http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0001 我邦氏族、古來三別アリ、天神地祇ノ胄、之ヲ神別ト云ヒ、天皇皇子ノ派、之ヲ皇別ト云ヒ、漢三韓ノ族之ヲ諸蕃トイフ、各ゝ加婆禰ヲ賜ヒテ尊卑ノ階級ヲ叙シ、之ニ由リテ貴賤ノ別ヲ定ム、卽チ高姓ヲ賜へバ榮ヲ子孫ニ貽シ、罪アリテ之ヲ貶サルレバ辱ヲ後代ニ傳フ、其氏族ハ大小氏ニ別タレ、各氏ノ氏上、其氏人ヲ統領シ、其職ヲ世々ニシテ朝廷ニ奉仕シタリ、大化ノ改新ニ當リ、此古制ヲ破リシヨリ、後ニハ職ヲ以テ氏トスルコト廢レ、職號ヲ負フト雖モ、唯類族ヲ別ツニ過ギザルモノトナレリ、
姓ハ之ヲ通ジテイヘバ、氏ト加婆禰トヲ兼ネタルモノニテ、拆チテイヘバ、單ニ加婆禰ヲ稱スルナリ、加婆禰ハ、之ヲ以テ尊卑ヲ別ツモノナレバ、數種ノ等級アリ、其順序ハ詳ニスルヲ得可カラズト雖モ、天武天皇ノ時定メラレタル八色姓ニヨリ、又此等ノ姓ヲ授ケラレタル事實ニヨリテ考フレバ此制ノ制定前後ニ於ケル姓ノ等級ハ、略ゝ之ヲ推知スルコト難カラザルナリ、
大化以前ノ制ヲ考フルニ、神別諸氏ニハ連姓ヲ賜ヒ、皇別諸氏ニハ臣姓ヲ賜フコト、通例タリシガ如シ、而シテ其臣連ハ、各ゝ其氏族及ビ部曲ノ民ヲ統領シ、其上ニ大臣大連アリテ、大臣ハ、臣姓諸氏ヲ率イ、大連ハ、連姓諸氏ヲ率イ、以テ大政ニ參與セシナリ、大化以來、此制廢レ、朝 延ニハ左右大臣ヲ置カレ、氏卜職トノ關係マタ古ノ如クナラズ、天武天皇十三年、八色ノ姓ヲ定メ、天下ノ萬姓ヲ混同シテ、偏ニ壬申ノ功ニヨリテ、更ニ等級ヲ序セラレ、而シテ當時皇別ノ上氏トシテ、眞人第一位ヲ占メシモ、後ニハ皇子ノ姓ヲ賜フモノ多ク朝臣ヲ以テセラレ、終ニ眞人ハ朝臣ノ次ニ位スルコトヽナレルヨリ、加婆禰ノ制漸ク濫ル、按ズルニ、皇孫瓊瓊杵尊、天鈿女命ニ猿女君ノ姓ヲ賜ヒシハ、是レ賜姓ノ史ニ見エタル初ニシテ、爾後姓ヲ賜フニ、或ハ神宣ニ困リ、或ハ功業ニ因リ、或ハ又罪過ニヨリテ賜フ等ノ類、代代是レアリ、而シテ其氏ヲ命ズルハ、居地名、神名、人名、人ノ形狀、或ハ動植器物ノ名ニ因リテ其稱ヲ附スル等、其類一ナラズ、
皇子ニ姓ヲ賜ヒ、降シテ臣下ニ列スルコトハ、桓武天皇ニ始マリ、嵯峨天皇ノ時、特ニ皇室ノ費途ヲ節センガタメニ、皇子ニ姓ヲ賜ヒシヨリ、代々之ニ傚ヒシカバ、爾來源平ノ二氏、天下ニ瀰蔓シ、藤橘二氏ト共ニ四姓ト稱セラレテ、其盛大ヲ致セリ、然ルニ冷泉天皇ノ頃ヨリ、此事漸ク廢レ、花山天皇、其二皇子ヲ僧トシタマヒシヨリ、是レ亦後代ノ例トナリテ、後深草天皇ノ皇子、久明親王ニ源姓ヲ賜ヒシヨリ以後ハ、皇子ニ姓ヲ賜ヒシコト史ニ見エズ、
上古ニ於テハ、姓氏ハ政治ト密接ノ關係アリシガ故ニ、常ニ其紊亂ヲ防グ必要アリ、允恭天皇ノ時、其制大ニ濫レタリシニヨリ、探湯ヲ行ヒテ之ヲ正サレシコトアリ、氏卜職卜離レタル後ニ至リテモ、姓ヲ以テ氏ノ尊卑ヲ分ツコトハ仍ホ行ハレシカバ、輙ク之ヲ變改スルコトヲ許サズ、多クハ避クル所アルニヨリ、或ハ嫌ヲ防ガンガタメ、或ハ官職ニ應ゼンガタメニ、請ニヨリテ改姓ヲ許サレタリ、又戸籍ノ誤リヲ正シ、或ハ本宗ノ姓ニ復センガタメ、或ハ又母ノ姓ニ役ヒテ之ヲ冐シタルモノ、貴姓ヲ僞リテ冒シタル者ナド、復姓ヲ許サレシコトアリ、又罪アルモノハ、其狀ニヨリテ加婆禰ヲ貶シ、又ハ之ヲ奪ハレシコトモアリ、中古漢學 隆盛ノ頃ヨリハ、恣ニ修姓スルコト行ハレ、菅原ヲ略シテ菅ト稱シ、藤原ヲ略シテ藤、又ハ滕ニ作ルガ如キ、此類甚多シ、然レドモ是レ唯漢土ノ風ニ傚ヘルモノニテ、固ヨリ私事ニ属ス、

名稱

〔類聚名義抄〕

〈二/女〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0003

〔段註説文解字〕

〈十二/女〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0003 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00005.gif人所生也、〈白虎通曰、姓者生也、入所天氣、所以生者也、吹律定姓、故姓有百、按詩振振公姓、傳曰、公姓公生也、不我同姓、傳曰、同姓同祖也、昭四年左傳問其姓、釋文云、女生曰姓、姓謂子也、定四年、祭大夫公孫生公穀、皆作公孫姓、〉古之神聖人、母感天而生子、故稱天子、〈○註略〉因生㠯爲姓、从女生、〈因生以爲姓若下文神農母居姜水、因以爲姓、黄帝母居姫、水、因以爲姓、舜母居桃虚、因以爲姓、是也、感天而生者母也、故姓从女生、會意、其子孫復析爲衆姓、如黄帝子二十五宗十二姓、則皆囚生以爲姓也、〉生亦聲、〈○註略〉春秋傳曰、天子由生㠯賜姓、

〔史記〕

〈一/五帝木紀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0003 帝禹爲夏后、而別氏、姓姒氏、契爲商、姓子氏、弃爲周、姓姫氏、〈駰案、鄭玄駁許愼五經異義曰、春秋左傳無駭卒、羽父請諡與一レ族、公問族於衆仲、衆仲對曰、天子建德、囚生以賜姓、胙之土、而命之氏、諸侯以字爲氏、囚以爲族、官有世功則有官族、邑亦如之、公命以字爲展氏、以此言之、天子賜姓命氏、諸侯命族、族者氏之別名也、姓者所以統繋百姓使上レ別也、氏者所以別子孫之所一レ出、故世本之篇、言姓則在上、言氏則在下也、〉

〔通志略〕

〈氏族一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0003 三代之前、姓氏分而爲二、男子稱氏、婦人稱姓、氏所以別貴賤、貴者有氏、賤者有名無氏、〈○中略〉姓所以別婚姻、故有同姓異姓庶姓之別、〈○中略〉三代之後、姓氏合而爲一、皆所以別婚姻、而以地望貴賤文女生爲姓、故姓之字多從女、如姫、姜、嬴、似、嬀、結、 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00006.gifhttp://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00007.gif、姶、 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00045.gif、嫪之類是也、

〔空穂物語〕

〈藤原の君〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0003 いやしき人のはらに生れ給へるみかごの御子、三春といふさう(○○)〈姓○〉を給はりて、わかきときより、くにををさめ、位まさり、とくのたかくなるまで、めもまうけず、つかひ人もつかはね人あり、

〔大鏡〕

〈序〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0003 さてもぬしのみなは、いかにぞやといふめれば、故太政大臣殿〈○藤原忠平〉にて元服つかうまつりし時、きんぢがさう(○○)〈○さう板本作姓(しやう)、今從一本、〉は、なにぞとおほせられしかば、なつやまとなん申と申しを、やがてしげきとなんつけさせ給へりしなどいふに、いとあさましくなりぬ、

〔古事記〕

〈下/履中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0003 此御世、於若櫻部臣等若櫻部名(○)

〔新撰姓氏録〕

〈左京皇別〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0004 雀部朝臣
星川建彦宿禰〈諡應神〉御世代於皇太子大鷦鷯鏡尊、〈○仁德〉繋木綿欅 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00023.gif御謄、因賜名(○)曰大雀臣、V 新撰姓氏録

〈右京畠別〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0004 嶋田臣
武惠賀前命孫仲臣子上、稚足彦天皇〈諡成務〉御代、尾張國嶋田上下二縣有惡神、遣子上平服之、復命之曰、賜號(○)嶋田臣也、

〔古事記〕

〈下/允恭〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0004 天皇、愁天下氏氏名名(○○○○)人等之氏姓忤過而、〈○中略〉定賜天下之八十友緒氏姓也、W 古事記傳

〈三十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0004 氏々、高津宮〈○仁德〉段に、氏々之女等、書紀崇峻卷に、氏々臣連、皇極卷、又孝德卷に、氏々人等、續紀廿にも、氏々人等、廿五の詔に、諸氏々人等などあり、名々、まづ名は、〈名と云言の本の意は爲(ナリ)なり、爲(ナリ)とは爲(ナ)りたるさま狀を云、○中略〉もと其人のある狀(カタチ)〈行狀、容貌、由縁、其外くさ〴〵、〉を賛稱(ホメタヽへ)て負(ツ)けたる物にて、名を呼(イフ)は尊みなり、〈○註略〉さて古は氏々の職業各定まりて、世々相繼て仕奉りつれば、其職卽其家の名なる故に、〈氏々の職業は、もと其先祖の德功に因てうけたまはり仕奉るなれば、是も賛たる方にて名なり、〉卽其職業を指ても名と云り、さて其は其家に世々に傳はる故に、其名卽又姓の如し、されば名々と云は職々にて、卽此も氏々と云にひとしきなり、書紀孝德卷に、詔曰云々、始王之名々、臣連伴造國造、分其品部彼名々、復以其民品部、交雜使國縣、逐使父子易姓、兄弟異宗、夫婦更互殊一レ名云々、また詔曰云々、天皇名々、或別爲臣連之氏、或別爲造等之色云々、各守名々、〈(中略)比に名々とあるは、天皇叉皇子の御名どものことなるを、御名代(ミナシロ)なる部々家々に相傳へたるは、其名卽姓なり、故夫婦殊名とあるは、姓を異にすと云むが如し、〉續紀九詔に、其負而可仕奉姓名賜、十八に、逐絶骨名之緒、永爲源之氏、〈これらの名も、卽姓を云り、〉万葉十八〈二十一丁〉に、大夫乃(マスラヲノ)、伎欲吉彼名乎(キヨキソノナヲ)タヽ、伊爾之敝欲(イニシヘヨ)、伊卽乃乎追通爾(イマノヲツヽニナガ)、奈我佐敝流(ナガサヘル)云々、祖名(オヤノナ)不絶(タヽズ)云々、又〈二十三丁〉毛能乃敷能(モノヽフノ)、夜蘇等母能乎毛(ヤソトモノヲモ)、於能我於敝流(オノガオヘル)、於能我名々(オノガナヽ)、負(オヒ)、大王乃(オホキミノ)、麻(マ)氣能麻久(ケノマク)〈○久或尒誤〉々々(マク)云々、可久之許曾(カクシコソ)、都可倍麻都良米(ツカヘマツラメ)、〈この名(ナ)々、負(オヒ)を、今本に名負々々ご誤れり、〉に、廿〈五十一丁〉に、都加倍(ツカヘ)久流(クル)、於夜能都加佐等(オヤノツカサト)、許等太氐々(コトダテヽ)、佐豆氣多麻敝流(サヅケタマヘル)云々、安多良之伎(アタラシキ)、吉用伎曾乃名曾(キヨキソノナゾ)云々、於夜(オヤ) 乃名多都奈(ノナタツナ)、〈これら皆、先祖より承嗣來たる、家の職業を名と云り、〉續紀廿五の詔に、先祖乃大臣止之天、仕奉之位名乎繼止念氐〈位名は、位と職となり、〉云々、先祖乃名乎、興繼比呂米武止不念阿流方不在これらを以て、氏々の職をも姓をも名と云ることを知べし、續紀十七の詔に、進氐波、挂畏天皇大御名乎受賜利、退氐波、婆婆大御祖乃御名乎蒙氐之、食國天下乎婆、撫賜惠賜夫云々、男能未父名負氐、女波伊婆禮奴物爾阿禮夜、立雙仕奉、自理在止云々、こは天津日嗣所知看御職業を、天皇大御名、〈又婆々は母にて〉後宮の御政を御母の御名ご詔へり、〈次に父名負氐とあるも、父の職業を承繼を云り、〉

〔續日本紀〕

〈十四/聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0005 天平十四年八月丁丑、詔授造宮録正八位下秦下嶋麻呂從四位下、賜太秦公之名(○)、〈○名一本作姓〉

〔新撰姓氏録〕

〈左京神別〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0005 中臣志斐連
意富乃古連、雄略御世、東夷有不臣之民、〈○中略〉甲冑五重、跨進敵庭、無官軍、朝夷滅、天皇悦其功績更加名字(○○)、號暴代〈○代一本作氏〉連

〔三代實録〕

〈三十四/陽成〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0005 元慶二年九月廿二日甲寅、但馬國美含郡人從七位上若倭部氏世貞氏貞道等三人、賜姓楓朝臣、氏世等、楓朝臣廣永男、文林之兄弟也、廣永改姓之曰漏脱名字(○○)、今追而賜之、

〔日本書紀〕

〈十三/允恭〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0005 七年十二月壬戌朔、天皇卽問皇后曰、所奉娘子者誰也、欲姓字(○○)、皇后不已而奏言、妾弟名弟姫焉、

〔續日本〕

〈二十一/淳仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0005 天平寶字二年十月丁卯、美濃國席田郡大領外正七位上子人、中衞無位吾志等言、子人等六位祖父午〈○午或作牟〉留和斯知、自賀羅國化來朝、當時未風俗、著姓字(○○)、望隨國號賜姓字(○○)、賜姓賀羅造

〔伊呂波字類抄〕

〈宇/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0005 氏〈ウチ〉

〔節用集〕

〈宇〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0005 氏(ウジ)

〔書言字考節用〕

〈十/姓氏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0006 姓(ウジ)

〔拾芥抄〕

〈中本/姓尸〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0006 人物録
宇 敬(ウヤマフ)〈禮恭〉氏(ウチ)/氏(○)〈姓、内、〉浦(ウラ)〈上〉

〔氏族考〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0006 按ふに、拾芥抄に氏内也とありて、一家の内なる由と聞え、左傳疏に氏猶家也とあるにも稱ひ、續紀に桑内連乙蟲女、賜桑内朝臣とあるを、同書に桑氏連鷹養あり、東大寺文書に、但馬氣多郡主帳外少初位上桑氏連老と云ふ人あるにて、内と氏と相通ふ事著ければ、氏は内の義なるべし、

〔古史傳〕

〈二十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0006 氏を宇遲と訓むは、内(ウチ)ともと同語なり、語の淸濁に拘はるべからす、故氏神と云は、内神といふ意にて、内に屬たる神のこヽろに、親みて云る稱なり、漢字の義を放れて、言の義を思ふべし、

〔玉手繦〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0006 氏(ウヂ)と内(ウチ)と、淸濁のかはり有るに疑あるべけれど、伊勢の内宮の在る所を宇治といふも、五十鈴川の川内なる故の名なるを宇遲と云にて知るべし、然れば氏をうぢと云ふも同じ族内なる義より出たる言なら、

〔倭訓栞〕

〈前編四/宇〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0006 うぢ 氏をいふ、うぢ、いづ通す、出の義成べし、氏字、もと出字と同字にて、人の氏をいふに出自といへるも、此義也といへり、

〔日本書紀〕

〈二/神代〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0006 一書曰、時皇孫〈○瓊々杵尊〉勅天鈿女命、汝宜顯神名姓氏(カバネ)焉、因賜猿女君之號

〔日本書紀〕

〈二十二/推古〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0006 二十年二月庚午、改葬皇太夫人堅鹽媛於檜隈大、是日誄於輕街、〈○中略〉便以境部臣摩理勢、令氏姓(カバネ)之本矣、

〔日本紀竟宴和歌集〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0006雄朝嬬稚子宿禰天皇〈○允恭〉 式部卿是忠親王
甘橿乃、岳乃久可太知、支與介禮波爾己禮留多見毛、可波禰(○○○)數末之幾、

〔安齋隨筆〕

〈前編一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0007 姓ノ字訓 日本紀竟宴歌
此歌允恭天皇の御時、萬民の姓氏のみだれ、眞僞わかちがたかりしを、熱湯を探らせ、〈俗に云湯起請なり〉眞僞を正し給ひし事をよめるなり、かばねとよめるは姓の事なり、

〔續日本紀〕

〈十八/孝謙〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0007 天平勝寶三年二月己卯、典膳正六位下雀部朝臣眞人等言、磐余玉穗宮〈○繼體〉勾金椅宮〈○安閑〉御宇天皇御世、雀部朝臣男人爲大臣供奉、而誤紀巨勢、〈○中略〉當今聖運、不改正、逐絶骨名(○○)之緒永爲無源之氏、〈○下略〉

〔續日本紀考證〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0007 元融按、東國通鑑新羅人薛罽頭曰、國家用人謂骨品、又新羅大舍詮知、謂郎幢大 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00023.gif金欽蓮曰、公王之寵壻、國之貴骨、又歩騎寶用那聞欽運死曰、彼骨貴勢榮、猶不死云々、皇朝用骨字蓋有從來矣、

〔新撰姓氏録〕

〈序〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0007 天智天皇儲宮也、〈○中略〉至庚午年、編造戸籍人民、氏骨(○○)、各得其宣

〔日本書紀〕

〈十五/顯宗X 元年二月壬寅、詔曰、先王〈○市邊押磐皇子〉遭離多難、殞命荒郊、〈○中略〉有一老嫗進曰、置目知御骨(ミカバネ/○○)ノ理處、請以奉示、於是天皇與皇太子億計、老嫗婦、幸于近江國家來田綿蚊屋野中、振出而見、〈○中略〉仲子之尸(カバネ)交横御骨(ミカバネ)能別者、〉

〔日本書紀〕

〈十九/欽明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0007 五年十二月、越國言、〈○中略〉肅愼人、移就瀨河浦浦神嚴忌、人不敢近、渇飮其水、死者且半、骨(カバネ)/骨(○○)積於巖岫

〔日本靈異記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0007龜令放生現報縁第七
舟人起欲、行到備前骨嶋之邊時、取童子等入海中、〈○下略〉

〔日本靈異記攷證〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0007 骨嶋〈宇治拾遺物語、載門部府生射海賊於加波禰嶋(○○○○)者、蓋此、〉

〔西宮記〕

〈臨時一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0007 諸宣旨 口宣
左大史姓尸(○)某仰云、大辨姓朝臣傳宣、某言宜宛行者、 年月日 某官屬姓某奉

〔日本書紀〕

〈二/神代〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0008 天稚彦之妻下照姫、哭泣悲哀、聲達于天、是時時國玉、聞其哭聲、則知天稚彦巳死、乃遣疾風、擧尸(カバネ/○)致天、

〔續日本紀〕

〈二十九/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0008 神護景雲三年五月丙申、詔曰、〈○中略〉犬部〈○犬部原作丈部、一本作六部今據寶龜二年九月紀改、〉姉女〈乎波、〉内〈都〉奴〈止〉爲〈氐〉、冠位擧給〈比〉、根可婆禰(○○○○)改給〈比〉治給〈伎〉、然〈流〉物〈乎〉、反〈天〉逆心〈乎〉抱藏〈氐、○中略〉、傾奉朝庭、〈○中略〉是以檢法〈爾〉、皆當死刑罪、〈○中略〉然〈止毛〉慈賜〈止〉爲〈氐〉、一等降〈氐〉、其等〈我〉根可婆禰(○○○○)替〈氐〉、遠流罪〈爾〉治賜〈布止〉宣〈布〉、天皇大命〈乎〉衆開食〈止〉宣

〔歴朝詔詞解〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0008 根可婆禰改給 凡て根とは、人を崇めていふ稱にて、可婆禰といふと同じきを重ねていへる也、

〔倭訓栞〕

〈前編六/加〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0008 かばね、神代紀に尸をよめり、皮骨の義也、顯宗紀に骨字もよめり、柩をよめるは義訓也、骸も同じ、神代紀に姓、又姓氏をよむは、尸より出たる詞也、續日本紀に、根可婆禰といひ、姓氏録に、人民の氏骨(カバネ)といへる是也、さるを姓氏楹の外に、日本にては別に尸といふ事あらとおもへるは誤也、太古は姓氏の沙汰なし、西土も同じ、又姓氏の別ありしも、姓と氏とを混ぜり、漢高祖を姓劉氏といふが如き是也、

〔類衆名物考〕

〈姓氏九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0008 骨名 かばね
かばねは人の骨骸にて、一身の本とする所にして、天地の金石有が如く、家屋の柱楹あるに似たり、然るに此事、西土の書には准據べきものなし、姓氏の字を借りて書たれども、その事やヽ異なり、たとへば今世俗の符劵(フテウ)といふが如く、目しるしにするやうの事なり、先祖の功勞、我身の勲功によりて賜る事あり、又一等すヽみて升る事も有なり、今公家にて淸花羽林名家などいふ樣の階級の有如く、江戸にても公家衆と云、兩番筋大番筋といひ、又は甲府衆櫻田衆などいひ、參河御 譜第といふが如き、その筋目によりて、それ〴〵の符牒をつけて、人にもしらせ、その家の矩模とも成樣の目印にせし事なり、それより立身すれば、宿禰より朝臣にも進み升るなり、御目見以下より以上に進み、地下より殿上人に戊といふの類ひなり、さてその加波禰といふ詞の意、しるせしものいまだ見當らず、なにの故なる事を許にせず、賀茂眞淵の説には、阿加馬奈の意にて、阿は發語にて米を婆に通はしいへるならん、馬は呉音め、漢音ばなれば、相通ふ事にて崇(あがめ)名の事なるべしといへり、是又その由故有ともいふべし、しかれども古書にいまだ出さず、續日本紀〈第十八〉に、孝謙天皇の御世に、雀部朝臣眞人等が上表して、その先祖のかばねの事をいへる事有、そこに骨名と有、是徵とすべし、加波禰名の禰奈を約めて、禰とのみいふなり、姓氏はいへば相かねて借字に出たれども、實は骨名にて、あきらかにその故由はしるヽなり、さればこそ續日本紀〈廿九〉稱德天皇神護景雲三年五月丙申、宣命に云く、丈部姉女〈乎波〉、内〈都〉奴〈止〉爲〈氐〉、冠位擧給〈比〉、根可婆禰(ネカバネ)改給〈比〉治給伎云々、是根かばねと書しにて、その意いよ〳〵明らかにして、人に骨あるが如くなるにたとへたり、骨の訓は、大根の意なり、或人は人根成べしといへれど、骨は禽獸皆有、人に限らず、

〔燕石襍志〕

〈五下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0009 苗字或問
或問、〈○中略〉姓だ尸は別歟、答云、姓の和訓加婆禰なり、〈日本紀に見えたり〉尸と書は假字なるべし、亦問、姓を加婆禰と和訓せし事、その義如何、答云、加婆禰は不易の義にて、加婆良禰歟、亦加婆保禰にて皮骨の義なり、姓氏はなほ父祖の皮骨のごとしと一友人いひけり、今按ずるに、新撰姓氏録の序に、氏骨とあれば、この義ちかし、中葉分脈と唱るも同意歟、

〔玄同放言〕

〈三上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0009 姓名稱謂
姓の和訓、かばねなるに、拾芥抄〈上末〉に姓尸と書玉へる、又無尸姓などいふ事も見えたり、尸をシカバネとよむによりて、こヽにはカバネと訓するにや、姓とかばねは異也と思ひ玉ひし訛舛は、は やく秋草〈劵之上姓名部〉に論はれたれば、さらにもいはず、今按ずるに、カバネに尸の字を書たるは、後人の所爲なれども、そのよしなきにあらず、姓の和訓かばねのはねはほねなり、〈はとほと相通〉續紀〈十八〉孝謙紀天平勝寶三年二月己卯、雀部朝臣眞人が上疏に、骨名と書たり、新撰姓氏録の序には、氏骨と書たり、骨字氏字にかの訓なし、こは義訓ならん、正しく姓の字訓にやとおもふは、景行紀に、美濃國造名神かばね()骨といふ者見えたり、〈四年春二月の條にあり〉神骨は人の名なれども、姓の訓義を釋く證据とすべし、姓を神かばね()骨といふよしは、天朝の萬姓は、神の御名より起り、又神世の職名をも取て姓とし賜へば、これを子孫に傳へたり、譬ば人死すれば、その形體は土になれども、その骨はなほ遺れり、姓はその祖神の骨の如し、こヽもて姓を神骨といふなるべし、又髪(かばね)骨の義ともすべき歟、髪も亦骨とともに朽ざるものなり、この故に姓に尸字を書ものは、みな後人の所爲にしあれども、そのよしなきにあらすといふなり、

〔日本書紀〕

〈七/景行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0010 四年二月、是月天皇聞美濃國造名神骨之女、兄名兄遠子、弟名弟遠子、並有三國色如、則遣大碓命使其婦女之容姿

〔標註職原抄別記〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0010 氏長者
姓を加婆禰〈續日本紀に骨名、または根加婆禰共あり、尸とかけるは古書に甚多し、〉と云は、頭根(カブネ)の義にて、〈夫(フ)と婆(バ)と通音なり、頭を加夫と訓むは、頭稚(カブヅチ)劒の例にて知べし、〉氏中の宗長たる者、その頭として同族を率ひ、公家に仕奉るよりいふ稱にて、〈○下略〉

〔南留別志〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0010 一尸といふ事は、異國にはなき事なり、族といふ心なり、氏族の貴賤を分てるなり、同じき姓にでも、朝臣をなのる家もあり、眞人をなのる家もあり、宿禰をなのり、連をなのる家もあるなり、

〔姓氏解〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0010 日本姓尸
嵯峨天皇ノ時、中務卿萬多等親王、右大臣藤原國人等、新撰姓氏録三十一卷ヲ著リ、一千一百八十 二氏ヲ載セ、神別皇別諸蕃ノ三體アリ、コノ氏ヲ拾芥抄ニハ、二十四尸卜無尸トニ分チ、カバネヲ尸トイフ、朝臣、眞人、宿禰、連、王、公、首、造、直、忌寸、縣主、村立、神主、使主、人、伊美吉、史、勝部、氏、伊吉、阿祇奈君、倉人ナリ、カバネハ、華ノ姓氏ノ類ニアラズ、官ノスヽムニヨリテ改リ、罪アルトキ奪レバ、爵ノ類ニテ、日本ノミニテアルコトナリ、シカルニ古人、姓ノ字ニテ譯シクルアヤマリヨリ、姓ナリトオモフ人多ク、華人マデヘモソノアヤマリヲ傳へタリ、後世ニハカバネノ論ナク、今ノ衣冠ニハタダ朝臣ノミアリ、千百八十二ノウヂモ遺リタルハ、ハナバダ稀ナリ、古ノウヂヲ今ハ或ハ稱號トイフ、カバネヲ姓卜譯スルコト、モトヨリアタラズ、尸卜譯スルハイヨイヨ遠シ、華ニナキコトナレバ、一字ニテ譯シラレズ、華語ニテイハヾ門品ナリ、

〔過庭紀談〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0011 國史ニ、カバネノコトヲ、尸ノ字を書キ、姓ノ字ヲモ書キ來レリ、姓ノ字ヲカケバトテ、カバネノコトヲ姓氏ノ姓ト思フべカノラズ、カバネハ爵ノ類ニテ、爵トモ同ジカラズ、段々ノ階級アリテ首尾ガヨケレバ段々ニ改マリテ上ル、首尾ガ惡シケレバ奪ハレモスル下リモスル、何事ナケレバ代々モナノル、姓氏ノ姓トハ格別ノコトナルヲ、古人謬リテ姓ノ字ヲ用ヒ來リシ故ニ、凡ソノ國史ヲ看ル時、紛ラハシキコトアリ、混ズベカラズ、

〔日本書紀〕

〈十五/淸寧〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0011 二十三年〈○雄略〉八月、〈○中略〉是月吉備上道臣等聞朝作一レ亂、思其腹(○)〈○吉備稚媛〉所生星川皇子、率船師四十艘浮於海

〔倭訓栞〕

〈前編二十四/波〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0011 はらむ 系圖をいふに何腹といふ事、日本紀續日本紀などに見えたり、母家によりて氏族の別れをいふ辭也、

〔玉勝間〕

〈十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0011 氏族を腹といへる事
書紀淸寧天皇御卷に、其腹所生星川皇子とある腹は氏族のこと也、宇遲(ウヂ)もしくは宇賀良(ウガラ)など訓べし又欽明天皇御卷に、韓腹、推古天皇御卷に、八腹臣等などあるも皆然り、績紀にも卌二に、 三腹遞任、卅八に臣八腹氏、四十に自餘三腹者、また其人彦命子孫、東國六腹朝臣云々、姓氏録秦忌寸條に、秦氏等一祖、子孫別數腹とある皆同じ、これもと韓國より出たる稱なるべし、かの國には、郡を評といへるなど、此たぐひこれかれ有り、

〔本朝月令〕

〈四月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0012 同日〈○上申〉松尾祭事
秦民本系帳云、〈○中略〉大寶元年、川邊腹(○)男秦忌寸都理、自日埼岑更奉松尾、又田口腹(○)女秦忌寸知麻留女、始立御阿禮

〔新撰姓氏録〕

〈山城國諸蕃〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0012 秦忌寸
太秦公宿禰同祖〈○中略〉秦氏等一祖子孫、或就居住、或依行事別爲數腹(○○○○)、天平廿年、在者、咸改賜伊美吉姓也、

〔續日本紀〕

〈四十/桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0012 延暦九年十二月辛酉、勅〈○中略〉土師氏總有四腹(○○)、中宮母家者、是毛受腹也、故毛受腹者、賜大枝朝臣、自餘三腹者、或從秋篠朝臣、或菅原朝臣矣、

〔書言字考節用集〕

〈四/人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0012 氏種姓(ウジスジヤウ)

〔太平記〕

〈劒卷〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0012 爲義ノ聟熊野ノ別當教眞也、舅ノ方人ノ爲ニトテ上タル由云ケレバ、爲義モ是ヲ聞テ、氏種姓(○○○)ハ知ラネ共、甲斐々々敷者也ケリ、何ナル人ノ一門ゾト尋ヌレバ、〈○下略〉

姓氏之別

〔藤原家傳〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0012 内大臣、諱鎌足、〈○中略〉其先出天兒屋根命、世掌天地之祭、相和人神之間、仍命其氏(○)中臣

〔日本靈異記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0012持法花經現報奇異表縁第十八
昔大和國葛木上郡、有一持經人、丹治比之氏(○)也、

〔日本書紀〕

〈二十九/天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0012 十二年十月己未、三宅吉士、草壁吉士、伯耆造、船史、壹伎史、婆羅羅馬飼造、菟野馬飼造、吉野首、紀酒人直、釆女造、阿直史、高市縣主、磯城縣主、鏡作造、幷十四氏(○)、賜姓曰連、

〔新撰姓氏錬〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0013 左京皇別下〈起大春日朝臣鴨縣主、卅二氏(○)、〉

〔氏族考〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0013 日本靈異記に、丹治氏、船氏、榎本氏、縣氏などあるは、正しきかき法なり、此例古本今昔物語、天台座主記、僧綱補任等の書に許多あり、〈○中略〉されど天武紀に、倭直、栗隈首云々、三十八氏、また姓氏録左京皇別に起左京息長眞人攝津國爲奈眞人、四十四氏、また起源朝臣新田部宿禰四十二氏、また日本靈異記に、役優婆塞者、加茂役公氏など大凡に云事はあり、

〔制度通〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0013 姓氏ノ事
今ノ人、通ジテイフハ、源平、藤、橘ハ姓ナリ、足利、北條、齋藤、楠等ノゴトキハ、姓ヨリワカレテ氏ナリト云、ソレ故某姓某氏ト記ス、シカレドモ古へカクノゴトクニワカツコト見エズ、姓氏録ニハ、皆姓ヲ載タレドモ、其書ヲ名ヅケテ姓氏録ト云、源家平家ヲ又源氏平氏トモ云、シカレバ姓ヲ通ジテ氏トモ云ベシ、足利北條等ノ稱號ヲ氏ト云コトハ、古書ニハ見エズ、

〔鹽尻〕

〈二十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0013 一今武家某氏と呼ぶ氏の字、根本は誤りなり、氏は姓に同じ源、平、藤、橘、淸、中、菅、江、紀等の事なり、新田足利其他皆稱號なり、公家にて近衞九條などいふがごとし、近衞氏九條氏抔呼事はなきにて知るべし、然れども後世に及て、稱號はもろこしの氏の如く、源平等は異邦の姓と等し、故に源平等をば姓といひ、新田足利などは氏と稱す、本式は勅許の姓を氏といふなれど、武家は稱號を以て某氏と呼來れり、萬づかヽる事あり、よく其根本を知りて、今の俗に随ひて可なり、

〔古事記N 〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0013 時有舍人、姓(○)稗田、名阿禮、

〔日本書紀N 〕

十五/顯宗

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0013 元年四月丁未、詔曰、〈○中略〉夫前播磨國司來目部小楯、〈更名磐楯〉求〈○求恐來誤〉迎擧朕厥功茂焉、〈○中略〉乃拜山官、改賜姓山部連氏

〔新撰姓氏録〕

〈左京皇別〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0013 吉田連
天皇〈○祟神〉令鹽垂津彦命遣、奉勅而鎭守、彼俗〈○任那〉稱宰爲吉、故謂其苗裔之姓(○)吉氏、〈○中略〉神龜元年 賜吉田連姓、〈吉本姓、田取居地名也、〉

〔東大寺要録〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0014 十二月丁丑〈○神龜四年〉勅曰、僧正義淵法師、俗姓市往氏也、禪板早茂、法梁惟隆、〈○中略〉宜市往氏岡連姓

〔今昔物語〕

〈十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0014山階寺維摩會語第三
大織冠、本ノ姓ハ大中臣ノ氏、而ルニ天智天皇ノ御代ニ、藤原ノ姓(○○○○)ヲ給ハリテ、内大臣ニ成給フ、

〔五代帝王物語〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0014 三郎宮とておはしましは、源姓(○○)給りて、彦仁とて、〈○順德皇子忠成王子〉正應永仁の比、中將に成て、上階などせられしかども、三位中將にてうせ給ぬ、

〔氏族考〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0014 源平藤原の類は氏なるを、其をも加婆禰と云り、神代卷の猿女君の事を云る條に、汝宜顯神名姓氏とある姓氏二字を連ねて、加婆禰と訓るにても知るべきなり、又天智紀八年十月、授大織冠與大臣位、仍賜姓爲藤原氏、〈○中略〉續世繼に、源氏の御姓賜りて、御名は有仁ときこゆなどあるは、今の世に源平等の氏を、源姓平姓と云るに同じ、

〔制度通〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0014 姓氏ノ事
本朝ニ、イニシヘヨリ尸ト云コトアリ、朝臣、眞人、宿禰、忌寸、縣主ナドアマタアリ、中國ニハコノ事見エズ、本朝ニテ、所ニヨリマギラハシキコトアリ、公式令ノ内ニ、中務大輔位臣姓名トアルハ、コノ姓ハ源平藤橘ノ類ナリ、又同令ニ、凡授官之日喚辭、三位以上先姓、註云、假令喚云秦萬呂宿禰之類也、又五位先姓後名、註云、喚云秦宿禰萬呂之類也ト、コノ姓ハ尸ノコトナリ、朝臣眞人ノ類ヲサシテ云、又處ニ因テ、尸ヲ氏ト云コト國史ニ見ハル、シカレバ尸ヲスグニ姓トモ氏卜モ云ナリ、〈○中略〉
又考フルニ、尸ハモト上世ノ官名トミエタリ、宇摩志麻治命、天瑞ヲ獻ズルヲ以テ近宿ニ侍ラシム、足尼ト稱ス、ソノ裔孫ヲ並ビニ足尼トス、ソノ後又宿禰稱ス、舊事記ニ詳ナリ、又首稻置等ノ 名ハ、日本紀ニ出テ、郡縣ノ令長ノ名ナリ、ソレヨリ後年代ヲヘテ、官職ノ外ニ又一種ノ稱トナリテ、氏族ノ貴賤ヲ序ヅルナルベシ、天武天皇ノ時、大三輪君大春日臣等、凡五十二氏、賜日朝臣ト、コレニヨリテミレバ、イヤシキ尸、貴キ尸ニノボルナリ、ソノ族ニ賜フトキハ、一族ミナソノ尸ヲ稱スルナリ、

〔寶石類書〕

〈十/姓氏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0015 姓氏幷尸
定基卿答、日本ニテ姓氏差別ハ、分明ニミエ不申候、如示候、國史ニ賜姓ナド候ハ、姓ノ字カバネ卜訓多候得共、此假名付候モノ、未見及候得者、押テカバネトモ訓ガタク候、又朝臣宿禰ノ類ヲカバネト申スコトハ、イカナル義トモ未勘得候、如示朝臣宿禰ノ類ニテ、姓氏高下ヲワカチ申候事ニ候、同朝臣ハ、朝ノ臣下ト申コヽロニテ候哉、答、朝臣はかばねと申ものにて、朝の臣と申處にきをつけ候へばあしく候、尸は人の尸骨と申て、人の種姓の根本にて候、かず廿四有之候うち、朝臣第一にてよく候、たとへば、丹後守越智宿禰とかき申候、越智は姓にて候、宿禰は尸にて候、越前守淸原眞人、是も淸原は姓、眞人は尸にて候、

〔斥非〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0015 按人有姓有氏、姓者統祖宗之所自出者也、氏卽族也、族者別子孫之所由分者也、天子諸侯言姓不族、其下必有氏族、則稱其族、古之道也、雖我日本人、亦皆有姓族、既立之族、則當其族、稱族者、所以的知其人也、今人乃有族而稱姓者、姓之所被甚廣、且非常所一レ行、則非徒難一レ其人、將恐有同姓名相犯者、故不爲也、

〔姓氏解〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0015 日本姓戸
日本上古ニハ姓氏ナク、ソノ後ウヂアリ、カバネアリ、ミナ官ヨリ賜リテ、ウヂヲ氏卜譯シ、カバネヲ姓卜譯ス、又ウヂヲ本姓トイヒシコトアリ、又姓トイヒシコトアリ、ウヂカバネヲ合セテ姓トイヒシコトアリ、崇神天皇七年ニ、穗積臣遠祖大水口宿禰アリ、伊勢麻績君アリ、武内宿禰、甘美内 宿禰、野見宿禰等アリ、ミナ名ノ下ニカバネアリ、阿曇連濱子等ハ、カバネウヂノ下ニアリ、コノ時ソノ法イマダサダマラズ、ソノ法ノ定リタルハ、天武天皇ノ時ナルベシ、

〔刊謬正俗〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0016 姓族類
韻會、姓者所以繋統百姓使上レ別、氏者所以別子孫所一レ出、世本言姓卽在上、言氏卽在下、周語賜姓曰姒氏、曰有夏、註堯賜禹姓姒、封之於夏又氏曰有呂註以國爲氏、釋例曰、別而稱之曰氏、合而言之曰族、左氏傳正義云、別合者、若宋之華元華喜、皆出戴公向魚鱗蕩、共出桓公、獨擧其人、則云華氏向氏、並指其宗則云戴族桓族、是其別合之異也、蓋姓經而氏緯、如源平藤橘等是姓、如足利織田等、是氏、其曰淸和源氏嵯峨源氏、及俗曰其一黨是族、中國姓廢而専用氏、吾邦古有姓而無氏、中葉始有姓氏之別、今也品官家専姓、而其餘皆稱氏、其或同一氏也、或有于源、或有于平、如高階大神等、直以姓爲氏、碑銘行狀中、當某姓某氏、不必循華制

〔廣盆俗説辨〕

〈十九/人物幷官職〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0016 姓も氏も元一つなり、姓は體にて氏は用なり、しかれどもわかつていへば、源平藤橘は姓なり、〈姓は萬世までかはらず〉新田、足利、北條、菊池、楠は氏なり、〈これは所により代によつて、かはることあり、〉故に源氏、平氏、藤氏、橘氏とはいへども、新田姓、足利姓、北條姓、菊池姓、楠姓などとはいはざるなり、

〔貞丈雜記〕

〈二/人名〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0016 一姓尸と云事あり、姓はカバネ也、氏は源平藤橘を始として、さま〴〵の氏あり尸もカバネとよむ姓と同訓也、源朝臣、藤原朝臣、平朝臣、橘朝臣抔の朝臣は、かばね也、姓(カバネ)はさま〴〵の氏の貴きと賤とを分る爲に定たる物也、姓は朝臣、王、公、首、造、連、縣、村主、神主、使主、人、伊美吉、史、勝部、伊吉、直人、宿禰、臣、直、忌寸、氏、阿祇奈君、是等をかばねと云なり、其氏によりて姓もそれ〴〵にかはるなり、淸原眞人、小槻宿禰、中臣連、酒部公などと云類なり、姓氏録、姓名録鈔などを見て知べし、

〔貞丈雜記〕

〈二/人名〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0016 一姓氏と云事、姓氏の二字ともに、何れもうじどよむ字なれども、わけて委くいふ 時は、姓は朝臣、眞人、宿禰、連等也、氏は源平藤橘の類也、其後其子孫、別に名乘る號は、氏をかさねたる也、源氏の一内に、新田氏、足利氏、畠山氏、細川氏、其外品々あり、平氏の内にも、伊勢氏、織田氏、相馬氏、有川氏等あり、姓は木の根本の如し、氏は枝葉のごとし、
頭註、源氏を源姓、平氏を平姓ともいふは、姓も氏もうじどよむゆゑ、姓氏の二字を通用して云也、誤也、姓はカバネ、氏はウジ也、

〔日本書紀通證〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0017 桓武紀曰、在官命氏、因土賜姓、〈舊唐書劉祥道傳曰、兩漢用人亦久居其職、所以因官命一レ氏、〉
今按、此互文然未必也、春秋傳曰、天子建德因生以賜之土而命之氏、本邦亦略同、〈姓氏録序曰、神武臨夏東征之年、謹德考功、胙土命氏、國造縣主始號於斯、〉而彼國男子稱氏、婦人稱姓、〈鄭曉曰、姓字从女生、上古八大姓皆从女、〉氏所以別貴賤、姓所以別昏姻也、〈見五雜爼〉特本邦天統定一種、故無其姓、〈西土書、或謂姓王、或謂姓阿毎氏、皆傳聞之妄耳、〉皇子諸王賜姓、別諸臣列復踐一レ祚、〈昭宣公之議詳見大鏡、所謂親王諸王諸臣之目是也、〉姓之所因起於官爵、〈舊事紀曰、宿禰之官、〉是以或陟之、或貶之、〈事見允恭紀天武紀、又有大氏小氏、見天智起、〉又男女倶幷稱氏姓、或稱姓于名下、〈守屋大連、馬子宿禰等是也、元正紀詔、太政官處分、唱考之曰、三位稱卿、四位稱姓、五位先名後姓、自今以來永爲恒例、〉此所以與彼邦也、但後世混氏姓、不復分則彼此惟同矣、大抵上古姓、有君臣造直史首縣主國造等天武天皇八色之姓、以混天下萬姓、〈其事具見于本紀、陰山氏謂、八姓猶八省之意也、〉而今所稱纔二三耳、諸氏或以職品者、如中臣忌部是也、或以國群者如山葛城是也、姓氏録立三體、曰神別、曰皇別、曰諸蕃、弘仁弘記序爲之四種、神胤、皇裔、慕化、古風是也、〈註曰、中臣朝臣、忌部宿爾等爲神胤、息長眞人、三國眞人等爲皇裔、東漢西漢史、及百濟氏等爲慕化、高麗、新羅、及東部後部氏等爲古風、〉姓訓之軻波禰(カバネ)、蓋骨族之謂、〈骨訓可波禰、見顯宗紀、續日本紀根可婆禰、〉姓氏録序所謂人民氏骨此儀也、〈氏訓宇治、與伊都、音相通、蓋所謂出自之義也、唐書東夷傳曰、新羅其族名、弟一骨、第二骨、以自別、東國通鑑曰、眞骨王族也、〉通言則姓兼氏、如謂姓某氏、源平藤橘、稱卿爲四姓是也、〈宗景濂日東曲云、藤橘源平族、四家連城、甲第競豪華、自註藤、橘、源、平、國中 四大姓、〉析言則源平藤橘之類氏也、朝臣宿禰之類姓也、〈忍海記、以朝臣宿禰臣連日本四姓、近古義、〉後人不于此、妄用尸字、別之姓氏者謬矣、〈今士庶以家稱號氏、叉謂之名字、以其鄕里本貫名田字之故也、作苗字者不是、漢菫仲舒傳、限民名田、以贍不足、註名田占田也、〉 右姓氏

〔古事記傳〕

〈三十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0018 氏姓は宇遲加婆禰(ウヂカバネ)と訓、宇遲と云物は、常に人の心得たるが如し、〈源平藤原などの類是なり〉加婆禰と云は、宇遲を尊みたる號にして、卽字遲をも云り、〈源平藤原の類は氏なるを、其をも加婆禰とも云なり、〉宇遲ももと賛て負たる物なればなり、〈是はた言は賛たる言に非るも、負たる意はほめたるもりのなり、〉又朝臣宿禰など、宇遲の下に著て呼ぶ物をも云り、此は固賛尊みたる號なり、又宇遲と朝臣宿禰の類とを連ねても加婆禰と云り、〈藤原朝臣、大伴宿禰などの如し、〉されば宇遲と云は源平藤原の類に局(カギ)り、〈朝臣宿禰の類を字遲と云ることは無し〉加婆禰と云は、宇遲にも、朝臣宿禰の類にも、連て呼ぶにも亘る號なり、宇遲と加婆禰との差別大かた如し、さて宇遲加婆禰と連ねて云には、宇遲〈源平藤原の類〉加婆禰〈朝臣宿禰の類〉とを分て、並べて云るもあり、又たヾ何となく重ねて云るもあり、此の氏姓何れに見ても違はず〈さて宇遲に氏字を書くは、よく當れり、加婆禰に姓字は、當ろ處と當らぬ處とあり、然るを世人宇遲加婆禰の義を、ひたすら此氏姓字に因て分別むとする故に、いとまぎらはしきが如し、故今これを委曲に辨へ云む、まづ漢國にて、姓と氏との事まぎらはしきが如くなる故に、此間の宇遲加婆禰の事、此字につきていよ〳〵まぎらはしく思ふなり、かの國にて姓と氏とは別なるが如くなれども、常に通はして一にもいへり、姓某氏と云るにて知べし、然れとも用ひざまは同じからず、姓某氏とは常にいへとも、氏某姓とは云ること無きにて知べし、さて源藤原の類は、姓と云ても、氏と云ても宜しく、凡て宇遲加婆禰と云に、氏姓寸と書くも當れることなれども加婆禰と云中に、姓字の當らぬ處ある故は、いかにと云に、朝臣宿禰の類は、漢國には無き物なれば、是に當る字は無きなり、姓字には源藤原などを云時の加婆禰には當れとも、朝臣宿禰の類を云時の加婆禰には當らざるを、 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00015.gifて漢文に書むとする時は、止事を得ず此字を用ひて、書紀などに賜姓曰朝臣など書れたるから紛れて、朝臣宿禰の類を姓、藤原大伴の類を氏と心得たる人もあれど非なり、若然云ときは、源も平も藤原も共に朝臣なれば、皆同姓と爲むか、されば朝臣宿禰の類を姓と心得ては、源藤原の類と混ひて分別なし、故後世の書どもには、朝臣宿禰の類には、尸と書て分つなり、此はたヾ借字なれば、姓字を書むよりに紛れなくて勝れり、然れども正しき漢文には、尸字などは書くべくもあらざれば、姑く姓と書むも難なし、讀人の心にわきまへて字に惑ふまじきなり、凡て寓の言、漢字によりて意を誤ることは常なる中に、此加婆禰の事に、殊に字に依て人の思び惑ふことなり、ゆめ〳〵姓字には拘はるべからず。此字を忘れて思ふべきなり、〉

〔類聚名物考〕

〈姓氏九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0018 姓氏 うぢかばね
この姓を訓て訶波禰(カバネ)といふは、骨族の如し骨を可波禰といふ事、顯宗紀にも、又續紀にも、根可婆禰の事有、されば姓氏録の序にいへる、人民の氏骨の義に、たどへたり、これに又對ていふと 單へにいふとのわかち有、かね通じていへば、姓すなはち氏を尊たら、又姓某氏言ぎいふが如き、源平藤橘を四姓といふが如きこれなり、又柝ていふときは、源平藤橘の類ひは氏にて、朝臣宿禰の類は姓なり、さればこの四姓だいふは後世の俗に出たるものなら、よで忍海記には、朝臣宿禰臣連を四姓なりといへるは、その聞傳へし所古意に出たり、後人これらを思ひわかず、姓氏のまぎれやすきにしかねて、尸字を用ゐて、姓氏にわかちてんとするは謬なり、〈○中略〉
按に姓氏二つにして一つ、また一つにして二つなり、ただへば姓字はかばねだもうぢども訓べけれざも、氏字はうぢことのみ訓て、かばねと訓事あたはずかばねだ云字さだかならず、尸と書も借字、骨名と書も、みな借假の字に似たり、されば姓氏録〈中ノ卷七十一左〉土師宿禰の條下に、光仁天皇天應元年、改土師菅原氏勅改賜大江朝臣姓と云にてもしられたり、姓はかばねといふに相通はし用ゐたり、天武天皇紀に、十三年十月己卯朔に、詔して八色の姓を定めらる、朝臣眞人以下の八品なり、同日に守山公以下十三氏に姓を眞人と賜ふと有によれば、眞人等はかばねにて、卽ち姓なり、然るに萬多親王の姓氏録の表に、一千一百八十氏を集むるよし有ば、うぢかばね、姓氏の字を共に相通はし用ゐたりとも云べし、姓字もうぢどよみ、氏字も尸とかよはしてかばねなれども、別ていへば姓はかばねにて朝臣眞人の類ひ、氏は源平藤橘の類なり、或人云、後にも源朝臣の姓を賜、橘朝臣の姓を賜ふといへども源橘の氏ばかりを賜ふとはなし、〈○中略〉すべて源氏といふはよろし、源姓だはいふべからす、源朝臣姓とは云べし、又源家平家と云は猶あたらず、

〔秇苑日渉〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0019 姓氏
本邦、眞人朝臣之類、受之天子者爲尸、尸卽姓也、如源平紀橘藤原淸原之類、或受、之君、或身自爲之者爲氏、〈此云鄔寔〉其命氏有國者吉備飛多是也、以邑者、小野菅原是也、以官者刑部采女是也、以事者錦 部酒部是也、以功者治田垂水是也、以居者柿本田邊是也、〈通雅曰、柳芳曰、後世或氏於國、則亝魯秦呉、于諡則文武成宣、于官則司馬司徒、于爵則王孫公孫、于次則孟孫叔孫、于字則展康藏氏駟氏國氏、于居則東門北郭、于志則三烏五鹿靑牛白馬、于事則巫乙匠陶、〉世或以源平紀橘藤原淸原之類姓者誤矣、故國史書曰、賜姓曰眞人、曰朝臣、宿禰、曰連、又有姓氏之者、曰賜姓源朝臣、曰賜姓橘宿禰、罕特曰姓源姓橘矣、可見朝臣宿禰是姓、因寶冑官閥之、氏則不必受之天子、人々有之、後世子孫、傍支別屬、則或以地、或以事、各自命氏、俗謂之苗字苗字卽族也、

〔過庭紀談〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0020 斥非ニ、又雖我日本人、亦皆有姓族卽立之族卽當其族、稱族者所以的知其人也、今人乃有族而稱姓者、姓之所被甚廣云々ト云ヘリ、是亦大ナル杜撰妄説ナリ、シカシ是レハ太宰一人ニモ不限、世上ノ人加樣ニ謬リテ心得居ル者多キ故ニ、太宰バカリヲ笑フベキニハアラザレドモ、是レハヤハリ世俗無學ノモノヽ思へル通リニ、源平藤橘ノ類ヲ姓ナリト心得、源平藤橘ノ類ヨリ分レテ、唯今用ル所ノ苗字ヲ氏卜心得シナタ、是レ大ナル謬妄ナリ、凡ソ日本ノ姓氏、是レハ姓、是レハ氏ト、二ッニ分ッ時ニハ、源平藤橘ノ類モ皆姓ニハ非ズ、國史ニ賜源姓、賜平姓ノトアルモ、アレハヤハリ唯今ニテモ賜松平姓ノ、複姓ノ、單姓ノ、姓ハ何氏ノト云フ姓ノ字卜同ジ義ニテ、姓卜氏トヲ二ッニ分シコヽロノ姓ノ字ニハ非ズ、唯何ノ事モ無ク、苗字卜云コトナリ、然ルヲ世俗ニ、國史ニ云ヘル、賜源姓ノ、賜平姓ノト云類ノ姓ノ字ニ限リテ、姓卜氏トヲ二ッニ分ルトキノ姓ノ字ナリト心得ルハ、大ナル謬ナリ、ソレヲイカニト云ニ、右ニ云ヘル如ク、氏ト-姓トヲ二ツニ分ツ時ニハ、姓ハ平生男子ノナノルモノニハ非ズ、然ルニ源平藤橘ノ類、賴朝時分マデハ、士庶人マデモ平生是レヲナノリ、今トテモ公家ニハ平生コレヲナノリ玉フ、是既ニ姓ニ非ズ氏ナリ、ソノウヘ國史ノ賜源姓ノ、賜平姓ノナドヽアル類、姓卜氏トヲ二ッニ分ケシ意ノ姓ノ字ナラバ、姓ハ男子ノナノル者ニアラザレバ、極テ姓ハ源、氏ハ何ト賜ル筈ナリ、シカルヲ別ニ氏ヲ何トモ賜ハラズシテ、唯源トナノレ、平トナノレト云フコトニテ賜ハリシモノナリ、姓卜氏トヲ分ツ 時ノ姓ナレバ、極テ姓ニ氏ヲソヘテ賜ハルモノナリ、故ニ天子賜姓命氏卜云ヘリ、武王胡侯ニ姓ヲ嬀卜賜ヒ、氏ヲ陳ト賜ヒシ類、枚擧ニ暇アラズ、イヅレニモ姓ヲ玉ハル位ナレバ、極テ別ニ氏ヲソヘテ賜ハルコトナリ、氏ヲ賜ハラザレバ男子ノナノルモノモナシ、モシ其姓ヲナノレバ、姓トハイハレズ、ソレハヤハリ氏卜云モノナリ、愚盲ナル人此説ヲ聞テ、其理屈ハ皆唐土ノ法ナリ、日本ハ日本ニテ、唐土ノ禮法ト同ジカラザレバ、日本ノ源平藤橘ノ類ハ、ヤハリ姓ナリ、唐土ニテハ男子ハ姓ヲナノラヌ禮法ニテアルベケレドモ、日本ニテハ唐土ト違ヒテ、男子モ姓ヲナノル法ナルベシト思フベケレドモ、左ニハ非ズ、國史ニイヘル、賜姓源姓平ノ類ハ、ヤハリ源ト云フ苗字ヲ賜ヒ、平ト云フ苗字ヲ賜フト云フコトニテ、漢高ノ婁敬ニ賜ニ姓劉、武帝ノ曰磾ニ賜姓金、隋ノ煬帝ノ章仇太翼ニ賜姓盧、魏ノ世祖ノ禿髪賀ニ賜姓源シ類ニテ、今ノ賜松平姓ト云フト同ジコトナリ、唯何ノコトモ無ク苗字ト云コトナリ、姓ト氏トヲ分ケテ云トキノ姓ノ字ノコヽロニテハサラ〳〵無シ、ソレ故昔ヨリ今ニ至ルマデ、源平藤橘ノ類ノ其族ニ長タル人ヲ氏ノ上ミ、氏ノ長者源氏ノ長者、藤氏ノ長者ナドヽハ云ヘドモ、姓ノ長者トモ、姓ノ上ミトモ云ハズ、又其祖トスル所ノ神ヲ氏神トハイヘドモ、姓神トハイハズ、又タトヘバ藤原氏ナドモ、モト仲哀天皇ノ時、卜部ノ姓ヲ賜ハリ、其後常盤ノ大連ニ至テ、卜部ノ姓ヲ改メテ中臣ノ姓ヲ稱シ、其後鎌足ニ至テ中臣ヲ改メテ藤原ノ姓ヲ賜フ、姓卜氏トヲ二ッニ分ケル時ノ姓卜云モノ、左樣ニ毎度改ルモノニ非ズ、既ニ毎度改メシナレバ姓トハイハレズ、尤別ニ新ニ國ヲ建テ氏ヲ命ゼラルヽ時、今迄ノ姓ヲ改メテ、別ニ姓ヲ賜ハルコトハ有ルコトナレドモ、ソレハ格別ノコトニテ、藤原氏ナドノ例ニハ非ズ、

〔大勢三轉考〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0021 骨の代
上ッ代の加婆禰(カバネ)てふことは、自なる皇國の制度にして、外國の制度に無き事なれば、文字も姓の 字など當たれど當りがたく、職の如くにして職にもあらず、名の如くにして名にもあらぬ制度にはありけり、〈○中略〉さてその加婆禰てふ語意をいかにと考るに、姓氏録に、氏骨とある骨(ホネ)の字の義なるべし、〈崇名(アガマヘナ)などの説もあれど、いと迂遠にして諾ひがたし、〉骨は凡人倫をはじめ、生としいけるもののみならず、器物の上にもいへる事にて、〈扇骨鞍骨などのことし〉肉も皮もみなこの骨を本とし、成々て身となるがごとく、この加婆禰も同じ義にて、そは鳥取部と云一部ありて、其を主り率ゐて仕奉るを鳥取造こいふ、その造なん一部の根本にして、支體にとりては骨のごとくなん有ける、かの草木の根を株といふも同じ語意なり、〈今の代にも、一組を株といふ事ありて、そは同心株、問屋株の類なり、これすなはち骨の義にちかし、〉よりて考えるに、氏てふ言は、生血の義にて、血脈の流を稱ふる言、加婆禰は骨にて、一部を統る言なるべし、氏は血脈に附たる唱なれば、同血脈の外に唱る事なく、骨は其部によれる唱なれば、諸氏にわたりて呼來れり、そは紀氏は紀氏、物部氏は物部氏にして其すぢに限りて唱へ、骨は紀氏も臣、出雲氏も臣ととなへ、物部も大伴も皆連と唱ふるがごとし、そも〳〵この氏と骨の二くさは、人の身にとりて、本とも本たる極なれば、支體にならひて、血だ骨ともて稱たるは、さる事ならすや、續紀に根加婆禰改給比など、根てふ言を添ても云るは、殊に親しく聞ゆ、又姓の字を書ことは、古く紀記ともに出たれど、此字は當る處もあり、あたらぬ處もありて、そはもと漢國に、此かばねてふことはかつてなきことなれば、親しく當べき字なければなり、此辨は古事記傳に委しく説れたれば、更にいはず、されば假字とおもふ骨の字は正字にして、中々に姓の字なん假字には有ける、さるをふるく姓の字を書れたるは、大方はこの字にて當る處もあるうへ、骨の字はゆヽしきかたにも見え、〈笏音忽なるを、忌てさくと訓るをもおもへ、〉はたよろづ漢樣に物せらるヽ手ぶりなれば、つひに姓の字を當られたるにぞありけん、然れざも、もとあたりがたき字なる故に、源平をも姓といひ、朝臣宿禰をも姓といふごとく、粉はしき事とはなりにたり、

〔標註職原抄別記〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0023 氏長者
上古わが朝に、臣民を御たまへる制は、官位をば用ひ給はで、姓氏になむ因らせ給へりける、さるは姓は公家に仕るかたの職名、氏は族類を別つかたの稱號とこヽろえなば、おほやう違ふべからず、〈○註略〉そはいかにといふに、姓を加婆禰〈續日本紀に骨名、また根可婆禰共あり、尸とかけるは古書に甚多し、〉と云は、頭根(カブネ)の義にて、〈夫(フ)と婆(バ)と通音なり、頭を加夫と訓むは、頭椎劒の例にて知 べし、〉氏中の宗長たる者、その頭として同族を率ひ、公家に仕奉るよりいふ稱にて、中臣忌部の職は、上件の如くなれば更にもいはず、たとへば膳臣は、景行天皇の御代に、膾を調で進りしに、其味美かりしかば、膳大伴部をたまへりき、それより以來膳部等を率ひて仕奉るを職とせり、また土師連は、垂仁天皇の御代に、埴輪に替て人命を助たりける功によりて、土師連をたまへりき、それより以來土師等を率ひて仕奉るを職とせり、その外鳥取部の飛鵠を捕り、和藥の牛乳を獻て名を得たる類、皆その職名を同族にわかちて、これを氏といひ、〈氏を宇知といふは、或説に内の義なりといへり、さもあるべき歟、なほ考べし、〉某氏人を統掌て仕るこれを姓(カバネ)といふ、されば臣姓の人は、その臣にかヽれる職名を負たる氏々を率て仕まつり、連尸の人は、その連にかヽれる職名を負たる氏氏を率て仕まつり、直も首も忌寸も別も、皆かくの如くにて、臣連二造、ことごとく大臣大連の二大臣に統攝られたるが、太古職を代々にする世の制なりき、

〔大日本史〕

〈氏族一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0023 按氏讀爲宇遲(ウヂ)、姓讀爲加婆禰(カバネ)、上世所謂宇遲者、概其職名、家世相承爲號、加婆禰卽所以別尊卑也、宇遲加婆禰、古史以氏姓二字之、然當時多併宇遲加婆禰之氏、氏姓無太分別、且所謂加婆禰者、與姓字義差異、故古書或用尸骨等字、義亦不通、但日本書紀、諸氏賜眞人朝臣等、必書曰姓、古語拾遺、謂中臣齋部等氏、朝臣宿禰等爲姓、書法最易見、故今從之、其古史併氏骨氏書姓者、亦皆仍原文、及後世、搢紳皆有家號、以別其族、而國郡武士亦傚之、各因其居地以爲稱號、俗謂之名字、而子孫相承、以爲名號、則與氏無異、世竟因稱曰氏族、故今亦適宜用其稱、然古者 氏姓、必受之天子、而所謂名字、皆出於私稱、不古氏相混、讀者宜辨別焉、

大小姓

〔倭訓栞〕

〈前編四/宇〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0024 うぢ 古へ大氏小氏の別あり、天智紀に見えたり、

〔姓序考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0024 氏上
氏とは源平藤原秦などのたぐひのものを云り、其氏に大氏小氏のけぢめあり、そを云は、阿倍氏〈孝元天皇皇子大彦命之後〉は大氏なり、是より別れたる阿倍志斐、阿倍間人、阿倍長田、阿倍陸奥、阿倍安積、阿倍信夫、阿倍柴田、阿倍曾津、安倍猨島、阿倍久努、阿倍小殿、和安部等はみな小氏なり、又物部氏〈神饒速日命之〉後は大氏なり、自是別れたる物部肩野、物部韓國、物部飛鳥、物部門、物部多藝、物部石上、物部射園、物部淨志、物部海、物部鏡、物部匝瑳、物部中原、贄田物部、相槻物部、坂戸物部、二田物部等みな小氏なり、小氏は大氏にしたがへるもの也、
○按ズルニ、氏ノ大小ハ、其族ノ廣狹ヲ以テ別ヅモノアリ、宜シク次下引ク所ノ天智紀、古語拾遺等ヲ參考スべシ、

〔日本書紀〕

〈二十七/天智〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0024 三年二月丁亥、天皇命大皇弟、宣增換冠位位階名、及氏上民部家部等事、〈○中略〉其大氏(○○)之氏上賜大刀、小氏(○○)之氏上賜小刀

〔日本書紀〕

〈三十/持統H 四年四月庚申、詔曰、百官人、及畿内人、有位者限六年、無位者限七年、以其上日定九等、四等以上者、依考仕令、以其善最功能、氏姓大小(○○○○)、量授冠位、〉

〔古語拾遺〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0024于淨御原朝、〈○天武〉改下萬姓、而分爲八等、唯序當年之勞、不天降之績、其二曰朝臣、以賜中臣氏、命以大刀、其三曰宿禰、以賜齋部民命以小刀、其四曰忌寸秦漢二氏及百濟文氏等之姓、〈蓋與齋部共預齋藏事、因以爲姓也、今東西文氏、獻祓大刀、蓋亦此之縁也、〉

姓有三別

〔新撰姓氏録〕

〈序〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0024 今依見進以類詮矣、本其元生、則有三體、〈○中略〉天神地祇之冑、謂之神別、天皇皇子之派、謂之皇別、大漢三韓之族、謂之諸蕃、所以別同異前後、是爲三體也、

〔古史徵〕

〈一夏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0025 元生とは諸氏々の生(イデ)たる元をいふ、〈○中略〉天神とは、天に生坐る神等をいひ、地祇とは、地に生坐る神等をいふ、其御冑を神別といふ由なり、〈神より別たれば云るなり〉さて此神別に、また天神天孫地祇の別を立られたり、天神は天之御中主神、高皇産靈神、神皇産靈神、津速魂命を始め、其餘の天神たちの御裔をいひ、天孫は天照大御神より鵜草葺不合命までの御子孫をいひ、地祇は國に成坐る神たち海神の御未までを云なり、〈但し遇々には此例を誤られたる事もあり、其は天押穗根命の御裔の弓削氏を左京神別下に地祇に修れ、天道根命の裔たる滋野大村大家などを右京神別下に天孫に修れ、同命の裔伊蘇志臣を大和國神別に天孫に修れ、振魂命の裔たる掃部連を何所も天神に修られたる類も多かり、實は天押穗根命の御裔は天孫に入り、道根命の裔は天神に入り、振魂命は和多都美神の子なれば、其裔は地祇に入るべき物なるをや、なほ此類多ければ、心を著て辨ふべし、〉天皇皇子之派、謂之皇別は、神武天皇より以下、凡て皇子たちの御派を皇別と謂ふ由なり、〈皇より別れたる意なり、釋紀に、私記曰、案王子枝別記去、文武天皇、少名阿琉皇子、天武天皇太子、草壁皇子尊之子也云々と引り、古くはかヽる記も有けり、〉大漢三韓之族、謂之諸蕃は、大漢の大は尊め稱るに非ず、唯三韓に對へて、文字の列を合さむとてなり、〈○註略〉蕃は美夜津(ミヤツ)古具邇(コクニ)と訓て、皇朝の御奴と爲(ナシ)給へる語なり、〈○註略〉さて其蕃國の人どもの族をば話蕃ヾと謂て、神別皇別諸蕃、これを三體と爲たる由なり、〈弘仁私記序には、此を四種として、神胤皇裔、指掌灼然、慕化古風、擧目明白といひ、其自註に、中臣朝臣忌部宿禰等爲神胤也、息長眞人三國眞人等爲皇裔也、東漢西漢史、及百濟氏等爲慕化、高麗及東部後部氏等爲古風也といへり、〉

〔古史徵〕

〈一夏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0025 氏は姓氏録に、皇別神別語蕃と別たる如く、元來は氏の貴賤を分別あるを朝廷にして撰び給ひ、さて其人の品に叶へて、時々の職々に定おきて、八十伴男を治めしめ給ひ、或は殊更に由縁ありて功しかりし限は、生子の八十連屬に其職を知らせ給ふ、神ながらなる御政の式なる、然るを後の御々世々に氏の貴賤の差別なき、賤しき、漢國人の賢だてるを貴べる俗の此方にも漸々に移ろひて、上古の正き御政の御式は沿革(カハリ)たるが如くなれど、然すがに其趣はノ廢果ずて遺り行術はるヽは、天の下に類なかるべし、抑この人品に貴賤の差別ありて、下の下までも其差別の在がまに〳〵天の下に上なく貴き天皇の御心のまに〳〵、各々等が爲には、善くも惡くも伏 從ひ奉仕るぞ、道でふ道の大道なれば、下が下まで、此大道を受持て、臣は臣として其君に忠やかなるべきこと、千位萬世に動なきぞ浦安國の尊き御國柄なる、漠國の儒道にては君臣有義といふは、其國柄にしては相應べけれど、此方の大道より見れば、甚かたわにぞ見ゆめる、

〔釋日本紀〕

〈一/開題〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0026 弘仁私記序曰、〈○中略〉淸足姫天皇〈○元正〉負扆之時、〈○註略〉親王〈○舍人〉及安麻呂等、更撰此日本書紀三十卷、幷帝王系圖一卷、〈○中略〉神胤(○○)、皇裔(○○)、指掌灼然、〈中臣朝臣忌部宿禰等爲神胤也、息長眞人三國眞人等爲皇裔也、〉慕化古風(○○○○)、擧目明白、〈束漢西漢史、及百濟氏等爲慕化、高麗新羅及東部後部氏等爲古風也、〉

〔古史徵〕

〈一夏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0026 神胤皇裔慕化は、通(キコ)えたれど、古風と言るは、いまだ考へ得ず、

〔氏族考〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0026 この古風と云事は詳かならねど、類聚國史に、國栖隼人蝦夷などの類を風俗と云るが如き意にて、秦漢とはかはりて、自ら風俗の古樸なる由にて、古風とは云りしなるべし、
〇按ズルニ、古風ハ占風ノ誤ナルべシ、三代實録貞觀元年六月二十三日丁未、太政官、渤海國ノ中臺省ニ送ル牒ニ、扶桑崇浪、日域遐邦、欲占風(○○)〈○占風二字原作古風、今據類聚國史、〉而一レ桂席、期歳而寄一レ音、泛々輕舟、罕過雲之水、拳々方寸、彌增霧之情云々トイヘル、以テ徵トスベシ、

姓氏初見

〔新撰姓氏録〕

〈序〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0026 蓋聞天孫降襲、西化之時、神世伊開、書記靡傳、神武臨夏、東征之年、人物漸滋、梟帥問起洎乎神劒下授、靈鳥于飛、歸星陣、群凶霧散、膺受明命、光宅中州、泰階平齊、海内淸謐、卽而謹德考功、胙主命氏、國造縣主、始號於斯

〔古史徵〕

〈一夏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0026 文は春秋左氏傳に、天子因生以賜姓、胙之土而命、と有に因て記されたるなり、さて皇國には、宇遲といひ加婆泥と云は、漢國にいはゆる姓氏とは甚く異にして實は漢土にいはゆる姓氏ともに、皇國のいはゆる字遲なり、彼國には加婆泥は無れば、此語に塡べき文字なき故に、姑く姓字をも書來つれども正字には非す、故古くは尸字骨字などを書るものなり、

〔古史徵〕

〈一夏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0026 國造縣主、始號於斯と有れど、此兩號などは、決めて神世よりの稱なるべく所思ゆ、

〔春秋左氏傳〕

〈一/隱公〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0027 八年八月、天子建德、因生以賜姓、胙而命之氏

〔神皇正統記〕

〈神武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0027 神代より至て尊きを尊といひ、その次を命といふ、人の代となりては天皇とも號し奉る、臣下にも、朝臣宿禰臣などといふ號出來にけり、神武の御時よりはじまれる事なり、

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0027 伊邪那岐大神、〈○中略〉於水底滌時、所成神名、底津錦〈上〉津見神、〈○中略〉於中滌時、所成神名中津綿〈上〉津見神、〈○中略〉於水上滌時、所成神名、上津綿〈上〉津見神、〈訓上云宇閉○中略〉此三柱綿津見神者、阿曇連等之祖神以伊都久神也、〈伊以下三字以音、下、效此、〉故阿曇連等者、其綿津見神之子、字都志日金拆命之子孫也、〈宇都志三字以音〉

〔日本書紀〕

〈一/神代〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0027 一書曰、底浄少童命、中津少童命、表津少童命、是阿曇連等所祭神矣、

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0027 多紀理昆賣命者、坐 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00010.gif形之奥津宮、次市寸嶋比賣命者、坐 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00010.gif形之中津宮、次田寸津比賣命者、坐 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00010.gif形之邊津宮此三柱神者、 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00010.gif形君等之以伊都久三前大神者也、

〔日本書紀〕

〈一/神代〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0027 天穗日命、〈是出雲臣、土師連等祖也、〉次天津彦根命、〈是凡川内直山代直等祖也〉

〔日本書紀〕

〈一/神代〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0027 天照大神、〈○中略〉乃入于天石窟、閉磐尸而幽居焉、〈○中略〉于時八十萬神、會、合於天安河邊、計其可禱之方、〈○中略〉中臣連遠祖天兒屋命、忌部〈○部下恐脱首字〉遠祖太玉命、〈○中略〉相與致其祈禱焉、又猿女君遠祖天鈿女命、則手持茅纒之矟、立於天石窟尸之前、巧作俳優

〔日本書紀〕

〈一/神代〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0027 一書曰、日神尊、〈○中略〉廼居于天石窟、閉其磐尸、于時諸神憂、乃使鏡作部遠祖天糖戸者造鏡、忌部遠祖太玉者造幣、玉作部遠祖豊玉者一レ玉、

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0027 爾天照大御神、高木神之命以、〈○中略〉科詔曰子番能邇邇藝命、此豊葦原水穗國者、汝將知國言依賜、政隨命以可天降、〈○中略〉爾天兒屋命、布刀玉命、天宇受賣命、伊斯許理度賣命、玉祖命幷五伴緒矣、支加而天降也、〈○中略〉故其天兒屋命者、〈○中臣連等之祖〉布刀玉命者、〈忌部首等之祖〉天宇受賣命者、〈猨女君等之祖〉伊斯許理度賣命者、〈鏡作連等之祖〉玉祖命者、〈玉祖連等之祖〉

〔日本書紀〕

〈二/神代〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0028 一書曰、天照大神、乃賜天津彦彦火瓊瓊杵尊、八坂瓊曲玉、及八咫鏡、草薙劒三種寶物、又以中臣上祖天兒屋命、忌部上祖太玉命、猿女上祖天鈿女命、鏡作上祖石凝姥命、玉作上祖玉屋命、凡五部神、使配侍焉、

制度

〔日本書紀〕

〈二十九/天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0028 十年九月甲辰、詔曰、凡諸氏有氏上未定者、各定氏上、而申送于理官(ヲナムルツカサ)

〔標註職原抄別記〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0028 氏長者
和名抄に、治部省、乎佐牟留都加佐と見ゆ、職員令に、冶部省、掌本姓繼嗣云々とあれば、理官は卽治部省なり、

〔日本書紀〕

〈二十九/天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0028 十一年八月癸未、詔曰、凡諸應考選者、能檢其族姓及景迹、方後考之、若雖景迹行能灼然、其族姓不定者、不考選之色

〔令義解〕

〈一/職員〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0028 治部省
卿一人掌本姓〈謂猶姓、其姓氏者、爲人根本、故連言也、〉繼嗣〈謂五位以上嫡子也、繼嗣令、定五位以上嫡子者、陳牒治部是也、〉婚姻〈謂五位以上嫡妻子也、爲重繼嗣故、兼知其生服也○中略〉事、〈○中略〉大解部四人、掌問譜第爭訟、〈謂窮間譜第之爭訟、定其族姓之次序、其解部是爲別司、不同員也、〉少解部六人、掌同大解部

〔令集解〕

〈四/職員〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0028 釋云、本姓者、天下諸氏之本姓也、唯無本姓文、從人爭訟解問耳、跡云、本姓、謂有姓者、官注其狀、給民部治部耳、穴云、本姓、謂或云、譜第爭訟時、問定是、譬猶刑部、注云、良賤名籍也、博士依之説、或云、同先、私記古記云、本姓者、諸人姓氏也、

〔續日本紀〕

〈十八/孝謙〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0028 天平勝寶三年二月己卯、典膳正六位下雀部朝臣眞人等言、磐余玉穗宮〈○繼體〉勾金椅〈○椅原作崎據一本改〉宮〈○安閑〉御字天皇御世、雀部朝臣男人爲大臣供奉、而誤紀巨勢、男人大臣、眞人等先祖巨勢男柄宿禰之男有三人、星川建日子者雀部朝臣等祖也、伊刀宿禰者輕部朝臣等祖也、平群宿禰者巨勢朝臣等祖也、淨御原朝廷〈○天武〉定八姓之時、被雀部朝臣姓、然則巨勢雀部雖元同祖、 而別姓之後大臣、當今聖運不改正、遂絶骨名之緒、永爲無源之氏、望請改巨勢大臣雀部大臣、陳名長代、示榮後胤、大納言從二位巨勢朝臣奈氐麻呂亦證明其事、於是下知治部(○○○○)、依請改正之、

〔令義解〕

〈二/戸〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0029 凡戸籍恒留五比、〈謂六年爲一比、謂之比者、比校之義、言卅年籍、恒留不除、若有紕繆者、所以相比校也、〉其遠年者依次除、近江大津宮庚午年籍(○○○○)不除〈謂雄朝津間稚子宿禰尊(允恭)御世.諸氏爭姓、紛亂不定、卽盛煮湯、令手技欖、詐僞者爛、眞識者全、於是定姓造籍、是爲庚午年籍也、〉
○按ズルニ、是爲庚午年籍也ハ、恐ラクハ是爲庚午年籍所一レ本也ナドノ誤ナラン、

〔古史徵〕

〈一夏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0029 戸令に、〈○中略〉凡戸籍恒留五比、〈○中略〉とある條の本註に、近江大津宮庚午年籍不除と見え、〈近江大津宮とは、天智天皇の宮所をいへり、〉此の義解に、雄朝津間稚子宿禰尊御世、〈此は允恭天皇の大御名なり〉諸氏爭姓、紛亂不定、卽煮湯手探、詐僞者爛、眞誠者全、於是定姓造籍、是爲庚午年籍也とあり、〈此文に眞誠者全と云るまでは、允恭天皇の御世に有し事を云るにて、上文に注せるが如し、於是定姓と云より以下は、天智天皇の庚午年に戸籍を造しめ賜へる事を云て、其は允恭天皇の御世に、既に云々の事有し故に、また然る粉亂の起らむ事を所思し坐て、姓を定賜ひ戸籍をも造しめ賜へる、是ね庚午年籍といふと云るなり、日本紀通證に、此義解の文を謬なりといひ、允恭御宇無庚午年と云るは、此意を思ひ得ざるなり、殊に允恭天皇の御宇に庚午年なしと云へれども、其十九年と云ける年は庚牛なりしかども、事を紀さヾる故に思ひ漏せるなりけり、〉本註に庚午年籍不除と有は、戸々の戸口姓氏を定め記されたる元籍なれば、此を以て本を糺し給ふにぞ有ける〈其は右京皇別下佐伯直の條に、譽田天皇の針間國に巡幸して、伊許自別命に針間別佐伯直姓を賜へる事を託して、爾後室至庚午年、脱落針間別 三字、偏爲佐伯直と見え、和泉國皇別大家臣の條に、天智天皇庚午年、依大家こ大宅臣姓と見え、右京神別下丹比宿禰の條に、仁德天皇の御世に、色鳴宿禰の丹比姓を負る事を託して、其後庚午年、依新家新家、爲丹比新家連也と見え、山城國神別神宮部造の條に、崇神天皇の御世に、吉足日命に宮能賣公の姓を賜へる事を記して、然後庚午年籍、註神宮部造也と見たるなどを思ひ合せ、また續紀にも、多く庚午年籍とて引出たるを考へ合せて辨ふべし、但し延暦十年十二月の下に、伊豫國越智郡人正六位上越智直廣川等五人言、廣川等七世祖、紀博世、小治田朝廷御世、被於伊豫國、博世之孫忍人、便娶越智直之女在手、在手、庚午年之籍、不本源、誤從母姓、自爾以來、負越智直姓、請依本姓紀臣之、と有を思ふに、天下の人民の萬姓を總録せる籍にて、卷數はた多ければ、かヽる誤も有けむは、まことに然も有べきことなり、さてまた姓氏録の左京皇別下葛城朝臣の條に、官府改姓と云書名見ゆ、此は右の如く改姓ありし事を記せる書なりしにや、〉

〔延喜式〕

〈十八/式部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0029 凡郡司者、一郡不併用同姓、若他姓中无人可用者、雖同姓、除同門外聽任、神郡陸奥縁 邊郡、大隅馭謨熊毛等郡者、不制限

姓名呼法/書式

〔令義解〕

〈七/公式〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0030 凡授位任官之日喚辭、〈謂在御所而授任之辭、其在官省、亦准此例也、〉三位以上先名後姓、〈謂假令喚云秦萬呂宿禰之類〉四位以下〈謂五位以上也〉先姓後名、以外三位以上直稱姓、〈謂直稱秦宿禰之類也〉若右大臣以上稱官名、四位先名後姓、五位先姓後名〈謂喚云秦宿禰萬呂之類也〉六位以下去姓稱名、〈謂直言秦萬呂、不宿禰也、卽授任之日、及以外並皆通稱也、〉唯於太政官、三位以上稱大夫、四位稱姓、五位先名後姓、其於寮以上、〈謂辨官以下也〉四位稱大夫、五位稱姓、六位以下稱姓名、司及中國以下、五位稱大夫〈謂一位以下通用此稱

〔令集解〕

〈三十六/公式〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0030 三位以上先名後姓、〈釋云、假令喚辭云、大伴萬呂宿禰、古記云、問姓與氏、若爲其別、答卽下文云、六位以下去氏者、案姓與氏無別、○中略〉六位以下去姓稱名、〈釋云、去姓稱名、謂授位任官以外並同、跡云、去姓稱名、謂去姓稱氏與一レ名也、稱氏與一レ名、謂假令云、大伴人麻呂大夫之類、朱云、去姓稱名、謂假如言大伴馬麻呂也、不宿禰字耳、〉

〔續日本紀〕

〈八/元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0030 養老五年十月癸未、太政官處分、唱考之日、三位稱卿、四位稱姓、五位先名後姓、自今以去、永爲恒例

〔續日本紀〕

〈二十/孝謙〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0030 天平寶字二年七月丙子、正六位上阿部朝臣乙加志、授從五位下、正六位上額田部宿禰三富、〈○富.一本作當〉戸憶志、根連靺輵、生江臣智麻呂.調連牛養、山田史銀、並外從五位下、三富本姓額田部川田連也、是日以額田部宿禰姓、便書位記之.

〔江家次第〕

〈二/正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0030 叙位入眼
上卿仰外記、令硯續紙等
此間令參議書二省下名〈近例請印了、上卿參上間書之、〉
書樣〈四位五位書姓尸名、六位不尸、依蔭書其本位、無一人、公卿不下名、〉

〔安齋夜話〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0030 姓尸書法 貞丈按に、省は式部省兵部省なり、式部省は文官の事を掌り、兵部省は武官の事を掌どる故に、位に叙したる人の姓名を書て、式部兵部へ授け下し給はるを下名と 云ふなるべし、此書き樣は職原抄の姓朝臣名朝臣の事とは違ひ、別の事なり、一に混ずべからず、下名の書樣江次第にあり、略之、〈○又見安齋隨筆

〔職原砂〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0031 參議八人
參議者、諸官之中、四位以上有其才之人、奉勅參議宮中政之意也、故非正官、然而除目任之又例也、四位任之者、猶稱某朝臣、三位以上稱占姓朝臣也、

〔故實拾要〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0031 名字朝臣
是名字朝臣ト云ハ、四位ノ參議ニ限ルコト也、譬バ定長朝臣親房朝臣ト書也、是ヲ名字朝臣卜云也、四品ノ參議ハ、如此名字朝臣ニ書ク也、此外ハ皆姓朝臣ニ書クコト也、

〔職官志〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0031 按五位以上、於此令〈○公式〉分稱謂、故養老五年十月、太政官處分云、唱考之日、三位稱卿、四位惟稱姓、五位先名後姓、自又有此格、而遣制猶見職原抄、謂四位參議稱名朝臣、三位參議稱姓朝臣是也、所謂名朝臣、卽先名後姓者、姓朝臣、卽先姓後名者、假如有藤原氏而朝臣姓者任參議、以其官貴重、故三位稱卿、以次其名、四位未轍稱一レ卿、尚以其官貴重、故先其名而後姓者、姓是榮號、所以明門品也、故曰稱之、猶准名爵

〔氏族考〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0031 授位任官の曰、人を喚ぶに名を先にして姓を後にすると、姓を先にし名を後にするなどこの制あり、〈○中略〉これ四位の上下に仍て其稱を分ちたるにて、いまだ加婆禰の尊稱なる奮制を失はざりしなり、〈職原抄參議の條に四位任之者、猶稱某朝臣、三位己上稱姓朝臣とあるも同じ趣なれど、後世朝臣の姓いと尊く、顯貴の人はみな朝臣なりし故に、かくは轉れるなり、〉

〔多々良問答〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0031 一世話に平國淸盛朝臣と申候、此寶名に付候尸(カバネ)不審に候、公卿にては有べく候哉如何、
〈是ハタヾ自然ニ、カヤウニゾ申付候タラン、但總而ハ朝臣ノ字ハ、宣命ナドニハ大臣ヲモ何ノ朝臣ト載之候間、カヤウニ付テ喚候ハンズルモ、子細ハナキ事候歟、雖然常ニハ不然候、〉

〔八雲御抄〕

〈二/作法〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0032 一歌書樣
同姓は藤原人許ならば不姓、他姓は可之、又源平已下人家同之、親王も有臣字、〈具平々々如此〉雖禁中内々事、又中役以前には、唯詠某題、詠何首和歌など書て、權大納言藤原某、左衞門督源某也、或書兼官、或書本官、多は本官也、參議左近中將なども書、普通には參議某也、或略姓、如法當座などに納言巳上などは可時、上字は通光卿常書、但應製臣上は一を不書といへり、兼行も不之、藏人頭藏人なども不書、國司は前加賀守など書、他官は不然、又朝臣不然事也、大臣は不姓、左大臣某、内大臣某也、關白は雖中殿、不陪宴陪中役等字、只秋夜詠々々也、序者外書同字兩説歟、保安花見行幸、太政大臣雅實、不同字、或説臨時宴には陪宴とは不書、是不用例也、諸社披講歌には、書官位兼行朝臣也、不臣上披講歌進時、奥に書官姓名、是一説也、歌合屛風障子等歌、大嘗會作者は不然歟、

〔八雲御抄〕

〈二/作法〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0032 一公卿書樣
古今、在原行平朝臣など也、後撰、大略同、藤原兼輔朝臣など也、又大納言顯忠、權中納言時望ともあり、右兵衞督師尹朝臣とも有、拾遺、中納言朝忠卿、右衞門督公任卿など也、故人現存同、又源延光とも、小野好古朝臣、又國章をば藤の又藏人藤とも非一樣、總後集作法也、〈○中略〉
一四位
古今、在原業平朝臣、藤原敏行朝臣、已下代々一同如此、拾遺、少々加官非普通事、朝臣之四位は、唯姓名也、千載に税部宿繭成仲と書也、姓次書某宿禰とは未書、
一五位
在原棟梁、紀貫之、以後代々同、拾遺少々加官例、別事歟、

〔古今和歌集〕

〈一/春〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0032 ふるとしに春たちける日よめる 在原元方(○○○○) としのうちに春はきにけり一年をこぞとやいはんことしとやいはん
春たちける日よめる 紀貫之(○○○)
袖ひぢてむすびし水の氷れるを春たつけふのかぜやとくらん
題しらず 在原行平朝臣(○○○○○○)
春のきる霞の衣ぬきをうすみ山風にこそみだるべらなれ

〔二判問答〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0033 不審申上條々事
一和歌懐紙、有貴ト之時、同姓不書之、諸社法樂之時、可同姓之條、不巨難哉、
貴所家會懐紙、主人同姓時者、雲客以下、略姓爲故實歟、至諸社法樂者、不必然哉、

〔書札禮〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0033姓事
恐々時、異姓人書之、等同人雖異姓之、故淨土寺禪閤〈○藤原師教〉命云、先年故通具送狀之時、中納言源通具ト書之、四位巳下、異姓者加姓着例也、而公卿書之、頗不審之處、堀川左大臣、奉八條大相國〈○藤原實行〉消息、後日見出之、其狀去、謹上按察大納言殿、左大臣源俊房ト書之、大臣猶如比、况於納言哉、彼卿存家禮、可貴而巳、

〔吾妻鏡〕

〈十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0033 建久四年八月二日丙申、參河守範賴、書起請文將軍、〈○源賴朝〉是企叛逆之由、依聞食及、御尋之故也、其狀云、
敬立申
起請文事
右爲御代官度々向戰場畢、平朝敵盡以降、全無貳、〈○中略〉仍謹慎以起請文如件、
建久四年八月 參河守源範賴
此狀付因幡守廣元進覽之處、殊被咎三仰曰、載源字(○○○)、若存一族之儀歟(○○○○○○○)、頗過分也、是先起請矢也、可 仰使者、廣元召參州使大夫屬重能含此旨、重能陳云、參州者、故左馬頭殿賢息也、被御舍弟儀之條勿論也、隨而去元暦元年秋之比、爲平氏征伐御使上洛之時、以舍弟範賴、遣西海追討使之由載御文、御奏聞之間、所其趣於官符也、全非自由之儀云云、其後無仰出、重能退下、告事由於參州、參州周章云云、

〔三内口決〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0034 一姓朝臣事
源朝臣藤原朝臣ト書載候事ハ、位署ヲ書時之事候、譬法樂歌ニ、
冬日同侍大神宮社壇百首和歌
正四位下行右近衞權中將源朝臣具房
此類候、面向之時ハ、姓尸ヲ書載候、内々之時ハ、一向以略儀位ト尸ト除之候、
又名字朝臣ハ、四位雲客之時如此候、是ハ人ハ書之、自ラハ不レ之候、

〔多々良問答〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0034 一尸事爵をせば朝臣に不限也、宿禰連眞人(ムラジマツト)も實名の下に可之候哉、〈四品ノ後ハ名字ノ下(本字ハ氏骨カバネ)ニ、某ノ宿禰眞人縣主ナド、必稱之侯、五位ノ程ハ、名字ノ下ニハ不之候、勅撰作者ノ書樣ハ、朝臣ノ外ハ、四品ノ後モ、某宿禰某眞人ナド、下ニハ不之侯也、〉

〔多々良問答〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0034 一典侍藤原直子朝臣、典侍藤原よるかの朝臣などヽ候は女房の事候哉、(勿論候、四品シタル女房ナレバ如此書候)

〔多々良問答〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0034 一正六位上行左衞門少尉平朝臣々々事
六位ながら姓につけて朝臣と尸を書事の不審也、姓に付て尸を書事、昔は六位七位迄も許之(勿論也)、然處後鳥羽院の時代以來禁制也、其比は五位にも堅被レ制之、四位は書之、右之位署は、古體を摸歟云云、是又子細可(サモヤト覺申候)尊意也、

〔故實拾要〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0034 尸書(カバネ)
是尸書トハ、朝臣眞人宿禰ナドヽ書コトヲ尸書ト云也、是ハ位署ヲ書時ノ事也、公卿ハ姓卜實名ヲ書載也、四品ノ輩ハ、朝臣眞人宿禰ナド書也、〈○中略〉 姓朝臣
源朝臣、藤原朝臣ト書載ルハ位署ヲ書ク時ノコト也、タトヘバ法樂ノ歌ニ、
冬日同侍大神宮社壇百首和歌
正四位下行右近衞權中將源朝臣具房
此表向ノ時ハ姓尸ヲ書載ル也、内々ノ時ハ、一向以略儀位ト尸ト除之也、

〔多々良問答〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0035 一尸(カバネ)事
姓氏録に載候分(又拾芥抄第三可考)、其數多候哉、或は斷絶し、或世話に稱しならはぬも候歟、姓によりて上古以來尸のなきも候哉(あまた候)、近年沙汰し來候、朝臣宿禰連眞人(アソンスクネムラジマツト)縣主(アガタヌシ)など〈王(ヲホキミ)、公(キミ)、首(ヲフト)、臣(ヲン)、造(ミヤツコ)、直(アタヒ)、忌寸(イミキ)、村主(スクリ)、使主(ツカヒヌシ)、伊美吉(イミキ)、史(フヒト)、勝部(カチベ)、氏(ウジ)、伊吉、阿祇奈君(アキナギミ)、倉人(クラヒト)、〉の外に、常に何と申尸等候哉、此中に宿禰を初と心得て、除目叙蝕位などに、姓ばかりにて尸をしらぬをば、宿禰と書べしと申、執筆(此儀ニ候)の習にて候よし、以前被仰聞候き、然者又遠國より昇進輩など、我家の尸をしらずば、何がしの宿禰と可稱候、但勅撰などには、四品以後も實名に加へて、宿禰と書候はぬよし(此分候)、先度被仰下候畢、只書文など書(不審洞院家書體)には、實名に宿禰を書加事、可然候由被仰聞候き、猶巨細被仰出度候、

〔多々良問答〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0035 一就立身初而叙爵事
姓は何れにても候へ、尸を先祖以來無候はぬ仁、爵を初メテ仕候者、本式の(尸ノナキ姓ハ不多力ラ物ニ候、尸アル姓ハ、必可其尸事、此段未其意候、)位署に、朝臣宿禰連眞人の内にては、何れの尸を用候て可然候哉、田舍邊にては、中々爵をば望申候はで、位記などを計も候へども、前々尸定り候はぬ仁のみにて候、叙爵仕ながら尸を用候はぬも、位署の樣道理に背候如何、

〔日本書紀〕

〈二十二/推古〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0035 十六年九月辛巳、唐客裴世淸罷歸、則復以小野妹子臣(○○○○○)大使、〈○中略〉副子唐客而遣之、

〔十訓抄〕

〈十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0035 十月ばかり、月あかヽりける夜、經信卿を宗として、宗俊卿、政長朝臣(○○○○)、院禪、慶禪、長慶、樂 人三四人、宰相中將隆綱、管絃者にはあらねども、すきものにて伴ふ、

〔秇苑日渉〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0036 平安村瀨嘉右衞源之熙(○○○○○○○○)撰姓氏
後人例以通稱族、〈○苗字〉以名係其所一レ始、蓋古者庶民有名無姓氏、今則無氏族、而多不源平藤原三氏、意南北騒亂之間、竊冐權門甲族之姓氏、以自衒者蓋不尠矣、其弊陵夷以至今、非復一日之故、此亦時勢之所使然、而其如稱謂古而不一レ今矣、如徠翁、氏物部、族荻生、名茂卿、通稱總右衞門、其校晉書、書曰、荻生總右衞門物茂卿(○○○○○○○○○)校、書法允當、

〔言繼卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0036 天文十三年
武家奉行 松田九郎平賴隆 治部又四郎藤原光榮
諏訪信濃守神長俊 治部河内守藤原貞兼〈八月日出家〉
松田丹後守平晴秀 同豊前守平賴康
飯屋中務大輔三善貞廣 同大和守同堯連
松田對馬守平威秀 飯尾彦左衞門尉三善盛就
飯尾三郎左衞門尉三善爲時 諏方神左衞門尉神晴長
松田八郎左衞門尉平秀之 中澤掃部助光俊
○按ズルニ、明治五年二月十五日、第四十九號ノ布告〈憲法類編第二十一二在り〉ヲ以テ宣旨書式ヲ改定セラレ、爾來苗氏實名ヲ書シテ姓尸ヲ書セズ、

加婆禰解説眞人

〔書言学考節用集〕

〈十/姓氏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0036 眞人(マツト)〈位署式所用〉

〔日本書紀〕

〈二十九/天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0036 十三年十月己卯朔詔曰、更改諸氏之族姓、作八色之姓、以混天下萬姓、一曰眞人(マヒト)、

〔源氏物語〕

〈二/帚木〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0036 哀のことや、此あね君やまうと(○○○)の後のおや、さなむ侍ると申すに、にげなきおやを もまうけたりけるかな、〈○中略〉さりともまうと(○○○)たちのつき〴〵しくいまめきたらんにおろしたてんやは、〈○下略〉

〔源氏物語〕

〈五十一/浮舟〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0037 殿の御隨身、かの少輔が家にて時々みるをのこなれば、まうと(○○○)はなにしにこヽにはたび〳〵まいるぞといふ、

〔榮花物語〕

〈八/初花〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0037 まうと(○○○)たちは、かくては天のせめをかうふりなん、

〔宇治拾遺物語〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0037 むかしひやうとうたいふつねよさといふものありき、〈○中略〉つねまさかのまうと(○○○)はなにほとけをくやうし奉らんずるぞといへば、いかでかしりたてまつらんぞといふ、

〔倭訓栞〕

〈前編二十九/末〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0037 まふと 眞人をよめり、まつとともいふ、天武天皇の時に始る、王孫のかばね也、

〔東國通鑑〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0037 新羅設官有十七等、一曰伊伐飡、二曰伊尸飡、三曰匝飡、四曰波珍飡、五曰大阿飡、皆授眞骨(○○)、眞骨王族也、

〔姓序考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0037 眞人
眞人姓は、天武朝廷十三年冬十月己卯朔の詔に、八色姓を改作れしとき、一日眞人とみえしにて、ことにちかき皇族なりし也、此時賜へりしは、守山眞人、路眞人、高橋眞人、三國眞人、當麻眞人、茨城眞人、丹比眞人、猪名眞人、坂田眞人、羽田眞人、息長眞人、酒人眞人、山道眞人の十三氏也、この姓はこのときに始りしものにて、自是以前は、みな君といへりし姓なりき、十三氏のうちにて、古事記にみえしはみな君といへり、書紀にみえしもみな公とかけり、〈君姓を公字にかへらるヽことは、天平寶字三年の詔によりてなり、〉眞人は麻比登(マヒト)と訓べし、天皇を現神といへるに對て、眞人といへるにて、漢土の眞人のことにな思ひまがへそ、これより後眞人姓を給へる氏々、いと多けくなりゆきて、姓氏録にみえしものは四十八氏也、國史にみえて、姓氏録にもれしものをかぞへなば六十氏にもあまりぬべし、當時に遠 き皇族なる君姓の氏々は、天武朝廷十三年十一月戊申朔に、朝臣姓を給へる五十二氏の中に十一氏みえたり、これよらも遠き皇族は、なほ公姓にて置れたるにや、姓氏録の皇別に、公姓の氏人三十六氏みえたり、この餘未定雜姓條に、公姓の氏人三氏ばかりもあり、おなじ皇族ながら、當時にとほきちかきのけぢめより、このたがひめありしならん、こたびも舊例のまヽに、眞人姓をしも第一とは定めし也、

〔玄同放言〕

〈三上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0038 姓名稱謂
眞人(マヒト)は、賓、〈賓此云未禮比登〉なり、まれひとを、まひとといふは辭の省けるなり、こは取賓與天子之義以命之、この故に諸王皇親ならざるものには、この姓を賜ざりき、

〔氏族考〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0038 眞人は麻比登と訓て、貴人の意にやあらん、神功紀の歌に宇摩比等破(ウマヒトハ)、〈貴人者なり〉于摩譬苔奴知野(ウマヒトドチヤ)〈貴人者共やなり〉伊徒姑幡茂(イトコハモ)、〈賤子者なり〉伊徒姑奴池(イトコドチ)、〈賤子者なり〉とある宇摩比等は搢紳君子良家などの字を書紀によめるにて、貴人なる事知るべし、皇族は臣屬とは異にして、いと高貴なる故、眞人と云り、〈于摩比等の于を省きて云る也、一説に天皇を現神といへるに對へて、眞人と云りとあるは、さも聞ゆれど、猶貴人なるべく思はる、又賓の義にて、まれひとを、まひとと云は、辭の省けるなり、取賓與天子之義以命之と云るは、漢めきたる説にて、信がたし、〉眞人姓は、是より以前に君と云ひて、殊に近き皇族なりし也、

朝臣

〔書言字考節用集〕

〈十/姓氏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0038 朝臣(アソン)〈位署式所用〉

〔續日本紀〕

〈三十二/光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0038 賓龜四年五月辛巳、其天下氏姓靑衣爲、耳〈○耳一本作身〉中爲紀、阿曾美爲朝臣(○○○○○○)、足尼爲宿禰、諸如此類、不必從一レ古、

〔釋日本紀〕

〈十五/述義〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0038 朝臣
私記曰、師説帝王相親之詞也、言我身爾隨添之臣也、

〔八雲御抄〕

〈三下/異名〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0038 朝臣 あそ〈万に有、へくりのあそ、ほづみのあそなど云り、〉

〔藻鹽草〕

〈十五/人倫幷異名〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0039 朝臣
あそ へくらのあそ ちくはのあそ ほづみのあそ いけだのあそ

〔古事記〕

〈中/仁德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0039 天皇〈○中略〉召建内宿禰命、以歌問鴈生卵之狀、其歌曰、多麻岐波流、宇知能阿曾(○○)、那許曾波、余能那賀比登、蘇良美都、夜麻登能久邇爾、加埋古牟登岐久夜、

〔古事記傳〕

〈三十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0039 宇知能阿曾は、内之阿曾なり、〈○中略〉阿曾は阿曾美の省、阿曾美は吾兄臣(アセオミ)の切(ツゞ)まりたるにて、親み崇めて云稱なり、天武天皇の御代より朝臣と書て、姓の尸と定め賜へり、〈續紀卅二に、阿曾美爲朝臣云々、書紀釋に、朝臣、帝王相親之詞と云り、朝臣の字を當られたるは、阿佐淤美と云訓を借れるのみにて、本より此字の意の稱には非れども、此字を用ひられたるには、朝廷の臣と云意をも取られたるなるべし、さて此を後世にあそんと唱るは、音便にくづれたるなり、さて天武天皇の御世に、初めて此尸を賜へる氏々ほ、多くは舊臣の尸なりし氏々なるは、もと吾兄臣(アセオミ)の意なる故にやあらむ、〉書紀神功卷の歌にも、此人を多麻枳波屢、子知能阿曾とよめり、又万葉十六には、水渟(ミヅタマル)、池田乃阿曾(イケダノアソ)、八穗蓼乎(ヤホタデヲ)、穗積乃阿曾(ホヅミノアソ)、薦疊(コモダヽミ)、平群乃阿曾(ヘグリノアソ)、などもよめり、

〔日本書紀〕

〈九/神功〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0039 爰伐新羅之明年、〈○中略〉三月丙申朔庚子、命武内宿爾和珥臣武振熊、卒數萬衆忍熊王、〈○中略〉忍熊王逃無入、則喚五十狹茅宿禰而歌之曰、伊裝阿藝、伊佐智須區禰、多麻枳波屢、于知能阿曾(○○)餓、勾夫菟知能、伊多氐於破孺破、珥倍迺利能、介豆岐齋奈、

〔萬葉集〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0039 大神朝臣奥守報 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00014.gif歌一首
彿造(ホトケツクル)、眞朱不足者(アカニ タラズ ハ)、水渟(ミヅタマル)、池田乃(イケダノ)阿曾(アソ/○○)我、鼻上乎穿禮(ガハナノウヘヲホレ)、
或云
平群朝臣 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00014.gif歌一首
小兒等(ワラハベラ)、草者勿苅(クサハナカリソ)、八穗蓼乎(ヤホタデヲ)、穗積乃(ホヅミノ)、阿曾我(アソガ/○○)、腋草乎可禮(ガワキクサヲカレ)、
穂積朝臣和歌一首
何所曾(イトコニゾ)、眞朱穿岳(アカニホルヲカ)、薦疊(コモタヽミ)、平群乃(ヘグリノ)阿曾我(アソガ/○○)、鼻上乎穿禮(ハナノウヘヲホレ)、

〔空穗物語〕

〈俊蔭〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0040 うへは、あやしくてうせぬるあそん(○○○)たちかな、よき女の有所をきヽて、すきものどもはいぬるならんとて、かへらせ給にけり、

〔空穂物語〕

〈吹上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0040 みかど左大將にのたまはす、こよひすヾしなかたヾにたまふべき物國のうちにおぼえぬを、あそん(○○)○のみなんたまふべきとおほせらる、

〔源氏物語〕

〈二/帚木〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0040 そのあね君はあそむ(○○○)のをとうとやもたる、さも侍らず、このふたとせ計ぞかくてものし侍れど、おやのをきてにたがへりと思ひなげきて、心ゆかぬやうになんきヽ給ふる、

〔源氏物語〕

〈二十一/乙女〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0040 殿の舞姫は惟光朝臣のつのかみにて左京大夫かけたる、娘かたちなどいとおかしげなる聞えあるをめす、からいことに思ひたれど、大納言の外ばらのむすめを奉らるなるに、朝臣(○○)のいつき娘、いだしたてたらん、なにのはぢかあるべきとさいなめば、わびておなじくは宮づかへやがてせさすべく思ひをきてたり、

〔南留別志〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0040 一朝臣といふ事、もと朝廷の臣といふ事にて、漢語より出たり、後に和訓をつくる時に、朝夕の意をかりて、あさおんの反にで、あそんとよみたるなり、

〔南留別志の辨〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0040 古事記に阿曾美といふは、あそんの起なり、ことばに漢字をつけたるなり、漢字に言葉をつけたるにはあらず、

〔倭訓栞〕

〈前編二/阿〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0040 あそみ もと阿曾美とかけり、私記に我身に副の義、帝王相親むの詞也といへり、後に朝臣と塡しはあさおみの義、さお反そ也、朝は朝廷の義ながら、その本義をもて訓せり、あそんと唱ふるは音便なり、阿曾美も相副臣の義なるべし、侍從の意に近し、獨斷に、公卿侍中尚書衣帛而朝曰朝臣、諸營校尉將大夫以下亦爲朝臣と見えたり、〈○中略〉上野國多胡郡碑に、左大臣正二位石上尊、右大臣正二位藤原尊とかけるは、あそんのあを略書せしなり、

〔玉勝間〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0040 朝臣といふ字の事
かばねの朝臣は阿曾美(アソミ)にて、吾兄臣(アセオミ)といふことなり、然るを天武天皇の御世に八色のかばねを定め給へる時よら朝臣とは書始められたり、そは此字のあさおみの訓を借て約めたる物ながら、字義をも思ひでの事なるべし、漢籍にも蔡邕が獨斷に、公卿侍中尚書衣帛而朝曰朝臣、諸營校尉將大夫以下、亦爲朝臣と云ることあれど、かの國の書には常にはなさ〴〵見えぬ稱なり、

〔姓序考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0041 朝臣
朝臣姓は、天武朝廷の詔に、八色姓を改められしとき、二曰朝臣とみえしにて、神別のむねとせし氏々に賜へる姓也、舊は阿曾美と云しを寶龜四年五月辛巳、阿曾美爲朝臣と光仁紀にみえたれば、この御代にしも文字は改められし也、〈○中略〉阿曾美はもと阿勢袁臣の約れるもの也、阿勢袁は、古事記中卷日代宮の段倭建命の御歌、又下卷長谷朝倉宮の段袁抒比賣の獻歌などにみえて、吾兄男といへる義あり、又阿勢袁を約めて阿曾ともいへり、阿曾といへることは、古事記下卷高津宮の段天皇の御製歌、又萬葉集第十六〈廿一右〉等にみえたり、ともに上古の稱言なれば、太古よりあらへたる臣姓のうへに、其稱言をそへて、臣姓よりうへなるものとせられたるは、臣姓に對ては甚貴しといふを含まれしなるべし、朝臣をしも第二に置るヽことは、眞人姓の氏々は、既に云るごとく、ちかき皇族達にて在ば、臣ながら臣の列にはかぞへがたし、朝臣姓賜へるは、もと臣姓なりしにて、是は神別の氏々の多けく神代より臣達なれば、臣の中には、ことにうへこすものなきとの意にて、吾見男臣の稱言もて、朝臣の號を思ひよせられし也、師の朝廷の臣といふ意を含められたることもあるべしといはれしも此義也、
○按ズルニ、寶龜四年五月ニ、阿曾美ヲ朝臣トシ、足尼ヲ宿禰トシタル類ハ、當時此等ノ文字ヲ混用セシヲ改メテ、一般ニ朝臣宿禰ノ字ヲ用イシメタルモノニテ、姓序考ノ説、恐ラクハ非ナラン、

〔玄同放言〕

〈三上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0042 姓名稱謂
朝臣〈アソミ〉は、大臣なり、〈大臣此云阿曾美〉玉加都麻〈卷三〉に、かばねの朝臣は、吾見臣(アセオミ)といふ事なり云々といへり、こもよしあるべけれども、證文を引ざればこヽろ得がたし、亡友蒲生秀實云、朝臣は、大臣なり、大の字に阿の訓あり、あには大兄、あねは大姉なりといへり、この説に從ふべし、

〔氏族考〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0042 朝臣は、阿曾美と訓て、吾兄男(アセヲ)臣の意なり、〈(中略)或説に、朝臣の意にてはあるべし、朝政をあさまつりごとしといふと、外記廳をあいたん所と云と、みな朝夕の義なり、抑朝廷朝政を朝と云は、百官あしたに先釐務に從ひて、後に雜事にわたる故の養と思しければ、朝廷朝政朝臣朝所、もとより朝夕の朝の義を帶るにて和漢一義也、かりたるにもあらず、吾背臣にもあらずと云り、猶よく考べし、〉

宿禰

〔書言字考節用集〕

〈十/姓氏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0042 宿禰〈位署式所用〉

〔續日本紀〕

〈三十二/光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0042 寶龜四年五月辛巳、其天下氏姓〈○中略〉阿曾美爲朝臣、足尼爲宿禰(○○○○○)、諸如此類不必從古、

〔上宮聖德法王帝説〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0042 聖王〈○聖德太子〉娶蘇我馬古叔尼(スクネ/○○)大臣女子、名負古郎女、生兒山代大兄王、

〔釋日本紀〕

〈十五/述義〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0042 宿禰
私記曰、昔稱皇子大兄、又稱近臣少兄也、宿禰之義、取於少兄也、或説、帝王相親、云曾古爾禰與(ソコニネヨ)、蓋敬、〈○敬一本作取〉

〔先代舊事本紀〕

〈五/天孫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0042 弟宇摩志麻治命〈○中略〉
大神奉齋殿内、卽藏天璽瑞寶、以爲天皇〈○神武〉鎭祭之時、天皇寵異特甚、詔曰、近宿殿内矣因號足尼(ソコネ/○○)、其足尼之號、自此而始矣、

〔書紀集解〕

〈二十九/天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0042 按足側、尼寢也、側宿以音近側以宿、禰音與寢訓通、故用、言寢于君側也、

〔古事記〕

〈中/孝元〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0042 此古布都押之信命娶尾張連等之祖、意富那毘之妹、葛城之高千那毘賣〈那毘二字以音〉生子、味師内宿禰(○○)、〈此者山代内臣之祖也〉又娶木國造之祖、宇豆比古之妹、山下影日賣生子、建内宿禰(○○)、

〔古事記〕

〈下/允恭〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0043 穴穗御子〈○安康〉興軍圍大前小前宿禰(○○)之家、爾到其門時、零大氷雨、故歌曰、意富麻幣、袁麻幣須久泥(○○○)賀、加那斗加宜、加久余理許泥、阿米多知夜米牟、

〔古事記傳〕

〈二十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0043 宿禰は、遠飛鳥宮段歌に、須久禰(スクネ)とある、是此號の正しく見えたるなり、〈正しく見ゆとは、假字書を云なり、〉書紀私記に、昔稱皇子大兄、又稱近臣少兄(スクナエ)也、宿禰(スクネ)之義取於少兄也とある、此意の稱なり、〈但し允恭天皇の御名にも負給へるは、御兄の御名大兄云々に對へて、少兄と申せるなるべし、然れば臣のみにも限らざりけむ、須久那廷(スクナエ)を約て須久泥(スクネ)云なり、さて私記の此文の次に、或説帝王相親云曾古爾禰與(ソコニネヨ)、蓋敬とある甚幼く云に足ぬことぞ、こは舊事紀の説なり、此外にも、舊(モト)事紀に宿禰の事を云る皆違へり〉さて此は、古はたヾ臣等を尊み親みて云る稱にして、姓の加婆禰になれるは、淨御原御世より始れり、〈此御代に八色姓を定められたる、第一眞人、第二朝臣、第三宿禰なり、さて其時諸氏に賜へるを見るに、宿禰は、多くは舊連なりし氏々に賜へりき、〉

〔南留別志〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0043 一宿禰、宿尼、少名、同じ事なるべし.

〔倭訓栞〕

〈前編十二/須〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0043 すくね 宿禰と書り、もとはそこねといひて足禰と書り、大宿禰といふ事も見えたり、舊事紀に近宿殿内見えて、そこにねよとの義なりといへり、されど釋に稱王子大兄、稱臣下少兄と見えたるぞ本義なるべき、本武内宿禰ありて、姑は官のごとくて、後は姓となれり、少兄(スクナエ)はなえ反ねなり、

〔職官志〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0043 宿禰、呼言寢其所之謂也、知是爲内官近習

〔姓序考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0043 宿禰
宿禰姓は、天武朝廷の詔に、八色姓を改定め賜へるとき、三曰宿禰とみえたり、もとは稱言なりしを、此御代に姓にせられし也、宿禰は古事記下卷遠飛鳥宮の段穴穗御子の御歌に、須久泥(スクネ)とみえたれは然訓べし、寶龜四年五月辛巳・足尼爲宿禰とみえたれば舊は足尼といへりし也、〈○中略〉太古宿禰は稱言なりしよしを云は、穗穂積臣大水口宿禰、〈祟神紀〉的臣砥田宿禰、〈仁德紀〉紀男麻呂宿禰、〈祟峻紀〉坂合部連贄宿禰、〈雄略紀〉大健倭直長尾市宿禰、〈垂仁紀〉武内宿禰、波多八代宿禰、野見宿禰等、みな稱言なり、〈穗積 臣、的臣、坂合部連、大倭直などは姓をいへるにて稱言なるをしるべし、〉後世の卿又公といへるたぐひのことヽすべし、天武朝廷十三年十二月戊寅朔己卯、五十氏に宿禰姓を賜へりし氏々は、舊はみな連姓の氏々なれば、太古の四姓〈臣連二造〉にたぐひせば、朝臣姓は、太古の臣姓にたぐひし、宿禰姓は連姓にたぐひすべき也、こたび忌寸よりうへに考定めしものは、弘仁二年秋七月辛酉、右京人正六位上朝原忌寸諸坂、山城國人大初位下朝原忌寸三上等、賜姓宿禰とみえしもて、第三に序次せし也、又坂上氏人にかぎりて大宿禰といへり、坂上氏人に宿禰姓を賜へることは、延暦四年六月癸酉、坂上、内藏文、調、丈部、谷、民、佐太、山口、平田等忌寸姓一十六人、賜姓宿禰とみえて、大宿禰と云べきよしはみえねど、同年秋七月己亥、從三位坂上大宿禰苅田麻呂爲左京大夫といへれば、こヽの間に大宿禰になされし詔のありしを國史に脱せしならむ、自是以前忌寸姓なりしとき、大忌寸といふべきよしは、天平寶字八年九月乙巳、坂上忌寸苅田麻呂、賜姓坂上大忌寸とみえたれば、私に云べきにあらず、故思ふに類族ども、みな宿禰姓を賜へるから、殊恩ありて坂上氏にのみ大宿禰を賜へるにて、太古の大臣大連の例にならへることなるべし内藏、文、谷、佐太、山口、平田の六氏は、みな坂上氏と同族なれば、是等の忌寸なりしときも、宿禰となりても坂上氏の統領せしなへに、大忌寸また大宿禰を賜へるにこそあらめ、然ならざらむには、よしもなく大宿禰といふべきことかは、

忌寸

〔書言字考節用集〕

〈十/姓氏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0044 忌寸(イミキ)〈位署式所用〉

〔續日本紀〕

〈二十二/淳仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0044 天平寶字三年十月辛丑、天下諸姓著君字者換公字、伊美吉以忌寸(○○○○○○)

〔倭訓栞〕

〈中編二/伊〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0044 いみき 天武紀に忌寸と見えたり、祠官のかばね成べし、八姓の第四也、綏靖紀に奉神祇とあるを、古事記に僕者扶汝命、爲忌人而仕奉也と書せる意成にや、坂上苅田麻呂に大忌寸を賜はりし事見えたり、

〔書紀集解〕

〈二十九/天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0044 按忌寸者今來也、諸番歸化所賜姓也、

〔姓序考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0045 忌寸
忌寸姓は、天武朝廷の詔に、八色姓を改定められしとき、四曰忌寸とみえし也、忌寸姓は、皇別及神別の氏人にもあれど、〈姓氏録に、忌寸姓は皇別の氏にひとつ、神別の氏に四五ならではみえざるなり、〉諸藩の氏々には、ことに多き姓なり、〈諸藩の氏々に多きことは、姓氏録をみて知るべし、〉忌寸姓も舊は稱言なりしなるべし、そのよしは異國より投化の人をば神宮に奉るヽ例にて、齋置の意也、〈すべて神宮に奉れるものには、齋字をそへ云ことは、齋服殿、齋斧、齋鉏、齋柱などいと多かり、齋忌相通へることは、延暦廿二年三月乙丑、右京人忌部宿禰濱成等、改忌部齋部とみえ、姓氏録にも、忌部氏を齋部とかけり、寸置かよへることは、稻置を稻寸と書るにて可知、〉其稱言もて、やがて姓とせらるヽことは宿禰の例とすべし、忌寸は伊美伎(イミキ)と訓べし舊は伊美吉とかけりしを、天平寶字三年冬十月辛丑、天下諸姓、伊美吉以忌寸とみえたれば、こヽに改められしを思へ、天武朝廷十四年六月乙亥朔甲午に、忌寸姓を賜へる十一氏のうち、半は諸藩の氏々なれば、諸藩の氏人のむねとせし人々には忌寸を賜へるを知るべし、故天武朝廷の詔に、八色姓を改定められしとき、諸藩のむねとせし人々を任るべくて此姓を置れしとやいふべき、さて眞人、朝臣、宿禰、忌寸の四姓は、天武朝廷の詔にて始て置れし姓なるから、つき〴〵に賜へることみえたり、其けぢめは眞人をうへなき姓とせられ、朝臣は臣達のうへにはうへなき姓とせられ、〈臣達の姓のうへなきものは朝臣なり、皇子達には一等くだりて朝臣姓を給へれど、神別の氏々には眞人姓を給はすことなきをもて、朝臣姓は臣達の最上の姓なるを知れ、〉宿禰は皇子達及臣達の次なるものヽ姓とせられ、忌寸は諸藩の氏々のうへなき姓とせられしなるべし、〈是に天武朝廷の詔に、八色姓を改定められしときのことをなしも思ひはかりて云ること也、これより後に、諸蕃の氏々にも朝臣宿禰等の姓をば賜へり、されど諸蕃には忌寸姓いとおほし、〉こたび考定て第四に忌寸姓を置るものは、既に云ひしごとく、弘仁二年秋七月辛酉、右京人正六位上朝原忌寸諸坂、山城國人大初位下朝原忌寸三上等、賜姓宿禰とみえしもて、如此は云る也、

〔氏族考〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0045 忌寸は伊美吉(イミキ)と訓べき事、天平寶字三年冬十月辛丑、天下諸姓、伊美吉以忌寸、とあるにて知べし、此姓神別また皇別の氏人にもたま〳〵はあれど、諸蕃の氏々に殊に多き姓なり、 是も舊は稱言にて、異國より投化し人を神宮に獻らるヽ例にて、齋置の意なりと云説もあれど、齋君(イミキミ)の義なるべく思はる、いかにとなれば、古語拾遺に至於輕島豐明朝、百濟王貢博士王仁、是河内文首始祖也、秦公祖弓月、率百廿縣民而歸化矣、漢直祖阿知使主、率十七縣民而來朝焉、秦漢百濟内附之民、各以萬計、足褒賞、皆有其祠、未幣例也、至於後磐余稚櫻朝、三韓貢獻、奕世無絶、齋藏之傍、更建内藏、分収官物、仍使阿知使主與百濟博士王仁其出納、更定藏部、至長谷朝倉朝秦氏分散、寄隷他族、秦酒公進仕蒙寵、詔聚秦氏於酒公、仍率領百八十種勝部、蠶織貢調、充積庭中、因賜姓宇豆麻佐(ウヅマサ)、自此而後、諸國貢調、年々盈溢、更立大藏、令蘇我麻智宿禰挍三藏、〈齋藏、内藏、大藏、〉秦氏出納其物、東西文氏、勘録其簿、是以漢氏賜姓爲内藏大藏、令秦漢二氏爲内藏大藏主鑰藏部之縁也、とあるによりて按ふに、秦漢より歸化る氏人の上たる者は、秦公東西文部などにて、其氏々に君たる族なるが、齋藏ともの出納帳簿を掌る藏部の君たる由に聞え、また同書に、其四曰忌寸、以爲秦漢二氏及百濟文氏等之姓とある註に、蓋與齋部共預齋藏事、因以爲姓也、とあるにて著ければなり、

臣/使主

〔書言字考節用集〕

〈十/姓氏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0046 臣(ヲンノコ)〈位署式所用〉

〔日本書紀〕

〈二十九/天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0046 十三年十月己卯朔、詔曰、更改諸氏之族姓、作八色之姓、以混天下萬姓、〈○中略〉六曰臣(オムノコ)、

〔拾芥抄〕

〈中本/姓尸録〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0046 臣(オン)

〔日本書紀〕

〈十五/顯宗〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0046 穴穗天皇三年十月、〈○中略〉帳内日下部連使主、〈使主日下部連之名也、使主此云於瀰(○○○○○○)、○下略〉

〔古事記〕

〈下/安康〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0046 天皇爲伊呂弟大長谷王子、而坂本臣等之祖根臣(○○)遣大日下王之許

〔日本書紀〕

〈十三/安康〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0046 元年二月戊辰朔、天皇爲大泊瀨皇子大草香皇子妹幡梭皇女、則遣坂本臣祖根使主(○○○)於大草香皇子

〔日本書紀〕

〈十二/履中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0046 二年十月、當是時平群木菟宿禰、蘇賀滿智宿禰、物部伊莒彿大連、圓(○)〈圓此云豆夫羅〉大使主(オホミ/○○○)、共 執國事

〔古事記〕

〈下/安康〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0047 目弱王、〈○中略〉竊伺天皇之御寢、取其傍大、乃打斬其天皇之頸、逃人都夫良意富美(○○○○○○)之家也、

〔日本書紀〕

〈十四/雄略〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0047 三年八月、穴穗天皇意將沐浴、幸于山宮、〈○中略〉眉輪王伺其熟睡而刺弑之、〈○中略〉坂合黑彦皇子、深恐疑、竊語眉輪王、逐共得間而出逃入圓大臣(○○○)宅

〔倭訓栞〕

〈前編四十五/於〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0047 おみ 日本紀に使主をよめり、古事記に意富美に作る、よて又おほみとも見えたれば、大身の義成べし、古事記日本紀に臣をよむも義同じ、音便におんともいへり、勝臣の類也、

〔古事記傳〕

〈四十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0047 臣は意美にて、〈後世にオン(○○)と訓は、音便に頽れたるにて正しからず、又オンノコ(○○○○)とも訓るは、子と云ことを添たるなり、〉大(オホ)身の意なり、〈朝倉宮段に、葛城神の顯れ坐るを宇部志意美(ウシオミツ)とあるも現大月(ウツシオミ)にて、言は同じ、〉さて此は朝廷に仕奉る人を傍より尊みて云稱なり、〈朝廷に仕奉る人なるを以て臣字に書なれども、君に對へて云臣の意には非ず、君に對へて云臣は夜都古(ヤツコ)と云て、書記などにも然訓り、此事傳七の八十葉にも云り、然るに夜都古と云は、たヾ賤き者の如くなりて、後には君臣をも技美夜都古(キミヤツコ)とは訓(ヨマ)ずて、伎美意美(キミオミ)訓ことにはなれりけむ、〉

〔古事記傳〕

〈四十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0047 使主と云號は、書紀應神〈ノ〉卷に阿知使主、都加使主と云人あり、此記高津宮段に見えたる奴理能美も、姓氏録に努理〈ノ〉使主とあり、書紀雄略卷に、漢使主等、賜姓曰直とあるは、かの阿知使主、都加使主の子孫にて、漢人なり、又姓氏録に、使主の尸の姓これかれ見えたるも、皆諸蕃なり、されば此はもと韓國などより出たる號か、はた皇朝にて蕃人の料に制られたるか、何れにまれ蕃人の號なり、さて此を富美(オミ)と云ことは、書紀顯宗〈ノ〉卷に日下部〈ノ〉連使主と云人名ありて、使主此云於瀰(オミ)と訓註あり、そも〳〵於瀰(オミ)は韓語とも聞えざれば、此は皇國にて、臣(オミ)の稱を此使主の訓にも兼用ひられたるにやあらむ、さて臣(オミ)と口語は同じけれども、戎人のは、使主と書る文字を以て分 別られたるなるべし、こはなほよく考ふべし、さて書紀仲哀〈ノ〉卷に、中臣〈ノ〉烏賊津(イカツ)〈ノ〉連とある人を、神功卷には烏賊津使主(イカツオミ)と書れたる、是も使主は例の混れにて臣(オミ)なり、中臣氏は臣の尸に非れば、此臣は下に附て云るにはあらで、伊加都意美(イカツオミ)と云名なり、此氏には先祖にも臣と云る名彼此系圖に見え、續紀卅六に、此人の父の名も意美佐夜麻と見え、此人も伊賀都臣(イカツオミ)と見えたり、又三代實録姓氏録などに、雷大臣命(イカツオミノ)とあるも此人にて、此又臣(オミ)を例の大臣に混(マガ)へたるものなり、大かたかくの如く、古書ども大臣(オホオミ)と臣(オミ)と使主(オミ)と混ひたること多し、心して看別べし、又此伊加都臣の臣(オミ)は、姓の尸を名の下に附て云臣(オミ)とも紛ひぬべし、

〔職官志〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0048 臣(オミ)之爲言御身(オミ)也、凡仕者之身、已致於君而不自有、故云御身、其對連則是文官、

〔古史傳〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0048 臣は意美(オミ)と訓む、さて意美てふ言義は、〈○註略〉書紀其ほか古書に、いつも臣連と對へ云て、件男(トモノヲ)を持分くと、連は群主(ムラジ)の意にて、其の群の中の主(ヌシ)と云意なるとを合て思ふに、大持(オホモチ)てふ言の約れるにて、〈毛知は美と切まる〉もとは部(トモ)を統持つ意の稱號なりしが、尸となれるならむ、

〔姓序考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0048
臣姓はいと古き姓なることは既に云り、臣は意美にて大身(オホミ)の意にいへり、〈○中略〉意美はもと稱言の姓になりしもの也、稱言の意美は、臣姓の出來にける後に云るはみな使主とかけり、然れども臣の意に云ること也、臣と使主の相通へるよしを云は、古事記下卷穴穗宮の段に坂本臣等之祖根臣とみえしを、安康紀には坂本臣祖根使主としるし、此人を雄略紀には根臣とかけり、又履中紀には圓大使主とみえしを、雄略紀には圓大臣としるしたり、古事記下卷穴穗宮の段には、都夫良意富美(オホミ)とかけり、故臣と使主のかよへることをしるべし、使主をしも意美(オミ)と訓ることは、顯宗紀に、使主此云於瀰(オミ)とみえたれば、勿論臣は大身の意なりと師はいはれたれど、そはもとを考られざりしから如此いはれしにて、うけがたし、もと臣姓は稱言よりなれるものにて、たヽへごと なるは使主とかけり、ことの意も則使主にて、大身にはあらず、連を群主(ムレウシ)なりと師のいはれしにむかへて思ふに、使主は使人(オビト)の中の主といふ義なるべし、如此(カ丶)れば意美の稱は、君に對へて云るものにて、傍より云ふに非ずとすべし、又直に臣字を以て稱號にかきしものは、仁德紀に小泊瀨造賢遺臣、的臣祖口持臣などみえたり、師の使主は、漢土または韓地の官名のこなたに移れるならむ、さるから姓氏録の諸藩の氏々に多くみえしといはれしもたがへり、姓氏録に、使主を以て姓とせしものは、大和國神別に縣使首、〈首主かよへることは、村主條にいふべし、〉和泉國天孫に末使主、左京諸藩に漢和藥使主、百濟比高使主、高麗後部藥使主、山城國百濟末使主、未定雜姓に百濟長田使主などみえしのみなり、使主姓を賜ふと云ことは國史にみゆることなければ、このみえし七氏の使主は、みな臣姓なることあかきことをや、〈漢土また韓地の官名のこなたにうつりたらんには、天孫また神別の氏の姓にはせらるべきにあらず、されどこの七氏にかぎりて、使主の文字をかヽれしは、ゆゑよしありしこともあるべけれど、そは考がたきわざにしあれば、臣使主相通へる例もて、臣姓なりとはいへり、〉使主もて稱號にせしは、中臣烏賊津連を允恭紀に中臣烏賊津使主といひ、姓氏録に後漢靈帝三世孫阿智王を阿智使主ともいへり、阿智王は、桓武紀延暦四年六月癸酉、右衞士督從三位兼下野守坂上大忌寸苅田麻呂等の上表にもみえしをもて、稱言なるを思へ、さるから姓氏録諸藩の氏々の祖先をいへるに使主といへるもの多し、是によりて師は韓地の官名にやといはれし也、されど王と云べきほどの人々ならではいはざれば、官名にはあらで稱言なるを思ふべし、こたび臣を忌寸の下に序次せしものは、忌寸より宿禰を給へることはみえたれど、臣に移れること國史にみえざれば、忌寸の下とは定めつ、〈秦宿禰、坂上大宿禰などは、みな忌寸姓よりうつれる也、〉されど臣姓は、太古はことに威稜ありし姓なることは、皇別の氏々に多かりしをもて思ふべし、君臣の義にな思まがへそ、

〔玄同放言〕

〈三上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0049 姓名稱謂
臣〈オミ〉は字の如し、〈○中略〉使主〈オミ〉も亦同訓なり、こは君臣佐使の意を借りて使主(おみ)とす、卽臣(おみ)なり、

〔書言字考節用集〕

〈十/姓氏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0050 連(ムラジ)〈位署式所用〉

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0050 綿津見神者、阿曇連(○)等之祖神以伊都久神也、

〔古事記傳〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0050 連は加婆禰(カバネ)にて、〈○註略〉牟良自(ムラジ)と訓、〈万葉八、中臣朝臣武 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00018.gif自(ムラジ)、續紀九、紀朝臣牟 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00018.gif自(ムラジ)など人名にも見ゆ、〉群主(ムラジ)の意か、〈主を自(ジ)と云は宮主(ミヤジ)の如し、戸母(トジ)主(アルジ)の 自(ジ)も此なるべし、〉其群の中の主と云意なり、〈凡て加婆禰は貴みて云稱なり、故師は崇名(アガマヘナ)の約りたるなりと云り、〉さて連字を書故はさだかならず、〈禮記王制に、十國以爲連、連有帥云々、註に合十國連比、有帥以統之也とあり、是を取れるなりと谷川氏は云き、さも有べきか、群主の意、卽かの連帥に似たり、〉又万葉廿〈廿丁〉に多々美氣米(タヽケメ)、牟良自加已蘇乃(ムラジカイソノ)と續たるは、疊薦を編と云かけたるなり〈阿を略く〉とある師説をもて思ふに、たヾ語の上のみの續けにも非で、牟良自(ムラジ)と云に、編連る意ある
故にても有べし、

〔南留別志〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0050 連は村主といふ事なるべし

〔倭訓栞〕

〈前編三十二/牟〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0050 むらじ 日本紀に連をよめり、もと官にて姓(カバネ)になれり、郡主の義なりといへり、臣連とならびて大連大臣なども見えたり、

〔職官志〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0050 連群也、群謂師衆、其文不群而用連、取其可連率之義、且稱以連者據大伴物部之諸姓、是爲武官見矣、

〔姓序考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0050
連姓は、いと古き姓なることは既云り、連は牟良自(ムラジ)と訓、群主(ムレウシ)の意にて、其群の中の主と云意也と師〈○本居宣長〉のいはれき、げに然なり、臣達のむねとせし氏々に太古は賜へる姓なりける、さるから皇別の氏々に賜へること多からねばにや、姓氏録皇別に連姓を負へる氏十九氏ならではあることなし、臣姓を負へる皇別の氏々は四十八民あり、こをもて臣姓は皇別に賜ひ、連姓は神別に賜ひし太古の制の遺れるを知るべし、〈神別に連姓の氏々多きことは、姓氏録をみて思ひわきたむべし、〉こたび連姓を臣姓の下に序次せしものは、太古の制にしたがへるもの也、

公/別

〔拾芥抄〕

〈中本/姓尸録〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0051 公(キミ)

〔續日本紀〕

〈二十二/淳仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0051 天平寶字三年十月辛丑、天下諸姓、著君(○)字者換公(○)字

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0051 多紀理毘賣命、〈○中略〉市寸嶋比賣命、〈○中略〉田寸津比賣命、〈○中略〉此三柱神者、 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00010.gif形君(○)等之以伊都久三前大神者也、

〔日本書紀〕

〈二/神代〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0051 一書曰、〈○中略〉皇孫〈○瓊瓊杵尊〉勅天鈿女命、汝宜顯神名姓氏焉、因賜猿女君(○)之號、故猿女君等、男女皆呼爲君、此基縁也、

〔古事記〕

〈中/景行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0051 大帯日子天皇〈○景行〉之御子、所録廿一王、不記五十九王、幷八十王之中、〈○中略〉七十七王者、悉別賜國國之國造、亦和氣(○○)及稻置縣主也、

〔古事記傳〕

〈二十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0051 和氣(ワケ)は國造稻置などの類にて、諸國處々にありて、〈此より以前には境岡宮段に、血沼別、多遲麻竹別、伊邪河宮段に、葛野別、近淡海蚊野別、若狹耳別、三河穗別など其次々にも、此より下にも、多く某別とある、皆是なり、此段の内に三野之宇泥須和氣と假字にも書たり、〉上として其地を治むる人を云、名義は〈別と書るは借字にて〉吾君兄(ワギエ)の意なるべし、〈此類に、君と云尸もあり、又直と云むある、其も阿多比兄(アタヒエ)なること傳七に云るが如し、同類を以て知べし、宿禰も少兄(スクナエ)なり、〉凡て諸の尸、みな崇めて呼稱なり、さて此因に、此に云べきことあり、御世御世の皇子等の御名、及さらぬ人の名にも、某別だ云が多き、〈かの諸國の尸の別は、某の別と云を、人名はたヽに某別と云て、之(ノ)とは云はず、〉其も名意は、吾君兄(ワギエ)なり、〈天皇の、己命の御子たちを君と名け給はむことはいかヾと思ふ人もあるべけれど、そはひが心なり、應神天皇の御言に、大雀命を佐邪岐呵藝と詔へることなどもあるをや、〉然れども此に擧たる國々の尸の別と、人名の別とは、本より異なり、思ひ混ふべからず、〈言の意は同じけれども、一物には非ず、さて万葉に、又一種の和氣あり、某は己より下ざまの者を指て云稱にて、汝など云類なり、是も本は、吾君兄の意にて、尊崇めて云るが、世々に云なれて、後にはおのづから、返て賤むる稱になれるなり、かの汝も、名稱にて、本は稱崇めて云るが、後には賤むる稱となれると同じことなり、漢國にても、人を卿と云は、是も本は崇めて云るが賤むる稱となれるも同じ、此万葉の和氣はまぎらはしくて人の疑ふことなり、己委き考あり、事長ければ其は此には略きつ、〉

〔日本書紀〕

〈七/景行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0051 四年二月甲子、天皇之男女、前後幷八十子、然除日本武尊、稚足彦天皇、〈○成務〉五百城入彦皇子之外、七十餘子、皆封國郡、各如其國、故當今時、謂稱諸國之別(○)者、則其別王之苗裔焉、

〔倭訓栞〕

〈前編七/幾〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0052 きみ 神代紀に君主公侯王、皇代紀に元首等をよみ、古事記に夫子もよめり、諾冊二尊の名を合せたる義也といへり、〈○中略〉君かばねあり、後に公をもてかへられたり、

〔倭訓栞〕

〈前編四十二/和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0052 わけ 上古の名に別といへるもの多し、わかれて始祖となれるをいふ成べし、釋に嫡子繼之、庶子封諸侯王、故曰別、と見えたり、

〔姓序考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0052
公姓は舊は君と云ひしを、天平寶字三年冬十月辛丑、天下諸姓、著君字者、換以公字とみえしより公字を用ることヽなれり、公は伎美と訓べし、舊は諸國處々にありて、其地に公として治めし人を云り、さるから皇子達に諸國を賜へるに此姓を負へるが多く、公姓なるは地號をもて氏とせしもの多し、古事記中に皇子達に君姓をいへるもの三十九氏なるに、みな地號を以て氏とせられし也、天武朝廷の詔に、八色姓を改定め給ひしとき、近き皇族なる君姓の氏々には、眞人姓及朝臣姓等賜へりしかども、なほ姓氏録皇別に、公姓の氏々三十六氏あり、君姓はことに出て國史ともに云れしことはみえねど、太古はいと重きものにせられしなへに、古事記中には、皇子達に多くこの姓見えたり、其國に在ては、ことにいきほひあらしものにやありけん、筑紫君石井、〈筑紫君は、大彦命の後なることは、孝元紀及國造本紀等に其こと委にみえたり、〉のをヽしかりしざまは繼體紀にみゆ、今現に其墓地ありて、上古のなごりの知らるヽは、其圖をみても http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00015.gif大さまのよくみゆるをや、故思ふに、諸國の君は、其地地を標て、心のまヽにことを行ひたらしものならむ、されば君はしも、姓ながら官にたぐひたるもの也、公姓より以下の姓は、みな姓ながら官にたぐひせしものどもなれば、太古の官名のやがて姓になりしとやいふべき、次たヽへなにはあらじ、〈○中略〉公姓につきて、太古には別姓ありき、その正しくものにみえしは、孝德紀に、別、臣連、伴造、國造、村首、又古事記中卷日代宮の段に、國々之國造、亦和氣及稻置縣主とみゆ、師のいはれしは、別は國造稻置などの類にて、諸國處々にありて、上 として其地を治むる人を云、名義は別とかけるは借字にて、吾君兄(ワキエ)の意なるべしといはれき、太古は重きものにせられし姓なるにや、古事記中に、皇子達に別姓を負給へるもの二十五氏ありて、みな各國の地號もて氏とせられたり、されど別姓ははやくうせにしにやあらん、後には別をもて氏とせられし也、そは天平神護元年三月甲辰、備前國藤野郡人正六位上藤野別眞人廣虫女、右兵衞少尉從六位上藤野別眞人淸麻呂等三人、賜姓吉備、藤野和氣眞人、藤野郡大領藤野別公子麻呂等十二人、吉備藤野別宿禰とみえたり、〈○中略〉是等みな和氣を以て氏とせられたれば、別姓は失にしことを思へ、別姓にしも太古公姓をそへ賜へるを思ふに、別と云は、公といへるより下なりしものにて、別ながら公のことをとり行へるをさして、みな別公と云しにやあらん、其號の轉りて、やがて氏姓の如なれるにぞあべき、さならざらんに、何そも姓を重云べきことかは、

國造

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0053 天菩比命之子建比良鳥命〈此出雲國造(○○)、无邪志國造(○○)、上菟上 國造(○○)、下菟上國造(○○)、伊自牟國造(○○)、津島縣直、遠江國造(○○)等之祖也、〉

〔古事記傳〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0053 國造は何れも久邇能美夜都古(クニノミヤツコ)と訓べし、其由はまづ上代に、諸仕奉人等を總擧るには、臣(オミ)、連(ムラジ)、伴造(トモノミヤツコ)、國造(クニノミヤツコ)と並云り、〈書紀卷々に數しらずおほし〉又敏達卷に、臣(オミ)、連(ムラジ)、二造(フタツノミヤツコ)とも有て、二造者、國造伴造也と註せり、さてその國造は諸國にて其國の上として、各其國を治る人を云尸(カバネ)なり、造(ミヤツコ)は卽かの件造と云る者にして、伴とは部を云、三枝部(サキクサベ)などの部なり、倍(ベ)は卽牟禮(ムレ)を約たる米(メ)に通はしたる言なり、〈上達部と書て、カムダチメと訓類をも思ふべし、〉故造の尸は、多くは某部と云姓に多し、〈天武紀十二年九月の所を見べし〉部と云ぬも其意なる姓なり、かヽれば造は、諸部にて上として各其部を掌る人を云尸なり、〈書紀垂仁卷に、某部々々と云をあげて、幷十箇品部とあり、又欽明卷に、秦人戸數總七千五十三戸、以大藏據秦件造とある、是秦人ノ戸を掌る人を秦伴造と云るなり、又雄略卷に、詔聚漢部其伴造者云々、これも漢部を掌る人を其件造と云なり、又孝德巻に、詔曰、若憂訴之人有伴造者、其伴造先勘當而奏、これも其部々を掌人を其件造といへり、〉されば二の造同義にて、〈郡領をも許本乃美夜都許(コホノミヤツコ)と訓り、此訓のこと、北山抄にも懇に記されたり、此も字は異なれども、同言同意なり、〉名義は御臣(ミヤツコ)なり、稱德紀〈ノ〉詔に、貞久(タゞシク)淨伎心乎以天(キヨキコヽコロヲモチテ)、朝廷乃御奴止奉仕之米天(ミカドノミヤツコトツカヘマツラシメテ)云々、また丈部姉女乎波(ハセツカベノアネメヲバ)、内都奴止爲氐(ウチツヤツコトシテ)、冠位擧給比(カヾフリクラ幷アゲタマヒ)、な どあるをもて、夜都古(ヤツコ)は臣の意なることを知べし、推古紀には、國造をクニノヤツコども訓り、〈夜都古といへば、甚賤き者の如く聞ゆれども、本然に非ず、君に對へて臣を云名なり、故君臣の意なる臣をば、書紀などにも皆ヤツコと訓り、又官奴を美夜都古(ミヤツコ)と云 は別なり、其はもと私家の奴婢より起て、公の奴婢を云なり、されどその私家の奴婢も、君臣の臣の意なれば、云もてゆけば本は一なり、又とのもりのとも御奴など云も此なり、此等名の本の意は一におつめれども、造は天皇に對へて臣の意なる故に、其部の上たる人を云、御奴とは下に付者を云なれば、用ふる所に至りては甚異なり、さて國造を國ノ宮ノ司(ツカサ)と云意とする説は大誤なり、又師(賀茂眞鞘)は國造を久爾都許(クニツコ)と訓て、其説に、國造は其國を草創し意にて、卽造と云言なり、又たヾの造は、宮を造れる功に因れる尸なりと云れつれどわろし、今考るに、書紀などに多くは久爾能美夜都許と訓、又久爾都許と訓る所も稀にはあり、造字に就て思へば、此師説當れるに似たれども、造も宮を造れる功に因れること、未其證を見ず、孝德紀に進調賦時、其臣、連.倖造、國造等、先自収歛、然後分進、修治宮殿一云々など云ることあれど、此は別事なり、さて若造作る意ならば、國造の例にて、美夜都部首も宮造と書べきことなるに、然書ることなし、造字のみにては、宮造を造ることには取がたし、そのうへ右に引る書紀に、國造伴造と並べ云、又、これを二造ともあるを、一をばミヤツコ、一をはたヾツコこ訓の變るべき由なきをや、〉されば天皇の御臣として、〈書紀推古卷に、國司國造云々、所任宮司、皆是王臣、〉其國々を治る人を國御臣(クコノミヤツコ)と云、各其部々を掌る人を伴御臣(トモノミヤツコ)とは云なり、

〔倭訓栞〕

〈前編八/久〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0054 くにのみやつこ 日本紀に國〈ノ〉造をよめり、後世の國司の如し、其國の宮社を祭れば、みやつこの名ありといひ、またもと其地を開き造りたる意成べければ、くにづこどよみて事足ぬともいへるは、ともに非るべし、日本紀に諸の仕奉る人等を總擧るには、必す臣連件造國造と並べいへり、國造は諸國にて其國を治るをいふ、今昔をもて呼り、其絶ざるは出雲にのみ遣れり、紀州目前、備中吉備津宮、因州宇都宮なども同じ、孝德の御字に國造を郡司にせられしは、神事に預る事なかりけん、文武の時に神事をも兼行はせられたり、かくて後神事に言よせて公事をかくことありしかば、桓武の時より又國造は神事のみにて、別に郡司は置れし也といへり、

〔玉勝間〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0054 國造
いにしへに國造といひしは、今の世のごと、大きにこそあらざりけめ、大かた何事も大名の如くなる物にて、國々に多く有し也、それが中に國造、また君、また別、又直、又稻置、また縣主などいふ色 色の有て、尊き卑きけぢめも有つるを、そのけぢめは、さだかに記せる物なければ、いづれ尊く、何れ卑かりけむ、今こと〴〵くは、わきまへがたけれど、大かたは皆國造と同じさまなる物にて、此色々を一つにすべても、國造といへりき、書紀などに、伴造國造などあるは、かの色々をすべて、一つに國造といへる也、さてもろこしの國にも、いにしへ封建の制とかいひし代の諸侯といふ物、これによく似たり、其諸侯に五等の爵とて、公侯伯子男と、五きざみのしな有し、それはた國造君別などの色々ありしににたり、其しなの中の一つの名をとりて、すべて諸侯といひしも、又すべてをも國造といひしに似たり、もろこしの事は、かの國のまなびするともがらは、此諸侯の五しなの事など、たれもよくしれるを、皇國のいにしへのさまをば、かへりてよくしれる人なくて、國造の中に、かのくさ〴〵のしな有しをもしらず、又かの色々はいかなるさまの物ならしともしらであるはいかにぞや、

〔職官志〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0055 上古有國作大己貴(クニツクリオホナムチ)、國作國造也、蓋自生民、所在人材傑出、堪君長者、衆推戴之、以奉政令、號爲國造、因其造邦國也、始其號出於自然、所從來久矣、

〔姓序考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0055 國造
國造、〈○中略〉師〈○本居宣長〉のいはれしことは、いまだことの本源を云つくさヾりしゆゑにかなひがたし、そを云ば、臣は稱言には意美(オミ)と云ひ、君に對ては夜都古(ヤツコ)といへり、夜(ヤ)は發語にて都古(ツコ)ともいへり、〈都古に附子の意にて、君に附る子の義なり、附を都(ツ)とのみ云るは體言なり、吾友北村久備の云るは、都古は仕子なるべし、都加閉(ツカヘ)を約れば都氣(ツケ)となれるが轉れるかといへり、〉是を稱言には、御字をそへて美夜都古といへれど、たヾなるときは夜都古とも都古ともいへり、さるから國造を稱言には久邇乃美夜都古といふべけれど、平生なるには久邇乃都古といふべし、卽國附子の謂なり、造字を當しものは其事を爲の義にいへり、事を爲は、事を執行へるをいふ、事を作り出るの謂ならず、〈造字は、ものを作り出る意に云ことは漢籍の意也、こなたにては、ものをつくり出るには作字をかけり、〉國造は各國のことども を執行るから、やがて造字を當しもの也、なめて國造と云は、既云し如く、公、國造、縣主、村主、稻置までをいふこと也、國造も伴造も、たヾ造とのみいふべきを、さいひては二種の造のあるなへに、ことのまがへれば、云別べく料に、國事に預れるには國字をそへ、職事に預りて伴雄を率るには伴字をそへいへるもの也、國附子伴附子の謂なるから、詞には久邇乃都古、止毛乃都古といふべきこどなり、〈すべて如此其國のことをなし、其伴男のことをなせれば、國にも伴にも、意あることなるには、乃字をそへ云こと例なり、〉成務朝廷五年秋九月、令諸國國郡造長、縣邑置稻置、並賜楯矛以爲表、とみえしもて、其國事に預れるものなるを思へ、既云しごとく、國造、縣主、村主、稻置は、みな職なりしかど、其職は矢て姓になれるから、後よりみれば、職ながら加婆禰のごとくなれど、そは深く舊を考思はざるに依り、國造は諸國各地を司りし由を云は、姓氏録に造姓を負る氏々いと多き中に、杖部、猪名部、奄智、韓矢田部、茨木、輕部、若櫻部、八木、長谷部、矢田部、積組、大庭、大丘、福當、日置、山田、若江、高野、飛鳥戸、御地、中野、眞野、枌谷、高井、狛、八坂、朝妻、波多、薦豆、和、絲井、二野、豐津、高安、河内、宇奴、日根、取石、原、長倉、小橋、豐村等の四十二氏は、みな地號以て氏とせしにて、上古は各地の造なりしを知れ、太古には大國造國造の二種ありしことにて、大國造は國の宰也、國造は郡の宰なりし也、〈國の宰は筑紫國造、出雲國造のたぐひをいへり、郡の宰は闘鷄國造、伊甚國造のたぐひ也、大國小國のけぢめもていふ大國造國造といふにはあらず、郡には代縣主あるなへに、郡の宰をしも國造とはいふまじきごと思ふべけれど、然ならず、郡邑の宰なる造又村主等にても、勳功あるには造又は公に姓を進め給へれば、郡邑の號を以て氏とせし公姓のいと多く姓氏録にみえたり、〉郡又邑の宰なる國造に對ては、國の宰なる國造は甚大なるなへに、夫には大字を冠せて大國造としもいへりしならむ、是ぞ國造のうちのけぢめなりける、成務朝廷の詔に、國郡立造長とみえしは、こをいはれたる也、こたび國造を公姓の下に序次せしものは、大寶元年夏四月癸丑、遣唐大通事大津國造廣人、賜垂水君姓とみえしに依りて也、

〔拾芥抄〕

〈中本/姓尸録〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0056 造(ミヤツコ)

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0056 天津日子根命者〈(中略)三枝部造(○)等之祖也〉

〔倭訓栞〕

〈前編三十/美〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0057 みやつこ 日本紀に國造をくにのみやつこ、伴造をとものみやつことよめり、造字は北史に、新羅官十七等を擧し中に、第十七を造位とあるによりたりしにや、みやづかへより轉じたる語なるべし、或は御臣(ミヤツコ)の義にて、其國郡を治むると、其部屬を掌るとの分ち也ともいへり、

〔倭訓栞〕

〈前編十八/登〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0057 とものみやつこ 日本紀に件造と見えたり、國造に對していへり、八十伴緒の職掌ある部類を、すべをさむる任をいふ也、よて孝德紀に若憂訴之人、有伴造者、其伴造先勘當而奏せと見えたり、殿守のとものみやつことよめるは少異れり、

〔職官志〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0057 凡稱造、稱直、是諸部君長之號、總名爲件造

〔姓序考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0057 伴造
伴造は、其各部を司るをさしての謂なり、ことの意は件附子(トモノツキ)也、伴とは其部曲の人をいへり、太古掌職人は、自其事をなせしから、各部にありて、職をなせしものをば某部と云りし、部は止毛とも牟禮とも訓て、其職をなす人等をひとつらになしての謂なり、各々にことわけて云には某作といへり、〈件も部もひとつらのことにて、ことものなるにあらず、物部氏、大伴氏は、朝廷の倒守護人等なれば、其部の多きから、萬葉集第三第四第六第十七弟十八第十九などには、物力負能(モノノフノ)、八十件男(ヤソトモノヲ)と云ひ、萬葉第七には靭懸流伴雄廣伎大伴(ユギカクルトモノヲヒロキオホトモ)などいへり、八十伴男は八十部男といへるなり、伴雄廣伎は、件男多きといへるにて、上古は多きことを廣きともいへり、八十と云も、其部の多きを云稱言也、件雄のことは、古事記傳第十五卷十八右に、ことのよしを委にいはれたれば、あはせみるべし、〉さるから姓氏録に造姓いと多かれど、地號と〈地號の造は、上件國造の條にいへり、〉職號とのみ也、間人、酒人、櫛代、衣縫、神社、宮部、佐伯、門部、刑部、眞髪部、伊部、神宮部、掃守、秦、幡文、工、大伴、呉服、坏作等、みな其職をもて氏に負るもの十九氏あり、此外衣縫部、佐伯部などのたぐひ、部字のそはりしは又其下に在るものにて、是をしも部曲といへり、〈部曲の事は後にいへり〉故伴造としも云は、首、伴造、直、史の四等姓をいふことになれヽど、公國造、縣主、村主、稻置の五等姓までを混同しても伴造といへり、皇極朝廷二年九月丙午云々、仍賜臣、連、伴造、帛布、各有差、冬十 月丁未朔己酉、饗賜群臣伴造於朝堂、又孝德紀大化元年秋七月己卯云々、大夫與百伴造等などみえしは、國造伴造を並云る也、〈孝德紀には、二造を並て、伴造とのみいへる處々ことに多し、〉伴造姓をしも、連姓下首姓の次に置るものは、天武朝廷十二年九月乙酉朔丁未、水取造、刑部造、物部首云々、賜姓曰連とみえしに依れり

〔拾芥抄〕

〈中本/姓尸録〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0058 置(アタヒ)

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0058 建比良鳥命、〈此出雲國造、(中略)津島縣直(○)、遠江國造等之祖也、〉次天津日子根命者、〈(中略)倭田中直(○)、(中略)三枝部造等之祖也、〉

〔古事記傳〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0058 直(アタヘ)は書紀に阿多比延(アタヒエ)と訓る所ある〈皇極卷に長〈ノ〉直(アタヒエ)とあり〉と、和名抄和泉國和泉郡の鄕名に、山直〈也未多倍〉とあるとを合せて阿多閉(アタヘ)と訓べし、〈かの阿多比延(アタヒエ)の比延(ヒエ)を切めて閉(ヘ)と云なり、山直は、山の末(マ)に、阿(ア)ノ韵ある故に、阿(ア)を略(ハブ)きて多閉(タヘ)なり、〉名義未ダ考得ず、延(エ)は兄(エ)なるべし、〈直字は借字なり、續紀廿八に、庚午年籍に直ノ姓に、費ノ字を書れたりしこともありしよし見ゆ、〉姓氏録に、直者謂君也とあるは、宜汝爲君治一レ之とある詔に就て註せるなり、此尸も凡て國々の處々にある姓に附たれば、其處の君たる意にてはあるなり、

〔倭訓栞〕

〈前編二/安〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0058 あたひ 直字をよめり、物のねをいふ也、當易(アテカヒ)の義、てか反た也、字書に直は準當也と見えたり、延喜式に估もよめり、價も同じ、姓に直をあたひとよむも同義也、よて日本紀に費直とも見えたり、又あたひえとよめるも當得の義なるべし、續日本紀には費の一字をも用ゐたり、よて三代實録に費字を用るを忌て訴へし事など見えたり、姓氏録に直者謂君也とあるは、宜汝爲君治一レとの詔に就て註せるなりといへり、

〔古史傳〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0058 直は〈○中略〉名義は〈師はいまだ考得ずと云れしかど、試に云はヾ、〉直見(アタヒエ)にはあらざるか、〈大兄少兄などの例の稱號なり、延(エ)は兄(エ)なるべしとばかりは、師も既く言れたりき、〉其は常言に、物の替を出すことを阿多比(アタヒ)をものすなど云を按に、天皇命の御手に代て、地を治むる由にて、直見と稱たる號なりしが、尸とは爲れるならむか、

〔姓序考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0058
直はもと職號なりしものヽ姓なごりしならん、其職なりしときのさまは、其業々をみづからなせしなへに、阿多比延(アタヒエ)の號つきし也、阿多比は授にて、授兄又は予兄の意なるべし、さるから其意を得て、直或費字を當し也、如此卑事に近き職なりしから、其人にたへたる事を任されしかば、姓氏録に直姓の氏々は、職號と地號と相半してみえたり、直職より夫々の業にたへしものを撰定て、事職又國事を授給へらし也、〈阿多比のことのヽろをいはんに、物を得て其替りをまたせるを、今も阿多比といへり、こはたヾに其物に相替れるの義なり、直の職なりしときも、其闕たる職々に相替るの義にとれる號なり、〉故氏號に、職及地號の相半して殘れるにて思へ、姓とこなりても舊(モト)卑職なりしから、最下の姓とせられたり、されどこれより出身せるは太古ノ遺制なればにや、神護景雲二年夏四月乙酉、伊豫國神野郡人賀茂直人主等四人、賜姓伊豫賀茂朝臣、又秋七月壬午、武藏國入間郡人五正六位上勳五等物部直廣成等六人、賜姓入間宿禰、八月辛酉、近江國淺井郡從七位下桑原直新麻呂、外大初位下桑原直訓志必登等、賜姓桑原公、天武朝廷十四年六月乙亥朔甲午、大隅直賜姓曰忌寸、とみえしは、みな其等をこえてなりのぼれるにて思ふべし、こたび伴造の下に序次せしものは、舊(モト)職號の時のさまと、史姓よりは直姓に轉れど、外の姓よりうつりたることなきをもて、如此は定めつる、

道師

〔日本書紀〕

〈二十九/天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0059 十三年十月已卯朔、詔曰、更改諸氏之族姓、作八色之姓、以混天下萬姓、〈○中略〉五曰道師(ミチノシ/ミチシ)

〔釋日本紀〕

〈十五/述義〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0059 道師
私記曰、師説未詳、

〔倭訓栞〕

〈中編二十五/美〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0059 みちのし 道師とかけり天武天皇の時八姓を立て、天下の氏姓を混同したまへり、その第五なり、或の説に、神道王道を敎ふるの師といふことなりといへり、されど國史及姓氏録などに此かばねは見えず、

〔古事記傳〕

〈十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0060 道師は、神代紀に、道主貴(ミチヌシノムチ)、開化天皇の御孫に丹波道〈ノ〉主〈ノ〉命あり、欽明紀に、道君をミチノウシと訓り、然れば本より此稱有しに、道師字〈ノ〉を塡られたるなり、かくの如く何れも其稱はもとよりありつれども、姓の加婆禰(カバネ)となれるは、此御世より始まれることなり、さて道師は、此時〈○天武〉八色の一に定められしかども、此加婆禰の姓は、後までも物に見えたることなし、

〔書紀集解〕

〈二十九/天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0060 道師(ミチノシ)〈按傳諸技藝、於諸道各可師者、謂難波藥師、河内畫師之類、非道師、〉

〔日本書紀〕

〈二十二/推古〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0060 十二年九月、是月始定黄書畫師、山背畫師、

〔續日本紀〕

〈二十/孝謙〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0060 天平寶字二年三月己巳、内藥司佑兼出雲國員外掾正六位上難波藥師奈良等一十一人言、奈良等遠祖德來、本高麗人歸百濟國、昔泊瀨朝倉朝廷、〈○雄略〉詔百濟國求才人、爰以德來進聖朝、德來五世孫惠日、小治田朝廷〈○推古〉、御世、被大唐擧(○)得醫術(○○○)、因號(○○)藥師(○○)遂以爲(○○○)姓(○)、今愚闇子孫、不男女、共蒙藥師之姓、竊恐名實錯亂、伏願改藥師字難波連、許之、

〔政事要略〕

〈九十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0060 又云、〈○醫疾令〉醫生、按摩生、呪禁生、藥園生、先取藥部及世習、〈謂藥部者、姓稱藥師者、卽蜂田藥師、奈 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00018.gif藥師頬也、○下略〉

〔姓序考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0060 道師
道師姓は、天武朝廷の詔に、八色姓を定め賜へるとき、五曰道師とみえしのみにて、諸氏に賜ひしこと國取史みえず、〈此御世に改定め給へる眞人姓は、十三年冬十月己卯朔、十三氏に給へり、朝臣姓は、十一月戊申朔、五十二氏に給へり、宿禰姓は、十二月戊子朔己卯五十氏に給へり、忌寸姓は、十四年六月乙亥朔甲牛、十一氏に給へり、この後に道師姓を給へることあるべきに、さらにそのことみえず、〉故思ふに、忌寸姓さへ給へるとき、はつかに十一氏なりしかば、道師姓はことに少かりしにこそありけめ、さるから自然絶しにやあらん、又思ふに、道師姓は、文字のごとく、諸道の師といふ意にて置れし姓にや、さならんには、伴造を如此大號にいはれしにてあるべし、〈國造はひとつの姓なれど、大號のかたなになれば、公、國造、縣主、村主の四等姓のことになれり、〉件造は既云しごとく、種々の職をなせるものにしあれば、其部曲の人々の其業にたえたるものを集へて、 そのことヾもつくり出て貢進れるなれば、造をさして諸道の師匠なりとの意にて造師といはれしならめ、是は大號に〈道師と〉のみ云ひて、其氏々に賜へるには、舊のごごく某造と賜ひしなへに、直に道師といふ姓のなきにこそあらめ、さるから八色姓を改定め給へるとき、造姓を云れざれども、後世に造姓いと多し、決く造姓を如此云しならん、このふたつのこと思別がたければ、其大旨をしるしぬ、なほ能可考こと也、

〔氏族考〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0061 道師は美知乃之(ミチノシ)と訓て、道は諸道を云り、〈諸道の職工の類〉師は師匠など云ふ師にはあらで、爲(シ)の義なる事、刀研を研師(トギシ)と云ひ、壁塗の工を塗師(ヌリシ)と云に同じく、諸道の業に堪たるものを道師と云しなるべし、〈○中略〉所謂美知乃之とは、土師(ハニシ)、贅(ニエ)〈ノ〉土師、〈日本書紀〉倭〈ノ〉鍛師(カヌチシ)、〈舊事紀〉黄書畫師(キフミノエシ)、山背〈ノ〉畫師、高麗畫師、〈日本書紀〉河内畫師、難波〈ノ〉藥師(クスシ)、〈續日本紀〉蜂田〈ノ〉藥師〈姓氏録〉など職工技藝に係れる者を總稱るにて、道師と云、一つの姓ありしにはあるべからず、

縣主

〔拾芥抄〕

〈中本/姓尸録〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0061 縣主

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0061 天津日子根命者〈(中略)高市縣主(○○)、(中略)三枝部造等之祖也、〉

〔古事記傳〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0061 縣主(アガタヌシ)は、卽其縣々の主なり、

〔倭訓栞〕

〈前編二/安〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0061 あがた 縣をよめり、分つと通ぜり、和名抄に縣々をがた〳〵とよみ、諸縣をむらがた、山縣をやまがたなどよめり、縣主は神武天皇の御代より見えたり、縣邑を治むる者をいふ、後かばねごなれり、

〔古事記傳〕

〈二十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0061 縣主(アガタヌシ)は、倭〈ノ〉國内なるを始め、國々に在る縣を掌れる者の號なり、〈此縣は上に云る如く、朝廷の御料の縣なり、此御世(成務)のほどなどは、たけヾ何となきなべてのり地を縣と云ことはいまだあらざりき、されば縣主と云物も、凡ての地にあるにはあらず、〉其記中に見えたるは、高市縣主、師木縣主、十市縣主などあり、書紀神武卷に、給弟猾猛田邑、因爲猛田縣主、〈こは倭ノ國十市ノ郡なる猛田にて、其邑を賜ひて、其處にある御縣の司とし賜へるなり、同き猛田の内に、御縣の地と此人に賜へる地とあるより、此文に依て縣主と云は、たヾ其地を領(ウシハ)ける者ぞと勿思ひまがへそ、〉弟磯(オトシ) 城(キ)名黑速(クロハヤ)、爲磯城〈ノ〉縣主など見ゆ、神武天皇の御世よりありし物なり、さて此も國造、君、直、別などの類なる者にて、日代宮段に、自其餘七十七王者、悉別賜國々之國造、亦和氣、及稻置縣主とあり、〈書紀安閑卷に、津國の三島縣主飯粒が、 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00018.gif田四十町を天皇に奉獻しこと見ゆ、又天武卷に、高市郡大領高市縣主許梅と云人あり、孝德御世の御制よりして、縣主なども郡司に任しがありしと聞えたり、〉此も其職を子孫世々に傳ふることに、某縣主と云、卽姓なり、〈縣主の姓は、此記にも書紀にも見えたるいと少し、姓氏録に出たるも甚少し、御縣にのみありし物なればなるべし、姓氏録に、たヾ縣主とのみの姓もあるは、然る由ありけん、〉伊邪河〈ノ〉宮〈ノ〉〈○開化〉段に旦波大縣主、朝倉〈ノ〉宮〈ノ〉〈○雄略〉段に志幾之大縣主と云もあり、此は臣に大臣、連に大連と云如く大を如へて稱へたる物か、又思ふに、此に大縣小縣ともあれば、こは其縣の大なるを云るにもあらんか、〈若然らば、大は其縣に附たるにて、縣主には係らず、〉

〔職官志〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0062 縣是官家所班田、讀爲安賀多、大祖〈○神武〉始置縣主、若磯城縣主黑速、猛田縣主弟猾是也、

〔姓序考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0062 縣主
縣主姓は、いとふるきものにて、官名なりしが姓になれりし也、〈○中略〉さて縣のむねとせしものは、高市、葛城、十市、志貴、山邊、添の六縣也、是はことに京畿に在て、朝廷の御料給ふ陸田物を作りて貢進る地なるから、祈年祭祝詞、又月次祭祝詞、この外の祝詞等にもみえ、孝德紀大化元年八月丙申朔庚子詔に、其於倭國六縣、被使者、宜戸籍、とみえしも、高市以下の六縣を云るなり、姓氏録にも、添縣主、志貴縣主、高市縣主の三氏はみえたり、外の三縣主は、縣主姓を矢へるもあり、又亡失もあるべし、神武朝廷二年春二月甲辰朔乙巳、以劒根者、爲葛城國造、とみえしを、姓氏録大和國神別天神葛木忌寸、高御魂命五世孫、劒根命之後也、又河内國神別天神葛木直、高魂命五世孫、劒根命之後也、とあれば、うつりて忌寸姓になり、又くだりて直姓にもならし也、十市縣主は、孝安紀に、十市縣主五十坂彦、孝靈紀に、十市縣主等祖女眞若媛、古事記中卷黑田廬戸宮の段に、十市縣主之祖大目などみゆ、山邊縣主は、廢帝紀第廿一に、山邊縣主男笠とみえしのみ也、此六縣主さへ轉變れるもて、各國の縣主の散亡しことを思へ、されど姓氏録に、鴨、志紀、紺口、珍努、賀茂、犬上等の六氏の縣 主をのせたら、又縣主大縣主の二氏をのせしは、姓の氏になりしなれど、舊そのゆゑあるもの也、和泉國皇別縣主、和氣公同祖、日本武尊之後也とみえしは、和泉國大鳥郡の縣主なるべし、此郡に大鳥神社鎭坐こと神名帳にみえたり、大鳥神社は、倭建命を奉齋神社なれば、此神の御系もて縣主とせらるべき由あれば也、然ならんには、大鳥縣主としるさるべきを、大鳥を省きて、たヾ縣主とせしものは、和泉國神別天神大鳥連、大中臣之同祖、天兒屋命之後也とみえし、氏人の威稜ありて、縣主のかたは大鳥を省きて云るならめ、上古には如此例いと多し、〈垂仁紀十一年春三月癸卯朔丙午、科諸國造等、爲衣通郎娘藤原部、天武紀下十二年九月丁未、藤原部造、賜姓曰連、孝謙紀天平寶字元年三月乙亥、勅自今以後、改藤原部姓久須波 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00018.gif部君とあるは、當時藤原氏人、威稜あるをもて、藤原部を葛原部に改められし也、もと藤と葛とは相通へり、特持紀には、藤原朝臣を葛原朝臣ともかけりし、〉大縣主は、舊凡河内氏とひとつ氏人なるを、云別べくて、如此云り、其由は古事記上卷に、天津日子根命者、凡川内國造云々等の祖也とみえしを、神代紀上卷に、天津彦根命、是凡川内直云々等祖也とみゆ、古事記に凡川内國造とあるは其最を云り、神代紀に、凡川内直だあるは、當時のさまにて云し也、このすぢの氏人は、天武朝廷十二年九月丁未、凡川内直、賜姓曰連、〈自是以前、十年夏四月庚戍、川内直縣、賜姓曰連とみえしは、縣一人に連をたまへるにて、氏人のこと〴〵給へるにはあらず、十二年なるは、氏人悉給へるなり、〉十四年六月乙亥朔甲午、凡川内連、賜忌寸とみえて、つき〴〵になりのぼれり、河内氏はこれのみならず、姓氏録攝津國神別天孫凡河内忌寸、天穗日命十三世孫、可美乾飯根命之後也とあるは、天津彦根命と兄弟の神にて、天照大御神の御子也、〈兄弟同氏を云ことは、是のみならず例あり、〉又諸蕃に、河内國漠河内忌寸、山代忌寸同祖、魯國白龍王之後也、又漢河内造、春井連同祖、愼近王之後也、〈愼近王は、後漢光武帝の末也、〉百濟河内連、出百濟國都慕王男陰太貴首王也、などみえて、別種の氏々多し、〈この外諸蕃に、河内畫師、河内漢人などいふもみえたり、〉是に云別べきとて、氏の本源なるを凡河内と云、〈凡河内の凡は、大の意に云り、大は多の義なるべし、さるから河内氏は於保之(オホシ)と訓べくて、凡の字をかけるもの也、凡大の通へることは凡河内氏を、安閑紀、椎古紀、舒明紀等に大河内とかけり、萬葉集第二に、天數、凡津子之とある凡津は、近江國志賀大津のこと也、凡津子を志我津子とも讀れば、かよへることを思へ、本源なる河内氏をしも於保之といふよしは、氏人の廣大なりとの稱言に冠せしにやあらん、舊は凡を阿布志とも訓りしにや、持統紀に、阿布志 海部河瀨麻呂とあるは、凡海氏人なればなり、〉其次を河内と云へり、〈河内氏は、欽明紀、天武紀、元正紀、孝謙紀、稱德紀等にみえし、〉是等に云別べくて、河内國造の氏人をば、たヾ大縣主と云ることになりしならむ、〈縣主をしも國造と云は、大號をいふにて、葛城縣主を神武紀に、葛城國造といはれし例なり、〉又思ふに大縣主としも云るは、上古各國に、大縣小縣の二種ありしなへに、河内氏の任されしは大縣なりしから、則大縣主といへるにて、稱言の大にはあらざるべし、このふたつのこと、思わきがたし、

〔續修東大寺正倉院文書〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0064 御野國加毛郡半布里大寶二年戸籍
上政戸縣造(○○)吉事〈○中略〉
中政戸縣造(○○)荒島〈○下略〉

〔古京遺文〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0064 妙心寺鐘
戊戌年四月十三日壬寅、収糟屋評造(○○)春米連廣國鑄鐘、
戊戌文武天皇二年也

稻置

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0064 天津日子根命者〈(中略)蒲生稻寸(○○)、三枝部造等之祖也、〉

〔古事記傳〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0064 稻寸(イナキ)は、多くは、稻置と書り、〈置は於伎(オキ)の於(オ)を省て取れり、日置玉置(ヒキタマキ)などの例なり、〉何れも借字なるべし、名義いまだ思得ず、伎(キ)は君(キ)なるべし、書紀成務卷、五年國郡に立造長(ミヤツコ)、縣邑置稻置(イナキ)、また孝德卷に國〈ノ〉造、伴〈ノ〉造、縣〈ノ〉稻置などもあり、さて然國々に在て其趣相似たる中にも、國〈ノ〉造、縣主、君、直稻寸などヽ色々に分れたること、其所由も高下も、今こと〴〵く委曲には辨へがたし、

〔古事記傳〕

〈二十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0064 稻置(イナキ)は伊良君(イラギ)の意ならむか、良と那とは、通へる例あり、〈此記に比 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00018.gif鳥命(ヒラトリノ)と云名を、他書には夷鳥命(ヒナトリノ)とあるなど、是なり、〉さて伊良は郎女(イラツメ)などの伊良なり〈其言の意は、上に出、〉

〔日本書紀〕

〈七/成務〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0064 五年九月、令諸國、以國郡立造長、縣邑置稻置(○○)、並賜楯矛以爲表、

〔釋日本紀〕

〈十/述義〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0064 稻置
公望私記曰、案今税長也、

〔倭訓栞〕

〈前編三/伊〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0065 いなぎ 稻置(キ)は、古へ公田の御倉所なるにや、又邑長の號にして、後に姓にも、所の名にもよべり、允恭紀に闘鷄國造の姓(カバネ)を貶して、稻置になされし事見えたり、

〔古史傳〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0065 稻置、〈○註略〉もとは職號なりしが姓になれりしなり、〈○中略〉名義は、〈○中略〉諸國にある屯倉〈○註略〉の司として、其事にあづかる謂に依て、稻君と云意の稱なるを、其意を得て、稻とは書るならむ、

〔姓序考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0065 稻置
稻置姓は天武朝廷の詔に、八色姓を改定め給へるとき、八日稻置とみえたれど、いと舊き姓也、成務朝廷五年秋九月、令諸國、以國郡、造長、縣邑置稻置、並賜楯矛以爲表、このとき正しく稻置は定め給へる也、此御世より以前に、蒲生稻置、伊賀稻置、那婆理稻置、三野稻置、葦井稻置など、古事記にみえたり、されど賜へることのみえざれば、成務朝廷にて、諸國に置れしとき賜ひしにもあるべし、如此(カヽ)れば當時には職にて、姓にあらざりしならん、うつりて姓になりしことの正しくみえしは、允恭朝廷二年春三月丙申朔己酉、立忍坂大中姫命皇后云々、闘鷄國造云々、貶其姓稻置、とみえたれば、當時は姓になりし也、孝德朝廷大化元年八月丙申朔庚子の詔に國造、伴造、縣圭、稻置とみえたれば、決(ウツナ)く職の姓になりしもの也、師の云れしは、稻置は伊良君(イラキミ)の意ならん、良(ラ)と那(ナ)とは通へる例あり、〈古事記に比 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00018.gif鳥命といふを、他書には夷鳥命とあるこれなり、〉伊良は郎女(イラツメ)などの伊良なり、〈伊 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00018.gifは伊呂兄伊呂弟(イロセイロト)などの伊呂、又人(イリ)彦入(イリ)姫などの入などとみな同言にして、親み愛しみていふ稱なり、〉といはれき、故思ふに、稻置は稱言にはあらざるべし、太古國用のむねとせられしものは稻米なりしかば、ことに重きものにせられし也、然れば諸國に作出せる稻米どもは、各地に納置て國用を辨へられしなへに、安閑朝廷二年五月丙午朔甲寅に、廿六處の屯倉を諸國に置れ、又推古朝廷十五年、毎國置屯倉とみえしにて思ふべし、〈屯田屯倉のことは、古事記傳第廿六卅七左 に委云れば並みるべし、〉如此重きものにせられし稻米にしあれば、其を納置るヽ屯倉の司を、やがて稻置と云しが、後に屯倉の制改替られて、此職の自然まれ〳〵になりゆきしならん、又は村主の氏々は漢土人にて、こヽろさかしければ、これらの人々の兼て稻置をも司どりしかば、舊よりありきし稻置の絶しにもあるべし、師の稻置は伊良君ならんといはれしはかなひがたし、思ふに稻君なりしを、其用を文字に當て、相置とかヽれしならめ、さて各國に作出せる稻米どもを納置るヽ處をしも相置ご云由は、其地に稻君の在居りて、民人の作出せる稻穀どもを収めて守れるから、やがて其守人の名稱をよべるにて、伊那伎(イナキ)に稻置の文字を當しもこのゆゑなり、其稻置の趣の漢土の屯倉の制にかよひたれば、書紀に屯倉の文字をかヽれしならん、屯倉を美夜氣(ミヤケ)と訓るものは、官家の義にて、彼稻君の居處をいへる也、上古ことに多かりしことは、地號に遺りて、三宅といふ號の諸國にあるにても知るべし、是處より皇子達皇后等の費用を辨へられしにや、姓氏録左京皇別に、稻木壬生公と云氏みえたり、稻木は、神名帳に、尾張國丹羽那稻木神社、又和名抄に尾張國丹羽郡稻木〈以奈木〉どみえしにて、上古稻置の地號になれる也、〈置、木、かよはしかけり、〉壬生は、入部乿部などもかきて、皇后及皇子達の湯沐地をさしていへり、〈壬生のことは後にいへり〉稻置は朝廷の御料地ながら、其處より皇后及皇子連のことをも兼用せしを稻木壬生といひしが、やがて氏になれるに公姓を賜へる也、

神主

〔拾芥抄〕

〈中本/姓尸録〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0066 神主

〔古事記〕

〈中/祟神〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0066 天皇、〈○中略〉以意富多多泥古命神主(○○)、而於御諸山祭意、富美和之大神前

〔古事記傳〕

〈二十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0066 神主(カムヌシ)は、神に奉仕る主人(ウシ)たる人を云稱なり、〈齋主(イハヒヌシ)、祭主など云も、名の意は同じ〉書紀に、卽以大田田根子、爲大物主〈ノ〉大神之主(ウシ)とあり、又神功〈ノ〉卷に、皇后選吉日齋宮、親爲神主云々、とあるを以て、〈古へ神事を重みし賜ひしことを知べし、〉凡て神主の職の重きことを知べし、

〔古事記〕

〈中/開化〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0067 日子坐王、〈○中略〉娶近淡海之御上祝(○)以伊都玖〈此三字以音〉天之御影神之女、息長水依比賣、〈○下略〉

〔古事記傳〕

〈二十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0067 御上祝(ミカミノハフリ)、御上は、和名抄に、近江〈ノ〉國野洲〈ノ〉郡三上ノ〈美加無〉鄕是なり、〈○中略〉、祝は波布理(ハフリ)と訓、山(ム)城〈ノ〉國相樂〈ノ〉郡の鄕名祝園、此〈ノ〉記に波布埋曾能(ハフリソノ)と書り、又和名抄〈上野ノ國新田ノ郡の鄕ノ名〉に、祝人波布利(ハハフリ)とあり、〈是波布理(ハフリ)てふことの、正(マサ)しく見えたるなり、〉神功紀に小竹祝天野祝(シヌノハフリアマヌノハフリ)など見ゆ、〈神武紀に居勢祝(コセハフリ)とあるは、神社の祝部(ハフリ)には非じ、景行紀なる蝦夷名大羽振邊(オホハフリベ)などの類の名なるべし、○中略〉さて此〈ノ〉御上〈ノ〉祝は、たヾ御上〈ノ〉社の祝部(ハフリ)と云とは、いさヽか異にして、上卷に、胸形〈ノ〉君等(カ)之以伊都久(モチイツク)三前〈ノ〉大神者也、などある類なれば姓なり、姓氏録に、鴨部〈ノ〉祝(ハフリ)、紀〈ノ〉祝、波多〈ノ〉祝、三歳〈ノ〉祝など云姓もある、其類なるべし、

〔拾芥抄〕

〈中本/姓尸録〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0067

〔古事記〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0067 此阿知吉師者、阿直史(○)等之祖、

〔古事記傳〕

〈三十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0067 阿直史は、阿知伎能布美毘登と讀べし、〈直字を書れば濁音にてもあらむか、今は阿知吉師の名に依て、知を淸音とはせるなり、又史は淡海公の名など不比等とも書れば、美を省いて 布比登とも訓べし、〉阿直は姓なり、祖名に依れるなるべし、史(フミヒト)は書人(フミヒト)の意にて尸なり、此外にも、船史、壹伎卑史、候史など、なほ姓氏録の諸蕃に、史の尸の氏々多し、さて書紀にも、阿直岐者、直岐史之始祖也と見え、天武卷に十二年冬十月、阿直史賜姓曰連、

〔倭訓栞〕

〈前編二十六/不〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0067 ふんびと 日本紀に書生、又史をよめり、文人の義也、ふびとともよめり、

〔姓序考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0067
史は書人の意也、布美毗登(フミビト)と訓べし、又淡海公の名、史なりしを不比等とも書りしかば、美を省きて布比登(フヒト)とも訓べしと師はいはれき、寶龜元年九月壬戌、以去天平寶字九歳、改首史姓並爲毗登、彼此難分、氏族混雜、於事不穏、宜本字とみえたれば、ひとたびは毗登といはれしかども、まぎれぬるをもて、もとにかへされし也、故思ふに、史は舊職の號なりしが姓になれる也、史の職なりし ときは、其道々の書籍をみて、ことども思ひあきらめ、其才々にまかせて、其業どもを任しめられしなれば、このなごりなほ後世までもありて、諸道に史生を置るヽことヽなれり、史とだにいへば、書籍のかたにのみ拘れることヽ思ふは、漢風俗のこヽろうつしにて、こなたのさまにたがへり、本源は書讀むわざをしもいふこどながら、各道にしるしたるふみどものありて、其をしも見明めぬるを、わざとせることなれば、布美毘登(フミヒト)の號はありし、履中朝延四年秋八月辛卯朔戊戌、始於諸國置國史、記言事四方志、とみえしものは、各國に史を置れて、其國の言草を記されし也、各道によりて、わざごとのかはれることなれど、夫をしもしるしヾむることは、文筆にかヽれることにあれば、漢土人のいとよく心得しわざにしあなればにや、姓氏録諸蕃の氏々に此姓いと多し、神別の氏にはさらになく、皇別に垂水史、田邊史、御立史の三氏あるのみなり、〈史は漢土の官名をそのまヽに姓にせられしにもあらん〉

〔拾芥抄〕

〈中本/姓尸録〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0068 首(オフト)

〔釋日本紀〕

〈二十一/秘訓〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0068 忌部首首(イムヘノヲフトカウヘ)
私記曰、上讀於比止、下讀加宇倍

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0068 速須佐之男命、〈○中略〉喚其足名椎神告言、汝者任我宮〈○須賀〉之首(○)

〔古事記傳〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0068 首は、〈都加佐(ツカサ)訓るも誤にはあらねどなほ〉意毘登(オビト)と訓べし、姓尸(ウヂノカバネ)に某〈ノ〉首云をも然訓べし、私記にも忌部〈ノ〉首、讀於比止(オビト)とあり、書紀に三輪〈ノ〉君子首(コビト)、忌部〈ノ〉首子首(コビト)など云名を子人(コビト)とも書るは、子の韻に意(オ)を含める故に、おのづから古毘登(コビト)と唱へらるヽなり、元明紀に大津〈ノ〉連意毘登(オビト)と云人名を、元正紀聖武紀には首(オビト)と書れたり、〈然るを意宇登(オウト)と訓は、旅人(タビビト)をたびうど、商人(アキビト)をあきうど、藏人(クラビト)をくらうどヽ云例の音便にて正しからず、古書を訓(ヨム)に、かヽる音便の言をまじふべきにあらず、又其宇(ウ)を布(フ)と書も、ひがことなり、此は比(ヒ)の通音にて、布(フ)と云にはあらざればなり、かヽる音便の言の假字はみな宇(ウ)なり、〉さてこは本(モト)尊稱にて、大人(オヒト)の意なるべし、〈書紀に宇志を大人と書れたるも、漢文の方に取ては叶はぬ字なれば、此大人と意の同じき故に、移して書れしものなるべし、〉尊て云 るは、書紀允恭卷に、首也余不忘矣、これ對人を指て去り、さて首長の意に云るは、景行卷に村之無長(アレニナクヲサ)、邑之勿首(サトニナシオビト)、顯宗卷に縮見屯倉首(シヾミノミヤケノオビト)、孝德卷に村〈ノ〉首(オビト)〈首長也〉などあり、さて此の首(オビト)は、後世の宮々〈三后宮春宮等〉の長官の如くなるを云なり、

〔倭訓栞〕

〈前編四十五/於〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0069 おびと 私記に、忌部首讀於比止と見ゆ、おぶとは不正、允恭紀に首(オヒト)也不忘矣とあるは、對ふ人を尊みていへる也、景行紀に邑之勿首とあるは、首長の意也、三代實録に大人てふよしの文あり、さればおぼびとの假名也、おびとヽいふは、おほひとのほひ約ひなればなり、そを後におふとヽ唱ふるは、其ひを夫に轉ぜる也、誤ならねど轉々の語もて神代紀を訓べからねば、此紀にてはおひとヽ訓べし、是も外の略ながら大を於と云は古例ある也、

〔古史傳〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0069 首は、〈○中略〉尊みて人を意毘登(オビト)と云しことは、允恭天皇卷に、首也(オビトヤ)余不忘と言ることのある、此正しき證なり、さて此尸も忌部〈ノ〉首、物部〈ノ〉首、海部首(アマベノ)、刑部首(オサカベノ)、鵜甘部首(ウカヒベノ)などのたぐひ、某部と云姓に多く、はた部と云ぬも、多くは部の有るべき諸姓に負るを思ふに其部を統領る首と云義の尸なり、

〔姓序考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0069
首は、意毗登(オビト)と訓べし、〈○中略〉太古のさまを思ふに、首は官名なりしものヽ、やがて姓になりしなるべし、正しく司にてみえしは、淸寧紀に、播磨國赤石郡縮見屯倉首忍海部造細目とみえたり、〈屯倉は諸國處々にありて、其部曲の民を司れる人をさして屯倉首とはいへり、〉故上古は其職の部曲を統領るを首とはいへりし、其職は廢れてやがて氏となりしものヽ姓氏録にみえしは、商長首、度守首、錦部首、御手代首、蝮玉部首、刑部首、佐伯首、物部首、津首、民首、民使首、韓海部首、任道首、靭編首、船子首、鵜甘部首、猪甘首、工首の類は、みな其職を仕奉りしもの也、後に其職を仕奉ることは失て、職號の氏となれる也、後には絶しことながら、すべて某部といへるには、みな首のありしことなるは、忌部、刑部、海部のたぐひにても知 るべし、〈忌部は宿禰姓なれど、上古は首姓なりしが、天武朝廷九年に、忌部首子首に連姓を給へることみえたり、されどなほ忌部に首姓あることは、國史にみえたり、〉この外首をもて稱言に云ひしは、允恭紀に、首也余不忘矣、こは對人をさし云り、又首を意毗登(オビト)と云れず、毗登(ビト)と云れしことあり、そは寶龜元年九月壬戌、以去天平寶字九歳、改首史姓、並爲毗登、彼此難分、氏族混雜、於事不穩、宜字とあるにて知るべし、
○按ズルニ、首ヲ毗登ト改メシハ、聖武天皇ノ御諱ヲ避ケタルナリ、

〔玄同放言〕

〈三上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0070 姓名稱謂
首〈オホト〉は、大人(オホト)〈大人此云於保止〉なり、人に君父あること、猶身體に頭首あるがごとし、よりて大人に首字を借たり、是義訓なり、大人は人名に多かり、

椋人

〔拾芥抄〕

〈中本/姓尸録〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0070 倉人

〔古事記〕

〈下/用明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0070 橘豐日命、〈○中略〉娶當麻之倉首(○○)比呂之女飯女之子、生御子當麻王

〔古事記傳〕

〈四十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0070 當麻之倉首比呂(タギマノクラビトヒロ)、當麻は姓、〈大和ノ國葛下ノ郡なる當麻より出たる姓なるべし、〉倉首(○○)は尸(カバネ)なり、久良毘登(クラビト)と訓べし、〈複(カサネタル)姓には非ず、クラノオビトと訓〈ム〉は非なり、〉此〈ノ〉尸(カバネ)の例は、天武紀に次田〈ノ〉倉人椹足(クラビトムクタリ)、續紀二に春日〈ノ〉倉首老(クラビトオユ)、〈万葉一にも見ゆ〉十一に河内〈ノ〉藏人首麻呂(クラビトオビトマロ)、廿七に春日〈ノ〉藏毘登(クラビト)常麻呂、廿九に白鳥〈ノ〉椋人廣(クラビトヒロ)、卅に秦〈ノ〉倉人(クラビト)呰主(アタヌシ)、万葉十九に高安〈ノ〉倉人(クラビト)種麻呂など見え、姓氏録にも池〈ノ〉上(ベ)〈ノ〉椋人(クラビト)、河原〈ノ〉藏人、日置〈ノ〉倉人などあり、〈字はいろいろに書たれども、皆同じ尸なり、〉首を毘登(ヒト)と訓〈ム〉は、淤(オ)を省きたるにて、意は淤毘登(オビト)の意なり、〈此ノ尸、凡て人と書たるも、皆首(オビト)の意なり、さて首を昆登と云て、人とも書たる例は天武紀に忌部ノ首子首(コビト)、又三輪ノ君子首(コビト)などを、子人(コビト)とも書たり、又續紀卅に、以去天平寶字九歳首史(オビトフビト)幷爲毘登(ヒト)、彼此難分、氏族混雜、於事不穩、宜本字とある、是も首を毘登と云る例なり、さて右の文に九歳とあるは、五歳の誤なり、天平寶字五年より此ノ時までは首(オビト)の尸も、史(フビト)の尸も、毘登と記せり、〉さて此〈ノ〉倉首(クラビト)と云尸は、もと倉の事に仕奉れるより起れり、其起り古語拾遺に見えたり、

吉士

〔古事記〕

〈中/應神〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0070 百濟國主照古王以牡馬壹匹、牝馬壹匹、付阿知吉師(○○)以貢上、〈此阿知吉師者、阿直史等之祖、○中略〉又科賜百濟國若有賢人者貢上、故受命以貢上、名和邇吉師(○○)、卽論語十卷、千字文一卷、幷十一卷、付是人卽貢 進、〈此和爾吉師者、文首等祖、〉

〔古事記傳〕

〈三十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0071 吉師は伎師(キシ)と讀べし、次の和邇吉師も同じ、〈然るを、延佳本に、吉をば上へ屬て、師をミフミヨミ(○○○○○)と訓るは非ず、凡て某師と云稱は例なきことなり、〉書紀に、吉士(キシ)某、また某吉士某、など云る名多し〈そをまれに吉師とも書り〉是なり、此はもと新羅國の官、十七等の中の第十四を、吉士と云よし、漢籍〈北史〉に見えたれば、皇國にても、其を取て蕃人の品に用ひられたりと見えて、繼體卷に、吉士老、敏達卷に、吉士金子、吉士木蓮子(イタヒ)、吉士譯語彦(ヲサヒコ)、また安康卷に、難波吉士日香蚊(ヒカヽ)、雄略卷に日鷹吉士堅磐固安錢、難波吉士赤目子など、なほ卷卷に多く見えたり、〈其居地を以て、某吉士と云るなり、さて後には、やがて姓尸となれり、と見ゆるもあり、〉さて此吉士と云者の事を記せるを考るに、或は韓國に遣す使、或は韓人の朝(マ井)れるを接待(アヘシラ)ふ事など、凡て藩國の事に仕奉れり、是を以て思に、もと韓國より歸化居(マ井リ井)る者を、此品になし賜ひて、子孫も其職を繼(ツゲ)りと見ゆ、此阿知吉師、和邇吉師も、其類なり、〈但し、此人々、書紀には吉士と見えざるを思ふに、此御世にはいまだ吉師と云稱は無がりけむを、後にがの吉士と云しのにならひて、此人々をもおして吉師と語り傳へたるにやあらむ、此時は、いまだ新羅の官名を取用ひらるヽことなどあるまじければなり、されど此はいかヾありけむ、今決めがたし 、〉

〔職官志〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0071 王人奉使治韓曰宰、姓氏録、彼俗稱宰爲吉、我取其稱、乃名韓使官吉士、一作吉師、音同也、

〔拾芥抄〕

〈中本/姓尸録〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0071

〔日本書紀〕

〈十四/雄略〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0071 十五年、秦民分散、臣連等各隨欲駈使、勿秦造、由是秦造酒、甚以爲憂、而仕於天皇、天皇愛寵之、詔聚秦民於秦酒公、公仍領率百八十種勝部(○○)庸調絹縑、充積朝廷、因賜姓曰禹豆麻佐、〈一云、禹豆母利麻佐、皆盈積之貌也、〉

〔書紀集解〕

〈十四/雄略〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0071 按勝部、勝蓋優勝之義、諸秦氏之中優勝織工者、

〔古事記傳〕

〈三十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0071姓は賜號(ナ)とこそあるべけれ、禹豆麻佐は、姓には非ず、此後も姓はなほ秦なるをや、さて此號の意、禹京は、今言にも物を多く積たる貌などを、宇豆高しと云に合へり、万葉 十五に、名爾於布奈流門能宇頭之保爾と云るも、高き潮ときこゆ、母利と云るも、盛又森などの意と、同く通ひて聞ゆ、麻佐(○○)は、卽百八十種勝部とある勝なるべし、姓氏録諸蕃に勝と云姓もあり、又上勝、不破勝、茨田勝など、尸にもありて、卽秦勝と云もあり、是らみな加知(カチ)と訓は誤にて、麻佐(マサ)と訓べきなり、其は韓國にて一種の號にぞありけむ、其に此方にて勝字を用るは、麻佐流と云訓を取たる借字なるべし、さて禹豆麻佐に、太秦の字を書は何時(レノ)よりのことならむ、

〔拾芥抄〕

〈中本/姓尸録〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0072

〔大日本史〕

〈氏族一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0072 按王讀爲犍吉支、如百濟王、高麗王卽是也、與皇族稱王氏者自別、

〔日本書紀〕

〈六/垂仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0072 二年、是歳、任那人蘇耶曷叱智請之、欲于國、〈○中略〉仍賚赤絹一百匹、賜任那王(キミ/コニキシ)

〔釋日本紀〕

〈十七/秘訓〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0072 任那王(ミマナノコキシ)

〔日本書紀通證〕

〈十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0072 任〈ノ〉那王(コキシ)〈古伎之、神功紀.雄略紀等、云古爾伎之、杜氏通典曰、百濟王號於羅瑕、百姓呼爲腱吉支、夏言並王也、〉

〔通典〕

〈一百八十五/邊防〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0072 百濟
百濟卽後漢末夫餘王尉仇台之後、〈後魏時、百濟王上表云、臣與高麗先夫餘、〉初以百家海、因號百濟、〈○中略〉王號於羅瑕、百姓呼爲鞬吉支(○○○)、〈鞬音乾〉夏言並王也、王妻號於陸、夏言妃也、

〔日本書紀〕

〈九/神功〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0072 九年〈○仲哀〉十月〈○中略〉以皇后所杖矛、樹於新羅王(コキシ)門、爲後葉之印

〔日本書紀〕

〈九/神功〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0072 四十六年三月乙亥朔、遣斯摩宿禰于卓淳國、〈斯麻宿禰者、不何姓人也、〉於是卓淳王末錦早岐、告斯摩宿禰曰、甲子年七月中、百濟人久氐、彌州流、莫古三人、到於我土曰、百濟王(毘キシ/コニキシ)聞東方有日本貴國、而遣臣等其貴國、故求道路以至于斯土、若能敎臣等道路、則我王(昆キシ)必深德君、

〔三代實録〕

〈七/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0072 貞觀五年正月三日丙寅、大納言正三位兼行右近衞大將源朝臣定薨、〈○中略〉定者嵯峨太上天皇之子也、母百濟王(コキシ/○)氏其名曰慶命

〔日本書紀〕

〈三十/持統〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0072 五年正月己卯、賜八卿飮食衣裳、優賜正廣肆百濟王(○)余禪廣、乙酉、增封、〈○中略〉正廣 肆百濟王(○)禪廣百戸、

〔古事記傳〕

〈三十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0073 義慈王の子、豐璋と禪廣と二人、皇國に參入居たりしを、豐琴をば、國に還されて云々せられ、禪廣は皇國に留れるを、持統天皇の御世に百濟王と云號を賜ひてより、其子孫これを相繼て、姓尸となりて、百濟は姓にして、王は尸なり、許爾伎志(コニキシ)と訓べし.意富伎美(オホキミ)と訓は、いみじき非なり、さて右の二人を、書紀に、金豐璋、余禪廣ともある、余は、彼國王の姓なり、又善光とあるは、禪廣と同きか別なるか、詳ならず、さて禪廣が子昌成、其子良虞、南典、良虞が子敬福、此外も百濟王某と云る人、世々の史に多く出たるは、皆此氏人にして、何も房も官位を賜はりて、全ら皇朝の諸臣の列なりき、此氏今京に至てもありて、姓氏録右京諸蕃に載れり、河内國交野郡に此氏の居趾とて今もありとぞ、其處に百濟寺と云もあり、西宮記に、百濟王を、交野檢挍と云になされしことも見えたり、

〔古事記傳〕

〈三十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0073 からぶみ北史、又杜佑通典などに、百濟王號於羅瑕(オラカ)、百姓呼爲犍吉支(コムキシ)夏言並王也と云り、今書紀を考るにも、コニキシ(○○○○)、コキシ(○○○)と訓を附たるは百濟王のみにして.新羅高麗などの王には訓を附ず、然れば此は百濟王に局れる稱にぞあらけむ、さて朝鮮國の三國史記と云物に、新羅の世々の王を記したるを見るに、始のほどのは皆某局師今とあるを東國通鑑ご云物には皆改めて某王と記せり、然れば新羅王の號は尼師今(ニシコム)と云しなるべし、然れども此號は書紀の私記、又釋、又今本の訓などにも見えたることなければ、今たやすく用ふべきに非ず、故姑百濟王の號を取て訓るなり、垂仁巻に任那王、新羅王子など訓る列もなきには非ればなり、さて又書紀釋に、王后(コニオル)、太子(コニセシム)、私記曰、古爾於留(コニオル)、又古爾世之(コニセシ)、並に百濟の語也と云り、此私記の文は、世之(セシ)の下に牟(ム)字脱たるなるべし書紀今本の訓、太后に斤於洗(コムオル)、コムヲル(○○○○)、コニヲル(○○○○)、王后にもコニオル(○○○○)、太子にコニセシム、コムセシムなど附たり、コニ(○○)もコム(○○)とも云は、王に就たる號と聞 ゆ、王子にはセシム(○○○)と附たり、又大夫人に、ハシカシ(○○○○)、夫人にハシカシ(○○○○)とも、オリケ(○○○)とも、オリク(○○○)とも附たり、その中に高麗のを云るもあり、北史、百濟傳に、王妻號於陸(オリク)、夏言〈ノ〉妃也と云るに依らば、オタケ(○○○)とあるは、ク(○)をケ(○)に誤れるにや、さて叉百濟國主を、ニリム(○○○)と訓る、往々あり、其外にも異なる訓ども見えたれども、寫誤などもありと見えて、さだかならず、又雄略卷に百濟の弟の名に、軍君と云あるを、コニキシ(○○○○)、又コムキシ(○○○○)と訓、細註に崐支君也としるし、百濟新撰と云書を引たるにも琨支君とあり、王號と同じきはまぎらはし、同卷に、昆支王と云名も見えたり、抑三國の中に、百濟のみ其國言の號どもの彼此傳はれるは、百濟は中にも殊に親しく奉仕れる故なるべし、

我孫

〔伊呂波字類抄〕

〈安/姓氏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0074 我孫アヒコ

〔古事記傳〕

〈二十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0074 阿毘古(アビコ)は、日代〈ノ〉宮〈ノ〉段に木〈ノ〉國〈ノ〉酒部阿毘古、景行紀に山部〈ノ〉阿研古(アビコ)など云姓も見え、姓氏録にも、輕我孫(カルノアビコ)などあれば、まづは尸(カバネ)なれども、姓氏録に、たヾ我孫(アビコ)、〈攝津ノ國ノ神別、又同國雜姓なり、〉我孫(アビコノ)公〈和泉ノ國ノ雜姓なり、今和泉國和泉郡に、我孫子(アビコ)と云處あり、又續後紀五に、河内國人我孫ノ公諸成、同姓阿比古(アビコ)ノ道成と云人見えたり、〉など云もあれば、尋常の尸とは、いさヽか異なるが如し、さて稱意は、吾彦(アビコ)と云ことにやあらむ、〈吾(ア)とは親みて云、彦(ヒコ)は美て云なり孫と書るは借字なるべし、比古(ヒコ)に此字を書は、古(コ)は子の子、をば比古(ヒコ)と云り、麻碁(マゴ)と云は、後世の言なり、されば古書に孫とあるは、みな比古とよむことなり、和名抄に、孫和名無萬古(ムマゴ)一二云、比古(ヒコ)、曾孫和名比々古(ヒヽコ)とあり、されど無萬古と云は、やヽ後のことにて、比古ぞ古稱なる、さて今孫を麻碁(マゴ)と云は、無麻古(ムマゴ)の訛、曾孫を比古(ヒコ)と云は、比々古(ヒヽコ)の訛なり、〉

村主

〔拾芥抄〕

〈中本/姓尸録〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0074 村主(スクリ)

〔倭名類聚抄〕

〈六/國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0074 伊勢國安濃郡村主〈須久利〉

〔倭訓栞〕

〈中編十一/須〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0074 すぐり 日本紀に村主をよめり、韓語に村をすぎとよめり、ぐり反ぎなれば同語なり、

〔姓序考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0075 村主
村主は、成務朝廷四年春二月丙寅朔の詔に、是國郡無君長、縣邑無首渠者焉、自今以後、國郡立長、縣邑置首、卽取當國之幹了者、任國郡之首長、是爲中國之蕃屏也、五年秋九月令諸國、以國郡立造長、縣邑置稻置、並賜楯矛、以爲表、とみえしとき置れし也、舊は職號なりしものヽ姓になれる也、村主の號の正しくみえしは、孝德朝廷大化二年春正月甲子朔の詔に、別、臣、連、伴造、國造、村首、所有部曲之民、處々田莊云々、とあるぞ始なりける、〈村主をこヽに村首とかけるにて、成務紀 に、縣邑置首とあるは、縣主村主の二の首なるを思ふべし、〉村主をしも孝德紀に村首とかヽれしは、主首相通へるもて、然かヽれたる也、そは姓氏録に、縣使主を縣使首とかけるにて知るべし、〈民使首は、民使は氏にて、首は姓なり、此例にて縣使首をも縣使を氏とし、首を姓なりと思ふべけれど、縣使といふ氏、太古よりありしことなし、〉村主は須久理(スクリ)と訓べし、和名抄に、伊勢國安濃郡村主〈須久利〉みえたれば也、其義は佐都久理(サツクリ)にて、得物撰(サヅクリ)の意なり、佐都(サツ)を約れば須(ス)となれり、故須久理(スクリ)といへり、佐都(サツ)のことのこヽろは、萬葉集第一舍人娘子の歌に、丈夫之(マスラヲノ)、得物矢手(サツヤタ)插(バサミ)、立向(タチムカヒ)、射流圓方波(ルマトガタハ)、見爾淸潔之(ミルニサヤケシ)とある物得失(サツヤ)の佐都(サツ)とひとつことばなりける、さるを得物矢は、幸欠なりとて、神代紀彦火火出見尊の山の幸(サチ)おはしませし故事に引あてヽ幸弓幸矢なりといへれど、いみじき http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00015.gif言也、幸は佐知佐伎(サチサキ)とは訓れど、佐都(サツ)と訓(ヨメ)ることなし、得物矢の正しくみえしは、〈假名がきにせしをいふ〉萬葉集第二十下野國防人大田部荒耳の歌に、佐都夜奴伎(サツヤヌキ)、〈得物矢抜なり〉又第五哀世間難一レ住社歌に、佐郡由美乎(サツユミヲ)、多爾伎利物知提(タニギリモチテ)〈得物弓を手握持てなり〉とみゆ、萬葉集第三志貴皇子の御歌に、足日木乃(アシヒキノ)、山能佐都雄爾(ヤマノサツヲニ)とみえし佐都雄は、第十に、山邊爾(ヤマノベニイ)、射去薩雄者(イサルサツヲハ)、又山邊庭(ヤマベニハ)、薩雄乃禰良比(サツヲノネラヒ)、恐跡(カシコシト)、とみえしに同きを、薩雄は薩摩人にて、薩摩國人は雄々しきものなれば、如此云といへり、其もてる弓矢なれば、薩弓薩矢なりといふは、其末をのみ云て、本源をたづねいはざるもの也、すべて佐都と云は、よくものをみとヾめて、其美物を擇りとれるの古言也、村主は、諸國の邑里の長として、各地の美物を撰定て貢進れるものをさしての美稱なり しが、則姓になれる也、〈姓氏録に、村主姓を負る氏々廿五氏ありつるに、諸蕃人廿四氏、神別には春日部たヾ一氏也、是は漢土人は、こヽしろさかしかれば、この職に置れしことの多きなへに、諸蕃の氏々に多く残れるなり、須久理は韓語にて、韓國の官名なりしが、こなたにうつりを、やがて姓にせられしから、諸藩にのみ多しと思ひしかど、猶しかにはあらじ.〉故其美物を撰得るをもて、佐都に得物字を當しならめ、〈今も物を撰り出ることを須具流(スグル)と云は、このことのなごりなるをおもへ、〉は、つき〴〵に、ものをみるにいふことながら、撰定むるの意こもれり、ものを久理(クリ)かへし〳〵いふは、ことをよくとヽのふべきことにて、彼丁寧反復の義也、又糸を久流(クル)、書籍を久流(クル)などいふも、ことのもとは同きをや、須久理は、諸國の各邑に居て、其職をなせれば、意を待て村主字を當られし也、

〔氏族考〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0076 村主は、須久理(スクリ)と訓む、和名抄伊勢國安濃郡〈ノ〉村主〈須久利〉とある.是其證なり、成務紀四年の詔に、國郡立長、縣邑置首とみえし時置れし職號なるが姓になれる也、〈○中略〉さて村王は、諸國の邑里の長として、其地を治る職なりしが、後に姓となれるなるべし、〈○註略〉名義は俊秀の義なるを、文字は其村中の主首となる俊秀人を撰て、村の主とする由にて、村主とは書るなめり、〈一説に、須久理に漢語にて、韓國の官名なりしがこなたにうつりしを、やがて姓にせられしから、此姓諸蕃にのみ多と云るに因て、又按ふに、天智紀二年に、白村江あり、新羅の地名なるが、村をスキと訓み、又欽明紀二年、皇極妃元年、ともに主をニリムとも訓り、然らば村主は、スキニリムの合語なるを、キニをキに約め、キをクに轉じて、スクリミとなれるにはあらじ歟、なほよく考ふべし、〉

曰佐

〔新撰姓氏録〕

〈河内國諸蕃/百濟〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0076 調(ツキノ)曰佐(ヲサ/○○)
百濟國人努理使主

〔倭名類聚抄〕

〈五/國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0076 筑前國那珂郡日佐(○○)

〔日本書紀〕

〈三十/持統〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0076 九年三月庚午、遣務廣貮文忌寸博勢、進廣參下(シモ)譯語(ヲサ)諸田等於多禰蠻所一レ居、

〔日本書紀〕

〈二十/敏達〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0076 四年、是歳、〈○中略〉營宮於譯語(ヲサ)田、是謂幸玉宮

〔古事記〕

〈下/敏達〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0076 沼名倉太玉敷命、坐他(○)田宮治天下壹拾肆歳也、

〔古事記傳〕

〈四十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0077 他田(ヲサダノ)宮、〈他ノ字、舊印本に池と書るは誤なり、〉他は袁佐(ヲサ)と訓〈ム〉、書紀に譯語(ヲサ)と書れたる意なり、〈推古紀に通事(ヲサ)ともあり、又欽明紀、姓氏録、和名抄ノ筑前ノ鄕ノ名などに、日佐(ヲサ)とあるは假字なり、但此も韓國より書る字なるべし、さて此ノ日ノ字を、日と作(カケ)るは寫誤なり、さて袁佐(ヲサ/○○)と云は、或人韓語なりと去る、然(サ)もあるべし、又他と書は、此も韓國よりのことか、將皇國にての事にて、隈を前(クマ)、股を俣(マタ)と書ノ類にや、其意知りがたし、他國の語を通はす由かとも思へど、然にはあらじ、〉

〔續日本紀〕

〈八/元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0077 養老三年十一月戊寅、少初位下河内手人大足、賜不〈○不字恐行〉下譯姓(シモノヲサ/ ○ )

手人

〔古事記〕

〈中/應神〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0077 百濟國、〈○中略〉貢上手人(○○)韓鍛名卓素、亦呉服西素二人也、

〔古事記傳〕

〈三十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0077 手人(テヒト)は、諸本並(ミナ)人手と作(カケ)れども、其は下上に寫誤れること次(ウツナ)けれぼ、今改めつ、〈師(賀茂ノ眞淵)は人手と作(ア)るまヽにて、氐毘登(テビト)と訓れしかど、てびとを、人手と書べき由もなく、又さる書さまは、此ノ記の例に非ず、〉書紀雄略〈ノ〉卷に、吉備〈ノ〉臣弟君、還百濟、獻漢手人部(アヤノテビト)衣縫部(キヌヌヒ)宍人部(シゝビト)、また百濟所獻手末才伎(ヨリタテマツレルタナスエノテビト)、また西漢才伎(カフチノアヤノテビト)、また百濟所(ヨリ)獻今來才伎(レルイマキノテビト)、仁賢〈ノ〉卷に、遣日鷹〈ノ〉吉士、使高麗、召巧手者(テビト)、また日鷹〈ノ〉吉士、還高麗、獻工匠須流枳奴流枳(テビトスルキヌルキ)等、今〈ノ〉倭〈ノ〉國山邊〈ノ〉郡額田〈ノ〉村〈ノ〉熟皮(カハオシ).高麗是其後也、など見ゆ、職員令内藏〈ノ〉寮〈ノ〉下に、典履二人、掌作靴履鞍具、乃檢挍百濟〈ノ〉手部、百濟〈ノ〉手部十人、掌雜縫作〈ノ〉事、大藏〈ノ〉省〈ノ〉下にもかく見えたる、〈共に事ノ字は、革の誤か、又事ノ上に、革ノ字脱(オチ)たるか、〉手部も、氐毘登(テビト)と訓べし、手人は、諸の物作る工(ヒト)を云稱(ナ)なり、〈今俗(ヨ)に職人と云物なり〉内藏寮式に、雜〈ノ〉作手造御櫛手二人、來纈手二人、﨟纈手二人、暈繝手二人、造油絁手二人、織席手一人、また染手五人などある手も、みな手人の意なり、さて此(コヽ)は、韓鍛冶(カラカヌチ)と呉服(クレハトリ)とを指ていへり、

加婆禰等級/八色之姓

〔日本書紀〕

〈二十九/天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0077 十三年十月己卯朔、詔曰、更改諸氏之族姓、作八色之姓、以混天下萬姓、一日眞人、二曰朝臣、三曰宿禰、四曰忌寸、五曰道師、六曰臣、七曰連、八曰稻置、

〔日本書紀〕

〈二十九/天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0077 十三年十一月庚午、日没時、星隕東方、大如瓫逮于戊天文悉亂、以星隕如雨、

〔日本書紀通證〕

〈三十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0077天下萬姓之應也

〔新撰姓氏録〕

〈序〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0077 眞人、是皇別之上氏也、幷集京畿、以爲一卷、附皇別首

〔日本書紀通證〕

〈三十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0078 氏族博考曰、雜編云、魏氏立九品中正、尊世冑、昇寒士、權歸右姓、晋宋因之、

〔古事記傳〕

〈十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0078 天武天皇十三年十月朔日に、更改諸氏姓、作八色之姓、以混夷天下萬姓、一曰眞人、二日朝臣、三日宿禰、四日忌寸、五日道師、六日臣、七日連、八日稻置.かくの如く定められて、卽英日に、守山公など十三氏に眞人の姓を賜ひ、其後つぎ〳〵に、大三輪〈ノ〉公など五十二氏に朝臣の姓、大伴〈ノ〉連など五十氏に宿禰の姓、大倭〈ノ〉連など十一氏に忌寸の姓を賜ひ、桑原〈ノ〉村主訶都、槻本〈ノ〉村主勝麻呂に連の姓を賜ひしこどなど見えて、道師、臣、稻置などの姓を賜ひしことは見えず、又右の八色の餘の姓も、此後もなほ多し、然れば一たびかく定め給ひしかども.全くは其如くにもあらで止ぬるこどなるべし、さて右の八色の中に、初の五は此より以前には無き加婆禰(カバネ)なり、但人を崇て阿曾(アソ)と云しことは、仁德天皇の大御歌に宇知能阿曾(ウチノアソ)と見え、後にも万葉歌に平群朝臣(ヘグリノアソ)穗積朝臣(ホヅミノアソ)などよめり、美(ミ)を省けるなり、眞人だ云稱もふるくより有しなるべし、天武天皇の大御名も瀛〈ノ〉眞人とあり、宿禰も上代より名には多く見ゆ、道師は神代紀に道主貴(ミチヌシノムチ)、開化天皇の御孫に丹波〈ノ〉道主〈ノ〉命あり、欽明紀に道君をミチノウシだ訓り、然れば本より此稱有に、道師〈ノ〉字を塡られたるなり、かくの如く何れも其稀はもとよりありつれども、姓の加婆禰となれるは、此御世より始まれることなり、さて道師は、此時八色の一に定められしかども、此加婆繭の姓は、後までも物に見えたることなし、

〔大日本史〕

〈氏族一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0078 按日本書紀、帝〈○天武〉時諸氏皆賜新姓、而是後其族、猶有舊姓、卽當時所賜者蓋不氏上若京貫之族也、然其詳今不得而考也、

〔拾芥抄〕

〈中本/姓尸録〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0078 朝臣(アソン) 眞人(マウト) 宿禰 連(ムラジ) 王 公(キミ) 首(オフト) 臣(ヲン) 造(ミヤツコ) 直(アタヒ) 忌寸(イミキ) 縣主 スグリ(村主) 神主 使主 人 伊美吉 史 勝 部 氏 伊吉 阿祇奈君 倉人

〔標註職原抄別記〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0078 天武の御代の制、眞人第一、朝臣第二にて、皇族に眞人を賜ひ、貴族に朝臣を賜 ひしに、拾芥抄に載たる次序を見れば、いつしか第一を朝臣とし、第二を眞人とせり、源藤を始め、皇族も貴族も多く朝臣なるからに、次序を換たるものなるべし、されば後世といへども、かくの如く姓にも尊卑の別をせぬにはあらねど.まづは姓はたヾ氏に屬るのみのものとなれるゆゑに、氏にひかれて藤源などの尸(カバネ)はおのづから奪とく、其外の尸はおのづから卑くなれるなるべし、

〔多々良問答〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0079 一尸(カバネ)事
尸の次第の事、第一に朝臣、其次に宿禰、連、眞人(眞人其次宿禰ニテ候)、縣主たるべきよし被仰出、其分候哉、縣主は賀茂人に可限候哉、是又致存知(外も多ク候姓氏録ニ能見エ申候)度候、

高姓下姓

〔江家次第〕

〈二/正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0079 叙位
上官、外記史一﨟、以自解申、〈在硯筥
姓尸某〈外記〉
姓尸某〈史〉
若有下姓(○○)、經奏聞外階、有愁時、後日改叙内位、他亦如此、
攝政時叙位事
入内並一加階、叙位之間叙從下了後、令殿上之辨召外記勘文、不物進之、毎事被外記、諸宮給雖下姓(○○)内階、自餘依姓叙内外階、若在疑姓者、先叙外階、後日依内階、朝外(テウゲ)、〈是朝臣姓、叙外階、也、車持類也、〉異内(イナイ)〈是非朝臣姓、叙内階也如淸原眞人、〉眞人(マツト)、宿禰、連(ムラジ)、直(アタヒ)、公(キミ)、縣主(アガタヌシ)、忌寸(イムキ)、首(オブト)、王、平、源、藤原、橘、菅原、大中臣、高階、在原、宮道已上不外階、必叙内階、叙畢入筥奉執政

〔官職難儀〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0079 叙位入内とは
外階より内階に入るを申也、外階とは五位に外從五位下と申て、姓のいやしき者(○○○○○○○)は、直に從五位 下には叙し侍らで、先外階に叙して、さて從五位下に叙する也、叙位の時、入内(ニウナイ)の勘文とて、外記内階に入べきものを記してまいらするを執筆叙する也、中家の外記は、外階勞中一年以後記し申候、淸家外記の外階に成たる翌年より勘文に載る也、〈○中略〉内階外階の姓の差別は、執筆する人の口傳ある事にや、

〔多々良問答〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0080 一外叙位事〈姓體不知モノニ外ノ字ヲ付、姓體知レタルハ内階へ入、是文武帝ノ時定也、〉外姓トテ(地下ニ不限)、姓ノイヤシキ者(姓體知タルト知レヌト也/○○○○○○○)ハ、先外從五位下ト云位ニ叙シテ、後年ノ叙位ニ入内トテ、從五位下ニ叙シ候也、朝臣、宿禰、眞人ナドノ尸ニテ候ハヌ姓ハ、皆外姓也、

〔參議要抄〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0080 一除目事
受領擧事
長房卿抄云、應德二〈○二或作三〉年除目、伴親宗、〈史〉被上總、件國有由緒、下姓者(○○○)、上官殊不任云々、

〔新撰姓氏録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0080新撰姓氏録
伏惟國家降天孫而創業、横地軸以開邦、一統架宗、環八洲以御辨、五運無代、跨億載而期圖、高門(○○)接軫、甲姓(○○)聯衡、枝葉寔繁、派流彌衆、

〔日本書紀〕

〈十三/允恭〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0080 四年九月己丑、詔曰、上古之治、人民得所、姓名勿錯今朕踐祚、於茲四年矣、上下相爭、百姓不安、或誤失己姓、或故認高氏(○○)其不於治者、蓋由是也、

〔日本書紀通證〕

〈十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0080 高氏右姓也、白孔六帖曰、自魏氏詮總人物、以氏族相高、

〔萬葉集〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0080 兒部女王嗤歌一首
美麗物(ウマシモノ)、何所不飽矣(イヅクアカメヲ)、坂門等之(サカドラガ)、角乃布久體爾(ツメノフクレニ)、四具比相爾計六(シグヒアヒニケム)、 右時有娘子、姓尺度氏也、此娘子不高姓(○○)美人之所一レ誂、應下姓(○○)醜士之所一レ誂也、於是兒部女王、裁作此歌咲彼愚也、

〔伊勢物語〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0081 むかし男、むさしの國までまどひありきけり、さてその國にある女をよばひけり、父はこと人にあはせんといひ、けるを、母なんあてなる人に心付たりける、父はなほ人にて(○○○○○○○)、母なん藤はらなりける(○○○○○○○○○○)、さてなんあてなる人にと思ひける.

〔今昔物語〕

〈二十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0081 下毛野敦行從我門死人語第四十四
今昔右近將 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00023.gif下毛野敦行ト云フ近衞舍人有リ、〈○中略〉其後此事世ニ聞テ、可然キ人モ(○○○○○)、下姓ノ人モ(○○○○○)、入道ヲ讃メ貴ケリ、

〔今昔物語〕

〈二十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0081蛇女醫師治語第九
今昔河内ノ國讃良ノ郡馬甘ノ鄕ニ住ム者有ケリ、下姓(○○)ノ人也ト云ヘドモ、大キニ富テ家豐カ也、

〔長秋記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0081 保延元年正月四日戊寅、行幸〈○崇德〉院、〈○鳥羽、中略、〉前大相國、〈○藤原忠實〉召左中將公敎、右中將公隆、右中將忠基、仰樂行事之由、忠基直自左方樂幄、太鼓當殿前、樂幄在其東方也、左右亂聲、光則忠方振桙、〈○中略〉左春鶯囀、右新鳥蘇、左胡飮酒、多忠方、傳習此曲、度々備叡覽、然而今度摩婆最上之由、人々被褒譽、關白〈○忠實子忠通〉蒙勅傳左大臣〈○藤原家忠〉被一階、大臣起座、於殿坤忠方、被一階給之由、忠方於右仗南頭再拜、舞入樂幄、此間前大相國、傳關白諸卿、可定申之由被仰、忠方雖右者、依左舞勸賞者、又左者必不賞.有何事哉、又光則忠方、何爲上﨟哉、左衞門督被申云、光則忠方、同日依勸賞叙爵、然而多依朝臣内位(○○○○○○○○)、狛依下姓(○○○○)〈○宿禰〉叙外位(○○○)、右忠方爲上﨟也者、勸賞事、參議等申云、謂勸賞藝善行也、忠方依善舞巳浴勸賞、光則又善舞者、被賞矣有何難乎、其體不優者、不行矣有何事乎、〈○下略〉

〔古今著聞集〕

〈六/管絃歌舞〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0081 保延元年正月四日、朝覲行幸に、多忠方、胡飮酒をつかうまつりけるに、此曲たび〳〵御覽ぜられつるに、今度ことにすぐれたるよし、おほやけわたくしさたありけり、左大臣〈○藤原家忠〉勅を承りて、一階をたぶよし仰下されければ、忠方再拜して舞て入けり、かヽる程に、忠 方右舞人たりといへ共、左舞を奏して勸賞をかうふる、左かならず、賞を行はれずども何事かあらんや、又狛光則、多忠方、いづれ上﨟たるぞやのよし議定ありければ、左衞門督雅定卿申されけるは、光則忠方、同日に勸賞かうぶりて叙爵す、多は朝臣なるによりて内位に叙す(○○○○○○○○○○○○○○○)、狛は下姓〈○宿禰〉によりて外位に叙す(○○○○○○○○○○○○○)、忠方上﨟たるべしとぞ申されける、よく舞によりて賞をかうぶる、光則よく舞はヾ行はるべし、幽ならずば行はるべからずと申けり、或は左右ともに行はるべきよしをも申けり、光則七旬に及べり、哀憐有けるにや、つひに散手を奏する時、一階を給てけり、

〔貞丈雜記〕

〈四/官位〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0082 貞丈云、内位、内階とも云、外位、外階トモ云、多モ狛モ樂人ノ氏也、多氏ハ朝臣ノ姓ニテ貴シ、狛氏ハ宿禰ノ姓エテ賤シキ也、サレバ多ハ内位ニ叙シ、狛ハ外位ニ叙シタル也、

〔樂所補任〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0082 仁平二年〈壬申〉
右近將曹元秋〈○豐原氏〉 忠節〈八月十六日、初爲一物、於法勝寺一院御賀被行之日始之、年四十三、超越元秋、爲多氏故也(○○○○○)、〉

眞人

〔姓名録抄〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0082 眞人
淸原 文室(フンヤ) 息長(ヲキナカ) 山道 三國(ミクニ) 路(オホチ) 守山 飛鳥(アスカ) 飛鳴(ヒタ) 英多(アイタ) 大原(オホハラ) 豐國 香(カコ)山 蜷(ニナ)淵 笠原 登美(トミ) 四止(シト)〈○四止二字恐岡誤〉 當麻(タイマ) 吉野(ヨシノ) 氷上(ヒカミ) 坂田 爲名(井ナ) 豐野 酒人(サカムト) 成相(ナラヒ) 嶋根(シマネ) 大和(オホヤマト) 嶋 茨田(マンタ) 登見 爲奈(井ナ) 御原(ミハラ) 槻(ツキ)田 多治(タチヒ) 淸篠(キヨシノ) 酒尒(サカジ) 甘南備(カシナビ) 坂田酒人(サカタノサカムト) 息長丹生(ヲキナカノニフ) 宗形(ムナカタ) 高向 吉野 大坂上(オホサカノウヘ) 坂上 朝(アサ)原 多治比(タチヒ) 井上 三嶋 滋岡(シゲヲカ) 秋篠(シノ)

〔拾芥抄〕

〈中本/姓尸録〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0082 眞人(マツト)
淸原 笠原(カサハラ) 御(ミ)原 大原〈又史〉 大和(ヤマト) 文屋(フンヤ)〈又朝臣〉 息(ヲキ)長〈又朝臣又連〉 山道 山於 守(モリ)山 香(カコ)山〈又連〉三國 豐(トヨ)國 豐野 吉野(ヨシノ) 飛鳥(アスカ)〈又直〉 英多 飛多(ヒタ) 多冶(タチ)〈國史多治比貞成請除比字〉 蜷(カテ)淵 登美(トミ)〈又朝臣又首〉登見 四止〈○四止二字恐岡誤〉 池上(イケカミ) 氷上(ヒカミ) 海上(ウナカミ) 當麻(タエマ) 坂(サカ)田〈又宿禰〉 桑田(クハタ) 茨(イハラ)田〈又連宿禰〉 槻田(ツキタ) 爲名(イナ)
爲奈(イナ) 酒人 成相(ナリアヒ) 島根 淸篠(シノ) 甘南備(カンナミ) 酒尒川 路〈又宿禰〉 嶋 坂田酒人 息長丹生(ニフ)

〔續日本後紀〕

〈九/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0083 承和七年六月乙巳朔、右京人正六位上磯原朝臣(○○)諸宗等廿八人、賜姓文室眞人

〔續日本紀〕

〈二十六/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0083 天平神護元年七月戊戌、右京人内匠寮史生正八位上息長連(○)淸繼賜姓眞人

〔日本書紀〕

〈二十九/天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0083 十三年十月己卯朔、是曰守山公(○)、路公、高橋公、三國公、當麻公、茨城公、丹比公、猪名公、坂田公、羽田公、息長公、酒人公、山道公、十三氏、賜姓曰眞人

〔日本後紀〕

〈八/桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0083 延暦十八年二月乙未、贈正三位行民部卿兼造宮大夫美作備前國造和氣朝臣淸麻呂薨、本姓磐梨別公、右京人也、後改姓藤原〈○原類聚國史作野〉和氣眞人

〔三代實録〕

〈五/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0083 貞觀三年九月廿四日乙未、正五位上行刑部大輔豐階眞人安人卒、安人者、元河内國大縣郡人、後爲左京人也、本姓河俣公、延暦十九年、阿〈○阿一本作河〉俣公御影、改姓豐階公、〈○中略〉仁壽二年、安人上疏言、安人貫河内國公字、伏請移籍京華、亦爲眞人、於是詔賜姓眞人、貫於京兆

朝臣

〔姓名録抄〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0083 朝臣
藤原 源 平 橘 大中臣 菅原 良峯(ヨシミネ) 大江 在原 紀 高階(タカシナ) 中臣 南淵(ナンフチ) 賀陽(カヤ) 三善 貞 巨勢(コセ) 大枝(オオエタ) 高橋 宮道(ミヤチ) 小野 令(ヨシ)宗 大藏 惟(コレ)宗 菅(スカ)野 秋篠(シノ) 和氣(ケ) 林 佐伯(サイキ)賀茂 雀部(サヽイへ) 滋野 安倍 淸科(シナ) 伴 内藏(ウチノクラ) 山 粟田 百濟(クタラ) 和(ヤマト) 菅生(スカフ) 伊勢 笠(カサ)大神(オホカネ/オホワ) 高麗(カウライ) 廣根(ネ) 采女(ウネ、メ) 宗形(ムナカタ) 柿本(カキモト) 道守(チモリ) 山口 石上(イシノカミ) 高圓(タカマト) 池田 佳吉(スミヨシ/ノエ) 池原 阿(ア)閉(へ) 山上(ヤマノウヘ) 星川 石川 田〈ノ〉口 櫻井 角(ツノ) 阿保(アホ) 多米(タメ) 長岡(ナカヲカ) 春原(ハルハラ) 三原(ミハラ) 永原 椋垣(クラカキ) 荒城(キ) 淡海(アハウミ) 阿倍(アヘ) 布勢(フセ) 朝野(アサノ) 宍人(シヽムト) 甲能(カウノ) 葛城 掃守(カンモニ) 滋岳 讃岐(サヌキ) 坂本 大宅(オホヤケ) 朝宗(アサムネ) 水取(モトリ) 滋原(シケハラ) 嶋田 伊統(コレムネ) 綾(アヤ) 長統(ムネ) 家原 善滋(ヨシシゲ) 春澄(スミ) 坊本(マチモト) 春(ハル) 葛原(クスハラ) 御室(ミムロ) 朝原 忠宗 御春 經通(ツネミチ) 安部(アヘ) 弓削(ユケ) 平野(ヒラノ) 中原 都努 善淵(ヨンフチ) 飯高(イヒタカ) 上道(カンツミチ) 春日 宗岳(ムネヲカ) 立野(タテノ) 久賀(クカ) 鳥取(トトリ) 高額(ヌカ) 犬上(カミ) 吉備(キビ) 下道(シモツミチ) 箭口(ヤクチ) 多(オホ) 御使(ミツカヒ) 玉手(タマテ) 八多(ハツタ) 宮處(トコロ) 佐味 大野(オホノ) 高向(タカムコ) 田中 川邊 岸田 久米(クメ) 御炊(ミカシキ) 許曾倍 和安部(ワカアヘ) 上毛野(カンツケノ) 下毛野 大(オホ) 春日(カスカ) 石村(イハムラ)部 中臣習宜(ナカトンノシヒキ) 中臣熊凝(トミノクマコリ) 若櫻(ワカラ)部 平群(ヘクリ) 平郡文室(ノフンナ) 上毛野〈ノ〉坂本 巨勢〈ノ〉槭田(カシケタ)豐原 篁(タカムラ) 丹波(タニハ)

〔拾芥抄〕

〈中本/姓尸録〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0084 朝臣
藤原 菅原(スガハラ) 在原 池原 春原 三原(ミハラ) 永原 時原 茲原 家原 葛(カツラ)原 朝原 中原〈又連〉豐原〈又連〉 淸原 良岑(ヨシミネ) 大江(エ) 大枝(ヲヽエタ)〈或同大江〉 大藏 大宅(ヤケ)〈又眞人又首〉 大野(ヲノ) 大豆(ト) 大神(ヲヽカ) 大中臣(ヲヽナカトミ)大春日(カスカ) 高階(タカシナ) 高道 高橋(タカハシ)〈又連〉 高麗(コマ)〈又無尸〉 高圓(タカマロ) 高額(ヌカ)〈又眞人〉 高向(ムコ) 中臣(ナカトミ) 南淵(フチ) 善淵(ヨシフチ) 賀陽(カヤ) 賀茂(カモ) 三善(ミヨシ) 巨勢(コセ) 伊勢 布勢(フセ) 宮處 宮道(ミヤヂ) 上道 上毛野(カンツノ) 下道 下毛野(シモツケ) 經道道守 掃守〈又連又首〉 小野 菅野(スガノ) 滋野(シケノ) 朝野(アサノ) 立野(タチノ) 平原 平群(ヘクリ) 令宗(∃シムネ) 惟宗(コレムネ) 朝京 忠宗(タヽムネ) 宗形(ムネカタ)〈又無尸〉 宗岳(ムネヲカ) 滋(シケ)岳 善滋(ヨシシゲ)〈又無尸〉 夏身 秋篠(シノ) 和氣(ケ) 佐伯(サエキ)〈又宿禰〉 佐味 雀部(サヽイヘ) 安倍(アベ)阿閉〈又臣〉 阿倍(アヘ) 阿蘇(アソ) 阿保(アポ) 淸科 足羽(アスハ) 内藏(クラ)〈又宿禰〉 𤭖取(ミカトリ) 粟(アハ)田 池田 嶋田 岸田 田口 田中 百濟(クタラ)〈又無尸又王〉 菅生 廣根 采女(ウネメ) 柿本(カキモト) 坂(サカ)本 坊(バウ)本 犬上(カミ) 石上(イハノカミ) 山上(カミ) 山口〈又宿禰〉 箭(ヤノ)口 星川 石川 川邊(カハベ) 櫻(サクラ)井〈又宿禰〉 八多(ハタ)〈又眞人〉 多米〈又連〉 久米 久賀 長岡 長流 長統(ムネ) 伊統(イトウ) 椋垣(クラカキ) 荒城(アラキ) 葛城(カツラキ)〈又直〉 淡海〈又眞人〉 完人(シヽンド) 甲能 讃岐(サヌキ) 浦嶋 水取〈又連〉 春澄春日(カスカ)〈又眞人〉 御春 御室(ミムロ) 御使 御炊(ミカシキ) 弓削(ユケ)〈又宿禰〉 都努(ツノ) 飯高(イヽタカ) 鳥取(トツトリ)〈又連又無尸〉 吉備(ビ) 若櫻部 住吉 玉手 源(ミナモト) 平(タイラ) 橘(タチバナ) 紀(キ) 貞 林(ハヤシ)〈又連又宿禰又使主〉 伴 山〈又首又直〉 和 笠 喑(ハライ)〈 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00025.gif〉 角 綾春 多(ヲヽイ) 篁(タカムラ) 良 都(ミヤコ) 唁 西 戸 中臣習宜(キ) 中臣〈ノ〉熊凝(クマリ) 平郡文屋(ヘクリノフンヤ) 巨勢槭田(コセカケヒ) 上毛野(カウツケ)坂本 許曾部(コソベ) 和安部 石(イハ)村部

〔續日本紀〕

〈三十五/光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0084 寶龜十年十一月甲申、勅中納言從三位物部朝臣宅嗣、宜物部朝臣石上大朝臣(○○○)、〈○宜以下、原本有誤脱、脱、據一本補、〉

〔三代實録〕

〈七/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0084 貞觀五年九月五日甲午、唁濃國諏方郡人右近衞將 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00023.gif正六位上金刺舍人貞長、賜姓 大朝臣

〔日本後紀〕

〈二十二/嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085 弘仁三年六月丙辰、左京人美作眞人(○○)豐庭等三人、賜姓淡海朝臣

〔三代實録〕

〈二十三/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085 貞觀十五年五月廿九日壬辰、左京人河内大掾正六位上淡海眞人濱成、散位淡海 眞人高主、内豎淡海眞人秋野、淡海眞人最弟、蔭子從八位上淡海眞人安江、正六位上永世眞人志我、永世眞人仲守、右京人文章生正八位上永世朝臣有守、蔭子正六位上永世朝臣宗守等九人、並賜姓淡海朝臣、其先大友皇子之苗裔也、

〔日本紀略〕

〈九/一條〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085 正暦三年九月十七日丁未、改從二位讃岐權守高階眞人成忠姓朝臣、依中宮〈○藤原定子〉外祖也、

〔續日本紀〕

〈十八/孝謙〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085 天平勝寶二年正月乙巳、左大臣正一位橘宿禰(○○)諸兄、賜朝臣姓

〔續日本紀〕

〈二十/五淳仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085 天平寶字八年九月乙巳、弓削宿禰淨人、賜姓弓削御淨朝臣

〔續日本紀〕

〈三十/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085 寶龜元年四月癸卯、從五位上弓削宿禰牛養等九人、賜姓弓削朝臣

〔續日本紀〕

〈三十三/光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085 賓龜五年九月甲子、從五位下和氣宿禰淸麻呂.廣虫、賜姓朝臣

〔續日本紀〕

〈三十五/光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085 寶龜九年九月丁卯、詔賜橘宿禰綿裳、三笠、姓朝臣

〔續日本紀〕

〈四十/桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085 延暦九年十二月辛酉、勅外從五位下菅原宿禰道長、秋篠宿禰安人等、並賜姓朝臣、又正六位上土師宿禰諸主等、賜姓大枝朝臣、其土師氏總有四腹、中宮母家者是毛受腹也、故毛受者賜大枝朝臣、自餘三腹者、或從秋篠朝臣、或屬菅原朝臣矣、

〔拾芥抄〕

〈中本/姓尸録〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085 菅原〈延暦廿二年癸未、河内國人土師宿禰淸貞、賜菅原朝臣姓、〉

〔日本後紀〕

〈二十一/嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085 弘仁二年三月丙申朔、河内國人從七位下土師宿禰常磐、賜姓秋篠朝臣、山城國人正六位上土師宿禰百枝菅原朝臣

〔日本後紀〕

〈二十一/嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085 弘仁二年閏十二月乙卯、大和國人正六位下賀茂宿禰河守、正七位上賀茂宿禰關 守等、賜姓朝臣

〔續日本後紀〕

〈三/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0086 承和元年五月壬子、賜右京人外從五位下菅原宿禰梶吉、大初位下梶成等二人朝臣姓

〔續日本後紀〕

〈三/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0086 承和元年十月癸丑、右京人陰陽寮允正六位上葛井宿禰石雄、兵部省少録正六位上同姓鮎川、賜姓蕃良朝臣

〔續日本後紀〕

〈四/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0086 承和二年十一月戊申、賜主計頭從五位上官道宿禰吉備麻呂、玄蕃少允同姓吉備繼等朝臣姓

〔續日本後紀〕

〈五/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0086 承和三年三月丙午、左京人外從五位下飯高宿禰全雄、外從五位下同姓弟高等五烟、改宿禰朝臣

〔續日本後紀〕

〈五/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0086 承和三年四月戊戌、遣唐録事高岑宿禰貞繼、改宿禰朝臣、其先高麗人也、

〔續日本後紀〕

〈五/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0086 承和三年閏五月壬辰、左京人從五位下淸峯宿禰門繼、改宿禰朝臣

〔續日本後紀〕

〈五/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0086 承和三年十一月庚辰、右京人散位正五位下道善宿禰眞貞一烟、改宿禰朝臣

〔繚日本後紀〕

〈六/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0086 承和四年六月己未、右京人左京亮從五位上吉田宿禰書主、越中介從五位下同姓高世等、賜姓興世朝臣、始祖 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00023.gif垂〈○監垂一本作鹽乘津〉大倭人也、

〔續日本後紀〕

〈八/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0086 承和六年七月癸未、右京人散位從四位下内藏宿禰影子、右衞門大尉正六位上内藏宿禰高守、散位從六位上井門忌寸諸足、〈○足一本作兄〉山口忌寸永嗣、大藏宿禰雄繼、大藏忌寸繼長、從八位下檜原宿禰總通等男女十二人、賜姓内藏朝臣、〈○朝臣原作宿禰、今據一本改、〉碓繼高守等〈○等原無、今據一本補.〉遠祖、後漢靈帝之苗裔、

〔續日本後紀〕

〈八/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0086 承和六年七月甲辰、左京人外從五位下安部宿禰眞男等、賜姓御輔朝臣

〔續日本後紀〕

〈八/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0086 承和六年十一月癸未、左京人正六位上御春宿禰春長等十一人、改宿禰賜朝臣、是 百濟王之種、飛鳥戸等之後也、

〔續日本後紀〕

〈九/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0087 承和七年八月己未、大和國人戸主從八位上大和宿禰吉繼、戸口掌侍從四位下大和宿禰館子等、賜姓朝臣

〔續日本後紀〕

〈十一/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0087 承和九年六月丙寅、甲斐目大初位上飯高宿禰濱永等男女廿七人、賜姓飯高朝臣

〔續日本後紀〕

〈十二/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0087 承和九年十二月癸酉、右京人參議從三位兼越中守勳六等朝野宿禰鹿取男女總十九人、改宿禰朝臣

〔文德實録〕

〈西〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0087 仁壽二年十二月庚午、大外記外從五位下名草宿禰安成、賜姓滋野朝臣

〔文德實録〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0087 仁壽三年十月戊辰、但馬守從四位上春澄宿禰善繩、賜姓朝臣

〔三代實録〕

〈三/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0087 貞觀元年十二月廿二日癸卯、從四位上行攝津守滋野朝臣貞雄卒、〈○中略〉父從五位上家譯、〈○中略〉弘仁十四年、改宿禰朝臣

〔伊呂波字類抄〕

〈忘/姓氏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0087 滋野
元楢原東人、〈○中略〉男家譯、延暦年中、賜姓滋野宿禰、同〈○同字恐弘仁誤〉十四年正月、家譯賜朝臣尸

〔三代實録〕

〈六/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0087 貞觀四年七月廿八日乙未、左京人從五位下行參河介壹志宿禰吉野、賜姓大春日朝臣、天足彦國押人命之後也、

〔三代實録〕

〈七/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0087 貞觀五年八月九日己巳、右京人從五位下行皇太后宮大進御船宿禰彦主、從五位下行助敎兼備後權介御船宿禰佐世、内藏少屬正七位上御船宿禰氏柄、散位從七位上船連助道等男女六人、賜姓菅野朝臣

〔三代實録〕

〈九/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0087 貞觀六年八月十七日辛未、左京人太皇太后宮少屬正七位上百濟宿禰有世、賜姓御春朝臣、有世其先出百濟國人比有也、

〔三代實録〕

〈十四/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0087 貞觀九年十山月廿日乙卯、二品式部卿忠氏親王家令正六位上土師宿禰益雄、掃部 權大屬從六位下土師宿禰諸澄、伊勢權少目正六位上土師宿禰豐雄等、賜姓菅原朝臣、並阿陀宿禰之後也、

〔三代實録〕

〈十七/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0088 貞觀十二年二月十九日辛丑、參議從三位春澄朝臣善繩薨、善繩字名達、左京人也、本姓猪名都造、爲伊勢國員辨郡人、達冠之後、移隷京兆、祖財麻呂、爲員辨郡少領、交豐雄、爲周防大目、〈○中略〉五年〈○天長〉賜姓春澄宿禰、兄弟姉妹五人、同以預之、後改宿禰朝臣

〔三代實録〕

〈三十二/陽成〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0088 元慶元年十二月十六日壬午、右京人、〈○中略〉内藏權少允正七位上津宿禰輔主〈○中略〉賜姓菅野朝臣、其先百濟國人也、

〔三代實録〕

〈三十二/陽成〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0088 元慶元年十二月廿五日辛卯、左京人從五位下行讃岐介都宿禰御首、文章博士從五位下兼行大内記越前權介都宿禰良香、散位正六位上都宿禰因雄、正七位下都宿禰興道四人、賜姓朝臣、其先御間城入彦五十瓊殖天皇〈○崇神〉之後、與上毛野、大野、池田、佐味、車持朝臣同祖也、

〔三代實録〕

〈四十四/陽成〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0088 元慶七年十二月二十五日丁巳、左京人從五位下行下野權介秦宿禰永原、〈○中略〉賜姓惟宗朝臣

〔三代實録〕

〈五十/光孝〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0088 仁和三年七月十七日戊子、左京人從五位下行采女正時原宿禰春風、賜朝臣姓、春風自言、先祖出秦始皇十一世孫功德〈○德一本作滿〉王也、

〔日本紀略〕

〈二/朱雀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0088 天慶五年七月一日癸未、賜參議正四位下伴宿禰保平姓朝臣

〔續日本後紀〕

〈三/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0088 承和元年五月壬子、近江國人從五位下志賀忌寸(○○)田舍麻呂等四人、賜姓下毛野朝臣、五十瓊殖天皇〈○崇神〉皇子豐城入彦命之苗裔也、

〔續日本後紀〕

〈十七/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0088 承和十四年閏三月庚辰、右京人右少史從六位下山口忌寸豐道、薩摩目大初任下山口忌寸奥道、散位從八位上山口忌寸貞道、婦人山口忌寸周子恒子等五人、並改忌寸朝臣焉、豐道等、後漢靈帝曾孫阿知王苗裔也、

〔文德實録〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 齋衡三年十一月庚子朔、内匠少屬正七位下民忌寸國成、賜姓内藏朝臣

〔三代實録〕

〈九/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 貞觀六年八月八日壬戌、左京人山村忌寸安野夏野全子等、賜姓紀朝臣、紀角宿禰之後也、右京人内敎坊頭從七位下秦忌寸善子、賜姓伊統朝臣、弟秦忌寸安雄等、賜姓伊統宿禰

〔三代實録〕

〈四十四/陽成〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 元慶七年十二月廿五日丁巳、山城國葛野郡人外從五位下行音博士秦忌寸永宗、右京人主計大允正六位上秦忌寸越雄、〈○中略〉男女十九人、賜姓惟宗朝臣

〔日本書紀〕

〈二十九/天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 十三年十一月戊申朔、大春日〈ノ〉臣(○)阿倍臣、巨勢臣、膳臣、紀臣、波多臣、〈○中略〉平群臣、雀部臣、〈○中略〉大宅臣、粟田臣、石川臣、櫻井臣、采女臣、田中臣、小墾田臣、穗積臣、山背臣、〈○中略〉小野臣、川邊臣、櫟井臣、柿本臣、輕部臣、若櫻部臣、岸田臣、高向臣、宍戸臣、來目臣、〈○中略〉角臣、星川臣、多臣、〈○中略〉下道臣、伊賀臣、阿閉臣、林臣、波禰〈○禰書紀集解作彌〉臣、〈○中略〉道守臣、〈○中略〉坂本〈ノ〉臣、〈○中略〉玉手臣、笠臣、凡五十二氏、賜姓曰朝臣

〔續日本紀〕

〈八/元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 養老三年五月癸卯、無位紀臣龍麻呂等十八人、從七位上巨勢斐太臣大男等二人、〈○中略〉賜朝臣姓

〔續日本紀〕

〈二十/孝謙〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 天平寶字元年七月辛亥、上道臣非太都、賜姓朝臣

〔續日本紀〕

〈二十二/淳仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 天年寶字三年七月丁丑、内藥佐從七位下粟田臣道麻呂、賜姓朝臣

〔續日本紀〕

〈二十六/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 天年神護元年二月辛未、攝津職島下郡人右大舍人采女臣家麻呂、采女司采部采女臣家足等四人、賜姓朝臣

〔續日本紀〕

〈二十六/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 天平神護元年三月癸巳、近江國坂田郡人粟田臣乙瀨、眞瀨、斐太人、地守等四人、賜姓朝臣

〔續日本紀〕

〈二十六/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 天平神護元年六月辛酉朔、備中國賀陽郡人外從五位下賀陽臣小玉女等十二人、賜姓朝臣

〔續日本紀〕

〈二十六/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 天平神護元年六月己巳、山背國宇治郡少領外從五位下笠臣氣多麻呂、賜姓朝臣

〔續日本紀〕

〈二十七/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0090 天年神護二年五月癸亥、主殿助從五位下下道臣色夫多、賜姓朝臣

〔續日本紀〕

〈二十七/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0090 天年神護二年五月丙子、大和國人從七位下寺間臣大虫等四人、賜姓大屋朝臣

〔續日本紀〕

〈二十八/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0090 神護景雲元年六月己亥、左京人散位從八位上粟田臣弟麻呂、少初位上粟田臣種麻呂、正七位上粟田臣乎奈美麻呂三人、賜姓朝臣

〔續日本紀〕

〈二十八/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0090 神護景雲元年九月己巳、河内國志紀郡人正六位上山口臣犬養等三人、賜姓山口朝臣

〔續日本紀〕

〈二十九/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0090 神護景雲二年閏六月丁未、左京人從六位下和安〈○安恐邇誤〉部臣男綱等三人、賜姓和安部朝臣

〔續日本紀〕

〈三十六/光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0090 天應元年六月戊子朔、和泉國和泉郡人坂本臣糸麻呂等六十四人、賜姓朝臣

〔續日本紀〕

〈三十九/桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0090 延暦六年六月壬寅、河内國志紀郡人林臣海主野守等、改臣賜朝臣

〔續日本後紀〕

〈一/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0090 天長十年二月戊子、是日賜典藏從四位下大宅水取臣繼主等三人朝臣姓、繼主臣、八腹木事命後也、

〔續日本後紀〕

〈三/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0090 承和元年八月庚子、賜紀伊國人從七位下紀臣奈須等五人朝臣姓

〔續日本後紀〕

〈五/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0090 承和三年三月庚戌、是日左大史正六位坂本臣鷹野等十三人、改臣賜朝臣、建内宿禰男紀伊〈○伊一本作角〉宿禰之後也、

〔續日本後紀〕

〈五/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0090 承和三年三月己巳、飛騨國人散位三尾臣永主、右京史生同姓息長等、賜姓笠朝臣

〔續日本後紀〕

〈五/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0090 承和三年五月庚子、山城國人遣唐史生大宅臣福主、改臣賜朝臣

〔續日本後紀〕

〈十一/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0090 承和九年三月癸卯、右京人侍醫外從五位下紀臣國守、弟從八位上同姓兼〈○兼一本作魚〉守等三人、改臣字朝臣

〔續日本後紀〕

〈十三/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0090 承和十年九月辛丑、賜紀伊國名草郡人紀臣廣人廣成等朝臣姓

〔續日本後紀〕

〈十四/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0091 承和十一年八月乙未、紀伊國名草郡人右兵衞從六位下紀堤臣淸繼、賜姓紀朝臣

〔文德實録〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0091 天安元年六月庚寅、正六位上竹田臣田繼、賜淸岑朝臣姓

〔三代實録〕

〈九/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0091 貞觀六年八月八日壬戌、右京人二品秀良親王家令正六位上宇自加臣吉人、賜姓笠朝臣、狹島命之後也、

〔三代實録〕

〈十二/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0091 貞觀八年閏三月十七日壬戌、左京人木工少屬從七位上日置臣岡成、賜姓菅原朝臣、其先與土師宿禰等同祖也、

〔三代實録〕

〈二十四/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0091 貞觀十五年十二月廿七日戊午、伊勢國多氣郡人從五位下阿閉臣次子、從七位下阿閉臣雄繼等、賜姓朝臣、其先出火産命之後也、
○按ズルニ、大日本史ノ氏族志ニ、阿閉氏系出大彦、而本書作火産誤トアリ、

〔三代實録〕

〈三十二/陽成〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0091 元慶元年十二月廿五日辛卯、右京人從五位下行織部正紀朝〈○朝字恐衍〉臣關雄、賜姓朝臣、其先紀角宿禰之苗裔也、〈○中略〉右京人外從五位下行主計權助字自可臣秋田等男女十四人、賜姓笠朝臣、彦狹島命之後也.

〔三代實録〕

〈三十六/陽成〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0091 元慶三年十月廿二日戊寅、左京人左大史正六位上印南野臣宗雄、男三人、女一人、妹一人、賜笠朝臣、其先出吉備武彦命也、宗雄自言、吉備武彦命第二男、御支別命十一世孫人上、天平神護元年、取居地之名印南野臣姓、第三男、鴨別命、是笠朝臣之祖也、兄弟之後宜同姓也、

〔三代實録〕

〈五十/光孝〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0091 仁和三年五月十一日甲申、右京人外從五位下行備後介平群臣春雄、兄中務少録正六位上平群臣秋雄、從父弟无位平群臣秋常春常等四人、賜姓朝臣、春雄自言、祖出都久宿禰矣、

〔日本書紀〕

〈二十九/天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0091 十三年十一月戊申朔、物部連(○)〈○中略〉中臣連、〈○中略〉賜姓曰朝臣

〔先代舊事本紀〕

〈五/天孫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0091 物部連公麻侶〈馬古連公之子〉
此連公、淨御原朝〈○天武〉御世、天下萬姓改定八色之日、改連公(○○)物部朝臣姓

〔續日本紀〕

〈八/元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0092 養老三年五月癸卯、從八位上中臣習宜連笠麻呂等四人、從六位上中臣熊凝連古麻呂等七人、從入位下榎井連挊麻呂、並賜朝臣姓

〔續日本紀〕

〈二十七/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0092 天平神護二年三月乙酉、左京人正五位下中臣丸連張弓等二十六人、賜姓朝臣

〔續日本紀〕

〈二十七/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0092 天平神護二年八月庚戌、左京人從五位上桑内連乙虫女等三人、賜姓桑内朝臣

〔續日本紀〕

〈二十七/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0092 天平神護二年十二月癸卯、外從五位下中臣伊勢連大津、賜姓伊勢朝臣

〔續日本紀〕

〈二十九/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0092 神護景雲二年九月乙未、左京人正七位上御使連淸足、御使連淸成、御使連田公等十八人、賜姓朝臣

〔續日本紀〕

〈四十/桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0092 延暦九年七月辛巳、左中辨正五位上兼木工頭百濟王仁貞、治部少輔從五位下百濟王元信、中衞少將從五位下百濟王忠信、圖書頭從五位上兼東宮學士左兵衞佐伊豫守津連眞道等上表言、眞道等本系、出百濟國貴須王、貴須王者、百濟始興第十六世王也、夫百濟太祖都慕大王者、日神降靈、奄扶餘而開國、天帝授籙、總諸韓而稱王、降及近肖古王、遙慕聖化、始聘貴國、是則神功皇后攝政之年也.其後輕島豐明朝御宇應神天皇、命上毛野氏遠祖荒田別、使於百濟、捜聘有識者、國主貴須王、恭奉使旨、擇採宗族、遣其孫辰孫王、〈一名智宗王〉隨使入朝、天皇嘉焉、特加寵命以爲皇太子之師矣、於是始傳書籍、大闡儒風、文敎之興、誠在於此、難波高津朝御宇、仁德天皇以辰孫王長子太阿郎王近侍、太阿郎王子亥陽君、亥陽君子午定君、午定君生三男、長子味沙、仲子辰爾、季子麻呂、從此而別、始爲三姓、各因職以命氏焉、葛井、船、津連等卽是也、逮于他田朝御宇敏達天皇御世、高麗國遣使、上鳥羽之表、群臣諸史、莫之能讀、而辰爾進取其表、能讀功寫、詳奏表文、天皇嘉其篤學、深加賞歎、詔曰、勤乎懿哉、汝若不學、誰能解讀、宜今始近待殿中、既而又詔東西諸曰、汝等雖衆不辰爾、斯並國史家牒.詳載其事矣、伏惟皇朝則天布化、稽古垂風、弘澤浹乎群方、叡政覃於品彙、故能修廢繼絶萬姓仰而賴慶、正名辨物、四海歸得宜、凡有生、莫扑躍、眞道等先祖、委質聖朝、年代深遠、家傳文雅之業、族掌 西庠之職、眞道等、生逢昌運、預沐天恩伏望、改換連姓賜朝臣、於是勅因居賜姓菅野朝臣

〔續日本後紀〕

〈八/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0093 承和六年四月庚申、右京人正六位上茨田連魚麻呂等七人、賜姓忠宗朝臣

〔續日本後紀〕

〈十五/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0093 承和十二年二月戊寅朔、〈○朔原本無據一本補〉河内國讃良郡人相模權掾從六位下廣江連乙枚、賜姓大枝朝

〔三代實録〕

〈七/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0093 貞觀五年八月廿一日辛巳、右京人從五位下行隼人正難波連縵麻呂、伊豫權掾正六位下難波連實得、縫殿少允從六位上難波連法〈○法一本作淸〉宗等、並賜姓朝臣、其先高麗國人也、

〔三代實録〕

〈九/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0093 貞觀六年八月八日壬戌、左京人散事從五位下水取連夏子、故外從五位下水取連柄仁、故外從五位下水取連繼男等、賜姓朝臣、神饒速日命之後也、

〔三代實録〕

〈九/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0093 貞觀六年八月十七日辛未、右京人、〈○中略〉右大史從六位下葛井連宗之、兵部少録正六位上葛井連居成戊等、賜姓菅野朝臣、本系出百濟國人貴須也、

〔三代實録〕

〈三十二/陽成〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0093 元慶元年十二月十六日壬午、右京人從五位下行山城權介船連副使麻呂、〈○中略〉主殿允大初位下葛井連直臣等三人、賜姓菅野朝臣、其先百濟國人也、

〔日本書紀〕

〈二十九/天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0093 十三年十一月戊申朔、大三輪君(○)、〈○中略〉鴨君、〈○中略〉大上君、上毛野君、〈○中略〉 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00010.gif方君、車持君、綾君、〈○中略〉下毛野君、佐味君、〈○中略〉大野君、〈○中略〉池田君、〈○中略〉賜姓曰朝臣

〔續日本紀〕

〈十二/聖務〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0093 天平九年正月辛酉、〈○辛酉二字恐誤〉正八位下車持君長谷、賜朝臣姓

〔續日本紀〕

〈二十五/淳仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0093 天平寶字八年十月辛卯、因幡掾外從五位下健部公(○)人上等十五人、賜姓朝臣

〔續日本紀〕

〈二十七/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0093 天平神護二年七月己卯、近江國志賀團大毅少初位上建部公伊賀麻呂、賜姓朝臣

〔續日本紀〕

〈二十八/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0093 神護景雲元年三月乙卯、左京人正六位上上毛野坂本公男島、上野國碓氷郡人外從八位下上毛野坂本公黑益、賜姓上毛野坂本朝臣

〔續日本紀〕

〈二十九/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0093 神護景雲二年二月壬午、大和國人從七位下大神引田公足人、大神私部公猪養、大 神波多公石持等廿人、賜姓大神朝臣

〔續日本紀〕

〈二十九/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 神護景雲二年八月癸卯、出雲國島根郡人外從六位上神掃石公文麻呂、意宇郡人外少初位上神人公人足、同郡神人公五百成等廿六人、賜姓大神掃石朝臣

〔續日本紀〕

〈二十九/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 神護景雲三年四月甲辰、陸奥國行方郡人外正七位下下毛野公田主等四人、賜姓朝臣

〔續日本後紀〕

〈一/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 天長十年二月甲申、左京人上毛野公〈○公字原無據一本補〉道信、賜姓上毛野朝臣

〔續日本後紀〕

〈四/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 承和二年正月癸亥、左京人遣唐史生道公廣持、賜姓當道朝臣、和銅年中、肥後守正五位下道君首名、治迹有聲、永存遺愛、廣持是音名之孫也、

〔續日本後紀〕

〈四/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 承和二年十一月丁亥、賜右京人遣唐譯語廬原公有子、兄散位柏守等朝臣姓

〔續日本後紀〕

〈四/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 承和二年十一月戊戌、賜左京人内豎從六位上上毛野公諸兄朝臣姓

〔續日本後紀〕

〈四/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 承和二年十一月己亥、左京人道公安野、賜姓當道朝臣

〔續日本後紀〕

〈五/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 承和三年三月戊午、外從五位下大判事明法博士讃岐公永直、右少史兼明法博士同姓永成等合廿八烟、改公賜朝臣、永直是讃岐國寒川郡人、

〔續日本後紀〕

〈五/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 承和三年十一月壬辰、河内國人故從七位下我孫公諸成、散位同姓阿比古道成等、賜姓秋葉朝臣

〔續日本後紀〕

〈十一/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 承和九年六月丙寅、伊勢國人遠江介外從五位下飯高公常比麻呂、弟五百繼、〈○中略〉賜姓飯高朝臣

〔續日本後紀〕

〈十七/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 承和十四年三月内申朔、肥後國飽田郡人從三位大藏卿平朝臣高棟家令正七位上建部公弟益男女等五人、賜姓長統朝臣

〔續日本後紀〕

〈十七/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 承和十四年十月癸巳朔、上野國那波郡人左近衞府將 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00023.gif正六位上檜前公綱主、賜 姓上毛野朝臣、兼貫左京四條

〔三代實録〕

〈七/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0095 貞觀五年十一月廿日己酉、左京人齋院判官正八位上上毛野公藤野、内敎坊頭從七位下上毛野公赤子等、同族男女七人、賜姓朝臣、豐城入彦命之苗裔也、

〔三代實録〕

〈十八/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0095 貞觀十二年八月十五日乙未、上野國群馬郡外散位正八位上壬生公石道、賜姓壬生朝臣

〔三代實録〕

〈二十七/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0095 貞觀十七年十二月廿七日丙子、左京人右大史正六位上兼行笇博士小槻山公今雄、主計笇師大初位下小槻山公有緒、近江國栗太郡人前伊豆權目正六位上小槻山公良眞等、並賜姓阿保朝臣、息速別命之後也.

〔三代實録〕

〈四十四/陽成〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0095 元慶七年十二月廿五日丁巳、左京人、〈○中略〉從五位下守大判事兼行明法博士秦公直宗、〈○中略〉左京人右衞門少志秦公直本等、〈○中略〉賜姓惟宗朝臣

〔三代實録〕

〈七/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0095 貞觀五年八月十七日丁丑、右京人外從五位下行主計助飛鳥戸造(○)豐宗等男女八人、賜姓御春朝臣、其先出百濟國人琨伎也、

〔三代實録〕

〈二十四/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0095 貞觀十五年十二月二日癸巳、越前國敦賀郡人右大史正六位上伊部造豐持、賜姓飯高朝臣、卽改本居左京五條三坊、其先出孝昭天皇皇子天足彦國押人命也、

〔三代實録〕

〈二十七/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0095 貞觀十七年十二月廿七日丙子、右京人右大史正六位上伊部造豐特、賜姓飯高朝臣、天足彦國押人命之後也、
○按ズルニ、豐持ニ姓ヲ賜ヒシコトハ、已ニ本書二十四卷ニ見エタリ、恐ラクハ一誤アラン、

〔續日本後紀〕

〈八/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0095 承和六年十一月癸未、伊豫國人外從五位下風早直豐宗等一煙、賜姓善友朝臣

〔文德實録〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0095 齊衡元年十月癸酉、侍醫外從五位下神直虎主、散位正七位下神直木並、大初位下神直巳卉〈○卉一本作井〉等、賜姓大神朝臣

〔三代實録〕

〈十二/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096 貞觀八年閏三月十七日壬戌、右京人散位外從五位下長田直利世、改直姓朝臣

〔三代實録〕

〈二十四/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096 貞觀十五年十二月二目癸巳、左京人外從五位下行助敎越知直廣峯、賜姓善淵朝臣、其先出神饒速命之後也、

〔續日本紀〕

〈三十七/桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096 廷暦二年四月丙寅、左京人外從五位下和史(○)國守等三十五人、賜姓朝臣

〔續日本後紀〕

〈八/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096 承和六年十月丁卯、攝津國人直講博士從六位下佐夜部首(○)穎主、賜姓善友朝臣

〔文德實録〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096 齊衡元年十月丙寅、内藥正從五位上物部首廣泉、賜姓朝臣

〔三代實録〕

〈十四/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096 貞觀九年十一月廿日乙卯、左京人從五位下行直講苅田首安雄、賜姓紀朝臣、安雄自言武内宿禰之裔也、

〔續日本紀〕

〈二十七/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096 天平神護二年三月乙亥、左京人從七位下春日藏毗登(○○○)常麻呂等二十七人、賜姓春日朝臣

〔續日本紀〕

〈十八/孝謙〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096 天平勝寶二年正月丙辰、從四位上背奈王(○)福信等六人、賜高麗朝臣姓

〔續日本紀〕

〈三十四/光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096 寶龜七年十二月庚戌、豐前國京都郡人正六位上楉田勝(○)愛比、賜姓大神楉田朝臣

宿禰

〔姓名録抄〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096 宿禰
漢人(アヤムト) 呉漢(クレノアヤ) 井原 東部(アヅマベ) 張(チャウ)〈音定〉 長峯(ミネ) 常世(トコヨ) 凡海(ヲフシノウミ) 羽束志(ハツカシ) 大日子(ヲヽヒス/オホコ) 小治田(ヲハルタ) 栗(クリ) 安(ヤス)淺(アサ)井 新家(ニフケ) 磯部(イソヘ) 伊賀 淸岡 栗前(クリクマ) 石内(イハウナ) 長我(ナカカ) 伯耆(ハヽキ) 朝來(アサコ) 御野(ミノ) 矢俣(ヤマタ) 田部 御立 大友(トモ) 羽栗(ハクリ) 長都(ヲサヘ) 伊岐(イキ) 能登(ノト) 八戸(ヤヘ) 田使(タヘ) 壬部 錦(ニシコリ) 神田(カンタ) 志賀 榎(エノ)井 十市(トフイチ)宮〈ノ〉原 井〈ノ〉上(カミ) 達部(タツヘ) 若湯生(ワカユニ) 各務(カヽミ) 三宅 小長谷(ヲハセ) 豐(トヨ)岡 淸(キヨ)田 神(アホ) 丈部(ハヤツカヘ) 雀部(サヽイヘ) 春道(ハルミチ)太(ヲホ) 大國(クニ) 大仁(ヒト) 秦(ハタ) 高志(コシ) 淸世(ヨ) 額田(ヌカタ) 太秦(ウツマサ) 良枝(ヨシエ) 縣主(アカタヌシ) 常澄(ツネスミ) 商長(アキヲサ) 金刺(カナザシ) 櫻島(ラシマ)美(∃シミ) 山城 服部 生夷(イクイ) 淸井 漆(ウルシ) 若(ワカ)江 寺(テラ) 奈癸(ナキ) 我孫(アヒコ) 麻續(ヲミ) 守保(スホ) 坂合部(サカアヒヘ) 上匂(カトリ)三池(ミイケ) 飛鳥部(アスカヘ) 村主(スクリ) 麻田(アサタ) 河内(カウチ) 美麻那(ミマナ) 勝(カチ) 卜部 佐太(サダ) 刑部(ヲサカヘ) 御船(フネ) 石城(イハキ) 竹田 縣 犬養(イヌカヒ) 石作(イシツクリ) 灘波(ナハ) 生池(ナチ) 日置(ヒヲキ) 長(ナカ) 宗岡 藏人(クラヒト) 酒波(サケナミ) 長尾 高田 税部(チカラベ) 穴太(アナホ) 掃(カン)守(モリ) 安名(ヤスナ) 服(ハトリ) 有道(アリミチ) 田〈ノ〉邊(ヘ) 吉志(キシ) 鳥井 凡部(ホへ) 五百木部(イホキヘ) 民(タミ) 吉身(ヨシミ) 海(アマ) 椿部(ツハイヘ) 榎本(エノモト) 巨智(コチ) 當世(マサヨ) 上村主(カンスクリ) 安曇(アツミ) 丹生(ニフ) 椋橋(クラハシ) 若狹(ワカサ) 猪(井) 越智(ヲチ) 石野(イハノ) 狛(コマ) 坂〈ノ〉上(ウヘ) 深根(フカネ) 漢部(アヤヘ) 大石(イシ) 品治(ホンチ) 淸内(ウチ) 尾張 春日戸 國 縣(アカタ) 葛井(カチ井) 日下(クサカ) 滋善(シゲヨシ) 津守(ツモリ) 船木(フナキ) 靭(ユキ) 阿刀(アト) 金集(カナツメ) 八木(ヤキ) 守(モリ) 幡美(ハミ) 委文(シトリ) 大田(オヽタ)部 津(ツ) 伊福(イフク)部 守(モリ)部 私(キサチ/ヲサイチ) 高(タケ)市 大鹿(オホカ) 倉(クラ)橋部建(タケ)部 直(アタヒ) 間人(ハシヒト) 珍(チン/ニフ) 中(ナカ)野 三津(ミツ) 甲可 的(イクハ) 忍海 吉川 調(ツキ) 磯上(カミ) 武藝津(ムケツ) 上 船(フネ)道(ミチ) 高安(ヤス) 綾部(アヤベ) 出雲 渡津(ワタツ) 土師(ハシ) 善世(ヨシヨ) 丹波 桑名(クハナ) 文(フン)山 小槻(ツキ) 酒井 日下部(クサカへ) 桑原 語(カタライ) 滋生(シケフ) 播磨 丹比(タチヒ) 川合(カハアイ) 文 大縣 伊香(イカコ) 吉侯(キンコ) 六人部(ムトヘ) 安都 澁(シブ)川 板持(イタモチ)依智(エチ) 秦(ハタ) 美努(ミヌ) 狩(カリ) 伊水(イミツ) 石栗(イハクリ) 神服(カンハトリ) 志貴(シク井) 三野(ミノ) 藏桓(クラカキ) 眞髪(マカミ)部 葛木(カツラギ) 赤坂(アカサカ) 新井(ニヒ) 宇自可(ウシカ) 池上(イケノカミ) 物部(モノヘ) 宇治(ウチ) 矢田部(ヤタヘ) 春米(ツキシネ) 氷(ヒ) 入間(イルマ) 佐爲(サ井) 中科(シナ) 雁高(カリタカ) 高丘(タカヲカ) 山田榮(ワカ)井 吉(ヨシ)井 大和(オホヤマト) 額田部(ヌカタヘ) 大伴大田(オホノオホタ) 太秦公(ウツマサノキミ) 齋(イン)都 玉祖(タマヲヤ) 谷(タニ) 布留(フル) 海犬養(アマイヌカイ) 酒人(サカヒト)巫部(カウナイ) 武生(タケフ) 畝火(ウネヒ) 檜原(ヒハラ) 平(ヒラ/へイ)田 箭集(ヤツメ) 襷多治比 新田部(ニヒタヘ) 依羅(ヨサミ) 三(ミ)嶋 和爾(ワニ)部 淨村(キヨムラ)淸宗(キヨムネ) 淸宇(ウミ) 猪使(井ツカヒ) 小手部(チヒサコヘ) 眞神(マカミ) 若犬養(ワカイメカヒ) 高村(タカムラ) 中臣酒八(ナカトミノン) 田部 祝部(ハフリヘ)

〔拾芥抄〕

〈中本/姓尸録〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0097 宿禰
日本(ヤマト) 間人(ハジウ) 漢人〈又無尸〉 漢(アヤ)部 呉漢 井原 宮原(ミヤハラ) 檜原(ヒハラ) 東部 磯部(イソベ) 長(ヲサ)都 田部(タナベ) 達部 丈(ハセ)部〈又無尸〉 委部 掃部(カモン) 凡部〈又無尸〉 物部〈又連又首〉 齋(イン)部 巫部〈又連〉 阿部(アベ) 下部 祝部(ハウリベ)〈又無尸〉飛鳥部(アスカベ) 伊福部〈又連〉 倉橋部〈又朝臣〉 武藝部(ムキツ) 六人部〈又連〉 春日部(カスガベ)〈又無尸〉 石材部 猪名部(イナベ) 長谷(ハセ)部(ベ)〈又連〉 曾我部(ソガベ)〈又朝臣〉 太田部(ヲヽタブ) 眞髪部(マカミベ)〈或無尸〉 矢田部(ヤタベ)〈又首又無尸〉 額(ヌカ)田部〈又無尸〉 新田部(ニツタベ) 和爾(ワニ)部〈或無尸〉 小子部〈又連〉 坂合部〈又無尸〉 長峯(ナガミネ) 長我 常澄〈又朝臣〉 常世(トコヨ)〈又連〉 淸世 常世(トコヨ)〈又朝臣〉 凡河内(ヲフシカウチ)凡海(ヲシウミ)〈又連〉 淺(アサ)井 榎(エノ)井 鳥(トリ)井 葛(フチ)井 新井 榮井 吉(ヨシ)井 見池(ミケ) 新家(シンケイ) 志賀(シカ) 伊賀 伊岐(イキ) 豐岡(トヨヲカ)〈又連〉 淸岡 淸田 淸内 淸宗(キヨムネ) 淨村 伯耆(ハフキ) 朝來(アサコ) 栗前 上野(ウヘノ) 御野 羽束志 石内 石野 御立(ミタチ)〈又史〉 大友(ヲヽトモ)〈又連〉 大國 大仁 大石(ヲヽイシ)〈又無尸〉 太秦(ウツマサ) 大和(ヤマト)〈又連〉 大春日(カスカ) 太秦公 能登(ノト)八戸〈又連〉 椿戸 神田(カンタ) 額田(ヌカタ)〈又連又村主〉 山田 平田(ヒラタ) 小治田〈又連朝臣〉 小長谷(ハセ)〈又朝臣〉 十市(トヲチ) 井〈ノ〉上 池上(カミ) 坂〈ノ〉上 各務(カヽミ)〈又朝臣〉 三宅(ミヤケ)〈又連又史〉 三野 三嶋〈又眞人又朝臣〉 三枚(サイクサ) 春道(ハルミチ) 有道 高丘(タカヲカ)〈又朝臣〉高村 高志〈又連〉 吉志 鴈高 良枝(ヨシエ) 吉身(ミ) 商長〈又首〉 縣主 上村生〈又無尸〉 金刺(カナサシ) 金集(ス) 箭集(ヤス) 畝火(ウネホ) 穴太(アナフ) 安名 安曇(アツミ)〈又連〉 田邊(タナベ)〈又史〉 榎(エ)本〈又連又朝臣〉 巨智(コチ) 越(ヲ)智 丹生(ニフ) 武生 椋橋若狹〈又朝臣〉 若湯坐〈又連〉 深根 品治(ホンヂ)〈又朝臣〉 宇治 宇自可 宇禰備(ウネビ)〈又朝臣〉 尾張〈又連〉 船木(フナキ) 八木(ヤギ) 葛木(カツラキ)〈又首〉 滋善 津守(ツモリ)〈又連〉 阿刀〈又連〉 幡美 委文〈又連〉 藏垣 赤坂(アカサカ) 春米 入間(イルマ) 佐井 中科 玉祖 布留(フル) 依羅〈又連又朝臣〉 依智 秦〈又無尸〉 猪使 眞神 美麻那 縣(アガタ)犬養(カイ) 海犬養 若犬養(カイ) 太日子(ヒネ) 多治(タチ)比 長 栗 安 錦 神 太 秦(ハタ) 善 寺 勝(スグル)〈又連〉 津 私〈又連〉 直 珍的 調 上 船〈又連〉 道 文 狩 服 民〈又直又首〉 海 猪 狛〈又首〉 國 縣 靭 守 氷〈又連〉 谷 語 日下 漆 五百木部〈又連〉 大伴(トモ) 太田(ヲヽタ) 襷田 治比 中臣酒人 矢俣田部

〔續日本紀〕

〈四十/桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0098 建暦十年四月戊戌、左大史正六位上文忌寸最弟、播磨少目正八位上武生連眞象等言、文忌寸等元有二家、東文稱直、西文號首、相比行事、其來遠焉、今東文擧家、既登宿禰(○○○)、西文漏恩、猶沈(○)忌寸(○○)

〔續日本紀〕

〈二十五/淳仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0098 天平寶字八年九月丁巳、從五位上稻蜂聞達仲村女、從八位下醜麻呂等二人賜姓宿禰、内舍人正七位下縣犬養宿禰内麻呂等十五人、縣犬養大宿禰(○○)

〔續日本紀〕

〈三十八/桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0098 延暦四年六月癸酉、右衞士督從三位兼下總守坂上大忌寸(○○○)苅田麻呂等上表言、臣等本是後漢靈帝之曾孫阿智王之後也、〈○中略〉臣苅田麻呂等、失先祖之王族、蒙下人之卑姓、望請改忌寸賜宿禰姓、伏願天恩矜察、儻垂聖聽、所謂寒灰更煖、枯樹復榮也、臣苅田麻呂等不至望之誠、輙 奉表以聞、詔許之、坂上、内藏、平田、大藏、文、調、文部、谷、民、佐太、山口等忌寸、十姓一十六人、賜姓宿禰

〔續日本紀〕

〈三十九/桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 延暦六年六月辛丑、正六位上平田忌寸杖麻呂、路忌寸泉麻呂、從七位下蚊屋忌寸淨足、從八位上於忌寸弟〈○弟一本作茅〉麻呂等四人、並改忌寸宿禰姓

〔日本後紀〕

〈二十一/嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 弘仁二年七月辛酉、右京人正六位上朝原忌寸諸坂、山城國人大初任下朝原忌寸三上等賜姓宿禰

〔日本後紀〕

〈二十二/嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 弘仁三年六月戊戌、河内國人外從五位下林忌寸眞永、右京人正六位上山口忌寸諸足、内藏忌寸帶足等、賜姓宿禰

〔日本後紀〕

〈二十二/嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 弘仁四年二月乙未、河内國人從八位上難波忌寸氏主、攝津國人正六位上難波忌寸船人、正六位上日下部忌寸阿良多加等、賜宿禰

〔續日本後紀〕

〈一/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 天長十年二月甲戌.攝津國人散位從六位上凡河内忌寸紀ま元留省從八位上凡河内忌寸紀麻呂、弟留省大初位下凡河内忌寸福長等三人、賜姓淸内宿禰

〔續日本後紀〕

〈一/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 天長十年二月己卯、左京人左大史正六位上秦忌寸貞〈○貞一本作眞〉仲、賜姓宿禰

〔續日本後紀〕

〈一/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 天長十年四月庚辰、山城國人山代忌寸淨足、同姓五百川等八人、改忌寸宿禰、淨足等天津彦根命之苗裔也、

〔續日本後紀〕

〈一/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 天長十年十二月戊申、紀伊國介外從五位下大藏忌寸横佩、大外記從六位上内藏忌寸秀嗣等、並賜宿禰姓

〔續日本後紀〕

〈三/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 承和元年五月壬子、河内國人正六位上文忌寸繼立、改忌〈○忌字原無、據一本補、〉寸宿禰、焉、歳主、三雄、繼立等之先、並百濟國人也、

〔續日本後紀〕

〈四/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 承和二年十一月丁亥、春宮坊小屬佐太忌寸道成、兄散位道繼、賜姓滋原宿禰

〔續日本後紀〕

〈四/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 承和二年十一月戊戌、左京人正六位上秦忌寸賜姓朝原宿禰

〔續日本後紀〕

〈五/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 承和三年閏五月壬午、右京少屬秦忌寸安麻呂、造檀林寺使主典同姓家繼等、賜姓朝原宿禰

〔續日本後紀〕

〈六/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 承和四年十二月癸巳、近江國人左兵衞權少志賀〈○賀上恐脱志学〉史常繼.左衞門少志錦村主藥麻呂、越中少目錦部忌寸人勝、太政官史生大友村主弟繼等、賜姓審〈〇審一本作蕃〉良宿禰、常繼之先、後漢獻帝苗裔也、

〔續日本後紀〕

〈七/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 承和五年十一月甲戌、右京人散位從七位上勳九等坂上忌寸豐雄、改忌寸宿禰

〔續日本後紀〕

〈十九/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 嘉祥二年八月甲申、右京人右衞門少志從七位上臺忌寸善氏、賜姓淸江宿禰

〔文德實録〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 天安元年九月辛酉、中宮少屬正七位上秦忌寸永岑、賜太秦公宿禰姓

〔三代實録〕

〈六/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 貞觀四年三月己巳朔、右京人中納言從三位藤原朝臣氏宗家令大初位上大藏伊美吉(○○○)廣勝、賜姓宿禰、後漢孝靈皇帝四代孫阿智使主後、與坂上大宿禰祖(○○○)同祖也、

〔三代實録〕

〈六/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 貞觀四年七月廿八日乙未、左京人前越後介外從五位下坂上伊美吉能文、大學少允從六位上坂上伊美吉斯文等九人、賜姓坂上宿禰、後漢孝靈皇帝四代孫阿智使主之裔、與坂上大宿禰(○○○)同祖也、

〔三代實録〕

〈七/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 貞觀五年九月五日甲午、山城國葛野郡人圖書大允從六位上秦忌寸春風、但馬少目正八位上秦忌寸諸長等三人、賜姓時原宿禰、其先秦始皇之後也、

〔續日本後紀〕

〈三/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 承和元年六月辛丑、和泉國人正六位上蜂田藥師(○○)文、從八位下同姓安遊等、賜姓深根宿禰、百濟國人也、

〔續日本紀〕

〈二十六/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 天平神護元年七月甲辰、左京人甲斐員外目丸部臣(○)宗人等二人、賜姓宿禰

〔續日本紀〕

〈四十/桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 延暦十年九月丁丑、近衞 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00023.gif正六位下出雲臣祖人言、臣等本系、出天穗日命、其天穗日命十四世孫曰野見宿禰、野見宿禰之後、土師氏人等、或爲宿禰、或爲朝臣、臣等同爲一祖之後、獨 漏均養之仁、伏望興彼宿禰之族、同預改姓之例、於是賜姓宿禰

〔日本後紀〕

〈二十二/嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0101 弘仁四年正月庚午、左京人從八位下竹田臣門繼等六人、賜姓淸岑宿禰

〔續日本後紀〕

〈四/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0101 承和二年三月癸丑、右京人近江少目從七位下伊蘇志臣廣成、大和國人正六位上同姓人麻呂、〈○中略〉賜姓紀宿禰

〔續日本後紀〕

〈四/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0101 承和二年九月乙巳、右京人散位宇自可臣良宗、賜姓春庭宿禰、彦狹島命之苗裔也、

〔文德實録〕

〈四〉

〈H 仁壽二年二月乙巳、參議正四位下兼行宮内卿相模守滋野朝臣貞主卒、貞生者、右京人也、曾祖父大學頭兼博士正五位下楢原東人、〈○中略〉賜姓伊蘇志臣、父尾張守從五位上家譯、延暦年中賜姓滋野宿宿禰、〉

〔三代實録〕

〈七/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0101 貞觀五年九月五日甲午、右京人散位外從五位下多臣自然麻呂、賜姓宿禰

〔三代實録〕

〈七/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0101 貞觀五年九月十日己亥、播磨國飾磨郡播磨博士大初位上和邇部臣宅繼、賜姓邇宗宿禰、自言天帶彦國押人命之後也、

〔三代實録〕

〈七/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0101 貞觀五年九月十五日甲辰、右京人主計少允正六位上眞野臣永德、姪男眞野臣道緒等、賜姓宿禰

〔三代實録〕

〈九/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0101 貞觀六年八月八日壬戌、播磨國飾磨郡人播磨權醫師正八位上和邇部臣宅貞、式部少録從八位上和邇部臣宅守等、賜姓邇宗宿禰

〔日本書紀〕

〈二十九/天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0101 十三年十二月己卯、大伴連(○)、佐伯連、阿曇連、忌部連、尾張連、倉連、中臣酒人連、土師連掃部連、境部連、櫻井田部連、伊福部連、巫部連、忍壁連、草壁連、三宅連、兒部連、手繦連.丹比連、靭丹比連、漆部連、大湯人連、若湯人連、弓削連、神服部連、額田部連、津守連、縣犬養連、稚犬養連、玉祖連、新田部連、倭文連、〈倭文、此之頭於利、〉氷連、凡海連、山部連、矢集連、狹井連、爪工連、阿刀連、茨田連、田目連、小子部連、菟道連、猪使連、海犬養連、間人連、舂米連、美濃連、諸會臣、布留連、五十氏、賜姓曰宿禰

〔續日本紀〕

〈八/元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0102 養老三年五月癸卯、大初位下若湯坐連家主、正八位下阿刀連人足等三人、並賜宿禰姓

〔續日本紀〕

〈十七/聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0102 天平二十年正月甲戌、大倭連深田、魚名、並賜宿禰姓

〔續日本紀〕

〈十八/孝謙〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0102 天平勝寶三年十月丁巳、大倭國城下郡人大倭連田長、古人等八人、賜宿禰姓

〔續日本紀〕

〈二十五/淳仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0102 天年寶字八年七月辛丑、授刀少志從八位上弓削連淨人、賜姓弓削宿禰

〔續日本紀〕

〈二十五/淳仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0102 天年寶字八年十月己丑、伊豫國人大初位下、周敷連眞國等二十一人、賜姓周敷伊佐世利宿禰

〔續日本紀〕

〈二十八/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0102 神護景雲元年二月辛卯、左京人正六位上大伴大田連沙彌麻呂、賜姓宿禰

〔續日本紀〕

〈二十八/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0102 神護景雲元年三月丙子、河内國古市郡人從四位下高丘連比良麻呂、賜姓宿禰

〔續日本紀〕

〈二十九/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0102 神護景雲二年七月乙酉、阿波國麻殖郡人外從七位下忌部連方麻呂、從五位上忌部連須美等十一人、賜姓宿禰

〔續日本紀〕

〈二十九/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0102 神護景雲三年二月乙丑、外從五位下林連佐比物、廣山、正六位上日下部連意卑麻呂、並賜姓宿禰

〔續日本紀〕

〈三十/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0102 神護景雲三年十二月戊午、河内國志紀郡人外從五位下土師連智毛智、賜姓宿禰

〔續日本紀〕

〈三十一/光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0102 寶龜元年十一月壬戌、外從五位下山田連公足等卅人、賜姓宿禰

〔續日本紀〕

〈三十一/光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0102 寶龜二年十一月癸巳、陸奥國桃生郡人外從七位下牡鹿連猪手、賜姓道島宿禰

〔續日本紀〕

〈三十四/光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0102 寶龜八年七月辛亥、左京人正六位上小塞連弓張等五人、賜姓宿禰

〔續日本紀〕

〈四十/桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0102 延暦十年正月己巳、典藥頭外從五位下忍海原連魚養等言、謹檢古牒云、葛木襲津彦之第六子曰熊道足禰、是魚養等之祖也、熊道足禰六世孫首麻呂、飛鳥淨御原朝廷〈○天武〉辛巳年、貶賜連姓、爾來再三披訴、一二陳聞、然覆瓫之下難照、而向隅之志久矣、今屬聖朝啓運、品物交泰、愚民宿憤、 不陣、望請除彼舊號、賜朝野宿禰、光前榮後、存亡倶欣、今所請朝野者、所處之本名也、依請賜之、

〔日本後紀〕

〈二十一/嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0103 弘仁二年九月乙未、右京人正六位上吉田連宮麻呂等、賜姓宿禰

〔日本後紀〕

〈二十一/嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0103 弘仁二年間十二月戊申、左京人從六位下多治比連年繼、賜姓宿禰

〔日本後紀〕

〈二十一/嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0103 弘仁三年六月戊戌、左京人從五位下出雲連廣貞、賜姓宿禰

〔續日本後紀〕

〈一/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0103 天長十年二月庚午、右京人上野權少掾從八位上尾張連年長、位子无位尾張連豐野、留省无位尾張連豐山等、賜姓忠宗宿禰

〔續日本後紀〕

〈一/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0103 天長十年二月癸酉、右京人音博士從五位下六人部連門繼、弟六人部連大宗、六人部連秋主、妹六人部連鷹刀自、六人部連磐子等男女五人、賜姓高貞宿宿禰

〔續日本後紀〕

〈一/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0103 天長十年二月甲戌、攝津國豐島郡人散位從七位下出雲連男山、河邊郡人正六位上出雲連雄公、出雲連伊都岐麿等男女廿二人、賜姓於出雲宿禰

〔續日本後紀〕

〈一/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0103 天長十年三月庚子、左衞門醫師從七位上出雲連永嗣、改連賜宿禰

〔續日本後紀〕

〈一/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0103 天長十年八月甲午、散位從六位上土師連豐道、從六位上同姓道吉等四人、賜姓菅原宿禰

〔續日本後紀〕

〈四/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0103 承和二年二月戊子、河内國人右少史掃守連豐永、少典鎰同姓豐上等、賜姓善世宿禰、天忍人命之後也、

〔續日本後紀〕

〈四/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0103 承和二年四月庚寅、大和國人正七位上仲丸子連乙成、同姓從八位上眞當等、賜姓仲宿禰

〔續日本後紀〕

〈四/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0103 承和二年十月癸巳、河内國人散位正六位上林連馬主、賜姓宿禰

〔續日本後紀〕

〈四/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0103 承和二年十一月半酉、遣唐使知乘船事從八位上香山連淸貞兄弟二人、改連賜宿禰、其先百濟國人也、

〔續日本後紀〕

〈六/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 承和四年三月戊辰、右京人遣唐知乘船事槻本連良棟、民部少録同姓豐額等、賜姓安墀宿禰、其先出後漢獻帝後也、

〔文德實録〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 齊衡三年十一月庚子朔、侍醫正六位上門部連名繼等、賜姓興道宿禰

〔三代實録〕

〈七/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 貞觀五年八月九日己巳、河内國丹比郡人左兵衞權大志正七位上船連貞直、賜姓御船宿禰

〔三代實録〕

〈七/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 貞觀五年十二月十一日己巳、右京人左史生正八位下六人部連吉雄、賜姓善淵宿禰、天孫火明命之後也、

〔三代實録〕

〈九/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 貞觀六年八月八日壬戌、左京人玄蕃大允正六位上阿刀連粟麻呂、〈○中略〉下野權大目正七位上阿刀連禰守、右京人陰陽允阿刀物部貞範等、並賜姓良階宿禰、神饒速日命之裔孫也、

〔三代實録〕

〈九/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 貞觀六年八月廿五日己卯、左京人王水令史正七位下水取連繼人、散位正八位下水取連繼主、賜姓宿禰

〔三代實録〕

〈十二/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 貞觀八年正月廿六日癸卯、右京人正六位上安峯連小島、從六位下安峯連眞魚等五人、改連姓宿禰、其先百濟人也、

〔三代實録〕

〈十四/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 貞觀九年四月廿五日甲午、主税少允從六位上錦部連三宗麻呂、木工少允正六位上錦部連安宗、賜姓惟良、宿禰、其先百濟國人也、

〔三代實録〕

〈三十二/陽成〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 元慶元年十二月廿五日辛卯、右京人外從五位下陰陽權助弓削連是雄、賜姓宿禰、神饒速日命之後也、

〔續日本紀〕

〈二十九/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 神護景雲三年二月辛酉、伊勢國飯高郡人正八位上飯高公(○)家繼等三人、〈○中略〉賜姓宿禰

〔續日本紀〕

〈三十三/光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 寶龜六年四月戊辰、正七位上飯高公若舍人等十一人、賜姓宿禰

〔續日本紀〕

〈三十五/光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0105 寶龜九年二月癸巳、右衞士府生少初位上飯高公大人、左兵衞大初位下飯高公諸丸二人、賜姓宿禰

〔類聚國史〕

〈七十九/政理〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0105 延暦廿二年正月壬戌、外從五位下槻本〈ノ〉公奈氐麻呂授從五位上、弟正七位上豐人豐成從五位下、幷賜姓宿禰、奈氐麻呂父故右兵衞〈ノ〉佐外從五位下老、天宗高紹〈ノ〉天皇〈○光仁〉之舊臣也、初庶人〈○他戸王〉居東宮、暴虐尤甚、與帝〈○桓武〉不穆、遇之無禮、老竭心奉帝、陰有輔翼之志井、庶人及母廢后、〈○井上内親王〉聞老爲帝所一レ昵、甚怒、喚之切責者數矣、及后有巫蠱之事、老按驗其獄、多發姧伏、以此母子共廢、社稷以寧、帝追思其情、故有此授

〔日本後紀〕

〈二十一/嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0105 弘仁二年十月丙寅、攝津國人正七位上別君淸名、賜姓御林宿禰

〔續日本後紀〕

〈四/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0105 承和二年二月壬寅、丹後國人從八位上久美公金〈○金一本作全〉氏、賜姓時統宿禰、邇枳速日命之苗裔也、

〔續日本後紀〕

〈十八/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0105 承和十五年八月壬辰、肥前國養父郡人太宰少典從八位上筑紫公文公貞直、兄豐後大目大初位下筑紫公文公貞雄等、賜姓忠世宿禰、貫附左京六條三坊

〔續日本紀〕

〈三十/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0105 神護景雲三年七月壬午、左京人阿刀造(○)子老等五人、賜姓阿刀宿禰

〔續日本紀〕

〈三十/四光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0105 寶龜八年四月甲申、賜從五位上日置造〈○續日本紀考證云、造下、當卜本永正本金澤本堀本、增蓑麻呂等八人、姓榮井宿禰、從六位上日置造十九字、〉雄三成等四人、鳥井宿禰、正八位下日置造飯麻呂等二人、吉井宿禰、

〔日本後紀〕

〈二十二/嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0105 弘仁三年正月辛未、右京人正六位上飛鳥戸造善宗、河内國人正六位下飛鳥戸造名繼、賜姓百濟宿禰

〔續日本後紀〕

〈一/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0105 天長十年十二月戊申、左京人少外記山田造古嗣、〈○中略〉賜宿禰姓

〔續日本後紀〕

〈四/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0105 承和二年十月戊戌、遣唐録事松川造貞嗣、散位同姓家繼等、賜姓高岑宿禰、其先高麗人也、

〔續日本後紀〕

〈四/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 承和二年十一月丁酉、攝津國人散位矢田部造聰耳、弟從八位上貞成等、賜姓興野宿禰

〔三代實録〕

〈七/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 貞觀五年十月十一日庚午、右京人陰陽少屬從六位上飛鳥戸造淸貞、内豎正六位上飛鳥戸造淸生、太政官史〈○史下一本生字〉正八位下飛鳥戸造河主、河内國高安郡人主税大屬正七位上飛鳥戸造有雄等、並賜姓百濟宿禰、其先百濟國人比有之後也、

〔三代實録〕

〈九/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 貞觀六年八月八日壬戌、左京人武藏權大掾正七位下大丘造塵繼、散位從七位上大丘連田刈等四人、賜姓宿禰、其先百濟人也、

〔日本後紀〕

〈二十一/嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 弘仁二年三月康子、安房國人正六位下大伴直(○)勝麻呂、賜姓大伴登美宿禰

〔續日本後紀〕

〈三/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 承和元年五月壬子、伊豫國人正六位上浮穴直千繼、大初位下同姓眞能等、賜姓春江宿禰、干繼之先大久米命也、

〔續日本後紀〕

〈四/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 承和二年三月癸丑、紀伊國人外正八位上紀直繼成等十三人、賜姓紀宿禰

〔續日本後紀〕

〈四/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 承和二年十月乙亥、丹波國人右近衞醫師外從五位下大村直福吉、及其同族並五人、賜姓紀宿禰焉、武内宿禰之枝別也、

〔續日本後紀〕

〈四/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 承和二年十一月甲寅、左京人正六位上越智直年足、伊豫國越智郡人正六位上越智直廣成等七人、改直賜宿禰

〔續日本後紀〕

〈六/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 承和四年十月癸丑、左京人從七位上佐伯直長人、正八位上同姓直持等、賜姓佐伯宿禰

〔續日本後紀〕

〈八/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 承和六年九月辛丑、紀伊國人直講正六位上名草直豐成、少外記從六位上名草直安成等、賜姓宿禰

〔續日本後紀〕

〈八/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 承和六年十一月癸未、左京人左大史正六位上山直池作等十人、改直字賜宿禰、池 作之先、出天穗日命之後也、

〔文德實録〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 嘉祥三年七月乙酉、讃岐國人大膳少進從七位上佐伯直正雄、賜姓佐伯宿禰

〔三代實録〕

〈七/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 貞觀五年九月十三日壬寅、紀伊國名草郡入内豎從八位下紀直貞吉、改直字宿禰姓

〔續日本後紀〕

〈三/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 承和元年六月辛丑、和泉國人正六位上蜂田藥師(○○)文王、從八位下同姓安遊等、賜姓深根宿禰、其先百濟人也、

〔續日本紀〕

〈二十九/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 神護景雲三年二月辛酉、攝津國島上郡人正六位上三島縣主(○○)廣調等、並賜姓宿禰

〔續日本紀〕

〈三十/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 寶龜元年七月乙酉、外從五位下三島縣主宗麻呂、賜姓宿禰

〔續日本紀〕

〈十九/孝謙〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 天平勝寶七年正月甲子、從七位上山田史廣人、從五位下比賣島女等七人、賜山田御井宿禰姓

〔續日本後紀〕

〈三/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 承和元年九月庚申、勘解由主典阿直史福吉、散位同姓核公等三人、賜姓淸根宿禰、核公之先、百濟國人也、

〔續日本後紀〕

〈四/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 承和二年九月乙卯、河内國人左近衞將 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00023.gif伊吉史豐宗、及其同族總十二人、賜姓滋生宿繭、唐人楊雍之孫貴仁之苗裔也、

〔續日本後紀〕

〈五/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 承和三年三月壬寅、木工寮算師八戸史礒益、同姓弘繼等廿人、賜姓常澄宿禰、其先高麗人也、

〔三代實録〕

〈六/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 貞觀四年七月廿八日乙未、右京人中宮少屬正八位上道祖史豐富、賜姓惟道宿禰、阿智使主之黨類、自百濟國來歸也、

〔續日本後紀〕

〈五/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 承和三年閏五月戊寅、右京人左衞門權少志大原史河麻呂、改史賜宿禰、河麻呂之先、百濟國人也、

〔三代實録〕

〈七/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0108 貞觀五年九月八日丁酉、右京人主計權少屬從八位上大原史弘原、内膳令史從七位上大原史廣永等、賜姓宿禰、其先出後漢孝靈皇帝之後麗王、也、

〔三代實録〕

〈十/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0108 貞觀七年五月廿日庚子、左京人造酒令史正六位上道祖史永主、散位大初位下道祖史高直等二人、賜姓惟道宿禰、其先出百濟國人王孫許里也、

〔三代實録〕

〈二十二/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0108 貞觀十四年八月己亥朔、右京人但馬權掾從七位下大原史弘原、賜大原宿禰

〔續日本後紀〕

〈三/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0108 承和元年十二月乙未、散位外從五位下大戸首(○)淸上、樂〈○樂上一本有雅字〉笙師正六位上同姓朝生等十三人、賜姓良枝宿禰、安部氏之枝別也、

〔續日本後紀〕

〈四/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0108 承和二年十月康子、勅左京人從六位下民首氏主、賜姓長岑宿禰、焉、氏主等與白鳥村主同祖、出魯公伯禽云、

〔續日本後紀〕

〈五/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0108 承和三年三月己巳、伯耆國人陰陽師宍人首(○)玉成、賜姓〈○姓原無、據一本補、〉春苑宿禰、國牽天皇〈○孝元〉第一皇子大彦命苗裔也、

〔三代實録〕

〈八/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0108 貞觀六年三月四日庚寅、丹波國何鹿郡人從七位下刑部首夏繼、賜姓豐階宿禰、刑部首弟宮子、賜豐階宿禰

〔續日本紀〕

〈二十六/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0108 天平神護元年三月丁未、越前國足羽郡人從五位下益田繩手、賜姓益田連、〈○中略〉外從五位下葛木毗登(○○)大床等七人、葛木宿禰

〔續日本紀〕

〈三十一/光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0108 寶龜二年五月戊子、外從五位下栗原勝(○)乙妹女、勳十等柴原勝(○)淨足、賜姓宿禰

〔續日本紀〕

〈十八/孝謙〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0108 天平勝寶二年八月辛未、攝津國住吉郡人、外從五位下依羅我孫(○○)忍麻呂等五人、賜依羅宿禰姓

〔續日本後紀〕

〈四/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0108 承和二年十月戊子、攝津國人從五位下長我孫(○○)葛城、及同族合三人賜姓長宗宿禰、車代主命八世孫、忌寸宿禰苗裔也、

〔續日本後紀〕

〈五/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 承和三年閏五月癸巳、河内國人美濃國少目下村主(○○)氏成、散位同姓三使〈○使一本作仲〉等、賜姓春瀧宿禰、其先遠祖出後漢光武皇帝之後者也、

〔三代實録〕

〈十二/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 貞觀八年閏三月十七日壬戌、左京人左少史正六位上村主八釣、前出雲大目正七位下村主貞成等、賜姓廣階宿禰、自言魏陳思王曹植之後也、

〔日本後紀〕

〈十三/桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 大同元年正月庚午、右京人外從五位下堅部使主(○○)廣人、賜姓豐宗宿禰

〔三代實録〕

〈九/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 貞觀六年八月十七日辛未、左京人右近衞將曹正六位上和藥使主弟雄、式部位子從八位下和藥使主安主、兵部位子從八位下和藥使主黑麻呂等、改使主宿禰、其先呉國人智聰也、

忌寸

〔姓名録抄〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 忌寸(イムキ)
淨山(キヨヤマ) 嵩山(タケヤマ) 榮(サカ)山 木津 大(オホ)山 大岡(オホヲカ) 高尾(タカヲ) 山村 倭川原(ヤマトカハラ) 長國(ナガクニ) 淸川 新長(コヒナカ) 當宗(マサムネ)石占(イハウラ) 貞根(サダネ) 眞上(マカミ) 財(タカラ)田
伊美吉
倉門部(クラトベ) 國(クニ)覔 文 池邊 狩

〔拾芥抄N 〕

中本/姓尸録

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 忌寸
淨(キヨ)山 嵩(タカ)山 榮(サカ)山 大山 山村(ムラ) 大崗〈又眞人〉 高尾 木津(コヅ) 倭川原 河内(カハチ) 淸川 長國 新長 當宗(マサムネ) 石占(イハウラ) 貞根 眞上 葛木(カツラキ) 志賀(シガ)
伊美吉
倉門部(クラトベ) 國覔(クニシラ)〈又朝臣〉 文 池邊 狩(カリ)

〔續日本紀〕

〈二/文武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 大寶二年九月己丑、詔甲子年、〈○天智三年〉定氏上時、不載氏、令姓者、自伊美吉以上(○○○○○○)、並悉令申、

〔續日本紀〕

〈二十五/淳仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 天平寶字八年九月乙巳、弓削宿禰淨人、賜姓弓削御淨朝臣、〈○中略〉坂上忌寸苅田麻 呂、坂上大忌寸(○○○)

〔日本書紀〕

〈二十九/天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 十四年六月甲午、大倭連(○)、葛城連、凡川内連、山背連、難波連、紀酒人連、倭漢連、河内漢連、秦連、〈○中略〉書連、並十一氏、賜姓曰忌寸

〔續日本紀〕

〈三十四/光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 寶龜七年十二月戊申、左京人從六位下秦忌寸長野等二十二人、賜姓奈良忌寸、山背國葛野郡人秦忌寸、箕造(○)等九十七人、朝原忌寸

〔日本書紀〕

〈二十九/天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 十四年六月甲午、大隅直(○)、〈○中略〉賜姓曰忌寸

〔續日本紀〕

〈十七/聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 天平二十年七月戊寅、正八位下山代直(○)大山等三人、並賜忌寸姓

〔續日本紀〕

〈二十九/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 神護景雲三年五月甲午、左京人正六位上倭畫師(○○)種麻呂等十八人、賜姓大岡忌寸

〔日本後紀〕

〈十三/桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 大同元年三月戊寅、右京人從八位下物部首(○)縵麻呂、賜姓高狩忌寸

〔續日本紀〕

〈二十九/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 神護景雲三年五月己丑、攝津國豐島郡人正七位上井手小足〈○井手上恐脱秦字〉等十五人、賜姓秦井手忌寸、西成郡人、〈○中略〉正六位上秦人(○)廣立等九人秦忌寸

〔續日本紀〕

〈二十七/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 天平神護二年十二月丁酉、大和國人正八位下秦勝(○)古麻呂等四人、賜姓秦忌寸

〔日本後紀〕

〈八/桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 延暦十八年三月庚戌、近江國淺井郡人從七位下穴太村主(○○)眞杖、賜姓志賀忌寸

〔續日本紀〕

〈二十六/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 天平神護元年四月丁亥、左京人外衛將 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00023.gif從五位下石村村主石楯等三人、參河國碧海郡人從八位上石村村主押繩等九人、賜姓坂上忌寸

〔續日本紀〕

〈三十四/光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 寶龜八年七月甲子、左京人從六位下楢曰佐(○○)河内等三人、賜姓長岡忌寸、正六位上山村許智大足等四人、山村忌寸

〔續日本後紀〕

〈五/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 承和三年六月壬子、山城國人右大衣阿多隼人(○○)逆足、賜姓阿多忌寸(○○)

〔姓名録抄〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 臣(ヲン)
池後(イケジリ) 伊蘇志(イソシ) 膳(カシハデ) 穗積(ホツミ) 田々内(チ) 巨勢〈ノ〉斐太 葦占(アシウラ) 内田(ウチダ) 會加(エカ) 他田(ヲサダ) 廣瀨(ヒロセ) 紀辛梶(キノカラカチ) 出庭(イデハ) 早良(サハラ) 巨勢〈ノ〉楲田 音太部(オトフトヘ) 眞野(マノ) 宇自可(ウシカ) 内(ウチ) 櫟井(イチヒ井) 和安〈○安恐爾誤〉部 良(マコト) 葉栗(ハクリ) 阿支奈(アキナ) 金(カヌ) 蝮椿(ハマツハキ) 三尾(ミヲ) 大前(オホサキ) 武射(ムサ) 埋田(ウツダ)

〔拾芥抄〕

〈中本/姓尸録〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111
池〈ノ〉後(シリ) 穂積(ホツミ)〈又朝臣〉 韋占(アシウラ) 内田 埋田 會加 出庭(テバ) 早良(サハラ) 眞野(マノ) 葛野(カトノ) 櫟井 葉栗〈或宿禰又無尸〉 蝮椿 三尾(ミヲ) 大前(ヲヽサキ) 武射(ムヤ) 伊賀(イガ) 伊藤志 紀辛梶 生部 音太部〈或無尸〉 和太部 宇自可 阿支奈(アシナ) 阿閉 生江 他田 和爾(ワニ)部 的 江沼(エヌマ) 井代(シロ) 布師 神門 金(コガネ) 膳 内 艮他田 廣瀨 巨勢斐太(コセヒタ) 巨勢 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00028.gif

〔日本書紀〕

〈七/成務〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 三年正月己卯、以武内宿禰大臣(○○)也、

〔日本書紀〕

〈十七/繼體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 元年正月丙寅、遣臣(オミ)連等、持節以備法駕、奉三國

〔日本後紀〕

〈十二/桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 延暦廿四年三月乙亥、播磨國夷二等去返公(○)島子、賜姓浦上臣

〔續日本紀〕

〈十八/孝謙〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 天平勝寶二年三月戊戌、駿河國守從五位下楢原造(○)東人等、〈○中略〉賜勤臣姓

〔續日本紀〕

〈二十九/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 神護景雲三年三月辛巳、陸奥國標葉郡人正六位上丈部賀例努等十人、賜姓阿倍陸奥臣、安積郡人外從七位丈式部直繼足、阿陪安積臣

〔日本後紀〕

〈二十一/嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 弘仁二年四月乙亥、右京人正六位上高田首(○)淸足等七人、賜姓田村臣

〔三代實録〕

〈七/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 貞觀五年九月十五日甲辰、大和國山邊郡人上野權少掾正六位上民首廣門、右京人太宰醫師正七位上民首方宗、木工醫師正六位上民首廣宅等、賜姓眞野臣

〔三代實録〕

〈九/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 貞觀六年七月廿七日辛亥、右京人無位民首方永、賜姓眞野臣、天足彦國忍人命之後也、

〔續日本紀〕

〈九/元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 養老七年二月癸亥、但馬國人寺人(○)小君等五人、改賜道守臣姓

〔續日本紀〕

〈二十七/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 天平神護二年十月丁未、備前國人外少初位下三財部毗登(○○)方麻呂等九煙、賜姓笠 臣

〔續日本紀〕

〈三十/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0112 神護景雲三年九月辛巳、河内國志紀郡人從七位下岡田毗登稻城等四人、賜姓吉備臣

〔姓名録抄〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0112
他田(ヲサタ) 大私(ヲホキサイチ) 津保江(ツホエ) 槻本(ツキノモト) 志太(シタ) 散吉(サキ) 舍人(トネリ) 桃原(モヽハラ) 中臣藍(ナカトミア井) 風早(カサハヤ) 生江 大鳥(オホトリ) 河瀨(カハセ) 山前(ヤマサキ) 若倭(ヤマト) 山河(ヤマカハ) 爪工(ツメタクミ) 弘世(ヒロヨ) 孔王部(アマニヘ) 大井 長背(ナカセ) 忌部(イムヘ) 中跡(ナカト) 蓼原(タテハラ) 中野 物部 肩野(カタ) 柏原(カシハハラ) 柴桓(シハカキ) 葛(カト)野 大貞(オホサタ) 曾禰(ソネ) 中臣高良比(タカラヒ) 平岡 川跨(マタ) 評(ハカル) 眞神田曾禰 畝(ウネ)ヲ尾(ヒ) 中臣〈ノ〉表(ウヘ) 中臣〈ノ〉方岳(カタヲカ) 中臣〈ノ〉志斐(シヒ) 殖栗(エクリ) 中村 中臣〈ノ〉大家(オホイヘ) 額田部湯坐(アカタヘノユエ) 津大江(ツノオホエ) 吉水(ヨシミソ)御笠(ミカサ) 出水(イヅミ) 福當(トンタ) 志我閉(シカノヘタツヘ) 長野(ナカノ) 吹田(スイタ) 身人部(ミフトベ) 湯母(ユモ)竹田 竹田川邊(タケタノカハナヘ) 廣津 淸道 錦部 廣井 檜前舍人(ヒノクマノトネリ) 榎室(エノムロ) 縵(カツラ) 丹比須布(タヒスフ) 長谷置始(ハツセノヲイヘ)〈○始原作部今攻〉 肩(カタ)野 忍坂(ヲサカ) 櫻田 野實(ノミ)〈○實一本作美〉 高槻(タカツキ) 廣田 神前(カンサキ) 筑紫(チクシ) 宇努(ウノ) 今木(イマキ) 巨椋(オクラ) 竹原(タカハラ) 伊吉(イキ) 神麻續(カンヲミ) 佐良(サラキ) 廣階(シナ) 平松 調(ツギ) 高篠(シノ) 狹山 志斐(シヒ) 蜂(ハチ)田 殿來(トノギ) 韓國(カラクニ) 宇遲(チ) 不破 廣海(ヒロウミ) 春野(カスカノ) 神努(カンツコネ) 中臣〈ノ〉大田 鳥見(トミ) 高室(ムロ) 物部〈ノ〉依網(ヨサミ) 中臣〈ノ〉酒屋(サカヤ) 村(ムラ)山 高道 春(ハル)井 松野(マツノ) 八淸水(ヤシミヅ) 物集(モヅメ) 日(ヒ)奉(マツリ) 岡(ヲカ) 大椋置始(クラノヲイソヘ) 雄儀 小山 門部 馬工(ムマタクミ) 熊野(クマノ) 吉(ヨシ)田 阿曇犬養(アツミノイヌカヒ) 栗栖 山田 勇(イサ)山 中臣葛野(カトノ) 宇治山寺(ウチヤマテラ) 網津守(アミツモリ) 椋(クラ) 河原(カハラ) 野上(カミ) 贄土師(ニヘハシ) 新城(ニヒキ) 子部(コヘ) 高志壬生(コシミフ) 中臣栗原(クリハラ) 屋 道田(オホチタ) 黄文 與等(ヨト) 佐伯日奉(サヘキノヒマツリ) 高市(タカイチ) 家内(イヘノウチ) 仲丸子(ナカノマロコ) 若倭部(ワカシトリ) 楊津(ヤナイツ) 安勅城(アトキ)篠城(シノキ) 原 古志 豐嶋 雲梯(チヽテ) 天語(アマカタラヒ) 大狛 板茂 椋椅部(クラハセヘ) 小家(ヲヤケ) 三枝部(サイクサヘ) 額(ヌキ)田部位甲(ノ井カイ)中臣〈ノ〉宮處(ミヤトコロ) 鹽屋(シホノヤ) 原(ハラ)井 長背(ナカセ) 石(イシ)津 物部韓國(モノヽヘノカラクニ) 根(ネ) 阿部志悲(シヒ) 大伴山(ノ)前(サキ) 止美(トノミ) 秦長(ノ)藏(クラ) 中臣東(アツマ) 下家(ワタラヒ/ツタクシ) 失集(ヤツメ) 男床(ヲユカ) 氷海 伊與部(ヨへ)

〔拾芥抄〕

〈中本/姓尸録〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0112
他田〈或無尸〉 吹田(スイタ) 治(ハル)田 廣田 櫻田 峰田 山田 道田 麻田 吉田 大私(キサイ) 大鳥(ヲヽトリ) 大井 大貞 大狛(コマ) 槻(ツキ)木 高槻(ツヤ) 高篠(シノ) 高市(タカチ) 高道 高室 榎(エノ)室 志太(シタ) 丹北(タンボク)〈○北恐比誤〉 志斐志我閉 古志 散吉 伊吉(イキ) 舍人(トネリ) 桃原(モヽノハラ) 栢原(カシハラ) 竹原 蓼(タテ)原 河原(カハラ) 岡原 城(キ)原 風早(カザハヤ)〈又朝臣〉 生江〈又朝臣〉 津保江(ツボエ) 津大江 河瀨 河内 川跨(マタ) 山河 山前(サキ) 狹山 村山 小山 勇山 若倭 若倭部 草部 忌部(インベ) 錦部〈又首〉 門部(モンベ) 子部 孔王部 身人部 椋掎部 三枝(サイグサ)部 伊與部 宇治部 爪工〈又無尸〉 馬工 凡海(ヲシウミ) 廣海 廣井(ヒロイ) 廣階(ヒロハシ) 廣津 長背(ナカセ) 長野(ナガノ) 中跡 中村 中臣(トミ) 中臣藍 中臣表 中臣東 柴垣(シハカキ) 葛野(カドノ) 石野 肩野 松野 熊野(クマノ) 吉野(ヨシノ)野實 野上(カミ) 曾禰(ソネ) 平岡(ヒラヲカ) 平松(ヒラマツ) 畝尾 殖栗 栗栖〈又眞人〉 石津(ヅ) 石作 楊津 吉水 出(テ)水 八淸水(シミツ) 水海 水取 弘世 御笠 福當 淸道 忍(ヲシ)坂 坂茂 神前(カンサキ) 神好 神麻續 筑柴(ツクシ)〈又史〉 字弩〈又首〉 宇遲 今木(イマキ)〈或無尸〉 巨椋 殿木 韓國 不破(フハ) 鳥見 春日 春井 原井 和太 物集(モス) 日奉 雄義 新城(シンシヤウ) 城篠 黄文 與等 安勅 止美 豐島(トシマ) 雲梯 天語 鹽屋(シホノヤ) 家内 小家 下家 矢集(ヤス) 男床 佐(サ)佐爲 佐佐良(ラ)〈○一本作http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00018.gif是〉 細津守 贄土師 仲丸子 秦長藏 評 縵 調 岡〈又眞人〉 椋 屋 根 草 泙 物部 肩野 物部依網 物部依羅 物部韓國 中臣方岡 中臣(ナカトミ)志斐 中臣大家 中臣栗原 中臣宮處 中臣高良(カウラ)比 湯母竹田 竹田河邊 檜前舍人 丹北(タンボク)須布 長谷置始 大椋置始 大伴山前 大村直田 阿曇(アツミ)犬養 阿倍志斐 宇治山寺 高志壬生(タカシノミフ) 佐伯(サエキ)日奉 眞神田曾根 額田部湯坐 額田部位田(インテン)

〔日本書紀〕

〈十四/雄略〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0113 二十三年八月丙子、臣連(○)件造、毎