p.0908 盆石ハ、又盆山ト云フ、石ト砂ドヲ用イ、盆上ニ於テ山水ノ風景ヲ摸スルモノニシテ、石ヲ立テ砂ヲ打ツニ各其法アリ、
假山ハ、盆石ノ類ニシテ、山岳ノ形ヲ爲セル木石等ヲ、室内ノ裝飾ニ用イルナリ、
盆晝ハ、盆石ヨリ創意セルモノニシテ、砂ヲ以テ盆ニ畫クナリ、
水上晝ハ、砂ヲ蝋ニ漬シ、其砂ヲ以テ水上ニ畫クナリ、
砂畫ハ、手ニ砂ヲ握リテ、地上ニ書畫ヲ爲スナリ、
p.0908 盆山〈東坡集〉
p.0908 盆山〈雲林石譜江州石以細碎石、膠漆粘綴取巧鶯盆山、〉 硯山〈三オ圖曾、有將樂硯山靈壁硯山、〉
p.0908 ぼんさん 盆山の字、雲林石譜にみえたり、盆石ともいへり、
p.0908 盆山盆石といふ事
石にて見るときは盆石といふ、盆にすへて見るときは盆山といふなり、
p.0908 盆山猶如假山盆中敷置沙石替狀高山名水而供翫妻
p.0908 今盆山といふのみ袗盆山とは云ず、狂言記五十香に、盆山といふがあり、庭石を盜みに來る者、その石の陰にかくるゝ狂言なり、石を疊める山なるべし、又石臺といふもの、花を植るのみにて、此石を呼ぶも、もと石を置たる故なり、これ卽盆石なり、寬永發句帳、年々のつぎ木や臺の作り花、盆山にそだてゝ見ばや石の竹、漢土には太湖石をめでたり、〈○中略〉昔の俗に、石菖鉢のたぐひを盆山といへりと見えて、一代女〈五〉盆山に奈知石を蒔て、石菖蒲の根からみ靑々としたるを詠ともいへり、古意にかなヘウ、立花の砂物などいふも、石菖鉢よち起れるにや、娘容儀とい ふ草子に、おごり者のことをいふに、蚊除の間とて、薄絹の障子の中に、五尺四方の盆石に、水行燈をしかけ云々なども有り、
p.0909 今この方の俗人、盆景と云は、盆石とて盆に石を排置き、白砂を盛たるをいへるは非なり、盆景こゝにいふ鉢うゑのことにて、もとは草木を植たるなり、
p.0909 盆山
抑盆山は鹿苑院殿〈○足利義滿〉の頃より茶事盛んにして、庭砌の立石泉水の翫びに起りて、相阿彌、能阿彌など繪を能する人是をなして座下の壯觀とす、砂石を以て山海の風景を寫し、席中の慰とす、其元金閣寺池中の九山八海石を模範とす、烏九光廣卿、有馬御入湯の頃、阿彌陀堂に詣で給ひて、
引提て床の上にそついすゆる大千世界九山八海、と讀給ふ、是盆山を題し給ふ、此御自筆の短册、今に彼寺にあり、
p.0909 盆山盆石といふ事
石は立るといふ、砂はうつといふ、是砂のことばの習ひなり、石を置くすゆるなど、は、うはさにいふことば也、床に盆山置たるを、石かざり、盆山莊りなどゝいふも、うはさの辭なり、
p.0909 一石砂とも名目ある事
主石を盆にをきたるをたつるといふ、砂も蒔をうつと云、何も盆山の言葉也、他家の傳には、砂をうつと申ことばをとり違へ、砂うち道具のうちに少き木の槌を拵、地砂をうちならし申事のよし、此方傳には槌を用ひず、
p.0909 盆山
嘉栗日、近年の盆石といふは、古への盆石とは大に異也、又盆石は打といふにてはなく蒔也、昔の は甚細密なるものにて、小き槌にて砂を打鳴すに傳あり、昔しのは甚古雅なるもの也、予が方に片桐石州侯の盆石の自畫讃あり、山の形を書て、所々に嶺嶽市尾瀧の五字あり、傳有事と也云々
p.0910 盆石に打といふこと、今の法にては、まつ石を居、地砂を蒔、洲濱をかたどり、砌箒にて洲濱の外をはき落し、石をも取あげ、よく掃、又盆中すべて薄く砂を蒔ば、水とすべき處は洲濱の外なり、さて鳥の羽に鋸齒を刻みたるにて浪をかき畢て、石をもと据たる處に置、又あられ砂を匙にて盛なり、是を打とはいひがたし、然らばもとは槌あるひはわら束などにて打たる故の名にて、今樣の如きにあらずと見ゆ、砂に打と云は是のみにもあらず、庭前などにも云る、そも又打ならす故なり、
p.0910 石立樣の事
石の表を南として左西右東、うらを北ととりなすなり、
石を盆の具中におくは、眞の立樣なり、盆の中、左へよせ右へよせなどしておくは、略のたてやうなり、略とは、いまやうの打かたにて、行と草との砂を略したるもの也、ひだりみぎりいつれの方へ石たつるとも、七分三分、前後四分六分に置くなり、
p.0910 盆石の事
一添石の事、さゞれを用ゆべし、そへ石は好ざる事に侍れども、本石の程により、あいしろふ時は、同じ色目の石を用ひて本石の景形にこもるやうにして、離るゝはあしく侍る也、口磚有べし、また砂にてあしろふときは、砂を少し高くつくりなす事、人々の知れる事也、そへ石は、一寸餘の石也是小石といふなり、〈○中略〉
一山の石には、川の砂を用ゆべしと也、海砂は用捨有べしと也、 一川の石、是右同前たるべし、山石、河石には、かん水石、つがる砂、めのふ、こはくるいも用る也、〈こはくるい、未考、〉
一石の名品何國と定たる事なし、海、山、川、ともに用る也、〈○中略〉
能阿彌傳盆山式 石之立樣事
一下石には下簀板を敷て、其上に石をのせて、下簀板の少しも見へぬやうに、石際の砂を高く打也、石は荒礒地平砂の大小なり、所々の景所により、水の流出たる景しきも有之、景氣佳絶、おもしろき所を能見置て、夫を手本にして砂を打と申傳る也、然ル故に殊の外手間入、心を懸て砂をうたずば、見立能やうに成がたき也、むかしより石を立馴たる衆も、一日も二日もかゝりて、立られしよし申傳也、
一近代は地砂をうたず、景氣は古方より能候、砂も打よく候、〈○中略〉
一石の立やうは、石を鉢の眞中に置、細かなる砂を下に打候也、砂を打候手本には、荒礒の巌石に、大潮のときは、岩石の際まで砂を打よせ、干潮の時は、岩石の際、水、ひきたる後の驫き砂、細か成砂の所も有、またうね立たる所もあり、其外樣々の景氣有之樣を心得合み、いかにも見立よきやうに、干潟の眞砂地を直に見るごとくにうち、板の先にてならべを直し、そろくとうちし也、大粒成砂を打候ときは、竹箸にて並のよきやう、一粒ヅゝはさみて置也、石際を少し高く打、鉢際を自然に下きやうに打候也、
一石の立やうは、古より秘傳に候との傳記のよし、然れども功者の樽授のみにて、手に觸たる事なし、然ば不正事に候得其、傳記の通り傳授候となり、
p.0911 盆山砂打樣之事
一砂は諸國の名物を用ゆ、又塞水石を碎き、能程にふるひもちゆ、波のたてやうは、寒水せきの粉 にて如何樣にも成也、其日の天氣により、風のあらき時は大浪をたて、盆山の裙に打掛などする也、風の靜なる日は、小々波の樣にうつ、あまり滋くうちたるはあしも、濱庇は海にも河にも有もの也、其ごとくには成らぬ物なれば、砂を少し盛揚て置也、獪口、傳アリ、
一洲崎は長さ三四寸ばかり、幅四五分に遣り違へうつ、濱びさしも、す崎も、盆の大小により見合、摸樣により打、美麗き小貝抔少々あひしらひにおく事もあり、右地盤の砂の上に、彼粉を茶匙にて打、物好は機轉によるべし、茶事の中立に花を生けす、客の中立セる跡にて、天氣を見つくろひ打、また御成の時は、臺子黑棚床抔に二つも三つも飾る事あり、その時は海川池抔の心持に賛る也、常の書院振舞にも、床か棚かに飾るべし、又書院硯屏など飾る所に、盆山を飾る法もあり、其時は料紙箱硯箱を棚に置べし、たななくば床におくべし、可秘々々、
一はまびさしは、海にも川にもあり、池などにはなし、海には浪の打よせ〳〵する濱際に、小砂をゑぐりたる樣に掘入て、上濱庇の樣に見ゆるをいふ、河には大水抔の出たる跡の、小砂の集りたる所にあるもの也、海のはまびさしにおなじ、河にも濱かわ抔と讀り、扨拵樣に口傳あり、寒水石の粉を糊にてねやし、手にて形を作る也、其上にて日に乾し堅むる也、是も長さ幅は洲崎と同じ程、其内大小有がよし、夫を地盤の砂の上に見つくろひ置、其上へ塞水石の粉をおきかけ、際のけじめ見へぬ樣に打、爰に手際、手つま、機轉、物數寄の入所也、洲崎は只粉にて何樣にも成也、流水砂とは、片はずの有がよし、
p.0912 盆石之事
石のいけ樣習あり、浪のよせ樣、四季に替り、浪寄跡抔、細々有之由尋候得者、如何樣、習も有之哉、當分京都抔にては、法式は無之よし聞及候、自分などいけ候、石をすゑ藁の切口にて砂をつき、羽箒にてはきし儘にて、盆石は本遠山移し候景色にて、浪の寄跡事は不得見筈にいたしたるもの、也、 夫ゆゑ心の石の小きは、廣座敷にては見へ兼候、眼下に見るより、遠く引はなれ見候而、直に遠山、又は遠き島など見候樣成が至極よく候、誹諧に、遠山の小松が本のかきわらび、と致し候へば、點者より、御眼力の程、御浦山敷と頭書致し候よし、自愛の石は、屋久島の産也とて被出候、高山殊に大ぶり、景色も段々有之裏表無之石にて能見へ候、先年囗山主計殿御出にて、自慢の石御望二而懸御貝候得者、此者自慢ほどの石なりと被仰候其ころ世間に有之石は、大形歌などよみそうな景色にて、此石は詩を作るほどにで御座候よし申上候得者、獪自慢なりと御一笑被成候よし、
p.0913 盆山之石
一盆山の石は、横六寸、高サ厚みは見合、
一川石のすはりのよき手いらずを用ゆ、石ふるきがよし、
一谷川の石、上石なり、名石の分は谷川の石なり、山石、海石は、景よくても惡し、
p.0913 石の事
大さ五寸ばかりより七寸まで、高さ三寸より四寸までをよきころと定めたるなり、然れども自然の物なれば、定りたる寸より大きなるもちいさきも有、形よろしきはもちゆ、べし、格好よろしきといふ共、作りたるは死體石とてもちゐざるなり、
富士山の形したるを、第一とするなり、
嶺岳市邑備りたる石賞玩なり
谷川の石もちゆるによしといへり
海石山石はよろしからず、もちゐざるなり、
ひき丶石には、下簀板をゑくなり、
すはりを切たる石を用るに、うらを純子の絹にてはりてもちゆるなり、 添へ石をあしらひ石といふ、あひて石ともいふなり、
石には嫌用有事、難相有る石は、見立よくともきらふ事也、よく吟味あることなり、月、雪、雲、瀧、花、紅葉のごとき見立有石、いつれももちゆるなり、
p.0914 座鋪莊巌盆石記
一盆石、峯二ツ谷一ッ、瀧流て山あると見るべし、
また石のうへ白きを、雪の峯、又雲と見るべし、あながちに瀧ある石にもかぎらず、白峯の石、横 雲の石あり、或はまた家々の名石その數有、總じては面白石、よろしきに之たがつて用べし、
一盆石寸尺は、高サ四寸、横七寸にかぎる事古法なれども自然石に此寸法はなきゆへ、是も石のよろしきを用ゆべし、家々の名石は、寸尺にあひがたかるべし、四寸七寸にわざと作るも心ぐるし、〈○中略〉
風早家説 石の事
一長サ七寸五六步迄、高サ三寸五六步ニ而、不盡の景色を備たるを最上とする也、
條々口傳、高サ壹寸四五步の石もあり、是を用る也、寸法口傳、
一能石は、少々盆つきうらおもてをいはず、きずありても用る也、口傳、
一きりたる石は、うらを緞子に而はる、うぶ石ははらず、口傳、
一難相ある石を不用、條々口傳、〈○中略〉
能阿彌傳盆山式 石之砂法之事〈○中略〉
一石の高サ三寸五步、或は四寸ほど、横廣サ六七寸ほどを能頃と申也、
一石の色あらきは、胡麻油にて拭て、潤しくして立る也、〈○中略〉
一ひくき石は、いしの形に板を能比に削りて、黑く塗て、石の下に敷て立る也、是を下簀板といふなり、
p.0915 相模 大磯盆山敷石〈五色ノ石有之〉 上野 盆山石 伊豫 盆山石、同敷石、
p.0915 丸子 名産盆山石〈丸子の名産として、市店に出して浩也、〉
p.0915 盆山砂打樣之事
一盆石諸國ヨリ出
京歌ノ中山石〈宿閑寺在山内〉 同北山石 紀伊那智石 出羽鼠ガ關石 一石ハ四六寸ヲ好トス〈高四寸 厚サ三四寸擴長六寸○中略〉
能阿彌傳盆山式 石之砂法之事
一石皆日本の物也、唐物にては無之よし申縛也、萬里江山、末のまつ山、九山八海、富士石、夢の淨橋、八ツはし、此等は昔しの名ども也、此外近代名を得たる石有之よし也、
p.0916 一石之事、昔ハ其數多シ、高麗鉢、又ハ漆鉢ニ立ル也、當時悉捨ル、但此兩石ハ名物成ニ依テ、未賞翫スル人モアリ、
一殘雪 本願寺門跡ニ有
此石樣子、五寸力、巾二寸八分、上ヘノ高サ一寸九分力、黑キ石ニ、高キ所、ヒクキ所、山ノ如ニアリ、其内ニ白キ石峯ニアリ、是ヲ殘雪ト云也、但此石拜見不申候、舊説有、
一末之松山 宗悦ニ有
右之石モ大方似タル樣子也、上下一寸八分、横へ五寸三分、前後へ二寸九分計力、是モ高キ山、下山アリ、黑キ石ニ白キ石、上ニマジハタリ、〈本歌〉末ノ松山波コナジトハ〈ト云〉心歟
右兩石、ナワハ不定、鉢ニ立ル時、備後砂ト云テ、米程ナル白キスナニテ、上手程、石ノナリヲチガへテ立ル、但當世ハ如何、此石拙子〈○林宗二〉拜見候、
p.0916 名石の事
淺間山〈京都にありといふ〉 末の松山〈京都に有〉加賀の國にも有といふ 萬里江山〈京都に有〉あふみの國にも有といふ 廬山石〈長嘯子の記文ありと也〉京都にあり 九山八海〈京都にありといふ〉 飛龍〈土佐のくにゝ有といふ〉 殘雪〈京都に有といふ〉 八橋 夢のうき橋 これらは、石の形繪にも見ざれば、ゑられざれども、きゝ傳へたる名ばかりかきゑるすなり、
p.0916 盆石銘 烏丸資慶卿 奇石を愛する人有、靑雲と名づけたり、げに蒼海の翠霞、ふく風心にゑたがひ、雲井の帳、水にまかせてひゞく、やまは仁者の樂とす、靜にしていのちながしといへり、たゞ座右に觀望しバ此たのしみにはあ、くまじ、
うごきなき山のすがたを心にてつきぬいはほのよはひなるらん
又 烏丸資慶卿
ゑのびてかよふ逎もがなといふ歌は、人の心の奧をなん、ゑのぶ山といひけるにぞありける、ことに奇石を愛する人有、そのすがたげにことなり、つくばねのかげ、ふかくみどりをた、めるが中に、峯の白雲、花ににほひ、ふもとの浪、雪をのこせり、是に思ひ入ぬれば、桃源の霞跡をたち、ことゑげき世をわすれては、壺中の日のどかにて、心ひとつのかくれがを、たゞこのいはねにゑめたれば、ゑのぶ山と名づけたり、
ありてよの中に玄のぶの奧ふかき心のやまはとふ人もなし
p.0917 盆山記
物あり、長さ四五寸、高さ二三寸、其色は紫のけぶりのこれるかとおばゆる、いたゞきより、白きすちの麓にくだれるが、瀧などのみなぎりおつるやうなれば、かの瀑布になずらへ、又李白が詩のことばにまかせて、かれを廬山と名つく、あいすべく、もてあそぶべき姿なり、むかし居易のぬし、こゝに住て、なにの花の時、錦のとばりのもとゝかやずしけん、柴のとぼそのありさま、たゞ此石の、いさゝかなるうちに、おもひこめてみるこそいとおかしけれ、
くさの庵にあはれと聞し夜の雨はいまもだもとの雫なりけり
p.0917 盆石の詞 大平
いまの世に盆石とてもてあそぶ、なるは、山のかたちしたる石を、をしきやうのものにすゑて、淸 らなるすなごをしきなどして、島山などのすがたを見するは、いにしへ、のすはまの心ばへになむ似たりける、さるはよろしき石の世にめづらしきを、われもーと、えりいつるならひとかや、此ころ佐々木佐中翁の、すべては黑みたる石の、いたゞきより岑の上つたひに、玄ろうすぢのひきたるを得て、みつからみねの横瀧と名づけて、いつきせたるを、これが歌よみてとこはるゝままに、
名にしおふみねの横瀧音せねど見にくる人のたえぬゑらいと
p.0918 攝津 鼓瀧盆山蒔砂 備中 帝釋天盆山敷砂
p.0918 砂之所
一勢州涌濱〈色々の色有〉 一城州樂世山川〈木津卅ト一ツニ成と也、白計有、外は常のいうめなり、〉 一備中備後〈白砂多、靑黑もあり、割砂は所之産物にあらす、〉 一大磯〈五色あり〉 一小田原〈同斷〉 一常州〈自砂之上品なり〉右何れも白をよしとす、靑きも少しは打合せてもよしと也、委しくは別書に有、略之畢、
p.0918 一打砂出産の事
備後國白割砂、極品たるべし、同國三原帝釋山より出る、また常陸國よりも白砂いつる、是も上品たり、桑名よりも出、西國のうち、立野といふ所より出亙、其外諸國より白砂出るといへども、割砂成がたく、九小砂にて、敷砂ならで用ひがたし、小田原、大磯、二見、津輕、高砂多し、豐後國に白濱、黑濱とて小砂あり、甚色よろし、是も敷砂ならで用ひがたし、流義に於ては、備後砂一色と可心得、
p.0918 盆石の事
一砂とうし分量の事、凡砂に大小あるべきこと、内のり八分のとうし、次七分、次五分、四分、これより細かきはあるべからず、また一寸より大き成は砂にあるべからず、小石と云也、是を添石に用ゆべし、 一砂色目の事、品多しといへ共、白、靑、黃、黑、かやうの色を用る也、赤きいろは常にも用捨有べし、殊に新造作の座敷などは、かたく是を用ず、かんすい石、是も常に用ず、若打事あらば、干水石一色に打べし、外の砂まじゆる事あしく侍也、ゑかしながら雪中などにて、かたく用ぬがよろし、心得有べし、〈○中略〉
一砂石ともに、和歌のうら、住吉のはま、吹上の濱、田子の浦、小田原、また大磯、津輕、二見浦、所々筆記に盡しがたし、備後石砂など、人の見知れる事多し、いつれも望にまかさるべし、〈允中聞、備後砂など然ろべしと也〉
一川の砂は、宇治川、賀茂川、初瀨川、高野川、宮川、是書記に盡しがたし、〈○中略〉
風早家説 砂之事
一備後砂を三段にふるひわけて用ゆる也、
一備後のあられ砂、一いうにても用ゆる也、
一海石などの色替りも、うちわくる也、 ゑかはあれど先は不好、口傳、
一床にても、或は平座に而も、その石をおく處の面により、四季の差別、是一大事の深秘なウ、〈○中略〉能阿彌傳盆山式
一砂は備後砂と申て、白米のごとくなる色白き砂を用る也、大粒は赤小豆のほどにして、夫より以下段々あり、以上七段に仕る、通しは五段にしてふるひ分る也、
一砂通しは、銅にて四寸計に曲もの、ごとくして、よき頃に穴をあけて、五段に組合せ置て、砂を通し分て用る也、常に砂を通し合せ置て、七重の箱に砂を入、置て、石を立る時分、見立よき砂を打なり、
p.0919 砂打具 さじ 砂うらべら ふくさ 竹箸 羽箒
盆はいゐびつ形りに、輪二すじ有て、黑ぬりのもの、定りたる砂うち盆なり、是をかつら盆といふ、
p.0920 盆石の事
一座しきにおゐて飾やうの事、所望の時は、先石を盆に乗て持出、置べき所におゐて、砂小きと大き成と三いろほど取合せ、夫々の箱に納め、臺にのせ、片脇にゑめしたる布巾と、杉の角なる箸一せんと組すへ出すべし、布巾壹尺貳寸計、箸は香ばしのごとくなるべし、〈○中略〉
一砂箸の事、檜木、或は杉にても四角に作り、箸先に砂留とて、きざを五ッばかり付る也、
長サ八寸五步、フトサ見合たるべし、〈○中略〉
風早家説 砂をうつ皆具
一羽箒、はしにびわの羽、さじ、ふーさ、〈○中略〉
能阿彌傳盆山式
一砂打板、長五寸、廣き方幅壹寸五步ほど、せまき方の幅壹寸也、厚サ三分ほどに杉板を持へ置て、ソクーとつきて、見立よきやうにおく也、則砂を打といふなり、
一砂箸は、竹に而先き細くけつち置て、砂を板に而打、見立惡敷所には、此箸にて一粒ヅ、挾とりて、見立能置く也、
p.0920 かつら盆の形 長盆なり くつ形盆 木瓜形盆〈○以上有圖、今略、〉
p.0920 石立樣の事
盆はかつら盆、故實なり、入角、木瓜、丸盆、或は足のあるものなどおもしろくとも、形りのかはりたるものはもちひず、かねの盆もちゆるなり、ゑかれども眞の莊りには不用なり、
p.0920 盆石の事 盆は、木瓜形り、洲濱がた、また居櫃形り、かつら盆、まるき盆有、いづれも望にまかせたる也、木地の盆、もとなりけれども、かつら盆、丸ぼんなどは、春慶、或はくり色などに、うるしはきたる多し、好まざる事なるべし、去ながら時宜にもより、好にもまかさるべき事は、略義の物なれば也、
石盆置樣口傳
一溯濱形の盆には、おくへよせ、かたよせおくもの也、眞中におく事なし、
一木瓜形の盆は、是も大かた前の通なるべし、但小き盆ならば、自然中に置事もあり、此盆ふるき形は大きなる物也、小きは當世の人の好成べし、
一圓盆に置事は眞中なるべし、また靑磁のかつらばちに置も同前也、
一かつら盆は小き故、いつにても眞中に置也、
一角盆といふ有しといへども、いまだ見及ばず、或人六角形と物がたりせし也、大かた六角八角たるべし、是もまた別書のゑだいにて、格子の合たるべき實程の事にて、望ざる盆なるべし、時宜によるべしと也、
右の盆ども、砂のうちやうは、盆の形ちに應じて、石のよく有附やうに心得らるべし、第一の口傳也、砂計異風に打なすとも石の納りかねたるは、有つか譫とて嫌ふ事也、
盆寸法の事
一洲濱形は、長サ壹尺八寸、巾壹尺六寸ばかり、檜木の木地にても、厚サ壹寸壹步、洲先の分やう、格好よく見合たるべし、少し繰を殘して、中はやりがんなにてくぼみを付べし、足なし八寸を尺に用ゆべしと也、
一木瓜形、洲濱がた、同前の寸法成也、厚八分、また壹寸餘にも、中くぼに作るベし、木地也、
一圓盆壹尺貳寸のさし渡し、緣は高サ壹寸三步計、樺にてとぢ、また高サを壹寸にも作る、木地足 なし、
一かつら盆は、壹尺貳寸五步に、九寸計の見渡也、ふちは薄くして、高サ壹寸一步、ゆびつに曲て樺にてとぢる、是は春慶或はくりいうに、ぬぐひうるしにて木目の見ゆるやうに有べし、一角盆、いまだ圖を見侍らず、
右大小は好にまかせて、少しヅゝは相違有もの也、大概を書記し置也、なを格合よく作るべし、〈○中略〉
座鋪莊嚴盆石記
一盆はゆびつなりなるの古法なり、然ども九きあり、四角なるもあり、いつれなりとも用ゆといへども、ゆびつなりなる砂うち盆古法なり、〈○中略〉
風早家説 盆の事
一黑塗のかつら盆を故實とす、足なし、かつらめ三筋、玉ぶちあるも有、形り飯櫃のなり、殘雲の盆にかぎり、印形なをかつらめあり、口傳、
一金盆いろーあり、就中足なしのうら金、唐物の殊勝なるを用ゆ、ゑかし眞の飾りには不用、口傳、
一かつら盆の寸法、長さ壹尺四寸より五寸迄、横九寸より一尺まで、いつれも内のり、ふち九步より壹寸迄、又四五步のもあり、〈○中略〉
能阿彌縛盆山式、
一石を立る鉢を葛鉢といふ也、昔は靑磁の鉢に葛を燒付たる鉢有之よし申傳也、昔は稀なるよしを申傳ゆへ、當代無之、然ゆへに鷹の打板のごとくに、飯櫃形に曲ものにして、眞の手桶のごとし、上下に葛を入て、極眞に塗りて用ゆる也、〈○中略〉 一葛鉢は、臺なしに床疊になをし置也、書院廣闇等の蓮棚にも、下に置時も同じ事也、葛鉢に水を入る事無之也、砂計にて立置也、書院本莊り無時は、板書院の眞中に置也、
p.0923 四季の砂の事
かけものとり合の事、石とかげものと見立有こと、釣香爐もちゆる事、石は、ふじ石、すなうち樣、考へ有べし、口傳、但し光源院〈○足利義輝〉歌會のとき、釣香爐、盆山はふじ石、法印宗仁、薰りくる煙にふじのこととへばのきばの風のそよとこたへよ、三つ石莊りの事、床に盆山三つ並ぶる事、
砂うち樣、三石名ある事、かけものかざぢ物取合せある事、此莊りは東山殿〈○足利義政〉書院かざりの圖にもあるなり、〈○圖略〉
右五ケ條、深き秘事として、みだりに傳ふることにあらねど、かき殘さんもほゐなければ、三ケの大事、五ケの秘事ともにあもはし侍るなり、
盆山は、床にても、孕座にても、其まゝおくものをゑきて置ことなし、つけゑよゐんなど、押板に置たなの類、或あし有るものゝうへにおくことなし、
p.0923 一盆山飾りあるを見樣の作法心得之事
座鋪へ入、床書院にても、盆に石飾り、掛物かけ有之時、床前二尺ほど間を置、先かけ物を見、後盆の主石を下より上へ見あげ、石の左右、砂の樣子、會釋石に心を付、後の會釋をも一覽致たきとき、亭主へ、御石の後、くるしからずば拜見申度と一々挨拶の上、一覽申もの也、猥に山を打こし見申さぬ也、石と掛もの、又は一軸相そへたる品とぞんじ候はゞ、其あいさつ、石の銘など尋可申事也、
p.0923 能阿彌傳盆山式
一紹鷗が頃まで、茶湯には、石を立るときに墨跡を懸ず、花等も生ずして初中後、石一種ばかり床 の眞中に莊立置也、其石の記有之時は、記を懸合て、略の諸莊りに仕置也、石莊は石を巖石に表したるゆへに、一座の中、始中終動さずして置也、是古法也、宗易の作意に而、石は茶湯座敷には不似合とて、礑と捨る也、今以て其通りなり、然ば入らざる事に候得其、古今の替りめ存知ため記置也、書院廣間等の莊りには、古今石を立る也、慈照院殿〈○足利義政〉の御廣間座敷御莊りは圖に有、大床に石を三ッならべて立セる御莊り有之也、
石立る時見樣の事
一立置る石を一見のとき、小座敷にても、床前の疊に床緣の間を遠く畏居て、巖石を下より見上る心地に而見るをならひに仕事也、故に石の後は、ゆめー不見越もの也、山巌石に表したるいはれ也、
p.0924 天文十一年八月八日、盆山高信方より來之取次富八也、おもしろき石也、
p.0924 慶長三年十月十九日、四辻少將より、ぼんざんゑん上申さる丶一でうゐんどのよりも、ぼんざんまいる、
p.0924 盆石の歌
奧州岩城の城主内藤左京亮義概朝臣は、和歌をこのみて藩邸〈○水戸〉へもたびく參りたまへり、或とし江戸より岩城へ歸り玉ふとて、村松山日高寺〈水戸御領のうち〉を一見し、別當の龍藏院といふに立よりやすみたまふ、折ふし床上の盆石を見て、
ゑらざりき遠き境の海山も手にとる石の上に見むとは、と書つけ、龍藏院にみせられしを、後に西山公〈○德川光圀〉の御覽に入侍りしかば、その借にかはりて御返し、
ゑらざりき遠き境のなさけをも手にとる文の上にみむとは
p.0924 盆石は、むかしより上つ方をはじめ、ゑもにいたるまでもて遊び玉ふに、吉凶のさ はりなくして、めでたきものなりとて、いつく迄も人々わきて是を愛す、其手づさびの品々をゑにうつし、又師の傳たる事ども、、要用を書つらね、世にゑらしめんことを人の求めけるにまかせ、梓にのこせるものかも、 澤井光政誌之
p.0925 四方の海、風芝つかに治れるおほけなき世の中、百家衆技のはやりもてゆくこと、山のをく海のすみといふとも、いたらのところなし、ゑかありて人々ことはざゑげくこのむことおほかりけるこの一卷は、盆山てふことのつたへをかきゑるしたるものなりとそ、是は吾家に候するばせ川公勳といふものあり、その先は周防の國山口といふ所にて、源三郎入道刑部卿法印宗仁とて、足利織田豐臣の三家に昵近し、からのやまとの文の道にもつたなからざりけん、山口の宗仁とて、世にゑられたるものなりしが、老てのち仕へをかへし、田舍にかくれて世を終れり、公勳は、その五世のうまこなり、とほつおやのかきすてをきたる反古の中より、この盆假山のこととりいでて、やまともろこし、いにしへのかしこきも、もてあそびしものなればとて、もてはやしたのしみけるに、友とする人々、そのことかたるをき、てかいつらねて、これがはしがきせよとこひぬるまゝに、かいつけてやる、
從三位源惟久序
p.0925 盆山百景圖題
積而高者、山也陵也、流而廣者、江也海也、起雲降雨、風渉波動、奇乎變乎、終不可狀矣、汗斯有伎、狀其不可狀者、伎者在于浪華呼名順石所伎何邪、一卷之石、一掬之沙、以置布諸盆よ唯是而巳、伎而若易、孰其不爲乎、而爲難能矣、岱衡會血柮醫無閭沂山、其所涯處未見則已、吾磯確之洲、勝具可渉、屬展可跋、莫觀而不圖、莫聽而不營、夫石之爲物也、堅介文理、方圓圭扁、千異萬殊、可愛玩者、不爲尠矣、好者暫措、彼素碌碌頑物、其質卒不可以易則衆庶奚愛、然石子之居之也、熟規面背所ワ嚮、預測傾側所安、其分釐之 遷移、節硏之容頓備、如有馮者、不可以觸、石子日是徒全物之前却俯仰、何足以穃乎、輙操匕與羽、以布其沙、手肩之倚觸、合舞中音、霏霏紛紛、雪飛花散、標拂之間、而丘壑之觀、宛見于盆上、令嘉遯率爾神飛焉、於是環堵之人、觀以欣之、成服其難ワ能案、今茲仲夏、作百盆圓於本津西本願寺堂上、實可謂奇觀也、門人具畫之、以上于梓云爾、各圖異趣、多擧勝地一至暑矢島嶼之別、洲渚之辨、旦暮之景、波濤漸洳、髴爲蹤、地勢存于此三者い觀弄之人、其悉諸、
天明乙巳十二月蓑洲長欽撰
p.0926 順石藤氏之石癖也、不啻多致奇石收藏之而已い以有盆山伎也、盆山猶如假山、盆中敷置沙石、營狀高山名水、而供翫弄兀我大東勝地、必莫不識、焉、必莫不狀焉、是其所以多固是其所以得妙、往年於本津西本願寺堂よ作盆山百景、男女盆集皆感其巧云、有圖巳刊、爲同志規矩、今年戊午、順石六十矣、以其嗣瑤江意承考、亦善斯伎、悉委産業而附屬弟子、且讓其號寔以順石號遍布海内也、於是瑤江及諸弟子稱觴爲壽、與作勝景百盆、依例復獻西本願寺、郡人聞之、競抵多子前時、予亦從友人啓明適而看之、百盆異景、各極精巧、或峩々巉巌、櫻樹花閲滿目如雲、或渺漫江流、洲渚雪積、遠望如月、或雨或霧、或殿宇廊廡、茅屋漁邨、千狀萬態、天眞風致、莫一不奇絶、實可謂奇觀矣、弟子令晝工固之、圖異前編異、將授梓、由啓明請序於余、余與順石父子雖未相識、耳其名也久矣、且酥其伎藏之、是以不辭、爲辨數号戸云爾、
寬政戊午〈○十年〉仲夏 廣展夫識
○
p.0926 木假山〈蘇老泉有木假山記〉
p.0926 木假山記
木之生、或蘖而殤、或拱而夭、幸而至於任マ爲棟梁則伐、不幸而爲風之所拔水之所漂、或破折、或腐幸 而得不破折不腐、則爲人之所亨材、而有斧斤之患、其最幸者、漂沈汨沒於湍沙之間不知其幾百年、而其激射齧食之餘、或髣髴於山者、則爲好事者取去、强之以爲山、然後可以脱泥沙而遠斧斤い而荒江之憤、如此者幾何、不爲好事者所ツ見、而爲樵夫野入所薪者、何可勝數、則其最幸者之中、又有不幸者焉、予家有三峯予毎思之、則疑其有藪存乎其間亘其蘖而不殤、拱而不矢、任爲棟梁而不伐、風拔水漂、而不破折不腐、不破折不腐龠不爲人所材以及於斧斤い出於湍沙之買而不爲樵夫野人之所薪、而後得蜜乎此、則其理似不偶然也、然予之愛之、則非徒愛其似山、而又有所威焉、非徒愛之、而又有所敬焉、予見中峯魁岸踞肆意氣端重、若有以、服其旁之二峯、二峯者、莊栗刻峭、凛乎不可犯、雖其勢服於中峯、而岌然無阿附意、吁其可敬也夫、其可以有所威也夫、
p.0927 盆暇山
山落盆池影似江、勢兼天外五峯雙、出門吠尺靑雲熱、晝靜千秋含雪意、
p.0927 三茅石記〈承應三年作〉
伊達藤君宗利菩一奇石、置之明意淨几前、不縮地而見三峯於呎尺、以石有三尖故也、昔茅盈兄弟三人登仙、號其所日茅山、所謂三茅君是也、驅籌堅久日仙、此石之堅久、豈啻仙者而已哉、君請名于余、於是掲號日三茅石、宋蘇老泉木假山有三峯、其中峯高峻似臨競左右二峯、二峯屹然不阿附焉、老泉愛之敬之感之、而幸其不折不腐也、而可不畏其折腐乎、彼木也、此石也、其堅久雖神仙ネ可及也、可以祝矣、古人日、不動如山、惟夫山者石之喬也、庶幾其壽堅久、其心不動也、佗日茅山道士寄書則須以此而答之、君請之記、不得巳而渉箸、〈甲午冬十月下院〉
p.0927 享保九年正月四日或時、宗白ト一所ニ、參候ノコトアヲケル、御談話ニ、琉球ノ程順則ハ、年來故アリテ、折々書翰ヲ奉ル、去年輸番三テ、本唐号行、今年歸ハテ、土産ニ孔子ノ廟へ參リ、孔廟ノ傍ニ、昔シ子貢ノ樹ラレタリト云、楷木ノカブアリテ、ソノ木ハ枯朽テ、又砌ニ若木ノ楷木ゾ、後世ニ ウエタルアリ、ソノ昔ノ楷木ノ杭、一塊ヲ取歸リテ、内ノ方ヲ漆ニテヌハ、階盃ト號シテ、文一卷ヲ捧グ、ソノ形古木ニシテ、今樣アル可キ物ニアラズ、然レドモ公〈○近衞家熙〉曾テ酒ヲ嗜玉ハズ、イト惜キコトナリ、覆シテ見レバ、木理縱横、高下凸凹、ンノ形假山トシテ見バヤトオボシメシテ、其旨ヲ仰ッカハサル、程氏モ辱コトニ思ヒケン、又假山記一卷ヲ書テ奉ル、今日御見セナサルベキノ由ニタ、則チ物外樓上ニ靑貝ノ一間バカリアルベキ御几ノ上ニ、洲崎ノヤウニ、砂ヲ蒔テカザラレ、其傍ニニ卷ノ記ヲ置カル、宗白ト一同ニ拜見ス、
p.0928 浪花の晝師長田武禪は、月岡丹下が弟子にて能畫なり、淸貧を安として陋巷に居れり、塞暑つよき間は畫をか、ず、夏月は唯石膏をもて假山を作ること巧みにて、八方正面のごとし、畫法によりてなり、
○按ズルニ、庭園ノ築山モ亦假山ト云フ、居處部庭篇ニ載セタリ、
p.0928 盆山より又盆繪は出たり、砂を五色に染て、源氏の卷の名をもて呼び、象牙の丸き匙、また霞板とて笏の形して、先を三絃の撥の如く薄く作りたるもの大小二つ有り、畫かく具どもなり、盆は桐木を用ゆ、塗たるはわろし、〈砂に粘痴す二し入乾し、盆に此砂なもて畫き、湯氣にてむす、其砂乾く時、盆に付て落す、これを扁額の如く壁に掛べし、是なとめ盆と云、其師右て口傳とし、兒女子在欺く、〉此わざは、いと近世より、始まれるなるべし、
p.0928 盆山
安永年間より、備後の白砂を極細末とし、夫々に染なして盆畫と稱して、百花百鳥人物禽獸虫魚を打事はじまりぬ、
p.0928 砂畫は客人を慰むわざにして、床の飾りいけ花にひとしく、やむごとなき公達姫宮の翫物とゑ給ふことなり、されば盆石、盆景の手重き業とことかはり、それの席かれのもとにて、種々の摸樣、春の花に對し、秋の月にそへて、鳥獸、魚甲人物、山水、天地にあらゆるか たちこゝろにまかせて、卽興の彩色、すみやかに出來ること、いと愛たき業ぞかし、そのかみ東山殿〈○足利義政〉ときこえさせ尢まひけるは、風雅ごと好ませたまひ、て、此業すでにおこれるよし、ある時物に興じ給ひて、飾りおかせられし御具足櫃のふたの上に、琵琶のばちをもて、有合ふ砂にて、切竹のかたちを遊されしより起れちとそ、其のち年に月にへだたりて、得友齋光悦ぬしは、殊に風雅の道に富、此業にも工夫をこらし、備後のめでたき砂を、五色みどり紫はた數々に染なして、墨畫より彩色の花々玄きにいたる迄、眞行草の筆のあやどりにことならず、思ひ出るにまかせものせられしより、廣く世に流行れぬ、おのれ〈○月花永女〉幼年比、此道にいと委しかりける林何がしせ、うに學び得て、やうやくその奧をもうかゞひぬ、はたのちの年、やごとなき御館にみやつかへしける折から、君にも深く好せ給ひ、道の奧をも極おかせられけるにより、光悦の奧儀、殘るところなくたしなませ給ひしを、竕のれに御指南あそばし、ことみ丶く御ゆるしごといた寸きぬ、今の世は、かしこき人々のおはして、何の流何の傅とかや名つくる盆畫、廣く流行もいとくうれしきことにこそあれ、〈○中略〉
盆畫うち方心得べきは、第一行義正く、盆に向はゞ左の手をつき、靜に地砂を致し、さて盆の緣を指にてふき、夫より何の圖にてもうつべし、假にも盆を動すべからず、うち惡きとて、ぼんを廻すは賤しく見ゆるなり、貴人高位の御前にては、別して正しく致べきことなれば、常々心がくべし、匕目によくく氣をつくべし、二度などるはあし丶砂いざりてきたなし、
はね口を心掛べし、晝の隈どりの如く、匕の引口ぼかすやうに輕くうつべし、墨畫等も、くまどりあしきは賎きものなり、ましてあとより作りものして、などり降かけ打落などするは、挑灯屋の摸樣繪かくやうにて、不興なるものなり、席上の業事なれば、よくー手練すべし、
地砂は盆の地面見えぬやうに、むらなくすべし、薄きは下地すきて見ぐるし、また席によりて、硯 蓋、廣ぶた、膳など出ることあら、地のもやう見えぬやうに心得べし、
大なる盆にても廻すべからず、非興なり、
水ならびに波の類は、いかにも細きをよしとす、ふときはいやしく見ゆる也、
額面聯指地の如きは、圖の摸樣によりて、物の高き所はたかく、ひくき所はうすくすべし、
木地面の物は、地板へ砂の散ぬ樣に心がくべし、
掛物は仕樣に依黍哮折鶲蠶得有べし
水中は手ぎはだいじ也、水に浮匕目あらはるゝ物也、
持扇は淨匕にして、手ぎは第一なり、疊たる時折目開きてあし、、〈○中略〉
砂名目
白浪〈白地砂也〉 卯花〈白〉 浮船〈空色〉 靑柳〈萌黃〉 山吹〈黃〉 篝火〈赤〉 空蟬〈花色〉 卷柱〈栗色〉 若紫〈紫〉 初汐〈水浅黃〉 初音〈茶〉 烏羽玉〈黑〉 村雲〈鼠〉 裏葉〈薄萌黃〉 若綠〈ロク靑〉 桃花〈桃色〉 遠山〈櫻色〉 朝日〈緋色〉 金花山〈金砂〉 玉虫〈グンジヤウ〉 以上
昔より名づけ來りしは右の品なり、外に源氏の名によそへ、色數多くあり、ゑかし大體は、右の砂にて間に合ふべし、
p.0930 細砂を染て五色になし、蝋に漬し泥るを、水上に浮べ繪をかく、是は唯小兒の翫びなり、
p.0930 一凡水上に物かく事は、いにしへよりの諺にも、もの、なりがたき事のたとへにして、行水にかずかくよりもはかなきはなど言つらね、やまと、もろこし、いまだそのためしを聞ず、芝かるに予はからず水面に沙石を浮べる事を得て思ふに、是もて畫をなさば、つれみ丶の一興ともなり、ある時は床上に備へて、客を慰むるの一具ともならんと、器はかの點景盤に 倣ひ、書は盆書に順ひ、沙石を彩色して試るに、細畫といへどもことみ丶くならざるはなし、拳もて畫くよりも尚麗しく、且數日を經て損ずる事なし、されば是が名を水上沙畫とも呼べけれど、そはことはりに過たらんとて、たゞに水畫とのみ唱へぬるは、猥りに予が負せたる名なり、水上に砂を盛て種々のかたちをなす物から、畫といへる事あたらずといへども、其かたちに泥みて、ゑひて畫とはいへるなり、
一畫は諸流多しといへども、夫にはかはり、此水書は、もとよう筆意筆勢とてもあらぬ細工物なれば、法則更になし、たとへば小刀をもて人形をきざめるにひとしく、無畫の人たうとも、意に應じて畫をなすべし、畫法をゑりて、細工氣のなきより、却而畫をゑらずして、さいく心の有かたこそまさるべし、
一畫道具はもとよりあるにあらず、予が作りこしらえて、つかひこゝうみしを、氣儘に名を蒙らして圓をあらはす、〈○圖略〉用ゐやう、圖のかたはらにくわしくゑるせりゑひて此道具ならざるにはあらじ、人々つかひよきやう製し用ゆべし、
一水畫八體を圖して此書にのせたるは、砂の用ゐやうに心得ある圖のみを出して、なぞらへ玄らさんがため、砂にて畫きたるま、を、予が友梅庵子の筆もてうつせる也なんぞ書法による事なし、さるから此圖中、水面に波をかゝざるは、器の中に自然の水あればなり、其餘の畫面、すべて是に准じてゑるべし、かならずしも畫の善惡に拘るべからず、
一文字をかくには、畫をつくるこゝろをもて砂を遣ふべし、いかほどの細書にても、心に應せざる事なし、
一いぬる子のとし〈○文化十三年〉の秋、予が友五六輩つぶら江の宮にあつまり、此水畫十體を獻じ奉りしよ、見る者追々予が家につどひ、其術を乞にまかせ、あらましをおしえしより、今專ら此地 〈○大坂〉に流行せり、〈○中略〉
文化丁丑〈○十四年〉如月 浪速 仙鶴堂一雄識
p.0932 沙石製方傳
一地砂拵やうの事
すべて砂は土氣の交りたるはあし丶いつれにもあれ、川中の砂を用ゆ、是をば兵庫砂ともいふ、此砂をとりて、幾度も川水にてよく洗ひ、日にほして後、米粒あるひは小米胡麻芥子のごとぐ、大小次第にふるひわけ、此砂掛目〈百自〉白蠟〈藥用のらうなり、さらし媼にはあらす、〉此掛目〈五匁五分〉を合せ、うすなべに入、ずいぶんよはき火にかけ、よくよくかきませて後さましおけば、ほしもの、菓子のごとく、かたまりぬるを、もみくだき、又ふるひにかける、ふたゝびかたまる事なし、此粉の用ゐかたは、山水人物花鳥、何にても其畫の地となるべき所に置なり、此砂なくては畫のけしき薄し、是を地砂と唱ふ、
一砂粉之傳
前、にいへる地砂をやげんにておろし、細末して絹ぶるひに通し、川水に漬、うどんの粉のごときうは粉、水にうくをさりて、いくたびも水をかゆべし、此うは粉すこしにても交りあれば、匙にかけて砂のさばけあしゝ、よくー取捨て後、水干して又ふるひにかけ、是に色を染あはせ乾して彩色の繪をなすべし、染あはせの事は、委しく次に出せり、又日、盆石に用ゆるは八方砂なり、〈備後の産物也、よつて備後砂ともいふ、〉夫が中に細末して波を引けるを、彼流にて浪粉と呼、是に色を添て盆畫の彩色とす、此浪粉に製をくわへ、此水畫に用ゆるに、染色砂のさばけ、其に川砂の粉よりもはるかに勝りてよろし、細末の仕やう川砂に相同じく、うは粉をよくーさりて用ゆべし、
色砂の傳 一靑色
岩綠靑、又は酢線靑にても、川水に三日ばかり漬置、毎日水をかへて後、水干してふるひにかけ、此目方拾匁砂粉貳匁白蝋四分右火にかけ製する事、地砂の所にいへるが如し、仍而以下そめいろ藥方の分量のみをあげて、製の仕やうを略す、前に准じてゑるべし、
すべて淡色の物、艶を好める色には、備後の砂粉を用ゆべし、川砂にてはうつり惡し、以下皆かくのごとし、
一黃色
山梔乎をよく煎じ、かすを去り、砂粉をそめ、かげ干にすべし、又雌黃石黃にて染るもよし、其彩色の品によるべし、此目方拾匁白蝦五分右調合の製、前にいへり、
黃は至而むつかしく、三五日のうちには、かならず水上に色ちりて持がたし、是をとむるには、いさ、か手練ありて書とりがたし、
一赤色
朱を川水に三日ばかり漬置、折々水を仕か石水干して、此目拾匁砂粉豐匁白蝋六分右調合の製、前に同じ、彩色の品によりて丹、辨柄、辰砂等を用ゆるにも、分量製ともに相同じ、至而よき色に用ゆるには、極朱四匁長吉丹五匁砂粉萱匁白鑞五分右製前におなじ、
緋色は殊にむつかしく、たやすくは染りがたし、別に口傳あり、〈○中略〉
一金銀砂子
砂子又粉泥を置には、藥製を用ゐず、其ま、ゝ置てよし、
此外染色數多ありといへども略しぬ、これらになぞらへて考へゑるべし、
一荒砂之事 砂大きさ、山椒粒より大豆ばかウ迄は、此砂目方百目白蝋六匁五分調合製、前におなじ、火は少しつよき方にすべし、此王大豆よりむくろじばかりの石は、たやすく水上に浮みがたし、是には又別傳あり、
一製方四季加減之事
すべて右にゑるす藥の分量は多の製なり、春秋は右之目方に壹割を相墳し、夏は三割を增て製すべし、されど時候の塞暖によりて左略あり、一概には言がたし、爰には其あらましをゑるせり、
一水盤之事
器は何にてもあれ、白色無地の物よろし、摸樣有もの、染いろ有ものは、とり合あしく、ゑがくに心得有べし、器に少しにても油氣ありては畫なりがたし、以前に肴もの入たる鉢やうのもの、は、能々吟味いたし、油氣をさりて用ゆべしハ水は川を用、井戸水は金氣ありてよろしからず、
一沙石置やうの事
すべて水上に畫をなさんと思ふ時、かの砂畫道、具に砂をのせ、右の手に持、水面にむかひ、左の指先にて、道具をゑとーとた、きて、砂を落し、繪をなすべし、ぼかさんと思ふ時は、砂板にのせて、肱を引て砂を落すなり、又ちいさきふるひに入て落すもよし、かくはいへれど、こは書なす事のあらましを言のみにて、とかくは手術と口傳とにありて、思ふが儘にはかき得がたし、
一水止の秘傳
水上に砂石を置、沈まざる方は、旣に前の製傳にくわしくいへり、されども水ゆるぐ時はだちまち繪亂れて、ゑばらくもたもちがたし、此水のさはぎを止るには、燒明礬六匁白さゝげ〈四匁〉此二味を合せ極末とし、兼て用意をなし、水晝をなさんとおもふ前、何にても器に水をくみ入、 此水どめ二味の粉を水中へ入、よくかきませ、水の靜りたる時、かの製したる砂石を入べし、凡水一升に此粉二つまみばかりとゑるべし、米粒ばかりの石迄は沈む事なく、日數五十日程は、いさゝか右繪損ずる事なし、此外至て荒砂は、前にいへる如く別に口傳ありてべ此水止の製方も是とはかはれ版爰には只水上に繪をなす事のあらましを主るせるのみなり、〈○中略〉
仙鶴堂 松本一雄云
p.0935 近ごろ物もらひが、砂を手擢りて地上に書晝をかくもの有り、是も安永の頃ありしと見えて、胴脉が針の供養といふ草子に、砂を掴み蒔て字を書く法師ありといへり、
p.0935 百戲
沙書、卽今之丐人在路岐、以沙作書畫者、
東京夢華録日、元宵百戲、沙書地謎、藝流供奉志日、沙書金道、姚遇仙、李三郎、〈攻叢〉