https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0091 長刀衢ハ、其濫觴ヲ詳磊セザレドモ、奧州後三年記ニ、旣乙其名アタヲ觀レバ、槍術ニ比スレバ、更ニ古キヲ知ベシ、而シテ長刀ハ、古來僭徒、婦女等ノ使用スル事、特ニ多シ、

博來

〔懸間録〕

〈十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0091 長刀〈古代〉
一貫〈○大野〉口、薙刀ト云物、太古ヨ梦篭アルベケレ共、予ハ管見短學ナレメ、奘本擦未ダ所見アラズ、〈○中略〉或十界ノ晝、後三年合戰ノ畫、一ノ谷合戰ノ畫〈是等ノ拳者、氈ニ前蠶述タリ、〉ニ見へタル所ナルヲ、二三條左ニ摸シヌ、但此物、大小長短、古今不同ナヲト見ユ、參考保元物語、源平盛衰記、平家物語、義經記、承久記等ニ、大長刀小長刀ト云フモノ、彼所此所昧見ヘタタ、或ハ其寸尺ヲモ記セジ所モアリ、蚕一ナラズ、或ハ盛衰記ニ、筒井淨妙明春、三尺五寸ノ長刀、坂四郎永覺、三尺ノ長刀、明德記ニ、大内介義弘、三尺一寸ニ作ケル荒身ノ長刀、滑良兵庫頭五尺ニ寸ノ長刀、又盛衰記エ、戒乘房黏慶ガ所持ノ長刀ハ、三尺ノ大長刀ト有タ、或ハ參考太平記昧、見へシ大長刀ト云物ハ、其刃殊ニ大ナ戸ヤ、三尺五寸ノ小長刀ナド記シアリ、或同書ニ、四〈天正異本、二ニ作、〉尺餘ノ大長刀、〈山徒ニ、靉鑑、豪仙ト云者是ヲ持、〉六尺三寸ノ大長刀、〈態野人、二 王チ牛蓼損シタル如クナルトアリ、或長尾釋正モ所持セリ、〉或六尺餘ノ長刀、〈和田新發意源秀所持セルナリ〉四尺許ノ長刀、西源院本ニ、五尺三寸乙作ル、〈鹽屋伊勢守獗持也〉如是大薙刀ノア戸故ニヤ、前こモ云ヒケル小長刀トアルハ、其寸三尺五寸ナリ〈大塔宮所持給、或和田玉鄰所持ナリ、〉ト見ユ、彼是ニテ案ズルニ、古昔ハ刃ノ長大ナル薙刀アリテ、近代ノ薙刀、ぐ云物トハ異ナワ、前ニモ如演、古盡類ニ見へタグ所ハ、悉ク其刃長大ニテ鍔ヲカケタタ物不些、廼後三年合戰寶、〈龜次ト鬼武ト争闘ノ所〉一ノ谷合戰畫、十界ノ盡等昌出タル所ヲ以テ、古軍史ノ文章ト互乙競べ考合スベシ、

〔奧州後三年記〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0091 武衡ガモトニ、龜次、並次ト云二人ノ打手アリ、ナラビナキ兵ナリ、是ヲ剛擊ト名 附タリ、武衡使ヲ將軍〈○源義家〉ノ陣へ遣シテ、消息シテ日、戰ヤメラレテ徒然限ナシ、龜次ト云剛打ナン侍声、召シテ御覽ズべシ、ソナタ瀰リモ可然打手一人出シテメシアハセ、互ニ徒然ヲ慰ノラレ侍ルべキカ卜イヒオクレタ、將軍出スべキ討手ヲ求ムルニ、次任ガ舍人鬼武ト云者ア夕、心タケク、身ノ力ユ、ジカジケリ、是ヲ撰ビテ出ス、龜次、城ノ中ヨヲ下クダル、ニ人鬪ノ庭ニ寄合ヘ夕、爾方ノ軍、目モタ、カズ是ヲ見ル、兩方旣ニ寄合テ、擊相事半時ナリ、互ニイヅレスキマアジトモ見エズ、去程ニ龜衣ガ長刀ノ先、シキヲニアガル樣ニ見ユ声程晶、龜亥兜著ナガラ、鬼武ガ長刀ノ先エカ、ヲタ落ヌ、將軍ノ軍、、ヨ廿コビノ時ヲツクリ、匍グ聲天ヲヒヾカス、

〔本朝軍器考〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0092 長刀トイフ文字フルキ物ニシルセ声所皆カクノゴトシ、節用集ニハ薙刀トモカクヨシシルセリ、コレ其比ニハ、世ニ長キ打刀ノ出來タレバ、薙ト瑾フ半ヲ用ヒテ、其物ヲフカテル也、

流派

〔武術流祖録〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0092 槍術穴澤流薙刀 穴澤主殿助盛秀
薙刀達人、而其術如論、修行諸州、後仕莠賴、慶元兩年、於浪邁勵戰功、終討死、
〈先意流正木流〉薙刀 正木彈之進俊光
濃州大垣戸田家ノ臣也、始號太郎大夫、從信田一圓齋重次、遶先意流薙刀、得絶妙、先意流信田重次頑也、俊光又達短槍鎖術、至妙旨、推貝正木流、俊光其性剛ニシテ、力尋常ノ人ニ超ユ、七十斤ノ鉞ヲ以テ振八百ハ顏色不變、從遊之士多シ、

〔日本敎育史資料〕

〈十/舊沼田藩〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0092 月山流長刀 弘化三年ヨウ明治元年エ至ル、〈所在江戸〉工藤十一兵衞行廣、
戸田流長刀 嘉永年間、〈同師範ニ非ズ〉岩根左橘正承、

用法

〔武具要説〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0092 山本勘助申分、長刀は、さのみ替たる吟味有之間敷候、是も手に叶候はゞ、身の長き程可 然候、小長刀は、聢と役にたち不申候霍功者ざも申候、塚原ト傳と、卞總より出たる梶原長門鬟廨す長刀の名人、武州川越にて仕合ひ仕たるに、彼長門は、常に一尺四五、寸の長刀を以てつばめなざを切落し、雉子鶤なざの地に居たるを切て取程名人にて、鎗大刀なざ度々仕合いたし、切落者放し打の者をも數度仕、後には手かれて、此度は左の手、先に、右の手を後に切、其後首を切らんなざ、詞をかけて、少もたがへず芝すますほどの手だれなれば、ト傳が弟子共、彼長門と仕合こ蓬は如何あらんとあやしむはことわり也、卜傳申は、皆違理を主らで、奇特なる事を貴び候、長門が、長門ほざの名人には出合ぬに依て、名譽成事を致候、鵙と云鳥は、ぬしが身四ツ五ツ合せたるほざの鳩を追廻す機逸物なれ共、ゑつさいとて、鳩半分足なき小鷹に逢ては、其氣逸物も不出合、木の葉竹の葉の下にかくれ廻る物なう、總じて我より初心の者にあひては、奇特不思議も有ものな夢、長刀と云は、大刀打の場間よら、二尺三尺遠き物を切て蓬る道鑾の物也、然に一尺四五寸の長刀にて、相手の兩の腕を二度に切なざゝ云は、相手が能々拙ければこそ左樣にはいたすなれ、某長刀は常につかはね共、兵術一致こて、皆同道理のもの也、三尺の刀にてさへ、思ふ圖に人は切られず、まして一尺四寸の小長刀にて、六尺外にて、切はつさぬ如く切といふは、鳥けだ物か、心を取失ひたる相手ならばさも有べし、物なれ鋩る者が聞ては、至らぬ事也、二尺より内の長刀は、柄の短き鎗と同前たるべし、九尺一丈の鎗にて突拔れても、當の大刀はうたるゝ物なり、況や長刀にてつかれたちとても、當の大刀をうたで死ぬる事は、よも有まじる申て、二尺九寸の大刀さして、仕合場に罷出候、長門は、例の壹尺五六寸の小長刀にて仕候、互に床机を立て、すらくこかゝるとみる中に、長門が長刀、鍔本よう壹尺計おいて、二ツに切落され、只一大刀に切られ候卜傳は兵法の家なれざも、所により、長刀をも鑓をも持て、勝負を仕候、長刀持ツ時は、二尺四五寸ほざの大長刀を持申候、然ば長刀も長きに利有べしと被存候、何れも尤のよし申候、

〔兵具雜記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 長刀は、長サ二尺三寸、柄は其之人の立て、耳の下のひくさに等くすべし、以上の具足は能くよく其手を習て、籠失を可心得頁大刀は馬上にザ、九德、步立にて十德也、長刀は馬上にて十癌也、步立には九籀也、

〔劍法略記〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 なぎなたは、取まはし手早く、手のうちの延つゞめにて、場間鎗よりも替り安きものなれば、其ひまをよく〳〵見てうち入ざれば、あつかひなしがたし、たとヘ相尺の大刀合にも、間合の取かたより、椦負のわかれあればなり、されば場合のかけ引、進退合離のきは〴〵のことはよく心にかけて得ざれば、長刀にむかひては、いさ、かなる間合より、あやまちを引出すこ窰あれば委曲ならはしは、其けぢめを知べきこ芒なち、

〔承久軍物語〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 山法しらは、かちだちのたつしやな蔘、そのうへ大だちなぎなたをもて、芝げううちければ、ぶしは心こそがうなれざも、小大刀にてふせぎた、かふほざに、九人が中六人は、かいだてのきはにきりふせらる、

〔太平記〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 山徒攻京事
爰ニ東塔ノ南谷善智房ノ同宿ニ、蒙鑒豪仙トテ、三塔名譽ノ惡俗アリ、〈○中略〉二人蹈留テ、法勝寺ノ北門ニ立並ビ、大音聾ヲ揚テ名乘ケルハ、是程ニ引立タ夕大勢ノ中ヨワ、只二人返合スルヲ以テ、三塔一ノ剛者トハ知べシ、其名ヲバ定メテ聞及ビヌラン、東塔ノ南谷善智房ノ同宿ニ、豪鑒豪仙トテ、一山昌名ヲ知ラレタル者共ナリ、我ト思ハン武士ドモヨレヤ、打物シテ自餘ノ輩ニ見物セサセント云儘ニ、四尺餘ノ大長刀水車ニ回シ尹、跳懸々々、火ヲ散シテゾ切タヲケタ、是ヲ討取ン塾相近ヅキケル武士其、多ク馬ノ足ヲ薙レ、兜ノ鉢ヲ破レ尹討レニケリ、

〔荒山合戰記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 爰ニ般若院が、大剛ノ惡僭ニテ、度々ノ合皸エ名ヲ顯シタ戸兵ナレバ、〈○中略〉大長刀ヲ水車ニ廻、小躍シ走掛、左右ヲ狒ヒ前後ヲ薙タ巡タルニ、面ニ進ンダ声兵ドモ、忽七八人薙倒シ、佐 久間ガ軍兵辟易シテ、後足踏デ不得進、〈○中略〉三宅備後守ハ、長刀ノ名人ニテ、大勢ニ渡合、込手、開手、裁ツ掛ツ、突ツ斬ツ、蜻蛉返、水車、八方不透斬タレバ、目下ニ大勢討レ、〈○下略〉

〔武將感狀記〕

〈十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0095 穴澤主殿助盛秀ハ、薙刀ニ名ヲ得テ、豐臣秀賴ノ師也、相手ニ竹鋭ヲ持セ、二人前ニ立、術ヲ試ルニ、アヤウゲモナク必ズ勝ヌ、大坂ノ多陣ニ、上杉景勝ノ將直江ガ兵士、折下外記トワタリ合、折下ハ直槍、穴澤ハ薙刀ナリ、穴澤薙刀ノ反ニ掛テ、直鎗ヲハ子、飛入テ斬之、肩ニ傷ナガラ、槍ヲ捨テ引組ム處ヲ、折下ガ從者多ク聚テ、穴澤終ニ討レタリ、

試藝

〔將軍德川家禮典附録〕

〈二十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0095 天保十三壬寅年、於御白書院、御番方武術上覽罷出候者姓名、
長刀
一留多流 入身 〈御小姓組 關播磨守組〉永井十郎左衞門
打大刀 〈大御番 酒井隱岐守組 新四郎弟〉阿部鐵次郎

雜載

〔東遷基業〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0095 遠州合戰附今川氏眞衰微之事
十二月、〈○永祿二年〉今川氏具は、遠州引間の城主飯尾豐前守能房、今川にそむきけれざも、氏眞よりさまざまに計策し、斯て和順をなしける故、豐前守は、此謝禮の爲に駿府へ來りけるを、兵を伏て是を殺されけり能房の後室、引間の城を守り、〈○中略〉緋威の鎧に、同色の胃を著し、長刀を持て、侍女七八人、同じく出立て左右に立、

〔續武家閑談〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0095 豆州の内室〈○眞田信幸妻〉は、侍どもに手配して、本丸の門を犇と堅させ、出入を止めて、家中の人質を取集、いつ調へ置けるやらん緋縅の鎧ビ、同毛の甲、其外小道具不殘取揃、腰元に申付、一反そりたるひる卷の長刀を床に立置、中書忠勝の傳へし利刀をならべ置、月心淸林なざゝ云功臣に、軍令を示さる、


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Last-modified: 2026-02-11 (水) 17:07:47