p.1079 䗲〈力人反、螢、保太留(○○○)〉
p.1079 螢 兼名苑云、螢〈胡丁反〉一名熠燿、〈上一入反、和名保太流、〉
p.1079 按本草古今注、並云、螢火一名熠燿、兼名苑蓋本二於此一、説文無二螢字一、古用レ熒、爾雅熒火卽炤、郭注、夜飛腹下有レ火、〈○中略〉陶注本草云、螢火此是腐草及爛竹根所レ化、初猶未レ如レ蟲、腹下已有レ光、數日已變而能飛、蜀本注云、此蟲是朽草所レ化也、衍義云、螢常在二大暑前後一飛出、月令雖レ曰二腐草一、然非二陰溼處一終無、郝氏曰、今驗二螢火一有二二種一、一種飛者、形小頭赤、一種無レ翼、形似二大蛆一灰黑色、而腹下火光大二於飛者一、及詩所レ謂宵行、爾雅之卽炤、亦當レ兼二此二種一、但説者止見二飛蟲一耳、
p.1079 螢〈ホタル〉
p.1079 螢(ホタル)〈腐草化成レ螢者也〉
p.1079 螢 あきかぜふくとかりにつくと云り 夏虫共云
p.1079 螢(ホタル) ほは火也、たるは垂也、垂は下へさがりたるゝ也、
p.1079 螢ホタル 葦原中國に道速振荒振神等(チハヤブルアラブルカミラ)多有て、夜者(ヨルハ)若二燿蜜火一而喧響(クニメホヤホタルビノサヤゲリナク)といふ事、舊事紀にみえたれば、此物の名上世にすでに聞えたる也、ホタルとは、たとへば爾雅に螢火卽炤とみえしが如く、ホは火也、タルは炤(テル)也、テルといひ、タルといふは、轉語なる也、萬葉集抄に、ホトロといふ ことばを釋して、ホドロとはヒカルといふ詞也、ヒカル虫をホタルといふがごとしとみえし、卽是也、
p.1080 螢火(ホタルヒノ/○○)光神(カヽヤクカミ)
p.1080 以二神之威光一、喩二螢火之光一者也、
p.1080 螢火(ホタル) ホハ火ナリ、タルハ垂也、下體光ル、故名トス、大小二種アリ、山中ノ川ノ邊ニ多シ、勢田宇治ニハ螢火多クシテ賣レ之、賣二螢火一事、和漢メヅラシ、〈○中略〉詩經ニ熠燿タル宵行トイへリ、宵行ハ卽螢也、
p.1080 螢火 ホタル〈和名鈔〉 ナツムシ〈古歌○中略〉
螢ハ夏初油菜稭ヲ刈ノ候、多ク出、大中小ノ三品アリ、皆水蟲ヨリ羽化シテ出、夏後卵ヲ生ジテ、復水蟲トナル、腐草化シテ螢ト成ルニ非ズ雄ナル者ハ光大ナリ、雌ナル者ハ光小ナリ、川ノ大小ヲ問ハズ、年中水ノ斷ザル川筋ニ多シ、城州宇治川、和州宇陀川江州西黑津大日山田上八島ノ螢火名産ナリ、ソノ形尋常ノ者ヨリ大ナリ、大ナル者ハ、ウシボウタル越前ト云フ、
p.1080 集解、時珍説、螢有二三種一ト言モノハ、頭及甲黑ク、背赤キ小蟲ナリ、今オシナベテホタロ(○○○)ト呼者ナリ、ムシホタロ(○○○○○)バ蠋ノ類ナリ、ウジホタロ(○○○○○)ハ、土ニ生ル蠶ノ類ニシテ、物各異リ、
p.1080 腐草化して螢となるとはいへど、水にすむ尖螺(ミラ)といふもの、田蠃のやうにて、ほそながきが、化してほたるとなるよし、東國の人は申侍る、久我殿の池にはやくほたるおほかりしが、家 をおほく飼けるのちは、ほたるまれ〳〵になりにける、かのみらを、家 の喰ひ盡し侍りけんかし、
p.1080 螢おはします御前わたりに、みつよつつれてとびありく、これがひかりに、ものは見えぬべかめりとおぼして、たちはしりて、みなとらへて、御そでにつゝみて御らんずるに、あま たあらんは、よかりぬべければ、やがてわらはやさぶらふ、螢すこしもとめよやかのふみ思ひ出んと仰らる、殿上わらは、夜ふけぬれば、さぶらはぬうちにも、なかたゞの朝臣、承りたる樣ありて、水のほとり、草のわたりにありき、多くの螢をとらへて、朝服のそでにつゝみてもて參りて、くらき所にたちて、この螢をつゝみながら、うそぶく時に、上いとしく御らんじつけて、なほしの御袖にうつしとりて、つゝみかくしてもてまゐり給ひて、内侍のかみのさぶらひ給ふ、几帳のかたびらをうちかけ給ふに、かの内侍のかみの、ほどちかきに、この螢をさしよせて、つゝみながら、うそぶき給へば、さるうすものゝ御なほしにぞ、たゞつゝまれたれば、殘る所なくみゆる、
p.1081 むかし男有けり、人のむすめのかしづく、いかで此男に物いはんと思ひけり、〈○中略〉時はみな月のつごもりいとあつきころほひに、よひはあそびをりて、夜ふけてやゝすゞしき風ふきけり、ほたるたかうとびあがる、この男見ふせりて、
ゆくほたる雲のうへまでいぬべくは秋風ふくと雁につげこせ〈○下略〉
p.1081 桂の見こに、式部卿の宮すみ給ける時、その宮にさぶらひけるうなゐなん、このおとこ宮をいとめでたしと思ひかけ奉りけるをも、えしり給はざりけり、ほたるのとびありきけるを、かれとらへてと、此わらはにのたまはせければ、かさみ○汗衫の袖にほたるをとらへて、つゝみて御覽ぜさすとて、聞えさせける、〈○歌略〉
p.1081 み木丁のかたびらを、ひとへうちかけ給に、あはせて、ざとひかるもの、しそくをさし出たるかとあきれたり、ほたるをうすきかたに、此夕つかたいとおほくつゝみをきて、ひかりをつゝみかくし給へりけるを、さりげなくとかくひきつくろふやうにて、にはかにかくけちえんにひかれるに、あさましくて、あふぎをさしかくしたまへる、かたはらめいとおかしげなり、おどろおどうしきひかり見えば、宮ものぞき給ひなん、〈○中略〉御心ときめきせられ給ひて、えなら ぬうすものゝかたびらのひまより、みいれたまへるに、ひとまばかりへだてたるみわたしに、かくおぼえなきひかりの打ほのめくを、おかしとみ給ふ、程もなくまぎらはしてかくしつ、されどほのかなるひかり、えんなることのつまにもしつべく見ゆ、ほのかなれど、そびやかにふし給へりつるやうだいのおかしかりつるを、あかずおぼして、げにあのごと御心にしみにけり、なく聲も聞えぬ虫の思ひだに人のけつにはきゆる物かは、思ひしり給ぬやと聞え給ふ、〈○下略〉
p.1082 夏はよる月のころはさらなり、やみもなほほたるおほくとびちがひたる、又たゞ一二などほのかにうちひかりてゆくも、いとおかし、
p.1082 和泉式部おとこのかれ〴〵に成ける比、貴布禰に詣でたるに、ほたるのとぶを見て、
ものおもへば澤のほたるも我身よりあくがれいづる玉かとぞみる、とよめりければ、御社の内に忍たる御聲にて、
おく山にたぎりておつる瀧津瀨の玉ちるばかりものなおもひそ、其しるしありけるとぞ、
p.1082 いまはむかし、あづまうどのうたいみじうこのみよみけるが、ほたるを見て、 あなてりやむしのしや尻に火のつきてこ人玉ともみえわたるぞ、
あづま人のやうによまんとて、實はつらゆきがよみたりけるとぞ、
p.1082 ある殿上人、ふるき宮ばらへ、夜ふくる程に參りて、北のたいのめむだうにたゝずみけるに、局におるゝ人の氣色あまたしければ、ひきかくれてのぞきけるに、御局のやり水に、螢のおほくすだきけるを見て、さきにたちたる女房の、螢火みだれとびてと、うちながめたるに、つぎなる人、夕殿に螢とんでとくちずさむ、しりにたちたる人、かくれぬものは夏むしの、とはなやかにひとりごちたり、とり〴〵にやさしくもおもしろくて、此男何となくふしなからんもほいなくて、 ねずなきをしいでたりける、さきなる女房ものおそろしや、螢にも聲のありけるよとて、つやつやさわぎたるけしきなく、うちしづまりたりける、あまりに色ふかくかなしくおぼえけるに、今ひとり、なく虫よりも、とこそとりなしたりけり、是もおもひ入たるほどおくゆかしくて、すべてとり〴〵にやさしかりける、
音もせでみさほ〈○みさほ、後拾遺和歌集三作二おもひ一、〉にもゆる螢こそ鳴虫よりも哀成けれ
螢火亂飛秋已近、辰星早沒夜初長、
夕殿螢飛思悄然
つゝめどもかくれぬ物は夏むしの身よりあまれる思ひ成けり
p.1083 石山に詣でぬ、かへさには、螢いくそばく、薄衣の器に包み入れて、宮の内に奉れば、ここらの御簾、或は御局のそこらに、數多放されて、晴るゝ夜の星とものせしも、いひしらず思ひたどりぬ、されどこの蟲も夜こそあれ、晝は色異樣に夜の光にはけおされて、劣れる蟲也、まいて手に觸れ身に添へては、惡しき香うつり來ぬ、手には蘭を握り、身には百壽の香を塗る、若人君の前にては、心あるべき蟲の香ならし、
p.1083 はるゝ夜の星かかはべのほたるかもわがすむ方のあまのたく火か
p.1083 嘉祿二年四月七日辛卯、招二請承明門黃門令衆一灌佛、布施三エタスキ薄物小單文裏白張薄物、以二胡紛一キコエ、ヌ虫ノ思ダニト令レ晝以二几張手横一竿以二黑紐一結二付之一、其中入レ螢也、
p.1083 ほたるこそ、猶なまめかしくをかしけれ、あこがれいでしたまなど聞えしは、わびしけれど、風にさそはれて、そこはかとなく、とびちりたるもをかし、夜ふけて、軒ちかくきらめくが、まどしとみなどのうちについ入て、とびまどひたる、ことにをかし、
p.1083 宗祇石山にもふで、螢を見て、 うき草に火を埋たるほたるかな
童子かたはらに有て曰、死螢なるやと、宗祇驚き、 池水に火をうつなみのほたる哉
此童子何ものぞや
p.1084 駒形の螢
江戸雀〈延寶五年印本〉十之卷淺草駒形堂の條に云、〈○中略〉船つきにして、出船入船のありさまは、遠浦の歸帆とや申さん、九夏三伏のあつき比は、風すゞやかに吹おとし、とびかふ螢水にうつり、勝景かぎりなき所なりとあり、繪を見るに堂のかたはらに、樹木ある體をかけり、又江戸名所記〈寬文二年板〉の駒形堂の圖を見るに、木立葆(くさむら)などありて、螢もをるべき體也、
焦尾琴(元祿十四年板)こまがたに舟をよせて、 此碑では江を哀まぬ螢哉 其角
かくいへるも、眼前の體なるべし、今は所せきまで人家立つゞきて、螢に化すべき草だになし、〈○下略〉
p.1084 螢合戰(○○○)は、狂歌咄に、卯月の末つかた、こゝ〈宇治〉は螢の集りえならぬ興を催せり、餘所の螢よりは、一きは大にして、光りことさらにみゆ、世にいふ賴政入道が亡魂にて、今も軍する有さまとて、夜に入ぬれば、數十萬のほたる川面にむらがり、或は鞠の大さ、或はそれよりも猶大に丸がりて、空にまひあがり、とばかり有て水のうへにはたと落て、はら〳〵ととけてながれ行こと、幾むらとも限りなし、正章千句に、纚(サデ)網をもちかよふ夏川、螢こよといふ聲、波に響きわたり、續山井に、火廻しがせたから宇治に行ほたる、〈衆下〉和漢三才圖會に、〈○註略〉石山の溪に螢多して、常のよりは大なり、此所を螢谷と呼、北は勢多の橋、南は供江ケ瀨に至る、其あはひを群がり飛こと、高さ十丈ばかり、火燄のごとし、又數百集りて塊ることあり、大かた芒種の後、五日より夏至の後、五日 までの間、十五日ばかりを盛りの時とす、其後下りて宇治川に到る、こゝには夏至小暑の間をさかりとす、また一説に云、小滿の後、四日五日の間、宇治勢田西賀茂北宇喜多社、及水上村に螢多くあり、一時の壯觀なりといへり、東國には、下野佐野を名所とす、
p.1085 ほたるをよみ侍りける 源重之
をともせで思ひにもゆる螢こそ鳴虫よりも哀なりけれ
宇治前太政大臣卅講のゝち歌合し侍けるに、ほたるをよめる、 藤原良經朝臣
澤水に空なるほしのうつるかとみゆるは夜はのほたるなりけり
p.1085 秋の田の露おもげなるけしきかな 螢
p.1085 蛙〈注音、謂虫物、槙壞衣者、如二白魚等一、乃牟之(○○○)、〉
p.1085 蠹 説文云、蠹〈音妬、和名乃牟之、〉木中虫也、
p.1085 新撰字鏡、蛙、乃牟之、今能登俗呼二衣魚(○○)一爲二乃乎之一、伊豫俗呼二乃之(○○)一、皆乃牟之轉、而訓二衣魚一、與レ訓レ蠧、古今不レ同耳、今俗呼レ蠹爲二一、〈○中略〉木食蟲(○○○)原書䖵部同、陳藏器曰、木蠹一如二蠐螬一、節長足短、生二腐木中一、穿レ木如二錐刀一、至レ春羽化、一名蝎、爾雅云、蝎咭 、注云木蠹也、蘇敬以爲二蠐螬一、誤也、按是羽化爲二天牛一者、宜レ倂二見上蠰及蠐螬條一、
p.1085 蠹ノ字丁護反、古文ニハ螙ト書ク、ノンシト讀也(○○○○○○)、木蟲トモ云、又ハ白魚共云、皆是ノンシ也、其國ニ居テ其國ヲ亡ス蠹ノ其木ヲ飡テ、其木ヲ枯スニ喩ヘタリ、今シミ(○○)ト云是也、私ニ思ハク、木ヲ飡ノンシニハ、木蟲ヲ用ヒ、紙ヲ食ノンシニハ、白魚ヲ用ベキ歟、蠹ノ字何レニモ亘ベキ也、
p.1085 木蠹蟲 ノムシ〈和名鈔〉 キクラヒムシ(○○○○○○) キクヒムシ ゴトウムシ(○○○○○)〈信州〉諸木身中ニ生ジ、内ヨリ木ヲ食フ長蟲ナリ、形ハ烏蠋(イモムシ)ノ如シ、木ニヨリテ其效異ナリ、故ニ下ニ各木蠹蟲ヲ出シ、初ニ總名ヲ擧テ木蠹蟲ト云フ、皆後ニハ羽化シテ天牛(カミキリムシ)、叩頭蟲(キヽリムシ)、飛生蟲(カプトムシ)ノ類トナル、 各木ニヨリテ化スルトコロノ蟲異ナリ、木上ニ生ジテ葉ヲ食フ者ハ蠋(アヲムシ)ニシテ蠹ニ非ズ、松(マツノ)蠹蟲(/○)ハ形鳥蠋ノ如クニシテ肥大、長サニ寸許、南部ニテ土人醬油ヲツケ燒食フト云、又臭梧桐蠹蟲(クサギノムシ/○○○○○)ハ醬油ニ漬炙リ、小兒ニ與へ食ハシム、虚損疳疾ヲ治スト云、津輕ニテハトウノキノムシ(○○○○○○○)ト呼ビ、信州ニテハ トウナムシ(○○○○○)ト云フ、
p.1086 凡應レ給二諸司月料魚宍一者、省司毎月臨二勘厨庫見物多少、及可レ蠹(ムシハム)之物一申レ官充用、勿レ致二蠹腐(○○○○)一、臨時雜用准レ此、
p.1086 桃蠹(○○) 本草云、桃蠹、一名山龍蠧、〈和名毛毛(○○○○○)乃牟之〉食二桃樹一虫也、
p.1086 原書果部下品桃核條云、桃蠹食二桃樹一蟲也、不レ載二一名一、陶注云又有二山龍桃一、其仁不レ堪レ用、本草和名桃核條竝二擧桃蠹食桃樹虫一也、山龍桃出二陶景注一、無二和名一、山龍桃者桃之一種、其仁不レ堪二藥用一、故擧以示レ之也、源君誤二山龍桃一作二山龍蠹一、遂爲二桃蠹一名一、其誤甚矣、按證類本草山龍桃脱二龍字一、又按本草桃蠹、卽桃木中蠹、非二桃子中蟲一、孟子云、井上有レ李、螬食レ實者過レ半矣、然則桃子中蟲、亦可レ謂二之桃螬一也、螬蠐螬也、按證類本草脱二龍字一、宜レ依二新修本草、本草和名及本書一而補正上、
p.1086 蝎〈○中略〉
桃蠹〈和名毛毛乃牟之、一名山龍蠹、〉 食二桃樹一蟲也、殺レ鬼辟二邪惡不祥一、又其蛙糞爲レ末、水服則辟二温疫一、令レ不二相染一、
p.1086 桃蠹蟲 モヽノムシ〈和名鈔〉
本草蒙筌ニ、桃蠹食皮長蟲ト云、本經逢原ニ、桃實中蟲食レ之、令二人美顏一、色與二桃蠹一不レ異ト云へリ、
p.1086 蝎〈○中略〉
柳蠹蟲(○○○)〈甘辛平有二小毒一〉 至二春夏一化爲二天牛(カミキリムシ)一、蓋桑柳蝎共、有レ治二驚風及血症一之功上、然今俗以二柳蟲(○○)一、爲レ治二痘瘡變症一 神樂上、予屢試レ之未レ見レ効、
p.1086 柳蠹蟲 ヤナギノムシ 一名柳木蛙蟲〈附方〉 柳蟲〈同上〉 此蟲臭梧桐蠹蟲ト形モ効モ同ジ、大和本草ニ、小兒痘ノ後餘毒腫レ、俗ニヨリト云ニ榑レバ愈ト云へリ、
p.1087 蝎〈○中略〉
桑蠹蟲(○○○)〈甘温無レ毒〉 其糞能治二小兒胎癬一、先以二葱鹽湯一洗淨、用二桑木蛙屑一、燒存レ性、入二輕粉一、等分油和敷レ之、凡小 兒頭生レ瘡、手爬處卽延生、謂二之胎癬一、
p.1087 桑蠹蟲 クハノムシ 一名桑木中蝎蟲〈附方〉
桑ノ樹身ニ生ジ、内ヨリ木ヲ食フ蟲ナリ、以下諸木皆コレニ傚フ、桑ノ蟲糞ヲ桑木蛙屑〈附方〉ト云、又桑木裏蠹蟲糞 桑木上蟲糞〈共同上〉トモ云フ、
p.1087 蝎〈○中略〉
蒼耳蠹(ヲナモミノムシ) 生二蒼耳草梗中一、狀如二小蠶一、取レ之但看レ梗、有二大蛙眼一者、以レ刀截二去兩頭一、有レ蛙梗多收、線縛掛二簷下一、 其蟲在レ内、經レ年不レ死、用時取出、細者以二三條一、當レ一用レ之、以二麻油一浸死、收貯毎用一二枚、擣傅二疔腫惡毒 卽時毒散、大有二神効一、
p.1087 蒼耳蠹蟲 オナモミノムシ一名蒼耳草梗中蟲〈附方〉 蒼耳草内蟲 蒼耳節内蟲〈共同上〉
蒼耳ノ莖中、及節中ニ生ズル蟲ナリ、下ノ靑蒿モ同ジ、
p.1087 蘹香蟲(○○○) ウイキヤウノムシ(○○○○○○○○)、
茴香ニ生ズル蟲、多クハ橘蠹ナリ、凡香氣アル草木上ニミナアリ、後ニ羽化シテ鳳子蝶トナル、蛺蝶ノ條下詳ニス、
p.1087 靭〈加彌(○○)(彌下恐脱二岐字)利虫(○○)〉
p.1087 齧髮虫 玉篇云蠰〈相毫反、漢語抄云、加美木里無之(○○○○○○)、〉齧レ髮虫也、
p.1088 新撰字鏡、 訓二加彌利虫一、當レ脱二岐字一、按加美岐利无之之名、今俗所レ呼同、與二齧髮一義合、〈○中略〉郭注爾雅云、似二天牛一長角、體有二白點一、喜齧二桑樹一、作孔入二其中一、李時珍曰、此以二天牛齧桑一爲二二物一也、而蘇東波天水牛詩云、兩角徒自長、空飛不レ服レ箱、爲レ牛竟何益、利吻空枯レ桑、此則謂二天牛卽囓桑一也、大抵在二桑樹一者卽爲二囓桑爾、〈○中略〉又按、爾雅、蝎桑蠹、蠰齧桑、然諸樹蠹所二羽化一名二天牛一、桑樹蠹所二羽化一名レ蠰也、
p.1088 蠰〈カミキリムシ〉
p.1088 天牛 カミキリムシ〈和名鈔〉 ツノムシ(○○○○)〈薩州○中略〉
木蠹蟲(キクヒムシ)、春夏ノ交リニ至リ、水中ニテ羽化シ、木ヲ穿チ、穴シテ出ルモノナリ、山中ニ多シ、長サ一寸餘、徑四分許、腹ニ六足アリ、背ニ硬キ甲アリ、色黑クシテ白點アリ、翅ハ甲下ニカクル、首ニフトキ鬚二條アリ、黑白相雜リ、身ヨリ長シ、藏器兩角ト云ハ此鬚ヲ指スナリ、口ニ利齒左右ニアリテ蜈蚣(ムカデ)ノ如シ、髮ヲモ能ク囓キル、竹木ノ類ハ更ナリ、故ニカミキリムシト云、陰天ニハ必多ク出テ地上ヲ行ク、此蟲ノ桑樹ヨリ出ルヲ囓桑ト云、又一種形狀同ジクシテ、栗殻(クリ)色ニシテ白點ナク、角ニハ褐ト黑トノ斑アルモノアリ、薩州ニテ枇杷ムシ(○○○○)同名アリト呼ブ、
p.1088 蠐〈在鷄反、須久毛(○○○)、〉
p.1088 蠐螬 本草云、蠐螬〈齊曹二音〉一名蛣 〈吉屈二音、和名須久毛無之、〉爾雅注云、一名蝤蠐、〈上オ尢反〉
p.1088 千金翼方、證類本草中品有二蠐螬一、不レ載二蛣 之名一、所レ引爾雅注、亦非二郭璞一、〈○中略〉按説文、 、 也、蝤蝤 也、蝎蝤 也、蛣 蝎也、〈○中略〉太平御覽引二陸機疏一云、蠐螬生二糞土中一、其説與レ郭合、陶、云大者如二足大指一、以レ背行、乃駛二於脚一、郝曰、此物有レ足而任レ背行、亦不レ駛也、蘇敬曰、此蟲有レ在二糞聚一、或在二腐木中一、其在二腐柳樹中一者、内外潔白土糞中者、皮黃内黑黯、陳藏器云、蠐螬居二糞土中一、身短足長、背有二毛筋一、但從レ夏入レ秋蛻爲レ蟬、飛レ空飮レ露、能鳴二高潔一、蝎在二朽木中心一、穿如二錐刀一、一名蠹、身長足短、口 黑無レ毛節慢、至レ春羽化爲二天牛一、兩角狀如二水牛一色黑、背有レ白點一、上下緣レ木、飛騰不レ遙、二蟲出處旣殊、形質又別、〈○中略〉則源君訓二須久毛牟之一者、謂二糞土中者一也、
p.1089 蠐螬〈スクモムシ〉 蛣 蝤蠐〈已上同〉
p.1089 蠐螬スクモムシ〈○中略〉 爾雅註に據るに、蠐螬在二糞土中一といふなり、俗に糞土をスクモといふなり、其中にあるに因りて、此名ありしなるべし、此物夏秋の交、蛻して蟬となるなり、
p.1089 蠐螬(きりうじ/すくもむし) 蟦蠐 蜰蠐 乳齋 應條 地蠶 和名、須久毛無之、〈○中略〉
按蠐蝤、今俗呼名二賀登(○○)一者也、栗根及薯蕷下多有レ之、大抵寸半許、似レ蠶而腰略細足略長、背有二皺筋一、以レ背滾行蛻而爲レ蟬、但不レ有レ毛耳、
一種生二圃園糞土中一、食二斷草木根一、多爲レ害者、俗呼名二木里宇之(○○○○)一、其形似レ蠶而肥皂負或灰白、或赤褐色、短足大小不レ一、常圓屈而如二猫幡臥狀一、
p.1089 蠐螬 ヂムシ(○○○)〈總名〉 ガツトウムシ(○○○○○○)〈播州〉 アマメ(○○○)紀州 子キリムシ(○○○○○)〈仙臺〉 シロコムシ(○○○○○) チゴクムシ(○○○○○)〈共同上〉 コトコトムシ(○○○○○○)〈加州〉 コエムシ(○○○○)〈肥前〉 シクジ(○○○)〈尾州〉ニウドウ(○○○○)〈阿州〉 ニウドウムシ(○○○○○○)〈上州〉 ドンガ(○○○)〈若州〉 ツボムシ(○○○○)〈薩州〉 カラスノハヽ(○○○○○○)〈泉州〉 ガトムシ(○○○○) チノソコノウバ(○○○○○○○)〈共同上〉 ノケダ(○○○)〈防州〉 ノケダウジ(○○○○○)〈同上〉 イシノシタノウハキゼウ(○○○○○○○○○○○)〈筑前〉 ムマノクソムシ(○○○○○○○)〈筑後○中略〉
園圃土中ニ生ズ、形烏蠋(イモムシ)ノ如ク、長サ一寸、或ハ一寸餘、白色ニシテ、首赤ク尾黑シ、草根ヲ食ヒ、或ハ嫩苗ヲ囓截リ、大ニ害ヲナス、掘テ土上ニ出ス時ハ曲屈シテ動カズ、暫クシテ蠕行シ、土中ニ隱ル、春後ニ至リ、土内ニテ化シテ、 蜟(ニシヤドチ/○○)トナリ、後羽化シテ蟬トナル、一種形大ニシテ、長サ三寸許ナルアリ、通ジテヂムシト呼ブ、泉州ニテハ、ゴトムシ(○○○○)ト云フ、此蟲羽化シテ、蚱蟬(アキセミ)、馬蜩(ヤマセミ)ノ大蟬トナル、又一種春時土中ニ長サ一寸許、濶サ一分許ニシテ、色黑キ蟲アリ、早朝ニ土上ニ出テ、草ノ嫩苗ヲ 囓截ル、俗名キリウジ、又キリムシ共云フ、是群芳譜菊ノ條下ニイへル黑小地蠶ナリ、又桃栗等ノ實内ニ生ズル色白キ長蟲ヲモ蠐螬ト云、同名ニシテ混ジヤスシ、孟子ノ註ニ螬ハ蠐螬也トイへリ、スクモムシト訓ズ、
p.1090 腹蜟〈キノボリ(○○○○)、又キドマリ(○○○○)、〉集解、時珍曰、腹蜟折レ脊而爲レ蟬、此蟲至レ夏登レ木而脱、
p.1090 斑猫(はんめう) 斑蝥 盤蝥 龍蚝 斑蚝 蝥刺也、言毒如二矛刺一也、俗訛爲二斑猫一、〈○中略〉按人食二豆葉一者、能擇取宜二淨洗一、恐有二斑猫毒一、夏秋出二於圃園一、飛二道街一五六尺而止、止則必顧看、但倭斑〈○中略〉毒不レ如二外國者之甚一也、蓋有二古方藥用レ之者一然不レ可二輕用一也、
p.1090 斑蝥 ハンメウ〈卽斑猫ノ音〉 一名龍尾〈千金翼方事物異名〉 加乙畏〈郷藥本草〉
漢渡具物ナレドモ、今ハ渡ラズ、蠻舶來モ形狀同ジ、長サ一寸許、首ニ兩短鬚アり、背甲ニ黑ト赤黃色トノ斑アリ、本草原始ノ圖ニ異ナラズ、腹ノ色黑シ、近來江戸ニ此蟲アリ、余モコレヲ捕得タリ、只斑ニ微シク紅色ヲ帶ブ、 又和ノ斑猫ト藥舖ニ唱フルモノアリ、往年唐山ヨリモ來ルト云傳フ、ソノ形ハ甚ダ異ナリ、俗名ミチシルべ(○○○○○)、ジヤウメムシ(○○○○○○)〈北國〉タイドウトヲシ(○○○○○○○)〈讃州〉カイドウトヲリ(○○○○○○○)〈新校正〉 此蟲ハ舶來ノ者ヨリ形小ク、長サ八分許、前ハ狹ク、後ハ廣ク、行夜ノ形ニ似タリ、背甲黑色ニシテ碧綠ノ光アリ、黃ト紅トノ小斑ヲ點シテ美ハシ、腹ノ色黑シ、山野白沙アル地ニ多シ、徑路ノ間、人ニ先ツテ飛ブコト一二歩、地ニ下レバ必人ニ向フ、旋追ヘバ旋飛ブコト數度ニシテ外ニ飛去ル、山ニ近キ寺社ノ内殊ニ多シ、此蟲形狀舶來ノ者ニ異ナレドモ、ソノ功ハ大抵相同ジ、
p.1090 地膽 本草云、地膽、一名芫靑、〈上音元、和名仁波豆々(○○○○)、〉
p.1090 千金翼方、證類本草下品、芫作レ蚖、本草和名引作レ芫、與レ此同、按蓋是蟲其色靑、好在二芫華上一、故名二芫靑一、作二蚖靑者、後人从レ虫耳、與二榮蚖字一自別、然陶隱居謂、蚖字恐是相承之誤、而別有二芫靑一、則此不レ從レ艸明、則知陶所レ見本草作二地膽一名蚖靑一無レ疑、蓋輔仁改レ蚖作レ芫源君從レ之、非二本草 之舊一也、按本草云、地膽、一名蚖靑者混二言之一、別錄擧二芫靑一者析レ之也、陶言二蚖靑芫靑不一レ同者泥矣、〈○中略〉按邇波都々之名今不レ傳、其物未レ詳、按地膽陶云、狀如二大馬蟻一有レ翼、陶云、芫靑芫花時取レ之、靑黑色、蜀本圖經云、形大小如二班猫一、純靑綠色、又云、背上一道黃文、尖喙、小野氏曰、地膽今俗呼二都知班猫(○○○○)一、芫靑呼二阿乎班猫(○○○○)一、
p.1091 地膽(にはつゝ) 蚖靑 靑蠵 杜龍 和名仁波豆豆〈○中略〉
按、有毒之藥不レ可二輕用也、而和劑局方耆婆萬病圓中、有二芫靑、石蜥 、蜈蚣一、以レ毒攻レ毒、能平二治堅結難病一矣、遠則如二砒霜、輕粉一、近則大黃、牽牛子之類、亦皆然矣、蓋鋸釿猶二瀉藥一、鉋鐁猶二補藥一、其所レ用各有二定格一、而以二能用レ之者一爲二良匠一、
p.1091 地膽 ニハツヅ〈和名鈔〉 ツチハンメウ(○○○○○○)
舶來ナシ、山中土内或ハ原野石間ニ居リ、時時出行ク、長サ一寸餘、濶サ三四分、色黑クシテ碧光アリ、背上ニ短翅アリ、飛ブコト能ハズ、凡ソ斑蝥、芫靑、葛上亭長、地膽ノ四蟲、ソノ種自ラ別ナリ、而ルニ本一蟲ニシテ、時ニヨリ所ニヨリテ名ヲ變ズト云説ハ甚ダ誤リナリ、
增、地膽ハ斑猫ノ類ニシテ、行夜(ヘヒリムシ)ニ似タリ、晝ハ蟄シテ、黃昏ヨリ地上ニ出テ疾行ス、形瘦テ黑色、脊ニ螢ノ如キ堅キ羽アリ、尾ノ端ニ微シク赤斑アリ、稀ナルモノナリ、
p.1091 芫靑(○○) アヲハンメウ(○○○○○○) 一名莞靑、〈束醫寶鑑〉 元靑〈醫學正傳〉 蚖靑蟲〈正字通〉
今舶來ナシ、間蠻舶來アリ、紅毛語カンターリイ、又ハパンスフリイゲト云フ、パンスハ國名、フリイゲハ蠅ナリ、ソノ形斑猫ヨリ狹小、長サ六七分許、ゼウカイニ似ラ小ク、綠色ニシテ金光アリ、腹ハソノ光多シ、和産稀ニ草木上ニ飛來ルコトアリ、形蠻産ニ異ナラズ、又一種形瘠細ク、黑色ニシテ碧光アルモノハ處處ニ多シ、
葛上亭長(○○○○) マメハンメウ(○○○○○○) ヲンニヤウジ(○○○○○○)〈江州〉 ヲニウジ(○○○○)〈同上長濱〉 ヒムシ(○○○)〈同上大塚〉 ヘムシ(○○○)〈伊州〉 サルメウジ(○○○○○)〈土州〉 アブレジ(○○○○)〈和州〉 一名、葛上加乙畏〈郷藥本草〉
江州ノ地豆ニ宜シ、故ニ菽田多シ、近江大豆ト稱シ名産トス、夏月北風吹ク時ハ、此蟲生ジテ擧田皆食ヒ枯ラスニ至ルト云、和州ニテハ數多ク、群ヲナシテ菽園ニ來リ、コグチヨリ苗ヲ食巳盡ス、捕ヘテ小竹上ニ貫キ、處處ニ立テ置ク時ハ、漸ク逃去ルト云、土州ニテハ豆ニ限ラズ、諸草木上ニ生ズト云フ、ソノ蟲長サ四五分、濶サニ分弱、形狀蠻來ノ芫靑ニ似テ小ク、甲ハ色黑クシテ綠光アリ、竪ニ褐色ノ細條二三道アリ、首ハ黃赤色ナリ、癬ニ摩碎シ、醋ニテ傅レバ、甚腫痛シ、水出テ愈後、皮ヲ脱スルコト兩三度ナリ、又一種阿州ニテ、ヲロメウジ、一名ヲロメト呼ブ蟲アリ、江州ニテハ、ハラボテト云、大豆苗上ニ生ズ、長サ三分半許、濶サ二分許、靑綠色ニシテ斑點ナシ、傳藥ニ用テ、ソノ効斑猫ニ及バズト云、亦葛上亭長ノ屬ナリ、
p.1092 蜣蜋 本草云、蜣蜋〈羌郎二音〉一名蛣蜣〈吉羌二音、和名久曾無之(○○○○)、一云、末呂無之(○○○○)、〉兼名苑注云、食レ糞虫也、
p.1092 千金翼方、證類本草下品同、陶隱居注云、甚喜入二人糞中一、取レ屎丸而却二推之一、俗名爲二推丸(○○)一、李時珍曰、蜣蜋以レ土包レ糞、轉而成レ丸、雄推置二于坎中一、覆レ之而去、數日有二小羌蜋一出、孚二乳于中一也、蜀本圖經云、此類多レ種、取二鼻高目深者一、名二胡蜣蜋(○○○)一、本草衍義云、蜣蜋大小二種、一種大者爲二胡蜣蜋一、身黑光腹、翼下有二小黃子一附レ母而飛行、晝不レ行、夜方飛出、至二人家庭戸中一、見二燈光一則來、一種小者身黑暗、晝方飛出、夜不レ飛、〈○中略〉按陶注云、取レ屎丸而却二推之一、是所三以得二久曾牟之、末呂牟之之名一也、今俗呼二古賀禰虫(○○○○)一、又名二黑金虫(○○○)一、按爾雅、蛣蜣蜣蜋、蛣蜣、又見二莊子齊物論一、按説文無二蜣字一、有二䖼字一、云、渠脚一曰天社、廣雅、天社蜣蜋也、玉篇謂蜣䖼同字、段氏曰、此物前却推丸、故曰二渠䖼一、廣韵、 其虐切、又丘良切、則知䖼蜣正俗字、渠䖼雙聲、蛣蜣卽渠䖼之轉、蜣蜋疊韻也、〈○中略〉按爾雅郭注云、黑甲蟲噉レ糞者、兼名苑注文蓋本二於此一也、
p.1092 蜣蜋〈クソムシ、糞虫也、羗良二音、又云卽禽、〉 蛣蜣〈同吉羗二音〉 轉丸 弄丸 諸羗 糞虫〈已上クソムシ、〉 〈四名出二兼名苑一、又名マロムシ、〉
p.1093 飛蛾、こがねむし(○○○○○)、 つくしにてぶどう(○○○)と云、肥州にてかねぶう〳〵(○○○○○○)と云、此むし夏の夜、油灯に入て灯を消す事あり、
p.1093 蜣蜋、 マロムシ(○○○○)〈和名鈔〉 クソムシ(○○○○)〈同上〉 コガネムシ(○○○○○)〈京〉 クロコガネムシ(○○○○○○○) センチコガネムシ(○○○○○○○○)〈共同上〉 サラムシ(○○○○)〈北國〉 ゴキトリ(○○○○)〈江州〉 サラマワシ(○○○○○) ゴキマワシ(○○○○○)〈共同上〉 ブイブイ(○○○○)〈備後〉 力ネブイブイ(○○○○○○)〈豫州西條〉 カネブ(○○○)〈同上、大洲、○中略〉
大小數品アリ、胡蜣蜋ハ形金龜子(コガネムシ)ニ異ナラズ、長サ四五分、濶サ三四分、背ニ剛甲アリ、全身黑色ニシテ、漆ノ如ク光アリ、晝伏シ夜出、燈火ヲ見テ來リ、誤テ油ニ入リ死ス、〈○中略〉又一種小ナル者アリ、長サ三四分、形瘠、甲ニ光ナク、晝飛テ夜伏ス、宗爽小者不堪用ト云モノナリ、
p.1093 タマムシ(○○○○)
p.1093 蜴蛀(タマムシ) (同)
p.1093 吉丁蟲(タマムシ)〈本草、背正綠有レ翅、取用帶レ之、令二人喜好愛媚一、〉金花蟲(同)
p.1093 吉丁蟲(たまむし) 俗云玉蟲〈○中略〉
按、俗云、玉蟲是也、江州及城州山崎、攝津有馬多有レ之、婦女納二鏡奩一以爲二媚藥一、用二白紛汞粉(ハラヤ)一藏レ之、歷年不レ腐、雄者全體正綠光色、縱有二二紅線一、腹亦帶二赤色一、潤澤可レ愛、長一寸二三分、頗似二蟬形一、而扁小頭、其頸有二切界一露レ眼六足也、雌者長寸許、全體黑而光澤帶二金色一、縱有二同色筋脉數行一、蓋雄者多、雌者少、
p.1093 螽〈○中略〉
附錄、吉丁蟲、 タマムシ〈○中略〉 山中ニ生ズ、叩頭蟲(キヽリムシ)ニ似タリ、長サ一寸許ニシテ、濶サ三四分、背ニ硬甲アリ〈○中略〉金光アリ、〈○中略〉女人取テ粉匣ニ收ム、久クシテ敗レズ、
p.1093 なりはうつくしう玉むしなどいひて、いみじけれど聲きり〴〵すはたおりかう ろぎにさへおとりて、こゑたてぬもあれど、此むしはやむごとなきさちあるものにて、宮のさうにて、何くれの御つぼねにも、御くしげの中、白ふんの中にまろびて、からは人をさへ、野べにすてためるならひなるに、十とせはたとせの後までも、御ものゝ中につゝませおかせ給ふ事よ、かうやうのものに雲井にまうのぼる、昔のかしこき人は、草を耕して、位にのぼりしをさへ、めづらしうありがたき事にものするに、これはやうかはれり、
p.1094 叩頭虫 傅咸叩頭虫賦云、虫之細微者、觸レ之輙叩レ頭、〈叩頭虫、和名沼加豆木無之(○○○○○○)、〉
p.1094 太平御覽引二叩頭蟲賦叙一云、叩頭蟲、蟲之微細者、然觸レ之輙叩頭、〈○中略〉李時珍曰、蟲大如二斑蝥一、而黑色、按二其後一則叩レ頭有レ聲、今俗呼二米舂蟲(○○○)一、或曰二爪彈(○○)一、
p.1094 叩頭虫〈ヌカツキムシ〉
p.1094 叩頭蟲(ヨネツキムシ/コメムシ)
p.1094 叩頭蟲ヌカヅキムシ〈○中略〉 古には叩頭をいひて、ヌカヅクと云ひけり、ヌカとば額也、ツクとは著也、額の地に至るをいふなり、今俗にハタオリムシ(○○○○○○)ともいふ是也、
p.1094 叩頭蟲(こめふみむし) 和名沼加豆木無之 俗米踏(○○)〈○中略〉
按、狀如二吉丁蟲(タマムシ)一而小純黑、頸下背上有二折界(ヲレメ)一、毎點頭作レ聲、音如レ言二保知保知一、其貌似二踏レ碓者一、故俗曰二米踏蟲一、
p.1094 螽〈○中略〉
叩頭蟲 ヌカヅキムシ〈和名鈔〉 キコリムシ(○○○○○)〈古歌、播州、雲州、石州、備後、防州、作州、〉 キヽリムシ(○○○○○)〈大和本草○中略〉 カネタヽキ(○○○○○)〈○中略〉 コメフミムシ(○○○○○○)〈讃州高松〉 コメツキムシ(○○○○○○)〈同上、香西阿州、○中略〉 ツメハジキ(○○○○○)〈筑前○中略〉 此モ木蠹蟲ノ羽化スルモノアリ、其品數多シ、
p.1094 むしは ぬかつきむしまたあはれなり、さる心地に道心をおこして、つきありくらんよ、思ひもかけずくらきところなどに、ほと〳〵としありきたるこそをかしけれ、
p.1095 蛄䗐 爾雅集注云、蛄䗐、〈姑翅二音、和名與奈無之(○○○○)、〉今穀米中蠹、小黑虫也、
p.1095 所レ引爾雅、蛄䗐、强 也、説文、蛄䗐、强羊也、然則蛄字从レ女爲レ正、从レ虫俗字、與二螻蛄字一自別、郭璞曰、建平人呼爲二 子一、音芋姓、郭注方言云、米中小黑甲蟲也、郝懿行曰、此蟲大如二黍米一、赤黑色、呼爲二牛子一、音如二甌子一、登萊人語也、廣東人呼二米牛一、紹興人呼二米象一、並因レ形以爲レ名、段玉裁曰、宋本説文及釋文所レ引皆作レ羊、當二音陽一、今江東人謂二麥中小黑蟲一爲二羊子一、是也、郭璞音恐未レ諦、徐鉉本作レ蚌、李燾本作レ芋、皆非レ是、
p.1095 蛄䗐(よなむし) 强蚌 和名與奈無之 與奈者米也 俗云虚空藏(○○○)〈○中略〉
按俗呼レ米穩二菩薩一、隨呼二此蟲一曰二虚空藏一、其形小、似レ蚤而赤黑色、長喙兩髭、六足跋行甚疾、
p.1095 烏毛虫 兼名苑云、髯虫、一名烏毛虫、〈和名加波無之(○○○○)〉
p.1095 加波无之、有レ毛、化爲レ蝶、見二堤中納言物語一、則知今俗所レ謂介牟之(○○○)也、爾雅䘃蛄蟴、説文蛄斯墨、陶弘景曰、帖蟖蚝蟲也、此蟲多在二石榴樹上一、俗爲二蚝蟲一、其背毛亦螫レ人、陳藏器云、其蟲好在二果樹上一、背有二五色襇毛一、刺レ人有レ毒、欲レ老者口中吐二白汁一、凝聚漸堅正如二雀卵一、子在二其中一、作レ蛹以レ甕爲レ繭、羽化而出作レ蛾、是可三以充二介牟之一也、
p.1095 むしめづる姫君
てふめづるひめ君の住み給ふかたはらに、あせちの大納言の御むすめ、心にくゝなべてならぬさまに、おやたちかしづき給ふことかぎりなし、このひめぎみのの給ふ事、人々のはなやてふやとめづるこそ、はかなくあやしけれ、人はまことあり、ほんぢたづねたるこそ、心ばへをかしけれとて、よろづのむしのおそろしげなるを取りあつめて、これがならんさまをみんとて、さま〴〵 なるこはこどもに人れさせ給ふ、中にもかはむし(○○○○)の、心ふかきさましたるこそ心にくけれとて、あけくれはみゝはさみをして、手のうらにそへふせてまほり給、若き人々はおぢまどひければ、をのわらはの物おぢせず、いふかひなきをめしよせて、箱の蟲ども取らせ、名をとひきゝ、いまあたらしきにはなをつけてけうじ給へば、すべてつくろふ所あるはわうしとて、まゆさらにぬき給はず、はくろめさらにうるさしきたなしとてつけ給はず、いとしろらかにゑみつゝ、このむしどもをあしたゆふべにあいし給、〈○中略〉さすがにおやたちにもさしむかひ給はず、おにと女とは、人に見えぬぞよきとあんじ給へり、もやのすだれをすこしまきあげて、きてうそへてたてゝ、かくさかしくいひいだし給ふなりけり、これをわかき人々きゝて、いみじくさかしうし給へど、心ちこそまどへ、この御あそびものよ、いかなる人、てふめづる姫君につかまつらんとて、兵衞佐といふ人、 いかで我とかむかたないてゝしかなるかは蟲ながら見るわざはせし、といへば、小大輔といふ人笑ひて、
うら山しはなやてふやといふめれどかはむしくさき世をもみるかななどいひてわらへば、かちしやまゆはしも、かはむしだちたんめり、さてはくさきこそ、かはのむけたるにやあらんとて、左近といふ人、
冬くれば衣たのもしさむくともかはむしおほく見ゆるあたりは、きぬなどきずともあらんかし、などいひあへるを、おとな〳〵しき女聞きて、わかう たちはなにごといひおはさうずるぞ、てふめで給ふなる人、もはらめでたうもおぼへず、けしからずこそおぼゆれ、さて又かはむしならべ、てふといふ人ありなんやは、たゞそれがもぬくるぞかし、そのほどを尋ねてし給ふぞかし、それこそ心ふかけれ、てふはとらふれば、手にきらつきて、いとむづかしきものぞかし、又てふはとらふれば、わらはやみをせさすなり、あなゆゝしともゆゝしといふに、いとゞにくさまさり ていひあへり、このむしどもとらふるわらべは、をしきもの、かれがほしがるものをたまへば、ざまざまにおそろしげなるむしどもをとりあつめて奉る、かはむしはけなどはをかしげなれど、おぼえねばさう〴〵しとて、いほむしかたつぶりなどをとり集めて、うだひのゝしらせてきかせ給ひて、われもこゑをあげて、かたつぶりのつのゝあらそふやなぞといふことをうちずんじ給、〈○下略〉
p.1097 雀甕(すゝめのたご) 蚝蟲 躁舍 雀兒 飯甕 蛄蟖房 天漿子 俗云雀乃太古(○○○○)〈○中略〉按俗云雀(/○)擔桶(タンゴ/○○)是也、果樹枝間在レ之、形似二草麻子一、取二甜柘榴樹上者一、可レ治二兒驚癇一、正二月未レ開レ口者佳也、運則空殼耳、或採二雀甕一紙包收、經レ日開レ之、乃燈蛾出去、
p.1097 雀甕 スヾミノツボ(○○○○○○)〈古名〉 スヾメノタゴ(○○○○○○) スヾメノシヤウベンタゴ(○○○○○○○○○○○)〈京〉 スヾメノマクラ(○○○○○○○)〈作州〉 スヾメノサカツボ(○○○○○○○○)〈信州〉 イラムシノス(○○○○○○) 一名蛅蟖殼〈本經逢原〉衰也只家〈郷藥本草〉 蛅蟖一名蟔〈爾雅〉 毛 〈通雅〉 蛓毛〈本經逢原〉
蛅蟖ノ窠(○○○○)ナリ、蛅蟖ハイラムシ(○○○○)、ヲコゼ(○○○)、霎州ハンキヤウシ(○○○○○○)、勢州梅樹、林檎、棗樹等ニ生ジテ葉ヲ食フ、長サ七八芬、形扁ク、色黃ニシテ、黑色ノアツマリタル毛處處ニアリテ、馬鬣ノ如シ、若シ是ニテ觸レバ、甚人ヲ惱シム、秋深レバ樹枝ニツイテ、白乳ノ如キ者ヲ吐シテ身ヲ覆フ、後ニ凝テ雀卵ノ如ク堅シ、長サ五六芬、濶サ三四分、淺黑色ニシテ竪ニ白キ紋アリ、コレヲ破リ開ケバ、内ニ蟲アリ、小鳥好デ食フ夏ニ至レバ甕上ニ圓孔ヲ穿チ、其中ヨリ羽化シテ出飛ブ、其蛾褐色ニシテ厚キ翅アリ、本經逢原ニ、至レ夏羽化而出、其形有レ似二蜻蜓一、而翅黑稍潤ト云フ、
p.1097 蚇蠖 兼名苑云、蚇蠖、〈尺郭二音〉一名 䗩〈卽戚二音〉爾雅注云、一名 〈子六反〉説文云、蠖〈和名乎岐無之(○○○○)〉屈伸虫也、
p.1097 按、神代紀招、訓二乎幾一、謂下招二致鷹一之餌上爲二乎幾惠一、亦是也、尺蠖屈伸、有二如レ招レ物之 狀一、故名二乎歧牟之一、今俗呼二尺取虫(○○○)一、新撰字鏡、蠖訓二衣比万良虫一、不レ知與二乎歧牟之一同否、〈○中略〉原書虫部、屈上有二尺蠖二字一、伸作レ申、爾雅翼云、狀如レ蠶而絶小、行則促二其腰一、使二首尾相就一、乃能進歩、屈中有レ伸、故曰二屈申一、又如下人以レ手度物、移二後指一就二前指一之狀上、玄應音義引二舍人一云、一名歩屈、床地曰二尋桑一、臭人名二桑闔一、郝曰、今驗歩屈小靑虫也、在二草木葉上一、懸レ絲自縋、亦作二小繭一、化爲二飛蝶一、或在二桑上一、故有二尋桑桑闔諸名一、其在二它樹上一者、亦隨レ所レ染、故晏子春秋外篇云、尺蠖食レ黃則黃、食レ蒼則蒼、
p.1098 蘹香蟲〈○中略〉
集解、尺蠖ハ ヲキムシ〈和名鈔〉 シヤクトリムシ スントリムシ(○○○○○○)〈土州阿州〉 タカバカリ(○○○○○)〈尾州〉 一名 、〈通雅〉 、〈正字通〉 蠋、〈同上〉歩屈、〈典籍便覽〉蚇蠖〈事物紺珠〉蚸蠖、〈文選〉屈伸蟲、〈潜確類書〉屈申蟲、〈三オ圖會〉曲曲蟲〈訓蒙字會〉此蟲夏秋ノ候、草木上ニ生ジテ葉ヲ食フ、形細長ク、兩頭ニ足アリ、腰ヲ屈シ首尾相就テ行ク、ソノ狀人ノ兩指ニテ寸尺ヲ度ルニ似タリ、故ニシヤクトリムシト名ク、易ニ尺蠖之屈以求信也ト云是ナリ、小ナル者ハ一寸ニ及バズ、大ナル者ハ二三寸ニ過グ、綠色ナルモノアリ、灰色ナル者アリ、褐色ナル者アリ、皆老スレバ羽化シテ蝶トナル、
p.1098 螟蛉 毛詩注云、螟蛉、〈冥靈二音、和名阿乎無之(○○○○)、〉蒼虫也、
p.1098 小雅小宛篇毛傳蒼作レ桑、按爾雅云、螟蛉桑蟲、毛詩正義引二陸璣一亦云、螟蛉者桑上小靑蟲也、是詩注作二桑蟲一無レ疑、源君引作レ蒼者、恐桑蒼音近、旦因二阿乎牟之之訓一而誤也、又按説文蠕字注云、螟 桑蟲也、螟字注云、蟲食〈○中略〉穀葉一者、非二此義一、古蓋作二冥 一也、後人作二螟蛉一、與二蜻蛉字一混無レ別、詩疏引二陸機一、又云、螟蛉者似〈○中略〉歩屈一其色靑、或在二草葉上一、按太平御覽引二郭氏一云、尺蠖有二歩屈一、其色靑而細小、或在二草木葉上一、今蜾贏所〈○中略〉負以爲一レ子者、蓋郭氏音義之文、以二螟蛉歩屈一爲レ一、與二陸機所一レ説異、
p.1098 枸 蟲(○○○) クイ(○○)〈南部〉 一名苟 上蟲〈證類本草〉
此ハ枸 上二生ジ、葉ヲ食フ、小長靑蟲(○○)ナツ、コノ木ニ限ラズ諸草上ニ生ズ、コレヲ蠋ト云、老スレ バ羽化シテ小蛾(○○)トナル、時珍ハ爾雅ノ烏蠋トス、コレハイモムシ(○○○○)ナリ、一名嶋蠋、〈正字通〉芋ノ葉上ニ生ズル大長蟲ナリ、形狀ハ蠶ニ似テ、大ニシテ綠褐黑數色アリ、皆老テ大蝶ニ化ス、多クハ玄武蟬トナルナリ、
增、釋名、蠋(○)ハ靑クシテ、毛ナキ長ムシノ總名ナリ、同類ノモノ故、コレヲ釋名ニ出ス俗ニイモムシト云、イモムシト云モ總名ナリ、芋ニ限ラズ、草木其ニ生ズ、ソノ生ズル所ノ草、或ハ木ニ因テ形色少異アリ、皆繭ヲ作リ、蛹トナリテ蝶ニ化ス、集解ニ烏蠋ト云ハ黑色ノ者ナルベシ、
p.1099 木螺(ミノムシ) 避債蟲(同)〈又云結草虫〉
p.1099 蓑(みのむし)衣蟲 結草蟲 木螺 壁債蟲 俗云美乃無之
按諸木嫩葉漸舒、老葉間有レ卷、中生二小蟲一、其蟲喰二取枯葉一、吐レ絲用作レ窠、長寸許、婆娑形如二撚艾炷一、毎縋二于枝一、其蟲赤黑色、有二皺段一而首尖、時出レ首喰二嫩葉一、動二其首一、貌彷二彿蓑衣翁一、故名レ之、俗説、秋夜鳴曰、秋風吹兮父戀焉、然未レ聞二鳴聲一、蓋此蟲、以二木葉一爲レ父爲レ家、秋風旣至、則邇二零落一矣、人察レ之、附會云レ爾耳、其鳴者非二喓聲一、乃涕泣之義、
p.1099 避債蟲、俗〈云ミノムシ〉、
千蟲譜、引二程參醫抄錄撮要一云、今柘榴上、有二一種一取二短梗半寸一以來、周圍植レ之以裹レ身、行則負以自隨、 亦化レ蛹、其蟲俗呼二避債蟲一、諸木皆生、〈○下略〉
p.1099 みのむしいとあはれなり、をにのうみければ、おやににて、是もおそろしき心ちぞあらむとて、おやのあしき衣をひききせて、いま秋かぜふかんおりにそこむとする、まてよといひおきていにけるを、さもしらず、まことかとて、風のおとをきゝしりて、八月ばかりになれば、ちゝよちゝよとはかなげになく、いとあはれなり、
p.1099 これ古への童が諺なるべし、蓑虫のきぬ穢けきあら〳〵しきもの故、おにのす て子など云しことゝ見ゆ、
p.1100 柳にみのむしのつきたるをみて
雨ふれば梅の花がさあるものを柳につけるみのむしのなぞ
p.1100 松にみのむしのつきたるを、すけちかおこせたりける、 祐擧
いかでかは露にもぬれん雨ふれどもらしがいその松のみのむし
p.1100 蚕〈丁殄反、上、蜸蚕、久禮乃彌々受(○○○○○○)、〉
p.1100 蠶(カヒコ)〈䖢附〉 説文云、蠶〈昨含反、俗爲レ蚕、和名賀比古(○○○)、〉虫吐レ絲也、玉篇云、䖢〈三消反、和名與レ蟻同、〉蠶初生也、
p.1100 下總本蛾作レ蟻、類聚名義抄云、與レ蟻同、或本云與レ蛾同、彼所レ見本亦或作レ蟻、或作レ蛾也、按此云與レ蛾同者、謂下其訓與二蠶蛾一同上也、作レ蛾爲レ是、
p.1100 蚕〈コカヒ〉
p.1100 (○) 玉篇云 〈音元、和名奈都古(○○○)、〉晩蠶也、
p.1100 原蠶(○○) ナツゴ(○○○) 一名蝩〈正字通〉
六月中旬ノ比、春蠶ノ雌蛾卵ヲ紙上ニ産ツケタル者、初ハ色白シテ形圓ニ長ク、頭ニ微尖アリ、三日許ヲ歷テ、色黃ニ變ジ、形扁ク凹トナル、又四日許ヲ歷テ、淺黑微紫色ニ變ズ、又日ヲ歷テ頭尖黑色ニ變ジ、漸ク全ク黑色トナリ、一日ヲ歷テ其尖ヨリ卵ヲ穿チ生出ス、此ヨリ漸ク成長シ、眠起スルコト、四度過テ、繭ヲ爲シ、蛾ニ化スルコト、春蠶ト同シテ日數早シ、藥ニハ蛾ト沙トヲ用ユ、
雄原蠶蛾 ナツゴノ蝶 雄ヲ用ユ、雌ハ用ヒズ、三才圖會ニ、爾雅正義ヲ引テ、羅卽是雄、蛾卽是雌ト云フ、廣濟譜ニ蛾出第一日者、名二苗蛾一、末後出者名二末蛾一、皆不レ可レ用、次日以後出者取レ之ト云、コレハ種ヲ取ル蛾ヲ擇ブヲ云、藥ニハ必シモ拘ラザルベシ、
p.1100 蝱(○) 文字集略云、蝱、〈今案、卽是蚊虻之虻字也、見二下文一、和名比々流(○○○)、〉蠒内老蠶也、
p.1101 按蠶之在二繭中一、未二化爲一レ蛾者名レ蛹、説文蛹繭蟲也、是也謂二之蝱一者、未レ見レ所レ出、比比流、今俗猶呼二比伊流(○○○)一、信濃上野陸奧謂二之比流(○○)一、近江謂二比由利(○○○)一、伊勢謂二之比伊呂(○○○)一、皆比々流之譌轉也、下總本蝱皆作レ䖟、按玉篇云、蝱俗作レ䖟、
p.1101 蠶 カヒコ(○○○)〈和名鈔〉 カフコ(○○○)〈古歌〉 ヲコ(○○)〈東國〉 ウスマ(○○○)〈越後〉 ボコ(○○)〈同上〉トヽコ(○○○)〈羽州〉 ヒメコ(○○○)〈房州〉 トウドコ(○○○○)〈津輕大者〉 キンコ(○○○)〈同上小者〉 一名龍精〈事物紺珠〉 錦娘子 女兒 母〈共同上〉 馬頭娘〈名物法言〉 䗸〈正字通○中略〉
三月淸明〈節〉ノ後、桑初テ出ルノ時、蠶連紙(タ子ガミ)ノ上ニ、細カク切タル嫩桑葉ヲ以テ糝シ置ケバ、已ニ卵ヲ出タル蠶兒、桑葉ニ上リ附クヲ、鳥ノ翎ヲ用テ、葉ト共ニ拂ヒ落ス、其出ルコト早晩齊シカラズ、故ニ一番ハキ、二番ハキ、三番ハキノ稱アリ、大抵辰巳ノ時蛻シ出ヅ、長サ僅一分許、康濟譜ニコレヲ蟻ト云フ、時珍ノ謂ユル䖢ナリ、ソノ身ハ黑褐色、首ハ小クシテ、御米(ケシ)ノ如ク、黑色ニシテ光リ、漆ノ如シ、康濟譜ニ初生黑色、三日後漸變レ白變レ靑、復變レ白變レ黃、純黃則停レ食、謂二之正眠一、眠起自レ黃而白、自レ白而靑、白レ靑復白、自レ白而、黃、又一眠也毎眠例如レ此ト云、日ヲ追ヒ長ズルニ隨テ、色變ズルナリ、五日ニナレバ長サ二分餘ニナリ、葉ヲ食ハズ眠ル狀ノ如シ、コレヲ眠ト云、飛州ニテツボムト云、是第一眠ナリ、一名正眠、〈康濟譜〉江州ニテ一度井ト云、上州ニテシヾト云、康濟譜ニ北蠶多是三眠、南蠶倶是四眠ト云、本邦モ皆四眠ナリ、凡ソ一眠一起ノ間十二時ナリ、故ニ今日午前ヨリ眠スルモノハ、明日午時ヨリ、クビスジノ處裂破レテ、漸ク舊皮ヲ蛻出ヅ、是ヲキヌヲヌグト云、已ニ出レバ、半身以上ハ立チテ、半身以下ハ葉ニ附著シテ暫ク動カズ、コレヲ起ト云、是一起ナリ、飛州ニテヒトヲキト云フ、此時長サ三分許、九日ニ至リテ長サ四分許ニナリ眠起初ノ如シ、是第二眠ナリ、江州ニテハニ度井ト云、上州ニテタケト云、第二起ヲ飛州ニテフタヲキト云、此時長サ四分餘、十四日ニ至リテ、長サ七分餘ニナリ、眠起ス、是第三眠ナリ、江州ニテヒナイト云、又フナイト云、上州ニテ フナト云、第三起ヲ飛州ニテ、ミヲキト云、此時長サ八分許、十九日ニ至リテ、長サ一寸二三分ニナリ、色白ク微黃ニシテ光アリ、眠起ス、是第四眠ナリ、是ヲ大眠ト云ヒ、停眠ト云、倶ニ康濟譜ニ出ヅ、江州ニテニワイト云、上州モ同ジ、第四翹ヲ飛州ニテ、ニワヲキト云、此時長サ一寸四、分許、白色微黃褐、身ニ九段アリ、第一段ハ長クシテ、上ニ兩眉ノ形アリ、色黑シ、下ニ左右各三足アリ、三段ノ上前ニヨリテ○ノ形アリ、深黑色二重ナリ、五六七八段ノ下段ゴトニ、左右各一足アリ、九段ノ上ニハ、肉刺一アリテ、 蠋(イモムシ)刺ノ如シ、尾下ハ兩ヨリ葉ヲ挾デ足ノ如シ、二十七日ニ至リテ、長二寸ニ分許、濶三分許、全身白色ニシテ光アリ、喉下及尾上透徹シ、漸クヒロガリ、全身透徹シテ黃色トナル、是ヲ南部ニテ、ヒキルト云、是ヨリ漸ク老テ、形小クナレバ、只仰デ上ニ向フ、此時採テ簇中ニ入ル、康濟譜ニ、候十蠶九考方可レ入レ簇ト云、簇ハ器中ニ枝叉アル木柴ヲ束ネタルヲ入置キ、上ニ稻草ヲ覆フコノ云フ、蠶ヲコノ中ニ入レバ、便チ絲ヲ吐キ、枝叉ニ掛テ繭ヲ造ル、コレヲ飛州ニテスガクト云、〈○中略〉
繭マユ〈○中略〉 凡繭三日許、日乾シテ後絲ニヒキ、綿ニ造ル、コレ中ノ蛹(ヒイル)ヲ殺スタメナリ、然ラザレバ繭ヲ破リ、羽化シテ出レバ、ソノ繭絲ニナラズ、故ニコノ繭ヲ綿ニ製ス、コレヲ空蠶繭〈醫學彚函〉ト云、〈○中略〉
繭中ニ居ルモノハ足ナクシテ兩目アリ、 蜟(ニシヤドチ)ノ形ノ如クニシテ赤褐色ナリ、コレヲ蛹(○)ト云、俗名ヒル、〈野州、信州、奧州、〉ヒイル(○○○) ヒユリ(○○○)〈江州○中略〉
稱子トスル繭ハ、器中ニ入レ、上ニ藜葉(アカザ)ヲ蓋ヒ置ク時ハ、日ヲ經ズシテ、蛹羽化シテ、繭ノ一方ヲ破リ穿チテ出ヅ、コレヲ蠶蛾(○○)ト云、カヒコノ蝶ナリ、〈○中略〉
蠶蛾ノ形ハ、䗳蛾(ヒトリムシ)ニ似テ、淺褐色、雄ハ體瘦小ニシテ紙上ニ飛走ス、雌ハ體肥大ニシテ、紙上ニ伏シテ動カズ、天工開物ニ、凡蛹變二蠶蛾一、旬日破レ繭而出、雌雄均等、雌者伏而不動、雄者兩翅飛撲、遇レ雌卽交、 交一日半日方解、解脱之後、雄者中枯而死、雌者卽時生レ卵、承二藉卵生一者、或紙或布、隨二方所一レ用、一蛾計生レ卵二百餘粒、自然粘二于紙上一、粒粒匀鋪、天然無二一堆積一、蠶主收貯以待二來年一ト云、此紙ヲ蠶連ト云、俗名タネガミ、
p.1103 天平寶字元年八月己丑、駿河國益頭郡人金刺舍人麻自、獻二蠶産成一レ字、 甲午勅曰、〈○中略〉爰得三駿河國益頭郡人金刺舍人麻自、獻二蠶兒成一レ字、其文云、五月八日、開二下帝釋標一知二天皇命百年一、因國内頂二戴玆祥一躍踊歡喜、〈○中略〉謹案、蠶之爲レ物、虎文而有二時蛻一、馬吻而不二相爭一、生二長室中一衣二被天下一、錦繡之麗於レ是出焉、朝祭之服於レ是生矣、故令三神虫作レ字、用表二神異一、而今蕃息之間、自呈二靈字一、〈○中略〉宜下與二王公一其辱中斯貺上、但景命爰集、隆慶伊始思俾三惠澤被二於天下一、宜下改二天平勝寶九歲八月十八日一、以爲中天平寶字元年上、其依二先勅一天下諸國調庸、毎レ年免二一郡一者、宜レ令二所レ遺諸郡合レ年倶免一、
p.1103 寶龜二年五月己酉、右京人白原連三成獻二蠶産成一レ字、賜二若狹國稻五百束一、
p.1103 寄レ物陳レ思歌
足常(タラチネノ)、母養子(ハヽノカフコノ/○○○)、眉隱(マユコモリ/○○)、隱在妹(コモレルイモヲ)、見依鴨(ミルヨシモカモ)、
p.1103 問答歌
中々二(ナカ〳〵ニ)、人跡不在者(ヒトヽアラズバ)、桑子(クハコ/○○)爾毛(ニモ)、成益物乎(ナラマシモノヲ)、玉之緖許(タマノヲバカリ)、
p.1103 常陸國歌
筑波瀰乃(ツクハネノ)、爾比具波麻欲(ニヒグハマヨ/○○○○○○)能(ノ)、伎奴波安札杼(キヌハアレド)、伎美我美家思志(キミガミケシヽ)、安夜爾伎保思母(アヤニキホシモ)、
○養蠶ノ事ハ、産業部養蠶篇ニ詳ニセリ、宜シク參看スベシ、
p.1103 蛾〈柯我反、螘也、蟻也、安利、比々留、〉
p.1103 蛾 説文云、蛾〈音峩、和名比々流(○○○)、〉蠶作二飛虫一也、
p.1103 比々流、和名抄、靈異記訓釋同訓、谷川氏〈○士淸〉曰、火簸之義、今俗呼二蠶蝶一、今土 佐俗呼二比伊流一、阿波俗又譌呼二比宇利一、本草和名、螈蠶蛾、和名比々留、乃布多古毛利、按陶隱居云、原蠶是重養者、謂下春蠶當二盛暑時一、所レ生二於紙上一者上、歷二數日一化爲レ蠶、謂二之原蠶一、下條 訓二奈都古一、是也、後羽化爲レ蛾者語二之原蠶蛾一、今俗呼二夏子蝶一、輔仁誤讀二重字一、爲下二蠶爲二一繭一者上、訓二布多古毛利一誤、今引レ之者、以證三蛾之訓二比々留一耳、
p.1104 蛾ヒヽル
p.1104 蛾 おやのかふこのまゆとこもりいへり、 ふたこもり ひきまゆ
p.1104 ひゝる 倭名鈔、新撰字鏡、靈異記に蛾を訓ぜり、火簸の義にや、よく燈を消つもの也、山谷が詩に飛蛾赴レ燭廿二死禍一と見えたり、又蝱も訓ぜり、日本紀に、飄又翥をよめり、日簸の義なるにや、盛衰記に、一ツの鳥ひゝめきわたるともいへり、萬葉集に蛾葉之衣といふ事あり、かはのきぬと訓れど、異訓あるべく思はるれ、古事記に内剝二鵝皮一といふ事見ゆ、ごも蛾皮なるべし、説文にも蛾蠶化二飛虫一也と見ゆ、書紀には以二鷦鷯ノ羽一爲レ衣と見ゆ、
p.1104 六年九月癸丑、越前國司、獻二白蛾(ヒヽル)一、戊午詔曰、獲二白蛾於角鹿郡浦上之濱一、故增二封笥飯神一二十戸、
p.1104 按、蛾微少之物、非二可レ獻者一、蓋蛾鵝誤耳、
p.1104 資朝卿被レ斬幷阿新事
折節夏ナレバ、燈ノ影ヲ見テ蛾ト云蟲ノアマタ明障子ニ取付タルヲ、スハヤ究竟ノ事コソ有ト思ヒテ、障子ヲ少シ引アケタレバ、此蟲アマタ内へ入テ、軈テ燈ヲ撲滅ヌ、
p.1104 蝶〈(中略)蛾は倭名鈔に説文を引て、(中略)義は不レ詳、今俗にヒトリムシ(○○○○○)といふものは、觸蛾是也、〉
p.1104 ひとりむし 火取虫の義、飛蛾の類をいふ也、心地觀經に、心如二飛蛾一愛二燈色一と見ゆ、古今集に、 夏虫をなにかいひけん心から我もおもひにもへぬべらなり、
p.1105 燈蛾 燭蛾 火蛾 俗云火取虫〈○中略〉
燈蛾(ヒトリムシ)多出二雀甕一、大五六分、形色似一黃蝶一、色枯渴者也、夏夜見二燈燭一、則如レ欲レ奪レ火、數回而終沒二燈油中一死、
p.1105 樗鷄〈和名奴天乃支乃牟之(○○○○○○○)〉
p.1105 樗雞(/ウチスヽメ) 一名紅娘子、本草綱目四十ニノセタリ宗奭曰、形類二蠶蛾一、但腹大頭足徵黑、翅爾重、外一重灰色、内一重深紅、五色皆具、筑紫ノ方言ウチ雀ト云、又一種夕顏ノ花ヲ吸翼アル虫アリ、飛コト早シ、夕顏マダラト云、是モ樗雞ノ類ナリ、樗雞ヨリ小ナリ、
p.1105 樗鷄 詳ナラズ〈○中略〉
大和本草ニ、ウチスヾメ(○○○○○)ト訓ズルハ穩ナラズ、 ウチスヾメハ燈蛾(ヒトリムシ)ノ雌ナリ、一名ザシキスヾメ(○○○○○○)〈南部〉コブ(○○)〈尾州〉フクラスヾメ(○○○○○○)、形、蠶蛾(カイコノテフ)ノ雌ニ似テ、灰褐色ニシテ粉アリ、〈○中略〉畫ハ扉ノ陰、或器物ノ間ニ隱レテ睡リ、夜ハ飛翔シテ、燈火ニ集リ、終ニ油ニ入リ死ス、正字通ニ符子ヲ引テ、不レ安二其昧一、而樂二其明一、譬猶二文蛾去レ暗赴レ燈而死一也ト云フ、
p.1105 蝶〈徒頰反、蛺也、加波比良古(○○○○○)、〉 蛺〈古夾反、蝶也、加波比良古、〉
p.1105 蝶(テフ) 兼名苑云、蛺蝶〈頰牒二音〉一名野蛾、〈形似レ蛾而色白者也〉
p.1105 按古今注云、蛺蝶一名野蛾、色白背靑者是也、兼名苑蓋本二於此一、説文蛺、蛺蜨也、蜨、蛺蜨也、蜨蝶正俗字、伊勢廣本蝶作レ 、按是唐人避諱字、新撰字鏡、蝶蛺並訓二加波比良古一、李時珍曰、蝶蛾類也、大曰レ蝶、小曰レ蛾、其種甚繁、皆四翅有レ粉、好嗅二花香一、
p.1105 蛱蛺〈カハヒラコ〉 蝶〈カハヒラコ〉
p.1105 蝶 こてふ(○○○)はるさま〴〵のはなのさくより、秋花のちるまでの物なり、 たゞてふとも云、なべてはこてふと云、、こてふににたりといふは非レ蝶、來といふに似也、
p.1106 蝶テフ 字の音をもて呼也
p.1106 てふ 蝶をよむは音なり、相摸下野陸奧にてふま(○○○)、津輕にかにべ(○○○)、又てこな(○○○)、秋田にへらこ(○○○)、越後にてふまべつたら(○○○○○○○)、信濃にあまびら(○○○○)といふ、かひこのてふは蛾なり、信濃陸奧上野にひるといふ、西國にひるろうと云、伊勢にひいうといふ、柳女郎(○○○)と呼者あり、水蝶(○○)也、粉蝶を放ちて、其止る所に隨て幸なるは唐明皇の故事なり、天寶遺事に見ゆ、てふ〳〵とまれ、菜の花にとまれ、なれもとまらば、我もとまらんといへる童謠は、古意を得たり、
p.1106 蛺蝶 テフカラテフ(○○○○)〈古歌〉 チヨテフ(○○○○)〈京〉 テフ〳〵(○○○○)〈江戸〉 テフコ(○○○)〈阿州〉 カツカベ(○○○○)〈南部〉 テイコウナ(○○○○○)〈津輕〉テコナ(○○○) カヽべ(○○○)〈共同上〉 ハへル(○○○)〈琉球〉 テフマベツ(○○○○○○○)トウ〈越後〉 アマビラ(○○○○)〈信州〉 カバビラコ(○○○○○) テフ〳〵ベコ(○○○○○○)〈野州〉 ヘラコ(○○○)〈秋田○中略〉
蛺蝶ハ春夏秋ノ間飛翔シ、草木ノ花ヲ吸フ、菜花上殊ニ多ク集ル、一身四翅、翅ノ大サ八九分ニシテ粉アリ、色白キ者ヲ粉蝶〈泉州府志〉-云、色黃ナル者ヲ黃蝶〈同上〉ト云、又黑ヲ雜ルアリ、皆油菜葉ノ上或下ニ纖小ノ黃卵ヲ生ズ、數日ノ後化シテ小長蟲-ナル、〈○下略〉
p.1106 てふ〈蝶〉
てふ、一名をこてふ、古名をかはらひこといひ、俗稱をてふ〳〵といひ、〈○中略〉漢名のごときも數名ありと雖も、通名は蝴蝶といひ、蛺蝶といひ、 蝶といひ、蜨ともいへり、説文によるに、蝶は俗字のよしにて、蜨を本字となせり、然れ共、古來より蝶字を以て通用したり、又雅名の如きは、春駒といひ、野織といひ、撻抹といひ、探花使といひ、或は採花使共、採花子とも目せるは、名義皆同じくして、いはゆる蝴蝶の花に遊ぶとも、花に戯るなど、ふるくより詩歌に詠ぜるよりして、しか名付そめけん、又戀花といふ目もあるは、もと蝶は花木花草中の毛蟲尺蠖の類、或は蠹蠋の諸蟲老時に至りて、おの〳〵脱して蝶となる也、〈○中略〉また此物大小あり、大なるものは蝙蝠の如く、故に蝙蝠蝶 の名あり、小なるものは、梅花瓣にまがふありて、翼に五色の斑文あるあり、純白純黃紫黑靑赤、其色錯雜にして、種類きはむべからず、〈○下略〉
p.1107 綠蝶(○○) 兼名苑云、綠女、一名姥蝶、〈綠蝶也〉
p.1107 按綠女姥蝶二名、未レ詳レ所レ出、
p.1107 紺蝶(○○) 兼名苑云、紺幡、一名童幡、〈紺蝶也、今案、又一名靑蛉、見二古今注一、〉
p.1107 按古今註云、紺蝶遼東人呼爲二紺幡一、亦曰二童幡一、兼名苑蓋本二於此一、廣本注末、有下今案又一名靑蛉見二古今注一十一字上、按古今注魚蟲條作二蜻蛉一、又按紺蝶、今俗呼二蝶登无保(○○○○)一、蜻蛉之屬非二蝶類一、以三其飛翔狀似二蛺蝶一、有二蝶名一也、源君廁二於此一、恐非、
p.1107 文治二年五月一日戊寅、自二去比一黃蝶飛行、殊遍二滿鶴岳宮一、是怪異也、仍今日以下奉二御供一之次上、爲二邦通奉行一、有二臨時神藥一、〈○同書建保元年又有二此事一、〉
p.1107 寬元五年三月十七日庚午、黃蝶飛、〈幅假令一丈許、列三段許、〉凡充二滿鎌倉中一、是兵革兆也、承平、則常陸下野、天喜、亦陸奧出羽四箇國之間、有二逗怪一、將門貞任等及二鬪戰一訖、而今此事出來、猶若可レ有二東國兵亂一歟之由、古老之所レ疑也、
p.1107 寶治二年九月七曰辛亥、黃蝶飛行、自二由比浦一至二于鶴岡宮寺幷右大將家法花堂一群亙云云、 十九日癸亥、未申兩時之間、黃蝶群飛、自二三浦三崎方一、出二來于名越邊一、其群集之幅三許段云云、
p.1107 鳳蝶〈或説作レ車〉 崔豹古今注云、鳳蝶其大如二蝙蝠一者、或黑色或靑斑、名曰一鳳子一、一名鳳子車、一名鬼車、〈今案、和名保々天布(○○○○)、是鳳蝶二音之轉乎、〉
p.1107 按原書魚蟲條、作下風蝶其大如二蝙蝠一者、或黑色或靑斑、名爲二鳳子一、一名鳳車名鬼車上、與二廣本所一レ引略同、其鳳蝶作二風蝶一恐誤、名鬼車上亦似レ脱二一字一、初學記、太平御覽引亦作二鳳車一、與二今本一同、廣本作二鳳子車一、誤衍也、
p.1108 貞觀十六年八月丁巳朔、伊勢國上言、〈○中略〉蝗虫或化レ蝶去、
p.1108 菩提寺緣記曰、橘寺の西方より金色の蝶(○○○○)とび來りて、講堂の柱に羽うちやすめとまり、しばしして飛さりぬ、其跡をみれば、一首の和歌を喰付たり、
新古今 菩提寺の講堂のはしらにむしくひたる歌
しるべある時にだにゆけ極樂の道にまどへる世中の人
p.1108 治承二年八月、叡山坂本粉蝶如レ雨降、高雄寺魔滅之時如レ此云々、
p.1108 佐國愛レ華成レ蝶事
或人〈○中略〉人ノ家ヲカリテ、且ク立入タリケルガ、カクテ其家ヲミレバ、ツクレル家ノ、イト廣モ非ヌ庭ニ、前栽ヲエモイハズ、木共ウへテ、ウへニ假屋ノカマへヲシツヽ、聊カ水ヲカケタリケリ、色色ノ花カズヲツクシテ、錦ヲ打オホヘルガ如ク見エタリ、殊ニサマ〴〵ナル蝶イクラトモナク遊アへリ、事サマノ難レ有覺エテ、ワザトアルジヲヨビ出デヽ、此事ヲ問フ、アルジノ云樣、是ハナホザリノ事ニモ非ズ、思フ心アリテウへテ侍べリ、オノレハ佐國ト申テ、人ニシラレタル博士ノ子ニテ侍べリ、彼父世ニ侍リシ時、フカク花ヲ興ジテ、折ニツケテ是ヲ翫ビ侍リキ、且ハ其心ザシヲバ、詩ニモ作レリ、六十餘國見レドモ、未アカズ、他生ニモ定メテ花ヲ愛スル人タランナド、作リ置テ侍ベリツレバ、自ラ生死ノ會執ニモヤ罷成ケント、疑シク侍リシ程ニ、アル者ノ夢ニ、蝶ニ成テ侍ルト、見タル由ヲ語侍レバ、罪深ク覺エテ、然ラバ若コレラニモヤマヨヒ侍ルラムトテ、心ノ及ブ程ウへテ侍ル也、其レニトリテ、唯花バカリハ猶アカズ侍レバ、アマヅラ蜜ナドヲ、朝ゴトニソヽギ侍ルトゾ語リケル、
p.1108 天福元年五月十八日壬戌、或人云、自二四月廿八日一至二五月三日一、日吉社頭、蝶雨降(ノ如クル)、
p.1108 かねのすはまに、沈をませゆひたる、かねのとこなつのくさむらをかきたり、歌 はなにゝかきたるぞなど、心にくきほどに、はやう花にてふのいみじうおかしきが、とをばかりゐたるなりけり、〈○中略〉歌は内の御めのと宰相の内侍のすけかきたり、右には兼房の右衞門佐、蝶ゐたるとこなつのえだをおりて、すけみち〈○右講師〉にとらす、
p.1109 鶯のうらゝかなるねに、鳥のがくはなやかにきゝわたされて、いけの水鳥も、そこはかとなくさえづりわたるに、きうになりはつるほど、あかずおもしろし、てふはまして、はかなきさまにとびたちて、やまぶきのませのもとに、さきこぼれたる花のかげにまひいづる、
p.1109 草のなかにてふのしにたるをみて
うき世にはながらへじとそおもへどもしぬてふばかりかなしきはなし
p.1109 正治二年百首 寂蓮法師
とこなつのあたりは風ものどかにて散かふものはてふのいろ〳〵
p.1109
はかなくもまねく尾花にたはむれて暮行秋をしらぬてふ哉
p.1109 蟻螘〈同上義、音宜奇反、阿利(○○)、又左曾利(○○○)、〉
p.1109 大蟻〈蚳蝝附〉 爾雅集注云、蚍蜉〈毘浮二音〉一名馬螘、〈宜倚反、今案卽蟻字也、見二玉篇一、和名於保阿里(○○○○)、〉大蟻也、野王按、蚳蝝〈遲鉛二音〉蟻子也、
p.1109 今本玉篇虫部云、螘宜倚切、蟻同上、與二此注所一レ引合、別名蛾、樂記蛾子時術レ之、鄭注、蛾眦蜉也、是也、又蠶 字从レ䖵、俗省作レ蛾、與二此蛾字一混、故蛾羅字俗作レ蟻、以レ避二蠶蛾字一也、然則蟻是螘一名、非二卽螘字一、顧氏以レ蟻爲二螘或字一、恐不レ然、〈○中略〉今俗呼二山安利(○○○)一、爾雅云、蚍蜉、大螘、郭注云、俗呼爲二馬蚍蜉一、毛詩東山正義引二舍人一云、蚍、蜉卽大蟻也、説文、 大螘也、蚍蜉字云、 或从レ虫比聲、又云、螘蚍蜉也、〈○中略〉今本玉篇虫部云蚳蟻卵也、按説文、蚳、螘子也、説文又引二劉 説一蝝蚍蜉子、與二此所レ引 玉篇一義同、唯蚳蝝連文訓二蟻子一恐非、〈○中略〉按類聚名義抄、一名玄駒四字、在二螘字注一、此一名上恐脱二蟻字一、按大戴禮夏、小正傳云、玄駒者螘也、廣雅、玄駒螘也、方言云、蚍蜉、西南梁益之間謂二之玄蚼一、古今注云、今人名レ蟻曰二玄駒一、兼名苑蓋本二於此等書一、蚼卽俗駒字、魚猗反、又作レ螘、與二上文云螘宜倚反卽蟻字一複、是注恐後人所レ增、非二源君舊文一、舊本魚猗反本二兼猗反一、又作レ螘、作二又作一レ蝖、今改正、顯宗紀蟻、新撰字鏡蛾、同訓、
p.1110 時珍曰、蟻處々有レ之、有二大小黑白黃赤數種一、穴居卵生其居有レ等其行有レ隊、能知二雨候一、春出冬蟄、
p.1110 物之小而可レ愛者、莫レ如レ蟻、其占レ候似レ智、其兼レ弱似レ勇、其呼レ類似レ仁、其次序似レ義、其不レ爽似レ信、有二君臣之義焉、兄弟之愛焉、長幼之倫一焉、
p.1110 螘蟻 〈アリ〉馬蟻〈オホアリ〉赤蟻〈イヒアリ(○○○○)〉
p.1110 蟻 アリ〈○中略〉
凡ソ蟻種類多シ、〈○中略〉市中ニ在ルモノ、赤黑二色アリ、體ハ小ナレドモ、皆力强シ、〈○中略〉事物紺珠ニ、力擧二等身鐵一善戰有二行伍一ト云ヘリ、通雅ニ、小而微黃曰二黃蟻一ト云フ、黃蟻(○○)ハアカアリ(○○○○)ナリ、庭上ニ多シ、〈○中略〉通雅ニ稍大、好啖二群蟻一曰二虎蟻一ト云、是ナリ、其内ニ形長大ニシテ、大頭ナル者雜リ行ク、通雅ニ、大頭不二負曳一、若二紏率者一、故世以二惰レ群者一爲二大頭蟻一ト云是ナリ、コノ蟻ヲ筑前ニテハ、藤四郎アリ(○○○○○)ト云、土州ニテハ庄屋アリ(○○○○)ト云フ、又赤蟻ノ一種(○○○○○)、至テ小ナル者アリ、徵黑色ヲ雜ユ、常ニ木中ニ住ミ、遠ク連行ス、事物紺珠ニ、黃螘細如レ灰ト云是ナリ又黑色ノ蟻(○○○○)、數品アリ通雅ニ玄蟻尤蕃、遇羶負曳ト云ヒ、泉州府志ニ、有二黑蟻一作二穴地中一ト云フ、皆クロアリナリ、〈○中略〉又長サ一分許ニシテ、肥腹ナルモノ、常ニ木中ニ住ミ、年々窠ヲ換ルニ、遠方ヨリ卵ヲ含抱シテ連行スルアリ、此蟻ハ臭氣アリ、通雅ニ、有二臭蟻(○○)一、好緣レ木爲レ窠ト云是ナリ、又一種コシボソ(○○○○)ト呼ブモノアリ、長サ一分餘、色黑クシテ光 アリ、尾刺上ニ向フ、故ニ人ヲ螫ス、常蟻ノ尾刺下ニ向フニ異ナリ、朽柱及舊閫中ニ穴居ス、通雅ニ、有二蛆蟻一、狀如二黑蟻一化而羽、能螫レ人、爾雅所レ謂丁蟻也ト云ヒ、泉州府志ニ、有二走馬蟻一、作レ穴依レ樹能螫レ人ト云是ナリ、又山中ニ居ル者、形大ニシテ長サ七八分、或五六分ナルアリ、 ヤマアリ(○○○○)ト呼ブ オホアリ(○○○○)、〈和名鈔〉此ニモ赤黑二色アリ、釋名ノ註ニ、大者爲二蚍蜉一ト云是ナリ、
p.1111 赤蟻(○○) 爾雅集注云、赤駮蚍蝣、一名蠪虰、〈龍偵二音、和名伊比阿里(○○○○)、〉
p.1111 伊比阿利未レ詳、疑謂下今俗呼二赤阿利一者上、按通雅小而微黃曰二黃蟻一、事物紺珠、黃螘細如レ灰、是可三以充二赤阿利一也、爾雅邢昺疏云、其大而赤色斑駁者名レ蠪、是山阿利之赤色者、〈○中略〉又按邢昺曰、蠪一名朾螘、以二朾螘一爲二一句一、玉篇云、蠪蠪虰蟲、又云、虰、蠪虹也、以二蠪虰一連讀、與二此所レ引説一合、顧氏蓋依二爾雅舊注一、王引之曰、以二蠪朾一爲二螘一名一非也、蠪、打螘、慰、飛螘、二句文同一例、若以二螘字一自爲レ句、則與二爾雅上文小者螘一相複矣、王引之又云、蠪之言尨也、古者謂二雜色一爲レ尨、或借二龍字一爲之、故螘之赤色斑駁者謂二之蠪一、義與レ尨同也、朾之言頳也、頳赤也、螘色赤駁、故又謂二之頳一、虰與レ頳音同、説文䞓、赤色也、或作レ頳或作レ 、故字亦相通也、
p.1111 飛蟻 爾雅集注云、螱〈音尉〉一名飛蟻、〈和名波阿里〉蟻有レ翼而能飛也、
p.1111 爾雅 、飛螘、郭注云、有レ翅、此所レ引蓋舊注、舊雅翼云、蓋柱中白螘之所レ化也、白螘狀如二螘卵一、凡斬レ木不レ以レ時、木未レ及レ燥而作、至二或柱礎去レ地不一レ高、則是物生二其中一、以レ泥爲房、詰曲而上、往々變化生レ羽、遇二天晏温一、群隊而出、飛亦不レ能レ高、尋則脱レ翼、藉々在レ地而死矣、郝氏曰、劉歆以レ蝝爲二蚍蜉之有レ翼者一、蓋謂レ此也、
p.1111 飛蟻〈ハアリ〉
p.1111 螱(はあり) 白蟻 飛螘 和名波阿里 俗云波里(○○)〈○中略〉
按螱〈俗云波里〉羽蟻也、人家古松柱間生レ螱、蚔細白如二罌粟子一有二黑點一處頭也、尋變二黃赤一生レ翼再變レ黑而群飛、 不レ能二奈何一、相傳、書二呪歌一粘二其柱一、則螱悉除去、屢試驗焉、其歌未レ知二誰人所一レ詠、
p.1112 蟻〈○中略〉
附錄、白蟻、 ハアリ(○○○)〈和名鈔〉 ハネアリ(○○○○)〈尾州〉 ハリ(○○)〈越中、河州、勢州、〉 フアリ(○○○)〈豫州〉 ケガレバイ(○○○○○)〈土州〉 ドクドウシ(○○○○○)〈薩州〉 ドクヅシ(○○○○)〈同上〉 イツトキバイ(○○○○○○)〈防州〉 ウンゾウバイ(○○○○○○)〈筑前〉
增、白蟻、一名飛蟻、〈爾雅註〉 翹蟻〈事物紺珠〉
此蟲ハ朽木、或ハ水ニ近ヅキ、常ニ濕へル柱杙中ニ自生シ、木ヲ嚙、中ヲ空クシ、數ナクソノ内ニ往來連行ス、蟻ノ形狀ニシテ色白ク、未ダ羽ヲ生ゼズ、コレヲ、ドウトヲシ(○○○○○)筑前ト云フ、春暖ノ候ニ至レバ羽化シテ出飛ブコト甚多シ、遠ク望メバ烟ノ如シ、ソノ羽ハ四片ニシテ、身ヨリ長シ、身ハ淡赤黑色ニシテ光アリ、其飛ブコト高キコト能ハズシテ地ニ下リ、卽翼ヲ脱シテ地上ヲ行ク、長サ四五分ナルモアリ、三才圖會ニ、飛亦不レ能レ高、尋則脱レ藉、藉在レ地而死ト云フ、然レドモ急ニハ死セズ、地中ニ入ル、多クハ虎蟻ニ食ハル、
p.1112 仁和三年八月四日乙巳、地震五度、是日達智門上、有レ氣如レ煙非レ煙如レ虹非レ虹、飛上屬天、或人見レ之皆曰、是羽蟻也時人云、古今未レ有二如レ此之異一、陰陽寮占曰、當レ有二大風洪水失火等之災一焉、 八日己酉、有二羽蟻一、出二大藏正藏院一、群飛竟レ天、屬二于船岳一、
p.1112 寬平元年十月、〈○中略〉大臣云、一日安然法師云、近來在二雲林院一人云、蟲蠢々爰出、看レ之其虫所レ竟、東至二園池司一、西至二絹笠岡一、北至二紫野一、卽羽蟻也、
p.1112 天慶七年七月廿日庚寅、羽蟻集二北野一、其勢滿レ野、
p.1112 安和元年四月三日乙卯、巳刻御在所麗景殿與淑景舍間羽蟻飛如レ雲、又敷政門外陽明門等又如レ此、
p.1112 長德四年四月八日丙申、左近陣北掖羽蟻出來、
p.1113 寶治元年正月十七日辛未、今日關東若宮神前螻蟈數十万充滿、亥子時人々見二付之一、翌朝失畢之由、後日風聞、
建長三年五月十五日甲戌、權中納言通雅卿被レ行二軒廊御卜一、〈鴨社羽蟻出來事〉
p.1113 建曆二年十月廿日壬辰、午剋鶴岡上宮寶前、羽蟻飛散、不レ知二幾千萬一、
p.1113 嘉禎二年四月一日丁亥、午剋鶴岡若宮、羽蟻群集、子剋地震、
p.1113 嘉吉三年四月廿日、又先日比、春日社へ御殿瑞籬内羽蟻立之由、社家有二注進一、永享八年有二此事一、仍來廿七日、可レ被レ發二遣春日一社奉幣使一之由、頭辨爲二奉行一、今日被レ仰二淸大外記一、云云、
p.1113 靑腰蟲(○○○)
形蟻ヨリ、長クシテ、腰細カラズ、尾ハ直ニシテ尖リ、刺アリ、蟻尾ノ下ニ曲レルニ異ナリ、全身色赤ク、其腰綠色ニシテ光アリ、身長サ三四分、又一寸許ナル者アリ、稀ナリ、又全身黑色ニシテ、腰中黃赤色ナル者ハ甚多シ、春夏ノ交リ、朽木腐柱中ヨリ羽化シテ飛ビ出、甚ダ多キコト白蟻ニ異ナラズ、飛上ルコト高カラズシテ地ニ下リ行ク、ソノ四羽薄クシテ色白ク、身ヨリ長キコト白蟻ニ同ジ、地ニ下レバ卽羽ヲ脱シ去リ、數多連行スルコト蟻隊ノ如シ、腰中ニ又羽アリ、驚ク時ハ出テ飛ブ、地ニ下レバ羽ヲタヽミテ腰中ニ藏ス、
p.1113 ありどほしの明神、貫之が馬のわづらひけるに、此明神のやませ給ふとて、歌よみて奉りけんに、やめ給ひけんいとおかし、此ありどほしとつけたる心は、誠にやあらん、〈○中略〉もろこしの帝、この國のみかどをいかではかりて、此國うちとらんとて、常に心見あらがひ事をしてをくり給ひける、〈○中略〉七わだにわだかまりたる玉の中とをりて、左右に口あきたるが、ちいさきを奉りて、これにをとほしてたまはらん、此國にみなし侍る事なりとて奉りたるに、〈○中略〉おほきなるあり(○○○○○○○)を二つとらへて、こしにほそき糸をつけ、又それに今すこしふときをつけて、あなたの口に、 みつをぬりて見よといひければ、さ申てありをいれたりけるに、みつのかをかぎて、まことにいととうあなのあなたのくちに出にけり、さて其糸のつらぬかれたるを、つかはしたりける後になん、猶日本はかしこかりけりとて、のち〳〵はさる事もせざりけり、〈○中略〉其人の神になりたるにやあらん、
p.1114 罵レ僧與二邪婬一得二惡病一而死緣第十一
聖武天皇御世、紀伊國伊刀郡桑原之狹屋寺尼等請二奈良右京藥師寺僧題惠禪師一、奉二仕十一面觀音悔過一時、彼里有二一凶人一、姓文忌寸也、天骨邪見不レ信二三寶一、凶人之妻有二上毛野公大椅之女一、一日一夜受二八齋戒一、夫從レ外歸レ家而見無レ妻卽往喚レ妻、導師見レ之宣レ義敎化、不二信受一曰、汝婚二吾妻一、頭可レ所一罰破一斯下法師矣、惡口多言、具不レ得レ述、喚レ妻歸レ家、卽犯二其妻一、卒爾 著レ蟻嚼痛死、
p.1114 彌勒丈六佛像其頸蟻所レ嚼示二奇異表一緣第廿八紀伊國名草郡貴志里有二一道場一、號曰二貴志寺一、〈○中略〉白壁天皇〈○光仁〉代有二一優婆塞一、初夜思疑行レ路之人得レ病參宿〈○中略〉呻音毎レ夜不レ息、行者不レ得二聞忍一、故起窺看、猶無二病人一、然最後夜倍二於常音一、響二于大地一而大痛呻、猶疑二珞靈一也、明日早起見二堂内一、其彌勒丈六佛像頸斷落在云、大蟻千許集嚼二摧其頸一、行者見レ之吿二知檀越一、檀越等復奉二造副一、
p.1114 小沙彌蟻子ヲ助ノ事
小沙彌七日ノ内ニ死スベキ相アリ、彼沙彌、道ヲ行ケルニ、蟻ノ子ノ一ツ水ニ流レケルヲ助生タリ、其故ニ此沙彌ガ命延タル事アリキ、
p.1114 弘化丁未四月、野火留〈○武藏新坐郡〉ノ平林寺山由松ノ朽タルアリ、其底黃赤大蟻(○○○○)多ク、其大五分、其色黃赤、走ル最早シ、廣東新語、所レ謂ノ黃赤大蟻ナル者ハ、是ノ類ナラン、
p.1114 蟻の熊野參り(○○○○○○)、長嘯子、虫の歌合なさけなき君が心はみつの山くまのまいりをし て祈らまし、そのかみ熊野に人多く參りしかば、かゝることわざあり、古きことゝ見えて、家長日記、元久三年京極殿うせ給ひ、攝政殿夢のやうにて、上下北面の人々馬車にて、はせちがふさま、ありといふむしの、もの參りとかやするにこそよう似て侍りしか、是には唯もの參りとめれど、熊野參なるべし、〈○中略〉蟻はむれをなして、他のむれに入らず、僅ばかり隔てし處の蟻も、むれことなるをば、必くひ殺すものなり、戯に砂糖などの甘みある物を、紙などの上に載せ、蟻のとほる處に置ば、須臾の間に多く集る、それを取て、他所の蟻の群たる中に入るれば、くひあふに、主客のきほひことなれば、他より入る蟻は敗走す、かくして鬪はしめざれども、もとより集りて戰ふものなり、〈○中略〉
蟻の塔(○○○)をくむ事、五雜爼、人有下堀レ地得二蟻城(○○)一者上、街市屋宇樓蝶門巷、井然有レ條、唐五行志、開成元年、京城有レ蟻聚、長五六十歩、濶五尺、至二一丈一、厚五寸至二一尺一、可レ謂レ異矣、蜂亦有レ之、おもふに蟻の塔、そのまゝにして置かば、次年も又蟻集るものならむ、
p.1115 螽䗦〈二作疋凶反、波知(○○)、〉
p.1115 蟺〈時緬反、丘蚓也、一名蜜壇、波知乃古(○○○○)、〉
p.1115 蜂 説文云、蜂蠆〈峯帶二音、和名波知、〉螫レ人虫也、四聲字苑云、 〈音范〉蜂子也、
p.1115 新撰字鏡、蠭同訓、原書䖵部云、蠭、飛蟲螫レ人者、虫部云、 レ毒、蟲也、按玉篇云、蠭亦作レ蜂、又玉篇、廣韻、 皆作レ蠆、源君引並從二今字一、原書蠭蟇不レ連、注亦不レ同、此所レ引有レ誤、玉篇云、 蜂也、廣韻同、禮記檀弓及内則注亦云、范、蜂也、未レ見下訓二蜂子一者上、不レ知二四聲字苑何據一、按読文無二 字一、依二禮記注一、則知三古唯用二范字一也、
p.1115 蜂蠆〈ハチ〉蠭〈正〉蜂〈通〉 〈ハチ〉
p.1115 蜂(ハチ) はりさし也、しとちと通ず、
p.1115 蜂ハチ 素戔烏神、大己貴神を蜂室に寢しめられしといふ事は、前に見えし如く、又饒 速日尊を天降されし初に、高木神の授け給ひし神寶の中に、蜂比禮といふものあり、〈○中略〉並に義不レ詳、〈ハチとは、羽蟲の螫す者を云ひしと見えたり、チといふ義は、前の註にも見えし如く、ツツといふ語急にして轉ぜしなり、饒速日尊の神寶の外にも、須世理媛命、蛇蜈蚣蜂の比禮をもて、大己貴神に與へられしといふ事も見えたるなり、其比禮といふ者は、是等の蟲を除ふものと見えけり、神寶といふ者の中に、此者あるを以つても、上古の俗、その毒を畏れし事、ツヽといひ、チといふが如きこれを畏れて神とするの謂なる事をも思ひはかるべきなり、戒愼をいひて、ツヽシムといふもツヽスムの義也などいふなり、ユスルの義不詳、ミカとは、其房の大きなること、甕の如くなるをやいひぬらん、さらばユスルといふも、其房の泔器(ユスルツキ)の如くなりと云ひしも知るべからず、ミチとは、蜜の字の音をもて呼びしなり、サソリとは細腰の義と見えたり、サソといひ、サヽといふは、轉語なる也、りといひしは詞助なるベし、蝶蠃は日本紀にスガルと讀みたり、其義同じかるべし、古語に細き事をいひて、サとも、サヽとも、スガルとも云ひけり、本朝式に須賀流横刀(スガルタチ)といふも、則今の細太刀といふものなり、壒囊抄に、サソリとは、サヽリ蜂なり、常陸國には、カソリといふなり、彼國に賀蘇理岡といふ岡あり、むかし此國にサヽリ蜂多きによりて、此名ありといふと見えたり、其サヽリといふも、サソリといふ語の轗也、その語竟に轉じて、カソリともいひしなるべし、
p.1116 蜂〈音峯〉 〈音范〉 和名波知〈○中略〉
按蜂人不レ觸則不レ螫、如行二於巢下一、則追來螫、〈蜂羽傳レ油則不二敢動一〉
p.1116 蜂 種類多シ、ツネノ蜂ノ外、土蜂(○○)アリ、蜜蜂(○○)アハ大黃蜂(○○○)アリ、クマハチト云、又ヤマハチト云、人ヲサス大ナリ、又ジガバチ(○○○○)アリ、
p.1116 土蜂 爾雅集注云、土蜂〈和名由須留波知(○○○○○)〉大蜂之在二地中一作レ房者也、
p.1116 今俗呼二阿奈婆知(○○○○)、或都知婆知(○○○○)一、谷川氏曰、其所レ居之穴、形如二泔器之狀一、泔器訓二由須流豆岐一、故名レ之、按陳藏器本草云、穴居者名二土蜂一、最大、螫レ人至レ死、又云、土蜂赤黑色、蘇敬曰、土蜂、土中爲レ窠、大如二烏蜂一、不レ傷レ人、郝懿行曰、土蜂今呼二戅蜂一、大者斃レ牛、其房層纍大二於十斗饗器一、
p.1116 土蜂スルハチ(○○○○)
p.1116 土蜂 ユスルバナ(○○○○○)〈和名鈔〉 ツチバチ(○○○○) ツチスガリ(○○○○○)〈南部〉 アナバチ(○○○○)〈○中略〉土中ニ巢ヲ作ルハチヲ云、數品アリ、地上ニ小穴ヲ穿テ出入ス、土中ニ深ク入リテ、大ナル巢ヲ作ル、其蜂形大黃蜂(ヤマバチ)ノ如シ、人、土ヲ堀テ其巢ヲ破リ、蜜ヲ採ル、是土蜜ナリ、熊野ノ方言ニツト云、〈○下略〉
p.1117 木蜂 爾雅集注云、木蜂〈和名美加波知(○○○○)〉似二土蜂一、而小在二樹上一作レ房者也、
p.1117 按釋日本紀引二私記一曰、今俗大蜂爲二美加忽知一、其説與二源君一不レ同、
p.1117 木蜂ミカハチ
p.1117 蜜蜂〈蜚零附〉 方言注云、蜜蜂〈和名美知波知(○○○○)、蜜見二飮食部一、〉黑蜂、在二竹木一爲レ孔、又有レ室者也、本草云、蜜蜂子、一名蜚零、〈今案蜚者古飛字也、〉
p.1117 方言卷十一云、 其大而蜜、謂二之壼螽一、注云、今黑 穿二竹木一作レ孔亦有レ蜜者、或呼二笛師一、此恐有レ誤、按陶氏云、石蜜卽崖蜜也、其蜂黑色似レ䖟、又木蜜呼爲二食蜜一、懸二樹枝一作レ之又樹空及人家養作レ之、又有二土蜜一、於二土中一作レ之、李時珍曰、蜜蜂有二三種一、一種、在二林木或土穴中一作レ房爲二野蜂一、一種、人家以レ器收養者、爲二家蜂一、並小而微黃、一種、在二山巖高峻處一作レ房、卽石蜜也、其蜂黑色似二牛䖟一、依レ之方言注、黑蜂卽石蜜蜂、而云下在二竹木一爲上レ孔、則非二石蜜蜂一、陳藏器餘有二留師蜜一、云、蜂如二小指大一正黑色、嚙爲二窠蜜一、如二稠糖一、方言留師、竹蜂也、今方言注作二笛師一、蓋此蜂穿レ竹如二笛孔一、故有二此名一、作二留師一誤也、李時珍又曰、今人家一種黑蜂大如二指頭一、能穿二竹木一而居、腹中有レ蜜、正是方言注所レ言者、千金翼方、證類本草上品有二蜂子一、不レ載二一名一、別有二大黃蜂子一、又有二土蜂子一名蜚零一、並在二蜂子條下一、故本草和名云、蜂子、大黃蜂子、土蜂子一名蜚零、源君以二大黃蜂子及土蜂子之一名蜚零一、並爲二蜂子一名一誤也、按陶隱居曰、直云二蜂子一、卽應二是蜜蜂子一也、黃蜂則人家屋上者、及 蜂也、新撰字鏡、蟺訓二波知乃古一、按史記正義、漢書注、文選注並云、蜚古飛字、此注蓋本二于是等書一、
p.1117 蜜蜂〈ミチハチ〉
p.1117 蜜蜂 ミチバチ(○○○○)〈和名鈔〉 ミツバチ(○○○○) ヘボ(○○)〈信州○中略〉
蜜蜂ハ䖟ニ似テ狹小、黃蜂(ヤマバチ)ノ形ニシテ小ナリ長サ四五勞微黃色、常ニ人ヲサヽズ、コレニ觸ル時ハサス、〈○中略〉凡ソ蜜蜂、春ノ末、分レ飛テ、一處ニ簇リ、鞠ノ如クナリテ、人家ノ簷、或ハ木ノ枝ニ下垂 シタルヲ、箱或ハ酒樽ノ内ニ蜜ヲヌリ、コノ蜂ヲ箒ニテ掃ヒ落シ入置ケバ、直ニコノ中ニ巢ヲカケ、蜜ヲ釀ス、コノ箱ハタジノ形ニシテ、前ニヲトシ蓋ノ戸アリ、屎ヲ採リ去リ、或ハ巢ヲ採ル時ニ、コノ戸ヲ開ク、常ハ閉テ下ヲ微シ開ク、或ハ小穴ヲ數多ク鑽スルモ佳シ、筑前ニテハ、稻草(ワラ)ニテ、アミガサノ形ノ物ヲ作リ、内ノ上ノ處ニ酒ヲ塗リ、蜂ノ多ク簇リヲル枝ノ上ニ蓋ヒ置キ卞ヨリ竹葉ニテ超フトキハ、皆其中ニ入ル、一蜂入ル時ハ、衆蜂尋デ皆入ル、コレヲ採リ下シテ仰ギ置、其上ニ箱ヲ蓋ヒ、帕ニテ裹ミ、一夜ヲケバ、皆箱中ニノボリ入ルナリ、
p.1118 蜂蜜(○○) 本草ヲ考ルニ石蜜(○○)アリ、木蜜(○○)アリ、士蜜(○○)アリ、人家ニ養フ家蜜(○○)アリ、スベテ四種也、日本ニモ亦此四種アリ、石蜜ハ高山岩石ノ問ニ作レ之、其蜂、常ノ蜜蜂ニ異リ、黑色ニシテ似レ蝱(アブ)、日本ニモ處々有レ之、木蜜ハ陶弘景曰、樹枝ニカケテ巢ヲ作ル、日本ニモ有レ之、人家ニ養フモ本是ヲ取來ル、又大木ノ空虚ノ内ニ房ヲ作リ、南方ヨリ小穴ヲ開テ出入ス、穴大ナレバ、熊蜂入テ、蜜蜂ヲ喰殺シ蜜ヲ吸取ル、山ニアル木蜜ハ木ノ空虚ノ内ニ房ヲ作ル者多シ、枝ニアルハ稀也、土蜜ハ山ノ崖ナドカハキタル土中ニ房ヲ作ル、是土蜜ハ日本ニモ稀有レ之、人家ニ養フハ諸州處々ニ多シ、木蜜、土蜜、人家ニ養フ者、此三種ハ同蜂ナリ、常ノ蜂ニ似テ小也、色微黃ナリ、常ニハ人ヲ不レ螫、人サハレバサス、伊勢、紀州ノ熊野、尾張、土佐、其外諸國ヨリ出ヅ、土佐ヨリ出ルヲ好品トス、何ノ國ヨリ出テモ眞蜜ヲ爲レ好、蜂房ノ内、處々ニ自シタヽリタマルヲトリ用ユ、是ヲ眞蜜トス、生蜜ナリ、上品トス、藥ニ可レ用、蜂房ヲ煎ジ棗シテ蜜トス、是ハ下品ナリ、藥ニ不レ用、煮熟セザル生蜜ヲ用ヒ、我家ニテ煉熟スベシ、〈○中略〉蜜ヲ煉ル法(○○○○○)、先陶品ニ蜜ヲ布ニテコシテ入、其陶器ヲ鍋ニ沸湯ヲワカシテ入重湯ニテ湯煎シ、浮沫ヲ箆(ヘラ)ニテスクヒ去リ、蜜ヲ少水ニ滴テヽ、珠ヲナシテ不レ散ヲ爲レ度、壼ニ納貯フベシ、〈○中略〉 蜜蜂ノ蜜ヲ作ルハ、春ノ末ヨリ秋ノ末マデ、出テ花ヲ含ミ、花ヲ翅ト足ノ間ニ挾ミ、或花ノ汁ヲ含ミ來リ、房中ニヌリ付テ、釀テ蜜トナス、酒ヲ釀スガ如シ、凡蜜蜂ハ甚風寒ヲ畏ル、冬 ノ初ヨリ不レ出、房中ニ蟄居ス、其間ハ曾テ釀シテ貯置タル蜜ヲ粮トシ食フ、蜜ハ蜂ノ粮也、故ニ蜜ヲ取ルニ、粮ヲ殘シテ取盡サズ、取盡セバウへ死ス、〈○中略〉 蜂房(○○)ハ蜂毎年改作ル、家ニ養フハ蜂房ヲワリテ、房中ニ白タマレル蜜ヲトル、是上品也、可レ爲レ藥、然レドモ難二多得一、故ニ蜂房ヲワリテ、三分一ハ殘シテ爲レ粮、三分二ヲ取テ、大器ノ上ニ竹ヲワタシナラべ、其上ニワリ取タル蜂房ヲ置テ、天日ニ曝セバ、蜜煖氣ニトケテ、器中ニ滴リヲツルヲ取ル、是中品ナリ、蜂房ヲ釜ニ入テ、煮テ蠟ヲ取、其アトヲ煎ジツメテ蜜トス、是下品ナリ、不レ可レ入レ藥、故ニ生蜜ヲ上品トシ、熟蜜ヲ下品トス、 蜜蠟(○○)ハ蜜ヲ煎ジテ、面ニ浮ブ査(カス)ナリ、黃蠟ト云、
p.1119 夫蜜蜂若、靈蟲也、〈○中略〉我日東國、處々出二名産一、歷レ世而彌多、物皆以二其物一、有二僞物一鮮矣、特未レ能レ無レ之、其唯蜂蜜乎、願多二眞物一、而無二僞物一、雅與二伺志一言焉、夫南方温煖、而有二家蜂一、北方陰寒、而有二土蜂一、若有二能養一レ之、而得二其宜一、蓋土蜜亦得レ如二家蜜一乎、又未三嘗有二蜜蜂一之所、若有二能移一レ之、而得二其情一、蓋西北亦得レ如二東南一乎、而眞物已多、僞物自廢、是人々所レ望、奚翅刀圭家、夫雖二中夏多一レ産而物至二其少一矣、小人爲二議張一、動有二亂レ眞者一、先達惡レ似レ非、是以盡明辨、其於レ擇レ蜜、亦復詳也、由レ是謂レ之、僞多眞少乎、又博物君子、有三能言レ蜜、而違二其實一、是唯因二耳聞レ之、而目未一レ見レ之乎、乃知二蜜蜂之少矣、今玆寬政辛亥之季夏、偶過二目黑先生一、談及二于蜜蜂一、不レ揣二余孤陋一、來需レ筆レ之、於レ是乎、以二治療之暇、避暑之間一、敢妄撰述、名曰二家蜂蓄養記一、序以爲レ贈 、是嘗聞二先人一、及余所レ見也、極知レ多遺漏一、請君子補焉、
寬政三年辛亥秋七月書二于東都龜島旅宅 久世敦行撰
p.1119 蜜蜂有二君王一
古人稱二蜜蜂有一レ王、今人亦謂レ然、余始聞而疑レ之、後見而信レ之、夫稱レ王者、其爲レ形也、似二蝱蟲長一、而有二緼色一、比二之其諸臣一、最爲二長大一、其爲レ氣也、温厚和平、天姿拔群、是豈與レ諸同レ孔而生者乎、是故王所レ生之孔、比二之其諸孔一、大且深矣、諸所レ生之孔、列在二房之横一、王所レ生之孔、特在二房之端一、而直向二于下土一、君臨レ民之象乎、異哉 此宮也、蓋以爲下其初諸知二王將一レ起而造作上乎、將有二受命者一而經營乎、抑王與氓並作乎、是未レ可レ知也、余見二儲宮一、未レ在二王子一、故闕如也、夫王之在レ宮、幽隱深遠、群聚衞護、見レ之難矣、唯分敷之秋蒙二塵于外一、見レ之易矣、故始聞而疑レ之、後見而信一レ之、今玆稱二儲宮一者、假謂二王子之所一レ在、實房下之大孔也、見レ此之術、矢二于次篇一、
視二儲宮一之術
小子嘗過レ庭、大人謂レ余曰、汝見二儲宮二乎、曰未也、曰吾敎レ汝、勿三輕卒如二宋人之揠一レ禾、勿三暴爾如二馮婦之攖一レ虎、汝定二汝心意一、而後左右、攘レ臂及レ肩、左維二持右臂一以壓レ襟、莫レ使二之撥一、而後執二器之蓋一、其心如レ執二玉璧大圭一、踧踖如也、如レ不レ勝、而後以レ手入二宮中一、其意如レ入二公門一、鞠躬如也、如レ不一レ容、上愼レ㫋哉、敢勿レ犯レ訓、詩不レ云也、莫二予 蜂一、自求二辛螫一、予其懲而毖二彼後患一、是我善レ彼、彼亦善レ我、雖レ有二毒尾一、無二敢觸一レ讐、豈如下探二虎穴一之難上乎、是亦如二拔田穉之易一矣、乃就二房之端一、徐々動二指頭一、使三諸倚二左右一、而後可二以莅視一、果有二大孔向一レ下、所レ謂儲宮是也、夫要一レ見二此孔之有無者一、前三知當年其分不分、與二分多寡一也、若見二孔一勣知三分有一レ一、若見レ二則知二分有一レ二、若三亦爾、而分許多、至二于四一、至二于五一、凡分寡可也、分多不可也、不レ分四五年、或六七年、或八九年、猶尚可也、何則群者、彌群彌盛、今嫌二分許多一、本末共涸也、傳所レ謂大都不レ過二參レ國之一一、是分而可也、如三都城過二百雉一之類、是巢之害也、王元之云、小人貪二其利一、恐二其分一、刺一其子一、不仁之甚矣、實有レ如レ斯乎、可レ謂狡智也、然大知二蜂哉、可二以見一レ嫌レ分、凡視二此儲宮一者不レ察而知レ分矣、豫營二藏蓄之器一、與二筑壇之地一、是可也、小子謹受レ敎、逡巡而退、
藏蓄之器製
蜂不一レ嫌二器方圓一、任レ意而可二製作一、方者有レ便、今玆謂レ之、圓者以レ之可二準知一也、木厚四分許、長尺七八寸、或至二二尺一、底板長二於三方一、可二四五寸一、名謂二之舌一、爲二此舌一者、蜂有二便出入一、且爲二遊息一、幅尺二三寸、爲二蓋於前一、如二今書櫃之蓋一、爲二溝於上一、或不レ爲レ之、唯釘而可也、不レ爲二溝於下一、有レ之反不便也、因レ之於二蓋之下一、兩端之内外、釘二于其底板一、其釘レ之者、爲レ使二其蓋不一レ倒二于内外一也、且爲二烈風之備一也、又爲二空道一也、蓋之下端、當レ舌之所、尺二 三寸間、於二一寸間一、爲二二空一、廣二分有レ奇、逐レ寸及レ尺、不レ可二廣大一、僅可レ容レ蜂、若製失レ宜、階之爲レ禍、大者有二數害一、一曰紅娘子、夜而入レ之、雖レ不レ害レ蜂、多嘬二其蜜一、二曰蠨蛸、亦夜而來、直食二其蜂一、三曰山蜂、或稱二獅子蜂一、取二名於猛威一也、彼終日翺翔、蜂懼殊甚矣、於二器之空際一、出入遊息者、有レ一二見之一、恐懼戰慄、狼狽藏隱、未レ得レ竄者、獅子奔突、取レ之齧レ之、或攫搏去、又少焉翔回、直下驅レ之、而或不レ得、遂入二空内一、群蜂振レ翼、聲聞二于外一、此時、開レ蓋見レ之、一獅子與二群蜂一、頡頏獮掎、鎭壓重積、忽韜二獅子之形一、群蜂爲二一團丸一、右旋左轉、如二盤 璧一、終墮二于外一、旣而彼斃、此亦解レ圍、有下直歸二巢中一者上、有下傍養二傷痍一者上、有下負二毀敗一入レ内者上、有下引二死尸一出レ外者上、其形態之狀不レ可二卑言一矣、此之役也、諸毀傷者、不レ爲レ不レ多、而死斃者、及二數十頭一、是其所レ得僅一、而所レ失實多矣、是此之禍、一緣レ空也、故曰不レ可二廣大一、僅可レ容レ蜂、又蝱蟲好食レ蜂、然在二于器外一、不レ入二于器内一、凡製器之所二專要一、在二蓋之機關一也、
爲レ壇之高卑
壇、高三尺五六寸、縱横隨二器之長短一、位置據二土之高卑一、宜二以レ權執一レ中、不レ可二一概拘一、夫秋水氾溢、卑濕之地、宜二高作一レ之、其高者、可則可矣、過猶レ不レ及、蓄養掃除、或有二不便一、其卑者、若レ不レ充レ尺、蟾蜍有レ登レ之、夜中屢吸レ蜂、此害不レ少矣、又或作レ棚、欲レ比二置器一、長短高下、當レ隨二其宜一、若其新分者、莫三俄比二舊器一、一有二誤入一レ之、彼此相戰鬪、互多致二毀敗一、若有レ不レ得レ已、而欲二比置一レ之、爲二以レ漸近一レ之、莫二以レ俄近一レ之、漸者何也、謂二其馴居之有一レ日也、俄者何也、詣二其馴居之無一レ日也、凡欲レ移二易居處一、宜下於二夜中一盍簪上、以レ紙塞二其空道一、而後爲レ移二易之一、明日雖レ翔二噪於舊處一、無レ有下不二復歸一王上者也、
蜂器之位置
蜂器之位置、宜二東南面一、好二陽和温煖一也、不レ宜二西北面一、嫌二陰冷沍寒一也、宜二擇置一レ之、若夫居處、有二廣狹通塞、適不適之異一、何以謂レ之、適則其出者、如二射レ矢之直疾一、其入者如二懸星之斜落一、是因レ廣通也、不適則其頡者、如二鳶之升一レ天、其頏者如二燕之反行一、是因二狹塞一也、若有二諸不適一、恐不二安處一、又蜂嫌二爨烟一、勿二薫近一レ巢、宜二常避一レ之、恐 出亡矣、又陜隘之處、欲二比置一レ器者、宜設レ色蓋レ面、而以爲二分別一、則彼易レ見而無二相誤一、先人嘗於二蓋面一、畫二方圓一、使二彼熟視一、而後比二置之一、無レ有二相誤者一、是嘗所レ試、擧以言レ之、凡茨器以レ茅、或瓦藁竹木、亦當レ隨二其宜一、冬則茅藁、覆而温レ之、或以垣レ之、使レ避二風寒一、春煖則除レ之、秋冷則爲レ之、
彼此爲二戰鬪一
若夫王子、羽翼旣成、分定而一出者、義在レ不二再入一乎、其新分者、有三誤入二舊器一、則相聚攻レ之、不レ死不レ措也、此復二私讐一者乎、將耻二衡行一者乎、蓋是執レ事之臣、而行二王命一者也、不レ然有レ所レ得レ罪乎、可レ見法嚴性烈也、其新分者、君義臣行、救二其急難一、勇敢猛憤、矯々振レ翼、疊々鳴レ羽、彌出彌多、彼此戰鬪、移レ時猶未レ止、而其敗死者、不レ可二擧數一也、此之戰也、新分之敗死、三而減レ一者、猶且生育也、而減レニ者、豈能生育乎、余嘗見二此鬪一、謂二先人一曰、今以二孟烏張蘇之辨力一、豈能解レ之罷レ之乎、〈○中略〉大人曰、吾能罷レ之、語不レ云也、〈○中略〉卽令下塞二兩器之空道一、斷中來者之通路上、少焉移二新分之器一、而後察二兩憤之止一、乃各發二前之塞一、時見二諸悦出一、似下無二憤怨一者上、於レ是乎、得レ全二其餘一、小子怡悦、
蜂王爲二分敷一
夫蜂之分者、昉レ自二暮春一、迄二于仲夏一、其分之前、諸出レ巢翔噪、爲二將分之狀一、而亦有二屢止一、或有二直分一、於二陰雨一而不レ分、至二快晴一而分敷、又毎日、至二于未刻一、則諸出レ巢翔噪、俗謂二之八時噪一、少出而不レ多、翔噪而不レ亂、卑飛而不レ高、近回而不レ遠、所レ謂應二潮上下一、是也、偶當分之時、亂噪有レ似レ分、然勢異二于分一、夫王之分也、諸高飛者、一、丈五六尺、或二丈許、四方四隅、在二六七間一、東飛西還、南翔北去、往復甚疾、不レ見二其形一、如二飛針一、如二引絲一、薨々有レ聲、營々不レ絶、可二小半時一而分漸定、或有レ如レ斯、而希不レ分、亦不レ遠而分、或明日而分、或隔レ日而分、凡其飛レ高者、其往亦遠、其飛レ卑者、其止亦卑、卑者敷近、高者去遠、又或有二遠去一、而終不レ知レ處、是故欲レ使二其高者卑、其遠者近一、卽以二水及砂一、高投二其郷所一、高者自卑、遠者自近、夫將レ分之時、視二諸亂噪一、初似レ不レ知二其止所一、後多郷二子行在所一、王之所レ止、諸亦從止、是以視者、占二其止所一、其所二好敷一、大樹凸凹、甍標檐端、多於二屈曲一、或敷如 、レ扇、或圖如レ罌、夫欲レ納二之器一者、先見二其敷所一、而以レ索縛レ器、後以爲二懸之備一、乃察二王之所一レ在、視二其盡盍簪一、而後可レ納レ之、其納之術、袒裼臨レ之、於二其敷所一、動二左右指頭一、徐々入二蜂中一、臨二半離之機一、一旦投納レ之、彼雖二大亂噪一、我莫二以懼一レ之、多無レ毒而已、或以レ箒拂納レ之、是亦可二以爲一也、然如手爲レ之乎、王得レ入レ器、則雖下散二亂外一者多上、而群二聚内一者少矣、皆入以從レ王也、王不レ得レ入、則雖下散二亂外者一少上、而群二聚内一者多矣、皆出以歸レ王也、是故納レ之者、要二王之所在一、旣得二納レ之器一、暫懸二之其處一、以遲二其盍簪上、從而以蓋レ之、後移二之置處一、卽可二以養一レ之、凡養育以二蜜酒飴一、飴合二酒水一、上レ火解レ之、使二之淡薄一、濃者粘レ足、蜂殊嫌レ之、又寒冷淫雨、宜二以養一レ之、
黑蜂無二毒尾一
黑蜂之生、在二三四月一、黑蜂多生、則王亦、生、而後有レ分、黑蜂其形、大二於諸一、小二於王一、不レ類二于諸一、不レ似二于王一、其色黑矣、故名曰二黑蜂一、無レ毒且不レ才、蜂中之饕餐者、唯素餐已矣、是故諸憎レ之、追二出巢一、聚害レ之、得二其生一也、纔一二旬後、出皆死、王元之曰、王之無レ毒、似二君德一也、彼之無レ毒、亦似レ王乎、是不二啻無一レ益、反費二食衆 一、宜哉其害也、古人不レ言、非レ不レ知焉、蓋以爲二無用一乎、夫無用者、不レ足レ言也、余亦何贅乎、
蜂器有二生蟲一
器内有二生蟲一、而蜂散亡、或曰蟲生自レ屎、或曰爲レ巢以レ蠟、屑二落生蟲一、二物不レ能レ無レ之、蓋鬱蒸而生也、若此二物、積而歷レ旬、則生二白色細蟲一、故器内六七日、而可三以掃二除之一、此蟲易レ長、若歷二三旬一、則小者重レ分、大者過レ寸、稍隨二其長一、穿二穴于巢一、引二縷于房一、纒レ絲如レ蜘、縱横如レ織、蜂殊嫌レ之、蟲之所レ在、忌而避レ之、從復侵レ之、終知レ不レ免、則捨レ巢去、凡出亡者、必有レ以也、爲二蓄養一者、宜二以察一レ之、世上不レ求レ實、而妄説二吉凶一、遂使二人傳一レ虗、是無レ他矣、蓄而鹵二莽之一、則彼亦鹵莽而報レ予也、幸有レ止二其行一、可三以納二之新器一、莫三復置二之舊所一、欲二其安處一、無レ若二仁愛一、勿二多爲一レ利、恐不二繁蓄一、〈○中略〉
取二巢中之蜜一
夫取レ蜜之時、在二九十月一、其取レ之者、取二之于一方一、將レ取之方、以二小鐵槌一、徐扣二器外一、五六十許、要勿レ使二之驚一、扣二 其左一則蜂移レ右、扣二其右一則蜂移レ左、而見二其移一、若猶レ未也、復當レ扣レ之、及二應レ手得一レ意、持レ刀可レ切レ巢、不レ可レ使二之傷一、不レ可レ使二之怒一、我莫レ逆レ之、彼無二敢毒一、夫取レ蜜之數、可二三分之一一、或曰可レ取レ半、當レ隨二巢之大小一、因二蜜之有無一、或曰、毎年不レ取レ蜜、則蜂惰而不レ勤、不レ知此言、實然也否、蓋其乾々、彼之性也、如二勤與一レ惰、豈因二蜜之有無一乎、若不レ拘二此言一、無レ害二天物一乎、今以レ此切レ巢、置二之別器内一、傾則蜜流垂、俗謂二之垂蜜一、是爲二之最上一、味純厚而色淸黃也、又殘孔内、未二悉出一者、盛レ袋絞レ之、悉以取レ之、比レ之垂者、味淡薄而色濁赤也、其淡薄者、以二孔内之子一、共絞相混也、色濁赤者、以二巢房之穢、共漏相雜一也、故品不レ及レ垂者、然是皆蜜也、非二如レ雜レ他者一、是以貯レ之歷レ年、
附言
製二蜜蠟一之法
鍋内入レ巢、以レ水煮レ之、得二其沸和一、移二之別器一、待レ冷取レ之、蠟浮二于上一、水沈二于下一、任レ器班形、而蠟與レ水相接 之際、穢物悉聚、在二蠟之下一、宜レ删二去之一、猶未二淸潔一、再以煮レ之、煮法如レ前、猶未レ可者、及二三四五一而後得焉、
辯二蜜之僻説一王充論衡云、蜜爲二蜂液一、此言實然矣哉、我郷之童子、有二好食レ蜂者一、余亦嘗味レ之、是皆蜜也、嘆曰、宜哉董之嗜也、卽知レ蜜者、爲二蜂之液一也、夫蜂之成レ蜜、從レ上吐レ之乎、從レ下出レ之乎、不レ可レ無二分別一、玆視レ作二其巢一、帥以レ口爲レ之、由レ是謂レ之、蠟從レ上吐レ之、蜜從レ下出レ之、彰々乎明也、人謂レ蜜爲二蜂溲一、是不二亦宜一乎、或云、蜂著二花液一、入置二巢中一、諸釀レ之、則化成レ蜜、此言雖レ近レ理、然蜜者蜜也、其蜜而成レ之、是未レ可レ知者也、何以謂 之、有レ見下彼著二花液一置中巢中上、未見二其化而爲レ蜜者一也、果釀成レ蜜乎、將以爲レ食乎、是未レ可レ知者也、陶弘景曰、蜂須二人小便一以釀二諸花一、乃得二和熟一、狀似二飴須一レ蘖、李時珍曰、蜂采二無毒之花一、釀以二大便一而成レ蜜、所レ謂臭腐出二神奇一也、此二説、一以爲二人屎一、一以爲二人溲一、何齟齬如レ斯也、蓋二子聞二蜂之便一、互誤爲二人之便一也、然其言不レ類、其乖戻矣、余嘗見下蜂在二諸花一者上、未二嘗見一レ在二不潔者一也、又嘗見下蜂後趾著二花液一者上、未下嘗見中須二人之溺一者上也、是可三以見二牽强爲一レ辭、工則工矣、然失二其實一、故曰因レ耳聞レ之、而目未レ見レ之也、
p.1125 蜂蜜(○○)〈一名、百花精、百花蕊、〉 凡蜜を釀する所、諸國皆有、中にも紀州熊野を第一とす、藝州是に亞ぐ、其外勢州、尾州、土州、石州、筑前、伊豫、丹波、丹後、出雲などに、昔より出せり、又舶來の蜜あり、下品なり、是は砂糖又白砂糖にて製す、是を試るに、和産の物は煎ずれば、蜂おのづから聚り、舶來の物は聚ることなく、此をもつて知る、 蜜は夏月蜂䏷(ハチノス)の中に貯へて、己が冬籠りの食物とせんがためなり、一種人家に自然に䏷を結び、其中に貯はふ物を山蜜といふ、又大樹の洞中に、䏷を結び貯はふを、木蜜といふ、以上熊野にては、山蜜といひて上品とす、又巖石間中に貯はふ物を、石蜜と云、又家に養て採る蜜は、毎年䏷を採り去る故に、氣味薄く、是を家蜜といふ、䏷を炎天に乾かし、下に器を承けて解け流るゝ物を、たれ蜜といひて、上品なり、漢名生蜜、〈一法、槽に入れて火を以て焚きて取なり、但し火氣の文武毫厘の間を候こと大事あり、〉又䏷を取り潰し、蜂の子ともに硏(モリ)、水を入れ煎じて絞り採を、絞りといふ、〈漢名熟蜜〉凡蜜に定る色なし、皆方角の花の性によりて、數色に變ず、
畜二家蜂(○○○)一 家に畜はんと欲すれば、先桶にても箱にても作り、其中に酒砂糖水などを沃ぎ、蓋に孔を多くあけて、大樹の洞中に結びし窠の傍に置ば、蜂おのづから、其中へ移るを持歸りて、蓋を更ためて、簷端或は牖下に懸置なり、此箱桶の大きさに規矩あり、されども諸州等しからず、先九州邊一家の法を聞くに、箱なれば九寸四方、竪二尺九寸にして、是を竪に掛るなり、〈○中略〉戸は上下二枚にして、下の戸の上に一歩八厘、横四寸計の 穴を開きて、蜂の出入の口とす、若一二厘も廣く開れば、山蜂抔 より窺て、大きに蜜蜂を擾亂す、又大王の出にも此穴よりして、凡小き物也、〈○中略〉造レ䏷(スヲヅクル/○○) 先箱の内の上より、半月のごとき物を造りはじめ、繼で下一はひ兩脇共に盈しむ、其厚さ凡壹寸八歩、或二寸許、兩面より六角の孔數多を開き、拓榴の膜に似て、孔深八九歩、是のごとき物を、幾重も製りて、其䏷と䏷との間、纔人の指の通る程宛の あり、蜂其 に入には下より潜(クヾル)なり、〈○中略〉其孔には子を生み、又蜜を貯へ、又子の食物の花を貯ふ、又子成育して飛で出入するに及べ ば、其跡の孔へも亦蜜を貯はふ、凡蜜はじめは甚淡しき露なり、吐積んで日を經れば、甘芳日毎に進こと、實に人の酒を釀するに等し、旣に露孔に盈る時は、其表を閉て、一滴一氣を洩すことなし、蜂の數多ければ、氣味も厚し、蜂は小なり、大きさ五歩許、マルハチに似て、黃に黑色を帶、多群て、花を採る物は、巢を造ず、巢を造ものは、花を採らず、時々入替りて、其役をあらたむ、夫が中に蜂王(ダイワウ)といひて大きなる蜂一ツあり、其王の居所は黑蜂の巢の下に一臺をかまふ、是を臺(ウテナ)といふ、その王の子は、世々繼で王となりて、元より花を採ることなく、毎日群蜂輪値に、花を採りて王に供す、是一桶に一个(ヒトツ)のみなるに、子を産むこと、雌雄ある物に同じ、道理においては希異なり、群蜂是に從侍すること、實に玉體に向がごとし、又黑蜂十許ありて、是を細工人と呼ぶ、孔口を守りて、衆蜂の出入を撿め、若花を持たずして、孔に入らんとするものあれば、其懈怠を責て、敢て入ることを許さず、若再三に怠る者は、遂に螫殺して、軍令を行なふに異ならず、凡家にあるも野にあるも、儀におゐては同じ、 頒脾(スワカレ/○○) 大王の子成育に至れば、飛で孔を出るに、群蜂半從がふて、恰も天子の行幸のごとく、擁衞甚嚴重なり、其飛行こと、大抵五間より十間の程にして、木の枝に取附ば、其脊其腹に重り留りて、枝より垂たるごとく、一團に凝集り、大王其中に核のごとく裹まる、畜人是を逐て、袋を群蜂の下に承けて、羽箒を以て、枝の下を掃がごとくに切落せば、一團のまゝにて、其袋中へおつる、其音至て重きがごとし、○註略是を用意の箱に移し畜なふを、䏷(ス)わかれといふて、人の分家するに等し、若其一團の袋へ落るに、早く飛放る者ありて、大王の從行に洩れて、其至る所を知らず、又原の巢へ飛歸る時は、衆蜂敢て孔に入ることを不レ許、爭ひ起て、是を螫殺し、其不忠を正すに似たり、〈○中略〉彼王一群ごとの中に、必一ツあり、巢中に王三つある時は、群飛も三にわかる、〈○下略〉
p.1126 江都官家ニ、蜂堂(○○)ヲ庭上ニ設テ、蜜ヲ採テ戯トシ玉フコトアリ、堂内部局ヲ構へ、其上ノ奧所、蜂王ノ座アリ、群臣次第ニ列座シテ、自然ニ官職アルガ如シ、下ニ聚花ノ會場アリ、大窠ヲ 綴ル、是密ノ在處ナリ、堂ノ下邊ニ、小竅並べ開テ、五門ニ比ス、其竅外ニ五員ノ蜂卒並坐シテ、各門ヲ守護ス、來蜂ノ貢花ヲ ミ、群蜂早晨ニ堂ヲ出デ、午時ニ花蕊、及精液ヲ含ミ來テ、衙門ニ入ルトキ、 蜂是ヲ撿察シテ入シム、若シ花ヲ含マズシブ入來モノアレバ、嚴シク逐返シテ入レズ、爭拒ク者アレバ、群蜂コレヲ刺殺ス、或ハ風雨、堂ヲ侵シ、又雜人ノ毎ニ堂ヲ窺フコトアリ、或ハ糞穢ノ氣、堂ニ迫リ、或ハ堂衙破壞スルコトアリ、大黃蜂又ハ蟻蛛等ノ堂中ニ聚ルコトアリ新ニ喪ヲ受タル人、月信婦人等ノ近キ視ガ如キ、群蜂悉去テ歸ラズ、若新ニ堂衙ヲ築テ、淸潔ナル時ハ、卽チ歸リ至ルコトアリ、或ハ事ニフレテ、滿堂ノ群蜂盡死スルコトモ、マヽアルコトナリ、故ニ堂ヲ設ノ家愼戒ベシ、夫々ノ勤行ノ役アルコト、右ノ圖〈○圓略〉ヲ以テ察スベキモノナリ、
p.1127 蜜蜂
蜜蜂身短而脚長、尾有二鋒螫一、衆蜂内有二一蜂王一、形獨大、且不レ螫レ人、毎日群蜂兩朝、名曰二蜂衙一、頗有二君臣之義一、無レ王則衆蜂皆死、若有二二王一、其一必分、分出時、老蜂王反遜レ位而出、衆蜂均挈二其半一、略無二多寡一、從レ王出者、不三復回二舊房一、出則群蜂擁二護其王一、不レ令二人見一、當一採レ花時一、一半守レ房、一半挨レ次出採、如掠レ花少者受二嚴罰一、但採二各花鬚一、倶用二雙足一、挾二二花珠一、惟採二蘭花一、則必背負二一珠一、以レ此頂二獻其王一、又有二蜂將一、不二善往レ外採一レ花、但能釀レ蜜、至二七八月間一、蜂將盡死、若不レ死、則蜜皆被二蜂將食去一、衆蜂必饑、故俗諺云、將蜂活過レ冬、蜂族必皆空、亦一異也、〈○下略〉
p.1127 蜜蘇(○○)〈諸國所レ進〉
蜜〈甲萎國一升、相模國一升、信濃國二升、能登國一升五合、越中國一升五合、備中國一升、備後國二升、〉
p.1127 諸國進年料雜藥
攝津國蜂房(○○)七兩、伊勢國蜂房一斤十二兩、
p.1127 煎蜜法(○○○)〈以レ蜜入レ器、埋火居レ之、常撿レ器、頭適寒温微々、煎銅石鍋同用、蓋ニハ綿ヲハル、塵入レマジ、堅ク覆レ之、〉
p.1128 二年十一月、是歲百濟太子餘豐、以蜜蜂(○○/ミチバチ)房(ス)四枚一、放二養於三輪山一、而終不二蕃息一、
p.1128 天平十一年十二月戊辰、渤海使已珍蒙等拜レ朝、上二其王啓幷方物一、〈○中略〉蜜三 (○○○)進上、
p.1128 天平寶字四年閏四月丁亥、仁正皇太后遣二使於五大寺一、毎レ寺施二雜藥二櫃、蜜缶一口(○○○○)一、以二皇太后寢膳乖一レ和也、
p.1128 貞觀十四年五月十八日丁亥、勅遣二左近衞中將從四位下兼行備中權守源朝臣舒一、向二鴻臚舘一、撿二領楊成規等所レ賚渤海國王啓及信物(クユツモノ)一、〈○中略〉蜜五斛(○○○)、
p.1128 治承二年十一月十二日辛未、定成朝臣獻二御乳付雜具一、〈○中略〉蜜、兼日自二藏人所一遣二召蜜御園一、所レ進非二眞蜜(○○)一、仍定成朝臣賜二藏人所一レ儲、差二副寮官一人於仕人一、遣二御園所一、取二進眞蜜一也、
p.1128 大黃蜂(やまはち) 也末波知(○○○○)
本綱大黃蜂、其狀比二蜜蜂一更大、其色黃、在二人家屋上、及太木間一作レ房、大者如二巨鐘一、其房數百層、土人采時、著二草衣一蔽レ身以捍二其毒螫一、復以二烟火一熏去二蜂母一、乃敢攀二緣崖木一斷二其蒂一、一房蜂兒五六斗至二一石一、捕下狀如二蠶蛹一瑩白者上、然房中蜂兒三芬之一翅足已成、則不レ堪レ用、
胡蜂(○○) 壼蜂 數蜂玄瓠蜂、 大黃蜂之黑色者也、凡物黑者謂レ胡故也、乃是大黃蜂一類二種也、
按黑蜂、遍身正黑、唯背一處、自レ頸至レ腰正黃、身肥圓、四翅六脚、其脚末曲如二鐵把一、而尻出レ刺、能螫レ人、
p.1128 大黃蜂(○○○) マルバチ(○○○○) ヤマバチ(○○○○) オホバチ(○○○○) カメバチ(○○○○)南部 ハンメ ウバチ(○○○○○○)〈能州〉 イモバチ(○○○○)〈和州〉 ホウヲウ(○○○○)〈筑前○中略〉コノ蜂形狀黃蝱(ハナアブ)ノ如クニシテ大ナリ、首黑ク短鬚アリ、背尻黃赤色ニシテ腰黑シ、春夏諸花ニ多ク集リ黃䖟ト混ジ易シ、一種形最大ニシテ、色黑ク腰ノ色黃赤ナル者ハ、胡蜂(○○)ナリ、俗名クマバチ(○○○○)、 スズメバチ(○○○○○) オホカミバチ(○○○○○○)〈仙臺〉アンドンバチ(○○○○○○)〈越前○下略〉
p.1128 赤翅蜂(あかはち) 本綱、赤翅蜂、狀如二土蜂一、翅赤頭黑、大如二螃蟹一、穿レ土爲レ窠食二蜘蛛一、蜘蛛遙知二蜂來一、皆狼狽藏隱、蜂以預知二其處一、食之無レ遺、
p.1129 赤翅蜂 アカキハネノハチ(○○○○○○○○)アカバチニ似テ、翅黃赤色、端微黑色ヲ帶テ、身深黑色、背首足倶ニ黃赤色ナル蜂、間庭中ニ飛來ルコトアリ、赤翅蜂ノ類ナリ、眞物ハ詳ナラズ、又簷下ニ窠ヲ爲スアカバチハ、此ト異ナリ、ソノ翅黃赤色、身ハ細腰ニシテ、黑ト黃赤ト斑ヲナス、南部ニテ、スガリ(○○○)ト呼ブ、漢名木蜂、〈秘傳花鏡〉穉蜂、〈典籍便覽〉細腰 、〈埤雅〉
p.1129 赤翅蜂〈○中略〉
獨脚蜂 在二嶺南一似二小蜂一黑色、一足連二樹根一、不レ得レ去、不レ能二動搖一、
p.1129 獨脚蜂 詳ナラズ 一名樹蜂〈通雅〉
俗ニ馬尾蜂(○○○)ト呼ブ者、木中ニ生ズ、木ヲワリテコレヲ得、出テ飛コト能ハズ、又自ラ出ルモアレドモ、唯蠕動スルコト數日ニシテ死ス、其形アカバチニ似テ小ク、翅ニ少ク黑キ處アリ、尾ニ一ツノ毛アリ、椶櫚ノ毛ノ如ク、長サ四五寸、色黑シ、死スル時ハ分レテ三毛トナル、是獨脚蜂ニ近シテ、別ナル者アリ、
p.1129 竹蜂(たけはち) 留師
本綱、竹蜂、于二野竹上一結レ窠、紺色、大如二雞子一、長寸許、有レ蔕、窠有レ蜜、甘倍二常蜜一、
一種黑蜂(○○)、大如二指頭一、能穴二竹木一而居、腹中有レ蜜、小兒撲殺取食、亦此類也、
p.1129 竹蜂 詳ナラズ
竹ヲ嚼テ穴ヲ穿チ、其中ニ窠ヲ作ルハチヲ云、故ニ、新校正ニ、アナバチ(○○○○)ト訓ズレドモ詳ナラズ、時珍ノ説ニ、一種黑蜂、大如二指頭一、能穴二竹木一而居ト云ハ、寺ノ堂梁柱、或ハ門柱等ニ孔ヲ穿チ入テ巢ヲ 爲ス蜂アリ、形大黃蜂ノ如シ、
p.1130 赤翅蜂〈○中略〉
獨蜂 作二窠於木一、其窠大如二鵞卵一、皮厚蒼黃色、只有二一箇蜂一、人馬被レ螫立亡也、蛒蜂 在二褰鼻蛇穴内一、其毒倍レ常、中二人手腦一卽圮裂、非二方藥可一レ療、惟禁術可レ制、
p.1130 蛘〈餘章反、平、 蛘、波知、又佐曾利(○○○)、〉 螫〈舒亦反、佐須又佐曾利、〉 虰蛏〈佐曾利〉
p.1130 蠮螉 爾雅注云、蠮螉〈悦翁二音、和名佐曾里、〉似レ蜂而細腰者也、兼名苑云、一名蜾蠃、〈果裸二音〉
p.1130 新撰字鏡、蛘、螫、蟻、虰、蛏、皆訓二佐曾利一、古謂二之須賀流(○○○)一、雄略紀、有二人名蜾蠃一、本注此云須我屢、万葉集云、腰細之須輕娘子飛翔爲輕如來腰細丹、皆是也、今俗呼二似我蜂(○○○)一、常陸謂二之加曾利一、蓋佐曾利之轉譌也、所レ引蓋舊注也、爾雅果蠃蒲盧、郭注云、卽細腰蠭也、俗呼爲二蠮螉一、〈○中略〉太平御覽引二陸機一云、螟蛉者桑上小靑蟲也、似二歩屈一、其色靑而細小、或有二草葉上蜾蠃一、土蜂也、似レ蜂而小腰取二桑蟲一負レ之、於二木空中筆筒中一、七日而化爲二其子一、里語曰、祝云、象レ我象レ我也、法言學行篇、作二類レ我類レ我、久則肖一レ之、是陸機所レ本、〈○中略〉按本草和名云、蠮螉、一名土蜂、一名蜾蠃、一名細腰、一名蛞螻、一名莆蘆、已上三名出二兼名苑一、據二證類本草一、一名土蜂本條文、一名蜾蠃、陶注文、一名細腰以下出二兼名苑一、蓋兼名苑亦有二蜾蠃之名一、而以三本草已載二其名一、輔仁不二引及一レ之、源君此不レ引二本草一、依二兼名苑一擧二此名一歟、抑以三本草和名土蜂蜾蠃、並失二載出典一、源君誤爲三五名皆出二兼名苑一、亦未レ可レ知也、
p.1130 蠮螉〈サソリ〉
p.1130 似我(ジガ)〈毛詩、螟蛉有レ子、蜾蠃負レ之、朝野僉美云、蜂啣二他虫一、置二於窠中一、呪曰二似我似我一、卽成レ蜂也、故名曰二似我一也、〉 蒲盧(アナハチ/○○)〈細腰蜂也〉
p.1130 すがる〈○中略〉 日本紀に蜾 を訓ぜり、細腰蜂也、よて萬葉集に、腰細のすがる娘(ヲトメ)子とよめり、俗語にすんがりといふ是也、古今集に、すがる鳴秋の萩原とよめるは此虫也、後人鹿となしてよむもの多し、謬なりといへり、倭名鈔にはさそりと訓ぜり、さゝりばちともいふ、常陸 にかそりと云、出羽にては、凡て蜂をすがるといふ、仙臺にてすがりといへり、
p.1131 六年三月丁亥、爰命二蜾蠃一〈蜾蠃人名也、此云二須我屢(○○○)一、〉聚二國内蚕一、於レ是蜾蠃誤聚二嬰見一奉二獻天皇一、〈○下略〉
p.1131 蠮螉〈謁翁〉 土蜂 細腰蜂 蜾蠃 蒲蘆 俗云似我 又云腰細蜂〈○中略〉按蠮螉無レ雌、取二桑虫一負來入二于窠一爲二養子一、祝曰二似我似我一、則長爲レ蜂、故名二似我蜂一之説甚誤、而和漢共然焉、〈本草亦其論辨、多取二要旨一註二于上一也、〉又倭名抄以二蠮螉一訓二佐曾里一者非也(○○○○○○○○○○)、〈佐曾里(○○○○○○)卽蠍也〉
p.1131 蠮螉 スガル〈日本紀〉 サソリ〈和名鈔〉 ジガバチ カソリ(○○○)〈常州〉 ヂスガリ(○○○○)〈信州〉 コシボソ(○○○○)〈畿内、同名アリ、〉 ツチスガリ(○○○○○)〈仙臺○中略〉
蠮螉數種アリ、一ハ長サ八分許、濶サ一分許、腰甚細ク、絲ノ如シ、全身深黑色、夏月人家ニ飛來リ、葦薄或ハ筆管中ニ入テ巢ヲ作ル、初泥ヲ摙テ、底ノ隔ヲナシ、小喜母(サガリグモ)、蠅虎等(ハイトリグモ)數箇ヲ螫シ傷メテ、其中ニ入レ、其蛛ニ小子ヲ粘ス、〈○中略〉外ヲ泥ニテ塗リフサグ、其蛛ヲ入レ泥ヲ入ルヽゴトニ、管内ニテ鳴ク聲、似我似我ト云ニ似タリ、〈○中略〉數日ノ後、ソノ子大ニナリ、蜂トナリ、管ヲ穿チ出飛去ル、蛛ハ皆食ヒ盡シテ遺ラズ、
p.1131 按、古今集離別の部に、すがるなく秋の萩原朝立て旅行人をいつとかまたん、と此歌を引て、古人此すがるを鹿の事也と云説有、其後の歌には、多くすがるを鹿の事となして、詠る歌有、皆誤にて隨がたし、すがるは蜂なる事、いちじるし、さそりといふ蜂也、
p.1131 似我々々事
蜂ニ似タル虫ヲ、ジガ〳〵ト云、何ナル名ゾ、似我似我ハ、只蜂ノ類也、本名ハ螟蛉(メイレイ)也、〈○中略〉朝野僉載曰ク、蜂銜二他虫置二於窠中一、呪シテ曰二似我々々一、卽成レ蜂云云、故ニ名テ曰二似我一也、〈○中略〉サレバ大師〈○弘法〉ノ御遺吿ニモ、從二赤子時一、得二人之子一、敎ヘテ爲二弟子一、如下螟蛉以二他子一爲中己子上ト侍リ、
p.1131 詠二上總末珠名娘子一一首幷短歌 水長鳥(シナガトリ)、安房爾繼有(アハニツギタル)、梓弓(アヅサユミ)、末乃珠名者(スエノタマナハ)、胸別之(ムナワケノ)、廣吾妹(ヒロキワギモ)、腰細之(コシホソノ/○○○)、須輕(スカル/○○)娘子之(ヲトメノ)、其姿之(ソノカホノ)、端正爾(ウツクシケサニ)、〈○下略〉
p.1132 大神〈○素盞鳴尊〉出見而、吿三此者謂二之葦原色許男一、〈○中略〉入二呉公與レ蜂室(/○○)一、且授二呉公蜂之比禮一、敎レ如レ先故平出之、
p.1132 藤原左大臣諱武智麻呂、〈○中略〉按行至二坂田郡一〈○近江〉寓二目山川一曰、吾欲下上二伊福山頂一瞻望上、土人曰、入二此山一疾風雷雨、雲霧晦瞑、群蜂飛螫、〈○中略〉公曰、吾從レ少至レ今、不三敢輕二慢鬼神一、鬼神若有レ知者、豈其害レ我、若无レ知者、安能害レ人、卽滲洗淸齊、率二五六人一、披二蒙籠一而登、將レ至レ頂之間、忽有二兩蜂一飛來欲レ螫レ公、揚レ袂而掃、隨レ手退歸、
p.1132 貞觀十六年八月十三日己巳、蝗虫或化レ蝶飛去、或爲二小蜂(○○)一所二刺殺一、
p.1132 天慶三年一月廿四日、世相傳云、於二東大寺羂索院執金剛神前一、七大寺諸僧集會、祈二請將門調伏一之由、然間數萬大蜂(○○)遍二滿堂内一、迅風俄來、吹二折執金剛神之髻糸一、數万之蜂、相二隨髻糸一、向レ東穿レ雲飛去、時人皆謂、將門誅害之瑞也、〈○又見二帝王編年記一〉
p.1132 金鐘行者靈驗殊勝、天下皆歸二依之一云々、可レ被レ造二大佛殿一沙汰之時、自二大佛殿正面一、東ハ金鐘行者之所領也、自二正面一西ハ辛國行者ノ領也、爰辛國申云、歸依僧ノ道、可レ依二驗德一、何强被レ歸二依金鐘一人一哉、早被レ召二合兩人一、可レ被レ競二其効驗一、隨二勝劣一德ヲモ被レ崇、伽藍ヲモ可レ被レ立云々、依二所レ申有一レ謂、召二合二人ノ行者一、已被レ競二驗德一、各誦二呪祈一之間、自二辛國行者方一、數万ノ大蜂出來、擬二著金鐘一ノ時、自二金鐘方一、大蜂飛來、件ノ蜂ヲ拂間、蜂皆退散了、彼大蜂至二辛國之許一、滅二行者一、故辛國忽結二惡心一爲二寺敵一、度々此寺之佛法ヲ魔滅セントシケリ、此事雖レ無二慥所見一、古老所二申傳一也、但寺ノ繪圖ニ氣比明神ノ巽ノ角ニ有二辛國堂一由注レ之云々、
p.1132 於二鈴鹿山一蜂螫二殺盜人一語第卅六
今昔、京ニ水銀商スル者有ケリ、年來役ト商ケレバ、大キニ富テ、財多クシテ家豐カ也ケリ、伊勢ノ 國ニ年來通ヒ行ケルニ、馬百餘疋ニ、諸ノ絹糸綿米ナドヲ負セテ、常ニ下リ上リ行ケルニ、只小キ小童部ヲ以テ、馬ヲ追セテナム有ケル、〈○中略〉而ル間、何也ケル盜人ニカ有ケム、八十餘人、心ヲ同クシテ、鈴香ノ山ニ、テ、國々ノ行來ノ人ノ物ヲ奪ヒ、公ケ私ノ財ヲ取テ、皆其人ヲ殺シテ、年月ヲ送ケル、〈○中略〉此ノ水銀商、伊勢ノ國ヨリ、馬百餘疋ニ諸ノ財ヲ負セテ、前々ノ樣ニ小童部ヲ以テ追セテ、女共ナドヲ具シテ、食物ナドセサセテ上ケル程ニ、此ノ八十餘人ノ盜人、極キ白者カナ、此ノ物共、皆奪取ラムト思テ、彼ノ山ノ中ニシテ、前後ニ有テ、中ニ立挾メテ恐シケレバ、小童部ハ皆逃テ去ニケリ、物負セタル馬共、皆追取ツ、女共ヲバ皆著タル衣共ヲ剝取テ、追弃テケリ、水銀商ハ〈○中略〉辛クシテ、逃テ高キ岳ニ打上ニケリ、〈○中略〉虚空ヲ打見上ツヽ、昔ヲ高クシテ、何ラ何ラ遲シ遲シト云立テリケルニ、半時計有テ、大キサ三寸計ナル蜂ノ怖シ氣ナル、空ヨリ出來テ、フント云テ、傍ナル高キ木ノ枝ニ居ヌ、水銀商此レヲ見テ、彌ヨ念ジ入テ、遲シ遲シト云フ程ニ、虚空ニ赤キ雲二丈計ニテ、長サ遙ニテ俄ニ見ユ、道行ク人モ、何ナル雲ニカ有ラムト見ケルニ、此ノ盜人共ハ、取タル物共拈ケル程ニ、此ノ雲漸ク下テ、其盜人ノ有ル谷ニ入ヌ、此ノ木ニ居タリツル蜂モ立テ、其方樣ニ行ヌ、早ウ此ノ雲ト見ツルハ、多ノ蜂ノ群テ來ルガ、見ユル也ケリ、然テ若干ノ蜂、盜人毎ニ皆付テ、皆螫殺シテケリ、一人ニ一二百ノ蜂ノ付タラムダニ、何ナラム者カハ堪ムトスル、其レニ一人ニ二三石ノ蜂ノ付タラムニハ、少々ヲコソ打殺シケレドモ、皆被二螫殺一ニケリ、其ノ後、蜂皆飛去ニケレバ、雲モ晴ヌト見エ、ケリ、然テ水銀商ハ、其ノ谷ニ行テ、盜人ソ年來取貯タル物共多ク、弓胡錄馬鞍著物ナドニ至マデ、皆取テ京ニ返ニケリ、然レバ彌ヨ富增テナム有ケル、此ノ水銀商ハ家ニ酒ヲ造リ置テ、他ノコトニモ不レ仕ズシテ、役ト蜂ニ呑セテナム、此ク祭ケル、然レバ彼レガ物ヲバ、盜人モ不レ取ザリケルヲ、案内モ不レ知ザリケル盗人ノ、取テ此ク被二螫殺一ル也ケリ、然レバ蜂ソラ物ノ恩ハ知ケリ、心有ラム人ハ、人ノ恩ヲ蒙リナバ、必ズ可レ酬キ也、亦大キナラム蜂ノ見エムニ、專ニ不 レ可二打殺一ズ、此ク諸ノ蜂ヲ具シ將來テ、必ズ怨ヲ報ズル也、
p.1134 むかし中納言和田丸と聞る人おはしけり、其末に余古大夫といふ兵者有けり、〈○中略〉初瀨山のおくに籠りてけり、敵あさり求れども、深く用意して、笠置といふ山寺の岩屋の有ける中にかくれて、二三日住けるほどに、岩のもとにて、蛛と、いふもの、いをかけたりけるに、大なる蜂のかゝりたりけるに、いをくりかけて、まきころさんとしける時に、愍をおこして、とりてはなちて、蜂にいひけるやう、いける物は命に過たる物なし、前世の戒がすくなくて、畜生と生れたれども、心あるは命を惜む事、人にかはらず、恩を重くする事、同じかるべし、我敵にせめられて、からきめをみる、身をつみて、汝が命をたすけむ、必ずおもひしれとて、放ちやりつ、其夜の夢に、かきの水干袴きたる男のきていふやう、晝の仰悉く耳にとまりて侍る、御志實に、忝し、我つたなき身を受たりといへ共、いかでかその恩を報じ奉らざらん、願は我申さむまゝに構へ給へ、君の敵亡さんといふ、誰人のかくはのたまふぞといへば、晝の蛛の網にからまれつる蜂は、おのれに侍ると云、あやしながら、いかにしてか敵をばうつべき、我にしたがひたりしもの、十が九は亡び失の城もなし、かゝりもなし、 じて立あふべき方もなしといへば、などかくはのたまふ、殘りたるものも侍らん、二三十人ばかりかまへてかたらひ集めたまへ、此うしろの山に、蜂の巢四五千ばかりあり、是もみな我に同じ物なり、語集てカをくはへ奉らんに、などか打得給はざらん、但其軍したまはん日は、なよせたまひそ、本城のほどに假屋をつくりて、なりひさご壼瓶子かやうの物多く置たまへ、やう〳〵まかりつとはんずれば、そこにかくれいらんためなり、しかしながら、其日吉(ヨカ)らんと、ちぎつていぬと思ふ程に夢さめぬ、うける事とは思ねど、いみじく哀に覺えて、夜にかくれ、故郷へ出て、此彼かくれをる者共を語て云、我生るとてかひなし、最後に一矢射てしなばやと思ふ、弓箭の道はさこそあれ、男共など云ければ、誠に可レ然事とて、五十人ばかり出にけり、假屋造て、あ りし夢のまゝにしつらひをれば、是は何のためぞと、あやしみければ、さるべきゆへありとて、めでたくしつらひをきつ、其朝にほの〴〵と明はなるゝほどに、山のおくのかたより、大なる蜂一二百二三百うちむれて、いくら共なく入集るさま、いとけむづかしく見けり、日さし出るほどに、敵の許へ是に侍り、申べき事ありといへりければ、敵悦びて、尋失ひて安からずおぼえつるに、いみじき幸なりとて、三百騎ばかり打出たり、いきほひをくらぶるに、物の數にもあらねば、侮りていつしかかけくむほどに、蜂ども假屋より雲霞のごとくわき出、敵の人ごとに、二三十、四五十取つかぬはなし、目鼻ともなく、はたらく所ごとにさし損じけるほどに、物も覺えず、打ころせども、五六こそしぬれ、いかにも〳〵する力なくて、弓箭の行衞もしらず、まづ貌をふさぎさはぎけるほどに、思ふさまに馳まはりて、敵三百餘騎、時の程にたやすくうち殺してければ、恐れなく本のあとに還居にけり、死たる蜂少々ありければ、笠置のうしろの山に埋て、堂をたてなどして、年ごとに蜂の忌日とて、恩を報じけり、
p.1135 京極大相國〈○藤原宗輔〉被レ飼レ蜂之事、世以稱二無益事一、而五月比、於二鳥羽殿一、蜂栖俄落テ、御前多飛散ケレバ、人々モサヽレジトテ、ニゲサワギケルニ、相國御前ニ枇杷ノ有ケルヲ一總トリテ、コトヅメニテ、カハヲムキテ、サシアグラレタハケレバ、蜂アルカギリツキテ、チラザリケレバ、乍レ付召二共人一、ヤハラ捨ケリ、院モ賢ク宗輔ガ候テト被レ仰テ、令レ感御ケリ、
p.1135 京極太政大臣宗輔公は、蜂をいくら共なく、飼給ひて、何丸か丸と名を付てよびたまひければ、召にしたがひて、格勤者などを勘當し給ひけるには、何丸某さしてことの給ければ、そのまゝにぞふるまひける、出仕の時は、車のうら、うへの物見にはらめきけるを、とまれとのたまひければ、とまりけり、世には蜂飼の大臣とぞ申ける、
p.1135 ぎだりんにありしひじりの、たけの枝にはちのすくひたるをおこせて、釋迦佛のゝ 給なりとて、 我宿の汀に生るなよ竹のはちすとみゆるおりもありけり
嬉遊笑覽十二禽蟲蜂が刺たら子をとらうといふは、もと蜂吹(○○)なり、源氏〈松風〉大井も宿もりが體をいふ處、はなゝど打あかめつゝ、はちふきいへば、若菜の下にも、はちぶくと有、抄に蜂の面近く飛時、恐れてうそぶきするやうに物いふなり、物を聞いれず、一向にいひそくるを、蜂拂(○○)といふに似たり、守武獨吟、辨慶や蜂のありともしらざらんうそをもふかずけなげなるころ、
p.1136 蛉蠕 〈四字同蠅也、螟也、波戸(○○)、又桑虫、〉
p.1136 蠅〈䏣附〉 方言云、陳楚之間、謂二之蠅一、〈音膺、和名波閉(○○)、〉東齊之間、謂二之羊一、〈郭璞曰、蠅羊此轉語耳、〉
p.1136 説文、蠅、營々靑蠅、蟲之大腹者、从二黽虫一、李時珍曰、蠅夏出冬蟄、喜レ煖惡レ寒、蒼者聲雄壯、負レ金者聲淸括、靑者糞能敗レ物、巨者首如二火麻一者、茅根所レ化、蠅聲在レ鼻而足喜交、
p.1136 蠅(ハイ)〈點二黑白糞一玷二珠玉者、喩二之讒言一者也、〉
p.1136 蠅 さはへなす 五月のはへとかけり わろき物也
p.1136 蝿ハへ 日神天磐屋戸に籠り給ひし時、萬神の聲如二狹蠅一鳴といふ事、舊事紀に見えしを、古事記には、狹蠅那須としるし、又舊事紀には、天孫天降り給はむとし給ひしとき、此國に多に道速振荒振神ありて、又磐根木株、草之垣葉、猶能言語、夜は螢火の如くにして喧響、晝者如二五月蠅(サバヘ)一而沸騰としるされ、日本紀も舊事紀によられたり、ハへの義は不レ詳、〈(中略)凡そ蟲の名に、ハといふをもて呼ぶは、皆羽あるものなり、(中略)舊事古事日本紀等に見えし所に據れば、ハへとは其聲あるに因りて、云ひし所に似たり、〉
p.1136 蠅 ハへ〈和名鈔〉 ハイ(○○)〈京○中略〉
蠅ハ皆三月土用ノ比ヨリ暖氣ヲ逐テ出、數種アリ、ソノ四五月ノ時、人家四邊ノ陽地ニ多ク集リ、相追ヒテ飛ビ翔ルモノハ、蒼蠅ナリ、俗名クロバイ(○○○○)、色蒼黑ニシテ、大サ四分許、ソノ聲高シ、故ニ典籍 便覽ニ蒼蠅善亂レ聲ト云、〈○中略〉ソノ夏秋ノ間、家中ニ多來リ、竈邊或ハ食物ニ集リ、農家ニ別シテ多キ者ハ、コバイ(○○○)〈筑前〉ト云フ、〈○中略〉三才圖會ニ、一種不レ靑不レ蒼、俗謂二之麻蠅一、夏大好集二人體間一、驅而復來、故俗謂二人可レ憎者一爲二麻蠅一ト云ヒ、正字通ニ、一種小者、集二几案殽羞間一、衆多爲レ擾、人恚レ之ト云フ、是ナリ、 ソノ秋中多出テ、飛翔聲聒シク、臭ヲ慕テ庖厨ニ集リ、必卵ヲ遺シ、蛆ヲ生ズルモノハ、俗ニシマバイ(○○○○)ト呼ブ、事物紺珠ニ、大麻蠅大二於蒼蠅一ト云フ是ナリ、〈○中略〉 ソノ線色或ハ靑色ニシテ、金光アリ、聲淸高ニシテ、必糞上ニ集ルモノハ靑蠅ナリ、大小數品アリ、俗名クソバイ(○○○○)、 キヌバイ(○○○○)〈備後〉キンバイ(○○○○)、時珍負レ金者、聲淸聒、靑覗石糞能敗レ物ト云、
p.1137 神埼郡 蒲田郷
同〈○景行〉天皇行幸之時、御二宿此郷西一薦二御膳一之時、蠅甚多鳴、其聲大囂、天皇勅云蠅聲甚囂、因曰二囂郷一、今謂二蒲田郷一訛也、
p.1137 三十五年五月、有レ蠅聚集、其凝累十丈之、浮レ虚、以越二信濃坂一、鳴音如レ雷、則東至二上野國一而自散、
p.1137 六年十二月庚寅、科野國言、蠅羣向レ西飛踰二巨坂一、大十圍許、高至二蒼天一、
p.1137 寬喜二年八月廿八日丁亥、心寂房來相逢語、去夜事、脚氣所レ爲歟、可レ疑近日蠅漸弱、而落二入飮食一、自然不レ知レ入二腹中一歟、是又坐痢極毒也、蠅入二腹中一、多二頓死者一、
p.1137 北朝康曆元年六月、細川賴之阿波國隱居作レ詩云、
人生五十愧レ無レ功、花木春過夏已中、滿室蒼蠅掃難レ盡、去尋二禪榻一臥二淸風一、
p.1137 蠅參(ハイマイリ/○○)〈伊勢參附二道者之尾一、譬三諸蠅附二驥尾一也、〉
p.1137 欲下立二皇孫天津彦火瓊々杵尊一以爲中葦原中國之主上、然彼地多有二螢火光神及蠅聲邪神(○○○○)一、
p.1137 案、下一書文、如二五月蠅一而沸騰云云、五月蠅三字之訓、サハへ(○○○)ト讀レ之、今此蠅聲同點 也、言葦原中國惡神充滿、如二五月之蠅一、衆多之意也、
p.1138 一書曰、〈○中略〉素盞鳴尊、乃以二天(/○)ノ蠅斫(ハエキリ/○○)之劒(/○○)一、斬二彼大蛇一時、斬二蛇尾一而刃缺、
p.1138 神鏡神璽都入幷三種寶劒事
十握劒、〈○中略〉又ハ蠅斬(ハイキリ)ノ劒ト云、此劒利劒也、其刃ノ上ニ居ル蠅ノ、不二自斬一ト云事ナケレバ也、〈○又見釋日本組一〉
p.1138 むしは
はへこそ、にくきものゝうちにいれつべけれ、あいぎやうなく、にくき物は、人々しふかきいつべき物のやうにあらねど、よろづの物に居、かほなどにぬれたるあしゝてゐたるなどよ、人の名につきたるは必かたし、
p.1138 にくきもの
はへの秋などおほくて、よろづの物にあしはぬれ、つめたくて、かほにもゐありく、いとむづかしうにくし、
p.1138 はいといふ虫のぬり物などには、こを白くしかけ、白き物には、はこをくろくしかけ侍る、
p.1138 とりもちをもて、はへといふ虫をおほくとりたるを、ふとけみきやうとて、目もおよばぬものをみるめがねのあれば、それもてみしに、そのもちにつきたるはへが、にげんとして、羽を動かすが、はてはその羽ももちにつきて、うごきえず、かうべうごかして苦しむもあり、又久しくつきしは、飢にのぞみてよはり死するけしきもあり、たゞに羽をならす音のみきゝしが、よくみれば、いとかなしきさまなりしとかたるを、さあらんよなど、人のこたへしを、みしときゝしとは、いとたがふものぞかし、みしごとくきゝ給はゞ、さあらんなどゝ計はいひ給はじ、まいて目の 及ばぬあたりのことは、猶心にてみ給へかしと、いひしものありけり、
p.1139 蠅てふ虫は、またなくにくし、晝ねの夢妨ぐるは、怠りを諫むるともいふべければ、咎めむやうもなし、たゞ書なんど見、畫なんどかくころ、顏のあたりに二つ二つとまるを、おひやれば、しばしかなたへうつり、また飛來り飛去り、はては友多くつどひて鬪諍し、あるはえもいはぬふるまひいと狼藉也、
p.1139 蛆〈子餘反、宍中蟲也、痛也、螂也、臭公也、螫也、止加介、〉 蜡〈旦鹿反、去、宇自(○○)、〉
p.1139 蠅〈○中略〉 聲類云、䏣(○)〈音且、又去聲、和名波閉乃古(○○○○)、〉蠅子也、説文云、蠅乳二肉中一也、
p.1139 李時珍曰、蛆胎生、蛆入二灰中一、蛻化爲レ蠅、如二蚕 之化一レ䖸也、
p.1139 虫の字、むしとも、うじともよめど、うじはきたなく、むぐめくをいひて、歌にはよまず、 新撰字鏡云、蜡宇自とあれど、蛆の字をよみきたれり、本草云、蛆蝿之子也、凡物敗臭則生云々、
p.1139 蛆〈音疽〉 蛆 䏣〈本字〉 和名波閉乃古、俗云宇之、〈○中略〉
按蛆字、本作レ䏣、蠅乳二肉中一故从レ肉、
素問類經云、蛆性喜レ暖畏レ寒、火運之年尤多也、
p.1139 蛆 ハエノコ〈和名鈔〉 ウジ〈○中略〉
諸蠅皆蛆ヲ生ズ、殊ニ大麻蠅多ク生ズ、夏秋ヲ時食物ニ集レバ、至小ノ卵ヲ遺シ著クルコト甚ダ數多シ、初其卵ハ動カズ、暫クシテ能行ク、其形一頭ハ細ク尖リ、一頭ハ齊シクシテ截タルガ如シ、長サ一二分、是ヲサシト云フ、書隱叢説ニ、蠁子化レ蠅ト云フ、是ナリ、數日ヲ經テ、形漸ク大ニナリ、變ジテ五六分ノ長サ、二三分ノ濶サニナリ、色白クジテ一條ノ細キ尾アリ、長サ一寸許、此蟲糞缸中ニ別シテ多シ、是糞中蛆ナリ、俗名カミサゲムシ、〈京〉 カミナガムシ〈筑前〉 ドブムシ〈豫州〉 ウナゴゼ ウナゴシ〈勢州松坂〉 ヲナゴシ〈同上山田〉 ウナガジ〈雲州〉 ヲナガジ〈同上〉 アナゴゼ〈筑後〉 ヲナ ガムシ〈和州〉 シリケノウジ〈石州〉 ウナグジ〈加州〉 ウナクジ ウナグシ〈共ニ同上〉 此ノ形ニナル時ハ、糞缸中ヨリ出上リ、板間或ハ壁隙ニ入リ、黑キ蛹トナリ、羽化シテ大麻蠅トナル、
p.1140 爾伊邪那美命答白、悔哉不二速來一、吾者爲二黃泉戸喫一、然愛我那勢命〈那勢二字以レ音、下效レ此、〉入來坐之事恐故欲レ還、旦具與二黃泉神一相論、莫レ視レ我、如レ此白而、還二入其殿内一之間、甚久難レ待、故刺二左之御美豆良一〈三字以レ音、下效レ此、〉湯津津聞櫛之男柱一箇取闕而、燭二一火一入見之時、宇士(○○)多加禮斗呂呂岐氐、〈此十字以レ音〉於レ頭者大雷居、〈○下略〉
p.1140 宇士は、蛆字を訓來れり、本草てふ書に、〈李時珍云〉蛆蠅之子也、凡物敗臭則生レ之とあり、和名抄には、䏣を波閉乃古(ハヘノコ)とありて、宇士てふ訓はなし、䏣と蛆とは通ふ、字鏡には、蜡を宇自とあり、〈蜡の宇士なるべき由はいかゞしらず〉今も腐爛たる物に生る小虫を宇士とぞいふ、
p.1140 狗蠅(○○) 兼名苑云、狗蠅、一名犬蠅、〈著二於犬一者也〉
p.1140 按狗蠅又見二齊東野語一、李時珍曰、狗蠅生二狗身上一、狀如レ蠅、黃色能飛、堅皮利喙、噉二咂狗血一、冬月卽藏二狗耳中一者是也、今俗呼二以奴婆倍(○○○○)一也、
p.1140 狗蠅 以沼波閉〈○中略〉
接狗蠅、多著二老狗一羣レ頸濳行咂レ血、故難レ避、用二煙草脂一塗二稈心一、如レ輪而毎宜レ掛二于狗頸一、
p.1140 狗蠅 イヌバイ(○○○○)
狗身ニ集ル蠅ハ、夏秋尤多シ、蒼蠅ヨリ狹長ニシテ、背平ニシテ、黃赤色、人ニ著ク時ハ其害ヲナス、燈油ヲ咂シムル時ハ、堅クナリテ死ス、
p.1140 守瓜 爾雅注云、蠸一名守瓜、〈蠸音權、和名宇利波閉(○○○○)、〉食二瓜葉一者也、
p.1140 爾雅云、蠸輿父守瓜、郭注云、今瓜中黃甲小蟲、喜食二瓜葉一、故名二守瓜一、此所レ引蓋舊注也、説、文、蠸、蟲也、玉篇、蠸、食レ瓜蟲、列子天瑞篇蠸文、釋、瓜中黃甲蟲也、郝氏曰、此蟲黃色、小二於螌蝥一、 常在二瓜葉上一、食レ葉而不レ食レ瓜、俗名二看瓜老子(○○○○)一者也、然則玉篇訓レ蠸爲二食瓜蟲一非レ是、
p.1141 守瓜 蠸〈音權〉 䗣〈音含〉 和名宇利波閉、爪蠅也、〈○中略〉
按、䗣桑蟲、又瓜蟲、食二瓜桑一者也、蓋與レ蠸一類二種乎、其大如二犬蠅一而黃色、甲下有レ翅速飛、喜食二瓜葉一、以二蟲眼鑑一視レ之、黑眼露與レ蠅不レ同(○○○○)、
p.1141 耕種園圃 螢早瓜一段、〈○中略〉拂レ虫十二人、
p.1141 小 物源賴能は、上古に耻ざる數寄の者也、玉手信近に順て、横笛を習けり、〈○中略〉或時は信近武田にありて、其むしをはらひければ、賴能も隨て朝より夕にいだる迄、もろ共にはらひけり、扨かへらんとする時、たま〳〵一曲を授けり、
p.1141 蠁子 蔣魴切韻云、蠁子、〈上音饗、和名佐之(○○)、〉酒醋上小飛虫也、
p.1141 谷川氏曰、佐之當二小虫之義一、按書隱叢説、蠁子化レ蠅、然則上條所載䏣是也、今俗呼レ䏣爲二佐之一、又酒醋上小飛虫卽醯雞、今俗呼二猩々(○○)一者是也、莊子田子方篇、丘之於レ道也、其猶二醯雞一與、郭象注、醯雞者甕中之蠛蠓、釋文引二司馬彪一云、醯雞若二酒上蠛蠓一也、列子天瑞篇、醯雞生二于酒一、釋文云、醯雞蠛蠓也、新撰字鏡、蠛訓二酒乃波戸一、説文、蠁、知聲蟲也、非二此義一、
p.1141 蠛〈亡結反、蠓也、黃節食虫、又酒乃波戸(○○○○)、〉
p.1141 蠓〈サカハヘ(○○○○)〉
p.1141 猩(シヤウ)々ノ事
酒ノ香ニ付ク小虫ヲ猩々ト云ハ、何ニ事ゾ、猩ハ非レ虫獸也、〈○中略〉彼ノ獸、酒ヲ好ム故ニ、小虫ノ酒ノ香ニ耽テ倚リ來ヲ以テ、推テ猩々ト云ナルベシ、
p.1141 蝱 説文云、蝱〈莫衡反、與レ亡同、字亦作レ䖟、和名阿夫(○○)、〉齧レ人飛虫也、
p.1141 雄略紀御歌云阿牟(○○)、卽是也、本草和名、木䖟、和名於保阿布(○○○○)、蜚䖟、古阿布(○○○)、〈○中略〉 蘇敬曰、䖟有二數種一、並能噉レ血、商淅已南江嶺間有二大木䖟一、長大綠色、殆如二次蟬一、咂二牛馬一、或至二頓仆一、蜚䖟狀如二蜜蜂黃黑色、又一種小䖟名二鹿䖟一、大如レ蠅、齧二牛馬一亦猛、
p.1142 木䖟〈和名於保安不又キアブ(○○○)〉
p.1142 蝱〈アフ、齧レ人飛虫也、亦作䖟〉 蜩 已上同
p.1142 蝱アブ 雄略天皇紀に、蝱の來りて、天皇を噬みまいらせしといふ事見えて、〈○中略〉古語にはアム(○○)といひしに、後轉じてアブといふとは見えたり、其義不レ詳、〈蝱類には蜚蝱、木蝱、鹿蝱、牛蝱等の類あり、アムとは、アは發語の詞、ムはミといふ語の轉ぜしにて、これも囓むを云ひしなるべし、後に轉じて、アブといふに及びては、前に註せしブトといふ物の名、此物に因リてや云ひぬらん、〉
p.1142 あぶ 倭名鈔に虻を訓ぜり、万葉集に蜂音をふとよめば、虻のなく聲をもて名とせるなるべし、是蜚蝱也、木蝱は血を噉はずといへり、此を美濃路にては、ひの木あぶといふ、又めくらあぶあり、すゝきの根の玉よりわく、色黃也、
p.1142 木䖟(○○)〈○中略〉
集解ニ説トコロ一ナラズ、蘇恭ノ説ノ木䖟ハオホウシバイ(○○○○○○)、 サンネンアブ(○○○○○○)、〈北近江〉形、蒼蠅ノ如クニシテ、微綠色ヲ帶ビ、大サ蟪蛄ノ如シ、利觜アリ、牛馬ニ附テ、血ヲ咂ヒ售ヲナス、鹿䖟(○○)ハウシバイ、蒼蠅ノ形ニシテ、牛馬ノ血ヲ咂フ、一種血ヲ噉ハズ、只草木ノ花ニ集ル者ヲ、ハナアブ(○○○○)ト云、此ニモ大小數品アリ、大ナル者ハ、大黃蜂ノ形ニ似テ、鬚ナク、刺ナク、色黃ナリ、好デ花ヲ吸フ、コレヲヅンヅンバイ(○○○○○○)、〈薩州〉 ブイブイ(○○○○)〈備後〉ト云フ、〈○中略〉
蜚䖟(○○) コアブ(○○○)〈古名〉 アヲアブ(○○○○) アダムシ(○○○○)〈隅州○中略〉
秋日稀ニ來ル、形黃蝱(ハナアブ)ヨリ瘠小ク、蜜蜂ヨリ大ナリ、長サ六分許、綠頭ニシテ、利觜アリ、是古渡ノ者ニ異ナラズ、今ハ渡ラズ、皆細篤ニテ十箇横ニ貫ク、本草彙言ニ、嘴鋭而利若二鋒鑽一、然春半後秋半前出、暑月繁多、ト云ヘリ、藥舗ニ貨モノ、古ハ紀州熊野ヨリ京、師へ多ク出ス、今ハ丹波ゴハ少シ出ス、 皆松葉ニテ十箇横ニ貫ク、又細 ニテ貫クモアリ、皆鹿䖟或ハ木䖟ニシテ舶來ニ異ナリ、
p.1143 天皇坐二御臭床一、爾 (アム/○○)咋二御腕一、〈○中略〉多古牟良爾(タコムラニ)、阿牟加岐都岐(アムカキツキ)、〈○下略〉
p.1143 (アム)は〈延佳本に蝱と作るは、さかしらに改めたるなり○中略〉虻なり、書紀には虻とも蝱とも書れたり、〈虻と蝱とは同字也、〉和名抄に、説文云、蝱齧レ人飛虫也、和名阿夫とあり、 は字書には見えざれども、皇國にて、古に書ならへる字なるべし、然る類多し、〈師云、 と亡と同じければ、虻を と書るかと云れたり と亡と同じきこと未考へず、若さることあらば、此説の如くにてもあるべし、字書を考るに、罔网㘝など同じき由あれば、亡をも通はして書るにや、字鏡に、 奴可我、また虻䗈同奴可我とあれば、 と虻と通ふよしあるにこそ、〉
p.1143 承和十二年五月乙卯、山城國言、綴喜相樂兩郡境内、始レ自二去三月上旬一、蝱虫殊多、身赤首黑、大如二蜜蜂一、好咬二牛馬一、咬處卽腫、相樂郡牛斃盡無レ餘、綴喜郡病死相尋、郡司百姓求二之龜筮一、就二于佛神一、隨レ分祓攘、曾無二止息一、移染之氣于レ今比行者、令レ卜二其由一、綴喜郡樺井社、及道路鬼更爲レ祟、卽遣レ使折謝之、兼賜下治二牛疫一方幷祭料物上、
p.1143 筑前國僧蓮照身令レ食二諸蟲一語第廿二
今昔、筑前ノ國ニ蓮照ト云僧有ケリ、〈○中略〉諸ノ虫ヲ哀テ、多ノ蚤虱ヲ集メテ、我ガ身ニ付テ飼フ、亦蚊虻ヲ不レ掃ハ、嶋蛭ノ食付クヲ不レ厭シテ、身ノ宍ヲ令レ食ム、而ルニ蓮照聖人、態ト虻蠇多カル山ニ入テ、我ガ肉血ヲ施サムト爲ルニ、裸ニシテ不レ動シテ、獨リ山ノ中ニ臥タリ、帥チ虻蠇多ク集リ來テ、身ニ付ク事无レ限シ、身ヲ喰ム間、痛ミ難レ堪シト云ヘドモ、此レヲ厭フ心无シ、而ル間、身ニ虻ノ子ヲ多ク生入レツ、〈○中略〉聖人ノ夢ニ、貴ク氣高キ僧來、〈○中略〉此ノ疵ヲ撫デ給フト見テ、夢覺ヌ、其後身ニ痛ム所无クシテ、疵忽ニ開テ、其中ヨリ百千ノ虻ノ子出デゝ飛テ散ヌ、
p.1143 文覺の荒行
そも〳〵この文覺と申は、〈○中略〉六月の日の草もゆるがず、てつたるに、あるかた山里のやぶの中へはいり、はだかになり、あをのけにふす、あぶぞ蚊ぞ、はちありなどいふどくちうどもが、身にひ しと取付て、さしくひなどしけれども、ちつとも身をもはたらかさず、七日まではおきあがらず、
p.1144 䗈(あぶ/○)一ふめきて、かほのめぐりにあるを、うるさければ、本のえだをおりて、はらひすつれども、猶たゞおなじやうに、うるさくふめきければ、とらへてこしを、このわらすぢにてひきくゝりて、枝のさきにつけてもたりければ、腰をくゝられて、ほかへえいかで、ふめき飛まはりけるを、長谷にまいりける女車の、まへのすだれをうちかづきてゐたるちごの、いとうつくしげなるが、あの男のもちたる物はなにぞ、かれこひて、われにたべと、馬にのりてともにあるさぶらひにいひければ、その侍、その持たる物、若ぎみのめすにまいらせよといひければ、ほとけのたびたる物に候へど、かく仰事候へば、まいらせ候はんとて、とらせたりければ、このおとこいとあはれなる男なり、わかぎみのめすものを、やすくまいらせたる事といひて、大柑子をこれのどかはくらんたべとて、いとかうばしきみちのくに紙につゝみてとらせたりければ〈○下略、又見二今昔物語雜談集一、〉
p.1144 蚊 四聲字苑云、蚊〈音文、和名加、(○)〉小飛蟲、夏月夜噬レ人者也、
p.1144 説文、蟁、齧レ人飛蟲、又載蚊字一云、俗蟁从レ虫从レ文、爾雅翼云、蚊者惡水中孑子所レ化、 二人肌膚一、其聲如レ雷、東方朔隱語、長喙細身、晝亡夜存、嗜レ肉惡レ煙、爲二掌指所一レ捫、
p.1144 蚊〈正文 力クチフト(○○○○)〉
p.1144 蚊(カ)〈食レ人、夏夜飛虫也、又云二豹脚(○○)一、〉
p.1144 額白豹脚(ヒタイシロノヘウキヤク)〈取異名也〉
p.1144 蚊(カ)〈暑蟲、白鳥、並同、爾雅翼、惡水中孑孑(ボウフリ)所レ化、〉 豹脚(ヤブカ/○○) 藪蚊(同/○○)〈俗字〉
p.1144 蚊(カ) かむ也、人のはだへをかむ虫也、むを略す、
p.1144 カとは囓也、カブレといひ、カユシといふが如きは、此物によりていひしと見えたり、豹脚は今俗に、ヤブカ(○○○)といふもの是也、
p.1145 丹鳥、白鳥ト云ハ何レノ鳥ゾ、
白鳥トハ蚊也、大戴禮小正曰、白鳥ハ蚊網也ト、俗ニ鵠(クヽヒ)ヲ白鳥ト云ハ、只其色ヲ指ス歟、未ダ其本説ヲ不レ見、
p.1145 蚊、子ヲ水中ニウムデ、孑孑蟲トナルト云ヘリ汚水ヨリ孑孑蟲ヲ生ジ、後化シテ蚊トナル、蚊ハ烟ヲキラフ、蚊ヲ去ルニ、ウナギノ乾タルヲタケバ化シテ水トナル、骨ヲタクモヨシ、又榧ノ木或楠木ノ屑ヲタクベシ、
p.1145 蜚䖟〈○中略〉
蚊子 カヒ(○○)〈和名鈔〉 カ〈同上古歌○中略〉 蚊ハ夏月惡水中ヨリ生出シ、味辛シ、卽孑孑蟲ノ羽化スルモノナリ、晝ハ伏シ、夜ハ出テ人ヲ唖フ、色微白ナリ、又綠身ナル者アリ、又身ハ瘠テ、頭ニ絮ノ如キ者ヲ戴クアリ、顯微鏡ニテ見レバ、大ニシテ鳥羽ノ如シ、是雄ナリ、絮ナクシテ身肥タル者ハ雌ナリ、〈○中略〉 又草木多キ處、或ハ野邊ニハ、 ヤブガ多シ、〈○中略〉晝出夜伏シテ、常ノ蚊ニ反ス、〈○中略〉三才圖會ニ其生二草中一者吻尤利、而足有二文彩一、呉興號二豹脚一、蚊字所二以從一レ文有レ文也ト云ヒ、彙苑詳註ニ、湖中多レ蚊、其中有二豹脚者一尤毒ト云フ、〈○下略〉
p.1145 蚊、物類相感志、九月蚊子嘴生レ花、また代醉編に、古諺有レ云、霧滃而蟹螯枯、露下而蚊喙折、こゝにて八月あばれ蚊と云は、喙の折る前なり、花の如きもの出ては、人を刺ず、
p.1145 にくきもの
ねぶたしと思ひてふしたるに、蚊のほそごゑに名のりて、かほのもとにとびありく、はかぜさへ、みのほどにあるこそいとにくけれ、
p.1145 大藏卿〈○藤原正光〉ばかり、みゝとき人なし、誠に蚊の(/○○)睫(まつげ/○)のおつるほども、聞付賜ひつべくこそ有しか、
p.1146 おとたてゝものはいはねど、ゆふぐれのはへはらひつるこゑはきこえつ、シノビテオコナヒケルニ、カノクヒケレバ、アフギシテ、ウチハラヒツヽ、ネブリケル夢ニ、僧ノ讀カケヽル歌ハ蠅也、詞ハ蚊、
p.1146 問テ曰、ヲサナキワラハノ、コキノコトイフツキ侍ルハ、イカナル事ゾヤ、答コレハヲサナキモノ、、蚊ニクハレヌマジナヒ(○○○○○○○○○○)事ナリ、秋ノハジメニ、蜻蛉トイフ虫出キテハ、蚊ヲトリクフ物ナリ、コキノコトイフハ、木蓮子ナドヲ、トンボウカシ、ラニシテ、ハネヲツケタリ、コレヲイタニテツキアグレバ、ヲツル時ハ、トンボウカ、ヘリノヤウナリ、サテ蚊ヲオソレシメンタメニ、コギノコトテ、ツキ侍ルナリ、
p.1146 播磨守盛重繼二杉原家一事
丸山三九郎ト云者、佐田〈○彦四郎〉ガ宿所ニ忍入、犬ノ後足ニテ、頸ヲ搔、身振スル眞似ヲシケリ、佐田、犬ニハ非ジト思ヒ、蚊帳ノ中ヨリヤヲラ起出タルヲ、九山早ク心得テ、立歸リヌ、翌朝佐佃、丸山ニ向テ、昨夜犬ノ身振シツルハ、汝也ヤトトヘバ、左候ト、答フ、何ト、シテ吾出タルヲ知レゾヤ、サレバ宵ノ程ハ滋カリシ、蚊ノ聲モ、漸ク夜半ニナレバ、聲ノ靜マルナルニ、蚊ノ聲一ト頻リ雷鳴シツル故、扨ハ蚊帳ヨリ人ノ出タルナリト思、歸テ候ト答ケレバ、佐田、吾モ庭前ノ蟲ノ、更ル夜ニ、己ガ自恣打添テ滋カリシ、聲ノシヅマリシユへ、人來レリト知シナリ、
p.1146 燒レ蚊辭 嵐蘭〈○服部〉
大盜あに樞戸を穿むや、汝がふるまふを見るに、帳をたるゝ時は、其翩々の間をうかゞひ、垂おはつて、縱横の透間をたづね、すべて少破の所をもとめ、人のしりへにつきて、入らむとはかる、鳴呼跖蹻が徒にはあらじ、すべて汝がおこなふ處、猛き事もなく、たのしむ事もなし、あはれなるかたにも、やさしきかたにもあらず、たゞにくむべきものゝ甚しき也、蚊、蚊、帳中の蚊、汝をやくに 辭をもてす、汝此ことばをきく時は、我手に死すとも、みづからたれりとせよ
p.1147 蚊てふ虫もにくさは劣るべくもあらず、夏の夕凉しさにはしゐして、笛のしやうかなんどいへば、はや其聲をしるべに飛來りて、己が名呼ぶ聲いとうるさし、蚊やりふすぶれど、煙薄きほどは、猶立さらず、人もたへかぬる頃、かれもしばし立行侍るを、其隙を得て、帳打たれつゝ、今宵は安くいぬべかめるとおもふ内、耳のあたりに聲して、枕、のあたりさらぬぞいとにくし、紙燭もて燒殺してんと思へば、起あがるほどのわびしければ、人呼出して燒盡せよといへば、しそく持ありくまゝに、ほかげの目にてりて、ねむさいとたへがたし、顏にとまりてさすを、はやり打にうてば、多くもらしつ、腹ふくるゝばかり吸せてうてば、血うち散りて穢らはし、たゞ手と足のうらさしたらんは、かゆさもそことさすべうもなく、ひたかきにかきてもあたらずいとくるし、晝の程も調度ならべおくかたはらより、忍びやかに出て害ふのみ、足に白き斑ありて、全體黑くたくまし、秋の末つかた、やゝ夜寒の頃、この虫も夏の程の年わかくわざ勝れたる心にて、ひたすら打とまりてさせども吸ども、おのが口はし、七つ八つにさけたれば、心ばかりにて、わざおとりするぞ愚なる、
p.1147 蚊遣火 大江朝臣匡房卿
すゝたるゝ宿にふすぶる蚊遣火(○○○)の煙は遠になびけとぞおもふ
p.1147 蚊やり火を 前大納言爲家
蚊やり火の下やすからぬ煙こそあたりのやども猶くるしけれ
p.1147 蔣魴切韻云、 〈音魯、和名美加良(○○○)、〉井水中小虫也、
p.1147 字諸書無レ見、按説文、蜎肙也、肙小蟲也、爾雅、蜎、蠉、郭璞注、井中小蛣蠍赤蟲、一名孑孑、與レ此略同、疑 是蜎字之訛、則知今俗呼二棒振一者也、王引之曰、蛣蠍猶二詰屈一也、此蟲行二於水 中一、則棹レ尾至レ首左右回、其狀曲而且圓蠉、謂二之蜎一者、猶三釋器環謂二之蜎一、蜎之言 也、 規也、規亦 也、郝懿行曰、莊子秋水篇釋文、虷音寒、井中赤蟲也、一名蜎、引二爾雅及郭注一、是虷與レ蠉同、廣雅孑子蜎也孑子卽蛣蟩、又作二結 一、淮南子説林訓、孑孒爲レ蟁、高誘注、孑孒結 、水上倒跂蟲按今此蟲多生二止水一、頭大而足小、尾末有レ岐、行則搖二掉其尾一、翻轉至レ頭、止則頭縣在レ下、尾浮二水上一、故謂二之倒跂蟲一、欲レ老則化爲レ蚊、尾生二四足つ遂蛻二於水一而蚊出、玄應音義引二通俗文一云、蜎化爲レ蚊、是也、郭璞云、赤蟲、乃別一種、細如レ綫而赤者、長寸許、穴二泥中一、其行蜿蟺、欲レ老則頭上生レ毛、亦化レ蚊也、然與レ蜎非二一物一、郭注誤耳、
p.1148 孑孒(ぼっふりむし) 蛣蟩 蜎蠉 赤蟲 釘倒蟲 俗云棒振蟲(○○○)〈○中略〉
按孑孒溝泥中濕熱相感生二小蟲一、長二三分、灰黑色、微似二科斗(カイルコ)形一、而常一曲一直、如二振レ棒狀一、故名レ之、經レ日羽化爲レ蚊、
p.1148 夏中金魚の餌とする物を、江戸にてぼうふらと云ふ、京攝にいふ孑々にあらず、孑孑は俗にどんぶりと云ふ、壬生狂言の棒ふりに似たるゆゑ云か、いはゞ上方に桃鬼灯といへる虫に似たり、此もゝほうづきの名義解らず、桃の如く甘みありて、鬼灯の如く苦みありて云か、金魚ならねば味わかるまじ、只色の薄赤きゆゑ桃鬼灯と呼か、識者の考をまつ、
p.1148 蚤〈子孝反、上、乃美(○○)、〉
p.1148 説文云、 〈音早、和名乃美、〉齧レ人跳虫也、
p.1148 所レ引䖵部文、原書作レ 、又載二蚤字一云、 或从レ虫、 是蚤字之訛文、
p.1148 蚤〈倶ノミ〉
p.1148 蚤(ノミ)〈食レ人夏跳虫也〉
p.1148 (のみ)〈音早〉 蚤 䖣〈並同字〉 和名乃美〈○中略〉
按蚤赤色、肥レ身小首、六足能跳、夏月人家生二於濕熱氣一、而自在二牝牡一、其大者牝、腹有二白子一、成二小蚤一、牡者却 小、故謂下婦大二於夫一者上、稱二蚤之婦夫一矣、凡 螽、莎雞、蟋蟀、螽斯之類、亦雄小而不二好鳴一、雌大而善鳴也、如二鶯、雲雀、山雀等一小鳥、雄大而善囀、雌小而不二能囀一、上下各別也、
p.1149 卵生蟲狗蠅〈○中略〉
附錄、壁蝨、〈○中略〉
蚤ハノミ〈和名鈔〉一名虼蚤〈事物紺珠〉毛隱〈同上〉跳蚤〈訓蒙字會〉
p.1149 のみもいとにくし、衣のしたにをどりありきて、人をもだえるやうにするよ、
p.1149 此聖人〈○僧性空〉ハ得二六根淨之人也、或時害人來臨、對面間、懷中ニ (○)ヲトリテ捻ケリ、于レ時聖人云、イカニサハ、ノミヲバ捻殺ムトハシ給ゾトテ、大ニ悲歎給ケリ、客人耻テ退散云々、
p.1149 大地震事
昔モ今モ怨靈ハ怖キ事也、蟇(ノミ)ノ息天ニ上ト云事モアルゾカシ、
p.1149 蟇息
のみの息、天へあがるといふは、近き頃の諺にて、長頭丸ノ油かす以下の書に見えたり、されども蟇の字を、ノミとよまむ事あるまじく思ひしに、南浦文集に、我日本之諺有レ之、曰蝦蟇之嘆息、其氣昇レ天とあるに據れば、盛衰記の蟇は、ヒキとよむべし、
p.1149 無二嫉妬之心一人事
有人ノ妻マオトコトネタリケル時、夫俄ニネヤノウチヘイラントス、イカニシテカ、ニガサント思テ、衣ノノミトル由ニテ、ニガサントテマオトコノハダカナルヲ、ムシロニカヒマヒテ、衣ノノミトラントテ、スビツヲトビ越ケルホドニ、スベラカシテ、スビツニドウトヲトシツ、男是ヲミテ、目見ノベ、口ヲホヒシテ、ノドカナル氣色ニテ、アライシノノミノ大サヤト云テ、ナニトモセザリケレバ、勢ハ大ナレドモ、小(コ)ノミノ如クモ、トバズシテ、ハダカニテハヒニゲニケリ、
p.1150 蠛蠓 爾雅集注云、蠛蠓〈上亡結反、下亡孔反、漢語抄云、加豆乎無之(○○○○○)、日本紀私記云、蠛末久奈木(○○○○)、〉小虫亂飛也、磑則天風、舂則天雨、
p.1150 新撰字鏡、蚙訓二加豆乎一、當レ謂レ此、土佐俗今猶呼二蠛蠓一、爲二加豆乎一、蠛見二允恭二年紀一、本注云、蠛此云二摩愚那岐一、按末久奈岐、謂二開闔目數搖一也此虫細小亂飛、分二人目數搖一、故名二末久奈岐一、源氏明石、有二末久奈伎都久良世天之語一、謂二開闔目數搖一也、與下鶺鴒訓二邇波久奈布利一之久奈上同語、郭注云、小虫似レ蚋、喜亂飛然、續博物志引二郭璞一曰、蓬飛、磑則天風、舂則天雨、蓬蠓也、埤雅引二郭璞一云、蠓飛、磑則天風、舂則天雨、蓋郭氏音義之交、玄應音義引二郭注一云、小蟲似レ蜹、風舂雨磑者也、埤雅引二郭氏圖讃一云、風舂雨磑、則知玄應所レ引亦圖讃之文、而二説不レ同、太平御覽引二字書一亦云、蠛蠓小蟲、風舂雨磑者也、爾雅説文並云、蠓、蠛蠓也、然説文無二蠛字一、古蓋只作二蔑蠓一、蔑之言末也、微也、文選甘泉賦注引二孫炎一曰、此蟲小二於蚊一、埤雅引二孫炎一云、此蟲徵細羣飛、謝墉曰荀子蒙鳩、大戴禮作二 鳩一、方言作二蔑雀一、蒙 蔑一聲之轉、皆謂レ細也、
p.1150 蚙〈加豆乎〉
p.1150 蠛蠓〈マクナキカツウムシ〉
p.1150 蠛〈如レ蚊にて、空に多物也〉
まくなきつくるといへり
p.1150 蠛蠓 醯雞 和名加豆乎蟲 又云末久奈木〈○中略〉
按蠛蠓腐肉食、醯溝泥中多有レ之、形似レ蠅而小翅、身皆灰色背窄、其大不レ過二一分一、
p.1150 二年二凋己酉、立二忍坂大中姫一爲二皇后一、〈○中略〉初皇后隨レ母在レ家、獨遊二苑中一、時鬪雞國造、從〈○中略〉傍徑一行之、〈○中略〉皇后則採二一根蘭一與二於乘レ馬者一、因以問曰、何用求レ蘭耶、乘レ馬者對曰、行レ山撥レ蠛(○○)也、〈蠛此云二摩愚那岐一〉時皇后結二之意裏乘レ馬者辭无一レ禮、卽謂曰首(オフト)也、余不レ忘矣、
p.1151 まくなぎ(○○○○)つくらせて、さしおかせけり、
p.1151 明石卷云 またゝきすることをば、まくなぎつくるといふ也、まくなぎといふ、ちいさき虫のとびちる時は、目たゝきをする故に、其むしのとぶ時のやうにまたゝきをする也、