p.0527 笠懸ハ、カサガケト云フ、其名ハ笠ヲ懸ケタ的ト爲シ、ニ起戸、鄒チ騎射ノ一ナリ、後ニハ板上ニ革ヲ張彡テ的ト爲シ、矢ハ蟇目ヲ用イ滓、馬場ノ中ニ一疽路ヲ鑿チ、以テ馬ヲ驪スルニ供シ、之ヲ蹠ト云ヒ、其首尾ニ扇形ヲ爲ヅ、以テ馬首ヲ轉ズルニ便ヌ、笠懸ニハ、遠笠懸、小笠懸ノ別アタ、的ヲ距ルコ噺ノ遠近ニ由リタ名ヅクル所ナジ、又鬮ヲ探リ敵手變定メ、以テ勝負ヲ決スルヲ鬮笠懸ト云ヒ、祕枇ノ祭祀ニ射ルヲ帥鏖笠懸ト云ク、其他百番笠懸、七夕笠懸等アヨ、此技ハ平定家ノ天喜五年ノ記、藤原明衡ノ新猿樂記ニ見エタレバ、奘由、テ塞レルコ噺久シ、或ハ以タ源賴朝ノ時ニ始毒ルト爲スハ非ナリ、
p.0527 笠懸〈最初懸笠豺之、後用庄的也、〉
p.0527 笠懸〈射法〉
p.0527 五日〈○治承四年四月、中略、〉賴盛の家にて、かさがけやぶさめなどつかうまつらせて御覽せさす、
p.0527 かさがけ 中右記に仰可射笠掛之由と見えたり、寬治年間の事也、もとは竹笠をかけて射しが、後戸遠笠掛と名づけ、的も何にても時に隨ひて用ゐけるよし、源大藏少輔の記に見えたれば、繪板に牛革を張たるなどは、いよ〳〵後の事なるべしといへり、又小笠掛あ り、遠笠掛も其に東鑑に見へたり、東國の風なりといへり、
p.0528 中君夫、天下第一武者也、〈○中略〉笠懸、流鏑馬、八的、三三九、手挾等、上手也、
p.0528 弓箭之藝者、〈○中略〉笠懸、犬追物、草鹿、圓物、是者爲武藝之奧域也、臨時不鯖被稽古也、
p.0528 笠懸 貞丈云、笠ガケ、賴朝ノ時始ニハアラズ、遙昔ヨリ有シナリ、但始ハ詳ナラズ、中右記寬治六年二月七日、加波多河原ニテ義綱朝臣ノ武士其笠懸射シ事見タリ、賴朝ノ代ヨリ百年バカタ以前也、遶笠ガケ、小笠掛ノ別アリ、的ノ製軍器考ニ見タリ、射法ノ事、武田、小笠原等ノ家ニ傳タリ、短紙禿筆ニ盡シガタシ、
p.0528 於吉田馬場、笠懸可有之候、堪能器量之仁、致精選之娠、馬具足、定被致其用意歟、
p.0528 一小笠がけのついでに、ほんの笠がけの事を申には、遠笠がけといふべし、
p.0528 一小笠懸の來歷は、伏鳥を射るより初たる也、然ば伏鳥の引目にて射たり共、苦かるまじき事歟、
p.0528 一遠笠釋始之事、右大將家〈○源賴朝〉の御時に、もろ〳〵の作物、品々遊されき、中にも遠笠懸、此御代より始れり、然に將軍あひざはの狩庭にて暮かゝるほどに、馬手ぎれの物をあそばしはづして、無念に被思召、多くの射手の中に、工藤庄司景光をめして、只今の物あそばしはつす事、無念に思召由被仰食ければ、景光馬より下て、馬と物とのさくりの間をうちて見るに九杖也、景光申旨はなくして、能思案ゑたる體にて、我馬にさしたるあふりをかた〳〵ぬぎて、物さくりの通に引たてゝかけ、是をあそばされて御了簡有べしと申將軍いかゞ思召れけるや、あいきやう〈○愛甲〉の三郎末方をめされ射させらる、、末方、馬の疏をはしらかし、すこしはむかへて是を射る、誠帥妙に仕たり、景光申樣、少はむかへて可仕よし申度候つれども、さる射手なればと存候つる、能仕たケこかんじけり、御意得有てあそばさるゝ、其後人々こぞりて是を射る、はじめは、あひびうと 云ける也、又左衞門督殿〈○源賴家〉御時、それも御狩の次に、竹笠をかけてあそばして、後に遠笠懸と新め名付られたり、始は的に何をも時に隨て用ける也、狩がへりのは山の麓などに、野筋のすぐなる所に、むらがりひかへたる射手ども、かたなづけの駒馬ども、のりはゑたて丶轡に黃なる淡かみいたさせたるを引おりたてゝはしらかし、箆〈○箆恐野誤〉矢にさしたる竹のねの引目にて、的に立たる扇の繪の白き所黑き所をさして射ける也、又貞應の頃、伊與、中將殿このみ給ひて、連錢つけたるふすべ的を用られける也、笠懸馬といふは、うてにたりつきなどして、物をきざむごとく、いかにもねる馬逸物也、
p.0529 一笠懸とばかり云は、笠懸の總名也、小笠懸にまぎれぬ爲に遠の字を付て云也、遠笠掛も小笠掛も、馬場の長サ、的間の程、同事也、然るに遠笠懸と云事は、小笠懸よりもはるか遠き昔より始るといふ心也、馬場的間などの遠きと云事にてはなき也、是秘事也と聞傳畢、昔遠笠懸計りにて、小笠懸無之だゞ笠懸と計云し也、後に小笠懸始りしによりて、昔の笠懸には遠の字を付て云也、まぎれぬ爲也、又遠笠懸も小笠懸も同じ類なるによりて、二品の總名を笠掛と計も云也、
一笠掛は、賴朝の時始る由、笠掛聞書に見えたれども非也、寬治六年二月八日、加波多河原に於て、笠掛射させられたる事、中右記に見えたり、寬治は賴朝の時代よりは、百年計の昔也、笠掛は古よりありしを、賴朝あらたに其法式を定められしなるべし、〈遠笠掛小笠懸霍もに、始る年月詳ならす、〉
p.0529 笠懸の事
一馬場さくりの遠さ一町、さくりの廣さ一尺八寸、深さ五六寸計なり、
一矢道の廣サ、弓杖一杖なり、
一的場の遠サ、弓杖九杖に打て、入杖に立、今程は七杖六杖計也、
p.0530 馬場たけ一町
四杖半
公方攤御矢馭愛にあるべし
うち入殀馬場すゑ
扇か亡のはしより九杖也矢道の廣サ一杖也此うしろの串より馬場末の扇
かたの縄存一尺八寸的の方へ
よぜゆがむべし
見物在所爰もよし 矢取ゐる所
的忘さじきの間二杖計有べし
日記付人
此邊成べし
にえ此邊に
がゝるべし
見物有所
矢代爰にふるべし
引目さくりなるべし
さじき也八風邃くりへむ
がふべしうしろへはいが
ほどもながくすべし
此うち上所馬場本扇かた
のはしより十七杖也
四杖半 一埓の高サ一尺五寸、黑もんじと云木にてする也、弓手の方に結也、結び攝有り、但弓手の方を男埓と云馬手の方にするをば女埓鵞云匙但埓ささくりの間、一尺五寸計也〈○中略〉
一馬場末馬場本同権に、馬を返す樣に有ベし、
一馬場本より後の串迄、三十三杖計也、但はづし弓の定也、
p.0532 一笠がけ馬場にあづちをつき候事有、引目とゞめのきは、うしろのくしの方にならべて、馬場本へむけてつくベし射、手馬場本の馬たつる所に立て、さくりをこして、すちかへて射る也、矢代をそのまへにふるべし、〈○中略〉
一らちのゆひ樣〈○圖略〉
小笠懸あ時は、馬場さか馬場也、埓はさくりきはよ夢一尺二寸許也、〈○中略〉
串とくしとの間、中黑より中まで五尺五寸歟、埓のふとさ一尺二三寸許歟、高さむすぶ物は藤をわりていゆひめは的のかたへむくべし、木は、くろもんじといふ木也、木のすゑ馬場につるゝ成べし、
p.0532 一馬場たけ肅町、あてやう獲傳有之、先後の串を立て、前の串を五寸はむけて立る也、一さくりの廣さ、上二尺、底一尺八寸、深さ六寸也、
一疏と云事は、根本前馬場におひて、馬を馳通して、其跡とをす間、疏宣號也、されば射ぬさきに先一度とをす事も、此いわれ也、口傳有之、
一埓の戸のかまち、ふささまわり肅尺、立ばしらは、あいだ貳尺計をきて可立、ふとさ、かいにぎり程よし、上の横かまちも同ふとさ、其上をぐうもんじ駆の柴にてがまち同はしらをもつゝみて可結、ゆひめは的の方にあるべし、此らち、矢道には有べからず、馬の足と埓の聞八寸也、〈○中略〉
一笠懸の馬場は、長さは一町也、是はほそ見の分なり、四町まちの内にて本末ゑあわすべし、馬か へす所より、的の後の串まで、三十三杖にして、其よう末、あり次第にすべし、
一馬場本のほそみより、弓杖三十三杖に打て、的のうしろの串を立べし、〈○中略〉
一笠懸の馬場のあてやう、先一町に絶を二筋引、二筋のあはひ二尺、さくちの廣なり、二筋の繩を馬手のなわを、弓杖一杖、弓手のなわをこして、いくゐを打、其くゐに繩を付べし、扨弓手の繩を、馬手のなわより二尺置て祝を打て、それに可付、釼矢道の邊よみ的の方へ、うつくしくならをゆがませて、こと〴〵く口傳あり、一大事也、〈○中略〉
一らちを俄にするに、黑もんじゆなくば、たゞの柴にてもくるしからず、又萩にてもくるしからず、是は秋にかぎりたる事也、返々たゞの柴にて、らちをゆふとも、少にても黑もんじゆをませて可然、是はむかしよりの大法也、らちのふとさは貳尺ぼか参、ゆひ物はねそなるべし、秘事也、ゆひやう、馬堤末など、總じてのやう以前に同事也、八幡宮馬場のらち、むかしのやぶさめの馬場らち也、〈女らち男らち〉とてやうあり、爾のはし、總じてらちの丈にこそあれ、同事なち、〈○圖略〉
的串黑かるべし、きりくみやう大的のござし、〈○中略〉
一笠懸の馬場の來歷の事、根本は浦にて砂の上を馬を萼をして、其跡をさくうといへ蔘、むまの足跡、犬の足跡、是をさくりと云、其跡を著て、笠懸の馬場出來也、隨而馬場のあてやう、大かた法量の物に是有蔘、馬場たけは四十丈、但し一丈の杖にて一町の長さなう、さくりの廣さ、上は成尺底は一尺八寸、深さ六寸也、雨のはし繩をはたらかさずして、馬場末の馬手のかたの繩を、的のまへよら一尺五寸許、弓手の方の繩をよすべし、馬場本の馬の返し浙、一方をば蒄にこしらへ、一方をばひろげてあつべし、其廣さ弓杖五杖許にすべし、馬場末も馬場本のことくに、ひろくすべし、二言なる秘事也、
一あづちは、弓杖一杖あまり廣さ不是、但廣さ七尺あまりにすべ髫也、引目とゞめとも是をいふ、 見はからひて能程にすべし、
p.0534 一馬場經譬之事、婁吉日良辰、勸請三皷置烏置鯉瓶子一当、銚子提子雛形等飾置可執行也、地祭別卷有之、
一同總廻リ長八十間程、幅二十間餘也、廻リニ埓ヲ結べシ、高三尺六寸、女埓非二尺七寸也、
一疏之事、長五十一杖也、但馬場本ヨリ、ロノ通マデ三十三杖、矢遣ヨり馬場末迄十八杖也、本末ノ扇形五間、亦ハ三杖也、疏深サ六寸、上ノ幅二尺餘、底ニテ一尺八寸也、
一土手ノ長、疏同前、土居敷八尺、高五尺計、上ニテニ尺、見合樣孑能築ベシ、
一外埓ト土手ノ間、三聞、土手ト疏ノ聞、一間半、疏ヨリマデ七杖也、但疏ト女埓トノ聞、一間、女埓ト芝ノ聞、一間、芝ト砂ノ間、二間、但三方ニハ芝ヲ敷也、芝ヨリマデ五間、ヨリ外埓マヂ五間、此憫ニ砂ヲシクナリ、
一疏トロノ間ノ埓ハ指埓、或ハ竹或ハ檜黑文字ニテ結べシ、高サ如前、但ロノ通ヲ五間明テ結也、同亦五間ノ内工、木九本立、其上ニ大絶ヲ渡シ置事モ有之、口傳、
一梁之遠サノ事、疏ヨヲ九杖置、業ヲ築ベシ、委細別卷有之、〈○中略〉
一的ノ左方磊見物所有ベシ、大小ハ人乙依ベシ偖幕ヲ引廻スナヲ、何モ常ヨリ棧敷高ク作ルベシ、同又所々ニ番所可有也、
一飃左ノ方ニヨリ一品杁前ノ方ヘ寄、再拜振、帳付、數革ヲ鋪、中ノ時ハ再拜ヲ振、帳付ニ吿ベシ、帳付ハ文臺ニ硯料紙ヲ置、再拜次第ニ付ベシ、
一馬場本ノ方ニ假屋有之、幕ヲ打、射手装束等可改ナリ、
p.0534 笠懸ノ的ハ、檜木ノ厚サ五六分ナルヲ裏板トナシテ、表ヲバ牛革ヲ張リテ、革ト板トノ間ニ綿ヲ入ル、大サハ徑一尺八寸、繪ガヽムヤウハ、中ニ當ル所ヲ黑クス、儡シ是ヲバ鵠ト ハイハズ、連錢トイフ事也、上ト左右ノ下壬三所亭、黑革ノ乳ヲツケテ、靑キ白キ黑キ三色ノ布ヲ繩ニシテ、的串ニツクル事、大的半的ナドノ式ノゴトシ、串ハ大的ノ串ニ准フレバ、横モ竪モ短ク、的皮モ大的半的ノ式ニカハラズ、只其長ノ短キ也、
小笠懸ノ的ハ、其形方也、方ナル徑四寸、厚ナ一分許ノ檜ノ木ノ糠ヲ以テ作レルヲ側、テ串亘插ム、串ノ地ヨリ上ニ孅ルコト一尺二寸、串ノ制ハ藤ニテモ檜木ニテモ、ケヅレ戸ヲ黑ク塗、的插ム所ヲバ口金トイン物ニタセムル也、裏ノ方ニテ、板ヲ刻メル所二ツ有ベシ、
p.0535 笠懸之事
一的の勢、裏板一尺八寸、矢たまう八寸、又は九寸、小星三宛、三方に有べし、星のふとさは無定、是をれんせんと云、的は白革何も星は黑くすべし、
一公方檬御笠懸は、黃革にて、星をば紫革にてくゝるべし、
一笠懸の的の勢は一尺八寸、又は三六寸、横手共云也、あや檜笠也頭を内へ引こませて裏表鳥ノ子ニテはる也、星を革にてする也、但星の付攝如前、此的は最初一度宛射て、後は懸間敷也、一笠懸射る時、最初に笠を懸て射て、後革的を懸て射る也、委細は日記等ニ記之間不具、
一竪串、土より上四尺五可、串のふ霍さ口 一、寸六分、横串六尺一寸、内のり五尺二寸、〈○中略〉一的革の布六幅也、長サ五尺計、色は淺黃也、とぢ所、上より一尺二寸さげて霍つる也、但とちかわは、あゐ革たるべし、一尺二寸計の布を用べし、たかばかりの定也、
一布革串も的串に仕合てすべし、但折懸串の事也、さしたる串も同事なり、〈○中略〉
一的の懸樣、馬場本へ少はむけて立べし、〈○中略〉
一笠懸の的、丸物の的、草鹿、大的等は、的を懸ると云也、一祠事笠懸の時、的綱は白くする也、常とは可替也、
p.0536 小笠懸の事
一的の勢方四寸
一串の長サ一尺二寸廏、二寸はさみ、二寸土に入、串は藤也、はさみぎはを、かねにてくゝむ也、鏃樣有、さくちより八寸に立べし、
p.0536 一笠懸的の寸法壹尺八寸蠧の定也、矢あての星五寸ばかり、矢あての星をば連錢と云也、的の裹板壹尺入寸、繪板のあつさ五六分ばかりなるにてすべし、さて牛皮なめし革をもつて、ふつくりとざ中に綿を入くゝり、黑くぬり蓮錢を白くすべし、縄をからぐるちをば、呈革を苧の芝んを入て、くけ候てすべき也、〈○中略〉
一笠懸的串寸法、横串六尺一寸計、内のち五尺貳寸、立串、地より上四尺五寸許、地入一尺五寸、串のふとさ切口一寸六分さしわたし也、串可作木は檜、九くも八角にも作て、黑くぬるべし、〈○中略〉
一小笠懸ノ的ノ事、法量、方四寸角也、板ノ厚サ一分計、檜板也、
p.0536 一大的のくしは白かるべし、木色なり、笠懸のくし、九物の串、黑く囚るいはれ尋申處、本説存知なきよし被仰、的丸物笠懸の串の事、芝きのくしのことく、竹にてゑ蔘ぬきても立るなり、くるしからず、但略儀なり、ふとさ其外ほどらひをば、ゑきの串のほどらひにすべし、
一おりかけぐしの事、草鹿、丸物、大的葺懸などの時、俄に串そんじて、、泳霍をかくことあう、そのこどの儀なり、地より上の寸法、ゑきの串のほどらひに見はからひてすべし、ふとさをもゑき串ほざなる竹をすべし、よこ串の分をば、前のくしを折かけて、後の立串までとをすべし、後のかくる串は、よこ串のなからたるべし、前のくしにては、霍をすまじきなり、かさねやう、前の串ばかう、おもてへ見ゆるやうになしてかさ讓べし、後の串は、後の方になるべし、ゆひやうは繩にて三卷つつ卷て、それも後のかたにてゆふべし、中一所、爾方のはしご所づゝ、三所ゆふべしがけむすびに ゆふなり、竹を少きざみて、はたらかぬやう獲ゆふなり、又ゆひめの下に覓ぬやうに竹くぎをうちてよきなり、これは故實なり、〈○中略〉
一小笠懸などの的のだいにはでつ立る也、〈○圖略〉
かやうに、くつのきびすの方をつよき竹にても木にても串をけづりはさみて、あしのうらをやあてにして、くつめはなを上になして立慢かさがけの的のだいぶ立る串の長サ一尺二寸にすべし、立やうは、か樣に立る也、
一とを笠懸の的の代に沓を立る事、是も沓のうらを矢あてにして、きびすのかたは、此時は上へなして、沓のはなを土に付て、沓のうちへは、柴にても又何にてもをしこみてぐしを二けづ参て、沓の中へ爾へ入て、すちかへて土によく指てをけば、沓のはなゼ三つかなわに土につけてころばぬ也、〈○圖略〉
かやうにたつる也、沓の中へ能串を入て、いかにもつよきやうに立べし、をよそかやうな墮、〈○中略〉ニめかはの事は、等持院殿樣〈○足利尊氏〉より始な参、幕をはつしてかけられたり、一のみじかくていま一のぞへられて、今に布かはといふ也、然間六のにするが本也、但布せばくは、七のにもすべし、〈○中略〉
一笠の布かはをば、的皮ともいふべき也、かさがけのまとを懸ること、まつ横つなより懸て、上のつなを後にくる、也、繩をゆひ付るやうはなし、
一うちませに的の繩をするに、白宅黑己にてうちまずる、もしなき時は、淺黃にもするなり、笠懸的之事也、
p.0537 一的をかくるはつすといふべし〈○中略〉
一笠懸の小的の次に大的といふべからず、しきの的と云べし、大的とて有ゆへ也、〈○中略〉 一的にはさみ物をたで、射る事有、寸注つねのはさみ物にかはるべからず、くしをば長くして、的のまん中にあたるほどにして、的にあて、立べし、草鹿をかけて射るも、はさみ物をたて候も同前正二は、くし六寸にかぎるべからず、中になるほざにすべし〈○中略〉
一布革の串、ねぼりのまる竹、布六の、
一笠懸丸物の折かけぐし、竹のふとさ、おなじく寸法は、法量物にあり、それ〴〵のことく引会すべし、
p.0538 一的を本よ蔘ちいさくくゝりてかけさせて、勝負なざを射る也、ちいさき寸法不定也、〈○中略〉
一布皮の由來の事、たれ布を以て、ゑはじめられたう、其たれぬの五つのにて、有けるに、一の添て六のにせられたる也、串の寸法不定、布を本にゑあはすべし、下に成かたには、くゝりざしのごとくにぬいて、ほそきさし繩をさをして、前後の串引つめて結村る也、串は竹也、〈○中略〉一あづちの前に的をばかけずして、串計有時は、沓を串の下に立る也、串なき時は、あつちのきはに立べし、沓にかぎらず、はさみ物以下立べし、沓は左をたつる也、〈○中略〉
一笠掛の的かくる次第、先的の串を前うしろたてゝ、後串のに的の面を上になして土に置て、三方に付たるさし繩は、二方許をまへうしろの兩方の串に、土より四寸あげてゑかとむすび付る也、扨上一方にのこる縄を、上の横串にからみ村る也、土萼的の閲六寸也、
一的串は黑くぬる也、きりくみは、大的のごとくに切くむ也、〈○中略〉
一的のかけ樣、九杖に打て、八杖に的串を可立、前の串、後の串より五寸、さくりの方へ可出、的は地の上六寸にて掛、布皮は的串より張弓一杖に打て、弓の鳥打のほどに串を立べし、是も的のこ松くに前の串五寸可岳也、扨こそはむきて射よげにはみゆれ、〈○中略〉 一小笠掛の事、的勢方四寸、串は長さ一尺二寸、串のこしらへ饑口倍在之、的と馬走とのあひ八寸、笠掛の馬場をさかさまに射る也、射やう打入るゝ事も、笠掛よりはふかく、ひらく事も、馬の頭中にひらきてさぐべし、矢筈を取てひらきて、さがるべし、
一的の寸法四寸四方、あつさ一分、ひの木板なるべし、面へ見えぬやうに、ふた所をきざむべし、一串の長さ一尺二寸、ふとさ四五分、藤をけづり、いかにもうつくしく丸くして、黑くぬりて、さきをそぎて、わ蔘目のうちを赤くうるしにてぬるべし、扨的をはさむべし、ゑうかねにて廣さ七八分ばかりにせめをして、串に入て的をはさみて、下よらせめこきあげて、的のはおらかぬやうにはさむべし、白がねはみがきめたるべし、串のふ己さ、口五分にけづりなして、いかにる黑くよくぬるべし、串の本五六寸許土に可入、土より上八寸はさむ分貳寸さくちのほぞより三十三杖に打て、さくうのきわより八寸のけて、的を可立なり、
一的串をさす所の土を、ひろさ三尺四方許ほり、て、すりぬかを臘て、其上にぬかの見えぬ程土をかけて、よくならす也、ぬかのあつさ四五寸ばかり置べし、
一的如斯
切日白かねのせめきざみめ面へ見えぬやうに裏のかどを少しきざむべし 一板の數、射手の人數をかんがへて、おゝくこしらへ可置、串をもあまたこしらへてよし、的はひの木板也、
p.0540 一笠懸の的可懸次第の事、馬場本の扇形の発四枚、つえ中のけて、哀際の細みよう三十三杖に打て、其通りに的の後串をたつる也、的あひの事は、疏より八杖に打て的を見る也、其後的革を懸て、昔は射たる也、是本儀也、八杖に的をかけて射る人有がたし、是は昔弓もつよく、矢つかも長く引たるによりたる也、
一的可懸數第、七杖にても、六杖にても、杖中にても、獪其より近くとも、的聞を定て疏りの中遞りに、弓の本筈を押雷て、後の串の通らを梁の方へ打て、横串を地にゑかと置てあてがいて、先後の串を立定て、前後の串を五六寸はむかへて可立也、立串立イ、二の間は、横串の廣さたるべし、其後的懸る時は、面を上へなして、串の申に置て、先後の串の横絶を留て、其後前の串に留、て、其後手綱を返して、横串に留べし、留樣はいつれも前より引廻して其繩懸て、後へ廻して串に卷て留る也、的の高さ地よち六寸也、
p.0540 笠懸の事、的の勢一尺八寸定也、串は六尺、内のり五尺、串土の上四尺、廻太さ二寸二分、的革は六綴、一尺二寸置てとづべし、的革のたけ五尺、内一尺五六寸の間、旬前八杖、馬場の遠さ一町、さくりの廣さ一尺五寸、馬場本馬場末同前なり、口博有、九杖に打て、八杖に的を立、はつし弓にて打べし、馬場本より的迸ウまで、廿四五杖也、横串六尺丙法五尺、立串は地の上四尺五寸、太さ切ロ一寸二芬、的革は六綴也、上よら一尺二寸、ちをとほし、長さは五尺、色は水也、さくりの廣さは、的遞りは一尺五寸、馬場本より的邁ちまで遠さ、馬返し所よう的の後の串まで三十杖也、馬場は五十杖に打て、さくりをば馬歸りて、さくりて、かき立所を少し廣きやうに、又見能やうにすべし、馬場も又如此、其故は歸る時、小笠懸を可射爲也、又さくりは、馬場本馬場末は一尺八寸、的通一尺五寸 也、的懸候長さ、笠懸的草鹿の的も、皆大的のごとく下六寸と立べし、馬出し所よち、矢はなち所まではづし弓廿七杖也、矢放ち所よ蔘梁へ九杖、弓中寄て串を立れば八杖半也、七杖半にてもよし、串は土の上四尺二寸、三方同ごとく也、横串兩方へ一寸五分づゝ出して、串の内三尺九寸也、串の太さ、めぐり六寸と可心得一串は黑くぬるべし、
p.0541 れんせんあしげ 笠懸の的の中に當ち所を黑くす、是をも連錢といふとぞ、又的革に六所に錢をつくるを蓮錢といふ、駒牽の錢を用たり、よて駒をつくるともいふといへり、
p.0541 笠懸之事
一笠懸の馬場に三相有、先馬場本へ打寄て馬の頭を立直し、引目尻を耳二つの間へ打くれてぐるりと返して立すかし、前輪に懸りて、少臂を作りて跡へ打入て、的をきつ霍見る所一つ、又髮中へ押入て小腕をつかひ、三足かゝせてひらき饑して、何となく手綱を捨て、矢筈をむねのとをり、乳二つの問にて押合て矢筈を取、小腕をつかひ、三かき計かゝせて、打おとす所一つ、椦もろ打上に打上て、引おろしにかつてに付て、馬をかゝせてつめさせて、後の串の邁ちにて矢を放、其儘持樣にして的を見逡り、二足三足の内にて手綱をかきて、馬を留かけて打上る所一つ、是三相也、皆具實のあつかひ也、〈○中略〉
一落馬の事、いまだ矢をも放さぬ時、居ながら烏帽子かけをして、沓をぬぎて、馬場本へ歸りて射直すべし、但祕事などにてもなき時は、其儘馬場末の方へ通して射直すべし、又矢を放て後は、沙汰に不及馬場末ヘとをるべし、
一落馬の時かりそあにも、さくりよら座敷の方を不可通、介添の心得同前たるべし、
一落馬の時、介添走り合に矢道を通ち、疏のあなたを可通也、
p.0541 一笠懸射手人數の事、幾人芝も不定馬場へ打つれて出、馬より下、的かけさせ、射手ひもお さめ、引鬪袋より取出しひしきめおこし、ゆがけさしなどして、馬場本にてのりつれ、一騎づゝ先通し候ゑつかに次第にうちかへり、齲番通したる人より射べし、射はてゝは馬場末にて各馬よりおり、くつを汲篷、ゆがけをまき、ひもむすび、引目袋に入て、馬場本のかたへ馬をばさくりを引せ、射手も馬場本へ行、馬場の外より馬に乗つれてかへるべし、但馬場のやうによるべし、
p.0542 笠懸を射る時、馬場本へうちよせて、まつ蓬ほすべし、一番にとほしたる人より射初て、次第に射る也、たいはいの事、馬をかへしてかき入戌にて、馬手のことにこすこさずにうち入て、三かきばかりかゝせてびらき出し、こうでをつかひて矢さすべし、矢さしは、かたより水はしり也、手綱をむねのとほりにゆるくと持ちて、矢さする所にてすて丶ひたゝれの袖をうちいだすやうにまはして、かみ中にておし合てうち上て、三ふせばかりひきのこして、玄だいにねぢて、的のうしろのかどにてはなすべし、かねにてはなすもわるし、向てあらんは云におよばず、くら立はこしをすゑて、鐙をそうたうのゑゝにふんづけて、ひざ戀をまゑて、尻を鞍のしづわへすこし乗讒して、くらより上はすぐなるべし、是は大かたの儀也、あまたの口傳可詮之、又的のあたりはづれの事、たふれたる矢につきて口傳あるべし、笠懸射手出立、ひたゝれに行騰はくべし、次神事笠攝に、むかばきのきり樣の事かわるべし、八庸諏訪の神事是也、やぶさめの神事を學ぶ儀也、諏訪の神事には、御贄をかけて射る也、其外は射手の立願などの儀なるべし、先は十度本廐或は百番、此外射手のさんまい也、又笠懸にも裏矢あるべし、中りて横絶にかゝりかゝらずの時の事也、同引目玄りをみるやうあるべし、まへのくしより弓の弦をわたして打也、
p.0542 笠釋を射事、家々に替で少づゝ替なり、然其御所の御譬家の御流を本にまなび可申也、左馬入道殿御次男に、大上總介殿と申ゑゝは、犬追物笠懸の上手にておはしまし候之閥、其榛を御當家の流と申也、故實御所は上手にて渡らせ給ゑかば、人も其御機をまなび可申也、馬場本 に打寄て、馬を返して打入て、三足開て、三足矢筈取て、三足馬をかゝせて、的に向て打上て、馬に走せて、次第々々にねぢまはして、的通にて放也、放て後又三足かゝせて、手綱とりて馬を定むるなり、
一鞍立好人は打上を早くして、長引して射竃なり鞍立わろき人は、矢筈をおそく取て、馬につめさせて、的聞近く成て、一拳に射と云り、鞍立わろくば、前論に懸りて射よと敎敖たる、馬場殿、又は御所の御前にて射る時は、沓をば御門外にてぬぎて、片手に弓に取副て持て、御門の内にて沓を著て馬に乘也、又袴行騰の時は、沓をはかぬ事也、はだか足にて射也、
p.0543 小笠懸の事、的ぐし、馬場なざの事は、法量物にあり、的は板なち、きざみやうは、うらばかうをきざむべしぐしは藤をくろくぬりて、はさみきりにゑうがねにてせめを入也、的の立やうは、きりめをまへの下へ成て、すこしはむけて、串の下にすり鷓かを入て、其上に土をかけて立るなり、射樣は矢がまへもたかく、うち入もめてのひらくびのもこへうち入てこぶしをぬきあけて、さてひらき出して、是もかみ中にておし合て、犬の時のことく弓をうちおこして、ひきてさがりて、弓だふしをする也、ひもをさめ樣、某外の事、大かたは式の笠懸にかはるべからず、根本小がさかけこいふは、ふせ鳥を表するなり、同日記の書樣、これも端作は、小笠懸射手と計書也、又名は名字にて竜官途にても、か力名を書べし、總の付攝は、玄きの笠懸のごとし、
p.0543 小笠懸の事 小笠懸引目は、めを四にする也、猪子引目のこ霍し、譬時は絶たる如くにて、知たる人少歟、小笠原美濃入道に尋て侍しかば、大かたわかり申き、竹笠を著て、小手をさして、打入開して、鞍中に立て、引たて、射と曩々、能射る人の引目は、引目頭、土に付也、下手の射には、引目横ざまに走云々、所詮引立て落し懸て可射也、犬追物の外の物のくびれたるを射る如くなり、但小笠懸には、弓だふしを必すべしと云へり、小笠原入道、語しは、長井治部少輔は、終に弓だふ し不叶して、むつかしかりしと申也、我等はいまだ不射しかば、委口傳せず、的は三的の少也云々、串長さは壼尺八寸と申也、的をば馬足跡に副て立なり、三々九、八的、四六三とりとゞめいし〳〵と云作物に候なり、皆々武田小笠原の人々沙汰するなち、三的の事は、小笠原の委細口傳畢、別紙に注付り、
p.0544 笠懸乘樣、馬場本へ打よせて、馬の頭を立直させて、蟇目尻を打たれて、くるり己かへして立すかし、前物にかゝらて、蟇目尻を耳の二つの間へ、少しひらを作り入て打いれて、三足かゝせて、耳の先をなで樣に、にほ〳〵とひらいて、三足かゝせて、髮中へ入て、手をすて候へばはすなとり、三足かゝせても、口うちあけ口有程打あけ、引おろしとて、且手に付て、其後馬二つめさせて、さくりならば、後のちの方の矢處、十文字ならば、後の腰のつがひ、中の矢處に中べし、矢數て弔のうらを少しなびけて兩方同じごとく手綱を、取て、三足か内にてこむべし、的の勢は三六寸横手古可心得、
p.0544 天喜五年二月三日、途中於紙幡河原人々馳馬、次召飄俊郎等令射笠懸、
p.0544 寬治六年二月六日己未、〈○傍書云、中納言參春日儀、〉義綱朝臣、武者廿人也、五位十人、郎等一人、兼貞於紙幡河原夕射笠懸、〈中的〉供奉人々祠妙々々砧、聞慱所注置也者、纏頭人者在目録、有合點事云々、
p.0544 寬治六年二月六日己未、中納言殿、〈○藤原忠實〉爲勤間日祭〈○春日〉上卿、令發向南京給、 八日辛酉、卵時許、人々參會、還御、〈○中略〉辰時許、於加波多河原、暫留御馬、前駈皆下自馬候左右、是爲御覽義綱朝臣武士厄、一々騎馬渡之、廿人中、〈五位十人自南渡北〉仰可射笠懸之由、武士中能射者一人、爲射葺懸又渡南、形容甚美、顔色不變、万人戚之、次立的之後射之、巳中的中心、傳養由藝、見者如堵墻、上由下某不戚賀、板問試士名、兼貞、〈字進藤六者〉
p.0544 五日、〈○治承四年四月〉雨ふりしかば、高砂の泊りにつかせ給、〈○中略〉あしたといふ、賴盛 の家にて、かさがけ、やぶさめなざ、つかうまつらせて御覽せさす、
p.0545 賴朝義仲中惡事
子息ノ淸水〈○羲高〉ヲ呼テ、己ヲバ兵衞佐〈○源賴朝〉ノ子ニセント宣ヘバ遣ス也、相構テ惡レズシタ、一方ノ固メ共ナレトイハレケレバ、淸水冠者、返事ヲバセズ、畏テ父〈○源義仲〉ノ前ヲ立、母ヤ乳母ノ方ニタ、我ヲバ攝倉へ被遣候歸參ラン程ノ形見ニトテ、笠懸ヲ七番射テ見セ奉ケレバ、女房達、是ヲ最後トヤ思ケン、涙グミテゾ見合レケル、
p.0545 壽永三年〈○元曆元年〉五月十九日丙午、武衞〈○源賴朝〉相殍池亞相〈此程在鎌倉〉右典厩等三週遙海濱給、自由比捕御乘船、令著杜戸岸給、〈○中略〉於杜戸松樹下、有小笠顰是土風也、非庇撲者、不尹有他見物之由、武衞被仰之、客等太入興云云、
p.0545 文治二年五月十一日戊子、内大臣〈○藤原實定〉息、右中將公守、今晩卒云々、二日向宇治離宮馬場、射笠懸之間落馬、左足躁上二寸許打折了、雖加種々療治、敢不得減、遂歸逝水云々、人之作不善邃以如斯、
p.0545 文治三年七月廿三日壬戌、二品逍邁海演給、故一條次郎忠賴之侍、甲斐中、四郎秋篆、被召具之、以歌舞爲業之者也、於由比黃小笠懸之後、入御岡崎四郎宅、御酒宴之間、秋家盡舞曲云云、
p.0545 文治六年〈○建久元年〉四月十一日甲午、若君、〈○源賴家〉始射不笠懸給行平〈○下河邊庄司〉參上、獻御弓引目等之上、承別仰奏扶持姦三浦介進御的千葉介奉御馬、小山田三郎獻御鞍ズ田左衞門尉違御行騰沓等、宇郡宮左衞門尉朝綱違御水干袴、於南庭有此儀、朝政、熄元、重忠、重朝、義盛、濕時等、依召候其砌、此外御家人等群參、三度射訖下御、其藝禀性於天給之由諸人藏申之云云、二品賜盃酒於今日出仕之輩、行平賜御劔、依彊御弓師也、
p.0545 建久六年七月廿九日辛亥、早旦渡御濱御所御遊興、終日有御笠懸等、又颶食管絃妙曲、 北條殿〈○時政〉經營云云、
p.0546 建仁二年九月廿九日庚午、將軍家〈○源賴家〉漸令遠鎌倉給、而今日渡御新田四郎忠常宅、終日有小笠懸ハ忠常獻懸物十物百、而件懸物十之九者、幸氏、重隆、重觀、胤長、能成、行光等、依有鸛數給之、
p.0546 建隻二年十一月廿三日丙戌、將軍家〈○源實朝〉於馬場殿、令射小笠懸給、小山左衞門尉、和田左衞門尉等、奉扶持之、各賜御馬、遠州〈○北條時政〉御沙汰也、
p.0546 建仁四年〈○元久元年〉二月十二日丙午、將軍家〈○源實朝〉心出由比濫給、供奉人江間四郎以下、被薯水干、或野箭、或征箭也、北條五郎、和田平太、多々良四郎、榛谷四郎、海野小太郎、鏨月三郎、諏方大夫、藤澤四郎、愛甲三郎、各射笠懸、遠笠懸的等、於稜數看御覽、
p.0546 元久元年七月十一日、今日、有御笠懸厩下〈○藤原賴實〉御參御見物云々、
p.0546 建保四年四月十日、幸神泉、〈○中略〉未三點出馬場、先笠懸始、右方、射之、又左方勝了、
p.0546 朝政〈○大内義信子〉左衞門佐、南都守護、公家近習、〈○中略〉後鳥羽院、御笠懸等師、
p.0546 通信〈○中略〉鎌倉ヲ出テ上洛シ、内裏へ參、伊與國河野卜云者參内ト申ケレバ、君〈○後鳥羽〉聞召、卽麟召寄、御寵渥不斜、〈○中略〉河野ハ久牢浪シテ國ノ安座モ無ヲキ、弓馬ノ道委不存知、各笠懸ヲ射テ遊河野ヲ召時、定テ赤面センカ、是吉険責トシテ、俄ニ被企之、君聞召、内々勝タ戸事被忍召ケレ其、色ニハ御出ナク、河野ハ家者也、加程ノ事存ゼヌ事ハ不有思召勅定ナリケレドモ、若不知事ヤ有ント、知昔ノ女房ノ有ケルニ御尋ノ趣、此事兼テ可存知也、若亦不知、弓ハ本守ヲ遶者也、馬ハ存知也、法樣ナク共可仕、若問人有バ、我家ノ一流ト答ヨ予被仰含、如案至其旦各打出處文、貴賤見ルヲモ不勒射手具足如形揃へテ、馬ニ打乘ヲ、千釣弩ノ如ナ芦弓ヲ持、歡々ニ射ケルニ、少モ無所濡誠吿物々シゲ鷆見エタリ、可険處韈ナシ黜餘無骨ナワト計申アヘリ、君モ御叡覽有、サレバ家有者也、一向ニ不存者ハ、加樣ニ如何ハ可仕、定テ家ノ骨法ニタ有也、尋テ見羇ト御諚ナリケレバ、然ルべ キ由被申、以勅使御尋有ケル樣ハ、今日ノ笠掛之體、見事也、然其法樣道ノ如ナラズ、依祖不審御尋也、有子細可申トノ仰也通信畏タ承也、某諍久遠境伶傍トシテ、諸家之儀不存知ハ我等ガ家、孝靈天皇ヨジ以來、朝敵退治之外ハ、別無黐業事袒此事ハ弓法專一也噺申傳ル迄也ト勅答被申ケレバ、話人サレバ社トテ、各舌ヲ卷テ退出云、誡二叡慮忝キ事難申盡者槙、
p.0547 安貞二年七月廿四日、將軍家〈○藤原賴經〉御逗留田村、有違笠懸等天々候埓際見物、此聞三浦二郎泰村、輿佐々木太郎左衞門尉重綱口論、互及龜言、泰村〈笠懸射手〉乍乘馬於埓内挾箭、重綱〈見證〉進寄於埓外取大刀、各可决離雄之形勢也、未引弓拔大刀之以前、宿老之類、相宥爾方之間、無爲靜謐云云、
射手
相模四郎 陸奧五郎
小山五郎 相模五郎
小笠原六郎 筑後十郎
長江八郎 伊賀六郎左衞門尉
佐々木刺官三郎 城太郎
佐々木八郎 氏家太郎
宇都宮四郎左衞門尉 三浦又太郎
三浦二郎結城七郎
p.0547 文曆二年〈○嘉禎元年〉二月十四日丁丑、今日於河冶泉馬場、修理亮泰綱遊放歟、笠懸白拍子醉郷歟、〈○節略〉
p.0547 仁治二年正月廿三日壬子、將軍家〈○藤原賴經〉渡御馬場殿一前武州被參、遠江前司、駿、河守、 宮内少輔、攝津前司、上總權介、出羽前司、以下數輩參上、先侖若輩等射遠笠懸、次於弓場、相加宿老之類有射的之儀、〈○中略〉次射手等分賜積物、于時幸氏申云、於將軍家御前、射手之賜懸物之弐第者、右大將家〈○源賴朝〉御時、被尋聚諸家説々云云、卽付御尋悉申之云云、
p.0548 建長三年八月廿一日己酉、將軍家〈○藤原賴嗣〉於由比演御出、前右馬權頭、武藏守、老若無不扈從、奧州〈○北條重時〉相州〈○北條時賴〉預被候御棧敷天御之後、先有獻盃儀次覽遠笠懸則又令射之給、御箭頻的中、人威焉申、
p.0548 文應二年〈○弘長元年〉四月廿五日丙辰、於極樂寺御第、有御笠懸、
射手
相模三郎 同七郎
遶江七郎 城五郎左衞門尉
信濃次郎左衞門尉 大隅修理亮
甲斐三郎左衞門尉 城彌九郎
上總太郎左衞門尉 信濃判官次郎左衞門尉
小野澤次郎 武石新左衞門尉
三浦六郎左衞門尉 信濃次郎左衞門尉
次有小笠懸、而近代强不翫琵藝之間、凡無堪能之人百取明寺禪室〈○北條時賴〉覽之、有御自鑽於小笠懸藝者、太郎〈○北條時宗〉尤得其豐召之欲令射云云、上下太入興、于時太郎殿御坐鎌倉御亭、仍以專使、被奉請之、爲城介泰盛奉行、用意御物具螢御馬長崎左衞門尉就之、御的武田五郎三郎造進、工藤次郎右衞門尉立之、旣列馬場被出御馬〈號鬼覊毛〉之處、此御馬鑵慣于遠笠懸之間、欲馳過的前、仍被制弓引目、被留御駕、爰禪室二度通之後、可射之由被仰之時、一度馳通後令射給、其御矢中于的串一寸許之上、的如 塵、而擧于御烏帽子よ則自馬場末直馳歸鎌倉給、諸人戚聲、動搖暫不止、將軍家〈○宗尊親王〉御感及再三、禪室至吾家、夫相當于可受繼器之由被仰云云、
p.0549 千種殿拜文觀借正奢侈事附解脱上人事
千種頭中將忠顯朝臣三故六條内府有房公ノ孫ニテ御坐シカベ文字ノ逍ヲコソ家業トモ嗜マルベカソシニ、甜搦冠ノ比ヨリ我道ニモアラヌ、笠懸犬追物ヲ好ミ、博奕搖亂ヲ事トセラレケル間、父有忠卿、離父子義、不孝ノ由ニテゾ被置ケル、
p.0549 土岐賴遠參合御幸致狼藉事附雲客下車事
松明ヲ秉テ還御ナル、夜ハサシモ深ザルニ、御車東洞院ヲ登リニ、五倏邊ヲ過サセ給フ、斯ル處ニ土岐彈正少弼賴遠、二階堂下野判官行春、今比叡ノ馬場ニテ、笠懸射テ、芝居ノ大酒ニ時刻ヲ移シ、是モ夜深テ歸リケルガ、無端樋口東洞院ノ辻ニテ、御幸ニゾ參り合ケル、
p.0549 同月〈○元年十月〉十四日、於北山殿、有御笠懸、射手、
〈小笠原信濃守〉貞宗 ○ヽ○○ヽヽヽヽヽ○ 六
〈武田石永三郎〉政義 ○ヽヽヽヽヽヽヽ○ヽ 八
〈秋山孫四郡〉光助 ○ヽヽヽヽヽヽヽ○ヽ 八
〈小笠原孫四郎〉長俊 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 十
〈同二覿四耶〉宣貞 ○ヽ○ヽ○○○ヽヽヽ 五
〈佐々木隱岐大夫判官〉高貞 ○ヽ○ヽ○○○ヽヽヽ 五
〈同備中前司〉時重 ヽ○○ヽ○ヽ○ヽヽヽヽ 六
〈土居新左衞門尉〉通增 ○ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 九
〈島田二耶四郎〉仲高 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 十 〈安居帶刀左衞門尉〉通村 ○ヽ○○○ヽ○○ヽヽ 四
p.0550 應永廿九年七月七日、於馬場殿、御方御所樣〈○足利義量〉御笠懸アリ、御相手六騎、
畠山中務少輔持淸 同九郎
畠山右馬頭次郎持純 三淵次郎持淸
三上又三郎持高 同彌三郎
p.0550 應永卅一年七月七日、於馬場殿、笠懸被射、御方御所被御覽、
畠山中務少輔持淸 上野小太郎持賴
大館刑部少輔持房 小串次郎右衞門尉持行
岩山四郎持秀 中條右京亮持平
三淵二郎持淸 以上七騎
p.0550 文明十年七月七日丁卯、笠掛、〈畠山播州馬場〉小笠原備前守、〈政淸〉同刑部少輔、伊勢左京亮、〈貞誠〉伊勢次郎、〈貞賴〉伊勢七郎二郎、〈貞豐〉塀和筑前守、〈元爲〉同與次郎、〈政爲〉御方御所樣、〈○足利義尚〉被御覽三
p.0550 明應二年七月廿七日、今日諏訪之祭也、以故上原豐前守於紫野馬揚興行笠懸、其衆十員、山名左衞門佐殿、上野三郎殿、小笠原備前入道宗信、上原豐前守、同息紀伊守、其兄祠四郎、其弟肺五郎、四宮四郎、其弟額田、齋藤藤兵衞尉拜十員、看物如堵墻、赤松公、亦爲一見早晨被出云々、
p.0550 犬追物をも再興あるべしとて、〈○中略〉されどこれは、笠懸にた熟したるものならではなし得難しとて、近習の徒を集め、まつ笠懸の式を調練せしめらるゝ事、あまた度なりしが、〈○下略〉
p.0550 一くじ笠懸の事、射手十騎あれば、一のくじ二つ、二のくじ二つ、三のくじ二つ、四のくじ二つ、五のくじ二つ有べし、又同ごとくなる繪を、くじに二つづゝも書也、くじのなり、 凡か樣に 有べし、筒に入て出し候を、馬場に馬をうちならべて、馬上よりとる、くじの納め所、ゑぼしの右の手の下へ、字を下へなしてさす、入道はむかばきの右のくびかみと、はかまのあひへおしかふべし、むかばきはかぬ時は、はかまのこしと、すほうとのあひへかふべし、射はてゝ後、くじを合、あひくじ相手也、矢代のことし、小的の勝負のことく、二人づゝ勝負が本也、又十人か五人づ丶、ふるまひ勝負にて候はゞ、二人づゝくみてわけべし、十人にて候はゞ、四人づゝあひくじに分て、今一つがひを、一人づゝに分べし、別に又引逢くじなどもあるべし、
p.0551 鬮笠懸の事
一鬮の拵やう事、串長無法量、但五寸許可然、兩方を細くうすく削て、中をふとく削也、竹の筒に入てふる也、剏串に一文字にても、二文字にても、或は筋達にても、又四季の字などにても、一對宛可拵、十騎本なる間、五つがひたるべし、略儀の時は、射手數によるべし、
一鬮をも若黨振べし、中間も振也、但略儀也、
一賭錢の事、若黨可沙汰也、
一射手鬮可取樣、馬場本にて串を取て、烏帽子の右の手の下より、少びんの方へよせて、紋を下へしてさすべし、射果て馬場末にて、皆射手の揃たる時、串を合て、馬場本へ打歸たるに筒に入て、又馬場本にて可取、幾度も如斯有べし、鬮持たるの馬場末へ行、馬場本へ行步也、又馬場本にて取初て、馬場末にて、射手各揃たる時合て、やがて馬場末にて入て、打歸ざまに疏の中にて鬮を可取、振手は鬮を振て可出、如斯何度もすべし、鬮取初時は、馬場本にて取也、
一入道は、鬮を行騰の萠の緖に少すちかへて差すべし、行騰はかぬ時は、袴の前腰にさすべし、へその通に扇などさすごとくに、少すぢかへてさす、鬮を左の方へ持て振て來たりとも、右の手にて可取也、 一鬮を取初も、馬に乗て可取也、鬮は十度射果て後、一度にくじを合る事も有、又一度射て、頓而度毎に合する事も有之、何にても射手の定だるべし、
一勝負の次第、射手六騎あれば、一々二々三々の鬮を取に、一々のあひて、皆射あてたる時、二々三三の相手矢、一あたれば一々の勝也、二々三々にても相手皆あたれば、持に成也、去問大略は持に成也、
一射手半にだとへば七騎有之時は、鬮七ツ也、四つがひの分たるべし、其時は落一人可有、落は矢一が二に可成相手にて、相手共に射中たるに、落一射あてたらば、ぢに可成、例式步立の鬮弓同前也、如此落霍ては有事也、ねむりとてはなき法也、亦七夕の勝負の蒔は、日記を付て、例式射果て鬮を可取、常には毎度一度宛にて鬮を取て、勝負を可定也、
一鬮笠懸に勝負無之時はぐじを取なをさぬも不苦也、但取なをしたるがよき也、
一笠懸又は步立にても勝負の騰記には、七所勝負ならば、十度射果寸、例式上三度に鬮を可取、其鬮の勝負のゑるしには、矢數の丸の方に小てんをそと可掛也、○けりやう如斯、可歲十度の矢數を五宛、間を置て可付と云人あれざ嵩堆如常可付之也、
一鬮笠掛の時、自然拳落、其外何にても矢を不發時は、茣度の人數にては不可有之、其外射人の相手は、時として落に可成也、若はやいせんより落あらば、其落の相手に可成也、
一鬮笠懸の時霍もに射中たる人、鬮をも取あはせたりとも、出錢唯一ツ分可出也、あがる事不可有之、步立の時は、相手ともに射中たる蒔はあがる也、但又別人、矢一あれば、あげべからず、其間一ツ分可出也、
p.0552 一偲笠懸の事、馬場本にて鬮を諏りて、男鳥帽子の右の手の下にさすべし、法體は行騰のくびかみにさすべし、すわふ著の時は、右の腰にさすべし、 一鬮を振事、馬場本にて、先賞翫の人よりまいらする也、扨馬場まへ通て、内の方に可畏、悉く射手勝負さだまらば、射手のそばへ寄べし、射手其鬮を筒に入る也、扨打歸れば、又馬場本へ歸りて、以前のことく鬮を可進、十度ながら毎度如此、初度馬場本にて振て、如以前末にて馬場もとにてとりたる鬮を入、そこにて射、是は鬮振ものとともに、馬場本へあゆばす、射手も馬場もと馬場末にて鬮を不取問、まぎるゝかたなくて射よき也、鬮振やう、口傳する者稀なるべし、是一の秘事也、
p.0553 一諏訪の笠掛には、にえをかくるがくる在所、馬場本の馬たつる所のさくりをこして、射手のむかひにかけ候、同日記付、同在所に有也、にえかくる樣、一とせ於紫野馬場誠訪の笠掛興行には、あゆを十六、稻の穗につらぬきて、松の枝にかけて、土にさしたりし也、是はまことに秘して、か樣にしたる也、眞實は、ぬるでの木也、鹿をかけ候樣、四の足を常にかけ候ことくゆひて、ぬるでのおふこを、つねのごとくゆひたる足のあいへ迺してかけべし、あゆをかけ候とも、ぬるでの木を立て、枝にかけべし、かた野の御狩のこしばと申も、此ぬるで也、一段秘説也、
p.0553 一神事の笠かけは、入幡諏訪の神事是也、諏訪の神事には、御にゑをかけて射る也、その外は射手の立願などの儀なるべし、十度が本也、或は百番、此外は射手のさんまい也、神事のむかばきふむべし、
p.0553 一諏訪の赫事 笠掛にいけにへをかける事、魚ならば鱸などは一かけ掛べし、細き繩をもつて、口の内よりあごへ引通して、並て可掛、同かくる木は枝を付て、其枝にかくる也、木の長、弓の長ほどにすべし、又鳥ならば一番山緖をかけ、男鳥をばまへに、女烏をば後のかたに並べてかけべし、又鮎をかくるには、あごよ参口へ引邁し、五つゝ並て十掛る也、但的の方に可掛也、能々口傳あるべき也、
p.0553 一神事に贄を懸る木、長さ弓の弦にくらべて切、葉の末に同一枝、さ くりの鬟を参左へ一の一枝を立べし、
一贄の木廷まゆみの木、本也、若は、はせの本、又は、くぬ木を用べし、一枝を弦の定の高さに土の上を拵へ、それに贄を懸る也、一の枝をば左へ立べし、はせの木を用るは、弓に作る木なる故也、癲此兩方へ枝なき前後を切べし、
一贄の事、鹿、雉の鳥、うづら、鯉、鮒、鱸、本也、此外時の嘗翫の鳥懸べし、鹿をば前のえだニジそろへてゆひてズだのさきを上にかくる也、同そしゝを一尺二寸に切てそろへてゆひてかくる、若は一尺、魚ははらを合て、えらを邏して四ツ、鳥は如此足をゆひて四ツ同、何もほのあるわらにて懸べし、ほを見せて殘て可仕、同七月昔七日、信濃國諏訪の御柳皐の間、此日を本とする也、同柱を立て、あたらしきかまをこしらへ打立て仕事もあり、同鳥をば足をくゝち、魚はえらへ繩を邇し腹を合するなり、
p.0554 一御にゑかくる事、遠笠掛小笠掛なざ、諏訪の神事に射る時にかぎりてかくる也、かくる在所の事、馬場本の厖かたと的とのあわひ中程に、少し的の方へよせて、弓手の方に掛る也、何木にてもあれ、木一本切て、土より上、弓のほこだけに立べし、土へは木はたゝかぬ程に、いが程にても堀入べし、木にゑだを四つのこして、魚八を二つづゝはらをあわせて、瓣よウみつすひへ、ほのあるいねにても、またはほのあるす、きにても、ごをして、四の枝にゆひ付る也、ほの有いねすゝきにて付る事、魚にかぎりたる事なり、
一鳥をば づゝ、四の枝にかくる也、藤にて付るなり、鷹の鳥の山をかくるごとくに、鳥のせこうの上にてむすびて、鳥の頭を上へなして掛る也、
一鹿もかくる也、鸛の肢をおろして、爪の方を下へなして、一づゝもかけ、又そしゝのみを取て、藤又はわらにてもかくるなり、
p.0555 百番笠掛之部
一百番笠掛も、體舞常の笠掛に替る事なし、百譬射るを云也、百番は百度也、百度は一人の矢數百也、
一百番の笠掛を射る馬、一匹二匹にては通りがたし、數多にて乘替て可射也、馬によるべし、
一百番の笠掛を射る時は、毎度十度めは、馬場末にて馬よりおりて、さくりの中を馬を引せて、馬場本へ歸りて、又始めて射る事本儀也、十度めくに如此する也、亦二十度射ておるゝ事も有、三十度つゞけては不可射云々、何十度めにてもあれ馬を乘かへ、馬場本にて乘替べし、百番と云事、笠掛ならでは不可有、
一百番笠掛の時、自然こぶし落、其外何にてもしつ有て不射時は、一騎打鶴て射直すべき也、
p.0555 一七夕笠懸の事、七度可射也、十度射る事不可有之、
p.0555 七夕笠掛之部
一七夕笠掛は、七月七日、七所にて笠掛を一度ヅゝ射るを云也、十度射る事不可看、又一所にて七度ヅゝ射るをも云、右兩樣也、此外體拜以下、常の笠掛に替る事なし、
p.0555 一笠懸日記之事、百番には、
爰に第一第二己、第十まで十枚にあるべ王〈○中略〉
笠懸射手
なにかし ○○○○○○○○○○
なにかし ○○○○○○○○○○
なにかし
なにかし なにかし
奧に年號
諏訪祗法樂御笠懸射手
正二位尊氏 ○○○○○○○○○○十
命鶴丸 ○○○○○○○○○○十
南次郎兵衞尉宗貞 ○○○○○○○○○●九
勝田能登守佐長 ○○○○○○○○○○十
島津周防三郎左衛門尉忠秉 ○○○○○○○○○○十
杉源與四郎國遶 ●○○○○○○○○○九
勝田治部丞長直 ○○○○○○○○○○十
緬能部又太郎氏重 ○○●○○○○○○○九
貞和四年四月五日
依有靈夢吿笠懸十番、大刀一振、馬一匹、〈鴾毛駿〉所被引進也、
此日記、慥寫置者也、程興行には、端書御の字有聞敷事也、又當時上原興行の諏訪神事笠懸日記は、名字官など取食かた字づゝ二宇に書たる也、
p.0556 一硯の事、筆は二譬、墨は壹挺也、刃、水入、如常、筆すゝぎ可有之、一管は射手の名字を可書筆巫、一譬は裏矢の時けすべきため也、又矢數をしるしたる筆にて射手の名字を書事、大成非藏也、此儀希にも知る人不可有之、但犬遶物の時は相替る事也、
一文臺の事、公方檬御相手の時は、日記を文臺に置て可付、御見物の時は、文臺に不可置、雖無上意叉は犬追物の時子細有、各別の儀也、其時は文臺に置て付べし、又内々にて内の者計射手にて、其 主見物の賻は、文臺有べからず、此時も其主の氣色に依るべき聞難計、又傍輩鼾、射手の時は、文臺に置て可櫛なう、心得べし、
一笠懸の時、矢代を振て、爽第に日記を付る事有、矢代の振所の事、又棧敷なくば、何方にても射手の居たる所にて振、聴所は不定、何方にて振丑、、馬場元の方より、馬場末の方へ振べき也、但引目の方は跡に向へべし、棧敷の前にては、筈の方棧敷の方へなるべし、
一上土躡にて臼記を付る時は、矢代振に不及、此曦も究第ば一二三四五邂也、但九番目は、いちさがり也、一士八實翫義己心得べし、
一日記の事、縱矢代を振て、矢代次第に射手名字を書共、日記に屬亥第とて書之、矢代次第と書間覈也、心得たる事也、矢代は則屬なり、
一日記付る在所の事、二所有べし、一所は、棧敷有ば棧敷にて付べし、又二所は、的の懸たみ向、馬手の方にて付べし、
一笠懸の時、日記付る料紙は、公方攝にては引合也、常の時は杉原等也、但步射的の日記に同じ、一日記の櫞攝、あたりたる時、ぐろむる人有、一向心得ざる子細也、於當家其攝なじ、唯はつ仕たる時計、くろむる也、秘する故記さず、
一公方樣御笠掛の時は、日記の端作に、御笠掛射手鬟可譬之、御相手の時は、殿文字不可書、又七夕御笠懸の時は、七夕御笠懸と計可垂尸之、此蒔は射手と云字を不可書、是異なる也、一日記の端作の事手一束置て、御笠懸射手と云字を、射手の名宇の高さに一字さげて可譬之、奧の年號月日と御笠懸と云字と、固高さたるべし、但平の時は、笠懸射手と書べし、此時ば御の宇有べからず、
一同日記に、各舛手の名字を書立、射事名の下に丸を十宛して、其下に十文字を可書、又七夕御笠 懸の時は、射手の名の下に丸を七ツして、其下に七の字を可書、是は七度射る故、度數にする也、何れの時も、九は度數程すべきなり、
一祠事笠懸の時も、日記は常に替る事不可有、雖然此時は身を淸め白衣を著すべし、文臺の左の手先に、角の香爐名香燒べし墨をする事順にするべし、
一同時日記付の見所、最初に馬場へ出ては、贄を見、棧敷を見、扨射手の揃を見べし、是三の見所也、但我ざんまいは初より見るなり、
一拳はつれの日記に、ゆ如斯半分くろめて置と云、其も故なしにて、こぶしはずれの度の九の脇に、細くこぶしはずれと可付と有、何も不謂事也、只ゑうにて有間、いつものことく、はずれ矢たるべし、
一神事笠懸の時、拳はずれの事、願主方の射手は射直すべからず、縱射直したりとも、こぶしはずれたるべし、又願衆方にあらざる射手、射直したらば子細なし、但直に通す時は射直されと云て、射直さすべし時宜は願衆方より云べき也、其時射直したらば、日記は其儘たるべし、けすべからず〈○中略〉
一祚事笠懸に行騰をはくべし、八幡諏訪の神事是也、諏訪の神事には、御前に贄を懸て射也、其外は射手の立願なざの儀成るべし、先十度本也、或は百番、此外射手のさんまい也、七夕の笠懸の度かわれる物なり、
御笠懸射手
御○○○○○○○○○○十
如此十騎もあれ、十二騎にても、次第は名字にても官途にても可書、はずれたる度をば黑くすべし、又十文字を大に書て、つゞと是を讀なり、 一百番の笠懸の日記の書樣、笠懸の一枚宛に書て、日記十枚有べし、書樣十度の笠懸にかはらず、端作の方に、第一第二十迄付べし、是も名字にても官途にても書べし、
一七夕の笠懸日記の書樣、端作に七夕笠懸と計、可書之、日記七枚可有之、第一にいづくの馬場の在所を付べし、矢數の付樣如以前蚕方樣被遊る時は、端作に御の字を可入、又七夕の笠懸、七度射る事有、其日記の付樣端作同事也、
七夕笠懸
名字 ○○○○○○○ 七
加樣に七度射事有、是もはずれたる度は黑くすべし、仍笠懸の臼記付る事、奧義の大事知る人者可稀成、殊更百番の日記、七夕の日記二色、此等は努々不可囗慱有、可秘々々、
一小笠懸の事、無左右射手の秘事ト云々、長じだる射手其の中にも、委知る人あるべからず、
p.0559 一笠懸矢の沙汰事、的にあたる矢とびかへりて、はす土にあたりて、的よりうらへこす矢、いかにごをく行とも、前に落たる矢也、よき矢也、的にあたりたふれて繩にかゝる矢、やとりまへより取てよし、同たふれて矢つゝとあがりて、よこぐしをまはりて前へおつる矢、くしまはりとて、よき矢也同ごとくたふれて、立串をまはるも、矢前へ出候はゞ、よき矢なり、的にあたりてからをれ、引目うしろへぬけ、いかに遠く行とも、から繩にかゝう、まへにおち候はゞ、よき矢也、引目のそこぬけて、箆中もとはぎなどへゆくとも、的にあたり候はゞ、よき矢也、繩にあたる矢、いかに前へ落たりともはつれ也的にあたりて下へたふれ候矢をうつ事、馬より下、くつをぬぎ、弓を右に弦を下へなし持てより、的の前にて、左の手にてに菁りより五寸許上を取、右にて下を取、うらはずうしろのくしへなる樣に、まへのくしよりうしろのくしへわたして、的の上より弦ををしさけて見るに、はず弦にかゝればよし、かゝねばすてべし、又たふれたる矢のまぎれたるふしんな るをば、引目じちを見て、土つかばすて、つかずばよき矢也、
p.0560 矢の沙汰の事
一的によくわたりて落セる矢の、唯ころびて横綱を越たるは、惠撤矢也、
一あたりたる矢、横綱にかゝる事常に有之也、筈など少かゝりたりともあたゆ也、的の上のかどにあたりて、横串をこゆる矢、落つかぬさきに横綱にかゝれば能矢也、横損仁かゝちずば、はつれなり、
一的にあたりて矢をれもせよ、又引めのぬけもせよ、何方にてもあれ、一方は的前にとまり、一方は布かは串などに中うたらば、外なり、縦をれて後ろへ行とも、物にあたもずば、中、也、又矢の本矯癰よりをれて、筈の方は的より前に留ち、引目の方後ろへ行とも、布波串などにあ瀧らずば、能矢也、是は何も的に中らたる矢の事也、引目のかけなど的の前に留うて、矢は的の串より後ろへ行ば、縦串にあたらずとも、外也、
一韵のなかに能中たる矢、乳にても綱にても切れて、矢串の通うをすぐる事可有之、串を過ばゑせ矢也、かゝらかゝらぬ程ならば例式の沙汰の矢なるべし、
一的にあたりて、拐立串攝串に引目のあたちだるは、惡矢也、捨べき也、但墓目箆中などあたりて、よく前へ落ば、よき矢なるべし、
一的に能中て、其引め尻、的の笂に中ちたるは、いかによく落たりとも惡敷也、子細は乳にあたら争ば、何く迄か可行矢ならん間、可捨也、
一矢をはなさんとする時、引目ぬけて、擁其儘射中たらばいかゞと不審の人有之、昔より定る法は無之、然りといへども唯中に可用也、的矢の時、いたつきゆがけにとまりたるを、其儘射るに玄ゆんずべし、 一的にあたりたる矢、或は串を廻、又は的を廻りて、的の串よ参前へ出る事有之、横串をもまはれ、立串をもまはれ、外よら内へもいれ、内より外へもまはれ、布かは串などにあたりて、まとの串よち少も前へ矢出は、中り也、
一的に中りて、串を廻りて前へ出たる矢の事、鈎串より前へ出たるか、入たるかと論の時は、例式のごとく可沙汰也、鵑の串の邏りに落たらば、先前の串に弓の弦を押富て、いかにもすぐに弦を渡して、矢に弦かゝりたるは中也、後ろの串の通ちならば先後ろの串に弦を押當て、弦をすぐに渡て見るに、矢にかゝらたらば中ち也、若弓杖に餘て遠く落たらば犬の矢沙汰する陦十文字の横點をつくごとくたるべし、的の串の根に弦を押當て、いかにも見はからひてずぐに弦を土に押付て、かうがひを弦のそとに拒て立て、かうがひを其儘置て、それをつきて矢の方へ弦を渡て可見之也、かゝらば中ら、かゝらずば外也、前後ともに沙汰の時は、弓の末弭、馬場へなるべし、草鹿圖物沙汰同前也、
一矢沙汰の時、矢下へたふれて、串より萠へ識尭ると云人も有之、出ざると云人も有之、爭論の時は、矢の主沙汰して射手に可見矢主沙汰するやうをゑちずば射手うちにて古老の仁、誰にても沙汰すべき也、沙汰する亥第は、下馬して先沓を輪ぎて、弓の握の上を左手仁取て、弦を下へなして、弓をひつさげ持てよらて、其儘末弭を縟場末へなし、右手を弓に添て、物にあたらぬやうに、的の下よ参弦を入て、前の串と後ろの串に弓の弦を押蠧て見るに、弦にかゝらば中り也、かゝらずば外也、矢の主にてなき人沙汰せば、矢主も馬よ汐をり、沙汰するを可見也、草鹿飆物渉汰圖事迎、かゝり候とも、またかゝり候はぬども、又は惡敷候とも、よく候とも可云也、
一笠懸矢の沙汰は、串より前を弓にて沙汰する也串より後へ沙汰せざる事也、犬に矢毎にたすけ度とて、疏のはづれ可〈○可恐誤学〉弓の弦を渡て沙汰する事有之、如斯事をとふて沙汰せば、笠懸の 沙汰の時は、串のうしろよう沙汰すべけれども、昔より串よ蔘前にて沙汰する間、此分然るべき也、
一引目尻を取て見る事有之勝負の時矢さかりたるぎ申人も有之、又能と申人も有、論ずる時は、蟇目尻を取て見るに、砂芝など引鬪の頭にもつき、又内へも入尭らば、下り矢たるべし外也、砂芝などつかずは中り也、勝負の時は、かやうの批判すべき人、的の串通り馬場本の方に可邏也、左樣の人なくば、射手のうちにて古射手、馬よりおちて可見之也、其時は矢の主も馬よりをりて可見之砲、又大事の勝負の時ならでも、陦宜によつて、馬に乘ながら射手も皆打よせて、的齣の串の遒り、弓杖三杖四杖の聞、馬場末邊にて可見之也、さやうの時は、矢取引目の方をあげて持て來れと云てよりて見、饉に引目の中へ砂にても芝にても、其外何にても入たらば外矢也、何も不入は中り矢也、此矢串を過ば、沙汰迄もなし、惡敷矢也、串の通りに膏時の攝也、矢を取て持ヂ、來る時、引めをあげて來れと云謂は、なかに何にてもあらば、さげてもたば、こぼれ可落間、さて如撕云儀也、矢の主に能見すべき也、此矢立串の通りより後へ入力るか、いらざるかの爭論の時は先矢を沙汰して、矢よくば蟇臠尻を可見なり、
p.0562 一矢代ふる事射手齣後をしきだいの時、引目を一つゝ取て射手ふるべし、馬場のさじきうつて有所にふるべし、引目手にあまらば、二たびにもふるべし、その次第に射る也、引曷さくりの方へなるべし、
p.0562 一矢代は、かり屋かたの前にて常る也、引臠を矢代に可出、矢代次第に日記可付、亦鬮をも筒に入て取也、是は栢手々々を定る也、鬮を取て、ゑぼしの右の手の下に、鬮のもんのみえぬやうにさすべし、笠掛はじまらぬ以前に、矢代も鬮もあるなり、亦瑳敷にて紙鬮を取事有、子細はいつれも同前、矢代は射手にあらざる者も振也、鬮筒中間ふるなり、出る時鬮を馬上にて取間、中 間つゝを持て振也、
p.0563 一矢代ふる時、上矢の置樣鬮的記、步立聞書等の圖はあやまり也射手方聞書の説、矢代記の箇は正敷也卞矢を先直に置て、上矢をば下矢の上にすちかへて、上矢の筈の方、矢代ふ、る人の我前むけて置也、〈○圖略〉
一犬追物、笠懸などの時、墓目の矢にて矢代ふるをば、矢代とは云ず、蟇目鬮といふ也、犬追物笠懸の書にあり、
p.0563 一笠懸引目、ゑらべて給候へ己、人の被申事有、申人は的をかくる、射手はたゝみをと云べし、まとをば上の繩をばくぎにかけ、よこ縄をば、二人して兩方へ引はるべし先はかたぬがで射るこいへ共、大事の引目、袖にもうつ事有、肩をぬぐべし、たゝみとこのむ事も、射はつしもやとの心なり、こてさすには、はだぬぐほどに、はだぬぐまじきにもあらずとなり、〈○中略〉
一弓の弦きれ候をば、手のうちを射かへすごとく持て、はりかへを取べし、
一笠かけはじまり候はぬ以前に、ゆがけを弓手のひもかはに付て、懷へをし入たるもよし、各はあたゝめてよき也、又さげをにつくるには、二の緖を取そろへ、ひつとく樣に付候、何れもか樣にすべき法にはあらねども、古人かやうにせられし也、
p.0563 一弓持樣之事、馬ノ耳ノ問ニ筈ノ有之樣ニ持べシ、横ニ成易モノナリ心得ベシ、但弓ノ强弱有之トテ、色々取替ルハ尾寵也、張替等ハ、袋ニ入持セテモ不苦ナリ、
一蟇目持樣ノ事、輪ノ所ヲ馬ノ右耳之内ニ成程ニ持べシ、弓ニ不可爲持、外ハ袋ニ入テ小者ニ持スベシ、
一射手何騎モ有之べシ、暇令ハ十人之時ハ、五人宛二行ニ立ベシ、若貴人ト平人ト並射ル時ハ、貴人平人ト五人宛、兩方ヘ分リ射べシ、立所ノ高下著座次第、又可依人、口傳、 一射手馬ニ乘、搨形黴リ外ニ何モ扣ヘ居、各式臺有之テ、偖馬立所へ一二三ト、次第ニ並ビ居、先何モ徒馳稽古脣ベシ、雜人ハ邇シ終、何逼モ徒融稽古可有之、其時ハ不持弓トモ不苦也同矢代ニテ射ル事モ有之、
一續射手通シ終テ、馬出ヘ歸、以前ノゴトクニ、一番ニ番ト段々扣へ、雛一番ノ射手、扇形ニ扣へ居ル番如圖、外ニ扣へテ次第々舟打入射べシ、
一各一遍射終、馬出ヘ歸、本ノベトク並居也、此時ハ萠一番ノ射手、 ノ跡ニナヲ、二番ノ射手、一番ニナル故、馬出ヘ歸時、其心得ニテ扣べシ、十番マデ段々如此、一番ニ操出メ也、但矢代ニテ射ル時ハ、此沙汰ニ不買及也、
一的見事、披キ出シテ一度、矢筈取タ打上樣ニ一度、射放シテ一度、以上三度ナジ、爰ニテ目一ツ殘スト云事、口傳、
一矢用之事、馬出ニテ用フべシ、ハゲナガラ行ハ惡也、但七八度モ射テ、暮ニ及テハ不苦也、
一矢構ノ事、引曷ノ鳥帽子ノ高サ程ニ打揚ベシ、此時弓ヲ後ヘ引ハ惡也、身遘、成ぐシ、射放シテ弓横ニ不疏慌ニ可持也、
一矢指ハ肩ヨヲ拳ノ方少下ルべシ、但水走ト云リ、箭先少下ゲテ見能也、少下テハ下ワ卆見へヌモノ也、心得ベシ、
一射樣ノ事、走ラカシテ、押手ヲ少シ的ノ方へ當ル樣ニシテ、的ノ後串ノ邁へ、馬で足カキ入時分、跡へ蠹夕向驟ニシテ放殘心シテ担手綱ヲ品能取べシ、
一披キ出ス先ニ、矢取落ス時ハ、馬ヲ居タ扇形ヘ歸リ、矢ヲ取射べシ、若疏ニツカヘ、馬諦カ子バ、其儘通スベシ、同又引靆拔落事有之、如右歸タ、乙矢ヲ取射ル也、若披キ出テ後拔ハ、矢ヲ指弛テ、弓ニ持副慂スべシ、 一馬キレテ疏ノ外へ上ル事有之、未披キ出サヌ時ハ、三度マデハ矢ヲ指弛シタ、馬場本ヘ歸テ射直スベシ、若披キ出タ戸塒ハ、其儘疏へ乘入披キタ射也但射レザ戸時、、矢ヲ指弛弓ニ持副遘スベシ、
一的ノ邁邊ニテ弓取落ス時ハ、介添取テ、馬場末ヘ持行渡ス也、若取持塞戸事モ有之、取樣ハ人ニ可依也、
一馬乘スカラスト云事、疏へ入タ、乘テ出シヨリ立ベキ也、鞍二立時ハ、腰ヲス、、鐙ヲサウトウ〈○承鐙〉ノシヽニ蹈付テ、膝ヲエマセ、尻ヲ鞍ノシツ輪ニ富戸樣ニシタ、腰ヨヲ上ハ可成直也、
p.0565 一笠懸の時、挾物ヲ立テ射戸樣、眞葛ガ療の馬場ニラ笠懸の有し崎、挾物を立タ射ちれし十騎の射手、九騎沸射樣ヲ不知シテ射ざ力し、赤松越後守一騎、射標ヲ知テ被射也、打靨る時、於此遒ハ、比叡の山より愛宕へ、ますかきの勿ヲ飛よといはれし、名譽の事也、奘射樣、左のゆがけに子細有、大事成鬻、不及書一條、小笠原入違宗信モ、同播州モ無存知事也、多賀豐後守、又ハ小笠原絛源相俸有之縛庭、同斷ニテ知れたり、
p.0565 檢見之部
一常の笠掛には檢見なし、勝負切笠掛には、檢見出て矢を沙汰すゐ也檢見なければ、古射手功者の人、矢を沙汰する巫、又射手ならね共、物知り淀る人は沙汰する也、又犬追物の檢見する程の人は笠掛の矢沙汰をもする也、
一笠掛の矢沙汰する時、沓をぬぐぬがずと云事有、沓をぬぎたるがよき也、犬追物の矢沙汰する塒は、沓のはな入る事有、沓をはきながら沙汰する也、笠掛の時は、更に沓の入る事なし、聽じて此邁にかぎらず、理の立處、尤本とする也、
p.0565 一笠懸の時日記付出立の事、射手に替るべからず、又神事笠懸の 時は、白衣を著し、精違潔齋して出べし、常己はかはるべき也、
p.0566 一かいぞへの者は射手裝束のむすびめ、またざぢめ、弓矢等にいたる迄能あらためて出たゝせ申也、こゝろきゝて、はたらき有やうにすべし、ゑつある時は一入の事也、ゆだんしてほかへ目をふるまじき也、
一射手かり屋より出たる時、馬をひつたてゝのせ、矢代の事にて取さた申て、的のうしろ串の方、矢取の者のうしろの方にひかえべし、
一射手落馬などゑたらん時は、矢みちより出て、疏のむかひへ出て、馬を書ゝのへびきて馬場本へゆきのせべし、射手のうて、ひらき出したらば、も芒の居所にひかへべし、何事も射手の心、もどしからぬやうに、取はからふべし、
一かいそへ出立は、ゑぼしかけをして、小すあふはかま、あしなかをはくべし、針糸かうよう等を懷中すべし、
p.0566 一介添の心得べき事、らちを越る事有べからず、若落馬弓取落しの時、矢遒よ参まは蔘て、同馬場末に射手有ば、布革の後よらまはりてよし、同馬場本の時絃、かり屋の後よう廻る事有べし、さくうを越る事あるべからず、但的のあ璧たは越る也、
p.0566 介添之部
一主責人の介副は、馬場末の打上處の芝の上に、敷皮を敷て居也、〈○中略〉
一笠掛の時、打鑰りざまに、御はりかへなざ御請あらば、後の方よりさくうを越して可進也、
p.0566 一矢取あるべき所の事、公方慌御矢取、的より馬場末のかたにあるべき也、其時はそれに隧て、各的のうしろのくしの方に居候、次第に馬場本のかたにさがるべし、さて公方樣あそばされず、常の時は、馬場本のかた賞翫にて、馬場末下恵、
p.0567 一矢とりの者は、射手のかへ弓、かへ矢をうけ取、弓を袋のまゝ可置也、一公方樣御矢取は、格別の灣所なり、圖に記し置也、御引目御弓も同前、
一矢取は、的の後串の邇リニ杖ばかり、馬場本の方へ居る、中間にとらすべし、鑢の方へちかきが、賞翫の射手の矢取也、小髷に己らするは略攝也、
一出立は、ゑぼし跡けする也、小素襖はかまに、こもゝだち、すあし也、
一矢取こ、ろへべき事、花をれたる矢か、中りたる矢か、うたがはしき矢の時は、串のうへよりとれば、あたりになる事も有、串より少し前の方へ出たる矢にても、串のうしろよ参とれば、はつれになるべし、よく分別して取べし、勝負の時は、ことにそこつに取べからず、見はからひて時宜により、そうなく矢をとるべし、射手引目を見んといふ時は、蟇目尻をあげて持來るべし、射手落馬の時は、弓こしざし蟇目等取そろへ、射手にまいらせ、旬通りの矢道よりかへら居るべし、射手ゑつ有て、弓矢ひきめとりおとしたらば、取あつあ、馬場末にてまいらすべし、
一射手十度射はてゝ後は、はりかへ冢、かへ矢とを持て、棧敷の前を邁うて入べし、
p.0567 一笠掛の時、矢取引目持てより、馬の上へ馬手より引目の方をさしあげて出す也、〈○中略〉
一矢取蠹的の後に可雇也、矢の取やうは、たとへあたちたる矢なりとも、的串と布皮この間より取たらば其矢は、はづれなるべし、たふれたる矢也と云とも、的のまへよりとれば、あたり也、公方の御矢とりは、的の前に居べきなり、
p.0567 矢取之部
一矢取は中間たるべし、但小者も苦からず、但路儀也、ゑぼしかけをすべし、居所は的の前の串通力二杖計、馬場本へよちて居べし、此所にて馬場末の方、的に近き方實翫也、弓引目は、袋を取て、た ばねて、矢取の前、又はあづちの後かざにも置べし、主人貴人の矢取は、的の前の串迺ち、的に近き方に居る也、〈○中略〉
一射手射て、馬場末より馬場本へかへる時、矢取、矢を馬手の方より出すべし、引目の方をふち返して恨すを射手取べし、扨矢取は、替矢の置所へ歸りて居べし、十度はつち迄如此、〈○中略〉
一小笠掛の時は、矢取は的に向ふて弓手の方に居べし、矢取以下、本の笠掛にかいさま也、
p.0568 一行騰の事、笠懸流鏑馬、神事に射る時は、若衆のこ驃は不及申、歲七十八十に成共、悉夏毛のむかばきはくべし、麗毛の行騰、本たるによりての儀なち、犬追物時はくことく、ながくはあるまじき也、いかにもみじかくつめてきるべし、神事むかばきの切機嵳るしおき候也、おりめのすそを、すぢかへ七きるなち寔によりて自鮒けがれをも時神慮にもあふと申樂るなり、〈○中略〉
一むかばきの腰の事、一寸ちがはゞ、かりむかばき、、一寸あかば、か蔘むかばきこいへり、これはうしろのちがふほざらひの事なり、五分ばかうちがふたるがよきなり、前は二三寸あぎたるがよきなり、
一神事行騰の事、加橋に可切、〈○圖略〉例式よちみじかくつめて可切、引目とゞめの事は、だこひ引艮を腰にさゝずごも可衝、はく時は左革の緖を引目とゞめへ、とをすべし、笠懸小笠懸流鏑馬など、祠事にて射る時はこのむかばきのごとく、すそのおりめを四寸ずぢかへてきりてはくなり、其外ば例式髢、此行騰はくことは、神事にかぎりたる事なり、神事にてなき時は、はくことあるべからず、
p.0568 一笠掛の射手の出立は、こてさして、むかばきはく也、入道はいさうなるぎがさ、又はほうしなどかつく也、〈○中略〉
一笠掛の出立の事、ひたゝれに、むかばきはくべじ、紐のとめやう、前にてまむすびに結て、うしろ へこして、例式のひ惷むすぶやうにゆふべし、ゑぼしかけ之はつれ蠹やうにすべし〈○中略〉
一遠笠掛の時、射手の出立の樣、すわう小ばかまにて、ゑぼしかけをし、刀をば、さげをにてとめ、同ひもをば、すわうのうしろのゑりに芝め、其後ゆがけをさし、同むかばきをはき、沓をはくべし、但むかしは、犬口ひたゝれにても射たる例も有、同ひたゝれの袖ひろくあるによちて、矢はつを取時、馬手の方の手を、すこしひたゝれの袖を、のくるやうにして、やがて矢はずを、むねのとをりにおしあはせて、とりてむ弓の時のやうに、うちあげべし、馬をか丶せて矢をはなすべし、
p.0569 一笠懸の時、入逍笠を著る由、有人の不審、宗信はか吾注たる物ニモ、頭巾トコソ書たれ、笠著る事不可有由被再、尤也、
p.0569 一小笠懸からにかぎ蔘て、まゆみの上にうるしさす、是祕事也、
p.0569 一笠懸から、犬射から引目柄、これらを、からと云べし、其外の矢どもをば、のと云字を入て、かぶらのから、かりまたのから、四靉の柄、征矢のから、けん煮かのから、亥んどうのからなどゝいふべきなり〈○中略〉
一小笠懸の矢のこしらへ樣の事、箆はこがし箆なり、は争はから竹のふしをけづらで、其まゝする也、竹は枝のあるを可用也、ぬるべからず、しろかるべし、は蔆やうは、何色にてもあれ、色糸にてはぐべし、はず卷も同色いと也、洞は具羽なり、箆のふしは洞中本也、すけふしと羽中と、箆中ふしと、三所ある箆にてすべし、〈○中略〉
一小笠懸のからに、ふしかけをごりてもするなり、但賂儀也、それもはずは、から竹なるべし、ぬるべからず、鑽かるべし、ふしをさはしたる時はかばにてはぐなら、色いとにては、はぐまじき也、但色糸にてはぐも、くるしからず、さはしのゝ時は、樺しかるべし、〈○中略〉
一笠懸からの事、さはし箆、本也、ふしは羽中をゑやうすべし、三ふし箆、本なり、のごひ箆、略儀也、は ずは的矢のごとくたるべし、〈○中略〉
一うるしはぎの事、的矢、笠懸から、犬射から是はみなかははぎの矢たる間、何もうるしは蘯をして持べきなり、雨電俄にふらば可射ためなり、い己の上を何もこき赤うるしに瀛るべき也、雨ふらぬ時、うるしはぎ射る事あるべからず、
p.0570 一小笠掛の引目は、長さ四寸、鬣九、式は七もあり、三所卷て、らう色を取てぬるべし、是を半引目と云て、小笠掛を射る也、からは、こがし箆に、筈にから竹、箆に似合たるを皮をけづらずして、ふしはずにさす也、箆はこがし箆、こがしやうはふしかげのごとし、羽は眞羽、或は鶴の羽よし、色糸はぎ也、又ふしかげを取り、からにかばをつかふ鬟も、筈はから竹は千なるべし、亦漆はぎもくるしからず、
p.0570 一笠懸の矢の箆卷の皮ノ事、紫皮より外は成間敷也、袋に入テ、箆ヲまく時の事也、〈○中略〉
一笠懸引目を六所卷事、別而何ヲ表シタルなどゝ云事なし、犬射引彎より後に出來たる物也、犬射引目の由來ヲ以テ拵たる也、只うつくしくせんがためなり、ことなる子細なし、
p.0570 一弓之事、村削、側白木、又相位弓ヲ用イ、矢ハ、サハシ箆羽ハ眞羽、切府、中黑、鶴ノ羽、何モ外向ヲ用也、但矢五節モ有之、鶴二計モ宜也、拭箆ハ略儀タルベシ、何モ張替、替矢有之也、
一蟇目之事、長四寸、卷目三所、又ハ五所、獵糸ヲ以零塗ベシ、削樣口傳、
p.0570 一笠懸馬、むらがきなるをば、かきよどむ、かきますと云べし、よきはしりと云は、しり足をかきそろへ、まへ足のきはへはこび、まへ足をかせぐを云也、
p.0570 一笠掛の時、手綱の長さ、鐙をふみすかして、つゝ立あがるに、むねの邊に、ゆるノ丶ご手綱のまはりのくるほざにする也、 一同ちから皮の長さ、しづわを立すかしたる鸞き、のこさ蘯程がよし、あぶみをふむにつまり亢らば、のりこすべし、
p.0571 一力革ノ事、常彎夕短ガヨシ、犬ニハ長ガ能也、四寸二寸、口傳、射手ニ可依、
一片手繩長サノ事、曲ヲ取テ乳ニノ間ニ持也、身ニ近モ、出過タルモ惡也立スカズエ、緩々トスル程ニシテ、見能ホドニ然ルベシ、
p.0571 一笠懸を見はてず其、犬追物をば、はてよ巴なり、其ゆへは、笠がけは今一度二度見殘しても、ことなることなし、犬には今一疋二疋にも、不慮に矢沙汰する事ある故也、〈○中略〉
一笠懸の馬場に敷皮しく事丶いつくようも的のかたへ白毛をなす犬には縄へなすべし、〈○中略〉
一引目はつれて、海河へ入矢音は、たんへいと語べし、あたる矢音は、へしとしつとゝ射つけてと云、
一詞に向ふ何度かへす、何度といふは、馬場本へうちかへりざまに云ことばには、かへす何度にて候と云、馬場本よ鼕今射る誨には、むかふ何度といふ也、〈○中略〉
一射ながす笠懸と云事有、公方標、又は主などゝ射るに、十度につゝをめさるれば一、はつし九、あそばさるれば八、か樣に、をと蔘申攝に射るを、射ながすといふ也、
一つるゝ笠懸と云は、日暮に及ていそぐ時に、さきの射手、うち入ひらきい詑す時分よゑ、扇かたべ馬を入、矢をつがひ、まへの射手、矢をはなせば、やがて馬をかへし候、是をつるゝかさがけと云也、
一笠懸に三の大事、十の工夫芭いふ事有、小笠原備州は、第一に引欝のうち入を見よ、二に矢かず、三に矢の沙汰、か樣に被申なり、同播州は、第一にうち入を大事に思ひみよ二にうち入てはひらきいセしをお臺へ、三にあたうを竕もへと是な与、十のくふうは最初よち十度まで、惡き所を心 にかけで、心をゑづめて人に螽たつね、無油斷くふうせよと也、於笠懸ハ最上肝要眼たるべしと也、〈○中略〉
日暮て射るに、篝たくと云べからず、あかしたてゝといふべし、あかす在所、矢遘の前、的のよく見ゆる樣にあかすべし、馬などおどうかぬ檬にすべし、
p.0572 平維茂罰藤原諸任語第五
餘五〈○維茂〉ハ前ニ人ヲ走セテ、澤胯〈○藤原諸任字澤膀四郎〉ガ有ラム所、慥ニ見タ吿ゲヨト云テ遣シタレバ、其ノ使走返テ、其々ノ岳ノ盲面ニ澤立タル原ニ物食酒飮ナドシテ、或ハ臥シ或ハ病ム樣ニタ有ト云ヘバ、餘五此レヲ聞タ喜デ、只疾ク打テト催シテ飛ブガ如ク乙シテ行ヌ、其ノ岳ノ北面ニ馬ヲ打上夕、岳ノ上鶤リ南ノ添ヲ下樣ニ趣ケタリ、下攝ナレバ馬場ノ樣ナル野ヲ、笠懸ヲ射ル樣ニ、音ヲ叫デ鞭ヲ打テ、五六十人許押懸タリ、
p.0572 文明六七月十八日、阿州大龍寺參詣了云々、笠懸ト申由緖、常智へ尋申處、返答云、於陣中、犬ヲ射事、大儀ノ間其沙汰ナシ、然而一向指置トキハ、ハセ引ノ違モ失之間、マクヲハリテ、其上ニカサヲカケテ射也、サル間、馬ノハスル遒ニハ、昔ハ、ラチヲユフ也云々、