http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0077 橋ハ、ハシト云フ、之ヲ水上ニ架シテ、以テ人物ノ往來運搬等ニ供スルモノニシテ、木ヲ以テスルヲ普通ト爲シ、石ヲ以テスルモノ之ニ亞グ、稀ニハ綱及ビ藤葛ヲ兩岸ニ䊺スモノアリ、又舟ヲ比ベテ橋ニ代フルアリ、其他之ヲ細別スレバ其種類甚ダ多シ、 本邦ニ於テ橋梁ノ設アル、遠ク神代ニ起リテ、伊弉諾、伊弉冉二尊ノ時、旣ニ天浮橋ニ乘リテ天降リ給ヒシコトアリ、天孫降臨ノ頃ニハ大橋、小橋、高橋、打橋、浮橋等ノ稱アリ、又之ト相前後シテ、或ハ俵ヲ積ミ、或ハ弓ヲ横ヘ、或ハ䑻ヲ編ミテ以テ橋ヲ造リシコトモ古史中ニ散見セリ、推古天皇ノ朝ニ至リ、百濟ノ人芝耆麻呂歸化シテ呉橋ヲ造ル、時人大ニ其巧妙ヲ稱セリ、漢風ノ橋ヲ造ルコト是ニ始マル、 大寶ノ制、凡ソ天下ノ道橋ハ民部省ノ管スル所ニシテ、京師ハ左右京職、諸國ハ國司ノ分轄スル所タリ、〈神郡ハ宮司之ヲ掌ル〉而シテ其之ヲ修營スルニ當リテハ、京内ノ大橋及ビ宮城門前ノ橋ハ、並ニ之ヲ木工寮ニ命ジ、自餘ハ京内ノ雜徭ヲ役シテ、造ラシム、諸國ニ在リテハ、毎年九十兩月ノ交、即チ秋收ノ後ヲ待テ修理セシム、蓋シ一ハ以テ農ノ時ヲ妨ゲザランガ爲ニシテ、一ハ以テ貢調ノ便ニ備ヘンガ爲ナルベシ、 往時宇治、山崎、勢多ヲ三大橋ト稱シ、並ニ橋吏ヲ置ケリ、橋吏ハ、ハシモリト云フ、即チ橋ヲ守 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0078 護スルノ謂ナリ、中世以降ハ僅ニ橋行事若シクハ橋警固ト稱シテ、檢非違使又ハ守護所司代等ヲシテ、臨時ニ警衞セシメシガ、徳川幕府ノ時ニ至リテハ、多ク橋番屋ト稱シテ、橋ノ兩端ニ小屋ヲ設ケ、橋吏ヲシテ常ニ此ニ住セシメ、又橋附手當船ヲ置テ不時ノ用ニ供セシム其橋吏ニハ定番人アリ、添番人アリ、下番人アリ、書役アリ、常ニハ糞土ヲ掃除シ、破損ヲ檢察セシメ、若シ出火、出水等ノ事アルニ及ビテハ、橋掛名主、橋番請負人、水防請負人等ト共ニ、橋附抱人足、及ビ附近ノ船持、船乘、車力等ヲ率ヰテ、之ガ防禦ヲ爲サシメタリ、 初メ王朝ノ法タル、凡ソ橋ヲ造ラントスルトキハ、必ズ先ヅ造橋所ヲ設ケ、臨時ニ宣旨ヲ下シテ造橋使ヲ任ジ、其用度ノ如キハ、或ハ諸國ニ課シ、或ハ沒官者ノ資財ヲ以テ之ニ充ツルコトモアリシガ、延喜ノ制、毎年錢稻ヲ出擧シ、其利息ヲ以テ造橋ノ料ニ充テタリ、然レドモ世ヲ歴ルノ久シキニ及テ、此法漸ク行ハレズ、是ニ於テカ私ニ資金ヲ醵集シテ之ヲ修造スルノ擧盛ニ興ル、而シテ多クハ僧徒ノ募縁スル所ニ係ル、之ヲ勸進橋ト云フ、抑モ僧徒ノ力ヲ橋梁ニ用ヰシヤ、其由テ來ル所遠シ、而シテ孝徳天皇ノ朝、元興寺ノ僧道登ガ宇治橋ヲ造レルヲ以テ最モ古シトス、是ヨリ後、行基、勝道ノ輩、皆造橋ヲ以テ事ト爲シタリ、而シテ其成ルニ及ビテハ、橋供養ト稱シテ必ズ佛會ヲ修セリ、 織田氏ヨリ豐臣氏ヲ歴テ、造橋ノ事漸ク整フ、秀吉ガ三條橋ヲ造リ、其柱ヲ石ニセシガ如キ、是ヲ石柱ヲ用ヰル始トス、此時三大橋始テ舊ニ復セリ、徳川幕府時代ニ至リテハ、橋梁ノ制モ益々備リテ、其周到ナルコト前代ニ過ギタリ、凡ソ幕府ノ制タル、大橋ヲ造ラントスルニハ、必ズ之ヲ普請奉行ニ命ジ、其用度ハ概ネ御藏銀ヲ以テ之ヲ辨ゼシガ、後ニハ多ク諸橋ニ橋請負人ヲ置テ、之ニ造橋一切ノ事ヲ擔當セシメ、武士、醫師、并ニ神官、僧侶等ヲ除ク外、渡橋者ヨリ毎人必ズ金若干ヲ納メシメ、以テ其費用ニ充テシメタリ、然レドモ其弊ヤ徒ニ請負人 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0079 ヲ利スルニ止リテ、其橋ノ朽損スルコトアルモ猶ホ之ヲ修造セズ、纔ニ假橋ヲ設ケテ以テ一時ヲ彌縫スルモノ夥カリシカバ、遂ニ文化四年、永代橋墜落ノ如キ異變ヲ生ズルニ至レリ、是ニ於テカ幕府モ亦甚ダ其非ナルヲ覺リ、直ニ之ヲ廢セシカバ、市民永ク之ヲ徳トスト云フ、然リト雖モ諸藩ニ在リテハ猶ホ此法ヲ墨守スルモノアリテ、以テ明治ノ初年ニ及ベリ、

名稱

〔新撰字鏡〕

〈木〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0079 梯〈湯兮反、平、波志、〉

〔倭名類聚抄〕

〈十道路具〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0079 橋〈葱臺附〉 説文云、橋、〈音喬、和名波之、〉水上横木、所以渡也、爾雅注云、梁、〈音良〉即水橋也、

〔類聚名義抄〕

〈三木〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0079 槁 槗〈音喬(ゝ) ハシ ワタス ヨコタハル〉 橋

〔伊呂波字類抄〕

〈波地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0079 槁〈ハシ、道也、水梁也、〉 橋〈水上横木、イ木所以渡也、〉 梁〈音良、木槁也、〉 階〈音皆、階級也、階也、宅也、〉 除〈玉階〉 堦〈音皆、階砌也、〉 陛〈階陛也〉 椅 圯

〔字鏡集〕

〈五木〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0079 橋(ケウ)〈碻同 ハシワタル ヨコタハル 礄同 ハシ 栥(シ)〈ハシ〉 梁(リヤウ)〈http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006520a4.gif 同 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006520cd.gif 同 浦中同 渿同 梁同 〈ヤマハシ〉

〔日本靈異記〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0079畢佛像而棄木示異靈表縁第廿六〈◯中略〉 椅下〈上云波止

〔夫木和歌抄〕

〈二十一橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0079 長永三年九月顯季卿家歌合 藤原顯方〈◯歌略〉 此歌判者〈基俊〉云、〈◯中略〉橋と梯と其儀不(○○○○○○○)同(○)、河や池にわたすをば橋といふ、此峯より彼谷にわたすをば梯といふ、同事のやうなれども、儀ことなりと云々、

〔神代卷風葉集〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0079 翁〈◯山崎闇齋〉曰、橋、端、著、同訓にて、皆通路をなす義也、

〔東雅〕

〈三地輿〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0079 橋ハシ 義不詳、〈◯中略〉古語にハシといひしは、ワタシなどいふ語のごとき、彼と此との絶間をわたすものをいひしなり、堂と基との間をわたすものを階といひ、高きと下きとの間をわたすものを梯(ハシゴ)といひ、箸といふもの、また鳥の觜、獸の喙のごときも、皆是其食ふべき物と口と

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0080 の間をわたすものなれば、橋もまた彼岸此岸の絶間をわたす物なる故に、ハシとは名づけいひたりけん、棧道をカケハシといふも、また此義に異なるべからず、

〔古事記傳〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0080 柱と云名義は、波斯(ハシ)は間(ハシ)なるべし、〈◯古史傳云、良ハ添りたる辭なるべし、〉間を波斯と云例多し、間人(ハシヒト)又萬葉の歌に相競端爾(アラソフハシニ)と云るも、端は借字にて間(アヒダ)にの意なり、又木にもあらず草にもあらぬ竹のよの波斯(ハシ)に吾身はなりぬべらなり、と云歌も、竹を木と草との間と云るなり、かくて柱は屋(ヤネ)と地との間にわたせばなり、又橋も同意(○○○○)か、此岸と彼岸との間にわたせばなり、又今俗言に、妻どひの最初に、言を通はしそむる媒を、波斯加氣と云も、橋懸の意にて、右の柱の事にもおのづから通へり、又箸と云名も、此物は必二相對ひより合て其用をなす物なれば、夫婦の意に似たり、又事の初を端(ハシ)といふも、此の御柱廻りの事に由あるなり、

初見

〔日本書紀〕

〈一神代〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0080 伊弉諾尊伊弉册尊、立於天浮橋(○○○)之上、共計曰、底下豈無國歟、迺以天之瓊〈瓊玉也、此曰努、〉矛、指下而探之、是獲滄溟、其矛鋒滴瀝之潮、凝成一島、名之曰磤馭廬島

〔釋日本紀〕

〈五述義〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0080 私記曰、問天浮橋是何物哉、答此時雖天地開闢、洲島未成、旣如浮膏之無一レ根係也、故謂浮橋上耳、丹後國風土記曰、與謝郡郡家東北隅方有速石里、此里之海有長大石、前長二千二百廿九丈、廣或所九丈以下、或所十丈以上廿丈以下、先名天梯立、後名久志濱、然云者、國生大神伊射奈藝命、天爲通行而梯作立、故云天梯立、神御寢坐間仆伏、仍怪久志備坐、故云久志備濱、此中間云久志、自此東海云與謝海、西海云阿蘇海、是二面海雜魚具善住、但蛤乏少、播磨國風土記曰賀古郡益氣里有石橋、傳云、上古之時、此橋至天、八十人衆、上下往來、故曰八十橋、案之天浮橋者、天橋立是也、

〔日本書紀纂疏〕

〈上二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0080 天浮橋指空虚而言、橋水梁也、斫木爲橋架於水上不通、以利天下之人、蓋陰陽往來、而造化萬物、爲於人也、舊説云、天浮橋、今丹後州天橋立是也、二神立於其上、故得橋立之

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0081、又久志之渡〈◯渡恐濱誤〉者、因日神之靈異而得此名、靈異二字、和語曰久志備也、

〔日本紀神代抄〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0081 天浮橋トハ虚空ヲ指シテ云也、〈◯中略〉假令水上ハ虚空ト同ジ、其上ニ橋ヲカケテ交通スル事、此二神ノ通力ヨリ心ヲ得テ橋ト云事ヲバ出キタリ、サレバ行幸ノ道ニ必浮橋ヲカクル事、此因縁也、

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0081 天神諸命以、詔伊邪那岐命、伊邪那美命二柱神、修理固成是多陀用幣流之國、賜天沼矛而、言依賜也、故二柱神立〈◯註略〉天浮橋而、指下其沼矛以畫者、鹽許袁呂許袁呂邇〈◯註略〉畫鳴〈◯註略〉而引上時、自其矛末垂落之鹽、累積成島、是淤能碁呂島、

〔古事記傳〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0081 天浮橋は、天と地との間を、神たちの昇降り通ひ賜ふ路にかヽれる橋なり、空に懸れる故に浮橋とはいふならむ、〈和名抄に、魏略五行志云、洛水浮橋、和名宇岐波之とあるは、水上に浮たるなれば異なり、〉天忍穗耳命、番能邇邇藝命などの天降り坐むとせし時も、天浮橋に立しこと下に見えたり、〈◯中略〉丹後國風土記曰、與謝郡郡家東北隅方、有速石里、此里之海、有長大石前、長二千二百廿九丈、廣或所九丈以下、或所十丈以上、廿丈以下、先名天梯立、後名久志濱、然云者、國生大神伊射奈藝命、天爲通行而梯作立、故云天梯立、神御寢坐間仆伏云々、此に因ば、此浮橋もと此神の作り坐しなり、さて天に通ふ橋なれば梯階にて立て有しを、神の御寢坐る間に仆れ横たはりて、丹後國の海に遺れるなり、こは倭の天香山、美濃の喪山などの故事の類にて、神代にはかヽることいと多し、後人儒者心もて勿あやしみそ、又播磨國風土記曰、賀古郡益氣里有石橋、傳云、上古之時、此橋至天、八十人衆、上下往來、故曰八十橋、これも天に往來し一の橋と見ゆ、神代には天に昇降る橋、此所彼所にぞありけむ、是を以て思へば、彼御孫命の降りたまふ時立しヽは、此處天浮橋と一にはあらで、別浮橋にぞ有けむ、

〔日本書紀〕

〈二神代〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0081 一書曰、〈◯中略〉天照大神、以思兼神妹萬幡豐秋津姫命、配正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0082妃、令之於葦原中國、是時勝速日天忍穗耳尊、立于天浮橋、而臨睨之曰、彼地未平矣、不須也頗傾凶目杵之國歟、乃更還登、具陳降之状

〔萬葉集〕

〈十三雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0082 天橋文(アマバシモ)、長雲鴨(ナガクモガモ)、高山文(タカヤマモ)、高雲鴨(タカクモガモ)、月夜見乃(ツキヨミノ)、持有越水(モチコセルミヅヲ)、伊取來而(イトリキテ)、公奉而(キミニマツリテ)、越得之早物(コエムトシハモ)、

〔萬葉集略解〕

〈十三上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0082 神代紀に、自槵日二上天浮橋、立浮渚在平處と有て、天に昇り降る橋有よしにて、其橋長かれと願へり、

種類及構造

〔倭訓栞〕

〈前編二十四波〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0082 はし 橋に石橋、土橋、板橋、圓木橋、高橋、浮橋、打橋、懸橋、反橋、舟橋、棚橋、呉橋、韓橋等の名あり、

〔播磨風土記〕

〈揖保郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0082 越部里〈◯中略〉御橋山、大汝命積(○)俵立(○○)橋(○)、山石似橋、故號御橋山

〔伊勢國風土記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0082 度會郡 夫所以號度會郡者、畝傍橿原宮御宇神日本磐余彦天皇、〈◯神武〉詔天日別命國之時、度會賀利佐嶺火氣發起、天日別命視之曰、于此小佐君居歟、差使遣見、使者還來申曰、有大國玉神、賀利佐到于時大國玉神、遣使奉天日別命、因令其橋、不造畢、于時到令以(○)梓弓(○○)爲(○)橋(○)而度焉、爰大國玉神資彌豆佐佐良比賣命參來、迎相土橋郷岡本村、天日別命歡地主之參會、曰刀自爾度會焉、因以爲名也、

獨梁

〔倭名類聚抄〕

〈十道路具〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0082 獨梁 淮南子云、獨梁〈和名比度豆波之、今按、又一名獨木橋、見翰苑等、〉縱横一木之梁也、

〔伊呂波字類抄〕

〈比地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0082 獨梁〈ヒトツバシ〉 獨木 榷〈已上同、以木渡水、今之略初也、〉

〔枕草子〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0082 はしは ひとつ橋

〔書言字考節用集〕

〈二乾坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0082 㰌(ヒトツバシ)〈廣雅、獨木之橋曰㰌、〉略彴(同)〈釋名〉獨梁(同)〈淮南子〉

〔和漢三才圖會〕

〈三十四船橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0082 榷〈音覺〉 彴〈音酌〉 俗云、一ツ橋、〈◯中略〉榷横木渡水者、即彴也、

〔大和志〕

〈十吉野郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0082 關梁 獨木梁(イツホンハシ)〈在小原村、跨十津川、溪中處處獨木梁莫於此、〉

〔古今和歌六帖〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0083 はし 津の國のなにはの浦のひとつ橋(○○○○)君をしおもへばあからめもせず、

〔夫木和歌抄〕

〈二十一橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0083 題不知〈ひとつばし〉 平政村朝臣 くちのこる野田の入江のひとつばし心ぼそくも身ぞふりにける

〔三河物語〕

〈三下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0083 天正三年〈乙亥〉五月廿一日、〈◯中略〉勝頼は纔二萬餘にて、たき河之一ツ橋(○○○)之せつしよを越(アマ)、賸(ツサヘ)橋を越て、〈◯下略〉

〔橘窗自語〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0083 天明六年九月、粟田新感神院の祭禮、將軍家〈俊明院殿〉御事にて延引して、十一月になりたり、此祭禮に白川の流の末、知恩院ちかきわたりに、一本橋とてかりそめに石を二枚計りわたしたる橋(○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○)を、祭の劒鉾をもちて夜半ばかり、夜わたりとてとほる事あり、

〔和爾雅〕

〈一下地理〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0083 陸奧國 野田(ノダ)〈(中略)一橋〉

〔江戸砂子〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0083 一ツ橋 神田ばしの西手也 御城取の時、大木一本にてはしをかけしゆへの名なり(○○○○○○○○○○○○○○○○○○)と也、

圓橋

〔八雲御抄〕

〈三上地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0083 橋 圓〈清抄〉

〔夫木和歌抄〕

〈二十一橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0083 まろばし

〔藻鹽草〕

〈五橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0083 圓橋

〔倭訓栞〕

〈中編二十四末〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0083 まろばし 丸橋の義、丸木橋も同じ、

〔堀河院御時百首和歌〕

〈雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0083 橋 藤原顯仲朝臣 くちにけり人もかよはずいそのかみふるのヽさはにわたすまろばし

圓木橋

〔八雲御抄〕

〈三上地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0083 橋 圓木

〔藻鹽草〕

〈五橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0083 圓木橋〈◯中略〉 岩にかけつく圓木橋 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0084 圓木の一橋

〔倭訓栞〕

〈中編二十四末〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0084 まろきばし 獨木橋をいふ也

〔新撰六帖〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0084 はし 知家 旅人のわたるかけぢの丸木ばしあやぶみながら行ちがひつヽ

〔新撰六帖〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0084 しらぬ人 前内大臣 ふみまよふ山のかけぢの丸木橋しらずながらや戀渡るべき

〔源平盛衰記〕

〈三十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0084 小宰相局附愼夫人事 越前三位通盛ハ、〈◯中略〉小宰相ノ局ト申女房ヲゾ相具シ給タリケル、彼局ト申ハ、故刑部卿憲方ノ娘、上西門院〈◯後白河后統子内親王〉ノ女房也、心ハ情深、形チ人ニ勝給タリト聞エシカバ、心ヲ懸ヌ人ハナシ、〈◯中略〉通盛御所ノ舍人ヲ語ヒテ、御文ヲ書テ是ヲ持テ、小宰相局ニ奉テ、散ヌ所ニ打置トテ給テケリ、〈◯中略〉女院此文ヲ取出サセ給ヘバ、妓爐ノ煙ニ薫ツヽ香モナヅカシキ匂アリ、手跡モナベテナラズ嚴ク、筆ノ立所モメヅラカナリ、 我戀ハ細谷川ノ丸木橋フミ返サレテヌルヽ袖カナ、〈◯中略〉難面御心モ今ハ中々嬉クテナント書タリ、是ハ逢ヌヲ恨タル文也、〈◯中略〉女院御自御硯引寄セ御座テ、 タヾ憑メ細谷川ノ丸木橋フミ返テハ落ル習ゾ 谷水ノ下ニ流テ丸木橋フミ見テ後ゾ悔シカリケル、ト遊シテ、女院御媒ニテ渡ラセ給ヘバ、力及デ終ニ靡給ニケリ、

〔夫木和歌抄〕

〈二十一橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0084 文治六年五社百首〈まろきばし〉 皇太后宮大夫俊成卿 すヾか山きりのふるきのまろきばしこれもやことの音にかよふらん

伏木橋

〔夫木和歌抄〕

〈二十一橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0084 家集行路歌〈ふしぎのはし〉 權大納言實家卿 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085 夕まぐれすだくほたるは谷川のふしぎの橋のしるべなりけり

抛渡橋

〔和漢三才圖會〕

〈三十四船橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085 榷〈◯中略〉 俗云、一ツ橋、又云投渡橋、

〔攝陽群談〕

〈七橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085 抛渡橋 同〈◯川邊郡〉同所〈◯南野村〉ノ東昆陽庄内ニアリ、此橋昆陽舊跡ニ比スト云ヘドモ、所縁不詳、

引渡橋

〔飛州志〕

〈一土地〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085 橋梁之製 引渡橋 丸木橋、一本橋トモイヘリ、皆一列ナリ、是造ルハ圓木ノ面ヲ少シケヅリテ打ワタセルモノ也、故ニ川幅二三間ヨリ四五間ニ至レリ、適十餘間二十餘間ナルモノアリ、是ラハ川ノ中央ニ枠ヲ建テ、是ニ亘シカケテ二繼トス、仍テ木數モ二本、或ハ三本ヲ並ベテ幅トスル也、

打橋

〔八雲御抄〕

〈三上地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085 橋 打〈萬〉 〈あすかゞは〉

〔倭訓栞〕

〈前編四宇〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085 うちはし 神代紀に見ゆ、假に打渡したる橋也、又源氏、枕草紙などに見えたるを、細流に渡殿のきり馬道に板をうちわたしてかよふ道也といへり、萬葉集に、 はたものヽふみ木もて來て天河打橋わたす君が來むため

〔萬葉集略解〕

〈十上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085 うちはしは柱なくして打わたすをいふ、宣長云、うちはしはうつし橋にて、こヽかしこへ移しわたせばいふといへり、

〔日本書紀〕

〈二神代〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085 一書曰、〈◯中略〉時高皇産靈尊、乃還遣二神、〈◯經津主、武甕槌〉勅大己貴神曰、今者聞汝所一レ言、深有其理、故更條條而勅之、〈◯中略〉爲汝往來遊海之具、高橋浮橋及天鳥船、亦將供造、又於天安河、亦造打橋(○○)

〔神代口訣〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085 打橋、梯也、

〔日本紀神代抄〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085 打橋、師説、義不詳云々、天上ニ通ズベキタメ也、〈浮橋同ジ云々〉

〔神代卷家傳聞書〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085 打橋ハ、打渡ス橋也、

〔萬葉集〕

〈二挽歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085 明日香皇女木缻殯宮之時、柿本朝臣人麻呂作歌一首并短歌、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0086 飛鳥(トブトリノ)、明日香乃河之(アスカノカハノ)、上瀬(カミツセニ)、石橋渡(イハヾシワタシ)、〈一云石浪〉下瀬(シモツセニ)、打橋渡(ウチハシワタシ)、石橋(イハヾシニ)、〈一云石浪〉生靡留(オヒナビケル)、玉藻毛叙(タマモモゾ)、絶者生流(タユレバオフル)、打橋(ウチハシ)、生乎爲禮流(ニオヒヲヽレル)、川藻毛叙(カハモモゾ)、干者波由流(カルレバハユル)、〈◯下略〉

〔萬葉集〕

〈四相聞〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0086 大伴郞女和歌四首〈◯三首略〉千鳥鳴(チドリナク)、佐保乃河門乃(サホノカハトノ)、瀬乎廣彌(セヲヒロミ)、打橋渡須(ウチハシワタス)、奈我來跡念者(ナガクトモヘバ)、

〔萬葉集〕

〈七雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0086 羈旅作勢能山爾(セノヤマニ)、直向(タヾニムカヘル)、妹之山(イモノヤマ)、事聽屋毛(コトユルセヤモ)、打橋渡(ウチハシワタス)、 右七首〈◯六首略〉者、藤原卿〈◯房前〉作、未年月

〔源氏物語〕

〈一桐壺〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0086 御つぼねはきりつぼなり、あまたの御かた〴〵をすぎさせ給つヽ、ひまなき御まへわたりに、人の御こヽろをつくし給も、げにことはりとみえたり、まうのぼり給にも、あまりうちしきるをり〳〵は、うちはし(○○○○)、わた殿、こヽかしこのみちにあやしきわざをしつヽ、御をくりむかへの人のきぬのすそ、たへがたうまさなきことヾもあり、

〔源氏物語湖月抄〕

〈一桐壺〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0086 うちはし 〈細〉きり馬道に、板をうちわたしてかよふみちなり、内階、

〔筑紫道記〕

〈宗祇〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0086 十六日〈◯文明十二年九月、中略、〉宰府聖廟へまゐる、〈◯中略〉反橋たかうして二有、又うちはしふたつ、その中にあり、

竿橋

〔釋日本紀〕

〈二十四和歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0086 佐烏磨志(サヲハシ)〈竿橋也、【言】【一橋】、〉

〔日本書紀〕

〈七景行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0086 十八年七月甲午、到筑紫後國御木、居於高田行宮、時有僵樹、長九百七十丈焉、百寮蹈其樹而往來、時人歌曰、阿佐志毛能(アサシモノ)、濔概能【佐烏麼志】(ミケノサヲハシ)、魔幣莵耆彌(マヘツギミ)、伊和哆羅秀暮(イワタラスモ)、彌開能佐烏麼志(ミケノサヲハシ)、爰天皇問之曰、是何樹也、有一老夫曰、是樹者歴木也、嘗未僵之先、當朝日暉、則隱杵島山、當夕日暉、覆阿蘇山也、天皇曰、是樹者神木、故是國宜御木國

〔釋日本紀〕

〈二十四和歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0086 瀰開能佐烏磨志(ミケノサヲハシ)〈御木之竿橋也 凡歌意者、百寮蹈僵樹往來之間、以彼木橋也、〉

〔日本書紀通證〕

〈十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0087 濔概能佐烏麼志〈瀰、類聚國史作瀰、御木狹小橋也、〉

黒木橋

〔藻鹽草〕

〈五橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0087 くろぎの橋

〔皇大神宮儀式帳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0087 一供奉朝大御饌夕大御饌行事事 御贄清供奉御橋一處、〈長十丈、弘二尺、高八尺、◯中略〉御橋者度會郡司以黒木造奉、三節祭、別禁封其橋、人度不往還

〔御鎭座本紀〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0087 御井與御炊殿往還間道一百二十丈、橋一十五丈、〈黒木丸橋〉此月毎修理掃淨、雜人等不通〈志天、〉愼敬仕奉、〈◯中略〉以(○)黒木(○○)渡(○)奉御橋(○○○)天(○)、止由氣太神乃大御饌、伴神御氣供進、奉三節祭、別禁封其橋、人渡不往還、則齋敬供奉流也、

〔元長參詣記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0087 爰に倭姫命御裳のよごれを濯賜川ヲ、御裳濯河ト云、彼一百二十丈ノ黒樹ノ橋有り、是秘奉ルなどかたる、

〔大神宮諸雜事記〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0087 天平寶字六年九月十五日、洪水五十鈴川洗岸流爪、而間度會郡司依例天、太神宮御前乃御川黒木御橋一道奉造渡之程、郡司俄落入於御川〈天、◯中略〉天暦八年五月十七日、太神宮神主進於宮司注文云、〈◯中略〉右撿古實、宮中色々雜事役番宿直之勤、偏郡司所役也、〈◯中略〉御前黒木御橋已鎭之勤也、

〔枕草子〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0087 草の花は さうびはちかくて、枝のさまなどはむつかしけれどおかし、雨などはれ行たる水のつら、くろぎのはしなどのつらにみだれさきたる夕ばへ、

〔台記別記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0087 仁平三年十一月廿六日辛亥、今日詣春日、 廿七日壬子、渡黒木橋〈予(藤原頼長)渡之橋也〉經埒門餺飥舍、賜妓女了、

〔元長參詣記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0087 高倉山ノ西藤岡山トテ有リ、其ニ天忍穗井御饌料ノ水アリ、汲奉ル宮人ノ道ニ橋アリ、是レ一百二十丈黒樹橋ト云、雜人不渡、今ハ河モたえて橋モかたの如タリ、

〔皇大神宮年中行事〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0088 一十一日旬神拜事 皇神達皆其坐方向蹲踞拜也、件神拜以往御河有入江黒木橋渡、仍號御橋神拜

〔詠大神宮二所神祇百首和歌〕

〈冬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0088 網代 宇治川ヤ黒木ノ橋ノナカリセバ網代モヤナモ打ベキ物ヲ 山城ノ宇治川ニハ網代ナドモ在ドモ、コノ宇治川奉恐以テ羨也、〈◯也恐无誤〉黒木ノ橋内外ノ宮有之、

檜橋

〔八雲御抄〕

〈三上地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0088 橋 ひ〈萬檜〉 いちゐづの〈ひばしといへり〉

〔藻鹽草〕

〈五雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0088 檜橋〈いちいづのひばしと云り〉

〔倭訓栞〕

〈中編二十一比〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0088 ひばし 檜橋の稱あり、萬葉によめり、

〔萬葉集〕

〈十六有由緒并雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0088 長忌寸意吉麻呂歌八首 刺名倍爾(サシナベニ)、湯和可世子等(ユワカセコドモ)、櫟津乃(イチヒヅノ)、檜橋從來許武(ヒバシヨリコム)、狐爾安牟佐武(キツニアムサム)、

板橋

〔藻鹽草〕

〈五橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0088 いた橋〈橋板共よめり、のの字なくても、〉

〔易林本節用集〕

〈伊乾坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0088 板橋

〔倭訓栞〕

〈中編二伊〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0088 いたばし 唐詩に、人跡板橋霜と見えたり、草庵集に、 今朝はまた人のゆきヽの跡もなし夜の間の霜のまヽの繼橋、詩格に朝陽不到溪陰處、留得横橋一板霜とも見えたり、

〔堀河院御時百首和歌〕

〈雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0088 橋 權中納言國信 打わたすまきの板橋(○○○○○)朽にけりまれにも人のこばいかにせん

〔夫木和歌抄〕

〈二十一橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0088 文應元年七社百首〈はしどの〉 民部卿爲家 はしどのヽまきの板橋いしばしにつヾきてのぼる山ぞかしこき

〔千首和歌大神宮法樂〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 橋 四辻宰相中將 夜をこめて遠かた人やわたすらん霜に跡みる谷の板橋

〔詩仙堂志〕

〈承集〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 寄題石川大人凹凸窠十二景 谿邊紅葉 晴嵐粧染晩秋山、錦樹殷紅映碧灣、蓮社板橋霜後葉、色如彭澤酡顏、 夕顏巷叜〈◯林道春〉

竹橋

〔八雲御抄〕

〈三上地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 橋 竹〈階〉

〔藻鹽草〕

〈五橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 竹橋〈階〉

〔大和志〕

〈十一宇陀郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 關梁 竹橋〈在山路村

〔慶長見聞集〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 江戸の川橋にいわれ有事 見しは今、江戸に古より細き流れ只一筋あり、〈◯中略〉此流に橋五ツ渡せり、〈◯中略〉竹をあみて渡したる橋あり(○○○○○○○○○○○○)、是はすのこ橋(○○○○○○)、竹橋とも名付たり(○○○○○○○○)、

〔江戸砂子〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 竹橋 御城きづきのころ、竹をあみてしばらくのはしにわたされしよりの名といふ、

簀子橋

〔勢陽五鈴遺響〕

〈度會郡八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 簀子橋 舊蹟聞書云 岩淵箕曲ノ末成橋ハ、近比迄竹ヲ編テ其上ニ土ヲ少敷テ渡リケル故ニ、簀ノ子橋ト云云、

〔名所方角抄〕

〈美濃〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 長橋 橋の長五町計也、〈◯中略〉此橋は蘆ず也(○○○○○○)

〔攝陽群談〕

〈七橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 簀子橋 同〈◯川邊〉郡同所〈◯南野村〉ニアリ

〔大和志〕

〈十吉野郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 關梁 簀橋〈在宮瀧村、跨吉野川瀧上、〉

〔奧羽觀蹟聞老志〕

〈八栗原郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 簀子橋 在内野崎村、近于荒屋驛、是地亦舊跡也、

黒樔橋

〔倭訓栞〕

〈中編六久〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0090 くろすのはし 古事記に黒樔橋と見ゆ、黒木の丸太を打渡し、其中に柴薪を挾みて造るをいふ、今も山川に多し、

〔古事記〕

〈中垂仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0090 本牟智和氣御子〈◯中略〉八拳鬚至于心前、眞事登波受、〈◯註略〉故今間高往鵠之音、始爲阿藝登比、〈◯註略〉爾遣山邊之大鶙、〈◯註略〉令其鳥、〈◯中略〉亦見其鳥者、於思物言而、如思爾勿言事、於是天皇患賜而御寢之時、覺于御夢曰、修理我宮如天皇之御舍者、御子必眞事登波牟、〈自登下三字以音〉如此覺時、布斗摩邇邇占相而、求何神之心、爾祟出雲大神之御心、〈◯中略〉故到出雲、拜訖大神、還上之時、肥河之中作黒樔橋、仕奉假宮而坐、

〔古事記傳〕

〈二十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0090 黒樔橋は、久漏岐能須婆斯と訓べし、樔字は巣と同じければ、簀の意に借れるなり、又以簿取魚曰樔とも字書に云れば、直に簀の義に書るにもあるべし、さて〈簀とは常には竹葦などを編たるを云へども、此は、〉細き木を簀に編並べてかけたるを、簀橋とは云なるべし、明宮段に、船中之箐椅とあるも是なるべし、〈箐は笭箐とて、小籠のことにて由なければ、簀字を誤れるなり、甕栗宮段に、魚簀とある簀字をも、一本に箐に誤れる例あり、〉黒とは黒木なるを云なるべし、故木字は無けれど然訓つ、〈此は必黒木を云なるべきに、たゞ久漏とのみにてはクロキスバシ、クロスバシ、クロスノハシなど、いかに訓ても、隱ならざればなり、又黒木をおきては、他に黒と云べき由おもほえず、谷川氏云、黒樔橋とは、黒木のまるたを打渡して、其中に柴などを挟みて造るを云、今も山川に然せる橋多しといへり、〉さて此は假宮に往來ふ料に、假に渡せる橋なり、

柴橋

〔八雲御抄〕

〈三上地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0090 橋 しば

〔夫木和歌抄〕

〈二十一橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0090 建仁元年五十首橋下花〈しばはし〉 前中納言定家卿 あともなき山路の櫻ふりはへてとはれぬしるき谷のしばはし

〔太平記〕

〈三十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0090 光嚴院禪定法皇行脚御事 光嚴院禪定法皇ハ、〈◯中略〉人工行者ノ一人ヲモ不召具、只順覺ト申ケル僧ヲ一人御供ニテ、山林斗藪ノ爲ニ出立サセ給フ、〈◯中略〉經日紀伊川ヲ渡ラセ給ヒケル時、橋柱朽テ見ルモ危キ柴橋アリ、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0091 御足冷ク御肝消テ渡リカ子サセ給ヒタレバ、橋ノ半ニ立迷テオハスルヲ、誰トハ不知、如何様此邊ニ臂ヲ張リ、作リ眼スル者ニテゾアル覽ト覺エタル武士七八人、跡ヨリ來リケルガ、法皇ノ橋ノ上ニ立セ給ヒタルヲ見テ、此ナル僧ノ臆病氣ナル見度モナサヨ、是程急ギ道ノ一ツ橋ヲ渡ラバトク渡レカシ、サナクバ後ニ渡レカシトテ押ノケ進ラセケル程ニ、法皇橋ノ上ヨリ被押落サセ給ヒテ、水ニ沈マセ給ヒニケリ、

〔一話一言〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0091 立圃驛路〈全書〉 又の日〈◯慶安五年九月十一日〉のあした、霜しろく露もこぼるヽばかりに見へていとさむし、〈◯中略〉懸河のはしは土橋と見へしが、よく見渡せば、柴をつがねあげてつちをあつくおほへり(○○○○○○○○○○○○○○○○○○)、 かけ河やはしはしゐ柴栗ばしら

〔菅笠日記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0091 くだりはてたる所の里を樋口といひ、そのむかひの山本なる里は宮瀧にて、よしのの川は此ふた里のあひだをなん流れたる、〈◯中略〉此わたり、川のさま、さるいはほの間にせまりて水はいと深かれど、のどやかにながれて早瀬にはあらず、さて岩より岩へわたせる橋、三丈ばかりもあらんか、宮瀧の柴橋といひて、柴してあみたる、渡ればゆるぎて、ならはぬこヽちにはあやふし、

土橋

〔倭名類聚抄〕

〈十道路具〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0091 土橋 唐韻云、圮〈音怡、和名豆知波之、〉土橋也、

〔字鏡集〕

〈四土〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0091 圮〈http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006520d6.gifhttp://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006520d7.gif 同〉 〈ヒバシ ツチバシ〉

〔永正記〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0091 一宮中穢物之時可思慮事 御池土橋道穢物不本宮、乍立見付人、即退出不穢他云々、橋穢物不本宮、土橋同也云々、

〔東海道名所記〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0091 町屋 まちや橋 小橋 大橋、長さ百六十間、〈土ばし(○○○)也〉

〔東行別記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0092 町屋河 四日市をすぎて町屋河をわたるに、此河土橋なれば、かの留侯のいにしへをおもひ出るにつけて、心に感ずることなからんや、 町屋河波通古今、往來何見一知音、當時縱有圮客、取履誰能吐赤心

〔東海道名所記〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0092 酒勾川、富士のすそより流る、常には歩渡り、冬は土橋をかけらる、

〈東海木曾〉

〔兩道中懷寶圖鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0092 酒勾川 かちわたし、冬はつちばし懸る、

〔用捨箱〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0092 六郷酒勾之土橋 六郷の橋絶て後、土橋のかヽりし事のあり、酒勾川も又同じ、千尋日本織〈寶永四年印本〉に、相州佐川に橋ある事は(○○○○○○○○○○)、霜月十日よりあくる三月十日までなり(○○○○○○○○○○○○○○○○○)、此日土橋を引崩して歩行わたりするなりとあり、春秋落水はげしきときは妨となるが故、橋あるは冬春のみなり、こヽには霜月とあれども、十月より掛し事もありしとおぼしく、 五元集 神の旅酒勾は橋となりにけり 其角といふ句見えたり、

〔都紀行〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0092 廿五日〈◯文久三年十二月〉酒勾川に至る、此川は十月五日より三月五日まで橋を掛、其間は船にて渡すといふ、土橋を越て新田義貞の宮居ある一宮の在所を過、

石橋

〔伊呂波字類抄〕

〈伊地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0092 石橋〈イシハシ〉 矼〈音江〉 杠〈巳上同〉

〔童蒙頌韻〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0092 支四岐(キ/ヤマノチマタ) 崎(キノ/サキニ) http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/0000000196d9.gif (キ/サヽヘタリ) 碕(キト/イシバシヲ)

〔八雲御抄〕

〈三上地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0092 橋 石〈又いは〉

〔藻鹽草〕

〈五橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0092 石橋〈岩橋共、石の橋共よめる歟、〉

〔倭訓栞〕

〈前編三伊〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0093 いはヾし 石橋と萬葉集にみゆ、久米のいはヽし、陸奧の磐梯山などはたヾ一ツの磐石なり、河内國平石村の山上にも石橋あり實に天造の奇巖なり、

〔播磨風土記〕

〈印南郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0093 益氣里、〈土中上〉所以號一レ宅者、大帶日子命造御宅於此村、故曰宅村、〈◯中略〉有石橋、傳云、上古之時、此橋至天、八十人衆、上下往來、故曰八十橋

〔晴富宿禰記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0093 文明十二年二月廿八日己卯、前栽石橋、自妙連寺之、今日立之、

〔見聞雜記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0093 二月〈◯年號不詳〉九日、千手堂ノ前ノ石橋、乘珍法橋敬神二渡抑此石ハ、无量光院ノ唐門ノカライシキ也、

〔應仁記〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0093 相國寺炎上之事 相國寺ノ〈◯中略〉總門ヲ堅メ、石橋ヨリ攻入敵ヲ請テ、〈◯下略〉

〔雍州府志〕

〈八古蹟〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0093 石橋 石橋處々有之、其内不稱號、專稱石橋者、相國寺門前之橋也、

〔山城名勝志〕

〈二洛湯〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0093 石橋〈今按、有烏丸東、今出川通北、石橋町、〉

〔水戸温古録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0093 水戸様御庭〈小石川上やしき〉 石橋〈舜水差圖ヲ以、駒槇嘉兵衞是作る、大地震に而も崩れず、また橋杭なし、〉

〔西遊雜記〕

〈十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0093 長崎は石の至て自由の地にして、石橋いろ〳〵に企し能橋も有、

〔武江年表〕

〈十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0093 慶應二年十一月、淺草寺町菊屋橋を石橋に造り改む、

〔新撰字鏡〕

〈石〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0093 砌(○)〈且計、千計二反、去、限也、庖也、伊志波志、〉 磴(○)〈丁㔁反、登也、伊志波志、〉

〔書言字考節用集〕

〈一乾坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0093 懸磴(イシハシ/イハハシ)〈文選註、石橋也、〉矼(同)〈韵略〉

〔倭名類聚抄〕

〈十道路具〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0093 石橋 爾雅注云、矼(○)〈音江、和名以之波之、〉石橋也、

〔爾雅註疏〕

〈四釋宮〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0093 石杠(○○)謂之倚、註〈聚(○)石水中(○○○)、以爲(○○)歩渡彴(○○○)也(○)、孟子曰、歳十一月徒杠成、或曰、今之石橋、〉疏、〈(中略)石杠、一名徛、郭氏亦兩解、一名聚石水中、以爲歩渡彴也、廣雅云、倚歩橋也、一云、或曰今之石橋、〉

〔字鏡集〕

〈二石〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 矼〈イシバシ〉

〔同〕

〈五木〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 杠〈イシバシ、ハシ、〉

〔八雲御抄〕

〈五名所〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 橋 せヾのいは〈大 非名所、只あすかがはのはしなり、〉

〔倭訓栞〕

〈前編三伊〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 いしばし 倭名鈔に矼をよめり、聚石爲歩渡と注せり、新撰字鏡に磴又砌をもよめり、萬葉集に石走と書り、石橋ともみゆ、渡瀬に石を並べ置をいふ、よて間近きとも、間々ともつづけり、いしなみともいへり、石浪と書たれど石並の義成べし、又いはヾし、いはなみともよめり、〈◯中略〉 いはヾし、石橋と萬葉集にみゆ、〈◯中略〉萬葉集によめるは、川に石を並べ置て渡るをいへり、よて石走とも書り、

〔萬葉集〕

〈二挽歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 明日香皇女木缻殯宮之時、柿本朝臣人麻呂作歌一首并短歌、 飛鳥明日香乃河之(トブトリノアスカノカハノ)、上瀬(カミツセニ)、石橋渡(イハヾシワタシ)、〈一云石浪〉下瀬(シモツセニ)、打橋渡(ウチハシワタシ)、

〔冠辭考〕

〈二伊〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 いはばしの石橋(イハヾシ)、〈一云石浪、〉生靡留(オヒヲセレル)、玉藻毛叙(タマモヽゾ)云々、〈この石浪の浪は、借字にて石並也、その石並渡したるを、即石ばしともいふ故に、かく二様にも有也、〉

〔萬葉集〕

〈二十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 七夕歌八首安吉佐禮婆(アキサレバ)、奇里多知和多流(キリタチワタル)、安麻能河波(アマノガハ)、【伊之奈彌】於可婆(イシナミオカバ)、都藝氐見牟可母(ツギナミムカモ)、〈◯中略〉 右大伴宿禰家持、獨仰天漢之、

〔萬葉集〕

〈四相聞〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 笠女郞贈大伴宿禰家持歌廿四首〈◯二十三首略〉 宇都蝉之(ウツセミノ)、人目乎繁見(ヒトメヲシゲミ)、石走(イハヾシノ)、間近君爾(マジカキキミニ)、戀度可聞(コヒワタルカモ)、

〔冠辭考〕

〈二伊〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 いはばしの 萬葉卷四に、宇都蝉之(ウツセミノ)、人目乎繁見(ヒトメヲシゲミ)、石走(イハバシノ)、間近君爾(マジカキキミニ)、戀渡可聞(コヒワタルカモ)、この石走の字、〈◯中略〉こをいはばしとよめるは、川に石を並おきて渡るをいへり、

〔萬葉集〕

〈七雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0095故郷 年月毛(トシツキモ)、未經爾(イマダヘナクニ)、明日香河(アスカガハ)、湍瀬由渡之(セヾユワタリシ)、石走無(イハバシモナシ)、〈◯中略〉 旋頭歌 橋立(ハシダテノ)、倉椅川石走者裳(クラハシガハノイハノハシハモ)、壯子時(ヲザカリニ)、我度爲(ワガワタリシ)、石走者裳(イハノハシハモ)、

〔萬葉集〕

〈十秋相聞〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0095花 石走(イハヾシノ)、間間生有(マヽニオヒタル)、貌花乃(カホバナノ)、花西有來(ハナニシアリケリ)、在筒見者(アリツヽミレバ)、

〔萬葉集〕

〈十一古今相聞往來歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0095物陳思 明日香川明日文將渡(アスカガハアスモワタラム)、石走(イハヾシノ)、遠心者(トホキコヽロハ)、不思鴨(オモホエヌカモ)、

〔萬葉集〕

〈十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0095 雜歌 帛http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001d380.gif (ミテグラヲ)、楢從出而(ナラヨリイデテ)、水蓼(ミズタデヲ)、穗積至(ホヅミニイタリ)、鳥網張(トナミハル)、坂手乎過(サカテヲスグリ)、石走(イハヾシノ)、甘南備山丹(カミナビヤマニ)、朝宮仕奉而(アサミヤニツカヘマツリテ)、吉野部登(ヨシヌヘト)、入座見者(イリマスミレバ)、古所念(イニシヘオモホユ)、〈◯中略〉 此歌、入道殿讀出給、

〔永久四年百首〕

〈雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0095 石 常陸 おく山の人もかよはぬ谷河にせヾの岩橋(○○○○○)たれわたしけん

〔夫木和歌抄〕

〈二十一橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0095 正治二年百首〈たにのいはゞし〉 二條院讃岐 つまぎこるわがかよひぢのほかにまた人もいひこぬたにのいはヾし(○○○○○○○)

〔夫木和歌抄〕

〈二十一橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0095 寶治二年百首水邊螢〈みたらしがはのはし〉 從二位頼氏卿 くれゆけばこの下くらきいはヾし(○○○○)のみたらしがはにとぶ螢かな

〔夫木和歌抄〕

〈二十一橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0095 欵冬藏橋〈いでのいはばし〉 修理大夫顯季卿 かよひこしゐでのいはヾし(○○○○○○○)たどるまでところもさらずさける山ぶき

浮橋

〔倭名類聚抄〕

〈十道路具〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096 浮橋 魏略五行志云、洛水浮橋、〈和名宇岐波之〉

〔類聚名義抄〕

〈木〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096 橋 浮橋〈ウキハシ〉

〔伊呂波字類抄〕

〈宇地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096 浮橋〈ウキハシ〉

〔藻鹽草〕

〈五橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096 うき橋 草のうき橋

〔書言字考節用集〕

〈一乾坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096 舥(ウキハシ)〈韵會、浮梁也、〉浮梁(同)、浮橋(同)、

〔和漢三才圖會〕

〈三十四船橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096 艁(フナバシ)〈音造〉 浮橋 舟橋 比舟爲梁、加板於上、水急不橋、故以浮舟渡、周赧王始作浮橋、 按、艁以舟爲橋也、

〔爾雅註疏〕

〈七釋水〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096 天子造舟、註、〈比船爲橋、〉〈造七到切◯中略〉疏〈(中略)云天子造舟、者、詩大雅大明云、造舟爲梁是也、言造舟者、比船於水板於上、即今之浮橋、故杜預云、造舟爲梁、則河橋之謂也〉

〔倭訓栞〕

〈中編三宇〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096 うきはし 日本紀、万葉集に見ゆ、浮橋也、舟橋をいふ(○○○○○)、もと魏略に見ゆ、

〔松屋棟梁集〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096 隅田河埋木文臺記 浮橋は十六夜日記に、舟をならべてまさきの繩にやあらん、かけとヾめたる、夫木抄に、〈雜三橋部、法眼慶融歌に、うき橋に竹のよりづな打はへて小舟ならぶる富士の川浪とあり、〉竹のより繩打はへて、をぶねならぶるなどいひたれば、もはら舟橋におなじ、その圖は一遍聖繪、〈第六卷、富士川の條に見ゆ、大繩二條を引わたしその繩に舟をよこさまに所々につなぎ、舟の上へ縱横に木や板を置ならべて造れる圖也、慶融が歌のさまにつゆたがはず、〉

〔世俗淺深秘抄〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096 一行幸時、淀河、桂河浮橋(○○)渡御時、公卿并近衞次將下馬、是定例也、而近代非將公卿下馬、於公卿將者必可下馬也、但於桂河或不下馬同也、非參議同之、〈◯下略〉

〔日本書紀〕

〈二神代〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096 一書曰、〈◯中略〉時高皇産靈尊、乃還遣二神、〈◯經津主、武甕槌、〉勅大己貴神曰、今者聞汝所一レ言、深有其理、故更條條而勅之、〈◯中略〉爲汝往來遊海之具、高橋、浮橋、及天鳥船、亦將供造

〔神代卷家傳聞書〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0097 浮橋ハ舟橋也

〔日本書紀〕

〈二神代〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0097 皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊、〈◯中略〉離天磐座、〈天磐座此云阿麻能以簸矩羅、〉且排分天八重雲、稜威之道別道別而天降於日向襲之高千穗峯矣旣而皇孫遊行之状者、則自槵日二上天浮橋(○○○)、立於浮渚在平處、〈立於浮渚在平處、此云羽企爾磨梨陀毘邏而陀陀志、〉而膂完之空國自頓丘國行去、〈頓丘、此云毘陀烏、覓國、此云矩貳磨儀、行去、此云騰褒屢、〉到於吾田長屋笠狹之碕矣、

〔釋日本紀〕

〈八述義〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0097 槵日二上天浮橋 天浮橋者、天降之義、渡橋之義也、今世如行幸之時浮橋、可此歟、攝問云、渡浮橋而天降者、天地相近歟、左金吾仰云、伊弉諾伊弉册尊生日神、以天柱於天上之時、天地相去未遠之由、見上卷耳、

〔萬葉集〕

〈十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0097三香原新都歌一首并短歌 山背乃(ヤマシロノ)、久爾能美夜古波(クニノミヤコハ)、春佐禮播(ハルサレバ)、花咲乎乎理(ハナサキヲヽリ)、秋佐禮婆(アキサレバ)、黄葉爾保比(モミヂバニホヒ)、於婆勢流(オバセル)、泉河乃(イヅミノカハノ)、可美都瀬爾(カミツセニ)、宇知橋和多之(ウチハシワタシ)、余登瀬爾波(ヨドセニハ)、宇枳橋和多之(ウキハシワタシ)、安里我欲比(アリガヨヒ)、都可倍麻都良武(ツカヘマツラム)、萬代麻底爾(ヨロヅヨマデニ)、

〔花鳥餘情〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0097 李部王記、延長六年十二月五日、大原野行幸、卯初主上〈◯醍醐〉御輿、著赤色袍朱雀門交門出御、至五條大路西折、至桂河邊、主上降御輿幄、群臣下馬、上御輿、群臣乘馬渡浮橋(○○)方(○)舟爲(○○)梁(○)、其上敷(○○○)板(○)、自桂路野口、〈◯原本有誤脱、以扶桑略記補正、又見新儀式、〉

〔空穗物語〕

〈祭の使〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0097 かヽるほどに、六月の比ほひにもなりぬ、大將はいけひろくふかく色々のうへきヽしにておひたり、水のうへにえださし入などしたるなかじまに、かたはしは水にのぞき、かたはしはしまにかけて、いかめしきつり殿つくられて、おかしきふねどもおろしうきはしわたし(○○○○○○○○○○○○○○○○○○)、あつき日ざかりには、人々すヾみなどし給ふ、

〔源氏物語〕

〈二十九行幸〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0097 しはすに大原野の行幸とて、世に殘る人なくみさはぐを、六條院よりも御かたがたひき出つヽみ給ふ、〈◯中略〉めづらしうおかしきことにきをひ出つヽ、その人ともなく、かすか

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0098 なるあしよはき車など輪ををしひしがれ、あはれげなるもあり、うきはし(○○○○)のもとなどにも、このましうたちさまよふ、よきくるまおほかり、

〔源氏物語湖月抄〕

〈二十九行幸〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0098 うきはしのもと、〈細〉行幸の道の橋也、はしわたしの官人とて、撿非違使の故實ある事也、

〔後撰和歌集〕

〈十四戀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0098 おとこのたヾなりける時は、つねにまうできけるが、物いひてのちは、かどより わたれどまでこざりければ、 よみ人しらず たえざりし昔だにみしうきはしをいまはわたると音にのみきく

〔續古事談〕

〈五諸道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0098 白河院法勝寺ヘ御幸アリケリニ、大雨アリテ水オビタヽシクイデヽ、浮橋ナガレタリケルニ、盛重後陣ニツカウマツリタリケルガ、沓ヌギテクヽリタカクアゲテ、御車ノサキニスヽミイデヽ、アサセヲフマセテ、御車ヲワタシケリ、カヤウノヲリニツケタルフルマヒ、人ニスギタリケリ、

〔中右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0098 永久二年七月十八日、辰時許參院、付宗實事、〈◯中略〉行幸、浮橋便早令渡、可放生會之由欲下知如何、是嘉保二年石清水行幸浮橋、便用臨時之例也、仰云早令橋可放生會也、

〔長秋記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0098 天承元年三月十九日丙辰、稻荷祇園兩社行幸也、午始著稻荷社、〈◯中略〉事了䡨御輿、諸卿前騎、更渡浮橋入京中

〔山槐記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0098 保元四年正月九日甲子、今夜可御方違行幸、〈◯中略〉出御、〈◯二條〉承明、建禮門〈於此門、宰相中將公親仰御綱、〉待賢門東行、東洞院南行、郁芳門大路東行、入御自押小路殿、〈河原渡浮橋(○○)

〔庭槐抄〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0098 治承二年四月廿九日、召使來催云、明日御方違行幸可參者、今日河水彌増、人馬不往來云々、行幸有無、内々尋女房之處、如只今者、猶可行幸之儀也、可參云々、猶進使於内裏、〈◯中略〉使即歸來云、行幸猶必定也、早可參者、即馳參、河水甚深、尤有其恐、于時下人云、行幸已成、〈◯中略〉仍自後陣御輿了、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 今夜行幸強被忩之條、未其理、至于河原浮橋(○○○○)前陣逗留、被子細之處、只今浮橋已破了、御輿不進者、御輿停七條河原之口、近衞司等扣馬群立、左右相爭、群動滿耳、予以隨身光能朝臣、奏云、御輿徒逗留、尤無據、早可浮橋之條、可撿非違使、申叶之由者、早可法皇、〈◯後白河〉隨彼御氣色左右、被橋之條、猶有不審者、無左右御輿事、尤有其恐、當時參會、可後日之難也、光能進馬、依天氣即馳參院了、良久無音、而浮橋已被直了、早可渡御之由、院御返事云々、仍予進馬欲橋、而驚奔不渡、仍觸定能朝臣、扣馬先奉御輿了、近衞司等、或自水渡或過橋其後予下馬渡橋、是爲怖畏也、御輿扣河岸之間、予又驚前行了、幸法住寺殿、下馬入門、

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 治承二年十月晦日己未、自富小路北行、經川原、〈有浮橋

〔源平盛衰記〕

〈三十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 小宰相局附愼夫人事 越前三位通盛ハ、〈◯中略〉御所ノ舍人ヲ語ヒテ、御文ヲ書テ、是ヲ持テ小宰相局ニ奉テ、散ヌ所ニ打置トテ給テケリ、〈◯中略〉 踏カヘス谷ノウキ橋浮世ゾト思ヒシヨリモヌルヽ袖カナ、難面御心モ、今ハ中々嬉クテナント書タリ、

〔夫木和歌抄〕

〈二十一橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 六帖題御歌〈うきはし〉 中務卿のみこ鎌倉 かりそめに舟もてあめるうきはし(○○○○○○○○○○)のかけてあやうきよをわたりつヽ

〔六百番歌合〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 二十五番 寄橋戀 顯昭 いざやさは君にあはずばわたらじと身をうきはしにかきつけてみん

〔夫木和歌抄〕

〈二十一橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 うきはし 法眼慶融 うき橋に竹のよりつなうちはへて小舟ならぶる(○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○)ふじの川浪

〔明徳記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 十二月二十九日、〈◯明徳三年、中略、〉山名陸奧守氏清ハ二千三百餘騎、淀ノ大明神ノ御前ニ懸タ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 リケル浮橋ヲ渡テ、久我繩手ヲ直違ニ西ノ岡ヲ經テ、下桂ヘ打テ出テ、七條ノ末ヲ渡リ東洞院ヲ三條ノ邊迄懸通リ、大宮ヘ打テ出ベシトテ駒ヲハヤメテ打テ行ク、

〔氏經卿神事記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 應仁三年二月廿一日雨、浮橋落了、假橋依渡、予ハ不參、

舟橋

〔八雲御抄〕

〈三上地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 橋 舟

〔藻鹽草〕

〈五橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 船橋

〔書言字考節用集〕

〈一乾坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 艁(フナバシ)〈廣韵、以舟爲橋也、〉船橋(同)〈俗字〉

〔倭訓栞〕

〈中編二十二不〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 ふなばし 舟をもて橋とする也、越中富山より加賀に行道に、七十六艘もて掛たる橋あり、本邦第一なるべし、

〔常陸國風土記〕

〈行方郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 相鹿不生里 古老曰、倭武天皇坐相鹿丘前宮、此時膳炊屋舍構立浦濱、編䑻作橋通御在所、取大炊之義大生之村

〔日本書紀〕

〈九神功〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100新羅之明年〈◯元年〉二月、皇后領群卿及百寮、移于穴門豐浦宮、即收天皇之喪、從海路以向京、時麛坂王、忍熊王、聞天皇崩、亦皇后西征、并皇子新生、而密謀之、〈◯中略〉乃佯天皇上レ陵、詣播磨山陵於赤石、仍編(○)船絙(○○)于淡路島(○○○○)、運其島石而造之、

〔新撰六帖〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 はし これやこのそらにはあらぬあまの川かたのへ行は渡る船ばし

〔夫木和歌抄〕

〈二十一橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 文永三年毎日一首中〈ぬまのふなばし〉 民部卿爲家 水まさるぬまのふなばしともすればうきよわたりに袖ぬらしつヽ

〔夫木和歌抄〕

〈二十一橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 嘉祿三年百首 民部卿爲家 けぶりたつさとのしるべをめにかけてまだほどとをしさのヽ舟ばし 此歌は建長五年あづまへくだりけるに、あしがらのふもとにさのといふ所にてよめる歌、毎

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0101 日一首中、

〔慶安三年木曾路記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0101 佐渡川、墨股より一里あり、舟渡なり、墨股同前に舟橋かヽるなり、四百餘艘にて掛るなり、

〔游藝園隨筆抄〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0101 四月〈◯天保十四年〉十三日、日光山へ御參詣〈◯徳川家慶〉として御發輿なり、〈◯中略〉古河の渡の船橋は高瀬船といへる舟をいくらも並て、其上へ土を敷、柴を重ねて、申さば柴橋と馬場とを兼たるものヽ如くになし、大竹をもて欄干を設け、いと珍しくまた見べきものヽよし、上にもこヽは輿にて渡るは惜しきとの御意ありて御往返とも御歩行なりしとのことなり、

懸橋

〔倭名類聚抄〕

〈十道路具〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0101 梯 郭知玄云梯〈音低、和名加介波之、〉木堦所以登一レ高也唐韻云、棧、〈音筭一音賤、訓同上、〉板木構險爲道也、

〔伊呂波字類抄〕

〈加地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0101 梯〈カケハシ、水階也、〉 棧

〔八雲御抄〕

〈三上地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0101 橋 かけ

〔藻鹽草〕

〈三橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0101 かけ橋 山のかけ橋 谷のかけ橋

〔和漢三才圖會〕

〈三十四船橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0101 棧〈音殘〉 和名加介波之 棧棚也、閣也、閣木爲棧、漢書所謂棧道、今謂之閣道、 按、棧橋谷深、或流急而橋柱不得立之處、從岸組出行桁、不竪柱也、

〔倭訓栞〕

〈前編六加〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0101 かけはし 日本紀に磴をよめり、懸階の義、即棧道也、

〔飛州志〕

〈一土地〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0101 橋梁之製 本土ノ橋梁ハ溪澗ノ急流ニアリ、故ニ激水ノ爲ニ破ラルヽワヅライアルニヨリ、橋杭ヲ用ルコト稀也多ク棧道ニ造レリ、凡テハシノ號アルモノヲ載、其作用ヲ記ス、 棧道 是ヲ作ルハ先ヅ橋杭ノ如キ大木ヲ以テ、其木ノ半ハ岸ノ土中ニ埋メ、半ハ河ニサシ出セ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0102 リ、是ヲ第一ノハ子木ト云フ、數ハ橋ノ長短廣狹ニ隨ツテ、二本ヨリ三四五本ニモ及ビ、一面ニ並ベリ、此ハ子木河ニサシ出ス處二間出ルハ、地中ニハ三間餘藏ムル也、其岸ヲバ石垣ヲ用イ、枠ヲ造リ石ヲ詰メテ堅固ニイタスヲ橋臺ト云フ、如此兩岸ヨリ出ス所ヲ、兩ハ子木ノ上ニ橋桁ヲ引亘シ、其餘鋪板欄干等ノ用材ヲ備フルコト常ニ例ノ如シ、猶長橋ニ至ツテハ、兩岸ノハ子木二重モ三重モアツテ、其繼目毎ヲバ鐵ヲ以テ卷カタムル也、俗ハ子橋ト云ヘリ、

〔源道濟集〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0102 馬にのりたる人みたりすぐ、かけはしあり、 心してこまはゆかなんあし引の山のかけはしこけおひにけり

〔相模集〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0102 絶間がちなる人、いかで對面をがなといへば、 渡らじや磯のかけ橋ふりぬだにまどをに見ゆる中の景色を

〔太平記〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0102 千劒破城軍事 同〈◯元弘三年〉三月四日、關東ヨリ飛脚到來シテ、軍ヲ止テ徒ニ日ヲ送ル事、不然ト被下知ケレバ、宗徒ノ大將達評定有テ、御方ノ向ヒ陣ト敵ノ城トノ際ニ、高ク切立タル堀ニ橋ヲ渡シテ、城ヘ打入ラントゾ巧マレケル、爲之京都ヨリ番匠ヲ五百餘人召下シ、五六八九寸ノ材木ヲ集テ、廣サ一丈五尺(○○○○○○)、長二十丈餘ニ梯ヲゾ作ラセケル(○○○○○○○○○○○○○○)、梯旣ニ作リ出シケレバ、大繩ヲ二三千筋付テ、車ヲ以テ卷立テ、城ノ切岸ノ上ヘゾ倒シ懸タリケル、魯般ガ雲梯モ角ヤト覺テ巧也、軈テ早リオノ兵共五六千人、橋ノ上ヲ渡リ、我先ニト前ダリ、アハヤ此城只今打落サレヌト見エタル處ニ、楠兼テ用意ヤシタリケン、投松明ノサキニ火ヲ付テ、橋ノ上ニ薪ヲ積ルガ如クニ投集テ、水彈ヲ以テ油ヲ瀧ノ流ルヽ様ニ懸タル間、火橋桁ニ燃付テ溪風炎ヲ吹布タリ、慦ニ渡リ懸リタル兵共、前ヘ進ントスレバ、猛火盛ニ燃テ身ヲ焦ス、歸ントスレバ、後陣ノ大勢前ノ難儀ヲモ不云支タリ、ソバヘ飛ヲリントスレバ、谷深ク巖ソビヘテ肝冷シ、如何セント身ヲ揉テ押アフ程ニ、橋桁中ヨリ燃折テ、谷底

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0103 ヘドウト落ケレバ、數千ノ兵同時ニ猛火ノ中ヘ落重テ、一人モ不殘燃死ニケリ、〈◯下略〉

〔東遊雜記〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0103 簗取と布澤の間は、馬は、いふに不及、人の往來も自由ならざる嶮しき道なり、御巡見通行ゆへ、はし棧道を造り、至て危き道なり、高さ凡百丈餘、林下に谷川流、棧道の間三町餘、心よはきものは、目くるめき肝を消て棧道多かりし、

〔木曾路名所圖會〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0103 落合橋〈宿の入口にあり、釜が橋といもいふ、雙方より梁を出して棧橋とす、橋杭なし、〉

〔倭訓栞〕

〈前編六加〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0103 かけはし〈◯中略〉 一書に吉蘇碊長八十二丈と見ゆ、鹽尻に伊奈川の橋二十三間餘、木襲第一の長橋也、柱なく、三重のはね木を兩岸より出し、中の水尾桁九間持はなし懸れり、水際に至り五間三四尺ありといへり、又昔は荻原澤といふ谷あひに、大木を鎖にてほり渡したり、八九十年前まで其鐵鎖きれ殘りてありと古き者語りし、今のかけ橋にはあらずともいへり、元明紀に、昔信濃美濃二國の間、嶮岨にして通路なかりしかば、かけ橋をかけて通路ありし事見ゆ、一書にいふ岩井野村のかけ橋長さ七十五間、欄十つぎし所五十一間、石垣十四間、是慶安中造る所也と見え、宇治物語に、守の乘たる馬、しもの橋の鉉の木あとあしもて蹈折てと見えたるは、昔は藤蔓をもて板を縛し、大鐵鏈もて桁とす、近世は尋常の橋の如くにて、橋杭なきのみといへり、

〔笈埃隨筆〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0103 木石逸景 一木曾の棧は、上ケ松の宿より、福島の宿へ越る間也掛橋と云ふ里あり、木曾川へ近し、橋にはあらず、山の岨道の絶たる所へ懸たるなり、右の方は木曾の際なり、横貳間長さ拾間、今は板橋にして欄干あり、

刎橋

〔書言字考節用集〕

〈一乾坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0103 刎橋(ハネバシ)

〔槐記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0103 享保十七年九月廿二日、參候、日本ニテソリ橋ノコトヲ反橋ト書タリ、〈◯中略〉ソリタル橋ハ必ハネバシ(○○○○)ナリ、大方ハ脚ナキ橋ナリト仰ラル、

〔飛州志〕

〈一土地〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 橋梁之製 棧道〈◯中略〉 俗ハ子橋ト云ヘリ

〔京都御役所向大概覺書〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 洛中洛外公儀橋間數并御修復之事 一嵯峨清瀧刎橋〈長拾間幅壹丈貳尺五寸〉 右元祿三午年、愛宕社堂御修復之時、修復有之、

〔柳營秘鑑〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 五節句并公家衆御對顏之節等、御先手御本丸加番所々、 小刎橋(○○○) 右御城近所火事并大火之時、此所江罷出可之、〈◯下略〉

〔新撰美濃志〕

〈二十六可兒郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 土田村〈◯中略〉 刎橋は村西の往還に架す、長十六間、可兒川水流深く奔騰し兩岸に巖石重なり、橋杭を設くる事あたはず、故に兩岸より大木を刎ね出して橋とす、奇觀なり、

〔加越能山川記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 越中 黒部川 愛本にはね橋を懸る、長三十三間あり此橋は日本無雙の大棧也、

飛橋

〔梅花無盡藏〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 文明龍集丙午十有八年小春二十有四日、〈◯中略〉謁鶴岡之八幡宮、高門飛橋、回廊曲檻、雕玉鏤金巍然不其昔

〔泰平年表〕

〈東照宮〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 天正十八年八月朔日、武藏國江戸城に御移徙、〈江戸御城の事は、太田家説に、(中略)康正二年義政の命により、武藏國豐島郡江戸の城を築く、(中略)長祿元年四月八日、江戸城經營成、(中略)門毎に大木を以飛橋を懸、〉

綱橋/蔓橋

〔八雲御抄〕

〈三上地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 橋(○) つな(○○)

〔飛州志〕

〈一土地〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 橋梁之製 綱橋 一名籠濟ト號ス、是溪深ク岩石高クシテ船モ用イ難ク、棧道ヲ作ルニハ材力及バズ、故ニ昔ヨリ是ヲ用イ來レルモノ也、是ヲ造ルハ先ヅ太キ苧綱ヲ兩岸ニ張亘シ、岩石ニ結ヒ固メテ、命

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0105 綱ト云、獮猴口藤ヲ以テ柱藤ヲ四筋立テ、其下ニ人ノ入ルベキ程ノ籠ヲ作リ附テ、命綱ニ懸、其籠ノ前後ニ綱ヲ二筋附テ、兩岸ニ引張リテ引綱トセリ、是ヲワタル人ハ籠中ニ立テ、彼柱藤ヲ左右ニカイコミ、其身ヲ固ム、引綱ヲ役スル民、兼テ兩岸ニ居住シ綱ヲ引テ通行スル也、又其地ノ民ハ已籠中ニ居ナガラ、引綱ヲモ手操テワタリ、或ハ籠ニモ入ラズ、命綱ニ脚ヲカラミ手操テワタルモアリ、其業サナガラ翅アルガ如シ、凡長廿餘間、或ハ卅餘間ナルモノアリ、命綱モ常ニ緩ミテ、人ワタルトキ、岸ヨリ川ノ半マデハ其走ルコト箭ヲ放ツニ似タリ、又向フノ岸ニ至ルハ、是ニ異リテ漸々ト引揚ルナリ、乘ル人其籠中ニ苦シミ、魂ヲ消ト可謂、籠ノワタリハ歌ニモ加賀ノ白山ニ讀メリトナン、

〔千載和歌集〕

〈十二戀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0105 百首歌奉りける時、戀の歌とてよめる、 前參議親隆 みちのくのとづなのはしにくるつなの(○○○○○○○○○○○○)たえずも人にいひ渡るかな

〔國花萬葉記〕

〈十一陸奥〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0105 とづなの橋 名景はつなばしのよしよめり

〔甲斐國志〕

〈五十一古蹟〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0105 巨麻郡西河内領 一盤橋 殘簡風土記ニ、巨麻郡南限盤橋トアリ、按ニ、〈◯中略〉此處左右涯壁、立數千尺、岩石競聚テ奇絶甚シ、河水、屈折、其内ニ陷テ流ル、上古ハ上ノ磐連ナリテ橋トナリシニヤ、今内房ヨリ長貫村ヘ渡ルニ、繩橋(ツナバシ)トテ藤蘿ヲ纒架タル危橋アリ、〈櫻田殿領セラレシ頃マデハ、高欄板橋ヲ架セシト云、〉即盤橋トハ此所ヲ云ナランカ、

〔東游記〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0105 九十九橋 邊國山中に懸渡せる所の小橋には、朝六ツの橋、かづら橋(○○○○)など、奇妙の橋少からず、

藤橋

〔飛州志〕

〈一土地〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0105 橋梁之製 藤橋(○○) 是ヲ造ルハ獮猴口藤トイフ太キ藤ヲ幾筋モ結ビ、延テ綱ト成シ、兩岸ニハリ亘シ、岩石ニ http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png tibu_3_0106_001.gif http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png tibu_3_0107_001.gif P 108

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 結ヒ固ム、號シテ踏藤ト云フ、又同ジ藤綱ヲ其左右ニハル、手綱藤トイフ、是橋ノ欄干ニ比セリ、如此ノ用意調ヱテ後、雜木ヲ伐ツテ打割、踏藤ノ上ニ並ベテ、藤ヲ以テ簀ノ子ノ如ク緘付テ、鋪板ノ代リトス、號シテ踏木ト云ヘリ、其長橋ニ至ツテハ、凡廿餘間ナルモノアリ、是等ハ踏藤緩ミ延テ、他邦ノ人ワタレバ足下甚ダ動搖シテ、曾テ進ミ得ザル也、其地ノ人ニハ〈老若男女トモニ、自在ノ通用路トシテ古今ニ至ル、〉尤毎歳アラタニ造ル事也、

〔視聽草〕

〈五集六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 藤橋之記 飛騨國高原(○○○○○)なる舟津の流れは、北海より十六里の水上にして、溪ひろければ橋をわたさん方便もなく、巖聳へぬればふねをよすべき岸根もあらず、かくこえがたき處なるに、そも藤橋を掛そめし昔を思ひわたるに、彼紅を見て橋を造りし類ひにして、張絹にならふて藤かづらを織立、目なれぬはしをいとなみ、千里往來の便とはなしぬ、實にはじめてわたる人は、その動を見てはその危きを思ひ、行て目まひ股おのヽきて這ふて渡るも多しとぞ、

〔閑田耕筆〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 懸崕絶壁數十丈屹立し、下は急流迅瀬にして、柱を建べからざる所、奇巧を以て橋をわたすもの、甲斐に猿橋、信濃に水内(ミヌチ)の曲橋など圖を見、其話をも聞しが〈◯中略〉また此頃飛騨の人田中記文といふが訪來て、其國の藤ばしかごのわたりのことをかたり、且記せるものを示さる、藤橋三所有、其あらはれたるものは、吉城郡舟津町村にありて、高原川にわたす、東西各民家あり、西を朝浦といひ、東を東町といふ、川の兩旁石崖突出せる上に架たるものにして、歳ごとに近縣の民相つどひて改作る、長三十三間餘、濶數尺、一柱を建ず、藤を經にし、木を緯にして、織こと席のごとし、往々木を横へて歩を進るの程限とし、兩邊藤索を張て欄干に代ふ、是を攀て渡るべし、然も風に觸てゆらめくからに、行人難み、あるひは匍匐て前むこと能ざるものあり、土人は重きを負ついたヾきて、しかも彼程限を踏て進む、かつて一歩をあやまたず、或は雨夜に燭を執らず、木

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 履を穿て行となん、狗もよく行、牛馬は常に駄を解て水を游がしむれども、或は駄を解をまたずして、よく渡りし牛もありしとか、馴ればなるヽものなりなど、彼記に猶つばらかなり、記は高山の人田元義なる人著せり、眞名文なるを今要をとりて和す、且其詩に、蒼藤織作橋千尺人似龍蛇背上行の句有て、さこそと、親しく見るこヽちせり、同郡茂住村、益田郡大島にもまたありといへり、

〔和漢三才圖會〕

〈三十四船橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 棧〈◯中略〉 同〈◯越中〉國立山麓岩倉川(○○○)上有大橋、長凡百三十丈、無柱用(○)藤蔓(○○)爲(○)桁(○)、布(○)板於其上(○○○○)、他邦人輙不得渡、

釣橋

〔視聽草〕

〈五集六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 藤橋之記 越中正明川藤の釣橋(○○○○)は立山へ行く道に渡せり、長さ凡廿七八間、唯藤蔓にて造り掛けたるなれば、其危き事いふばかりなし、〈◯中略〉彼釣橋を越へ段々難所あり、

〔美濃名細記〕

〈一川筋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 大野郡 東横山村谷川、藤ノ釣橋アリ、牛馬不通、

繼橋

〔八雲御抄〕

〈三上地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 橋 つぎ

〔藻鹽草〕

〈五橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 つぎ橋

〔萬葉集〕

〈四相聞〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 吹黄刀自歌二首 眞野之浦乃(マヌノウラノ)、與騰乃繼橋(ヨドノツギハシ)、情由毛(コヽロユモ)、思哉妹之(オモヘヤイモガ)、伊目爾之所見(イメニシミユル)、

〔萬葉集略解〕

〈四上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 繼橋は今の瀬田の橋の如く、中に島の如き所有てまた懸渡せるをいふ也、

〔萬葉集〕

〈十四東歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 安能於登世受(アノオトセズ)、由可牟古馬母我(ユカムコマモガ)、可都思加乃(カツシカノ)、麻末乃都藝波思(マヽノツギハシ)、夜麻受可欲波牟(ヤマズカヨハム)右四首〈◯三首略〉下總國歌

〔萬葉集略解〕

〈十四上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 川の狹きには板一ひらうち渡して足れども、少し廣きには川中に柱をむかへ立てヽ、それに横木をゆひて、板を長く繼て渡すを繼橋といふめり、

〔新名所繪歌合〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 七十九番 大沼橋 右 良譽 きりふかき大ぬのつヽみ行くれてわたりわづらふまきつつぎ橋

〔夫木和歌抄〕

〈二十一橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 こしぢのかたなる人に 和泉式部 いそぎしもこし路のなごのつぎはしもあやなくわれやなげきわたらん

〔八雲御抄〕

〈五名所〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 橋 なごのつぎ〈越後〉

〔夫木和歌抄〕

〈二十一橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 なごのつぎはし越中、八雲には越後、

〔攝陽群談〕

〈七橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 名呉繼橋〈◯中略〉 八雲御抄、越後國ニ比ス、夫木集、越中、大名寄攝津國ニアリ、

〔夫木和歌抄〕

〈二十一橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 天喜元年八月、頼家朝臣家歌合、越中國名所名子續橋、 よみ人不知 いとヾしくこひぢにまよふ我身哉なごのつぎはしとだえのみして

〔夫木和歌抄〕

〈六杜若〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 建長七年に顯朝卿家千首歌 光俊朝臣 杜若咲てや花のへだつらんとだえかくるヽなごのつぎはし

〔善光寺記行〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 その夜なごといふ所に著ぬ、楓橋のよゐのとまりもやと思ひつらね侍て、 曙や夢はとだえし波の上になごの繼橋のこるとぞみる

〔天正事録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 慶長三年戊戌三月十五日、御花見〈◯豐臣秀吉〉ノ次第、御催夥シキ様體也、〈◯中略〉爰ニ山河漲落テ逆寒流、是ニ繼橋ノ欄干ヲ被掛、

棚橋

〔八雲御抄〕

〈三上地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 橋 たな

〔藻鹽草〕

〈五橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 たな橋〈かうらんの様なる、物したる橋歟、又云、たなに似たる橋と云々、駒の足をれまへのたなばしといへり、〉

〔倭訓栞〕

〈中編十三多〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 たなばし 萬葉集に棚橋と見えたり、棚のごと假に打渡したる橋をいふ也、

〔萬葉集〕

〈十秋雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 七夕 天漢(アマノガハ)、棚橋渡(タナハシワタセ)、織女之(タナバタノ)、伊渡左牟爾(イワタラサムニ)、棚橋渡(タナハシワタセ)、

〔萬葉集略解〕

〈十上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 橋をわたせるが、棚の如なれば棚橋と云、

〔萬葉集〕

〈十一古今相聞往來歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 旋頭歌 天在(アメナル)、一棚橋(ヒトツタナバシ)、何將行(イカデカユカム)、穉草(ワカクサノ)、妻所云(ツマガリトヘバ)、足莊嚴(アユヒスラクヲ)、〈◯中略〉右十二首、〈◯十一首略〉柿本朝臣人麻呂之歌集出、

〔萬葉集略解〕

〈十一上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 棚橋は柱を立、貫をなし、其上に板を一ひら渡せるにて、瀧川の底深き所は渡りわぶめり、

〔空穗物語〕

〈吹上之下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 あるじの君 行人のこまもとヾめぬたなはしはおしみとりたるかいもなきかな

〔貫之集〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 延喜のすゑよりこなた、延長七年よりあなた、内の仰によりて獻れる御屏風の歌、 白雲のたなびきわたるあしびきの山のたな橋我もふみみん

〔古今和歌集〕

〈十四戀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 題しらず 讀人しらず まてといはヾねてもゆかなんしゐて行駒の足おれ前の棚橋

〔後撰和歌集〕

〈十三戀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 とまれと思ふ男の出てまかりければ 讀人しらず しゐてゆく駒の足おるはしをだになど我宿に渡さヾりける

〔新續古今和歌集〕

〈十八雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 題しらず 後押小路前内大臣 山里のまへのたな橋苔むして往來まれなる程ぞしらるヽ

大橋/小橋/孫橋

〔八雲御抄〕

〈五名所〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 橋 おほはし〈河内 萬〉

〔藻鹽草〕

〈五橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 大橋〈河内、やどかさましや、此はしかたあし川にある歟、〉

〔八雲御抄〕

〈三上地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 橋 を

〔神宮雜例集〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 第三御井社事 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0112 一始事 本記〈◯大同本紀〉云、皇太神宮皇孫之命天降坐時爾天牟羅雲命御前立天天降仕奉時爾、皇御孫命天牟羅雲命乎召詔久、食國乃水波未熟荒水爾在介利、故御祖命御許爾參上、此由申天來止詔、即天牟羅雲命參上天、御祖御前爾、皇御孫命乃申上給事乎子細申上、◯中略即受賜天持參下天獻時仁、皇御孫命詔天、從何道曾參上志止問給、申久、大橋(○○)波須賣太神、並皇御孫命乃天降坐乎恐天、從小橋(○○)參上支止申時、詔久、後仁毛恐仕奉事勇乎志止詔天、天牟羅雲命、天二上命、後小橋命止三名賜也、

〔日本書紀〕

〈十一仁徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0112 十四年十一月、爲橋於猪甘津、即號其處小橋也、

〔萬葉集〕

〈九雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0112河内大橋獨去娘子歌一首并短歌 級照(シナテル)、片足羽河之(カタシハガハノ)、左丹塗(サニルリノ)、大橋之上從(オホハシノヘユ)、紅(クレナヰノ)、赤裳數十引(アカモスソビキ)、山藍用(ヤマアヰモテ)、摺衣服而(スレルキヌキテ)、直獨(タヾヒトリ)、伊渡爲兒者若草乃(イワタラスコハワカクサノ)、夫香有良武(ツマカアルラム)、橿實之(カシノミノ)、獨歟將宿(ヒトリカヌラム)、問卷乃(トハマクノ)、欲我妹之(ホシキワギモガ)、家乃不知(イヘノシラナク)、 反欹 大橋之(オホハシノ)、頭爾家有者(ツメニイヘアラバ)、心悲久(マガナシク)、獨去兒爾(ヒトリユクコニ)、屋戸借申尾(ヤドカサマシヲ)、

〔松葉名所和歌集〕

〈四加〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0112 片足羽河 河内〈藻鹽〉 しなてるやかた岡川の大橋を渡りてみれば昔おもほゆ(野宮百) 光俊

〔國花萬葉記〕

〈四河内〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0112 交野郡 船橋川 古へは大橋有しが、山川の早水にてかけたまらざれば、何の頃よりか船橋になりけると也、片足羽川とは此川事也、

〔異本曾我物語〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0112 助經も伊豆より鎌倉へ上りけるが、大磯宿にて、晝の休して通りけり、助經立て後、龜若と云ふ傾城出來、〈◯中略〉唯今の程金屋河大橋を越え給ふらんと語りつれば、五郞これをきき、十郞に吃と目くばせし、〈◯中略〉二人打連、駒を早めて行程に、戸上が原にて追付たり、

〔國花萬葉記〕

〈二下山城〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0113 大橋 三條五條の橋なり、太閤秀吉公掛給ひ、増田右衞門尉奉行之、〈其事くはしくぎぼしに彫付〉

〔山陽遺稿〕

〈拾遺〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0113 詩僧可山寓三條子橋(○○○○)余許飮 坐閲憧憧來往饒、小樓簾影水中搖、道人心地無喧寂、蹔住三條第二橋、

〔玉露叢〕

〈三十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0113 一所々橋料ノ事 瀬田ノ〈大橋ハ長九十六間、小橋ハ長三十六間、〉

〔山州名跡志〕

〈十三久世郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0113 大橋 在孫橋(○○)南 此所淀郷南界也、〈◯中略〉孫橋、大橋、小橋、共皆是秀吉公時設ル所也、

〔京羽二重〕

〈四名橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0113 淀大橋〈◯中略〉小橋〈◯中略〉孫橋〈◯中略〉大はしと小橋との中に有謂也、

〔大和志〕

〈十六山邊郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0113 關梁 天神大橋、天神小橋、〈在嘉幡村、倶跨初瀬川、〉

〔慶長見聞集〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0113 江戸の川橋にいわれ有事 御城の大手の堀に橋一ツ懸りたり、よの橋より大きなればとて、是をば大橋と名付たり、

〔近世奇跡考〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0113 大橋柳町の考 大橋は、今の常盤橋の古名也、

〔武江年表〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0113 此年間〈◯正保〉記事 大橋を常磐橋と改められしは、正保の始頃なりと見ゆ、

〔江戸名所咄〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0113 三股舟遊花火〈◯中略〉并に彌勒寺 それ〈◯彌勒寺〉より遙西の方を見渡して大橋〈◯新大橋〉見ゆる、是は元祿六年に新敷かけさせ給ひ、目出度御代に大橋と貴賤悦び渡、

細橋

〔八雲御抄〕

〈三上地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0113 橋 ほそ

〔慶長見聞集〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0114 江戸の川橋にいわれ有事 かたへなる人云、〈◯中略〉廣橋細橋(○○)などいふこそ、聞もとなへもやさしき名也と云、

中橋

〔八雲御抄〕

〈三上地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0114 橋 中

〔藻鹽草〕

〈五橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0114 中橋

〔大和志〕

〈十二城上郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0114 關梁 天神橋、中橋(○○)、伊勢橋、〈已上在初瀬村、倶跨泊瀬川、〉

〔慶長見聞集〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0114 江戸の川橋にいわれ有事 かたへなる人云、今江戸の橋廣大にして長く、みな板橋に欄杆、所々に銅のぎぼうしあつて、見よしといへども、橋の名を聞ばとなへいやしく、いなかびれておかしかりき、古より聞傳へし名所橋多し、唐橋は山城に在、みはし、内橋、雲のかけ橋は禁中の事とかや、古歌に、わかめかる春にもなれば鶯の木傳ひわたる天の橋立と詠ぜり、宇治橋、瀬田長橋、廣橋、細橋などいふこそ聞もとなへもやさしき名也と云、老人聞て、いや江戸の橋の名笑ひ給ひそ、昔の橋の名も一ツ橋丸木橋、竹橋、中橋(○○)、堀江橋、皆是名所にて、歌によみたり、此橋の名、今江戸の都に出來たれば、詩人歌人などか此橋に詠吟なかるべき、

廣橋

〔八雲御抄〕

〈三上地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0114 橋 ひろ

〔和爾雅〕

〈一下地理〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0114何國 廣橋

〔萬葉集〕

〈十四東歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0114 相聞 【比呂波之】乎(ヒロバシヲ)、宇馬古思我禰氐(ウマコシガネテ)、己許呂能未(コヽロノミ)、伊母我理夜里氐(イモガリヤリテ)、和波己許爾思天(ワハコヽニシテ)、

〔萬葉集略解〕

〈十四下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0114 此ひろばし、くさ〴〵説有、先づ翁の説、廣橋ならば渡がたからじ、然ば呂は良の意にて、一枚の打橋をいふべしといはれき、契冲は廣さ一尋計の橋を云べしといへり、宣長は此橋は間をおきて石を並べたる石(イハ)橋にて、其間々の廣きを云なるべし、

長橋

〔堀河院御時百首和歌〕

〈秋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0115 駒迎 修理大夫顯季 引わたち瀬田の長橋きりはれてくまなく見ゆる望月のこま

〔夫木和歌抄〕

〈二十九松〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0115 同年〈◯貞應三年〉百首 民部卿爲家 うちわたすせたのながはし程もなくひとむらみゆる野ぢの松原

〔名所方角抄〕

〈美濃〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0115 長橋 橋の長さ五町計也

高橋

〔倭訓栞〕

〈中編十三多〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0115 たかはし 高橋は神代紀にみゆ

〔日本書紀〕

〈二神代〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0115 一書曰、〈◯中略〉時高皇産靈尊乃還遣二神、〈◯經津主、武甕槌、〉勅大己貴神曰、今者聞汝所一レ言、深有其理、故更條條而勅之、〈◯中略〉爲汝往來遊海之具、高橋〈◯中略〉將供造、

〔神代口訣〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0115 高橋浮橋者梁橋

〔神代卷家傳聞書〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0115 高橋ハ常ノ橋

〔萬葉集〕

〈十二古今相聞往來歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0115物陳思 石上(イソノカミ)、振之高橋(フルノタカハシ)、高高爾(タカダカニ)、妹之將侍(イモガマツラム)、夜曾深去家留(ヨゾフケニケル)、〈◯又見古今和歌六帖

〔催馬樂〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0115 律 澤田川〈三段〉 さはだ河、袖つくばかり、あさけれど、はれ、あさけれど、くにの宮人、高はしわたす、あはれ、そこよしや、高はしわたす、

〔催馬樂入文〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0115 高橋は〈◯中略〉水にはなれて高きを云、山川の橋のさま也、

〔都名所圖會〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0115 石清水正八幡宮は王城の南にして、行程四里、綴喜郡男山鳩嶺に御鎭座あり、〈◯中略〉高橋〈反橋をいふ〉

〔攝陽群談〕

〈七橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0115 高橋 同〈◯豐島〉郡湯山ニアリ、此所丹波播磨ニ出ル街道、川岸高ク渉遙ニ卑シ、因テ高橋ノ號アル耳、深キ所傳ナシ、

〔攝津名所圖會〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0116 高橋〈有馬川に架す橋也、善福寺の門前にあり、〉

平橋

〔嚴島圖會〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0116 平橋〈大宮と客神社の間にあり〉

反橋

〔増補下學集〕

〈上一天地〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0116 輪橋(ソリハシ) 反橋〈同上〉

〔倭訓栞〕

〈中編十二曾〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0116 そりばし 源氏にみゆ、反橋の義なり、神代口訣に梁橋をよめり、

〔槐記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0116 享保十七年九月廿二日、參候、日本ニテソリ橋(○○○)ノコトヲ反橋(○○)ト書タリ、反ノ字ニソルト云和訓アル故ナルベシ、論語ニ橖棣之花、偏兮夫反セリトアリ、反ハソル心ナリ、夫故ナルベシ、然ドモ反橋ト書コト漢ノ書ニテ御覽ナシ、堀ヘ御尋ナリシガ釣橋(○○)ト書出タリ、出所シカト不覺ノ由ナリ、越峯ノ八幡ヘ參リテ、ソリハシヲ見テ、此地ニモ釣橋アリト申サレシト承ルト申ス、先反ノ字ヲ醫書ニ、アノ様ナ形チニ用タルコト有ヤト仰ナリ、〈堀モ申ス〉醫書ニ角弓反張ト申ス時ハ、ソル心ニテ侍ル、釣モ天釣内釣トテ、ソルコトニ遣ヒタリト申上、反ノソルハ、コチノ方ヘソルコトナリ、釣モツリアゲテソル心ナリ、天ノ字内ノ字ノソリヤウ違ナリ、反張モ角弓ノ反ニテ、張字ガ付テ聞ユルナリ、釣ノ一字ニテソルトハ云ガタカルベキカ、又アチノ字ニ虹橋ト云字アリ、サレドモコレハ脚ノナキ橋ノコトナリト仰ラル、日本ノハ子バシノ類ナリ、扨總ジテ唐繪ヲ御覽アルニ、日本ノ如クノソリ橋ト云物ヲ御覽ナシ、ソリタル橋ハ必ハネバシナリ、大方ハ脚ナキ橋ナリト仰ラル、

〔空穗物語〕

〈藤原の君〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0116 いけひろし、うへ木有、そりはしつりどのあり、

〔新撰六帖〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0116 はし 池水のすさきにわたすそりばしもかたぶくまでに古にける哉

〔枕草子〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0116 なまめかしきもの 清凉殿のそりばしに、もとゆひのむらごいとけざやかにていでゐたるも、さま〴〵につけてお

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0117 かしうのみある、

〔兵範記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0117 仁安三年十月六日甲午、兵庫寮要劇田所課山城國司信家功、宛河原禊所反橋并黒木等、無先例由事、同宣下、

〔増鏡〕

〈十五秋のみ山〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0117 あくる春〈元亨二〉正月三日、〈◯中略〉中門の下よりいづるやり水にちいさくわたされたるそりはしの左右に、兩大將ひざまづく、

〔康富記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0117 文安六年四月廿三日癸酉、賀茂祭也、〈◯中略〉兼日反橋破損、

〔筑紫道記〕

〈宗祇〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0117 十六日〈◯文明十二年九月、中略、〉宰府聖廟へまゐる、〈◯中略〉反橋たかうして二有、

〔河内名所圖會〕

〈三古市郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0117 長野山譽田八幡宮〈譽田村にあり◯中略〉 石反橋〈奥院にあり〉

〔東海道名所記〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0117 右のかたに三島の明神のやしろあり、鳥井の内にそりはしあり、橋の下には雁、をし鳥鷗あり、

〔日前國懸兩大神宮書立〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0117 往代宮社殿門之大略 小反橋(○○○)〈一箇所〉 大反橋(○○○)〈一箇所〉

〔嚴島圖會〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0117 圓橋〈大宮の左にあり、御池に架せり、幅二間、長十四間、俗に反橋と呼ぶ、〉

〔兵主大明神縁起〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0117 馬場の外に大鳥居、その所に東流の井河あり、輪橋をかけたり、

虹橋

〔本朝續文粹〕

〈一雜詩〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0117 參安樂寺 江都督 康和二年秋、清凉八月時、我詣安樂寺、寺在東北陲、〈◯中略〉鷁舟維古岸、虹橋(○○)照漣漪

〔本朝世紀〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0117 久安六年十月二日甲辰、今日美福門院於法勝寺、被養金字一切經、〈◯中略〉辰刻天皇〈◯近衞〉臨幸、〈◯中略〉龍頭鷁首夾虹橋、鸞輿〈奏何水樂〉歴池橋、寄御輿軒廊北陣壇下

玉橋

〔八雲御抄〕

〈三上地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0117 橋 たま

〔神道名目類聚抄〕

〈一宮社〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0117 御橋 玉橋トハ、御橋ヲ稱美シテ云、

〔倭訓栞〕

〈中編十三多〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0117 たまはし 玉橋の義玉、はほめたる詞、七夕などよめり、

〔萬葉集〕

〈九雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0118 七夕歌一首并短歌 久堅乃(ヒサカタノ)、天漢爾(アマノガハラニ)、上瀬爾(カミツセニ)、珠橋渡之(タマハシワタシ)、下湍爾(シモツセニ)、船浮居(フネヲウケスヱ)、雨零而(アメフリテ)、風不吹登毛(カゼフカズトモ)、風吹而(カゼフキテ)、雨不落等物(アメフラズトモ)、裳不令濕(モヌラサズ)、不息來益常(ヤマズキマセト)、玉橋渡須(タマハシワタス)、〈◯中略〉 右件歌或云、中衞大將藤原北卿宅作也、

〔萬葉集略解〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0118 玉橋の玉はほめていふのみ、〈◯中略〉牽牛のわたらん爲に、織女の方より橋をわたす也、

〔實麗卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0118 文久三年三月十一日丁巳、今日賀茂下上社行幸也、攘夷御祈請云々、〈◯中略〉未刻許上御社行幸有催、先䡨腰輿乘御、〈◯中略〉經橋殿西橋玉橋等、於樓門外下御、

筋違橋

〔倭訓栞〕

〈中編十一須〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0118 すぢかひ 斜の意なり、條交の義なり、〈◯中略〉すぢかひ橋などもいへり、常に筋違など書り、

〔枕草子〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0118 心にくき物 はしのいときはやかに、すぢかひたるもおかし、

〔攝陽群談〕

〈七橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0118 筋違橋〈◯中略〉 江戸堀一町目南頰ヨリ、大豆葉町ノ東ニ渉ル處、高麗橋筋也、

〔神廷紀年〕

〈五後花園〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0118 永享元年七月十三日戊午、外宮神人與神役人於筋向橋、國司北畠氏援役人、神人遁于内院、死穢三十日、

〔勢陽五鈴遺響〕

〈度會郡四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0118 筋向橋 浦口ト上中郷ノ間ニアリ、方俗スヂカヒ橋ト稱ス、或筋違橋トモ書リ、宮川上古ノ分流、牛頭社ノ濠ヨリ田原山名ヲ歴テ此坊間ニ至リ、河崎世古ヨリ今ノ社ノ西北ヲ環リ、大世古一之木ノ町ノ背ヲ通ジテ、月讀宮域ノ北ニイタル水脈也、此處ニ板橋ヲ町ノ並ニ斜ニ架セリ、故ニ名ク、橋長二間、

〔伊勢路の記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0118 山田の町すぐるにぞ、ゆきかふ人はたえまなくにぎはふさま、いふもさら也、すぢ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0119 かひたる橋わたりて、御社の廣前にぬかづきたいまつる、

〔東海道名所記〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0119 小田原、〈◯中略〉町の内に筋違橋あり、

呉橋

〔釋日本紀〕

〈十四述義〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0119 呉橋

〔倭訓栞〕

〈中編六久〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0119 くれはし 推古紀に呉橋と見えたり、今の唐橋也(○○○○○)、枕草紙、うつぼ物語に、はつせの事にいへるは榑楷にや、うつぼに、樓にのぼりたまふべきほどのくれはしは、色々の木をまぜまぜに造りてとも見えたり、

〔日本書紀〕

〈二十二推古〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0119 二十年、是歳、自百濟國化來者、其面身皆斑白、若有白癩者乎、惡其異於人、欲海中島、然其人曰、若惡臣之斑皮者、白斑牛馬不於國中、亦臣有小才、能構山岳之形、其留臣而用、則爲國有利、何空之弃海島耶、於是聽其辭以不弃、仍令須彌山形、及呉橋於南庭、時人號其人路子工、亦名芝耆摩呂

〔空穗物語〕

〈樓の上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0119 ろうにのぼり給べきほどのくれはしは、いろ〳〵きをまぜ〳〵につくりて、したよりながるヽ水は、すヾしくみゆべくつくる、

〔枕草子〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0119 あはれなる物 はつせなどにまうでヽ、つぼねなどするほどは、くれはしのもとに車引よせてたてるに、おびばかりしたるわかき法師ばらの、あしだといふ物をはきて、いさヽかつヽみもなくおりのぼるとて、何ともなき經のはしうちよみ、倶舍のじゆをすこしいひつヾけありくこそ、所につけておかしけれ、

〔枕草子春曙抄〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0119 くれはし 榑楷にや、初瀬にある物也、

〔枕草子〕

〈十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0119 心づきなきもの はつせにまうでヽつぼねにゐたるに、あやしきげすどもの、うしろさしまぜつヽ居なみたるけ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0120 しきこそ、ないがしろなれ、いみじき心をおこしてまうでたるに、川の音などのおそろしきに、くれはしをのぼりこうじて、いつしか佛の御かほをおがみ奉らんと、つぼねにいそぎ入たるに、みの虫のやうなるものヽ、あやしききぬきたるが、いとにくきたちゐぬかづきたるは、をしたふしつべきこヽちこそすれ、

〔菅笠日記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0120 むかひはすなはち初瀬の里なれば、人やどす家に立入て、物くひなどしてやすむ、〈◯中略〉さて御堂にまゐらんとていでたつ、まづ門を入てくれはしをのぼらんとする所に、たがことかはしらねど、だうみやうの塔とて、右の方にあり、〈◯中略〉かくて御堂にまゐりつきたるに、〈◯中略〉巳の時とて、貝ふき鐘つくなり、むかし清少納言がまうでし時も、俄にこの貝を吹いでつるに、おどろきたるよしかきおける、思ひ出られて、そのかみの面影も見るやうなり、鐘はやがてみだうのかたはら、今のぼりこしくれはしの上なる樓になんかヽれりける、 名も高くはつせの寺のかねてよりきヽこし音を今ぞ聞ける

〔豐前紀行〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0120 宇佐の街より西の大鳥居を入て、寄る藻川に懸れる呉橋を渡る、此橋長きこと十三間許、上に甍有て恰も家の如し、

唐橋

〔伊呂波字類抄〕

〈加國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0120 唐橋

〔三代實録〕

〈三十六陽成〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0120 元慶三年九月廿五日壬子、是夜鴨河辛橋(○○)火、

〔玉勝間〕

〈十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0120 鴨河の韓橋 此橋は、鴨川のいづこばかりにか在けん、

〔書言字考節用集〕

〈二乾坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0120 勢多韓橋(セタノカラハシ)〈又作辛橋

〔本朝世紀〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0120 天慶二年五月廿七日戊辰、中納言實頼卿師卿已下諸卿、并少納言、外記、史生使部已下相率、出陽明門、出河原賀茂下社、至于韓橋北邊、有巡撿事

〔枕草子〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 五月の〈◯中略〉つゐたちより雨がちにてくもりくらす、つれ〴〵なるを、郭公の聲尋ありかばやといふをきヽて、われも〳〵と出たつ、賀茂のおくになにがしとかや、七夕のわたるはしにはあらで(○○○○○○○○○○○○○)、にくき名ぞきこえし(○○○○○○○○○)、そのわたりになん日ごとになくと人のいへば、それは日ぐらしなりといらふる人もあり、そこへとて、五日のあした、みやづかさ車のこといひて、北の陣より、さみだれはとがめなき物ぞとて、さしよせて四人ばかりぞのりてゆく、

〔源平盛衰記〕

〈三十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 重衡關東下向附長光寺事 本三位中將重衡卿ハ、兵衞佐〈◯源頼朝〉依申請、梶原平三景時ニ相具シテ、關東ヘ下向、〈◯中略〉勢多唐橋(○○)、野路宿、篠原塘鳴橋、霞ニ陰ル鏡山、麓ノ宿ニゾ著給フ、

〔五元集〕

〈貞〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 霜月廿七烏候于黄門光國卿之御茶亭、題周山之佳景、〈◯中略〉 七唐橋(○○) 唐門を見て長はしを渡る、海あつて等閑に汐干を見せたり、 長橋や勢田にあひ見んふヾき松

廊下橋

〔書言字考節用集〕

〈一乾坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 廊下橋(ラウカバシ)〈本名棧道、又閣道、通鑑註、路險不行、架木爲棚而度、名曰閣道、〉

〔國花萬葉記〕

〈二下山城〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 通天橋(○○○) 東福寺の内に有、廊下橋也、

〔愛媛面影〕

〈一周敷郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 中山越 曙橋と名る、復道(さやばし)あり、山城東福寺の通天橋に似たり、

大鼔橋

〔江戸名所圖會〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 大鼓橋 同所〈◯夕日の岡〉坂下の小川に架せり、〈目黒川といへり〉柱を用ひず、兩岸より石を疊み出して橋とす、故に横面より是を望めば、大鼓の胴に髣髴たり、故に世俗しか號く、享保の末、木食上人〈心譽をいふ歟〉是を制するとなり、

目鏡橋

〔西遊記〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 目鏡橋 長崎の橋はすべて唐風の作りやうなり、兩岸より切石を疊上て、橋杭なしにかけ渡せる石橋な

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0122 り他國の石橋といふは壹枚石にてかけたるものなるに、長崎の石橋は小き石を切りて、石がきのごとく疊て、兩方より合せたるなり、長き橋はふた筋に水を通ずるなり、是を目がね橋といふ、唐繪にゑがく所の橋は、大かた此風なり、下より水溢るれば崩るヽ事もあれども、上よりはいか程重き物をのするといへども、動き破るヽ事なしといふ、誠に大河にはなるまじけれど、長崎の川は大かた京都の堀川程の大さなり、萬代不壞の橋なり、もとは唐人來りて作れりといふ、彼地は柔らかなる石たくさんなるゆへにや、京などにても此ごとき橋を作らば、破損の憂なくしてよかるべきものを、

〔都紀行〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0122 廿三日、〈◯文久四年正月〉けふしも少しく雪もよひなりしが、午時の頃より晴しかば宿立出て、西本願寺の廟所なる西大谷へ行んと、五條坂を登り、境内に至れば蓮池あり、こヽに眼鏡橋とて石組にて橋杭なく、丸く大ひなる穴二つ明きて、眼鏡の形に似たる故名づけしよし、

三枚橋

〔信長公記〕

〈十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0122 天正七年十月廿五日、相模國北條氏政、御身方之色を立られ、六萬計にて打立、〈◯中略〉武田四郞も甲州之人數打出し、富士之根がた、三枚橋に足懸り拵、對陣也、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0122 天正十年、大權現〈◯徳川家康〉駿州を領したまひ、駿河伊豆の境にて要害の地を見立、三枚橋(○○○)に城をきづき、〈◯下略〉

〔東海道名所記〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0122 沼津より原まで一里半、この宿の入口に三枚橋あり、

〔江戸砂子〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0122 下谷 三枚橋 忍ぶ川にかヽる

〔紫の一本〕

〈下橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0122 三枚橋 下谷本通り肴町の先より、東の方の小路へ出る所に橋あり、此橋をわたり、右の方おかち町へ入所に橋あり、又其橋の下和泉橋通りへ出る所に橋あり、此三つの橋をむかし板一枚づヽ渡しかけたる故(○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○)、三枚ばしといふ(○○○○○○○)といへり、別に又由緒あるしもしらず、此近處の町をおしなべて三枚橋といふ、

四橋

〔攝陽群談〕

〈七橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0123 上繫橋 同所〈◯西横堀川筋〉ニアリ、〈◯中略〉下繫橋 同所次ニアリ、〈◯中略〉此處ハ東西ノ流ニ、南北横流スルノ陌ナリ、此〈上下〉兩ノ橋ニ、長堀川ノ吉野屋、橋炭屋橋等ヲ加テ、世ニ四橋ト稱ス、河水四隅ニ湍リ、船ハ二流ニ漕違ヒ、道行人ハ四方ニ渉リ、賑アヘル野分(アリサマ)亦類ナシ、一橋一名ヨリ四橋ノ一名、其名高シ、

〔攝津名所圖會〕

〈四下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0123 四ツ橋〈西横堀に上繫橋、下繫橋、長堀に吉野屋橋、炭屋橋あり、これを合て四ツ橋といふ、二流十文字になりて、橋を四方に架すなり、四ツの橋の行人、漕わたる船の往來もたへ間なくして、風景斜ならず、◯中略〉 凉しさに四ツ橋を四ツわたりけり 來山

假橋

〔八雲御抄〕

〈三上地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0123 橋 かり

〔延喜式〕

〈五十雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0123 凡山城國泉河樺井渡瀬者、官長率東大寺工等、毎年九月上旬造假橋、來年三月下旬壞收、

〔大鏡裏書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0123 昭宣公幼童時求出作爪事 古老傳云、故宮内卿濟光卿云、傳聞、承和天皇〈◯仁明〉行幸芹河之日、爲使彈琴、造假爪而隨身也、而途中忽悟紛失之由、爲之思量可使之人、昭宣公〈◯藤原基經〉童名手古、此日扈從也、上知其賢息趣、皇子心擇而召之、密仰云、所持造爪落失也、不何處、計汝器量、定有求得、早還行可求者、忽承此仰手足失方、心中立願、愼求出來路、此時夜未明、秉燭而行、到借橋(○○)下、下馬歩行之間、編橋繩傍有裹者、等閑取見之、已得求之御造爪、懽喜馳還、未參之前、上咎仰早還之由、即奏求得之由、上大悦曰、此人猶異諸人、其後恩寵彌盛云々、

〔兵範記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0123 仁安三年十一月廿二日己卯、應天門外假橋(○○)、卜食國構之、

〔和漢三才圖會〕

〈六十六下野〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0123 東照大權現 鎭座於日光山〈◯中略〉 神橋 長九丈 假橋長八丈〈◯又見日光山志

〔窗の須佐美〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0124 是も京なる富家、七月十四日債を乞に人をやりけり、使の者あつめ得て歸とて、四條邊にておとしける、初昏過る頃なれば、つれたりつる一奴と共に、月影を當に、こヽかしこと尋ぬれども見へざりければ、假橋邊まで歸りたるに、乞食一人立向ひ、そこには物を尋ねらるヽよしにや、若金子には候はずや、其員を承らば、先にひろひ置、主を求て返し申さんと、心まちにて居候といふ、

〔都紀行〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0124 十五日〈◯文久四年四月〉けふは中の酉の日にて、葵祭りときヽしに、日和もよきまヽ、友人と連れ立て、寺町通りより、鴨川の河原に出るに、葵橋とてけふ一日の假の土橋かヽれり(○○○○○○○○○○○○○○○○○)、

橋具

〔藻鹽草〕

〈五水邊〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0124 橋 橋のけた(○○)

〔續後拾遺和歌集〕

〈十三戀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0124 戀歌の中に 人麿 をばたヾの板田の橋のこぼれなばけたよりゆかんこふな我せこ

〔散木弃謌集〕

〈雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0124 橋 朝夕につたふいたヾの橋なればけたさへたえてたぢろぎにけり

〔夫木和歌抄〕

〈二十一橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0124 承安二年閏十二月、東山歌合隔河戀、 登蓮法師 待ほどにいたヾのはしもけたくちばわたせなしとてとしをへよとや

〔新名所繪歌合〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0124 八十番 大沼橋 右 良惠 思ひさへうきて大ゐのはしばしら(○○○○○)立朝ぎりのはるヽまもなし

〔新古今和歌集〕

〈十七雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0124 ながらのはしをよめる 忠峯 年ふれば朽こそまされ橋柱むかしながらの名だにかはらで

〔新勅撰和歌集〕

〈十九雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0124 謙徳公につかはしける よみ人しらず 思ふことむかしながらの橋ばしらふりぬる身こそかなしかりけれ

〔海道記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0125 八日〈◯貞應二年四月〉三河國にいたりぬ、〈◯中略〉宮橋といふ所あり、數雙のわたし、板は朽て跡なし、八本の柱(○○○○)は殘て溝にあり、心のうちにむかしをたづねて、ことのはしに今をしるす、 宮橋の殘るはしらにことヽはん朽て幾世かたえわたりぬる

〔廻國雜記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0125 越前國〈◯中略〉しらきどの橋といへる所にて、さと人にたづね侍れども、こたふるものも侍らずして、 さとの名もいざしらきどの橋ばしらたちよりとへばなみぞこたふる

〔新撰字鏡〕

〈連字〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0125 憧柄〈橋梁之左右之柱、乎止古柱(○○○○)、〉

〔安齋隨筆〕

〈前編十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0125 橋ノ男橋 平家物語長門本〈宇治合戰ノ條〉云、人々落けれども、省ハ宇治橋のおとこ柱たてに取て、命もおしまずたヽかひけり云々、〈◯中略〉今も男柱といふなり、

〔大神宮諸雜事記〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0125 康平二年七月廿日夜、外宮乃心柱乃覆榊爲放牛仁、又被喰損已了、仍造宮使元範朝臣上奏之處、早可立替之由宣下畢、〈◯中略〉正殿乃金物、并四面高欄、御階男柱等、今度初所莊也、

〔一話一言〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0125 橋に男柱(○○)、袖柱(○○)、中男といふ柱(○○○○○○)あり、 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png tibu_3_0125_001.gif

〔倭名類聚抄〕

〈十道路具〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 橋〈葱臺(○○)附◯中略〉 楊氏漢語抄云、葱臺、〈比良岐波之良(○○○○○○)〉橋兩端所竪之柱、其頭似葱花、故云、

〔東雅〕

〈三地輿〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 橋〈◯中略〉 倭名抄橋の條に、楊氏漢語抄を引て、葱臺、橋兩端所竪之柱、其頭似葱花故云、と見へしものは、橋柱の摺頭、漢に護朽といふもの、即今俗に橋のギボウシ(○○○○○○)といふ是なり、ギとは葱也、ボウシは帽子也、其頭に蒙らしむる義なり、

〔伊呂波字類抄〕

〈比地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 葱臺〈ヒラキバシラ、葱臺橋橋兩端所竪之柱也、其頭似葱花、故名之、〉

〔大鏡〕

〈二太政大臣基經〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 御家〈◯中略〉堀川院は、地形のいといみじきなり、大饗のおり、殿ばらの御車のたちやうなどよ、尊者の御車は川よりひんがしにたて、うしはみはしのひらきばしら(○○○○○○○○○○)にひきつなぎ、〈◯下略〉

〔運歩色葉集〕

〈幾〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 擬寶珠〈欄干〉

〔増補下學集〕

〈下二器財〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 擬法珠(ギボフシ)〈欄干具〉

〔書言字考節用集〕

〈二乾坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 葱臺(キボウシ)〈橋柱所用、出此、〉擬寳(同)珠〈和俗所用〉

〔攝陽群談〕

〈七橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 農人橋〈◯中略〉 高欄疑寶珠(○○○)アリ

〔都名所圖會〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 三條橋、〈◯中略〉欄干には紫銅の擬寶珠(○○○○○○)十八本ありて悉銘を刻、

〔伊呂波字類抄〕

〈加地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 檻欄(○○)〈カウラン〉 高欄(○○)〈同〉

〔易林本節用集〕

〈良乾坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 欄干

〔書言字考節用集〕

〈一乾坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 欄干(ランカン)〈又作欄檻

〔天下南禪寺記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 亭直其北、左右皆松、前架長廊于赤欄橋(○○○)、 昔宮製、朱其欄、故呼之、即今大雲小橋、

〔源平盛衰記〕

〈二十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 南都合戰同燒失附胡徳樂河南浦樂事 木津川ニ廣サ一町計ノ浮橋渡シテ、左右ニ高欄ヲ立タリ(○○○○○○○○○)、

〔今昔物語〕

〈二十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 近江國安義橋鬼噉人語第十三 橋ノ半許ニ遠クテハ然モ不見エリツルニ人居タリ、此ヤ鬼ナラムト思フモ、靜心无クテ見レバ、薄色ノ衣ノヨカナルニ、濃キ單紅ノ袴長ヤカニテ、口覆シテ、破无ク心苦氣ナル眼見ニテ女居タリ、打長メタル氣色モ哀氣也、我ニモ非ズ人ノ落シ置タル氣色ニテ、橋ノ高欄(○○○○)ニ押懸テ居タルガ、人ヲ見テ耻カシ氣ナル物カラ喜ト思ヘル様也、

〔東海道名所圖會〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 矢矯橋 矢矯川に架す、長貳百八間、高欄頭巾金物(○○○○○○)、橋杭(○○)七十柱、東海第一の長橋なり、

〔本所深川橋々書留〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 享保九〈辰〉年 一兩國橋東入堀小橋大破ニ付、〈◯中略〉十月十五日見分、古木を以掛直之儀仕用申付、〈◯中略〉 但此橋三年以前繕御修復之節、高欄相止、地覆猿頭(○○○○)ニ致シ候處、往來繁ク、御成之節、同勢道ニも候に付、高欄ひきく仕可然由申上、此節より高欄附ケ申候、

〔日本書紀〕

〈二十八天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 元年七月壬辰將軍吹負、屯于乃樂山上、時荒田尾直赤麻呂、啓將軍曰、古京是本營處也、宜固守、將軍從之、則遣赤麻呂、忌部首子人、令古京、於是赤麻呂等詣古京、而解取道路橋板(○○)楯、竪於京邊衢以守之、

〔泉州志〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 千貫橋 今在家村西南 俗傳、昔此橋板沈香也、有人鬻之錢千貫、故號千貫橋

〔宮川日記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 七日〈◯延享三年二月〉癸酉、〈◯中略〉鈴鹿關は今の關の驛口なり、されば鈴鹿といへる名物のならし物に成たる橋板の水も、この驛にこそあれ、

〔倭名類聚抄〕

〈十道路具〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 雁齒(○○) 白氏文集云、鴨頭新緑水、雁齒小紅橋、

〔伊呂波字類抄〕

〈加地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 雁齒〈ガンシ橋具也、〉

〔遊仙窟〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0128 碧玉縁陛(メグラシテハシ)、參差於雁齒、〈雁齒者、刻木亦刻石爲之、其形一前一却、如雁之行列、人鳥牙齒之形、今人作床脚、又作䃈砌、皆累縛作之、〉

〔本朝世紀〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0128 久安三年六月卅日壬戌、助教中原師長、依法皇仰、密々可勘文云々、撿注、 去十五日夜、於感神院、播磨守忠盛朝臣所從濫行間、所々射立箭并流血、兼又損失物等事、一射立箭所々 寶殿從西第二間坤柱一所、同第三間雁齒(○○)二所、

〔台記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0128 仁平二年正月廿七日癸亥、 樂船雜具、借用平等院 龍頭、〈◯中略〉鷁首、〈◯中略〉雁齒〈左右反艫著之、黒染地、龍頭金銅金物、鷁首白銅金物、以之爲文、兩船其文同、〉

〔法性寺關白御集〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0128 月光浮水上〈明〉 月光皓皓眼方驚、水上http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001af1b.gif 茫浮只明、雁齒(○○)橋横秋漢潔、龍頭舟去夜雲晴、〈◯下略〉

〔太平記〕

〈三十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0128 諸大名讒道朝事附道譽大原野花會事 貞治五年三月四日、道譽〈◯中略〉京中ノ道々ノ物ノ土手ドモ、獨モ不殘皆引具シテ、大原野ノ花ノ本ニ宴ヲ設ケ席ヲ嚴テ、世ニ無類遊ヲゾシタリケル、已ニ其日ニ成シカバ、輕裘肥馬ノ家ヲ伴ヒ、大原ヤ小鹽ノ山ニゾ趣キケル、〈◯中略〉路羊腸ヲ遶テ、橋雁齒ノ危ヲナセリ、此ニ高欄ヲ金襴ニテ裹テ、ギボウシニ金薄ヲ押シ、橋板ニ太唐氈、呉郡ノ綾、蜀江ノ錦色々ニ布展ベタレバ、落花上ニ積テ、朝陽不溪陰處、留得横橋一板雲相似タリ、 ◯按ズルニ雁齒トハ雁行ノ義ニシテ、即チ橋板ノ級ナリ、

〔本所深川橋々書留〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0128 享保十三申年 兩國橋敷板(○○)所々朽申候所、切込繕蓋板(○○)、并笠木筋違(○○○○)朽申候ニ付、御修復之儀、見分之上爲積申候處、金高四兩三分、銀拾貳匁貳分相懸リ申候ニ付、右之通繪圖仕様帳を以、七月十八日御内寄合ニ而

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 相伺候處、伺之通申付候様ニ被仰渡候、 仕様帳、繪圖有之、

〔三橋小破修復并十組引請相止候書留〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 天保十二丑年六月七日、請負人傳吉より差出ス、〈◯以上朱書〉 乍恐以書付申上候 一新大橋杭埋木(○○○)、桶ケ輪(○○○)、根包板卷鐵物(○○○○○○)并東西御橋臺(○○○○○)道造リ御修復、五月廿九日より取掛、六月七日迄皆出來仕候間、此段奉申上候、以上、 靈岸島川口町家持 丑六月七日 傳吉

〔雍州府志〕

〈九名跡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 渡月橋 倭俗營橋、謂橋、又謂橋、所橋之本末、謂橋臺(○○)

〔五元集〕

〈元〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 楓子居 夏草や橋臺見えて河通り

〔夫木和歌抄〕

〈二十一橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 御集中〈まろばし〉 後鳥羽院御製 いそのかみふるのヽ里のまろきばしくちぬるものはたもと(○○○)なりけり

〔藻鹽草〕

〈五水邊〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 橋 橋のつめ(○○○○)

〔書言字考節用集〕

〈一乾坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 甲(ツメ)〈橋甲(○○)〉

〔日本書紀〕

〈二十七天智〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 九年五月、童謠曰、于知波志能(ウチハシノ)、都梅能阿素弭爾(ツメノアソヒニ)、伊提麻栖古(イデマセコ)、〈◯下略〉

〔釋日本紀〕

〈二十八和歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 于知波志能(ウチハシノ)〈宇治橋也〉都梅能(ツメノ)〈爪也、言橋爪(○○)也、〉

〔萬葉集〕

〈九雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129河内大橋獨去娘子歌一首并短歌〈◯中略〉 反歌 大橋之(オホハシノ)、頭爾家有者(ツメニイヘアラバ)、心悲久(マガナシク)、獨去兒爾(ヒトリユクコニ)、屋戸借申尾(ヤドカサマシヲ)、

〔日本紀略〕

〈桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130 延暦四年九月庚申、是日、皇太子自内裏於東宮、即日戌時、出置乙訓寺、是後、太子不自飮食、積十餘日、遣宮内卿石川垣守等、駕船移送淡路、比高瀬橋頭(○○)已絶、

〔催馬樂〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130 呂 竹河〈二段、拍子各七、合十四、空拍子、〉 たけがはのはしのつめ(○○○○○)なるや、はしのつめなるや、〈◯下略〉

〔百練抄〕

〈十五後嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130 寛元元年正月四日辛巳、去夜、祇園西大門前大路、在家南北兩面、拂地燒亡、西及橋爪

制度

〔令義解〕

〈一職員〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130 民部省 卿一人〈掌諸國戸口名籍、〈◯中略〉家人奴婢、〈謂既非平民、故別顯、其道橋以下、藪澤以上、唯據地圖其形界於撿勘更關渉、〉道橋、津濟、渠池、山川、藪澤、諸國田事、〉左京職〈右京職准此〉大夫一人〈掌左京戸口、名籍、〈◯中略〉道橋、過所、闌遣雜物、僧尼名籍事、〉攝津職〈帶津國〉 大夫一人、〈掌祠社、〈◯中略〉道橋、津濟、過所、上下公使、郵驛、傳馬、闌遺雜物、撿挍舟具、及寺僧尼名籍事、〉

〔令義解〕

〈六營繕〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130 凡京内大橋、及宮城門前橋〈謂十二門前溝橋也〉者、並木工寮修營、自餘役京内人夫、〈謂以雜徭作〉

〔令集解〕

〈三十營繕〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130 凡京内大橋、〈朱云、京内大橋者、未知大橋可數、若最大一歟、何、答數可有也、額云、此臨時有、耳、不大路橋者、〉及宮城門前橋〈(中略)釋云无別也、古記云、當宮門橋者、謂近廻宮之橋也、〉者、並木工寮修營、自餘役京内人夫、〈(中略)釋云、以雜徭役、古記云、役京内人夫、謂雜徭是也、穴云、問、此條稱橋生文未知於道路修理下條哉、答、可然也、師云、唯橋不時、隨壞修理耳也、〈不安〉跡云、役京内人夫、謂充雜徭駈使下條當堺修理、亦放此、朱云、自餘役京内人夫者、京職行事耳、下條云、當界修理者、此條亦放下條、先可當條人、若不足後、可他條人者、私未明、何者此文只役京内人夫故何、額云、不當條他條者又從壞則可修理也、不九月者、〉

〔令義解〕

〈六營繕〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130 凡津橋道路毎年起九月半當界修理、十月使訖、其要路陷壞停水、交廢行旅者、不時月、量差人夫修理、非當司能辨者申請、〈謂當司者、當國之司也、辨者、具也、治也、〉

〔令集解〕

〈三十營繕〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130 凡津橋道路、毎年起九月半、當界修理、〈(中略)朱云、(中略)當界修理、謂當郡也、凡此條只爲外國歟、若於京内道何、上條只稱橋故、答、上條不〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0131道者、略文耳、額同、上條道亦放橋、可京内人夫也、此條只爲外國者、案説者志然也、但先云、此條可依也、京國不別故者非也、額亦不同者或云、額云、九月農時、但近國十月起調庸進、仍爲早作、立限耳者在跡、〉十月使訖、其要路陷壞停水、交廢行旅者、不時月、〈釋云、要路陷壞、廣雅陥隤也、音戸http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006520d8.gif 反、又音http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001b11f.gif 、孝經不於不義、野王案、陥猶墜入也、交廢行旅者、爾雅廢舍也、旅猶客也、音力舉反、古記云、陥音http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001b11f.gif 、孝經不於不義、野王案、陥猶墜入也、穴云、非要路者、上文云了故、別舉要路也、朱云、旅者衆也、行也、衆所行耳、或云、不時月差人夫修理者、可使五百人以下、如下條、且役、且申耳者、〈在跡〉〉量差人夫修理、〈朱云、此條亦役雜徭也、〉非當司能辨者申請、〈(中略)釋云、當司國司也、周禮鄭玄曰、辨別也、説文治也、字在辛部音符蹇反、考工記鄭玄曰、辨具也、説文辨判也、音蒲莧反、字在刀部、穴云、非當司能辨、謂不調度也、辨具也、下條爲人員申、與此別、朱云、申請謂申官請處分歟何、答、然也、古記云、辨者謂具也、調度不備也、人功者非也、申請謂言上之也、〉

〔續日本紀〕

〈四元明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0131 和銅元年二月戊寅、詔曰、〈◯中略〉方今平城之地、四禽叶圖、三山作鎭、龜筮並從、宜都邑、宜其營構、資須事條、亦待(○)秋收後(○○○)令(○)造(○)路橋(○○)、子來之義勿勞擾、制度之宜、合後不加、

〔日本紀略〕

〈桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0131 延暦二十年五月甲戌、勅、諸國調庸入貢、而或川無橋、或津乏舟、民憂不少、令路次諸國、貢調之時、津濟之處、設舟擑浮橋等、長爲恒例

〔類聚三代格〕

〈十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0131 太政官符 一應奪職吏考祿法贖銅事 右得左京職解偁、太政官去天長四年九月廿一日符偁、彈正臺解偁、太政官去弘仁十年十一月四日符偁、職解偁、〈◯中略〉不清當路、諸司諸家、并内外主典已上貶考奪祿、四位五位録名奏聞者、〈◯中略〉今撿案内、京中總五百八十餘町、橋梁三百七十餘處(○○○○○○○○)、雖修造、道橋多數、往還不絶、不損、年中巡撿十有二度、毎度貶奪、徒有俸祿之名、曾无代耕之賞、職吏之患、無於斯、望請、停考祿、依法贖銅者、所請可優、何者掃清當路、於人非難、怠而不掃、過在當處、理須責其人、職司爲政京國相兼、所掌多事、周辨難堪、而以道橋之一失、奪一年之考祿、賞罰之理、良近偏頗、宜請贖銅、〈◯中略〉 以前大納言正三位兼行右近衞大將良峯朝臣安世宜、奉勅、宣依件行之、 天長五年十二月十六日

〔類聚三代格〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0132 太政官符 應浮橋布施屋并置渡船事 一浮橋二處 駿河國富士河 相模國鮎河 右二河、流水甚速、渡船多艱、往還人馬、損沒不少、仍造件橋、 一加増渡船十六艘〈◯中略〉 一布施屋二處〈◯中略〉 以前被從二位行大納言兼皇太子傳藤原朝臣三守宣偁、奉勅、如聞件等河、東海東山兩道之要路也、或渡船少數、或橋梁不備、因茲貢調檐夫等、來集河邊、累日經旬、不渡達、彼此相爭、常事鬪亂、身命破害、官物流失、宜知諸國、預大安寺僧傳燈住位僧忠一依件令修造講讀師國司相共撿挍、但渡船者、以正税買備之、浮橋并布施屋料、以救急稻充之、一作之後、講讀師國司、以同色稻相續修理不損失、 承和二年六月廿九日

〔類聚三代格〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0132 太政官符 應保督察姧猾、及視守道橋事 右得左京職解偁、謹案戸令、凡戸皆五家相保、一人爲長以相撿察、勿非違者、然則結保之興、爲姦濫、司存之理、必可遵行、而皇親之居街衢相交、卿相之家、坊里猥雜、雜非官符直施此制、不教之漸、輙无承引、望請、親王及公卿職事、三位已上、以家司保長、无品親王、以六位別當保長、散位三位以下五位以上、以事業保長、然則皇憲通行、隣伍相保、姧猾永絶、道橋自全、謹請官裁者、右大臣宣、宜早仰下申明舊章、右京職亦准此、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0133 貞觀四年三月十五日〈◯又見三代實録

〔大神宮諸雜事記〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0133 貞觀六年九月十五日、依例齋内親王御行於離宮院之程、齋宮東字鉗田橋桁損天、女官一人乘馬共落入了、仍過次第祭日之後、以同廿六日、召取宮司峯雄、於齋宮寮勘之、齋王參宮之時、路次道椅修造偏宮司勤也(○○○○○○○○○○○)、而無其勤間、女官一人落被疵還留了者、宮司懈怠不勝計者、爰宮司峯雄無遁方怠状、隨則寮解上奏之、於官庭召問、宮司釐務停止宣旨了、

〔類聚三代格〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0133 太政官符 應制往還諸人騎馬過山埼橋事 右得造(○)彼橋(○○)使(○)散位巨勢四輔等解状偁、伏撿承前例、可下馬状牓示橋頭、有心之人、自叶此制、愚暗之徒、不彼禁、如以夜行之人、秉燭經過、殘燼落積、不撲滅、非公制、何以禁止、望請、橋上騎馬、并炬火之輩、一切禁制、謹請官裁者、左大臣宣、宜知山城河内兩國、橋上騎馬、殊從禁斷、但有燭夜行之輩、能加撿察、防禦非常、 貞觀十五年正月廿三日

〔玉蘂〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0133 建暦二年三月廿二日 宣旨〈左大臣右大辨〉 一可京中道橋京職加監臨諸家當路致洒掃事 抑京職擁怠道橋頽危、諸家懈緩、當路汙穢、非只忘洒掃之勤、剩有堀穿之企、慥守先符、宜遵行

〔貴嶺問答〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0133 西郷橋去五月依洪水破損、可修理之由、下知之處、沙汰者申云、修造橋之法、九十月也、彼月以前、不沙汰者、件橋依要路、諸人歎之、九月以前、不修造之由、有起請文歟、依不審尋申之状、如件、 六月十日 西郷橋事、尤不便候、件橋破損之後、往還之輩、用渡船之間、責取巨多之船賃仍寄事於左右申歟、營

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0134 繕令曰、凡津橋道路、毎年起九月半、當界修理、十月便訖、其要路陷壞停水、交廢行旅者、不時月、量差人夫修理者、更不九月、早可修造之由、不日可下知也、或陰陽師云、諸人問撿田吉日於故道言朝臣、引見文書、答日次之由以嘆之、不其時之事、守一隅會尺、謂之道言之撿田者、已如此事歟、可嘲可嘲、謹言、 六月十日

〔貴嶺問答〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0134 明日依待賢門院御國忌、可幸法金剛院、而堀川橋、右京職可亘歟、將使廳沙汰歟、依不審尋申也、謹言、 八月廿一日 御幸橋事、近年京職沙汰也、或又使廳點堀川材木之、抑營繕令曰、京内大橋及宮城門前橋者、〈謂十二門前溝橋也〉並木工寮修營、自餘役京内人夫〈謂以雜徭作〉者、爲御不審進之、恐々謹言、 八月廿一日

〔信玄家法〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0134 川流之木并橋之事 於于木者、如前々之、到于橋者、本所江可返置也、

〔信長公記〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0134 天正三年乙亥 一去年月迫に國々道を可作の旨、坂井文介、高野藤藏、篠岡八右衞門、山口太郞兵衞四人、爲御奉行 被仰付、御朱印を以て御分國中御觸在之、無程正月中出來訖、江川には舟橋被(○○○○○○○)仰付(○○)、〈◯下略〉

〔東福寺文書〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0134此御かき付候て、札御立可有候、以上、 當寺門前之橋、車往還之儀、一切令停止候、若於違背之輩者、可曲事者也、 慶長八 板倉伊賀守 六月十日 勝重〈◯花押〉 東福寺 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0135 總中

〔青標紙〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0135 武家諸法度附勤向申合令條 一新築之城郭、私に經營する事を聽さず、〈◯中略〉 付道驛橋渡人馬等は云に不及、私關所津守等往還之煩をなす事を聽さず、

〔徳川禁令考〕

〈四十三農家〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0135 覺 一道橋念を入、往行滯なき様可申付事、〈◯中略〉 右條々在々庄屋小百姓迄不殘念を入、可申渡もの也、 寛永十九年八月十日

〔徳川禁令考〕

〈四十三農家〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0135 五人組帳前書之事〈◯註略〉 差上申一札之事〈◯中略〉 一村々請取ニて作來候道橋、毎度御觸無之候共、入念作り可申候、就中從御公儀様御掛被成候板橋、大小共ニ塵芥無之様に常々掃除可仕候、若道橋麁末成所ハ、其請取場所之名主百姓可御咎事、〈◯中略〉 右御法度之總御箇條之趣、村方ニ而も寫置、毎月壹度總百姓共名主所江寄合、爲讀聞、被仰付候通急度相守可申候、若違背仕候者有之候ハヾ、何様之曲事ニも可仰付候、爲其名主、年寄、五人組連印之一札差上申候、仍如件、 何國何郡何領何村 年號月日 百姓 誰印 誰印 誰印 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0136 組頭 誰印 年寄 誰印 名主 誰印 伊奈半左衞門様 御役所

〔御府内備考〕

〈十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0136 大川橋 制札 此橋之上より船の内へ、つぶて一切打べからず、若相背族あらば、可曲事者也、 午十月 奉行 定 此橋之上におゐて、晝夜にかぎらず、往來の輩やすらふべからず、商人物もらひ等とヾまり居べからず、若相背族は曲事たるべきもの也、 安永三午十月 奉行 定 火事之時、橋の上滯なく諸道具等通すべきもの也、 午十月

〔本所深川御用留〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0136 御入用橋掃除(○○○○○○)等之義ニ付町觸 寛政八辰年八月 一江戸向、本所、深川御入用橋々、きれゐニ掃除可致候、不掃除ニ致シ置候得バ、水走等不宜、おのづから損所も出來致候間、以來日々掃除入念可致候、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0137 一橋之上ニ諸商人等置申間敷候、振賣之商人又ハ乞食等立やすらい候間、以來急度差置申間敷候、 右之趣ハ、慶安元〈子〉年二月、万治三〈子〉年五月、延寶五巳年二月、委細ニ申渡候處、近年相弛ミ橋々前後町役人共、等閑ニ相成候ニ付、猶又申渡候、尤懸り役人相廻り、不掃除之橋々有之ニおゐてハ、糺之上急度申付候、 右之趣、御入用橋有之町々江可相觸候、 辰二月 右之通((朱書))、同月廿一日、此方御番所江橋々前後町役人共一同呼出シ、御勘定方立合、連印申付候事、

橋吏/橋守

〔日本書紀〕

〈二十八天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0137 元年五月、是月、〈◯中略〉或有人奏曰自近江京于倭京、處處置候、亦命莵道守橋者(○○○)皇大弟宮舍人運私粮、天皇惡之、因令問察、以知事已實

〔類聚三代格〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0137 太政官符 應置橋守并令橋邊有勢人加撿挍事 右得造山埼橋使解偁、造橋之事、其功旣畢、而今橋之爲體、糞土易積不早掃除、即致損朽、加以河上藏屋舟船等、洪水之日、擁塞柱下、橋梁破損、職此之由、望請、仰山城河内等國、橋南北兩邊令(○○○○○○)差(○)置橋守(○○○)、兼俾(○○)橋邊有勢人共加(○○○○○○○)撿挍(○○)、若有洪水、可泛溢者、橋東舟船、追下橋西、流散材木、便令繫留、謹請官裁者、大納言正三位兼行民部卿陸奧出羽按察使安倍朝臣安仁宣、依請、橋守夫并撿挍人數、隨宜差課、官長勾當、不疎略、天安元年四月十一日 太政官符 應舊充浪人二人上レ泉橋寺并渡船假橋等事、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0138 右得彼寺牒偁、件寺故大僧正行基建立卌九院之其一也、總尋本意泉河假橋建立也而河之爲體、流沙交水、橋梁難留、毎洪水、往還擁滯、仍爲人馬、相唱道俗、買置馬船二艘、少船一艘、付屬件寺、國須太政官去天長六年十二月八日、承和六年四月四日兩度符旨、充徭夫二人、而稱永例、不充行、无人監護、屢致流失、寺家之煩、无於斯、望請、給(○)件浪人(○○○)永免(○○)雜役(○○)、一向令(○○○)守(○)寺并船橋(○○○○)等、謹請官裁者、中納言從三位兼行春宮大夫南淵朝臣年名宣、宜知山城國件令上レ充、 貞觀十八年三月一日

〔三代實録〕

〈五十光孝〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0138 仁和三年五月十四日丁亥、是日、始置韓橋者二人、以山城國徭丁充之、

〔類聚三代格〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0138 太政官符 應韓橋丁二人事 右得彼橋預西寺別當傳燈大法師位命携牒状偁、撿案内、件橋往還要路、人迹不絶、夜行秉燭、落火成害、非橋守人何禦非常、望請、官裁准舊例橋守者左大臣宣、宜山城國徭丁二人監護焉、 延喜二年七月五日

〔古今和歌集〕

〈十七雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0138 題しらず 讀人しらず ちはやぶるうぢの橋守なれをしぞあはれとはおもふとしのへぬれば

〔永久四年百首〕

〈雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0138 船 兼昌 にほてるややばせのわたりする舟をいくそたびみつせたのはし守

〔新古今和歌集〕

〈七賀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0138 嘉應元年、入道前關白太政大臣、宇治にて河水久澄という事を、人々讀せ侍りけるに、 藤原清輔朝臣 年へたる宇治の橋守ことヽはん幾代になりぬ水のみなかみ

橋行事

〔中右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0138 永久二年四月十六日辛酉、賀茂祭也、早旦自院〈◯白河〉被仰下云、去夜今朝雨脚殊甚之間、鴨川 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0139 浮橋等定流損歟、齋院渡給之間有其恐、早差(○)遣撿非違使等(○○○○○○)、可(○)令(○)固(○)件橋(○○)者、仍仰行重經則等了、

〔高野御幸記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0139 天治元年歳次甲辰十月廿三日丙寅、雲膚猶蒸、雨脚不止、〈◯中略〉辰時出御、〈當色外御車副八人、牛童一人召具、〉卿相侍臣案鑣前駈〈遲參之輩、上鞭馳參、〉比淀渡、浮梁行事(○○○○)撿非違使右衞門少尉平正弘〈著冠〉候橋邊、〈至還御之時、慥可修固之由、召仰了、◯中略〉申時御東大寺東南院房、〈◯中略〉抑路次并橋行事(○○○)撿非違使右衞門志惟宗成國、差專使言上云、雨脚猶降、大和河假橋欲漂流、只今水勢與橋齊之故也、右衞門督藤原朝臣〈◯實行〉即以此旨執奏、能可修固之由遣仰了、撿非違使左衞門志中原明兼參上申云、於明兼奉行者已造平、又所々橋無懈怠者、然間成國重以使者申云、大和川橋中央二丈許流切畢、雨脚不止、水勢洋溢、無計略、爲之如何、大僧正〈◯寛助〉聞此事奏云、然者明日可逗留歟、人々相議云、一日逗留、費及十家、猶加造舟之力、早可前途歟、仍重差遣明兼、相共可修固之由下知畢、 廿四日丁酉、午刻出御、晡時到大和川、連日雨降、中途泥濘、然間河梁遂流、危渡有畏、 十一月一日甲戌、卯刻出御、〈◯中略〉亥刻御大和川、渡假橋、〈先日爲洪水流切、撿非違使遂渡固、〉

〔兵範記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0139 仁安三年十二月十九日丙午、今夕、皇太后宮〈◯六條后平滋子〉行啓日吉神社定也、 定 皇太后宮行啓日吉社雜事 一造浮橋等事 京職 山城國 近江國〈◯中略〉 已上行事親宗 仁安三年十二月十九日 執筆院別當之參議親範

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0139 治承二年十月廿三日癸丑、此夕行幸還御云々、召右近府廳頭清景、仰條々事、〈◯中略〉又以使者〈侍〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0140送大理卿許云、出立日、撿非違使可催事、鴨河可浮橋事、淀渡之所、可遣撿非違使事、已上先規已存、任例可御下知歟者、

〔吾妻鏡〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0140 文治三年三月十五日丁巳、江判官公朝、進使者申云、可兩社行幸、橋渡行事、所之也、殊欲行糚、仍可莫大經營、偏仰御成助也云云、

〔勘仲記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0140 弘安九年三月廿七日甲午、今日天皇〈◯後宇多〉可幸春日社、予可奉行之間、自去夜候禁省、細々事爲申沙汰也、〈◯中略〉乘輿渡御赤江浮橋、〈行事撿非違使左衞門大志中原章材、今日即供奉本陣、於此所留候、監臨之、〉供奉人已下不馬、次乘輿渡御淀浮橋、〈行事撿非違使左衞門尉平宗明隨兵等、列居兩方、其體嚴重也、〉龍頭〈東〉鷁首〈西〉互奏樂、〈鳥向樂〉隨御輿流、供奉人已下、下馬渡橋、

〔康富記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0140 文安六年四月廿三日癸酉、賀茂祭也、〈◯中略〉兼日反橋破損、自八幡修理之處、修理遲々、不事行之由申候間、判官自西洞院渡之由、申傳奏之間、然者行列外記可車於西洞院之由有談合、雖然廿一日廿二日兩日之間、橋之修理出來、如例年判官自猪熊渡之間、行列如恒立淨菩提寺〈◯在一條堀川〉門下者也、

橋警固

〔帝王編年記〕

〈二十七伏見〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0140 正應三年十二月四日、天王行幸石清水宮、大渡橋警固、言飯沼判官、〈長崎入道果圓二男〉

〔興福寺略年代記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0140 延慶元年六月晦日、持參寺訴三ケ條事書於西園寺云々、〈◯中略〉 一宇治橋警固武士狼藉、急速尋究可注進、 以前三ケ條奏聞之處、被院宣於寺家之間、滿寺衆徒開愁眉畢、

〔光明寺殘篇〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0140 入洛輩可存知條々 勢多橋警固 佐々木近江前司 同左渡大夫判官入道〈◯道譽〉

〔太平記〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0140 主上上皇御沈落事 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0141 爰ニ糟谷三郞宗秋、六波羅殿ノ御前ニ參テ申ケルハ、〈◯中略〉主上〈◯光嚴〉上皇〈◯後伏見花園〉ヲ奉取テ、關東ヘ御下候テ後、重テ大勢ヲ以テ京都ヲ被責候ヘカシ、佐々木判官時信、勢多ノ橋ヲ警固シテ候ヲ被召具バ、御勢モ不足候マジ、時信御伴仕ル程ナラバ、近江國ニ於テハ、手差者ハ候マジ、〈◯下略〉

〔糺河原勸進猿樂日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0141 慈照院殿〈◯足利義政〉御時〈寛正五年甲申四月◯中略〉 一河原橋御警固所司代〈多賀豐後守高忠〉

橋掛名主

〔初見分申渡〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0141 三橋懸り 名(○) 主(○) 橋番人 大川橋助成地 請負人 其方共銘々持場橋之破損、又は出水等有之節は、早速相屆、防方之儀は、兼而申付置通相心得、出火出水とも、橋附定抱人足、其外最寄船持船乘車力共等、駈付次第爲相防、諸事心付、川筋御成之節は、橋上下廣小路共掃除致し、破損等別而心付候様可致、安次郞儀は出火之節、高札持退等之儀、無油斷心付候様可致、 但鯨船鞘番所近邊出火之節は駈付、御用書物持退方之儀申付置侯處、今般川邊古問屋共、先前々へ引受被仰付候に付、以來駈付相心得候に不及候、 安政四巳年正月十五日

橋番人/添番人/下番人/書役

〔大川橋西橋番屋修復一件書留〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0141 新大橋御橋番人(○○○)并添番人(○○○)起立、御手當向等御尋ニ付左ニ申上候、 一右御橋、延享元子年七月中、町橋ニ被下置候節より、善四郞父宗兵衞儀、御橋受負入ニ相成、渡錢取

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0142 之、橋修復等仕罷在候處、其後右橋類燒等度々有之、假橋ニ而往來仕候處、文化五辰年中御調之上、御取替金ヲ以、新規本橋御掛替被下置、同六〈巳〉年正月中、善四郞儀、受負人御取放ニ相成、橋番人ニ被仰付候間、東西廣小路見守、橋掃除、其外取締之儀被仰含、永々壹ケ年金三拾兩宛被下置候旨被仰渡、難有御請申上、尤廣小路并橋上異變等有之節は、右入用可下置旨、難有御橋番人相勤罷在候處、翌二月廿九日、善四郞、橋掛り名主、并菱垣廻船積仲間諸商人總代大行事共、一同小田切土佐守様御番所江被召出、三橋共渡錢不受取、右仲間之者掛金致、年々積置、右ヲ以永々掛替并修復等丈大夫ニ入念、聊不差支致候間、三橋共仲間内江引受候様致度段願出候ニ付、御糺之上、右願之通、仲間内江引受被仰付候旨ニ仰渡、善四郞儀は橋番人被仰付候ニ付、前書之通、壹ケ年給金三拾兩、仲間之者より請取相勤、請負橋渡錢中、東西橋臺ニ無地代ニ而、年來住居罷在候、東橋番人(○○○○)文七儀は、爲助成舟宿渡世仕、水主共召仕罷在、西橋番人(○○○○)清三郞儀茂是又助成トシテ煮賣酒渡世仕、召仕之者も有之、其砌仲ケ間之者より示談之上、兩人共東西添番人(○○○○○)ニ相成、右之通無地代ニ而住居罷在候間、給分請取不申、并東西助成地水茶屋之内に而、安兵衞文六兩人、無地代ニ而爲差出、下番人(○○○)ニ致、月々給分壹人ニ付夜番(○○)錢共三貫文宛差遣、并ニ書役(○○)直藏、是又月々給分金壹分ト、銀拾匁宛相渡、年々十二月、添番人、下番人共江壹人ニ付金壹匁貳朱宛、書役之者江金貳分、歳暮同様手當差遣候旨申傳、前書御橋御取替金、其外借財等、仲間之者より辨納仕候、然ル處文政二卯年六月廿五日、橋掛り名主(○○○○○)并菱垣廻船積仲間諸商人總代大行事共、一同榊原主計頭様御番所江被召出、三橋共十組仲間之者引受御免、以來町年寄共取扱、修復諸入用等十組冥加上ゲ金、壹万貳百兩之内ニ而遣拂ニ相成候間、其外は是迄之通可相心得旨被仰渡、橋番人ニ被仰付候儀、別段被仰渡は無之、橋番人、添番人、其外共引續相勤罷在、給分御手當向等、十組仲間之者在來之通、其已來町年寄方ニ而御渡ニ相成、御手當向被下置候儀、被仰渡は無之、年

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0143 年十二月、諸入用書上之内江書出シ、同所ニ而御渡ニ相成候儀ニ御座候、 右御尋ニ付、此段申上候、以上、 申〈◯弘化五年〉二月 新大橋掛り 名主共

〔大川橋西橋番屋修復一件書留〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0143 永代橋東西御橋番人元十組商人共橋引受中より、右番人給分、且番屋續建繼商床ニ而水茶屋渡世致候起立等、御尋ニ御座候、此段右御橋起立之儀は、元祿十一寅年中、御入用ヲ以、御掛渡相成、其砌より橋番屋之儀も出來、番人罷在候、右東西廣小路之儀も、其節より御橋附ニ相成、右地所内、取計方等は、番人掛り名主共取扱來候處、享保四亥年中、御橋御取拂被仰出候砌より町橋ニ相成、渡錢請取申候、尤右廣小路内商床御願濟、年月等年久敷儀ニ付、其度々御願濟書留等は無御座候得共、右之内ニは享保十四酉年中、大岡越前守様御番所御掛りニ而、御願濟之上、相建候商床も有之、東西番屋續商床之儀は、其以前より相建有之候儀ニ可御座存候得共、起立相分兼、尤右番屋續商床之儀は、出水之砌、水防之者共差置候場所ニ補理有之、其後文化六巳年中、十組元問屋共、橋引受ニ相成、文政二卯年中、右元問屋共橋引受御免被仰付候後、引續御入用橋ニ相成候處、右番屋建繼商床之儀は、有來之通御差置相成候儀ニ有之、尤番人共給分而已ニ而は難相勤候ニ付、右建繼之場所ニ而、平日家族共茶見世等稼致、右餘成ヲ以、從來取續來候儀ニ有之、給分之儀、元十組問屋共、橋引請以前之儀相分兼、文政二卯年中、右元問屋共橋取扱御免相成候以來は、右商人共橋扱中、請取來候趣ヲ以、引續定番人貳人分、壹ケ年給金貳拾四兩、外ニ壹ケ年御手當貳人分金壹兩貳歩御渡相成候儀ニ御座候、 一右御橋東西添番人之儀は、文化六巳年、元十組商人橋引受中は、右商人共より多人數罷出、橋用取

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0144 扱候處、右扱方御免ニ相成候上は、定番人とも而已ニ而は、非常其外見守方不行屆之趣ヲ以、其頃御掛り様江御願濟ニ而、添番人貳人出來、壹ケ年給分貳人錢錢七拾貳貫文御渡相成候儀ニ御座候、 右御尋ニ付、此段申上候、以上、 申〈◯弘化五年〉二月 永代橋掛り 名主共

橋番請負人/水防請負人

〔初見分申渡〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0144 兩國橋東西 橋番請負人(○○○○○) 同所 水防請負人(○○○○○) 其方共銘々請負之通、諸事入念出水有之節は早速相屆、出火出水之節共、定之通人數差出、早速場所江相詰、防方出精可致勿論、鯨船鞘近邊出火之節は、是又人足召連駈付、御用書もの、水防道具持退方等、手後レニ不成様可心付、 一水防請負人共は、出水有之防道具出し候節は、自分入用之品を先江相用候様致し、御道具出シ入之儀は、引受之世話番(○○○)を極置、紛失等無之様可心付、 同所請負人手附 世話役之者(○○○○○) 出火出水之節は、右申渡趣、兼而相心得、人足引纏罷出出精可致、

〔本所深川御用留〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0144 本所掛諸請負場所

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0145 五郞八(米澤町三丁目 家主次郞八幼年ニ付 後見安右衞門店) 一兩國橋西橋番受負(○○○○○○○○) 喜左衞門(名主) 右助成地、兩國橋西廣小路之内、北之方、髮結床其外之庭錢取之、晝夜橋番人(○○○)差置、右橋番所新規修復共、自分入用而、且又出水之節、人足五十人(○○○○○)差出申候、 安左衞門(南本所大徳院門前 家主) 一兩國橋東橋番請負(○○○○○○○○) 安兵衞(橘町一丁目平兵衞店) 右助成地兩國橋東廣小路之内、髮結床其外之庭錢取之、晝夜橋番人(○○○)差置、右橋番所新規修復共、自分入用ニ而仕、且又出水之節人足三十人(○○○○○)差出申候、〈◯中略〉 水防受負人(○○○○○)〈自分入用ニ而鞘江入置候分十二所〉 次郞兵衞(水防請負人 米澤町三丁目 家主/外四人) 右助成地兩國橋西廣小路之内、南之方、庭錢取之、出水之節、人足五十人(○○○○○)、川並鳶之者(○○○○○)差出、水防道具(○○○○)自分入用ニ而仕立申候、

〔本所深川御用留〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0145 大川通其外出水之節取計之覺〈◯中略〉 一橋上江置候重り石(○○○)、八百三十八本、御入用ニ而出來有之、水防受負人共、自分入用ニ而千本差出、前々より橋臺ニ差置申候、〈◯中略〉 一水防道具(○○○○)之覺、但御入用ニ而出來有之候、一苧綱( /但長貳十尋より貳十八尋迄) 拾筋 一竹繩( /但七尋半ヅヽ) 貳十筋 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0146 一繰綱( /但貳百尋ヅヽ) 三筋 一碇( /但三〆目より五〆貳百五十目迄) 十三挺 一浮ケ綱( /但貳十尋ヅヽ) 十五筋 一木廻し鐵物 十挺 一細引( /但六尋ヅヽ) 貳十筋 一海鼠形 十挺 一小玄翁 四丁 一浮ケ木 十五本 一大鳶口 十丁 一卷轆轤 貳丁 一刃廣斧 三丁 一箱しやち 貳丁 一大鋸 貳丁 一蝉車 貳丁 一かけや 六丁 一竹梯子 六丁 一高提灯( /但掉共) 十四張 一栗丸太杭( /但長五尺ヅヽ) 十六本 一提灯 三十貳張 一杉丸太杭( /但長三尺ヅヽ) 十六本 一拍子木 十組 右水防道具、鯨船鞘江入置、年々相改、御屆ケ申上候、 一水防請負人共、自分入用ニ而仕立、鯨船鞘江入置候分、一苧綱( /但九尋より四十尋迄) 三筋(大小) 一しやち 壹挺 一しゆろ綱( /但十二尋より二十七尋迄) 三筋 一大鳶口 拾丁 一檜綱( /但十尋より二十五尋迄) 三筋(大小) 一長柄鎌 五丁 一卷轆轤 壹挺 一木廻シ鐵物 五丁 一高提灯 四張 一幟 貳本 一梯子 貳挺 一少々出水は兩國橋水防役橋番受負役船小頭名主喜左衞門注進書を以、御屆申上候義も御座 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0147 候、 ◯按ズルニ、本書尚ホ兩國橋、永代橋、新大橋、大川橋ノ水防道具、及ビ火防道具ヲ載セタリ、而シテ其品目異同アレドモ省略ス、

橋附船頭水主

〔舟橋方古書寫〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0147 船橋(○○)小島町船頭(○○)共居屋敷之事、如前々地子令赦許者也、 慶長拾壹年三月五日 肥前様御判(右) 小島民部

〔舟橋方古書寫〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0147 富山舟橋(○○)江水手(○○)三拾二人之御扶持として、當年より米百六拾俵被下候、右之米越中國中在々所々江被仰付候條、郡奉行衆裁許次第、多年可請取之者也、 ◯滿元和三年十二月十六日 横山山城守書判 本多安房守書判 富山舟ばし水主中

〔初見分申渡〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0147  兩國橋 役船小頭(○○○○) 同所 増役船小頭(○○○○○) 助役船之者(○○○○○) 其方共銘々請負之通、諸事入念、川筋出水之節は、早速兩國橋江相詰、防方致し、水防道具紛失無之様可心附、出火之節は、兼而渡置幟挑灯相建、定之船數、長柄之柄杓用意致し、早速乘付、橋下飛火之防方、重に可致勿論、鯨船鞘近邊出火之節は、是又早速駈付、又は役船乘付、鯨船おろし方、其外御用書物、水防御道具持退方、手後レニ不成様可心付、尤鯨船水主水練之もの等、出精可致旨、兼而申聞

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0148 置べし、 安政四巳年正月十五日

橋番屋

〔本所深川橋々書留〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0148 享保十一〈午〉年 一永代橋破損ニ付、往來之町人より貳錢宛取り、〈◯中略〉 一右貳錢取り候番屋、東西ニ建申度之由、名主ども越前守殿江願上候ニ付、午五月廿五日致見分候處、袖杭へ付候而、壹間ニ九尺之番屋(○○○○○○○○)ニ而候故、障りニ不罷成候、

〔武江年表〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0148 文久元年二月、四橋の側ニ番所を置る、〈永代橋、新大橋、兩國橋、大川橋、〉

〔船乘當并永代橋消防御褒美書留〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0148 永代橋西廣小路番屋類燒ニ付、御假建奉願候處、去丑年午年兩度類燒之節之例御尋ニ御座候、右兩度は助成地商床類燒御屆申上候節、番屋之義は御假建奉願候間、御建被下置候、尤其節之願書、私共書留相分兼候得共、定番人共江も相對候處、右申上候趣ニ御座候、御尋ニ付此段申上候、以上、 午〈◯弘化三年〉二月十一日 永代橋掛り 名主共

〔大川橋西橋番屋修復一件書留〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0148 大川橋西橋番屋江橋番人自分家作新規建繼候儀ニ付奉伺候書付 本所見廻 大川橋東西橋番屋之儀は、安永三午年渡錢取、受負橋ニ被仰付候節、新規取建、右番屋江渡錢取集候世話役之者差置、受負人は日々通勤致し居候處、文化六巳年、小田切土佐守殿御勤役中、右橋十組問屋仲間共引受相成候砌、右受負御免受負人は橋番人ニ被仰付、其節より添番人東西江被仰付、西橋番屋之方江ハ番人五郞右衞門、添番人共他町住居ニ而交代致、相勤罷在候儀ニ御座候、然ル

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0149 處、同橋は御場内ニ而、御成被仰出、以前より御場掛リ之もの番屋江度々出役、且は同所助成地内ニ、近頃新規御上場出來候上、助成地最寄町々共追々繁花相成、近來殊之外御用多罷成、通勤ニ而者差支候儀も有之候趣ニ而、今般右五郞右衞門義、西橋番屋續助成地明地江、間口八尺、奧行四間之瓦葺家作、自分入用を以、右番屋江新規建繼、助成地坪割を以、壹ケ年銀三十六匁貳分四厘、地代上納、住居致度旨掛名主共倶々、別紙繪圖面之通願出候間、場所見分取調候處、家作出來候而も差支無之場所ニ而、右申上候通住居相成候得ば、御用辨宜敷段は無相違、外差障之筋等相聞不申、且助成地地代割合も相當仕、増上納ニ茂相成候儀ニ付、願之通家作建繼可仰付候哉、依之願書繪圖面共相添、〈◯願書繪圖略〉此段奉伺候、 一永代橋東西橋番屋江((朱書))、自分入用を以家作建繼住居、東之方地代上納仕、西之方は地代上納不仕、并新大橋東西、大川橋東之方番屋江、同繼建繼地代上納不仕、番人共住居罷在候振合も御座候間、本文之通申上候儀ニ御座候、尤伺之通被仰渡候ハヾ、増上納ニも相成候間、町年寄江茂被仰渡下候、 一五郞右衞門願之通((朱書))、繼家作被仰付候ハヾ、住居之儀故、御目付御鳥見組頭衆江御達相成候方可然哉與奉存候、 以上 申〈◯弘化五年〉二月 中村八郞左衞門 加藤又左衞門

〔大川番屋燒失〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0149 大川橋橋番屋燒失之儀申上候書付 御屆 本所見廻 昨夜淺草より出火ニ付、大川橋江出役仕候處、風下ニ而西之方橋臺、左右町屋類燒、同方橋番所燒失、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0150 橋も所々燒込候ニ付、所人足は勿論、兩國橋非常手當船をも相廻し、消防差配仕候、尤橋往來ニ危候儀相見不申候、橋番屋普請、橋御修復之義は、取調猶可伺候、此段申上候、以上、 十二月十三日 加藤新左衞門 小原清次郞

橋附高札場

〔類聚三代格〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0150 太政官符 應制往還諸人騎馬過山埼橋事 右得彼橋使散位巨勢四輔等解状偁、伏撿承前例、可(○)下馬(○○)状牓(○○)示橋頭(○○○)、〈◯中略〉 貞觀十五年正月廿三日

〔本所深川橋々書留〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0150 享保十三申年 兩國橋、新大橋兩方之東西高札場矢來(○○○○○○○)大破仕候ニ付、見分いたし候處、御修復ニ成兼申候ニ付、新規御入用仕様帳仕候處、右四ケ所ニ而御入用代金八兩拾貳匁九分八厘相懸申候段、申五月十八日御内寄合ニ而相伺候處、伺之通申付候様ニ與被仰渡候、尤高札大小六枚(○○○○○○)古く罷成、文字消申候ニ付、御書替之儀申上候處、則御書替、御用部屋ニ而被仰付、相濟、六月十四日迄ニ不殘出來仕候、 繪圖仕様帳有

橋附手當船

〔新大橋附手當舟一件書留〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0150恐以書付申上候 一永代橋定番人利助、伊之助兩人奉申上候、當御橋附手當船有無御尋ニ付、左ニ奉申上候、右ハ十組問屋共御橋引請中手當船貳艘有之候得共、何れ茂船具共及大破、用立不申候ニ付、御極印切上ゲ解船ニ仕候由ニ而、最寄船持共より雇船仕、用辨致罷在候處、文政二卯年中、右問屋御橋引請之儀御差止ニ相成申候、其砌より引續手當船無御座候ニ付、非常之節者勿論、平日御橋付見廻り之節共、雇船仕、右御入用、其時々御下金ニ相成候儀ニ御座候、右御尋ニ付此段奉申上候、以上、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0151 永代橋定番人 弘化三〈午〉年閏五月 利 助印 伊之助印 右橋掛り 深川熊井町 名主 理三郞印 同所材木町 同  市郞次印 本所 御掛り様

〔新大橋附手當舟一件書留〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0151恐以書付申上候 一新大橋定番人深川御船藏前町家持善四郞奉申上候、當御橋手當船之儀は、文化度十組問屋共御橋引受申、壹艘出來仕、其後文政二卯年、右引受御差止之砌、手當船は其儘橋番人共江御渡相成、御公役銀、并小修復御入用、水主雇上ゲ賃銀等は、其時々橋付御入用江込、町年寄より受取、大破之節は、御掛り様御下知相伺候儀ニ御座候、然ル處右船年來相立、大破罷成、最早手入仕候而も御用立不申候間、新造奉願度奉存候へ共、御入用も相嵩候儀ニ付、御極印切上ゲ置、追而相應之替り船見當り候ヘバ買上ゲ、其節御書替相願、夫迄は雇船差出御差支之儀無之様仕度奉存候、依之此段奉伺候以上、 新大橋御橋番人 深川御船藏前町

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0152 弘化三〈午〉年十月 善四郞印(家持) 右橋懸り 同所海邊大工町 〈名主〉八左衞門印 同所平野町  甚四郞印(同) 本所 御掛り様

〔新大橋附手當舟一件書留〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0152 新大橋附手當船之儀ニ付申上候書付 本所見廻 町年寄江御斷 新大橋、文化度十組問屋共引受中、橋附手當船壹艘出來、文政二卯年、右引受御差止相成候砌、船ハ橋番人江引渡相成、舟年貢水主雇上小修復共、其時々橋付御入用之内江組入、橋番人掛り名主共より町年寄江申立受取、大破相成候節は、私共江申立、伺之上修復申付候儀ニ御座候處、右船年來相立朽腐強、御用立不申、新規取建候而は、御入用も相嵩候間、極印は切、川船方役所江相納、追而相應之賣船有之候へば御買上ゲニ仕、其節書替相願、尤船出來候迄、御用之節は、雇船ニ而差支無之、賃銀之義は前同様受取度旨、橋番人掛名主共申立候間承屆申候、此段町年寄江被仰渡下候、 一永代橋之儀((朱書))、十組引受中、橋付手當船壹艘御座候處、大破罷成、十ケ年程以前、極印は川船方江相納、其以來雇船ニ而御差支之儀無之候間、本文之通申上候儀ニ御座候、 以上

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0153 午〈◯弘化三年〉十一月 中村八郞左衞門 加藤又左衞門 ヒレ付  http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png tibu_3_0153_001.gif 書面申上候通、町年寄江被仰渡候段、奉承知候、 〈午〉十二月十七日 本所見廻 書面之趣奉相心得候、雇賃錢賃銀之儀、橋付御入用之内江組入相渡候様可仕候、 〈午〉十二月朔日 町年寄

橋錢

〔江都管鑰秘鑑〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0153 永代ばし爲修復料往來の人々より渡り錢取度願出る事 永代橋町懸りとなつてより〈◯享保六年三月〉破損修復といふにおよばず、大風洪水の手當等まで、皆町方より致事なるに、彼長虹天に横はるともいふべき無雙の大はしなれば、日々の費用大方ならず、深川筋の町人共、大にあぐみせんところを知らず、依之別紙の趣意を以、町奉行所へ願出ければ、出雲守越前守相談の上、是又餘儀なき事に思はれしかば、則上書壹通りに委細の譯を記して台聽に達せらる、其文に曰く、 覺 深川町々總町人共 永代橋向寄 江戸町々町人共 右町々の者共、相談之上相願候は、永代橋去亥年三月御取はらひ被仰付候處、風雨の節渡船難義、火事等之節も、江戸向より老若足弱の者共立退、怪我も無御座候處、橋御取拂に罷成候而者、殊之外迷惑仕、其上諸事不勝手に御座候間、其儘に被差置下候はヾ、永々斷絶無之様修復

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0154仕旨相願候に付、願之通町人共へ被下置候、夫に付去々年修復掛替も仕候得共、年久敷橋に御座候間、段々破損仕、近々の内又々修復掛替も不仕候ては、斷絶可仕候、然共大金懸り候義ニ御座候間、右町々割合金ニ而者難計御座候間、依而相談之上、新規掛替修復料拾箇年の内、深川中家持共并に店借之者共、其外往來の者ども、右之通壹人ニ付貳錢ヅヽ(○○○○○○○○)差出し、橋往來いたし候様仕度相願申候、 一右出錢取立仕方之儀者、永代橋に新規兩橋詰に、九尺四方の番小屋を相願(○○○○○○○○○○○)、深川家持共の内貳人宛替々毎日付添罷在り、武家は相除、其外は往來の者共より貳錢ヅヽ取可申候、尤喧嘩口論等仕出し不申候様、家持ども取はからひ可申候、右毎日の出錢金子に直し取置、帳面に記置、橋入用金に仕度旨、深川總町人并永代ばし向寄江戸町人の者共差支無之哉、此儀名主どもへ申付相尋させ候處、右之橋渡り候者計貳錢ヅヽ出錢仕候義ニ御座候へば、何の障りも御座なく候、尤大火の節は出錢取不申候、先年永代ばし無御座候節は、賃錢を出し、小船にて渡り候に付、風雨滿水の節、通路相止、急用之者抔、殊之外難義仕候、渡し舟同意御座候間、出錢仕り候而も、橋斷絶可仕候得者、深川筋用事は勝手次第に御座候旨、江戸町々名主共申之候外、相障りも無之候間、十箇年の間出錢取候義、願之通り可申付哉、奉伺候、以上、 四月 中山出雲守 大岡越前守 右之書付、四月二日御用番井上河内守殿へ進達しけるに、猶亦いろ〳〵御評義之上、同五月十八日、内寄合に町人共呼出し、右願之筋餘義なく聞候得共、最初願之趣と相違いたし、取上難きよし越前守申渡、〈◯中略〉 但假橋渡賃之事、其後ニ再訴ニおよび、御聞屆ありけるにや、今はおしなべて斯る事にはなり

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0155 たり、

〔本所深川橋々書留〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0155 享保十一〈午〉年 一永代橋破損ニ付、往來之町人より貳錢宛取り候而、其溜ヲ以連々橋掛直申度由、深川名主共度々相願候ヘ共、御取上ゲ無之候處、當正月又々願上候節、町年寄市右衞門ニ吟味被仰付、其後御伺相濟候由ニ而、午五月十八日深川名主共被召出、願之通被仰付候、武家ハ相除キ(○○○○○○)、其外ハ一人より貳錢ヅヽ取可(○○○○○○○○○○○○)申候(○○)、がさつ成義無之、物言不仕候様ニ可致候由、御立合ニ而越前守殿被仰渡候、此被仰渡を、郷左衞門、傳兵衞も可承之由被仰候ニ付、公事場之次ニ罷出可之候、尚又見廻り諸事可申付候由被仰渡候、證文は市右衞門方ニ而可申付候旨、市右衞門ニ被仰付候、 一右貳錢取り候番屋東西ニ建申度之由、名主ども越前守殿江願上候ニ付、午五月廿五日致見分候處、袖杭ヘ付候而、壹間ニ九尺之番屋ニ而候故、障りニ不罷成候、來ル朔日より出錢集メ候由申ニ付、番屋建候間も無之ニ付、佐賀町名主藤右衞門、相川町名主新兵衞、熊井町名主利左衞門を御番所ヘ差出シ、障無之旨見分之様子申上候處、願之通番屋之儀可申渡之旨被仰渡、其由三人之名主共ヘ申渡候、道尤番屋之繪圖差上候、奉行衆へも可仰出候哉〈與〉奉存、外ニ繪圖壹枚上ゲ申候、

〔御府内備考〕

〈十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0155 大川橋〈◯中略〉 大川橋渡錢 一町人百姓 壹人より貳錢 一町醫出家 壹人より貳錢 一荷物并脊負 壹人より貳錢 一馬駕籠之者 壹人より貳錢 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0156 一駄賃馬口附 壹人より貳錢 但武士方荷物附候共 右之通取立可申事 午〈◯安永三年〉十月

〔半日閑話〕

〈初編四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0156 渡錢 今春隅田川三圍稻荷開帳にて、大川橋往來多く、三月十五日抔は一日に渡錢三十八貫文有之、十六日には廿貫文の餘有之と淺草菴〈いせ屋久右衞門〉かたる、

〔傍廂〕

〈後編〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0156 四大橋 江戸の四大橋はもと三大橋といひて、兩國橋、大橋、永代橋の三なりしを、安永三年に淺草の大川橋出來しより、四大橋となれり、兩國橋のみ本普請にて、外三橋は假橋なれば、請負人の願ひにて橋の雙方に番小屋ありて、武士の外は橋錢二文づヽとりしを、文化四年八月、深川八幡祭禮の日に、永代橋落ちて、千餘人溺死したるにより、其時より皆がら本普請となりて、受人なければ、橋錢もとらず、

〔曲亭雜記〕

〈三上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0156 深川八幡宮祭禮の日永代橋破落の紀事 永代橋、大橋、新大橋、〈一名あづま橋といふ〉是まで受負人ありて、橋の南北の詰に板壁の小屋をしつらひて、番人二人をり、笊に長き竹の柄を付たるを持て、武士(○○)、醫師(○○)、出家(○○)、神主の外は(○○○○○)、橋を渡るものより(○○○○○○○○)、一人別に錢二文づヽ取(○○○○○○○○○○)けり、人の渡らんとするを見れば、件の笊をさし出すに、その人錢を笊に投入れて渡りけり、この故に橋の朽たるも掛更ること速ならず、已むことを得ざるときは、假橋を造りて本普請を延したり、こヽをもてこたびの如き愆ありなどいふものも多かりしにや、當時願人ありて、已來海船江戸入の荷物大小により、一箇に付水揚運上いかばかりづヽ取之事を御

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0157 免あらば、右の三大橋の掛更は公儀に申上るに及ばず、町人百姓より錢二文づヽ取ことなく、破損已前に掛かへ可仕と願ひまうしヽかば、御詮議の上その願ひに任せたまひしとぞ、

〔病間長語〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0157 虚無僧(○○○)は、天下の勇士の武者修行に出るもの、或は復讐の心がけあるものヽ一時の隱家として、不入守護の宗門に依て、諸士の席を定め置き、何時にても還俗せしむ、これに依て修行の節、舟橋の通り(○○○○○)、觀の場も自由たるべし(○○○○○○○○○○)と、慶長中有司の令ありければ、その時に當て深意ありて立おかれしことヽ思る、〈◯下略〉

〔歉歳餘録〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0157 江戸中橋々永代大橋の外は、橋請負と申者深川に住居、白子屋某と云者壹人にて、先年より相勤、神田川定さらへをかねて拜領やしきにあり、橋々かけなほす事にあり、年々貳千金位づヽも所入にてくらしけるが、此度右之請負白子屋召揚られ、拜領やしきも御取揚にて、あらたに神田さくま町岡田治助、本所三つ目倉田清兵衞と云兩人へ、請負仰付られたり、白子屋請負の節までは、諸所の橋かけ置くの間かりばしを造り、かり橋往來の者より壹錢づヽ取て橋出來まで所徳とせしかば、橋出來の日限延引におよび、二三ケ月あるひは半年もかりばしにてありしが、右之兩人へ仰付られしより橋ぶしん甚すみやかに出來し、諸人よろこびたるに、當暮に迫り江戸橋懸直しありしには、かりばしの間も往來の人より錢をとらず、無錢にて通用する事にありしかば、いづれも便宜成事にいひあへりしなり、

〔都紀行〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0157 十四日〈◯文久四年、二月中略、〉友どちと雨の降りしもいとわで立出て、竹田通りを行、錢取橋(○○○)を渡り、大和大路へ出て、稻荷の社司松本氏へ參りて、〈◯下略〉

造橋所

〔日本紀略〕

〈宇多〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0157 寛平四年七月十九日辛酉、廢造橋所、隷穀倉院

造橋使

〔西宮記〕

〈臨時五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0157 一造橋泊事〈有使〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0158 一防河使事 上卿奉勅任使、奏聞下式部、使申損色築覆勘、〈或公卿等巡撿之

〔傳宣草〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0158 諸宣旨事〈◯中略〉 一下辨官宣旨〈常事左辨官宣、凶事右辨官宣、◯中略〉 臨時事〈◯中略〉 造宇治橋使事〈上宣〉

〔日本後紀〕

〈五桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0158 延暦十五年八月戊辰、遣内兵庫正從五位下尾張連弓張、造佐比川橋

〔日本紀略〕

〈桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0158 延暦十六年五月癸巳遣彈正弼文室波多麿、造宇治橋

〔日本後紀〕

〈二十二嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0158 弘仁三年六月己丑、遣使造攝津國長柄橋

〔三代實録〕

〈十八清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0158 貞觀十二年五月十四日乙丑、以散位正六位上巨勢朝臣四甫、〈◯四甫、類聚三代格作四輔、〉爲造山崎橋使、判官一人、主典二人、

〔扶桑略記〕

〈二十四裏書醍醐〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0158 延長五年六月四日癸未、被造東大寺長官、并山崎橋使等事、内匠允伴彦眞等爲造橋使

橋奉行

〔古今著聞集〕

〈十六興言利口〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0158 將軍入道殿〈◯藤原頼經〉はじめて上洛の時、〈◯歴仁元年〉清水の橋を渡りたりけるに、いづれの武者の分にてか有けん、しろきひたヽれ著たる男の、たけだちことがらさる體なるが、奉行して有けるが、文をみて立たりけるを、わかき女房の清水まうでする物と見えたるが、此男のもとへ立寄ていひかけたる、 たぢろくかわたしもはてヾふみみるは、といへりけるを、此男つけんずるきそくにて、しばしうちあんじけるが、此心やまはらざりけん、大聲を出して、いかに將軍の渡させ給ふ橋を、たぢろくかととがめければ、おそろしくて足ばやにさりにけり、

〔太平記〕

〈三十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0159 諸大名讒道朝事附道譽大原野花會事 佐々木佐渡判官入道道譽、五條ノ橋ヲ可渡奉行ヲ承テ、京中ノ棟別ヲ乍取、事大營ナレバ少シ延引シケルヲ励ントテ、道朝他ノ力ヲモ不假、民ノ煩ヲモ不成、嚴密ニ五條ノ橋ヲ數日ノ間ニゾ渡シケル、

〔河崎氏年代記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0159 永享六年甲寅、内宮大橋自普光院殿〈◯足利義教〉有御渡、奉行御炊大夫元秀、

〔信長公記〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0159 天正三年七月十五日、御下去程江州勢田之橋山岡美作守、木村次郞左衞門兩人に被仰付、若州神宮寺山、朽木山中より材木を取、七月十二日吉日の由候て柱立、橋之廣さは四間、長さ百八十間餘、雙方に欄干をやり、爲末代候之間、丈夫に可懸置之旨被仰村候、天下の御爲と乍申、往還旅人御燐愍也、

〔續史愚抄〕

〈後陽成〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0159 文祿元年十二月四日庚寅、依太政大臣〈秀吉〉命、玄蕃頭宗永造山崎八幡橋本之長橋、〈八月九日造始、此日終功云、銘曰、其長百八十間、廣五間、柱百三十八本、根入地丈餘者、〉 〈惺窩文集〉

〔遊囊賸記〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0159 千柱ハ橋ヲ限リテ、豐島足立ノ郡界トス、〈◯中略〉 舊記文祿三年甲午九月、荒川ニ橋ヲ掛ラル、伊奈備前守奉行タリ、最初橋柱立カ子ケルヲ、小塚原熊野ノ社ヲ修造アリテ其功成就ス、

〔松木氏年代記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0159 慶長九歳、内宮大橋〈鳥居、橋姬共出來、〉橋奉行〈雨森出雲守、安養寺善兵衞〉

〔舟橋方古書寫〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0159 定〈◯中略〉 一橋奉行人馬廻リ内、壹人宛一年替申付、淡路守馬廻壹人相くはへ、兩人とも水手人數以下相改、并居屋敷如前々申付事、
寛永拾八年正月十日 富田下總守殿 葛卷隼人殿

〔江都管鑰秘鑑〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0160 兩國橋普請停滯ニ付眞田伊賀守信清身上沒收之事 享保年中、町奉行より兩國米澤町の名主喜左衞門といふ者を呼て、兩國橋の古を尋られけるに、喜左衞門申旨には、兩國橋の古は寛文元〈丑〉年始て新規に被仰付候節之御普請奉行、芝山權左衞門、坪内藤右衞門、右之兩人へ被仰付、町棟梁大工助左衞門、傳左衞門と申者へ命じ、貳箇年懸りて成就す、其後天和元〈酉〉年に橋朽損じ、人の往來危き體に見えけるに依て、御手傳として眞田伊賀守信清に仰付られける、此伊賀守と申は、所謂眞田安房守昌幸の嫡子、伊豆守信幸の男子貳人あり、嫡子大内記信政は父の家督を續ぎ、信州上田の城に在住し、位四品に至る、庶子河内守信吉は不幸にして早世しける、其子鶴千代とて男子壹人有けるに、台命に依て大内記より上州沼田の城三萬石を分地し、從五位下伊賀守と叙爵し、信清といふ、則此人也、御普請奉行には松平采女、船越左衞門被仰付、矢の倉の脇に假橋をかけられて馬車を禁じ、人を往來せしむ、此假橋跡の義を今に元兩國橋と諸人申習はせり、然る處に如何の事にや、御材木出來不足にて、橋の普請出來兼候に依て、等閑のいたし方と御咎有て、眞田伊賀守身上御取上、奧平大膳大夫御預となり、奉行采女并左衞門は閉門被仰付たり、其後元祿九年迄十五ケ年の間假ばし相用、假橋の修覆等は伊奈半左衞門承り申付られたる旨、先祖の舊記に慥成と申に依て、頓て右之趣を認て官府に止られしとぞ、

〔江都管鑰秘鑑〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0160 兩國橋元祿享保御普請之事 星霜押移て元祿九〈子〉年三月、兩國橋御普請被仰付、今度町奉行の承りとて、下奉行には川口攝津守與力長岡金右衞門、植村傳大夫、下役には同心野村彌兵衞、大久保彦右衞門、永澤四兵衞、能勢出雲守組與力には勝田八右衞門、山本兵大夫、平塚伊右衞門、下役太田吉右衞門、早乙女清助、是等常に出役として出來す、其節御鎗奉行立會に出けるよし、町年寄の内にては喜多村彦兵衞、棟梁に

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0161 は西井儀兵衞、山村吉兵衞、掛りのよし也、同年九月六日成就せしが、以後は本所奉行支配となる、然るに其後年暦を經て、元祿十六〈未〉年十一月廿九日の大火に、橋の西の方半分程燒失いたし、此節伊奈半左衞門承りにて、橋かけつヾき出來す、それより又はるか過て、享保三〈戌〉年御作事奉行(○○○○○)へ被仰付、御修覆有けるに、程なく享保四〈亥〉年、前段のごとく命ぜられて、今は何事も町奉行の支配とはなりぬ、

〔明君徳光録〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0161 神田橋燒失御普請の事 一明君の御代神田橋類燒あり、早速普請仕候様被仰出候後、右橋出來の義を被御尋候處、水野和泉守承りにて言上申上られ候は、右橋の御普請入札申付、吟味仕候故、未出來不仕旨申上候處、明君被聞召、甚だ御機嫌損じ、橋普請に入札とは甚不行届の事也、殊に神田橋の義は、往來も繁く、橋なくしては人々の難義いくばくぞや、早速掛可申也、平生儉約を用るは何のためなるや、ケ様の時節、入用を厭ひ人の難義をもせざる様に致すべきためならずや、急ぎ申付よと、重き上意有之し也、

橋請負人

〔江戸眞砂六十帖〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0161 永代橋掛る事 永代橋掛る元は、今の橋の下にて渡しぬ、常憲院様〈◯徳川綱吉〉被仰付出來す、橋請負人(○○○○)其頃定小屋小買物方請合松屋市太郞、紀伊國屋吉兵衞なり、其節上野中堂御建立中ゆへ、右兩人請取金高は知れ申さず、橋出來して兩人の利分壹萬貳千兩宛取候よし、我も其悦びの振舞に九箇の時行ぬ、此兩人も今は跡かたもなし、 請負人 金吹町 紀伊國屋吉兵衞 同 龜井町 松屋市太郞

〔三橋小破修復并十組引請相止候書留〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0161 寛政三亥七月十日、服部仁左衞門持參鈴木銀十郞を以申

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0162 上候處、伺之通可申渡旨被仰渡候、〈◯以上朱書〉 大川橋請負人伊右衞門跡請負、願之儀ニ付申上候書付、 書面伺之通、伊右衞門忰五郞右衞門江、跡請負可申渡旨被仰渡、奉承知候、 亥七月十日 服部仁左衞門 中村又藏 大川橋請負人淺草花川戸町家主伊右衞門儀、老病ニ而相勤兼候ニ付、此度忰五郞右衞門與申貳十五歳ニ罷成候もの江、跡受負被仰付下置候様、別紙之通、願書差出申候、願之通可申渡候哉、奉伺候、以上、 亥六月 服部仁左衞門 中村又藏

〔永代橋凶事實記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0162 永代橋請負人深川中島町家主忠右衞門、〈卯五十二歳〉同町同平右衞門、〈卯四十九歳、卯十二月八日病死、〉同所小川丁内喜右衞門、〈卯五十四歳〉 右之内忠右衞門、平右衞門儀、永代橋請負人申付置候處、去年八月、深川八幡祭禮之日橋落入、溺死之もの多、不慮之災難與は乍申、且は往來群集の内、手當不行屆故有之、大勢之人命にもかヽはり候上者、罪科難遁に付、遠島申付、右喜〈◯喜恐平誤〉右衞門義、存命候得者、遠島可申付處、病死いたし候間、其旨可存、右一件橋番人橋掛り名主共等、同叱置、 辰〈◯文化五年〉六月六日

造橋用度

〔延喜式〕

〈二十六主税〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0162 諸國出擧正税公廨雜稻 近江國〈◯中略〉勢多橋料一萬束 播磨國〈◯中略〉道橋料一萬束 美作國〈◯中略〉道橋料一千束 阿波國〈◯中略〉道橋料五百束

〔延喜式〕

〈二十六主税〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0163 凡近江國修理勢多橋用途帳、附朝集使毎年進上備之勘會

〔延喜式〕

〈四十二左右京〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0163 凡毎年出擧造橋料錢二百貫、取其息利、隨事充用、官人遷替依數付領、

〔延喜式〕

〈四十二東西市〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0163 凡居住市町之輩、除市籍人、令地子、即以充市司廻四面泥塗道橋(○○)、及當河等造料、其用帳年終申送、

〔延喜式〕

〈五十雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0163 凡山城國泉河、樺井渡瀬者、官長率東大寺工等、毎年九月上旬造假橋、來年三月下旬壞收、其用度以除帳得度田地子稻一百束之、

〔續日本紀〕

〈十四聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0163 天平十四年八月乙酉、宮城以南大路西頭、與甕原宮東之間、令大橋、令諸國司隨國大小、輸錢十貫以下一貫以上、以充橋用度

〔三代實録〕

〈二十八清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0163 貞觀十八年二月十日戊午、右京職言、返上出擧修理官舍道橋料貞觀錢六十貫文、職司以乘物、買收米二百斛、約其息利彼料、太政官處分、依請焉、

〔扶桑略記〕

〈二十二光孝〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0163 元慶八年九月朔日戊午、遠江國濱名橋、長五十六丈、廣二丈三尺、高一丈六尺、貞觀四年修造、歴二十餘年、旣以破壞、勅給彼國正税稻一萬二千六百三十束改作焉、

〔日吉神社道秘密記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0163 大橋長廣寸法前後有 以一千貫用途造立事也

〔玉露叢〕

〈三十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0163 一所々橋料ノ事 五千石 淀ノ橋料 二千石 伏見ノ京橋料 一萬石 三州岡崎ノ橋料〈長京間二百八間有〉 三千石 同國吉田ノ橋料〈長百二十間アリ〉 五千石 江州瀬田ノ橋料

〔一話一言〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0163 六郷橋 寛文二年の記に 六郷橋修復御普請、橋桁行百七間、〈但六尺三寸五分間〉 幅中間壹尺七寸、高欄高四尺貳寸、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0164 右御入目銀百貫三百三拾五匁壹分、米五拾七石六斗三升七合、 右は計府の古帳にみえたり

〔京都御役所向大概覺書〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0164 洛中洛外公儀橋(○○○)間數并御修復之事 一三條大橋〈長五拾七間四尺五寸幅三間五尺五寸〉 右寶永八卯年、朝鮮人來聘ニ付御修復、 右御入用銀拾四貫七百七拾六匁八分四厘 御修復奉行 平岡彦兵衞 角倉與一 一三條小橋〈長四間三尺九寸 幅三間五尺五寸〉 右寶永八卯年、朝鮮人來聘ニ付御修復、 右御入用銀九百七拾四匁四分 御修復奉行 平岡彦兵衞 角倉與一

〔雍州府志〕

〈八古蹟〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0164 三條橋 在三條東賀茂川上、斯橋同五條橋、毎(○)朽腐(○○)、自(○)公方家(○○○)令(○)改(○)造之(○○)、俗稱(○○)公儀橋(○○○)、倭俗公事謂公儀、凡自東北京師者、必經斯橋、是謂三條大橋、在斯西者、謂小橋、伏見往來之舡船、自此小橋下過、

〔京都御役所向大概覺書〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0164 御老中御證文之事 江州勢多大橋小橋御修復諸色御入用銀高目録帳 都合銀貳百七拾九貫六百九拾目五分六厘 内

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0165 銀拾六貫三百四拾九匁七分三厘 古木古鐵古銅拂代 是者古木、古鐵古銅、吟味之上、入札(○○)を以相拂申候三口代銀ニ而候、但直段之儀者、安藤駿河守、中根攝津守江相窺如此、 殘テ 銀貳百六拾三貫三百四拾目八分三厘 御入用 右者寶永七寅年より正徳元卯年迄、江州勢多大橋小橋御修復ニ付、御入用諸色直段之儀者、入札を以、安藤駿河守、中根攝津守方ニ而、中井主水立會相極、御普請申付相濟、御勘定如此仕上ゲ申候、若相違之儀御座候ハヾ、仕直差上可申候、以上、 正徳二壬辰年四月 雨宮源次郞印 雨宮庄九郞印 本多隱岐守印 御勘定所

〔幸充日次記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0165 寛延三年四月廿三日乙未、仙洞御所〈◯櫻町〉崩御、 五月二日癸卯、般舟院御佛前廻種々入札(○○)、泉涌寺諸道具入札、并泉涌寺大路橋板橋、并伏見海道音羽橋御懸直、其外道筋小橋七ケ所懸直入札、所々蒔砂入札等來〈幸充云、入札者望之者者、家持請人召列、其役所參、根帳付、其翌日町奉行所而有札開、其下直之者被仰付事也、近年之逸物者、多者有手拔歟、〉

〔三橋小破修復并十組引請相止候書留〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0165 文政二卯年十組引受三橋相止書付 本所見廻江 永代橋、新大橋、大川橋共、菱垣廻船積仲ケ間十組問屋共引受罷在候處、以來引受、并三橋會所共相止、橋小破、番人、其外雜費等も、橋修復之節入用者(○○○○○○○○)、十組冥加上ゲ金之内より相渡り候(○○○○○○○○○○○○○○)、尤遣拂之儀者、町年寄引請取扱候筈ニ有之候間、得其意、其外之儀者、是迄之通相心得可申候、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0166 卯六月 一今日主計頭様御番所江、十組大行事總行事、私共一同被召出、永代橋、新大橋、大川橋共、去ル辰年中、十組仲ケ間ニ而永々普請修復共引請、無錢ニ而往來爲致度旨相願候間、願之通被仰付候處、以來三橋共引受ニ不及、右ニ付三橋會所も相止可申、尤永代橋、新大橋新規掛直御取替金返納殘貳千七百七拾兩者、當卯年冥加上金之内を以、此節上納可致、三橋之儀、十組内引受、并會所相止メ候ニ付而者、以來町年寄取扱、修復諸入用等、十組冥加上金、壹万貳百兩之内ニ而遣拂ニ相成候間、其旨可相心得、右三橋會所掛リ名主、三橋掛リ名主共、其旨可存、尤三橋諸入用等は、以來町年寄取扱候筈ニ候得共、其外は是迄之通可相心得旨、被仰渡候間、此段申上候、 一右ニ付、當取計方仕法之儀、可申上候得共、差當三橋、并ニ橋臺廣小路共、違變等、是迄十組大行事、總行事、橋掛リ名主一同御訴申上候間、以來橋番人ニ橋掛リ名主一同御訴申上候様仕度、先此段申上候、以上、 永代橋掛リ名主 深川材木町 名主 市 郞 次 〈煩ニ付〉勘兵衞 同所熊井町 名主 理左衞門 新大橋掛リ名主 同所六間堀町 名主 八左衞門

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0167 同所平野町 名主 甚 四 郞 大川橋掛リ名主 淺草花川戸町 名主 三郞左衞門 同所西仲町 名主 吉左衞門 三橋會所掛リ 本八町堀 名主 十左衞門 西河岸町 名主 清右衞門 本石町 名主 傳左衞門 大傳馬町 名主 勘 解 由

〔新大橋掛直御修復書留〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0167 文政七年申七月 新大橋掛直御修復御入用御勘定目録 榊原主計頭 一新大橋〈長田舍間百八間 外兩袖之間貳間宛 幅同三間壹尺五寸 但數板木口より木口迄〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0168 内法貳間四尺五寸 附リ 高欄高三尺五寸 但敷板上端より以上笠木上端迄 反リ橋中ニ而壹丈壹尺 橋杭廿九側 但〈西之方三側三本建 中貳拾壹側四本建 東之方五側三本建〉 行桁五通リ 上貫〈西之方四側目より同廿六側目まで〉 水貫壹通 右仕様、鋪板中目板、木品檜新木削立、尤御通船間、風烈之間は、板裏鉈削ニシテ、敷渡、釘銯打堅メ、高欄廻り笠木通貫たヽら短木品同斷新木削立、地覆并男柱、袖柱何レ茂槻新木ニ而仕立、同所根包板、足駄木は古橋杭桁割返し遣、貝打釘ニ而打堅メ、男柱、袖柱、兜巾銅物、短册鐵もの直シ相用枡鐵物打付、鐵もの并笠木、地覆、繼手、兜鐵物、短册鐵物、樽口、大鉉共、總體新古取交祭鉉ニ而打堅メ、東西柱石、蹴込石とも折損之分は、足石致居堅メ、兩橋臺地形足土致、突堅メ砂利敷平均、一橋杭木品槻百八本之内、新木通杭六拾八本、古杭遣替通拾八本、根杭新木、上ハ杭古杭遣替、繼杭壹本入念震込、古橋杭之内、上ハ杭に遣替居、繼杭五本、繼杭壹本毎ニ同木大柱打竪メ、銯掛卷鐵物へし鉉ニ而打堅メ、殘り貳拾六本は朽腐ニ應じ、古杭挽割刻木いたし、貝折釘ニ而打堅メ、總杭、根包、桶ケ輪、澪通五拾四本は檜葉新木、殘り五拾四本は古橋敷板削立、貝折釘ニ而打堅、新規卷鐵物へし鉉ニ而打堅メ、梁木不殘有來之儘相用、耳桁木品槻平物之拾挺之内、拾四挺新木ニ而仕立、四拾六挺は古桁遣替、東西埋土臺古杭遣替、中杭木品槻丸もの九拾本之内、五本新木ニ而仕立、東西岡之間六本は、是又古耳桁遣替、耳桁、中桁共鎌繼ニして古帶立新古銯取交掛堅め、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0169 御通船間風烈之間、敷板裏并梁桁杭木共鉈削ニシテ、其外は鹿子打平均板栂新木古笠木遣替、貝打釘ニ而打堅メ、涎板并兩覆棟上とも古杭挽割遣替、貝打釘ニ而打堅メ、水貫四側目より貳拾四側目迄、槻新木差通、其餘は水貫上貫共、有來相用轄差堅メ、留釘打、筋違貫七拾九挺は古杭挽割遣替殘り七拾九挺は古貫相用釘銯ニ而打堅メ、 右御入用 初積之分 千六百貳兩壹分、銀貳匁貳分四厘、 仕様替御修復之分 百五拾九兩貳分、銀貳匁八分八厘、 一合金千七百六拾壹兩三分、銀五匁壹分貳厘、 諸材木之代〈◯中略〉 初積之分 三百七兩壹分、銀四匁七分七厘、 仕様替之分 三拾七兩壹分、銀四匁壹厘、 一合金三百四拾兩兩貳分、銀八匁七分八厘、 釘鐵物之代〈◯中略〉 初積并仕様替之分 一金千六拾四兩三分、銀拾貳匁五分、 諸職人作料鳶人足賃其外共〈◯中略〉 初積并仕様替御修復之分 一金百六拾七兩三分、銀拾匁九分六厘、 損料物并船賃其外雜用〈◯中略〉都合金三千三百三拾九兩壹分、銀七匁三分六厘、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0170 初積之分 但 金三千百廿六兩三分、銀壹匁九分七厘、 仕様替之分 金貳百拾貳兩貳分、銀五匁三分九厘、 内〈◯中略〉 五口合減金三百八拾三兩、銀三匁四分四厘、總請負金高三千三百三拾九兩壹分、銀七匁三分六厘、 右減金高引 金之御入用 金貳千九百五拾六兩壹分、銀三匁九分貳厘、 内 金千九拾四兩 去未十二月廿八日御金藏より受取 金千五百兩 當申三月十日御金藏より受取 金三百六拾貳兩壹分、銀三匁九分貳厘、 同四月廿四日御金藏より受取 皆濟 右是者新大橋破損強、掛直御修復被仰付、諸入用一式積り直段ヲ以相伺候處、窺之通相濟、右御修復仕立候に付、御勘定仕上ゲ申候、御入用金銀は十組諸問屋冥加上ゲ金之内ヲ以御金藏より受取(○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○)、請負人靈岸島川口町庄左衞門店傳吉、證人深川木場町家持七左衞門江相渡申候、以上、 榊原主計頭組與力 文政七〈申〉年七月 米倉諸右衞門

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0171 米倉作次郞 筒井伊賀守組與力 仁杉五郞左衞門 本多彌大夫 右之通相違無御座候、以上、 榊原主計頭

〔三橋小破御修復書留〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0171 文久三亥年 遠江守殿 永代橋損所御修復御入用金之儀ニ付申上置候書付 阿部越前守 永代橋損所御修復之儀、先達而伺之通被仰渡候處、右御入用之儀、三橋御手當町屋敷地代金(○○○○○○○○○○○)、御金藏假納之内より御出方相成候旨申上候處、三橋御手當地代金、當亥年分、町年寄共方江追々取立相成居候間、右之内に而、前出御入用金、請負人江相渡候様可仕候、此段申上置候、以上、 亥十月 阿部越前守

〔本所深川御用留〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0171 深川之内町入用ニ而懸渡(○○○○○○○)候所橋一田中橋(富田町) 〈長六間半 巾〉 一豐島橋(堀川町) 〈長八間 巾〉 一坂田橋(伊澤町) 〈長六間貳尺 巾〉 一江川橋(蛤町) 〈長四間五尺、 巾〉 一黒江橋(黒江町) 〈長六間 巾〉 一橋(蛤町) 〈長七間壹尺 巾〉 一橋(永代寺門前山本町) 〈長三間 巾〉 一橋(同所入堀) 〈長九尺 巾〉 一橋(築地新地) 〈長貳十間 巾〉 一橋(越中島町) 〈長十七間 巾〉 一蓬萊橋(佃町) 〈長拾貳間 巾〉 一土橋(三左衞門屋敷) 〈長貳間半 巾〉 一要橋(扇町) 〈長拾貳間 巾〉 一崎川橋(茂森下町) 〈長拾五間 巾六尺〉 一富島橋(三好町) 〈長八間 巾〉 一幾世橋(茂森町) 〈長九間 巾〉一龜井橋(扇町) 〈長十間 巾〉 一江島橋((朱書)文化九申年新規懸ル 吉祥寺門前) 〈長十四間四尺五寸 巾〉 一金岡橋(入船町) 〈長九間 巾〉 一橋(茂森町) 〈長十間 巾〉 一築島橋(島田町) 〈長八間半 巾〉 一入舟橋(入船町) 〈長八間半 巾〉 一大和橋(鶴歩町) 〈長十七間 巾〉 一永井橋(大和町)

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0172 〈長十貳間 巾〉  一龜久橋(龜久町) 〈長十六間 巾〉 一橋(山本町) 〈長七間 巾〉 一橋(海邊大工町) 〈長四間餘 巾〉 都合貳十七ケ所

課國造橋

〔延喜式〕

〈五十雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0172 凡山城國宇治橋敷板、近江國十枚、丹波國八枚、〈長各三丈、弘一尺三寸、厚八寸、〉山崎橋、攝津伊賀等國各六枚、播磨安藝阿波等國各十枚、〈長各二丈四尺、弘厚並同上、〉並以正税料、毎年採送山城國、國取返抄所司勘會

〔續日本紀〕

〈三十八桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0172 延暦三年七月癸酉、仰阿波、讃岐、伊豫三國、令山埼橋料材

〔新儀式〕

〈四臨時〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0172 野行幸事 延長六年、幸大原野、先到葛野河渡瀬上乘輿、御輕幄、御幄在路北、公卿幄大略南、頃之乘輿度浮橋、先是、國司所造候也、〈◯又見扶桑略記

〔中右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0172 承徳元年二月十日乙未、爲行幸〈◯堀河〉點地、可向南京也、〈并明日春日祭分配也〉仍早旦著布護、先參會朱雀門前、〈◯中略〉路行列次第、左右京職、木工、修理、史部辨侍、官掌、史生、史辨撿非違使、人々共人等、木工下部次第立札、或可橋所、或可垣所、皆立札、國々宛所必立札、〈◯中略〉路次作次第、〈◯中略〉浮橋國々、〈作道國、不浮橋歟、〉淀河百丈〈播磨十七丈 伊豫十七丈 讃岐十七丈 美作十三丈 備前十二丈 備後十二丈 安藝十二丈〉 桂河廿三丈〈淡路五丈 土左六丈 長門五丈 阿波七丈〉 備中 周防 和泉 攝津〈或時宛浮橋 今度備中無國司、周防、和泉、攝津、巳上三ケ國、今春得替前後司間、凡不宛也、〉 行事所召物、今年得替國前司勤之但至道作者、新司勤之也、 三月十日、撿非違使府生保盛來云、昨日一昨日大雨之間、淀川浮橋皆流損了、仰云、春日行幸來廿八日、猶可遂由已有風聞、早仰本所國々構渡、〈◯中略〉保盛奉此旨歸了、 廿七日、依春日行幸

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0173 行事、下向南京也、辰初許出洛、〈◯中略〉桂川淀川諸國所課浮橋等皆渡了、

〔朝野群載〕

〈四朝儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0173 伊勢齋王歸京國々所課 大和國 路橋 伊賀國 道橋 伊勢國 路橋 大神宮 路橋 嘉承二年十一月廿八日

〔兵範記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0173 仁安三年十一月廿二日己卯、朱雀門橋左京構之、應天門内外假橋卜食國構之、

成功造橋

〔扶桑略記〕

〈二十九後冷泉〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0173 治暦三年十月五日庚戌天皇車駕幸臨宇治平等院、宸儀渡御兎道橋之間、伶人棹華船河上、 七日壬子、還御、寺家加封三百戸、〈◯中略〉越中守豐原奉季依造橋之功任、

〔本朝世紀〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0173 康和元年十月五日癸卯、差遣右少史大江忠時、覆勘新造多勢橋、先年地震傾落之後、國司隆宗朝臣、募遷任國〈◯國上、一本有他字、〉功、所造進也、

〔石清水臨幸記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0173 文應元年八月九日甲辰、今日新院有幸石清水社、〈◯中略〉樋爪橋破損之間、依仰同上人〈◯勸進上人〉募(○)成功(○○)亘(○)之(○)、〈寛元損、攝津國司勤之、今度一向別子細也、〉

以沒官物過料/造橋

〔三代實録〕

〈二十七清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0173 貞觀十七年十二月十五日甲子、庶人伴善男沒官懇田、陸田、山林、庄家稻、鹽濱、鹽釜等在諸國、皆充京城道橋

〔吾妻鏡〕

〈三十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0173 延應元年三月廿九日己亥、匠作前武州著評定所給、評定衆等參進、筥根山別當興實與知藏三郞法橋良實對決、是當山二月經會之時、興實構棧敷於職衆座前、職衆鬱陶之、以良實張本、打止彼大會之故也、兩方依其過、興實者可花河戸橋、良實者可廻廊廿二箇間檜皮之由被仰付云々、

〔信長公記〕

〈十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0173 天正七年己卯九月十四日、京都にて座頭衆の中に申事有、子細は攝州兵庫に常見と申候て分限之者有、彼者申様には、人毎に致失墜候ては必無力仕候、一期樂々と身を可樂様を案じ出し、彼常見眼者能候へども、千貫出し撿挍に罷成、都に可在京旨存知、其段撿挍衆へ申理、千

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0174 貫つませ常見撿挍と號し、座頭衆の官配を取、年來都に樂々と在之處に、小座頭共申様には、分限の者如此撿挍に成候はヾ、法度計にて今迄も長久に相續候に、耽金銀賄に猥子細無勿體、其上ばかりを重仕候て、金を取候段迷惑の由、今度信長公へ訴訟申上處、被聞食、撿挍共條々曲事の旨被仰出、可御成敗の處、種々御佗言申、黄金二百枚致進上、御赦免候、則此代物を以て、宇治川平等院の前に橋を懸可申の旨、宮内卿法印、山口甚介兩人に被仰付、爲末代に候間、丈夫に可懸置旨御諚候訖、

勸進橋

〔濫觴抄〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0174 清水寺橋〈鴨川〉 同年〈◯保延五年〉六月十五日癸酉、供養之、洛中貴賤知識造之、少僧都覺譽、爲於本寺寶前之、

〔雍州府志〕

〈八古蹟〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0174 五條橋 在五條東賀茂川、斯橋始毎朽腐、清水寺本願成就院、爲勸進聖、請(○)諸人(○○)聚(○)米錢(○○)、而經(○○)營之(○○)、是謂(○○)勸進橋(○○○)、豐臣秀吉公時、被之以來到今、自公方家之、是又謂公儀橋

〔濫觴抄〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0174 祇園橋 仁平四年〈◯久壽元年〉甲戌三月廿九日、於寶前供養之、同一萬鋪藥師像、僧妙勸進洛中造之、〈◯又見百練抄

〔今昔物語〕

〈三十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0174 鳥羽郷聖人等造大橋供養語第二 今ハムカシ鳥羽ノ村〈◯山城紀伊郡〉ニ大キナル橋アリケリ、コレハ昔ヨリ桂川〈◯葛野郡〉ニワタセルナリ、ソノ橋ヤブレテ人ワタルコトナカリケリ、中比一人ノ聖人アリテ、此ノ橋ヤブレテ人皆河ヲワタルヲナゲキテ、往還ノ人ヲタスケンガタメニ、アマ子クモロ〳〵ノ人ヲ催シテ、知識ト云事ヲ以テ、其ノ橋ヲ渡シテケリ、其後其ノ知識ノモノオホクノコリケレバ、聖人ソレヲモトヽシテ亦人ヲ催シ、其ノ村ラノ人ノ與力ヲタノミテ、大キニ法會ヲモウケテ供養シケリ、其講師ニハトイフ人ヲナム請ジタリケル、請僧ハ四色ヲ調テ百僧ヲ請ジタリ、大山寺三井寺ノヤンゴトナキ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0175 名僧ヲ皆ツクシタリ、唐高麗ノ舞人樂人等、皆唐ノ裝束ヲ用ヰル、京中ノ貴賤皆物ヲクハフ、舞臺、樂屋、僧ノ幄ナドモ皆微妙クシ立テ、大鼓二ツヲカザリテタテタリ、其日ニ成テ京中ノ上中下ノ人皆來テ聽聞ス、

〔山城名勝志〕

〈十六紀伊郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0175 按是佐比川橋歟

〔石清水臨幸記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0175 文應元年八月九日甲辰、今日新院有幸石清水社、〈◯中略〉其路烏丸小路北行、二條大路東行、〈◯中略〉朱雀大路南行、堀川尻元來有橋、〈聊破損之間、今度加小修理、鳥羽殿役也、〉鳥羽北川外池尻、并鴨川尻亘浮橋、〈同鳥羽殿役也、仍兼日所觸大相國禪門也、〉先可御鳥羽殿云々、〈◯中略〉鴨川尻桂川等、爲諸國役浮橋、〈行事撿非違使左衞門大志中原章長、候桂川橋北邊、〉淀川儲組船、〈御船著儲之、南北岸構御船付、御船著并右馬寮役也、〉建久寛元等例也、但今度雖御船、猶所橋也、且爲用意、兼日有沙汰、仰勸進上人、被修理畢、樋爪橋破損之間、依仰同上人募成功之、〈寛元損、攝津國司勤之、今度一向別子細也、〉到于放生川北邊〈宮寺亘浮橋、舊例依和泉國司役、再三雖子細、別所仰下也、是近例云々、〉整行列、其儀如京出、申刻著御宿院

〔三國傳記〕

〈十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0175 放鯉沙門事〈明神慮方便也〉和云、昔諸國斗藪ノ沙門アリ、攝津國平野ト云處ニ暫ク徘徊シケルガ、平野ノ橋絶ヘテ、霖雨滂沱之時ニハ行人不向、河水奔激之處ニハ征馬不過、都鄙往還之客停立シテ送時、寺社參詣之人踟蹰暮日、依之彼沙門思ケルハ、道登禪師者異域之淨侶也、營此事以爲一期之勝業、行基菩薩者大權之應迹也、勤此善以爲九品之妙目、然則励一身ノ微力萬方之助成、此橋ヲ亘ント云誓願ヲ發シケレバ、十方ノ檀越、四隣ノ道俗、各抛隨分之輕財、助深大之重願、仍三年ニ功畢リヌ、

〔太平記〕

〈二十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0175 田樂事附長講見物事 同年〈◯貞和五年〉六月十一日、抖擻ノ沙門、四條ノ橋ヲ渡サントテ、新座、本座ノ田樂ヲ合セ、老若ニ分テ、能クラベヲゾセサセケル、四條川原ニ棧敷ヲ打ツ、希代ノ見物ナルベシトテ、貴賤ノ男女擧ル事

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0176斜、公家ニハ攝祿大臣家、門跡ハ當座主梶井二品法親王、武家ハ大樹是ヲ被興シカバ、其以下ノ人々ハ不申、卿相雲客諸家ノ侍、神社寺堂ノ神官、僧侶ニ至ル迄、我不劣棧敷ヲ打、五六八九寸ノ安ノ郡ナドヲ鐫貫テ、圍八十三間ニ三重四重ニ組上物モ恀シク要ヘタリ、

〔大外記師夏記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0176 應安七年二月十六日、四條川原橋事始云々、一向勸進僧沙汰也、

〔祇園古文書〕

〈都のにぎはひ所引〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0176 洛陽四條橋事、令斷絶之處、進一紙半錢、結縁ニ奉加、有再興志之旨、言上之段、被聞食訖、然以勸進其節之由、所仰下也、仍執達如件、 永正十四年八月廿四日 美濃守 上野介 勸進聖智源

〔都のにぎはひ〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0176 勸進聖智源は祇園の社僧にや、猶考ふべし、

〔廻國雜記〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0176 かくて甲州にいたりぬ、〈◯中略〉猿橋とて川のそこ千尋にをよび侍るうへに、三十餘丈の橋をわたし侍りけり、〈◯中略〉此橋の朽損の時は、いづれに國中の猿かひどもあつまりて(○○○○○○○○○○○○○)、勸進などして渡し侍るとなん(○○○○○○○○○○○○○)、

〔東國紀行〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0176 十一月〈◯天文十三年〉晦日、この家は俵藤太秀郷の末孫にて、彼龍宮より褒美の太刀所持せられたり、毎月朔日には同名衆出仕、三日潔齋して供具をそなへ、三獻の儀式嚴重なり、此太刀拜見のため、昨日は逗留の事なれば、未明におきて行水看經などし侍りし、勢田橋再興勸進(○○○○○○○)十穀、これもけふをまちえて、早天よりたづね來れり、奇特の事なり、

〔信濃國水内曲橋勸進帳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0176 敬白南閻浮提大日本國信州水内郡水内橋(○○○)勸進帳 夫以者、有信州于二大河、一者謂千曲河、一者稱犀川、千曲川(○○○)者、地形平而水漫々、然間船安笩隱也、犀川者、地形險而急洲如瀧落、漲流水勢忽々乎、傳聞不天竺晨旦之堺于流砂川、依之船笩摧折、故河

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0177 南河北之人民、至牛馬野獸之類、通路斷絶、成目前于隔萬里之愁思乎、爰當國先方之士將、忝清和天皇之裔孫、滋野朝臣高坂覺法入道哀嘆之、召集數万之杣夫鍛工工匠、而水面徑度一十丈、橋之高六丈有餘尺、一百餘之欄檻、固如秋虹、疑見臥龍于波上歟、陰霧埋山川、其幽巧奇魯般於雲梯、陽霞充宇宙、其不測妙天竺於石橋乎、橋成道通者、遠境近里道俗男女、欣々然如千金万玉、其餘慶著、而武運長久、子孫繁昌、二十餘代也、經幾春秋之后、曝雪霜風雨摧壞、頃年都鄙劇亂、公臣不安、民力困勞、積日累月、朽陷廢頽、又往還斷絶、三十餘年矣、祝々玆年、慶長十六暦龍集辛亥正月吉日、當方之住人、高坂仁左衞門宗廣、鹽入志摩安貞、新井丹後直盛、合體同心、而渡橋如往日、令川南川北關東關西、荷擔驛馬往來自由、履地如水、蹈水如氷、自行化他、如意滿足、財力微少、不心緒、因之隣郷他郡、頼億万人之力、欲僕等願望、雖人口之譏、不大行於細瑾之謂也、一錢半絲、助成之輩者、現世除却三災八難、生熟千吉万祥、受無比快樂、後世消滅十惡五逆、出離生死苦海、至岸菩提、有何疑哉、〈◯中略〉仍制橋勸進之旨趣件、 慶長拾六年辛亥年正月吉祥日 本願主敬白

〔京都御役所向大概覺書〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0177 洛中洛外公儀橋間數并御修復之事 橋數大小合百七ケ所 内 壹ケ所 橋潰之 貳ケ所 埋樋ニ成ル 四ケ所 西八條村より相撲相願永々修復掛替共致候筈(○○○○○○○○○○○○○○) 五ケ所 朱雀村より相撲相願修復掛替右同斷 貳ケ所 下久世村より右同斷 壹ケ所 寺戸村より右同斷

私人造橋

〔續日本紀〕

〈三十八桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0177 延暦三年十月戊子越後國言、蒲原郡人三宅連笠雄麻呂、蓄稻十萬束、積而能施、寒者與衣、飢者與食、兼以修造道橋、濟利艱險、積行經年、誠合擧用、授從八位上

〔續日本後紀〕

〈九仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0178 承和七年三月戊子、陸奧國磐城郡大領外正六位上勳八等磐城臣雄公、遄即戎途身決勝、居職以來、勤修大橋廿四處、溝池堰廿六處、官舍正倉一百九十宇、〈◯中略〉依此公平〈◯中略〉假外從五位下

〔續日本後紀〕

〈十仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0178 承和八年三月癸酉、右京人孝子衣縫造金繼女、居住河内國志紀郡、年十二歳、始失親父、泣血過人、服闋之後、親母許嫁、而竊出住於父墓、旦夕哀慟、母不復謂嫁事、其後還來定省、毎父忌日、齋食讀經、累年不息、至冬節則母子買雜材、惠賀河構借橋、總十五ケ年、母年八十而死、哀聲不絶、常守墳墓、深信佛法、焚香送終、勅叙三階、終身免戸内租、旌表門閭、令衆庶知

〔鶴岡八幡宮藏古文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0178 赤橋頽落、旣及退轉之砌、橋本宮内丞手運材木、自築土石、而一沙一草不他合力、七月〈◯永正十七年〉二日御橋造畢、頗不昔、供養者、一切經五ケ日轉藏、至而當日曉、表白神分、導師者、法印權大僧都弘算被勤之云云、

〔快元僧都記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0178 天文七年四月廿七日庚午、氏綱玉繩著城、翌廿八日社參、〈◯鶴岡八幡宮〉此間大雨戸部河橋破損畢、依之被水面畢、於社頭奈良大工以下召集、早速可挊之由下知了、

〔甲子夜話〕

〈續編十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0178 仙臺侯、近頃打續キ主人不幸ナリ、某和尚ノ語リシハ、イツモ國元ヘ歸葬アリ、其トキコノ都ヨリ彼ノ領邑マデノ道中ニ在ル橋々、大小五十一アルヲ皆々掛ケカユル舊例ニテ、ソノ橋ヲ掛替ザルハ、其側ニ別ニ橋ヲカクルコトヽゾ、大造ナルコトナリ、歸葬ノ入目例七萬兩ト云フ、

〔本所深川御用留〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0178 武士方自分橋(○○○○○○)之覺 一橋(松平陸奥守深川藏屋敷前) 壹ケ所 一同(松平和泉守深川萬年町屋敷前) 壹ケ所 一同(戸田日向守頭取組合深川伊勢崎町屋敷前) 壹ケ所 一同(井上河内守深川六間堀屋敷際) 壹ケ所〈◯朱書略〉一同(久世大和守深川伊勢崎町屋敷前) 壹ケ所 一同(松平阿波守深川海邊新田屋敷前) 壹ケ所

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0179 一同(有馬左兵衞佐深川伊勢崎町屋敷前) 壹ケ所 一同(内藤大和守深川島田町屋敷前) 壹ケ所一同(神主鈴木主税深川海邊新田屋敷前) 壹ケ所 右之自分橋、此方御支配場ニ懸リ有之候故、普請之節ハ御番所江御屆ケ有之候、〈◯中略〉 深川之内、町人共自分入用ニ而相懸(○○○○○○○○○○○)候一手持之橋 一入堀橋(冬木町家主喜千藏) 〈長三間 巾〉 一入堀橋(同町家主幸七) 〈長二間 巾〉 一入堀橋(宮川町家主六兵衞) 〈長二間 巾〉 一入堀橋(入船町家主次郞兵衞) 〈長二間 巾〉 一入堀橋(島田町家主伊兵衞) 〈長六間 巾〉 一入堀橋(同町家主八兵衞) 〈長貳間 巾〉 一入堀橋(同町家主太吉) 〈長貳間 巾〉 一入堀橋(扇橋家主半兵衞) 〈長二間 巾〉一入堀橋(同人) 〈長貳間半 巾〉 一入堀橋(同町家主彌五兵衞) 〈長貳間半 巾〉 一入堀橋(同町五人組持) 〈長貳間 巾〉 一入堀橋(島崎町家主源右衞門) 〈長貳間半 巾〉 一入堀橋(同町家主市兵衞) 〈長貳間 巾〉 一入堀橋(三好町家主勘吉) 〈長三間 巾〉 一入堀橋(同町家主磯右衞門) 〈長三間半 巾〉 一入堀橋(西永町家主傳吉) 〈長三間 巾〉 一入堀橋(山本町家主善十郞) 〈長貳間 巾〉 一入堀橋(同人) 〈長貳間 巾〉 一入堀橋(同町家主藤兵衞) 〈長貳間 巾〉 一入堀橋(大工町代地家主佐次兵衞) 〈長壹丈 巾〉 一入堀橋(久永町家主與吉) 〈長三間 巾〉 一入堀橋(同町家主傳次郞) 〈長二間 巾〉 一入堀橋(吉永町家主銀藏) 〈長二間半 巾〉 一入堀橋(海邊新田百姓和吉) 〈長二間 巾〉 一入堀橋(石島町家主源四郞) 〈長二間四尺 巾〉 都合貳拾五ケ所

〔續近世畸人傳〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0179 佛佐吉 永田佐吉は、美濃の國羽栗郡竹が鼻の下にして、親につかふることたぐひなし、〈◯中略〉大なることには、處々の土橋洪水の時に落ることを恐れて、自財をすてヽ石ばしとす、およそ至孝をはじめて、其所行を國侯きこしめして、米をおほくたびて感賞し給ひ、なにごとにも望とあらばまうしいでよと、おほせくだされければ、其時よみて奉りける、 ありがたやかヽる浮世に生れてきてなに不足なき御代に住哉

僧侶造橋

〔濫觴抄〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0179 宇治橋 孝徳二年、〈大化二年丙午〉始造件北岸、石銘曰、世有釋子、名曰道登、出山尻惠滿之家、大化二年丙午之歳、構立此橋、濟度人畜云々、國史曰、道昭和尚創造之、〈文◯又見醍醐雜抄、河海抄、〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0180 ◯按ズルニ、大化二年宇治橋造立者ノ事ハ、尚ホ名橋條宇治橋ノ下、及ビ橋銘ノ下ニモ見エタリ、參看スベシ、

〔行基大菩薩行状記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0180 養老五年、五十歳にして朝廷にまじわりて、本朝の内に院四十九所、僧院卅四所、尼院十五所、布施屋九所、橋六所〈◯中略〉を建立して、諸國の群類をすくひ給ふ、

〔行基菩薩傳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0180 神龜二年九月一日、將諸弟子等修状多行、到山躋川、不船假掩留河中、見天柱、大菩薩問云、彼柱有知人矣、或人申云、往昔耆舊尊船大徳(○○○○○○○○)、所(○)渡橋(○○)柱云々、爰大菩薩發願、從同月十二日始、渡山埼橋、〈◯又見作者部類

〔元亨釋書〕

〈十四檀興〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0180 釋光勝、不姓氏、爲沙彌時、自稱空也、少好佚遊、天下殆遍、所過道塗、多爲利濟、荷鋤鏟嶮、拾石鋪濕、架(○)破橋(○○)廢寺

〔元亨釋書〕

〈十四檀興〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0180 釋最仙、嘗任常州講師、戒行備足、四衆歸崇、性抱利濟、修寺院堂宇、夷嶮途絶梁、〈◯中略〉 賛曰、吾法有莊嚴佛土之句、是大心士之事業也、諸師營新宇廢寺、夷嶮塗絶橋、皆是也、佳乎彼莊嚴者、此莊嚴也矣、

〔山城名勝志〕

〈十七宇治郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0180 感身學正記、弘安四年四月廿五日、又此間自供僧中、此宇治橋南都元興寺道登(○○○○○○○○○○)、道昭始造(○○○○)立之(○○)、東大寺觀理道慶(○○○○○○○)、後修(○○)造之(○○)、代々如此可之、頻被勸、

〔草山續集〕

〈二十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0180 宇治紀事〈并序〉 嘗按興正感身記云、弘安七年正月、奏破宇治網代、蓋是年始修宇治橋成、時年八十四、

〔興正菩薩傳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0180 建治第三始仁王講、〈◯中略〉或時追道昭、道賀之跡、造立宇治木津之大橋、或時任聖武大后之昔、再興國分法華之諸寺

〔元亨釋書〕

〈十三明戒〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0180 釋忍性、姓伴氏、和州磯城島人也、〈◯中島〉嘉元元年六月病、七月十二逝、〈◯中略〉性修營伽藍

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0181 八十三所、塔婆二十基、大藏經一十四藏、諸州河橋一百八十九所、

〔東寺執行日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0181 寶徳二年六月七日、祇園會有之、四條橋三十六間、九州住人正等入道作之、御輿奉之、橋ノ上ニ荒菰ヲ敷ク、供養ハ十月廿一日、禪僧一千口、相國寺、南禪寺、建仁寺僧達也、〈◯又見祇園社記、改暦雜事記、〉

〔臥雲日件録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0181 長祿三年三月四日、喚智瑞行者來、剃髮之次、予問六角堂施行之來由、瑞曰、願阿彌曰于公方、望餓人、公方出百貫文助、就六角堂南大慈院北、造假屋者百二間、初三日先可粥、其後菜羮耳、毎日八千人之設也、願阿彌築紫人也先是架四條橋、〈◯中略〉如此善利多々、匪啻今施餓人、能成檀波羅密者、其名曰願、

〔慶光院古記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0181 飛鳥井雅俊卿ヨリ御書物 新春之佳慶珍重珍重、更不休期候、抑舊冬は預芳札候、〈◯中略〉兼又内宮大橋成就、御神忠不之候哉、〈◯中略〉 正月〈◯文明元年〉十三日 雅俊 守悦上人御報

〔神廷紀年〕

〈五 後柏原〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0181 舊記曰、守悦不其産、嘗住紀州、而遷勢州、乃創慶光院、一曰、紀州入鹿人也、

〔河崎氏年代記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0181 一明應六〈丁巳〉内宮大橋事始(○○○○○○)、本願は守悦也、

命名

〔壒囊抄〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0181 一條堀川橋ヲモドリ橋ト云ハ何故ゾ 淨藏貴所ノ、父ヲ祈リ返シテヨリ、此名アル也、〈◯中略〉善相公蘇リ給故ニ、カヘル橋(○○○○)ト云ケルヲ、今モドリ橋(○○○○)ト申也、其義同キ故カ、光源氏ノ宇治ノ卷ニ、逝ハカヘルノ橋也ト書ルハ、此橋ノ事也、〈◯中略〉逝トハ死去ノ事也、〈◯下略〉

〔詠大神宮二所神祇百首和歌〕

〈戀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0181 再拜ノ橋トハ、倭姫命天津尊ノ御鎭坐ノ山之ハラ御覽坐、彼橋ニ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0182 テ拜有シ事ヲ名トス、再拜ト書テ二度拜スト讀、

〔慶長見聞集〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0182 江戸の川橋にいわれ有事 見しは今、江戸に〈◯中略〉舟町と四ケ市のあひに、ちいさき橋只一ツ有、是は往復の橋也、文祿四年の夏の比、此橋もとにて錢がめを堀出す、永樂、京錢、打まじりて有しを、四日市の者共、此錢がめを町の兩御代官板倉四郞右衞門殿、彦坂小刑部殿へさヽげ申たり、夫より此橋を錢がめ橋(○○○○)と名付たり、〈◯下略〉

〔新編江戸志〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0182 錢瓶橋 貞雄云、江戸砂子に、一説、むかしは橋の邊にて、永樂錢の引替ありて、錢替ばしと云けるとあり、予聞傳へしは、錢を商ふ者、此所に集り居たりし故名とすと云へり、さるは錢買ばし也、明暦の比は、錢かひ橋と云しは疑ひなし、明暦年中、中川喜雲と云し宗匠の句に、錢かひばしを玉蔓ぬけ、と云句あり、

〔慶長見聞集〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0182 江戸の川橋にいわれ有事 先年〈◯慶長八年〉江戸大普請の時分、日本國の人集て懸たる橋有、是を日本橋(○○○)と名付たり、

〔江戸鹿子〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0182 橋 日本橋 南北にわたされて、橋の上にて見れば、旭日東嶺に出るをまのあたりにのぞみ、又西山にいり、虞淵に類する有さま、眼前に見つくしてならぶ橋なし、よつて日本橋と名付とかや、〈◯下略〉

〔國花萬葉記〕

〈七下武藏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0182 兩國大橋〈三大橋之内〉淺草川に有、明暦年中に草創の橋也、武藏國と下總國に渡されたる橋なれば、兩國橋(○○○)と稱す、

〔昌平志〕

〈一廟圖〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0182 遜〈◯犬冢〉按、昌平統名湯島、〈◯中略〉在於江戸城北相生橋〈一名洗芋橋、又名新橋、後改昌平橋、〉外、〈◯中略〉元祿庚午〈◯三年〉卜爲廟地、〈◯中略〉凡八閲月而告竣、方其鼎建、賜名昌平、以擬魯國誕聖之郷、蓋出於羹墻之誠云、昌

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0183 平之名起此、〈昌平橋(○○○)亦同〉

〔中外錢史〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0183 銀錢〈◯中略〉 傳謂、元祿十五年、大坂市中、更通一渠、名曰堀江、地底獲隆平錢二千三百許枚矣、架橋於其處、名曰隆平橋(○○○)焉、

〔倭訓栞〕

〈前編二十四波〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0183 はし〈◯中略〉 防州岩國に錦帶橋(○○○)あり、錦山より流るヽ川にかヽる故に名く、〈◯下略〉

橋銘

〔帝王編年記〕

〈九孝徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0183 大化二年丙午、元興寺道登道昭、奉勅始造宇治川橋、石上銘、 浼々横流 其疾如箭 修々征人 停騎成市 欲重深 人馬亡命 從古至今 莫般竿 世有釋子 名曰道登 出山尻 惠滿之家 大化二年 丙午之歳 構立此橋 濟度人畜 即因微善 爰發大願 結因此橋 成果彼岸 法界衆生 普同此願 夢裏空中 導其昔縁

〔古京遺文〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0183 宇治橋斷碑〈◯銘略〉 右斷碑、在山城國宇治常光寺、寛政三年四月(○○○○○○)、發(○)土獲(○○)之(○)、碑全文載在歴代帝王編年集成、據以補録、匡以別之、道登見孝徳天皇大化元年、及白雉元年紀、道登營宇治橋、又見現報靈異記、而續日本紀則云、道昭造宇治橋、按續日本紀又云、昭以文武天皇四年物化、時年七十二、泝數之、大化二年時年十八、猶弱齡、恐無橋之事、蓋以登昭共元興寺僧、名字亦相渉、修史者誤認爲昭也、頼此一片石、而得以糾千歳之謬、亦可喜也、弘安七年二月、太政官符云、河上有一橋、元興寺道登、道昭建立之、若登昭戮力造之、則石銘豈特載登遺昭耶、蓋彼欲碑爲道登則與史乖、欲史爲道昭則與碑違、不詳考審定歸之一人、以兩存之、則是言亦不據也、

〔笈埃隨筆〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0183 宇治川〈◯中略〉 因にいふ、橋寺に宇治橋の碑あり、これは中古橋詰に石垣につみこみしを、近來潤水のせつ見出

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0184 して、橋寺へ引上、三分一ほど折たりしを、古書より見出し、龍草蘆補ひ、通圓茶屋に額にして、古書は文粹か群載たり、

〔道の幸〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0184 十八日、〈◯寛政四年十一月、中略、〉橋寺、〈◯中略〉近きころ礎石に文字有を見つけ、ほり出つヽよく見れば宇治橋の碑也とて、かくて有也といふ、文字は四字づヽ續て二段三行あり、三段の初一字づヽ見ゆ、その文は、浼浼横流 其疾如箭 修 世有釋子 名曰道登 出 即因微善 爰發大願 結 以上廿七字あり、全文は帝王編年記に見えたり、然れども扶桑略記には、道登を道昭と書たり、水鏡には宇治橋は道登造れりといひ、編年記には元興寺道登、道昭奉勅造といへり、しかるを日本紀にしるされず、續日本紀道昭が傳に、此橋を造るとしるされて、道登が事はさらに聞えざれば、元亨釋書、本朝高僧傳等の書にものせず、いといぶかしきを、此石文の折ながらもかくつたはりて、道登といへる名のあざやかに殘りたるぞ、其功もくちせでいとめでたし、〈◯中略〉道登が棟梁にて、道昭は力をあはせしものならんか、

〔都名所圖會〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0184 三條橋は東國より平安城に至る喉口なり、〈◯中略〉欄干には紫銅の擬寶珠十八本ありて、悉銘を刻、其銘に曰、洛陽三條之橋、至後代度往還人、磐石之礎、入地五尋、切石之柱、六十三本、蓋於日域、石柱濫觴乎、天正十八年庚寅正月日、豐臣初之御代奉増田右衞門尉長盛造之、

〔惺窩文集〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0184 山州八幡橋本之橋銘 惟地之險、莫乎江河之大也、江河之大、莫乎橋梁之備也、然則橋梁之備者、守土者一日可之哉、前博陸侯、〈◯豐臣秀吉〉將乎大明、命諸國道路舟梁、而欲往還轉運之便、事絶古今、慶傳遐邇矣、時哉山州八幡橋本之津、華夷出入之咽喉也、百川之合流、九重之深淵、而黿鼉魚鼈之所游也、故行旅數雖漂溺之患、竟無胥謀者、於是山口玄蕃頭豐臣宗永、奉鈞命其役作(○)長橋(○○)、遠取材于賀丹之二州、集匠氏奇巧、自同勞苦、與http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000651a15.gif 入、與汨偕出、從水之道而不私、脩梁峻址、以架以植矣、其長

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0185 一百八十間、其廣五間、柱數一百三十八柱、根入地丈餘、規模之宏壯偉麗、罕其比、八月九日、資始十二月初四日以成、僅數月之間、而卒大業者、不亦奇乎、蓋經始勿亟庶民子來者也耶、嚮所謂江河之險、却成閨堂之安、夫是政教之所化、智巧之所施、可觀焉、維時士女龢會、闐郭溢郛、相共賀之、宗永因請予記其功勞、而將來者、其詞曰、 國屬寛仁、笑子産乘輿之惠、渡憂覆沒、施杜預建橋之工、睠玆萬代雄基、寔是一時壯觀、深則淺則掲、未於遙空、近者悦遠者來、正好免勞於艱嶮、不舟劒、何浮泉環、鷄聲月殘時、誰歟吟霜之客、馬蹏雷生處、彼豈問津之人、天公呈祥、河神受職、懷哉治水、聖智政化無疆、哿矣濟川、奇才功勳不朽、謹記、 天正廿年壬辰臘月望

〔攝津名所圖會〕

〈四上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0185 京橋〈故大和川猫間川會流して、橋下より大川に入、南は金城にして登城の御橋也、欄檻葱寶珠銘ニ云、元和九年造立と鐫す、東北は片原町の相生町にて京街道也、北の橋爪に毎朝川魚の市あり、〉

〔江戸名所圖會〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0185 日本橋 欄檻葱寶珠の銘に、萬治元年戊戌九月造立と鐫す、

〔漫游文草〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0185 蝦蟆橋銘并序 夙發四萬山中、沿流而下、十有八里、俄折度一橋、入山田里、再訪田子孝、其橋倚兩岸突出相向矣巉崕千尺、激而http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000651818.gif 焉、藍之水盡白、余與伯經佇玩多時、橋下一石、有題曰蝦蟆溪一、橋亦名蝦蟆一、子孝曰、先子剏此橋、郷人於今憑焉、伯經爲造圖、主人需余賛焉、前此有橋銘、故不山水之美、乃作橋銘、以題、銘曰、 王氏富窟、徒在好賓、有若田生、舍資爲民、洪水不阻、踏虹而旋、往來絡繹、其澤百年、〈五月初六出四萬、信宿子孝氏、初九宿新町驛、十日鴻巣驛、十一歸于學院、此行伯經紀行、余不復贅、故略日次爾、〉

橋供養

〔濫觴抄〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0185 山崎橋

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0186 聖武三年丙寅、〈神龜三年〉行基菩薩造之了、於橋上法會、洪水俄至、橋流人死、粗有其數

〔水左記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0186 承暦四年十月八日、今日於清水寺橋〈河原〉有迎講事、住醍醐寺聖人行之云々、予〈◯源俊房〉爲結縁參向、即歸了、

〔十三代要略〕

〈崇徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0186 保延五年六月廿五日、清水寺鴨河橋供養、

〔百練抄〕

〈七近衞〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0186 久壽元年三月廿九日、祇園橋供養、

〔源平盛衰記〕

〈十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0186 文覺發心附東歸節女事 文覺道心ノ起ヲ尋レバ女故也ケリ、〈◯中略〉女〈◯アトマ〉今年ハ十六也、盛遠ハ十七ニ成ケルガ、其歳ノ三月中旬ニ、渡邊ノ橋供養アリ、盛遠紺村濃ノ直垂ニ黒絲威ノ腹卷ニ袖付テ、折烏帽子係ニカケ、銀ノ蛭卷二筋通シテ卷タル長刀左ノ脇ニハサミ、其日ノ奉行シケレバ、辻々固タル兵士共下知シ廻シテ、橋ノ上ニ立渡ユヽシクゾ有ケル、

〔神皇正統録〕

〈下後鳥羽〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0186 建久九年十二月廿七日、相模河橋供養、是日來稻毛重成入道亡妻〈北條時政之息女〉追善之爲ニ建立所也、依頼朝卿結縁之爲ニ、相向給于時還御ニ及而落馬之間、是日ヨリ以病惱ヲ受、

〔吾妻鏡〕

〈二十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0186 建暦二年二月廿八日乙巳、相模國相模河橋數箇間朽損、可修理之由、義村申之、如相州廣元朝臣善信群議、去建久九年、重成法師新造之、遂供養之日、爲結縁之、故將軍家〈◯源頼朝〉渡御、及還路御落馬、不幾程薨給畢、重成法師又逢殃、旁非吉事、今更強雖再興、何事之有哉之趣、一同之旨、申御前之處、仰云、故將軍薨御者、執武家權柄二十年、令官位給後御事也、重成法師者、依己之不義天絶歟、全非橋建立之過、此上一切不不吉有被橋、爲二所御參詣要路、無民庶往反之煩、其利非一、不顚倒以前、早可修復之旨、被仰出云云、

〔百練抄〕

〈十二順徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0186 承久元年三月廿九日甲子、宇治橋供養也、去建仁之比、頽破之後、上人唱初、終於其功云云、

〔百練抄〕

〈十三後堀河〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0187 貞應二年十月十六日、法輪寺橋供養也、 貞永元年三月廿一日、伊豆守信光、供養渡部橋云々、件橋、彼信光所營作也、

〔新抄〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0187 文永元年十月卅日辛未、法輪寺橋供養也、勸進上人南無願之沙汰也(○○○○○○○○○○○)、兩院御幸土御門大納言、棧敷御見物、於橋上迎講事

〔一代要記〕

〈十四後宇多〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0187 弘安九年十一月十九日、宇治橋供養、思圓上人〈◯獻尊〉渡之、自供養、本〈◯後深草〉新〈◯龜山〉兩院臨幸、同廿日、同塔供養、

〔帝王編年記〕

〈二十六後宇多〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0187 弘安九年十月〈◯十月、一代要記作十一月、〉十六日、思圓上人、宇治橋南孤島、起立高五丈十三重石塔、彫付網代停止官符於石南面、 十八日、關白殿下、〈兼平公〉御出宇治、依橋供養也、 十九日、橋供養、御導師思圓上人、〈諱叡尊〉件橋、天萬豐日天皇〈◯孝徳〉御宇、元興寺道登、道昭、奉勅建立之、其後東大寺觀理、道慶、修造之、始自大化元年丙午、終至弘安九年丙戌、六百四十一年、造營七ケ度也(○○○○○○)、皆南都之合力(○○○○○○)、知前事之不一レ忘、

〔續後拾遺和歌集〕

〈十五雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0187 弘安元年〈◯元年恐九年誤〉宇治橋供養の日、龜山院御幸ありけるに、雪いとふかく 降侍ければ、 圓光院入道前關白太政大臣〈◯藤原兼平〉行末も道はまどはじためしなきけふのみゆきの跡を殘して

〔看聞日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0187 應永廿三年五月三日、傳聞、宇治橋有供養、導師西大寺長老、衆僧三千四十餘人、南都北京近國律僧等參集云々、舞童三番、天王寺伶人舞之、法會之儀嚴重也、見物貴賤都鄙群集云々、自是侍女兩三人見物ニ參、此橋者應永廿年被造替了、仍今日有供養之儀

〔神廷紀年〕

〈五後奈良〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0187 天文十八年、此年宇治大橋成、讀法華經一萬部

〔慶光院由緒書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0187 御綸旨 清順〈◯慶光院第三世〉居室、號慶光院之由被聞食訖、殊至太神宮御裳濯橋造供養其功之由、叡感無極、而

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0188 今度造替之事、應一社之請、同可其沙汰旨、神妙之由、天氣所候也、悉之以状、 天文廿年八月廿日 右中辨〈書判〉 慶光院

〔遷御近例〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0188 宇治橋供養成就之後、清順上人遷宮沙汰之事、尾州之僧岡本寶藏菴ニ居住ス、其僧ヲ使トシテ上人常辰神主宿所ヘ使者アリ、〈◯下略〉

〔神廷紀年〕

〈五正親町〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0188 天正八年庚辰閏三月三日壬申、宇治大橋成供養、十二日僧數千口、

〔日光山堂社建立舊記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0188 山菅橋 先吉日ヲ撰テ斧始シ、川ノ南、見目ノ社前ニ貳通リニ假屋ヲ設ケ、西ヲ上座トス、川岸ノ方ヲ衆徒座トス、同ク間ヲ隔テ社家之座トス、南ノ假屋ニ神橋ノ乳ノ木ヲ直シ、神橋大工ノ棟梁狩衣ヲ著シ、乳木ノ左ヨリ右ニ移リ中ニ及ビ、三度ヅヽ是ヲ削リ、洗米神酒ヲ供ズ、番匠貳人白張ニテ手傳之、規式終テ假屋江神酒供物ヲ持參ス、各頂戴シテ退出ス、 一外遷宮日ヲ撰ビ、橋之左右ニ白幕ヲ打、同左右ニ注連ヲ曳、深砂王ノ社ヨリ岩崛ノ假屋ノ許ニ筵道地布三通敷之、深沙王ノ鳥居ヨリ假屋マデ中央ニ布一通リ引張之、長坂ノ下ニ假屋建ツ、東ヲ上座トシ、中央ニ行法壇ヲ飾リ、總徒左右ニ座ス、同假屋ヲ四ツニ仕切、二ノ間社家、其次ヲ伶人ノ座トス、其次ヲ山崎大夫賭所トス、總徒丑刻ニ來集、寅上刻ニ及テ、左右ニ在ル燈火ヲ一同ニ消シ、外遷宮ノ規式アリ、凡ソ外遷宮トハ、神橋川上第一ノ桁〈チノ木〉ヲ、岩崛ヨリ引出スヲ云、山崎大夫練ノ狩衣ヲ著、手傳ノ神人〈十二人〉烏帽子白張ニテ勤之、人夫淨衣ヲ著シ、桁ニ大綱ヲ掛テ一同ニ引出ス、山崎唯一人岩崛ニ入テ、掃除終テ、兼而設ケシ假屋ヲ岩崛ノ口ニ建、戸張注連ヲ曳、七十五膳ノ御供、并神酒餅等ヲ以テ崛中ニ獻備ス、其間假屋ニ於テ行法〈龍神ノ法〉アリ、學頭行之、衆徒中四智讃諸天讃、伶人音樂ヲ奏ス、御供獻ジ終テ、山崎大夫假屋エ赤飯并神酒ヲ出ス、各頂戴シテ退出ス、正

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0189 遷宮ノ次第外遷宮ノ如シ、寅ノ一點ニ勤之、新調ノ桁http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006520d9.gif ノ岩窟ニ遷宮前、山崎大夫一人岩崛戸張ノ内ニ入テ、七十五膳ノ御供、并神酒、餅弊帛、櫛、針等ノ品々獻備ス、十二人ノ神人傳供ス、乳木岩崛エ入レ納メ、神酒神供各頂戴シ退散ス、山崎大夫外遷宮正遷宮ノ料トシテ、山中ヨリ鳥目并米ヲ送ル、神橋御造畢日限ヲ撰ビ、御供養渡初、橋ノ上一面ニ筵道ヲ敷、中際ニ地布三通敷之、左右ニ薄縁ヲ敷渡ス、總徒巳ノ刻來集、橋ノ上南ヲ上座トシ、左右ニ著座、深沙王エ本宮上人御供獻備、〈山崎大夫方ニテ調之〉于時衆中四智諸天讃ノ法事終テ御座主御渡初、岩崛ニ向テ御念誦、橋ノ南ヨリ北ニ渡御、深沙王ノ社ニ御參詣、御太刀馬代獻上、御念誦終テ御退出、總徒東ヨリ一列ニ行道ノ如シ、南ニ渡リ岩崛ノ方ヲ拜シ北ニ渡テ深沙王ニ參詣退出ス、往古ヨリ供養ノ時、毎度葦毛馬追來、最初ニ是ヲ引渡ス、奇妙ノ例ト云々、往古供養ノ時ハ、法事終テ祝儀トシテ三日ノ間田樂、猿樂有之ト舊記ニ見タリ、寛永六己巳年五月、將軍秀忠公、神橋替奉行、夏目工左衞門、塚原次左衞門、遷宮供養如先規、寛永十三丙子年、將軍家光公、秋元但馬守藤原泰朝ニ命ジ石柱ヲ建テ、新ニ御造替、添奉行庄田小左衞門、島四郞左衞門、〈長十五間、幅三間五尺、〉遷宮供養如先規、法事終テ大僧正天海〈慈眼大師〉御渡初、先條ノ如シ、遷宮ノ料トシテ白銀百枚、將軍家ヨリ山崎大夫ニ賜之、猿樂、田樂等ノ祝儀ハ無之、神橋川下ニ假橋ヲ架シ、御普請中ノ通路トス、往古ハ造畢以後假橋ヲ毀テ、牛馬トイヘドモ神橋ヲ通ル、若乘ウチ有レバ本宮別所ヨリ過料ヲ取也、此時始テ假橋ヲ被殘、牛馬ノ通路トス、此時モ供養ノ時何地トモナク葦毛馬追來、最初ニ引渡ス、萬治二年九月御造替、奉行天野彌五右衞門、久永源六、稻野五兵衞、遷宮供養先規ノ如シ、御座主一品守澄法親王御渡初アリ、元祿二年巳ノ十二月、御宮御堂御再興、同三庚午年五月、神橋御懸替、長坂ノ下ニ貳通ニ假屋ヲ設ケ、川岸ヲ奉行方ノ座トス、山際ノ假屋ヲ四ツニ仕切、東ヲ上座トシテ、中央ニ行法壇ヲ飾リ、壇ノ左右ニ衆徒著座、二ノ間社家ノ座トシ、三ノ間樂人ノ座トス、四ノ間ハ山崎大夫賭所タリ、長坂本宮、坂谷口、下馬崎、稻荷川口五箇

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0190 所、監營方ヨリ、英士足輕等ヲ以テ警固、川筋より五ケ所ノ口々ニ烑燈數多ク高竿ニ掛テ、恰モ白晝ノ如シ、參詣ノ道俗群集ス、先規ハ丑ノ刻ヨリ寅ノ一點ニ雖之、今度ハ御奉行中相談之上、酉ノ刻ヨリ戌刻迄ニ勤之、總奉行井伊掃部頭左近衞少將藤原直興、監營松平陸奧守左近衞少將藤原綱村、添奉行柴田越前守源勝門、中川伊勢守源重泰、官工司鈴木長兵衞、穗積長頼、遷宮供養先規ノ如シ、此時ノ御造替〈別記ニ委細也〉御供養終リ、御座主二品公辨法親王供奉ノ行粧ヲ調、〈半供奉〉假橋ヲ御渡リ、石碑ノ本ニテ御下輿、供奉之面々前後ヲ圍繞シ、先岩崛ニ向ヒ御念誦、橋ノ中央地布ノ上ヲ御渡初、深沙王ノ庭上ニ新ニ疊ヲ設ケ、御太刀馬代御獻上、御念誦終テ御退出、于時總奉行監營、并御目付、添奉行、本宮ノ坂本ニ列候ス、御座主御會釋アリ、次總徒先條ノ如ク一例ニ渡テ退出、此時トモ葦毛馬來、最初ニ引渡ス、諸人奇異思ヲナス、此橋破壞ノ節ハ、御當家累代御造營并遷宮ノ料銀百枚、山崎大夫ニ賜之、供養ノ儀式世ニ又類ナキ名橋也、元祿三年御http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001c2cd.gif 始ハ本宮下清水邊ニ假屋ヲ設テ勤之、奉行方本宮上人出合、總徒不之、

橋祈禱

〔氏經卿神事記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0190 文明九年四月一日、大橋始テ渡未高闌、 廿一日、大橋高闌沙汰、 廿八日、大橋之橋姫御前社奉造替、就其爲橋祈禱(○○○)十人禰宜中ニ申、十萬度之御祓勤仕(○○○○○○○○)、皆兼日調是ニ、經興七經房服氣、九守誠ハ加灸彼三人分、予ニ可申之由、願主申間調之、今日傍官招請申、其恐雖少、宮中御橋御祈之間、可御免懇訴、御橋事、勸進聖度々雖數輩、皆構己用、終不其節之條、神宮珍事也、然件乘賢令頓造畢條、神妙之間、皆々被出構木屋、疊新調、件御祓萬度宮中ニ奉納、九萬度橋姫社ニ予奉納、於木屋申上後也、二七神主雖申不座敷、予三四五八九十、加賀守新五郞豐正、三盃肴三獻之後、朝飯山海珍物ヲ調、晝羹點心盡事、予之内外様殿原奉行出納飼丁以下皆噯、如中送膳、歸ハ不乘輿、皆々同道雜談、乘賢則禮ニ來、扇全一兩、如中ヘ帶一幅志、御布施十二貫到來、則一貫二百宛送進、御橋供養事、萬部法華經可然之由、地下長申間、勸進可讀其節可遲々間、先人ヲ可渡云々、

〔河崎氏年代記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0191 一永正二〈乙丑〉内宮大橋カヽル本願守悦也、子細有テ無(○○○○○)供養(○○)、半日ノ祓有也(○○○○○○)、

橋祭

〔香取志〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0191 橋祭 同〈◯十一月七日〉夜あり、是五段田てふ所の橋を祭也、昔一橋、二橋、三橋迚、三所にて祭しと云、今不詳、思に御船山北堤の橋と、草履脱橋と合て然云しにや、外に橋なければ也、

渡初

〔雍州府志〕

〈九古跡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0191 綴喜郡〈◯中略〉金橋 在橋本南、是山城與河内之境界也、斯橋改造時、隔中間兩國互半造之、造畢渡初之日、自山城國出之監事人、與河内國經營之人各互渡橋、而於中間行逢互別歸、是表兩國境界之微意也、倭俗處々橋改造時、成就日始渡者、稱渡初而祝之、

〔國花萬葉記〕

〈四河内〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0191 交野郡金橋 山城河内兩國之境、兩國よりかけ渡して渡り初、兩方の奉行、橋の眞中にて行て兩方へ渡ると也、又山城名所にも出ス、

〔一話一言〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0191 江州非人 ある人江州へ行き侍りしに、一の非人村があり、其所に橋の渡りぞめありしを立止りて見侍りしに、非人頭とおぼしき者、圓座に座してありけり、村のものども橋の渡りぞめの祝儀を持來る、其中より痩て色惡き男一人、茄子三つ持來て頭の前に進む、頭たるもの是を見て、汝は頃日相煩ひ居ると聞しに、何とて此茄子を持來るやと問ければ、左様に候、永々の病氣難義仕候處に、此度橋の渡りぞめに付、頭殿へ祝儀をいたすべきよし小頭より申渡し候ゆえ、夜前他處の畠へ往きぬすみ申候と云ふ、頭の云、乞食は盜をせまじき爲也、盜をなせば乞食はせず、汝は村の住居はなるまじきと云て、小頭を召てかれが快氣次第村を拂ふべし、病氣の内は番を致すべしといひわたしけるとかや、〈下略〉石田勘平都鄙問答に見へたり、

〔半日閑話〕

〈三編四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0191 一昨十九日、兩國橋出來ニ付、往來初有之候ニ付、渡初致候老人之身分風聞、承リ可申上旨被仰渡候ニ付、承合候趣、左之通ニ御座候、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0192 戸田采女正殿御差圖 深川三間町庄兵衞店 鳥目拾貫文ヅヽ被下 與兵衞 〈巳九十九歳〉 ゆり(同人妻)〈巳八十四歳〉 覃按、寄園寄所寄曰、楊公翥有厚徳、爲景皇帝宮僚京師、〈◯中略〉金水河橋成、詔簡有徳者試渉延日、道推公焉、〈王堂叢語〉因是見之、橋成試渉簡有徳者、而不必高年者也、

〔武江年表〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0192 安政二年十一月廿三日、兩國橋御修復成就によつて、老人の渡り初あり、

〔武江年表〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0192 安政六年七月、同月より淺草大川橋御修復始る、十二月九日、大川橋御修復成り、渡初あり、

〔甲子夜話〕

〈四十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0192 去冬〈文政六年〉兩國橋改造アリテ、橋開ノトキハ長壽ノ人渡リ初タリ、聞クニコノ橋ニ限テ例コノ如シト、去レバ日本橋モ古橋ナレド、兩國橋ノ始テ川ヲ渡シタルトキ、カク爲ラレシヨリ其例ヲ引クナルカ、 十二月廿日、〈前日ナリ〉改造見分ノ人々、 町奉行 榊原主計頭 御勘定奉行 曾我豐後守 御目付 大草主膳 新見伊賀守 御勘定吟味役 服部伊織 御徒士目付一人 御小人目付一人、 町與力二人 同心四人 廿一日〈當日ナリ〉出役ノ人々 御普請掛リ 榊原主計頭 大草主膳 同掛リ 町與力二人 同心四人 此人々橋ヲ渡り、引取リノ後、老人東西ノ隣町町役中同道シテ、東ヨリ西ヘ渡リ、復東ヘ還リ、畢

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0193 テ往來ノ人ヲ通ス、 長壽ノ人 〈麻上下著〉 長右衞門〈未〉九十一 妻 〈總模様カイドリ著〉 須喜〈同〉八十 右名主岡崎十左衞門支配本八町堀一丁目家主萬助店ノモノ 是ヨリ其孫ヒコハ平服ニテ、長右衞門ノ後トニツキテ渡リシト云、 〈長右衞門子〉久三郞〈未〉六十 〈妻〉美迺〈同〉四十五 〈長右衞門孫〉卯兵衞〈同〉三十一 〈妻〉佐和〈同〉二十九 〈長右衞門ヒコ〉巳之助〈同〉三 以上三人ハ深川仲町住宅 コノ三歳ノ小兒ハ、母ノ負ヒテ渡リシト云、

〔甲子夜話〕

〈十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0193 今年〈壬午◯文政五年〉夏、日本橋掛直シアリ、總テ新橋ノ渡リ初ニハ、年高キ人渡リ始ルコトナリトテ、此度モ長壽ノ老人何人渡リ初メスルナド、專ラ世ニトリ沙汰アリ、或日其處ノ町役ニ問タルニ、答ニ、七月十日出來候テ、御見分トシテ町奉行筒井和泉守通ラレ、橋懸リ町與力南北各一人、御勘定吟味役明樂八郞右衞門組頭一人、御普請役二人、何レモ橋出來ニ付、總見分渡初メト名付ケ、翌十一日橋開(○○)ニツキ、向前町内名主、家主共麻上下ニテ出テ相渡リ、其トキ向前ヨリ行違ヒ、中程ニテ一禮仕リ、歸リノ節モ同ク仕候、其時通リ壹丁目名主、室町壹町目名主、其外家主共出候テ、尤兩町トモニ壹町目計リ總出仕リ、貳町目ヨリ四町目迄、月行事計出ル、右ノ外ハ何ノ手數モ無ク候、此トキ左右ノ橋ギハニ、ハヤ往來ノ者等渡ルベシトテ、大勢溜リヰルヲ、町同心制シテ留置キ、件ノ手數畢リ、一同引候ト、ソノ跡ハ大勢我先ニ々々ト群リ通リ候迄ナリト云タリ、世ノ取沙汰ト云モノハ、一ツトシテ眞實ノコトモナク、カヽルコトサヘ咫尺ノ處ニテ、妄説起ルモノナリケリ、

〔言成卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0193 慶應三年十月十五日、今日荒神口新橋渡初云々、夫婦相揃老人渡云々、


Last-modified: 2019-03-15 (金) 09:48:58 (390d)