http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0001 度ハ物ノ長短ヲ量ルノ謂ニテ、其器ヲ名ヅケテ尺ト云フ、後世之ヲ物指(モノサシ)トモ云フ、指(サシ)ハ即チ長短ヲ量ルノ謂ナリ、蓋シ太古ニ在リテハ、其器未ダ出デズ、故ニ兩臂ヲ伸張スルヲ尋(ヒロ)ト云ヒ、四指ヲ以テ握ルヲ握(ツカ)ト云ヒテ之ヲ量リシナリ、其後度器ヲ造ルニ至リ、物ノ長短大小、始テ其正ヲ得タリ、然レドモ其制詳ナラズ、文武天皇ノ大寶制令ニ至リ、尺ニ大尺小尺アリテ、小尺ノ一尺二寸ヲ以テ、大尺ノ一尺トス、而シテ大尺ハ地ヲ量ルニノミ用ヰ、其餘ハ皆小尺ヲ用ヰシム、又銅造ノ樣式ヲ大藏省及ビ諸國司ニ給シ、官私用ヰル所ノ度器ヲシテ、毎年省國ニ就キテ題印ヲ受ケシメ、然シテ後始テ用ヰルコトヲ聽ス、而ルニ元明天皇ノ和銅六年、此制ヲ改定シ、其大小尺ハ、各從前ノ大小尺ノ一尺二寸ヲ以テ一尺トシタリ、而シテ延喜式ノ制ニ、小尺ハ晷景ヲ測ルニノミ用ヰ、其餘ハ皆大尺ヲ用ヰルハ、恐ラクハ和銅ノ改定ニ出ヅルナラン、 曲尺ノ稱ハ、即ニ源順ノ倭名類聚抄ニ見エタリ、造ルニ鐵ヲ以テシタレバ金(カネ)尺ト云ヒ、屈折シテ矩ノ形ヲ成シ、專ラ工匠ノ用ニ供スルヲ以テ、又大工尺トモ云ヘリ、又同抄ニ竹量(タカバカリ)アリ、竹ヲ以テ製スルニ由リ此名アリ、後ニハ鷹計トモ書ケリ、德川幕府ニ至リテハ、竹量ノ名ハ即ニ亡ビテ、其曲尺ノ外ニ、呉服尺、鯨尺アリ、呉服尺ハ、曲尺ノ一尺二寸ニシテ、鯨(クヂラ)尺ハ曲尺ノ  http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0002 一尺二寸五分ナリ、而シテ呉服尺ハ專ラ裁衣ノ用ニ供スルニ由リ呉服ヲ以テ名トシ、鯨尺ハ其初メ鯨骨ヲ以テ製セシニ由リ此稱ヲ得タルナリ、然レドモ後ニハ、一尺二寸五分ノモノヲ以テ、裁衣ノ用ニ供シ、呉服尺ヲ用ヰルコトハ幾ド希ナリ、故ニ鯨尺ヲ呼テ、呉服尺ト云フ、或ハ云フ、鯨尺ハ即チ呉服尺ニシテ、後ニ分レテ二種ト爲リシナリト、右三種ノ外ニ、量地尺、裏尺、文尺等ノ數種アリ、要スルニ德川幕府ニテハ、量衡二器ノ爲ニハ、座ヲ置キテ之ヲ檢束シタレドモ、度ノ爲ニハ、別ニ其制ヲ設クルコトナカリキ、 此他寺院等ニ藏スル所ノ古尺アリ、其長短大小一ナラズ、事ハ本文ニ詳ナリ、

名稱

〔古語拾遺〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0002 于【Kレ】時天照天神赫怒入【K二】于天石窟【K一】、閉【K二】磐戸【K一】而幽居焉、〈○中略〉高皇産靈神、會【K二】八十萬神於天八湍河原【K一】、議【K二】奉【Kレ】謝之方【K一】、爰思兼神、深思遠慮議曰、〈○中略〉令【K下】手置帆負彦狹知二神、以【K二】天御量(アメノミハカリ/○○○)〈大小斤(ハカリ)雜器等之名也〉伐【K二】大峽小峽之材【K一】、而造【K中】瑞殿【K上】、

〔皇國度制考〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0002 天御量とは、廣成宿禰の自註に、大小量雜器等之名也と云れし如く、謂ゆる度量權衡の大小雜器どもを言ふ、先師〈○本居宣長〉の紀伊殿に此書の義を聞え白されし時に、本に書入られし説も是に同じ、〈○註略〉其和幣と奉る種々の物の長短輕重多少を調へむ爲の設けなり、其は、度量衡の異有れど、共に諸物を量る器なる故に、總て御量とは言へり、然れど其が中に尺度は主たる物なるに、〈其は度制まづ定まりて、量衡は是より出ればなり、〉况て此は宮造りの事を云ふ所なれば、本文の御量は尺度を主とせること論ひなし、

〔古史傳〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0002 手置帆負(タオキホオヒ)命、彦狹知(ヒコサシリ)命、此二神の始めて御殿を造り給へる事より及ぼして、名義を考ふるに、まづ手置とは、手を布(オキ)て物を度(ハカ)るを云ふ、其は曲尺(モノサシ)を用ふるは、稍後の事にて、古は必手して度けむ故に、十握劔、八握須、七握脛などの都加、また八咫鏡の咫(アタ)、みな手の度(ノリ)なり、〈○註略〉帆負の帆は借字にて、尋負(ヒロオヒ)なり、尋(ヒロ)は一尋二尋などの尋なり、〈此は一廣げ、二廣げと云ふ義なるべし、〉さてヒロをホと云 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0003 は、船の帆既ヒロなり、〈又軍裝の保呂てふ物も帆(ヒロ)と同言なるべし、かく見る時は、帆も借字には非ず、正字と云べきか、〉斯て尋は長〈ケ〉一丈ならむ者(ヒト)は、尋も一丈あるべく、五尺の人は、尋も五尺なり、これ大抵定れる度(ノリ)なり、然れば小き物は手にて度り、大なる物は尋にて度れりと見ゆれば、手置帆負命と、御名に負給へるなるべし、彦狹知命、彦は例の稱辭、狹知は、狹(サ)は借字にて度知(サシシリ)の義ならむか、〈サシシリのシシ、一言に約まるは常なり、〉其は尺度(モノサシ)もて、物を度り給へるよりの名なるべく所思(オボユ)ればなり、但し毛能佐斯(○○○○)を唯に佐斯(○○)とばかり言むは、如何にも思ふべけれど、毛能とは弘く諸物を指て言辭にて、佐斯とのみ云ぞ本語なりける、〈其はサシガネ、曲尺のサシは更なり、さし對ひ、さしふたぎ、又二人にて物する事を、さしにて爲(スル)と云などのさしも、此と彼と差通(ワタ)れるを云て、同意なるべし、〉さて掌(シリ)は、彼事を司(シ)る、此處を領(シ)る、また神ぞ知るらむ、などの斯留、みな同言にて、尺度を掌給へる故の御名なるべし、〈又若くは今の尺度と云もの、其起原は、天津神の大御長より出たらむも、其を尺度と爲て用ふる事は、此神の始めて製り給ひけむも知べからず、猶よく考ふべし、〉其は尺度は、家作に無くて叶はざるは更にも云はず、萬の器械(モノ)を作るにも、必用ふべき物なるを、此二神さる方に功(イソシ)く坐ます故に、各も〳〵其事(ワザ)を御名に負給へるなりけり、

〔古今要覽〕

〈器財〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0003 古尺大小量 或人問ふて云はく、古語拾遺の本文に天御量とあるところの本註に、大小量とあるを大小の度なりといへるは、實にさも有べく聞ゆれど、さらばその大量小量といふは何なる度ぞ、大量は令の大尺、小量は令の小尺なるか、今世に傳はる尺度のしな〳〵あるが中に、いづれか皇國の眞度なる、くはしく其説をきかむ、答ふ、廣成宿禰の謂ゆる大小量は、すなはち令の大尺小尺にて、宮殿造營の度なれば、大量とは大尺をいひて度地にもちひ、小量とは小尺をいひて造營にもちふ、其尺度は今の世まで番匠の用ふる鐵尺(カネサシ)とも曲尺(マガリカネ)ともいふ、すなはち其度なり、抑この大小量は天つ神世に、天太玉命、かの大御神の新宮を造らせ給ひし以來、その子孫たる齋部首の家に傳はり、人世となりて、神武天皇の御世に御殿をつくり給ふに、太玉命の孫天富命こ 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0004 れを掌どり、其後ついに此家の職掌となり、神宮皇宮ともにつくり奉れるが、移りて木工長上に傳はり、〈木工長上を、後には頭工とはいへり、〉ひろく番匠に傳はれること、古語拾遺、延喜の神祇式、大殿祭詞、延暦の儀式帳、心御柱記、などを照し見て知らる、また此尺を用ふることたヾ造營のみにあらず、伊勢神宮に奉る御裝束、また御調度等も此尺を用ひしこと、寛正四年に荒木田氏經のしるせる日次記に、以往より定まれる鐵尺をもつて、御裝束を差たりと有にてしらる、けだし是は垂仁天皇の御世に、はじめて伊勢の神宮を造られし時よりの御制を易給はざる式なること、大同本記にその時の御杖代たりし、倭姫命の左〈ハ〉左、右〈ハ〉右、違事奈久奉仕と宣へる御語にて知られたり、

〔出雲風土記〕

〈楯縫郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0004 五十足天日栖宮之縱横、御量千尋栲繩(○○○○○○)持、而百結結八十結結下、而此天御量(○○○)持而所【Kレ】造天下大神之宮造奉、

〔日本書紀〕

〈二神代〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0004 一書曰、〈○中略〉高皇産靈尊、〈○中略〉勅【K二】大己貴神【K一】曰、〈○中略〉汝應【Kレ】住天日隅宮者、今當【K二】供造【K一】、即以【K二】千尋栲繩【K一】結爲【K二】百八十紐【K一】、其造【Kレ】宮之制者、柱則高太、板則廣厚、

〔倭名類聚抄〕

〈十四裁縫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0004 尺(○) 魏武雜物疏云、象牙尺、辨色立成云、尺竹量也、〈太加波可利〉

〔倭訓栞N 前編十佐〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0004 さし(○○) 度をいふは指渡るの義、物さしともいへり、

〔節用集大全〕

〈十毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0004 尺(ものさし/○)尺

〔物類稱呼〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0004 ものさし 武州河越にて、しやく共云、常陸にてしやくごと云、

〔倭訓栞〕

〈中編二十六毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0004 ものさし 度をいふ、物をさしはかるなり、又長さしあり、長さ八尺あり、尺づゑは長さ七尺なり、

丈尺寸

〔伊呂波字類抄〕

〈波員數〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0004 度〈知【K二】長短【K一】謂【K二】之度【K一】、度之所【Kレ】起起【K二】於忽【K一】、從【K二】一蠶口【K一】出爲【Kレ】忽、十忽爲【K二】一絲【K一】、十絲爲【K二】一釐【K一】、十厘爲【K二】一豪【K一】、十豪爲【K二】一分【K一】、十分爲【K二】一寸【K一】、十寸爲【K二】一尺【K一】、十尺爲【K二】一丈【K一】、六尺爲【K二】一步【K一】、三百六十步爲【K二】一段【K一】、〉 

〔古事記〕

〈中垂仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0005 故大帶日子游斯呂和氣(カレオホタラシヒコオシロワケ)命者、〈○景行〉治【K二】天下【K一】也、〈御身(ミヽノ)長一丈二寸(ヒトツヱアマリフタキ)、御脛長(ナガサ)四尺一寸(サカヒトキ)也、〉

〔日本書紀〕

〈七景行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0005 十二年十月、天皇初將【Kレ】討【Kレ】賊、次【K二】于柏峽大野【K一】、其野有【Kレ】石、長六尺(ムサカ)、廣三尺(ミサカ)、厚一尺五寸(ヒトサカアマリイツキ)、十八年七月甲午、到【K二】筑紫後國御木【K一】、居【K二】於高田行宮【K一】、時有【K二】僵樹【K一】、長九百七十丈(コヽノホツヱアマリナヽソツヱ)焉、

〔古事記〕

〈下反正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0005 水齒別命、〈○中略〉御身之長九尺二寸半、御齒長一寸、廣二分、

〔東大寺獻物帳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0005 牙笏一枚〈長一尺三寸二分 本廣一寸九分〉 通天牙笏一枚〈長一尺一寸八分 本廣一寸六分〉 大魚骨笏一枚〈長一尺二寸一分 本廣一寸九分〉

〔馬具寸法記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0005 一馬の寸の事 一寸 二寸 三寸 四寸 五き 六き 七き 八寸 九寸 五尺二寸などヽ云べきなり

〔塵添壒囊抄〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0005 馬尺事 馬ヲ一寸(ヒトキ)二寸(キ)ト云ハ、何ト定ル事ゾ、凡ソ馬尺ト云ハ、四尺ヲ定テ、其上ヲ一寸(ヒトキ)、二寸、三寸、四寸、五寸、六寸、七寸、八寸ト云、八寸ニ餘ルヲバ、長(タケ)ニ餘ルト云、長(タケ)に餘ル大馬モ多キニヤ、生食(イケズキ)ハ五尺二寸アリケル也、四尺ニ足ヌヲバ駒ト云、是曲尺〈ノ〉尺也、四尺ヲ一尺トスルニハ非ズ、四〈ノ〉音ヲ忌ム故ニ、都テ尺ト云也、

〔貞丈雜記〕

〈十三馬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0005 一馬のたけは、四尺を定尺とす、四尺に一寸あまるを一寸と云、二寸あまれば二寸と云、以下是に准じ知べし、四寸より七寸迄は、寸の字をすんといはず、よき(四寸)、いつき(五寸)、むき(六寸)、なヽき(七寸)といふ也、寸の字をき(○)ともよむ也、扨八寸九寸をば、八すん九寸と云也、九寸にあまるをば、長(タケ)に剩(アマ)ると云也、三尺九寸あるをば、かへり一寸と云也、

〔空穗物語〕

〈吹上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0005 ひきいで物は、じヾうにさま〴〵のふちむまのたけやき(○○)ばかり、〈○中略〉少將にくろ 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0006 かげのむま、たけなヽき(○○○)ばかり、〈○下略〉

〔宇治拾遺物語〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0006 今は昔小野宮殿〈○藤原實賴〉の大饗に、〈○中略〉引出物の馬を引立て有けるが、〈○中略〉黑くり毛なる馬のたけ八き餘り(○○○○)ばかりなる、ひらに見ゆるまで身ふとくこえたる、〈○下略〉

〔詞花和歌集〕

〈三秋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0006 駒迎をよめる     大藏卿匡房 あふさかの杉間の月のなかりせばいくき(○○○)のこまといかでしらまし

〔康富記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0006 嘉吉二年十二月十三日庚子、是日室町殿孝經被【Kレ】遊、終淸外史被【Kレ】下【K二】御馬〈黑鹿毛四寸(キ)ハナリ〉御大刀【K一】、〈黑作金脛也〉祝著被【K二】畏申【K一】之、

〔世事百談〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0006 馬の丈四尺を定尺とし、それよりあまれば、一寸より三寸までをスンといひ、四寸より七寸までをば、寸といはず、キといひ、又八寸より九寸までを、又スンといへるよし今の馬乘人はいへど、そはいつ頃より定りたる詞にか、むかしは幾寸にても、なべてキとのみとなへたり、〈○中略〉私云、馬は四尺を馬たけといふを、それに一寸まさりたるをば一きとし、八寸まさりたるをばやきといふなりと見えたり、幸若の舞の高館志田などの詞に、名馬のことをいひて、さんのへだちのしらあしげ、七き、八ぶんあけ、六さいにひきよせ、ゆらりとのつたりけりといへり、この七き八ぶんは七寸八分なり、幾寸にてもキといへることの證とすべし、おもふに寸をキとよめることは、古事記傳に、寸を伎(キ)といふは刻むの意なり、萬葉集に、玉刻春(タマキハル)と伎(キ)に刻の字を書けるも、その意にて、伎(キ)といふぞ、キダ、キザムなどの本語なるといへり、〈○中略〉因に云、錢の壹文の半をきなかといへることは、算勘の詞に、壹文半を壹文五分といへり、そは五分は一寸の半なれば、きなかとはいふなり、寸半の約語なるべし、再びおもふに、たヾ半が五分なれば、きなかとのみいひては、くはしからず、錢の徑りは壹寸なること、開元錢よりの定めにて、吾邦も同じければ、もと尺度よりいでヽ、壹文の半を五分ともきなかともいへるとしるべし、 

〔日本書紀〕

〈一神代〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0007 一書曰、天神謂【K二】伊弉諾尊、伊弉冊尊【K一】曰、有【K二】豐葦原千五百秋瑞穗之地【K一】、宜【K二】汝往循【K一】之、逎賜【K二】天瓊戈【K一】、於【Kレ】是二神、立【K二】於天上浮橋【K一】、投【Kレ】戈求【Kレ】地、因畫【K二】滄海【K一】、而引擧之、即戈鋒垂落之潮、結而爲【Kレ】島、名曰【K二】磤馭廬島【K一】、二神降【K二】居彼島【K一】、化【K二】作八尋之(ヤヒロノ/○○)殿【K一】、

〔古事記〕

〈中景行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0007 爾天皇亦頻詔、倭建命、言【K二】向和平東方十二道之荒夫琉神、及摩都樓波奴人等【K一】、而副【K二】吉備臣等之祖、名御鉏友耳建日子【K一】而遣之時、給【K二】比比羅木之八尋(○○)矛【K一】、

〔古事記傳〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0007 尋(ヒロ)ハ兩手を伸たる長さを云、今人も然して一尋と定るなり、其は手を廣げて度る故に、一廣げ二廣げの意なるべし、

〔運步色葉集〕

〈比〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0007 一尋(ヒロ)〈布〉

〔長會我部元親百箇條〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0007 掟 一布木綿ハ善惡によらず、大工金ニ四尺五寸を尋にして(○○○○○○○○○○○○○)、七尋たるべし、太布ハ可【Kレ】爲【K二】六尋【K一】事、〈○中略〉H 慶長貳年三月廿四日    盛親在判 元親在判

〔和漢名數〕

〈數量〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0007 度名 四尺爲【Kレ】尋

〔〈天明八年板〉早算法〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0007 一尋は、曲尺にて五尺、呉服尺にては四尺なり、

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0007 於【Kレ】是天照大御神見畏、閉【K二】天石屋戸【K一】、而刺許母理〈此三字以【Kレ】音〉坐也、爾高天原皆暗、葦原中國悉闇、因【Kレ】此而常夜往、於【Kレ】是萬神之聲者、狹蠅那須〈此二字以【Kレ】音〉皆滿、萬妖悉發、〈○中略〉召【K二】天兒屋命、布刀玉命【K一】、〈布刀二字以【Kレ】音、下效【Kレ】此、○中略〉天香山之五百津眞賢木矣、根許士爾許士而〈自【Kレ】許下五字以【Kレ】音○中略〉於【K二】中枝【K一】取【K二】繋八尺鏡【K一】、〈訓【K二】八尺【K一】云【K二】八阿多【K一】〉

〔古事記傳〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0007 八尺鏡 延佳が、尺當【Kレ】作【Kレ】咫と云るぞ宜き、こは决く寫誤れるものなり、

〔釋日本紀〕

〈七述義〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0007 延喜公望私記云、于【Kレ】時戸部藤卿進曰、嘗聞或説八咫烏者、凡讀【Kレ】咫爲【K二】阿多【K一】者、手之義也、一手之廣四寸、兩手相加、正是八寸也、 

〔古事記〕

〈中神武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0008 於【Kレ】是亦高木大神之命以覺白之、天神御子、〈○中略〉今自【Kレ】天遣【K二】八咫烏(ヤタガラス/○○○)【K一】、故其八咫烏引道、

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0008 於【Kレ】是伊邪那岐命拔【K下】所【K二】御佩【K一】之十拳劔(○○○)【K上】、斬【K二】其子迦具土神之頸【K一】、

〔日本紀纂疏〕

〈上三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0008 十握者、以【K二】四指【K一】量【K二】劔柄【K一】、則得【K二】十握【K一】、言【K二】四十指之長【K一】也、握此訓曰【Kレ】束、

〔秦山集〕

〈雜著甲乙録三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0008 都翁〈○保井春海〉曰、〈○中略〉矢今猶用【K二】長量【K一】、用【K二】四指【K一】量【Kレ】之、曰【K二】十一束十二束及幾布世【K一】、

〔貞丈雜記〕

〈十弓矢〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0008 一矢づかの長サの事、〈○中略〉大雙紙に云、總じて我らが手にて、矢つか十二束本也、又人によりて十四束も、又十五束も有、但十三束とは平生いはざる也云々、〈一束は一にぎりにて、指を横に四ツ並べたる也、大ゆびは除く也、大ゆびは、向へまはる也、〉

〔源平盛衰記〕

〈四十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0008 屋島合戰附玉蟲立【Kレ】扇與一射【Kレ】扇事 與一、〈○中略〉十二束二ツ(○○○○○)伏(ブセ/○)ノ鏑矢ヲ拔出シ、爪ヤリツヽ、滋藤ノ弓握太ナルニ打クハセ、能引暫固タリ、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0008 ○按ズルニ、十二束ノ束ハ、ツカヲ音讀シタルナルベク、二伏ハ二指ノ廣サヲ云フナルベシ、

制度

〔令義解〕

〈十雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0008 凡度十分爲【Kレ】寸、〈謂度者、分寸尺丈引也、所【K三】以度【K二】長短【K一】也、分者、以【K二】北方秬黍中者一之廣【K一】爲【Kレ】分、秬者黑黍也、〉十寸爲【Kレ】尺、〈一尺二寸爲【K二】大尺一尺【K一】〉十尺爲【Kレ】丈、

〔唐律疏議〕

〈二十六雜律〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0008 雜令〈○中略〉度、以【K二】秬黍中者一黍之廣【K一】爲【Kレ】分、十分爲【Kレ】寸、十寸爲【Kレ】尺、一尺二寸爲【K二】大尺一尺【K一】、十尺爲【Kレ】丈、

〔令義解〕

〈十雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0008 凡度【Kレ】地量【K二】銀銅穀【K一】者、〈○中略〉皆用【Kレ】大、此外官私悉用【K二】小者【K一】、

〔好古小録〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0008 大寶令ノ制ハ晉前尺ヲ用ルコト、大寶ノ内外印等ノ寸法ヲ以知ベシ、養老制令ヨリ唐ノ大小尺ヲ用ユ、〈按和銅六年格ヨリ唐ノ大小尺ヲ用ヒ始メシナラム〉小尺ハ今ノ曲尺、大尺ハ俗ニ云呉服尺也、又俗云鯨尺ハ唐ノ御府尺也、〈按南都西京藥師寺鐫ル所ノ佛足跡記云、佛足長一尺八寸、廣六寸ト、是小尺ヲ以度ル者也、シカルニ長一尺八寸、一尺六寸ニ作ルベシ、八寸ハ誤ナリ、巨指端ヨリ踵端ニ至テ一尺六寸、此ヲ半ニシテ八寸ニアタル所ヲ以度ルニ廣六寸、〉 

〔本朝度量權衡考〕

〈度〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0009 本朝令ノ大小尺ハ即唐ノ大小尺ニテ、今ノ曲尺ハ其大尺ナリ、〈羽倉在滿ガ度制略考ニ、本朝令ノ小尺ハ、唐ノ大尺ニシテ、今ノ曲尺ナリ、本朝令ノ大尺ハ、高麗ノ度地尺ニテ、今ノ呉服尺ナリト云ヘリ、此説ニ據レバ、本朝令ノ小尺ハ唐ノ大尺ニテ、唐小尺ヲバ用ヒザリシトシタレドモ、モシ唐大尺ヲ小尺トシタランニハ、義解ニ以【K二】北方秬黍中者一廣【K一】爲【Kレ】分トハ云フベカラズ、〈一黍ノ廣サヲ一分トスルハ唐小尺ナリ〉且和銅五年ニ寫シタル佛經ノ紙、唐小尺ノ度ニ合ヒタレバ、〈此事下ニ詳ニス〉本朝ノ小尺ハ即唐小尺ナルコト明ラケシ、又高麗尺ハ田令集解ニ引キタル古記ニ出シ説ニ據リタルナレドモ、其本據慥ナラズ、高麗尺ト云フモノ他書ニ見エザレバ證トナシ難シ、タトヒ高麗尺ト云フモノ有リトテモ、本朝令ハ唐令ニ因リタルニ、唐尺ヲ用ヒズシテ高麗尺ヲ用フベキ理アランヤ、羽倉氏ノ説誤ナリ、(中略)又藤貞幹ガ好古小録ニハ、本朝令ノ小尺ハ即唐ノ小尺ニテ今ノ曲尺ナリ、大尺ハ即唐大尺ニテ今ノ呉服尺ナリト云ヘリ、本朝令ノ大小尺ヲ即唐ノ大小尺トシタルハ當リタレドモ、唐小尺ヲ曲尺トシ、唐大尺ヲ呉服尺トシタルハ誤ナリ、累黍ノ説ハ非ナレドモ、其長サハ大ヨソ違フベカラズ、試ニ黍ヲ累ネテ曲尺ノ唐小尺ニ非ルヲ覺ルベシ、〉サレドモ年久シク傳ヘタレバ今ノ曲尺ハ稍訛長セシモノナリ、

〔古今要覽〕

〈器財〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0009 令大尺〈度地尺〉 大寶令の大尺は令前常用にして、即今の曲尺なり、〈その證はのちにいふべし〉その大尺といふ稱を設けられて、度地銀銅穀にのみ用ひられしは、文武天皇即位のはじめ、壬申擾亂のヽちの弊風をあらためられんがために、律令を制せらるヽ時、常用の尺、全くかの唐の大尺とおなじかりし故に、彼の大尺といふ字をかり用ひられしならん、皇朝の令は李唐の令をうつされしかば、その令條多く唐律及び六典に合るにてしるべし、然れども全く李唐の制度によられしにもあらざることは、五尺一步といふを用ひられて、二百四十步を畝とすといふにはしたがはれずして、舊のごとく三百六十步を段とせられしは、舊制三百六十步の地をあらためらるヽこと便ならざりし故なるべし、大化の祖稻、大寶の祖稻と全くおなじきをみれば、令前の常用尺は令の大尺なる事疑ひなし、もししからずば、何ぞ度地にのみ大尺を用ひられんや、これその度地銀銅穀の類は、舊制にしたがはざれば制度のあたらしき際、姦民邪曲を濫妨にいたるがゆへに、大尺を用ひられて舊のごとくなされしとみえたり、 

〔延喜式〕

〈五十雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0010 凡度量權衡者、官私悉用【Kレ】大、但測【K二】晷景【K一】、合【K二】湯藥【K一】、則用【K二】小者【K一】、其度以【K二】六尺【K一】爲【Kレ】步、以外如【Kレ】令、

〔好古小録〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0010 古昔布帛及衣服ヲ度ルハ、大尺ヲ用ト云、按ニ續日本紀云、天平八年五月、諸國調布長二丈八尺、闊一尺九寸、法隆寺ニ天平勝寶八年ノ調布〈○註略〉アリ、闊大尺ノ一尺九寸也、帛布ヲハカルニ大尺ヲ用ルノ明證トスベシ、又續敎訓抄ニ、襲裝束ノ裁縫ヲ載ス、其寸法大尺ヲ以、ハカル者也、是衣服ヲ度ルニ大尺ヲ用ル證トスベシ、然レバ大尺ニ呉服尺ノ名アルモ古キコトトミユ、

〔令義解〕

〈十雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0010 凡用【K二】度量權【K一】官司、〈謂大藏省及諸國司之類〉皆給【Kレ】樣、其樣皆銅爲【Kレ】之、

〔令義解〕

〈九關市〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0010 凡官私權衡度量、毎【Kレ】年二月、詣【K二】大藏省【K一】平校、〈謂凡諸司及庶人、用【K二】權衡度量【K一】者、皆詣【K二】大藏省【K一】平校、然後用【Kレ】之、其諸國并要用官者、司別給【Kレ】樣也、依【Kレ】律雖【Kレ】平而不【Kレ】經【K二】官司印【K一】者笞卅、即知平校日、官司題印、但唐令云、並印署然後聽【Kレ】用、此令除【K二】印署文【K一】、故不【Kレ】可【Kレ】署、唯依【Kレ】律可【Kレ】印、即與【K二】量函【K一】不【Kレ】同、〉不【Kレ】在【Kレ】京者、詣【K二】所在國司【K一】平校、然後聽【Kレ】用、

〔唐六典〕

〈二十太府寺〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0010 太府寺、凡官私斗秤度尺、毎年八月詣【Kレ】寺校印署、無【Kレ】或【K二】差繆【K一】、然後聽【Kレ】用【Kレ】之、

〔唐律疏議〕

〈二十六雜律〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0010 諸校【K二】斛斗秤度不【Kレ】平、杖七十、監校者不【Kレ】覺减【K二】一等【K一】、知【Kレ】情與同罪、 疏議曰、校【K二】斛斗秤度【K一】、依【K二】關市令【K一】、毎年八月、詣【K二】太府寺【K一】平校、不【Kレ】在【Kレ】京者、詣【K二】所在洲縣官【K一】校、並印署然後聽【Kレ】用、 諸私作【K二】斛斗秤度【K一】、不【Kレ】平、而在【Kレ】市執用者笞五十、因有【K二】增减【K一】者、計【Kレ】所【K二】增减【K一】準【Kレ】盜論、即用【K二】斛斗秤度【K一】、出【K二】入官物【K一】而不【Kレ】平、令【Kレ】有【K二】增减【K一】者坐【Kレ】贓論、入【Kレ】巳者以【Kレ】盜論、其在【Kレ】市用【K二】斛斗秤度【K一】、雖【Kレ】平而不【Kレ】經【K二】官司印【K一】者笞四十、 疏議曰、即用【K二】斛斗秤度【K一】出【K二】入官物【K一】、增减不【Kレ】平、計【Kレ】所【K二】增减【K一】、坐【Kレ】贓論、入【Kレ】巳者以【Kレ】盜論、因【K二】其增减【K一】得【Kレ】物入【Kレ】巳、以【Kレ】盜論、除免倍贓依【K二】上例【K一】、其在【Kレ】市用【K二】斛斗秤度【K一】、雖【Kレ】平謂校勘訖而不【Kレ】經【K二】官司印【K一】者笞四十、

〔類聚國史〕

〈八十政理〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0010 延暦十七年十月乙未、勅、〈○中略〉度量權衡、先有【K二】定製【K一】、平校行用、亦具【K二】令條【K一】、然所司怠慢、會不【K二】遵行【K一】、大小任【Kレ】意、輕重由【Kレ】人、收納多【Kレ】濫、蠹害尤甚、自【Kレ】今以後、宜【Kレ】改【K二】此弊【K一】、升尺等類、就【K二】大藏省【K一】、依【Kレ】法平校、永 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0011 絶【K二】姧源【K一】、若違【K二】此制【K一】、口寘【K二】嚴科【K一】、

沿革

〔續日本紀〕

〈二文武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0011 大寶二年三月乙亥、始頒【K二】度量于天下諸國【K一】、

〔續日本紀〕

〈六元明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0011 和銅六年二月壬子、始制【K二】度量調庸義倉等類五條事【K一】、語具【K二】別格【K一】、

〔令集解〕

〈十二田〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0011 雜令云、度【Kレ】地以【K二】五尺【K一】爲【Kレ】步、又和銅六年二月十九日格、其度【Kレ】地、以【K二】六尺【K一】爲【Kレ】步者、未【Kレ】知【K二】令格之趣并段積步改易之義【K一】、請具【K二】令釋【K一】、使【Kレ】无【K二】疑惑【K一】也、答幡云、令以【K二】五尺【K一】爲【Kレ】步者、是高麗法、用爲【Kレ】度【Kレ】地令【Kレ】便、而尺作【K二】長大【K一】、以【K二】二百五十步【K一】爲【Kレ】段者、亦是高麗術云之、即以【K二】高麗五尺【K一】、准【K二】今尺大六尺【K一】相當、故格云、以【K二】六尺【K一】爲【Kレ】步者、則是令五尺内積步、改名【K二】六尺積步【K一】耳、其於【Kレ】地无【Kレ】所【K二】損益【K一】也、然則時人念【K下】令云【K二】五尺【K一】、格云【K二】六尺【K一】、即依【K二】格文【K一】可【Kレ】加【K二】一尺【K一】者、此不【Kレ】然、准【Kレ】令云【K二】五尺【K一】者、此今大六尺、同覺爾耳、

〔令集解〕

〈十二田〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0011 古記云、慶雲三年九月十日格云、准【Kレ】令田租一段、租稻二束二把、〈以【K二】方五尺【K一】爲【Kレ】步、步之内得【K二】米一升【K一】、〉一町租稻廿二束、令前租法、熟田百代租稻三束、〈以【K二】方六尺【K一】爲【Kレ】步、步之内得【K二】米一升【K一】、〉一町租稻一十五束、〈○中略〉令前方六尺、升漸差【K二】地實【K一】、〈○下略〉

〔政事要略〕

〈五十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0011 勘【K二】田租束積【K一】事 右被【K二】右辨官宣【K一】偁、〈○中略〉檢【K二】舊説【K一】、令前租法、熟田五十代、租稻一束五把、以【K二】大方六尺【K一】爲【Kレ】步、步内得【K二】米一升【K一】、〈此大升也〉二百五十步爲【K二】五十代【K一】、慶雲三年格、准【Kレ】令以【K二】大方五尺【K一】爲【Kレ】步、步内得【K二】米一升【K一】、〈此升稱【K二】减大升【K一】〉三百六十步爲【Kレ】段者、〈○中略〉即所【Kレ】得米其數亦同、然則段内得米三百六十升、實此大二百五十升也、〈○中略〉 弘仁十二年十一月五日          明法博士額田國造今足

〔續日本紀〕

〈六元明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0011 和銅六年四月戊申、頒【K二】下新格并權衡度量於天下諸國【K一】、

〔續日本紀〕

〈八元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0011 養老四年五月癸酉、頒【K二】尺樣于諸國【K一】、

〔好古日録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0011 晉前尺 近家宿禰云、以【K二】曲尺〈ノ〉六寸六分五厘弱【K一】爲【K二】周尺一尺【K一】、以【K二】周尺一尺二寸【K一】爲【K二】古尺一尺【K一】、是古來所【Kレ】傳之秘 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0012 説也、幹按、古尺ハ既晉前尺也、余嘗古錢〈元狩五年鑄五銖錢、鍾官赤側錢、太貨六銖錢、常平五銖錢、布泉錢、五行大布錢、白錢、五銖錢、巳上眞正大樣者、〉ヲ以晉前尺ヲ起ス、一尺曲尺ノ八寸許ナリ、國朝制、養老以前晉前尺ヲ用ユ、器用ノ寸法皆此ニヨル、此間ノ古印章モ間考ニ備フベキ者アリ、古法帖載ル所ノ秦璽亦一證トスベシ、近家宿禰ノ説、實ニ傳ル所アルコトヲ知ル、

竹量

〔倭名類聚抄〕

〈十四裁縫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0012 尺 魏武雜物疏云、象牙尺、辨色立成云、尺竹量(○○)也、〈太加波可利(○○○○○)〉

〔倭訓栞〕

〈前編十四多〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0012 たかばかり 裁縫尺にて、今いふ物さし也、

〔伊呂波字類抄〕

〈太員數〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0012 尺〈タカハカリ竹量也〉

〔俗説贅辨〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0012 たかばかりの説

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0012 俗間の書に、たかばかりとは、竹に作れる曲尺也とあり、 今按ずるに非也、たかばかりとは、人の長にて定る寸尺なり、是上古の法なり、神代卷に八尋殿とあり、これたかばかり也、内外宮内裏の間架を定むる、皆俗間の曲尺にて極めたるものにあらず、みなたかばかりより出たりとかや、延暦儀式帳などに、毎社皆曲尺を付たるは、たかばかりを匠尺に寫したる物なり、匠尺は聖德太子、異國の曲尺を用給ふよりおこりて、今に天王寺番匠の受傳ふる所なり、當世も民間の茅屋は、繩をひろどりて架をさだむ、是たかばかりの古法なり、弓にも人々のたかばかり有けれど、とり失ひて、今は七尺五寸といふめる、有職家には定て古傳有べし、唯矢ばかり、長ばかりを傳て、十二束三ぶせなどヽといふ、是故實のことばなり、

〔四季草〕

〈春〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0012 おのがたかばかりの事 おのがたかばかりとは、我手の寸にて、物の長短をはかる事也、おのとは、おのれ也、たかばかりは、和名抄に、尺の字を太加波可利と訓を付たり、太加はたけなり、〈カとケと音通ず〉はかりは寸尺をとる也、物さしの事也、さればおのがたかばかりといふは、おのれが身の物さしといふ事にて、我手にて 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0013 物の寸尺をとる事と心得べし、弓矢鞭行縢等は、皆おのがたかばかりにて寸尺を定る也、手にて寸の取樣あり、〈○中略〉人々の手の大小によりて、長短同じからず、其人々の身の大小相應の寸尺になるなり、

〔園太暦〈記録部類所引〉〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0013 慶四年〈○應長元年〉二月二十五日丁卯、御三夜儀、〈○中略〉兒御衣調進事、 絹寸法者用【K二】竹量【K一】

〔大内家壁書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0013 麻布寸尺之事 御分國中、所納年貢之麻布寸尺之事、古式に任、よろしく貳丈八尺を以壹端とす、〈鷹斗(○○)を用也〉亦うり布之事は、貳丈五尺、或は貳丈六尺〈各鷹斗、即和銅七年符也、〉壹端たるべし者、早右之定法之旨を守、豐前國中之、甲乙人等にふれしむべきよし所【Kレ】被【K二】仰出【K一】也、仍執達如【Kレ】件、 寛正三年十月廿五日

〔續日本紀〕

〈六元年〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0013 和銅七年二月庚寅、制以【K二】商布二丈六尺【K一】爲【Kレ】段、 ○按ズルニ、大内家壁書ハ、段ト端トヲ混ジタリ、但シ此時ノ端ハ、往時ノ段ナルガ故ニテモアルベシ、

〔氏經卿日次記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0013 一行事官等言上 去年内宮御遷宮神寶御裝束金物等相違之由禰宜等注進無【Kレ】謂間事 一御裝束寸尺の事、背【K二】先例【K一】大たかばかり(○○○○○○)をもて、御裝束を禰宜等の中へ取、如【K二】所存【K一】さしとるなり、先例爲【K二】官方【K一】、古來手尺をもて相共にさし渡、是を請取處、今度非【K二】先規【K一】といへども、其用意心得餘分いたす間、如【Kレ】申無【K二】相違【K一】渡者也、〈○中略〉 寛正四年四月日

〔氏經卿日次記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0013 就【K二】先度注進行事官等陳状條々【K一】掠申間事 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0014 一御裝束寸尺の事、禰宜等が中にとり大たかばかり(○○○○○○)をもて、如【K二】所存【K一】さしとるよし申、以外のそらごとなり、以往より定まれる鐵尺をもて、辨代と一禰宜が前において、おヽい筵をしき、その上に御唐櫃の蓋をおき、其上にて神宮の奉行并物忌等さしまゐらせ、行事官等相共に拜見仕、如【K二】先規【K一】さたをいたす處に、如【Kレ】此申條以外の不當なり、尊神の照覽をば申さる也、〈○中略〉 寛正四年五月日 ○按ズルニ、大たかばかりトハ、鷹斗ニ對ヘテ云ヘルニテ、一尺二寸五分ノ度、即チ鯨尺ヲ云フナルベシ、

〔下學集〕

〈下器財〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0014 鷹秤(タカハカリ)〈鷹猛惡之鳥也、生【Kレ】子在【Kレ】巢、其子生長、則有【K二】食【Kレ】親之義【K一】、父畏【Kレ】之、居去【K二】自【Kレ】巢一尺枝【K一】而養【Kレ】子、故呼【K二】一尺量【K一】、鷹秤云傳也、〉

〔後奈良院御撰何「http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000651B f9.gif 」〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0014 けふのかり場は犬もなし たか(/○○)〈○鷹〉ばかり(尺/○○○)

〔鷹三百首和歌〕

〈冬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0014 男山はとやかひたるたかばかりかけをくれてや落に行らん

〔倭訓栞〕

〈前編十四多〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0014 たかばかり 鷹の巢をかくるに、一尺二寸上に枝を置て、其枝に居て餌をおとす、さなければ母鳥に噬著故也、よて一尺二寸を鷹秤(ハカリ)ともいふともいへり、

〔古今要覽〕

〈器財〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0014 甲冑用鷹ざし 南都に、甲冑用鷹ざし(○○○○○○)といふあり、御尺司林氏製する所なり、その長曲尺一尺一寸五分にあたる、延喜式の造位記尺に比すれば五分短し、その尺に添たる説あり、云、鷹は勇猛の鳥にして、子を生し巢にありて、子に食をあたふるに、巢より一尺枝をさがり、子をやしなふゆゑに、是を呼て鷹度(タカバカリ)といふ、武勇をいはふ吉例によりて、往古より甲冑に此尺を用ふる事なりとあり、

曲尺

曲金

〔倭名類聚抄〕

〈十五工匠〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0014 曲尺(○○) 辨色立成云、曲尺、〈麻可利加禰(○○○○○)〉

〔倭訓栞〕

〈中編二十四末〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0014 まがりかね 倭名抄に曲尺をよめり、矩なり、今さしがねと云、

〔書言字考節用集〕

〈七器財〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0014 矩(マガリカネ)〈規爲【Kレ】圓之法、矩爲【Kレ】方之器、〉曲尺(同)〈又云勾尺、匠家所【Kレ】用、乃李唐尺也、〉 

〔塵添壒囊抄〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0015 馬尺事 ウルハシクハ曲尺ヲバ、マガリガネト云ベキヲ、略語ニカネト云也、

〔倭訓栞〕

〈中編二十四末〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0015 まがり(○○○) 曲尺をもいへり、かねを略したるなり、

〔新猿樂記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0015 八御許〈ノ〉夫、飛騨國人也、位大夫大工、名檜前(ヒノクマノ)杉光、〈○中略〉指者墨䇛(サシ)臂者曲尺、

〔稽德篇〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0015 一總じて政道に法と云物あり、法とは大工の曲尺の如し、譬へば此疊を長六尺橫三尺と定めたるが如し、然れば京さしを筑紫の果、奥州にて敷ても間に合ぞ、是を曲尺の手を定めたる法と云ぞ、

〔數學類聚〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0015 曲(カネ)尺 圖略ス 〈曲尺一尺ハ、クジラ尺ニテハ、八寸に當る也、古への呉服尺にては、八寸三分三厘三毫三糸不盡ニ當る、〉 今番匠が家を造るに用るは此尺也、形ちは一別に拵らへて持つ也、横に曲げたる所有り、此曲る所は、四角の矩に合せて拵らへたるもの也、

サシカネ

〔增字番匠往來〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0015 曲尺(さしかね/○○)

〔倭訓栞〕

〈前編十佐〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0015 さしがね 矩なり、もと四方の板に刻をつけたる物にて、略して今の曲尺となるよし、まがりかねと訓ず、

カネサシ

〔算法地方大成〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0015 測器用法 一甲所より目的迄の遠さを量るには、〈○中略〉目的の點より甲所の點まで曲尺(かねざし/○○)にて長を量り、〈○中略〉但縮圖を畫き、長さを量るには曲尺を用ふ、此餘准じて知るべし、

大工金

〈御當家令條〉

二十九

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0015 定 一絹紬之事、壹端ニ付、長大工金(○○○)にて三丈二尺、幅壹尺四寸、 一布木綿之事、壹端ニ付、長大工がねにて、三丈四尺、幅壹尺三寸、 右織物之寸尺、如【Kレ】此御定之上ハ、長幅不足之絹布賣候に於ては、來年四月朔日より、見合候もの可 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0016 【Kレ】取【Kレ】之者也、 寛永三年寅十二月七日

〔御當家令條〕

〈二十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0016 定 一絹紬之儀、壹端ニ付、大工がねにて、長三丈二尺、幅壹尺四寸たるべき事、 一布木綿之儀、壹端ニ付、大工がねにて、長三丈四尺、幅壹尺三寸たるべき事、 右之通從此以前被【K二】相定【K一】之處、近年猥有【Kレ】之間、向後書面之寸尺より、不足に織出す輩あらば曲事たるべし、來巳年秋中より改【Kレ】之、不足之分見出次第可【Kレ】取之間、於【K二】諸國在々所々【K一】、可【Kレ】存【K二】其趣【K一】者也、 寛文四年辰七月十三日

〔尤之草子〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0016 まがれる物のしな〴〵 大工のかね也

〔居家必用〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0016 開門尺法、古言、寧去【K二】人家【K一】造【K二】百墳【K一】、莫【K下】去【K二】人家【K一】造【K中】一門【K上】、門最利害、一家禍福、率由【Kレ】之、周尺分節、一財、二病、三離、四義、五官、六刧、七害、八吉、財與【Kレ】吉爲【Kレ】上、官義次【Kレ】之、餘無【Kレ】取、財吉公私内外通用、官可【Kレ】用【K二】之官房中戸【K一】、出【K二】文章貴子【K一】、庶人用【Kレ】之、起【K二】官事【K一】凶、義可【Kレ】用【K二】之中房【K一】、出【K二】人孝順【K一】、若在【K二】外門【K一】、主【K二】兩姓同居【K一】、若人家内外大小門戸、以【K二】財吉義三者【K一】兼【K二】用之【K一】、主【K二】世代昌隆【K一】、特義不【Kレ】可【Kレ】用【K二】之外門【K一】耳、 淮南子曰、魯般尺法、 造作置【Kレ】自【K二】魯般【K一】、即公輸、般、楚人也、乃天下之巧士、士能作【K二】雲梯之械【K一】、其尺也、以【K二】官尺一尺二寸【K一】爲【Kレ】准、均分【K二】八寸【K一】、其文曰財、曰病、曰離、曰義、曰官、曰刧、曰害、曰吉、乃北斗中七星與【K二】輔星【K一】主【Kレ】之、用【Kレ】尺之法、從【K二】財字【K一】量起、雖【K二】一丈十丈【K一】皆不【Kレ】論、但於【K二】丈尺之内【K一】、量取【K二】吉寸【K一】用【Kレ】之、遇【K二】吉星【K一】則吉、遇【K二】凶星【K一】則凶、亘【Kレ】古及【Kレ】今、公私造作、大小方直皆本【K二】乎是【K一】、作【Kレ】門尤宜【K二】仔細【K一】、 造【Kレ】尺樣範 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0017 財(貪狼) 病(破軍) 離(武曲) 義(巨門) 官(文曲) 刧(廉貞) 害(祿存) 吉(輔星)

カネ

〔書言字考節用集〕

〈七器財〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0017 曲尺(カネ/○○)〈矩也〉

〔源平盛衰記〕

〈三十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0017 高綱渡【K二】宇治河【K一】事 高綱ハ窮竟ノ逸物ニ乘タレバ宇治河ハヤシトイヘ共、淵瀬ヲ不【Kレ】云、サヾメカシテカネ(○○)ニ渡シ、向ノ岸近ク成テ、高綱ガ馬綱ニ懸テ、足ヲサト步除クレバ、大刀ヲ拔、大綱小綱三筋サト切流、向ヒノ岸ヘ打上、〈○中略〉武藏國住人男衾畠山庄司重能ガ子息重忠ハ、〈○中略〉渡セ殿原々々、〈○中略〉馬ニモ人ニモ力ヲ副ヘヨ、金(カネ)ニ渡シテ誤スナ、

〔後押小路内府抄〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0017 練步事 當家練樣、〈○中略〉張【Kレ】肱拔【Kレ】笏云々、此事張【Kレ】肱者、肱ヲ肩ノトホリニカネ(○○)ニ持、

〔〈寛文板〉新編塵刧記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0017 町つもりの事 むかひに人のたちてゐる所迄、とをさ何程と云、三町廿八間二尺一寸七分有といふ、法に三寸有かね(○○)に、長二尺一寸七分ある糸をつけて、口に糸をくはへて、むかひの人のたけを見る時に、かねにて八厘にみゆる時、是に三をかくれば、二分四厘と成、

〔人倫訓蒙圖彙〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0017 御錦屋 大和錦とて由緒あるとかや、金(カネ)一尺代貳匁五分、東洞院二條下ル町一井五良左衞門、

〔嬉遊笑覽〕

〈二上服飾〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0017 大幣と云三絃の書、とり組の歌に、京では一條やなぎやがむすめ、よつわり帶をたすきにかけて、〈此歌は文祿慶長ごろの歌なり〉帶地のはヾ、凡金(カネ)幅二尺五寸を四ツ割として見れば、巾三寸許の帶也、 

鐵尺

〔律原發揮〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0018 本邦曲尺者、比【K二】舊尺【K一】長一分六厘、〈以【K二】舊尺【K一】言【Kレ】之〉以【Kレ】鐵制(○○○)、故又名【K二】鐵尺【K一】(○○○○○)、

〔延喜式〕

〈十二内記〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0018 凡造【K二】位記【K一】料、〈○中略〉鐵尺一隻、〈長一尺二寸〉

〔續日本紀〕

〈十二聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0018 天平七年四月辛亥、入唐留學生從八位下下道朝臣眞備、獻【K二】唐禮一百三十卷、〈○中略〉測【Kレ】影鐵尺一枚【K一】ヲ、〈○下略〉

〔唐六典〕

〈三戸部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0018 凡積【K二】秬黍【K一】爲【K二】度量權衡【K一】者、調【K二】鐘律【K一】、測【K二】晷景【K一】、合【K二】湯藥【K一】、及冠冕之制則用【Kレ】之、内外官司悉用【Kレ】大者、

〔厨事類記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0018 寺殿被【K二】注下【K一】、御産御前物記云、 六脚〈面弘方一尺一寸、鐵尺定、〉

〔古老口實傳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0018 一年中行事 九月十五日、〈○中略〉御調布各一段、正禰宜勤【K二】仕之【K一】、〈長六丈、鐵尺定、〉

〔園太暦〕

〈記録部類所引〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0018 延慶四年〈○應長元年〉二月二十五日丁卯、今日御三夜儀、〈○中略〉兒御衣調進事、 寸法事〈木作分用【K二】鐵尺【K一】〉

〔園太暦〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0018 康永三年二月廿一日、今日予〈○藤原公賢〉上【K二】左大臣表状【K一】也、〈○中略〉件表乍【Kレ】持【K二】左手【K一】、以【K二】右手【K一】開【K二】函蓋【K一】入【K二】表状【K一】、覆【Kレ】蓋裏【Kレ】函、其儀不【Kレ】切高檀紙四枚取【Kレ】之、二枚ヅヽソバヘ引チガヘテ、其上置【Kレ】函、〈○中略〉件紙弘サ六分、長サ二尺六寸五分帖【Kレ】之、高檀紙ヲ切テ、中央ヲ續テ、其上一結シタル物也、長サ寸法ハ結テノ後ノ寸法也、皆是鐵尺之定也、  貞和二年閏九月五日、予百首淸書、今日終【Kレ】功了、高檀紙十二枚、其長一尺二寸、〈鐵尺定〉切々續々書【Kレ】之也、

〔安東郡專當沙汰文〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0018 一在地御倉付之時御籾納之升勢寸法事 弘六寸、深二寸五步也、鐵尺〈ノ〉定、〈中ノ寸法也〉

〔氏經卿日次記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0018 就【K二】先度注進行事官等陳状條々【K一】掠申間事 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0019 一御裝束寸尺の事、〈○中略〉以往より定まれる鐵尺をもて、辨代と一禰宜が前に於て、〈○中略〉神宮の奉行并物忌等さしまゐらせ、〈○中略〉 寛正四年五月日

呉服尺

〔書言字考節用集〕

〈七器財〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0019 呉服尺(ゴフクザシ/○○○)〈今按相【K二】當曲尺一尺二寸【K一】〉

〔律原發揮〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0019 呉服尺者、以【K二】曲尺一尺二寸【K一】〈舊尺ノ一尺二寸二分弱〉爲【K二】一尺量【K一】、裁【K二】衣服【K一】用【K二】此尺【K一】故〈ニ〉名、

〔滋草拾露〕

〈九冠并烏帽子〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0019 一挟形(ハサカタ)ノ仕立〈ゴフクザシ(○○○○○)ニテ〉 長サ壹尺 幅五分

〔寛永板〕

〈塵刧記一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0019 きぬもんめんうりかいの事 きぬもんめんの丈尺寸といふは、大くのかねに一尺二寸を、ごふく一尺(○○○○○)といふ也、

〔天明八年板〕

〈早算法〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0019 壹尋は、曲尺にて五尺、呉服尺にては四尺なり、譬曲尺にて三尺六寸有、呉服尺にては何程と問、三尺六寸に定法の八を掛れば、二尺八寸八分と知る、 法の發は、呉服壹尺を、曲尺一尺二寸五分にて割たるなり、 ○按ズルニ、此ニ云ヘル呉服尺ハ、曲尺一尺二寸五分ノ度ナリ、

〔律尺考驗〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0019 尚衣局裁尺 尚衣局トハ、天子ノ御衣ヲツカサドル官府ナリ、此尺ハ本朝禁裏ノ御衣ヲ調進スル高倉家ノ呉服尺也、其長大尺ノ一尺二寸五分ニアタレリ、今俗間ノ呉服尺ハ、只匠尺ノ一尺二寸ヲ用フ、勢州ノ俗、ナホ古法ヲ失ハズシテ、十二寸半ヲ用ヒ、海鰌ノ鰓骨ヲ以テ作ル、コレヲ俗ニ鯨尺ト云、世ニ海鰌ヲ鯨ト呼ガ故也、

〔尺準考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0019 本朝裁尺〈本名呉服尺、一名鯨尺、○中略〉 今之朝紳高倉藤公、自【Kレ】古傳【K二】呉服尺【K一】以至【Kレ】今、調【K二】進主上御衣【K一】者即此尺也、以【K下】其用【K二】海鰌骨【K一】造【K上】故又名【K二】鯨尺【K一】、俗間弇陋、以【K二】其尺八寸【K一】恰當【K二】大尺之一尺【K一】、而猶餘【K二】二寸【K一】、不【Kレ】知【K二】其二寸之比大尺二寸五分【K一】、故遂誤作【K二】一尺 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0020 二寸之度【K一】、傳來既久、故後之作【K二】令集解【K一】、者妄名以爲【K二】高麗尺【K一】、而京商織嗇、名【K二】一尺二寸五分之度【K一】曰【K二】鯨尺【K一】、名【K二】一尺二寸【K一】者曰【K二】呉服尺【K一】〈○中略〉今則除【K二】京商【K一】外、天下皆用【K二】一尺二寸五分【K一】者、而奸商之衒【K二】鬻故衣敝裳【K一】者、往々猶用【K二】一尺二寸【K一】者、以欺【K二】貧窶愚庸之人【K一】、可【Kレ】歎也、俗間呼【K二】是尺【K一】曰【K二】加治介尺【K一】、加治介俗語凍縮之義、言【K二】寒凍而身縮【K一】也、取以擬【K二】大實大尺【K一】、極爲【K二】絶倒【K一】、

〔皇國度制考〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0020 令の小尺は、廣成宿禰の謂ゆる小量にて、今の曲尺なる事を知り、己に其本度を知ときは、令の謂ゆる大尺は、其小尺に二寸を加へたるなれば、其度は乃小尺の百二十分を百分に刻める尺なりと云こと、隨ひて思ひ定めらる、斯て本文〈○雜令〉に度【Kレ】地用【Kレ】大と有れど、地を度るにのみ用ひしには非ず、絹布の類も亦この尺を用ひたり、是を以て今も曲尺の一尺二寸なる尺を呉服尺と云ひ、また量地尺とも云傳へたり、

鯨尺

〔書言字考節用集〕

〈七器財〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0020 魚鬚尺(クジラザシ/○○○)〈當【K二】曲尺一尺二寸五分【K一】者〉

〔古今要覽〕

〈器財〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0020 釋名 くぢらさし〈この尺、鯨鰌の鬛を以て造るがゆへなり、しかれども今は竹木を以てつくるもの多くなれり、〉

〔律原發揮〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0020 鰌尺者以【K二】曲尺一尺二寸五分〈舊尺一尺二寸七分〉爲【K二】一尺【K一】、以【K二】鰌魚鬚【K一】制【Kレ】之、故名、

〔古今要覽〕

〈器財〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0020 鯨尺 くぢら尺のはじめ定かならず、永承の鐵尺などをや始とすべき、又高倉家所傳の裁縫尺も、この鐵尺とおなじ、又按に和名類聚抄に、竹量といふものみえたれど、寸分をしるさず、その裁縫具にのせたるをみれば、くぢら尺の事にやあらん、

〔乳母草紙〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0020 御ぞたちぬふ事、いやしきわざにてあらず、天照大神の御父母、いざなぎいざなみのみことよりはじまり、ゑやういろあひなどの事は、もんとくてんわうのきさきよりはじまり、住吉へ御參りの時、かのものたちのにつきをたてまつり給ふ、今のすみよしたちこれなり、それより 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0021 くじら(○○○)、くはのものさし(○○○○○○○)に、やなぎのかきいたを御もちひ候、

〔本朝度量權衡考〕

〈度〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0021 乳母冊子ニクヂラ、クハノモノサシトアルハ、鯨魚鰓又ハ桑木ニテ作リタル尺ト云フコトニテ、曲尺一尺二寸五分ノ鯨尺ニハアラズ、

〔雅筵醉狂集〕

〈春〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0021 藤花 咲花のはなのしなひをさしみればしかも鯨の三尺あまり(○○○○○○○) 伊勢物語に、あやしき藤有けり、花のしなひ三尺六寸ばかりなん有ける、鯨は金さしより長し、

〔風流曲三味線〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0021 帶とかぬ枕物語 禿の市彌、大臣の御乘物の見える程は立止りて、お土産に、鯨尺を買ふて來て下さんせといへば、雲八可笑く、鯨尺を土産に貰ふて何にすると問へば、大夫さまに、延びさんした客さん逹の鼻毛を度すと、是を大笑ひにして、機嫌能く廓へ歸りぬ、

〔獨語〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0021 婦女の帶は、金襴を美麗の限とし、黑地に梅櫻松を所々に織つけて、是を鉢の木の帶となづけて珍重しけり、廣さ僅に鯨尺の二寸ばかり、紙を心として、綿などいる丶ことなし、四月より八月迄、婦女の禮服に綿にて、廣さ鯨尺の八分ばかり成るを、後を結てたる丶を、つけ帶といふ、〈○中略〉男子も女子も十四五歳までは、長き袖を著るに、昔は鯨尺の一尺七八寸を極とせしに、貞享の比より二尺計になり、それより漸くます〳〵長くなりて、ちかき比は二尺四五寸になりぬと見ゆ、婦女の帶も、貞享元祿の比より、やうやく廣くなりて、今は鯨尺にて八九寸におよべり、綿を心として褥の如し、男の肩衣といふ物、昔は麻の幅、鯨尺の八寸ばかりなりしに、貞享元祿の比より、幅一尺におよべり

享保尺

〔地方新書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0021 或書に、〈○中略〉享保尺(○○○)はともに、曲尺より四厘を強くす、訛長なるべけれど、是亦一種の度 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0022 なり、

〔法規分類大全〕

〈一篇政體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0022 尺度種類廢置ノ議 享保尺 古ノ小尺ニシテ、今ノ所【Kレ】謂曲尺ナリ、然シテ今ノ所【Kレ】謂曲尺ハ、中世以降、器法訛替シ、長短一ナラズ、於【Kレ】是乎舊幕府德川吉宗、博ク之ヲ書籍ニ尋ネ、古今尺度ノ由來ヲ考フ、爰ニ古尺アリ、紀伊國熊野神庫ニ藏ス、乃チ出シテ之ヲ摸造シ、以テ原尺ト定ム、實ニ是享保年中ナリ、此尺爾後紅葉山寶庫ニ於テ火災ニ罹リ、今ハ則チ亡シ、先【Kレ】是書籍奉行近藤正齋、嘗テ之ヲ摸造シ、内田五觀ニ與フト云フ、五觀之ヲ藏スル久シク、今現ニ存セリ、此尺ヤ古ノ小尺タルコト明カニシテ、今ノ所【Kレ】謂曲尺ノ原ナリ、此度法、享保年中始テ世ニ明ラカナルガ故ニ、爾後此度ヲ享保尺ト稱ス、然シテ其坊間散布ノモノニ至テハ、其稱均シク享保尺ト雖ドモ、長短差等ナキ能ハズ、今其由來傅説、最モ正シキモノニ就キ、内田五觀所藏ノ尺ヲ以テ、此度ノ正器トス、 又四郎尺 中古尺工又四郎ナルモノアリ、多ク木匠矩尺ヲ造ルトイフ、近世又四郎尺ト稱スル者、其度法ハ蓋シ此ヨリ出ルナリ、然シテ木匠矩尺ハ、所【Kレ】謂曲尺トイヘドモ、コレヲ享保尺正器ニ比スレバ一尺四厘ナリ、享保尺正器ハ、コレマタ所【Kレ】謂曲尺ニシテ、其長短一ナラザルハ、蓋シ中世以降、尺度器法、或ハ伸長シ、或ハ縮小シテ、遂ニ其種類稱呼ヲ異ニスルニ至ルナリ、然シテ此尺ノ如キハ、其器法縮小ニ失スルモノナリ、然リト雖ドモ、此尺近世眞ノ曲尺ト並ビ行ハル丶ガ故ニ、乃チコレヲ一種ノ器法トシ、今ソノ比較ノ如ク、享保尺正器一千○○四分ノ一千ヲ以テ此度ノ正器トス、 折衷尺 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0023 往昔寛政享和ノ際、測量家伊能勘解由、享保尺ト、又四郎尺トヲ、長短折衷シテ此度ヲ造リ、以テ度地ニ用フト云フ、蓋シ中世以降、尺度器法、漸々訛替シ、種類紛雜、濫製百出スルニ至ルニ及テ、眞僞辨ジガタク、正否分クルニ由ナシ、於【Kレ】是乎長短折衷、以テ一時ノ便ニ供ス、亦是不【Kレ】得【Kレ】止ニ出ルノ度ナリ、然シテ此尺、長ト短トノ間ニアルガ故ニ、近世尺度器法ノ伸縮スルモノ、坊間散布ノ器ノ如キハ、之ト相密合スルモノ居多ナリ、斗量ノ如キハ、其製作、從來容量ヲ以テ準トスルガ故ニ、所用尺度ハ、頗ル杜撰ニ屬スルト雖ドモ、今之ヲ檢査スルニ、從來斗量ノ容量ハ、此尺ヲ以テ造ル幾ンド密トス、今其長短折衷ノ算ニヨリ、又四郎尺正器一尺二厘ヲ以テ、此度ノ正器トス、

念佛尺

〔本朝度量權衡考〕

〈度〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0023 今ノ曲尺ハ、唐大尺ノ三分訛長セシモノト知ルベシ、〈今ノ曲尺ニ、工匠ノ用フル、鐵尺ト竹尺トノ二ツアリ、竹尺ハ京ノ六條ニテ作ル、念佛尺ト云フヲ精好ナリトテ賞シ、他國ニテモ是ヲ摹シ造レドモ、工匠ノ鐵尺ニ比レバ七厘許長シ、〉

〔法規分類大全〕

〈一篇政體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0023 尺度種類廢置ノ議 念佛尺 嘗テ近江國伊吹山ヨリ、念佛塔婆ヲ堀出セシコトアリ、其塔婆尺度ヲ刻ス、乃チ之ヲ摸シ、以テ念佛尺ト名ク、此度法、享保尺ニ密合スト云フ、

量地尺

〔地方新書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0023 或書に、量地尺(○○○)念佛尺享保尺は、ともに曲尺より四厘を強くす、訛長なるべけれど、是亦一種の度なり、

〔法規分類大全〕

〈一篇政體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0023 尺度種類廢置ノ議 量地尺 古へ令ノ大尺ヲ或ハ量地尺ト稱ス、大寶令、度地大尺ヲ用フルガ故ナリ、今曲尺一尺四厘ノ度ヲ量地尺トナスハ誤ナリ、 

尺杖

〔長曾我部元親百箇條〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0024 掟 一尺杖(○○)之事、城普請其外何によらず、本間六尺五寸間たるべき事、附田地者可【Kレ】爲【K二】各別【K一】各事、〈○中略〉 慶長貳年三月廿四日 盛親〈在判〉 元親〈在判〉

間竿

〔田園地方紀原〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0024 町段畝步の考〈附間竿(○○)尺寸の考〉 勢州須瀨村渡邊六兵衞の家に所傅の太閤の檢地條目を書寫して贈らる、〈○中略〉 就【K二】伊勢國御檢地【K一】相定條々 一田畑屋敷、六尺三寸掉(○○○○○)を以て、五間ニ六十間、三百步を一反に可【Kレ】致【K二】檢地【K一】事〈○中略〉 文祿三年六月十七日 御朱印〈○中略〉 仁右衞門の筆記せる、古き書きもの丶内に、 太閤樣御檢地 文祿三年きのへ午年、一柳左近殿御打被【Kレ】成候、仁右衞門地方に御宿を仕、大縄に請申候、 古來檢地六尺坪にて 一〈長六拾間横六間〉 此步三百六十坪壹反なり 其後檢地六尺五寸坪にて檢地あり 太閤樣御檢地六尺三寸坪(○○○○○)なり 一〈長六拾間横五間〉 此步三百坪壹反なり 是六尺坪は、三百三拾步七分五厘に成、然ば元壹反にて、廿九步貳分五厘ヅ丶出也、

〔地方落穗集〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0024 檢地致方の事 一間竿は、長一丈二尺二分也、末三尺の内へ目をもり、外は一間ごとに、切廻しをして墨を入る也、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0025 但二分は土入也、竪竿横竿兩人也、竿取一人ニ、百姓一人宛付ケ、數の合よみをさするなり、

〔善庵隨筆〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0025 西土の人は、步瑣細の事迄も、何くれとなく記載し、餘す所なき樣なれど、文に過ぎて、反りて實を失ふ幣あり、邦俗は文足らずして、傳ふべきをも傳へざる幣ありといへども、朴實舊を守るより、反りて古を存し、考證の資けとなることあるなり、今一事を擧げていはヾ、吾邦古へ唐制に倣ひ、尺に大小の二樣あり、大尺の一步は五尺、小尺の一步は六尺、これ五尺六尺と、名を異にする迄にて、大尺の五尺は、小尺の六尺、小尺の六尺は、大尺の五尺にて、度の長短に變りはなし、たヾ地を度る尺杖は、大尺の五尺を用ふることにして、雜令に、凡度【Kレ】地五尺を爲【Kレ】步とありて、定制の樣に思はるヽなれど、時に臨みて小尺を用ふることもあるにや、令集解に、和銅六年二月十九日の格を引きて、其度【Kレ】地以【K二】六尺【K一】爲【Kレ】步とも見えたれば、當時大小の二樣、とり交ぜ通用する事なりし、御家にては、紛はしき故を以てにや、慶長年中より、概して小尺の六尺を用ふる制度と爲し給ふめれど、昔より大尺の五尺を以て檢地せし所は、別に檢地帳を書き改むること無きも、其儘にて差し置かれ、若し新に檢地するときは、必ず御定法通り、六尺一步の間竿(○○○○○○○)を用ふるにぞ有りける、然るを地方懸りの有司、文字無きゆゑ一步を一分と心得違ひし、間竿に一分の有餘を加へ、一間六尺一分とし、二間竿にして、一丈二尺二分を用ひしより、遂には御規定の樣に心得、今日に至りては、六尺一分、天下の制度となりたり、廣大なる地面の上にて、何の損益ありて、一分を加へ給ふの理あらんや、六尺一步なればこそ、今に檢地帳奥書に、六尺壹步之間竿を以て、壹反三百步の積御檢地相極と書き來ることなるを、或人の六尺一分と書きて、指し出だしヽことの有りしに、該府にて、壹步と書く仕來の法に相違するとて、步の字に書き直し被【K二】申付【K一】之由、故に縣令も其跟官も、何の故とも知らず、只此步の字のみに限り、分の字に書くまじきことの樣に心得、堅く先規を守ることにぞ有りける、若し容易に分の字に書き 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0026 改めなば、今日に在りて、誰か六尺一步の步なることを知るべけんや、

〔日本永代藏〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0026 煎じやう常とはかはる問藥 大工、〈○中略〉袖口のきれたる羽織のうへに帶して、間棹杖に突も有、

弓杖

〔古今要覽〕

〈器財〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0026 弓杖(○○) 小笠原特長射禮私記云、數づかのたかさ一尺二寸、〈金の定〉前と後との間、弓杖〈はづし弓のさだめ〉一杖にうちて、のちの數づかを一尺五寸、的の方へよするなり、

〔秦山集〕

〈雜著甲乙録三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0026 口訣曰、弓長七尺五寸、曳則一丈五尺、三五之數也、神代矢長五尺、弓之三分一以爲【Kレ】矩、都翁〈○保井春海〉曰、此説非也、弓曰【K二】弓杖【K一】、是長量也、以【K二】鈔尺【K一】定之、豈故實哉、弓長人々不【Kレ】同、皆用【K二】長量【K一】也、矢今猶用【K二】長量【K一】、用【K二】四指【K一】量【Kレ】之、曰【K二】十一束、十二束及幾布世(フセ【K一】)、可【Kレ】見、

〔貞丈雜記〕

〈十弓矢〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0026 一弓の長サ七尺五寸と云事、京極大雙紙に云、弓は我々が手にて七尺五寸也と云、大ゆびと、人さし指をのべて、其長サを五寸と定て尺をとる也、〈(中略)これをおのがたかばかりと云也〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0026 つよくゆびをひらかず、又かヾめず、ゆるやかに指をひらく也、 大指、人さしゆびをのばして、大ゆびのかしらより、人さし指の頭迄を五寸と極る也、 一寸と云は、人指ゆびをかヾめて、中のふし間をあてヽ一寸と定るなり、

尺サシ

〔貞丈雜記〕

〈十三馬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0026 一馬のたけをさす物を尺さし(○○○)と云也、尺杖とはいはぬ也、弓握記〈一名弓馬秘書〉に見たり、〈尺さしを馬の肩の通りに立て、志ゆみの髪の所に横に木をあてヽ寸をとるなり、〉

裏尺

〔律原發揮〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0026 曲尺有【Kレ】稱【K二】裏尺【K一】(○○)者、即以【K二】方一尺斜弦【K一】、強爲【K二】一尺【K一】、當【K二】表尺一尺四寸一分四釐二毫有奇【K一】、算法一尺、自乘得【K二】一百寸【K一】、倍【Kレ】之平方開【Kレ】之而得【Kレ】之、嘉量腹徑合【K二】此數【K一】、圓内容【Kレ】方、以【K二】其斜弦【K一】、直爲【K二】圓徑【K一】也、

〔倭訓栞〕

〈前編十佐〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0026 さしがね 矩なり、〈○中略〉うらのめは、算法の勾股弦をうつしたる也、是をうらがね(○○○○)といふ、大かねと稱する者は、木をもて造れり、勾股弦の矩なり、 

〔增字番匠往來〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0027 曲尺裏目之事 曲尺は裏目一尺の處にて、表目壹尺四寸壹分四厘貳毛餘あり、是を一四一四二の法といふ、其出所在左の如し、 一尺四寸一分四厘二毛ヨ  一尺  一尺四寸一分四厘二毛ヨ  一尺 右圖の如く、一尺四方の隅より隅に尺を當る時は、一尺四寸一分四厘二毛餘あり、是を曲尺の裏目とす、裏目の遣ひ方は甚ひろし、番匠家各辨へ居べき事故、爰に略す、V 數學類聚

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0027 匠工のまがりがねの裏に、一種の物さしあり、是を匠工の言葉にうらがねと呼ぶ也、其おこる所を知らず、黍法にも非ず、前の七代の種にも合せず、甚不審也、表に彫付たる曲尺に比すれば、一尺四寸餘有るを十寸とし、寸毎に十分に彫割たり、此十寸を一尺としたり、其寸毎に一字ずヽ彫付く、一尺に十字有り、神佛家の文にも非づ、何歟もの〳〵しく見へたり、故に予匠に問へば、匠答て唐尺なりと云ひし也、其起る所を問へば知らずと答ふ、其後また一人の匠に問へば、是も又唐尺也と答ふ、又其與る所を問へば是もまた知らず、其後匠毎に問へども知らざる也、其用法を問へば、秘密なりとて云はず、おもての曲尺一尺四寸餘にくらべて、裏は一尺にしたるを 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0028 以て按ずるに、是は算法にて、常に用る斜徑と云ものなるべし、一尺四寸一分四厘二毛の數也、俗に升の弦がねと云て、四方一尺ヅヽに四角なるときは、其角より角へ斜にわたる尺は、一尺四寸一分四厘二毛有る也、是を算法にて、斜徑一四一四二の定法と云ふ也、此長さを彼裏がねにて十寸にして、寸毎に十分に彫りて、一尺に用ひたるなり、扨また其遣ひかたを秘して云はざれども、按ずるに裏がね一尺にて、すじかへに有る所は、方面の寸は、表の曲尺にて一尺有る也、うらがねにてすじかへに九寸九分有る所は、表の曲尺にて九寸九分方面有る也、椽頬など、二方へ廻りて有る所のすみのすじかへ、或は屋根の方形の角に登り梁など云もの、皆此かたちを持て、うらがねの法を帶びたり、其外方面へ鐵矩尺を以て、寸尺を見んとしても、物の障りて得叶はざる時には、其所のすじかへの所を、彼うらがねにて寸を定めて、方面の寸尺を知る也、 斜徑の圖  マスノツルガネ  同  同  裏がねニテ五寸アリ  升のつるがねと云は此すじかへ也  方面  方面  表ノ曲尺ニテ五寸アリ  表ノ曲尺ニテ五寸アリ 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0029 是は算法にて、鉤股弦と云章術ありて、夫より出して斜徑の定法を一四一四二と定め置て、初學の者を道引きて、習ひ學ぶにこヽころ安くせん爲也、匠工は算法は知らざるもの故、右の圖の形ちある事を伐り刻み作るとき、彼うら表の尺にて業をなすなり、曲尺に當るに、四寸餘長きは、異國の尺には一色もなし、又或人、此尺は本朝一種の物さしと云ふ、是も大なる誤也、全く匠工等が、己 前ニ同  同  同  斜徑 裏がねにて九寸九分有り  方面 曲尺九寸九分有り  方面 曲尺九寸九分有り 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0030 が業のなしよき爲に、我儘に作たる寸尺也、正しき證據有る物さしにては決してなし、加樣のものさしを作るならば、此外に數々物さしの新作自由也、平圓形の圓徑の寸も、廻りとさし渡りとを、裏表の尺にて、同寸になるやふに割合せて作り遣ふべし、是はさしわたり九寸の平圓は、廻りは二尺八寸四分四厘也、是を十寸に刻みて、寸毎に十分ヅヽにすれば、重寶なる物さし又一種出來て、其職々の工人等悦ぶべし、又三角方面の中徑を初として、五角七角以上、立圓の中貫、卵形飯櫃三錐方錐などの中貫の尺等を作りて、夫々に本朝一種の物さしとか唐尺とか名付けて、物知らぬ族に信仰させんとならば、數も限りも有べからず、身に餘力さへあらば、一生盡る事なかるべし、芋賣の升量、小者部屋の飯衡を察し給へ、

文尺

〔律原發揮〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0030 文尺(モンキ/○○)者、以【K二】曲尺八寸【K一】爲【K二】一尺【K一】、算【K二】韈子【K一】用【Kレ】之、其寸大率、合【K二】錢一文徑【K一】、故名、

〔成形圖説〕

〈十四農事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0030 物指(モノサシ)〈○中略〉 文尺〈曲尺八寸、是寳永通寳錢の徑八分なるを、十文合て尺にせし也、尺を伎と讀は、八寸の寸(キ)の國訓に由れり、〉

〔本朝度量權衡考〕

〈度〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0030 文木〈襪尺ナリ、令俗錢ヲ以テ藏ノ長サヲ度リ、何文ト定ル故、錢ノ徑ヲ一寸トシテ作リシ度ナリ、故ニ俗ニ文木ト云フ、然レバ此尺ハ即寛永錢尺ナリ、寛永錢ノ徑ハ開元錢ト同ジケレバ、暗ニ唐ノ小尺ニ合ヘリ、〉

〔數學類聚〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0030 本朝の商家に、足袋を鬻ぐを見るに、一種の物さし有り、十分を一寸として、十寸を一尺とする也、其一寸をば一文と唱ふ、何其殿の足袋は九文なり、又は九文半也、或は九文六分也、七分也など云て、彼ものさしにて、九寸、又は九寸五分、あるひは九寸六分をさすなり、其物さしの長さを見れば、曲尺の八寸ばかり也、或人醫法の骨度同身寸より出たる尺也と云ふ、按ずるに同身骨度ならば、何人にても、一尺ならば一尺にて、外の寸はあるべからず、大兵も一尺、小兵なるも一尺にて有べし、大兵小兵に拘らず、誰れも々々々、九寸なりとも十寸なり共、一色に定るべし、是は其人々の骨髄、或は乳のひらき廣さ、目の間ダ、指の節の間などより割り出して、短きも一寸、長き 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0031 も一寸と、其人々の大兵小兵に隨ひて、一寸に長短を爲すゆゑ、背の何所の寸は誰にても四寸は四寸と定め置、又足の何所々々の寸は、誰にても何寸也と定めて違ふ事なし、既に其人々の臂に競べて、足袋を作ると云ふ事あり、是らこそ同身寸とも云べけれ、先に物さしを一種こしらへ置て、大兵小兵、其人々に隨て、寸の數に多少有るは、骨法と云ふにてはなき也、此物さし曲尺にて八寸計りあるうちへ、十分十寸を置たるを以て見れば、前の夏の尺なるべし、かの黄鐘管の長さ也、唐の武德四年に錢を鑄る、開元通寶是なり、此錢は今爰にあり、日本の秤にて、重さ一匁目有り、又日本曲尺にてわたり八分有り、十錢並べて八寸有り、曲尺の八寸は夏尺の一尺也、曲尺八分は夏尺にて一寸なり、然れば此開元錢一文は、彼物さしにて一寸なる故、一寸を一文と唱へて、足袋を商ふと見へたり、開元錢のわたりに合ふ故のことば成べし、

菊尺

〔數學類聚〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0031 本朝流俗に菊ざし(○○○)と云ふて、一種の物さし有り、是は菊の花の寸をさす物さしにて、其長さを見るに、日本曲尺にて六寸餘ばかりある也、或人是を陶淵明が用ひたる尺也、晉の尺也と云ふ、又彭祖の用たる物さしにて、漢の尺也と云ふ、淵明菊を集めて、花の隠逸なるを翫びしと云ふ事有、陶淵明は大隠の賢人にて、虎渓に隠居して獨り摘菊を樂しみし事は聞及ぶ也、是は野生の菊花を賞翫せし成るべし、花壇花欄にhttp://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001b429.gif し、己れが作り立て、咲たる菊を、かの物さしにて、花のわたり一尺有か、或は一尺に一寸越えたか、二寸に至りたかなどヽて他人の持たる花よりも過分に大きなる事を悅びて、勝を得たりなどヽ自慢したる事は聞及ばぬ事也、又彭祖ハ灑縣山〈江〉配流せられて、菊を友として、八百歳を壽せりと云ふ事は、小兒も知るなれども、是は周の穆王の枕をば持居たりしなれども、物さしを持たるは畫にも見たる事なし、彼物さし、日本曲尺にて六寸餘有るは、いかさま武王八寸を尺とすると云ふ尺にて、黄鐘管の長さを五段として、段を捨たる尺有り、前に委く出しあらはしたる也、是夏尺の八寸にて日本曲尺に六寸四分なり、漢尺と 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0032 云ふは誤なり、前に云ふ如く、日本曲尺にて漢の尺をはかれば、八寸八分餘に當る也、しかしながら證據なければ、必ず武王の尺也とも定め難し、未【Kレ】考、

長尺

〔多聞院日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0032 天文十二年四月廿九日、ヘンサン長尺(○○)に五丈ヲ、三百七十五文ニ買テ、ハリトノヘ遣之、絹尺に五丈七尺、五寸ありしが、一尺六寸ナラデハ不【Kレ】餘、

〔古今要覽〕

〈器財〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0032 多聞院日記に、長尺といふものあり、日記に就て之を按ずるに、曲尺一尺一寸五分にあたるものにして、即今南都にてひさぐ甲冑用鷹尺といふものヽ類にやあらん、

古尺

〔本朝度量權衡考〕

〈度〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0032 古尺ノ今世ニ殘リ傅ハル者ヲ求ムルニ、大和國法隆寺ニ象牙尺アリ、聖德太子ノ遺物ナリト云傅フ、吾友松崎慊堂、〈復〉コレヲ唐ノ鏤牙尺ナラント云ヘリ、コノ説據リ信ズベシ、然ラバ聖德太子の遺物ニハアラデ、遣唐使歸化人ナドノ將來セシモノヽ、寺家ニ入リシガ傅ハレルナラン、〈長サ今ノ曲尺ノ九寸八分弱ナリ、陸奥國耶麻郡大寺村ノ慧日寺ニ、瑠璃尺ト云ヘル尺ヲ藏ス、平將門ガ女、如藏尼ノ遺物ナリト云傳フ、其摹造シタルヲ見シニ、大體法隆寺ノ尺ト同ジ、タヾ法隆寺ノ尺ハ紅ニ綵リタルヲ、是ハ青ク綵リタルガ異ナルノミ、其質ハ牙尺ナレドモ、青キニヨリテ瑠璃尺トハ云フナリ、其長サ法隆寺ノ尺ニ比レバ、四釐許長シ、是モ唐ノ鏤牙尺ナルベシ、〉即唐ノ大尺ナルベケレドモ、儀物ニシテ用尺ニアラザレバ、據トナシ難シ、〈○中略〉又古キ寺々ニ、律尺トテ藏スルアリ、〈律トハ、釋家ノ法律ノ律ニテ、音律ノ律ニハ非ズ、〉予〈○狩谷望之〉其摹ヲ得シハ、叡山尺、〈曲尺七寸六分強、背ニ山門僧惠定、於寶乘院【K一】寫トアリ、〉高野尺、〈曲尺七寸九分強、背ニ寶永九年、於【K二】高野山【K一】酬恩庵、僧久竺寫トアリ、〉東寺金蓮院尺、〈曲尺八寸一分強、背ニ大師所用之トアリ、〉槇尾尺、〈曲尺八寸二分弱、背ニ東寺一體トアリ、〉泉涌寺尺、〈曲尺八寸二分、俊芿國師、將來ノ物ト云傳フ、按ズルニ、泉涌寺長典筆記ニハ、周尺事、當世流布ニ有【K二】三不同【K一】佛所ノ用ハ、金尺ノ八寸ナリ、建仁寺ノ相傳ハ八寸二分ニ餘ル、當時ノ相承ハ八寸一分半ナリトアリ、此筆記ハ、文龜永正ノ間ノモノナリ、今彼寺ノ尺ヲ摹シタルヲ計レバ、八寸二分ナルニ、長典ハ八寸一分半ト云ヘリ、其校セシ長サ、半分ノ異アルハ、其頃既ニ訛長ノ曲尺アリテ計リシニヤ、中根璋ガ、律原發揮ニハ、八寸二分有奇ト云ヘバ、余ガ得シ摹尺ノ訛長シタリシニハアラザルベシ、〉大安寺尺、〈曲尺八寸二分半、背ニ康永二年九月十四日、以【K二】大安寺寶藏本【K一】寫【Kレ】之、於【K二】西大寺二聖院【K一】、尊照法師寫【Kレ】之、大師將來御什物之内也トアリ、〉法壽庵尺、〈曲尺八寸三分、背ニ南都瓦釜町、法壽庵律尺トアリ、〉生駒長福寺尺、〈曲尺八寸四分、背ニ延寶七年己未、於【K二】和州金龍山長福寺【K一】作トアリ、〉コレ等ナリ、

〔聖德太子傳私記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0032 周世尺(タカハカリ)〈先生所持〉象〈ノ〉牙〈ヲ〉染〈メ〉作〈ル〉、〈色赤普通鉤金(マカリガネ)〉五寸者平(ヒラニシテ)一分者無、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0033 此尺者、番匠等鉤金(マガリカネニハ)二分短、

〔律尺考驗〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0033 上宮太子ノ古尺(○○○○○○○) 和州法隆寺ハ、上宮太子ノ宅、斑鳩ノ宮ノ舊跡ナリ、寶藏ニ太子の遺物多シ、中ニ周尺ト云モノアリ、余南都ノ相知レル人ニツケテ、其尺樣ヲクハシク摸シ取テミレバ、象牙ヤウノ物ヲ赤ク染テ、花文ヲ刻、机上ノ壓尺ニ造リタル物トミユ、其長サ御府ノ古尺ニテ、一尺二寸五分ニアタリ、外ニ二厘バカリ強 シ、其生目ハナケレドモ、兩方ノソバニ、四花ノ細點各廿一アリ、其間ヲ五分アテニシテ、首尾一尺アル物ト示シタルナラン、一端ニ五段ノ寸ヲ刻ム、コレ即世ニ太子ガネト稱シテ、大和番匠の用ヰ行ヘル、工匠曲尺ノ定本ナリ、其末ハ匠尺ノ五寸ニタラザル故ニ、寸ヲキザマズ、〈○中略〉彼等ニコレヲ周尺ト云コト、浮屠氏古尺ノ通稱ナリ、元祿八年、法隆寺ノ寶器ヲ京都ヘモチ來リテ開キケル時ニ、此摸尺ヲ以テ本尺ニ比校シテ、少モタガフコトナカリシ也、

〔尺準考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0033 檢【K二】和州法隆寺所藏紅牙尺(○○○)【K一】、其長當【K二】今尺九寸八分【K一】、正面四邊一二釐、縁以【Kレ】方界、界中之度、當【K二】今尺九寸七分二釐【K一】、與【K二】隋市尺【K一】同也、其一端雕【K二】五段之寸【K一】、當【K二】今尺五寸弱【K一】、開元大尺五寸也、其一三五段雕【K二】五出花文【K一】、二四段雕【K二】花鳥雜文【K一】、其一端不【Kレ】刻【Kレ】寸、當【K二】今尺四寸七分二釐【K一】、惟雕【K二】花鳥雜文四【K一】巳、其底無【K二】方界【K一】、亦惟雕【K二】七鳥六花【K一】、其長當【K二】今尺九寸八分【K一】、兩側各刻【K二】四花細點二十【K一】、上下側各一、蓋唐六典少府之屬、中尚監所【Kレ】獻鏤牙尺、而白居易所【Kレ】謂紅牙爲【Kレ】尺、白銀爲【Kレ】寸者也、〈○中略〉雖【Kレ】不【Kレ】知【K二】其所【K一レ】起、、而載在【K二】六典【K一】、則其肇【K二】於開元改尺之前【K一】者審矣、故其後所【K二】造進【K一】之尺、改用【K二】開元之寸【K一】、而其度則仍用【K二】隋尺【K一】歟、唐肅代間、猶及【K二】我寧樂御字之朝【K一】、故傳入【K二】於我【K一】、而藏【K二】於法隆寺【K一】歟、要【Kレ】之非【K二】上宮太子所【K一レ】御也審矣、此乃一尺、而隋唐之度備、其亦奇矣、

〔古今要覽〕

〈器財〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0033 常用の鐵尺古昔の度に差はざる事 或人また問ふ、今の世に用ふる鐵尺、すなはち皇國固有の度にて、齋部氏より世に傳はると云ふ 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0034 こと、然もあるべし、然れどもその度、いにしへを差へず傳はれりと云こと、何を據として知れる事ぞ、答ふ、大和國法隆寺に、聖德太子の納め置給ひしと云ひ傳ふる象牙尺あり、この尺のこと、先輩も何くれと云ひ置たれども、大かたは眞物を見ずして云る説どもなれば誤り多きを、己いにし寛政四年にかしこに至りて、親しく其眞物をみて、手づから摸寫し來れるが、全體は象牙にてつくれる尺にて、すべてを薄緋に綵色して花鳥を畫き、一寸より五寸まで刻めるが、全く今の鐵尺に合へども、その以下は刻なく、曲尺の五寸に三分足らず、上の五寸とを合せて九寸七分あり、これを或は周尺なりと云ひ、或は西土ものヽ如くいへる人の多きは、凡て皇國の故實にうとく、かつ彼國の尺度の由來にも聞き故なり、西土の尺の由來、以下に附録す、其故はこれ全尺にあらず、古尺の本樣を殘せる物にて、その面に五寸のみ刻みて、以下を略せるは、五寸を倍して尺をしるに足り、寸度だに得れば、分またおのづからしらるヽ故なり、然ればその餘りの材は用なけれど、有るにまかせて其足り足らぬに拘はること無く、共に花鳥を畫きて美觀にそなへ、後來の龜鑑に納置給へる物と見えたり、然るに法隆寺古今目録抄に、此尺者、此【K二】番匠等鉤金【K一】短二分とあり、二分はきはめて三分の誤字なり、さて此抄にかく云へるは、此尺たヾ上の五寸のみ正寸にて、其以下は餘材を存せる物なるに心づかず、一尺の全形とおもひ誤りてかくいへるなり、

〔東大寺獻物帳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0034 紅牙撥鏤尺(○○○○○)二枚 綠牙撥鏤尺(○○○○○)二枚 白牙尺(○○○)二枚 ○按ズルニ、此ノ三種ノ尺ハ、共ニ法隆寺ノ象牙尺ト同ジモノナルベシ、而シテ紅牙尺、綠牙尺ニ刻スル所ノ度ハ、寸目ニシテ、白牙尺ニ刻スル所ノ度ハ、分寸ノ目ナリ、 

〔觀古雜帖〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0035 百萬塔并塔中所【Kレ】納陀羅尼 小巻無【Kレ】軸、紙高各一寸八九分、但天平尺(○○○)也、天平尺ハ今ノ曲尺ヨリ十寸ニシテ二分短シ、次下分寸ヲ云モノ皆用【Kレ】之、

〔續日本紀〕

〈二十稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0035 寶龜元年四月戌午、初天皇八年亂平、乃發【K二】弘願【K一】、令【Kレ】造【K二】三重小塔一百萬基【K一】、高各四寸五分、基徑三寸五分、露盤之下、各置【K二】根本慈心相輪六度等陀羅尼【K一】、至【Kレ】是功畢、分【K二】置諸寺【K一】、

〔地方新書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0035 法隆寺の百萬塔のこと、〈○中略〉余嘉永辛亥九月、色川氏をとひ、同氏家藏の百萬塔をはかり見しに、今の曲尺と符合せり、さるを觀古雜帖に、天平尺は、曲尺より二分を短くすと云るは、失考なるべし、

〔律尺考驗〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0035 御府ノ竹周尺(○○○○○○○)、〈○中略〉往歳余コレヲ小倉藤亞相實起卿ニ聞ケリ、古來禁裏ノ御文庫ニ、竹ノ周尺アリ、弘法大師、入唐ノ時、彼方ヨリ佩テ歸リタル尺ト云傳ヘタリ、竹ニテ作リ、ウラニ周尺ト刻メリ、形色甚ダフルビテ、誠ニ千載ノ物トミユ、一トセ勅ヲウケテ、文庫ノ書ヲ晒シケル時ニコレヲ見テ、則謹テ委シク摹シトメタリ、其後寛文元年、内裏燒タル時、モトノ尺ハウセタリト、余ソノ摹尺ヲ亞相ニ請ヒ、ウツシ取テ、漢唐ノ錢ヲ以テハカリシニ、此尺即唐ノ准尺ニ合タリ、則此尺、梁ノ表尺ナリ、此尺ヲ一尺二分一四餘ニワリテ、其一尺ヲ以テ、古周尺ト定ム、〈晋前尺とするなり〉後周鐵尺、此【K二】晉前尺【K一】、一尺六分四釐トアリ、唐小尺、即此尺ト同ジキ故ニ、考定ノ古尺ノ一尺六分四釐ヲ以テ、唐ノ小尺ヲ定メ、小尺ノ一尺二寸ヲ以テ、唐ノ大尺ヲ定ム、大尺ハ古尺ノ一尺二寸七分六釐八毫ニ比シ、古尺ハ大尺ノ七寸八分三釐二毫ニ比ス、又此古尺ヲ以テ、何レノ證跡ニクラベテモ、皆合ズト云コトナシ、然レバ、此尺ノ梁ノ表尺ニ出テ、唐ノ准尺タルコトハ、其疑ナキモノ歟、是ヲ周尺ト云ツタヘタルハ、凡古代ノ尺ヲ、佛氏ハ皆周尺ト稱スルガ故ナリ、

〔槐記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0035 享保九年五月九日、三器通考拜借ス、尤秘スベキ由仰ラル、ソレニ付兼テ仰ラルヽ通リ、日本 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0036 ニテハキト知レザルモノハ、御府ノ周尺ナリ、法隆寺ノ尺モ、シカト周尺トモ定ガタシ、御府ノ尺ヨリ長シ、御府ノ周尺ハ六寸四分弱、法隆寺ノ周尺七寸餘アリ、シカレバ迚モ尺ト云モノニハ證ニシ難シ、何ゾ外ノ器ニテ、コレガ三寸アル器也ト云モノガ出レバ、代々ノ尺ヲソレニ合セテ、三寸ニ當ル尺ヲ何ノ代ノ三寸ト究メテ、ソノ世カラワリ出スヤウニスレバ、終ニ成ルベキコトナリ、是ニ付テ淡海公ノ令ニ載タル、天皇ノ内印外印ト云モノアリ、御所ニモ其璽ヲオサレタル者アリ、コレガ令ノ寸法、内印三寸外印二寸八分トアリ、コレニ代々ノ尺ヲ合セテ見レバ、漢ノ尺ガ丁ド當ル、是ヲ本ニシテ、代々ノ尺ヲワリ出スカラハ、成ソウナモノ也ト仰ラル、

〔古今要覽〕

〈器財〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0036 御府周尺 御府竹周尺は、高野大師の將來する所にて、御府に傳はりしを、小倉大納言實起卿のうつされしものとて世にも傳はり、律尺考驗にもしるせり、さてその眞の御尺は、寛文元年に燒失せしよしいへり、その寸分を校するに、曲尺にて七寸九分八釐九毫五絲許にあたる、周尺といふは用ゆるにたらず、唐の准尺なりといふはしかるべし、たヾし准尺は曲尺の八寸にあたるものなり、此尺一釐○五短し、然るに此尺を梁表尺なりとし、以て十五等尺をもとむるは、あやまれるなるべし、

〔近聞寓筆〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0036 奥州會津慧日寺、平將門女爲【Kレ】尼、是爲【K二】第一世【K一】、有【K二】所【Kレ】遺古銅尺(○○○)一枚【K一】、中間有【K二】鼻柄【K一】可【K二】把持【K一】、其尺長與【K二】今曲尺【K一】相近云、奈佐隅東〈勝皐〉説、

〔古今要覽〕

〈器財〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0036 惠日大寺瑠璃尺(○○○○○○○) 惠日大寺は、陸奥國耶麻郡にあり、此尺相傳へて、相馬將門が第一女、如藏尼が遺物也といふ、その形は大かた法隆寺の牙尺にたがふことなし、即一寸より五寸にいたるまでは、全く今の曲尺にて、その末は寸を畫せず、法隆寺の尺に比すれば、一分五釐長きなり、〈曲尺にて二分不足〉角を用ひて造り、その面に花鳥、側面に香草を晝きし樣など、大概おなじ、但多く藍色を施せし故に、土俗これを瑠璃 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0037 尺といふ、瑠璃もて作りしにはあらず、これもまた唐の鏤牙尺なるべし、〈背に十二支を畫けり、寅に始り丑に終る、〉 大安寺周尺(○○○○○) 大安寺に傳來せし尺とて、うつし傳へたる尺あり、その長曲尺八寸二分五釐、その底記によるに、高野大師將來のものなりとぞ、是もまたその寸分によりて考ふれば、令小尺の微短くなりしなるべし、令小尺は、唐朝にても周尺と稱せしなれば、そのまヽに傳へしならん、 法壽庵周尺(○○○○○) 南都瓦釜町法壽庵に、周尺とて傳はれる尺あり、その長曲尺八寸二分六釐五毫あり、蓋し令小尺の漸短なるものなるべし、 槇尾尺(○○○) この尺長曲尺八寸一分四釐四毫○七にして、寸分なし、その底記によれば、所【Kレ】謂肘尺にして、梵尺なるべし、肘尺は倶舎論に詳なり、然してこの尺、もと唐家の尺度より求めしにはあらず、廿四指を横に布を、一肘といふによるべし、然らばその人々の手指の大小にかヽはることなれば、高野山叡山等に傳はれる肘尺、みな異なるにてしるべし、 生駒寺律衣尺(○○○○○○) 此尺長曲尺八寸五分一釐有奇にあたる、是も例の肘尺なれども、その度は唐小尺を用ひしものの訛長せしなるべし、 高野山尺(○○○○) この尺長曲尺七寸九分三釐一毫五々、寸分なし、これもまた肘尺にして、その人の手指の小なりしなるべし、又按にこの尺の底記に、寶永九年の字あるによれば、この尺さしてふるきものにはあらざるべし、律尺考驗にのする、御府周尺といふものをうつせしにはあらざるか、御府周尺は、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0038 寛分前より、世にあらはれたればなり、 叡山尺(○○○) この尺長曲尺七寸六分弱、傳へて南山法尺といふ、南山は釋道宣をいふ、分寸を刻せざるをみれば、これもまた肘尺のみじかきものなるべし、

〔好古日録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0038 小尺 一故家傳ル所ノ古尺、〈以【Kレ】竹造【Kレ】之〉實ニ千年の古色アリト云、近光宿禰、嘗テ摸造ス、今ノ小尺〈即曲尺〉ニ短キ二厘弱也、按ニ上文ニ所【Kレ】謂周尺ノ一尺二寸、古尺ノ一尺〈曲尺八寸弱〉ナル者ト毫忽ノ長短ナシ、 古尺 延享中伏見ニ塾師アリ、田中某ト云、塾徒古銅ヲ以書鎭トスル者アリ、其尺和漢辨ズベカラズ、古色蒼然愛スベシ、其家久ク藏ル所ト云、曲尺ヲ以ハカルニ、八寸七分五厘ヲ一尺トス、何等ノ尺ナルコトヲシラズ、後ノ考ヲ俟、

雜載

〔人倫訓蒙圖彙〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0038 物指師(ものさしし) 鯨指は伊勢大坂より出す、竹指、京にてこれをつくる、所々にあり、周尺とて、代々唐の尺を考へ出すなり、

〔東大寺要録〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0038 延暦僧録文 仁政皇后菩薩〈諱安宿媛、尊號天下應眞天皇、○天下天平、天皇皇后誤、 出家尼名光明子沙彌 皇后、俗性藤原朝臣氏、父贈一位太政大臣藤原朝臣史氏之女、即勝寶感神聖武帝之后也、皇后在【Kレ】室、諮【Kレ】父入【Kレ】市、敎【K三】諸商人用【K二】於稱尺【K一】(○○○○○○○○)、于時日本未【Kレ】行【K二】稱尺【K一】、新從【K二】大唐【K一】得【K二】稱尺【K一】、所以皇后入【Kレ】市、敎【K二】人用【K一】稱尺【K一】、文曰、當助【Kレ】國宣【Kレ】風、權衡稱尺、非【Kレ】久各流【K二】天下【K一】、後帝納【Kレ】之卌爲【Kレ】后、號【K二】天平仁政皇后【K一】、

〔本朝度量權衡考〕

〈度〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0038 按ズルニ、〈○中略〉皇后ハ天平寶字四年春秋六十ニテ崩ジ給フ、聖武皇帝儲貳 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0039 タリシ時、納レテ妃トシ給ヒシハ、御年十六ノ時ナリト續日本紀ニ見ユ、然レバ皇后ハ大寶元年ニ生レ給ヒ、妃トナリ給ヒシハ靈龜二年ニテ、和銅六年ニハ御年十三ナリ、然ラバ皇后ノ家ニ坐シ時敎ヘ給ヒシハ、和銅六年改制ノ稱尺ナルベシ、尺ハ皇極天皇孝德天皇ノ紀ニ見エ、稱ハ齊明天皇天智天皇ノ紀ニ見エ、度量ヲ天下ニ頒タレシコト、文武天皇ノ紀ニ載セ、大寶ノ令ニモ、正シク度量權衡ノ制ヲ擧ラレタルヲ、思託〈○上文東大寺要録【Kレ】所載延暦録僧録文著者〉ハ唐人ナレバ、〈鑑真ニ從ヒテ歸化セシ僧ナリ〉皇國ノ典故ヲ知ラデ、和銅ノ時マデ皇國ニ稱尺無カリシヲ、皇后ノ始テ敎ヘ給ヒシト誤リタルナリ、其實ハ皇后ノ敎ヘ給ヒシハ、和銅改制ノ稱尺ニテ、此時稱尺ヲ始テ用ヒシニハアラズ、和銅六年ハ、唐ノ開元元年ニ當レリ、

〔東大寺要録〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0039 最初法式章第一 先著【K二】東大寺【K一】、〈○中略〉堂達等小十師、於【K二】講堂前【K一】持【Kレ】尺(○○)、令【Kレ】著【K二】衣鉢座具針筒漉水嚢等【K一】、所作之事、依【K二】律文【K一】敎訓既畢、

〔醍醐雜事記〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0039 一醍醐寺座主御拜堂日記〈治承三年〈己亥〉座主實○中略〉 鐘木兼日造儲事 工一人 堂童子三人〈食料米各一斗下之〉 懸緒料本尺(○○)白布三反 本尺麻布三反 今日、上醍醐准胝堂鐘木不【K二】懸替【K一】、去年法印御房御入寺之時懸替、仍新http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/i000000000002.gif 〈○http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/i000000000002.gif 恐誤字〉之改不【Kレ】替云々、

〔我衣〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0039 寛保ノ比、將軍吉宗公御三男、從三位右衞門督宗武公、近臣ニ語テ曰、元文ノ比、荻生總右衞門〈徂徠先生〉ヘ、唐尺ノ本寸吟味被【K二】仰付【K一】、唐尺ハ開元通寶徑リ八分、十錢ヲ以テ一尺ト定タリ、依テ其比開元通寶ヲ集ルニ至テ、大中小ノ不同アリ、何レヲ本寸ト定ベキト迷ヘリ、徂徠中ナルヲ用ヒテ曰、過不及ナシトシテ、中分ノ錢ヲ一寸と定メタリ、吉宗公是ヲ本トセリ、宗武公是ヲ不審シテ曰ク、夫玄宗、錢ヲ製スルニ、役人ニ命ジ下民ニ令【Kレ】製、然ルニ民小錢ヲ本トシテ、大錢ヲコシラユベキイ 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0040 ハレナシ、極テ大錢ヲ本トシテ、次第々々ニ錢ニ鑄タルニ紛レナシ、予ガ本寸トスル者ハ、大錢ヲ用ベキ者カトゾ仰アル、近侍臣我等如キ小身ナレドモカホド下情ニハ通ズルコト能ハズトテ、皆感心ストイヘリ、

〔勘者御伽雙紙〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0040 尺なをしの事〈六ヶ條〉 鯨尺を曲尺になをすには八分に割ばしるヽ也、 曲尺を鯨尺になをすには、八分かくればしるヽなり、 呉服尺を曲尺になをすには、一ヶ二分をかくればしるヽ也、 又三分をかけ、四をかくるも同じ斷、 曲尺を呉服尺になをすには、一ヶ二分にて割ばしるヽなり、 又三分に割、四に割も同斷、 呉服尺を鯨尺になをすには、九分六厘をかくればしるヽ也、 又三をかけ、四分をかけ、八分をかくるも同じ斷、 鯨尺を呉服尺になをすには、九分六厘に割ばしるヽ也、 又三に割、四分に割、八分に割も同じ斷、 右尺なをしの法は、女も裁物などに用ゐる事なれば、たヾしりやすからんことを欲て、術を二樣にしるすのみ、

〔數學類聚〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0040 日本に三種の尺あり、呉服尺、鯨尺、曲尺なり、呉服尺は、衣類を裁ち縫ひするにいにしへは用ひたる也、今世はくじら尺を用ゆれども、古へはくじらざしは用ひず、呉服尺を用ひたる也、くじら尺より五分短き尺也、此呉服尺は、曲尺を五つに切りて、六つよせて、其長さを一尺につくり、一尺には十寸づヽ也、一寸には十分づヽにしたる尺也、これは前條に云ふ所の周の例に准 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0041 じたる也、曲尺にては一尺二寸に當る也、くじら尺と云は、鯨魚の鬚にて作りたるゆへの名也、是は曲尺を四つに切りて、五つよせて、其長さを一尺にしたる尺也、是も一寸には十分づヽ有り、一尺には十寸づヽ有也、前に云ふ所の成陽の例に准じたる也、くじら一尺は、曲尺にては一尺二寸五分に當る也、今世通用、衣類を裁ち縫ひをするに用ゆる也、曲尺は、今世日本にて匠工の用ゆる尺也、則商の營造尺と同じ事也、くろがねを錬のべてつくるゆへに、かね尺と云ふ也、

〔經濟録〕

〈四律暦〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0041 日本ノ度ハ、唐ヨリ受傳ヘタリト云フ、昔ノ尺ハ、今姑略シテ論ゼズ、當代用ル處ノ尺四種アリ、〈○中略〉願クハ種々ノ尺ヲ止テ、萬事ニ曲尺一ツヲ用ル樣ニアリタキモノナリ、

〔槐記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0041 享保九年五月八日 兼テ指上置候、度量ノ考〈古譯通説〉御返シ、字ノ誤ドモ訂正ス、ソレニ付兼々御ウハサノ三器通考(○○○○)ヲ御カシアルベキノ由仰ラル、

〔田園地方紀原〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0041 町段畝步の考〈附間竿尺寸ノ考〉 本朝度制略考云、本朝古の大尺唐制を承たると云事、其明證なしと雖ども、法令萬緒、十に八九は唐に承たる事、律令以下にて見つべく、且後成恩寺關白、〈令抄〉及貝原篤信、〈和爾雅〉中村迪齋、〈三器攷略〉中根元珪〈律原發揮〉荻生徂來、〈度量考〉伊藤原藏〈制度通〉等の一公五儒も齊しく唐制に承たりと云ふ、 

〔尚古圖録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0042 法隆寺所傳鏤牙尺  曲尺九寸八分弱  東大寺正倉院所傳天平尺  按其一尺當曲尺九寸七分八釐 

〔類聚雜要抄〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0044 尺袋口形  中ヲツカヒニシテ筥ニ固付テ左右ヲ開也  又尺筥ト云  尺袋 長一尺二寸 厚四分半  弘二寸一分 紫檀地  巳上廻墨ハ銀筋金也  長一尺  弘九分半  厚二分  牙又紫檀用之  五寸ニ如此切目  五寸ニ牙ニハ繪計ニ書紫檀ニハ繪ヲ摺螺鈿

〔人倫訓蒙古彙〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0044 物指師 


Last-modified: 2019-03-15 (金) 09:48:59 (386d)