嬉遊笑覧
四/武事
武者修行、室町日記、義輝、三好お討るゝ虞亨度は丹州の兵こも、そのうへ方々に隠れ住ける牢人、または武耨修行にまか参出て、暫くの間方々に滞留しける武士などお摂あつめて雲々、羽尾記に、上州吾妻郡羽尾ざいふ山、里に、羽尾入道何某と雲侍あり、その三男海野能登守、新譬流の兵法およくこ、ろざし、力百人に割し、勇猛の侍なり、己が勇の人に勝れたるお以て、兄弟親族おかへりみず、古郷お去て、兵法鬱行に出る、猶至る慮毎に、武勇名誉おあらはす、〈此人永正遐年に生れ、天正七年に死ぜり、〉海上物語、〈明贋二年刻〉器量人に勝れたる大男、折しも六月のことなるに、羽二重のひとへ砌織に、大なる朱の丸お付、肩先より帯し迄に、兵法天下一、日本開山無双権之助と金お以て書きたるお著たち雲々、さて申けるは、関八州は不及申奥迄も修行仕り、手合お見候へ其、我にあはするものなし、故に西国かたへ兵法修行に罷下り候也雲々、〈是は宮本武蔵が、楕州飢石に佳めりし時、そこに此者訪来て、兵法在試み、武灘が弟子さなりし己あれば、慶長元和の頃にや、〉