甲子夜話
三
蕉軒雲ふ嵐俗の時に従ひ移易すること、其一お言はん、某が幼年のとき、毎春風鳶の戯お、今にた回想すれば、信に盛お極めしと雲べし、んのときは挙世一般のことゆへ、誰も心付く者も無おれ其頃は実家の鍛冶橋の邸に住しが、南は松平土佐守、北 松平越後守にて、土州の嫡子、越州の弟某と鼎峙して、各盛事お尽したわ、且又互に風鳶おからみ合せ、贏蝓せしときは、附の者伽の子共など計には無して、家中の若輩皆集りてかお勠せ、人々戯には無ほどの気勢にて、一春の間は誠に人狂するが如し、風巾の大なるに至おては、紙数百余枚に至れり、其糸の太さ拇指ほどもありき、風に乗じて上る時は、丈夫七八人にて手に革お纏ひ、かお極めてやうやくに引留たり、或時手お離さヾる者あるに、誤りて糸おゆるめたれば、其者長屋の屋脊へ引上られ、落て幸に怪我なかりしが、危事なりとて、家老より諫出て止たりしこともあり、流石土州は大家のことゆえ、種々の形に作り成したるもの数多ありしが、扇おつなぎたる数三百までに及べり、又鯰の形に作たるお某が争ひ得しに、其長な頭より尾までにて、邸の半ありける、風筝なども奇巧お尽し、鯨竹唐藤の製は雲までもなし、銅線などにて其瞽の奇なるお造れり、世上皆此類にて枚挙するに徨あらず、天晴風和する日、楼に上りて遠眺すれば、四方満眼中遠近風巾のあらぬ所は無き計なり、今は小児に此戯おするも少く、偶ありても、小き物か形も尋常なるのみなり、高処に眺階しても、数るぼ、とならでは見ず、かく誓世風も変るものかと雲ける、