https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1400 歳暮ハ上下ノ別ナク、互ニ相往來シ、禮物ヲ贈遺シテ之ヲ賀スルコトハ、年始等ノ諸節ノ如シ、又餅搗アリ、煤拂アリ、其他歳暮ノ事タル信ニ繁シ、要スルニ舊ヲ送リ新ヲ迎フルノ準備タルニ過ギズ、除夜ノ如キニ至リテハ、特ニ一歳ノ最終ナルヲ以テ、一夜ノ中タレドモ殊ニ多事ニ屬ス、

名稱

〔改正月令博物筌〕

〈十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1400 歳暮(せいぼ)〈年仕舞〉

〔古今和歌集〕

〈六冬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1400 としのはて(○○○○○)によめる   在原もとかた
あら玉の年のをはり(○○○○○)になるごとに雪もわがみもふりまさりつヽ

〔平治物語〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1400 院御所仁和寺御幸事
年〈◯平治元年〉ハ既ニ暮ナントスレドモ、歳末(○○)年始ノ營ニモ不及、只合戰ノ評定計也、

〔書言字考節用集〕

〈二時候〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1400 節季(セツキ)〈本朝俗臘月爲節季

〔華實年浪草〕

〈十二十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1400 節季〈倭俗臘月謂節季、此節民間、多辨備春時之用物、或謂節小袖、或謂節薪、或謂節米、〉

歳暮禮

〔後水尾院當時年中行事〕

〈上十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1400 晦日、御ゆする參る、みな月に同じ、夕方常の御所にて一獻〈こぶ、あは、〉參る、勾當御としのみ〈はなびらのかちんは、ちひさくひしに切て、御としの數、引合一重におしつヽむ、〉もて參る、御身のごはせまし〳〵て返したぶ、給はりてしりぞくやう、やく拂に同じ、御三間にて内々のをとこ衆、御さいまつ申、御さけなほしめして御座に著、申次勾當ないし、今夜もちらし油を供ず、

〔御湯殿の上の日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1400 慶長八年十二月廿九日、御さいまつに、ない〳〵のおとこたちしこう、御みまにて御たいめん、申つぎ長はし、こよひの御さか月一こん參る、 九年十二月廿五日、すわうの中納言入道〈◯毛利輝元〉せいぼの御禮、御むま、たちしん上、くわんじゆ寺日ろう、長はしよりいづる、

〔光臺一覽〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1400 萩の城主松平大膳大夫兼長門守殿は、毎年禁中へ年頭歳暮勤められ候、大身之遠國大名可成由緒やらん、大名多きなかに一人の格式也、往來見申たる事の候文言、

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1401 一翰奉啓上候、先以雖嚴寒節御座候、禁裏倍御機嫌能被御座、恐悦之至奉存候、依之爲歳暮之御祝儀、目録之通奉上之候、右之趣可然奉奏聞候、〈吉廣〉誠恐誠惶謹言、
   十二月幾日       吉廣書判(長門侍從)
     庭田前大納言殿 高野前大納言殿
斯返書文言
芳墨致披閲候、如來諭酷寒之節候、禁裏倍機嫌能被渡御恐悦之旨、依之爲歳末之御祝儀、目録之通御獻上之趣共、則達天聽候處、叡感未斜御事候、猶以女房奉書之進之候、恐々謹言、
   十二月幾日      保春 重條
     長門侍從殿

〔長祿二年以來申次記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1401 歳暮御禮事
同〈◯十二月〉廿日、四條上人參賀、 一申次御對面所之さいのきはへ參て、四條上人と申入て、則被御目、御送は無之、
同廿一日、七條聖參賀、 一是も申次さいのきはへ參て、七條聖と申入て、則被御目也、御送は無之、
同廿五日、廬山寺以下少々參賀、 一同前申次さいのきはへ參て、律家と申入て、一人宛被御目也、もし自餘人不參にて、廬山寺只一人にて候共、律家と可申候、乍去一人候者、廬山寺共可申也、
同廿六日〈梶井殿、聖護院殿、三寶院殿御參、淨花院、智恩院、智恩寺、妙行寺、淨教寺、加茂輩、撿挍とも、◯中略〉
同廿七日〈攝家、門跡、公家、法中、此内に北野衆在之、山徒、外郞、善通事參賀、次田樂も參、〉 一御藥〈とうちん香五裹進上〉外郞〈毎年今日如此也〉 一御對面次第事 公家、法中、山徒、外郞、善通事、田樂、攝家、門跡、 一御對面所へ御出座以前より、御供衆、申次衆何毎のごとく、さいのきはに伺公して、御出座之時、則御禮申て各被退也、前々注申ごとくと同、〈◯中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1402 〈略〉
同廿九日〈大名、外様、御供衆、申次、公家、五ケ番衆、上様、御被官、〉 一御對面次第事 三職、御相伴衆、國持衆、外様、公家、〈日野殿、三條殿、〉總番衆、上様之御被官、是は兩人、 一御對面所へ御出座以前より、御供衆申次衆毎之さいのきはに伺公して、御出座之時、則御禮申上各退出也、前々如注申と同前也、扨當番之申次、さいのきはへ參て、面々と申入て退出候へば、三職御相伴衆迄は、一列に御對面所之内へ被參、各見合て一度に御禮申て退出候也、〈◯中略〉
同卅日〈長老達、公家、吉良殿、石橋殿、澀川殿、大名、外様、御供衆、申次衆、番頭、節朔衆、走衆、奉行衆、〉 一御身固〈有之、在宣卿、在通卿、〉 一御ひとへ〈并〉御卷數〈所々より進上之〉 一美物進上、三職、御相伴衆、國持衆迄、〈毎年今日如此、目録にて在之、〉 一御扇〈一裹數十本〉進上、右京大夫殿、〈毎年今日如此也〉 一染革〈三枚〉進上、同、〈毎年今日如此也〉 一鼻革〈十間〉進上、畠山殿、〈毎年今日如此也〉 長老達、三職、御相伴衆、國持衆、外様衆、 番頭、節朔衆、走衆、奉行衆、吉良殿石橋殿、澀川殿、 吉、石、澀已後に、仁木殿、上杉殿可參上、但外様内へ可參歟、公家と可書所を先明申也、〈◯下略〉

〔年中定例記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1402 殿中從正月十二月迄御對面御祝已下之事
一廿日〈◯十二月〉御對面、〈今日より歳暮の御禮〉四條上人と申て上人まいられ候、 一廿一日、御對面、七條上人と申て上人御出候、 一廿五日、律家少々、 一廿六日、御對面、御持僧、〈殿上人申御次〉此外淨華院、智恩院、智恩寺、妙行寺、賀茂輩、撿校、 一西衆、梶井殿、御持僧、〈宮門跡はすみあり、殘は左經次第、〉殿上人申御次、但殿上人御座候はねば武家申次候、 一御對面次第は、賀茂輩以下、次に撿校と申て、申次手を引ていづる、 一廿七日、御對面、公家法中と申て各御參、其後外郞と申て、進上の御藥を備上覽て、則外郞まかり出御目にかヽる、其後通師と申て、御目にかヽる、其後日吉と申て、御障子をあけて、於庭上御目にかヽる、さて田樂と申て、田樂まかり出候、 一西より攝家、公家、門跡、法中少々、攝家をば殿上人申次、 一廿九日、御對面、總番衆と申て罷出られ候、上様御被官衆、 一晦日御對面次第、一番に傳奏、御ひと

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1403 へ御ひろぶたにすはる、二番又所々よりの御卷數、是又傳奏御持參、三番伊勢守、御ひとへ御ひろぶたにすはる、四番所々よりの御卷數、申次持參、五番に又所々よりの御卷數の箱、御ひろぶたにすへて申次持參、六番に細川殿より進上の御扇十本、申次御目にかくる、七番に又細川殿よりのそめ革三枚、申次御目にかけ候、八番に諸家より進上の歳暮の美物の目録、申次持參、めい〳〵に御前にてひろげて御目にかけ候、九番畠山殿より御進上の鼻革十間、御名字衆御めに御かけ候、御名字御不參之時は、申次御目にかけ候、下總守、十番に長老達蔭凉軒申つがれ候、十一番に大名、御供衆、御部屋衆、申次節朔の衆、奉行以下御目にかヽり候、さて吉良殿と申て御出候、其後公家と申て御出、大方此分、小の月は、晦日の衆も廿九日に一度に出仕候、 一御對面以前に御撫物〈御服〉申出て、御身固在之、泰法等勤之、 一今日御服御拜領の衆あまた御入候、其御服を正月朔日にめして御出仕候、其は御人數大方注之、公家衆には、日野殿、三條殿、廣橋殿、烏丸殿、飛鳥井殿、其外大名衆御拜領、 一細川殿より參御扇も、今日をの〳〵へまいらせられ候、面の繪は源氏、うらは雲の間くれなゐ、其上にでい繪在之、骨は十五骨、くろく候、

〔薩戒記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1403 應永三十三年十二月廿七日丙戌、早旦參入道内相府殿、〈(足利義持)姊小路、萬里小路、〉稱歳末禮道來諸人所群參也、已刻入道殿令出座〈於會所謁〉給之由、左中將雅兼朝臣告申、人々先僧中上乘院宮、相應院宮、仁和寺新宮、〈先此宮令謁給、其後上乘院宮以下參近進給、〉圓滿院宮、〈未親王宣下〉如意寺准后、梶井僧正御坊、隨心院僧正、岡崎法眼、花頂僧正、竹内僧正、政智僧正、勸修寺僧正、此外不見知之人申許輩、〈參進之次第如此〉此後俗中、前關白〈◯九條滿教〉關白〈(二條持基)已上小直衣上絬也〉右大臣〈(一條兼良)衣冠〉前内大臣〈(洞院滿季)參進時令内府立、前攝政家也如何、〉内大臣〈◯近衞房嗣〉四條大納言入道、三條大納言、權大納言、右大將、徳大寺大納言、藤大納言、萬里小路大納言、〈此人不次頻謙退、先令大炊御門大納言、西園寺中納言、花山中納言、三位中將等近一レ前、依清花也、〉大炊御門大納言、中御門中納言、三條中納言、中院中納言、西園寺大納言、葉室中納言、花山院中納言、伯二位、中御門宰相、四辻宰相中將、右衞門督、右中將季俊朝臣、頭中將

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1404 隆夏朝臣、左中將爲之朝臣、土御門三位在盛卿、典藥頭郷成朝臣、大膳大夫季長、〈列外記史上如何之〉四位大外記師勝朝臣、四位史爲緒宿禰、大史外記師郷等、各構見參退出、此事毎年之儀也、然而不勞記、今日聊注之、

〔齋藤親基日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1404 寛正六年十二月七日、爲節季御要脚、洛中地口事、以飯肥(左大)之種出之

〔晴右記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1404 永祿十年十二月十九日、スヽはらゐ、賀茂ヨリ嘉例木〈卅束〉出也、 廿六日、鴨ヨリ嘉例木〈十束、さいはひ木(○○○○○)十束、〉 廿八日、鴨祝嘉例之木五束出之、同氏人宮内少輔木三束出之、

〔嚴有院様御代覺書〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1404 一大晦日〈◯十二月〉ニハ、御兩典様〈◯徳川家綱弟左馬頭徳川綱重、右馬頭徳川綱吉、〉御三家様、御譜代衆、御詰衆、歳暮之御祝儀出仕、御老中〈江〉御逢被成、退出被成候、

〔殿居囊〕

〈武家年中行事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1404 十二月廿一日、歳暮御祝儀御三家方始諸家以使者時服獻上、 廿四日、増上寺方丈、傳通院、歳暮御祝儀登城、獻上物有之、 廿八日、五時のしめ麻、月並御禮、閏月之方有之、歳暮御祝義、御三家方、同御嫡子方、御居殘被上之、其外御連枝方、万石以上、溜詰、高家、詰衆、御奏者番等居殘、同斷申上之、餘は廿五七日頃迄に、御老中宅〈江〉伺公之事、相濟西丸出仕、寺社并諸職人歳暮御祝儀登城、連歌師一同參上御禮、

〔柳營新編年中行事〕

〈十二十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1404 廿八日
一月次之御禮有之、御白書院〈江〉出御、〈御のしめ御長袴〉著御禮被之、是刻歳末之御目見也、御禮濟、居殘り歳末之御祝義申上之、御三家ハ於御白書院老中、其外者於帝鑑之間老中退去、

〔要筐辨志〕

〈一年中行事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1404 同〈◯十二月〉廿八日
一月次御禮、熨斗目半袴、 但歳暮、御三家様、或ハ御嫡子様方も御居殘御祝儀被仰上、并加賀守、越前守、薩摩守、陸奧守、因幡守、御連枝方、越前家、松平備前守、藤堂和泉守、溜詰、松平下總守、高家衆、御奏者番等居殘、同斷申上之、其餘者廿五七日頃迄、御老中宅〈江〉伺公之事、

〔幕朝年中行事歌合〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1405 三十四番 左 歳暮參賀
おさまれる世をこそ祝へ花もみぢなれにし年のゆくにつけても〈◯中略〉
歳暮の參賀と申は、十二月廿八日、諸の大名百の司々、皆のしめ半袴をきて出仕す、其式月次參賀にかはる事なし、

〔享保集成絲綸録〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1405 享保元申年十二月
    覺
一爲歳暮之祝儀、老中若年寄中〈江〉被相越候儀、廿八日前、勝手次第見合、不込合様に可參候、〈◯中略〉右前々も相觸候通、供之者大勢無之様に可致候、以上、
  十二月
右御書付同文言ニ而、享保十九年迄、毎年十二月に至、御觸有之、

〔徳川禁令考〕

〈三十年始嘉節〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1405 慶應三卯年三月廿三日
   御祝儀御廢止之件々
  河内守殿御渡       大目付〈江◯中略〉
 歳暮〈◯中略〉右御祝儀御禮等御廢之事〈◯中略〉
右之趣向々〈江〉可相觸
  三月

〔日次紀事〕

〈十二十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1405 大晦〈今日一年終、俗謂大晦(○○)、良賤互相賀、是謂歳暮禮、金銀衣服酒肴、互有贈答之儀、又親戚之間、鏡餅互相贈、是謂鏡、〉

〔日本歳時記〕

〈七十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1405 下旬の内、親戚に送物して歳暮を賀す、又しれる所の鰥寡孤獨、貧窮困苦の者にも、我力に隨て財物を賑ふべし、或は我に嘗て恩徳ある人、師傅となれる人、我身及家人の病を療せし醫師などにも、分に隨てあつく物を送べし、疎薄なるべからず、かうやうの事は、輕くせん

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1406 か重くせんかとうたがひて、决しがたくば重につくべし、鄙吝なるべからず、

〔東都歳事記〕

〈四十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1406 歳暮賀〈當月下旬、知音親戚に往來し、又歳暮となづけて、餅乾魚等送る、初生の嬰兒へは、破魔弓、羽子板等を送る、〉

〔年中行事故實考〕

〈十二十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1406 歳暮 今月下旬、親戚互に物を贈り、其外我に恩ある人には、分に應じて物を贈る、一年の終なれば、かくことぶくにや、和漢同じ風俗也、 風土記曰、呉蜀風俗、歳晩相與餽、謂之餽歳、 熙朝樂事曰、僧道作交年疏仙米湯、以送檀越、醫人亦送屠蘇袋、同心結、及諸品湯劑於常所往來

髮上

〔書言字考節用集〕

〈二時候〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1406 御梳上(ミグシアゲ)〈歳暮公事〉

〔故實拾要〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1406 十二月 御髮上 是年中ノ御髮ノクズヲ、吉日ヲ撰テ燒上ル事也、是ヲ御髮上ノ祭ト云也、極臈主殿寮ノ官人衞士等此事ヲ勤也、

〔小野宮年中行事〕

〈十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1406 午日御髮上事

〔東宮年中行事〕

〈十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1406 しものむまのひ、みぐしあげの事、
このひ御めのと、もしはしかるべき上らう女房、御ぐしをあひぐして、宮づかさのびりやうにのりて、殿もんれうにむかふ、ぎやうじのくら人あひしたがふ、御くしは御ころもばこのふたに入たてまつる、御くし十枚ばかりあひぐせらる、をりて御はらへにいれたり、ちんこんのまつり御衣のやうに、やつあしにすへたてまつりて、女房ならびに、左右ひやうゑ、たちはきぐぶ、殿もんれうにいたる、たヾしかのれうやけてのち、大くらしやうひくりをまうく、しゆぜんけむ、ぐぶの人人のれうに、きやうをまうく、御ぐしやく所には、あなをほりて、そのうへにとりゐのやうにきをたてヽ、これをやく、事をはりてかへりまいる、
 今案、としのうちにはるたつとしは、たつはるよりさきのむまのひ、この事あり、又いまだ火もともさぬさき、ほしのいまだいでぬほどに、これをやくといへり、行事の宮づかさ、ならびにく

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1407 ら人、よく〳〵たづねさたすべし、おなじく殿もむれうにゆきむかふべきなり、

〔年中行事秘抄〕

〈十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1407 下午日御髮上事〈用立春以前、或中午、〉
藏人給御髮等、向主殿之、 新式云、午日上御髮事、大寒後立春前午用之、如件文者、神今食以前、不其忌歟、 長暦二年十二月七日壬午、御髮上也、可神今食以後立春以前午、而依行幸日左大臣、申神今食以前不忌之状、安和二年例也、
土用間御髮上例 保安三年十二月廿一日丙午、御髮上、〈土用間也〉

〔夕拜備急至要抄〕

〈上十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1407 一御髮上〈午日〉 〈六位藏人沙汰、然而可尋沙汰、〉

〔公事根源〕

〈十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1407 御髮上     下午日
藏人御ぐしのけづりくづを給はりて、主殿寮にむかひてやくなり、此外ことなることなし、

〔後水尾院當時年中行事〕

〈上十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1407 御ぐしあげ、これも陰陽頭勘文によりて日時を定らる、年中の御ぐしのおち、御つめ、御もとゆひ等の物をとりあつめて、大たかだんしにつヽみ、上をかう捻にてからげ、所々沈香をさしはさみ、すヾしの包に入、つヾらのふたにすゑて出ス、女官とり傳へて藏人衞士にくだす、吉方にむかひてこれをやく、事をはりて、きぬのつヽみ、つヾらのふたをもて參る、きぬの包は女官に給はるなり、

〔禁中年中行事〕

〈十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1407 御髮上〈十二月中撰吉日之〉 極臈催 奧ヨリタト持參極臈ニ渡ス、スヾシノ袋ニ入、 御髮上役人 衞士勤之 松明 主殿寮調進

〔慶長日件録〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1407 慶長八年十二月廿九日、女院御所御髮上也、參勤、〈◯舟橋秀賢〉

〔大江俊矩公私雜日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1407 文化六年十二月廿五日辛亥、御髮上、卯刻〈予〉參勤、屆議奏卿前番山科中納言承知、衞士藤井伊豫掾同刻出仕也、仕丁之事、番頭代へ申置如例、 一午刻頃、當番議奏花山院右大將被招、御髮〈勘文添盛御文匣蓋〉清火手燭等被渡、如例可奉仕旨被示、即於直廬階邊之了、尤衞士予家來仕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1408 丁等は、入平唐門内例、御庭塞整之上、予衞士以下到御輿宿前庭、如例令奉仕、吉方申酉方也、奉仕了率衞士以下歸來、御文匣蓋〈絹袋勘文等在内〉手燭等持參、御詰謁議奏卿返上、御髮上無滯相濟旨申入處、同卿承知、即退出被示、未刻過令退出了、尤衞士退出、先刻申渡置也、

〔年中恒例記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1408 十二月 御髮上の事、御ぐし御垢、御古元結、御落髮などを、年中取ておき申て、すヾしの袋に取入て被置候、以吉日千秋參候て申出之、御末へにてやき被申也、さて公方様より御太刀、上様よりは御服を被下云々、當千秋晴秀説也、

煤拂

〔書言字考節用集〕

〈二時候〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1408 煤拂(スヽハラヒ/スヽハキ)〈起于陽成院朝、見四季物語、〉

〔清嘉録〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1408 打埃塵 臘將殘擇憲書宜舍宇、去庭戸塵穢、或有二十三日、二十四日、及二十七日、俗呼打埃塵、蔡雲呉歈云、茅舍春回事々歡、屋塵收拾號除殘、太平甲子非容易、新暦頒來子細看、
  案歳時瑣事、十二月二十四日、埽舍宇、凡有爲不憲書多嫁娶、謂之亂絲日、月令精鈔、二十四日爲無忌日、九邑志、皆於二十四日房塵、猶本亂絲無忌之説、徐崧張大純百城烟水則云、二十七日埽屋塵除殘、楊循吉除夜雜詠云、除塵舊室攻、又呉自牧夢梁録云、士庶家、不貧富、倶灑埽門閭、去塵穢、淨庭戸、亦在除夕

〔増續山井〕

〈下十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1408 煤拂(スヽハラヒ) 〈すヽはき かにはらひ〉

〔老牛餘喘〕

〈初編上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1408 かに拂 或書に、増山井に、カニ拂、煤拂ト並出セリ、按ルニ、竃拂ナルベシと見ゆ、おのれ思ふに、此説ひがごとなり、こは蟹拂といふ言にて、大内の煤拂を云辭ならむ、此故に煤拂とならべて上に出せる也、田舍にては聞もつかぬ詞なり、京人は大内詞を聞ならひて、わきまへなく、下々の家の煤拂をもしかいへるを、増山井には其まヽ記せるかとおぼし、しかいふ故は、官名の掃部(カモン)は、カニモリと云事にて、宮中の拂清めする官を云也、そは彦瀲尊を海濱に

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1409 生奉りて、母神は海宮へ歸給ひければ、蟹の集るをはらひし神を蟹守といひし事有、其詞轉りてカモンといふよし、古語拾遺に見ゆ、〈◯中略〉此故事にて、大内の煤拂をば、カニ拂といふ事とおもほゆる也、故實しれる人にきかまほし、

〔日本歳時記〕

〈七十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1409 十五日の後、屋中の煤塵を掃べし、煤塵を掃に、世人多く期日を定て恒例とす、然れども或風雨の變あれば期日に拘らず、十五日の後、風雨なき暖日を用べし、

〔歳時故實大概〕

〈十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1409 一煤拂 近世多くは十三日を用ゆ、〈是は柳營に而、十三日に御煤納メ(○○○○)あり、それにならへる期日なるべし、民庶尤今日を專らにするなり、〉貝原氏の歳時記には、十五日を用ると見えたり、近世年中行事の書には、禁裏にては、吉日を撰て御煤拂ありと見えたり、〈吉日を撰む事は、陰陽家より日時の勘文と云ものを奉りて、それにて定めらるヽなり、〉閩書曰、臘月廿四日毎家掃塵云々、是は廿四日を期日として、屋中を掃除すると見えたり、和漢共に新年を迎ふるの儲に屋中を掃除して萬の事の清からん事を欲するなり、別して異なる事もなきなり、〈或説に、煤拂と云事は、陽成院の御宇より初ると言り、いぶかし、古書に所見かつてなき事なり、〉 此日壯年の婦女奴婢の屬は、相ともに戲れ興じて、家長貴人を論ぜず、見るまヽにとらへ戲れて、胴に擧ると稱して、賑ひのヽめく事あり、いかなるゆへと言事をしらず、誠の俗間の一戲興なり、

〔俳諧歳時記〕

〈十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1409 煤拂 和漢戸々、十二月下旬、屋塵を掃ふ、漢にはこれを除殘といひ、我俗これをすヽはき、又煤はらひ、或はすヽとりといふ、

〔秇苑日渉〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1409 民間歳節下 家々掃除塵煤、謂之煤除、 閩書引漳志曰、臘月廿四日毎家掃塵、 歳時紀異集曰、呉中十月廿七日掃屋塵、曰除殘

〔梅園日記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1409 晦日掃 今の世に晦日掃とて、毎月の晦日に、家内を掃除するものあり、〈◯中略〉十二月の煤掃も、もとは晦日なりしにや、俊頼朝臣の散木集云、としの暮の歌とてよめる、さらひするむろのやしまのことこひにみのなりはてん程をしる哉、顯昭注云、さらひするとは欋(サラヒ)とかけり、掃

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1410 除する事也、むろのやしまとは、竃戸をいふと古髓腦に書り、除夜に民の竃戸をさらひて、こんずる年のうちの事の吉凶みな見ゆといへり、火を日々にあてヽ、きえ、きえぬを見てしるなどもまをすめり、ことこひとは、みんと思事を云也、それに我身のなりはてんほどをもしると讀也、祇園修行日記云、貞和六年十二月二十九日、今日晦日也、炲煤掃、宣胤卿記云、永正元年十二月十九日、朝陰屬晴、比屋煤掃、亂以前朔日式日也、嚴嶋道芝記〈年中行事卷〉云、十二月晦日、御煤掃、上番の社司衣冠引繕ひ、國文代下番等立まじはり御殿を清め奉る也、また草根集云、歳暮、家々にはらひつくすをあやにくに空はすヽけておつる雪哉、とよめるも、除日なるべし、是も亦もろこしにあり、玉燭寶典〈卷十二〉云、歳暮今世多解除、擲去破弊器物、名爲送窮、太平御覽〈四百七十二〉云、録異傳曰、昔廬陵邑子甌明者、從客賈、道經彭澤湖、毎輙以舟中所有多少湖中云、以爲禮、積數年、後過見湖中、有大道、有數吏、乘車來候云、是青洪君、以君前後有一レ禮、故要君、必有重送君者、皆勿收、獨求如願、及去果以縑帛送、明辭之、乃求如願、神呼如願使隨去、如願者、青洪婢也、明將如願歸、所欲輙得之、數年大成富人、歳朝鷄一鳴、呼如願、如願不起、明大怒欲之、如願乃走、明逐之於糞上、糞上有昨日故歳掃除聚薪、明乃以杖捶使出、久無出者、因曰汝但使我富、不復捶一レ汝、今世人、歳朝鷄鳴時、轉往捶糞云、使人富也、これ歳朝に昨日故歳掃除とあり、除日に掃除したる事明らか也、夢梁録云、十二月盡、俗云月窮、歳盡之日、謂之除夜、士庶家不大小、家倶洒掃門閭、去塵穢、淨庭戸、僧明本の中峯廣録鴈蕩除夜頌云、茅屋三間冷似水、灰頭土面十餘僧、掃除自己閑枝葉、不諸方爛葛藤、就手掲開新歳暦、和光吹滅舊年燈、頂門別具摩醯眼、越死超生似曾、楊循吉除夜雜詠云、除塵舊室攻、遂安縣志云、除夜掃宅會、南野堂筆記云、梅里薜鹵齋廷文、五十未娶、有除夕詩云、獨送窮愁獨掃塵、一回除夕一傷神、來朝記取年多少、不敢分明説與人、みな除日の煤拂なり、

〔古今要覽稿〕

〈時令〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1410 すヽはらひ〈煤拂〉 すヽはらひの事は、中昔より慥に所見ありといへども、神代

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1411 にすヽの事みえたり、いはゆる天の新巣の凝烟の八拳垂まで燒擧てと〈古事記〉みえ、ふせやたきすすしきほひてとも、葦火燎やのすヽたれどと〈萬葉集〉みえたれば、古代よりすヽを拂ひし事もありしなるべけれど、時日をさだめ吉日を撰みて、すヽをはらひし事は、嘉禎二年より慥にみえたり、その年十二月六日己丑霽、爲大膳權大夫奉行、召陰陽師等於御所、歳末年始雜事日時勘申之、御煤拂事有相論、文元朝臣申云、新造者、三箇年之内可其憚と〈東鑑〉みえたるによれば、此以前よりもありし事しられたり、しかりといへども、禁中にては此頃煤拂の事ありしやいなや、しるべからず、東鑑は全く武家の記録にして、殊に鎌倉將軍家の進退事實を記したる日記なれば、禁中の見合にはなりがたしといへども、嘉禎二年は、將軍頼經公御在世中なれば、萬事何事にかぎらず、大内の御式をうつされ給ふべき事と推はかられたり、しかれば禁中にても、其頃は御煤拂ありしなるべけれど、定式の御行事にはあらざりし故、諸家の記録中に見當らざれど、はるかに後れて、親長卿の記に、文明二年十二月十七日、晴、兩御所御煤拂也としるし、宣胤卿記に、同十二年十二月九日、今日禁裏御煤拂とみえたれば、此頃よりは、禁中にても恒例となりて、年々十二月中にすヽを拂はせ給ふなり、さて東鑑にみえしごとく、新造の御殿は、三箇年の内はすヽけをとらせ給はぬ事にして、今の世にいたるまで、いやしき賤が家居までも、其規定を守りてとらず、又煤拂の時日は、嘉禎二年の頃より、十二月の中、吉日良辰を撰み、且雨などの降ぬ日を用ゐられしとみえて、親長卿の記、御ゆどのヽ上の日記等にも、幾日晴、御所御煤拂也、幾日はるヽ、御すヽはき、いつものごとくありなどみえたるにてしられたり、さて近世は、柳營にても十二月十三日を定日とさだめ給ひしによりて、貴賤おしなべて此日を用る事とはなれり、武家にては、舊家は古來の仕來もあれば、各々其定を用ゐて、日の晴雨善惡にかヽはらず、すヽを拂ふ事なれど、諸家の記録によりて按に、二百年前のむかしは、大概十二月廿日前後の吉日にて、且晴る日を撰まれてすヽを拂ふ事、

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1412 諸日記に顯然たり、扨又西土にても此事所見あり、いはゆる臘月廿四日、毎家掃塵と閩書にみえ、呉中十月廿七日掃屋塵と、歳時記異集に記したるによれば、千萬里の海陸を隔、且國異にて人異なりといへども、風俗一致にして、人情も又かはらざりしなり、

〔夕拜備急至要抄〕

〈上十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1412 一御煤拂〈六位并女房沙汰〉

〔東宮年中行事〕

〈十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1412 御すヽはらひの事 たつはるよりさきに、行事の藏人さはりなき日、つゐでをさだめ、れいにまかせて申おこなふ、今案、みすは、ちやうにまうくるほか、おほかるとき、宮づかさに、すけいげ、ごむのすけ、がくしをのぞきてこれをあてらる、

〔後水尾院當時年中行事〕

〈上十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1412 煤拂、陰陽頭勘文にしたがひて日時を定めらる、勾當ないし兼日殿上人をふれ催して、各參りあつまる、其外はみすや大はり衞士の者を、それ〴〵の奉行催しによりて參る、刻限に典侍一人、内侍一人、ひとへぎぬきて、劒璽の間〈近代此間あり〉より劒璽の案ながら〈二かい厨子〉を舁出して、常の御所の御座のうへに、大宋の屏風一雙引めぐらして、しばらくその中に案ず、神祇の伯けんじの間の煤を拂ひ掃除せしめ、事をはりて本やく人、劒璽をもとのごとく舁、其後吉方より拂ひそむ、すのこの方は、衞士手のものあまためし具してそうぢせしめ、御簾疊も新調、或は古物をさらしてこれをとヽのふ、是も手の者參りて合力する也、是間便宜の所にうつりまします、其所にて二獻あり、初獻〈かちん〉二こん〈でんがく〉供じをはりて、御前をてつす、其後女中にもたぶ、御見廻しこうの公卿、めされたる殿上人、内々の衆は、のこりなくめし出されて、かちんでんがくなど給、御乳母これをやくす、勾當内侍酌、伊豫さかなにて御とほしあり、其日は女中老若によらず、世俗にうちかうふりとかいふ綿をかづくなり、いかなることにか、ゆゑはしらず、勾當局にて、かれいのしふぎあり、内侍所にても、近年嘉例の事ありといふなり、さうぢの事終りて、本殿に還御、常の御所にて御さかづき參る、あつもの、そろ〳〵、柑子やうの物三獻あり、女中もあつもの、

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1413 そろ〳〵、例のをしきひとつにすゑてたぶ、さかづきは女中ばかりとほる、天酌迄の事はなし、

〔禁中年中行事〕

〈十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1413 御煤拂〈十二月中撰吉日之〉 常御殿、〈四位五位殿上人、六位藏人、非藏人、御縁側侍中勤之、〉男居衞士勤之、 清凉殿、極臈衞士勤之、
御獻〈箒 主殿寮調進同柄 南座調進〉 初獻、コサシ數ノ子トウフ、櫃司調進、二獻、索麪、三獻、ヒシ鯣、菓物、ハカマコシ、道喜調進、デンガク、御清所ニテ調之、雜煮、同、アツカベ、於長橋車寄調之、

〔禁中近代年中行事〕

〈十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1413 御煤拂御こん常の通 三方に赤白のもちを袴腰のごとくに切、やきみそを付ル、三方にかみを敷、直におく、とうふをやきみそを付、でんがくなり、御皿に入、もちのむかふにつく、御はし有、
院御煤拂之時 御ぞうに上置、くしかい、いりこ、御吸物鯛ひれ付、御茶わんに入、三方にて出ル、

〔禁中恒例年中行事〕

〈十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1413 御煤拂 是は吉日を撰びて有之、御獻あり、初獻こさし、數の子、豆腐、櫃司より上る、二獻さうめん、三獻鯣、くだ物、白てん餅、男居より上る、箒は主殿寮、柄は南座より調進す、長橋の車寄御門の脇にて豆腐を煮、山椒味噌をかけて下さる、あつかべの獻といふ、常御殿は殿上人、非藏人、御縁側は侍、男居は衞士つとむ、

〔康富記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1413 寶徳元年十二月廿日乙未、參給事中文第、煤拂也、賜一盞

〔親長卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1413 文明二年十二月十七日、兩御所御煤拂也、泰仲朝臣以量等祗候、予菅宰相等合力了、依無人也、番衆所煤拂、冷泉亞相以下各沙汰也、

〔宣胤卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1413 文明十二年十二月九日乙卯、今日禁裏御煤拂、人夫壹人遣切符、右京職役也、極臈在國之間、源當仲以折紙之、可一通、尤聊爾之由仰遣了、
文龜四年〈◯永正元年〉十二月十五日壬申、明日内裏御煤拂人夫事、藤資直(極臈)相觸、衞士持來、遣切符、右京職役也、

〔二水記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1414 大永七年十二月十八日、禁中御煤拂也、

〔御湯殿の上の日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1414 慶長三年十二月十八日、御すヽはきの御ふれあり、こよひより御ゆどのヽうへならします、さけの御くばりあり、十九日、御煤はきいつものごとくあり、常の御所ばかりにうちに御ゆどのヽうへにて、かちん御てんにて二こんまいる、女御女中みな〳〵御祝まいる、男たちすゑにて、あつ物御いはゐあり、しんじほうけん、權すけ殿、かんろじ、つねの御所の御ざのうへに、たいそうの御屏風一さうたてられて御祓あり、夕かた御煤はきの御いはゐ三ごん常の御所にてまいる、初こん三ツさかな、二こんそろ〳〵、三ごんかうぢまいる、准后、女御、御しやうばんの女中も、そろ〳〵御すわりあり、めでたし〳〵、長はし御すヽはきには、いつも御盃御いたヾき候へ共、わづらひにて御まいりなし、

〔慶長日件録〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1414 慶長八年十二月廿日、從禁中明後日廿二日、御煤拂御觸有之、則出納所へ令下知者也、其一通 來廿二日可御煤拂、任例可下知之状如件、 十二月廿日 式部丞 出納所 次明日女院御所御煤拂可候之由有御觸候、 廿一日、今日女院御所煤拂也、仍飯後女院〈◯後陽成母后新上東門院藤原晴子〉參、日沒之比退出、 廿二日、禁中御煤拂也、朝飯令支度參内、衞士五人參、與介、茂兵衞、與兵衞、甚五郞、新藏等也、入夜退出、

〔大江俊矩記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1414 文化三年十二月廿七日庚子、清凉殿御煤拂也、依申合俊常壹人卯半刻參勤、俊矩、助功、常顯等、巳刻頃參集也、資愛朝臣前夜參宿故暫之殘居、其後重能朝臣以下各如例參集也、 一藏人方諸司出納以下小舍人所衆等、如例卯半刻出仕、出仕相屆上、俊常申頭辨、頭辨被議奏後、取掛之儀命出納、如例令奉仕、尤買物使修理職等相廻、掃除湯諸具等可廻義申番頭代、如例催之也、〈出納職厚出仕、職寅も爲見習參仕也、〉一内侍所御塞有之、巳刻前諸司令平唐門外、午刻前被解、更相廻如元令奉仕也、〈◯中略〉
 一錢形御屏風金物大分損有之に付、飾師召連、買物使相廻爲直候也、〈此飾師ハ、修理職ノ飾師トハ違也、〉 一朝餉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1415 間小紋縁疊二帖、當年表替也、 一荒海障子北面少々破損有之、點撿之節頭辨被示、一兩日之内、繕之儀令沙汰置、修理職へ下知之儀、番頭代へ申含置了、 一大宋屏風二帖、夜御殿ニ無之故、頭辨へ申入置、則頭辨議奏へ被申入、四方拜迄に可出筈也、 一申半刻計、御掃除并繕物等出來に付、各點撿之上頭辨へ申入、〈此時頭中將依勅問詰合也〉即刻頭辨以下有點撿、即議奏へ被申、當番六條前中納言有點撿、〈點撿中頭中將歸參也〉宜敷旨被示、即撤却退出、頭中將被申渡、出納へ申渡令撤却退出、 一事訖各秉燭過令退出

〔吾妻鏡〕

〈三十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1415 嘉禎二年十二月六日己丑、爲大膳權大夫奉行陰陽師等、於御所歳末年始雜事、日時勘申之、御煤拂事有相論、文元朝臣申云、新造者、三箇年之内可其憚云々、親職、晴賢等朝臣之先達者、雖指文、皆所記置也、至新造者、無煤之故歟、有煤者可拂歟云々、所詮此條無證據、然者無煤拂御沙汰宜歟之由、被仰出之間、各不子細也、

〔年中恒例記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1415 十二月廿七日、御すヽはき在之、於内儀御祝參也、常の御所、御會所、御厩以下は、御會所之同朋仕之、上様御在所は御末の同朋、御末は御三男衆並御末同朋仕也、
御すヽはきの御祝參る、雜煮參也、御美女方より參也、御會所同朋、御末同朋、御末男衆、御美女等於御末ざふに御酒給之、 御すヽはきの道具、柄刺箒の掛布、一人に一色づヽ、上下の御すヽはきの道具も、ざふにも御倉より御下行在之、 御すヽはきの御餅、大草調進之、

〔殿居囊〕

〈武家年中行事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1415 十二月十三日、例刻、ふくさ、麻、御煤納、御祝儀御臺所御節會御料理、

〔要筐辨志〕

〈一年中行事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1415 同〈◯十二月〉十三日 一御煤拂勤仕之面々、服紗小袖、半袴、

〔半日閑話〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1415 十二月十三日御煤拂納御規式
          御年男御老中 大奧御年男御留守居
子持筋の熨斗目同長袴著之、十三日朝六ツ時前、御年男登城、從御奧御案内有之而通る、御煤拂竹

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1416 毎年御代官所より上る、〈但雌竹雄竹と揃へ、直なるを水引にてゆひ合せ、根松、藪かうじ、長のしを附る、〉御寢間、御座之間、兩所拂之、夫より御次は不殘御下男麻上下著之勤之、右相濟御目見御吸物御酒被下退出仕候、押付右之御下男頭御使にて、御年男へ被下物、 白米壹俵 鹽いなだ三尾 薄縁胡座三枚 赤椀〈三ツ組〉三具 山折敷三枚
右之通宿所へ被遣、此品を元日御年男夫婦、家司壹人、上下ニ而祝ふと云、

〔幕朝年中行事歌合〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1416 三十三番 左 煤拂
ゆく年とともにつもれる塵なればはらひ捨てや春を待まし〈◯中略〉
煤拂は、師走の十三日の朝、年男の老臣、のしめ長袴にて、おまし所の上段にはヽきを入らる、夫より殿のうちの塵をはらひ清むる也、けふは皆のし目半袴を著せり、

〔徳川禁令考〕

〈三十年始嘉節〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1416 慶應三卯年三月廿三日
   御祝儀事御廢止之件々
  河内守殿御渡       大目付〈江◯中略〉
 御煤納〈◯中略〉右御祝儀御禮等御廢之事〈◯中略〉
右之趣向々〈江〉可相觸
  三月

〔江戸鹿子〕

〈二年中行事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1416 十二月十三日 すヽはらい、ふるき札納め、

〔増補江戸年中行事〕

〈十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1416 十三日 すヽ納、武家町方ともに此日專すヽはき也、

〔東都歳事記〕

〈四十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1416 十三日 煤拂、貴賤多くは此日を用ゆ、

〔小文庫〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1416 煤掃之説 明ぼのヽ空より、物のはた〳〵ときこゆるは、疊をたヽく音なる可、けふは師走の十三日すヽはきのことぶきなり、げにや雲井の儀式、九重の町の御法は嘉例ある事にて、唯

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1417 なみ〳〵の人のすヽはく體こそいとおもしろけれ、おの〳〵門さしこめて、奧のひと間を屏風にかこひなし、火鉢に茶釜をかけて、嫗が帷子の上張、爪さき見えたる足袋もいとさむく、冬の日かげのはやく晝になりゆき、庭の隅調度どもとりちらしたる中に、持佛のうしろむきたるぞめには立なれ、家の童の椽のやぶれ、すのこの下をのぞきまはるは、なにをひろふにやとあやし、味噌とよばる大男の、袋かぶり蓑きたるもめづらかに、米櫃のサンうちつけ、爼しらげ、行燈はりかへて、たつくり鱠、あさづけのかほり花やかに、かみしもの膳すゑならべたるに、ほどなく暮て、高いびきとはなりぬ、

〔一話一言〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1417 南郭〈掃塵會〉 南郭先生毎年十二月十三日には、家内の煤拂をさけて、東海寺少林院にて詩會をなす、名づけて掃塵會といへりと、耆山和尚の物語なり、

〔鈴がね艸子〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1417 寶暦十二年十月廿七日、晴天、煤拂也、是去八月母人除服之掃除、當月又予除服相兼掃除也、 十四年七月七日、晴天、煤拂、 閏十二月八日、曇、午後晴天、煤拂、

古札納

〔俳諧歳時記〕

〈十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1417 札納め〈祈禱の札を、煤はく日に納るなり、〉

〔塵塚談〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1417 古札おさめといふ非人、予〈◯小川顯道〉若年の頃は、毎年十二月に、武家町家を御祓おさめよ、古札納とさけび歩行ける、年中佛神の札守の溜りしを、錢を付て右の非人にやりし事なり、近歳絶て來らず、

〔東都歳事記〕

〈四十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1417 十三日 煤拂 享保の頃までは、古札納といふ非人、毎年十二月に、武家町家を御はらひをさめ、古札納とさけび歩行けり、〈◯中略〉この事、總鹿子、江戸砂子拾遺等にもいへり、今はなし、

餅搗

〔日次紀事〕

〈十二十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1417 此月尾、傭夫無晝夜木槌街衢高聲呼餅搗、倭俗舂米并餅加都、貧民雇之以使餅、日間無暇者、又嫌乞人之請一レ餅者、多入夜舂之、 此月尾、良賤毎家舂餅、作圓鏡形、或作https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000650b3c.gif

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1418神佛、又贈宗親、是俗謂鏡、其圓而大者謂鏡、以其形之相似之、其圓而小者謂少戴、戴鏡餅上之義也、以其形之相似之、其至小者謂星、是因星點也、兒女貼小丸餅於枯條之、是謂餅花、中古衰世時、著褐塵服者盛餅於圓曲器頭上、而賣禁垣内、内家女子呼褐塵而買之、其後婦人直謂餅曰褐塵

〔雍州府志〕

〈六土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1418 缺餅 凡倭俗新年所用之餅有數品、鏡餅又菱花、片菱比菱花形、花片則圓而比https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000650b3c.gif 之謂也、又有小戴子持之號、小戴則戴餅、而子持其形小而比子孫之繁榮者也、以片圓餅宗親

〔清嘉録〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1418 年餻 黍粉和糖爲餻、曰年餻、有黄白之別、〈◯中略〉富家或僱餻工家、磨粉自蒸、若簡之家、皆買諸市、春前一二十日、餻肆門市如雲、

〔日本歳時記〕

〈七十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1418 二十六七日、此比餻を製すべし、此日より前に立春の節に入らば、大寒の節の内に別に餻を作り、今日は年始に用るのみを製すべし、臘水にて餻を製すれば、味美にして久に堪へ、且性和なる故なり、然ども歳初に用るは、日數多く歴たるは、堅硬なる故早く製すべからず、但大寒の内に製しても、その翌日より水に漬置ば、常にやはらかなり、

〔改正月令博物筌〕

〈十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1418 餅搗〈餅花、餅むしろ、賃搗、青むしろ、長崎の柱餅、正月祝ふ餅を年内つきて、新しき筵に載おくなり、餅花といふ小さき餅を、柳の枝に數多つけて、はなのかたちをなす、賃搗といふは、繁華の市中には、釜甑杵臼など持て人の家に來り、一臼搗賃何ほどヽ賃を取て搗をいふ、三四十年前よりおこれり、柱餅といふは、肥前の長崎にては、年のくれの餅搗には、終りの一臼を柱へ卷付置、正月十五日、東土の火にて焙り喰ふとぞ、〉

〔俳諧歳時記〕

〈十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1418 餅搗 糯米洗、もち花、 長崎の柱餅、肥前國長崎にて、としの暮の餅搗の日に、終りの一臼の餅を家の柱へまき付おき、正月十五日、左義長の火にてこれを炙りて食ふなり、これを柱餅といふ、このこと西鶴が世間胸算用といふ草紙にもしるしたり、又豆州下田より一里ばかりに、中の瀬といふ所あり、この所の鎭守を、ねのひじり權現といふ、この神餅を忌嫌ひ給ふとて、中の瀬の人、年の暮に餅をつかず、元日燒飯に菜を入れ、羹として雜煮の代に祝ふ、是を餅搗

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1419 ぬ里といふべし、

〔秇苑日渉〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1419 民間歳節下 廿日〈◯十二月〉後、家々臼餈、具飮饌之料、以爲新年之儲、歳終舂餈之聲、比屋相接、市肆有餈爲業者、其餈圓如鏡者、曰鏡(カヾミ)餈、以餈粘柳枝若枯柴、如貫珠者、曰餈花(モチバナ)、似供神佛、又細切如方解石者、曰霰子(アラレ)、曬乾至二月十五日、雜豆炒之、以供佛薦祖先、或以爲茶素、 風土記曰、歳暮家家具餚蔌、備宿歳之儲、以迎新年、范石湖集、村田樂府冬舂行叙曰、臘日舂米爲一歳計、多聚杵臼、盡臘中畢事、藏之土瓦倉中、經年不壞、謂之冬舂米、月令廣義曰、江淮俗、除夕烹飰兼數日之炊、於新年許時、名曰隔年陳、歳除家戸競蒸餈饅之類、亦資月餘、廣東新語曰、廣州之俗、歳終以糯粳相雜炒成粉、置方圓印中擊之、使堅如鐵石、名爲白餅、殘臘時、家々打餅聲與擣衣相似、甚可聽、

〔東都歳事記〕

〈四十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1419 廿六日 此節より餅搗街に賑し〈其體尊卑によりて差別あれども、おほよそ市井の餅つきは、餅搗者四人宛組合て、竈蒸籠、臼、杵、薪、何くれの物擔ひありき、傭て餅つかする人、糯米を出して渡せば、やがて其家の前にてむし立、街中せましと搗たつることいさましく、晝夜のわかちなし、俗是を賃餅、又は引ずりなどいふなり、都て下旬親戚に餅を送り、歳暮を賀す、是を餅配りといふ、鹽魚乾魚を添るなり、〉

〔先哲叢談〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1419 伊藤維楨、字原佐、號仁齋、〈◯中略〉
仁齋家故赤貧、歳暮不糯餈、亦曠然不以爲一レ意、妻跽進曰、家道育鞠、妾未嘗爲一レ堪、而獨其不忍者、孺子原藏、未貧爲何物、羨人家有一レ餈、連求不已、妾雖口能譙呵之、腸爲斷絶言訖泣下、仁齋隱儿閲書、一言不之答、直卸其所著外套以授妻、

〔大江俊矩記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1419 文化六年十二月廿五日辛亥、家内餅舂也、當年は今朝出勤故、午後ニ爲致、未刻頃よりむしに來、戌刻相濟、都合五斗八升也、家禮如例、ちん舂、中町之安兵衞也、

〔坂井家日策〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1419 天保七年十二月十二日、餅米貳俵取リニ遣ス、 十三日、つき屋、餅米つきニ參ル、 十九日、成瀬へ餅米つきに遣ス、〈◯中略〉餅つきの者、日限承リニ參ル 廿三日、夕方より餅つき參ル、

臘八

〔書言字考節用集〕

〈二時候〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1419 臘日(○○/ラフジツ)〈説文、冬至後三戌爲臘、風俗通、夏曰嘉平、殷曰清祀、周曰大蜡、漢改爲臘、臘者獵也、言田獵取獸、以祭祀其先祖也、〉

〔荊楚歳時記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1420 十二月八日、爲臘日、諺語、臘鼔鳴、春草生、村人並擊細腰鼔胡頭、及作金剛力士、以逐疫、

〔清嘉録〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1420 臘八粥 八日〈◯十二月〉爲臘八、居民以菜果米煮粥、謂之臘八粥、或有僧尼、名曰佛粥、李福臘八粥詩云、臘月八日粥、傳梵王國、七寶美調和、五味香糝入、用以供伊蒲、藉之作功徳、僧尼多好事、踵事増華飾、此風未汰除、歉歳尚沿襲、今晨或饋遺、啜之不食吾家住城南、饑民兩寺集、〈時開元瑞光兩寺、官設粥廠濟貧民、〉男女叫號喧、老少街衢塞、失足命須臾、當風膚迸裂、怯者蒙面走、一路呑聲泣、問爾泣何爲、答言我無得、此景親見之、令我心悽惻、荒政十有二、蠲賑最下策、慳囊未破、胥吏弊何極、所以經費艱、安能按戸給、吾佛好施舍、君子貴急、願言借粟多、蒼生免菜色、此志虚莫償、嗟歎復何益、安得布地金、憑仗大慈力、睠焉對是粥、跂望蒸民粒、 案、荊楚歳時記、十二月初八日爲臘日、魏臺訪議、漢以戌臘、魏以丑臘、是臘非定以初八日也、又西域諸國志云、天竺國以十二月十六日臘、而唐書歴志、以十二月臘月、故八日爲臘八、呉自牧夢梁録云、十二月八日、寺院謂之臘八、大刹等寺、倶設五味粥、名曰臘八粥、又孟元老東京夢華録、十二月初八日、諸僧寺送七寶五味粥於門徒鬪飮、謂之臘八粥、一名佛粥、陸放翁詩、今朝佛粥更相餽、反覺江村節物新、周密武林舊事云、寺院及人家、皆有臘八粥、用胡桃松子乳蕈柿栗之類之、又孫國敉燕都游覽志云、十二月八日、民間作臘八粥、以米果雜成、多者爲勝、又呉曼雲江郷節物詞小序云、杭俗、臘八粥、一名七寶粥、本僧家齋供、今則居室者亦爲之矣、詩云、雙弓學得僧厨法、瓦鉢分盛和蔗胎、莫笑今年榛栗少、記曾畫粥斷虀來、而九縣志亦皆云、十二月八日以菜果米煮粥、名曰臘八粥

〔尺素往來〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1420 亥兒舂餅者、十月之神樂、寒更紅糟(ウンザウ)者、臘八(○○)之佛供、皆是一時一會之景物、當日當座之賞翫候之間、令之候、

〔故實拾要〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1420 十二月八日供温糟粥(○○○) 是自櫃司調進之

〔貞丈雜記〕

〈六飮食〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1421 一温糟粥の事、櫃司より十二月八日上之、かゆに味噌并酒のかすを少し四角にきざみて入煮也、右公家の説なり、又一説温糟、本は作紅糟、出于勅修清規、即赤豆粥之類也、下學集曰、訛轉也云々、貞丈按に、紅糟をうんざうとよむこと心得がたし、紅の字、ウンノ音無之、紅糟と温糟とは別物と心得べし、味噌と糟を入て粥にして天子へ奉る事、今もある事なれば、前の温糟の説を用べし、

〔日次紀事〕

〈十二十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1421 八日 温臟粥〈今日自櫃司温臟粥、二水記云、本朝臘八粥、名温臟粥、今見造、昆布串柿大豆粉菜葉相合製之、按、中華十二月初八日、都下諸大寺作浴佛會、并贈七寶五味粥、謂之臘八粥、本朝温臟粥本於此乎、〉

〔百丈清規〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1421 月分須知 十二月 初八日 佛成道、庫司預造紅糟

〔俳諧歳時記〕

〈十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1421 臘日 道家に五臘あり、正月朔日を天臘とし、五月五日を地臘とし、七月七日を道徳臘とし、十月朔日を民歳臘とし、十二月臘日を王侯臘とす、五雜組、 温糟粥〈八日〉臘八粥 釋尊成道の日也、本朝の五山に於てこの義あり、又唐山にても十二月八日、都の諸寺に於て浴沸會をなし、或は七寶五味の粥を贈る、これを臘八粥といふよし所見あり、

〔東都歳事記〕

〈四十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1421 八日 禪家の諸寺院、臘八の法事、釋尊成道日也、

〔後水尾院當時年中行事〕

〈上十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1421 八日、あしたのものに、うむさうがゆを供ず、夕方うんさうがゆの御さかづきまゐる、正月七日の御みそなどにおなじ、

〔禁中近代年中行事〕

〈十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1421 八日うんそうがゆ あま酒をひき、中へもちやきぐり菜をしごくこまかにして、わかしたる物なり、御茶わんに入、先々のしに切付る、御硯ぶたの臺にのせ出る、

〔禁中恒例年中行事〕

〈十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1421 八日 温臟粥 是は櫃司より上る、くだ物青物品々を甘酒にてねりたるものなり、

〔二水記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1421 永正十七年十二月八日、臘八之御盃如常、温臟於御末食了、巳刻許退出了、

〔御湯殿の上の日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1422 慶長八年十二月八日、うんそう、御あしたの物に參る、うんそうの御さか月、いつものごとく一こん參る、

〔殿中申次記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1422 十二月八日 一温糟、曇花院殿、 一同、等持寺、 一同、伊勢寺、

〔空華日工集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1422 應安三年十二月八日、駿州兵庫二居士、同喫紅糟、次駿州問紅糟之起、余爲撿佛祖統紀、出家成道篇、集衆講一篇以答佛恩也、曰牧牛廿獻乳糜、今紅糟其遺意也、

〔正風芭蕉流奧儀秘蕰集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1422 竪題横題之事并落題詞書之事
秀逸に落題の句あるときは前書あるべし、證句あり、臘八に、 はらわたを探て見れば納豆じる 許六 これ落題なり、此句最初は、臘八や腹を探れば納豆汁といふ句なり、翁〈◯芭蕉〉に呈す、翁曰く、是秀逸なり、然れども臘八にては、句の勢ひぬるしとて、句作り直したまふ、

年忘

〔書言字考節用集〕

〈二時候〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1422 分歳(トシワスレ)〈活法、除夜長幼聚飮祝頌、謂之分歳、〉別歳(同)〈東坡集、歳晩相與饋問爲饋歳、酒食相邀呼爲別歳、至除夜旦不眠爲守歳、〉

〔日本歳時記〕

〈七十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1422 下旬の内に年忘とて、父母兄弟親戚を饗する事あり、これ一とせの間、事なく過ぎにし事を祝ふ意なるべし、

〔改正月令博物筌〕

〈十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1422 年忘〈年の暮に、親類朋友互に酒宴をなすをいふなり、唐土にも此事あり、名づけて潑散又は別歳といふよし、東坡集にも出たり、〉

〔秇苑日渉〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1422 民間歳節下 歳暮親友相聚飮宴、謂之忘年、又互相餽遺以賀卒歳、 史記天官書曰、凡候歳美惡、謹候歳始、或冬至日、産氣始萌、明日人聚卒歳一會、飮食發陽氣、故曰初歳、琅邪代酔編曰、淮人歳莫家人宴集、曰潑散、韋蘇州云、田婦有佳獻、潑散新歳餘、風土記曰、蜀之風俗、晩歳相與餽問、謂之餽歳、酒食相邀謂之別歳、至除夕旦不眠、謂之守歳、廣東新語曰、小陰次日、爲酒以分歳曰團年、歳除祭曰送年、月令廣義曰、歳時記、都城以寒食、冬節、正旦三大節、交相餽問、諺曰、肥冬痩年、又曰、歳除互相問謁饋遺之禮、天下古今事同俗異、

〔東都歳事記〕

〈四十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1422 別歳(トシワスレ)〈當月下旬、親戚知己を邀へて饗する事あり、一年の間、事故なく過して、新年を向ふるを祝するの意なるべし、〉

〔御湯殿の上の日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1423 慶長八年十二月九日、大御ちの人より、御としわすれにて、く御參る、みやの御かたはじめ、のこらず御所々々ならします、御さか月一こん參りて、御したかわらけ、大御ちの人御いたヾきあり、御ひし〳〵にて、めでたし〳〵、

〔關八州古戰録〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1423 太田三樂齋乘捕小田城
常州ノ小田讃岐入道天庵、其家ノ吉例トシテ、毎年臘月晦日ノ夜、群臣ヲ集テ連歌ノ會ヲ促シ、百韻興行シテ、是ヲ年忘レト號シ、酒宴曉天ニ至ルヲ定式トス、

年市

〔日次紀事〕

〈十二十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1423 此月市中供神佛之器皿、同神折敷臺、并片木、袴、肩衣、頭巾、綿帽子、裙帶、扇子、踏皮、同襪線、雪踏、草履、寒臙脂皿、櫛、髻結紙、及常器椀、木皿、塗折敷、飯櫃、太箸、茶碗、鉢皿、眞那板、膳組、若水桶、柄杓、加伊計、浴桶、盥盤、并毬及毬杖、部里々々、羽古義板、其外鰤魚、鯛魚、鱈魚、章魚、海鰕、煎海鼠、串石决明、數子、田作類、蜜柑、柑子、橙、柚、榧、搗栗、串柿、海藻、野老、梅干、山椒粉、胡椒糊、牛房、大根、昆布、熨斗、諸般物悉賣之、是皆來年春初所用也、〈◯中略〉又賣齒朶、由津里葉、并薪炭等、幡枝并深草土民、盛土器於籠壹雙、擔之賣市中、其大者稱三度或五度、其小者謂小重、又稱臍土器、室町總門辻、四條新町小結棚爲市、而賣節物

〔日本靈異記〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1423 髑髏目穴笋掲脱以祈之示靈表縁第廿七
白壁天皇〈◯光仁〉世、寶龜九年戊午冬十二月下旬、備後國葦田郡大山里人品知牧人爲正月物、向同國深津郡於深津市

〔改正月令博物筌〕

〈十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1423 年の市〈正月の儀式に用ゆる物を賣る市をいふ、毬打賣、ぶり〳〵賣、はごいた賣、神の折敷賣、かや、かちぐり賣、楪賣、しだ賣、穗長賣、葉竹うり、飾松賣、かざり藁賣、神の皿賣、〉

〔清嘉録〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1423 年市 年夜已來、市肆販置南北雜貨、備居民歳晩人事之需、俗稱六十日頭店、熟食鋪、豚蹄鷄鴨、較常貨買有加紙馬香燭鋪、預印路頭、財馬紙糊元寶緞疋多澆、巨蠟束名香、街坊吟賣篝鐙、鐙草、挂錠、竈牌、竃簾、及箪瓢、箕帚、竹筐、磁器、缶器、鮮魚、果蔬諸品絶、鍛磨磨刀殺雞諸色工人、亦應時而出喧於城市、酒肆藥鋪、各以酒糟蒼朮辟瘟丹之屬、餽遺于主顧家、總謂之年市、蔡雲呉歈云、送竃柴枝束々齊、照厨竹挂雙々提、燂湯礪刀獨何業、慘聽連聲叫殺雞、 案、馮贄雲仙雜記、僧園逸記、皆載、都下寺院、毎用歳除鍛磨、是日作鍛磨齊、呉自牧夢梁録、歳旦在邇席鋪、饋與主顧、更以蒼朮小棗辟瘟丹相遺、

〔近世職人盡畫詞〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1424 歳市圖【圖】

〔江戸總鹿子新増大全〕

〈七江都年中行事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1426 十二月十七日十八日〈晝夜〉淺草市、〈正月の飾物、其外品々、〉江府第一の市也、淺草橋より、御藏前、駒形、雷神門の東西寸地も明間なく、後は砂利場、山の宿に至り、臼、木鉢、手桶等の品々を商もの、市の假屋のどよむ聲賑はしく、武士方町百姓ともに、男女老少群集して蟻のごとし、

〔燕石襍志〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1426 淺草事實 毎年十二月十七日十八日にたつ淺草の市は、いかなる故に、正月の物を賣買するとて、佛閣に參りつどふにやと、こヽろ得がたく思ひしかば、これを土老に問に、この市は當初雷神門の左のかた、大神宮の攝社なる蛭子の宮の市なりき、往昔は十二月九日十日兩日なりしが、觀世音の會日には、參詣の老幼群聚する事、市の日にましたり、よりてこの市を十七十八兩日にせば、便宜なるべしとて、遂にその事を聞えあげて、今のごとくにはなりしといへり、しかるや否はしらず、

〔塵塚談〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1426 淺草觀音の市、十二月十七十八兩日也、諸人正月のかざりの物を吉凶をいはひ、此市にて求る事なり、外に江戸に市なし、故に並木町より雷神門内までは、老人小兒の通行思ひもよらぬ事にて、俳句に、市の人人より出て人に入る、といふ句も有しに、近ごろに至り、神田明神、深川八幡、芝愛宕、麹町天神に市はじまり、人も相應に出て賑かなり、麹町はわけて群集なすよし、其故にや近歳觀音の市、先年よりは淋しきやうに見ゆる、

〔東都歳事記〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1427 十一月廿三日、川崎山王宮年の市、この邊の賑ひなり、 十二月十四日、今明日深川八幡宮年の市、〈江戸市のはじめなり、諸人群集す、商ひもの淺草の市に同じ、〉十七日、今明日淺草寺年の市、〈今日寶前には修法なし、堂前にて大黒天開運の守を出す、當寺境内は云に及ばず、南は駒形より御藏前通り淺草御門迄、西は門跡前より下谷車坂町、上野黒門前に至る迄、寸地を漏さず假屋を補理し、新年の儲けとて、注連飾りの具庖厨の雜器、破魔弓、手鞠、羽子板等の手遊び、其餘種々の祝器をならべ售ふ聲は、巷にかまびすしく、都鄙の詣人是を求るを恒例とし、陰晴を嫌ず群集する事、更に晝夜のわかちなく、大路に駢闐して東西に道を分け兼、縱横に目も配りがたし、又裏手の方は、山の宿、砂利場に滿て夥し、此日吉原の賑ひいふも更なり(中略)又此所に三八の日市立し事ありしとぞ、〉 廿日、廿一日、兩日神田明神社年の市、〈淺草につヾひて繁昌す、境内すき間なく假屋をつらね、三四町ヅヽ四方へ商人出る、〉 廿一日、大師河原平間寺年の市、この邊の賑ひなり、 廿二日、廿三日兩日、芝神明宮年の市、境内にて注連飾の具等商ふのみ、纔の市なり、 廿四日、芝愛宕權現年の市、〈淺草に續て大市なり、遠近の商人こヽに集ひ、參詣の老若、通り町は芝の邊より日本橋迄の賑ひなり、〉 廿五日、今明日平河天滿宮年の市、〈參詣多し、大市なり、(中略)此頃より、辻々河岸、其餘廣場等に松竹をならべ、又は假屋を建て、注連飾の具、齒朶、讓葉、海老、篩栗(カチグリ)、乾柿等を商ふ、除夜には、夜通しに市を立る、又腊魚鮭鱈等を售ふ小屋、街に多し、今川橋、通り町筋、筋違御門外、日本橋四日市、下谷廣小路、麹町五丁目等也、其外にも多し、〉 廿八日 〈藥研堀不動尊、年の市、〉

〔坂井家日策〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1427 天保七年十二月十八日、天氣、夕方ヨリ丹次、淺草市へ參ル、九ツ頃歸宅、

節季候

〔倭訓栞〕

〈中編十二世〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1427 せきぞろ 節季候と口に唱ふるをもて、名目に呼たるなり、

〔人倫訓蒙圖彙〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1427 節季候 都鄙にあり、都には十二月廿日より出る、節季にて候へば、くるとしの福と又年の終まで、何事なくをくりかさねしをいはふ心なるべし、

〔人倫訓蒙圖彙〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1427 姥等(うばら) 女の物もらい也、としは若けれども、みづから婆等といふ、十二月廿日より出る、下京は五日六日の比も出る也、赤前垂に手拭かつぎ、いがきを手に持て、婆等いわひませうと幾人も一連に、口々にわめきて門々をめぐる也、

〔雍州府志〕

〈八古蹟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1427 悲田寺 悲田院爲小兒之藥局、〈◯中略〉其後至乞兒有病者茲、藥餌之事無幾而絶、爲大人小兒乞丐之寓居、今專乞人酋長居之、總謂與次郞、常造草鞋業而賣之、〈◯中略〉凡毎年自臘月二

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1428 十一日、斯徒小草笠上插貫首葉(シダノハ)頭上、又以赤布巾面顏、纔出兩眼、四人或六人入人家庭踊躍、是稱節季候、倭俗臘月謂節季、候一決之辭也、毎家告歳終而請米、

〔日本歳時記〕

〈七十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1428 二十日、〈廿日以後の事をしるす、故に此日に掲出す、〉國俗此月中旬より後、乞人共絳絹にて面をおほひ、又絳絹にて膝を蔽ひ烏帽子を著、せきぞろといひて、いろ〳〵の祝詞をうたひ舞ありく事あり、せきぞろとは、節季候といふ意なるべし、都鄙共にする事なり、

〔民間年中故事要言〕

〈六十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1428 節季候 二十日ノ以後、和國ノ風ニ、乞人ドモ絳布ニテ前ヲ蔽、マタ覆面ヲシテ齒朶ヲ戴テ、色々ノ祝詞ヲウタフテ舞コトナリ、是ヲセキゾロト云、節季候也、

〔俳諧歳時記〕

〈十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1428 胸搞 節季候 むかしは乞兒としのくれに人家の門にたち、膚をあらはし、手を以胸を敲き、節季さむらふ〳〵といふて錢を乞ひし也、これを胸たヽき(○○○○)といふ、三十六番職人歌合にその圖のこれり、今節季候といふもの是なり、

〔増補江戸年中行事〕

〈十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1428 當月より 節季候出る

〔東都歳事記〕

〈四十一月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1428 廿八日 今日より節季候出る

除夜

〔書言字考節用集〕

〈二時候〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1428 除歳(ヲフトシ)、〈臘月、盡夜、〉終年(同)、大暮歳(ヲホボセイ/ヲモツセイ)、〈俚民所言〉除夜(ジヨヤ)、〈臘月、盡夜、言此夜所以除舊年也、〉除夕(ジヨセキ)〈同上〉

〔増續山井〕

〈下十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1428 除夜(ジヨヤ)〈歳のくれ、歳末、歳尾、暮年、大晦日、除歳、ゆく年、ながるヽ年、年みつ、晩年、〉

〔日次紀事〕

〈十二十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1428 俗間金銀年中出納、至大晦結解一決了、

〔日本歳時記〕

〈七十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1428 晦日〈又除日といふ◯中略〉今夜を除夜といふ、又除夕ともいふ、一年のおはる夜なれば、つヽしみて心をしづかにし、禮服を著、酒食を先祖の靈前にそなへ、みづからも酒食を食し、家人奴婢にもあたへ、一とせを事なくてへぬる事を互に歡娯し、坐して以て旦をまち、舊を送り新を迎べし、 周處が風土記にいはく、除夜祭其先祖、長幼聚飮祝頌而散、謂之分歳、げに一年の終る夜なればかく有べき事なり、〈◯下略〉

〔民間年中故事要言〕

〈六十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1429 大歳 俗ニ晦日ヲ大歳ト云、盧照隣ガ元旦ノ詩ニ曰ク、人歌小歳酒、花舞大唐春トイフトキハ、元日ヲ小歳ト謂ナリ、シカレバ大晦日ヲ大歳トイフベキ事ナリ、大小ハ猶老若也、

〔俳諧歳時記〕

〈十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1429 除夜(じよや) 十二月晦日、これを除夜といふ、言こヽろは此夜舊年を除く也、本邦の俗、この日つぐみ鳥を燒て食ふ、是繼身(つぐみ)の訓によりて賀する也、又質をとる家、かし鳥を食ふ、是借取の祝語なり、今は大かたこの戲なし、 大歳(おほとし) 元日を小歳といふに對して、晦日を大歳といふ、〈瑯邪代酔編〉

〔改正月令博物筌〕

〈十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1429 大年〈大晦日、年のはてゆへ、大の字をそゆるなるべし、〉

〔東都歳事記〕

〈四十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1429 晦日〈又大晦日といふ〉

〔秇苑日渉〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1429 民間歳節下 除夜謂之大歳(オホトシ)、天地神佛祖先竃井牖戸以至溷厠、燃燈煇煌達于旦、 按、大歳之稱、不起、蓋對小歳云、通鑑、魏制、群臣季冬朝賀、服袴褶事、謂之小歳、宋書、魏晉冬至日、受萬國及百僚稱賀、因小會、其儀亞于歳朝代酔編、子美有小至詩、説者謂、冬至前一日爲小歳、五雜組、臘之次日爲小歳、今俗以冬至夜小歳、老學菴筆記、唐人冬至前一日、之謂除夜、所謂冬除也、陳師錫家享儀、冬除夜與歳除夜對、蓋閩俗也、由此觀之、古人以冬至前一日除夜、又謂之小歳、因以歳除夜大歳耳、 月令廣義曰、除夜家奉天地神佛祖先之前、倶各香燈明㷔、及主人臥室燃燈達旦、家宅光明、攢火圍爐以助陽炁、 群談採餘曰、除夕燃燈室中、謂之照虚耗

〔年中行事故實考〕

〈十二十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1429 大晦日 除夜とも云、除はつくるといふ訓あり、大晦日といふ字、東鑑二十八卷に出たり、人家所々に火を多くとぼす、福を得ると云ひつたふ、和漢共にしかり、 熙朝樂事曰、除夕燃燈床下、謂之照虚耗、 信州諏訪にて岡見といふ事あり、高き山に登り、我家の方を見て來年の吉凶を占ふ、中華にては、正月七日岳に登り四方を望ば、陰陽の氣をしづむる事を得て、

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1430 煩を除く術なりと云、 堀川百首 俊頼朝臣 ことだまのおぼつかなさに岡みするこずゑながらに年はこすかな 李充人日詩曰、命駕升西山、寓目眺原疇

〔浪花の風〕

〈節分大晦日には、必らず麥飯を焚て、赤いわしを添へて祝ひ食ふ、都て年越には麥飯を食ふこと貧富相同じ、江戸にて蕎麥切を用ふるが如し、〉

〔嬉遊笑覽〕

〈十二草木〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1430 世俗除夜に果樹の實のならぬに、一人杖を持て木のもとに行、ならうか、なるまいかとて、打むとするを、又一人その樹に代りて、ならうと申ますといふなり、寶倉に、或時婦にはかりて云、君みずや、柿木などいへるものヽ、年きりせるには、節分の夕に、一人斧をとりて、此木をきらんといらなめば、今一人其木に代りて、明年より年きりせまじ、ゆるし給へなど、口がためする時は、必明年より年きりする事なし云々、汝南圃史に、正月元旦辰刻、將斧班駁敲樹、則結子不落、名曰嫁樹と是なり、又文昌襍録云、楊州李冠卿所居堂前杏一株極大、多花而不實、一老嫗曰、來春爲嫁此杏、冬深忽携尊酒云、是婚嫁撞門酒、索處子裙樹上、已尊酒辭祝再三、家人咸哂之明年結子無數とあり、これ嫁樹の義なり、

年越

〔俚言集覽〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1430 年越 大晦日と節分をいふ、又正月六日、十四日を、六日どしこし、十四日年越といふ、

〔御湯殿の上の日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1430 慶長九年十二月卅日、としこしの御さかづき一こん參る、

〔東都歳事記〕

〈四十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1430 晦日 今日を年越といふ

〔増補江戸年中行事〕

〈十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1430 晦日 神田明神年越のはらひ〈其外諸所の神社ニ有〉

正月年越

〔改正月令博物筌〕

〈正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1430 六日年越(○○○○)〈七日は式日なれば、今日をいふにや、〉

〔故實拾要〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1430 同日〈◯正月六日〉歳越之御獻 是御臺所〈并〉自男居

〔後水尾院當時年中行事〕

〈上正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1430 六日夕方、年越の御さかづき、常の御所にて一獻〈三ツさかな〉參る、〈かくのごとき時、女中の衣しやう、わたの入たるものを用ふる、たヾしきうのもの也、からあやりんず等、又はくるしからず、羽二重などをば不著用、十四日大晦日又同じ、節句も同じ、但是は御さかづきよりす〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1431 〈ぐに別殿の行幸なれば、其時著あらためむも、造作なるによりて、初より袴を著るなり、〉散しあぶらを供ず、

〔禁中近代年中行事〕

〈正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1431 六日年越の御獻 初獻三ツ肴出ル、二獻は御こんぶあは、三方の角の方にかちぐり七ツ有、長のしの上にあり、三獻はなし、二獻まで、 十四日年越御こん 同じ御事なり

〔年中行事故實考〕

〈二正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1431 六日 年越の御獻、御臺所并男居より奉るよし、禁中年中行事略に見えたり、民家にても年越の祝、大根汁、田作り鱠など調へことぶきとす、

〔光臺一覽〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1431 六日〈◯正月〉年越の御儀式

〔御湯殿の上の日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1431 慶長三年正月六日、としこしの御盃一獻、御こぶあわにてまいる、

〔言經卿記〕

〈慶長九年正月六日丁巳、歳越祝詞如例年、〉

〔江戸鹿子〕

〈二年中行事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1431 正月 六日 十四日 年越神明參

〔増補江戸年中行事〕

〈正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1431 六日 年越祝ふ、惠方氏神參り、

〔東都歳事記〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1431 六日 良賤年越を祝ふ〈六日年越といふ〉

〔故實拾要〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1431 十四日年越御獻(○○○○○○○) 是六日ノ御獻ノ規式ニ同ジ

〔後水尾院當時年中行事〕

〈上正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1431 十四日、年越の御さかづき、常の御所にて一獻まいる、けふもちらし油を供ず、

〔日次紀事〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1431 十四日 歳越〈今夜俗稱十四日年越、各相祝、〉

〔諸國圖會年中行事大成〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1431 十四日歳越 今夜諸公家の奴僕、圓餅を枚杖に插み、諸家ごとの門戸を敲く、〈◯下略〉

〔日本歳時記〕

〈二正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1431 十四日 今夜蘿蔔にて臼、杵、判金、いろ〳〵の物作りて折敷につらね、蓑笠きて人のもとへ持行、かのをしきを戸の内へさし入て置を、あるじの方より取て、その折敷に米

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1432 餻など入て、もとの所にかへせば、持來し人とりて歸るを、かねてより水をくみ置て是にかけ、わらひのヽしる事あり、郷國にては、とび〳〵といふ、四國には、かいづりといふよし聞ぬ、西國にて此日薄暮より明曉に至まで、うぐろもちを打とて、藁をつかねて地を打事あり、土をかためんとにや、東國には此事なしとぞ、げにかヽるよしなし事、俗にしたがひて何かせん、せずして禮義に害なくば、せざるにしかじ、

〔増補江戸年中行事〕

〈正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1432 十四日 年越祝ふ、家々けづりかけを下る、

〔東都歳事記〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1432 十四日 良賤年越を祝す〈十四日年こしといふ〉

〔年中行事故實考〕

〈二正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1432 十四日 禁中にて年越の御獻あり、俗家にても六日のごとくことぶきをなす、

〔御湯殿の上の日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1432 慶長三年正月十四日、としこしの御盃、夕かた一こんまいる、女中御ばんしゆ、くじらのすひ物ひし〳〵とまいる、


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Last-modified: 2022-06-29 (水) 20:06:18