p.0585 鴨鵪 〈同於甲反、加毛(○○)、〉
p.0585 鶩肪、〈楊玄操音木〉 一名鴨、〈楊玄操作レ 、於甲反、〉屎名鴨通、一名舒鳥、〈出二兼名苑一〉和名加毛、
p.0585 鴨 爾雅集注云、鴨、〈音押〉 野名曰レ 、〈音扶〉家名曰レ鶩〈音木〉楊氏漢語抄云、 鷖〈加毛、下音鳥嵆反、〉
p.0585 禮記曲禮正義引二李巡注一云、鳧、野鴨名、鶩、家鴨名、此所レ引蓋是、按本草拾遺引二尸子一云、野鴨爲レ鳧、家鴨爲レ鶩、爾雅注蓋本レ之、爾雅、舒鳧、鶩、郭璞注、鴨也、説文、舒鳧、鶩也、从レ鳥从レ几、几亦聲、几、鳥之短羽飛几几也、象形、鶩、舒鳧也、春秋正義云、謂二之舒鳧一者、家養馴不レ畏レ人、故飛行遲、別二野名一耳、郝懿行曰、謂二之舒一者、以二其行歩舒遲一也、周禮大宗伯、庶人取レ鶩、注、鶩取二其不一レ遷、説苑脩文篇、鶩者鶩鶩也、鶩鶩無二他心一、故庶人以レ鶩爲レ摯、詩義疏、鳧、大小如レ鴨、靑色、卑脚短喙、水鳥之謹愿者也、按鴨家養者、今俗呼二阿比呂一、蓋足廣之義、鳧、鶩之在レ野者、訓二加毛一爲レ允、鴨乃通名也、本草和名、鶩肪、和名加毛、蓋從二別錄一統二言鳧鶩一也、又按鴨字、説文所レ無、蓋古統言二鵝鶩一曰レ鴈、後人多以レ鴈爲二鴻雁字一、故作二鴨宇一爲レ之、鴨字專行、鴈字遂廢矣、〈○中略〉按詩大雅、鳧鷖在レ涇、傳、鳧、水鳥、鷖、鳧屬、説文亦云、鷖、鳧屬、故漢語抄連二二字一訓二加毛一也、然云二鳧屬一、則非二卽鳧一也、毛詩釋文正義並引二蒼頡解詁一云、鷖、鷗也、一名水鴞、依レ之鷖卽下、條所レ載鷗是也、而周禮王后之五路、安車彫面鷖總、鄭司農云、鷖總者、靑黑色、以レ繪爲之、今鷗有二白黑斑白者一、有二茶褐色者一、未レ見二靑黑者一、則又非レ鷗也、段玉裁曰、鳧屬者似レ鳧而別、其釋名之鸍沈鳧乎、
p.0586 鴨字方言訓加二毛一非與、鴨鶩一類、所レ謂阿比留也、郭璞云、鶩鴨也、毛氏云、可レ畜而不能レ二高飛一曰レ鴨、野生高飛曰レ鶩、又風俗通云、鷄伏二鴨卵一、雛成入レ水、而不レ隨レ母者、異類故也、是應レ知鴨者、此方所レ謂阿比留也、所レ謂加毛者、 字也、然又禮記疏云、野鴨日レ 、家鴨曰レ鶩、依レ此則其通名也已、鷗亦 類、
p.0586 〈上通下正〉
p.0586 鴨通 本草云、鴨通、〈和名加毛乃久曾〉鴨屎名也、
p.0586 鴨 〈今正、カモ、音狎、〉 〈正歟〉 鵪 〈俗〉 鴨通〈カモノクソ〉 鷖〈カモ〉 䳕〈俗正、音浮、 鳩、カモ、〉
p.0586 鴨(カモ)鳧〈二字義同〉
p.0586 (カモ)〈鳧、鸍、野鴨、野鶩、並同、〉冠 (ウミガモ/○○)
p.0586 鴨カモ〈○中略〉 李東璧本草に據るに、鴨は鶩の俗にアヒロといふもの、 はカモといふものなり、されど古より此かた鴨をカモと讀むは、我國の方言也、鸍は今もタカベと云ひて野 の類也、〈○中略〉舜水朱氏は、 (○)は此にいふマカモ也、飛 、水 、水鴨、野鴨、皆同じ、頭及び頸に赤毛あるあり、或は黑く、或は蒼く、或は黃黑、これを漂鴨といふ、漂レ水甚多をいふなり、水胡蘆はコガモ(○○○)、栗鴨はクロカモ(○○○○)といふと云ひしなり、其稱類特に多くして、此俗よぶ所も名品亦多かり、カモの義、今知るべからず、
p.0586 かも〈○中略〉 鴨の屬をよむは實は野鴨也、歌に山かけの鴨とよむは、鴈の如く遠き國へはわたらず、夏山のかけを求め、凉しき水に隱れ居る故也、上品靑首と稱するものあり、史記楚世家注に出たり、詩疏にも綠頭者爲二上味一と見えたり、小 を萬葉集にをかもとよめり、
p.0586 鴨
本邦之鴨者華之 、而野鴨、野鶩、鸍沈 也、中華之鴨者、本邦之鶩、而舒 家鴨家 也、本邦自レ古以レ鸍爲二小 一、中華未レ見レ有二小 説一、冠 本邦有二二種一、羽白鴨、巫阿伊佐(ミコアイサ)、未レ詳二石首魚之所一レ化也、
p.0587 かも まかも(○○○)は卽靑頸也、二種あり、黑かも(○○○)にも二種あり、赤頭(○○)と稱するは の類也、是も二種あり、日光山中禪寺の湖に眞鴨すめり、甚小也といへり、又小かも(○○○)あり、其靑くびは綠信 也、黑かもは煩鶩也、赤かしらは冠鸍也、小かもは奚 也、僧かも(○○○)あり冠 也、羽白鴨あり、又口鴨といふ、うなと稱するは海の義成べしといへり、
p.0587 鴨の類くさ〴〵の名
同人〈○田中道麻呂〉の語りけるは、鴨に大かた四種有、第一大きなるを、まがも(○○○)といひ、次に大きなるを、ひどり(○○○)といひ、次をあぢ(○○)といひ、もとも小きを、たかべ(○○○)といふ、みな同じ鴨にて、たゞ形の大き小きに、よりて名の異る也、あぢ、たかべなど、萬葉の歌によめり、又あいさ(○○○)といふ一くさ有、こは鴨のたぐひながら、いさゝか異也、萬葉七の歌に、あきさとある此物也といへり、
p.0587 鴨〈訓加二毛一〉
釋名〈源順曰、爾雅註云、鴨野名曰レ 、家名曰レ鶩、漢語抄 鷖訓二加毛一、必大按、鷖音衣、或音醫、鷗也、詩大雅 鷖篇、 鷖在レ經、注 好没、鷖好浮、然則鷖非レ鳬者明矣、〉
集解、鴨之種類太多矣、頭頸深紅、喉下白、胸紫有二黑點一、腹毛灰白帶二淡紫色一、有二黑小斑一、背灰色有二黑斑一、翅蒼黑而翮純黑、翮上小羽深綠交レ白、蒼觜短啄、紅掌卑脚、俗呼稱二眞鴨(マカモ/○○)一、其雌者淡黃赤色、交二蒼黑毛一而作レ斑、翅翮蒼黑、蒼觜短啄、紅掌卑脚、大抵諸雌鴨相同而有二小異一耳、凡鴨數百成レ群、晨夜蔽レ天、聲如二風雨一、所レ至稻梁一空、八月鴻鴈來後而至、春三四月鴻鴈歸後而歸、其中殘留不レ歸亦有、或剪レ羽養レ池者、自乳而育レ子、其勿生長而後去亦有、大抵眞鴨者、味最美脆多レ肪、是爲二上品一、有二輕鴨(カル/○○)者一、全體黑色、頸後帶レ靑有レ光、眼上有二淡白條一、觜黑而啄端淡赤、腹淡赤白色而有二黑縱紋一條一、脚掌倶赤、其味亦佳、次二于眞鴨一者也、有二尾永(ヲナガ/○○)鴨(/○)者一、頭頸淡紫色、自二眼邊一至レ腹白色、背灰色帶レ碧而黑毛、脇有二淡赤白條一、觜黑而兩邊靑白、尾永者二三寸許、脚掌倶黑、其味亦佳、有二羽(ハ/)白鴨(/○○)者一、全體黑而兩脇白、頭上有二黑長毛一如レ冠、翅羽灰白、觜碧脚黑、其味稍佳、有二赤頭(アカカシラ/○○)鴨(/○)者一、俗稱二緋(ヒ/○)鳥(/○)一、頭赤額有二淡赤條一、背碧色帶レ赤、兩脇白至レ腰、觜碧脚蒼、其味稍好、有二葦(ヨシ/○) 鴨(/○)者一、頭背深灰色、腹淡白、翅間交二靑羽一、脚黃赤、其味稍好、有二蘆鴨(アシ/○○)者一、頭灰色帶レ赤、眼上有二小黑條小白條一、頂上亦有、胸間赤黑、腹灰白、背灰碧有二白條赤黑條黑毛一、翅交二靑羽一、觜脚倶黑、其味最佳、次二于眞鴨一者也、有二口(クチ/○)鴨(/○)者一、頭頸靑黑、頸有二白環紋一、背上至レ尾一條黑色、翅有二綠羽赤羽一相交、兩脇赤腰白、觜黑脚赤、能出二沒于水一、數百成レ群相從、廻泳轉泛、故稱二車鴨(クルマ/○○)一、其味與二羽白赤頭一同者也、眞鴨歸後、輕鴨、蘆鴨、羽白被レ賞、此三鴨亦至二四五月一尚不レ去、或秋去冬來亦有、或夏秋不レ去而經レ歲、倶常棲二于野水田溝一、或孕或不レ孕亦有矣、諸鴨種雖レ夥、而毎食者此數品、以二城和河攝泉及九州之產爲二上品一、參尾次レ之、關東諸州雖レ多、味不レ及二于關西一也、
p.0588 アヲハドリ(○○○○○)〈古歌〉 カモ マガモ 一名少卿〈採蘭雜誌〉 水 〈行厨集〉
水鴨〈泉州府志〉 匹居〈事物異名〉 蜆鴨〈廣東新語〉 水鳥翁〈事物紺珠〉
種類甚多シ、マガモト呼ブモノ、肪多ク味美ニシテ上品トス、雄ヲアヲクビト云、卽集解綠頭者爲レ上ト云是ナリ、頭頸ノ毛深紫色ニシテ綠光アリ、喉下白色、胸ハ紫ニシテ黑點アリ、腹ハ淡白微紫色ニシテ小黑斑アリ、背ハ灰色ニシテ黑斑アリ、翅ハ蒼黑色ニシテ、深綠深黑雪白ヲ雜ユ、觜ハ黃ニシテ扁シ、雌ナル者ハ淡黃赤色ニシテ黑斑アリ、翅ハ蒼黑色ナリ、本邦古ハ翅中ノ綠羽ヲ以テ物ノ飾トス、南都東大寺什物鴨毛屛風ハ、七言ノ詩ヲ書シテ、此羽ヲ以字上ニ糊スルナリ、 ハ八月鴻雁來リシ後來リ、三四月鴻雁歸リテ後歸ル、江州沖ノ白石ハ、湖中ヨリ出ル大石ナリ、石ノ色原白キニ非ズ、 屎ニヨリ正白ニ見ユルナリ、毎年群 窠ヲナス、日光山中禪寺ノ湖ニマガモスム、甚小ナリト大和本草ニ云ヘリ、此條品類ヲ載セズ、只尾尖者次レ之ト云、ソノ尾尖ト云ハ、盛京通志ニ尖尾トアリテ、尾長ガモ一名サキガモノコトナリ、頭淡紫色、頸ニ白道アリ、眼ヨリ腹ニ至テ白色、背ハ灰色微碧ニシテ黑毛アリ、脇ニ淡赤白條アリ、觜ハ黑シテ兩邊靑白色、尾長サ二三寸許、脚ハ黑、ソノ味亦佳ナソ、刀鴨(コガモ)モ筑前ニテ尾長ガモト云同名ナリ、又盛京通志ニ黃脚ト云ハ、ヨシ ガモノコトナリ、頭背灰色、腹ハ淡白色、翅間ニ靑羽ヲ雜ユ、脚ハ黃赤色、其味稍好シ、此外カルガモ、羽白ガモ、一名ホジロガモ、澳津羽白、一名ビンナガ羽白、赤ガシラガモ、アシガモ、一名アジガモ、又ヲカヨシトモ云、クチガモ、一名クルマガモ、又マヒガモトモ云、ハシビロガモ、クロガモ、淺深二種、キンクロガモ、一名キンクロ羽白、ビロウドキンクロ、ウガモ、モガモ、スヽガモ、シマアヂガモ、ハナガモ、ハシビロ一名マンガモ、ドロガモ、ウカルガモ、ダイメウガモ、ヲシガモ、アイサガモ、萬葉集ニ秋紗ト云、小アイサ、ミコアイサ、黃黑アイサ、一名スヾガモ、ウバアイサ、ウアイサ、ドウナガアイサ、ウミアイサ、カハアイサ、キツ子アイサ、クマサカアイサ等ノ品アリ、本朝食鑑大和本草、及諸書ニ出、一種小ガモハ一名タカベ、タカブ〈南部〉タカボ、〈越後〉アジ、〈同上〉ヲナガヾモ、〈筑前〉此鳥マガモヨリ少ク、雄ナル者文彩美ク、雌ナル者文彩ナキコトマガモ類ニ同、此ニモ數品アリ、昧ハ極テ美ナリ、マガモニ次テ上品トス、秋來ルコトハマガモヨリ早ク、春歸ルコトハマガモヨり後レリ、皆數多ク群飛シテ、大風ノ聲ノ如シ、寒氣嚴ナル春ハ度度來ルコトアリ、集解ニ、一種冠 ノ文アリ、 類ノ冠アルモノハビンナガ羽白、ヲシガモ、ミコアイサ等ナレドモ、何レヲ指スカ詳ナラズ、正字通ニ、方言齊宋間、凡物盛多謂二之冠一、郭注、今江東有二小 一多無レ数、俗謂二之冠 一、蓋借二多 一釋二物盛之義一、非三 有二冠名一ト云時ハ、冠烏ハ小ガモノコトナリ、又鸊俿ノ下刀鴨モ小ガモノコトナリ、鸊 ノ一名トスルハ非ナリ、
p.0589 水鳥類 鴨〈まかも(○○○)、あをくび(○○○○)、あゐさ(○○○)、隅田川、千住、〉
p.0589 〈補倶反、太加戸(○○○)、〉
p.0589 鸍 爾雅集注云、鸍、〈音彌、一音施、漢語抄云、多加閉、〉一名沈 、貌似レ鴨而小、背上有レ文、
p.0589 今越後曰二多加保(○○○)一、南部曰二太加布(○○○)一、皆多加倍之譌也、万葉集所レ謂阿治(○○)卽是、越後或謂二之阿治一、今俗通呼二小鳧(○○)一、〈○中略〉釋鳥、鸍、沈 、郭注似レ鴨而小、長尾、背上有レ文、今江東亦呼爲レ鸍、一 名沈鳧四字非二郭注一、
p.0590 鴦〈或正、又央音、タカベ、 鶩音米、 屬、タカベ、 カモ野名 、家名鶩、和又フン、〉 鸍 〈 施二音、沈 、タカベ、〉 鳧 〈上通、次今、下二正、音浮、鴨屬、カモ、野名タカベ、〉 鳧、〈俗〉 沈 〈タカベ〉
p.0590 刀鴨(タカベ/コガモ)
p.0590 鴨君足人香具山歌一首幷短歌〈○中略〉
返歌二首
人不榜(ヒトコガズ)、有雲知之(アラクモシルシ)、潜爲(カヅキスル)、鴦與(ヲシト)高部(タカベ/○○)共(ト)、船上住(フネノヘニスム)、
p.0590 鴨 あしかも(○○○○) すゝ(○○) かもとり みかも(○○○)〈万〉 を かものはがひ〈はねかひ也、古人説範兼抄、〉 かものはいろ〈春山いろ也〉 万八、水鳥のかものはいろの春山といふ、 ともねせぬかものうはけのと云〈式部〉 かもと云舟と云は、船のかもに似也、〈○中略〉
安持(○○) あちむら とをよるといへり〈万〉 山のはにあぢむらさはぎいぬなれど〈万〉 あぢのむらとり
p.0590 鸍〈音施〉 沈 鳨〈音力〉 和名多加閉〈○中略〉
鈴 (スヽ/○○)〈一名黃黑 〉似、鸍而全體黑色、目邊黃稍靑、兩脇淡白、觜碧、脚黑帶レ黃、其鳴聲似二鈴音一、〈○中略〉
味 (○○)〈名義未レ詳〉
按、味 似、 而小、大二於鸍一、頭靑綠帶二黃赤一、其觜脚共黑、翅灰色、胸黃赤色有二小黑點一、腹明白、背灰白有二赤黑毛一、數百群飛、肉味類、鸍、雌者頭灰色、全體灰白有二小黑點一、
p.0590 鴨君足人香具山歌一首幷短歌
天降付(アモリツク)、天之芳來山(アメノカグヤマ)、霞立(カスミタツ)、春爾至婆(ハルニイタレバ)、松風爾(マツカゼニ)、池浪立而(イケナミタチテ)、櫻花(サクラバナ)、木晩茂爾(コノクレシケニ)、奧邊波(オキベニハ)、鴨妻(カモメ/○○)喚(ヨバ)、邊津方爾(ヒヘツベニ)、味村(アヂムラ/○○)左(サ) 和伎(ワギ)、百磯城之(モヽシキノ)、大宮人乃(オホミヤビトノ)退出而(マカリデヽ)、遊船爾波(アソブフネニハ)、梶棹毛(カヂサヲモ)、無而不樂毛(ナクテサブシモ)、己具人奈四二(コグヒトナシニ)、
p.0591 寄レ物陳レ思
味(アヂ/○)乃住(ノスム)、渚沙乃入江之(スサノイリエノ)、荒磯松(アリソマツ)、我乎待兒等波(アヲマツコラハ)、但一耳(夕ヾヒトリノミ)、
p.0591 水鳥 中宮權大進仲實
なるみがた沖にむれゐるあぢ(○○)むらのすだく羽風のさはぐなる哉
p.0591 秋沙(アイサ)〈河鳥也〉
p.0591 秋紗(○○) 山きはにわたるあきさといふ〈万〉 かはにゐる鳥なり〈万〉
p.0591 あいさ(○○○) 萬葉集に秋沙とかけり、 の類也といへり、秋早く出るをもて名を得し成べし、又胴長あいさ(○○○○○)、神子(ミコ/○○)あいさ(/○○○)、小あいさ(○○○○)、黃黑あいさ(○○○○○)、嫗(ウバ/○)あいさ(○○○/○○○)、鵜あいさ(○○○○)などの品あり、
p.0591 詠レ鳥
山際爾(ヤマノハニ)、渡(ワタル)秋沙(アキサ/○○)乃(ノ)、往將居(ユキテイム)、其河瀨爾(ソノカハノセニ)、浪立勿湯目(ナミタツナユメ)、
p.0591 恨レ躬耻レ運雜歌百首 沙彌能貪上
すがしまを渡るあきさ(○○○)の音なれやさヾめかれてもよをすぐす哉
p.0591 刀鴨こがも(○○○) 越後にてあじとと云、奧州にたかぶと云、關西關東にてたかべといふ、則和名なり、
p.0591 小鴨
釋名、鳨、〈古俗〉鸍、〈源順曰、爾雅注云、鸍音彌、一音施、一名沈 、貌似レ鴨而小、背上有レ文、漢語抄云、多加閉、今世以二小 一號二多加閉一、或稱二阿伊佐一、而有二多品一、字彚曰、鳨林直切、音力、似レ鳬而小、故自レ古用二此字一亦多矣、〉集解、小鴨似レ鴨而小、雄者頭頸紫色目後有二靑色一、背蒼帶レ赤有二花紋一、兩脇碧有二白條一、胸黃有二赤黑點一、腹淡蒼兩腰白、翅蒼交二綠白黑羽一、觜脚黑帶レ赤、雌者淡黃淡赤交二黑毛一、頭深灰色、大抵其種類雄殊雌同、常先 レ鴨而來、後レ鴨而歸、晨夜成レ群高飛、性能半沈レ水、或全沒レ水、而食二泥及水草根一、其味極美不レ減二于鴨一、故世所レ賞亦次二于鴨一也、又有下似二小鴨一而頭淡赤、全體帶二赤色一、觜脚黑者上、呼號一小阿伊佐(コアイサ/○○○○)一、又有下似二小鴨一而全體稍白、頭有二碧黑冠毛一觜脚黑者上、呼號二巫阿伊佐(ミコアイサ/○○○○)一、又有下似二小鴨一而全體黑、目邊黃稍靑、兩脇淡白、觜碧脚黑者上、呼號二黃黑阿伊佐(○○○○○)一、又有下眼上有二黑條一翅上交二黑羽一者上、呼號二嫗(ウバ/○)阿伊佐(/○○○)一、又有下觜長如二鸕鷀之觜一、頭如二巫阿伊佐一者上、呼號二鵜(ウ/○)阿伊佐(/○○○)一、此五種亦小鴨之匹、而種類尚多、其種類雖レ多、所レ食者不レ過二數品一、然常好食二小魚一、而味不レ佳、最劣二小鴨一爾、肉、氣味、甘平無レ毒、主治、補レ中益レ氣、調二脾胃一通二水腫一、
p.0592 花鴨(○○)〈筑紫鴨(○○○)〉 餌かい〈米、ひへ、菜、むきみよくすゝぎさらして飼ふ、生魚もよし、〉
大きさ眞鴨に大ぶりにて、觜赤く足桃色にて、頭黑く、ひたひに少し赤きこぶあり、總身白に黑とかきいろの大ぶち有、雌は總體色淺し、よほど小ぶり也、子はなしたる沙汰なし、
白鴨(○○) 餌かい 〈米、ひへ、菜、〉
大きさ眞鴨同前にて白し、あひると合せて取たるもあれども、觜太し、本白鴨は當時すくなし、子もなす物也、
p.0592 華鴨(○○)
此鳥、九州柳川の荒海ゟ出る鴨にて、形眞鴨ゟ少し小ぶりにて、黑と樺色と白のぶちにて、觜の上に菊形のさか有、餌飼はゆで黍にて飼也、しヾみ蛤蜊(アサリ)の類を見計ひ、夜通し飼也、但し蚫を飼へば宜候得共、餘りつめて飼候へば、目に障り候に付、右の品々飼也、右鴨水鳥故に、暑中はむつかしき故、飼人心をつけ飼べし、
沖の見鳥(○○○○)
此鳥、奧州の荒海ゟ、出ると云、大さ小鴨に少し大振にて、形羽白に似たり、總羽鼠色にて、淺黃をか けたる如し、頭に栗色の色有、觜足黑し、餌飼ゆで黍どじゃう小ぶなの類にて飼也、
三(/○)芳(ヨシ/○)鴨(/○) 一名頰白羽白(○○○○)とも云
此鳥至てきれいなる鴨にて白黑のぶち也、頭に靑き連雀有、目黃色、觜足淺黃、此鳥何國ゟ出る共しらず、大坂名古屋ゟまゝ持來と有、
p.0593 自二無梶河一達二于部陲一、有二鴨飛渡一、天皇〈○倭武命〉躬射、鴨迅應レ弦而墮、仍名二其地一謂二之鴨野一、
p.0593 賀毛郡 所三以號二賀毛一者、品太天皇〈○應神〉之世、於二鴨村一雙鴨作レ栖生レ卵、故曰二賀毛郡一、上鴨里、〈土中上〉下鴨里〈土中中〉右二里號二鴨里一者、已詳二於上一、但後分爲二二里一、故曰二上鴨下鴨一、所以品太天皇巡行之時、此鴨發飛、居二於條布井(スフイ)樹一、此時天皇問云二何鳥哉一、侍從當麻品遲部君前玉答下曰住二於川一鴨上、勅令レ射時、發二一矢一中二二鳥一、卽負レ矢從二山岑一飛越之處號二鴨坂一、落斃之處者仍號二鴨谷一、
p.0593 天福の頃、殿上人のもとに、もろこしの鴨(○○○○○○)をあまたかはれける中に、みめはよけれ共、片目つぶれて有けり、その鴨行がたをしらずうせたりければ、いか成ものゝぬすみたるやらんと、もとめられけれども見えず、四五日計、有て此鴨出來にけり、其はねにふだを付たりけるを、あやしくて取て見れば、かくなん書たりける、
ふるさとにめぐりあへとてをぐるまのかたはのかもをかへしやるかな
p.0593 承久四年〈○貞應元年〉四月廿六日、近日前濱腰越等浦々、死鴨寄來之間、依二彼恠一於二前濱一被レ行二七座百怪祭一、國道朝臣、知輔、親職、忠業、重宗、文元等奉仕之、
p.0593 文治三年十二月七日甲戌、梶原平三景時獻二靈鴨(○○)一、背與レ腹白似レ雪、自二美濃國一出來云云、景時者彼國守護也、二品〈○源賴朝〉殊賞翫給、是可レ謂二吉瑞一歟、
p.0593 家内之方迄飛札令二披覽一候、殊眞鴨二饋二給之一候、遠境之所、深志之段、欣悦至候、此方之屋方類火候而、不自由成事候、猶期二后音一候、恐々謹言、 二月十四日 松出雲守
勝隆〈花押〉
大禰宜殿
p.0594 松平越前守重富〈○越前福井〉 時獻上〈在國之節拜領之御鷹捉飼、〉鴨 松平肥後守容頌〈○陸奧會津〉
時獻上〈在國時計寒中〉鴨 加賀中將治脩卿〈○加賀金澤〉 時獻上〈十一月〉 鴨
p.0594 鶩肪 甘冷、綠頭者佳、主二風虚寒熱一利二水道一治二十水一、
白鴨(○○)補レ虚消二熱毒一、利レ水消二瘡腫一、治二水脹浮腫尿少一、
黑鴨(○○)冷不レ可二多食一、腸風下血脚氣忌レ之、治二十種水病一、
野鴨(○○)名レ 、凉無レ毒、不レ動レ氣、全勝二家鴨一、九月後立春前中レ食、大補忌二木耳胡桃一、補レ中益レ氣、消レ食去レ熱、治二諸熱瘡久不一レ愈、多食則瘥、殺二一切虫一、
刀鴨(タカベ/○○)甚小、味最重補レ虚、
p.0594 鴨〈○中略〉
肉、氣味、甘微温無レ毒、〈古曰、不レ可下合二胡桃、木耳、豆鼓一同食上、今本邦倶犯レ之而合食、然未レ聞二中レ毒者一、又曰、黑鴨者生二脚氣一、此亦不レ然、〉主治、補レ中益レ氣、平レ胃消レ食、止二泄痢一、除諸蟲一、愈二久瘡及惡瘡一、治二水腫一、
發明、本草言レ凉言レ寒、予毎疑レ之、治レ瘡殺レ蟲者、非二温物之所一レ爲、然今經年患二膝脚冷痛及寒痺一者、日日嗜二食之一而瘥、是焉寒凉之所レ爲乎、鴨性能逐二水氣一、故通二引腸胃之惡熱一、以瘡蟲之毒相隨而去矣、
肪及腸肫、氣味、主治、同上、其味最勝二于諸禽一耳、
卵、氣味、相同、主治、不レ減二雞卵一、然性平軟尚可レ人、預防二痘疹一亦好、
p.0594 一くわい人の間にいませ給べき物 かも
p.0594 鴨 所々來者其種類多、其中眞鴨風味爲レ勝、
p.0595 早春一夜水野氏の夜宴にまかるに、 肉を饗せらる、其味至て美なり、一座おのおの新鮮なるを感賞して、かの小倉の宵捕(よひじめ)などゝいふたぐひならんと各いふ、主人曰、例年の多、故郷加州金澤より饋り來す、當年は舊臘遲く發せし故、十六日ぶりにて則今日到著せしなり、總じて鴨は寒半過る時は、雄鳥は肉瘦なり、雌鳥は肉少しも瘦ざるなり、因て當年は雌鳥を登し、殊に收藏の法よくて、觜の内及び兩翼幷に苞苴の内までも大なる山 菜(わさび)をつめてこしたり、故に味減ぜずと云へり、
p.0595 (カモ)
はひへ中をおぎなひ氣力ます食をけしつゝむしころす也 はたゞこまがさいやし小便をつうじこそすれすいしゆにもよし
p.0595 黑鴨(○○)
黑鴨は冷にて十種の水病の腫ひかざるにつねにもちゆる 黑鴨は五淋に用ゆ、温熱の赤白痢にもきどく成けり、
p.0595 綠頸(アヲクビ/○○)
あをくびは甘く冷也寒熱の虚風や水腫小便をやる あをくびは金瘡產後に用るな血もうきめまひ吐逆せしむる
白鴨(○○)
白鴨は冷なり腫物瘡に吉熱毒水腫虚勞にも吉 白鴨は風濕を去身のうちもおもくあがらず黃にはれる治す
p.0595 一鴨諸小鳥飼事禁レ之
一齋宮院内禁制如二式文一〈○中略〉 鴨子不レ供二進之一〈貞觀以後禁制也〉
p.0596 爾豐玉毘賣命、〈○中略〉附二其弟玉依毘賣一而獻レ歌之、其歌曰、〈○歌略〉爾其比古遲、〈○日子穗穗出見命〉答歌曰、意岐都登理(オキツドリ/○○○○○)、加毛(カモ/○○)度久斯麻邇(ドクシマニ)、和賀韋泥斯(ワガイネシ)、伊毛波和須禮士(イモハワスレジ)、余能許登碁登邇(ヨノコトゴトニ)、
p.0596 笠女郎贈二大伴家持一歌一首
水鳥之(ミヅトリノ/○○○)、鴨(カモ/○)之羽色乃(ノハイロノ)、春山乃(ハルヤマノ)、於保束無毛(オボツカナクモ)、所念可聞(オモホユルカモ)、
p.0596 二十二年九月丙戌、天皇狩二于淡路島一、是島者、横レ海在二難波之西一、〈○中略〉麋鹿 雁多在二其島一、
p.0596 謹白 進上鳥等
右件物以二月廿一日一可レ用者、乞照二此趣一不レ論二晝夜一、佐官高屋宅、仍具狀、謹白、
一進上鴨二翼〈直一百卅文〉
右御料買求進上如レ件
七年〈○天平寶字〉二月廿日上馬養〈狀〉
謹上 吉成尊〈侍者〉
p.0596 けり 辭のけりに 字を書は、 の類にけりといふ鳥あれば、借用たる成べし、鳴聲けり〳〵ときこゆるをもて名く、山げり(○○○)、川げり(○○○)、海げり(○○○)、又犬げり(○○○)あり、なべげり(○○○○)あり、川げりは水雞、犬げりは錝 、なべげりは趒 也といへり、海げりは藥功多し、山げりとちがひ水かきあり、
p.0596 計里(ケリ)鳥〈訓如レ字〉
集解、此亦水禽也、頭背灰白帶二淡靑黃一、觜黃赤而末黑、胸淡赤有二黑斑一、翎末黑腹白、短尾有二黑斑一、脛長而黃靑、常宿レ水而鳴、能捕レ魚、而其味極美、可レ供二上饌一、八九月味最美、俗謂不レ減二于鶴肉一也、
肉、氣味、甘微温無レ毒、主治、膈噎調二脾胃一、療二婦人帶下諸血症一、
p.0596 ケリ 大サ鳩ノ如シ、其羽灰色ニテ羽サキ黑シ、觜ト足ト黃也、冬間味最ヨシ、上饌 トスヨク捕レ魚、ナベケリ、モケリノ類也、關東ニテ犬ケリト云、頭ニ勝(カザシ)アリ、ケリハ鹽藏シテ喘咳勞咳ヲ治ス、又不食ノ病ニ食シテ有レ効ト云、
p.0597 計里 〈正字未レ詳〉 〈萬葉集用二梟字一、爲二歌助語一、然梟者不孝鳥之名、與レ此大異者也、〉
按、計里鳥大似レ鳩、而頭背灰黑、而胸腹共白色翎末黑、尾短而有二黑斑一、觜黃赤而末黑、脚脛長而黃、常鳴一水邊一、能捕レ魚、其肉味甘美、秋月賞レ之、能治二膈噎一、
山計里 狀似二計里一、而頭背翅共靑黑、而翅裏帶二淡赤色一、胸腹白、嘴黑脚赤黑、
p.0597 鶩安比呂(○○○)、古人云二加毛一非也、家 (カフ/○○)、鴨(カウ/○)、〈並同〉
p.0597 、舒鳧也、〈几部日、舒鳧鶩也、與二釋鳥一同、舍人李巡云、鳧、野鴨名レ鶩、家鴨名許於鳧下當レ云レ鳧、水鳥也、舒鳧鶩也、文乃備、左傳疏云、謂二之舒鳧一者、家養馴不レ畏レ人、故飛行遲、別二野名一耳、某氏注云、在レ野舒飛、遠者爲レ鳧非レ是、詞章家鳧亦呼レ鶩、此如三今野人雁亦呼二雁䳘一也、春秋繁露張湯問、祠二宗廟一或以レ鶩當レ鳧可レ用否、仲舒曰、鶩非レ鳧、鳧非レ鶩也、以レ鶩當レ鳧、名實不二相應一、似承二大廟一不レ可二此舒鳧與レ 之判一、廣雅云、鳧鶩 也、此統言而未二析言一レ之也、〉从レ烏敄聲、〈莫卜切、三部、〉
p.0597 鴨(アヒロ)〈鶩、 、舒 、家 、並同、今按倭俗以二鴨字一爲レ 者誤、〉
p.0597 鴨カモ〈○中略〉 アヒロとはアは足也、ヒロは濶也、その濶歩するを云ひしと見えたり、
p.0597 鶩(ボク) 倭名抄ニ和名ナシ、多識篇ニアヒル、元升〈○向井〉曰、按倭名抄云、鴨和名カモ、野ナルヲ名付テ トイヒ家ナルヲ名付テ鶩ト云ト、古ニハ ト鶩トフカチナク、トモニカモト云ケラシ、鴨字モ本ハアヒルナリ今俗ニ皆 ト名ニ用ルハ誤レハ、考二本草一、一名鴨、一名家 、雄ハ緣頭文翅、雌ハ黃斑色、タヾシ純黑ノモノ純白ノモノアリ、又白シテ烏骨ノモノアリ、藥ニモ食ニモヨシ、鴨ハ雄瘖ニシテ雌ハ鳴ク、其ノ聲タカシ、重陽ノ後ハ肥腯ニシテ味ヨシ、淸明ノ後ハ卵ヲ生ジヲ肉滿タズ、
p.0597 鶩〈俗訓二阿(○)比留(○○)一、〉
釋名〈源順曰、鴨家名曰レ鶩、音木、〉 集解、鶩似レ鴨而大、雄者綠頭文翅紅掌、雌者黃斑色、又有二純黑純白者一、有二白而鳥骨者一、凡雄多瘖、偶雖レ有レ聲不レ喧、雌常鳴而喧、能泛レ水能歩レ地、但舒緩不レ能二捷飛一、雖レ飛漸不レ過二一歩一、常食二泥土一啜二穢水一、生レ卵漫落不レ定二其處一、故不レ能二抱伏一而人拾取レ之、使二雞伏一レ卵、如二梅都官之詩一、古曰、聞二礱磨之聲一則毈而不レ成、是未レ詳レ之、大抵市中日不レ有レ無二礱磨之聲一、雞能預知二卵之孵與一レ毈而伏レ之、不レ孵者棄而不レ伏、其卵重不レ至二十錢一者皆毈(スマリ)而不レ孵也、本邦家家養二家鴨一而食レ之者少、性毎食二穢物一之故乎、偶有二食レ之者一、言有二泥氣一、近有二華客一而鬻レ之、前五六日別畜二樊籠一、而食レ之以二禾粟生蔬一、飫レ之以二淸水一、先拔レ毛剝レ皮去レ腸以㷟二燖之一、去レ骨采レ肉而作レ羮、則無二泥穢之氣一、然不レ爲二上饌一、一種有二鴨鶩(カモアヒル)者一、狀全似レ鴨、其態全似レ鶩、其飛捷似レ鶩、家々畜レ之、以號二鴨鶩一、能孕生レ卵、然不レ能レ孵レ之、此亦使二雞而伏育一、故其類蕃多、或曰、此鴨雄鶩雌之所レ生、未レ知二其眞、也、
肉、氣味、甘冷無レ毒、主治、補二脾胃一通二水腫一、
附方、十種水病〈及腹滿鼓脹以二白鶩一隻一煮二鼓汁一、和二薑椒一食最妙、〉鴨頭丸〈治二陽水暴腫面赤煩燥喘急小便澀一、用二甜葶藶炒二兩、防己末二兩、猪苓末一兩、綠首鴨頭一箇燒爲一レ霜、丸梧桐子大、毎七十丸、木通湯日三服其效如レ神、〉卵、集解、卵大二於雞卵一而穀白、煮レ卵則黃帶二靑色一、黃白倶有二泥味一、亦不レ美、一説强煮レ之、則悉爲レ泥而未レ試レ之、今有二雞子索 者一、用二雞子黃一滴二于砂糖湯中一作二索 一、或曰、和レ之不レ以二鶩卵一則不レ成レ 、亦未レ詳レ之、氣味、甘冷無レ毒、主治、專調二泄痢一、
p.0598 鶩 アヒル アヒロ 一名減脚鵞〈淸異錄〉 家鶩〈事物異名〉 煩鶩 田 綠頭 禿刺〈蒙古ノ名〉 靑頭道士〈共同上〉 綠衣郎〈名物法言〉 末匹〈通雅〉 乙〈同上〉 鴨子〈訓蒙字會〉 鳥〈通雅鴨同〉古ヨリ鴨ヲカモト訓ズ、非ナリ、鴨ハアヒルニシテ卽家鴨ナリ、野鴨卜云時ハカモノコトナリ、アヒルハ足ニ蹼(ミツカキ)アリテ濶シ、故ニアヒロトモ云フ、形 ニ似テ大ナリ、雄ナル者ハ綠頭紅掌、身ニ文采アリテ、綠頭(アヲクビ) ニ似タリ、雌ナル者ハ黃斑ニシテ文采少ナシ、又純白色者アリ、又純黑色ナル者アリ、全ク白クシテ烏骨ナルハ鳳ト云、南寧府志ニ出、藥食倶ニ上品トス、附方ノ白鳳膏ハコレヲ 用ユルナリ、又雜色ノ者數品アリ、雄ナル者ハ多瘂ス、聲アル者モ喧シカラズ、汀州府志ニ、雄者聲小ト云、雌ナル者ハ常ニ鳴テ喧シ、或ハ水面ニ泛遊シ、或ハ地上ニ舒歩ス、翼アレドモ高飛スルコト能ハズ、〈○中略〉一種カモアヒルハ形狀家鴨ニ異ナラズ、只能高飛スルコト野鴨ノ如シ、家鴨ノ驚飛べドモ、一二歩ニ過ザルニ同カラズ、人家ニ畜ヒテモ馴ヤスシ、一種ヲランダアヒルハ一名バリケン、是ベルゲ〈山〉エンテ〈鴨〉ノ轉ナリト云、薩州ニテクハンドウアヒルト呼、卽廣東鴨ノ訛言ナリト云フ、ソノ形常鴨ヨリ大ニシテ短冠アリ、彩色一ナラズ、蒼黑斑白、觜淡黑色、足ハ黃或黑色ニシテ蹼アリ、尾ハ鴨ヨリ長シ、常ニ喘スルニ似テ聲ナシ、卵ノ味鴨ヨリ美ナリ、是字貫ノ洋鴨ナリ、又南京アヒル、朝鮮アヒル等ノ品アリ、
p.0599 家鴨(○○)
あひるは池河など水邊にて多く畜べし、水草も多く稗など多く作るべき餘地ある所尤よし、其邊りに小屋を作り丙に棲(トグラ/トヤ)を作りて、狐狸などの災なき樣に、いかにも堅くかこひて、雌鳥十あれば、雄鳥二つか三つの積りにて、土地と手前の分量によりて、いか程多くも畜べし、雜穀粃は云に及ばず、浮草を多く入れ、又は野菜のゑりくづをいか程もおほく入る事一入よし、晝は水中に遊び、夕方悉くむらがり集り來り、塒(トヤ)に入やうに常にならはしをくべし、他の仕事のならざる、下人童などある物なれば、是をして餌を求め、朝夕の出入を守らすべし、此外其者の少は得たる事をつとめさすれば、其口すぎは必ある物にて、年中の玉子は利分となるべし、一鴨一年に百五六十の卵は產物なれば、百雌鴨の卵、凡一万五六千、此價やすくとも一貫目餘はあるべし、三分一は飼料萬の費となりても、過分め利潤なり、池澤など人家に近き所あらば、才覺ある人は見立て多く畜べし、手足の不具なる者、農事のあらく强き働らきなりかぬる者に守り飼すべし、第一は其者の困苦を助け、慈仁ともなるべし、
p.0600 唐家鴨(○○○) 一名大家鴨(○○○)と云
此鳥羽色種々有り、形は雁金ゟ少し小サく、常の家鴨とは違ひ格別大鳥也唐人食物に長崎へ持渡る也、
スタエントウ(○○○○○○) 一名立チ家鴨(○○○○)也
天明年中、紅毛人長崎へ持渡、初薩州へ廻る、京都上方〈江〉も手廣く相生立、近年不レ珍候へ共、初て長崎〈江〉渡る折は、珍敷云ふらしけり、形常の家鴨にて、頭をあげ立行也、宜敷鳥は後へ反り、至て珍敷あゆむものにて、面白きもの也、
口黑家鴨(○○○○)
此家鴨、觜足眞黑にて總羽白し、此家鴨より先に、トンコク家鴨出る、右トンコク家鴨、總身黑にて烏のごとく、口黑家鴨は琉球國の產にて、上方東都へ一向不レ見也、
バルケン 一名クワントウ家鴨と云
此鳥常の家鴨ゟ格別大きくて、赤きとさか有り、鷄の柘榴さかの如くあるをよしとする、雌は頭迄少し赤し、此バルケンの雄に、常の家鴨の雌を掛け合生立しを、大家鴨と云へ共甚間違、是は掛合ものにて、東都においてイギリス共名を付る事に候へ共、誠のイギリスにてはなし、和名にて不レ珍也、
p.0600 鶩(アヒル)
鶩こそ虚を補ひて客熱を除臟腑を和するものなれ 鶩こそ驚癇に吉丹毒や水道を利し熱痢とゞむれ
家鴨卵
あひる玉子多く食せば身も冷て心みじかくせなかもだゆる あひる玉子瘡氣ある人くひぬ れば身より惡用まひあがる也
p.0601 水鳥類 鶩〈昌平橋外〉
p.0601 鸊〈浦覔反、爾保(○○)、〉 鶙〈他奚反、爾保、〉 鳰〈爾保〉
p.0601 鸊鷉 郭璞方言注云、鸊鷉、〈辟低二音、和名爾保、〉野 、小而好沒二水中一也、野王按、鸊鷉其膏可三以瑩二刀劒一者也、
p.0601 方言卷八云、野 其小而好沒二水中一者、南楚之外謂二之鷿鷉一、無レ注、此注一字恐衍、下總本鶙作レ鷉那波本同、與二原書一合、南都賦作二鸊鶙一、與レ舊合、説文作二 鷈一、按鶙卽鷉字、嗁或作レ啼、蹏或作レ蹄、故鷉亦作レ鶙、又題肩俗作二鶙鵳一、遂混無レ別、新撰字鏡亦鸊字鶙字並訓二爾保一、則此作レ鷉、恐係二後人校改一、非二源君之舊一也、〈○中略〉今本原書〈○玉篇〉只云二鸊鷉水鳥一、無レ載二此所レ引文一、按爾雅郭注、鸊鷉似レ 而小、膏中レ瑩レ刀、後漢書馬融傳注引二方言一曰、野 也、甚小、好沒二水中一、膏可三以瑩二刀劒一、與レ此略同、蓋古本玉篇引レ之、今本逸脱也、〈○中略〉陳藏器曰、鸊鷉、水鳥也、如レ鳩鴨脚連レ尾、不レ能二陸行一、常在二水中一、人至卽沈、或擊レ之便起、
p.0601 鷊 〈ニホ〉 鸊鶙〈辟低二音、ニホ、〉 鷉鷉〈通正、鶙字、他奚反、野鴨小者、〉 鳰〈二ホ〉 〈ニホ〉
p.0601 鳰(ニホ)〈生二子於浮巢(ウキス)一、日本之鳥歟、〉
p.0601 鳥類字 鳰(ニホ) (カイツフリ/○)
p.0601 鳰 にほとり うきすはうきてすをくうなり たまもにあそぶ 水底をくゞるゆへに下道と云 万、にほとりのふたりならびてかたらひし、
p.0601 鳰
鳰烏 鳰のうきす〈○註略〉 あしの葉つなぐうきす 鳰鳥のふたりならびてかたよびし 鳰の下道〈水底をくぐる故也〉 鳰のかよひぢ 氷にすだく鳰の村鳥 鳰鳥ぞなく 水の堀江にすむ鳰鳥 霜のうへにとびかふ鳰 鳰のひな鳥 かづく鳰鳥 たまもにあそぶ 鳰鳥のあしのいとなき 鳰鳥の氷の澪にとぢられて うきすにそだつ すだく鳰鳥の浮も沈も 波の下道水くぐる
p.0602 鸊鷉(カイツフリ/イヨメ)〈ニホ或云コガモ(○○○)〉 䳉(カイツブリ)〈字彚云、好入レ水食、似レ 而小、〉
p.0602 鸊鷉かいつぶり〈是和歌に詠ずるにほどり也、俗にいよめといふ、〉 畿内及中國東武共にかいつぶりといふ、上總にてみほ(○○)といふ、長崎にては鳰(にほ)といふ、土佐國にていちつぶり(○○○○○)、又いよめ(○○○)といふ、遠州にてめうちん(○○○○)といふ、東國にてむぐつ鳥(○○○○)、武の神奈川にてでつてうむぐつてう(○○○○○○○○○)といふ、上總かはぐるま(○○○○○)といふ、信州にてめうない(○○○○)と云、駿河にひやうたんご(○○○○○○)といふ、仙臺にてかはきじ(○○○○)といふ、〈○中略〉
今按に、鳰はにほひ鳥の意也、〈○中略〉にほふとは香のことにあらず、艶色のこと也、光源君のこと を、桐壼の卷に、此御にほひにはといへり、又法橋昌長翁のいはく、硏師刃を硏上て、それに色を 付るを、にほひをつけるといふ、則鳰の脂を引となり、
p.0602 鴨カモ〈○中略〉 鸊鷉の如きは、楊子方言に據るに、野 之小而好沒二水中一者也と見えしは、上古にニホと云ひ、今俗にイヨメとも、カイツブリともいふもの、大者謂二之鶻鷉一と見えしは、韓保昇が説に、刀鴨といふもの、卽今俗に小鴨といふものと見えたり、〈○中略〉ニホとは湖をいひぬれば、ニホトリとは、湖中にあるの義にやめるべき、〈○中略〉イヨメといふは、ニホメの轉ぜしなり、カイツブリといふは、京畿の俗カイといふは、猶乍(タチマチ)といふが如し、ツブリとは、その水に沒する音をかたどりいひしなり、鳰の字を用ひ、ニホと讀むは、我國の俗、創造りし所と見えたり、
p.0602 鸊鷉〈訓二仁保一〉
集解、鸊鷉似レ鴨而小、大二於小 一、頭背翅尾蒼而帶レ赤、似二 色一、頰及頷下頸前紫赤、胸黃有二紫斑一、腹白嘴黑而短、紅掌、好泛二游出沒于水一、或相對相伴旋二廻于波上一、故歌人賞二詠之一、其味有レ臊而不レ佳、其膏塗二刀劒一不 レ鏽、或曰雖レ不レ鏽還鈍レ刃、則不レ足レ用耳、
肉、氣味、甘冷無レ毒、主治、能醒レ酒解レ酲、消二積鬱之痼熱一、專療二痔瘡一、炙食宜レ之奇驗、或取二皮及血一傅レ之亦好、附方、痔瘡漏瘻、〈用二鸊鷉肪一傳レ之而妙、食レ肉亦宜、〉
p.0603 鸊鷉 水 䴇䲨 須蠃 油鴨 刀鴨 和名邇保、俗云玆保、又云加以豆 布利、〈○中略〉
按、鸊鷉俗用二鳰字一、但䳉字之誤矣、䳉〈音冬〉好入レ水食、似レ 而小、〈和名邇保〉其頭赤翅黑而羽本白背灰色、腹白觜黑而短、掌色紅也、雌者穢小頭不レ赤爲レ異、肉味有二臊氣一不レ佳、
p.0603 鸊鷉 ニホ〈和名鈔長崎〉 ミホ〈上總〉 ミヨ〈濃州〉 ムグッチヤウ〈關東〉 デツチヤウムグツチヤウ〈武州神奈川〉 カイツブリ〈京〉 ヅブリコ〈備後〉 イツチヤウツブリ〈阿州〉イヨメ〈土州〉 イチツブリ〈同上〉 イツチヤウムグリ〈仙臺〉 カハキジ〈同上〉 ミヤウナイ〈信州〉ハンコ〈備前〉 ヒヤウタンゴ〈駿州〉 イジユツヽブシ〈越後〉 カハグルマ〈上野〉 ミヤウチン〈遠州〉 ニッコベ〈勢州〉 一名鷉〈爾雅〉 䳉〈字彚〉 水胡慮〈食物本草會纂〉 水鷈〈興化府志〉
形 ニ似テ小ク刀鴨(コガモ)ヨリ大ナリ、〈○中略〉好テ相並テ水上ニ淨遊シ、時ニ出沒ス、古歌ニ鳰鳥ト云是ナリ、鳰ハ和字ナリ、水上ニ多ク藻ヲ集テ浮巢ヲカケ、風ニ隨テ漾フ、大小二種アリ、大ハ二郎ト云ト大和本草ニ云フ、是鶻鸊ナリ、鶻蹏本書ニ鶻蹏ニ作ル、華夷考ニ、大者謂二之鶻蹏一、俗呼爲二冠 一ト云フ、鸊鷉ハ肉ニ臭氣アリテ食べカラズ、然ドモ痔ヲ病ム人ハ、寒中ニ腸ト血トヲ避テ治シ食フ、若腸ト血トニ觸レバ、惡臭アリテ食シ難シ、〈○中略〉釋名ノ刀鴨ハ小ガモナリ、カイツブリニ非ズ、
p.0603 海つもり
此鳥毛色いろ〳〵有、海中白由にする鳥也、尤此鳥功能は痔の大妙藥也、
p.0603 鸊鷉(カイツフリ) かいつぶり中を補ひ氣をませり膏は聞えぬ耳に滴(した)でよ かいつぶり甘く冷にて泄瀉によし五疳の腹の下やまぬに
p.0604 於レ是其忍熊王、與二伊佐比宿禰一共被二追迫一、乘レ船浮レ海、歌曰、伊奢阿藝(イザアギ)、布流玖摩賀(フルクマガ)、伊多氐淤波受波(イタデオハズハ)、邇本杼理能(ニホドリノ/○○○○)、阿布美能宇美邇(アフミノウミニ)、迦豆岐勢那和(カヅキセナワ)、卽入レ海共死也、
p.0604 於レ是天皇、任レ令レ取二其大御酒盞一而御歌曰、許能迦爾夜(コノカニヤ)、伊豆久能迦爾(イヅクノカニ)、〈○中略〉美本杼理能(ミホドリノ/○○○○)、迦豆伎伊岐豆岐(カヅキイキヅキ)、志那陀由布(シナダユフ)、佐佐那美遲袁(サザナミヂヲ)、須久須久登(スクスクト)、和賀伊麻勢婆夜(ワガイマセバヤ)、〈○下略〉
p.0604 筑前守山上臣憶良挽歌一首
大王能(オホキミノ)、等保乃朝廷等(トホノミカドト)、〈○中略〉宇良賣斯企(ウラメシキ)、伊毛乃美許等能(イモノミコトノ)、阿禮乎婆母(アレヲバモ)、伊可爾世與等可(イカニセヨトカ)、爾保鳥能(ニホドリノ)、布多利那良毗爲(フタリナラビイ)、加多良比斯(カタラヒシ)、許々呂曾牟企氐(コヽロソムキテ)、伊弊社可利伊摩須(イヘサカリイマス)、
p.0604 屬レ物發レ思歌一首幷短歌
安佐散禮婆(アサヽレバ)、伊毛我手爾麻久(イモガテニマク)、〈○中略〉安左奈藝爾(アサナギニ)、布奈氐乎世牟登(フナデヲセムト)、船人毛(フナビトモ)、鹿子毛許惠欲妣(カコモコエヨビ)、柔保等里能(ニホドリノ)、奈豆左比由氣婆(ナヅサヒユケバ)、〈○下略〉
p.0604 三月〈○天平勝寶八歲〉七日於二河内國伎人郷馬史國人之家一宴歌三首
爾保杼里乃(ニホドリノ)、於吉奈我河波半(オキナガカハヽ)、多延奴等母(タエヌトモ)、伎美爾可多良武(キミニカタラム)、己等都奇米也母(コトツキメヤモ)、
右一首、主人散位寮散位馬史國人、
p.0604 にほどりの 〈おき長川 かづしかわせ〉 〈ふたりならびゐなつさひゆけば〉
鸊鷉(ニホドリ)の水底に入て、さてうかみ出ては、長く息つぎて鳴故に、息の長き意にて、息長(オキナガ)川につゞけしなるべし、
p.0604 鳰
逢ことのなぎさによする鳰鳥のうきにしづみて物を社思へ
p.0605 にほのうきす
あふことのなぎさによするにほのすのうきみしづみゝ物をこそおもへ
顯昭云、にほのうきすとは、にほといふとりの巢は波のうへにつくりをきてあるなれば、賴政卿も、にほのうきすのゆられきてとよめり、此義につくべし、まさしく池などにあるは、あちこちくいもてありくと人々申せり、又十郎藏人行家が申けるは、にほのうきす、波にゆられてうかれありくことなし、蘆のくきをたよりにて、つくりつけたれば、水にしたがひてふかくなれば、したがひてうきのぼり、あさくなれば、したがひてしづみくだる、さればうきすとは云也、此六帖のうたは、なぎさによするといへるほどは、ゆられてありく心ときこえたり、末のうきみしづみゝといへるは、あしをたよりにて、うきしづむときこえたり、又このしづむと云は、水のしたへしづむにや、さらばうきすといふにたがひぬべし、うきすのことゞもかうもあるべし、故左京亮の申されしは、にほはあからさまにもくがへのぼらぬ鳥とぞはべりし、されば巢を水のうへにうきてつくるにや、又伯母の集には、にほは氷におつる鳥なりとかけり、高陽院歌合雪歌に、 ふみみけるにほの跡さへおしきかなこほりのうへにふれるしら雪
p.0605 おなじたび〈○建春門院殿上歌合〉水鳥近馴といふ題におなじ人〈○源賴政〉
子を思ふ鳰のうきすのゆられきて捨じとするやみがくれもせぬ、此歌めづらしとてかちにき、祐盛法師これを見て、大に難じていはく、にほのうきすのやうをえしらぬにこそ、かのうきすは、ゆられありくべきものにもあらず、うみのしほは、みちひるものなれば、それをしりてにほのすをくふには、あしのくきを中にこめて、しかもかれをばくつろげて、めぐりにくひたれば、汐みてばかみへあがり、汐ひればしたがひてくだるなり、ひとへにゆられありかんには、風ふかばいづくともなくゆられいでゝ、大浪にくだかれ、人にもとられぬべし、されどその座にしれる人の なかりけるにこそ、かちにさだめられければ、いふがひなしとそ申侍し、
p.0606 鳰 家良
ふかき江のうきすにすだつ鳰どりの定なき世に身はふりにけり
知家
鳰どりの波の下道ともすればうき世のほかとゆきかくれつゝ
p.0606 水鳥類 鸊鷉〈かひつむり也本所丸池〉
p.0606 鴛鴦、〈音於良反〉一名𩒐、〈音武倶反、出二崔禹一、〉一名匹鳥、〈雄雌未二嘗相離一、故名レ之、出二古今注一、〉和名乎之(○○)、
p.0606 鴛鴦 崔豹古今注云、鴛鴦、〈寃嬰二音、和名乎之、楊氏抄云、 其音溪勅、〉雌雄未二嘗相離一、人得二其一一則其一思而死、故名二匹鳥一也、
p.0606 吳都賦注云、鸂鶒、水鳥也、色黃赤有二斑文一、按證類本草引二嘉祐本草一、鴛鴦 並載、又李時珍曰、 、其形大二于鴛鴦一而多紫、亦好並遊、故謂二之紫鴛鴦一也、是鴛鴦 、不レ同可レ見也、本草和名以二鴛鴦一爲二乎之一、漢語抄以二 一爲二乎之一、二説不レ同、源君混引爲二一條一非レ是、按爾雅翼、鴛鴦、其質杏黃色、頭戴二白長毛一、垂レ之至レ尾、屋翅皆黑、今婦人閨房中、飾以二鴛鴦黃赤五采者一、有レ纓者皆鸂 耳、然鸂 亦鴛鴦之類、其色多紫、嘉祐本草云、 五色、尾有レ毛、如二船柁一、小二於鴨一、今乎之、其色多紫、有レ羽如二船柁一、謂二之思羽一、無二頭長毛至レ尾者一、依レ之乎之非二鴛鴦一、以充二 一爲レ允、
p.0606 鴛鴛〈今正、ヲシ、〉 〈鴦或正、又央音、タカベ、〉 鴛鴦〈宛鸎二音、ヲシ、名匠鳥、上ヲヽシ(○○○)、下メヲシ(○○○)、〉 〈俗ヲシ〉 鳽 〈今正、音頟又硏、似レ 高脚毛冠、ヲシ、〉 鶆〈音來、鳩、ヲシ、〉 〈同上正文、溪勅二音、ヲシ、〉
p.0606 鴛鴦(エンアフ)〈此鳥尤異者也、養二雛於土窟一、能使二狐護レ之、雌雄不二暫離一、杜子美句、鴛鴦不二獨宿一、〉
p.0606 鴛鴦〈生レ子則狐守レ之〉
p.0606 鴛鴦、於志登里(○○○○)、異名、黃鴨(ワウカウ)、〈 目〉匹鳥(ヒツテウ)、 鸂鷘、於保於志登里、異名、溪鴨(ケイカウ)、〈異物志〉
p.0607 鴛鴦 をしのけ衣〈定〉 ひとりね 池にすむ〈夫妻羿寄之祝物なり〉 うきね
p.0607 鴛鴦〈夫妻契寄之祝物〉
をしの毛衣 鴛鴦のひとりね〈これはことさらひとりねぬもの也、ちぎりふかき物也、然をかくいへるをしはかりてこひしからん心也、〉 つがはぬ鴛鴦〈池水につがはぬをしの思心なとよめり、是等みなかなしき心なるべし、〉 池にすむ鴛鴦 鴛鴦のうきね うきねのとこ 鴛鴦のなく かくれぬにすむ鴛鴦鳥のなく とびかよふ鴛鴦の羽風〈いけ水にをしのつるぎばそばだてゝつまあらそひのけしきはげしも〉 玉もの床
p.0607 鴛鴦(ヲシドリ) 此鳥雌雄相をもひて、いとをしみふかき故名づく、上下を略せり、又崔豹古今注と云書に、此鳥雌雄はなれず、人其一を得れば、其一おもひてしぬる、今案ずるにおもひしぬる故に、をしと名づけしにや、
p.0607 鴛鴦ヲシ〈○中略〉 陳藏器本草に據るに、此にいふヲシは、卽鸂鷘なり、楊氏が説の如し、されど唐人の詩に、紫鴛鴦と賦せし則此物なれば、鴛鴦の字用ひむも、あしかるべきにもあらず、ヲシといふ義不レ詳、〈舜水朱氏も、ヲシは鸂鷘也、此國にして鴛鴦をば見ず、本草綱目に鸂鷘、形大二于鴛鴦一と云ひしは、誤れるなりと云ひけり、東璧が鴛鴦の註を見るに、此に云ふヲシ に同じからず、藏器本草には、形小レ于レ鴨と見えたり、舜水の説誣ふべからず、此物の名は、上古の時は聞えず、さらば後の人其雌雄未二嘗相離一の義によりて、雄雌の音をもて呼びしなるべし、〉
p.0607 鹹平、食レ肉患二大風一、夫婦不レ和、作レ臛私食レ之立愛、主二諸瘻疥癬一、酒浸炙熱傅二瘡上一、此禽雌雄暫時不レ捨、失二其一一則朝夕思慕、憔悴而死、
p.0607 鴛鴦 倭名抄ニヲシ、多識篇ニヲシドリ、考二本草一、一名匹鳥、 類也、南方湖溪ノ中ニアリ、土穴ノ中ニスム、大サ小鴨ノ如シ、其形杏黃色ニシテ文采アリ、紅頭翠鬣、黑翅黑尾、紅掌也、頭ニ白長毛アリ、是ヲ垂テ尾ニイタル、頸ヲ交ヘテフス、其交再セズ、元升〈○向井〉曰、此説ヲ見レバ今俗ニ云ヲシドリハ鴛鴦ニアラズ、今云ヲシドリハ頭ヨリ尾ニ至ルホドノ白長毛ナシ、又 オモヒ羽ト云モノアリ、下ニ云鸂鷘スナハチ今ノヲシドリ也、倭名抄ニ、鴛鴦ト鸂鷘ト同條ニ載タリ、是ニヨリテ鴛鴦鸂鷘ワカチナク、倶ニヲシドリト云、後世オモヒ羽アルヲヲシドリト云テ、眞ノ鴛鴦ヲシラズ、多識篇ニ鴛鴦ヲヲシドリト云、鸂鷘ヲオホヲシドリト云、ヨロシク是ノ説ニシタガフベシ、
p.0608 鴛鴦〈訓二於志止利一〉
集解、形小似レ鴨、毛羽有二五采一、頭有二玄纓一、頸有二紅絲一、尾前有二小羽一如二船柁一、或如二摺扇之半邊一、俗稱二劔羽(ツルギハ)一、是據二世談之誕一以名乎、家家養レ之、以愛下雌雄不二相離一、群伍不レ亂、似レ有二式度一、及采色之麗上、而放二于庭池一、然與二 鴨一同居、動逐二拒于 鴨一、毎食二小魚稻麥一、雌者蒼色、目後斜有二白條一、翅尾黑、腹黃赤黑紋、能交孕生レ卵、而抱二伏于菰葦間及枯木之朽穴一、故養レ之家、摸二小亭之形一、置二樹上一、而令レ伏レ卵也、自レ古歌人賞レ之、詠二寒池水鳥一、則必以二鴛鳰鴴一爲二佳趣一、其肉味最佳、略似二鴨肉一焉、
肉氣味、甘平無レ毒、〈冬月用レ之〉主治、去二驚邪一、
p.0608 鴛鴦
南方湖溪中有レ之、棲二于土穴中一、大如二小鴨一、其質杏黃色有二文采一、紅頭翠鬣、黑翅黑尾、紅掌、頭有二白長毛一、垂レ之至レ尾、交レ頸而臥、其交不レ再、必大按、本邦未レ見二若レ斯者一、本邦自レ古稱二鴛鴦一者鸂鷘也、一名溪鴨、又曰紫鴛鴦、然食二短狐一之説不レ詳、
p.0608 鴛鴦 詳ナラズ 一名珍禽〈事物異名〉 文禽 昴急兒〈共同上〉 斫迦羅婆〈事物紺珠〉 證隱鴦伊〈郷藥本草〉 節木鳥〈通雅〉
ヲシドリト訓スルハ非ナリ、ヲシドリハ紫鴛鴦ナリ、鴛鴦ハ杏黃ニシテ柁形ノ羽ナキコト、集解ニ見ヘタリ、
p.0608 鴛鴦 此鳥、春木の上へ箱を釣、野の鳥を玉子を產せ、鷄にかへさせ、是を生立、子飼とす、此子飼庭などへ放し、庭籠にてもかへば產巢するもの也、此鳥のいじけたるを生立、岩おしなどゝ名付る事、大きに間違也、
p.0609 鴛鴦(ヲシドリ)
をし鳥を酒付あぶり疥癬や瘡に傅べし冷ば取かへ をし鳥を夫婦の中のよからぬに名いはでくはせ相おもふ也
p.0609 大化四年三月、皇太子〈○天智〉妃蘇我造媛、聞二父大臣〈○蘇我倉山田石川麻呂〉爲レ鹽〈○物部二田造〉所一レ斬、〈○中略〉造媛遂因傷レ心而致レ死焉、皇太子聞二造媛徂逝一、愴然傷怛、哀泣極甚、於レ是野中川原史滿進而奉レ歌、歌曰、耶麻 播爾(ヤマガハニ)、烏志(ヲシ/○○)賦拖都威底(フタツイテ)、陀虞毗預倶(タグヒヨク)、陀虞陛屢伊慕乎(タグヘルイモヲ)、多例柯威爾雞武(タレカイニケム)、
p.0609 法吉坡、周五里深七尺許、有二鴛鴦一、
p.0609 承和三年五月庚戌、鴛鴦飛來、雙二集辨官廳南端一、
p.0609 二月〈○天平寶字二年〉於二式部大輔中臣淸麻呂朝臣之宅一宴歌十首
伊蘇能宇良爾(イソノウラニ)、都禰欲比伎須牟(ツネヨヒキスム)、乎之杼里能(ヲシドリノ/○○○○ )、乎之伎安我未波(ヲシキアガミハ)、伎美我末仁麻爾(キミガマニマニ)、
右一首、治部少輔大原今城眞人、
p.0609 をし
君が名も我名もをしのひとつがひ同じ江にこそ住まほしけれ
p.0609 鳥は
水どりはをしいとあはれなり、かたみにゐかはりて、はねのうへの霜をはらふらんなどいとをかし、
p.0609 みちのくに田村の郷の住人、馬允なにがしとかや云おのこ、鷹をつかひけ るが、鳥を得ずしてむなしく歸りけるに、あかぬまといふ所にをし鳥一つがひゐたりけるを、くるりをもちていたりければ、あやまたず、おとりにあたりてけり、其をしをやがてそこにてとりかひて、ゑがらをばゑぶくろに入て家にかへりぬ、其次の夜の夢に、いとなまめきたる女のちいさやかなるまくらにきて、さめ〴〵となきゐたり、あやしくて何人のかくはなくぞと問ければ、きのふあかぬまにて、させるあやまりも侍らぬに、としごろのおとこをころし給へるかなしびにたへずして、參りてうれへ申也、此思ひによりて、わが身もながらへ侍まじき也とて、一首の歌をとなへてなく〳〵さりにけり、
日くるればさそひし物をあかぬまのまこもがくれのひとりねぞうき、あはれにふしぎに思ふほどに、中一日ありて後ゑがらを見ければ、ゑぶくろにをしの妻とりのはらをおのがはしにてつきつらぬきて死にて有けり、これをみてかの馬允やがてもとゞりを切て出家してけり、この所は前刑部大輔仲能朝臣が領になん侍也、
p.0610 白鴛鴦(○○○)とて、鴛鴦の全身白毛にて、頭腋の邊などいさゝの赤黑の斑文ありて、觜と足は淺紅色にて、美しく珍らかなるが有けり、享保の頃、鴛鴦の胸のあたり白毛にかはりたるに、白鴨の雌をかけ合せられしかば、其父鳥よりも白毛多くなりしを、再度白鴨雌をかけたりしとき、今の種とはなりぬるよし、有德院殿〈○德川吉宗〉御好にて、この一種出來せしとぞ、其後年年に雛を生じ、内庭にも吹上の苑中にも數十羽飼せらる、人間になき種なれば、目擊せぬ者も多かり、春夏の交、雛を生るときは、餌飼番の者に至るまで嚴に命ぜられ、たま〳〵おちたる鳥あれば、丸むき(○○○)にしてひめ置る、日頃仰ありしは、鳥の爲に番の者等勞するもいかゞなれど、享保の御遺愛なれば、今もかく御扱ひありしと宣ひし、前にいへるごとく、雛を生ぜしとき、餌飼見守に命ぜられし者共には、歲抄に至りて御ねぎらひとして、物たまはる事なりとぞ、
p.0611 雜説八十ケ條
白鴛鴦(○○○)は江府吹上の大苑にあり、尾州公の御苑中にも此種有と、
p.0611 鸂鷘(ケイシヨク/○○) 倭名抄ニ鴛鴦同條ニ載テ、和名ヲ倶ニヲシト云、多識篇ニオホヲシドリ(○○○○○○)、考二本草一、南方短狐(/ヲニハジキ)アル處ニ多アリ、性ヨク短狐ヲ食ス、居スル處ニ毒氣ナシ、人家ニ毛畜ベシ、形小クシテ鴨ノ如シ、毛ニ五采アリ、首ニ纓アリ、尾ニ毛アリテ船柁鬣ノ如シ、元升曰、今俗ニ云ヲシドリハ是也、尾ノ兩邊ニ毛アリ、船柁鬣ノ如シト云ハ、俗ニ云オモヒ羽也、鴛鴦ニハ此羽ナクシテ頭ニ白長毛アリテ、長ク垂テ尾ニ至ル、猶鴛鴦條下ニ詳ナリ、
p.0611 鸂鷘(○○) カホドリ(○○○○)〈古歌〉 ヲシドリ カシドリ(○○○○) 一名溪鵞〈事物紺珠〉 只音 伏只〈郷藥本草〉 水札〈河間府志〉
冬月池澤ニ集ル、京師龍安寺金閣寺ノ池及大澤等ニ、冬多ク夏ハ少シ、雄ナル者毛色美ナリ、故ニ家ニモ畜フ、形ハ鴨ニ似テ小ク刀鴨ヨリ大ナリ、頭ニ紫黑色ノ長毛後ニ垂ル、集解ニ首有レ纓ト云者ナリ、身ノ文采ハ家鷄ノ如シ、翅尾ノ間ニ鴨脚(イチヨウ)樹葉ノ形ノ如ナル羽左右各一アリ、茶褐色ニシテ一邊深黑ニシテ翠光アリ、コレヲヲモヒバ〈京〉ト云、一名イチヨウバ、〈防州〉ツルギバ〈本朝食鑑〉集解ニ如二船柁形一ト云、此鳥大小アリ、大ナルハ身長サ一尺二寸、家ニ畜フモノハ小ナリ、シマヲシト云、身長サ一尺アリ、最小ナルヲイハヲシト云、長サ八寸、胸ニ月形アリ、雌ハ首ニ纓ナク、ツルギバナク、灰黑色ニシテ腹白シ、
p.0611 コレニ就テ林子ガ話ニハ、鸂鷘ノ子ヲ生ズルモ、カハリタルモノナリ、義兄岩村侯〈松平能州〉ノ西丸下ノ邸地ニ、年々鸂鷘雄雌一雙來リテ子ヲナス、數少キトキハ七八ヨリ十一二、多キトキハ殆ンド二十ニ及ベリ、アノ如キ小キ鳥ノイカナルコトニテ、カク多ク卵ヲ温ルカ不審ナリ、扨ソノ雛水ニ浮遊ブ頃ハ、雄去テ雌ノミニナル、雛生長スレバ雌モ去リ、雛モ皆飛去リテ一 雙モ殘ラズ、來春又雄雌來リ年々長ク如レ此、
p.0612 岩鴛鴦(○○○)
此鳥、駿府邊ゟ出る鳥也といへ共、未現鳥はみず、功者成人に尋しに、大さ鴨程にて有レ之由、勿論おし鳥とはいへ共、至てきたなき鳥のよし、尤現鳥を見ざる故、くはしくは記さず、
p.0612 鷗〈烏候反、亦鴞、白佐支(○○○)、又海加毛(○○○)、〉 〈來故反、佐義(○○)、〉 鸕 〈皆白佐支〉 鳶蔦〈同與專反、鵄、止比、又左支、〉 、鷁、鷊、鶂、 〈五字同、五盍、牛歷二反、佐支、〉 〈佐支、又豆留、〉 〈佐支、 同、〉
p.0612 、白鷺也、〈釋鳥曰鷺春鋤、周頌魯頌傳曰、鷺白鳥也、按、大雅白鳥翯翯、白鳥謂レ鷺、傳不レ言者人所二共知一也、漢人謂レ鷺爲二白鳥一也、於レ頌則以二人所一レ知説二其所一レ不レ知、此傳注之體也、陸氏疏云、好而潔白、故謂二之白鳥一、此白鷺當レ作二白鳥一、許之例多因二毛傳一也、春鋤者、謂二其狀俯仰如レ春如一レ鋤、〉从レ鳥路聲、〈洛故切、五部、〉
p.0612 鷺、〈音洛故反、色白、其音似二人呼喚一者也、出二崔禹一、〉一名䳲鷺、一名舂鋤、〈已上二名、出二兼名苑一、〉一名太一之鳥、〈出二太淸經一〉和名佐岐、
p.0612 鷺 唐韻云、 、〈春鋤二音〉白鷺也、崔禹錫食經云、鷺、〈音路、和名佐支、〉色純白、其聲似二人呼喚一者也、
p.0612 廣韻云、 鳥、白鷺也、按爾雅、鷺、舂鉏、注、白鷺也、孫氏本レ之、説文、鷺、白鷺也、按 卽舂鉏俗字、鷺求二水中魚一、其狀如レ舂如レ鉏、故有二是名一、〈○中略〉郭璞爾雅注云、頭翅背上皆有二長翰毛一、毛詩振鷺宛丘正義引二陸璣一云、鷺、水鳥也、好而潔白、靑脚高尺七八寸、尾如二鷹尾一、喙長三寸、頭上有二毛十數枚一、長尺餘、 然與二衆毛一異、好欲レ取レ魚時則弭レ之、埤雅云、鷺歩二於淺水一、好自低仰、故曰二舂鋤一也、今鷺之集、毎至二水面數尺一、則必低佪少盤、其勢與二飛之時徑起一特異、
p.0612 鸕鷺〈或正、音路サギ、 シラサギミトサギ〉 〈同〉 〈サキ〉 〈仙羊反、サギ、〉 〈春鋤二音、白鷺、〉 䳆〈サギ カハツ〉
p.0612 鷺(サギ)〈呼名二雪客一〉
p.0612 鷺 しら鳥〈さてさぎさかと云也と云々〉 しら鷺 あを鷺〈をぐろにたてるなど〉 あま鷺 みと鷺 鷺の蓑毛〈うなげ共讀り〉 みなくちまほり〈さぎとなけれ共さぎの事也〉 とぶ鷺 ゐる鷺 鷺年ふる をぐろにたてる白鷺〈小畔也〉 ほそひれの鷺さか山といへり〈さぎの頭のけ、一むら立たるは、女房の頭にひれとてさがりたる物あり、それに似たると也と云々、〉 鷺のくびはとろんと〈神樂也、いはれは則神樂の所に注す、〉打廻鷺〈萬〉 鷺すゝ〈只鷺まてか〉 鷺の村鳥
p.0613 鷺(サギ) いさぎよき也、上下を略す、白くしていさぎよし、
p.0613 鷺〈和名訓二佐木一〉
釋名、 〈(中略)必大按、春鋤者鷺歩二于淺水一、好自低昂、如二春鋤之狀一、〉
集解、鷺有(○○)二大小(○○)一、林棲水食、潔白如レ雪、細頸長脚、高翹遠飛、啄黑而長、頂有二長毛一如二絲毿毿然一、身毛散垂如蓑、故歌人號二蓑毛一、毎窺二魚鰕一而食、飽則拳足立眠、唐雍陶所レ謂一足獨拳寒雨裏是也、或群飛而下、則如二花之亂落一、杜牧所レ謂一樹梨花落二晩風一是也、能倶形二容之一、其小者俗稱二一盃鷺(○○○)一、肉少漸滿二一盃一之謂乎、又一種大二於鷺一而頭無レ絲、脚淡黃色、呼號二大(ダイ/○)鷺(/○)一、凡白鷺(○○)、肉味輕淺、脂少最足レ食、夏月宜レ食レ之、大抵夏月水禽食品全少、故鷺類充二上饌一矣、
p.0613 鷺 サギ シラサギ 一名巖栖叟〈典籍便覽〉 潔鷺〈同上〉 篁栖叟〈事物異名〉雪衣兒 碧繼翁 風標公子 荻塘女子〈共同上〉 帶絲禽〈正字通〉 碧綠翁〈名物法言〉 昆明〈秘傳花鏡〉 胡王忽眞〈事物紺珠、蒙古ノ名、〉 鷺絲〈潛確類書〉 此鳥〈○中略〉全身潔白ニシテ、長毛數莖頂上ニアリ、〈○中略〉一種頂ニ長毛ナキ者ヲダイサギト云、白鶴子ナリ、又尋常ノ鷺ニ大小ノ分アリ、大ナル者ヲシマメグリ(○○○○○)〈大和本草〉ト云、一名ガラリサギ(○○○○○)、〈同上〉形大ニシテ脚黑色ナリ、小ナル者ヲコサギ(○○○)〈同上〉ト云、形小ニシテ脚黃色ナリ、最小ナル者ヲ一盃サギ〈本朝食鑑〉ト云、肉少ク僅一盃ニ滿ベキナリ、一種アマサギ(○○○○)ハ一名猩猩サギ(○○○○)、〈播州〉ナハシロサギ(○○○○○○)、形常鷺ヨリ微小ク、頭頂黃赤色、後ニハ白色ニ變ズ、是臨桂雜識ニ、有二黃毛一如レ鷺、背有二黃毛一ト云モノナリ、一種セグロサギ(○○○○○)ハ、頭ヨリ胸ニ至マデ褐色、翅ト腹トハ白色ニシテ背ハ黑シ、脚黃ニシテ觜黃黑色ナリ、一種クロサギ(○○○○)ハ、全身黑色、觜ノ端黑ク本黃褐、中ハ灰色ナリ、目黃ニシテ靑環アリ、脚靑茶褐色、脂爪其ニ黑シ、一種カマサギ(○○○○)〈勢州〉ハ一名ナベカベリ(○○○○○)、ドウサギ(○○○○)、ドウ(○○)、〈仙臺〉クロトキ(○○○○)、〈江戸〉頭及觜脚深黑色、觜下へ曲リテ鎌ノ形ノ如シ、翅ノ端ニ淡黑色アリ、自餘ハ皆白色ナリ、
p.0614 水鳥類 鷺〈あをさぎ(○○○○)、ごいさぎ(○○○○)、へらさぎ(○○○○)、行德、〉
p.0614 護田鳥(○○○)〈於須女鳥(○○○○)〉
p.0614 鸅鸆鳥(○○○) 唐韻云、鸅鸆〈澤虞二音、楊氏漢語抄云、護田鳥於須賣止里(○○○○○)、〉護田也、爾雅集註云、鴋、〈音紡〉一名澤虞、卽護田鳥也、常在二澤中一、見レ人輒鳴、有レ似二主守官一、故以名レ之、
p.0614 爾雅、鶭澤虞、郭注、今嫡澤鳥、似二水鴞一蒼黑色、常在二澤中一、見レ人輒鳴喚不レ去、有レ象二主守之官一因名云、俗呼爲二護田鳥一、按太平御覽引二孫炎注一、鳲鳩或謂レ紡、澤虞其別名也、常在二澤中一、見レ人報鳴不レ去、有二主守之官一、是郭所レ本、所レ引文、與レ郭略同、而有二少異一、蓋是舊注而郭依レ之也、〈○中略〉按爾雅注云、有下象二主守之官一者上、釋二澤虞之意一、謂レ若二周禮之澤虞一也、説文䲱、澤虞也、李時珍曰、鴋一名方目、西人謂二之蝦蟆護水鳥一也、常在二澤中一、形似二鷗鷺一蒼黑色、頭有二白肉冠一、赤足、見レ人輒鳴喚不レ去、漁人呼爲二烏鷄一、閩人訛爲二姑雞一、郝懿行曰、今澤中有二此鳥一、形狀悉如二注説一、今俗呼二溝五位一、又呼二楲口守一者是也、
p.0614 護田鳥(○○○)〈オスメトリ〉 鸆〈音娯、鸅 鴋、〉鸅 (○○)〈澤虞二音オスメドリ〉 〈ウスメ(○○○)〉 鴋〈音方、又紡、〉 〈オスメトリ、〉
p.0615 護田鳥オスメドリ〈○中略〉 オスメの義不レ詳、後俗ウスベといふは其語轉ぜしなり、鵰羽(タカノハ)にウスベフといふ名あるは、其文此鳥に似たるをいふなり、〈或人の説に、方目本草綱目に見えたり、鴋目又名澤虞、護田鳥とも云ふ、此にバンといふ者なりといヘり、李東璧が云ふ所の方目の如きは、此にいふバンに似てけり、もし其物ならんには、バンといふは鴋の字の漢音を轉じて呼びしなり古語拾遺に、天鈿女神をウスメと云ひしは、古語にオスシと云ひしは畏るべきの義也、此神女神なれど、おそろしき神なれば、かく云ひしと見えたり、古語に鴋をよびてオスメとも、ウスベとも云ひしは、その方目畏るべき義にやありけむ、又今の俗に鷭の字を用ひて、バンといふは然るべしとも思はれず、鷭は鵙の一名なりと見えたり、舜水朱氏は、此にバンといふもの、竹雞に似たれども非也、竹雞をヤマシギといふも亦非也、と云ひけり、漢人の繪がきし竹鷄を見しに、朱氏の説の如くにぞありける、〉
p.0615 延長六年六月十八日、臼女鳥(○○○)集二南殿版位南一、令二陰陽助氏守占一、其占云、可レ有二御藥事及火災一、
p.0615 天曆二年九月二日、午時碓女鳥(○○○)九、集二宜陽春興殿間一、
p.0615 蒼鷺(○○) 崔禹錫食經云、鷺又有二一種一、相似而小、色蒼黑、並有二水湖間一、〈漢語抄云、蒼鷺美止佐木(○○○○)、〉
p.0615 按蒼鷺美止佐伎、並未レ詳、當二是五位鷺之類一、
p.0615 蒼鷺(○○)〈ミトサギ〉
p.0615 蒼鷺(○○)〈古訓二美豆佐木一、今世稱二阿於佐木(○○○○)一、〉
釋名靑鷺〈今世俗用二此名一○中略〉
集解、蒼鷺、似レ鷺而大、頭背翅蒼黑、頂有二冠毛一亦蒼黑、頭上至二頸胸一黑毛斑斑、翅之端翮純黑、觜外黑内黃、腹白脚絲、形態悉類レ鷺、毎歩二水中一而捕二魚鰕一食、飛則能高擧遠翔、靜則傍二蘆荻一而拳レ足立眠、其味最美勝二于白鷺一、夏月賞レ之、
肉、氣味、甘平無レ毒、主治、止レ汗利二小水一、
p.0615 文明十五年五月廿五日丁巳、兵庫殿御進上、靑鷺(○○)二、鯛一折、以上長谷へまいる、
p.0616 貞享四年發句合、續の原、桃靑が判跋に、判士よたりに乞て我も其一にしたがふ、まことや樂にゑらるゝもの笛をぬすむに似たりといはむ、されども靑鷺の目をぬひ(○○○○○○○)、あふむの口を戸ざゝむ事あたはず云々、今水鳥屋にては鷺の目を縫ふなり、
p.0616 鵁鶄(○○) 唐韻云、鵁鶄、〈交靑二音〉鳥名也、辨色立成云鵁鶄、〈伊微〉住二海邊一、其鳴極喧者也、
p.0616 廣韻云、鶄、鵁鶄鳥也、音精、又云、鶄、鶄鶴鳥、出二南海一、音靑、二音其義不レ同、此以レ靑音二鵁鶄一恐誤、吳都賦注、鵁鶄鳥也、似レ 頭上總毛羽、〈○中略〉廣韻云、鵁、鵁鶄鳥也、按爾雅、鳽、鵁鶄、注、似レ 脚高、毛冠、太平御覽引二異物志一云、鵁鶄巢二於高樹顚一、生レ子未レ能レ飛、皆銜二其母翼一下レ地飮食、説文、 也、證類本草載二陳藏器一云、鵁鶄、水鳥、似レ鴨綠衣、馴擾不レ去、出二南方池澤一、李時珍曰、似レ雞長喙好啄、其頂有二紅毛一如レ冠、翠鬣碧斑、丹嘴靑脛、養レ之可レ玩、邵晉 曰、後世養二鵁鶄一者多於二池渠一、其物不レ詳、〈○中略〉按諸書載二鵁鶄一、雖二水禽一似下非レ在二海邊一者上、又不レ云二其聲喧噪一、辨色立成所レ言伊微、恐非二鵁鶄一也、
p.0616 鵁鶄(カウセイ) 倭名抄ニイビ、多識篇或云アヲサギ、考二本草一水鳥也、南方ノ池澤ニ出ル、鴨ニ似テ綠衣ナリ、人家ニ是ヲ畜フ、ナレテ去ルコトナシ、火災ヲ厭(マジナ)フベシ、李時珍曰、鵁鶄ハ大サ 鶩ノ如クニシテ、脚ノ高キコト鷄ニ似タリ、長喙ニシテ喙ム、其ノ頂ニ紅毛アリテ冠ノ如シ、翠鬣碧斑、丹嘴靑脛、是ヲヤシナヒテ玩ブベシ、元升曰、余長崎ニヲイテ、大明人持來シ鳥ヲミルコトアリシニ、形色本草註ノ如キアリ、是鵁鶄ナランカ、其名ヲシラズ、倭名抄、多識篇ハ、本草註ト同ジカラズ、猶タヅヌべシ、
p.0616 鵁鶄(アヲサギ) 倭俗所レ謂靑鷺也、幷白鷺五位鷺所々捉レ之、於二魚店一賣レ之、〈○中略〉一説中華所レ謂鵁鶄、本朝所レ有之五位鷺也、
p.0616 鵁鶄〈○中略〉
旋目(○○)ハホシゴイ(○○○○)ナリ、〈○中略〉又一種ボンノウサギ(○○○○○○)、一名ヨシゴイ(○○○○)、〈同名アリ〉ムマヲヒドリ(○○○○○○)〈仙臺〉モ亦旋目ノ 屬ニシテ、五位サギノ品類ナリ、形鷺ノ如ク、色ハ靑莊(アヲサギ)ノ如シ、目傍ノ長毛メグレリ、方目ハミゾゴイナリ、一名ヒノクチマモリ、〈○下略〉
p.0617 五位鷺(○○○)
釋名、鵁鶄(○○)、〈源順、本草亦同、和名訓二伊微一、辨色立成曰、鵁住二海邊一、其鳴極喧者也、是今之五位鷺乎、○中略〉
集解、狀似二蒼鷺一而小、灰白色有二碧光一、頂有二紅毛一如レ冠、翠鬣碧斑、丹觜靑脛、巢二于高樹一、宿二于樹杪一、飮二于水中一、能捕二魚鰕一、其味雖二甘鹹一、夏味似二蒼鷺一稍佳、冬有二臊氣一而不レ佳、凡五位夜飛、則有レ光如レ火、月夜最明、或大者立二于岸邊一、如二巨人一、若人不レ識而遇レ之、驚惧爲二妖怪一而斃、此非レ爲レ妖、人驚爲レ妖也、或謂、若誤夜暴二小兒之衣服一、五位糞二其衣上一、人不レ知レ之令レ著二小兒一、則驚啼不レ止、竟發二奇病一、是未レ詳二其證一也、
肉、氣味、甘鹹平無レ毒、主治、炙食解二魚鰕毒一、
附錄、星(ホシ/○)五位(/○○)、〈狀似二五位鷺一、而頂黑毛如レ冠、深目、目旁毛長而旋、頰頸白、而淡紅斑淡黑斑相交、胸臆以下至二腹脇一、淡紅斑稍大、背翅蒼白、翎羽黑、倶有二小白圓紋一如レ星、故俗曰二星五位一、觜脚倶靑、毎棲二水中一、或升二樹梢一、與二五位鷺一同態也、〉溝五位(○○○)〈常棲二田澤之小水間一故名、窺二田壟之小溝一、立二樋口之水中一、而捕二小魚一食、故俗號二樋口護一卽護田鳥也、狀似二五位鷺一而小、蒼黑色、頭有下如二白肉冠一者上、脚掌黃赤、亦不レ懼レ人、源順和名曰、鸅鸆、護田也、楊氏漢語抄云、護田鳥、於須賣止里、爾雅集注云、㨶一名澤虞、卽護田鳥也、毎在二澤中一見レ人鳴、有レ似二主守官一、故以名レ之、〉
p.0617 五位鷺(○○○)
五位鷺者鵁鶄也、李時珍載二禽經一云、交レ目而孕、又曰、交目其名鳽、觀二其眸子一而命レ名之義備矣、説文、謂二之交瞳一、亦目瞳子也、俗呼二茭雞一云、多居二茭菰中一而脚高似レ雞、必大按、旋目者星(ホシ)五位也、方目者溝(ミゾ)五位也、鳥目似レ方故名乎、見レ人輒鳴喚不レ去、漁人呼爲二鳥雞一也、
p.0617 文明十七年七月廿五日甲戊、兵庫殿御進上、五位鷺(○○○)三、鱸三、以上、東山殿、
p.0617 鸀 (○○) ダイサギ(○○○○)
藏器似レ鴨ト云ハ未詳ナラズ、時珍白鶴子ト云ハ、今ノダイサギナリ、形白鷺ヨリ大ニシテ、頂ノ長毛ナシ、觜ハ黑色、秋ニ至レバ黃色ニ變ズ、脚ハ黑色又淡黃色ナルモアリ、秋後食用トス、
p.0618 篦鷺(○○)〈訓二部羅佐木一〉
釋名〈鷺、觜長黑色、其末圓如二黑木篦一故名、〉
集解、篦鷺、似二白鷺一無二冠毛一、而不二純白一帶二微灰色一、長啄黑觜、其端圓薄、如レ匙如レ篦、性能成レ群、終日以レ觜畫レ水、淘レ泥求レ魚、無二一息之停一、飽則立レ石宿レ樹、亦巢二于林杪一、人未レ食レ之、故不レ知二其氣味一也、
p.0618 鷺
鷺鷥絲禽雪客白鷺是也、又有二白鶴子一、注機會編、似レ鷺而頭無レ絲、脚黃色、是今之大鷺訓二多比佐木一者乎、
篦鷺(○○)
篦(ヘラ)鷺者信天緣也、晁以道云、鵜之屬有二漫畫者一、以レ嘴畫レ水求レ魚、無二一息之停一、終日凝立不レ易二其處一、俟二魚過一乃取レ之、俗名二靑翰一、又名二靑莊一、必大按、以道雖レ不レ曰二篦嘴而漫畫者一、今之篦鷺也、
p.0618 鵜鶘(○○)〈○中略〉
集解、漫畫ハへラナギ(○○○○)、一名シバヲコシ(○○○○○)、〈勢州〉形ハ鷺ニ似テ淡灰色、嘴扁クシテヘラノ如ク、長サ五寸許、端ハ廣ク一寸許、杓子ノ形ノ如シ、中ニ袋アリ、此鳥水中ニテ漫ニ魚ヲ尋求メテ止マズ、〈○中略〉靑莊ハアヲサギ、一名ミトサギ〈和名鈔〉ナツガン、〈石見〉一名鶄 、〈事物紺珠〉靑鶴、〈當塗縣志〉靑椿、〈同上〉靑 、〈康煕字典〉靑 、〈河間府志〉 同字ナリ、〈○下略〉
p.0618 越部里 鷁住(サギスミ)山所三以號二鷁住一者、昔鷁多住二此山一、故因爲レ名、
p.0618 故天若日子之妻下照比賣之哭聲、與レ風響到レ天、於レ是在レ天天若日子之父、天津國玉神、及其妻子聞而降來哭悲、乃於二其處一作二喪屋一而、河鴈爲二岐佐理持一、〈自レ岐下三字以レ音〉鷺爲二掃持(ハヽキモチ)一、
p.0618 是御子〈○本牟智和氣御子〉八拳鬚至二于心前一、眞事登波受、〈此三字以レ音○中略〉於レ是天皇患賜而、御寢之時、覺二于御夢一曰、修二理我宮一、如二天皇之御舍一者、御子必眞事登波年、〈自レ登下三字以レ音〉如レ此覺時、布斗摩邇々占相而、求二何神之心一、爾祟、出雲大神之御心、故其御子令レ拜二其大神宮一將レ遣之時、令レ副二誰人一者吉、爾曙立王食レト、故 科二曙立王一、令二宇氣比一白、〈宇氣比三字以レ音〉因レ拜二此大神一、誠有レ驗者、住二是鷺巢池之樹一鷺乎、宇氣比落、如レ此詔之時、宇氣比、其鷺墮レ地死、又詔二之宇氣比活一爾者、更活、
p.0619 延曆二十一年七月丁卯、白鷺集二于朝堂院一、
p.0619 寬平九年七月廿二日乙未、豐樂殿幷左近衞府屋上、鷺鳥集、 八月七日庚戌、太政官西廳鷺聚集、
p.0619 藏人取レ鷺事
延喜帝〈○醍醐〉ノ御宇、神泉苑ニ行幸アリ、池ノ汀ニ鷺ノ居タリケルヲ叡覽有テ、藏人ヲ召テ、アノ鷺取テ參ラセヨト仰ケレバ、藏人取ラントテ近付寄ケレバ、鷺羽ヅクロヒシテ旣ニ立ントシケルヲ、宣旨ゾ、鷺マカリタツナト申ケレバ、飛去事ナクシテ被レ取テ、御前へ參リケリ、叡覽アリテ仰ケルハ、勅ニ隨ヒ飛去ズシテ參ル條神妙也トテ、御宸筆ニテ鷺ノ羽ノ上ニ、汝鳥類ノ王タルベシト遊バシテ、札ヲ付テ放タレケレバ、宣旨蒙リタル鳥也トテ、人手ヲカクル事ナシ、其烏備中國ニ飛至テ死ニケリ、鷺森トテ今ニアリ、
p.0619 寬弘二年九月十六日辛酉、御卜、東大寺言上、去月十三日、白鷺烏與レ狐爭鬪、幷大佛殿内如二闇夜一、大佛面幷軀汗出之故也、
p.0619 承元元年八月九日、咋日辰刻、白鷺降居家庭占家之吿、各子息可病事之故云々、
p.0619 文永四年八月十二日、午時内裏内侍所上白鷺一羽居之、大番者追レ之、次居二殿上一、云々、 十三日、依下鷺居二皇居上一事上、於二藏人所一有二御卜一、
p.0619 鷺〈○中略〉
肉、氣味、甘平無レ毒、〈或曰鹹平〉主治、虚瘦益レ脾補レ氣、專止二自汗盜汗一、
附方、自汗不レ止、〈白鷺一隻、牡礪及肉一箇、燒爲レ霜酒調下、〉 蒼鷺〈○中略〉
肉、氣味、甘平無レ毒、主治、止レ汗利二小水一、
五位鷺〈○中略〉
肉、氣味、甘鹹平無レ毒、主治、炙食解二魚鰕毒一、
p.0620 五位鷺(ゴイサギ)
五位鷺は甘温也毒もなし氣力をもまし汗をよくとむ 五位鷺は脾腎に藥腹中の赤白利してやまざるに吉
p.0620 鵁鶄(アヲサギ)
あを鷺をあぶりてくへばもろ〳〵の魚の毒をば解しにけるとぞ あを鷺は夏の泄瀉や五色や脾胃の虚泄も奇特也けり
鷺
鷺こそは虚瘦補ひ脾を益てあぶり食せよ氣をも補ふ 鷺のふん面上の疵瘡に吉よく水飛してひねりかけかゆ
白鷺
r白鷺は温也脱肛下虚を治す久痢やまぬに是を用る 白鷺は脾胃をとゝのへ氣力まし煩のうち强てこのむな
p.0620 一神宮恠異事
殿舍上鷺鵄居事、〈○中略〉卽注進之處、被レ行二御占一、下二祈謝宣旨一、仰二諸社司等一、御祈禱之間、神宮爲レ吉也、近代依レ无二奏聞一不レ被二祈謝一、因レ玆神宮爲レ凶之由、雅繼光胤神主等申レ之、
p.0620 長忌寸意吉麻呂歌八首 詠二白鷺喙レ木飛一歌
池神(イケガミノ)、力士儛可母(リキシマヒカモ)、白鷺乃(シラサギノ)、桙啄持而(ホコクヒモチテ)、飛渡良武(トビワタルラム)、
p.0621 鳥は
さぎはいとみるめもみぐるし、まなこゐなどもうたてよろづになつかしからねど、ゆるぎのもりにひとりはねじとあらそふらんこそをかしけれ、
p.0621 さぎ 知家
いりしほのひかたにきゐるみとさぎをいさりに出るあまかとやみん
p.0621 水鳥を 前大納言忠良卿
霜むすぶ入江のまこもすゑわけてたつみとさぎのこゑもさむけし
p.0621 尾州北中島郡熱田宮地花池村に、三明神の社あり、〈○註略〉土俗古へより鷺を白鳥(○○)と呼て、一村の男女食はず、
p.0621 鴳〈陀骨反、志支(○○)、〉
p.0621 鸗 玉篇云、鸗、〈音籠、楊氏抄云、之木、一云田鳥、〉野鳥也、
p.0621 按廣雅、鸗、 也、集韵、鸗、小 也、則知、鸗是 屬、非二之岐一、又按、漢五行志注、張晏曰、鷸鳥、赤足横文、陳藏器曰、鷸如レ鶉、觜長色蒼、在二泥塗間一、爲二鷸鷸聲一、人取食レ之如レ鶉、蘇秦云、如二鷸蚌之相持一也、説文云、鷸知二天將一レ雨則鳴、故知二天文一者冠レ鷸、李時珍曰、今田野間有二小鳥一、未レ雨則啼者是矣、是可三以充二之伎一、
p.0621 鴫〈シギ〉 鸗〈音龍、シギ、〉
p.0621 鴫(シギ)〈羽搔(ハネカキ)鳥也〉
p.0621 鳥類字 鶖(シギ)
p.0622 鸗 〈名所あさかの沼、鹽かまの浦、まのゝ浦、伏見田ゐ、高瀨のよど、深草の里、かたの、くろと山の原、ゐなのさゝ原、是等よめり、〉
しぎのたつ澤 鸗のふす 鸗のゐる 鸗のはねがき〈もゝかくと云曉の事也、しげきことによめり、是につきさま〴〵 あり、人倫部雜物の書の所に有、又朝いひしきと云り、〉 鸗のふしど〈田也〉 のたの草ねにふす鸗 羽わびしき〈そへてよめる也〉 鸗がはねをとおもしろき 門田の鸗〈かり小田のしぎのうはげにふるあられ玉して鳥を打かとぞみる〉
p.0622 䳺シギ 舊事紀に、䳺山祇(シギヤマツミ)神といふ見えしを、古事記には、志藝山津見神に作り、日本紀には舊事によりて、䳺此にシギといふと註せられけり、又神武天皇、大倭兎田之兄猾(ウタノエウカシ)を斬給ひて、御軍を勞饗し給ひし時の御歌にも、此鳥の事をばよみ給ひたりけり、倭名抄に玉篇を引て、鸗は野鳥也、漢語抄に抄シギ、一に田鳥といふと註したり、後俗田に從ひ鳥に從ふ、字創造りて、讀てシギといふは、楊氏の説によれるなり、シギの義不レ詳、萬葉集抄に、古語にシギと云ひしは、繁しといふ詞なりと云ひけり、舊事紀に䳺山と見えしも、後にシゲヤマといふが如くに、其木立の繁きを云ひしを、䳺の字を借用ひてしるされたるなり、されど又是に因りて、䳺こゝにシギと名づけしは、繁の義ありとも知られたるなり、舊説に古歌にシギのはねがきもゝはかくといふは、曉の事なり、しげきことによむも見えたり〈藻鹽草〉さらばシギとは、其羽音の繁きに因れるにぞあるベき、〈爾雅に鴽は鴾母といふ註に、䳺也と見え、正字通に䳺は鶉屬也、説文本作レ䳺、俗作レ鵪非と見えたれど、其形の如き詳ならず、或人陳藏器本草によりて、鷸をもてシギとす、其説の如きは鷸似レ鶉、色蒼觜長、在二泥塗間一、作二鷸々聲一、亦鷯鶉類也と見えけり、其形狀は似たる所なきにあらず、舜水朱氏、此にいふシギは本國にも甚だ多し、されど其名をば知らず、鷸は海上にある鳥なりと云ひしなり、通雅には、古傳に見えし鷸冠の鷸は、海上にある物、爾雅に翠鷸といふ是也、説文に見えし知雨の鷸は、李時珍が田鳥の小者といふ、蘇秦が鷸蚌といひし是也と見えたり、是等の外また廣雅に、鷂屬に鷸子見えたり、さらば鷸といふもの、一名にして三物ありけり、舜水執一之説、必より隨ふべきにもあらず、唯いづれにもあれ、䳺讀てシギと云ふは、本朝の國吏に見えし所也、楊氏の説によりて田鳥となしなんも、我國の方言なり、鸗讀てシギといふが如きは、いまだ其據を見ず、〉
p.0622 鴫
鴫者鷸也、陳藏器曰、鷸如レ鶉色蒼觜長、在二泥塗間一作二鷸鷸聲一、村民云、田鷄所レ化、亦鵪鶉類也、是則本邦之 鴫、而蘇秦所レ謂鷸蚌相持之鷸也、李時珍曰、説文云、鷸知二天將一レ雨則鳴、故知二天文一者冠レ鷸、今田野間有二小鳥一、未レ雨則啼者是矣、此亦本邦之鴫也、山鴫者竹鷄也、或名二山菌子一、鷄頭鶻泥滑滑、陳藏器曰、狀如二小雞一無レ尾、李時珍曰、形比二鷓鴣一差小、褐色多二斑赤文一、兩説倶形二容之一、
p.0623 鴫〈訓二志木一〉
釋名、鸗、〈源順〉鷸、〈多識、鴫者古俗字、歌人用レ之、或云田鳥、楊氏漢語抄、亦稱二田鳥一、源順曰、鸗音籠、野鳥也、林羅山先生多識篇、鷸訓二志岐一、此亦古俗多用レ之、陳藏器、李時珍、論レ鷸者詳焉、〉
集解、鴫之種類最多、狀似レ鶉而長觜長脛倶蒼黑、頭背翅蒼而白黃赤斑、翎黑胸有二黃赤黑斑一、腹白尾黃赤有二黑紋一、呼號二母登鴫(ボトシギ/○○○)一、頭背翅尾、黑有二黃斑一、胸灰黑有二黑斑一、腹白觜短二於母登一、脛長二於母登一、倶蒼黑、呼號二胸黑鴫(○○○)一、此二種鴫中之所二最賞一、而味不レ減二 鴨一也、常居二田澤一、能鳴能飛、夜深鳴レ翅爲二閑寂之趣一、故歌人賞二詠之一、稱二鴫羽搔(ハネガキ)一、夏秋最多、至レ冬而不レ見、一種頭白有二灰斑一、眼前有二黑條一、觜根有二白圓紋一、觜黑而大、頸後胸間、有二赤條黑條一而成レ列、自二頭後一至二背後一黑毛相續、背上翅間赤色、翎羽黑腹白、尾白有二黑紋一、脛赤掌赤有二黑斑一者、呼號二京女鴫(○○○)一、是言二美色一乎、一種頭背翅、灰色有二黑斑一、翎尾黑觜蒼黑、而長二於種類一、頷頰胸腹皆白、脛蒼黑者、呼號二觜長鴫(○○○)一、一種頭頸背翅灰碧、眼大、外有二白圈一、頸後有二白條一、翎尾黑脛觜灰黑者、呼號二目大鴫(メダイ/○○○)一、一種頭頸胸背翅、皆灰白帶二淡靑一、領下及腹白、觜黑脛深黃者、呼號二黃足鴫(キアシ/○○○)一、一種頭頸赤色、眼之四邊白如二弦月紋一、胸前有二二黑條一夾二白條一、背黑有二白紋一如二厶樣一、翎羽黑有二黃圓星紋一、尾淡紫有二黃圓紋一、腹白觜脛綠者號二羽斑鴫(ハマダラ/○○○)一、一種大如二 鴨一、頭背翅、灰白黑斑、腹灰白尾有二淡黑紋一成レ列、略似二鷹尾一、脛掌純黑、其觜蒼黑而最長、末反曲向レ上、如二匙杓之形一、故號二杓鴫(シヤク/○○)一、一種大似二杓鴫一、而頭脛胸背、淡灰紫色有二黑斑一、翅尾色亦同有二黑纎紋一、腹白觜長而黑、脛灰色、常居二山田溪澗一者、呼號二山鴫(○○)一、是則竹雞乎、以上七種、味劣二於母登胸黑一、然亦稍佳、
肉、氣味、甘温無レ毒、主治、補レ虚煖レ人、
p.0623 鷸 シギ 一名水札子〈訓蒙字會〉 此鳥夏秋多ク田澤ニ集リ、冬ニ至レバ去ル故、古ヨリ歌人鴫字ヲ用ユ、卽和字ナリ、或ハ田鳥ノ字ヲ用ユ、ソノ性能鳴能飛、夜深翅ヲ鳴ス、コレヲ鴫ノ羽搔ト云、歌人賞詠ス、ソノ品類甚多シ、ソノ中尾白シギト呼ブモノ、此條ノ文ニ合ス、形秧雞ニ似テ目淡黑色、觜淡黑色ニシテ細長ナリ、脚ハ灰黑色、頭ヨリ翼マデ茶褐色、背ハ灰黑色ニシテ小白斑點アリ、目上及喉下ニ白條アリ、胸ハ灰色、腹ハ白色、腋ニ淡黑小斑アリ、尾ハ白色ニシテ淡黑文アリ、此外ニマシギ(○○○)、ムナグロシギ、ボトシギ一名カヤクヾリ、カヤグキ(○○○○)、ハマダラシギ、同名二種、京女シギ、ハジナガシギ、メダイシギ、一名キビシギ二種、キアシシギ、カシハシギ(○○○○○)、クビダマシギ(○○○○○○)二種、〈大クビシギ、小クビシギ、〉ムシバミシギ(○○○○○○)、クサシギ(○○○○)、コシギ(○○○)、ウスヾミシギ(○○○○○○)、シヤクシギ三種、〈一ハ大杓シギ、一名ダイサクシギ、一ハ中杓シギ一名ツルシギ、一ハソリバシシギ一名小ツルシギ、〉ウバシギ一名山シギ、銅シギ(○○○)一名カナシギ、金シギ(○○○)、ヲハシギ(○○○○)、尾羽シギ(○○○○)、大膳シギ(○○○○)、田シギ(○○○)、ヒバルシギ(○○○○○)、ピイ〳〵スシギ(○○○○○○○)、セウドウシギ(○○○○○○)、テリカ子シギ(○○○○○○)、ムギワラシギ(○○○○○○)、ガンドウシギ(○○○○○○)一名アシサシ、ドウ子ゴシギ(○○○○○○)一名ドウ子ギシギ等ノ類尚多シ、
p.0624 粒餌小鳥の分 何にても水を入る
どうねぎしぎ 〈ゑがひ〉 〈生ゑ八分あをみ入紛壹匁〉
大きさすヾめのごとく、總身ねずみ色、せにこいねずみ色のふ有、はしとあしくろし、
大くびしぎ 〈ゑがひ 右同斷〉
大きさひばりに大きし、鼠色に白き首玉入、頭に黑きふ有、〈○小くびしぎ、むしばみ鴫、きびしぎ、くさしぎ、ほまだら鴫、そりばし鴫、きやうぢよ鴫、省略、〉
右鴫の類あらまし如レ此、さしてかひ鳥に用る事なし籠がひよろしからず、にはこ又ははなしがひよし、ゑがひは、魚又はむしにて飼なり、すりゑに付かふべし、
p.0624 山鴫 此鳥大さ鳩ほども有、鶉の毛色也、空に飛行する時はかすかにみへる、總羽すさまじく聞ゆるもの也、觜長く目至て大きく、飼鳥には好ざるものにて、〆鳥にはある也、
p.0625 文明十五年正月廿五日己未、兵庫殿御進上、毎月御精進解分、鴫一折〈卅〉鯛三、以上長谷へまいる、
p.0625 頓作
大坂にて鳥屋町を逸興なる男、鴫といふ鳥かはう〳〵といふてありく、珍らしき買てやとおもひよびよせ、雲雀を、これこそ鴫なりとて賣りぬ、山家に歸り見すれば、なか〳〵鴫にはあらず、うつけたりと叱られ、又はる〴〵大坂にもちゆきもどさんといふ時、鳥賣、それは物を知らぬ人の申す事よ、鴫は一いろならず、二色ならず、百しぎとて百色あるぞと、實にとおもひ、又とりて行きたり、
p.0625 鷸蝟(シギ) 如レ鶉觜長色蒼、在二泥塗間一、食レ之如レ鶉、補レ虚甚暖、村民云、田雞所レ化、鵪鶉同類、無二餘功一、
p.0625 鷸(シギ) 鷸多レ品其狀圓而肥者味堪二調和一、是謂二保土(ボト)志義一、自二夏末一至二新秋一特賞レ之、〈○下略〉
p.0625 鴫(シギ)
鴫は泄潟赤白痢にも藥也五臟おぎなひ熱結を去 鴫はよく腎水を益精汁の盡るにつねにたえず用る
p.0625 弟宇迦斯之獻二大饗一者、悉賜二其御軍一、此時歌曰、宇陀能(ウダノ)、多加紀爾(タカキニ)、志藝和那波留(シギワナハル)、和賀麻都(ワガマツ)夜(ヤ)、志藝波佐夜良受(シギハサヤラズ)、伊須久波斯(イスクハシ)、久治良佐夜流(クヂラサヤル)、〈○下略〉
p.0625 天皇諱惟仁、〈○中略〉嘉祥三年十一月二十五日戊戌、立爲二皇太子一、于レ時誕育九月也先レ是有二童謠一云、大枝〈乎〉超〈天〉、 超〈天〉、走超〈天〉、騰躍〈止利加理〉超〈天〉我〈那〉護〈毛留〉田〈仁耶〉、搜〈阿左理〉食〈無〉、志岐〈耶〉雄々 〈伊〉志岐〈耶〉、
p.0626 太上天皇〈○持統〉幸二于難波宮一時歌
旅爾之而(タビニシテ)、物戀之伎乃(モノコヒシギノ)、鳴事毛(ナクコトモ)、不所聞有世者(キコエザリセバ)、孤悲而死萬思(コヒテシナマシ)、
右一首、高安大島、
p.0626 見二飛翻翔鴫一作歌一首
春儲而(ハルマケテ)、物悲爾(モノカナシキニ)、三更而(サヨフケテ)、羽振鳴志藝(ハブリナクシギ)、誰田爾加須牟(タガタニカスム)、
p.0626 井奈野
し(本)ながとりや、ゐなのふし原、あいぞ、とびてくる、しぎが羽音は、おとおもしろき、しぎが羽おとは、し(未)ながとりや、ゐなのふし原、あいぞ、あみさすや、わがせの君は、いくらかとりけん、いくらかとりけん、
脇母古
わ(本)ぎもこにや、一夜はだふれ、あいぞ、あやまちせしより、鳥もとられず、鳥もとられずや、
し(未)かりともや、わがせの君は、あいぞ、いつゝとりむつとり、七つ八つとり、こゝのよ、とをはとり、とをはとりけんや、
p.0626 しぢのはしがき〈しぎのはれがき○中略〉
又云、〈○歌論義、中略、〉昔あだなる男をたのむ女有けり、こぬよのかずはおほく、くる夜のかずはすくなかりければ、かのこぬよかずをかく事なん、曉のしぎと云鳥のはねかくよりもおほかると云なるべし、
p.0626 題しらず よみ人しらず
曉の鴫のはねがきもゝはがき君がこぬよは我ぞかずかく
p.0627 しぎ
曉に羽かくしぎの打しきりいくよか君に戀わたるらん
V 新古今和歌集
p.0627 題しらず 西行法師
心なき身にもあはれはしられけり鴫たつ澤の秋の夕ぐれ
p.0627 水鳥類 〈鷸不忍の池〉
p.0627 百鳥譜 支考
鴫はましてたつ時のあはれなるに、馬糞(マグソ)といふ鷹の風にひるがへりたる、なまうかひにていとにくし、彼澤の夕暮は、江山の風情をそなへたれば、もろこしの雲夢ときこえし澤は、いかなる澤にかあらむ、
p.0627 鼃鳥、〈音戸媧反、能食レ 、故以名レ之貌似二水雞一、〉 一名瘨鳥、〈苦瘨人、以レ血渥レ面卽蘇、故以名レ之、出二崔禹一、〉和名久比奈(○○○)、
p.0627 鼃鳥 崔禹錫食經云、鼃鳥、〈和名久比奈、漢語抄云、水雞、〉貌似二水雞一能食レ鼃、故以名レ之、
p.0627 按食經云、鼃鳥似二水鷄一、則明鼃鳥水鷄不レ同也、本草和名、以二鼃鳥一爲二久比奈一、日本紀、漢語抄、以二水鷄一爲二久比奈一、其説不レ同、食經鼃鳥、非二卽日本紀漢語抄水鷄一也、按河間府志、姑丁、狀如レ鷄、又名二水鷄一、漢語抄所レ云水鷄、或是、又卓氏藻林、庸渠、鳥名似レ 、卽今水鷄也、與レ此又不レ同、〈○中略〉按李時珍曰、秧鷄、大如二小鷄一、白頰長觜、短尾、背有二白斑一、多居二珥澤畔一、夏至後夜鳴達レ旦、秋後卽止、是可三以充二久比奈一也、
p.0627 鼃鳥〈クヒナ〉 鴹 〈音羊、 鴹鳥、鴹鳥一足鴹上、クヒナ、〉 水鷄〈クヒナ〉
p.0627 鼃鳥〈クヒナ〉
p.0627 水鷄(クヒナ)〈其聲如レ扣レ戸〉
p.0627 秧鷄くゐな(○○○) 仙臺にて、なまず鳥(○○○○)と呼、
p.0627 水鷄 たゝくはこゑの似なり、又誠にもたゝくと云、源氏にくゐなのうちなきた ると云、夏物なり
p.0628 秧鷄(クイナ) くいの反はき也、なは鳴也、きなく也、人のやどに來りなく鳥也、くいなのたゝくなど云も、人のかどに來りなく也、
p.0628 水鷄クヒナ〈○中略〉 クヒナの義幷に詳ならず、〈或人の説にクヒナは秧鷄、居二田澤畔一、夏至後、夜鳴達レ旦といふ者、クイはキといふ音を開き呼ぶなり、ナは鳴くなり、來鳴と云ふ義也といふなり、いかにやあるべき、倭名抄に食經を引て、クヒナの註となせしは、食鼃の義に取れるなり、東璧本草に註せし秧雞の如きは、此にいふクヒナに似たる事は似たれど、舜水朱氏は、秧雞は此にいふクヒナにはあらすと云ひけり、〉
p.0628 鼃鳥〈訓二久比奈一〉
鼃鳥似二計里鳥一、而頭背翅有二蒼黑斑一、帶二淡黃赤色一、眼上有二白條一、觜蒼而長細、頷白頸内胸間白有二黑小斑一、尾短脛長而靑、夜鳴達レ旦而息、其聲如二人之敲一レ戸、故歌人詠レ之成レ趣、毎宿二水邊一吿レ晨、故有二水雞之名一乎、又俗稱二緋水雞一、夏末多在二田澤溪川之間一、人未二常食一、仍不レ知二氣味一、或曰、味美而有レ臊、亦未レ試レ之、一種有二鼠竈鳥(ネズミクヒナ)者一、色相似而有二黑斑一、見人則竄二岸塘之窟一、如二鼠之逃竄一、故名レ之乎、又形小如レ雀、色稍蒼灰、呼稱二雀水雞一、又形大似レ鶉者、稱二大水雞一、三種倶無二敲レ戸之聲一、
肉、氣味、甘温無レ毒、主治、鼠瘻痔漏、
p.0628 秧鷄(クヒナ) 小ヲ黑鳥(クロドリ/○○)ト云、クヒナトハ大ナルヲ云、大小共ニワタリ鳥ナリ、目足赤シ、雞ニ似タリ、故ニ日本紀皇極紀ニ、水雞ヲ倶比那ト訓ズ、クヒナノタヽクハ黑鳥ナリ、夜ナキテ其聲人ノ戸ヲタヽクガ如シ、歌人詠之、是黑鳥ナリ、夏初ヨリ秋初マデ居二此地一、夏間ヤブノ内ニスクフ、鼠グイナ(○○○○)小也、黑斑アリ、人ヲ見テヨク隱ル故ニ名ヅク、ツルグヒナハ(○○○○○○)形鶴ニ似タリ、鼠グイナニモ似タリ、黑鳥ヨリ大也、夏秋不レ居、本草時珍秧雞、集解所レ謂䳾ハクロドリカ、色褐トアリ、地ニヨリ色ハカハレルニヤ、
p.0628 秧鷄クヒナ ナマスドリ(○○○○○)〈仙臺〉 カネウチドリ(○○○○○○)〈同上〉 カネタヽキ(○○○○○) 〈越後〉
四五月ヨリ秋マデ、田澤蘆荻ノ中ニ居リ、夏ハ竹林中ニ巢ヲ爲ス、數種アリ、形小ナルヲクロドリト云、晝夜鳴ク聲人ノ戸ヲ叩クガ如シ、故ニ和歌ニクヒナノタヽクト讀メリ、源氏物語ニハ、クヒナノウチナキト云、全身淡黑色ニシテ、白文アリテ赤褐毛ヲ雜ユ、翼黑シ、觜淡黑色、目上ヨリ頰ヲ匝リ、灰赤色ニシテ淡黑横文アリ、毛脛淡黑色ニシテ黑白横文アリ、脚淡黑色ニシテ微赤ナリ、一種オホクヒナハ、形微ク大ニ頸微長シ、故ニツルグヒナ共云フ、觜細長ク、上ハ灰色下ハ赤シ、脚ハ赤色、高クシテ微大ナリ、内淡黑ニシテ爪赤シ、頭背翅茶褐色、目赤ク郭淡靑色、目ノ前後微黑色、目邊及ビ頰淡白色、腹ハ灰色ニシテ淡黑斑アリ、尾短ク灰色ノ斑アリ、胸黃褐斑アリ、凡クヒナハ皆形鷄雛ノ已長ジタル者ニ似テ脚長シ、故ニ日本紀ニ水鷄ト云フ、漢名ノ水鷄ハ同名多シ、河間府志ニ、姑丁狀如レ鷄、又名二水鷄一ト云ハ、クヒナニ近シ、卓氏藻林ニ、庸渠鳥名似レ 、卽今水鷄也ト云ハ詳ナラズ、又蛙ニモ鼈ニモ水鷄ノ名アリ、一種ネズミグヒナハ、形小クシテ雀ノ如シ、毛茶褐色ニシテ黑斑アリ、人ヲ見レバ遁レ隱ル、故ニネズミグヒナト名ク、此外ヤブクヒナ、ヤブチヤクヒナ、チゴクヒナ、緋クヒナ一名アカクヒナ、ヒメクヒナノ類尚多シ、
p.0629 水鷄(クイナ)
くゐな寒甘く毒なし脾胃を損じかはきの病泄瀉よくとむ くゐなこそ久しき痢病赤白のとまりかぬるに奇特成けり くゐなをば黑やきにして常にのみ淋病うみのやまざるに吉
p.0629 くひな
水鷄だにたゝけば明る夏のよを心みじかき人やかへりし
p.0629 はる〴〵とものゝとゞこほりなきうみづらなるに、中々春秋の花紅葉のさかりなるよりは、たゞそこはかとなうしげれるかげどもなまめかしきに、くゐなのうちたゝきたる は、たが門さしてとあはれにおぼゆ、
p.0630 五月あやめふく比、早苗とる比、くゐなのたゝくなど、心ほそからぬかは、
p.0630 秧鷄(クヒナ)〈立夏より四十日頃ゟ〉 橋場 佃島 寺島 根岸 標茅(シメシ)が原邊〈少しく曇りたる日よし、五月中頃ゟ九月始頃迄也、〉
p.0630 鷭(バン)
p.0630 ばん〈○中略〉 鳥の名によべるは鷭字を用うれども、兼名苑に鷭の一名とせり、鴋の轉語なるべし、卽護田鳥なり、又俗に守護する事を番といへば、その意にてよべるにや、本草にも見レ人輒鳴喚不レ去とみえたり、小番とよぶ鳥あり、鳩に少し大なり、
p.0630 鷭附〈河烏(カハカラス)〉集解、鷭水禽也、似二小鳥一稍小、黑色大嘴、嘴根紅嘴末黃、短尾長脛而靑、常棲二田澤水畔一而鳴、庭池養レ之、能馴二于人一、孕而伏レ卵、其雛可レ愛、其味亦美、夏初鴨類去盡、以レ鷭爲二上饌一、捕二其田澤川湖者一供レ之、一種似レ鷭而大、嘴靑黑腹灰白、足靑白而短、呼號二川鴉(カラス)一、或稱二大鷭一、其味比レ鷭則不レ爲レ佳、亦常居二田澤川湖一者也、一種有二鷭之大者一、狀與レ鷭同、額下鼻上有二白肉瘤一、其掌如二木葉一、又似二鸊 之掌一、其味亦佳、肉、氣味、甘平無レ毒、主治、未レ詳、
p.0630 鷭
中華未レ知レ有二斯鳥一也、或曰䳾鷄也、䳾鷄者長脚紅冠是稍相似、然大如レ鷄、雄大褐色、雌小有レ斑、則非レ鷭也、
p.0630 鵁鶄 詳ナラズ 一名交精〈典籍便覽〉 鵁鶴〈同上〉
バンニ充ル説ハ穩ナラズ、バンニ大小二種アリ、小ヲコバン(○○○)ト云、一名梅首雞、〈仙臺〉形鳩鴿ノ如ク色黑クシテ光リアリ、觜上ヨリ目上ニ至マデ、紅色アリテ冠ノ如ク見ユ、初ハ靑クシテ後コノ色ニ變ズ、脚蹼ナクシテ、指最長シ、夏月食用ス、小バンヲ勝レリトス淸俗田雞ト云、臺灣府志ニコノ 名アリ、又舶來ノ靑雞、小バンノ形ニシテ大ナル者ナリ、大バン(○○○)ハコバンヨリ大ニシテ、全身黑ク頭毛短シテ色白シ、脚ニ蹼アリテ指濶ク、靑黑色ナリ、百鳥圖ニ骨頂ト云フ、〈○中略〉
方目ハオホバンナリ、形鵁鶄ヨリ大ニシテ、冠ノ處剃髮ノ痕ノ如ク、毛短シテ微シ低シ、喙淡赤色全體鼠色ニシテ褐色ヲ帶ブ、足ハ靑黑ニシテ蹼アリ、共ニ水鳥ニシテ夜啼クモノナリ、小バンハ其一種ナリ、
p.0631 鷭 鷭於二中華書一未レ見レ之、夏初在二澤邊一者有二大小之異一、其大者謂二大鷭一、又稱二水烏一、羽毛偏黑而風味麁惡也、其小者謂二小鷭一、又號二梅首鷄一、其頂有二赤毛點一故稱レ之、羽毛淡黑而兩脚淡黃、其味爲レ佳、是又夏初之珍味也、與等(ヨト)幷伏見澤多、一説中華所レ謂秧雞是也、
p.0631 水鳥類 田雞(ばん)〈本所ばんば〉
p.0631 河烏 山カハニアリ、其大サツグミホドアリ、黑シ、人ヲ見テ河ニシタガヒテ遠ク去、小兒ノ疳ヲ治スル妙藥ナリ、漢名未レ詳、
p.0631 河鴉 〈正字未レ詳〉
按河鴉大似二鸜鵒(ヒヨトリ)一而全體嘴脚共黑、深山谷川有レ之、飛不二甚高一、而捷速難レ捕、丹波及和州吉野山中多有レ之、又以二大鷭一爲二河鴉一、〈河鴉黑燒有下入二小兒藥一方上、用者宜レ選レ之、〉
p.0631 慈烏〈○中略〉
增、河烏ハ山中溪側ニアリ、慈烏ノ類ニ非ズ、黑色ニシテ大サツグミホドアリ、人ヲ見レバ流ニ從ヒ低ク飛テ遠ク去ル、小兒ノ疳ヲ治スル妙藥ナリ、先師コレヲ通雅ノ嚵鳥ニ充ツ、
p.0631 川烏の巢子飼立候事甚六ケ敷、立春三十日計も致候得者、早子者かへり候、川の岸の穴、又は川中の大石に穴ある處〈江〉巢を懸、其外瀧の落る脇抔〈江〉、石岸瀧水の露懸る所へ、巢を靑ごけを巢草にして巢組する也、巢より取揚十日計は日增に盛長いたし能く生立候得共、それより かごの内にて狂ひ出し、無體に籠のひごをかぞへ、口を不レ開、何れもわり餌にて三四日も飼候内、都而相落、勿論餌のかげんは色々手をかへ、虫の類種々、餌に生鱣等小海老等を飼候而も、一向ひとり餌迄は飼候事無レ之、熱氣の煩ひと思ひ、夜々泉水の中へ杭を立、それに籠を釣し留ても、又毎日日に三度計宛水をあびせ生立試候而も、皆々同じ煩にて巢より取揚、十日計にて巢數皆落候ゆへ、親鳥にて餌付飼より外はなきと思ひしに、然る所寬政九年午夏、江戸麹町の鳥やへ、駿河町田中屋善四郎と言者、川烏の巢子生立候持越、至宜敷飼立、餌もホトにして常の鳥のごとく、籠にて飼置候ゆへ、度々右の善四郎の旅宿へ參、川烏の飼立よふを習候得共不レ敎、依而拙旅館に相招、得と相賴、敎くれ候樣申候處、右善四郎も度々巢子を相落し、飼留メ候事不レ叶、夫より工夫にて鱣に十分餌を堅く合せ〈○中略〉丸め、夫にもくほうつきといふ虫を、丸めたる餌にぐる〳〵つけて飼しと也、是にて無口能生立上ルとの事を敎し也、
p.0632 唐韻云、 、〈他后反、漢語抄云、久呂止利(○○○○)、〉 黑色水鳥也、
p.0632 〈他口、大口二反、 永鳥クロトリ、シナハシラ(○○○○○)、〉
p.0632 廿一日、〈○承平五年正月〉うの時ばかりに船いだす、〈○中略〉くろとりといふ鳥、いはのうへにあつまりをり、そのいはのもとに、浪しろくうちよす、かぢとりのいふやう、くろ鳥のもとにしろきなみをよすとぞいふ、
p.0632 文應二年〈○弘長元年〉六月三日癸巳、申刻御所北對西端與二臺所東間一、海黑鳥(○○○)〈海鴨(○○)云云、又興允云云、其名非レ一、〉飛落、和泉前司行方郎從等獲レ之、卽被レ放二海邊一、 六日丙申、爲二和泉前司奉行一、昨鳥怪事、於二御所一被レ行二御占一、晴茂朝臣已下病事火事之由勘申、此鳥貞應元年四月、死寄二前濱腰越等一、同年八月、彗星出現云云、
p.0632 天保十五年二月、我亡父〈○本居内遠父大平〉の敎子なる、伊豫國宇和郡野田村にすめる、二神重兵 衞永世といふより、黑鳥の鹽漬にしたるをおくりおこせたり、此あたり〈○紀伊〉には見聞知らぬ鳥なれば、人々にも見せめではやすに、海邊などにをり〳〵行通ふ人のいへるは、こは本國にて磯鵯(イソヒヨ)と浦人などのいふ鳥の雌にいと能く似たり、されどそは足短きを、是は足いと長くて異なりといへり、まづ黑鳥といふ名、すべて鳥の黑きをいふやうなれど、さにはあらで一種の鳥名なり、土佐日記正月廿一日の所に、〈○中略〉其頃も黑鳥と云名あり、〈○中略〉亡父は敎子なる小原良直畔田伴存は、物產のまねびをたてゝする人なれば、もたせやりて見せたるに、良直はこれは秧鷄(クヒナ)の屬の形小なるにて漢名未考へず、四國九州邊にありて、くろ鳥といひて外に名なし、毒はなきものなり、痔疾などに用ゐる事あり、土佐日記和名抄などにも、名は見えたれど、形狀をいはざれば、それぞとは定め難しといひおこせたり、伴存よりも、これは漢名秧鷄なり、本草に肉味、甘温無レ毒、治二蟻瘻一とあり、四國の產の黑烏はヒクヒナにて、今鹽に漬たる故さは見えねど、生る時は、これよりやゝ足赤しと、いひおこせたり一〈○中略〉さて此鳥南方暖國にのみありて、海邊にすむと見ゆれど、うちまかせたる水鳥にてはなし、水面にはおりたゝずとおぼしくて、足に水かきはなし、〈○下略〉
p.0633 〈似醬反、桑飛、又巧婦、豆支(○○)、〉 䴈〈二字豆支、又云太宇(○○)、〉
p.0633 鳭 玉篇云、鳭、〈音嘲、和名豆木(○○)、〉赤喙自呼之鳥也、楊氏漢語抄云、紅鶴、〈和名上同、俗用二鵇字一、今按所レ出並未レ詳、〉日本紀私記云、桃花鳥、
p.0633 今本玉篇鳥部云、鳭鳭鷯、剖葦、似レ雀靑斑、居レ葦、卽上文所レ載蘆虎、此所レ引恐有レ誤、〈○中略〉按食物本草鷺條云、紅鶴、相類色紅、又毛詩正義引二陸璣一云、楚威王時有二朱鷺一、合沓飛翔而來舞、孔穎達曰、鳥名二白鷺一、赤者少耳、
p.0633 紅鶴〈ツキ、未レ詳、〉 鴾〈タウ ツキ〉 䳈鳵鴇〈二或二正、音保、大鳥、〉 鳲〈音尸、鳲鳩、布穀、コクツキ(○○○○)、〉 鳭〈音嘲、ソキ、〉
p.0634 鳭〈ツキ亦タウ〉 桃花鳥〈ツキ〉 紅鶴〈同〉 鴾〈同、俗用レ之、〉
p.0634 稻負鳥考〈○中略〉
按に鵇は字書どもに見えず、恐らくは鴇を鴾に譌り、再び鵇に譌れるなるべし、 䴈は字彙に烏老切、鳥名、龍龕手鑒に 正、烏老切、鳥名也、䴈或作と見えて、實は鴇(ツキ)とも決めがたし、 太宇はもし鳭の音か、或は豆岐を訛れるにも有べし、 鳭は今本玉篇を見るに、㨶丁幺切、又作幺切云々、又竹交切とありて、㨶字に作りたれど、宋本爾雅に、鳭鷯剖レ葦と見えたれば、鳭に作れるも譌りならじ、龍龕手鑒はた鳭と見えたり、但爾雅の郭璞註に、好剖二葦皮一、食二其中蟲一、因名云江東呼二蘆虎一、似レ雀靑斑長尾とあれば、こは鷦鷯〈サヽキ〉にて鴇には當らず、 紅鶴は所レ謂朱鷺にて、是はた鴇とせしは違へり、本草綱目卷四十七、水禽類鷺の註に見えたり、 桃花鳥は所出詳かならねど、鷦鷯を桃雀ともいふ事、本草綱目卷四十八、原禽類に見えたれば、是も夫等よりまぎれたる名ならん、但安寧天皇紀、諸陵式等に、桃花鳥田、垂仁宣化兩天皇紀に、桃花鳥坂とあるは、古事記中卷の衝田、神武天皇紀の築坂と同じければ、これを鴇としたる事も、いと古くよりのならひと見えたり、 䳈鳵鴇は實に同じかるべし、玉篇に鳵布老切、鳵性不レ止レ樹、 同レ上、集韻に鴇䳰䳈鴇、説文鳥也、肉出尺胾、或作二䳰䳈鴇一亦書作レ 、字彙に鴇博考切、鳥名、似レ鴈而大、無二後趾一など見え、本草も水禽類に載たれば、是ぞよく都岐には當れる、 鳲は鳲鳩にて鳩にて鳩類なれば、こは誤なる事いふまでもなし、 鴾は玉篇に、莫侯切、鴾母、卽䳺也、郭璞云、靑州呼二鴾母一とあれば、鶉ならん事慥なるを、其字體鴇に似たれば、おのづから譌れるなるべし、
p.0634 桃花鳥ツキ 日本紀に桃花鳥讀てツキと云ひけり、倭名抄には玉、篇を引て鳭はツキ赤喙自呼之鳥也、楊氏漢語抄の紅鶴、名上に同じ、俗に用二鵇字一、今按所出並未レ詳と註せり、鳭の字爾雅に鳭鷯といふ名は見えたれど、此にしてツキといふものとは見えず、〈○註略〉楊氏が云ひし紅鶴 は、食物本草に、紅鶴は鷺の類にして色紅、禽經所レ謂朱鷺是也と見えしもの卽是也、國吏に桃花鳥としるされしは、我國の方言に出しも知るべからず、鵇の字の如きは、我國の俗の創造せし所なるべし、ツキの義不レ詳、又俗にトキ(○○)と云ひしは、其語の轉なり、〈鵇の字年に從ふにはあらず、詩經に見えし鴇也といふ説あり鴇は今俗に野雁といふもの、紅鶴にはあらず、〉
p.0635 鳭〈訓二豆木一、或曰二登木(○○)一、〉
釋名紅鶴〈漢語抄〉 〈古俗〉桃花鳥〈日本紀私記、必大按、漢語言二紅鶴一者、李時珍所レ謂紅鶴、或曰朱鷺是也、 者古俗字、今亦用レ之、或馬色相似者亦號二鵇毛一、桃花鳥亦以二毛色相似一而名レ之、鳭、源順曰、玉篇云音嘲、赤啄白呼之鳥也、和名訓二豆木一、〉
集解、鳭似二白鷺一、無二冠毛一而帶レ紅翎莖最紅、能高飛、能宿レ水、能巢レ樹、能憇レ梢一能捕レ魚、其形態悉不レ殊二于鷺類一、其味雖レ美、有二臊氣一、煮レ之則脂肪如二紅玉之浮一レ水、故食レ之者少、亦不レ爲二上饌一、惟湖澤蘆荻之間偶見レ之、爲二佳麗之禽一、然欲レ畜レ之、全不レ知レ馴レ人也、
肉、氣味、甘微温無レ毒、主治、能調二婦人之血症一、
p.0635 鳭
注機曰、紅鶴相類色紅、禽經所レ謂朱鷺是也、本邦自レ古作二 字一、馬毛白而帶レ赤者號二 毛(ツキケ)一也、
p.0635 朱鷺 紅鸖 鳭〈音嘲〉 鴾〈所出未レ詳〉 唐鳥 桃花鳥〈日本紀私記、和名豆木、○中略〉
按、朱鷺〈俗云止木、一云唐烏、〉東北海邊多有レ之、似レ鷺而無二冠毛一帶レ紅、翎莖最紅、其觜黑長而末勾、頰亦有二紅色一、脚赤翅白皂色、能高飛巢レ樹宿レ水、肉有二臊氣一、
p.0635 鷺〈○中略〉
一種ツキ〈古名〉ハ一名トウ(○○)、〈同上〉トウノトリ(○○○○○)、トキ、桃花鳥〈日本紀〉ハナクタ(○○○○)、〈江州〉ダヲ(○○)、〈奧州〉是紅鶴ナリ、盛京通志ニ、紅牙背白翅微紅故名、其羽可レ作二箭翎一ト云モノ同物ナルベシ、形白鷺ニ似テ、頂ニ長毛ナシ、背ハ灰色、翅裏ノ羽淡紅色、翎莖最紅ナリ、飛ブ時下ヨリ望見レバソノ色美ハシ、羽ヲ楊弓ノ箭ニ 用ユ、常ニ深林ニ巢ヒ、朝ニ遠去テ申後魚ヲ含ミ歸ル、群鳴甚喧シ、聲烏鵶ノ如クシテ濁ル、棲トコロノ樹下草木生ゼズ、糞ニ毒アル故ナリ、
p.0636 神寶二十一種〈○中略〉
須我流横刀一柄〈柄長六寸、鞘長三尺、其鞘以二金銀泥一畫レ之、柄以二鴾羽一纏レ之、〉
p.0636 此むつるの兵衞尉懸矢をはがすとて、とう(○○)の羽を求けるが、不足しければ、郎等共に、もしや持たるとたづねければ、上六大夫といふ弓の上手聞て、此邊にとうやはみ候、見よといひければ、下人立出てみて、只今河より北の田にはみ候といふを聞て、則弓矢を取て出たるに、とう立て南へとびける、〈○中略〉
或所に的弓射けるに、晩に及ければ、明日や勝負すべきなど、人々いひける所、源三左衞門尉翔來りけり、〈○中略〉左衞門尉平助綱は、つや〳〵弓引はたらかす事叶はざりけるもの也けり、家の棟にとう(○○)の飛きてゐたりけるを、是はいむなる物をと思て、立出てみるほどに、下人左右なく弓矢をとりて、あたへたりければ、なほざりにとりて、いたりける程に、あやまたず射おとしてけり、
p.0636 長秀〈○小笠原〉其日出立、〈○中略〉 焦羽作矢(タフノコゲバニテハギタル)負者百人、〈○下略〉
p.0636 水鳥類 紅鶴(とき)〈千住〉
p.0636 鷗〈烏侯反、水鴞白佐支、又海加毛(○○○)、〉
p.0636 鷗 唐韻云、鷗、〈烏侯反、和名加毛米(○○○)、〉水鳥也、兼名苑云、一名江鷰、
p.0636 按玉篇、鷗、水鳥也、孫氏蓋依レ之、説文、鷗、水鴞也、山海經云、鷗水鷂也、吳都賦注、引二蒼頡篇一曰、鷗大如レ鳩、列子黃帝篇借二漚字一、李時珍曰、鷗生二南方江海湖溪間一、形色如二白鴿及小白鷄一、長喙長脚、群鷗耀レ日、〈○中略〉江鷰之名未レ聞、李時珍曰、江夏人譌爲二江鵝一、
p.0636 鷗〈音漚、水鳥、カモメ、〉 江䴏〈カモメ〉
p.0637 鷗(カモメ)〈日本所レ謂都鳥者歟〉
p.0637 鷗
かもめゐるふぢゑのうらや かまめ(○○○)〈かもめの事也〉 鷗うかぶ おきの鷗 鷗なく 鷗むれゐて
p.0637 鷗(カモメ)水鴞、鷖、並同、 江鷗(カハカモメ) 海鷗(ワミカモメ)
p.0637 鷗かもめ 中國にうはみ(○○○)と稱す、肥前にてねこどり(○○○○)又大雁(おほがん/○○)といふ、〈沖にすむ鷗は大なるもの也〉土佐國にてかごめ(○○○)共いふ、上總及武の品川にてうみねこ(○○○○)、本牧にて濱ねこ(○○○)とも呼ぶ、近江にて苗代鳥(○○○)、又ねこさぎ(○○○○)といふ、
鷗の鳴く聲猫のなくに似たり、故に異名とす、萬葉集に加萬目、又鴨妻と書り、鴨妻とは鴨のご とくにして、小(すこ)しきなるをいひしなるべし、一説に、沖にあるをかもめ、磯に集をいそちどり(○○○○○)、河 に詠合するを都鳥(○○)といふと、直龍翁の説なり、未レ詳、
p.0637 鷗カモメ 萬葉集には加萬目としるして、カマメと讀み、また鴨妻としるして、カモメと讀みけり、カマメといひ、カモメといふ、只其語の轉ぜしにて、異れる物とは見えず、カモメといふ義の如きは不レ詳、〈カモメとは、卽鴨妻の義にて、鴨の如くにして小しきなるをいひしなるべし、〉
p.0637 鷗(ヲウ)〈○中略〉元升、〈○向井〉曰、余長崎海邊ニテ海鷗ハ常ニ目ナレヌ、其形狀ハカモニ似テ、毛ナミフクヤギ、色白クシテ雪ノ如シ、カモヨリホソク頸長カラズ、喙ト脚トモ長カラズシテ色赤シ、常ニ海上ニアリテ浪ト淨遊ス、時ニ洲渚島嶼ニ休ス、飛コト急々ナラズ、其性靜也、或人曰江州湖水邊ニ鷗アリ、常ニ田澤中ニアリ、其色蒼黑ニシテ脚アカシ、海鷗湖鷗ノカハリナルニヤ、
p.0637 鷗〈和名訓二加毛米一〉
集解、鷗者輕漾如レ漚、海者曰二海鷗一、江者曰二江鷗一、湖河溪川亦居、然非下不レ通二江海一處上而居者少矣、頭背灰白、 腹白觜脚紅、毎群二集漁浦一、以貪二腥鮮一而喧躁、不レ然則汎二泛于萬里淸波一、閑如レ忘レ機、江東最多、人未レ食レ之、又一種有二大鷗者一、其羽翮黑白相交作レ斑、取レ之造二翫器一、南海間有レ之、
p.0638 鷗
鷗之形色華和相同、然輕漾隨レ潮往來、或沙上閑眠、則有二忘機靜盟之心一也、在二其漁浦一與二鳥鳶一爭レ腥、則不レ殊二鷺鷀之貪性一耳、
p.0638 鷗 カモメ〈萬葉集〉 カマメ〈同上〉 ナハシロドリ〈江州〉 ミヤコドリ〈伊勢物語〉 一名、漚烏〈列子〉 白鷗〈楊州府志〉 婆娑兒〈淸異錄〉 忘機友〈花鳥爭奇〉 知機叟〈事物異名〉 江鷹〈訓蒙字會〉 閑客〈潛確類書〉
江湖ニ多シ、常ニ漁浦ニ群聚シ魚ヲ貪リテ喧シ、網ヲヒク時、魚ノ水上ニ跳上ルモノヲ接シ食フ、形鳩ヨリ大ニシテ觜尖リ長シ、脚ト共ニ赤色ナリ、頭背灰色腹白シ、家庭ニ畜ヒ、乾小魚ヲ食シムレバ善ク馴ル、然ドモ夕ニ至リテ自榯ニ入ルコトヲ解セズ、是江鷗ナリ、海鷗ハオホカモメ、一名ウミカモメ、コブ、〈佐渡〉ゴメ、〈奧州〉カゴメ、〈土州〉オホガン、〈肥前〉ネコドリ、〈筑前〉ウハミ、〈中國〉ネコサギ、〈筑後〉ウミネコ、〈上總〉ハマネコ、〈武州本牧〉シホコヒドリ、〈豫州〉是海中ノカモメナリ、形江鷗ヨリ大ニシテ茶褐色、又黑白斑駁ナル者アリ、潮來ル時必群飛シテ鳴ク、ソノ聲コブ〳〵ト聞ユ、潮ヲ呼ノ意ニテ、シホコヒドリト云フ、海鷗一名海猫兒、〈訓蒙字會〉隨波海翁、〈名物法言〉碧海舍人〈典籍便覽〉潮 、〈廣東新語〉一種ワシカモメハ、形鷗ヨリ大ナリ、白灰色ニシテ黑斑アリ、目觜脚其ニ黃色、翅ハ灰白色ニシテ端黑シ尾ハ長クシテ白色、首ハ鷲ニ似タリ、一種大灘カモメハ大鳥ナリ、翼ヲ張レバ六尺許アリ、目ハ黃赤色、觜ハ同色ニシテ靑ヲ帶ブ、末曲リテアイサノ觜ノ如シ、脚ハ黃黑色、三指ニシテ蹼アリ、頭ハ黃色、胸腹ハ白色
p.0638 鷗(カモメ) 鷗たゞあまく毒なしかはきとめおもはず物にくるふにぞよき
p.0639 天皇〈○舒明〉登二香具山一望レ國之時御製歌
山常庭(ヤマトニハ)、村山有等(ムラヤマアレド)、取與呂布(トリヨロフ)、天乃香具山(アメノカグヤマ)、騰立(ノボリタチ)、國見乎爲者(クニミヲスレバ)、國原波(クニバラハ)、煙立籠(ケムリタチコメ)、海原波(ウナバラハ)、加萬目(カマメ/○○○)立多都(タチタツ)、何怜國曾(ウマシクニゾ)、蜻島(アキツシマ)、八間跡能國者(ヤマトノクニハ)、
p.0639 承和元年二月辛未、是夕當二于禁中之上一、有二飛鳴者一、其聲似二世俗所レ謂海鳥鴨女(○○)者一、其類數百群、或言非二海鳥一、是天狐也、宿衞人等、仰レ天窺望、夜色冥朦、唯聞二其聲一、不レ辨二其貌一焉、
p.0639 安和元年四月一日癸丑、午刻鷗數百群飛、宮中羯鳴、向レ北往、
p.0639 紀伊國
きのくにの、きのくにや、しらゝの濱に、眞しらゝの濱に、おりゐるかもめ、はれ、その玉もてこ、かぜしもふいたれば、なごりしもたてれば、みなぞこきりて、はれ、その玉見えず、
p.0639 はまなのはしよりみわたせば、かもめといふ鳥、いとおほくとびちがひて、水のそこへもいる、岩のうへにもゐたり、
かもめ居る洲崎のいはもよそならず浪のかけこす袖にみなれて
p.0639 水鳥類 鷗〈隅田川みやこ〉鳥也
p.0639 鷗(カモメ)〈日本所レ謂都鳥(○○)者歟〉
p.0639 城鳥 すみだがはならでも、たゞ京近き河にも有、白鳥のはしあしあかきなり、
p.0639 城鳥
すみだ河によめり〈又すみだ河ならでも、只の河にもあり、白鳥のはしと足あかき也、〉 堀江にもよめり〈ふなきほふ堀江の河のみなぎはにさゐつゝなくにみやこ鳥かも〉 わだのみ崎にも みなぎはさらぬみやこ鳥 城鳥聞もしられぬ音をぞなく
p.0639 與淸按に、都鳥の説あまたあれど、契冲阿闍利、季吟法印、眞淵翁などの伊物 の注に、鷗といはれしが、千古不易の確論なるべし、〈○中略〉さて都鳥のミヤは聲によりておほせ、コドリはよぶこどり、みさごどりなどの小鳥に同じく、大鳥に對へし稱なり、
p.0640 鷗
都鳥ハカモメノ屬ナリ、ソノ名始ヲ萬葉集ニ出ヅ、又伊勢物語ニモ見ヘタリ、コレニ數説紛紛タリト雖ドモ、阿州ニテ都鳥ト云ヒ、紀州ニテ紅カモメト呼モノヲ眞物トスベシ、春月ハ香魚(アユノ)子ヲ追テ、潮ノ往來スル川上ニ登リ、水邊沙上ニ群ヲナス、形鷗ニ似テ背ハ灰色ヲ帶ビ、腹ト翼下ハ白色ナリ、故ニ飛ブ時ハ白ク見ユ、捕へ見レバ紅色ノウツリアリテ、至テ美麗觀ルニ堪ヘタリ、伊勢物語ノ文ニ能合ヘリ、又淸ノ周櫟園ガ閩小紀ニ、蒲田九鯉湖中歐作二粉紅一、色矯艶異常ト云ヘルモ此屬ナルベシ、ミヤコドリハ鷗ト雜リ居ル者ナレバ、鷗トヒロク見ル説モ穩ナレドモ、鷗ハ古ヨリカモメト云和名アリテ、都鳥トハイハズ、形狀ベニカモメニ似タレバ、卽都鳥ナルコト疑ナシ、和歌者流秘事口傳ナドコトゴトシク云故ニ、今詳ニ辨ズト、桃洞遺筆ニ見ヘタリ、
p.0640 布奈藝保布(フナギホフ)、保利江乃可波乃(ホリエノカハノ)、美奈伎波爾(ミナギハニ)、伎爲都々奈久波(キイツヽナクハ)、美夜故杼里香蒙(ミヤコドリカモ)、
右三首江邊作レ之〈○作者大伴宿禰家持〉
p.0640 なぎさより、都鳥つらねてたつをりに、はまちどりの、こゑ〴〵なくをきゝて、あるじの君、
みやこ鳥ともをつらねてかへりなばちどりははまになく〳〵やへん、しゞうわか君をばまさになどて、
くもぢをばつらねてゆかんさま〴〵にあそぶ千鳥のともにあらずや、少將、
都鳥千鳥をはねにすゑてこそはまのつとゝて君にとらせめ、ゆきまさ、
きみとはゞいかにこたへん濱にすむちどりさそひにこしみやこ鳥、などて一夜あそびあか す、
p.0641 むかし男ありけり、〈○中略〉あづまのかたにすむべき所もとめにとてゆきけり〈○中略〉むさしの國と、しもつふさの國とふたつが中に、いとおほきなる河あり、その河の名をばすみだ川となむいひける、その河のほとりにむれゐておもひやれば、かぎりなくとをくもきにけるかなとわびをれば、わたしもりはやふねにのれ、日もくれぬといふに、のりてわたらんとするに、みな人物わびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず、さるおりしも、しろき鳥のはしとあしとあかきが、しぎのおほきさなる、水のうへにあそびつゝいをゝくふ、京には見えぬとりなれば、人々みしらず、わたしもりにとへば、これなん都鳥と申といふをきゝて、
名にしおはゞいざことゝはん都鳥我思ふ人はありやなしやと、とよめりければ、舟人こぞりてなきにけり、
p.0641 いづみへくだり侍けるに、よる都鳥のほのかになきければ、よみ侍ける、
和泉式部
ことゝはゞありのまに〳〵みやこ鳥都のことを我にきかせよ
p.0641 院御隨身右府生秦賴方、みやこどりを或殿上人にまいらせたるを、成季にあづけられて侍り、くゐ物などもしらで、萬の虫をくはせ侍も、所せく覺へてゆゝしきものかいなるによりて、小田河美作茂平がもとへやりてかはせ侍しを、建長六年十二月廿日、節分の御かたゝがへのために、前相國〈○藤原兼經〉の富小路の亭に行幸なりて、次日一日御逗留ありし、相國みやこ鳥をめして叡覽にそなへられけり、返歌つかはすとて、少將内侍紅のうすやうに歌を書て、鳥につけて侍ける、
春にあふ心ははなのみやこどりのどけき御代のことやとはまし、おとゞ又女房にかはりて、 檀紙にかきておなじくむすびつけゝる、
すみだ川すむとしきゝしみやこ鳥けふは雲井のうへに見るかな、此事兼直宿禰つたへ聞て、本主に申こひて見侍て返すとて、
都鳥芳名、昔聞二萬里之跡一、微禽寄體、今遂二一見之望一、畏悦之餘、謹述二心緖一而已、
前三河守ト部兼直上
にごりなき御代にあひみるすみだ川すみける鳥の名をたづねつゝ
p.0642 廿日、〈○中略〉鳴海の潟を過るに、しほひのほどなれば、さはりなくひかたを行、〈○中略〉すみだ川のわたりにこそありときゝしかど、みやこどりといふ鳥の、はしとあしとあかきは、此うらにもありけり、
ことゝはんはしとあしとはあかざりしわがすむかたのみやこどりかと
p.0642 十月〈○文明十八年、中略、〉隅田川のほとりにいたり、〈○中略〉猶ゆき〳〵て川上にいたり侍りて、都鳥たづね見むとて、人々さそひけるほどに、まかりてよめる、
ことゝはむ鳥だに見えよすみだ川都戀しと思ふゆふべに
思ふ人なき身なれども隅田川名もむつましき都鳥哉
p.0642 寬保のはじめ、冷泉大納言爲久卿參向ありし時、靈元上皇うち〳〵御所望ありしは、都鳥の事古説分明ならざれば、叡覽有たしとなり、公〈○德川吉宗〉聞召れ、都烏は墨田川にのみすめるものゝやうにいひ傳ふるといへども、實は今も彼所に多く群ゐる鷗の事をいひしなるべし、鐵砲にて打とり、其さまをよく〳〵うつして、爲久にみすべしと仰ありしかば、小納戸松下伊賀守當恒うけたまはりて、たゞちに墨田川にゆき、綾瀨のほとりにて、大小の鷗ふたつ打取て來りしを、岡本善悦豐久〈同朋格〉に、其眞をうつさせ、爲久卿の旅館に賜りぬ、其後成島道筑和 歌の事により、かの旅館にまゐりしついで、家司中川右近淸基に逢て、かの都烏はその日たゞちに鐵砲にて打ころし、露たがはず寫して進らせられしなりとかたりしかば、爲久卿はさらなり、同じく參向ありし賴胤卿をはじめ、つきそひきたりし京人までも、これをきゝ舌をふるつて、武備おごそかなるを畏れしありさまなりとぞ、のち爲久卿、巨勢大和守利啓について、謝恩の和歌をたてまつらる、
都鳥うごくばかりのうつし繪にこめけむ筆の心をそしる
p.0643 鴴〈チトリ〉
p.0643 千鳥(チドリ)
p.0643 千鳥〈冬の物也、但秋にもよめり、〉
さ夜千鳥 友千鳥〈友まとふなども、又ともよびかはしなども、〉 ともなし千鳥 むら千鳥 河千鳥 浦千鳥 はま千鳥 ゆふ千鳥 夕なみ千鳥〈なゝくなと云り〉 いそ千鳥〈又さしでのいその濱千鳥共云り〉 なく千鳥の聲〈○註略〉 あかしの浦によめり 千鳥のあそぶさほ河 すたく千鳥〈集也〉 河千鳥すむ澤〈萬〉 島わたれ〈渡也〉 なぎさにきゐる夕千鳥 ともよばふ千鳥 千鳥足 島千鳥 さ夜千鳥とをよる奧 やちよと鳴 千鳥ともくして むれゐる千鳥
p.0643 鷗カモメ〈○中略〉 其類にして小なる潮に隨ひて、往來ふものを千鳥といふ、此物の名は火火出見尊の御歌にも見えて、万葉集には、乳鳥とも知鳥とも智鳥ともしるせり、其義不レ詳、〈海物異名記に、鷗の別類、群鳴喈喈隨レ潮、謂二之信鷗一と見え、泉州府志に、質小而輕迅、謂二之信鳥一と見えて、李東璧本草には、信 と云ひしもの、卽此にチトリといふ是也、チトリとは其群の多きをいふ事、猶百千鳥などいふ事の如くなるべし、〉
p.0643 鴴〈訓二知止利一〉
釋名、千鳥、〈俗稱、鴴、字書曰、音衡、 鳥又飛鳥未レ詳、千鳥者此鳥百千爲レ群、飛二鳴于水上一故名、歌人用二此名一、萬葉集作二乳鳥一、又作二智鳥一、此皆據レ音製レ字乎、〉 集解、鴴、類レ鴫似二脊令一而微小、頭蒼黑頰白、眼後有二黑條一、背靑黑翅黑、倶無二斑紋一、腹白胸黑、嘴亦蒼黑、尾短略黑、脛黃靑而細長、百千成レ群、飛鳴呼レ侶、常居二江海川澤之邊一、冬月最多、故歌人詠二寒夜之悲鳴一也、其味最美、而供二上饌一、通俗以二形味之相似一、爲二鴫之種類一、亦可也、一種有下頭背翅倶黑、腹白尾黑似レ燕有レ岐、或如二飛魚之尾一者上、常群二飛于江上一、身輕翔 如レ流、甚迅疾如レ不レ能レ見、亦稱二千鳥一、播之海上、遠之江中、毎多有レ之、剪レ紙作レ片、以擲二于彼一、則喜飛而弄レ之、其氣味未レ詳、
肉、氣味、甘温無レ毒、主治、能補二氣血一、
p.0644 鴴〈音衡〉 千鳥〈俗、萬葉集爲二乳鳥一、又爲二智鳥一、○中略〉
凡鴴種類甚多、〈有二四十八品一云〉皆有二少異一、蓋諸鳥脚三指皆有レ前、杜鵑三指前二後一、鴴四指前三後一、唯此二物異二他鳥一矣、
p.0644 千鳥〈歌書〉 古歌に千鳥と詠るは、諸鳥の群を指して云、又川風寒み千鳥鳴くなりとよみしは、江河の鳥を云といふ説あれども、古人は其鳥の事にあづからず、只意を寄るのみなり、又鴴の字を用るは、今の江河の千鳥を云物なり、此鳥の水邊を行歩する事、其波の去來に隨て歩むより出たるなり、俗に是を千鳥歩みと云も、此鳥の行歩より出たる語なり、鴴の字は字書に荒鳥又飛鳥とありて、此鳥の名とするに明しがたし、又冬燕に當つ、これも據なし、則鶺鴒の一種なるべし、諸州とも海邊及池沼の邊に來る、其形白鶺鴒に似て尤も大に、背上は灰色にて、腹は白し、尾短く觜黑く細長し、足は至て高く、其歩む事人の行歩を移すが如し、冬夜飛て啼く、甚寒郷の意ありて靜なり、五月に水上の藻中に巢を作りて卵をなす、雛を取て虫飼にて飼ふべし、折々聲を出すことの水邊にて鳴がごとし、常に片足を擧て獨足鳥のごとし、飼法虫飼にて鶺鴒の類のごとし、
p.0644 鴴(チドリ) 千鳥冷久しき泄痢とまりかね小便しぶり足のはるゝに 千鳥よく五疳の藥精をます久敷行歩叶はぬによし
p.0645 此八千矛神、將レ婚二高志國之沼河比賣一幸行之時到二其沼河比賣之家一、歌曰、〈○歌略〉爾其沼河比賣、未レ開レ戸、自レ内歌曰、夜知富許能(ヤチホコノ)、迦微能美許等(カミノミコト)、奴延久佐能(ヌエグサノ)、賣邇志阿禮婆(メニシアレバ)、和何許許呂(ワガコヽロ)、宇良須能登理叙(ウラスノトリゾ)、伊麻許曾婆(イマコソバ)、知杼理邇阿良米(チドリニアラメ)、能知波(ノチハ)、那杼理爾阿良牟遠(ナドリニアラムヲ)、伊能知波(イノチハ)、那志勢多麻比曾(ナシセタマヒソ)、伊斯多布夜(イシタフヤ)、阿麻波世豆逗比(アマハセヅカヒ)、許登能(コトノ)、加多理碁登母(カタリゴトモ)、許遠婆(コヲバ)、
p.0645 宇良須能登理叙(ウラスノトリゾ)は、浦渚之鳥(ウラスノトリ)ぞなり、萬葉六〈四十六丁〉に、汭渚爾波千鳥妻呼(ウラスニハチドリツマヨビ)〈○註略〉とよめる類を云、又七〈十四丁〉に、圓方之(マトカタノ)、湊之渚鳥(ミナトノスドリ)、浪立已(ナミタテハ)、妻唱立而(ツマヨビタチテ)、邊近著毛(ヘニチカヅクモ)、十一〈四十三丁〉に、大海之(オホウミノ)、荒磯之渚鳥(アリソノスドリ)〈○中略〉これらの渚鳥(スドリ)は、一ツの鳥ノ名の如くも聞ゆれど、〈みさごのことなりといふは、推當の説なるべし、〉今此の歌ノ詞と照して見れば、たゞ洲(ス)に在ル鳥なるべし、〈○中略〉伊麻許曾婆(イマコソハ)、知杼理邇阿良米(チドリニアラメ)、〈○註略〉千鳥は、書紀瓊々杵尊の大御歌にも、播磨都智耐理(ハマツヂドリ)とよみ賜ひ、日代宮段歌にも見えて、古歌に常多くよめる鳥なり、〈然る在字鏡にも和名抄にも、此鳥の見えぬはいぶかし、〉さて此は上の浦渚(ウスラ)の鳥ぞを承たるなれば、今こそは浦渚ノ鳥ならめと云意なるを、歌の調さは云難き故に、言をかへて千鳥とは云り、
p.0645 一書曰、〈○中略〉豐吾田津姫恨二皇孫一〈○彥火瓊瓊杵尊〉不二與共言一、皇孫憂レ之、乃爲レ歌之曰、憶企都茂幡(オキツモハ)、陛爾幡譽戻耐母(ヘニハヨレドモ)、佐禰耐據茂(サネドコモ)、阿黨播怒介茂譽(アタハヌカモヨ)、播磨都智耐理譽(ハマツチドリヨ)、
p.0645 爾大久米命、以二天皇之命一、詔二其伊須氣余理比賣一之時、見二其大久米命黥利目一而、思奇歌曰、阿米都々(アメツヽ)、知杼理麻斯登々(チドリマシトヽ)、那杼佐祁流斗米(ナドサケルトメ)、
p.0645 於レ是化二八尋白智鳥一、翔レ天而向レ濱飛行、〈智字以レ音〉爾其后及御子等、於二其小竹之苅 一、雖二足䠊破一、忘二其痛一以哭追、此時歌曰、〈○中略〉又飛、居二其磯一之時歌曰、波麻都知登理(ハマツチドリ)、波麻用波由迦受(ハマヨバユカズ)、伊蘇豆多布(イソヅタフ)、
p.0645 此御歌は、先濱つ千鳥とは、下に濱云々、磯云々を云む料に、かの白智鳥を、千鳥 に譬へてよみ賜へるなり、千鳥は、濱磯にむねと在る鳥なればなり、〈されば、此歌に依て、彼白智鳥を千鳥ぞと心得るは非なり、彼鳥、千鳥なる故に如此よみ給へ るには非ず、彼白智鳥は、何れの鳥にまれ、此はたゞそを千鳥に譬へたるなり、よくせずにまぎれぬべし、〉
p.0646 柿本朝臣人麻呂歌一首
淡海乃海(アフミノウミ)、夕浪千鳥(ユフナミチドリ)、汝鳴者(ナガナケバ)、情毛思努爾(コヽロモシヌニ)、古所念(イニシヘオモホユ)、
長屋王故郷歌一首
吾背子我(ワガセコガ)、古家乃里之(フルヘノサトノ)、明日香庭(アスカニハ)、乳鳥鳴成(チドリナクナリ)、島待不得而(シママチカネテ)、
p.0646 十二日、〈○天平勝寶五年正月〉侍二於内裏一聞二千鳥喧一作歌一首、
河渚爾母(カハスニモ)、雪波布禮々之(ユキハフレヽシ)、宮之裏(ミヤノウチニ)、智杼利鳴良之(チドリナクラシ)、爲牟等己呂奈美(イムトコロナミ)、
p.0646 題しらず 貫之
おもひかねいもがりゆけば冬の夜の川かぜさむみちどりなくなり、
紀友則
夕ざればさほの川原の河霧にともまどはせる千どりなく也
p.0646 鳥は
川ちどりは、友まどはすらんこそ、
p.0646 廿日、〈○中略〉鳴海の潟を過るに、しほひのほどなれば、さはりなくひがたを行おりしも濱千鳥いとおほくさき立て行も、しるべがほなる心ちして、
濱千鳥なきてぞさそふ世中にあとゝめんとはおもはざりしを
p.0646 太田左衞門持資は上杉宣政の長臣也、〈○中略〉宣政下總の廳南に軍を出す時、山涯の海邊を通るに、山ノ上より弩を射かけられんや、又潮滿たらんやはかりがたしとてあやぶみける、折ふし夜半の事なり、持資、いざわれ見來らんとて馬を馳出し、やがて歸りて、潮は干たりといふ、い かにしてしりたるやと問ふに、遠くなり近くなるみの濱千鳥鳴音に潮のみちひをぞしるとよめる歌あり、千鳥の聲遠く聞えつといひけり、
p.0647 萬葉集に、出雲守門部王思京歌、
飫海乃(オウノウミノ)、河原之乳鳥(カハラノチドリ)、汝鳴者(ナガナケバ)、吾佐保河乃(ワガサホガハノ)、所念國(オモホユラクニ)とあり、和名抄に出雲國意宇郡〈國府〉とあり、この時世の王政は郡縣なれば、門部王出雲の任に往きて、奈良の京を懷ふてよみ給へるなれば、歌の心自ら明らかなり、されば先年出雲松江の大守疾篤きとて、京醫畑柳安法印を招て治せしむ、法印松江に滯留間、種々の饗應ありし中に、ある夜庭前沙上にて千鳥を鳴かせきかさんとて、數千羽の千鳥を庭上に放ちて啼さしめ給ふ、古今の佳興いふべくもあらぬ嘉饗にてありしよしなり、是珍しき饗應のみにあらず、深き趣ありてなり、出雲の洲には古くよりこのごとく千鳥をよみて旅況によせた古實に愜ひて風流の趣、文雅の趣、まことに嘆賞すべき事にてありし、
p.0647 水鳥類 信鳥(ちどり)〈をきのかもめ(○○○○○○)ともいふ、佃島、洲崎、中川邊、〉
p.0647 百鳥譜 支考
星月夜のおぼつかなき比は、磯のちどりのおほくあつまりゐて啼は、心もきゆべくてかなし、ただ人の別墅なる所に、水の湛もいと淺くて、晝は來馴てあそぶらん、戸などかゐやりたる音に驚て、忽二三聲のすみ行は、其あとも遙に見送られて、河風寒しと思ひ出たるは、またるゝ人もなくて何にかはせむ、
p.0647 鴪(ウトフ)〈未レ詳〉善知(同)鳥
p.0647 やすかた(○○○○)
子をおもふ涙の雨の笠の上にかゝるもわびしやすかたの鳥、太神宮へ勅使下てうとふやすかたと云鳥を取て、三角柏と云樋に備て、神供にたてまつると也、此鳥取物は䒾笠をきてとる也、其 故はすなの中に子をうみてかくしたるを、母鳥のうとふがまねをして、うとふ〳〵とよべば、やすかたと云てはい出るを取と也、其時母空にかなたこなたへつきありきて、鳴涙雨のごとくにちにてふる間、其涙かゝりて身のそんずる故に、みのかさをきる也旬
p.0648 善知鳥(ウトフ) 若水曰、奧州ノ津輕外(ソト)ノ濱ノ邊ニ多シ、其形バンニ似テ咮(クチハシ)脚モバンニ似タリ、頭ハ ノ如シ、嘴ノ上ニ肉角アリ、赤色也、脚赤シ、背ノ毛淡黑、腹ノ毛白色、是バンノ類ナルベシ、漢名未レ詳、善知鳥ハ國俗ノ所レ稱ナリ、
p.0648 善知鳥 〈正字未レ詳 俗云宇止布〉
按善知鳥鷗之屬、形色似レ鷗而觜黃末勾、脚淡赤色、奧州卒土(ソト)濱有レ之、特津輕安潟浦邊多、
信 本綱、鷗之屬、隨レ潮而往來、謂二之信 一、
按隨レ潮來往形小二於鷗一、脚赤觜末亦微赤者、俗呼曰二由利鷗一、恐是信 矣、善知鳥亦近二于此一、
p.0648 善知鳥 津輕靑森村安方町有レ池、池中有レ鳥、狀如レ鳥、而翅黑腹下白嘴赤色、且尖脚長四五寸色黃、名レ之曰二善知鳥一、其聲如レ云二烏登宇一、故得レ名、俗間謠曲有二善知鳥謠一、卽指二此物一也、
p.0648 多湊(さはと)ぶり
佐渡國雜太郡相川の鎭守を善知鳥大明神ト號す、〈祠官市橋撮津〉神明春日の兩社同所に相並て立せ給ふ、これを相川の三社と稱せり、土俗の説に、善知鳥の神社は周景王のおん女を祭るといへり、〈○中略〉祭る神こそ定かならね、善知鳥は出崎といふがごとし、陸奧の方言に、海濱の出崎をうとふといふ、外濱なる水鳥に、觜は大くて眼下肉づきの處、高く出たるあり、故にこれをもうとふといふ、彼鳥の觜に喩て出崎をうとふといふか、出崎に比て彼鳥をうとふといふ歟、何にまれさし出たる處をうとふといふは、東國の方言なり、美濃の御嶽驛の東にうとふ村あり、信濃にうとふ坂あり、いまは鳥頭と書、これらみなさし出たる處なれば、うとふといふなるべし、さてうとふを善知 鳥と書よしは、此鳥甚しく人をおそれ、又よくその友を愛す、もしその一隻を獵師に捕るゝことあれば、もろ鳥そのほとりを翔めぐりて鳴こと甚く、涙を落す事雨の如しとなん、故に善知の二字を當たる歟、又鴧とも書り、その義詳ならず、予〈○瀧澤解〉曩に善知鳥の寫眞一張を獲たり、そのゝち又善知鳥の腸を脱て、乾たるを見しに、前に獲たりし圖と大かた違ず、鳥の大サ小鴨に類して、羽はうす黑色なり、羽の色すべて雉子鴿といふものに似たり、觜は太くして前尖り、横に 如レ此に陷たる處ありてすぢの如し、觜よりつゞきて、眼下肉づきの所高くさし出たるが、その色本は薄紅、すゑは黃に黑色を帶たり、鵞にすこし似たるやうなれども、大に同じからず、眼下に白毛垂て髯の如く、足に水搔ありて、腹はすこし白し、水鳥の足は大かた後へよりてつくものなれど、この鳥はわきてその足臀にありて尾はいと短し、今つばらにこゝに圖す、〈○圖略〉舊説に、善知鳥は親をうとふといひ、子をやすかたといふといへり、一書に、此鳥砂中にかくして子をうむなり、獵師おやのまねをしてうとふ〳〵といへば、やすかたとこたへてはひ出るといへり、これによりて、みちのくの外が濱なるよぶ子鳥なくてふ聲はうとふやすかた、といふ歌はいできにたれと、いとおぼつかなきことなり、この鳥は、荒磯の中にて、安かるべき干潟をたづねて子をうむゆゑに、親を出崎に比てうとふといひ、子を干潟に喩てややすかたといふといはゞ、おだやかに聞ゆべし、しかれども邊境近塞のことは、傳聞の悞多かり、今推量をもて説べからず、秘藏抄に、
ますらをのえむひな鳥をうらふれて涙をあかく落すよな烏
これによりて、善知鳥の異名を、よな鳥といふ、その子をえむひな鳥といふよし、注に見えたり、これ又悞なるべし、一書に、これをことわりて云、えんひな鳥とは、その名にはあらじ、將レ獲雛の義歟、しからずばますらをのえんひな鳥とつゞくこといかゞ、よな鳥のなは助字にて、涙をあかくおとすよ鳥とよめる歟、只うとふのことを詠るのみにて、異名にはあらざるべしといへり、又一説 に、よな鳥は善知鳥の異名なり、この鳥、子を捕られ、友をとらるゝときは、必よゝとなく故に、よな鳥といふといへり、人のかなしきにこそ、よゝともなかめ、鳥のかなしむ時、よゝとなくといふは、いよ〳〵受がたき事なり、むかしより外が濱にては、うとふとも呼つらめ、みやこ人はその名だにしかとしらざる鳥にやありけん、なほ考ふべし、
p.0650 慶長十二年六月、宇都宮主奧平大膳大夫家綱ヨリ、善知鳥ト云鳥ヲ、父美濃國加納奧平美濃守信昌エ進獻、此鳥謠ニ有間、日來有二見物一度ト依二存分一如レ此、前ヨリ鹽ニ漬來、彼鳥ノ體、觜ハ鴴ノ箸ノチイサキ物也、頭ハ猪ノシカリ毛ノ如シ、トサカ有レ之、水鳥ノ如シ、水カキ有、但カケ爪ナシ、鳥ノ大サハアヂト云水鳥ノ少長キ物也、生タル時鳴聲千鳥ノ聲ノ高キ物也ト云々、子ヲ平砂ニ生捨ケルガ、我トソダチケルト也、生立ケレバ親ヲ養アルト也、此レ善知鳥也、
p.0650 善知鳥
〈後シテ下〉陸奧の、そとのはまなる、よぶこ鳥、なく成聲は、うとふやすかた、〈○中略〉 〈上シテ〉中に無慙やな此鳥の、同をろかなるかなつくばねの、木々の梢にもはをしき浪のうきすをもかけよかし、平砂に子をうみて落雁の、はかなや親はかくすと、すれどうとふと呼れて子はやすかたと答へけり、
p.0650 信天翁(アホウドリ/ライ)〈一名漫畫、見于潛確類書一、〉
p.0650 信天翁らい 九州にてらい(○○)と云、土佐國にてとうくらう(○○○○○)と呼、丹後にてあほう烏(○○○○)と云、長門國にては沖のたゆふ(○○○○○)と云、〈此鳥うす靑く白し、觜長く脚赤し、海邊にあり、〉
p.0650 信天翁(ライ) 鷗ニ似タリ、淡靑白色ニシテ喙長ク少ソレリ、脚赤シ、海邊ニアリ、雁ヨリ大也、〈○中略〉本草綱目鵜鶘ノ集解ニ信天翁ト云者卽是也、食ヲ不レ貪鳥ナリ、又漫畫ト云鳥アリ、終日食ヲ求メ貧ル、此二物其性貪廉異リ、潛確類書、事言要女、群談採餘、琅瑘代醉等ニモノセタリ、ライ ハ、一名信天緣ト云、此鳥羽ヌクル時アリ、飛事アタハズ、往々人ノタメニ得ラル、又食ヲ求ルコトアタハズ、故ニウエテ死ス、味不レ好、陶九成錄、 漠二州之境、塘濼之上、有二禽二種一、其一類レ鵠、色正蒼而喙長、凝二立水際一不レ動、魚過二其下一則取レ之、終日無レ魚亦不レ易レ地、名曰一信天緣、其一類レ鶩奔一走水間腐草泥沙一、唼唼然盡レ索乃已、無二一息少休一、名曰二漫畫一、信天緣若二無レ能者一、乃與二漫畫一均度一日無二饑色一、而反加二壯大一、二禽禀レ性不レ同如レ此、或曰泥 (ドロガモ)、ウカル、觜廣(ハシヒロ)、此三種皆 ノ類ナリ、終日食ヲ求テ不レ休、漫畫ハ此内ノ一種ナルベシ、
p.0651 シラブ(○○○)ハ沖ノカモメ、又馬鹿鳥(○○○)トモ云、南海ニ多住ムヨシ、鳥ノ形大ヒニシテ、羽ヲ廣グレバ六尺餘モアリテ、シラブハ白ク、クロブ(○○○)ハ黑シ、此ノ島ノ辰巳ニ當リ無人島アリ、其島ニ多クスムヨシ、先年松兵衞ト云船乘漂流シテ其島ニ著タリ、再ビ國地へ出ントテ小舟ヲ作リ乘出シ靑ケ島ニ著ス、船夫ヨリ島へ渡リ物語セシヨシ聞傳フ、此鳥ノ味ヒ愚〈○大村某〉モヨクシレリ、鷄ノ如クニシテ惡シキニホヒアリ、骨ハカタク食シガタシ、或云、是ハ唐山ニテ信天翁ト云モノニテ、方言澳ノホウコラウトモ云ヘリ、肉ニ毒アルモノナリ、
p.0651 雜説八十ケ條
伊豆海上に毎年春夏の交ひに、鵜に似て大き成鳥來る、土人其鳥の來るを候として種を下す、號て沖小僧(○○○)と稱す、此鳥極東南の大洋にありて群をなすと、無人島に住故に人を恐れずといへり、
p.0651 鸕〈郎都反、鷀、宇、〉 鷀〈オ資反、宇、〉
p.0651 鸕鷀仁諝盧玆二音一名蜀水華、一名鷧、出二兼名苑一和名宇、
p.0651 鸕鷀 辨色立成云、大曰二鸕孳一、〈盧玆二音、日本紀私記云、志萬豆止利(○○○○○)、〉小曰二鵜鶘一、〈帰胡二音、俗云レ宇、〉爾雅注云、鸕孳水鳥也、觜頭如レ鉤、好食レ魚者也、
p.0651 神武戊午年紀御歌云、之摩途等利、宇介譬餓等茂、字雖レ異其讀同、則此所引 卽神武紀文、非二私記文一、恐源君誤引、釋日本紀云、之摩途等利、島津鳥也、私記曰、欲レ讀レ鶿之發語也、按津助辭耳、欲レ言二鸕鶿一、先言二島鳥一、猶下欲レ言レ雉先言二野鳥一、欲レ言レ雞先言二庭鳥一、以調中歌章上、後世所レ謂枕詞是也、而萬葉集歌、或指レ雉爲二狹野津鳥一、後俗呼レ雞爲二庭鳥一、故源君亦以二島鳥一爲二鸕鶿之和名一、安嘉門院宮女四條歌、亦咏二鸕鶿一爲二志麻都止利一、和泉式部歌、省云二志麻都一、並見二夫木集一、皆後世轉二枕詞一爲二其名一也、今土佐俗謂二鸕鶿海產者一爲二志麻都一、謂二江產者一爲二加波都一、鸕鶿説文作二 鷀一、按其鳥黑色故曰レ盧曰レ玆、盧如二文侯之命盧弓盧矢一、玆説文云黑也、从二二玄一、春秋傳曰、何故使二吾水玆一、今本説文誤从レ玆作レ鶿、後漢書馬融傳注引二楊孚異物志一云、能沒二於深水一、取レ魚而食レ之、不レ生レ卵、而孕二雛於池澤間一、旣胎而又吐生、多者生二八九一、少者生二五六一、相連而出、若二絲緖一焉、水鳥而巢二高樹之上一、其意謂鶿字从二艸部玆字一、説文、玆、艸木多益、从レ艸絲省聲、遂生下相連而生、若二絲緖一之説上、陶弘景陳藏器從レ之、皆云吐二生子一、其言謬妄可レ笑、蓋不レ知三鷀字从二二玄之玆字一乏所レ致也、冠宗奭曰、嘗官二于澧州一、公宇後有二大木一株一、其上有二三四十巢一、日夕觀レ之、旣能交合、兼有二卵殼一布レ地其色碧、豈得三雛吐二口中一、是可レ破二吐生之謬説一、程瑤田亦辨二不レ卵而吐生之非一、甚詳、見二通藝錄一、〈○中略〉按爾雅云、鶿、鷧、郭云、卽鸕鷀也、南都賦注引二蒼頡一、鸕鷀、似レ鶂而黑、埤雅、鸕鷀水鳥、觜曲如レ鉤、食レ魚入レ喉則爛爾雅翼、鷀、水鳥、色深黑、鉤喙、善沒水中一逐レ魚、亦名二盧鷀一、老則頭翼漸白、或曰、白黑自是兩種、隋書、倭國水多陸少、以二小鐶一掛二盧玆項一、令二水捕一レ魚、日得二百餘頭一、今蜀中尤多、臨レ水居者、多畜二養之一、以レ繩約二其吭一、纔通二小魚一、其大魚不レ可レ得レ下、時呼而取レ之乃復遣去、指顧皆如二人意一、有下得レ魚而不二以歸一者上、則押者喙而使二之歸一、比三之放二鷹鸇一、無二馳走之勞一、而利有二差厚一、魚者養二數十頭一、日得二魚數十斤一、然魚出レ咽、鯹涎不レ美、出レ水之後、好自張二其翅一、就二石上一暴レ之、李時珍亦曰、鸕鷀處處水郷有レ之、亦如レ鴉而長喙微曲、善沒レ水取レ魚、日集二洲渚一、夜巢二林木一、久則糞毒多、令二木枯一也、南方漁舟、往往縻二畜數十一、令二其捕一レ魚、依レ此諸家所レ云鸕鷀、訓レ宇爲レ允、爾雅、鵜、鴮、鸅、郭注云、今之鵜鶘也、好群飛、沈レ水食レ魚、故名二洿澤一、俗呼レ之爲二陶河一、鵜鶘説文作レ鴺、云鴺鶘、汚澤也、又載二鵜字一云、鴺或从レ弟、則知鶘俗字、淮南子齊俗訓、 鵜胡飮二水數斗一、而不レ足、東山經郭注云、今鵜鶘、足頗有レ似二人脚形狀一也、毛詩正義引二陸璣一云、鵜、水鳥、形如レ鶚而極大、喙長尺餘、直而廣、口中正赤、頷下胡大如一數升囊一、若小澤中有レ魚、便群共抒レ水滿二其胡而棄レ之、令二水竭盡一、魚在二陸地一、乃共食レ之、故曰二淘河一也、嘉祐本草云、鵜鶘、大如二蒼鵝一、頤下有レ袋、胸前有二兩塊肉一、列如レ拳、郝曰、今此鳥黑色高脚、垂レ胡、食多肉少、是俗呼二伽藍鳥一者是、鸕鷀鵜鶘二鳥不レ同、爾雅亦兼載二鷀鵜一、亦可レ證二其不一レ同、而鵜鶘亦能捕レ魚、莊子外物篇云、魚不レ畏レ網而畏二鵜鶘一、故皇國古書多以レ之爲レ宇、古事記云、櫛八玉神化レ鵜、又以二鵜羽一爲二葺草一、又如三鵜浮二於河一、萬葉集云、鵜養、日本後紀云、盜二官鵜一、讃岐郡名有二鵜足一、其他尚多、今俗亦用レ之、與下日本紀以二鸕鷀一爲上レ宇、其説不レ同也、辨色立成謂二鸕鷀鵜一皆訓レ宇、然其物不レ同、遂云下大曰二鸕鷀一小曰中鵜鶘上者互誤、又按、宇介譬餓等茂、見二神武天皇御歌一、則是鳥名レ宇、自レ古而然、源君以二志麻都止利一爲二鸕鷀古名一、以レ宇爲二其小者俗名一、亦誤也、
p.0653 蜀水華 本草云、蜀水華、〈和名宇乃久曾〉鸕鷀矢名也、
p.0653 鸕〈力吾反、ウ、鸕鷀、〉 鸕 〈俗〉 鸕鷀〈盧玆二音、ウ、大曰鸕鷀、シマツドリ、〉 水鴉〈ウ〉 鶿〈慈音、ウ、シマトリ、サクナキ、〉 鷀鷀〈ウ〉 䲿鷀〈俗〉 鵜鴺〈或正、徒號反、ウ、ツフリ、ヌエ〉 鸅〈音烏宅、ウ、〉
p.0653 鸕鷀ウ〈○中略〉 倭名抄には辨色立成を引て、大曰二鸕鷀一、日本紀私記に云ふシマツドリ、小曰二鵜鶘一、俗にいふウと註したり、此註せし所の如きは、其大なるをシマツドリと云ひ、小なるを俗にウといふなり、されど上世より云ひつぎし所は、ウとこそいふなれ、シマツドリといふ事は、神武天皇の御歌にウといふ事のたまひ出むための御詞なりしを、後には其名となりしと見えたり、シマツドリとは、其島に棲みぬるを云ふよし萬葉集抄にも見えたれど、ウといふ義は詳ならず、〈ウとは浮の義なるに似たり、神武天皇の御歌に、シマツドリと讀み給ひしは、下句にウとのたまひ出すべきための枕詞也、されば日本紀私記にも、欲レ讀レ鵜の發語也とは云ひけり、たとヘば火火出見の御歌に、鴨とのたまひ出すべきため に、上句にオキツトリと讀み給ひし事の如し、鴨の一名をオキツトリといふよしは聞えねど、鵜をばシマツトリといふ事になりて、又其大なるをシマツトリといひ、小なるをウなどいふ事も出來しと見えたり、立成に小曰二鵜鶘一の説も、心えられず、毛詩曹風に見えし鵜は陸璣疏には、鵜水鳥、形如レ鴞而極大、喙長尺餘、直而廣、頷下胡大如二數〉 〈升囊一と見え、爾雅に鵜は 鸅と見えて、郭璞註には今は鵜鶘也と見えたり、其鳥のむかし此にも飛來りしを、人皆大烏などいひて集り見るほどに、我もまさしく見てけり、陸璣疏に見えし所の如く、極めて大なる白き鳥の鸕鷀には似るべくもあらず、古事記に鵜字讀てウといひしが如き、其字借用ひしのみにて、正訓にはあらず、〉
p.0654 う 鵜また鸕鷀をよむは產の義なり、萬葉集に水鳥を義訓せり、其羽をもて產屋をふくこと神代紀に見え、口訣に今も產婦執レ之易レ生と見えたり、されど胎生にて口中より吐といふは謬也、雛を吐は鷁也、能(タへ)レ風能レ水故舟首畫レ之、うに似たりといへり、鵜は鵜鶘にて伽藍鳥と呼者也、
p.0654 鸕鷀屎 去二面黑 一、頭微寒主二鯁及噎一燒服レ之、不二卵生一口吐レ雛爲二一異一、如二兎吐一レ兒、屎一名二蜀水花一、療二面瘢疵湯火瘡痕一、就二石上一刮取、色紫如レ花、治二疳蚘一、濃州大木有二三四十巢一、日夕觀レ之能交合、卵殼布レ地、吐雛之言誤也、
p.0654 鵜〈訓レ宇〉
集解、鵜處處水郷有レ之、全體黑色如レ鴉、惟頷下及翅裏脇邊有二白色一爾、長啄微曲善沒レ水取レ魚、日集二洲岸沙石之上一、好 二西照一、夜宿二林木城壘之邊一、營レ巢亦林木也、其棲久則糞白粘二于石壁一如二霜雪一、或積毒令二木枯一也、本邦自レ古山川溪澗之魚舟、往往縻畜數十、放二于水中而令レ捕レ魚、魚未レ下レ咽時、漁父推二鵜喉一則自出、鵜常馴レ之、不レ俟二漁手一而吐レ魚、呼稱レ使レ鵜、其漁曰二鵜飼(ウカヒ)一、其舟曰二鵜舟一、〈○中略〉
肉、氣味、酸鹹冷微毒、〈其味多二臊氣一不レ可レ食、若欲レ食レ肉者、先剝レ皮削レ肉而炙煮食、使三刀不レ可レ當二皮腸一、少當二皮腸一則臊羶不レ可レ言、海西俗謂治二婦人血暈一、〉主治、鼓脹利二水道一膈噎骨硬最宜〈按李時珍發明詳二論其性一也〉
頭及諸骨、啄嗉翅羽、主治、倶燒爲レ霜、能療二骨硬膈噎一、
蜀水花〈源順曰、鸕鶿矢名也、和名訓二宇乃久曾一、按白色粘レ石、如レ花者也、〉主治、面上黑 黶痣瘢疵及疔瘡湯火瘡痕之類、臘月取レ之、和レ脂傅二患庭一爲レ宜、
p.0654 鵜 本邦呼二鸕鷀一爲レ鵜(ウ)、卽爾雅曰、鷧冬月羽毛落盡號二 頭一、冠宗奭曰、水老鴉也、按鵜、鵜鶘也、或曰、犁鶘鴮 逃河〈一作レ淘〉淘鵞狀似レ鶚而甚大、灰色如二蒼鵞一、啄長尺餘、直而且廣、口中正赤、頷下胡大如二數升囊一、好群飛、沈レ水食レ魚、亦能渴二小水一取レ魚焉、本邦希見二若レ許者一也、又按畜二鸕鷀一捕レ魚之事、隋以前不レ知レ之乎、隋書曰、倭國草木冬靑土地膏腴、水多陸少、以二小環一挂二鸕鷀項一分二入レ水捕一レ魚、得二百餘頭一以充レ食、杜甫詩、家家養一烏鬼一、頓頓食二黃烏一、然則至レ唐有二斯事一乎、近世尚有レ之、李時珍曰、南方漁舟、往往縻二畜數十一令二其捕一レ魚、又曰、一種頭細身長項上白者、名二魚 一者未レ詳、
p.0655 鸕鷀 シマツドリ〈和名鈔〉 マトリ(○○○)〈古歌〉 ウ 一名鶿〈爾雅〉 烏頭網〈事物珠紺〉 鷀鷧〈同上〉 納膾場小尉〈淸異錄〉 摸魚公〈事物異名〉 慈老〈正字通〉 盧玆〈楊州府志〉 摸魚鳥〈類書纂要〉
水中ニ在テ能魚ヲ捕ル、色黑キ鳥ナリ、大抵鴉形ノ如クシテ、背肩ハ微褐色ヲ帶ブ、長喙ニシテ末微曲リ、脚ニ蹼アリ、老スル時ハ頂白シ、晝ハ水ニ入リ魚ヲ飮、夜ハ山林樹上ニ宿ス、棲コト久トキハ、遺屎石壁ニ粘シ、霜雪ノ如ク落花ノ如シ、草木皆枯槁ス、是蜀水花ナリ、和名抄ニウノクソト訓ズ、此鳥江海共ニアリ、食用ニハ海產ヲ上品トス、土州ニテシマツ(○○○)ト呼、古名ノ殘レルナリ、江產ハ性惡シ、土州ニテカハツ(○○○)ト呼、濃州岐阜ニテ、數十ヲ縻畜ヒ、夜力ヾリ火ヲ焚キ、舟上ヨリ鸕鷀ヲ放テ、香魚ヲ捕ヘシム、其漁ヲ鵜飼ト云、ソノ舟ヲ鵜舟ト云、精功ナル者ハ一人ニテ鸕鷀十四五隻ヲ使フモノアリ、他州ニモ此漁アレドモ、岐阜ノ巧ナルニシカズト云、岐阜ニ用ユル所ノ鸕鷀ニ、ウンザウ、ホウジロ、ガンウ、キンチヤクヅケ、ゴマバラ等ノ名アリ、香魚ヲ捕シムルモノハゴマバラナリ、川ニ居ルモノハ用ルニ堪ヘズト云フ、大和本草ニシマウハ毛羽ニホシアリト云、コレヲ藏器ノ説ノ魚鮫トスルハ穩ナラズ、古ヨリ鵜ノ字ヲ用テウト訓ズルハ非ナリ、鵜ハ鵜鶘ニシテ別物ナリ、
○按ズルニ、鵜飼ノ事ハ、產業部漁業篇ニ詳ナリ、
p.0656 鸕鷀
鵜の鳥は水道利する物なれば服の脹しをよくいやしけり 鵜の鳥を黑燒にして用ゆれば咽に鯁の立たるをぬく
p.0656 鵜
但朝鮮鵜とて、胸より頭腹迄白く、觜の下ゟ頭白く、鳥鵜ゟ少々大形也、同じ友に列なるなり、
p.0656 水戸神之孫、櫛八玉神、爲二膳夫一、獻二天御饗一之時、禱白而、櫛八玉神化レ鵜、入二海底一、咋二出底之波邇一、〈此二字以レ音〉作二天八十毘良迦一、〈此三字以レ音〉 日本書紀二神代一云、〈○中略〉所三以兒名稱二彥波瀲武鸕鷀草葺不合尊一者、以下彼海濱產屋、全用二鸕鷀羽(ウノハ)一爲二草葺(カヤ)一之、而甍未レ合時兒卽生上焉、故因以名焉、
p.0656 三年四月、阿閉臣國見、〈更名磯特牛〉譖三栲幡皇女與二湯人廬城部連武彥一曰、武彥姧二皐女一、而使二妊身一、〈湯人此云二臾衞一〉武彥之父枳莒喩、聞二此流言一、恐二禍及一レ身、誘二率武彥於廬城河一、使二鸕鷀一沒レ水捕レ魚、因二其不意一、而打二殺之一、 十一年五月辛亥朔、近江國栗太郡言、白鸕鷀居二于谷上濱一、因詔置二川瀨舍人一、
p.0656 養老五年七月庚午、詔曰、〈○中略〉宜下其放鷹司鷹狗、大膳職鸕鷀、諸國鷄猪、悉放二本處一令上レ遂二其性一、〈○下略〉
p.0656 天平十七年九月癸酉、天皇不豫、〈○中略〉令二諸國一所レ宥鷹鵜、並以放去、〈○下略〉
p.0656 贈二水鳥越前判官大伴宿禰池主一歌一首幷短歌
天離(アマザカル)、夷等之在者(ヒナトシアレバ)、彼所此間毛(ソココヽモ)、同許己呂曾(オナジコヽロゾ)、離家(イヘサカリ)、等之乃經去者(トシノヘヌレバ)、宇都勢美波(ウツセミハ)、物念之氣思(モノモヒシゲシ)、曾許由惠爾(ゾコユエニ)、情奈具左爾(コヽロナグサニ)、〈○中略〉叔羅河(シクラガハ)、奈頭左比泝(ナヅサヒノボリ)、平獺爾波(ヒラセニハ)、左泥刺渡(サデサシワタシ)、早湍爾波(ハヤセニハ)、水鳥乎潛都追(ウヲカヅケツヽ)、月爾日爾(ツキニヒニ)、之可志安蘇婆禰(シカシアソバネ)、波之伎和我勢故(ハシキワガセコ)、〈○短歌二首略〉
p.0656 延曆二十四年十月庚申、佐渡國人道公全成配二伊豆國一、以レ盜官鵜一也、
p.0657 仁和三年五月廿六日己亥、太宰府年貢二鸕鷀鳥一、元從二陸道一進レ之、中間取二海道一、以省二路次之煩一、寄二事風浪一、屢致二違期一、今依レ舊自二陸道一入貢焉、
p.0657 新院被レ召二爲義附鵜丸事
鵜ノ丸ト云御劒ヲゾ被レ下ケル、此御バカセヲ鵜ノ丸ト名附ラルヽ事ハ、白河院神泉苑ニ御幸成テ、御遊ノ次ニ鵜ヲツカハセテ御覽ジケルニ、殊ニ逸物ト聞エシ鵜ガ、二三尺許ナル物ヲカヅキ擧テハ落シ、カヅキ上テハ落シ、度々シケレバ、人々恠ミヲナシケルニ、四五度ニ終ニ喰テ上リタルヲ見レバ、長覆輪ノ太刀也、諸人奇異ノ思ヲナシ、上皇モ不思議ニ思召、定テ靈劒ナルベシ、是天下ノ可レ爲二珍寶一トテ、鵜丸ト被レ付テ御秘藏有ケリ、鳥羽院傳ヘサセ給ヒケルヲ、故院又新院〈○崇德〉へ被レ進タリシヲ、今爲義ニゾ給ケル、
p.0657 いとしろきすさきに、くろきとりのむれゐたるは、うといふ鳥なりけり、
しら濱にすみの色なるしまつ鳥ふでもおよはゞゑにかきてまし
p.0657 美濃 岐阜鵜
p.0657 水鳥類 鸕鷀〈王子邊、 川、〉
p.0657 鸕鷀〈常用二鵜字一〉
多珂郡石師濱ニテ古來コレヲトル、スベテ鵜ハ多ク海巖ニ集ルモノナリ、コヽノ海汀ニ巖石海中ニ差出テ島ヲナセルアリ、鵜取島ト云、土人税ヲ出シテ鵜ヲトル、中世税ヲ停ム、元祿十五年、田尻村土人再國君ニ請テ税ヲ出シテトルコトヽナレリ、其トラフル法ハ、彼ノ島ニ鵜ノ集ルトキ、其邊ニ萱等ノ物ヲ以垣ヲツクリテ隱レ居リ、穗ノ先ヲニ尺バカリツキタル竿ニテ、海中ニ落スヤウニサスナリ、鵜ニアタレ二バ彼穗ハヌケテ鵜ノ羽ニ粘シ、海ニ落テ漂フヲ捕へ、又波ニ打ヨスルヲモ捕ルト云、
p.0658 百鳥譜 支考
世に人を葬る者ありて、常は顏など見合すべきにもあらねど、なすべきわざあれば、呼て酒のませ、價をもやりつ、しかるに鵜といふものは、詮なき鳥なるべし、早川に魚などかづきあげたる、己れならずとも、網しても得つべし、さるものならば、わきまへぬ事もあるべきに、人の手にかはれて追はみたる魚をも、白地に吐せて、それをめでたしとさゞめかし、笹の葉打きせて、おくりもおくられもする人は、鳥よりは一しほもおとり侍らんか、鷹は羽の下に鳥をくみ敷て、譽れを人にも見られむと思ふは、せめて名の爲にもなさばなりぬべし、さらば此ふたつのものを、我友となさば、打をきたる心のいとまもなからん、
p.0658 䲼曾爾(○○)
p.0658 鴗 爾雅集注云、鴗、〈音立、和名曾比(○○)、日本紀私記、用二此字一、文德天皇錄、魚虎鳥三字、今按魚虎見二兼名苑等一、〉小鳥也、色靑翠而食レ魚、江東呼爲二水狗一、
p.0658 爾雅、鴗、天狗郭注同、原書翠上有二似字一、按翠、靑羽雀也、出二鬱林一、無二似字一、非レ是、説文、鴗、天狗也、陳藏器曰、魚狗、今之翠鳥也、有二大小一、小者名二魚狗一、大者名レ翠、亦有二斑白者一、倶能水上取レ魚、故曰二魚狗一、穴レ土爲レ窠、李時珍曰、魚狗、處處水涯有レ之、大如レ燕、喙尖而長、足紅而短、背毛翠色帶レ碧、翅毛黑色揚靑、亦翡翠之類、李時珍又曰、翡翠飮二啄水側一、穴居生レ子、亦巢二于木一、似二魚狗一稍大、按今俗呼二山小鬂一者是、
p.0658 魚虎鳥〈ソヒ〉 鴗〈音立、水狗、ソビ、〉
p.0658 翡翠(ヒスイ)〈又名二碧玉一、亦名二雪姑一、〉
p.0658 鳥類字 少微(セウヒ)
p.0658 魚狗かはせみ(○○○○)一名少微 中國にすどり(○○○)、京都及東武にてかはせみ、武州及下野に てそな(○○)、奧州仙臺にてすなむぐり(○○○○○)、出羽國にてるり(○○)、下總にてじよな(○○○)、甲斐にてそびな(○○○)、駿河國沼津邊にてゑびとり(○○○○)、加州にてむぐり(○○○)、美作及備前にてしよに(○○○)、伊勢及出雲、肥州、四國にてしやうび(○○○○)、〈或はしやうびん共いふ〉薩摩國にてひすい(○○○)と稱す、
かはせみといへるは深山(みやま/○○)そび(/○○)と云物あるに對しての名なり、薩州に深山ひすい(○○○○○)とよぶ、東國にて深山しやうびん(○○○○○○○)共、或は所によりては、水乞鳥(○○○)と云、又淸盛(○○)などゝ異名す、〈○中略〉關西にて雨乞鳥(○○○)と稱するも此鳥なるべし、舊事紀古事記日本紀ともに翠鳥(とび)と有
p.0659 鴗ソビ 舊事古事等に、翠鳥讀てソビと云ひしを、日本紀には鴗の字を用ひて讀む事は同じ、〈○中略〉ソビの義不レ詳、今俗にシヨウビといふは、ソビといふ語の轉ぜしなり、又カハセミともいふは、ミヤマソビといふ物あるに對していふなり、カハとは川也、ミヤマとは深山也、セミとはソビの轉ぜしなり、〈ソといひセといふは轉語也、ソビとは其小しきなるをいふに似たり、古語に鳥ひ呼びてヒといひし事は下に見えたり、ミヤマソビといふものは、其形ソビに似て大きに、毛冠も大きくして、毛羽に白黑斑文あるなり、東國の俗に呼てキヨモリなどいふなり、其故を問ふに、此鳥よく渴して水を好むによりて、淸盛といふなりといふ、さらば古歌に奧山に水こふなどよみし水乞鳥といふものゝ類にや、詳なる事は知らず、〉
p.0659 鴗 鴗を、神代ノ卷にソビと訓、和名抄にも曾比、壒囊抄に少微、古事記に蘇邇杼理、字鏡に曾爾と有、これみな音通ひてしかいへるなり、方言に、シヨニといふは、少微に同じ、また川セミといふ、こは此鳥河のべの杭、あるは木の下枝などにゐて、魚をうかゞひ、また水のうへを飛はしりて、川瀨を見る物なれば、河瀨見といへるなり、ソミもセミの轉りたる也、ソビ、ソニ、シヨニも、また音通ひて轉れるなり、背ビラをソビラ、背肉(セシヽ)をツジゝ、背面(セトモ)をソトモなどいへるに同じ、しかるに、ソビ、ソミは、蘇邇の訛なりといふ説あるは裏表なり、さては蘇邇はいかに解べきや、さるはソミを心得かねていへるにこそ、古事記には、訛れる詞なしとかたく思へるによりて、中々にまどへるものなり、ソミは訛れるにあらず、正しき語なり、されば蘇邇杼理は、すなはちソミドリ にて、色のミドリと云も彼鳥の色よりいふ言にて、ソの音のはぶかりたるなり、これにてソミといふがもとなるを知べし、
p.0660 魚狗(カハセヒ) 鹹平無レ毒、主二魚骨入レ肉不レ可レ出痛甚者一、燒令レ黑末服、煮汁飮亦佳、
p.0660 魚狗(ソヒ) 倭名抄ニ魚狗ナシ、多識篇ニカハセミ、元升曰、按倭名抄云、鴗ハ和名ソヒ、爾雅ヲ引テ云、鴗ハ小鳥也、色靑翠而食レ魚、江東呼爲二水狗一、又按細註云、文德天皇錄、用二魚虎鳥三字一、此説ヲミレバ魚狗ハソヒ也、考二本草一、一名魚虎、是スナハチ翠鳥也、土ニ穴シテ窠ヲ作ル、大ナルヲ翠鳥ト名ヅク、小キハ魚狗ト名ヅク、靑色ニシテ翠ニ似タリ、其尾ハ飾ヲナスベシ、亦斑白ノモノアリ、倶ニヨク水上ニ魚ヲトル、〈○中略〉
翡翠(ヒスイ/セウビ)〈○中略〉 元升曰、水涯ニ穴シテスミ、水上ニ魚ヲトルハ和名ソヒ、今俗云カハセミ也、本ハソヒト云ナルヲ、ソトセト齒音相通ジ、ヒトミト開合相叶ヒタルニヨリ、遂ニ俗舌轉訛シテ、今ハソヒト云モノナシ、皆アヤマリテセミト云、サテセミト云ハモトムシノ名也、彼レ是レイヒワカチガタキニヨリテ、魚狗ヲバカハセミトイヘリ、タトヘバ獺ノ和名ハヲソト云ニ、ヲトウト五音相通ズルニヒカレテ、近世俗ニ誤リテウソトイヘバ、ウソトハ本ヨリ鳥ノ名ナレバ、獺ニハ河ノ字ヲ付テ、カハウソト云ガ如シ、又此翡翠ハ倭名抄ニ和名ナシ、俗ニセウビト云、本名タルベシ、カハセミト云ベカラズ、魚狗ト形色相似タル故ニ、翡翠ヲカハセミト云ハ、俗間ノアヤマリ也、
p.0660 翡翠〈訓二加波世美一〉
釋名、鴗、〈源順〉少微〈壒囊、源順曰、爾雅注云、鴗小鳥也、色靑翠而食レ魚、江東呼爲二水狗一、鴗音止、和名曾比、日本紀私記用二此字一、文德天皇錄、魚虎鳥三字、今按魚虎具二兼名苑等一、必大按、源順言二魚虎水狗一、倶李時珍所レ謂魚狗之別名也、僧行譽言二少微一、今俗稱レ之、鳥形微少之謂乎、翡翠者別一種、今之翡翠者魚狗也、詳二華和異同一、〉
集解、處處水涯有レ之、大如二燕子一、啄尖而長赤、足紅而短、頭背毛碧色翠斑、翅交二靑黑一、尾亦翠色、眼邊有二黑紋一、頰黃頷白、腹色黃赤、其掌有二三指一而前指有レ枝、常止二水上之樹枝草上一、窺二魚之浮一忽沒レ水捕レ魚、十一無 レ不レ得レ之、其捷不レ減二魚鷹之疾一、其形美麗然不レ能レ養レ之、
肉、氣味、甘鹹平無レ毒、〈臊腥氣多不レ可レ食〉主治、專宜二魚骨硬一、燒服煎服倶可、今去レ腸燒黑爲レ霜而服レ之、
p.0661 翡翠
説文曰、翡赤羽雀、翠靑羽雀出二鬱林一、增韵曰、赤羽曰レ翡、靑羽曰レ翠翠小如レ燕、毛靑黑色翎深靑有二光彩一、飛二水上一食レ魚、翡大如レ鳩、毛紫赤翎點點靑不レ深無二光彩一、林棲不レ食レ魚、賈山至言、格物總論、及諸書皆言レ之、李時珍曰、翡翠、爾雅、謂二之鷸一、飮二啄水側一、穴居生レ子、亦巢二于木一、似二魚狗一稍大、或云、前身翡、後身翠、或云、雄爲レ翡、其色多赤、雌爲レ翠、其色多靑、必大按、説文、增韵、倶難二解得一、李時珍、翡翠者似二魚狗一稍大爾雅、謂鷸與二冠鷸一同名異物也、此説以爲レ當、後二説亦難レ爲レ眞、然則今之翡翠者魚狗乎、爾雅曰、鴗天狗水狗、禽經曰、魚虎魚師、或曰、翠碧鳥、南產志曰、釣魚翁皆一物也、陳藏器曰、大者名二翠鳥一、小者名二魚狗一、亦有二斑白者一、倶能水上取レ魚、此亦相當、翡翠鷸魚狗悉是取レ魚之禽也、近俗所レ謂山少微者、似二魚狗一而稍大、嘴最大如二鴉觜一、毎棲二山川一、疑是華之翡翠乎、未レ詳、
p.0661 魚狗(カハセミ) 大小二種アリ、小ハカハセミ(○○○○)ト云多シ、大ナルヲミゾゴイ(○○○○)ト云フ、五位鷺ノ類ニハ非ズ、是翡翠ナルベシ、綱目ノ魚狗ノ附錄ニノセタリ、魚狗ヨリ稀ナリ、山セミトモ云、ツネノ川セミニ似テ大也、尾短シ、色紅黃ナリ、或碧紫ナリ、觜脚赤色ナリ、觜大ニシテ長シ、大小トモニ其肉腥シ、不レ可レ食、黑燒ニシテ魚骨骾ヲ治ス、煎服スベシ、埃囊抄ニ少微ト云、今ノ俗モ亦セウビト云、倭名本名ソビト云シヲアヤマツテセウビト云、又或セミト云、此鳥川ニアルユへ川ノ字ヲ加ヘテカハセビト云、
p.0661 鴗〈音立〉 魚狗 天狗 水狗 魚虎 魚師 翠碧鳥 〈和名曾比、壒囊抄云、少微、俗川世比、○中略〉按鴗〈俗云川世比〉形小在二池川一捕レ魚、翡翠〈俗云山世比〉形大在二山溪一捕レ魚、世比者少微之假名相通也、其穴窠也横入一尺許、雛二於其中一、
p.0662 魚狗(○○) ソビ〈古事記日本紀〉 〈舊事紀和名抄〉 カホヨドリ(○○○○○)〈藻鹽草〉 少微〈埃囊抄 勢州雲州 四國〉 シヤウビン〈四國〉 セビ〈大和本草〉 セミ〈同上〉 カハセミ〈京〉 シヨニ〈備前作州〉 シヨニシ(○○○○)〈伯州雲州〉 シヤ ウニン〈播州〉 ソナ〈仙臺〉 スナムグリ カハキジ〈共同上〉 ジヨナ〈下總〉 ソビナ〈甲州〉 ルリ〈羽州〉 スドリ〈中國防州〉 エビトリ〈駿州沼津〉 ヒスイ〈薩州〉 ムグリ〈加州〉 カハシヤウビン〈濃州〉 一名 釣魚翁〈閩書泉州府志〉 翠雀〈事物異名〉 碧衣〈同上〉 水翠〈江南通志廣東新語〉 翠孥〈正字通〉 金鳥〈郷藥本草〉
流水ノ傍閑カナル林下ニ多シ、常ニ水上ニ飛羯シ、或ハ水上ノ樹枝ニ止テ、魚ノ俘出ヲ窺ヒ、水ニ沒シテ含食フ、十ニ一ヲ失セズ、大サ雀ノ如ク、頭頰ハ綠色ニシテ靑文雜リ、背ハ綠褐色、翼ト兩覆ハ白靑色、尾ハ短クシテ灰色、眼邊ニ黑紋アリ、眼ノ左右淡紅色、喉ハ白色、腹ハ赤褐色、喙ハ長大ニシテ黑色、脚亦黑クシテ短シ、肉ハ臊腥ニシテ食フベカラズ、此鳥水岸土中ニ於テ巢ヲ作ルト云、一種キセミハ形雀ヨリ小ク、色淺靑黑ニシテ白斑アリ觜長シ、
翡翠(○○) カボドリ〈吳竹集〉 ヤマシヤウビン ヤマシヤウビ ミヤマソビ ミヤマシヤウビン ヤマヒスイ〈薩州〉 ヤマゾナ(○○○○)〈仙臺〉 アカヒスイ ミヅヨロ(○○○○)〈城州大悲山〉 ヤマセミ〈大和本草〉 ミゾゴ イ〈同上同名アリ〉 ミヅゴヒドリ キヨモリ トウガラシコマ(○○○○○○○)〈野州川股村〉 アマガヘル(○○○○○)〈同上同村〉 ヤマ スヾ(○○○○)〈同上筑波山〉 ミヅホシドリ(○○○○○○)〈同上粟野村〉 コマドリ(○○○○)〈同上同村〉 一名翠碧〈埤雅〉 紺燕〈同上〉 翠鷸〈通雅〉 鶣雀〈名物法言〉 翠雀〈訓蒙字會〉 山翠〈江南通志廣東新語〉 魚翠〈廣東新語〉
此鳥常ニ深山幽溪ニ飛翺シ、市井ニ出ルコト稀ナリ、形魚狗ニ似テ大サ鴿(ドバト)ノ如シ、全身赤色ニシテ光リアリ、目ハ淡靑色腹ハ赤色、尾ハ短ク喙長大ニシテ、本淡黑末赤シ、脚モ黑色ナリ、雨中ニ必鳴ク、聲コマ鳥ニ似テ長シ、故ニ野州ノ方言アリ、此鳥ト魚狗トハ飼ニ生魚ヲ以テス、故ニ畜モノ稀ナリ、魚ヲ食ヘバ暫クシテ骨ヲ吐出ス、蚯蚓ヲ食ヘバ後泥丸ヲ吐出ス、白頭鳥(ヒヨドリ)ノ木實ヲ食ヒ、暫クシテ核ヲ吐出スルト同ジ、筑前ノヤマシヤウビンハ、色紫ニシテ、首ニ冠毛アリ、夜ハ光アリテ 火ノ如シ、一種靑黃色ニシテ腹紅ナリ、一種形魚狗ノ大サニ倍シテ、紫色腹紅ナルヲカラシヤウビン(○○○○○○○)ト云フ、
p.0663 せうびんこ(かはせみともいふ)がひのゑがひ 〈生ゑ壹匁五分粉壹匁〉
大きさすゞめの大ぶり、かしらより尾までるり色にひかり、はら赤くはしながく尾みじかし、子がひもすりゑに付がたし、あら鳥はどぜうにてかふべし、
からせうびん 〈ゑがひ 右同斷〉
大きさせうびんのばいに大きし、總身こいかき色にあかし、はしながく尾みじかく、かたちはせうびんににて大きなり、河魚をくらふ、
山せうびん(山せみともいふ) 〈ゑがひ〉 〈生ゑ壹匁あをみ入粉壹匁〉
大きさせうびんとからせうびんのあいなり、總身きにあをく、はらくれなゐにて見事なる鳥なり、しかしかひ鳥になりがたし、
p.0663 魚狗(カハセミ)
かはせみは魚の骨喉に立たるに煮て食たるも黑燒も吉 かはせみの寒の中なる鹽づけはあか腹とまりかぬるにぞよき
p.0663 翡翠(ヒスイ)
ひすいこそのんどにほねの立たるにくろやきもよし煮て食も吉
p.0663 日子遲神、〈○八千矛神、中略、〉歌曰、〈○中略〉蘇邇杼理能(ソニドリノ/○○○○)、阿遠岐美祁斯遠(アヲキミケシヲ)、麻都夫佐邇(マツブサニ)、登理與曾比(トリヨソヒ)、〈○下略〉
p.0663 蘇邇杼理能(ソニドリノ)は鴗鳥之にて靑の枕言なり、〈○中略〉天若日子段に、翠鳥とあるも、書紀には鴗とあれば此鳥なり、こは今世に川世美(カハセミ)と云物にて、壒囊抄に少微(セウビ)と云り、曾比(ソビ)、少微(セウビ)、世美(セミ)などは、みな蘇爾(ソニ)の訛れるなり、綠色と云も、翠鳥色(ソミドリイロ)の曾を省るなるべし、
p.0664 故天若日子之妻、下照比賣之哭聲、與レ風響到レ天、於レ是在レ天天若日子之父、天津國玉神、及其妻子聞而降來哭悲、乃於二其處一作二喪屋一而、河鴈爲二岐佐理持一、〈自レ岐下三字以レ音〉鷺爲二掃持一、翠鳥(ソニ)爲二御食人(ミケヒト)一、
p.0664 天稚彥之妻下照姫哭泣悲哀、聲達二于天一、是時天國玉聞二其哭聲一、則知二夫天稚彥已死一、乃遣二疾風一、擧レ尸致レ天、便造二喪屋一而殯之、卽以二川鴈一爲二持傾頭者、及持帚者一、〈一云(中略)以レ鴗(ソヒ)爲二尸者一〉
p.0664 天長十年八月丙申、天皇御二紫宸殿下一、供二常膳一間、有二燕虎鳥一、〈○鳥原脱、今從二一本一補、〉飛入集二殿梁上一、羅得レ之、
p.0664 嘉祥三年四月癸丑、有二魚虎鳥一、飛二鳴於東宮樹間一、何以書レ之、記レ異也、
p.0664 夏のいとあつき日ざかりに、同じ人、
夏の日のもゆる思ひのわびしきに水こひ鳥(○○○○)のねをのみぞなく
p.0664 あつさのわりなきほどは、水こひ鳥にもおとらず、心ひとつにこがれ給ふを、しる人もなし、
p.0664 寄レ鳥戀
君をゝきてことこひするかおく山にみづこひ鳥のみづこふがごと
p.0664 水鳥類 魚狗〈やませうびん(○○○○○○)、王子、道灌山、〉
p.0664 鴡〈七餘反、鳩、彌左古、又万奈柱(○○○)、〉 鴗〈立音、加利、又万奈柱、〉 〈求魚反、豆豆万奈柱(○○○○○)、〉
p.0664 鶺鴒、〈貌似レ 而色白、上音作席反、下力丁反、〉 天 、〈音刀柔反、貌似レ鸚色似レ鶉而高飛作レ聲、出二崔禹一、〉一名連錢、一名 、〈邕渠二音〉 一名錢母鳥、〈已上出二兼名苑一〉和名爾波久奈布利(○○○○○○)、
p.0664 崔禹錫食經云、 、〈積靈二音、字或作二鶺鴒一、和名爾波久奈布里、日本紀私記曰、止豆木乎之閉止里(○○○○○○○○)、〉 貌似レ鷰、而高飛作レ聲者也、
p.0664 爾雅䳭鴒、雝渠、䳭鴒、詩作二脊令一、爲二正字一、玉篇、𪃹、鶺同上邇波久奈布利依二輔仁一、 按邇波、庭也、久奈、數搖也、與二蠛蠓和名萬久奈岐之久奈一同、古謂二交接一爲二久奈久一、靈異記、婚合訓二久奈加比須一、亦與レ是同、布利、觸也、是鳥數搖レ尾觸二庭中一、故得二是名一、私記云、交接敎鳥、亦依レ之名、今俗音讀積靈(○○)、〈○中略〉按鶺鴒、邕渠也、天鷚天鸙也、鶺鴒天鷚二鳥相類、故並擧也、源君以二天鷚形狀一、爲レ注二鶺鴒一者誤、但似レ鷰作レ似レ鷃不レ同、按凡本草燕字、千金翼方皆作レ鷃、或是避二唐太祖嫌名一也、又此所レ引無二色似レ鶉三字一者、源君纂節、或傳寫偶脱、今不レ能レ詳、常棣詩、脊令在レ原、毛傳、脊令、雝渠也、飛則鳴、行則搖、不レ能二自捨一耳、鄭箋、雝渠、水鳥、正義引二陸機一云、大如二鷃雀一、長脚長尾尖喙、背上靑灰色、腹下白、頸下黑如二連錢一、故杜陽人謂二之連錢一、
p.0665 金母〈ニハクナブリ鳥類〉
p.0665 雝 〈ニハクナブリ〉 鶺𪃹〈或正、作席反、鶺鴒、鳥名、トツギヲシヘドリ、ニハクナブリ、〉 𪃹 〈積零二音、ニハクナブリ、トツギヲシヘドリ、〉
p.0665 鶺鴒〈ニハクナフリ、トツキヲシヘトリ、〉
p.0665 鶺鴒(セキレイ)〈毛詩、鶺鴒在レ原、兄弟急難、日本所レ謂稻負鳥(イナオホセトリ)云者歟、〉
p.0665 鶺鴒〈名二雪姑一〉背黑〈鶺鴒〉
p.0665 鳥類字 鶺(イシタヽイ/○)
p.0665 鶺鴒〈爾ハクナフリ、トツキヲシヘ下リ、トツキトリ(○○○○○)、ツツナハセトリ(○○○○○○○)、ツツマナハシラ、已上有二五説一之中、第一之説可レ爲レ先、〉
p.0665 鶺鴒せきれい〈和名にはくなぶり、日本紀私記、とつぎなしへどり、〉 播摩にてかはらすゞめ(○○○○○○)と云、西國及四國又は奧州にてはいしいたゞきと呼、伊勢白子にて、はますゞめ(○○○○○)と云、遠江及上總常陸にて麥まき鳥(○○○○)と云、東國にてせきれいと云、薩摩にては靑黃色なるものをいしいたゞきと云、黑白なるものをせきれいと云、
p.0665 鶺翎ニハクナブリ 舊事紀に、陰陽二神此鳥を見て、人の道の事を知り給ひしと見えたり、さらば此國の鳥の名聞えし、是よりさきなる者もあらじ、されど總てかゝる事の如きは、太 古朴陋の俗の云ひつぎしまヽにしるされし所也、〈○中略〉舊事紀に、此鳥搖二其首尾一と見えしを、日本紀に搖讀てタヽクといふと見えたり、ニハタヽキとも、イシタヽキともいふが、如きは、卽此義によりて、ニハクナブリといふも、ニハタヽキといふが如くなるべけれど、總て其詳なる事は知らず、
p.0666 鶺鴒〈訓二仁波久奈不利一〉
釋名、 〈源順曰、崔禹錫食經云、 貌似レ燕而高飛作聲者也、 音積靈、字或作二鶺鴒一、日本紀私記曰、止豆木乎之閉止里、必大按、諸本草及李時珍未レ言レ之、然自レ古有二鶺領之名一者久矣、本邦亦神卷鶺鴒飛來搖二其首尾一、二神見而學レ之卽得二交合一、故後世賞二美之一、〉
集解、脊令狀類レ鴴而靑灰色、頸下眼後有二黑條一、長脛長尾嘴尖、腹白胸有二黑文一、毎居二水邊一、鳴而求レ匹、能搖二首尾一、一種有二交黃色者一、呼稱二黃脊令一、倶世人畜二于樊中一、樊中貯二水石一以弄レ之、亦能馴レ人焉、或曰、萬葉集稻負鳥者脊令也、未レ詳、
肉、氣味、甘冷無レ毒、主治、助レ陽益レ精、
p.0666 鶺鴒
詩小雅常棣篇、脊令在レ原、陸機疏曰、大如二鷃雀一、長脚長尾大啄、背上靑灰色腹下白頸下黑如二連錢一、或曰、雪姑也、閩書南產志曰、雪姑兒毛羽黑白相間、物類志卽鶺鴒、然李時珍未レ言レ之也、
p.0666 鶺鴒(/イシタヽキ) 頭小ニ尾長シ、順和名ニトツギヲシエトリト訓ズ、其事日本紀第一ニ、見工タリ、又稻負鳥ト云説アリ、未レ詳、黃セキレイハ少靑シ、又一種背黑ク腹白ク形少シ短キアリ音ハ同ジ、
p.0666 白頭翁 脊黑鶺鴒(セクロセキレイ)〈○中略〉
按有二脊黑鶺鴒者一、頭腹白而背黑、有二原野池沼一、乃水禽鶺鴒屬也、疑所謂白頭翁是乎、
p.0666 きせきれい 〈ゑがい〉 〈生ゑ八分あをみ入粉壹匁〉
大きさうぐひすに大ぶり尾ながし、總身あをくろく、むねはら黃色、尾づゝのうら又きなり、ざへ づりよし、あらとり秋のすゑにいづる、子がいよし、子は夏のはじめに出る、
胸黑せきれい 〈ゑがひ 右同斷〉
大きさきせきれいいづれもかはる事なし、むねはらのきいろひとしほ見事にて、胸の上に黑き毛、月の輪なりに有、きせきれいのひね鳥ならんか、
せ黑せきれい 〈ゑがび 右同斷〉
大きさきせきれいに又大ぶり、是又尾ながし、首せくろく羽はら白し、囀り高音にてよし、新鳥春冬出る、す子は春の末に出る、子がいよし、此鳥足を煩ふ事多し、廣きかごにいれ、水たび〳〵あびせ、かごのそうぢきれいにかふべし、子がいはわづらひすくなし、
白せきれい 〈ゑがひ〉 〈生ゑ七分あをみ入粉壹匁〉
大きさせぐうに同じ、毛色せぐうに白き所おほし、さへづりよし、秋のすゑ出る、春又少しあり、子はなつのはじめに出る尤子がいよし、
うす墨せきれい 〈ゑがひ 右同斷〉
右白せきれいの内なり、黑き所ねずみ色、その外はかはる事なし、白せきれいの若鳥成べし、せきれいの類世にしりびきといふ、又石たゝきともいふ、
み山せきれい 〈ゑがび〉 〈生ゑ八分あをみ入粉壹匁〉
此鳥はくせきれいのひねたるをいふ、又いはみせきれいをみやませきれいとおぼへたるも有、又むなぐろせきれいを、右の名におぼえたるもあり、みやませきれいぶんみやうならず、
いはみせきれい 〈ゑがひ〉 〈生ゑ壹匁あをみ入粉壹匁〉
大きさきせきれいに少し小ぶり、かたちきせきれいににて、毛色せはあをくろく兩羽に黃色とくろのまだらふ有、むね白ぐ、黑きふ 如レ此ありて見事なる物なり、此鳥石見のくにより初て出 る、仍て名付る、せきれいは尾を上下へうごかしむ、此鳥は尾を左右へうごかし、めづらしき鳥なり、さへづりよし、
p.0668 朝鮮鶺鴒(○○○○)〈一名砂雲雀と云〉
此鳥黃 似て形白鶺鴒程あり、鳥の姿は頭薄黑、脊は鼠、羽頰より腹へ極黃色足は眞黑、常の啼聲雲雀に似たり、掛ケ爪雲雀の如く至而長し、奇麗なり、此鳥は九州へ間々風に寄渡る鳥也、薩州の内西海に宇治島と言島に見ゆる、西北の風に飛來る、何れにも朝鮮國の鳥と相違あるよし、
p.0668 一書曰、〈○中略〉陽神〈○伊弉諾尊〉先唱曰、美哉善少女、遂將二合交一而不レ知二其術一、時有二鶺鴒一、飛來搖二其首尾一、二神見而學之、卽得二交道一、
p.0668 爾大久米(オホクメ)命、以二天皇之命一、詔二其伊須氣余理比賣一之時、見二其大久米命黥利目(サケルトメ)一而、思レ奇歌曰、阿米(アメ)都々(ツヽ/○○)、知杼理麻斯登々(チドリマシトヽ)、那杼佐祁流斗米(ナドサケルトメ)、
p.0668 都々(ツヽ)は鶺鴒の一名〈または阿米都々は、千鳥の枕詞にもあらむか、されど其意は未思ひ得ず、〉
p.0668 天皇坐一長谷之百枝槻下一、爲二豐樂一之時〈○中略〉天皇歌曰、毛毛志紀能(モヽシキノ)、淤富美夜比登波(オホミヤヒトハ)、宇豆良登理(ウヅラトリ)、比禮登理加氣氐(ヒレトリカケテ)、麻那婆志良(マナバシラ/○○○○○)、袁由岐阿閉(ヲユキアヘ)、爾波須受米(ニハスヾメ)宇受須麻理韋氐(ウズスマリイテ)、祁布母加母(ケフモカモ)、佐加美豆久良斯(サカミヅクラシ)、多加比加流(タカヒカル)、比能美夜比登(ヒノミヤヒト)、許登能(コトノ)、加多理碁登母(カタリゴトモ)、許袁婆(コヲバ)、
p.0668 麻那婆志良(マナバシラ)は、鶺鴒の一名と云り、和名抄には、此名は見えず、〈和名爾波久奈布(ニハクナフ)理(リ)、日本紀私記曰、止豆木乎之閉止(トツギヲシヘド)里(リ)とのみあり、〉 字鏡に、鴡、彌左古(ミサゴ)、又万奈柱(マナバシラ)、また鴗加利(カリ)、又万奈柱(マナバシラ)、また 、豆々万奈柱(ツヽマナバシラ)などあれど、皆詳ならず、
p.0668 弘仁五年二月甲午、鶺鴒萬數、集二陰陽寮枇杷樹一、觀人異レ之、
p.0668 にはたゝき 入逍前太政大臣
さ夜衣かへすかひなき身にはたゝ君を恨みて袖ぞぬれぬる
p.0669 文明十五年八月廿八日戊子、昨夕於二庭上一擒二鶺鴒一〈脊黑〉今朝令レ進二禁裏一了、自愛之由被二仰下一、多幸多幸、
p.0669 一射まじき鳥の事〈○中略〉鶺鴒、
p.0669 水鳥類 鶺鴒〈御堀端邊〉
p.0669 稻負鳥 萬葉集云、稻負鳥、〈其讀以奈於保世度里、〉
p.0669 稻負鳥原書無レ載、按新撰萬葉集卷上一見、則似三傳寫誤脱二新撰二字一也、然伊呂波字類抄亦無二是二字一、或源君誤引、按稻負鳥、卽鶺鴒(○○)也、學三鶺鴒搖二首尾一得二交道一見二神代紀一、故日本紀私記謂二鶺鴒一爲二止都岐乎之倍止利一、而歌云、遇事乎、稻負鳥乃、不敎波、人乎戀路爾、迷萬之也波、則知三稻負鳥之爲二鶺鴒一也、
p.0669 或漢語抄之文、或流俗人之説、先擧二本文正説一、各附二出於其注一、若二本文未一レ詳、則直擧二辨色立成、楊氏漢語抄、日本紀私記一、或擧二類聚國史、萬葉集、三代式等所レ用之假字一、水獸有二葦鹿之名一、山鳥(○○)有二稻負之號一、〈○中略〉是也、
p.0669 稻負鳥〈イナオホセトリ〉
p.0669 いなおほせどり、或人云、にはたゝきをいふとぞ、
p.0669 古歌云
逢事をいなおほせどりのをしへずば人をこひぢにまどはましやはとあり、是につけてにはたゝきと申人もあれども、本草和名、圖名苑などいふ文こそは、よろづの物の異名かたちをさへあかしたるに見えたることもなし、又順が和名、にはたゝきをも、𪃹 又鶺鴒などかきて、注には日本私記云、とつぎをしへ鳥とかけり、又別に稻負鳥と書て、注にそのよみいなおほせどりとかきて、萬葉集を引文にいだしたれば、こととりと見えたり、順しらざらんやは、たゞしかの古歌に ては、にはたゝきとぞ見えはべれど、順がわきまへざらんことを、今の世に定めがたし、
p.0670 鶺鴒 いなおほせ鳥と云、異説すゞめ(○○○)を稻負鳥と云非説なり、大和物語云、さよふけていなおほせ鳥のなくと云、庭たゝきの條如何、 庭たゝきはよるなどいとなかぬか、 古今、いなおほせとりのなくなべにけさふくかぜにかりはきにけりといふ、是もいづれのとりとこゝうえがたし、〈○下略〉
p.0670 堀河院初度百首に、公實卿、板倉の橋をばたれもわたれども稻負鳥ぞ過がてにする、これは馬(○)なりと心得てよまれたるとみえたり、これはもし古詩に、胡馬依二北風といへるにより、此歌のけさ吹風にとよめるを、鴈は北よりくるなれば、北風と心得て、馬には稻をおほせる物なれば、よまれたるにや、下の忠岑が歌に、秋のかりほにおく露はいなをほせ鳥の涙とよみ、山鳥有二稻負鳥名一とて、鳥部に順は載られけるものを萬葉には稻負烏はよまれざるを、引文に出されたるは順の誤也、〈○中略〉兼盛集に、九月田かる所におきなあり、からくしていそぎかりつる山田かな稻負鳥のうしろめたさに、足引の山田のこすげあすまでといなおほせ鳥をおもふも手ゆたし、〈○中略〉或抄云、定家卿近年好士安藝國にまかれりけるに、宿處より立出けるに、庭たゝきのをりゐて鳴けるを、女の有けるが見て、いなおほせ鳥よといひけるをきゝて、など此鳥をいなおほせ鳥とはいひけるぞと問ければ、此鳥來り鳴時田より稻をおひて、家々にはこびおけば申なりといひけり、國々田舍の人は、かやうの事をやすらかにいひ出す、おかしく聞ゆ、偏におしていはむよりは、國々の土民の説用ゆべくや、但人の心にしたがふべし、源仲正歌に、しづの女がいなぼこなぐるからさをに打はへてくる庭たゝき哉、鶺鴒を庭たゝきといへば、右の説と此歌とかなひたれど、兼盛集の歌は稻をはむ馬ときこゆるに、鶺鴒はさもなければこと鳥にや、又或抄、秀能は水鷄といへりと有、これは俊子の歌に、君がたゝくともいへるにおもひよれる歟、夏と秋 と時節相違せり、
p.0671 稻負鳥考〈○中略〉
古今集秘註卷四云、いなおほせどりとは、萬葉に稻負烏とかけり、是にあまたの儀あり、一は雁(○)、一は、山鳥、一は鵇(タウ/○)、一は𧜣(クヒナ/○)一は雀、一は鶺鴒などを云へり、此中まづ雁と申事は、今の歌に、〈春村曰、我門に云々の歌を指たるなり、〉各別の鳥に讀合たれば、儀にも叶はず、次に山鳥とは、稻を負へる姿ありと申せども慥ならず、次に鵇と申事は、鵇につきて稻負(タフ)のひゞき有に依て也、家隆の歌に、秋の田の稻負烏のこがればも木の葉催す露やそむらむとあるは、鵇と聞えたり、此歌につきて、人のそれかと知侍るにや、又はくひなと申説もあり、此鳥の姿山鳥の尾の如にて、稻を負たる心也、故に云傳ふ、又雀と申事は、狹衣に稻葉の風も耳近くは聞ならひ給はぬに、稻負鳥のおとなふも、さま〴〵さまかはりたる心ちして、心細げなりと侍るは、雀かと申せり、古歌にも、雀てふ稻おほせ鳥のなかりせば門田の稻を誰かおほせむ、狹衣の詞は此歌をおもへるか、〈○中略〉いまだ必定の説見えねば、猶當否を論ふべし、〈○中略〉稻負(タフ)のひゞき近ければ、鵇(タウ)なめりといへるなどは、假字違をもおもはざる物にて、無下に拙き謬説なりけり、此他雁なり、馬なり、田夫なりなどは、論ふまでもなかるべし、かゝれば此鳥延喜の頃は、夫と慥にしられけむを、天曆頃には知る人なくて、順朝臣も詮方なければ、たゞ和名をのみ載られたりしなるべし、奧儀抄袖中抄をはじめ、後々の諸説にも、何ともしられぬ鳥なりとあるは、中々に心にくし、されどさてのみ云てあらむには、かく取出たる所詮なければ、僻按をもしるしそふべし、按ふにこは舊説の中なる鵇(タウ)といふに從ふべし、鵇は和名豆岐なれど、後には止伎と訛り、〈今も猶然呼べり〉又一名を太宇と呼べり、此鳥は水禽の屬にて、〈和名抄の序に稻負鳥を山鳥とあるは、推當にいはれたるなるべし、かれに泥みて今水禽といふを疑ふべからず、〉晩夏より秋に至り、水邊の田野にすみ、宵曉によく飛翔りつゝなく、其聲かゝと叩くに似たり、大和物語に叩くと詠るも、則是を云へる事しるかり、又稻負鳥と 名づけし義は、此鳥の羽色は所謂とき色にて、殊に其焦羽(コガレバ)は〈俗に云焦茶色なり〉稻の赤みたる色したるをもて、田野といひ、時節といひ、束ねたる稻を負懸たるさましたれば、しかは名に負へるにこそあめれ、かゝれば諸説區々なりといへども、鵇を以て正説とすべし、〈○中略〉猶鴇(ツキ)の異名と決むべき本據は、彼大和物語のみならず、寬喜元年八月十九日ノ明月記に、此三四日鶺鴒〈小鳥〉來鳴、炎暑雖レ如二盛夏一、時節自至歟、鷰不レ見、古今歌稻負鳥有二説々一、〈事不レ切事也〉予〈○藤原定家〉用二此小鳥之説一、家隆卿多捨(タフ)〈赤羽用レ矢鳥也〉見之由披露云々、未レ知二其證一、其鳥尋常近邊不レ可レ來、此鳥來鳴之時、賓鴈必計會、尤叶二此鳥之歌一也、只以二節物一慰二心緖一故記レ之、〈按に多捨の捨は誤字にして、疑ふらくは多捕(タフ)などなるべし、赤羽用レ矢鳥也とあるにて、おのづから明らけし、〉と見えたる鶺鴒の説は、京極黃門〈定家卿〉こそうけばりて云はれたれ、〈餘材抄にも此卿の説とて、鶺鴒としたる事、上件にあり合せみるべし、〉こは信がたき事旣に辨たるが如し、壬生二品〈家隆卿〉は所レ據ありて、鴇と治定せられしなるべし、されば卿の自詠にも、秋の田の稻負鳥のこがれ羽も木葉催す露やそむらむ、〈壬二集上、及夫木抄秋三に見えたり、〉又色葉和難卷一に、淸少納言が枕草子に、稻負鳥はたうと云へり、昔鴈に稻を負たり、秋返さむと云て、さてやみぬ、是によりて秋になれば稻負(タフ)と鳴て是をこふ、鴈は又かり〳〵と鳴也、〈按に此事、今本枕草紙にに見えず、もしさる異本もありけるにや、〉家隆義云々、或云、鵇とは、常世國より鴈にまじりて來る鳥也、其毛中に稻を一穗はさみて此國に落す、是を取てうゑはじむと云事あり、扨稻負鳥と云也と見ゆるも、云ふにたらぬ俗説ながら、彼郭公が沓代乞ふと云る類にて、やゝ古くより云ふ事と見ゆれば、稻負鳥は鴇なりといふ一證に備ふべし、又砂石集卷五、連歌事とある條に、彼入道、〈按に前條には束入道と見えれれば、東中務丞胤行入道素暹か、或は同男下野守行氏入道素道か考ふべし、此人々は倶に勅撰にいりし作者なり、〉ソノカミ毘沙門堂ノ連歌ノ座ニ有ケルガ、ウス紅ニナレル空カナト云句、難句ニテ多ク、カヘリテ興モナカリケルニ、アマトブヤイナオフセ鳥ノカゲ見エテなど見えたるは、何れも鴇なる明文なり、〳〵猶この鳥の鳴聲をも聞とめ、形狀をもよく見とめて、稻負鳥は鴇といふが正説なる事を了知すべし、
p.0673 題しらず よみ人しらず
わが門にいなおほせどりの鳴なべにけさ吹風にかりはきにけり、
p.0673 これさだのみこの家の歌合のうた 忠岑
山田もる秋のかりいほにをく露はいなおほせどりの涙成けり
p.0673 九月ゐ中の家のいねをとるに、かりする人のまうできたる、女ども侍るに、かりにとて我宿のへにくる人はいなおほせ鳥にあはんとや思ふ
p.0673 としこちかぬをまちけるよ、こざりければ、
小夜更ていなおほせ鳥の啼けるを君がたゝくと思ける哉
p.0673 ゐ給へる所と見ゆるは、寺よりはすこしのきてぞありける、〈○中略〉軒をあらそふ八重むぐらも、げに人こそみえね、秋のけしきはとくしられぬべかりけり、いなばのかぜもみゝちかくはきゝならひ給はぬに、いなおほせ鳥さへをとなふも、さま人\にさまかはりたる心ちして物心ぼそげなり、
p.0673 いなおほせどり 家良
霜しろき朝けの風のさむけきになくや門田のいなおほせどり
p.0673 寶治百首歌に寄レ鳥戀 入道二品親王道助
逢ふ事はいなおほせ鳥の鳴しより秋風つらき夕暮の空
p.0673 蚊母鳥、今云豆豆(ツヽ/○○)登利(/○○)異名、吐蚊鳥(トブンテウ)、
p.0673 蚊母鳥(ツヽトリ/カツカウトリ)〈鷆同〉
p.0673 蚊母鳥 吐蚊鳥 鷆〈音田〉本綱、蚊母鳥江東多レ之、生二池澤茹蘆中一、大如二鷄黑色一、其聲如二人嘔吐一、毎吐二出蚊一二升一、夫蚊乃惡水中蟲 羽化所レ生、而江東有二蚊母鳥一、塞、北有二蚊母樹一、嶺南有二䖟母草一、此三物異類而同功也、
蚊母鳥〈郭璞曰、似二鳥 一而大、黃白雜文、鳴如二鴿聾一、異物志云、吐蚊鳥大如二靑鷁一、大觜食二魚物一、〉時珍曰有二數説一也、豈各地之㦃差異耶、
按二説所レ比 鷁並鸕鷀之種類、而與レ雞不二甚遠一者也、
p.0674 蚊母鳥 カスイ(○○○)〈水戸防州〉 一名、呼蚊蟲、〈河間府志〉
形大抵大頭鷹(ミヽヅク)ノ大サニシテ、全身淺黃色ニシテ白星アリ、翼ニハ黃赤色ノ星點アリ、頭ヨリ背ニ至リ、黑道竪ニ多シ、腹ハ黃赤黑色、目ハ大ニシテ靑黑色、觜ハ至テ小ク、其本ニ鼻孔アリ、口ハ深クキレテ大ナリ、口邊ニ黑色ノ勁鬚アリ、脚ハ魚狗ニ似テ赤黑色ニシテ鱗ナシ、鳴ク聲蝦蟇(クソガへル)ノ如ク、グウグウト聞ユ、集解ニ鳴如二鴿聲一ト云ニ近シ、此鳥夜出テ蚊ヲ吸食ヒテ、蚊ヲ吐スルニ非レドモ、呼蚊蟲ノ名ニモ符セリ、
p.0674 〈左久奈支〉
p.0674
あやしくも風におるてふさくなぎのはしばみよりもながくみゆらんV 大和本草
p.0674 シヤクナキ 海邊ニアリ、大中小アリ、大シヤク、小シヤク、中シヤクト云、形ハ相似タリ觜長シ、羽異黑白マダラナリ、味ヨシ無レ毒補二益於人一、又一種ソリト云アリ、觜上ニソリテ形ハ小シヤクト同、
p.0674 海雀(ウミスヾメ) 俗所レ名也、漢名未レ知、カイツブリニ似タリ、其大如二刀鴨(タカベ)一海鳥也、觜尖如レ雀、頭及背淡黑色、胸腹白ク、ムネハラノ四旁之毛黑白相雜レヲ、翼其身ニ比スルニ甚小也、尾ナシ、足黑ク其趾三ツニワカレ水カキアリ、其肉脂多クシテ不レ堪レ爲二饌具一、婦人ノ血ノ道ノ藥ナリト云未レ知二然否一、
p.0674 海雀
此鳥大さ鶉ほど有、毛色常の雀に似たり、荒海に澤山むれ居るもの也夜分は島々にのぼり泊る 鳥也、
p.0675 コノ頃聞ク、予ガ城下〈○松浦淸領地肥前平戸〉ノ邊鄙ニハ、〈平戸島モトヨリ邊邑、然レドモ城下ハ人集會ス、因テカク稱セリ、〉海雀(ウミズヾメ)ト呼ブ鳥アリ、其形鳩ヨリハ小ニ、鵯ヨリハ稍大ナリ、羽毛淡黑ニシテ、翼下ヨリ腹ニ至テ白シ、長翼短尾、晩秋ヨリ春後ニ至ルマデ數百連行、海波ノ上ヲ飛旋ルコト幾回ニシテ、其中潮ニ沒スル者多々、然ラズシテ飛行スル者ハ僅ニ百ノ三四ナリ、沒スル者良久シテ復海面ニ出顯レ、飛回スルコト始ノ如シ、コレ謝氏ノ所レ云ト異ナラズ、正ニ此鳥ナラン、我邑海雀ト呼ブ者ハ、群飛ノ狀雀ノ如クニシテ、海上ニ翔ルヲ以テ謂ヘドモ、亦漢土ノ所レ稱モ義同キ故ナリ、
又コノ鳥、春後ヨリ夏ニ及ンデハ、海島巖穴ノ間ニ巢クヒ卵ヲ生ズ、故ニ山ニ居テ海ニ在ルコトナシ、