http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0071 陸奧國ハ、ムツノクニト云ヒ、舊クハ、ミチノオクノクニト云ヘリ、東山道ニ在リテ、土地ノ尨大ナル、他ニ其比ヲ見ザル所ナリシガ、明治元年之ヲ磐城、岩代、陸前、陸中、陸奧ノ五國ニ分チタリ、磐城國ハ、イハキノクニト云フ、東方一帶海ニ面シ、西ハ下野、岩代、及ビ羽前ニ界シ、南ハ常陸ニ接シ、北ハ陸前ニ隣ス、東西二十二里餘、〈其狹所五里餘〉南北三十三里餘、地勢ハ高原地、國ノ大部ヲ占メ、國内殆ド峻嶺ヲ見ズ、岩代國ハ、イハシロノクニト云フ、東ハ磐城西ハ越後、南ハ上野、下野、北ハ羽前ニ界シ、東西凡ソ二十里、南北凡ソ二十一里、其地勢ハ、山巒岳連亘シ、平地少ナク、毫モ海岸ヲ有セズ、陸前國ハ、東方一帶海ニ臨ミ、西ハ羽前、南ハ磐城、北ハ陸中及ビ羽後ニ界シ、東西凡ソ二十五里、南北凡ソ四十里、其地勢ハ、國ノ東邊、及ビ西境ニ山脈連亘シ、其中央ハ北上平原ニシテ、北上川其間ヲ灌漑ス、陸中國ハ、陸前ノ北ニ位シ、西ハ羽後、北ハ陸奧ニ界シ、東方海ニ面セリ、東西凡ソ三十七里餘、南北凡ソ三十三里餘、其地勢ハ、頗ル山嶽ニ富ミ、平地甚ダ乏シク、僅ニ北上川ノ貫流スル所、細長ナル平野ヲ見ルノミ、陸奧國ハ、奧羽ノ北端ニ位シ、南ハ陸中及ビ羽後ニ界シ、東大平洋ニ面シ、西日本海ニ臨ミ、北ハ津輕海峽ヲ隔テ、北海道ノ渡島ニ對ス、東西凡ソ三十九里餘、南北亦相若ケリ、其地勢ハ西南部一帶山地ヲ形成シ、中部ニ至リテ津輕平原ヲ開キ、岩木川之ヲ灌漑ス、  http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0072 此國ハ古ヘ國府ヲ宮城郡ニ置ク、延喜ノ制大國ニ列シ、白河(シラカハ)、磐瀬(イハセ)、會津(アヒヅ)、耶麻(ヤマ)、安積(アサカ)、安達(アダチ)、信夫(シノブ)、刈田(カツタ)、柴田(シバタ)、名取(ナトリ)、菊多(キクタ)、磐城(イハキ)、標葉(シバ)、行方(ナメカタ)、宇多(ウタ)、伊具(イク)、亘理(ワタリ)、宮城(ミヤギ)、黒川(クロカハ)、賀美(カミ)、色麻(シカマ)、玉造(タマツクリ)、志太(シダ)、栗原(クリハラ)、磐井(イハヰ)、江刺(エザシ)、膽澤(イザハ)、長岡(ナガヲカ)、新田(ニヒタ)、小田(ヲダ)、遠田(トホタ)、登米(トヨメ)、桃生(モムノキ)、氣仙(ケセ)、牡鹿(ヲシカ)ノ三十五郡ヲ記シ、倭名類聚抄ニハ管三十六トアリテ、以上ノ外ニ大沼(オホヌマ)ノ一郡ヲ加ヘタリ、後世ハ奧州五十四郡ノ稱アレドモ、其郡名甚ダ明確ナラズ、蓋シ此國ハ、元蝦夷ニ地ニシテ、漸次北方ニ向ヒテ開展シタルガ故ニ、建郡ノ制、頗ル他ト異ナリ、後世ノ郡名ニ至リテハ公置ト私稱ト相混ジテ、今辨別シ難キモノ多シ、明治維新ノ後、分合ヲ行ヒ、磐城國ニ、西白河、東白川、石川、石城、雙葉、相馬、亘理、伊具、刈田、田村ノ十郡、岩代國ニ南會津、北會津、大沼、河沼、耶麻、岩瀬、安積、安達、信夫、伊達ノ十郡、陸前國ニ、柴田、名取、宮城、黒川、加美、玉造、栗原、遠田、志田、桃生、牡鹿、登米、氣仙、本吉ノ十四郡、陸中國ニ、西磐井、東磐井、膽澤、江刺、和賀、稗貫、紫波、上閉伊、下閉伊、岩手、九戸、鹿角ノ十二郡、陸奧國ニ、上北、下北、三戸、二戸、東津輕、西津輕、中津輕、南津輕、北津輕ノ九郡ヲ置キ、凡テ五十五郡トス而シテ新ニ福島、若松、仙臺、盛岡、青森、弘前ノ五市ヲ設ケ、福島縣ヲシテ、福島、若松ノ二市、及ビ岩代全國ト、磐城國ノ西白河、東白川、石川、石城、雙葉、相馬、田村ノ七郡ヲ治セシメ、宮城縣ヲシテ、仙臺市、及ビ磐城國ノ亘理、伊具、刈田ノ三郡ト、陸前國ノ氣仙郡ヲ除キタル十三郡ヲ治セシメ、巖手縣ヲシテ、盛岡市、及ビ陸前國ノ氣仙郡陸奧國ノ二戸郡ト、陸中國ノ鹿角郡ヲ除キタル十一郡ヲ治セシメ、秋田縣ヲシテ、陸中國ノ鹿角郡ヲ治セシメ、青森縣ヲシテ、青森、弘前ノニ市、及ビ陸奧國ノ二戸郡ヲ除キタル八郡ヲ治セシム、

名稱

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0072 陸奧〈三知乃於久〉

〔日本風土記〕

〈一寄語島名〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0072 陸奧〈話收(ムツ)〉

〔饅頭屋本節用集〕

〈和天地〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0072 奧州(ワウシウ)〈陸奧〉

〔塵袋〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0073 一陸奧國ヲミチノクニ(○○○○○)ト云フハ、ムツノオクト云フベキヲ、アシクミテミチノク(○○○○)トハ云ヒナセル歟、如何、 ツ子ニハサゾオモヒナラハシタレド、六ト云フ所ノナカランニハ、ソレガオクトモ云ヒニクキニヤ、其上ヘ、日本紀ニハ道奧トカキテ、ミチノクトヨメリ、陸ハクガノミチト云フ心ニテ、ミチ東ノオクト云ハムトニヤ、東山道ノ國ナレバ、ナドカクガノミチトモイハザラン、

〔倭訓栞〕

〈前編三十美〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0073 みちのく 萬葉集にみゆ、陸奧をいふ、倭名抄にはみちのおくと見えたり、國號の義字の如し、俗にみちのくに、又むつのくに(○○○○○)といふ、歌にはよむ事なし、續紀に陸奧國上治郡と、今此郡なし、

〔古事記傳〕

〈二十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0073 道奧、書紀齊明卷にも道奧と作、又陸道奧とも作れたり、萬葉十四十八に、美知能久と見ゆ、〈能に於の韻ある故に、自於は省かるゝなり、〉和名抄には、陸奧三乃於久とあり、〈古今集顯注に云、陸奧國と書て、みちのおくのくにとよむなり、歌にはみちのおくとよむを、略してみちのくとも書り、世俗にみちのくにと申すは歌の詞に非ず、ましてむつの國と申す、無下のことなり、陸と云文字をむつと云ばと思へり、陸をばみちとよむなりと云り、陸をむつと云とは、數の六に此字を借リ用ることなり、信に此國名の美知を牟都と訛れるは、是よりぞまぎれつらむ、〉奧は口に對云(ヘフ)稱にて、道口道後の後に同じ、京より行に、初の地を道ノ口と云、終を後とも奧とも云り、此國は東北の極に在て、實に道の奧なり、〈筑紫にても、大隅薩摩を奧の國と云ること、檜垣家集に見ゆ、又陸奧國にても、黒川郡より北を奧ノ郡と云、大同五年の官符に見えたり、源氏物語若菜卷には、播磨國内にて、此國の奧郡と云ることあり、〉

〔玉勝間〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0073 みちの國 むつ 陸奧は、歌にもよむごとく、美知乃久にて、和名抄には美知乃於久とありて、道之奧といふ意の名なれば、下に國とそへていふ時は、美知乃久乃久爾なり、然るを中昔の物語書などには、みちの國とのみいへるは、みちのくのくにといひては、乃久といふことの重なりて、わづらはしきまヽに、乃久をはぶきていひならへるなるべし、さるを又後にはむつの國といふは、みちの國を訛れる

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0074 ものなるを、陸の字數の六ノ字と通はし用ふることあれば、六(ムツ)の意と心得たる人もあめれど、さにはあらず、又むかしはみちの國とこそいへれ、みちとのみいへることはなかりしを、今はたヾむつとのみいひあへるは、むげにもとをうしなへることなりかし、

位置

〔地勢提要〕

〈乾〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0074 各國經緯度〈附里程〉 陸奧仙臺、〈國分町〉極高三十八度一十六分、經度東五度十六分、從東都〈奥州街道〉九十二里七町三十四間半、陸奧白川、〈本町〉極高三十七度七分、經度東四度三十三分、從東都〈奥州街道〉四十八里一十四町四十九間、陸奧若松、〈七白町〉極高三十七度三十分、經度東四度一十七分、從東都〈奥州街道、經白川、〉六十六里一十六町二十八間、 陸奧盛岡、〈石町〉極高三十九度四十三分、經度東五度四十分、從東都〈奥州街道〉一百五十九里二十五町一十九間、 陸奧國宮古鍬ケ崎、極高三十九度三十九分、經度東六度二十八分半、〈是本邦東端盡所也〉從東都日本橋永代橋、沿海二百八十里十町二十一間半、 陸奧尻谷村、極高四十一度二十四分、經度東六度四分半、前同三百四十三里三十五町一十九間、陸奧野邊地、極高四十度五十二分半、經度東五度四十五分、從東都〈奥州街道〉一百七十九里三十三町五十六間、 陸奧松前、〈土手町〉極高四十度三十五分半、經度東五度一分半、從東都〈奥州街道、自白川會津、〉一百九十一里三十二町二十間半、 陸奧三厩、極高四十一度一十二分、經度東五度二分半、從東都〈同上、從野邊地沿海、〉二百十二里一十八町一十三間、〈奥州津輕郡三廐村、海深一丁目一丈三尺位、十丁目三丈位、一里目二十丈位、人別二百七十五人、家數五十軒、大小船洞懸有之、浦番所有之候、從東都奥州街道會津油川、沿海二百一十八里三十二町四間、〉

〔日本經緯度實測〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0075 北極出地 陸奧 小石濱〈磐前郡〉 三六度五六分三〇秒 鳥崎村〈行方郡〉 三七度四〇分三〇秒 蒲生村〈宮城郡〉 三八度一五分三〇秒 唐丹濱〈氣仙郡〉 三九度一二分〇〇秒 盛岡 三九度四三分〇〇秒 一關 三八度五五分三〇秒 仙臺 三八度一六分〇〇秒 福島 三七度四五分三〇秒 白坂 三七度〇四分〇〇秒 若松 三七度三〇分〇〇秒 弘前 四〇度三五分三〇秒 三厩村 四一度一一分五〇秒 東西里差 山城 京 〇度〇〇分〇〇秒〈◯中略〉 陸奧 仙臺 東五度一三分三〇秒 盛岡 東五度四五分〇〇秒 津輕(ヒロサキ) 東五度〇一分三〇秒

疆域

〔陸奧國郡私考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0075 此國タルヤ、西南ハ毛野國〈◯註略〉ニ隣リ、南方ハ常陸國ニ連ル、上世ヨリ如是ニシテ、方今トテモ同ジ也、西方ハ上世ハ越ノ國ニ接ス、越ノ國後ニ前、中、後ノ三國ニ分ケラレ、和銅中、出羽國ヲ置ルニ及ビテハ、西南ハ越後ノ國、西北ハ出羽國ニ接スルコトヽハナリタリ、東方ハ上世ハ國史ノ所謂陸奧ノ蝦夷ノ地ニシテ、拾芥抄ニ載スル所ノ行基ガ日本圖ヲ以見レバ、〈按ズルニ天智帝二年生、天平二十一年二月二日寂ストミユ、續紀ニ、天平十年秋八月辛卯、令天下諸國造國郡圖アレバ、行基ノコノ圖ハ、諸國ヨリ國郡圖ヲ進ゼザル先ニ、回國ノ時實見ヲ以テ造リテ、獻リタルモノナルベシ、永ク世ニ傳リテ、メヅラカナルモノナレバ、拾芥抄ニモ載セラレタルモノナルベシ、〉コノカミ此國ホトンド半ハ東北海マデ、蝦夷ノ地タリシトミエタルヲ、時ニ隨ヒ世ニ隨ヒ、其地モ漸々ニヒラクルマヽニ中土トセラレ、中外ノ堺漸々ニ東北ニ移リ行キテ、神龜天平ノ頃ハ、今ノ桃生、本吉ノ邊ヨリ東北ナン殘リテ蝦夷ノ地ナリシトミエ、多賀城ノ門碑ニ去蝦夷國界一百二十里トアリ、オモヒミルベシ、其後藤鎭以來ハ、タダ渡島ノミ蝦夷ノ地トハナリタルトミユ、海ヲ隔テヽ島ニ在ルヲ渡島ノ蝦夷ト云、東鑑、文治

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0076 五年九月ノ條ニ、泰衡將蝦夷、乃赴糠部郡トアルヲ以テ知ルベシ、其後四百有餘年、渡島ノ内松前ト稱スル地、始テ亦中土トナル、國史略ニ云、天正十六年、蠣崎慶廣修使幣内附、秀吉使慶廣比内大名、慶廣以松前自氏焉、至此松前始入版圖ト以テ知ベキナリ、彼是コノ國ハ東方十二道ノ内ノ大國ニシテ、ヤガテ皇大御國ニ於テモ、第一ノ大國ナリト知ラレタリ、

〔新撰陸奧風土記〕

〈二封疆番所〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0076 陸奧隣國の疆域、古は關有しか共、今は一もなし、唯其領主の諸大名より番所を置のみなり、 一宇多郡駒ケ峯 仙臺相馬の境番所 一伊具郡大内村の内簇卷 同 一同丸森村の内峠宿 仙臺伊達の境梁川村 一刈田郡越河村の内石大佛 同藤田村 一同小原村の内上戸津宿小坂峠 同 一同湯原村跟合(アリトアハセ)澤 仙臺米澤奧羽境羽州楢下村 一同湯原村猿鼻 仙臺領出羽の境 一柴田郡今宿村の内笹谷 同羽州關根村 一名取郡馬場村二口清水土峠 同羽州延澤領山寺村 一同羽の内二口二本 同 一宮城郡作並村の内坂元土峠 同羽州關山村延澤領也 一賀美郡小野田本郷の内輕井澤西前坂 同延澤領羽州上畑へ出 一同宮崎村の内切籠田以西峠 同 一玉造郡鳴子村の内中山宿關澤 同羽州小國領、小田へ出 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0077 一栗原郡鬼首村の内嶺境塚 同羽州本庄へ出 一同内村の内水境 同羽州他乏領湯の代出 一同花山村の内四段坂 同仙乏男安へ出 一同田代長嶺 同 一膽澤郡若柳村の内下嵐江(おろしえ)岩目澤 同仙臺手倉河原へ出 一同相春村の内相春 仙臺南郡境南郡思柳より盛岡へ出 一江刺郡下門岡村の内土橋 同立花村へ出 一同上口内村の内松坂山 同浮田村へ出 一同野手崎村の内柳清水 同安俵町へ出 一同人首村の内五輪峠 同奧友村へ出 一氣仙郡世田米村の内赤坂横大道 同遠野新妻村へ出 一同上有住村の内道祖神境 同遠野赤根へ出 一同重丹村の内石塚峠 同南郡閉伊田へ出、是松鳥より海濱の通路なり、 右凡廿七番 仙臺領内に置所也 一南部北郡野部地 南部と津輕境 一津輕と秋田領との境矢立峠 甚天嶮の地なり

〔日本地誌提要〕

〈二十九磐城〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0077 疆域 東ハ海、西ハ岩代、羽前、南ハ下野、常陸、北ハ陸前、羽前ニ至ル、東西凡貳拾貳里、狹所五里餘、南北凡三拾三里餘、

〔日本地誌提要〕

〈三十岩代〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0077 疆域 東ハ磐城、西ハ越後、南ハ上野、下野、北ハ羽前ニ至ル、東西凡貳拾里餘、南北凡貳拾壹里餘、

〔日本地誌提要〕

〈三十一陸前〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0078 疆域 東ハ海、西ハ羽前、羽後、南ハ磐城、北ハ陸中ニ至ル、東西凡貳拾五里、狹處貳里、南北凡四拾里、狹處壹拾九里、

〔日本地誌提要〕

〈三十二陸中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0078 疆域 東ハ海、西ハ羽後、南ハ陸前、北ハ陸奧ニ至ル、東西凡三拾七里、南北凡三拾三里、廣所凡五拾里、

〔日本地誌提要〕

〈三十三陸奧〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0078 疆域 南ハ陸中及羽後、東西北皆海ニ至ル、東西凡三拾九里、南北凡四拾餘里、

島嶼

〔日本實測録〕

〈九島嶼〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0078 陸奧國津輕郡 遠測 風尻島 汐島 沖島 貝島 小島 ヲヨ島 湯ノ島 生子島 コミ島 北郡 遠測 辨天島〈脇澤村〉 ヲヨ島 辨天島〈佐井村〉 陸中國閉伊郡 遠測 サシクワレ島 陸前國本吉郡 遠測 大島村 カラ島 石峯山 アレ島 瀧島 椿島 松島 コドマリ 桃生郡 遠測 サルバシリ クジラ 八景島 宮戸四ケ濱 初島 牡鹿郡 遠測 出島 寄磯岬 カサカイ島 平島 二又島 江島 アシ島 岸山王岩 沖山王岩 金花山 長渡綱地濱 トツラ島 田代濱 兎島 桂島 小出ケ島 馬脊島 宮城郡 遠測 寒風澤 朴島 野々島 桂島 松ケ島 月星島 白濱岐〈大〉 白濱岐〈小〉 鯨岐 蛇島〈手樽村〉 九ノ島 翁島 燒島 朔日島 福浦島 經島 御島 松島 大里岐 ビシヤモシ 都島 蛇島〈鹽竈村〉 マガキ島 馬放島 青貝 館島 烏帽子岐

地勢

〔易林本節用集〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0078 陸奧〈奥州〉大、管五十四郡、東西六十日、昔與出羽一國、市城宮室不勝計、仙屈已共鳥怪獸充繞、以漆備貢、大々上々國也、

〔日本地誌提要〕

〈二十九磐城〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0078 形勢 山脈南走シテ下野ニ連リ、又東ニ支出シテ常陸ヲ界ス、地形岩代

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0079 犬牙相錯シ、阿武隈川之ヲ串流ス、西隅陸羽ノ大山ニ接シ、山谷幽邃ナリ、地勢窿窪一ナラズ、磽确半ニ居ル、瀕海一帶稍平遠、魚鹽ニ饒ト雖モ、港灣淺小、漕運ニ便ナラズ、

〔日本地誌提要〕

〈三十岩代〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0079 形勢 陸羽ノ大山脈、蜿蜒北ヨリ來リ、一ハ西折シテ南ニ轉ジ、羽越ヲ界シ、又鬱積シテ二野ニ接ス、一ハ南走シテ州中ヲ貫キ、磐城ニ入、其東ハ阿武隈川北流シテ漕運ヲ通ズ、但秋漲ノ患ナキ能ハズ、猪苗代ノ巨浸、衆水ト同ジク西疆ニ注ギ、亦漕輸ニ便ナリ、河干ノ地、概子廣坦ニシテ、蠶桑ニ宜シ、

〔日本地誌提要〕

〈三十一陸前〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0079 形勢 山脈西北ニ修亘シテ、陸中羽前ヲ劃シ、南シテ岩代ニ連ル、北方二郡狹長海ニ沿ヒ、牡鹿一郡東方ニ曲出シテ、港灣ヲ抱キ、松島群嶼其西南ニ碁布シテ、絶勝ノ地タリ、中央土壤平衍、阿武隈川其南ヲ限リ、北上川北方ヨリ來リ、運輸ノ便アリ、田塍萬頃、米穀ノ産頗ル饒シ、

〔日本地誌提要〕

〈三十二陸中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0079 形勢 陸奧ノ大山脈、二岐ニ分レテ南走ス、其西スル者ハ、羽後ヲ劃界シ、其東スル者ハ、中央ニ連結シ、北上川其中間ニ南流ス、全地原隰曠遠ニシテ、磽确多ク、盛岡以南ハ稍沃壤タリ、閉伊、九戸二郡、東海ニ瀕シ、魚鹽ノ利アリ、

〔日本地誌提要〕

〈三十三陸奥〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0079 形勢 東西二隅屈折シ、相拱シテ海ヲ容レ、津輕峽ヲ隔テ北海道ニ對ス、山脈中央ニ起リテ南走シ、支脈西折シテ羽後ヲ劃ス、東方曠野相接シ、不毛ノ地多シ、西疆土壤稍肥ユ、民耕種ヲ力メ、獵漁ヲ兼ヌ、

道路

〔日本實測録〕

〈三街道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0079東京奧州街道至野邊地〈◯中略〉 磐城國白川郡白坂宿、三十七度四分、 一里一十五町二十三間〈至白川城大手前一里一十二丁八間〉 白川本町、三十七度七分、 一十九町一十七間〈至大隈川岸九丁一十二間〉 同追分 一十六町七間 南根田驛 二十四町五十七間半 小田川驛 一十五町一十四間 太田川驛 二十町二十間 踏瀬驛 二十三

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0080 町四十四間 大和久驛 九町四間 石川郡中畑新田驛 一十一町一十四間半 矢次驛 二十三町三十三間半 久來石驛 一十四町五十六間 笠石驛 一里一十八町五十間半 磐代國岩瀬郡須賀川驛 一里二十五町四十八間 安積(アサカ)郡笹川驛 一十八町三間 日出山驛 一十四町二十六間半 小原田驛 一十七町一十五間 郡山驛 二十四町七間半 福原驛 二十六町六間半 日和田驛 一里五町二十九間半 高倉驛 一里一十四町二十二間半 安達郡本宮驛、三十七度三十分半、 一里八町四十八間 南杉田驛 一里九町三十二間半 二本松 一里一十八間半 油井驛 六町六間 二本柳驛 一里一十町一十四間 信夫郡八町目驛 一里一町四十一間半 若宮驛 一十二町一十間半 清水町 一里二十二町一十五間半〈至根子町一十丁〉 福島才町、三十七度四十五分、 一里三十二町二十七間 瀬上驛 一里一十町四十三間 伊達郡桑折驛 一里六町八間半 藤田驛 一里六町四十八間半 貝田驛 二十町三十間 刈田郡越河驛、三十七度五十五分、 一里一十三町三十七間 齊川驛 一里一十七町五十七間 白石 一里二十四町九間 刈田宮驛 一里一十四町二十間半 陸前國柴田郡金ケ瀬驛 三十一町五十六間半 大河原宿、三十八度三分半、 一里六町二十三間半 舟追驛 一里一十四町四十九間 槻木驛 一里二十六町四十間 名取郡岩沼南町 一里三十町一十四間 増田驛 一十二町一十八間 中田驛 一里一十一町四十四間 長町驛 三十三町五十六間 宮城郡仙臺國分町、三十八度一十六分、 二里 七北田驛 一里一十九町 黒川郡富谷新町驛 一里二十二町四十間 吉岡驛、三十八度二十七分、 三里一十町二十五間 志田郡三本木驛 一里二十町二十八間 古川驛 一里一十三町二十七間 栗原郡荒谷驛 一里二十町四十三間 高清水驛 二里一十九町 築館驛、三十八度四十三分半、 二十四町一十五間 宮野驛 一里三十二町四十五間 渡邊驛 一十八町四間 金成驛 二里六町 有壁驛 二里二

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0081 町五十六間 陸中國磐井(イハヰ)郡一關、三十八度五十五分半、 二十町七間 山ノ目驛 三里二町五十三間膽澤(イザハ)郡前澤驛 二里三十二町 水澤驛、三十九度九分、一里三十四町六間 金ケ崎驛 二里二町三十七間 和賀郡鬼柳驛 三里二十三町一十七間半 稗貫郡花卷驛、三十九度二十四分半、三里一十五町二十七間 石鳥谷驛 一里二十一町三十八間半 紫波郡日詰町 一十七町二十六間半 郡山二日町 三里三十四町二十九間 磐手郡盛岡石町、三十九度四十三分、 四里二町五十三間 澀民(シブタミ)驛 四里二十六町七間 沼宮内驛、三十九度五十九分半、 八里六町三十五間 九戸郡一戸驛、四十度二十三分半、 一里一十三町三十二間半 福岡驛 一里一十四町五十二間 陸奧國二戸郡金田市驛 三里二十五町二十八間 三戸郡三戸驛、四十度二十三分半、 三里九町五十間半 淺水驛 一里一十九町九間 五戸驛 一里二十四町一十一間半 傳法寺驛 二十一町三十三間 藤島驛 三里二十七町三十九間半 七戸驛、四十度四十二分半、五里二十二町四十六間 北郡野邊地町 〈從東京野邊地〉奧州街道、通計一百七十九里三十町二十二間半、 從盤城國白川若松油川 盤城國白川郡白川追分 一里二十四町五十四間 飯土用驛 一里三十町四間半 岩代國岩瀬郡上小屋驛、三十七度一十三分、 一里一十六町二十七間 牧野内驛 一里三町二十七間 長沼驛、三十七度一十七分、 二里三十四町一十間 勢至堂驛 一里二十五町三十三間半 安積郡三代驛、三十七度二十三分、 一里二町四十一間 福浦驛 一十六町五十六間 赤津驛〈至秋山村猪苗代湖傍、二十二丁三十六間、〉 一里三十一町一十四間 會津郡原驛 一里二十町五十三間 赤井驛 一里二十七町二間 若松七日町、三十七度三十分、三里六町四十九間半 耶麻郡鹽川驛 一里二十七町二十五間 熊倉驛 一里二十三町五十八間 大鹽驛 二里一十五町一間 檜原

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0082 驛 三里一町一十間〈至國界檜原大峠一里二十六丁四十六間半〉 羽前國置賜郡綱木驛〈◯中略〉 陸奧國津輕郡碇關驛 六里七町三十一間半〈至大鰐峠二里一十七丁八間〉 弘前土手町、四十度三十五分半、 一里三十二町四十四間〈至百田村一里二丁一十五間〉 藤崎驛 二里一十九町二十二間半 女鹿澤驛 四里三十町一十二間〈至浪岡宿一十二丁八間〉 新城驛 三十二町四間 油川 〈從白川油川〉街道、通計一百四十里四町三十間、

〔日本實測録〕

〈一沿海〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0082鞠山〈本敦賀〉沿海至三厩〈◯中略〉 陸奧國津輕郡大間越(オホマコシ)村、四十度二十九分半、 三里六町六間 岩崎村、四十度三十五分半、 四里九町五十三間〈至艫佐村二里二町四十四間半〉 深浦町、四十度三十九分、 六里二十五町一十四間〈至鳥居岬三里二十四町三十四間〉 關村 二里二十五町一十四間 鰺(アヂ)澤湊、四十度四十七分、 八里四十二間〈至館岡村三里二十八町〉 十三町、四十一度一分半、九町三十九間 十三潟口〈沿十三潟富萢(トミヤチ)村一里二十四町五十三間、〉 一町五十間 十三濱〈沿十三潟相内村、三十一町四十八間〉 三里二十三間 小泊村、四十一度八分、 四里二十一町四十間〈至算用師峠二里三十四町五十九間〉 三厩谷川口〈至宇鉄村一里二十町二十五間〉 一十二町二十八間 三厩四十一度一十二分 〈從鞠山三厩〉沿海、通計三百二十三里廿三町四十二間、 從三厩沿海至東京 陸奧國津輕郡三厩 三里六町四十五間〈至今別宿一里九町二十五間半〉 母衣月村、四十一度一十三分、 六里三十四町五十三間〈至平館宿三里一十九町一十一間〉 蟹田村、四十一度二分、 五里二十三町四十一間〈至蓬田宿二里二町三十二間〉 油川町、四十度五十分半、 一里一十三町二十三間 青森町 四里二十一町四十六間〈至野内村一里三十一町〉 中野村〈至小湊徑測二里二町一十五間〉 七里二十三町四十三間〈至夏泊岬三里六町二十八間〉 小湊 三里四町六間〈至狩場澤村二里二十八町五十七間半〉 北郡野邊地、四十度五十二分半、 七里八町二十三間〈至有戸村二里一十六町一十六間〉 横濱村 六里一十六町三間〈至有畑村一里一十四町四十三間〉 田名部〈至大畑宿所徑測四里二十九間〉 八里二十八町一十九間〈至安渡村一里一十三町五十間半〉 脇澤村〈至九艘泊一里二十六町二間〉 七里九町六間半〈至牛瀧村二里三十五町一間半〉 佐井村 五

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0083 里三十二町二十三間〈至大間村三里二十町二十三間〉 異國間村 四里三十町一十八間〈至下風呂村二里一十四町四十二間半〉 大畑濱、〈至大畑宿所九町四十間〉四十一度二十四分、 四里五町四十七間半〈至關根村出戸一里一十三町六間〉 野牛村 三里一十三町三十四間半 尻谷村、四十一度二十四分、 五里九町五十五間 小田澤村 三里二十六町五十二間 泊村四十一度五分半、 四里五町二十間 尾駮(オブツ)村 六里八町五十一間半〈至平沼村一里四町三十六間〉 濱三澤村濱〈至濱三澤村二十町四十間半〉 五里一十四町四十九間〈至市川村三里一十二町三間〉 三戸郡湊村 一里三十六間 鮫村、四十度三十一分、 三里三十四町五間半 角濱村 五里四町三十三間半 九戸郡中野村 四里一十五町七間〈至http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006520ea.gif 生村二里二十六町四十間〉 久慈湊、四十度一十二分半、 三里二十六町五十六間 野田村、四十度七分、 五里二十八町三十二間〈至堀内村界二里一十二町〉 閉伊郡黒崎村、四十度三十秒、 三里一十三町三十八間 田野畑村、三十九度五十五分半、 三里三十町二十一間 小本村中野、三十九度五十分半、 四里一町三十五間 田老村、三十九度四十四分、 三里一十九町五十六間 宮古鍬ケ崎湊、三十九度三十九分、 六里七町二間〈至宮古川口一十八町三十九間、從宮古川口金濱、一里一十六町五十三間半〉 山田町、三十九度二十七分半、 四里三十四町四間〈至船越村一里二十四町、從船越大槌村安渡濱、二里三十町二十九間、〉 大槌町、三十九度二十一分、 五里一十五町三十八間〈至兩石村一里二十三町七間半〉 氣仙(ケセン)郡唐丹(カラニ)村、三十九度一十二分、 四里一十町四十八間〈至吉濱村根白濱二里四町一十三間〉 越喜來(ヲツキライ)村松崎濱、三十九度六分半、 三里六町二間半 綾里(リヨウリ)村湊濱〈至唐船番所一十七町一十五間〉 五里一十一町五十一間半〈至大舟渡村堺川口二里三十二町四十八間〉 末崎村門之濱〈至小友村中野、徑測、一里一十一町一十四間、〉 三里一十二町二十二間〈至廣田村泊濱一十三町、從泊濱小友村唯出濱一十町、〉 小友村中野 二里三十一町五十五間〈至今泉村川口、一里二十八町五十◯下有脱字〉 本吉郡小原木村大澤濱 三十八度五十八分 三里七町三十間半 唐桑村御崎 六里一十町二十四間半〈至氣仙沼三里一十七町五十七間〉 波路上村〈至波路岬八町二十間〉 五里三十三町一十二間〈至平磯村一里一十五町五十七間半、從平磯、至田ノ浦、二里一十町二十九間半、〉 伊里米町 三里三十五町三十間半〈至韮濱三十五町一十五間、從韮濱志津川村、一里一十九町四間〉 水戸邊濱 四里二十三町五

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0084 十六間〈至長清水濱一里二十九町五十九間、從長清水北上川口一十五町三十四間半、〉 桃生郡長面濱〈沿江至尾奇濱七里〉 三里三町四十五間半〈至船越濱二里九町七間半〉 大須濱、〈三十八度三十一分半〉、 三里三十一町一十間〈至桑濱一里三十三町一間〉 分濱、三十八度三十分、 五里二町二十三間〈至尾浦一里一十九町二十七間、從尾浦女川濱、一里三十四町四十二間、〉 牡鹿(ヲジカ)郡野々濱 二里二十七町一十一間〈至崎磯濱一里二十四町四十間〉 鮫浦、三十八度二十二分半、 三里三十三町三十六間 鮎川濱 一里二十四町五間 小淵浦〈至小淵浦宿所四町一十間〉 三十八度一十九分 三里二十一町四十五間〈至大原濱二里五十一間〉 狐崎濱 五里三十二町四十五間〈至渡波町四里二十一町五十二間〉 石卷村北上川口〈至石卷村門脇宿所一十四町四十五間、北極高三十八度二十五分、從宿所石卷村、一十町五十四間半、〉 四里五町四十五間〈至矢本村一里二十町四十四間〉 桃生郡大塚濱 一里二十三町五十五間 宮城郡手樽村〈至富山大仰寺十三町六間〉 一里二十七町二十四間半 松島村 一里三十一町一十二間 鹽竈村〈至鹽竈社一十四町四十四間半〉 五里四町四間半〈至花淵村二里三町二十六間半〉 蒲生村、三十八度一十五分半、 四里一十六町二十四間〈至荒濱一里一町四十六間、從荒濱名取川口一里一十八町六間、〉 名取郡下野郷村藤曾根 三里一間半〈至大隈川口一里三十町四間〉 亘理郡吉田濱 五里二町一十五間〈至中濱二里一十一町、從中濱大戸濱一里十二二町九間、〉 宇多郡原釜村 五里一十町二十二間半〈至磯部村二里一十町三間〉 行方郡鳥崎村、三十七度四十分半、四里三十二町三十間〈至泉村一里一町五十一間、從泉至雫村一里八町五十一間、〉 角部内村 六里一町〈至部山村二里三十二町四十三間半〉 楢葉郡小濱村、三十七度一十九分半、三里三十一町二十四間〈至山田濱村二里一十九町卅五間〉 下北迫村〈又呼廣野宿〉 三里三十五町三十一間〈至久之濱村二里二十町三十二間〉 磐城郡四ツ倉村 六里六町四十四間〈至沼之内村三里六町一十二間〉 磐前郡小名濱米野村、三十六度五十六分、 一里一十一町四十五間 菊田郡下川村 三里二町五十七間〈至關田宿二里一十町一十三間、從關田國界、二十三町五十九間、〉 常陸國多珂郡平潟湊

〔續日本紀〕

〈四十桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0084 延暦八年六月庚辰、征東將軍奏偁、膽澤(○○)之地、賊奴奧區、方今大軍征討、剪除村邑、餘黨伏竄、〈◯竄原作竈、據一本改、〉殺略人物、又子波和我(○○○○)僻在深奧、臣等遠欲薄伐、粮運有艱、其從玉造(○○)塞衣川營、四日輜重、受納二箇日、然則往還十日、從衣川子波地、行程假令六日、輜重往還十四日、從玉造子波

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085、往還二十四日程也、

宿驛

〔延喜式〕

〈二十八兵部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085 諸國驛傳馬〈◯中略〉 陸奧國驛馬、〈雄野、松田、磐瀬、葦屋、安達、湯日、岑越、伊達、篤借、柴田、小野、各十疋、名取、玉前、栖屋、黒川、色麻、玉造、栗原、磐井、白鳥、膽澤、磐基、各五疋、長有、高野各二疋、〉傳馬、〈白河、安積、信夫、刈田、柴田、宮城郡各五疋、〉

〔續日本紀〕

〈二十二淳仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085 天平寶字三年九月己丑、始置〈◯中略〉陸奧國嶺基(○○)等驛家

〔日本後紀〕

〈二十一嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085 弘仁二年四月乙酉、廢陸奧國海道十驛、更於常陸、置長有(○○)、高野(○○)二驛、爲機急也、

〔吾妻鏡〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085 文治五年七月二十八日丙戌、著新渡戸驛(○○○○)給、已奧州近々之間、爲食軍勢、仰御家人等、面面被手勢、仍各進其著到

建置沿革

〔日本國郡沿革考〕

〈三東山道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085 陸奧 古作道奧、〈齊明紀〉或陸道奧、大國、管五十二郡、〈延喜式等三十六郡〉四千五百十五村、 菊多〈六十七村 古道奥菊多國、見國造記、後廢、養老二年五月、割多珂郡之郷、二百一十烟、名曰菊多郡、屬石背國、 檜山氏曰、屬石背國、蓋屬石城國之誤、〉 白川〈九十三村 延喜式等不載、蓋近世所置、和名抄、白川郷隸白河郡、〉 磐前〈百九村 延喜式等不載、蓋近世所置、〉 磐城〈四十八村 古石城國、見國造記、古事記作道奧石城國、後廢爲郡養老二年五月、割陸奥之石城、標葉、行方、宇太、亘理、菊多、六郡、置石城國、後復廢、各依舊爲郡、 源君美曰、初成務置石城、石背國、後廢爲郡至于此復再置、後亦皆廢爲郡、按神龜五年四月、新置陸奥國白河軍團、蓋可見、先是既廢二國郡、合陸奥國也、〉 楢葉〈三十八村 延喜式等不載、蓋近世所置、和名抄、楢葉隸磐城郡、〉 標葉〈五十五村 古染羽國、見國造記、〉 行方〈九十六村〉 宇多〈三十七村 古浮田國、見國造記、 源君美曰、浮田史作優耆曇、〈持統二年紀〉後改宇太、或作宇多、五十四郡考補遺以優耆曇置賜郡疑誤、〉 白河〈百二村 古白河國、見國造記、和名抄云、國分爲高野郡、拾芥抄不載、〉 石川〈七十六村 延喜式等不載、蓋近世割白河郡置、〉 岩瀬〈七十九村 古石背國、見國造記、後廢、爲郡、養老二年五月、割陸奥之白河、石背、會津、安積、信夫五郡石背國、後復廢、各依舊爲郡、延喜式等作磐瀬、和名抄云、盤瀬國分爲伊達郡、今按二郡地勢不相接甚可疑、〉 田村〈百三十八村 延喜式等不載、蓋近世所置、〉 安達〈七十村 延喜六年正月、分安積郡置、萬葉集、安太多良乃禰、即指此地、〉 安積〈四十七村 古阿尺國見國造記、〉 會津〈二百八十五村 和名抄云、今分爲大沼、河沼二郡、萬葉集、安比豆禰、即指此地 古事記云、建沼河別與其父大毘古、共東往遇于相津、故其地謂相津、〉 大沼〈百五十三村 延喜式等不載、中世割會津郡置、説見上文、〉 耶麻〈二百七十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0086 〈四村〉 河沼〈二百村 延喜式等不載、中世割會津郡置、説見上文、〉 和賀〈四十六村 弘仁二年正月、置和我郡、 按、和賀、及紫波、稗貫等、共延喜以前所置、而式等諸書不載、可疑、蓋中世廢停、後復所再置者、〉 紫波〈五十一村 續紀作子波、或志波、拾芥抄作斯波、陸奥話記、作斯和、弘仁二年正月、置斯波郡、〉 稗貫〈五十二村 弘仁二年正月、置薭縫郡、即是、延喜式等不載、拾芥抄作蘇縫誤、 源君美曰、薭縫、後作稗拔、又作部貫、今作稗貫、方俗呼如薭縫、仍古之遺稱耳、〉 岩手〈五十五村 延喜式等不載、拾芥抄作磐手、蓋中世所置、〉 鹿角〈三十三村 延喜式等、不載、蓋近世所置〉 閉伊〈九十四村 延喜式等不載、續紀云、靈龜元年十月、建香、河閉二郡陸奥蝦夷等三等邑良志別君宇穌彌奈等言、親族死亡子孫數人、常恐被狄徒抄略、請於香河村、造建郡家、爲編戸民、永保安堵、又蝦夷須賀君古麻比留等言、先祖以來貢獻昆布、常採此地、年時不闕、今國府郭下相去道遠、往還累旬、甚多辛苦、請於閉村、便建郡家、同于百姓共率親族永不員、並許之、弘仁二年紀、作幣伊、 源君美曰、今稗貫郡、香沼邑、乃古香阿閉、今閉伊南北地、〉 九戸〈四十二村 延喜式等不載、蓋近世置、〉 二戸〈四十八村同上〉 三戸〈六十七村同上〉 北〈五十四村 同上 據源君美之説、是即閉北郡、蓋中世割閉郡置、〉 刈田〈三十三村 養老五年十月、割柴田郡置、〉 伊具〈三十六村古伊久國、見國造記、〉 黒川〈四十九村〉 賀美〈三十八村 源君美曰、應神時所置神野國即是、〉 玉造〈二十一村〉 志田〈六十四村延喜式等作志太、文武紀作信太、〉 亘理〈二十六村〉 名取〈六十一村 和銅六年十二月新建丹取郡即是、〉 宮城〈七十八村古國府〉 登米〈二十四村延喜式等不載、延暦十八年三月、併小田郡、後再置、未何時、〉 牡鹿〈六十村〉 桃生〈六十五村 神護景雲三年、築桃生伊治二城、募坂東八國民、就地利耕桑、以充鎭戍、蓋後建爲郡、〉 本吉〈三十三村 延喜式等不載、置未何時、〉 氣仙〈二十四村〉 磐井〈八十六村〉 膽澤〈三十七村 古鎭守府之地〉 江刺〈四十一村〉 津輕〈八百四十三村 延喜式等不載、孝徳紀津刈、即此地、齊明四年四月、定置齶田、渟代、津輕等郡、蓋中世廢停、後復再置也、〉 伊達〈百八村 延喜式等不載、和名抄云、信夫郡、國分爲伊達郡、〉 信夫〈八十九村 古信夫國、見國造記、〉 柴田〈三十五村〉 宇多〈九村 延喜式等不載、蓋中世折宇多郡置、亦以宇多之、〉 遠田〈五十八村〉 栗原〈九十二村 神護景雲元年十一月置、本是伊治城也、按伊治城神護景雲三年所築、建郡却在其前、續紀之文甚可疑、〉 田夷〈天平二年正月置、陸奥國言、部下田夷村蝦夷等、永悛賊心、既從教諭、請建郡家于田夷村、同爲百姓者、許之、後廢、未何時、〉 多賀〈神龜元年、始置多賀栅、延暦四年四月、權置多賀階上二郡、後廢、未何時、延喜式等不載、〉 階上〈説詳上文、延喜式等不載、 源君美曰、階上一作科上、時名取以南十四郡、去塞縣遠、屬有徴發機急、故有此設、〉 富田〈延暦十八年三月、宮田郡併色麻郡、讃馬郡併新田郡、〉 讃馬〈説詳上文〉 新田〈延喜式等載、廢置未何時、〉 色麻〈同上〉 香河〈靈龜元年置、説詳上文、後廢、未何時、延喜式等不載、〉 上治〈續紀、寶龜十一年三月、陸奥國上治郡大領外從五位下伊治公呰麻呂反、據此文伊治郡上下二郡、然廢置未何時、延喜式等不載、〉 高野〈延喜式不載、説詳上文、〉 小田〈延喜式等載、後廢、未何時、〉 長岡〈同上〉 星川〈延喜式等不載、但和名抄九十四載、廢置未詳、〉 那田〈同上〉 平泉〈陸奥國平泉郡挒里見西行撰集抄廢置未、詳〉

〔日本地誌提要〕

〈二十九磐城〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0087 沿革 磐城、岩代、陸前、陸中、陸奧、五州本陸奧一州タリ、養老中、磐城磐背(イハセ)二州ヲ置、後皆併テ陸奧ニ入リ、國府ヲ宮城郡ニ置キ、〈府址岩切村高森ト云〉鎭守府ヲ膽澤郡ニ設、〈遺址八幡村邊ニ在〉永承中、州人安倍頼時、六郡ヲ〈膽澤、和賀、江刺、稗貫、紫波、岩手、〉刼略シテ衣川ニ據、源頼義州守ヲ以テ鎭守府將軍ヲ兼子、王命ヲ以テ之ヲ討ジ、數年ニシテ賊盡ク平ラグ、清原武則從テ功アリ、因テ鎭守府將軍ニ拜シ、六郡ヲ領シ、子武貞ニ傳フ、寛治中、武貞ノ子家衡、其叔父武衡ト倶ニ亂ヲ作ス、頼義ノ子義家、父ノ任ヲ襲ギ、伐テ之ヲ平ラゲ、家衡ノ異父兄藤原清衡ヲシテ州ヲ守ラシム、清衡六郡ヲ領シ、鎭守府將軍ニ任ジ、陸奧出羽ノ押領使トナリ、平泉ニ居、〈磐井郡〉遂ニ二州ヲ攘取シ、其女壻平成衡ニ岩城郡ヲ與フ、是ヲ岩城氏ノ祖トス、清衡ノ孫秀衡州守ニ任ジ、盤踞益堅シ、子泰衡嗣グ、文治五年、源頼朝泰衡ヲ誅シ、葛西(カサイ)清重ヲ留守トシテ二州ヲ綏撫シ、其將南部光行、〈糠部、岩手、閉伊、鹿角、津輕五郡ヲ領シ、糠部郡手加崎ニ居、糠部今ノ三戸郡ナリ、相傳ル二十餘世、慶長ノ初岩手郡盛岡ニ治ス、〉中村朝宗〈伊達信夫郡ヲ領ス、伊達郡高子岡ニ居リ、後西山城ニ移ル、伊達氏是ナリ、〉佐原義連〈會津、大沼、耶麻、河沼四郡ヲ領ス、義連ノ孫光盛、蘆名氏ト稱シ、會津郡ニ居、元中ノ初、黒川ニ城テ治トス、今若松是ナリ、〉相馬師常〈宇多行方二郡ヲ領ス、宇多郡小高城ニ居、後宇多半郡伊達氏ニ奪ハレ、行方郡越村城ニ移ル、〉結城朝光等ヲ分封シ、〈白河郡朝光、下總ニ在テ之ヲ領ス、孫祐廣始テ白河ニ移リ、子孫世襲、〉岩城田村二氏仍故地ヲ領ス、〈田村氏、田村郡ヲ領ス、坂上田村麻呂ノ後胤ナリ、〉建武中興、源顯家州守ニ任ジ、鎭守府大將軍ヲ兼子、義良(ノリナガ)親王ヲ奉ジテ、本州及出羽ヲ兼知ス、親王尋デ大守ニ任ズ、〈初國府ニ居リ、後靈山城ニ移ル、〉足利尊氏ノ反スル、族弟家兼ヲ以テ探題トナシ、大崎城ニ居、〈加美郡、子孫、志田、玉造、栗原、加美、黒川五郡ヲ領シ、大崎氏ト稱ス、元中ノ初、伊達氏黒川ヲ奪フ、〉家兼ノ從子斯波家長ヲ州守トナシ、高水城ニ居、〈紫波郡〉二人皆官軍ニ抗シテ敗死ス、俄ニシテ顯家西上シテ戰死シ、州族多ク尊氏ニ應ズ、獨伊達行朝、〈朝宗六世孫〉南部信長、〈光行五世孫〉田村輝顯、結城親朝〈朝光五世孫〉官軍ニ屢ス、興國元年、顯家ノ弟顯信州ノ介ニ任ジ、白河ニ鎭ス、四年、尊氏畠山高國ヲ探題トシ、二本松ニ居、〈安達郡ヲ領シ、世襲二本松氏ト稱ス、〉靈山諸壘ヲ陷レ、正平中、尊氏又吉良貞家ヲ探題トシ、鹽松〈又四本松ニ作ル〉ニ居リ、〈安達郡〉高國ト倶ニ州内ヲ略定ス、親朝等叛テ之ニ降リ、顯信西歸シ、本州大

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0088 半尊氏ニ歸ス、〈貞家職ヲ子滿家ニ傳フ、元中六年、滿家罷歸、石橋棟義之ニ代リ傳ル數世、天文中、家臣大内宗政ニ纂セラル、〉旣ニシテ伊達氏漸ク強大、行朝ノ子宗遠三郡ヲ〈刈田、伊具、柴田、〉併セ、其子政宗五郡〈宇多、亘理、宮城、名取、黒川、〉及出羽一郡ヲ取ル、〈置賜郡〉元中八年、將軍義滿本州及出羽ヲ以テ、鎌倉管領足利氏滿ニ隷ス、應永中、氏滿ノ子滿兼、其弟滿貞ヲ本州管領トナシ、篠川ニ鎭ス、十八年、滿兼ノ子持氏、南部守行ヲ守護トス、時ニ源顯家ノ裔、津輕郡波岡に據リ波岡氏ト云、〈後南部氏ニ地ヲ削ラレ、天正中、津輕爲信ニ滅サル、〉永享ノ末、滿貞持氏ニ黨シテ敗死、嗣後州内統一スル所ナシ、天文中、伊達政宗、六世ノ孫晴宗米澤〈出羽置賜郡〉ニ移リ、兵勢益熾ナリ、將軍義晴以テ探題トナス、是時ニ方テ、蘆名、相馬、南部、大崎、及田村、結城、大内、二本松、二階堂、〈岩瀬郡須賀川〉岩城、石川〈石川郡石川〉諸氏競起リ、互ニ相呑噬ス、天正ノ末、南部信直斯波氏ノ地ヲ併セ、晴宗ノ孫政宗、二本松二階堂ニ氏ヲ平ラゲ、蘆名ヲ滅シ、石川大内ヲ降シ、悉ク其地ヲ有シテ黒川〈會津郡〉ニ徙ル、十八年、豐臣氏東征シ、政宗ノ會津仙道ノ地ヲ收テ蒲生氏郷ニ賜ヒ、黒川ニ治シテ、〈若松ト改稱ス〉本州及出羽ノ守護タラシメ、結城、田村、大崎、葛西ノ地ヲ沒シ、〈葛西晴信、清重ノ後ナリ、牡鹿、登米、桃生、本吉、氣仙、磐井、膽澤、江刺八郡ヲ領ス、〉岩城相馬二氏ノ地、舊ニ仍リ、南部津輕ノ封ヲ定メ、〈津輕氏ハ南部氏ノ被官、是ヨリ始テ守牧ニ列ス、〉葛西大崎二氏ノ故地ヲ木村秀俊ニ賜ヒ、關一政ヲ白河ニ封ズ、〈慶長十五年、一政徙封ノ後、代封セラルヽ者數氏文政ノ初、阿部正權(ノリ)ニ賜ヒ、慶應中、棚倉ニ轉ジ城廢ス、〉又政宗ノ米澤、及三郡〈伊達、信夫、刈田、〉ヲ削リ氏郷ニ加封シ、秀俊ノ地ヲ奪テ、政宗ニ賜フ、政宗終ニ治ヲ仙臺ニ定ム、〈政宗領スル所貳拾壹郡、蒲生氏領スル所拾四郡、〉後蒲生氏ヲ宇都宮ニ徙シ、上杉景勝ヲ封ズ、關原役後、南部津輕相馬三氏封疆故ノ如ク、白石ヲ伊達氏ニ加封シ、岩城貞隆ノ地ヲ收メ、景勝ノ封ヲ削テ米澤ニ徙シ、再ビ蒲生氏ヲ若松ニ封ズ、〈六拾萬石〉嗣無クシテ封除シ、加藤嘉明之ニ代リ、子明成ニ至テ國除シ、保科正之ヲ封ズ、〈後ニ松平ト稱ス〉其餘州内前後封ヲ受ル者、二本松、〈初松下重綱、後丹羽光重、〉磐城平、〈初鳥居忠政、後安藤信成、〉福島、〈初本多政長、後板倉重寛、〉三春、〈秋田俊季〉棚倉、〈初立花宗茂、後阿部正升、〉一關、〈初伊達宗勝、後田村宗良、〉泉〈初内藤政晴、後本多忠如、〉湯長谷(ユナガヤ)、〈内藤政亮〉守山、〈松平頼元〉下手渡(シモテド)、〈立花種善、明治元年、其孫種恭故封三池ニ復ス、〉又南部ノ支封ヲ八戸、〈南部直房〉七戸、〈南部信喜〉津輕支封ヲ黒石ト云、〈津輕親足〉凡

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 十八藩、明治紀元、王師北征、若松藩〈松平容保(カタモリ)〉罪ニ伏シ、其黨伊達、南部、丹羽、阿部、田村諸氏削封差アリ、本州ヲ分テ五州ト爲ス、 磐城七藩、〈中村、棚倉、三春、泉、湯長谷、磐城平、守山、明治三年、守山常陸ノ松川ニ徙リ、六藩トナル、〉尋テ按察使府ヲ白石ニ設ク、又之ヲ改テ角田縣トナス、旣ニシテ皆廢シテ縣トシ、又合併シテ平縣ヲ置キ、磐前縣ト改稱ス、 岩代二藩、〈二本松福島〉尋デ若松縣ヲ置キ、福島藩〈板倉勝達〉ヲ重原〈三河〉ニ徙シ、福島縣ヲ置、旣ニシテ悉ク廢シ、又之ヲ合併シテ、福島若松二縣ヲ置、 陸前一藩、〈仙臺〉尋デ石卷、登米二縣ヲ置、又石卷ヲ登米ニ併セ、旣ニシテ皆廢シテ、仙臺一關二縣ヲ置、又改稱シテ宮城水澤ト云、 陸中二藩〈盛岡一關〉尋デ江刺、膽澤、九戸、三縣ヲ置キ、九戸ヲ三戸ト改メ、旣ニシテ之ヲ江刺ニ併セ、盛岡藩ヲ廢シテ縣トナシ、又悉ク合併シテ盛岡縣ヲ置キ、終ニ改稱シテ岩手ト云、 陸奧四藩、〈弘前、八戸、黒石、七戸、〉尋デ松平容保ノ子容大ヲ斗南(トナミ)ニ封ズ、旣ニシテ皆改テ縣トシ、更ニ合併シテ弘前縣ヲ置キ、改テ青森ト稱ス、

〔先代舊事本紀〕

〈十國造〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 道奧菊多國造 輕島豐明〈◯應神〉御代、以建許呂命兒屋主乃禰賜國造、 道口岐閉國造 輕島豐明御世、建許呂命兒宇佐比乃禰定賜國造、 阿尺國造 志賀高穴穗朝〈◯成務〉御世、阿岐國造同祖天湯津彦命十世孫比止禰命定賜國造、 思〈◯思恐誤字〉國造 志賀高穴穗朝御世、阿岐國造同祖〈◯天湯津彦命〉十世孫志久麻彦定賜國造、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0090 伊久國造 志賀高穴穗朝御世、阿岐國造同祖〈◯天湯津彦命〉十世孫豐島命定賜國造、 染羽國造 志賀高穴穗朝御世、阿岐國造祖〈◯天湯津彦命〉十世孫足彦命定賜國造、 浮田國造 志賀高穴穗朝瑞籬朝〈◯崇神〉五世孫賀我別王定賜國造、 信夫國造 志賀高穴穗朝御世、阿岐國造同祖〈◯天湯津彦命〉久志伊麻命孫久麻國直定賜國造、 白河國造 志賀高穴穗朝御世、天降天由都彦(アマクダルアマノユヅヒコ)命十一世鹽伊乃己自直定賜國造、 石背國造 志賀高穴穗朝御世、以建許侶命兒建彌依米命賜國造、 石城國造 志賀高穴穗朝御世、以建許呂命賜國造

〔續日本紀〕

〈二十八稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0090 神護景雲元年十二月甲申、正四位上道島宿禰島足爲陸奧國大國造、從五位上道島宿禰三山爲國造

〔續日本紀〕

〈四元明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0090 和銅元年三月丙午、從四位下上毛野朝臣小足爲陸奧守

〔續日本紀〕

〈八元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0090 養老二年五月乙未、割陸奧〈◯陸奥原作常陸、據一本改、〉國之石城、標葉、行方、宇太、亘理、〈◯亘原作白、據一本改、〉常陸國之〈◯常陸國之四字原脱據一本補、〉菊多六郡石城國、割白河、石背、會津、安積、信夫五郡、置石背國、割常陸國多珂〈◯珂原作阿、據一本改、〉郡之郷二百一十烟、多曰菊多郡、屬石背〈◯背恐城誤〉國焉、

〔續日本紀考證〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0091 按古事紀有道奧石城國造、舊事紀有道奧菊多國造、及阿尺、染羽、浮田、信夫、白河、石背、石城等國造、蓋在古並爲國、後廢爲郡、隷陸奧國、至是石城石背、復分立爲國、〈◯中略〉後再廢爲郡、復隷陸奧國

〔奧羽永慶軍記〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0091 奧州兵亂之起ノ事 陸奧出羽ノ兩州數代斷鎭守府按察使ヲ得テ、天文ノ比ニハ、國司探題ノ人モナケレバ、兩國ノ武家我意ニ任セズトイフ事ナシ、〈◯中略〉奧州ニ至テ岩城、相馬、石川、白川、會津ニ蘆名、須賀川ニ二階堂、二本松ニ畠山、米澤ニ伊達鮎貝引分レ相戰フ、並東奧ニハ亘理、國分、葛西、大崎、多田、志和ノ人々干戈ヲ動シ、北奧ニハ南部遠野閉伊稗貫合浦卒土濱迄ミダレズトイフ事ナシ、

〔憲法類編〕

〈十國郡府縣〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0091 奧羽兩國ヲ七國ニ分國ノ事 戊辰〈◯明治元年〉十二月七日御布告 奧羽兩國ハ、曠漠僻遠之地ニシテ、古來ヨリ教化洽ク難敷及儀モ有之候ニ付、今般兩國御取調之上、府縣被設置、廣ク教化ヲ施シ、風俗移易、人民撫育之道、厚ク御手ヲ被盡度思食ヲ以テ、陸奧國ヲ、磐城、岩代、陸前、陸中、陸奧ト五國ニ〈◯中略〉分國被仰付候條、此旨可相心得事、 磐城國 一高六萬四千百七十石二斗五升八合 白河郡 一高四萬八千九百九十八石一斗四升九合 石川郡 一高十萬六千七百五十二石八斗五升一合八勺五才 田村郡 一高四萬石四斗七升九合五勺一才 菊多郡 一高四萬三千六百七十七石九斗五升五合 白川郡 一高五萬四千八百十六石一斗二升九合三勺 磐前郡 一高三萬二千四十一石六斗六升八合 磐城郡 一高三萬千百十七石七斗二升四合 楢葉郡 一高二萬二千七百二十五石七斗九升 標葉郡 一高五萬千百四十一石六斗二升一合 行方郡 一高二萬四千八百九十八石一

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0092 斗九升 宇多郡 一高十一萬四千四百五十七石二斗五升一合六勺 伊達郡 一高二萬三千五百八十一石八斗一升 亘理郡 右十三郡 高合六十五萬八千三百七十九石八斗七升七合二勺六才 岩代國 一高八萬七千二百九十四石六斗六升六合九勺 會津郡 一高五萬二千六百九十一石一斗七升六合 大沼郡 一高十二萬二千八百四十八石二升 耶麻郡 一高七萬四千三百八十四石二斗六升五合 河沼郡 一高六萬九千百五十九石六斗二升八合九勺 岩瀬郡 一高九萬七百九十五石九斗一升三合三才 安達郡 一高五萬四千七百四石四斗四升七合二勺九才 安積郡 一高八萬九千三百六十八石五斗九升二合九勺 信夫郡 一高二萬三千五百三十九石二斗三升 刈田郡 一高三萬九千四百四十二石九斗四升 伊具郡 右十郡 高合七十萬四千二百二十八石八斗七升九合四勺二才 陸前國 一高三萬五百二十七石七斗八升 柴田郡 一高六萬四千二百四十九石九斗 名取郡 一高七萬五千四百三十五石八斗二升 宮城郡 一高四萬三千六百十一石九升 黒川郡 一高三萬九千二百四十七石四斗六升 賀美郡 一高二萬四千九百六石九斗八升 玉造郡 一高五萬七千百九十五石七斗九升 志田郡 一高六萬七百四十七石二斗八升 遠田郡 一高十三萬五千九百七十石三斗八升 栗原郡 一高四萬三百七十二石九升 登米郡 一高一萬四千九百二十七石三斗五升 牡鹿郡 一高七萬三千四百四十一石六斗二升 桃生郡 一高二萬千六百八十二石六斗八升 本吉郡 一高一萬五千五百二十三石 氣仙郡 右十四郡 高合六十九萬七千八百三十八石一斗八升 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0093 陸中國 一高八萬三千十七石三斗二升 磐井郡 一高七萬七千三十一石二斗五升 膽澤郡 一高四萬五百八十六石六斗五升 江刺郡 一高三萬八千三百六十二石六斗九升二合 和賀郡 一高四萬二千四百四十七石六斗六升六合 稗貫郡 一高四萬七千百八十五石二斗七升九合 紫波郡 一高三萬五千九百三石三斗八升九合 岩手郡 一高一萬八千九百八十三石六升三合 鹿角郡 一高二萬六千七百二十五石二斗一升 閉伊郡 一高一萬二千八百九十一石九斗七升一合 九戸郡 右十郡 高合四十二萬三千百三十四石四斗九升 陸奧國 一高一萬三千八百八十八石五斗四升二合 二戸郡 一高三萬八千五百七十五石二斗五升九合 三戸郡 一高一萬三千九百十一石七斗二升二合 北郡 一高三十一萬七千二百六十二石二斗三升 津輕郡 右四郡 高合三十八萬三千六百三十七石七斗五升三合〈◯中略〉 己巳〈◯明治二年〉十二月八日御布告 先般奧羽兩國之内、分國被仰出候處、此度更ニ割地圖面之通、御改正ニ相成候間、此旨相達候事、 磐城國〈◯中略〉 右十四郡〈◯白河、石川、田村、菊多、白川、磐前、磐城、楢葉、標葉、行方、宇多、刈田、伊具、亘理、〉 高合六十萬六千九百四石七斗九升五合六勺六才、 岩代國〈◯中略〉 右九郡〈◯會津、大沼、耶麻、河沼、岩瀬、安達、安積、信夫、伊達、〉 高合七十五萬五千七百三石九斗六升 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 ◯按ズルニ、此時岩代國ヨリ伊具郡ヲ除キテ之ヲ磐城國ニ屬セシメシナリ、

國府

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 陸奧國〈國府在宮城郡、鎭守府在膽澤郡、行程上五十日、下二十五日、〉

〔新撰陸奧風土記〕

〈八古蹟〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 國府〈并〉多賀城跡 觀迹聞老志云、多賀國府地、今市以北岩切山陰古館址是也、本號高森、後遷市川多賀城于此、爾來呼高森多賀城、呼利府多賀國府、光則按に、多賀城即國府にて、今宮城郡市川村壺碑の立てある邊其跡なるべし、聞老志の説は信じ難し、利府并高森など、多賀の國府に近きより、府とも高とも名におひしにや、昔多賀城に、陸奧守或は國司たる人居玉へるより、多賀の國府といひし也、

〔今昔物語〕

〈十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 沙彌藏念世稱地藏變化語第八 今昔、陸奧ノ國ノ國府ニ小松寺ト云フ寺有リ、中比一ノ沙彌有テ其ノ寺ニ住ス、名ヲバ藏念ト云フ、此レハ平ノ將門ガ孫良門ガ子也、

〔台記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 康治二年五月十四日庚午、於大納言伊通卿使、爲古今集註、孝經、〈爲書寫〉付便被送之、佐世〈我朝博士〉所選也、〈九卷◯中略〉第九卷奧以朱書云、寛平六年二月二日一勘了、于時謪在陸奧多賀國府

〔吾妻鏡〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 文治五年八月十四日辛丑、泰衡在玉造郡之由風聞、亦國府中山上、物見岡、取陣之由、有其告、縡亘兩舌、雖賢慮未一レ決、在玉造之儀猶可然之間、自多賀國府黒河、令彼郡給、

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 陸奧國〈◯註略〉管三十六〈◯註略〉白河、〈之良加波、國分爲高野郡(○○○)、今分爲大沼河沼二郡(○○○○○○)、〉磐瀬、〈伊波世、國分爲伊達郡、◯國分以下六字恐衍字〉會津、〈阿比豆〉耶麻、〈山〉安積、〈阿佐加〉安達、〈安多知〉信夫、〈志乃不、國分爲伊達郡(○○○)、〉刈田、〈葛太〉柴田、〈之波太〉名取、〈奈止里〉菊多、〈木久多〉盤城、〈伊波岐〉標葉、〈志波〉行方、〈奈女加太〉宇多、〈宇太〉伊具、〈以久〉亘理、〈和多里〉宮城、〈美也木〉黒川、〈久呂加波〉賀美、色麻、〈志加萬〉玉造、〈太萬豆久里〉志太、栗原、〈久利波良〉盤井、〈伊波井〉江刺、〈衣佐志〉膽澤、〈伊佐波〉長岡、〈奈加乎加〉新田、〈邇比太〉小田、〈乎太〉遠田、〈止保太〉氣仙、〈介世〉牡鹿、〈乎志加〉登米、〈止與米〉桃生、〈毛牟乃不〉大沼、〈於保奴萬〉

〔延喜式〕

〈二十二民都〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 陸奧國、大、〈管〉 〈白河(シラカハ) 磐瀬(イハセ) 會津(アヒヅ) 耶麻(ヤマ) 安積(アサカ) 安達(アダチ) 信夫(シノブ) 刈田(カリタ) 柴田(シバタ) 名取(ナトリ) 菊多(キクタ) 磐城(イハキ) 標葉(シ子ハ/シハ) 行方(ナメカタ) 宇多(ウタ) 伊具(イグ) 亘理(ワタリ) 宮城(ミヤキ) 黒川(クロカハ)〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0095 〈 賀美(カミ) 色麻(シカマ) 玉造(タマツクリ) 志太(シダ) 栗原(クリハラ) 磐井(イハヰ) 江刺(エサシ) 膽澤(ヰサハ) 長岡(ナガヲカ) 新田(ニフタ) 小田(ヲダ) 遠田(トホタ) 登米(トヨマ) 桃生(モヽノフ) 氣仙(ケセム) 牡鹿(ヲジカ)◯中略〉 右爲遠國 ◯按ズルニ、拾芥抄ニハ三十六郡トアリテ、以上三十五郡ノ外ニ、知我、蘇〈◯蘇薭誤〉縫、斯波、磐手、高野ノ五郡、凡テ四十郡ヲ列擧セリ、

〔易林本節用集〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0095 陸奧〈奥(アウ)州〉大管五十四郡、〈◯中略〉白川(シラカハ)、黒河(クロカハ)、磐瀬(イハセ)宮城(ミヤギ)、〈府〉會津(アヒツ)、那麻(ナマ)、小田(ヲダ)、安積(アサカ)、安達(アダチ)、柴田(シバタ)、刈田(カリタ)、遠田(トホダ)、名取(ナトリ)、信夫(シノブ)、菊多(キクタ)〈又田〉標葉(シ子バ)、阿曾沼(アソヌマ)、行方(ナメカタ)、磐手(イハデ)、〈又井〉和賀(ワカ)、河内(カハチ)、稗繼(ヒエツギ)、高野(タカノ)、曰理(ワタリ)、〈又利〉玉造(タマツクリ)、大名門(オホナド)、賀美(カミ)、志多(シダ)、〈太又〉栗原(クリハラ)、江判(エハン)〈又刺(サシ)〉江差(エサシ)、膽澤(ミザハ)、長岡(ナガヲカ)、登米(トヨ子)、桃生(モヽノハラ/モハラ)、牡鹿(オシカ)、郡載(グンギ)、鹿角(カトノ)、階上(ハシカミ)、津輕(ツガル)、宇多(ウダ)、伊具(イグ)、本吉(モトヨシ)、石川(イシカハ)、大治(ダイヂ)、色摩(シカマ)、稻我(イナガ)、斯波(シハ)、磐前(イハサキ)、金原(キンバラ)、葛田(カツタ)、〈葛又作新(ニイ)〉伊達(ダツテ)、杜鹿(ツカ)、閉伊(ヘイ)、氣仙(ケセン/キ)、

〔郡名一覽〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0095 陸奧國〈◯中略〉 五拾貳郡〈◯中略〉 菊多(キクタ) 白川(シラカハ) 磐前(イハサキ) 磐城(イハキ) 標葉(シデハ) 行方(ナメカタ) 宇多(ウタ) 白河(シラカハ) 石川(イシカワ) 岩瀬(イハセ) 田村(タムラ) 安達(アダチ) 安積(アサカ) 會津(アヒヅ) 大沼(オホヌマ) 那麻(ナソ) 河沼(カハヌマ) 和賀(ワカ) 柴波(シハ) 稗貫(ヒエヌキ) 岩手(イハデ) 鹿角(カツノ) 閉伊(ヘイ) 九戸(クノヘ) 二戸(ニノヘ) 三戸(サンノヘ) 北(キタ) 刈田(カリタ) 伊具(イク) 宇多(ウタ) 亘理(ワタリ) 名取(ナトリ) 宮城(ミヤギ) 黒川(クロカハ) 賀美(カミ) 玉造(タマツクリ) 志田(シダ) 遠田(トホダ) 栗原(クリハラ) 柴田(シバタ) 登米(トヨメ) 牝鹿(ヲシカ) 桃生(モヽフ) 本吉(モトヨシ) 氣仙(ケセ) 磐井(イハ井) 膽澤(イサハ) 江刺(エサシ) 津輕(ツガル) 信夫(シノブ) 伊達(ダテ) 楢葉(ナラハ)

〔皇國郡名志〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0095 陸奧國〈舊三十五郡 今五十一郡〉 白川(シラカハ) 〈白川 <塙 棚倉 ●矢ツキ 常下毛界〉 黒川(クロカハ) 〈●新町 國中小郡〉 磐瀬(イハセ) 〈●小屋 ●長沼 ●根田 ●踏セ ●クリ石 黒川 下毛界〉 宮城(ミヤキノ) 〈仙臺 ●松島 ●熊根 ●石ノ卷 ●高木 △玉川 △末ノ松山 △鹽竈社 △壺碑 東海ニ向郡 會津(アイツ) 〈●五十里 ●横川 △田島 ●串谷 ●大口川 ●土出 ●古川 ●關山 若松 ●赤井 ●御代 上毛下毛ノ界郡〉 耶麻(ヤマ) 〈●檜原 △猪苗代湖 △鹽ノ井 羽界會津川添〉 安積 〈●サヽ川 ●日和田 △アサカ沼 國中〉 安達(アタチ) 〈二本松 〈<温石町 △アタチカ原 國中〉 柴田(シバタ) 〈●金カセ 柴田 ●舟廻 ●野尻 羽界〉 刈田(カツタ) 〈白石 ●齋川 ●桑折 羽界〉 遠田(トホタ) 〈志太郡ト入込界不詳 國中小郡〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096  名取(ナトリ) 〈●カハリ崎 ●岩沼 ●中田 △武隈松 △名トリ川 東海ニ向郡〉 信夫(シノフ) 〈福島 ●瀬上 ●八丁目 ●李平 ●關 羽界〉 菊多(キクタ) 〈●泉 △ナメ川 東海小郡〉 標葉(シハ)〈●熊川 東海ニ向小郡〉 阿曾沼(アソヌマ) 〈●野澤 ●野尻 ヤチタ 越後浦原界〉 行方(ナメカタ) 〈●高野宿 ●原町 東海郡〉 磐井(イハイ) 〈<一ノ關 ●鳥海 田代 △正法寺 羽界〉 和賀(ワカ) 〈●橘村 ●鬼柳 ●越中島 △和加川 羽界〉 稗繼(ヒヘツキ) 〈●馬場 ●花卷 <豐澤川 國中〉 亘理(ワタリ) 〈●新濱 △阿武隈川下 東海郡〉 玉造(タマツクリ) 〈驛町無シ二ケ村限 國中〉 賀美(カミ) 〈驛町無シ 國中〉 志太(シタ) 〈●三本松 國中右三郡共小シ〉 栗原(クリハラ) 〈●屎前 ●龜上 ●新屋 ●月立 ●澤邊 ●二ノ關 ●三ノ關 羽界〉 江刺(ヱサシ) 〈<江刺 國中〉 膽澤(イサハ) 〈●前澤 ●金崎 ●下風江 △伊吹川 羽界〉 登米(トヨメ) 〈●新谷 根原 國中小郡〉 牡鹿(ヲシカ) 〈東海金花山ニ續出崎ニテ至テ小郡〉 鹿角(カトノ) 〈<花輪 ●松山 羽界〉 階上(ハシカハ) 〈●阪下 ●輕井澤 △廣セ川 羽界〉 津輕(ツカル) 〈弘前 <黒石 ●碇關 ●津輕 ●岩崎 ●浪岡 ●刈和澤 ●小湊 ●青森 ●新城 ●蓬田 ●三馬ヤ ●小泊 北海松前ニ向郡〉 宇多(ウタ) 〈中村 <駒峯 東海郡〉 伊具(イク) 〈<九森 <角田 <舟岡 國中〉 本吉(モトヨシ) 〈十三濱 津谷 柳津 東海郡〉 石川(イシカハ) 〈●竹貫 <淺川 國中〉 大沼(オホヌマ) 〈●野尻 ●大倉 ●界澤 越後界〉 斯波(シハ) 〈●郡山 國中小郡〉 磐前(イハサキ) 〈●湯本 ●ワタト 東海郡〉 磐城(イハキ) 〈平 <小名 ●久濱 東海〉 伊達(タテ) 〈●新館 ●松澤 ●梁川 國中〉 閉伊(ヘイ) 〈<●遠野 ●富田 △十布ノスガ菰 東海〉 桃生(モヽノフ) 〈●湊 東ノ出崎小郡〉 氣仙(ケセ) 〈●竹駒 ●廣煮 東海〉 楢葉(ナラハ) 〈●木戸 ●上河内 東海〉 田村(タムラ) 〈三春 <守山 蓬田 國中〉 磐手(イハテ) 〈盛岡 大南部 ●ハシハ △温泉 △鶯宿梅 羽界〉 二戸(ニノヘ) 〈●一ノ戸 ●金田市 國中〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0097  三戸(サンノヘ) 〈●淺水 ●五ノ戸 ●六ノ戸 八ノ戸 北海ニ寄〉 九戸(クノヘ) 〈●久慈 ●三崎 北海ニ寄〉 北郡(キタコフリ) 〈●傳法寺 ●七戸 <野邊地 ●小佛 <田名部 ●矢尻崎 ●九サウ泊 ●佐井 外南部 北海松前ニ向〉 〈舊有色麻、長岡、新田、小田四郡、今省之、而加楢葉、田村、磐手、二戸、三戸、九戸、北郡七郡ヲ又、河内、大名門、那載、金原、星河、高野、稻我ノ七郡界未考、 延喜式有三十五郡大沼郡、和名鈔爲三十六郡、〉 ◯按ズルニ、本書及ビ次下ノ郡名異同一覽ノ符號ハ、山成國篇郡條ニ引ク所ノ、二書ノ凡例ヲ參照スベシ、

〔郡名異同一覽〕

〔平家物語〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 あこやの松の事

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0105 東に聞ゆる出羽みちの國も、昔は六十六郡(○○○○)が一國なりしを、十二郡(○○○)にさきわかつて後、出羽の國とは立てられたるなり、されば實方の中將、おうしうへながされし時、當國の名所あこやの松をみんとて、國の内を尋ねまはるに、もとめかねて、すでにむなしう歸らんとしけるが、道にてある老おうに行きあたり、中將やヽ御へんはふるい人とこそ見れ、當國の名所あこやの松といふ所や、知りたるととふに、まつたく國の内には候はず、出羽の國にぞ候らんと申ければ、さては汝も知らざりけり、今は世すへになりて、國の名所をもはや、皆よび失ひけるにこそとて、すでにすぎんとし給へば、老おう中將の袖をひかへて、あはれ君は、 みちのくのあこやの松に木隱て出べき月の出もやらぬか、といふ歌の心をもつて、當國の名所あこやの松とは御尋候か、それは昔兩國が一國なりし時、詠み侍りし歌なり、十二郡さきわかつて後は、出羽の國にぞ候らんと申ければ、さらばとて實方の中將も、出羽の國にこへてこそあこやの松をば見てければ、〈◯下略〉

〔神皇正統記〕

〈後醍醐〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0105 ちかき代のことぞかし、頼朝の時までも、文治のころにや奧の泰衡を追討しに、身づからむかふことありしに、平の重忠が、先陣にてその功すぐれたりければ、五十四郡(○○○○)の中いづくをも望むべかりけるに、長岡の郡とて、きはめたる少きところをのぞみたまはりけるとぞ、

〔太平記〕

〈十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0105 奧州國司顯家卿上洛并新田徳壽丸上洛ノ事 奧州ノ國司北畠源中納言顯家卿、去元弘三年正月ニ、園城寺合戰ノ時上洛セラレテ、義貞ニ力ヲ加ヘ、尊氏卿ヲ西海ニ漂ハセシ、無雙ノ大功也トテ、鎭守府ノ將軍ニ成シテ、又奧州ヘゾ下サレケル、〈◯中略〉顯家卿時ヲ得タリト悦テ、廻文ヲ以テ便宜ノ輩ヲ催サルヽニ、結城上野入道道忠ヲ始トシテ、伊達、信夫、南部、下山六千餘騎ニテ馳加ル、國司則其勢ヲ并テ、三萬餘騎、白川ノ關ヘ打越給ニ、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 奧州五十四郡(○○○○○○)ノ勢共多分ハセ付テ、程ナク十萬餘騎ニ成ニケリ、

〔奧羽觀蹟聞老志〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 奧羽郡數多少異同考 延喜式神名帳、陸奧國三十一郡、 考順倭名集五十四國郡部、載安達、菊多、長岡、新田、遠田、登米、大沼七郡、而爲三十六郡、 除苅田、信夫、斯波三郡、 拾芥抄中末、載耶麻、安達、那田、菊多、登米、長岡、遠田、和我、蘇縫、磐手、高野十一郡、而爲三十九郡、 除苅田、小田、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001e64b.gif 磨三郡、 環翠軒節用集載那麻、安達、遠田、菊田、阿曾沼、磐手、和賀、河内、稗繼、高野、大名門、江差、長岡、登米、郡栽、鹿角、階上、津輕、本吉、大沼、稻我、行波、磐前、金原、葛岡、伊達、閉伊二十九郡、而爲五十六郡、 除岩城新田、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001e64b.gif 麻、斯波四郡、 源順倭名集國郡部三十六郡 考同書九十四郡里數、載那田、標葉、那麻三郡而爲三十五郡、 除信夫、刈田、大沼三郡、 拾芥抄、載蘇縫、和我、斯波、盤手、高野五郡、而爲三十九郡、 除刈田、小田、大沼三郡、 節用集載標葉、阿曾沼、和我、河内、稗繼、高野、大名門、江差、郡栽、鹿角、階上、津輕、本吉、石川、稻我、行波、盤前、金原、葛岡、伊達、牡鹿、閉伊二十二郡、而爲五十六郡、 除岩城一郡 拾芥集 多於延喜式十一郡 除三郡〈倶詳于前、下傚此、〉 多於和名集五郡 除二郡 節用集載小田、刈田、阿曾沼、河内、稗繼、大名門、江差、郡栽、鹿角、階上、津輕、本吉、石川、大沼、稻我、行波、盤前、金原、葛田、伊達、牡鹿、閉伊二十二郡、而爲五十六郡、 環翠軒節用集五十六郡 右郡名重出者有之、且誤字者亦多矣、故辨其義于下焉、 安積、〈古稱阿久〉標羽、〈古稱染羽〉加美、〈古稱神野〉宇多、〈古稱浮田〉伊具、〈古稱伊久、後來改其字、〉稗繼、〈一作蘇縫、古香河地蘇字之稗〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 〈字之誤、繼字亦縫字之誤、皆依草書而誤其字于傳寫者也、縫亦後改貫字、訓以相似也、仍今稱稗貫是也、〉江刺、〈又作江差、按今刊本擧兩名、而爲二郡矣、是乃所以拘刺差異文字而分上レ之也、以其音同訓同而考之、則實一郡、而妄分之、今所呼、乃江刺之字也、然則須江差乃除之而可矣、〉牡鹿、〈一作杜鹿、以其字體相似、而是亦誤二其郡焉、皆傳聞書寫之誤也、其餘同名同字之類、多除之、則尤合五十四郡之數矣、故後世稱之、曰五十四郡也、其中亦後世廢除者多、若色麻、新田、長岡、葛岡(岡字誤作田)小田等、今巳爲邑也、〉色麻、〈今作四竈、爲賀美郡邑、新田亦分上下中三邑、而在同郡、相傳往昔足利家分流斯波源家兼、爲陸奥探題、以新田而爲治府焉、以其名仇家之氏、於是改之、曰大崎是也、〉葛岡、〈今爲玉造郡邑、岡作田字誤也、〉小田、〈今併在牡鹿郡、事詳于牡鹿郡、〉高野、〈今號田村〉比内、〈作河内非也、古贄柵地、今號二戸、〉糟部、〈今號九戸〉三戸〈今屬岩手郡、是古昔海上郡是也、◯中略〉 我太守封疆郡數凡二十一郡 刈田 柴田 伊具 曰理 宇多 名取 宮城〈國分庄高城庄〉 黒川〈大谷庄〉 志田〈高倉庄松山庄〉 加美〈田河庄〉 玉造 遠田〈岡田庄〉 栗原〈金屋庄二迫庄〉 〈一迫庄三迫庄〉 磐井〈西磐井庄流庄〉 膽澤 江刺 登米 氣仙 本吉〈氣仙沼〉 桃生〈深谷庄〉 牡鹿〈遠島〉 村落凡千十八邑

〔奧州五十四郡考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 東陸州郡、建置沿革、無詳焉、世之所稱、以爲五十四郡、而古有三十五郡、〈補遺(廣瀬曲補遺)云古書具載郡名、可證者、今世唯有延喜式民部省耳、本文亦據民部省而云爾也、然古書歴亂世、蠧簡朽策、潛在神庫佛宇、幸不亡盡、復傳治世、而被貴重、故校合力疎、脱誤極多、慮不此、而遽信之、其不紕繆者幾希、余嘗閲延喜式民部省所一レ載、固止三十五郡耳、神祇伯篇所主、在神名、苟無其神、則郡名不徒録、是以所收及三十二郡、乃取二編、一一讐對、而得斯波郡於民部省所載之外、然則延喜時、實有三十六郡、而後世刊本民部省脱斯波郡、而不自覺也、白石氏承觀迹聞老志之繆猝斷以爲三十五郡、大綱巳失、所以下文不一レ強解者、亦爲多也、〉於今亦稱五十二郡、其説皆不合〈補遺曰、當今官府所建存、蓋如是也、俗間唯知五十四郡、近世所著和爾雅、和漢三才圖繪、日本輿地全圖、武用辨略等、録郡名書、五十四郡中、異同甚多、雜糅紛亂、蓋不我奥〉按舊事紀成務始分其地、定以爲國者八、曰阿尺、曰思、曰伊久、曰染羽、曰浮田、曰信夫、曰白河、曰石城、〈補遺曰、據舊事紀、石城上脱曰石背三字、是有九國也、八當九、〉史稱成務始分國郡以定邑里、即此之謂也、應神復置道奧菊田道口阿岐閉神野等國、凡其爲國者、十有一、〈補遺曰、當十有二、◯中略〉厥後新建陸奧國、並廢舊國、以爲屬郡、蓋出孝徳大化之制焉、〈◯中略〉齊明四年四月、定置齶田、渟代、津輕等部、〈◯中略〉和銅五年十月、割最上置賜二郡、隷出羽國、〈◯中略〉後亦分齶田渟代二郡、隷出羽國、〈◯中略〉六年十二月、新建丹取郡、〈◯中略〉七年十月、置郡於香阿閉等村、〈◯中略〉養老二年五月、置石城石背等國、割石城、標葉、行方、宇太、亘理、菊多六郡、隸石城國、割白河、石背、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0108 會津、安積、信夫五郡、及常陸國多賀地、名菊多郡、並隸石背國、〈◯中略〉初成務置石城國、〈補遺曰、當石城國、及石背國而不之、亦必脱誤耳、〉後廢爲郡至此、復再置石城及石背國、後亦皆廢爲郡國、〈◯中略〉五年十月、割柴田郡、置刈田郡、神護景雲元年十一月、改伊治城、爲栗原郡、〈補遺曰、續日本紀寶龜十一年三月、陸奥國上治郡大領外從五位下伊治公呰麻呂反云云、上治郡無考、然伊治城則鎭守將軍所據防夷虜、當要衝之地、故或建以爲一郡、又分一郡、爲上下、稱上治郡者乎、考之他州、復有此同類者、又按伊治則古禮波留、與栗原聲近、或曰、續伊治而爲伊波流、與岩井近、未孰是、〉延暦四年四月、置多賀階上二郡、〈◯中略〉延暦十八年、富田郡併色麻郡、讃馬郡併新田郡、登米郡併小田郡、〈補遺、曰原本無此條、今據日本後紀以補之、日本後記亡迭者已久、近有零本出一レ世、白石氏蓋不之見、故無載焉、然富田郡名已見續日本紀延暦八年、則白石氏無之之理、但其一見不此並視、而疎漏看過耳、讃馬郡始見此、即廢入新田郡其不之、宜也、登米廢此、復入延喜式、其復而爲郡、蓋無幾也、〉弘仁二年正月、置和我、薭縫斯波三郡、〈◯中略〉延喜六年正月、分安積郡安達郡、據延喜民部省式、〈◯中略〉陸奧國所管者、曰白河、曰磐瀬、曰會津、曰耶麻、〈◯中略〉曰安積、〈補遺曰、通用印本、積作稜、爲誤、然今直書積、不其誤者、何也、〉曰安達、曰信夫、曰刈田、曰柴田、曰名取、曰菊多、曰磐城、曰標葉、曰行方、曰宇多、曰伊具、曰亘理、曰宮城、曰黒川、曰賀美、曰色麻、曰玉造、曰志太、曰栗原、曰磐井、曰江刺、曰膽澤、〈◯中略〉曰長岡、曰新田、曰小田、曰遠田、曰氣仙、曰牡鹿、曰登米、曰桃生、凡郡三十五、〈補遺曰、斯波郡脱者爲誤、已辨上〉、前史所載、而其不録者九、新史旣亡、莫考、〈◯中略〉源順所録、〈◯中略〉皆與式合、而自註曰、白河郡、分爲高野郡、會津郡、今分爲大沼河沼二郡、安達信夫二郡、分爲伊達郡、蓋天暦天元之間、凡其爲郡三十九、〈◯中略〉拾芥抄所載、亦與式合、而増加高野、和我、薭縫、斯波、磐手等郡、參之源順所一レ録、則郡之爲數、多其一、而大沼河沼伊達等郡、皆不收載、註云、已上四郡、不式本、蓋謂和我、薭縫、斯波、磐手等四郡也、〈補遺曰、亦因民部省誤脱斯波、而妄作爲上レ説也、上曰加五郡、而下曰四郡不一レ式本、其數不合、如白石氏之考、則拾芥抄當五郡不一レ式本、而其稱四郡者可拾芥抄時、民部省未上レ斯波、故其言如此也、使白石氏知一レ之、不是葛藤恨、〉然和我、薭縫、斯波、並見國史、而岩手郡亦見東鑑、〈補遺曰、大和物語、都奈良、時、(文武帝世)、陸奥磐手郡、獻鷹甚鷙、帝愛之、命曰磐手、由此觀之則郡之有磐手已久矣、延喜式何沒不見、復至東鑑而再見也、◯中略〉東鑑、又載葛岡、比内、糠部等郡、但其建置、皆不考、〈◯中略〉節用集所載、亦如拾芥抄、而加之以大名門、阿曾沼、石川、稻我、磐前、〈補遺曰、今呼以和滿閉、〉金原、階上、葛岡、本吉、群栽、鹿角、比内、閉伊、津輕、爲五十四郡、〈◯中略〉石川、古白河郡所管有石川郷、後分置爲郡、〈補遺曰、按石川系圖、自石川有光賜

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 〈土于斯郷、子孫承續、其人賢則兵強境開、不肖則威屈勢蹙、是以伸縮不常、始或稱郷、或稱郡、遂擧其部内、定爲一郡、蓋自天正頃、◯中略〉五十四郡名、始見此、未是何據也、〈◯中略〉然藤行長記時人之言、曰、陸奧古有六十六郡、後分十二郡、爲出羽國、雖是無稽之言、其説所由、亦旣久矣、〈◯中略〉方今版籍所載、曰白河、曰白川、曰石川、曰田村、曰岩瀬、曰會津、曰大沼、曰河沼、曰耶麻、曰安積、曰安達、曰信夫、曰伊達、曰刈田、曰柴田、曰名取、曰菊多、曰磐城、曰磐前、曰楢葉、曰標葉、曰行方、曰宇多、讀爲宇乃太、曰宇多、曰伊具、曰亘理、曰宮城、曰黒川、曰賀美、曰玉造、曰志田、曰栗原、曰磐井、曰江刺、曰膽澤、曰遠田、曰登米、曰桃生、曰本吉、曰氣仙、曰牡鹿、曰和我、曰稗貫、曰志和、曰岩手、曰鹿角、曰二戸、曰三戸、曰九戸、曰閉伊、曰北郡、曰津輕、總五十二郡、考之史籍古郡併廢者、色麻、長岡、新田、小田、葛岡、凡五、分置者、白川、楢葉、〈補遺曰、源順和名抄、磐城郡下、郷名有楢葉、後或陞以爲郡也、〉二戸、九戸、凡四、改名者田村、〈補遺名、古莊名、不名詳論下、〉二戸、九戸、凡三、三戸、北郡、未詳、南部田氏曰、古老相傳云、南部舊有七郡、和我、稗貫、志田、岩手、鹿角、閉伊、海上、若依此説、則今三戸地、舊屬岩手郡、古海上、即今北郡地、然海上、古未之聞、以俟後考、〈補遺曰、按秋田卜部一閑所著永慶記、南部信直以天正十五年、介前田利家、致信於豐臣氏、修臣順之禮、奥羽二州、是爲通使之始、是以豐臣氏欣、即以其所并取之閉伊、磐手、鹿角、稗繼、津輕等郡封、其後信直、又亡斯波氏、得其郡、而失津輕、田氏所謂南部有七郡何時而言也、〉其餘皆仍舊已、因按、色麻、新田、今皆併賀美郡邑、〈◯中略〉長岡、今併栗原郡邑、〈◯中略〉小田、今併牡鹿郡、爲遠島地、〈◯中略〉葛岡、今併玉造郡邑、〈◯中略〉白川、古白河郡所管、白川郷、今分爲郡、〈◯中略〉宇多、古宇多地、今分爲二郡、〈◯中略〉田村、古高野郡、後因莊園、改今名、〈◯中略〉二戸、蓋古比内郡、〈◯中略〉九戸、乃古糠部郡、〈◯中略〉由是觀之、今之所稱五十二郡、實則其爲郡者、止有五十矣、

〔新安手簡〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 前ニモ申上候ガ、俗間ニテ奧州五十四郡ト申シ候事ニ付テ、印本ノ延喜式ヲ見候ヘバ、所管三十五郡之レ有リ候、源順和名抄ニ參シ候ヘバ、最初ニ大沼一郡之レ有リ候ヲ、印本ノ式ニハ闕候ヤノ様ニ見ヘ候、尊藩ニ御善本ノ式之レ有ルベク候、イカヾ候ヤ、承ハリ奉リタキ事ニ候、拾芥抄ニハ三十六郡候ヘ共、和名抄トハ異同之レ有リ候、節用集ニ至テハ、イカニモ五十四郡候、此節用集ノコト環翠ノ作トハ申事ニ候ヘ共、慥ニ據モ存ゼズ候、イカヾニ候ヤノ事、又次ニ當

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 時公儀ノ御帳ニハ、五十二郡ト載セラレ候トカ、其内一郡ニ候ヲ、領主ノカハリ故ニ、文字或ハ讀候コトモカヘラレ候事ト聞ヘ候ヘバ、實ニ五十郡ト見ヘ候、平家物語阿古屋ノ松ノ下ニ、出羽陸奧ノ國モ、昔ハ六十六郡ガ一國ナリシヲ、十二郡ヲサキ分テ後出羽ノ國トハ立ラレシ也ト之レ有リ候、然ラバ、五徳冠者ノ時ニハ、俗間ニ五十四郡ノ説之レ有リ候コトハ一定ト聞ヘ候、然レドモ後來迄ノ證ニ引候ハンニ、平家物語又ハ節用集モイカヾニヤ之レ有ルベク候、モシ證ニモ立申ベキ物ニ、五十四郡ト申ス事シルシ置候事御覽候カ、此段思召ヲ承リタク申述候、 先師申候ハ、若キ時東鑑ノ講ヲセシ人ノ、奧州ハ元六郡ヲ一組ヅヽニセシコトナリ、御館ヲ奧六郡ノ主ト云シモ此レユヘナリ、昔ハ六々三十六郡ナリシヲ、後ニ六九五十四郡ニ分ツテ押領シタルナリト云シ、是等ハ俗間ニ云習ハセル事モ有ルカト申シ候、其講師ノ名モ承リ候ヘ共、久キ事ニテ色々按ジ候ヘ共、存ジ出サレズ候、多年心掛候テ、大カタ沿革ハ存ジ當リ候ヘドモ、建置ノ兎角知レカ子候、三ケ條ノ御尋、御垂示ニ預リ候ハヾ、大幸タルベク候、

〈明治十四年〉

〔東京地學協會報告〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 國郡沿革考第三回 塚本明毅 陸奧〈◯中略〉 大化國郡ヲ定ムルノ時、陸奧ノ國境何ノ地ニ止マリシヤ、又幾郡アリシ事詳ナラズト雖、但賀美郡ハ、其置郡ノ時、必ズ極北ノ地ニアルベシト思ハル、何トナレバ凡郡郷ニ賀美ト稱スルノ地、必ズ極北ノ地ニアルベシト思ハル、何トナレバ凡郡郷ニ賀美ト稱スルノ地、必ズ其國郡ノ一隅ニアリテ、一モ中間ニアルモノナシ、〈武藏ノ賀美郡ハ西北隅ニアリ〉又其後置郡ノ次第ヲ考フルニ、賀美郡ヨリシテ、漸ク北ニ進ムヲ以テ之ヲ證スベシ、元明天皇和銅六年十二月辛卯、新建陸奧國丹取郡、後玉造郡ト改稱ス、即賀美郡ノ北ニアリ、〈神龜五年四月丁丑、改丹取軍團、爲玉造軍團、此玉造ト改稱セシ明證ナリ、然ルニ先輩丹取ハ名取ノ誤トナス事、蓋此文ニ注意セザルモノカ、〉元正天皇靈龜元年十月丁丑、從陸奧蝦夷之請、於香阿村閉村、各建郡家、〈摘要〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 此二郡ハ蝦夷叛亂ノ後、沒セシモノナラン、香阿ハ其地ヲ詳ニセズ、閉村ハ即後ノ閉伊郡ノ地ナリ、〈◯中略〉此時〈◯養老二年〉陸奧國ハ幾何郡アル事史ニ明文ナシト雖モ、今之ヲ推考スルニ、賀美、玉造、黒川、宮城、名取、志太、柴田ノ七郡ナルベシト思ハル、志太ノ東北隣ノ小田郡ハ、或ハ既ニ置レシモ知ルベカラズ、色麻郡ハ下文ニ色麻柵トアレバ、此時未ダ建置セザルナリ、且同時分國スル所ノ、石城石背ノ廣狹ヲ比較シテ、今之ヲ七郡ノ地ト假定セリ、〈津輕、香阿、閉村等、諸郡ハ權置ノモノトシテ算入セズ、〉養老五年十月戊子、割陸奧國柴田郡、置刈田郡、共ニ八郡ナリ、 石城石背二國ノ廢スル國史ニ見エズ、但神龜五年四月丁丑、陸奧國請新置白河軍團許之、トアレバ、此時二國旣ニ陸奧ニ併セラレタルナリ、〈分國ヨリ此年ニ至リ十年ナリ〉是ニ於テ十九郡アリ、聖武天皇天平二年正月辛亥、陸奧國言、部下田夷村蝦夷等、永悛賊心、旣從教諭、請郡家于田夷村、同爲百姓者、許之、共ニ二十郡ナリ、按ズルニ、此建郡ハ即遠田郡ナリ、天平九年四月戊午ノ條ニ、差田夷遠田郡領外從七位上遠田君雄人遣海道云々トアリ、〈◯中略〉小田郡ハ志太郡ノ東北遠田郡ノ北ニアレバ、遠田郡ヨリ先ニ置カレシナラン、其史ニ見ユルハ、天平二十一年四月條ニ、陸奧守從五位上百濟敬福部内小田郡〈爾〉黄金在〈止〉奏獻云々トアリ、之ヲ合セテ、共二十一郡ナリ、〈◯中略〉長岡郡ハ志田郡ノ北、新田郡ノ南ニアレバ、此時旣ニ置レタルナラン、合セテ共ニ二十二郡ナリ、天平寶字四年十月ニ、陸奧國牡鹿郡俘囚外少初位上大伴部押入云々トアレバ、是ヨリ先キ建置セシナリ、共ニ二十三郡ナリ、 稱徳天皇神護景雲元年十一月乙巳、置栗原郡、本是伊治城也、共ニ二十四郡ナリ新田、讚馬、色麻、富田、登米、五郡ハ此前後ニ置カレシモノト思ハル、合セテ共ニ二十九郡ナリ、是ヨリ先天平寶字二年十月甲子、發陸奧國浮浪人、造、桃成城、光仁天皇寶龜二年十一月癸巳、陸奧國桃生郡牡生郡牡鹿連猪手、賜姓道島宿禰トアレバ、此時旣ニ桃生郡ヲ建シナリ、合テ共ニ三十郡ナリ、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0112 桓武天皇延暦四年三月辛未、中納言從三位兼春宮大夫陸奧按察使鎭守將軍大伴宿禰家麻呂等言、名取以南十四郡、〈按ズルニ、名取、柴田、刈田三郡、及ヒ石城、石背十一郡ナリ、〉僻在山海、去塞塞懸隔、屬有徴發、不機急、由是權置多賀階上二郡、〈◯中略〉按ズルニ、宮城郡ニ多賀郷アリ、即多賀城ノ所在ナリ、蓋鎭守府ヲ膽澤郡ニ徙セシ後、之ヲ廢シテ宮城郡ニ併セシナラン、聞老誌云、本吉郡波止上村、昔階上郡之地歟、五十四郡考曰、考之源順所録者、多賀科上二郡、後併宮城郡並爲郷、此兩説未ダ孰カ是ナルヲ知ラズ、但科上郷今所在ヲ詳ニセズ、故ニ考據シ難シ、又波止上村ヲ以テ階上郡ノ地トナス時ハ、後氣仙郡ト改稱セシニヤ、猶後考ヲ俟ツ、此二郡ヲ合テ共ニ三十二郡ナリ、〈◯中略〉十八年三月辛未、陸奧國富田郡併色麻郡、讚馬郡併新田郡、登米郡併小田郡、〈日本後紀〉此三郡ヲ省テ共ニ二十九郡ナリ、富田ハ色麻郡ノ北方ノ地ナラン、讚馬ハ新田郡ノ東方ノ地ニシテ、今佐沼村存セリ、按ズルニ、延喜式和名抄共ニ登米郡アリ、蓋復置セシナリ、〈◯中略〉田村麻呂ノ蝦夷ヲ征服シテ、地ヲ拓テ膽澤城ニ至ル事、實ニ非常ノ偉勳ナリ、此時蓋磐井、江刺、膽澤三郡ヲ置レシナルベシ、則共ニ三十二郡ナリ、多賀科上二郡ノ廢スルモ、此前後ニアリテ、登米郡ヲ復置シ、又氣仙郡ヲ置クトナセバ、〈弘仁元年十月甲午、陸奥國言、渡島狄二百餘人來著、部下氣仙郡云々、氣仙郡始テ此ニ見ユ、〉亦三十二郡ナリ、 嵯峨天皇弘仁二年正月丙午、於陸奧國和我、稗縫、斯波三郡、〈殘編後紀〉此三郡、延喜式和名鈔ニ載セズ、但延喜式神名帳ニ、斯波郡一座トアリ、蓋權置ノ郡ニシテ、只其區域ヲ畫シテ、租税ヲ徴セズ、故ニ眞郡ノ、數ニ入ザルモノナラン、又會津郡ヲ割テ耶麻郡ヲ置キ〈耶麻郡始テ承和七年十二月ニ見ユ〉曰理郡ヲ分テ、伊具郡ヲ〈伊具郡始テ承和十五年五月ニ見ユ〉置キシモ、亦延暦以後ニアルベシ、〈延暦四年、大伴家持ノ奏言ニ、名取以南十四郡ノ語アリ、此二郡分置セザルコト知ルベシ、〉此二郡ヲ合セテ、共ニ三十四郡ナリ、延喜六年正月二十日、分安積郡安達郡、〈民部式首書〉是ニ於テ三十五郡トナル、即延喜式載スル所ノ數ナリ、和名鈔ニ大沼郡ヲ加ヘテ三十六郡トナス、然レドモ郡郷部之ヲ載セズシテ、耶麻郡ヲ重出セリ、下ノ耶麻ハ蓋シ大沼ノ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0113 誤ナルベシ、又白河郡註ニ、國分爲高野郡、會津郡註、今分爲大沼河沼二郡、〈此註通行本誤テ、白河ノ下ニ出ヅ、〉信夫郡註ニ、國分爲伊達郡、此高野河沼伊達三郡ヲ加ヘテ共ニ三十九郡ナリ、磐手郡ハ始テ大和物語ニ見ユ〈陸奥ノ國岩手郡ヨリ奉レル御鷹云々、岩手トナン付給フ、〉陸奧話記ニ、六箇郡司安倍頼良ト云フ者アリ、東鑑、文治五年九月ノ條ニ據ルニ、奧六郡ハ伊澤、〈即膽澤〉和賀、江刺、稗拔、〈即稗縫〉志波、岩手ナリ、康平五年、源頼義ノ安倍貞任ヲ誅シテ六郡ヲ收復セシ時、此和賀稗縫、志波、岩手四郡、蓋シ郡數ニ列セシナリ、〈拾介抄此四郡ヲ載セテ、奥四郡不入ト註セリ、〉前三十九郡ニ合セテ共ニ四十三郡ナリ、藤原清衡鎭守將軍ニ任ジ、安部氏ノ故地ニ據リ、自カラ封建ノ勢ヲナシ、三世ニ傳へ泰衡ニ至リ、文治五年九月、源頼朝之ヲ滅シテ陸奧ノ地ヲ取リシ時、岩崎〈即磐前ナリ、東鑑、文治五年八月條下、常陸下總等國勇士等、經宇太行方、回岩城岩崎渡、遇隈河渡、〉比内、〈又肥内ニ作ル〉糠部、〈同上九月條云、泰衡差夷狄島糠部郡、到肥内郡贄栅之處云々、〉葛岡〈同八月、赴玉造郡葛岡郡平泉、九月廿日、畠山次郞重忠賜葛岡郡、是狹少之地也、〉ノ四郡、東鑑ニ見エタレバ、蓋シ藤原氏ノ私置セル所ナラン、前ト合シテ共ニ四十七郡ナリ、台記〈宇治左府頼長ノ記〉仁平三年七月、奧州高鞍庄年貢云々、本吉金五十兩布二百段馬四疋トアリ、又藤原秀衡ノ四子ニ、本吉冠者隆衡アリ、此本吉郡モ亦私置ナルベシ、〈葛西古文書ニ、建武二年十月、源顯家ヨリ葛西陸奥守ニ、元良氣仙二郡ヲ加賜セル事見エタリ、〉津輕閉伊二郡ハ、上世ノ置ク所ナレドモ、久シク夷境ニ淪沒シテ、聞ユル事ナカリシガ、頼朝陸奧ヲ收復セシ後、阿曾沼四郞廣綱ニ閉伊郡ノ南方〈遠野郷〉ヲ賜ヒ、〈遠野家記ニ出ヅ、又建久中陸奥守源頼基、郡北中根城ニ居リ、閉伊氏ト稱ス、〉安藤季信ヲ以テ津輕ノ守護トナス事〈藤崎系圖、東鑑文治六年正月ニ、到津輕云々見ユ、〉見エタレバ、此時本吉、閉伊、津輕三郡、亦郡數ニ入リシナリ、合セテ共ニ五十郡ナリ、 鎌倉ノ季世ニ及ビ陸奧五十四郡アリシト見エテ、平家物語〈阿古屋松ノ條〉ニ、陸奧六十六郡ナリシヲ、十二郡ヲ割テ、出羽國ニアリト云々、其六十六郡ハ荒誕ナリト雖モ、當時旣ニ五十四郡アリシ故、此説アルナリ、太平記〈顯家卿上洛條〉奧州五十四郡ノ勢共多分馳付テ、程ナク十萬餘騎ニ成ケリ、又〈奥州下向勢逢難風條〉結城入道道忠ノ奏言ニ、奧州五十四郡、恰モ日本半國ニ及ベリト云ヘリ、五十四郡

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0114 ノ名目ハ、始テ節用集〈南都林宗二著〉ニ載ルト雖モ、重複及奇僻ノ名アリテ、信ズルニ足ラズ、新井白石氏五十四郡考ノ著アリト雖モ、訛謬少カラズ、〈其新田今併賀美、小田併牡鹿、田村古高野郡也等、皆誤ナリ、〉終ニ五十四郡ノ地ヲ的稱スル能ハズ、繼テ之ヲ論ズル者、大抵節用集ノ名目ニ泥ミ、一モ明確ノ説ヲ得ル者ナシ、予旣ニ文治中五十郡アル事ヲ歴叙シテ、尚四郡ヲ闕ケリ、因テ現今存スル所ノ石川、田村、楢葉三郡ヲ加ヘテ五十三郡ヲ得タリ、石川郡ハ結城古文書ニ出ヅ、〈高野郡内、伊香手澤兩郷、爲石川郡知行分替、可管領之由仰候也、仍執達如件、延元四年八月廿一日、越後權守秀伸、結城大藏大輔殿、〉田村楢葉二郡ハ未ダ古書ニ出デシモノヲ見ズト雖モ、田村郡ハ田村氏ノ據ル所ニシテ、猶石川氏ノ石川郡ニ於ケルガ如シ、蓋シ鎌倉南北朝ノ際ニ、郡數ニ列セシモノナラン、楢葉郡ハ磐城ノ分郡ニシテ、岩城氏ノ領スル所ナリ、磐城ヲ分置セシ前後ニ之ヲ置キシナルベシ、岩城氏家譜ニ海道小太郞成衡ハ、藤原清衡ノ女婿トナリテ岩城郡ヲ領シ、男子五人アリ、各一郡ヲ分領ス、長子楢葉太郞隆祐、二男岩城二郞隆衡、三男岩城三郞隆久、四男標葉四郞隆義、五男行方五郞隆行トアレバ、此時旣ニ分郡セシナリ、又南部舊記ニ、古海上郡ハ今ノ北郡ノ地ト見エタレバ、蓋糠部郡ヲ割キシモノナラン、此一郡ヲ加ヘテ、恰モ五十四郡ノ數ニ合セリ、節用集ノ擧グル所ノ名目、古書ニ出ヅル者ヲ捨テ、却テ奇僻ニシテ讀ミ難キモノヲ載セ、〈大名門、郡裁ノ類、〉徒ニ郡數ニ充ツルノミ、其杜撰殊ニ甚シ、今一切之ヲ採用セズ、舊記ニ據リテ現今ノ郡數ノ沿革ヲ考ヘ、五十四郡ヲ考定シ、悉ク其分界ヲ得タリ、以テ古説ノ紛紜ヲ糾正スベキナリ、

〔新撰陸奧風土記〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0114 昔有て今なき郡 丹取 神龜五年、丹取軍團を改めて、玉造軍團とす、 色麻 今賀美郡の中四竈村と云是也 新田 今栗原郡佐沼の中新田村と云有、是にや、 長岡 今栗原郡に長岡有、是なるべし、高野 和名抄今田村郡といふ 阿曾沼〈節用集〉 比内〈比一作肥〉 今南部の二戸の地也と

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0115 ぞ、 大名門 郡載 階上 今宮城郡の内なるべし、和名抄宮城郡に科上と有是也とぞ、本吉郡波路上村是なるべしといへるハ非、 金原〈以上七節用集〉 上治 續紀上ハ伊の誤ならんといへり 狹布 古歌又袖中抄 十符 袖中抄宮城郡利府也とぞ 平泉 東鑑又撰集抄、今磐井郡の中平泉村あり、 寺池 今登米郡に寺池村と云あり 竹駒 今氣仙郡に竹駒村と云あり 松浦 高倉門岡、今江刺郡に上門岡村下門岡村あり、〈◯中略〉 鼻輪 和漢三才圖會に津輕をかくいへり、鼻和といへるハ、津輕郡の邑名に見えたりと、郡郷考に見ゆ、 多賀 家持卿請て眞郡とし玉へり、今宮城郡の中多賀城路の邊なるべし、 富田 讃馬 日本後紀殘册卷八、富田郡を色麻郡に併也、讃馬郡を新田郡に併也と見ゆ、 優嗜曇 持統紀〈七〉陸奧國優嗜曇郡城養云々、今桃生郡、又午田村あり、是歟、 糠部 東鑑に見ゆ、今の九戸也と聞老志に云り、又郡郷考に南部、軍艦を引て二戸三戸共に糠部に在ることをいへり、舊蹟紀聞に今二戸郡に此名殘りて、糠部の郷といへりと云々、 銫屋 仁土呂志 宇曾利 此三郡 蝦夷地 の内にて、今ハ南部封内に有べし、宇曾利は恐山の邊の地なるべし、陸奧話記〈六丁オ〉云、奧地の浮囚に甘説して、官軍をおこさしむ、こヽにおきて、銫屋に土呂志宇曾利、合せて三郡の夷人、安倍富忠を首として兵を發し、爲時に從ふ云々、

〔續日本紀〕

〈三十四光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0115 寶龜七年十二月丁酉、募陸奧國諸郡百姓、戍奧郡(○○)者、便即占著、給復三年

〔吾妻鏡〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0115 文治二年四月二十四日辛未、陸奧守秀衡入道請文參著、貢馬貢金等、先可汰進鎌倉、可進京都由載之云云、是去比被御書、御館者、奧六郡(○○○)主、予者東海道總官也尤可魚水思也、但隔行程、無于欲一レ信、又如貢馬貢金者、爲國土貢印、爭不管領哉、自當年早予可傳進、且所勅定之趣也者、上所奧御館云云、

〔吾妻鏡〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0116 文治五年九月廿三日庚辰、於平泉禮秀衡建立無量光院給、〈◯中略〉豐前介、爲案内者御供、申云、清衡繼父武貞、〈號荒河太郞、鎭守府將軍武則子、〉卒去後、傳領奧六郡、〈伊澤、加(加當作和)賀、江刺、稗枝、志波、岩手、〉去康保年中、移江刺郡豐田館於岩井郡平泉宿館

〔書言字考節用集〕

〈十數量〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0116 奧州【山東】(ヲウシウセントウ)【七】【郡】(グン)〈白川、石川、磐瀬、安達、安積、伊達、信夫、〉

〔會津風土記〕

〈封域〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0116 會津奧州之域、在州之西南、會津、耶麻、大沼、河沼、總曰會津四郡(○○○○)、〈按四郡本會津一郡、而分爲耶麻、又割爲大沼河沼、近失會津郡而加稻河誤也、〉

〔磐城風土記〕

〈封疆〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0116 磐城奧州之内在州之東南、磐城、磐前、菊多、楢葉、謂之磐城四郡(○○○○)

白河郡

〔續日本紀〕

〈二十九稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0116 神護景雲三年三月辛巳、陸奧國白河郡人外正七位上丈部子老〈◯中略〉等十人、賜姓阿部陸奧臣、〈◯中略〉白河郡人外正七位下靱大伴部繼人〈◯中略〉等八人、靱大伴連、

高野郡/大沼郡/河沼郡/石川郡

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0116 陸奧國〈◯中略〉白河、〈之良加波、國分爲高野郡(○○○)、今分爲大沼河沼二郡(○○○○○○)、〉

〔會津風土記〕

〈郡村〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0116 大沼郡(○○○) 東南西會津郡也、西隣越後國、界馬尾瀧山、猩猩森山、乾隅並越後國、界鉾峠、北隣越後國、界高陽峯、交河界郡、界高陽峯蒲萄倉松坂里、東西六十九里、〈自東鶴沼川、至西馬尾瀧山、〉南北四十六里餘、〈自南船鼻山、至北瀧谷村、◯中略〉 河沼郡(○○○) 南會津郡及大沼郡也、北耶麻郡也、東交耶麻郡、界日橋川、西隣越後國、界九才坂鳥居峠、東西四十五里餘、〈自東日橋川、至西九才坂、〉南北二十二里餘、〈自南鹽野村、至北日橋川、〉

〔〈磐城鹿島神社文書〉〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0116 陸奧國高野郡事、爲勳功之賞、可知行者、天氣如此、悉之、 延元元年五月二十三日 民部權少輔〈花押〉 結城大藏權少輔〈◯親朝〉館

〔白河證古文書〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0116 判 陸奧國高野南郡(○○○○)内和泉守時知跡事、爲勳功賞宛行也、早可知行之由、國宣所候也、仍執達

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0117件、 延元二年六月廿八日 鎭守軍監有實〈奉〉 上野入道殿〈◯結城宗廣〉

〔〈有造館本〉結城古文書寫〕

〈乾〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0117 高野郡(○○○)郷々相博事、伊達一族爲度々恩賞拜領候、或帶綸旨、或帶故國司〈◯源顯家〉宣候、相博之段自公方執仰之條、彼等定失其勇候歟、直被談合、令承諾申者、就其可御沙汰候、伊香郷者、平賀兵庫助景貞、爲恩賞拜領云々、於海上討死候了、一腹兄弟數輩子息等定申子細候歟、當時凶徒未退散候上、先被對治、且景貞跡ニも同被直談合候者可宜候、近日時分面々難功之條、可察申候、手澤郷者藤藏人房雄拜領候云々、房雄當參候、於此所者被替他所之條、無子細歟、早加對治、追可申之由、内々仰候也、恐々謹言、 五月〈◯延元四年〉三日 沙彌宗心〈花押〉 結城大藏大輔殿〈◯親朝〉

〔結城文書〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0117 花押〈◯源親房〉 高野郡内伊香手澤兩郷、爲石川郡(○○○)知行分替、可管領之由仰候也、仍執達如件、 延元四年八月廿一日 越後權守秀仲 結城大藏大輔殿

〔集古文書〕

〈二十一補任〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0117 觀應三年〈陸奥國河沼郡雀林村法用寺藏〉 陸奧國會津、大沼郡(○○○)法用寺別當職事、仕相傳之旨、寺務管領不相違、彌可祈禱精誠状如件、 觀應三年十月廿四日 右京大久 蓴名禪師御房

菊多郡

〔磐城風土記〕

〈郡村〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0117 菊多郡、東接磐前郡、界瀧尻川、次下川中田皆海邊、巽隅關田九面又海邊、次并常陸

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0118 國多珂郡、界笠松山、奈古會關、龜石原嶺、南隣常陸國多珂郡、界夏山造澤蜂巣嶺、坤隅隣常陸國多賀郡、界黒磯山梨木塚松坂渡嶺、西隣常陸國多賀郡小金坊大金坊澤、次接高野郡、界六間山山角欠石山、乾隅續高野城、界松ヶ鼻弓張木、次接石川郡、界御歌舞山樫木澤小川、次界厥平御在處山大川筋、北界坂倉嶺瀧本澤瀬戸尻川之會、艮隅界三石至楢木淵之川筋、次界切坂山大森山瀧倉山、次接磐前郡、界大荷田矢井田坂笠貝嶺也、下川至角欠石東西四十五里、〈徑直三十里〉蜂巣至板倉嶺、南北二十一里、〈徑直十四里〉

〔續日本紀〕

〈八元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0118 養老二年五月乙未、割陸奧〈◯陸奥原作常陸、據一本改、〉國之石城、〈◯中略〉常陸國之〈◯常陸國之四字原脱、據一本補、〉菊多六郡、置石城國、〈◯中略〉割常陸國多珂〈◯珂原作阿、據一本改、〉郡之郷二百一十烟、名曰菊多郡、屬石背〈◯背恐城誤〉國焉、

磐前郡

〔磐城風土記〕

〈郡村〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0118 磐前郡、東接磐城郡、界經塚峠唐松山大城坊南領、次藤間高久沼内海邊、巽隅豐間至小名濱限海邊、次接菊多郡、界瀧尻川花立山古館、南續菊多郡、界瀧倉傾城石三體明神、坤隅續菊多郡、界二石嶺境明神入道瀧澤、西接石川郡、界夏湯皂角渡戸紫山峠、乾隅續石川郡、界坂取山崩山、次接田村郡、界石佛弓張木、次接楢葉郡、界長柴吉窪嶺、北續楢葉郡、界曲窪大瀧嶺、次接磐城郡、界大瀧川筋、艮隅續磐城郡鹽田西小川大川筋也、藤間濱至柴山峠、東西六十三里、〈徑直四十二里〉三體明神至栗木平、南北二十四里、〈徑直十六里〉

磐城郡

〔磐城風土記〕

〈郡村〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0118 磐城郡、東續楢葉郡、四倉濱至太越濱海邊、巽隅藤間海邊、次接磐前郡、界船岡山南續磐前郡館岡小島山大館古城、坤隅續磐前郡、界大迫嶺經塚峠、西續磐前郡水石峠早坂嶺、木戸石至上小川之川筋、乾續磐前郡、界高崎地獄穢多前、限穢多瀧其川筋、次接楢葉郡、界紫標山蛇襲山、北續楢葉郡、界天蓼山之澤黒森山之郡三森南澤、艮隅續楢葉郡、界造道鶴場賤山也、四倉濱至水石峠、東西二十五里、〈徑直十八里〉大館古城至天蓼山、南北三十四里、〈徑直二十三里〉

〔續日本紀〕

〈八元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0119 養老二年五月乙未、割陸奧〈◯陸奧原作常陸、據一本改、〉國之石城、標葉、行方、宇太、亘〈◯亘原作白、據一本改、〉理、常陸國之〈◯常陸國之四字原脱、據一本補、〉菊多六郡石城國、〈◯下略〉

〔續日本紀〕

〈二十七稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0119 天平神護二年十一月己未、以陸奧國磐城宮城二郡稻穀一萬六千四百餘斛、賑給貧民

楢葉郡

〔磐城風土記〕

〈郡村〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0119 楢葉郡、東留岡濱北迫、海邊、巽隅淺見川、至江綱海邊、次接磐城郡、界切通山嶺中野山、南續磐城郡、界沓掛山、猫鳴山、戸渡後山、疊小屋山、坤隅接磐前郡、界大瀧西山嶺、至栗木平平松崎大澤嶺、次接田村郡、界長柴峠、鞭投田錫坂、西續田村郡、界矢大臣峠、早馬腰、乾隅續田村郡、界大瀧峠、取上岩下峠、塗窪嶺、北續田村郡、界大鷹塒峠、次接標葉郡、界赤柴嶺、北石塚嶺、艮隅續楢葉郡曲坂八幡飛礫石境川太刀洗、次小良濱海邊、井出濱至早馬嶺、東西五十四里、〈徑直三十六里〉紫標至大鷹塒峠、南北三十六里、〈徑直二十四里〉

標葉郡

〔續日本紀〕

〈二十九稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0119 神護景雲三年三月辛巳、陸奧國〈◯中略〉標葉郡人正六位上丈部賀例努等十人、賜姓阿倍陸奧臣

行方郡

〔郡名考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0119 陸奧 行方〈ナメカタ〉 〈ナメガタ〉

〔續日本紀〕

〈二十九稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0119 神護景雲三年三月辛巳、陸奧國〈◯中略〉標葉郡人正六位上丈部賀例努等十人賜姓阿部陸奧臣、〈◯中略〉行方郡人外正六位下大伴部三田等四人大伴行方連、

〔奧羽觀蹟聞老志〕

〈十二行方郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0119 按、行方郡不其地、或説以小鶴池行方名跡、和漢三才圖繪書、亦載于此郡中、然則此地、乃古之行方郡、而今廢位之宮城郡者歟、

〔續日本紀〕

〈三十三光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0119 寶龜五年七月丁巳、陸奧行方郡灾、燒穀穎二万五千四百餘斛

〔相馬文書〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0119 行方郡事、可奉行條々、載事書之、得其意沙汰者、國宣如此、仍執達如件、 建武二年六月三日 右近將監清高〈奉〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0120 相馬孫五郞殿

宇多郡

〔日本書紀〕

〈三十持統〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0120 三年正月丙辰、詔曰、務大肆陸奧國優嗜曇郡城養蝦夷脂利古男麻呂、與鐵折鬢髮沙門

〔續日本紀〕

〈二十九稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0120 神護景雲三年三月辛巳、陸奧國〈◯中略〉標葉郡人正六位上丈部賀例努等十人、賜姓阿倍陸奧臣、〈◯中略〉宇多郡人外正六位下吉彌侯〈◯彌侯原作禰侅、據一本改、〉文知上毛野陸奧公、

曰理郡

〔續日本紀〕

〈二十九稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0120 神護景雲三年三月辛巳、陸奧國〈◯中略〉標葉郡人正六位上丈部賀例努等十人、賜姓阿部陸奧臣、〈◯中略〉曰理郡人外從七位上宗何部池守等三人陽坐曰理連、

伊具郡

〔續日本後紀〕

〈九仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0120 承和七年二月癸亥、陸奧國〈◯中略〉伊具郡擬大毅陸奧眞成等戸二烟、賜姓阿倍陸奧臣

鹽松郡/田村郡

〔奧州相馬系圖〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0120 義胤 〈天正四年七月七日、於伊達領古佐井之内矢之目妙賀山、與輝宗合戰、(中略)同比、於奥州鹽松(○○)郡大場正宗郞從合戰時敵敗北、同比於同國田村郡(○○○)、上宇津志下宇津志常磐正宗合戰、〉

會津郡

〔會津風土記〕

〈郡村〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0120 會津郡 東交岩瀬郡、界二岐嶽小嶽山、隣下野國、界小嶽山、大峠山王峠巽隅並下野國、界荒貝嶽枯木峠、離方隣野之上下州、下州界帝釋山、長田代山、赤安山、上州界赤安山小瀬峠、坤隅界至佛山、西界藤原峠、並越後國、界藤原峠、枝析峠、大鳥嶽、淺草山、乾隅隣越後國、界赤是山、北交大沼郡、界疊子澤、松坂峠、船鼻山、關山峠、艮隅屈曲而西、接大沼郡鶴沼川、北連河沼郡、界藤倉山、艮方續耶麻、安積二郡、呑苗湖、東交安積郡、界九峨山、黒森峠、布引山、東西一百三十二里餘、〈自東五輪峰西淺草山〉南北一百二十四里、〈自南小瀬峠鋒峠、近稱大沼郡誤也、〉

〔續日本紀〕

〈二十九稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0120 神護景雲三年三月辛巳、陸奧國〈◯中略〉標葉郡人正六位上丈部賀例努等十人、賜姓阿倍陸奧臣、〈◯中略〉會津郡人外正八位下丈部庭虫〈◯虫原作融、據一本改、〉等二人、阿倍會津臣、

〔古事記〕

〈中崇神〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0120 故大毘古命者、隨先命而罷行高志國、爾自東方遣建沼河別、與其父大毘古共往遇

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 于相津(○○)、故其地請相津也、是以各和平所遣之國政而覆奏、

〔古事記傳〕

〈二十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 相津(アヒヅ)は、和名抄に陸奧國會津〈阿比豆〉郡とある是なり、〈會津、耶麻、大治、河沼を總て會津四郡と云ならへり、和名抄に大沼河沼に見えず、桃生郡の次にある大沼は別か、白河郡の處に、國分爲高野郡、今分爲大沼河沼二郡とある、今分より下は會津郡の處にありつるが錯ひたるか、國分てと今分テと重なれることもいかヾなればなり、〉万葉十四〈十五丁〉に、阿比豆禰能云々、〈禰は峯なり〉古今六帖に、心にもあらでわたりの會津川憂名を水に流しつるかな、後撰集別に、君をのみ信夫の里に往ものを會津の山の遙けきやなぞ、〈◯註略〉さて姓氏録〈難波忌寸條〉に、大彦命、磯城瑞籬宮御宇天皇御世、遣蝦夷之時云々とある、是此命の陸奧まで往(イマ)しヽ證なり、

耶麻郡

〔會津風土記〕

〈郡村〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 耶麻郡 南會津也、交河沼郡、界日橋川、西隣越後國、界楢木峠、高森山、乾隅並越後出羽二州、界飯豐山、北隣出羽國、界赤崩山、檜原峠、艮隅並出羽國、界中吾妻峯、交信夫郡、界中吾妻峯、土湯峠、東接安達郡、界東嶽、石筵峠、揚枝峠、巽隅連安達郡、界高森山陸坂、限湖水半、東西七十一里餘、〈自東沼尻峠西楢木峠〉南北三十八里餘、〈自南鹽川北檜原峠、按倭名集耶麻郡二焉、恐重出、爾而其一有津部量足、其一有分會津郡日量、共五而無今之五莊、蓋津部津郡、量足日量亦錯誤、爾分會津郡間不之、則會津分爲耶麻之謂也、〉

〔續日本後紀〕

〈九仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 承和七年三月庚辰、陸奧國http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001e64b.gif 磨郡(○○○)大領外正八位上勳八等丈部人麿戸一烟、賜姓上毛野陸奧公

磐瀬郡

〔續日本紀〕

〈八元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 養老二年五月乙未、割白河、石背(○○)、會津、安積、信夫五郡、〈◯並陸奥國〉置石背國

〔續日本紀〕

〈二十九稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 神護景雲三年三月辛巳、陸奧國〈◯中略〉標葉郡人正六位上丈部賀例努等十人、賜姓阿倍陸奧臣、〈◯中略〉磐瀬郡人外正六位上吉禰侯人上磐瀬朝臣

〔吾妻鏡〕

〈二十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 建暦三年〈◯建保元年〉三月十七日戊午、和田平太胤長配流陸奧國岩瀬郡云云、

安積郡

〔郡名考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 陸奧 安稜〈アサミ〉 安積〈アサカ〉

〔地名字音轉用例〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 入聲クノ韻ヲ同シ行リノ音ニ通用シタル例 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0122 あさか 安積〈奥郡〉阿佐加(アサカ) 積(シヤク)を〈シヤチ直音ニシテサニ用ヒ〉韻ヲ轉ジテカニ用ヒタリ

〔續日本紀〕

〈二十九稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0122 神護景雲三年三月辛巳、陸奧國〈◯中略〉標葉郡人正六位上丈部賀例努等十人、賜姓阿倍陸奧臣、安積郡人外從七位下丈部直繼足阿部安積臣

安達郡

〔延喜式〕

〈二十二民部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0122 延喜六年正月九日、分安積郡安達郡、(頭書)

信夫郡

〔運歩色葉集〕

〈忠〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0122 信夫〈奥州〉

〔地名字音轉用例〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0122 ンノ韻ヲナノ行リノ音ニ通用シタル例 しのぶ 信夫〈奥郡〉志乃不(シノブ)

〔續日本紀〕

〈二十九稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0122 神護景雲三年三月辛巳、陸奧國〈◯中略〉標葉郡人正六位上丈部賀例努等十人、賜姓阿倍陸奧臣、〈◯中略〉信夫郡人外正六位上丈部大庭等、阿倍信夫臣、〈◯中略〉信夫郡人外從八位下吉彌侯〈◯彌侯原作禰侯、據一本改、下同、〉部足山守等七人上毛野鍬山公、〈◯中略〉信夫郡人外少初位上吉彌侯部廣國下毛野靜屈、〈◯屈恐戸誤〉

〔古事談〕

〈四勇士〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0122 宗形宮内卿入道師綱、陸奧守ニテ下向之時、基衡押領一國、如國司威、仍奏聞事由、下宣旨、擬注國中公田之處、忍郡(○○)者基衡藏于、先々不國使、而今度任宣旨撿注之間、基衡件郡地頭犬庄司季春ニ合心テ禦之、〈◯下略〉

伊達郡

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0122 陸奧國〈◯中略〉信夫〈國分爲伊達郡

〔地名字音轉用例〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0122 入聲ツノ韻ヲ同シ行リノ音ニ通用シタル例 いだて 伊達〈奥郡〉 神名帳ニ、出雲ナドニ、伊太氐(イダテ)ト云社號多シ、

〔吾妻鏡〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0122 文治五年八月七日甲午、二品著御于陸奧國伊達郡阿津賀志山邊國見澤

〔吾妻鏡〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0122 正治二年十二月三日乙酉、有太輔房源性〈源進士左衞門尉整子〉者、無雙算術者也、加之見田頭里坪(ヒヤウ)於眼精之所一レ覃、不段歩云云、又伺高野大師跡、顕五筆之藝、而陸奧國伊達郡有境相論、爲其實撿

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0123 去八月下向、夜前歸著、今日參御所、是被右筆并蹴鞠兩藝、日來所昵近、仍無左右御前、被仰奧州事等

〔太平記〕

〈十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0123 奧州國司顯家卿上洛並新田徳壽丸上洛事 金崎ノ城ハ攻落レテ、義顯朝臣自害シタリト聞ヘシ後ハ、顯家卿ニ附隨フ郞從、皆落チ失テ、勢微微ニナリシカバ、纔ニ伊達郡靈山ノ城一ヲ守テ、有モ無ガ如クニゾオハシケル、

刈田郡/柴田郡

〔郡名考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0123 陸奧 刈田〈カリタカツタ〉

〔續日本紀〕

〈八元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0123 養老五年十月戊子、柴田郡(○○○)、置苅田郡(○○○)

〔日本紀略〕

〈元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0123 養老五年十月戊子、令陸奧國分柴田郡二郷、置刈田郡

〔續日本紀考證〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0123 紀略作陸奧國柴田郡二郷苅田郡、十四字、爲正、和名抄郡名陸奧國柴田之波太、苅田葛太是也、按苅即刈字、此間多加艸冠書、蓋園作薗席、作蓆之類也、

〔續日本紀〕

〈二十九稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0123 神護景雲三年三月辛巳、陸奧國〈◯中略〉標葉郡人正六位上丈部賀例努等十人、賜姓阿倍陸奧臣、〈◯中略〉柴田郡人外正六位上丈部島足安倍柴田臣、〈◯中略〉苅田郡人外正六位上大伴部人足大伴苅田臣、柴田郡人外從八位下大伴部福麻呂大伴柴田臣

〔吾妻鏡〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0123 正治二年五月二十八日壬午、陸奧國葛田郡(○○○)、新熊野社僧論坊領境、兩方帶文書、望總地頭畠山次郞重忠成敗、重忠辭云、當社雖領内、秀衡管領之時、令公家御祈禱、今又奉武門繁榮之上、重忠難自處者、則付大夫屬入道善信申之、仍今日羽林召覽彼所進境繪圖、染御自筆、令墨於其繪圖中央給訖、所之廣狹可其身運否、費使節之暇、不撿地下、向後於境相論事者、如此可御成敗、若於未盡由之族者、不其相論之旨被仰下云云、

〔續日本紀〕

〈二十九稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0123 神護景雲三年三月辛巳、陸奧國白河郡人外正七位上丈部子老〈◯中略〉賜姓阿倍陸奧臣、〈◯中略〉柴田郡(○○○)人外正六位上丈部島足安倍柴田臣、〈◯中略〉柴田郡(○○○)人外從八位下大伴部福麻呂大

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0124 伴柴田臣

〔吾妻鏡〕

〈二十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0124 寛喜二年十一月八日、大進僧都觀基參御所申云、去月十六日夜半、陸奧國芝田郡(○○○)石如雨下云云、件石一進將軍家、大如柚、細長也、有廉石下事二十餘里云云、

名取郡

〔續日本紀〕

〈二十九稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0124 神護景雲三年三月辛巳、陸奧國〈◯中略〉標葉郡人正六位上丈部賀例努等十人、賜姓阿倍陸奧臣、〈◯中略〉名取郡人外正七位下吉彌侯〈◯彌侯原作禰侅、據一本改〉部老人、〈◯中略〉九人、上毛野名取朝臣

宮城郡

〔續日本後紀〕

〈九仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0124 承和七年三月戊子、宮城郡權大領外從六位上勳七等物部巳波美、造私池分田八十餘町、輸私稻一萬一千束、賑公民、依此公平並假外從五位下

黒川郡

〔續日本紀〕

〈十四聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0124 天平十四年正月己巳、陸奧國言、部下黒川郡以北十一郡、雨赤雪平地二寸、

〔續日本紀〕

〈二十九稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0124 神護景雲三年三月辛巳、陸奧國〈◯中略〉標葉郡人正六位上丈部賀例努等十人、賜姓阿倍陸奧臣、〈◯中略〉黒川郡人外從六位下靫大伴部第〈◯第恐弟誤〉虫〈◯虫原作融、據一本改、〉等八人、靫大伴連

〔續日本紀〕

〈四十桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0124 延暦八年八月己亥、勅陸奧國入軍人等、今年田租宜皆免之兼給復二年、其牡鹿、小田、新田、長岡、志太、玉造、富田、色麻、加美、黒川等一十箇郡、與賊接居、不同等、故延復年

賀美郡

〔續日本紀〕

〈二十九稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0124 神護景雲三年三月辛巳、陸奧國〈◯中略〉賀美郡人丈部國益〈◯中略〉等十人、賜姓阿倍陸奧臣、〈◯中略〉賀美郡人外正七位下吉彌侯〈◯彌侯原作禰侅、據一本改〉部大成九人、上毛野名取朝臣

富田郡/色麻郡

〔日本後紀〕

〈五桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0124 延暦十六年正月庚子、陸奧國白川郡人外八位大伴部足猪等賜大伴白河連、〈◯中略〉富田郡(○○○)人丸子部佐美〈◯中略〉大伴宮城連

〔日本後紀〕

〈八桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0124 延暦十八年三月辛亥、陸奧國富田郡併色麻郡(○○○)

〔奧羽觀蹟聞老志〕

〈十二色麻郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0124 按、色麻郡不其地、加美郡有四竈、是古之色麻地、而誤其文字者也、

〔地名字音轉用例〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0124 入聲キノ韻ヲ同シ行リノ音ニ通用シタル例 しかま 色麻〈奥郡〉志加萬(シカマ)

玉造郡

〔續日本紀〕

〈二十九稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0125 神護景雲三年三月辛巳、陸奧國〈◯中略〉標葉郡人正六位上丈部賀例努等十人、賜姓阿部陸奧臣、〈◯中略〉玉造郡人外正七位上吉彌侯〈◯彌侯原作禰侅、據一本改、〉部念丸等七人下毛野俯見公、並是大國造道島宿禰島足之所請也、

丹取郡

〔續日本紀〕

〈六元明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0125 和銅六年十二月辛卯、新建陸奧國丹取郡

〔奧羽觀蹟聞老志〕

〈十二丹取郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0125 按、丹取郡不其地、以記考之、則玉造、乃古之丹取地乎、且併之其郡者乎、

〔續日本紀〕

〈十聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0125 神龜五年四月丁丑、陸奧國請新置白河軍團、又改丹取軍團玉作團、並許之、

葛岡郡

〔吾妻鏡〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0125 文治五年八月廿日丁未、卯刻二品令玉造郡給、則圍泰衡多加波々城給之處、泰衡兼去城逃亡、自殘留郞從等束手歸降、此上者、出于葛岡郡、赴平泉給、

〔奧羽觀蹟聞老志〕

〈十二葛岡郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0125 按、葛岡郡今爲村落、屬玉造郡、有故館、稱葛岡城、往昔重忠居館、而後葛西監物據之、是古之葛岡地也、

上治郡

〔續日本紀〕

〈三十六光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0125 寶龜十一年三月丁亥、陸奧國上治郡大領外從五位下伊治公呰麻呂反、率徒衆按察使參議從四位下紀朝臣廣純於伊治城

〔續日本紀考證〕

〈十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0125 大日本史注云、案陸奧國無上治郡、未詳、陸奧郡郷考云、上治疑伊治之誤、今去栗原郡界五六里許有黒沼邑、邑有伊上城趾、其地屬登米郡、伊上上治文字必有舛訛、内藤氏曰、伊治之地、或分爲上下二邑、稱曰上治又伊上者蓋以此、

栗原郡

〔續日本紀〕

〈二十八稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0125 神護景雲元年十一月乙巳、置陸奧國栗原郡、本是伊治城也、

〔日本後紀〕

〈十二桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0125 延暦廿三年十一月戊寅、陸奧國栗原郡、新置三驛

讃馬郡

〔日本後紀〕

〈八桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0125 延暦十八年三月辛亥、陸奧國富田郡併色麻郡、讃馬郡併新田郡

新田郡

〔續日本紀〕

〈二十九稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0125 神護景雲三年三月辛巳、陸奧國〈◯中略〉標葉郡人正六位上丈部賀例努等十人賜

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 阿部陸奧臣、〈◯中略〉新田郡人外大初位上吉彌侯〈◯彌侯原作禰侅、據一本改、〉部豐庭上毛野中村公

〔奧羽觀蹟聞老志〕

〈十二新田郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 按、新田郡不其地、賀美郡有新田者三區、是古之新田地、而分之爲上中下三區者也、

〔今昔物語〕

〈十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 陸奧國小松寺僧玄海往生語第十九 今昔、陸奧國新田ノ郡ニ、小松寺ト云フ寺アリ、其寺ニ玄海ト云フ僧住ケリ、〈◯下略〉

長岡郡

〔吾妻鏡〕

〈十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 承元五年〈◯建暦元年〉四月二日癸未、陸奧國長岡郡小林、新熊野社壇堂舍等者、當國守秀衡法師之時、爲豐前介實俊奉行造營、剩秀衡元暦二年八月、以郡内荒野三十町寄之、文治五年八月、右大將家、入御奧州之次、可狼藉之由、被御教書訖、其後畠山二郞重忠知行當郡之時、殊以崇敬之

〔奧羽觀蹟聞老志〕

〈十二長岡郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 按、長岡郡今爲村落、在荒野西、屬栗原郡、所記小林村、亦在長岡村西、是古之長岡地也、

田夷郡

〔續日本紀〕

〈十聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 天平二年正月辛亥、陸奧國言、部下田夷村蝦夷等、永悛賊心、旣從教喩、請建郡家于田夷村、同爲百姓者、許之、

遠田郡

〔續日本紀〕

〈十二聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 天平九年四月戊午、遣陸奧持節大使從三位藤原朝臣麻呂等言、以去二月十九日陸奧多賀柵、與鎭守將軍從四位上大野朝臣東人共平章、且追常陸〈◯中略〉下野等六國騎兵總一千人、開山海兩道、夷狄等咸懷疑懼、仍差田夷遠田郡領外從七位上遠田君雄人海道〈◯中略〉以使旨慰喩鎮撫之、

〔續日本紀〕

〈四十桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 延暦九年五月庚午、陸奧國言、遠田郡大領外正八位上勳八等遠田公押人欵云、已旣洗濁俗、更欽清化、〈◯中略〉伏望、一同民例、改夷姓是賜姓遠田臣

〔吾妻鏡〕

〈二十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 建暦三年〈◯建保元年〉五月七日丁未、勳功事、今日先被之、〈◯中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 陸奧國遠田郡〈修理亮〉 同國三迫(ミツセ)〈藤民部大夫〉

小田郡

〔續日本紀〕

〈十七聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 天平勝寶元年四月甲午朔、天皇幸東大寺、御盧舍那佛像前殿、北面對像、皇后太子並侍焉、群臣百寮及士庶分頭行列殿後、勅遣左大臣橘宿禰諸兄佛、三寶乃奴〈止〉仕奉〈流〉天皇〈羅我〉命、盧舍那像〈能〉大前〈仁〉奏賜〈部止〉奏〈久〉、此大倭國者、天地開闢以來〈爾〉、黄金〈波〉人國〈用理〉獻言〈波〉有〈登毛〉、斯地者無物〈止〉念〈部流仁〉、聞看食國中〈能〉東方陸奧國守從五位上百濟王敬福〈伊〉、部内少田郡〈仁〉黄金出在奏〈氐〉獻、

〔奧羽觀蹟聞老志〕

〈十二小田郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 按、小田郡地、乃牡鹿遠島是也、後併之牡鹿郡、其證見于光俊陸奧山歌詞、皆是古之小田地也、

登米郡

〔日本後紀〕

〈八桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 延暦十八年三月辛亥、陸奧國〈◯中略〉登米郡併小田郡

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 陸奧國〈◯註略〉管三十六、〈◯中略〉登米、〈止與米〉

志太郡

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 陸奧國〈◯註略〉管三十六、〈◯中略〉志太、

桃生郡

〔續日本紀〕

〈二十稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 天平寶字元年四月辛巳、其有不孝不恭不友不順者、宜陸奧國桃生、出羽國小勝、以清風俗、亦捍邊防

〔續日本紀〕

〈三十一光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 寶龜二年十一月癸巳、陸奧國桃生郡人外從七位下牡鹿連猪手、賜姓道島宿禰

本吉郡

〔封内名跡志〕

〈十七本吉郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 古屬桃生郡、後割桃生本吉郡、今之氣仙沼七村、舊屬氣仙郡云、永祿中復屬本吉郡

牡鹿郡

〔續日本紀〕

〈二十二淳仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 天平寶字四年正月丙寅、勅曰、〈◯中略〉陸奧國按察使兼鎭守將軍正五位下藤原惠美朝臣朝獵等、教導荒夷、馴從皇化、不一戰、造成旣畢、又於陸奧國牡鹿郡、跨大河峻嶺、作桃生柵、奪賊肝膽、眷言惟續、理應裒昇、宜朝獦特授從四位下

〔續日本紀〕

〈二十九稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 神護景雲三年三月辛巳、陸奧國〈◯中略〉標葉郡人正六位上丈部賀例努等十人、賜姓阿倍陸奧臣、〈◯中略〉牡鹿郡人外正八位下春日部奧麻呂等三人武射臣

氣仙郡

〔延喜式〕

〈十神名〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0128 陸奧國一百座〈◯中略〉 氣仙郡三座〈並小〉 理訓許段神社 登奈孝志神社 衣太手神社

多賀郡/階上郡

〔續日本紀〕

〈三十八桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0128 延暦四年四月辛未、中納言從三位兼春宮大夫陸奧按察使鎭守將軍大伴宿禰家持等言、名取以南一十四郡、僻在山海、去塞懸遠、屬徴發機急、由是權置多賀階上二都、募集百姓、足人兵於國府、設防禦於東西、誠是備預不虞、推鋒万里者也、但以徒有開説之名、未統領之人、百姓顧望、無心、望請建爲眞郡、備置官員、然則民知統攝之歸、賊絶窺窬之望、許之、

〔奧羽觀蹟聞老志〕

〈十二階上郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0128 按、階上郡不其地、於本吉郡波止上(ハジカミ)、是古之階上地、而誤其文字者也、又曰家持謀不虞之變、而請眞郡且置統領之人、最得計策之旨、依此説、則多賀亦聊屬郡縣者也、

岩井郡

〔吾妻鏡〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0128 文治五年八月二十一日戊申、追泰衡岩井郡平泉給、

平泉郡

〔笠井系圖〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0128 清重 〈武州河越人也、(中略)文治五年秋、頼朝自欲泰衡向奥州、清重從之、(中略)頼朝感其忠平泉郡内撿非違使管領、且賜伊澤、磐井、牡鹿等數郡、〉

膽澤郡

〔日本後紀〕

〈十二桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0128 延暦廿三年五月癸未、陸奧國言、斯波城與膽澤郡相去一百六十二里、山谷嶮往還多難、不郵驛、恐闕機急、伏請准路例、置一驛、許之、

江刺郡

〔延喜式〕

〈十神名〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0128 陸奧國一百座〈◯中略〉 江刺郡(○○○)一座〈小〉 鎭岡神社

〔吾妻鏡〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0128 文治五年十一月八日甲子、葛西三郞清重、依付奧州所務事、還御之時、不供奉、所彼國也、仍今日條々有仰遣、〈◯中略〉仍岩井、伊澤、柄著差(○○○)以上三箇郡者、自山北方農料

和我郡/薭縫郡

〔日本後紀〕

〈二十一嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0128 弘仁二年正月丙午、於陸奧國和我(○○)、薭縫(○○)、斯波三郡

〔吾妻鏡〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0128 文治五年十一月八日甲子、葛西三郞清重、依付奧州所務事、還御之時、不供奉、所

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 彼國也、仍今日條々有仰遣、〈◯中略〉和賀部貫(○○○○)兩郡分者、自秋田郡、可行種子等也、

斯波郡

〔延喜式〕

〈十神名〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 陸奧國一百座〈◯中略〉 斯波郡一座〈小〉 志賀理和氣神社 ◯按ズルニ、弘仁二年紀ニ、和我、薭縫、斯波三郡ヲ置キシコト見エタルモ、此郡名民部省式、又倭名類聚抄ニ見エズ、思フニ神名帳ハ舊記ニ據テ之ヲ書シタルノミニテ、當時旣ニ此郡廢セラレシモノナラン、其廢合年代ハ明ナラズ、

〔吾妻鏡〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 文治五年九月四日辛酉、著御于志波郡(○○○)、而泰衡親昵俊衡法師驚此事、燒失當郡内比爪館、逐電赴奧方云云、

〔奧州斯波系圖〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 覺書 一私先祖足利尾張守家氏、始而奧州斯波郡下向仕、高水寺ニ在城仕候、

香阿郡/閉伊郡

〔續日本紀〕

〈七元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 靈龜元年十月丁丑、陸奧蝦夷第三等邑良志別君宇蘇彌奈等言、親族死亡子孫數人常恐狄徒抄略乎、請於香阿(○○)村、造建郡家編戸民、永保安堵、又蝦夷須賀君古麻比留等言、先祖以來貢獻昆布常採此地年時不闕、今國府郭下相去道遠、往還累旬甚多辛苦、請於閉(○)村便建郡家、建於百姓、共率親族、永不貢、並許之、

〔南部文書〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 花押〈◯北畠顯家〉 閉伊郡内大澤村御牧馬、并殺害追捕以下狼藉事、石見左近大夫有資申状二通、〈副守常解状等〉如此、子細見状、山田六郞所行云云、急速令尋沙汰、任實正注進之由、國宣候也、仍執達如件、 建武元年三月三日 大藏權少輔清高〈奉〉 南部又次郞殿〈◯師行〉

岩手郡

〔大和物語〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 おなじみかど、〈◯ならのみかど〉かりいといとかしこくこのみ給けり、みちのくにいはでの

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130 こほりより奉れる御鷹、よになくかしこかりければ、になうおぼして御手たかにし給けり、名をばいはでとなむつけ給へりける、

鹿角郡

〔南部文書〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130 花押〈◯北畠顯家〉 鹿角郡闕所少々、被行地頭等也、任御下文之旨、可沙汰居之由、依國宣執達如件、 建武元年三月二十一日 大藏權少輔清高〈奉〉 南部又次郞殿〈◯師行〉

〔南部文書〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130 曾我太郞貞光謹目安言上 兩年于合戰忠節間事〈◯中略〉 一今年七月十一日、又打入鹿角郡、被落二藤次楯大豆田楯三箇所之時、若黨鱸孫三郞鎭治爲代官御奉行御手、致軍忠候了、〈◯中略〉 右兩年中之合戰之間、親類若黨等抽忠勤、夙夜警固、所々侍候、無申計候、所詮賜大將軍御判、備後證弓箭面目、恐々粗言上如件、 建武四年八月二十三日 承了源〈花押〉

九戸郡/二戸郡/三戸郡/北郡

〔郡名一覽〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130 陸奧國〈◯中略〉 九戸(クノヘ) 二戸(ニノヘ) 三戸(サンノヘ) 北(キタ)

〔日本國郡沿革考〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130 陸奧〈◯中略〉 九戸(クノヘ)〈四十二村 延喜式等不載、蓋近世置、〉 二戸(ニノヘ)〈四十八村同上〉 三戸(サンノヘ)〈六十七村同上〉 北(キタ)〈五十四村 同上 據源君美之説、是即閉北郡、蓋中世割閉郡所置、〉

〔寛文印知集〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130 陸奧國北郡(○○)、三戸(○○)、二戸(○○)、九戸(○○)、鹿角、閉伊、岩手、志和、裨貫郡、和賀所々都合拾万石〈目録在別紙〉事、任寛永十一年八月四日先例之旨、宛行之訖、全可領知者也、仍如件、 寛文四年四月五日 御朱印 〈筆者〉杉浦伊右衞門 南部山城守どのへ

糟部郡

〔吾妻鏡〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0131 文治五年九月三日庚申、泰衡被數千兵、爲一旦命害、隱如鼠退似鶂、差夷狄島、赴糟部郡

〔結城小峯文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0131 袖判〈◯北畠顯家〉 下 糠部郡 可早令結城參河前司親朝領知當郡内九戸 〈右馬權頭茂時跡〉事 右件人、令知彼戸、於貢馬以下者、無懈怠沙汰之状所仰如件、 元弘三年十二月十八日

〔南部文書〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0131 花押〈◯北畠顯家〉 糠部郡七戸内工藤右近將監跡、被行伊達右近大夫將監行朝畢、可汰付彼代官者、依國宣執達如件、 建武元年七月二十九日 大藏權少輔清高〈奉〉 南部又次郞殿〈◯師行〉 花押〈◯北畠顯家〉 中條出羽前司時長申、糠部郡一戸事、任御下文之旨彼所汰付時長代使節、及遲引者可其咎、依國宣執達如件、 建武元年十月六日 大藏權少輔清高〈奉〉 南部又次郞殿

〔好古日録〕

〈末〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0131 延元後五十年間遺器〈文書附◯中略〉 洪鐘 陸奧國糠部郡天台寺鐘、元中九年壬申三月二十六日、〈銘文略之〉

肥内郡

〔吾妻鏡〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0131 文治五年九月三日庚申、泰衡被數千兵、〈◯中略〉此間相恃數代郞從河田次郞、到于肥内郡(○○○)

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0132 贄柵之處、河田忽變年來之舊好、令郞從等、相圍泰衡梟首、

〔吾妻鏡〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0132 文治五年八月廿六日癸丑、日出之程、匹夫一人推參御旅館邊入一封状、〈◯中略〉表書云、進上鎌倉殿〈侍所〉泰衡敬白云云、状中云、〈◯中略〉兩國已可御沙汰之上者、於泰衡免除、欲御家人、不然者被死罪、可遠流、若垂慈慧、有御返報者、可置于比内郡(○○○)邊、就其是非、歸降、可走參之趣載之、親能讀申御前、依之有重々沙汰試捨置御返報於比内邊、潜付勇士一兩於其所、爲御書、有窺來者之時搦取、可泰衡在所之由、實平雖行之、不其儀、可書於比内郡之由、泰衡言上者、軍士等各可彼郡内之旨被仰下云云、

津輕郡

〔日本書紀〕

〈二十六齊明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0132 四年四月、阿陪臣〈闕名〉率船師一百八十艘蝦夷、齶田渟代二郡蝦夷望悕乞降、〈◯中略〉仍授恩荷小乙上、定渟代津輕二郡郡領、 七月甲申、蝦蛦二百餘詣闕朝獻、饗賜瞻給有於常、〈◯中略〉授津輕郡大領馬武大乙上、少領青蒜小乙下、勇建者二人位一階

〔日本書紀〕

〈二十六齊明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0132 元年七月、授柵養蝦夷九人、津刈蝦蛦六人、冠各二階


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