらごとゝなりぬべし、
p.0711 大久保彦左衞門事、名譽之一徹(○○)者也、大坂御一戰之時、御鎗奉行其後御旗奉行也、或時牢人某來リテ申ハ、ケ樣ニ御靜謐之御代ナレバ、無手々々ト病死可レ仕候、天晴具足ヲ肩ニ掛ケ討死仕度ト、彦左氣ニ入、ウイヤツトイハレント思テ申ケレバ、彦左云、誠ニ左樣ニ存候カト被レ申、實ニ左樣之心底ト申、其時彦左云、ソレガ實ナレバ、日本一之不屆者也、如何ニト云ニ、此御靜謐之御代ニ、其方抔具足著候事ハ、先ヅ亂國ナラデ無キ事也、代亂ルヽハ、一揆カ、逆心カ、左樣ノ事有テ其方具足可レ著、如何程ノ功名有テモ、三百石カ五百石也、其方一人五百石ノ立身可レ仕タメ、天下亂ヲ好ム、公方樣ニ御六ケ敷事ヲ願申心底、扨々不屆千萬也、左樣ニ實ニ存ズルナラバ、唯今腹ヲ切レ、是非トモ切レト白眼付テ云ハレ、コソ〳〵ト尻逃ニ仕ケルト也、
p.0711 のんき(○○○) 俗語也、暖(ノン)氣の義なるべし、
p.0711 佷很〈同、胡墾反、戻也、違也、不測也、顔也、暴也、(中略)加太久奈(○○○○)、又加万加万之、
p.0711 一ヒガミ(○○○)タルヲヒスカシトイヒ、モノナレヌヲカタクナト云歟、
常ニハ此ノ心ニオモヒナラハセリ、但左傳曰、不レ則二德之義經一曰レ頑、不レ噵二忠信之言一爲レ嚚(ヒスカシ/○)ト云ヘリ、ツネノヤウニハタガヒタル歟、
p.0711 戊午年十二月、饒速日命、〈○中略〉見二夫長髓彦稟牲愎根不(クスカシマニモトリ/ ○○ )一レ可レ敎、以二天人之際一、乃殺之、帥二其衆一而歸順焉、
p.0711 釋辨正二首
辨正法師者、俗姓秦氏、性滑稽(○○)善二談論一、
p.0711 情〈音淸 コヽロナサケ〉
p.0711 情〈ナサク〉 心 憐〈巳上同〉
p.0711 情(ナサケ)
p.0712 一書曰、〈○中略〉故伊弉册尊恥恨之曰、汝巳見二我情(コヽロ/○)一我復見二汝情(コヽロ)一、
p.0712 人之会气有一、欲者、〈董仲舒曰、情者人之欲也、人欲之謂レ情。情非二制度一不レ節、禮記曰、何謂二人情一、喜怒哀懼愛惡欲、七者不レ學而能、左傳曰、民有二好惡喜怒哀樂一、生二於六氣一、孝經援神契曰、性生二於陽一、以埋執、情生二於陰一、以繋念、〉从レ心靑聲、〈疾盈切、十一部、〉
p.0712 情
人の情 ことの葉の情 情なき 情ある 情の色 露の情 ちゞの情 情をかくる なげの情〈すこしの情也、なをざりの情也、又云、ないがしろの情也と云々、何も只同心歟、〉 情のほど 情の山〈名所也、そへたる也、〉 みやひ〈情也〉 うはへなき〈なさげなきと也〉
p.0712 人情(ニンジヤウ/○○)〈董仲舒云、人欲謂二之情一、〉
p.0712 五年二月、舍人性懦弱、緣レ樹失レ色、五情(コヽロ/○○)無レ主、
p.0712 七情(シチジヤウ/○○)〈喜、怒、衰、懼、愛、惡、欲、〉
p.0712 情訓七裂也、此視吾〈○吉川惟足〉之傳、
p.0712 なさけ 、情をいふ、眞名伊勢物語に見ゆ、中裂の義、中心のさけ出るをいふ、よて心根ともよむ、情實也、伊勢物語に心なさけと見えたり、此國にはわけてなさけといふ事を貴べりといへり、なさけある人、なさけをくむなどの詞味ふべし、
p.0712 ひとのなさけ 人情をいへり、菅家御集にみゆ、
p.0712 四端出二於理一、七情出二於氣一ト云事アリ、四端トハ仁義禮智ノアラハルヽ處ヲ云也、七情トハ喜怒哀懼愛思欲ヲイフ也、人ノ心ハ只道理マデニテアルユへニ、七情出來スル也、七情ニハ善ト惡トアリ、四端ニメ善バカリニシテ惡ナシ、此七情ヲ道理ノマヽニスレバ、仁義ニカナヒテヨケレドモ、血氣ノ私ニヒカサルヽトキハ、七情ホシイマヽニナリテ、理ニソムキテ喜ブ故ニ、ヨク分別シテ、七情ヲ理ニカナヘテナセバ、イヅレモアシキコトナシ、理バカヲニテハ、ウゴキハタラ キガタシ、理ト氣ヲ合セテ心トスレバ、ヨクウゴキハタラク也、タトヘバヲモキモノヲ、一人シテモチアゲガタキトコロニ、二人ノ力ヲ合セテアグレバ、必ズカルクナルゴトク、此理ト氣トヲ一ツニ合セテ、心ヨリ氣ヲ用ルトキハ、心ヅヨクナリテ、ヲノヅカラ僻事アルベカラズ、親ニ孝行ヲスルハ心ノ理ナリ、若又親ニイカリヲアラハスハ、是血氣ノ私ナリ、是ニヨツテ理ト氣トノ差別ヲ知ルべキ也、
p.0713 情〈凡三條〉
情者、性之欲也、以レ有レ所レ動而言、故以二性情一並稱、樂記曰、感レ物而動者、性之欲也、是也、先儒以謂、情者性之動、未レ備、更欲下見二得欲字之意一分曉上、人常言二人情一、言二情欲一、或言二天下之同情一、皆此之意、目之於レ色、耳之於レ聲、口之於レ味、四支之於二安逸一、是性、目之欲レ視二美色一、耳之欲レ聽二好音一、口之欲レ食二美味一、四支之欲レ得二安逸一、是情、父子之親、性也、父必欲二其子之善一、子必欲二其父之壽考一、情也、又曰、好レ善惡レ惡、天下之同情也、大凡推二此之類一見レ之、情字之義自分曉、
p.0713 意情〈○中略〉
有二惻隱羞惡辭讓是非一、是情也、情之發而及レ物、其目不レ出二二五之間一、聖人以二仁義禮智一、令三其情中二其節一也、
p.0713 情 凡九則
情といふは、人心の上に就て、思慮安排にわたらず、生れ付たるまゝにて、いつはりかざることなきところをいふ、世間の人、物をうぶといふがごとし、禮記禮運の篇に、何謂二七情一、喜怒哀樂愛惡欲、七者不レ學而能と、是にて其義もつとも明らかなり、先儒の説に、心之未發を性と云、巳發を情と定めらるゝは、是も張子心統二性情一の説より出たる事にて、宋朝以來其説一定し、かたく此説を守れども、古人の意にあらず、大抵宋儒以來、事ごとに體用、理氣、未發已發の分を立らるれども、聖人の言には、天道人事の上に、氣をいひて理をとかず、用をいひて體をかたらず、已發の説ありて未發 の説なし、
p.0714 性情才〈七則〉
情者、喜怒哀樂之心、不レ待二思慮一而發者、各以レ性殊也、七情之目、醫書曰、喜怒憂思悲驚恐、此就下其發レ於二五藏一者上立二之名一、儒書曰、喜怒哀懼愛惡欲、或止言二喜怒哀樂四者一、此皆以二好惡兩端一言レ之、大氐心情之分、以下其所二恵慮一者上爲レ心、以下不レ渉二思慮一者上爲レ情、以二七者之發不一レ關レ乎レ情爲レ心、關レ乎レ性者爲レ情、凡人之性皆有レ所レ欲、而渉二思慮一則或能忍二其性一、不レ渉一思慮一則任二其性所一レ欲、故心能有レ所二矯飾一、而情莫レ有レ所二矯飾一、是心情之説也、凡人之性皆有レ所レ欲、而所レ欲或以二其性一殊、故七情之目、以レ欲爲レ主、順二其欲一則喜樂愛、逆二其欲一則怒惡哀懼、是性各有レ所レ欲者見レ於レ情焉、故如下曰二情欲一、曰中天下之同情上、皆以レ所レ欲言レ之、性各有レ所レ殊者亦見レ於レ情焉、故如下曰二萬物之情一、曰中物之不レ齊、物之情上也、皆以二性所一レ殊言レ之、又如三孟子曰二是豈人之情也哉一、直以爲レ性、又如下曰訟情一、曰二軍情一、曰上レ用二其情一、皆以二其不一レ匿二内實一言レ之、所レ謂訓レ實是也、亦以二情莫一レ有レ所二矯飾一故轉用耳、且訟情軍情、亦各有二一種態度一、而得レ之則瞭然者、亦如二情以レ性殊一、故有二是言一焉、自二宋儒以レ性爲一レ理、而字義遂晦、性情之所二以相屬一者、不レ得二其解一、至レ於二仁齊先生一而後始明矣、
p.0714 愛〈アイス憐也、仁也、親也、〉
p.0714 愛憎(アイソウ/アイシニクム) 愛精 愛欲
p.0714 愛著(アイヂヤク) 愛心(アイシン) 愛欲(アイヨク) 愛執(アイシユフ) 愛憎(アイゾウ)〈又云愛惡〉 愛(メツル/メデ)〈日本紀〉
p.0714 めぐし(○○○) 神代紀に憐愛をよめり、万葉集にも、妻(メ)子みれば、めぐしうつくしと見えたり、めぐむ意なるべし、〈○中略〉
めづる 愛をよめり、芽出の義、草木の萌芽は仁愛の意思あり、日本紀に感字をもよめり、めでともいへり、〈○中略〉
めで(○○) 日本紀の歌に、櫻のめでと見えたり、愛の義也、ほめいでるの略語といへり、されど芽出の義、草木に譬へいふならん、源氏に感嘆稱愛の意を、めでくつがへるといへり、〈○中略〉 めでたし(○○○○) 愛(メデ)たき也、たきは希ふ詞也、よて遊仙窟に、可愛をよめり、めではほめいでの略、たきはいたきにた、其事を强からしむる辭也ともいへり、
p.0715 はしき(○○○) 日本紀、萬葉集に多し、愛字よめり、愛妻などいへるは、うるはしき義、細(クハ)しきの略にや、神代紀の我愛之妹も、はしきなにものみことゝ讀べし、
p.0715 寄レ物陳レ思
早敷哉(ハシキヤシ)、不相子故(アハヌコユエニ)、徒(イタヅラニ)、是川瀨(コノカハノセニ)、裳襴潤(モノスソヌレヌ)、
p.0715 正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊〈○中略〉生二天津彦彦火瓊瓊杵尊一、故皇祖高皇産靈尊特鍾二憐愛(メグシトヲホスミ心)一、以崇美焉、
p.0715 此天皇以二沙本毘賣一爲レ后之時、沙本毘賣命之兄沙本毘古王、問二其伊呂妹一曰、孰二愛夫與一レ兄歟、答曰、愛レ兄、〈○下略〉
p.0715 於レ是天皇問三大山守命與二大雀命一、〈○仁德〉詔汝等者、孰三愛兄子與二弟子一、
p.0715 八年二月、幸二于藤原一、密二衣通郎〈○郎原脱、據二一本一改、〉姫之消息一、〈○中略〉明旦、天皇見二井傍櫻華一而歌之曰、波那具波辭(ハナグハシ)、佐區羅能梅𣵀(サクラノメデ)、許等梅𣵀麼(コトメデハ)、波椰區波梅𣵀 (ハヤクハメデズ)、和我梅豆留古羅(ワガメヅルコラ)、
p.0715 令レ反二惑情一歌一首〈幷〉序〈○序略〉
父母乎(チヽハヽヲ)、美禮婆多布斗斯(ミレバタフトシ)、妻子美禮婆(メコミレバ)、米具斯宇都久志(メグシウツクシ)、余能奈迦波(ヨノナカハ)、加久叙許等和理(カクゾコトワリ)、〈○下略〉
p.0715 一愛憎の變と申すことあり候、我園の花は、野山の花よりまされるやうに思ひ候が、愛憎の變と申し候、是も人と我と、隔てあふ故にて候、誠に惑の甚しきことにて候、そのかみ彌子瑕は、衞の君に愛せらる、或とき彌子瑕が母、疾ありて、人ゆきて夜吿げしかば、彌子瑕いつはりて、君の車に乘りて行きしを、衞君かへつて孝なりとて稱譽す、又一日、彌子瑕、果を食ひしに、甘しとて、食ひかけし果を君に奉りしかば、衞君また忠なるよしを以て稱しぬ、彌子瑕寵を失ふとき、まづ此 二つを以て罪せられしとぞ、愛憎の變、よく〳〵愼み思はるべく候、
p.0716 戀〈力泉反、 コヒ和レン〉
p.0716 戀コヒ 〈 イ如レ字亦態也〉 想 惷 吟 郁〈已上同〉
p.0716 戀慕
p.0716 戀慕(コヒシタフ)
p.0716 戀 かたこひ〈かた思の戀なり〉 もろ〈源氏語〉
p.0716 相聞(アヒギコエ)〈こは相思ふ心を、互に告聞ゆれば、あひぎこえといふ、後の世の歌集に、戀といふにひとし、されど此集には、親子兄弟の相思ふ歌をも、此中に入て、こと廣き也、〉
p.0716 こひ 戀は人情の切實をいへば、乞求るの儀なるべし、戀々てとも見ゆ、和歌に戀部を立て四季に次つるは、有二天地一然後有二男女一の義、我邦天の淨橋のむかしより、諾册唱和の詞に起りて、造二端於夫婦一の敎を設けり、此戀の情實を失はゞ、忠孝も本づく所なく、禮儀も錯く所あらじ、俊成卿、
戀せずば人はこゝうもなからまし物のあはれは是よりそしる、此歌古今集流れては妹背の山の歌によりてよめりと、豐筑後守の傳なり、万葉集には戀の部を相聞と載て、妹背のなからひのみならず、兄弟朋友のみやびをかはすまでを入られたれば、五倫にわたりてこゝろ得べきことにや、小倉百首に、
わすらるゝ身をばをもはず誓ひてし人のいのちのをしくも有かな、此道理を忠孝に移し看ば、臣子の身として、君父の不是底をかへり見るに、いとまなき意旨を理會し得べし、拾遺集人丸、 住よしの岸にむかへるあはぢ島あはれと君をいはぬ日ぞなき、戀部に入たれど、いさゝかも妹背のなかの心はなし、君は天皇をまうし奉りて、至忠の詠なりといへり、されど男女の間淫風に奔り、猥に流れ行て歸る道しらざるは、大に戒むべし、
p.0716 此八千矛神將レ婚二高志國之沼河比賣一幸行之時、到二其沼河比賣之家一歌曰、夜知富許能(ヤチホコノ)、<ruby><rb>迦微 能美許登波</rb>カミノミコトハ</ruby>、夜斯麻久爾(ヤシマクニ)、都麻麻岐迦泥氐(ツママギカネテ)、登富登富斯(トホトホシ)、故志能久邇邇(コシノクニニ)、佐加志賣遠(サカシメヲ)、阿理登岐加志氐(アリトキカシテ)、久波志賣遠(クハシメヲ)、阿理登伎許志氐(アリトキコシテ)、佐用婆比爾(サヨバヒニ)、阿理多多斯(アリタタシ)、用婆比邇(ヨバヒニ)、阿理加用婆勢(アリカヨハセ)、多知賀遠母(タチガヲモ)、伊麻陀登加受氐(イマダトカズテ)、淤須比遠母(オスヒヲモ)、伊麻陀登加泥婆(イマダトカネバ)、遠登賣能(ヲトメノ)、那須夜伊多斗遠(ナスヤイタドヲ)、淤曾夫良比(オソブラヒ)、和何多多勢禮婆(ワガタタセレバ)、比許豆良比(ヒコヅラヒ)、和何多多勢禮婆(ワガタタセレバ)、阿遠夜麻邇(アヲヤマニ)、奴延波那伎(ヌエハナキ)、佐怒都登理(サヌツトリ)、岐藝斯波登與牟(キヾシハトヨ厶)、爾波都登理(ニハツトリ)、<ruby><rb>迦祁波那久(カケハナク)、宇禮多久母(ウレタクモ)、那久那留登理加(ナクナルトリカ)、許能登理母(コノトリモ)、宇知夜米許世泥(ウチヤメコセネ)、伊斯多布夜(イシタフヤ)、阿麻波勢豆加比(アマハセツカヒ)、許登能(コトノ)、加多理其登母(カタリゴトモ)、許遠婆(コヲバ)、爾其沼河日賣、未レ開レ戸、自レ内歌曰、夜知富許能(ヤチホコノ)、迦微能美許等(カミノミコト)、怒延久佐能(ヌエクサノ)、賣邇志阿禮婆(メニシアレバ)、和何許許呂(ワガココロ)、宇良須能登理叙(ウラスノトリゾ)、伊麻許曾婆(イマコソハ)、知杼理邇阿良米(チドリニアラメ)、能知波(ノチハ)、那杼理爾阿良牟遠(ナトリニアラムヲ)、伊能知波(イノチハ)、那志勢多麻比曾(ナシセタマヒソ)、伊斯多布夜(イシタフヤ)、阿麻波世豆迦比(アマハセヅカヒ)、許登能(コトノ)、加多理碁登母(カタリゴトモ)、許遠婆(コヲバ)、阿遠夜麻邇(アヲヤマニ)、比賀迦久良婆(ヒガカクラバ)、奴婆多麻能(ヌバタマノ)、用波伊傳那牟(ヨハイデナム)、阿佐比能(アサヒノ)、惠美佐迦延岐氐(エミサカエキテ)、多久豆怒能(タクヅヌノ)、斯路岐多陀牟岐(シロキタゞムキ)、阿和由岐能(アワユキノ)、和加夜流牟泥遠(ワカヤルムネヲ)、曾陀多岐(ソタタキ)、多多岐麻那賀理(タタキマナガリ)、麻多麻傳(マタマデ)、多麻傳佐斯麻岐(タマデサシマキ)、毛毛那賀爾(モモナガニ)、伊波那佐牟遠(イハナサムヲ)、阿夜爾那古斐岐許志(アヤニナコヒキコシ)、夜知富許能(ヤチホコノ)、迦微能美許登(カミノミコト)、許登能(コトノ)、迦多理碁登母(カタリゴトモ)、許遠婆(コヲバ)、故其夜者、不レ合而、明日夜爲二御合一也、
p.0717 八年二月、幸二于藤原一、密察二衣通郎〈○郎原脱、據二一本一補、〉姫之消息一、是夕衣通郎姫戀二天皇一而獨居、其不レ知二天皇之臨一、而歌曰、和餓勢故餓(ワガセコガ)、勾倍枳豫臂奈利(クベキヨヒナリ)、佐瑳餓泥能(ササガニノ)、區茂能於虚奈比(クモノオコナヒ)、虚豫比辭流辭毛(コヨヒシルシモ)、
p.0717 七年九月、勾大兄皇子、〈○安閑〉親聘二春日皇女一、於レ是月夜淸談、不レ覺天曉、斐然之藻、忽形二於言一、乃口唱口、野絁磨倶伱(ヤシマクニ)、都磨磨祁哿泥底(ツママキカネテ)、播屢比能(ハルヒノ)、哿須我能倶伱伱(カスガノクニニ)、倶婆施謎鳴(クハシメヲ)阿唎等枳枳底(アリトキキテ)、與盧志謎鳴(ヨロシメヲ)、阿唎等枳枳底(アリトキキテ)、莽紀佐倶(マキサク)、避能伊陀圖嗚(ヒノイタドヲ)、飫斯毗羅枳(ヲシヒラキ)、倭例以梨魔志(ワレイリマシ)、阿都圖唎(アトトリ)、都磨怒唎絁底(ツマトリシテ)、魔倶囉圖唎(マクラトリ)、都魔怒唎絁底(ツマトリシテ)、伊慕我堤鳴(イモガテヲ)、倭例伱魔柯絁毎(ワレニマカシメ)、倭我堤嗚磨(ワガテラハ)、伊慕伱魔柯絁毎(イモニマカシメ)、磨左棄逗囉(マサキツラ)、多多企阿藏播梨(タタキアサハリ)、矢自矩矢盧(シシクシロ)、于魔伊禰矢度伱(ウマイネシトニ)、伱播都等唎(ニハツトリ)、柯稽播儺倶儺梨(カケハナクナリ)、奴都等唎枳蟻矢播等余武(ヌツトリキギシハトヨム)、婆絁稽矩謨(ハシケクモ)、伊麻娜以幡孺底(イマダイハズテ)、阿開伱啓梨倭蟻慕(アケニケリワギモ)、妃和唱曰、莒母唎矩能(コモリクノ)、簸都細能哿婆庾(ハツセノカハユ)、<ruby><rb>那 峨例倶屢</rb>ナガレクル</ruby>、駄開能(タケノ)、以矩美娜開(イクミタケ)、余囊開(ヨダケ)、漠等陛鳴磨(モトベヲパ)、莒等伱都倶唎(コトニツクリ)、須衞陛鳴磨(スエベヲバ)、府曳伱都倶唎(フエニツクリ)、府企儺須(フキナス)、美母盧我紆陪伱(ミモロガウへニ)、能朋梨陀致(ノボリタチ)、倭我彌細磨(ワガミセバ)、都奴娑播符(ツヌサハフ)、以簸例能伊開能(イハレノイケノ)、美儺矢駄府(ミナシタフ)、紆鳴謨紆陪伱(ウヲモウへニ)、堤堤那皚矩(テテナゲク)、野須美矢矢(ヤスミシシ)、倭我於朋枳美能(ワガオホギミノ)、於魔細婁娑佐羅能美於寐能(オマセルササラノミオビノ)、武須彌陀例(ムスビタレ)、駄例夜矢比等母(タレヤシヒトモ)、紆陪伱泥堤那皚矩(ウヘニデテナゲク)、
p.0718 以南童子女松原、古有二年少童子一、〈俗曰加味乃乎止古、加昧乃乎止賣、〉稱二那賀寒田之郎子一、女號二海上安是之孃子一、並形容端正、光二華郷里一相二聞名聲一、同存二望念一、自愛心熾、經レ月累レ日、嬥歌之會、〈俗曰、宇太我岐、又曰二加我毘一也、〉邂逅相遇、〈○中略〉便欲二相語一恐二人知一之、違レ自二遊場一蔭二松下一、擕レ手促レ膝、陳レ懷吐レ憤、旣釋二故戀之積疹一、還起二新歡之頻咲一、〈○中略〉偏耽二語之甘味一、頓忘二夜之將一レ闌、俄而鷄狗吠、天曉日明、爰童子等、不レ知レ所レ爲、遂愧二人見一、化成二松樹一、郎子謂二奈美松一、孃子稱二古津松一、
p.0718 生二愛欲一戀二吉祥天女像一感應示二寄表一緣第十三
和泉國泉郡血渟山寺、有二吉祥天女攝像一、聖武天皇御世、信濃優婆塞來二住於其山寺一、睇二之天女像一而生二愛欲一、繋レ心戀レ之、〈○下略〉
p.0718 石川女郎贈二大伴宿禰田主一歌一首
遊士跡(ミヤビヲト)、吾者聞流乎(ワレハキケルヲ)、屋戸不借(ヤドカサズ)、吾乎還利(ワレヲカヘセリ)、於曾能風流士(オソノミヤビヲ)、
大伴田主、字曰二仲郎一、容姿佳艶、風流秀絶、見人聞者、靡レ不二歎息一也、時有二石川女郎一、自成二雙栖之感一、恒悲二獨守之難一、意欲レ寄レ書、未レ逢二良信一、爰作二方便一、而似二賤嫗一、己提二鍋子一、而到二寢側一、哽音跼足、叩レ戸諮曰、東隣貧女、將二取レ火來一矣、於レ是仲郎、暗裏非レ識二冒隱之形一、慮外不レ堪二拘接之計一、任レ念取レ火就跡歸去也、明後女郎旣耻二自媒之可一レ愧、復恨二心契之弗一レ果、因作二斯歌一、以贈諺戯焉、
大伴宿禰田主報贈歌一首
遊士爾(ミヤビヲニ)、吾者有家里(ワレハアリケリ)、屋戸不借(ヤドカサズ)、令還吾曾(カヘセルワレゾ)、風流士者有(ミヤビヲニハアル)、
p.0719 安貴王謌一首〈幷〉短歌
遠嬬(トホヅマノ)、此間不在者(コヽニアラネバ)、玉桙之(タマボコノ)、道乎多遠見(ミチヲタトホミ)、思空(オモフソラ)、安莫國(ヤスケクナクニ)、嘆虚(ナゲクソラ)、不安物乎(ヤスクラヌモノヲ)、水空往(ミソラユク)、雲爾毛欲成(クモニモガモナ)、高飛(タカクトブ)、鳥爾毛欲成(トリニモガモナ)、明日去而(アスユキテ)、於妹言問(イモニコトドヒ)、爲吾(ワガタメニ)、妹毛事無(イモヽコトナク)、爲妹(イモガタメ)、吾毛事無久(ワレモコトナク)、今裳見如(イマモミルゴト)、副而毛欲得(タクヒテモガモ)、
反歌
敷細乃(シキタ〻ノ)、手枕不纏(タマクラマカズ)、間置而(ヘダテオキテ)、年曾經來(トシゾヘニケル)、不相念者(アハヌオモヘバ)、
右安貴王娶二因幡八上采女一、係念極甚、愛情尤盛、於レ時勅斷二不敬之罪一退二去本郷一焉、于レ是王意悼怛、聊作二此歌一也、
p.0719 見二菟原處女墓一歌一首〈幷〉短歌
葦屋之(アシノヤノ)、菟名負處女之(ウナヒヲトメカ)、八年兒之(ヤトセゴノ)、片生乃時從(カタオヒノトキユ)、小放爾(ヲハナチニ)、髮多久麻庭爾(カミタクマデニ)、並居(ナラビイテ)、家爾毛不所見(イヘニモミエズ)、虚木綿乃(ソラユフノ)、窂而座在者(カクレテマセバ)、見而師香跡(ミテシカト)、悒憤時之(イブセキトキシ)、垣廬成(カキホナス)、人之誂時(ヒトノイド厶トキ)、智奴壯士(チヌヲトコ)、宇奈比壯士乃(ウナヒヲトコノ)、廬八燎(フセヤモエ)、須酒師競(ススシキホヒテ)、相結婚(アヒタハケ)、爲家類時者(シケルトキニハ)、燒大刀乃(ヤキダチノ)、手預押禰利(タカヒオシネリ)、白檀弓(シラマユミ)、靭取負而(ユキトリオヒテ)、入水(ミヅニイリ)、火爾毛將入跡(ヒニモイラムト)、立向(タチムカヒ)、競時爾(キソヒシトキニ)、吾妹子之(ワギモコガ)、母爾語久(ハヽニカタラク)、倭文手纏(シヅタマキ)、賤吾之故(イヤシキワガユエ)、丈夫之(マスラヲノ)、荒爭見者(アラソフミレパ)、雖生(イケリトモ)、應合有哉(アフベクアレヤ)、宍串呂(シヽクシロ)、黃泉爾將待跡(ヨミニマタムト)、隱沼乃(カクレヌノ)、下延置而(シタハヘオキテ)、打嘆(ウチナゲキ)、妹之去者(イモガイヌレバ)、血沼壯士(チヌヲトコ)、其夜夢見(ソノヨユメミテ)、取次寸(トリツヽキ)、追去祁禮婆(ヲヒユキケレバ)、後有(オクレタル)、菟原壯士(ウナヒヲトコモ)、伊仰天(イアフギテ)、叫於良妣(サケヒオラヒテ)、 他(ツチニフシ)、牙喫建怒而(テキガミタケビテ)、如己男爾(モコロヲニ)、負而者不有跡(マケテハアラジト)、懸佩之(カケハキノ)、小釰取佩(ヲダチトリハキ)、冬 蕷都良(サネカツラ)、尋去祁禮婆(ツギテユケレバ)、親族其(ヤカラトモ)、射歸集(イユキアツマリ)、永代爾(ナガキヨニ)、標將爲跡(シルシニセムト)、遐代爾(トホキヨニ)、語將繼常(カタリツガムト)、處女墓(ヲトメヅカ)、中爾造置(ナカニツクリオキ)、壯士墓(ヲトコツカ)、此方彼方二(コナタカナタニ)、造置有(ツクリオケリ)、故緣聞而(ユエヨシキヽテ)、雖不知(シラネドモ)、新裳之如毛(ニヒモノゴトモ)、哭泣鶴鴨(ネナキツルカモ)、〈○反歌二首略〉
右五首、高橋連蟲麻呂之歌集中出、
p.0719 むかしゐ中わたらひしける人の子共、井のもとにいでゝあそびけるを、おとなに成にければ、男も女もはぢかはして有ければ、男は此女をこそえめと思ふ、女は此男をと思ひつゝ、おやのあわすれども、きかでなん有ける、扨此となりの男のもとよりかくなん、 つゝゐづゝゐづゝにかけしまろがたけすぎにけらしないもみざるまに、かへし、
くらべこしふりわけ髮もかた過ぬ君ならずしてたれかあぐべき、などいひ〳〵て、つゐにほいのごとくあひにけり、
p.0720 次郎君〈○藤原道綱、兼家子、〉は陸奧守倫寧ぬしの女のはらに、おはせし君なり、〈○中略〉この母君〈○中略〉との〈○兼家〉のおはしましたりけるに、門を遲あけゝれば、たび〳〵御せうそこいひいれさせ給ふに、女君、
なげきつゝひとりぬる夜のあくるまはいかに久しきものとかはしる、いとけうありとおぼして、
げにやげに冬の夜ならぬまきの戸もをそくあくるはくるしかりけり
p.0720 有子入レ水事
偖モ有子ノ内侍ハ、德大寺何トナキ言ノ葉ヲ得テ、思日日ニゾ增リケル、千早振神ニ、祈ヲカクレ共、其事叶フベキニアラネバ、浮世ニツレナクアレバコソ、係忍難事モアレ、千尋ノ底ニ沈ミナバヤト思ツヽ、舼舟ニ便船シテ、有シ人ノ戀サニ、都近所ニテ兎モ角モナラントテ、波ノ上ニゾ漂ケル、責テノ事ト哀也、船ノ中ノ慰ニハ、琵琶ノ曲ヲゾ彈ケル、〈○中略〉有子終ニ攝津國住吉ノ澪ノ沖ニテ、船ニ立出ツヽ、海上ハルカニ見渡テ、
ハカナシヤ浪ノ下ニモ入ヌベシ月ノ都ノ人ヤミルトテ、ト打詠テ、忍ヤカニ念佛申テ、海中ヘゾ入ニケル、
p.0720 延政門院〈○後嵯峨皇女悦子内親王〉いときなくおはしましける時、院〈○後嵯峨〉へまいる人に、御ことづてとて、申させ給ひける御歌、
ふたつもじ牛のつのもじすぐなもじゆがみもじとぞ君はおぼゆる、こいしくおもひまいら せ給と也、
p.0721 隱岐よりは、たまさかの御消息などのかよふばかりにて、〈○後醍醐、中略、〉かしこにまいり給へる内侍三位〈○後醍醐後宮藤原廉子〉の御腹にも、みこたちあまたおはします、いづれもいまだいはけなき御程にはあれど、物おぼししりて、いみじう戀聞え給ひつゝ、おり〳〵はしのびてうちなきなどし給ふ、おさなうものし給へば、とをき國まではうつしたてまつらねど、もとの御うしろみをばあらためて、西園寺大納言公宗の家にわたしたてまつる、八になり給ふぞ御このかみならむかし、北山におはする程、夕ぐれのそらいと心すごう、山風あらゝかにふきて、常よりも物かなしくおぼされければ、
庭松綠老秋風冷 薗竹葉繁白雪埋
つく〳〵とながめくらして入あひのかねのをとにも君ぞこひしき、おさなき御心にはかなくうちひそみ給へる、いとあはれなり、〈○又見二太平記一〉
p.0721 感〈カムス〉
p.0721 かまけ〈○中略〉 感をよめるは、日本紀、靈異記などに見えたり、今俗事に打かゝり居るを、かまけてゐるといふ意近し、
p.0721 六年二月乙卯、天皇遊二乎泊瀨小野一、觀二山野之體勢一、慨然興レ感歌曰(ミオモヒヲオコシテ/ メツルコト)、擧暮利矩能(コモリクノ)、播都制能野磨播(ハツセノヤマハ)、伊麻拖智能(イマタチノ)、與慮斯企野磨(ヨロシキヤマ)、和斯里底能(ワシリデノ)、與盧斯企夜磨能(ヨロシキヤマノ)、據暮利矩能(コモリクノ)、播都制能夜麻播(ハツセノヤマハ)、阿野儞于羅虞波斯(アヤニウラグハシ)、阿野儞于羅虞波斯(アヤニウラグハシ)、於レ是名二小野一曰二道小野一、
p.0721 三年正月、輕皇子〈○孝德〉深識二中臣鎌子連之意氣高逸、容止難一レ犯、乃使レ寵、妃阿陪氏淨二掃別殿一、高鋪二新蓐一靡レ不レ具、給二敬重一特異、中臣鎌子連便感(カマケ)レ所レ遇、而語二舍人一曰、殊奉二恩澤一、過二前所一レ望、誰能不レ使レ王二天下一耶、
p.0722 二年三月辛巳、詔二東國朝集使等一曰、〈○中略〉始處二新宮一、將レ幤二諸神一、屬二乎今歲一、又於二農月一不レ合レ使レ民、緣レ造二新宮一、固不レ獲レ巳、深減(オトシテ/カマケ)二二途一大二赦天下一、〈○下略〉
p.0722 深減二二途一〈减當レ作レ感、訓見二皇極紀一、二途謂下嬲レ幤二諸神一農月使上レ民〉、
p.0722 娘子等和歌九首
端寸八爲(ハシキヤシ)、老大之歌丹(オキナノウタニ)、大欲寸(オホヽシキ)、九兒等哉(コヽノヽコラヤ)、蚊間毛而將居(カマケテヲラム)、〈○下略〉
p.0722 嬉〈音煕 ヨロコブ和キ〉 娯〈音虞ヨロコフ〉
p.0722 听〈牛謹反、又之若反、ヨロコフ〉
p.0722 怡〈音飴ヨロコフ〉㤚〈ヨロコフ〉 愉〈音兪ヨロゴフ〉 悆〈音豫ヨロコフ〉 懽〈呼官反 正歡ヨロコフ〉 〈ヨロコフ〉 懋〈音茂ヨロコフ〉 〈古〉愷〈ヨロコフ〉 快〈苦懷反ヨロコフ〉 懌〈音譯ヨロコフ〉 悦〈音閲ヨロコフ〉 憙〈音喜ヨロコフ〉 喜憘 〈俗〉 忻〈音 、欣同上、ヨロコフ、〉
p.0722 欵〈ヨロコヒ〉 歖〈音喜笑ヨロコフ〉 㰦〈音去ヨロコフ〉 㰯〈他計、又他豆反、ヨロコフ〉 〈呼官反 ヨロコフ 同 樂歡 和火ン〉 歡〈正歟〉
p.0722 歡〈ヨロコブ〉 欣 慶 嘉 悦 折 愉 賀 遐 兊 假 婾澤 懌 樂 講 拜 悊 姖 似 叶 驩 怡 怫 豫 愷 識 綩 説 嬉賴快懽 賞〈巳上ヨロコブ〉
p.0722 忻欣〈竝正〉 懽歡〈並正〉
p.0722 支那の文字甚多し、爰に悦の字を掲ぐ、悦、怡、歡、喜、欣、忻、懌、忭、忔、懽、 、 、恞、悆、惞、愹惣、憘歖㦏懯俽、訢、原、台、 、嘉、愉、慆欯、衎の屬、これ悦の淺深、或は悲中の悦、懼の中に悦を生じ、其意味あり、彼の國は文字を以て符契とす、故に文字を離れては言語意味通ぜず、倉卒に言ふ時は、貴人と雖、頭を振り動し形容して談語す、
p.0722 喜(ヨロコブ) 悦(同) 歡(同) 欣(同)
p.0722 欣々(ヨロコブ)〈白文集〉 欣然(同)〈怡然、怡悦、忻然並同、〉 喜(同) 歡(同) 欣(同) 慶(同) 怡(同) 悦(同) 豫(同) 賀(同)
p.0723 よろこぶ 神代紀に快又欣慶又喜悦をよめり、依媚の義にや、日本紀によろこぼし、伊勢物語によろこぼひと見えたり、ほし(ノ)反び、ほひ(ノ)反ひ、也、歡も同じ、又説悦も同じ、
p.0723 偉慶〈悦也、奇也、賀也、幸也、福也、於毛加志、又宇禮志(○○○)、〉
p.0723 〈怡音飴ウレシ〉
p.0723 嬉〈ウレシ〉 歡 娯 妮〈已上ウレシ〉
p.0723 嬉(ウレシヽ) 悞(同)〈万葉〉
p.0723 うれし 神代紀に憙をよめり、嬉も同じ、新撰字鏡に もよめり、祝詞に嘉志美とも見え、皇代紀に歡喜又欣遊をうれしむとよめり、得の意也、
p.0723 歡樂 歡悦 歡興 歡喜 歡情 歡呼 歡遊
p.0723 抃悦(ヘンエツ) 抃躍(ヘンヤク) 怡悦(イエツ)〈日本之書、狀、怡作二爲説一、非義也、〉
p.0723 嘔喩(クユ)〈喜悦之貎〉
p.0723 怡悦(イエツ)〈又云喜悦〉 歡喜(クハンキ) 歡悦(クハンエツ) 歡情(クハンジヤウ) 歡樂(クワンラク)
p.0723 悦喜(エツキ)〈又云喜悦〉
p.0723 陰神先唱曰、憙哉遇(アラウレシヤ)二可美少男一焉、〈少男蝿云二烏等孤一〉陽神不レ悦曰(ヨロコビ)、吾是男子、理當二先唱一、如何婦人反先レ言乎、事旣不祥、宜二以改旋一、〈○中略〉於レ是陰陽始遘合爲二夫婦一、及レ至二産時一、先以二淡路洲一爲レ胞、意所レ不レ快(ヨロコビ)、故名之曰二淡路洲一、
p.0723 於レ是洗二左御目一時、所レ成神名、天照大御神、次洗二右御目一時、所レ成神名、月讀命、次洗二御鼻一時、所レ成神名、建速須佐之男命、〈須佐二字、以レ音、○中略〉此時伊邪那岐命大歡喜詔、吾者生二生子一而於二生終一、得三三貴子一、
p.0723 一書曰、〈○中略〉及レ至二彦火火出見尊將レ歸之時一、海神白言、今者天神之孫、辱臨二吾處一、中心欣處(ヨロコビ)、何日忘之、
p.0723 戊午年十月、我卒聞レ歌拔二其頭椎劒一、一時殺レ虜、虜無二復噍類者一、皇軍大悦、仰レ天而咲、
p.0723 四十一年〈○應神〉二月、譽田天皇〈○應神〉崩、時太子菟道稚郎子讓二位于大鷦鷯尊一、〈○仁德〉未レ卽二 帝位一、仍諮二大鷦鷯尊一、夫君二天下一以治二高民一者、蓋之如レ天、容之如レ地、上有二驩心(ヨロコヘル)一、以使二百姓一、百姓欣然(ヨロコビテ)天下安矣、〈○下略〉
p.0724 嘉祥三年四月己酉、大宰帥三品葛井親王薨、親王桓武天皇第十二子也、母大納言贈正二位坂上大宿禰田村麻呂之女、從四位下春子也、〈○中略〉嘗嵯峨天皇御二豐樂院一、以觀二射禮一、〈○中略〉親王時年十二、天皇戯二語親王一曰、弟雖二少弱一、當レ執二弓矢一、親王應レ詔而起、再發再中、時外祖父田村麻呂亦侍坐、驚動喜躍、不レ能二自已一、卽便起座、抱二親王一而舞、進曰、臣嘗將二數十万之衆一、征二討東夷一、實賴二天威一、所レ向無レ敵、自料二勇略一、兵術多レ所レ不レ究、今親王年在二齠齓一、武伎如レ此、愚臣非レ所二能及一、天皇大咲曰、將軍褒二揚外孫一、何甚過多、
p.0724 爰良正〈○平〉偏就二外緣愁一、卒忘二内親之道一、仍企二干戈之計一、誅二將門之身一、于レ時良正之因緣、見二其威猛之勵一、雖レ未レ知二勝負之由一、兼莞爾熙怡而已、〈字書曰、莞爾者倭言都波惠牟也、上音官反、下音志反、熙怡者倭言與呂古布(○○○○)也、上音伎、下音伊反、〉
p.0724 左大辨經賴ト云人アリケリ、五十ニ及テ、藏人頭ニナリタリケルヲ、アナガチニヨロコビケレバ、敎惠座主ト云人、イナメテ云ク、カクヨロコバルヽコソ、無益ノ事トオボユレト、ソシリケレバ、コノ人云ヤウ、コレハヨク案ゼラレヌナリ、天下ノ人イクソバクゾ、公卿廿餘人ハ論ゼズ、其外タマ〳〵貫首ニナレリ、コレオホキナルヨロコビニアラズヤ、敎惠ノ云ヤウ、コレハ大乘ノ觀ナリ、トカク申スニヲヨバズトナム、
p.0724 河原合戰の事
大將軍九郎御ざうしよしつね、門前にて馬よりおり、門をたゝかせ、大をんじやうをあげて、〈○中略〉此御所しゆごのために、はせまいつて候へ、あけて入させ給へと、申されたりければ、なりたゞあまりのうれしさに、いそぎついがきの上より、おどりおるゝとて、こしをつきそんじたりけれ共、いたさはうれしさにまぎれておぼえず、はうはう御しよへまいつて、此よしそうもんしたりければ、〈○下略〉
p.0725 一ある人のいひしは、我此世に生れてうれしき事三あり、一に男に生る也、二に下戸に生れたりといひて、今一つをばいはず、しゐてとはれてのち、大名の子に生れぬがうれしきといふ、其故いかにと問へども〳〵、秘してあかさず、いかなる心にかありける、
p.0725 樂〈タノシミ〉 娯〈悞也〉 愉 般〈考般〉 宗 悰 揄 喜 怡 歡 虞聊 扶 區 婾 湛 肥 嬉 嬀 槃 愷 恂 喜 衍 怙 勸 盤 賴預〈巳上タノシミ〉
p.0725 快樂
p.0725 娯樂
p.0725 樂(タノシム) 娯(同) 逸豫(同) 逍遙(同)〈文選〉
p.0725 太宰帥大伴卿讃レ酒歌十三首〈○十二首略〉
生者(イケルヒト)、遂毛死(ツヒニモシヌル)、物爾有者(モノナレバ)、今生在間者(コノヨナルマハ)、樂乎有名(タヌシクヲアラナ)、
p.0725 たとひ時うつりことさり、たのしびかなしびゆきかふとも、此うたのもじあるをや、〈○下略〉
p.0725 樂(タノシム) たのしとは、たは手也、のしはのぶる也、今も俗にのぶるをのすと云、手をのべて舞ば、心たのしむ也、是舊事記第二卷、又古語拾遺に見えたり、
p.0725 苦樂の事
一樂といふはたのしみなり、をよそ天地の間に生れ出るものゝ中、鳥獸虫けらもある中に、人に生るゝ事たのしみなり、女もある中に、男に生るゝ事たのしみなり、かたは者うつけ者もある中に、常の人に生るゝ事たのしみなり、若死する人もある中に、長生する事樂しみなり、きのふ死たる人もあるに、けふ迄生ながらへたるは樂しみなり、病身なる人もあるに、無病なるは樂しみなり、亂世に生れたる人もあるに、太平の御代に生れあひたるはたのしみなり、乞食もある中に、貧乏ながらも相應に渡世するは樂しみなり、賤しき人もある中に、小祿なりとも賜はりて、人の上 にたつはたのしみなり、此外たのしき事はいか程あるべし、然れども人は欲心深き物なるゆへ、我勝手によき事はたのしみとをもはず、たまたま勝手にわろき事あれば、くるしみなげくなり平目のまのあたりたのしむべき事あるをば、たのしまずして、別にたのしみをもとむるは、おろかなる事なり、くるしむもたのしむも、我心の持やうにあるなり、外より來る事はあらず、
p.0726 大己貴神對曰、當問二我子一、然後將レ報、是時其子事代主神、遊行在二於出雲國三穗〈三穗此云二美保一〉之碕一、以二釣魚一爲レ樂(ワサ)、或曰遊レ鳥爲レ樂、
p.0726 撿税使大伴卿登二筑波山一時歌一首〈幷〉短歌
衣手(コロモデノ)、常陸國(ヒタチノクニノ)、二並(フタナミノ)、筑波乃山乎(ツクバノヤマヲ)、欲見(ミマクホリ)、君來座登(キミガキマスト)、〈○中略〉男神毛(ヲノカミモ)、許賜(ユルシタマヘリ)、女神毛(メノカミモ)、千羽日給而(チハヒタマヒテ)、時登無(トキ卜ナク)、雲居雨零(クモイアメフリ)、筑波嶺乎(ツクバネヲ)、淸照(キヨメテラシテ)、言借石(コトトヒシ)、國之眞保良乎(クニノマホラヲ)、委曲爾(マクハシニ)、示賜者(シメシタマベバ)、歡登(ウレシミト)、紐之緖解而(ヒモノヲトキテ)、家如(イヘノゴト)、解而曾遊(トキテゾアソブ)、打靡(ウチナビキ)、春見麻之從者(ハルミマシヨリハ)、夏草之(ナツクサノ)、茂者雖在(シゲクハアレド)、今日之樂者(ケフノタヌシサ)、
}H そめどのゝきさき〈○文德后藤原明子、良房女、〉のおまへに、花がめに櫻の花をさゝせたまへるをみてよめる、 さきのおほきおほいまうちぎみ〈○藤原良房〉
年ふればよはひはおいのしかはあれど花をしみれば物思ひもなし
p.0726 嗤蚩〈同充之子之二反、戯也、〈中略)和良不(○○○)、〉 嘕〈許延反、笑貎、和良不、又惠牟(○○)、〉 呵〈許加反、張レ口貎、含也、呻也、和良夫、〉
p.0726 嚇〈音赫ワラフ〉 哂〈或忍反ワラフ、アサワヲフ(○○○○○)、〉 呬〈音棄ワラフ〉 咲〈笑上通下正、忠妙反、ワラフ、エム、エエワラフ(○○○○)、和セフ、〉 叨 〈四古、ワラウエム〉 听〈手謹反、又之若反、ワラフ〉 嗤〈音蚩、 昌之反、ワラフ、〉 劇〈エエク(○○○)ワラフ〉
p.0726 笑〈咲二正、㗛俗、 俗、ワラフ、和セウ〉
p.0726 㰹欦〈呼恬又呼冀反ワラフ〉 赥〈ワヲフ〉
p.0726 咲〈ワラフ〉 哂〈自哂〉 咄〈 〉 哈 听 啅 嘲 皣 笑 嗤 隑 啞惱 慗 謔 弄 咲 呋〈已上ワラフ〉
p.0726 咲(ワラウ)
p.0727 囅(ワラフ)〈韻瑞、火笑貎、〉 哂(同)〈微笑也〉 (同)韻會、笑也、咲(同) 咥(同) 笑(同) 听然(同)〈文選〉
p.0727 掩口(ワラフ)〈老學庵筆記、同坐者無レ不レ掩レ口、〉 盧胡(ワラフ)〈字典、盧胡笑也、一作二胡盧一、後漢應劭傳、掩レ口盧胡而笑、孔叢子抗志篇、衞君胡盧大笑、〉 胡盧(ワラフ)〈見レ上〉
p.0727 咲笑〈上通下正〉
p.0727 笑鈔也、頰皮上鈔者也、
p.0727 わらふ 笑をよみ、又哂をよむ、新撰字鏡に、嗤も嘕もよめり、眞名伊勢物語に、笑ひ耻かしむる意を得て、慙字をわらひけるとよめり、笑のくせある事を、説苑に夙笑といへり、嬉笑は魏書崔光傳に見え、竊笑は戰國策に見え、匿笑は程史に見え、傍(ソヒ/モチヒ)笑は龍城錄に見え、訕笑は唐書に見え、巧(ヨク)笑は張旭が詩に見え、强(シヒ)笑は遼史に見え、帰笑は李賀が詩に見え、忍笑韓偓詩に見え、醉笑は白居易が詩に見え、冷(ニカ)笑北史に見え、乾(ソラ)笑は能改齋漫錄に見えたり、智度論にも笑有二種種因緣一、有レ人歡喜而笑、有レ人瞋恚而笑、有二輕之而笑一、有下見二異事一而笑上、有乙見下可二羞耻一事上而笑中、有下見二殊方異俗一而笑上、有二希有難事而笑一と見え、事文類聚に、合坐皆笑謂二之洪堂一と見えたり、
p.0727 㗛〈エム(○○)亦エミ亦乍レ笑〉 咲 〈巳上同〉
p.0727 ゑまひ(○○○) 万葉集に多く見ゆ、日本紀に笑字をよめり、まひ反み也、萬葉集に、ゑまはしと見えだるも、はし反ひ同語也、
p.0727 ゑまほし 欲笑の義也
p.0727 爾其沼河日賣未レ開レ戸、自レ内歌曰、〈○中略〉阿遠夜麻邇(アヲヤマニ)、比賀迦久良婆(ヒガカクラバ)、奴婆多麻能(ヌバタマノ)、用波伊傳那牟(ヨハイデナム)、阿佐比能(アサヒノ)、惠美佐迦延岐氐(エミサカエキテ)、〈○下略〉
p.0727 惠美佐加延伎氐は、〈○註略〉咲榮來而(エ〻サカエキテ)なり、源氏物語末摘花卷に、老人どもゑみさかえて見奉る、〈○中略〉竹取物語には、わらひさかえてともあり、人の喜び咲(エム)は、顏の榮ゆるなれば云り、さて祝詞どもに、朝日之豐榮登(アサヒノトヨサカノボリ)とも云て、其さま人の咲榮(エミサカエ)たる顏と相似たる故に、朝日之と 置るなり、
p.0728 二年十月丙子、天皇見二采女〈○倭采女日媛〉面貌端麗、形容温雅一、乃和顏悦色曰、朕豈不レ欲レ覩二汝姸笑(ヨキエマヒ)一、
p.0728 大伴宿禰家持贈二娘子歌七首〈○六首略〉
不念爾(オモハズニ)、妹之咲儛乎(イモガマヒヲ)、夢見而(ユメニミテ)、心中二(コヽロノウチニ)、燎管曾呼留(モエツヽゾヲル)、
p.0728 天平寶字二年八月廿五日、仲丸大保になりにき、〈○中略〉もとの藤原の姓にゑみといふ二もじを、くはへたまはせき、これらもみな、太上天皇〈○孝謙〉の御おぼえならびなくて、せさせ給ひしなり、ゑみといふ姓も、御らんずるたびに、ゑましくおぼすとて、たまはすとぞ申あひたりし、
p.0728 たゞこれをすぐれたりとはきこゆべきなめりかしと、うちゑみてみ奉れば、おい人もうれしと思ふ、
p.0728 女ばら日比うちつぶやきつる名殘なく、ゑみさかへつゝ、おましひきつくろひなどす、
p.0728 或者所の前を春の頃、修行者のふしぎなるがとをりけるが、ひがさに梅のはなを一枝さしたりけるを、兒ども法師など、あまた有けるが、世におかしげにおもひて、ゐるちこの梅の花笠きたる御房よといひて、笑ひたりければ、此修行者立かへりて、袖をかきあはせて、ゑみ〳〵とわ(○○○○○)らひ(○○)て、
身のうさのかくれざりけるものゆへに梅の花がさきたる御房よと仰られ候やらんと、いひたりければ、この者ども、こはいかにと、おもはずに思ひて、いひやりたるかたもなくてぞ有ける、さうなく人を笑ふ事あるべくもなきことにや、
p.0728 市暑反、喜咲不二自勝一也、太加惠(○○○)、
p.0729 たかゑ 新撰字鏡に噱をよめり、高笑の義也、今たかわらひ(○○○○○)といふめり、
p.0729 唹〈音於大笑(○○)〉 唹〈正〉
p.0729 哄堂(ワラフ/ドヨメク)〈宋元懷拊掌錄、賓主爲レ之洪堂、又哄堂大笑、〉 轟笑(トヽロキワラフ)〈幽棲志、宋景濂徜二徉梅花間一、轟笑竟レ日、 大囅(ヲホワラヒ)拊掌錄、滿座大輾、〉
噇咲(トヅトハラ/○○)
p.0729 宇治川の事
はたけ山いつもわ殿原がやうなるものは、しげ忠にこそ、たすけられんずれといふまゝ、大ぐしをつかんで、きしの上へぞなげ上たる、なげ上られて、たゞなをり、たちをぬひてひたいにあて、大をんじやうをあげて、むさしの國の住人大ぐしの次郎しげちか、うぢ川のかちだちの先陣そやとそ、名のつたる、かたきもみかたも是を聞て、一度にどつとそわらひける、
p.0729 囅然(カラ〳〵/○○)〈韵瑞、大笑貌、〉 呵々(同)〈禪錄〉
p.0729 咲々(エラ〳〵/グラ〳〵)〈藻鹽〉
p.0729 から〳〵〈○中略〉 から〳〵わらふと云は、呵々大笑の義也、高くさやかに笑ふ也、
p.0729 せんていの御入水の事
女房たち、やゝ中納言殿〈○平知盛〉いくさのやうはいかにやいかにととひ給へば、只今めづらしきあづま男をこそ、御らんせられ候はむずらめとて、から〳〵とわらはれければ、〈○下略〉
p.0729 淸範律師、犬のために法事しける人の講師に、しやうせられていくを、淸昭律師同定の説法者なれば、いかゞするときくに、かしらつゝみて、たれともなくて聽聞しければ、たゞ今や過去聖靈は、蓮臺のうへにて、ほとほえ給ふらんとの給ひけるを、さればこそこと人はかく思ひよりなましや、なをかやうのたましゐある事は、すぐれたるみはらぞかしとこそほめ給ひけれ、まことにうけ給はりしに、おかしくこそ侍りしか、さ〈○さ原作レし據二一本一改、〉れば又聽聞衆どもさゝとわらひ(○○○○○○)てまかりかへりにき、いと程々なる往生人なりや、
p.0730 北院御室、或かた夕ぐれに、御前に人も候はで、たゞ一所御念誦して、御座有けるに、いづこよりか來りつらん、大床の邊より、世におそろしげなる白髮のうば參りたりけり、またすをやをら引あげて、ゑみ〳〵として、いかにおそろしく思召候らんなど申て、きら〳〵とわらひ(○○○○○○○○)て候けり、御室の御心の内をしはかるべし、され共少もさはがせ給はで、何ものぞととはせ給ければ、御返事をば申さで、たゞきら〳〵とのみ笑けり、〈○下略〉
p.0730 解レ頤(トクヲトガイヲ/○○)〈使二人笑一曰レ解レ頤、出二漢書一、〉
p.0730 都猿樂之態、鳴 之詞、莫下不二斷レ腹解(○○○)一レ頤者上也、
p.0730 文治五年正月一日壬辰、二位中將還來、〈○中略〉又云、親宗勤二御酒勅使一之間、進二階間東頭一、萬人解レ頤云々、
p.0730 大納言〈○中略〉家に少殘りたりける物どもは、龍の玉をとらぬものどもにたびつ、是を聞て、はなれ給ひしもとの上は、はらをきらてわらひ(○○○○○○○○○)給ふ、
p.0730 松殿〈○藤原基房〉御時、内ノ女房宇治ニ參リテアソビケルニ、和歌會アリケレバ、人々アマタ參ケルニ、刑部卿重家朝臣、アニヲトヽ淸輔季經ナド、一車ニテ參ケル、〈○中略〉アニヲトヽ三人、コノ次第ヲカタリタルニゾ、其座ノ人々ハラヲキリテワラヒタリケル、一座ノ比興ナリ、
p.0730 捧腹(ハラヲカヽヘル/○○)〈史日者傳、司馬季主捧レ腹大笑、觚不觚錄、可下爲二進階者一助中捧腹上、〉
p.0730 はらをかゝゆ 捧腹の義也、笑に堪ざる意也、
p.0730 腹筋をよる(○○○○○) おかしき事、鷹筑波、暑き時分の能のおかしゝ〈といふ句に〉早苗とる小田の腹筋切もぐさ
腹の皮をよる(○○○○○○) 腹筋をヨルとも云、籾井家日記、腹がよれる、
p.0730 臍が西國する(○○○○○○) 甚しく嘲り笑ふを云 臍が茶をわかす(○○○○○○○)
臍が笑(○○○) オヘソが笑(○○○○○)とも云、又へソが四竹を打(○○○○○○○)とも云、鶉衣後編臍頌、我朝に人を嘲りては、臍が笑ふともいへりけり、
p.0731 延壽丹の主人、世界の人情を悟、癖を集、口取となし、拔俗(ひとにすぐれ)て浮世のあなを臍の下にほり、お茶をわかして世の中に腹を抱させ、絶倒を止て筆をとらず、しばらく病の愈を待巳、〈○下略〉
p.0731 噴飯(フキダス○○)〈山家淸供、丈與可守二臨川一、忽得二東坡詩一云、想像淸賚饞太守、渭川、千畝在二胸中一、不レ覺噴、飯滿レ案、想作二此供一也、○下略〉
p.0731 微唹〈ホヽエム(○○○○)〉 笈〈同〉
p.0731 余卽詠曰、斂咲偷(トホヽエメル)二殘靨一、〈斂咲者、斂二精神一而咲也、○中略〉十娘〈○中略〉含レ矯窈窕迎前出、忍笑(ホヽエミテ)嫈嫇返却迴、
p.0731 斂咲 ほゝゑむ 又忍咲共、遊仙窟これもゑまゝほしきをしのびて、わづかにゑめば、含咲といふなり、又頰のみすこし咲をゐらはす故にも有べし、
p.0731 うへ〈○一條〉此わたりに見えしにこそは、いとよくにためれと、うちほゝえませ給ひて、
p.0731 この花の〈○中略〉いうもはたなつかしきゆかりにもしつべしとて、うちほゝゑみたまへる、けしき有て、匂ひきよげなり、
p.0731 きみすこしかたゑみ(○○○○)で、さることとはおぼすべかめり、いづかたにつけても、人わろくはしたなかりける御ものがたりかなとて、うちわらひおはさうず、
p.0731 少シエムヲ、ホクソワライト云ハ何事ゾ、
北叟ガ笑ヲホクソ咲ト云成セル也、喩ヘバ昔唐世ニ一ノ老翁アリ、王城ノ北ニ居スル故ニ是ヲ北叟ト云、塞翁ガ事ナルべシ、此翁ハ世間無常ヲ觀ジテ、君ニ仕テ名利ヲ貪ル心モナク、私ヲ顧テ財寶ヲ貯ル思モナシ、可レ歎事ニモ少シ笑ヒ、可レ喜事ニモ少シ咲フ、是悦モ憂へモ皆不レ久、萬事皆夢ナル理リヲ能知テ、一切ノ事昌少シワラフ也、是ヲ俗語ニホクソワライト云ナルべシ、
p.0732 左大將たゞいまは、あぢきなくぞ侍、あるじのおとゞ御ときよきうちわらひ給へば、ひとたびに、ほゝとわらふ(○○○○○○)、いとこゝちよげなり、
p.0732 三位中將いとなをき木をなんをしおりためるときこえ給ふに、うちわらひ給へば、みな何となくさとわらふ(○○○○○)こゑきこえやすらん、
p.0732 たゞむゝとうちわらひ(○○○○○○○○)て、いとくちをもげなるも、いとおしければ、出給ひぬ、
p.0732 莞爾(エコ〳〵/ニツコ)〈文選註、小笑貌、〉 微笑(同)
p.0732 解顏(ニツコリ)〈歸正集、盧胡小笑也、解顏微笑也、解頤笑不レ笑也、捧腹大笑也、哄堂衆皆笑也、絶倒嘆羨之甚也、韻府以爲二極笑一非也、〉
p.0732 ニツコトフライト云何字ゾ
莞爾ト書テニコヤカ也トヨム、仍テ莞爾ノ二字ヲ、太平記ナドニモ、ニコトワラフトヨマセタリ、論語ニハ、夫子莞爾而笑曰クト云リ、少シ笑貌ト註ス、其心叶ヘリ、委クハニコヤカニワラフト云心歟、但遊仙窟ニハ、 瞃トニコヤカナリトヨメリ、是モ目篇ノ字ナレバ同心歟、
p.0732 匿笑(ワラヒヲカクス)〈冷齋夜話、聞レ之匿笑而去、〉 忍笑(ワラヒヲカンニンス)〈東軒筆錄、坐客皆忍レ笑不レ禁、〉
p.0732 くつ〳〵笑(○○○○○)
方言に、くつ〳〵わらふと云は、ひそ〳〵笑ふ(○○○○○○)となり、宋洪遂が侍兒小名錄云、隋煬帝幸二月觀一、中夜凭二蕭妃肩一、説二東宮時事一、適有二小黃門一映二薔薇叢一、調二宮婢衣帶一、爲二微刺骨結一、笑聲吃々不レ止云云、〈○中略〉くつくつは吃々の字なり、
p.0732 一書曰、〈○中略〉天鈿女乃露二其胸乳一、抑二裳帶於臍下一、而笑噱(アサワライテ/○○)向立、
p.0732 そのかへる年の十月廿五日、大嘗會御禊とのゝしるに、はつせの精進はじめて、その日京を出るに、〈○中略〉二條のおほぢををしわたりていくに、さよにみあかしもたせ、ともの人々上ゑすがたなるを、そこらさじきどもにうつるとて、いきちがふ馬も車もかち人も、あれはなぞこと やすからずいひおどろき、あざみわらひ(○○○○○○)あざけるものどももあり、
p.0733 冷笑(ニガワラヒ/○○)
p.0733 殿下事會
攝政殿〈○藤原基房、中略、〉十四日〈○嘉應二年十二月〉ニ太政大臣ニナラセ給フ、十七日ニハ御悦申アリ、此ハ明年御元服ノ加冠ノ料也、平家ノ一類、以外ニ苦咲テゾ見エケル、
p.0733 唲(ソラワラヒ)〈廣韻、曲從也、韵瑞、强笑也、〉 喔咿(同)〈韵會〉 嚅唲(同)
p.0733 乾笑(ソラワラヒ)〈能改齋漫錄、世言二笑之不レ情者一爲二乾笑一、按宋范瞱謀レ逆、就二刑於市一、妻來別罵レ瞱レ曰、身固不レ足レ塞レ罪、奈何抂二殺子孫一、瞱乾笑而已按乾笑始二于此一、〉 冷笑(ソラワラヒ)〈原病式註、或心本不レ喜、因二侮戲一而笑者、俗謂二之冷笑一、〉
p.0733 咳〈アキトフ(○○○○)小兒咲〉 煦〈巳上同〉
p.0733 咲顏 ゑがほ(○○○) 俗、ゑみがほなり、
p.0733 あやしくてこはたそととへば、えみごゑ(○○○○)になりて、いみじき事きこえん、〈○下略〉
p.0733 天宇受賣命、〈○中略〉於二天之石屋戸一、伏二汙氣一〈此二字以レ音〉而、蹈登杼呂許志、〈此五字以レ音〉爲二神懸一而掛二出胸乳一、裳緖忍二垂於番登一也、爾高天原動而、八百萬神共咲、於レ是天照大御神以爲レ怪、細開二天石屋戸一而、内吿者、因二吾隱坐一而以爲天原自闇、亦葦原中國皆闇矣、何由以天宇受賣者爲レ樂、亦八百萬神諸咲、爾天宇受賣白言、益二汝命一而貴神坐故歡喜咲樂、
p.0733 歡喜咲の三字を惠良岐(エラギ)とよみ、樂字を阿蘇夫(アソブ)と訓べし、〈○註略〉惠良具(エラグ)とは咲榮樂(エミサカエタヌシ)むを云、續紀廿六、大嘗祭豐明の詔に、黑紀白紀能御酒乎(クロキシロキノオホミキテ)、赤丹乃保仁多末倍惠良伎(アカニノホニタマヘエラギ)云々、又卅の詔にも、黑紀白紀乃御酒食倍惠良伎(オホミキタマヘエラギ)云々と見え、萬葉十九〈四十三丁〉に、豐宴見爲今日者(トヨノアカリミシセスケフハ)云々、千年保伎保伎吉等餘毛之惠良々々爾仕奉乎見之貴佐(チトセホギホギヽトヨモシエラエラニツカヘマツルヲミルガタフトサ)などあり、書紀に、㖸樂とめるをも訓、又雄略卷に、歡喜盈懷(エラギマス)ともあり、〈今此記に、上なる二はたゞ咲字のみを書るは、和良布と訓つ、さて此には歡喜字を加へたるは、惠良具と訓べきた、り、上なるは俳優のをかしきを笑ふ なり、ゑらぐに非ず、次なるはゑらぐとてもありぬべけれど、なほ咲一字なればわらふなり、さてこゝは宇受賣命の謀て申す詞にて、己が俳優と、諸神の咲とを合せて、眞實におもしろく、樂みあそぶさまにいひなせるなり、故歡喜二字を加へたり、心をつくべし、〉
p.0734 範國恐懼事
又範國爲二五位藏人一、有二奉行事一、小野宮右府○藤原實資爲二上卿一、被レ候レ陣下二申文一之時、弼君顯定於二南殿東妻被レ出二于陰根一、範國不レ堪遽以笑、右府不レ被レ知二案内一、以レ咎及二奏達一、範國依二此事一恐懼、
p.0734 まさひろはいみじく人にわらはるゝ物哉、おやなどいかにきくらん、〈○中略〉ぢもくの中の夜さしあぶらするに、とうだいのうちしきをふみてたてるに、あたらしきゆたんなれば、つようとらへられにけり、さしあゆみてかへれば、やがてとうだいはたふれぬ、したふづはうちしきにつきてゆくに、まことに道こそしんどうしたりしか、頭つき給はぬほどは、殿上の大ばんに人もつかず、それにまさひろは、まめひともりをとりて、こさうじのうしろにて、やをらくひければ、ひきあらはして、わらはるゝ事ぞかぎりなきや、
p.0734 これもいまはむかし、〈○中略〉あるときわかき女房どものあつまりて、庚申しける夜、この入、道の君、かたすみにほうけたるていにてゐたりけるを、夜ふけけるまゝに、ねぶたがりて、中にわかくほこりたる女ばうのいひけるやう、入道の君こそかゝる人はおかしきものがたりなどするぞかし、人々わらひぬべからんものがたりし給へ、わらひてめをさまさんといひければ、入道をのれは口てづゝにて、人のわらひ給中のものがたりは、えし侍らじ、さはありと、もわらはんとだにあらば、わらはかしたてまつりてんといひければ、物がたりはせじ、たゞわらはかさんとあるは、さるがくをし給ふか、それは物がたりよりはまさることにてこそあらめとまだしきにわらひければ、さも侍らずたゞわらはかしたてまつらんとおもふなりといひければこはなに事ぞ、とくわらはかし給へ、いづら〳〵とせめられて、なににかあらん物もちて、火のあ かきところへいできたりて、なにごとせんずるぞとみれば、算のふくろをひきときて、さんをさらさらといだしければ、これをみて女房ども、これおかしき事にてあるか〳〵と、いざ〳〵わらはんなどあざけるを、いらへもせで、算をさら〳〵とをきゐたりけり、をきはてゝひろさ七八分ばかりの算のありけるを、一とりいでゝ手にさゝげて、御ぜんたちさはいたくわらひ給てわび給なよ、いざわらはかしたてまつらんといひければ、その算さゝげ給へるこそおこがましくておかしけれ、なにごとにてわぶばかりはわらはんぞなど、いひあひたりけるに、その八ふんばかりの算ををきくはふるとみれば、ある人みなながら、すゞろにゑつぼに入にけり、いたくわらひて、とゞまらんとすれどもかなはず、はらのわたきるゝ心ちしてしぬべくおぼえければ、なみだをこぼし、すべきかたなくて、ゑつぼに入たるものども、物をだにえいはで、入道にむかひて手をすりければ、さればこそ申つれ、わらひあき給ぬやといひければ、うなづきさはぎて、ふしかへりわらふ〳〵手をすりければ、よくわびしめてのちに、をきたる算をさら〳〵とおしこぼちたりければ、わらひさめにけり、いましばしあらましかば死なまし、またか計たへがたきことこそなかりつれとぞいひあひける、わらひこうじてあつまりふして、やむやうにぞしける、
p.0735 光隆卿向二木曾許一、附木曾院參頑事
木曾庭上ヲネリ廻リ、彼方此方ヲ立渡テ、穴面白ノ大戸ヤ、セトヤ、中戸ニモ繪書タリ、下内ニモ唐紙押タリトゾ嘆タリケル、殿上階下男女畏シサニ、エ咲ハデ、忍音ニ咲壼ニ入テゾ咲(○○○○○○○)ケル、
p.0735 明雲八條宮人々被レ討附信西相二朋雲一事
刑部卿三位賴輔ハ、〈○中略〉裸ニテ野中ノ卒都婆ノ樣ニテ立給ヘリ、サシモ淺增キ最中ニ、人々皆腸ヲ斷、〈○中略〉此三位ノ兄公越前法橋章救ト云人アリ、彼法橋ノ中間法師、軍ハ如何成ヌラントテ、立出テ見廻リケル程ニ、河原中ニ裸ニ立タル者アリ、何者ゾト思、立寄テ見タレバ、三位ニテゾ御座 テケル、穴淺增トハ思ヒナガラモ、スベキ樣ナケレバ、我著タハケル薄黑染ノ衣ノ、脛高ナルヲ脱テ打懸タハ、三位是ヲ空ニ薯テ、頰冠シ給タリケレバ、衣短フシテ腰マハリヲ過ズ、墨ノ衣ノ中ヨリ、顏バカリ指出シテ、脛アラハ也、中々直裸ナリツルヨリヲカシカリケレバ、上下萬人ドヨム(○○○)也、中間法師ニ相具セラレテ、兄公ノ法橋ノ宿所、六條油小路へ御座シケリ、從者ノ法師モ、小袖一ニ白衣ナリ、主ノ三位モ衣計ニ、ホウカブリシテ空也、人目ヲ立テ指ヲサシテ笑ケレバ、〈○下略〉
p.0736 富田藏人討死の事
富田藏人は、比類なき武勇の者なり、新關白秀次の寵臣也、しかるに秀次生害有しかば、藏人も謝恩の爲殉死すべしと、北野經堂の前に出て、すでに切腹せんとする所を、家來ども大勢來りて藏人を駕に推入、いづくともなくつれて退、京中の貴賤見物に聚りたる者ども、みな掌撫て大笑し、日本一の臆病者かなと、珍敷物語とだにいへば、諸人語て笑ひ種とす、
p.0736 たとしへなき物
人の笑ふとはらだつと
p.0736 佷很〈同、胡墾反、戻也、違也(/○○)、不(/○)測也、顏也、暴也(中略)伊加留、〉
p.0736 嚇〈音赫イカリ〉 吒〈正叱也、怒也、イカル〉 喊㖑〈呼檻呼戒反、謂恚怒聲也、音イカル、〉
p.0736 忍〈音毅イカル〉 忿〈孚粉反イカル〉 慍〈於問又於刎反イカル〉 恚〈上俗 於瞨反、イカル、〉 怒〈イカル〉 憤〈音忿イカル〉
p.0736 瞋〈イカル〉 嗔 怒 恕 慍 懣 恚 瞵 忿 忓 挌 蔇 擠 指 噁 憤 悔 苛 呵 悁 惶 贔 潰 㑦 吒 〈巳上イカル〉
p.0736 瞋嗔〈上瞋目、下嗔怒、〉
p.0736 嗔(イカル) 怒(同) 恚(同) 忿(同) (同)
p.0736 惡發(イカル)〈老學庵筆記、資政惡發也、惡發執レ云レ怒也、〉
p.0737 素戔鳴尊對曰、吾元無二黑心一、〈○中略〉不レ意阿姉、翻起二嚴顏(イカリ)一、
p.0737 嚴顏、怒色也、
p.0737 三年〈○安康〉八月、天皇〈○雄略〉忿怒(ミイカリ)彌盛、
p.0737 いかる 忿怒をいふ、氣上(イキアカ)るの義なり、素問に怒則氣上と見えたり、神代紀に起嚴顏をもよめり、
p.0737 慨〈音鎧イキトホル(○○○○○)〉 憤〈音忿イキトホル〉
p.0737 鬱〈イキトヲル〉 憤 懣 悶 怉〈已上同〉 歑〈音呼、溫吹、氣息也、同イキトホル、〉
p.0737 憤(イキトヲリ) 悶(同)
p.0737 憤(イキドホリ) 〈禮記註、怒氣充實也、〉 慍(同) 於邑(同)〈文選註、心不レ平也、〉 懣(同) 忼慨(同)〈文選〉
p.0737 いきどほり 憤をいふ、論語に慍をよめり怒廻(イカリモトホ)るの義、かり反き、もを略せしなり、日本紀に懷悒を訓じ、歌にもよむ也、新撰字鏡に、悁をいきとろしとよみ、日本紀の歌にいきどへろしもと見えたり、へろ反ほなり、
○按ズルニ、イキドホルニ憤ト悒トノ二義アリ、宜シク憂條ヲ參照スベシ、
p.0737 恚〈上俗 於睽反フツクム(○○○○)〉
p.0737 ふづくむ 憤をよめり、神代卷に、恚又恚恨をふづくとのみもよめり、
p.0737 一書曰、〈○中略〉衣生二素戔鳴尊一、此神性惡、常好二哭恚(ナキフヅク)一、國民多死、
p.0737 いくゞむ(○○○○) 日本紀に憤をよめり、氣含の義成べし、きふ反く也、
p.0737 喟然〈オモホテル(○○○○○)〉
p.0737 おもほでり 神代紀に作色又慍色をよめり、面火光の義也といへり、新撰字鏡に喟然をもよめり、五車韻瑞注に、頩頰は怒色紅也と見ゆ、
p.0738 一書曰、〈○中略〉是時月夜見尊忿然作色(イカリヲモホテリ)曰、穢矣鄙矣、寧可下以二口吐之物一敢養上レ我乎、
p.0738 一書曰、〈○中略〉故兄〈○火酢芹命〉知二弟〈○火折尊〉德一欲二自伏辜一、而弟有二慍色(ヲモホテリ)一不二與共言一、〈○下略〉
p.0738 憤〈忿音ムツカル(○○○○)〉
p.0738 むつがる 日本紀に憤をよめり、物語に見えたる此意なり、今も小兒に、もはらいふ語なり、
p.0738 もとめさはがれけるに、まいりたりしかば、いみじうむつがり給て、〈○下略〉
p.0738 忠輔中納言付二異名一語第廿二
今昔、中納言藤原ノ忠輔ト云フ人有ケリ、此ノ人常ニ仰デ空ヲ見ル樣ニテノミ有ケレバ、世ノ人此レヲ仰ギ中納言トゾ付タリケル、〈○中略〉小一條ノ左大將濟時ト云ケル人、内ニ參リ給ヘリケルニ、此ノ右中辨ニ會ヌ、大將右中辨ノ仰タルヲ見テ、戯レテ只今天ニハ何事カ侍ルト被レ云ケレバ、右中辨此ク、被レ云テ、少攀緣(○○)發ケレバ、只今天ニハ大將ヲ犯ス星ナム現ジタルト答ケレバ、〈○下略〉
p.0738 三條院御時、入道殿〈○藤原道長〉參給、被二申請一事等不レ許、攀緣令二退出一給、以後敦儀親王喚レ之、親王於二小板敷一乍レ立吿二勅喚之由一、入道殿歸參云、如レ此之生宮達、立二板敷之上一、召二執柄人一乎云々、經任卿説云、不二歸參給一、罵二宮達一直出給云々、
p.0738 治承三年十一月十五日己巳、三位中將師家超二二位中將基通一任二中納言一、師家年僅八歲、古今無レ例是博陸〈○藤原基房〉之罪科也、凡此外法皇〈○後白河〉與二博陸一同意、被レ亂二國政一之由、入道相國〈○平淸盛〉攀緣云々、
p.0738 怨〈於願反ハラタツ(○○○○)〉
p.0738 腹立(ハラタツ)
p.0738 敦圉(ハラタツ) 發憤(同) 腹立(同)〈和俗所レ用〉
p.0738 はらだつ 遊仙窟に嗔字をよめり、腹の起脹する義なり、よて俗に立腹(○○)といへ り、又はらをすゑかぬる(○○○○○○○○)ともいへり、後拾遺集に、
風はたゞ思はぬ方に吹しかどわたのはらたつ波はなかりき、はらのゐるといふ詞も、立といふより、居と對したるなり、種が島にはらかく(○○○○)といひ、對馬にて藏がたつ(○○○○)といふ、俗に暴怒をむくろばらをたつる(○○○○○○○○○)といへり、むくろごめに腹だつなり、腹立て下唇をくはへ居るを、しらやまむくば(○○○○○○○)といふ、
p.0739 源道濟號二船路君一事
源道濟爲二藏人一之時、號二藤原賴貞荒武藏一、是也稱二船路君一云々、此人不二腹立一之時、甚以優也、而性甚惡人也、仍不レ可レ向レ之、船路者、天氣和順之日、甚以優也、風波惡之時、人不レ可レ堪レ之、故稱二船路君一、
p.0739 おこる(○○○)〈○中略〉 口語に人の腹だつをおこるといふ、發起の意也、
p.0739 敦圉(イキマキ/○○)〈俗云立腹、師古云盛怒兒、〉 發憤(同) 怒(同) 贔(同)〈文選〉 (同)音備 恚(同) 嗔(同) 慍
p.0739 いきまき 徒然草に見ゆ、腹立怒る意にいへり、息を卷也、くり反き也、源氏に見ゆ、或は慍をよめり、十訓抄にいきまへといふも、同じきにや、
p.0739 輔親も居集れる人々も、あさましと思て、此男の貌をみれば、脇かひとりて、いきまへ(○○○○)ひざまづきたり、
p.0739 淹恚(○○)〈ヒサシキイカリ〉 滯怒(○○)〈ヒサシキイカリ〉
p.0739 忿怨(フンエン/○○) 忿怒(○○)
p.0739 嗔恚(○○)
p.0739 滯怒(タイド)〈指南、久怒不レ解曰二滯怒一、又曰二淹恚一、〉
p.0739 忿怒(フンヌ) 嗔恚(シンイ)〈要覽、謂三面色變異令二人可一レ怖、〉 嗔忿(シンフン) 嗔怒(シンヌ)
p.0739 しんゐ 嗔恚の音也、俗にしんゐをもやすなどいへり、大莊嚴論に、身如二乾薪一、嗔恚如レ火未レ能レ燒、他光自焦レ身と見えたり、
p.0739 葵上 〈ミコ〉瞋恚のほむらは、〈シテ〉身をこがす、
p.0740 逆鱗(○○)〈貞觀政要云、龍可二撮而馴一、然喉下有二逆鱗一、觸レ之則殺レ人、又、人主亦有二逆鱗一、〉
p.0740 逆鱗(ゲキリン)〈王者忿怒之義、事見二韓非子説難一、〉
p.0740 逆鱗 げきりん
天子を龍にたとへ奉れば、なに事にも、龍をもてたとへ奉る事有り、よて逆鱗も龍の事によせて、怒ませしことを申なり、
p.0740 逆鱗者帝王ニ限テ云事ナリ、腹立ハ尋常人ノ事也、
p.0740 つこと(○○○) 俗語也、突言なるべし、怒氣相含ていふをつこふと聲などいへり、
p.0740 怒者先自傷而後傷レ人、故傷レ人者、自傷之餘也、然比レ至レ傷レ人、則自傷增甚、
p.0740 忿怒之發也、往々於レ對二妻孥奴僕一、是因レ易二驕恣一也、須二於レ此忍容一、雖二卑賤一不レ可二侮辱一、
p.0740 五箴〈幷序○中略〉
懲レ怒箴
怒之在レ人、當然自レ天、苟或不レ察、忘レ身及レ親、暛予小子、急性多欲、一事乖レ意、忿怒決裂、火炎二崑岡一、豈問二市室一、氣暴情勝、羝羊觸レ藩、喪レ身僨レ事、噬レ臍何言、先覺有一、敎、惟懲惟戒、劈レ山摧レ暴、履レ霜思レ害、制レ怒之方、要在二乎此一、顏之好レ學、不レ遷レ怒矣、程之定レ性、忘レ怒レ觀レ理、想二厥氣象一、明鏡止水豈敢云レ睎、高山仰止、
p.0740 源信僧都四十一箇條起請
應二重禁制一條々
一設雖レ有二不レ叶レ心事一、思忍不レ起二嗔恚一、〈○中略〉
已上四十一箇條、可レ如二眼精一矣、
p.0740 是時天照大神驚動以レ梭傷レ身、由レ此發慍(イカリマシテ)、乃入二于天石窟一、閉二磐戸一而幽居焉、
p.0741 戊午年十二月丙申、昔孔舍衞之戰、五瀨命中レ矢而薨、天皇衘之、常懷二憤懟(イタヽミウラムル/イクヽミ)一、至二此役一也、意欲二窮誅一、
p.0741 十一年〈○仁賢〉八月、億計天皇〈○仁賢〉崩、大臣平群眞鳥臣專二檀國政一、〈○中略〉太子〈○武烈〉甫知三鮪〈○眞鳥臣子〉曾得二影媛一、悉覺二父子無敬之狀一、赫然(オモニテリテ/ヒカリテ)大怒、
p.0741 二十三年十一月、新羅遣レ使獻二幷貢調賦一、使人悉知四國家憤(ムツカリ)三新羅滅二任那一、不二敢請一レ罷、
p.0741 十四年八月己亥、天皇病彌留崩二于大殿一、〈○中略〉穴穗部皇子欲レ取二天下一、發憤(ムツカリテ)稱曰、何故事二死王之庭一、弗レ事二生王之所一也、
p.0741 十二年四月戊辰皇太子○厩戸親肇作二憲法十七條一、〈○中略〉十日、絶レ忿棄レ瞋、不レ怒二人違一、人皆有レ心、心各有レ執、彼是則我非、我是則彼非、我必非レ聖、彼必非レ愚、共是凡夫耳、是非之理、誰能可レ定、相共賢愚、如二鐶无一レ端、是以彼人雖レ瞋、還恐二我失一、我獨雖レ得、從レ衆同學、
p.0741 元年、是歲、蘇我大臣蝦姨立二己祖廟於葛城高宮一、〈○中略〉悉聚二上宮乳部之民一、〈乳部此云二美文一〉役二使營兆所一、於レ是上宮大娘姫王發(ムツカ)憤而歎曰、蘇我臣專擅二國政一、多行二無禮一、天無二二日一、國無二二王一、何由任レ意悉役二封民一、三年、中臣鎌子連爲レ人惠正有二匡濟心一、乃憤(イクヒテ)下蘇我臣入鹿失二君臣長幼之序一、挾中闚 社稷一之權上、歷試接二主宗之中一而求下可レ立二功名一哲主上、
p.0741 それがにくからずばこそあらめ、男も女も、けぢかき人をかたひき思ふ人の、いさゝかあしき事をいへば、はらだちなどするが、わびしうおぼゆるなりといへば、〈○下略〉
p.0741 後三條院〈○中略〉諸國ノ重任ノ功ト云事、長ク停止セラレケル時、興福寺ノ南圓堂ヲツクレリケルニ、國ノ重任ヲ關白大二條殿〈○藤原敎通〉マゲテ申サセ給ケルニ、事カタクシテ、タビタビニナリケレバ、主上逆鱗ニヲヨビテ、仰ラレテ云ク、關白攝政ノオモクオソロシキ事ハ、帝ノ外祖ナドナルコソアレ、我ハナニトオモハムゾトテ、御ヒゲヲイカラカシテ、事ノ外ニ御ムツ カリアリケレバ、殿座ヲタチテイデサセ給トテ、大聲ヲハナチテノ給ハク、藤氏ノ上達部、ミナマカリタテ、春日大明神ノ御威ハ、ケフウセハテタルゾト、イヒカケテ出給ケレバ、〈○下略〉
p.0742 第十九法性寺尊勝院供僧道乘法師
沙門道乘叡山寶幢院西明房正算僧都弟子也、〈○中略〉天性急惡不レ忍二過咎一、麁二言罵三。言弟子童子一、息二恚心後叩レ頭悔歎、流レ涙發露、或對二佛像一實心改悔、或對二大衆一誠心陳懺、〈○下略〉
p.0742 藥師寺舞人玉手公近値二盜人一存命語第卅六
今昔、藥師寺ニ有シ舞人右兵衞尉玉手公近ハ、舞人トシテ、年來公ケニ仕テ、〈○中略〉年九十ニ成マデ、念佛ヲ申シテ死ニケル時ノ作法、現ニ極樂ニ參ヌト見ヘケリ、一生ノ間腹立ツト云事无シ、極テ貴カリシ者也、
p.0742 一條攝政〈○藤原伊尹〉納言に任給時、朝成同く望申けり、其間頗放言申けり、攝政の後朝成大納言を望申て、彼殿へまいてけり、良久しくありて面謁し給とき、朝成大納言になるべき理運を申されけるに、攝政の給はく世間計がたし、往事のころほい納言望申時、放言有といへども、貴閣昇進我心に任たりとばかりの給て入給にけり、朝成大にいかりて門を出て車に乘とて、先笏を車になげ入ければ、破て二つに成にけり、
p.0742 元曆二年〈○文治元年〉十二月卅日己卯、招二定能卿一、示二合法皇逆鱗之間事一、卽以二其息親能卿一、可二申入一之由示付了、
p.0742 建久三年十一月廿五日甲午、早旦熊谷次郎直實與二久下權守直光一、於二御前一遂二一決一、是武藏國熊谷久下境相論事也、直實於二武勇一者雖レ施二一人當千之名一、至二對決一者不レ足一再往知十之才一、頗依貽二御不審一、將軍家〈○源賴朝〉度々有下令二尋問一給事上、于レ時直實申云、此事梶原平三景時引二級直光一之間、兼日申二入道理一之由歟、仍今直實頻預二下問一者也、御成敗之處、直光定可レ開レ眉、其上者理運文書無レ要、稱レ不レ能二左右一、 縡未レ終卷二調度文書等一、投二入御壼中一起レ座、猶不レ堪二忿怒一、於二西侍一自取レ刀除レ髮、吐レ詞云、殿〈乃〉御侍〈倍〉、登〈利波天云云、〉則走二出南門一、不レ及二歸宅一逐電、將軍家殊令レ驚給、
p.0743 嚴融房與二妹女房一問答事
中比甲斐國ニ、嚴融房トイフ學匠有ケリ、修行者オホク給仕奉事シテ學問シケリ、アマリニ腹アシキ上人ニテ、修行者共、時非時サバクリカヨウスルニ、湯ノアツキモヌルキモシカリ、ヲソキヲモ腹立、疾モテキタレバ法師ニ物クハセジトスルカトテ、クヒサシテ打置テシカリケリ、其アハヒヲ見ントテ、障子ヒマヨリノゾケバ、アレハナニヲ見ルゾトテ、彌ヨ腹立ケレバ、常ニハ心ヨカラズノミ有ケレドモ、ヨキ學匠ナリケレバ、忍テ學問シケリ、妹ノ女房〈○中略〉トバカリ有テ、涙ヲシノゴヒテ、抑人ノ腹立候事ハ、アシキ事力、又クルシカラヌ事カトイヘバ、ソレハ貪瞋癡ノ三毒トテ、宗トノ煩惱ノ一ナリ、疑ニヤヲヨブ、オソロシキ過也トイフ時、ナドサラバソレホドニ御心得アルニ、御ハラハアマリニアシキゾトイフニ、ハタトツマリテ、イヒヤリタル事ハナクシテ、ヨシサラバイカニモ思サマニナゲキ給ヘトテ、シカリテ出ニケリ、誠ニツマリテケリ、V 徒然草
p.0743 高野證空上人、京へのぼりけるに、〈○中略〉口ひきける男あしくひきて、聖の馬を堀へおとしてけり、ひじりいと腹あしくとがめて、〈○中略〉比丘を堀にけ入さする、未曾有の惡行なりといはれければ、口ひきの男、いかに仰らるゝやらん、えこそ聞しらねといふに、上人猶いきまきて、何といふぞ、非修非學の男と、あらゝかにいひて、〈○下略〉
p.0743 武藏守殿信行生害事
津々木、連日何事ヲカ讒言シタリケン、信行、柴田ニ詞ヲモ掛給ハズ、勝家ハ心中蒸ガ如ク腹立ケレドモ、ワザト顏色ニ不二出サ一居ケルガ、心安キ朋友ノ手ヲ取テ、我ガ眼ノ上ヲ探ラセケルニ、眼ノ上サナガラ猛火ノ樣ニ熱シケル、
p.0744 淺井方城主等心替信長公又江北御進發事
淺井長政是ヲ聞テ、早々山本山へ押ヨセ踏落サント怒ラレケレドモ、大事ノ前ノ小事ニ目ヲツケ、足長ニ敵ノ地へ出張無益タルベキ由、家老ドモ諫ケレバ、其企サへ叶ガタク、腹ヲスへカネ怒リ居給フ、
p.0744 戸田旭山
旭山戸田氏、自號二无悶子一、通名齋義、東備の人、浪華にきて醫を業とす、〈○中略〉あるとき攝津國高槻近邑の豪農、物産の門人にてつねに出入する人、其母の病の胗察をこふ、請に應じて至りしが、不起の症なれば辭して歸らんとするとき、近隣又親族の病人、これかれの胗察をこふ、四五人は胗したるが遠く迎えたる人なれば、此折を幸に尚醫治をこふもの多し、こゝにして戸田氏怒を發し、主人に對しのゝしりていふ、子は不孝者也、不起の母を題して、えもしれぬ人々の醫治をせしめんとするかと、元來癇症にて、よく怒る人なれば、大きに顏色を損じたれば、やう〳〵になだめて謝してかへせり、〈○下略〉