p.0829 言語ハ、コト、又ハコトバト云フ、凡ソ言語ニハ、古言アリ、今言アリ、雅言アリ、俗言アハ、方言アリ、又人ノ性質ニ依リテ、多辯ナルアリ、寡言ナルアリ、巧ニ諧謔ノ言ヲ弄シ、或ハ好デ、荒誕ノ談ヲ爲スアリテ、一ナラズ、而シテ言語ハ往々過誤ヲ招クヲ以テ、古來之ヲ戒飭セシモノ尠カラズ、
p.0829 言語 言談
p.0829 言語 言詞
p.0829 言語 言舌 言説
p.0829 言語(ゴンゴ)〈周禮註、發端曰レ言、答述曰レ語、毛詩註、直言曰レ言、論難曰レ語、〉 言辭(ゴンジ)
p.0829 一言語トハトモニコトバノ心歟
ツネニハモノイフコトバナリ、但毛詩、于レ時言レ言、于レ時語レ語ト云ヘル注ニ釋シテ云、直言曰レ言、論難曰レ語ト云ヘリ、スナヲナルコトバヲバ言トイヒ、モノヲ論ズルヲバ語ト云フベキニヤ、コレハツネノコヽチニハタガヒタリ、
p.0829 言宣也、宣二彼此之意一也、 語叙也、叙二己所一レ欲レ説也、
p.0829 言〈和、後ン、〉
p.0829 言 (ゲンケン)〈上去偃反、下並二唇皮一貎、〉
p.0830 言〈コト(○○)〉 説 語〈已上同〉
p.0830 陽神不レ悦曰、吾是男子、理當二先唱一、如何婦人反先レ言(コト)乎、〈○下略〉
p.0830 言(○) みこと さか〈万○中略〉 ことのは ねり〈とゝのほらぬ事をいふなり〉 あさ よこ言〈○中略〉
あたこと ひとこと もろ〈衆言、日本紀、〉
p.0830 此八千矛神、將レ婚二高志國之沼河比賣一幸行之時、到二其沼河比賣之家一、歌曰、〈○中略〉阿麻波勢豆加比(アマハセヅカヒ)、許登能(コトノ/○○ )、加多理其登母(カタリゴトモ)、許遠婆(コヲバ)、
p.0830 於レ是答曰、吾先見問故、吾先爲二名吿一、吾者雖二惡事一而一言、雖二善事一而一言、言離之神、葛城之一言主之大神者也、
p.0830 此御名を負坐る由は、凶事(マガコト)にても、吉事(ヨゴト)にても、此神の一言にて、解放離る意なるべし、
p.0830 高來里、古老曰、天地權輿、草木言語(コトトヒシ/○○)之時、自レ天降來神名稱二普都大神一、〈○下略〉
p.0830 六月晦大祓〈十二月准之〉
語問〈志〉磐根樹立、草之垣葉〈乎毛〉語止〈氏、○下略〉
p.0830 言擧阜、右所三以稱二言擧阜一者、大帶日賣命之時、行軍之日、御二於此阜一而敎二令軍中一、曰三此御軍者慇懃勿二爲(ナセソ)言擧(コトアゲ/○○)一、故號曰二言擧前一、
p.0830 柿本朝臣人麿歌集歌曰
葦原(アシハラノ)、水穗國者(ミヅホノクニハ)、神在隨(カンナガラ)、事擧不爲國(コトアゲセヌクニ)、雖然(シカレドモ)、辭學叙吾爲(コトアゲゾワガスル)、言幸(コトサキク)、眞福座跡(マサキクマセト)、恙無(ツヽミナク)、福座者(サキクイマサバ)、荒磯浪(アリソナミ)、有毛見登(アリテモミント)、百重浪(モヽヘナミ)、千重浪敷爾(チヘナミシキニ)、言上爲吾(コトアゲスルワレ)、
反歌
志貴島(シキシマノ)、倭國者(ヤマトノクニハ)、事靈之(コトダマノ)、所佐國叙(タスクルクニゾ)、眞福與具(マサキクアリコソ)、 ○按ズルニ、言靈ノ事ハ、文學部國語學篇ニ載セタリ、
p.0831 言〈魚韃反、コトハ(○○○)、〉 詞〈音辭コトハ〉 語〈魚擧反コトハ 和コ〉
p.0831 詞〈コトハ〉 辞〈正作レ辭、不レ受也、〉 謝 慶 差 譮 言〈直言曰レ言、答難曰レ語、〉 語〈辭コトハ、亦作レ敎、〉話 辭〈達也、詺是也、〉
p.0831 言葉 詞 辭
p.0831 是後高皇産靈尊、更會二諸神一選下當レ遣二於葦原中國一者上、〈○中略〉此神〈○武甕槌神〉進曰、豈唯經津主神獨爲二丈夫一、而吾非二丈夫一者哉、其辭氣慷慨(コトハイキザシハゲシ)、
p.0831 詞〈○中略〉
詞玉〈ことばをほめて云也○中略〉 ことば ことばの玉 こと葉のたね いふことの葉 ちゞのことのは ことのはの花 ことのは草 やちくさのことのは毎に なげのことのはの露 ことのははなげなる物 のこることのは ことのはのちり
p.0831 ことのは(○○○○) 言の葉の義也、詞をことばといふも同じ、言詞は繁くさか行をもて葉といへり、
p.0831 人の心かはりにければ 右近
思はんとたのめし人はありときくいひしことのはいづちいにけん
p.0831 言〈モノイフ(○○○○)直言曰レ言、答難曰レ語、〉
p.0831 ものいふ 古事記に物言と見え、神代紀に言語をよめり、古今集に、ものらいひけるとも見ゆ、
p.0831 然彼地〈○葦原中國〉多有二螢火光神及蝿聲邪神一、復有二草木咸能言語(モノイフ)一、
p.0831 其建御名方神、千引石擎二手末一而來言、誰來二我國一而忍忍如レ此物言、
p.0832 二十三年十一月乙未、湯河板擧獻レ鵠也、譽津別命弄二是鵠一、遂得二言語一、
p.0832 二十七年十二月、川上梟帥叩頭曰、且待之、吾有レ所レ言(モノマウサム)、
p.0832 三十年十月、口持臣之妹國依媛、仕二于皇后一、適二是時一侍二皇后之側一、見二其兄沾レ雨而流涕之、歌曰、揶莾辭呂能(ヤマシロノ)、菟菟紀能瀰揶珥(ツヽキノミヤニ)、茂能莾烏輸(モノマヲス/○○○○○)、和餓齊烏瀰例麼那瀰多愚摩辭茂(ワガセヲミレバナミダグマシモ)、
p.0832 おやのまもりける人のすむめに、いとしのびあひて、ものらいひける(○○○○○○○)あひだに、おやのよぶといひければ、〈○中略〉 おきかぜ〈○歌略〉
p.0832 一書曰、〈○中略〉月夜見尊、〈○中略〉然後復命、具言(マウシ玉フ)二其事一、
p.0832 一書曰、〈○中略〉伊弉册尊〈○中略〉謂二伊弉諾尊一曰、吾夫君尊請勿レ視レ吾矣、言(ノ玉フ/○)訖忽然不レ見、
p.0832 陳二防人悲別之情一歌一首〈幷〉短歌〈○中略〉 知知能未乃(チヽノミノ)、知知能美許等波(チヽノミコトハ)、多久頭怒能(タクヅヌノ)、之良比氣乃宇倍由(シラヒケノウヘユ)、奈美太多利(ナミダタリ)、奈氣伎乃多婆久(ナゲキノタバク)、〈○下略〉
p.0832 天下の言には、古言(○○)あり、今言(○○)あり、其古今の間に於て、又其方言(○○)あり、方言の中にも、亦各雅言(○○)あり、俗言(○○)あり、古言とは太古より近古に至るまで、其世々の人の云ひし所の語言なり、今言とは近世の人いふ所の語言なり、〈○下略〉
p.0832 何事もふるき世のみぞしたはしき、今やうは無下にいやしくこそなりゆくめれ、〈○中略〉たゞいふ言葉も、くちおしうこそなりもてゆくなれ、いにしへは車もたげよ、火かゝげよとこそいひしを、今やうの人は、もてあげよ、かきあげよといふ、主殿寮人數だてといふべきを、たちあかししろくせよといひ、最勝講の御聽聞所なるをば、御かうのろとこそいふを、かうろといふ、くちおしとぞ、ふるき人は仰られし、
p.0832 物類稱呼諸國方言序〈○中略〉
そも〳〵いにしへを去る事遙にして、そのいふ所も彼にうつり、これにかはりて、本語を失ひた るも、世に多かるべし、中にも都會の人物は、萬國の言語にわたりて、をのづから訛すくなし、しかはあれど、漢土の音語に泥みて、却て上古の遺風を忘るゝにひとしく、邊鄙の人は、一郡一邑の方語にして、且てにはあしく訛おほし、されども質素淳朴に應じて、まことに古代の遺言をうしなはず、大凡我朝六十餘州のうちにても、山城と近江、又美濃と尾張、これらの國を境ひて、西のかたつくしの果まで人、みな直音にして平聲おほし、北は越後信濃、東にいたりては、常陸をよび奧羽の國々、すべて拗音にして、上聲多きは、是風土水氣のしからしむるなれば、あながちに褒貶すべきにも非ず、畿内にも俗語あれば、東西の邊國にも雅言ありて、是非しがたし、しかしながら正音を得たるは、花洛に過べからずとぞ、〈○下略〉
p.0833 方言
漢の楊子雲、輶軒絶代語の撰あり、世に楊子方言といへり、わが邦にて近來越谷吾山といふ俳人の物類稱呼をあらはしたり、ある人大和の國の方言をすべいへる諺とて、
てい〳〵ござれ、さうはつちや、かたつか、けんずゐ、ゑそまつり、おもふに、てい〳〵ござれは、歩行の義、あるきてござれと云ふに同じ、さうはつちやは、左樣と云ふ詞にて、はつちやは助語のはたらきなり、かたつかは、つまらぬといふ俚語に同じ意ばへにて、かたつかもないなどゝもいへり、けんずゐは、間炊なるべし、中食のことなり、籠耳に、晝食くふこと、人によりてその名目たがひあり、侍は中食といひ、町人は晝食といひ、寺がたに點心といひ、道中はたご屋にてひる息といひ、農人は勤隨といひ、御所方にて女中のことばには御供御といふとあり、又風俗文選の汶村が南都賦に、なら茶をヤチウと名づけ、晝食を硯水といふともいへり、しかれども勤隨、また硯水、ともに字音の假借なるべし、ゑそまつりは、ゑそは魚の名なり、大和は海なき國にて、神事祭禮ありとも、ゑそなどの海魚の得がたきをもて、肴に酒宴することはなみのことにてなしといふこゝろ にて、珍肴をそなへたるふるまひなどのあるときの言なり、出羽の方言をいふ諺に、
あいべちや、こいちや、ござもせちや、
あいべは行けといふこと、こいは來れといふこと、ござもせはござれといふ方言なり、ちやは助語にて、かの國にてつねにいふことゝぞ、盛岡あたりの方言をいふ諺に、
びる、どんぼ、がに、げいる、
蛭、蜻蛉、蟹、蟇なり、陸奧の俗は濁音多ければなり、また筑紫がたにては詞の末にばつてんといふ助語を、そへていふことあり、聞きなれぬものは、耳にかゝりてをかしきやうに思へど、今常にさういうたればとて、しかじかなりといふこと、誰もいふことにて、ばとてといふ詞の國のなまりにて、ばつてんとなるなり、すべて國によりて品物の名の異なるは、さもあるべきことなれど詞の轉訛は大かた音便よりくづれて、終には詞のもとのわからぬこと多かり、
p.0834 江戸は日本國の人の寄場にて、言葉も關八州の田舍在郷の訛をよせて、自然となりし物ゆゑ、江戸詞と云ては甚少なし、其内古風を守り、叮嚀の詞も有り、大體京攝の詞を詰て短かく云ならはせし也、京都にても上京と下京と少し宛の詞に變あり、大坂にても五畿内の寄詞にて、三郷に大同小異あり、安治川邊の者は、四國九州中國の詞に馴れ、上町玉造の者は、大和伊賀伊勢の詞に移り、堺の者は紀州和泉路の詞に通じ、天滿の者は丹波丹後の言葉も交るべし、遠國他境の人の開語のはかり兼るは、各生れ所の國言葉にて訛とはいふべからず、諸國の人を相人とする都會の者が、其國詞に付合て云を訛と云也、笑ふべきことにはあらず、凡三の者ほど訛るものはなし、心を付て聞べし、
京と大坂と一夜の船の隔あるにさへ、大坂の温(ぬく)ひは京で暖(あたゝか)ひ、京のきついは、大坂のゑらい、大坂の大きい、京でいつかい、大坂でどゑらひは、京で仰山、大坂のそふじやさかひは、京でそじやけん ど、大坂のこちへ遣(おこ)せを、京で爰へ來(く)しや、〈○中略〉
三都と詞をわけて云時には、江戸詞は耳立聞え、京大坂とはさまで替りたる訶もなし、是は詞の延縮(のびちゞみ)引か放すかといふ計の違ひなれば也、江戸とても尊き人々には聊も詞は替りたることなき者也、いはゞ文通書狀に書送るに、江戸なればとて、訛を入て書送ること有まじ、それにて通る所を見れば、江戸詞とは中分より下賤の詞也、〈○中略〉
上方にて買(かう)て來(く)るを江戸にては買(かつ)て來る、借(かつ)て來るを借(かり)て來る大きいを恐ろしい、仰山(げうさん)を大騷(たいそう)、そふじやさかいをだから、糸樣(いとさま)をお娘樣(じやうさま)、〈○下略〉
p.0835 助語〈ことばのをはりにつくことなり〉京師にてナ、八瀨大原邊にてニヤ、橋本邊にてノヨ、大和にてナヨ、攝津にてノヤ、播磨にてノ、石見にてケニ、因幡にてケン、但馬にてガア、紀伊及豐後にてニ、豐前にてメセ、西國及中國にてドモ、テヤ、土佐にてナア、ノヲ、ネヤ、尾、參、遠、駿、甲、信にてズ、武藏にてケ、上總にてサ、下總にてナサイ、安房にてサア、上下野州にてムシ、越後にてナ、加賀にてナ、陸奧にて、サア、出羽最上にてべ、同國庄内にてチヤ、同國秋田にてサイ、關東にてベイ、美濃にてチヤ、畿内近國の助語にさかひ(イ)と云詞有、關東にてからといふ詞にあたる也、〈からと云詞、故といふに同じ、吹からに秋の草木のと詠るも吹ゆへに也、〉
p.0835 一何とすべい、行くべいなどゝ云べいの詞は源氏物語、枕草紙、其外古書にあり、今も田舎にはべいと云詞あり、べいはべき也、可の字也、キとイ五音通ずる故、べきと云事をべいと云也、江戸の人々、田舍者のべいと云詞を笑ふは非也、
p.0835 相聞
駿河能宇美(スルガノウミ)、於思敝爾於布流(オシベニオフル/○○○)、波麻都豆夜(ハマツヾラ)、〈○夜恐良誤〉伊麻思乎多能美(イマシヲタノミ)、波播爾多我比奴(ハハニタガヒヌ)、
右五首〈○四首略〉駿河國歌、〈○中略〉 可豆思賀能(カツシカノ)、麻萬能手兒奈家(ママノテコナガ)、安里之可婆(アリシカバ)、麻末乃(ママノ)於須比爾(オスヒニ/○○○)、奈美毛登杼呂爾(ナミモトドロニ)、
右四首、〈○三首略〉下總國歌、
p.0836 おすひは、上の駿河歌の於思敝(オシベ)と同じく、磯邊といふ事と聞ゆ、
p.0836 多妣由伎爾(ダビユキニ)、由久等之良受氐(ユクトシラズテ)、阿母志々爾(アモシシニ/○○○○)、己等麻乎佐受氐(コトマヲサズテ)、伊麻叙久夜之氣(イマゾクヤシケ)、
右一首、寒川郡〈○下野〉上丁川上巨老、
p.0836 あもはおもにて母也、しゝはちゝ也、おもふに知(チ)々と書るを、志々に誤れるか、
p.0836 かひうた
かひがねをさやにも見しがけゝれなく(○○○○○)よこほりふせるさやの中山
p.0836 けゝれなくは心なく也、甲斐人は、今も月の九日をけゝぬかといへば、心をけゝれといひつらん、
p.0836 實盛さいごの事
手づかゞ郎どう、主をうたせじと、中にへだ丶り、齋藤別當にをしならべてむずとくむ、齋藤別當、あつはれをのれは、日本一のかうの者と、くむてうずよなよれ(○○○○○○○○○)とて、我乘たりけるくらのまへわにをし付て、ちつともはたらかさず、くびかき切てすてゝける、
p.0836 平家物語ニ、實盛ガイヒシ詞ニ、アツハレオノレハ、日本一ノ剛ノモノト、クムテウスヨノフレトテ〈○中略〉トアリ、此コヽロハ、我ガ如キ日本一ノ兵ト組ムトイフカトテ、組タリシコトナリ、テウス云コトバヽ、今モ越路ニイフトナリ、又ノフレトハ、サネモリガ生國越前ノ國ノコトバナリ、今モ、越前ニテハ、詞ノアトニ、ノレトイフ詞アリトナリ、俗歌(○○)ニ、加賀ノカ(○○)ニ越前ノレ(○○)ニ、都ノエ(○○)東男ノノサ(○○)ノオカシサ、ト云コトモアルナリ、作者〈信濃前司行長〉ノ心ヲツケテ書ヌルヲシラズシテ、實盛ト云謠ニグンデフズヨト云ハ、謠ノアヤマリナリ、グムデフズヨトウタフ ニヨリテ、イロ〳〵ノ説ヲツケテ云ハ、皆僻コトナリ、組テフスヨトイヘバ、能ク聞ヘテスムコトナリ、
p.0837 〈わうらいの人○京都〉コリヤじやうもんがいくそふじや、おひ(水)もて出やしやんかいな、〈じやうもんがいくとは、火事があるそうなと、いふことなり、〉 〈わうらい〉どこにじやうもんがいくぞいな アレあこへはしごもていくわいな、あほよ〳〵、 〈彌〉何ぬかしやアがる 〈わうらい〉ふぬけなわろじやハヽヽヽ 〈彌次〉イヤこのべらさくめら〈トはしごをあたまへのせたなりに、くつとふりかへれば、そのはしごあとさきにて、わうらいのあたまをこつつり、〉 〈わうらい〉アイタアイタ何じやいどめつそふな、此人中でながいもの、横たはしにしくさつて、ゑらいあんだ(馬鹿)らじやな、のうてんとやいてこませやい、〈彌次〉ナニたはことぬかしやアがる〈○下略〉
p.0837 〈千長〉江戸で何致しましてといふ場を、大坂ではメツソウナといひやすね、そして江戸でてんづけだの、つ〈つ〉かけだのといふ處を、大坂ではノツケにといひヤスよ、〈○下略〉
p.0837 訛(クワ)言
p.0837 訛(ヨコナマル)〈日本紀〉 訛(ナマル/ダミタル)
p.0837 なまる 由舍人の言葉を今もしかいへり、日本紀に訛をよこなまるとよめる是也、摩訶止觀にてなまるとよめりとぞ、生の義不熟の意也、
p.0837 戊午年二月丁未、皇師遂東、舳艫相接、方到二難波之碕一、會有二奔潮太急一、因以名爲二浪速(ナミハヤ)國一、亦曰二浪華一、今謂二難波一訛、〈訛此云二與許奈磨盧(○○○○○)一〉
p.0837 十年九月、埴安彦挾レ河屯之、各相挑焉、故時人改號二其河一曰二挑河(イドミカワ)一、今謂二泉河一訛也、〈○中略〉亦其〈○埴安彦〉卒怖走、屎漏二于褌一、〈○中略〉褌屎處曰二屎褌一、今謂二樟葉一訛也、
p.0837 四十二年正月戊子、天皇崩、 十一月、新羅弔使等、喪禮旣闋而還之、爰新羅人恒愛二京城傍耳成山畝傍山一、則到二琴引坂一顧之曰、宇泥咩巴椰(ウネメハヤ)、彌彌巴椰(ミヽハヤ)、是未レ習二風俗之言語一、故訛二畝傍山一、謂二宇 泥咩一、訛二耳成山一、謂二瀰瀰一耳、時倭飼部從二新羅人一、聞二是辭一而疑之以爲、新羅人通二采女一耳、乃返之啓二于大泊瀨皇子一、〈○雄略〉皇子則悉禁二固新羅使者一而推問、時新羅使者啓之曰、無レ犯二采女一、唯愛二京傍之兩山一而言耳、則知二虚言一皆原、
p.0838 主人の武士、やうれ〳〵、なんゑんだうの寄人は、物はきてとをるくるしからぬ事、それとゞまれと、なまりごえ(○○○○○)にて、高聲にをきてければ、はしりたちてとゞめけるもの歸にけり、
p.0838 田舍ことばには濁音多し、よて世俗にびる、ばち、どんぼう、がに、がへるといへり、是皆訛言也、大よそ倭語の發聲に濁音なし、其たま〳〵濁音に唱ふる、嶽をだけとし、寄居虫をがうなとするが如きは、皆後世轉訛のいたす所なるべし、
四國にて、ばかりをばとのみいひ、美濃三河にてさまをさとのみいふは略音也、三河にて見んずを見ず、きかんずをきかず、行んずをゆかずといふも同じ、又遠江にては、何事をいふにも發語にものといひ、三河碧海郡は何事をいふにも、いらを後につく、朝鮮音に南無阿彌陀佛を、のみおみとふるいといふが如し、
田舍詞はだみて聞うるを、俗になまる(○○○)といへり、〈○中略〉万葉集、古今集にも、東歌の部を立たり、その詞音韻相通ならでは解得がたし、
p.0838 東訛りを心すべき事
さしてやくなき事にはあれども、東國人の物言には、おもへばをおもひばといひ、こひしきをこへしきなど云事、歌よみ文かく者などの中にも、ともすれば云ひいづる事あり、殊に合せてをあはしてと云へるは、然べき學者たちにも、常にしかかけるが見えたる、上方人の見おとすらむと思ふも、いと耻かしき業なり、萬葉集の東歌に、訛謬たる語多く、拾遺集の物名に、あづまにて養は れたる人子は、舌だみてこそ物はいひけれ、とあるなどをおもへば昔も今もしかるにぞ有ける、
p.0839 だみ(○○) 源氏に詞だみてと見ゆ、なまれる意也、後漢書の點本に、迂字をだみたりとよめり、俗にどみといふにかよへり、
p.0839 したゞみ よみ人しらず
あづまにてやしなはれたる人の子はしたゞみ(○○○○)てこそ物はいひけれ
p.0839 わかうよりさるあづまの方の、はるかなるせかいにうづもれて、としへければにや、こゑなどほど〳〵うちゆがみぬべく(○○○○○○)、ものうちいふ、すこしだみたる(○○○○)、やうにて、〈○下略〉
p.0839 談論 談咲 談話 談藪
p.0839 談話(ダンワ)
p.0839 對談(タイダン) 對話(ワ) 對語(コ)
p.0839 謂〈音胃 カタラフ(○○○○)物カタリ(○○○○)〉 話〈胡快反 物カタリ(○○○○)カタラフ〉 語〈莫擧反カタラフ〉 談〈音痰 カタルカタラフ〉
p.0839 語〈カタラフ〉 談 話 謂〈已上同〉
p.0839 語〈カタラフカタル〉 談〈カタラフ〉 話 議 謂 詖 詞 噵 謾 言 誥 諫 辛 辞 白 諵〈已上カタル〉
p.0839 九年三月、大伴談連、〈談此云二箇陀利一〉
p.0839 かたる 日本紀に謂又語をよめり、言語によりて、其象あらはるゝをもていふ成べし、
p.0839 諵〈乃咸反、平、詰々細意也、阿豆万利氐語(○○○○○○)事、〉
p.0839 語
かたることのは かたりつくす 昔語 よ語〈○中略〉 いにしへ語 思ひこしかた 行さきをかたる 語りごとはあらず 心を語 かたりあらはすことのは ふることを語つゞけて〈○中 略〉 語にくき あひかたらはん
一/神代
p.0840 一書曰、〈○中略〉伊弉諾尊追二伊弉册尊一、入二於黃泉一、而及之共語(カタル)、
十二/履中
p.0840 六年二月、對曰、妾、〈○大姫郎姫、高鶴郎姫、〉兄鷲住王、〈○中略〉旣經二多日一不レ得二面言(アヒカタラフコト)一、故歎耳、
p.0840 天平二年庚午冬十二月、太宰帥大伴卿向レ京上道之時作歌五首、〈○四首略〉
礒上丹(イソノウへニ)、根蔓室木見之人乎(ネハフムロノキミシヒトヲ)、何在登問者(イカナリトトハバ)、語將吿可(カタリツゲムカ)、
p.0840 誩〈乾仰徒紺二反、競言、支曾比云、又支曾比加太利(○○○○○○)、〉
p.0840 語〈モノカタリ(○○○○○)〉 話
p.0840 ものがたり 日本紀に談又語話をよめり、文選の序に、話をよみ、全淅兵制に説話を譯せり、
p.0840 十六年二月、祝者迺託二神語一、報曰、〈○中略〉天地剖判之代、草木言語之(モノカタリセシ)時、〈○中略〉
p.0840 三年〈○安康〉八月、穴穗天皇〈○安康〉意將二沐浴一、幸二于山宮一、〈○中略〉眉輪王幼年遊二戯樓下一、悉聞二所談(モノカタリコト)一、
p.0840 七年九月、勾大兄皇子〈○安閑〉親聘二春日皇女一、於レ是月夜淸談(モノカタリ)、不レ覺二天曉一、〈○下略〉
p.0840 麗景殿いとときにしもおはせねど、たゞおほかたものはなやかに、けぢかうもてなしたる御かたのやうなれば、心やすき物がたりどころには、殿上人など、かの御かたのほそどのをぞしける、
p.0840 雨にもさはらずまできて、そら物がたり(○○○○○○)などしけるおとこの、〈○下略〉
p.0840 つれ〴〵なぐさむる物
物がたり
p.0840 はなし(○○○) 相聚りて物語するをいふ、説文に咄は相謂也と見えたり、無レ端の義 なるべし、天武紀に問二主卿一以二無レ端事一と見え、莊子所レ無二端崖一之辭と見えたり、
p.0841 形語(シカタハナシ/○○)〈佩文韻府、蘇軾怪石供海外有二形語之國一、口不レ能レ言相喩以レ形、〉 手語(シカタハナシ)〈唐朱揆叙小志、生謁二一品一問二其妾一與レ之手語、〉
p.0841 鹿野武左衞門仕形話
元祿の頃、江戸に坐敷仕形ばなしといふ事おこなはる、
p.0841 あどうつ(○○○○) 跡打
人の物語するを、その對手となりて、跡につきてうち答ふるを云ふ、中古の方言なり、猿樂の三番三の諷物にも、あどの太夫殿といへり、人のいふ詞の跡を打といふ意なるべし、
p.0841 そも〳〵おまへは、ひとゝせよつぎのぼだひかうにて、ものがたりし給ひし、あながちにゐよりて、あとうち給ひしと見たてまつるは、おひほうしのひがめかといへば、〈○下略〉
p.0841 まさひろはいみじう人にわらはるゝ物哉、〈○中略〉げにぞ詞づかひ(○○○○)などのあやしき、
p.0841 大かたさしむかひてもなめきは、などかくいふらんとかたはらいたし、ましてよき人などをさ申ものはさるはをこにていとにくし、おとこしうなどわろくいふいとわろし、我つかふものなど、おはする、の給ふなどいひたるいとにくし、こゝもとに侍るといふもじをあらせばやと、きくことこそおほかめれ、あいぎやうなくとことばしなめきなどいへば、いはるゝ人もきく人もわらふ、かくおぼゆればにや、あまりてうろうするなどいはるゝまで、ある人もわろきなるべし、殿上人宰相などを、たゞなのる名をいさゝかつゝましげならずいふは、いとかたはなるを、げによくさいはず、女房のつぼねなる人をさへ、あのおもと、きみなどいへば、めづらかにうれしとおもひてほむることぞいみじき、殿上人きんだちを、御まへよりほかにてはつかさをいふ、又御前にて物をいふとも、きこしめさんには、などてかは丸がなどいはん、さいはざらんにくし、かくいはんぞわろかるべき事かは、
p.0842 久しくへだゝりて逢たる人の、我方にありつる事、數々に殘りなくかたりつゞくるこそあひなけれ、へだてなくなれぬる人も、程へて見るは、はつかしからぬかは、つぎざまの人は、あからさまに立出ても、興有つる事とて、いきもつぎあへず、かたり興ずるぞかし、よき人の物語するは、人あまたあれど、ひとりにむきていふを、をのづから人もきくにこそあれ、よからぬ人は、誰ともなく、あまたの中にうち出て、見ることのやうにかたりなせば、みなおなじく笑ひのゝしる、いとらうがはし、
p.0842 一ある功者の語りしは、物いふ時一きリ〳〵にしづめ、靜に心をさだめたるがよき事也と、
p.0842 言
さしいらへ〈いらへ、こたへの儀也、○中略〉 なげのいらへ〈ないがしろのいらへ也、源氏、〉 いらへやすき
p.0842 いらへ 應答をいへり、よて眞名伊勢物語に報字を用ゐたり、徒然草にさしいらへとも見ゆ、
p.0842 きのふけふ物いみにて侍れど、雪のいたくふりて侍れば、おぼつかなさになどの給ふ、〈○藤原伊周〉みちもなしと思ひけるに、いかでかとぞ、御いらへ(○○○○)〈○一條后定子、伊周妹、〉あなる、
p.0842 何事も入たゝぬさましたるそよき、〈○中略〉かた田含よりさし出たる人こそ、よろづの道に、心得たるよしのさしいらへはすれ、
p.0842 いい(○○) 唯字をよむも音の響きにはあらず、倭語の答辭なるべし、曲禮に先生、召无レ諾唯而起とも見え、文選注に、唯々謙應也といへり、
p.0842 一恒例毎日次第
抑御手水は近代内侍内々供之、〈○中略〉女官申御手水まいらせ候はん、女房あ(○)といふ、女官御楊枝二 ヲ雙二指御簾一、まかりいたしまいらせ候はんといふ也、又女房あといふなり、
p.0843 女うちなみだぐみて、御ふみひろげてみるに、此くれにかならずとある文字のしたに、を(○)といふもじをたゞひとつ、すみぐろに書て、もとのやうにして、御使にまいらせけり、御文もとのやうにて、たがはぬを御らんじて、むなしく歸たるよと、ほいなくおぼしめすに、むすびめのしどけなければ、あけて御らんずるに、このを文字ありとて、御案あれども、御心もめぐらせ給はず、さるべき女房たちを、少々めして、このをもじを御尋ありければ、承明門院に小宰相の局とて、家隆卿のむすめの、さぶらひけるが申けるは、むかし大二條殿、〈のりみち〉小式部の内侍のもとへ、月といふもじをかきて、つかはしたりければ、さるすきもの泉式部のむすめ也ければ、母にや申あはせたりけん、やすくこゝろえて、月のしたにをといふ文字ばかりを書て、まいらせたりける、其心なるべし、月といふ文字は、よさりに待侍るべし、いで給へと心えけり、又人のめし侍る御いらへに、男はよ(○)と申、女はをと申なり、されば小式部内侍も、上東門院にさぶらひけるが、まかりいでてまいりたりければ、いよ〳〵心まさりして、めで思食ける、これも一定まいり侍りなんと申ければ、御心地よけに、おぼしめして、したまたせ給けり、〈○中略〉藏人忍びやかに、此女侍るよし奏し申ければ、嬉しうおぼしめされて、やがてめされにけり、〈○又見二古今著聞集一〉
p.0843 人のいらへの事は、上中下に女房はみつあるものにて候、おやしうのいらへはを(○)と申、はうばいたちあふなかはや(○)とこたへ候、召つかふものなどにはゑい(○○)とこたへ候、
p.0843 一人のよぶ時はいらへする事、〈いらへとはへんじを云なり〉今はあい(○○)と云、又はヘい(○○)抔と云、古は左樣にはいはざる也、猿樂の狂言に、大名などが太郎冠者とよべば、はあ(○○)といらへを云也、是は東山殿の時代の風俗を、今に傳へたる也、又三儀一統に云、人をめすいらへは、男はよ(○)といらへ、女はをといらへ申也とあり、
p.0844 他の呼に答る語、關東にてあいと云、畿内にてはい(○○)と云、近江にてねい(○○)と云、長門邊にてあつゝ(○○○)と云、薩摩にてをゝ(○○)と云、肥前にてない(○○)といふ、土佐にてゑいといふ〈又ゑつ(○○)ともいふ、奴僕のたぐひはをゝ(○○)とも、やつ(○○)ともこたふ、〉越後にてやい(○○)と云、越前にてやつ(○○)といふ、陸奧にてない(○○)と云、
案に國々のこたふる詞大いに同じくして、少く異也といへども、各轉語なるべし、有が中にをゝといへるは、諸國にて下輩にこたふる語なるに、九州にては上ざまの人に對して、かくの如く答る所も有也、俗間に應の字を書もあれど、をゝは和訓なれば、唯々書べきよし、先哲も沙汰し侍る、漢書に唯々〈注〉恭應之詞ト有、枕草乎に、をゝと目うち引てと有、
をゝ〳〵といへどたゝくや雪の門 丈艸
p.0844 話〈胡快反サキラ〉
p.0844 呴吽 (クチサキラ)
p.0844 歁欺(カンキ)〈上能言、下屈也、〉
p.0844 詖〈サキラ辨辭也〉
p.0844 五郎者、天台宗學生、大名僧也、〈○中略〉内論議第一番、宏才博覽、而論議決擇之吻(クチサキ)破二滿座惑一、
p.0844 くちさきら 倭名抄に吻又喙をよめり、口裂の義成べし、又くちわきともいへり、源氏に辨舌をゆたけきさきらといへるも是也、
p.0844 かうしのいとたうとく、〈○中略〉たゞ今の世に、ざえもすぐれ、ゆたけきさきら(○○○○○○○)を、いとゞ心して、いひつゞけたる、いとたうとければ、〈○下略〉
p.0844 朱鳥充年十月庚午、賜二死皇子大津於譯語田舍一、〈○中略〉皇子大津天淳中原瀛眞人天皇〈○天武〉第三子也、容止墻岸、音辭俊朗、
p.0844 釋智藏二首
智藏師者、俗姓禾田氏、淡海帝世、遣二學唐國一、〈○中略〉太后天皇〈○持統〉世、師向二本朝一、同伴登陸 二凉經書一、法師 開レ襟對レ風曰、我亦 二凉經典之奧義一、衆皆嗤笑、以爲二妖言一、臨二於試業一、昇レ座敷演、辭義峻遠、音詞雅麗、論雖二蜂起一、應對如レ流、皆屈服、莫レ不二驚駭一、
p.0845 仁壽二年十一月己亥、勘解由次官從五位下菅原朝臣善主卒、善主者〈○中略〉少而聰惠美容儀一、頗有二口辨一、
p.0845 仁壽三年六月己巳、前豐後權守從五位下登美眞人直名卒、〈○中略〉直名頗有二才學一、口辨過レ人、抑二屈己一者、必酬以二彼所一レ病、故議者疾レ之、法隆寺僧善愷訴訟事、遂延二及辨官一除名、此類也、
貞觀八年九月廿二日甲子、是日大納言伴宿禰善男、〈○中略〉伴淸繩等五人、坐レ燒二應天門一、當レ斬、詔降二死一等一、並處二之遠流一、〈○中略〉善男性忍酷、有二口辨一、
p.0845 建久六年三丹四日己丑、將軍家〈○源賴朝〉出二江州鏡驛一、前二羈路鞍馬一給、爰台嶺衆徒等降二于勢多橋邊一、奉レ見レ之、頗可レ謂二橋前途一歟、將軍家安二御駕橋東一、可レ有レ禮否思食煩、頃之召二小鹿島橘次公業一、遣二衆徒中一、被レ仰二子細一矣、公業跪二衆徒前一、申云、鎌倉將軍、爲二東大寺供養結緣一上洛之處、各群集依二何事一哉、尤恐思給侍、但武將之法、於二如レ此所一、無二下馬之禮一、仍乍レ乘可二罷通一、敢莫レ被レ咎レ之者、不レ聞二食返答一之以前、令二打過一給、至二衆徒前一、取二直弓一聊氣色、于レ時各平伏云云、公業自二幼少一經二廻京洛一、於レ事依レ存二故實一、今應二此使節一之處、誠言語巧、而鸚鵡之觜驚レ耳、進退正、而龍虎之勢遮レ眼、衆徒感嘆、萬人稱美云云、
p.0845 一又其比志道軒とて、辻講釋をして世をわたる坊主あり、古今の名人にて、人物もはや老人にて、總て垢のぬけたるきれいなる者にて、人をへちまとも思はず、記錄物を講釋するに、始め少しの内實の事を云て、夫よりおどけ立とわる口をいひ、樣々に狂じて、人を笑はすること希代の者なり、
p.0845 馬場萬体老人は馬場三郎左衞門殿とて御使番を勤められ、高は二千石餘、〈○中略〉軍談好にて、神祖の御事には殊に吟味屆き、自ら軍談せらるゝに、實に能辯にて懸河灑水、令三聽者生二喜怒 憂悲一事也、
p.0846 伊藤梅宇
梅宇尤長二言語一、講二説經史一、辭爽理暢、音節亮亮、還出二於東涯之上一、聽者敢無二倦怠而欠伸者一、
p.0846 訬〈士交市遙二反、擾口止志又口加留之(○○○○○○○)、〉
p.0846 譶〈直治反、徒合徒立二反、利色也、不レ訥也、疾言也、加万々々志、〉
p.0846 くちかるし 新撰字鏡に訬をよめり、今もしかいへり、又くちとしともよめり、
p.0846 早口(クチ/○○)
p.0846 ものゝたよりばかりのなをざりごとに、くちとう(○○○○)こゝろえたるも、さらでありぬべかりける、のちのなんとありぬべきわざなり、
p.0846 いざやいにしへの御ゆるしもなかりしことを、かうまでももらしきこゆるも、かつはいとくちかる(○○○○)けれど、〈○下略〉
p.0846 訥〈クチツヽ〉
p.0846 元慶七年正月十五日壬午、從四位下行越前權守藤原朝臣弘經卒、〈○中略〉弘經天性平生少レ言重遲、語爲レ舌所レ介、礙二澀於精談一、
p.0846 入道〈○高階俊平弟〉をのれは口てづゝ(○○○○)にて、人のわらひ給中のものがたりは、え侍らじ、〈○下略〉
p.0846 伊藤長胤、字原藏、號二東涯一、〈○中略〉
東涯音吐甚低、且訥訥如レ不レ能レ言、對門有二篐桶匠一、其篾束聲亂二東涯講書一、聽者毎苦二其難一レ分、
p.0846 内田頑石
頑石天資孝友、能事二父兄一、口訥不レ能レ言、終日端坐、與レ人不レ語、
p.0846 くちおもし(○○○○○) 徒然草に見ゆ、唐竇鞏、言若レ不レ出、世號二囁嚅翁一と見えたり、
p.0847 かくわかれがたくいひて、かの人々のくちあみももろもちにて、このうみべにて、になひいだせるうた、〈○下略〉
p.0847 人々の口あみももろもちにて、〈○中略〉こは例のたはふれかけるにて、人々の口かろく、とくもえいひいでず、口おもきを、くちあみのおもきにたとへていへり、
p.0847 うつゝの人々の中に、しのぶることだにかくれある世中かはなど思いりて、この人にもさなんありしなど、あかし給はんことは、猶くちをもき心ちして、〈○下略〉
p.0847 何事も入たゝぬさましたるそよき、〈○中略〉よくわきまへたる道には、必口おもく、とはぬかぎりは、いはぬこそいみじけれ、
p.0847 〈 二今音頰妄言也、多言(○○)也、〉 〈而占反、多言、〉
p.0847 饒舌(ネウゼツ/○○)〈又云多言〉
p.0847 饒舌(クチマメ/○○)〈傳燈錄、寒山執二閭丘手一曰、豐干饒舌、〉
p.0847 下賤ノ人ノ詞多キヲ囀(○)ト云、紫式部日記ニ、アヤシキシヅノヲノサヘヅリ(○○○○)トアリ、源氏物語ニモ、アマノサヘヅリトアルナリ、
p.0847 てふ〳〵し(○○○○○) 俗に物に躁がしく多言なるをかくいへり、史記に豈斅二此嗇夫諜諜一、利口㨗給哉と見えたり、
p.0847 多言尤害レ事敗レ德、且不レ可三乘レ快妄毀二譽於人一、譽レ人過レ實者、固可レ爲二不知一、況毀レ人不レ中二其實一者乎、毀レ人雖レ中非二忠厚之道一、且爲二招レ殃之基一、況不レ中二其實一乎、
p.0847 饒舌之時、自覺二氣暴一、暴斯餒、安能動レ人、
p.0847 一言寺の庫裏を働ける老婆あり、年七十になん〳〵として、多辯いはんかたなく、あけくれ人の噂をいひ、無益のぜひをのゝしること、いとかしましくうるさければ、ある人、諷諫の こゝろにて云ひけるは、多辯長舌なるものは、その意氣をむなしく勞して、嗒焉呼吸を養はざれば、必ともに短命なりと、物がたりければ、それより後は、かの老婆なほ長生やしたかりけん、物いはんとしては止みぬるさま、いとをかしかりしとぞ、さばかり生きのびたる老婆の、猶いつまでか世にあらんとての心づかひ、欲にかぎりのあらざるよと、物がたりせし人ありし、
p.0848 仁壽三年十二月丁丑、相模權介從五位上山田宿禰古嗣卒、古嗣、〈○中略〉爲レ人廉謹而寡二言辭一、
p.0848 藤原景季者景通長子也、年二十餘、性少二言語一、善二騎射一、合戰之時、視レ死如レ歸、
p.0848 年比思ひわたるさまなど、いとよくの給ひつゞくれど、ましてちかき御いらへはたえてなし、わりなのわざやと、うちなげき給ふ、
いくそたびきみがしゞまにまけぬらんものないひそといはぬたのみに、の給ひもすてゝよかし、たまだすきくるしとの給ふ、女君〈○末摘花〉の御めのとこじゞうとて、いとはやりかなるわか人、いと心もとなう、かたはらいたしと思ひて、さしよりて聞ゆ、
かねつきてとぢめんことはさすがにてこたへまうきぞかつはあやなき
p.0848 いくそたび〈○中略〉 是は童部の諺に、無言を行せんと約束して、無言々々としじまにかねつくといひて、なににてもうちならして後、物いはぬ事をする也、〈○下略〉
p.0848 百首和歌 述懷
うき身にはしゞまをだにもえこそせね思あまればひとりごたれて
p.0848 亡語(ヒトリゴト)
p.0848 ひとりごち 獨言する也、とす反つなり、
p.0848 國〈○武藏〉の人の有けるを、火たきやのひたく衞士にさし奉りたりけるに、御前の庭をは くとて、などやくるしきめを見るらん、わがくにゝ七三つくりすへたるさかつぼに、さしわたしたるひたえのひさごの、みなみ風吹ば北になびき、北風ふけば南になびき、西吹ば東になびき、東ふけば西になびくを見て、かくてあるよと、ひとりごちつぶやきけるを、〈○下略〉
p.0849 或殿上人の五月廿日餘、いとくらきに太后宮にまいりて、めうどうにたゝずみけるに、うへより人の音のあまたして來りければ、さりげなく引かくれてのぞきけるに、つぼのやり水に螢のおほくすだくを見て、〈○中略〉しりなる人、かくれぬ物はなつむしのと、花やかにひとりごちたりけり、〈○下略〉
p.0849 語〈○中略〉
とはず語
p.0849 とはずがたり(○○○○○○) 源氏物語に見ゆ、不レ問而自談也、
p.0849 大將殿は心ちすこしのどめて、あさましかりしほどの、とはずがたりも、こゝろうくおぼし出られつゝ、〈○下略〉
p.0849 題しらず 大納言なりみち
つゝめどもたえぬおもひに成ぬればとはずがたりのせまほしき哉
p.0849 孝行者赤城 兵衞
若松の城下北小路町の名主赤城 兵衞、〈○中略〉はやくより父母につかへて孝を盡し、〈○中略〉人の家に招かるれば、〈○中略〉けふの客はたれ〳〵なりし、何のまうけ、くれの物語ありつるなど、稚子のとはずがたりめきて、くれ〴〵と語りつゞく、
p.0849 䛌(カタコト)〈小兒之語未レ正也〉
p.0849 かたこと 片言と書り、少兒などの詞のまだよくも、調ならはぬをいふめり、
p.0850 ひめ君はなに心もなくて、御車にのらんことをいそぎ給、〈○中略〉かたことのこゑは、いとうつくしうて、袖をとらへて、のりたまへと、ひくもいみじうおぼえて、〈○下略〉
p.0850 おさなき人などの、かたことしたるぞ、あひらしくうつくしき、〈○下略〉
p.0850 然是御子〈○譽津別命〉八拳鬚至二于心前一、眞事登波受、〈此三字以レ音〉故今聞二高往鵠之音一、始爲二阿藝登比一、〈自レ阿下四字以レ音〉
p.0850 阿藝登比(アギトヒ)とは、小兒の初語を云なるべし、阿藝は吾君(アギ)にて、〈如此云る例多し〉對へる人を指て云、登比は事問(コトトヒ)の問(ト)にて、言(イフ)に同じ、其は小兒の初めて物言に、其對へる人を、吾君と云を云なるべし、今世に物言習に、遲遲(チゝ)〈老翁〉婆々(バヽ)〈嫗〉登々(トヽ)〈父〉加々(カヽ)〈母〉など言と、同じ意なり、〈書紀に得言とある訓は、此記に依れるものなり、されど得言字は、言の意にはくはしく當らず、〉
p.0850 あぎとふ 日本紀に噞喁傾浮、又得言をよめり、古事記に阿藝登比と書り、腮を經る義なるべし、又魚の水上に浮み口を開き、言問やうのかたちをいふなり、蜻蛉日記にも、手を搔面を振、そこらの人のあぎとふやうにすれば、といへる是なり、
p.0850 二十三年九月丁卯、詔二群卿一曰、譽津別王、是生年旣三十、髯鬚八掬猶泣如レ兒、常不レ言、何由矣、因有司而議之、十月壬申、天皇立二於大殿前一、譽津別皇子侍之、時有二鳴鵠一、度二天虚一、皇子、仰二觀鵠一曰、是何物耶、天皇則知二皇子見レ鵠得言(アキトフコト)一而喜之、
p.0850 譫語(ソヽロゴト)
p.0850 そゞろ〈○中略〉 そゞろごとは、言と事と二義あるべし、或は譫語をよめり、今訛てそゞら(○○○)ともいへり、
p.0850 そゞろごと
とりしめもなき詞をいふ
p.0851 すこしけどをきたよりどもを、たづねてもいひけるを、たゞこれをさま〴〵にあへしらひ、そゞろごとに、つれ〴〵をばなぐさめつゝ、〈○下略〉
p.0851 晤語(ムツゴト)〈書言大全、男女會遇之辭、出二毛詩一、〉 密語(同)〈又作二睦語一〉
p.0851 語〈○中略〉
むつ語〈むつ物語也〉
p.0851 むつごと 睦言の義也
p.0851 天平元年八月戊辰、詔立二正三位藤原夫人一爲二皇后一、 壬午、喚二入五位及諸司長官于内裏一、〈○中略〉中納言從三位阿倍朝臣廣庭更宣レ勅曰、天皇詔旨、今勅御事法者、常事〈爾波〉不レ有、武都事(○○○)〈止〉思坐故、〈○下略〉
p.0851 武都事は、親しく語る言也、〈○中略〉汝等を親しみて、語り聞せ給ふぞと也、
p.0851 題しらず 凡河内みつね
むつごともまだつきなくに明ぬめりいづらは秋のながしてふよは
p.0851 一夜のしりうごとの人々は、まして心ちもたがひて、何にかゝるむつ物がたり(○○○○○○)をしけんと、思ひなげきあへり、
p.0851 さきのいづみのかみたかゆき、よをそむきて、大原にときゝて、まかりてさまざまのむつごとなどつくしても、さてのみ日かずをすぐすべきならで、又秋ごろなんまかりいるべきと契て、歸にし後、かの入道のもとより、〈○歌略〉
p.0851 爐火 阿闍梨隆源
埋火のあたりに冬はまどゐしてむつがたり(○○○○○)することぞ嬉しき
p.0851 私語〈サヽメゴト〉
p.0852 私語(サヽメコト)
p.0852 私語(サヽメゴト) 間語(同)〈後漢書註、間私也、〉
p.0852 細語(サヽメゴト) さゝは小也、小語也、ひそかにさゝやくことば也、めは助語也、さゝめく也、
p.0852 さゝめごと 私語をよめり、長恨歌に、臨レ別慇懃重寄レ詞、詞中有レ誓兩心知、七月七日長生殿、夜半無レ人私語時と見えたり、
p.0852 やをらかいほそりて出給ふみちに、かゝるさゝめきごと(○○○○○○)をするに、あやしうなり給て、〈○下略〉
p.0852 松平左衞門督忠繼、生質外蒙昧ナルガ如クナレドモ、内明察ニシテ且勇悍ナリ、〈○中略〉大坂ニ到テ有馬玄蕃頭豐氏ト其ニ、松平武藏守利隆ノ營ニ會ス、豐氏利隆ノ耳ニ屬テ私語ス、忠繼色ヲ變テ曰、武州我兄也、武州ニ所レ言吾ニ廋サルベキ理ナシ、其言義ナラバ顯シテ言ベシ、其非義ナラバ密ニモ云ベカラズ、私語ハ疑ヲ起スユヘンナリ、起疑ハ兵法ニ不レ忌レ之ヤ、何ゾ思慮ナキト規サレケレバ、豐氏我過テリ、我言フ所ハ爾々ノ事ナリ、少モ邪意アルニ非ト、陳謝セラルレバ、忠繼微笑シテ最サアルベシトテ已ヌ、
p.0852 耳語(○○)〈サヽヤク〉
p.0852 聶(サヽヤク)〈説文、附レ耳私小語、〉 呫聶(同)〈史記註、耳語也、漢書註、多言也、〉 耳語(同)
p.0852 依下不二布施一與中放生上而現得二善惡報一緣第十六
優婆塞睇 曰、斯汝家室將レ生之宮、〈○中略〉 睇〈メヲミセテ〉 〈ヒソカニ〉 〈サヽシテ〉
p.0852 さゝやく 耳語をいふ、靈異記に をよめり、或囁をよむ、萬葉集に耳言をさゝめくとよめるも同じ、天書の歌に、さゝめかしめといふ詞見えたり、咡をよめれど、咡は口吻也と見 えたり、
p.0853 寄レ木
向峯爾(ムカツヲニ)、立有桃樹(タテルモヽノキ)、成哉等(ナリヌヤト)、人曾耳言爲(ヒトゾサヽメキシ)、汝情勤(ナガコゝロユメ)、
p.0853 わざとだちてことねりわらはのつぎ〳〵しきを、身ちかくよびよせて、うちさゝめきいぬるのちも、久しくながめて、〈○下略〉
p.0853 詞〈○中略〉
しりう言(○○○○)〈うしろこと(○○○○○)也〉
p.0853 しりうごと 後言をよめり、源氏にしりうごちとも見えたり、今いふかげ言(○○○)也
p.0853 あとうがたり(○○○○○○) しりうごと
後撰集に、あとうがたりといふ事あり、〈○中略〉枕草紙にも、しりうごとゝあり、此ふたつの詞、ともに俗に陰口(カゲクチ/○○)といふ心なり、あとも、しりも同じ心なればなり、いたくへだゝりたる世にはあらねど、あとうがたりはふるく、しりうごとは後にや、源氏物語〈若菜上〉にも、しりうごちとみえたり、
p.0853 あとうがたり 後撰集の詞書に見えたり、定家卿の僻案に、拾遺集に、なぞ〳〵がたりと書りといへり、其歌は素盞鳴尊の故事をふまへてよめれば、げにとおもはる、あとなしごとゝ同義なるべし、
p.0853 さて物がたらひもうち聞えんか、しれるどちこそ、あとがたり(○○○○○)もすなれ、さやよくの給へり、
p.0853 人のむこのいままうでこんといひて、まかりにけるが、文をこする人ありとききて、ひさしうまうでこざりければ、あとうがたり(○○○○○○)の心をとりて、かくなん申けると、いひつかはしける、 女のはゝ 今こんといひしばかりを命にてまつにけぬべしさくさめのとじ
p.0854 我〈○藤原道隆〉は生れさせ給ひしより、〈○一條后藤原定子、道隆女、〉いみじうつかふまつれど、まだおろしの御ぞ一つ給はぬぞ、何かしりうごと(○○○○○)にはきこえんなどの給ふがをかしきに、みな人々わらひぬ、
p.0854 さゝめきごとの人々は、いとかうばしき香の、うちそよめき出づるは、くわざの君の、おはしましつるとこそ思ひつれ、あなむくつけや、しりうごと(○○○○○)や、ほのきこしめしつらん、わづらはしき御心をと侘あへり、
p.0854 辛酉年正月庚辰朔、天皇卽二帝位於橿原宮一、是歲爲二天皇元年一、〈○中略〉初天皇草二創天基一之日也、大伴氏之遠祖道臣命帥二大來目部一、奉二承密策一、能以二諷歌倒語(サカシマコト)一掃二蕩妖氣一、倒語之用始起二乎玆一、
p.0854 反語あり、葦をよしといひ、僧をかみながといふの類是也、爾雅注にも、菫葵本草、言二味甘一、而此云二苦菫一、古人語倒猶三甘草謂二之大苦一也と見えたり、小兒初生の時、洗婆臍帶をきるを、ほその緖を繼といひ、生髮をそるを髮垂といふも、反語をもて祝せる也、
p.0854 やまひを歡樂といふは、死喪を吉事といふごとく、凶をさけていへる也、
p.0854 承元二年正月十一日辛巳、御所心經會也、去八日雖レ爲二式日一、依二將軍家〈○源實朝〉御歡樂一、延及二今日一、
p.0854 弘安二年正月七日乙卯、參二殿下一、大納言殿御參内、於二直廬一可レ被レ召二御裝束一云云、殿下依二御風歡樂一、無二御出一、
p.0854 月日の蝕をはえといふ由
さて其蝕をハエと云へるは、日月の光映の翳るゝを忌て、反ざまに映(ハエ)と云なしたるにて、死を奈保留、病を夜須美、葦を與志など云ふと同じ例なるべし、
さかりすぎてくちたるなしを、おさなき人の許にやるとて、たゞならじとて、をきかへし露ばかりなるなしなれど千代ありのみ(○○○○)と人はいふ也
○按ズルニ、倒語ノ事ハ、禮式部、兵事部等ニ散見シタレバ、多ク省略ニ從フ、
p.0855 諷言〈ソへコト〉
p.0855 一井上新左衞門ハ名譽ノ口キヽニテ候、元右筆ニテ、後ニ御勘定頭ニ成申ナレ候、或時初鱈ヲ何方ヨリカ獻ジ申候、名人松平伊豆守殿見屆被レ申處、塵付有レ之候、伊豆守ドノ役人ヲ以テ殊ノ外叱り申サレ、不念至極ノ義ニ候、是ヲ御前へ出シ候テ、ヨキモノカトテ、叱リ申サレ候ヘバ、新左衞門傍ニ居候テ、イヤ鱈ニハチリ有モノニ御座候ト申候ヘバ、伊豆守ドノ何ト鱈ハチリ有モノトハ、聞ヘヌコトヲ申候ト被レ申候ヘバ、新左衞門イヤ三番叟ニチリャタラト申候由被レ申候ヘバ、伊豆守殿又新左ガヲドケヲイワレ候トテ、笑申サレ候、是ハ伊豆守ドノ性ノ急ナル處ヲ、諷シ申氣味ニ候、
○按ズルニ、諷諫ノ事ハ、諫篇ニ散見ス、
p.0855 流言(ルゴン/リウゲン)〈毛詩註、浮言不根之言也、〉 流言(ツクリゴト) 流言(子ナシコト)〈出二毛詩一〉
p.0855 三年四月、武彦〈○廬城部連〉之父枳莒喩、聞二此流言(ツテコト)一、恐二禍及一レ身、〈○下略〉
p.0855 六年十二月、或有二流言(ツテコト/ツタコト)一曰、大伴大連與二哆唎國守穗積臣押山一、受二百濟之賂一矣、
p.0855 戯語〈タハフレコト(○○○○○○)〉
p.0855 戯言〈天子無二戯言一〉
p.0855 戲言(タハコト/○○)〈妖言、狂言、並同、〉
p.0855 中納言の君、中務などやうの、をしなべたらぬ、わか人どもに、たはぶれごと(○○○○○○)などの給ひつゝ、〈○下略〉
p.0856 十一年〈○仁賢〉八月、億計天皇崩、〈○仁賢、中略、〉太子〈○武烈〉思三欲聘二物部麁鹿火大連女影媛一、遣二媒人一向二影媛宅一期會、影媛曾姧二眞鳥大臣男鮪一、〈鮪此云二玆寐一〉恐レ違二太子所期一、報曰、妾望奉レ待二海柘榴市巷一、由レ是太子欲レ往二期處一、遣二近侍舍人一、就二平群大臣宅一、奉二太子命一、求二索官馬一、大臣戲言(タハフレコト)陽進曰、官馬爲レ誰飼養、隨レ命而已、久之不レ進、
p.0856 忠輔中納言付二異名一語第廿二
今昔、中納言藤原ノ忠輔ト云フ人有ケリ、此ノ人常ニ仰デ空ヲ見ル樣ニテノミ有ケレバ、世ノ人此レヲ仰ギ中納言トゾ付タリケル、而二其ノ人ノ右中辨ニテ、殿上人ニテ有ケル時ニ、小一條ノ左大將濟時ト云ケル人、内ニ參リ給ヘリケルニ、此ノ右中辨ニ會ヌ、大將右中辨ノ仰タルヲ見テ、戲レテ只今天ニハ何事カ侍ルト被レ云ケレバ、右中辨此ク被レ云テ、少攀緣發ケレバ、只今天ニハ大將ヲ犯ス星ナム現ジタルト答ヘケレバ、大將頗ル半无ク被レ思ケケレドモ、戲ナレバ否不二腹立一ズシテ、苦咲テ止ニケリ、其ノ後大將幾ク程ヲ不レ經ズシテ失給ヒケリ、然レバ此ノ戲言ノ爲ルニヤトゾ、右中辨思ヒ合セケル、人ノ命ヲ失フ事ハ、皆前世ノ報トハ云乍ラ、由无カラム戲言不レ可レ云ズ、此ク思ヒ合スル事モ有レバ也、
p.0856 賴豪事
江帥きやうばうの卿、〈○中略〉いそぎ三井寺に行むかひ、らいがうあじやりが宿坊に行て、勅ぢやうのおもむき、おほせふくめんとすれば、〈○中略〉おそろしげなるこゑして、天子にはたはぶれのことばなし、りんげんあせのごとしとこそ、うけたまはつて候へ、〈○下略〉
p.0856 妄語(マウコ)
p.0856 妄語(マウゴ)〈法界次第、以二言語一誑レ他、故名二妄語一、〉V 倭訓栞
p.0856 たはこと 妄語をいふ、淫言也、光仁紀、万葉集にもみえたり、〈○中略〉今うはこと(○○○○)ゝ いふは、うはの空なる言の意也、
p.0857 十善〈○中略〉
不妄語 不惡口 不兩舌 不綺語〈(中略)十惡飜也〉
p.0857 源信僧都四十一箇條起請
應二重禁制一條々〈○中略〉
一可レ念三思禁二妄語一〈○中略〉 已上四十一箇條、可レ如二眼精一矣、
p.0857 およづれごと 續日本紀に見え、万葉集におよづれとのみにて、ことを略せるも見ゆ、日本紀に妖僞、又妖言をも訓ぜり、
p.0857 言〈○中略〉 まが〈万、狂言也、〉
p.0857 まがこと 万葉集に狂言、又枉言と見えたり、〈○中略〉古事記に訓レ禍云二摩賀一とみえたり、
p.0857 四年十一月癸卯、有レ人登二宮東岳一、妖言(オヨツレコト)而自刎死之、
p.0857 石田王卒之時、丹生作歌一首〈幷〉短歌〈○中略〉
玉梓乃(タマヅサノ)、人曾言鶴(ヒトゾイヒツル)、於余頭禮可(オヨヅレカ/○○○○)、吾聞都流(ワガキヽツル)、枉言加(マガゴトカ/○○)、〈○下略〉
p.0857 哀二傷長逝之弟一歌一首幷短歌〈○中略〉
多麻豆左能(タマヅサノ)、使乃家禮婆(ツカヒノクレバ)、宇禮之美登(ウレシミイ)、安我麻知刀敷爾(アガマチトフニ)、於餘豆禮能(オヨヅレノ/○○○○○)、多婆許登等可毛(タバコトトカモ/○○○○)、〈○下略〉
p.0857 狂言(キヤウケン)
p.0857 狂言(タワコト)
p.0857 狂言
p.0857 狂言綺語(キヤウゲンキギヨ)〈法界次第、綺側、語辭、言乖二道理一名爲二綺語一、〉
p.0858 佛事
願以二今生世俗文字之業、狂言綺語之誤一、飜爲二當來世世讃佛乘之因、轉法輪之緣一、〈香山寺、白、〉
p.0858 公忠辨忽頓滅蘇生俄參内事
公忠辨俄頓滅、歷二兩三日一蘇生、吿二家中一云、令二我參内一、家人不レ信、以爲二狂言一、依二事甚懇切一、被二相扶一參内、〈○下略〉
p.0858 詨嘑 交〈四形同、易也、倶也、戻也、謗也、共也、强言也、志比天云(○○○○)、〉
p.0858 言〈○中略〉 しひ〈万、强言也、〉
p.0858 天皇〈○持統〉賜二志斐嫗一御歌一首
不聽跡雖云(イナトイヘド)、强流志斐能我(シフルシヒノガ)、强語(シヒコトヲ)、此者不聞而(コノコロキカデ)、朕戀爾家里(ワレコヒニケリ)、
志斐嫗奉レ和歌一首 嫗名未レ詳
不聽雖謂(イナトイヘド)、話禮話禮常(カタレカタレト)、詔許曾(ノレバコソ)、志斐伊波奏(シヒイハソウ)、强話登言(セシヒコトトノル)、
p.0858 過言
p.0858 過言(クハゴン) 荒凉(クハウリヤウ)〈過言之義〉
p.0858 治承四年七月十日庚申、藤九郎盛長申云、從二嚴命之趣一、先相模國内、進奉之輩多レ之、而波多野右馬允義常、山内首藤瀧口三郎經俊等者、曾以不レ應二恩喚一、剰吐二條々過言一云云、
p.0858 寬元五年〈○寶治元年〉十二月廿九日丁未、有二恩澤沙汰一、去六月合戰之賞相二交之一、結城上野入道日阿、拜二領鎭西小鳥庄一、是就二泰村追討事一、頗及二過言一之間、可レ被二咎仰一歟之由、雖レ有二沙汰一、其性素廉直也、稱二過言一者、只無レ私之所レ致也、且適爲二關東遺老一、咎語之誤、令レ漏二處恩一條、可レ爲二政道耻一之由、左親衞殊令二執申一給云云、
p.0858 荒言(ゲン)
p.0858 荒言(クハウゲン)
p.0859 治部卿兼定滋野井の泉にて納凉せられけるに、增圓法眼その座につらなりけり、盃酌のあゐだ、治部卿さぶらひむまの允なにがしとかやいひける老たる者、香のひたゝれのしほれたるをきて、尫弱の體にて、物くひて居たりけるが、衰老のものにて、齒もなくてくひわづらひたるを見て、增圓連歌をしける、
老むまは草くふべくもなかりけり、治部卿いげ興ある句なりとて、とよみのゝしるを、馬のかみ聞て、
おもづらはげて野はなちにせん、と付たりけるに、滿座にがりけり、かやうの荒言はよく〳〵ひかふべき事也、
p.0859 將軍上洛事附阿保秋山河原軍事
桃井ガ扇一揆ノ中ヨリ、長七尺計ナル男ノ、ヒゲ黑ニ血眼ナルガ、〈○中略〉只一騎河原面ニ進出テ、高聲ニ申ケルハ、戰場ニ臨ム人毎ニ、討死ヲ不レ志云者ナシ、然共今日ノ合戰ニハ、光政殊更死ヲ輕ジテ、日來ノ廣言(○○)ヲ、ゲニモト人ニ云レント存也、〈○下略〉
p.0859 有田合戰附元繁戰死之事
元就〈○毛利〉逃ル敵ニ目ナ掛ソ、武田ガ旗本へ懸レト下知シ給ヘバ、丹比勢前後一千餘騎、一備ニ成テ攻近付、元繁〈○武田〉是ヲ見テ、元就昨日今日初テ戰場ニ被レ出シニハ、拔群ノ行迹哉、行末ハ如何ナル名將トカナラン、可惜若者ヲ、吾鋒先ニ掛ンコソ不便ナレト、荒言吐テ眞先ニ被レ進ケレバ、〈○下略〉
p.0859 放言
p.0859 放言(ハウゴン)
p.0859 鷹鳩不レ變三春眼 鹿馬可レ迷二世情〈以言〉
此句依二恨レ暗漢雲之子細一、叡感〈○一條〉之餘擬レ補二藏人一、雖レ然入道殿〈○藤原道長〉幷殿上人不二承引一之故不レ補、仍 爲二放言一所レ作也、
p.0860 一條院御時、喚二諸卿一、於二御前渡殿東第一間一立二地火爐一、於二淸凉殿東廂一庖丁、〈○中略〉其後奏二管絃一、大納言道綱進出舞之間落レ冠、衆人解レ頤、右府〈顯光〉有二嘲詞一云々、仍道綱卿放二言右府一云々、聽レ之者或彈指、或嘆息云々、其詞云、何事云ゾ、妻ヲバ人ニクナカレテト云々、道綱密二通右府北方一云々、是則三位中將母也、人々嘆息、道綱所レ吐不レ異二禽獸一者也云々、
p.0860 文治三年四月十八日己丑、御家人平九郎瀧口淸綱就二領所一、居二住美濃國一之間募二武威一、不レ隨二國衙下知一、對二捍乃貢一、令レ過二言(○○)召使一之由、依二在廳之訴一、早可下令二尋沙汰一給上之旨、所レ被レ下二院宣一也、仍成二御下文一、副二請文一、被レ遣二師郷之許一云々、平五盛時奉二行之一、〈○中略〉
美濃國内淸綱地頭所未濟爲レ先、對二捍國催一之由依二在廳訴一、重自レ院所レ被二仰下一也、就レ中口不二落合一、放言(○○)を致之旨有レ聞、返々不當事歟、自今以後可レ隨二國衙下知一、若猶令二對捍一者、早可レ離二散國中一、仰旨如レ此、仍以執達如レ件、
四月十八日 盛時奉
平九郎瀧口殿
p.0860 高野證空上人、京へのぼりけるに、〈○中略〉上人猶いきまきて、何といふぞ非修非學の男と、あらゝかにいひて、きはまりなき放言しつとおもひける氣色にて、馬ひきかへしてにげられにけり、
p.0860 まさひろはいみじく人にわらはるゝ物哉、おやなどいかにきくらん、〈○中略〉人まによりきて、わが君こそ、まづ物きこえん、まづ〳〵人のの給へる事ぞといへば、何事にかとて、きちやうのもとによりたれば、むくろごめにより給へといふを、五たいごめにとなんいひつると云て、又わらふ、
p.0861 楊梅大納言顯雅卿は、若くよりいみじき言失をぞし給ひける、神無月の比、或宮原に參りて、みすの外にて女房たちと、物がたりせられけるに、時雨のさとしければ、供なる雜色をよびて、車のふるに時雨さし入よとの給ひけるを、車軸とかや、おそろしやとて、みすの内笑ひあはれけり、或女房の御云たがへ常に有と聞ゆれば、げにや御祈の有ぞやといはれければ、其ために三尺の鼠を作て、供養せんと思侍ると、いはれたりける、折節鼠のみすのきはを走り通りけるを見て、觀音に思まがへて、の給けるなり、時雨さし入よには增りて、おかしかりけり、
p.0861 師賴卿多年沈淪籠居、拜二任中納言一後勤二仕釋奠上卿一、作法進退之間、於レ事成二不審一、粗問二於人一、其時成通卿參議之時列坐云、年來御籠居之間、公事御忘却歟、ウヒ〳〵シク被二思食一之條、尤道理也、云々、師賴卿不レ謂二返事一、顧眄獨言曰、入二大廟一、毎レ事問者奈云々、〈論語文〉成通卿閉口止、後日逢レ人云、無二思分之方一、出二不慮之言一畢、後悔千回云々、〈○又見二十訓抄一〉
p.0861 會レ人言語莫レ多、又莫レ言二人之行事一、唯陳二其所一レ思兼觸レ事、不レ可レ言二人言一也、人之灾出レ自レ口、努力愼之愼之、
p.0861 源信僧都四十一箇條起請
應二重禁制一條々〈○中略〉
一全可レ斷二多言戲咲一〈○中略〉
已上四十一箇條、可レ如二眼精一矣、
p.0861 可レ誡二人上一事
或人云、人は慮なく云まじき事を、口とくいひ出し、人の短をそしり、したることを難じ、かくすことを顯し、耻がましきことをたゞす、これらすべて有まじきわざなり、我は何となく云ちらして、思もいれざるほどにいはるゝ人、思つめていきどをり深く成ぬれば、はからざるに耻をもあた へられ、身はつる程の大事にも及ぶなり、ゑみの中の劒は、さらでだにも恐るべき物ぞかし、心得ぬ事をあしさまに難じつれば、還て身のふかくあらはるゝ物也、大かた口かろきものに成ぬれば、某に其事きかせそ、彼者にな見せそなど云て、人にこゝろをかれ、隔らるゝ口おしかるべし、また人のつゝむ事の、をのづからもれ聞えたるに付ても、かれはなしなど疑れんは、面目なかるべし、然ればかた〴〵の上をつゝしむべし、多言可レ止也、
p.0862 萬のとがあらじと思はゞ、何事にもまことありて、人をわかずうや〳〵しく、詞すくなからんにはしかじ、
p.0862 一歌道なき人は、無手に賤き事なり、學ぶべし、常の出言に愼み有べし、一言にても人の胸中しらるゝ者也、
p.0862 一不レ可二佗言雜談一事、〈○中略〉
一雖レ爲二深知音一、於二人前一不レ可二妄雜談一事、〈○中略〉
一對二貴人一縱使雖レ有二千萬之道理一、理り强不レ可レ申事、〈○中略〉
一於二人前一風物〈幷〉賣買之雜談不レ可レ爲事、〈○中略〉
一縱附レ爲二眞個之交一、婬亂雜談不レ可レ爲、若人之申懸者、不レ立レ目樣可レ立二其座一事、〈○中略〉
一於二人前一妄不レ可レ爲二背語一事〈○下略〉
p.0862 愼二言語一
言語の品、其所、其時、其交接の人物に從て、甚其禮多し、朝廷之言あり、平居之言あり、喪祭之言あり、冠昏の言あり、賓客之言あり、軍旅の言あり、君臣、父子、兄弟、朋友、夫婦の言あり、平生の言あり、變に處するの言あり、此品々を詳に不二究明一ときは、言皆違を以て禮こゝにみだる、威儀大にそむくべし、〈○下略〉
p.0863 愼レ言處、卽愼レ行處、〈略(○)〉
人最當レ愼レ口、口之職兼二二用一、出二言語一、納二飮食一、是也、不レ愼レ於二言語一、足二以速一レ禍、不レ愼レ於二飮食一、足二以致一レ病、諺云、禍自レ口出、病自レ口入、
p.0863 一總じて人のつゝしみて申さぬ、不禮なる大口をかたく申さぬものにて候、幼少の時より大口を申習ひ候子供衆は、後には大かた惡性になり候て、親ごの勘當をもうけるやうになりたる子達、是まで多く見および申候、是子供衆の時分に行義のあしき癖づきにて、人に不禮を申憚る心をうしなひつけて、終には哀しき身になり申事に候、然れば御互に幼稚の御方へ御氣を付けられ、假にも〳〵少しにても大口は仰られまじく候、甚わるき事にて、恥かしき事と申譯を、能々御おぼえ置なさるべく候、
p.0863 大相國〈○藤原實行〉宰相にておはしける時、歌合せられけるに、夏月を俊賴、
光をばさしかはしてやかゞみ山峯より夏の月は出らん、とよめりけるを、峯より夏の月は出らんと侍るは、秋冬は谷より出けるにやと申ければ、俊賴のぶる方なくて居たるに、大判事明兼が下座に候て、聊か口入を申たりけるを、俊賴腹たゝしき氣色にて、をのれがやうなる侍などは、たゞこそ居たれ、公達の物仰らるゝに、さしいらへするやうやはある、あら便なといひければ、明兼にがりにけり、さやうの事には、心得て下﨟はつゝしむべき也とぞ申合ける、
p.0863 ある家のあるじ、五十五歲のころ、妻の身まかりければ、後妻をむかふるに、年いとわかし、客の悦びに來りて、洒宴を催す折から、その子廿六歲にして、後妻は廿五歲なりけるが、二人とも其席に出でゝともに客をもてなすにぞ、主人酩酊のうへにて、座興に乘じて云ひけるは、我等五十五歲にして、廿五歲の妻を持つことまことにおとなげなしといへども、緣のいたすところにして、よりどころあらざればなるべし、しかれば忰に對し、面目をも失ふことなり、かくなら びたるやうすを見るに、忰が妻にして相應の年ごろなりといひけるが、いつしか後妻と、その子と終にひそかに通じて、家に居ること叶はで、他國へ奔りて、夫婦となれりとかや、その親かゝる一言より、若輩の心みだるゝ基とはなれるなり、人は多言を愼むべし、多言はやぶれあり、譏をももとめ、身を亡すは口なり、農夫町人たりとも、一言以て知とし、一言以て不知とするは、古人の誡なり、つゝしむべし、
p.0864 恍〈口良反、惚也、又驚也、與波不(○○○)、又與不(○○)、〉
p.0864 呼〈ヨフヨハフ〉 〈亦作レ喚〉 召 速 稱 叱 呵 咷 招 咤 㘁哮〈已上ヨフヨハフ〉
p.0864 よばふ 號呼をいふ、ばふ反ぶなれば、よぶに同じ、新撰字鏡に、恍をよばふとも、よぶともよめり、よばゝるともいふ、はる反ふ也、よばふをのべたる詞也、伊勢にてよぼるといふ、ぼる反ぶ也、〈○中略〉
よぶ 呼をよめり、よゝと聲する也、號呼也、
p.0864 大神〈○須佐之男命、中略、〉故爾追至二黃泉比良坂一、遙望、呼謂二大穴牟遲神一曰、其汝所レ持之生大刀生弓矢以而、汝庶兄弟者、追二伏坂之御尾一、亦追二撥河之瀨一而、意禮〈二字以レ音〉爲二大國主神一、亦爲二宇都志國玉神一而、其我之女須世理毘賣爲二嫡妻一而、於二宇迦能山〈三字以レ音〉之山本一、於二底津石根一、宮柱布刀斯理、〈此四字以レ音〉於二高天原一、冰椽多迦斯理〈此四宇以レ音〉而居、是奴也、
p.0864 貧窮問答歌一言〈幷〉短歌〈○中略〉
楚取(シモトトル)、五十戸良我許惠波(サトヲラガコエハ)、寢屋度麻低(子ヤドマデ)、來立呼比奴(キタチヨバヒヌ)、可久婆可里(カクバカリ)、須部奈伎物能可(スベナキモノカ)、世間乃道(ヨノナカノミチ)、
p.0864 そうなどめして、かぢ參りさはぐ、よばひのゝしり給聲など、思うとみ給はんに、ことはりなり、
p.0865 白河殿攻落事
眞盛此頸ヲ取テ、太刀ノ先ニ貫キ指擧テ、〈○中略〉我ト思ハン人々ハ、寄合ヘヤ、寄アヘヤトゾ呼(ヨバゝ)リケル、
p.0865 義朝敗北事
義朝八瀨ノ松原ヲ被レ過ケルニ、跡ヨリヤヽト呼聲シケレバ、何者ヤラント見給ヘバ、〈○下略〉
p.0865 噭〈古弔反、咷也、佐介不(○○○)、〉V 伊呂波字類抄
p.0865 叫〈サケフ亦作レ訆〉 喚 咷 噭 謼 呶〈已上同〉
p.0865 叫呼(ケウコ/サケビヨハフ) 叫喚〈クワンヨハフ〉
p.0865 叫(サケブ) 嘷(同) 號(同)
p.0865 佛銅像盜人所レ捕示二靈表一顯二盜人一緣第廿二〈○中略〉
叫〈サケヒ〉 呴〈サケヒ〉
p.0865 さけぶ 號叫をよめり、さかえよぶの義なるべし、かえ反け也、靈異記に呴をよみ、新撰字鏡に噭をよめり、
p.0865 おめきさけぶ(○○○○○○)と云詞のかはりに、九州及四國にておらぶ(○○○)と云、神代卷に哭聲(おらぶこゑ)と有、いたくこゑをはかりに泣を、おらぶと云と聞えたり、平家物語にをめかせ給へと有は、うめくといふにひとしき事にや、東國にておめきさめくといふは、おめきさけぶの轉語か、雨々(さめ〴〵)と泣(なく)などいふ心ならん、
p.0865 わめく(○○○) 叫喚をいふ、をめくの轉ぜる也、
p.0865 叫 おらぶ(○○○)〈日本紀、幷萬葉、さけぶ意なり、〉
p.0865 たけび(○○○) 神代紀に躡誥をふみたけびとよみ、萬葉集に牙喫建怒(キカミタケヒ)、又思たけび、祝 詞式に、荒び健びと書せり、怒聲を出して、武くさけぶ義成べし、
p.0866 爾天照大御神聞驚而、〈○中略〉伊都〈二字以レ音〉之男建(ヲタケビ/○○)〈訓レ建云二多祁夫一〉蹈建(フミタケビ)而待問、〈○下略〉
p.0866 をたけび〈○中略〉 今尾張熱田に、二月未日、田種祭あり、御田社の神供の餅を、鳥を呼て執去しむ、其呼聲ををたけびといへり、
p.0866 天照大神〈○中略〉奮二稜威之雄誥一、〈雄誥此云二烏多稽眉一〉發二稜威之嘖讓一、〈嘖讓此云二擧廬毗一〉而徑詰問焉、
p.0866 正通曰、雄誥男叫(ヲサケヒ)也、〈神武紀曰、植レ楯爲二雄誥一焉、古事記作二男建一、萬葉集牙喫建怒(キカミタケビ)、正通曰、因レ此軍三度揚二責聲一、兼倶曰、戰陣發二時聲一起二于此一、惠伊惠伊阿布三聲也、今按古語云、物部之矢多介心、蓋矢誥也(タケヒ)、與二矢叫一同、夫木集、道遠幾、那須乃御狩乃、矢呌爾、逃禮奴鹿乃、聲曾聞流、南史箭作二鵝鶚叫一、矢訓レ也、亦謂二其聲一也、韻會告レ上曰レ告、發レ下曰レ誥、〉
p.0866 一書曰、〈○中略〉是以吾田鹿葦津姫益恨、作二無戸室一、入二居其内一、〈○中略〉放レ火焚レ室、其火初明時、躡誥(フミタケヒ)出兒自言、吾是天神之子、名火耶、次火盛時、躡誥(フミタケヒ)出兒亦言、吾是天神之子、名火進命、吾父反兄何處在耶、〈○下略〉
p.0866 戊午年四月、至二草香津一、植レ盾而爲二雄誥一焉、〈雄誥此云二烏多鷄廬一〉五月癸酉、軍至二茅渟山城水門一、〈亦名山井水門、茅淳此云二智怒一、〉時五瀨命矢瘡痛甚、乃撫レ劒而雄誥之曰、〈○註略〉慨哉大丈夫、〈慨哉此云二于黎多 伽夜一〉被レ傷二於虜手一、將不レ報而死耶、時人因號二其處一、曰二雄水門一、
p.0866 四十年七月、日本武尊雄誥之曰、熊襲旣平、未レ經二幾年一、今更東夷叛之、何日逮二于大平一矣、臣雖レ勞之、頓平二其亂一、
p.0866 九年、談連〈○大伴〉從人同姓津麻呂、〈○中略〉問曰、吾主大伴公何處在也、人吿之曰、汝主等果爲二敵手一所レ殺、指二示屍處一、津麻呂聞之、踏叱曰(フミタケヒテ)、主旣已陷、何用獨全、
p.0866 十年、爰倭迹迹姫命、心裏密異之、待レ明以見二櫛笥一、遂有二美麗小蛇一、其長大如二衣紐一〈○紐原作レ細、據二一本一改、〉則驚之叫啼(サケブ)、
p.0866 三年〈○安康〉十月癸未朔、大泊瀨天皇〈○雄略〉彎レ弓驟レ馬而陽呼曰二猪有一、卽射二殺市邊押磐皇 子一、皇子帳内佐伯部賣輪、〈更名仲子〉抱レ屍駭惋、不レ解二所由一、反側呼號(ヨバイオラヒテ)、往二還頭脚一、
p.0867 二十三年七月、所レ虜調吉士伊企儺、爲レ人勇烈終不二降服一、新羅鬪將拔レ刀欲レ斬、逼而脱レ褌、追令下以二尻臀一向中日本上、大號 〈 咷也〉曰、日本將齧二我臗脽一、卽號 曰、新羅王㗖二我臗脽一、〈○下略〉
p.0867 五年三月庚午、喚二物部二田造鹽一、使レ斬二大臣〈○蘇我倉山田麻呂〉之頭一、於レ是二田鹽仍拔二大刀一刺二擧其完一、叱咤啼叫而(ヲラヒサケヒテ)始斬之、
p.0867 利仁將軍若時從レ京敦賀將二行五位一語第十七
物高ク云音ハ何ゾト聞バ、男ノ叫デ云樣、此邊ノ下人承ハレ、明旦ノ卯時ニ、切口三寸長サ五尺ノ 蕷各一筋ヅヽ持參レト云也ケリ、〈○中略〉夜前叫ビシハ、早フ其邊ニ有下人ノ限リニ、物云ヒ聞スル、人呼ノ岳トテ有墓ノ上ニシテ云也ケリ、
白河殿攻落事
院御所へ猛火夥ク吹懸タレバ、院中ノ上﨟女房乳母童ハ、方角ヲ失テ呼リ叫テ迷アヘルニ、〈○下略〉
p.0867 大路に女こゑして、ひはぎありて、人ころすやとをめく、〈○下略〉
p.0867 額打論附山僧燒二淸水寺一幷會稽山事
一天ノ君、萬乘ノ主〈○二條〉世ヲ早セナセ給ヌレバ、〈○中略〉高キモ卑キモ、ヲメキ叫、東西ニ迷ケルコソ不便ナレ、
p.0867 嘯〈蘇弔反、歗也、宇曾牟久、〉
p.0867 嘯肅〈蘇市反ウソフク〉
p.0867 吟(ウソブク)〈説文、伸レ氣聲、〉 嘯(同)〈毛詩箋、蹙レ口而出レ聲也、〉 (同)〈韵略〉
p.0867 うそふく 神代紀に嘯をよめり、新撰字鏡にうそむくとよめり、うそ吹の義、うそ鳥の鳴が如くするをいふ、物にうそ打ふきてとも、うそを吹とも見えたり、はとふくといふ詞に 意同じ、
p.0868 中夏之人、有レ所二感嘆一、則蹙レ口而出レ聲、此之謂レ嘯、凡諷咏歌吟、其聲調雖レ異二乎中夏一也、然我方之人、亦皆有レ之、唯所レ謂嘯者、我方無レ有焉、蓋彼此風氣之殊也夫、若下彼阮籍之嘯、聞二數百歩一、劉越石之嘯、使中胡騎凄然上、不レ知其聲何如也、唐人嘯旨、陳二十二法一、
p.0868 一書曰、〈○中略〉時海神授二鈎彥火火出見尊一、因敎之曰、〈○中略〉兄〈○火酢芹命〉入レ海釣時、天孫宜下在二海濱一以作中風招上、風招卽嘯(ウソフク)也、如レ此則吾起二瀛風邊風一以二奔波一溺惱、火折尊歸來、具遵二神敎一、至二乃釣之日一、弟居レ濱而嘯之、時迅風忽起、兄則溺苦無レ由レ可レ生、〈○下略〉
p.0868 撿税使大伴卿登二筑波山一時歌一首〈幷〉短歌
衣手(コロモデノ)、常陸國(ヒタチノクニノ)、二並(フタナミノ)、筑波乃山乎(ツクバノヤマヲ)、欲見(ミマクホリ)、君來座登(キミカキマスト)、熱爾(アツケキ)、汗可伎奈氣(ニアセカキナケ)、木根取(キ子トリスル)、嘯鳴登(ウソブキノボリ)、岑上乎(ヲノウヘヲ)、君爾令見者(キミニミスレバ)、〈○下略〉
p.0868 なかたゞのあそんは、〈○中略〉このほたるをつゝみながら、うそぶく時に、うへいととく御覽つけて、なをしの御袖にうつしとりて、〈○中略〉かの内侍のかみのほどちかきに、このほたるをさしよせて、つゝみながらうそぶき給へば、〈○下略〉
p.0868 一條院御時、淸凉殿ニテ臨時樂キコシメシケルニ、〈○中略〉此日文範ノ民部卿、八十ニアマリテ、サセルメシナキニ參テ、座ニサブラヒテ、舞ノホドニ、ウソブキケレバ、主人ヨリハジメテミル人、ヲトガヒヲトカズト云事ナシ、老グルヒトナム云アヘリケル、
p.0868 謠〈音遙 與照反ウタウタフ〉
p.0868 歌〈謌並正、ウタフ、ウタウタフ、〉
p.0868 うたふ 歌の用也、歌云の義、
p.0868 戊午年十月、道臣命〈○中略〉期之曰、酒酣之後、吾則起歌、汝等聞二吾歌聲一、則一時刺レ虜、
p.0868 戀二夫君一歌一首 飮喫騰(イヒハメド)、味母不在(ウマクモアラズ)、雖行往(アリケドモ)、安久毛不有(ヤスクモマズ)、赤根佐須(アカネサス)、君之情志(キミガコヽロシ)、忘可禰津藻(ワスレカネツモ)、
右歌一首、傳云、佐爲王有二近習婢一也、于レ時宿直不レ遑、夫君難レ遇、感情馳結、係戀實深、於レ是當宿之夜、夢裏相見、覺寤探抱、曾無レ觸レ手爾乃哽啁歔欷、高聲吟二詠此歌一、因王聞レ之哀働永免二侍宿一也、
p.0869 かどうちたゝかせ給へど、きゝつくる人なし、かひなくて御ともにこゑある人して、うたはせ給、
あさぼらけきりたつそらのまよひにも行すぎがたきいもがかどかな、とふたかへりうたひたるに、〈○下略〉
○按ズルニ、神樂歌、催馬樂、朗詠、謠曲、小唄等ヲ謠フ事ハ樂舞部ニ載セタリ、宜シク參看スベシ、
p.0869 十年九月壬子、大彥命到二於和珥坂上一、時有二少女一歌之曰、〈○中略〉於レ是大彦命異之問二重女一曰、汝言何辭、對曰、勿言也、唯歌耳、乃重詠(ウタフテ)二先歌一忽不レ見矣、
p.0869 二年十月戊午、蘇我臣入鹿獨謀將下廢二上宮王等一而立二古人大兄一爲中天皇上、于レ時有二童謠(ワザウタ)一曰、伊波能杯儞(イハノヘニ)、古佐屢渠梅野倶(コサルコメヤク)、渠梅多儞母(コメタニモ)、多礙底騰裒羅栖(タゲテトホラセ)、歌麻之之能烏膩(カマシヽノヲヂ)、 十一月、時人説二前謠之應一曰、以二伊波能杯儞一而喩二上宮一、以二古佐屢一而喩二林臣一、〈林臣入鹿也〉以二渠梅野倶一而喩レ燒二上宮一、以二渠梅拖儞母、陀礙底騰裒羅栖、柯麻之之能嗚 一、而喩三山背王之頭髮斑雜毛似二山羊一、又曰、棄二捨其宮一、匿二深山一相也、
p.0869 十年十二月癸酉、殯二于新宮一、〈○是月乙丑、天智天皇崩、〉于レ時童謠曰、美曳之弩能(ミエシヌノ)、曳之弩能阿喩(エシヌノアユ)、阿喩擧曾播(アユコソハ)、施麻倍母曳岐(シマヘモユキ)、愛倶流之衞(アクルシエ)、奈疑能母縢(ヂギノモト)、制利能母縢(セリノモト)、阿例播倶流之衞(アレハクルシエ)、〈其一〉於彌能古能(オミノコノ)、野陛能比母騰倶(ヤへノヒモトク)、比騰陛多爾(ヒトヘダニ)、伊麻拖藤柯禰波(イマダトカネバ)、美古能比母騰矩(ミコノヒモトク)、〈其二〉阿箇悟馬能(アカゴマノ)、以喩企波々箇屢(イユキハヾカル)、麻矩儒播羅(マクズハラ)、奈爾能都底擧騰(ナニノツテコト)、多拖尼之曳鷄武(タヾニシエケム)、〈其三〉
p.0869 天皇諱白壁王、〈○中略〉嘗龍潛之時、童謠曰、葛城、寺(カツラギノテラ)〈乃(ノ)〉前在(マヘナル)〈也(ヤ)〉、豐浦寺(トヨラノテラ)〈乃(ノ)〉、西在(ニシナル)〈也(ヤ)〉、於志(オシ)〈止度(トド)〉刀志(トシ)〈止度(トド)〉、櫻井(サクライ)〈爾(ニ)、〉白璧(シラタマ)〈(璧原作レ壁據二日本靈異記及催馬樂一、改、下同、)之豆久也(シヅクヤ)、〉 好璧(ヨキタマ)〈之豆久也( ヤ)、〉 於志(オシ)〈止度(トド)、〉刀志(トシ)〈止度(卜ド)、〉 然爲(シカセ)〈波(バ)、〉國(クニ)〈曾(ゾ)〉昌(サカ)〈由流也(ユルヤ)、〉吾(ワギ)〈○吾 原作レ五、據二一本一改、〉家(へ)〈良曾(ラゾ)〉昌(サカ)〈由流也(ユルヤ)、〉於志(オン)〈止度(トド)〉、刀志(トシ)〈止度(トド)〉、于レ時井上内親王爲レ妃、識者以爲、井則内親王之名、白壁爲二天皇之諱一、蓋天皇登極之徵也、〈○又見二日本靈異記一〉
p.0870 災與レ善表相先現而後其災善答被緣第卅八
諾樂宮食國帝姫阿倍天皇〈○元明〉代、學レ國歌詠云、大宮(オホミヤ)〈ニ〉直向(タヾニムカヘル)、山部之坂(ヤマベノサカ)、痛(イタク)〈奈(ナ)〉不踐(フミ)〈曾(ソ)〉、土(ツチ)〈ニハ〉有(アリ)〈止モ、〉如レ是咏而後、白壁天皇〈○光仁〉代、天應元年才次辛酉四月十五日、山部天皇〈○桓武〉卽レ位治二天下一、是以當レ知、先咏歌者、是山部天皇治二天下一先表相答也、
p.0870 承和九年八月甲戌、遣二參議正躬王一、送二廢太子〈○恒貞〉於淳和院一、〈○中略〉先レ是、童謠曰、天(アメ)〈爾波(ニハ)、〉琵琶(ビハ)〈乎曾(ヲゾ)〉打(ウツ)〈那留(ナル)、〉玉兒(タマノコノ)、牽裾(スソヒキ)〈(裾原作レ枯、)據二一本改一、〉〈乃(ノ)〉坊(マチ)〈爾(ニ)〉、牛車(ウシクルマ)〈波(ハ)〉善(ヨ)〈氣牟(ケム)夜(ヤ)、〉辛苢(カラチサ)〈乃(ノ)〉小苢之華(コチサノハナ)、有識咸言、童謠不レ虚、于レ今驗之矣、
p.0870 天皇諱惟仁、文德天皇之第四子也、〈○中略〉嘉祥三年〈○中略〉十一月二十五日戊戌、立爲二皇太子一、于レ時誕育九月也、先レ是有二重謠一云、大枝(ヲホエ)〈乎(ヲ)〉超(コエ)〈天(テ)〉、走超(ハシリコエ)〈天(テ)〉、走超〈天〉、躍(ヲ)〈止利(ドリ)〉騰(ア)〈加利(ガリ)、○騰原在二躍字上一、據二一本一改、〉超(コエ)〈天(テ)〉、我(ワ)〈那(ガ)〉護(マ)〈毛留(モル)〉田(タ)〈仁耶(ニヤ)〉搜(サグリ)〈阿左理(アサリ)〉食(ハ)〈無(ム)〉志岐(シギ)〈耶(ヤ)〉雄々(ヲヽ)〈伊(イ)〉志岐(シギ)〈那(ヤ)〉、識者以爲、大枝謂二大兄一也、是時文德天皇有二四皇子一、第一惟喬親王、第二惟條親王、第三惟彦親王、皇太子是第四皇子也、天意若曰超二三兄一而立、故有二此三超之謠一焉、
p.0870 口號(クチツサム)
p.0870 くちずさふ 口號の意也といへり、くちすさびともいへり、或は口遊と書り、東鑑に見ゆ、
p.0870 四年八月戊申、行二幸吉野宮一、 庚戌、幸二于河上小野一、〈○中略〉天皇乃口號曰(クチツウタヒテ/○○)、〈○歌略〉
p.0870 あて宮の御めのとご、かたちもきよげに、心こそある人、兵衞の君とてさぶらふに、かたらひつき給て、さねたゞとのにさぶらふとは、中のおとゞにしらせ給へりや、などてお ぼすことをの給へば、ことたはふれごとはの給とも、このかゝるくちあそび(○○○○○)は、さらにうけ給はらじときこゆれば、〈○下略〉
p.0871 しのぶとも世にあることかくれなくて、内にきこしめされんことをはじめて、人のおもひいはんこと、よからぬわらはべのくちずさひに成ぬへきなめり、〈○下略〉
p.0871 或殿上人の、五月廿日餘、いとくらきに、太后宮にまいりて、めうとうにたゝずみけるに、〈○中略〉つぼのやり水に、螢のおほくすだくを見て、〈○中略〉次なる人優なるこゑにて、螢火亂飛と、口すさびけり、
p.0871 文治三年七月十八日丁巳、新田四郎忠常妻、參二豆州三島社一、而洪水之間、棹二扁舟一、浮二江尻渡戸一之處、逆浪覆レ船、〈○中略〉忠常妻一人沒畢云云、〈○中略〉去正月比、夫重病危急之時、此女捧二願書於彼社壇一云、縮二妻之命一、令レ救二忠常一給云云、若明神納二受其誓願一兮令レ轉歟、志之所レ之、爲二貞女一之由、在二時口遊一矣、
p.0871 文曆元年〈○天福二年〉十一月五日庚子、有二改元事一、天福字自レ始世人不レ受、諒闇相續爲二其徵一之由口遊、
p.0871 寬治五年〈○寳治元年〉十一月十一日庚申、筑後左衞門次郎知定浴二恩澤一、去六月五日勳功賞也、〈○中略〉今度勳功間珍事是也、有二都鄙口遊一云云、
p.0871 口遊、去年八月、二條河原落書云々、〈元年歟〉
此比都ニハヤル物 夜討强盜謀綸旨 召人早馬虚騷動 生頸還俗自由出家〈○下略〉
p.0871 太閤〈○豐臣秀吉〉に諸大名出仕すれば多く留て饗す、或は碁象戲、或は亂舞、好に隨て遊ぶ、太閤常に云、能夢を見する哉と、口癖に宣ふとぞ、
p.0871 有難與一兵衞
天明寬政のころ、備前の國邑久郡富岡村に、油屋與一兵衞といふ者ありけり、氏は小山、名は壽信、 農家にして大いに富り、岡山の士松島省内といへる人の弟子になりて、心學を專ら尊み、月毎五六度づゝ席を設て、松島大人を請待し、近村の人々を勸めて、道話を聞しめ、善道に導く事おこたらず、〈○中略〉這與一兵衞にひとつの癖あり、常に〈ハツア〉ありがたいと云事、日に幾百度とかぞふ、朝とく起いで母の顏を看て、〈ハツア〉有がたいといひ、亦妻の顏を看て〈ハツア〉有難いと云、また兄弟の顏を見て、〈ハツア〉有がたいといふ、何ゆゑ然樣にありがたいと云るゝやと問ば、當日も且(まづ)母兄弟妻ともに恙なき顏を見る、〈ハツア〉有難い事ではないかと答ふ、門口に人來りて案内をこふ、與一兵衞聞つけ、〈ハツア〉有難いと云て立出ける、人の案内したるは善事にて來りしや、また凶き事にや、いまだ其幹事(ようじ)わかたざるに、何故有がたいと云るゝぞと問ば、來し人の幹(よう)の善惡はしらずといへども、我いちはやく聞つけて答るほどに、耳も敏く躬も達者なれば、〈ハツア〉有難い事にはあらずやといふ、斯て來りし人さま〴〵の物語して在ける間も、をり〳〵〈ハツア〉有難いといふ事數をしらず、其人別れて歸るときも、簷端までおくり出て、〈ハツア〉有難いといふ、亦途中にて人に遭しときも、〈ハツア〉有難いと云て腰をかゞむる、何故にありがたきぞと問ば、儞も我も恙なくて、這樣に對面いたすこと、寔にありがたき事ならずやといふ、一日外より歸り來るとき、急雨にあひて (はし)り、我家の前にて轉まろび、膝をすり破り血の流るゝを看て、〈ハツア〉有がたいといふ、下僕是を助おこし、斯やうに疵を蒙り給ひ、何ぞあり難き事のあらんと細語ければ、われ轉て蹇となりたればとて、我粗忽せん方なきを、斯いさゝかの疵にて事濟し、〈ハツア〉有がたき事ならずやといふ、亦一時近邊の馬一疋ものに狂ひて走り來る、與一兵衞是をしらず行當りて踏倒され、這這おき上りて、〈ハツア〉有難いといふ、何がありがたきぞと問ば、馬に踏殺されても詮方なし、かやうに恙なきは、〈ハツア〉有難き事なりといふ、何によらず、〈ハツア〉ありがたいと云事、口癖にて止時なし、爰をもつて世人倬號して有難與一兵衞と、近郷隱れなく、太甚名高きものとなれり、〈○下略〉
p.0873 利口
p.0873 興言
p.0873 利口(リコウ)
p.0873 便口(ベンコウ) 利口(リコウ)〈辨口也、出二尚書一、〉 辨レ口(クチカシコシ)〈辨舌義同〉 口㨗(同)
p.0873 興言利口者、放遊得境之時、談話成二虚言一、當座殊有二取レ笑驚一レ耳者也、
p.0873 延曆七年六月丙戌、中納言從三位兼兵部卿皇后宮左京大夫大和守石川朝臣名足薨、〈○中略〉名足〈○中略〉利口剖斷無レ滯、
p.0873 延曆二十四年十一月丁丑、大納言正三位兼彈正尹壹志濃王薨、〈○中略〉質性矜然、不レ護二禮度一、杯酌之間、善二於言咲一、毎レ侍二酣暢一、對レ帝道二疇昔一、帝安レ之、
p.0873 承和九年十二月戊辰、伯耆守從四位上笠朝臣梁麿卒、梁麿〈○中略〉雖レ無二才花一、以二辨了一稱、承和二年、拜二左中辨一、此時諸司有二柹本安永者一、利口之人也自憑二口侫一、屢有レ所レ干、官喚二其身一、詰問數矣、巧避二百端一、不二曾諾伏一、梁麿纔發二一問一、安永卷レ舌而退、同僚倶云、不レ及レ之焉、
p.0873 貞觀二年十二月廿九日甲戌從五位下行内藥正大神朝臣庸主卒、〈○中略〉庸主性好二戲謔一、最爲二滑稽一、與レ人言談、必以二對事一、嘗出レ自二禁中一、向下作二地黃煎一之處上、途逢二友人一、問云、向二可處一去、庸主答云、奉二天皇命一向二地黃處一、此其類也、
p.0873 こきでんとは、閑院の太政大臣の女御とぞきこゆる、其御かたに、うちふしといふもののむすめ左京といひてざぶらひけるを、源中將〈○宣方〉かたらひて、おもふなど人々わらふ比、宮のしきにおはしまいしにまいりて、時々は御とのゐなどつかふまつるべかれど、さるべきさまに、女房などもてなし給はねば、いと宮づかへをろかにさぶらふ、とのゐ所をだに、給はりたらんは、いみじふまめにさぶらひなんなど、いひゐ給ひつれば、人々げになどいふほどに、まことに人はうちふしやすむ所の、あるこそよけれ、さるあたりには、しげくまいりたまふなる物をと、さしい らへたりとて〈○淸少納言、中略、〉いみじうまめだちてうらみ給ふ、
p.0874 信西子息闕官事附除目事幷惡源太上洛事
大宮太政大臣伊通公、其比ハ左大將ニテ御座ケルガ、才學優長ニシテ、御前ニテモ、常ニ笑シキ事ヲ被レ申ケレバ、君モ臣モ大ニワラハセ給ヒ御遊モ興ヲ催ケリ、内裏ニコソ、武士共仕出シタル事モナケレドモ、思ノ如ク官加階ヲナル人ヲ多ク殺シタル計ニテ、官位ヲナランニハ、三條殿ノ井コソ多ク人ヲ殺シタレ、ナド其井ニハ官ヲナサレヌゾト笑ハレケル、
p.0874 此女院の女房共の中に、いとおかしき事おほく侍けり、醫師時成がむすめ備後とて候ける、佛師雲慶がむすめ越前とて候けるに、ある日越前が額に瘡の出たりけるを、びんごにむかつて、やおつぼね、此かさ見てたび候へ、さすが御身ぞ見しらせ給はんといひたりけるを、びんごとりもあへず、見るまゝに、みせんをいれたまへるをば、なにとかはし侍べきと、答へたりけるこゝろのはやさ〈○さ原脱、據二一本一補、〉おかしかりけり、たがひにかくざれあふ事をのみしける、〈○中略〉尾張が咳病をしてわづらひけるを、備後とぶらふとて、何をやみ給ふぞといひたりける返事に、餓鬼病をやみ候ぞとこたへたりければ、備後さらばひんさうしを煎じてめせといひたりけり、すべてかやうのことばたがひのつねの事也、
p.0874 建久二年六月九日丙戌、大理姫君、可下嫁二左大將一〈良經卿〉給上、其儀已在二近々一云云、仍姫君御裝束、〈御臺所御沙汰〉女房五人侍五人裝束幷長絹百疋、〈幕下御分〉可レ被二沙汰送一之由、兼日有二其定一、被レ宛二御家人等一、〈○中略〉絹者所レ被レ宛二善信、義澄、盛長、知家、遠元、遠平已下一也、而五輩分致二沙汰一、所レ殘分參期遲々、御氣色不快、召二奉行人俊兼盛時等於御前一、被レ仰二其由一、諸人恐怖之處、善信申二秀句(○○)一云、先立參著絹者、付二早馬一早參、未レ到絹者、練參之間遲引歟云云、于レ時御入興、彼輩事無二沙汰一而止之、此間面々絹進云云、
p.0874 癲狂人之利口事
或里ニ癲狂ノ病有ル男アリケリ、此病ハ火ノ邊、水ノ邊、人ノ多カル中ニシテ發ル、心ウキ病也、俗ハ、クツチト云ヘリ、或時大河ノ岸ニシテ、例ノ病オコリテ、河ヘオチ入ヌ、水ノ上ニウカビテ、ハルカニ流行テ、河中ノ州サキニ、ヲシアゲラレヌ、トバカリ有テヨミガヘリテ、コハイカニシテ、カヽル所ニアルニヤト、思メグラス程ニ、例ノ病ニヨリテ、河へ落入ニケリ、アブナカリケル命カナト、淺猿覺エテ、獨言ニ、死タレバコソ生タレ、生タラバ死ニナマシ、カシコクシテ死シテンゲル、ケウニ死ヌラフニトゾイヒケル、マコトニ大河ノ流疾ク、底深ケレバ、息絶ズバ沈ミテ死ナマシ、息絶ヌレバ、ウカブ事ニテコソ、角助ヌル事ヲ云ケルニコソ、忌キ利口ナリ、〈○中略〉
忠言有レ感事
故吉水ノ慈鎭和尚ノ御房ニ房官有ケリ、又御室ノ御所ニ房官有ケリ、其ニ名人也ケルガ、二人ナガラ猿ニスコシモタガハズ、世人猿房官トテ、人々ニ愛シワラワレケル、共ニサカ〳〵シキ者ニテ、召ツカハレケリ、或時御室ヨリ件ノ房官、吉水ノ御所御使ニ參ル、件ノ猿房官參ゼリトテ、御所中サヾメキケリ、コレノ猿房官イダシ合テ、アヒシラハセヨトテ、御所ニモ御覽ジケリ、御所中ノ上下、カシコ爰ニタヽズミテ見ル程ニ、吉水ノ房官アユミムカヒテ、ウチエミテ、イカヾヲボユルト問ニ、鏡ヲ見ル心地コソスレト答ヘケレバ、人々興ニ入テ愛シ感ジケリ、時ニトリテユヽシク聞ヘケリ、
p.0875 惟繼中納言は、風月の才にとめる人也、一生精進にて、讀經うちして寺法師の圓伊僧正と同宿して侍けるに、文保に三井寺やかれし時、坊主にあひて、御坊をば寺法師とこそ申つれど、寺はなければ、今よりはほうしとこそ申さめといはれけり、いみじき秀句(○○)なりけり、
p.0875 秀吉北條を討るゝ時、諸將浮島が原に並居て、秀吉をまつ、秀吉糸緋威の物具著て、唐冠の冑、黃金をちりばめたる太刀佩て、土俵の大なる羽壼に、征矢一筋指、仙石權兵衞が參らせし 朱の滋藤の弓持て、七寸有ける馬に、金の瓔珞の馬甲かけ、靜に歩ませて打通られけるが、東照宮、信雄と共に出迎ひ給ふを見て、馬より下り、いかに貳心有と聞たり、いざ一太刀參らんと太刀の柄に手を懸らる、東照宮左右の人に向はせ給ひ、軍始に太刀に手を懸られ、門出の目出たく候と高らかに仰有ければ、秀吉何ともいはずして、又馬に打乘り通られけり、
p.0876 佐嘉〈肥前〉弘道館ノ學生、〈松平肥前守ノ學館〉熊本〈肥後〉時習館ニ往タルトキ、〈細用越中守ノ學館〉弘道館ノ學生曰フニハ、貴邦ニテハ越中フンドシハ、寡君褌ト云ヤト問ケレバ、時習館ノ學生卽答フ、汝ノ邦ニハ定テヒゼンガサヲ弊邑瘡ト云ナルベシト、イカニモ敏㨗ナル佳對ナリ、
p.0876 又近來市中ニ、一稱ノ藥賣アリテ、道ヲ行キナガラ、十八五文(トヲハチゴモン)ト呼ビ、又シバシシテ奇妙ト呼ブ、是ハ丸藥ノ數十八ヲ、錢五文ニ換へ、其効驗アルヲ自賞シテ、奇妙ト云ナリ、卑賤ノ輩多クコレヲ求テ服用スルニ、果シテ功アリ、故ニ今都下盛ニ流行ス、又近頃七月九日、沼津侯特賜アリテ退出シ、ソノ老臣ノ隱居土方祐因〈俗ノ名ハ縫殿助、今剃髮、〉ヲ召テ、今日格別ノ拜領物シタリ、如何ナル物ヤ當テヽ見ルベシト問フ、祐因頭ヲ傾ケ、良久ク思案シ答フルニハ、定メシ十(トウ)ニ八(ハチ)ハ御紋ナラント、侯手ヲ拍テ曰、奇妙、
p.0876 地口 口合をいふ
p.0876 初午稻荷詣 地口〈○中略〉
江戸にて稻荷祭には、地口行燈をつらねともすならはしなり、この地口といふは、土地の口あひといふことにて、たとへば地張きせる、地本繪册子、地酒などの類、いづれもこの地といへるは、江戸をさしていふ詞なり、さてその行燈にかけるを繪地口とて、繪を專にして、まうづる人のあゆみながらよみてわかるをむねとするなり、豐芥藏喜の小册に、地口須天寶、鸚鵡盃、比言指南、地口春袋など、みな安永ごろの印本なり、その頃はやりしと見えたり、この地口にくさ〴〵のわかち あり、天神の手にて口をおさへたる繪にだまりの天神、〈鉛の天神〉團子を三串かけるに團子十五〈三五十五なり、むかしは大かた五ざしにて五文なりしを、四當錢出來てより、多くは四ツざしになりたり、〉などいふは、そのかみのさまをおもひやるべし、また繪を半もたせたるは、
達磨大師(だるまだいし)の茶せんのすがた
ゑびたこかしく
又句を長くいひつゞけたるは、精靈(しよりよ)のまこもと棚經(たなぎよ)の坊さま、見ればみそはぎ露がたる、〈女郎のまことと卵の四角、あれば晦日に月がでる、〉君が射(い)すがた的場で見れば、ふだん尺二を射んなさる、〈君が寢姿窻から見れば、牡丹芍藥百合華、〉またしりとり付まはしといふは、句の下の詞を、次の句の上におきて、長くくさるなり、〈上略〉六じやの口をのがれたる、たるは道づれ世はなさけ、なさけの四郎高綱で、つなでかく繩十文字、十文字の情にわしやほれた、ほれた百までわしや九十九まで、九までなしたる中じやもの、じやもの葵の二葉山〈下略〉などいへるなり、これ唐山にいふ粘頭續尾の戯とおなじ趣なり、これらその類をわかたば自體裁ありといふべし、すべて地口は詞の緣のはなれぬを巧とし、初の文字の同字ならぬをよしとすといへり、かねて聞たる中にて、やゝ巧におぼゆる一二をいはゞ、
繪馬あけぐわんほどき 胡麻あげ雁もどき
梅は見てさへ醋とや申す 夢に見てさへよいとや申す
雪見に出たか三谷舟 一富士二鷹三茄子
年のわかいのに白髮が見える 沖のくらいに白帆が見える
玄關に席をあらためて口上をきく 林間煖レ酒燒二紅葉一
銅(あかゞね)の鐔(つば) 渡邊の綱
撿挍けんくわ杖がたくさん 天上天下唯我獨尊
娘は琴より三味のこと 皷はもとより波の音
これらの類、猶あまたあるべし、
p.0878 天明の比、地口變じて語路(ゴロ)といふものとなれり、語路とはことばつゞきによりて、さもなき言のそれときこゆるなり、たとへば、
九月朔日命はをしゝ〈ふぐはくひたし、いのちはをしゝと、響のきこゆるなり、〉 市川團藏よびにはこねへか〈内からだれぞよびには來ぬかと、きこゆるなり、〉一とせ淺草正直蕎麥の亭にて、語路の萬句あり、その時宗匠の句、語路萬(ゴロマン)たま子なり、のろまの玉子といふ事なるべし、此比の佳句とて、人のもてはやしゝは、
いなかさふらひ茶みせにあぐら〈しなざやむまい三みせんまくらなり〉
ふざな客には藝者がこまる〈芝の浦には名所がござるなり〉
p.0878 初午稻荷詣 地口〈○中略〉
地口と似て異なるは、語路(ごろ)と、もぢりなり、語路といふは自然と語勢の通ひてそれときこゆるなり、〈○中略〉もぢりといふは、中の詞を上下へもたせ聞するいひかけなり、御祖師さまありがたか(難 有/蟻)りし瓜の皮、あぶり餅こがしやか(焦/子 釋迦)となる摩耶夫人などなり、このもぢりの一體に、おくさまのお寢間へいつかそろ〳〵とはひかけてくる朝顏の華、などいふもありし、
p.0878 享保十年比、モジリト云コトハヤル、字モジリ(○○○○)、本モジリ(○○○○)ノ兩説アリ、是ハ近所ノ俳諧ナドスル人ヲタノミ、甲乙ヲ分ツ、勝ニハ懷紙ヲツカハス、五人三人七人ニテモ人數カマヒナシ、先ヅ題 ヲ出シ、一句ヲ附ル、一句ノ終リヲ又題ニシテツケル、今ノ段々付(○○○)ナリ、
字モジリ 題丸カブリ スキ(/好) カマ(鎌/眞) クハ(鍬/桑瓜) ヲモツ土民
又土民ヲ題ニシテ、ウケテ下五字ヲ別ニ云廻ス、
ムスメノ子 カミスイ(髪梳/紙漉)テイル 三谷町
前ニ同ジ
本モジリ 題、年布、 臼アリ 杵アリ 兎モアリ 題兎モアリ
細長イ耳ヲアラレニキル
此外シリ五文字等アレドモ略ス 文字理ト書テ可ナリ
p.0879 ことぐさ(○○○○) 眞名伊勢物語に言種と見ゆ、人の物いふ種(クサ)はひ也、今人いひぐさともいへり、言の葉ぐさといふも義同じ、
p.0879 ことぐさ 口實
口癖といふに同じ意なり、言種口實の事なり、手ぐさ(○○○)とも云ふ、
p.0879 朝夕のことぐさに、はねをならべ、えだをかはさむと、ちぎらせ給しに、〈○下略〉
p.0879 かたりぐさ(○○○○○) 話種 話柄 談資
今俗に なしのたねといふに同じ、
p.0879 ことえり(○○○○) 俗にいふ言葉撰み也、らみ反り、
p.0879 松崎觀海
觀海童齓之時近鄰失レ火、怖曰逃(ニゲン)、白圭曰、吾幼亦言レ逃、有二一老人一謂、丈夫語當レ曰レ避(サクル)レ火、不レ當レ曰レ逃レ火、吾改レ容謝レ之、爾後不レ曰二逃亡一、富永氏亦曰、男兒出二一話一言一、不レ當レ如二婦女子一、
p.0879 こと〳〵なるもの 法師のことば、おとこ女のことば、げすの詞には、かならずもじあまりしたり、
p.0880 ことばなめげなる物
宮のめのさいもんよむ人、舟こぐ物ども、かんなりのぢんの舍人、すまひ、
p.0880 内裏仙洞ニハ、一切ノ食物ニ異名ヲ付テ被レ召事也一向不二存知一者、當坐ニ迷惑スベキ者哉、飯ヲ供御、酒ハ九獻、餅ハカチン、味噌ハヲムシ、〈○中略〉葱ハウツホ等、如レ此異名ヲ被レ付、近比ハ將軍家ニモ女房達、皆異名ヲ申スト云々、
p.0880 女房ことば
一いひ 御だいぐご おなか だいりにはいひにかぎらず、そなふるものをくごといふ、
一しる 御しる、しるのしたりのみそを、かうの水といふ、
一さい 御まいり 一さかな こんとも、御さかなとも、〈○下略〉
p.0880 猫間の事
木曾よしなかは、〈○中略〉たち居のふるまひの無骨さ、ものいひたること葉つゞきの、かたくちなる事かぎりなし、〈○中略〉其ころねこまの中納言みつたかのきやうと云人有けり、木曾にの給ひ合すべき事有て、おはしたりけるを、〈○中略〉木そねこま殿とはえいはで、ねこ殿の食時(けどき)に、まればれわいたに、物ようへとぞ云ける、中納言殿いかでか只今さる事のおはすべきとの給へ共、木そ何をもあたらしき物をば、無鹽と云ぞと心えて、ぶゑんのひらたけこゝにあり、とう〳〵といそがす、〈○中略〉中納言はあまりにがうしのいぶせさに、めさゞりければ、木そきたなうな思ひ給ひそ、それは義仲がしやうじんがうして候ぞ、とう〳〵とすゝむる間、中納言殿めさでもさすがあしかりなんとや思はれけん、はし取てめすよしゝて、さしをかれたりければ、木そ大きにわらつて、ねこ殿は小じきにておはすよ、聞ゆるねこおろしし給ひたり、かひ給へ〳〵やとぞせめたりける、
p.0881 淨土寺前關白殿〈○藤原師敎〉は、おさなくて安嘉門院〈○邦子内親王〉の、よくをしへ參らせさせ給ひける故に、御詞などのよきぞと、人の仰られけるとかや、
p.0881 くちをたゝく(○○○○○○) 萬葉集に打口をよめり、鹽鐵論に鼓(タヽク)レ口と見えたり、
p.0881 講釋師馬場文耕は、文學もありて、殊に能辯なれば、戰などの講釋は、面白くて皆喜びて聞居る内に、何か一くさりづゝにくまれ口をたゝき、
p.0881 ある所にみやづかへし侍ける女の、あだなたちけるが、もとより、をのれがうへ
は、そこになんくちのはにかけて、いはるなど、うらみ侍りければ、 よみ人しらず
あはれてふことこそつねのくちのはにかゝる(○○○○○○○○)や人をおもふなるらん