方位吉凶

〔家相秘傳集〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0163 凶方多と雖も、就中歳破、月破、年月暗劍殺、五黄殺、本命方、的殺方等、是を六凶の大殺(○○○○○)と稱し、彼天道月德陰陽貴人などの大吉神にても、猶防難き強烈の大凶方たり、凡方位を撰は、此六凶を避ん爲にて、他を顧に及ばずとおもふべし、

〔通俗編〕

〈二十一藝術〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0163 方位 朱子語録、孤虚以方位言、如俗言某方利、某方不利之類、按、史記、日辰不全、故有孤虚、注、以六甲旬中所無二辰孤、中二辰爲虚、與方位之説相應、時憲書所云方位、則以干支戊己、排列四正、以乾坤巽艮四卦四維、地理家所用羅盤亦然、水經注中、屢有其説、穀水注云、晉水合北川二水、自乾至巽、汝水注云、靑陂廟碑言、陂在縣坤地、洧水注云、張伯雅墓引水入塋城沼、沼在丑地、沔水注云、丙穴穴口向丙、蓋六朝時已大行其法矣、

〔本阿彌行状記〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0163 本朝の暦に、塞り(○○)と申事ありて、三年五年普請等も待ていたすことは、全體唐より渡り候には無之事也、日本小國故、木生立樣に、上宮太子の思召にて、此塞りと申事を、暦にあらはし候よし、

〔運歩色葉集〕

〈佐〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0163 産時向方(○○○○)、正〈南方〉二〈西〉三〈北〉四〈北〉五〈北〉六〈東〉七〈北〉八〈東〉九〈南〉十〈東〉十一〈南〉十二〈西、江州石神傳之、〉

鬼門

〔假名暦略註〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0163 きもん 漢字鬼門 凡方位の四隅に四門有、乾を天門とし、巽を地門とし、又地戸とす、坤を人門とし、艮を鬼門とす、鬼 門とは陰惡の氣の聚る所にして、百鬼出入する門戸なり、故に此方を犯す時は、百鬼よく世人を殺害す、故に天帝二神に命じて是を守らしむ、一を神荼といふ、一を鬱壘といふ、二神ともに、百鬼を守りて、猥に人を損じ害する事を成さしめず、然といへども、若人有て此方を犯す時は、二神も守る事能はずして、百鬼の爲に損害せらる、愼ずんばあるべからず、按ずるに、丑寅の方は陽神來り、陰氣往くの地なり、節氣に於ては、除夜の所たり、是即冬陰の殺氣退て、春陽の生氣來るの日也、故に和俗、此夜は、家毎に陽神の福を迎へ、陰神の毒を追ふもの、其所以宜なるかな、

〔簠簋内傳〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0164 天王〈○牛頭〉欲北天、或時命八王子曰、我爲北天主、往昔南海趣時、中間有國、曰廣遠國、彼國主名巨旦大王、咸是魑魅魍魎類也、已望彼鬼門一宿、巨旦恚怒令我彈呵、我已齋故恐然退去、

〔谷響集〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0164 鬼門 有客問、俗間東北隅名鬼門、有本説耶、 答、未本説、海外經云、東海中有山焉、名度索、上有大桃樹、東瘣枝名曰鬼門、萬鬼所聚、瘣呼罪切、腫傍出也、又木病無枝也、又俗間相傳、東北名鬼門、東南名人門、西南稱地門、西北稱天門、又法苑珠林十云、依神異經曰、東北方有鬼星石室、屋三百戸、而其所石傍題曰鬼門、門晝日不閉、至暮則有人語、有火靑色

〔輪池叢書〕

〈四十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0164 家相圖説〈○中略〉 陰陽家尤忌鬼門、世俗亦極忌之、其故何也、山海經曰、東海度朔山有大桃樹、蟠屈三千里、其卑枝向東北鬼門、萬鬼出入也、有二神、一曰神荼、一曰鬱壘、簡閲萬鬼之無道之者、縛以葦索、執以飼虎、若無其兄弟簡閲萬鬼、則忌鬼門可也、今縛以葦索、執以飼虎則不之、岐伯不言乎、開鬼門淨府、〈鬼門腎也、淨府膀胱也、〉世俗忌彼鬼門而遺我鬼門何也、則雖遽忌、我鬼門無逃避、然則不啻忌彼鬼門也、易曰、坎九三云、高宗伐鬼方、三年克之、夫坎者水也、正北方之卦也、由是觀之、可總指北方鬼門、其忌東北隅何、東北隅即寅丑也、其對之者西南之未申也、申之爲言伸也、言陰氣用事伸賊萬物也、末之爲言味也、言 五味木老於枝葉也、寅之言髕也、言陽氣動去黄泉上出、陰氣尚強也、丑之言紐也、言陽氣在上未降、萬物紐厄未敢出也、夫寅丑位東北隅、主出萬物也、然爲未申所伸賊、故忌其二隅也、然則不東南隅何、東南隅即辰巳也、其對之者西北之戌亥也、亥者該也、言陽氣咸藏於下也、戌者滅也、言陽氣微萬物畢成、陽氣下入地也、辰者震也、言陽氣動雷電震、民農時而物皆生也、已者起也、言陽氣已藏萬物成文章也、夫辰巳位東南隅、長育萬物而收藏西北、故不其二隅也、噫世俗未何義而忌之、譬猶王鳳驚於訛言也、王商在於斯矣、

〔隨意録〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0165 海外經曰、東海中有山焉、名曰度索、上有大桃樹、屈蟠三千里、東北有門(○○○○)、名曰鬼門(○○○○)、萬鬼所聚也、天帝使神人守一レ之、此固怪説非信也、然據此説亦其山東北門名曰鬼門耳、非凡稱東北方以爲鬼門也、

〔書言故事〕

〈七黜責〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0165 鬼門關、交趾有鬼門關、其南多瘴勵、〈瘴勵、山嵐瘍疫之氣也、〉去者罕得生還、諺曰、〈諺俗語〉鬼門關、〈容州北流縣南兩石相對號鬼門關、〉十人去、九不還、唐李德裕貶崖州、經此、賦詩云、一去一萬里、千之千不還、崖州在何處、生渡鬼門關

〔風俗通義〕

〈祀典第三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0165 桃梗 葦茭 畫虎 謹按黄帝書、上古之時、有荼與鬱壘昆弟二人、性能執鬼、度朔山上章桃樹下、簡閲百鬼、無道理妄爲人禍害、荼與鬱壘縛以葦索、執以食虎、於是縣官常以臘除夕、飾桃人葦茭、畫虎於門、皆追效於前事、冀以衞凶也、桃梗梗者更也、歳終更始受介祉也、

〔鬼門考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0165 古の大内裏の圖に、東北の隅かゝれしとも見えず、但梨木の地は、内裏の東北の外にあり、彼地空閑の地のよし記したれば、これもし塞がれざるの心にや、今の内裏は光明院のみかど御即位の時、もとの内裏の悉く燒しかば、陽德門院の土御門の御所のやけのこりしを用ひられて、假の内裏となされしなり、〈○中略〉これ等東北の隅かゝれしとは見えず、近くは神祖〈○家康〉の御時、外 城門をたてられしに、東北の方にあたり侍るよしを申人ありしに、さらばとて、名を筋違橋の門と名づけさせ給ひしのみ、鬼門とは改めさせ給はざりき、德祖〈○秀忠〉の御時、御殿つくられしに、東北の方をばかくべきよしを申せしに、笑はせ給ひて、天下は猶一家のごとし、我家の鬼門は蝦夷地にあたるべき、その外の地は禁忌に拘はるに不及と仰られしよし、つねに御側にありし人の物語りせしと承りぬ、

〔吾妻鏡〕

〈三十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0166 文暦二年〈○嘉禎元年〉正月廿一日乙卯、御願五大堂建立事、相州武州度々巡撿、被鎌倉中之勝地、去年雖城太郎甘繩之地、猶不相叶、頗思食煩之處、相當于幕府鬼門方(○○○○○○○○)、有此地、毛利藏人大夫入道西阿領也、依御祈禱相應之所之、即被地訖、仍今日先總門計被之、相州、武州、大膳權大夫以下數輩被相談、伊賀式部入道光西、淸判官季氏等奉行之、

〔吾妻鏡〕

〈三十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0166 寬元五年〈○寶治元年〉五月廿八日庚辰、凡當于關東鬼門方角、被立五大明王院、賞翫有驗知法高僧及陰陽道之類

〔叡岳要記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0166 摠持(初度)院供養〈○註略〉 東塔縁起云、〈○中略〉桓武聖主、廢長岡京平安城之時、雲峯峙帝都之丑寅、嵐徑成鬼門之凶害(○○○○○○)、當于時大師自開伽藍之基跡、聖主深恃叡山之護持、自爾以降、以當山皇帝本命道場

〔看聞日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0166 永享五年七月廿四日、抑山門牒状一覽記之、 永享五年七月十九日、根本中堂閉籠衆議曰、可早爲管領御沙汰上レ入公方事、 右山王者、帝都衞護之靈神、威風久扇九重、而皇基倍固矣、吾山者、鬼門安鎭之道場(○○○○○○○)、惠燈普耀萬國、而百寮彌儼矣、

〔大猷院殿御實紀〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0166 寬永二年十一月、この月〈○中略〉大僧正天海が願により、忍岡の地を賜はりて、伽藍を創建せしめらる、その旨趣は、むかし桓武天皇、平安城に定鼎のとき、傳敎大師、皇城の鬼門叡山の靈地をいとなみ、帝都の鎭護として、千有餘年、皇祚長久を祈り奉る事、いまにおゐて怠らず、 いまこれに準擬するに、忍岡は江城の鬼門たり、〈○中略〉爰に七堂伽藍を經營し、國家安全、武運繁榮を祈らんとぞ聞えける、

〔幕朝故事談〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0167 筑波山は、神祖の鬼門に當候方を、御祈願所に可遊思召にて、筑波山を被仰付候なり、此は叡山の王城の鬼門に當るに准ず、

八將神方

〔簠簋内傳〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0167 八將神方 大歳神方 子(年)丑寅卯辰巳午未申酉戌亥 大將軍方 酉酉子子子卯卯卯午午午酉 大陰神方 戌亥子丑寅卯辰巳午未申酉 歳刑神方 卯戌巳子辰申午丑寅酉未亥 歳破神方 午未申酉戌亥子丑寅卯辰巳 歳殺神方 未辰丑戌未辰丑戌未辰丑戌 黄旛神方 辰丑戌未辰丑戌未辰丑戌未 豹尾神方 戌未辰丑戌未辰丑戌未辰丑 右八將神者、牛頭天皇王子、而春夏秋冬四氣土用行疫神也、大歳神方者、厥歳其方也、以此一神方 諸餘七神方可之者也、 第一太歳神總光天王 本地藥師如來 向此方造作大吉、敢不木、 第二大將軍魔王天王 本地佗化自在天 向此方萬事凶、故世人號三年塞、 第三大陰神倶摩羅天王 本地聖觀自在尊 向此方萬事凶、殊嫁娶結婚等凶、 第四歳刑神得達神天王 本地堅牢地神 向此方犯土凶、雖爾兵具收大吉、 第五歳破神良侍天王 本地河伯大水神 向此方海河、造作則牛馬死、 第六歳殺神侍神相天王 本地大威德 向此方弓箭、嫁娶結婚等凶、 第七黄旛神宅神相天王 本地摩利支天王 向此方軍神旛吉、收財寶尤凶、 第八豹尾神蛇毒氣神 本地三寶大荒神 向此方大小便凶、宜六畜

〔運歩色葉集〕

〈多〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0168 大歳方(ダイサイノ/○○○)〈子歳在子方、丑歳在丑方、寅歳在寅方、卯歳在卯方、辰歳在辰方、巳年在巳方、午歳在午方、未歳在未方、申歳在申方、酉歳在酉方、戌歳、在戌方、亥歳在亥方、〉

〔暦林問答集〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0168大歳第六 或問、大歳者何也、 答曰、暦例云、大歳者歳星之精(○○○○)、降天地之間、觀察萬物、臨見八方、故名歳之君、愼之者保、逆之者亡、巡行於十二支也、子歳在正北、丑歳在丑、餘方皆爾、十有二年運終而復始、其方主歳、故爲一年之君、有福最吉方也、更不犯、向凶事、殊出軍討敵向之大凶、若向此方凶事、疫病起也、

〔周禮註疏〕

〈二十六春官〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0168 馮相氏掌十有二歳、十有二月、十有二辰、十日、二十有八星之位、辨其叙事、以會天位、〈○註略〉疏〈馮相至天位、釋曰、云十有二歳者、歳謂太歳左行於地、行於十二辰一歳移一辰也、云十有二月者、謂斗柄月、建一辰十二月而周、故云十有二月、云十有二辰者、謂子丑寅卯之等、十有二辰也、十日者謂甲乙丙丁之等也、云二十八星者、東方角、亢、氐、房、心、尾、箕、北方斗牛之等、爲二十八星也、○下略〉

〔筍子〕

〈四儒効篇〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0168 武王之誅紂也、行之日以兵忌、東面而迎太歳、至汜而汎至懷而壞、

〔假名暦略註〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0168 大さい 漢字太歳〈暦例に曰、歳星の精也、木星成故金を忌、〉 大さい神とは、本年の太歳にして、年中諸事の善惡を司どる神なるゆへに、歳の君といふ、此方に向て木竹を伐らず、并家作、修造、土を動かし、家移、其外百事に是を犯し用ゆべからず、

〔運歩色葉集〕

〈多〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0168 大將軍(タイシヤウグン/○○○)〈三年廻也、巳午未年在東、申酉戌歳在南、亥子丑歳在西、寅卯辰歳在北、〉此號大塞(○○) 大將軍遊行方〈自甲子日東、己巳日歸、自丙子日南、辛巳日歸、自戊子日内、癸巳日歸、自庚子西、乙巳日歸、自壬子日北、〉

〔十駕齋養新録〕

〈十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0168 大將軍 隋李康淸德頌、後題歳在辛亥、大將軍在酉、歐陽公謂、大將軍之説出於陰陽家、前史不載、而此碑見之、呉仁傑、以爲即張晏所謂歳後二辰爲太陰、抱朴書、有諾皋太陰將軍之稱、碑用其説、〈見雨漢刊誤補遺〉 予〈○錢大昕〉謂、仁傑強作解事、於方術本未心、其言絶無根據、案、堪輿家、大將軍居子卯午酉四正方、三年一徙、十二年而一周、亥子丑歳在酉、寅卯辰歳在子、巳午未歳在卯、申酉戌歳在午、與太陰之順行十二辰者、廻不相合、唯寅申巳亥四年、偶與大陰相値、呉氏欲以附會太陰將軍之名、甚不然矣、周公謹、亦太陰將軍之説與呉仁傑同、

〔拾芥抄〕

〈下末方角〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0169 方角禁忌事〈憲榮朝臣申云、丑寅方ト暦ニ付タルハ艮方也、仍丑寅方不塞、餘角々推之、〉 凡大將軍方可二干三支、 假令二干者東方之甲乙方也、三支者寅卯辰之方也、餘三方以之可之、遊行之時可正方一辰也、假令在東方一辰、不甲乙寅辰也、一寸相違當正方更不之、

〔暦林問答集〕

〈上〉

大將軍第八 或問、大將軍者何也、 答曰、新撰陰陽書云、大將軍者、太白之精(○○○○)天之上客、太一紫微宮方伯之神也、不四孟、常行四仲、以正四方、三歳一移、百事不犯云々、其太白、西方星金精也、降地而三歳之間爲方伯之神、十有二年運四方、終而復始矣、金者禁也、主裁斷、故犯之者必受殃、其居礎、立柱、上棟、修造、移徙、嫁娶、塗竈、堀井、築垣、出軍、葬埋、起土、百事犯用之太凶、於是大將軍常行四仲、以正四方、三歳一移云々、以此文、在東方者只卯方可之、寅甲乙辰之四神者無之、昔者雖其説、先喆之所用也、紫微宮方伯之神也、伯長也、正也、禮云、千里之外設方伯云々、在卯者寅甲乙辰四神相兼可之、餘之方皆爾也、今爲後生之疑、引舊勘聊記之耳、非愚所一レ謂也、

〔假名暦略註〕

大しやうぐん 漢字大將軍〈新撰陰陽書曰、太白の精也、太白は金星也、〉 是元と西方の星にして、金の精なるがゆへに、萬物を殺伐する事を主どる、則俗家に所謂三年塞(○○○)是也、若し此方を犯し用ゆれば、三年の内に死を受るの災ありといふ、殊に百間の内を大に愼べし、但事によりて、方違して宥め用ゆる事も有、又輕き造作修理等の事は、遊行の内にしてくるしからず、

〔寬永板大雜書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0170 三年ふさがりの方(○○○○○○○○)をしる事 み、むま、ひつじのとしより、 東三年ふさがり さる、とり、いぬのとしより、 南に三年ふさがり い、ね、うしのとしより、 西に三年ふさがり とら、う、たつのとしより、 北に三年ふさがり

〔簠簋内傳〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0170 日之塞方(○○○○)之事 一東(朔日卯)〈十一日廿一日〉 二巽(二日)〈十二日廿二日〉 三南(三日午)〈十三日廿三日〉 四坤(四日)〈十四日廿四日〉 五西(五日酉)〈十五日廿五日〉 六乾(六日)〈十六日廿六日〉 七北(七日子)〈十七日廿七日〉 八艮(八日)〈十八日廿八日〉 九天(九日)〈十九日廿九日〉 十地(十日)〈廿日卅日〉 右此方者日之大將軍也、深凶之、 時之塞方(○○○○)之事 子之時者子之方、何其時其方可覺也、

〔江次第抄〕

〈一正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0170 四方拜〈○中略〉 次大將軍(○○○) 一方三年、二干三辰、假令寅卯辰年在北方、次東、次南、次西也、

〔朝野群載〕

〈十五陰陽道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0170申木工寮屋舍爲大風顛倒造立忌哉否事 右自内裏彼寮丙方也、丙方(○○)、是大將軍(○○○○)在地之内也、仍須遊行日造立無上レ妨、但新造舍屋可其忌、仍以勘申、 天祿四年五月廿六日 主計頭賀茂朝臣保憲

〔朝野群載〕

〈十五陰陽道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0170申自鳥羽南殿于興福寺方角事 南行二百八十六町二十五丈四尺八寸〈以四十丈町〉 東行六十四町九丈 件丈尺、官使所撿注也、 右據件丈尺之當丙方(○○○)、今依宣旨勘申如件、 康和三年十一月廿八日 主計頭賀茂朝臣道言 件方角事、依康和三年十月廿八日宣旨、撿非違使左衞門府生淸原忠重、官使左史生安倍良成、左大史紀盛言等撿注也、

〔小右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0171 寬仁三年十二月四日丙戌、吉平來、談雜事、於行願寺、令小塔、其功未了、明年可念誦堂、自行願寺南方、自明春、南方者大將軍方也、若奉安置忌乎否、吉平云、從我住所大將軍方、奉塔之方、更不忌也、只自我居南方者、又云、入道殿、奉丈六阿彌陀佛九體、暫安置小南、明年三月可置新造堂、從小南寅卯間、是王相方也、然而不忌之由申了、但御自身者、今月晦日比渡給一條殿、以新造御堂尤吉方、依佛忌、只今可我忌之故者、

〔左經記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0171 長元八年八月九日庚申、今夜武衞尊堂葬送云々、件葬所、當大將軍方歟、德大寺丑寅方一町許者、令藤生點也、仍不其忌云々、

〔後二條關白記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0171 寬治六年三月十六日己亥、陰陽師道時朝臣奉暦下卷也、南方大將軍方也、奉置大般若經、爲之如何、畫像者不以憚、但木像者有憚云々、於御經者不以忌之由所申也、

〔爲房卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0171 寬治六年正月十九日壬寅、博陸殿下〈○藤原師實〉被養興福寺北圓堂、〈永承治暦御堂、承暦御塔、皆公家被供養、長元御塔、宇治殿下被供養、旨趣見御願文、今度依大將軍方、公家不供養、殿下者、十二月節分有御方違、令供養給也、但雖方忌、依前規、可御齋會之由、去十七日被宣下、又三箇日可殺生之由、同被下知了、〉

〔中右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0171 大治二年三月六日、頭中將忠宗依院宣書云、齋院ト定所、自御本所、相當大將軍方、可避忌哉否事、右延久、天仁、保安、齋宮ト定所、自各本所、相當王相方、已有先例、就彼例、不忌歟、但彼時不必被忌避歟、今度沙汰出來、猶可憚歟、宜量申者、予進返事云、不忌由、已有度々例、仍不忌也、如此事、只可先例也、就中神事強不大將軍、王相方忌歟、早此旨可奏達者、後聞、付民部卿申、猶可忌云々、

〔源平盛衰記〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0172 遷都附將軍塚并司天臺事 就中福原ト云ハ、平安城ノ西也、今年大將軍在酉、方角既ニ塞レリ、イカヾ有ベキト申人アリケレバ、陰陽博士安倍季弘ニ仰テ、勘文ヲ被召ケル、勘状ニ云、本條云、大將軍王相不遠近、同可避諸事、然而至于遷都者、先例不之歟、桓武天皇、延暦十三年十月廿一日ニ、自長岡京、遷都於葛野京、今年、大將軍爲北之分、當王相方、然者就延暦之佳例之、雖大將軍之方、何可其憚哉トゾ申タル、聞之人々舌ヲ振テ申ケルハ、延暦ノ遷都ニ御方違アリキ、但永此城ヲ捨ラレンニハ、強ニ方角ノ禁忌ノ不沙汰、勘文ヲ召ルヽナラバ、何樣ニモ、可御方違者ゾ、季弘ガ勘状矯飾ノ申状歟、〈○中略〉去バ季弘モ、入道〈○平淸盛〉ノ無道ノ政ニ恐ツヽ、方角ノ禁忌ヲモ不申ケルニヤトゾ、人唇ヲ返ケル、

〔運歩色葉集〕

〈多〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0172 大陰(タイヲン/○○)方〈子歳在戌方、丑歳在亥方、寅歳在子方、卯歳在丑方、辰歳在寅方、巳歳在卯方、午歳在辰方、未歳在巳、申歳在午、酉歳在未、戌歳在申、亥歳在酉方、〉

〔暦林問答集〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0172大陰第九 或問、大陰者何也、 答曰、暦例云、大陰鎭星之精(○○○○)、歳星之皇后也、常居歳後之二辰、故子歳者大陰在戌、丑歳者在亥、餘例皆爾、大歳皇后移居之方也、故惡婦人事也、妊者移其方、産期犯向凶、〈○中略〉 釋歳刑(○○)第十 或問、歳刑者何也、 答曰、金匱經云、刑凡有三、第一衰謝之刑有五、謂金木水火土之刑、第二制御之刑有十、謂十干之刑、第三不遜之刑有三、謂十二支之刑也、今之暦所載之歳刑者、謂衰謝之刑、制御不遜之兩刑者暦不載、故略之、第一云衰謝刑者、金剛也、刑自在西方、火猛也、刑自在南方、木落歸根、刑在北方、水流歸末而不歸、刑在東方、土王於四季、故天能刑之、今按、巳酉丑金之位也、金以剛強之故、陽氣入而挫之、故巳酉丑之刑自在西方申酉戌之位也、寅午戌火之位也、火以強猛故、陰氣來而挫之、故寅午 戌之歳、刑自在南方巳午未之位也、亥卯未木之位也、木雖榮觀、陰氣來而殺之、故亥卯未歳刑在北方亥子丑之位也、申子辰水之位也、水雖陰浮之智、陽氣往而刑之、故申子辰之歳、刑在東方寅卯辰之位也、土五行之王也、天能刑之、未丑辰戌土之位也、各相刑之、未刑丑也、戌刑未也、辰之刑辰也、丑之刑戌也、於是金雖剛、火挫之、火雖猛、水挫之、木雖榮觀陰氣殺之、水雖智、陽刑之、金木水火各雖剛猛榮智之德、莫之也、土五行之王、天刑之、尚書暦云、歳刑者、天之陰精、水曜精(○○○)也、一名法曹、司馬、以殺罰名、是五位各一方刑之也、夫寒暑推移、應時而動、不其節者、獨雖刑者、治不刑也、呂氏春秋云、刑罰不於國、鞭笞不於家、其歳刑者、一歳之中受刑殺方也、故多禍少福、百事不觸犯之、大公兵書云、擧事善則天應之以德、惡則天應之以刑也、 釋歳破(○○)第十一 或問、歳破者何也、 答曰、暦例云、歳破土曜之精(○○○○)、大歳之所對衝方也、一歳之中爲大歳衝破故云破、子歳破者在午、丑歳破者在未、餘例皆爾、於是破有輕重、故寅申巳亥方破者、四孟爲五行生也、子午卯酉方破者、四仲爲五行盛壯也、丑未辰戌方破者、四季爲五行衰老也、故歳破在寅申巳亥者無咎、在子午卯酉者輕凶、在丑未辰戌者在衰老、無生盛、重凶也、起土移徙不向之、又馬牛之類不其方不吉也、 釋歳殺(○○)第十二 或問、歳殺者何也、 答曰、暦例云、歳殺陰氣尤毒害方謂之殺、金曜之精(○○○○)也、専主殺氣、萬物滅方也、故丑未辰戌方運轉而不於餘方、不吉方也、 釋黄幡(○○)第十三 或問、黄幡何也、 答曰、暦例云、黄幡、羅睺星之精(○○○○○)、大歳之墓也、萬物皆有生死、故有墓、其萬物皆歸於土、常運轉於丑未辰戌方、不餘方、主於土色、故名黄、又幡者旗也、其形如樹幡、故云幡、又五行墓皆以丑 未辰戌日、爲五墓日(○○○○)、是主土之故也、向其方門取土不吉、餘無咎也、 釋豹尾(○○)第十四 或問、豹尾者何也、 答曰、暦例云、豹尾計都星之精(○○○○○)、黄幡對向之方也、故幡在辰方、尾在戌方相對、餘歳亦爾、其幡尾之指靡形變動而速疾似豹尾之動、又豹以君子之喩、故象之、馬牛犬之有尾類、不其方也、餘無妨、

王相方

〔簾中抄〕

〈下方違附土忌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0174 王相方〈三月めぐりといふ〉 春三月、東ふたがる、 立春〈正月節〉艮王震相 春分〈二月中〉震王巽相 夏三月、南ふたがる、 立夏〈四月節〉巽王離相 夏至〈五月中〉離王坤相 秋三月、西ふたがる、 立秋〈七月節〉坤王兊相 秋分〈八月中〉兊王乾相 冬三月、北ふたがる、 立冬〈十月節〉乾王坎相 冬至〈十一月中〉坎王艮相 これも大將軍の方のいみのごとし、方違は、人の家にて、十五日をたがふべし、我家の本所には、 一夜もとゞまらず、

〔簠簋内傳〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0174 月塞之方事 正五九(丑子亥) 在北〈亥子丑〉 二六十(辰卯寅) 在東〈寅卯辰〉 三七霜(未午巳) 在南〈巳午未〉 四八雪(戌酉申) 在西〈申酉戌〉

〔頭書長暦〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0174 王相神トハ、ホキニ云フ月塞リト也、本文ニ、正五九ハ北塞リトアレドモ、正當ノ方ハ毎月變ル物也、

〔小右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0174 長和五年六月廿日壬辰、般若寺大佛、欲禪林寺、有二疑、仍問吉平朝臣、勘云、土用間可觸土之事、至于被一レ置板敷上者有何事、但王相方(○○○)可動度、乃至冬節之後、左右無妨矣、

〔後二條關白記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0174 寬治七年三月廿八日乙巳、戌刻東造作之間、違方事問道時朝臣泰長説々所申也、各申旨大略問之、傳家道々相分學習、陰陽家文書等可勘之云々、 裏、泰長朝臣、〈五位也〉王相(○○)、二神(○○)也、至于夏節違方、其憚如何、相神(○○)巡南方、王神(○○)巡巽角造作事、見於舊説、以此趣道時許申曰、件説之由、傳家所學習也、

〔山槐記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0175 永暦元年九月廿九日甲辰、大將遊行間、北屋有修造、仍爲王相(○○○○)、自今夜宿北對東妻

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0175 承安五年五月廿日庚子、當居所南方修造、而當王相方(○○○)、〈余當時、又無其家、乃是號本所也、〉仍召主税助時晴問曰、新他所與本所一宿者、其忌可移哉如何、又塞方〈謂南王相、東大將軍、〉占其所始渡之條可憚哉否如何、申曰、今新召他人家御領本所者、全經十五日移之由忌也、雖宿一夜其忌、又塞方移、被本所之條可憚、但本爲御宿宿所者、一夜移忌否可滿十五日之宿哉、申曰、安家〈○安倍〉所明日如御定、而賀家〈○賀茂〉尚可滿十五日之由所申也、仍公家被之、今依世々所一レ行所申也、仰旨雖然者、遣問在憲朝臣之許、所申曰一夜移忌、不十五日者、遣于時晴申状了、

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0175 建久二年二月十七日丙申、此日欲幸大内、〈中宮同之〉而甚雨、無便宜之上、非指日事、又陰陽師等有申旨、仍今日延引、來廿日可幸於中宮之由、廿一日可退出里第、其故何忌、於大内滿十五ケ日之一氣、去王相之忌(○○○○○)可大内也、閑院已當巽、〈春末相方也、夏始王方也、〉因玆於閑院滿十五ケ日之宿、至于五月中分、十五日一度可御方違行啓、此條太有事煩、又貴女連日之御行、曾無先縱、加之於里亭御祈等之事、仍蹔可御退出也、臨時祭之期可入内、其後不滿十五日以前、可幸閑院亭、其後同可給閑院也、此等自仰長房了、

〔吾妻鏡脱漏〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0175 嘉祿三年〈○安貞元年〉六月十七日甲子、御所乾角可納殿之由、有其沙汰、然奉行人周防前司申云、自明日西王相方(○○○)也、可御方違歟云云、但不西方歟之由有仰、仍陰陽道被尋問之處、各積丈數申云、自夜御所西行廿二丈八尺五寸、北行十六丈八尺、入戌方事一丈五尺六寸八分、然西鰭板際、六丈相去而於立者、雖御方違憚云云、

太白方

〔運歩色葉集〕

〈多〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0175 太白遊行(タイハクユキヤウ)方〈朔日東、二日巽、三日南、四日坤、五日西、六日乾、七日北、八日艮、九日天、十日地、中旬下旬同、是塞之方也、一東二角、三南四角、五西六角、七北八角、九天 十地可考、〉

〔倭名類聚抄〕

〈二神靈〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0176 太白神 新撰陰陽書云、太白神、〈和名、比止比米久利(○○○○○○)、〉

〔拾芥抄〕

〈下末方角〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0176 天一太白方事 件方可正方一辰也、假令十丈者、以一丈五尺六寸六分正方、此外非忌限、大將軍王相、諸禁忌方角皆同之、 天一太白自大將軍、王相、八卦忌方、重可忌避、是件大將軍方等、日數久之故也、見保憲勘文之由、宗明朝臣所談也、保憲説云、隣里犯土、大將軍、王相方忌、四十五歩内、八卦方忌、三百歩内四丁餘也、但自身犯土造作者、不遠近猶可之、 土氣法〈土公文云者、還本所也、春釜、夏門、秋井、冬寢殿也、〉 郭邑之内可四十五歩、〈二十七丈〉郭邑之外、可二十五歩、〈十五丈〉隔阡河洞及人家忌、〈光榮云、郭邑或謂http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_hou017601.gif 、或謂村邑京都之由、謂http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_hou017601.gif、以一保四町定歟云々、〉

〔簾中抄〕

〈下方違附土忌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0176 太白〈一夜めぐり(○○○○○)といふ〉 一日、十一日、二十一日、この日は卯にあり、その後しだいに八方にめぐる、九日、十日は天地にありといへり、これも大將軍のいみのごとし、そなたに行てとゞまらざるなり、たゞし正方をいむなり、正方とは、東にあれば東六町に、北南ひろさ一町づゝをいふなり、六町より遠くならば、次第にその程ははからふべし、いまのくりかたもかくのごとし、

〔大和物語〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0176 監の命婦のもとに、中務宮おはしましかよひけるを、方のふたがれば、こよひはえなむまうでぬとのたまへりければ、その御かへしごとに、 逢ことのかたはさのみぞふたがらん一夜めぐりのきみとなれゝば、とありければ、方ふたがりたりけれど、おはしましてなんおほとのごもりにける、〈○下略〉

〔中右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0176 嘉保三年〈○永長元年〉正月十日、從殿下召、則馳參、明日行幸御出方角沙汰也、明日太伯神(○○○)在東、 然者可西陣歟、輦路慥可見者、則參内、先見西陣、取御輿丈尺、見其程、西陣方、油小路甚狹少之上、右衞門陣屋已滿小路、僅雖輦路頗以見苦、見東陣門處、甚南ニ依、從夜大殿太伯神方、歸參殿下此旨處、仰云、然者不正方東門者、

〔本朝世紀〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0177 仁平元年六月七日丙子、今夜、皇后宮〈○近衞皇后藤原多子〉自大炊御門御所幸東三條、依太白方忌(○○○○)也、

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0177 承安五年六月十二日辛酉、明日可犯土、仍明旦可賴輔朝臣南家、而十三日有太白方(○○○)否疑、仍令打之處、南北六十一丈、東西四十三丈云々者全不當、仍明日可渡也、

天一方

〔簾中抄〕

〈下方違附土忌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0177 天一〈五日づゝふたがる〉 乙卯の日より、五日は卯のかたにあり、卯といふは東なり、そののちしだいにめぐる、こよみにつきたり、そなたにとゞまらず、大かたいむことも、大將軍の方のごとし、

〔倭名類聚抄〕

〈二神靈〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0177 天一神 百鬼經云、天一神、〈和名、奈加加美(○○○○)、〉天女化身也、

〔暦林問答集〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0177天一(○○)第五十三 或問、天一者何也、 答曰、春秋命暦云、天一者(○○○)、地星之靈(○○○○)也、太一者(○○○)、人星之靈(○○○○)也、尤爲尊星、倶在天上紫微宮門外、左曰天一、右曰太一、天一主戰闘吉凶、太一主風雨水旱兵革飢疫災害、而遊行九宮、陰陽書云、天一者、己酉日從天來、居東北維六日化人頭蛇身、乙卯移居正東五日化人頭魚身、庚申日移居東南維六日化人頭鷹身、丙寅日移居正南五日化人頭雞身、辛未日移居西南維六日化人頭半身、丁丑日移居正西五日化人頭馬身、壬午日移居西北維六日化人頭龍身、戊子日移居正北五日、化人頭龜身、從癸巳日天、十六日間、招搖大微星大紫房等宮遊行、而從己酉日地、運行八方而角六日方五、都四十四日運終焉、其天一遊行方角、百事犯向之大凶、戰闘向之弩弓折、産乳向之死傷、尤大凶、東北維艮方、正東卯方也、餘傚之、

〔假名暦略註〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0178 天一天上 天一神常に八方に運行て祟をなす、殊に産婦此方にむかひて大凶也、此日より十六日の間は、天に上る故に、天一神の祟なき也、

〔江次第抄〕

〈一正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0178 四方拜〈○中略〉 天一 己酉至甲寅六日在艮方、乙卯至己未五日在卯方、庚申至乙丑六日在巽方、丙寅至寅午五日在午方、辛未至丙子六日在坤方、丁丑至辛巳五日在酉方、壬午至丁亥六日在乾方、戊子至壬辰五日在子方、癸巳至戊申十六日在天上、天一在天上之時、向乾拜之、爲秘事也、〈人車記云、仁安二年正月一日庚子、天一自舊年廿四日今月九日、在天上、其間拜方依不審問在憲朝臣之處、天上之間、元日庚子可午方由令申、仍注于記、〉

〔北山抄〕

〈二六月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0178 同日〈○十一日〉神今食事〈○中略〉 雖方忌出御例〈天慶三年十一月、天一(○○)在酉、子三刻還御、天暦九年十一月、天一在卯、子時以前可還御者、同十年十一月、丑二刻還御、天德三年十一月、丑二刻還御、〉

〔小右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0178 長和三年三月六日辛卯、今日卯時蓋寢殿檜皮、光榮朝臣勘之、〈○中略〉又天一天上之間、蓋屋同所忌也、然則今年被寢殿、追日有件等忌也、三月六日辛卯、時卯被初蓋

〔經信卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0178 承暦四年六月二十九日庚申、巳刻參殿、〈○藤原師實〉右中辨若狹守參會、次新中納言宰相中將被參、知之後、召參遣戸口、被仰云、可有行、〈先是依召候藏人所〉來月五日可基家朝臣宅、而處狹屋云々、然則欲但馬守宅日次如何、又不方忌乎、主上〈○白河〉近令渡給後、如板敷處之、可立直、土用間可其憚、仍先渡敦家朝臣六條亭、土用了、但馬守宅修理後渡、其可乎、申云、五日者天一在南(○○○○)、來月十日可渡給歟、王相者十二日可坤、仍日數非幾、至于大將軍忌者、忌之内令他所給可宜者、又仰云、此去夜女房夢云、白髪尼出來云、今月内可他所者、可吉凶者、占申云、如來向時者指事不候、日次給歟、其等即令申、

〔台記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0178 久安六年十二月二十八日庚午、自冷泉東三條、〈○中略〉是夜須留宿、而依天一方(○○○)歸冷泉

〔吾妻鏡脱漏〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0179 嘉祿三年〈○安貞元年〉十二月廿八日癸酉、於武州〈○北条泰時〉御亭、将軍家、明年御行始之事、有其沙汰、可正月八日、同十四日之由、陰陽道申之、八日者可延引、十四日可宣之旨被仰、御行始方角、北方吉之由、晴賢申之、北方天一方(○○○○○)也、

歳德方

〔下學集〕

〈上時節〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0179 歳德(トシトク)〈陽德陰德〉

〔暦林問答集〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0179歳德第七 或問、歳德者何也、 答曰、五行書云、凡陰陽用事、遇德爲善、故歳德方一年間有德方也、皆十干德也、但五爲陽德、〈甲丙戊庚壬〉五爲陰德、〈乙丁己辛癸〉其甲歳德者在東宮甲方、丙歳德者在南宮丙方、戊歳德者在中宮戊方、〈中宮者在丙方〉庚歳德者在西宮庚方、壬歳德者有北宮壬方、此五干歳德各爲陽徳、故在其方、次乙歳德者在西宮庚方、丁歳德者在北宮壬方、己歳德者在東宮甲方、辛歳德者在南宮丙方、癸歳德者在中宮戊方、其乙丁己辛癸者爲陰干、故自無德、配合陽干而成德、是以己爲甲妻相合、故己歳德在甲、辛爲丙妻相合、故辛歳德在丙、乙爲庚妻相合、故乙歳德在庚、癸爲戊妻相合、故癸歳德在戊、孔子曰、禀氣於陽、定形於陰云々、

〔假名暦略註〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0179 としとく 漢字歳德〈五行書曰、其年十干德也、〉 歳德神(○○○)とは、陰陽の氣交遘して臨御するの方位なり、故に、嫁娶、結婚、造作、移徙、入宅、修造、其外一切の善事に用て大に吉也、年暦に万吉と註するは此方のみ也、

〔越絶書〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0179 計倪内經第五〈○中略〉 越王曰、善、請問其方、計倪對曰、從寅至未陽也、太陰在陽、歳德(○○)在陰、歳美在是、聖人動而應之、制其收發、當以太陰、在陰而發、陰且盡之歳、丞賣六畜貨財、以益收五穀以應陽之至也、陽且盡之歳、丞發糴以收田宅牛馬、積歛貨財、聚棺木以應陰之至也、此皆十倍者也、

〔閑田耕筆〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0179 暦に、兄方(エホウ)といふことを、此に惠方(○○)と書は、惠をうくる方と必得たるにや、然らず、甲丙 庚壬等の方にあたれば、兄弟(エト)の兄也、甲乙をもて、兄弟とする也、此くりやうは、 甲己歳は甲方 寅卯間 乙庚歳は庚方 申酉間 丙辛歳は丙方 巳午間 丁壬歳は壬方 亥子間 戊癸歳は丙方 以上は、故人小西梁山話也、

〔鹽尻〕

〈三十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0180 歳德の方を俗にゑ方と云、吉方とかくなり、伊勢守記、寬正六年八月、今出川殿の夫人産の所にみへたり、吉をゑとよむ事、住吉をすみのゑと讀むと同じ、

〔玉襷〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0180 斯て、毎年に、上より分布し給ふ、假名暦に、歳德明方、ことしは何方ぞと御敎まして、萬よしと載させ給ふ事なるが、此は唐土の暦法を用ひ給ふより、始れる事にて、暦法の書どもに、向此方萬事有大幸とも、歳德方一年間有德方也とも見えたり、〈此を俗に歳德神と稱して、元より實神とし、或は簠簋内傳により、此は南海の龍女、婆利采女、亦名は稻田姫と申し、素盞鳴尊、亦名は牛頭天王の后神なるが、謂ゆる八將神の母神なりなど云ふは、吉備の眞備公の、始めて須佐之男命に(○○○○○○)、牛頭天王といふ名を負せて(○○○○○○○○○○○○)、暦神とせし時(○○○○○○)に、作れる妄誕なれば、取るに足らず、此由は、予別に牛頭天王暦神辨と云ふを著して、其に委く辨へたり、〉是を以て、此正朔を奉ずる限りの人は、貴賤貧富を云ず、誰しの家にも、正月には、其謂ゆる明方に、歳德棚(○○○)と云を設けて、注連を引亘し、いみ淸めて、種々の物を獻りて、當年の穀物の生就は更なり、幸福をも祈り白す事なるが、其祭る意ばへは、唐土の暦書の旨とは異にして、專と御年の皇神たちを祭る意なるを思ふに、此はいと古昔より、上件の由緒によりて、戸ごとに、年の始には、祭り來にけむを、分ち賜はる暦の、歳德明方の御敎令に從ひ奉り、其をうち混じての祭禮と見えて、實に然も有べき事とこそ思はるれ、〈然るは、歳德と稱ふるは、謂ゆる湯桶訓なるが、正しくはサイトクと云べきにて、唐土の暦書どもに、歳德の方を、年の始めに皇國にて、今祭る如く、家々にて祭るべき由を記せる書の無をもて、かくは云なり、〉然れば、古學せむ人などは、此意ばへを、殊に慥に思ひ定めて、大年神、御年神、若年神を迎へて祭る心を 以て、御鏡御酒をも供ふべきなり、 ○按ズルニ、歳德棚ノ事ハ、神祇部神棚篇ニ在リ、

〔家相秘傳集〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0181 節分の夜に、年越詣と稱し、翌年の歳德方へ參詣するは理に當らず、其如何となれば、先節分といへるは、立春節に入の前日にて、乃當年の終なり、故に節分の夜は、當年無事に終りたるを喜悦、禮參の爲、其年の歳德方へ詣るなれば最も理なり、翌年の歳德方へ參るは、恐らく節分の夜にはあるまじ、是立春節に入の翌朝、正しく新年となるを俟て、其新年の歳德方へ詣り、當年安全守護の禮拜をなす、歳德詣と云是なり、

金神方

〔假名暦略註〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0181 金神 正説なし、或説に、庚申の神是を金神といふ、七殺(○○)とは、西方純金の氣を主どる方位也、金は殺伐を事とす、其數は七つ也、故に七殺といふ、此方より土を取或造作し、又は土藏を作る等に大に惡し、尤愼ずんばあるべからず、凡金神に、天金神(○○○)有、地金神(○○○)有、天金神は陽なるがゆへに其禍輕し、地金神は陰なるが故に其災大に重しといへり、但輕き造作修理等のことは、遊行の内にして苦しからず、雜書に間日を書は誤なり、

〔簠簋内傳〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0181 金神七殺之方 甲己歳、午未申酉方、 丙辛歳、子丑寅卯方、 戊癸歳、子丑申酉方、 庚乙歳、辰巳戌亥方、 壬丁歳、寅卯戌亥方、 右此金神者、巨旦大王精魂也、七魄遊行而殺戮南閻浮提諸衆生、故尤可厭者也、 金神七殺異説之事 此説暦出 甲己歳、午未申酉、 乙庚歳、寅卯辰巳、 丙辛歳、子丑午未、 丁壬歳、寅卯戌亥、 戊癸歳、申酉子丑、 金神遊行事 甲寅〈ノ日ヨリ〉五日間在南方 丙寅 五日間在西方 戊寅 五日間在中央 庚寅 五日間在北方 壬寅 五日間在東方 金神四季遊行事 春乙卯〈ノ日ヨリ〉五日在東 夏丙午 五日在南 秋辛酉 五日在西 冬壬子 五日在北 金神四季間日事 春丑日 夏申日 秋未日 冬酉日

〔寬永板大雜書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0182 金神七せつの方大にわろき事 きのえつちのとの年は むま、ひつじ、さる、とりの方也 きのとかのえの年は たつ、いぬの方なり、 ひのえかのとの年は とら、う、むま、ひつじの方也、 ひのとみづのえの年は とら、う、いぬ、ゐの方なり、 つちのえみづのとの年は さる、とり、子、丑の方也、 右、此方へこえて在所をたて、家を作り、又は堂作り候へば、七人しすべし、此方をよく〳〵つゝしむべし、

〔後二條關白記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0182 寬治七年四月五日辛亥、太政官被作三條殿云々、僧文賛定俊眞人也、〈大外記也〉金神七殺方、北方當否相論事不兩説、被左大辨説造作候之由所聞也者、今年者北方吉(○○○)也、其故陰陽魁罰報應篇云、夫天岡河魁是大殺神、能制一切凶神、如或造作凶方不大禁、將軍官符飛廉一切惡神、并宅長年命歳月等神是凶方、若天岡河魁克臨者、當年月方位臨卦即吉、轉禍爲祥、必至時物、入人 口、如相般公館等信此説、造作亦加官進祿至五月十一月、必入人口時物、如小之便同亦去、見於百忌暦

〔中右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0183 永久二年四月十二日、又被仰云、今年金神方在南、仍作春日塔之間、爲正方四十五日、一度行向久我邊也、而來十五日已備四十五日、此間可出行、仍尋陰陽家之處、光平申云、故道言朝臣説云、違四十五日方忌之間、思忘〈天〉過了時、其間止犯土造作、又達四十五日方忌之後、企犯土造作者、以之思之、金神已准大將軍方(○○○○○○○○)、有四十五日方違也、一度許雖違給此間、又令違給之後、可御塔者、予申云、尤賢事也、就中入其節後依王相忌、已止造作了、自然夏之後及秋時、可造作也、早過御四十九日程、又有御方違、後入秋被造候可宜歟、但夏間於木津邊、少々木作許可候也者、

〔中右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0183 永久二年八月五日丁未、早旦從殿下御隨身云、只今可院御所、聊有沙汰者、則馳參〈直衣、〉是源中納言領大炊御門南方万利小路東亭也、從一夜上皇白地御此家也、殿下大藏卿、又召大炊頭光平、聊此間事等被問仰也、早欲陣定、昨日欠日、今日御衰日也、仍明日可陣定、但内々此間事等大略被議定、先内府土御門亭、與六條殿間可遷御事如何、光平申云、於六條殿者金神方也、於土御門殿者御遊年方也、有小犯土造作者、旁可其忌也、於金神忌者(○○○○○)、陰陽道雖知(○○○○○○)、近代依忌所申也(○○○○○○○○)、遷御之後過四十五日、後可犯土造作歟、又可新皇居事如何、予申云、今年内宮遷宮也、明後年外宮正遷宮年也、明年被急作宜歟如何、仰云、然者被本大炊殿宜歟、件地本凶所之由不之故也、予申云、彼所可作者、土御門六條殿之間、新所を宛吉方遷御可宜歟、仍被光平之處、遷御六條殿、明年被作可宜歟、此間事明日可定者、

〔中右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0183 嘉承二年六月七日壬戌、今夕依御方違幸内裏也、是尊勝寺修理之間、依御金神方也云々、

〔台記別記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0183 久安四年十月廿九日癸未、招範家女御盧改易圖、範家曰、今明兩年金神在酉、於壁定 有其忌、但酉若當三白九紫(○○○○)雖金神其凶敢所一レ忌、然則問三白九紫否於直講信憲、〈陰陽道不之〉若當將圖覽殿下

〔百練抄〕

〈七後白河〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0184 保元二年十二月二十三日、諸卿定申諸道勘申金神方忌(○○○○)可棄哉否事、件方角、永長定俊眞人依申出(○○○○○○○○○)、三四代所忌來也、仁安二四廿三爲御方違、行幸鳥羽殿、修理大膳職之間、爲金神方云々、

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0184 承安三年正月十三日丙午、此次、余〈○藤原兼實〉問曰、金神七殺方(○○○○○)可憚哉否、如何、申云、更不忌避、但百忌暦文云、犯一神七人云々、因玆賴隆眞人已下、彼家之輩、申忌之由、然而陰陽道所用也、當道之習、以新撰陰陽書規摸、而金神方忌事、不彼書、又想如此之諸忌、不勝計、悉忌避者、何方可造作哉、度々雖沙汰、遂以被弃了、就中上古、保憲、晴明之時、全無此沙汰云々、

〔吾妻鏡脱漏〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0184 嘉祿三年〈○安貞元年〉九月二日戊寅、金火廻犯之由、天文道等屬周防前司親實、捧連署勘文云云、

〔闇の曙〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0184 愚人を欺き誑かす道具には、金神の祟り尤世に多し、此金神にも、六方金神などゝいふ化もの有、其説に曰、劔先向三ツ後三ツにて、六方づゝは、毎年の金神にて、又暦にしるす金神有、扨年のめぐり合にて、惠方の眞中へ劔先キのあたる年あり、彼輩がいふ、此事をしらず、惠方とて、宿がへすれば、大に祟り有とて、衆愚を欺き威しかける也、三十年ばかり以前、大坂高麗橋壹丁目邊に、金神醫者と異名せる醫者有し、〈或は山伏醫者ともいふて人々笑けり〉病家へ行と、十に五ツは、此病人は金神の祟りあり、藥にては治しがたし、祈禱すべしとすゝむ、さなきだに、病家は迷はしく、心ぐるしくおもふ所へ、たゝりをいふておどしかけるほどに、忽ちまどひ恐れて、祈禱を賴むもの多し、金神除の祈禱は、京都に大驗者有、引合せ申べしとて、差圖する山伏、京四條近所に有しとなむ、此事を知ル人は、あれは相棒なりと謗り賤しめり、此醫者少し文字をならべる事もせし故、予〈○新井白蛾〉が下坂 の時などは、文章の事など尋ねに來りし、今は死して其跡も斷絶せしと聞ぬ、然れども、高麗橋邊に四十年も住人は覺有べし、尋ぬ問へばかたるべし、

土公方

〔倭名類聚抄〕

〈二神靈〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0185 土公 董仲舒書云、土公駑空二反、春三月在竈、夏三月在門、秋三月在井、冬三月在庭、

〔暦林問答集〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0185土公遊行土府所在第五十五 或問、土公土府者何也、 答曰、群忌隆集云、土公土府者地神也、今按、土公者、從甲子日己巳日六日出遊子方、自庚午日丁丑日還、而八日入地中、從戊寅日癸未日六日出遊卯方、自甲申日癸巳日十日又入地中、自甲午日己亥日六日出遊午方、從庚子日丁未日又八日入地中、從戊申日癸丑日六日出遊酉方、從甲寅日癸亥日又十日入地中、如此運終而復始、尚書暦曰、土公土府所在不犯觸之時、明可之、又土公、春者在竈、夏者在門、秋者在井、冬者在庭、四時所在不之、但庭者犯土无咎、又云、土府者、正月丑取丑方土家長、二月巳取巳方土、三月酉取酉方土、皆同上、四月寅取寅方土少子、五月午取午方土、又殺家長、六月戌取戌方土、七月卯取卯方土、八月未取未方土、九月亥取亥方土、又同上、十月辰取辰方土六畜、十一月申取申方土大凶、十二月子取子方土子孫、土府土公之所在明可之也、

〔簠簋内傳〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0185 土公出入依居座大土小土事 春〈戊寅〉日 至東宮靑帝靑龍王宮殿六日〈小土吉日〉 然而甲申日歸本宮十日〈大土惡日〉 夏〈甲午〉日 至南宮赤帝赤龍王宮殿六日〈大土吉日〉 然而庚子日歸本宮八日〈小土惡日〉 秋〈戊申〉日 至西宮白帝白龍王宮殿六日〈小土吉日〉 然而甲寅日歸本宮十日〈大土惡日〉 冬〈甲子〉日 至北宮黑帝黑龍王宮殿六日〈大土吉日〉 然而庚午日歸本宮八日〈小土惡日〉 右本宮居座間、敢以不犯土殺生、縱雖土用之内、土公遊行日尤可之、爰世人改有大土小土 之日云事、專可口傳者也、

〔頭書長暦〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0186 土ニ入ル次第、先ヅ小土ヲ以テ吉日トスル子細ハ、四季共ニ天赦日ヨリ入リ初ル(○○○○○○○○○)ノ謂ナリ、雖然小土ノ内ニハ、臨産ノ時、其遊行ノ方ヘ向フ事ヲhttp://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_hou018601.gif (イム)ナリ、尤犯土ニモ、遊行ノ方ヲバ可之、次ニ、大土トハ、土公神、本宮ノ地中ニ在故、勿論犯土ニ深クキラフ也、但シ此時節ヲ産生ニ不宜ト云フモ、中央ノ土ニ比シタル胎内ヲ騷動スルニ依テ也、若シ生月ニ至テ無據時ハ、土ニ入ル前日ヨリ、産湯ノ水ヲ汲置テ、産生ノ時可之、扨其穢水ヲバ土ノ終ル迄、器ニ貯置テ土ノ内ニハ地中ニ不溢ヲ習トス、次ニ又簠簋及古板ノ本文ニ夏冬ノ大土小土ハ大小ノ文字、傳寫ノ誤ニテ、反覆シタルヲ、今マ改之、此ノ義ハ、月ニ大小ノアル如ク、日數ノ多分ナルヲ以テ大土トシ、其少分ナルヲ以テ少土ト知ルコト、是分明ノ説ナリ、尚ヲ又異説ノ次第モ以下ニ斷之、

〔假名暦略註〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0186 土公〈春はかま 夏はかど 秋は井 冬はには〉 土公は地神、即土神也、新しく造るは忌なし、ふるきを修理する事を忌(○○○○○○○○○○○)也、

生氣方 死氣方

〔拾芥抄〕

〈下末諸事吉凶日〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0186 生氣〈一切療治可向方也〉 〈正子 二丑 三寅 四卯 五辰 六巳 七午 八未 九申 十酉 十一戌 十二亥〉 死氣〈同可忌方也〉 正月午 二月未 已下以生氣、准據可推知之、

〔和漢名數續編〕

〈歳時〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0186 生氣方 正月〈子〉二月〈丑〉三月〈寅〉順輪至十二月〈亥〉座臥向此方佳、〈月令廣義〉

〔風俗通義〕

〈祀典第三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0186狗磔邑四門 俗説、狗別賓主善守禦、故著四門、以辟盜賊也、 謹按月令、九門磔禳以畢春氣、蓋天子之城十有二門、東方三門生氣之門(○○○○)也、不使死物見於生門、故獨於九門犬磔禳、犬者金畜、禳者却也、抑金使春之時所生、令萬物遂成其性、火當受而長之、故曰以畢春氣、功成而退、木行終也、

〔相宅要説〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0186 古杭高濂 毎年逐月、有生氣死氣之位、修生氣者福德來集、言月生炁與天道月德其吉路也、犯死氣之方者 立見禍殃

〔方鑑秘傳集〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0187 生氣方の説 三白寶海に曰、生氣は即父母印授星なり、五行相生して萬物を育すと、此生氣は彼三元九星の中、各其本命を生ずる所のものをいふ、即我を生育する護身恩惠の星なり、この所在の方修造移徙動土嫁娶出入すべて百事上吉とす、〈○中略〉 殺氣方の説 三白寶海に曰、殺氣は、造化常を失ひ、陰陽反逆して、相刑剋仇し、害をなすと、是又三元九星の中、我本命を剋する所のものをいふなり、其輪り泊る所必祟咎あり、

月殺方

〔萬安方〕

〈五十八避人神法〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0187 月殺方 正五九月東北 二六十月北西 三七十一月西南 四八十二月南東 右向此方服藥治病、凶、

暗劍殺方

〔方鑑類要〕

〈附録〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0187 暗劍殺大凶方之説 陽明按索に曰、暗劍殺は、乃値月星の本位に得る所の星是なり、一白値月の如きは、一白中に入輪て六白坎に至るを見る、一白の本位是暗劍殺なり、臣、君の位を奪が如しと、夫暗劍殺は、威烈勇猛の凶殺にして、造化の德を傷ひ、生育の理を損ず、常に殺伐毒害の氣尖なり、犯せば祟咎立所に至り、宅主死亡の災害に罹る、猶殘害ありて、種々に祟をなし、産業次第に衰へ、終には家門滅亡に及ぶといへり、凡此暗劍殺を犯せし者、其祟死亡に至らずとも、先盜賊の難免る事なし、予積年數多見及ぶ所なり、

友引方

〔寬永板大雜書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0187 ともびきの方の事 ね、むま、う、とりの日は、 卯の方にあり うし、ひつじ、たつ、いぬの日は、 辰の方にあり とら、さる、み、ゐの日は、 みの方にあり

方忌

〔北山抄〕

〈二六月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0188 同日〈○十一日〉神今食事〈○中略〉 依方忌出御例〈延喜十三年六月、左大臣申云、前代不忌、貞觀以來有此事、法皇御時、忽進曉饌、以忌供神饌、時刻則存式、而早速云々、未得、令所司供奉、有其例、此度不御、有何事云々、天慶二年六月九條記云、中宮仰云、延喜御代、雖方塞(○○)不忌、未寅刻還御云々、參殿執申、仰云、或不忌、或付所司之、雖出御、可殊難者、不出御由仰外記畢云々、〉

〔拾芥抄〕

〈上本諸頌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0188 方塞夜誦〈天一神 角六方五謂之誦〉 大威德功德自在通王佛〈天一神方塞夜、禮拜、誦十反、即無咎、〉 又内典華嚴經文云、件誦云、 迷故三界常 悟故十方空 本來無東西 奈所有南北〈已上〉謂之天一神頌〈今謂、諸經中無此文、〉 一明心者 二明福者 萬明福者 千萬福者 急々如律令 謂之太白神方塞頌

〔榮花物語〕

〈二十六楚王の夢〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0188 よしひら〈○吉平〉も涙にむせび、なに事もすが〳〵しうも申さで、かくてためらひ申、けふこそは先おさめたてまつらせ給べき日〈○萬壽二年八月二日尚侍嬉子葬送〉にてさぶらふめれ、さてもかくておはしますべきにあらねば、いづかたにかゐて奉るべきととはせ給へば、法興院はよきかた(○○○○)に候めり、こよひほこ院におはしますべう申す、

〔左經記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0188 長元九年四月十九日丁卯 一可遷〈○後一條〉之所事〈○中略〉 又被命云、自淸凉殿吉方(○○)可御葬所歟、將自遷座之所吉方歟、其事一定之後可遷之所歟、右衞門督申云、應和四年中宮崩於主殿寮之後、奉東院、而道光偏自東院吉方御葬所、其後保憲遷座所及御葬所等、自主殿寮吉方之由奉勘文云々、即披覽彼年邑上御記、道光有覺行之文、然者問陰陽師之後可其所云々、頃之資業朝臣等歸參、申云、北對頗雖宜、東西北 又廂等不全、可便遷御者、

〔長秋記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0189 天永四年〈○永久元年〉七月十四日、右馬頭經忠相談云、今夜行啓未定也、故何者、今日未申方可塞(○○○○○)由、南北三町、東西二町餘也、仍不塞、次泰長所申也、而光尹尚可塞之由沙汰、未一决間、已及深更、爲之如何、此間攝政殿下、〈○藤原忠實〉左大臣〈○源俊房〉令參給、有儀定、尚有行啓、依還御無用、權大夫、大宮權大夫外可參、上達部忠宗、下官外無參、

〔今昔物語〕

〈二十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0189 下毛野敦行從我門死人語第四十四 今昔、右近將監下毛野敦行ト云フ近衞舍人有リ、〈○中略〉漸ク年積テ老ニ臨ル時ニ、法師ニ成テ、西ノ京ノ家ニ住ム間、家ノ隣ニ有ケル人、俄ニ死ニタリケレバ、此敦行入道此ヲ訪ハムガ爲ニ、彼ノ家ノ門ニ行テ、其ノ死人ノ子ニ値テ、祖ノ死ノ間ノ事共ヲ訪ヒ云ヒケルニ、其ノ子ノ云ク、此死人ヲ將出サムト爲ルニ、此ノ家ノ門ノ極テ惡キ方ニ當テ侍レドモ、然リトテ何カハ可爲キトテ、方惡クトモ、此ノ門ヨリ可出ニ侍ルト語ルニ、〈○中略〉入道ノ云ク、其達避事ナ宣ヒソ、只己ガ門ヨリ出遣リ給ヘト云テ返ヌ、家ニ行テ、子供ヲ呼デ云ク、隣ノ主ノ死給タルガ哀レニ糸惜ケレバ、訪ハム爲ニ行タリケレバ、其子共ノ主達ノ云ツル樣ハ、死人ヲ可將出門ノ、忌ノ方ニテ有ドモ、門ハ一有レバ、其ヨリコソ將出サント云ツレバ、我レ極メテ糸惜ク思ツルニ依テ、我ガ中墻ヲ壞テ、我ガ方ヨリ將出セトナム云テ來ヌルゾト云、妻子共聞テ希有ノ事ヲモ宣ヒケル人カナ、極テ穀ヲ斷テ世ヲ捨ケル聖人也ト云トモ、此ル事云フ人ヤ有ル、人ヲ哀ミ身ヲ不思ズト云ヒ乍ラ、我家ノ門ヨリ、隣ノ人ノ死人車出ス人ヤ有ケル、糸奇異キ事也ト、口々ニ居並テ云ヒ合ヘリ、其ノ時ニ、入道ガ云ク、汝達等、僻事ナ云ヒ合ヒソ、只我ガセムニ任セテ有レ、汝達等ガ賢キ思ニ我レ世ニ不劣ジ、然レバ、墓无キ祖ニハ隨フコソ吉キ事ナレ、只爲ム樣ヲ見ヨ、物ヲ忌ミキ者命短ク、子孫无シ、物忌ヲ不爲ヌ物ハ、吉ク命ヲ持チ、子孫榮エ、只々人ハ恩ヲ思ヒ知テ、身不顧ズ、恩ヲ報ズルヲゾ人トハ云 フ、天道モ夫レヲ哀ビ給フラム、彼ノ死人生タリシ時ノ、事ニ觸テ我ニ情ケ有キ、何ニシテカ、其恩ヲ不報ザラム、由无キ事ナ不云ソト云テ、從者共ヲ呼テ、中ノ檜桓ヲ、只壞ニ令壞テ、其ヨリナム死人車令出ケル、其後、此事世ニ聞テ、可然キ人モ、下姓ノ人モ、入道ヲ讃メ貴ケリ、實ニ此レヲ思フニ、難有ク慈悲廣大也ケル心也、天道此ヲ哀ミ給ケルニヤ、彼ノ入道ノ身ニ恙ガ无クテ、九十許ニテナム死ニケリ、其ノ子孫皆命長ガク福有テ、于今其下毛野ノ氏、舍人ノ中ニ繁昌セリ、然レバ此ヲ見聞ク人、此ヲ知テ、人ノ爲ニ情可有キ也トナム語リ傳ヘタルトヤ、

〔明月記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0190 天福二年〈○文暦元年〉八月九日乙亥、御入棺、〈○後堀河〉明日歟、〈○中略〉山作所方角皆塞(○○○○)、北一方無憚、仍被能眞〈不其字〉僧都〈長嚴僧正弟子也〉觀音寺邊所領、御佛事此御所、依賀茂社領可憚之由、貞應同申猶不審之由

方違

〔貞丈雜記〕

〈十六神佛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0190 一方違と云、たとへば明日東の方へ行かんとおもふに、東の方其年の金神に當ル歟、又は臨時に天一神、太白神などに當り、其方へ行ば凶しと云時は、前日の宵に出て、人の方へ行て、一夜とまりて、明日其所より行けば、方角凶しからず、物したる方へ行也、方角を引たがへて行く故、方違と云也、〈物いまひにてする事也〉

〔簾中抄〕

〈下方違附土忌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0190 大將軍方〈三年ふたがり也、おほふたがりと云、〉 寅卯辰年は〈北ふたがる〉 亥子丑方をいむべし 巳午未年は〈東ふたがる〉 寅卯辰方をいむべし 申酉戌年は〈南ふたがる〉 巳午未方をいむべし 亥子丑年は〈西ふたがる〉 申酉戌方をいむべし このふたがり方には、ちをほり、屋をつくり、家わたり、むことり、こうみ、佛供養、はかをつくことなど、みないむべし、たゞし方違つればいまず、又遊行(○○)のあいだは、ふるきあとをたがへず、修理をせばするなり、遊行の程は、こよみにつけたり、方違のことは、節分(○○)のまへの夜より、我家に、一夜もとゞまらず、又人の家もしは我家なれど、本所にあらざるところにては、四十五日に、一夜 がふべきなり、

〔拾芥抄〕

〈下末方角〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0191 方角 五方 東木位 西金位 南火位 北水位 中央土位 八方 震〈東〉巽〈辰巳〉離〈南〉坤〈未申〉兊〈西〉、乾〈戌亥〉坎〈北〉艮〈丑寅〉方違所、過亥時、畢可還、不天明云、〈光平説、一夜方違、次日歸本所之時不忌、歸忌、〉 七日、并十三日、歸本所忌、宇治殿御時議定(○○○○○○○)、〈宇左記在仁平四三廿、見天喜四四一土御門記云々、○圖略〉 凡以四角戊巳方、起巽、所謂以中爲戊巳是也、又戊巳方可南方、以丙丁方戊巳方云云、是可戊巳方之時、可丙丁方也、戊巳無方位云々、

〔方角禁忌撰〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0191 一同方違方事 興功〈犯土也〉住本所之人、毎日夜違之、 今案、本所者自領之宅地、假令大將軍移東之年、立春之前夜違方後、毎夜可之、若雖一夜宿本所者、其忌可本宅矣、 別説云、毎夜違方云事、明可知也、違云者謂其方也、是不滿一氣日數之間者、雖其方、只可宿他人之家也、〈四十五日事(○○○○○)也〉

〔在盛卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0191 長祿二年閏正月廿九日戊午 一御方違時刻(○○○○)之事 經々雖多説、家傳之習、以丑寅二刻昨今之境、仍御方違事、不待明寅一時者不御方違之分、然者子丑時分渡御、卯初刻還御、尤可然候哉、今時日出卯二刻也、以此分計御用歟、 閏正月廿九日 刑部卿

〔枕草子〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0191 すさまじき物 かたたがへ(○○○○○)にゆきたるに、あるじせぬ所、ましてせちぶん(○○○○)はすさまじ、

〔源氏物語〕

〈二帚木〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0192 しのび〳〵の御かたたがへ(○○○○○)、ところはあまたありぬべけれど、ひさしくほどへて、わたり給へるにかたふたげてひきたがへ、ほかざまへとおぼさんは、いとおしきなるべし、

〔源氏物語〕

〈三空蝉〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0192 われともしらせじとおもほせど、いかにしてかゝることぞと、のちに思ひめぐらさんも、わがためにはことにもあらねど、あのつらき人の、あながちによをつゝむも、さすがにいとおしければ、たび〳〵の御かたたがへ(○○○○○)にことづけたまひしさまを、いとよういひなし給、

〔源氏物語〕

〈十八松風〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0192 殿上人四五人ばかりつれてまいれり、うへにさぶらひけるを、御あそびありけるついでに、けふは六日の御ものいみあく日にて、かならず參り給べきをいかなればとおほせられければ、こゝにかうとまらせ給にけるよしきこしめして、御せうそこあるなりけり、

〔河海抄〕

〈八松風〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0192 けふは六日の御物いみあく日にて 勘文云、六日物忌事、長神物忌也、長神方違(○○○○)は、五日六日連續する也云々、

〔古事談〕

〈一王道后宮〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0192 白川院、爲御方違御家保卿家之時、紫檀ノ甲琵琶〈日者所聞食置之琵琶〉傍ニ銀琵琶一面ヲ立並テアリケルヲ御覽ジテ、有不受之御氣色、還御云々、

〔爲房卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0192 康和六年〈○長治元年〉二月十二日丙辰、方違四十五日忌宿(○○○○○○○○)、九條乘船著南廊、大將軍在南、仍以大炊御門宅馬頭女房、以九條兩本所違所件忌也、

〔殿暦〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0192 嘉承二年九月廿七日庚戌、候内、以顯隆、左府、〈○源俊房〉并内府、〈○源雅實〉民部卿、江中納言等許ニ、主上〈○堀河〉御方違事等示遣、事趣大略、大嘗會ニ可小安殿、而件小安殿、當大將軍方、是如何、又依件忌、西六條を修理シテ、主上於御本所、件所令忌御如何、但件六條、已及大破、可大犯土、而幼主大犯土之所ニ、纔兩三日之内令渡給如何、此兩事何忌、重委可申、但雖大將軍方、依大嘗會、三ケ夜宿給例、寬德度、御豐樂殿、是從昭陽舍大將軍方、堀河院御時、依大嘗會、渡御大膳職、而件職、自堀河院大將軍并王相方者、不忌歟、但能量可申者、是先日院〈○白河〉御命也、須宿所也、而件人々、此間不出 仕、仍以職事示送也、去夜有燒亡下渡歟、

〔中右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0193 天永二年六月十二日、早旦從院有召、則馳參、被仰云、早行向攝政許傳也、大炊殿皇居之間度下人頗滅、仍主上渡御他所了、然而猶又古經營所、昨日遣家保朝臣處、下人又頓死、彌怖畏思食、然者西六條如何、思量可子細者、但今日依御物忌北小門於北面方者、次伊與守基隆朝臣所仰也、參殿下院宣、御返事云、承候了、於大炊殿者全不候、但於西六條者、前日當忌方之由仰事候如何、又參院申件旨之處、仰云、打丈尺之處(○○○○○)、寢殿一宇不當也(○○○○○○○)、又歸參殿下此旨、御返事云、一町家中寢殿一宇不禁忌方、其外雖先例、如此事候哉如何、能々可尋問者、又參院奏之處、遣召光平泰長問者、則遣召了、皆以參入、被尋問之處、件二人申云、如此吉所、只先以寢殿吉方、他所不沙汰者、六條殿寢殿從中納言中將居所吉方之上、從姫君御所又無禁忌、尤宜之由所申也、仍一定以六條其處、御簾丈〈江、〉今日始沙汰之由可攝政者、又參賀陽院仰旨、御返事云、當吉方者、六條殿尤吉候者、參院奏件旨、午時許退出了、 元永三年〈○保安元年〉七月四日壬寅、今夜秋節分(○○○)也、爲方忌、宿觀音堂北僧房、 大治二年三月十八日、夏節分(○○○)也、仍爲方違向鳥羽宿世利阿堂

〔台記別記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0193 久安四年七月七日壬辰、召在憲泰親問曰、後小野記曰、長保元年十月廿五日、今夜左府女子、渡大藏録連雅宅、〈西京〉依入内之吉方云々、既言吉方、疑非唯避禁忌方、亦有吉方歟、各對曰、先達所傳及中古以來之例、唯避禁忌之方(○○○○○)、此外更無吉方、彼記稱吉方者無禁忌、則是吉也、故以忌之方吉方歟、余〈○藤原賴長〉曰、吾子所告既存其理、長保元年亥歳也、大將軍在西、入内十一月、王相在北、天子居大内、非西京、何所避彼禁忌之方、故如西京歟、在憲復疑曰、禁忌方據節分夜所在之、若節分夜在忌方者、雖入内期、如他所何益乎、若節分夜避禁忌方者、雖入内日在忌方其憚、十一月一日入内、十月廿五日如西京、未其故矣、余曰、所疑可然、不以對焉、在憲勘申新選陰陽書此、 女本命吉道法 新撰陰陽書云 亥子丑女、宜庚向一レ甲、當女家在庚夫家在一レ甲、大吉、 寅卯辰女、宜壬向一レ丙、當女家在壬夫家在一レ丙大吉、 巳午未女、宜甲向一レ寅、當女家在甲夫家在一レ庚大吉、 申酉戌女、宜丙向一レ壬、當女家在丙夫家在一レ壬大吉、 就之案之、長保元年己亥、御年十二也、仍子御年歟、渡御西京、若從大内當庚方之御所歟、 申云、若用此説、如西京、以大内甲方歟、但用此説嘗聞、余曰、唯言西京其所、何以定知内裏當一レ甲乎、後日以此事禪閤、仰曰、唯避忌方、未吉方矣、

〔參考保元物語〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0194 白河殿攻落ス事 京師本、杉原本並云、〈○中略〉下野守〈○源義朝〉宣ケルハ、兼テヨリ、八郎〈○源爲朝〉ハ勢強キ者ト思ヒ、必臆シテゾ、左樣ニハ覺ツラン、如何樣、八郎ニ於テハ、義朝一當アテヽ見ンニ、何程ノ事カ有ベキトテ出ラレケルガ、抑今日ハ十一日寅刻也、東ハ日塞ノ方(○○○○)ナリ、其上朝日ニ向テ弓引ン事便ナカルベシ、疾方違セントテ、京極ヲ下リニ、三條マデサガリ、河原ヲ東ヘ打渡シテ、北殿ヲバ北ニ見ナシ、東堤ヲ上リニ、北ヲ差テゾ向ケル、

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0194 安元元年十二月十七日甲午、今夕向賴輔亭方、〈○節分〉是明日依立春也、

〔山槐記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0194 治承四年十月十三日壬辰、今夜、依御方違、行幸前右大將〈宗盛〉家、〈○中略〉抑此御方違者、自舊都大將軍方〈福原當申方〉也、被泰親朝臣説也、遷御大將軍方之後四十五日、一度雖同方、令宿他所御、可深忌之由所申也、是爲先例云々、

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0194 文治五年十月十三日己亥、今日藏人左京權大夫光綱來申云、御方違行幸十七日之由、有其沙 汰、而相當御物忌、仍可延引歟、十六七八九四箇日御物忌也、二十日可行幸之處、復日也、御惱之後可憚之由陰陽道所申也、爲之如何、仰云、二十三日可宜歟、復日之條若有此之例哉、然者何事之有哉、可尋問歟、

〔吾妻鏡〕

〈二十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0195 貞應二年三月廿八日、二位家御方違、入御民部大夫行盛山庄、爲御造作也、

〔吾妻鏡〕

〈二十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0195 寬喜二年閏正月廿九日、將軍家四十五日御方違也、入御相州御亭、竹御所入御駿河入道家

〔吾妻鏡〕

〈三十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0195 寬元四年正月十二日壬申、大殿并將軍家、自毛利入道西阿第還御、是雖立春御方違(○○○○○)、十一日者、東爲太白方之間、一昨日御出、昨日御逗留云云、

〔吾妻鏡〕

〈四十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0195 建長四年五月五日戊子、於相州御方、〈○北條時賴〉爲出羽前司行義奉行、御所造營、將軍家御方違事、有其沙汰、陰陽道六人參入、被尋之、當時可御本所於何方哉云云、爲親申云、四十五日御連宿所無之、然者西乾方共以無憚、亦曰、四十五日以後、秋節一度可御方違者、儲御本所於北宜、且御下向之後、于今無御行始之儀、五月中聊有憚云云、廣資、以平同之、晴賢、晴茂申云、雖四十五日以後、儲御本所於遊年方事無憚云云、文元申云、近代、一夜方違定事也、西乾共以無憚云云者、秋節可御本所於北方之由評定畢、亦龜谷方角、若向見定之申之由被仰下之間、行義、行方、景賴等、令率彼六人、登窟堂後山上、即歸參、當乾方之由一同申之云云、 十七日庚子、奧州、相州、并前典厩、前尾州以下參會評定所、將軍御方違事被評議、以奧州亭御本所云云、而自當御所、相州當西方大將軍方、可憚由、晴賢、晴茂、爲親、廣資、晴憲、以平、晴宗等一同申之、仍被出羽前司長村車大路亭云云、自當御所正方南也、 十九日壬寅、御本所事、長村宿所聊依其煩、亦被陰陽道之處、晴賢以下申云、龜谷泉谷右兵衞督敎定朝臣亭、自當時御所北方也、被御本所之條可宜云云、仍治定云云、

〔吾妻鏡〕

〈四十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0196 康元二年〈○正嘉元年〉十月十六日丁酉、此間筑地修理無方忌之沙汰、何樣次第哉之由、將軍家直被仰御身固當番陰陽師爲親、而先々無然御沙汰之旨申之、又仰云、不先例、於京都此沙汰、早可注進、丈數爲廿七丈之内者、離槨内御所可移御云云、仍爲親南面者無憚、東方廿七丈之内、可御西對之由勘申之云云、

〔光嚴院御記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0196 元弘二年二月十六日丙辰、今日後嵯峨院御無御幸如何云々、及晩小雨、入夜尤甚、今日爲卌五日方忌、御幸北山、行幸同之、申終出御、御狩衣也、朕同之、

〔園太暦〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0196 康永四年〈○貞和元年〉七月十九日、六條殿行幸、兩夜御逗留事、寺院行幸御逗留、雖一夜、可准據之處、如官外記勘例者、兩三夜御逗留有其例之上者、被准據之條有何事哉、 御方違行幸事、被六條殿於御本所候者、大將軍王相方御犯出者、不苦候、但可三ケ夜御方違(○○○○○○)候、先一夜被幸、次夜必可渡御候也、八卦御忌方已下事、且爲御不審、一紙令注進候、得此御意申御沙汰候哉、恐惶謹言、 七月十日 在實 状略 一八卦御忌方事 自春宮御方鬼間、東北正方坤方者、雖御方違、今年中御犯土可闕候乎、

〔園太暦〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0196 貞和三年十二月廿八日、今日無御方違行幸、上皇又御吉方被御車云々、近年例(○○○)也、

〔看聞日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0196 永享五年十二月十八日、今夜節分也、祝著之儀如例、南御方へ方違ニ行、自明年北塞(○○)也、仍局へ行、有一獻

〔親元日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0196 寬正六年正月朔日節分己酉、雖節分(○○)春日亭御方違御成無之(○○○○○○○)、但於御進物者、來四日可御進上云々、 四日壬子、去朔日節分雖御成、於御進物者〈御劒黑、十重椙原、〉如佳例色々也、今朝送御進上也、蜷川式部丞殿中迄持參之、打大豆、粟、麥飯等雖用意、不御進上也、

〔晴豐記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0197 天正十年正月四日、節分方違ニ子ノ方吉方なり、則北ニ井上ト申者あり、あけち者、彼者所へ余方違也、

土忌

〔簾中抄〕

〈下方違附土忌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0197 土をいむこと 我家のかきのうちは、四十五歩をいむ、となりは廿歩五歩をいむ、 八卦御忌方は三百歩をいむ、三百歩は四町あまりなり、たゞしつちを三尺すぎてほるをいむなり、

〔類聚符宣抄〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0197 御體御卜 太政官符神祇官〈外印〉 應御卜祟參箇條事〈○中略〉 一自御在所南西方諸司所犯土祟可鎭謝事 中務 民部 主税 内匠 造酒 内膳 右兵衞 左馬 右馬等省寮司府所犯 右得彼官今月十日解偁、依例供奉御體御卜、所祟奏聞既訖、仍録祟状申送如件者、官宜承知依件行之、符到奉行、 位左少弁 位左大史 天暦六年十二月十日

〔朝野群載〕

〈十五陰陽道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0197 犯土禁忌 勘申隣里犯土禁忌歩數事 陰陽書云、居廓邑内者、土氣去宅卌五歩、各爲一區、過之外土氣不人、堀地起土、深過三尺害、不滿三尺害、本命法云、禍害絶命鬼吏五墓之鄕、去舍三百歩内、雖身不一レ往、害人作病云々、 今案、隣里犯土、大將軍、王相等方忌卌五歩内、御忌方三百歩内、〈三百歩者四町餘也〉但自身犯土造作者、不遠近、猶可之、仍以勘申、 天延二年九月七日 主計頭賀茂朝臣保憲

〔小右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0198 寬仁三年九月七日庚申、權辨持來陰陽寮勘申可補郁芳門以南、談天門以南、并皇嘉門南面大垣日時、〈十月十四日丁酉、時巳、若午、十七日庚子、時卯、若辰、垣廿一日甲辰不犯土、〉余〈○藤原實資〉問云、廿一日甲辰不申修補日、別注犯土之由、不其意、仰事由削去歟、即返給、示攝政之由、辨云、明日可印官符之事、攝政被大外記文義朝臣了、日時若可官符歟者、答云、見前官符日時、作官符以後宣旨載修補之日時宜歟、辨朝臣記、 八日辛酉、吉平朝臣云、十月廿一日御厄日、不犯土、仍昨日注申不犯土、又云、談天門以南一町當御忌方、今年不犯土者、此由等今朝示遣權辨朝臣所了者、

〔左經記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0198 長元八年五月二日乙酉、午刻參殿、后町井依穿、東宮行啓延引云々、〈年來御時昭陽舍、仍后町井當大將軍方忌之中、蹔可座上東門院之由有御志、(中略)因之今日可出御之由兼有定也、〉又鎭星月日不起土、并不起土之由、可賴隆時親等進勘文之由、被頭辨

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0198 承安三年四月八日庚午、今日、〈○中略〉依先日召陰陽頭在憲朝臣來、〈○中略〉此次相尋在憲事等、 一有妊者、憚犯土造作哉否事 在憲申云、本文云、門戸井屍憚之、於自餘犯土作事者更不憚、但近代、或以今案之云々、未可否者、 一假令人有家二、以甲家本所、〈一夜留忌、〉以乙家旅所、〈四十五日留忌〉而於乙家、空過四十五日了、仍已留其忌、然者、自件在所、大將軍、王相方、犯土造作可憚、爲之如何、 在憲申云、犯土之所爲、他人之領者、爲他人之沙汰、行之無妨、又旅所、縱雖四十五日之忌、其後又一夜モ、宿本所者、件忌即可所、不二忌也、於旅所全過四十五日、未此後不宿本所之間、其忌在旅所、而更宿本所、件忌早移其所也、定置本所此故也、若不本所之人ハ、一所ニ留四十五日之忌ハ、又他所同ク宿四十五日テ、移彼忌也、權定本所之人者、他所之忌、極易移也云々者、

〔吾妻鏡脱漏〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0199 元仁二年〈○嘉祿元年〉十一月廿日丁丑、於武州御亭、御所造營事、連日犯土、天一、太白方有憚否、被沙汰、於連日先例無憚之由、彈正忠季氏申之、可忌避之旨、民部大夫康俊申之、是其説有之云云、難决之間、重而召陰陽師等、後藤左衞門尉爲奉行、爲連日犯土之間、日來天一太白方無御方違過畢、然自今日西天一遊行方也、可何樣乎、可計申之旨被仰下、無廿三日居礎堀井立門有一レ憚之由、國道朝臣以下六人申之、大膳亮泰貞申云、連日御犯土于今無退轉、寢殿之外不當時之御犯土(○○○○○○○○○)、然不憚云々、就之各行向、可正方之由被仰下、仍基綱陰陽師等相共行向、而正大盡處、自當時御寢所、至彼御地而乾維東西二百五十六丈五尺、南北六十一丈也、正方西、并乾方不相當、雖笇勘庚方分歟、不西方之由、各令歸參之、仍相論無其詮、神妙之旨落居、及秉燭之期評議訖、人々令退出云云、

〔園太暦〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0199 康永四年〈○貞和元年〉十一月七日、慈嚴僧正入來、心閑謁之、造作事、并前庭假山事等談之、坤方不築山(○○○○○○)之旨、先達口傳也、不然之旨示之、

一身吉凶 屬星

〔二中歴〕

〈五屬星〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0199 當年星(○○○)〈又頌曰羅土水金火計凶、日月木曜三皆吉、〉羅睺星凶〈一 十 十九 廿八 卅七 四十六 五十五 六十四 七十三 八十二 九十一 百〉 土曜(ヨウ) 凶〈二 十一 廿 廿九 卅八 四十七 五十六六十五 七十四 八十三 九十二 百一〉 水曜 凶〈三 十二 廿一 卅 卅九 四十八 五十七 六十六 七十五 八十四 九十三 百二〉 金曜凶〈四 十三 廿二 卅一 四十 四十九 五十八 六十七 七十六 八十五 九十四 百三〉 日曜 吉〈五 十四 廿三 卅二 四十一 五十 五十九 六十八七十七 八十六 九十五 百四〉 火曜 凶〈六 十五 廿四 卅三 四十二 五十一 六十 六十九 七十八 八十七 九十六 百五〉 計都 凶〈七 十六廿五 卅四 四十三 五十二 六十一 七十 七十九 八十八 九十七 百六〉 月曜 吉〈八 十七 廿六 卅五 四十四 五十三 六十二 七十一 八十 八十九九十八 百七〉 木曜 吉〈九 十八 廿七 卅六 四十五 五十四 六十三 七十二 八十一 九十 九十九 百八〉 説云、日月木三吉、餘六皆不善、 本命星 〈頌云〉 貪巨祿文廣武破〈初子後午中五逆〉 〈子丑寅卯辰巳午亥戌酉申未〉 産經曰、子屬貪狼星、 〈其人貪財彊腹、宜吏富貴、秩二千石、無憂患、壽百歳、〉 丑亥屬巨門星 〈其人勇悍彊梁、爲衆人師、宜吏、秩六百石、無憂患、多智辨聖、壽八十八歳、〉 寅戌屬祿存星 〈其人多護、殺人不死、傷人不論、人欲之還受其殃、秩二千石、壽七十七歳、〉 卯酉屬文曲(コク)星 〈其人好文墨、便事、小心勤愼、宜吏、秩六百石、勞憂、壽六十六歳、〉 辰申屬廣貞星 〈其人小心有誠信、不貞士、宜吏、苦貧少貲財、壽七十七歳、〉 巳未屬武曲星 〈其人彊腹自用、有武力、宜吏生樂、秩千石、無憂患、壽八十八歳、〉 午屬破軍星 〈其人有威、將衆人之主、爲人師、衆人歸之、富貴、秩万石、無憂患、壽九十九歳、〉

〔壒嚢抄〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0200 人本命星并縁木縁榖事 生年〈ニ〉當〈ル〉星不替、故ニ本命星ト云也、略頌云、〈貪巨祿文廉武破〉 貪狼星、子年人、〈命木桐、命稷黍、〉 巨門星、丑未年人、〈槐、粟、〉 祿存星、寅申年人、〈楡、稻、〉 文曲星、卯酉年人、〈桑、麥、〉廉貞星、辰戌年人、〈棗、麻、〉 武曲星、巳亥年人、〈李、大豆、〉破軍星、午年人、〈杏、小豆、〉

〔拾芥抄〕

〈下末屬星〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0201 本名屬星 輔星 破 武 廉 文 祿 巨 貪 子年人 貪狼星 丑亥年人 巨門星 寅戌年人 祿存星 卯酉年人 文曲星 辰申年人 廉貞星 巳未年人 武曲星 午年人 破軍星 今案、貪狼星、子年人、桐木枕伏持、同上又大陰、但同星、巨門星、丑亥年人、槐木枕伏持、同上水曜、辰星、祿存星、寅戌年人、楡木枕伏持、同上金曜太白戌、文曲星卯酉年人、桑木枕伏持、同上土曜鎭星、廉貞星、辰申年人棗木枕伏持、同上木曜、歳星、辰年男女、武曲星、巳未年人、李木枕伏持、其驗同上、火曜、熒惑、巳未年男女、破軍星、午年人、杏木枕伏持、月求長七尺二寸、枕高二寸、長四寸、件伏持人、齡老若白髪反黑、又曰、日曜大陽、午年男女、 〈本命日二種、或以中一年本命、或以生日本命、光支干相隔可本命、撿國史、只以支内法、本命寅年降誕寅爲本命也、保憲説也、〉 九曜〈見火羅圖○下略〉

〔江家次第〕

〈一正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0201 四方拜事〈正月一日寅一刻○中略〉 一所拜屬星座、〈在西〉座前机燒香置華燃灯、〈件灯机上更又置折敷高坏、其上居之、○中略〉 次皇上於屬星、端笏北向稱御屬星名字、〈七遍〉是北斗七星也、 子年貪狼(トンラウ)星〈字司命神子〉 丑亥年巨(コ)門星〈字貞文子〉 寅戌年祿存(ロクソン)星〈字祿會子〉 卯酉年文曲星〈字微惠子〉 辰申年廉貞星〈字衞不憐子〉 巳未年武曲星〈字賓大惠子〉 午年破軍星〈字持大景子〉

〔五行大義〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0202 第十六論七政〈○中略〉 合誠圖云、北斗有七星、天子有七政、斗者居陰布陽、故稱北斗、其七星各有四名、合誠圖云、斗第一星名樞、二名璇、三名璣、四名權、五名衡、六名開陽、七名標光、黄帝斗圖云、一名貪狼、子生人所屬、二名巨門、丑亥生人所屬、三名祿存、寅戌生人所屬、四名文曲、卯酉生人所屬、五名廉貞、辰申生人所屬、六名武曲、巳未生人所屬、七名破軍、午生人所屬、

〔口遊〕

〈時節〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0202 歳旦拜天地四方諸神等誦 今案、寅二剋起、先向生氣、次天道、〈向四方拜〉盥洗、訖即向玉女拜也、次華蓋、〈凡欲諸神先拜華蓋、在 故亦拜也、〉 訖向地鼓天鼓三誦、訖三呼屬星名三合掌當額呪曰云々、訖即可拜七星、〈所屬之星七遍〉次亦北向北辰、次西南向拜地、更拜四方、〈起東拜各〉次拜太歳、次大將軍、次歳德、次天道、次天德、次月德、次天一、次大白、次遊年、次生氣、次竈神、次内外氏神、次父母、若廟、

〔拾芥抄〕

〈上本歳時〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0202四方事〈○中略〉 庶人儀、卯時前庭敷座、北面拜屬星、向乾拜天、向坤拜地、次四方、〈自子終酉〉次大將軍、天一、太白、〈已上再拜〉次氏神、〈兩段再拜〉座前立机、置燒香花燈、次先聖先師、〈兩段再拜〉墳墓、〈兩拜〉 九條記云、卯剋庶人者拜四方、後可大將軍、天一、太白、〈以上再拜〉氏神、〈兩段再拜〉竈神、先聖、先師、〈以上再拜〉

〔後撰和歌集〕

〈二十賀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0202 年星(○○)をこなふとて、女檀越のもとよりずゞをかりて侍ければ、くはへてつかは しける、 ゆいせい法師〈○惟濟〉 百とせにやそとせそへていのりける玉のしるしを君みざらめや

〔中右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0202 永久二年正月十四日、臨亥刻天已晴、定知有皆既蝕、上皇〈○白河〉今年御年六十二、御當年星(○○○)也、而雲膚重掩、月蝕不見、兼御祈之所致也、

〔大友興廢記〕

〈二十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0202 大將心持の事并星を祈事 去程に島津義久公、天正十四年の冬、諸勢を豐後の地に發向すべきために、まづ休叱薩州豐州の運の程をはかり見よと申付らる、休叱曰、運をはかる迄も御座なく候、豐後兩大將の星は、それがし存知の事なれば、大友宗麟子息義統の星をいのり申べく候、星の奇瑞次第になされよろしからんと申、義久公尤と同ぜらる、休叱則私宅にかへり、檀上の儀式次第をかざり、秘術をつくしぬ、扨宗麟公は祿存星、義統は破軍星にあたり玉ふ、されば休叱豐後兩大將祿存星破軍星を先として、あたる星毎を祈りしかば、忽然として奇特みゆ、此行にては運の甲は乙となり、利をうしなふ事あらじと、喜悦の眉をひらく、

祿命

〔壒嚢抄〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0203 五月ニ生ルヽ子ハ、二親不利也ト云ハ實歟、全無其證、還テ吉例多シ、晉書ニ云、孟嘗君五月ニ生レタリ、福貴無比、〈○中略〉 上宮太子、癸巳ノ年正月一日甲子ノ日生レタマフ、欽明天皇三十二年也、

〔唐六典〕

〈十四太常寺〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0203 凡祿命之義六 一曰祿、二曰命、三曰驛馬、四曰納音、五曰http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_hou020301.gif 河、六曰月之宿也、

〔二中歴〕

〈十三一能〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0203 祿命師 〈上人〉日延 扶仙 良堪 能算 忠淸 慶增

〔唐書〕

〈百七呂才傳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0203 博州淸平人、〈○中略〉擢累太常博士、帝〈○太帝〉病陰陽家所傳書多謬僞淺惡、世益拘畏、命才與宿學老師落煩訛、掇用者五十三篇、合舊書四十七凡百篇、詔頒天下、才於持議、儒而不俚、以經誼推處、其驗術、諸家共訶短之、又擧世相惑以禍福、終莫悟云、才之言不甚文、要欲俗失時事上レ曉也、故剟其三篇、〈○中略〉祿命篇曰、漢宋忠賈誼譏司馬季主曰、卜筮者、高人祿命以悅人心、矯言禍福、以規人財、王充曰、見骨體命祿、見命祿骨體、此則言祿命尚矣、推索本原、固不其然、積善之家必有餘慶、豈建祿而後吉乎、積惡之家必有餘殃、豈劫殺而後災乎、皇天無親、嘗與善人、天人之 交如影響、有夏多罪、天命勦絶、宋景修德、妖星退舍、學也祿在其中、不生當建學、文王憂勤損壽、非初値空亡、長平坑隆卒、非倶犯三刑、南陽多近親、非倶當六合、暦陽成湖、不河魁、蜀郡炎火、不災厄、世有建與一レ祿而貴賤殊上レ域、共命若胎而夭壽異科、魯桓公六年七月、子同生、是爲莊公、按暦歳在乙亥月、建甲則然、値祿空亡、據法應窮賤、又觸句絞六害http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_hou020401.gif 驛馬、身剋驛馬、三刑法無官、命火也、生當病、鄕法曰、爲人尫弱矬陋、而詩言莊公曰、猗嗟昌兮、傾而長兮、美目揚兮、巧趨蹌兮、唯向命一物、法當壽而公薨、止四十五、一不驗、秦莊襄王四十八年始皇帝生、以正月故名政、是歳壬寅正月、命http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_hou020401.gif 祿、於法無官、假得祿奴婢應少、又破驛馬三刑、身剋驛馬、法望官不到、命金也、正月爲絶、無始有終、老而吉、又建命生法當壽、帝崩時不五十、二不驗、漢武帝以乙酉歳七月七日平旦生、當祿空亡、於法無官、雖驛馬、乃隔四辰、法少無官、老而吉、武帝即位年十六、末年戸口減耗三不驗、後魏高祖孝文皇帝生皇興元年八月、是歳丁未爲http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_hou020401.gif 祿命與驛馬三刑、身剋驛馬、於法無官、又生父死中、法不父、而孝文受其父顯祖之禪、禮、君未年不正位、故天子無父、事三老也、孝文率天下以事其親、而法不父、四不驗、宋高祖癸亥三月生、祿與命皆空亡、於法無官、又生子墓中、法宜嫡子、雖次子早卒、而高祖長子先被殺、次子義隆享國、又生祖祿下、法得嫡孫財若祿、其孫劭濬皆簒逆、幾失宗祧、五不驗、

〔下學集〕

〈下態藝〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0204 五月子不養〈言五月子必害父母孟嘗君也、雖五月生位至高大、其母爲薜公而長生矣、由是視之、則五月子非不祥也、見史記、〉

〔大鏡〕

〈序〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0204 たゞ我は子うむわざもしらざりしに、しうの御つかひにいちへまかりしに、又わたくしにも、ぜに十貫を持て侍りけるに、にくげもなきちごをいだきたる女の、これ人にはなたんとなんおもふ、子を十人までうみて、これは四十たりの子にて(○○○○○○○○○○○)、いとゞ五月にさへむまれて(○○○○○○○○○)むつかしきなりといひ侍りければ、此もちたるぜにかぞへてきにしなりと、

〔論衡〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0204 福虚篇〈○中略〉 齊孟嘗君田文、以五月五日生、其父田嬰讓其母曰、何故擧之、曰君所以不一レ五月子何也、嬰曰、五月 子長與戸同、殺其父母、曰、人命在天乎、在戸乎、如在天、君何憂也、如在戸、則宜其戸耳、誰而及之者、後文長與一戸同、而嬰不死、是則五月擧子之忌無効驗也、

〔五雜組〕

〈二天〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0205 五月五日子、唐以前忌之、今不爾也、考之載籍、齊則田文、漢則王鳳、胡廣、晉則紀邁、王鎭惡、北齊則高綽、唐則崔信明、張嘉、宋則道君皇帝、金則田特秀、然而覆宗亡國者、高綽道君二人耳、然一以不軌天刑、一以盤荒喪亂、即不五日生能免乎、 田特秀、大定間進士也、所居里名半十、行第五、以五月五日生、小名五兒、年二十五擧於鄕、鄕試府試省試殿試皆第五、年五十五、以五月五日卒、世間有此異事、可笑、

〔燕石雜志〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0205 丙午〈十二獸附〉 五雜爼に、吹劒録を引て云、丙午丁未年、中國遇之必有災、然亦有盡然、則百六陽九亦如是耳、曲亭子云、我俗、丁未をいはず、丙午庚申の年を恐るゝこと尤甚し、或はいふ、女子丙午の年に生るゝものは、必その良人を食ふ、或いふ、もし庚申の日に孕むことあれば、その子必盜賊となる、故に凡庚申の日子(ヒナミ)ある月に、子を生むものは、その子に名づくるに、金をもてす、この事絶て本説なし、宋より以降、人の命運を談ずるものは、かならず八字を唱ふ、只その年をのみ忌、その日をのみ忌といふよしを聞かず、年を忌ば月を忌べし、月を忌ば日を忌べし、日を忌ば時を忌べし、子丑寅卯の十二支を禽獸に當たるは、後漢のころより既にいへり、事は下に辨ずべし、丙讀爲火之兄、丙者、言陽道著明、故曰丙、正字通云、篆作、亦作、陽火也、從火、光天之下、盛大發揚也云々、午も亦陽火也、四方に配するときは南方たり、四時に配するときは炎夏たり、月に配するときは五月たり、時に配するときは日中たり、故に丙午の年必火災ありといふ歟、もし俗説に從て、丙午の年火災ありとせば、壬子の年も亦水厄ありとせん、壬讀爲水之兄、壬之爲言任也、言陽氣任養于下也、子は陰に屬す、四方に配するときは北方たり、四時に配するときは玄冬たり、月に配するときは十一月たり、 時に配するときは夜半たり、世俗只丙午の年に火災ありといふのみ、壬子の年に水厄ありといはざるときは、丙午の説も信ずるに足らず、縱そのよしありといふとも、偶然たるのみ、

有卦無卦

〔孝經樓漫筆〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0206 有暇 無暇 北山云、閑田耕筆に、うけ、むけといふ事は、大般若經の貧窮無暇入有暇といふ事なりと云々、餘に物しらぬなり、うけは有氣とかくべし、むけは無氣とかく事なり、その義つまびらかに左にしるす、 胎 養 長生 沐浴 冠帶 臨官 帝旺 衰 病 死 墓 絶 木性 酉 戌 亥 子 丑 寅 卯 辰 巳 午 未 申 火性 子 丑 寅 卯 辰 巳 午 未 申 酉 戌 亥 土水 性 午 未 申 酉 戌 亥 子 丑 寅 卯 辰 巳 金性 卯 辰 巳 午 未 申 酉 戌 亥 子 丑 寅 胎、養、長、沐、冠、臨、帝の七を有氣とし、衰、病、死、墓、絶の五を無氣とす、木性の人は酉年酉月〈八月なり〉酉日酉時より七年有氣〈ニ〉入、辰年辰月〈三月なり〉辰日辰時より、酉年七月申の日まで無氣なり、

〔五行大義〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0206 第四論、相生就此分三段、〈○中略〉二者論生死所、 五行體別、生死之處不同、遍有十二月十二辰而出沒、木受氣於申、胎於酉、養於戌、生於亥、沐浴於子、冠帶於丑、臨官於寅、王於卯、衰於辰、病於巳、死於午、葬於未、火受氣於亥、胎於子、養於丑、生於寅、沐浴於卯、冠帶於辰、臨官於巳、王於午、衰於未、病於申、死於酉、葬於戌、金受氣於寅、胎於卯、養於辰、生於巳、沐浴於午、冠帶於未、臨官於申、王於酉、衰於戌、病於亥、死於子、葬於丑、水受氣於巳、胎於午、養於未、生於申、沐浴於酉、冠帶於戌、臨官於亥、王於子、衰於丑、病於寅、死於卯、葬於辰、土受氣於亥、胎於子、養於丑、寄行於寅、生於卯、沐浴於辰、冠帶於巳、臨官於午、王於未、衰病於申、死於酉、葬於戌

〔古今要覽稿〕

〈暦占〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0207 うけ、むけ、 うけ、むけは、元五行家の説にして、たとへば木は申に受氣し、酉に胎し、戌に養し、亥に生し、子に沐浴し、丑に冠帶し、寅に臨官し、卯に王し、辰に衰へ、巳に病ひし、午に死し、未に葬る、胎より王まで七氣を、王相の氣として、これを有氣といひ、衰病以下を死沒の氣として、これを無氣といふなり、〈五行大義〉これによれば、この事隋より前に、はや傳ふる所ありしならん、たゞしこれは一年十二月の際の事なれば、今いふごとく、七年、五年とつゞくにはあらざるなり、然るを土木は申酉戌亥子年月を有氣とし、金は巳午未申酉を有氣とし、火は寅卯辰巳午を有氣とすと〈三才圖會〉いふは、生より沐浴冠帶臨官王の五氣のみをとれるなり、たゞしその事、一行禪師に出たりと〈同上〉いへば、唐よりはや五年七年といふことになりしならん、さてこの事、隋唐に露顯せしことなれば、皇朝にもふるく傳はりしなるべし、されども、假名暦に書載ることは、貞享よりなりといへり、〈貞享暦法通、書、循環暦、〉然れば有卦無卦とかき、あるひは有暇無暇と書べし〈閑田耕筆〉などいふは誤なり、また(○)、うけ振舞(○○○○)とて、今世俗にすることも、大かた寬永以前より有しことゝ見ゆれども、そのはじめさだかならず、又うけに入人は、名物のかしらに、ふ文字のつきたる七種を、そなふるなどいふこと、そのはじめいかなる故にや詳ならず、〈佛説に七福即生といふことあれば、有氣七年の數に合せし祝事にても有べきにや、〉

〔古今要覽稿〕

〈暦〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0207 うけ、むけ、 うけ、むけは、元陰陽家の説にて、暦法にあづからざる事なり、然れども世俗專ら稱することなれば、貞享の頃より、假名暦に書載ることゝはなりぬるとぞ、さてうけとは有氣と書て、己が性の年に旺するをいふ、たとへば木性の人は、酉年八月酉日酉上刻有氣に入て、七年の間は有氣なり、むけとは、無氣と書て、木性の人は、辰年三月辰日辰上刻無氣に入て、五年の間はむけとて虚耗に屬するなり、餘は下にみえたり、〈貞享暦法通書、及循環暦、 但し昔より如斯通用すといへども、根元は十二運の盛衰を以、五性に配せるものゆ ゑに、一性の運、兩年相續のことはあれども、五七年續くべきことは有まじきよし、循環暦にみえたり、〉然るを有卦無卦と書は假借なり、

〔頭書長暦〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0208 有卦、無卦ハ十二運ヲ以テ吉凶ヲ分ツナリ、即有卦ハ胎ノ運ヨリ入テ、帝ノ運迄、此ノ七ケ年ノ間ハ、萬事ニヨシ、又無卦ハ衰ノ運ニ入テ、絶ノ運迄也、此ノ五ケ年ノ間ハ、萬事ニ不吉也、或書ニ始終ノ異説ヲ沙汰ストイヘドモ吾師(ゴシ)ノ不用ニ任セテ、于爰不之、

〔百一録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0208 元祿三年五月四日、主上〈○東山〉本院御所〈○明正〉御有氣入、當年〈○庚午〉水土兩性入有氣也、

〔宗建卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0208 享保十五年八月廿六日、今日主上被有卦、有御祝、雖來月八日、爲御神事中、昨日入九月節、仍今日有此儀

〔續百一録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0208 延享五年三月十一日、口上覺、來八日御有卦入御祝儀、禁裏樣へ、御一統樣方より可御色紙、文匣三ツ代拾八匁、臺壹ツ代六匁、合貳拾四匁ニ而御座候、右十方樣ニ割、御一方樣分貳匁四分宛ニ而御座候、明日明後日兩日之内、西大路家へ御持可下候、此段爲申入此御座候、以上、 三月十一日

〔實久卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0208 文化十年八月十六日庚戌、今日、内裏御有卦、御祝儀有之、諸家獻物有之、又舞御覽有之、

厄年

〔拾芥抄〕

〈下末八卦〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0208 厄年〈十三 二十五 三十七 四十九 六十一 八十五 九十九〉

〔鹽尻〕

〈十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0208 一我國厄年の説ありて、尊卑皆おそる、異邦にも亦年忌の説ありて、甚だ拘れり、我國〈男四十二、女三十三、〉異邦〈七歳、十六歳、三十四歳、四十三歳、二十五歳、五十二歳、六十一歳、〉忌年不同也、されば男は忌雙、女は忌隻と云ふこと、陣繼儒が群碎録に見へて、北齊の李渾が弟繪、六歳にして入學を願ひしに、家人等、偶年の俗忌を以て許さゞりし事あれば、其來る事も久しと見ゆ、冠笄の吉禮にも、男は偶年を忌、女は奇年を忌とす、すべて禍福命あり、俗忌にしたがひて、おろかにこれを信ぜんや、鳴呼惑へる哉世の人、

〔燕石雜志〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0208 丙午〈○中略〉 俗説に、大約男子は二十五と四十二を厄年とし、女子は十九と三十三を厄年とすといへり、或はいふ、二は陰の數、五は陽の數なり、陰上にありて陽下にあり、故に男子その年二十五に至るものはこれをおそる、又四十二は、その數みな陰に屬して陽なし、且四二を讀で死とし、男子最これを懼る、亦十九は、十は、陰の數、九は陽の數なり、その陰上にあり、陽却て下にあり、故に女子これを懼る、三十三はその數陽を重、且事の敗績するを、俚語に散々といふ、三三と散々とその訓おなじきをもて、最これをおそるといふ、是究めて謂なし、

〔安齋隨筆〕

〈後編一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0209 一厄年〈○中略〉 我朝にては、厄年と唱る也、水鏡に、三十三を過がたくとあるは、三十四歳の前年なる故也、世俗四十二をいめるも、四十三歳の前年なる故也とぞ、又世俗六十一歳を、本卦がへりといひて祝ふものあり、如此の事は、書をよみ理をわきまへ、死生有命といふことをさとせるものは、信用すべからざる也、

〔華實年浪草〕

〈十二十二月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0209 厄拂、厄落〈靈樞陰陽經曰、凡年忌下上人、大忌常加七歳、十六歳、三十四歳、四十三歳、五十二歳、六十一歳、皆人之大忌也、不自安也、感則病行、失則憂矣、當此時姦事、是謂年忌、張介賓類注、此言年忌、始於七歳以至六十一歳、皆遞加九年者、蓋以七爲陽之少、九爲陽之老、陽數極於九、而極必變、故自七歳以後、凡過九年皆爲年忌、若據此説、四十二歳先年忌自愼也、 紀事曰、四十二歳、男子自落犢鼻褌、是謂不倶利於登志、是亦祓疫之事也、今夜(十二月晦日)乞人以綿巾頭面、自稱疫拂疫落、終夜往來街衢、至晩而止矣、厄、字彙云、五果切臥也、王逸九思悼屈子兮遭一レ厄云々、然則遭災爲厄乎、男子二十五、四十二歳、女子十六、三十三歳、是謂厄年、〉

〔官中秘策〕

〈二十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0209 御厄年之事 一御祈禱、諸大名執行之、於山王神前、或ハ護持院、護國寺等、前年正月、御厄年之御祈禱、前々又ハ其所〈江〉、以使者之、重而以使者御祈禱料遣之、御祈禱發願結願の日限案内有之、結願之日參詣、太刀目録に銀子持參、〈のしめ半襠〉御當厄年は正月御祈禱如前、御祈禱執行之内、爲御見舞、以使者音物遣之、結願之日參詣、右同斷、御厄明之御祈禱、翌年正月勤之、同前厄之時に、御當厄之年、於伊勢兩宮御祈禱執行之名代使者遣之、尤御祈禱料遣之、御祓御札、何れも其所ニ願置候、御當厄御前厄 之御祈禱、於何方執行候旨、年寄御老中之取次迄、爲知候並も有之、被申上給候樣申遣候事、

〔寺社法則〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0210 寬政十一未三ノ三 秋鹿幸藏ヨリ達 大納言樣〈○德川家慶〉御厄除(○○)之儀御先例御糺之事 上之執當より差出候書面如左 此度大納言樣御厄除之御礼被進候、此後大納言樣御年齡被成候迄之間、御幾歳々々ニ而御厄除之御礼被進候哉、御先例可之候間、委細御承知被成度と之御事、 此後ハ、御貳十五(○○○○)、御四十貳(○○○○)、兩度ニ而御座候、尤右兩度ハ、三山其外御祈願所ニ而ハ一統御厄除御祈禱修行仕事ニ御座候、此度御七歳御厄除と申は、日光山計ニ而御修行之御事と奉存候、尚彼山へ相糺、前文之趣相違之儀も御座候ハヾ、尚又可申上候、御尋ニ付此段申上候、 執當兩名 ○按ズルニ、德川家慶、寬政五年ニ生レ、今年方ニ七歳ナリ、

〔吾妻鏡脱漏〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0210 元仁二年〈○嘉祿元年〉十月廿七日甲寅、國道朝臣參武州御亭、申云、今曉、大白入弖(テイ)、御愼文分明歟、隨而日來天變連々出現訖、御所營作事、可延引歟云々、仍被御占、可何年御沙汰哉之趣也、可今年之由各占申、重宗、今明年共不然之由申之、晴賢申云、造内裏以下作事、天變不憚之上、明年若君御年九(○○○○○)、不御造作之御年也、早可成風之功云云、 ○按ズルニ、藤原賴經、建保六年ニ生レ、明年方ニ九歳ナリ、

〔源平盛衰記〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0210 丹波少將上洛ノ事 治承三年二月廿二日、宗盛卿、大納言並大將ヲ上表アリ、今年卅三(○○)ニ成給ケレバ、重厄ノ愼トゾ聞エシ、

〔源氏物語〕

〈十九薄雲〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0210 くちおしう、いぶせくてすぎ侍ぬることゝ、いとよはげに聞え給、卅七(○○)にぞおはし ましける、されどいとわかく、さかりにおはしますさまを、おしくかなしとみ奉らせ給、つゝしませ給ふべき御としなるに、はれ〴〵しからで、月頃過させ給ことだに、なげきわたり侍つるに、御つゝしみなどをも、つねよりも、ことにせさせ給はざりけることゝ、いみじうおぼしめしたり、

〔源氏物語〕

〈三十五若菜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0211 ことしは、卅七(○○)にぞ成給ふ、〈○紫上〉み奉り給ひし年月のことなども、哀におぼしいでたるついでに、さるべき御いのりなど、つねよりとりわきて、ことしはつゝしみ給へ、ものさはがしくのみありて、思ひいたらぬことしもあらんを、なをおぼしめぐらして、おほきなることゞもし給はヾ、をのづからせさせてん、

〔橘庵漫筆〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0211 世俗、四十貳歳(○○○○)は疫年なりとて、俄に鬼神に媚て、奸巫貪覡の爲に財を費して、福を祈り、邪祟なからんことをねがふ、何の據か有て、斯四十二歳を恐るゝや、疫年の説おこがましく記したる書許多あれども、望洋たる杜撰、男子の見る物にあらずと、書名さへ覺へざりき、按るに、男子は大陽にして、其廻れるとし重陰なり、四と二と合て老陰六の數となり、不足すべき陰は、却而有餘の四上に有て、陽を剥する故、恐るゝなり、又女子の純陰なるに、大陽の數三三と並び廻る年故、愼なるべし、その疫を、俄に恐るゝこと、水の溢れ來り、火の疾くうつるがごとし、何んぞ四十二歳に至れば、火災水難の俄に來るがごとく凶事の起らんや、何故これを神に媚、佛に歎きて、幸を求るや、殊に國により、二の正月とて、年替をするなどゝ、親族朋友を招き、大に宴し、美酒佳肴をつらね、饗應善盡こと、冠婚の禮の大なるよりも、甚しくこれを祝へり、其愚の甚しきや、愼べきを却而祝し、大宴を設くるにいたる、是恐るまじきを驚き、愼べきを祝す、これ何事ぞや、己つゝしみて罪を天に得れば避るに所なし、〈○中略〉 或云、四十二は、死と云訓(○○○○)にて、三十三は、散々(○○)と云音なり、故に疫年として忌めりと云へり、何れより出し説かしらず、何んぞ四十二、三十三にかぎるべけんや、一生涯を常疫とし、平素其獨を 愼まば、鬼神巫覡を賴むにまさらん歟、

〔滿濟准后日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0212 永享七年〈○乙卯〉正月廿三日、將軍〈○足利義敎〉御重厄(○○○)御祈、自分愛染護摩、准胝供、如意輪供、聖師供、不動供、以上五壇分、寶池院藥師護摩、炎魔天供、宗親僧正太元供、房仲僧正延命供、 ○按ズルニ、足利義敎、應永元年ニ生レテ、永享七年ハ四十二歳ナリ、

〔親長卿記〕

〈傳奏奉書案〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0212 當年御重厄(○○○)、殊來月御謹愼候、御祈事、一社一同別可丹誠之由、可知賀茂上下社之由被仰下候也、謹言、 四月三十日〈○文明十五年癸卯〉 親長 藏人辨殿 ○按ズルニ、後土御門天皇、嘉吉二年ニ降誕アリテ、文明十五年ハ四十二歳ナリ、

〔鵞峯文集〕

〈七十八哀悼〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0212 西風涙露中〈○中略〉 我人謂余曰、諺稱、四十二歳以爲厄年、是世俗所徧言也、足下其年幸免其厄也、又諺曰、四十四歳而有吉事、則四十九歳亦應之、其有凶事亦相應焉、足下四十四歳而失令弟、今玆四十九歳失令嗣、且麾下士林與足下齡者二人、共失嫡子、然則俗語之讖亦不廢乎、余答曰、四海蒼生幾億萬人、其内同歳者、或吉或凶、何必一一擇同異哉、昔册尊誓曰、日日可千人、諾尊誓曰、日日可千五百頭云々、此是神道秘奧、輙不之、然要之陽長陰消之義乎、死生果是命也、今玆失子者、何必限四十九歳之父哉、余雖悲、何迷俗説哉、

〔朝野群載〕

〈三文筆〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0212 北斗御修法祭文 維康和三年歳次辛巳正月朔壬戌廿一日壬午、吉日良辰、南瞻部洲大日本國太上法皇〈○白河〉敬白、十方三世、一切諸佛、八万法藏、十二部經、地前地上、諸大菩薩、聲聞縁覺、一切賢聖衆、別白本尊、界會、北斗、七星、七曜、九執、廿八宿、王者眷屬、四大天王、司命都尉、天曹都尉、冥官冥道、鎭護國家、諸大明神、乃至盡 空法界、護法天等、殊發一大願、圖北斗曼陀羅七鋪、飾七箇之壇場、修百日之密法、其故何者、今年重厄(○○)可愼、運命多畏、雖俗累、雖佛道、觀念不明、戒律難全、于朝于暮、以慙以懼、仍爲悔罪障永保全壽命、專抽精誠、恭敬供養、側聞、北斗七星者、囊括七曜、照臨八方、上耀於天神、下亘于人間、以司善惡、以分禍福、群星之所朝宗、万靈之所俯仰、若有人作曼陀羅、如法供養禮拜、北斗歡喜、方致擁護、佛陀在上、玄鑒豈疑乎、仰願、北斗七星、還念慈悲、成熟所願、依百日之薰修、彌增百年之壽算、答一心之懇篤、永致一天之安寧、智々之光耀旁朗、消夭孼於無形、照々之明鑒遠施、除不祥於未兆、國家安穩、人庶康和、明德推馨、星宿尚饗、 ○按ズルニ、白河法皇、天喜元年ノ降誕ニシテ、康和三年ハ方ニ四十九歳ナリ、

〔大友興廢記〕

〈十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0213 日州〈江〉御出陣仰出さるゝ事 天正六年戊寅九月下旬に、大友宗麟公、老中田原紹忍、田北鎭周、朽網宗歴、吉岡鑑加、志賀道輝、并に軍配者石宗を召して仰出さるゝは、面々存のごとく、我勇力を以て、九州を多分退治し、日州表も、鹽見、日知世、門河、此三ケ城、又山毛田代の武士も皆相隨ふといへ共、大隅薩摩いまだ其儀なし、此兩國を退治するにおゐては、九州の主とならん、急度思ひ立御出馬をとげられ、先日州高城を攻べし、佐伯惟敎入道宗天と、田北相摸守鎭周に、先陣仰付られんとの御諚也、〈○中略〉其時、軍配者石宗申上るは、御諚尤に存候、〈○中略〉殊以、當年は<ruby><rb>御年四十九の御厄</rb><rt></rb><rt>○○○○○○○○</rt></ruby>に相あたり、弓箭にきらひ所多く御座候、今日仰出さるゝ御弓箭發端の御詞を以て考へ申にも、不吉也、御年により、弓箭に凶月御座候、十月は午の年の大將の大禍の月、十一月は滅門の月なり、究竟軍御座候はん月、御年に不相應に御座候、今迄の御弓箭は、時日も皆吉事に相當り申候、此度はきらひ道多御座候、明年は合戰御座なくして勝利を得給ふ御年に相當り申候、戰はず利を得るを良將と、昔より申候と申上らるるにも、御同心もなく、御座をたゝせらるゝ、

〔水鏡〕

〈序〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0214 此尼、〈○中略〉ことし七十三(○○○)になんなり侍、三十三(○○○)をすぎがたく、さう人なども申あひたりしかば、をかでらは、やくをてんじ給(○○○○○○○)とうけたまはりて、まうでそめしより、つゝしみのとしごとに、きさらぎのはつ午の日まいりつるしるしにこそ、いままで世に侍れば、ことしつゝしむべきとしにて參りつる身ながらも、〈○下略〉

〔台記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0214 久安六年十二月二十四日丙寅、戌刻禪閤〈○藤原忠實〉令已講玄縁供養法相曼荼羅、〈其曼荼羅、今日圖繪、〉於其前、令讀唯識論、依明年御重厄此事、 ○按ズルニ、藤原忠實、承暦二年ニ生レ、本年七十三歳ナリ、

〔吾妻鏡〕

〈二十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0214 寬喜三年十二月廿六日、又爲明年太一定分御厄御祈之、長日勤行、

〔宗長手記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0214 廿五日〈○大永六年十二月、中略、〉京には役おとし(○○○○)とて、年の數、錢をつゝみて、乞食の夜行におとしてとらする事をおもひやりて、 かぞふれば我八十(○○)の雑事錢やくとていかゞおとしやるべき

厄月

〔小右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0214 寬仁三年八月五日己丑、春日行幸、來月伊勢遷宮之後、若十月可遂行、十月御厄月(○○○)、若可忌給乎、吉平申云、厄日(○○)可愼給、厄月不忌給者、被前例了者、 十一日乙未、其間、大進賴國祗候、〈○中略〉事次問申春日行幸明後日可一レ定、有彼是可參之氣色、十月御厄月、若可有乎否之由、内々問吉平、申云、厄日南方不行者爲明、件日大厄日、其日南方不向者、可厄月、只可厄日、十月廿日非御厄日者、余〈○藤原實資〉申云、年厄(○○)、月厄(○○)、日厄(○○)、時厄(○○)、若可侍歟、但雖大厄月、月中無其方、只厄其也、攝政〈○藤原賴通〉命云、然事也、抑御厄月幸遠如何、尋勘前例、小衰月(○○○)有幸遠所之例、是吉平所勘申也者、 九月五日戊午、吉平朝臣云、廿九日御受戒、來月廿日、先日被春日行幸之日、而依御厄日停止、十一月無吉日者、來月廿日、從月建之當御厄日、計月節分、當廿一日、但來月御厄月不南行、仍停止歟、

衰日

〔運歩色葉集〕

〈登〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0215 德日〈衰日事、冠落ヲ曰歡樂之類也、〉

〔拾芥抄〕

〈下末諸事吉凶日〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0215 生年衰日(○○○○) 子午生〈丑未〉 丑未生〈子午〉 寅申生〈巳亥〉 卯酉生〈辰戌〉 辰戌生〈卯酉〉 巳亥生〈寅申〉 假令、子年子時誕生人、子日子時、針灸忌之可推知、又和氣嗣成朝臣云、子午生人、以丑未衰日之説所用也、奧書説不用也、

〔拾芥抄〕

〈下末八卦〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0215 太一定分〈三 九 十五 二十一 二十七 三十三 三十九 四十五 五十一 五十七 六十三 六十九 七十五 八十一 八十七 九十三 九十九百九〉 〈八卦行年、男自丙寅順計之、女自壬申逆計之、假令有五歳男、自丙寅順計、當年庚午、爲行年、有七歳女、壬申逆計、丙寅爲行年、他效之、衰日二類、生年衰日、行年衰日、今世不生年衰日(○○○○○○○○)、〉

〔古今要覽稿〕

〈暦占〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0215 衰日、〈德日〉生年衰日、行年衰日、 衰日は、もと五行家の説なり、皇朝にて用ひられし始、いまだ詳ならず、その衰日といふ義は、たとへば子年に生れし人ならば、子を得て王し、丑にいたりて衰ふ、故に丑を衰日とす、〈○中略〉されば今上天皇、文政九年寶算廿七におはします年は、辰戌を御德日とし、仙洞寶算五十六におはします年は、寅申を御德日とす、大宮御年四十八、女御御年十六、みな寅申を以て御德日とす、今上は寬政庚申に降誕まします、庚申は甲寅旬の内なれば、丙辰を以一とし順に數へて、廿七を見れば、壬午にして、乾卦にあたる、乾巽は辰戌を以て衰ふ、故に辰戌を御德日とす、仙洞は明和八年辛卯に降誕まし〳〵き、辛卯は甲申旬の内なり、即丙戌より數へ、五十六は辛巳にして、離卦にあたらせ給ふ、大宮は、安永九年庚子なり、庚子は甲午旬の内なり、女は壬寅より數ふ、四十八は己丑にして、離卦なり、女御は文政八年乙酉なり、乙酉は甲申旬の内なり、女は壬辰より數ふ、十六は丁未にして離卦なり、即ち仙洞、大宮、女御三所共に、離臥にあたらせ給ふが故に寅申を以て德日となさせ給ふなり、その明年廿八にならせ給ふ年は、丑未を以て德日となさせ給ふなれば、行年衰日は、年々 にかはりて一定せず、生年衰日は一定して、その人生涯かはることなし、故に行年衰日の嚴なるに及ばざるを以て、遂にとゞめられしなるべし、是を德日と稱すること、またいつよりといふことを詳にせず、けだし凶事を吉事といひ、病痾を歡樂といへる例なるべし、

〔年中行事秘抄〕

〈正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0216 廿五日 始外記政事 御齋會終日、外記令吉日、申殿下之後披露之、十六七日間歟、避御衰日(○○○)并執柄衰日(○○○○)歟、撿非違使 廳政同日行之、

〔本朝世紀〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0216 天慶二年十二月二十二日戊午、除目延引、太政大臣依聊所腦參入、立春之後、主上御衰日(○○○○○)之故也、

〔小右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0216 長和二年二月廿六日戊子、源中將朝臣雅通、使將監保信申云、有止之事、罷下於國、來月十餘日可上手結間、不罷會、可他將等可著行之由、唯手結、來月三日被行宜歟者、答云、來月三日廢務日、可便、十一日射禮、彼日以前、撰吉日行也、引見暦四日宜、而六日行眞手結、當衰日(○○)改月之後衰日、初給饗祿如何、五日凶會、六日衰日、七日坎日、八日宜、而重日、改月被之、最初月重複日、可便歟、九日吉日、彼日可宜歟、眞手結十日行之、有何事乎、雖連日、於吉日、可傍難歟、至後年、五日荒手結、七日眞手結行之可宜、但至日事、可陰陽師之由且仰之、只大略所仰也、

〔左經記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0216 長元元年七月十一日甲辰、關白殿〈○藤原賴通〉仰云、盆事、依天暦八年村上先帝令供給供也、但十四日衰日(○○)也、仍十五日可供也、仍十五日可供者、熟食可調備也、但不御衰日、院宮所々者雖熟食、唯任例十四日被寺有何事乎、

〔續古事談〕

〈一王道后宮〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0216 堀川院御時ノ逍遙ニ、序代カクベキ人ナカリケリ、大業藏人國資無才ノ者ニテ人ユルサズ、五位藏人時範カキテケリ、其日、主上、殿上ニテ、人々ニ連句イハセ給ケルニ、國資ニ、末句イヘト被仰ケレバ、今日ワタクシノ衰日也、ハヾカリアリト申ケレバ、主上、殿上ノ暦ヲ召テ 御覽ズルニ、巳日也、巳日衰日イマダナキ事也(○○○○○○○○○○○)、君ヲアザムキ申、連句イハヌホドノモノ、イカデカ博士ニナルベキト被仰ケル、今モ昔モ無才ノ博士ハアルモノナリケリ、

〔中右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0217 大治五年十二月廿四日、以頭弁仰云、來廿六日初可御三條西御所也、而晦日節分御方違必可有也、其前初御幸日次不見如何、廿七日未日御衰日、廿八日申日、廿九日往亡、卅日沒日也、此等中可何日哉可定申、人々多御衰日吉事例多、可廿七日也、予申云、往亡沒日ハ全不可候、衰日與申日之間、重被陰陽師、隨申可出御歟、藤大納言殿下被問、又以頭弁仰云、廿七日御衰日、人々多申先例之由、然者廿七日初御幸可有者、 廿七日乙未、今日院〈○鳥羽〉女院雖御衰日、依僉議、初御幸東殿云々、

〔江談抄〕

〈一公事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0217 八十島祭日可主上御衰日(○○○○○)事 又云、八十島祭者、多以酉日使立并行祭日、若日次不宜之時雖之、使立并行祭日之間一日用酉日、而延喜聖主十四歳之時、被件使、酉日御衰日也、主上廿二歳、仍以酉日御衰日(○○○○○○○)、依然又避之、同祭日、猶被儲君御衰日(○○○○○)例、 又曰、延久之時、雖主上御衰日、以儲君御衰日又避之、

〔吾妻鏡脱漏〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0217 嘉祿三年〈○安貞元年〉四月廿二日庚午、武州〈○北条泰時〉渡御大倉御堂、於此所陰陽道之輩、被新造堂供養之事、可六月十九日之旨、自京都擇申、其以前難土木之功、七月十一日正日以前、日次可計申、五日壬午可何樣哉者、晴幸、文元申云、午日將軍御衰日(○○○○○)也、尤可憚云云、泰貞申云、將軍家御衰日、二位家第三年御佛事非憚歟、但十一日戊子無難日也、可之歟云云、親職、宣賢申云、戊子不吉之上、丈六供養無先規、五日宜云云、各申状既不一揆之間、如駿河前司之衆議云、將軍家御衰日、無憚之儀、附三寶吉日可五日之由被定畢、淸和天皇御宇貞觀三年辛巳三月十四日戊子、東大寺供養也、

〔葉黄記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0218 寬元五年〈○寶治元年〉正月五日己未、叙位儀、雖公家之御衰日(○○○○○○)、明日依申日滅日、今日被之、殿下於里亭申文内覽、勾勘參仕了、

〔滿濟准后日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0218 永享二年八月七日、爰自室町殿、以赤松上總介仰樣、今夜以外御窮屈也、明日ハ例日、九日ハ御德日候(○○○○○○○)、來十日御連歌可在候、

〔康富記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0218 文安元年七月廿九日丙午、室町殿御衰日(○○○○○○)〈子午〉也、仍昨日大略近習方輩、八朔之御禮被進納云々、

〔拾芥記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0218 永正七年正月九日、室町殿、毎度十日雖御參内、去年冬之負御手、御平愈以後、初御參之條、十日就禁裏御德日(○○○○○)、今日御參内也、

〔御湯殿の上の日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0218 永祿五年四月十一日、わか君御たん正にて、ぶけへ御むま御たち、あすは御とく日(○○○○)とて、けふ、くわんじゆ寺一位を、ながはしへめしていださるゝ、

〔堯恕法親王記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0218 寬文七年七月七日、但十二日は主上御衰日可遠慮事也、

本命日

〔和漢名數續編〕

〈歳時〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0218生年本命之十幹圖訣 其年數滿十則除之、只用其奇、而數之、二十歳、三十歳、至九十歳、百歳亦然、自當、〈○圖略〉 年之干、逆數而至其奇之盡處、爲生年之干、假如、今年丙歳十五歳人、先除其十、自丙逆數而至五、則知其生年是壬歳、如十歳或二十歳三十歳之類、無奇數者、認今年之次年生年之干、假如、今年丙年三十歳之人、以翌年丁歳生年之干、餘傚之、〈是篤信臆説也〉

〔禁秘御抄〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0218 佛事次第〈○中略〉 御本命日、必可御精進、他所善事等又同、不懈怠

〔續日本後紀〕

〈十三仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0218 承和十年七月辛丑、修嵯峨太上天皇周忌齋會、先是有司奏言、周忌齋日的在七月十五日壬寅、伏按朝章、至凶事、三宮本命之日(○○○○○○)猶且忌避、而況重于太皇太后及聖上御本命(○○○○○)乎、伏請 齋會之期却取十四日辛丑也、有司所奏僉以爲宜、太皇太后亦許之、而中納言源朝臣信、參議源朝臣弘等執奏言、臣等奉遵顧命、期不違失、今如斯議遺誥、何者遺誥曰、勿俗事、然則何須拘忌、又曰、送葬勿三日、縱當彼時、三日之内有寅者避之耶、又後年周忌、或有寅日、亦猶避之耶、上因發熱面議、勅令大納言藤原良房朝臣與諸公卿議定、奏曰、本命之日不凶事、夐古之蹤、非據、謹案遺詔、勿俗事、蓋謂鄕曲所忌碎事、非朝家行來舊章、又當彼時、三日之内如有避則避之無周忌之齋會、臣子縞素、凡厥擧動總是不祥、是以忌之耳、後年國忌豈可與同乎、偏守一隅、不是通論、源朝臣等無復駁議、仍停壬寅、一取玆辛丑焉、

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0219 治承二年十一月十日己巳、本命日(○○○)、泰山府君祭(○○○○○)、恒例事(○○○)也、 建久二年十一月廿四日己巳、此日本命日、泰山府君祭也、 ○按ズルニ、此ニ據レバ藤原兼實ノ生年久安五年己巳ナリ、而シテ其薨去ハ承元元年ナレバ、 年五十九ナルヲ、大日本史ニ六十歳ニ作ルハ誤ナリ、

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0219 建久八年四月二日乙巳、今日巳時、有北斗本拜事、依宿曜師慶算申也、假令巳年生人、巳年巳月巳日巳時、向巳方本命星(○○○)也、十三年一度廻遇云々、其儀、著衣冠〈淸淨新衣也〉持念誦拜之前、敷淨薦、立白木案、花瓶一口、〈差時花〉火蛇一口、〈爇名香〉小幣帛九本、〈七星外加羅計料、鳥羽院御拜時如此云々、〉南庭儲座、刻限降居其座、先拜本名星武曲星十二反、次更拜七星各一反、〈但武曲星加今一拜、爲輔星也、又七星外、羅計爲一反之、〉次歸昇、中宮巳御歳也、中將又同、仍各有此拜、今旦先洗頭也、

〔後鳥羽院宸記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0219 建保二年四月六日庚子(○○)、未一點出馬場例、依本命日、令精進、 ○按ズルニ、後鳥羽天皇ハ、治承四年庚子ニ降誕アリ、

〔本命的殺精義〕

〈上凡例〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0219 一本命といふは、兩般也、所謂〈本命星、干支命、〉共に本命精神也、偖此精神年月日時四課に旋る、此方を稽首し祭祀すれば幸福を發す、又これに反して、轉居修造動土伐木等にて破り犯 せば、精神敗壞す、玆におゐて、本命的殺(○○○○)といふべし、〈○中略〉 一當時行れる本命的殺は、誕生の年の干支の飛宮にして、干支の的殺、原本大明の郭氏元經に創て開く法なり、惜むべし、干支の旋りを誤たり、嗚呼哀哉、千慮の一失乎、 本邦此弊を承用して、爾來大に行れ、屢生命を害す、小子、一日粲然として、干支本命飛宮の正義を得たり、玆におゐて、三元三六一百八十人を一面の圖に撿する盤を布て、干支本命的殺の精義に備ふ、尤星の的殺とは異なり、必ず混ずることなかれ、蓋方位の撰擇、本命兩的殺を以て緊要とす、若し齟齬するときは、吉凶一も用に不足、殆ど杜撰の妄説なり、

〔日本後紀〕

〈十二桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0220 延暦二十三年八月壬子、暴雨大風、中院西樓倒、打死牛、又墮壞神泉苑左右閣、京中廬舍、諸國多蒙其害、天皇生年在丑(○○○○)、歎曰、眹不利歟、未幾不豫、遂棄天下、 ○按ズルニ、桓武天皇ハ、天平九年丁丑ノ降誕ナリ、

〔叡岳要記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0220 總持(初度)院供養〈○中略〉 桓武聖主廢長岡京、遷平安城之時、雲峯峙帝都之丑寅、嵐徑成鬼門之凶害、當于時、大師〈○最澄〉自開伽藍之基趾、聖主深恃叡山之護持、自爾以降、以當山、爲皇帝本命道場(○○○○○○)、

〔慈覺大師傳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0220 三年〈○嘉祥〉春三月、皇帝〈○仁明〉崩、太子〈○文德〉即位、〈○中略〉奏曰、除災致福、熾盛光佛頂、是爲最勝、是故唐朝道場之中、恒修此法、鎭護國基、街西街東諸内供奉持念僧等、互相爲番、奉寶祚、又街東靑龍寺裏、建立皇帝本命道場(○○○○○○)、勤修眞言秘法、今須立持念道場護摩壇、奉爲陛下此法、唯建立處、先師昔點定矣、書奏、降詔曰、眹特發心願、於彼峯立總持院、興隆佛法

物忌

〔貞丈雜記〕

〈十六神佛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0220 一物忌と云事は、夢見惡きか、又は何ぞ怪き事有て、氣に懸る事有時、陰陽師に占はすれば、是は大事の事也、幾日が間つゝしみ給へといふ時、其日數、他所へもゆかず、家内に引こもり居て、人にも逢はず、謹みて居る也、其間は、柳の木を三分計りに削りて、物忌と書附て、糸を附て、 しのぶと云草のくきにゆひ附て、冠にもさし、簾にもさし置也、白き紙を小く裁て、物忌と書く事もあり、しのぶ草の一名を、ことなし草とも云故、用るなるべし、

〔拾芥抄〕

〈上本物忌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0221http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_hou003101.gif 羅衞國中有桃林、其下有一大鬼王、號物忌(○○)、其鬼王邊、他鬼神不寄、爰大鬼神王誓願、利益六趣有情、實吾名號者、若人宅物怪屢現、惡夢頻示、可諸凶害之時、臨其日吾名門、其故他鬼神不來入、書吾名人、人如影可守護、〈儀軌〉

〔江次第抄〕

〈一正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0221 四方拜〈○中略〉 御物忌 物忌、鬼神王之名、依其人年愼之日、件日禁一家人之出入也、

〔江家次第〕

〈三正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0221 御齋會始 御物忌儀、〈裝束司記文、御簾懸庇云々、先例不然、行成大納言懸廂、禪閤勘當云々、〉

〔侍中群要〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0221 御物忌 四(家)衞府 御厨子所 上下御膳宿所 進物所 造酒内侍 藥殿 贄殿 内膳 日次所 主 水内侍 内侍所 瀧口 殿上 女房 御(家)物忌、當御讀經時、御物忌者、附母屋御簾、爲廂也、〈又説云猶廂云々〉東御障子以北不附、 簡(家)日給之後不袋、但以面對壁立之、 御(家)物忌數多、抄出書二紙、明年節中待御暦出來取其日、同以壁書云々、外宿人及子時殿、 御物忌 御(式)物忌〈御樂事、若其事、〉 其月其日々々々令書出、納押殿上北壁西第二、於陪膳々々々々々々々 明年其月其日節、陪膳番下、 毎恠事仰召遣候處、陰陽師於所座申吉凶之由、即奏其文、有仰下給御卜方文、給出納 書注黏押也、 至于大事、只仰諸陣、所々可重忌、有仰外宿之人參之、 出納書御物忌給、所々御厨子所、諸陣等、御物忌之日、早旦出納若小舍人書之、小舍人持參御物忌北壁、 附體 御物忌 附御簾http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_hou022201.gif 額際 藏人取之附來御簾、昆明池御障子南七箇間、朝餉三間、大盤所二間、并鬼間上〈太留〉御簾、〈格子遠下間ニハ不 附〉渡殿〈或時、件西北御簾無之、〉御裝物所等也、〈附時、藏人以箸隨身、〉御物忌時、不御座覆、上下小蔀、有説々、近代鎭上應 召奏文、書人先候年中行事御障子邊、入第一間御簾南方石灰壇上、 御物忌出御南殿事 侍(家)臣雖參不殿上、若行幸之時、雖奉御共壇上云々、 御物忌召上卿事 上(家)卿於陣令案内、隨召參上矣、若庭中役者奉仕、不殿上云々、〈大納言雅信被陣矣、左兵衞督濟時直以候、此説兩端也、〉

〔禁秘御抄〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0222 御物忌 御物忌之時、總不御他殿舍中、諸事於簾中之、或出御廣廂、不固之時例(○○○○○)也、凡如四方拜者、雖御物忌或出御東庭、於小朝拜出御、是匡房申、依神明天道也、然者如御禊多出御廣廂也、同記、元三御物忌、如女官後取等參籠、他人外宿、候殿上、不御前也、寬治七年小朝拜、出御外宿人列立、節會無出御、不必云々、同記、御物忌時、初參籠人、丑時可之、或記曰、佛名之時、丑後公卿追參、加名謁、此儀同之、又不重被破常事也、御物忌數日相續不快例也、少々依輕可破事也、八卦并祿命(○○○○○)等、同只時、但延久元年三月、八幡行幸還幸日、〈十六日〉當八卦并祿命御物忌、如此例少々有之歟、同御物忌或不固也、見新撰陰陽書、京極關白、〈○藤原師實〉曰、宇治殿、〈○藤原賴通〉於祿命御物忌或固或不固、多有御行、只任意云々、依月建之、或依節計之、兩説也、匡房記、師房不門、宇治京極或鎖或不鎖、禁中御物忌時諸禮、近代公卿參籠極難叶、仍多不重破之、近代万事如此、物忌不御字、以柳造簡、〈三分許〉指御冠纓上御、放本鳥時、附左御袖、〈書紙、白紙也〉丑杭以後參入人不候、以前可參歟、大内儀、諸司皆各別也、郭内猶不參、在淸少納言記、職曹司候人不參内、里内之間、陣中家居人、准大内大垣内參、尤不子細也、御物忌、諸陣立札、御殿之御簾毎間付物忌、〈書紙屋紙〉外宿人不御前、凡依物忌淺深、堅固時殊重也、主上努々不御簾外、毎日御拜時、不御簾、二間仁王講僧、雖外宿或參上直參籠歟、二間不物忌、切簾(キリミス)ニモ不附、人出入間不附也、外〈ノ〉供御不之、但御持僧加持奉或供之、可時議、殿上大臣小大盤不立、大臣參籠、不普通之故也、不倚子覆、不小蔀、裏返簡、御燈并臨時祭等御拜如例、出御常事也、附御物忌也、又於簾中之、或卷御簾一間、或不卷、先例不同、御拜伊勢幣多石灰壇也、其時御笏自鬼間之、御燈ナンドハ於晝御座間之、寬治四年三月御燈、當御物忌、暫撤晝御座、其間供御座、上廂御簾、垂母屋御簾、附御物忌、宮主在東庭砌下、御簾卷不卷兩説也、官奏、御裝束、卷御座間庇御簾、〈不物忌〉垂額間御簾、〈附物忌〉母屋御簾皆垂、附物忌、但額間融リニハ不物忌、〈依出入之間也〉不母屋几帳、掌燈除當間南北間、大臣進退有便之故也、是永久二、大治五、以延久之嘉例定、匡房執申、可指南、諸穢皆大内別司各穢也、不禁 中、禁中穢又不諸司、有穢ニモ仰諸陣札、

〔世俗淺深秘抄〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0224 一物忌日神社へ不參、此事破物忌行幸、并私物詣等雖其例、又行幸供奉人依物忌社頭例有之、於其理分明、然而所見及之、如知足院入道〈○藤原忠實〉憚之歟、京極關白〈○藤原師實〉不之也、猶憚條無其謂歟、

〔江談抄〕

〈二雜事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0224 行成大納言、雖堅固物忌(○○○○)、依召參内事、 又云、行成大納言爲藏人頭之時、依堅固物忌居里亭之間、自禁中大切事召、令參上時、於殿 上俄心神失度、乍恐參淸凉殿、主上先識其氣色、揚音タソアレハト被仰、即應御音朝成、留御簾 限、行成入御前此難云々、是則行成祖父小一條大將(濟時)與朝成大納言敵人陵云々、

〔枕草子〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0224 ゑんゆうゐんの御はての年、みな人、御服ぬぎなどして、あはれなる事を、おほやけよりはじめて、院の人も、花の衣になどいひけむ世の御事など思ひ出るに、雨いたうふる日、藤三位のつぼねに、みのむしのやうなるわらはの、おほきなる木のしろきに、たて文をつけて、これ奉らんといひければ、いづこよりぞ、けふあす御物いみ(○○○○)なれば、御しとみもまいらぬぞとて、しもはたてたるしとみのかみよりとりいれて、さなんとはきかせたてまつらず、物いみなれば、え見ずとて、かみについさしてをきたるを、つとめて、手あらひて、其卷數とこひて、ふしおがみてあけたれば、くるみいろといふしきしのあつごえたるを、あやしと見てあけもてゆけば、老ほうしのいみじげなる手にて、 これをだにかたみとおもふに都には葉がへやしつるしゐしばの袖 とかきたり、

〔小右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0224 寬仁三年六月七日壬辰、今明物忌、又今日厄日、修諷誦淸水寺、又令金鼓、只閉西門(○○○○)、 十二月三十日壬子、今明物忌、依歳暮日門、

〔左經記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0225 長元元年七月八日辛丑、有召、參關白殿、〈○藤原賴通〉依御物忌、於門外事由、仰云、炎旱日久、農民有愁之由云々、

〔今昔物語〕

〈二十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0225陰陽術人語第十八 今昔、主計頭ニテ小槻ノ糸平ト云者有ケリ、其子ニ算ノ先生ナル者有ケリ、名ヲバ茂助〈○茂助二字原缺、今據一本補、下同、〉トナム云ケル、主計頭忠臣ガ父淡路守大夫ノ史泰親ガ祖父也、其茂助ガ未ダ若カリケル程ニ、身ノ才極テ賢クシテ、世ニ並无カリケレバ、命有ラバ、人ニ勝レテ、止事ナク成ヌベキ者也ケレバ、同ジ程ナル者共、何デ此无クテモ有レカシ、此レガ出立ナバ、主計主税ノ頭助ニモ大夫ノ史ニモ、異人ハ更ニ可競キ樣无ナメリ成リ、傳ヘ來ル孫ナルニ合セテ、此ク才賢ク心バヘ直シケレバ、只六位乍ラ世ニ聞エ有テ思エ高ク成リ持行ケバ、无クテモ有カシト思フ人ニハ有ニヤ有ラム、而ル間、彼ノ茂助ガ家ニ怪ヲ爲シタリケレバ、其時ノ止事无キ陰陽師ニ物ヲ問ニ、極テ重ク可愼キ由ヲ占ヒタリ、其ノ可愼キ日共ヲ書出シテ取セタリケレバ、其ノ日ハ門ヲ強ク差シテ、物忌シテ居タリケルニ、彼ノ敵ニ思ヒケル者ハ、驗シ有ケル、隱レ陰陽師ヲ吉ク語ヒテ、彼ガ必ズ可死キ態共ヲ爲サセケル、此事爲ル陰陽師ノ云ク、彼ノ人ノ物忌ヲシテ居タルハ、可愼キ日ニコソ有ナレ、然レバ其日詛ヒ合セバゾ驗ハ可有キ也、其レニ己レヲ具シテ其ノ家ニ御シテ呼ビ給ヘ、門ハ物忌ナレバヨモ不開、只音ヲダニ聞テバ必ズ詛フ驗ハ有ナムト、然レバ其人、其陰陽師ヲ具シテ、カレガ家ニ行テ門ヲ愕タヾシク叩ケレバ、下衆出來テ、誰ガ是ノ御門ヲバ叩ゾト問ヘバ、某ガ大切ニ可申キ事有テ參タル也、極ク固キ物忌也ト云フトモ、門ヲ細目ニ開テ入レ給ヘ、極タル大切也ト令云レバ、是ノ下衆返入テ此ナムト云ヘバ、糸破无キ事カナ、世ニ有ル人ノ身思ヌヤハ有ル、然レバ否開テ入レ不奉マジ、更ニ不用也、疾ク返リ給ヒネト令云タレバ、亦云ヒ令入ル樣、然ラバ門ヲバ不開給ハト云トモ、其遣戸ヨリ顔ヲ差出給ヘ、自ラ聞エント、其時ニ、天道ノ許シ有テ、可 死キ宿世ヤ有ケム、何事ゾト云テ、遣戸ヨリ顔ヲ差出タレバ、陰陽師、其音ヲ聞キ、顔ヲ見テ、可死態ヲ可爲キ限リ詛ヒツ、此具シテ會ハムト云フ人ハ、極キ大事云ハムト云ツレドモ、可云キ事モ不思エリケレバ、只今田舍ヘ態其由申サムト思テ申シツル也、然バ入給ヒネト云ケレバ、茂助大事ニモ非リケル事ニ依テ、物忌ニ此ク人ヲ呼ビ出テ、物モ不思エ主カナト云テ入ニケリ、其夜ヨリ頭痛ク成テ、惱ミテ三日ト云ニ死ニケリ、是ヲ思フニ、物忌ニハ音ヲ高クシテ、人ニ不聞カ、亦外ヨリ來ラム人ニハ、努々不會、此ノ樣ノ態爲ル人ノ爲ニハ、其ニ付テ詛フ事ナレバ、極テ怖キ也、宿報トハ云乍ラ、吉ク可愼シトナム語リ傳ヘタルトヤ、

〔爲房卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0226 應德二年十月十四日乙亥、祿命易筮之物忌(○○○○○○○)、旁依相遇、今日閉蓬戸籠居、入夜參殿、依指召也、〈有降生事

〔中右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0226 永長二年、〈○承德元年〉四月廿六日己酉、午時許參内、今日有幸感神院、〈御物忌乙日(○○○○○)也、但兼日有御卜、吉祥之由所卜申也、〉是前一條院春日行幸御物忌、近則去三月春日行幸還御八卦御物忌也、復推所告、依無事皆被一レ遂也、

〔台記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0226 保延二年十月三十日甲子、今日又大殿〈○藤原忠實〉灸治也、予雖堅固物忌(○○○○)參也、大殿被仰曰、物忌條如何、予答曰、去二十八日、雖陣定、依御灸治不參、而今日私物忌日、不御灸治ハ、輕公事テ重私事、尤有恐事也、雖物忌父破、居家去忌ニハマサリナム、大殿被仰曰、此事有其理、雖然小彊御灸治了、參宮、次退出、

〔宇治拾遺物語〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0226 これもむかし、大膳亮大夫橘以長といふ藏人の五位ありけり、宇治左大臣殿〈○藤原賴長〉より召ありけるに、今明日は、かたき物忌(○○○○○)をつかまつる事候と申たりければ、こはいかに世にあるものゝ物忌といふことやはある、たしかにまいられよとめしきびしかりければ、恐ながらまいりにけり、さるほどに、十日ばかりありて、左大臣殿に、よにしらぬかたき物忌いできにけり、御かどのはさまにかいたてなどして、仁王講おこなはるゝ僧も、高陽院のかたの土戸より、章 子などもいれずして、僧ばかりぞまいりける、御物忌ありと、この以長聞て、いそぎまいりて、土戸よりまいらんとするに、舍人二人居て、ひとないれそと候とて、たちむかひたりければ、やうれ、おれらよ、めされてまいるぞといひければ、これらも、さすがに職事にてつねにみれば、力及ばでいれつ、まいりて藏人所に居て、なにとなく聲だかにものいひゐたりけるを、左府きかせ給ひて、このものいふはたれぞととはせ給ければ、盛兼申やう、以長に候と申ければ、いかにか計かたき物忌には、夜べよりまいりこもりたるかと、尋よと仰ければ、行ておほせの旨をいふに、藏人所は、御所よりちかゝりけるに、くは〳〵と大聲して、輕からず申やう、過候ぬる比、わたくしに物忌仕て候しに、めされ候き、物忌のよしを申候しを、物忌にいふ事やはある、たしかにまいるべきよし仰候しかば、まいり候にき、されば物忌といふ事は候はぬとしりて候也と申ければ、きかせ給て、うちうなづきて、物もおほせられでやみにけりとぞ、

〔台記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0227 保延二年十月十日甲辰、今明予〈○藤原賴長〉雖物忌、明日依著座、今日モ不物忌簡(○○○○○)、簾ニモ不物忌(○○○○)、〈大殿(賴長父忠實)仰、〉不出行

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0227 治承五年五月十八日癸巳、權漏刻博士菅野季親、相具其子季長來所、召問五兆占事也、此日易物忌(○○○)也、

〔吾妻鏡〕

〈三十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0227 嘉禎四年〈○暦仁元年〉正月廿日丁卯、御弓始也、今年依御物忌、不此儀之由、窮冬雖定、故被之、

〔今昔物語〕

〈二十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0227 播磨國鬼來人家射語第廿三 今昔、播磨ノ國 ノ郡ニ住ケル人ノ死ニタリケルニ、其後ノ拈ナド爲サセムトテ、陰陽師ヲ呼籠タリケルニ、其ノ陰陽師ノ云ク、今某日、此ノ家ニ鬼來ラムトス、努々可愼給シト、家ノ者共此ノ事ヲ聞テ、極ク恐ヂ怖レテ、陰陽師ニ、其レヲバ何カヾ可爲ト云ヘバ、陰陽師、其ノ日物忌ヲ吉ク可 爲也ト云フニ、既ニ其日ニ成ヌレバ、極ク物忌ヲ固クシテ、其ノ鬼ハ、何ヨリ何ナル體ニテ可來ナリト、陰陽師ニ問ケレバ、陰陽師、門ヨリ人ノ體ニテ可來シ、然樣ノ鬼神ハ、橫樣ノ非道ノ道ヲバ不行ヌ也、只直シキ道理ノ道ヲ行ク也ト云ヘバ、門ニ物忌ノ札ヲ立テ(○○○○○○○○○)、桃ノ木ヲ切塞ギテ(○○○○○○○○)、法ヲシタリ、而ル間、其ノ可來シト云フ時ヲ待テ、門ヲ強ク閉テ、物ノ迫ヨリ臨(ノゾケ)バ、藍摺ノ水干袴著タル男ノ、笠ヲ頸ニ懸タル、門ノ外ニ立テ臨ク陰陽師有テ、彼ゾ鬼ト云ヘバ、家ノ内ノ者共、恐ヂ迷フ事无限シ、此ノ鬼ノ男、暫ク臨キ立テ、何ニシテ入ルトモ不見エテ入ヌ、然テ家ノ内ニ入來テ、竈戸ノ前ニ居タリ、更ニ見知タル者ニ非ズ、然レバ家ノ内ノ者共、今ハ此ニコソハ有ケレ、何樣ナル事カ有ラムトスラムト、肝心モ失テ思ヒ合タル程ニ、其ノ家主ノ子ニ、若キ男ノ有ケルガ、思フ樣、今ハ何ニストモ、此ノ鬼ニ被噉ナムトス、同死ニテ後ニ、人モ聞ケカシ、此ノ鬼射ムト思テ、物ノ隱ヨリ、大ナル鴈箭ヲ弓ニ番テ鬼ニ指宛テヽ、強ク引テ射タリケレバ、鬼ノ最中ニ當ニケリ、鬼ハ被射ケルマヽニ、立走テ出ヅト思フ程ニ、搔消ツ樣ニ失ニケリ、箭ハ不立ズシテ、踊返ニケリ、家ノ者皆此レヲ見テ、奇異キ態シツル主カナナド云ケレバ、男同ジ死ニテ後ニ、人ノ聞カム事モ有リト思テ、試ツル也ト云ケレバ、陰陽師モ、奇異ノ氣色シテナム有ケル、其ノ後其ノ家ニ、別ノ事无カリケリ、然レバ陰陽師ノ構タル事ニヤ有ラムト可思キニ、門ヨリ入ケム有樣ヨリ始メテ、箭ノ踊返テ不立ザリケム事ヲ思フニ、只物ニハ非ザリケリト思ユル也、鬼ノ現ハニ此ク人ト現ジテ見ユル事ハ、難有ク怖シキ事也カシトナム語リ傳ヘタルトヤ、

八卦忌

〔拾芥抄〕

〈下末八卦〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0228 八卦忌事 謂、遊年、禍害、絶命方等、件三方不犯土造作云々、但強不造作云々、又遊年未申之年、不犯土造作、坤皆斷年也、〈例、圓融院御宇、永觀元年八月二十七日、内裏棟上、〉凡八卦之忌、自四十五日置宿所忌、不自他領云々、〈公家、遊年、禍害、絶命、鬼吏等方、令忌避給、凡人遊年外不忌歟、〉 普通之習、從立春節居住所忌避也、一説云、今所渡住之全過四十五日之後、自件所忌避、凡領地之内、雖禁忌方、他人犯土造作不忌避云々、雖郭邑之内忌、但可土氣法云々、是宗明朝臣之説也、假令大將軍王相在南方之時、不遠近領地、可南件地奴婢之類、可犯土之時事也、近邊之時、可土氣之法也、

〔五行大義〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0229 第二十三論、諸人就此分二段、〈○中略〉第二者論人遊年年立、 遊年凡有三名(○○○○○○)、而爲二別、三名者、一遊年(○○)、二行年(○○)、三年立(○○)、遊年之名、皆以運動不住爲義、以其隨歳行遊不一レ一所也、年立即是行年、立者是住立爲義、以其今年立於北辰也、就人而論、常行不息、故謂曰行、就歳而論、今之一歳年住於此、故謂之立、二別者遊年從八卦而數(○○○○○○○)、年立從六甲而行(○○○○○○○)、六甲者、男從丙寅左行、女從壬申右轉、並至其年數而止、即是行年所至立於其處也、若欲知之者、男以實年二算而左數、女以實年一算而右數、並從甲子旬始盡其算、即是立處也、所以男從丙寅、何者日生於寅、日爲陽精、男從陽、故取日丙大陽、故取丙以配寅、女從壬申數、何者月生於申、月爲陰精、女從陰、故取月壬大陰、故取壬以配申、陽故左行、陰故右轉、

〔二中歴〕

〈五八卦〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0229 傍通〈○中略〉 遊年 離(ミナミ) 坤(ヒツシサル) 兊(ニシ) 乾(イヌイ) 坎(キタ) 艮(ウシトラ) 震(ヒンカシ) 巽(タツミ) 禍害 艮 震 坎 巽 兊 離 坤 乾 絶命 乾 坎 震 離 坤 巽 兊 艮 鬼吏 坎 震 離 巽 坤 離 乾 兊 生氣 震 艮 乾 兊 巽 坤 離 坎 養者 坤(ヒツシサル) 離(ミナミ) 艮(ウシトラ) 坎(キタ) 乾(イヌ井) 兊(ニシ) 坎(キタ) 離(ミナミ) 天醫 兊 巽 離 震 艮 坎 乾 坤 福德 巽 兊 坤 艮 震 乾 坎 離 衰日 寅申 卯酉 子午 辰戌 丑未 丑未 卯酉 辰戌 謂、遊年禍害絶命鬼吏所在當之、其王相時愼勿往、衣服石藥勿其方色、一云、其鄕隨其物類、去舍三百歩内、雖身不一レ往、害人作病、〈今案、動土造作遠行市買逃亡避病嫁娶移徒等百事凶、〉其遊年下仕佛神大吉、生氣〈一云續命〉求利療病遷移皆百倍、又著其方衣〈離朱、坤黄、兌白、乾紫、坎黑、艮紅、震靑、巽綠、〉養者福德宮百年吉慶天醫方避病迎師吉、衰日庶事忌之、但修善出行宜云々、

〔拾芥抄〕

〈下末八卦〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0230 遊年、〈離午〉禍害艮、〈丑寅〉絶命乾、〈戊亥〉鬼吏子、〈北坎〉生氣卯、〈東震〉養者坤、〈未申〉天醫西兊、〈酉〉福德巽、〈辰巳〉衰日、〈申寅〉 小衰正五十二月、〈五十二日、二十八日、〉大厄十月、〈二日、九日、十七日、二十五日、不北行、〉 觀音經〈○中略〉 遊年坤、〈未申〉禍害震、〈東卯〉絶命坎、〈北子〉鬼吏、〈東卯〉生氣艮、〈丑寅〉養者離、〈南午〉天醫巽、〈辰巳〉福德兊、〈西酉〉衰日、〈卯酉〉 小衰六十二月、〈十三日、二十九日、〉大厄二七月、〈三日、八日、十日、不北行、〉仁王經、〈○中略〉 遊年兊、〈西酉〉禍害坎、〈北子〉絶命震、〈東卯〉鬼吏離、〈南午〉生氣乾、〈戌亥〉養者艮、〈丑寅〉天醫、〈南午〉福德坤、〈未申〉衰日、〈子午〉 小衰七月、〈十日、十四日、二十三日、〉大厄正五十一月、〈一日、五日、不東行、〉金剛經、〈○中略〉 遊年乾、〈戌亥〉禍害巽、〈辰巳〉絶命離、〈南午〉鬼吏巽、〈辰巳〉生氣兊、〈西酉〉養者坎、〈北子〉天醫震、〈東卯〉福德艮、〈丑寅〉衰日、〈辰戌〉 小衰五月〈十五、二十三、〉大厄二三四九月、〈六月十三日、十四、二十九日、不南行、〉理趣經、〈○中略〉 遊年坎、〈北子〉禍害兊、〈西酉〉絶命坤、〈未申〉鬼吏坤、〈未申〉生氣巽、〈辰巳〉養者乾、〈戌亥〉天醫艮、〈丑寅〉福德震、〈東卯〉衰日、〈丑未〉 小衰正六七月、〈十六日二十日〉大厄三十十二月、〈七日、十日、二十日、不西南行、〉金剛經、〈○中略〉 遊年艮、〈丑寅〉禍害離、〈南午〉絶命巽、〈辰巳〉鬼吏離、〈南午〉生氣坤、〈未申〉養者兊、〈西酉〉天醫坎、〈北子〉福德乾、〈戌亥〉衰日、〈丑未〉 小衰、三四九十月、〈二日、九日、二十五日、〉大厄、四五十一十二月、〈五日、十五日、二十五日、不南行、〉佛名經、〈○中略〉 遊年震、〈東卯〉禍害坤、〈申未〉絶命兊、〈西酉〉鬼吏乾、〈戌亥〉生氣離、〈南午〉養者坎、〈北子〉天醫乾、〈戌亥〉福德坎、〈北子〉衰日、〈卯酉〉 小衰三十月、〈二日、十八日、二十六日、〉大厄二五八十一、〈八日、十六日、二十日、不西南行、〉藥師經、〈○中略〉 遊年巽、〈辰巳〉禍害乾、〈戌亥〉絶命艮、〈丑寅〉鬼吏兊、〈西酉〉生氣坎、〈北子〉養者離、〈南午〉天醫坤、〈未申〉福德離、〈南午〉衰日、〈辰戌〉 小衰四十一月、〈四日、十一日、十七日、〉大厄三六九月、〈十日、二十五日、不東南行、〉法華經、

〔朝野群載〕

〈十五陰陽道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0231 陰陽寮 治暦二年歳次丙午 御忌 御年三十三 遊年在坤、 禍害在震、 絶命在坎、 鬼災在震、 生氣在艮、〈色黄〉 養者在離〈色赤〉 行年在戌 小衰、〈六月十九日 七月六日 十二月廿五日 次丁未年 正月十二日〉 大厄、〈二月六日 十一日 七月十日 十五日 十七日 不北行〉 衰日〈卯酉〉 衰時〈卯酉〉 己坤遊年 申 庚 酉兌 辛 戌 戊乾 亥 壬 子坎絶命 癸 丑 己艮生氣色黄 寅 甲 卯震〈禍害鬼災〉 乙 辰 戊巽 巳 丙 午離養者著色赤 丁 未 右明年正月三日立春正月節、然則從彼日件御忌日、又小衰大厄月日數、隨節氣勘申如件、 治暦元年十二月十日 陰陽師安倍光基〈○以下十四人姓名略〉

〔小右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 治安四年〈○萬壽元年〉正月廿五日甲寅、今日相當八卦(○○)、一説大厄日、仍不除目、召大外記賴隆雜事

〔中右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 永長二年〈○承德元年〉四月廿六日己酉、午時許參内、今日有幸感神院、〈御物忌乙日也、但兼日有御卜、吉祥之由所卜申也、〉是前一條院春日行幸御物忌、近則去三月春日行幸、還御八卦御物忌(○○○○○)也、復推所告、依無事、皆被遂也、

〔中右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 嘉承二年十一月二十五日丙子、會昌門如形修理、凡今年大將軍方(○○○○)之上、又當八卦御忌方(○○○○○)、仍八省不犯土造作、只如形所々修理許也、至朱雀門者(○○○○○)、御忌方之外也(○○○○○○)、被修理也、

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 文治四年三月二十八日甲子、此夜於普成佛院遊年丑方(○○○○)、 六月三十日甲午、今夜於普成佛院邊、違遊年方〈丑方也四十五日〉一度也、

〔台記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 久安三年正月二日丙寅、今日天子〈○近衞〉朝于法皇、〈○鳥羽〉午刻詣四條第、依瘡不奉行幸、未刻乘輿至于西門入御、及御拜等之儀常、年來法皇出御于御坐之時、余執三衣筥、是故進簾外召、無其召退歸、問其故於顯遠、〈法皇近臣〉對曰、昨日拜禮無威儀、亦不侍臣立了拜、上有説之容、若因之無召歟、不座歸宅、閉門畏王命、扶疾參入、以疾侵故既忘威儀、於法律何罪矣、然猶上心不説、寔以小人居大位之所致也、昨日誤向禍害方(○○○)見餅鏡、今有此事、俗忌必可違事歟、今日見孝經吉日也、

〔運歩色葉集〕

〈婦〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 福德方(○○○)☴〈辰巳〉☱〈西〉☷〈未申〉☶〈丑寅〉☳〈東〉☰〈戌亥〉☵〈北〉☲〈南人〉〈其歳當此卦此〉

〔拾芥抄〕

〈下末八卦〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 生氣 養者 福德、此方萬事皆吉、

〔西宮記〕

〈正月上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232御藥事〈○中略〉 主上起晝御座夜御殿南戸東戸立給、〈塗籠東方戸内也、但向御生氣方(○○○○)、〉

〔江家次第〕

〈一正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232御藥〈○中略〉 御生氣(シヤウゲノ)御衣〈近例只御直衣一種也、具御引帶、著於例御直衣上給、〉 女房以下不必著淨衣、〈訛也〉陪膳女房必著之、舊例未節分之時、藥子衣用舊年御生氣方色(○○○○○○○)、 二三日間節分時例 長久二年正月二日有節分、依陰陽寮勘文、藥子衣有二色、元日者用舊年御生氣方色、二日以後、用今年方色、 長經抄、二三日間雖節分、被元日所用之舊年御生氣、更不新年御生氣(○○○○○)云々、此事不然、

〔江家次第〕

〈二正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 卯杖事〈○中略〉 案二脚之上置小臺、其上置州濱、其上作奇岩怪石嘉樹芳草白砂綠水、其中作御生氣方獸形(○○○○○○)、令御杖、生氣在離(ミナミ)作馬、生氣在坤作羊、不猿、生氣在兌(ニシ)作鷄、生氣在乾作猪、不犬、生氣在坎(キタ)不鼠、尋養者方馬、生氣在艮作牛、不虎、生氣在震(ヒカシ)作兎、生氣在巽作龍、不蛇、行事藏人以下舁之、自仙華門舁上、立晝御座廣庇案等返給造物所

〔台記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 仁平四年〈○久壽元年〉正月四日丁巳、今日余〈○藤原賴長〉奉吉方(○○)灯明、〈廣隆寺 〈生氣〉 行願寺 〈養者〉〉

雜忌

〔拾芥抄〕

〈下末諸事吉凶日〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 反子(○○) 年立子在申 七月忌 年立丑在酉 八月忌〈自餘可推知〉 反支(○○)〈産時忌之、令牛皮、〉 子丑朔〈六日〉 寅卯朔〈五日〉 辰巳朔〈四日〉 午未朔〈三日〉 甲酉朔〈二日〉 戌亥朔〈一日〉

〔醫心方〕

〈二十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 産婦反支月忌法第二 産經云、反支者、周來害人名曰反支、若産乳婦人犯者十死、不愼、若産乳値反支月者、當牛皮上、若灰上勿汚水血惡物著一レ地、著地則殺人、又浣濯皆以器盛之、過此忌月乃止、

〔婦人壽草〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 姙娠産圖并禁祝の説 反支月、陰陽家の説に、正七、二八、三九、四十、五十一、六十二、かくのごとく二ケ月をひとつにして、十三歳を初として、四十九歳までをかぞへて、反支月をしる也、たとへば正七をはじめに立、また十三歳をはじめに立て數へ出す也、故に十三歳の姙婦は、正月七月を反支月としるべし、十四歳は二月八月に相當り、十五歳は三月九月に相當る也、かく十三歳をはじめとしてかぞへ至れば、十八歳にして六月十二月に當りて一周する也、又十九歳より正七に始り、廿四歳までにて一周する也、又廿五歳より正七に始り、三十歳迄にて一周する也、又三十一歳より正七に始り三十六歳迄にて一周する也、又三十七歳より正七に始り、四十二歳迄にて一周する也、又四十三歳より正七に始り、四十八歳迄にて一周する也、又四十九歳より正七に始る也、婦人良法には、十三歳より四十九歳迄を委くもり附てしるしおく也、諸の醫書に、反支月を、死殺月、胎殺月とのせたり、陰陽家の説に、前子後母といふあり、反支月に相當る事とかく二ケ月なれば、正月を、害其子にありとしり、七月を、害其母にありとしるべしと云へり、

〔後漢書〕

〈三十九王符傳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0234 王符、字節信、安定臨涇人也、〈○中略〉志意蘊憤、乃隱居、著書三十餘篇、以譏當時失、〈○中略〉足以觀見當時風政、著其五篇爾、〈○中略〉愛日篇曰、國之所以爲一レ國者以民也、〈○中略〉聖人深知力者民之本、國之基也、故務省徭役、使之愛一レ日、是以堯勅羲和、欽若昊天、敬授民時、明帝時、公車以反支日章奏、〈凡反支日用月朔正、戌亥朔、一日反支、申酉朔、二日反支、午未朔、三日反支、辰巳朔、四日反支、寅卯朔、五日反支、子丑朔、六日反支、見陰陽書也、〉帝聞怪曰、民廢農桑遠來詣闕、而復拘以禁忌、豈爲政之意乎、於是遂蠲其制

〔水鏡〕

〈下桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0234 八月〈○延暦四年〉にならの京へ行幸侍りき、こぞ、宮古ながをかにうつりにしかども、齋宮は猶ならにおはしましゝかば、伊勢へくだらせ給ふべき程ちかくなりて、行幸ありしなり、長岡の京には、中納言種繼留守にて候しを、みかどの御をとゝの早良の親王、東宮とておはせしが、人をつかはして、いころさしめ給ひてき、〈○中略〉みかど、ならよりかへり給ひにき、丙戌日行幸はありて、 けふはみづのえたつの日なれば、七日(○○)といひしにかへり給へりとぞおぼえ侍る、此ごろは、いむなど申とかや、

〔台記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0235 久安二年三月廿五日甲午、具今丸近衞殿、依吉日也、入夜歸宅、今丸來此亭之後、當七日俗忌(○○○○○○)、但自他不忌由尼御前御命、

〔台記別記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0235 仁平元年二月十六日丁巳、是日今麻呂加元服、〈○中略〉曹司裝束、廿二日撤之、大夫歸對東廂、元服之前在此廂、而元服後當七日、仍不本所他所、依俗忌也、

〔平戸記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0235 仁治三年四月八日庚申、今夕可還宮歟之由、有沙汰之處、猶以延引云々、明日相當七日之間、今夜之儀俄出來也、一昨日有沙汰、殿下令予、經七ケ日家公私忌之、世俗之法、古今之例也、可憚之由申了、

〔撈海一得〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0235 東都王侯ノ第宅ニテ、辰祭(○○)トテ、正月初ノ辰ノ日辰ノ刻ニ、辰ノ年ノ人ヲシテ、爨室(ダイドコロ)ノ屋極(ヤノムネ)ニ水ヲ潑(チラ)サシムレバ、失火ノ災ナキノ厭勝ナリトテ行フ、泊它篇ニ、按ニ、天官暦ノ暦日ノ中ニ、治水龍、數乃自元日之後辰爲支節ト、此事ニ據ナルベシ、

〔梅園日記〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0235 移徙忌赤衣(○○○○○) 今川大草紙云、移徙の時、祝言の初獻は、出仕の人々も、又役人以下も、赤き衣をきず、疊も白へり也、らつそく(蠟燭)盃等までも、白きを本とする也、宗五一册云、わたましの時は、公私ともに、蠟燭は朱をかけず候、又衣裝も男女ともに白し、增鏡〈老の波の卷〉云、六條殿の長講堂も燒にしを作られて、其ころ御わたましし給ふ、卯月のはじめつかた也、院のうへひさしの御車にて、上達部殿上人御隨身、えもいはずきよら也、女院の御車に、姫宮もたてまつる、出車あまた、皆白きあはせの五ぎぬ、こき袴、同じひとへにて、三日過てぞ、色々の衣ども、藤つゝじなでしこなど、きかへられける、など見えたり、然るに世俗淺深秘抄云、移徙夜、女房用紅袴打衣等之、而中古以來憚之、知足院入道、鳥羽院御 堂御所御渡夜、調進御裝束并女房裝束、皆不赤色、然而近代不之、古今之作法異也、可時儀事也とあれば、ふるくは忌ざりし也、されば落窪物語に、人のいとよき所えさせたるを、この十九日にわたらん、人々のさうぞくし給へ、こゝもすり(修理)せさせん、とくわたりなん、いそぎ給へとて、くれなゐのきぬ(絹)、あかね(茜)そめくさ(染草)どもいだし給へれば云々、此物語つくりし頃も、家うつりに、いまだ赤色をいまざりしなり、

〔丙丁炯戒録〕

〈跋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0236 我公〈○水野忠邦〉佐大政之暇、常以書史樂、頃讀宋柴望丙丁龜鑑而有感焉、命〈臣世弘、〉傚其體、輯本朝事蹟一書以進、〈臣〉謹取舊史、斷用明帝後奈良帝、因事立論、一傚柴氏之書、以爲此編、抑五行之説盛興于漢、迨宋儒排一レ之、而其傳衰矣、丙丁之爲厄、柴氏只謂自古而然、而不其説、至元人續録叙、載陰陽家之言云、丙丁屬火(○○○○)、遇午末而盛(○○○○○)、故陽極必戰、亢而有悔也、則亦五行説之類耳、達者不必言也、顧龜鑑之所以作、意欲世主鑑往跡而俲今日、修人事以奉天意焉、而公之所取蓋亦在于此也、〈臣〉才劣學薄、綴緝蕪陋、論斷失當、不副盛意、然編中所載上下殆乎千年、有天變、有地妖、有人害、凡可君相之畏戒者略具、讀者設身處地、省諸己、推諸當世之務、則於德修政之際、或庶幾乎有微益云、 歳次戊戌天保九年夏五月 〈臣〉鹽谷〈世弘〉謹書


Last-modified: 2019-03-15 (金) 09:48:57 (390d)