〔倭名類聚抄〕

〈二/子孫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0193 子 孫愐云、子、〈即里反〉息也、一云呂公曰、臣有女、願爲箕箒妾

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/子孫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0193 廣韻云、子子息、説文、子十一月陽氣動、萬物滋入、以爲稱、象形、李陽氷曰、子在襁褓中足倂也、釋名、子孳也、相生蕃孳也、白虎通、子者孳也、孳々無巳也、廣雅、子孜也、孜與孳同、同高祖本紀、在史記第八、原書箕上有季字、此蓋删節、太平御覽引亦無、原書箒作帚、按廣韻云、箒俗、

〔伊呂波字類抄〕

〈古/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0193 子〈コ 嫡子、庶子、養子、息子、〉 兒 息〈已上同〉

〔東雅〕

〈五/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0193 子コ 女ムスメ 舊説に、子といふは男之通稱也と見えたり、さらばコとのみいふは男子なる也、〈乳母に對し言ふには、男子女子總稱してコといふ、男子女子を分ち稱するには、男子をコといひ、女子をムスメといふ、又俗に女子をムスメ、男子をムスコなども云ふ事あり、〉女子をムスメといふは生女也、古語に凡物を生ずるをムスといふ、舊事紀日本紀等に、産の字讀でムスといひ、萬葉集に、生の字讀でムスと云ひし、即是也、長子をエヒコといひ、長女をエノメといふ事、日本紀に見え、季子をばヲトゴといふ事、延喜式祝詞に見えたり、〈式には弟子の字を用ひたり〉エといふは兄にて、ヲといふは弟也、亦稚子をワカコといふ、古語拾遺に、日神常に吾勝尊を御腋に懐き給ひしを、ワキコと申せし語の轉じて、ワカコといふ也と見えたり、されど古の神の名及び人名に別(ワケ)といひしも聞えて、萬葉集抄には、ワケといふは男子の稱也と見えしかば、ワケといひワカといふ、即是轉語にて、凡男子の通稱なりしにぞあるべき〈俗に若子の字を用ゆるは、もとこれ弱の字を用ゆべき事なれど、其字又讀で ヨワシといふに嫌あれば、弱と若と其音の同じきが故に借用ひしなり、〉最愛兒をマナコといひ、又愛兒ともしるし、實子をば、マゴといひて、眞子としるせし事ども、萬葉集に見えたり、古語に父子をばカゾコといふ、孫をばムマゴといひしを、俗にはコノコなどもいひしは、即子の子の義也と見えたり、〈子之子の字は爾雅にいづ〉

〔日本書紀〕

〈七/景行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0194 四十年七月戊戌、天皇持斧鉞、以授日本武尊曰、朕聞、〈○中略〉其東夷之中蝦夷是尤強焉、〈○中略〉今朕察汝爲一レ人也、身體長大、容姿端正、力能扛鼎猛如雷電、所向無前、所攻必勝、即知之形則我子(○○)、實則神人(○○○○)、是寔天愍股不叡且國不一レ平、、令綸天業上レ宗廟乎、○下略〉

〔徒然草〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0194 我身のやむごとなからんにも、まして數ならざらんにも、子といふものなくて有なん、前中書王、九條太政大臣、花園左大臣、みなぞう(○○)たえむことをねがひ給へり、
○按ズルニ、ぞうは子孫ナリ、

〔春波樓筆記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0194 さて亦子なき者は物のあはれを知らず、我子を愛するのあまり、其愛他の子に及べり、此情は書にも文にも述ぶる事能はず、然るに段々と生長して後は、各々己の志しをあらはし、必親の志と差ひ、己の身體、親の躬より出でたりと云ふ事を辨ずる者鮮し、且又孝をつとむる者多からず、親を親とせざる者多し親は子を子とし、子を思ふの情深し、是己の體より出でたる故なり、今に至りて考ふるに、子は無きにしかじ、

〔松屋筆記〕

〈九十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0194 子は三界の首枷(クビカセ)
鎌田草子〈十六丁オ〉にさいし珍寶ぎふわうゐ、りんみやうじうじふずゐしや、げにもおもへばかたきなり、子は三界の首かせと、今こそ思ひしられたれ云々、

〔拾遺和歌集〕

〈七/物名〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0194 したヾみ よみ人しらず
あつまにてやしなはれたる人の子はしたヾみてこそ物はいひけれ

〔伊呂波字類抄〕

〈古/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0194 息コ

〔倭訓栞〕

〈前編三十一/牟〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0195 むすこ 我子をいふ、息(ムス)男の意、史記の註に、息は生也と見えたり、今子息と稱す、東觀漢記に出たり、從義補注に、在胎之時、以母之臍子之臍、故母所食從臍而入、以資於子、氣息亦然、子初在胎依於母息、故俗名子以爲子息也と見ゆ、

〔難波江〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0195 むすこ〈むすめ附むすびの神むすぶの神〉むすこ、むすめ、古き物に見えず、されど古事記中卷なる、此建内宿禰之子幷九〈男七女二〉とあるを、本居宣長は、男をむすこ、女をむすめとよめり、〈古事記傳廿二、十八ウ、〉むすは生の意にて、苔のむすもおなじ詞にて、古事記上卷なる、高御産巢日神、神産巢日神のむすもおなじ、その産巢を、日本書紀には、産靈とかヽれたり、靈の字、よくあたれる文字にて、物の靈異なるを比と云、久志毘の毘もおなじ、古事記なる産巢日は借字なり、日本紀なる産靈は本字也、拾遺集に、君みればむすぶの神ぞうらめしき、空穗物語樓上〈ノ〉上、人しれぬむすぶの神をしるべにて、狹衣物語に、むすぶの神さへうらめしきなどヽあるむすもおなじく生の意なり、〈古事記傳三、十二オ、〉紀記にむすびとあるを、拾遺、空穗、狹衣に、むすぶをいふは、ヒフの通用と知るべし、むすこむすめともに、源氏帚木〈湖月本三オ卅五ウ〉にみえたり、その中に、むすめは、古今賀のはし書にもあり、〈和名抄神靈類ノ狩谷氏校注ニ詳ニアリ〉平田氏の古道大意〈利本上四十五オ〉にも、我むし生たる子(コ)ト申コトデ云々、

〔安齋隨筆〕

〈後編五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0195 ムスコ ムスコは産子(ムスコ)の字也、高皇産靈尊と書く、産をムスと訓ずる也、ムスメは産女也、ウミタル男、ウミタル女也、男女を分けず産子也、岩ほとなりて苔のむすまでと云ふむすも、生の字なり、生も産も同意也、ムスは蒸の義にて、陽陰の氣にて蒸し出す也、ウムと云ふは熟の義にて、菓のうみて自ら落つるごとく、月滿て胎熟して出づるなり、

〔貞丈雜記〕

〈二/人品〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0195 一我が子の事を、人に對して、卑下して愚息といひし也、古の詞也、愚息と書て、おろかなるむすこトよむ也、今はせがれと云也、

〔古事記〕

〈中/孝元〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0196 建内宿禰之子、幷九、〈男(○)七女二〉

〔古事記傳〕

〈二十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0196 男は牟須古(ムスコ)、女は牟須賣(ムスメ)と訓べし、〈牟須古と云稱、古書には見えざれども、中昔の物語文どもには、貴きにも賤きにも、常に云ふ稱なり、牟須古能君だちなども云り、牟須賣は、書紀の訓などにも多く見えて、是又中昔も今も、常に云稱な、り、然れば此に對へて、男子を牟須古と云も、もとより古言なること疑なし、然るを牟須古牟須賣とは、世に遍く云なれて、古言めかざる故に、書紀などの訓には、多くヲノコメノコと附たり、和名鈔には、男子女子とのみ擧て、和名はなし、字鏡にも見えず、〉

〔三養雜記〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0196 我子を稱して忰といふ
せがれといふ詞は、痩枯(やせがれ)の略語にて、もと人を卑めのヽしる詞なり、その證は、室町殿日記に、主君にはなれまゐらせて、すでに渇命を失ひ、乞食同前のせがれどもといひ、また武邊咄にも、丹後守大の眼を見いだして、推參なるせがれめと訇て、かけとほるなど見えたり、今は貴賤ともに、我子を稱する詞となれるは、謙辭なり、倭爾雅に、忰俗作忰、今倭俗稱我子悴、蓋謂悴者之意、猶中華稱我女蕉萃といへり、やつがれといふも、倭名類聚抄に、奴僕和名夜豆加禮とあり、日本書紀通證に、吾憔悴枯槁之義、謙辭也といへり、かヽればこれももとは奴僕の稱なり、今自稱して僕とも、やつがれともいふは、我子をせがれといふに同じ、

〔正字通〕

〈卯集上/心〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0196 忰〈俗悴字〉

〔貞丈雜記〕

〈二/人品〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0196 一我が子の事を人に對して卑下して、愚息といひし也、〈○中略〉今はせがれと云也、忰の字を用る也、忰の字、本字悴の字也、憔悴とつヾく字にて、かじけると云字也、せがれと云詞も、せばまりかれ〴〵になる心にて、我が子のやせおとろへ、かじけたる心成べし、雜役の人夫を、忰者(カセモノ)といふも同じ心也、

〔嬉遊笑覽〕

〈九/言語〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0196 和名抄、奴僕をやつがれといへり、日本紀通證に、吾(ヤツガレ)は憔悴枯槁之義、謙辭也と是なり、我子をせがれといふも、同義にて、やせがれの略なり、倭爾雅に、悴俗作忰、倭俗稱我子悴、猶唐人稱我女蕉萃、江戸にて下賤のもの私といふをわつちと云なども、昔の奴詞なり、雜兵物語に わつちめと云へること多し、

〔春秋左氏傳〕

〈十二/成公〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0197 傳、九年〈○中略〉詩曰、雖絲麻菅蒯、雖姫姜蕉萃(○○)、凡百君子、莫代匱、言備之不一レ以已也、

〔陰德太平記〕

〈六十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0197 光秀弑信長卿
敵心易ク攻入、爰ニ切立彼所ニ突倒シケレバ、寺中ノ兵共、迚モ叶ハジト思、向敵ニ走リ懸々々、組合刺違テ死スル者數ヲ不知、信長公ハ白綾ノ單衣ヲ著、放チ基結(モトユヒ)、ニテ鎗提ゲ、廊ノ方へ出、世悴メガ世悴メ(○○○○○○○)ガト宣ケルガ、〈○下略〉

〔三河物語〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0197 七郎右衞門、たまくすりがなきぞと言ければ、たまくすり之なきとは、何としたる事ぞや、はや〳〵出させ給へと云ければ、其時、せがれめ(○○○○)が何を云、こと〴〵くこしがぬけはてて出んと云者一人もなきぞ、こしがぬけたると言へば、諸人之よはみ成に、たまくすりがなきと云物なるぞと云ければ、平助も其儀ならばとて、かはらへのり出して歸る、
○按ズルニ、右ハ大久保彦左衞門ノ兄七郎右衞門ガ、弟ニ對シテセガレト云へリ、

〔黑田家譜〕

〈孝高〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0197 此日〈○慶長五年九月十五日〉も辰の刻より軍始り、巳午に及べ共勝敗未だ分らざりしが、動すれば、關東勢戰地をしらざりければ、家康公の家臣久保島孫兵衞、旗本に馳參り、秀秋未だ裏切すべき旗色見え申さずと云ければ、家康公是を聞給ひ、秀秋裏切せざる時は、秀元廣家も違變有べきかと、彼是心を苦め給ふ、家康公は弱冠の頃より、昧方危き時は、指を噬ませ給ふ癖有しが、此時も頻りに指を嚼み給ひ、忰め(○○)に計られて、口惜〳〵と云はれければ、〈○下略〉

嫡子/庶子

〔伊呂波字類抄〕

〈知/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0197 嫡子〈チヤクシ長男曰嫡〉

〔膾餘雜録〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0197 正長曰嫡、其餘曰庶、妾隷之子曰孽、

〔倭訓栞〕

〈前編四/宇〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0197 うひのこ 嫡子をいふといへり、今も初産の子を男女通じてうひごといへり、淡 路三原郡にうひご山あり、鼻子(ウヒコ)山と書り、又胞(エ)山といふ、大和大國魂神社あり、諾冊尊を祭るといふ、性靈集に、兩尊鼻(ウヒ)子之州と見ゆ、兩尊は諾冊の尊をいひ、鼻子は大和國をいへり、老子に、玄天也於人爲鼻と見ゆ、

〔令義解〕

〈四/繼嗣〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0198 凡三位以上繼嗣者、皆嫡相承、若无嫡子、及有罪疾者、立嫡孫、〈謂其子與孫、叙法各殊、即雖嫡子已叙、身死及有罪疾、猶亦得嫡孫、若无嫡孫者、不嫡子同母弟、何者爲嫡子先既叙訖故也、〉无嫡孫次立嫡子同母弟、无母弟庶子、无庶子、立嫡孫同母弟、无母弟庶孫、四位以下唯立嫡子

〔令義解〕

〈四/選敍〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0198 凡五位以上子出身者、一位嫡子、從五位下、庶子、正六位、二位嫡子、正六位下庶子、及三位嫡子、從六位上、庶子從六位下、正四位嫡子、正七位下、庶子、及從四位嫡子、從七位上、庶子、從七位下、正五位嫡子、正八位下、庶子及從五位嫡子、從八位上、庶子、從八位下、三位以上蔭及孫、降子一等、〈謂嫡孫降嫡子、庶孫降庶子也、〉外位蔭准内位、其五位以上、帶勲位高者、即依當勲階、同官位蔭、四位降、五位降二等、〈謂亦降其子蔭位也〉
○按ズルニ蔭子、位子、蔭孫等ノ事ハ、官位部ニ詳ナリ、

〔令集解〕

〈四十/喪葬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0198 古記云、除嫡子之外庶子及妾之子、案儀制令、父子爲一等是也、俗云男女也、

〔三代實録〕

〈三十/陽成〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0198 元慶元年二月十四旧丙辰、三年之喪達于天子者、謂正統三年之喪、父母及適子(○○)幷妻也、達于天子者、言天子皆服一レ之、不父母居、言三年者、苞適子(○○)也、天子爲后、其服朞以三年之者、以后卒必三年、然後聚以達乎天子、故通在三年中

〔源平盛衰記〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0198 兼家季仲基高家繼忠雅等拍子附忠盛卒事
近衞院御宇、仁平三年癸酉正月十五日、行年五十八ニテ卒シケリ、〈○中略〉女子五人、男子七人有キ、淸盛嫡男(○○)ナレバ、其跡ヲ繼、諸國庄園ヲ讓ルノミニ非、家仲ノ重寶同相傳シテ、他家ニ移事ナシ、

〔北條五代記〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0198 北條氏政東西南北と戰ひの事 古へ賴朝公、尊氏公、永久に世ををさめ、家督さうぞくすといへ共、其内にもさヽはる義ありて、嫡嫡は家をつぎたまはずと聞えたり、北條家は五代つヽがなく嫡子(○○○○○○○○○○○○○)家をつぎ來たり、百餘ケ年、關八州を靜謐にをさめ、希代の武家なり、

〔南嶺子〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0199 日本書紀に、安閑天皇を繼體天皇の長子とのせ、欽明天皇は繼體天皇の嫡子とあり、安閑帝は元妃目子媛とて、尾張連草香の女のうみし所なり、故に初に生れ給へ共、嫡子とはかヽれず、欽明帝は正后手白香皇后のうませ給ふ故、御弟ながら嫡子とす、嫡は嫡妻又は嫡母の嫡なり國史に御妾腹の御子は庶兄庶妹などヽあり、嫡庶の義により嫡子、長子、太郎、小太郎の義も是に同じ、

〔倭訓栞〕

〈中編三/衣〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0199 えひめ 日本紀に長女を訓ぜり、兄姫の義也、

長子/長女

〔古事記傳〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0199 愛比賣(エヒメ)は、兄弟の女子を兄比賣弟比賣と云例多かれば、此國〈○伊豫〉は女子の始の意にて、兄比賣か、〈書紀皇極卷に長女(エヒメ)ともあり、伊世國多氣郡には、兄國弟國(エクニオトクニ)てふ村の名もあり、〉又伊豫を元よりの大名にして見れば、彼大御歌の如く、彌二並宜島々の意にて、愛は宜き意か、〈吉(ヨキ)を愛(エ)といふ例多し、上文の愛袁登賣のたぐひなり、〉比賣は、比古に對て、女を美(ホメ)て云稱にて、比は産巢日などの日の意なり、〈○中略〉賣は女なり、

〔日本書紀〕

〈四/綏靖〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0199 神渟名川耳天皇、〈○中略〉母曰媛蹈韛五十鈴媛命、事代主神之大女(エムスメ/○○)也、

〔日本書紀〕

〈十/應神〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0199 四十年正月戊申、天皇召大山守命、大鷦鷯尊、問之曰、汝等者愛子耶、對言、甚愛也、亦問之、長與少孰尤焉、大山守命對言、不于長子(○○)、於是天皇有悦之色

〔日本書紀〕

〈二十三/舒明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0199 豐御食炊屋姫天皇〈○推古〉以三十六年三月天皇〈○推古〉崩、九月葬禮畢之、嗣位未定、〈○中略〉泊瀨王忽發病薨、爰摩理勢臣曰、我生之誰恃矣、大臣將境部臣、而興兵遣之、境部臣聞軍至、率仲子阿(ナカチニアタル)椰于門胡床而待、時軍至、乃令來目物部伊區比以絞一レ之、父子共死、乃埋同處、唯兄子(コノカミタル/コノカミニアタル)毛津逃匿于尼寺瓦舎

〔三代實録〕

〈十七/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0200 貞觀十二年二月十九日辛丑、參議從三位春澄朝臣善繩薨、〈○中略〉善繩性周愼謹朴、〈○中略〉有子男女四人、具瞻、兼永、並爵至五品、然无家風、長女(○○)洽子爲正四位下典侍

〔本朝世紀〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0200 康和五年十二月廿日乙丑、正四位下行木工頭兼丹波守高階朝臣爲章卒、爲章者入道備中守正四位下爲家第一子、〈○中略〉六年〈○寛治〉十一月八日、出爲加賀守、七年八月廿八日、親父近江守爲家朝臣坐轢春日神民、除名配流、爲章依長男(○○)縁坐、然而依臨時之恩坐、四男阿波守爲遠一人停見任、非常斷專、人主之義也、嘉保二年十二月兼木工頭

〔醒睡笑〕

〈七/思の色を外にいふ〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0200 總領(○○)の二十にもあまれど、終によめをむかふる噂もなきあり、

太郎/次郎

〔榮花物語〕

〈三十六/根合〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0200 皇后宮歌合せさせ給、〈○中略〉左の方人左大臣、〈○敎通〉殿〈○賴道〉右の方人にてものし給、右のおほとの〈○賴宗〉さだめ給左のおほとのおはします、かずさしは俊家の二位中納言のこ、太郎〈○宗俊〉二郎〈○師兼〉二人ながらびづらゆひておはす、

〔空穗物語〕

〈藤源の君〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0200 むかし藤原の君ときこゆる一世の源氏おはしましけり、〈○中略〉きさいの宮、三條大宮のほどに、四丁にていかめしき宮あり、〈○中略〉こヽにうつり給て、ひとかたには大井殿の御むすめ、おとヾまちには宮すみ給ほどに、おほんこどもうみ給、ことかずあまたになりぬ、大井殿のおとこよところ、女いつところに、宮の御はらに十五さいよりうみ給おとこやところ、女九ところ、まづ宮おほい君、太郎、次郎、三郎、四郎、とりつヾきうみ給ふ、大殿の御方五郎、六郎とうみたまふ、宮七郎、八郎とうみたまふ、大井殿に中の君、三の君、四君、宮五六七入九十さしなちびにうみ給へり、又おほいどのに、十一、十二の君、宮十三、十四のきみ、又さしつヾき、おなじ年のおとこぎみふたところながらうみ給、かたみにからみおはしましなどすれど、御中うるはしくきよらなる事かぎりなし、〈○中略〉かくて太郎君左大弁たヾずみ年三十、次郎ひやうへのすけもろずみ年廿九、これ二人ながら宰相なり、三郎右近の中將藏人のとうすけずみ年廿八、四郎右衞門佐つらずみ年 廿七、これは宮の御はら、大井殿の御はらは五郎兵衞の佐あきずみ年廿六、六郎兵部のたゆふかねずみ年廿五、宮の御はら七郎じヾうなるずみのおなじ年、八郎大井殿のたゆふ九郎式部のぜう殿上人きよずみ年廿二、宮の御はらの十郎兵衞のぜうの藏人よりずみ廿、大井殿の御はら十一郎ちかずみ御をんな宮の御はらのおほいぎみは、御せうとの今のみかどにつかうまつらせ給けり、
○按ズルニ、太郎二郎等ノ事ハ、姓名部名篇ヲ參照スベシ、

〔倭名類聚抄〕

〈二/男女〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0201 娘 説文云、娘小女之稱也、必良反、〈和名無須女(○○○)〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/男女〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0201 按無須、生産之義、謂笞爲笞牟須、无須比乃加美、用産靈字、皆可證、无須米謂産生之女、神代紀稻田宮主簀狹之八箇耳女子號稻田媛、顯國玉之女子下照姫、女子並訓牟須米、是也、然則子孫類所引史記息女、當无須女、今訓娘爲无須女、非是、應神紀孃子訓乎止女、爲允、〈○中略〉原書不娘字、韻會、娘通作孃、説文有孃字、云煩擾也、一曰肥大也、不此引、按玉篇云、娘小女之號、廣韻同、恐源君誤引之、又按孃本訓肥大、轉爲爺孃字、再轉爲少女之號也、

〔伊呂波字類抄〕

〈无/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0201 娘〈ムスメ〉

〔物類稱呼〕

〈一/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0201 息女むすめ 京幾にてごれうにんといふ、薩摩にてもごれうといふ、中國及奥州にておごうといふ、〈御とは女の稱なり〉奥の南部にてをごれんといふ、越後の高田長岡にて、をこれんといふは、他の妻女を云也、備前などもをなじ、

〔倭訓栞〕

〈前編三十一/牟〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0201 むすめ 我女をいふ、生女の意也、日本紀に、女子又女又子女をよみ、和名鈔に娘をよめり、説文に、娘少女之稱也と見ゆ、津輕にてハてべたといふ、今息女と稱す、漢書に見えたり、

〔倭訓栞〕

〈中編三十/於〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0201 おぢやう 東國の俗語に、貴家の處女をいふ詞也、お女郎の轉説といへど、阿娘 の音也、娘は尼良切にて孃と通ず、尊稱なり、天子は母后を稱し、宮人は皇后を稱して娘々といふ、俗語には女を尊て大娘とし、父母を稱して爺娘といへり、されば阿娘は古へ姫と云が如しといへり、

〔萬葉集〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0202 長皇子御作歌
霰打(アラレウツ)、安良禮松原(アラレマツバラ)、住吉之(スミノエノ)、弟日娘與(オトヒヲトメト)、見禮常不飽香聞(ミレドアカヌカモ)、

〔空穗物語〕

〈藤原の君〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0202 大井殿のおとこよところ、女いつところに、宮の御はらに十五さいよりうみ給、おとこやところ。女九ところ、〈○中略〉おとこ四人、女三人、七人の宮たちの御母にて、一の女(○○○)御年卅一、大井殿の御はらにせんだいの御はらからの中つかさの宮、きたのかたとし廿一、同じはらの三君(○○)右の大井殿のとう宰相のきたのかた年十九、四の君(○○○)右大臣殿の次郎左近の中將源のさねよりのきたのかたとし十八、宮のはらの五の君(○○○)みんぶ卿のきたのかた年十七、六の君(○○○)右大臣藤原のたヾまさの太郎きたのかた十六、七の君(○○○)右大臣殿太郎ゑもんのかみ藤原のたヾとしのきたのかた十四、いまだ御男なき九の君(○○○)ありて宮ときこゆる十二、十のきみ(○○○○)ちご宮十一、大井殿の御はら十一(○○)は十、十二(○○)の九、こなたの御はらの十三のきみ(○○○○○)そで宮八つ、十四の君(○○○○)けす宮七、その御おとヽのをとこ宮六になんおはしましける、かくてこヽばらのおとこ女おとこもめぐし給へる、さらにほかずみせさせ奉り給はず、おほきなる家なり、我よのかぎりはかくてすみ給へ、ほかへおはせんは我こにあらずときこえ給て、四丁の殿をはらひとつをば、まち一にすませ奉り給、いつまのおとヾひとつ、十一けんのながやひとつ奉り給て、あなたの御はらのみところ、宮の御はらのよところ、まち〳〵にすませ奉り給ふ、

〔榮花物語〕

〈八/初花〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0202 とのヽおまへ〈○道長〉みや〈○彰子〉をむすめ(○○○)にてもち奉りたる、まろはぢならず、まろをちヽにてもち給へる宮わろからず、又はヽもいとさいは、ひあり、よきおとこも給へりなど、たは ぶれの給はするを、うへ〈○倫子〉はいとかたはらいたしと覺して、あなたにわたらせ給ふ、

〔榮花物語〕

〈十四/朝緑〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0203 かくて霜月に成ぬ、〈○寛仁二年〉大將殿〈○藤原敎道〉の大(○)〈○大原脱、今據一本補、〉ひめぎみ(○○○○)〈○生子〉は五、こひめぎみ(○○○○○)〈○歡子〉は三にならせ給にければ、御はかまきせたてまつらせ給、京極殿にわたらせ給て、西の對をいみじうしつらひせさせ給へり、

〔古今著聞集〕

〈八/好色〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0203 左大辨宰相經賴卿、さきの妻の腹に最愛の小むすめ(○○○○)有けるを、車にのせて行幸を見物すとて、供奉の人の中にいづれをか殿にせんずるといひて、人ごとに是はと問れければ、みなかしらをふりけるに、隆國卿のわたるを見て是をせんといひければ、まことにこれに過ぎたる人はあらじと思ひて聟に取てげり、

〔倭訓栞〕

〈中編一/阿〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0203 あにやう 阿娘の呉音也、伊勢の俗あにやといふも、あにやうの訛成べし、よて又娼妓をもあんにやといへり、龍圖公案に、土娼只呼娘子といへるが如し、

〔皇都午睡〕

〈三編上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0203 上方にて買(かう)て來るを江戸にては買(かつ)て來る、〈○中略〉糸樣(いとさま)をお娘樣(じやうさま)、〈○中略〉男の子を坊樣(ぼうさま)、〈○中略〉貧乏人のきたな口に娘をあまと、男子を娥鬼(がき)、女子をめろのがき、おてんばめらう、あまッちよなどとも云なり、

曹子

〔貞丈雜記〕

〈二/人品〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0203 一御曹司と云ふは、いまだ家督にならぬ部屋住の人を云、曹司とは、本は役人の用部屋の事也、一かまへづヽ、しきりてあるを云也、部屋住の人も、座敷を一かまへしきりて、住居する心にて、御曹司と云也、部屋住と云ふに同じ心也、

〔源平盛衰記〕

〈二十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0203 賴朝義仲中惡事
木曾此事ヲ聞テ、郎等共ヲ招集テ評定アリ、〈○中略〉今井四郎兼平ガ儀ニハ、兵衞佐殿ト終ニ御中ヨカルマジ、故帶刀先生殿ヲバ、惡源太殿討給ヌ、意趣定テ御座ラント、佐殿モ思召ラン、幼キ御曹司ヲ他所ニ奉置テ、所々ニテ思召サンモ心苦シ、平家ヲ討ント云モ、御家門ノ爲也、只一度ニ思召切 テ兎モ角モ、成給ヘト申、此曹子ト申ハ、今井四郎兼平ガ妹ノ腹也ケリ、去バ木曾ガ爲ニハ、乳人子ヲ思ヲ儲タル子生年十一ニゾ成ケル、

落胤

〔松屋筆記〕

〈七十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0204 おとしだね〈幷〉落胤腹
蜻蛉日記上卷〈十丁左解環本上の三卷、一丁右〉に、孫王のひがみたりしみこのおとしだねなり云々、源平盛衰記卅二の卷〈十八丁右〉に、落胤腹云々、色葉字類抄〈五の卷〉良部疊字門に、落胤、ラクイン云々、下學集態藝門〈下卷三丁右〉に落胤腹、ラクインバラ云々、節用集良部言辭門に、落胤、ラクイン云々、運歩色葉羅部に、落胤腹、ラクインバラ云々、

後子

〔伊呂波字類抄〕

〈末/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0204 後子〈マヽコ無服親也〉

〔落窪物語〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0204 今はむかし、中納言なる人の、むすめあまたをもちたまへるおはしき、大君、中の君には、むことりして、西のたいひがしのたいに、はな〴〵としてすませたてまつり給ふに、三四の君に裳きせたてまつり給はんとて、かしづきそし給ふ、又とき〴〵かよひ給ひけるわかう〈○う一本作ん〉とをりばらの君とて、はヽもなき御むすめおはす(○○○○○○○○○○○○)、北のかた、こヽろやいかヾおはしけん、つかうまつるこだちのかずにだにおぼさず、しんでんのはなちいでのまたひとまなる、おちくぼなるところのふたまなるになんすませ給ひける、きんだちともいはず、御かたとはまもていはせたまふべくもあらず、名をつけんとすれば、さすがにおとヾのおぼす心有べしとつヽみ給ひて、おちくぼの君といへとのたまへば、人々も、さいふまヽにて、わりなきことおほかりけり、

〔沙石集〕

〈七下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0204 繼女蛇欲合事
下總國ニ、或者ノ妻十二三バカリナル繼女(○○)ヲ、大ナル沼ノ畔ヘグシテ往テ、此沼ノ主ニ申、コノ女ヲ參セテ、ムコニシマイラセント度々云ケリ、アル時、世間スサマジク風吹空曇レル時、又例ノヤウニイヒケリ、此女殊ニオソロシク身ノ毛イヨダツ、沼ノ水浪タチ、カゼアラクシテ見ヘザレバ、 急ギ家へ歸ルニ、物ノ追心地シケレバ、イヨ〳〵怖ナント云計ナシ、サテ父ニトリツキテ、カヽル事ナン有ツルト、日比ノ事マデ語ル、サルホドニ母モ内ヘニゲ入リヌ、其後大キナル蛇キタリテ、頭ヲアゲ舌ヲ動シテ、此女ヲ見ル、父下郎ナレドモサカ〳〵シキ者ニテ、蛇ニ向テ、此女ハ我女也、母ハ繼母也、我ガユルシナクテハ、爭カトルべキ、母ガ詞ニヨルベカラズ、妻ハ夫トニ從フ事ナレバ、母ヲバ心ニマカストルベシトイフ時、蛇ムスメヲ打捨テ母ガ方ヘハイユキヌ、ソノ時父コノ女ヲカイ具シテニゲヌ、コノ蛇母ニマトヒツキテ、物グルハシク成テ既ニ聞キ文永年中夏ノ比ノ事ト沙汰シキ、來月三日大雨大風フキテアレタラン時出ベシト申アヒシガ、實ニ彼日オビタダシクアレテ風雨ハゲシク侍キ、正シク出ケル事ハキカザリキ、人ノタメハラクロキハ、ヤガテ我身ニヲヨビ侍ニコソ、人ヲアヤブメテハ、ヲノレガオチン事ヲ思ヘトイヘリ、因果ノコトハリタガフべカラズ、

養子

〔伊呂波字類抄〕

〈也/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0205 養子

〔令義解〕

〈二/戸〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0205 凡無子者、聽四等以上親、於昭穆合者、〈謂昭者明也、爲父故曰明也、穆者敬也、子宜父也、凡取養子者、年齒須相適、何者、下條云、男年十五聽婚、有既定夫婦、理當子、然則年十五者、則於卅者子之道、年冊者、則於廿五者、有父之端、擧其一隅、餘從可知也、〉即經本屬除附、

〔公卿補任〕

〈孝謙〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0205 天平勝寶九年丁酉〈改八月廿八日爲天平寶字元年
參議從三位巨勢朝臣堺麻呂〈(中略)伯父中納言正三位邑治養之爲子(○○○○)〉

〔續日本紀〕

〈二十/孝謙〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0205 天平寶字元年正月戊午、從五位下石津王、賜藤原朝臣、爲大納言從三位麻呂之子

〔日本後紀〕

〈八/桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0205 延暦十八年二月乙未、贈正三位行民部卿兼造宮大夫美作備前國造和氣朝臣淸麻呂薨、〈○中略〉姉廣虫、〈○中略〉既而天皇〈○孝謙〉落飾、隨出家爲御弟子、法名法均、〈○中略〉寶字八年大保惠美忍勝叛逆伏誅、〈○中略〉亂止之後、民苦飢疫、棄子草間、遣人收養、得八十三兒、同名養子、賜葛木首

〔三代實録〕

〈七/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0205 貞觀五年正月三日丙寅、大納言正三位兼行右近衞大將源朝臣定薨、贈從二位、定者 嵯峨太上天皇之子也、母百濟王氏、其名曰慶命、〈○中略〉定生而岐嶷、太上天皇尤鍾愛、〈○中略〉太上天皇以定、奉淳和天皇子、淳和天皇、受而愛之、過所生之子、更賜寵姫永原氏、令之母、故世稱定有二父二母焉、

〔新勅撰和歌集〕

〈十六/雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0206 やしなひ侍けるむすめの、五月五日くす玉奉らせ侍けるに、かはりてよみ侍 ける、 右近大將道綱母
かくれぬにおひうめにけるあやめ草ふかきしたねに知人もなし

〔尊卑分脈〕

〈八/藤原〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0206 通憲〈(中略)長門守高階經敏爲子改姓、〉

〔枕草子〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0206 あぢきなきもの
とりこ(○○○)のかほにくさげなる

〔倭訓栞〕

〈前編十八/登〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0206 とりこ〈○中略〉 枕草紙に、とりこかほにくさげなどいふは、養子をいふといへり、閑居友にとりむすめ(○○○○○)も見えたり、

〔雅言集覽〕

〈九/登〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0206 とりこ〈養子をいふ、今いふモラヒ子の意、〉

〔諸例集〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0206 續名目之儀ニ付問合
文化五年四月廿八日、伊藤河内守差出順覽廻し、
柴田河内守
伯母聟、先妻之子を以、繼母之養ひに致し候時者、伯母之甥之爲ニ者、從弟之續相成候や、倂繼母ニ養はれ候共、繼母方之親類ニ者服忌無之ニ付、續名目者無御座候哉、
但服忌者無之候得共、續名目者有之候儀ニ御座候はヾ、親類書ニ者書出し候方ニ御座候哉、一 體繼母方之續合之者は認出し不申候事故、養ひニ相成候とも認出し候ニ者及不申候哉、
右之趣御問合申候、否御下ゲ札ニ而被仰聞下候、以上、 四月十九日 柴田河内守
書面之通者、先妻之子繼母之養ニ相成候共、繼母方親類續之名目無之ニ付、親類書〈江〉書出ニ不 及候、
此度柴田河内守ゟ、別紙之通問合有之候、附札之通ニ可答哉ニ候得共、享和三亥年十二月、養父之實方親類名目有之積り申合有之ニ見合候得共、如何可之哉、則例書共相添及御相談候、少々差急候趣ニ、候間、先思召之程承度御座候、御書留之儀者追而可相廻候、
四月廿八日 伊藤河内守
元文度之伺濟も有之候上者、服忌者無之候共、續名目者有之方ニ居置、可然と相聞、享和三亥年 御再評ニも御多分ニ付、續名目有之方ニ相居り候趣に有之候、乍去猶愚考致し候得者、元來養 子之儀者、他之厄介を貰、繼嗣之子ニ致し候事ニ而、貰候上者、養之字肝要之文字に候得共、貰候 上者、養父之身より見候得者、養子實子之差別者難相立、一般嫡子ニ相成候事故、假令續無之候 とも、養家の親類實之續之如く忌服請候儀者、全く右故之儀可之、然者此通りを打返し見候 得者、實家之儀者、養子ニ成候日より忌服無之とも、可然筋ニ候得共、肉縁有之故ニ半減と相成 候儀ニ候半哉、此理より今一等押上ゲ、養父の實方ニ至り候而者、忌服者勿論續之名目とても 可之謂無之樣ニ被存候間、御下ゲ札御挨拶之趣ニ而、存寄は無之候得共、元文度伺濟、私之申 談ニ而消候儀者、萬事〈江〉響不穏樣ニ存候間、始末御書取、今一應御伺被成候方ニ者有之間敷哉、 強而之存寄に者無之候得共、任御相談、愚存申演候、
四月廿八日 飛騨守

孤子

〔伊呂波字類抄〕

〈見/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0207 孤子〈ミナシコ〉

〔續日本後紀〕

〈十五/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0208 承和十二年十一月丁巳、勅、鴨河悲田預僧賢義所養孤兒(○○)、淸繼淸人淸雄等十八人、並賜新生連姓、貫左京九條三坊、即以淸繼戸主

里子

〔大坂要用録〕

〈三/諸證文〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0208 里之子(○○○)預り一札
一其元實子誰殿、爲養育料壹ケ年ニ銀何程宛被下候約束ニ而、何ケ年之間預り申處實正也、右相 極メ候外、少しも望事等決而申懸ケ間敷候、若育樣惡敷候歟、乳不足仕候歟、其外御勝手ニ寄御 取戻シ被成候節、毛頭違背申間敷候、其節養料日割を以、銀子請取可申候、爲後日仍而如件、
年號月 何(預り主)屋誰
女房誰
何屋誰殿

〔嬉遊笑覽〕

〈附録〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0208 蘭州瑣語云、聞、京師六七十年前、有赤子、貧民子衆、即付之、乃出門又呼赤子、欲子者復以財易之、後官禁之、蓋以售而殺之者、又有婦人、呼曰、織男子、擁機杼之具、隨後續呼曰上工、亦官禁之、蓋有淫者也、こヽに六七十年已前といへるは、元祿中にあたる、子を拾ふにはあらず、これは乳子買と呼るものにて、職人繪本に、圖も出て注して云ふ、子を生して思案あるをば、里につかはすは、昔よりの習ひなるべし、然れ共いづくに里子をあづかるとさだめがたきは此事なり、然るを乳を持たる女、里子とりたいのぞみなれば、其者の肝煎にたのむ、その肝いりを乳子買と云なり、折節入口の當なければ、則彼乳ある女を引連て、何所をさすともなく町町にてちごかはふとわめきめぐる也、かやうの女幾人もありく事なれ共、それ〳〵の機縁ありて子を養ふ、殊に廣きは都のうちぞかしと云へり、

〔松屋筆記〕

〈百四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0208 里兒(サトコ)預兒(アヅケコ/○○)里扶持(サトブチ)
今世乳不足して、小兒を他に預て養はしむるを、里にやるとも、里兒とも、預け兒ともいへり、下ざ まの風俗、里扶持とて一ケ月壹分壹朱也、或は一分ト錢二百文、または二分の定もありて一樣ならず、蓮如上人實悟記拾遺下卷〈二丁オ〉に、御子達ハ、ミナ〳〵里ヘヤシナヒニ、アナタコナタヘアリツケ參ラセ候と見えたるは、里兒の事也、

〔光明寺舊記〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0209 定 永財沽却渡畠地立券文事
合壹杖者
下粟野村内字桑原垣二段壹杖中内彌陀寺敷地、四至本券具也、
直錢壹貫文請納畢
右件畠地者、自領主度會大子之手買得之後、進退知行之處、敢無他妨、〈○中略〉仍爲後代新立券文以辭、
弘安七年四月十二日 領主大中臣守久
縁妻(○○)山下氏子
女子大中臣氏子

迷子

〔例書〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0209 一迷子之義、都而三歳位ゟ以上迷子之取計方、其前より訴出候得共、大切ニ養育致置、貰人 有之候者、可訴出旨申渡置候、貰人有之節、町役人差添願出候得者、吟味之上、願之通申付候事、一迷子有之節者、芝口河岸〈江〉建札致候事、

〔記事條例〕

〈六十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0209 文化八未年四月、向方ゟ來ル、
土佐守殿〈江〉 根岸肥前守
是迄迷子有之、訴出候節、申渡置、芝口〈江〉懸札致候例格之由、然ル處、右之通申渡置候而者、尋來候者無之候得者、無際限町内ニ養育致置候事〈與〉而已、町役人共可相心得哉、勿論先例相糺候處、右之通申渡置候後、貰人有之趣訴出、其通聞濟、捨子同樣之取計有之候、然上者、以來右躰迷子屆訴出候得 者、右定例之通申渡、追而貰人有之候ハヾ、是又可訴出旨も、申渡可然哉、既ニ當二月六日、迷子拙者御役所〈江〉訴出、本文之通申渡、其後其儘ニ而何之訴も無之候、是等も呼出、貰人有之バ、訴出べく旨可申渡候哉、及御相談候、
四月
御書面之趣、何之存寄無御座、御同樣可致候、
未五月 小田切土佐守

〔大坂要用録〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0210 迷子之事
一迷子有之旨、年寄幷町人訴出候時者、其所ニ養育いたし置、親元を聞合見候樣ニ被仰渡、親元相 知レ其段斷出候得者、樣子相糺候上御渡被遣候、親元不相知、迷子貰度と申もの有之、請人幷貰 人を召連訴出候時者、證文被仰付候事、
右證文之寫
指上申一札
一何町ニ何月幾日、何歳計之〈男子女子〉迷居候ニ付、私共町内ゟ其段御斷申上置養育仕罷在候、然ル處、 何町何屋誰と申者養度旨申ニ付、何町何屋誰請人ニ取、養度旨御斷奉申上候處、願之通御聞屈 難有奉存候、右迷子成人之後惡敷奉公爲致申間敷旨被仰付畏候、若實之親尋來候ハヾ、早 速御伺申上、御指圖次第可仕候、爲後日依て如件、
年號月日 〈何町〉養親誰
請人誰
年 寄
町 人 御奉行所
一三歳以上者、迷子之分ニ候得者、樣子不存捨子ニ候旨斷來候義有之候由、捨子迷子等斷有之時 者、其歳を相尋、三歳以上に候へ者、迷子之御取計、前書之通り之事、

〔德川禁令考〕

〈四十七/臨時町觸〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0211 安政四巳年二月
迷子しるべ建石(○○○○○○○)之事 年番(南北小口)名主共
西河岸町家主十七人總代重兵衞外二人儀、迷子之儀、兎角所在不相分、町内之厄介ニ相成候も有之、不便ニ付、一石橋橋臺西之方〈江〉建石補理、石面〈江〉まよひ子のしるべと朱文字ニ〈而〉彫付、同左之方〈江〉たづぬる方、右之方〈江〉しらする方と彫付、たづぬる方と彫付候方〈江〉ハ、迷子方の親共より、迷子の名前、年頃面體恰好衣類幷家主の名前町名共委敷記張置、しらする方と彫付候方〈江〉ハ、子迷留置候町内より、其所之町銘幷迷子之名前年頃面體共、前同樣相記張置候樣致候ハヾ、行衞相分可申、尤右張札ニ符合致し候者有之節ハ、早速其所〈江〉爲相知候樣致度旨願出、元來迷子訴有之節ハ、芝口〈江〉掛札差出候儀ニハ候得共、右願之趣外ニ子細も不相聞候間、願之通申渡候、依之兼〈而〉町役人共心得居候樣、不洩樣可申通候、
右之通、被仰渡畏候、爲後日仍如件、
巳二月廿八日 名主 〈本所〉 文左衞門
同 〈村松町〉 源 六
同 〈佐内町〉 恒 太 郎V 諸例類叢

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0211 辰〈○寛政八年〉十二月二日、窪町中川因幡守居屋敷辻番所廻り場ニ、三四才之迷子有之、留置、住所相尋候得共、片言而已ニて相不分候由、御目付大久保權左衞門方へ届有之、迷子之儀ハ、前 前より尋來候者無之上者、非人手下之趣ニ候得共、誠ニ不便成事ニ候、捨子之儀者、貰人有之候得者遣候旨、當番御目付別所源左衞門〈江〉申上候處、因幡守屋敷へ差置、追而主出候ハヾ可申聞旨相達候樣御下知有之、其時御小人目付ヲ以、右之趣及差圖、此以後ケ樣之類いづれも、右同樣取計致來候、
一文化六巳年四月、平橋外明地内ニ七歳位之男子迷來、石川主殿頭、大關呆次郎御預地ニ付、右 兩人家來より、御目付酒井作左衞門〈江〉屆出、爲見分御小人目付差越、宿所相尋候處、言葉分兼幷 親名前不相分候ニ付、町奉行へ御目付より達有之、芝口迷子札有之、右家來ヘハ主出不申候ハ バ、貰人有之節相屆候樣、夫々御養育可致置旨差圖、追而貰人有之、右家來より相伺候付、證文取 遣候樣及差圖、當時何も右之振合ニ取扱來ル、

棄子

〔吾妻鏡〕

〈五十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0212 文應二年〈○弘長元年〉二月廿九日辛酉、此外嚴制數箇條也、後藤壹岐前司基政、小野澤左近大夫入道光蓮等爲奉行、〈○中略〉
一可制棄病者、孤子(○○)、死屍於路邊事、

〔享保集成絲綸録〕

〈四十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0212 元祿三午年十月

捨子いたし候事彌御制禁ニ候、養育成がたきわけ有之候ハヾ、奉公人ハ其主人、御料ハ御代官手代、私領ハ其村之名主五人組、町方ハ其所之名主五人組〈江〉其品申出べし、はごくみなりがたきにおゐてハ、其所にて養育可仕候、此上捨子仕候ハヾ、急度曲事たるべきもの也、
十月
元祿九子年八月
一捨子仕間敷候、若養育成兼候者ハ可申出之旨、跡々相觸候通、彌其旨可相守、然所ニ頃日時々捨 子有之候、向後者地借、店借之者、子をはらみ候ば、大屋地主〈江〉爲知、其上出産又ハ傷産流産致候 ば、是又爲知可申候、出生之子三歳迄之内死候歟、何方〈江〉も遣候者、其譯大屋地主方〈江〉可申屆、右 之趣、大屋地主方ニ〈而〉書付置、若捨子詮議有之節ハ、右之書付可差出之、不念仕、疑敷事在之者、可 越度もの也、
八月
元祿九子年九月
一捨子之儀、去月相觸候趣相守之、地借店借之者、子共向後出生又者はらみ候者勿論、只今まで在 之三歳以下之子共も、名主幷地主大屋改之、帳面記置、若行衛不知候歟、疑敷儀も候ハヾ、其支配 方〈江〉可申出、隠置、此方よりの詮議にて致露顯候ハヾ、名主、五人組地主、大屋、可越度もの也、
九月
元祿十三辰年七月
一捨子之儀、御禁制ニ候、依之最前〈茂〉養育成がたきにおゐては、奉公人ハ其主人、御料ハ御代官、私 領ハ其村々名主五人組、町方ハ其所之名主五人組〈江〉申出、於其處養育可仕旨相觸候處、今以猶 捨子いたし候段不屆候、若捨子いたし候ハヾ可曲事、彌捨子不仕候樣ニ急度可申付候、以 上、
七月

〔京都御役所向大概覺書〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0213 覺、
一捨子有之候ハヾ、早速不屆、其所之ものいたはり置、直に養ひ候歟、又ハ望之者有之候ハヾ可 遣候、急度不付屆事、〈○中略〉
卯〈○貞享四年〉四月日

〔大坂要用録〕

〈四/諸斷書〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0214 捨子斷一件之事
恐口上
一私軒下、〈或ハ私借屋露地之内其所を可認〉今夜何時頃、當歳之男子〈或ハ女子〉捨御座候ニ付、早速家内〈江〉取入介抱仕申 候、尤總身相改候處、疵所等一切無御座候ニ付、乍恐此段御斷奉申上候、以上、
年號月日
何町 何屋誰
年寄 何屋誰
御奉行樣

〔記事條例〕

〈六十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0214 捨子訴之部
一捨子訴 〈養(下知)育致置貰人も有之候はハ可訴出
往還ニ捨有之候ハヾ、月行事訴之、路次内又者店下ニ候得者家主、居宅内ニ候ハヾ、其地借店借 之者ゟ訴之、倂居宅内ハ家主ゟ訴候共可相對次第事、
右訴方、訴人月行事幷家主ニ候得者、名主五人組、地借之者に候得バ、名主家主加判致し、月番之方〈江〉訴人計訴狀一通持參罷出候ニ付、下知申渡、言上帳〈江〉相記、訴人ハ差返、訴狀〈江〉下知之趣相認、夕方非番之方〈江〉可相廻事、
一捨子、迷子之差別、壹人立相應ニも歩行致し候體に候ハヾ可迷子、歩行も難成體之小兒ハ可捨子事、
但歩行可致年齡ニ相見候得共、虚弱ニて歩行仕兼候ものハ可格別、尤言語之樣子ニも可依 事ニ候、
一捨子貰人有之願出候節者、雙方一同訴訟ニ罷出候間、糺之上願之通申付、手形取可申事、
但貰人在方之者ニ候ハヾ、其日歸之場所ニ而裏書遣候程之里數迄ハ可聞屆、其餘ハ難相成候、 尤御料私領とも、御代官領主〈江〉懸合、貰人身分可相糺事、
一右(朱書)里數限之儀ニ付、相談書付末ニ記之、
一捨子を貰、又外之者〈江〉遣候儀、先ヅハ難成候事、
一享(朱書)保年中之觸書末ニ記
一捨子拾歳迄之内、病氣其外異變訴之、拾歳以上之分者不訴出筈ニ候事、
一右(朱書)訴方名主共願ニ付、町年寄相伺候書付末ニ記之、
一右病氣訴 〈下知〉入念養生致可
一右養育中病死致候ハヾ、組合名主立合、死骸見分致候上、訴出候間、紛敷儀も無之候ハヾ、直ニ死 骸片付可申付
但他町之者〈江〉呉遣候小兒ニ候ハヾ、元町之町役人見分致、訴出候筈ニ候事、
一捨子病死之節、撿使遣方相改候後、捨子在方ニ而病死致候訴ハ無之候得共、以後右體之捨子致病死候ハヾ、元町之町役人其村方〈江〉罷越、死骸見改候上可訴出事ニ候、
一捨(以下朱書)子病死之節、前々撿使遣候處、町法改正後、本文之通ニ相成候、其節之書付末ニ記之、
一捨子を召連致欠落候者、以來日限尋ハ申付間敷、最初ゟ無日限尋可申付事、伺書之部ニ極有之 候例、欠落者帳付之部ニ有之候事、
一右同前之者致欠落候處、立歸候ニ付、帳消願欠落者帳附之部ニ有之候事、

〔大坂要用録〕

〈四/諸斷書〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0215 一我子を捨候處貰請度願之事
恐口上
何町何屋誰借屋
〈何屋誰同家〉娘たれ 一私儀、去何年何月下旬之夜、用向有之何方〈江〉罷越候途中にて、年頃何歳計之不見馴男密通之儀 被申懸候得共、及斷ニ罷歸り候と存候處、右之男跡ゟ付添來り、何方邊名前不存方〈江〉連這入、又 又密通之儀申懸候ニ付、無是非密會候、其後者一切出會候儀無御座候、然る處、私懐胎ニ相成 申候、右之男居所も不存候故、當惑仕罷在候内、何月幾日女子出産仕候得共、右體父も不相知 子を相抱、行末如何可相成哉〈與〉風〈與〉疳症差發り、何月幾日捨身可仕〈與〉存付、町所不覺軒下ニ右 娘を差置、何方邊迄罷越候途中ニ而心付、元々〈江〉立戻り相尋候得共、右娘相見へ不申、得と差置 候處も覺不申候儀故、無據其儘罷歸り申候、父誰儀心願之儀有之、何月幾日ゟ何方〈江〉參詣仕候 留守中故、私一存ニ而日々相尋候處、何町ニ同夜捨子有之由承り候ニ付、早速罷越見請候處、私 娘ニ相違無御座候、依之右之段申入候得共、最早其節御斷奉申上之候ニ付、下ニ而取計難仕 旨被申聞驚入候、全私疳症差發亂心ニ相成、右體之儀ニ候間、何卒御憐愍を以、右娘私〈江〉被 下置候ハヾ、廣大之御慈悲難有可存候、以上、
年號月日 た れ
同人父 何屋誰
家主 何屋誰
年寄 何屋誰
御奉行樣
右之(朱書)通奉願上候處、御吟味中御預被仰付、追而御召之上右捨子被下置稜、

〔享保集成絲綸録〕

〈四十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0216 享保十九寅年九月
捨子を貰、又外之ものへ遣候儀、彌停止候、倂無據子細も有之、外之者〈江〉遣候はヾ、十歳迄之内は先達貰候奉行所、又は貰候其屋敷〈江〉相屆候上、差圖次第可遣候、 九月
右之通、町奉行より相觸候間、万石以上以下共ニ可通置候、

〔記事條例〕

〈六十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0217 安永六酉年九月六日、大隅守内寄合〈江〉持參及相談候處、翌七日伺之通申付候而可然旨、於御城申聞、書付共被返候、
捨子養育中、異變御訴等之儀、以來拾歳を限候樣仕度旨、年番名主共申出候ニ付、奉伺候書付、
書面伺之通可申渡旨、被仰渡畏候、
酉九月七日 奈良屋市左衞門
年番名主共
右申出候者、唯今迄捨子有之候得バ、御訴申上、養育仕置、貰人有之候得バ、遣候儀御願申上候、勿論右片付候前後共ニ、異變有之候得バ、御訴申上候儀ニ御座候處、近年捨子御座候節、貰人無數、其町ニ長々養育仕置難儀仕候、此段ハ成人之上〈茂〉無限異變御訴申上候儀迷惑〈與〉存、貰兼候由取沙汰仕候、尤享保十九寅年九月、捨子を貰、又外之者〈江〉遣候儀、彌御停止、倂無據子細も有之、外之者〈江〉遣候ハヾ、拾歳迄之内は先達而御掛御奉行所、又ハ貰候其屋敷〈江〉相屆候上、御差圖次、第可遣段、御觸御座候、依之以來捨子異變御訴之儀〈茂〉拾歳を限ニ被成下度相伺候由申出候、
右之通申出候、右捨子貰人無數、其町々ニ而長々養育仕置候而ハ、町人共難儀可仕候間、年番名主共申出候通、以來異變御訴等之儀、拾歳を限候樣爲仕度、此段奉伺候、則捨子之儀ニ付、享保十九寅年九月町觸寫奉御覽候、以上、
酉八月 奈良屋市左衞門

〔慣習例〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0217 諸寺社境内、又は寺社領之内、捨子有之訴出、撿使差遣候後、町方等之もの貰請、養育いたし度段相願之趣承屆、定例之通證文申付、其後十歳迄之内、右捨子病死いたし候段屆出候得バ、撿 使差使候先例相見候、然ル處、町奉行ニ而、去ル亥年〈○寛政三年〉窺之上、右體貰請候捨子病死之節は、元町其町役人共罷越、樣子見屆無之分は、懸り屆出、病體於相分は撿使遣間敷間、其旨を存、入念可申段、町々〈江〉申渡置候ニ付、一事同樣ニ相成候も如何に候間、以來町方へ遣候捨子、拾歳迄之内病死いたし候段申出候ハヾ、捨子遣方之寺社、又ハ寺社、領之もの罷越見屆、病死に相違も無之、雙方より屆出候ハヾ承屆、撿使ハ不差遣取片付之儀可申付候事、
右之通、寛政八辰年六月六日、周防守宅於内寄合申合相極候事、
脇坂淡路守
四ツ谷北寺町一向宗眞榮寺門内ニ、去ル午年當才之男子捨有之、見分之上貰人有之迄、定例之通同寺〈江〉尋置候處、此度別紙之通願出候間、相糺候處、先例相見不申、右類之義承屆候ハヾ、後年ニ至り、品々弊を生じ可申哉も難計候間、旁出家爲致候儀者難成段申達、願書差戻申候、右之趣、以來共區々ニ不相成樣取計可申候、
右享和二戌年十一月十八日、淡路守宅内寄合おゐて申合之事、

〔德川禁令考後聚〕

〈二十/行刑條例〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0218 文政元寅年御渡
大坂町奉行伺
當時無宿辨吉儀、攝州小島古堤新田藤八申合、小兒を貰、養料錢掠取、小兒を捨候一件、
當時無宿辨吉
右之者儀、小兒を貰、養料錢掠取、捨可申と、最初より相巧、藤八申合、卯兵衞當歳之娘たみを、一生不通之相對を以、藤八ニ爲貰受、養料錢分ケ取候上、同人倶々右たみを捨候段、不屆ニ付、存命ニ候得バ、死罪可申付ものニ候段、一件之もの〈江〉申渡、
此儀、松平右京大夫申上候趣ニ而ハ、彼地仕來之儀、金子を添貰候子を捨候もの、引廻し之上、獄 門ニ相成候例數多有之候由ニ候得共、金子を添、捨子を貰、其子を捨候もの、引廻し之上獄門之御定ニ有之、今般之辨吉ハ、捨子を貰候ニハ無之、養育料德用可致と、藤八申合、卯兵衞娘たみを、右藤八ニ爲貰、同人倶々捨候ものニ付、猶先例相糺候處、差當相當之例相見不申、寶暦十一巳年評議ニ御下ゲ被成候、大坂町奉行相伺候河州下三ツ島村髪結市兵衞忰藤八儀、請取置候女子片付料銀遣捨候ニ付、片付不相成迚、さんをたばかり、女子を請取歸り、丈助申合捨候上、又候丈助ニ爲貰候節、親市兵衞を請人ニ相立候儀ハ、得心致す間敷と存、市兵衞〈江〉不申聞、母しもを申僞、市兵衞印形を丈助〈江〉爲渡候段、巧之仕方重々不屆至極ニ御座候、乍然女子を捨候儀ハ、丈助申敎候事ニ而、捨候後金銀等貪候ニ無之、尤丈助〈江〉爲貰養育料銀可貪取と、最初より申合候儀とハ不相聞、殊ニ女子存命ニ罷在候事ニ御座候間、死罪と相伺、評議之上引廻し獄門と申上、引廻し死罪と御差圖有之候段被仰聞候例有之候得共、右例之藤八ハ、最初より捨候心底ニ而、金子添候子を貰候儀無之、今般之辨吉的當とも難申、右京大夫申上候書面之内、寛政五丑年、小田切土佐守奉行勤役之節、伺之上、御仕置申付候巢鴨原町源七儀、貧窮ニ而暮兼候とて、奉公人肝煎吉兵衞喜八を相賴、妻かつ儀、先達而出生いたし候處、無間も相果、乳有之候ニ付、外より里子取置候得共、小兒〈江〉金子附、養子ニ呉候もの有之候ハヾ貰受、里子ハ相返度旨彼是僞申聞相賴、吉兵衞世話ニ而、高柳安兵衞孫當歳之男子平五郎〈江〉、金壹兩壹分相添、養子ニ貰受候上、妻〈江〉ハ外〈江〉養子ニ呉遣候旨僞申聞、駒込千駄木町方家脇〈江〉捨、金子德用いたし、猶又喜八世話ニ而、市右衞門忰貳歳ニ相成候豐吉〈江〉、金子壹兩貳分附貰受候上、是又同樣之手續ニ而、牛込榎町武家方下屋敷外〈江〉捨子いたし、金子德用いたし候始末、巧成いたし方、其上家主〈江〉得と不對談も、店〈江〉引移罷在候段、重々不屆至極ニ付、引廻し之上獄門申付、右ハ享保十七子年、稻生下野守伺之上御仕置申付候、新下谷町庄左衞門店孫兵衞儀、南小田原町市兵衞店七兵衞出店衆庄助娘 を、入子望之もの有之段、長兵衞ニ申僞、右娘ニ金子相添貰、孫兵衞發起ニ而、長兵衞と申合、右女子を捨子ニいたし、金子を分取、重々不屆至極ニ付、獄門ニ相成候例ニ見合、源七儀、兩度迄捨候始末、別而不屆ニ付、捨子いたし候もの之御定をも見合、引廻し之上獄門と御仕置附仕候儀ニ有之、此度之儀ハ、捨子と違ひ、全く相對而已を以貰受候事ニ付、金子を添、捨子を貰、其子を捨候ものとハ、聊差別有之可然哉ニ付、右御仕置附之例ニ見合、存命ニ候ハヾ、獄門可申付處、病死いたし候間、其旨可存段、一件之もの〈江〉可申渡納
評議之通濟

〔草茅危言〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0220 捨子之事
一捨子ハ、町々ニ官命ヲ以テ、兼テ大切ニ致シ、マヅ早速拾ヒアゲ訴へ出、當分其家ヨリ養育シ、囉方ヲ町内ヨリトクト見屆ケ、養育大抵金子四五金分相添遣シ、ソノ費用ハ町内總ワリニシ、サシタルコトニモ非ズ、タマサカノコトナレバ、難義ト云ボドニモナシ、然レドモ小兒ノ成長マデハ、病氣又庖瘡ナド屆ケ來リ次第、ソノ家ヨリ追々合カイタシ、モシ又當分ニ病死ナドアレバ、官府ノ撿察ヲ乞ナド、色々世話モカヽリ、面倒ナルモノ故、毎度アリテハ迷惑ナルコトナリ、サテ貧民ハ手元ニテ育ツルヨリハ、大方宜シク片付ルコトヲシリ、スツル時サへ見付ラレザレバ、跡ニテ僉議モ咎メモナキコト故、ヨキコトニシテ、爭フテ捨ルハ憎ムベシ、又サシテ貧苦ニ迫ルニモアラデ、姧通出生ナド捨テ口ヲ消ヤウニスルコトモアリト見エテ、品ヨロシキhttp://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00245.gif 繃ナドヲ用タルモアリ、是ハ尚更憎ムベキモノ也、往歳サカンニ捨タル時ニ、官命アリテ、以來ハ捨子ヲバ屠村ニ下サルヽトノコトニテ、捨ヤミタルコトアリシ、今ハソノ法令モヤミタルニヤ、市中ノ取計ヒ已前ノ如クニナリタリ、コノゴロアラタニ號令アリテ、捨子ヲ又屠者非人ニ下サルヽトノ命アリトモ聞タリ、イマダ實否ヲシラズ、何ブン屠村ノ令面白キヤウナレドモ、退テ考フルニ、捨ル者ニ 罪アリテ、小兒ニ罪ナシ、然ルヲ罪アル親ハ問ズシテ、罪ナキ小兒ノミ屠村ニ下シ、人外トセバ、其兒成長ノ上ニテ思ハン處モ不便也、又今ノ如クニテ、屠家非人ノ内ヨリ捨ルモアルべシ、ソレヲイカニ知ネバトテ、平民ノ子トシテ撫育スルモアルマジキコト也、故ニ此處置ヲセンニハ、子ヲ捨タル上ノ評議ヨリモ、先子ヲステサセヌヤウノ仕方アルベキノミ、ソノ法イカン、蓋シ窮民ニテモ、表長屋ニ住スルホドノ者ハ、子ヲスツルニハ至ルマジ、必定裏借屋ニ住スル者ノコトナルベシ、端々ニテハ、表屋モアル可カ、兼テ嚴令ヲ傳ヘテ、間閻至賤ノ細民ノ分、出産ノ節ハ、兩隣又ハ向側ナドノ内、手近キ者兩人立合見屆クルヤウニト、町年寄家主ヨリ堅ク申付置、七夜ノ内ニ其親小兒ノ名ヲ書ツケ、兩隣附添家主へ屆ケ、早々町ノ人別ニ入ベシ、若養子ニ遣ハス約アラバ、其旨ヲ兩隣トモニ、右ノ通リトヾケ出テ、町ヨリ囉ヒ方ヲ一應ミトヾケノ人遣ハシ、其家主ヘトヾケ置ベシ、囉ヒタル町モ、兩隣立合、右ノ通ニシテ速ニ町ノ人別ニ入べシ、モシ又勝手ニ附、暫ク親類ニ預ケタキト云フモノハ、アヅケタル時戻リタル時、兩町互ニ相屆クベシ、アヅカリタル兩隣モ右同段ナリ、

〔平安落穗集〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0221 捨子之事
延享之頃、今出川通り近衞殿の塀の外面に捨子ありしを、御裏なる姫君の御方聞し召、不便に思召、ひろわせて育させ給ひし、其北側冷泉家の屋敷なりしが、此事を爲村卿よみ給ふ、
捨し親の嘸すてかねて捨つらん捨られし子のあぢきなき聲、となん、又享保の末の頃、かたじけなくも、靈元帝、捨子といふ事叡聞に達せしかば、
哀なれ夜半に捨子の泣止むは親に添寝の夢や見つらん、と遊ばされしぞ有がだき、

婿

〔新撰字鏡〕

〈親族〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0221 聟〈毛古、又可支、〉

〔倭名類聚抄〕

〈二/姻婚〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0221 壻 爾雅云、女子之夫爲壻、〈細反〉作http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00268.gif 、〈和名無古(○○)〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/婚姻〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0222 按説文、壻、夫也、从土胥、段玉裁曰、夫者丈夫也、然則壻爲男子之美稱、因以爲女夫之稱、新撰字鏡、聟訓毛古、按无古、蓋匹敵子之義、猶訓嫡爲无加比女也、

〔伊呂波字類抄〕

〈无/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0222 聟〈ムコ亦作壻、子之夫爲聟、〉

〔倭訓栞〕

〈前編三十一/牟〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0222 むこ 壻をいふ、聟も同じ、めすこなるべし、めす反む也、めすは聘也、こは子也、新撰字鏡に、もこともかきともよめり、むこぎみといふ詞、物語類に多し、古事記に聟夫をよみたり、爾雅に、女子謂姊妹之夫私、孫炎註に、謂正親也と見ゆ、和名鈔同じ、

〔倭訓栞〕

〈中編十七/那〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0222 なからむすこ(○○○○○○) 婿をいふ、半子の義によれり、

〔日本釋名〕

〈中/人品〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0222 壻 むつましき事、子のごとし、つましを略す、からの書に、むこを半子といへるがごとし、

〔萍の跡〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0222 娶 婚 嫁
男を聟といふは、女の父母よりよぶ名にて、わが女に對るよしもて、向子(ムカツコ)の中略ならむか、又女をよめといふも、男の父母よりよぶ名にて、淑女(ヨメ)のよしなるべし、僧慈延が隣女晤言にいへるは、いづれもおだやかならず、

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0222 女子子之夫爲壻(ムコ)、之父爲姻、婦之父爲(オツトカタノアヒヤケ)婚(メカタノアイヤケ)、
邢氏曰、廣雅云、壻謂之倩、方言云、東齊之間、壻謂之倩、白虎通云、婚姻者何謂、昏時行禮、故曰婚、婦人因夫而成、故曰姻、唐書回紇傳、可汗上書、言昔爲兄弟、今婿半子也、陛下若患西戎、子請以兵除之、
胤按、後世壻稱半子(○○)、蓋本于此、婦翁與壻書、或稱賢坦英坦、皆用王羲之東牀坦腹之事、尤僻、皆非正名也、

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0222是火遠理命思其初事而、大一歎、故豐玉毘賣命聞其歎、以白其父言、〈○中略〉其父大神問其聟夫(○○)曰、〈○下略〉

〔古事記傳〕

〈十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0223 聟夫は御牟古能君(ミムコノキミ)と訓べし、〈たヾ牟古とのみ訓むは輕きが如くなればなり、〉和名抄に、爾雅云、女子之夫爲壻、作http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00268.gif 、和名無古と見え、字鏡には聟毛古(モコ)とあり、

〔文德實録〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0223 齊衡三年六月丙申、正三位源朝臣潔姫薨、潔姫者、嵯峨太上天皇之女也、母當麻氏、天皇選聟未其人、太政大臣正一位藤原朝臣良房弱冠之時、天皇悦共風操超一レ倫、殊勅嫁之、

〔古事談〕

〈二/臣節〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0223 堀河左府、〈○藤原顯光〉知足院殿〈○藤原忠實〉ヲ聟ニ奉取、賞翫之餘常被仕陪膳、毎汁物先啜試テ氣昧調タルニ、飯ヲ漬テ被奉ケレバ、無便トオボシナガラ食給ケリ、其由大殿ニ被語申ケレバ、暫御案アリテ被仰云、左府モ可然之人也、有何事哉云々、

〔空穗物語〕

〈藤原の君〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0223 かむつけの宮とて、ふるみこおはしましけり、そのみこは物ひがみ給へるみこにておはしける、ほいたくいまよにあるかんだちめみこたち、この殿のむこ(○○)になるを、今さら我をもせんとて、めをもおひはらひて、今左大將の家にいきて、我すめらんにめす人たらば、思ひうとみなむとの給て、まちおはしますにおひいで給まヽに、みなこと人〴〵に奉り給つ、このみこさりとも、我をみこかずにいれ給はざらんやはとおもほすに、八君とおひ給ときヽて、これならんと待給へば、左衞門のかみに奉り給と、きこしめしおどろきての給やう、あやしくこの大將の我思ふことをまだなさぬかなとの給て、あまたヽび御せうそこあれど、殿うちにわらひのヽしりて御返なし、おほかたは九にあたるあんなり、それをさしはへていはんとて、あて宮に御ふみあり、されどあやしき物に思ほし聞え給はず、此みこよろづに思ほしさはぎて、おんみやうし、かむなき、はくち、京わらはべ、をうな、おきな、めしあつめての給はく、我此よにむまれてのち、めとすべき人を、六十よこく、もろこし、しらぎ、こま、天ぢくまでたづねもとむれど、さらになし、この右大將源のまさよりのぬしのむすめども、十よ人にかヽりてあなり、

〔枕草子〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0223 あぢきなきもの しぶ〳〵におもひたる人を、しのびて聟にとりて、思ふさまならずとなげく人、

〔枕草子〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0224 ある人のいみじう時にあひたる人のむこ(○○)になりて、一月もはか〴〵しうもこでやみにしかば、すべていみじういひさはぎ、めのとなどやうのものは、まが〳〵しき事どもいふもあるに、其かへる年の正月に藏人になりぬ、あさましう、かヽるなからひに、いかでとこそ人は思ひためれなどいひあつかふは、聞らんかし、六月に、人の八講し給ひし所に、人々あつまりてきくに、この藏人になれるむこの、れうのうへの袴、すわうがさね、くろはんひなど、いみじうあざやかにて、わすれにし人の車のとみのをに、はんひのをひきかけつばかりにてゐたりしを、いかに見るらんと、車の人々も、しりたるかぎりは、いとほしがりしを、こと人どもヽ、つれなくゐたりし物哉など、後にもいひき、

〔長秋記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0224 長承三年六月三日辛巳、大工季貞依犯遇止作事、依此事諸事懈怠也者、
付他人歟、爲季貞養子(○○○○○)〈聟也(○○)〉、時次可作歟

〔吾妻鏡〕

〈四十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0224 建長二年六月廿四日戊午、今日居住佐介之者、俄企自害、聞者競集圍繞此家、觀其死骸、有此人之聟(○○○○)、日來令同宅處、其聟白地下向田舎訖、窺其隙艶言於息女、息女殊周章敢不許容、而令櫛之時、取者骨肉皆變他人之由稱之、彼父潜到于女子居所、自屏風之上入櫛、息女不意而取之、仍父已准他人欲遂志、于時不圖而聟自田舎歸著、入來其砌之間、忽以不悲、及自害云云聟仰天悲歎之餘、即離別、妻女依彼命、此珍事出來、不孝之所致也、不芳契之由云云、剰其身遂出家、修行訪舅夢後云云、

相婿

〔倭名類聚抄〕

〈二/姻婚〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0224 婭 釋名云、兩婿相謂爲婭、〈亞反、和名阿比無古(○○○○)、〉言一人取姉、一人取妹、相亞次也、又曰、友壻、言相親友也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/婚姻〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0224 釋名又云、又並來入女氏門、姉夫在前、妹夫在後、亦相亞也、〈○中略〉原書婭作亞、 接兩壻相謂爲亞、爾雅文、劉氏依之、爾雅釋文云、亞又作婭故源君引釋名亦作婭、但古無婭字、玉篇、婭姻婭也、又後漢陣度碑有婭字

〔伊呂波字類抄〕

〈安/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0225 婭〈アヒムコ兩聟相謂曰婭〉

〔倭訓栞〕

〈中編一/阿〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0225 あひやけ〈○中略〉 あひむこは婭也、兩婿也と注せり、連襟とも見ゆ、

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0225 兩壻相謂爲亞(/アヒムコ) 郭氏曰、詩云瑣瑣姻亞、今江東人呼同門僚壻、丘氏曰、前代謂之僚壻、俗謂之連襟友壻

〔新撰字鏡〕

〈親族〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0225 娕〈戸奈〉娍㛐〈三字與女〉

〔倭名類聚抄〕

〈二/姻婚〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0225 婦 爾雅云、子之妻爲婦、〈和名與女(○○)〉又云、夫之婦也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/婚姻〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0225 按女子謂弟之妻亦爲婦、見下條、〈○嫂婦條〉又按古謂女子婦、又謂妻爲婦、男女類婦人條詳之、謂子之妻婦、女子謂弟之妻婦、皆轉注也、契冲曰、與女、蓋呼女義、

〔隣女晤言〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0225 婦(ヨメ)
和名抄云、爾雅云、子之妻爲婦、〈和名與女〉又云、嫂婦、爾雅云、女子謂兄之妻嫂、弟之妻爲婦、〈和名與女、父母之呼子妻同、已、上、〉貝原氏日本釋名に、よめはよはめなり、よはは、わかくしてちからよはき意、たをやめの意なりと云々、然るにたをやめは、和名抄に、別に婦人をあげて云、日本紀云、手弱女人〈和名太乎夜女〉といへり、よめとおなじ訓にてはあるべからず、延喜式大殿祭祝詞に、夜女乃伊須々伎伊豆都志伎事無〈久〉とあるによれば、夜の殿につかふるわかき女といふ心にや、兄の妻をもよめとよぶをおもへば、よはめの心にはあらじかし、

〔伊呂波字類抄〕

〈與/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0225 婦〈ヨメ子妻曰婦〉

〔倭訓栞〕

〈前編三十六/與〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0225 よめ 婦をいふ、弱女の義也、手弱女人といへる意也、靈異記の歌にも、なれをそよめにほしとヽよめり、日本紀に、嬪又媛をもよめり、新撰字鏡には、娕娍㛐婭ともに訓せり、皆義 をもてよめるもの也、㛐は嫂に同じ嫁、嫗は心得がたし、〈○中略〉爾雅注に、生曰妻死曰嬪、太宰氏曰、延年書云、嬪于虞、詩云、聿嬪于京、周禮有九嬪之官、此猶謂兄爲晜妹爲一レ媦非死生之異稱矣、

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0226 子之妻爲婦(/ヨメ)、長婦爲嫡婦(/サウレウヨメ)、衆婦爲庶婦(/スエノヨメ)
胤按、禮内則、介婦請於家婦、鄭康成曰、以其代姑之事、介婦、衆婦、即此謂嫡婦庶婦也、

〔枕草子〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0226 ありがたきもの
しうとにほめらるヽむこ、又しうとめにおもはるヽよめのきみ、

〔安齋隨筆〕

〈後編一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0226 秋茄子 秋茄子、娵にくはせぬ歌、秋なすびわさヽあかすにつけまぜて娵にはくれじたなにおくとも、夫木集にあり、予按に、養生編に、茄子性寒利多食必腹痛下痢、女人能傷子宮也と、これによる歌なるべし、按に、茄子味佳なり、姑たるもの娵をにくみてくはすまじきと云ふ意なりと解くは、捧腹すべし、わさヽは早酒なり、新酒也、

〔理齋隨筆〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0226 の娵噂の捨所
六あみだ娵の噂の捨處、といへる川柳點の句あり、近き頃彼岸中に、六阿彌陀へ參詣せし道すがら、老婆三四人連にて、おの〳〵娵の噂よしあし取々に罵りありく、川柳點は實にもと心に感じたれど、餘り憎氣なるゆゑに、予〈○志賀忍〉老婆に向ひて、扨いづれもは、けふ後生參り罪ほろぼしのために出たるならん處を、斯く娵の噂を念佛に換らるヽは、かへつて罪深かるべし、殊には嗔恚をもやし、身の養生にも惡しかりなん、けふばかりは曲て、心ゆたかに參詣あれと申ければ、老婆共聊受がはずして曰、いや〳〵左樣の事に候はず、我々事、宿許にて申度事は數々なれど、それをこらへて口に出さぬ故に、いつとても胸ふさがり居るなり、けふは彼岸の功德なるまヽ、むねに溜置たるを晴さん爲に、かくは語り、合候事なり、是また、阿彌陀の御影なりと存れば、罪亡しならんとて、ます〳〵噂して止まず、是等は柄をすげたる理屈、かだましき事、そふじて婦人の心根、みな かヽる趣なるは淺まし、

〔鉢かづき物語〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0227 はヽうへ仰けるやうは、さもあれはちかづきはへむげの者にて、わか君をうしなはんとおもふやらむ、いかヾせんれんせいと仰ける、れんせい申されけるは、かの君はさならぬことさへ、いろふかく物はぢをし給て、おぼろげごと迄もつヽましげ成みたちにてわたらせ候へ共、此事におゐてははぢたまふけしきも候はず、さあらばきむだちのよめくらべ(○○○○○)をし給ひて御らん候へ、さやうに候はヾ、かのはちかづきはづかしく思ひて、いづくへも出行こと候はんと申されければ、實もと思召、いつ〳〵きんだちのよめくらべ有べしと、口々にふれさせける、さる程に、さいしやうどの、はちかづきがもとへ御入有て、あれ聞給へ、我々を追うしなはんために、よめくらべといふこと申いだしてふれ候へば、いかヾせんと涙をながし給ひければ、はちかづきもともになみだをながし申樣、われゆへに君をいたづらになし申べきか、我々いづくへもゆかんと申ければ、さいしやうどの仰けるは、御身にはなれては、かた時もゐられ候まじ、いづかたへなり共ともに出んとのたまへば、はちかづき何と思ひわけたる方もなく、涙をながしゐたりけり、〈○中略〉よもやう〳〵あけがたに成ぬれば、急出んとて、涙と共に二人ながら出んとし給ふ時に、いたヾき給ふはち、かつはとまへに落にけり、さいしやうどのおどろき給ひて、ひめぎみの御かほをつく〴〵とみたまへば、十五夜の月のくもまを出るにことならず、かみのかヽりすがたかたち、何にたとへん方もなし、〈○中略〉是程いみじきくわほうにてましますことのうれしさよ、今はいづくへもゆくべきにあらずとて、よめ合のざしきへ出んとこしらへ給ふ、

新婦/新造/花嫁

〔日本書紀〕

〈二十七/天智〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0227 三年十二月、是月淡海國言、〈○中略〉栗太郡人磐城村主殷之新婦(○○)床、席頭端一宿之間、稻生而穗、其旦垂頴而熟、明日之夜更生一穗、新婦出庭、兩箇鑰匙自天落前、婦取而與殷、殷得始富、

〔倭訓栞〕

〈前編十一/志〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0227 しんざう(○○○○)〈○中略〉 今士大夫の新婦を稱せり、深窻なるべし、源氏によそほひ深き まどに居てとあり、娼婦をいふは、唐詩に新粧本絶世と見えたり、

〔貞丈雜記〕

〈二/人品〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0228 一人の妻を御新造と云ふ事、婚禮の前に、其の妻の居所を新しく造る故、あたらしく造ると書きて、しんぞうと云ふ也、

〔秋齋間語〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0228 尾州和多郡邊にてよめ入の事、富る人新く船をこしらへ、へさきに婿とよめの紋をすへ、是にのせておくる、さればよめを御新艘ともいふなり、名ごや堀川へ來る海船に、ふたつ紋つきたる多し、古風なる事にや、

〔橘庵漫筆〕

〈初編五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0228 士の妻女稱して御新造といへり、いかにも此字義あたらず、御深窻(しんぞう)と云べきを誤りつたふるものか、御深窻は奥樣と云に對して稱するなるべし、李白の詩に、美人捲珠簾深坐嫰蛾眉と作、長恨歌に、楊家の深窻に養れといへり、何れにも御深窻と書が禮なるべし、秋齋間語の新艘の説、野にして隘哉、陸氏が傾城の新艘の説は可なるべし、

〔松屋筆記〕

〈百〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0228 花娵(○○)
新撰筑波春部に、花よめごぜもよその人かは、青柳のいとこどうしが契りして、

〔倭名類聚抄〕

〈二/子孫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0228 孫 爾雅云、子之子爲孫、〈尊反、和名無萬古(○○○)、〉一云比古(○○)、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/子孫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0228 説文、子之子曰孫、从子从系、系續也、釋名、孫遜也、遜遁在後生也、廣雅、孫順也、令集解、嫡孫俗云宇麻古也、衆孫俗云宇麻古也、靈異記孫亦訓于万古、拾遺集重之母歌小序、國章歌、謂子之子牟麻古、按宇麻古、无麻古、一聲之轉耳、馬訓宇麻、又訓无麻、梅訓宇女、又訓无女、郁子訓宇倍、又訓无倍、狢訓宇自奈、又訓无自奈之類、是也、蓋中世以來、其所呼非宇非牟、今俗亦爾、後人多書作牟、然非正呼上レ牟也、又今俗呼孫爲麻古、即宇麻古之急呼也、令集解嫡孫衆孫並云宇麻古、蓋無別稱也、一云比古四字、舊及山田本、尾張本、昌平本、曲直瀨本下總本皆無、獨廣本有之、今附存、伊呂波字類抄、不比古之名、按孫有二義、一訓比古、即子之子也、比者隔物之稱、與氷醫並訓一レ比同、曾 孫訓比々古者、再隔之義也、一訓宇麻古、謂裔孫也、蓋蕃息子之義、其稱泛渉子々孫々、空物語俊蔭卷云、三代乃无麻古、是也、訓子之子宇麻古者、非古義、則有一云比古字是、蓋古訓曾孫比々古、後俗急呼爲比古、與孫訓混、故淺人呼孫爲宇麻古、以避之、遂失其本訓也、

〔伊呂波字類抄〕

〈末/人孫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0229 孫〈マコ〉

〔同〕

〈无/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0229 孫〈ムマコ〉

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0229 子之子爲孫(/マゴ)
郭氏曰、孫、猶後也、

〔令集解〕

〈四十/喪葬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0229 古記云、釋親云、子之子爲孫、繼嗣令云、无嫡子及罪疾立嫡孫、儀制令、祖孫爲二等是也、俗云、宇麻古也、

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0229出雲國之多藝志之小濱、造天之御舎〈多藝忘三字以音〉而、水月神之孫(○)櫛八玉神爲膳夫、獻天御饗之時、〈○下略〉

〔古事記傳〕

〈十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0229 孫は、和名抄に、爾雅云、子之子爲孫、和名無万古、一云比古とある中に、比古と云ぞ正しかるべき、孫字古くは皆然訓り、又曾孫を比々古と云も、比古の子と云意なればなり、〈今俗に曾孫を比古と云は、比々古の訛れるなり、さて孫を無万古とあるは、馬梅などをも、後には牟万牟米と云例にて、本に宇万古なり、そは蕃息子にて、子等の又子等の、つぎ〳〵に蕃息れる意の稱なり、是も古き稱とはきこゆ、〉さて此の孫は、泛く子孫の意に云るかとも見ゆれども、猶子の子を云なるべし、

〔日本書紀〕

〈二/神代〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0229 一云、〈○中略〉彦火火出見尊巳還郷、即以鸕鷀之羽葺爲産屋、〈○中略〉豐玉姫自馭大龜、蒋女弟玉依姫海來到、巳而從容謂天孫(○○)曰、妾方産、請勿臨之、天孫心怪其言竊覘之、

〔源氏物語〕

〈十九/薄雲〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0229 後の御わざなどにも、御子どもむまご(○○○)に過てなん、こまやかにとぶらひあつかひ聞え給ける、

〔源氏物語〕

〈二十一/乙女〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0229 大宮もさやうの氣色は御らんずらん物を、世になくかなしうし給ふ、御むまごにてまかせてみ給ふらんと、人々のいひし氣色を、めざましうねたしとおぼすに御心うごきて、 すこしをヽしうあざやぎたる御こヽろにはしづめがたし、

〔北條五代記〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0230 房州里見家の事
見しは今、安房上總は南の海中へうかび出、たヾ島國とおなじ、此兩國を里見の家數代持つヾけ、君臣相傳り長久の國なり、然るに隣國下總の國と代々たヾかひて、つゐに無事なる事をきかず、去程に、兩國の侍親おうぢ孫ひこやしは子の末迄も、他國を見たる人なし、是誠に希代のためしなるべし、古歌に、
親のおや子の子の子まで山賤のほたの火けたで形見とぞする、とよめるも、是にたぐへて思ひ出せり、

嫡孫/庶孫

〔伊呂波字類抄〕

〈知/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0230 嫡孫
V 令集解

〈四十/喪葬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0230 釋云、除嫡孫之外皆爲衆孫也、古記云、除嫡孫之外、諸孫祖孫爲二等是也、俗云、宇麻古也、

〔續日本紀〕

〈二/文武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0230 大寶元年七月戊戌、太政官處分、〈○中略〉功臣封應子、若無子勿傳、但養兄弟子子者聽傳、其傳封人亦無子聽更立養子而轉授上レ之、其計世葉一同正子、但以嫡孫(○○○)爲繼不封、

〔諸例集〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0230 一嫡孫承祖たるもの、親類書に、祖父認方、幷甥之家相續等之儀、
同年〈○文化元年〉六月廿一日、阿部播磨守ゟ問合、久田縫殿頭差出袋廻し、
嫡孫承祖たる者、親類書等ニ、祖父を父と認候儀ニ御座候哉、左候得者、祖父も嫡孫を嫡子と認候而宜御座候哉、又者忌服日數已父嫡子之通ニ而、名目者其儘祖父嫡孫と心得候而宜御座候哉、
書面之通者、祖父嫡孫と書出、釋書ニ其譯認候事に候、
一甥之家を致相續候得者、甥を父ノ如く服忌請候儀ニ御座候得共、親類書ニ者父と不認、名前計認置、譯書ニ右相續之譯認候而宜御座候哉、又者父之如く服忌請候上者、父と認候儀ニ御座候哉、 書面之通者、家督相續之上者、養父ト認譯書續〈キ〉 之譯書出し候事ニ候、

〔伊呂波字類抄〕

〈无/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0231 庶孫

曾孫

〔新撰字鏡〕

〈親族〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0231 曾孫比々古(○○○)

〔倭名類聚抄〕

〈二/子孫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0231 曾孫 爾雅云、孫之子爲曾孫、〈和名比比古〉一云、曾疎也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/子孫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0231 釋名曾孫、義如曾祖也、新撰字鏡、垂仁、神功、持統紀同訓、急呼爲比古、見宇治拾遺物語、今俗所呼亦同、與孫訓混、非是、按以下六條所有注、即爾雅原注、而來昆仍雲四注、與郭璞略同、至曾孫玄孫、郭璞曰、曾猶重也、玄者言親屬微昧也、與源君所一レ引不同、則知此所引、蓋皆舊注、其與郭略同者、郭氏依舊解也、

〔伊呂波字類抄〕

〈比/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0231 曾孫〈ヒヽコ、孫之子、〉

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0231 孫之子爲曾孫(/ヒマゴ)
郭氏曰、曾、猶重也、丘氏曰、今稱重孫
胤按、書武成惟有道曾孫周王發、疏言已承藉上租奠享之意、又左傳哀二年、衞太子禱曰、曾孫蒯聵 敢昭告皇祖文王、疏、禮於曾祖以上、皆稱曾孫、此雖並告三祖、對文王康叔曾孫也、蓋曾孫雖孫之子之稱、而臨祭祀、或泛稱遠孫耳、

〔倭訓栞〕

〈前編二十五/比〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0231 ひヽこ 日本紀、新撰字鏡、倭名鈔に曾孫をよめり、俗にひことも、ひまごともいへり、ひとは目瞖のごとく重り隔つ意ありといへり、新撰字鏡に彦もよめり、

〔古事記〕

〈中/景行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0231 天皇〈○中略〉娶倭建命之曾孫(○○)、名須賣伊呂大中日子王〈○註略〉之女、訶具漏比賣、生御子大枝王

〔古事記傳〕

〈二十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 曾孫は、和名抄に、爾雅云、孫之子爲曾孫、和名比々古、字鏡にも、曾孫比々子とあり、〈契冲云、凡て物を隔つるを比と云、孫は一重隔たる子なり、曾孫は、又一重隔たる子なり、目翳を比と云も此意なり、水の氷もこれなり、〉

〔古事記傳〕

〈三十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 繼體天皇は、此意富々杼王〈○應神皇子〉の御曾孫(○○)に坐を、彼天皇御段に、たヾ品陀天皇五世之孫とのみ記して、其御世系を記さず、然れば伊邪河宮段に、息長帶比賣命〈神功皇后〉の御也系を記せる如くに、此に必繼體天皇の御祖世系を記すべきことなるに、たヾ御後の氏々をのみ擧げて、其を記さヾるは事闕たり、故今書紀釋に引る上宮記に依て試に云ば、故意富々杼王娶中斯和命子宇比王、此王娶牟宜都國造名伊自牟良君女久留比賣命子宇志王、此王娶伊玖米天皇七世之孫振比賣命子袁本杼命〈○繼體〉也と記すべきことなり、〈なほ此御世系の委き事は、彼天皇御段に云べし、〉

〔日本書紀〕

〈九/神功〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 氣長足姫尊、稚日本根子彦太日日天皇〈○開化〉之曾孫、氣長宿禰王之女也、

玄孫

〔新撰字鏡〕

〈親族〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 玄孫豆々子(○○○)

〔倭名類聚抄〕

〈二/子孫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 玄孫 爾雅云、曾孫之子爲玄孫、〈和名夜之波古(○○○)〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/子孫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 釋名、玄孫、玄縣也、上縣於高祖、最在下也、雄略紀同訓、夜之波古又見宇治拾遺物語、新勅撰和歌集歌、按夜之波、蓋彌數之義、

〔伊呂波字類抄〕

〈无/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 玄孫〈ヤシハコ曾孫之子爲玄孫

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 曾孫之子爲に玄孫(/ヒヽコ)
郭氏曰、玄者、言親屬微昧也、

〔日本書紀〕

〈十四/雄略〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 十三年三月、狹穗彦玄孫(ヤシハゴ)齒田根命、竊姧采女山邊小島子

〔續日本紀〕

〈二/文武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 大寶二年十月乙卯、詔、上自曾祖下至玄孫奕世孝順者擧戸給復、表旌門閭以爲義家焉、

〔三代實録〕

〈九/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 貞觀六年八月十日甲子、右京絶貫百姓大中臣朝臣豐御氣自言云、親父麻呂、故刑部卿從四位下東人之玄孫也、〈○下略〉

〔三代實録〕

〈三十二/陽成〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 元慶元年十二月廿五日辛卯、左京人從五位下行木工助中臣朝臣伊度人、高祖父從五位下中臣朝臣石根玄孫十九人、共賜大中臣朝臣、伊度人、故神祇伯從四位上逸志之男也、

〔老人雜話〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 野槌に、淸原極﨟とあるは船橋殿也、當時は皆稱して極﨟殿と云へり、外記環翠軒の曾玄孫の間(○○○○○)也、

〔新勅撰和歌集〕

〈七/賀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 貞永元年六月きさいの宮の御方にて、はじめて鶴契遐年といふ題を、講ぜられ 侍けるに、 前關白
鶴の子の又やしは子(○○○○)の末までもふるきためしをわが世とやみん

來孫

〔倭名類聚抄〕

〈二/子孫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 來孫 爾雅云、玄孫之子爲來孫、言只有往來親耳、今按五代之孫也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/子孫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 釋名、來孫、此在無服之外、其意疎遠、呼之乃來也、下總本注首有武知佐之四字、按舊及山田本、尾張本昌平本、曲直瀨本、廣本皆無、類聚名義抄、伊呂波字類抄亦不載、於他書亦未其名、蓋後人增加、非源君舊文也、

〔伊呂波字類抄〕

〈无/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 來孫〈玄孫之子、五代孫也、〉

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 玄孫之子爲來孫(/四代ノマコ)
郭氏曰、言往來之親、釋名云、其義疏遠、呼之乃來也、禮祭法、適來孫、方http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00081.gif 曰、玄孫之子爲來者、以其世數雖遠、方來而未一レ巳也、

〔延喜式比保古〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 大海神社二座〈○中略〉
神功皇后紀、於是從軍神、表筒男、中筒男、底筒男、三神誨皇后曰、我荒䰟令於穴門山田邑也、時穴門直之祖踐立、津守連之祖田裳見宿禰、啓于皇后曰、神欲居之地、必宜定、則以踐立荒䰟之主、仍祠 立於穴門山田邑、起謂、田裳見來孫(○○)、于今攝州住吉和䰟社神主也、

昆孫

〔倭名類聚抄〕

〈二/子孫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0234 昆孫 爾雅云、來孫之子爲昆孫、昆後也、六代孫也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/子孫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0234 原書今本昆作晜阮元曰、史記孟嘗君列傳索隠、漢書惠帝紀顔注、皆引作昆孫、是唐初本爾雅作昆、開成石經始誤作晜、猶http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00250.gif 弟字釋文及後漢書注誤作一レ昆也、今本郭注暴後也、亦當昆邢疏云、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00250.gif 、後也、釋言文、今釋言作昆後也、可證、愚按釋親、晜兄也、説文、周人謂兄爲晜説文又云、昆同也、段玉裁曰、同而或先或後、故轉爲先又爲後也、然則訓後者轉注也、是http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00250.gif 昆二字不同、而多通借、然可昆爲晜弟、不http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00250.gif後昆、此作昆孫昆後也是、釋名、昆孫、昆貫也、恩情轉遠、以禮貫連之耳、

〔伊呂波字類抄〕

〈无/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0234 昆孫〈來孫之子、六代孫也、〉

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0234 來孫之子爲晜孫(/五代ノマゴ)
郭氏曰、晜、後也、
胤按、左傳昭十六年、子産曰、孔張、君之昆孫、子孔之後也、杜曰、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00250.gif 兄也、子孔、鄭襄公兄、孔張之祖父、此謂兄之孫耳、與爾雅別、

仍孫

〔倭名類聚抄〕

〈二/子孫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0234 仍孫 爾雅云、昆孫之子爲仍孫、仍重也、今按七代之孫也、漢書云、耳孫、仍耳聲相近、蓋一號也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/子孫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0234 釋名、仍孫以禮仍有耳、恩實遠也、按説文、仍因也、大雅常武毛傳、仍就也、凡有物而有之有之、故因就轉訓重也、〈○中略〉耳孫、見惠帝紀注、應劭曰、耳孫者玄孫之子也、李斐曰、耳孫曾孫也、晉灼曰、耳孫玄孫之曾孫也、顔師古曰、耳孫諸説不同、據平帝紀、諸侯王表、耳音仍、仍耳聲相近、蓋一號也、則知此所引顔注也、按平帝紀、元始五年立梁孝王玄孫之耳孫音王、又諸侯王表梁孝王表、元始五年二月丁酉、王音以孝王玄孫之曾孫封、在紀言耳孫、在表言曾孫、則以耳孫曾孫、又匈奴傳、握衍胊鞮單于者、烏維單于耳孫也、以匈奴傳之、自烏維單于而下、或立弟、或立子、以世次之、則握衍胊鞮單于、與烏維單于之曾孫同行、又以知耳孫者曾孫也、又史記夏本紀、禹者黄帝之玄孫、三代世表、帝禹黄帝耳孫、在紀言玄孫、在表言耳孫、則是以玄孫耳孫也、依之未定以耳孫即仍孫也、然則以耳音仍、則誤矣、

〔伊呂波字類抄〕

〈无/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0235 仍孫〈昆孫之子、七代孫也、〉

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0235 晜孫之子爲仍孫(/六代ノマコ)
郭氏曰、仍亦重也、

雲孫/耳孫

〔倭名類聚抄〕

〈二/子孫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0235 雲孫 爾雅云、仍孫之子爲雲孫、言輕遠如浮雲也、今按八代孫也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈孫/子孫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0235 釋名、雲孫言己遠如浮雲也、谷川氏曰、雲孫呼都留乃古(○○○○)、見新勅撰集歌、都留蓋蔓也、瓜葛之意、下總本注末有九代以後無名只可其次十一字、蓋亦後人所增、非源君舊文也、

〔伊呂波字類抄〕

〈无/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0235 雲孫〈仍孫之子、八代孫也、〉

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0235 仍孫之子爲雲孫(/七代ノマコ)
郭氏曰、言輕遠如浮雲
胤按、國語、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00251.gif 之從孫四岳佐之、章昭曰、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00251.gifhttp://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00251.gif 工也、從孫(/ヲイマゴ)、昆弟之孫也漢惠帝紀、内外公孫耳孫(/トヲキマコ)、應劭曰、
耳孫者、玄孫之子也、言其曾高益遠、但耳聞上レ之也、李斐曰、耳孫、曾孫也、晉灼曰、耳孫、玄孫之曾孫也 諸侯王表在八世、師古曰、耳孫、諸説不同、仍耳聲相近、蓋一號也、正字通云、耳孫、雲孫之子也、仍孫之 子爲雲孫、耳不復音仍、應説是、師古註誤也、〈據應説則係玄孫之子來孫混、但當指遠孫而言、不必拘世數耳、〉又韓文、濁孤府君墓誌銘、夫人天水權氏貞孝公皐之承孫、將之翹曰、承孫字未詳、又類書纂要、父故祖死、爲長孫者、代父服斬衰三年、謂之承重孫(/ヂイノカトクノマコ)、凡此等稱、爾雅所無、故附、

〔鎌倉大草子〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0236 基氏の雲孫(○○)永壽王丸〈○足利成氏〉を以、關東の主君として、〈○下略〉
○按ズルニ、成氏ハ基氏ノ玄孫ナレバ、此雲孫ハ蓋シ遠孫ノ義ナラン、

外孫

〔倭名類聚抄〕

〈二/子孫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0236 外孫 爾雅云、女子之子爲外孫

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/子孫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0236 原書女子下更有子字、按女子嫁、他家生、故曰外也、

〔伊呂波字類抄〕

〈无/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0236 外孫女子之子

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0236 女子子之子爲外孫(/タメウノマコ)
丘氏曰、今人通謂外甥是、禮記疏、不直云女子、而云女子子者、凡男子女子、皆是父生、同爲父之子、男子則單稱子、女子則重言子者、案鄭注器服云、重言女子子、是別於男子、故云女子子
胤按、居家必用、外孫三等、一曰外孫、謂女之子也、二曰離孫謂外甥之子也、三日歸孫、謂女子兄弟之孫也、此亦與爾雅説同、

〔吾妻鏡〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0236 養和二年〈○壽永元年〉九月廿日戊子、中納言法眼圓曉、〈號宮法眼〉自京都下向、是後三條院御後、輔仁親王御孫陸奥守源朝臣〈義家〉御外孫也、武衞尋彼舊好請申也、則被營中給、

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0236 壽永三年二月二日辛酉、傳聞、伯耆國美德山有院御子之人、生年廿歳、未元服云々、使官資隆入道外孫云々、幼稚之時、九條院被養育、其後依衆生外祖父家、然間生年十五之年、无音逐電、人不其意趣、即向大和國暫隨逐二川冠者、〈其時稱成親卿子也云々〉

〔武德編年集成〕

〈六十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0236 慶長十九年二月二日、仙丸ガ母ハ奥平美作守信昌ガ女ニテ、神君ノ御外孫女(○○○○)タル故カ、二萬石ヲ安堵シ、江府六本木ノ別墅ニ蟄居セシム、忠隣ガ次男石川主殿頭忠總ハ、外祖父(○○○)石川日向守家成ガ嗣子ト成ユへ、是モ其祿ヲ安堵シテ、東武ニ蟄居ス、

離孫

〔倭名類聚抄〕

〈二/子孫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0236 離孫 釋名云甥〈○甥一本作出、義同、〉之子爲離孫、男〈和名無萬古乎比(○○○○○)〉女〈無萬古女比(○○○○○)〉一云、言離己遠也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/子孫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0236 原書爲作曰、離己遠作遠離一レ己、按爾雅、謂出之子爲離孫劉氏依之、又按説文、 離離黄、倉庚也、鳴則蠺生、以爲離別之義者假借也、曲直瀨本夾注外孫之子也五字、按姉妹之子爲出、出之子爲離孫也以離孫外孫之子者誤、蓋是後人所增、非源君舊文

〔伊呂波字類抄〕

〈末/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0237 離孫〈マコヒコ〉

〔同〕

〈无/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0237 離孫〈ムマ コメヒ ムマコヲヒ甥之男ハムマコヲヒト云、女ハムマコメヒト云〉

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0237出之子離孫(/ヲイマコメイマゴ)
釋名、遠離己也、

裔孫

〔伊呂波字類抄〕

〈所/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0237 孫〈ソム云子孫也〉

〔同〕

〈波/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0237 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00252.gif 〈ハツコ〉

〔古史徴〕

〈一夏/開題記〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0237 新撰姓氏録の論
兒(ミコ)と云るは、古は生子(ウミノコ)をも裔子(ハツコ)をも廣く古といひ、生親(ウミノオヤ)をも先祖(トホツオヤ)をも廣く於夜と云りしかば、朴略に兒といひ傳けむを、其隨に記し傳たる物なるべし、〈○註略〉なほ姓氏録を讀まむ人の爲に、記し出まほしき説は甚々多有ども、大抵は漏しつ、其は一節ありて、故實を明むるに要旨とある氏々は摭ひ採りて、此成文に神々の御名の出たる處、また人々の名の出たる處々に擧つれば、己が思ひ得たる事の限は、其處の傳に委く註せるを見るべし、

〔鹽尻〕

〈五十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0237 先祖子孫號名〈○中略〉
己 子〈有伯子炊子季子西子等〉 孫〈孫者續也續祖之後〉 曾孫〈曾ハ猶重〉
玄孫〈玄懸也、與高祖相懸也、〉 來孫〈言者往來ノ親〉 晜孫〈只弟ハ後也、又貫也、情進而以札貫連之ヲ也、〉 仍孫
〈仍重也、又同以禮仍者耳、〉 雲孫〈謂遠去如浮雲〉 耳孫〈言共云高祖甚遠祖可聞也、是非一代、言雲孫以下、〉 後胤〈後代子孫也、百世稱之、〉

〔日本書紀〕

〈二/神代〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0237 一書曰、〈○中略〉兄〈○火酢芹命、中略、〉乃伏罪曰、吾巳過矣、從今以往吾子孫八十連屬(○○○○○○○○)、恒當爲汝俳人

〔日本書紀〕

〈十四/雄略〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0237 十四年四月、詔根使主自今以後、子子孫八十聯綿(コムマゴヤソツヾキ)、莫群臣之例

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0238 故曇連等者、其綿津見神之子、宇都志日金拆命之子孫(○○)也、

〔古事記傳〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0238 子孫は須恵(スエ)と訓べし、下卷に袁祁命の押齒王之末奴(ミスエヤツコ)と名告給へる、末(ミスエ)は子孫の意なればなり、〈此は實は其御子にて、子孫にはあらねど、言は子孫といふことなり、書紀には御裔僕(ミナスエヤツコ)とかけり、〉是に依て某の子孫などあるをば、皆須惠とよむべきなり、中昔も今も然云なり、〈書紀にウミノコと訓めるは、子孫八十連屬、又生兒(ウミノコノ)云々、生子(ウミノコノ)云々とも書り、此訓は正くは万葉廿に、宇美乃古能(ウミノコノ)、伊也都藝都岐爾(イヤツギツギニ)など有に依り、されど此は子孫の末が末までとかけて云ときの稱にこそあれ、たヾ某子孫などあるを然訓むはいかゞなり、凡の稱に此の如き差別あることなるを、文字だに同じければ、いづこも〳〵同く訓るは、たヾ文字にのみ依て、古言なを思はぬ故なり、同字を書けども、そのさまに依て、古言は異ることを思ふべし、又はツコと云訓もあれど、さだかなる證を見ず、〉

〔古事記〕

〈下/顯宗〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0238 初天皇逢難逃時、求其御粮猪甘老人、〈○中略〉皆斷其族之膝筋、是以至今、其子孫(○○)上於倭之日、必自跛也、

〔古事記傳〕

〈四十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0238 子孫は、古杼(コド)母と訓べし、先祖をも於夜と云、子孫をば末々までも古と云は、古言なり、

〔日本書紀〕

〈二/神代〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0238 一云、〈○中略〉是以火酢芹命苗裔(○○)諸隼人等、至今不天皇宮墻之傍、代吠狗而奉事者也、

〔續日本紀〕

〈十八/孝謙〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0238 天平勝寶三年二月己卯、典膳正六位下雀部朝臣眞人等言、〈○中略〉望請、改巨勢大臣、爲雀部大臣、陳名長代榮後胤(○○)

〔三代實録〕

〈二十三/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0238 貞觀十五年五月廿九日壬辰、左京人河内大掾正六位上淡海眞人濱成、散位淡海眞人高主、内竪淡海眞人秋野、淡海眞人最弟、蔭子從八位上淡海眞人安江、正六位上永世眞人志我、永世眞人仲守、右京人文章生正八位上永世朝臣有守、蔭子正六位上永世朝臣宗守等九人、並賜姓淡海朝臣、其先大友皇子之苗裔也、

〔類聚三代格〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0238 太政官符
大社封戸理小社事〈四箇條之初條〉 右撰格所起請偁、〈○中略〉撿神苗裔、本枝相分、其祖神則貴而有封、其裔神則微而無封、假令飛鳥神之裔、天太玉〈○太玉下恐脱櫛玉二字〉臼瀧、賀屋鳴比女神四社、此等類是也、〈○中略〉
貞觀十六年山六月廿八日

〔本朝月令〕

〈四月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0239河合神幣帛
延喜元年十二月廿八日、太政官符偁、得神紙官解偁云々、件河合神、是御祖別雷兩神之苗裔之神也、

〔難太平記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0239 神代には唯二人の子なりけめども、其子孫樣々生れもてきて、其末々或國王、大臣、或民百姓となるぞかし、賤しく世の爲無益の人は田を作、人につかへなどせしより、氏なき者に成來けり、今も我等事はわづかに父の世ばかりこそ知侍れ、二三代の祖の事などは、つや〳〵しらねば、終に我子孫は必定氏なき民と同じ者になりぬべし、されば今わづかに聞えたる片はし計かき付る也、

世代之別

〔神皇正統記〕

〈仲哀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0239 第十四代、第十四世、仲哀天皇は、日本武尊第二の子、景行の御孫なり、御母は兩道入姫、垂仁天皇の女なり、大祖神武より第十二代景行までは、代のまヽに繼體し給ふ、日本武尊世を早くし給ひしにより成務是を繼給ふ、此天皇を太子として、ゆづりまし〳〵しより、代と世と代れるはじめなり、是よりは世を本としてしるし奉るべき也、〈代と世とは常の義差別なし、しかれどもおほよその紹運と、まことの繼體とを分別せんために書分たり、但字書にも其いはれなきにあらず、代は更の義也、世は周禮の註に、父死て子立を世と云とあり、〉

〔善庵隨筆〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0239 世代の字、唐の世に世民の字を諱み、世の字すべて代の字に、書き改めしよりして、混同せしならん、父子相繼曰世といひ、兄弟不相爲一レ後などいへば、父子相繼は世といふべし、兄弟相及は代といふべし、世といふべからず、

〔獨斷〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0239 文帝第雖三、禮兄弟不相爲一レ後、文帝即高祖子、於惠帝兄弟也、故不惠帝後而爲第二、宣帝弟次、昭帝、史皇孫之子於昭帝爲兄、孫以係祖、不上與父齊故爲七世、光武雖十二、於父子之 次成帝兄弟、於哀帝諸父、於平帝父祖、皆不之後、上至元帝光武父、故上繼元帝、而爲九世、故河圖曰、赤九世會昌、謂光武也、十世以光謂孝明也、十一以興、謂孝章也、成雖九、哀雖十、平雖十一、不次、

〔代數考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0240 世數代數之事〈○中略〉
信名曰、和漢ともに、常には代と世とを混用せしことも多けれど、皇朝にて、中古よりの定は、世數とは血統にてかぞへしをいひ、代數とは家督を以てかぞへしをいひしなり、その由は右に引たる二書〈○神皇正統記後白河帝條、平家物語卷四源兵揃條、〉を以て知るべし、代はカハルともよみて、代位又は代立など用ひらるヽこと故に、家督の方に充しなり、世は生にも通せる故、家督を繼しも繼ざるも一生の意にて、血統の方に充しと見えたり、鎌倉三代將軍と稱せるも、賴朝、賴家、實朝の三代にて、賴家、實朝は兄弟なれど、共に家督せられし故に、三代とは申せしなり、〈東艦には、三代上將と見え、保暦間記、太平記などには三代將軍となり、〉又王孫に二世王三世王といへるは、兄弟幾人ありても、二世の兄弟は、皆二世王と申、三世の兄弟は、すべて三世王といふ事にて、世數代數の分別は、皇朝には定ある事なれど、文章の上にては、常に混用せられしこと、古今少からず、されば何書にてもあれ、本書の體裁によりて辨別すべきなり、
一武家にては世數によらず代數を可用事
古代公家の定は、私の領地といふはなく、官位を表にせし故に、官位田封戸など給はりても、一身の間管領して、子孫には讓ることなく、子孫なければ其儘にて絶家し、又は大臣の子孫にても、諸大夫侍などに成さがれる類もあり、中古より莊園を讓ること出來たれど、是亦當世武家の所領を傳領せる樣なる事にてはなく、表立たるさまにても、實は内々の積りにて、やはり官位を表にせらるヽ事なり、又子なき人の養子をせるにも、かならず一族の子を養ふ例にて、他姓の人を子 とすることなし、〈たまさかには他姓の人を養子とせることもあれど、これは別にいはれあることにて、常の例にあらず、〉其上今の武家の如く、全く父子の義に從ふはまれなり、故に多くは猶子と稱せしなり、〈當世公家にて、猶子といふことのあるにこの例なり、〉もと他姓の人を養はぬならひなれば、世數代數ともにかぞへらるヽ也、〈今の公家衆には、武家の例にならへることもあれど、近き世のさまにて古法にあらず、〉武家にては、賴朝將軍以來、大名諸家すべて所領を表にして、官位にはさまでかヽはらぬ定なる故に、家督を専一とす、その故は、無官位にても、所領を傳領せる人は、幕府の所役に從ふ定なれば也、〈畠山重忠、梶源景時などはさるべき大名なれど、一生涯無官位なるに、其子は父の、在世の内、衞門尉兵衞尉などになされしものもあり、又佐藤繼信忠信等は、秀衡の家人なれど、兵衞尉になれり、これにて官位にはさまでかヽはらぬを見るべし、今の世にても、大廣間衆は無官位ながら、帝鑑間衆の下にたヽず、柳間衆は無官位にても、菊間衆の下に居らず、又萬石以上三千石以上五百石以上などいひて、家と祿とをむねとし、官位は其次になさるヽこと也、畢竟分限によりて武役を勤むることなれば也、〉されば血統の世數にはかかはらで、家督の代數をかぞふるを、武家の通例とすべし、こと更今の世には、血統ならぬ他姓の人をも養子として、家督を讓ること常のならひなれば、世數はかぞへられぬことなり、強而世數をかぞへんとすれば、代數は養家により、世數は實家によりてかぞへざればならざる也、さらば代數世數をかぞへたりとも、かけ合ざる事にて、無用なるうへに、さる作法は決してあるまじき也、この故に、世數をすてヽ、代數によるを武家の通例なるべしとは思ひよれるなり、官位にはよらで、家督をむねとすることを、よく〳〵味はふべし、〈平治物語に、義經を淸和天皇十代の苗裔、六孫王より八代とかけるも、曾祖父義忠は家督を繼ざりし故に除けるにやと思はる、〉

世數計算法

〔代數考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 幾代の孫といへるに己をば除くや除かざるやの事
信名曰、諸書の記せる所兩樣にして決し難きに似たりといへども、近代はすべて己を加へてかぞふるを通例とせり、もと兩樣になれることは、幾代の孫、幾代の後胤とかける、之孫、之後胤といふ文字を重く見たると、輕く見起るとのたがひと見えたり、重く見たる方は、幾代を經たる孫といふ意にとりて、己を除き、輕く見たる方は、幾代めの孫といふ意にて、己を加へたるなるべし、〈担こ れらのことは、からものまなびに問て明らむべきなり、〉されど當世には己を加へたるを通例とすべし、異朝にても、中古よりこなたは全く己を加へし例と見えて、孔孟通記に、孔安國〈ハ〉孔子十二世孫爲漢武帝博士とあり、此十二世は、〈一〉孔子〈二〉伯魚〈三〉子思〈四〉子上〈五〉子家〈六〉子京〈七〉子高〈八〉子愼〈九〉子襄〈十〉中心〈十一〉武〈〈十二〉安國なり、又鄒魯故事に、造父は季孫四世孫趙祖也とあり、此四世は〈一〉季勝〈二〉孟增〈三〉衡父〈四〉造父なり、同書に非羸は、惡來六世孫秦祖也とあり、此六世は〈一〉惡來〈二〉女防〈三〉㫄皐〈四〉太几〈五〉大駱〈六〉非羸なり、斯の如く、すべて己を加へてかぞヘたれば、これを當今の通例とすべし、

〔資治通鑑〕

〈一/周紀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0242 周紀一〈(中略)杜預世族譜曰、周黄帝之苗裔、姫姓、后稷之後封於邰夏衰稷子不窟竄于西戎、至十二代孫太王狄遷岐、(中略)自武王平王凡十三世(○○)、自(○)平王威烈王又十八世、自威烈王赧王又五世、〉

〔史記〕

〈四/周本紀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0242 武王有瘳後而崩、太子誦代立、是爲成王、〈○中略〉成王既崩、〈○中略〉太子釗遂立、是爲康王(○○)、〈○中略〉康王卒、子昭王(○○)瑕立、〈○中略〉立昭王子滿、是爲穆王(○○)、〈○中略〉穆王立五十五年崩、子共王(○○)繄扈立、〈○中略〉共王崩、子懿王(○○)囏立、〈○中略〉懿王崩、共王弟辟方立、是爲孝王、孝王(○○)崩、諸侯復立懿王之太子爕、是爲夷王(○○)、夷王崩、子厲王(○○)胡立、〈○中略〉厲王死于彘、太子靜長於呂公家、二相〈○召公周公〉乃共立之爲王、是爲宣王(○○)、〈○中略〉宣王崩、子幽王(○○)宮涅立、〈○中略〉申侯怒與繒西夷犬戎幽王、幽王擧烽火兵、兵莫至、逐殺幽王驪山下、〈○中略〉諸侯乃即申侯、而共立故幽王太子宜臼、是爲平王(○○)
○按ズルニ、右ニ據レバ、武王ヨリ平王マデ、十三人ナリ、而シテ之ヲ十三世ト云フヲ見レバ、單ニ何世ト云フ時ハ、其人ヨリ算スル例ナルヲ知ルベシ、

〔孔子家語〕

〈十/曲禮公西赤問〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0242 孔安國者字子國、孔子十二世孫也、孔子生伯魚(○○)、魚生子思(○○)、名伋、〈○中略〉子思生子上(○○)、名白、〈○中略〉子上生子家(○○)、名傲、後名求、〈○中略〉子家生子直(○○)、名榼、〈○中略〉子直生子高(○○)、名穿、〈○中略〉子高生武(○)、字子順、名微、後名斌、〈○中略〉子武生子魚名鮒、及子襄名騰、及子文(○○)、名祔、〈○中略〉子文生最(○)、字子産、子産後從高祖左司馬將軍韓信、破楚於垓下、以功封蓼侯、年五十三而卒、諡曰夷侯、長子滅嗣、官 至太常、次子(○○)襄、字子士、後名讓、爲孝惠皇帝博士、遷長沙王太傅、年五十七而卒、生季中(○○)、名員、年五十七而卒、生武及子國(○○)

〔尚書註疏〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0243 尚書序
先君孔子〈○中略〉疏〈孔子世家云、安國是孔子十一(十一恐十二誤)世孫、而上尊先祖故曰先君、〉
○按ズルニ、誰ノ十二世ノ孫トハ、其先祖ヨリ當人マデヲ謂フナリ、

〔顔氏家訓〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0243 北齊書文苑傳 舊史官 盧文弨注釋
顔之推、字介、〈○中略〉文〈思(中略)案梁書以含刕爲協七世祖、則是之推之八世之祖也、史家所紀世數往往不同、有本身數者、亦有本身數者、今攻顔氏家廟碑、含子髦、字君道、髦子綝、字文和、綝子靖之、字茂宗、靖之子騰之、字宏道、騰之子炳之、字叔豹、炳之子見遠、字見遠、見遠子協、則梁書離本身數、晉書連本身數、是以不同、〉

〔白氏長慶集〕

〈七十/銘誌賛序祭文記辭傳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0243 唐故武昌節度處置等使正議大夫撿挍戸部尚書鄂州刺史兼御史大夫賜紫金魚袋尚書右僕射河南元公墓誌〈幷序〉
公諱稹、字微之、河南人、六代祖(○○○)巖、隋兵部尚書、封昌平公、五代祖(○○○)弘隋北平大守、高祖(○○)義端、魏州刺史、曾祖(○○)延景、岐州參軍、祖(○)諱悱、南頓縣丞、贈兵部員外、考諱寛、比部郎中舒王府長史、贈尚書右僕射、妣榮陽鄭氏、追封陳留郡太夫人、公即僕射府君第四子、後魏昭成皇帝十五代孫也、

〔古史徴〕

〈一夏/開題記〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0243 新撰姓氏録の論
さて此處にいさヽか、姓氏録を讀まむ人々の、別に心留めおかずば、思ひ誤まるべく所思ゆる事どもを記してむとす、其はまつ若干世孫といふに二樣あること、また稱(ナノ)る氏は異なれども、其祖は同じきを、其氏々にて各々其祖の異名をもて語り傳へて、彼此岡祖なる事を知らず有しと所思ゆること、また氏は同して祖は異なるを、其氏々に本末あること、また所謂複姓も多有を、其複姓の後姓を偏に稱りたるも有が、異姓のごと聞ゆること、〈姓氏録に複姓といふ目を立て論ふこと、舊くも有しや、其は知らねども、かく稱へずては思ひ紛ふることある故に、今西土に然る目のあるに傚ひて云を、異しみ思ふことなかれ、〉此等の事は、かねてよく心得おくべき事なり かし、其例はまづ若干世孫と云に二樣ありとは、左京神別上天神に、藤原朝臣出津速魂命三世孫天兒屋根命也、二十二世孫内大臣大織冠中臣連鎌子云々とある、〈二世の二を、今本に三に誤れり、今に古本二によりて正しつ、〉天兒屋根命を、津速魂命三世孫と云るは、津速魂命の御子市千魂命と、御孫興台産靈命とをおきて、曾孫(ヒヽコ)の兒屋命を三世孫と數たる世數にて、外にも例いと多かり、〈只に孫をば孫と云て、二世孫とも三世孫ともいはず、舊事紀なる天孫本紀の世數なども此定なり、此は古く世數をいへる例ときこゆ、〉かくて鎌子連を兒屋根命の二十二世孫と云るは、右と異にして、兒屋根命より一世二世と次々に數たる世數にて、此例もまた甚多かり、〈鎌子連は、兒屋根命より數へて二十二世なること、藤原系圖を見て知るべし、〉姓氏録に記されたる世數、この二樣に數へて合ざらむには、其を錯り亂たる物と知るべし、〈假令ば、中臣志斐連の條に、天兒屋根命十一世孫雷大臣命とあるは、兒屋根命の御子天忍雲根命と、御孫天種子命と除て、曾孫の宇佐津臣命を、三世孫と數たる世數なるを、津島直の條其餘にも、又兒屋根命十四世孫雷大臣命とあるは、兒屋命より數たる世數にて、彼も此も誤れるには非ざるを、九世孫など有は、悉錯まり亂たる傳なれば、十一世といひ、十四世と云るを本として、餘の錯亂を正し辨ふべし、其は此氏にかぎらず、餘の諸氏にも通ることにて、中にも神別に此錯亂多かり、能々心を著て、餘の書等をも校合て思ひ辨ふべし、抑かゝる錯亂に、家々より奏上れる本系を、悉くは糺し敢ざりし故ならむ、序にも其趣見えたり、〉また稱る氏は異なれども、其祖は同きを、其氏々にて各々其祖の異名をもて語り傳へて、彼此同祖なる事を知らず有しと所思るは、天石都倭居(アマノイハトワケ)命、明日名門(アケヒナド)命、阿居太都(アケタツ)命、伊佐布魂(イサフタマ)命と云は、みな同神の異名なり、〈そは第四十九段、第五十七段の徴、また傳に委く註せるを見て辨ふべし、此には只例をいふのみぞ、〉然るを多米連家にては、天石都倭居命と云名に傳へ、〈また多米連天比和志命之後也とも有は、此後を云るなり、〉額田部の家々にては、明日名門命といふ名に傳へ、大椋置始連、縣犬養宿禰などの家にては、阿居太都命と云ふ名に傳へ、委文連の家々にては伊佐布魂命といふ名に傳へたり、〈また委文宿禰角凝魂命之後也ともあるは、此前を云るなり、そは委文連角凝魂命男伊佐布魂命之後也とも有にて知べし、〉かヽる事、餘にもなほ多かるを、其家々にては、同祖の異名と知らず有し狀なり、〈そは若同祖の異名なる事を知たらむには、其別名をも擧等べき物なればなり、〉凡て異名同神を考へ辨ふることなむ、諸氏の出自を正し、古傳を明むるに専要とある學問なりける、〈然るを是までの事識人たちの説は、此を知ざりし故に、古傳の妙なる旨を明めたる事も、いまだ十の三分にも至らざりける、然るに予が異名同神の説を遠音に聞て、何くれと論ひhttp://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00254.gif る人も有と聞ゆるは、いとをかし、大抵これ までの事識人たちの説は、大名牟遲神、八干矛神、大國主神、大國魂神、顯國玉神を、古書に同神の異名と有に據てこそ同神と説つれ、然る言無らむには、別神と思ひやらるゝ説等なりかし、よし幷有若干名と有ざらむも、其を熟明らむるこそ、學問の才とはいへ、〉また稱る氏は同して、祖は異なるを、其氏々に本末ある事は、中臣氏の中臣は、中執持てふ言の約れるにて、〈師説と異なり、古史傳に委く註せるを見るべし、〉神と皇との御中執持つ兒屋命の子孫に屬る、本よりの氏なるを、其外にも中臣某と云姓、これかれ見えたるは末なり、

〔古事記〕

〈下/武烈〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0245 天皇既崩、無日續之王、故品太天皇〈○應神〉五世之孫、袁本杼命、〈○繼體〉自近淡海國上坐而、合於手白髪命、授奉天下也、

〔古事記傳〕

〈四十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0245 五世之孫は、伊都々藝能美古(イツヽギノミコ)と訓べし、〈續後紀十五の歌に、那々都義乃美與爾云々、古今集序に、世はとつぎになむなれりける、此らは御代嗣の數を云るなれど、父子の世繼も同じことなり、さて孫はかくさまのは、ミマゴと訓は非なり、此は子の子のよしには非ず、後裔のよしなればなり、まごとは、子の子に限りて云り、且古は子の子をば、比古とこそ云れ、麻碁と云は後なり、さて美古とまは、廣く後裔まで通へる稱なれば、凡て幾世之孫とあるは、みな美古また古と訓むべし、〉

〔日本書紀〕

〈十七/繼體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0245 男大迹天皇〈更名彦太尊〉譽田天皇〈○應神〉五世孫、彦主人王子也、母曰振媛、振媛活目天皇〈○垂仁〉七世孫也、

〔三代實録〕

〈三/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0245 貞觀元年六月二日丙戌、正六位上秋岡王、秋雄王、良岡王、三常王、德成王、無位廣貞王、廣益王、廣梁王、山村王、廣隅王、淸隅王十二人、並賜姓淸原眞人、品舎人親王六代之孫也、

〔將門記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0245 夫聞彼將門者、天國押撥御宇柏原天皇五代之苗裔(○○○○○)、三世高望王之孫(○○○○○○○)也、其父陸奥鎭守將軍平朝臣良持也、舎弟下總介平良兼朝臣、將門之伯父也、而良兼以去延長九年聊依女論舅甥之中既相違云々、

〔代數考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0245 幾代の孫といへるに己をば除くや除かざるやの事
按に、〈一〉桓武〈二〉葛原〈三〉高見〈四〉高望〈五〉良將將門也、本文に高望を三世とかけるは、三世王といふことにて、代數のことにあらず、

〔平治物語〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0245 牛若奥州下事 弟牛若ハ、鞍馬寺ノ東光坊阿闍梨蓮忍ガ弟子禪林坊阿闍梨覺日ガ弟子ニ成テ、遮那王トゾ申ケル、十一ノ年トカヤ、母ノ事ヲ思出シテ、諸家ノ系圖ヲ見ケルニ、ゲニモ淸和天皇ヨリ十代ノ御苗裔、六孫王ヨリ八代、多田滿仲ガ末葉、伊豫入道賴義ガ子、八幡太郎義家ガ孫、六條判官爲義ガ嫡男、前左馬頭義朝ガ末子ニテ候ナリ、何ニモシテ、平家ヲ滅シ、父ノ本望ヲ達セント思ハレケルコソ懼ケレ、

〔代數考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0246 幾代の孫といへるに己をば除くや除かざるやの事
按に〈一〉淸和〈二〉貞純〈三(一)〉經基〈四(二)〉滿仲〈五(三)〉賴信〈六(四)〉賴義〈七(五)〉義家〈八(六)〉義忠〈九(七)〉爲義〈十(八)〉義朝、義經なり、但こヽには己を除きてかぞへたれど、此書の内藤原信賴の先祖をいへる所には、己を加へてかぞへたり、その例によれば、こヽも義忠を除き、己を加へてかぞへたるにもやとおもはる、この義忠は、義家在世の内に横死せられて、義家より直に孫爲義を猶子にして、家督を讓りたればなり、もし然る故ならば、前段に論ぜし如く、父なりとも家督をつがざる人は除きてかぞふるをいよいよ通例とすべし、

〔神皇正統記〕

〈後白河〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0246 第七十七代、第四十二世、後白河院、諱は雅仁、鳥羽第四子、崇徳同母の御弟なり

〔代數考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0246 世數代數之事
按に後白河院は、天照大神四十七世、人皇七十七代に當れり、されば以仁王までは、本文の如く四十八世、七十八代なり、

〔平家物語〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0246 げんじそろへの事
一院〈○後白河〉第二の皇子もち仁親王と申しは、御母は加賀大納言すゑなりの卿の御むすめ也、三條高倉にまし〳〵ければ、高倉の宮とぞ申ける、〈○中略〉源三位入道よりまさ、ある夜ひそかに此宮の御所にまいりて申されける事こそおそろしけれ、たとへば、君は天照太神四十八世の正とう(○○○○○○○○○○○○○○)、<ruby><rb>神 武天皇より七十八代にあたらせ給ふ</rb><rt>○○○○○○○○○○○○○○○○○</rt></ruby>、しかれば太子にも立、位にもつかせ給ふべかりし人の、三十まで宮にてわたらせ給ふ御事をば、御心うしとは思し召れ候はずや〈○下略〉

〔代數考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0247 世數代數之事
按に、これは代數世數ともに神武帝よりかぞへしなり、天照大神より鸕鷀茅葺不合尊まで五世を除けば、平家物語の説にかなへり、

〔源平盛衰記〕

〈二十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0247 石橋合戰事
北條四郎歩セ出シテ、汝不知哉、我君ハ是レ淸和天皇第六皇子貞純親王ノ御子、六孫王ヨリ七代ノ後胤、八幡殿ノ四代ノ御孫、前右兵衞權佐殿ゾカシ、傍若無人ノ景親ガ申狀頗尾籠也、

〔太平記〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0247 新田義貞賜綸旨
上野國住人新田小太郎義貞ト申ハ、八幡太郎義家十七代ノ後胤(○○○○○○)、源家嫡流ノ名家也、

〔新葉和歌集〕

〈序〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0247 元弘のはじめより、しも弘和のいまにいたるまで、世は三つぎ、としはいそとせのあひだ、かりの官にしたがひつかうまつりて、〈○下略〉
○按ズルニ、南朝ハ後醍醐、後村上、後龜山ニテ三世ナリ、

〔難太平記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0247 八幡殿とは義家朝臣、陸奥守鎭守府將軍の御子、義國より義康、義包、義氏、泰氏など也、泰氏を平石殿と申き、其御子に賴氏、治部大輔殿と申、其御子に家時、伊勢守と號、其御子に貞氏、讃岐入道と申、其御子にて大御所、〈○足利尊氏〉錦小路殿〈○足利直義〉はわたらせ給ふ也、〈○中略〉義家の御置文に云、我七代の孫に(○○○○○)吾生替りて天下を取べしと仰せられしは、家時の御代に當り、猶も時不來事をしろしめしければにや、八幡大菩薩に祈申給ひて、我命をつヾめて、三代の中にて天下をとらしめ給へとて、御腹を切給ひし也、其時の御自筆の御置丈に子細はみえし也、まさしく兩御所の御前にて、故殿も我等なども拜見申たりし也、今天下を取事、唯此發願なりけりと兩御所も仰有し也、

伯父

〔新撰字鏡〕

〈親族〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0248 阿伯〈父之兄、江乎地、〉 伯父〈乎地〉

〔倭名類聚抄〕

〈二/伯叔〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0248 伯父 釋名云、父之兄曰世父、曰伯父、曰世睿、〈和名乎知(○○)〉伯父之弟曰仲父、〈○伯父之弟曰仲父、一本作仲父釋名云父之弟曰仲父、注漢語抄云、奈賀都乎遲、且爲別條、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/父母〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0248引釋親屬文、下皆同、釋名又云、世父言嫡統繼一レ世也、伯父、伯把也、把持家政也、説文、伯、長也、按世父之世與世子世室之世同、然則世父謂父之兄爲宗子、不泛呼父之兄世父也、新撰字鏡云、阿伯、父之兄、江乎知、與辨色立成所一レ言合、按顔氏家訓云、古人皆呼伯父叔父、而今世多單呼伯叔、阿伯阿叔之名、蓋出於此、令集解云、伯叔、兄乎遲乎遲也、疑伯叔、兄乎遲弟乎遲也之誤脱、按乎遲小父之義、

〔伊呂波字類抄〕

〈遠/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0248 伯父〈ヲチ 父之兄曰世父之父〉〈○之父二字恐衍〉 阿伯〈父之兄曰伯、父之弟曰叔父、已上同、〉

〔令集解〕

〈四十/喪葬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0248 古記云、釋親云、父之昆弟先生爲世父、後生爲叔父、案祖父之子父之兄弟也、俗兄乎遲、弟乎遲也、

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0248 父之晜弟、先生爲世父(ヲザ/チヽアニ)、後生爲叔父(ヲヂ/ヲヽノヲトヽ)、父子兄妻爲世母(ヲヂヨメ/チヽノアニヨメ)、父之弟妻爲叔母(ヲヂヨメ/チヽノヲヒヨメ)晜兄也、
郭氏曰、世有嫡者、嗣世統故也、今江東人通言晜〈○晜音昆○中略〉丘氏曰、謂伯父世父(/サウレウヲヂ)、襲蓋以嫡者嗣世統也、宗子居長者稱世、若非嫡、通以伯稱、釋名、父之兄曰世父、又曰伯父、父之弟曰仲父(/ナカヲヂ)、仲父之弟曰叔父、叔父之弟曰季父(/オトヲヂ)、會典、伯叔父母、即伯伯姆姆(/アニヲヂアニヲヂヨメ)、叔叔嬸嬸(/ヲトヽヲヂヲトヽヲヂヨメ)、〈○中略〉
胤按、此父之兄弟、及其妻也、叔伯字本起于兄弟、則不單稱父之兄弟、當程子説、許愼上小説誤 矣、嬸姆之説、當會典

〔倭訓栞〕

〈前編五/乎〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0248 をぢ 倭名抄に伯父を訓ぜり、小父の義也といへり、又季父をおとをぢ、從祖父をおほをぢ、族父をおほおほぢをぢ、舅を母方のをぢ、從舅を母方のおほをぢとよめり、又新撰字鏡に阿伯をえをぢ、阿叔をおとをぢと訓ぜり、万葉集にをぢがその日と見えたるは、舅が其日の義 也といへり、老翁を日本紀、倭名抄によめるも、伯父に准らへていふ詞也、今も老たる人を尊み親みてしかいへり、神代紀に舅ををぢとのみよめるも是也、孫炎が説に、舅之言舊尊長之稱と見えたり、

〔圓珠庵雜記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0249 伯父ヲヂ小父、伯母ヲバ小母、おほぢ、おばにのぞめてもいふべし、又ちヽはヽにのぞめてもいふべし、

〔貞丈雜記〕

〈十五/言語〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0249 をぢの事を伯父叔父といひ、をばの事を伯母叔母と書く事、伯はあにとよむ、叔はおとヽとよむ也、されば父の兄は伯父也、父の弟は叔父也、父のあねは伯母也、父のいもとは叔母也、母の兄弟も右に同じ、近世文盲なる人、伯叔のわけをしらずして、父方のをぢをばを伯父伯母と覺へ、母方のをぢをばを叔父叔母と覺えたる人あり、あやまりなり、

〔古事記〕

〈中/崇神〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0249 故大毘古命、更還參上、請於天皇時、天皇答詔之、此者爲在山代國我之庶兄建波邇安王、起邪心之表耳、〈○註略〉伯父(○○)興軍宜行、〈○下略〉

〔古事記傳〕

〈二十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0249 伯父は袁遲(ヲヂ)と訓、小父の義なり、和名抄に、伯父は和名乎知とあり、〈父の兄を伯父、父の弟を叔父、父の姉を伯母、父の妹を叔母などヽ、分て云は漢國のことなり、皇國にては、父の兄弟をば、同じく袁遲、父の姉妹をば、同じく袁婆と云り、字鏡に、阿伯父之兄、江乎地、阿叔父之弟、弟乎地とあれど、此はやヽ後の稱なるべし、〉

〔諸例集〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0249 伯叔父母之儀ニ付續合名目問合
文化十四丑年八月九日、曲淵甲斐守差出袋廻し、
父母之兄弟 伯〈父母〉 父母之弟妹 叔〈父母〉
右者父方母方之無差別、書面之通御座候哉、及御問合候、
七月
書面之通ニ而候

〔諸例集〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0250 一伯叔之譯問合
高家(朱書)中條中務大輔ゟ問合
須田(朱書)大隅守答
一伯叔之儀、一體者伯仲叔季ニ而、父之兄を伯と言、弟を仲と言、其次叔と言、其次季と言と心得罷在候、乍去當時伯叔々々ニ而、仲季之稱者不承候、世俗大方者父方を伯と云、母方を叔と言之儘心得候得共、伯者父之兄之稱、叔者弟之稱故、父方母方之無差別、父母之兄姉を伯父伯母と言、父母之弟妹を叔父叔母と心得罷在候、此段御問合申候、
天保七年八月十日
御書面之通ニ而、唱方宜候、

仲父

〔倭名類聚抄〕

〈二/伯叔〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0250 伯父 釋名云、〈○中略〉父之弟曰仲父

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/父母〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0250 釋名又云、仲父、仲中也、位在中也、説文、仲中也、

〔伊呂波字類抄〕

〈奈/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0250 仲父〈ナカツヲチ父弟曰仲父乎部

〔同〕

〈遠/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0250 仲父

叔父/季父

〔新撰字鏡〕

〈親族〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0250 阿叔〈父之弟、弟乎地、〉

〔倭名類聚抄〕

〈二/伯叔〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0250 叔父 釋名云、仲父之弟曰叔父、一云、阿叔者父之弟也、〈〇一云阿叔者父之弟也、一本作叔父之弟曰季父(○○)、注辨色立成云、阿叔者父之弟也、於止乎知、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/父母〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0250 釋名又云、叔父、叔少也、季父、季癸也、甲乙之次、癸最在下、季亦然也、新撰字鏡云、阿叔、父之弟也、乙乎知、亦與辨色立成合、按説文、叔拾也、毛詩豳風、九月叔苴、傳、叔拾也、此訓拾爲本義、以爲伯叔字者、假借爲少也、説文又云、季少稱也、从子从稚省、稚亦聲、

〔倭訓栞〕

〈中編三十/於〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0250 おとおぢ 日本紀に叔父をよめり、和名抄に季父をよみ、新撰字鏡に阿叔を訓 ぜり、

〔古事談〕

〈二/臣節〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0251 待賢門院〈○藤原璋子〉ハ、白川院御猶子之儀ニテ、令入内給、其間法皇〈○白河〉令密通給、人皆知之歟、崇德院ハ白川院御胤子云々、鳥羽院モ其由ヲ知食テ、叔父子(○○○)トゾ令申給ケル、依之大略不快ニテ令止給畢云々、
○按ズルニ、堀河天皇ハ白河天皇ノ子ニシテ、鳥羽天皇ハ堀河天皇ノ子ナリ、故ニ本書ノ謂フ 如クンバ崇德天皇ハ實ハ鳥羽天皇ノ叔父ニ當ル理ナリ、故ニ叔父子ト云ヒシモノナラン、

伯母

〔倭名類聚抄〕

〈二/伯叔〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0251 伯母 伯母之弟曰季父、〈和名於止乎波(○○○○)〉九族圖云、伯母、〈和名乎波(○○)〉今按父之姉也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/父母〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0251 按爾雅云、父之兄妻爲世母、父之弟妻爲叔母居、釋名云、世父又曰伯父、據是伯母即世母之別名、則知伯母者伯父之妻、叔母者叔父之妻也、源君以伯叔母父之姊妹者誤、又按乎波、小母之義、

〔伊呂波字類抄〕

〈遠/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0251 伯母〈父之姊ヲバ叔母〉

〔倭訓栞〕

〈前編五/乎〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0251 をば 伯母、叔母、姨などを訓ぜり、小母の義也、姨は神代紀に見え、廣韻に母の姊妹也といへり、倭名抄に、王姑をおほをば、從母を母方のをばとよめり、

〔安齋隨筆〕

〈後編一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0251 伯母叔母 同書〈事類全書〉に曰く、父之兄妻爲伯母、父之弟妻爲叔母、爾雅、按に、是は伯母叔母に准ずる稱なるべし、

叔母

〔倭名類聚抄〕

〈二/父母〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0251 叔母 九族圖云、叔母、〈和名同上○同上一本作伯母同、今案父之妹也、〉父〈○父上一本有爾雅云三字〉之姊妹爲姑(○)、一云、阿叔母、〈和名同上○一云以下一本作注文云、辨色立成云、阿姑和名上同、今案伯叔母之總名也、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/父母〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0251 注誤、詳見上條、〈○伯母條、中略、〉令集解云、姑俗云乎婆、崇神紀同訓、按伯母父之兄妻、叔母父之弟妻、姑父之姊妹、其名各別、昭然無疑、而皇國俗並呼乎波(○○○○○○○○)、故源君誤以伯叔母父之姊妹(○○○○○○○○○○○○○○)、以姑爲伯叔母之總名(○○○○○○○○○)、蓋其和名同而混也、其實當伯母叔母姑、各自爲上レ條也、又按襄十二年左 傳、無女而有姊妹及姑姊妹、正義云、釋親云、父之姊妹爲姑、樊光曰、春秋傳云、姑姊妹、然則古人謂姑爲姑姊妹、蓋父之姊爲姑姊、父之妹爲姑妹、列女傳、梁有節姑妹、入火爲兄子、是謂父妹姑妹也、後人從省、故單稱爲姑也、廿一年左傳、季武子以公姑姊之、注、蓋寡者二人、釋文引或曰、此云姑姊、是父之姊也、正義引劉炫云、此姑姊是襄公父之姊、並以杜注非、是父之姊妹爲姑姊姑妹也、然姑既見爾雅、不後人從一レ省、所説恐非是、又儀禮喪服所云姑姊妹女子子、謂姑與姊妹及女子子、與此姑姊妹同、又按説文、姑夫母也、然則謂父之姊妹姑者、轉注也、釋名、父之姊妹曰姑、姑故也、言於己爲久故之人也、又云、夫之母曰姑、亦言故也、亦者亦父之姊妹曰一レ姑、則其説似父之姊妹本訓、蓋許劉其説不同也、

〔伊呂波字類抄〕

〈遠/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0252 叔母〈父之妹ヲバ〉

父姉妹亦謂姑

〔伊呂波字類抄〕

〈遠/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0252 姑〈ヲバ父姊妹也〉

〔令義解〕

〈二/戸〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0252 凡嫁女皆先由〈○中略〉伯叔父姑、〈(中略)父姉妹曰姑也〉
凡敺妻之祖父母父母、及殺妻外祖父母伯叔父姑兄弟姉妹、若夫妻祖父母父母外祖父母伯叔父姑兄弟姊妹自相殺、及妻〈○中略〉殺傷夫外祖父母伯叔父姑兄弟姉妹、〈○中略〉雖赦、皆爲義絶

〔令集解〕

〈四十/喪葬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0252 古記云、釋親云、父之姉妹爲姑、案祖父之子、父之姉妹也、俗云、乎婆、

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0252 兄之姉妹爲姑(ヲバ)
左傳疏、樊光曰、春秋傳云、姑姉妹、然則古人謂姑爲姑姉妹、若父之姉姑姉(アネヲバ)、父之妹爲姑妹(イモトヲバ)、列女傳、梁有節姑妹、入火而救兄子、是謂父妹姑妹也、後人從省、故單稱爲姑也、古人稱祖父近世單稱祖、亦此類也、
胤按、列女傳、亦有義姑姉之稱一。、古稱【K二姑姉姑妹見、儀禮及曲禮所謂姑姉妹女子子者、則指姑與姉妹耳、若以此爲姑姉姑妹、則不己之姉妹也、禮傳擧祖父及己三世之女子、曰姑姉妹女子子、則不 必如樊光之説知矣、

〔安齋隨筆〕

〈後編一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0253 舅姑 同書に曰く、〈事類全書〉婦事舅姑父母、〈曲禮〉又父の姉妹を姑と云ふ、

〔續修東大寺正倉院文書〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0253 御野國本簀郡栗栖太里太寶、貳年戸籍〈○中略〉
上政戸刑部都厶志戸口十五〈○註略〉
下々戸主都厶志〈年卅三正丁○中略〉
戸主姑(○)身賣〈年七十二耆女〉

伯叔父之妻亦謂伯叔母

〔諼草小言〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0253 今ノ人、伯叔父ノ妻ヲ伯叔母(○○○)トイフ、此言可ナリ、檀弓季康子之母死、陳褻衣敬姜曰云云トアル鄭注ニ、敬姜者季康子從組母トアリテ、正義ニ、意如是、康子祖穆伯、是康子祖之兄弟、敬姜是穆伯之妻、故云康子從祖母也ト見エタリ、又雜記ニ、孔子曰、伯母叔母、疏、衰踊不地、姑姊妹之大功、踊絶非地、鄭注、伯母叔母義也、姑姊妹骨肉也トアリ、大傳ニ、其夫屬乎父道者、妻皆道也ト云モノナルベシ、

從祖祖父母

〔倭名類聚抄知〕

〈二/父母〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0253 從祖父 爾雅云、父之世父叔父爲從祖父、〈於保乎知(○○○○)○註一本作和名於保知乎遲

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/父母〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0253 原書作從祖祖父、按爾雅又云、父之從父http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00250.gif 弟爲從祖父、儀禮疏云、從祖父母者、是從祖祖父之子、是從祖祖父從祖父不同、源君引脱祖字是、釋名、父之世叔父母曰從祖祖父母、言己親祖別而下也、亦言從己祖、以爲上レ名也、那波本無知字、〈○本書引用一本〉按從祖祖父者、祖父之http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00250.gif 弟於己之父伯叔、當於保乎遲、與祖姑訓於保乎波、其義同、又從祖父者、父之從父http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00250.gif 弟、即己祖父之http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00250.gif 弟子也、蓋從祖而別、於己爲伯叔行、祖父訓於保知、伯叔訓乎遲、則從祖父當於保知乎遲、從舅者、母之從父http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00250.gif 弟訓母方乃於保知乎知、見下文是可以證也、其儀與族父訓於保於奉知乎知同、此雖誤脱作從祖父、然云父之世父叔父、則是從祖祖父、非從祖父明矣、且雖下條從祖祖母亦誤脱作從祖母、然訓於保乎波、則知此亦訓於保乎遲、不於保知乎知也、疑後人以脱作從祖父、 誤認爲父之從父http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00250.gif、遂增一知字、作於保知乎遲也、那波氏删正爲是、然諸古本伊勢廣本皆作於保知乎遲、類聚名義抄亦同、且本書不別擧從祖父母、則蓋源君誤混從祖祖父從祖父、亦未知、今不遽删、以辨其誤是、要之此當從祖祖父、訓於保乎遲、下增從祖父一條、訓於保知乎遲、既擧族父、則不不載從祖父也、

〔伊呂波字類抄〕

〈伊/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0254 從祖伯叔〈イトコヲチ〉

〔令義解〕

〈六/儀制〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0254 凡五等親者、〈○中略〉從祖組父姑〈○中略〉爲四等

〔令集解〕

〈二十八/儀制〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0254 謂祖之兄弟姉妹也、釋无別也、古記云、謂之從祖兄弟也、從孫謂姪男之子是、朱云、問從祖祖父姑者、未知兄弟有別不、答无別者、

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0254 父之世父叔父爲從祖祖父(/ヲホヲヂ)、父之世母叔母爲從祖祖母(/オホヲヂヨメ)
郭氏曰、從祖而別、世統異故、丘氏曰、與祖同行輩者、今稱祖伯父祖伯母、釋名、從己親祖別而下也、亦言從己祖以爲名也、會典、伯叔祖父母、謂祖之兄弟及妻、即伯公伯婆叔公叔婆(/ヂイノアニ、ヂイノアニヨメ、ヂイノヲトヽ、ヂイノヲトトヨメ、)、
胤按、此祖父之兄弟、及其妻也、父之世父、祖之兄也、父之叔父、祖之弟也、以祖而別從祖、以祖父行祖父、世母叔母其妻也、丘氏擧祖伯父祖伯母、而失祖叔父母

〔諸例集〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0254 井戸石見守答
忠道〈雅樂頭〉 忠實〈雅樂頭〉 忠學 忠寶〈雅樂頭實酒井備中守忠讜男〉 忠顯〈雅樂頭實三宅土佐守康直男〉
忠學〈實忠道弟〉〈雅樂頭〉
忠讜〈實忠道男、酒井備中守、酒井主殿守忠盡養子、〉 忠寶〈雅樂頭雅樂頭忠學養子〉
某 酒井益之助
某 酒井岩吉
康直 〈三宅土佐守三宅備前守康明養子〉 康保〈三宅對馬守〉 忠顯〈雅樂頭雅樂頭忠寶養子〉
右系引之通、續々相成申候、父〈茂〉養子、其身〈茂〉養子之時者、養父實方服忌無之儀に御座候、次者酒井備中守儀、當雅樂頭より者、祖父之名目無之儀より相心得罷在候、右ニ付備中守者養方大叔父(○○○)之續、實父方にては伯父之續備中守男子者養方從弟違、實父方にては從弟之續ニ心得候間、可然候哉、此段奉伺候、以上、
五月十日 上田(酒井雅樂頭家來)左太夫
書面幷系引之通者、雅樂頭より備中守者養父之實方祖父之續、備中守男子者養父之實方叔父之續、其外養實之續書面之通に候、

〔諸例集〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0255 續唱方之儀ニ付問合
土屋(朱書)紀伊守答
先々代志摩守嫡子主計頭病死仕候ニ付、同人嫡子隆之助を、志摩守嫡孫承祖ニ相願候處、右隆之助も病死仕候ニ付、同人弟準次郎を養子ニ仕、當志摩守ニ御座候、右ニ付而者、先々代志摩守末子爲吉儀者、當志摩守養子之譯を以、大叔父(○○○)ニ相成、實叔父之續ニ御座候哉、且先々代志摩守を當志摩守ゟ者、祖父と相唱候而可然候哉、續柄之儀奉伺候、以上、
天保十二年閏正月十九日 遠藤(松前志摩守家來)又左衞門
書面之趣、別紙系引之通ニ而者、嫡孫承祖之者之養子ニ付、祖父ニ而も、曾祖父と相唱、叔父者大叔父之續ニ相成候、
章廣〈志摩守〉
見廣〈死〉 主計頭 爲吉
良廣〈死〉 隆之助
昌廣 準次郎
良廣(/見廣男嫡孫承祖)〈死〉 隆之助
昌廣(見廣二男實舎弟) 志摩守

從祖父母

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0256 父之從父晜弟爲從祖父(/イトコオヂ)、父之從父晜弟之妻爲從祖母(/イトコオヂヨメ)
儀禮疏云、從祖父母、從祖祖父之子、會典、同堂伯叔父母、謂父之伯叔兄弟及妻
胤按、伯叔兄弟、即從兄弟也、父之從兄弟則己之從祖父也、

祖姑

〔倭名類聚抄〕

〈二/父母〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0256 祖姑 爾雅云、王父之姉妹爲王姑、〈於保乎波(○○○○)〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/父母〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0256 丘璿曰、女子與祖同輩行者、稱祖姑、按祖姉於己父姑、故訓爲大姑也、

〔伊呂波字類〕

〈遠/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0256 祖姑〈ヲハ、略云、オホヲバ歟、可尋、〉

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0256 王父之姉妹爲王姑(/オホヲバ)
丘氏曰、女子與祖同輩行者、稱祖姑、會典、從祖祖姑、謂祖之親姉妹、即姑婆、

族父

〔倭名類聚抄〕

〈二/父母〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0256 族父 爾雅云、父之從祖昆弟爲族父、〈於保於保知乎知(○○○○○○○)〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/父母〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0256 原書昆弟作晜弟、皆同、按説文、周人謂兄曰http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00250.gif 、晜即http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00250.gif 字隷省、説文又云、昆同也、是晜昆二字不同、似原書上レ晜、然爾雅釋文云、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00250.gif 音昆、本亦作昆、玉篇云、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00250.gif 今作昆同、故源君引作昆也、按曾祖父之http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00250.gif 弟爲族曾祖父、族曾祖父之子爲族祖父、族祖父之子爲族父、賈公彦儀禮疏云、云族曾祖父母者、己之曾祖親兄弟也、云族祖父者、己之祖父從父昆弟也、云族父母者、己之父從祖昆弟也、云族昆弟者、己之三從兄弟、皆名爲族、族屬也、骨肉相連屬、以其親盡、恐相疏、故以族言之耳、蓋從曾祖而別、於己爲伯叔行、曾祖父訓於保於保知、伯叔訓乎知、故訓族父於保於奉知 乎知也、按説文、族矢鋒也、束之族族也、从㫃从矢、以爲親族字者、轉注也、

〔伊呂波字類抄〕

〈於/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0257 族父〈略云、父之從祖昆弟爲族父、和名オホナホチヲチ、和名ヲホチヲハ、〉

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0257 父之從祖晜弟爲族父(フタイトコヲヂ/チヽノフタイトコ)、父之從祖晜弟之妻爲族祖母(/フタイトコオヂヨメ)
會典、族伯叔父母、謂父之再從兄弟同曾祖、即族伯伯姆姆、叔叔嬸嬸、(/チヽノトシ上ノ二イトコ、チヽノトシ上ノ二イトコヨメ、チヽノトシ下ノ二イトコ、チヽノトシ下ノ二イトコヨメ、)

族姑

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0257 父之從祖姉妹爲族姑(フタイトコヲバ/チヽノヲンナノフタイトコ)
會典、族姑謂父之再從姉妹、〈右父之兄弟有再從之別
胤按、吾高祖之子、與曾祖兄弟者、爲族曾祖、其子爲族祖父、其孫爲族父、其曾孫爲族兄弟、與吾同輩行者、凡稱族者、自己之族兄弟、推而上之爲稱、父之從祖晜弟爲族父、則其妻當族母、其姉妹當族姑、今稱族祖母族祖姑、二祖字當删、

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0257 父之從父姉妹爲從祖姑(/イトコオバ)
會典、從祖姑、即堂姑、是父之同堂伯叔姉妹、
胤按、爾雅有父之從父晜弟之母、爲從祖王母一句、與前父之世母叔母爲從祖祖母同、今删之、且前稱曾祖王父者、即曾祖父、則從祖母與從祖王母同、父之從父晜弟之妻爲從祖母、則父之從父晜弟之母、不從祖王母也、芟去可矣、

族祖父母

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0257 祖之從父晜弟爲族祖父(イトコオホヲヂ/ヂイノイトコ)、其妻爲族祖母(/イトコオホヲヂヨメ)
會典、族伯叔祖父母、謂祖之同堂兄弟及妻、即堂伯公伯婆、叔公叔婆、(/ヂイノトシ上イトコ、ヂイノトシ上イトコヨメ、ヂイノトシ下イトコ、ヂイノトシ下ヨメ、)
胤按、爾雅有父之從祖晜弟之母爲族祖王母一句、當删、父之從祖晜弟之母、則祖之從父晜弟之妻也、上既稱族祖母、則屬重複

族祖姑

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0257 祖之從父姉妹爲族祖姑(イトコオホヲバ/チイノオンナイトコ)
會典、族祖姑、即祖之同堂姉妹、即堂姑婆、

族曾王父/族曾王母

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0258 父之從祖祖父爲族曾王父(/チヽノオホヲヂ)、父之從祖祖母爲族曾王母(/チヽノオホヲヂヨメ)
賈公彦儀禮疏、云族曾祖父母者、己之曾祖親兄弟也、云族祖父母者、己之祖父從父昆弟也、云族父母者、己之父從祖昆弟也、云族昆弟者、己之三從兄弟、皆名爲族、族屬也、骨肉相連屬、以其親盡相疏、故以族言耳、會典、族曾祖父母、謂曾祖之兄弟及妻、即大伯公伯婆叔公叔婆、(/ヒヂイノアニ、ヒヂイノアニヨメ、ヒヂイノオトヽ、ヒヂイノオトヽヨメ、)
胤按、此曾祖之兄弟及其妻也、賞曾祖伯叔父母、其子爲族祖父、其孫爲、族父、其曾孫爲族兄弟、而與己同輩行者、各詳于下

〔諸例集〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0258 高祖父之親、幷曾祖父之兄弟等唱方之儀
初鹿(朱書)野河内守答
四月(朱書)〈○天保九年〉七日
一曾祖父之兄弟を曾祖之兄又者弟と唱候而宜御座候哉、外ニ唱方も御座候哉之事、
曾祖之兄弟(○○○○○)、外ニ唱方無之候、

曾祖姑

〔倭名類聚抄〕

〈二/父母〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0258 曾祖姑 爾雅云、曾祖王父之姉妹爲曾祖王姑

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/父母〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0258 丘璿曰、女子與曾祖輩行者、稱曾祖姑

〔伊呂波字類抄〕

〈於/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0258 曾祖姑〈文字集略云、曾祖父之姉妹爲曾祖姑、〉

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0258 曾祖王父之姉妹爲曾祖(/ヒオホヲバ)王姑
丘氏曰、女子與曾祖輩行者、稱曾祖姑、會典、族曾祖姑、謂曾祖之姉妹、即大姑婆、

高祖姑

〔倭名類聚抄〕

〈二/父母〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0258 高祖姑 爾雅云、高祖王父之姉妹爲高祖王姑

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0258 高祖王父之姉妹爲高祖(/ヒヒオホヲハ)王姑
胤按、爾雅昆弟之稱、至族曾祖而止、而姉妹之稱及高祖、高祖王姑親盡、則雖列可也、

母之兄弟謂舅

〔倭名類聚抄〕

〈二/伯叔〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0259 舅 爾雅云、母之昆弟爲舅、〈其九反、母方乃乎知(○○○○○)、〉一云大舅、〈母方兄〉少舅、〈母方弟〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/父母〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0259 按説文、母之兄弟爲舅、與爾雅同、是本義、謂夫之父舅者、轉注也、釋名擧夫之父義、又擧母之兄弟舅亦如之也、與許異、〈○中略〉新撰字鏡云、大舅、母兄、小舅母弟、與漢語抄所言合、按夫之父亦曰舅、見夫妻類

〔伊呂波字類抄〕

〈波/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0259 舅〈ハヽカタノヲチ、母舅、兄曰大舅、弟曰小舅、〉

〔同〕

〈遠/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0259 舅〈ヲチ母方ヲチ〉

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0259 母之晜弟爲<ruby><rb>舅</rb><rt>/ハヽカタノヲヂ〉
丘氏曰、其妻爲舅母(/ハヽカタノヲヂヨメ)、俗稱妗妗、正字通、舊註音掀、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00170.gif 妗、善笑貌、六書故、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00189.gif 巨禁切、今人謂舅之妻http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00189.gif 、亦作妗、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00189.gif妗、形聲切讀各殊、合爲一泥、
胤按、左傳、晉侯曰、康公我之自出、註、秦康公、晉外甥也、詩序、渭陽、康公念母也、詩云、我送舅氏、曰至渭陽、故後世稱舅氏渭陽

〔日本書紀〕

〈二十二/推古〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0259 三十二年十月癸卯朔、大臣〈○蘇我馬子〉遣阿曇連〈闕名〉阿倍臣摩侶二臣于天皇曰、葛城縣者元臣之本居也、故因其縣姓名、是以異之、常得其縣以欲臣之封縣、於是天皇詔曰、今朕則自蘇我出之、大臣亦爲朕(○○)舅(ヲチ/○)也、故大臣之言夜言矣夜不明、日言矣則日不晩、何辭不用、然今當朕之世、頓失是縣、後君曰、愚癡婦人臨天下、以頓亡其縣、豈獨朕不賢耶、大臣亦不忠、是後葉之惡名、則不聽、
○按ズルニ、推古天皇ノ生母ハ、蘇我稻目ノ女、堅鹽媛ニシテ、馬子ト兄弟ナリ、

〔續日本紀〕

〈二十一/淳仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0259 天平寶字二年八月甲子、以紫微内相藤原朝臣太保勅曰、〈○中略〉自今以後、宜姓中加惠美二字、禁暴勝強、止戈靜亂、故名曰押勝、朕舅之中、汝卿良尚、故字稱尚舅(○○)、〈○下略〉

〔源氏物語〕

〈二十一/乙女〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0259 大殿〈○葵上〉ばらのわか君〈○夕霧〉の御元服のことおぼしいそぐ、〈○中略〉右大將殿〈○葵上兄弟〉をはじめ聞えて、御をぢ(○○)のとのばら、みな上達部のやむごとなき御おぼえことにてのみものしたまへば、あるじがたにもわれもわれもと、さるべきことヾもとり〴〵につかふまつり給、

〔源氏物語〕

〈四十九/寄生〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0260 御かたち〈○女二宮〉もいとをかしくおはすれば、みかどもらうたき物におもひきこえさせ給へり、〈○中略〉まことには御母方とても、うしろみとたのませ給ふべき御をぢなどやうの、はか〴〵しき人もなし、

〔源氏物語〕

〈五十二/蜻蛉〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0260 まろ〈○薫〉こそは御はヽかたのをぢなれど、はかなきことをの給て、れいのあなたにおはしますべかめる、

〔諼草小言〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0260 漢惠帝、其姊ノ子ヲ以テ皇后トス、是以舅取甥也、亂倫ノ甚ニアラズヤ、彼人同族相婚ハ夷狄ノ道ナリトイヘレド、其國ニモ古エハ如此ノ俗モアリシナリ、〈晉語ニ重耳秦女懐贏ヲ妻トス、コレモ舅取甥也、司空季子ガ異類雖近、男女相及以生民也ト云フ、イブカシキコト也、〉

母之姉妹謂姨又姨母

〔新撰字鏡〕

〈親族〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0260 姨母〈乎波〉

〔倭名類聚抄〕

〈二/伯叔〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0260 姨 唐韻云、姨〈○云姨二字原脱、今據一本補、〉音夷、母之姉妹也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/父母〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0260 廣韻同、按釋名、母之姊妹曰姨、孫氏蓋依之、釋名又云、妻之姉妹曰姨、亦如之、按説文、妻之女弟、同出爲姨、然則母之姊妹曰姨者、轉注也、〈○中略〉按釋名、母之姉妹曰姨、禮謂之從母、爾雅、母之姊妹曰從母、則知姨即從母、宜附録上條

〔伊呂波字類抄〕

〈遠/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0260 姨母〈ヲハ母之姊妹也〉

〔同〕

〈波/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0260 姨〈ハヽカタノヲハ母姨姊妹也〉

〔日本書紀〕

〈二/神代〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0260 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊、以其姨(ヲバ/○)玉依姫〈○生母豐玉姫妹〉爲妃、生彦五瀨命
○按ズルニ、皇胤紹運録ニ據レバ、鸕鷀茅葺不合尊ノ母ハ豐玉姫ニシテ、海童二女トアリ、而シ テ玉依姫ハ亦海神女トアレバ、玉依姫ハ母黨ノヲバナリ、故ニ姨ニ從ヘルモノナラン、

〔日本書紀〕

〈二十二/推古〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0260 十四年五月戊午、勅鞍作鳥曰、朕欲隆内典、方將佛刹、肇求舎利、時汝祖父司馬達等便獻舎利、又於國無僧尼、於是汝父多須那爲橘豐日天皇〈○用明〉出家、恭敬佛法、又汝姨(ヲバ/○)島女初出家、爲諸尼導者、以修行釋敎、〈○下略〉

〔今昔物語〕

〈三十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0261 信濃國姨母棄山語第九
今昔、信濃ノ國更科ト云フ所ニ住ム者有ケリ、年老タリケル姨母ヲ家ニ居エテ、祖ノ如クシテ養テ、年來相副テ過シケルニ、其ノ心ニ此ノ姨母糸厭ハシク思エテ、此レガ妬如ニテ老屈マリテ居タルヲ、極テhttp://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00190.gif ク思ケレバ、常ニ夫ニ此ノ姨母ノ心ノ ク惡キ由ヲ云聞セケレバ、夫六借キ事カナト云テ、此ノ姨母ノ爲ニ、心ニ非デ愚ナル事共多ク成リ持行ケルニ、此ノ姨母糸痛ク老テ、腰ハ、二重ニテ居タリ、婦ハ彌ヨ此レヲ厭テ、今マデ此レガ不死ヌ事ヨト思テ、夫ニ此ノ姨母ノ心ノ極テhttp://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00190.gif キニ、深キ山ニ將行テ棄テヨト云ケレドモ、夫糸惜ガリテ不棄ザリケルヲ、妻強ニ責云ケレバ、夫被責レ侘テ棄ムト思フ心付テ、八月十五夜ノ月ノ糸明カリケル夜、姨母ニ去來給へ、嫗共寺ニ極テ貴キ事爲ル見セ奉ラムト云ケレバ、姨母糸吉キ事カナ、詣デムト云ケレバ、男掻負テ高キ山ノ麓ニ住ケレバ、其ノ山ニ遙々ト峯ニ登リ立テ、姨母下リ可得クモ非ヌ程ニ成テ、打居エテ男逃テ去ヌ、姨母ヲイ〳〵ト叫ド、男答ヘモ不爲デ逃テ家ニ返ヌ、然テ家ニテ思ニ妻、ニ被責テ此ク山ニ棄テツレドモ、年來祖ノ如ク養テ相副テ有ツルニ、此レヲ棄ツルガ悲ク思エケルニ、此ノ山ノ上ヨリ月ノ糸明ク差出タリケレバ、終夜不寢ズ戀シク悲ク思テ、獨言ニ此クナム云ケル、 ワガコヽロナグサメカネツサラシナヤヲバステヤマニテルツキヲミテ
ト云テ、亦其ノ山ノ峯ニ行テ、姨母ヲ迎へ將來タリケル、然テ本ノ如クゾ養ケル、然レバ今ノ妻ノ云ハム事ニ付テ、由无キ心ヲ不發ズ、今モ然ル事ハ有ヌベシ、然テ其山ヲバ其ヨリナム姨母棄山ト云ケル、難噯シト云フ譬ニハ、舊事ニ此レヲ云フニゾ、其ノ前ニハ冠山トゾ云ケル、冠ノ巾子ニ似タリケルトゾ語リ傳ヘタルトヤ、

母之姉妹謂從母又外甥母

〔新撰字鏡〕

〈親族〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0261 從父〈(父恐母誤)波波方姉妹〉

〔倭名類聚抄〕

〈二/伯叔〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0261 從母 爾雅云、母之姉妹曰從母、〈母方乃乎波(○○○○○)〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/父母〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0262 原書曰作爲、釋名、爲娣而來、則從母列也、故雖來、猶以此名之也、令集解姨同訓、新撰字鏡姨母、推古紀姨並單訓乎波

〔伊呂波字類抄〕

〈遠/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0262 從母〈ヲハ、母方、〉

〔同〕

〈波/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0262 從母〈ハヽカタノヲバ〉

〔令集解〕

〈四十/喪葬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0262 古記云、舅從母、釋親云、母之昆弟爲舅、母之姉妹爲從母、案外祖父之子母之兄弟姉妹也、俗云、母方乎遲乎婆也、

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0262 母之姉妹爲從母(/ハヽカタノヲバ)
丘氏曰、今稱爲姨母、又曰、世俗謂母之姉妹姨(○○○○○○○○○)、殊不知姨者妻之姉妹同出也(○○○○○○○○○)、降尊以卑、非禮也、儀禮疏、母之姉妹與母一體、從於己母、而有此名故曰從母居、釋名、母之姉妹曰姨、禮謂之從母、會典、母之兄弟姉妹、即舅々姨姨(/ヲヂヲバ)、
胤按、陸放翁題跋、子長大卿娶予表從母之女、表從母(ハヽカタノイトコヲバ)、蓋母之表姉妹、

〔伊呂波字類抄〕

〈波/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0262 外甥母〈ハヽカタノヲハ〉

從舅

〔倭名類聚抄〕

〈二/伯叔〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0262 從舅 爾雅云、母之從父昆弟爲從舅、〈母方乃於保(○○○○○)(保下一本有知字)乎遲(○○)〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/父母〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0262 按從舅外祖父之http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00250.gif 弟子、蓋從外祖而別、於己爲舅行、訓母方乃於保知乎遲、無知字是、類聚名義抄、伊呂波字類抄、亦並有知字

〔伊呂波字類抄〕

〈波/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0262 從舅〈ハヽカタノヲヽチヲハ〉

〔倭名類聚抄〕

〈二/兄弟〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0262 甥 爾雅云、兄弟之子爲甥、〈生反、和名乎比、○比下一本有今案又用姪字、爾雅所謂昆弟之子爲姪、是也、十八字、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/兄弟〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0262 正文所引爾雅、原書無載、爾雅只云、謂我舅者吾謂之甥也、説文從之、此疑源君櫽括、按吾謂之甥者、對舅生稱、爾雅又云、母之晜弟爲舅、故釋名舅謂姊妹之子甥、甥亦生也、出配他男而生、故制字、男傍作生也、儀禮喪服注、甥姊妹之子、毛詩猗嗟及韓奕箋、莊十六年左傳注並同、此云兄弟之子爲一レ甥者誤、成務紀云、立甥足仲彦皇太子、足仲彦者、天皇兄日本武尊之子、則謂 兄子甥、其誤與此同、〈○中略〉新撰字鏡、成務紀同訓、令集解云、兄弟子俗云乎備賣比也、注所引爾雅、原書昆弟上有女子謂三字、無爲字、則知爾雅所載姪者、姑呼兄弟之子之稱、儀禮喪服傳亦云、謂吾姑者、吾謂之姪、賈公彦曰、吾謂之姪者、名唯對姑生稱、若對世叔、唯得昆弟之子、不姪名也、源君引爾雅、爲世叔呼昆弟之子之證、非是、其世叔呼昆弟之子、直云昆弟之子、或云兄弟之子、見儀禮喪服、禮記檀弓、故論語云、以其兄之子之、按顔氏家訓風操篇、兄弟之子已孤、與他人言、對孤者、呼爲兄子弟子、頗不忍、北人多呼爲姪、案爾雅喪服經左傳、名雖男女、並是對姑立稱、晉世以來、始呼叔姪、今呼爲姪爲勝也、則知謂兄弟之子姪、晉世以來俗語、宜引證顔氏家訓、又呂氏春秋疑似篇、黎丘有奇鬼焉、喜效人之子姪昆弟之狀、盧文弨曰、此即稱兄弟之子、爲姪所自始、又按妻之昆弟亦曰甥、見夫妻類、舅之子亦曰甥、源君失載、於從母兄弟條之、姑之子亦曰甥、姊妹之夫爲甥、源君皆不載、

〔伊呂波字類抄〕

〈遠/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0263 甥〈ヲヒ兄弟之子爲甥〉

〔日本書紀〕

〈七/成務〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0263 四十八年三月庚辰朔、立甥(ミヲヒ/○)足仲彦尊皇太子
○按ズルニ、皇胤紹運録ニ據ルニ、足仲彦尊ハ仲哀天皇ノ事ニシテ、仲哀天皇ハ、成務天皇ノ異母兄小碓尊亦名日本武尊ナリ、故ニ男黨ノヲヒナリ、而シテ甥ノ字ヲ用イタリ、

〔東大寺正倉院文書〕

〈二十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0263 御野國味蜂間郡春部里太寶貳年戸籍〈○中略〉
上政戸六人部加利戸口卅〈○註略〉
下々戸主加利〈年八十耆老○中略〉
戸主甥(○)六人部牛麻呂〈年廿二正丁〉

〔三代實録〕

〈三十七/陽成〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0263 元慶四年五月廿八日辛巳、從四位上行右近衞權中將兼美濃權守在原朝臣業平〈○中略〉卒、業平者故四品阿保親王第五之子、〈○中略〉天長三年親王上表曰、無品高岳親王之男女、先停王 號、賜朝臣姓、臣之子息未改姓、既爲昆弟之子(○○○○)、寧異齒列之差

〔源氏物語〕

〈三十九/夕霧〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0264 たえいり給ぬ、〈○御息所逝去、中略、〉つねにさこそあらめとの給けることヽて、けふやがてをさめたてまつるとて、御をひ(○○)のやまとのかみにてありけるぞ、よろづにあつかひきこえける、

〔古今著聞集〕

〈八/好色〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0264 宮内卿は娚(をい)にてある人に名だちし人也、男かれ〴〵になりにける時よみ侍ける、
都にもありけるものをさらしなやはるかにきヽしをばすてのやま

〔太平記〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0264 千劒破城軍事
軍モ無テソヾロニ、向ヒ居タルツレ〴〵ニ、諸大將ノ陣々エ江口神崎ノ傾城共ヲ呼寄テ、樣々ノ遊ヲサセラレケル、名越遠江入道ト、同兵庫助トハ、伯叔甥ニテ御座ケルガ、共ニ一方ノ大將ニテ、責口近ク陣ヲ取リ、役所ヲ雙テゾ御座ケル、或時遊君ノ前ニテ、雙六ヲ打レケルガ、賽ノ目ヲ論ジテ聊詞ノ違ヒケルニヤ、伯叔甥(○○○)二人突違テゾ死レケル、兩人ノ郎從共、何ノ意趣モナキニ、差違差違片時ガ間ニ死ル者二百餘人ニ及ベリ、

〔諸例集〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0264 一叔父甥之家を致相續候上者、叔父甥之唱如何有之候哉、問合、
堀(朱書)伊豆守答
靭負甥出雲守病氣ニ付、隠居靭負家督相續之上者、叔父甥之唱ニ者無之、相互如何之唱ニ相戒候儀ニ御座候哉、
右之段奉伺候、以上、
久留島靭負家來
嘉永五年三月 朝山平藏
書面之通者、叔父甥之家相續之上者、養父子之唱ニ而候、

〔諸例集〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0265 異父兄弟之子(○○○○○○)を續唱方之儀
松平(朱書)豐前守答
一異父兄 六郷兵庫頭
異父兄
一甥(○) 六郷(兵庫頭嫡子)佳之助
右者玄蕃頭異父兄弟ニ御座候ニ付、續書認振、右之通ニ而可然哉、此段爲心得御問合申上候、以上、
田沼玄蕃頭家來
天保十四年四月九日 中村太左衞門
書面之通ニ而振候儀無之候

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0265 男子謂姉妹之子出(/ヲイノメイ)
丘氏曰、今謂之甥、釋名、出嫁於異姓而生之也、又曰、舅謂姉妹之子甥(/タメウノヲイ)、儀禮、甥者何也、謂吾舅者、吾謂之甥、漢鄭氏曰、甥姉妹之子、賈公彦疏云、母之昆弟、不復謂之世叔、故名謂舅、舅既得別名、故謂之姉妹之子甥、亦爲別稱也、

外甥

〔伊呂波字類抄〕

〈波/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0265 外甥〈母方ノヲヒ〉

〔倭名類聚抄〕

〈二/兄弟〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0265 姪 釋名云、兄弟之女爲姪、徒結反、爾雅云、所謂昆弟之子爲姪是也、一云弟之女爲姪、〈和名米比(○○)〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/兄弟〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0265 原書兄上有姑謂二字、與儀禮爾雅合、上條〈○甥條〉注所載姪即是、其名對姑立稱、源君删姑字、直以爲伯叔呼兄弟之女、非是、按爾雅、姑謂兄弟之子姪、儀禮、謂吾姑者吾謂之姪、依之姪男女通名也、僖十五年左傳云、姪其從姑、注、謂子圉質一レ秦、是専以男爲姪、釋名特云女不子者、不諸家、又按釋名又云、姪迭也、共行事夫、更迭進御也、盧文弨曰、釋名所言、唯指姊姪之從嫁 者、亦當事一夫、何可定此誼、未允矣、然則訓姪爲米飛是、但説文云、姪兄之女也、疑今本有缺誤、段玉裁依爾雅、改作女子謂兄弟之子、不理、然白虎通、謂之姪者何、兄之子也、太平御覽引左傳服虔注云、兄子曰姪、隠元年左傳釋文、引字林云、姪兄女也、毛詩鵲巢釋文云、兄女曰姪、漢書杜欽傳注、兄弟之女則謂之姪、則不遽改説文舊文也、谷川氏曰、米飛當乎比之名、是説似是、本居氏曰、米飛蓋女甥之義、恐非、

〔伊呂波字類抄〕

〈遠/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0266 姪男〈兄弟之子曰姪、又兄弟之女曰姪、ヲヒ、メヒ、同字也、故俗加男女字、所分別也〉

〔伊呂波字類抄〕

〈女/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0266 姪女〈メヒ、兄弟之女也、釋名無女字只一字也、〉

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0266 女子謂晜弟之子姪(/ヲイ、メイ、)
黄氏曰、姪者、姑呼其兄弟之女子子名也、古人謂兄弟之子猶子也、故以子呼之、今乃謂之姪、則失之矣、丘氏曰、古人姉妹於兄弟之子、且有稱呼、顧兄弟於兄弟之子、獨無稱焉、而一槩、以姪稱、則是男女無別矣、然則曷以爲稱、曰、古謂同祖兄弟從兄弟、謂母之姉妹從母居、則當從子(/トウメウノヲイ)上レ是、釋名、姑謂兄弟之女姪、姪、迭也、共行事夫、更迭進御也、儀禮器服傳、姪者何也、謂吾姑者吾謂之姪、賈公彦疏云、吾謂之姪者、名唯對姑生稱、若對世叔、唯得昆弟之子、不姪名也、困學紀聞、顔延之曰、伯叔有女名、則兄弟之子、不姪、從母有母名、則姉妹之子不甥、且甥姪唯施與姑舅耳、雷次宗曰、姪字有女、明伯叔、甥字有男、見從母、劉http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00251.gif 父刊二程先生集、改姪爲猶子(/ドウメウノヲイ)、朱文公謂古人固不兄弟之子上レ姪、亦無猶子、注記禮者之言、猶己之子、但云、兄之子、弟之子、然從俗稱姪、亦無於義理也、〈○中略〉會典、兄弟之子、即姪(/ヲイ)男、其婦、即姪姉(/ヲイヨメ)、兄弟之女、即姪女(/メイ)、
胤按、姪之稱通男女、故儀禮云、姪大夫婦人報、唯其生名、自姑而呼之耳、故非伯叔上レ之也、自伯叔之、則禮稱昆弟之子、孔子以其兄之子之、是也、又杜甫送重表姪王(/タメウノ三イトコヲイ)砅〈音厲〉評事使南海詩、我之曾老姑、爾之高祖母、邵寶注云、曾老姑、王珪母也、

〔古事記〕

〈中/孝安〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0267 此天皇娶姪(○)忍鹿比賣命生御子、大吉備諸進命、

〔古事記傳〕

〈二十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0267 姪は、和名抄に、姪釋名云、兄弟之女爲姪、和名米比とみゆ、米比とは、女甥(メヲヒ)の意の稱なるべし、

〔東大寺正倉院文書〕

〈二十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0267 御野國味蜂間郡春部里太寶貳年戸籍〈○中略〉
戸主妻六人部吴賣〈年卅七正女○中略〉
戸主姪(○)六人部古ツ賣〈年十四小女〉

〔續日本紀〕

〈二十/孝謙〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0267 天平寶字元年七月戊申、詔曰、〈○中略〉詔畢更召入右大臣〈○藤原豐成〉以下群臣、皇太后〈○聖武后藤原安宿媛〉詔曰、汝〈多知〉諸者、吾近姪(○○)〈奈利〉、又豎子卿等者、天皇大命以、汝〈多知乎〉召而廔詔〈志久〉、朕後〈爾〉太后〈爾〉能仕奉〈利〉助奉〈禮止〉詔〈伎〉、
○按ズルニ、藤原豐成ハ不比等ノ孫、武智麿ノ子ナリ、皇太后安宿媛ハ不比等ノ女ナレバ、豐成 ハ其姪ニ當ルナリ、

〔續日本紀〕

〈二十/孝謙〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0267 天平寶字元年八月庚辰勅、中納言多治比眞人廣足、年臨耄、力弱就列、不諸姪(○○)、悉爲賊徒、如此之人、何居宰輔、宜中納言、以散位上レ第焉、

〔三代實録〕

〈二十/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0267 貞觀十三年閏八月十六日己未、左京人散位從五位下有道王男二人、女二人、姪女(○○)一人賜姓淸原眞人

〔本朝世紀〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0267 久安三年七月廿一日癸未、今日、法皇御覽武士、散位平正弘率子姪之輩十三人(○○○○○○○)皆著甲冑

〔諸例集〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0267 一叔父甥姪(○)之儀ニ付續書を以唱方問合
池田(朱書)筑後守答
何某嫡子幷二男三男御座候處、嫡子者死去仕、二男三男何も病身等ニ而、弟を養子仕候、然ル處右嫡子二男三男者、養子之爲ニ者甥ニ候得共、養子ニ相成候譯を以、養方弟之續ニ相成候哉、又者年 之多少ニ寄、兄弟を定候儀ニ御座候哉、
但女子も御座候處、姪ニ候得共、右養子之譯を以、年之多少ニ寄、姉妹ヲ分ケ候儀ニ御座候哉、
右之段奉伺候、以上、
松平和泉守家來 嘉永六年三月廿八日 杉戸助右衞門
書面之通者、兄之養子相成候者、養方之男女子者、實甥姪ニ付、年之多少ニ不拘、養子者實叔父ニ付兄と相定可然存候、
例(朱書)書、天保二卯年九月十二日、丹羽左京大夫ゟ問合、別冊貳拾七番ニ留有之候ニ付記略ス、

外姪

〔倭名類聚抄〕

〈二/兄弟〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0268 外姪 釋名云、姉妹之子爲外姪、〈○外姪一本作出、出下注楊氏漢語抄云外姪、〉出嫁於異姓、而所生也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/兄弟〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0268 按爾雅、男子稱姊妹之子出、劉氏依之、山田本、昌平本、曲直瀨本、下總本出作外姪、廣本同、按源君所見釋名、若作外姪、則何更引楊氏、載外姪字、可見作外姪、非源君之舊也、按説文、出進也、象艸木益滋上出達也、轄爲凡自内出之稱、以爲姊妹之子稱者、再轉也、廣本無楊氏以下八字、按廣本正文誤出作外姪、以楊氏之言重複、淺人遂删之也、其妄與温泉條又有石流黄、蓋石流黄類也字同、下總本注末有母方乃伊止古六字誤、蓋妄人所增非源君舊文、原書所生作生之

〔伊呂波字類抄〕

〈女/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0268 外姪〈メヒ、楊氏漢語抄云、姊妹之子、〉

外姪又謂外甥

〔伊呂波字類抄〕

〈波/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0268 外甥〈ハヽカタノメヒ、姊妹之子也、〉

歸孫

〔倭名類聚抄〕

〈二/子孫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0268 歸孫 釋名云、姪之子爲歸孫、〈和名與離孫、同〉婦人謂嫁爲歸、姪子列〈○列原書作例、今據一本改、〉故其所生曰歸也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/子孫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0268 原書二爲作曰、曰歸作爲孫、此引作曰歸非、或源君引作曰歸孫、傳寫誤脱孫 字也、按爾雅、謂姪之子歸孫、公羊傳毛傳皆云、婦人謂嫁歸、劉氏並依之、喪服傳、婦人雖外、必有歸宗、故謂姪之子歸孫、説文、歸女嫁也、从止、婦省、𠂤聲、按姪者姑呼兄弟之子之稱、詳見上文、則知歸孫者女子呼兄弟之孫之名、非男子立之稱也、

〔伊呂波字類抄〕

〈末/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0269 歸孫〈マコヒコ〉

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0269姪之子歸孫(/ヲイマゴ、メイマゴ、)
釋名、婦人謂嫁曰歸、孫子列、故其所生爲之也、
會典、兄弟之孫爲姪孫(/ヲイマゴ)、其曾孫爲曾姪孫(/ヲイヒマゴ)、曾孫女爲孫曾(/メイヒマコ)孫女
胤按、謂吾姑者、吾謂之姪、則歸孫亦自祖姑之耳、會典、兄弟之孫云者、泛指兄弟之孫、不必拘

從父兄弟姉妹

〔倭名類聚抄〕

〈二/兄弟〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0269 從父兄弟 爾雅云、兄之子弟之子、相謂爲從父昆弟、〈和名伊止古〉但兄之子、男爲從父兄、女爲從父姉、弟之子、男爲從父弟、女爲從父妹也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/兄弟〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0269 按從父兄弟姊妹、以年長者兄爲姊、年少者爲弟爲妹、故爾雅云相謂、非父之長少、歴代名畫記、李思訓弟思誨、思誨子林甫、又云、思訓子昭道、林甫從弟也、是林甫爲弟思誨子、昭道爲兄思訓子、而云林甫從弟、則兄弟之稱、由其身之長少、不其父之次序也、然北山抄云、兄子謂從父兄、弟子謂從父弟、姉妹如之、或依子年齒云々、法家不此説、則知源君獨誤也、丘璿曰、從父昆弟今稱從兄弟、按令集解云、從父兄弟、俗云伊止古波良加良、從父姉妹、伊止伎毛也、伊止伎毛、蓋伊止古伊毛之急呼也、是從父兄弟姊妹之正訓、其以斗古者、親昵人之稱、蓋愛子之義、故古謂夫妻若所親交、皆爲、以斗古、萬葉集云、伊刀古名兄乃君、謂夫也、古事記八千矛神歌云、伊刀古夜能、伊毛能美許等、神樂歌云、見之禰川久乎、見名乃與佐佐也云々、伊止己世仁万、伊止己世仁世牟也、並謂妻也、風俗歌云、伊止古世之加止爾云々、謂親友也、而從父兄弟姉妹於親屬中、最所親愛、故曰以斗古波良加良、以斗古伊毛、後省呼以斗古也、按從父兄弟姉妹者、父之兄弟之子女也、故儀禮 從父姉妹、注云、父之昆弟之女、是也、又謂父之姉妹之子甥、爾雅云、姑之子爲甥、是也、又曰外兄弟、見儀禮注、源君擧從父兄弟姉妹、不外兄弟、蓋以其和名同之也、

〔伊呂波字類抄〕

〈伊/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0270 從父兄弟〈イトコ、父ノ兄ノ子、父ノ弟ノ子、爾雅云、兄之子、弟之子相謂爲從父昆弟姊妹、但兄之子男爲從父兄、女爲從父姊、弟之子男爲從父弟、女爲從父妹也、〉 從父兄〈父之兄男〉 從父弟〈父之弟男〉 從父姊〈父之兄女〉 從父妹〈父之弟女〉

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0270 兄之子弟之子、相謂爲從父晜弟(/イトコ)
郭氏曰、從父而別、丘氏曰、今稱從兄從弟(/トシ上イトコ、トシ下イトコ、)、俗云堂兄堂弟、儀禮疏云、世叔父與祖爲一體人、而己父爲一體、縁親以致服、故云從也、會典、堂兄弟、謂同祖伯叔兄弟、其子即堂姪(/イトコヲイ)、其女堂姪(/イトコメイ)女、其孫堂姪孫(/イトコマゴ)、〈○中略〉
胤按、從父兄弟(/オトコイトコ)又稱同堂兄弟、其女子者稱從父姉妹(/オンナイトコ)、即會典所云堂姉妹也、後世或略言從姉妹、〈十七帖云從妹〉大凡與吾同行、稱兄弟者有六、父之兄弟之子曰從父兄弟、姉妹之子曰外兄弟、又曰表兄弟、母 之兄弟之子曰内兄弟、姉妹之子曰從母兄弟、又曰姨兄弟、同曾祖者曰從祖兄弟、又曰再從兄弟、同高祖者曰族兄弟、又曰三從兄弟、其稱各異其服有別、邦俗不其義、多致混稱、故丁寧焉、

〔令集解〕

〈四十/喪葬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0270 古記云、從父兄弟、釋親云、兄弟之子相謂爲從父兄弟、案從父姉妹亦同、俗云、伊止古波良加良也、從父姉妹者、俗云、伊止伎毛也、

〔令集解〕

〈二十八/儀制〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0270 從父兄弟者、兄弟之子相呼之號、長者曰從父兄、少者曰從父弟、漢書注曰、言從父而別也、

〔倭訓栞〕

〈前編三/伊〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0270 いとこ 從父兄弟をいふ、出子の義、をひを出といふは左傳に見えたり、又糸によれる如きむつびよりいへる詞なるべし、倭名抄に、再從兄弟をいやいとこ、三從兄弟をまたいとことよめり、日本紀の歌に、うま人はうま人とちやいとこはもいとことちとよめり、是は同輩をいふにや、從父兄弟と意通へり、西土の書にも、相伯仲すといへるごとし、古事記の歌に、いとこやのとあるも、いとほしき子の義、萬葉集にいとこなせの君と見ゆ、相親辭也、

〔文德實録〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0271 仁壽三年正月己亥、正四位下藤原朝臣古子、明子等、並授從三位、從五位上當麻眞人眞伊止子(○○○○)從四位下、

〔台記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0271 久安四年六月十六日壬寅、早明除服、是從父兄弟(○○○○)〈故家隆朝臣子僧〉死于遠所、昨日聞之、其假半減、仍假唯昨今二日於、服者過了云々、
○按ズルニ、家隆ハ賴長ノ父忠實ノ弟ナリ、故ニ家隆ノ子ハ賴長ノ從父兄弟ニ當ル、

〔大江俊矩公私雜日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0271 文化四年六月一日壬申、俊廸屆書三通一ツ之文箱ニ入、下申萬竹、先小番所へ持參、次兩奉行廣橋家橋本家へ持參、各落手ニテ相濟也、如左、
從父姉(○○○)、昨夜致死去候、依之暇三日之間、小番不參、七日著服仕候、仍御屆申上候、以上、
文化四年六月一日 北小路越前俊廸

〔諸例集〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0271 一叔父從弟從弟女之唱方、系引にて、紀伊守殿御問合ニ付、下ゲ札申上、
子(朱書)〈○嘉永五年〉六月十四日、内藤紀伊守殿御下ニ付、掛り池田筑後守〈江〉打合之上、堀伊豆守下ゲ札、
實松平樂翁娘牧野備前守爲養女亡父紀伊守〈江〉嫁
養母 紀伊守
實松平樂翁二男
眞田遂翁
右遂翁儀、叔父と唱候而宜候哉、忌服も請不申儀ニ付、叔父とハ不相唱儀ニ候哉、且右從弟從弟女之續も如何相唱候而宜候哉之事、
御書面之通者、養母之實方叔父從弟從弟女(○○○○○○)と相唱可然儀ニ御座候、
六月 堀伊豆守

〔諸例集〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0272 從弟違女之續問合
佐野(朱書)肥後守答
養母方
一從弟女(○○○) 朽木土佐守死娘
右從弟女儀、攝津守從弟朽木隠岐守養女相成候ニ付而者、從弟違女之續相成候儀と奉存候、此段奉伺候、以上、
板倉攝津守家來
天保九年五月六日 和田權右衞門

書面之通ニ而候

從母兄弟姉妹

〔倭名類聚抄〕

〈二/兄弟〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0272 從母兄弟 爾雅云、從母兄弟男子爲從母昆弟、女子爲從母姉妹、〈和名與内戚同〇内原脱、今據一本補、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/兄弟〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0272 原書女子下更有子字、按和名與内戚同、謂從母兄弟和名與從父兄弟上レ異也、又按爾雅、母之姉妹爲從母、則知從母昆弟姉妹、爲母之姉妹所一レ生、又母之http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00250.gif 弟爲舅、舅之子爲甥、亦見爾雅、甥又曰内兄弟、見儀禮注、其和名亦當從父兄弟、源君單擧從母兄弟姉妹、不内兄弟、疑以其和名同之也、

〔伊呂波字類抄〕

〈伊/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0272 從母兄弟

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0272 從母之男子爲從母兄弟(/ハヽカタノイトコ、ヲバカタ、)
小學、姨兄屯田郎中辛玄馭、句讀、姨兄、姨之子(/トシ上ノハヽカタノイトコ)長於我者、杜甫寄狄明府詩、梁公曾孫我姨弟、不見十年官濟濟、邵寶曰、母之姉妹之子曰姨弟(/トシ下ノハヽカタイトコ)
胤按、姨兄姨弟、即從母兄弟也、胡三省魏明帝紀註云、妻之兄弟也、蓋誤矣、

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0273 其女子子爲從母姉妹(/ハヽカタノイトコ、ヲバカタ、)
丘氏曰、有從母之子之稱呼、而無舅子之稱呼、何也、
胤按、韓文柳子厚墓誌銘、舅弟盧(/ヲヂカタノイトコ)遵經紀其事、蓋子厚母盧氏、盧遵、子厚舅之子也、

舅子/姨子

〔伊呂波字類抄〕

〈波/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0273 舅子〈ハヽカタノオチノコ我母兄弟子〉 姨子〈ハヽカタヲバノコ、云我母之姊妹之子也、〉

再從兄弟

〔倭名類聚抄〕

〈二/兄弟〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0273 再從兄弟 九族圖云、再從兄弟、〈和名伊夜伊止古(○○○○○)〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/兄弟〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0273 通鑑唐紀、皇再從三從弟及兄弟之子、雖童孺皆爲王、胡三省曰、同曾祖爲再從兄弟、同高祖爲三從兄弟、按再從兄弟即從祖昆弟也、鄭玄曰、父之從父昆弟之子、丘璿曰、族祖昆弟、今稱再從兄弟、蓋從祖而別也、今俗譌呼又從兄弟

〔伊呂波字類抄〕

〈伊/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0273 再從兄弟〈九族圖云、再從兄弟、イヤイトコ〉

從祖昆弟

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0273 從祖父之子、相謂爲從祖昆弟(/マタイトコ、フタイトコ、)
丘氏曰、今稱再従兄(/トシ上ノ二イトコ)、再従弟(/トシ下ノ二イトコ)、蓋從祖而別也、會典、<ruby><rb>再従兄弟(/オトコノフタイトコ)、及再従姉妹(/オンナノフタイトコ)、謂同曾祖兄弟、即父伯叔兄弟之子女、

三從兄弟

〔倭名類聚抄〕

〈二/兄弟〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0273 三從兄弟 九族圖云、三從兄弟、〈和名萬太伊止古(○○○○○)〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/兄弟〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0273 三從兄弟、出通鑑唐紀、日見前條、通鑑唐紀又云、宋元超、璟之三從叔、胡三省曰、三從叔、同高祖、亦是也、丘璿曰、族昆弟今稱三從兄弟、然則三從兄弟即族昆弟(○○○○○○○○)、族昆弟已出父母類、宜于此、今俗譌呼彌從兄弟

〔伊呂波字類抄〕

〈末/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0273 三從兄弟〈マタイトコ〉

〔倭名類聚抄〕

〈二/父母〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0273 族昆弟(○○○) 爾雅云、族父之子相謂爲族昆弟

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/父母〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0273 按兄弟類所載三從兄弟即是(○○○○○○)、此分載非是、宜録彼條

〔伊呂波字類抄〕

〈於/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0273 族昆弟〈略云、族父之子相謂爲族昆弟、和名ヲホチヲハ、〉

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0274 族父之子、相謂爲族兄晜、弟(/イヤイトコ、ミイトコヽ)
丘氏曰、今稱爲三從兄弟、從曾祖而別者、會典、族弟兄(オトコノミイトコ)、族姉妹(オンナノミイトコ)、謂三從兄弟姉妹同高祖
胤按、杜甫詩、有敬寄族弟唐十八使君、邵寶注云、唐與杜蓋同族也、此與爾雅所一レ稱又別、

從舅

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0274 母之從父晜弟爲從舅(/ハヽカタノスヂカヒイトコ)
丘氏曰、其伯叔兄弟爲從舅
胤按、大明律母黨器服圖云、堂舅堂姨之子無服、而不其義、今以意推之、母之兄弟曰舅、姉妹曰姨、而凡稱堂者、皆從父兄弟也、然則堂舅、母之從父兄弟、堂姨、母之(/ハヽノオンナイトコ)從父姉妹也、

親同姓

〔釋親考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0274 族晜弟之子、相謂爲親同姓(/ヨイトコ)
郭氏曰、同姓之親、無服屬、丘氏曰、謂高祖而別者、五世之外雖服、比諸同姓猶親、〈右己之兄弟、有四從之別、〉

從弟違/段違又從弟

〔諸例集〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0274 續名目之儀ニ付問合
文化二年七月廿四日、田沼玄蕃頭家來ゟ問合書面、井上美濃守差出袋廻し、
玄蕃頭實從弟違(○○○)田沼市左衞門儀、先代主計頭實兄に御座候、然ル處玄蕃頭相續被仰付候ニ付、市左衞門儀、玄蕃頭と從弟違の續合ニ御座候得共、當時の續合は如何相心得可申哉、兼て爲心得此段奉伺候、
田沼玄蕃頭家來
七月 鷲頭東馬
書面之趣者、養方續名目ニ而者、養父之實方伯父之續相成候得共、實續も有之候間、壹人兩樣之續と相心得罷在候

〔柳螢諸舊例的〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0274 文化二丑年八月六日 同居御屆 寄合駒井半藏
西郷齋(小普請組)宮支配
從弟違(○○○) 本多直橘
右直橘居屋敷家作大破ニ付、普請出來仕候迄、當分之内私方〈江〉同居爲仕候、此段御屆申上候、以上、
八月六日 駒井半藏

〔諸例集〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0275 續名目之儀ニ付問合
文化七午七月廿一日、伊藤河内守差出袋廻し、
一從弟之孫(○○○○)ニ者續無御座候と相心得罷在候得共、又從弟之名目も御座候哉、且又段違又從弟(○○○○○)と唱候も、又從弟之續御座候哉、御問合申上候、以上、
西丸表御右筆
七月 青木傳八郎
書面之通者、從弟之孫ニ者續無之、又從弟之名目も無之候、且又段違又從弟と唱候名目無之、大 伯叔父孫之母者、又從弟之續ニ而候、

雜載

〔諸例集〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0275 柳生播磨守答〈○中略〉
一養子願書御老中樣御落手有之候次者、家督不定内者、養父母之外親類唱方、養父之父母者祖父母とも難相唱、兄弟者伯父叔父とも難相唱儀に御座候哉、
書面之通にて候
右之趣奉伺候、以上、
前田豐之丞内 五月 出淵幾之進

〔貞永式目追加〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0276 一評定之時可退座
右祖父母、父母、子、孫、兄弟、舅、相舅、伯叔父、甥小舅、從父兄弟、夫、
一評定時可退座分限事
祖父母、養父母、子、孫、養子孫、兄弟、姉妹聟、姉妹孫聟、同舅、相舅、伯叔父、甥、姪夫、從父兄弟、小舅、

〔北條五代記〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0276 北條氏茂百姓憐愍の事
早雲まつりごとよければ、士も民もおもひよりて、北條家へ歸服す、然に我物おぼえてより近き年迄、關八州の國主其下々の侍までのおもはく、我領納する一所懸命の地は、そのかみ八幡殿よりゆづりつたはりて、子々孫々までも我所領我百姓なれば、民ゆたかにさかふるやうにとあはれみをたれ、政道なせるは、唯親が子を愛するがごとし、又百姓も我地頭殿は、おやおうぢよりつたはり、孫ひこ、やしは子の末までも、はなれぬ地頭なれば、永久に榮へおはしませと、神佛へいのり、子がおやをおもふごとし、

〔御當家令條〕

〈二十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0276 火事之節見廻候所々覺
御番衆春秋知行所御暇覺
親子 兄弟 舅 聟 小舅 伯父 伯母 甥姪 祖父 祖母 從弟 孫〈○中略〉
親類煩ニ而御番所之覺
親子 兄弟 伯父 祖母 伯父 伯母 孫 甥姪 舅 妻
右之分、煩大切ニ而、別に親子兄弟も無之、病人にて候はヾ、御番所出し可申候、其内親子は各別之事、
以上 寛文四年辰十二月十四日

〔松屋筆記〕

〈六十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0277 寒族(○○)
親族の少き者を寒族といふ、通鑑綱目四十三の卷〈百六十九丁ウ〉唐玄宗天寶六載の條に、寒族則孤立無黨とあり、

〔幽遠隨筆〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0277 我子、人の子をたヾさんとするには、父が血と子の血とを合すに、我子なれば親の血ひとつに合ひ、こと人の子なれば血ひとつにならずと、世にいひ傳へ、芝居などによく用ること也、是古きためしにこそ、前にいふ兼盛の合血すべきといへる、即是なり、

〔袋草紙〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0277 江記云、赤染ハ赤染時用女也、依右衞門志尉等赤染衞門、實ハ兼盛女也、離別彼母之後稱女子、欲取之處、母惜而稱然之由、相論之間、爲適撿非違使時用沙汰之間、而彼母密通相住之間、彌稱兼盛子之由、深稱時用子、云々、兼盛可對面〈○對面二字、中古歌仙三十六人傳作面合、〉之由申云云、

乳母/名稱

〔倭名類聚抄〕

〈二/男女〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0277 乳母(メノヲト) 日本紀師説、〈女乃於止(○○○○)〉言、妻妹也、事見彼書、唐式云、皇子乳母皇孫乳母〈乳母、和名米乃止(○○○)、〉辨色立成云、嬭母(チヲモ)、〈和名知於毛(○○○)〉今按即乳母也、乃禮反、字亦作妳、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/男女〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0277 龍龕手鑑、嬭妳通、彌母、見宋書何承天傳、北史崔季舒傳、及史記倉公傳索隠、伊勢廣本無知字、按神代紀乳母訓千於毛、萬葉集謂之於母、曾禰好忠長歌謂之於毛刀自、則有知字知字兩通、然類聚名義抄訓千於毛、彼所見廣本亦有知字、疑伊勢廣本傳寫偶脱也、今俗呼宇婆、本居氏曰、於毛、總謂育小兒之婦人、而乳母爲兒者之主、故乳母專於毛之名、然親母乳養兒者、亦曰於毛、仁賢紀、於母亦兄、此云於慕尼慕是、萬葉集信濃國埴科郡神人部子忍男歌、謂父母意毛知知、神武紀、孔舎衞之戰、有人隠於大樹、而得難、仍指其樹恩如一レ母、時人因號其地母木 邑、今云飫悶迺奇訛也、皆謂親母於毛、但就乳養是名、淺人謂於毛母之古名、於係乳養之處、亦謂母爲於母者非是、〈○中略〉廣韻、嬭、乳也、廣雅、嬭、母也、史記正義、嬭母、乳母也、並此義、按乳母謂養小兒、乳本訓生子、其乳養者轉注也、廣本無文字集略以下正文十字、〈○中略〉唐書云、武德式十四卷、貞觀式三十三卷、永徽式十四卷、垂拱式二十卷、開元式二十卷、今皆無傳本、按所引日本紀、謂豐玉姫歸海郷、留其女弟玉依姫養小兒、見神代紀下、據引師説、女乃度是妻妹之急呼、以其持養小兒、後世泛爲保母之稱、後撰集雜、戀歌小序、及枕册子所言、女乃度是也、是可以證女乃度非乳育者名、則訓乳母女乃度是、新撰字鏡、阿妳乳母、又云女乃止、顯宗紀亦乳母傍訓女乃止、其誤與此同、日本紀以下十七字、舊及山田本、尾張本、昌平本、曲直瀨本、下總本皆無獨廣本有之、今附存、

〔伊呂波字類抄〕

〈女/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0278 乳母メノト 傅姆嬭 已上同

〔倭訓栞〕

〈前編十五/知〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0278 ちおも 神代紀に乳母をよめり、倭名抄に嬭母ともみえたり、今うばといふは、嫗の義なるべし、

〔倭訓栞〕

〈前編三十二/米〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0278 めのと 倭名抄に乳母をよみ、めのおとヽもいふは、妻の妹の義也といへり、玉依姫の故事より起りし事、神代紀に見えたり、新撰字鏡に嬭をよめり、

〔倭訓栞〕

〈前編四十五/於〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0278 おち(○○) 乳母をいふは、御乳の義成べし、春宮には御乳の人と稱し、禁裏には大乳人と稱す、

〔萬葉集〕

〈十二/古今相聞往來歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0278 正述心緒
緑兒之(ミドリコノ)、爲社乳母者(タメコソオモハ/ ○○)、求云(モトムトヘ)、乳飲哉君之(チノメヤキミガ)、於毛求覽(オモモトムラン)、

〔萬葉集略解〕

〈十二上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0278 今本爲社と有りて、すもりめのとヽ訓るは何事ぞや、一本社に作るをよしとす、乳母は知毛とも訓べけれど、同じ事を下に於毛と書るに依て、上をもおもと訓也、訓と意を知らするとて、二樣に書るものなれば也、母をおもといふ事は集中に多し、乳母をば知於毛 といへど、略てそれをも於毛とのみもいへり、古事記取御母(ミオモ)湯坐若湯坐とも有、乳のめやは、乳のめばにや也、此歌はもと逢し女はかれて、男の今乳母とことばして、他女をよばふこと有時、前の女の聞て、戯て贈れるなるべし、

〔枕草子〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0279 すさまじきもの
さるべき人のみやづかへするがりやりて、いつしかとおもふもいとほいなし、ちごのめのと(○○○)の、たヾあからさまとていぬるを、もとむれば、とかくあそばしなぐさめて、〈○下略〉

〔源氏物語〕

〈三十四/若菜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0279 げにたぐひなき御身にこそあたらざらめと、つねにこの小侍從之いふ御ちぬし(○○○○)をも、いひはげまして、世中さだめなきを、おとヾの君もとよりほいありて、おぼしをきてたるかたにをもむき給はヾと、たゆみなく思ひありきけり、

制度

〔令義解〕

〈一/後宮職員〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0279 凡親王及子者、皆給乳母、〈謂若内親王嫁諸王生者、不給限也、〉親王三人、子二人、所養子年十三以上、雖乳母身死、不更立替、其考叙者並准宮人、自外女竪、不考叙之限

〔禁秘御抄〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0279 一典侍
四人也、此職尤重、爲御乳母(○○○)之人者、諸大夫女聽之、〈○中略〉白川院御時、親子能信家者、父親國、無下者也、然而爲吉例、後白川院御時、朝子馬助兼永女、是左道、但不典侍歟、可勘、〈○中略〉二條院御時源光保女爲御乳母(○○○)、爲典侍、院御時高階淸章女同之、但是等不慮法、向後定左道人多輔之、堀川院御乳母四人、其外不二三人、近代花族御乳母左道出來歟、〈○下略〉

乳母例

〔日本書紀〕

〈二/神代〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0279 亦云、彦火火出見尊取婦人乳母(チオモ)湯母及飯嚼湯坐、凡諸部備行以奉養焉、于時權用他姫婦乳養皇子焉、此世取乳母兒之縁也、

〔古事記〕

〈中/垂仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0279 天皇命詔其后言、凡子名必母名、何稱是子之御名、〈○中略〉又命詔、何爲日足奉、答白、取御母(○○)、定大湯坐若湯坐、宜日足奉、故隨其后白、以日足奉也、

〔古事記傳〕

〈二十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0280 御母は美淤毛(ミオモ)と訓べし、乳母を云なり、淤毛と云は、兒を養育(ヒタ)す事をする婦人を凡て云稱なり、其中に乳母は、殊に主とある者なる故に、唯に淤毛とのみ云なり、又親母(ハヽ)も主と養育す者なる故に淤毛とも云り、〈親母を淤毛と云は、養育す方に就て云稱なり、たヾ親母の古名と心得るは精しからず、親母を淤毛と云るは、書紀仁賢卷に、於母亦兄、此云於慕尼慕是(オモニモセ)、万葉廿に、父母を意毛知々とよめり、同卷に、阿母刀自(アモトジ)とよめるも、防人の歌にて、東言に淤を阿と云るなり、曾禰好忠集に、おもとじの乳ぶさのむくい云々、書紀神武卷に、孔舎衞之戰、有人隠於大樹而得難、仍指其樹、曰恩如一レ母、時人因號其地母木邑、今云飫悶迺奇訛也、新井氏東雅に、百濟の方言に、母をおもと云り、今も朝鮮の俗、母なおもと云は、古の遺言なり、これ吾國の言の彼國に傳はりしか、又彼國の言の吾國に傳はりしか、未詳と云り、今思ふに、此稱神武の御世の故事あり、又古く乳母にも云れば、本より皇國言なるが、韓地へも傳はれるなるべし、〉さて親母を淤毛と云て、母字を然訓故に、乳母の淤毛にも、やがて其母字のみを書は、古字には拘らざりししわざなり、乳母(チオモ)をたヾ淤毛(オモ)と云る例は、万葉十二〈十丁〉に、縁兒之(ミドリゴノ)、爲社乳母者(タメコソオモハ)、求云(モトムトイヘ)、乳飲哉君之(チノメヤキミガ)、於毛求覽(オモモトムラム)、〈是は乳母と書たれども、必たヾオモと訓べきこと、末句に於毛とあるにて知べし、今本の訓はいたく誤れり、〉悔毛(クヤシクモ)、老爾來鴨(オイニクルカモ)、我背子之求流乳母爾(ワガセコガモトムルオモニ)、行益物乎(ユカマシモノヲ)と見え、孝謙天皇の御乳母、山田宿禰比賣島といふ人を、續紀廿〈二十四丁〉万葉廿〈十三丁〉に、山田御母(ミオモ)とあり、和名抄に乳母、日本紀師説、女乃於止、言妻妹也、事見彼書、唐式云、乳母、和名米乃止、辨色立成云、嬭母、今按即乳母也、和名知於毛とあり、〈古本には知於毛の知字なし〉

〔日本書紀〕

〈十五/顯宗〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0280 元年二月、是月召聚耆宿、天皇親歴問、〈○中略〉於是天皇與皇太子億計、將老嫗婦于近江國來田綿蚊屋野中、堀出而見、果如婦語、臨穴哀號、言深更慟、自古以來、莫斯酷、仲子之尸、交横御骨、莫能別者、爰有磐坂皇子之乳母居、奏曰、仲子者上齒堕落、以斯可別、於是雖乳母別髑髏、而竟難四支諸骨、由是仍於蚊屋野中起雙陵、相似如一、葬儀無異、〈○下略〉

〔續日本紀〕

〈十七/聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0280 天平勝寶元年七月乙未、從六位上阿部朝臣石井、正六位上山田史日女島、正六位下竹首乙女、並授從五位下、並天皇之乳母也、

〔續日本紀〕

〈二十四/淳仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0280 天平寶字七年十月乙亥、於是、史生已上皆停其行、以修理船使鎌束便爲船師新福等發遣事畢、歸日我學生高内弓其妻高氏及男廣成緑兒一人乳母一人、幷入唐學問僧戒融、優婆 塞一人、轉自勃海相隨歸朝、〈○下略〉

〔續日本紀〕

〈三十九/桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0281 延暦七年二月辛巳、授從五位下錦部連姉繼從五位上、無位安倍小殿朝臣堺武生連朔並從五位下、並皇太子乳母也、

〔日本後紀〕

〈十七/平城〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0281 大同三年十二月戊辰、无位笠朝臣道成從五位下、道成皇大弟〈○嵯峨〉乳母也、特有此叙

〔文德實録〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0281 嘉祥三年五月壬午、天皇誕生、有乳母姓神野、先朝之制、毎皇子生、以乳母姓之名焉、

〔三代實録〕

〈四/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0281 貞觀二年十月廿九日乙巳、正三位行中納言橘朝臣岑繼薨、岑繼者、贈太政大臣正一位淸友朝臣孫、而右大臣贈從一位氏公朝臣之長子也、氏公朝臣是仁明天皇之外舅、岑繼所生是仁明天皇之乳母、故天皇龍潛之日、陪於藩邸、稍蒙寵幸、〈○中略〉齋衡二年、進爵爲正三位、三年拜中納言、薨時五十七、

〔後拾遺和歌集〕

〈二十/雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0281 めのとせんとてまてきたりける女のちのほそく侍りければ、よみ侍りける、
大江匡衡朝臣
はかなくも思ひけるかなちもなくてはかせの家のめのとせんとは
返し 赤染衞門
さもあらばあれやまと心しかしこくはほそちにつけてあらすばかりぞ

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0281 治承三年二月十日戊戌、後聞、亥刻、關白〈○藤原基房〉室、參東宮、〈○安德〉其儀庇車之後、出衣出車二兩、〈檳榔毛〉侍各二人著束帶之、前駈殿上人八人、〈淸道朝臣(中將)顯家朝臣(少將)兼宗(同)忠長(少將侍從)兼經(同)盛定(兵衞佐)兼光(左少辨)光長(左衞門權助)〉此中、光長爲後騎云々、諸大夫十八人、〈四位四人云々〉扈從公卿三人、〈春宮大夫兼雅、中宮權大忠親、三位中將隆忠、〉兼雅卿勤車寄、撿非違使隨身等不供奉云々、先於右衞門陣外、舁放車門立之、〈立榻〉次藏人家實仰輦、次引入車、〈下家司六人著束帶之、前駈上﨟二人、(資泰季長)付之、〉參入之後、不幾程退出、有牽出物、〈琵琶一面、兼雅卿取之、前駈季佐受取之、〉執政室爲乳母之例、古今未有、隨時宜始例歟、誠是可時務、賢哉々々、竊以可彈指

〔源平盛衰記〕

〈四十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0282 二位禪尼入海幷平家亡虜人人附京都注進事
二位殿、今ハ限ト見ハテ給ニケレバ、練色ノ二衣引纏、白袴ノソバ高ク挾テ、先帝ヲ奉懐、帶ニテ我身ニ結合進セ、寶劒ヲ腰ニサシ、神璽ヲ脇ニ挾テ艇ニ臨給、〈○中略〉今ゾシル御裳濯河ノ流ニハ浪ノ下ニモ都アリトハ、ト宣ヒモハテズ、海ニ入給ケレバ、八條殿、同〈ク〉ツヾキテ入給ニケリ、國母建禮門院ヲ始奉テ、先帝御乳母帥典侍(○○○○○○○○)、〈○平時忠妻〉大納言典侍已下ノ女房達、船ノ艫舳ニ臥マロビ、聲ヲ調テ叶給フモ夥シ、軍喚ニゾ似タリケル、浮モヤ上ラセ給ト、暫シハ見奉〈リ〉ケレ共、二位殿モ八條殿モ深沈テ不見給、〈○下略〉

〔看聞日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0282 永享三年九月廿五日、御乳人今夜平産女子云々、去年當年相續連々儀不然、禁裏細々可參候之處、籠居非怖畏、不敎訓之條不説歟、

〔時慶卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0282 慶長十年十月十一日、少納言ハ女御殿御供ニ、西山紅葉見ニ罷出、富小路同御供由候、予ハ依咳氣不參、上臈二人、右衞門督局、又親王御方、同御乳母人等之申沙汰也、

〔明良洪範〕

〈二十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0282 大母殿
大母殿、台廟〈○德川秀忠〉ノ御乳母ニテ賢良ノ女ナリ、其子某事ハ、山中源左衞門ノ黨類ナルニヨツテ、流罪ニ仰セ付ラレ、其後大母殿ハ、台廟ノ御尊敬アサカラズ、徒然ヲナグサメン爲ニ、毎月三四度ヅヽ茶ノ子ヲ賜ヒ、近習ノ女中ナド遣ハサレ、咄シナドイタシ、コレヲナグサメラル、此大母殿、月ニ一二度ヅヽ定マリタルナグサミアリ、〈○中略〉
春日局
春日局ハ、明智日向守ガ臣齋藤内藏助利三ガ娘也、幼名ハ福ト云リ、母ハ稻葉刑部少輔通明ガ女也、福女ハ稻葉佐渡守正成ガ妻トナル、丹後守正勝、同七之丞正定、内記正利ヲ産メリ、佐渡守ハ筑前中納言家ヲ立ノヒテヨリ、義ヲマモリ何レノ諸侯ヘモ仕官ヲモトメズ、本國濃州ニ居レリ、關 東ニテ若君〈○德川家光〉御誕生ニヨリ、然ルベキ御乳母ヲ京都ニオヒテ求メラルヽニ、ミナ人關東ヲオソレテ、誰モ召ニ應ズルモノナキユへ、粟田口ニ札ヲタテ尋ネモトメラルヽコトヲ聞テ、此女上京シテ、板倉伊賀守勝重ニ寄テ、我等ガゴトキ賤シキモノニテモ宜シク候ハヾ、關東へ罷下ルベシトイフ、勝重モ俗性トイヒ、夫ト云、何レモ武名高ヲ以テ許諾セラレ、速カニ關東へ下シ、其後佐渡守正成ヲ召出サレント有シニ、妻ノ脚布ニ包マレテ出ル樣ナル士ニテハ無迚御受申サズ、其上存寄有迚、其妻ヲ離別シケル、然レドモ彼ガ産タル子ナレバ、此ハ其方へ與フル也トテ、稻葉丹後守兄弟ヲバ關東へ送リケル、先年正成ガ家へ盗賊入シ時ニ、此妻出合テ盗賊二人ヲ斬殺シ、殘盗ヲ追拂ヒタリシ、其刀ハ紀ノ正恒ニテ、今ニ稻葉備前守正員ノ家ニ傳フト云リ、〈○下略〉

〔蜑の燒藻〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0283 當御代は、男女の御子、腹々に數多出來させ賜ひければ、御留守居衆御乳母に事欠て、樣々に求め集められたりけり、むかしよりいかなる故にや、御乳を奉る者は、御目見以下の妻〈御徒與力同心、其外小給の御家人の妻〉をのみ用ひられけるが、引續て御誕生多かりければ、こと足らぬまヽに、大御番小十人の面々の妻も、相應の乳持たらんは、御用ひ有べき由にて求められたり、
御乳母のあつかひ方、朝夕の食事は、御上りの通りにて美味なれども自ら冷になりて、煮立の 樣にはあらず、しかも御臺所に於て、御廣舖番頭同添番なんど立合て喰すること故、少しも能 育たる者にて、前後をたしなむ心の女は、快く食することはなし、其上部屋にても、湯茶を己が 儘に呑こともならず、御茶屋へ行て目付立合て呑ことなる由、藥とても同じことなれば、中々 氣血のめぐりて、乳をよくたもつことあたはずなり、去により、小給の者の妻なんど、しかるす べをも何とも思はず、辨へなきそだちならざれば、しばしも乳もたもつことあたはず、夫さへ 小給の身にて、己が生たる子は里にやりて、御乳に出るに、君の御爲冥加とは云ながら、わづか 三四ケ月の中に己が乳をば失ひて、其間は夫も家事の扱ひに差つかへ、又下りては、里にやり たる子の手當を出すべき設なければ、多く御乳に出ることを不好により、彌御用とヽのひが たくて、後は御乳に出たるものには、乳止りて、下りても其子の四つに成迄、御扶持を給ること に成たりしが、猶御乳に出る者少かりしかば、近き頃は、御目見に出る者には、有無によらず、銀 三枚づヽ被下べき旨被仰出て、漸今迄御用を辨じたり、
すべて御乳に出る者、漸三ケ月又はよく保ちて六ケ月餘りも、乳を奉れば、はや乳細く成て、里へ戻さるヽこと定例なり、孝順君の生れさせ玉へる時、定信朝臣も兼て含み居玉へる上に、御乳の扱ひしける矢部彦五郎〈御目付〉が申上て、一體賤婦の乳を奉ること然るべしとも存候はず、大御番兩御番寄合迄も吟味せられ、乳を奉らしめ、平人のごとく御抱寐迄も仕樣に心得て、くつろぎ候て、十分に養ひ奉る方可然にや、たとひ御馴染付て後々御側をはなたれず候共、ともかくも君の御爲なれば、當婦も夫たるものも、いかで其時迷惑にも思ふべき、左もあらば、御幼稚の御爲にも、甚可然御事に侍るべき由、定信朝臣の含に叶ひて、御旗本の面々大身小身によらず乳あるものを求められけり、御目付の中にも、間宮信好〈諸左衞門后筑前守〉が娘と翁〈○森山孝盛〉が娘と、共頃安産して相應なりければ、御吟味に加りけり、間宮は矢部と何やらん内談して、彼娘は御目見計にて被省けるが、翁は日頃はからざる短才の某、かヽる重任を蒙りて、君恩可措所なし、何哉粉骨して聊も報ひ奉るべきと思ひ居たる上に、曾我助造〈伊賀守、于時御留守居大奥御取締の懸り〉の哲人にて、定信朝臣の旨を懐て、女中の取締をとヽのへらるヽ頃成に、翁が娘の乳あるこそ幸なれば、涯分御用に出し給へ、左もあるに於ては、彼扱ひに甚便りあり、足下の娘を入置て、内弊行屆きがたき所も知べく、萬づ御爲にも成べき工夫少からざる間、曲て御乳に出さるべしとて、翁と度々密談あるにより、盛年も進まず娘はなほいぶりたれど、よく〳〵敎訓して、幸に乳もよかりければ、御乳に出したり、是ぞ翁がせめての忠志とも思ひ居たりしに、朝夕のあつかひ、前に記すごとくなれば、やはかこらふべき、 樣々の心づかひにやつれて、忽乳も細く成たる上、四五日ありて、孝順君なくならせ給ひければ、翁が寸志空しくなりて、娘も宿へ下りぬ、

〔諸例類纂〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0285 一乳母穢多之娘 食穢七十日
享和三亥年二月、武田河内守殿被抱候處、右乳母穢多之娘之由、此節相知、町奉行へ御引渡之筋ニ可之哉と御問合、小田切土佐守殿〈へ〉河内守殿より有之候處、穢多之義、仕置は彈左衞門取計候筋ニ候間、彈左衞門方へ其段申遣候樣被申聞、彈左衞門へ申遣候處、門前拂被成候而可取計旨御請申候ニ付、〈○中略〉
當時武田兵庫家、武田河内守、寛政中ハ普請支配、小田切土佐守ハ寛政四ゟ町奉行たり、依而享和元なるべし、

多産賜乳母

〔續日本紀〕

〈一/文武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0285 三年正月壬午、京職言、林坊新羅女牟久賣、一産二男二女、賜絁五疋、綿五屯、布十端稻五百束、乳母一人

〔續日本紀〕

〈三/文武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0285 慶雲四年五月癸丑、美濃國言、村國連等志賣(シメ)一産三女、賜穀四十解、乳母一人

〔續日本紀〕

〈四/元明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0285 和銅元年三月庚申、美濃國安八郡人、國造千代妻加是女一産三男、給稻四百束、乳母一人

〔續日本紀〕

〈七/元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0285 靈龜元年十二月己未、常陸國久慈郡人占部御蔭女、一産三男粮幷乳母一人
養老元年六月己巳朔、右京職言、素性仁斯一産三女、賜衣粮幷乳母一人

乳父

〔禁秘御抄〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0285 一被臺盤所之人〈○中略〉
御乳父人(○○○○)、必聽、御外舅勿論、乳父子一人などは聽、院〈○後鳥羽〉御時高能、新院〈○土御門〉隆衡、當時〈○順德〉範朝類也、崇德後白川御時、實行兄弟不左右、又高倉院御時、時忠、院信淸、當時範茂ナド雖彼等之、〈○中略〉信淸以時權勢參入、定輔乳父範光、資實、光親、有雅、範朝、範茂、皆有謂、然而濟々無極、〈○中略〉院御時 依御乳父聟、公經參入云々
一聽直衣事〈○中略〉
御乳父御侍讀皆聽之、〈賴範、爲長、範時類也〉聽昇殿、〈○中略〉
一近習事〈○中略〉
予代始、或坊官舊勞御乳父之親知等濟々也、而自院皆被止、〈○下略〉

保傅謂乳母

〔保元物語〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0286 義朝幼少弟悉被失事
此君達ニ各一人ヅヽ乳母(○○)共付タリケリ、内記〈ノ〉平太ハ天王殿ノ乳母、吉田〈ノ〉次郎ハ龜若、佐野源八ハ鶴若、原後藤次ハ乙若殿ノ乳母也、

〔吾妻鏡〕

〈十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0286 建久三年四月十一日壬子、若公〈(貞曉)七歳、御母常陸入道姉、〉乳母事、今日、被野三刑部丞成綱、法橋昌寛、大和守重弘等、而面々固辭之間、被長門江太景國畢、仍來月http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00264.gif相具、可上洛之由、被定云云、他人辭退者、御臺所御嫉妬甚之間、怖畏彼御氣色之故也云云、

〔增鏡〕

〈十五/村時雨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0286 帥の御子〈○世良〉をもくなやませ給ひて、あへなくうせ給ひぬ、〈○中略〉御めのとの源大納言親房我世つきぬる心ちして、とりあへずかしらおろしぬ〈○下略〉

乳母子

〔倭訓栞〕

〈前編三十二/米〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0286 めのとこ 乳母の子をいふ也、乳母子通鑑唐代宗紀に見ゆ、

〔吾妻鏡〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0286 治承四年十一月廿六日甲戌、山内瀧口三郎經俊、可斬罪之由、内々有其沙汰、彼老母〈武衞(○○)(源賴朝)御乳母(○○○)〉聞之、爲愛息之命泣參上、〈○中略〉武衞無殊御旨、可預置之由被實平、實平持參之、開櫃蓋出之、置于山内尼前、是石橋合戰之日、經俊箭、所于此御鎧袖也、件箭口卷之上、注瀧口三郎藤原經俊、自此字之際箟乍御鎧袖、于今被之、太以掲焉也、仍直令讀聞給、尼不重申子細雙涙退出、

乳兄弟

〔窻の須佐美〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0286 神崎與五郎は、故淺野内匠頭〈長矩〉殿の乳兄弟(○○○)なりしとぞ、其母上方に居たりしが、 與五郎少し進みがたき氣色あるを見て、われゆへ心ひかれて、少したゆむ心みへたり、さるゆへに、われは死侍る、心がヽりなく、本意を達すべしと書置して自害しけり、與五郎是を見て、こヽろを一にして、餘義なき體なりしかば、大石賞して相談の會處とす、


Last-modified: 2019-05-05 (日) 13:31:30 (335d)