https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0147 訓誡ハ、邦語ニ之ヲヲシへト云ヒ、又イマシメ、若シクハイサメトモ云フ、卽チ其言ノ人ノ敎訓鑑誡トナルべキモノヲ謂フナリ、吾國古來風俗敦厚ニシテ、常ニ行實ヲ重ジ、特ニ言ヲ立テヽ、世人ヲ敎誨スル等ノ事甚ダ稀ナリキ、然レドモ事ニ臨ミ時ニ應ジテ、臣下ヲ誡メ、子弟ヲ へ、又ハ自己ノ鑑誡ヲ作リ、或ハ家訓ヲ設ケテ、家族ノ爲ニ、其遵守スベキ規範ヲ示シ、或ハ遺誡ヲ書シテ、子孫ノ爲ニ、長ク服膺スべキ敎訓ヲ遺シ、或ハ又他人ノ需ニ應ジテ訓誡ヲ與へシモノモ亦尠シトセズ、今其梗概ヲ採テ、此ニ收載セリ、C 名稱

〔新撰字鏡〕

〈言〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0147 詾、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01762.gif 、訩〈三形同、虚容反、勇也、訪也、詔也、伊佐牟(○○○)、〉 諭〈以具愈遇二反、去、吿也、曉也、諫也、〉

〔類聚名義抄〕

〈五/言〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0147 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01767.gif 〈イサム〉 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01768.gif 〈音戒、勅也、吿也、イマシム(○○○○)、〉誡〈正〉 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01769.gif 〈俗〉 訓〈吁運反、ヲシフ(○○○)、ミチヒクイマシム、 和クン〉訓〈通〉 諶〈時林反、マコト、イマシム、〉 警〈音景 イマシム〉 謹〈居隱反、ツヽシムイマシム、〉 誨https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01770.gif 〈音悔、クエヲシフ、諫也、 和グエ〉 諷〈イマシム、ヲシフ、イサム、 和フウ〉

〔伊呂波字類抄〕

〈遠/人事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0147 敎〈ヲシフ〉 訓 撝 風 諫 詮 記 慘 頎 化 諷 斅 譜 擿 甚喩 譯 誦 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01771.gif 便 諭 基 授 誨〈諄誨、已上同、ヲシフ、〉

〔同〕

〈左/人事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0147 諭〈サトス(○○○)〉 喩 智 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01772.gif 懇 慙 躰 解 體〈文籍之五本義理也〉 吾了〈已上サトル〉

〔運歩色葉集〕

〈伊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0147 戒(イマシメ) 誡(同)

〔同〕

〈遠〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0147 敎(ヲシへ) 誨(同) 訓(同)

〔同〕

〈佐〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0147 曉(サトス)

〔易林本節用集〕

〈伊/言語〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0147 誡(イマシム)戒(同)

〔同〕

〈遠/言語〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0147 訓(ヲシフ)

〔倭訓栞〕

〈前編三/伊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0148 いさむ 勇をよみ、新撰字鏡に詾もよめり、率なふと義通へり、諫諍をよめるも勇也と注せり、歌に伊駒山いさむる峯などつゞけるも、駒のいさむる意なり、文選に半漢をよめり、日本紀に制字、万葉集に禁字をよめるも、諫諍と意かよへり、歌に多くよめり、俗に神をいさめるといふも、勇より出たり、
いましむ 戒をよめり、令忌の義なり、勅をよむは、誡勅の義也、警字も同じ、縛をいましむといふは、禁戒の意なり、

〔倭訓栞〕

〈前編五/乎〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0148 をしふ 敎又誨又訓をよめ夢、人を敎ふるは、愛惜する情より起れば、はたらかしたる詞成べし、

〔倭訓栞〕

〈前編十/佐〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0148 さとす 諭をよめり、令悟の意也、日本紀に了もよめり、

〔十六夜日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0148 むかしかべのなかよりもとめ出たりけんふみの名をば、今の世の人のこは、夢ばかりも身の上のことゝはしらざりけりな、みづくきの岡のくず葉かへす〴〵もかきおくあとたしかなれども、かひなきものは、おやのいさめ(○○○○○○)なり、

〔太平記〕

〈十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0148 正成首送故郷
母急ギ走寄テ、正行ガ小腕ニ取付テ、泪ヲ流シテ、申シケルハ、〈○中略〉角テハ父ガ名ヲ失ヒハテ、君ノ御用ニ合進ラセン事有ベシ共不覺ト、泣々勇メ(○○)留テ、拔タル刀ヲ奪トレバ、〈○下略〉

〔今川記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0148 今川了俊同名仲秋へ制詞條々〈○中略〉
應永十九年二月日 沙彌了俊〈○中略〉
是當家の龜鑑なり、誠に萬代不易の庭訓(○○)なるべし、〈○下略〉

誡臣下

〔續日本紀〕

〈十五/聖武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0148 天平十五年五月癸卯、宴群臣於内裏、皇太子〈○孝謙〉親儛五節、右大臣橘宿禰諸兄奉詔、奏太上天皇〈○元正〉曰、〈○中略〉太上天皇詔報曰、現神御大八洲我子天皇〈乃〉掛〈母〉畏〈伎〉天皇朝廷〈乃〉始賜〈比〉 造賜〈幣留〉寶〈○寶恐舞乎誤〉國寶〈等之氐〉此王〈乎〉令供奉賜〈波〉、天下〈爾〉立賜〈比〉行賜〈部流〉法〈波〉可絶〈伎〉事〈波〉無〈久〉有〈家利止、〉見聞喜侍〈止〉奏賜〈等〉詔大命〈乎〉奏、又今日行賜布態〈乎〉見行〈波〉、直遊〈止乃味、爾波〉不在〈之氐、〉天下人〈爾〉君臣祖子〈乃〉理〈乎〉敎賜〈比〉趣賜〈布止爾〉有〈良志止奈母〉所思〈須〉、是以敎賜〈比〉趣賜〈比奈何良〉受被賜持〈氐〉、不忘不失可有〈伎〉表〈等之氐、〉一二人〈乎〉治賜〈波奈止那毛〉所思行〈須止〉奏賜〈止〉詔大命〈乎〉奏賜〈波久止〉奏、

〔扶桑略記〕

〈二十四/醍醐〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0149 延長八年九月廿二日壬午、天皇年卌六、禪位皇太子寬明親王、或記、延喜〈○醍醐〉天皇御製曰、勿多酒飮、又會人唯陳要事、勿多言語、又家内身中、貧富善惡之事、不輙披談、又交衆之間、爲公家及世人、雖殊謗、而有不善之輩、如然之間、必避座而却去若避座無便、守口攝心意、勿其事、縱人之喜不之、況乎其惡乎、又縱有人、甲與乙有隙、若好件乙、則甲結其怨、又勿伴高聲惡狂之人、常重情貴身、不輙輕事、又勿大怒、心中雖怒止思、又勿慢逸之心喜怒之心、敢無餘過、又始衣裳于車馬、隨有用之、勿美麗、不己力勿美物、德至力堪、何有之、又輙不用他人之物、若要事有限、有借用其後不時剋、早以返送之、又乞乞之人、共共之物、非只一家之害、必諸人之謗又他與他相陳、善惡二事、横不言、又他人所言、我以彼同言、不之、又不我所一レ知之事、不執行、又相對言談之外、不人顏之、

〔日本書紀〕

〈二十二/推古〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0149 十二年四月戊辰、皇太子親肇作憲法十七條、一曰、以和爲貴、無忤爲宗、人皆有黨、亦少達者、是以或不君父、乍違于隣里、然上和下睦、諧於論一レ事、則事理自通、何事不成、二曰篤敬三寶、三寶者佛法僧也、則四生之終歸、萬國之極宗、何世何人非是法、人鮮尤惡、能敎從之、其不三寶、何以直枉、三曰、承詔必謹、君則天之、臣則地之、天覆地載、四時順行、方氣得通、地欲天、則致壞耳、是以君言臣承、上行下靡、故承詔必愼、不謹自敗、四曰、群卿百寮、以禮爲本、其治民之本、要在乎禮、上不禮而下非齊、下無禮以必有罪、是以君臣有禮、位次不亂、百姓有禮、國家自治、五曰、絶饗棄欲、明辨訴訟、其百姓之訟、一日千事、一日尚爾、況乎累歲、須訟者得利爲常、見賄聽讞、便有財之訟、如石投一レ水、乏者之訴、似水 投一レ石、是以貧民、則不所由、臣道亦於焉闕、六曰、懲惡勸善、古之良典、是以無人善、見惡必匡、其諂詐者、則爲國家之利器、爲人民之鋒劒、亦佞媚者、對上則好説下過、逢下則誹謗失、其如此人、皆无於君、無於民、是大亂之本也、七曰、人各有任掌、宜濫、其賢哲任官、頌音則起、姧者有官、禍亂則繁、世少生知、剋念作聖、事無大少、得人必治、時無急緩、遇賢自寬、因此國家永久、社稷勿危、故古聖王、爲官以求人、爲人不官、八曰、群卿百寮、早朝晏退、公事靡盬、終日難盡、是以遲朝不于急、早退必事不盡、九曰、信是義本、毎事有信、其善惡成敗、要在于信、君臣共信、何事不成、君臣無信、萬事悉敗、十曰、絶忿棄瞋、不人違、人皆有心、心各有執、彼是則我非、我是則彼非、我必非聖、彼必非愚、共是凡夫耳、是非之理、誰能可定、相共賢愚、如鐶无一レ端、是以彼人雖瞋、還恐我失、我獨雖得、從衆同擧、十一曰、明察功過、賞罰必當、日者賞不功、罰不罰、執事群卿、宜賞罰、十二曰、國司國造、勿百姓、國非二君、民無兩主、率土兆民、以王爲主、所任官司、皆是王臣何敢與公賦歛百姓、十三曰、諸任官者、同知職掌、或病或使、有於事、然得知之日、和如曾識、其以與聞、勿公務、十四曰、群臣百寮、無嫉妬、我旣嫉人、人亦嫉我、嫉妬之患、不其極、所以智勝於己則不悦、才優於己則嫉妬、是以五百歲之後、乃令賢、千載以難一聖、其不賢聖、何以治國、十五曰、背私向公、是臣之道矣、凡人有私必有恨、有憾必非同、非同則以私妨公、憾起則違制害法、故初章云、上下和諧、其亦是情歟、十六曰、使民以時、古之良典、故冬月有間、以可使民、從春至秋、農桑之節、不使民、其不農何食、不桑何服、十七曰、夫事不獨斷、必與衆宜論、少事是輕、不必衆、唯逮大事、若疑失、故與衆相辨、辭則得理、〈○本文有誤脱、以拾芥抄補正、〉

〔澀柿〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0150 賴朝佐々木に被下狀
次郎兵衞〈○佐々木定重〉事まことしくは思召ね共、世のならひさる事もなからむ哉、不便の事也、一方ならぬ心中ども、思召やらるゝ也、わかき者のくせといひながら、餘に心とく、はやりたる者にて有と、御覽せしに、案のごとく、心みぢかく、物さわがしくて、父兄弟にも咎をかけ、天下の大事ともな す也、結句は身も終にけるにこそあんなれ、事の次でなれば、仰らるゝぞ、定綱は猶も子共を持たれば、いひをしへよかしと思召也、武士といふ者は、僧などの佛の戒を守るなるがごとくに有が、本にて有べき也、大方の世のかためにて、帝王を護まゐらするうつはもの也、又當時は鎌倉殿の御支配にて、國土を守護しまゐらする事にてあれば、錐を立るほどの所をしらんも、一二百町を持ても、志はいづれもひとしくて、其酬に命を君にまゐらする身ぞかし、私の物にはあらずとおもふべし、さるについては、身を重くし心を長くして、あだ疎にふるまはず、小敵なれども侮心なくて、物さわがしからず、計ひたばかりをするが能事にて有ぞ、ねたさはさこそ有けめ共、はづかしかるべき、武士にもあらず、何にもたゝぬ宮仕法師と云、賤き者に寄合て、身を損じぬるは、心短きがいたす所也、〈○中略〉宮仕法師の故より事起りて、京より流されまゐちせたること、見ぐるしく御面目なくて、公私の名折にはあらずや、只いちはやき咎一つより起たる也、定綱は宮仕も勳功も有がたく、御心安も思食ばこそ、かたへもあらそひし箭開の餅の二の口をも給て、他の人の恨をもおひたりしか、又近江の國をも預たびぬれば、就中件の國は、都もちかく、聞る山三井寺もあれば、旁の狼籍、向後とてもなからんや、能々案じて、はからひて事をも過さず、さればとていふがひなくもせず、かまへてなさけ有て、國の者どもにも、親の樣におもひつかるべし、物をとらず、人にもすかされず、たゞしく行ならば、おのづから威勢と成て、人にも用られて、自然に國も治、法師ばらなどにも、侮らるまじき也、わが身は、國の撿非違使ぞかしとて、其事となく、人はおちおそれんずると、勝にのりて、小事をとがめて、威をふるはんとし、國の者共をも、所從などの樣におもひなして、振舞事あらば、後には能事あらんや、かへて耻に成べき企也、都近ければとて、京のなま人にはし〳〵、僧や兒などに交遊などして、きしも智惠ふかき京人どもに、心きはをもみえしられて、することも云ことも、何ばかりの事かあらんなど、さわぐりみえらゐ間敷也、武士は鬼神やら ん、何やらん、さこそふかき心中に、案をこめて持たらめと、人にうとく思はれんのみにこそ、君の御爲も彌然べけれ、返々も鎌倉殿御家人にそ、久敷も又子どもの末まで續せんとおもはゞ、心を長くしてつゝしみてよかるべき、筋なき事仰たりとおもはで、此御文をよく〳〵見まゐらせて、子共にも面々云をしへよとの仰にて候也、仍執達如件、
閏十二月廿八日 盛時奉
佐々木太郎左衞尉殿

〔梅松論〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0152 或時兩御所御會合在て、師直幷故評定衆を餘多めして、御沙汰規式少々定められける時、將軍〈○足利尊氏〉仰られけるは、昔を聞に、賴朝卿、廿箇年間、伊豆國にをいて辛勞して、義兵の遠慮をめぐらせし時に、〈○中略〉彼政道を傳聞に、御賞罰分明に、して、先賢の好する所なり、しかりといへども、尚以罰のからき方多かりき、是に依て氏族の輩以下疑心を殘しける程に、さしたる錯亂なしどいへども、誅罰しげかりし事いと不便也、當代は人の歎きなくして、天下おさまらん事、本意たるあいだ、今度は怨敵をもよくなだめて、本領を安堵せしめ、功を致さん輩におゐては、殊更莫太の賞を行はるべき也、此趣を以、面々扶佐し奉るべきよし仰出されし間、下御所殊に喜悦有ければ、師直幷評定衆、各忝將軍の御詞を感じ奉て、涙を拭はぬ輩はなかりし、

〔細川賴之記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0152 貞治七年二月二日、賴之書内法三箇條、爲近習者之戒、又令南都敎司盛政入道常近侍習禮義文學
賴之、將軍〈○足利義滿〉近習ノ人々、奸惡ノ人アツテ、幼君ノ耳目ヲマヨハシ、傍輩ノ中ヲモ言サマタゲンコトヲ恐レテ、内法三箇條ヲ作テ、在是掛殿中、以諸人ノ爲戒、
其掟云
一御近習ノ人々、以賤奸心仰ニ隨ンガ爲ニ、不善ヲ以善ナリト言上スルコト、大キナル曲事也、又 爲當座ノ賞、邪曲徒事ヲ申シ進ルコト無道至極セリ、於傍輩他ヲ惡道ニ引入スル族、於公儀 大奸不忠ノ人也、隱謀ノ大罪ニ同ゼン物カ、且ハ天下ヲ亂スノ端也、且ハ幼君ノ怨敵ナリ、何事 カ如之哉、可諫不諫、猶尸位也、マシテ同ゼンヲヤ、邪ノ徒事ヲ進奉ランヲヤ、堅可之、自今以後 如是ノ族アラバ、早不親疎見聞次第ニ、侍所ニ可訴、是尤大忠也、其賞何ゾ淺カランヤ、並彼於 奸人、依輕重先代法罰之事、
一私ノ遺恨ヲ爲達、公儀ヲ借リ吹毛疵ヲ求、言ヲ巧ニシテ、密ニ奉幼君事、兼テハ又一身ヲ立ン ガ爲、他ノ難非ヲ顯ス事、附幼君ノ仰ニ隨テ、不善ノ人ヲ善ナリト言上仕、善ナル人ヲ不善ト申、 大善ヲ隱シテ小惡ヲ言上仕、大惡ヲ隱シテ小善ヲ言上ス、加之上部ニハ巧テ和ト愛ト直トヲ 僞リ、内ニハ貪ト欲トノ深キヲ隱ス、小佞ハ小賢ヲマネセリ、大佞ハ大賢ヲマネセリ、幼君ヲ邪 路ノ大穴ニ墮入奉ルノ大禍有、政道ノノ邪魔タリ、又ハ天下大亂ノ端、國ヲ亡スノ根ナリ、是ヲ佞 人ト云ナルベシ、如是人又隱謀ノ大罪ニ同ゼンカ、此ヲ見聞シ、テ侍所ニ訴ル者、大忠タルベシ、 將又彼佞人ニ於テハ、大ニ罰スベシ、小佞小奸ヲモ閣事ナカレ、小惡ヲ不禁大惡發リ、小善ヲ不賞大善滅スト、御近習ノ人々此旨ヲ存ベキ事、
一私用ヲ專トシ、遊樂ヲ事トシ、又ハ爲人謀テ忠不在ヤト云テ、傍輩ノ用ヲ重クシ、奉公、ノ行ヲ怠 ル事、大ナル僻ナリ、凡諸文ヲ學ミ諸藝ニ達ントスルコト、其用何事ゾヤ、其職ニ居テ其行ヲ能 成サントスルニ有、行二學ノ德用ナク、藝ノ用ナクンバ、何ニカハセン、マシテ行ニ怠在ンヲヤ、 公ヲ立テ、私ヲ次ニスルハ、古ノ道也、公ヲ背テ、私ヲ立ルハ無道ナリ、國亂ノ根ナレバ也、益シテ 遊樂ヲ專トシテ、職ノ行ヲ次ニセン者ハ國賊ナリ、何ゾ公ノ大恩ヲ受テ、其行怠てヤ、又公恩ヲ 報ジ忠ヲ成ス事、父母ニ不替ハ右ノ道也、益シテ傍輩ヲヤ、爲人者誰力此理ヲ不知ヤ知ナガラ角アラン者、侈ノ頂上スル物也、傍輩ニ主ノ恩ヲ忘ル、侈ノ成ス所也、又身ニ文才ノ藝ノ功ナク、 忠ナフシテ大職ヲ望、大國ヲ領センコトヲ思フ、此過分ノ奢侈也、諸人ヲ惱亂セシムルノ端也 天下ノ大亂ノ根也、幼君ノ威ヲ破リ、國家ヲ亡スノ逆臣也、不忠、不道、不知恩、其大罪一ニ非ズ、如是人其罰可重、此ヲ見聞シテ侍所ニ訴ル者ハ、大忠タリ、貴賤上下ニヨラズ、恩賞最深カルベシ、 忘失スルコトナカレ、付無位威貴ニ身ヲ嚴リ、婆娑羅ヲ好ム、是又過奢ト慢トナリ大ニ可禁之 事
右條々堅申定給ヌ、若違犯ノ輩於之者、貴賤ヲ不論、罪禍可法者也仍掟如
貞治七年二月二日 武藏守判

〔早雲寺殿廿一箇條〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0154 一第一佛神を信じ申べき事
一朝はいかにもはやく起べし遲く起ぬれば、召仕ふ者まで由斷しつかはれず、公私の用をかく なり、はたしては必主君にみかぎられ申べしと、ふかくつゝしむべし、
一ゆふべには、五ツ以前に寢しづまるべし、夜盜は必子丑の刻に忍び入者也、宵に無用の長雜談、 子丑にねいり、家財をとられ損亡す、外聞しかるべからず、宵にいたづらに燒すつる薪灯をと りをき、寅の刻に起、行水拜みし、身の行儀をとゝのへ、其日の用、妻子家來の者共に申付、扨六ツ 以前に出仕申べし、古語には、子にふし寅に起よと候得ども、それは人により候、すべて寅に起 て得分有べし、辰巳の刻迄臥ては、主君の出仕奉公もならず、又自分の用所をもかく、何の謂か あらん、日果むなしかるべし、
一手水をつかはぬさきに、厠より厩庭門外迄見めぐり、先掃除すべき所を、にあひの者にいひ付、 手水をはやくつかふべし、水はありものなればとて、たゞうがひし捨べからず、家のうちなれ ばとて、たかく聲ばらひする事、人にはゞからぬ體にて聞にくし、ひそかにつかふべし、天に跼、 地に蹐すといふ事あり、 一拜みをする事、身のをこなひ也、只こゝろを直にやはらかに持、正直憲法にして、上たるをば敬 ひ、下たるをばあはれみ、あるをばあるとし、なきをばなきとし、ありのまゝなる心持、佛意冥慮 にもかなふと見えたり、たとひいのらずとも此心持あらば、神明の加護有之べし、いのるとも 心まがらば、天道にはなされ申さんとつゝしむべし、
一刀、衣裳、人めごとく結構に有べしと思ふべからず、見ぐるしくなくばと心得て、なき物をかり もとめ無力かさなりなば、他人のあざけり成べし、〈○中略〉
一上下萬民に對し、一言半句にても虚言を申べからず、かりそめにも有のまゝたるべし、そらご と言つくれば、くせになりてせゝらるゝ也、人に頓てみかぎらるべし、人に糺され申ては、一期 の恥と心得べきなり、〈○中略〉
一よき友をもとめべきは、手習學文の友也、惡友をのぞくべきは、碁、將棊、笛、尺八の友也、是はしら ずとも恥にはならず、習てもあしき事にはならず、但いたづらに光陰を送らむよりはと也、人 の善惡みな友によるといふこと也、三人行時、かならずわが師あり、其善者を撰で、是にしたが ふ、其よからざる者をば是をあらたむべし、〈○中略〉
一、文武弓馬の道は常なり、記すに及ばず、文を左にし、武を右にするは、古の法兼て備へずんば有 べからず、

〔信玄家法〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0155 一奉屋形樣、盡未來不逆意事、論語曰、造次必於是、顚沛必於是、又曰事君能致其 身
一於戰場聊不未練事、呉子曰、必生則死、必死則生、
一無油斷行儀可嗜事、史記曰、其身正則不令行、其身不正則雖令不從、
一武勇專可嗜事、三略曰、强將下無易兵、 一毎遍不虚言事、紳託曰、雖非正直一旦之依怙、終蒙日月之憐、付但武略之時者、可時宜歟、孫子 曰、辟實而擊虚、
一對父母聊不不孝事、論語曰、事父母能竭其力
一對兄弟聊不疎略事、後漢書曰、兄弟左右之手也、
一不當身體義、一言不出語事、應杭云、人出一言其長短
一對諸人少不緩怠事、付於僧、童、女、貧者、彌隨人可慇懃事、禮記云、人有禮則安、無禮則危、
一弓馬之嗜肝要事、論語曰、攻乎異端是害而已、
一學文不油斷事、論語曰、學不思則罔思不學則殆、〈○中略〉
以上九拾九箇條、多言漫喧他人之耳、寧無不往生之書二五十、八豈二五七、八亦此六之字、信玄家 秘書口傳有、
永祿元年戊午卯月吉日 信繁在判(武田左馬助)
長老〈江〉

〔駿臺雜話〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0156 秘事は睫
東照宮〈○德川家康〉御在世の時、御近習のわかき者に、汝等身をたもつに簡要の語あり、五字にていふもあり、七字にていふもあり、いづれをきゝたきぞと仰られしに、いづれをも承度と申せば、五字にて云はゞ、うへをみな(○○○○○)、七字にて云はゞ、身のほどをしれ(○○○○○○○○)、汝等是を常に忘るべからずと、上意ありしとなり、

〔細川幽齋覺書〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0156 細川幽齋は文武兼備なる事は、世にしる所なり、其自筆にて書しるされし覺書を、彼家士三宅某方に傳へたり、
軍中〈幷〉侍の心得にも可成覺書〈○中略〉 一人には何ぞすき候事有之、弓、鐵砲、或馬、鞠、兵法、料理、亂舞、歌、盤上、鵜、鷹、數寄の道、武士の道、何にて も好事有之、我好候事は、かりそめにも咄す物にて候、又人の咄候にも、我好の事候へば、聞申候 なり、又人によち、武道の咄をばいたし、人の咄すをも、面白がり聞は、よき心懸の者と可存候、大 形人々の心中は咄し、或は愛する友を以ても知れ候と、松長と申名人の申され候、誠に相違(本マヽ)と 見え候、とかく諸藝とも我心に不染事はならざる事にて候間、其心得可有事、
一常々ものを能申候ても、戰場にては、有無の事申さぬ人有之候、又敵合の遠き程は、何かと口を きゝて、敵近くなり候ては、物いはざる人候、左樣に候將は、常々いか程口をきゝ、物を能申候て も、用に立ざる事にて候、殊に敵遠きほどは物を申、敵近くなり合戰前にしほれたる體にて居 候事、殊の外見苦事にて候、常にはちと無口に候共、戰場にては諸人も聞屆候樣に下知を致し、 物の埓を申わけ候は、常に物をよく口をきゝ候より增し候事、〈○中略〉
一士は信心を不取しては不叶事に候、殊に愛宕八幡は別て信仰有べく候、倂火の物たち抔は必 無用に候、我等若き時、火の物たちを致し、こりたる事候、兎角物を食はずしては何事も成がた かるべき事、〈○中略〉
一戰場にて召仕候者、高名致し參候はゞ、頓て呼出し、言葉掛褒美有べく候、乍然一度に大分遣し 候へば、跡より、無比類手柄を致し、鎗を合、甲付の首など取候て參る者有之時、前の者に大分褒 美遣し、勝れたる手柄者に少し遣候得ば、其身の恨は不申、諸朋輩まで恨に存候間、可其心 得事、
一召仕候者に申付候儀をば、堅く申付、又常には言葉をも懇にかけ可召仕候、左樣に無之とて、侍 程の者圭人の先途を見捨る事は、有間敷候へども、懇に致し置候得ば、同じ捨候命をもおしく 不存、忠節を致すべく候、然時は常々召仕樣肝要に候事、 一信長樣御軍法は、御敵を仕たる者は、子々孫々迄も御はたし其跡をもかへす程に、稠敷被成候 て、天下を御治め被成、内裏の御修理等仰付られ、王法の衰へたるをも御取立候て後、子細有之 候て、上京さはき拂被成候とて、京の地子御免被成、萬事賞罰正く仰付られ候故、萬民に至迄不仰といふ事なし、乍然一度御敵仕候者御詫言申上、御旗下に被成候ても、御心をゆるされず、 御にくみ淺からず候故、謀反人多く出來候、然る時は强き計にてもならざる事に候、右之段大 閤よく御覽被成、御敵を仕候者は、稠敷被仰付、又御詫言申上、御旗下に成候得ば、御譜代同前に 御懇に被成、御心置かれざる樣に被成候故、昨日迄御敵を仕候者も、身命を捨、忠節を致すべき と存候故、むほん人も無之候て、早く天下を御治め被成候、右兩大將の御軍法、かやうにうらは ら違ひ候、此心持は小身の召仕の者にも可心得事、
一男道のあまり律義なる計にても不晟候、ちと人をだしぬく樣に心懸ず候ては、すぐれたる手 柄も成間敷候、倂人參候はでは、不成事に可有候條、左樣の所は樣子次第たるべき事、一若きもの常々假初にも、ざれたる咄仕間敷候、左樣に候へば、諸人淺く見るものにて候、手柄を も致し候衆、又年寄衆に立交り、武用の咄をも尋聞候へば、其の身の後學にもなり、又脇よりも おも〳〵敷みゆるものにて候事、〈○中略〉
一大小便常にゆる〳〵と居つけ候へば、くせに成り候、陣等又はいそがしき時も、懸合にならざ る物にて候、殊に常々御奉公のさわりにも成ものにて候間、是は常々のたしなみにて、なるべ きものにて候事、〈○中略〉
一軍陣法度肝要に候、不法度にては、何事もならず候、殊更ぞうだんなど申合候へば、合戰心にそ まず、左樣にさわがしき體を、敵見候へば、其まゝ合戰仕掛るものにて候、左候へば必越度を取 申候、又いかにもしんにかまへしづまりたる備には、敵も仕掛ざる物にて候間、其心得有べき 事、〈○下略〉

〔介壽筆叢〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0159 誡石銘
爾俸爾祿、民膏脂、下民易虐、上天難欺、父母に孝行に、法度を守り、謙り驕らずして、面々の家職を勤め、正直を本とする事は、誰も存たる事なれども、彌能相心得候やうに、常に無油斷下へおしえ可申聞者也、
右紀伊大納言宗直卿、御家中へ毎月御觸の趣也、
爲經卿跋言以晩翠日抄於左
右南紀國主故亞相治國齊民之要言也、宇纔三四十、文用俗字、而詞理倶盡、縱使色數百言、復何加焉、創業之世、兵革之餘、勤孝守典、勵怠慢、誡衿奢、一皆本之誠實、紀國到今人傳誨之久矣、其臣加納政直遠請予書其語跋言、鳴呼故亞相之於治國其要矣、豈一方之敎而已、雖之天下可也、寫原本數語於其左云、
元祿五年三月穀旦 藤爲經

〔仰高錄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0159 扨又奧向の輩へ、享保の始仰出有之、各心得の御書付、毎歲御用掛、御側衆列座被之候而 各拜聞、此趣忘却無之、書付候て常々懷中も可仕程に、相心得候樣との御事也、
一人馬分限相應に相嗜候義は勿論に候、あたま數に合候へば能と存、缺走不自由なる者、又は年 にもたらざる者、馬を持候とも、ふかむてうなるは不召抱も同樣たるべき事、
一猥に極樂、または他行、かたく可相愼事、
一斷なくして、外樣と出合いたすまじき事、
一仲間の出合は、平生給候料理にて度々參會致べく候、尤武士の作法を不亂やう相心得事、
一衣服、家作等の義、少も見分にかゝはり取繕申まじき事、 但衣服、家作、或は料理等輕仕候義能と存候ても、世間並の風儀移候輩も有之候、愚人の謗に は抱申まじく候、人馬相應に不抱、妻子幷養介人取亂、見ぐるしく暮させ候程なる恥は有之 まじく候事、
一妻を持候者、幷娘を緣付候者、世間殊の外結構に候旨、兼而被聞召候、向後世間並にいたさで は先樣うけがわず候はゞ、約束致まじき事、
一御番に罷出候節、宿近く候とも、子細なくして歩行にて出申まじく候、且又五十以上の者も、可成程は馬上にて相勤可申候事、
但病氣にて久敷馬上難成は可相制
一馬鎗は不申、若黨中間迄、急度可召連候、天氣能時、長柄傘一切無用の事、
但傘之儀、輕き事にて候得ども、個樣の無益之餘、晴がましき儀心付申樣にとの御事に候、
一外樣より奧向の者に對し、上を敬候而相應より諸事慇懃に仕事、手前よりも又先樣の人體を 見はからひ、慇懃に禮儀等可致候、先の敬に乘じ大體にいたし候は、御威光をかり私曲仕之元 たるべき事、
但御用承候町人など、別て取入可申候、夫に取合私用を辨候義、是又私曲の元と存、可相愼事、一知行被下候者、百姓の仕置正路に可仕義、或は奢がましき事をはぶき候心付は薄して、物成納 候所は、一際多く申付候輩も有之、大なる心得違の事、
將又寬保三癸亥歲八月被仰面々一同、別て御役人共心得候樣にとの御書付、
一面々行儀作法は不申及、子弟幷親類迄も心付候程は、猥がはしき儀無之樣に、常々心を可付 事、
一參會の時、酒宴に長し、不似合遊興音曲可無用事、 一奉行中幷諸役人同役寄合の時、相談時刻移候はゞ、かろき科は可遣之、態と滯座有之て酒宴 等之催無用に候、總て御用の儀無底意申談、尤遲滯ならざる樣に可心掛事、
一奉行諸役人中は、不何事好候儀を、專翫候儀は遠慮可然候、其好む所にたより、秘計をも廻ら し申事候、尤賄賂の筋無之樣に、常々家來へも可申付事、
一勝手不如意の輩も、内證奢は不相止、剩家來扶助等疎成も有之樣に相聞候、從前々御條目にも、 万儉約を用、私の奢すべからざる旨被仰出候、向後彌急度可相守事、
一分限不相應に供をも減、外出候輩も有之由相聞、如何に候間、相應にあるべき事、
一かろき町人體の者など、心易仕候儀有之まじく候間、可心附事、
右之通可相守候、以上、
八月
別紙之趣奉御内意候間、堅相守らるべく候、總而被抑出候儀可相守儀に候へども、奉承知候 迄之儀の樣に、成行候御役人の儀は別て被仰出候趣、とくと呑込愼候はゞ、自然と外々へも移 り可申事に候、此度相達候趣、後々迄忘却無之樣に追々被仰付候、御役人へも申繼候樣可相 心得候、此兩度の御書付は別て深尋子細有之により、こゝに記出さしむ、
此等の類の事どもは、毎々一通の御書付よりも、別て疎に存べき品ならず候、武士の風俗、御奉公仕者の本意、且又畢竟今泰平益安穩の天下、各日々夜々榮耀花美に成行候へば事安からず、されば其事の易からぬより、をのづから禮義亂て、信を失ひ調がたく處、公〈○德川吉宗〉之御示敎深忝次第也、

〔吿志篇〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0161 我等〈○德川齊昭〉淺學不才にて、義文辭とても行屆かね候得共、存付候事包み居候ては、我等の愚意も不相分、愚意成とて隱すべきにもあらねば、書つゞりて一册となし、近侍のものへ爲見せ 候也、敢て老成人に示さむとにはあらず、少年後進の輩、見及び聞及び候て、尤に存相守候はゞ、大幸の事に存るなり、人は貴き賤にはよらず、本を思ひ恩を報ひ候樣心がけ候儀、專一と存候、抑日本は神聖の國にして、天祖天孫統を垂、極を建賜ひしよりこのかた、明德遠き大陽と共に照臨ましまし、寶祚の隆なる天壤とともに窮りなく、君臣父子の常道より、衣食住の日用に至るまで、皆是天祖の恩賚にして、萬民永く飢寒の患を免れて、天下敢て非望の念を萌さず、難有とも申も恐多き御事也、然れ共數千年の久しき、内に盛衰なき事能はず、或は治まり、或は亂れ、永祿天正の間に至りて、天下の亂極りしかど東照宮三河に起らせられ、櫛風沐雨、辛苦艱難まし〳〵て、上は、天朝を輔翼し奉り、下は諸侯を鎭撫し給ひ、二百餘年の今に至るまで、天下の泰山の安きを保ち、人民塗炭の苦を免れ、生れながら太平の德澤に浴し居るは、是亦難有御事ならずや、されば人たるもの、かりそめにも神國の貴きゆゑんと、天祖の恩賚とを忘るべからず、又かりそめにも、東照宮の德澤をゆるかせに心得候ては、不相濟事と存候、〈○中略〉一日たり共いたづらに日を送らざる樣致度候、
今世よく父母を養ひ、衣食等の世話行屆しを孝子と唱候、是も孝の一端には候得ども、庶人の孝にて士の孝とは申がたく候、孝經にも天子より庶人に至る迄、其立場により孝にも夫々次第有之樣に相見得候、扨亦心に天祖東照宮の御恩を報はんとて、惡く心得違ひ、眼前の君父をも差置、たゞちに天朝公邊へ忠を盡さんと思はゞ、却て僭亂の罪のがるまじく候、忠も其身分により衣第有之事に候得共、前々もいへる如く、兎も角も面々の身分を考へ、眞實に心を用ひ候て、自ら過不及も有まじく候、〈○中略〉天祖東照宮の御恩を報はんとならば、先君先祖の恩を報はんと心懸候外有間敷候、先君先祖の恩を報はんとならば、眼前の君父へ忠孝を盡し候外有間敷候、萬一右の外に忠孝の道有といはゞ、皆是異端邪説と存候間、忠孝一致と相辨へ、心得違無之樣致度事に候、 文武の道も亦一致と存候、凡武士たるもの武、道を勵まずして不叶義は、各も承知の事に候得共、不學文盲にては不相濟事と存候、兒重も知りたる今川了俊が、不文道武道終に不勝利といへる其言淺に似たれども、其旨深しと思ふ、然る處に不學の者、文道は漢國の敎也とて嘲り笑ひ、又たま〳〵學び亢るは其道に泥み、堯舜者天祖天孫よりも難有ものと心得違者無にしもあらず、我等淺學にて古今に暗けれ共、幼きより神聖の道を尊び、つら〳〵思ふに、君臣父子の大倫は勿論、祭祀を崇ひ本を報るの道より、勇武尊び、恥を知るの義に至るまで、皆神代の昔より備りたる事にて、忠孝文武などといふ文字こそみなけれ、其道はまさしく神國の大道と存候、其上風俗の美なる事異國にすぐれ、威稜の健迄四夷にふるひ、何も事缺たる事あらざれども、後の聖君賢主、殊更に人に取て善をなし給ひ、經書賢人を異國に求め給ひたるゆへ、漢土の書籍渡り來て、孔子の道も傳り、神國の道ます〳〵明に、法度も追々に備りたる事なれば、神國にて孔子の道を學ぶ人は、孔子の堯舜を尊が如くに、天祖天孫を仰奉にてこそ、孔子の道にも叶ふべければ、漢土の道も神國の人學ぶ時は、則神國の道也とてしりそぐべきにあらず、彼蠻夷の佛經をば家々に信向し、我父母先祖をすら佛抔にとなへながら、獨文道に至ては、漢國の敎也とて學ばざるは、迷へるの甚しきならずや、能々此義を辨へ、文道をゆるかせにせざる樣と存候、是吾等の申候事には無之、義公の遺訓にも、士の大節に臨みて、嫌疑を定め、戰陣に望みて、勝敗を明らめ、生死を決し、義理を分つは、學問に非ずしては抑また孰とや、然るに當世無學の士、是非黑白のわかちもなく、士は武藝を事として、死すべき場にあらでも死す、學問は書生の事也、たらずとて、せざるのみにあらず、又したがつて是をそしる、是皆生をおしみ死を恐るゝ者の言葉、士とするにたらざるべし、士たらんものは、死は分内の事也、唯義に處するをもて難しとす、されば己れ死すまじき所にや、山賊强盜のたぐひ死を見るもの歸するがごとし、若命を愛まぬものをのみ士といはゞ、 是等の人も士なるべく、彼禽獸すら鬪に臨んで命をかへりみず、若能鬪ひにて死するを以て士とせば、鷄犬のたぐひも士なるべくや、云々の給へり、其外公には甚しく文學の御世話有ける事、各も奉承知候事にて、申迄も無之間、文武の一致なる義を辨へ、兎に角に修行專一に心掛、何事を學ぶとも年月を賴まず、學ばんとこゝろざゝば速に學ぶべし、〈○中略〉近來又一種の弊風を生じ、己れは學問をも勤ずして、人の論を雜説し、武藝は勵ずして、身形刀劒をいかめしくし、あるひは孝悌忠信の道をば捨をき、權謀術數を旨とし、人物の評論、政事の批判等に日を費し、身を修め家をとゝのへる事に至而は、是を度外に置る類、以の外なる風義なきにしもあらず、君子欲於言敏於行とさへ承りしに、如斯行跡は抑いかなる心ぞや、是皆眞實の心薄くして、己を省るの心なき故なるべし、仍ては正心誠意の尊きを本として、恭敬の意を取失はず、武藝の義も表を飾るの意を止て沈勇を尚び、篤實律義の士と成候樣可心掛候、〈○中略〉國の本は家に有、家の本は身に有と申候得ば、面々眞實に身を修めんと心懸候はゞ、國も治らずしては叶ざる理と存候、扨其役職々により、勤向は相違有とも、目當と致し候處は、一致に無くては相成間敷、〈○中略〉依て能々此處を考へ、面々の心をきり替、役人の外なりとて、少も其身を疎略に致さず、行跡を嗜み、一家を齊へ、組中の交を睦しく、忠孝文武を以、勵し合可申、番頭以上に至りては、諸士の手本、自他の見張にも相成候職に候得ば、別して言行をも愼み、何事によらず存寄之儀は、我等へも申出し、役人共へも遂相談、國家と休戚を共にし候心得有之度存候、面々の心得如此成たらんには、風俗もいかで改らざるべき、武備もいかでか整はざるべき、天下安くとも亂を忘れず、いつ何時、公邊より討手の大將を被仰付候ても、一同少しも差支無之樣不心掛候では、士の詮は無之候、士農工商夫々の持前ありて、今太平の世にも、農と工商と夫々の業ありて、夫々の心得も有事成に、獨り士に至りて、士の備なかるべけんや、然るに太平なればとて、武道の嗜もせず、飽まで食ひ暖に衣、今日迄安穩に暮し たる厚き御恩を忘れ、驕佚にのみ長じ、寒暑風雨に逢ても、忽に邪氣を引受る樣成柔弱の身と成ては、士は四民の内の遊民也、若是を恥しく思はゞ、士の道を心懸、士の備をなして、不慮の用に供し可申、恐多くも天祖の恩にて神國に生育し、東照宮の德澤にて、太平に沐浴し、累代安樂に暮し候事、申までも無之候へば、萬一事あらん時は、我等不肖ながら天朝公邊の御爲には、身命を塵芥よりも輕んじ、大恩を奉報候所存に候間、面々も其心得にて、我等何時出馬致し候ても、差支無之樣、常に心懸可申候也、
天保四年癸巳三月廿三日
C 誠子弟

〔花園院宸記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0165太子〈○光嚴〉書〈元德二年二月〉
余聞天生蒸民、樹之君司牧所以利人物也、下民之暗愚、導之以仁義、凡俗之無知、馭之以政術、苟無其才則不其位、人臣之一官失之、猶謂之亂天事、鬼瞰無遁、何況君子之大寶乎、不愼、不懼者歟、而太子長於宮人之手、未民之意、常衣綺羅服飾、無織紡之勞役、鎭飽稻梁之珍膳、未稼穡之艱難、於國曾無尺寸之功、於民豈有毫釐之惠乎、只以謂先皇之餘烈、猥欲萬機之重任、無德而謬託王侯之上、無功而苟莅庶民之間、豈不自慙乎、又其詩書禮樂御俗之道、四術之内何以得之、請太子自省、爲若使温柔敦厚之敎體於性、疏通知遠之道達於意則善矣、雖然猶恐足、況未此道德、爭期彼重位、是則所求非其所一レ爲、譬猶捨網待魚罹、不耕期穀熟、得之豈不難乎、縱使勉强而得一レ之、恐是非吾有矣、所以秦政雖强爲漢所一レ幷、隋煬雖盛爲唐所一レ滅也、而謟䛕之愚人以爲、吾朝皇胤一統、不彼外國以德遷鼎、依勢逐一レ鹿、故德雖徵無隣國窺覦之危、政雖亂無異姓簒奪之恐、是其宗廟社稷之助、卓躒于餘國者也、然則纔受先代之餘風、無大惡之失一レ國、則守文之良主、於是可足、何必恨德之不唐虞、化之不上レ陸栗哉、士女之無知、聞此語皆以爲然、愚惟深以爲謬、何則洪鐘畜響、九乳未叩、誰謂之無一レ音、明鏡含影、萬象未臨、誰謂之不一レ照、事迹雖顯、物理乃炳然、所以孟軻以帝辛〈○辛恐紂誤〉爲夫、不武發之誅 矣、以薄德神器、豈其理之所當乎、若思之危累卵之傾頽嵓之下、甚朽索之御深淵之上、假使吾國無異姓之窺覦、寶祚之修短多留茲、加之中古以來、兵革連綿、皇威遂衰、豈不悲、太子宜熟察觀前代之所以興廢、龜鑑不遠、昭然在眼者歟、況又時及澆漓、人皆暴惡、自智周萬物才經夷儉、何以御斯悖亂之俗、而庸人習太平之時、不今時之亂時、太平則雖庸主得而治、故堯舜生而在上雖十桀紂之勢治也、今時雖大亂、亂之勢萌已久、非一朝一夕之漸、聖主在位則可無爲、賢主當國則無亂、若主非賢聖則恐唯亂起數年之後、而一旦及亂則縱雖賢哲之英主朞月而治、必待數年、何況庸主鍾此運、則國日衰、政日亂、勢必至于土崩瓦解、愚人不時變、以昔年之泰平、計今日之衰亂謬哉謬哉、近代之主、猶未此際會、恐唯太子登極之日、當此衰亂之時運也、非内有哲明之叡聰、外有通方之神策、則不於亂國矣、是股所以强勸學也、今時之庸人、未曾知此機、宜神襟、尚此弊風之代、自詩書禮樂得而治、以是重心寸陰、以夜續日宜硏精、縱學渉百家、口誦六經、不儒敎之奧旨、何況末學庸受、求治國之術、愚蚊虻之思千里、鷦鷯之望九天、故思而學、學而思、精通經書、日省吾躬、則有似矣、凡學之爲要、備物之智、知未萌之先、達天命之終始、辨時運之窮通、若稽千古酌先代廢興之迹、變化無窮者也、至誦諸子百家之文、巧作詩賦能爲義論、群僚皆有掌、君王何强自勞之、故寬平聖主遺誡、天子入藝不日云々、近世以來、愚儒之庸才所學、則徒守仁義之名、未儒敎之本、勞而無功、馬史之所謂、博而寡要者也、又頃年有一群之學徒、僅聞聖人之一言、自馳胸臆之説、借佛老之詞、濫取中庸之義、一湛然虚寂之理、爲儒之本、曾不仁義忠孝之道、不法度、不禮儀、無欲淸淨則雖可取、唯是莊老之道也、豈爲孔孟之敎乎、是並不儒敎之本也、不可取之、縱雖學猶多此失、深自愼之、宜以益友、人之切瑳、學猶有誤、則遠于道、況餘事哉、深誡必可之、若學功立、德義成者、匪啻盛帝業於當年赤卽貽美名於來業、上致大孝於累祖、下加厚德於百姓、然則高而不危、滿而不溢、豈不樂乎、一日受屈百年保榮、猶可忍、況墳典遊心、則無薼累之纏牽、書中遇故人、只有聖賢 之締交、不一窻而觀千里、不寸陰萬古、樂之尤甚、無于此、樂道與遇亂、憂喜之異、不日而語、豈不自擇哉、宜審思而已、而近曾所染、則少人所爲唯俗事、性相近、習則遠、縱雖生知之德、猶恐陶染、何況不上智乎、立德成學之道、曾無由、嗟呼悲乎、先皇緖業、此時忽欲墜、余雖性拙智淺、粗學典籍、欲德義興王道、只爲宗廟不絶祠、宗廟不祠、宜太子之德、而今廢道而不修、則全所學之道、一旦塡溝壑、不亦用、近所胸哭泣呼天大息也、五刑屬三千、而辜莫於不孝、不孝者不於絶一レ祠、可愼、可恐乎、

〔看聞日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0167 永享六年三月廿四日、抑禁裏詩冊事、被仰下之聞進之、〈啓蒙對初心詩學抄和漢一座〉誡太子書(○○○○)帖、〈花園院御作、光嚴院春宮之時、被御學問事也、〉此兩三帖進之、

〔椿葉記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0167 人皇始りてより、其御しそんの代々にうつりかはらせ給ふ御ありさまは、いそのかみふるき物がたりどもにみえ侍るうへ、いへ〳〵の日記にもしるし侍れば、おぼつかなからず、ちかきよの事、崇光院(九十八代)よりこのかた、わが一りうのすたれつるありさまは、世の人のしるすべきにもあらねば、なにはのよしあしにつけて、いり江のもくづかきをくあとははゞかりあれども、こゝろの水のあさきにまかせて、こと葉のはなをもかざらず、たゞありのまゝにおもふ事のかずかずを、きみ(後花園)のゑいらんにそなへむためばかりに、しるしつけ侍る也、〈○中略〉そも〳〵樂のみちの事、代々は十さいよりうちにこそ御さたありしに、すでに御せいじんになるまで、そのぎもなき、こころえなくおぼえ侍る、御笛あそばさるべしときこゆれば、ゐんの御れいめでたき御事なるべし、又絃管をあひならべてあそばさるゝ、せんれいのみこそあれ、あひかまへて御琵琶をもあそばさるべきなり、しやうこのれいはをきぬ、中古いらい、後深草院、ふしみのゐん、後ふしみのゐん、もはうごんゐん、崇くはうゐん、こしんわうなどことさらに御さたありつる事なれば、いかにもあそばさるべきなり、〈○中略〉又なによりも御がくもんを御さたあるべき事なり、一でうゐん、ごし ゆじやくゐん、ご三でうの院など、ことさら大さい御名譽まし〳〵て、賢王聖代とも申つたへはんべる也、されば人君は不學と本もんにもいへり、しかれば文學和漢の才藝は、いかにも御たしなみあるべき御事なり、御ぢせいにてあらむときも、洪才博覽にまし〳〵てこそ、せいだうをもよくをこなはれんずれ、雜訴などの大事、關白大臣以下のしんかのしかるべき人に、ちよくもんある事なり、法家の勘狀などめされて、だうりにまかせて御さたあれば、きみの御あやまりはなきなり、慈鎭和尚のかきをかれたる物にも、よろづの事は、道理といふ二のもんじに、おさまるよし見えはんべれば、げにも肝要にて侍るなり、又わかのみちは、むかしより代々聖主、ことにもてあそびまし〳〵て、萬葉集以來八代集ちかき代までも、ちよくせんありつるに、この一りやう代中絶しはんべる、みちの零落むねんなる事なり、むろ町殿かだうの御すきにてあれば、たうだいいかにもせんしふ再興のさたはありぬべし、和歌に師なし、古歌をもてしとすといへり、しかれば萬葉集古今いらい、だい〴〵の集、先達の抄、げんじ、伊勢物語などやうの物をも、せんだちのくでんのせう物ども御らんぜられ、四きおりふしにつけたる風情、朝暮御心にかけられて、御たしなみ有べき御事也、かやうのこざかしき事ども申はんべる、さだめて忠言耳に逆ぬとおそれあり、かつうはゐんの御子にならせまし〳〵て、いまはわれらをば他人におぼしめされ、人もさやうに申べければ、諫言もはゞかりある事にこそ侍れ、今に逆て君に利ある、これを忠といへり、又とをきためしにもあらず、崇光院、後光嚴院は、御一ふくの御きやうだいにてましませども、御くらゐのあらそひゆへに、御中あしくなりて、御しそんまで不和になり侍れば、前車の覆いかでかつゝしまざるべき、いまは御あらそひあるべきふしもあるまじ、わか宮をば始終きみの御やうしになしたてまつるべければ、あひかまへて水と魚とのごとくにおぼしめして、御はごくみあるべきなり、もし佞人ありてあしさまに申なし、あるひは御領などの事に、行すゑ又諍論も ありぬべければ、代々の御ゆづりの子細も申なり、〈○中略〉大かたゐんの御やうしにてわたらせ給とも、まことの父母の申さむこと、ないがしろにおぼしめすべからず、されば虞舜は父の頑なる瞽瞍をうやまひ、をとゝの傲れる象をあいせしも、孝悌をまもるこゝろざしふかきによりて、賢王聖代のめでたきためしには申なり、明王はかうをもて天下をおさむともいへり、おそれながらも父母の恩をばおぼしめしわするべからず、讒人の申なすによりて、父子けい弟の中もあしくなる事なれば、なにと人は申とも、わがしそんをば御れんみむまし〳〵て、叡慮にかけらるべきなり、藂藺欲茂秋風破之、王者欲明讒人蔽之と、臣軌にいへり、いまは老體になり侍ぬれば、行末の事までおそれ、はゞかりながら申をくなり、〈○中略〉おほよそ崇光院御代ほうこうせし人々はおほけれども、ときうつりよかはり侍りて、きうかうをぞんずる人なし、しかるにむかしのよしみわすれざる人々を、大かたしるしはんべるに、ほうこうのせんしんを御こゝうえありて、きみもべつしてめしつかはれんために申なり、大かた御成人ましますとも、かやうのくはしき由來をばしろしめすまじ、叡聞にいるゝ人もあるべからず、そのうへ院の御子にならせましませば、こなたさまの事は、あながち御心えなくともと、人は思ひ申べけれど、さりとては崇光院の御しそんのうへは、しろしめさではいかでかあるべき、いまははや御せいじんわたらせ給へば、ゑいりよにまかせらるゝ事はなくとも、おほよそのだうりをば、なに事も御こゝうえあらしめんために、申をき侍るとなん、〈○中略〉ゆめ〳〵人にみせらるべからず、かつうは又よゝのふる物語のこゝちして、おかしく侍れども、おもふことしのゝをすゝきのほにいでがたければ、ことばのはやし花もさかず、まさごにゐる鳥のあとさだかならねど、おいのつるの子をおもふこゑを、雲井にきこえあげて、行すゑのちよのかたみにも、御らんぜられよとばかりなり、當代の御事、御げんぶくまでのことをばしるし侍りぬ、ゆくすゑはるかなれば、のこりおほくとゞめ侍りぬ、おほよそ稱 光院のたえたるあとに、皇統再興あれば、ごさがのゐんの御れいとも申ぬべし、八まんの御たくせんに、椿葉のかげふたゝび改としめし給へば、そのためしをひきて、椿葉記と名づけはんべることしかり、
永享五年二月日書畢 入道無品親王道欽

〔古事記〕

〈中/應神〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0170是其兄慷愾弟之婚、以不其宇禮豆玖之物、爾愁白其母之時、御祖答曰、我御世之事、能許曾〈此二字以音〉神習、又宇都志岐靑人草習乎、不其物、恨其兄子、乃取其伊豆志河之河島之節竹而、作八目之荒籠、取其河石、合鹽而、裏其竹葉、令誼言、如此竹葉靑、如此竹葉萎而靑萎、又如此鹽之盈乾而盈乾、又如此石之沈而沈臥、如此令詛、置於烟上、是以其兄八年之間、于萎病枯、故其兄患泣、請其御祖者、卽令其詛戸、於是其身如本以安平也、〈此者、神宇禮豆玖之言本者也、〉

〔源平盛衰記〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0170 小松殿敎訓父
小松殿〈○平重盛〉ハ、弟ノ殿原ニ向テ、イカニ加樣ノヒケウハ結構セラレ候ゾヤ、縱入道殿コソ老耄シ給テ、アラヌ振舞アリ共、今ハ各コソ家門ヲモ治メ、惡事ヲモ可宥申ニ、相副タル御事共候哉ト被仰ケレバ、宗盛已下ノ人々苦々敷ソヾロキテゾ見エ給ケル、内大臣ハ中門廊ニ立出給ヒ、サモ然ベキ侍共ノ幷居タリケル所ニテ仰ケルハ、重盛ガ申ツツ事共、慥ニ承リツルニヤ、去バ院參ノ御共ニ出バ、重盛ガ頸ノ切レンヲ見テ後ニ仕ベシト覺ルハイカニ、今朝ヨリ是ニ候テ、加樣ノ事共叶ハザランマデモ、申バヤト存ツレドモ、此等ノ體ノアマリニ、直騷ギニ見エツル時ニ歸ツルナリ、今ハ憚ル處有ベカラズ、猶モ御院參有ベキナラバ、一定重盛ガ頸ヲゾ召レンズラン、各其旨ヲコソ存ゼメ、但サモ未仰ラレヌハ、何樣成ベキヤラン、去バ人々參ンヤトテ、又小松殿ヘゾ被歸ケル、

〔吾妻鏡〕

〈十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0170 建久十年〈○正治元年〉八月廿日庚辰、尼御臺所〈○北條政子〉御逗留于盛長〈○安達〉入道宅、召景盛仰云、昨日加計議、一旦雖羽林之張行、我已老耄也、難後昆之宿意、汝不野心之由、可起請文於羽林、然者卽任御旨之、尼御臺所還御、分彼狀於初林給、以此次申云、昨日擬景盛、楚忽之至、不儀甚也、凡奉當時之形勢、敢難海内之守、倦政道而不民愁、娯倡樓而不人謗之故也、又所召仕更非賢哲之輩、多爲邪佞之屬、河況源氏等者、幕下一族、北條者我親戚也、仍先人頻被芳情、常令座右給、而今於彼輩等償賞、剰皆令實名給之間、各以貽恨之由、有其聞、所詮於事令用意給者、雖末代濫吹儀之旨、被諷諫之御詞云云、佐佐木三郎兵衞入道爲御使

〔太平記〕

〈十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0171 正成首送故郷
今年十一歲ニ成ケル帶刀、〈○楠正行〉父ガ首ノ生タヲシ時ニモ似ヌ有樣、母ガ歎ノセン方モナグナル樣ヲ見テ、流ルゝ泪ヲ袖ニ押ヘテ、持佛堂ノ方へ行ケルヲ、母怪シク思テ、則妻戸ノ方ヨリ行テ見レバ、父ガ兵庫へ向フトキ、形見ニ留メシ菊水ノ刀ヲ、右ノ手ニ拔持テ、袴ノ腰ヲ押サゲテ、自害ヲセントゾシ居タリケル、母急ギ走寄テ、正行ガ小腕ニ取付テ、泪ヲ流シテ申ケルハ、栴檀ハ二葉ヨリ芳トイヘリ、汝ヲサナク共、父ガ子ナラバ、是程ノ理ニ迷フベシヤ、小心ニモ能々事ノ樣ヲ、思フテミヨカシ、故判官ガ兵庫へ向ヒシ時、汝ヲ櫻井ノ宿ヨリ返シ留メシ事ハ、全ク跡ヲ訪ラハレン爲ニ非ズ、腹ヲ切レトニ殘シ置シニモ非ズ、我縱ヒ運命盡テ、戰場ニ命ヲ失フ共、君何クニモ御座有ト承ラバ、死殘リタラン一族若黨共ヲモ扶持シ置キ、今一度軍ヲ起シ、御敵ヲ滅シテ、君ヲ御代ニモ立進ラセヨト云置シ所ナリ、其遺言具ニ聞テ、我ニモ語シ者ガ、何ノ程ニ忘レケルゾヤ、角テハ父ガ名ヲ失ヒハテ、君ノ御用ニ合進ラセン事有ベシ共不覺ト、位々勇メ留テ、拔タル刀ヲ奪トレバ、正行腹ヲ不切得、禮盤ノ上ヨリ泣倒レ、母ト共ニゾ歎ケル、

〔梅松論〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0171 或時御對面の次に、將軍〈○尊氏〉三條殿〈○直義〉に仰られて云、國を治る職に居給ふ上は、いかにもいかにも御身重くして、かりそめにも遊覽なく、徒に暇をついやすべからず、花紅葉はくる しからず、見物などは折によるべし、御身を重くもたせ給へと申は、我身を輕く振廻て諸侍に近付、人人におもひ付れ、朝家をも守護し奉らむと思ふゆへなりとそ仰られける、此言は凡慮の及ばざる所とそ感じ申されし也、

〔今川記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0172 今川了俊同名仲秋え制詞條々
一不文道武道終に不勝利事、
一好鵜鷹逍遙、樂無益殺生之事、
一小過輩、不糺明死罪事、
一大科輩、爲晶負沙汰宥免之事、
一貪民、令沒倒神社、極榮華之事、
一掠公務私用、不天道働事、
一先祖之山庄寺塔敗壞、莊私宅事、
一令却居父之重恩、猥忠孝之事、
一不臣下善惡、罰不正之事
一企過亂兩説、以他人愁身之事、
一不身分限、或過分、或不足之事、
一嫌賢臣、愛佞人、致非分沙汰之事、
一非道而富不羨、正路而衰不慢之事、
一長酒宴遊興勝負家職之事、
一迷己利根、就萬端他人事、
一客來之時、構虚病對面之事、 一武具衣裳、己は過分、臣下は見苦事、
一好獨味人、令隱居之事、
一貴賤不因果道理安樂之事、
一出家沙門尤致尊崇、禮可正之事、
一分國立諸關、令往還旅人事、
一臣如之、君又可同前事、
右之條々、常に心にかけらるべし、弓馬合戰嗜事、武士之道めづらしからず候間、專一に可執行の事第一也、先可國之事、學文なくして政道成べからず、四書五經其外の軍書にも顯然也、然者幼少之時よりも道のたゞしき輩に相伴ひ、かりそめにも惡しき友に不隨順、水は方圓の器に隨ひ、人は善惡の友によるといふ事實哉、爰を以て國を治る守護は賢人を愛、貪民國司は佞人を好よし申傳也、君の愛し給ふ輩を見て、其心をうかゞひしれといふ事也、古言にも其人不知は其友を見よといへり、されば己にまさる友を好、己にをとる友をこのまざれ、求友須吾、似我不苦らず、是は惡友を愛する事なかれといふ事也、一國一郡を守身にかぎらず、衆人愛敬なくしては、諸道成就する事かたし、第一合戰を心にかけざる侍は、人にすかさるよし名將いましめをかれる事なり、先我心の善惡をしり給ふべきには、貴賤群集して來る時はよきと思ふべし、招とも諸人うとみ出入のともがらなき時は、己が心の行たゞしからざる事をしるべし、さりながら人の門前に市をなすにも二種あるべし、無理非法の君にも一端の恐有て、又臣下無道にして民を貪、謀略のともがら申掠によつて、權門に立くらす事あり、如此の境をよく〳〵分別して、臣下の猥を糺し、先蹤を守、憲法のさたいたすべき人を、餘多めしつかふべきなり、心得大かた日月の草木を照し給ふがごとく、近習にも外樣にも、山海はるかにへだゝりたる被官以下迄も、晝夜慈悲忠 罰の遠慮を廻し、其人の器量に隨可召仕者也、諸侍の頭をする人、智惠才覺なく油斷せしめば、上下の人に批判せらるゝ事有べき也、只行住座臥、佛の衆生を救と、詰法に演給ふがごとぐ、心緖をくだきて文武兩道を心に捨給ふべからず、國民を治事、仁義禮智信の一つもかけてはあやうき事成べし、政道を以て科を行て人の恨なし、非義を構て死罪せしむる時は、其科彌深し、然ば因果其科難遁、專一臣下忠不忠の者を分別して、可恩賞事肝要也、莫大の所領を持ても、妻子以下無益の働に私用を構、弓馬無器用にして人數をも不持輩に、所領を宛行事無益たるべし、諸家の儀、先祖より知行不相遣といへども、時の主人の心持によりて、威勢多少を振事、專ら合戰の道を翫び、常に文武二道をわするべからず、是一もかけては、貴賤の善惡をしらずして、天下の嘲を恥ざる儀、口惜かるべき次第也、仍壁書如件、
應永十九年二月日 沙彌了俊
是は了俊の鹿苑院殿樣御代に、讒言により、遠江國に隱居有りて、御弟の仲秋へゆづり給ひし時、治部少輔殿、政道惡敷して、國民どもうとみけるよし聞召て、仲秋の後見高木彦六入道弘季を以て、此條々を書立て、遠州へ送り給ひしかば、治部少輔殿大に恥ぢ給ひ、政道を改め身をつゝしみ、民を撫、忠臣を愛し、佞人をしりぞけ給ひしかば、諸子首をかたむけ歸依しける、其德天下にかくれなくして、當公方義滿公、京都へめし上せ、仲秩を侍所に補して、出頭隙なしときこえし、然しより此かた、了俊の壁書と號し、諸家是を賞翫し、天下に流布しけるとかや、是當家の龜鑑なり、誠に萬代不易の庭訓なるべし、就中當家代々におよんで、此ケ條を用ひて、ゆめ〳〵背くべからずよし、範政の御遺書にもしるされたり、
以上

〔大三川志〕

〈九十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0174 神祖、台德公ノ夫人へ、尊書ヲ賜ラセラレ、公子成育シ給フコトヲ吿サセラル、粗 其尊意ヲ摘デ、是ヲ載ス、以下凡テ十六條、
一竹千代君〈○家光〉國松丸君〈○忠長〉殊ニ成育アラセラレ、喜ビ玉フ、夫ニヨリ、嚮ニ其地へ入ラセ玉ヒ、 竹千代君へ傅臣ヲ命ジ玉ハンコトヲ宣フ、定ヲ命ジ玉ハント思ハセラル、國松丸君ハ、殊ニ敏 惠ノ天資、喜バセ玉フ、夫人殊ナル鍾愛ノ旨然ルベキコトナリ(○○○○○○○○○○○○○○○)、因テ尊慮ヲ吿ゲサセラル(○○○○○○○○○○○)、能其旨ヲ以テ(○○○○○○)、成育シ給フベシ(○○○○○○○)、
一幼兒ハ、敏惠ナリトテ、立木ノマヽニ生育ツル時ハ、成長シテ、恣ニシテ詭隨ナリ、多クハ親ノ命 ヲ用ヒズ、親ノ命ヲ用ヒネバ、臣下ノ言ハ猶以テ用ヒズ、然レバ、後ニ至テ、國郡ヲ治ルコトハ勿 論、其身ヲ立テルコトモ得ザルナリ、幼少ノ時ハ、諸事直ナル者ナレバ、窮窟ニ育チテモ、最初ヨ リ敎レバ心ナラズ、何ノ苦モナク育ツナリ、〈○中略〉
一恣ニテハ、我志願ノ成ルコトハ、終ニナキコトナリ、第一恣ニテハ、親ヲ畏レズ、親ニ捨ラレ、第ニ ニ親ニ疎マレ、第三ニ、朋友ニ疎マレ、第四ニ、家臣ニ疎マレ、第五ニ、我身ノ志願成ラズ、此五ツノ 如クニ成レバ身ヲ疎ミ、大道ヲ恨ミ、後ニハ鬱滯シ、心亂ルヽヨリ外ナシ、唯幼少ヨリ物毎自由 ニナラヌ事、覺ユベキ事ナリ、〈○中略〉
一幼年ノ時ハ、必ズ氣ニ應ゼヌコトヲ云ヒ聞カスレバ、側ニアル物ヲ取テ擲チ、物ヲ損ズルコト アリ、是ヲ蟲氣トノミ思ヒ捨置クコト、甚ダ親ノ其子へ毒ヲ增ト云フ者ナリ、〈○中略〉成人ノ後モ、 何ゾ心ニ應ゼヌ事アレバ、物ヲ損ナフ者ナリ、是全ク恣ナル生育故ナリ、器物ハ損ナヒテモ善 ト云フベキナレドモ、後ニハ諸臣ノ我心ニ應ゼザル事ヲ云タルヲ、手擊ニスレバ、氣ガサヘサ ヘトスルヤウニ、覺ユルコトニナルナリ、其病ノ深クナラヌ前ニ、早ク療治スベキコトナリ、〈○中 略〉
此書ハ、國松丸君へ進ラセ置レ、成育アツテ能用ヒ給フヤウニ、敎ヘサセラルベシ、

〔黑田家譜〕

〈附錄〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0176 如水遺事
一如水より長政へ送る書、數條の内、少々爰に記す、
一家來親類ともに加不便付候分別肝要候、新參などかゝへ候儀無用に候、前々よりの者共 に、人をも持せ、久敷者共取立可申候、被官ども子共多候聞、六ケ敷共つかひ入可申儀肝要に 候事、
一諸事心のまゝには不成物に候間、堪忍之分別專一に候事、
一不才にては何事も不成物に候、又仕間敷とて、家來被官をつかいたをし候樣に仕候ては、無 益に候事、
一常の事、唯我と工夫可仕事肝要候事、

〔黑田家譜〕

〈附錄〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0176 長政遺事
一忠之幼少の時、介保として林五助を附置れける、或時忠之の鷹狩に出給ふ掟を書て、五助に賜 る、其書に曰、

一右衞門佐鷹野に可參候は、小河内藏之助に申候て、代官衆に申付、赤飯仕、不殘下々迄給させ 可申事、
一酒を持參候事、堅法度可仕候、並頭みすい筒も同前の事、
一右衞門佐辨當、汁下菜二つ可申付事、
右之趣相背間敷候也
慶長十九年二月十二日 長政判
又五助に賜る書中に曰前後略之 一めしの喰樣以下仕付方、權之丞にならはせ可申候、
一手習油斷有まじく候、文面到來見屆候、
一よみ物之事、論語相濟候由、左候はゞ大學にても三略にても讀せ候樣に、吉祥院へ可申候、法印 煩候時は、等叔可然候、五郎太夫玄春も苦間敷候、法印相談可有候、
一法印に祈念所禱の事共、習候儀心あしく候、成人の後佛法を聞候て、禪をさとり生死を分別す べきは武士の肝要に候、身のあやまちをのがるべきとて、自身にじゆずをすり、神佛に宿願く一みて、山伏の樣に成候は散々の事にて候、
一論語、我等の赤表紙の本にて讀候由、本損不申候樣可仕候、孟子も寫置候、大學中庸は道春より 今度寫置候間、下し申候、七書は前々より之赤表紙にて可然候、
一磐上之あそび堅無用に候、其外はいか樣にもぬし次第あそばせ、心のちゝけぬ樣可仕候、
此外忠之の幼少より、樣々心を用ひ給ふ敎訓をも、あげて計ふべからず、事多かればもらしつ、

〔武功雜記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0177 一大久保玄蕃頭へ石川主殿頭見廻被申候刻、主殿頭へ兼々御異見申度三ケ條有之候トテ、内室、並息四郎左衞門ヲ呼デ、某今主殿頭殿へ三箇條ノ異見ヲ申ベシ、老耄タル事ヲ申サバ、申キカセヨトテ云ヒ出サルヽハ、先一ケ條ハ、家來ヲ不便ニ被存事、イカヤウニモ親切ナルベシ、タトヘバ家來ノタメニハ股ノ肉ヲモサキ、又ハ命ヲモトラセラルヽホドニ御心得アリテ、若下ヨリ上ヲ蔑ニシ、法ヲ犯シタル事アラバ、暫モユルサズ手打ニモイタサルベシ、第二ケ條ニハ、君ノ事ヲ大切ニ被存事肝要ナリ、其段ハ同名相模守、御同名主殿樣、彈正樣、貴樣ニ到テノ御厚恩ヲ存ラルベシ、タトヘバ君ト親トヨリ糞草鞋ヲ以テ、糞土ノ内ヘフミコマレタリトモ、子ヂカヘリテモミヌモノニテ候、君ノ子ンゴロナル時ヨクツトメ、君ノ疎時、忽ニ臣トシテ通懷ノ心生ズルハ犬馬ト同、犬馬ハ愛スレバナツキ、愛衰フレバソノマヽナツカズ、人トシテハ一度恩ヲ受テハ、 君ハ我ニオロソカニナリタリトモ、何トゾツトメテ、君ノ御心ヲヤハラケタキトノミ、無二ニ志スヲコソ武士ト申カヒモ御座候ゾ、第三箇條ハ、思慮モ分別モ不入候、何事モ只誠ナルガヨク候間、只々心ヲ實ニ可致候云々、某忰四郎左衞門ヲ御小性ニメシツカハレ、此中ハ表へ御出シ被成候、人ニハアヒフサイアルモノナレバ、君臣ノ間ニモアルベケレバ、少モ御恨ニハ不存候、若四郎左衞門不忠ノ心アリテ、加樣ノ儀ニ付、御前遠ク成候ナドヽ其品ヲキカバ、人手ニハカケマジ、某ガ老ノ手ニカケテ、頸ヲ刎ベシトコソ存候へ、君ニ對シ不屆ノモノハ、何ゾ子トモオモハンヤト被申候由、

〔良將達德鈔〕

〈十上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0178 一竹中半兵衞重治は、濃州菩提の城主なり、秀吉公御家の陣奉行なり、武者噺の砌、幼年の子息左京、座を立て何方へか行、少時して歸、半兵衞以外叱り、軍物語の半に罷立候とあり、子息被申けるは用所達しに罷立候と答、半兵衛猶怒て小便に立度ば、何とて座敷に小便を致さぬぞ、竹中が子が武道咄に聞入、座敷をヨゴシたりと云は、我家の面目也と云れしとかや、

〔甘棠篇〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0178 輔儲訓
安永五年中、世子治廣公〈○上杉〉初めての御出府前、近侍へ是を賜ふ、
一大凡人君の通弊は、玉簾深き中に長養して富貴に沈淪せしめ候間、おのづから世事の艱苦な る事をも辨ぜず、下民の窶にも疎く是有り候、〈○中略〉今日世子の内は、何事も恭遜を專一と致候 事に是あるべく候、今年喜平治殿同道せしめ候事も、東都の繁華豪族の形勢を、見聞致され候 爲にも是なく、風流奇麗の樣子を、習慣致させ候儀にも是なく候、只國元發駕の日よりして、小 扈從の姿に出立れ、艱難不自由の事にも逢申されて、一とせ武藏野の露にしほたれ申され候 はゞ、少しは下民の情にも達し、是よりして、はてしなき才も生じ、秋の月のくまなき德にも、進 み申され候樣に、致度迄の事に候、〈○中略〉 一喜平次殿、才に不足は是なく候、才の餘り候より、物毎に心付も細かにやかましく是有り候、細 かにやかましきを、此方よりも細かにやかましく敎訓致候ては、影を惡て趨ると申譬ひの如 ぐ、愈細かにやかましく成行候、只日用の事を、靜に大まかに取扱申べき事に候、
一喜平次殿、當分剛氣に相見へ候得共、皆以鋭氣秀發する迄に候、剛氣は全く薄く是あり候、剛氣 は根强く、物に屈する氣なきを申候、鋭氣はするどしと讀て、切れ味、はやり氣の事を申候、鋭氣 は人君に望む事は是なく候へ共、しかし鋭氣を剛氣の種と爲さず候へば、剛氣を長じ候こと は是なく候、先々鋭氣を挫かず、生育候内より、剛氣に轉じ候樣に、是あり度候、
一喜平次殿、險忌の性も、隨分是あり候、其内又仁恕の心も成程是あり候、險忌の性に深く頓著な く、仁恕の心を長じ候樣に、生育是あり候へば、追々險忌の性は薄く成行申べく候、此所能々勘 辨是あち度候、〈○中略〉
國の安危は、世子の身に掛り候事に候へば、大切なる事に候、面々朝暮の事、見聞せしめ候所、痛入たる事共に候へども、及だけの敎誨に、猶も心を盡し、如在なき樣に、呉々賴入計りに候、不悉、

自誡

〔本朝文粹〕

〈十二/銘〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0179 座左銘〈幷序〉 前中書王〈○兼明〉
東漢崔子玉作座右銘、大唐白樂天述其不盡者、作續座右銘、本朝愚叟元謙光拾其遺座左銘爾、
忠事其君、以孝事其親、信以交朋友、慈以撫子孫、貧而莫志、富而莫人、久要勿舊、一言勿恩、疣蠹入耳、不聞、禍胎出口、須其於唇、利者恨之府、名者實之賓、浮生薤上露、榮華夢中春、爭奈齡空邁、可惜過良辰、不缶而謌、何以慰吾身

〔朝野群載〕

〈一/文筆〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0179 續座左銘〈幷序〉 江都督〈○匡房〉
後漢崔子玉作座右銘、唐白樂天續之本朝元謙光作座左銘、今江滿昌亦續之、 貧賤敢勿屈、富貴敢勿奢、聽喜勿抃躍、聽憂勿傷嗟、忠信以奉國、仁愛以顧家、將秋竹節、誰語温樹花、松柏不皐、蓬蒿可麻、運譬北叟馬、迷任南指車、愼言忘怨怒、治身遣狹斜、忘想水中月、浮榮風前花、豈如纏網奈何斷塵沙、三思而後行、二世殆庶耶、

〔朝野群載〕

〈一/文筆〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0180紳辭 紀納言〈○長谷雄〉
人之知、勿己之賢、須誠與一レ愼、以思身之全

〔加賀松雲公〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0180 松雲公〈○前田綱紀〉座右銘
耀德也、使民忘一レ德、於乎鼓腹奚和帝力、有爲者窮、我從天則、思之不置、于夜于夙、

〔自敎鑑〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0180 夫天地に陰陽あれば、人に夫婦あり、ふうふあれば父子あり、父子あれば兄弟あり、兄弟あれば君臣あり、君臣あれば朋友あり、これ自然の道なり、
一凡そ父母は慈と敎とを主とし、子は愛と敬とを主とす、
一人の子たる者は、能く父母に事ふる而巳にあらず、又我身を愼みて、父母の憂を遺す事なきを 第一とす、古に曰、父母はたゞその疾をうれふと、然れば別て疾をつゝしむべし、
一父母います時は遠遊せずといへり、是亦父母の憂をおそれて也、況や一朝の怒りに其身をわ すれて、其親に及ぼす事やあるべき、
一子をそだつる道は禮義正しく嚴かなるべし、かりそめにも愛に溺れて、ゆるかせになすべか らず、
一子を敎るには、幼より善に導き惡に馴しむべからず、然らば友を擇べし、水は方圓の器に隨ひ、 人は善惡の友によるといふ事、格言なりと知るべし、
一寵愛の子たちといふとも、兄をさし置、弟に家を傳べからず、是によりて國家を亂せし事こそ、 其ためし歷然たれ、 一人の臣たる者は、只その君有る事を知りて、身ある事を知らず、國ある事を知りて、家ある事を しらず、臣たるの職此外有べからず、
一君の臣をつかふ事、禮を以てすべし、君の一言によりて臣義をいたす事あり、又然らざる事有 り、凡君德あれば臣是に從ふ事、草の風に靡くが如し、
一人に君たる者は、其德を明にして、民を治むべし、民をおさむるは慈悲の心を第一とす、
一君の心正しければ、善人近づき、たゞしからざれば佞人近づく、佞人ちかづけば、君を迷はし邪 路に導く、深くいましむべし、
一凡臣を仕ふには、其臣の安くして勞する事なからん事を欲すべし、
一夫は唱へ婦は從べし、これ陰陽の道なり、およそ妻をめとるは子孫の爲なり、賢德を本とす、容 色に迷ふ心有べからず、また其人の分限によりて妻有らんに、是亦賢を擇べし、容色をもて寵 愛すべからず、
一兄に恭敬をいたし、弟には慈愛を致すべし、共に父母の遺體なれば、相互に親みて疎にすべか らず、
一朋友は物をいひかはし、事を賴あふ者なれば、第一貞信にして相欺ざるを本意とす、
一人は益友を近づけ、損友を遠ざくべし、己に諂らふ人は、わきて害有と知るべし、
一凡そ人に交るには敬を主とす、たとへ酒宴をなし歡を盡すとも、禮容正しく敬の心を忘るべ からず、
一口舌は禍の門なり、口より出て我身をうしなふ、
一己が不機げんにまかせ、人を疎にし、無禮なるべからず、また己に才ありとも、是を以て人にほ こるべからず、 一凡天下の人の中に、貧賤なりとていやしむべからず、富貴も貧賤も皆天のなせるなり、死生、命 あり、富貴天にあり、命なくば富貴もうけまじ、
一不德にして富貴なれば驕を生ず、必ず其ふうきを保がたし、
一凡人の慈悲心厚く人を憐むを第一とす、又つとめて眞實なるべし、内の誠なく、外の飾を專に する者は、必久しからずして變ず、譬へば紅葉の華やかなるは、忽に色の變ずるがごとし、
一人として萬事に思慮なきは惡し、されど私意有べからず、みな學問によるべし、
右は自いましめ、また己〈○松平定信、時年十三、〉と同じき童蒙にも吿げんとて、明和七のとし睦月の初、 武城の側にしるしぬ、

〔丁酉日錄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0182 天保八年三月十六日辰半、淺利九左衞門來訪ひ、其子德操南上後飮酒不覊、少く忠吿を乞ふ由を託す、余諾す、 十八日朝、淺利德操來る、德操南上後飮酒過度、頗る放蕩になりたる故、余〈○藤田彪〉屢禁酒の事を勸む、不可、其父之を患ひ、余に又忠吿の事を乞、余因て德操を激勵せんと、昨夕德操を訪、不逢、今朝來訪談話の餘微諷す、不可、更に辨難す、德操怒て不可、余亦憤激至誠を以て之を激す、德操翻然と七て悛心あるに似たり、余因て相約し、共に禁酒せんと云、德操余が甚飮を嗜む事を熟知せるゆゑ、感激許諾す、期するに三年を以てし、共に一書を以て契とす、鳴呼先君子の門、學問行狀一世に表見するに足る者、先輩には會澤伯民等二三子あり、余が同學年齡の者に至ては、一人の自立する者なし、獨り德操學問は淺しと雖も、人品凡ならず、忠勇群を出づ、余因て深くこれと親むこと二十年一日也、斯擧一ば親朋の義を立、因て以自激勵せんと欲するなり、

〔先哲叢談〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0182 淺見安正、初名順良、小字重次郎、號https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01773.gif、又號望楠樓、近江人、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01773.gif 齋兼好武事、常騎馬擊劒、其所帶劒鐔、鐫觀瀾篆赤心報國四字

〔薩藩舊傳集〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0182 一久保七兵衞殿差刀の中子に、刻付有之候は、表に、 念々有玆、鳴呼福崎德萬、公に一心不亂、運有天逢而無恨事、
裏に、
生年十八歲久保與七郎
二ツなき命も君が爲ならば凉しく輕くすてよ武士
薩州住藤原貞良

家訓

〔萬葉集十八賀陸奧國出金詔書歌一言幷短歌
葦原能(アシハラノ)、美豆保國乎(ミツホノクニヲ)、安麻久太利(アマクタリ)、之良志賣之家流(シラシメシケン)、〈○中略〉大伴能(オホトモノ)、遠都神祖乃(トヲツガミオヤノ)、其名乎婆(ソノナヲバ)、大來目主登(オホクメヌシト)、於(ヤヒモチテ)比母知氐、都加倍之官(ツカヘシツカサ)、海行者(ウミユケバ)、美都久屍(ミツクカバネ)、山行者(ヤマユケバ)、草牟須屍(クサムスカバネ)、大皇乃(オホキミノ)、敝爾許曾死米(ヘニコソシナメ)、可弊里見波勢自等(カヘリミハセジト)、許等大氐(コトタテ)、大夫乃(マスラヲノ)、伎欲吉彼名乎(キヨキソノナヲ)、伊爾之敝欲(イニシヘユ)、伊麻乃乎追通爾(イマノヲツヽニ)、奈我佐敝流(ナガサヘル)、於夜能子等毛曾(オヤノコトモゾ)、大伴等(オホトモト)、佐伯氏者(サヘキノウヂハ)、人祖乃(ヒトノオヤノ)、立流辭立(タツルコトタテ)、人子者(ヒトノコハ)、祖名不絶(オヤナタヽズ)、大君爾(オホキミニ)、麻都呂布物能等(マツロフモノト)、伊比都雅流(イヒツケル)、許等能都可佐曾(コトノツカサゾ)、梓弓(アヅサユミ)、手爾等里母知氐(テニトリモチテ)、劍大刀(ツルギタチ)、許之爾等里波伎(コシニトリハキ)、安佐麻毛利(アナマモリ)、由布能麻毛利爾(ユフノマモリニ)、大王能(オホキミノ)、三門乃麻毛利(ミカドノマモリ)、和禮乎於吉氐(ワレヲオキテ)、且比等波安良自等(マタヒトハアラシト)、伊夜多氐(イヤタテ)、於毛比之麻左流大皇乃(オモヒシマサルオホキミノ)、御言能左吉乃(ミコトノサキノ)、〈一云乎〉聞者貴美(キケバタフトミ)、〕

〔續日本紀〕

〈十七/聖武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0183 天平勝寶元年四月甲午朔、天皇幸東大寺、御盧舍那佛像前殿、〈○中略〉從三位中務卿石上朝臣乙麻呂宣、現神御宇倭根子天皇詔旨宣大命、親王諸王諸臣百官人等天下公民衆聞食宣、〈○中略〉又大伴佐伯宿禰〈波〉、常母云〈久〉、天皇朝守仕奉事願〈奈波〉人等〈爾〉阿禮〈波〉、汝〈多知乃〉祖〈止母乃〉云來〈久〉、海行〈波〉美〈内久〉屍、山行〈波〉草〈牟須〉屍、王〈乃〉弊〈爾去曾〉死〈米〉、能抒〈爾波〉不死〈止〉、云來〈流〉人等〈止奈母〉聞召須、是以遠天皇御世如〈氐〉、今朕御世〈爾〉當〈氏母、〉内兵〈止〉心中〈古止波奈母〉遣〈須〉、故是以子〈波〉祖〈乃〉心成〈伊自〉子〈爾波〉可在、此心不失〈自氐、〉明淨心以〈氐〉、仕奉〈止自氏奈母、〉男女幷〈氐〉一二治賜〈夫、○下略〉

〔台記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0183 康治元年十二月卅日戊子、去年固關、讓位、幷今年御禊、大嘗會等事、引勘舊記、幷諸家日記、代々記文等、管窺所及、聊以類聚、拔要省繁、尚成卷軸、一抄不再治、享帚緘石、恥後嘲、但可披閲於閫外、 將誡訓於家中焉、子孫之中、若有奉公之者、見此愚抄、可琢磨、雖https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00080.gif 璞之明、欲越砥之力、予聊遊心於漢家之經史、不思於我朝之書記、仍所抄出殊不委曲、子孫又好金經舊史者非此限、不然者早習倭國舊事、可葵藿忠節、至于絲竹和歌者、雖勸、不强禁、於鷹犬、牛馬、酒色等之類者、深以禁之、予在少年禪閤敎命、臂鷹鞭馬、駈馳山野、騏驥電逸、殆及命、依佛神之加被、纔雖身、顧疵猶在、引鏡見之、彌增貽孫之誡忌、義和沈湎于酒、其職長廢、阮籍放曠于世、其宗早亡、須提耳之訓、以爲立身之誡矣、

〔平重時家訓〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0184 極樂寺殿御消息
抑申につけてもおこがましき事にて候へ共、親となり、子となるは、先世のちぎり、まことにあさからず、さても世のはかなき事、夢のうちの夢の如し、昨日見し人けふはなく、けふ有人もあすはいかゞとあやうく、いづるいき入いきをまたず、あしたの曰はくるゝ山のはをこえ、夕の月はけさのかぎりとなり、さく花はさそふ嵐を待ぬるふぜい、あだなるたぐひのがれざる事は、人間にかぎらず、さればおひたる親をさきにたて、若き子のとゞまるこそさだまれる事なれども、老少不定のならひ、誠におもへば若きとても、たのまれぬうき世のしきなり、いかでか人にしのばれ給ふべき心をたしなみ給はざらん、か樣の事をむかひてたてまつりて申さんは、さのみおりふしもなきやうにをぼゆるほどに、かたのごとく書しるしてたてまつる也、つれ〴〵なぐさみに能々御らんずべし、をの〳〵よりほかにかしたまふべからず、このたび生死をはなれずば、多生くるうごうをふるともあひがたき事なれば、たま〳〵むまれあひたてまつる時の世の忍おもひでにもとて申也、先心にも思ひ、身にもふるまひたまふべき條々の事、
一佛神を朝夕あがめ申、こゝろにかけたてまつるべし、神は人のうやまふによりて威をまし、人 は神のめぐみによりて運命をたもつ、しかれば佛神の御前にまいりては、今世の能には正直 の心をたまはらんと申べし、そのゆへは今生にては人にもちゐられ、後世にては必西方極樂 へまゐり給ふべきなり、かた〴〵もつてめでたくよき事也、此旨を能々あきらめ給ふべく候なり、
一ほうこうみやづかひをし給ふ事あらん時は、百千人の人をばしり給ふべからず、君のことを 大事の御事におもひ給ふべし、いのちをはじめて、いかなるたからをも、かぎり給ふべからず、 たとひ主人の心おほやうにして、をもひしりたまはずとも、さだめて佛神の御かごあるべし と、をもひたまふべし、みやづかひとおもふとも、是もをこないをすると、心のうちに思べし、み やづかひのことはなくして、しうのおんをかふむらんなどゝおもふ事は、舟もなくして、なん 海をわたらんとするにことならず、〈○中略〉
一おやのけふくんをば、かりそめなりともたがへ給ふべからず、いかなる人のおやにてもあれ、 わが子わろかれとおもふ人やあるべき、なれどもこれをもちいる人の子はまれなり、心を返 し目をふたぎて、能々あんずべし、わろからん子を見てなげかん親の心は、いかばかりかこゝ ろうかるべき、されば不孝の子とも申つべし、よき子を見て喜ばんおやの心は、いかばかりか うれしかるべき、されば孝の子とも申つべし、たとひひが事をの給ふとも、としよりたらんお やの物をのたまはん時は、能々心をしづめてきゝ給ふべし、とし老衰へぬれば、ちごに二たび なると申事の候也、かみには雪をいたゞき、額にはなみをよせ、腰にはあづさの弓をはり、鏡の かげもいにしへのすがたにかはり、あらぬ人かとうたがふ、たまさかにとひくる人は、すさみ てのみかへる、げにもととぶらふ人はなし、心さへいにしへにかいりて、きゝし事もおぼえず、 見る事もわすれ、よろこぶべき事はうらみ、うらむべき事をば喜ぶ、みなこれ老たる人のなら ひ也、これを能々心えて、老たる親ののたまはん事を、あはれみの心をさきとして、そむき給ふ べからず、すぎぬるかたは久しく、行すへはちかく侍ることなれば、いまいくほどかの給ふべ きとおもひて、いかにもしたがい給ふべし、されば老ては思ひわたる事もあるべし、それ人に たいしての事ならば、申なだめ給はんに、何たがふ事かあらん、身にたいしての事ならば、とも かくもおほせにしだがひ給ふべし、あはれ名ごりになりなん後は、こうくわいのみして、した がふべかりし物をと、おもひたまはん事おほかるべし、〈○中略〉
一道理の中にひが事あり、又ひが事のうちにだうりの候、これを能々心得給ふべし、道理の中の ひが事と申は、いかに我が身のだうりなればとて、さして我は生涯をうしなふ程の事はなく、 人は是によりて生涯をうしなふべきほどの事を、我が道理のまゝに申、これを道理の中のひ が事にて候也、又僻事の中のだうりと申は、人の命をうしなふべき事をば、千萬ひが事なれ共、 それをあらはす事なく、人をたすけ給ふべし、是をひが事の中の道理と申也、かやうに心得て 世をも民をもたすけ候へば、見る人きく人思ひつく事にて候、又たすけのる人の喜はいかば かり候べき、もしよそにも其人も悦ことなけれ共、神佛のいとおしみをなし、今世をもまほり、 後世もたすけ給ふなり、
一いかほども心をば人にまかせて、人の敎訓につき給ふべし、けふくんする程の事は、すべてわ ろき事をば申さぬ物にて候、されば十人の敎訓につきぬれば、よき事十有、又百人のけうくん につきぬれば、よき事百あり、されば孔子と申尊師も、千人の弟子を持て、氣をとひ給ふとこそ 承候へ、人のけふくんにつくべき事、たゞ人をもつて申べし、たゞ我が心を水のごとくにもち 給ふべし、ふるき詞にも、水の器物にしたがふがごとしとこそ申て候へ、ことにらうし經にく はしくとかれたり、返々人にしたがひ、人の敎訓につき給ふべし、〈○中略〉
一人のとしによりて、ふるまふべき次第廿ばかりまでは、何事も人のするほどのげいのふをた しなむべし、三十より四十五十までは、君をまぼり、たみをはごくみ、身を納ことわりを心得て、 しんぎをたゞしくして、内には五誡をたもち、せいだうをむねとすべし、せいだうは天下をを さむる人も、又婦夫あらん人も、きのたゞしからんはか見るべからず、さて六十にならば、何事 をもうちすてゝ、一へんに後世一大事をねがふて念佛すべし、〈○中略〉
一わが妻子の物を申さん、時は、能々きゝ給ふべし、ひが事を申さば、女わらんべのならひなりと おもふべし、又道理を申さん時は、いかにもかんじ、これより後もかやうに何事もきかせよと いさめ給ふべし、女わらべなればとて、いやしむべからず、天照大神も女體にておはします、又 じんぐうくわうぐうも、きさきにてこそしんらこくをばせめしたがへられしか、又おさなさ とていやしむべからず、八まんはたいないより事を御はからひあり、老たるによるべからず、 又わかきによるべからず、心正直にて君をあがめ、民をはぐゝむこそ聖人とは申なれ、〈○中略〉
一弓矢の事はつねに儀理をあんずべし、心のがうなると、弓矢の儀りをしりたるとは、車の兩輪 のごとく、ぎりをしると申は、身をも家をもうしなへども、よわきをすてず、つよきにをとらず、 儀理をふかくおもふ、是は弓矢とり也、其儀りは無沙汰なれども、敵をほろぼすはがうの物也、 おなじくは車の兩輪のかなふごとくに心え給ふべし、ふるき詞にも、人は死して名をとゞむ、 虎は死して皮をとゞむと申事あり、いのちも身のなり行事もさだまれる事也、おしむでとま る事なし、ねがふにきたらぬだうりをしり給ふべし、〈○中略〉
一いかにも人だめ世のためよからんとおもひ給ふべし、行すへのためと申也、しろき鳥の子は その色しろし、くろきはその子もくろし、たでといふ草からくして、そのすへをつぐ也、あまき 物のたねはおとうふれども、そのあぢあまし、されば人のためよからんと思はゞ、すへの世か ならずよかるべし、我が身を思ふばかりにあらず、〈○中略〉 一舟はかぢといふ物をもつて、おそろしき浪をもしのぎ、あらき風をもふせぎ、大海をもわたる 也、人間界の人は、正直の心をもちて、あぶなき世をも、神佛のたすけわたし給ふ也、〈○中略〉
返々はづかしくおもひたてまつれども、いのちはさだまりてかぎりある事なれば、いつをそ れともしりがたし、そのうへ時にのぞみてのありさま、有いは物をいはずしてはかなくなる 人もあり、又弓矢によりて、此世をそむくたぐひもあり、露の命の生死、無常の風にしたがふな らひ、其はかりはかげろふのあるかなきかのふぜい也、心におもひいだすをはゞからず申 也、これをもちゐたらん程に、あしき事にて候はゞ、わろき事を親ののたまひけるよと、其時お もひ給ふべし、是を持ゐたらんを、けうやうの至極と思ゐたてまつるべし、たゞにもちゐ給ふ 事なくとも、是をすへの世までの子共につたへ給ふべし、いでこん人のうちに、もし百人が中 ににても、これをもちゐ給人ありて、さてはむかしの人のつたへ給ひけるかと、おもひ給人や おはしますとて申也、人の親は子にあひぬれば、をこがましき事のあると申候、是やらんとお ぼゆるとおもひたまはんずれども、心靜に二三人もよりめひ御らんずべし、たゞしかやうに 申事は、わがおやの我をけうくんするばかりと思ひ給ふべからず、すへの世の人をけうくん すると心え給ふべし、返々おかしくつゝましき事なれば、他人にもらし給ふべからず、
いにしへの人のかたみと是を見て一こゑ南無と唱給へよ、御敎訓の御狀かくのごとし、

〔竹馬抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0188 治部大輔義將朝臣
よろづのことに、おほやけすがたといふと、眼といふことの侍るべき也、このごろの人おほく は、それまで思ひわけて、心がけたる人すくなく侍る也、まづ弓箭とりといふは、わが身のこと は申におよばず、子孫の名をおもひて振舞べき也、かぎりある命をおしみて、永代うき名をと るべからず、さればとて、二なき命をちりはいのごとくにおもひて、死まじき時、身をうしなふ は、かへつていひがひなき名をとるなり、たとへば、一天の君の御ため、又は弓箭の將軍の御大 事に立て、身命をすつるを、本意といふなり、それこそ子孫の高名をもつたふべけれ、當座の氣 いさかひなどは、よくてもあしくても、家のふがく、高名になるべかず、すべて武士は心をあは つかに、うか〳〵とは持まじき也、萬のことにかねて思案してもつべき也、常の心は臆病なれ ど、綱といひけるものゝ末武にをしへけるも、最後の大事をかねてならせとなるべし、おほく の人は、みなその時にしたがひ、折にのぞみてこそ振舞べけれ、とて、過るほどに、俄に大事の難 義の出來時は、迷惑する也、死べき期ををし過しなどして後悔する也、よき弓とりと、佛法者と は、用心おなじことゝぞ申める、すべてなにごとも心のしづまらぬは、口おしき事也、人の心と きことも、案者の中にのみ侍る也、
一人の立振舞べきやうにて、品の程も心の底も見ゆるなれば、人めなき所にても、垣壁を目と心 得て、うちとくまじきなり、まして人中の作法は、一足にてもあだにふまず、一詞といふとも、心 あさやと人におもはるべからず、たゞ色を好み、花を心にかけたる人なりとも、心をばうるは しく、まことしくもちて、そのうへに色花をそふべき也、男女の中だにも實なきは、志の色なき まゝに、なくばかりのことまれにこそ侍れ、
一我身をはじめておもふに、おやの心を、もどかしう敎をあざむくことのみ侍也、をうかなるお やといふとも、そのをしへにしたがはゞ、まづ天道にはそむくべからず、まして十に八九は、お やの詞は、子の道理にかなふべき也、わが身につみしられ侍なり、いにしへもどかしう、をしへ をあざむく事のみ侍しおやのこと葉は、みな肝要にて侍る也、他人のよきまねをせんよりは、 わろきおやのまねをすべきなり、さてこそ家の風をもつたへ、その人の跡ともいはるべけれ、一佛神をあがめたてまつるべきことは、人として存べき事なれば、あたらしく申べからず、その 中にいさゝか心得わくべき事の侍なり、佛の出世といふも、神の化現といふも、しかしながら 世のため、人のためなり、されば人をあしかれとにはあらず、心をいさぎよくして、仁義禮智信 をたゞしくして、本をあきらめさせんがため也、その外には、なにのせんにか、出現し給ふべき、 此本意を心得ぬ程に、佛を信ずるとて、人民をわづらはし、人の物をとり、寺院をつくり、或は神 をうやまふと云て、人領を追捕して、社禮を行ふことのみ侍る、かやうならんには、佛事も神事 もそむき侍べきとこそ覺侍れ、たとひ一度のつとめをもせず、一度の社參をばせずとも、心正 直に慈悲あらん人を、神も佛も、をうかには、みそなはしたまはじ、ことさら伊勢太神宮、八幡大 菩薩、北野天神も心すなをに、いさぎよき人のかうべに、やどらせ給ふなるべし、〈○中略〉
一君につかへたてまつる事、かならずまづ恩を蒙て、それにしたがひて、わが身の忠をも奉公を も、はげまさんと思ふ人のみ侍なり、うしろざまに心得たる事なり、もとより世中にすめるは 君の恩德なり、それをわすれて、猶望を高くして、世をも君をもうらむる人のみ侍る、いとうた てしき事也、〈○中略〉
一智惠も侍り、心も賢き人は、ひとをつかふに見え侍なり、人毎のならひにて、わが心によしとお もふ人を、萬のことに用て、文道に弓箭とりをつかひ、こと葉たらぬ人を使節にし侍り、心とる べき所に、鈍なる人を用などするほどに、其ことちがひぬる時、なか〳〵人の一期をうしなふ ことの侍なり、その道にしたしからむを見て用べき也、曲れるは輪につくり、直なるは轅にせ んに、徒なる人は侍まじき也、たとひわが心にちがふ人なりとも、物によりてかならず用べき か、人をにくしとて、我身のために用をかき侍りては、何のとくかあらん、かへす〴〵も、はしに 申つるごとく心のまことなからむ人は、なにごとにつけても、入眼の侍まじきなり、萬能一心 など申も、かやうのことを申やらんとおぼえ侍也、ことさら弓箭とる人は、我心をしづかにし て、人のこゝろの底をはかりしりぬれば、第一兵法とも申侍べし、
一尋常しき人は、かならず光源氏の物がたり、淸少納言が枕草子などを、目をとゞめて、いくかへ りも覺え侍べきなり、なによりも人のふるまひ、心のよしあしのたゝずまひを、をしへたるも のなり、それにておのづから心の有人のさまも見しるなり、あなかしこ、心不當に、人のためわ ろくふるまひ、かたくなに欲ふかく、能なからん人を友とすべからず、人のならひにて、よきこ とは學がたく、あしきことは學よきほどに、をのづからなるゝ人のやうになりもて行なり、此 ことはわが身にふかくおもひしりて侍なり、〈○中略〉夢幻のやうになれども、人の名は末代にと どまり侍なり、或はよき佛法の上人、或は賢人聖人、又はすける人などならでは、誰人かながく 世にしられて侍ける、人木石にあらずと申ためれど、いたづら人のながらへんは、谷かげの朽 木にてこそ侍らんずらめたしなむべし、
一人のあまりにはらのあしきは、なによりもあさましき事なり、いかにはらたゞしからん時も、 まづ初一念をば、心をしづめて、理非をわきまへふせて、我道理ならんことは、はらも立べき也、 わがひがみたるまゝに、無理にはらだつには、人の恐侍らぬほどに、いよ〳〵はらのたつも詮 なき事也、たゞ道理と云ことにこそ、人はおそれはぢらひ侍べけれ、たゞ腹だつべきことには、 かまへてかまへて心をしづめて思ひなをすべし、非をあらたむることを、はゞからざるがよ きこと也、よくもめしくも、我しつる事なればとて、そのまゝに心をもとをしふるまふは、第一 のなんなり、又よきといはるゝはたゞをだしくて、三歲の子のやうなるをいふとて、はらのた つをもたてず、うらむべきこと、なげくべきこと、又人にも必おもひしらするふしなどをも、過 しなどして、この人はともかくも人のまゝなるよと、人にしられたるは、なか〳〵人のためも わろく、わがためも失の侍べきなり、心をば閑にもちて、しかもとがむべきふし、云べき事をば いひて、無明無心の人とおもはれぬはよきなり、たかき世には、人ごとによかりければ、さやう のひとをよしともあしとも申べし、此比はあるひは、めたれをみ、あるひはわゝく心のみ侍ほ どに、一すぢにやはらかにうるはしき人をば、人のいやしむる也、無心の道人などゝて、佛法者 などの目も心もなきやうに見えて、三歲の孫のごとくなどいふは別のことなり、又愚痴の人 は、ものの惡もわきまへず、只默々としたるは、よき人といふべきにあらず、是程のことは、よく よく思ひわくべき也、坐禪する僧達などは、生つきより利根なる事はなきも、心をしづかにす るゆへに、諸事に明かなり、學問などする人も、その事を一大事に、心をしづめておぼえ侍るほ どに、他事にもをのづから利根に侍なり、たゞ人の心はつかひやうによりて、よくもなりあし くもなり、利根にも鈍にもなるべきなり、人のさかりは、十年には過侍らず、そのうちなにごと もたしなむべし、十ばかり十四五までは、眞實物の興もなく侍也、四十五十になりぬれば、又心 鈍になりて、ようづ物ぐさきほどに、はか〴〵しきけいこもかなはず、十八九より三十ばかり までのことなれば、物をしとゝのへて、おもしろき根源に至事は、たゞ十二三年に過べからず、 不定の世界には、とくけいこすべきなり、
一人の世にすむは、十に一も我心にかなふことはなき習なり、一天の君だにも、おぼしめすまゝ にはわたらせ給はぬなるべし、それに我等が身ながら、心にかなはぬ事をば、いかゞして本意 をとをさんとせんには、終に天道のいましめを蒙るべき也、すべて人毎にきのふ無念なりし かば、けふその心をさんじ、去年かなはざりしかば、今年其望を達せんとおもふまじき也、さら ぬだにも塵のごとくなる心を相續して、念々ごとになす身、いよ〳〵望を忘すべし、怨を殘さ ん事口惜きねぢけ人なるべし、佞人とて、世法佛法にきたなきことに申也、人毎に、我執をおこ し、わするまじきには、心みじかくよわ〳〵しき也、打拂ふて心にとゞむまじきやうなる事に は、餘念をおこすこと也、あひかまへて〳〵萬のことに人をもとゝして、あざむく事有まじき 也、戰ふごとには、おほけなくとも、心をたかく持て、我にまされる剛の者あらじとおもひつめ て、人の力にもなり、人をもたのもしきと思ふべき也、いかに心やすき人と云とも、生得臆病な らん人に、戰の事尋まじきなり、大事なればとて、さし當たるわざを、のがれんとすまじきなり、 やすければとて、すまじからん戰をすゝむまじきなり、凡合戰は、やすかりぬべき時は、他人に さきをかけさせ、大事ならん時は、たとひ百度といふとも、我一人の所作と心得べき也、いつは れるふるまひは、ことさら合戰にわろきなり、かやうの事をうかなる身におもひ知事のみ侍 れば、せめてのおやの慈悲のあまりに、我よりもなををうかならん子孫のために書付侍り、涯 分身をまもり修て、萬事に遠慮あるべきなり、
永德三年二月九日 沙彌判

〔朝倉英林家誡〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0193
一於朝倉之家、不宿老、其身之器用忠節に可寄候事、
一代々持來候などゝて、無器用の仁に、國幷奉公職被預間敷候事、
一雖天下靜謐、遠近に國目付を置き、其國々爲體を被聞候はん事、專一候事、
一名作の刀、さのみ被好間敷候、其故は萬疋の太刀を持たりとも、百本の鑓、百張の弓には勝たれ 間敷候、萬疋を以て百本の鑓を求め、百人に爲持候はゞ、可一方候事、
一從京都四座の猿樂細々呼下、見物被好間敷候、其價を國の猿藥の内、器用ならんと上せ、仕舞を も被習候はゞ、後代まで可然歟の事、
一於城内、夜能叶間敷候事、
一侍の役たりとて、伊達白川へ使者を立、能馬鷹被求間敷候、自然他所より到來候はゞ尤に候、こ れも三ケ年過ば他家へ可遣候、長持すれば後悔出來候事、
一朝倉名字中を始、各年の始に出仕の上著、よき布子たるべく候、幷各同名定文を付させらるべ く候、分限あるとて衣裝を結構せられ候はゞ國の端々の侍、色を好ゆきとゞきたる所へ、此體 にて出にくきとて、虚病を構、一年不出、二年出仕不致は、後々は朝倉が前伺候の者少なかるべ く候事、
一其身の體醜く候とも、けなげならむ者は、情可之候、又臆病なれども、容儀をも立よきは、供使 の用に立候、兩方かけたらむは所領たしなす歟の事、
一無奉公の者と、奉公の族、同あひし候はれ候ては、奉公の人はいさみ不之事、
一さのみ事かげ候はずは、他國の浪人などに、右筆させられ間敷候事、
一僧俗ともに能藝一手あらん者、他國へ被越間敷候、但身の能をのみ本として、無奉公ならん輩 は無曲候事、
一可勝合戰、可取城攻等之時、吉日を撰、方角をしらべ、時日をのがす事口惜候、いかに吉日なりと も大風に船を出し、大勢に獨向は、不其曲候、惡日惡方なりとも見合により、諸神諸佛八幡 摩利支天に別て精誠を致し、信心を以て戰はれ候はゞ、必可得勝利候事、
一年中に三ケ度計、器用あらん者に申付、國々を爲順、公民百姓の唱を聞、其沙汰を可致候、少々 形を引替、自身も可然候事、
一朝倉館の外、國の中に城郭を構へさせ間敷候、總別分限あらん者、一乘谷へ被越、其郷其村には 代官百姓等、計可置候事
一伽藍佛閣幷町屋等を通られん時は、少々馬を駐め、見苦きをば、〈○此間恐脱數字〉能をば能々と云はれ 候はば、いたらぬ者などは、御言葉を蒙りたるなどゝて、惡きをば直し、能をば猶可嗜候、造作を 入れず國を見事に持なすは、心一つに可依候事、
一諸沙汰直奏の時、理非少もまげられ間敷、候、若役人私を致すの由被聞及候はゞ、同罪に堅く可申付候、諸事うつろせきんこうに沙汰致し候へば、他國の惡黨等、いゝやうにあつかひたる も不苦候、猥敷所を被知候へば、從他家手を入るゝものにて候、有る高僧の物語せられ候は、人 の主人は不動愛染の如くたるべく候、其故は不動の劒を提、愛染の弓箭を持れたる事、全く突 にあらず、惡魔降伏の爲に候て、内には慈悲深重也、人の主も能をば勸め、惡をば退治し、理非善 惡を正しく別べき者也、是をぞ慈悲の殺生とは申候はんずれ、縱ひ賢人聖人の語を學したり とも、心偏にては不然候、論語に、君子不重則不威などゝあるを見て、偏に重きばかりと心得 ては惡かるべく候、可重も可整も時宜時刻によつて、其振舞の要に候此條々大形に思はれて は無益候、入道一孤半身にゝて、不思儀に國を取により、以來晝夜目をつながず工夫致候、或時 は諸國の名人を集め、其語を耳に挾み、于今如此候、相構て於子孫、此草書を守られ候はゞ、朝倉 の名字可相續候、末々において、我儘に被振舞候はゞ、慥に後悔可之候也、
○按ズルニ、此文又朝倉敏景十七箇條、朝倉始末記等ニ見エテ異同アリ、今姑ク本書ニ據ル、

〔黑田家譜〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0195 定則
一國をたもつ主將は、格別の思慮なくては叶ひがたし、凡人と同じ樣に心得べからず、先我身の 行儀作法を正しくして、政道に私曲なく、萬民を撫育すべし、又我平日好む事を愼み撰ぶべし、 主君の好む事は諸士も好み、百姓町人までも玩ぶものなれば、假初の輕き遊興たりとも、目に たゝぬ樣にして、四民の手本となる事、片時も忘るべからず、凡國主は常に仁愛にして、讒を信 せず、善を行ふを以て務とすべし、政事は靑天白日のごとく明白にして、深く思案をめぐらし、一事もあやまつべからず、文武は車の兩輪の如くなれば、かた〳〵かけては立がたし、勿論治 世には文を用ひ、亂世には文を捨ざるが尤肝要なるべし、世治まりて國主たる人、武を忘る時 は、第一軍法すたり、家中の諸士もをのづから心柔弱になり、武道のたしなみなく、武藝にも怠 り、武具等も不足し、持傳へたる武具もさびくさりて俄の用にたゝず、かく武道おろそかなれ ば、平生の軍法さだまらずして、不慮に兵亂出來たる時には、あはて騷ぎ、評定調はずして軍法 立がたし、武將の家に生れては、暫時も武を忘るべからず、又亂世に文を捨れば、制法定まらず して、政事に私曲多く、家人を治、國民を愛する實なき故、人の恨み多きもの也、軍陣の時も、血氣 の勇のみにて道正しからざる故、士卒思ひつかずして、忠義の働きまれなり、たとひ一旦は軍 に勝利を得とも、後には必敗軍となるもの也、凡國主の文道を好むといふは、かならず書を多 くよみ詩を作り、故事を覺るには非ず、誠の道をしりて、諸事につき吟味工夫を委敷して、萬の 事筋目をちがへず、あやまちなきやうにして、善惡を糺し賞罰を明らかにし、あわれみ深きを 肝要とす、又武道を好むといふは、專ら武藝をもてはやし、いかつなるをいふに非ず、軍の道を よくしり、常に亂をしつむる智略を廻らし、油斷なく士卒を調練して、功ある者に恩賞を與へ、、 罪ある者に刑罪を加へ、剛臆を正ふして、治世に合戰を忘れざるをいふ、武勤を專らにして、三 人の働を勤るは匹夫の勇なり、國主武將の武道にあらず、當家の軍法は他の術なく、君臣法令 を正して、士卒の一致するを肝要とす、平世無事の時臣下をあわれみ、功有者に賞錄を惜まず 與へて、其者をよく諸んに通じ置時は、其恩德に思ひ付て、上下心を合せて一筋に武勇をはげ む故、兵のつよき事金石の如く、勝利得る事うたがひ有べからず、又主將たる人、威といふもの なくては、萬民のをさへとなりがたし、惡敷心得てわざと威をこしらへつけんとすれば、却而 大なる害になるもの也、諸人におぢらるゝ樣に身を持なすを威と心得家老に逢ても威高ぶ り、事もなきに詞をあらくし、人の諫を聞入ず、我あやまちもかさおしに云まくり、ほしいまゝ まに我意を立る時は、家老も諫をいはず、をのづから身をひく樣に成ゆくべし、家老さへかく のごとくなれば、諸士末々に至る迄、只おぢおそれたるまでにて、忠義の思ひなす者なく、我身 がまへのみして、奉公を實に務る事なし、かく高慢にて、人をないがしろにする時は、臣下をは じめ萬民うとみ果て、必國を失ふ基となるものなれば、能々心得べき事也、誠の威と云は、先其 身の行義正しく、理非賞罰明かなれば、あながち人に高ぶりおびやかす事なけれ共、臣下萬民 うやまひおそれて、上をあなどりかろしむる者なくして、をのづから威光備はるものなり、一凡君臣、傍輩、萬民の上までも相口不相口といふ事あり、主君の家臣をつかふに、ことに此意味 有事をしりて、常に思慮を怠らず、能愼みて油斷すべからず、家人多しといへども、其中に主人 の氣に應ずる相口なる者善人なれば、國の重寶となり、惡人なれば大なる妨となるものなれ ば、是輕々敷事にあらず、家老中兼て其旨を相心得、主人の佞臣に心を奪はれざる樣に、きびし く諫言すべし、又家老などは相口不相口によりては、贔負の心付て惡をも善と思ひ、或は賄に ひかれ、或追從輕薄に迷ひて、惡しきとしりながら自らしたしむ事もあり、不相口なる者は、善 人をも惡人と思ひ、道理も無理の樣に聞あやまるものなれぱ、相口不相口によりて政事に私 曲出來るべし、家老中能々心得べき事也、又家老たる者の威高ふりて、諸士に無禮をなし、末々 の輕き者には詞をもかけざる樣にする時は、下に遠くなる故に、諸士隔心して上部のけいは くなる禮儀ばかり勤る故、諸士の善惡得手不得手しれずして、其身に不得手なる役を申付る により、かならず仕損じ有り、旨儀によりては其身上を亡すに至るべし、家老職の者は常に温 和にして小身なる者をなつけ、其者の氣質をよく相屆て、相應の役を勤さすべし、最負を以て 不相應の役を申付、仕損じたる時、重き罪科に申付る事、始の詮義つまびらかならざる故也、役 義を申付る時は、諸士一統の入札を以て其人柄を極め、その上にも私曲等在之者出來せば、其 者一人重き罪科に申付べし、なるべきかぎりは采祿を召放すべからず、播州豐州ゟ召仕候諸 士は、何も身命をなげうち粉骨をつくしたる者共也、今我大國の主となる事、是は全く我等父 子の計略のみにあらず、臣下の力を合せし助けによつて也、大功ある諸士に不得手の役義を 申付、仕損じたりとて、重き罪科に申付る事、主君たる人の不德、家老中の大なるあやまり也、
一子共に付候者、其人柄を再三詮義して念を入べし、其者善人なれば其子善人となり、惡人なれ ば惡人となるものなれば、其人をよく〳〵撰み用る事ゆるかせにすべからず、近習の士もく わしく吟味を遂げ、人をゑらびて申付る事肝要也、〈○中略〉
一國主たる人は慈愛を旨として人をあはれみめぐむこと肝要也、罪人ありとも、むざとつみす べからず、國中に罪人あるは、政事正しからずして、才判の行屆かざる故也としるべし、常に能 く吟味をとげ、あらかじめ罪人のなき樣に國政を執行ふべし、賞罪は委くし、吟味を經て罪人 をつみする事は、仁道によりて申付べき事肝要也、〈○中略〉
一大國の主將は、君臣の禮義のみとりつくろひて、定りたる出仕の對面ばかりにては、たがひの 心底善惡分明ならざるもの也、さるによつて出仕の外一ケ月兩三度、其家老中、幷小身の士た りとも、小分別も有者を召寄せ、咄を催すべし、其節咄候事は、主人も聞捨、家老も同前にして、伏 藏なく其時節の事を物語すべし、たがひに心底を殘すべからず、若遺恨となる事を申出す者 ありとも、此會の問答にをひては、君臣共に少も怒り腹立べからず、或は主人の了簡違の事、或 は仕損じ有て、勘氣を申付たる者のわび言等、其外何事によらず主人江申達しがたき事を殘 さず語るべし、かくの如くする事怠るべからず、諸士は勿論萬民の上までくわしく聞ふれて、 毎年其善惡明白にわけ、政道の益になる事多かるべし、
一儉約を專として無益の費なき樣に心を用ゆべし、治世には萬の事皆花美になりゆくものな れば儉約をむねとせざれば、年々つもりて夥き費となり、後に行つまりて、國家を敗るに至る べし、又をしみ過て吝嗇なれば諸人にうとまれ、萬の事はかゆかず、善を行ふ事も功を立る事 もなりがたし、是又國家を亡すの萌なり、財寶をみだりに用ひざるは、軍陣、天災、其外不慮の吉 凶に備へ、又は諸人に益有事に用ひんが爲なれば、平生我身の物ずきを止て、少の事も費なく、 萬の事過不及もなき樣に、くわしく思案すべき事肝要なり、〈○中略〉
財用定則〈○中略〉
右之積り堅く相守り、城付用心除の分、年々間斷なく相除け申べき事肝要也、數年之後は、廣大 銀高になり、凡百年を越ては、今天下に配分之銀數過半は當家に集るべし、又世の治まりて靜 なる事も、久しく續くものにあらず、大概百年百五十年、もしくは、貳百年程をへて變動する事 も有べし、是古よりためし有事なれば、あらかじめ其はかり事を定めて、覺悟すべき事第一也、 世の中もさわがしき時に當て、財寶多からずしては、武名を發し大切を立る事成がたし、領國 を丈夫に保つ事も成がたし、子孫輩我等が志を續て、掟の通堅く相守り、儉約を勤て、彌我身を 愼み、仁德を萬民に施し、政道を正しく、家風をいさぎよくせば、天下の人皆當家の仁政を聞傳 へ、なびきしたがふ者多かるべし、誠に文武の道をわきまへ、身を立功名を揚んと思ふ程の士 は、主君を撰びつかふるものなれば、まねかずして馳集るべき事勿論なり、然る時はをのづか ら諸家にすぐれて、權威をふるわん事顯然たり、されども俄に富さかへん事をたくみ、國民を しへたげ諸士に貪りては、必ず國家を亡す基となるべし、あながち金銀珠玉を寶とせず、諸士 國民を寶として、仁德を以て撫育すべし、かならずしもみだりに金銀を集むべからず、又多年 の功をつみて、自然と富貴を得る時は、更にわざわひの起るべきやうなし、君臣共に此旨をよ く相守り越度なきやうに萬事を執はからひ、我等掟に背くべからず、又子孫にいたり、不義遊 逸を專とし、諫を聞入ず、自由をはたらき、掟を相守らず、みだりに財寶を費す者有ば、家老中申 合せ、其者を退け、子孫の内より人柄を撰びて主君とし、國家を相續せしむべし、此趣は家老中 能心得、銘々の子孫〈江〉申傳へ置べき事肝要なり、
右件之條々、堅永々相守可申事肝要也、
元和八戊年九月 御書判(長政公)
右衞門佐殿
井上周防殿
小河内藏允殿
黑田美作殿
相山丹波殿
栗山大膳亮殿

〔貝原篤信家訓〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0200 聖學須勤
一凡人たる者は、聖人のをしへを貴び受、つよく志を立て、人のみちをまなび知り、勤行ひて、君子 とならん事をおもひ、つねにこゝうにかけ怠るべからず、これ聖學にこゝろざすのみちなり、〈○中略〉 幼兒須
一およそ小兒を敎育るに、始て飯を食、初ものいひ、扮人の面を見て、悦び怒る色を知る程より、常 にたえまなく敎ふれば、やゝおとなしくなりて、誡る事なしやすし、故に小兒ははやぐ敎べし、 をしへいましむる事遲して、惡く癖に成ては、改る事なり難し、惡事多く間馴ゐれば、後には善 事ををしへても移らず、僞れる事、驕り肆なる事を、はやくいましめて、必ゆるすべからず、幼よ り人を欺きいつはる事をつよく咎むべし、また幼子をあざむきて、いつはりを敎ふべからず、 大やう小兒のあしくなりぬるは、父母乳母かしづき馴る人の、をしへの道しらで、其子の本性 を傷へるゆゑなり、暫啼聲を止んとて、此を得さすべし、彼を與ふべしなどゝすかして、誠なき 事なれば、卽是僞を敦るなり、又恐しき事どもにて、より〳〵おとしいるれば、後には臆病のく せとなる、武士の子は殊に是を誡べし、〈○中略〉
士業勿怠〈○中略〉
一四民の内、士を以て長とす、故に士となるは大なるさいはひなり、文武のみちをまなび、身をた て道を行ひ、その家を興し、先祖よりの家業を彌保ち守るべし、若艱危に値、貧窮になり、或は多 病にして、君に仕ふる事なりがたくて、農工商とならん事は口惜けれど、義によつて業を改る は苦しからず、但利の爲に父祖の家業を捨て、庶民となるべからず、我子孫是をいましむべし 〈○中略〉
右の三條は、我愚蒙の言にあらず、古人意又如斯、我子孫たらん人、必厚く信じ、愼ておもひ、常に 心に保ちて、守り行ふべし、違背すべからず、各其子のとし十五に及ばゞ、此法を相傳すべし、若 幼にして父を喪ふものあらば、其兄及一族の内の長者其孤ををしへて、此法を僅ふべし、常に ふかく秘して、他人に聞しむべからず、各其子もまた其子に傳へて、萬世に至る迄、永く廢すべ からず、若此法に背く者あらば、大不幸におちて、我等泉下に朽ぬるとも、恨み惡むべき者也、
貞享三年甲子八月 貝原篤信書

〔光圀卿敎訓〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0201 西山樣〈○德川光圀〉より若君樣〈○綱條〉江被仰進候御傳言之扣
一御讀書之儀、前々ゟ度々被仰進候、御身之益に罷成候段不申、文字御働候得ば、當分御用御足候而、御老年之後、甚御慰に相成候事に候、仍之御精御出候樣思召候事、 一御武藝之儀、何も少シ御心懸不遊候て者不叶儀、就中槍者長道具ニて、取扱難成物に候、尤大將之御自身之働に不及、御馬之先ニ而、諸士の槍を合候事を被御覽候事候得共、如何樣の事ニ而、御自身槍を御取候事有之間敷ものにて無之候、其節日頃御稽古無之、あつかふ由等、御手に入不中上者、御用に立不申候間、能程に御習候樣にと思召候事、〈○中略〉
一常々算盤を御習、算勘を御心得候樣にと、被仰進候儀、役人ニ被相成候御身にても無之、何故と可思召候得共、算數御存知無之候ては、備立人數之配樣不相成ものに候、〈○中略〉
一常々御身うみ不申樣御身持可成候、大殿樣御若年ゟ、御身持健に被遊候故、御老年之後迄も萬一いか樣の時〈與〉申、大寒大暑に野陣を御張被成候ても、少も御いたみ被成候事は無之樣に、御身持被成候、御身は習はしの物ニ候間、健ニ被成候樣ニ、御心懸可成候、大殿樣は、三木別所屋敷ニて御誕生、御五歲迄は柵町に被御座、杉〈與〉申乳母、らいと申婆々、庄九郎〈與〉申御草履取、男女三人ゟ外、御召仕不成、被召上物なども、隨分輕く、御育被遊候處、御家督を御取被成、三十年御政務を被成、今以御息災に被御座候間、此段を能々御考被遊候樣ニ〈與〉思召候事、
右十件、江戸交代之御暇に、西山江參上之節、大殿樣ゟ若殿樣〈江〉被仰進候御傳言也、
辰〈○元祿十三年〉八月六日 安積覺兵衞謹記

〔浪花の風〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0202 當地にて名高き富商鴻池、善右衞門が家の掟は、貝原篤信が定むる處といふ、此事を其家に尋るに、左樣なること決て無之よしを答ふといふ、されど世上にて、貝原が定るといふ説、一般に唱ふることにて、按るに何か子細ありて、此事を善右衞門方にては、深く秘することにやと思はる、何にいたせ、其家の掟は規則能整ひて代々是を守るといふ、其一つを云ば、店に居る若きものも數十人なれども、其著服四季施等、皆古來よりの仕來りを守る故、他の店の者と混れることなく、且此ものども、時に寄て店の引けし後は、夜中十人廿人寄集りて、酒のみ戯れ遊び、淨瑠璃 又は亂舞抔の學びをなして興ずることあり、是を陰にて聞時は、美酒嘉肴ありて、大酒宴の有樣なれども、其席を伺ひ見れば、肴といふものもなく、先は菜漬の香の物か、左なくは鹽鰯抔を少々計り肴となして、酒のみ樂む體、實に二百年も以前は、かくやありけんと思はるゝことにて、今世の目より見る時は、興のさめたる體なりといふ、〈○中略〉萬事此一二事に付て、其餘の家法正しき事、推て知るべきなり、

〔伊勢平藏家訓〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0203 一人と生れては、人の法をしらざれば人にあらず、形は人なれども、心は畜生に同じかるべし、さるによつて我子孫のおろかなる者に、人の法をしらせたくおもふによりて、左に五常五倫、其外身のためになるべき事どもをかきあつめて、家にのこしおくなり、學文はせずとも、此の書のおもむきを守りて、心を直し、身持をよくせば、學文したるも同じ事なるべし、此書のおもむきを、かろしめあなどりて、心を直さず、我まゝをするものは、畜生におなじかるべし、つゝしむべし、〈○中略〉
以上
一人の命はあすをもしらぬものなり、我生年もはや四十七になる故、子孫の爲に、此一册をかき置く也、此一册に書たる趣、皆我心任せに筆にまかせて、みだりにいひたき事を書たる書にはあらず、皆むかしの人の申置たる事どもを、手短にかひつまんで心得やすきやうに書たるなり、此一册の趣は、子孫へ申おく遺言なり、かろ〴〵敷聞べからず、つゝしみて此書の趣を守るべし、子孫をおもふは、家をおもふゆゑなり、家をおもふは、先祖をおもふ故なり、先祖をおもふは、その家をつぎたるものゝ本意なり、物の本意といふ事を知らざるは、うつけ者とも、たわけ者ともいふなり、此書に書たる趣は、皆人の人たる本意を知らすべき爲なり、
寶曆十三年癸未十一月廿日 伊勢平藏貞丈

〔言志晩錄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0204 人情趨吉避凶、殊不吉凶是善惡之影響也、余〈○佐藤一齊〉毎改歲、退四句於曆本、以警家眷、曰三百六旬、無日不一レ吉、一念作善、是吉日三百六旬、無日不一レ凶、一念作惡、是凶日、以心爲曆本可、

遺誡

〔續日本後紀〕

〈九仁明〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0204 承和七年五月辛巳、後太上天皇〈○淳和〉顧命皇太子曰、〈○中略〉予聞、人沒精魂歸天、而空存家墓、鬼物憑焉、終乃爲祟、長貽後累、今宜骨爲粉、散之山中、於是中納言藤原朝臣吉野奏言、昔宇治稚彦皇子者、我朝之賢明也、此皇子還敎(○○)自使骨、後世効之、〈○下略〉

〔寬平御遺誡〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0204朝膳申時〈一本云、以下蠹損、〉
以上陣直超倫、聲譽遍聞者、昇轉叙位、及兼國貢物、勿常例、唯忌婦人之口、小人之擧耳、
諸國諸家等所申、季祿、大粮、衣服、月料等、或入官奏、或就内給、申不動正税等、縱令勘申國中帳遺、或遠年張實、今須不動者、一切禁斷、正税者、隨狀處分、若必用不動者、卽後年全令委塡忘、此事當時執政所進止也、雖然存於内心、補萬分一、努力々々、
齋宮者、出在外國、用途雖繁、料物不足、隨其申請、量宜進止、唯寮司能々可選任之、
齋院者、種々雜物、舊例雖具、其於用度十分之一、特加相勞〈以下六字蠹損〉不之、大略仰菅原朝臣〈○道眞〉季長朝臣、可令彼兩人撿〈○此間虫損〉諸國權講師、權撿非違使等朕一兩許之不例〈○此間虫損〉又講師孟冬簡定、可諸階業僧等之類、不他人上レ之、二三度朕失之、新君〈○醍醐〉愼之、内供奉十禪師等定額僧等之闕、必用本寺選擧、丕可輙許前人之讓他所之囑、若有知德普聞、戒律全者、審問許之、不之、外蕃之人必可召見者、在簾中之、不直對耳、李環朕已失之、新君愼之、諸國新任官長請〈○此間虫損〉任用者、或掾或目、醫師博士等、總不之、唯諸國諸所有勞、勞中爲他人遍知、堪其用者、量狀許之、不分明者亦忌之、莫忘莫怠、有憲不昇殿之狀、去年引神明定國、申遂已畢、莫忘之、
萬事〈○此間虫損〉節
賞罰、莫愛憎、 用意平均、莫好惡
能愼喜怒、莫于色
左右近衞將https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00023.gif 叙位之事、追昔例、左右遞隔年叙之、而今叙位之事、不必毎年、宿衞之勤殊倍他府、始舍人判官置積四五十年、殆難其運、今須近代之例、毎儀式之叙位、左右共叙之、將勵宿衞之人、新君愼之、内侍所者、有司巳存、唯宮中之至難者、是後庭之事、今須其方雜事、御匣殿收殿絲所等事者、定國朝臣姊妹近親之中、可其事者、一兩人一向行事、甘給之物等第之類、總可處分、洽子朝臣自昔知絲竹〈○竹、類從本作所、〉之事〈○此間虫損〉之間、猶令兼知之、息所管氏、〈○衍子〉宣旨滋野等者、日々出居女房之侍所、行藏人等日給之事、兼正進退禮儀、至更衣之時、ヌ加敎正禮節、其更衣藏人隨事給賞物、依功授官爵之事、皆悉所執奏申行也、菅氏是好省煩事之人也、宣旨又寬緩和柔之人也、激勵各身仕之、新君愼之、
中重北面廊、采女女嬬等、各爲曹司、居住如家、代々常有失火之畏、雖然遂不追却、今須毎夜藏人、殿上人、可其事者一人、差加藏人所一兩巡撿、不之、又宮中人々曹司坪々等凡下之人、常致破壞、須五日一度、同遺殿上人、令巡撿警作、新君愼之、左大將藤原朝臣〈○時平〉者、功臣之後、其年雖少、已熟政理、先年於女事失、朕早忘却不於心、朕自去春激勵公事、又已爲第一之臣、能備顧問而從其輔道、新君愼之、
右大將菅原朝臣〈○道眞〉是鴻儒也、又深知政事、朕選爲博土、多受諫正、仍不次登用、以答其功、加以朕前年立東宮〈○醍醐〉之日、只與菅原朝臣一人定其事、〈女知尚侍居之〉其時無共相議者一人、又東宮初立之後、未經二年、朕有讓位之意、朕以此意密々語菅原朝臣、而菅原朝臣申云、如是大事、自有天時忽、不早云云、仍或上封事、或吐直言朕言、又正論也、至于今年、吿菅原朝臣、以朕志必可果之狀、菅原朝臣更無申、事々奉行至于七月可行之議、人口云云、殆至於欲引其事、菅原朝臣申云、大事不再擧、 事若留則變生云々、遂令朕意如石不一レ轉、總而言之、菅原朝臣非験之忠臣、新君之功臣乎、人功不忘、新君愼之云云、
季長朝臣深熟公事、長谷雄博渉經典、共大器也、莫昇進、新君愼之、
朕聞昧旦求衣之勤、毎日整服、盥嗽拜神、又近喚公卿、有議給治術、亦還本座、招召侍臣、求六經疑、聖哲之君、必依輔佐以治華夷、寡小之人、何無賢士以感救徹、事有持疑、必可推量以決一レ之、新君愼之、
諾司諸所所言奏見參、有先例者、可諸司上レ舊跡、縱有舊迹、能推量可行、新君愼之、
延曆帝王〈○桓武〉毎日御南殿帳中、政務之後解脱衣冠、臥起飮食、又喚鷹司御鷹、於庭前餌、或時御手作觜爪等好、又至苦熱、朝政後幸神泉苑納凉、行幸之時、先令左右近中少將、卽喚手輿之、行路之次、若有御興、令近衞等相撲、是爲相撲也、造羅城門巡幸覽之、郎仰工匠日、此門高可五寸云云、後又幸覽之、帥喚工匠如何、工匠云、旣減、帝歎曰、悔亦加五寸、工匠聞之、伏地絶息、帝奇問、工匠良久蘇息卽云、實不減、然而爲煩詐言耳、帝宥其罪、帝王平生、晝臥帳中、令小兒諸親王、或召采女、時令酒掃、其時人夏冬服綿袴、其采女袴體如今表袴使御也、是等語故太政大臣〈○藤原基經〉舊説也、雖追習、爲舊事狀末耳、又弘仁〈○嵯峨〉御時、諸堂殿門額初書、宮城東面帝親書耳、又初製唐服云云、
以前數事之、誡朕若忘却、而有囑者、引此書警、以此爲孝、不違失耳、〈○本書有誤腕、以一本舖正、〉

〔河海抄〕

〈五/賢木〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0206 李部王記云、延喜御門、最御藥〈○藥、一本作參、〉之間、春宮〈朱雀院〉七歲之時、御舅貞信公〈于時左大臣○藤原忠平〉爲御共參内、主上御對面之間、有五ケ條之仰、一者可神事、二者可法皇、〈○宇多〉三者可左大臣訓、四者可古人、其外一ケ條御忘却、春宮御退出之時、左大臣被問之、〈非正文意〉

〔百練抄〕

〈十五/後嵯峨〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0206 仁治三年七月八日戊子、被山陵使、隱岐法皇改顯德院後鳥羽院、依御遺誡山陵國忌之由被申畢、

〔太平記〕

〈二十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0206 先帝崩御事 南朝ノ年號延元三年八月九日ヨリ、吉野ノ主上御不豫ノ御事有ケルガ、次第ニ重ラセ給、〈○中略〉大塔忠雲僧正御枕ニ近付奉テ、泪ヲ押テ申サレケルハ、〈○中略〉今ハ偏ニ十善ノ天位ヲ捨テ、三明ノ覺路ニ趣セ給フベキ御事ヲノミ、思召被定候ベシ、サテモ最期ノ一念ニ依テ、三界ニ生ヲ引ト經文ニ説レテ候ヘバ、萬歲ノ後ノ御事、萬ヅ叡慮ニ懸リ候ハン事ハ、悉ク仰置レ候テ、後生善所ノ望ヲノミ、叡心ニ懸ラレ候ベシト申サレタリケレバ、主上苦ゲナル御息ヲ吐セ給テ、妻子珍寶及王位臨命終時不隨者、是如來ノ金言ニシテ、平生朕ガ心ニ有シ事ナレバ、秦穆公ガ三良ヲ埋ミ、始皇帝ノ寶玉ヲ隨ヘシ事、一モ朕ガ心ニ取ズ、只生々世々ノ妄念共ナルベギハ、朝敵ヲ悉亡シテ、四海ヲ令泰平ト思計也、朕則早世ノ後ハ、第七ノ宮ヲ天子ノ位ニ部奉テ、賢士忠臣事ヲ謀リ、義貞義助ガ忠功ヲ賞シテ、子孫不義ノ行ナクバ、股肱ノ臣トシテ、天下ヲ鎭ベシ、思之故ニ玉骨ハ縱南山ノ苔ニ埋ルトモ、魂魄ハ常ニ北闕ノ天ヲ望ント思フ、若命ヲ背、義ヲ輕ゼバ、君モ繼體ノ君ニ非ズ、臣モ忠烈ノ臣ニ非ジト、委細ニ綸言ヲ殘サレテ、左ノ手ニ法華經ノ五卷ヲ持セ給、右ノ御手ニハ御劒ヲ按テ、八月十六日ノ丑刻ニ、遂ニ崩御成ニケリ、

〔性靈集〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0207酒人内公主遺言一首
吾吿式部卿大藏卿安勅三箇親王也、夫道本虚無、無終無始、陰陽氣構、尤靈則起、起也名生、歸之稱死、死生之分、物大歸矣、吾齡從心、氣力倶盡、況復四虵相鬪於身府、兩鼠爭伐於命藤、旣知夢蝶之非一レ我、還驚谷神之忽休、又夫提挈者親、追遠者子、吾有一箇瓊枝、不幸先露、顧此惶々、無人顧命、猶子之義、禮家所貴、所以取三箇親王、以爲男女、愼終之道、一任三子、吾百年之後不荼毘、封墳穸、任之自化、明器雜物、一從省約、此吾之願也、追福之齊、存日修了、若事不已者、於春日院、轉七七經、周忌則東大寺、所有田宅林牧等類、班充三箇親王、及眷養僧仁主自外隨勞分給家司僕孺等而已、亡姑吿、

〔源氏物語〕

〈四十六/椎本〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0207 あきふかく、成行まゝに、宮〈○宇治八の宮〉は、いみじう物心ぼそくおぼえ給ければ、例の 靜なる所にて、念佛をもまぎれなくせんとおぼして、君達にもさるべきこときこえ給、世のこととして、つゐのわかれをのがれぬわざなめれど、思なぐさむかたありてこそ、かなしさをもさますものなめれ、又みゆづる人もなく、心ほそげなる御有樣どもを、うちすてゝんがいみじきこと、されどもさばかりのことにさまたげられて、ながき世のやみにさへまどはんがやくなさ、かつみ奉る程だに思ひすつる世を、さりなんうしろのこと、しるべきことにはあらねど、我身ひとつに、あらず、過給にし御おもてぶせに、かる〴〵しき心どもつかひ給ふな、おぼろげのよすがならで人のことにうちなびき、この山里をあくがれ給な、たゞかう人にたがひたる契ことなる身と覺しなして、こゝによをつくしてんと思とり給へびたぶるに思ひしなせば、ことにもあらず過譫る年月成けり、まして女はさる方にたえこもりて、いちじるくいとおしげなるよそのもどきを、おはざらんなんよかるべきなどの給ふ、〈○中略〉おとなびたる人々めし出て、うしろやすくつかうまつれ、なにごとももとよりかやすく、世にきこえあるまじききはの人は、末のおとろへもつねのことにて、まぎれぬべかめり、かゝるきはになりぬれば、人は何とも思はざらめど、くちおしうてさすらへん契かたじけなく、いとおしきことなんおほかるべき、物さびしくこゝろぼそきよをふるは、れいのことなり、むまれたる家のほど、をきてのまゝにもてなしたらんなん、きゝみみにも、わが心ちにも、あやまちなくばおぼゆべき、にぎはゝしく人かずめかんとおもふとも、そのこゝうにもかなふまじきよとならば、ゆめ〳〵かろ〴〵しく、よからぬかたにもてなしきこゆななどの給、まだ曉に出給とても、こなたにわたり給て、なからんほどこゝろぼそくなおぼしわびそ、心ばかりはやりてあそびなどはし給へ、なにごとも思にえかなふまじき世をな、おぼしいれそなど、かへりみがちにて出給ぬ、

〔藤原家傳〕

〈鎌足〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0208 卽位〈○天智〉二年冬十月、稍纏沈痾、遂至大漸、常臨私第、親問患、請命上帝、求効翌日而 誓願无徵、病患彌重、卽詔曰、若有思、便可以聞、大臣對曰、臣旣不敏、敢當何言、但其葬事願用(○○○○○○)輕易(○○)、生則无於軍國、死何有於百姓、卽臥復无言矣、帝哽咽悲不自勝、卽時還宮、〈○下略〉

〔拾芥抄〕

〈下本/諸敎誡〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0209 遺誡幷日中行事〈造次可座右〉九條殿〈(藤原師輔)注天曆御宇説也〉
先起稱屬星名字七遍、〈微音〉、次取鏡見面、次見曆知日吉凶、 次取楊枝、向西洗手、 次誦佛名、及可尋常所尊重神社、 次記昨日事〈事多日、日中可記、〉 次服粥 次梳頭、〈三箇日一度、可梳之、日々不梳、〉次除手足甲(ツメ)、〈丑日除手甲、寅日除足甲、〉次擇日沐浴、〈五箇日一度〉沐浴吉凶、〈黃帝傳曰、凡毎月一日沐溶短命、八日沐浴命長、十一日目明、十八日逢盜賊、午日失愛敬、亥日見恥云云、度惡日浴、其惡日、寅辰午戊下食日等也、〉弐有出仕、卽服衣冠、不懈緩、會人言語莫多語、又莫人之行事、唯陳其所一レ思、兼觸事不世人言也、人之災出口、努努愼之愼之、又付公事文書、必留情可見、次朝暮膳如常、勿多飡飮、又不時尅之、詩云、戰戰慄慄、日愼一日、如深淵薄氷、長久之謀能保天年、凡成長頗知物情之時、朝讀書傳、次學手跡、其後許諸遊戯、但鷹犬博奕重廝禁遏矣、元服之後、未官途之前、其所爲亦如此、但早定本尊、盥洗手唱寶號、若誦眞言、至于多少、可人之機根、不信之輩、非常天命、前鑒已近、
貞信公〈○忠平〉語云、延長八年六月二十六日、霹靂淸凉殿之時、侍臣失色、吾心中歸依三寶、殊無懼、大納言淸貫、右中辨希世、尋常不佛法、此兩人已當其妖、以是謂之、歸眞之力尤災殃、又信心貞潔智行之僧、多、少隨堪相語之、非唯現世之助、則是後生之因也、頗知書記、便留心於我朝書傳、夙興照鏡、先窺形體變、次見曆書日之吉凶、年中行事略注付件曆、毎日視日之次、先知其事、兼以用意、又昨日公事、若私不心事、爲忽忘、又聊可付件曆、但其中要樞公事、及君父所在事等、別以記之、可後鑒、 凡爲君必盡忠貞之心、爲親必竭、敬之誠、恭兄如父、愛弟如子、公私大小之事、必以一心同志、纖芥勿隔、若有不安心之事、常語述其旨恨、況至于無賴姉妹、慇懃扶持、又所見所聞之事、朝謁夕謁、必白於親、縱爲我有芳情、爲親有惡意、早以絶之、若雖於我於親、必以相親之、 凡非病患、日 日必可於親、若有故障者、早以消息、可夜來之寧否、文王之爲世子也、尤足欣慕、 凡爲人常致恭敬之誠、勿生慢逸之心、交衆之間用其心也、或有公家及王卿、雖殊謗而言不善事之輩、如然之間、必避座而却去、若無便座、守口隔心勿其事、縱人之善不之、況乎其惡哉、古人云、使口如一レ鼻此之謂也、非公若私無止事之外、輙不他處、又妄勿契於衆人、交言之難、古賢所誡也、縱有人甲與乙有隙、若好件乙則甲結其怨、如此之類重可愼也、又莫高聲惡狂之人、其所言事輙不聞驚、三度反覆與人交言、又不輙輕事、常知聖人之行事、不無跡之事、又以我身富貴之由曾勿談説
凡身中家内之事、不輙被一レ之、始衣冠于車馬、隨有用之、勿美麗、不己力美物、則必招嗜欲之謗、德至力堪何事有哉、不輙借用他人之物、若公事有限、必可借用者、用畢之後、不時日、早以返送之、故老及知公事之者、相遇之時、必問其所一レ知、聞賢者之行、則雖及必企庶幾之志、多聞多見、是知往知來之備也、若有官之者、催行僚王爲一所長之者、整役其下、各全所職、以招https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01774.gif 事之譽、若有故障之時、早奉假文障之由、不故障、闕公事之時、其謗尤重、愼之誡之、努力努力、節會若公事之日、欲衣冠早參入、爲殿上侍臣若諸衞督佐之者、當直日早參入必可宿直、但至于文官人非劇務、隨公事而殊能勤之、緩怠之聞、重可畏者也、 凡採用之時、雖才行恪勤之者、無薦擧之力、縱非殊賢、僶俛之輩尤堪擧達之、大風、疾雨、雷鳴、地震、水火之變、非常之時、早訪親、次參朝、隨其所職之官、廻消災之慮矣、在朝也、欲珍重矜莊、在私也、欲雍容仁愛、以小事輙不慍色、若有過之者、暫雖勘責亦以寬恕、 凡不大怒、勘人之事、心中雖怒思口、常以恭温例事、喜怒之心敢無過餘、以一日之行事、爲万年之鑑誡、 凡在宅之間、若道若俗、所來之客、縱在頭飮食之間、必早可遇之、握〈○握原作投、據一本改、〉髮吐哺之誡、古賢所重也、 家中所得物、各必先割十分一以充功德用、沒後之事、豫爲終制https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00196.gif勤行、若不此事之時、妻子從僕、多招事累、或乞乞之人、或失失之物、非一家之災、〈○災原作客、據一本改、〉必招諸人之謗、仍所得之物必以割置、始葬料于諸七追福之備、但淸貧之人、此事尤難、然用意 與用意何無差別
以前雜事、書記如右、予十分未其一端、然而常蒙先公之敎、又訪古賢今粗知事要、依萬一之勤、雖才智、已登崇班、吾後之者熟存此由、縱非如法必以用意、可公私之事

〔榮花物語〕

〈八/初花〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0211 としもかへりぬ、寬弘七年とぞいふめる、〈○中略〉帥殿〈○藤原伊周〉はことしとなりては、いとゞ御心ちおもりて、けふや〳〵とみえさせ給、〈○中略〉御心ちいみじうならせ給へば、この姫君ふたところ藏人少將〈○道雅〉とをなめすへて、北の方〈○重光女〉にきこえ給、をのれなくなりなば、いかなるふるまひどもをかし給はんずらん、世中に侍つるかぎりは、とありともかゝりとも、女御きさきと見たてまつらぬやうはあるべきにあらずと、おもひとりてかしづきたてまつりつるに、いのちたえずなりぬれば、いかゞし給はんとする、今の世の事とて、いみじきみかどの御むすめや、太政大臣のむすめといへど、みなみやづかへにいでたちぬめり、この君たちをいかにほしと思ふ人おほからんとすらむな、それはたゞこと〴〵ならず、をのがためのすゑの世のはちならんと思ひておとこにまれ、なにの宮、かの御かたよりとて、ことようかたらひよせては、こどの〈○伊周〉のなにとありしかば、かくるぞかしと心をつかひしかば、などこそはよにもいひおもはめ、母とておはするが、人はたこの君たちの有さまを、はか〴〵しううしろみもてなし給べきにあらず、まどてよにありつるおり、神にもをのがあるおりさきにたて給へと、いのりこはざるやらんと思ふがくやしきこと、さりとてあまになし奉らんとすれば、人ぎゝものぐるをしき物から、あやしのほうしのぐどもになり給はんずかし、あはれにかなしきわざかな、まちがしなんのち、人わらはれに、人のおもふばかりのふるまひありさまをきて給はゞ、かならずうらみきこえんとす、ゆめゆめまろがなからんよのおもてぶせ、まろを人にいひわらはせ給なよなど、なく〳〵申給へば、大ひめぎみ、小姫君なみだをながし給もをろかなり、たゞあきれておはす、きたのかたもいら へたまはんかたもなく、たゞよゝとなき給、松君の少將〈○道雅〉などを、とりわきいみじきものにいひ思しかど、くらゐもかばかりなるを見をきてしぬる事、われにをくれては、いかゞせんとする、たましゐあれば、さりともとはおもへども、いかにせんとすらんな、いでやよにありわづらひ、つかさ位人よりはみじかし、ひとゝひとしくならんなどおもひて、世にしたがひ、ものおぼえぬついせうをなし、名薄うちしなどをば、よにかたときありめぐらせじとす、その定ならば、たゞ出家して山林にいりぬべきぞなど、なく〳〵いひつゞけ給を、いみじうかなしとおもひまどひ給ふ、げにことはりにかなしともをうかなり、

〔台記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0212 仁平三年九月十六日壬寅、今朝召參議兼長師長、仰任官之時、不兄弟、依奉公高下推擧之由、聊注其由兩人之間、俊通申曰、今日凶會有憚者、仍明日可給之由仰俊通、卽以其言、二通授俊通了、 十七日癸卯、俊通以昨日所仕遺誡、授兼長師長云々、
筆跡狼藉、不他見
兼長、師長、但列八座、今日以後、可公家上日之多少、〈謂外記月奏所一レ載〉愚之子息等、不年齡之長幼、不好惡之淺深、任官之時、可擧上日多者、〈至于不一レ許者非忘家、患力所一レ反、〉无奉公之忠其擧之時、曾勿我、不衣服之美、不童僕之少、存忠勤人嘲、抑亦盡奉公之忠、唯憶遺名於後代、不敢求君之恩報、盡忠求恩者、古賢所誡也、努之々々、我終沒後、魂若有靈、將陣結政邊、戀慕之時、縱无公事、朝服詣斯處、凡有至孝之志者、能勤王事以報我恩、至于訪後世者、非望者也、兩息謹守此誡、勿敢違背矣、
仁平三年九月十七日 在判

〔平家物語〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0212 入道せいきよの事
二位殿〈○平時子〉あつさたへがたけれ共、入道相國〈○平淸盛〉の御枕によつて、御有樣見奉るに、日にそへてたのみすくなうこそ、見えさせおはしませ、物のすこしも、おぼえさせ給ふ時、思召事あらば、仰お かれよとぞ宣ひける、入道相國、日ごろはさしもゆゝしうおはせしか共、今はの時にもなりしかば、世にもくるしげにて、いきの下にて宣ひけるは、當家は、保元平治より此かた、度々の朝てきをたいらげ、けんしやう身にあまり、かたじけなくも、一天の君の御外せきとして、せうしやうの位にいたり、ゑいぐわすでに子孫にのこす、今生ののぞみは、一事も思ひをく事なし、たゞ思ひおく事とては、兵衞のすけより朝がかうべを見ざりつる事こそ、何より又ほいなけれ、我いかにもなりなん後、佛事けうやうをもすべからず、堂塔をも立べからず、いそぎうつ手をくだし、賴朝がかうべをはねて、わがはかのまへにかくべし、それぞ今生後生の、けうやうにてあらんずるぞと宣ひけるこそ、いとゞつみふかうは聞えし、

〔太平記〕

〈十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0213 正成下向兵庫
正成、是ヲ最期ノ合戰ト思ケレバ、嫡子正行ガ今年十一歲ニテ供シタリケルヲ、思フ樣有トテ、櫻井ノ宿ヨリ、河内へ返シ遣ストテ、庭訓ヲ殘シケルハ、獅子子ヲ産デ、三日ヲ經ル時、數千丈ノ石壁ヨリ是ヲ擲、其子獅子ノ機分アレバ、敎ヘザルニ中ヨリ馺(ハネ)返リテ、死スル事ヲ得ズトイヘリ、況ヤ汝已ニ十歲ニ餘リヌ、一言耳ニ留ラバ、我敎誡ニ違フ事ナカレ、今度ノ合戰、天下ノ安否ト思フ間、今生ニテ、汝ガ顏ヲ見ン事是ヲ限リト思フ也、正成已ニ討死スト聞ナバ、天下ハ必ズ將軍〈○足利尊氏〉ノ代ニ成ヌト心得ベシ、然リト云共、一旦ノ身命ヲ助ラン爲ニ、多年ノ忠烈ヲ失テ、降人ニ出ル事有ベカラズ、一族若黨ノ一人モ死殘テアラン程ハ、金剛山ノ邊ニ引籠テ、敵寄來ラバ、命ヲ養由ガ矢サキニ懸テ、美ヲ紀信ガ忠ニ比スベシ、是ヲ汝ガ第一ノ孝行ナランズルト、泣々申含メテ、各東西へ別レニケリ、

〔細川賴之記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0213 貞治六年四月六日、鎌倉之左馬頭基氏〈○足利〉卒ス、〈○中略〉上杉入道〈○憲顯〉ニ、若君春王殿ヲ守立可申ノ由被仰付、但東國ノ事ハ、將軍ノ仰ニ隨フベシ、又若君ノ御事ハ、千葉介、結城大藏次郎、 河越治部少輔ヲ深ク賴ムベキヨシ、御遺言アリト也、基氏ニ不替、東國ノ管領ハ、春王九ニ被補共、一往辭退スベシ、猶押テ御敎書ヲ賜ハラバ、上杉父子ヲ執事トシテ、千葉介直胤、小山朝明等、評定衆ニ加テ、諸事ヲ相計フベシ、慾心内ニアレバ、嗜トイヘドモ行ヒニ顯ルモノゾカシ、今世ノ政道ノ邪魔ハ、欲心ニ過タルモノナシ、又東國ニ朝敵起ラバ、時日ヲ不移、上杉父子、春王丸ヲ具シテ、兵ヲ發シテ誅殺スベシ、常ニ武備ヲ不忘用意シ、其期ニ臨テ、少モ滯ルコトナカレ、朝敵ノアランカギリハ、鎌倉ニ歸ルベカラズ、其場ニ何箇年モ在陣スベシ、軍中ノ戒ハ怠ニ有、敵小勢ナリトモ、アナドリ油斷スベカラズト被仰置ケリ、

〔上杉定正遺言狀〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0214 年來令物語事候へ共、餘リ五郎〈○上杉朝良〉無嗜故、爲一事行、定正啐啄之儀無之候、但古人云、上之上者至于下不之云々、如其老拙不見知候歟、又沙汰之限被渡候歟、何樣不兩條、爰元之儀共大切候之上、爲使河越へ申越候之聞此書中皆々爲披見、第一五郎能々爲見分、可意見候、二三箇度之合戰、敵味方之過おしるし集、並當方後代之兵儀、各爲意得書置候、〈○中略〉
一於兩總州在々所々城攻軍廿餘度、此内も度々御方失利事者出來候へ共、終定正馬廻一度之動 無過故、三十餘年無越度候、於自今以後も、旗本一手之進退可專一事候、
一朝良かたへ、山口、小宮、仙波、古尾、谷、向々被越候時、被尋事に、鶯事、武藏野にては追鳥などの雜談、 武州六所深谷のはや道合、酒宴數盃之物語、又有時は、京方之牢人面々出頭候へば、招月之歌、同 手跡之物語、心敬宗祗連歌、洛中貴賤上下老若男女之物語、社參樣體、或者淸水男山之眺望、或者 諸五山之爲體、觀世金春能之仕舞之物語、此分注越候、見之定正涕涙悲泣不申候、明日〈にも〉愚 老討死候者、當方屋裏之者共皆以令亡命、殘世之者可乞食基也、
一朝良學問とやらん被成之由候歟、尤以可然候、但不御用候〈與〉見及候、其故者七書〈を〉有讀誦而、 一戰其刷爲一事之、論語孝經〈お〉讀〈而〉不孝被渡候、寔著錦夜行、似蓄法師之櫛候歟、 一爲左傳七書以下、何〈も〉於大國聖仁刷事おしらし置也、京〈與〉關東だにも替候、況於栗散邊地之 境、無器用之輩、以大國之比量、仕合之事、爲一事之候歟、〈○中略〉
一先段如書載、廿ケ年之間城攻軍、當旗本卅餘度雖大利、定正一度不太刀、非大弩、只功者共ニ 行テ相問尋事〈お〉不恥、以其上分別而成之、勝利以後及意見者、不貴賤、時々刻々褒美す、此故後日 〈にも〉r嗜いはんと、老若共〈に〉裃歟、雖珍軍計、存亡分筋目能々可思案事、貴踐上下〈に〉よるべから ず、當方勇兵等以大功成事も、定正一身之譽〈と〉聞カ、されば朝々暮々不老若祗候之者共、或及禮、或懸情之詞、累年過來候、〈○中略〉
一先段如書載油斷者、少〈も〉不叶候、豆州越州兩國之中不思儀廻行、其内調上州武州相州三ケ 國靜謐候者、他國へ打越、抛身於溝壑、可骸路頭事不痛、片時〈も〉一二ケ州無爲之刻、成安堵之 思、自隣州懸計儀之段、末代之恥辱與被思、可他國、爲山野住所甲胃成枕、一夜陣〈にも〉自 身結繩取鍬、夜中甲おぬがず、終夜馬背明夜、如此朝良至勢者、何之あやまちかあらん、申遣 候子細者、如存如連々病者也、就中去今兩年、殊之外節々心地相煩、命可明日心中無之候間、返 返重説耳、他見之嘲恥入計候、謹言、
延德元年三月二日 定正
曾我豐後守殿

〔甲陽軍鑑〕

〈十二/品第三十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0215 信玄〈○武田〉分別の事に、總別五年已來より此煩大事と思ひ、判をすへをく抵八百枚にあまり可之と被仰、御長櫃より取出させ、各へ渡し給ひて、仰らるゝは、諸方より使札くれ候ば、返札を此紙にかき、信玄は煩なれ共、未存生ときゝたらば、他國より當家の國々へ手をかくる者有まじく候、某の國取べきとは、夢にも不存、信玄に國とられぬ用心ばかりと、何も仕候へば、三年の間我死たるをかくして、國をゑづめ候へ、〈○中略〉又それがしとぶらひは無用にして、諏 訪の海へ、具足をきせて、今より三年目の亥の四月十二日にしづめ候へ、信玄のぞみは、天下に旗をたつべきとの儀なれども、かやうに死する上は、結句天下へのぼり仕置仕殘し、汎々なる時分に、相果たるより、只今しゝて、信玄存命ならば、都へのぼり申べきものをと、諸人批判は大慶なり、就中弓箭之事、信長家康果報のつよき者共と、取合をはじめ候故、信玄一入はやく命縮と覺たり、〈○中略〉かまへて四郎合戰數奇仕るべからず、〈○中略〉信玄わづらひなりといふ共生て居たる間は、我持の國々へ、手ざす者は有間敷候、三年の聞ふかくつゝしめとありて、御めをふさぎ給ふが、〈○下略〉

〔吉川家譜〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0216 弘治三年丁巳、〈○中略〉元就公ヨリ隆元公、元春公、隆景公へ御敎訓書ヲ賜フ、
尚々忘申事候ば、重而可申候、又此狀、字など落候て、てにはちがひ候事もあるべく候、御推量め さるべく候べく候、
一三人心持之事、今度彌可然被申談候、誠千秋萬歲太慶此事候べく候、
一幾度申候而茂、毛利と申名字之儀、涯分末代までもすたり候はぬやうに、御心がけ御心遣肝心 までにて候、
一元春隆景之事、他名之家を被續事候、雖然是者誠のとうざの物にてこそ候へ、毛利之二字あた おろかにも思召御忘却候ては、一圓無曲事候、中々申もおろかにて候べく候、
一雖申事舊候彌以申候、三人之半少にても、かけこへだても候はゞ、たゞ〳〵三人御滅亡と可 思召候べく候、餘之者には取分可替候、我等子孫と申候はん事は、別而諸人之にくまれを可蒙 候間、あとさきにてこそ候へ、一人も人はもらし候まじく候、縱又かゝはり候ても、名をうしな い候て、一人二人かゝり候ては、何之用にすべく候哉、不申候、
一隆元之事者、隆景元春をちからにして、内外樣共に可申付候、於然者何之子細あるべく候や、 又隆景元春事者、當家だに堅固に候はゞ、以其力家中々々は如存分申付候べく候唯今い かにいかに我々が家中々々如存分申付候共、當家よはく成行候は、人の心持可相替候條、兩人 におゐても此御心もち肝要候べく候、
一此間も如申候、元春隆景ちかひの事候共、隆元ひとへに〳〵以親氣、毎度かんにんあるべく候 べく候、又隆元ちがひの事候共、兩人の事は御したがひ候はで不叶順儀候べく候、兩人之御事 は、爰元に御入候はゞ、まことに福原桂などうへしたにて、何と成とも、隆元下知に御したがひ 候はで叶間じく候間、唯今如此候とても、たゞ〳〵内心には此御ひつそくたるべく候べく候、一孫之代までも、此しめしこそあらまほしく候、左候はゞ三家數代を可保之條、かやうにこそ あり度は候へ共、末世之事候間、其段までは及なく候さりとては、三人一代づゝの事は、はたと 此御心持候はでは、名利之二つ可失候べく候、〈○中略〉
一元就事廿之年、興元にはなれ申、至當年于一レ今迄四十餘ケ年、其内大浪小浪洞他家之弓矢いかばか り轉變に候哉、然處元就一人すべりぬけ候て、如此之儀不思議不申候身ながら、吾等事けな 氣者、とうほねものにても、智惠才覺人に越候老にても、又正直正路者にて、人にすぐれ神佛の 御まぼりあるべき者にても、何之條にてもなく候處ニ、かやうにすべりぬけ候事、何之段にて 候共、更身ながら不推量候べく候、然間はやく心安ちと今生之うくをも仕、心靜に後世之ね がひをも仕度候へ共、其段も先ならず候て不申候べく候、
一我等十一之年、土居に候つるに、井上古河内守所へ、客僧一人來候而、念佛之大事を受候とて催 候、然間大方殿御出候、而御保候、我等も同前に十一歲にて傳授候而、是も當年之今に至まで、毎 朝多分呪候、此儀は朝日をおがみ申候て、念佛十篇づゝとなへ候へば、後世の儀者不申、今生 所禱此事たるべきよし受候つる、又我々故實ニ今生のねがひをも御ぼえ申候、もし〳〵かや うの事、一身之守と、成候やとあまりの事に思ひ候、左候間御三人之事も、毎朝是を御行候へか しと存候べく候、日月いづれも同前たるべく候哉候べく候、
一我等事不思儀に嚴島を大切に存る心底にて、年月信仰申候、さ候間初度に折敷はたにて合戰 之時も、旣はや合戰に及候時、自巖島石田六郎左衞門御久米卷數を捧げ來候條、さては神變と 存知、合戰彌すゝめ候て勝利候、其後嚴島要害爲普請、我等罷渡候處に、存外なる敵舟三艘與風 來候て、及合戰數多討捕頸、要害之麓にならべおき候、其時我等存當候、さては於當島彌可大 利奇瑞にて候哉、元就罷渡候時、如此之仕合共候間、大明神御加護も候と心中安堵候つ、然間嚴 島を皆々御信仰肝要本望たるべし
一連々申度事由候、今度之次に申候にて候べく、候是より外に我々腹中何にても候へ、候はず候、 たゞ是まで候べく候、次ながら申候て本望只事候べく候、目出度候べく候、恐々謹言、
霜月廿五日 元就〈御判〉
隆元 隆景 進之候 元春

〔常山紀談〕

〈十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0218 小早川隆景遺訓して、輝元〈○毛利〉を諫められし中に、毛利家五十餘郡を領し富貴誠に溢れたりといふべし、此より後、苟にも國を貪る心あらば(○○○○○○○○○○○)、忽滅ぶべきよと(○○○○○○○)、いましめられし(○○○○○○○)に、輝元、隆景の戒を忘れ、果して國を削られたりき、

〔藩翰譜〕

〈十上/小出〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0218 初め太閤〈○豐臣秀吉〉小出播磨守秀政、片桐市正且元を以て、秀賴の御榑になさる、薨じ給はん際に臨て、彼の二人を御枕近く沼されて、いかに汝等承れ、吾家の天下は、我一日も世に在らん程ばかりぞ、吾失せなん跡は、亡びんこと遠きにあらず、斯く世に在らん程、我家亡びざらん事を計らんとするに、本朝の災また立所に在りぬべし、彼を思ひ此を計るに、此七年が程、朝鮮を討ち、大明と戰ひ、兩國に仇むすびし事こそ、吾が一生の不覺なれ、我なくなりなん後彼國に向ひし 十餘萬の軍勢、生て歸らんこと、思もよらず、夫れも亦希有にして、免て歸り來る事こそ有るべけれども、あやしの鳥獸も、仇を忘れぬは、生ける者の習ひなり、ましてや大國の君臣をや、など此年月の仇報はんと思はざらん、さなきだに、元の壯祖の本朝を討んとせしこと、遠き鑒にあらずや、其時に至て、秀吉が後、誰あつてか本朝の動き無らん樣を計るべき、只德川の内府こそ、此事には堪へぬべけれ、此人若し本朝の大勳を致されんには、〈○中略〉天下自ら彼家風に歸しなまし、物の心をも分たぬ輩が、なまじひに秀吉が私の恩忘れかねて、幼き秀賴を主になし立んなど計て、彼家と天下を爭そはんとせんには、我家自ら亡びんこと、踵を廻すべからず、〈○中略〉汝等、我世繼の絶えざらんことを思はゞ、相構へて此人に能く隨て、秀賴が事惡しう思はれの樣にすべし、さらば又我が世嗣絶えざらん事もありぬべし、此事ゆめ〳〵忘るゝこと勿れと仰せ置かる、

〔常山紀談〕

〈十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0219 慶長十九年、票田孝隆入道如水、病重く成て、子の甲斐守〈○長政〉をよび、〈○中略〉紫のhttps://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01775.gif (フクサ)に包みたる草履片足に木履片足取出し、軍は萬死に入て一生にあふ習ひなり(○○○○○○○○○○○○○○○○)、十全を思慮しては叶ふまじ(○○○○○○○○○○○○)、たとへば草履木履をはきたるごとく(○○○○○○○○○○○○○○○○)、二ツものかけの軍をする心得せられよ(○○○○○○○○○○○○○○○○)、汝は才智有て先の事を豫め料る故に、大功はゆめ〳〵叶ふまじ、偖めんつと云物は飯を盛ものよ、上天子より下百姓に至るまで、一日として食物なくては、世にながらふる者はなき事なり、國を富し士卒を强うするの根本一大事、此飯入にあり、必わするべからず、かゝる故に此めんづを、かたみに參らすといはれけり、

〔淸正記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0219 淸正侍從に任じ、肥後守と改られし其後は、方々の書狀抔には、肥後守と認られ、何ぞ後 代迄も殘るべき物には、主計頭と被書しかば、まして遺言の書(○○○○)にも主計頭とのみ書れし也、
淸正家中へ被申出七ケ條
大身小身によらず侍共可覺悟條々 一奉公之道、油斷すべからず、朝辰之刻起候而、兵法をつかひ、食をくひ、弓を射、鐵炮を打、馬を可乗 候、武士の嗜能ものには、別而加增可遣事、
一慰に可出と存候はゞ、鷹野、鹿狩、相撲、ケ樣之儀に而可遊山事、
一衣類之事、木綿紬の間たるべし、衣類に金銀をついやし、手前不成者可曲事候、不斷に身上相 應に武具を嗜み、人を可扶助、軍用之時は金銀可遣候事、
一平生傍輩つき合、客一人亭主壹人之外、咄申間敷候、食は黑飯たるべし、但武藝執行之時は、多人 數可出合事、
一軍燈法、侍之可存知事、不入事に美麗を好む者可曲事
一亂舞方一圓停止たり、太刀を取れば人を切らんと思ふ、然上は萬事は、一心のおき所より生る 物にて候間、武藝の外、亂舞稽古之輩、可切腹事、
一學文之事可情、兵書を讀、忠孝之心懸專用たるべし、詩聯句歌をよむ事停止たり、心にきやし や風流なる、てよわき事を存候へば、いかにも女のやうに成ものにて候、武士の家に生れてよ りは、太刀刀を取て死る道本意也、常々武道吟味せざれば、いさぎよき死は仕にくきものにて 候間、能々心を武士にきざむ事肝要候事、
右之條々晝夜可相守、若右之ケ條難勤と存輩於之者、暇を可申、速に遂吟味、男道不成者之驗 を付可追放事、不疑、依如件、
加藤主計頭淸正在判
侍中

〔島井文書〕

〈坤〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0220 宗室老德左衞門へ異見狀
生中心得身持可分別事 一生中いかにも貞心りちぎ候はんの事不申、親兩人、宗悦兩人、兄弟、親類、いかにもかう〳〵む一つまじましく、其外智音之衆、しせん外方之寄合にも、人をうやまいへりくだり、いんぎん可仕 候、びろうずいゐのふるまいをも仕まじく候、第一うそをつき、たとい人のゝしりきかせたる 事成共、うそに似たる事少も申出事無用、總て口かましく言葉おゝき人は、人のきらふ事候、我 ためにもならぬ物に候、少も見たる事知たる事成共、以來せうせきと成事は、人之尋候共申ま じく候、第一人のほうへん中言などは、人の申候共、返事も耳にもきゝ入るまじく候、
一五十に及候まで、後生ねがひ候事無用候、老人は可然候、淨土宗禪宗などは可然候ずる、其外は 無用候、第一きりしたんに、たとい道由宗悦いか樣にすゝめられ候共、曾以無用候、其故は十歲 に成候へば、はやしうしだてをゆい、つらきそ、ぬるきそとゆい、後世だて候て、日を暮し、夜をあ かし、家を打すて、寺まいり、こんたすをくびかけ、面目に仕候事、一段みぐるしく候、其上所帶な げき候人の、第一之わざはひに候、後生今生のわきまへ候てゐる人は、十人に一人も稀なる事 候、此世に生きたる鳥類ちくるいまでも、眼前のなげき計仕候、人間もしやべつなき事候間、先 今生にては、今生の外聞うしなわぬ分別第一候、來世之事は、佛祖もしらぬと被仰候、況凡人之 知る事にて無之候、相かまいて後生ざんまい、及五十候まで無用たるべき事、〈付人は二三十共にても死候、不四十五十死候て、後生如何と可存候、其時は二三十に死たると可存、二三十は後生不存也、〉
一生中ばくち、双六總別かけのあそび無用候碁將棊、平語、うたひ、まいの一ふしにいたるまで、四 十までは無用候、何たるげいのう成共、五十にてくるしからず候、松原あそび、川がり、月見、花見、 總て見物事、更以無用候、上手のまい等、上手の能などは、七日のしばいに、二日計はくるしから ず候、縱佛神にまいり候とも、小々一人にて參候へ、慰がてらには佛神もなうじう有まじき事、一四十までは、いさゝかの事も、ゑようなる事無用候、總て我ぶんざいゟ過たる心もち身持に一 段惡事候、倂商事れうそくまうけ候事は、人にもおとらぬやうに、かせぎ候ずる專用候、それさ へ以、唐蠻にて、人のまうけたるを、うら山敷おもひ、過分に銀子もやり、第一船をしたて唐南蠻 にやり候事、中々生中のきらい事たるべく候、五〆目一貫目つゞも、宗悦などの中にまで遣候 事は、宗悦次第候、それも貳貫目ならば、二所三所にも遣候へ、一所には無用候、其外之事何事も、 我ぶんざいの半分ほどの身もち、其内にも可然候、たとい世は餘めり入たるは惡候間、少はさ し出候へと、人の助言候共、中々さし出まじく候、及五十候までは、いかにもひつそく候て、物ず き、けつこうずき、茶のゆ、きれいずき、くわれいなる事、刀わきざしいしやう等、少もけつこうに て目に立候は、中々無用、第一武具更以不入事候、たとい人より被下たるいしやう刀成共、賣候 て、銀子になしてもち候べく候、四十まで木綿き物、しぜんあら糸ふし糸の織物などの少もさ し出候はで、人のめにたゝぬきる物はくるしからず候、家もしゆりゆだんなく、かへかきもな わのくちめ計ゆいなをし候へ、家屋敷作候事、曾以無用候、及五十候ては、其方れうけん次第候、 何たる事に付、我ちからの間來候ては、如何樣にも分別たるべく候、それとても多分之人、皆死 する時にびんぼうする物候、我ちから才覺にて仕出し候ても、死期に戍候まで、もちとゞけた る人は、十人廿人に一人もなき事候、況親よりとり候人、やがてみなになし、後にびんぼうのき わに死するものにて候、其分別第一候事、
一四十までは、人をふるまい、むさと人のふるまいに參まじく候、一年に一度二度、親兄弟親類は 申請、親類中へも可參候、それもしげ〳〵と參候ずる事無用候、第一夜ばなし計事、とかく慰事 に兄弟衆よび候共、參まじき事、
一人の持たる道具、ほしがり候まじく候、人より給候共、親類衆之外之衆のを、少ももらい取まじ く候、我持たる物も出し候まじく候、よき物はたしなみ置、人にも見せ候まじく候事、 一生中知音候ずる人、あきないすき、所帶なげきの人、さし出ぬ人、りちぎ慥なる人、さし出す心持 よくうつくしき人には、ふかく入魂もくるしからず候、又生中智音仕まじき人、いさかいから の人、物とりぬ候人、心底あしくにくちなる人、中言をゆふ人、くわれいなる人、大上戸、うそつき、 官家ずきの人、つとう、しやみせん小うたずき、口かましき人、大かたかやうの人に、同座にも 居まじき事、付平法人、
一生中むだと用もなき所へ出入、よそあるき無用候、但殿樣へ、しぜん〳〵何ぞ御肴之類不珍候 共、あわび鯛左樣之類成共、新をもとめさし出可申候、井上周防殿、小川内藏殿へは、是又しぜん 可參候、其ほかは年始歲暮各なみたるべく候、とかく内計に居候て、朝夕かまの下の火をも、我 とたき、おきをもけし、たき物薪等もむたとだかせ候は蹌やう候、家の内うら等、ちりあくた成 共取あつめ、なわのきれちりのみじかきは、すこしきらせ、ちりもながきはなわになわせ、きの きれ竹のおれ五分まではあつめ置あらはせ、薪かゞり燒物にも可仕候、紙のきれは五分三分 も取あつめ、すきかへしに可仕候、我々仕たるやうに分別、いさゝかの物もつゐへにならぬや うに可仕事、
一常住薪、たき物、二分三分のざつこ、いわし、あるひは町かい、濱の物、材木等かい候共、我と出候て かい、いかにもねきりかい候て、其代たかきやすきを能おぼへ、其後には誰にかはせ候ても、其 代のやすきたかきを、居ながら知る事候、さ候へば、下人にもぬかれ候まじく候、壽貞は生中、薪 燒物われと聖福寺門之前にて被買候、人の所帶は、薪すみ油と候へ共、第一薪が專用候、たきや うにて過分ちがい候べく候、めししるはいかほどもわれとたきおぼへ、いかほど成共、其分下 女に渡候てたかせ候へ、但壹月にいかほどのつもりさん用候ずる事、但たき候たき物も、なま しきとくちたるが惡候、ひたる薪をかい候へ、薪右柴はぎこきの類が可然候、柴などゟかや燒 物が德にて候、酒を作、みそをにさせ候にも、米一石に薪いかほどにてよきと、われとたきをぼ え、薪何把とけし炭いかほどゝ、けしをぼえ候て、其後其さん用でたかせ、すみをもけさせ、請取 候べく候、いづれの道にも、我としんらう候はずは、所帶は成まじく候事、
一酒を作り、しちを取候共、米は我ともはかり、人に計らせ候とも、少も目もはなさず候て可然候、 かたかげにて何たる事もさせまじく候、下人下女にいたるまで、皆々ぬす人と可心得候、酒作 候てかし米置候所を、作じやうとさしこわいもぬすむ物候、さまし候時ゆだん仕まじく候、し ちを取候て、させらぬ刀、わきざし、武具以下、家やしき、人の子供、させらぬ茶の湯道具、田地など 不申、總別人共あまためしつかい候事無用候、第一女子多く置候事無用候、女房衆あるかれ 候共、下女二人おとこ壹人の外曾以無用候、其方子共出來候は、いしやうなどうつくしき物き せ候まじく候、是又よ所にあるき候其、おりに下女人相そへ、あるかせ候へ、さしかさ、まほく 刀等もたせ候事、中々無用候、ちいさきあみがさこしらへ、きせあるかせ候べく候事、
一朝夕飯米、一年に一人別壹石八斗と定り候へ共、多勞むし物、あるひは大麥くわせ候べくは、一 石三斗四斗にもいまし候べく候、みそは壹升百人あてに候へ共、多くて百十人ほどにても一 段能候、鹽は百五十人にて可然候、多分のかみそ五斗、みそ無油斷こしらへくわせ候へ、朝夕み そをすらせ、能くこし候て汁に可仕、其みそかすに鹽を入、大こん、かぶら、うり、なすび、とうぐわ、 ひともじ何成共けづり、くすへたかわのすて候を取あつめ、其みそかすにつけ候て、朝夕の下 人共のさいにさせ、あるひはくきなどは、しぜんにくるしからず候、又米のたかき時は、ぞうす いをくわせ候へ、壽貞一生ぞうすいくわれたると申候、但ぞうすいくわせ候も、先其方夫婦く ひ候はでは不然候、かさにめしをもりくい候するにも、先ぞうすいをすゝり候て、少成共く ひ候はずは、下人のをぼえも如何候、何之逍にも其殍別專用候、我々母などもむかしは皆其分 にて候つる、我らも若き時、下人同前のめし計たべ候つる事、〈付あぢすき無用事、大わたぼうし無用事、〉
一我につかい殘たるものをとらせ候て、宗悦へ預け、如何樣にも少づゝ商事、宗悦次第に可仕候、 其内少々請取、所帶に少も仕入、たやすきかい物も候は、かい置候て、よ所へ不遣、商賣あるひは しちを取、少は酒をも作候て可然候、あがり口之物にて、たかきあきない物、生中かい候まじく 候、やすき物は當時賣候はねども、きづかいなく物候、第一しちもなきに、少も人にかし候まじ く候、我々遺言と申候て、知音親類にもかしまじく候、平戸殿などより御用共ならば、道由宗悦 へも談合候て、可御用候、其外御家中へは少も無用候、
一人は少成共、もとで有時は、所帶に心がけ、商賣無油斷、世のかせぎ專すべき事、生中之役にて候、 もとでの有時は、ゆだん候て、ほしき物もかい、仕度事をかゝさず、万くわれいほしいまゝに候、 やがてつかいへらし、其時にをどうき後くわいなげき候ても、かせぎする便もなく、つまじく 候ずる物なぐ候ては、後はこつじきよりはあるまじく候、左樣の身をしらぬうつけものは、人 のほうこうもさせず候、何ぞ有時よりかせぎ商、所帶はくるまの兩輪のごとくなげき候ずる 事專用候、いかにつまじく袋に物をつめ置候ても、人聞の衣食は調候はで不叶候、其時は、取出 つかひ候はでは叶まじく候、武士は領地より出候、商人はまうけ候はでは、袋に入置たる物、卽 時に皆に可成候、又まうけたる物を、袋にいかほど入候其、むだと不入用につかいへらし候て、 底なき袋に物入たる同前たるべく候、何事其分別第一候事、
一朝は早く起候て、暮は則ふせう候へ、させらぬ仕事もなきに、あぶらをついやし候事、不人事候、 用もなきに夜あるき、人の所へ長居候事、夜るひるともに無用候、第一さしたてたる用は、一刻 ものばし候はで調候へ、後に調はざる、明日可仕と存候事不謂事候、時刻不移可調事、
一生中身もちいかにもかろく、物を取出など候ずるにも、人にかけず候て、我と立居候ずる事 などにて候、かけ硯、こた袋等、われとかだけ候へ、馬にものらず、多分五里三里徒にて、とかく商 人もあよみならひ候て可然物候、われら若き時馬に乘たる事無と、道のりいかほどゝをぼえ、 馬ちんいかほど、はたごせん、ひるめしの代、船ちん、そこ〳〵の事書付をぼえ候へば、人を遣候 時、せんちん、駄ちん、つかいを知る用候、宿々の丁主の名までおぼえ候ずる事、旅など候人の商 物事傳候共、少も無用候、無餘儀知音親類不遁事ならば不是非候、事傳物も少も賣べき、買べ き、仕まじき事、
一いづれにてもしぜん寄合時、いさかい口論出來候は、初めよりやがて立退、早々歸り候へ、親類 兄弟ならば不是非候、けんくわなど其外何たる事、むつかしき所へ出まじく候、たとい人の 無鱧をゆいかけ、少々ちじよくに成候ともしらの體にて、少の返事にも及候はで、とりあいま じく候、人のひけうものおくびやうものと申候共、宗室遺言十七ケ條之書物そむき候事、せい し之罰如何候由可思事、
一生中夫婦中いかにも能候て、兩人おもいあい候て、同前所帶をなげき、商賣に心かげ、つゝまじ く無油斷樣に可仕候、二人いさかい中惡しては、何たゐ事にも情は入まじく候、所帶はやがて もろくくつれ候ずる事、又我ら死候は、則其方名字をあらため、神屋と名乘候へ、我々心得候て 島井は初之一世にて相果候、但神屋不名乘候て、前田と名乘候てくるしからず、其方衣第候事、 〈付何事に付ても、病者にては成まじく候、何時成共年中五度六度不斷灸治、藥のみ、候ずる事、〉
以上
右十七ケ條之内、爲一非宗室用候、其方麹生中守遺言候、夫弓矢取之名人は、先まくべき 時之用心手だてを第一に分別を極め、弓矢を被取出との事候、縱まけ候ても、我國をも不 失、人數をもうたせず候、無思藁之武士は、少も無其分型むだと人之國をも取べきと計心 得取かゝり、まけ候へば、持たる國まで被取、身をも相果と申候、つれ〴〵ぐさに、双六之上 手の手だてに、かたんと打べからず、まけじと打べしと書置候、是其理也、其方事先所帶を つまじく、夜日心がけ、其上にて商賣無油斷可仕候、若ふと總銀子もうしない候共、少成共 所帶に仕入殘たる物にて、又取立候事も可成候、銀子まうけ候ずると計心得、少もしよた いに不殘、ほしき物をもかい、仕度事をも存分のまゝ調候は、一日之内に身上相果可申候、 とかく先すりきりはて候ずる時の用心分別專用也、双六上手之手だておもひあわせ候 へ、乍恐右之十七ケ條爲其方には、太子之御憲法にもおとりまじく候、毎日に一度も二度 も取出令披見、失念候まじく候、於同心此内一ケ條も、生中相違仕まじきと、實印之うらを かへし、誓紙候て可給候、拙之死候は、棺中に入べきため也、仍而遺言如件、
慶長拾五年〈甲戌〉正月十五日 虚白軒
宗室〈花押〉
神屋德左衞門どのへ

〔良將達德鈔〕

〈十上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0227 一細川越中守忠興家臣松井佐渡守、有吉賴母介、大剛の兵にて、午角の兩家也、松井佐渡守末期に、及び遺言に、士は武道一通がよし、其いは、れは、我歌道茶湯辨舌公儀よき故に、武邊は脇になりたり、場數は有吉に二度多けれ共、世間にては、公儀分別は松井佐渡守、武邊は有吉賴母と云と聞、唯士は有吉がごとく、武道計にて、其外は無調法なるがよしと、申候きなり、

〔備前老人物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0227 一吉村又右衞門は、人のしりたる武勇の人也と申しき、中國へ罷下らんとせしころ、暇乞とて夜中に來れり、又いつあふべきもしるべからずなどいひて、酒飮て、過し事ども心しづかに語ふ、いまは夜深ぬざらばとて立かへるほどに、門のぞとまで送りて、命あらば又ぞやあふといつて、たちわかれんとせしに、〈○中略〉今すこし送れよといひて、二三町ばかりかたらひゆく に、吉村いひけるは、人の終らんとする時、かならず一言をのこすもの也といへり、我老たり、これ今生の御暇乞なるべし、その方年わかし、相かまへてつらくつなき者に、とほざかるべし、〈○中略〉今はこれまでそ、ざらば〳〵返す〳〵も、命あらばといひて立わかれけり、その時の事、老後の今も忘れがたし、目にある耳にあるがごとし、つらくつなしとは俗語なるべし、たとへば我まゝにして異見をも聽いれず、氣隨なる者をいふとみえたり、

〔文廟令〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0228 文廟薨御之節御遺言之趣
不肯之身、東照宮の神統を承しよりこのかた、天下の政事常に神德に嗣ん事を以て心とす、然るに在世の日短くして、其志の遂ざる事、今に及でいふべき所をしらず、古より主幼て國危き代々を觀るに、其世の人、權を爭ひ黨をたて、其心相和らがずして、相疑によらざるはなし、胡越の人も、舟を同くして水を渡るに、其心を一ツにし、其力を共にする時は、風波の難をもわたるべし、況や今の世の人、當家創業の後、治平百年の間に、相生れ相長となる事、誰かは東照宮の神恩によらざる者あるべき、人々其神恩に報ひ奉り、世の人の爲を存せば、古の主幼て國危き代々の事共を以て、深き戒とすべし、若其志なからんにおゐては、當家の危難といふのみにあらず、尤是天下人民の不幸たるべし、凡天下貴賤大小よろしく相心得べき事に思召者也、
正德二年十月九日 御黑印

〔甘棠篇〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0228 讓封之詞
天明五年二月七日、御隱居〈○上杉治憲〉御願濟の日、治廣公へ進せらるゝの御書を載す、
一國家は、先祖より子孫へ傳へ候國家にして、我私すべき物には是なく候(○○○○○○○○○○○○)、
一人民は國家に屬したる人民にして、我私すべき物には是なく候(○○○○○○○○○○○○)、
一國家人民の爲に立たる君にて(○○○○○○○○○○○○○○)、君の爲に立たる國家人民には是なく候(○○○○○○○○○○○○○○○○○)、 右三條御遺念有間敷候事、
天明五巳年二月七日 治憲
治廣殿〈机前〉

〔配所殘筆〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0229 是者令懷中候迄に候、若死罪にて候ばと存候得ども、別條無之候故、出不申候、此文言立ながら認候而、點を付、令懷中、其以後今日取出候而見申候、急成事故、不宜書樣にも存候、乍恐日本大小神祗一字も、後に改候事は無之候、寔我等辭世之一句にて候、〈○中略〉
今年配所に十年有之、唯今は可天道之とがめを存候て、病中の外、雖一日朝寢を不仕、不作法成體を不致候、此段朝夕之儀、下々まで存候事候、就中磯谷平助能存候、自以前斯心がけ候ゆへ、益も無之候得ども、我等述作の書物は、千卷計有之候、〈○中略〉乍次而我等存寄候學之筋少々記置候、我等事、以前より異朝の書物をこのみ、日夜勤候て、近年新渡之書物は不存候、十箇年以前まで異朝より渡り候書物大方不殘令一覽候、依之不覺異朝の事を諸事よろしく存、本朝は小國故、異朝には何事も不及、聖人も異朝にこそ出來候得ばと存候、此段は我等計に不限、古今の學者皆左樣に心得候て、異朝をしたひ學び候、近頃初而此存知入甚誤なりと知候、信耳而不自、棄近而取遠候事、不是非、誠に學者の通病に候、〈○中略〉
今年は配所〈江〉參、十年に成候、凡物必十年に變ずる物也、然者今年我等於配所、朽果候時節到來と、今に覺悟候、我等始終之事は、所々に書付有之候得共、御念比之御方々も、次第に殘少に成行候間、我等以前よりの成立勤幷學問之心得、能被耳底に、我等所存立候樣に被相勤候事所希候、最初に書候通、我等天道之冥加相叶候て、如此候得共、第一は乍愚蒙日夜相勤候故と被存候、然者各自分の才學、にも可罷成と存、其時御咄し、たとへ物語迄不殘記置候、若輩成者は、如此事迄能覺候事尤候、有他見事にて無之候間文章之前後任筆以、能々被得心、萬助〈○山鹿三郎右衞門〉令成長候ば、利祿能 仕合之願は被差置、子孫迄不義無道之言行無之令覺悟候はゞ、我等生前の大望、死後之冥慮に候條、如此記置、磯谷平助に預置候、仍而如斯候、以上、
延寶第三卯ノ正月十一日 山鹿甚五左衞門判
山鹿三郎右衞門殿
岡 八郎左衞門殿

〔薩藩舊傳集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0230 一濱田民部左衞門入道榮臨は、所々の弓箭に被立、數十度の高名有之候、龍伯樣別て難有被召仕候、依之御一代の約束申上置、慶長十六年七十八歲にて殉死被仕候、其節子孫へ遺言書、左に記す、
世上可嗜條々
一御奉公の筋、氣任申間敷候事、
一身の程しらで、利口申間敷候事、
一うで立、上にみやすまじく候事、
一御役人中へ、そねごと申間敷候事、
一善惡の友達、見合可申候事、
一難儀に候とも、武士道可心掛事、
一大酒すまじき事
一傍輩入魂の筋、取分け申分け間敷候事、
一念比の傍輩とても、内座へ入間敷事、
二月十六日 濱田民部左衞門入道榮臨
C 雜載

〔萬葉集〕

〈五/雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0230 神龜五年七月二十一日、筑前國守山上憶良上、 令惑情歌一首〈幷〉序
或有父母、忘於侍養、不妻子、輕於脱履、自稱畏俗先生、意氣雖靑雲之上、身醴猶在塵俗之中、未修行得道之聖、蓋是亡命山澤之民、所以指示三綱、更開五敎、遺之以歌、令其惑、歌曰、
父母乎(チヽハヽヲ)、美禮婆多布斗斯(ミレバタフトシ)、妻子美禮婆(メコミレバ)、米具斯宇都久志(メグシウツクシ)、余能奈迦波(ヨノナカハ)、加久叙許等和理(カクゾコトワリ)、母智騰利乃(モチドリノ)、可可良婆志母與(カラバシモヨ)、由久幤斯良禰婆宇旣具都遠(ユクヘシラネバウキグツヲ)、奴伎都流其等久(ヌギツルゴトク)、布美奴伎提(フミヌギテ)、由久智布比等波(ユクチフヒトハ)、伊波紀(ハキヨリ)欲利、奈利提志比等迦(ナリテシヒトカ)、奈何名能良佐禰(ナガナノラサネ)、阿米幣由迦婆(アメヘユカバ)、奈何麻爾麻爾(ナガマニマニ)、都智奈良婆(ツチナラバ)、大王伊麻周(オホキミイマス)、許能提羅周(コノテラス)、日月能斯多波(ヒツキノシタハ)、阿麻久毛能(アマグモノ)、牟迦夫周伎波美(ムカブスキハミ)、多爾具久能(タニクグノ)、佐和多流伎波美(サワタルキハミ)、企許斯遠周(キコシヲス)、久爾能麻保良叙(クニノマホラゾ)、可爾迦久爾(カニカクニ)、保志伎麻爾麻爾(ホシキマニマニ)、斯可爾波阿羅慈迦(シカニハアラジカ)、
反歌
比佐迦多能(ヒサカタノ)、阿麻遲波等保斯(アマヂハトホシ)、奈保奈保爾(ナホナホニ)、伊弊爾可弊利提(イヘニカへリデ)、奈利乎斯麻佐爾(ナリヲシマサニ)、

〔萬葉集〕

〈十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0231喩史生尾張少咋歌一首幷短歌
七毋例云
但犯一條、卽合之、無七出輙棄者、徒一年半、三不去云、
七出、不之、違者、杖一百、唯犯姧惡疾得之、
兩妻例云
妻更娶者、徒一年、女家杖一百離之、
詔書云
賜義夫節婦
謹案、先件數條、建法之基、化道之源也、然則義夫之道、情存別、一家同財、豈有舊愛新之志哉、 所以綴作數行之歌、令舊之惑、其詞曰、 於保奈牟知(オホナムヂ)、須久奈比古奈野(スクナヒコナノ)、神代欲里(カミヨヨリ)、伊比都藝家良之(イヒツギケラシ)、父母乎(チヽハヽチ)、見波多布刀久(ミレバタフトク)、妻子見波(メコミレバ)、可奈之久米具之(カナシクメグシ)、都宇世美能(ウツセミノ)、余乃許等和利止(ヨノコトワリト)、可久佐末爾(カクサマニ)、伊比家流物能乎(イヒケルモノヲ)、世人能(ヨノヒトノ)、多郡流許等太氐(タツルコトダテ)、知左能花(チサノハナ)、佐家流沙加利爾(サケルサカリニ)、波之吉余之(ハシキヨシ)、曾能都末能古等(ソノツマノコト)、安沙余比爾(アサヨヒニ)惠美々惠末須毛(エミミエマズモ)、宇知奈氣伎(ウチナグキ)、可多里家末久波(カタリケマクハ)、等己之部爾(トコシヘニ)、可久之母安良米也天地能(カクシモアラメヤアメツチノ)、可未許等余勢天(カミコトヨセテ)、春花能(ハルハナノ)、佐可里裳安良(サカリモアラ)〈○萬葉集略解云、多下恐脱牟等末三字、〉多之家牟等吉能沙加利曾波(タシケムトキノサカリゾサカリ)〈○波恐放〉居氐(井テ)、奈介可須移母我(ナゲカスイモガ)、何時可毛(イツシカモ)、都可比能許牟等(ツカヒノコムト)、末多須良無(マタスラム)、心左夫之苦(コヽロサブシク)、南吹(ミナミフキ)、雪消益(ユキゲハフリ)〈○益恐溢誤〉而(テ)、射水河(イミヅガハ)、流水沫能(ナガルミナワノ)、余留弊奈美(ヨルベナミ)、左夫流其兒爾(サブルソノコニ)、比毛能緖能(ヒモノヲノ)、移都我利安比氐(イツガリアヒテ)、爾保騰里能(ニホドリノ)、布多理雙坐(アタリナラビ井)、那呉能宇美能(ナゴノウミノ)、於伎乎布可米天(オキヲフカメテ)、左度波流(サドハセル)、伎美我許己呂能(キミガコヽロノ)、須敝母須弊奈佐(スベモスベナサ)、 言佐夫流者、遊行女婦之字也、
反歌三首
安乎爾與之(アヲニヨシ)、奈良爾安流伊毛我(ナラニアルイモガ)、多可多可爾(タカタカニ)、麻都良牟許己呂(マツラムココロ)、之可爾波安良司可(シカニハアラジカ)、
左刀妣等能(サトビトノ)、見流目波豆可之(ミルメハヅカシ)、左夫流兒爾(サブルコニ)、佐度波須伎美我(サトハスキミガ)、美夜泥之理夫利(ミヤデシリブリ)、
久禮奈爲波(クレナ井ハ)、宇都呂布母能曾(ウツロフモノゾ)、都流波美能(ツルバミノ)、奈禮爾之伎奴爾(ナレニシキヌニ)、奈保之可米夜母(ナホカシメヤモ)、
右五月十五日、守大伴宿禰家持作之、

〔萬葉集〕

〈十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 慕振勇士之名歌一首幷短歌
知智之實乃(チチノミノ)、父能美許等(チヽノミコト)、波播蘇葉乃(ハハソバノ)、母能美己等(ハヽノミコト)、於保呂可爾(オホロカニ)、情盡而(コヽロツクシテ)、念良牟(オモフラム)、其子奈禮夜母(ソノコナレヤモ)、大夫夜無奈之久可在(マスラヲヤムナシクアルベキ)、梓弓(アヅサユミ)、須惠布理於許之(スエフリオコシ)、投矢毛知(ナグヤモチ)、千尋射和多之(チヒロイワタシ)、劔刀(ツルギダチ)、許思爾等理波伎(コシニトリハキ)、安之比奇能(アシビキノ)、八(ヤツヲフミコエ)峯布美越、左之麻久流(サシマクル)、情不障(コヽロサハラズ)、後代乃(ノチノヨノ)、可多利都具倍久(カタリツグベク)、名乎多都倍志母(ナヲタツベシモ)、
反歌
大夫者(マスラヲハ)、名乎之立倍之(ナヲシタツベシ)、後代爾(ノチノヨニ)、聞繼人毛(キヽツグヒトモ)、可多里都具我禰(カタリツクガネ)、
右二首、追和山上憶良臣作歌

〔拾芥抄〕

〈下本/諸敎誡〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 吉備大臣私敎類聚目錄
第一略示内外事〈内外五戒 一不殺生 二不倫盗 三不婬欲 四不妄語 五不酒外敎五常 仁不殺 二義不盜 三禮不邪 四智不妄 五信不亂〉
第二略示文籍事 第三仙道不用事 第四人生變化事 第五人道大意事
第六不殺生事 第七不盜事 第八不姧婬事 第九不妄語
第十不醉亂事 第十一可忠孝事 第十二可信忠事 第十三可佛法
第十四可言語事 第十五過則必改事 第十六思後可行事 第十七不愚夫事 第十八莫他家事 第十九可交遊事 第廿可忿情事 第廿一可飮食事 第廿二可身行事 第廿三不奢侈事 第廿四莫兩妻
第廿五可販鬻事 第廿六不愽奕事 第廿七世俗禁忌事 第廿八任身禁忌事 第廿九房中禁忌事 第卅世俗愚行事 第卅一莫詐巫事 第卅二不https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00023.gif事 第卅三莫音聲事 第卅四可巫占事 第卅五可醫方
第卅六可https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00900.gif 事 第卅七可文事 第卅八可弓射事〈○中略〉
小野宮右府〈○實資〉説
一念誦 二不三寶 三食
人保此三事永可天年云云
源信僧都四十一箇條起請
重禁制條條
一設雖心事、思忍不嗔恚、 一設雖良緣、堅思忍全不女犯
一無慚不信徒、不信施、 一不好云他人好惡
一以不堪身、敢不物、 一聖敎御前、不無禮、 一可思禁妄語 一奉讀經間、以遲口急讀
一不親疎人 一丁寧忍俗、敢不追從
一不洛陽常住之思 一不見物
一雖病、不魚類、 一與惡友
一唯爲名利聖敎、必廻向無上菩提、 一雖少々損、不於人
一向堂塔不淨 一人常可芳心
一人群集處、無指事推參、 一人物借、早可之、
一下人無禮、不見入聞入、 一不慮外罪、隨作卽可懺惟
一貧賤强、不美服美食、 一雖惡徒者、不打縛之、
一不讒言幷中言 一不用他人物、親間雖借用、早速可之、
一全可多言戲咲 一與人全不口論
一朝讀經、暮念誦、不闕怠、 一以不屑〈○屑一本作肖〉才智、不問答論議
一智識者可緣 一乍立不小便一雖麁食、不嫌可食、 一行住坐臥、可滅罪之思
一晝夜常所憶善惡事、於善彌增長、於惡堅固悔之、 一乞食來時、無厭可施、
一念誦讀經之間、不威儀、 一亥子寅此三時可寢、自餘不眠、
一於萬、事藏之 一不https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01756.gif (アリシラシ)、況餘生類哉、
一見聞諸功德、不誹謗
已上四十一箇條、可眼精矣、

〔澀柿〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0234 文覺上人消息 かさねての仰委承候ぬ、御返事は先に申て候へども、猶同じ事を申候也、返々も故大將殿〈○賴朝〉の仰をうけたまはるとおぼえ喉て、忝哀にこそ覺候へ、御祈の事は、〈○中略〉仰なき先より安穩におはしまぜと、念願する事にて候、但德を行、善を好む人にとりて、祈はかなふ事にて候、不義に振舞家には、いかなる祈も不叶候也、不義とは無道に物の命を斷、酒にめで財にふけり、歡樂して明し暮すほどに、人の歎もしらず、國の安からぬを、かへりみざるを申事にて候、德とも善とも申候は、佛法をあがめ、王法を重じ、世をすくひたすけはぐゝむ心也、あやしの賤男、賤女、百姓、萬民にいたるまで、萬の物に父母のごとくに、たのまるゝ心ばへをもちたるを申候也、かやうの心づかひはなくて、放逸不思議成が、さすが我身をたもたばやとおもふ人、僧侶にあつらへ、諸道に仰て、祈請するを、僧侶も可然仰蒙たりとて祈申す、まして外法の諸道は、云に不及、たのもしげに申て、祈たれども、其檀那よからざれば、あへて感應なく、かへて惡候也、さ候へば、僧もおんやうしもしつらひたる心なくて色代せず、有の儘にさは〳〵と候はん者に、御祈を仰付て、御身のとがをも聞召て、押直々々してそよく候べき、御身のをさまらずして、只祈と計にては、あやうき事にて候、殿の御身は、日本國の大將軍にておはします、されば祈申さん者も、廣大正直の心を以、努々千秋萬歲して、空ほめし奉らぬ無双の强者の、しかも慈悲あらんが、御祈の師には可相應候也、總而は君を守たてまつり、御身を祈んと、おぼしめさば、先國土を祈、萬民を祈らせ可給候、祈は人の身の分際による事にて候、威勢世に蒙らしめず、人にも用られず、さる樣なる者こそ、我身を祈事にて候へ、此道理をしらずして、近代は君も臣も唯身をのみ祈らせ給へば、はか〴〵敷事候はず、佛神の冥慮にも不叶、蒼天の照覽にもたがひ候也、返々も鎌倉殿の御恩にて、無道の愁なげきもなく、邪の禍にもあはぬぞと、萬の人に思はれ、たのまれんとおぼしめせ、左だにも候はゞ、別而御祈候はずとも、伊勢太神宮、八幡大菩薩、加茂春日、皆々嬉しと思召、諸佛諸聖、諸天善神、必々守まいらせさせ給 べき也、〈○中略〉さても近代の樣、人の作行功德も祈も、人目計にて候、眞實の底には、國の費、人の歎のみにて候へば、佛も神もうけさせ給はず候也、佛神は、偏に德と信とを納受して、物により寶を悦ばせ給はぬものと、可知食にて候也、かやうの事の謂を、御意得候て、武家を治、帝王の御守と成、諸人の依怙とならせ給候はゞ、聊もあしく腹くろく思まいらせん者をば、日本國三世の敵にて候はんずれば、其身自然に可滅候、如此委樣をも申ひらかずして、蒙仰を悦として、御氣色をよからんとのみおもひて、佛神の御心をばかへりみおもはず、たのもしげに申な、して、御祈申候はん事は、田地の費と成、庫倉の物のみうせて、御爲も一切、其益有まじく候、却て御怨にて候也、文覺も罪業を受べく候、さる御損をば、いかゞとらせまいらせ候べき、猶々伊勢八幡等の太神善神は、財寶珍物をまいらするには、ふけらせ給候はぬが如く御存知候へ、たゞ心うるはしく身をさまりたる人をまほらせ給候也、〈○中略〉只御祈には、正直慈悲を先として、内典外典其名のうるはしき者に仰て、施物を限らず御祈誓候はゞ、君も御心安く、民百姓も樂候、佛神の擁護も疑有まじく候、主なき所領は有間敷候、夫を神社佛寺に寄進事は、返々神道に可有御背候、是を能々御心得可有候、皇居を守、人民を育ませ給事にて候へば、偏に諸の寺社等を御心中に不忘、破壞顚倒せんをば、限有事に付て、修理可有候、仍此國の民の愁は、うたてしき事にて可有候、大海はくぼきに依て、水たまり候樣に、心うるはしき人の身に、福德は集候、さても〳〵八幡の心、うるはしきものを、まほらんと仰候は、心うるはしきと申候は、帝王攝政將軍の、構て身の樂を思はず、只いかにもして、人をつひやさず、人をくるしめ侘しめず、國土をたのしく安して、寒暑時をあやまたず、飢疫の禍なく、兵亂なく、浪風もたゝず、世間を靜になさんと營給を、心正きとは申候也、返々も殿の御身は武士の德を一も不洩双備と、勵せ給へ、扨君の御敵と成ものは、謀反人にもあらず、無道に人をわびしむる怨人にもあらず、させる罪なからん者をば、構て〳〵ほろぼさじと思食、いたく狩漁をこのみ たのしみて、そゞろに物の命を殺事を、なさせ給そ、物をころさず、物の命を扶を、能將軍とは申候也、然を我身をさまらずして、天下の人に、よき人ともおもはれさせ給はねば、山だち海賊强盜竊盜多くして、絡には國のほろび候也、禁制頻に下、御下知しげく成候へども、彌仰こそかろく成候へ、一人を斬せ給共、惡黨十人に可成候、いよ〳〵こそあしく候はんずれ、是をば我御身の科とは、つや〳〵不思召して、惡黨の科とのみ思召て、捕よ搦よ、うてはれ、召籠よ、籠囹圄に入よくびを切、手足を斷などゝ被仰候はんも心うく候べし、偖後生の罪をば、如何せさせ給べき、全人のする科にてはなし、只我身のをさまらぬ科と、ふかく思召、武家の政道は、いかさまにも物を知て候し人に問し時、よに安しとて、只一口に答へ候しは、的を射に似たりと申候也、是を御心得候へ、是は目出度本文にて候、さて御身だに治候ぬれば、兎あれ角あれとの御いましめもなく、御下知もなく、御敎書も候はねども、あなおそろしとて、自然に國土はおだしく候也、

〔澀柿〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0237 明惠上人傳
秋田城介入道大蓮房覺智語て云、泰時朝臣常に人に逢て語給ひしは、我不肖蒙昧の身たりながら、辭する理なく政を官りて、天下を治たる事は、一筋に明惠上人の御恩也、其故は承久大亂の後、在京の時常に拜謁す、或時法談の次に、いかなる方便を以てか、天下を治る術候べきと尋申たりしかば、上人被仰云、何樣に苦痛顚倒して、一身穩ならざる病者をも、良醫是をみて、これは冷より發たり、是は熱にをかされたりとも、病の發たる根原を知りて、蘂をあたへ、灸を加れば、則其冷熱さり、自病退き身體快がごとし、かやうに國の亂て治がたきは、何に侵さるゝぞと、先根源をよく知給ふべし、さもなくて今日の前にさし當たる罪過ばかりををこなひ、忠賞ばかり沙汰し給はば、彌人の心かたましく、わゝくにのみ成て恥をも不知、前を治ば、後より亂、内をなだむれば、外は恨つきずしてしづまり治べからず、これ妄醫寒熱を不辨して、一旦苦痛の有所を灸し、先彼が願 に隨て猥に藥をあたふるがごとし、忠をつくして療すれ共、病の發たる根源を不知故に倍病惱重て不愈がごとし、されば世のみだるゝ根源は、何よりおこるぞといへば、只欲を本とせり、此欲心一切に變じて、萬般の禍となる也、是天下の大病にあらずや、是を療せんと思ひ給はゞ、先此欲心をうしなひたまへ、天下をのづから勞せずして治るべしと云々、泰時申云、此條最肝要にて候、但我身計は、心の及候はん程は、此旨を堅守べしといへども、人々此無欲にならずば、天下治がたし、如何して此無欲の心を、人毎に持する謀候べきと云々、上人答たまはく、其段はやすかるべし、只大守一人の心によるべし、古人曰、未其身正影曲、其改政國亂と云々、此正といふは無欲也、又云、君子居其室言出、善則千里外皆應之と云々、此善といふも無欲也、只大守一人、實に無欲に成すまし給はゞ、其德にいふせられ、其用に恥て、國家の萬民、自然に欲心うすく成べく、小欲知足ならば、天下やすく治るべし、天下の人の欲心深訴來らば、我欲心のなをらぬゆへぞと知て、我方に心をかへして、我身を恥しめ給べし、彼を咎に行給べからず、縱ば我身のゆがみたる影の水にうつりたるをみて、我身をば正しくなさずして、影のゆがみたるを嗔て、影を咎に行はんとせむがごとし、心ある人のそばにて見て、をこがましく思事也、〈○中略〉されば大守一人の小欲に成給はゞ、一天下の人皆かゝるべしと云々、此敎訓を承しに、心肝に銘じて、深く大願を發し、心中に誓て、此趣を守き、〈○下略〉

〔乳母のふみ〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0238 なにはのことのよしあしをも、おぼしめしわき候はんまでは、うきをもしのびすぐして、御身をさらぬまもりにとこそ、おもひまいらせ候つるに、をのが世々にもなりぬべく候事の、さやは契しとおきふしなげかれ候に、御ふみ見候へば、いさめしものと見えさぶらふこそ、ゐはれにおぼえ候へ、げにさぞおぼし召候らんと、御こゝろぐるしうて、ちかきほどのおもひや、りだになく、都鳥にことゝふたよりも候はぬ身の、かへるなみをのみうらやみて、くもでに思ふこ とたえぬ八はしの、なもうらめしく、わたりもやられ候まじき心のうちに、またおぼしめしなげき候はんずることなどを、おもひつゞけ候へば、いとゞものうくて、大かたいかにもみそぢにあまりてこそ、うるはしく物は、おもひしられ候なれ、はたとせがうちは、なをおもひさだまらぬ事にて候なるを、ましていかにと御心ぐるしく候へども、いくとせつもりたらん人よりも、おとなしく見まいらせ候ほどに、よろつおぼしめしわぐ御事もやとて、御覽じとゞむるふし〴〵もやと、こまかに申候なり、らうたくうつくしき人の、そのかたちの、うきよにならびなく候とも、心さだまらずなど候へば、いたづらごとよと、おんこゝろをそへて、いかにあらまほしくおぼしめす御ことありとも、おのづから人もゝり聞て、もどき所しりぬべからんことは、御心にこゝろを、かたらひて、おぼしめしわすれ候へ、心のまゝなるが返々あしきことにて候、たとへひとのいみじうつらき御事候とも、いうに出て、人に見えんは、はつかしかりぬべきことゝおぼしめして、さらぬかほにてはありながら、さすがにうやとは覺えて、ことすくなゝるやうに、御もてなし候へ、またうれしう御心にあふ事候とも、こと葉にうれしやありがたやなどおほせごとあるまじく候、うきもつらきも、うれしきも、御心に能おぼしめしわきて見え候はんぞ、また人のこゝろのうちなどをとこそありけれ、かゝる心のしてなど、人にもおほせられ、さたする事あるまじく候、御心のうちばかりにて、よくおぼしめしとゞめて、我心身のうへをも、人の事をもおぼろげのひとにうちかたらひ、色見ゆる御ことなど候はで、大かたに何事をも御心のうちばかりにおぼしめしわき候へ、あさはかに物などおほせられ候はんは、あしき事にて候ぞ、さればとて、あまりに上ずびて、にくいけしたるも、わろく候へば、そのほどはわきまへふるまはせ給ひ候へ、何よりも心みじかく、ひきゝりなるが、あなづらはしく、わろき事にて候、なが〳〵と何事もあるやうあらんずらむと、おもひのどめたるが、なだらかによく候、さればとて、大やけわたくしにつけて、いそぐべ からんことを、いふがひなくて、月日ををくり、時をうつされ候はんはわろく候、人にもうちたのまれ、御こと葉をも、まぜたらんことをば、きは〳〵しうすゑとをるやうに、はかなからんことをも、我御身の手をもふれ、いろひたゝせたまひ候へがく申候へばとて、にくいけして、さし過、さがさがしうおもだつさまの御もてなしは、ゆめ〳〵候べからず、たゞおいらかに、うつくしき御さまながらよしあしを御覽じとゞめて、ことよく申よらん人にも、おぼろげにて御心うつさず、またけにくうもてはなれなどせで、大かたにつけて、ひとをはぐゝみ、なさけあるやうに、あはれむはよき事にて候とめるをば、人ごとにうらやみ、おもくするならひにて候、まことにそれほどいかでなくては候べき、なれども御心のうちには、まづしきを、あはれなる物にかずまヘ、おもふがほんたいにて候、たとへば、人のうへをそしりにくみなどしても、しのぶ事をいひあらはし、うちささめきなど、かたへの人の候はんに、露ばかりこと葉まぜさせ、おはしまし候まじく候、あやまりて人はなにとかまうしつる、いかゞなどたづねまいらすること候とも、いざなにとやらんあらのことを、いひしほどに、きかずなりにけりなど、はかなげにおほせられなして、ことざまなる御あひしらひ候べく候、人になさけをかけ、あはれかはすさまの御心むけはあるべく候、しる人ごとにいたづらなるすゞろふみ、しげくかきかはす事、よからぬ事にて候、なべてひとにくからぬもてなしにて、さる物から、とりなしうちとけたるむつごとの、心よせある御しる人には、おぼろげならず、えらびておぼしめしかはすべく候、人の心ほど、うちとけにくう、おそろしきものは候はぬぞ、何のみちに車をくだき、なにの海に舟をうかべたらんよりもと、ふかく申ならはして候へば、よく〳〵やうあるごとくおぼえ候ぞ、かへす〴〵御心得候べく候、我めしつかう人々の中にも、おとなしくさもありぬべからんには、物をもおほせられあはせ、うちたのむやうにあたらせたまひなどして、わかうさいとなからんには、たゞいまにくからぬやうに、おぼしめし候と も、ひたひさしあはせて、御きそくよげに、うちさゝやきたはぶれかはしなどするも、かろ〴〵しぐあなづらはしきことにて候、さやうの御わきまへは、さりともと御心やすく、おもひまいらせて候へども、わかきほどの心は、おもふにつけて、人のもてなしによることも候へば、なをうしろめたきやうにて、これまで申候、また御心むけは、さる事にて、はかなきわざにもとりふれさせたまひ候はんする物ごとによしゐる、さまにとおぼしめし候へ、さすがに上のしなのえらびになりぬる人のすたれうたて、あることは候まじけれども、おなじこともあるにまかせて、こゝろをそへの、やうに候へば、ひさうなきものにて候、そのみすのまへは、くるしきやうにそのわたりは、心にくゝなど、心ときめきせらるゝやうに候へば、人にも所をかれはちらるゝ事にて候ぞかし、〈○中略〉
きの(一本云)内待どのへ 雲ゐはるかにへだつるかたより

〔見聞軍抄〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 深澤村大佛一見の事附平時行事
尊氏公天龍寺を建立し、夢意國師へ歸依し給ふによつて、をしへの狀にいはく、
夢窻國師尊氏將軍へ拾三箇條敎訓狀之事
一慈悲、正直、思案、堪忍、和合爲城、油斷爲敵事、
一尊崇佛神三寶、修造寺社、可家運事、
一隨錄施物、知人間欲、可天道事、
一不主君父母禮義、可忠孝之志事、
一學文書賢仁、可忠言正路事、
一專合戰軍法、以夜繼日、弓馬道可嗜事、
一不貴賤上下、可衆生之輩事、 一書札禮義以下、己不存者可他人事、
一忘自恩、不他恩、不慢心思事、
一讒言思惟、兩舌科疑、可天命事、
一憐民百姓愁、糺臣下猥、可憲法沙汰事、
一辨生死無常因果道理後生菩提事、
一於貧欲、婬欲、殺生欲、衣食欲、勝負欲、見聞欲等樂、可中道事、

〔空華日工集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0242 永和元年七月十三日、府君〈○足利氏滿〉入保壽而燒香、余出迎引入書閣而獻茶、君問治國之政要、余乃白云、凡治天下文武二道也、武則治亂而已、文則爲政之術也、昔唐太宗貞觀之政、至今爲美、其初太宗以弓問弓工、答曰、木心不正、太宗乃召十八學士政事之要、吾日本三代將軍之世、以十八人文士、分爲番、侍幕府之講、無乃擬十八學士乎、然則古今治天下國家、非文武二道、則不可也、凡人爲上者憫下、爲下者敬上、是則非生而知一レ之、以學而知之也、不學而知者未之有也、千萬以學爲政治之備則幸甚爲〈○爲恐焉誤〉府君喜曰、吾雖不敏請事斯語矣、

〔文明一統記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0242 後成恩寺關白〈○一條兼良〉
一八幡大菩薩に御祈念あるべき事
其御祈念有べきことは、賤くも我身征夷將軍の職を蒙りて、おほやけの御かため也、日本國中六十六ケ國を治べき仰をうけ給ることは、前世の宿習といひながら、父母二親の御恩也、但天下を治す、なほなる世にかへさ争むば、其職に有ても詮なかるべし、ねがはくは、八幡大菩薩の御はからひとして威勢を加へせしめ給へと、かくのごとく威勢の事を祈申は、またく我身思さまにふるまはん爲にはあらず、此十餘年、公家武家を始として、僧俗男女に至まで、一所懸命の地を人に奪れ、憂悲苦惱をするを見てける、餘に不便におぼゆる故に威勢だにもあらば、道を道に行んと 思ふによりて、ひとへに御神の冥慮をあふぐもの也、諸國の守護たる人の心向、いかにも穩便になして、慈悲の心をつけ給へ、げに〳〵思なをらずは、忽に冥罰をあたへ給ふべしと也、ふたゝびすなをなる世に立かへらば、今生の願滿足して、後世までも、名將軍といはれん事、人間の思出是に過べからず、倂大菩薩の御はからひに有べしと、毎日に朝とく御手を洗、御口を灌ぎ給ひ、南方に向せ給ひて、至誠心に御祈念有べし、神明世にましますものならば、などか納受し給はざらん、此御心中の趣、世にかくれなくば、つたへ承るものも、一たびは禪慮に恐をなし、一たびは武威を辱思ひて、諸守護の心向も、をのづから持なをして、文明一統の天下に成べきこと、掌をさすがごとくなるべし、〈○中略〉
一政道を御心にかけらるべき事
何事を申ても、おちふす所は、たゞ政道を正しく行はんにはしくべからず、近年寺社の本所領を、無理に押へ、知行せるかた〳〵の、こと猛惡の心を先として、後代の名をも耻辱をも、かへりみざるにや、流石代々忠節奉公をいたせる家にて、忽に先祖の跡をはづかしむること、口惜とも、中々いふ計なし、その身一期の事は、さもこそ侍らめ、子孫を思ふ心のなきは、頗遠慮なきに侍らずや、是によりて、政道のことを指おかるゝ條は、千萬然べからず、けりやう上裁に應せざる人においては、かれら申入事も聞しめし入られざらんが、そのいはれ有ににたり、總別に御心をやすめらるゝ時は、とが有物もなき物も、差異なかるべし、かつうは又、すてばひろはむと申事の侍れば、いかなる野心を存する者も出來すべし、かた〴〵然べからず、此前にもすでに御判初有し上は、もし與奪申されば、御代官としてやすきことなど、御成敗あらんに、何のやうか侍るべき、一方むきのさたは、奉行披露にまかせて、御敎書に御判をすゑられん計也、たとひ又破戒のさた成とも、兩方の訴陳せんことを、たれにても兩三人に仰付られて、批判をせられて、理有方へ付られんも、い とやすき事なるべし、一旦聞あやまり、又見おとしたることなどあらば、越訴をたてゝ申さんとき、あらたあられんこと、是又今はじめたる事にあらず、むかしより有來ことなるべし、萬機の政なれば、一日二日の懈怠だにも然べからず、それを一かうにうち捨られんこと、は、勿體なき事成べし、よく〳〵御思案有べきにや、事多しといへども、筆かぎりあれば大かたはからひ申侍るもの也、
○按ズルニ、一條兼良ノ訓戒ノ事ヲ記セル書ニハ、此他樵談治要、さよのねざめ等ノ著有リ、


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Last-modified: 2022-06-29 (水) 20:06:23