時節

〔伊呂波字類抄〕

〈世天象〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 節〈セツ〉

〔同〕

〈志疊字〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 時節

〔二中歴〕

〈五歳時〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 節氣 廿四氣〈節氣〉 七十二候〈初次末〉 六十四卦〈始中終〉

〔經信卿母集〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 琵琶琴上手といふ中にも、よのつねの人にはあらざりし、ときの調子のしらべをなしては、やよひの日かずのうちに、夏のせち(○○○○)のきたるをわきまへ、う月のうちに、はるのせち(○○○○○)のあまれるをしり、なつよりあきにうつり、秋よりふゆにかはり、冬より春のたつこと、そのゐんにまぎれず、よるひるの時のうつるをも、たれこめても、かいひきては、さだかにおもひえたり、〈◯下略〉

四時

〔伊呂波字類抄〕

〈志天象〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 四時 春日蒼天 夏日昊天 秋日旻天 冬日上天

〔同〕

〈志疊字〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 四季 四節

〔釋名〕

〈一釋天〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 四時四方各一時、時期也、物之生死、各應節期而止也、

〔和漢名數〕

〈節序〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 四時 春〈木〉夏〈火〉秋〈金〉冬〈水〉

〔書言字考節用集〕

〈二時候〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 四時(シヰジ)〈四序、四節並同、説文春夏曰發、秋冬曰歛、〉四季(シキ)〈季末也、土用所言、本朝俗謂四時四季者謬矣、〉

〔古今和歌集〕

〈序〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 いますべらぎのあめのしたしろしめす事、よつのとき(○○○○○)こヽのかへりになんなりぬる、

〔東雅〕

〈一天文〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 春ハル 夏ナツ 秋アキ 冬フユ 竝に義不詳、四時の名は、古の時に見えし事は、舊事紀、古事記、日本紀等に、陰陽の二神大倭豐秋津洲を生給ふ、亦名は天御虚空豐秋津根別といふ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 と見えし、これ秋といふ名の始て見えし所歟、されどこれは後世に名づけられし所也ともいへり、〈私記の説〉總て太古の事の徴とすべきにもあらず、又二神共に速秋津彦速秋津姫の神を生給ひ、陽神に速秋日子神を生給ひしともみえたれば、延喜式の祝詞には、速秋津姫の名を、速開都比咩ともしるされしかば、是も漢字を借用ひられし時、其語たま〳〵相同じければ、秋の字を用ひられしかど、其實は春秋といふ義にはあらざりしもしるべからず、正しく春秋の秋の事と見えしは、舊事紀等の記に、日神、天熊大人命葦原中國の稻種をとらしめ給ひ、天狹田長田は植給ひしに、其秋垂穗八握莫然(シナヒ)しと舊事紀にしるされしぞ、まがふべくもあらぬ秋の事也ける、是後素盞烏神の御孫羽山戸神の子に、若年神、夏高津日神、〈また夏之女神と云ふ〉秋比女神、冬年神等ありきと舊事紀にみえしぞ、夏冬の名の見えし始也、されど古事記には、冬年神を久々年神としるして、久々の二字を讀に音をもてすべしと注したれば、舊事紀にみえし冬の字は誤寫せし所也とみえたり、又舊事紀に、思兼神の兒表春命下春命みえたり、これも春秋の義也しにや、たヾ其字借用ひられしにや、不詳、此等の名義既に闕ぬれば、今はたいかにとも辨ふべからず、もし古語の例によりて其義を推求なんには、古語にハラクといひしは開也、春を名づけてハルといひしは、年開ぬる義にて、たとへば漢に開歳などいふがごときか、夏とは熱(アツ)也、アツをナツといひしは轉語にて、其炎熱の時をいふなるべし、古語にアキといひし事のごとき、速秋津姫また速開都咩としるされし例によらば、これも開の義にや取ぬらん、義不詳、又舊事紀に、飽咋之宇斯能神といふとみえたり、さらば百穀既に成て、飽滿(アキミツ)るの義にもやあるらん、溟渤讀てオウウミといふを、オホキウミともいひ、滄海原讀てアヲウナバラといふを、オホウナバラともいふによらば、アキとはオキの轉語にて、大の義にもやあるべき、さらば百穀既に成をもて、其時を大(オキ)也とする也、日神、葦原中國を豐葦原之千秋長五百秋之瑞穗國とのたまひしも此義なるべし、冬とは冷(ヒユ)也、ヒユをいひてフユといひし

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0101 も、又語の轉ぜしにて、其寒冷の時なるをいひし也、

〔眞暦考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0101 一とせの來經行あひだを、四つにきざみて、春夏秋冬とぞいひける、これはた神代より然あり來ぬる事なれば、今その故は、いかなりとも知べきならねど、こヽろみにいはヾ、温なる、暑き、涼き、寒き、四つのかはりのあればなるべし、
抑一年は、四月より九月まで六月夏、十月より三月まで冬と、二つに分たらむも、又つねのごと四つにても、又二月づヽ六つに分ても、又四十五六日づヽ八つに分ても、みな同じことにて、難なかるべき中に、四に分れたるは、かならず然るべきおのづからのさまなり、暑き寒き中間に、暑からず寒からずて、温なる時と、涼しき時とのあれば、二つにてはたらず、六八にてはくだくだしくて、過たればなり、さて温なる、暑き、すヾしき、寒きによりて、分れたらむにつきて、おのおのその中央をもてなかばとせば、二、三、四月を春、五、六、七月を夏、八、九、十月を秋、十一、十二、正月を冬ともさだむべし、三月は温なるなかばなれば、春のなかばとし、六月は暑きなかばなれば、夏のなかばとするが如し、されどさはあらで、皆その始をはじめと定めたる物なり、正月はあたたかなる始、七月はすヾしき始なる故に、春と秋とのはじめなるがごとし、餘もみな同じ、これらも神の御心もてさだめませる物なり、
此春夏秋冬てふ名ども、いと〳〵古く聞えて、古事記、書紀の歌どもにも、をり〳〵見えたり、
春日といふこと、書紀武烈御卷の影媛の歌に見え、夏蟲といふこと、仁徳御卷の磐媛命の御歌に見え、夏草といふこと、古事記の遠飛鳥宮段の、衣通王の御歌に見え、秋の田といふこと、萬葉集二の卷の磐媛命の御歌に見え、冬木といふこと、古事記明宮段の吉野の國栖人が歌に見えたり、此ほか歌ならぬは、猶ふるきもあり、
かくてこのよつの時を、又はじめ、なかば、末と、三つづヽにきざみて、春の始、秋のなかば、冬の末な

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0102 どいへりき、

〔古今要覽稿〕

〈時令〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0102 四時 夫よつのときは四時なり、四時之爲言四季なり、四季は四選なり、四選は春夏秋冬なり、春夏秋冬、是をよつのときといふ、このよつのときの名目の、かけまくもかしこき皇ら御國にて、物にみえ初しは、神代にはじまれり、いかにとなれば、古事記、日本書紀等に、春夏秋冬の文字、既に出たれば、これらをや證とはすべき、こヽに有二神弟名春山之霞壯夫と〈古事記〉いひ、又夏高津日神、秋毘賣神、冬衣神〈同上〉の御名見えたれば、いとふるき事なり、されば春夏秋冬の名をもて、既に其頃神々の御名に冠らしめ給ふなり、こヽをもてみれば、はるかにその以前より、春夏秋冬時をたがへずして、四時の和行なはれ、春立夏過秋至冬往し事しられたり、また素盞嗚尊春則重播種子と〈日本書紀〉いひ、又日神尊以天垣田御田、時素盞嗚尊春則塡渠毀畔と〈同上〉いひ、また秋則於天班駒使田中と〈同上〉見えたるぞ、春といひ、秋といふ事の始にて、たしかなる證とすべし、この以前既に伊弉諾尊、伊弉册尊の、豐秋津洲を生み給ふことみえたれども、秋津洲の秋は、春秋の秋とたしかにはいひがたし、春則みぞをうめ、秋則あまのふちこまを、御田の中にふすとみえたるぞ、共に農作の事にかヽれば、四時の春秋なる事義明らけし、また春過而(ハルスギテ)、夏來良之(ナツキタルラシ)と〈萬葉集〉いひ、秋立者(アキタテバ)、黄葉頭刺理(モミヂカザセリ)と〈同上〉いひ、冬木成(フユゴモリ)、春去來者(ハルサリクレバ)と〈同上〉いふも、共に四時の移りかはれるさまを詠ぜしなり、また伊波比回禮(イハヒモトホリ)、四時自物(シヽジモノ)と〈同上〉いふは、しヽといふけだものヽ名に、四時の文字を假用ひ、また春夏秋冬の祭を、四時祭と〈延喜式〉いひ、また四時を春夏秋冬と〈和名類聚鈔〉いひ、また春爲青陽、夏爲朱明、秋爲白藏、冬爲玄英と〈拾芥抄〉いふも、則四時の事なり、又四時を四季といひしこともあり、四季異名何と〈壒嚢鈔〉いふ、その下に各に四時の異名を擧たり、またよつのとき四季なりと〈藻鹽草〉いひ、春は四時の始にして小陽なり、一年の始なれば、賀する事四時の中に勝れたりと〈續節序記〉いへり、又西土にては四時といふ事の、ふるく物にみえしは、周易をや始とすべき、曰日月不過、而四時不惑と〈周易〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0103 みえ、朞三百有六旬有六日、以閏月四時歳と〈堯典〉いひ、一歳之中有四時、一時之中有三長天之節也と〈春秋繁露〉いひ、禮記には天有四時春秋冬夏と〈孔子間居〉いへるなど、もつとも證とすべし、〈◯中略〉抑四時は春夏秋冬なり、四時の始を春といひ、二を夏といひ、三を秋といひ、四を冬といふ、春は天地開辟之端なり、春は生じ、夏は長じ、秋は收り、冬は藏す、此天地之大經也、春道生萬物榮、夏道長萬物成、秋道歛萬物盈、冬道藏萬物靜、夫春之爲言蠢也、萬物蠢然而生也、夏假也、寛假萬物使生長也、秋緧也、緧迫萬物使時成也、冬終也、物終成也、まことに四時の徳大なる哉、至れる哉、夫生物者春なり、吐華者は夏なり、布葉者は秋なり、收成者は冬なり、春夏秋冬之序、皆以斗柄所一レ指定之、斗柄、指東曰春、指南曰夏、指西曰秋、指北曰冬、〈鶡冠子〉春夏秋冬各三月而爲一時、一時各三月あり、三月各孟仲季あり、春夏秋冬合せて一年をなせり、一年の月數十二月あり、十二月の日數三百六十餘日あり、三月の日數九十餘日あり、是九十餘日は三月にして、三月は則一季一時にして、春三月あり、夏三月あり、秋三月あり、冬三月あり、偖春三月の始を初春と〈和名類聚鈔〉いふ、正月なり、次を仲春といふ、二月なり、次を暮春といふ、三月なり、〈同上〉夏の首めを首夏といふ、四月なり、次を仲夏といふ、五月なり、次を季夏といふ、六月なり、〈同上〉秋の初を初秋といふ、七月なり、次を仲秋といふ、八月なり、次を季秋といふ、九月なり、〈同上〉冬の孟めを孟冬といふ、十月なり、次を仲冬といふ、十一月なり、次を季冬といふ、十二月なり、〈同上〉皆孟仲季をもて次第し、各三月にして一季なる、則一時終るなり、十二月にして四季盡ぬ、則四時終るなり、此四時一周して成歳といへり、

〔令義解〕

〈十獄〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0103 凡流移人太政官量配、〈謂量罪輕重、配其遠近、故云量配也、〉符至季別一遣、〈謂太政官録配流状、下符刑部及國司也、〉〈若符在季末至者、〉聽後季人同遣、〈謂季末者、四季之末月、假有符三月至者、與夏季人、同遣之類也、〉

〔唐律疏議〕

〈三十斷獄〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0103 疏議曰、徒流應配所、〈◯中略〉其流人準令、季別一遣、若符在季末三十日内至者、聽後季人同遣

〔倭名類聚抄〕

〈一歳時〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 春三月

〔類聚名義抄〕

〈二日〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 春〈齒均切ハル〉

〔伊呂波字類抄〕

〈波天象〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 春〈ハル〉

〔八雲御抄〕

〈三上時節〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 春 はつ たつ ゆく

〔和爾雅〕

〈二歳時〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 春(シユン/ハル)〈釋名曰、春蠢也、動而生也、〉 青陽(セイヤウ)〈郭璞云、氣青而温陽、〉 芳春(ハウシユン) 清春(セイシユン) 青春(セイシユン) 陽春 九春 三春 三正 歳始(サイシ)〈公羊傳〉 敷和(フクハ)〈素問〉 九正(セイ) 規(キ)春 先(セン)春 光(クハウ)春 良(リヤウ)時 嘉時(カジ) 芳(ハウ)時 華(クハ)節 芳節 良節 嘉節 韶(セウ)節 淑(シユク)節〈以上、春之異名、〉

〔神代卷口訣〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 春之言(ハルガコト)、木牙發(コノメハル)也、

〔釋名〕

〈一釋天〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 春蠢也、動而生也、

〔倭訓栞〕

〈前編二十四波〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 はる 春は發(ハル)の義、萬葉集に、春は張乍と見え、後の歌に、このめはるさめなどよめり、

〔東雅〕

〈一天文〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 春とは、草木の芽はる時なればハルといふ、古語にはハラクといひしは、もえ出るをいひし也、秋とは、草木の色かはりぬる時なればアキといふ也、古語にアキといひしは、黄なる色をいひし也といふ説あれど、草木のもえ出るを芽もはるなどいひしは、春といふことば、黄ばむ色をアキなどいひしも、秋といふことばによりていへる也、たとへば物を販(ヒサ)ぐをアキモノといふことのごとし、ハルとのみいひ、アキとのみいはんに、いかにしてかは、草木のもえ出て黄葉する義也とは、わきまへしるべき、開の字讀てハラフともホルともいひけり、原をハラといふも開なり、しかるに今も筑紫の人は、原をいひてハルといふ也、これら方言にはあれど、ハルといふは開の義なる事の徴とはなしつべし、ホルといひ、ハルといふがごときも、また轉語也、アツといひ、ナツといふがごときも、もとこれ轉語にして、またナといふ也、ことばを長く呼時は、をのづからア

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0105 といふ語こもれり、又ヒユといふ語をこめたり、これらの事は、注するにも及ぶべからざれど、ナツといひ、フユといふ、アツといひ、ヒユといふ義也といふ事、意得ぬ事也といふ人もこそあれと思へば、事煩しけれど、こヽに注しぬるなり、

〔古今要覽稿〕

〈時令〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0105 春 春は張なり、事々物々皆はりいづる義なり、故に春則重播(シキマキシ)種子と〈日本書紀〉いふ、その苗の出る時節なれば、種子をまきしなり、是春といふ名目のみえし始なり、〈◯中略〉梓弓春と〈萬葉集〉いひ、又春張乍(ハルハハルナガラ)と〈同上〉いひ、木のめもはるの雪ふればと〈古今集〉いひ、又このめはる雨、衣はるさめなど、歌によみつヾくるも、みな張發する義にとれり、天地人の三才を以ていへば、天にありては、春は日光發陽して日を追てのどかなる、是陽氣ましくはヽるも、はりみてる意なり、春立初る日より、天もかすみ渡りて、舊冬のみじかき日も、次第にのびはり、地にありては、草木根株をのづから地中より、地上に萌芽はり出るなり、人の上にていへば、人意も草木の芽はりいづるが如くに、立春の朝より、氣をのづからのびらかにして、人氣をのづから發陽し、心いさましくおもはるヽ、皆はるといふ訓意にかなふなり、春夏秋冬の訓義、或は時節にとり、或は寒暑の氣にとり、或は方角にとり、或は五行にあて、或は五色の色に配當するあり、或は十幹にあて、或は天名あり、いはゆる春爲蒼天と〈爾雅〉いふ是なり、

〔日本書紀〕

〈一神代〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0105 天照太神、以天狹田長田御田、時素戔嗚尊、春(ハル)則重播種子、〈◯註略〉且毀其畔、〈◯註略〉秋(アキ)則放天班駒使田中

〔日本書紀〕

〈十六武烈〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0105 十一年〈◯仁賢〉八月、〈◯中略〉戮鮪臣於乃樂山、是時影媛〈◯中略〉作歌曰、〈◯中略〉播屢比能(ハルヒノ)、箇須我嗚須擬(カスガヲスギ)、逗摩御暮屢(ツマコモル)、嗚佐裒嗚須擬(ヲサホヲスギ)、〈◯下略〉

〔萬葉集〕

〈九雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0105 鷺坂作歌一首
山代(ヤマシロノ)、久世乃鷺坂(クゼノサギサカ)、自神代(カミヨヨリ)、春者張乍(ハルハハリツヽ)、秋者散來(アキハチリケリ)、

〔古今和歌集〕

〈一春〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 雪の降けるをよめる   きのつらゆき
霞たちこのめも春の雪ふれば花なき里も花ぞちりける

〔曾禰好忠集〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 中の春(○○○)二月のはじめ〈◯歌略〉

〔古今和歌集〕

〈二春〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 亭子院歌合に、はるのはて(○○○○○)のうた、〈◯歌略〉

〔後撰和歌集〕

〈三春〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 だいしらず   よみ人しらず
おしめども春のかぎり(○○○○○)のけふの又夕暮にさへなりにけるかな

〔倭名類聚抄〕

〈一歳時〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 夏三月 夏 四月首夏 五月仲夏 六月季夏

〔類聚名義抄〕

〈九又〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 夏〈音下〉

〔伊呂波字類抄〕

〈奈天象〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 夏〈ナツ〉

〔八雲御抄〕

〈三上時節〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 夏 かはそひく〈夏の名〉 かげろふ〈俊頼抄〉

〔和爾雅〕

〈二歳時〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 夏(カ/ナツ)〈釋名云、夏假也、寛假萬物便生長也、〉 九夏 朱(ジユ)夏 炎(ヱン)夏 九暑 朱明(シユメイ)〈郭璞云、氣赤光明、〉 升明 長嬴(ヱイ) 農(ノウ)節 纁(クン)夏 槐(クハイ)夏 瓜時(クハシ) 盛夏(セイカ) 炎節(ヱンセツ) 朱炎(シユヱン) 朱律(シユリツ)〈以上、凡夏之異名、〉

〔釋名〕

〈一釋天〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 夏假也、寛假萬物使生長也、

〔倭訓栞〕

〈前編十九那〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 なつ 夏をいふ、熱の義也とも、成の義也ともいへり、一説に、成立の義、稻によりての名也、

〔古今要覽稿〕

〈時令〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 夏 夏は熱也、なつといふはあつといふ語の轉ぜしなり、春ののち炎熱の時をいふなるべしと〈東雅〉いへり、皇國にてふるく夏といふ事義のみえしは、夏高津日神と〈古事記〉みえたり、此夏字則あつき義にとれるなるべし、高津日は高き日也、津は助字なり、〈那昺が爾雅の疏には、夏氣高明、故以遠大之といふも、夏高津日といふにあへり、〉されば夏の日ながくして、空にいつまでも日影とまりて、かたぶきがたければ、空に日高きといふ義にとりて、神の御名にかうぶらせ奉りしなり、夏冬の二時は、氣によりて

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 名をなしたるなり、夏は炎暑にあひては、あヽあつと衆人をしなべていひ侍るも、いとたえがたければ、言に發していふなり、故になつといふは、あつといふ義明かなり、

〔日本書紀〕

〈十一仁徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 二十二年正月、天皇語皇后曰、納八田皇女妃、時皇后不聽矣、爰天皇歌以乞皇后曰、〈◯中略〉皇后答歌曰、那莵務始能(ナツムシノ)、譬務始能虚呂望(ヒムシノコロモ)、赴多弊耆氐(フタヘキテ)、箇區瀰夜儾利破(カクミヤタリハ)、阿珥豫區望阿羅儒(アニヨクモアラズ)、

〔古事記〕

〈下允恭〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 其衣通王獻歌、其歌曰、那都久佐能(ナツクサノ)、阿比泥能波麻能(アヒネノハマノ)、加岐賀比爾(カキガヒニ)、阿斯布麻須那(アシフマスナ)、阿賀斯氐杼富禮(アカシテトホレ)、

〔倭名類聚抄〕

〈一歳時〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 秋三月 秋 七月初秋 八月仲秋 九月季秋

〔類聚名義抄〕

〈七季〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 秋〈七由反アキ〉

〔伊呂波字類抄〕

〈安天象〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 秋〈アキ〉

〔八雲御抄〕

〈三上時節〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 秋 はつ ゆく さけきの〈俊抄〉

〔和爾雅〕

〈二歳時〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 秋(シウ/アキ)〈釋名云、秋緧也、緧迫品物便時成也、〉 金(キン)秋 高(カウ)秋 清秋 三秋 九秋 素(ソ)秋 商(シヤウ)節 旻(ビン)秋 涼(リヤウ)秋 爽(サウ)節 廩(リン)秋 西皓(セイカウ)〈郊祀志〉 白藏(ハクザウ)〈郭璞云、氣白而收藏、〉 西候〈杜詩〉 商顥(シヤウカウ) 金商 素律(ソリツ) 素商 勁秋(ケイシウ) 收成(シウセイ) 火旻(クハヒン)

〔釋名〕

〈一釋天〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 秋緧也、緧迫品物使時成也、

〔倭訓栞〕

〈前編二安〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 あき 秋をいふ、飽の義なり、百穀已に成て、萬民飽足の時なれば、しかいふめり、

〔古今要覽稿〕

〈時令〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 秋 秋は飽なり、秋をあきと訓ずるは、穀食あきみてる義にとれり、和語の訓例みなしかり、此國もとより、萬國にすぐれて、豐饒の國なれば、秋は百穀成熟し、國人の食物飽滿る意を以て、時名となせしなり、抑伊弉諾尊伊弉册尊二神國をうみたまふ時、大日本豐秋津洲をうみたまふと〈古事記、日本書紀、〉しるされ、千五百秋瑞穗之地と〈日本書紀一書〉みえたり、是みな皇御國の名なり、此御國をかく名付しも、神代よりの事なれば、神意を以て名をなせしなるべし、さすれば其國名の

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0108 意趣はかりがたしといへども、つヽしんで按に、神祖百穀豐饒の國を生たまひ、その名に豐といふ文字を上にかぶらせ、豐秋津洲、又豐葦原千五百秋瑞穗之地などいふ類、みな豐字はゆたかなる意なり、又瑞穗之地といふも、穀物豐饒の意にとりての國名とおもはれぬ、秋は其時節の穀、春夏冬の三時より、多くあきたる義なるべし、故に西土にても、澔〈陳氏〉が曰、秋者百穀成熟之期、此於時雖夏、於麥則秋、故云麥秋といへるなどを、合せ考れば、秋とは穀物によりて、訓義をとくかた、しかるべきなり、ことに秋字禾に從へるをもて、かた〴〵穀物成熟の義にかヽるべし、また管子に、歳有四秋といふ事みえたり、所謂春之秋、夏之秋、秋之秋、冬之秋、是四時に配當し、萬物の成收を以て、秋といふなり、其語曰、農夫賦耜鐵、此謂春之秋、大夏且至、絲纊之所作、此謂夏之秋云々、五穀之所會、此謂秋之秋云々、紡績緝縷之所作、此謂冬之秋と〈管子〉見えたり、これみな穀物成熟の義よりおこりて、庶物成收の上までも、秋と云義にはなりしなり、されば五穀之所會、此謂秋之秋とみえたる文辭にて、秋の秋たる義、穀熟より秋といふ義、起れる事いと明かなり、又竹秋蘭秋といふ文字、廣韻にみえたり、是等もみな前文の意と、秋字の義おなじきなるべし、故に百谷各熟爲秋、故麥以孟夏秋と〈蔡邕月令章句〉見えたり、又秋を開明の義にとるも一考なり、白石曰、古語にアキといひしごときは、速秋津姫(ハヤアキツヒメ)、また速開都咩(ハヤアキツメ)としるされし例によらば、これも開の義にやとりぬらん、義未詳と〈東雅〉いひ、和語に秋をあきと訓ぜしは、あきらかなりといへる意なりと〈日本歳時記〉いふに、續節序記の説も同意なり、西土にてもこれらの義も、同じき事どもあり、雲既淨而天高と〈虞世南賦〉いふ、雲淨天高は、これ開明の義なり、又潦爲收而水潔と〈同上〉いふも、上句と同意にして、天時共に時氣すみて、清明なる意なり、こヽをもて按に、天地の時氣あきらかなる義にて、あけとふも、一説とやすべき、あけはあかき也、赤色をあけ色といふ、草木すべて紅葉する、是色にあらはるヽなり、夜明といふ明も、よあきの義、あけ、あき同きなり、明字、日に從ひ、月に從ふの文字にて、日月の照す所、あきらかなら

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 ずといふことなし、天氣以急、地氣以明と〈尚書大傳〉いふ、前文に辨ずるに同じきなり、又秋爲白藏と〈爾雅〉いふを、郭璞注曰、氣白而收藏とみえ、又素秋、素商、素節と〈元帝纂要〉いふも、秋の別號なり、素字は白字とおなじく、しろしと訓ずれば、もとづくところは、白藏といふによりしなるべし、此名目もあきらかなる義にして、明白などと熟字するも、この意にて、これら又一説なり、

〔日本書紀〕

〈一神代〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 素戔嗚尊之爲行也甚無状、〈◯中略〉秋(アキ)則放天班駒使田中

〔萬葉集〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 額田姫王作歌
金野乃(アキノノノ)、美草苅葺(ミクサカリフキ)、屋杼禮里之(ヤドレリシ)、兎道乃宮子能(ウヂノミヤコノ)、借(カリ)五百磯(ホシ)所念(オモホユ)、

〔倭名類聚抄〕

〈一歳時〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 冬三月 冬 十月孟冬 十一月仲冬 十二月季冬

〔類聚名義抄〕

〈五ン〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 冬〈都農切フユ〉

〔伊呂波字類抄〕

〈不天象〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 冬〈フユ〉

〔八雲御抄〕

〈三上時節〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 冬 みふゆ〈萬葉十七〉みふゆづき、はるはきたれど、梅のはなとよめり、みふゆはふゆをつきてはるといへるなり、こるつゆ、〈冬の名也〉

〔和爾雅〕

〈二歳時〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 冬(トウ/フユ)〈釋名云、冬終也、物終成也、〉 貞(テイ)冬 信(シン)冬 上冬 玄英(ゲンヱイ)〈郭璞云、氣黒而清英、〉 靜順(セイジユン)〈素問〉 玄冬(ゲントウ) 盛(セイ)冬 隆(リウ)冬 三冬 九冬 嚴(ゲン)冬 大冬 陵(レウ)冬 頑(グハン)冬 寒冬 元冬 窮(キウ)冬 安寧(アンネイ)

〔釋名〕

〈一釋天〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 冬終也、物終成也、

〔倭訓栞〕

〈前編二十六不〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 ふゆ 冬をいふ、冷の轉ぜる也、

〔古今要覽稿〕

〈時令〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 冬 冬はふゆなり、冬の訓義冷(ヒユ)也、ひゆを轉じてふゆと云なり、是等は時氣によりて起りし訓なり、夏冬は時氣によりて、名義をあらはし、春秋は時物によりて、時名をなせし事明かなり、さてふるくより、冬といふ語のみえしは、天の冬衣の神と〈古事記〉見えたれば、いとふるき語なり、此神の御名を以て考ふれば、冬衣といふ文字は、時節のうつり行、秋さり冬來りて、次第に

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 ひゆる故、衣をかさぬるも、冬にもはらかさぬれば、かくいへるなり、西土にて、此事によく似かよへるは、冬の徳寒と〈春秋繁露〉いひ、又其時を冬といひ、其氣を寒といふと〈管子〉みえたり、是ひゆといふ訓義と一致せり、白石曰、ヒユをフユといふがごとき、是もまたもと轉語にして、またフユといふことばにて、ヒユといふ語をこめたりと〈東雅〉いふも、普通の説なり、和語に冬をふゆと訓ぜしは、ひゆをいふ意なりと〈續節序記〉いふも同意なり、こヽをもてひゆるを冬といふ訓義は、古今みな一理なり、和訓栞もふゆは冬をいふ、冷の轉ぜるなりといへり、又冬之爲言中也、中者藏也と〈禮記〉みえたるは、難波津に咲や此花冬ごもりと〈古今和歌集序に〉引し歌の、詞意と同きにや、また冬木成(フユコナリ)、春去來者(ハルサリクレバ)と〈萬葉集〉いふは、冬終也、物終成也と〈釋名〉いふ意と同じ、冬木成は終成也、冬極れるなり、故に春さり來ればとつヾけいふなり、又冬爲玄英と〈爾雅〉いふは、冬の別號なり、これ五行配當の色にとるなり、玄は黒也、郭璞が注に、氣黒而清英といへり、拾芥抄にも、玄英の文字いでたり、爾雅を引しなり、夫よりして玄冬と〈元帝纂要〉いひ、玄陰、陰律、陰英、陰天、陰蓂と〈壒嚢抄〉いひ、玄冥、玄律と〈事物別名〉みえたり、是みな冬の空は、うすぐろく陰れるが故に、かヽる別名の出來る事にはなりにしなり、又方角にとりても、冬者北也、北は五色の色様にとりては黒色なり、故に玄陰蓂の三字をもて、冬の異名の中に、此文字を熟字とする事にはなりしなり、されども物名一様ならず、爾雅には安寧といふ名目も見えたり、元帝纂要には、冬を玄冬といひ、風を寒風、勁風といひ、景を冬景、寒景といひ、時を寒辰といひ、節を麗節などと、わけて見えたれども、今の世には冬景、寒景、寒辰、麗節などといふは、たヾ冬の異名のやうに、いひならはせるなり、壒囊抄などにも、あまた異名みえたり、一々擧るにいとまあらざれば、こヽに略せり、又初冬、仲冬、季冬の三月にあてヽ、其主月の名となすもあり、或は三冬、九冬などヽ、其主月をさヽざるもあり、或は冬三月をすべくヽりし名目もあり、いはゆる冬三月此謂閉藏と〈素問〉みえたるは、冬の一時をいふ事、文面明白なり、

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 淤美豆奴神、此神娶布怒豆怒神之女、名布帝耳〈上〉神、生子天之冬衣神

〔日本書紀〕

〈三神武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 太歳甲寅、其年冬十月、

〔日本書紀通證〕

〈八神武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 冬、寒也、

〔古事記〕

〈中應神〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 吉野之國主等、瞻大雀命之所佩御刀歌曰、本牟多能(ホムダノ)、比能美古(ヒノミコ)、意富佐邪岐(オホサヾギ)、意冨佐邪岐波加勢流多知(オホサヾギハカセルタチ)、母登都流藝(モトツルギ)、須惠布由(スヱフユ)、布由紀能須(フユキノス)、加良賀志多紀能(カラガシタキノ)、佐夜佐夜(サヤサヤ)、

〔古事記傳〕

〈三十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 布由紀能須は冬木如(フユキナス)なり、

二十四氣

〔拾芥抄〕

〈上本二十四氣〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 立春〈正月節〉雨水〈同中〉驚蟄〈二月節〉春分〈同中〉清明〈三月節〉穀雨〈同中〉立夏〈四月節〉小滿〈(滿原作雨、今據暦林問答集、下學集改、)同中〉芒種(モウセウ)〈五月節〉夏至〈同中〉小暑〈六月節〉大暑〈同中〉立秋〈七月節〉處暑〈同中〉白露〈八月節〉秋分〈同中〉寒露〈九月節〉霜降〈同中〉立冬〈十月節〉小雪〈同中〉大雪〈十一月節〉冬至〈同中〉小寒〈十二月節〉大寒〈同中〉

〔暦林問答集〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111二十四氣七十二候第十七
立春(○○)正月節、配于艮、東風解(○○○)氷(○)、東風者候風也、陽氣也、已來而解氷也、又立春陽氣已發雖上、陰氣猶厚在下、而陽氣尚微、故艮主立春、在東北之維、以配於土也、次蟄虫始搖(○○○○)、此時候伏蟄虫得陽氣振動、將土中、故云振也、次魚上(○○)氷(○)者、魚盛寒之時、伏於水下、逐其温暖、至正月陽氣、游水上於氷、故云爾、雨水(○○)正月中、配于寅、獺祭(○○)魚(○)、此時候魚肥美也、獺將之先祭之、易通卦驗云、雨水之氣、獺不魚、國有盜賊也、又雨水者、雪散爲雨水也、又寅木、故主正月中也、次鴻雁來(○○○)、此時候鴻雁從南向北至中國、故云來也、次草木萌動(○○○○)、此時陽氣蒸達耕之候、農書云、耕者此時急可發也、驚(○)蟄(○)二月節、配于甲、桃始華(○○○)、前候萌動、陽氣上達而始花也、又驚蟄者、伏蟄之虫大驚而走出也、甲者万物咸解孚甲自出、故主二月節、以配於木也、次倉庚鳴(○○○)、倉庚者黄鸝也、謝氏云、布穀也、此鳥鳴時、布種其穀、次鷹化爲(○○○)鳩(○)、此時候鷹化爲鳩、至秋鳩化爲鷹、然後設罻羅、春分(○○)二月中、配于卯、玄鳥至(○○○)、玄鳥燕也、陽而至也、集人室嫁娶之象、此鳥至之時、祀媒神而祈子孫也、又春分是爲陰陽之交會、而此節之大者、故卯主正東、以配於二月中、次雷(○)

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0112 乃發(○○)聲(○)、雷是陽氣之將上、與陰相衝也、動於地上、天之下發陽則蟄虫應而振出、孔子曰、迅雷甚雨、風烈則變、雖夜必興、衣服冠而坐、所以畏天威也、次始電(○○)、電是陽光也、陽微則光不見、此月陽氣漸盛以擊於陰、其光乃見、故云始電、清明(○○)三月節、配于乙、桐始華(○○○)、桐陽木、故以清明氣始花也、又清明者謂物、天氣清淨明潔、万物盛大而可觀、故云清明、又乙軋也、万物奮軋而出也、故乙主三月節、以配于木也、次田鼠化爲(○○○○)鴽(○)、郭璞曰、鴽是鴿也、化者蓋鼠化爲鴽、鴽化爲鼠乎、失節不化則國不正也、莊子曰、田鼠化爲鶉也、次虹始見(○○○)、虹者爾雅釋天文、郭氏曰、雄曰虹、雌曰蜺、又雄明盛、雌闇微也、是陰陽交會之氣、純陰純陽則虹不見、若雲薄漏日、日照雨滴則虹生矣、穀雨(○○)三月中、配于辰、萍始生(○○○)、爾雅曰、水中之浮萍也、江東謂之薸、又大者名蘋也、穀雨者、是時日在昴宿、昴西方之宿、金也、金生水之故、甘雨降生万物、故云穀雨、三禮義宗云、辰物盡震動而長、故主三月中、以配于土、次鳴鳩拂(○○○)其羽(○○)者、鳴鳩飛且翼相擊、是時農急也、魏書云、謂穀鳴、俗耕種之爲候也、穀雨五月、鳴鳩拂羽、若不拂國不兵也、次戴勝降(○○○)桑(○)、此蠶將生之候也、戴勝織紝之鳥、恆在桑、頭上戴毛、故以爲名、立夏(○○)四月節、配于巽、螻蟈鳴(○○○)、螻蟈蛙也、蝦蟇也、鄭玄謂蟈、又衍義曰、螻蛅也、此虫當立夏後夜則鳴、月令謂螻蟈鳴者是矣、其聲如蚯蚓、是時陽氣已盛在上、陰氣微弱在下、宜顯、故巽主立夏、在東南維、以配于木、次蚯蚓出(○○○)、此時候无文、今按、冬至之候、一陽來復之時、蚯蚓動、宛而上首、漸得陽氣出乎、次王瓜生(○○○)、王瓜者艸挈也、又王萯也、此時宜瓜也、小滿(○○)四月中、配于巳、苦菜秀(○○○)、此時候物咸秀生也、又小得盈滿、故云小滿、三禮義宗曰、巳起也、物至此時皆畢起、故巳主四月〈◯月下脱中字〉以配于火也、次靡艸死(○○○)、此時候无文、故引内説以明之、葶藶之屬也、以其枝葉靡細、故云靡草也、次、小暑至(○○○)、此時候无文、今案、仲夏之節漸近、而炎上氣雖至、陰氣猶殘、熱氣最微也、故云小暑至歟、芒種(○○)五月節、配于丙、蟷蜋生(○○○)、舍人云、蟷蠰今之蟷蜋也、又謂之貪尾、又謂之馬穀、又名其子蟷蜋也、鄭玄云、丙者柄也、物之生長、各執其柄、万物強大而炳然著見也、故丙主五月節、以配於火、又芒種者有芒之穀、可稼種者也、次鵙始鳴(○○○)、鵙一名伯勞、又名鴃也、應陰而殺物、鳴則將寒候也、以五月陰氣之動、陰爲

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0113 殘賊、蓋賊害之鳥也、京房易傳曰、伯勞聚邑中歳大水、若軍中鳴、師分而且水卒至、若見軍前後鳴、賊來圍、入舍有仇恐外謀一レ内、口舌若悲鳴來有死者也、次反舌無(○○○)聲(○)、此鳥春初鳴、至五月稍止、其聲數轉、故名反舌、易緯通卦驗曰、能反覆其口百鳥之音、故爲反舌鳥、又百舌也、周書云、芒種五日之後、反舌無聲、若有聲佞人在側、孔子明鏡曰、國臣謀臣有、反舌鳥入宮、夏至(○○)五月中、配于午、鹿角墮(○○○)、易通卦驗曰、鹿者獸中之陽也、此時候應陰解角也、大陽始屈、陰氣始升、陰陽相向之候也、若不解則失君臣之禮、臣不君之象也、故貴臣作姧也、此時陰氣動於黄泉之下、又午盛陽之位而居南方、故主夏至以配于火、次蝉始鳴(○○○)、此亦無文、今按、仲夏者麥秋盡成、而陰陽相向之節、應之而蝉始鳴乎、次半夏生(○○○)、此時候無文、蓋半夏是藥草也、小暑(○○)六月節、配于丁、温風始至(○○○○)、此亦無文、今按、南方名暑、門生景風、盛熱之時也、故温風至矣、又小暑者極熱之物也、鄭玄云、丁亭也、物生長時應而止也、故丁主小暑以配于火、次蟋蟀居(○○○)壁(○)、爾雅釋虫曰、蟋蟀蛬也、此物生在土中、至季夏羽翼稍成、未遠飛、但居其壁、至七月則能遠飛在野、次鷹乃學習(○○○○)、此時陰氣既起、應感乃有殺心、學習搏擊之事、張逸曰、秋鳩化爲鷹、春鷹化鳩、又自有眞鷹習矣、大暑(○○)六月中、配于未、腐草化爲(○○○○)螢(○)、此時腐草得暑濕之氣螢、李巡云、螢夜飛、腹下如火光、故曰、即炤也、又大暑月半極熱之中爲大、又未者味也、物向成皆有氣味、故未主六月中以配于土、次土潤溽暑(○○○○)、潤溽者塗濕也、此時陽氣將土、故暑乎、次大雨時行(○○○○)、六月建未、未値井宿水、故大雨時行節也、周禮曰、此時立其官使田草也、五月夏至之時、芟草殺暴之、至六月之、大雨行之時、田中蓄潰之瘠地爲肥也、立秋(○○)七月節、配于坤、凉風至(○○○)、此時候無文、今按之、凉風者秋風也、陰氣凄凉、收成万物、鄭玄云、坤純陰之象、能養万物、莫於地、陰動于午、至未始著、故坤主立秋西南之維、以配于土、次白露降(○○○)者、陰氣漸重、露濃色白之謂、次寒蝉鳴(○○○)、寒蝉一名寒蜩、又謂蜺也、郭景純云、寒螿也、似蝉而小青赤也、處暑(○○)七月中、配于申、鷹乃祭(○○○)鳥(○)、此時候鷹祭鳥者、欲食之時、先殺鳥而不食、與人之祭食相似也、先神即不食、既祭之後、不必盡食、若人君行刑戮而已矣、次天地始肅(○○○○)、肅嚴急之言也、今按、天氣漸上、地氣漸下、肅然而物改更、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0114 秀實新成也、將收不懈也、次禾乃登(○○○)、此句不本經、農乃登穀、蓋謂之乎、月令曰、天子嘗新薦寢庿、註云、黍稷之屬、於是始熟也、白露(○○)八月節、配于庚、鴻雁來(○○○)、説文云、大曰鴻、小曰鴈也、雁有人情、暑則北翔、凉則南飛、履霜懼氷、識微知機、故隨陰陽中國、鄭玄云、庚更也、万物代改、故庚主八月節、在西方以配於金也、次玄鳥歸(○○○)、玄鳥者燕也、釋鳥文曰、玄鳥歸爲仲秋、至爲仲春、此鳥不遠去、必在四夷中國、在幽僻之處常見也、次群鳥養羞(○○○○)、羞進也、雖鳥名蟲也、是螢火也、又云、丹鳥也、其謂之鳥者、其所養之物不盡食之故、雖蟲謂鳥也、秋分(○○)八月中、配于酉、雷始收(○○○)聲(○)、雷是陽氣、主於動、今地中潛伏焉、今按之、雷生於震、震木也、中秋金王之時也、木畏金、故雷潛入地中伏乎、三禮義宗云、酉老也、万物老極成熟、故酉主地分、以配于金、次蟄虫坏(○○○)戸(○)、此時候蟄益戸者、小虫以土漸増益穴之四畔使通明、而温煖之間出入也、陰氣至之時稍坏之、十月寒甚乃閉也、次水始涸(○○○)、涸竭也、八月末、角宿朝見東方時、殺氣盛而雨氣盡之後、天根朝見東方時、水潦盡竭也、天根者氐也、是寒露之前、五日之候也、農既收則治道、水上爲梁、是利民轉運故也、寒露(○○)九月節、配于辛、鴻雁來賓(○○○○)、仲秋節云鴻雁來、今季秋節云來賓、止中國去、猶如賓客、故云賓、仲秋之候初來過去、故不賓也、鄭玄云、辛新也、万物皆秀實新成、故辛主九月節、以配於金、次雀入(○○)大水(○○)爲(○)蛤(○)、大水海也、國語云、雀入于海蛤、故知大水海也、次菊有(○○)黄華(○○)、此時候无文、霜降(○○)九月中、配于戌、豺乃祭(○○○)獸(○)、此時候祭獸者、戮殺禽獸也、初得者皆殺而祭之後得者殺不祭也、三禮義宗云、戌滅也、殺也、此時物衰滅、故戌主九月中、以配於土、次草木黄落(○○○○)、此亦无文、今按、伐木必可殺氣乎、次蟄虫咸俯(○○○○)、此時垂頭以土墐塗也、前月但藏而坏戸、至此月頭嚮下、以隨陽氣故也、塗塞其戸穴、辟地上陰殺之氣也、立冬(○○)十月節、配于乾、水始氷(○○○)、此時候無文、按之、陽氣漸沈、陰氣已來乎、鄭玄云、乾純陽之象、生物之首也、陽氣之本也、故先子之位、以堅剛也、故乾主立冬、在西北之維、以配于金、次地始凍(○○○)、此時候無文、次野雉入(○○○)大水(○○)爲(○)蜃(○)、大水者淮水也、大蛤曰蜃、晉語云、雉入于淮蜃也、小雪(○○)十月中、配于亥、虹藏不(○○○)見(○)、此亦無文、今按、虹者陰陽交會之時見、故陰陽等則虹出也、今純陰之時、虹藏不見乎、小雪者霜露

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0115 凝結而爲雪、十月猶小、故云小雪、三禮義宗云、亥閡也、言陰氣劾殺万物、故亥主十月中、以配於水也、次天氣上騰(○○○○)、地氣下降(○○○○)、易云、天體在上陽氣歸虚元、故云天氣上騰、陰氣下連於下、故云地氣下降、各取其義相妨也、次閉塞而成(○○○○)冬(○)也、〈◯也恐此誤〉時使有司助閉藏之氣、門戸可閉閉之、牕牖可塞塞之、大雪(○○)十一月節、以配于壬、鶡旦不(○○○)鳴(○)、此鳥求旦鳴、蓋是山鷄也、大雪者小雪之相對也、鄭玄云、壬任也、閉藏万物、懷任於下、故壬主十一月節、以配於水、次武(○)〈◯武、禮記、拾芥抄竝作虎、〉始交(○○)、交猶合也、次荔挺(○○)〈馬薤也〉出(○)、此時候應陽氣而出艸也、依皇氏之説焉、冬至(○○)十一月中、配于子、蚯蚓結(○○○)、蔡云、結猶屈蚯蚓屈首下嚮、陽氣動則宛而上首、故結而屈也、易通卦驗云、冬至陽氣動於黄泉之下、子雖大陰之位、陽氣在内而動其下、故居水之位、假令水外陰内明象、懷陽也、故子主冬至以配于水、次麋角解(○○○)、此時候麋角解者、雖説多皆無明據、但能氏云、鹿是山獸之陽也、故夏至得陰氣而解角也、麋是澤獸、陰也、故冬至得陽氣而解角也、麋爲陰獸、情淫而遊澤也、冬至陰方退、故解角、從陰退之象也、亦鹿爲陽獸、情淫而遊山也、陽方退、故解角、從陽退之象也、夏小正云、十一月麋角隕墮是也、次水泉動(○○○)、此時候無文、今按、陽氣漸動於水下也、小寒(○○)十二月節、配于亥、雁北嚮(○○○)、雁之北嚮、有早有晩、早則北嚮、晩則二月北嚮也、小寒者極寒之時、月初爲小、月半爲大寒、鄭玄云、癸揆也、陰任於陽而萌芽於物也、故癸主十二月、〈◯月下脱節字〉以配於水、次鵲始巣(○○○)、詩緯推度災云、復之日鵲始巣是也、〈復之日者、當卦日也、〉次雉始雊(○○○)、雊鳴也、詩云、雉之朝雊、尚求其雌、大寒(○○)十二月中、配于丑、鷄始乳(○○○)、此時候無文、大寒者相對小寒、月半寒爲大、三禮義宗云、丑紐也、結也、繫也、言居于十二支終始之際、以紐結爲名、故主十二月中、以配于土也、次征鳥厲疾(○○○○)、鷙鳥征鳥者、鷹隼之屬也、時殺氣盛極、故鷹隼之屬、取鳥捷疾嚴猛也、蔡云、大陰殺氣將盡、故猛疾而與時競、次水澤腹堅(○○○○)、此時寒氷盛而水澤腹堅也、謂水濕潤澤、厚氷堅固也、腹者形體腹長、故爲厚矣、
右七十二候者、五日一候、十五日三候一氣也、一月三十日、六候二氣、凡一歳十二月、二十四氣七十二候也、皆知草木萌芽鳥獸變化耳、以月令正義之説之、十干十二支、以爾雅、淮南子等之説之、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0116 定可誤乎、後見之人可之、

〔日本歳時記〕

〈一正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0116 立春は正月の節なり、大寒の後十五日、斗柄艮に指を立春といふ、立は始建也、元日は正月の日の始也、立春は正月の氣の始なり、一年の天運是よりはじまる時なれば、つヽしんで心を改め、その始を正くすべし、もろこしには、此日春盤をすヽめ、醤粥を食し、春餅をくらひ、桃湯に浴する事など侍るよし、月令廣義に見えたり、

〔東京夢華録〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0116 立春 立春前一日、開封府進春牛禁中春、開封祥符兩縣置春牛於府前、至日絶早府僚打春如方州儀、府前左右百姓賣小春牛、往々花裝欄座列百戲人物、春幡雪柳各相獻遺、春日宰執親王百官皆賜金銀幡勝、入賀訖戴歸私第

〔清嘉録〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0116 打春 立春日太守集府堂、鞭牛碎之、謂之打春、農民競以麻麥米豆、抛打春牛、里胥以春毬相餽貽、預兆豐稔、百姓買芒神春牛亭子堂中、云田事、蔡雲呉歈云、春恰輪當、六九頭、新花巧様贈春毬、芒神脚色牢々記、共詣黄堂打牛
案、隋書禮儀志、始有綵仗擊牛之文、即後世之打春也、漢晉以前無打春之事、孟元老東京夢華録、立春日絶早、府僚打春府前、百姓賣小春牛、呉自牧夢梁録、立春日侵晨、郡守率僚佐、以綵仗春街市、以花裝欄、座乘小春牛、及春幡春勝、各相獻遺於貴家宅舍、示豐年之兆、晁冲之詩、自慚白髮嘲吾老、不譙樓打春、是事雖於隋、而儀文實備於宋、迄今沿之、

〔萬葉集〕

〈十雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0116 春雜歌
久方之(ヒサカタノ)、天芳山(アメノカグヤマ)、此夕(コノユフベ)、霞霏霺(カスミタナビク)、春立(ハルタツ/○○)下(ラシモ)、

〔萬葉集〕

〈二十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0116 二十三日〈◯天平寶字元年十二月〉於治部少輔大原今城眞人之宅宴歌一首
都奇餘米婆(ツキヨメバ)、伊麻太冬奈里(イマダフユナリ)、之可須我爾(シカスガニ)、霞多奈婢久(カスミタナビク)、波流多知奴等可(ハルタチヌトカ)、
右一首、右中辨大伴宿禰家持作、

〔古今和歌集〕

〈一春〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0117 ふるとしに、春たちける日よめる、   在原元方
年の内に春はきにけり一とせをこぞとやいはんことしとやいはん

〔公事根源〕

〈正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0117若水 立春日

〔知信朝臣記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0117 天承元年十二月廿三日、立春正月節也、主水女官獻立春水、居折敷高坏、女官率采女、晝御座間簀子敷小筵一枚下敷之、廳給祿云々、〈匹絹〉

〔故實拾要〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0117 立春御獻 是三獻ハ自男居之、御強供御ノ御膳、御菓物ノ御膳ハ、大隅大炊頭供之、如元日

〔禁中年中行事〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0117 立春 強供御御膳 元日同 小預調進 ツルベ餅 小預調進

〔二水記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0117 文龜四年〈◯永正元年〉正月十二日乙亥、今日爲立春

〔御湯殿の上の日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0117 慶長九年正月八日、りしゆんの御さか月三ごん參る、こわぐ御も參る、御はがためも參る、御さか月よりさき也、女御の御かた、女中をとこたち、御とをりあり、

〔日本歳時記〕

〈三二月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0117 春分は、日夜の長さひとしき時なり、寒暖も亦ひとし、しかれども夜あけて日の出るまで二分半を曉とし、日入て暮まで二分半を昏とす、昏曉合て半時は夜に屬すといへども、その明らかなること晝におなじければ、日夜ひとしき時といへども、猶夜より日は長し、冬至に一陽來復して、漸陽氣生じ、日もながくなりて、春分にいたり日夜ひとしくなる、〈◯中略〉
春分は陽氣のやうやく發くる時にして、寒温のさかひなり、故に春分の節に入し後、はやく諸菜蔬の種を下すべし、萬のたねをうゆるに、春分を期とする事を惡しくいひならはして、彼岸に物だねをまくといふ、愚民はせむるにたらず、士君子たる人のいへるはいとくちをし、春分は陰陽日夜のひとしき時にして、一年の大節なる事をしらざるにや、又凡花草の苗をわかち種べし、およそ此時たねをまき、根をわかちうゆべきものは、甜瓜、菜瓜、茄、壺蘆、冬瓜、絲瓜、胡瓜、芋、牛蒡、稷、煙草、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0118 地膚、莙蓮、蘘荷、蕃椒、木綿、韮、薤、莧、百合、蓼、紫蘇、萵苣、甘露子、牽牛子、鷄冠花、鴈來紅、萱草根、葵等なり、

〔拾遺和歌集〕

〈十二戀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0118 けさうし侍ける女の、五月夏至(○○)の日なりければ、うたがひなくおもひたゆみて、物いひ侍けるに、したしきさまになりければ、いみじくうらみわびて、後にさらにあはじといひ侍りければ、   よしのぶ
あすしらぬ我身なりともうらみおかんこの世にてのみやまじとおもへば

〔小野宮年中行事〕

〈七月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0118 寛平二年七月十三日、正衣端笏、而向西郊再拜稽首、聞天子迎氣候而出郊殿、仍向其方恭拜也、今日立秋(○○)、七月節、故有此拜、朕雖其位、而躬居万機、誠致恭敬也、

〔古今和歌集〕

〈四秋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0118 秋立日よめる   藤原敏行朝臣
秋きぬと目にはさやかに見えねども風のおとにぞおどろかれぬる
秋立日うへのをのこども、かものかはらに、かはせうえうしけるともに、まかりてよめる、   つらゆき
かは風のすヾしくもあるかうちよする浪とともにや秋はたつらん

〔日本歳時記〕

〈五七月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0118 立秋、晝五十六刻十分、夜四十三刻五十分、處暑、晝五十四刻十分、夜四十五刻五十分、〈月令廣義〉

〔日本歳時記〕

〈五八月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0118 秋分の日、考妣先祖の神を祭るべし、夏至に一陰生じてより後、陰氣日々に長じ、日もやうやくみじかし、秋分に至りて、日夜ひとしく、寒温も亦ひとし、

〔千載和歌集〕

〈六冬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0118 百首の歌めしける時、初冬(○○)の心をよませ給ふける、   花園左大臣家小大進
我背子が上裳のすその水かみにけさこそ冬は立はじめけれ

〔世諺問答〕

〈十一月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0118 問て云、此月とうじ(○○○)と申事の侍るは、何のゆへに侍ぞや、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0119 答、白虎通に、周の世には、十一月を正月とす、これを暦家に天正月といふ、殷の世には、十二月を正月とす、人正月といへり、十一月は陽はじめて生る月なれば、冬至の日より、日かげのながくなると申也、陰陽道の暦數をかんがへて、十一月に奉るなり、朔旦冬至と申は、十一月一日の冬至に、廿年に一度づヽまはるを申なり、いとめでたき祥瑞なれば、異國にも我朝にも、御門賀辭をうけ給なり、誠に目出度事にて侍る也、

〔東京夢華録〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0119 冬至 十一月冬至、京師最重此節、雖至貧者、一年之間、積累假借、至此日更易新衣、備辨飮食、享祀先祖、官放關撲、慶賀往來、一如年節

〔清嘉録〕

〈十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0119 冬至大如年 郡人最重冬至節、先日親朋各以食物相饋遺、提筺擔盒、充斥道路、俗呼冬至盤、節前一夕、俗呼冬至夜、是夜人家更速燕飮、謂之節酒、女嫁而歸寧在室者、至是必歸壻家、家無大小、必市食物以享先、間有桂祖先遺容、諸凡儀文加于常節、故有冬至大如年之諺、蔡雲呉歈云、有幾人家桂喜神、恖恖拜節趁清晨、冬肥年痩生分別、尚襲姫家建子春、案、周遵道豹隱紀談、呉門風俗多重至節、謂曰肥冬痩年、又云、互送節物、顏侍郞度有詩、云、至節家家講物儀、迎來送去費心機、腳錢盡處渾間事、原物多時郤再歸、又江震志皆云、邑人最重冬至節、前夕名節夜、又崑新合志云、冬至節、親朋各相餽遺、

〔日本歳時記〕

〈六十一月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0119 冬至は十一月の中なり、三至とて一には陰極の至、二には陽氣始て至、三には日行南に至る、此故に至日ともいふ、冬至の前一日に至りて、陰氣長ずる事きはまり、日のみじかき至りなり、又夜長き事もきはまれり、日の南に至るもきはまれり、今日一陽來復して後陽氣日日に長じ、日もやうやく長くなる、陽氣の始て生ずる時なれば、勞動すべからず、安靜にして微陽を養ふべし、閉戸默座して、公事にあらずんば出行すべからず、又奴僕をも勞動せしむる事なかれ、易曰、雷在地中復、先王以至日閉關、商旅不行、后不方、白虎通曰、此日陽氣微弱、王者承天理物、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0120 故率天下靜不復行一レ役、扶助微氣萬物也、伊川易傳曰、陽始生甚微、安靜而後長、故復之象曰、先王以至日閉關、朱子曰、一陽初復、陽氣甚微、不勞動、 今日餻を製し家人奴僕等にもあたへ、陽復を賀すべし、又先祖考妣の靈前にも獻じ、茶酒をそなへ、新果をすヽむべし、 冬至の日鑽燧改火ば、瘟疫を去と、續漢書禮儀志に見えたり、燧を鑽とは木をもみて火をとる事也、杜子美が冬至の詩に、 天時人事日相催、冬至陽生春又來、刺綉五紋添弱線、吹葭六管動飛灰、岸容待臘將柳、天氣衝寒欲梅、雲物不殊郷國異、教兒且覆掌中杯、〈◯下略〉

〔秇苑日渉〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0120 民間歳節下 冬至之日、醫家作赤豆飰、爲神農會、 明會典曰、嘉靖十五年、建聖濟殿于文華殿後、以祀先醫、遣太醤院正官禮、二十一年、又建景惠殿于太醫院、上祀三皇、配以勾芒祝融風后力牧、而附歴代醫師於兩廡、凡二十八人、〈◯中略〉歳遣禮部堂上官一員禮、太醫院堂上官二員分獻、二殿之祭、並以春冬仲月上甲日、 歳時雜記曰、至日以赤小豆粥、合門食之可疫、 風土記曰、天正日南黄鐘踐長、是日始芽動、爲饘粥以養幼、俗尚以赤豆糜、所以象一レ色也、

〔東都歳事記〕

〈四十一月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0120 冬至〈(中略)今夜太神樂來る、今日諸人餅を製し、家人奴婢にも與へて、陽復を賀す、又來年の略暦を封じて守とす、今日錢湯風呂屋にて、柚湯を焚く、〉

〔年中行事故實考〕

〈十二十一月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0120 冬至 中華には佳節の第一とす、履長の義を取、これより日のながきことを祝す、我朝にも古代は賀辭ありし、今は絶たり、この日より日の長くなることを、漢には一線の長を添といひ、和にはひのふしだけ長くなるといふ、諸説紛々として一決の義なし、後來の博説をまつのみ、

〔續日本紀〕

〈九聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0120 神龜二年十一月己丑、〈◯十日〉天皇御大安殿冬至賀辭、親王及侍臣等奉奇翫珍贄之、即引文武百寮五位已上、及諸司長官大學博士等宴飮、終日極樂、乃罷賜祿各有差、

〔續日本紀〕

〈十聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0120 神龜五年十一月乙巳〈◯十三日〉冬至、御南苑、宴親王已下、五位已上、賜絁有差、

〔續日本紀〕

〈十一聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0120 天平三年十一月庚戌〈◯五日〉冬至、天皇御南樹苑、宴五位已上錢、親王三百貫、大納言

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 二百五十貫、正三位二百貫、自外各有差、 四年十一月丙寅〈◯二十七日〉冬至、天皇御南苑群臣、賜親王已下絁、及高年者綿差、又曲赦京及畿内二監、天平四年十一月二十七日昧爽已前、徒罪已下、其八虐、刧賊、官人枉法受財、監臨主守自盜、盜所監臨、強盜竊盜、故殺人、私鑄錢、常赦所免者、不此例、其京及倭國百姓年七十以上、鰥寡惸獨不自存者、給綿有差、

〔東都歳事記〕

〈四十一月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 寒の入(○○○)、良賤寒見舞(ミマヒ)、〈音曲をなすもの、寒聲寒彈をなす、今日餅を食す、寒餅と云、◯中略〉
寒中丑の日、丑紅と號て、女子紅を求む、諸人鰻鱺(ウナギ)を食す、

〔日本歳時記〕

〈七十二月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 小寒大寒三十日の間、今世俗に寒の中(○○○)と稱す、此間に食物藥物等を製すれば、水の性よき故、久しくたくはへて損ぜず、

朔旦冬至

〔新儀式〕

〈五臨時〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 朔旦冬至事〈承和八年、貞觀二年、元慶三年、昌泰元年、延喜十七年、天暦九年、〉
當日、早旦諸卿獻賀表、大臣已下參入、第一大臣執表函進到紫宸殿東階、授内侍、内侍執之奏獻、時刻天皇御南殿、内侍臨檻喚人、大臣參上、侍從、〈兼大將者也〉次皇太子、次王卿出居參上著座、次侍從大夫等參日華門宜陽、春興兩殿座、所司豫立床子於兩殿西廂、〈延喜十七、天暦九年等例也、〉采女供御膳、東宮采女供皇太子膳、内豎給殿上侍臣膳、大舍人并膳部等給侍臣等膳、度下器常、〈不殿下之者〉中務省奏御暦、六衞府番奏如常、三獻之間、非侍從并外國司未赴任、未解由、大夫等參入、著兩殿座、〈大臣豫仰令之〉大臣執見參文内侍奏覽畢、少納言唱見參、親王已下應召列立庭中、〈西上北面、四位五位重行、〉拜舞畢退出、天皇還御、此日仰京官諸司官人已下直丁已上見參、但諸陣、藏人所、内豎、校書殿、進物所、遣殿上侍臣見參、後日爲祿也、

〔江家次第〕

〈十十一月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 朔旦旬〈冬至宴會、聖武神龜二年十一月己丑、天皇御大安殿冬至賀辭、又神龜五年、天平三四年等有宴會、恩赦、以上四箇年、非一章之朔旦、朔旦冬至宴會、桓武延暦三年十一月戊戌朔、行慶賞、免田租云々、是本朝朔旦冬至始見國史也、自黄帝二十二年甲子、至延暦三年、合三千四百二十一年、除得二遂五菩餘算一得六菩之章首、乃爲本朝朔旦冬至甲子元、而後毎十九年必得嘉節者也、表作者、多式部大輔兼文章博士作之、或又就儒上首之、或不上下、擇其仁之、中納言例寛弘九年爲始、大納言例寛徳二年爲初、清書先例中少辨之〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0122 〈中擇其人之、或用能書人希例、或記云、太政官所進之表也、辨、少納言中書之、有便宜云々、〉
第一大臣、以外記上臈儒士賀表、或大臣自仰之、或公卿、儒者作之、〈天暦九年、參議朝綱、延喜十七年、參議清行、寛弘九年、中納言忠輔、寛治二年、參議匡房作之、永承五年、關白被大外記貞親、貞親無公卿作例由申之、仍資業卿不作、國成作出也、〉次令外記傳仰能書者、〈永承五、延久元、内匠頭兼行書之、寛治元年、少納言知家書之、永承記、召兼行於侍從所邊之云々、最末參議署名下、等言二字、昌泰元有之、永承延久無之、寛弘無之、而彼時、記註違失由用白色紙、〈延久紙屋紙〉〉覽上卿之後、即給判署、大臣判外記令史生之、若不署者、當日申陣之公卿、即於陣後壁外署、〈外記史生二人、一人進硯、一人持筥給之、〉厨家進函并華足高机一脚、〈兼日辨仰之令作、或記曰、外記仰所司然、其表筥以厚朴之、廣三寸五分、長一尺二寸、高二寸六分、加牙爲定也、有華足廣六寸五分、長一尺四寸、高一寸五分、其案以檜木之、取色如濱椿、高二尺八寸、長二尺八寸、廣一尺八寸、搨足作之、有牙爲四尺、著丸緒總、四角二重打臂金、其案面延久以東京錦之、〈有伏組〉華足上有敷物、用同錦、筥立折立同錦、永承五年、以紺地小文錦之、長元四年亦同、正暦四年案面用綺、天延二年用東京錦、案面用綺、〉外記使部二人〈著衣冠〉舁案、立敷政門東庭、〈當炬火屋柱〉外記史生二人舁同案、跪立敷政門閫内、外記二人舁同案宣仁門、經宜陽殿壇上軒廊等、立於同廊西第一間、〈南北爲妻〉大臣令事由、召仰外記、〈或外記未案之前〉未解由者、可座事、若日及晩者、御暦可内侍所、〈天延、正暦、延久有奏、長元、永承付内侍所、長元依雨歟、〉番奏或亦付内侍所、〈長元四年例也、依雨歟、〉主上渡御南殿、〈女房十人供奉、男藏人候御靴式筥等、〉内侍出居東階上、大臣以下列立陣前小庭、〈雨儀列立軒廊東三二一間、長元以往著靴、永承以後淺履、此度有議著淺履、還著陣座時、靴無便宜云々、一位大臣者出東第三間、二位大臣出東第二間西邊、大納言出第二間東邊、中納言出第一間西邊、參議出第一間東邊、或説大臣出第三間、大中納言出第二間、參議出第一間云々、〉大臣一列、納言一列、參議一列、〈西面北上〉大臣〈揖〉離列自軒廊東第三間入、〈就案東跪挿笏取筥不華足、暦案北頭就東階階三等、〈不歴階先左足〉乍立授筥於内侍、内侍取之歸入、大臣還立階下笏、〈不揖延久例也若可揖歟〉右廻復列、式云、登階五六等跪授之、正暦四年記、大臣經案北西、更折左廻北面立取函、長元亦同、〉次、公卿復座、〈大臣揖右廻經納言前歸、以次公卿亦同歸入於陣砌之時、亦各用前間、正暦四年記、左大將齊時獨左廻經參議前、長元四年記、左大將獨左廻云々可之、◯中略〉
次外記二人撤案、大臣令藏人奏事由、召仰外記〈未解由者、可今日座事、若雨降者御暦可内侍所、天延、正暦、延久有御暦奏、長元、永承付内侍所、長元依雨歟、〉番奏、〈長元四年、依雨付内侍所、〉天皇出御、〈著靴入御帳北、經倚子東著御、〉置璽於東机(劔在東璽在西)、〈南柄東刃〉置式於西机、内侍出出居、昇出本陣、〈若有大臣大將者、公卿昇後率侍從日華門、〉王卿參上著南廂兀子、〈著靴〉侍從昇、次供御臺盤、〈入月華門、内膳正以下八人舁之、各四人、〉采女傳取供之、〈於西一間帊〉出居次將、召内豎〈御臺盤過西第二間之比也〉内豎〈四五人同音唯〉其中一人參入、立於櫻樹頭、内豎退

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0123 次將仰云、御飯給、采女立御臺盤、 二脚立御前〈一脚東西妻、立於置物机南、一脚南北妻、北懸御帳、南居小床子、〉 一脚立東二間廂〈酒噐逼西柱南長押南北妻〉 内豎立臣下臺盤、〈四尺四脚、八尺一脚、立王卿前、四尺二脚立出居前、〉次内豎持索餅下器西度、〈是源右府被行次第也、近例不必然〈但左府依此行之〉但舊説如此、又治暦四年萬機旬、彼右府被行如例、給臣下四種之後度、〉内豎各持朱盤、渡馳道、毎盤居朱垸四口、就進物所之、歸給臣下箸匕、〈或先居臺盤之〉酒番侍從著座、〈入日華門、著宜陽春興兩殿西廂床子、或説供御酒後參上、〉供御四種、〈四度毎度有蓋擎子、下同、〉給臣下四種、供御索餅〈下噐歸經版位間之〉御箸下、臣下隨下箸、〈指笏、此日遲參王卿未御箸以前者、直著座、御箸下給不參上退出、〉供蚫羹、〈以此御盤索餅〉供御飯、給臣下進物所御膳〈窪坏二、平盛高盛汁物等令盤、必不臣下飯、〉供御厨子所御膳、〈高盛八、燒物二、汁二、〉給臣下菜汁物〈二遍〉御著下、臣下應之、一獻、〈采女供御酒、酒番二人給臣下、一人持土噐、一人持瓶呼平、〉下物下器度、〈内豎四人、各捧朱盤一枚、經版南西階、采女迎取開入下物之噐、毎空噐之、一枚炊交、一枚堅鹽、一枚箐茄、一枚干鯛、内豎昇東階王卿出居、〉供御菓子干物、〈下物分取之間供之、菓子四、干物四、〉給臣下、二獻開(左掖)門〈將曹等出門外〉闈司就版、勅答、〈令申與、闈司退、〉中務輔率陰陽寮五人、立案辛櫃等、 二人舁案、〈御暦〉四人舁辛櫃、〈頒暦〉去版位南一丈立案、〈東西妻〉件案黒漆也、高三尺、長三尺、廣一尺六寸、其上有筥、〈廣四寸、長一尺二寸、高三寸、無華足、〉案南去一丈、立赤辛櫃一脚、〈東西妻〉 陰陽師等退、輔留立、更北進就版位〈經案西〉奏、〈陰陽寮乃申世留其年乃御暦進止、申給者久止申、〉無勅答輔退出、〈出本路〉闈司二人〈入左腋門〉舁案、〈經版位東〉登南階西頭、立御座西第三間南簀子敷、〈東西妻〉即下南階、立階西頭、掌侍入御帳後、出同西御屏風下簀子敷、就案取函、經本道歸到於御帳東邊、開函候、主上令暦、置西置物机、〈在式北〉内侍掩筥蓋空筥、經始道案上歸畢、次闈司登南階案經始道本所退、次少納言率内豎六人日華門、令案辛櫃等退、〈二人舁案、四人舁櫃、〉御暦者還御之後、置於置物御厨子、次番奏、三獻見參還御、

〔公事根源〕

〈十一月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0123 朔旦冬至     一日
是は、十一月一日の、冬至にあたるをいふなり、廿年に一度まはる事にて、めでたき祥瑞なるによて、そのとしは、主上南殿に出御なりて、旬を行はる、公卿賀表を奉る事など有、神龜二年十一月に、天皇大安殿に出御にて、冬至の賀辭をうけ給ふよし、國史にのせたり、我朝のみにあらず、異國に

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0124 もためし有事なり、年中行事にもあらず、あながちしるすべきにはあらねども、日をさだめたる事なれば、筆のついでに十一月一日の事に、いさヽかしるしくはへ侍るなり、

〔光臺一覽〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0124 十一月朔日、若冬至今日に廻り當れば、朔旦冬至とて、天子の御賀と有て、今夜節會を御行御事なり、陣の儀式、三節會に大略同じ、若又十月晦日冬至なれば、朔日へ延し、十二月二日冬至なれば、朔日へ縮めなどして、節會を御行御事なり、但暦の動にはあらず、節會を屈伸せる義祝なりと心得べし、左様に朔旦冬至なされ度思召佳儀なれば、よく〳〵天子の御身の上に極りたる御賀とか奉推候、

〔續日本紀〕

〈三十八桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0124 延暦三年十一月戊戌朔、勅曰、十一月朔旦冬至者、是歴代之希遇、而王者之休祥也、朕之不徳、得於今、思行慶賞、共祝嘉辰、公卿已下宜加賞賜、京畿當年田租、並免之、

〔類聚國史〕

〈七十四歳時〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0124 延暦二十二年十一月戊寅朔、百官詣闕上表曰、臣聞、惟徳動天、則靈祇表瑞、乃神司契、則懸象呈祥、伏惟天皇陛下、則哲承基、窮神闡化、功被有截、徳輝無方、伏撿今年暦、十一月戊寅、朔旦冬至、〈◯中略〉又今年十一月、朔旦冬至、皇太子某、及百官表賀、曰、軒轅之年、寶鼎呈祉、陶唐之世、金精表圖、稽之前修、誠合嘉瑞、天之所祐、古今寧殊、可久可長之功、不召而方至、太平太同之化、不言而自成、朕以、靈徴之攸臻、必資厚徳、休命之所感、乃通至仁、顧惟庸虚、但増慙歎、思凱澤以答天惰、自延暦廿二年十一月十五日昧爽以前、徒罪以下、無輕重、悉皆赦除、但犯八虐、故殺人、謀殺人、強竊二盜、私鑄錢、常赦所免者、不赦限、敢以赦前事相告言者、以其罪之、其王公以下、宜賞賜、但能盡忠力、先有勤效者、特加爵賞、用申褒寵、内外文武官主典已上、敍爵一級、正六位上者宜量賜一レ物、天下高年、百歳以上穀二斛、九十以上一斛、八十以上五斗、庶恤隱之旨、感於上玄、珍貺之應、被於中壤、布告遐邇、知朕意焉、

〔類聚國史〕

〈七十四歳時〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0124 弘仁十三年十一月丁巳、朔旦冬至、百官奉賀、〈◯下略〉

〔續日本後紀〕

〈十仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0124 承和八年十一月丁酉朔、是日、朔旦冬至也、公卿上表慶賀、 丙辰、是日、天皇御紫宸

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0125 殿、宴百官、〈◯中略〉宴訖賜祿有差、

〔三代實録〕

〈四清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0125 貞觀二年閏十月廿三日己巳、勅從四位下行文章博士兼播磨權守菅原朝臣是善、正五位下守權左中辨兼行式部少輔大枝朝臣音人、正五位下守右中辨藤原朝臣冬緒、從五位上行大學博士大春日朝臣雄繼、從五位下守主計頭兼行木工權助算博士有宗宿禰益門等曰、今年一章十九年(○○○○○)、准據先例、當朔旦冬至、而暦博士眞野麻呂等所上暦日冬至在十一月二日、若於經史進退之理乎、宜議而奏一レ之、是善等奏議曰、謹案、眞野麻呂所執、以爲依日分小餘不足、不合朔、論之暦術、理若然、但案暦經注云、月行遲疾、暦則有六大六小、以日行盈縮損之云々、當加時早晩、隨其所一レ近而進退之、使六大六小、其正月朔、若有交加、時正見者消息前後一兩月、以定大小、令虧在一レ晦者、以此言之、既有進退之理、而今當年暦八月大、九月小、十月大、閏十月小、然則以一小月大、自得朔旦冬至、夫朔旦冬至者、暦數之所始、帝王之休祥、既云凶而在一レ晦、何不吉以退一レ朔、昔唐太宗、貞觀十四年有閏十月、即得朔旦冬至、太史令傅仁均、以癸亥朔旦冬至、而宣義郞李淳風案古暦分日、以爲甲子宜朔旦、詔下公卿及諸有識、於是國子祭酒孔頴達等十有四人、尚書八座、請從淳風議、有詔可之、雖然至於後年、不晷耀之愆、爰知一日進退未妨、又尚書音釋云、頻大消之、案其意義、毎章蔀之歳、必欲朔旦冬至、故頻置大月、至於三四、夫三大三小者、暦術之常法、况今唯置二〈◯二原作七、據類聚國史改、〉大、既得合朔乎、又勅從五位下行暦博士兼備後介大春日朝臣眞野麻呂、外從五位下行陰陽助兼權陰陽博士笠朝臣名高等曰、今諸有識等僉議云、今年可朔旦冬至、若依此説、逐吉置朔者、於後年暦節氣不錯謬歟、眞野麻呂等奏言、謹檢術法吉進退之文、仍今年不朔旦冬至、但依群臣議之、可弦、望、晦、朔之差、於是詔從是善等之議焉、 廿五日辛未、宣詔百官及五畿七道諸國云、今年當朔旦冬至、而暦家偏依日分不足、置於二日、今稽之故實、既有改定之理、宜閏小月大、即以十一月二日丁丑、爲朔旦冬至、 十一月丁丑、朔旦冬至、〈◯中略〉公卿上表賀朔旦冬至、〈◯中略〉是日、帝御前殿

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126飮侍臣、録文武官及校書殿内豎等見直者奏之、 十六日壬辰、天皇御前殿宴群臣、賜文武官爵、〈◯下略〉

〔三代實録〕

〈三十六陽成〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 元慶三年十一月丙辰、朔旦冬至、右大臣已下參議已上抗表賀曰、〈◯中略〉於宜陽殿西廂、賜親王已下次侍從已上飮、非侍從四位五位及未解由五位已上國宰被喚預席、宴竟賜祿各有差、 廿五日庚辰、詔曰、〈◯中略〉天皇御紫宸殿于百官、大歌五節舞並如常、賜祿各有差、

〔菅家文草〕

〈十表〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126公卿朔旦冬至
臣基經等言、臣聞、潛鱗游泳樂春水於和風、稚羽來賓拂曉雲於秋月、彼微情之二物、猶感天、况在位之群臣、誰忘化、臣某等誠歡誠喜、頓首頓首、死罪死罪、夫三衆知程、四騶得道、斯乃寒温之平也、雙離合璧、五緯連珠、斯乃聖哲之事也、臣等謹案暦曰、十一月丙辰、朔旦冬至、稽之舊章、理誠宜賀、伏惟皇帝陛下、欽若無掩、昇惟馨於昊天、敬授不偸襲其臰於黎庶、蓋古先帝之所希有、舊史氏之所罕言、陛下得之明徳至矣猗歟、日則南至、陛下向陽之美可觀、星惟北共、臣等詣闕之誠何切、聖壽無疆、明時有瑞、不抃舞、拜表以聞、臣某等誠歡誠喜、頓首頓首、死罪死罪、謹言、
  元慶三年十一月一日〈◯又見本朝文粹四

〔扶桑略記〕

〈二十三裏書醍醐〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 寛平十年十一月一日丙申、朔旦冬至也、

〔日本紀略〕

〈一醍醐〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 昌泰元年十一月一日丙申、朔旦冬至、諸卿上賀表、但天皇不南殿、 廿一日丙辰、詔免徒罪以下、依朔旦冬至也、

〔扶桑略記〕

〈二十三裏書醍醐〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 延喜十七年二月廿日己亥、兵衞志多治有行與暦博士等可元朔旦之由、十一月一日丙子、朔旦冬至也、

〔日本紀略〕

〈一醍醐〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 延喜十七年十一月一日丙子、天皇御南殿朔旦冬至之表

〔日本紀略〕

〈二朱雀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 承平六年十一月一日丙戌、去延喜十七年十一月朔旦冬至之後、今年當一章十九年

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127其瑞而已、 二日丁亥、當冬至中、〈◯中字前後、恐有誤脱、〉仍無慶賀

〔日本紀略〕

〈十二三條〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 長和元年十一月一日甲午、朔旦冬至、公卿上表奉賀、天皇不御南殿、 廿五日戊午詔免除徒罪以下、依朔旦冬至也、

〔日本紀略〕

〈十四後一條〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 長元四年十一月一日甲戌、朔旦冬至、天皇出御南殿、公卿獻賀表、式部權大輔大江擧周作之、中納言兼隆遭喪、仍除之、

〔扶桑略記〕

〈二十九後冷泉〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 永承五年十一月、朔旦賀、先是大法師増命奏曰、今年閏可十一月、因之令算道并暦博士賀茂道平、僧證昭各獻勘文、算道同増命奏、暦博士確執、延暦以後、一章不誤承平六、暦家之失也、我朝異國暦相違、古今例多、然而公家不必用異國説之由勘申、仍有件賀也、

〔中右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 寛治二年十一月一日、〈朔旦冬至〉今日有旬、御出以前先有公卿賀表〈左大辨仰之〉之儀

〔百練抄〕

〈五堀河〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 嘉承二年五月三日、今年朔旦冬至、相當日蝕申准據例之由、被諸道

〔中右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 嘉承二年十月卅日、晩頭可仗議、參内、人々來被參、仍先參前齋院御方、次參殿上、秉燭之程人々參入、仍著仗座、〈◯中略〉左府被諸道勘文、是來十一月朔旦冬至、相當日蝕并諒闇、〈◯堀河此年七月崩〉准據例何様可行哉事也、左大辨讀勘文、〈外記官大宰帥大江卿勘文、紀傳明經二通、〈助教定康進別勘文〉明法、算、陰陽、暦道、天文二通、博士宗明師遠各勘文、〉人々被定申旨各不同也、或勅定、或被行何事之有哉、但予定申云、件事如諸道勘文者、往古以來朔旦之時、全無日蝕、或引准據例、或立今案議申不分明、今年初當日蝕、是太陽虧者、諸司廢務者、付之思之不拜賀表歟、諒闇之中依祥瑞、嘉祥三年、文徳天皇初有賀表之故也、就中縱雖朔旦、日蝕不正現時、諸卿進賀表例、先規間存、抑明經道勘文可尋問歟、左兵衞督同此議、委趣見定文并勘文、左大辨同書定文、且先以詞付藏人辨顯隆奏聞、攝政殿仰云、依大事、早書定文、後日心閑可奏、人々退出、但左大臣左大辨留仗座、依他公事也、後聞有當年不堪申文、〈左大臣見之〉 十一月三日、諒闇賀表例、昔嘉祥三年、文徳天皇初有祥瑞時〈白龜甘露〉公卿進賀表也、日蝕不現之時、奏賀表之例、貞元二年十二

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0128 月也、〈去十一月朔日蝕不現由也〉彼時雖朔旦冬至、十一月蝕尤爲君有其愼之故歟、 十一月廿九日庚辰、晩頭參内、今日御即位并朔旦敍位也、〈◯中略〉爰有僉儀、仰云、朔旦與御即位、從昔未相合、而諸道博士等、朔旦之時、或浴其恩、或又不然、但寛弘九年、朔旦與大嘗會敍位相合之時、只暦道許被賞、可彼例歟、可定申、人々多可賞、且亦可勅定定申、下官〈◯藤原宗忠〉申云、朔旦佳會、已代初也、加之相當御即位、不圖吉祥也、諸道尤可賞也、賞之疑及廣、如此謂也、一人有慶、兆民被之義也、人々多被同申、但殿下〈◯藤原忠實〉仰云、此中諸道人々、或依年限外記勘文、自然可賞、只今兩三人許、勘文之外、所申請也、以頭爲房、被院歟、〈僉議之間、執筆左大辨、依次第申上也、〉

〔本朝續文粹〕

〈四表〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0128 朔旦冬至賀表     江帥
臣忠實等言、知機其神、先見先古之符命、膺籙爲后、必受希代之休徴、彼蒼之貺、不其悦乎、臣〈某〉等誠歡誠喜、頓首頓首、死罪死罪、伏惟皇帝陛下、名高二昊、徳被三才、王澤如春、桃李施不言之化矣、帝道似歳、寒暑迎克〈◯克一本作能〉調之氣焉、馬放華山、周年之草烟老、鳳巣阿閣、堯日之竹露暄、臣謹案暦日、十一月壬子朔旦冬至、誠是經列聖而難値、鐘治世而偶來者也、景緯、〈◯緯一本作縷〉著上、推歩履端、黄軒同瑞、論長生於少典之子、炎漢垂祥、顧上壽於太宗之孫、測玄至於霜露之所一レ均、一陰一陽、在璇璣於宿耀之不一レ忒、如珠如璧、昧旦肅儀、圓丘之曉雲雖隔、翌日受禮、上邦之昔風猶聞、况亦日官感暦數之自殊、天臺奏陰曀之有一レ慶、扶桑之添耀也、何損於明、葵藿之傾心也、無其影、李家五色、求同類於斯、栗社數周、褊異時於時、〈◯時一本作彼〉山雲膚合、扶木何損於明、維雨聲寒、若華無其影、龍圖鳳暦之初、吉兆非一、垂衣負扆之後、福應相重、〈臣〉等幸逢截之昌期、近觀莫大之盛事、春秋惟富、如日之升月之暅、朝野考槃、不手之舞足之踏、山玄水蒼、率雲官而來賀、星旄電戟、排霜仗而歡呼、不欣感、謹奉表以聞、臣〈某〉等誠歡誠喜、頓首頓首、死罪死罪、謹言、
  嘉承二年十一月二日

〔本朝續文粹〕

〈四表〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 朔旦冬至賀表     敦光朝臣
臣忠通等言、珠璧連耀、測景晷於周臺、笙鏞奏聲、迎時律於漢室、哲后撫運、暗恊禎符者也、臣〈某〉誠歡誠喜、頓首頓首、死罪死罪、伏惟皇帝陛下、踐翼承基、欽象均徳、奉順天地之道、富有春秋之齡、閏餘正時、八九之節候不忒、寒暑成歳、十千之稼穡斯豐、况今月壬辰、朔旦冬至、得天之紀、周而復始、撿之方策、則列辟稀逢、尋之彜章、亦群僚稱賀、猗哉、同幼年於軒年、大椿之陰更盛、比聖日於堯日、若華之光初昇、臣等値此有慶之昌期、獻以無疆之上壽、高望絳闕之雲、共雙鳳而來儀、新擊黄鍾之石、與百獸而率舞、凡在庶品、孰不心、非欣躍之至、謹拜表以聞、臣〈某〉誠歡誠喜、頓首頓首、死罪死罪、謹言、
  大治元年十一月日

〔台記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 天養二年〈◯久安元年〉閏十月九日庚戌、參内、依大粮申文也、〈◯中略〉申文了起仗座之後、於陣腋、頭辨仰云、使左大辨藤原朝臣〈顯業〉作朔旦冬至賀表、答承由、頭辨云、賀表事先被左府、〈◯源有仁〉依病被辭申、仍所仰也、 十一日壬子、始今日朔旦旬次第、〈執筆俊通〉 十四日乙卯、造朔旦旬次第了、十六日丁巳、今日依日次宜、〈惡日不仰之由、有殿仰、〉爲朔旦賀表事、遣左大辨〈先日召之〉之處、依疾不來、因之以大外記師安仰、差遣六位外記之云々、永承五年朔旦賀表事、宇治殿〈于時關白左大臣◯藤原頼通〉以大外記貞觀仰云々、〈寛治二年匡房記〉依彼例爲也、此次朔旦旬次第給師安、 十七日戊午、出居次將、侍從等、可上卿、而于今不仰、仍示驚光房、今日來仰云、次將頭左中將經宗朝臣、侍從右京權大夫顯親朝臣、即以此旨師安、又酒番侍從可催之由仰之、昨日師安云、賀表料紙〈白色紙〉一上賜外記、是嘉承大治之例也、其以來不何所紙、今度左府依惱不宣下、表事猶左府可賜歟、將尊閤可給歟、 十八日己未、依先日召、權右中辨朝隆朝臣〈裝束使〉來、仰賀表案莒花足上レ錦臥組丸緒之由、〈案莒花足造、曹司作之、錦臥組丸緒、厨家設之、〉色目寸法等、書一紙之、其寸法等依延久例、〈其主後三條院、其臣京極大殿、爲吉例之故也、後三條雖其祚不一レ長、賢名流于後世、故曰吉例、于時大殿上宣下表事、〉長元四年、實資大臣召史仰案等事之由、見經頼記、然而案他事、無上卿召仰史、仍召辨仰之、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130 但於先例者無所見矣、後日、朝隆朝臣來云、光房依殿下〈◯藤原忠通〉仰、莒案等可寛治例之由仰下、如何者、答云、可殿下仰者、 廿五日丙寅、左大辨卿著束帶、持來賀表草、〈續檀紙二枚之、無禮紙、件草可載別記、〉次修理大夫敦任令表云、須對面、依假塞相逢、〈其實依經不逢也〉敦任持來表之間、親隆著衣冠來云、依左大辨告參也、余不此由、令敦任取一レ表、足悔矣、其表有四裔表受朔之文、以親隆難旨、件事具別記、光房送札云、攝政御消息、賀表清書、右少辨光頼可仕之者、權右中辨朝隆朝臣能書之譽、冠絶于當世、光頼未其譽、以其父顯頼卿之例之、未是非耳、先日所仰之諸卿已下諸司參否、注一紙師安持來云、重仰慥可催、又巳刻以前可參之由可仰者、 廿七日戊辰、依昨日招頭辨資信朝臣來、依物忌逢、以敦任表云、可攝政者、移時持來云、早可清書者、抑覽表草事、非帝、只覽執柄也、成人主更不覽、只覽關白、然者以大外記覽歟、然而長元四年、實資大臣以頭辨關白之由、見彼記、今追其例也、 廿八日己巳、召大外記師安表草云、使右少辨光頼清書者、長元四年、大外記文義申事由於關白、表中關白名字〈除奧連署之外也〉以清書人書之由、見日記、〈實資記也〉今度又可殿之由仰之、師安即參殿、申御名字事、仰云、以清書之人書者、即遣表草并料紙〈先日左大臣給外記〉於光頼宅書云々、先日余申攝政殿云、今度辨官爲清書人、直召余亭之、有其便歟、仰云、任先例外記傳給、可難者、仍從此命、 十一月一日壬申、朔旦冬至也、群臣進賀表、上御南殿群臣、事畢拜舞罷、

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130 壽永二年十月廿三日甲寅、召陰陽師賀茂在宣〈圖書頭〉及晩來、召簾前之、〈◯中略〉余〈◯藤原兼實〉此次尋問事等、 朔旦事、申云、凡十九年爲一章、然者自初朔旦年廿年ト云ニ相當也云々、久安朔旦以後、保元又朔旦冬至出來畢、〈當十四年云々〉古來雖一章猶有朔旦之例、無年限中間有朔旦之例、仍有議〈信西沙汰〉被止了、不一章之條、雖不審、算勘一切不誤、是天之與嘉瑞也、而遁而不之、時人所傾奇也云云、今度ハ大略相當、雖聊之相違大都叶算勘云々、 十一月一日辛卯、此日朔旦冬至也、依即位以前、不御南殿、只奏賀表御暦於内侍所、仗座設饗、偏依昌泰例行也、

〔百練抄〕

〈九安徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0131 壽永二年十一月一日、朔旦旬也、然而不敍位、今年被豐明節會之故也、朔旦、自長寛二年今年當二十年、算勘雖叶、以一章之年數之例也、 十二月十九日、被朔旦敍位、依豐明節會、今年可行御即位敍位之由被定之處、御即位又延引、仍所行也、

〔朔旦冬至部類記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0131 大外記頼元記云、建武二年十一月一日戊申、朔旦冬至也、仍被旬儀、日出之程裝束〈玉帶不透〉參陣、奉行職事、藏人頭大膳大夫經季朝臣一人之外無人、廻常御所方、以得善不少進入、昨日源大納言入道状、付勾當内侍、准后御方〈東宮御母儀〉爲御所、則被御前、條々有申入、暫祗候退出、詣右府合賀表御署事、則歸參内裏、賀表權右中辨實夏朝臣清書、昨日作者式部大輔長員卿進左府、即可清書人處、御奏聞云々、無先例如何、而叡覽之處、少々有直改、内々以頭大夫状長員卿許、其後自内裏左府、仍云夜亥刻被於清書人許云々、〈予召進二臈外記於殿下、爲清書人也、〉清書畢、寅刻以状被予許、仍昨日不諸卿署、今朝參内之間、令隨身可殿下御署之由示遣三臈許、然間殿下令參内給、仍取返之頭大夫、進入於臺盤所、被御署〈六位藏人長綱、持經季朝臣平文硯之、〉被返下、其後以史生代助豐、申右府以下署、然間參内公卿等、於陣後壁外或宣仁門前署、午刻右大臣〈公賢公〉參入給入左衞門陣、入敷政門給、予、大夫史匡遠、大外記師利、一臈外記康綱、〈權大外記〉候床子、各平伏、相續左衞門督〈實世卿〉參陣、各先被御所方、春宮大夫、〈師平卿〉右兵衞督、〈公重卿〉中宮權大夫、〈實平卿〉大貳、〈經顯卿〉葉室宰相〈長光卿〉等、於宣仁門前加署、史生代助豐持表入莒蓋、召使行有持硯、〈局御硯〉上卿右大臣參陣給、春宮大夫藤原師平卿、侍從中納言公明卿、徳大寺中納言公清卿、左衞門督實世卿、右兵衞督公重卿、大貳經顯卿、葉室宰相長光卿等加著之、〈于時中宮權大夫徘徊宣仁門邊、未著陣之故也、〉召大外記清原頼元、被諸司具否、申候之由、又被御暦奏、申候由、又被出居侍從、又被此外公卿參否、内大臣申參之由、中宮大夫〈具親卿〉被參不進參之可得心之由被命云々、申定之由、蒙目唯退、上卿以官人立賀表案之由、内府未參給、仍未御署之由申之、可相待云々、頭大夫被仰曰、内府遲參之上者、以史生進賀表、忩可署之

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0132 由有勅定云々、仍以史生助豐御署之處、爲御乘車門給、御披見之後、已參内之上者、於御所加云々、則參御内、於陣後署給、御遲參雖然、固令先規給之條、壯年人之所爲可貴々々、先是大炊御門中納言冬信卿參陣、下車之間、史生行向車前署被之、兩人加著陣座給、以頭大夫經季朝臣、被御暦奏候之由、勅答、此間外記史部二人、〈可衣冠、近年衰微之間、只著淨衣冠、不例、〉舁賀表案床子前、〈辨座與外記座中程也、案者南北妻立之、賀表函者東西、横置案上、〉于時少納言在淳朝臣、權右中辨實夏朝臣、右中辨光守朝臣、大外記予、大夫史匡遠、大外記師利等候床子、史生助豐、行有、〈召使爲代〉舁表案宣仁門前、〈敷政門内、案南北行、函西東也、〉權大外記康綱、權少外記師廉舁之、〈先居案下、搢笏更立舁之、〉入宣仁門參議座後宜陽殿壇上、南行入軒廊東一間、更西行立軒廊西一間中様程、〈外記舁案妻、相並于左右、各前爾向テ舁之、不前後、舊記次第等舁前後云云、而不逆行云々、然者左右爾相並之條叶儀歟、依事之便左爲前、下臈前、上臈後也、〉各於案下蹲居、拔笏更立、經本路退、於件案南北之、賀表函案上横〈爾〉置之、西頭〈爾〉置之、〈賀表頭以西爲上、東下爾爲之、〉右大臣起座立陣前庭給、〈北上西面〉内大臣立右大臣南、〈西面〉大納言一列、〈大臣後〉中納言一列、參議一列、〈于時雪飛舞、代々佳例也、〉内侍出臨東檻、右府揖離列、入軒廊案、跪挿笏取表函、〈不花足〉昇東階〈三級許歟、不見及也、〉授内侍、内侍持參函、天覽之後、以藏人御殿厨子云々、但其儀不見及、右府已下、次第經本路著陣、左衞門督先被陣、右府先被立、爲無骨之間、父子之故也、中宮權大夫來著陣之間、入宣仁門加立之、頭大夫經季朝臣來仰、賜任符任、及未任符國司、未解由、大夫令座〈與、〉上卿召予被仰之、予唯退、主上御南殿、〈自是先出御、被覽陣儀、〉公卿起座、於陣後靴入宣仁門、經宜陽殿壇上軒廊、昇東階兀子、先是出居次將頭中將宗兼朝臣入宣仁門、經軒廊東階、著東庇床子、寛治、右大臣爲上卿、内大臣大將參陣、出居次將先昇殿、次上卿昇殿、建仁、貫首大臣、〈某〉次大臣大將、〈後京極殿歟〉出居次將、依大將、先大臣大將昇殿、次上卿昇殿、次出居侍從昇殿、先例兩様之由、以職事奏聞、可寛治例之由有勅定、此事上卿被予、常座不覺悟、先例兩様條勿論、但多少不之、近年世上動亂、重事預問、心中物忩之間、如此事不勘例覺悟耻、但非私之怠、爲天下也、冥鑑之令許給歟、上卿以康綱、〈一臈外記〉爲先例

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0133 里第、則注申此例也、 首書曰、次第奧繼之記云、寛治二内府雖大將、任近例左府先被昇、仍出居右近少將顯實先是昇殿云々、次左大臣以下昇殿、爲房卿申定殿下云々、建仁御記云、右大臣爲左大將、仍出居次將、〈頭中將公信朝臣〉公卿昇殿之後昇殿云々、 次大外記予、大夫史匡遠、大外記師利、權大外記康綱、權少外記師廉、頼清、右大史盛宣、左少史俊春、右少史等著階下座、次出居侍從右中辨光守朝臣入日花門、經宜陽殿前、入軒廊東間、昇東階東庇床子、則經本路退出、出居次將宗兼朝臣召内豎、〈二音〉頭〈某〉入日花門櫻木下、承仰退出、此間予相伴頼清早退出、此次詣源亞相禪門亭、傳勅答之趣歸畢、

〔薩戒記〕

〈部類〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0133廣橋大納言許(朔旦冬至間事)、中御門中納言〈宣輔〉來會談曰、昨日參左府亭、〈二條〉左府被談曰、當年相當臨時朔旦冬至可旬議否、以下條々以藏人權辨經直尋仰之、臨時朔旦冬至者、開闢以來以上三ケ度歟、然而於以前兩度者被改暦了、但件度各不吉之間、以件例計申、又以折中議平座歟由被仰下、是又雖准據、章運朔旦例猶以不悟、仍今度以新儀旬儀之條、何事之有哉、改暦并平座共不甘心、若於旬儀大儀之由、被思召之様、縱雖平座、於賀表奏覽者、不略之、然者諸司參仕不旬儀、於公卿侍臣者祝公事、皆以爲私力之計略歟、此由申御返事、若猶可旬儀之條、不相叶者、廣被御沙汰、可賀表之由、可宣下歟、是猶可不快如何者、猶前内相府殿者猶可旬之由被之、此事以前兩度共有公卿僉議、今度又可然歟由、廣橋大納言雖院不返事、又可勅問歟由、同申入云々、兩條共相違時宜歟云々、尤朝家重事也、又曰、若今度被改暦者可四大、〈八月大、九月大、十月大也、閏十月爲小、若爲大者四月也、〉可憚之由、暦博士賀茂在方申之、猶今度者無算道申状、仍不冬至當不之相論、文永七年雖之、前年有用之、於徳治元年者不改暦由、前年被仰之、而花園院御即位之後、又及勅問改暦了、仍於今度者可旬儀之由所申也、於代始者依万機旬以前出御、仍被平座、於今者不其儀歟、而院仰云、於朔旦冬至者雖此、二孟旬、并豐明、重陽宴會等、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0134 皆雖代始、被平座者例也、爲准據之條、何事有哉者、已上後所談如此、猶可尋也、
今日(朔旦冬至事)相當朔旦冬至(應永廿九十一朔)之由、暦道勘申、凡臨時、朔旦冬至未用之、先例皆以被暦改者也、今度算道之輩、不所存、仍無爭論之上、一上頻可旬儀之由被計申改、然猶旬儀者被止之、可平座之由、有院仰、但可賀表云々、
一表事 廣橋大納言〈兼宣〉草之、當時第一儒者也、舊例或不座次、名譽人被仰下云々、然而明徳以來三ケ度、彼卿草進云々、可傍若無人歟、
一同清書事 藏人左少辨俊國書之
一料紙事 白色紙〈無薄三枚續之打之、加懸紙一枚、〉
一公卿署事 左大臣〈◯藤原持基〉於里亭之、万里小路中納言、藤宰相等於陣後之、自餘公卿不參、仍不署、三公於里亭加署也、上卿起座經壇上宜陽殿、次予退、右足揖起座、〈乍座逆行下足〉著沓揖經宜陽殿東壇上、於端座末程揖、沓昇懸膝、經臺盤南奧座〈突左膝〉揖直足縿寄裾、〈著奧事、先賢所爲也、花山院左大臣殿、并中山内大臣殿等御進退如此、委見長寛二年十月御記者也、或人可端之由議之、朔旦冬至平座例、〉
朔旦冬至不出御例等、見壽永二年九月十五日深山御記、件御記曰、昌泰元年十一月朔日朔旦冬至也、天皇不出御、權大納言菅原卿奏賀表、今日平野祭春日祭也、九坎日也、今日不出御事、子細不分明、次日之故歟、然而非初度憚歟、若當平野春日祭之故歟、今日御記不分明、依平野祭出御之由、見延喜四年四月旬日御記也、推而知之、 已上如此記者、洞院大納言申状、昌泰已來相當代始不出御候也、申之不相叶歟如何、

〔長興宿禰記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0134 文明十一年十月廿四日丙子、今日有改暦宣下、來月一日冬至也、當時其禮難行之間、任保元、延慶、嘉吉等例改暦、以今月卅日、爲十一月朔、退冬至於二日改暦之由、職事三條頭中將實興朝臣宣下、上卿中御門中納言宣胤卿也、三公各未拜賀、大納言當時各故障之間、彼卿爲上卿、上

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0135 卿被知藏人右少辨俊名、辨被知官務雅久宿禰、成宣旨於五畿七道、暦博士等云々案文可尋記、保元延慶共、當流申沙汰、宣旨符之案無所見之間、嘉吉元年度、傍家不宣旨之由、有其沙汰、今度以何符案、令下知哉不審、當流文書悉今度亂中於宇治平等院寶藏紛失、若令分散歟不審、兵亂初土御門大宮第、同文庫等、軍兵放火燒失、其以前文庫文書、代々記録數百合、渡于宇治寶藏森坊、〈平等院僧也〉出預状文、亂中盜失之由稱之、悉紛失、自去年武家、以奉行彼坊僧等所行御糺明、未無落居、一流奉公時節到來、可斷絶歟、但不怠轉憂記録等求集、局中奉公、子孫可計略者哉、今日宣下案兩局勘例、并一條禪閤關白〈◯兼良〉御申詞等、寫取給之、
朔旦(師富朝臣)冬至改暦事、引勘候處、亂後當局文書難得之間、所見不詳候、但嘉吉元年閏九月十二日、内大臣召大外記師世朝臣於里亭、今年朔旦冬至、雖章運、可嘉例哉否事、紀傳明經博士、可勘申之由被宣下之、去八月口宣、職事藏人右少辨資重參里亭申之、左大辨三位爲清卿、清大外記業忠眞人、兩人可別勘文由被宣下之、同十六日、朔旦冬至、可賀禮哉否事有仗議、公卿内大臣以下諸卿參入之、諸道勘文四通在之、同廿九日、今月爲大之處、改暦之間、今月大爲小、十二月小爲大者也、於改暦宣旨者、官方申沙汰之間、當局不存知候、可御意候、恐惶謹言、
 十一月廿一日      師富〈上〉
   三條殿〈◯中略〉
文明(宣旨案)十一年十月廿四日宣旨
今年十一月朔癸未、置冬至而非章蔀期、無中間會由、是任保元延慶例、以今月卅日壬午十月朔、退冬至於二日、以十一月廿九日辛亥、可晦日、宜知五畿七道百官、且仰暦博士等、令進御暦者、
        藏人頭右近衞權中將藤原實興奉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0136 此宣下、上卿事、三公各未拜賀、亞相中或未拜賀、或未陣之間、下中御門中納言、〈宣胤云々〉 十一月壬午、今日雖十月晦日、依改暦朔日也、

〔月堂見聞集〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0136 享保三戌霜月、朔旦冬至ニ付、紫宸殿之前ニ竹垣ヲ結ビ、諸人之拜見此ヨリ不通、月華門ノ傍ニ、幄ノ屋立ツ、門内ニ疊ヲ敷キ、高机ニ供物アリ、勤役之公卿四人黒袍ヲ著シ、一人ヅヽ一拜アリテ、机ノ兩面ニ並座ス、又一拜アリ、其時殿上人赤袍ヲ著シ、四五人來ル、其ノ跡ヨリ白丁ニ烏帽子著タル人、長柄ノ銚子ヲ持來ル、殿上人酒ヲ受テ呑、自酌ヲ取テ公卿ニ勧ム、公卿土器ヲ受テ呑ム、其時賀表ヲ竹ニ挾テ持來リ公卿ニ渡ス、一人立テ賀表ヲ持テ、紫宸殿ノ階ヲ登ル、是ニテ終ル、賀表ノ文并公卿ノ御名尋テ記スベシ、

〔翁草〕

〈百九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0136 朔旦冬至 百二十代今上皇帝〈御諱兼仁◯光格〉實は帥宮典仁親王の御子也、〈◯中略〉天性聰明の君にて、御學問を好ませられ、朝儀の廢れたるを興し、舊きに返さしめ給ふ、叡慮淺からず、天明六丙午年朔旦冬至に當れり、故に絶へて久しき旬節會を行はれ、南殿に出御成て、臣下賀表を奉る、

七十二候

〔拾芥抄〕

〈上本七十二候〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0136 正月 東風解凍 蟄蟲始振(ウゴク) 魚上(ノボル)氷 獺祭魚 鴻鴈來(/カヘル) 草木萌動
二月 桃始華 倉庚(ヒバリ/ウグヒス)鳴 鷹化爲鳩 玄鳥至 雷乃發(ヲコス)聲 始電(イナビカリス)
三月 桐始華 田鼠(ウグロモチ)化爲鴐(ウヅラ/ヌカドリ) 虹始見 萍(ウキクサ)始生 鳴鳩拂(ウツ)羽〈◯禮記月令、暦林問答集、竝羽上有其字、〉 戴勝降于桑
四月 螻蟈(アマカヘル)鳴 蚯蚓(ミヽヅ)出 王瓜(ヒサゴ/カラスウリ)生 苦菜(ニガナ)秀 靡草死(ナツナカル) 小暑至〈◯小暑至三字、本書據禮記月令五月下、今據暦林問答集改、下學集作麥秋至、〉
五月 蟷蜋(イホムシリ)生 鵙(モズ)始鳴 反舌(ウグヒス)無聲 鹿角解(ヲツ) 蝉始鳴 半夏生木菫榮(ハナサク)
六月 温風始至 蟋蟀(キリキリス)居壁 鷹乃(イマシ)學習(トビナラフフコト/ハヅカヒ) 腐草爲螢 土潤溽暑 大雨時行(ヨリヨリ)
七月 凉風至 白露降 寒蝉鳴(ツク〳〵ホウシ) 鷹乃祭鳥 天地始肅(シヾマル) 登(スヽム)穀〈◯登穀、下學集作禾乃登、〉
八月 鴻鴈來 玄鳥歸 群鳥養羞 雷始收聲 蟄蟲坏(マス/フサク)戸 水始涸(カル/ツク)

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0137 九月 鴻鴈來賓 爵(スヽミ)〈◯爵、暦林問答集、下學集作雀、〉入大水蛤(ハマクリ) 菊〈◯菊、禮記月今作鞠、〉有黄華 豺(ヲヽカミ)乃祭獸 草木黄落 蟄蟲咸俯
十月 水始氷 地始凍 雉入大水蜃(ハマグリ) 虹藏(カクレテ)不見 天氣上騰地氣下降〈◯下學集作天氣升地氣降〉 閉塞而成
十一月 鶡旦(モズ/ヤマドリ)不鳴 虎〈◯虎、暦林問答集作武、〉始交(ツルム) 荔挺(レイテイ)出 蚯蚓結(ムスボル) 麋角解(ヲツ) 水泉動
十二月 鴈北郷(ムカフ) 鵲始巣 雉〈◯雉下、暦林問答集、下學集並有始字、下文雞字下亦同、〉雊(ナク/ヒイナス) 雞乳(ツルミス) 征鳥厲疾(ハケシクトシ) 水澤腹(アツク/ナカ)堅
 ◯按ズルニ、七十二候ノ解釋ハ、上文二十四氣條ニ引ク暦林問答集ニ詳ナリ、宜シク參看スベシ、

雜節

節分

〔書言字考節用集〕

〈二時候〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0137 節分(セツブン)

〔隣女晤言〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0137 節分 暦に立春の前日をせつぶんとありて、他の季にはしるさねば、冬の事とのみ世にはおもへど、四季ともに果の日はせちぶんといふべし、伊勢集に、
 せちぶんのつとめて、四月朔日みやにて、
 いづこまで春はいぬらん暮はてヽ別しことはよるになりにき
  かへし   兵衞佐命婦
くれはてヽ春のわかれのちかければいくらのほどもゆかじとぞ思ふ
源氏やどり木の卷にも、春より夏にうつる所をせちぶといへる事あり、かう立夏の前をせちぶんといへれば、他の季もなぞらへて知べし、

〔源氏物語〕

〈四十九寄生〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0137 夏にならば、三條の宮ふたがるかたなりぬべしとさだめて、四月ついたちごろせちぶんとかいふ事、まだしきさきにわたし奉りぬ、

〔中右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0137 保安元年四月朔日辛未、今夜夏節分(○○○)也、

〔榮花物語〕

〈二十五峯の月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0138 かんの殿〈◯後一條后藤原威子〉のは、七月にあたり給て、御はらいとふくらかにくるしげにみえさせ給、〈◯中略〉かくてこヽろのどかにしばしおはしまさせまほしう、大宮〈◯上東門院藤原彰子〉もとのヽ御まへ〈◯藤原道長〉も、おぼしめしたれど、あきの節分(○○○○○)に、いととくいりぬべければとて、七月〈◯萬壽二年〉三日うちにかへらせ給、

〔中右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0138 保安元年七月四日壬寅、今夜秋節分也、

〔源氏物語〕

〈五十東屋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0138 おのづからおぼすやうあらん、うしろめたうな思ひ給そ、なが月はあすこそせちぶ(○○○)ときヽしかといひなぐさむ、

〔中右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0138 保安元年十月八日、今日冬節期也、
 ◯按ズルニ、立春前日ノ節分ノ事ハ別ニ其篇アリ、

彼岸

〔叢林集〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0138 彼岸會事 二月ハ、春分ヨリ三日下ノ日ヨリ七日、八月ハ、秋分ヨリ三日下ノ日ヨリ七日、コレヲ彼岸ト云、
 ◯按ズルニ、彼岸ノ事ハ彼岸篇ニ詳ナリ、

社日

〔書言字考節用集〕

〈二時候〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0138 社日(シヤジツ)〈立春後五戊爲春社、立秋後五戊爲秋社、此日祭后土民祈穀、見淮南子註、事林廣記、〉

〔月令廣義〕

〈一歳令〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0138 祀社〈立春後五戊日爲春社、立秋後五戊日爲秋社、凡春秋二社、有司祭社稷、民社從各郷居人自立祭祀隨俗、山東有司毎歳清明、仲冬各郷僧道率衆、里長毎里賷稷飯一噐城壇、有司官驗視祭社稷、祭畢以飯盡施養濟院、其名曰設穀、蓋祀社之遺意、〉

〔荊楚歳時記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0138 社日四鄰並結綜、會社牲醪、爲屋於樹下、先祭神、然後饗其胙、 按、鄭氏云、百家共一社、今百家所社綜、即共立之社也、

〔東京夢華録〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0138 秋社 八月秋社各以社糕社酒相賷送、貴戚宮院以猪羊肉腰子嬭房肚肺、鴨餅瓜薑之屬、切作棊子片様、滋味調和、鋪於飯上、謂之社飯、請客供養、人家婦女皆歸外家晩歸、即外公姨舅皆以新葫蘆兒棗兒遺、俗云、宣良外甥、市學先生預歛諸生錢社、會以致雇倩祗應白席歌唱

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0139 之人、歸時各攜花籃果實食物社糕而散、春社、重午、重九亦是如此、

〔簠簋内傳〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0139 社日 二月八月中前後近戊日也、前後同日數、退可前註、神事凶、

〔暦林問答集〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0139 釋社第二十七
或問、社者何也、 答曰、尚書暦云、社者歳之春秋可祀之社事、土地之主也、稷五穀之長也、二月八月之中氣也、二月爲春社、八月爲秋社、百穀實而稼穡成、報徳而祀之、故春社者、近於春分戊日、秋社近於秋分戊日也、各命民祭於土地、將攘惡氣、其戊土也、故取其日祭也、

〔假名暦註解〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0139 社日 春ノ社日ニハ種ヲ蒔、秋ノ社日ニハ五穀ヲ刈、又日神ヲ祭ニ吉日ナリ、

〔日本歳時記〕

〈三二月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0139 もろこしには社日とて、春秋に二度土の神を祭る事あり、土はよく萬物を養ひ五穀を生ず、故に祭る、春は農事のよからん事をいのり、秋は其の恩徳を報ずる意となん、その日は、立春の後、第五の戊の日を春社とし、立秋の後、第五の戊の日を秋社とす、〈十干の中、戊己は土なり、故に春秋ともに戊の日を用るとぞ、〉禮記にも、仲春擇元日民社とあり、〈元日は吉日の意なり〉風俗通にいはく、共工の子を脩といふ、遠遊をこのみ、舟車の至るところ、足跡の達するところ、窮覽ずといふ事なし、故に祀て社神とす、左傳にいはく、共工氏子あり、勾龍氏といふ、平水土、故に祀て以て社とす、禮記郊特牲に、厲山氏の天下をたもつ時、その子を農といふ、よく百穀をうゆ、夏の衰ふるに及て、周の棄繼之、故に祀て以て稷とす、共工氏の九州に覇たる時、その子を后土といふ、よく九州を平ぐ、故に祀て以て社とすといへり〈蔡邕がいはく、棄、百穀を播植ゆ、稷は百穀の長なり、故に稷を以てその神に名づく、〉それ社は土神なり、稷は穀神なり、土穀の神を祭る事は、人民を生養する故なり、もろこしにて、社日には村民たがひに來往して、酒食に酔飽すると見えたり、張演が社日の詩にも、家々扶得酔人歸と作れり、又此日の酒、よく聾を治む、故に治聾酒と名づくと、海録碎事に見えたり、また燕は、春社の時にいたり、秋社の時かへると、月令廣義にあり、

土用

〔假名暦略註〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0140 どよう 漢字土用 土用とは、土の氣始て事を主どるの日也、凡一歳の内、五行の氣互に循環して以て四時をわかち、もつて歳序をなす也、春は木氣事を主り、夏は火氣事を主り、冬は水氣事を主どる、毎氣七十三日有奇を主どる也、唯土は中央に有て、四季に應じて、各十八日有奇を主どる也、其始之事を主どる日を土用の入とす、都て土用の中は、造作、修造、柱立、礎或土を動かし、井を掘、壁ぬり等、一切土を犯すに惡し、一説に、土用の間日あれども信用するに足らず、故に新暦にも註せざる也、

〔簠簋内傳〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0140 四季土用事
三月清明、六月大暑、九月寒露、雪月大寒、各節入十三日目可之、若厥内有沒日、則可十九土用、此日敢以不犯土造作殺生惡行者也、
  土用間日事
春巳午酉 夏卯辰申 秋未酉亥 冬寅卯巳 右此間日者、大聖文殊哀憐一切衆生、奉入土公王子部類眷屬清凉山日也、故衆生輙可犯土造作也、

〔春記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0140 長暦三年十月十日丁卯、萬事只隨此女脣吻、放子孫、希有事也、爲參州東築垣也、近日土用間也、小兒可忌避哉否、又王相猶在西、十二日可此方、予宅在東、仍可其方哉否由、以時成問之、予自去七日中納言殿也、時成傳孝秀報云如此之時更不土用、又小兒等更不忌、又王相事、在西只蹔也、御忌留本所歟、仍更不忌者、然而小兒有恙、毀彼垣之間、蹔可西屋邊之由示了、

〔經信卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0140 承暦四年六月廿九日庚申、巳刻參殿、〈◯中略〉被仰云、〈◯中略〉來月五日可基家朝臣宅、而處狹屋云々、然則欲但馬守宅、日次如何、又不方忌乎、主上〈◯白河〉近令渡給、〈◯中略〉土用間可其憚、仍先渡敦家朝臣六條亭充用了、但馬守宅修理後渡、其可乎、申云、五日者天一在南、來月十日可

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0141 渡給歟、王相者十二日可坤、仍日數非幾、至于大將軍忌者、可内令他所給可宜者、

〔長秋記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0141 元永二年六月五日、被御胞衣、〈◯中略〉件胞衣、本條可地之由所見云々、雖然近來多結附天井等、就中近日土用比也、仍埋地儀可憚、仍沙汰良暫結附云々、

〔閑窗瑣談〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0141 第一 金神家相の論〈◯中略〉
或ひは土用に土を不動といふ、夫土用は、四季に土公の在方ありて、其土を動せば殃ひ有、據なくば土公遊行の日を用ゆべしといふ、若水邊か河の堤の下に門を構し家ありて、洪水堤を崩さんとする時、土公を怖れ土を動かさず、門の破をも防がずに置るべきか、亦秋は土公の井戸に在ますゆゑに、井を掘、井戸がへすべからずといふ、左はいへども、他國は知らず、江武の町々には、初秋七月の日、年毎の例として、井戸を治(カヘ)ざる所もなし、此時土公憤を發し、祟をなせし事を聞ず、是如何ぞや、

八十八夜

〔假名暦註解〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0141 八十八夜 立春ヨリ八十八日メナリ、霜ノフルコト此時分ヲ限ナリ、

〔改正月令博物筌〕

〈三月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0141 八十八夜 立春の節より八十八日めをいふなり、俗説に名殘の霜といふ、凡春の氣終り、夏の火氣に變化するの節なれば、霜も此頃よりふらざるをいふなるべし、此とき霜降れば、草木のわかばへを損ず、かねて其ふせぎをすべし、綿をまくは、此前後なり、八十八夜の前より、四月五日までまくなり、

〔百一録〕

〈元祿六年三月廿七日、八十八夜、〉

梅雨

〔假名暦註解〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0141 入梅 芒種ノ後、壬ノ日ヲ入梅トス、六月節ノ後ノ壬ノ日ヲ出梅トス、カクノ如ク三十日ノ内ナリ、出梅ト云フハ、入梅アケル日ナリ、又入梅ヲ梅雨トモ云フ、 本草綱目ニ曰ク、梅雨ノトキ、衣ヲ沾バ腐黒ス、其トキハ梅ノ葉ヲ煎シテ洗ヘバ、モトノ如クニナルト云ヘリ、乃シ往古ヨリ右ノ如ク言傳ルノミニテ、梅雨ノトキニハ、濕フカキコト奈何ト云フ其説曾テ無シ、梅雨

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0142 ノ時濕氣フカキハ、愚〈〇山路主任〉按ズルニ、夏至ノ日輪ハ、我居ル所至テ近キ故ニ、萬物極暑ニ旱付ラレテ燥ナリ、冬至ノ日輪ハ、我居ル所ニ至テ遠キ故ニ、極寒ニ氷付ラレテ堅ナリ、然ルニ冬至ヨリ、日輪漸我居所ニ近ヅキ、五月ノ節頃ニハ日輪ヲヨソ我頭上ニ近ヨル故ニ、萬物既ニ燥ント欲シテ、先蒸暑クシメ〳〵スル、此時ヲ梅雨ト云フ、譬バ生木ヲ火ニ焙ルニ、マヅ濕氣雫レテ、後ニ燥ナリ、梅雨モ又カクノ如ク、日輪ノ火氣ニ照付ラレテ、地上ノ濕氣先雫ルトキナリ、乃梅雨ト名ヅケタルハ、梅ノ實黄バミ落ル比ナルニ因テ也、

〔日本歳時記〕

〈四五月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0142 此月淫雨ふる、これを梅雨(つゆ)と名づく、又黴雨(ばいう)ともかけり、梅雨の中肥土に芙蓉、石榴、櫻、桃などの枝をゑらびてさすべしと、月令廣義に見えたり、此時黄土につヽじ、薔薇、水梔をさせば甚よく治、又貧家人功ともしき輩は、奴僕事を廢し、おこたりては、家事調がたし、梅雨久霖の中も、家僕をして薦をあみ、屣をつくらしむべし、薦は書籍器物食物等を晒し、新に栽たる草木菜蔬におほひ、墻屏を葺ゆへ、其功用廣し、又梅雨水を大瓶に貯置、茶を煎すれば、はなはだ美なりと、茶譜に見えたり、但日をへては飮べからず、又梅雨水にて癬疥を洗へば、そのあとなし、醤を作るにこれを用れば熟しやすく、衣をあらふにこれを用れば灰汁のごとしと、東垣が食物本草に見えたり、梅雨出入の説、紛々として一決し難し、埤雅にいはく、閩人立夏の後、庚にあふ日を入梅とし、芒種の後、壬に當る日を出梅とす、神樞にいはく、芒種の後、丙にあたる日を入梅とし、小暑の後、未にあたる日を出梅とす、又碎金録にいはく、芒種の後、壬に當る日を入梅とし、夏至の後、庚にあたる日を出梅とす、又李時珍が説には、芒種の後、壬にあたる日を入梅とし、小暑の後、壬に當る日を出梅とす、三元歸正にいはく、芒種の後、丙の日に當るを入梅とすと云説、是にちかし、其時雨濕衣を班するに驗ありと見えたり、凡梅雨出入の期は、和漢ともにさま〴〵の説侍るなり、されどもその説合がたし、損軒嘗著黴雨説いはく、陰陽之往來、固有定期、然而天地之流行、變化無窮、故

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0143 寒暑風雨之時候、必有遲速、不拘以日數、然則梅雨出入之期、雖乎華夏之書、恐不據信、孟子曰、盡信書不書、誠哉此言乎、只以芒種之後霪雨初降之日入梅、以霪雨收斷之日出梅、庶幾乎其不一レ差矣、十月液雨亦恐然也、

〔民間年中故事要言〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0143 梅雨 或人云ク、梅雨ハ和歌ニイフ五月雨、中世ニハ墜栗花、今ノ俗ニ通油ト云、

〔改正月令博物筌〕

〈五月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0143 梅雨出入(つゆあきいり)の説〈(中略)按ずるに、五月梅まさに黄み落んとす、柘榴の花ひらき、栗の花をち、蟇の子ちまたに躍るの比長雨あり、是を梅雨といふ、雨甚だ多からずといへども、かならず石ずへしめり、物かびを生ず、雷鳴を以て出梅とす、京師烏丸中立賣下ル町のちまた、又大徳寺門前の人家のうしろ、并に梅雨の穴あり、其時に至れば水わきいづる、晴んとすれば水かはく、攝州丹生の山田栗花落(ついり)理左衞門宅に井あり、徑三尺深サ一尺、梅雨に入て水必わく、出梅の比水かはく也、〉梅雨天氣 〈梅雨は多く西風南風にて、山の端に雲なく、風つよき時はふらず、風なき空に雲多く、天氣くらくなればふり出す、是をくろはへといふ、此雨の内朝東風二三日つヾけて吹ば、空も白くなる、是を舶趕風(しらはへ)といふ、雨はるヽ也、雨やまんとして、はげしく雷鳴、これを順とす、然といへども、梅雨の内に雷おほく鳴ば、洪水を主る、夜鳴り、或は沖へなり入ものは、すべて宜からず、〉

〔世事百談〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0143 梅雨 梅雨の節に入るを入梅といひ、あくるを出梅といふ、芒種〈五月中〉の前の壬を入梅とし、小暑〈六月節〉の後の癸を出梅とするよし、本草綱目に見えたり、しかれども時として、陰晴定まらず、時節のわかちがたきことあり、其時には花葵の花咲きそむるを入梅とし、だん〳〵標のかたに花の咲き終るを梅雨のあくるとしるべし、暦は算法に拘泥することなきにあらねば、天時の花草にて、節氣を知ること正しとかや、ためし試むるにたがふことなしとある人いへり、

〔年中行事故實考〕

〈六五月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0143 入梅 五月の節に入て、壬の日を入梅とし、六月に入て、壬の日を出梅とす、是今貞享暦の用ゆる所なり、諸家の説紛々たりといへども不採、

〔視聽草〕

〈六集九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0143 入梅説
一甲乙年は芒種之節より、二つめの壬に入、黴雨之間廿一日、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0144 一丙丁年は芒種之節より、二つめの申に入、黴雨之間七日、
一戊己年は芒種之節より、二つめの庚に入、黴雨之間十四日、
一庚辛年は芒種之節より、二つめの戌に入、黴雨之間廿一日、
右延享元子年從公儀仰付、澁川六藏考差上る、入梅は暦にも入を記して、出るを記さず、此書付當澁川主水に承合候處、右之通心得候而悉宜候由也、

半夏生

〔書言字考節用集〕

〈二時候〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0144 半夏生(ハンゲシヤウ)〈月令章句、五月半夏生蓋當夏之半、〉

〔簠簋内傳〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0144 半夏生
五月中十一日目可之、此日不不淨、不婬欲、不五辛酒肉日也、

〔日本歳時記〕

〈四五月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0144 世俗に半夏生の忌といふ事あり、簠簋内傳にいはく、五月の中より十一日にあたる日なり、此日不淨を行はず、不淫慾、不五辛酒肉日なり、按ずるに、簠簋の抄に、摩耶夫人の中陰の眞中なるゆへに、善事をなし惡事をのぞくといへり、予〈◯貝原篤信〉おもふに、半夏生は七十二候の内、夏至の第三候なれば、是に附會して、妄説をいへるならし、

〔俳諧歳時記〕

〈五月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0144 半夏生 五月中より十一日なり、世俗この日を期として竹の子を食はず、是竹節虫を生ずるのゆゑ也、

〔改正月令博物筌〕

〈五月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0144 半夏生 五月中より十一日めなり、此ころ半夏生ずるを以いふ也、農家此日の前後を考へて物を蒔なり、

〔年中行事故實考〕

〈六五月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0144 半夏生 是は七十二候の一にて、夏至より十一日に當る日をいふ、暦に此日のみを載たるは、田家蒔種の節とする故これを録せり、簠簋内傳に、この日不淨を行はず、不淫欲といふ、是は千金方夏至後丙丁、不陰陽といふ説に據るにや、

〔百一録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0144 元祿八年五月廿日、半夏生、

二百十日/二百廿日

〔假名暦註解〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0145 二百十日 立春ヨリ二百十日メナリ、秋風烈キ時ナリ、カクノ如ク注シテ、民ニ五殼ノ用心ヲイタサシムル也、

〔俳諧歳時記〕

〈七月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0145 二百十日 立春の日より二百十日め也、この頃社の最中にて、金氣殺伐の氣變動する也、故に必風雨あり、この節中稻の花ざかりとす、農民その花を損はんことをおそる、又二百廿日(○○○○)は晩稻の花盛とす、

〔改正月令博物筌〕

〈七月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0145 二百十日 立春より二百十日めをいふなり、今日の風を恐るヽは、二百十日は、早稻の花ざかり、二百廿日は中稻、二百卅日(○○○○)は晩稻の花盛り也、是より後は花ちり實になるゆへ、風吹ても稻にさはらず、稻の花は中に水の如き白きものあり、是米になる也、風ふけば、此水を吹ちらすにより、米出來ざるなり、雨ふれば、此水を花にてつヽむにより、風ふきてもさほどに害をなさず、雨なしの大風を恐るヽ也、東北より吹を、大坂にて上げといふ、此風吹つのれば、ひえてしけになり、西より大風にて、吹もどすにより、是をきらふ、東南の風をいなさ、或はいせこちと云、あたヽかなれども、是もふきつのれば、大しけになる、すべて東より吹風は、雨にならざれば、西より大かぜにて吹もどす、雨になれば、さほどの事なし、大形は雨になりておさまる也、西北より吹を、あなせといふて日和よし、西南を沖氣といふ、曇りてむし〳〵すれども、日和つヾくもの也、しかれどももしふり出せば、此日和は長きものにて、西より晴てくるかとおもへば、沖より雲をつきのばして雨になる也、此風吹つヾけば、日和も、曇りも、雨も、とかく長くつヾくもの也、申酉の方より吹を、ませといふ、日和つヾいてよし、東より吹こみ、西より吹風に、わいたといふ風あり、此風は地へふきつけて、其所より風次第にわきいづるごとく、大風になり、稻を損ずる事甚し、雲ありて北方は雨をつかさどる、歌にも秋北とよめり、秋は金なり、北は水也、金生水の理にて雨を生ずる也、しかれども夜晴て北風は日和よし、

節會

〔伊呂波字類抄〕

〈世人事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0146 節會

〔運歩色葉集〕

〈勢〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0146 節會

〔令義解〕

〈十雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0146 凡正月一日、七日、十六日、三月三日、五月五日、七月七日、十一月大嘗日、皆爲節日(○○)、其普賜臨時聽勅、

〔年中行事秘抄〕

〈正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0146 諸節會之事
口傳 大儀(○○)ト云ハ 著(朝賀)甲即位也 上儀(○○)ト云ハ 垂纓(始白馬節也)〈二天〉杖槍 中儀(○○)ト云ハ 卷纓平胡籙 小儀(○○)ト云ハ 卷纓壺胡籙

〔江次第抄〕

〈一正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0146 元日宴會
宴會 凡節會有(○○○)大儀(○○)、中儀(○○)、小儀(○○)、即位并朝賀等謂之大儀、上下著禮服、白馬、端午、豐明、謂之中儀、刀禰以上預列焉、元日、踏歌謂之小儀、大夫以上預焉、其中儀小儀皆著常袍

〔内裏式〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0146 七日會式
乘輿幸豐樂院後堂、〈◯中略〉近仗服上儀(○○)、〈少將以上杖槍、左右兵衞佐已上亦同、諸衞同服上儀、但不器仗等、〉

〔三代實録〕

〈四十一陽成〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0146 元慶六年正月二日乙巳、是日天皇加元服、〈◯中略〉是日引見因雪地濕、故雨儀成禮、近仗服上儀、 三日丙午、今日兼行元日之宴禮、〈◯中略〉諸仗服上儀

〔内裏式〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0146 十一月新嘗會式
車駕幸豐樂院、諸衞服中儀(○○)服

〔西宮記〕

〈正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0146 節會
天皇出御南殿、〈(中略)大節(○○)加非侍從◯中略〉小節日(○○○)不出御、前補次侍從

〔公事根源〕

〈正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0146 踏歌節會     十六日
元日、踏歌をば小節(○○)と申、白馬豐明をば大節(○○)と云にや、小節にはまちきんだちめせと仰す、大節に

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0147 は刀禰召せと内辨の仰する替め有、其故はまちきんだちとは、大夫達とかけり、五位のものを申也、五位已上のものをめせとおほする心なり、大節に、刀禰とは六位をいふ、六位の輩までをめせといふ心也、しばらく大小の節をわかつ事は、かの偏頗の恩によてなり、

〔延喜式〕

〈十二中務〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0147 凡大儀日、輔著淺紫襖、金銀裝腰帶、金銀裝横刀、烏皮靴、策幟殳、丞并内舍人、皂緌、緋襖、挂甲、白布帶、横刀、弓箭、麻鞋、

〔延喜式〕

〈四十五 左右近衞〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0147 大儀〈謂元日、即位、及受蕃國使表、〉
其日寅二刻、始擊動鼔三度、度別平聲九下、即令裝束、大將著武禮冠、淺紫襖、錦裲襠、將軍帶、〈飾以金銀〉金裝横刀、靴、策幟殳、中將、武禮冠、深緋襖、錦裲襠、將軍帶、金裝横刀、靴、策幟殳、少將、武禮冠、淺緋襖、錦裲襠、將軍帶、金裝横刀、靴、策幟殳、〈但供奉御輿少將、皂緌、挂甲、帶弓箭、〉將監將曹、並皂緌、深緑襖、錦裲襠、白布帶、横刀、弓箭、緋脛巾、麻鞋、府生近衞、並皂緌、深緑襖、挂甲、白布帶、横刀、弓箭、白布脛巾、麻鞋、〈近衞加朱末額◯中略〉
中儀〈謂元日宴會、正月七日、十七日、大射、十一月新嘗會、及饗賜蕃客、〉
少將已上、並著位襖、横刀、靴幟殳、將監已下府生已上、並皂緌、位襖、白布帶、横刀、弓箭、麻鞋、近衞、皂緌、緑襖、白布帶、横刀、弓箭、麻鞋、〈大射并饗賜蕃客之時、著脛巾末額、〉
小儀〈謂告朔、正月上卯日、臨軒授位任官、十六日踏歌、十八日賭射、五月五日、七月廿五日、九月九日、出雲國造奏神壽詞、册命皇后、册命皇太子、百官賀表、遣唐使賜節刀、將軍賜節刀、〉
大將已下亦准中儀、〈但正月上卯、授位任官、十八日少將已上執弓箭、其大中將帶參議已上者不弓箭、〉其近衞黄袍、
凡節會御紫宸殿、中將已下率近衞等日華門、將曹一人前行、〈右入月華門〉居胡床、〈少將已上胡床、各敷虎皮、〉

節供

〔運歩色葉集〕

〈勢〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0147 節供

〔書言字考節用集〕

〈二時候〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0147 節供(セツク)

〔枕草子〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0147 正月〈◯中略〉十五日は、もちがゆのせく(○○)まゐる、

〔和漢名數〕

〈節序〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0147 和俗(ワゾク)五節供(コセツク/○○○) 人日(ジンジツ)〈正月七日〉 上巳(ジヤウシ)〈三月三日〉 端午(タンゴ)〈五月五日〉 星夕(セイセキ)〈七月七日〉 重陽(テウヤウ)〈九月九日〉

〔和漢三才圖會〕

〈四時候〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0148 七夕 凡年中所以嘉祝、在正三五七九奇月、而用朔三五七九奇日、俗謂之五節供、七月七日亦其一也、俗奪二星之事、似其本也、〈十一月十一日亦雖然九爲老陽、故九月而止、不十一月十一日、〉

〔壒嚢抄〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0148 五節供ト云ハ何々、并其由來如何、五節供事、異説多歟、諸節供記來由區、卒爾難注、然共以略可注、夫作節供者、養性要、除災計也、 正月一日節供、表安樂相、所以宿曜經云、一日名建日、又名吉祥日、宜長久之事ト云々、 三月三日節供、爲時氣病也、所謂寒氣漸潛、温氣始發、當於斯時氣病、而以桃花美酒服、病患不發、於此氣門戸愼、鬼魅不於此、 五月五日節供、爲毒虫也、夏毒虫多上、他國毒虫多交人家、是故菖蒲艾草蓋屋上、卷茅虵形粽服之、表毒虫ト云々、 風俗記云、是日以五色糸臂攘惡鬼、令人不病温、一名長命縷、二名臂兵縷、大戴禮云、是日採蘭以水煮之爲沐浴、令人辟除刀兵却惡鬼、 證類本草云、俗人取樗葉之云惡、 四民月令云、是日糉子等多勿之、食訖取菖蒲根七莖長一寸酒中之、 七月七日節供、爲瘧鬼也、昔高辛氏小子是日死、然成一足鬼人瘧病、生日常嗜麥餅、故此日以麥餅之、年中離瘧用麥索此謂也、十節記見ヘタリ、 九月九日節供、爲遐壽也、所以服菊云々、 世風記云、飮菊酒而以免災厄、又云、服菊華酒人長壽ト云々、〈◯下略〉

〔日本歳時記〕

〈五九月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0148 五節供の中人日を除て、上巳、端午、七夕、重陽は、中華にも賀する所の俗節なり、その月日みな奇にして、陽數にあたるをとれり、これ古人陽を尚ぶの意なりと、草木子に見えたり、此説正し、まことに古人の意を得たりと云ふべし、然るに後人その義をしらず、周王、屈原、織女、桓景等を以て職として此由とす、その妄謬はなはだし、

〔松の落葉〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0148 五節供 今の世五節供とて、一とせのうちに五度いはふ日あり、西宮記に、七月七日内膳供御節供、〈付采女、采女付女房五、七、九日(日恐月誤、下同、)同之、但三月不内膳式、〉とあり、五、七、九日とは五、七も日といふべきをはぶきてかヽれたるにて、五月五日、正月七日、九月九日も、七月七日に同じといふことヽきこゆ、三

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0149 月三日は内膳式にはいらねども、これも同じやうにいはふ日となりぬといふこヽろにこそ、これを見れば、今の五節供の日を、昔よりいはふ日とせしことはしられつ、四節は内膳式にありて、またく同じからんには、正月七日をはじめにして、五七九月同之とあるべきに、七月七日をはじめにかヽれ、江家次第八の卷にも、七月七日のくだりに、同日、御節供内膳司付采女、采女付女房、入鬼間北障子朝餉と、七月七日のことをしるして、ほかのせちをはぶきたり、しかあればことにをもきにやとおもへば、延喜式なる三節、五節の中には、七月七日、三月三日は見えず、同式四十五の卷に、大儀、中儀、小儀をわかちていへるうちにも、正月七日中儀、五月五日、九月九日小儀とありて、これにももれたれば、さやうにてはあらじ、いかなることにかあらん、おもひえがたきは、老のならひにて、見しこともわすれ、考へもらして、しられぬにぞあるべき、いとくちをし、

〔八朔考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0149 一五節供の稱、舊記に見えず、たヾし節供とは其日にあたりて膳を供するの義なり、庖厨の料は、詳に延喜式に見え、内膳司の管する所なり、此儀は禁中のみにあらず、公卿の家々にも慶賀あり、節句と書たるは、寛永後の年中行事類の書に、きく重の御節句とあり、恐らくは假借なるべし、又年中行事等の古記に載る所、節供の日數は、正月三元日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日なり、此日を祝する意は、草木子に、皆以奇陽節、偶月則否、此亦扶陽抑陰之義也とある最的當なり、十一月に祝日なきは、其數始にかへる故なるべし、其中重三日の曲水、七月初七の乞巧は、皆嘉辰雅遊のため、桃花菊蘂は、文人騷客の時物を愛するより出たる事なるを、却て桃の節供、菊重の祝ひと名づけしは本意を失へり、もと節供といふは、節會の供膳にあらず、故に踏歌豐明等の日、供膳の設なく、節會なき時も節供あるを考ふるに、五節は奇陽を貴ぶの意に出たる事、おのづから草木子の説に符合するものか、文安二年、沙門行譽が記せし壒嚢抄に、五節供の事異説多し、慥なる日記には五節供と云詞不見、心は侍りとありて、前に出す年中行事節供の日を載せ、五

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0150 節供と云べくは此月日なるべしと記し、同書に、或は元日を除きて七日を加へ、七夕を除き亥日を加へ、又は十一月十一日を加へて六度とするは當らざる由を論ぜり、されども近來、七日を五季の一とするもの多し、若菜の祝ひの事、いにしへは上の子の日を用ひて、七日と定らず、宇多天皇寛平八年閏正月六日、子日の宴ありし事、扶桑略記に見え、菅家文草に、此時扈從せられし事を記して、倚松根以摩腰、和菜羹而啜口とある、子日の證とすべし、たま〳〵七日に設けしは、延暦十一年なり、天暦四年二月廿九日にも若菜を奉りし事あり、唯禁中古來より七日の大儀は、白馬の節會にて、小陽の日陽獸を御覽ある由縁なり、立春に若水飮み、子の日に若菜を喫するがごとき、皆新年に齡を延る祝賀の一事なりしを、中古に至り、たま〳〵人日にあたれるより因循し、又荊楚歳時記に、正月七日爲人日、以七種菜羹といふ説によりて、遂に七日の事と定まりしならん、武家に於ては、白馬の節なければ、只中古の例によりて、七種の菜羹を祝ふまでにて、節日といふにはあらず、元和二年正月、この祝ひの舊儀を搢紳家に尋ね給ひし時、諸家より記し進らする所的當ならざるにより、只世俗の流例にしたがひて定め給へり、此時一條家にては、人日の説を主として、五節供のはじめなるよし記し出されたる、杜撰といふべし、これらの説に雷同せしか、寛文十一年の柳營年中行事、及び諸記録に、多く五節供の一とするは誤なり、殿中七日儀式を考ふるに、上巳端午のごとき盛禮にあらず、令條に年始五節供とあるは、歳首の大儀は規模盛大にして、餘日に比准しがたきにより、ことさらに提記したるを、世人やヽもすれば、五の字に泥みて七日を加へ、或は八朔を其一とするものあり、故に今八朔の來由をしるす因みに聊筆記して、五佳節の一は正月三元なる事を辨ず、〈◯中略〉
  天保癸巳季冬上澣       安藤熟之述

〔年中行事秘抄〕

〈正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0150 十五日主水司獻御粥事〈付女房〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0151 七種粥〈◯中略〉 御記云、寛平二年二月卅日丙戌、仰善曰、正月十五日七種粥、三月三日桃花餅、五月五日五色粽、七月七日索麺、十月初亥餅等、俗間行來以爲歳事、自今以後、毎色辨調宜奉之、于時善爲後院別當、故有此仰

〔公事根源〕

〈正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0151御粥     十五日
寛平の比より年毎にこれを奉る、其外三月三日などの御節供も、此時より同定めらる、

〔昔々物語〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0151 一むかしは五節句に、若き衆大身小身共朝早支度して番頭支配方へ禮に行、夫より親方の親類、又は老人の親類へ不殘勤、浪人の若き衆も不殘禮勤し故、往還も賑あひて節句めきたり、近年は若き衆も節句日御頭禮用捨あれば、幸にして親方へも禮不勤、まして小譜請其外御奉公不勤者は禮抔勤る事はなき事と思ひ、朝より大白衣にて寢たり起たり、三味線上るりにて、酒呑友達の方へ行とも、上下不著、或はどうらくにかけ廻る、

〔見た京物語〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0151 節句にかける暖簾は、平日かける暖簾とは違ひ、嗜みのを掛る、

〔麓の花〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0151 陸奧國の五節風俗 すべてとにかくにつけ、遠き國には古への事も傳はり、かつ質朴にすなをなるいとめでたし、東國旅行談卷の三曰、出羽國庄内領の町家、在々まで古風の作法あり、往昔は日本國中皆かくのごとくにてありしとかや、五節句ともに、三方を用ゆることなり、正月は橙子、萆薢(トコロ)、藻鹽草、根松、藪柑子、芝朶(ウラジロ)、喰積臺これなり、當所の海には海老なし、寒國ゆへ蜜柑もなし、三月には桃の花と草の餅を積合す、五月は粽を三方の内へのるほどにこしらへて、五ツづつ把て載る、七月七日は梶の葉をしきて、素麺をのする、九月は菊の花に餅なり、家々かくの如し、家内には鶴龜松竹、また寶盡しなどの目出度もやうを染たる暖簾を、中の間に二間三間ばかりの間にかけて、手代麻上下を著し、其まへに座し、件の三方を禮者のまへに出し、禮をうくる、〈◯中略〉余〈◯山崎美成〉このことをもて、友人堀尚平にかたらく、尚平ぬしは奧州南部の産なり、かの國にもこ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0152 の事ありと、されど少しづヽのかはりめあり、七月梶の葉に素麺をもるを、まくはうりをもるといへり、

〔憲法類編〕

〈二十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0152 五節ヲ廢シ祝日被定ノ事
第百五 六年〈◯明治〉一月四日第一號御布告
今般改暦ニ付、人日、上巳、端午、七夕、重陽之五節ヲ廢シ、神武天皇即位日、天長節ノ兩日ヲ以テ、自今祝日ト被定候事、
◯按ズルニ、諸節會及ビ五節供等ノ事ハ、各篇ニ詳ナレバ、宜シク參看スベシ、

三元

〔諸國圖會年中行事大成〕

〈一正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0152 十五日、上元、 正月十五日を上元(○○)と云、七月十五日を中元(○○)と云、十月十五日を下元(○○)と云、事林廣記下集、聖眞降陰章曰、三元齋日(○○○○)、正月十五日上元九炁、天官、主録、百司、天闕に上詣、世人の罪福を進呈する日、大に福を崇め、過を謝するに宜しと云々、

〔月令廣義〕

〈五正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0152 十五日、上元、〈白帖注、歳有三元、正月十五爲上元、〉

〔清嘉録〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0152 三官素〈七子山〉
上元、中元、下元日、爲三官誕辰、俗以正七十月朔至望日素者之三官素、或以月之一七十日持齋謂之花三官、遇三元日、士庶拈香、駢集于院觀之有神象、郡西七子山有三官行宮、釋氏奉香火、至日、輿舫絡繹、香潮尤盛、歸持燈籠上銜三官大帝四字、紅黒相間、懸于門首、云、可厄、或有小杌香供燭、一歩一拜至山者、曰拜香
案、宋史方伎傳、苗守信上言、三元日、上元天官、中元地官、下元水官、各主人善惡、蓋三元之名、已見魏書、舊唐書、然不三官主月、攷邱悦三國典略、載張角爲太平道、張修爲五斗米道、使人爲姧合祭酒、主以老子五千文使都習、號姧令請禱之法、書病人姓名、説罪之意、作三通、其一上之天、著山上、其一埋之地、其一沈之水、謂之三官手書、使病者家出米五斗以爲上レ常、號五斗米師、詳後漢

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0153 劉焉傳注、傳以張修張衡、張陵之子、明宋景濂跋曲阿三官祠記、亦取典略之説、又宣和畫譜有周昉三官像圖、道書、正月十五日上元、九炁天官主録百司、上詣天闕、進呈世人罪福之籍、上元、十天靈官神仙兵馬、與上聖高眞妙行眞人、下降人間、考定罪福、中元、九地靈官、下元、水府靈官、上元、中元、下元、皆大慶之月也、長齋誦度人經、則福及上世、身得神仙、此呉俗所以多誦經持齋者爾、

〔改正月令博物筌〕

〈正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0153 十五日、上元、 今日をいふ、夜るを元宵元夜といふ、七月十五日を中元とし、十月十五日を下元とす、唐には今夕燈籠を多くともし、甚にぎはしき事也、本朝中元の夜のごとし、是を花燈夕と云、

〔日次紀事〕

〈一正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0153 十五日、上元、 今日謂上元節(○○○)

〔光臺一覽〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0153 十五日、〈◯正月、中略、〉今日上元日、御禮總詰也、

〔東都歳事記〕

〈一正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0153 十五日 上元御祝儀、〈◯中略〉太かぐら來る、

〔康富記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0153 嘉吉四年〈◯文安元年〉正月十五日乙丑、上元佳節也、

〔東都歳事記〕

〈三七月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0153 十五日 中元(○○)御祝儀 荷飯(ハスノハメシ)、刺鯖を時食とす、

〔守國公御傳記〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0153 中元ノ日ハ、生御䰟ノ祝トテ、上邸ヨリ鮮魚ヲ進ゼラレ、又保國公、惠徳公ヲ始メ、公子方來玉ヒテ、打網、垂釣等ナシ玉ヒ、其魚ヲ速ニ庖丁シテ勸メ玉フ、雙親アル者ハ皆釣ヲ許シ、供奉ニ來ル者モ、多クハ親アル者ヲ召具シ玉フ、

〔日次紀事〕

〈十十月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0153 十五日 今日謂下元節(○○○)


Last-modified: 2019-03-15 (金) 09:48:56 (390d)