https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0623 生命ハ、邦語之ヲイノチト云ヒ、靈魂ハ、タマ又タマシヒト云フ、靈魂ハ不滅ト信ゼラレ、其人體ニ存在スル間ヲ生ト云ヒ、其出離シタル後ヲ死ト云フ、因テ又靈魂ニ、生靈、死靈ノ別アリ、上古ハ靈魂ヲ分チテ和魂、荒魂、幸魂、奇魂ノ四種ト爲シ、其人體ヲ遊離センコトヲ恐レテ、爲ニ鎭魂、招魂等ノ法ヲ修セシコトアリ、
壽命ハ、生命ノ存續スル間ヲ謂フ、其長短ハ曆日ヲ以テ之ヲ推算ス、之ヲ年齡ト稱ス、此篇ハ神祇部神魂篇、鎮魂祭篇、方技部陰陽道篇、禮式部誕生祝篇、葬禮篇、法律部死刑篇等ニ關聯スル所多シ、宜シク參照スベシ、

名稱

〔運歩色葉集〕

〈勢〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0623 生命(○○)

〔類聚名義抄〕

〈九/亼〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0623 命〈靡竟反 イノチ(○○○) 和ミヤウ〉

〔伊呂波字類抄〕

〈伊/人事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0623 壽〈イノチ〉 運 籌 識 命〈巳上同〉

〔古事記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0623 爾其沼河日賣未戸、自内歌曰、〈○中略〉伊麻許曾婆(イマコソハ)、知杼理邇阿良米(チドリニアラメ)、能知波(ノチハ)、那杼理爾阿良牟遠(ナドリニアラムヲ)、伊能知波(イノチハ/○○○ )、那志勢多麻比曾(ナシセタマヒソ)、〈○下略〉

〔古事記〕

〈中/景行〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0623 倭建命〈○中略〉自其行幸而、到能煩野之時、思國以歌曰、〈○中略〉又歌曰、伊能知能(イノチノ/○○○ )、麻多祁牟比登波(マタケムヒトハ)、多多美許母(タヽミコモ)、幤具理能夜麻能(ヘグリノヤマノ)、久麻加志賀波袁(クマカシカハヲ)、宇受爾佐勢(ウズニサセ)、曾能古(ソノコ)、此歌者、思國歌也、

〔日本書紀〕

〈十四/雄略〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0624 十二年十月壬午、天皇便疑御田姧其采女、自念刑而付物部、時秦酒公侍坐、欲琴聲使上レ於天皇、横琴彈曰、〈○中略〉飫裒枳瀰爾(オホキミニ)、柯拖倶都柯陪(カタクツカヘ)、麻都羅武騰(マツラムト)、倭我伊能致謀(ワガイノチモ/ ○○○ )、那我倶母鵝騰(ナガクモガト)、伊比志拖倶彌皤夜(イヒシタクミハヤ)、阿拖羅陀倶彌皤夜(アタラタクミハヤ)、於是天皇悟琴聲而赦其罪、 十三年九月、木工猪名部眞根以石爲質、揮斧斷材、〈○中略〉不覺手誤傷刃、天皇〈○中略〉仍付物部使於野、爰有同伴巧者、歎惜眞根、〈○中略〉復作歌曰、農播拖磨能(ヌバタマノ)、柯彼能矩盧古磨(カヒノクロコマ)、矩羅枳制播(クラキセバ)、伊能致志儺磨志(イノチシナマシ)、柯彼能倶盧古磨(カヒノクロコマ)、〈○中略〉

〔日本書紀〕

〈十五/顯宗〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0624 白髮天皇〈○淸寧〉二年十一月、天皇次起自整衣帶、爲室壽曰、〈○中略〉取結繩葛者、此家長御壽(イノチ)之堅也、〈○下略〉

〔千載和歌集〕

〈十六/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0624 僧都光覺維摩會の講師の請を申けるを、たび〳〵もれにければ、法性寺入道前 太政大臣〈○藤原忠通〉に恨申けるを、しめぢがはらと侍けれど、又その年ももれにければ、つかは しける、 藤原基俊
契をきしさせもが露を命にてあはれことしの秋もいのめり

〔新古今和歌集〕

〈十/羈旅〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0624 あづまのかたにまかりけるによみ侍ける 西行法師
年たけて又こゆべしと思ひきや命なりけりさ夜の中やま

〔和字正濫抄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0624 命 いのち 息力義歟

〔日本釋名〕

〈中/形體〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0624 命(イノチ) いきの内なり、いきてある内なり、きとうと略せり、

〔倭訓栞〕

〈前編三/伊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0624 いのち 命をいふ、氣内(イノチ)なるべし、大集經に、息出入名爲壽命、一息不還卽爲命終と見えたり、後漢朱穆傳に、情爲恩使、命緣義輕と見ゆ、運は天にあり、命は義によつて輕しの世話、ここに本けり、歌にいのちなりけりといひ、させもが露をいのちにてなどいふは、命脉のたえぬばかりなるをいへり、今の俗語にいふも此意なり、

〔八雲御抄〕

〈三下/人事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0624 命 たまの(○○○)を いきのを たまきはるは〈極心也、ときはかなどもよめり、命に不限歟、〉

〔倭訓栞〕

〈前編十四/多〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0625 たまのを〈○中略〉 命の事にいふは、靈の緖也、

〔萬葉集〕

〈七/雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0625 旋頭歌
擊日刺(ウチヒサス)、宮路行丹(ミヤヂヲユクニヽ)、吾裳破(ワガモヤブレヌ)、玉緖(タマノヲノ)、念委(オモヒステヽモ)、家在矣(イヘニアラマシヲ)、

〔新古今和歌集〕

〈十一/戀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0625 百首歌中に忍戀を 式子内親王
玉のをよたえなばたえねながらへば忍ぶることのよはりもぞする

〔倭訓栞〕

〈前編三/伊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0625 いきのを(○○○○) 命をいふ、万葉集に氣之緖と見ゆ、緖は玉のをなどいふがごとし、

〔萬葉集〕

〈七/譬喩歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0625花“氣緖爾(イキノヲニ)、念有吾乎(オモヘルワレヲ)、山治左能(ヤマチサノ)、花爾香君之(ハナニカキミガ)、移奴良武(ウツロヒヌラム)、

〔袖中抄〕

〈十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0625 たまきはる(○○○○○)〈○中略〉
顯昭云、玉きはるとは、たましひきはまると云を、まの字を略して云歟、さればにや命によせてよめる歌おほし、
たゞにあひて見てははみこそ靈剋(タマキハル)命に向わが戀やまめ
かくしつゝあらくをよみにたまきはるみじかき命(○○○○○)をながくほりする〈○下略〉

〔冠辭考〕

〈五/多〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0625 たまきはる 〈うち いく代いのち○中略〉
万葉卷五に、靈剋(タマキハル)、内限者(ウチノカギリハ)、平氣久(タヒラケク)、卷六に、靈剋(タマキハル)、壽者不知(イノチハシラズ)、卷十一に、玉切(タマキハル)、命者棄(イノチハステツ)云々、〈此外さま〴〵借字して書る多かれど、意は同じ、〉こは多麻(タマ)は魂(タマ)也、岐波流(キハル)は極(キハマル)にて、人の生れしより、ながらふる涯(カギリ)を遙にかけていふ語也、故に内の限とも、息内(イノチ)とも、幾代ともつゞけたり、さるを後の人、命の今終る極(キハ)みをいふとのみ思へるは、此冠辭の本の意にあらず、いかにぞなれば、右の靈剋内限者平氣久てふ歌の、憶良の自序に、瞻浮州人、壽百二十歲、謹案此數非必不一レ此云々といひて、遙に百二十を、凡の生涯(イキノカギリ)とするを合せ見よ、且言忌せぬ上つ世といへど、今死に臨むをいふ語ならませば、其人の名に冠らしめて はのたまはせじ、又内の限りは平らけくと、末かけていふのみならず、幾代經ぬらむど、前を遙におもへるさへ有を見よ、

〔萬葉集〕

〈九/相聞〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0626 拔氣大首任筑紫時、娶豐前國娘子紐兒作歌三首〈○中略〉如是耳志(カクノミシ)、戀思渡者(コヒシワタレバ)、靈刻(タマキハル)、命毛吾波(イノチモワレハ)、惜雲奈師(ヲシケクモナシ)、

靈魂

〔天文本倭名類聚抄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0626 靈 四聲字苑云、靈人死神魂也、〈靈音郎丁切、日本紀私記、云、美多万(○○○)、一云、美加介(○○○)、又用魂魄二字、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/神靈〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0626 按説文、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00797.gif 、靈巫以玉祭神、是靈字本訓、故楚辭注、靈皆訓巫、周書諡法解、極知鬼事靈、好祭鬼神靈、義之小轉者、再轉爲神靈字、大戴禮曾子天圓篇、陽之精氣曰神、陰之精氣曰靈、詩靈臺毛傳、神之精明者曰靈、諡法解、死見神能靈、是義行而本義希知者

〔伊呂波字類抄〕

〈見/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0626 靈〈ミタマ、ミカケ、〉

〔日本書紀〕

〈三/神武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0626 戊午年六月、武甕雷神登謂高倉下〈○下原脱據一本補〉曰、予劒號曰韴靈、〈韴靈此云赴屠能瀰哆磨(○○○)

〔古事記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0626 爾天照大御神高木神之命以、詔太子正勝吾勝勝速日天忍穂耳命、〈○中略〉此之鏡者、專爲我御魂(○○)、而如吾前伊都岐奉、

〔古事記傳〕

〈十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0626 凡て御靈(ミタマ)と云に、又用と體との差別あり、此大御神の御於(ミウへ)にて申さば、高天原を知看て、世を照しなどし賜ふは、廣く御靈の用なり、此御鏡は其體なり、さて其御靈を、專此御鏡に取託て、其御醴としたまへば、其用も悉く此御鏡に具り坐り、然らば其用悉く此御鏡に移り坐て、高天原に坐現御身(ウツシミヽ)には、御靈は貽らじかと云に、凡て神御靈は御靈にて、いとも靈異(グシビ)なる物にし坐ば、悉く此處にあれども、彼處にもいさゝか減ことなく、彼處に減ねども、此處にも悉く具りて、其體は千萬處に分つといへども、ほど〳〵に何れにも、その用は欠ることなし、

〔日本書紀〕

〈二十/敏達〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0626 十年閏二月、蝦夷數千冦於邊境、由是召其魁帥綾糟等、〈○中略〉於是綾糟等懼然恐懼、乃下泊瀨中流、面三諸岳、漱水而盟曰、〈○中略〉若違盟者、天地諸神及天皇靈(ミタマ/ミカケ)絶滅臣種矣、

〔日本書紀〕

〈二十八/天武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 元年六月丁亥、皇子〈○高市〉攘臂按劒、奏言、近江群臣雖多、何敢逆天皇之靈(ミタマシヒ/ミカケ)哉、天皇雖獨、則臣高市、賴神祇之靈(ミタマノフユ)、請天皇之命、引率諸將而征討、豈有距乎、

〔倭訓栞〕

〈前編十四/多〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 たま(○○)〈○中略〉 魂魄をよめるも、身の玉の義也、〈○下略〉

〔源氏物語〕

〈一/桐壼〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 かのをくりもの御らんぜさす、なき人のすみかたつねいでたりけんしるしのかんざしならましかばとおもほすもいとかひなし、
尋ね行まぼろしもがなつてにても玉のありかをそことしるべく

〔後拾遺和歌集〕

〈二十/神祇〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 男にわすられて侍けるころ、貴布ねにまゐりて、みたらし河に螢のとび侍け るをみてよめる、 いづみしきぶ
物思へばさはのほたるもわが身よりあくがれ出る玉かとぞみる

〔千載和歌集〕

〈十五/戀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 題しらず 左兵衞督隆房
戀しなばうかれん玉よしばしだに我思ふ人のつまにとゞまれ

〔類聚名義抄〕

〈十/鬼〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 魂魄〈上音繟 ヲタマシヒ(○○○○○) 下栢音又薄音メタマシヒ(○○○○○) 二並タマシヒ(○○○○)〉 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00798.gif 〈俗〉

〔伊呂波字類抄〕

〈太/人體〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 魂〈タマシヒ〉 魄 神〈已上同〉

〔令義解〕

〈一/職員〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 神祇官伯一人掌〈○中略〉鎭魂(○)〈謂鎭安也、人陽氣曰魂、魂運也、○中略〉事

〔公事根源〕

〈十一月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 鎭魂祭 中寅日
それ人には魂魄(○○)の二の玉あり、魂は陽氣、魄は陰氣なり、

〔伊勢平藏家訓〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 先祖の事
人にはたましひ二つあり、魂魄の二つなり、死する時は、魂のたましひは消て散りうせるなり、魄のたましひは、其家にとゞまりて、いつまでもあるなり、其證據は、世上に幽靈とて、死たる人 の形のあらはれ出る事あり、又死靈怨靈などして、恨ある人にとり付なやまする事あるは、かの魄のたましひ、此世にとゞまりて、其たましひのなすわざなり、心がゝりも恨もなき人の魄は、人の目にも見えず、人をなやます事こそなけれ、其家にとゞまりてある事は、うたがひなし、

〔萬葉集〕

〈十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0628 中臣朝臣宅守與狹野茅上娘子贈答歌
多麻之比波(タマシヒハ/○○○○ )、安之多由布敝爾(アシタユフベニ)、多麻布禮杼安我牟禰伊多之(タマフレドアガムネイタシ)、古非能之氣吉爾(コヒノシケキニ)、
右八首〈○七首略〉娘子

〔日本書紀〕

〈十四/雄略〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0628 十三年八月、天皇遣春日小野臣大樹、領敢死士一百、並持火炬宅而燒時、自火炎中白狗暴出、逐大樹臣、其大如馬、大樹臣神(タマシヒ/○)色不變、拔刀斬之、卽化爲文石小麻呂

〔萬葉集〕

〈三/挽歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0628 天平三年辛未秋七月、大納言大伴卿薨之時歌六首、〈○中略〉
遠長(トホナガク)、將仕物常(ツカヘムモノト)、念有之(オモヘリシ)、君師不座者(キミシマサネバ)、心神毛奈思(タマシヒモナシ/○○ )、
十一年己卯夏六月、大伴宿禰家持悲傷亡妾作歌一首、〈○中略〉悲緖未息、更作歌五首、〈○中略〉
離家(イヘサカリ)、伊麻須吾妹乎(イマスワギモヲ)、停不得(トヾメカネ)、山隱都禮(ヤマカクレツレ)、精神毛奈思(タマシヒモナシ/○○ )、

〔日本書紀〕

〈五/崇神〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0628 御間城入彦五十瓊殖天皇、〈○崇神、中略、〉識性(ミタマシヒ)聰敏、

〔和字正濫要略〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0628 魂 たましひ 萬葉第十五に多麻之比、第三の歌に、心神又精神などをたましひと點じたる事はおほけれど、假名に書て證據とすべきは、見及びたる中に、これより外になし、魄は多麻とのみよむは、これに之比と付たる詞の意をおもふに、靈の字奇の字をくしびとよめり、是を上略してそへたるか、又魂の字をむすびともよめり、神皇産靈(カムミムスビ)を神御魂とも書り、高皇産靈を高御魂ともかけり〈○中略〉奇の字くしとのみもよむに、又くしびともよむは、此國に日をあやしくたふとき事の限りにいへば、奇日方(クシヒカタ)といへる事も有、此奇日(クシヒ)を上略して付たる歟、魂は神玅の物なれば也これも俗書にたましゐと書べきよしいひ、また世にさやうにもかくに、古き物にゐ を用たる事、更にみえねば、證あるを引て、これを正し置也、

〔倭訓栞〕

〈前編十四/多〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0629 たましひ 魂魄又靈をいふ、玉火の義、しは助語也、古語に靈火也と見えたり、日本紀に識性、万葉集に心神、精神をも訓ぜり、一説玉奇(クシ)日也といへり、〈○中略〉俗書に魂の數の事をいへるは、列仙傳に出といへり、

〔日本書紀〕

〈一/神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0629 一書曰、〈○中略〉土俗〈○紀伊國有馬村〉祭此神〈○伊弉册神〉之魂者、花時亦以花祭、又用鼓吹幡旗、歌舞而祭焉、

〔日本書紀〕

〈八/仲哀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0629 元年十一月乙酉朔、詔群臣曰、朕未于弱冠、而父王〈○日本武尊〉旣崩之、乃神靈(ミタマシヒ/ミタマ)化白鳥天、仰望之情、一日勿息、〈○下略〉

〔日本書紀〕

〈九/神功〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0629 九年〈○仲哀〉四月、皇后還詣橿日浦、解髮臨海曰、吾被神祇之敎、賴皇祖之靈(ミタマ)、浮(フユ)渉滄海、躬欲西征

〔古事記〕

〈下/顯宗〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0629 天皇深怨其父王之大長谷天皇、〈○雄略〉欲其靈、故欲其大長谷天皇之御陵而遣人之時、〈○下略〉

〔古事記傳〕

〈四十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0629 其靈は大長谷天皇の御靈なり、今は其現御身は世に坐々(シサ)ざれば、其靈に報奉給はむとなり、

〔續日本紀〕

〈十/聖武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0629 天平二年九月庚辰、詔曰、〈○中略〉又安藝周芳國人等、妄説禍福、多集人衆、妖祠死魂(○○)、云有祈、〈○中略〉如此之徒、深違憲法、若更因修、爲害滋甚、自今以後勿使然、

〔今昔物語〕

〈二十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0629 讃岐國女行冥途其魂還付他身語第十八
今昔、讃岐國山田郡ニ一人ノ女有ケリ、性ハ布敷ノ氏、此ノ女忽ニ身ニ重キ病ヲ受タリ、然バ直シク味ヲ備テ、門ノ左右ニ祭テ、疫神ヲ賂テ此レヲ饗ス、而ル間閻魔王ノ使ノ鬼、其ノ家ニ來テ此ノ病フ女ヲ召ニ、其鬼走り疲レテ、此祭ノ膳ヲ見ルニ、此レニ靦テ此膳ヲ食フ、鬼旣ニ女ヲ捕テ 將行ク間、鬼女ニ語テ云、我レ汝ガ膳ヲ受ツ、此恩ヲ報ゼムト思フ、若シ同名同姓ナル人有ヤト、女答云ク、同ジ國ノ鵜足ノ郡ニ同名同姓ノ女有ト、鬼此レヲ聞テ、此女ヲ引テ彼鵜足ノ郡ノ女ノ家ニ行テ、親リ其ノ女ニ向テ、緋袋ヨリ一尺許ノ鑿ヲ取出テ、此家ノ女ノ額ニ打立テ召テ將去ヌ、彼山田郡ノ女ヲバ免シツレバ、恐々ツ家ニ歸ルト思フ程ニ活ヌ、其時ニ閻魔王此ノ鵜足ノ郡ノ女ヲ召テ、返來ルヲ見テ宣ハク、此レ召ス所ノ女ニ非ズ、汝ヂ錯テ此ヲ召セリ、然レバ暫ク此女ヲ留テ、彼山田ノ郡ノ女ヲ可召ト、鬼隱ス事不能デ、遂ニ山田ノ郡ノ女ヲ召テ將來レリ、閻魔王此ヲ見テ宣ハク、當ニ此レ召ス女也、彼ノ鵜足郡ノ女ヲバ可返シト、然レバ三日ヲ經テ、鵜足ノ郡ノ女ノ身ヲ燒失ヒツ、然レバ女ノ魂身死シテ、返入ル事不能シテ、返テ閻魔王ニ申サク、我レ被返タリト云ドモ、體失テ寄付ク所无シト、其時ニ王使ニ問テ宣ク、彼ノ山田ノ郡ノ女ノ體ハ未ダ有リヤト、使答テ云ク、未ダ有リ、王ノ宣ハク、然ラバ其ノ山田ノ郡ノ女ノ身ヲ得テ、汝ガ身ト可爲シト、此ニ依テ鵜足ノ郡ノ女ノ魂、山田ノ郡ノ女ノ身ニ入ヌ、活テ云ク、此我ガ家ニハ非ズ、我家ハ鵜足ノ郡ニ有ト、父母活レル事ヲ喜悲ブ間ニ、此レヲ聞テ云ク、汝ハ我子也、何ノ故ニ此ハ云フゾ、思ヒ忘レタルヤト、女更ニ此ヲ不用シテ、獨家ヲ出テ鵜足ノ郡ノ家ニ行ヌ、其家ノ父母不知ヌ女來レルヲ見テ驚キ恠シム間、女ノ云ク、此レ我ガ家也ト、父母ノ云ク、汝ハ我ガ子ニ非ズ、我子ハ早ク燒失テキト、其時ニ女具ニ冥途ニシテ、閻魔王宣シ所ノ言ヲ語ルニ、父母此ヲ聞テ泣キ悲テ、生タリシ時ノ事共ヲ問聞クニ、答フル所一事トシテ違事无シ、然レバ體ニハ非ト云ドモ、魂現ニソレナレバ、父母喜テ此ヲ哀ミ養フ事無限シ、亦彼ノ山田ノ郡ノ父母、此ヲ聞テ來テ見ルニ、正シク我子ノ體ナレバ魂非ズト云ヘドモ、形ヲ見テ悲ミ愛スル事无限、然レバ共ニ此ヲ信テ、同ジク養ニ、二家ノ財ヲ此女獨リニ付囑シテ、現ニ四人ノ父母ヲ持テ、遂ニ二家ノ財ヲ領シテ有ケル、此ヲ思ヒ饗ヲ備テ鬼ヲ賂フ、此レ空シキ功ニ非ズ、其レニ依テ此有ル事也、亦人死タリト云フトモ、葬スル事不 忩スル、萬ガ一ニモ自然ラ此ル事有也トナム、語リ傳ヘタルトヤ

〔大和物語〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0631 あさたゞの中將、人のめにてありける人に、しのびてあひわたりけるを、女も思ひかはしてすみけるほどに、かのおとこ人の國のかみになりて、くだりければ、これもかれもいとあはれとおもひけり、さてよみてつかはしける、
たぐへやる我玉しゐをいかにしてはかなきそらにもてはなるらん、となん、くだりける日いひやりける、

〔大鏡〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0631 淸範律師、犬のために法事しける人の講師に、しやうぜられていくを、淸昭律師〈○中略〉聽聞しければ、たゞ今や過去聖靈は、蓮臺のうへにて、ほとほえ給ふらんとの給ひけるを、さればこそこと人はかく思ひよりなましや、なをかやうのたましゐある事は、すぐれたるみはらぞかしとこそほめ給ひけれ、

〔台記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0631 康治三年〈○天養元年〉五月廿六日丙子、是夜有人魂(○○)、自艮向坤、其體太長云々、

〔拾芥抄〕

〈上本/諸頌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0631人魂時歌
玉ハミツ主ハタレトモシラネドモ結留メツシタガエノツマ
此歌著衣妻云々〈男ハ左ノシタガヒノツマ、女ハ同右ノツマヲ結云々、〉

〔太平記〕

〈二十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0631 先帝崩御事
主上〈○後醍醐〉苦ゲナル御息ヲ吐セ給テ、〈○中略〉玉骨ハ縱南山ノ苔ニ埋ルトモ、魂魄(○○)ハ常ニ北闕ノ天ヲ望ント思フ〈○中略〉ト、委細ニ綸言ヲ殘サレテ、〈○下略〉

〔類聚名義抄〕

〈一/一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0631 生イク(○○)

〔伊呂波字類抄〕

〈伊/人事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0631 生〈イク、イケリ、〉 活〈不死〉 糓 蘇 存 居 穌〈巳上生也〉

〔源氏物語〕

〈二十一/乙女〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0631 うれしうこの君をえて、いける(○○○)限のかしづきものと思ひて、明暮につけて、老の むつかしさも、なぐさめんとこそ思ひつれ、〈○下略〉

〔倭訓栞〕

〈前編三/伊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0632 いく 生をいふ、氣と義通へり、

〔倭訓栞〕

〈前編三/伊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0632 いき 氣息をいふ、神代紀に見ゆ、生の義也、韓詩外傳に、人得氣則生、失氣則死と見えたり、

〔伊呂波字類抄〕

〈世/疊字〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0632 生死(○○)

〔運歩色葉集〕

〈志〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0632 生死

〔書言字考節用集〕

〈九/言辭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0632 死生有命(シセイアリメイ)〈顏淵篇、死生有命、富貴在天、〉

〔古事記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0632 爾千引石、引塞其黃泉比良坂、其石置中、各對立而、度事戸之時、伊邪那美命言、愛我那勢命、爲如此者、汝國之人草、一日絞殺千頭、爾伊邪那岐命詔、愛我那邇妹命、汝爲然者、吾一日立千五百産屋、是以一日必千人死、一日必千五百人生也、

〔日本書紀〕

〈二/神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0632是天稚彦在於葦原中國也、與味耜高彦根神友善、〈味耜此云婀膩須岐〉故味耜高彦根神昇天弔喪時、此神容貌正類天稚彦平生之儀、故天稚彦親屬妻子皆謂、吾君猶在、則攀牽衣帶、且喜且慟、時味耜高彦根神、怒然作色曰、朋友之道理宜相弔、故不汙穢、遠自起哀、何爲誤我於亡者、則拔其帶劒大葉刈、〈刈此云我里、亦名神戸劔、〉以斫仆喪屋、此卽落而爲山、今在美濃國藍見川之上喪山是也、世人惡生誤一レ死、此其緣也、

〔日本書紀〕

〈六/垂仁〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0632 七年七月乙亥、左右奏言、當麻邑有勇悍士、曰當麻蹶速、其爲人也、强力以能毀角申鉤、恒語衆中曰、於四方求之、豈有我力乎、何遇强力者、而不死生(シニイクコトヲ)頓得力焉、〈○下略〉

〔太平記〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0632 吉野城軍事
寄手ハ死生不知ノ坂東武士ナレバ、親子討ルレ共不顧、主從滅レドモ不屑、乘越乘越責近ヅク、

〔萬葉集〕

〈三/雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0632 太宰帥大伴卿讃酒歌十三首〈○中略〉 生者(イケルヒト)、遂毛死(ツイニモシヌル)、物爾有者(モノニアレバ)、今生在間者(コノヨナルマハ)、樂乎有名(タノシクヲアレナ)、

〔萬葉集〕

〈十六/有由緣幷雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0633世間無常歌二首
生死之(イキシニノ)、二海乎(フタツノウミヲ)、厭見(イトヒミテ)、潮干乃山乎(シホヒノヤマヲ)、之努比鶴鴨(シヌビツルカモ)、〈○中略〉
右歌二首、河原寺之佛堂裏在倭琴面之、

〔躬恒集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0633 雜の歌
ことさらにしなんことこそかたからめいきてかひなく物思ふ身は

〔拾遺和歌集〕

〈十一/戀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0633 題しらず 大伴百世
戀しなむ後はなにせんいける日のためこそ人は見まくほしけれ

〔方丈記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0633 すむ人も是におなじ、ところもかはらず、人もおほかれど、いにしへみし人は二三十人が中に、わづかにひとりふたり也、あしたに死し、夕にむまるゝならひ、たゞ水の泡ににたりける、しらずむまれしぬる人、何方よりきたりて、いづくへか去、〈○下略〉

〔徒然草〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0633 又云、されば人死をにくまば、生を愛すべし、存命のよろこび日々にたのしまざらんや、おろかなる人、此樂をわすれて、いたづかはしく、外のたのしびをもとめ、此財をわすれて、あやうく他の財をむさぼるには、志みつことなし、いける間生をたのしまずして、死に臨て死を恐は、此ことはりあるべからず、人皆生をたのしまざるは、死をおそれざるゆへなり、死をおそれざるにはあらず、死の近きことをわするゝなり、もし又生死の相にあづからずといはゞ、實のことはりをえたりといふべしといふに、人いよ〳〵嘲る、

〔書言字考節用集〕

〈八/言辭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0633 半死半生(ハンシハンシヤウ/○○○○)〈朱子文集〉

〔太平記〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0633 千劒破城軍事
正成所存ノ如ク、敵ヲタバカリ寄セテ、大石ヲ四五十、一度ニハツト發ス、一所ニ集リタル敵三百 餘人、矢庭ニ被討殺、半死半生ノ者、五百餘人ニ及リ、

蘇生

〔伊呂波字類抄〕

〈所/疊字〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0634 蘇活(ソクワツ/イキカヘル) 蘇生(○○) 蘇息〈巳上同〉

〔下學集〕

〈下/疊字〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0634 蘇生(ソセイ)

〔類聚名義抄〕

〈八/草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0634 蘓蘇〈酥音 ヨミカヘル(○○○○○) イク〉

〔伊呂波字類抄〕

〈與/人事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0634 穌〈ヨミカへル〉 息 活〈巳上同〉

〔運歩色葉集〕

〈與〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0634 蘇(ヨミカヘル) 甦(同) https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00791.gif (同)

〔同〕

〈楚〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0634 蘇生(ソセイ)

〔日本靈異記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0634敬三寶現報緣第五〈○中略〉
蘇〈左(左恐伊)來〉 甦〈イキタリ〉

〔日本靈異記考證〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0634 蘇甦〈甦卽蘇字俗也、此疑生字之誤、訓釋同、〉

〔源氏物語〕

〈四/夕顏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0634 めのとにて侍るものゝ、この五月のころより、おもくわづらひ侍しが、かしらそりいむことうけなどして、そのしるしにや、よみがへり(○○○○○)しを、〈○下略〉

〔和字正濫抄〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0634 穌 よみがへる 日本紀に黃泉をよもつくにとよめり、万葉には、よみと點せり、もとみ五音通ぜり、よみがへるは、よみぢより歸るなり、

〔日本釋名〕

〈中/人事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0634 甦(ヨミガヘル) よみはやみ也、やみぢよりかへる也、萬葉に黃泉とかきて、よみぢとよめり、

〔倭訓栞〕

〈後編十七/與〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0634 よみかへる 日本紀に蘇生をよみ、新撰字鏡に甦をよめり、俗によみぢがへりともいへり、泉路還の義也、孝謙紀に有來蘇之樂と見えたり、

〔萬葉集〕

〈三/雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0634 或娘子等賜裹乾https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00808.gif 戯請通觀僧之呪願時、通觀作歌一首、
海若之(ワタツミノ)、奧爾持行而(オキニモチユキテ)、雖放(ハナツトモ)、宇禮牟曾此之(ウレモゾコレガ)、將死還生(シニカヘリイカン/ ○○○)、

〔萬葉用字格〕

〈與〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0634 死將還生(ヨミカへラマシ)〈三〉 〈黃泉より歸り來るの意也〉

〔萬葉集〕

〈四/相聞〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0634 笠女郎贈大伴宿禰家持歌廿四首〈○中略〉 念西(イモヒニシ)、死爲物爾(シニスルモノニ)、有麻世波(アラマセバ)、千遍曾吾者(チタビゾワレハ)、死變益(シニカヘラマシ)、

〔源氏物語〕

〈四/夕顔〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0635 またかの人の氣色もゆかしければ、小君して、しにかへり(○○○○○)思ふこゝろは、しりたまへりやといひつかはす、

〔花鳥餘情〕

〈三/夕顔〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0635 しにかへるこゝろはしり給へりや 物思ひにしにたるが、又いきかへるをしにかへると云べし、

〔名物六帖〕

〈人事四/生老禍福〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0635 還魂(イキカヘル/○○)〈泊宅編、李押司死時復蘇、寄一姓蘇人還魂、〉 活轉(イキカヘル)〈同上〉 再造(イキカヘル)〈小學、荷殿下再造之慈、句讀、再造猶再生、〉

〔古事記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0635是八上比賣、答八十神言、吾者不汝等之言、將大穴牟遲神、故爾八十神怒、欲大穴牟遲神、共議而至伯伎國之手間山本云、赤猪在此山、故和禮〈此二字以音〉共追下者、汝待取、若不待取者、必將汝云、而以火燒似猪大石而轉落、爾追下取時、卽於其石燒著而死、爾其御祖命哭患而參上于天、請神産巢日之命時、乃遣𧏛貝比賣與蛤貝比賣、令作活、爾𧏛貝比賣岐佐宜〈此三字以音〉焦而蛤貝比賣持水而塗母乳汁者、成麗壯夫〈訓壯夫云袁等古〉而出遊行、於是八十神見、且欺率入山而、切伏大樹、茹矢打立其木、令其中、卽打離其冰目矢而拷殺也、爾亦其御祖命哭乍求者得見、卽拆其木而取出活、

〔日本書紀〕

〈十一/仁德〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0635 四十一年〈○應神〉二月、譽田天皇〈○應神〉崩、時太子菟道稚郎子讓位于大鷦鷯尊、〈○仁德、中略、〉爰皇位空之、旣經三載、〈○中略〉時大鷦鷯尊聞太子薨、以驚之從難波馳之到菟道宮、爰太子薨之經三日、時大鷦鷯尊摽擗叫哭不如、乃解髮跨屍以三呼曰、我弟皇子、乃應時而活、自起以居、〈○下略〉

〔日本書紀〕

〈二十/敏達〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0635 十二年、是歲復遣吉備海部羽島、召日羅於百濟、〈○中略〉德爾等晝夜相計將欲殺、時日羅身光有火焔、由是德爾等恐而不殺、遂於十二月晦光殺日羅、更蘇生(ヨミカヘリ)曰、此是我駈使奴等所爲、非新羅也、言畢而死、

〔日本靈異記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0635敬三寶現報緣第五
大花上大部屋栖野古連公者、紀伊國名草郡宇治大伴連等先祖也、〈○中略〉卅三年〈○推古〉乙酉冬十二月 八日、連公居住難波而卒之、屍有異而馥矣、天皇勅之、七日使留、詠於彼忠、逕之三日、乃蘇甦矣、〈○中略〉名曰還俗連公也、〈○中略〉
非理奪他物惡行惡報奇事緣第卅
膳臣廣國者、豐前國宮子郡少領也、藤原宮御宇天皇〈○文武〉之代、慶雲二年乙巳秋九月十五日庚申、廣國忽死、逕之三日、戌日申時更甦之、〈○下略〉

〔伊勢物語〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0636 昔わかき男、けしうはあらぬ女を思ひけり、さがしらするおや有て、思ひもぞつくとて、此女を外へをひやらんとす、〈○中略〉さるあいだに、思ひはいやまさりにまさる、俄におや此女ををひうつ、男ちのなみだをながせどもとゞむるよしなし、ゐて出ていぬ、男なく〳〵よめる、
出ていなばたれか別のかたからんありしにまさるけふはかなしも、とよみてたへ入にけり、おやあはてにけり、なを思ひてこそいひしが、いとかくしもあらじと思ふに、しん實にたえ入にければ、まどひて願たてけり、けふの入あひばかりにたへ入て、又の日のいぬの時ばかりになん、からうじていき出たりける、〈○下略〉

〔江談抄〕

〈三/雜事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0636 公忠弁忽頓滅蘇生俄參内事
公忠辨俄頓滅、歷兩三日蘇生、吿家中云、令我參内、家人不信、以爲狂言、依事甚懇切、被相扶參内、參瀧口戸方事由、延喜聖主驚躁令謁給、奏云、初頓滅之剋、不覺而至冥宮、門前有一人、長一丈餘、衣一紫袍金書札訴云、延喜主所爲尤不安者、堂上有朱紫者世許輩其中第二座者嘆云、延喜號頗以荒涼也、若有改元歟云々、事了如夢忽蘇生、因之忽改元延長云々、

〔元亨釋書〕

〈九/感進〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0636 釋日藏、洛城人、〈○中略〉天慶四年秋、於金峯山三七日、絶飡不語、修密供、八月一日午時、修法之間、忽舌燥氣塞、欲人相救、又思、已稱不言、豈得聲如是思惟、氣息旣絶、〈○中略〉藏凡過十三日蘇息、〈○下略〉

〔古事談〕

〈二/臣節〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0637 勘解由長官有國、當初父輔道豐前守之時、相具〈天〉下向之間、父俄病惱忽逝去、于時有國泰山府君祭ヲ如説勤行、輔道經數刻纔蘇生、語云、予雖炎魔廳、依美麗之饗膳、可返遣之由、有其定、爰或冥官一人申云、雖遣輔道、於有國者早可召也、其故者非其道者、勤行祭罪科云云、又在座之人申云、有國不罪科、無道人遠國之境ニテ、不孝養之情、勤行之輩、更不罪科云々、仍冥官倂同之、依〈○依原作伏、據一本改、〉之無爲所返遣也云々、

〔續古事談〕

〈五/諸道〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0637 嘉承元年ノ夏、世中サハガシクテ、東西二京ニシヌルモノオホカリケリ、ソノ中ニ所ノ御筆ユヒ能定、病ツキテ七日ト云ニ死ニケリ、ヒツニ入レテ黃ナル衣覆テ、人バナレタル所ニステツ、四日ヲへテ道ユク人キヽケレバ、ヒツノ中ニヲトシケリ、アヤシミテミルニ、ヨミガヘリタリ、水ヲノマセテカレガ家ニツゲタリケレバ、妻子ヨロコビテツレカヘリテ、日比ヘテ心地例ザマニナリテカタリケル、〈○下略〉

〔續世繼〕

〈六/志賀の御禊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0637 この宮〈○鳥羽皇子君仁親王〉あかごにおはしましけるとき、たえいり給へりければ、行尊僧正いのりたてまつられけるに、白川院、くらゐもつぎ給べくば、いきかへりたまへと、おほせられけるほどに、なをらせ給ければ、たのもしく人もおもひあへりけるに、〈○下略〉

〔窻の須佐美追加〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0637 死者三日にして殯する事、誠に古來の道なり、或家の婢女疫疾にて死ければ、例の桶に入て寺に送しに、大雨にて墓の坑鑿がたく、桶ながら眠藏におきける、その翌日白き帷子著たる者、よろぼひ出て佛壇へ來し故、若き同宿などあはて騷て逃まどひける、住持出て是をたゞし聞けば、彼婢女蘇りて、桶をやう〳〵にをしひらきて出たる也、食事などして頓て本復しぬ、髮は旣に剃ぬれば、比丘尼になりて遁世しけるとぞ、此たぐひやゝある事にて、折節聞ける事なり、

〔閑際筆記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0637 余〈○藤井臧〉諸ヲ壬生ノ僧順正ニ聞、有馬山淸凉院石文死テ、十九日ニシテ甦、而後人冥途 ノ事ヲ問、石文ガ曰、只湖山ノ間ニ在テ、風景ノ好ニ對スル耳、他見所ナシ、因テ思之、我昔叡山ニ登、湖水ヲ見、大ニ心目ヲ悦ス、然シヨリ後敢忘ズ、時々復往、コレヲ觀ト欲ス、冥途ニ見所恐ハ是ナル歟、コヽニ知平生心中ニ一物ナカルベシ、石文ガ此語最ヨシ、禪者ニ非バ、必地獄天堂説、

〔類聚名義抄〕

〈一/一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0638 死〈シヌ(○○)、和シ、〉

〔伊呂波字類抄〕

〈志/人事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0638 死〈シス(○○)〉 歿 殯 崩〈帝王崩〉 薨〈公卿以上薨〉 滅〈僧滅〉 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00795.gif 卒 畏 殪 殯 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00796.gif 卛 往 損 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00792.gifhttps://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00592.gif 迂 殂 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00793.gif 弑〈亦作https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00794.gif 大逆也〉 殤〈巳上同、殤夭也、死也、〉

〔名物六帖〕

〈人事四/生老禍福〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0638 畢命(シヌル)〈七啓、田光伏劔于北燕、公叔畢命于西秦、〉 下世(シヌル)〈曹植詩、秦穆先下世三臣皆自殘、〉 卽世(シヌル)〈古雋考略、卽世猶世也、〉

〔釋名〕

〈八/釋喪制〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0638 人死氣絶曰死、死澌也、就消澌也、

〔萬葉集〕

〈十六/有由緣幷雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0638世間無常歌〈○中略〉
黥魚取(イサナトリ)、海哉(ウミヤ)死(シニ/○)爲流(スル)、山哉死爲流(ヤマヤシニスル)、死許曾(シネバコソ)、海者潮干而(ウミハシホヒテ)、山者枯爲禮(ヤマハカレスレ)、
右歌一首

〔倭訓栞〕

〈前編十一/志〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0638 しぬ 日本紀に死をよめり、歌にもいのちしなましとみゆ、去の義也、さり反し也、音にあらず、一説に、過ぬ也、すぎ反し也、神代紀に神去といひ、死をまかるとよみ、万葉集に過去(スギニシ)人と見えたり、

〔古事記傳〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0638 死は志邇(シニ)と訓べし、書紀雄略卷歌に、伊能致志儺磨志(イノチシナマシ)とあり、〈なほ萬葉にも數しらず多し〉古言なり、志爾は過去(スギイニ)なり、須岐(スギ)は志(シ)と切る、志奴留(シヌル)は過去(スギイヌ)るなり、〈然るを志邇は、死字の音とおもふは非ず、〉

〔日本書紀〕

〈三/神武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0638 七十六年三月甲辰、天皇崩(カミアガリマシヌ/○)于橿原宮

〔日本書紀〕

〈四/綏靖〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0638 三十三年五月、天皇不豫、 癸酉、崩(カミアガリマシヌ) 時年八十四、

〔古事記〕

〈中/神武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0638是與登美毘古戰之時、五瀨命於御手登美毘古之痛矢串、〈○中略〉到紀國男之水門而詔、負賤奴之手乎死、爲男建而崩、

〔古事記傳〕

〈十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0639 崩は加牟阿賀理麻志奴(カムアガリマシヌ)と訓べし、〈○中略〉さて神上(力厶アガリ)とは、万葉二〈二十七葉、日並知皇子命薨時長歌〉に、天原(アマノハラ)、石門乎閉(イハトヲタテヽ)、神上(カムアガリ)、上座奴(アガリマシヌ)とよみて、天所知(アメシラス)といふも同意なり、凡て人は死れば、尊も卑きも皆悉く、底津根國〈卽夜見國なり〉に罷ることなるを、天皇を始奉、凡て尊むべき人をば、其を忌憚て反を云て、天に上坐とはいひなせる古言なり、

〔萬葉集〕

〈二/挽歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0639 日並皇子尊殯宮之時柿本人麿作歌一首〈幷〉短歌〈○中略〉
高照(タカテラス)、日之皇子波(ヒノワカミコハ)、飛鳥之(アスカノ)、淨之宮爾(キヨメシミヤニ)、神隨(カミノマニ)、太布座而(フトシキマシテ)、天皇之(スメロギノ)、敷座國等(シキマスクニト)、天原(アマノハラ)、石門乎開(イハトヲヒラキ)、神上(カムアガリ)、上座奴(アガリイマシヌ)、〈一云、神登座爾之可婆、○下略〉

〔日本書紀〕

〈十一/仁德〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0639 四十一年〈○應神〉二月、譽田天皇〈○應神〉崩、〈○中略〉爰皇位空之、旣經三載、〈○中略〉時大鷦鷯尊聞太子薨(カムサリマシヌ/○)、以驚之、從難波馳之、到菟道宮

〔日本書紀通證〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0639 玉木翁曰、神退者神靈去此形之謂也、

〔倭訓栞〕

〈前編二十九/末〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0639 まかる(○○○)〈○中略〉 神代紀に死をよむは罷の義、死すれば万事やむをもてなり、歌の辭書に身まかるといふ是也、

〔古事記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0639是高木神、〈○中略〉詔者、〈○中略〉或有邪心者、天若日子於此矢麻賀禮〈此三字以音〉云而、取其矢其矢穴、衝返下者、〈○下略〉

〔古事記傳〕

〈十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0639 麻賀禮(マガレ)、まづ萬の吉善(ヨキ)を直(ナホ)と云に對ひて、萬の凶惡を麻賀と云、〈○中略〉されば麻賀禮と云は、言は凶くなれと云ことにて、意はすなはち死ねと詔ふなり、〈死るは卽凶くなるなれば、麻賀流と云なり、〉

〔日本書紀〕

〈一/神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0639 一云、〈○中略〉或所謂泉津平坂者、不復別有處所、但臨死(マカル)氣絶之際、是之謂歟、

〔日本書紀〕

〈五/崇神〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0639 五年、國内多疾疫、民有死亡者(マカレルモノ)、且大半矣、

〔倭訓栞〕

〈中編二十五/美〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0639 みまかる(○○○○) 死去をいふ、身罷る義、萬事罷去の意なるべし、

〔類聚名物考〕

〈凶事一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0639 みまかる 身死 身體罷去の意よりいふ語なり、朝廷を退去て家にかへるを罷といふも、此をさりて彼にゆく故なり、俗説に曲の意にて、生を直とし、死を曲折といふはあらぬことなり、

〔日本書紀〕

〈十四/雄略〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0640 九年三月、紀小弓宿禰使大伴室屋大連、憂陳於天皇曰、臣雖拙弱、敬奉勅矣、但今臣婦命過(ミマカリタル)之際、莫能視養臣、公冀將此事具陳天皇、〈○下略〉

〔古今和歌集〕

〈十六/哀傷〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0640 いもうとの身まかりける時よみける 小野のたかむらの朝臣〈○歌略〉

〔倭訓栞〕

〈前編四/宇〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0640 うせる(○○○)〈○中略〉 死をいふも失の義也、神代紀に、喪亡をうせたりとよみ、伊勢物語に、親王うせたまひてと見えたり、

〔伊勢物語〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0640 むかし西院のみかどゝ申すみかどおはしましけり、其みかどのみこたかいこと申すいまそかりける、其みこうせ給ひて、〈○下略〉

〔大鏡〕

〈一/圓融〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0640 つぎのみかど圓融院天皇と申き、〈○中略〉正曆二年二月十二日うせさせ給ふ、

〔倭訓栞〕

〈前編三十/美〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0640 みうせぬ(○○○○) 日本紀に薨をよめり、身失ぬの義也、選却崇神祝詞に、立處に身亡支と見えたり、

〔日本書紀〕

〈四/綏靖〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0640 四年四月、神八井耳命薨(ミウセヌ)、

〔延喜式〕

〈八/祝詞〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0640 遷却崇神祭
又遣〈志〉天若彦〈毛〉返言不申〈氐〉、高津鳥殃〈爾〉依〈氐〉、立處〈氐〉身亡〈支〉、

〔名物六帖〕

〈人事四/生老禍福〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0640 捐館舍(ヲカクレ/○○○)〈史范睢傳、君卒然捐館舍、〉 有不可言(ヲカクレ)〈前元后傳、如有言、師古曰、不言謂死也、不言之、〉

〔日本書紀〕

〈二/神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0640是取矢還投下之、其矢落下則中天稚彦之胸上、〈○中略〉中矢立死(カクレヌ/○)、

〔大鏡〕

〈一/陽成〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0640 つぎのみかど陽成天皇と申き、〈○中略〉八十一にて天曆二年九月廿九日に、かくれ給ふ、

〔神道名目類聚抄〕

〈六/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0640 岩隱(イハカクレ/○○) 死スル事ヲ云、倭姫命薨御マシマシヽ事ヲ、退テ尾上山ノ峯ニ岩隱坐ト、世記ニ見タリ、

〔倭訓栞〕

〈前編三/伊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0641 いはがくれ 石隱とかけり、万葉集に磐隱座とも見え、石墓(イハキ)にこもるともいひ、鎭火祭祝詞、大和姫世記などにも見えて、神去の義をいへり、日神石窟に入ませし時、天が下常闇なりし、故事に起れる詞なるべし、或は陵墓は巖もて造れば、かくいへるなりともいへり、

〔倭姫命世記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0641 天皇〈○雄略〉卽位廿三年己未二月、倭姫命、〈○中略〉自退尾上山峯、石隱坐、

〔萬葉集〕

〈二/挽歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0641 高市皇子尊城上殯宮之時、柿本朝臣人麿作歌一首幷短歌、
挂文(カケマクモ)、忌之伎鴨(ユヽシキカモ)、〈一云由遊志計禮杼母〉言久母(イハマクモ)、綾爾畏伎(アヤニカシコキ)、明日香乃(アスカノ)、眞神之原爾(マガミノハラニ)、久堅能(ヒサカタノ)、天津御門乎(アマツミカドヲ)、懼母(カシコクモ)、定賜而(サダメタマヒテ)、神佐扶跡(カミサフト)、磐隱座(イハカグレマス)、八隅知之(ヤスミシヽ )、吾大王乃(ワガオホキミノ)、所聞見爲(キカシミシ)、〈○下略〉

〔倭訓栞〕

〈前編八/久〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0641 くもがくれ(○○○○○)〈○中略〉 遁世又死去の事にいふは、源氏の雲がくれの卷など是也、萬葉集にもさよめり、石(イハ)隱といふが如し、よて今は常の歌には禁忌の詞とするなり、

〔萬葉集〕

〈三/挽歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0641 大津皇子被死之時、磐余池般〈○般恐陂誤〉流涕御作歌一首、
百傳(モヽヅタフ)、磐余池爾(イハレノイケニ)、鳴鴨乎(ナクカモヲ)、今日耳見哉(ケフノミミテヤ)、雲隱去牟(クモガクレナム)、
神龜六年己巳、左大臣長屋王賜死之後、倉橋部女王作歌一首、
太皇之(スメロギノ)、命恐(ミコトカシコミ)、大荒城乃(オホアラキノ)、時爾波不有跡(トキニハアラネド)、雲隱座(クモカクレマス)、
七年〈○天平〉乙亥、大伴坂上郎女悲嘆尼理願死去作歌一首〈幷〉短歡、〈○長歌略〉
留不得(トヾメエヌ)、壽爾之在者(イノチニシアレバ)、敷細乃(シキタへノ)、家從者出而(イヘヲバイデテ)、雲隱去寸(クモカクレニキ)、

〔後拾遺和歌集〕

〈十/哀傷〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0641 三條院の皇太后宮かくれ給て、さうそうのよ、月あかく侍けるによめる、
命婦乳母
などてかく雲かくるらんかくばかりのどかにすめる月もあるよに

〔藻鹽草〕

〈十六/人事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0641
霞の谷にかげかくれ(○○○○○○○○○)〈崩御也〉

〔古今和歌集〕

〈十六/哀傷〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0642 深草のみかど〈○仁明〉の御國忌の日よめる 文屋やすひで
草ふかき霞のたにゝ影かくしてる日の暮しけふにやはあらぬ

〔源氏物語〕

〈一/桐壼〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0642 御つかひのゆきかふほどもなきに、なをいぶせきを、かぎりなくの給はせつるを、夜なかうちすぐるほどになん、たえはて(○○○○)給ぬるとて、なきさはげば、〈○下略〉

〔源氏物語〕

〈九/葵〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0642 とのゝうち、人ずくなに、しめやかなる程に、俄に例の御むねをせきあげて、いといたうまどひ給、うちに御せうそこきこえ給ほどもなくたえいり(○○○○)給ぬ、

〔玉海〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0642 文治四年二月十九日乙酉、内府方女房、〈帥〉周章走來、吿大臣殿〈○藤原良通〉絶入之由

〔古事談〕

〈三/僧行〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0642 蓮仁靈人〈本學坊〉參會吉田齋宮御臨終、令釋迦牟尼佛名比盧遮那、〈普賢經文歟、彼文云、〉一切處處、其佛住處、名常寂光トノ給テ、現咲相令閉眼給、于時祗候之女房等、多年御本懷、已滿足歟、心安候トテ欲立去之處、靈人罷念佛、令慈救呪之時、宮蘇生、アラネタヤ奉具ユカムト、思ツル物ヲト被仰テ、又小時唱念佛、如眠令氣絶(○○)、上人云、是コソ實ノ御終焉云々、

〔源氏物語〕

〈四/夕顏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0642 まづこの人はいかに成ぬるぞと、おもほす心さはぎに、身のうへもしられ給はず、そひふして、やゝとおどろかしたまへど、たゞひえにひえいりて、いきはとくたえはてにけり(○○○○○○○○○○○○)、

〔日本書紀〕

〈十五/顯宗〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0642 元年二月壬寅、詔曰、先王〈○市邊押磐皇子〉遭離多難、殞命(ヲハリタマヘリ/○○)荒郊

〔日本書紀〕

〈二十九/天武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0642 九年十一月丁亥、遣草壁皇子惠妙僧之病、明日惠妙僧終、

〔親長卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0642 文明二年十二月廿六日、卯刻許巳御命終、〈○後花園〉

〔伏見上皇御中陰記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0642 文保元年九月三日、寅刻法皇有御事(○○)、 四日、今日有御葬禮事

〔資益王記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0642 文明十四年五月四日、民部卿來、眞乘寺御事切(○○○)云々、仍禁裏幷親王御方御服之事談合、

〔基量卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0642 貞享二年二月廿二日、只今御事切〈○後西院〉之由也、

〔類聚名義抄〕

〈五/山〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0642 崩(○)〈此明反 シヌ帝和ホウ〉

〔伊呂波字類抄〕

〈保/人事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 崩〈ホウス〉

〔和爾雅〕

〈三/身體〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 死(シヌル) 天子死曰崩(ホウ)

〔釋名〕

〈八/釋喪制〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 天子曰崩、崩壞之形也、崩硼聲也、

〔下學集〕

〈下/態藝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 崩御(ホウギヨ/○○)〈指天子之辭世

〔海人藻芥〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 諒闇、忌中事也、國王ハ崩御、

〔日本書紀〕

〈三/神武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 七十有六年三月甲辰、天皇崩于橿原宮

〔日本書紀〕

〈七/景行〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 四十年十月癸丑、日本武尊發路之、〈○中略〉旣而崩于能褒野、時年三十、〈○中略〉是歲天皇踐祚四十三年焉、

〔日本書紀〕

〈九/神功〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 六十九年四月丁丑、皇太后〈○神功〉崩於稚櫻宮

〔續日本紀〕

〈十九/孝謙〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 天平勝寶六年七月壬子、太皇太后〈○文武后藤原宮子娘〉崩於中宮

〔古今著聞集〕

〈十六/興言利口〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 四條院崩御のとき、醍醐大僧正の弟子何がし房とかやいひける僧、大僧正のもとへ、消息をやるとて、さんぬる九日、國王俄に死去云々、尤ふびんの事歟と書たりける、ふしぎなる文章成かし、僧正腹腸を切て、其狀を人に見せられけるとなん、

〔伊呂波字類抄〕

〈安/人事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 晏駕(○○)〈一作遐霞(○○)帝者崩謂之晏駕

〔下學集〕

〈下/態藝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 晏駕(アンカ)〈晏晩也、宮車晏駕、漢天文志、天子當晨起、方崩稱晏駕者、臣子之心、猶謂宮車晩出也、以上皆指天子辭世也、〉

〔塵袋〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 一帝ノ崩ズルヲ晏駕ト云フハ心如何
史記、宮車一日晏駕云々、韋昭云、凡初崩爲晏駕者、臣子之心、猶謂三宮車當駕而脱出トイヘリ、晏ハヲソキナリ、カエイテタマフベキニ、ナドヲソキゾトオボユル心ニヤ、

〔海人藻芥〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 晏駕、帝王ノ崩御也、

〔下學集〕

〈下/態藝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 登仙(トウセン/○○) 登霞(トウカ/○○)

〔倭訓栞〕

〈中編十八/乃〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0644 のぼるかすみ(○○○○○○) 昇霞也、崩御をいふといへり、昇る雲居(○○○○)と云と義同じ、

〔海人藻芥〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0644 登霞、仙院薨御ノ事也、仙院ヲバ不崩御也、登霞、ガト濁リテモ讀也、

〔三外往生記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0644 大納言源雅俊卿者、六條右府〈○顯房〉之二男、堀川天皇之外舅也、天皇登霞之後、更厭生死無常、建立一堂

〔日本靈異記〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0644 智行並具禪師重得人身國皇子緣第卅九〈○中略〉
薨(○)〈音興、死也、〉

〔和爾雅〕

〈三/身體〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0644 死(シヌル)〈○中略〉 諸侯曰薨(コウ)

〔釋名〕

〈八/釋喪制〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0644 諸侯曰薨、薨壞之聲也、

〔令義解〕

〈九/喪葬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0644 凡百官身亡者、親王及三位以上稱薨、

〔日本書紀〕

〈六/垂仁〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0644 二十八年十月庚午、天皇母弟倭彦命薨、 三十二年七月己卯、皇后日葉酢媛命〈一云日葉酢根命也〉薨、

〔日本書紀〕

〈二十二/推古〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0644 二十九年二月癸巳、半夜厩戸豐聰耳皇子命薨于斑鳩宮

〔續日本紀〕

〈十/聖武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0644 神龜五年九月丙午、皇太子薨、

〔續日本紀〕

〈三/文武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0644 慶雲二年五月丙戌、三品忍壁親王薨、

〔續日本紀〕

〈三/文武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0644 慶雲二年七月丙申、大納言正三位紀朝臣麻呂薨、

〔海人藻芥〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0644 院ハ薨御(○○)、若宮同、又大臣同、

〔上宮聖德法王帝説〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0644 壬午年〈○推古三十年〉二月廿二日、薨逝(○○)也、

〔續日本紀〕

〈八/元正〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0644 養老五年二月甲午、詔曰、〈○中略〉去庚申年〈○養老四年〉藤原大臣〈○不比等〉奄焉薨逝、朕心哀慟、

〔日本靈異記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0644敬三寶現報緣第五〈○中略〉
卒(○)〈死也〉

〔和爾雅〕

〈三/身體〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0645 死(シヌル)〈○中略〉 大夫曰

〔釋名〕

〈八/釋喪制〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0645 大夫曰卒、言卒竟也、

〔令義解〕

〈九/喪葬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0645 凡百官身亡者、〈○中略〉五位以上及皇親稱卒、

〔日本書紀〕

〈二十九/天武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0645 元年五月癸丑、大錦上坂本財臣卒、

〔續日本紀〕

〈五/元明〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0645 和銅四年閏六月乙丑、中納言正四位上兼神祇伯中臣朝臣意美麿卒、

〔續日本紀〕

〈十/聖武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0645 神龜五年十月壬午、僧正義淵法師卒、

〔海人藻芥〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0645 大中納言以下卒去(○○)

〔和爾雅〕

〈三/身體〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0645 死(シヌル)〈○中略〉 庶人曰死(シ/○)

〔令義解〕

〈九/喪葬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0645 凡百官身亡者、〈○中略〉六位以下達於庶人死、

〔日本書紀〕

〈二十九/天武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0645 八年三月丙戌、兵衞大分君稚見死、

〔續日本紀〕

〈十六/聖武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0645 天平十八年六月己亥、僧玄昉死、

〔伊呂波字類抄〕

〈志/疊字〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0645 死亡(○○)

〔續日本紀〕

〈七/元正〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0645 靈龜元年十月丁丑、陸奧蝦夷第三等邑良志別君宇蘇彌奈等言、親族死亡子孫數人、常恐狄徒抄略、〈○下略〉

〔古今著聞集〕

〈十五/宿執〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0645 京極大相國〈○藤原宗輔〉つねにの給けるは死去(○○)は人のをはり也、つゐとしてのがれざる理り也、死におゐてはくゆべからず、たゞし一事忍びがたき事有、死して後ながく、笛をとるべからざる事をとぞ侍りける、

〔御文章〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0645 當時コノゴロ、コトノホカニ疫癘トテ、ヒト死去ス、コレサラニ疫癘ニヨリテ、ハジメテ死スルニハアラズ、生レハジメシヨリシテ、サダマレル定業ナリ、サノミフカクオドロクマジキコトナフ、

〔元亨釋書〕

〈一/傳智〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0646 釋慈訓、〈○中略〉寶龜八年化(○)、

〔續日本紀〕

〈一/文武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0646 四年三月己未、道照和尚物化(○○)、

〔和爾雅〕

〈三/身體〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0646 死(シヌル)〈○中略〉 物故(ブツコ/○○)〈漢書、蘇武傳、物故謂死也、言同鬼物而故也、一説、不斥言、但言其所用之物皆巳故耳、〉

〔隨意錄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0646死爲物故、顏師古曰、言其同於鬼物而故也、蜀志註高堂隆云、物無也、故事也、言復所一レ於事也、予〈○冢田虎〉謂皆似牽强矣蓋言其人死而其物之故耳、

〔日本紀略〕

〈桓武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0646 延曆二十二年三月丁巳、詔曰、入唐大使贈從二位藤原朝臣河淸、銜命先朝、修聘唐國、旣而歸舳迷津、漂蕩物故於他郷、可正二位

〔和爾雅〕

〈三/身體〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0646 死(シヌル)〈○中略〉 涅槃(ネハン/○○)〈釋氏要覽曰、釋氏死謂涅槃、圓寂(○○)、歸眞(○○)、歸寂(○○)、滅(○)、度(○)、遷化(○○)、順世、皆一義也、〉

〔伊呂波字類抄〕

〈世/疊字〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0646 遷化(○○) 遷逝(○○)

〔運歩色葉集〕

〈勢〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0646 遷化〈曰死〉

〔續日本紀〕

〈十七/聖武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0646 天平勝寶元年二月丁酉、大僧正行基和尚遷化、〈○中略〉薨時年八十、

〔古今著聞集〕

〈十五/宿執〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0646 堂僧齋範はふかく音樂をふけるものなりけり、さいごの時、万秋樂を聞て、三帖喚頭にいたる程に遷化しにけり、これも宿執のふかき至り也、

〔吾妻鏡〕

〈三十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0646 寬元五年〈○寶治元年〉五月十三日乙丑、未剋御臺所〈○藤原賴嗣妻〉遷化、〈年十八〉

〔拾遺往生傳〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0646 阿闍梨維範者京師人也、〈○中略〉俗呼曰南院阿闍梨、〈○中略〉凡闍梨臨終之間、瑞相太多、其院内禪僧信明、〈字北筑紫聖〉久閉庵室、不門戸、當于此時、空中有聲曰、南院只今滅(○)云々、

〔運歩色葉集〕

〈丹〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0646 入滅(ニウメツ/○○)

〔台記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0646 康治三年〈○天養元年〉十一月一日戊申、朝召伶人樂、人傳云、式部大輔入道敦光、以去月廿八日入滅、〈○下略〉

〔吾妻鏡〕

〈二十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0646 建保三年六月五日癸亥、壽福寺長老葉上僧正榮西入滅、依痢病也、

〔元亨釋書〕

〈二/慧解〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0647 釋慈雲、〈○中略〉寂(○)年四十九、大同二年也、

〔下學集〕

〈下/態藝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0647 佗界(タカイ/○○)〈死去〉

〔本朝俚諺〕

〈三/太〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0647 他界 佛家より出たることばなり、娑婆世界をはなれて、極樂世界にうつるといふ事也、長明海道記云、ついに十念相續して他界にうつりぬ、

〔倭訓栞〕

〈中編十三/多〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0647 たかい 死するを他界といふは和語なり、東鑑に見えて、もとは上下通ぜし詞と見えたり、海人藻芥にも、常の人に逝去他界と申べき也と見ゆ、今は妄に稱せられず、本朝通鑑には、賴朝以來の武將は新例を立て、皆殂と書せり、長明が海道記に、つひに十念相續して、他界にうつりぬといへば、佛氏の意なるべし、

〔吾妻鏡〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0647 建久三年八月廿二日壬戌、雜色成里者有多年之功、仍御氣色快然、頗與御家人勝劣、而去夏比他界、殊御歎息、〈○下略〉

〔吾妻鏡〕

〈十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0647 建久六年七月四日丙戌、稻毛三郎重成妻、於武藏國他界、日來病惱頻、雖鵲療、終被風痾畢、

〔沙石集〕

〈二上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0647 地藏菩薩種々利益事
和州ノ生駒ニ論識(ロンシキ)房トイフ僧有ケリ、〈○中略〉他界ノ後讃岐房ト云弟子ニ、庵室ヲバ讓テケリ、

〔新撰長祿寬正記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0647 同年〈○寬正四年〉ノ夏ノ比ヨリ、公方ノ御母君高倉殿御不例ノコト有リ、〈○中略〉同八月八日ノ曉、高倉ノ御所ニテ御他界有リ、

〔類聚名物考〕

〈凶事一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0647 他界 たかい
古へは上下にかよはしていふ詞なるを、今の世〈○德川幕府〉となりては、將軍家にのみ申奉る事とはなれり、

〔運歩色葉集〕

〈勢〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0647 逝去(○○)〈曰死〉

〔壒囊抄〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0648 一條堀川橋ヲモドリ橋ト云ハ何故ゾ〈○中略〉
逝トハ死去ノ事也、論語云、逝往、往者如川流カト云々、人ノ逝去スルヲ、河流不返喩ル也、

〔海人藻芥〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0648 常之人ハ、逝去、他界トモ、

〔下學集〕

〈下/態藝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0648 捐舘(エンクワン/○○)〈新圓寂義也、人死去捐平生舘屋、〉

〔運歩色葉集〕

〈衞〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0648 捐舘〈日本人之遠行〉

〔和爾雅〕

〈三/身體〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0648 死(シヌル)〈○中略〉 捐舘(エンクハン)〈史記、蘇秦傳、〉

〔壒囊抄〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0648 同事〈○天子崩御〉ヲ晏駕ト云ハ如何事ゾ〈○中略〉
新死ヲ捐舘ト云、死スレバ平生ノ舘屋ヲ捐義也、辭世ナンド曰、同心也、

〔和爾雅〕

〈三/身體〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0648 死(シヌル)〈○中略〉 易簀(エキサク/○○)〈禮記〉

〔碧山日錄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0648 寬正元年七月六日庚辰、春公之父常久、字昌運、〈○中略〉易其簀逝矣、

〔和爾雅〕

〈三/身體〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0648 死(シヌル)〈○中略〉 下世(ゲセイ/○○)〈死也、又云歸泉(○○)、逝世(○○)、〉

〔三外往生記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0648 大納言源雅俊卿〈○中略〉閉眼之日、以綵縷佛手、引而念佛、安然卽世(○○)、

〔吾妻鏡〕

〈三十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0648 曆仁二年〈○延應元年〉十月十一日丁未、左兵衞尉藤原長定、〈法名淨圓〉歸(○)黃泉(○○)、〈年四十三〉

〔日本釋名〕

〈下/虚字〉

死(ナヲル/○) 死をなをると云、なをは直(スク)也、死したる者は、其身すくみて、直になるゆへなり、

〔倭訓栞〕

〈中編十七/那〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0648 なほる〈○中略〉 齋宮忌詞に、死を云は、强直の義、すくはる意也、儀式帳には、なをり物と見えたり、

〔延喜式〕

〈五/齋宮〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0648 凡忌詞、〈○中略〉外七言、死稱奈保留

〔皇大神宮儀式帳〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0648 亦種々〈乃〉事忌定給〈支〉〈○中略〉死〈乎〉奈保利物(○○○○)〈止〉云、〈○中略〉如是一切物名忌道定給〈支〉、

〔沙石集〕

〈一下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0648 生類神明供不審事
サテ夜ルヨリアヒタリケルニ、先達ハヤガテ金(キン/○)ニ成ヌ、熊野ニハ死ヲバ金ニナルトイヘリ、

老死

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0649 保曆間記

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0649 賴朝〈○中略〉其後鎌倉へ入給テ、則病付給ケリ、次年ノ正月、正治元年正月十三日、終ニハ失給ヌ、五十三ニゾ成給フ、是ヲ老死ト云ベカラズ、偏ニ平家ノ怨靈也、多クノ人ヲ失給ヒシ故トゾ申ケル、

病死

〔日本書紀〕

〈二十九/天武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0649 五年六月、四位栗隈〈○隈原作限今改〉王得(○)病薨(○○)、物部雄君連忽發病而卒、

〔玉勝間〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0649 しぬるを病死(○○)といふ事
今の世、おほやけざたの文書などには、人の死ぬるを病死といふこと也、そも〳〵人は、病ならで死ぬるは、百千の中に、まれに一人二人などこそ有べけれ、おしなべては、みな病てしぬることなれば、それをとり分てはいはでも有ぬべくおぼゆるを、これむかしみだれ世のころは、戰ひて死ぬるものゝ多かりし故に、病死は病死と、分ていへりし時のならひのまゝなるべし、

頓死

〔伊呂波字類抄〕

〈止/疊字〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0649 頓死

〔運歩色葉集〕

〈登〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0649 頓死

〔文德實錄〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0649 齊衡元年十二月甲寅、是日木工頭正五位下石川朝臣長津頓死於寮中

〔今昔物語〕

〈三十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0649 藏人式部丞貞高於殿上俄死語第廿九
今昔、圓融院ノ天皇ノ御時ニ、内裏燒ニケレバ、院ニナム御ケル、而ル間殿上ノ夕サリノ大盤ニ、殿上人藏人數著テ物食ケル間ニ、式部丞ノ藏人藤原ノ貞高ト云ケル人モ著タリケルニ、其ノ貞高ガ俄ニ低シテ大盤ニ顏ヲ宛テ、喉ヲクツメカス樣ニ鳴シテ有ケレバ、極テ見苦カリケルヲ、〈○中略〉主殿司寄テ捜テ、早ウ死給ヒニタリ、

〔吾妻鏡〕

〈四十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0649 建長八年〈○康元元年〉正月十二日甲辰、卯時剋於相州贄殿、下部男一人寢死(○○)、可卅箇日穢云云、

横死

〔下學集〕

〈下/態藝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0649 横死(ワウシ)

〔吾妻鏡〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0650 文治五年九月七日甲子、重忠手自取敷皮、持來于由利之前之、正禮而誘云、〈○中略〉就中故左典厩〈○源義朝〉永曆有横死、〈○下略〉

變死

〔御定書百箇條〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0650 變死之者を内證ニ而葬候寺院御仕置之事〈○下略〉

〔三代實錄〕

〈五十/光孝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0650 仁和三年八月十七日戊午、今夜亥時、或人吿行人云、武德殿東緣松原西有美婦人三人東歩行、有男在松樹下、容色端麗、出來與一婦人携手相語、婦人精感、共依樹下、數剋之間、音語不聞、驚恠見之、其婦人手足折落在地、无其身首、右兵衞右衞門陣宿侍者、聞此語往見无其屍、所在之人、忽然消失、時人以爲、鬼物變形、行此屠殺(○○)

刎死

〔日本書紀〕

〈二十九/天武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0650 四年十一月癸卯、有人登宮東岳、妖言而自刎死之、當是夜直者悉賜爵一級

縊死

〔新撰字鏡〕

〈糸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0650 縊〈一至、於賜二反、絞也、經也、久比留(○○○)、〉

〔釋名〕

〈六/釋喪制〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0650繩曰縊、縊阨也、阨其頸也、

〔下學集〕

〈下/態藝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0650 縊(クヒル)〈縛頭也〉

〔倭訓栞〕

〈前編四十二/和〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0650 わなぎ 日本紀に自經、又絞をよめり、羂に懸る義なるべし、わたぎとも見えたり、

〔日本書紀〕

〈一/神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0650 一云、〈○中略〉時伊弉冊尊曰、愛也吾夫君、言如此者、吾當縊死(クビリコロサン)汝所治國民、日將千頭、〈○下略〉

〔日本書紀〕

〈十一/仁德〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0650 五十五年、蝦夷叛之、遣田道擊、則爲蝦夷敗、以死于伊寺水門、時有從者、取得田道之手纏其妻、乃抱手纏而縊死、時人聞之流涕矣、

〔日本書紀〕

〈十四/雄略〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0650 三年四月、阿閉臣國見、〈更名磯特牛〉譖栲幡皇女與湯人廬城連武彦曰、武彦汙皇女而使任身、〈○中略〉天皇聞遣使者、案問皇女、皇女對言、妾不識也、俄而皇女賷持神鏡、詣於五十鈴河上、伺人不一レ行、埋鏡經死(ワナキシヌ/○○)、

〔檢使心得帳〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0650 首縊(○○)見分 一自縊は首筋延び、經目くびれ込、鼻よだれをたらし、兩足〈江〉血下り太くなり、餘人の仕業には無之、〈○下略〉

燒死

〔日本書紀〕

〈六/垂仁〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0651 五年十月、發近縣卒、命上毛野君遠祖八綱田、令狹穗彦、時狹穗彦興師距之、忽積稻作城、其堅不破、此謂稻城也、踰月不降、〈○中略〉將軍八綱田放火焚其城、〈○中略〉時火興城崩軍衆悉走、狹穂彦與妹共死于城中

〔日本書紀〕

〈十四/雄略〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0651 三年〈○安康〉八月、坂合黑彦皇子深恐疑、竊語眉輪王、遂共得間而出逃入圓大臣宅、〈○中略〉天皇復益興兵圍大臣宅、〈○中略〉天皇不許、縱火燔宅、於是大臣與黑彦皇子眉輪王、倶被燔死(○○)、時坂合部連贄宿禰抱皇子屍而見燔死

〔太平記〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0651 千劒破城軍事
早リオノ兵其五六千人、橋ノ上ヲ渡リ、我先ニト前タリ、アハヤ此城〈○千劒破〉只今打落サレヌト見ヘタル處ニ、楠兼テ用意ヤシタリケン、投松明ノサキニ火ヲ付テ、橋ノ上ニ薪ヲ積ルガ如クニ投集テ、水彈ヲ以テ油ヲ瀧ノ流ルヽ樣ニ懸タル間、火橋桁ニ燃付テ、溪風炎ヲ吹布タリ、〈○中略〉橋桁中ヨリ燃折テ、谷庭ヘドウド落ケレバ、數千ノ兵同時ニ、猛火ノ中へ落重テ、一人モ不殘燒死ニケリ、

〔檢使心得帳〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0651 燒死見分
一死體を火中〈江〉入、燒死に紛申候而も、死體故燒ケあしく、いきかよふ者を火中〈江〉入候而は、ロ鼻目ゟ血しる出、くすぶり燒がたし、依之死無相違

水死

〔倭訓栞〕

〈中編二十五/美〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0651 みなげ(○○○) 水に投じて死するをいふ

〔日本書紀〕

〈十一/仁德〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0651 四十一年〈○應神〉二月、譽田天皇〈○應神〉崩、〈○中略〉大山守皇子〈○中略〉會明詣菟道河、時太子〈○菟道稚郎子〉服布袍檝櫓、密接度子、以載大山守皇子而濟、至于河中、誂度子船而傾、於是大山守皇子墮河而沒、更浮流之、〈○中略〉然伏兵多起不岸、遂沈而死焉、

〔日本書紀〕

〈二十五/孝德〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0652 大化二年三月甲申、詔曰、〈○中略〉復有百姓溺死(○○)於河、逢者乃謂之曰、何故於我使溺人、因留溺者友伴、强使祓除、由是兄雖死於河、其弟不救者衆、〈○中略〉如是等類、愚俗所染、今悉除斷勿使復爲

〔保元物語〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0652 北方身投給事
爲義入道ノ妻、〈○中略〉サラバ舟岡ヘトテ、桂河ヲ上リニ、北山ヲ差テ行程ニ、五條ガスヘノ程ニ、岸高ク水深ゲナル所ニテ、輿ヲ立サセ、石ニテ塔ヲクミ、入道ヨリ始四人ノ君達ノ爲ト廻向シテ、懷袂ニ石ヲ入、〈○中略〉岸ヨリ下へ身ヲ投テ、終無墓成給フ、乳母ノ女房是ヲ見テ、連テ河ヘゾ入ニケル、

〔平家物語〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0652 太宰府落の事
平家小舟共に取乘て、よもすがら豐前の國、やなぎがうらへぞわたられける、〈○中略〉神無月のころほひ、小松殿の三なん左中將淸經は、何事もふかう思ひ入給へる人にておはしけるが、ある月の夜、ふなばたに立出て、やうでう音鳥らうゑいして、あそばれけるが、都をば源氏のためにせめおとされ、ちんぜいをばこれよしがためにおひ出され、あみにかゝれる魚のごとし、いづちへゆかばのがるべきかは、存へはつべき身にもあらずとて、しづかに經よみ念佛して、海にぞしづみ給ひける、

〔源平盛衰記〕

〈四十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0652 中將入道入水事
三位入道三ノ山ノ參詣、事ユヘナク被遂ケレバ、濱宮ノ王子ノ御前ヨリ、一葉ノ舟ニ棹サシテ、萬里ノ波ニゾ浮給フ、遙カノ沖ニ小島アリ、金島トゾ申ケル、彼島ニ上リテ、松ノ木ヲ削ツヽ、自名籍ヲ書キ給ヒケリ、平家嫡々正統小松内大臣重盛公之子息、權亮三位中將維盛入道、讃岐屋島戰場ヲ出テ、三所權現之順禮ヲ遂、那智ノ浦ニテ入水シ畢、
元曆元年三月二十八日、生年二十七ト書給ヒ、奧ニ一首ヲ被遺ケリ、 生テハ終ニシヌテフ事ノミゾ定ナキ世ニ定アリケル、其後又島ヨリ船ニ移乘、遙ノ沖ニ漕出給ヌ、〈○中略〉念佛高ク唱給、光明遍照、十方世界、念佛衆生、攝取不捨ト誦シ給ヒツヽ、海ニゾ入給ニケル、與三兵衞入道、石童丸モ、同連テ入ニケリ、

〔吾妻鏡〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0653 元曆二年〈○文治元年〉三月廿四日丁未、於長門國赤間關壇浦源上、源平相逢、各隔三町向舟船、〈○中略〉及午剋、平氏終敗傾、二品禪尼持寶劒、按察局奉先帝、〈(安德)春秋八歲〉共以沒海底、建禮門院〈藤重御衣〉入水御之處、渡部黨源五馬允以熊手之、按察局同存命、但先帝終不浮御、若宮〈今上兄〉者御存命云云、前中納言〈敎盛號門脇〉入水、前參議〈經盛〉出戰場、至陸地出家、立還又沈波底、新三位中將〈資盛〉前少將有盛朝臣等同沒水、〈○下略〉

〔檢使心得帳〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0653 水死見分之事
一死體を水中〈江〉しづめば、水を不呑故、總身腫れ不申候、いきかよふものを、水中〈江〉しづめ候得者、總身はれ申候、

〔近世奇跡考〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0653 成瀨川土左衞門
享保九年午六月、深川八幡社地の、相撲の番附を見しに、成瀨川土左衞門〈奧州産〉前頭のはじめにあり、案るに、江戸の方言に、溺死の者を土左衞門と云は、成瀨川肥大の者ゆゑに、水死して渾身膨ふとりたるを、土左衞門の如しと、戯いひしが、つひに方言となりしと云、

壓死

〔日本書紀〕

〈三/神武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0653 戊午年八月乙未、天皇使兄猾及弟猾者、〈○中略〉兄猾獲罪〈○罪下原有兄字、據一本删、〉於天、事無辭、乃自蹈機而壓死(ヲソハレシヌ)、

〔續日本紀〕

〈十一/聖武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0653 天平六年四月戊戌、地大震、壞天下百姓廬舍、壓死者多、

〔續日本紀〕

〈十五/聖武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0653 天平十六年五月庚戌、肥後國〈○國下恐脱言字〉雷雨地震、〈○中略〉山崩二百八十餘所、壓死人四十餘人、並加賑恤

〔日本靈異記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0654 邪見折破乞食沙彌以現得惡死報緣第廿九
白髮部猪磨者備中國少田郡人也、〈○中略〉然後卽往他郷、道財遭風雨、暫間寄他倉下、覆而壓殺之、

〔三代實錄〕

五十/光孝

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0654 仁和三年八月廿日辛酉、自卯及酉大風雨、拔樹發屋、東西京中、居人廬舍、顚倒甚多、被壓殺者衆矣、

〔太平記〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0654 千劒破城軍事
彼手ノ兵五千餘人思切テ、討共射其用ズ、乘越乘越、城ノ逆木一重引破テ、切岸ノ下迄ゾ攻タリケル、〈○中略〉此時城ノ中ヨリ切岸ノ上ニ横へテ置タル大木十計切テ落シ懸タリケル間、將棊倒ヲスル如ク、寄手四五百人、壓ニ被討テ死ニケリ

震死

〔續日本紀〕

〈十/聖武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0654 天平二年六月壬午、雷雨神祇官屋災、往々人畜震死、

〔日本紀略〕

〈一/醍醐〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0654 延長八年六月廿六日戊午、諸卿侍殿上、各議請雨之事、午三刻、從愛宕山上黑雲起、急有陰澤、俄而雷聲大鳴、墮淸凉殿坤第一柱上、有霹靂神火、侍殿上之者、大納言正三位兼行民部卿藤原朝臣淸貫、衣燒胸裂夭亡、〈年六十四〉又從四位下行右中辨兼内藏頭平朝臣希世、顏燒而臥、又登紫宸殿者、右兵衞佐美努忠包、髮燒死亡、紀蔭連腹燔悶亂、安曇宗仁膝燒而臥、

落死

〔日本書紀〕

〈六/垂仁〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0654 十五年二月甲子、喚丹波五女於掖庭、〈○中略〉唯竹野媛者、因形姿醜、返於本土、則羞其見一レ返、到〈○到原脱、據類聚國史補、〉葛野、自墮輿而死之、

〔日本靈異記〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0654布施放生而現得善惡報緣第十六
聖武天皇御代、讃岐國香郡坂田里有一富人、夫妻同姓綾君也、〈○中略〉放生之人與使人倶入山拾薪、登于枯松、脱之落死、

〔徒然草〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0654 御隨身秦重躬、北面の下野入道信願を、落馬の相ある人なり、能々つゝしみ給へといひけるを、いとまことしからず思ひけるに、信願馬よりおちて死にゝけり、

餓死

〔下學集〕

〈下/態藝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0655 餓死(カシ)

〔續日本紀〕

〈五/元明〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0655 和銅五年正月乙酉詔曰、諸國役民還郷之日、食粮絶乏、多饉〈○饉恐殣誤〉道路、轉塡溝壑、其類不少、〈○下略〉

〔方丈記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0655 明る年〈○壽永元年〉は、たちなをるべきかと思ふ程に、あまさへえやみ打そひて、まさる樣に跡かたなし、世の人みな飢死ければ、日をへつゝ、きはまり行さま、少水の魚のたとへに叶へり、はてには笠うちき足ひきつゝみ、身よろしき姿したる者ども、ありくかと見れば、則たふれふしぬ、ついひぢのつら、路の頭に、飢死ぬる類ひはかずもしらず、

凍死

〔太平記〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0655 北國下向勢凍死事
同〈○延元元年十二月〉十一日ニ、義貞朝臣七千餘騎ニテ、鹽津海津ニ著給フ、七里半ノ山中ヲバ、越前ノ守護尾張守高經、大勢ニテ差塞タリト聞ヘシカバ、是ヨリ道ヲ替テ、木目峠ヲゾ越給ヒケル、北國ノ習ニ、十月ノ初ヨリ、高キ峯々ニ雪降テ、麓ノ時雨止時ナシ、今年ハ例ヨリモ陰寒早クシテ、風紛ニ降ル山路ノ雪、甲胄ニ酒ギ、鎧ノ袖ヲ翻シテ、面ヲ撲コト烈シカリケレバ、士卒寒谷ニ道ヲ失ヒ、暮山ニ宿無シテ、木ノ下岩ノ陰ニシヾマリフス、適火ヲ求得タル人ハ、弓矢ヲ折燒テ薪トシ、未友ヲ不離者ハ、互ニ抱付テ身ヲ暖ム、元ヨリ薄衣ナル人、飼事無リシ馬共、此ヤ彼ニ凍死(○○)テ、行人道ヲ不去敢

驚死

〔古事記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0655 爾速須佐之男命、〈○中略〉天照大御神、坐忌服屋、而令神御衣之時、穿其服屋之頂、逆剝天斑馬剝而所墮入時、天衣織女見驚而於梭衝陰上而死、〈訓陰上富登

〔日本書紀〕

〈五/崇神〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0655 十年、是後倭迹迹日百襲姫命爲大物主神之妻、〈○中略〉大神有耻、忽化人形、〈○中略〉仍踐大虚于御諸山、爰倭迹迹姫命仰見而悔之急居、〈急居此云莵岐于〉則箸揰陰而薨、

〔三代實錄〕

〈五十/光孝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0655 仁和三年八月六日丁未、停釋奠之禮、去月二十日、木工寮將領秦千本、撿校修造職院、 驚(○)恐地震、失神而死、供祭所司觸此穢也、

踠死

〔平家物語〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0656 入道せいきよの事
入道相國〈○平淸盛〉やまひつき給へる日よりして、ゆ水ものどへ入られず、身の内のあつき事は、火をたくがごとし、〈○中略〉あまりのたえがたさにや、ひえい山より、千手井の水をくみ下し、石の舟にたゝへ、それにおりてひえ給へば、水おびたゝしうわきあがつて、ほどなく湯にぞなりにける、〈○中略〉同じき〈○治承五年閏二月〉四日の日、かんぜつひやくぢして、つゐにあつち死〈○あつち死、長門本平家物語作あつさ死、源平盛衰記作周章死、〉にぞし給ひける、

〔太平記〕

〈二十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0656 楠正行最期事
大剛ノ者ニ睨マレテ、湯淺臆シテヤ有ケン、其日ヨリ病付テ身心惱亂シケルガ、仰ゲバ和田ガ忿タル顏天ニ見へ、俯ケバ新發意ガ睨メル眼地ニ見ヘテ、怨靈五體ヲ責シカバ、軍散ジテ七日ト申ニ、湯淺アガキ死ニゾ死ニケル、

慟哭而死

〔日本書紀〕

〈六/垂仁〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0656 九十九年七月戊午朔、天皇崩於纏向宮、 明年三月壬午、田道間守於是泣悲歟之曰、〈○中略〉今天皇旣崩不復命、臣雖生之亦何益矣、乃向天皇之陵、叫哭而自死之、群臣聞皆流涙也、

〔日本書紀〕

〈十五/淸寧〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0656 元年十月辛丑、葬大泊瀨天皇〈○雄略〉于丹比高鷲原陵、于時隼人晝夜哀號陵側、與食不喫、七日而死、有司造墓陵北禮葬之、

絶食而死

〔吾妻鏡〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0656 文治二年七月廿五日庚子、大夫尉〈伊勢守〉平盛國入道、去年被召下、被岡崎平四郎義實〈三浦介義明舍弟〉之處、日夜無言、常向法華經、而此間斷食、今日遂以歸泉、二品〈○源賴朝〉令聞之給、心中尤可耻之由被仰云云、〈○中略〉今年七十四云云、

〔近世畸人傳〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0656 小野寺秀和妻〈附秀和姉 秀和詠歌〉
赤穗義士小野寺十内秀和妻丹子は、灰方氏の女也、〈○中略〉秀和、同息秀富、〈幸右衞門といふ〉自盡を賜へる後、 おもひかねてや、數日食を断て身まかるといへり、

服藥而死

〔日本靈異記〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0657己高德賤形沙彌以現得惡死緣第一
親王〈○長屋〉自念无罪而被囚執、此決定死、爲他刑殺自死、卽其子孫令毒藥而絞死畢、後親王服藥而自害、

〔日本後紀〕

〈二十/嵯峨〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0657 弘仁元年九月己酉、藤原朝臣藥子自殺、藥子〈○中略〉知衆惡之歸一レ己、遂仰藥而死、

〔太平記〕

〈十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0657 金崎東宮幷將軍宮御隱事
尊氏卿直義朝臣大ニ怒テ、〈○中略〉此宮〈○恒良親王〉是程當家ヲ失ハント思召ケルヲ知ラデ、若只置奉ラバ、何樣不思議ノ御企モ有ヌト覺レバ、潛ニ鴆毒ヲ進テ失奉レト、粟飯原下總守氏光ニゾ下知セラレケル、〈○中略〉春宮御手ニ取セ給テ、抑尊氏直義等、其程ニ情ナキ所存ヲ插ム者ナラバ、縱此藥ヲノマズ共、遁ベキ命カハ、〈○中略〉命ヲ鴆毒ノ爲ニ縮テ、後生善處ノ望ヲ達ンニハシカジト仰ラレテ、毎日法華經一部アソバサレ、念佛唱サセ給テ、此鴆毒ヲゾ聞召ケル、將軍ノ宮〈○成良親王〉是ヲ御覽ジテ、誰トテモ懸ル憂キ世ニ、心ヲ留ベキニアラズ、同ハ後生マデモ、御供申サンコソ本意ナレトテ、諸共ニ此毒藥ヲ七日マデゾ聞召ケル、軈春宮ハ其翌日ヨリ御心地例ニ違ハセ給ケルガ、御終焉ノ儀閑ニシテ、四月〈○延元三年〉十三日ノ暮程ニ、忽ニ隱サセ給ケリ、將軍宮ハ廿日餘マデ御座アリケルガ、黃疸ト云御イタハリ出來テ、御遍身黃ニ成セ給テ、是モ終ニ墓ナクナラセ給ニケリ、

醉茸而死

〔小右記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0657 寬弘二年四月八日乙酉、於陣左府〈○藤原道長〉被談云、興福寺雅敬、日來在讀經、而昨食茸、今日醉死、弟子一人同食死者、〈○又見今昔物語二十八

相對死

〔倭訓栞〕

〈後編八/志〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0657 しんぢう(○○○○) 男女死を共にするをいふ、心中と書れど、實は不心中也、明には幷命といふとぞ、

〔類聚名物考〕

〈人事九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0657 雙斃 〈心中〉しんぢう 相對死(○○○) 男女互の心中を見せんとて共に死るを、俗に心中といふ、官所の辭には相對死といひ、西土にては雙斃といふなり、

〔德川禁令考〕

〈後聚二十二/行刑條例〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0658 男女申合相果候者之事
一不義(享保七年極)にて相對死いたし候もの 死體取捨爲弔申間敷候
但一方存命に候はゞ下手人

犬死

〔書言字考節用集〕

〈八/言辭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0658 犬死(イヌジニ/○○)〈本朝俗者似而非正者、通呼稱犬、〉

〔倭訓栞〕

〈中編二/伊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0658 いぬじに 死して功なきをいふ、與螻蟻何異などいふが如し、

〔明德記〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0658 山名陸奧守、子息宮田左馬助、次郎七郎ニ向テ宣ケルハ、〈○中略〉サレバコソ御分達ハ日本一ノ不覺仁共ニテ有ゾヨト、只叶ハヌ所ヲ見テハ打死シ、遁ルベキ所ヲ知テハ命ヲ全シテ、後日ニ本意ヲ達スルヲコソ、仁儀ノ勇士トハ申セ、是非ヲモ辨ヘズ、遁ルベキ所ニテ犬死ヲシテ、敵ニ利ヲ付ル事ハ、加樣ノ時ノ爲ゾカシ、未練ナル者共哉、ツレテ引ト叱ラレテ、兄弟ハ猪熊ヲ南へ落テ行、

〔明良洪範〕

〈二十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0658 采女〈○藤堂〉又曰、各無益ノ爭論ヨリ命ヲ捨テラルヽハ、誠ニ犬死トヤ云ン、サラバ忠孝ノ道ニ立返リテ、雙方一和シ、向後忠義ヲ立テラレントナラバ、只今和談アルベシ、〈○下略〉

虚死

〔今昔物語〕

〈二十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0658 袴垂於關山虚死殺人語第十九
今昔、袴垂ト云フ盜人有ケリ、〈○中略〉大赦ニ被掃テ出ニケルガ、可立寄キ所モ无ク、可爲キ方モ不思ザリケレバ、關山ニ行テ一露身ニ縣タル物モ无ク、裸ニテ虚死ヲシテ、路傍ニ臥セリケレバ、〈○下略〉

知死期

〔日本書紀〕

〈二十二/推古〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0658 二十九年二月、是月葬上宮太子於磯長陵、當是時高麗僧惠慈聞上宮皇太子薨、以大悲之、爲皇太子僧而設齋、仍親説經之日誓願曰、〈○中略〉今太子旣薨之、我雖國心在斷金、某獨生之有何益矣、我以來年二月五日必死、因以遇上宮太子於淨土、以共化衆生、於是惠慈當于期日而死 之、是以時人之彼此共言、其獨非上宮太子之聖、惠慈亦聖也、

〔續日本後紀〕

〈十三/仁明〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0659 承和十年正月庚寅朔、〈○朔原脱、據類聚國史補、〉散位從四位上伴宿禰友足卒、〈○中略〉友足年六十六卒、自知屬纊之期、沐浴束帶、無病而終、有識異之、

〔今昔物語〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0659 下野國僧依地藏助死期語第卅
今昔下野國ニ藥師寺ト云フ寺有リ、公ケ其寺ニ戒壇ヲ始メ被置テ、止事无キ寺也、而ルニ其寺ニ一人ノ堂童子ノ僧有リ、名ヲバ藏緣ト云ケリ、其僧年來地藏https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001b235.gif ニ仕テ、日夜寤寐ニ念ジ奉テ、更ニ他ノ勤メ无カリケリ、而ル間藏緣年卅ニ滿ツ程ヨリ、自然ラ漸ク家豐カニ成テ、緣ニ値テ子ヲ儲テ繁昌也、其時ニ親キ族ヲ催テ、各力ヲ合テ一ノ堂ヲ造テ、佛師ヲ請ジテ、等身ノ地藏https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001b235.gif 一體造リ奉テ、其ノ堂ニ安置シテ、常ニ香花燈明ヲ奉テ、日夜ニ不怠ズ、亦毎月廿四日ニ、大ニ僧供ヲ儲テ、諸ノ僧ヲ集テ此ク施シテ佛事ヲ營ケリ、其夜地藏講ヲ行フ、近隣ノ道俗皆來リ集テ聽聞シテ、終夜禮拜シケリ、然ル間藏緣ハ常ノ言ニ人ニ向テ語テ云ク、我レ必ズ月二十四日ヲ以テ、可極樂往生スト、此ヲ聞ク人、或ハ讃メ貴ブモ有リ、或ハ謗リ咲テ嘲哢スルモ有リ、而ル間藏緣齡漸ク傾テ九十ニ滿ヌ、然レドモ顏色盛ナル人ノ如クシテ、行歩不衰ズ力堪タリ、然レバ懃ニ禮拜苦行シテ、退スル事无シ、此ヲ見聞ク人奇異也ト思フ、而ルニ延喜二年ト云フ年ノ八月廿四日ニ、藏緣多ノ饗膳ヲ儲調へテ、知レル所ノ遠近ノ男女ヲ請ジテ集メテ、飮酒ヲ令食テ、自ラ吿テ云ク、藏緣汝達ニ對面セム事、只今日計也ト、集來レル人々、皆此ヲ聞テ、或ハ常言ト思テ散ヌ、或ハ此ノ言ヲ怪テ、涙ヲ流シテ有リ、然レドモ皆家々ニ返ヌ、其後藏緣彼地藏堂ニ入テ、旣ニ死ニケリ、人此レヲ不知ズ、明ル朝ニ人有テ、堂ノ戸ヲ開テ見ルニ、佛ノ御前ニ、藏緣掌ヲ合セテ額ニ當テ、居乍ラ死テ有リ、是ヲ見テ驚テ諸ノ人ニ吿グ、人皆來テ此レヲ見テ、涙ヲ流シテ悲ビ、不貴ト云フ事无シ、誠ニ言ニ不違ズ、八月廿四日ニ、佛ノ御前ニシテ端座シテ死タレバ、疑无キ往生也トナム、人云ヒケル、此レ偏 ニ地藏https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001b235.gif ヲ、年來念ジ奉ル力也トナム、語り傳ヘタルトヤ、

〔吾妻鏡〕

〈十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0660 承元二年九月三日庚子、熊谷小次郎直家上洛、是父入道〈○熊谷直實〉來十四日於東山麓、可執終之由示下之間、爲訪之云云、進發之後、此事披露于御所中、珍事之由、有其沙汰、而廣元朝臣云、兼知死期權化者、雖疑、彼入道遁世塵之後、欣求淨土、所願堅固、積念佛修行薫修、仰而可信歟云云、十月廿一日丁亥、東平太重胤〈號東所〉遂先途京都歸參、卽被御所、申洛中事等、先熊谷二郎直實入道、以九月十四日未剋、可終焉之期由、相觸之間、至當日結緣道俗、圍繞彼東山草庵、時剋著衣袈裟禮盤、端座合掌唱高聲念佛執終、兼聊無病氣云云、

〔古今著聞集〕

〈十三/哀傷〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0660 從二位家隆卿はわかくより後世のつとめなかりけるが、嘉禎二年十二月廿三日、病におかされて出家、〈○中略〉四月〈○安貞元年〉八日、宿執や催されけん、七首の和歌を詠ぜられける、〈○歌略〉かくて九日、かねて其期を知て、酉刻に端居合掌して終られにけり、本尊をも安置せざりけり、
只今生身の佛來迎し給はずんば、本尊よしなしとぞいはれけり、

〔續近世叢語〕

〈七/術解〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0660 川谷貞六一日仰見天象、俄會族人日、後日曉、自公召余問天學、事畢、余出城、必死干某所矣、請各來待于此、乃命酒爲訣、至期、天未明、侯召貞六、貞六卯牌入見、未牌半刻罷、乘轎出城可十町、卽死、皆如其言
〈川谷貞六、仕土佐侯、精研天文之學、旁攻吾邦神道云、〉

臨終

〔下學集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0660 臨終(リンジユウ/○○)

〔倭訓栞〕

〈中編二十八/利〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0660 りんじゆう 臨終の音なり

〔倭訓栞〕

〈中編二/伊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0660 いまはのとき(○○○○○○) 死せんとする時をいへり、いまはのきはとも見えたり、

〔源氏物語〕

〈一/桐壼〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0660 故大納言いまはとなる(○○○○○○)まで、たゞ此人の宮づかへのほい、かならずとげさせたてまつれ〈○中略〉など、返々いさめをかれ侍しかば、〈○下略〉

〔源氏物語〕

〈四/夕顔〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0661 いときなきよりなづさひしものゝ、いまはのきざみ(○○○○○○○)に、つらしとや思はんと思給へてまかりしに、〈○下略〉

〔言成卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0661 天保十四年五月九日、祖母藤向殿違例之處、午一點及危篤、〈血死期也(○○○○)〉動哭了、

〔倭訓栞〕

〈中編十四/知〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0661 ちしご 知死期なり、後漢謝夷吾傳に見えたり、産家などに知死期時などいふは、忌はしき事なり、

〔類聚名物考〕

〈凶事一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0661 死期
あらかじめいつの何時には死せんとすと、わきまへしるをいふなりとぞ、是を知死期などいへり、

〔類聚名物考〕

〈凶事一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0661 斷抹磨(○○○) だんまつま 斷末磨
死期の若痛の甚しきをいふに、斷抹磨のくるしみと云ふ、智度論には、刀風解形、死苦來逼といひ、道綽禪師は、刀風一至、百苦襲身ともいへり、刀風は劒の如き風の來りて、身を切くだくをいへり、皮の切るゝを斷と云ふ、肉の裂るを抹といひ、骨の摺碎るを磨といふなり、百千の戈劒にて身を裁裂が如きにたとへたり、一説に斷抹磨は梵語なりといへども未考出

〔下學集〕

〈下/態藝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0661 獲麟(クワクリン/○○)〈呼一切事終獲麟、亦呼人之臨終獲麟、左傳仲尼絶筆於獲麟一句、〉

〔塵袋〕

〈十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0661 一人ノシナントスルヲ、獲麟ト云フハ何事ゾ、
麟ト云フハ麒麟ナリ、〈○中略〉春秋ハ孔子ノシルシタマヘルフミナリ、コノ麟ヲエタルマデノコトヲシルシテ、ホドナクウセ給ヒニケリ、孔子御年七十一ニテ、杜預絶筆於獲麟之一句ト云ヘルハコレナリ、コレヨリ最後ニノゾムヲバ獲麟ト云フナリ、獲ハエタリト云フナリ、

〔下學集〕

〈下/態藝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0661 屬纊(ソククワウ/○○)〈人臨死時、以綿纊鼻穴、知息之絶不一レ絶、故呼臨終屬纊是也、〉

〔壒囊抄〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0661 同事〈○天子崩御〉ヲ晏駕ト云ハ如何事ゾ〈○中略〉 獲麟ノ義ヲ屬纊ト云、喩ヘバ人ノ臨終ノ時、以綿纊鼻穴、知息之終不終、故ニ爾曰也、

〔日本靈異記〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0662烏邪淫世修善緣第二
愛男子得病臨命終時、而白母言、飮母乳者應我命、母隨子言、乳令病子、子飮而歎之言、噫乎捨母甜乳而我死哉、卽命終焉、

〔大鏡〕

〈六/内大臣道隆〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0662 この殿〈○藤原道隆〉の御上戸はよくおはしましける、その御心のなををはりまでもわすれ給はざりけるにや、御病付てうせ給ひける時、西にかきむけたてまつりて、念佛申させ給へと、人々のすゝめたてまつりければ、濟時朝光〈○二人並酒友〉などもや、極樂にはあらんずらんと、仰けるこそあはれなれ、常に御心にならひおぼしたる事なれば、あの地獄のかなへのふたにかしらうちあてゝ、三寶の御名おもひ出けん、人のやうなる事なりや、

〔古今著聞集〕

〈十五/宿執〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0662 六はらの別當長慶は、院禪がびはのでし也、最後の時、時元とぶらひに來りたりけるに、かきをこされて、倍臚の唱歌、今一度し給へ、承らんといひければ、時元いふがごとくにしければ、ほろ〳〵となきて聞けり、入滅の時も秋風樂を聞て、三帖喚頭に至程に、遷化しにけり、

〔吾妻鏡〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0662 建久三年三月十六日戊子、未剋京都飛脚參著、去十三日寅剋、太上法皇〈○後白河〉於六條殿、崩御、御不豫大腹水云云、召大原本城房上人御善知識、高聲御念佛七十反、御手結印契、臨終正念、乍居如睡遷化云云、

〔明月記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0662 正治二年正月廿八日、兼時妻依所勞獲鱗、行山里云々、

〔吾妻鏡〕

〈二十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0662 建保五年十一月十日甲申、陸奧守〈○大江廣元〉依獲麟、爲存命出家、〈法名覺阿〉將軍〈○源實朝〉令左衞門尉朝光訪一レ之給、

〔明月記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0662 寬喜二年三月廿二日甲寅、祭主能隆依病獲麟、獻辭書云々、其子隆通〈當腹末子、造宮司正上四位、〉隆雅〈二男現存之長男〉競望其替、隆繼申、所勞已獲麟、以辭退其隱、重服者事居其職乎、暫不任者、卽可修命、 其後可拜任云々、〈頗有理歟〉

〔徒然草〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0663 人の終焉のありさまの、いみじかりし事など、人のかたゐを聞に、たゞしづかにしてみだれずといはゞ、心にくかるべきを、おろかなる人は、あやしくことなる相をかたりつけ、いひし、ことばもふるまひも、をのれがこのむかたにほめなすこそ、其人の日ごろの本意にもあらずやとおぼゆれ、此大事は權化の人もさだむべからず、博學の士もはかるべからず、をのれたがふ所なくば、人の見聞にはよるべからず、

〔閑際筆記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0663 人家僧尼ヲ父母屬纊ノ際ニ招致者、豈慮ナカルベケンヤ、頃者内藤某熱病ヲ以死ス、譫語妄見アリ、一二ノ苾蒭〈僧也〉易簀ニ近侍ス、出テ曰、痛哉内藤氏ノ臨終ヤ、其言所皆罪狀ニシテ、見所者皆惡鬼ナリト、聞者悉ク以爲、渠ニ隱惡アリト、余〈○藤井臧〉内藤ト相識タリ、其爲人、正直ニシテ能敬信アリ、生涯六十年、未一惡名ヲ聞ズ、沒後此貶議ニ罹、慨ザルベケン哉、夫人ノ疾、革ナル間躁靜言默ノ異ナカラズ、靜ニシテ默スル者必善人ナラズ、躁シテ言者必惡人ナラズ、只是病勢ノ然シムルトコロナリ、僧侶ノ言贛ナル哉、

遺言

〔伊呂波字類抄〕

〈由/疊字〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0663 遺言

〔下學集〕

〈下/態藝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0663 遺言(ユイゴン)

〔書言字考節用集〕

〈八/言辭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0663 遺言(イゲン)

〔同〕

〈九/言辭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0663 遺言(ユイゴン)

〔源氏物語〕

〈一/桐壺〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0663 たゞかのゆいごむをたがへじとばかりに、いだしたて侍しを、〈○下略〉
○按ズルニ、遣言ニハ、口頭ヲ以テスルアリ、書狀ヲ以テスルアリ、而シテ遺言ニテ臣子ヲ訓誨 スル事ハ、訓誡篇ニ、葬送ニ關スル事ハ、禮式部葬禮篇ニ、遺産ニ關スル事ハ、政治部上編及ビ下 編ノ相續篇等ニ載セタレバ、參照スベシ、

辭世

〔書言字考節用集〕

〈九/言辭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0663 辭世頌(ジセイノジユ)〈臨終之作〉

〔古今和歌集〕

〈十六/哀傷〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0664 やまひしてよはく成にける時よめる なりひらの朝臣
つゐに行道とはかねてきゝしかど昨日けふとは思はざりしを〈○又見伊勢物語

〔大和物語〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0664 この在次君、〈○中略〉かく人のくにゝありき〳〵て、かひのくにゝいたりてすみけるほどに、やまひしてしぬとてよみたりける、
かりそめの行かひぢとぞ思ひしを今はかぎりのかどでなりけり、となんよみてしにけり、

〔吾妻鏡〕

〈五十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0664 弘長三年十一月廿二日己亥、戌刻入道正五位下行相模守平朝臣時賴、〈御法名道崇、御年三十七、〉於最明寺北亭卒去、御臨終之儀、著衣袈裟繩床、令座禪給、聊無動搖之氣、頌云、
業鏡高懸、三十七年、一槌打碎、大道坦然、
弘長三年十一月廿二日道崇珍重云云

〔太平記〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0664 長崎新左衞門尉意見事附阿新殿事
五月〈○元弘元年〉二十九日暮程ニ、資朝卿〈○中略〉少モ臆シタル氣色モナク、敷皮ノ上ニ居直テ、辭世ノ頌ヲ書給フ、
五蘊假成形 四大今歸空 將首當白刃 截斷一陣風
年號年月ノ下ニ、名字ヲ書付テ、筆ヲ閣キ給ヘバ、切手後へ回ルトゾ見ヘシ、御首ハ敷皮ノ上ニ落テ、質ハ尚坐セルガ如シ、

〔桃源遺事〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0664 同〈○元祿三年〉十一月廿九日、水戸へ御下り被成候とて、江戸を御發駕〈○德川光圀〉あそばされ候朝、
我今年致仕歸故郷、仲冬二十九日、夙發江戸之邸、臨別賦詩、遺男九成、文不點、信口漫道、一笑胡 盧、元祿庚午冬、遁跡東海濱、致仕解印綬、縱作葛天民、盤旋廣莫野、一洗榮辱塵、昔涎首陽薇、今羮呉江蓴、三十有年來、夙志忽欲伸、予去又何處、不再會辰、鳴呼汝欽哉、治國必依仁、禍始閨門、愼勿 五倫、朋友盡禮儀、旦暮慮忠純、古謂君雖以不一レ君、臣不臣、
右の御詩を綱條公へ御殘し置せ給ひて、そのまゝ御發駕あそばし、〈○中略〉
一西山公御隱居後、常々御はなしあそばされ候は、世の人末期に辭世と申候て、詩歌など致候、去 ながら病氣の品により、さやうの事ならざるもあるべく候、我は隱居して江戸を立候あした、 中將に殘し置候詩〈御詩出前〉が辭世なりと仰られ候、此故に御病中に御辭世あそばされざるものと、人みな申あへり、

〔泊洦筆話〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0665 一縣居翁の門人に平田保〈通稱服部安五郎〉といふ人ありけり、〈○中略〉此人常にいひしは、近來のひとの辭世の歌といふものを見きくに、みな禪家のさとりにて、心には何にさとれる事なき輩も、辭世の詩歌とだにいへば、みな口ぎよきことのみなり、いかでこの世を別るゝきはに至りて、さる人ばかりはあらむ、常に題をまうけてよみ出だすうたこそ、まれ〳〵には心にもあらぬ言をつみいでめ、それさへいかにぞやおぼゆるを、まして命をはらむきはに臨みて、心にもあらぬこといひ出づるは、なかなかになまさとりなる心あさゝの見ゆるぞかし、在五中將の、きのふけふとはおもはざりしを、など讀まれたるこそ、まことにさることなれなど、人に向ひては、常にかたりけるが、かねてや思ひまうけけむ、又は其をりにのぞみてや心にうかびけむ、病いとあつしうなりて、
我はもよをはりなるべしいざ兒どもちかくよりませよく見て死なむ、とよみて、身まかりにけり、世のすねものなりけむことおもひやるべし、

死雜載

〔大鏡〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0665 大かた延喜帝、〈○中略〉さてわれいかでか、ふづきながつきに、〈○に原作と據一本改〉しに(○○)せじ、すまひのせち、九日のせちの留らんが、くちおしきにとおほせられけれど、九月にうせさせ給ひて、九日のせちは、それようとまりたる也、

〔古今著聞集〕

〈十三/哀傷〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0666 西行法師當時より釋迦如來御入滅の日、終をとらんことをねがひて、よみ侍ける、
ねがはくははなのもとにて春しなんその二月のもち月のころ、かくよみてつゐに、建久九年二月十五日に往生をとげてけり、

〔徒然草〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0666 四季はなをさだまれるついであり、死期はついでをまたず、死は前よりしもきたらず、かねてうしろにせまれり、人皆死あることをしりて、まつことしかも急ならざるに、おぼえずして來り、沖のひかたはるかなれども、礒より鹽のみつるがごとし、〈○中略〉
人あまた有ける中にて、あるもの、ますほのすゝき、まそほのすゝきなどいふ事あり、わたのべの聖、此ことをつたへしりたりとかたりけるを、登蓮法師、其座に侍りけるがきゝて、雨のふりけるに、みのかさやある、かし給へ、彼薄のことならひに、わたのべのひじりのがり、尋まからんといひけるを、あまりに物さはがし雨やみてこそと、人のいひければ、無下の事をも仰らるゝ物かな人の命は、雨のはれまをも、まつものかは、我もしに、ひじりもうせなば、たづねきゝてんやとて、はしり出て、ゆきつゝ、ならひ侍りにけりと、申傳たるこそ、ゆゝしく有がたうおぼゆれ、

〔倭訓栞〕

〈中編十/志〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0666 しにみづ(○○○○) 死水の義也、善見律有部律等に、飮苣藤水而待死と見えたり、

壽命

〔運歩色葉集〕

〈志〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0666 壽命

〔倭訓栞〕

〈前編九/古〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0666 ことぶき 壽をよめり、言祝(ホキ)の義也、〈○中略〉祝壽の義なれば、壽命にしかよむは謬也、

〔古事談〕

〈二/臣節〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0666 知足院殿〈○藤原忠實〉令鳥羽院給云、思食御壽命(○○)事者、毎月朔日可御精進、是一條左大臣〈○源雅信〉説也云々、後日或人此事相叶本説歟、朔日奏吉事凶事由、見太政官式、加之殷周之禮、祭神之法、以月朔最云云、

〔徒然草〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0666 あだし野の露きゆる時なく、鳥部山のけふり立さらでのみ、住はつるならひならば、い かに物のあはれもなからん、世は定なきこそいみじけれ、命ある物を見るに、人ばかりひさしきはなし、かげろふの夕をまち、夏の蟬の春秋をしらぬもあるぞかし、つく〴〵と一年をくらす程だにも、こよなうのどけしや、あかずおしと思はゞ、千とせを過すとも、一夜の夢のこゝちこそせめ、すみはてぬ世に、見にくき姿を、まちえて何かはせん、命ながければ辱おほし、ながくとも、四十にたらぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ、其ほどすぎぬれば、形をはづる心もなく、人にいでまじらはんことを思ひ、夕の日に子孫を愛して、さかゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世をむさぼる心のみふかく、物のあはれもしらずなり行なんあさましき、

〔明良洪範續篇〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0667 石田三成生捕ト成テ京都ニ於テ誅セラレシ時、其途中ニテ湯ヲ乞シニ、折節其邊ニ無リシカバ、警固セシモノ、湯ハ只今求メ難シ、咽乾カバ爰ニアマ干ノ柿ヲ持合セタレバ、此ヲ喰レヨト云、三成聞テ、夫ハ痰ノ毒ナリ、食スマジト云ニ、聞ク人大ニ笑ヒテ、只今首ヲハネラルル人ノ、毒忌スルコソオカシケレト云シヲ、三成聞テ、汝等如キ者ノ心ニハ尤也、大義ヲ思フ者ハ、假令首ヲ刎ラルヽ期迄モ、命ヲ大切ニシテ、何卒本意ヲ達セント思フ故成シ由申シキ、

定命

〔運歩色葉集〕

〈地〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0667 定命(メイ)

〔日本書紀〕

〈十一/仁德〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0667 四十一年二月、譽田天皇〈○應神〉崩、時太子菟道稚郎子讓位于大鷦鷯尊〈○仁德〉未帝位、〈○中略〉爰皇位空之、旣經三載、〈○中略〉大鷦鷯尊聞太子薨、以驚之從難波馳之、到菟道宮、〈○中略〉太子啓兄王曰、天命(イノチノカギリ/○○)也誰留焉、〈○下略〉

〔日本後紀〕

〈十三/桓武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0667 延曆二十四年八月己未、常陸守從四位下紀朝臣直人卒、〈○中略〉爲人温潤、〈○中略〉終以天(○)命卒(○)、時(○)五十九、

〔台記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0667 康治三年〈○天養元年〉三月十七日戊辰、大夫史政重宿禰卒、行年五十有二、忠直兼備、天命不長(○○○○)、伯夷以仁飢之類是也、識者以爲、近者大變頻見、政重夭亡之兆矣、政重卽世、官中可衰凌之故也、

〔名物六帖〕

〈人事四/生老禍福〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0668 失歸(イキトヲシ)〈五雜俎、人壽不百歲、數之終也、故過百二十死謂之失歸之妖、〉

〔塵袋〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0668 一百二十年ノ壽命ナド祝言ニモイフハサルベキユヘアルカ如何
釋迦如來ノ出世ハ、人壽百歲ノ少出多減ノトキ也、百歲ナルモノハスクナク、百ニ不滿ノモノハオホシ、況ヤ今ノ世ニハ勿論歟、但養生經、人生一百二十年(○○○○○○○)、中壽百年(○○○○)、下壽八十年(○○○○○)而竟、不然者皆夭耳、又同經ニ老子曰、人生大期以百二十年限、節度護之、可千歲ト云ヘリ、此等ノ心ニテ云フ歟、莊子曰、盜跖謂孔子曰、人上壽百歲(○○○○)、中壽八十云々、

〔御文章〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0668 夫人間ノ壽命ヲカゾフレバ、イマノトキノ定命(○○)ハ五十六歲(○○○○)ナリ、シカルニ當時ニヲヒテ、年五十六マデイキノビタラン人ハ、マコトニモテ、イカメシキコトナルべシ、

〔甲陽軍鑑〕

〈二/品第八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0668 信玄公間召、〈○中略〉人間六十二年(○○○○○○)の、身をたもちかね、さまをかへ、色をかへ、心をぬくは盜人也、〈○下略〉

〔總見記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0668 鳴海桶狹聞合戰事附義元討死事
鷲津ノ城ヨリ注進アリ、敵只今鷲津丸根兩城へ人數ヲ取掛候ト、追々申來ル、信長少モ騷ギ不給、敦盛ノ舞ノ、人間五十年(○○○○○)、外典ノ内ヲクラブレバ、夢幻ノ如クナリ、一度生ヲ受ケ、滅セヌ者ノ有ベキ歟ト云所ヲ、繰返シ舞セ給フテ、〈○下略〉

長命

〔類聚名義抄〕

〈十/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0668 夀壽〈俗今、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00814.gif 字、イノチ、イノチナカシ(○○○○○○)、コトフキ、〉

〔倭訓栞〕

〈中編十七/那〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0668 ながいき(○○○○) 長生也、長壽をいふ、或は頤を譯す、

〔雲萍雜志〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0668 夢窻國師の書たるものに、人は長生せんとおもはゞ嘘をいふべからず、嘘は心をつかひて少しのことにも心氣を勞せり、人は心氣だに勞せざれば、命長きことうたがふべからずとあり、鐵枵仙人の賛に、仙人は不養生せず、腹立ず、物ほしがらず、それでなが生とあり、

〔明良洪範〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0668 或人ノ曰、昔ノ人ハ生來强クシテ長命也、今ノ人ハ生來弱クシテ短命也ト云、石谷土 入傍ニ在テ申ルヽ、イヤ左樣ニハ有ルベカラズ、昔モ弱キ人ハ先キへ死シ、强キ人ハ殘レリ、今モ弱キ人ハ先キへ死シ、强キ人殘ルベシ、サレバ後世ノ人ハ、又今ノ人ヲ昔ノ人トシテ、强クシテ長命也トイハン、人生ニ於テ何ゾ今昔ノ變り有ンヤ、旣ニ聖人モ七十古來稀レ也ト云給ヘリ、人命ノ長短ハ、古今同ジカルベシトイヘリ、

〔閑際筆記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0669 大僧正天海、年百四十、乃言恬淡緩慢、コレ吾延壽ノ法ナリト、余〈○藤井臧〉不之、壽夭是命ナリ、恬淡無欲ナルハ、人ト艸木ト孰カ異、艸木壽歲ヲ不踰アリ、人百歲ニ至テモ且世ニ處ヲ見、緩緩慢々地過來テ、夭ナルアリ、急々遽々裏々過去テ壽アリ、或ハ日々ニ意ヲ用テ、老年ニ猶健ニ、或ハ心中ニ事寡シテ、少壯ヨリモ病ノ多シテ怯弱ナルアリ、皆此命ナリ、

〔麈塚談〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0669 江戸住居の者に、遠國出生のものと、江戸出生の者と夫妻になれる者あり、江戸の者は先に死し、遠國のものは後に死る多しといへり、さもあらんか、江戸出生は嬰兒より厚味を喰ふが故に、腸胃も虚弱にして元氣充實ならざれば、短壽にして長くたもちがたしと思はるなり、

〔西遊記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0669 壽夭
予〈○橘南谿〉諸國をめぐり試るに、山中の人は長命なり、海邊の人は短命なり、京都の人は癰疔の如き腫物類は甚稀なり、長崎には甚多くして、京都の三增倍五增倍ともいふべし、其由來を考ふるに、食物の事にあり、山中の人は魚肉なければ、常に芋大根の類のみを食す、もし年始節句其外祝ひ日といへども、富る者も纔に鹽肴乾物には不過、其上に高山深谷に登り下りて耕作に身を勞し、纔に麥飯に饑をしのぐ、麁食にして身を動く故に長命にて無病なり、海邊の人は魚肉に飽滿て、飯のかはりにも、魚を食し、船の出入有りて諸國の運漕よろしければ、飯は其米自由なるゆへに、貧しき者もついに麥飯などは食せず、其上に山坂の働の苦勞は無く、船にて往來やすらかにして、魚鹽の利ゆたかなれば、自然と身も安くして美しよくにくらす故、病身にして短命なり、猶又 山中は人の往來不自由にして、淋敷質朴なれば、賣女遊里も無く、濕毒傳染の憂もなし、海邊は何方にても、諸國の通路よければ、賑に華麗にて、遊女あらざる所もなく、人ことに濕毒をうつり、且又鹽風に濕氣を受て内外より病を作り養ひ、心氣を勞し腎をつからし、いかなる壯實の生れ付といへども、短命病身ならざる事あたはず、是山中と海邊の壽夭の違ひの根本なり、〈○下略〉

〔閑田耕筆〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0670 壽夭の天命いかにともすべからねども、あるひは善により不善によりて、延促あるべきことも、またたがはぬことなるべし、袁了凡の陰隲錄にも、此旨をねもごろに示さる、こゝに一話有、畑鶴山一とせ津國郡山の近邑宿庄といふにあそびて、その豪農某にあひたるに、其面左方へゆがみて、又あるまじき象なりしに、其人もあやしく思はんと心得てや、吾面につきて物がたり有とて語りしは、おのれ十二三年の年父京へつれ行て、時に名ある相人郭塞翁に見せしめたり、其時は人なみ〳〵の面也き、塞翁見て此兒の壽十九歲に限るべしといふ、父大に歎きて遁るべき法もあらんやととふ、翁しひておこなはゞなきにもあらじなれど、得行はじとこたふ、父たとひ家を傾るほどの金錢を參らすもいとはじ、唯此延壽の法を敎へ給はれと乞しに、翁勃然として吾は金錢を貪るものとやおもふ、さるこゝろにては、いよ〳〵敎ふとも行はじとて、ふたたびものいはず、父旅宿に歸りても、唯此ことをのみうれへて、さきの失言を謝し、再三翁に乞たれば、翁さらば敎へん、他のことにあらず、きく所そこの家村中にゐて他の嗜好なく、富ていとまあるまゝに、漁獵をもてあそびとす、是夭死の所以也、若以後かたく殺生を愼まば、あるひは壽限を延べし、此外に術なしといへり、是よりふつに殺生を止めしが、おのれ十七といふ年、父は身まかりぬ、我先立て汝が死をみざることのうれしきとなん申き、さて十九になりたる年、一夜頭割がごとく痛みて苦しきこといふ計なし、時に彼塞翁が言を思ひ出て、今夜身まかるべしと決せしが、夜の明行に隨ひ漸々に痛かろみて、朝になりて止みしかば、閨を出しに、家の内の者どもか ほを見てあやしみ笑ふ、おどろきて鏡をとりて見ればかくのごとし、是死る代りなりと悟りて醫療をくはへず、今五十三歲までながらへたりと語るに、さては今も堅く殺生をつゝしみ給ふらんといへば、其事に侍ふ、いつともなくゆるびて、此近き年比は、また折々漁獵するは、他に慰むことなければ也といふに、そはあしきことなり、さばかりの現益を見、父も亦いましめ給へるものをといさめて、旅舍へ歸りしが、あやしきことは其夜此男頓死せり、若し吾言をげにもと罪に伏したる所にて、天刑を示し給へるか、官の罪人を刑せしめ給ふも、罪に伏して行るゝ也などかたらる、彼塞翁が神相は予が相識も彼是試みて語れり、中には無病の人を見て、此月の中を過ず身まからんといひて當れるもありき、右の殺生によりて命短しと知ぬるも奇也、顏淵の短命いかにともすべからずといへども、先善を行ひ不善をとゞめて後こそ、實に修短の命には委ぬべけれ、

〔雲錦隨筆〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0671 士農工商ともに身上を稼ぐ者は、第一養生をして長命を本とすべし、短命にては何程の功も立がたし、昔道三といへる名醫、養生は有ものとて、松虫を七年飼おきて人に見せられしとぞ、又人は無事なる時を悦ぶべし、一生の浮沈變に從ひいつを知らず難儀に及ぶ、是世界の常なり、

〔古事記〕

〈下/仁德〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0671 一時、天皇爲豐樂而、幸行日女島之時、於其島雁生卵、爾召建内宿禰命、以歌問雁生卵之狀、其歌曰、多麻岐波流(タマキハル)、宇知能阿曾(ウチノアソ)、那許曾波(ナコソハ)、余能那賀比登(ヨノナガヒト)、蘇良美都(ソラミツ)、夜麻登能久邇爾(ヤマトノクニヽ)、加里古牟登(カリコム卜)、岐久夜(キクヤ)、於是建内宿禰、以歌語曰、多迦比迦流(タカヒカル)、比能美古(ヒノミコ)、宇倍志許曾(ウベシコソ)、斗比多麻閉(トヒタマへ)、麻許曾邇(マコソニ)、斗比多麻閉(トヒタマへ)、阿禮許曾波(アレコソハ)、余能那賀比登(ヨノナガヒト)、蘇良美都(ソラミツ)、夜麻登能久邇爾(ヤマトノクニヽ)、加理古牟登(カリコムト)、伊麻陀岐加受(イマダキカズ)、

〔公卿補任〕

〈仁德〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0671 大臣 武内宿禰〈五十年三月、有雁産茨田堤、以歌問答之事、武内宿禰行事絶筆於此、薨年未詳、〉〈在官二百四十四年〉〈春秋二百九十五年、但薨所幷日時人不之云〉
〈云、或云、仁德天皇五十五年丁卯薨、但年未詳、〉

〔水鏡〕

〈上/仁德〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0672 五十五年と申しに、武内の大臣うせにき、二百八十にぞなり給ひし、六代のみかどの御うしろみをして、大臣の位にて、二百四十四年ぞおはせし、

〔扶桑略記〕

〈二/仁德〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0672 五十五年、大臣武内宿禰春秋二百八十二歲薨、歴六代朝二百卌四年也、

〔帝王編年記〕

〈五/仁德〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0672 七十八年庚寅、大臣武内宿禰薨、年未詳、一説云、景行天皇九年己亥生、自爾以降至于今歲、經六帝〈景、行成務、仲哀、神功、應神、仁德、〉曆年三百一十二歲矣、紀朝臣氏久云、武内宿禰大宦者、六代帝爲大臣也、遂不其死所者、

〔宋史〕

〈四百九十一/外國〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0672 日本國
應神天皇〈○中略〉有大臣紀武内、年三百七歲、

〔海東諸國記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0672 日本國紀〈○中略〉
仁德天皇、〈○中略〉五十五年丁卯、大臣武内死、年三百四十、歷任六朝

〔一宵話〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0672 尾張濱主
五雜俎に、長壽人を列載せし其最第一人は、日本紀武内三百七歲也、さしも廣き唐にても此人より上なるは多くなし、さて此を日本紀にと讀みて、東鑑の唐土へ渡れると同じやうに、此書紀もはやく彼國へ渡りしとおもふ人あれど、此は宋史に日本の大臣紀の武内とあるを、謝氏の引けるなれば、さは讀まじき事也、此武内内大臣は紀伊國に生れ給ひしから、子孫紀を姓とし、大和の内の大野に住まれしから、内大臣と稱せしならん、仁德天皇の御末まで長命し、六代の天皇につかへられたり、扨壽は公卿補任には三百十二歲、愚管抄には三百八拾歲、或は東國よりの歸るさ、甲斐の國の山へ隱れられしとも、因幡國金龜へかくれられしともありて、さだかにはしられぬよしなり、むかし人の言に、賢相になられずば神仙にならんといひしが、此大臣は二つながら兼られていとめでたし、

〔扶桑略記〕

〈桓武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0673 延曆十六年二月、大安寺沙門行表卒、年一百四十才也、

〔元亨釋書〕

〈十六/古德〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0673 釋行表、和州葛上郡人、爲近州講師、嘗受https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00809.gif 禪師禪要、付上足最澄、延曆十六年化、歲一百四十、

〔續日本後紀〕

〈十五/仁明〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0673 承和十二年正月乙卯、是日外從五位下尾張連濱主、於龍尾道上和風長壽樂、觀者以千數、初謂、鮐背之老不起居、及于垂袖赴一レ曲、宛如少年、四座僉曰、近代未此者、濱主本是伶人也、時年一百十三、自作此舞、上表請長壽樂、表中載和歌、其詞曰、那那都義乃(ナヽツギノ)〈○謂稱德、光仁、桓武、平城、嵯峨、淳和、仁明之七代、〉美與爾萬和倍留(ミヨニマワヘル)、毛毛知萬利(モヽチマリ)、止遠乃於支奈能(トヲノオキナノ)、萬飛多天萬川流(マヒタテマツル)、 丁巳、天皇召尾張連濱主於淸凉殿前、令長壽樂、舞畢濱主卽奏和歌曰、於岐那度天(オキナトテ)、和飛夜波遠良無(ワビヤハヲラム)、久左母支毛(クサモキモ)、散可由流登岐爾(サカユルトキニ)、伊天氐萬毗天牟(イデヽマヒテム)、天皇賞歎、左右垂涙、賜御衣一襲罷退

〔續日本後紀〕

〈十六/仁明〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0673 承和十三年正月戊辰、召外從五位下尾張連濱主於淸凉殿前舞、于時年百十四、帝矜其高年從五位下

〔敎訓抄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0673 仁明天皇御宇承和十二年正月八日、龍尾道ニシテ、尾張濱主生年百十五歲時、長壽樂ヲ舞タリケルヲ、メデタキタメシニ申傳テ侍ル、

〔松屋筆記〕

〈五十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0673 和漢樂人の長壽
續日本後紀十五に、尾張連濱主百十三歲にて、長壽樂を舞、和歌を奉りし事見ゆ、寓簡五の卷に、漢孝文時、得魏文侯樂人竇公、亦年一百八十餘歲、獻其樂書、自言能鼓瑟導引吾意とあるは、和漢同日の談といふべし、

〔元亨釋書〕

〈十五/方應〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0673 釋敎待不何許人、久居園城寺、天安二年、圓珍法師與新羅山王二神、相勝區園城寺、待見珍如故舊、時有檀越大友氏、謂珍曰、待師日者嘗曰、當寺主者巳生焉、有時曰、入唐焉、又曰、來何暮、今朝曰、寺主來也、然則我奉待者久矣、乃與待以寺劵珍、及三尾神饍饗新羅神、待來賀之、然後形 隱不見、珍問新羅神、老待沒而不見何、神曰、彌勒善薩之應化也、今已得師、又何存乎、珍還寺問大友氏、待公本貫何所、生平行業何如、大友氏曰、不何人、居此寺已百餘歲、平居不堂齋、有時往湖濱魚鱉、乾串當饌、率爲常、今聞已隱、痛哉、乃共大衆其房、見殘乾魚、皆悉荷藕蓮之類無他種、衆皆嘆異、年一百六十二歲、待嘗與淸水寺行睿居士善、其來淸水木屐款話終日云、

〔政事要略〕

〈九十五/至要雜事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0674 服藥駐老驗記〈善家異記〉
竹田千繼者、山城國愛宕郡人也、寶龜初、歲十七入典藥醫生、讀本草經于枸杞駐老延齡之文、深以誦憶、將其徵驗、乃買地二段、多種此藥、春夏服其葉、秋冬食其根、又常煮莖根、取汁醸酒而飮之、毎沐浴必用其水、如此七十餘年、未嘗懈倦、顏色服〈○服恐强誤、〉壯猶如少年、齊衡二年、文德天皇忽患疲羸、衆醫供石決明酒、時侍臣、或奏千繼服枸杞老之狀、天皇大駭、卽時召見、問云、汝生年幾許、千繼奏云、天平寶字九年歲次庚子生、至今年九十七、天皇大怪、令侍臣驗視其形、鬢髮黑、肌膚肥澤、耳目聰明、齒牙无蠹、天皇感服、擢爲典藥允、供○供恐便誤卽勅藥園多種https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00591.gif、令千繼掌一レ事、千繼頗知文書、兼堪事、毎召問、皆恊帝念、時左馬寮官人、有罪左降、卽以千繼左馬寮允、兼直藏人所、千繼朝夕奔劇不服餌、未二年、頭髮盡白、皺面傴腰、歩武之間、扶杖纔行、遂以頓死、時年百一歲、余多〈○多恐幼誤〉少聞先君語此事、後問文德天皇近臣修理大夫藤相公、所語亦同、仍記之、
寬平年中、有外從五位下春海貞吉、舊是唐儛師也、次爲雅樂助、遂預五品、屢到余舍、展語中懷、底裏披露、無隱、時余年卌有五、白髮滿頭、貞吉深有憂之色、語曰、何不https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00591.gif此衰羸、余答云槆杞駐老之驗、具在醫方、然而丘未達、不敢嘗一レ之、乞略陳其方、貞吉答云、僕昔者年廿六、大同元年、以由基所風俗儛勞、爲左近衞、其後依醫人語、播https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00591.gif 杞方一町之地、無他種、水漿食飮、必合此藥、盥洗沐浴、常用其水、故今年一百十六歲、猶有少容、亦説其養生之法、事多不載、貞吉寬平九年夏、訪問親知疫病、遭染注俄卒、時年百十九、又致仕大納言藤原多緖服露蜂房、兼呑槐子、年過八十、頭髮無白、不房室、寬平 二年薨、時年八十四、近代有宮内卿十世王、二品長野親王之男也臨老無齒、不蕗菜、唯以漿飲乾石決明屑、氣色强壯、鬢髮無白、延喜十六年夏薨、時年八十五、東宮學士大藏善行、舊是國子進士也、仕歷顯職、爵至四品、常服鐘乳丸、一日一丸、年滿九十、猶有壯容、耳目聰明、行歩輕健、家蓄多婦、不房室、年八十七、生一男兒、延喜十七年、以漢書皇太子、毎朝侍講、無休假、天下莫歎異、皆謂之地仙焉、

〔今昔物語〕

〈十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0675 周防國基燈聖人誦法花語第廿五
今昔、周防ノ國大島ノ郡ニ基燈ト云フ聖人有ケリ、若クシテ法花經ヲ受ケ習テ、日夜ニ讀誦シテ身命ヲ不惜ズ、毎日ニ卅餘部ヲ誦スル事懈怠无シ、年百四十餘(○○○○○)ニシテ腰不曲ズ、起居輕ク、形貌極テ若クシテ、僅ニ四十計ノ人ノ如シ、眼コ明ニシテ遠キ物ヲ見ルニ障无シ、耳利クシテ遙ノ音ヲ聞クニ滯リ无シ、然レバ世ノ人此ノ聖人ヲ、六根淸淨ヲ得タル聖人也ト云ケリ、亦哀ノ心深クシテ智リ弘シ、草木ニ付テモ此レヲ敬ヒ、何況ヤ生類ヲ見テハ佛ノ如クニ禮拜ス、老ニ臨ムト云ヘドモ、身ニ病无クシテ、只偏ニ生死ノ无常ヲ厭ヒ悲ムデ、法花ヲ讀誦シテ淨土ニ生レム事ヲ願フ、此レヲ思フニ、現世ニ命長クシテ身ニ病无シ、此レ偏ニ法花經ヲ讀誦セル威力ノ致所也、然レバ後生亦淨土ニ生ム事疑无シトナム、語リ傳ヘタルトヤ、

〔元亨釋書〕

〈十四/擅興〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0675 釋源算、因州人、〈○中略〉承德三年暮春結定印、端坐而逝、經日容貌不變、其徒閟全身、年一百一十七歲、

〔中右記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0675 長治二年十二月十一日、今日有事緣、常陸守經成朝臣來家中談云、生年八十五、而起居輕利、眼耳分明、近代公卿諸大夫中無此齡人、誠天之與算也、身無指病、餘八旬世所雄稱也、

〔長秋記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0675 長承三年十月廿二日丁酉、戌時、小野宮尼公逝去、年九十九、故右大臣實資女、祐家中納言妻也、天下第一長命人也、近日世間咳病事外也、其中老人多死云々、

〔臥雲日件錄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0676 文安六年〈○寶德元年〉七月廿六日、赴淸水定水菴點心、曹源和尚先予旣來、〈○中略〉菴主曰、近時八百歲老尼自若州入洛、洛中爭覩、堅閑所居門戸、不使人容易看、故貴者出百錢、賤者出十錢、不然則不門也、曹源曰、昔時靑岩寺側有七百歲僧、入城乞食、所謂雖魚肉皆掛于錫頭、持來食之、一日來東福寺、吿平生來往之輩曰、某日吾當死矣、果如其言、人皆異之、

〔陰德太平記〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0676 武田攻八木城附武田出奔幷ニ若狹武田之事
因幡ノ武田山城守ガ父ハ、信賢ノ庶流也ケルガ、聊恨ル事有テ若州ヲ出奔シ、山名但馬守ヲ賴立越ケレバ、山名客人ト號シ、山口ガ向座ヲ宥シテ、賞翫セラレタリケレ共、後ニハ自然ト家ノ子ノ如ニ成テ、左座ハ山口、右座ハ武田トゾ被定ケル、彼信賢ハ武事ノ譽レノミニ非、和歌ニ達シ能書ニテモ有ケレバ、其名雲上ニ聞エテ、折節ハ和歌ノ御會ニモ被召出、又古今集ヲ始、撰集共書テ可奉宣旨度々有ケルトカヤ、年齡モ百三十二(○○○○)マデ長生セラレシトゾ、

〔一話一言〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0676 長壽人姓名
山城國小原百姓
永祿八丑年出生 百八拾四歲 百助
同六亥年出生 百八拾六歲 同人妻
天正三酉年出生 百六拾四歲 同人忰
都合子供拾九人、總親類三百六拾三人、孫五十人、彦三十六人、やしは子十八人、
右之者ども去年公儀御目見被仰付候、於關東御扶持被下置候也、
寶曆六年子八月日
右之者百助畫候福祿壽のかけ物の上に、如此かきつけ有之、天明六年丙午七月九日、津田四郎左衞門井上久米之助植木甚之助同道にて、池のはた蓮見に參り、池のはたの茶屋にて寫し歸り候、 或云、是恐らくは僞ならんか、時々如此の書付ありといふ、

〔老人雜話〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0677 老人は江村專齋也、諱宗具業醫、初加藤肥牧に事へ、後ち森作牧に事ふ、永祿八年光源院殿〈○足利義輝〉亂の年生れ寬文四年九月沒す、滿百歲也(○○○○)、

〔慶長見聞集〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0677 養心齋長命の事
見しは今、養心齋といひて歲の限りしらぬ老人、當年江戸へ來たりたりしが、三百年以來の時代を見たりといひて、くはしく物語なせり、康安二年二月朔日、惡星出現して、天地變異せし事共多かりし、近江の水海十丈程ひたりけるに、樣々の不思議あり、先白髮明神の前なる沖にまはり、十ひろ計りなる瑠璃の柱立ならべ、五丁ばかりのそり橋水の上に浮たり、水底すみわたりて、竹生島より三の浦の間に龍宮有て、金玉のうてな、七寶莊嚴あきらかにあらはれ、龍神の往來の爲體、手に鏡を取て見るがごとし、心言葉も及ばれず諸人見物せり、我もよく見たりと委しく語る、某聞て其年號を考るに、慶長十九より當年迄は二百五十三年になりぬ、是はふしぎ也、御身何とて長命なるやと問ば、老人答て、我常に心安んずる是養生、白居易が詩に、たゞよく心閑則身もすゞしといへり、夫人間の壽命は天地人の三六を合て、百八十歲のよはひをたもつ事、是さだまれり、然るに身の行ひ道にたがひて後、醫術を盡すといへども、日暮て道をいそぐに異ならず、すべて養生の道といふは、少年より老年に至る迄、おこたることなきを以て聖人の道とせり、故に養生は損せざるを以て延年の術とす、其上身をいとなむ事、第一食物、第二きる物、第三居る所なり、此三ツをつゝしめり、四百四種の病は宿食を根本とし、三途八難のくるしびは、女人を根本とすと、南山大師の遺敎なり、富貴にして苦あり、苦は心の危憂にあり、貧賤にして樂みあり、樂は身の自由にありと、樂天がいひしも誠に妙言なり、心の安き程のたのしみたえてなし、彭祖がいさめに服藥千てうより、一夜の獨宿にはしかじと云々、人間は衣食居醫の四ツを用ひ、精汁を深くつゝ しむに至りては、齡三百年いくべき事と、養生論に委しく見へたり、上古の人は無爲無事にして、天地陰陽の道に叶ひ、身をたもつて命を盡し給へり、文選に身をおくに至りては理を失ふ、是を微にうしなふ、微を積て損をなし、損を積て衰をなす、衰より白を得、白より老を得、老より終りを得、悶として端なきが如しといへり、身の養生に至りては、其理を失ふ事、わずかにふしぎなる所より始て、其始終をしることなき故に、身おとろふる、すくやかなる時くすさゞれは病時悔る也、世の人のふるまひ平生は油斷有て、已に存命不定となり、俄に良醫を服すといへども治る事かたし、渴に臨んで井をほる事たゞに力を費す、あへて雪髮銀絲をまつ事なかれと、古人もいへり、かくよき道ををしゆるといへ共、我身に保はまれ也、此翁若きょり今に至るまで養生怠らず、故に二百餘歲を保ち來ぬ、何事も前方より用心なすべき事也と申されし、

〔鹽尻〕

〈四十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0678 一金岡が繪、道風が書、傳へて寶とす、民安が散樂、行景が鞠今見る事なし、晴明がト、康賴が醫、其術家に傳ふ、されば能者の器物は形を傳へ、術者の事業は書に殘りて、千歲朽せしなくもありや、其拙を傳ふるは、陸賈が武勇其雄弁に不及、東坡が唱曲蒦その文竟に加んや、石勒が棊、和靖が碁等、其拙をいへども其名をくだすべきかは、我人能もなく、又拙もなく、碌々として禽獸と群を倶にし、草木と同じく朽果なんは口惜しからずや、但し名を求るは又愚なるや、今難波に一井洞齋とて儒士あり、享保八癸卯年一百十六歲也、いと健かにして、住吉邊へは朝の間に往來す、されど强放にして世と戻り、人ごとにうとみ侍り、故其博學名もなく、不好の事のみ數へられ侍るとなん、都て長壽の者を見るに、殘忍の性質强暴の云爲ある人多し、是血氣の衰へなくして、命根長く侍るにや、慈忍柔和して好人と呼るゝ人短命多し、

〔雲錦隨筆〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0678 浪花堂島彌左衞門町、醫師杉本一齋翁は、去ぬる天保十二年辛丑、百廿七歲にして至て壯健也、友人と談話の形勢頗る元氣よし、最記臆强く眼齒ともによく、手足とも達者にて、日々 醫療に出るに、常人の六十歲ぐらゐのごとし、備前國船坂の産のよし、名を義玄といふ、其妻四十歲藤江といふ、娘辰、十七歲、男子三藏、十五歲也、義玄翁正德五年乙未七月十五日の誕生といふ、或人の携へたる扇に、此翁の手跡を見るに、吾是醉中翁と書たり書風筆勢更に老筆とは見えず、去る天保十一年子の春、公へ召出され、御扶持を賜るよし聞ゆ、
奧州白石近在の農夫段平といへる老人、文政十二年己丑の春六百七十二歲にして、尼ケ崎廣德寺といへる禪刹は、俗緣の由にて彼寺に暫く滯留し、且京攝の名所舊跡と見物せんとて、浪花に來り、博勞町一丁目大喜といへる旅舍に止宿せるよし傳聞り、予〈○曉晴翁〉直に面會せざれば事實詳ならず、

短命

〔易林本節用集〕

〈太/言辭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0679 短命(タンメイ/○○)

〔類聚名義抄〕

〈四/大〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0679 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00799.gif (○)夭〈屈也、拔也、析也、盡也、音殀、通正、和エウ、〉

〔干碌字書〕

〈上聲〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0679 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00592.gif 夭〈上通下正〉

〔伊呂波字類抄〕

〈江/疊字〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0679 夭亡(○○) 夭死(○○)

〔下學集〕

〈下/態藝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0679 中夭(チウヨウ)

〔釋名〕

〈八/釋喪制〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0679 少壯而死曰夭、如物中夭折也、

〔類聚名義抄〕

〈七歹〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0679 殤(○)〈音傷、 未成人死シス、〉

〔釋名〕

〈八/釋喪制〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0679二十而死曰殤、殤傷也、可哀傷也、

〔令義解〕

〈九/假寧〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0679 凡無服之殤〈謂未成人死曰殤也〉生三月至七歲〈○下略〉

〔下學集〕

〈下/態藝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0679 早世(サウセイ/○○)〈早死〉

〔塵袋〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0679 一夭死トハ非分ニ死スルヲ云フ歟
ツネニハサオモヘリ、但年未三十而死曰夭、呂向云、二十以下死者曰殤、ト釋セル事モアリ、コレニ テ思フニハ、三十ヨリノチニ死ムヲバ、夭死トハ云フマジキ歟ト覺ユル也、或ハ二十ニヲヨバザルヲバ短ト云フ、六十ニヲヨバザルヲバ折ト云フ、尚書ニ見エタリ、

〔日本書紀〕

〈一/神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0680 次生素戔鳴尊、〈一書云、神素戔鳴尊、速素戔鳴尊、〉此神有勇悍以安忍、且常以哭泣行、故令國内人民、多以夭折(アカラサマニス)、

〔日本書紀〕

〈二/神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0680 一書曰、〈○中略〉皇孫因謂大山祇神曰、吾見汝之女子、欲以爲一レ妻、於是大山祇神乃使二女、持百机飮食奉進、時皇孫謂姉爲醜不御而罷、妹有國色引而幸之、則一夜有身、故磐長姫大慙而詛之曰、假使天孫不妾而御者、生兒永壽、有磐石之常存、今旣不然、唯弟獨見御、故其生兒必如木華之移落、一云、磐長姫耻恨而唾、泣之曰、顯見蒼生者、如木華之俄遷轉、當衰去矣、此世人短折之(イノチミジカキ)緣也、

〔續日本紀〕

〈十二/聖武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0680 天平七年、是歲年頗不稔、自夏至冬、天下患豌豆瘡〈俗曰裳瘡〉夭死者多、

〔榮花物語〕

〈三十/鶴林〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0680 一條攝政〈○藤原伊尹〉の御すゑあやしういのちみじかく(○○○○○○○)おはするに、この殿〈○藤原行成〉は、五十にあまり給へりかし、されどこの殿は御心のかぎりなくめでたく、おはしつればにや、今までおはしましつ、〈○下略〉

〔台記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0680 康治二年六月廿四日己酉、雅仁親王夫人薨、産後疱瘡、余〈○藤原賴長〉哀傷、以不幸短命也、
久安三年二月十三日丁未、今日入道左大臣〈○源有仁〉薨、年四十五、〈明日源有忠來訃之〉命之矣、此人而不長壽(○○○)焉、大臣平生語曰、吾求長壽、故常念延命、誦壽命經、然猶不五十而薨、命有定、今不增減之旨、見尚書、禮記正義、古人之言實矣、

〔吾妻鏡〕

〈十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0680 建久十年〈○正治元年〉六月卅日庚寅、午剋姫君〈三幡〉遷化、〈御年十四〉尼御臺所〈○北條政子〉御歎息、諸人傷嗟、不記、 八月十九日己卯、尼御臺所俄以渡御于盛長宅、以行光御使、被羽林〈○源賴家〉云、幕下〈○源賴朝〉薨御之後、不幾程、姫君又早世(○○)、悲歎非一人之處、今被鬪戰、是亂世之源也、〈○下略〉

〔陰德太平記〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0680 元就毛利家督事 大永三年七月十六日、幸松丸早世シ給ケリ、

〔明良洪範續篇〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0681 薩摩守忠吉卿ニハ、初メノ名ヲ下野殿ト申セリ、彌腫物多ク出來候由仰ランシニ、權現樣然ラバ領地ノ儀ニ、且ハ美濃カ尾張ト改メスベクト、御意有シニ、美濃尾張トハ死スル事ナレバ、彌不吉迚嫌ハレ候、權現樣御聞ナサレ、扨々六ケ敷事ヲ申者也、サラバ心任セニ付候得ト御意ニテ、薩摩守ト付ラレ候由、果シテ御短命ナリシ、

年齡

〔運歩色葉集〕

〈禰〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0681 年齡(レイ)

〔同〕

〈登〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0681 年齡(ヨワイ)

〔伊呂波字類抄〕

〈與/人事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0681 齒〈ヨハヒ〉 齡〈同〉

〔令義解〕

〈七/公式〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0681 凡〈○中略〉位同者、〈○中略〉六位以下以齒、〈謂齒齡也〉

〔日本書紀〕

〈十一/仁德〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0681 四十一年〈○應神〉二月、大王〈○仁德〉者風姿岐嶷、仁孝遠聆、以齒(ミヨハヒ)且長、足天下之君、〈○下略〉

〔日本靈異記〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0681 女人濫嫁飢子乳故得現報緣第十六
横江臣成負女越前國加賀郡人也、天骨婬泆、濫嫁爲宗、未丁齡死、〈○中略〉
丁〈左カリナリシ○中略〉 齡〈與ハヒ〉

〔日本紀竟宴和歌〕

〈天慶六年〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0681浦島子 少納言兼侍從從五位下大江朝臣朝望
宇羅志麻能、許々呂兒加奈布、都摩遠衣天、加米野世波比(○○○)遠、東裳兒曾部氣留、

〔古今和歌集〕

〈一/春〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0681 そめどのゝきさきのおまへに、花がめに櫻の花をさゝせたまへるをみてよめる、
さきのおほきおほいまうちきみ〈○藤原良房〉
年ふればよはひはおいぬしかはあれど花をしみれば物思ひもなし

〔日本釋名〕

〈中/形體〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0681 齡(ヨハイ) 世のあいだ也、あとはと通ず、

〔倭訓栞〕

〈前編三十六/與〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0681 よはひ 竟宴歌に見ゆ、齡をよめり、世延(ハヒ)の義なるべし、

〔倭訓栞〕

〈後編十三/登〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0681 としは(○○○) 俗にとしはもゆかぬといふは、年齒の義、齡をいふなるべし、 としばい(○○○○) 俗語也、行年をいへば、年齡の排行なるべし、

〔運歩色葉集〕

〈登〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0682 年强( ツヨ/○○) 年弱( ヨハ/○○)

〔俚言集覽〕

〈土〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0682 年强 年弱、春夏に生るゝを年强といひ、秋冬に生るゝを年弱と云、鷹筑波、數の子は皆年づよか今朝の春、 小町踊〈春上〉けふさくは年づよなれや花の兄〈望一〉

〔二中歷〕

〈五/年齒〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0682 七〈知母、竹馬、〉 八〈知父〉 九〈知禮〉 十〈摠丱、入學、初學、〉 廿〈摠角、建業、若冠、〉 卅〈成立、達業、壯、有室、〉 卌〈不惑、絶惑、强仕、〉
五十〈知命、練事、艾服、養郷、始衰、杖家、〉 六十〈耳順、丁年、辨風霜、養國、歲制、非肉不飽、杖郷、〉 七十〈懸車、致仕、徒心、養學、時制、非帛不煖、杖國、不矩、〉 八十〈鳩毛、耆老、耄及拜君命、月制、非人不煖、杖朝、〉 九十〈鳩杖、靜居、老耄、使人受、雖人不煖、〉
卅爲始〈事父母〉 卌以往爲中〈仕官政〉 七十爲終〈致仕〉 十有五〈志學〉

〔倭訓栞〕

〈前編十六/都〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0682 つゞ 俗に十歲廿歲をつゞはたちといへり、文選に十をつゞと訓ず、騎射にも五度の十(ヅゞ)といふ事見えたり、とをの轉音也、姓には廿木と書て、つゞきとよめり、

〔倭訓栞〕

〈中編十九/波〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0682 はたち(○○○) 廿歲をいふは、はたはふたと通ず、ちはとし也、

〔台記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0682 保延二年十一月六日庚午、入夜孝能申云、〈基俊之孫、能仲之子也、〉從下五位之勞廿八年、齡過强仕(○○)、位耻蓬衝、〈○下略〉

〔陸奧話記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0682 是時官軍中有散位佐伯經範者、相模國人也、將軍〈○源賴義〉厚遇之、軍敗之時、圍已解、纔出不將軍處、〈○中略〉經範曰、我事將軍已經卅年、老僕年已及耳順(○○)、將軍齒亦逼懸車(○○)、今當、覆滅之時、何不命乎、地下相從是吾志、還入賊圍中

〔運歩色葉集〕

〈遍〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0682 米年(○○)〈曰八十八止也〉

〔空穗物語〕

〈藏開上一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0682 うへのおとゞみ給て、御返しかしこまりてうけたまはりぬ、こゝにさぶらふことは、なかたゞのあそむの、又なき事におもひ給て侍めりしかばなん、なにのかずなるべき身には侍らねど、さうやくをも、もろともにと思給へてなん、さま〴〵にとおほせごと侍は、なに事 にかは、よはひくらべ(○○○○○○)するかほにや、まいり侍らぬことは、かゝるさとずみにも、うゐ〳〵しき心ちし侍れば、つゝましくおもひ給へられてなん、いとかしこきおほせごとをぞ、返々聞えさせ侍るときこえ給、〈○下略〉
V 枕草子

〈十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0683 たゞすぎにすぐる物
人のよはひ


トップ   差分 履歴 リロード   一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2022-06-29 (水) 20:06:25