https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0103 親戚ハ、親族、又ハ親屬ト云ヒ、古クハウカラ、ヤカラトモ云ヘリ、血統若シクハ婚姻ニ由リテ結合シタル一族ヲ謂フナリ、吾邦ノ書ニハ、眷屬ヲ親屬ノ事トシタルモノモアレド、眷屬ハ汎ク隨從ノ者ヲ謂ヘルニテ、必シモ親屬ニハ限ラザルナリ、親戚ハ後又之ヲ親類ト云ヒ、德川幕府時代ニハ、事アル時ハ、親類書ト云フモノヲ、官府ニ徴シテ、之ヲ檢査スルノ例モアリキ、
親戚ニハ、内戚、外戚、本親、傍親等ノ別アリ、内戚ハ叉内親トモ云ヒ、男黨即チ父黨、夫黨ノ親族ヲ謂ヒ、外戚ハ女黨即チ母黨、妻黨ノ親族ヲ謂フ、又本親トハ、父子ノ關係ニシテ、即チ高祖父、曾祖父、祖父、父及ビ子、孫、曾孫、玄孫等ノ親ヲ謂ヒ、傍親トハ、兄弟ノ關係ニシテ、即チ伯父、伯母、叔父、叔母、姪、甥等ノ親ヲ謂フ、古書ニ傍期トアルハ、即チ此傍親ニシテ、期ノ喪ヲ服スベキモノヲ謂フナリ、傍期ハ一ニ傍周トモ云ヒテ、期親ト同ジク、尊卑ニモ長幼ニモ謂フナリ、而シテ所謂尊卑長幼トハ、親族關係ノ次序ニ就キテ言ヘルコトニテ、尊卑ハ血統ノ高下ニ因リテ之ヲ分チ、長幼ハ年齡ノ多少ニ因リテ之ヲ定ムルモノナリ、例セバ父子又ハ叔姪等ノ關係ニ於テハ、父ハ子ヨリモ、尊屬ニシテ、姪ハ其年齡ノ如何ニ關ラズ、叔ヨリモ卑屬ナルガ如シ、然レドモ、兄弟姉妹、及ビ從父兄弟姉妹等ノ關係ニ於テハ、單ニ血統ノ高下ノミヲ以テ之 ヲ決シ難キモノアリ、故ニ專ラ長幼ヲ以テ之ヲ次序ス、例セバ伯父ノ子ニテモ、己ヨリ年少ナレバ從父弟ニシテ、叔父ノ子ニテモ、己ヨリ年長ナレバ從父兄ナルノ類是ナリ、又等親アリ、蓋シ服忌ノ五服ニ本ケル稱呼ニシテ、分チテ五等トス、血縁ノ親疎ヲ以テ其標準ト爲スナリ、
祖先ハ直系親屬ノ尤モ尊キモノニシテ、祖ト宗トヲ謂ナリ、祖宗ノ外ハ幾代アルモ之ヲ稱セズ、而シテ高祖父母ヨリ以下、父母マデヲ以テ、直系ノ尊親屬ト爲シ、子ヨリ以下、玄孫マデヲ直系ノ卑親屬ト爲シ、其以下來孫、昆孫、仍孫、雲孫等ノ名アレドモ、通常ニハ之ヲ稱スル事ナシ、
襲家ノ制度ニ於テ、世ト云ヒ、代ト云フハ、支那ノ制ヲ承ケシモノニテ、世トハ直系相續ノ度數ヲ以テ算シ、代トハ家督相續ノ度數ヲ以テ算スルヲ謂フナリ、而シテ其世數ヲ算スルニ、自己ヲ算入スト、セザルトノ二説アレドモ、支那固有ノ制ハ、單ニ誰ヨリ幾世トアレバ、其人ヲ算入シ、誰ノ何世ノ孫トアレバ、其人ヲ算入セザル例ナルガ如シ、
此他親族ノ名稱ニハ、和漢其文字ヲ一ニシテ、其實ヲ異ニスルモノ頗ブル多シ、タトヘバ姪ハ支那ニ在リテハ、男黨ノヲヒ、又ハメヒナリ、然ルニ吾邦ニテハ、多ク姪ヲ男黨、女黨ノ別ナク、メヒニ用イ、甥ハ女黨ノヲヒナルヲ、多ク男黨、女黨ノ別ナク、ヲヒニ用イタリ、又父母ハ相對スルモノニテ、支那ノ制ハ、伯父ノ妻ヲ伯母ト云ヒ、叔父ノ妻ヲ叔母ト云ヒ、父ノ姉妹ヲ姑ト云フ、然ルニ吾邦ニテハ、古クヨリ父ノ姉妹ヲ伯叔母ト云ヒ、之ヲ總稱シテ姑ト云ヘリ、又母ノ兄弟ヲヲヂト云ヒ、舅ノ字ヲ以テ之ニ當ツ、又母ノ姉妹ヲヲバト云ヒ、姨又ハ姨母、若シクハ從母、外甥母ノ字ヲ以テ之ニ當ツ、又古クヨリ姨ヲ父ノ姉妹ニモ用イタリ、叉夫ノ父ニ舅ノ字ヲ用イ、夫ノ母ニ姑ノ字ヲ用イ、妻ノ父ニ外舅ノ字ヲ用イ、妻ノ母ニ外姑ノ字ヲ用イ ル事ハ、支那ニ同ジ、サレド皆同ジク男ヲシウト、女ヲシウトメト呼ビタリ、又吾邦ニ在リテハ、祖父、祖母ト、伯叔父、伯叔母トハ、一ハオヂ、オバ、一ハヲヂ、ヲバト云フコト古ノ例ナレド、後世兩者相混ジテ、只文字ニ其迹ヲ留ムルノミナリ、オヂ、オバヲ多クオホヂ、オホバト云フニ至リシモ、蓋シ或ハ之ヲヲヂ、ヲバニ別タンガ爲ニ用イ習ハセシモノナラン、
乳母ハ、メノトト訓ズ、オモ、チオモ、オチ、チヌシ、皆同一ニシテ、生母ニ代リテ兒女ニ乳ヲ哺スルヨリ名ヅクル所ナリ、而シテ男子ノ保傅ヲ亦メノトト云フハ、其兒女ヲ養育スルノ職、乳母ノ之ヲ哺乳スルト、其理相同ジキ所アルヲ以テナリ、
此篇ハ政治部戸籍、相續、養子等ノ各篇ニ關聯スル所多シ、宜シク參看スベシ、

名稱

〔書言字考節用集〕

〈四/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0105 親戚(シンセキ)〈孔頴達云、親指族内、戚言族外、千字文註、至親曰親、傍親曰戚、〉 親類(シンルイ) 親族(シンゾク)

〔伊呂波字類抄〕

〈世/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0105 戚〈セキ親戚外戚〉

〔運歩色葉集〕

〈志〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0105 親族(○○)

〔律疏〕

〈職制〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0105https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00023.gif 臨之官、私役使所https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00023.gif、及借奴婢、牛馬、車船、碾磑、邸店之類、各計庸賃、以https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00023.gif財物論、〈○中略〉其於親屬(○○)、雖限及受饋乞貸、皆勿論、〈謂親屬別於數限外駈使及受饋餉財物飮食、或有乞貸、皆勿論、〉親屬、謂五等以上、及三等以上婚姻之家

〔神皇正統記〕

〈後嵯峨〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0105 泰時相續して、德政をさきとし、法式をかたくす、己が分をはかるのみならず、親族ならびにあらゆる武士までもいましめて、高官位を望む者なかりき、

〔源氏物語〕

〈五十一/浮舟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0105 なにばかりのしぞく(○○○)にかはあらん、いとよくもにかよひたるけはひかなと思くらぶるに、心はづかしげにて、あてなる所はかれはいとこよなし、これはたヾらうたげに、こまかなる所ぞ、いとおかしき、ようしうなりあはぬ所をみつけたらんにてだに、さばかりゆかしと覺ししめたる人を、それとみてさてやみ給べき御心ならねば、ましてくまもなくみ給に、いかで かこれをわがものにはなすべきと、わりなくおぼしまどひぬ、

〔枕草子〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 ちかくてとほき物
おもはぬはらから、しんぞくの中、

〔源氏物語〕

〈四十四/竹河〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 これは〈○玉鬘〉げんじの御ぞう(○○○)にもはなれ給へりし、後の大殿わたりにありける、わるごだちのおちとまりのこれるが、とはずがたりし置たるは、

〔日本書紀〕

〈一/神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 一書曰、〈○中略〉時伊弉諾尊亦慙焉、因將出返、于時不直默歸而盟之曰、族離(ウカラハナレン/○)、又曰、不於族(ウカラ)、〈○中略〉不負於族、此云宇我邏磨概茸(ウガラマケジト)

〔古事記〕

〈下/雄略〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 故獻能美之御幣物、〈能美二字以音〉布縶白犬鈴而、己族(オノガウカラ)名謂腰佩人、令取犬縄以獻上、

〔古事記傳〕

〈四十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 族は書紀神代卷に訓注に、宇我邏(ウガラ)とあるに依て訓べし、〈此訓注に依に、宇賀良(ウガラ)、夜賀良(ヤガラ)、波良賀良(ハラガラ)など皆賀(ガ)を濁るべき言なり、登(ト)、母賀良(モガラ)は今も濁ていへり、〉万葉三〈五十四丁〉に親族兄弟(ウガラハラガラ)〈此親族今本に、ヤカラと訓たれど、ウガラと訓べし、〉

〔古事記〕

〈下/安康〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 根臣即盗取其禮物之玉縵、纔大日下王曰、大日下王者、不勅命曰、己妹乎、爲等族(○○)之下席而、取横刀之手上而怒歟、

〔古事記傳〕

〈四十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 爲等族之下席は、比登志宇賀良能斯多牟斯呂爾那良牟(ヒトシウガラノシタムシロニナラム)と訓べし〈爲は那佐米夜(ナサメヤ)と訓べきが如き語の勢なれども、米夜(メヤ)と訓べき宇なければ、然は訓がたし、師(賀茂眞淵)は此をヒトシキヤカラノムシロトラセムヤと訓れたれどいかゞ、下をトルとは訓がたきうへに、席をとると云ことあるべくもあらず、〉族は、書紀神代卷に、宇我邏(ウガラ)と訓注あり、又親屬(ウガラヤガラ)、顯宗卷に、親族(ウガラヤガラ)、安閑卷に、同族(ウガラ)などあり、〈宇賀良(ウガラ)と</rt></ruby>夜賀良</rb><rt>ヤガ</rt></ruby>との差別、宇賀良は生族(ウマレカラ)、夜賀良は家族(ヤガラ)の意か、なほよく考ふべし、さて宇賀良も、夜賀良も波良賀良(ハラカラ)も、皆加な淸て呼へども、右の書紀の訓注に依らば、准へて皆濁るべきか、はれ濁ると淸むとあるか、悉には知がたし、登母賀良(トモガラ)は今も濁りて、云り、さて万葉三の長歌に親族兄弟(ヤカラハラカラ)とある親族もウガラと訓べきにや、〉此に等族(ヒトシガラ)と云は、若日下王と大長谷王とは姨甥(ヲバヲヒ)に坐て、共に天皇の御子なれば、同品の御族(ミウガラ)に坐よしなり、下席に爲るとは、大長谷王の妃に爲坐ことを、如此は云るなり、夫婦は交合時に、婦をば夫の下に敷故に、下に敷れむと云意なり、〈下席とはたヾ下に敷よしなり、上席に對へて云にはあらず、〉さるは正しき言には非ず、たヾ怒りて 嘲りたる、戯言のよしなり、

〔日本書紀〕

〈七/景行〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 十二年九月戊辰、到周芳娑磨、時天皇南望之、詔群卿曰、於南方烟氣多起、必賊將在、則留之、〈○中略〉有女人、曰神夏磯媛、其徒衆甚多、一國之魁帥也、聆天皇之使者至、〈○中略〉參向啓之曰、〈○中略〉有殘賊者、〈○中略〉其所據並要害之地、故各領眷屬(ヤカラ/○○)、爲一處之長也、

〔日本書紀〕

〈十六/武烈〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 七年四月、百濟王遣斯我君調、別表曰、前進調使麻那者非百濟國主之骨族(ヤカラ/○○)也、故謹遣斯我事於朝

〔倭訓栞〕

〈前編三十/也〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 やから 族をよめり、彌屬(イヤカラ)の義成べし、或は家族(カラ)也といへり、神代紀に屬をうから、やからとよめり、

〔玉手繦〕

〈五〉

氏(ウヂ/○)と内(ウチ)と、淸濁のかはり有るに疑あるべけれど、伊勢の内宮の在る所を宇治といふも、五十鈴川の川内なる故の名なるを宇遲と云にて知るべし、然れば氏をうぢと云ふも、同じ族内なる義より出たる言なり、

〔古史傳〕

〈二十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 氏を宇遲と訓むは、内(ウチ)ともと同語なり、語の淸濁に拘はるべからす、故氏神と云は、内神といふ意にて、内に屬たる神のこヽろに親みて云る稱なり、漢字の義を放れて、言の義を思ふべし、

〔榮花物語〕

〈三/樣々の悦〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 左京大夫とのヽ御うへ〈○藤原道長妻倫子〉けしきだちてなやましうおぼしたれば、〈○中略〉いみじうのヽしりつれど、いとたひらかに、ことにいたうもなやませたまはで、めでたきをんなぎみ〈○彰子〉むまれだまひぬ、此御一家(○○○)には、はじめて女生れたまふを、かならずきさきがねといみじきことにおぼしたれば、大殿〈○藤原兼家〉よりも御よろこびたび〳〵きこえさせ給ふ、

〔保元物語〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 白河殿攻落事
大將ハ〈○中略〉大音揚テ、淸和天皇九代後胤、下野守源義朝、大將軍ノ勅命ヲ蒙テ罷向、若一家ノ氏族 タラバ、速ニ陣ヲ開テ可退散トゾ宣ケル、

〔大鏡〕

〈七/太政大臣道長〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0108 この入道殿下〈○藤原道長〉のひとつかど(○○○○○)ばかりこそは、太皇太后宮、皇太后宮、中宮、三所おはしたれ、

〔平家物語〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0108 禿童事
六波羅殿の御一家のきんだちとだにいへば、花ぞくもゑいゆうもたれかたをならべ、おもてをむかふものなし、又入道相國のこじうと、平大納言ときたヾのきやうのたまひけるは、この一もん(○○○)〈○平氏〉にあらざらんものは、みな人非人たるべしとぞのたまひける、さればいかなる人も、この一もんにむすぼれんとぞしける、

〔本朝世紀〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0108 久安三年七月廿一日癸未、今日法皇御覽武士、散位平正弘率子姪之輩十三人、皆著甲冑、又散位源重成、右衞門尉公俊等、同渡御前、重成郎從甲冑之士纏數幅之布、〈世俗號之保呂〉爲流矢云々、永久之比、南都衆徒合戰之日、叔父重時朝臣郎從著此布云々、一族(○○)之風云々、見者足眼、

〔吾妻鏡〕

〈三十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0108 寛元二年六月十日己卯、肥前國御家人、久有志良左衞門三郎兼繼、訴申安德左衞門尉政尚一族五人任官事、政尚政家等所領三分二、司召趣、前兵庫助奉行之、

〔神皇正統記〕

〈後醍醐〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0108 賴朝は我身かヽればとて、兄弟一族をばかたくおさへけるにや、義經五位の撿非違使にてやみぬ、範賴が參河守なりしは、賴朝拜賀の日、地下の前駈に召加へたり、おごる心見えければにや、この兩弟をも終にうしなひにき、さらぬ親族もおほくほろぼされしは、おごりのはしをふせぎて、世をも久しく家をもしづめんとにやありけん、

内戚/外戚

〔令義解〕

〈六/儀制〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0108 凡元日不親王以下、〈○註略〉親戚〈謂親者、内親(○○)也、戚者外戚(○○)也、〉及家令以下不禁限
○按ズルニ、戚ノ字ハ、支那ノ字書ニ據ルニ、必シモ外戚ノ意義ナシ、

〔安齋隨筆〕

〈後編一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0108 内戚外戚 父方の親類を内戚と云、母方の親類を外戚と云、親族に内外を稱す る皆是なり、

〔文德實録〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 仁壽三年五月乙巳、无品齊子内親王薨、親王嵯峨太上天皇第十二女也、〈○中略〉親王適三品太宰帥葛井親王、〈○嵯峨弟〉内外戚皆恥其非成禮

〔空穗物語〕

〈初秋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 なかたヾ、ないしやく(○○○○○)にも、外しやく(○○○○)にも、女といふものなんともしく侍る、〈○中略〉もしはヽかたの外しやくこそ、かのとしかげの朝臣のきむは、つかうまつらめ、

〔伊呂波字類抄〕

〈久/疊字〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 外戚シヤク

〔下學集〕

〈下/態藝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 外戚(グワイセキ/ゲシヤク)

〔運歩色葉集〕

〈久〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 外戚(グワイ)

〔承久軍物語〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 同〈○承久三年〉十月十日とさのくにヽせんかう〈○土御門〉あるべきにさだめられけり、〈○中略〉げしやく(○○○○)のつちみかどの大納言さだみち卿參りて、なく〳〵御車をよす、

〔愚管抄〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 九條の右丞相〈○中略〉わが子孫を帝の外せきとはなさんとちかいて、觀音の化身の、叡山の慈惠僧正としだんの契ふかくて、横河のみねに楞嚴三昧院といふ寺をたて、

〔增鏡〕

〈七/煙の末々〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 御ぐしおろして御法名圓助ときこゆ、〈○中略〉院の宮だちの御中には、御このかみにてものし給へど、御げさく(○○○○)のよはきは、いまもむかしもかヽるこそ、いと〳〵ほしきわざなりけれ、

〔文保記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 一内外(○○)、親族(○○)、假服、〈付半減假幷服減、閏月禁忌、改葬假、無服殤、夫婦假服、遠闋日、〉父母〈假卅日、但五十日忌之、服十三ケ月、〉祖父母養父母〈假卅日、服五月、百五十日也、〉曾祖父母、伯叔父姑、兄弟姉妹、嫡子、夫之父母、〈假廿日、服三月、九十日也、〉高祖父母、庶子、嫡孫、養子〈假十日、服一月、卅日也、〉徒父兄弟姉妹、姪女、庶孫、〈假三日服七日〉
外祖父母〈假卅日、服三月、九十日也、〉繼父母、舅姨〈外戚也〉異父兄弟姉妹〈假十日、服一月卅日也、〉但繼父不同居者無禁忌、凡服者、自假初日計也、男之女子者、皆庶孫内也、〈假三日、服七日、〉喪葬令云、衆孫七日云々、

本親/傍親

〔釋親考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 旁親之稱、己身至三從而止、父至再從而止、祖至從兄弟而止、曾祖則親兄弟而已、以其承高祖、故高祖兄弟無稱、

〔令義解〕

〈二/戸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 凡戸主皆以家長〈謂嫡子也、凡繼嗣之道、正嫡相承、雖伯叔、是爲傍親、故以嫡子戸主也、〉爲之、

〔法曹至要抄〕

〈下/服假〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 養子可本姓傍親服假所養傍親服假事、

〔拾芥抄〕

〈下本/服紀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 服假雜例
或抄云、八歳以後、可服假、七歳以前者、夭亡之時、傍親不服假、至于二親者、本服三月假三日、一月服假二日、七日服一日、是信貞説也、

〔玉海〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 承安五年〈○安元元年〉六月十三日壬戌、今日明法博士中原基廣參來、〈依召也〉各相尋事等、〈○中略〉
一本生所養服事
問云、於親者、本生所養共可著服歟、又傍親(○○)可何方哉、
申云、於四等已上親者、聽爲養子、然者本生所養共可之〈昭穆不相叶者非此限〉於傍親(○○)者、一向可本生、不所養、是允容〈○容恐亮誤〉説也、允正は可所養云々、是謬説也、

〔令義解〕

〈九/喪葬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 凡天皇爲本服二等以上親喪錫紵、〈謂凡人君即位、服絶傍朞(○○)、唯有心喪故云本服、其三后及皇太子不傍朞(○○)故律除本服字也、〉

〔令集解〕

〈四十/喪葬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 古記云、本服、謂天皇即位則絶服期准〈○准恐誤字〉有心喪之時服錫紵、退則脱耳、錫紵謂黑染之色、若自不臨者不服耳、然案禮天子絶傍朞、今檢令文、本服五月以上、則明令意於高祖父母亦絶服期也、三后亦同、何者、案名例律議親注云、太皇太后本服七日以上親、皇后本服一月以上親故、但於皇太子者、且特合勘也、問以文稱本服、何知服期也、答若不絶服期者、文稱五月以上服親喪云、本字不稱、故絶服期知也、

〔通典〕

〈九十三/禮〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 三公諸侯大夫降服議
周制諸侯絶傍周(○○○)、卿大夫絶緦、 ○按ズルニ、傍周ハ傍期ナルヲ、唐玄宗ノ諱隆期ヲ避ケテ、期ヲ周ニ作レルナリ、

〔唐律疏議〕

〈二十三/鬪訟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 即嫡繼慈母殺其父、及所養者殺其本生、並聽告、〈○中略〉
答曰、子孫之於祖父母父母、皆有祖父子孫名、其有相犯之人、多不服而斷、賊盗律有規求、而故殺期以下卑幼者絞、論服相犯例準傍期、在於子孫、不期服、然嫡繼慈養依例雖同親母、被出改嫁、禮制便與親母同、其改嫁者、唯止服期、依令不官、據禮又無心喪、雖子孫、唯準期親卑幼、若犯此母亦同親尊長、被出者禮既無服、並同凡人、其應理訴亦依此法

〔通典〕

〈八十一/禮〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 童子喪服儀
蜀譙周縗服圖、童子不成人小功親以上、皆服本親(○○)之縗、童子不杖不廬、不免不麻、當室著免麻

尊卑/長幼

〔政事要略〕

〈八十二/糺彈雜事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 等親事〈○註略〉
儀制令云、五等親者、父母、養父母、夫子爲一等、〈○中略〉
釋云、未五等以上諸親、明定尊長卑幼(○○○○)之色、答、父母養父母、〈爲一等尊(○○○)〉子養子、〈爲一等卑(○○○)〉夫、〈別生父、〉祖父母、嫡母、 繼母、伯叔父姑、夫之父母、〈已上五色、爲二等尊(○○○)、〉姪、孫、子婦、〈已上三色、爲二等卑(○○○)、〉妻妾、〈別生父〉
職制律云、聞父母若夫之喪匿條疏云、其妻既非尊長、又殊卑幼、在禮及詩、比爲兄弟、即是妻同於卑 幼、又賊盗律、同居卑幼、將人盗兄家財物條、説者云、妻雖二等幼(○○○)、而依禮與夫合體、故自由任意、曾祖父母、〈同祖〉伯叔婦、夫之祖父母〈同祖〉、夫之伯叔姑、繼父同居、〈此謂繼母、及後娶、妾所召也、名例律、敺告三等尊長條(○○○○○)注云、繼母爲三等、則知夫前妻妾子、〉於繼母生尊卑也、撿鬪訟律、妾與夫之妻妾子相敺之罪、約入於尊長、卑幼難定條、則知妻妾子、與父妾者、尊卑難定、此則子在尊長卑幼之例、其嫡母於妾子、亦比爲三等、從父兄姉、異父兄姉〈右二色三等長(○○○)〉從夫弟妹、異父弟妹、〈已上二色爲三等幼(○○○)〉高祖父母、〈同祖〉從祖祖父姑、從祖伯叔父姑、外祖父母舅姨、〈右五色爲四等尊(〇〇〇)〉曾孫、〈同孫〉兄弟孫、從父兄弟子、外甥、孫婦、妻妾前夫子、〈右五(五恐六)色爲四等卑(〇〇〇)〉夫兄姊再從兄姊兄妻妾、〈已上二(二恐三)色相合所生〉 鬪訟律云、敺兄之妾、及敺夫之弟妹、各加凡人一等律義云、兄妻妾及弟妹、兄自有本服、而不尊長卑幼節級者、以尊長卑幼定故也、則知此二色、尊卑長幼、不定、〈以上四等也〉玄孫、〈同孫〉外孫女聟、〈已上二色、爲五等卑(○○○)、妻(○)妾父母、既爲五等尊(○○○)、所以女聟亦爲五等卑也、〉姑子、舅子、姨子、〈已上三色、先生爲長(○)、後生爲幼(○)、〉其尊長卑幼、難定之色、總依凡謀也、古答云、問兄弟同年、又從父兄弟同年何科、答、以凡謀論、爲尊長卑幼故、

〔令集解〕

〈二十八/儀制〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0112 釋云、於四等親、夫之弟妹、與兄之妻妾、不尊長卑劣、然則與凡闕別也、〈○中略〉於五等妻妾父母尊、以外以齒爲長劣耳、

〔律疏〕

〈名例〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0112 八虐〈○中略〉
五曰、不道、謂一家非死罪三人、〈○中略〉殺四等以上尊長、〈依令從祖伯叔父姑、舅姨、再從兄姉等是、〉及妻

〔金玉掌中抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0112 一八虐罪事〈○中略〉
五曰、不道、〈○中略〉
鬪訟律云、告二等尊長(○○○○)外祖父母夫者、雖實徒一年、
伯叔父兄姉外祖父母夫 謀夫之父母
名例律八虐注云、謀伯叔父姑、兄姉、外祖父母、夫、夫之父母、賊盗律云、謀外祖父母、夫、夫之父母 者、皆斬、殺嫡母、繼母已上二等尊(○○○)、殺伯叔父之婦、殺夫之伯叔父、殺夫之祖父母、殺夫之姑、殺繼父同 居
已上三等尊(○○○)
從父兄姉異父婦
已上三等長(○○○)
從祖祖父、〈祖之兄弟也〉殺從祖祖姑、〈祖之姉妹也〉殺從祖叔父、〈祖之從父兄弟也〉殺從祖姑
已上四等尊(○○○) 殺夫之兄姊再從兄弟〈(弟、法曹至要抄作姉)從祖伯叔父之子也〉
已上四等長(○○○)

〔令義解〕

〈二/戸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0113 凡棄妻須七出之狀、〈○中略〉皆夫手書棄之、與尊屬近親(○○○○)同署、〈謂尊屬近親相須、即男家女家親屬共署也、〉

〔令集解〕

〈十/戸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0113 跡云、與尊屬近親同署、講依下條夫祖父母父母、若无祖父母父母者亦是、此條云、由近親、故合三等以上親、若无三等親、亦依下條夫得自由、朱云、下條一端由祖父母父母者、舅從母等亦可由者、未知此親雖三等以上親近親同署乎何、問尊屬近親幾事、答一事也、尊屬之近親耳、反問、近親何者、等〈○等上恐脱三之字〉以上親、凡此人親屬、答下條所由諸親者未明、然則尊屬者尊長(○○)也、近親者卑幼(○○)者、近親者凡三等以上也、

等親

〔令義解〕

〈六/儀制〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0113 凡五等親(○○○)者、父母、養父母、夫、子、爲一等、〈謂養子亦同也〉祖父母、嫡母、繼母、伯叔父姑、兄弟姉妹、夫之父母、妻妾、姪、孫、子婦、爲二等、〈謂妾亦同、子妾尚爲二等、父妾入二等明、其養子之父母及妻者、不復爲夫之父母及子婦也、〉曾祖父母、〈謂祖父之父母也〉伯叔婦、夫姪、從父兄弟姉妹、異父兄弟姉妹、夫之祖父母、夫之伯叔姑、姪婦、繼父、同居夫前妻妾子、爲三等、〈謂今妻妾子亦同也、夫姪爲三等、夫兄弟爲四等、謂伯父之妻爲母、夫之姪爲子、猶子、引而進之、義也、從兄弟謂兄弟之子、相呼爲從父、長者曰兄、少者曰弟也、〉高祖父母從祖祖父姑、〈謂祖父之兄弟姉妹也、〉從祖伯叔父姑〈謂從祖祖父之子、即父之從父兄弟姉妹也、〉夫兄弟姉妹、兄弟妻妾、再從兄弟〈謂從祖伯叔父之子也〉姉妹、外祖父母、舅、姨、〈謂母之兄弟曰舅、姉妹曰姨、〉兄弟孫、從父兄弟子、外甥曾孫、孫婦、妻妾前夫子、爲四等、妻妾父母、姑子、舅子、姨子、玄孫、外孫、女聟、爲五等

〔令集解〕

〈二十八/儀制〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0113 朱云、養祖父母不等親者、先有別義通耳、額云、至于養曾高皆可等親者、未明何、〈○中略〉古記云、問等親入女以不、答不、唯不離准入耳、一云、稱等者女亦同、他准此、〈○中略〉釋云、養子之妻與養父母者不夫之父母及正子婦、各從本等也、一云、亦同夫父母及正子婦也、妾亦爲二等、孫稱婦妾、故父妾亦可二等、妾亦約也、問祖之妾何、答孫之妾入四等者、此夫之祖父母爲三等、故其於祖之妾決杖者、合覆勘取捨也、私案、不等親也、或云、師云、養子之子妻者同眞孫耳、 自餘放令釋也、〈在穴〉跡云、父妾爲等親、孫妾入等親故、

〔法曹至要抄〕

〈下/服假〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0114 養祖父母無服假
儀制令五等親條、朱書云、養祖父母不等親
之、令入等親之中、雖服假之法、不等親之族、未著服之文、然則養祖父母、已非等親、何令著服矣、

〔律疏〕

〈名例〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0114 六議
一曰議親、謂皇親及皇帝五等以上親、及太皇太后皇太后四等(○○)以上親、〈太皇太后者皇帝祖母也、皇太后者皇帝母也、〉皇后三等(○○)以上親

〔唐六典〕

〈十六/宗正寺〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0114 凡太皇太后、皇太后、皇后之親分五等(○○○)、皆先定於司封、宗正受而統焉、凡皇周親、皇后父母爲一等、準三品、皇大功親、皇小功尊屬、太皇太后、皇太后、皇后周親、爲第二等、準四品、皇小功親、皇緦麻尊屬、太皇太后、皇太后、皇后周大功親、爲第三等、準五品、皇緦麻親、爲第四等、皇祖免親、太皇太后小功卑屬、皇太后、皇后緦麻親、及舅母、姨夫、爲第五等、並準六品、其籍如州縣之法、凡大祭祀、及冊命、朝會之禮、皇親、諸親、應位豫會者、則爲之簿書、以申司封、若皇親爲王、〈舊唐志王作三〉公子孫應封者亦如之、

〔唐律疏議〕

〈一/名例〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0114 八議
一曰議親〈謂皇帝祖免以上親、及太皇太后皇太后緦麻以上親、皇后小功以上親、〉
疏議曰、義取内睦九族、外叶萬邦、布雨露之恩、篤親親之理、故曰議親、祖免者、據禮(○○)、有五(○○)、高祖兄弟、曾祖從父兄弟、祖再從兄弟、父三從兄弟、身之四從兄弟是、

〔文德實録〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0114 齊衡元年四月庚辰、詔曰、夫人之至親(○○)、莫於母子、故子登尊位、則貴歸於母、古先哲王、未之者、〈○下略〉

〔吾妻鏡〕

〈十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0115 文治六年〈○建久元年〉正月六日辛酉、兼任、送使者於由利中八維平之許云、古今間報六親(○○)若夫婦怨敵之者、尋常事也、未主人敵之例、兼任獨爲其例鎌倉也者、仍維平馳向于小鹿島大社、山毛之左田之邊、防戰及兩時、維平被討取畢、

三族/九族

〔書言字考節用集〕

〈十/數量〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0115 三族(サンゾク)〈父黨、母黨、妻黨、〉 九族(キユゾク)〈高祖父、曾祖父、祖父、稱(ヲヤ)、己、子、孫、曾孫、玄孫、〉

〔口遊〕

〈人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0115 高祖、曾祖、祖父、己身、子孫、曾孫、玄孫、〈謂之九族〉父己子、〈謂之三族(○○)

〔三代實録〕

〈四十五/光孝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0115 天皇諱時康、〈○中略〉天皇少而聰明、好讀經史、容止閑雅、謙恭和潤、慈仁寛曠、親愛九族(○○)、性多風流、尤長人事

〔白虎通〕

〈三/宗族〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0115 族者何也、族者湊也、聚也、謂恩愛相流湊也、上湊高祖、下至玄孫、一家有吉、百家聚之、合而爲親、生相親愛、死相哀痛、有會聚之道、故謂之族、尚書曰、以親九族、族所以九何、九之爲言究也、親疎恩愛究竟謂之九族也、謂父族四母族三、妻族二、父族四者、謂父之姓爲一族也、父女昆弟適人有子、爲二族也、身女昆弟適人有子、爲三族也、身女子適人有子、爲四族也、母族三者、母之父母爲一族也、母之昆弟爲二族也、母之女昆弟爲三族也、母昆弟者男女皆在外親、故合言之、妻族二者、妻之父爲、妻之母爲二族、妻之親略、故父母各一族、禮曰惟氏三族之不虞、尚書曰、以親九族、義同也、一説合言九族者、欲堯時倶三也、禮所以獨父族四何、欲周承二弊之後民人皆厚於末、故與禮母族、妻之黨廢禮、母族父之族、是以貶妻族以附父族也、或言九者、據交接之恩也、若邢侯之姨譚公惟私也、言四者服耳、不害所一レ異也、

〔日本書紀〕

〈三十/持統〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0115 四年十月乙丑、詔軍丁筑紫國上陽咩郡人大伴部博麻曰、於天豐財重日足姫天皇七年百濟之役、汝爲唐軍虜、〈○中略〉汝獨淹滯他界今三十年矣、朕嘉厥尊朝愛國賣己顯一レ忠、故賜務大肆幷絶五匹、緜一十屯、布三十端、稻一千束、水田四町、其水田及至曾孫(ヒヽコ)、也、免三族(○○)課役、以顯其功

〔日本書紀通證〕

〈三十五/持統〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0115 三族〈父族母族、妻族、〉

親屬圖

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0116 本書〈○倭名類聚抄〉親屬注解、雖讀、又恐童蒙輩或時迷津、今爲作圖、希一覽之瞭然也、
○ ○ ○ ○ *1
*2 *3 族父(オホオホチヲチ) 族昆弟(マタイトコ)〈三從兄弟〉
*4 *5 *6
*7 *8
從祖*9父(オホ(チ)ヲチ) *10) 再從父弟(イヤイトコ)〈*11
從祖*12母(オホヲハ) *13
*14
世父(エホチ)〈伯父〉 從父兄(イトコ)*15
*16(ヲハ) 從父姉(イトコ)*17
高祖姑 會祖姑 祖姑(オホヲハ)〈王姑〉 姑(ヲハ)〈*18 *19*20*21
コノカミ(―――)兄〈昆*22〉 (甥(ヲヒ)*23)
*24) (姪(メヒ)) (歸孫)〈ムマコヲヒムメコヒメ〉
*25
姊(アネ/イロネ)〈女兄*26 〉 出〈外姪*27)*28〉 離孫ムマコヲヒムマコメヒ
高祖父 *29(オホオホチ) 祖父(オチ)〈王父〉 父(チヽ)〈カソ考爺〉 己 子*30) ムマコ(―――)孫〈ヒコ〉 曾孫(ヒヽコ) 玄孫(ヤシハコ)
高祖母 曾祖母(オホオハ) 祖母(オハ)〈王母〉 母(ハヽ)〈妣孃イロハ(―――)〉 婦(ヨメ) 來孫 昆孫
婿(ムコ) 仍孫 雲孫
*31) 外孫 弟(オトウト)*32*33) 〈姪(―)*34
*35 *36〈ムマコヲヒムマコメヒ〉
*37
妹(イモウト)〈*38イロト(―――)〉 出*39)*40 離孫〈ムマコヲヒムマコメヒ〉
仲父(ナカツヲチ) 從父*41(イトコ)弟
從父*42(イトコ)妹
叔父(オトヲチ) 從父*43(イトコ)弟
*44(ヲハ) 從父*45(イトコ)妹
季父 從父*46(イトコ)弟
從父*47(イトコ)妹
姑(ヲハ)*48((叔母) *49*50
從祖*51父(オホ*52ヲチ) *53) 再從兄弟(イヤイトコ)*54
從祖*55母(オホヲハ) *56
祖姑(オホヲハ) *57
*58 *59 族父(オホオホチヲチ) 族昆弟(マタイトコ)三從兄弟
*60 *61 *62
高祖姑 曾祖姑 *63 *64
○ ○ ○ ○ *65 母黨
○〈*66 *67〉 従舅(ハヽカタノオホチヲチ)
舅(ハヽカタノオホヲチ大舅) *68*69
○〈*70 *71〉 從母(ハヽカタノヲハ姨) 從父兄(イトコ)*72
從父姉(イトコ)*73
外祖父(ハヽカタノオホチ)〈外王父〉 母 己
外祖母(ハヽカタノオホチ)〈外王母〉 舅(ハヽカタノオホヲチ小舅) *74*75
從母(ハヽカタノヲハ姨) 從父*76(イトコ)弟
從父*77(イトコ)妹
○〈*78〉 従舅(ハヽカタノオホチヲチ)
夫黨
兄公(コシウト)
女公(コシウトメ)
舅(シウト)〈阿翁〉 夫(ヲフト)〈*79*80(ヲトコ)〉
姑(シウトメ) 叔(コシウト)
女妹(コシウトメ)*81
妻黨
婦兄(コシウト)〈甥〉
姨(コシウトメ)イモシウトメ
外舅(シウト)〈婦翁〉 妻(メ)*82
外姑(シウトメ)〈婦母〉 婦弟(コシウト)甥
姨(コシウトメ)イモシウトメ
皇國上古同母兄弟姉妹稱呼
兄(イロネ)〈母兄〉
*83)母(イロハ) 己〈男子〉
*84)〈母弟〉
*85)
*86)
姉(イロネ)
母(イロハ) 己〈女子〉
*87) 妹(イロモ)
女子稱呼
*88) *89(ヲヒメヒ)*90 *91
嫂(ヨメ) 稚婦謂姒婦(オホヨメ)
私(ムコ)
*92)

*93) *94(ヒメヒ) *95
婦(ヨメ) 長婦謂娣婦
兄弟之妻相呼妯娌 兩壻相呼姫
私(ムコ)
*96)
○按ズルニ、親屬圖ハ、尚ホ禮式部服紀上篇ニ在リ、宜シク參照スベシ、

親類書

〔視聽草〕

〈十集八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0119 道富丈吉由緒書
本國阿蘭陀國あむすてるだむ
生國肥前國長崎 道富丈吉
一父 へんでれきとうふ
右とうふ儀は、阿蘭陀國之都あむすてるだむ住居、先へんでれきとうふ忰にて、父存生之内はゆにおると稱し、父死後之名を繼ぎ罷在候、〈○中略〉
親類書(○○○)
父方
一祖父 阿蘭陀國あむすてるだむ住居 〈先〉へんでれきとうふ〈死〉
一祖母 右同斷、あれんきさんでるね 〈すゑんき死娘〉まるがれつたねすしんぎ
一父 〈寛政十一未年始而渡來仕、翌申年再渡、以來在留仕、加美職相勤罷在候、〉 へんでれきとうふ
一母 長崎新橋町住居 〈土井德兵衞死娘〉よう
一伯母 阿蘭陀國あむすてるだむ住居 〈父とうふ姉〉ゐるれむやこふヘ〈ツテ〉妻
ゐるへるみいなどうふ
一同 右同斷 〈同〉へんやめんけいせるまん〈死〉妻 ゐるへるみいなどうふ
一同 右同斷 まるがれつたどうふ
〈母一所に罷在候〉
母方一祖父 新橋町ケ所持町人 土井德兵衞〈死〉
一祖母 野母村峯仁平死娘 すゑ
一伯父 同斷 土 井 瀧 藏
一伯母 新大工町住居 〈母よう妹作次郎妻〉こと
一從弟 〈土井瀧藏子〉 國太郎
一同 〈作次郎子〉 文次郎

〔德川禁令考〕

〈十九/呈書文格〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0120 文久二壬戌年七月八日
親類書用紙(○○○○○)〈幷〉書式(○○)ノ達
布衣以上之御役人〈幷〉三千石以上寄合之面々差出候親類書等、是迄老中支配之分者奉書ニ認、 若年寄支配之分者程村ニ認差出候處、向後ハ老中若年寄支配共、別冊之通美濃紙綴本ニ相認 可差出候、且又轉役等之節者、新規認直し差出候ニ不及、最前差出置候親類書相下ゲ、增減之 上進達致候樣可心得候、尤唯今迄差出置候分ハ、引替不及候、
右之趣、向々〈江〉可達候事、

祖先

〔伊呂波字類抄〕

〈於/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0120 祖〈オヤ〉

〔鹽尻〕

〈五十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0120 先祖子孫號名
始祖〈始立根基軌業之祖〉 先祖〈此代々自始祖之子高祖之父〉 高祖〈最高在上〉 曾祖〈權上祖轉增益也〉
大父 父 己

〔古事記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 此三柱綿津見神者、阿曇連等之祖神(○○)以伊都久神也、

〔古事記傳〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 祖神は意夜賀微(オヤガミ)と訓べし、凡て上代は父母に限らず、幾世にても遠祖までを通はして、皆たヾ意夜(オヤ)と云り、〈其證は古書にあまた見ゆ、父母は其意夜の中の一世なるが、有が中に近く親き故に、殊に其稱を専と負て、後には意夜といへば、たゞその父母のみの稱の如くなれりしなり、後世のならびを以テ古をな疑ひそ、〉故古書には祖字を意夜と訓て、親のことにも用ひたり、〈意富々々遲意富遲などは、事を分けて云ときの稱にて、すべては何れもみな意夜なり、〉書紀には遠祖上祖本祖始祖など書て、登富都意夜と訓り、是も古稱にて、万葉〈十八〉にも遠都神祖(トホツカムオヤ)などあり、されど此記には、何れも祖とのみありて、遠祖など書ること一も無れば、たヾ意夜と訓例なり、されば上代には、某姓の本祖と云をも、たヾ祖とぞ云けん、又子と云も己が生るに限ず、子々孫々までかけて云稱なり、

〔伊呂波字類抄〕

〈所/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 宗〈ソウ云祖主(○○○)也〉

〔令義解〕

〈九/喪葬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 凡三位以上、及別祖(○○)、氏宗(○○)、〈謂別祖者、別族之始祖也、氏宗者、氏中之宗長、即繼嗣令聽勅定是也、〉

〔日本書紀〕

〈二十五/孝德〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 大化二年八月癸酉、詔曰〈○中略〉遂使父子易姓、兄弟異宗(ヤカラ)、夫婦更互殊一レ名、一家五分六割、

〔新撰姓氏録〕

〈一/序〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121其元生則有三體、跡其群分則有三例、〈○中略〉古記、本系並録而載、或載古記而漏本系、或載本系古記、書曰同祖之後(○○○○)、宗氏古記雖遺漏、而立祖不繆、但事渉狐疑、書曰之後(○○)、所以辨遠近親疎、是爲三例也、

〔古史徴〕

〈一夏/開題記〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 新撰姓氏録の論〈○中略〉
此は上にも引る、路眞人出諡敏達皇子難波王也とある次に、守山眞人同祖難波王之後也とある類をいへり、〈其は同祖と云は、上に論へる如く慥なるかれ、之後と云は、下に辨ふ如く、狐疑に渉るを云例なればなり、〉此は守山眞人の祖は(○○○○○○○)、敏達天皇(○○○○)なることは、古記本系並に記し載せて慥なれど、宗を難波王(○○○○○)と爲たるは、古記にまれ本系にまれ、一方に見えて、一方には漏たる故に、疑なきにしも非ざれば、かく録されたるなり、〈○中 略〉
抑この録、文は約なれども、抄略したる本の傳はれるには非ず、元來の全き書なることは、各々姓々の下に録せる文と、上に引りし、桓武天皇紀十八年の詔命に、令始祖(○○)及別祖(○○)等名、勿枝流並繼嗣歴名、あるに熟く符るを以て知べし、

〔禮記註疏〕

〈四十六/祭法〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0122 祭法、有虞氏禘黄帝嚳、祖顓頊而宗堯、夏后氏亦禘黄帝而郊鯀、祖顓頊而宗禹、殷人禘嚳而郊冥、祖契而宗湯、周人禘嚳而郊稷、祖文王而宗武王、註、有郊祖宗門謂祭祀以配食也、此禘謂昊天於圜丘也、祭上帝於南郊郊、祭五帝五神於明堂祖宗、祖宗通言爾,下有禘郊祖宗、孝經曰、宗祀文王於明堂、以配上帝、明堂月令、春曰、其帝太昊、其神句芒、夏曰、其帝炎帝、其神祝融、中央曰、其帝黄帝、其神后土、秋曰、其帝少昊其神蓐収、冬曰、其帝顓頊、其神玄寘、有虞氏以上尚德、禘郊祖宗、配用有德者而已、自夏以下、稍用其姓氏之先後之次、有虞氏夏后氏宜郊、顓頊殷人以郊、契郊祭、而明堂祭五帝、小德配寡、大德配衆、亦禮之殺也、〈○註略〉疏、〈(中略)祖顓頊而宗堯者、謂祭五天帝五人帝及五人神於明堂、以顓頊及堯之、故云、祖顓頊而宗堯、祖始也、言爲道德之初、始故云祖也、宗尊也、以有德可一レ尊故云宗、其夏后氏以下禘郊祖宗其義亦然、〉

〔日本書紀〕

〈二/神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0122 一書曰、天照大神乃賜天津彦彦火瓊瓊杵尊八坂瓊曲玉、及八咫鏡、草薙劒三種寶物、又以中臣上祖(トホツオヤ/○○)天兒屋命、忌部上祖太玉命、猿女上祖天鈿女命、鏡作上祖石凝姥命、玉作上祖(○○)玉屋命、凡五部神使配侍焉、

〔日本書紀〕

〈三/神武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0122 天皇〈○中略〉及年四十五歳、謂諸兄及子等曰、昔我天神、高皇産靈尊、大日靈尊、擧此豐葦原瑞穗國、而授我天祖(アマツミオヤ/○○)彦火瓊瓊杵尊、〈○中略〉是年也甲寅、其年十月辛酉、天皇親帥諸皇子舟帥東征、至速吸之門、時有一漁人、乗艇而至、〈○中略〉乃特賜名爲椎根津彦、〈○註略〉此即倭直部始祖(○○)也、行至筑紫國菟狹、〈○註略〉是時勅以菟狹津媛妻之於侍臣天種子命、天種子命是中臣氏之遠祖(○○)也、

〔日本書紀〕

〈四/孝元〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0122 七年二月丁卯、立鬱色譴命皇后、后生二男一女、第一曰大彦命、〈○中略〉大彦命是阿倍 臣、瞻臣、阿閉臣、狹々城山君、筑紫國造、越國造、伊賀臣、凡七族之始祖(○○○○○)也、

〔日本書紀〕

〈十五/淸寧〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0123 二年十一月、依大嘗供奉之料、遣於播磨國司山部連先祖(○○)、伊與來目部小楯

〔續日本紀〕

〈九/聖武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0123 神龜元年三月辛巳、左大臣正二位長屋王等言、伏見二月四日勅、藤原夫人〈○聖武母后宮子娘〉天下皆稱大夫人者、〈○中略〉伏聽進止、詔曰、宜文則皇太夫人、語則大御祖(オホミオヤ/○○○)、追收先勅下後號

〔三代實録〕

〈十六/淸和〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0123 貞觀十一年十二月十四日丁酉、遣使者於伊勢大神宮幣、告文曰、〈○中略〉況掛〈毛〉畏〈岐〉皇太神〈波〉、我朝〈乃〉太祖(○○)〈止〉御座〈天〉、食國〈乃〉天下〈乎〉照賜〈比〉護賜〈利、○下略〉

〔諸例集〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0123 一高祖父之親〈幷〉曾祖父之兄弟等唱方之儀
初鹿(朱書)野河内守答
四月(朱書)〈○天保九年〉七日井伊掃部頭殿家來ゟ問合
一高祖父之親を高曾祖父と唱候儀も御座候哉、又者外に唱方も御座候哉、
高祖父之親者先祖(○○)と唱候事に候

出自

〔新撰姓氏録〕

〈一/序〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0123 枝別之宗特立之祖、書曰出自(○○)、〈○下略〉

〔訂正新撰姓氏録〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0123 姓氏録を校合たる大むね
一序に、三體三例といふことあり、三體は、神別、皇別、諸蕃にて、誰もよくしれることにて論なし、つぎに三例といふは、出自(○○)、同祖之後(○○○○)、之後(○○)と三ッにて、此三ッのしるしざまによしあること也、しかれども、今の姓氏録は、抄録の書たる故に、すべてのさまも、みだりがはしく、しどけなきさまのみしたれば、〈天皇の御事をしるせるに、實の大御名をしるせるかと思くば、ゆぐりなく後の御諡をしるせるたぐひ、みだりかはしきこといと〳〵おほし、〉此三例も、分明にはわかれがたき中に出自となるは、枝別之宗、特立之祖をいふとありて、三例の中にも、とりわきて祖事つまびらかに、正しき氏とみゆれば、皇別神別ともに之後などあるに比ては、出自とあるかたは、數もこよなくすくなきを、諸蕃にいたりて、かへりて出自としるせる が、いと〳〵多きは、いとうたがはしきことなるに、一本には、出自とあるは、いと〳〵まれにして、おほく之後とあり、此本よろしきに似たるが故に、今はしばらくそれによれり、之後とあるが、よろしきに似たるよしは、序に祖事陟狐疑、書曰之援といひ、所以辨遠近親疎、などいへるをもて、かた〳〵諸蕃によしあればなり、〈○中略〉
文化四年夏 安藝國人 源稻彦

〔古史徴〕

〈一夏/開題記〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0124 新撰姓氏録の論〈○中略〉
或古記本系並録載、而枝別之宗、特立之祖、書曰出自
古記とは、上文にいはゆる古記舊史をいひ、本系とは、いはゆる新進本系なり、並録載とは、古記 本系ともに、録し載せて、彼此よく符ひて紛亂なきをいふ、〈或字よリ以下九字、今本ともに、而字録載の間に在て、出自の下に記せるは錯亂れるなり、今は一古本に依て註しつ、〉さて遠都於夜(トオつオヤ)に祖と宗とを立ることは、元漢土の論にて、祖とは始祖(ハジメノオヤ)をいひ、宗とは其次に功德ありし於夜を云て、此二於夜を殊に重く祭る事あり、〈此事彼此の漢籍に見えて、彼方の學問する徒の、いみじき事に言さわぐ説どもあり、〉此録にも其號に傚ひて記されたり、斯て此の文は、打見たる儘にては一條に見ゆれど、熟く、見れば三例に見別つべく書れたり、〈かヽる文例、漢土の古文にも彼此あるを、皇國の古き漢文は、彼の古文に似て、かゝる文もをり〳〵交れるはいと珍らし、後世の漢學者流わづかに漢世あたりの文、また宋人の文法などを眞似び得て、殊更に佶屈なる語な綴り、其を古文辭と稱ひて猛き事に思ひ、皇國の古人の漢文を、いと拙き物にいふめれど、古にかゝる文の有とは得知らずぞ有ける、〉其は枝別之宗、特立之祖書曰出自と云を一例として、譬へば路眞人出諡敏達皇子難波王也とあるは、路眞人の家にては、敏達天皇は祖にて、難波王は宗なる故にかく録されたり、〈そは此次に守山眞人路眞人、同祖、難波王之後也とあるもて、敏達天皇を祖とし、難波王を宗とせること知べし、なほ此類は神別にも、藤原朝臣出津速魂命三世孫天兒屋根命也といひ、添縣主出津速魂命男武乳速命也と見えたるは、藤原の家にては津速魂命を祖とし、兒屋根命な宗とし、添縣主の家にては、津速魂命を祖とし、武乳速命を宗とする由なり、なほ皇別に、八多眞人出諡應神皇子稚野毛二俣王也、など此類おほく記されたり、さて今本に、諸蕃に此例なもて、牟佐村主出呉孫權男高也、など書るが多かれども、此にもと呉孫權男高之後也と有しを、後人の思ふ旨ありて、之後字を削りて、出自と書る本の傳はれると所思たり、其由下文の下に註を 見て辨ふべし〉、また特立之祖書曰出自を一例として、譬へば大和國地祇に、國栖出石穗押別命也と書れたる類は、此命より前の祖の名傳はらず、また宗と立べき於夜の名も傳はらざる故に、特この命をのみ祖に立たるを云へり、〈但し此例は然しも多からねど、皇別にも諸蕃にも彼此あり、心を著て見るべし、〉また枝別之宗書曰出自と云を一例として、譬へば大和國の天孫に、大角隼人出火闌降命也と書れたるは、日子番能邇々藝命の御末は、皇統と火闌降命の末とに別れたるを、大角隼人の家に取ては、邇々藝命は祖にして、火闌降命は宗なり、然るに祖を記し出す、宗を擧たるを云へり、

〔諸例集〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0125 庶流と唱候儀ニ付評議申上
文化十四丑年十二月七日御目付荒川常次郎差出廻し、十一月七日紀伊守殿吉十郎を以御下ゲ了簡書相添、同十一日同人を以上ル、

交替寄合松平彈正儀、松平因幡守庶流と書出候得共、御三家庶流之外、庶流と唱候儀有之候哉、取調可申聞候事、
紀伊守殿〈十一月十一日、吉十郎を以上ル、十二月同人を以御下ゲ承付、即日返上、〉
〈書面庶流唱之儀、先是迄之通被取据置候段、無急度御沙汰之旨承知仕候、〉
御書面庶流と申儀取調候處、御三家庶流ニ限リ相唱候旨、申規定仕候書留者無御座候得共、都而御書付等ニ御三家ニ限リ庶流と有之候間、當時ニ而者、一席之名目之樣ニ相成候、且松平因幡守松平彈正家之儀者、爾家共元祖池田家より出候家(○○○○○○○○○○○○○)ニ而、因幡守元祖衞門督忠繼者、池田輝政次第權現樣御孫ニ而、五才之時、備前國を被下置、其後因幡伯耆を引替被下置候、彈正元祖石見守輝濟儀者、輝政四男ニ而、是又權現樣御孫ニ而、拾貮才之時、播州宍粟郡三万八千石被下置、其後同國佐用郡三万石を加、六万八千石被下置候處、家來騒動之儀ニ付、領地被召上、同國神崎郡之内壹万 石被下置、石見守輝濟、其子政直共、松平相模守〈江〉御預ケ相成有之候處、松平新太郎光政、松平相模守御願ニ付、輝濟子能登守政直〈江〉播州神崎郡印南郡之内壹萬石被下置召出候處、能登守政直死去之節、實子無之候ニ付、松平新太郎光政、松平相模守光仲願ニ付、政直遺領壹万石を相分ち、弟兩人、久馬助政武〈江〉七千石、勝左衞門政濟〈江〉三千石被下置候而、久馬助政武儀者、家督之儀ニ付、松平之御稱號相名乗、勝左衞門政濟者、分知之儀故、池田苗字相名乗候樣被仰婆候趣、寛永系圖〈幷〉松平彈正系譜ニ相見申候、左候得者、彈正儀、因幡守同家ニ而、分家分地など申候類ニ者無之候得共、乍然其家々之申合ニ而、庶流抔相唱取扱候儀も可之哉ニ候間、其家ニ限リ相唱候儀者、格別之事、前書之通、庶流と申儀、御三家庶流ニ限リ、一席之名目之樣相成來候間、諸家ニ而相用候ハヾ、混雜可仕儀も可之奉存候間、以來對公邊候事ニ者、庶流と唱候儀者無用ニ仕候樣被仰渡然奉存候、大目付〈幷〉同役一同評議仕候處、書面之通御座候、則被御下ゲ候、御書面返上仕、此段申上候、以上、
十一月 荒川常次郎

高祖父母

〔新撰字鏡〕

〈親族〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 高祖(○○)〈加彌於保地(○○○○○)〉

〔倭名類聚抄〕

〈二/父母〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 高祖父 爾雅云、曾祖王父之考爲高祖王父、日本紀上祖、〈和名止保豆於夜(○○○○○)〉文字集略云、五世祖也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/父母〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126引釋親文、下皆同、那波本曾祖下高祖下並有王字、與原書合、蓋那波本校補非源君之舊、丘https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00220.gif 大學衍義補今稱高祖父高祖母居、釋名、高祖、高皐也、最在上皐韜諸下也、上祖見神代紀上、按止保豆於夜、遠祖也、古謂父母於夜、謂祖先亦曰於夜、故上祖日止保豆於夜也、然上祖即遠祖、非高祖父、源君引之非是、新撰字鏡、高祖訓加美於保知、簾中抄謂之於保川於保知

〔伊呂波字類抄〕

〈止/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 高祖父〈トヲツオヤ 文字集略云、五世祖也、曾祖父母之父母也、〉

〔日本後紀〕

〈八/桓武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 延暦十八年二月乙未、贈正三位行民部卿兼造宮大夫美作備前國造和氣朝臣淸麻呂薨〈○中略〉高祖父(○○○)佐波良、曾祖父波伎豆、祖宿奈、父乎麻呂墳墓、在本郷者、拱樹成林、淸麻呂投竄之日、爲人所伐除、〈○下略〉

〔倭名類聚抄〕

〈二/父母〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 高祖母 爾雅云、曾祖王父之妣爲高祖王母

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/父母〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 那波本、曾祖下、高祖下、並有王字、蓋依原書校補也、類聚名義抄高祖母訓止保川於八、恐非是、按簾中抄、謂高祖父母於保川於保知无波、无波於波之轉、然則此可於保川於波

〔釋親考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 曾祖王父之考爲高祖王父(/ヒヒオホヂ)、曾祖王父之妣爲高祖王母(/ヒヒオホバ)、 郭氏曰、高者、言最在一レ上、丘氏曰、今稱高祖父高祖母、會典、即太太公婆(/ヒヒヂイヒヒバヽ)、

〔諸例集〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 柳生播磨守答
父之高祖父母玄孫之子唱名目者無御座、書面等に相認め候節者、父之高祖父母誰玄孫之子誰よりと相認候事御座候哉、
書面、父之高祖父母者先祖誰よりと相認、其外書面にて可然存候、

曾祖父母

〔新撰字鏡〕

〈親族〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 曾祖(○○)〈於保於保地(○○○○○)〉

〔倭名類聚抄〕

〈二/父母〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 曾祖父 爾雅云、王父之考爲曾祖王父、〈和名於保於保知〉文字集略云、曾重、四世祖也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/父母〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 新撰字鏡曾祖同訓、喪葬令集解、曾祖父母、俗云於保知也、疑傳寫脱一於字也、按於保於保知、大祖父之義、曾祖父者父之祖父、故曰大祖父、今俗呼比治々、〈○中略〉郭璞曰、曾猶重也、與此義同、釋名、曾祖從下推上、祖位轉增益也、按説文、曾、詞之舒也、借爲曾益曾重義也、

〔伊呂波字類抄〕

〈於/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 曾祖父〈オホオホチ 祖父之父也、文字集略云、四世祖也〉

〔釋親考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 王父之考爲曾祖王父(/ヒオホチ)、王父之妣爲曾祖王母(/ヒオホバ)、 郭氏曰、曾猶重也、丘氏曰、今稱曾祖父曾祖母居、會典、即太公太婆(/ヒヂイヒバヽ)、

〔令集解〕

〈四十/喪葬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0128 古記云、釋親云、王父之考爲曾祖王父、王父之妣爲曾祖王母、案祖父母之父母、曰曾祖父母、自我三繼祖父母也、俗云、於保保知也、

〔三代實録〕

〈三/淸和〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0128 貞觀元年十月廿三日乙巳、尚侍從三位廣井女王薨、廣井者、二品長親王之後也、曾祖(○○)二世從四位上長田王、祖從五位上廣川王、父從五位上雄河王、〈○下略〉

〔三代實録〕

〈五/淸和〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0128 貞觀三年二月廿九日癸酉、參議從四位上行太宰大貮淸原眞人岑成卒、岑成左京人、贈一品舎人親王之後也、曾祖二世(○○○○)從四位上守部王、祖從五位下猪名王、父无位弟村王、岑成是弟村之子也、

〔日本紀神代抄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0128 後成恩寺殿〈〇一條兼良〉ハ曾祖父兼敦ニ御相傳也、其御作ノ纂疏ニハ、口傳相承ヲバ一モ載ラレズ、尤深切也、

〔袋草紙〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0128 平野御歌
しらかべのみかどのおやのおほぢこそひらのヽ神のこヽろなりけれ
今案、白壁ハ光仁天皇也、其曾祖父ハ舒明天皇、其曾祖父ハ欽明天皇也、是平野明神云々、

〔諸例集〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0128 曾祖父養祖父養父當人譯合有之續問合
初鹿(朱書)野河内守挨拶
牧野備後守ゟ問合
曾祖父
養祖父 部屋住ニ而相勤候内病死
養父 嫡孫承祖ニ相成 當人
右曾祖父者、養祖父ニ相當リ候哉之事、
書面、養父嫡孫承祖ニ而も、養父之父者祖父ニ付、其父者其身之爲、曾祖父ニ而候、

〔倭名類聚抄〕

〈二/父母〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 曾祖母(○○○) 爾雅云、王父之妣爲曾祖王母、〈和名於保於波(○○○○)〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/父母〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 按於保於波、大祖母之義、今俗呼比婆々

〔伊呂波字類抄〕

〈於/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 曾祖母〈オホウハ祖母之母也〉

祖父母

〔倭名類聚抄〕

〈二/父母〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 祖父(○○) 爾雅云、父之考爲王父、九族圖云、祖父、〈於知保(○○○)〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/父母〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 現在書目録、載喪服九族圖一卷、源君所引蓋是、祖父母、見儀禮喪服、釋名、祖祚也、祚物先也、又謂之王父、王https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00221.gif 也、家中所https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00221.gif 也、王母亦如之、按説文、祖、始廟也、以爲父祖之祖、轉注也、令集解同訓、新撰字鏡、阿父訓於地、古本訓於保知、阿父恐有誤字、按於保知、大父之急呼、祖父者父之父、故曰大父也、於地又急呼於保地者、今俗呼治々

〔伊呂波字類抄〕

〈於/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 祖父〈オホチ父之父也〉

〔同〕

〈遠/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 〈ヲヽチ父ノチヽ也〉

〔倭訓栞〕

〈中編三十/於〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 おやのおや 祖父をいふ

〔倭訓栞〕

〈前編四十五/於〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 おほぢ 祖父をよめり、和名抄にみゆ、大父の義なり、大父は漢張良傳に見えたり、神代紀に祖神もよめり、曾祖父をおほ〳〵ぢ、外祖父を母方のおほぢとよめり、爾雅に、父之考爲王父、父之妣爲王母と見ゆ、東王父西王母の稱も是よりや出たりけん、

〔繹親考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 父之考爲王父(オホヂ)、父之妣爲王母(オホバ)、祖王父也、
郭氏曰、如王者之、丘氏曰、今稱祖父祖母、大明會典曰、即公婆(ヂイバヽ)、〈○中略〉
胤按、左氏曰、以王父字氏古者多以祖稱王父、又曰大父、漢書大父行、是也、意者曰祖者、自廟而言 之、曰王父者、就其人而稱之爾、至後世、則以祖稱其人、而言王父者甚少、且祖字从示、又廟有功曰祖、有德曰宗、則義之所本可知矣、猶父廟稱一レ禰也、此義字書未發、

〔源氏物語〕

〈十八/松風〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130 むかし、はヽ君〈○明石姫君母明石上〉の御おほぢ(○○○)中務の宮ときこえけるが、らうじ給ひける所、大ゐ河のわたりにありけるを、その御のち、はか〴〵しうあひつぐ人もなくて、としごろあれまどふを思いでヽ、かの時よりつたはりてやどもりのやうにて、ある人をよびとりてかたらふ、

〔後拾遺和歌集〕

〈二十/神祇〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130 長元四年六月十七日伊勢のいつき内宮にまいりて侍けるに〈○中略〉
御和奉りける 祭主輔親
おほぢちむまごすけちかみよまでにいたヾまつるすべらおほんかみ

〔倭名類聚抄〕

〈二/父母〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130 祖母(○○) 爾雅云、父之妣爲王母、九族圖云、祖母〈母波(○○)〉孫炎曰、人之尊祖若天王、故王父王母也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/父母〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130 新撰字鏡阿婆同訓、下總本作於保波、與伊呂波字類抄合、令集解亦云於保婆、按於保波、大母之急呼、於波又於保波之急呼、則有保字、無保字兩通、然曾祖母訓於保於波、外祖母訓母方乃於波、則似源君訓祖母於波、今俗呼婆々、〈○中略〉魏孫炎爾雅注八卷、見隋書、今無傳本

〔伊呂波字類抄〕

〈於/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130 祖母〈オホハ父之母也、〉

〔同〕

〈宇/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130 祖母〈ウハ〉

〔倭訓栞〕

〈前編四/宇〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130 うば 祖母又嫗又姥をよめり、うとおと通ず、今は乳母をしかいへり、

〔拾遺和歌集〕

〈九/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130 源重之が母の近江のこふに侍けるに、むまごのあづまよりよるのぼりて、いそぐ 事はべりて、えこのたびあはでのぼりぬることヽいひて侍ければ、おばの女のよみ侍ける、おやのおやと思はましかばとひてましわが子のこにはあらぬなるべし

外祖父母

〔新撰字鏡〕

〈親族〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130 外祖父(○○○)波々加太乃於保地

〔倭名類聚抄〕

〈二/父母〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130 外祖父 爾雅云、母之考爲外王父〈母方乃於保知(○○○○○○)〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/父母〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0131 新撰字鏡、令集解、外祖父同訓、〈○中略〉外祖父見儀禮喪服、〈○中略〉按説文、外遠也、卜尚平旦、今夕卜、於事外矣、轉爲内之稱、宗族在内、母黨在外、故云外以別之、

〔伊呂波字類抄〕

〈波/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0131 外祖父〈母方ヲホチ〉

〔令集解〕

〈四十/喪葬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0131 古記云、釋親云、母之考爲外王父、母之妣爲外王母、案生母之身曰外祖父母也、俗云母方於保遲於保波也矣、

〔續日本紀〕

〈九/聖武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0131 神龜元年十月壬寅、忍海手人大海等兄弟六人除手人名、從外祖父外從五位上津守連通姓

〔續日本後紀〕

〈一/仁明〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0131 天長十年三月乙卯、詔曰、〈○中略〉朕外祖父從三位橘朝臣疏基顯族、驤首高衢、外祖母從三位田ロ氏敏彩芝田、騰芳蕙圃、但屬運謝、巳從閲川、朕以菲薄丕承洪業、〈○中略〉宜外祖父及外祖母並追贈正一位也、

〔文德實録〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0131 嘉祥三年四月己酉、太宰帥三品葛井親王薨、親王桓武天皇第十二子也、母大納言贈正二位坂上大宿禰田村麻呂之女、從四位下春子也、〈○中略〉嵯峨天皇御豐樂院、以觀射禮、畢後、勅諸親王及群臣、各以次射.親王時年十二、天皇戯語親王曰、弟雖少弱、當弓矢、親王應詔而起、再發再中、時外祖父田村麻呂亦侍坐、驚動喜躍、不自已、即便起座、抱親王而舞、

〔大鏡〕

〈七/太政大臣道長〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0131 この道長大臣は、今入道殿下これにおはします、一條院三條院のをぢ、當代〈○後一條〉東宮〈○後朱雀〉の御おほぢ(○○○)におはします、
○按ズルニ、一條天皇ノ御母詮子、三條天皇ノ御母超子ハ、並ニ兼家ノ女ニシテ、道長ノ妹ナリ、 故ニ道長ハ其伯父ニ當ル、又後一條天皇及ビ後朱雀天皇ノ御母ハ、道長ノ女彰子ナリ、故ニ道 長ハ其外祖父ニ當ルナリ、

〔新撰字鏡〕

〈親族〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0131 外祖母(○○○)〈(母字原无、意補)母方乃波々〉

〔倭名類聚抄〕

〈二/父母〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0132 外祖母 爾雅云、母之妣爲外王母、〈母方乃於波(○○○○○)〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/父母〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0132 令集解訓外祖母、爲母方於保波、按於波、於保波兩通、詳於祖母條、新撰字鏡、外祖母母方乃波々、恐母方乃於波之誤、外祖母、見儀禮喪服、禮記檀弓下

〔伊呂波字類抄〕

〈宇/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0132 外祖母〈ウハ(○○)、母方、〉

〔續日本紀〕

〈十二/聖武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0132 天平七年十一月己未、正四位上賀茂朝臣比賣卒、勅以散位葬儀之、天皇之外祖母也、

〔三代實録〕

〈二十/淸和〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0132 貞觀十三年十月五日丁未、天皇服錫紵、〈○中略〉是時、天皇爲祖母太皇太后、〈○仁明后藤原順子〉喪服有疑未決、於是、令諸儒議一レ之、從五位上行大學博士兼越前權介菅野朝臣佐世、從五位下行助敎善淵朝臣永貞等議云、儀禮喪服經、齊衰不杖、期章祖父母(○○○)、傳曰、何以期、至尊也、〈○中略〉祖母服制如此、春秋之義、天子之位至尊、万機之政至大、故三年之喪、既葬卒哭、除喪即告、依此言之、天子於父母尚爾、況祖母乎、然則葬後除喪、即吉、可杜之説

〔源氏物語〕

〈一/桐壺〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0132 かの御おば(○○)〈○源氏君外祖母〉北のかた、なぐさむかたなくおぼししづみて、おはすらん所にだに、たづねゆかんとねがひ給ししるしにや、つひにうせ給ぬれば、またこれをかなしびおぼすことかぎりなし、

〔台記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0132 久安三年九月六日丁卯、入夜向外祖母尼公家、問疾之病、余〈○藤原賴長〉大哭、祖母亦哭、涙不落、〈俗人以之爲死相、未出、〉

〔釋親考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0132 母與妻之黨爲兄弟、母之考爲外王父(/ハヽカタノオホヂ)、母之妣爲外王母(/ハヽカタノオホバ)
郭氏曰、異姓故言外、丘氏曰、今稱外祖父母、會典、即外公外婆、通鑑梁簡文紀、刑及外族、胡三省曰、男子謂舅家外家、婦人謂父母之家外家、外族、外家之(/ハヽカタノモン)族也、
母之王考爲外曾王父(/ハヽカタノヒオホバ)、母之王妣爲外曾王母(/ハヽカタノヒオホジ)、 胤按、今稱外曾祖父母

〔伊呂波字類抄〕

〈於/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0133 親オヤ

〔日本書紀〕

〈十/應神〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0133 二十二年三月丁酉、登高臺而遠望、時妃兄媛侍之、望西以大歎、〈○中略〉爰天皇愛兄媛篤温淸之情、則謂之曰、爾不二親(○○)、既經多年、還欲定省、於理灼然、則聽之、

〔萬葉集〕

〈三/雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0133 山部宿禰赤人歌六首
美沙居(ミサゴイル)、石轉爾生(イソワニオフル)、名乗藻乃(ナノリソノ)、名者告志氐余(ナハノラシテヨ)、親者知友(オヤハシルトモ)、

〔枕草子〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0133 むねつぶるヽ物
おやなどの心ちあしうして、れいならぬけしきなる、まして世の中などさわがしき比、よろづの事おぼえず、

〔松屋筆記〕

〈九十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0133 親代(オヤシロ)
源平盛衰記廿卷〈十六丁ウ〉石橋合戰條に、家安親代(○○)ト成テ、夜ハ胸ニカヽへ奉テ通夜勞ハリ、晝ハ肩ニノセ終日ニ奉育云々、按に母代といふも似たる事なるべし、こは佐奈田與一を郎等文三家安が、はごくみそだてしよしをいへる所なり、

〔貞丈雜記〕

〈十五/言語〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0133 父の事を、昔の人は、おやじや人、又おやじやものと云ひ、母の事を母じや人といひ、兄の事を兄じや人などヽいひしなり、今の世の人、父の事をおやじと云ふは、おやじや人と云ふ事を略して、おやじと云ふなり、

〔倭訓栞〕

〈前編四十五/於〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0133 おや 日本紀、續紀、宣命などに見ゆ、祖字をよむは遠祖(トホツオヤ)までを通はしいふ、又親字をよめり、老の義也、源氏にものヽおやはじめのおやなどいへるは祖の義也、古事記に、母の事も祖とも云り、母をおやとよみしは、萬葉集に見えたり、阿爺の字、禪録に見えたり、伊勢物語眞名本に、母字おやとよめれど、必はヽとよむべし、されど萬葉集には、母を多くおやとよめり、我國 の風、兩親の肉多く母に就は、親しみを主とする也、

〔一話一言〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0134 或書の中〈題號不見〉
人の親を、おやじ.おやぢいなどいふは、いかなることにや侍らん、傾城屋の亭主をおやぢといふよしきヽ侍るが、もしそれよりおこれることか、何さまよろしさうなることヽは聞えず、

〔大和物語〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0134 つヽみの中納言の君〈○藤原兼輔〉十三のみこの母御息所を内に奉りけるはじめに、御かど〈○醐醍〉は、いかヾおぼしめすらんなど、いとかしこく思なげき給けり、さてみかどによみてたてまつり給ける、
ひとのおやのこヽろはやみにあらねども子をおもふみちにまどひぬるかな〈○此歌又見後撰和歌集、兼輔集、〉先帝いと哀に思し召たりけり、御返しはありけれど人えしらず、

〔妙法寺記〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0134 天文十五、此年、信州佐久郡シカ殿城ヲ、甲州ノ人數、信州人數、悉談合被成候而、取懸被食候、去程、シカ殿モ隨分ノ兵共ヲ御持候、又常州ノモロオヤ(○○○○)ニテ御座候高田方、シカ殿ヲ見繼候而城ヲ守リ被食候、

父/母

〔新撰字鏡〕

〈親族〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0134 阿孃〈波々(○○)〉

〔倭名類聚抄〕

〈二/父母〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0134 父母 孝經云、身體髪膚受于父母、父〈加曾(○○)〉母〈伊呂波(○○○)〉俗云、父〈和名知々(○○○○)〉母〈波々(○○)〉爾雅云、父爲考〈好反〉母爲妣、〈匹履反〉集注舎人曰、生稱父母、死時稱考妣、又云、惠公者何隠之考也、仲子者何桓之母也、明非死生之異稱矣、云阿耶〈知々〉阿https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00226.gif 〈波々〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/父母〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0134引古文開宗明誼章文、〈○中略〉説文、父矩也、家長率敎者、从又擧一レ杖、自虎通、父者矩也、以注度子也、廣雅、父榘也、榘與矩同、釋名、父甫也、始生己也、易有子考咎、書事厥考厥長、接説文、考老也、以爲父之稱者、轉注也、〈○中略〉本居氏曰、知男子尊稱、宇摩志阿斯訶備比古遲神.又謂八千戈神火遠理神、稱比古遲、應神天皇時國栖人歌、謂天皇麻呂賀知、皆是也、故以爲父稱也、父 訓加曾、見神代紀、其他尚多、又仁賢紀有人名鹿父、本注俗呼父爲柯曾、〈○中略〉按呼父母知々波々、見萬葉集及佛足石歌、蓋古今通稱也、廣本以爲俗語、非是、阿耶又見新撰字鏡古本、〈○中略〉説文、母收也、从女象子形、一曰象乳子也、廣雅亦云、母收也、釋名、母冐也、含生己也、母訓以路波、見神代紀、其他尚多、按以路波謂生母也、以路是親昵之義、波即波々之急呼、以別嫡母庶母繼母之稱、猶同母兄弟姉妹、稱以路禰以路登、以路勢以路毛、以別異母兄弟姉妹也、泛訓母字以路波是、〈○中略〉經典釋文云、爾雅犍爲文學注三卷、一云、犍爲郡文學卒史臣舎人、漢武帝時待詔、今無傳本、〈○中略〉按禮記曲禮云、生曰父曰母、死曰考曰妣、舎人蓋本之、〈○中略〉按尚書謂生者考妣、爾雅又云、父之考爲王父、父之妣爲王母、方言云、南楚瀑洭之間、謂婦妣、稱婦考父姼、皆謂生者考妣、故郭璞以爲死生之異稱、然漢儒多據曲禮説、故説文、妣歿母也、釋名、父死曰考、母死曰妣、舎人以爲別稱、亦是也、蓋或渾言、或析言、皆通也、阿孃又見新撰字鏡、按木蘭詩云、旦辭爺孃去、暮宿黄河邊、爺孃之名、出於此、木蘭詩又云、阿爺無大兒、木蘭無長兄、呼父爲阿爺、故呼母亦爲阿孃也、

〔伊呂波字類抄〕

〈知/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0135 父〈チヽ〉

〔同〕

〈波/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0135 母〈ハヽ生母〉

〔東雅〕

〈五/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0135 父チヽ 母ハヽ 上世には、父をオヤといひ、母をオモといふ、〈舊事紀、日本紀等に、母の字讀てオモといひけり、百濟の方言にも、母もオモと云ひけり、今も朝鮮の俗、母をオモと云ふは、古の遺言也、我國の語、彼國に傳へしか、又彼國の語の、我国に傳りしか、凡て詳ならず、〉古俗また父をカゾといひ、母をばイロハといひ、又父ヲテヽとも云ひけり、〈日本紀の仁賢天皇紀に、俗呼父爲柯尊と註せられたり、また家母をイロハといふも、即母の義に取りしなり、テヽ萬葉集に見ゆ、抄にはチゝといひ、テヽといふは、轉語なりと見えたり、近き俗、父を卜ヽといひ、母をカヽといふが如きも、また其語の轉ぜしなり、〉亦俗に、父母をすべ稱して、タラチメとも、タラチネとも云ひ、また父をタラチヲといひ、母をタラチメとも、タラチネノハヽともいひけり、其義の如きは並に不詳、〈萬葉集には帶乳根(タラチネ)とも、足常などともしるしたり、〉上古の時オヤといひしは、父にのみも限らざりしと見えて、舊事記に御祖としるされ、ミオヤと云ひしは、祖神の御事也、日本紀には、皇祖皇考の字引合て、ミオヤとは讀みしなり、俗には祖父母をば、オヤ ノオヤなどいひ繼父母をばマヽと云ひけり、眞間の字を用ゆる也、誠には隔てある事を云ひしなるべし、庶母をもマヽと云ひし事、日本紀に見えたり、

〔物類稱呼〕

〈一/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0136 父ちヽ 大和にてあんのうと稱す、播磨邊より西國にててヽらと云、長崎にてちやんと云、肥前佐賀にて別當といふ、越前にてのヽといふ、父をてヽと稱し、とヽを呼ぶは、諸國の通稱也、萬葉及宇治、拾遺等に、てヽと見えたり、とヽは稗文に、<ruby><rb>爹爹</rt></ruby>とヽ</rb><rt>と書侍るもあれど、てヽといひ、とヽといふは、父の轉語なるべし、又上總にて、祖母を崇めてのヽと稱し、越前にて、父をのヽと呼は、極老の剃髪せしなどを、のヽといひならはしたる物ならん、小兒に對して、如來を如々と略語し、如々轉じてのヽとなりたる物か、但し古代よりの詞なる歟しらず、
母はヽ 西國にてかヽといふ、長崎にてあひいと云、〈阿妣なるべしと云説あり〉肥の佐賀にてはあうぼうと云、〈阿母といふの轉語にや〉出羽にてだヾといふ、
山崎垂加翁云、俗人の母を稱して、袋といふは、胞胎の義によると云々、又母といひ、かヽといふは諸國の通稱歟、京にて兒童はハワサンと呼び、年長じては、母者人と稱す、東國にてはかヽさんといふ、〈○中略〉父といひ、母とよぶは、もとより通稱にして、それより轉じたる詞も、國々多かるべし、

〔續日本紀〕

〈二十六/稱德〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0136 天平神護元年十一月辛巳、詔曰、必人〈方〉父〈我可多〉母〈我可多能〉親在〈天〉成物〈仁〉在、然王〈多知止〉藤原朝臣等〈止方〉朕親〈仁〉、在〈我〉故〈仁〉、黑紀白紀〈乃〉御酒賜御手物賜〈方久止〉宣、

〔萬葉集〕

〈二十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0136 天平勝寶七歳乙未二月、相替遣筑紫諸國防人等歌、
知知波波母(チヽハヽモ)、波奈爾母我毛夜(ハナニモガモヤ)、久佐麻久良(クサマクラ)、多妣波由久等母(タビハユクトモ)、佐々己氐由加牟(サヽゴテユカム)、
右一首、佐野郡丈部黑當、

〔萬葉集〕

〈三/雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0136 山上臣憶良罷宴歌一首 憶良等者(オクラヽハ)、今者將罷(イマハマカラム)、子將哭(コナクラム)、其彼母毛(ソノカノハヽモ)、吾乎將待曾(ワヲマツラムゾ)、

〔拾遺和歌集〕

〈八/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0137 菅原の大臣冠し侍りける夜、はヽのよみ侍りける、
久かたの月の桂もをるばかり家の風をもふかせてしがな
○按ズルニ、菅公ハ貞觀元年ニ年十五歳ニシテ冠ス、四年ニ試ラレテ及第文章生ニ補スル由、 公卿補任ニ見ユ、母氏ハ伴氏、貞觀十四年正月十四日ニ卒スト文草ニ見ユ、月桂ヲ折トハ及第 ノ故事ナリ、

〔沙石集〕

〈三下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0137 小兒之忠言事
南都ニ戒律僧世間ニナリテ、子息アマタアリケル中ニ、コトニイトヲシクスル子五歳ノ時、知タル上人兩三人彼房ニユキテ、物語スル次デニ、此子チヽガヒザノ上ニイタルヲ、キヤツハ不覺ノ者ニテ候、コレ程ニ成候テ、父トハ都テ寢候ハデ、母トノミフセリ候トイフ時、コノ子父ガヒザヲツイタチテ内へ入ザマニ、父ハ我ヲバ母トヌルトイヘドモ、父モマタ母トハヌルメルハト云、實ニサモト覺テヲカシク、イタイケシタリシ由語侍キ、

〔松屋筆記〕

〈六十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0137 嫁母(○○)
嫁母は、父死後他人に嫁せる母をいふ也、通鑑綱目冊三の卷〈百六十一丁ウ〉に、嫁母謂父卒母嫁と見ゆ、

〔諸家系圖纂〕

〈十二/伊勢〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0137
貞繼〈十郎、勘解由左衞門、伊勢守、政所、殿中總奉行、御厩別當、從尊氏公義滿公迄、大父(●○)ト號ス、廣福寺法名昭禪、道號友峯、壽八十三、明德二年、〉 貞信〈義滿公於貞信宅御誕生云々、七郎左衞門尉、伊勢守、賴繼之實子也、諸職同前、又號大父(ヲホチヽ)、思恩院、道號松洲、法名常眞、應永八年六十七歳、〉 貞行〈兵庫助、尾張守、伊勢守、貞繼之弟也、代々殿中總奉行諸職同前、義持公御代、又號大父(●○)知光院、道號心岩、法名常誠、應永十七、五十三歳〉 貞經〈勘解由左衞門、伊勢守、十郎貞國之兄也、背上意吉野山、法名勢元、永享四、〉 貞國〈備中守、伊勢守、兵庫 助、從四位上、諸職同前、義敎公御代三年目ヨリ號大父(○○)、深心院道號悦堂、又常慶、法名常隆、又眞蓮、〉

考妣

〔伊呂波字類抄〕

〈知/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0138 考〈先ニ死曰考〉

〔同〕

〈波/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0138 妣〈ハヽ、死母曰妣、〉

〔釋親考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0138 父(/チヽ)爲考、母(/ハヽ)爲妣、〈○中略〉
胤按、父母考妣、生死異稱、傳習已久、禮傳所説、似必廢、如天子稱一レ朕、古者上下通稱、至秦始皇、專屬天子、父母考妣之異稱、意亦古者生死互言、而後世始分別歟、今須禮記之説、其爺娘等稱、乃方俗郷談耳、不必考究

〔日本書紀〕

〈三/神武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0138 戊午年六月丁巳、越狹野熊野神邑、且登天磐盾、仍引軍漸進、海中卒遇暴風、皇舟漂蕩、時稻飯命乃歎曰、嵯乎、吾祖則天神(○○○○○)、母則海神(○○○○)、如何厄我於陸、復厄我於海乎、

〔日本書紀〕

〈二十四/皇極〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0138 二年九月丁亥、吉備島皇祖母(スメミオヤ)命〈○皇極天皇生母〉薨、 癸巳、詔土師娑婆連猪手、視皇祖母喪、天皇自皇祖母命臥病、及喪、不床側、視養無倦、

〔續日本紀〕

〈九/聖武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0138 神龜元年二月甲午、受禪即位於大極殿、大赦天下、詔曰、〈○中略〉美麻斯親王〈乃〉齢〈乃〉弱〈爾〉、荷重〈波〉不堪〈自加止〉所念坐而、皇祖母坐〈志志〉、掛畏〈岐〉我皇天皇〈爾〉授奉〈岐、○下略〉

〔歴朝詔詞解〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0138 皇祖母は淤保美淤夜(オホミオヤ)と訓べし、文武天皇の大御母命のよしにて、元明天皇を申せる也、そも〳〵御母を皇祖母と申ては、祖字いかヾなれば、是は聖武天皇の御祖母(ミオバ)のよしならむと、思ふ人あるべかめれど、然にはあらず、まづ古は凡て、母を御祖(ミオヤ)といへること、古事記などに多く見え近くは下鴨を御祖神と申すなども、上鴨別雷神の御母に坐が故也、又此紀の此卷の詔に、天皇の大御母藤原夫人を、宜文則皇大夫人、語則大御祖云々とある、これにて大御祖と申すは、大御母なること、いよ〳〵明らけし、さてそれに母字を添て書事は、皇祖とのみにては、皇神祖(スメロギ)と混ふ故に、御母なることを知らさむため也、その例は、皇極紀に、吉備島皇祖母(ミオヤ)命と あるも、天皇の御母吉備姫王の御事也、又孝德紀にところ〴〵、皇祖母尊と有は、皇極天皇の御事にて、皇太子中大兄の御母にて、天皇の御姉に坐を、大御母と崇奉り給へる也、これら皆御祖母(ミオバ)にはましまさず、御母也、此事は、玉勝間の山菅の卷にもいへり、すべてよのつねの文字づかひにのみめなれて、古書にうとき人は、思ひまがへて誤ること、此類多きぞかし、

〔續日本紀〕

〈十/聖武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0139 天平元年八月壬午、喚入五位及諸司長官于内裏、而知太政官事一品舎人親王宣勅曰、〈○中略〉現神大八洲國所知倭根子天皇我王祖母天皇(ワガオホギミミオヤスメラミコト)〈乃〉、始此皇后〈乎〉朕賜日〈爾〉勅〈豆良久、○下略〉

〔歴朝詔詞解〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0139 祖母(ミオヤ)は、御母のよし也、挂畏〈支〉よりこれまで一つヾきにて、元正天皇を申給ふ也、祖母の文字に就ては、元明天皇の如くなれども然にはあらず、祖母と書て、美於夜(ミオヤ)と訓こと、第五詔〈○神龜元年二月甲午詔〉の下にいへるが如し、元正天皇は、實の大御母命にはましまさヾれども、其御禪(ミユヅリ)を受嗣坐れば、御母とは申給ふなり、

タラチネ

〔萬葉集〕

〈十一/古今相聞往來歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0139 正述心緒
足千根乃(タラチネノ)、母爾不所知(ハヽニシラエズ)、吾持留(ワガモテル)、心者吉惠(コヽロハヨシエ)、君之隨意(キミガマニ〳〵)、垂乳根乃(タラチネノ)、母白者(ハヽニマヲサバ)、公毛余毛(キミモアレモ)、相鳥羽梨丹(アフトハナシニ)、年可經(トシハヘヌベシ)、

〔冠辭考〕

〈五/多〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0139 たらちねの はゝ
万葉卷三に、帶乳根乃(タラチネノ)、母命者(ハヽノミコトハ)、〈○中略〉赤子を育つヽ、日月を足しめ、成人(ヒトヽナス)は母のわざ也、よりて日足根(ヒタラシネ)の母てふを、日を略き、志(シ)を知(チ)と通はせ、根てふほめ語を添て、たらちねの母とはいふ也、〈根は物の本なれば、古へは人の名にもほめていひたり〉天皇の御名にも、皇子にも、息長足(オキナガタラシ)、倭足(ヤマトタラシ)、五十日足(イカタラシ)など申も、その生しなし奉る乳母の氏、或はそだちませる地の名などを付申せし也、且紀に、治養持養などの字を比多須(ヒタス)と訓も、日須良須(ヒタラス)を略ける語なるをおもへ、

〔空穗物語〕

〈藏開中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0139 むすびおきて我たらちねはわかれにきいかにせよとて忘れはてしぞ、とある をみ給ひて、なみだ雨のごとくにふらし給、

テヽ

〔松屋筆記〕

〈九十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0140 てヽとは父を云
父をてヽといふは、ちヽの通音也、體源抄十二本卷〈卅四丁オ〉八幡社例事條に、高祖父母ヒオホヂノテテハヽノ事也、

〔宇治拾遺物語〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0140 これも今はむかし、ゐ中のちごのひえの山へのぼりたりけるが、櫻のめでたくさきたりけるに、風のはげしくふきけるをみて、このちごさめ〴〵となきけるをみて、僧のやはらよりて、〈○中略〉なぐさめければ、櫻のちらんはあながちにいかヾせん、くるしからす、我てヽの作たる麥の花ちりて實のいらざらんおもふがわびしきといひて、さくりあげてよヽとなきければ、うたてしやな、

〔幽遠隨筆〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0140 父をてヽと云も、神樂うたに、
さつてヽがもたせの眞弓おく山にみかりすらしも弓のはづ見ゆ
此さつてヽは、薩人の父といへるなり云々、愚案抄

トヽ/カヽ

〔安齋隨筆〕

〈前編一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0140 トヽカヽ 同書〈懷橘談〉に、凡小兒の言語明らかならざるゆへ、上の一字は云ひ侍れども、下の文字にうつり辨舌ならざるゆへ、下の假字をおどりていふたぐひ多し、母を上(カミ)といへば、カヽといひ、父を殿(トノ)といへばトヽといひ、亭といへばテヽと云ふが如し、貞丈云、カヽと云ふは則ハヽといふの訛なり、カとハと音横の相通也、〈アカサタナハマヤラワ〉父をトヽと云ひ、又テヽといふは、音竪の相通也、〈タチツテト〉ハヽ轉じてカヽとなり、チヽ轉じてトヽとなり、テヽとなる也、小兒音の相通は知らねども、是れ音韻の自然也、上をカヽと云ひ、殿をトヽと云ふ説は非なるべし、

〔倭訓栞〕

〈前編六/加〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0140 かヽ 卑俗に母をいふ、かとはと韻通ず、通鑑胡注に、齊諸王皆呼嫡母家々ともみゆ、田舎に妻をもかヽといへり、兒に据ていふ也、西土に母を媽々といひ、郷談に妻をも媽々と いふに同じ、

〔於路加於比〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0141 小兒語
嬰兒の語に、父をとヽと云は、ちヽよりてヽと轉り、てヽよりとヽと轉りたるのみ、奥羽の邊地には、だヽアともいふ歟、皆多行のタチツテトと轉り來なり、〈つヽとのみいはざる由は、いまだ考へず、〉母をかヽと云は、はか同韵の言の横通して轉ぜるなるべし、〈五十音圖にて、音の反切を見るに、父字は同行を縱に行、母字は同韵を横に行なり、今父母の言轉ずるも、又父は縱に轉り、母は横に通ふも一奇といふべし、〉

〔撈海一得〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0141 今小兒母ヲかヽさまト云、是ハ家家ノ字ナリ、通鑑陳ノ宣帝紀ニ曰、北齊ノ後主、泣啓大后曰、有縁復見家家、無縁永別、胡三省注ニ、齊ノ諸王呼嫡母家家ト、イツノコロヨリ日本ニ言傳タルニヤ、子ガ母ヲかヽト呼ヨリ轉ジテ、父モ妻ヲかヽと云、

オモ

〔伊呂波字類抄〕

〈知/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0141 嬭〈チヲモ亦作㚷楚、人呼母爲嬭母、〉

〔倭訓栞〕

〈前編四十五/於〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0141 おも 日本紀に母をよめり、古事記に御母とも見ゆ、乳母湯湯母(チオモユオモ)なども見えたり、今朝鮮語にもしかいへり、一説には、梵語の阿摩也といへり、萬葉集に阿母と書り、史記の注に阿母は乳母と見えたり、よて萬葉集に乳母をもよめり、

〔古事記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0141 故爾八十神怒、欲大穴牟遲神共議而、〈○中略〉以火燒猪大石而轉落、爾追下、取時、即於其石燒著而死、爾其祖御命哭患而、參上于天、請神産巢日之命時、乃遣𧏛貝比賣與蛤貝比賣、令作活、〈○中略〉蛤貝比賣持水而、塗母(○)乳汁者、成麗壯夫〈訓壯夫袁等古〉而出遊行、

〔古事記傳〕

〈十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0141母乳汁者は、於毛能知志流登奴禮婆と訓べし、〈○註略〉母は乳母(チヲモ)を云なり、凡て於母と云は、親母(オヤ)にまれ乳母(メノト)にまれ、兒に乳を飲しむる人の稱なれば、親母(オヤ)とせむも違はず、〈親母を於毛と云も、乳をのまし養ふことにつきての稱なり、然るをたゞ波々の古言とのみ心得て、乳養のことにあづからぬ處の母字をも、なべて於毛と訓はひがことなり、〉されど中卷玉垣宮段に、取御母とあるも乳母なり、なほ於母のことは、彼處〈傳廿四の彼處〉に委く云べし、

〔日本書紀〕

〈十五/仁賢〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0142 六年九月、是秋日鷹吉士被遣後有女人、居于難波御津、哭之曰、於母亦兄於吾亦兄弱草吾夫https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00181.gif 怜矣、〈言於母亦兄、於吾亦兄、此云於慕尼慕是、阿例尼慕是、〉

カゾイロハ

〔伊呂波字類抄〕

〈加/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0142 〈父カソ、万葉集、〉

〔同〕

〈伊/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0142 母〈イロハ〉 〈爾雅云、母爲妣、日本紀私記云、母以路波、舎人云、稱父母、死稱考妣、郭璞云、公羊傳曰、惠公者隠公之考也、仲子者桓公之母也、明非死生之異稱矣、楊氏漢語抄云、阿孃、〉

〔倭訓栞〕

〈前編三/伊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0142 いろは 母の古語也、神代紀、和名鈔にみゆ、色身は母より受れば、色母の義なるべし、實母をいふ詞也、

〔燕石雜志〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0142 物の名
父母をかぞいろはといふ、かぞは家尊(カゾ)にて音なり、いろはは家母(イロハ)にて訓なり、世俗これを湯湯(ユトウ)よみといふ、

〔萬葉集〕

〈二十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0142 冬日幸于靭負御井之時、内命婦石川朝臣應詔賦雪歌一首、 諱曰色(○○○)〈○色一本作邑〉婆(○)

〔日本書紀〕

〈十/應神〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0142 二十二年三月丁酉、登高臺而遠望、時妃兄媛侍之、望西以大歎、〈○註略〉於是天皇問兄媛曰、何爾歎之甚也、對曰、近日妾有(カソイロハ)父母之情、便因西望而自歎矣、冀暫還之、得親歟、

〔日本書紀〕

〈十五/仁賢〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0142 六年九月、此是秋日鷹吉士被遣後有女人、居于難波御津、哭之曰、於母亦兄於吾亦兄弱草吾夫https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00181.gif 怜矣、〈○註略〉哭聲甚哀、令人斷一レ觴、菱城邑人鹿文(カカソ)〈鹿父人名也、俗呼父爲柯曾(カゾ)、〉聞而向前曰、何哭之、哀甚若此乎、

〔日本書紀〕

〈十九/欽明〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0142 天國排開廣庭天皇〈○欽明〉男大迹天皇〈○繼體〉嫡子也、母(イロハ)曰手白香皇后、天皇愛之、常置左右

〔日本紀竟宴和歌集〕

〈下/天慶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0142 得伊弉諾尊 從四位下行民部大輔兼丈章博士大江朝臣朝綱
賀曾伊呂婆阿波禮度美須夜毗留能古婆美斗勢儞那理努阿枳多多須志天
かぞいろはあはれとみずやひるのこはみとせになりぬあしたヽずして

〔千載和歌集〕

〈一/春〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0143 堀川院の御時、百首の歌奉りけるとき、春雨の心をよめる、
前中納言匡房
よも山に木のめ春雨降ぬればかぞいろはとや花のたのまむ

〔古事記傳〕

〈二十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0143 常根津日子伊呂泥(トコネツヒコイロネ)命、〈○中略〉伊呂泥(イロネ)は、伊呂勢(イロセ)と同くて、同母兄の意か、書紀に、此御名を某兄(イロネ)と作(カヽ)れ、神代卷、神武卷、欽明卷、孝德卷などに、兄をも然訓り、和名抄にも、兄日本紀云、伊呂禰とあり、〈同母姉を、伊呂泥と云によりて、此泥は凡て女に限れろ稱の如く聞ゆめれども然らず、白檮原宮段に、神淳河耳命の御兄を那泥汝命と申し賜へれば、那泥と云ふも、女には限らず、伊呂泥も准ふべし、〉されば此は、男女に通ふ稱なり、〈同母姉を云は、阿泥(アネ)の阿を省きて、泥と云なり、〉さて伊呂とは、人を親み愛みて云る言にて、某入彦某入娘と申す御名の伊理(イリ)、又郎子郎女(イラツコイラツメ)などの伊良(イラ)も、皆此同言の活用にて同意なり、日子坐王の御子に伊理泥王、崇神紀に飯入根(イヒイリネ)と云名なども、伊呂泥と云と通へるを以て知べし、同母兄弟を、伊呂勢(イロセ)、伊呂杼(イロド)、伊呂妹(イロモ)、母を伊呂波(イロハ)と云も、〈伊呂波は伊呂波々なり、〉親み愛みて云稱ぞかし、〈万葉十六に、伊呂雅(イロケ)せる菅笠小笠とよめるも、伊呂は、其人を親みて云るなるべし、〉さて此伊呂泥を、書紀に某兄(イロネ)と書れたる某字は、如何なる由にか、〈若しくは、古へに人を親みて云るよりうつりて、其名を云べき時に、名に代て伊呂と云しことのありしにや、某は那爾賀志曾禮賀志(ナニガシソレガシ)などゝ訓て、名に代て云字なり、書紀には、此下なる蝿伊呂泥蝿伊呂杼をもhttps://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00267.gif 某姉(ハへイロネ)、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00267.gif 某弟(ハヘイロド)と書れ、垂仁紀〈一丁〉に、某邊(イロベ)とも書れたり、〉

大方殿

〔松屋筆記〕

〈三十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0143 大方殿御方
太平記伯耆の卷などに、大方殿とあるは、母堂の事なり、親元日記にも、將軍の御母堂をば大方殿と書たり、また御方といふは、御方御所ともいふ、御方住居の義にて、將軍家の御嫡子の事なり、親元日記には御方御所とあり、

御袋

〔花營三代記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0143 應永廿九年七月十三日戊寅、御方御所樣嵯蛾御出アリ、大木庵へ御入御點心アリ、香嚴院々主、主首座御袋(○○)死去御坊門前マデ御出アリ、有御對面、御馬鹿毛御歸御輿也.

〔康富記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0143 享德四年正月九日乙卯、今曉室町殿姫君誕生也、御袋(○○)大館兵庫頭妹也、

〔貞丈雜記〕

〈二/人品〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0144 一人の母をおふくろと云ふは、御ふところと云ふ事也、母は懷妊の時、子はふとこうにある故也、ふところを略して、ふころといひ、ふころと云詞轉じて、ふくろに成たる也、今も薩摩國の人は、人の母を御懐(フトコロ)と書也、袋と云にはあらず、一説に、人母の胎内にて、胞衣(エナ)をかぶりつヽまれて、袋に入りたるがごとくなる故、人の母を御袋と云といへり、此説用がたし、御ふくろといふ事、舊記には見えざる名目也、后宮名目抄と云書に、右の胞衣の事によりて、御袋と云説見たり、其書は、大納言爲兼卿の息女、御櫛笥殿中將といひし女房、鎌倉將軍の御臺所へ書て、參らせられし書也と云也、然らば久き名目歟、

嫡母

〔新撰字鏡〕

〈親族〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0144 嫡母〈萬々波々〉

〔伊呂波字類抄〕

〈知/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0144 嫡母

〔令義解〕

〈六/儀制〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0144 凡五等親者、〈○中略〉祖父母、嫡母、繼母、〈○中略〉爲二等

〔律疏〕

〈賊盗〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0144 凡謀祖父母、父母、外祖父母、夫、夫之祖父母、父母者、皆斬、嫡母、繼母、伯叔父姑、兄姊者、遠流、已傷者絞、

繼父母

〔新撰字鏡〕

〈親族〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0144 繼父〈萬々父〉

〔倭名類聚抄〕

〈二/父母〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0144 繼父母 世説云、諸葛宏、爲繼母族黨讒、又云、王祥事後母甚謹、後母即繼母也、謂母、則可父、但繼父、〈和名萬萬知々(○○○○)〉繼母、繼父母、各謂其子古我不一レ生義也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/父母〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0144引黜免篇文、原書宏作厷、又原書文學篇注、引王隠晉書曰、厷字茂遠、按始臂上也、或作肱、宏屋深響也、轉訓大也、依茂遠之義、作宏似是、〈○中略〉所引德行篇文、原書事後母下有朱夫人三字、此節文、按繼父繼母、見儀禮喪服、説文、繼續也、从https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00169.gif 、新撰字鏡、繼父訓萬々父、嫡母訓萬々波々、令集解同、萬々知々、又見大和物語、萬々波々、又見更科日記、按繼父名萬々知々、繼母名萬々波々、則繼子當萬々古、今俗所呼亦爾、各謂其子下、恐脱萬々二字

〔伊呂波字類抄〕

〈末/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0145 繼母 〈マヽハヽ〉〈庶子母也、嫡母者嫡子之母也、並男女所稱也、若同居則一月服十日假、〉娜〈同〉 繼父 〈マヽチヽ〉

〔令義解〕

〈九/喪葬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0145 凡服紀者、〈○中略〉繼母繼父同居(○○○○○○)、〈○中略〉一月、

〔令集解〕

〈四十/喪葬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0145 古記云、妾之男女、謂父嫡妻嫡母、嫡母爲妾子報服也、俗云、麻麻母也、〈○中略〉古記云、母之後夫爲繼父、繼父爲妻之前父、男女无報服也、繼父若不同居共財服也、俗云麻麻父也、

〔松屋筆記〕

〈九十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0145 假父假母(マヽチヽマヽハヽ)
假父母をマヽといふは隨の義也、實の父母失て後、それに隨て出來し父母の義也、繼父母はたおなじ.隨を上にいへるは眞間の手兒女、足柄のまヽの小菅など見え、遠江にコトノマヽノ神社もあり、土の隨意(コヽロマヽ)に崩落るがけの事也、

〔善庵隨筆〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0145 生母にあらずして、子を養育する母を、まヽ母といひ、生子にあらずして、養育を受る子を、まヽ子といふ、まヽは養育の義にて、小兒に乳を飲付する、今の乳母の事なり、これを古へ乳付けといふ、東鑑に、武衞〈賴朝卿をいふ〉乳付けの青女を召さる、摩々と號すとあるにて知るべし、これより轉稱して、小兒の乳を飲むを、まヽと云ひ、今にては、小兒の飯を喫するをもまヽと云ふことにはなりし、

〔古事記〕

〈中/開化〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0145 若倭根子日子大毘毘命、〈○中略〉娶庶母(○○)伊賀迦色許賣命、生御子、御眞木入日子印惠命、

〔古事記傳〕

〈二十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0145 庶母は、美麻々波々(ミマヽハヽ)と訓べし、〈美は御なり〉和名抄に、繼父和名万々知々、繼母万々波波、〈今の本には、万々波々と云和名はなし、古本にあり、〉字鏡に、嫡母万々波々(マヽハヽ)、庶兄万々兄(マヽセ)などあり、相照して心得べし、〈庶母は、繼母嫡母などとは異なれども、嫡と云庶と云繼と云は、漢國にての差別にてこそあれ、皇國にては、其差別にはかゝはらず、たヾ非所生母を麻々母と云、非所生子を、麻々子と云り、されば嫡母庶母繼母、みな麻々母なり、庶兄を万々兄とあるにても知べし、(中略)延佳本に、アラメイロハと訓るは非なり、〉

〔三代實録〕

〈十五/淸和〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0145 貞觀十年二月十八日壬午、參議正四位下行右衞門督兼太皇太后大夫藤原朝臣良繩卒、〈○中略〉良繩素性寛厚、不花飾、〈○中略〉後母(○○)安部氏性悍忌、諸子皆排却、但至于良繩、殊以重愛、

〔大和物語〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0146 故御息所の御あねおほいこにあたり給けるなん、いとらう〳〵しく、うたよみ給ことも、おとうとたち御やす所よりもまさりてなむいますがりける、若きときにめをやはうせ給にけり、まヽはヽ(○○○○)の手にいますがりければ、心にものヽかなはぬときもありけり、さてよみ給ける、
ありはてぬいのちまつまのほどばかりうきことしげくなげかずもがなとなんよみ給ける、

〔空穗物語〕

〈俊蔭一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0146 おやなき人は身もいたづらになるものなり、むかしちかげのおとヾのたヾひとり子を、まヽはヽ(○○○○)にはかられて、いまはをとめもきこえずとなんいふなる、

〔源平盛衰記〕

〈二十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0146 入道申官符
九月四日戌時ニ、太政入道〈○平淸盛〉手輿ニ乗、新院ノ御所ニ參テ申ケルハ、〈○中略〉彼義朝ガ三男ニ、右兵衞佐賴朝ト申奴ハ、近江國伊吹ガ麓ヨリ尋出シテ、將テマウデ侍シヲ、入道ガ繼母ニ、池尼ト申候シガ、賴朝ヲ見テ、一旦ノ慈悲ヲ發シ、〈○下略〉

〔北條五代記〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0146 三浦介道寸父子滅亡の事
道寸是を聞、〈○中略〉それがしは上杉高救が男なり、時高養子と成て三浦へ移る、其後繼母に弟一人いできたり、繼母の讒言により弟を世にたてんため、われを害せんはかりごとあり、我心うくおもひ出家し、世を遁れ、小田原總世寺に有し所に、家老の者おほくしたひ來てみかたとなる、〈○下略〉

〔春波樓筆記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0146 或人問ふ、妻死して子有り、再娶るべきか、否か、曰く、曾の大賢すら尚再娶らず、矧や庸人をや、某側に在りて曰く、我常に人の子繼母に鞠はるヽを視るに、其の才多くは實母ある者に過ぐ、再娶ことに必子に益なきに非ずと、此の言理あり、

〔諸例集〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0146 繼母之儀ニ付續名目之儀問合
文化十三年十月七日、松浦肥前守家來差出候書面、水野主殿頭差出袋廻し、 一養父無妻ニ而罷在致養子居候處、其養子三拾貮歳ニ相成候上、右養父初而妻を迎候、尤其養子妻之養ニハ不相成候處、右養子之爲メニ右妻を何母と唱可申哉、
書面之通者、繼母ニ而候、

〔諸例集〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0147 嫡母繼母其外續名目之儀問合
朱書
稻生出羽守答
一無妻之内、妾腹ニ男子兩人有之、兄者嫡子ニ相立、其後父妻を迎候得者、妾服之子兩人ゟ、右父之妻者嫡母ニ御座候哉、
書面之通者、嫡母ニ而候、
一先妻死去後、妾服ニ男子兩人出生、兄者嫡子ニ相立候、相果候妻者嫡母ニ御座候哉、續名目無御座候哉、其後父後妻迎候得者、妾服之子兩人ゟ、右父之後妻者嫡母ニ御座候哉、若繼母ニ相成候哉、
書面之通者、先妻死去後出生之妾腹男子ゟ、先妻者續名目無之、後妻之嫡母ニ而候、
一養父無妻之内養子ニ相成、其後養父妻を迎候歟、或者養父之先妻死去後、養子ニ相成、養父後妻迎候得者、養子之養母ニ御座候哉、若繼母ニ相成候哉、
書面之通者、其父養母ニ不相定候得者、養子之爲繼母ニ而候、
右三ケ條兼而爲心得伺候、以上、
弘化三年五月十四日 酒井若狹守家來
宇佐美金右衞門
右之通、文政十二丑年五月十四日、服忌相掛り石谷備後守樣〈江〉相伺置候得ども、未御差圖不下候ニ付、猶又奉伺候、

〔顔氏家訓〕

〈一/後娶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0147 凡庸之性、後夫多寵前夫之孤、後妻必虐前妻之子、非唯婦人懐嫉妬之情、丈夫有沈惑之僻、亦事勢使之然也、前夫之孤、不敢與我子上レ家、提擕鞠養、積習生愛、故寵之、前妻之子、毎居己 生之上、宦學婚嫁、〈○註略〉莫防焉、故虐、異姓寵則父母被怨、繼親虐則兄弟爲讎、家有此者、皆門戸 之禍也、

養父母

〔伊呂波字類抄〕

〈也/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0148 養父 養母

〔倭訓栞〕

〈中編十六/登〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0148 とりおや(○○○○) 閑居友に見えたり、養父を云、今もいへり、

〔令義解〕

〈六/儀制〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0148 凡五等親者、父母、養父母夫、子、爲一等

舅姑

〔倭名類聚抄〕

〈二/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0148 舅(○) 爾雅云、夫之父曰舅、〈和名之宇止(○○○)〉一云、阿翁没則曰先舅

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0148 新撰字鏡云、阿翁夫之父、與辨色立成所一レ言合、〈○中略〉又新撰字鏡、婚媾並訓志比止、皇極紀、婚姻訓牟己之比止、假寧令集解云、夫之父母、俗云志比止、志比止賣、靈異記訓釋、舅之不止、〈○中略〉釋名、夫之父曰舅、舅久也、久老稱也、母之兄弟曰舅、亦如之也、白虎通、舅者舊也、姑者故也、舊故、老人稱也、按母之昆弟亦曰舅、見父母類

〔倭名類聚抄〕

〈二/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0148 姑(○) 爾雅云、夫之母曰姑、〈和名之宇止女(○○○○)〉没則曰先姑

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0148 説文、姑、夫母也、按父之姉妹亦曰姑、又按説文、以夫之母、爲本訓、釋名、以父之姉妹本訓、詳父母類

〔伊呂波字類抄〕

〈志/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0148 舅〈シウト夫之父也〉

〔同〕

〈遠/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0148 夫父母〈ヲウトカチヽハヽ舅姑〉

〔釋親考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0148 婦稱夫之父舅(シフト)、稱夫之母姑(シフトメ)、舅姑在則曰君舅()シフトギミ、君姑(シフトメギミ)、没則曰先舅先姑(スギシシフト、スギシシフメ)
漢廣川王傳、背尊章、師古曰、尊章、猶尊姑也、今關中俗、婦呼舅姑鐘、鐘、音章、聲之轉也、會典、舅姑即公婆、正字通、嫜、止商切、夫父曰舅嫜、舅姑亦曰尊章、杜甫詩、何以拜姑嫜、通作章、

〔令集解〕

〈四十/喪葬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0148 朱云、問夫之父母者、未知於養子之妻妾何、令釋云、亦同者額云難也、古記云、釋親云、婦稱夫之父舅、稱夫之母姑、案生夫之身曰夫父母、俗云、志比止、志比止賣也、

外舅姑

〔倭名類聚抄〕

〈二/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0148 外舅(○○) 爾雅云、妻之父爲外舅、〈與婦稱夫之父同〉 一云、婦翁也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0149 新撰字鏡云、婦翁、妻之父與辨色立成合、

〔伊呂波字類抄〕

〈志/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0149 外舅〈妻之父也〉

〔倭名類聚抄〕

〈二/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0149 外姑(○○) 爾雅云、妻之母爲外姑、〈與婦稱夫之母同〉一云、婦母也、一云、夫之敬妻之父母、如妻之尊敬舅姑其名外字也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0149 新撰字鏡云、婦母、妻之母、亦與辨色立成合、〈○中略〉釋名、妻之父曰外舅、母曰外姑、言妻從外來、謂己家婦、故反以此義之、夫妻匹敵之義也、

〔釋親考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0149 妻之父爲外舅(/メカタノシウト)、妻之母爲外姑(/メカタノシウトメ)
丘氏曰、今稱外父外母、楊子方言、南楚瀑洭之間、謂婦妣母姼、謂婦考父姼、姼音多、會典、妻父母即丈人父母、〈○中略〉
胤按、舅姑本妻稱夫之父母之名、故夫稱妻之父母外舅外姑

〔倭名類聚抄〕

〈二/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0149 夫 白虎通云、夫猶扶也、以道扶接也、〈和名乎宇止(○○○)〉一云〈乎止古(○○○)、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0149引三綱條文、原書猶作者、按説文、夫丈夫也、又云、男丈夫也、是知夫本男子之稱以爲夫妻之夫者、轉注也、〈○中略〉按古謂夫單稱乎、古事記須勢理毘賣歌云、那遠岐氐遠波那志、又本書後夫訓宇波乎、前夫訓之太乎、皆是也、後加人稱乎比止、喪葬令集解云、夫俗云乎比止、是也、比布通音、故轉爲乎布止也、新撰字鏡、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00230.gif乎不止、亦與此同、其謂之乎宇止者、又乎布止之一轉、與舅訓志比止、比不通音、故或訓之不止、又轉云之宇斗同、則乎布度乎宇度皆通、今俗譌呼乎都登

〔倭訓栞〕

〈前編三/伊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0149 いもせ 妹兄の義也、夫婦をいふ、夫は長し、妻は弱ければ、同義にいひ習はせる質朴なる上古のことばにこそ、西土にも夫婦となることを、兄弟と書し、夫を伯とも仲子とも呼たる事も見ゆ、北齊には妻を呼て妹といふとも書せり、神代記には稱妻爲妹、蓋古之俗乎と見へたり、もとは諾冊の尊より出たる詞なれば、延喜式にも伊佐奈伎伊弉奈美命妹妋と見へ たり、妋は夫の義、字書の本義にあらず、猶いろせの條考べし、

〔物類稱呼〕

〈一/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0150 夫をつと 薩摩にてとの丈といふ〈夫男夫子(せなせこ)などゝ歌書にをゝく出〉

〔屠龍工隨筆〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0150 こていといふは、御亭主をいふ事なるべし、賤宿の詞には、夫をもごてい、ごて樣などと云なり、牛童を牛番こてと、木曾の云し事、平家もの語に見えたり、

前夫

〔倭名類聚抄〕

〈二/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0150 前夫 顔氏云、前夫、〈和名之太乎(○○○)〉一云〈毛止乃乎止古(○○○○○○)〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0150 令俗謂舊來有一レ之爲之太治有一レ之、之太乎之之太、蓋是也、毛止乃乎止古、見後撰集金葉集

後夫

〔倭名類聚抄〕

〈二/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0150 後夫 顔氏家訓云、後夫多寵前夫之子、〈和名宇波乎(○○○)〉一云〈伊萬乃乎宇止(○○○○○○)、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0150引後娶篇文、原書子作孤、此所引恐誤、按宇波對之太之稱、與宇波奈利之宇波同、

〔倭名類聚抄〕

〈二/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0150 妻 白虎通云、妻〈西反、和名米(○)、〉者齊也與夫齊體也、又用夫妻婦妻一云〈米阿波須(○○○○)〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0150 按妻訓米阿波須、天智紀同、蓋妻配之義、〈○中略〉所引嫁娶條文、説文、妻婦與夫齊者也、與此義同、釋名、天子之妃曰后、諸侯之妃曰夫人、卿之妃曰内子、大夫之妃曰命婦、士庶人曰妻、妻齊也、夫賤不以尊稱、故齊等言也、

〔伊呂波字類抄〕

〈女/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0150 妻〈メ〉

〔古事談〕

〈一/王道后宮〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0150 治暦比取人妻(○○)、メ(○)ニシタリケル者アリケリ、春宮〈○後三條〉御即位アリケレバ、此御時ハ罪科ニモソ被行トテ、返遣本人許了云々、

〔伊呂波字類抄〕

〈都/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0150 妻〈ツマ(○○)〉

〔日本釋名〕

〈中/人品〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0150 妻(ツマ) 万葉仙覺抄につはつヾく也、まはまとはる也、詞林采葉抄曰、つはつヾく、まはまとはる也、夫婦枕をならべて、まとはりぬると云詞也、篤信曰、右兩説いぶかし、只むつまじの上 下を略せりと見て可なるべし、或上古の自語なるべし、

〔燕石雜志〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0151 物の名
妻はつれまつはるの略歟、いにしへは夫婦相共に稱してつまといへり、

〔日本書紀〕

〈七/景行〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0151 四十年、日本武尊毎有弟橘媛之情、故登碓日嶺、而東南望之、三歎曰、吾嬬者耶、〈嬬此云菟摩〉故因號山東諸國、曰吾嬬國也、

〔萬葉集〕

〈四/相聞〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0151 大納言兼大將軍大伴卿歌一首
神樹爾毛(カミキニモ)、手者觸云乎(テハフルトフヲ)、打細丹(ウツタヘニ)、人妻(ヒトヅマ/○○)跡云者(トイヘバ)、不觸物可聞(フレヌモノカモ)、

〔釋親考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0151 嬪、婦(メ/ツマ)也、
正字通、通雅云、妻曰郷里薩薩愛梍未蒙、夷稱也、沈約山陰柳家女詩、還家問郷里、詎堪特作一レ夫、郷里謂妻也、

〔日本書紀〕

〈十四/雄略〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0151 三年〈○安康〉八月、穴穗天皇〈○安康〉意將沐浴、幸于山宮、遂登樓兮遊目、因命酒分肆宴、爾乃情盤樂極間、以言談顧謂皇后、〈○註略〉曰、吾妹(ワキモコ/○○)〈稱妻爲妹、蓋古之俗乎、〉汝雖親昵、朕畏眉輪王

〔物類稱呼〕

〈一/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0151 妻つま、 京にて他の妻をお内義さん(○○○○○)とよぶ、大坂にておゑさん(○○○○)とよぶ、〈お家さまなり〉江戸にてかみさま(○○○○)といふ、甲斐にて中居(なかゐ/○○)といふ、〈甲州の國風の歌に、甲金や三升升に四角箸切はふづくりをこれお中居とよめり〉播摩邊又越後わたりにてごりよん(○○○○)と云、〈よめ御料などの轉語か〉奥州南部又は津輕にてあつぱ(○○○)といふ、〈吾が母といふの轉語なるべし、小兒の母に對して云詞か、〉仙臺にておかた(○○○)といひ、又ごヾさま(○○○○)と呼は、たつとぶ詞なり、御は尊稱也、御は女の通稱也、故に御をかさねて唱るにや、又仙臺にては、媳婦を呼てをむかさり(○○○○)といふ、上總にてめこ(○○)といふ、〈源氏に、めこのかほも見でと有、これは吾妻也、〉他の妻をばをぢよう(○○○○)と云、〈御女郎の略語か〉伊勢にやよ(○○)といふ、〈下賤の妻をいふと也〉尾張にてお家(○○)とよぶは、江戸にてお袋(○○)といふにあたる、同國にてかみさま(○○○○)とよぶは、老女の稱也、對馬にてをゆみ(○○○)といふ、肥の佐賀にてをとも女郎(○○○○○)といふ、〈おともは手前の事をいふ、おとゝいふ時にそこもとゝいふにひとし、〉 又をかた(○○○)といひ、女房内義(○○○○)などやうの詞は、通稱にして記にいとまあらず、

〔寒川入道筆記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0152 落書附誹諧之事
一中むかしのことかとよ、都に公事聞の奉行あり、一段と正路に批判せられたと、しかしながら 女中方より耳へ入ることは皆理になるときに、
かみさま(○○○○)の御前で公事がすむならばまヽのやうなる批判なるべし、とかく女房にはたか きもいやしきも心がとらるヽと、
一多賀豐後に所司代仰付られ候時に、女じやもの(○○○○○)に談合仕り御返事申上うといふた、尤じや、こ の女じやものに談合申すといふに説々おほしといへども、たヾ女公事取次など究めてと思 ひ右のごとく申上た事じや、〈○下略〉

〔松屋筆記〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0152 母妻女と書例
父にしたがふ時は某女と書き、夫に適時は某妻と書く、或北方(○○)とも室(○)とも簾中(○○)とも御臺所(○○○)とも、その人の位によりて分るべし、夫におくれて子にしたがふ時は、某母と書也、右大將道綱母などのごとし、これ婦人三從の義によれる稱也、

〔皇都午睡〕

〈三編上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0152 上方にて買(かう)て來るを、江戸にては買(かつ)て來る、〈○中略〉お家樣( いへさま/○○○)をお上樣( かみさま/○○○)、〈○中略〉御寮人(ごりやうにん/○○○)を御新造(ごしんぞ)、

〔相州兵亂記〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0152 公方御他界之事、附御臺所御歌ノ事
永祿三年ノ暮ニ氏康御隠居アリ、號萬松軒、〈○中略〉姫君六人オハシマス、何レモ器用ノ君達ナリ、其六人ト申スハ高林院殿、マイ田殿〈セタカイノ御所吉艮殿ノ御前〉常陸殿内室(○○)〈七マガリ殿是ナリ〉氏眞ノ御前(○○)〈早川殿ト申ス〉武田勝賴ノ<ruby><rb>御前(○○)〈是ハ甲州ニテ御生害〉等也、
○按ズルニ、爰ニ御前ト云ヒ、或ハ内室ト云フハ、其夫ノ地位ニヨリテ、其稱ヲ異ニセシモノナ ラン、

〔隨意録〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0153 俚語、呼妻曰竈神(カマ/○○)、是有由也、孔子曰、夫竈者老婦之祭也、老婦謂先炊者也、自古婦職在酒食而掌爨炊事、也已、

〔松屋筆記〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0153
近頃の人のあらはせし歌の書に、平人の妻を某室と書たり、いといはれなき事也、有職問答四の卷に、北政所(○○○)或はなにがしの室などいふ事は、關白の室に限るよし見ゆ、桃花蘂葉には、大臣の妻を室といへる例あり、されば室とは必三公の北方ならではいふまじき稱也、後室などいふも、三公の未亡人の稱と見ゆ、愚管抄には、政子の事を賴朝が後家(○○)と書れたり、

〔三代實録〕

〈十六/淸和〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0153 貞觀十一年十二月七日庚寅、從四位下行伊豫權守當摩眞人淸雄卒、淸雄者、左京人也、祖從五位下吉島、父正六位上治田麻呂、淸雄之娣爲嵯峨天皇之幸姫、生源朝臣潔姫、全姫二皇女、潔姫是太政大臣忠仁公之室也、

〔吾妻鏡〕

〈三十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0153 寛元五年〈○寶治元年〉六月五日丙戌、泰村披御書時、盛阿以詞、述和平子細、泰村殊喜悦、亦具所御返事也、盛阿起座之後、泰村猶在出居、妻室自持來湯漬於其前之、賀安堵之仰、泰村一口用之即反吐云云、

北方

〔松屋筆記〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0153 北の方
北の方といふ稱は、三公より以下、國の受領の妻に至るまで、しかいへること、塞穗、源氏、榮花など考て知べし、こは必本妻の稱也、今も五位以上には書べき也、

〔貞丈雜記〕

二/人品

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0153 一貴人の妻を、北の方とも云ふ、北の政所(マンドコロ)とも云ふ事、男は陽也、女は陰也、南は陽也、北は陰也、表は陽也、奥は陰也、女は奥に引きこもり居て、内所の諸事を取りはからふゆへ、北の方とも、北の政所とも云ふ也、政所は、諸事を取り計らふ役所を云ふ也、

〔日本紀略〕

〈三/朱雀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0154 天慶七年十二月二日、七親王北方〈○有明親王妃、藤原時子〉賀父左大臣〈○仲平〉七十筭

〔空穗物語〕

〈忠こそ〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0154 北方の御帳のうちに、おまし所して、御とのごもりなどするに、〈○中略〉
としふれどわすれぬ人のねしとこぞひとりふすにもうれしかりけるとて、おましをうちはらはせてふしたまへば、たヾこそ、
ねし人もなみだのうへにふす物をやどのしたにはかずもかへなん、こヽはちかげの大殿、かくてひさしくおとヾ一條殿へまうで給はず、たヾこそあこ君のもとへ時々かよふを、まヽはヽの北方うらやましとおぼしけれど、いとかたおもひなり、

御臺所

〔貞丈雜記〕

〈二/人品〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0154 一貴人の妻を御臺所といふ事は、御臺盤所と云事を略したる詞也、飯の事をだいと云、女の詞に、飯をおだいとも、ぐごとも云事、上﨟名の記にも見へたり、膳の事をば臺盤と云、其臺盤を置く所を、臺盤所と云、今も食物を調ふる所を臺所と云も、臺盤所と云を略したる詞也、男は表に居て、家の仕置其外表向の事をつかさどり、女は奥に居て、夫の食物を調ふるはづの事なる故、臺盤所にて世話をする心にて、御臺所と云也、貴人なれども、人の妻たる者の所作を、わすれぬ爲の名なるべし、

〔承久軍物語〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0154 かまくらには三代將軍の跡たえ、しよくをつぐべき君たちもましまさねば、あまみだい所(○○○○○)〈○平政子〉しばらくせいだうをきこしめしけり、

〔常憲院殿御實紀〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0154 延寶八年七月十日、吉辰なればとて、二丸より本城にうつらせ給ふ、〈○德川綱吉〉御臺所(○○○)鶴姫君も、神田橋より同じく本城に入りたまふ、

御簾中

御料人

〔貞丈雜記〕

〈二/人品〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0154 一貴人の妻を御簾中といふは、常々御簾の中に居給ひ、表向へ出て、人に見え給はぬ心なり、〈貴人の妻を、御簾中と稱する事は古書には見ざる事なり〉

〔貞丈雜記〕

〈二/人品〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0154 一人の妻を御料人と云事、料ははからふとよみて、内所の事どもを、取りはからふ 故也、御料と云も、御料人を略したる詞也、今時人のむすめの事を、御料とも御料人とも云人有り、あやまり也、よめ入せずばいふまじき事也、〈光大曰、御料と云は、人の妻の事のみにかぎらず、打つけに其名をいはずして、尊みて云ふ詞也、曾我物語などに、賴朝の事な御料と云ふたる事所々に見えたり、〉

内方

〔碩鼠漫筆〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0155 内方の稱は貴賤に亘る例
後世に人の妻を内方(ウチカタ)といふは、下ざまにのみ限れる事とみゆれど、古くは貴人をもしか呼し事と聞ゆ、さるは貫之集上卷に、延長四年きよつらの民部卿六十の賀、つねすけの中納言内方せられける云々、〈按ずるに、恒佐卿の室家は、淸貫卿の女なり、尊卑分脈恒佐卿の篇に見えたり、〉天延二年閏十月廿七日權記云、申時許、高遠少將内方乳之後死去、是中納言朝成第三女也、また正暦四年二月廿九日記云、早旦左京亮國平朝臣來云、修理大夫内方、自夜半惱氣已入滅、悲歎無極云々、〈修理大夫は中納言藤懐平卿なり、公卿補任に見ゆ、又室家は中納言源保光卿女ならむ、尊卑分脈考ふべし、〉など見えたるが如し、〈猶あるべけれど、今おもひいでず、〉又妻室を女房といふも、昔は貴人の稱なりしなり、

衒妻

〔橘庵漫筆〕

〈初篇二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0155 畿内の賤民婦をさして衒妻と呼べり、或曰、左傳昭二十二年に有仍氏の女の美色をいへるに玄妻と云、よつて玄妻の字にして、左傳より出たりといへり、例の文華によつて、鶏を割に牛の刀を用るにいたれり、按るに、字書に、鉉は賣也とあれば、賤しき婦をさして、賣婦(ばいふ)とおとしめ云ことばなり、鉉妻か衒妻なるべし、東都にて、傾城奉公人の肝煎する者を女衒と云も、衒は售なれ、

〔太閤記〕

〈十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0155 醍醐の花見
長束大藏大輔、茶屋は晩日に及ぶべきを兼て期せしに依て、御膳の用意なり、將軍この茶屋へ成せられ、饗膳あらば急ぎ上よと仰しかば、大藏大に悦び則上奉る、〈○中略〉見せだなにありつる瓢簟を御腰に物し給へば、是もかはりを被下候やうにと乞つヽ、茶屋のかヽ(○○○○○)廿ばかりなる二三人兩、 の御手にすがり、おあし給り候へ、すまさせ給へとて、笑をふくみかけ申せば、秀吉公もことの外打ゑませたまひつヽ、さらば算用をとげ御すまし有べきとて、内へ入給ひしが勘定の聲はなくて、御酒宴と見えて、目出たや松の下千世も幾千代ちよ〳〵などいふ小歌の聲々に、〈○下略〉

嫡妻/本妻

〔新撰字鏡〕

〈女〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0156 嫡適〈同、丁狄、主嫡也、君也、主也、牟加比女、〉

〔伊呂波字類抄〕

〈无/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0156 嫡妻〈ムカヒメ〉

〔古事記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0156 大神〈○須佐之男命○中略〉故爾追至黄泉比良坂、遙望呼謂大穴牟遲神曰、〈○中略〉亦爲宇都志國玉神而、其我之女須世理毘賣爲嫡妻而、於宇迦能山〈○註略〉之山本、於底津石根宮柱布刀斯理、〈此四字以音〉於高天原冰椽多迦斯理〈此四字以音〉而居是奴也、

〔古事記傳〕

〈十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0156 嫡妻は字鏡に、嫡牟加比女(ムカヒメ)と見え、書紀に多く正妃とあり、此等に依て訓べし、牟加比は正しく夫に對配意なり、〈物語文に、今の妻の生る子を、むかひばらと云るは、先妻と別けて、今妻をいへれど、是も本は嫡妻腹より轉れるにや、〉

〔源氏物語〕

〈十/榊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0156 むかひばら(○○○○○)のかぎりなくとおぼすは、はか〴〵しうもえあらぬに、ねたげなることおほくて、まヽはヽの北のかたは、やすからずおぼすべし、物語にことさらにつくりいでたるやうなる御ありさまなり、

〔源氏物語〕

〈三十九/夕霧〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0156 ほんさい(○○○○)つよくものし給、さる時にあへるぞうるゐにて、いとやんごとなし、わか君だちは七八人になり給ぬ、

〔空穗物語〕

〈梅の花笠〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0156 みかどさいなどもいづれをかゐてものすらん、おとヾなるたヾがげをなんゐてまかりける、それをおもひなくりなおとヾたヾいまかれひとりをなんもて侍なる、ほんさい(○○○○)どもみなわすれ侍てとそうし給へば、いとけうあるねぬ御もとの人は、花のかげにすゑたり、なかより御ふみをうちにいるれば、おとヾいと見まほしくおぼさるれど、えいり給はず、北方御ふみを見給て、わらひ給ふ、

〔本朝世紀〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0157 久安五年十月十六日甲子、今日有攝政北政所准后勅書事、〈○中略〉
勅〈○中略〉從一位藤原朝臣者、攝籙之嫡室(○○)、皇后之母儀也、〈○下略〉

前妻

〔新撰字鏡〕

〈親族〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0157 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00210.gif 古奈彌

〔同〕

〈女〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0157 嫡適〈同、丁狄反、主嫡也、(中略)毛止豆女、〉

〔倭名類聚抄〕

〈二/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0157 前妻 顔氏云、前妻、〈和名毛止豆女(○○○○)、〉一云、〈古奈美(○○○)〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0157 按伊呂波字類抄不毛止豆女之訓、新撰字鏡、嫡字訓毛止豆女、毛止豆女又見曾禰好忠歌、或曰毛止豆女大和物語

〔伊呂波字類抄〕

〈古/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0157 前妻〈コナミ亦 顔氏家訓云、前妻コナミ、後妻ウハナリ、前妻之子後妻所ウハナリ 稱、前夫之子後夫所稱幷マヽコ也、又稱後子、本文未詳、〉

〔日本書紀〕

〈三/神武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0157 戊午年八月、弟猾大設牛酒以勞饗皇師焉、天皇以其酒宍賜軍卒、乃爲御謡之曰、〈謠此云宇多預禰〉于https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00219.gif 能多伽機珥(ウダノタカキニ)、辭藝和奈破蘆(シギワナハル)、和餓末菟夜(ワガマツヤ)、辭藝破(シギハ)、佐夜羅孺伊殊區波辭(サヤラズイスグハシ)、區https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00218.gif 羅佐夜離(クジラサヤリ)、固奈彌餓(コナミガ/○○○)、那居波佐麿麼(ナコハサバ)、多智曾麼能未廼(タチソバノミノ)、那鶏句塢(ナケクヲ)、居氣辭被惠禰(コキシヒエネ)、宇破奈利餓(ウハナリガ/○○○○)、那居波佐麼(ナコハサバ)、伊智佐介幾未廼(イチサカキミノ)、於朋鶏句塢(オホケクヲ)、居氣https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00219.gif 被惠禰(コキタヒエネ)、是謂來目歌

〔今昔物語〕

〈十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0157 參河守大江定基出家語第二
今昔、圓融院天皇ノ御代ニ、參河守大江定基ト云フ入有リ、參議左大辨式部大輔濟光ト云ケル博士ノ子也、心ニ慈悲有テ身ノ才人ニ勝タリケル、藏人ノ巡ニ參河守ニ任、而ル間本ヨリ棲ケル妻(○○○○○○○)ノ上ヘニ、若ク盛ニシテ形端正也ケル女ニ思ヒ付テ、極テ難去リ思テ有ケルヲ、本ノ妻強ニ此ヲ嫉妬シテ、忽ニ夫妻ノ契ヲ忘レテ相離ニケリ、然レバ定基此ノ女ヲ妻トシテ過ハル間ニ、相具シテ任國ニ下ニケリ、

後妻

〔新撰字鏡〕

〈親族〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0157 嫌〈宇波奈利〉

〔倭名類聚抄〕

〈二/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0157 後妻 顔氏云、後妻必惡前妻之子、〈和名宇波奈利(○○○)〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0157引後娶篇文、原書作凡庸之性、後夫多寵前夫之孤、後妻必虐前妻之子、依 注文引後夫多寵前夫之孤、此恐傳寫誤脱、〈○中略〉新撰字鏡、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00210.gif 字訓古奈彌、嫌字訓宇波奈利、或曰、初娶妻如嫡妻、謂之古奈美、後娶婦人如妾、釋名、妾、謂夫之嫡妻女君、古奈美會女君字https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00210.gif、有嫡妻者又娶他女、謂之宇波奈利、兼有二女、故從女從兼作嫌字、爲宇波奈利、並皇國會意字、是説或然、

〔伊呂波字類抄〕

〈宇/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0158 後妻ウハナリ

〔令集解〕

〈四十/喪葬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0158 古記云、夫爲妻服三月、次妻(○○)无服也、朱云、問妻者未知於妾何、額云爲妾无服者、

〔今昔物語〕

〈三十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0158 品不賤人去妻後棲語第十一
今昔、誰トハ不云人品不賤ヌ君達受領ノ年若キ有ケリ、心ニ情有テ故々シクナム有ケル、其ノ人年來棲ケル妻ヲ去テ、今メカシキ人ニ見移ニケリ、然レバ本ノ所ヲバ忘レ畢ヌ、今ノ所ニ住ケレバ本ノ妻心疎シト思テ、糸心細クテ過ケル、

〔台記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0158 康治二年十一月七日己未、進士宗廣妾、〈名兒〉、上成打(○○○)、

〔骨董集〕

〈上編下末〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0158 後妻打(ウハナリウチ)古圖考
うはなりとは、後妻をいへる古言なり、和名鈔後妻〈和名宇波奈利〉新撰字鏡嫌〈宇波奈利〉、日本紀〈卷二十三〉嫉妬の二字をうはなりねたみと訓り、

〔昔々物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0158 百二三十年以前〈○元龜天正頃〉は、女のさうどう打といふ事有し由、假命ば妻を離別して、五十日或は一ケ月の内、又新妻を呼入れたる時初の妻より、必さうどう打企る、功者成親類、女と打寄談合し、男は曾て構ふ事にあらず、手前の女五三人も有之ば、親類中の達者成る女ばかり二十人三四十人百人も身代により催し、新妻の方へ使を遣す、是は家老の役なり、口上は御覺可有之候、さうどう打何月幾日何時可參候、持參道具は木刀成とも、棒成共、しない成共、其譯を申遣、大方はしないなり、先にても家老取次、新妻何分にも御詫言可申と申も有之、左樣によはげを出すは、一 生の大恥なり、成程御尤相待候段、返事有之、男の携はるは、此使取次計なり、其後は男一切不出會法なり、扨日限に離別の妻乗物にて、供女は皆かちにて、くヽり袴たすき髪を亂し、又かぶり物鉢卷などし、甲斐々々敷出立、しないを持押寄るなり、門をひらかせ、臺所より亂れ入、鍋釜障子あたるを幸に打こはす、其時刻を考、新妻の仲人と侍女郎と、先妻の時の侍女郎、同時に出合、眞中へ入、樣々の言を盡し返す、むかしはさうだう打に、二三度賴まれぬ女はなし、七十年以前、八十計のばば有しに、そうどううちに十六度賴まれし抔と語りし、百年以來すきとなし、

〔松屋筆記〕

〈八十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0159 うはなり、はんにや
又云、〈○宗固隨筆〉うはなりこなみといふは、前の妻の事をうはなりといふ、後添の事をこなみといふ、夫故前妻の後の妻を恨たる事をうはなり打といへり、打は鐵杖(シモト)の事なり、人の怨靈をうはなりとは中古よりいふ詞也、盤若といふも女の顔の事にあらず、祈禱に大盤若經をよむゆゑに、盤若面といひて、鬼女を畫がく事なり云々、與淸曰、前妻後妻の事、神武天皇の御歌に見えて、厚顔抄古事記傳などに解あり、うはなり打は寶物集に見え、骨董集に考あり、

〔春波樓筆記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0159 又曰く、〈○司馬江漢〉四十を過ぎて後妻を娶るべからず、人四十にしては漸く精氣衰ふ、女子と小人とは養ひがたし、

寡婦

〔伊呂波字類抄〕

〈也/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0159 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00214.gif 〈ヤマメ、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00214.gif 婦、女https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00214.gif

〔物類稱呼〕

〈一/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0159 寡やもめ〈俗に後家、又後室ともいふ〉 京にてやまめと云、尾州にてやごめといふ、〈これらは轉訛して、かくいふものか、〉遠江にてつぐめといふ、

〔松屋筆記〕

〈六十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0159 百孀婦(ヤモメ)
俚諺に、越後新潟八百八後家(ヤゴケ)といへり、そは新潟は北國の船舶輻湊の地にて、倡婦色を衒ものおほし、皆一女一室を構へ、一人住して客を曳く、そのさま後家所帶の家に似たれば、これを後家と よび、又數の多をたとへて八百八後家といへりとなん、八百を以て多數にたとへいふは、若狹の八百比丘などの類也、古言の八百日行濱の眞砂、鹽の八百合などの遺辭なり、八百八をたとへにしたると、近江湖に八百八谷の水落入る、あるは江戸八百八町などおほかり、皇明通紀三の卷〈卅三丁ウ〉洪武十六年の條に、沐英留鎭雲南、麓川之外有國曰緬、車里之外有國、曰八百媳婦、〈○中略〉これらの八百媳婦の名、よしありてきこゆ、八百八後家も八百孀婦にて、やもめ住せる女の多きをいへるにはあらじか、後家の名も鎌倉比の書に見えて、古く聞えたれど、倡女(オヤマ)にいはんは似つかはしからぬにや、

〔令義解〕

〈二/戸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0160 凡〈○中略〉無夫者、爲寡妻妾、〈謂夫亡、及被出者、不年之長幼、皆爲寡也、〉

〔日本書紀〕

〈十一/仁德〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0160 十六年七月戊寅朔、即日以玖賀媛速待、明日之夕、速待詣于玖賀媛之家、而玖賀媛不和、乃強近帷内、時玖賀媛曰、妾之寡婦(ヤモメ)以終年、何能爲君之妻乎、

〔日本書紀〕

〈十五/顯宗〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0160 弘計天皇〈○顯宗、中略、〉天皇久居邊裔、悉知百姓憂苦、恒見枉屈四體溝隍、布德施惠、政令流行、恤貧養孀、天下親附、

〔令集解〕

〈十三/賦役〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0160 古記云、天平八年正月廿日格云、大宰官人及所部國司等後家(○○)徭役事、奉勅、大宰官人及所部國司等、後家徭役免負者、幸覆天澤、幷免疾苦赴邊、任永無煩累、但自爾以來、年月浸遠、官人相替、稍忘恩勅免役之家、還被駈使、不嘿、已具狀請裁者、〈○下略〉

〔日本靈異記〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0160 孤孃女憑敬觀音銅像奇表現報縁第卅四
諾樂右京殖槻寺之邊里、有一孤孃、未嫁无夫、姓名未詳也、父母有時、多饒富財、數作屋倉、奉觀世音菩薩銅像一體、〈○中略〉里有富者、妻死而鰥(○○○○)、見之是孃媒伉儷、〈○下略〉

〔源氏物語〕

〈二十二/玉鬘〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0160 またの日、よべ、さとより參れる上らうわか人どものなかに、とりわきて右近めしいづれば、おもたヾしくおぼゆ、おとヾも御らんじて、などかさとゐは久しくしつる、れいなら ず、やもめ人(○○○○)の、ひきたがへこまがへるやうもありかし、おかしきことなどありつらんなど、れいのむつかしう、たはぶれごとなどの給ふ、

〔類聚符宣抄〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0161 太政官符下總國司〈内〉
京故守藤原朝臣有行後家事
右右大臣宣、奉勅、件後家、宜給食十具馬十疋京者、國宜承知、依宣行之、路次之國、亦宜准此、符到奉行、
右少弁 左少史
天暦七年六月十日

〔倭訓栞〕

〈中編八/古〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0161 ごけ 後家の字、朝野群載に、權中納言某朝臣後家と見え、儀式帳安東郡專當沙汰文に見ゆ、今専ら寡婦を稱せり、後室ともいへり、

〔松屋筆記〕

〈十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0161 後室
東大寺造立供養記云、重衡卿後室云々、こは三公ならぬ人の妻にも後室といへり、

〔倭各類聚抄〕

〈二/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0161 妾 文字集略云、妾、〈接反、和名乎無奈女(○○○○)、〉非正嫡、故以接爲稱、一云有接嫡之名也、小妻也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0161 景行紀同訓、安康紀、大草香皇子言妹幡梭皇女、今陛下不其醜、將荇菜之數、荇菜亦同訓、今南部謂之乎奈米、古語之遺也、物語書謂之加計米、今俗謂之米加計、或呼天加計、〈○中略〉那波本二枉並作接、按枉嫡接嫡並未聞、不孰是、〈○中略〉後漢書宗室三侯傳、趙惠王乾居父喪、私聘小妻、注、小妻妾也、小妻又見漢書外戚恩澤侯表、枚乗傳、孔光傳、外戚傳、佞幸傳、後漢書竇融傳、董卓傳、釋名、妾接也、以賤見接幸也、白虎通、妾者、接也、以時接見也、

〔伊呂波字類抄〕

〈遠/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0161 妾〈ヲヽナメ〉

〔倭訓栞〕

〈前編三十二/女〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0161 めかけ 物にめかけたる女と見えたり、沙彌塞律に、蓮華色女が事を記して、 長者見之愛重、即問卿氏族何、今爲誰と見えたり、今も媵妾をてかけめかけといへり、

〔物類稱呼〕

〈一/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0162 妾おもひもの 京師にててかけ(○○○)とよぶ、東國にてめかけ(○○○)と云、西國及尾州にてごひ(○○)と云、〈御妃にや〉奥の南部にておなめ(○○○)といふ、

〔松屋筆記〕

〈九十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0162 てかけめかけ
妾をてかけといふ事、三議一統下卷〈廿二丁オ〉宮仕門に、賞翫の白拍子妾傾城などに、料足出す事云々と見ゆ、めかけと云詞も、九十三卷の六則に抄出せり、

〔續修東大寺正倉院文書〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0162 御野國味蜂間郡春部里太寶貳年戸籍
下政戸六人部久知良戸口十一〈○註略〉
下々戸主久知良〈年五十三正丁〉 嫡子石前〈年十一小子〉 次小石前〈年八小子〉 妾子(○○)麻呂〈年十五小子○中略〉
中政戸春部星麻呂戸口廿二〈○註略〉
下々戸主星麻呂〈年五十七正丁〇中略〉 妾(○)春部姉賣〈年五十正女○中略〉

〔東大寺正倉院文書〕

〈二十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0162 御野國蜂間郡春部里太寶貳年戸籍
上政戸六人部加利口卅〈○註略〉
下々戸主加利〈年八十耆老○中略〉 妾(○)建部刀自賣〈年六十三〇中略〉
上政戸國造族皆麻呂戸口卌六〈○註略〉
下中戸主阿佐麻呂〈年五十七正丁○中略〉 妾國造族紫賣〈年卅五正女〉

〔榮花物語〕

〈二/花山〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0162 このとの〈○藤原兼家〉は、うへもおはせねば、この女御〈○冷泉女御藤原超子〉どのヽ御かたにさぶらひつる大輔といふ人を、つかひつけさせ給て、いみじうおぼしときめかしつかはせ給けれは、權の北方(○○○○)にてめでたし、

〔榮花物語〕

〈三/樣々の悦〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0162 大殿〈○藤原兼家〉とし比やもめにておはしませば、おほんめしうどの内侍のすけ のおぼえ、年月にそへて、たヾ權の北の方(○○○○○)にて、世中の人みやうぶし、さてつかさめしのをりは、ただこのつぼねにあつまる院女御〈○冷泉女御藤原超子〉の御方に大輔といひし人なり、

〔政談〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0163 妾ト云者、無テ叶ザル物也、當時ハメカケ(○○○)ヲバ隠レ者ノ樣ニ仕ル、是習シノ惡敷也、古ヘハ天子諸侯トモニ一娶九女迚、姪姊迄八人附來ル、皆メカケ也、何レモ其后ノ親類ニテ、然モ家來ノ女也、卿大夫之事ハ見ヘズ、古ヘハ官ニテ無レバ、其法無成ベシ、去ドモ子無レバ、妾ヲ置コト通法也、今ノ世ハ表向一妻一妾ト、高下トモニ立テ置候故、メカケハ隠シ者ニ成テ、卻テ色々ノ惡事生ル也、唐律ヲ按ルニ、妻ノ次ニ媵妾者有、是ハ賤敷者ニ非ズ、妻ト左迄替モ無家筋ノ人也、和律ハ此處闕卷ナレバ、事ノ樣知レザレドモ、總體日本ノ古法ハ、唐朝ノ風ナレバ替有マジ、此媵ハ、古ヘノ姪姊也、兼テ如斯人ヲメカケノ役ニ仕テ、婚禮ノ時ヨリ連行トキハ、此風馴レコニ成テ、本妻ハ嫉妬モ薄キ道理也、又本妻ノ親類ニテ、家來ノ内ヲスルコト成バ、人ノ心ハ樣々ナレドモ、先ハ妾ノ惡事薄キ道理也、兼テ餘多設ケ置候トキハ、大好色ノ人ハ格別ノコト、大形ハ男ノ心モ是ニテ足ベシ、古ノ聖人ハ人情ヲ察シテ、男女ノ間ニコト少キ爲ニ、如此ノ禮ヲ立テ玉フコト也、唯今大名ノ家ニ、上﨟ノ御方ト云モノ有、是古ヘノ媵成ベシ、中頃ヨリ本妻ノ嫉妬ノ心ヨリシテ、夫ノ召仕者ノ樣ニハ今ハセヌ成ベシ、備前ノ松平伊豫守ガ奥方ノ風儀宜トテ、某ガ妻ノ母語ル、若キ時分、其家ニ仕ヘテヨク知タリ、妾ニテ子ヲ持タル女モヤハリ奥方へ仕ヘテ、外ノ女中並ニテ、何ノ替リ無シ、唯切米ノ少シ宜ト、奉公ノ樂ナル迄ノコト也、伊豫守ガ奥方賢良ノ婦人ニテ、左樣ノ者ト見レバ、殊ニ念頃ニセラレタリ、奥方ニテノ遊ビハ、管絃、歌樂、手習迄也、三味線、筑紫琴抔ハ、大名ノセヌコト也トテ、堅ク是無ト也、是ハ新太郎少將、聖人ノ道ヲ深ク信ジテ、家内ノ宜ク治リタル餘風殘リテ如斯、去ドモ禮ト云物ヲ立ザレバ、只主人ノ物數寄ト思フコト成故、其風破レタリト承ル、去バ妾ノコトモ禮制ヲ立度事也、

〔政談〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0164 子ヲ持タル妾ヲ御部屋(○○○)ト名付テ、傍輩諸親類ニモ取カハシヲサセ、家來ニハ樣付ニサセテ、其召仕ノ女房ヨリ諸事ノ格式等ヲ、本妻ニ左迄違ハヌ樣ニスルハ不宜コト也、此五六十年以前迄ハ、箇樣ニハ無リシヲ、御先々前御代〈○德川綱吉〉ノ比ヨリ始リテ、今ハ世ノ通例ノ樣ニ成タリ、〈○中略〉妾ノ子ヲ持タルヲ御部屋ト稱シテ、結構ニ會釋シテ、時代ノ風俗ニ合ス可爲ニ、有職ノ輩ノ作事シタルコト明ナリ、古ニ母ハ以子貴ト云ルハ、其子ノ代ニ成テノコト也、御先々前御代未ダ御部屋住ニテ御座アリシ時、御家老ドモ、桂昌院樣〈○本庄氏、德川家光妾、〉へ御登城アルベシト申上タレバ、何ト名乗テカ登城ハ爲ベキ、大猷院樣〈○家光〉ノ御召仕也ト名乗ルベキカ、館林殿〈○德川綱吉〉ノ母也ト名乗ベキカ、何ト名乗テモ大猷院樣ノヲモブセ也、館林殿ノ御面伏也ト御意アリ、又淸陽院樣〈○綱重〉ノ御實母ハ、折々御登城アリケレドモ、桂昌院樣ハ遂ニ御登城ナカリシナリ、此段某幼少ノ時ニ承ル、此時分迄ハ、御女中方モ、箇樣ノ理筋ヲ御存知也、今時ハ左樣ノ理筋絶果タリ、此御部屋ト云ルモノ、多クハ妓女風情ノ者也、夫ヲ寵愛スル男モ不學ニシテ、然モ不智成バ、今ハ定法ノ如クニ成ヌ、且又大名ハ、一年替ニ在所ニ居ユへ、近年ハ公家ノ女抔ヲ竊ニ呼寄テ、在所ニ居へ置、本妻ノ如スル類多シト云、是等モ妾ヲ重ク會釋風俗ヨリ如此ナリタリ、サレバ制度ヲ立テ、長子ヲ持タル妾ヲバ、家老ナドノ同格ニシテ、召仕ノ内ノ貴人ト定、其召仕女中ヨリ、衣服、器物、家居迄ニ、微細ニ制度ヲ立ズハ、此惡風ハ止ベカラズ、家康公ノ御妾七人衆トテ有、駿府ヨリ毎年御鷹野ニ金ケ原へ御成ノ時、七人衆御供也、女一人モ連ラレズ、馬ニテ御供成故、江戸ニ暫御滯留ノ内ハ、某〈○荻生徂徠〉ガ曾祖母ノ許へ女ヲ借リニ來リテハ貸シテ遣レ、曾祖母モ、折々七人衆ノ御部屋へ行留リ抔シテ、東照宮ヲモ見奉ルト、父祖母ノ物語ニテ承ル、此七人衆ト申ハ、三家ノ御方ニハ、何レモ御實母樣ニテ、重キ御事ナリシカドモ、其御代ハ如此ニテ有シ事也、

相嫁

〔倭名類聚抄〕

〈二/姻婚〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0164 妯娌 爾雅云、關西、兄弟之妻、相呼爲妯娌、逐理二反、〈和名阿比與女(○○○○)〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/婚姻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0165 爾雅郭璞注云、今相呼前後、或云妯娌、與此頗異、所引蓋是舊注、按方言築娌匹也、郭璞注、今關西、兄弟婦相呼爲築娌或源君誤引之、

〔伊呂波字類抄〕

〈與/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0165 妯娌〈アヒヨメ〉

〔倭訓栞〕

〈中編一/阿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0165 あひやけ〈○中略〉 あひよめは妯娌也、兩婦也と注せり、共に倭名抄に見ゆ、

婚姻

〔倭名類聚抄〕

〈二/姻婚〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0165 婚姻 爾雅云、壻之父爲姻、〈因反〉婦之父爲婚、〈昏反〉婦之父母、壻之父母相謂爲婚姻

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/婚姻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0165 説文、婚婦家也、禮娶婦以昏時、婦人陰也、故曰婚、姻壻家也、女之所因、故曰姻、釋名、婚言壻親迎用昏、故恒以昏夜上レ禮也、姻因也、女往因媒也、白虎通、昏時行禮、故謂之婚、婦人因夫而成、故曰姻、今俗呼阿比也計

〔倭訓栞〕

〈中編一/阿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0165 あひやけ 婚姻をいふ、妻父曰婚、婿父曰姻といへり、東鑑に相舅と書り、親家ともいへり、やけは宅の義にや、

〔釋親考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0165 婦之父母、壻之父母、相謂爲婚姻(/アヒヤケ)
丘氏曰、俗謂之新家(/エンジヤ)、唐以來則然、又以婚姻之婚姻、爲四門親家、宋人戯作于四門、亦有此語
婦之黨爲婚兄弟(/ヨメカタノエンジヤ)、壻之黨爲姻兄弟(/ムコカタノノエンジヤ)
郭氏曰、古者皆謂婚姻兄弟、邢氏曰、禮記曾子問鄭注云、婿之父母、致命女氏曰、某之子有父母之器、不嗣爲兄弟、是古者謂婚姻兄弟、以夫婦有兄弟之義、或據壻於妻之父母、有緦服、故得之兄弟也、

並置數妻

〔大鏡〕

〈七/太政大臣道長〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0165 この殿〈○藤原道長〉は、北の政所、二所おはします、この宮々の御母うへと申は、土御門左大臣雅信のおとヾの御むすめにおはします、〈○中略〉其まさのぶのおとヾのむすめを、今の入道殿下の北政所〈○倫子號鷹司殿〉と申なり、その御はらに、女君よところ、おとこ君二ところぞおはします、〈○中略〉又高松殿のうへ〈○明子〉と申も、これ源氏におはします、延喜御子高明親王、左大臣左大將ま でならせ給へりしに、おもはざるほかの事により、大臣とられて、太宰權帥にならせ給ひてながされ給ひし、いとヾ心うかりし御むすめにおはします、

〔續世繼〕

〈七/堀河の流〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0166 爲隆宰相は、大辨にて中納言に成んとしけるにも、宰相中將なれども、大辨におとらず、何ごともつかへ、除目の執筆などもすれば、うれへとヾめなどし給ける、おほかたのものの上ずにて、鳥羽の御堂のいけほり山つくりなど、とりもちてさだし給とそきこえ侍し、ゆヽしくうへをぞおほくもち給へるとうけたまはりし、六七人ともち給へりけるを、よごとにみなおはしわたしけるとかや、多はすみなどをもたせて火をこしたる、きえがたにはいでつヽ、よもすがらありきたまひて、あさいをうまどきなどまでせられけるとぞ、さてそのうへどもみななかよくて、いひかはしつヽぞおはしける、

〔とりかへばや物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0166 何時の頃にか、權大納言にて大將かけ給へる人、〈○中略〉北の方二所ものし給ふ、一人は源宰相と聞えしが、御女に物し給ふ、御志はいとしも優れねど、人より前にみそめ給ひてしかば、愚ならず思ひ聞え給ふ、〈○中略〉今一所は藤中納言と聞えしが、御女に物し給ふ、

〔源平盛衰記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0166 兼家季仲基高家繼忠雅等拍子附忠盛卒事
又或人ノ語ケルハ、昔モ係ルタメシナキニ非、村上〈ノ〉帝ノ御宇、左中將兼家ト云人アリ、北方ヲ三人持タレバ(○○○○○○○○○)、異名ニハ、三妻錐(ミツメギリ)ト申ケリ、或時此三人ノ北方一所ニ寄合テ、妬色(ネタミイロ)ノ顯レテ、打合取合、髪カナグリ衣引破リ、ナンドシテ、見苦カリケレバ、中將ハ穴六借(カシ)トテ、宿所ヲ捨テ出給ヌ、取サフル者モナクテ、二三日マデ組合テ息ツキ居タリ、二人ノ打合ハ常ノ事也、マシテ三人ナレバ、誰ヲ敵(カタキ)共ナク、向フヲ敵ト打合ケルコソ咲シケレ、是モ五節ニ拍子ヲカヘテ、取障ル人ナギ宿ニハ、三妻錐コソ捼合(モミアヒ)ナレ、穴廣々ヒロキ穴カナトハヤシケリ、

妻雜載

〔三輪物語〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0166 むかし大和國に、宇多の太郎なにがしと云者あり、文武有士なりければ、國の守親し くいひよりて聟とせり、繼直出居のかたわらに、休所かまへて、かねて召仕べき者もあり、妻の住べき所は、奥にいりてあり、妻いたりて三箇夜の後、めのとだつ者めし出て、我今まで妻なき事は、思ふ所有故也、せばき家の内こそ、ひいなの樣に、夫婦ならびゐずしても叶はぬ、我小身なれども、内外のへだて有、かヽる程の人は、夫婦賓主のごとくあるべし、互に用意なくては見ゆべからず、へだつとおもひ給ふな、妾などは主とすれば、おのづから常の用意あり、妻はさもなければ、なれすぎてたがひの心のおくも、かくれなきやうに成ては、互にうとむ心も出來なん、且我につたなき性有て、不仁無禮の心、かたちを惡む心有、とりわき不慈のいかり、不仁の事などあれば、世の中のけがれをいとふ樣にて、思ひなおしがたし、氣にぶくて、我身のあやまちをだにたヾしえざれば、まして人の惡をたヾす事もむづかしといひきかせて、物むづかしくては奥に不入、可入ときはかならずせうそこせり、妻のこヽろむづかしき時は、めのと出て不例のよしを傳ゆ、もし奥に不仁、奢りの事などあれば、其多少によりて、一旬、二旬、三旬もいたらず、おり〳〵せうそこのみあり、それと人の過をあらはしがほにはあらで、書に見かヽりてとなどいひ、あるは武事のはたすべき行ありてなどまぎらはすれど、心の鬼はしるべく、たしなみもてゆくほどに、あしき習ひなどは跡なくきへうせて、上らうしき心をきて作りいでぬ、此男道學武藝はいふに及ばず、歌の道絃管の遊びもいとよくて見るにあくべき人ならねば、妻もおなじく心に入てしなせり、生れ付すぐれたるにはあらねど、下地おほどかにて、上らうと作りなすべきには、あまる所ありければ、しなよくもてつけて、花の朝、月の夜などには、時にあひたるしらべ共にて、あらまほしきあはひに成けるとなん、

〔三のしるべ〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0167 古事記、八千矛神の后の歌よみしたまふ段に、爾其后取大御酒坏、立依指擧而歌曰、〈○中略〉此歌のこヽの意は、汝命こそは男にてませば、いづくにもいづくにも、遺る處なく妻を持て おはすらめ、吾は女なれば、汝命をおきてほかに夫はなしといふこヽろなり、これは男は身のほどにあはせては、いくら妻をもちたらんもあしからず、女はたヾひとりのみ夫はもつべき婦道の敎へあるによりて、かくはいひ給へるなり、

兄弟

〔新撰字鏡〕

〈親族〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0168 昆〈波良加良〉

〔釋親考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0168 男子先生爲兄(/コノカミ)、後生爲弟(/ヲトフト)、
正字通、兄者、男女之通稱、故今女先生者稱姉、稱女兄、正韻、一東兄註、引爾雅專屬男非、
胤按、正字通説不從、

〔東雅〕

〈五/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0168 兄アニ 弟オトウト 姉アネ 妹イモウト 古語に兄をばセといひ、弟をばナセといひ、姉をばナネといひ、妹をばナニモといひけり、亦兄をイロネといひ、弟をイロトといひ、姉をイロセともいひ、兄弟姉妹相稱して、ハラカラなども云ひしは、皆是同母兄弟姉妹なるを云ふ也、〈兄をセといひ、弟をナセといひ、姉をナネといひ、妹をナニモといひし事は、日本紀に見えしなり、其ナといひ、ナニといひしは、汝也、兄の字舊讀てエといひけり、エといひ、セといひ、ネといふは皆轉語也、ナセといひ、ナネといふは、幷に汝兄(ナセ)といふが如しナニモといふは、即汝妹(ナニモ)なり、萬葉集抄に、イモといふは、イは發語の詞なり、モとは向ふの義也と見えたり、古歌に兄弟の事を、箸向ふと云ひしが如くなるべし、古の俗、妻をもイモと云ひしは、相親しむの謂と見えたり、また同母兄弟姉妹を稱して、イロネとも、イロトとも云ひし、イロとは則イロハ也、母をいふなり、ネとは即兄也、トとはヲト也、猶甲をエと云ひ、乙をトといふが如し、イロセとは、エといひセといふは、轉語也、則同母の兄弟をいふ、古事記に、素戔烏神自ら稱して、天照大神の伊呂勢者也とのたまひし事の見えしは、弟をもイロセと云ひしなり、昆弟相當ふの稱にして、ナセといひしが如きも、また此義とこそ見えたれ、ハラカラとは、猶同胞といふが如し、八ラとは腹也、古語にヨリといふ詞も、アヒダといふ言葉も、共にカラといひけり、されば自の字間の字、並にカラと讀むなり、同じき腹の間より出でしを云ひし也、たゞ其義の如きは不詳〉其後又兄をばアニといひ、姉をばアネといひ、弟をばオトウトといひ、妹をばイモウトといひ、相通じては、兄姉をもセウトといひ、弟妹をもオトウトといひ、また兄をばコノカミなどいひけり、〈アニといひアネといふアは大也、古語にアといひ、アヲといび、オといひ、オホといふが き、皆相轉じていひけり、ニといひ、ネといふは、並に兄也、ヲ ウトとは少人也、舊事紀、日本紀に、少男讀でヲトコといひ、少女讀でヲトメと云し事の如く也、イモウトとは妹人也、セウトとは兄人也、コノカミとは子上也、その我よりさきに生るヽ事な云ひし也、〉

〔鹽尻〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0169 兄弟 舊事宣化紀に、同母弟と書せるを、ハラカラノイロと訓ぜり、自腹の弟といふ事、〈夫より、これより、カレカラ、コレカラといふに同じ、〉然れば異母兄弟をば、ハラカラとは云まじきにや、

〔冠辭考〕

〈八/波〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0169 はしむかふ おとのみこと
萬葉集卷九に、〈弟の死たるを哀しめる歌〉父母賀(チヽハヽガ)、成乃任爾(ナシノマニマニ)、箸向(ハシムカフ)、弟乃命者(オトノミコトハ)云々、また二つあり、先古き語の意にていはヾ、相うつくしみ向はるヽ弟の命といふか、集中に愛妻愛嬬など書たるは、はしきつまともはしづまともよむべく、又同じ愛妻の字を、うつくしづまとよむべき所もあり、又愛八師(ハシキヤシ)、君之使(キミガツカヒ)とも、古事記には、波斯祁夜斯(ハシケヤシ)、和伎弊能迦多(ワドヘノカタ)ともあれば、彼これを照してみるに、皆うつくしむてふ意也、向とは心にかなふことなどを、古へは向しきといへれば、さる意にていふか、はた二人ある兄弟は相對ふ理りのみにても有べし、今一つは箸(ハシ)と書るを正しき字とせば、今の人たヾ二人ある兄弟をはしよりおとヽひといふは、古へよりいへることにてかくいへるか、食(ヲシ)ものヽ具など歌によめること古への常也、

〔古事記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0169是天津日高日子番能邇邇藝命、於笠沙御前麗美人、〈○中略〉問汝之兄弟、答白我姉石長比賣在也、

〔古事記傳〕

〈十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0169 兄弟は、此は波良賀良(ハラガラ)と訓べし、〈イロネイロド(○○○○○○)と訓はわろし〉

〔大和物語〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0169 かいせうといふ人、法師になりて、山にすむあひだに、あらはひなどする人のなかりければ、おやのもとにきぬをなん洗ひにをこせたりけるを、いかなるをりにか有けん、むつがりて、おやはらから(○○○○)のいふ事もきかで、法師になりぬる人は、かくうるさきこといふものかといひければ、よみてやりける、
いまはわれいづちゆかましやまにてもよのうきことはなをもたえぬる

〔安齋隨筆〕

〈後編七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0169 兄弟〈ハ〉他人の始 世諺に、兄弟は他人の始と云事あり、愚人は惡く心得て、兄弟は 他人も同じ事と云事也と思ふは誤也、兄弟は共に父母の骨肉をうけて、同體なるものなれば、兄弟ほど親しきはなし、然れども兄弟の子生れては、伯叔父甥姪となり、其子又子を生、又其子が子を生、段々に親しみうとくなり、血脈のつヾき遠くなりて、果は他人となるゆへ、兄弟は他人のはじめと云也、

〔瓦礫雜考〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0170 俗諺
兄弟他人の始 この諺は、兄弟各々枝葉出來ぬる末がすゑには、他人となれることにて、現在の兄弟はや他人のきざしとて、疎くせむことかは、羅大經が鶴林玉露に、陶淵明贈長沙公族祖云、同源分派、人易世疎、慨然寤歎念茲厥初、老蘇族譜引云、吾所與相視如塗人者、其初兄弟也、兄弟其初一人之身也、悲夫とあるも同じ理をいへり、

〔倭名類聚抄〕

〈二/兄弟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0170 兄 爾雅云、男子先生爲兄、〈許營反〉一云昆、〈和名古乃知美(○○○○)〉日本紀云〈和名伊呂禰(○○○)〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/兄弟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0170 説文、兄長也、白虎通、兄者況也、況父法也、廣雅亦云、兄況也、釋名、兄荒也、荒大也、故青徐人謂兄爲荒也、那波本榮作營、按許榮與廣韻合、在十二耕、營在十四淸、作榮爲勝、伊勢廣本誤作勞、疑那波氏所見本亦作勞、知其誤改作、又誤作營也、爾雅、晜兄也、釋文、晜本亦作昆、故此云一云昆也、本居氏曰、古乃加美、子首也、謂長子也、應神紀、淸寧紀、長子訓己乃加美、是也、魁帥訓比止己乃加三、官司長官云加美、其意與此同、若泛稱諸兄、宜阿爾、神代紀、仁賢紀、兄皆訓阿仁、是也、泛訓兄古乃加美、非是、兄訓以呂禰神代紀、其他尚多、本居氏又曰、以呂禰、謂同母兄姉、以別異母兄姉也、泛訓兄姉以呂禰是、至綏靖紀庶兄、淸寧紀異父兄、並訓以呂禰、其謬尤甚、愚按以呂禰、男子謂同母兄之稱、女子謂同母姊亦同、其以呂、親眤之義、與生母以呂波之以呂同、禰蓋衣之轉、衣對於止之名、其稱通男女、契冲以以呂禰之禰、爲阿尒之轉、本居氏以爲阿禰上略、並非是、古事記神沼名河耳命謂神八井耳命那泥者、即男子謂同母兄伊呂禰之證也、袁祁命謂意富祁命 云汝兄先儛亦當之訓那泥、今本訓爲奈世、非是、若女手謂同母男子、則不兄弟、皆稱伊呂勢、古事記、速須佐之男命、答足名椎神詔、吾者天照大御神之伊呂勢者也、蓋古昔女子謂兄弟及夫皆爲勢、仁賢紀、古者不兄弟長幼、女以男稱兄、是也、故謂同母兄弟伊呂勢也、又女子謂夫爲勢、古今通稱、但其名男子稱兄弟、女子稱姊妹耳、萬葉集相聞歌云、奈勢能古、古事記、伊邪那美命、謂伊邪那岐命、爲我那勢命、神代紀、吾夫君、此云阿我那勢、皆是也、又女子謂兄弟勢者、謂兄爲世宇登、物語書多見、古事記天照大神謂須佐之男命我那勢之命、亦是也、又備中國賀夜郡有庭妋郷、謂爾比世、下道郡有弟翳郷、訓世、可夫爲世、謂弟亦爲一レ世也、

〔伊呂波字類抄〕

〈安/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0171 兄〈アニ亦イロネ〉

〔同〕

〈古/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0171 兄〈コノカミ阿兄、舎兄、母兄、〉

〔同〕

〈伊/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0171 兄〈イロノネ、亦アニ、コノカミ、 爾雅云、男子先生爲兄、一云昆、和名古乃加美日本紀私記云伊呂禰、〉

〔物類稱呼〕

〈一/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0171 兄あに〈嫡子也、俗に總領といふ、〉 越後にてあんにやさといふ、東國にてせなといふ、出羽にてあんこうといふ、奥の南部に、てあいなといふ、九州にてばぼうといふ、備前にて親かたといふ、土佐にておやかたちといふ、〈備前にていふ親かたもをなじ心か〉

〔倭訓栞〕

〈前編九/古〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0171 このかみ 兄をいふ、子の上の義也、

〔倭訓栞〕

〈前編二/阿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0171 あに 兄を常にあにといへり、又なあにとも見えたり、

〔圓珠庵雜記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0171 兄、あに、このかみ、せうと、弟、おとうと、いろと、

〔令集解〕

〈四十/喪葬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0171 古記云、釋親云、男子先生爲兄、後生爲弟、案父之子身之兄弟也、

〔貞丈雜記〕

〈十五/言語〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0171 あにご、あねご、おぢご、おばごなどのごは、御の字也、うやまひて御と云也、御は御前を略したる也、あに御前、あね御前と云心也、一説にあにごなどのごは、公の字也といふは、あやまり也、父御前、母御前、あね御前、姫御前などヽいふ詞、昔よりあり、

〔貞丈雜記〕

〈十五/言語〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0171 今時人の兄をあにきといひ、伯父ををぢきなどヽ云事、あにきみ、をぢきみといふ 事を、みの字を略して云也、古は兄君、伯父君などヽいひし也、

〔古事記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0172 爾速須佐之男命〈○中略〉爾答詔、吾者天照大御神之伊呂勢(○○○)者也、〈自伊下三字以音〉

〔古事記傳〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0172 伊呂勢(イロセ)、<ruby><rb>中卷下卷には伊呂兄と書り、同母兄を云なり、伊呂とは、本愛しみ親しみて云言なり、此事中卷浮穴宮段、常根津日子伊呂泥命の下〈傳廿一の十のひら〉に委く云り、考ふべし、〈師(賀茂眞淵)説に、伊呂は家等にて、万葉十四東歌に、伊波呂(イハロ)と云るこれなり、さて同母の子は、母と共に同家に在る故に、伊呂母(ハ)伊呂兄(セ)伊呂弟(ト)伊呂姊(ネ)と云なりとあり、是ぞ古のさまをよく得られたるものと、さきには思ひしかど非ざりけり、〉さて此命は御弟なれども、男命なる故に兄と詔ふなり、其由は上〈傳六の九葉〉に云り、上に天照大御神の大御言にも我那勢命とあり、

〔古事記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0172 兄八島士奴美神、娶大山津見神之女名木花知流〈二字以音〉比賣生子、布波能母遲久奴須奴神、

〔古事記傳〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0172 兄は御阿邇(ミアニ)と訓べし、書紀神代卷に兄弟(アニオト)、又垂仁の卷に御子たちの次第を云處に第一をも阿爾(アニ)とよめり、又仁賢卷にも異父兄弟(ハラカラノアニオト)など訓り、〈此稱、中昔の物語どもにも多かり、今人の心には、阿爾と云は、俗言のごと思ふめれど、言のさまいと古し、和名抄に兄古乃加美、又母兄波良比止豆乃古乃加美とあれども、古能加美(コノカミ)と云は、本第一子に限る稱なり、魁帥(ヒトコノカミ)なども其中の長を云、官司にても長官な加美(カミ)とは云り、然るを必しも第一に限らず、ひろく弟に對て云は、兄字を訓るから轉れる後のことなるべし、されば書紀應神卷淸寧卷などに、長子な訓るはよく當れり、此に先に三柱女神坐せば、長子にはあらざれば叶はず、又伊呂勢伊呂泥などは、同母のを云稱なれば、是も此には叶はず、然ればたゞ勢(セ)と云ぞ、ひろく兄字によく當れゝど、此は然訓むも語調よろしからずなむ、〉

〔古事記〕

〈中/神武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0172 故天皇崩後、其庶兄當藝志美美命、娶其嫡后伊須氣余里比賣之時、將其三弟而謀之間、〈○中略〉於是其御子聞知而、驚乃爲將當藝志美美之時、神沼河耳命曰其兄神八井耳命、〈○下略〉

〔古事記傳〕

〈二十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0172 兄は伊呂勢(イロセ)と訓べし

〔古事記〕

〈中/開化〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0172 御眞木入日子印惠命〈○崇神〉者、治天下也、其兄比古由牟須美王之子、大筒木垂根王、〈○下略〉

〔古事記傳〕

〈二十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0172 其兄、此兄は美古能加美(ミコノカミ)と訓べし、此は五柱皇子だちの中の第一と云意なるべければなり、凡て古能加美は、子上と云ことにて、子等の中の第一なる一人を云稱なり、〈又其と云を、印惠命を指て申せりとせば、御阿邇(アニ)と訓べし、阿邇と云は、第一の一人には限らぬ稱なり、何れにまれ、此の兄を、イロセ、イロエなど訓るは非なり、いろせなどは、同母の兄を云稱なればな り、〉

〔倭名類聚抄〕

〈二/兄弟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0173 弟 爾雅云、男子後生爲弟、〈和名於止宇止(○○○○)〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/兄弟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0173 按、説文、弟韋束之次第也、轉爲後生者之稱、白虎通、弟悌也、心順行篤也、釋名、弟第也、相次第而生也、契冲曰、於止宇止、劣人之義、謂生年劣於己也、本居氏曰、弟古單曰於止、於止宇止、即弟人之義、而於止通男女之稱、其謂女子後生於止、於妹條之、

〔伊呂波字類抄〕

〈於/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0173 弟〈オトウト〉

〔同〕

〈古/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0173 昆〈コノカミ兄也、後也、亦作昆弟、〉

〔倭訓栞〕

〈前編四十五/於〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0173 おとうと 倭名鈔に弟をよめり、劣人の義、年の劣れる義也、おとヽともいふ、おとうとの略也、いもうとをおとうとヽもいひし事、紫式部日記、後拾遺集に見ゆ、

〔日本書紀〕

〈七/景行〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0173 四十年七月戊戌、天皇持斧鉞、以授日本武尊曰、朕聞、〈○中略〉東夷之中蝦夷是尤強焉、男女交居、父子無別、冬則宿穴、夏則住樔、衣毛飲血、昆弟(○○)相疑、〈○下略〉

〔尊卑分脈〕

〈七/藤原〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0173 顯隆
葉室流稱嫡家事、顯隆卿爲隆卿兩人嫡庶事、爲隆者舎弟(○○)也、然而父爲房卿、以顯隆家嫡之間、父卿永久三年四月死、重服内、同年八月十三日補藏人頭畢、爲隆卿保安三年正月補貫督、雖舎弟侈進也、不年齒嫡庶、所見古今所知也、

〔諸例集〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0173 續名目之儀ニ付問合
文化十酉年六月廿四日、水野若狹守差出袋廻シ、
一、二男者死去仕、三男者他〈江〉聟養子に差遣候、其後嫡子致死去候ニ付、嫡女〈江〉他より致聟養子候、右聟養子より、他〈江〉聟養子ニ罷越候三男者、年若ニ而も、養方兄と唱、三男より者、實方姉聟ニ者御座候得共、年之少長ニ不拘、實方弟之續ニ相心得可然哉、
書面之通者、二男死去、三男他〈江〉聟養子、其後嫡子死去、嫡女〈江〉家督相續之致聟養子候上者、聟養 子より、右三男者養方弟(○○○)之續ニ而候、

〔諸例集〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0174 石谷(朱書)備後守挨拶
嫡男有之、病身ニ而、他家ゟ致養子候處、嫡男ゟ養子之者年增ニ而、兄弟之譯難決御座候ニ付、文化十一戌年相伺候處、嫡男より養子之者年增ニ而も弟に定候樣御差圖御座候ニ付、右之通心得罷在候、然ル處、故有而、兄之養子ニ相成候者、右養子以前兄ニ男女子有之候得共、實甥姪ニ候之處、前條御差圖ニ隨ひ、年下ニ而も兄姊と相定宜有御座候哉、
右之趣御問合仕候、以上、
九月 丹羽左京大夫内(小澤長右衞門)
書面、兄之養子ニ成候者、右養子以前兄ニ男女子有之候得者、實甥姪ニ付、年之長少ニ不拘、養子 之方實叔父ニ付、兄と相定可然候、

同母兄妹

〔倭名類聚抄〕

〈二/兄弟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0174 母兄 文選注云、母兄、〈俗云、波良比止豆乃古乃加美(○○○○○○○○○○)、〉同胞之義同母兄也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/兄弟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0174 垂仁紀、母兄訓波良加良、按波良、腹也、謂同腹也、加良者、與親族訓宇加良也加良、輩儕訓止毛賀良同、然則波良加良、同母兄弟姉妹之總稱、非特訓母兄也、古弟謂同母兄以呂禰、女弟呼同母女兄亦同、女子謂同母兄則爲伊呂勢、〈○中略〉母兄、嵇康與山濤絶交書兩見、李善五臣皆無注、按隠七年公羊傳注云、母兄同母兄、源君或誤引之、

〔倭名類聚抄〕

〈二/兄弟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0174 母弟 尚書注云、母弟同母弟也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/兄弟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0174引周書牧誓篇孔傳文、按古兄謂同母弟以呂止、女子呼同母女弟亦同、女子謂同母弟、則爲伊呂勢、與女子呼同母兄同、

〔古事記〕

〈中/開化〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0175 山代之大筒木眞若王、娶同母弟(○○○)伊理泥王之女、母泥能阿治佐波毘賣生子、迦邇米雷王、〈加邇米三字以音〉

〔古事記傳〕

〈二十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0175 同母弟は、師〈○賀茂眞淵〉の伊呂杼(イロド)と訓れつるを用ふべし、若櫻宮段穴穗宮段などに、伊呂弟とあるに同じければなり、〈女なれば伊呂妹と書る、其は伊呂毛なり、此事傳十三の六十三葉に委云り、考合すべし、書紀に、母弟同母弟などをハラカヲ、ヲモハラカラ、ハヽハラカラ、ハラカラノイロト、オナジハラノイロトなど訓るは、皆古稱にあらず、〉

〔日本書紀〕

〈六/垂仁〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0175 四年九月戊申、皇后母兄(○○)狹穗彦王謀反欲社稷、因伺皇后之燕居而語之曰、汝孰愛兄與一レ夫焉、於是皇后不問之意趣、輙對曰、愛兄也、

〔三代實録〕

〈十八/淸和〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0175 貞觀十二年九月十三日壬戌、第四皇子誕、皇太子同母弟(○○○)也、

〔三代實録〕

〈二十三/淸和〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0175 貞觀十五年四月廿一日乙卯、勅曰、〈○中略〉其號親王者、同母後産、並同盡一、尸鳩之深惠、欲恩施、司牧之至公、猶從義割、但冀枝分若木、高下共春、派出天潢淺深同潤、普告遐邇、令朕意、是日定親王八人源氏四人、〈○中略〉皇子貞保、母女御藤原氏、故中納言長良之女、〈○中略〉皇女敦子與貞保同母(○○)並爲親王、皇子長猷、母賀茂氏、越中守峯雄之女、〈○中略〉皇女載子、與長猷同母、並爲源氏、貫隷左京一條一坊

〔本朝世紀〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0175 久安二年四月十六日己卯、今日有暲子内親王准后勅書事、〈○中略〉
勅、親九族而敦睦、唐堯之聖德長昭建諸姫而分封、周發之賢行既舊、暲子内親王者、朕同産之姉(○○○○○)也、〈○中略〉宜本封之外更加千戸以爲公主湯沐之邑、亦任人賜爵、殊准三宮、布告遐邇朕意、主者施行、
久安二年四月十六日

〔奥州後三年記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0175 みちの國に淸衡家衡といふものあり、淸衡はわたりの權大夫經淸が子なり、經淸貞任に相ぐしてうたれにし後、武則が太郎武貞經淸が妻をよびて家衡をばうませたるなり、然れば淸衡と家衡とは父かはりて母ひとつの兄弟(○○○○○○○)なり、〈○下略〉

〔武德編年集成〕

〈五十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0176 慶長八年八月十四日、信州小諸ノ城主松平因幡守藤原康元、享年五十二歳ニシテ卒ス、其子甲斐守忠良封ヲ襲、康元ハ久松佐渡守俊勝ガ二男ニシテ、神君御同胞ノ昆弟(○○○○○○○)タリ、

異父母兄妹

〔伊呂波字類抄〕

〈知/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0176 異父兄〈父コトナルアニ〉 異父弟〈父コトナルヲト〉、 異父姊〈父コトナルアネ〉 異父妹〈父コトナルイモウト〉

〔令集解〕

〈四十/喪葬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0176 古記云、異父同母、故曰異父、既異姓、故服降身之兄弟姉妹一等、俗云、麻麻波良加良(○○○○○○)也、

〔日本書紀〕

〈十五/仁賢〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0176 六年是秋、日鷹吉士被遣後有女人、居于難波御津哭之曰、於母亦兄(オモニモセ)、於吾亦兄弱草吾夫https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00181.gif 怜(ワレニモセワカクサアガツマハヤ)矣、〈○註略〉哭聲甚哀、〈(中略)或本云、玉作部鯽魚女、共前夫韓白水即https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00232.gif 哭女、更共後夫住道人山寸麓寸、則哭女與https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00233.gif異父兄弟之故、哭女之女飽田女、呼https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00233.gif曰、於母亦兄也、哭女嫁於山寸飽田女、山寸又淫鯽魚女https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00233.gif、則飽田女與https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00233.gif異母兄弟之(○○○○)故、飽田女呼https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00233.gif曰、於吾亦兄也、古者不兄弟長幼、女以妹、男以女稱妹、故云母亦兄、於吾亦兄耳、〉

〔日本書紀〕

〈二十九/天武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0176 八年五月乙酉、天皇詔皇后及草壁皇子尊、大津皇子、高市皇子、河島皇子、忍壁皇子、芝墓皇子曰、朕今日與汝等倶盟于庭、千歳之後欲事、奈之何、皇子等共對曰、理實灼然、則草壁皇子尊先進盟曰、天神地祇及天皇證也、吾兄弟長幼幷十餘王、各出于異腹(コトハラ/○○)然不同異、倶隨天皇勅而相扶無忤、若自今以後、不此盟者、身命亡之、子子孫絶之、非忘非失矣、五皇子以次相盟如先、然後天皇曰、朕男等各異腹而生(○○○○)、然今如一母同産(ヒトツオモハラカラ)慈之、則披襟抱其六皇子、因以盟曰、若違茲盟忽亡朕身、皇后之盟且如天皇

〔源氏物語〕

〈五十二/蜻蛉〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0176 この大將殿のなくなし給てし人〈○浮舟〉は、宮の御二條の北方〈○中君〉の御をとうとなりけり、ことはら〈○中君浮舟〉なるべし、

〔諸例集〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0176 異父兄弟之儀ニ付問合
稻生(朱書)出朋守答
女子、他〈江〉縁付、女子出生仕候上、離縁相成、里方〈江〉歸り、其後又候他〈江〉再縁仕候處、女子出生、右〈江〉聟養子仕候節者、最初縁付候先ニ而出生之女子者、右養子之者之爲ニ者、養母方姊之續可相成哉、又 者異父兄弟ニ准じ可申哉、此段兼而心得罷在候度、奉伺候、以上、
弘化三年閏五月廿八日 松平備中守家來(高室八左衞門)
書面之通者、異父姉ニ而候、

庶兄妹

〔新撰字鏡〕

〈親戚〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0177 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00234.gif 〈萬々妹也〉 庶兄〈萬々兄〉

〔倭訓栞〕

〈中編一/阿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0177 あらめいろね 古事記に、庶兄を訓ぜり、

〔古事記〕

〈中/神武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0177 故天皇崩後、其庶兄當藝志美美命娶其嫡后伊須氣余理比賣之時、〈○下略〉

〔古事記傅〕

〈二十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0177 庶兄は字鏡に庶兄万々兄(マヽセ)とあり、如此訓べし、〈上卷に庶兄弟とあるをば、たゞ阿爾於登杼母と訓たりき、彼は異母兄弟等を凡て云る、其を麻々某といふ稱を知ざればなり、又書紀綏靖卷に、庶兄をイロネ、用明卷に、庶弟なハラガヲと訓るなどは皆當らず、〉又同書に、嫡母万々波々、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00234.gif 万々妹などもあり、〈漢國にて、庶字は嫡に對へる稱にして、嫡妻の生る子を嫡子といひ、妾の生るを庶子といふ、されば庶兄とは、嫡妻の生る弟の、妾の生る兄をいふ稱なり、此も其定まりの如く庶兄と書り、然れども皇國にては、嫡庶を論ず、凡て異母の兄弟を麻々兄麻々弟と云けむこと、彼字鏡に嫡をも庶をも万々とあろにても知るべく、又和名抄に、繼父万々知々、繼母万々波々と見え、又古も今も、非所生子を麻々子と云、今言に非所生親子(ナサヌオヤコ)の問を麻々志伎中(マヽシキナカ)と云り、〉

〔古事記〕

〈中/景行〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0177 故大帶曰子天皇娶此迦具漏比賣命、生子大江王、〈一柱〉此王娶庶妹(○○)銀王生子、大名方王、
W 古事記傳

〈二十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0177 庶妹は、麻々伊毛(マヽイモ)と訓べし、〈アラメイロト(○○○○○○)など訓るは非也〉字鏡に、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00234.gif 万々妹也とあり、〈https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00234.gif 字は心得ず〉凡て庶をば麻々と訓べきこと、白檮原宮段に、庶兄とある下〈傳廿の卅九葉〉に云るが如し、〈庶字にはかかはらず、ただ異母のよしなり、〉

姉妹

〔令集解〕

〈四十/喪葬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0177 古記云、釋親云、女子先生爲姉、後生爲妹、案父之子身之姉妹也、俗云、阿禰於伊毛(○○○○○)也、

〔松屋筆記〕

〈八十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0177 娣妹の字義
女子の長を姉といひ、次を娣といふ、男子の長を兄といひ、その次女を妹といふ、娣妹ともにイモウトとよめど、字はおなじからず、晉語一〈國語七卷七丁右〉に、獻公伐https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00235.gif之、滅https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00235.gif、獲https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00235.gif以歸、立以爲夫人、生奚齋、其娣生卓子云々、注に、娣大計切、女子同生、謂後生娣、於男則言妹也云々と見えたる にて知べし、また、爾雅〈註疏本三卷廿丁左〉釋親に、男子謂女子先生姉、後生爲妹云々とありて、妹は男子の妹にいふなるを、倭名抄〈二卷十四丁オ〉兄弟類部に、爾雅云、女子先生爲姉、音止、女兄、和名阿禰.日本紀讀與兄同云々、また、爾雅云、女子後生爲妹、音昧、和名伊毛宇止、日本紀私記云、以呂止云々と記されしは、上の男子の二字に心づかずして、誤られたる也、喪葬令集解にも、姉妹俗云阿禰於伊毛と見ゆ、

〔古事記傳〕

〈二十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0178 熱田縁起に云、〈○中略〉先是日本武尊、於甲斐坂折宮、有戀宮酢媛、即歌曰、阿由知何多(アユチガタ)、比加彌阿禰古波(ヒガミアネコハ)、和例許牟止(ワレコムト)、止許佐留良牟也(トコサルラムヤ)、阿波禮阿禰古乎(アハレアネコヲ)、〈(中略)比加彌阿禰古とは、宮酢媛を指して詔ふなり、氷上なる姉子と云意なり、曾丹集歌に、あねこが閨と云り、今世の言にも、若き女を、姉とも姉御ともいふ、式に愛知郡火上姉子神社あり、雌媛を祭ると云り、〉

〔老牛餘喘初編〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0178 姉子
延喜神名式に、愛智郡火上姉子神社あり、〈○中略〉曾丹集の歌に、神まつる冬はなかばに成にけらあねこが閨に榊をりしきとありと、本居氏の書にみゆ、おのれ又おもふにこれらの姉ごは、今も父ご、母ご、伯父ご伯母ご、兄ごといふに同じくて、もとは父き、母き、伯父き、伯母き、兄き、姉き、などいふきの轉りたるなり、俗に子、或は御とかくは借字なり、猶中の卷なる伯耆の條を合せ見るべし、

〔源氏物語〕

〈四十七/角總〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0178 例の中納言殿おはしますとて、けいめいしあへり、君だちなまわづらはしくきき給へど、うつろふ方ことににほはし置てしかばと、ひめ君はおぼす、中君(○○)は思ふかたことなめりしかば、さりともと思ながら、心うかりし後は、ありしやうにあね(○○)君をもおもひきこえ給はず、心おかれてものし給ふ、

〔撈海一得〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0178 今三都ニ、女ノ多集リタル處ニテ、諸女義ヲ結テ、兄弟ブンナド云事、唐ノ崔令欽ガ敎坊記ニ日、敎坊中ノ諸女、以氣類相似、約爲香火兄弟ト言ハ、香火ヲ備テ鬼神ニ誓ユヘニカク云ニヤ、此事由テ來ル事舊シ、漢書外戚傳曰、房與宮對食、注應劭曰、宮人自相與爲夫婦對食、房宮二人之名也ト、角先生蠟師父何人カ俑作レルヤ、

〔今物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0179 待賢門院の堀川、上西門院の兵衞、をとヽい(○○○○)なりけり

〔平家物語〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0179 祇王事
太政の入道は、かやうに天下をたなごヽろのうちににぎり給ひしうへは、世のそしりをもはヾからず、人のあざけりをもかへらみず、ふしぎの事をのみし給へり、たとへばそのころ京中に聞えたるしらびやうしのじやうず、ぎ王ぎ女とて、おとヾひ(○○○○)あり、とぢといふしらびやうしがむすめなり、

〔倭名類楽抄〕

〈二/兄弟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0179 姉 爾雅云、女子先生爲姉〈止反〉女兄、〈和名阿禰○禰下一本有日本紀私記云與兄同九字

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/兄弟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0179 原書女子上有男子謂三字、白虎通、姊者咨也、釋名、姉積也、猶日始出、積時多而明也、按説文姊女兄也、故此云云女兄也、〈○中略〉姊訓伊呂禰、見神代紀下、其他尚多、故此云兄同、按伊呂禰、女子謂同母姊、男子謂同母兄之稱、若男子謂同母姊妹、則稱伊呂毛、古事記云、阿治志貴高日子根神、其伊呂妹高比賣命、是也、據仁賢紀云古者不兄弟長幼、男以女稱上レ妹、是可必論長幼也、若泛謂諸女兄、宜阿禰、是阿尒米之急呼、即兄女之義也、

〔伊呂波字類抄〕

〈安/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0179 姊〈アネ亦イロネ〉 女兄〈同〉

〔同〕

〈伊/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0179 姊〈イハシ、アネ、イロネ、 爾雅云、女子先生爲姊、女兄、音止、和名阿禰、日本紀私記云、與兄同、〉

〔倭訓栞〕

〈前編二/阿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0179 あね 常に姊をいへり、神代紀に姊をなねとよめり、皇代紀に、兄をあねとよめるも多し、あにの轉語成べし、信州甲州にては、婦女はすべてあねと呼り、

〔物類稱呼〕

〈一/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0179 姉あね 九州にてばほうぢよといふ、上總房州にてなヽといふ、〈兄弟に限らず、目上の女を尊んでなゝといふ、〉

〔日本書紀〕

〈一/神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0179 素戔鳴尊劉曰、吾元無黑心、但父母巳有嚴勅、將永就乎根國、如姊相(ナネノミコト)見、吾何能敢去、是以跋渉雲霧遠自來參、不意阿姊(ナネノミコト)翻起嚴顔、

〔源氏物語〕

〈二/帚木〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0180 いづれがいづれなどとひ給に、これは故衞門のかみ〈○空蟬父〉のすゑの子にて、いとかなしくし侍けるを、おさなき程におくれ侍て、あね(○○)なる人のよすがにかくて侍るなり、〈○下略〉

〔倭名類聚抄〕

〈二/兄弟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0180 妹 爾雅云、女子後生爲妹、〈昧反、和名伊毛宇止(○○○○)、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/兄弟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0180 説文、妹女弟也、白虎通、妹者末也、廣雅同、釋名、妹昧也、猶日始入、歴時少尚昧也〈○中略〉本居氏曰、古單曰以毛、以毛宇止、即妹人、與於止於止宇止同、古昔男子稱女子以毛、若姊妹、若妻妾、及於他婦人亦然、仁賢紀所謂古者不兄弟長幼、男以女稱妹、是也、古事記云、阿遲鉏高日子根神、次妹高比賣命、是以兄對女弟、故云以毛也、若以女兄、對女弟、則曰於止、與兄之於一レ弟同、古事記又云、姊石長比賣、其弟木花之佐久夜毘賣、是也.中古猶然、古今集在原業平歌小序、謂婦妹妻弟、源氏物語花宴卷、謂朧月夜君女御之弟、皆古義之存者也、愚按神代紀云五十猛神妹大屋津姫命、味耜高彦根神之妹下照姫、思兼神妹萬幡豐秋津姫命、其他尚多、法隆寺繡帳文云、多至波奈等己比乃彌己等妹、名等己彌居加斯支侈比彌乃彌己等、是以兄對女弟、故曰妹、又神代紀、磐長姫謂其女弟神吾田鹿葦津姫之被上レ於天孫曰、唯弟獨見御、垂仁紀、以皇后弟之三女妃、景行紀、美濃國造神骨之女、兄名兄遠子、弟名弟遠子、熊襲梟帥有二女、兄曰市乾鹿文、弟曰市鹿文、應仁紀、皇后弟弟姫、反正紀、夫人弟弟媛、允恭紀、皇后奏言妾弟名弟姫、又朕頃得美麗孃子、是皇后母弟也、天智紀、有遠智娘弟姪娘、法隆寺繡帳文云、娶大后弟名乎阿尼乃彌己等爲后、是以女兄女弟、故曰弟、古今集業平歌小序、謂妻妹妻弟、大和物語、本院北方御弟童、名曰於保都布禰、奉之陽成帝寵、菅原孝標女更科日記謂己與姊之間、爲姊弟乃中、榮花物語藤壺卷、謂初匣殿皇后御弟四御方、初花卷、謂小一條中君宣耀殿女御之弟、狹衣物語、謂堀川大臣北方、爲一條院后宮御弟東宮御姨、後拾遺集小序、謂長女阿禰、幼女爲於止々、皆與本居氏所一レ言合、其説可從、妹訓伊呂止、見神代紀、其他尚多、按以呂止、男子謂同母弟、女子謂同母妹之稱、古事記、伊邪本和氣命、其伊 呂弟水齒別命、又云、穴穗天皇爲伊呂弟大長谷王子、皆以兄對同母弟也、又云、和知都美命有二女、兄名蠅伊呂泥、弟名蠅伊呂杼、以姊對同母妹也、若男子謂同母女子、爲以呂毛、引見上條、泛訓妹爲以呂止是、又用明紀云、皇弟皇子者、謂穴穗部皇子即天皇庶弟、而訓皇弟須女伊呂止、亦誤、

〔伊呂波字類抄〕

〈伊/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0181 妹〈イモウト 爾雅云、女子後生、爲妹、音味、和名以毛字止、日本紀私記云、以呂止、〉

〔倭訓栞〕

〈前編三/伊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0181 いも 妹をいふ、いは發語、もはむかふ義也といへり、萬葉集に孋をもよめり、凡そ夫より婦をよび、兄姉より妹人をいふはもとよりにて、弟より姉を指ても他人どちも女をしか呼び、女どちも互に指ていふなり、

〔古事記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0181 國稚如浮脂而、久羅下那洲多陀用幣琉之時、〈○註略〉如葦牙萌騰之物而成神名、〈○中略〉次成神名、宇比地邇〈上〉神、次妹須比智邇〈去〉神、

〔古事記傳〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0181 妹は伊毛と訓べし、〈和名抄に伊毛宇止とあるは、妹人の義にて、後のことなり、〉伊毛とは、古夫婦にまれ、兄弟にまれ、他人どちにまれ、男と女と雙ぶときに、其女を指て云稱なり、〈故に記中の例、兄弟な擧るに、兄と妹となれば、妹をば妹某といひ、姉と妹となれば、弟某(オトソレ)と云て妹とはいはず、阿遲鉏高日子根神、次妹高比賣命といひ、姉石長比賣、某弟木花之佐久夜毘賣と云るが如し、心を著べし、古の定まりと見えたり、然れば女と女との間にては、伊毛と云ことは、上古には無かりしなり、又書紀仁賢卷に、古者不兄弟長幼、女以男稱兄、男以女稱妹とある如く、男よりは姊をも妹と云しなり、さて又夫婦の間にて、妻を妹と云ることは、世人もよく知れることなり、然るを書紀に、雄略天皇の皇后を指して吾妹と詔へるを註して、稱妻爲妹蓋古之俗乎とあるはいかにぞや、此は今京になりてまでも、常に云ることにて、奈良のころにさらなるを、如此よそ〳〵しげに、蓋古俗乎などゝは、強て萬を漢籍めかさむとての文なり、さて又他人どちの間にても、男の女を指て妹と云ることも、万葉などに甚多し、但し十二卷に、妹といヘばなめしかしこししかすがにかけまく欲き言にあるかも、とよめるを思へば、敬ふべき人をばいはざりし稱にこそ、〉然るをやヽ後には、女どちの間にても稱ことヽなれりき、〈姉妹の間にて妹を云はさらにて、他人にても、万葉四吹黄刀自が歌、又紀女郎が友に贈歌、又十九に、家持の妹の其妻の許に贈歌、其答歌などに皆妹と云り、〉さて妹字をしも書は、此稱に正しく當れる字のなき故に、姑く兄弟の間の伊毛に就て當たるものなり、ゆめ此字に泥みて、言の本義を勿誤りそ、〈黙るを後生人は、ひたすら字を主として思ふ故に、伊毛と云は、本兄弟の妹より出たるが轉て、妻をも然云ぞと心得誤るめり、〉

〔古事記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0182 故阿治志貴高日子根神者、忿而飛去之時、其伊呂妹(○○○)高比賣命、思其御名故、歌曰、〈○下略〉

〔古事記傳〕

〈十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0182 伊呂妹は、伊呂毛(イロモ)と訓べし、同母妹を云なり、まづ凡て古に兄弟を稱呼に、男弟女弟(オトウトイモウト)對へて、男兄(アニ)を勢(セ)と云、阿爾(アニ)とも云、〈此は常の如し〉又女兄(アネ)に對へて、男弟(オトウト)をも勢(セ)と云り、〈須佐之男命のみづから、天照大御神の伊呂勢と詔へるが如し、中昔までも然云り、女兄に對へて、男弟を淤登(オト)と云ことはかり、此は後世と異なり、〉さて女弟(オトウト)に對へて、女兄(アネ)を阿泥(アネ)と云、又男弟(オトウト)のみづから女兄(アネ)を指ても、阿泥(アネ)と云り、〈但し男弟の、女兄を阿泥と云は、みづから呼ときのことなり、傍よりは、男弟に對へては、女兄をも伊毛と云り、中昔までもしかり、此は後世と異なり、〉さて男兄に對へて、男弟を淤登(オト)と云、〈此は堂の如し、女兄に對へて、男弟を淤登と云ことはなかりき、〉又女兄に對へて、女弟をも淤登と云り、〈中昔までも然りき、女兄に對へて、女弟を伊毛と云ることに無し、此に後世と異なり、〉さて男兄に對へて、女弟を伊毛と云、〈此に常の如し、女兄に、對ヘては女弟を伊毛といへることなかりき、〉又男弟に對へて、女兄をも伊毛と云り、〈此は後世と異なり〉かくて又同母兄弟の間にては、勢(セ)を伊呂勢(イロセ)、阿泥(アネ)を伊呂泥(イロネ)、〈阿泥の阿を省きて泥と云なり、例は黑田宮段に、伊呂泥とありて、書紀に某姉と書れたり、さて泥と云は、もとは男女にわたれる稱にて、男名にも負り、此事中卷浮穴宮段、傳廿一の十ひらに云り、然るを阿泥の阿を省きて、同母姉をも伊呂泥といふなり、〉淤登を伊呂杼(イロド)〈淤登の淤を省きて、杼と云なり、濁るは伊呂より連く音便なり、例は黑田宮段に、伊呂杼とあり、又記中に、伊呂弟とあり、さて凡て伊呂と云言の義は、中卷浮穴宮段、傳廿一の十びらに云べし、〉とも常に云り、これらに准ふるに、同母兄に對へて、女弟(イモ)をば伊呂毛(イロモ)と云けんこと決し、〈阿泥を伊呂泥、淤登を伊呂杼と云例にて、伊毛の伊を省きて、伊呂毛と云べし、〉故今然訓るなり、〈前には伊呂毛と云ることの、慥に見えるざによりて、伊呂妹の妹をも、杼と訓べしと云つれども、其は精しからざりき、其故は、古男兄に對へて女弟を淤登と云る例なればなり、記中に伊呂杼とあるは、みな男弟にて、女弟にはみな伊呂妹と書り、又黑田宮段に、伊呂杼と云名も、女兄に對へて云るなれば、男兄に對へて云る例には非るぞかし、凡て古に兄弟を稱呼る名ども、男と女によりて、互に異なること、右の如くにして、後世の格とは異なること多し、委曲ににわきまへずは誤又るべし、書紀の訓、和名抄などは古に合ひがたきことまじれり、よく〳〵わきためて取べき也、〉

〔日本書紀〕

〈二/神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0182 一云〈○中略〉時豐玉姫化爲八尋大熊鰐、匍匐透虵、遂辱爲恨、則徑歸海郷、留其女弟(イロト/○○)玉依姫養兒焉.所以兒名稱彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊

〔續修東大寺正倉院文書〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0182 御野國味蜂間郡春部里太寶貳年戸籍〈○中略〉
中政戸漢人意比止戸口廿〈○註略〉 下々戸主意比止〈年卅六(○○○)正丁○中略〉
戸主妹乎賣〈年五十二(○○○○)正女○中略〉
中政戸六人部儒戸口廿二〈○註略〉
下々戸主儒〈年卅六(○○○)正丁○中略〉
戸主妹豐賣〈年五十二(○○○○)正女〉

〔東大寺正倉院文書〕

〈二十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0183 御野國味蜂間郡春部里太寶貳年戸籍〈○中略〉
上政戸國造族皆麻呂戸ロ卌六〈○註略〉
下中戸主阿佐麻呂〈年五十七(○○○○)正丁○中略〉
戸主妹安賣(○○○)〈年六十(〇〇〇)正女〉
○按ズルニ、右ノ戸主妹乎賣、豐賣、安賣等、皆戸主ノ妹トアレド、其年齡戸主ヨリ長ゼリ、

〔大和物語〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0183 むかし在中將のみむすこ在次君といふがめなる人なん有ける、女は山蔭の中納言のみひめにて、五條のごとなんいひける、かのざいじぎみのいもうと(○○○○)の、伊勢のかみのめにていますがりけるがもとにいきて、〈○下略〉

〔古事記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0183是天津日高日子番能邇々藝命、於笠沙御前麗美人、〈○中略〉故爾、其姉者因甚凶醜、見畏而返送、唯留其弟(○)木花之佐久夜毘賣以、一宿爲婚、

〔古事記傳〕

〈十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0183 弟は淤登(オト)と訓べし、〈伊呂杼(イロド)と訓て宜きもあれど、所によることなり、〉和名抄に、爾雅云、男子後生爲弟、和名於止宇止、〈とあれども、淤登は男女にわたりて云稱なり、又もとはたゞ淤登と云りしを、淤登宇登と云は、夫を袁宇登、妹を伊毛宇登と云類にて、宇登は皆人にて、弟人夫人妹人なり、かく人と添て云は後のことなり、〉また爾雅云、女子後生爲妹、和名伊毛宇止とあれども、古は姉に對へて、後に生れたるをば、女をも弟と云て妹とはいはず、記中の例皆然り、心を著て見べし、中昔までも然にぞありける、〈後に生れたる女子を妹と云は、男兄(アニ)に對へ云稱なり、姉に對へては弟とのみ云て、妹と云ることなかりき、然るを後世には、姉にむかへても妹とのみ云て、男ならで は弟とは云ぬことゝなれるは、漢籍には姉妹と云るにめなれたるうつりにして、皇國の古稱にたがへり、和名抄なども、たヾ漢ざまによりて云るものなり、實は中昔までも古の如くにて、姉に對へては弟とこそ云つれ、古今集雜上詞書に、妻の弟をもて侍りける人に云々、源氏物語花宴卷に、朧月夜君のことを、女御の御おとうとだちにこそあらめ、などある類にて、姉に對へて妹と云ことは無かりき、〉

〔今昔物語〕

〈二十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0184 土佐國妹兄行住不知島語第十
今昔、土佐國幡多郡ニ住ケル下衆有ケリ、己ガ住浦ニハ非デ、他ノ浦ニ田ヲ作ケルニ、己ガ住浦ニ種ヲ蒔テ、苗代ト云事ヲシテ可殖程ニ、成ヌレバ、其苗ヲ船ニ引入テ殖人ナド雇具シテ、食物ヨリ始テ馬齒辛鋤鎌鍬父鐺ナド云物ニ至マデ、家ノ具ヲ船ニ取入テ渡ケルルニヤ、十四五許有男子、其ガ弟ニ十二三歳許有女子(○○○○○○○○○○○○)ト、二人ノ子ヲ船ニ守リ目ニ置テ、父母ハ殖女雇乗ントテ陸ニ登リニケリ、白地ト思テ船ヲバ少シ引居テ、綱ヲバ棄テ置タリケルニ、此二人ノ童部ハ、船底ニ寄臥タリケルガ、二人乍ラ寢入ニケル、其間ニ鹽滿ニケレバ、船ハ浮タリケルヲ、放ツ風ニ少シ、吹被出タリケル程ニテ、滿ニ被引テ遙ニ南ノ澳ニ出ケリ、澳ニ出ニケレバ、彌ヨ風ニ被吹テ帆上タル樣ニテ行、其時ニ童部驚テ見ニ、懸タル方ニ无漢ニ出ニケレバ、泣迷ヘドモ可爲樣モ无テ只被吹テ行ケリ、父母ハ殖女モ不雇得シテ船ニ乗ムトテ來テ見ニ船モナシ、暫ハ風隠ニ差隠タルカト思テ、此走リ彼走リ呼べ共、誰カハ答ヘント爲ル、返々求騒ゲドモ跡形モ無レバ、云甲斐无テ止ニケリ、然テ其船ヲバ遙ニ南ノ沖ニ有ケル島ニ吹付ケリ、童部恐々、陸ニ下テ船ヲ繋デ見レバ敢テ人无シ、可返樣モ无レバ、二人泣居タレドモ甲斐无テ、女子ノ云ク、今ハ可爲樣ナシ、然リトテ命ヲ可棄ニ非ズ、此食物ノ有ム限コソ少シヅヽモ食テ命ヲ助ケメ、此ガ失畢ナン後ハ何ニシテカ命ハ可生然レバ去來此苗ノ不乾前ニ殖ント、男子只何ニモ汝ガ云ンニ隨ム、現ニ可然事也トテ、水ノ有ケル所ノ田ニ作ツベキヲ求メ出シテ、鋤鍬ナド皆有ケレバ、苗ノ有ケル限リ皆殖テケリ、然テ斧鐺ナド有ケレバ、木伐テ菴ナド造テ居タリケルニ、生物ノ木時ニ隨テ多カリケレバ、其ヲ取食ツヽ 明シ暮ス程ニ、秋ニモ成ニケリ、可然ニヤ有ケン、作タル田糸能出來タリケレバ、多ク苅置テ妹兄過ス程ニ、漸ク年來ニ成ヌレバ、然リトテ可有事ニ非ネバ、妹兄夫婦ニ成ヌ、然テ年來ヲ經程ニ、男子女子數産次ケテ、其レヲ亦夫婦ト成シツ、大ナル島也ケレバ、田多ク作リ弘ゲテ、其妹兄ガ産次タリケル孫ノ、島ニ餘ル許成テゾ于今有ナル、土佐ノ國ノ南ノ沖ニ妹兄ノ島トテ有トゾ人語リシ、此ヲ思フニ前生ノ宿世ニ依コソハ、其島ニモ行住、妹兄モ夫婦トモ成ケメナント語リ傳ヘタルトヤ、

〔續世繼〕

〈一/雲井〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0185 入道〈○藤原道長〉おとヾの四の君は、威子の内侍のかみときこえたまひし、こよひ女御にまいり給ひて、藤つぼにおはします、神な月の十日あまりのころ、きさきにたヽせ給、國母〈○彰子〉も后〈○威子〉も、あねをとヽ(○○○○○)におはしませば、いとたぐひなき御さかえなるべし、

嫂/婦嫂

〔倭名類聚抄〕

〈二/姻婚〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0185 嫂婦 爾雅云、女子謂兄之妻嫂、弟之妻爲婦嫂、〈草反〉作㛐〈和名與女(○○)、父母之呼子妻同、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/婚姻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0185 説文、㛮兄妻也、釋名、嫂叟也、叟老者稱也、叟縮也、人及物老、皆縮小於舊也、鄭玄注喪服傳云、嫂猶叟也、叟老人稱也、〈○中略〉按嫂屬心母、早屬淸母、草屬精母、三字其音皆不同、未此所音何據、干祿字書、㛐嫂㛮、上俗中通下正、按禮嫂叔不爲服、孟子、男女授受不親禮也、嫂溺援之以手權也、昭二十八年左傳注、子容母叔向嫂、是男子亦可兄妻上レ嫂、然不弟妻上レ婦也、〈○中略〉新撰字鏡、㛐訓與女、與此言父母之呼子妻合、今俗呼阿爾與女、於止宇止與女、按子之妻亦曰婦、

〔伊呂波字類抄〕

〈與/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0185 嫂〈ヨメ謂兄弟嫂、〉

〔倭訓栞〕

〈中編一/阿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0185 あによめ 嫂をよめり、兄の婦也、

〔釋親考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0185 女子謂兄之妻嫂(アニヨメ)、弟之婦爲婦(オトフトヨメ)、
胤按、孟子曰、男女授受不親禮也、嫂溺援手權也、禮嫂叔不相爲服、據此則兄妻稱嫂者、不特女 子、雖男子而言可也、禮曰、謂弟之妻婦者、是嫂亦可之母乎、故名者人治之大者也、可愼乎、然則弟妻不單稱一レ婦也必矣、漢楚元王傳、過其丘嫂(/サウレウアニヨメ)、應劭曰、丘、姓也、孟康曰、西方謂亡女婿丘婿、丘、空也、兄亡空有嫂也、張晏曰、丘大也、師古曰、史記丘字作巨、丘巨皆大也、張説得之、又晉后妃傳、從嫂(トシ上ノイトコヨメ)蓋從兄之妻、

姒婦/娣婦

〔倭名類聚抄〕

〈二/姻婚〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0186 姒婦 爾雅云、娣婦謂長婦姒婦、〈似反、和名於保與女(○○○○)、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/婚姻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0186 釋名、姒言其先來已所上レ法似也、新撰字鏡、姒娣並訓與女

〔伊呂波字類抄〕

〈與/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0186 姒婦〈オホヨメ〉

〔伊呂波字類抄〕

〈與/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0186 娣婦〈ヲトヨメ〉

〔倭名類聚抄〕

〈二/姻婚〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0186 娣婦 爾雅云、長婦謂稚婦娣婦、〈上音弟、和名於止與女(○○○○)、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/婚姻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0186 説文、娣女弟也、釋名、娣弟也、已後來也、或曰先後、以來先後之也、按於斗與女、於保與女、蓋謂弟妻兄妻、新撰字鏡云、弟妻曰娣、兄妻曰姒、是也、然儀禮喪服傳疏、成十一年左傳正義並爲二婦互稱、謂年小者娣、言娣姒從身之少長、非兄妻呼弟妻娣婦、弟妻謂兄妻姒婦、爾雅邢昺疏從之、爾雅又云、女子同出、謂先生姒、後生爲娣、郭璞曰、同出、謂倶嫁事一夫也、戴侗六書故云、謂長婦稚婦者、言兄弟之妻也、同事一夫、以齒爲長弟可也、兄弟之妻、焉得齒爲長弟乎、如皆以齒、則弟之婦亦可兄之妻上レ娣矣、兄弟之妻自相號呼、而亦曰娣焉、則嫌乎以爲己姪娣也、故兄弟之妻可之娣婦、而不單謂之娣、其相謂則皆曰姒、而別之以叔伯、穆妻謂聲伯之母姒、叔向之嫂謂叔向之妻長叔姒、是也、説者惑於弟婦之稱一レ姒、遂謂婦之長幼娣姒、而不夫之長幼、不亦亂一レ名也哉、邵晉https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00238.gif 亦以賈氏孔氏娣姒從身之少長上レ夫之兄弟非、所辨著明、其説可從、然皆長婦呼稚婦、稚婦呼長婦之名、長婦長子之妻、稚婦季子之妻則非泛呼兄妻弟妻之名、則娣婦訓於斗與女、姒婦訓於保與女者、非是、新撰字鏡、娣字姒字㛐字皆單訓與女

〔釋親考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0187 長婦謂稚婦娣婦(/アヒヨメ)、娣婦謂長婦姒婦(/アヒヨメ)
郭氏曰、今相呼先後、或云妯娌

〔釋親考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0187 女子同出、謂先生姒、後生爲娣、
郭氏曰、同出、謂倶嫁事一夫、公羊傳云、諸侯娶一國、二國往媵之、以姪娣從、娣者何、弟也、此即其義也、

〔倭名類聚抄〕

〈二/姻婚〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0187 私 爾雅云、女子謂姉妹之夫私、公私私字也、〈和名與壻同〉孫炎注云、謂正親也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/婚姻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0187 按説文、私、禾也、又云、厶姦衺也、韓非曰、蒼頡作字、自營爲厶、六書所謂指事也、
説文又云、公平分也、从八厶、八猶背也、韓非曰、背厶爲公、是公私字作厶、經典皆作私者、厶字單形難寫、故假借禾旁字耳、〈○中略〉今俗呼阿禰无古以毛宇止无古、男子謂姉妹之夫亦同、〈○中略〉釋名、姉妹互相謂夫私、言其夫兄弟之中、此人與己姉妹恩私也、按姉妹之夫爲甥、見爾雅、然則自女子之名私、自男子之名甥、源君不擧者、蓋與私和名同而混之也、今俗是亦呼阿禰牟古、以毛宇止牟古

〔伊呂波字類抄〕

〈无/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0187 私(シ)〈ムコ 姊妹夫爲私〉

〔釋親考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0187 女子謂姉妹之夫私(アネイモトムコ) 郭氏曰、詩云譚公維私、孫氏炎曰、謂吾姨者、我謂之私、邢侯譚公皆莊姜姉妹之夫、互言之耳、丘氏曰、今稱姨夫

兄公

〔倭名類聚抄〕

〈二/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0187 兄公 爾雅云、夫之兄爲兄公、〈和名古之宇止(○)〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0187 原書郭璞注、今俗呼兄鐘、語之轉、釋名、夫之兄曰公、公、君也、君、尊稱也、俗間曰兄章、章灼也、章灼敬奉之也、又曰兄伀、言是已所敬、見之怔忡、自肅齊也、

〔伊呂波字類抄〕

〈古/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0187 兄妐〈コシフト 夫之兄曰兄妐兄公イ〉

〔釋親考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0187 夫之兄爲兄公(ショウ/アニコジフト) 丘氏曰、俗謂之大伯、釋名、俗間曰兄章、章灼也、章灼敬奉之也、

〔源平盛衰記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0188 淸盛捕化鳥幷一族官位昇進附秀童幷王莽事
サレバ六波羅殿ノ御一家ノ公達ト云テケレバ、花族モ英才モ面ヲ向へ肩ヲ並ル人ナカリケリ、太政入道ノ小舅(○○)ニ平大納言時忠卿〈○淸盛妻ノ兄〉ノ常ノ言ニ、此一門ニアラヌ者ハ、男モ女モ尼法師モ、人非人トゾ被申ケル、

〔倭名類聚抄〕

〈二/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0188 叔 爾雅云、夫之弟爲叔、與兄公同、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0188 釋名、叔、少也、幼者稱也、叔亦俶也、見嫂俶然却退也、

〔伊呂波字類抄〕

〈古/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0188 叔〈コシフト夫弟曰叔〉

〔釋親考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0188 夫之弟爲叔(/オトヽコジフト)
丘氐曰、俗加以小、家禮考證、晉書、王衍妻郭氏謂衍弟澄曰、夫人臨終、以小郎新婦、不新婦小郎、又王凝之妻謝道蘊謂凝之弟獻之曰、欲小郎上レ圍、是小郎者夫之弟也、
胤按、隋牛弘弟https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00241.gif 、嘗醉射殺弘駕車牛、其妻謂弘曰、叔射殺牛、猶爾雅之稱也、

女公

〔倭名類聚抄〕

〈二/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0188 女公 爾雅云、夫之姉爲女公、〈和名古之宇止女(○○○○○)〉

〔伊呂波字類抄〕

〈古/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0188 女妐〈コシフトメ 女公イ 夫之姊曰妐〉

〔釋親考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0188 夫之姉爲女公(シヨウ/アネコジフトメ)
丘氏曰、俗謂之大姑、C 女妹

〔倭名類聚抄〕

〈二/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0188 女妹 爾雅云、夫之女弟爲女妹、〈和名與女公同〉又姉妹也、〈〇一本无也字、妹下有之妹見上文五字、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0188 按源君所見爾雅、蓋脱女字、單作妹、故注云、又姉妹之妹、與私條注云、今案公私之私字也、婦條注云、又夫婦之婦也一例、皆明字同義異也、所引爾雅、若作女妹、不注云如一レ此、則作女妹者、疑係後人依原書校增、今不遽增、袁廷檮曰、釋親云、夫之女弟曰女妹、郭璞注、今謂之女妹、 按爾雅正文女妹、當女叔、禮記昏義、和於室人、注、室人謂女妐女叔諸婦也、正義曰、女叔謂壻之妹也、夫之弟爲叔、故女弟爲女叔、爾雅本作女叔、故郭注云、今謂之女妹、若爾雅作女妹、郭氏必不此下一レ注矣、其説可從、然唐石經及宋版爾雅、皆作女妹、謬來已久、源君所見亦不女叔也、

〔伊呂波字類抄〕

〈古/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0189 女妹〈コシフトメ夫之女弟曰女妹

〔釋親考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0189 夫之女弟爲女妹(/イモトコジフトメ)
丘氏曰、自唐以來、稱爲、小姑、故詩有先遣小姑嘗之句

婦兄/婦弟

〔倭名類聚抄〕

〈二/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0189 婦兄 辨色立成云、婦兄婦之兄也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0189 按婦兄弟、即下條甥是也、

〔倭名類聚抄〕

〈二/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0189 婦弟 辨色立成云、婦弟婦之弟也、

〔伊呂波字類抄〕

〈古/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0189 婦兄〈コシフト婦之兄也〉

妻之昆弟謂甥

〔倭名類聚抄〕

〈二/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0189 甥 爾雅云、妻之昆弟曰甥、〈音生、和名古之宇斗(○○○○)、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0189 原書曰作爲、釋名、妻之昆弟曰外甥、其姉妹女也、來歸己内妻、故其男爲外甥、甥者生也、他姓子本生於外、不其女來在己内也、〈○中略〉按甥即婦兄弟、複出非是、無者爲是、又按姉妹之子亦曰甥、見兄弟類、又姑之子曰甥、舅之子亦曰甥、於從父兄弟及從母兄弟條之、姉妹之夫亦曰甥、於私條之、姑之子以下、源君皆不載、

〔釋親考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0189 妻之晜弟爲甥(メカタノコジフト)
釋名、外甥、類書纂要、稱外甥宅相、品字箋今世俗以妻之兄弟皆呼曰舅想、因其子之呼母舅、而假借之者也、
我舅者、吾謂之甥也、
胤按(○○)、姑之子(○○○)、舅之子(○○○)、妻之昆弟(○○○○)、姉妹之夫(○○○○)、四人體敵(○○○○)、皆可稱甥(○○○○)、而又以稱姉妹之子、稱姉妹之孫、稱女 子子之夫、然謂我舅者吾謂之甥、則呼姉妹之子、與女壻、蓋其正名也、故文字所稱、皆稱姉妹之子、夫名者人治之大者也、殊其稱呼、欲相混也、而四者同稱、其可乎哉、善乎丘氏之言曰、古之人造字立名之始、何獨詳於物而略於人哉、如舅之一名、或以呼夫之父、或以呼姑舅之子、妻之晜弟、姉妹之夫、女子之壻、乃至昆弟之子、惟女子稱姪、而無男子之稱、其中類多假借混同者、顧乃於艸木蟲魚之品、條分而類別之、釋名者、於一馬之賤、因其毛色、而有數十種之稱、造字者、於一玉之微、隨其形色、而有數百品之別、人家親屬稱呼、乃人倫之大綱、名正然後言順、然後上下相安、而可以致肅雝之治、非細故也、

〔釋親考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0190 姑之子爲甥(/タメウノイトコ)
儀禮姑之子注、外兄弟也、疏、姑是内人、以外而生故也、會典、姑之子謂之表兄弟、即姑舅兄弟、
胤按、父之姉妹之子、
舅之子爲甥(/ハヽカタノイトコ)
儀禮舅之子注、内兄弟也、疏、對姑之子舅子、本在内不出、故得内名也、會典、舅之子謂之内兄弟、即姑舅兄弟、〈○中略〉
胤按、母之昆弟之子、杜甫別李義詩、中外貴賤殊、余亦忝諸孫、邵寶注云、宗(/トウメウ)姓爲中、異(/タメウ)姓爲外、
姉妹之夫爲甥(/アネイモトムコ)
郭氏曰、四人體敵、故更相爲甥、甥猶生也、今人相呼蓋依此、丘氏曰、後世所謂甥者(/タメウノヲイ)、止以稱姉妹之子、而臨文者、或以呼人之壻、而謂姑舅之子中表兄弟、朱子語類云、舅子謂之内兄弟、姑子謂之外兄弟、爾雅雖古書、然且當俗、不然駭、人之見聞也、

妻之姉妹謂姨

〔倭名類聚抄〕

〈二/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0190 姨 爾雅云、妻之姉妹同出爲姨、〈夷反、與女公同、〉一云〈伊毛之宇止女</rb><rt>○○○○○○</rt></ruby>、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/夫妻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0190 説文亦云、妻之女弟、同出爲姨、釋名只云、妻之姉妹曰姨、姨弟也、言己妻相 長弟也、母之姉妹曰姨、亦如之、按母之姉妹亦曰姨、見父母類

〔伊呂波字類抄〕

〈伊/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0191 姨〈イモシフトメ爾雅云、妻之姉妹、婦之姉妹曰姨、〉 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00242.gif イモウトメ

〔同〕

〈與/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0191 httpss://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00243.gif 〈ヨメ爾雅云、妻之姉妹、イモウトメ、〉

〔同〕

〈古/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0191 姨〈コシフトメ婦姉妹也、訓與女姑同也、〉 婦弟〈已上同訓、與女姑同、〉

〔釋親考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0191 妻之姉妹同出爲姨(/メカタノコジウトメ)
郭氏曰、同出謂己嫁、詩云邢侯之姨、丘氏曰、今稱同、釋名、妻之姉妹曰娣、娣、弟也、言己妻相長弟也、


*1 親同性
*2 族曾祖父
*3 族祖父
*4 族曾祖母
*5 族祖母
*6 族母
*7 族祖姑
*8 族姑
*9
*10 從祖父(オホチヲチ
*11 從祖兄弟
*12
*13 從祖母
*14 從祖姑
*15
*16 伯母
*17
*18 伯母
*19 姑姉
*20
*21 外兄弟
*22 アニ
*23 兄子(姪
*24 嫂(イロネ
*25
*26 イモ
*27 (ヲヒメヒ
*28
*29 曾祖父
*30 (コ
*31 (ムスメ
*32 オト
*33 甥(ヲヒ
*34 弟子
*35
*36 歸孫
*37
*38 イモ
*39 (ヲヒメヒ
*40
*41
*42
*43
*44 叔母
*45
*46
*47
*48 姑妹
*49
*50 外兄弟
*51
*52
*53 從祖父(オホチヲチ
*54 從祖兄弟
*55
*56 從祖母
*57 從祖姑
*58 族曾祖父
*59 族祖父
*60 族曾祖母
*61 族祖母
*62 族母
*63 族祖姑
*64 族姑
*65 親同姓
*66 ハヽカタノオホヲチ
*67 外從祖祖父
*68
*69 内兄
*70 ハヽカタノナホヲハ
*71 外祖姑
*72
*73
*74
*75 内弟
*76
*77
*78 ハヽカタノオホヲチ
*79
*80
*81 妹當作叔
*82 イモ
*83 (イロモ
*84 (イロト
*85 (イロモ
*86 (イロセ
*87 (イロセ
*88 (セ
*89
*90
*91 歸孫
*92 (アネ
*93 (セ
*94
*95 歸孫
*96 (オト

トップ   差分 履歴 リロード   一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2022-06-29 (水) 20:06:26