https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0883 諺ハ、コトワザト云ヒ、又譬(タトヘ)トモ世話トモ云フ、古來人ロニ噲炙セル簡單ナル語句ヲ謂フナリ其多クハ敎訓、戒飭等ノ意ヲ寓スルモノナレドモ、又直ニ其意ヲ表出シ、或ハ暗ニ之ヲ諷刺スルアリテ、其形式モ亦一樣ナラズ、而シテ諺ニハ、支那又ハ西洋ヨリ傳來セルモノアリテ、我國所生ノモノト共ニ、遠ク千年ノ昔ニ出デヽ、今日仍ホ使用セラルヽアリ、或時代ニノミ行ハレテ、旣ニ亡ビタルアリ、又其寓意轉々シテ、全ク他ノ意義ニ解セラルヽアリ、近世諺ヲ蒐集セルモノニ、毛吹草、世話支那草、齋東俗談、漢語大和故事、野語述説、諺草等ノ著アリ、今ハ只其著キモノヲ學ゲテ以テ其一班ヲ知ルニ便ゼリ、

名稱

〔類聚名義抄〕

〈五/言〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0883 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00785.gif 、諺、〈直箭反、コトワサ(○○○○)、アタコト、ワサ、〉

〔伊呂波字類抄〕

〈古/人事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0883 諺〈コトワサ、俗言也、〉 呈 語 喭〈已上同〉

〔下學集〕

〈下/態藝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0883 諺(コトワザ)〈同世話之義

〔易林本節用集〕

〈古/言辭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0883 言業(コトワザ) 諺(同)

〔書言字考節用集〕

〈九/言辭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0883 諺(コトハサ)〈説文、傳言也、廣韻、俗言也、文選註、古今相傳之言曰諺、〉

〔段注説文解字〕

〈三上/言〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0883 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00786.gif 傳言也、〈諺傳疊韵、傳言者古語也、古字從十口、識前言、凡經傳所偁之諺、無前代故訓、而宋人作注、乃以俗語俗論之誤矣、元應引此、下有傳世常言也、蓋庾儼默注、〉从言彦聲、〈魚變切、十四部、按此與尚書乃逸乃喭、論語由也喭、皆訓https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00815.gif各字、衞包改尚書之喭諺、大誤、〉

〔古事記傳〕

〈十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0884 諺は許刀和邪(コトワザ)と訓り、抑此許刀和邪てふこと、事態(コトワザ)と言同くて、まぎらはしけれど、別なり、許刀は言和邪は、童謠(ワザウタ)、禍(ワザハヒ)、俳優(ワザヲキ)などの和邪と同くて、今世にも、神又死人ノ靈などの崇るを物の和邪と云是なり、さてそは常にはたゞ祟りて凶(アシ)き事にのみ云めれど、本は凶にも吉にもわたる言なり、かくて何事にまれ、人の口を假て、神の歌はせたまふを和邪歌(ウタ)と云、言せたまふを言(コト)和邪とは云なり、〈禍も、神の爲したまふ意を以〉〈テ〉〈云〉〈フ〉〈、俳優(ワザヲキ)も、神懸につきて云稱なり、石屋戸〉〈ノ〉〈段に神懸の態を爲て、大御神を招奉りし より云り、傳八、五十七葉を考〉〈へ〉〈合せてしるべし、〉かかれば、言和邪は、本は神の心にて、世〉〈ノ〉〈人に言せて、吉凶ことを示喩たまふを云しが、轉りては、たゞ何となく世間に徧く言ならはしたる言をも云なり、〈諺字は、轉れる方に當りて、本の意にはあらず、〉

〔類聚名義抄〕

〈五/言〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0884 諭〈タトフ(○○○)、亦喩、〉 譬、〈匠賜反、タトフ、或https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00787.gif 字、和ヒ、〉

〔伊呂波字類抄〕

〈太/辭字〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0884 喩〈タトフ、〉 辟、〈譬、〉

〔易林本節用集〕

〈太/言辭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0884 譬(タトヘ) 喩(同)

〔倭訓栞〕

〈前編十四/多〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0884 たとふ 譬喩をよめり、たとへるともいふ、へるノ反ふ也、たとへば何ぞ物にたとへて云はの意なり、俚語にたとひといふ、又作辟、大學の辟すもたとへよとよむべし、

〔下學集〕

〈下/態藝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0884 世話(セワ/○○)〈風俗之郷談也〉

〔易林本節用集〕

〈世/言辭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0884 世話(セワ)

〔續日本紀〕

〈八/元正〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0884 養老五年二月甲午詔日、世諺(○○)云、歲在申年常有事故、此如言、

〔源氏物語〕

〈二十四/胡蝶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0884 さらば世のたとひ(○○○○○)の、のちのおやをそれとおぼいて、をろかならぬ心ざしのほども、みあらはしはて給てんや、〈○下略〉

〔源氏物語湖月抄〕

〈二十四/胡蝶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0884 世のたとひの後の親を 〈細〉後の親の事、世俗に云也、〈(中略)抄〉世のたとひとは、世俗の諺などいふが如し、

初見

〔古事記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0884是諸神及思金神答白、可雉名鳴女、時詔之、汝行、問天若日子狀者、汝所以使葦原中國 者、言趣和其國之荒振神等之者也、何至于八年復奏、故爾鳴女自天降到、居天若日子之門湯津楓上而、言委曲天神之詔命、爾天佐具賣、〈此三字以音〉聞此鳥言而、語天若日子言、此鳥者其鳴音甚惡、故可射殺云進、卽天若日子持天神所賜天之波士弓、天之加久矢、射殺其雉、〈○中略〉亦其雉不還、故於今諺曰雉之頓使(キヾシノヒタヅカヒ/○○○○)本是也、

〔古事記傳〕

〈十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0885 此を諺に云ならはせる意は、此雉使の射殺されて還らざりしに因て、人世になりて、凡て大事の使を遣るに、副使從者などもなくて、獨なるをば、雉の頓使と云うて、忌むことにせしなり、

諺例/天地

〔義經記〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0885 すみよし大物二か所かつせんの事
天に口なし(○○○○○)、人をもつていはせよ(○○○○○○○○○)と、大物のうらにもさうどうす、

〔荒山合戰記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0885 能登國石動山衆徒蜂起附同所荒山合戰之事
大衆ハ例大悍ナル者ナレバ、〈○中略〉未其功不成以前ヨリ、所領分シテ詈諍ヒ、或ハ郷民等ニモ、忠節ヲナサバ、士ニナシテ所知ヲ申賜ンナド、端々口外シテ云語ヒケル程ニ、天ニ口ナシ人ヲ以テイ(○○○○○○○○○○)ハセヨ(○○○)ト、此事次第ニ云廣テ、衆口防ギ難クテ、國ニ披露シケル、

〔駿臺雜話〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0885 武運の稽古 されば、世話にも、運は天にあり(○○○○○○)と申候、とかく運をば天に禱るより外はなかるべし、

〔川角太閤記〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0885 御所樣〈○德川家康〉はや宇都宮へ御著被成候とひとしく、治部少輔謀叛の樣子相聞申候處に、彼鍋島者ども、右の御理申上ばや、宇都宮にて兵粮指上申候、奧州境目迄の兵粮米買置候事を、目錄に乗せ、尾張よりの兵粮米進上候と相聞申候、御所樣御分別にも、扨は鍋島、心中は無別條と被思召候と聞へ申候、鍋島奧意は、日よりを伺候(○○○○○○)と相聞候へ共、親加賀守分別を以、國に離れずと、世間に其節專ら申あへると相聞え申候事、

〔平家物語〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0886 大臣流罪の事
關白殿をば、太宰のそつにうつして、ちんぜいへとぞ聞えし、〈○中略〉本より罪なくして(○○○○○)、配所の月を見ん(○○○○○○○)といふことを、心ある際の人の願ふことなれば、大臣敢て事ともし給はず、

〔散木弃謌集〕

〈七/戀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0886 戀のうたとてよめる
おもはんとたのめしことはあみのめにたまらぬ風(○○○○○○○○○○)のこゝろなりけり

〔諺草〕

〈六/阿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0886 諺 網の目に風たまらず(○○○○○○○○○)〈○下略〉

〔平家物語〕

〈十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0886 内裏女房の事
くだんの女ばうのつぼねの下口邊にたゝずんで聞ければ、此女ばうのこゑとおぼしくて、あないとをし、いくらもまします君たちの中に、此人一人かやうになり給ふよ、人はみなならを燒きたるがらんのばちといひあへり、中將もさぞいひし、我心におこつてはやかねども、あくたう多かりしかば、てん手に火をはなつちて、多くのとうだうをやきほろぼす、末の露(○○○)、本の雫(○○○)のためしあれば、我身一つのざいごうにこそならんずらめといひしが、げにさと覺ゆるぞや、〈○下略〉

〔朝野群載〕

〈二十二/國務條々事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0886 一撰吉日著座事
國之後、撰吉日良辰座、此日不高、不深、不凶言、不客事、不衆人、著座之間、尤制喧嘩、是尤三ケ日之間、可其愼也、著座之後、非急速、宜吉日、諺曰、入境問風(○○○○)云々、非公損、勿舊跡

〔漢語大和故事〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0886 郷ニ入テハ郷ニ隨へ(○○○○○○○○○) 傳曰、百里不風、故四方之民、言語衣服不一而已トイヘリ、其所々ノ郷ノ風俗同ジカラズ、言語モ衣服モ違アリ、ソレヲ學似子バ、怨ヲ求メ禍ヲ結ブモノナリ、故ニ所法式ニ隨へトハイフナリ、

〔古今要覽稿〕

〈五十九/時令〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0886 七遊〈七物〉
扨凡の物多くは西土より事起りて、皇國に傳りぬれど、皇國のみにありて、西土にしらぬ事まゝ あり、これ風俗のしからしむる所にして、國異なれば物異なる(○○○○○○○○○)理なり、

〔世事百談〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0887 俚諺 高野六十(○○○○)、那智八十(○○○○)といふことは、男色のことのやうに世にいへど、さにあらず、これは紙の一狀の數なり、高野紙は一狀六十枚、那智紙は一狀八十枚、むかしよりの定めなりとかや、

〔連集良材〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0887 麓ノ塵ツモリテ山ト成(○○○○○○○○○○)云事ヲ地盤トシテ、此發句ハタトへテイヘル句也、山櫻ノ一花咲出タルハ山ト成ベキ麓ニ、チリノスコシタマレルガゴトシ、此チリ積テ山ト成如、此山櫻モ一花ミエソメテ、山櫻ト咲ナスベキ由ノ句ナルベシ、不可説ノ妙句也、
一はなやふもとのちりの山ざくら 兼載

〔太平記〕

〈二十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0887 慧源禪巷南方合體事附漢楚合戰事
左兵衞督入道、都ヲバ仁木、細川、高家ノ一族共ニ背カレテ、浮レ出ヌ、大和、河内、和泉、紀伊國ハ皆吉野ノ王命ニ順テ、今更武家ニ可付順共不見ケレバ、澳ニモ不著礒ニモ離レタル(○○○○○○○○○○○○)心地シテ、進退歩ヲ失ヘリ、

〔陰德太平記〕

〈四十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0887 熊野降參幷高瀨城巡見之事
然ルニ井上肥前守ハ、熊野ト斷金ノ友也ケレバ、竊ニ書ヲ送テ曰、再回毛利家へ降禮ヲ執ラレヨ、本領ハ無相違申與也、行末トテモ無賴勝久ニ從居ラレン事ハ、眞ニ土手ノ水ヲ渡(○○○○○○)例、甚以愚昧ナリ、

神佛

〔倭姫命世記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0887 天皇〈○雄略〉卽位廿三年二月、倭姫命召集於宮人及物部八十氏等宣〈久、○中略〉神垂以祈禱先、冥加以正直本〈利〉、夫尊天事地、崇神敬祖、則不宗廟、經綸天業、又屛佛法息、奉拜神祗〈禮〉、日月廻四洲、雖六合、須正直頂(○○○○○)止、詔命明矣、

〔竹馬抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0887 伊勢大神宮(○○○○○)、八幡大菩薩(○○○○○)、北野天神も(○○○○○)、心すなほにいさぎよき人のかうべにやどらせ給ふ(○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○) なるべし、

〔百練抄〕

〈五/堀河〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0888 寬治四年七月廿三日、賀茂上下社被不輸田六百餘町、爲御供田、近日稱夢想、供御膳、依神税不足也、又分置御厨於諸國、俗諺曰、將亡聽政於神(○○○○○○)、此謂也、

〔太平記〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0888 足利殿御上洛事
其後舍弟兵部大輔〈○足利直義〉殿ヲ被呼進テ、此事可如何ト意見ヲ被訪ニ、且ク思案シテ、被申ケルハ、今此一大事ヲ思食立事、全ク御身ノ爲ニ非ズ、只天ニ代テ無道ヲ誅シ、君ノ御爲ニ不義ヲ退ント也、其上誓言ハ神モ不受(○○○○○○○)トコソ申習ハシテ候へ、設ヒ僞テ起請ノ詞被載候共、佛佛ナドカ忠烈ノ志ヲ守ラセ給ハデ候ベキ、

〔關八州古戰錄〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0888 秀吉公湯本著陣事
秀吉公四月朔日ノ黎明ニ、三島ノ驛ヲ出馬シ給ヒ、足柄筥根ヲ越テ、小田原ノ城ヨリ行程半里コナタ湯本ノ眞覺寺へ著陣マシ〳〵、先隊ノ勢ヲ分テ、湯本口、竹ガ鼻口、畑湯坂、塔峯、松尾嶽邊へ指向ケ指向ケ攻立ラレケレバ、持口ノ寄合勢臆病神ニヤ引レケン(○○○○○○○○○)、或ハ見崩シ、聞崩シテ、片端ヨリ開ケ退テ、小田原ノ本城へ莟(ツボ)ミシカバ、〈○下略〉

〔徒然草〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0888 妻といふものこそ男のもつまじきものなれ、〈○中略〉ことなることなき女をよしと思ひ定めてこそそひ居たらめど、賤しくもおしはかられ、よき女ならば、この男こそらうたくして、あが佛(○○○)とまもりゐたらめ、

〔室町殿日記〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0888 義昭公南都を落給ふ事
一去程に、長慶入道計略をめぐらしけるは、他家をむかひに參らせたる分にては、推すかし給ひて、出給ふまじ、所詮の人をもつて、よびのぼせたてまつらんとおもひて、上野民部少輔と、長岡兵部大輔藤孝兩人を尋出して申けるは、數年の遺恨によつて、公方をほろぼし奉る、今ははや義昭 公一人殘らせ給ふ、此人を助置奉りなば、まことに佛を造りてまなこを入ざる(○○○○○○○○○○○○○○○○)と云がごとし、〈○下略〉

〔狂言全集〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0889 鐘の音
誠に世話にも、建長寺庭を(○○○○○)、鳥箒ではいたやう(○○○○○○○○)と申すが、隅から隅に塵が一つ御坐らぬ、〈○下略〉

〔養草〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0889 昔信濃國善光寺近邊に、七十にあまる姥ありしが、隣家の牛放れて、さらしおける布を角に引きかけ、善光寺にかけこみしを、姥おひ行き、はじめて靈場なるこをを知り、たび〳〵參詣して後生をねがへり、之を牛に引かれて善光寺參り(○○○○○○○○○○○)といひならはす、

〔壒囊抄〕

〈十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0889 万燈會トテ多火ヲ燒ヲ、俗人常ニ由緖ヲ尋ヌト云共、未ダ其所由ヲ不知、其義如何、〈○中略〉
大師是程ニ誓願シ給、豈少功德ナランヤ、サレバ世流布ノ詞ニモ、長者ノ万灯ヨリ貧者ガ一灯(○○○○○○○○○○○○)共申メリ、譬バ、阿闍世王、佛ヲ迎へ奉テ説法アリシニ、夜ニ入テ歸リ給ヒケレバ、王宮ヨリ祗洹精舍マデ、十方國土ノ油ヲ集テ、數万ノ火ヲ燃シ給ヒケルニ、貧女是ヲ隨喜シテ、兎角營錢ヲ二文尋得テ、油ニ替、火燃タリケル功德ノ故ニ、卅一劫ヲ經テ、佛ニ成テ、須彌灯光如來ト云ベシト、世尊吿給ヘリ、是ヲ云ナルベシ、

〔淸水物語〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0889 老人きいて、よき不審にてこそ候へ、あると申せば、鰯のかしらも佛になる(○○○○○○○○○○)などゝ思ひて、木のきれ、石のかけも、たうとみすぎて、おろかにあさまし、

〔諺草〕

〈一/伊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0889 諺 海鰮の頭も信心から(イハシ カシラ/○○○○○○○○○) この諺に似たる事、風俗通に載たり、〈○中略〉右の意は、醃魚(ホシウヲ)を神なりと信仰して、病を治し、福を得しと也、いはしの頭も信じからといふも、これと同意なり、

〔ねざめのすさび〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0889 ふるきことわざ 世に鬼にかなぼう(○○○○○○)といへるは、ちかき頃より、いひならはしたるかとおもひたるに、花鳥餘情に、鬼にかなさいぼうとかゝせ給へり、

〔瓦礫雜考〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0890 鬼のねんぶつ(○○○○○○)
唐の李義山雜纂の不相稱といふことの中に、屠家念經といへるも似合ぬ事をたとへしなれば、そのこゝろ又同じ、

人事

〔日本書紀〕

〈二十二/推古〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0890 十二年四月戊辰、皇太子親肇作憲法十七條、〈○中略〉十二曰、國司國造、勿百姓、國非(○○)二君(○○)、民無(○○)兩主(○○)、率土兆民、以王爲主、所任官司、皆是王臣、何敢與公、賦歛百姓

〔平家物語〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0890 那都羅の事
同じき二十日の日、都には法皇の宣命にて、四の宮閑院殿にて位に卽かせ給ふ、攝政は元の攝政、近衞殿變らせ給はず、頭や藏人になしおいて、人々皆退出せられたり、三の宮の御乳母、泣き悲み後悔すれどもかひぞなき、天に二つの日なし、國に二人の王なし(○○○○○○○○)とは申せども、平家の惡行に依りてこそ、京田舍に二人の王はまし〳〵けれ、〈○下略〉

〔平家物語〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0890 せいなんのりきうの事
主上此の返事を、れうがんにおしあてさせ給ひて、御涙せきあへさせ給はず、君は舟(○○○)、臣は水(○○○)、水よく舟をうかべ、水又舟をくつがへす、臣能く君をたもち、臣又君をくつがへす、〈○下略〉

〔漢語大和故事〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0890 君ハ舟臣ハ水 荀子曰、君者舟也、庶人者水也、水則載舟、水則覆舟、〈○中略〉諺是等ニ本クナルベシ、

〔源平盛衰記〕

〈三十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0890 粟津合戰事
兵ノ中ニ、家包甲ヲ脱、太刀ヲ納テ降人ニ參レ助ン、木曾殿モ今ハ主從三騎也、和君一人命ヲ弃タリ共、木曾殿軍ニ勝給フベシヤ、唯降人ニ參レ無由々々ト云ケレバ、家包申ケルハ、弓矢取身ハ主(○○○○○○)ハ二人不持(○○○○○)、軍(○)ノ習、討死ハ期スル處也、〈○下略〉

〔源平盛衰記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0890 五節夜闇打附五節始幷周成王臣下事 同年十一月ノ五節二十三日ノ豐明ノ節會ノ夜、闇打ニセント支度アリ、忠盛此事風聞テ、我右筆ノ身ニ非ズ、武勇ノ家ニ生レテ、今此耻ニアハン事、爲身爲家心ウカルベシ、又此事ヲ聞ナガラ、出仕ヲ留ンモ云甲斐ナシ、所詮身ヲ全シテ君ニ仕ルハ忠臣ノ法(○○○○○○○○○○○○○○)ト云事アリト云テ、内々有用意、〈○下略〉

〔續日本紀〕

〈三十六/光仁〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0891 天應元年四月辛卯、詔云、〈○中略〉古人有言、知子者親(コヲシルハ オヤ/○○○)止(ト/○)云〈止奈母〉聞食、此王〈波〉弱時〈余利、〉朝夕〈止〉朕〈爾〉從〈天〉、至今〈麻天〉怠事無〈久〉仕奉〈乎〉見〈波〉、仁孝厚王〈爾〉在〈止奈毛〉神〈奈我良〉所知食、〈○下略〉

〔太平記〕

〈三十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0891 尾張左衞門佐遁世ノ事
中將殿モ人ノ申スニ付、安キ人ニテ御座ケレバ、ゲニモ見子不父(○○○○○)、サラバ當腹ノ三男ヲ面ニ立テ、幼稚ノ程ハ、父ノ大夫入道ニ世務ヲ執行サスベシト宣ヒケル、

〔源氏物語〕

〈二十四/胡蝶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0891 なにごとも思ひしり侍らざりけるほどより、おやなどはみぬものにならひ侍て、ともかくも思ひ給へられずなんときこえ給さまの、いとおいらかなれば、げにとおぼいて、さらば世のたとひの、のちのおやを(○○○○○○)、それとおぼいて(○○○○○○○)、をろかならぬ心ざしのほども、みあらはしはて給てんやなど、そちかたらひ給、

〔徒然草〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0891 心なしと見ゆるものも、よき一言はいふものなり、あるあらゑびすのおそろしげなるが、かたへにあひて、御子はおはすやととひしに、ひとりももち侍らずとこたへしかば、さては物のあはれは知り給はじ、情なき御心にぞものし給ふらんと、いとおそろし、子ゆへにこそよろづのあはれは思ひしらるれといひたりし、さもありぬべき事なり、恩愛の道ならでは、かゝるものの心に慈悲ありなんや、孝養の心なき者も、子もちてこそ親の志はおもひ知るなれ(○○○○○○○○○○○○○○○○○)、

〔土佐日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0891 四日〈○承平六年二月〉をんなこのためには、おやをさなくなりぬべし、玉ならずもありけんをと、人いはんや、されども死にし子(○○○○)、かほよかりき(○○○○○○)といふやうもあり、

〔明良洪範〕

〈十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0892 世ノ諺ニ孝行ニハ水ガ付クト(○○○○○○○○○)云リ、或老人ノ物語リニ、堀美作守親常ノ家人長瀨某ト云フ者、至孝成者ニテ、老母二孝ヲ盡セリ、妻モ亦孝ナルモノニテ、夫婦シテ老母ニ仕フルコト尋常ナラズ、コノ長瀨妻ヲ迎ントセシ時、容顏ノ美惡ニモ拘ラズ、身分柄ニモ拘ハラズ、氏ニモ拘ハラズ、只孝心ナル女ヲ迎ント願ヒシニ、果シテカヽル妻ヲ得タリ、此邊スベテ水宜シカラズ、井戸ハ有テモ、飮水ニナラヌ濁水也、故ニ近隣ノ者ハ、皆遠方ヨリ淸水ヲ汲セ、或ハ買水ヲ用イナドシケル、長瀨何ノ心モナク門前ニ井ヲ堀リ、酒桶ノ底ヲトリ、ソレヲ二ツ伏セテカハトス、サレバサノミ深キ井ニモ有ネド、水ハ至テ淸水ニシテ、遠方ヨリ汲スル水ヨリモ、買水ヨリモ、猶ヨキ水ニテ、是ヨリ近邊ノモノ皆此水ヲ用ル故、長瀨ガ門前ノ井、未明ヨリ群集セリ、

〔瓦礫雜考〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0892 兄弟他人の始(○○○○○○)
この諺は、兄弟各々枝葉(エダハ)出來ぬる末がすゑには、他人となれることにて、現在の兄弟はや他人のきざしとて、疎くせむことかは、羅大經が鶴林玉露に、陶淵明贈長沙公族祖云、同源分派、人易世疎、慨然窹歎、念玆厥初、老蘇族譜引云、吾所與相視如塗人者、其初兄弟也、兄弟其初一人之身也、悲夫と、あるも同じ理をいへり、

〔平家物語〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0892 すゝきの事
似るを友(○○○○)とかやの風情にて、忠盛のすいたりければ、かの女房もゆうなりけり、

〔相州兵亂記〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0892 高野臺合戰之事
武州江戸ノ住人太田源六資高ト云人、大力剛兵ノ譽レ八州ニ双ビナシ、凡三十人シテ動シガタキ大石ヲ、輕ク動シケルシタヽ力者ナリケリ、物ハ類ヲ以テ集ル(○○○○○○○○)コトナレバ、其ノ弟ニ太田源三郎、同源四郎トテ、大力ノ兵ドモアツマリテ云ケルハ、〈○下略〉

〔太閤記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0892 信長公御葬禮之事 秀吉永き夜のねざめに、昨友は今日の怨讎(○○○○○○○○)と成、前榮は後衰と移り易りぬ、誰有て期來日乎、厚恩を報ぜずして、衰ふる身となりなば、噬臍とも益なるかべし、

〔甲陽軍鑑〕

〈二/品第七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0893 上手になきは必弟子をとる、弟子をとれば、武道のたしなみとはいはず、弓いる人、鐵鉋打、馬のり、兵法つかひなどゝ名を付て、如形覺有人をも、傍輩ゑみがたき(○○○○○○○)とて、人は人を偏執するものにて、わきの事へかゝり、武邊者とはいはざるものなれば、なにも上手になりても、弟子とる事は、さらにせんなき事也、

〔漢語大和故事〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0893 會(アフ/○)ハ別ノ始(/○○○○)〈○中略〉 白氏文集曰、合者離之始、樂兮憂所伏トイヘリ、

〔徒然草〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0893 人のなき跡ばかりかなしきはなし、〈○中略〉年月過ても、露忘るゝとにはあらねど、さるものは日々にうとし(○○○○○○○○○○○)といへることなれば、さはいへど、そのきはばかりは覺えぬにや、

〔太閤記〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0893 秀吉歲暮御禮之事
國守の手廻よきと云は、人を知より大なるはなし、此外宜しき事あらば、聞まほしと仰〈○織田信長〉られければ、家老衆奉り、私言けるは、三つ子に髭のはへたる(○○○○○○○○○○)如きことを宣ふ物かな、仰られし品々は金言なれ共、德行は其十分一もあるまじき物をとて、悔つゝ立出にけり、

〔諺草〕

〈二/遠〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0893 諺 老ては子に從ふ(○○○○○○○) 儀禮曰、婦人有三從之義、無專一之道、故未嫁從父、旣嫁從夫、夫死從長子、故父者子之天也、夫者妻之天也、〈○註略〉老ては子に從ふと云諺こゝに出でたり、是母の事にして、父の專子に從ふと云義なし、

〔昨日波今日能物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0893 ある人申されけるは、わらべを風の子(○○○○○○○)と申は、なにとしたる事ぞとふしんしければ、こざかしきもの申やう、フウフの間の子なれば、風〈フウ〉の子といふとこたへた、〈○下略〉

〔性靈集〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0893https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00813.gif 字幷雜文
諺曰、奴口甘(○○○)、郎舌甜(○○○)、敢因斯義、欲獻久矣、然猶狠藉汚穢、還恐觸塵聖眼、微誡潛達、先聞于天、伏奉布勢 海口勅、欣踊繕裝、古今文字讃、右軍蘭亭碑、及梵字悉曇等書、都一十卷、敢以奉進、〈○下略〉

〔北條五代記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0894 早雲寺殿廿一ケ條
一よき友をもとめべきは、手習學文の友也、〈○中略〉人の善惡皆友によるといふ事也、三人行時かならずわが師あり(○○○○○○○○○○○○○)、其善者をえらんで是にしたがふ、其よからざる者をば、是をあらたむべし、

〔承久軍物語〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0894 いかに大竹殿、御へんはもとはむさしのくにの住人、くはんとう御をんの人ならずや、待は草のなびき(○○○○○○○)とはいへども、後代の名こそおしけれ、あしくも見へ給ふものかなと、〈○下略〉

〔義經記〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0894 土佐房よしつねの討手に上る事
土佐をからめて參りて候と申しければ、〈○中略〉いきて歸りたくはかへさんずるぞ、いかにと仰られければかうべ地に付て、猩々は血ををしむ(○○○○○○○○)、さいは角をおしむ(○○○○○○○○)、日本の武士は名をおしむ(○○○○○○○○○○)と申事の候、

〔陰德太平記〕

〈四十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0894 熊野降參幷高瀨城巡見之事
侍ハ渡リ者(○○○○○)ナレバ、何ノ憚ル事カ有ン、早ク降參シテ、妻子眷族ノ心ヲ安穩ナラシメラレヨト、或ハ宥メ或ハ忿テ、再三諫メタリシカバ熊野實モトヤ思ケン、軈テ熊野ノ城ヲ明テ、降旗ヲゾ樹タリケル、

〔關八州古戰錄〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0894 豆州https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00816.gif 山城責事
城中〈○韮山〉ニモ彼等ガ勝レタル武勇ノ程ヲ感ジテ、敵ナガラモ遖剛ノ者共哉、名字ヲ名謁テ退レヨト呼ハリケレバ、四人橋ノ上ニ立テ大音揚ゲ、福島左衞門大夫正則ガ家來誰々ト名謁テ引退ク、其隙ニ城兵鐵炮ニテ打留ントヒシメキケルヲ、美濃守ヤヲラケ樣ナル徑廷ノ者共ハ、冥加ノ武士(○○○○○)ト名附テ、無下ニ誅スレバ、却テ軍神ノ咎メアリトコソ昔ヨリ云傳タレ、必手向スベカラズ、〈○下略〉

〔松屋筆記〕

〈八十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0895 坊主が憎けりや袈裟までにくい
俗言に、坊主がにくけりや袈裟までにくい(○○○○○○○○○○○○○○○)といへり、これに似たる語あり、漁隱叢話前集十一の卷、杜少陵六に、贈射洪李四丈云、丈人屋上烏人好烏亦好、六韜武王登夏臺以臨殷民、周公曰、愛人者愛其屋上烏、憎人者憎https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00788.gif云々、此憎https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00788.gifといへるは、近き説といふべし、

〔梅園叢書〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0895 諺にも、陰陽師の門に蓬絶えず(○○○○○○○○○○)とて、餘り强く物を忌めば、草とる日とてもなくなり侍る、

〔古事記〕

〈中/應神〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0895是大雀命與宇遲能和氣郎子二柱、各讓天下之間、海人貢大贄、爾兄辭令於弟、弟辭令於兄、相讓之間旣經多日、如此相讓、非一二時故、海人旣疲往還而泣也、故諺曰、海人乎因己物而(アマナレヤオノガモノカラ/○○○○○○○)泣(子ナク)也、〈○又見日本書紀

〔古事記傳〕

〈三十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0895 尋常には、己が無き物の欲くて得がたきにこそ泣くならひなるに、此海人は己が有物を人に獻ることの得難きを愁泣くは、常のならひとは反ざまなる事なる故に、其意を以て、世中に己が物を人に與へんと欲ふに、與へ難き事ありて愁ふる者の譬にいへるなり、

〔日本書紀〕

〈十/應神〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0895 三年十一月、處處海人訕https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00789.gif 之不命、〈訕哤此云佐麼賣玖、〉則遣阿曇連祖大濱宿禰其訕哤、因爲海人之宰、故俗人諺曰佐麼阿摩(○○○○)者、其是緣也、

〔古事記〕

〈中/垂仁〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0895 爾其后豫知其情、悉剃其髮、以髮覆其頭、亦腐玉緖、三重纏手、且以酒腐御衣、如全衣服、如此設備、而抱其御子、刺出城外、爾其力士等、取其御子、卽握其御祖、爾握其御髮者、御髮自落、握其御手者、玉緖且絶、握其御衣者、御衣便破、是以取獲其御子、不其御祖、故軍士等、還來奏言、御髮自落、御衣易破、亦所御手之玉緖便絶、故不御祖、取得御子、爾天皇悔恨而惡玉人等、皆奪其地、故諺曰地玉作(トコロエヌタマツクリ/ ○○○○)也、

〔骨董集〕

〈上編上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0895 昔の威儀附紺屋の白袴 山の井〈○註略〉卷四に、わらにふる雪や紺かき白袴(○○○○○)といふ句あり、又崑山集にも此句をのせて貞德の句とあれば、古き諺なり、當時の紺屋は常に袴をはきたる故に、此諺ありしならむ、

〔甲陽軍鑑〕

〈十三/品第四十上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0896 信玄公を始奉り家老衆大身小身善惡の儀分別之事、附物の事宜作法手本 に成事、
一或時信玄公仰らるゝ、〈○中略〉扨は息女子などに、よきむこをとらんと存候者、物をたむる侍を見そこなふて、加恩すれば、下劣のたとへに、盜人においをうつ(○○○○○○○○)と申儀にならん、是には目付の入所也、其目付も盜人の心ならば、いひきかすまじ、〈○下略〉

〔飾抄〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0896 平緖 香〈○中略〉
今度予劒裝束又如此、自然相叶先祖所爲、誠是愚者之一得(○○○○○)也、

〔明良洪範〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0896 又馬爪源右衞門ト云士有リ、此士ハ鐵炮ノ名人也、其外總テ武藝ヲ好メド、左文ガ門人ニハナラズ、諸人其故ヲ問バ、只笑テ答ズ、其後左文罪有テ刑セラル、其時源右衞門ノ親敷人ニ云ケルハ、左文ハ劒術ハ名人ナレド、其性質大姧邪也、行々何事ヲ仕出サンモ計難シト思ヒ、門人ニナラズ、師弟トナル時ハ、若奸曲ニ組セヨト云レシ時、組セザレバ、師ニ背キ、組スレバ君ニ背ク、是愚者モ千慮ノ一得(○○○○○○○○)也ト笑ハレ語ラレシト也、

〔齊東俗談〕

〈七/世諺〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0896 愚者一得 史記淮陰侯傳、廣武君曰、智者千慮必有一失、愚者千慮必有一得

〔法然上人行狀畫圖〕

〈四十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0896 俊乘房重源は上の醍醐の禪徒にて、眞言の薫修ふかゝりけるが、〈○中略〉治承の逆亂に、南都東大寺燒失のあひだ、このひじりをもちて、大勸進の職に補せらる、すでに造營をくはだつるころ、工の器用をえらばんために、ある番匠をめして、屋をつくらんとおもふに、たるきの下に木舞をうたん事、いかゞあるべきととひ給に、番匠さる屋づくり、いまだ見及候はずと申けるを、おもふやうあり、たゞつくれといはれければ、あるまじき事しいでゝ、傍輩にわら はれんこと、いとよしなきわざに侍りと申す、あまたの番匠みなさやうにのみ申ける中に、一人領掌するあり、かゝる屋、日ごろもつくりたる事侍りやととひ給に、さる事は侍らねども、なにともをしへ給はんまゝにこそ、つくり心み侍らめと申ければ、その時、まことにそのまゝにつくらんとにはあらず、たゞ心のほどをしらんためにいひつるなりとて、すなはちかれを大工として、東大寺をば、つくりたてられけるとなん、おほかたよろづにはかりごとかしこき人なりければ、そのころのことわざにて、支度第一俊乘房(○○○○○○○)とそ人申ける、

〔駿臺雜話〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0897 天野三郎兵衞 東照宮參河に御座なされし時、御制法を定められ高力與右衞門淸長、本多作左衞門重次、天野三郎兵衞康景を三奉行に仰付らる、其ころ輿人の諺に、佛高力(○○○)、鬼作左(○○○)、どちへんなしの天野三郎兵衞(○○○○○○○○○○○○○)といひしとぞ、どちへんなしとは、左右遷就して一決せぬの俗語なり、此諺をもて考るに、高力はたゞ寬仁にして、本多があらきにかまはず、本多はだゞ勇決にして、高力が慈悲にかまはず、天野は高力か本多か裁斷をそねむ心なく、たゞ道理次第にして、少しも己をたてぬと見へ候、

〔諺草〕

〈七/毛〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0897 諺 もとの木阿彌(○○○○○○) 筒井陽舜坊順昭〈大和國郡山城主、信長と同時の人、〉二十八歲にて病死す、此時其子伊賀守定次〈後號順慶〉わづかに一歲也、順昭遺言して、三年の間は、卒去をかくし置べしとありければ、木阿彌と云盲人、其形順昭に似たる故、他國より使者來る時は、かの盲人をほのぐらき所におき、順昭は病中の體にもてなし、相見せしむ、定次三歲の時、始て喪を發す、〈○註略〉こゝに至て、木阿彌なりし事を諸人しれり、今俗の諺に、もとの木阿彌と云事、是よりおこれり、〈新考、〉

〔漢語大和故事〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0897 瞽虵ニ懼(ヲヂ)ズ、古歌ニ、蹈アテバ目クラモ虵ニヲズベキ(○○○○○○○○○○)カシラ子バヤスキ和歌ノ道カナ、畢竟シラ子バ安トイフコトナリ、

〔後撰和歌集〕

〈十六/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0897 いたく事このむよしを、時の人いふときゝて、 高津内親王 なほききにまがれる枝もある物をけをふききずをいふ(○○○○○○○○○)がわりなさ

〔漢語大和故事〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0898 漢書云、吹毛求疵(○○○○)、又云、洗垢求其瘢瘡、この語は、我身の過を求出すの喩也、毛をふけば、身體の疵あらはるべきぞ、人の惡を知らんとて、餘り吟味すれば、反つて我身の過に落る事あるべし、其時始のまゝにて置たらばと思ふ事あらん、是毛を吹て疵を求るものなり、高津内親王の歌に、直木にも曲れる枝もあるものを毛を吹疵をいふがわりなき、

〔沙石集〕

〈五/上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0898 慈心有者免鬼病
世間ノ諺ニモニギレル拳シ咲ル面ニアタラズ(○○○○○○○○○○○○○○)トテ、惡クヒケ無ク、心ノ底ヨリ、打チ咲テムカヘル者ニハ、旣ニ、ニギレル拳ヲ開テ、心ヲ止ト云リ、サレバ佛性ヲ顯ハサント思ハン人、慈悲ヲ心ニ習ヒ好ムベキナリ、

〔太閤記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0898 秀吉初て普請奉行の事
主君の爲に宜しき事あれば、不時申上ける心の内を推察し見るに、自然に忠義に深き素性也、其はさし出者よと制し給ふ事、あまたたびの事なりしかば皆人あれほどつらの皮の厚かりし(○○○○○○○○○)は、見も聞もせぬなど、聞や聞ぬ計に目引鼻ひき笑ひけり、

〔太閤記〕

〈十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0898 備前の宰相秀家卿小西を助成し衆にこへ渡海の事
小西思ふやう、忠州之城をも乗捕、彌抽忠懃ばやと、弟にて侍る主殿助木戸作右衞門尉など呼あつめ、御勢悉く渡海し、諸勢今明日之中參陣有べきとなり、いざ明朝忠州之城を忍び捕べきと思ふは、いかゞ有べしと云ければ、何も尤なり、急ぎ給へとて、ひた〳〵と用意し、戌之刻に打立、漸く丑之時とおぼしき比、城の麓に忍び寄、瞳と時聲を上、㖂々聲を學しかば、城中寢耳に水の入たるが如く(○○○○○○○○○○○)驚きあへりつゝ、矢夾間などをも塞あへず、忘却於親疎、我さきに退なんとのみせしなり、

〔北條五代記〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0898 北條家の軍に貝太鼓を用る事 此時も味かたの旗本の貝太鼓の聲を聞て、懸引兵略をつくすを見れば、俗にいふかゆき所へ手をあてる(○○○○○○○○○○)がごとくにて、いさぎよく目をおどろかす、

〔發心集〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0899 美作守顯能家入來僧事
實ニ道心アル人ハ、カク我身ノ德ヲカクナムト、過ヲアラハシテ貴マレン事ヲ恐ルヽナリ、若人世ヲ遁タレドモ、イミジクソムケリト云レン、貴ク行由ヲ聞ント思ヘバ、世俗ノ名聞ヨリモ甚シ、此故ニ有經ニ、出世ノ名聞ハ、譬ヘバ、血ヲ以テ血ヲ洗(○○○○○○○)ガ如シト説ケリ、本ノ血ハアラハレテ落モヤスラン、知ラズ今ノ血ハ大ニケガス、愚ナルニアラズヤ、

〔關八州古戰錄〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0899 豆州下田ノ兩城沒落事
秀吉公聞召シ、嚮ニ吾儕打回テ海面ヲ巡見セシ時、彼砦ヲ見及シガ、是ヲ攻擊ンニハ、人數モ多ク損害シ、輙クハ乘捕リ難カラン、俗ニ云眼ノ上ノ疣(○○○○○)腹心ノ病(○○○○)是ナリ、所詮燒討ニナサシメント心懸リニ思タルニ、臨軍不君命ト云ル兵法ノ詞ヲ、左馬助會得シテ、克クコソ仕ナシタレ、今ニ始メザル嘉明ガ翔カナ、

〔松永道齋聞書〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0899 されば口にあまきものは、必命の毒ぞ、良藥は口に苦きぞ(○○○○○○○○)、又良藥に似たる砒霜斑猫といへる毒藥あり、能心得よ、此心を以、人を忘れ、我氣に應じたる者を使ふ時は、秦の趙高、玄宗の楊貴妃、近くは石田、如此心得る事第一也、

〔源氏物語〕

〈三十七/横笛〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0899 さていましづかに、かの夢は(○○)思ひあはせてなん聞ゆベき、夜かたらず(○○○○○)とか、女房のつたへにいふことなりとのたまひて、おさ〳〵御いらへもなければ、うちいできこえてけるを、いかにおぼすにかと、つゝましくおぼしけるとぞ、

〔日本書紀〕

〈十九/欽明〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0899 二年七月、百濟聞安羅日本府與新羅上レ計、〈○中略〉謂任那曰、昔我先祖速古王、貴首王與故早岐等、始約和親、式爲兄弟、〈○中略〉未審何緣輕用浮辭、數歲之間、慨然失志、古人云、追悔無及(○○○○)、此之謂 也、

〔奧儀抄〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0900 さきだゝぬくゐのやちたびかなしきはながるゝ水のかへりこぬなり
是はむかし、あひしれる人にをくれたる男にやれる歌也、逝水不返、後悔不前といふ事のある也、うせにし人にさきだゝぬを、後悔さきにたゝぬ(○○○○○○○○)によせてくゐたる也、行水のかへらぬやうに、又くべきならねば、やちたびくふるとも、かひやなかるらんとよめる也、

〔日本書紀〕

〈十九/欽明〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0900 十四年八月丁酉、百濟遣上部奈率科野新羅下部因德汶休帶山等、上表曰、〈○中略〉伏願天慈速遣前軍後軍、相續來救、逮于秋節以固海表彌移居(ミヤケ)也、若遲晩者、噬臍無及(○○○○)矣、

〔太閤記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0900 信長公御葬禮之事
秀吉永き夜のねざめに、昨友は今日の怨讎と成、前榮は後衰と移り易りぬ、誰有て期來日乎、厚恩を報ぜずして、衰ふる身となりなば、噬臍とも益なかるべし(○○○○○○○○○○)、

〔沙石集〕

〈三/上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0900 忠言有感事
心アル人ハ感淚ヲナガシケリ、ハルカニ承ルモ不覺ノ淚禁ジガタシ、マシテソノ座ノ人サコソ感ジ思侍ケメ、カヽリシ人ニテ、子孫イヨ〳〵繁昌セリ、情ハ人ノタメナラズ(○○○○○○○○○)、道理誠ニ思知レ侍リ、

〔萬葉集〕

〈十三/相聞〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0900 從古(ムカシヨリ)、言續來口(イヒツギクラク)、戀爲者(コヒスレバ/○○○)、不安物登(ヤスカラヌモノト/○○○)、玉緖之(タマノヲノ)、繼而者雖云(ツギテハイヘド)、處女等之(ヲトメラガ)、心乎胡粉(コヽロヲクダキ)、其將知(ソヲシラム)、因之無者(ヨシノナケレバ)、夏麻引(ナツソヒク)、命號貯(ミコトヲツ〻テ)、借薦之(カリコモノ)、心文小竹荷(コヽロモシノニ)、人不知(ヒトシレズ)、本名曾戀流(モトナゾコフル)、氣之緖丹四天(イキノヲニシテ)、

〔源氏物語〕

〈二十四/胡蝶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0900 右大將のいとまめやかに、こと〴〵しきさましたる人の、こひの山にはくじのたうれ(○○○○○○○○○○○○)、まねびつべき氣色にうれへたるも、さるかたにおかしと、みなみくらべ給ふ、〈○下略〉

〔土佐日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0900 八日〈○承平六年二月〉ある人いさゝかなるものもてきたり、よねしてかへりごとす、をとこどもひそかにいふなり、いひぼしてもつるとや(○○○○○○○○○○)、かうやうのこと、ところ〴〵にあり、

〔瓦礫雜考〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0901 えびでたひつる(○○○○○○○)
宋王君玉雜纂次編の愛便宜といふことの中に、將鰕釣鼈とあり、鯛(タヒ)〈閩書などに出たる棘鬣魚といふものタヒなりとぞ、〉鼈とは異なれ共、その意またく同じ、

〔今昔物語〕

〈二十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0901 信濃守藤原陳忠落入御坂語第卅八
守ノ答フル樣、落入ツル時ニハ、馬ハ疾ク底ニ落入ツルニ、吾レハ送レテソメキ落行ツル程ニ、木ノ枝ノ滋ク指合タル上ニ、不意ニ落カヽリツレバ、其ノ木ノ枝ヲ捕ヘテ下ツルニ、下ニ大キナル木ノ枝ノ障ツレバ、其レヲ踏ヘテ、大キナル胯木ノ枝ニ取付テ、其ヲ抱カヘテ留リタリツルニ、其ノ木ニ平茸ノ多ク生タリツレバ、難見弃クテ、先ヅ手ノ及ビツル限リ取テ、旅籠ニ入レテ上ツル也、未ダ殘リヤ有ツラム、云ハム方无ク多カリツル物カナ、極キ損ヲ取リツル物カナ、極キ損ヲ取ツル心地コソスレト云ヘバ、郎等共現ニ御損ニ候ナド云テ、其ノ時ニゾ集テ散ト咲ヒニケリ、守僻事ナ不云ソ、汝等ヨ、〈○中略〉受領ハ倒ル所ニ土ヲ爴メ(○○○○○○○○○○○)トコソ云ヘト云ヘバ、〈○下略〉

〔太平記〕

〈三十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0901 諸國宮方蜂起事附備前軍事
降人ニ出テ、心ナラズ高名シツル兵共三百餘騎、生捕ヲ先ニ追立サセ、鋒ニ頭ヲ貫テ馳來リ、如鬼神申ツル桃井ガ勢ヲコメ、我等僅ノ三百餘騎ニテ、夜討ニ寄テ、若干ノ御敵ドモヲ打取テ候ヘトテ、假名實名事新シク、コト〳〵シゲニ名乘申セバ、大將鹿草出羽守ヲ始トシテ、國々ノ軍勢ニ至迄、哀レ大剛ノ者共哉、此人々ナクバ、爭カ我等ガ會稽ノ耻ヲバ濯ガマシト、感ゼヌ人モ無リケリ、後ニ生捕ノ敵ドモガ委ク語ルヲ聞テコソ、サテハ降人ニ出タル不覺ノ人ドモガ、倒ルヽ處ニ土(○○○○○○)ヲ摑ム(○○○)風情ヲシタリケルヨトテ、却テ惡ミ笑レケル、

〔閑窻瑣談〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0901 俚俗の異説
古くより俚俗の諺に木乃伊取が木乃になる(○○○○○○○○○○)といふたとへを、つね〴〵にいひ傳ふ、其の起源を 奈何にと尋ぬれば、木乃伊の出つる國は、赤道の下にあたる國にて、極熱の地方なり、其の所にいと廣々たる砂地あり、其邊を往來する人は、土にてこしらへたる車に乘りて過ぐることなり、萬一誤つて地に落れば、忽に焦れて木乃伊となる、亦其木乃伊を取らんとて、土車に乘つて行く者あり、其者も、乘つたる車が破れるか、崩れて地に落つれば、同じく木乃伊になるといふ、是れ全く據なき妄説なり、

〔源平盛衰記〕

〈三十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0902 木曾備中下向齋明被討幷兼康討倉光
妹尾太郎兼康ハ、木ヲ樵、草ヲ刈マデコソナケレ共、二心ナク木曾ニ被仕ケリ、是ハイカニモシテ、再故郷ニ歸、今一度舊主ヲ奉見、平家ノ御方ニ成テ、合戰ヲ遂ントノ計ナリ、咲中偷ニ鋭刺人刀(○○○○○○○○)トイヘフ、木曾ハ是ヲモ不知シテ、齋明ト同時ニ切ベカリケレ其、西國ノ道シルベトテ宥具シ給ケリ、

〔漢語大和故事〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0902 笑ノ中ノ劒 コノ諺ハ、人ノ交、面向ハ懇切ノ體ニテ、内心ニハ敵ヲ結ビ、陰ニ害ヲナサント企ツ、是コヽロヨク笑語中ニ、刃ヲ硎モノナリ、春道述懷ニ、言下暗生骨火、咲中偷鋭人刀イヘリ、又大學衍義曰、世謂、林甫口有蜜、腹有劒、又夫木集ノ歌、衣笠内大臣、何事ヲオモヒケリトモシラレジナエミノウチニモカタナヤハナキ、同集ニ公朝、手ニトレバ人ヲサステフイガグリノエミノウチナルカタナオソロシ、

〔壒囊抄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0902 人ノハラグロナト云ハ何事ゾ、〈○中略〉孔子ノ腹黑(○○○○○)ト云事アリ、喩ヘバ魯ヨリ齊へ爲政道行給ニ、或山中、童子アリテ、樹上ヨリ小便ヲシカケタリケリ、孔子取敢ズ、ヨクシタリ、大剛者也ホメテ通給フ、其後時令尹通、又如以前シケリ、令尹是ヲ見テ、天下大害ヲ成サン者也トテ、引下頭刎捨テケリ、〈○下略〉

〔閑窻瑣談〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0902 俚俗の異説 俗諺に、ないもの喰はうが人の癖(○○○○○○○○○○○○)といふことあり、實に人情は得がたきを尊み、常に有つて大益有るものを輕んじ賤めて信せず、

〔鹽尻〕

〈十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0903 義敎將軍の時、松浦肥前守源茂、御數寄ごとに、赤塗の烏https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00817.gif 子を著して參りしかば、將軍其姿を自畫圖して賜ひし、茂、薙染の後、かの像を南禪寺に納めしとかや、當時の諺に、すきに赤烏https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00817.gif 子(○○○○○○○)といひけるは、この故事也とそ、

〔駿臺雜話〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0903 妖は人より興る すべて人の忌おそるゝ所は、世話におそろしき物の見たき(○○○○○○○○○○)といふやうに、さながら心に忘れえぬほどに、思想にひかれて、火のかつもへ、かつきゆるやうに、あるとみつ、なしと見つして、かくしてやまねば、氣うかれて、我にもあらずなりぬる、〈○下略〉

〔犬筑波集〕

〈春〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0903 二月十五日嵐はげしければ
花よりもだんご(○○○○○○○)とたれか岩つゝじ

〔今昔物語〕

〈二十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0903 信濃守藤原陳忠落入御坂語第卅八
守答フル樣、落入ツル時ニ、〈○中略〉其ノ木ニ平茸ノ多ク生タリツレバ難見弃クテ、先ヅ手ノ及ビツル限リ取テ、旅籠ニ入レテ上ツル也、未ダ殘リヤ有ツラム、云ハム方无ク多カリツル物カナ、〈○中略〉汝等ヨ、寶ノ山ニ入テ手ヲ空クシテ返(○○○○○○○○○○○○○)タラム心地ゾスル、V 砂石集

〈二/上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0903 佛舍利感得人事
此入道無智ノ在家人ナレドモ、眞實ノ信心有ケレバ、感應ムナシカラズ、經ニハ信ハ道ノ源、功德ノ母ト説キ、寶ノ山ニ入テ手ヲムナシクス(○○○○○○○○○○○○○)トイフハ、信ノ手ノナキユヘト見ヘタリ、

〔續世繼〕

〈七/ほりかはのながれ〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0903 天台大師の經をしやくし給に、四の法文にてはじめ、如是より經のすゑまで、くごとにしやくし給へば、そのながれをくまん人、法をとかんそのあとを思べければとて、はじめには因緣などいひて、さま〴〵の阿彌陀佛をときて、むかし物がたりときぐしつゝ、何 事も我心より外のことものやある、事の心をしらぬは、いとかひなし、あさゆふによそのたからをかぞふる(○○○○○○○○○○○)になんあるべきなどとき給ひし、〈○下略〉

〔源平盛衰記〕

〈二十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0904 賴朝鎌倉入勸賞附平家方人罪科事
山内瀧口三郎同四郎ハ、廻文ノ時、富士ノ山トタケクラベ(○○○○○○○○○○)、〈○中略〉ナンドヽ、惡口シタリシ者也、大庭ニ召出サレタリ、佐殿宣ケルハ、汝ガ父俊綱幷ニ祖父俊通ハ、共ニ平治ノ亂ノ時、故殿ノ御伴ニ候テ、討死シタリシ者也、其子孫トテ殘留レリ、我世ヲ知ラバ、イカニモ糸惜シテ世ニアラセ、祖父親ガ後世ヲモ弔ハセントコソ深ク思ヒシニ、盛長ニ逢テ種々ノ惡口ヲ吐、剰景親ニ同意シテ、賴朝ヲ射シ條ハ、イカニ富士山ト長並べ(○○○○○○○)ト云シカ共、世ヲ取事モ有ケリトテ、土肥次郎ニ仰セテ、速ニ首ヲ刎ヨト下知シ給フ、

〔平家物語〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0904 都がへりの事
さしもよこがみをやぶられし(○○○○○○○○○)太政の入道殿、〈○平淸盛〉さらば都がへりあるべしとて、同じき十二月二日の日、俄に都がへり有けり、

〔太平記〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0904 足利殿御上洛事
其上誓言ハ神モ不受トコソ申習ハシテ候へ、設ヒ僞テ起請ノ詞被載候其、佛神ナドカ忠烈ノ志ヲ守ラセ給ハデ候ベキ、就中御子息ト御臺トハ、鎌倉ニ留置進セラレン事、大儀ノ前ノ少事(○○○○○○○)ニテ候ヘバ、强ニ御心ヲ可レ被ン煩ニ非ズ、

〔太平記〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0904 足利殿御上洛事
大行ハ不細謹(○○○○○○○)トコソ申候へ、此等程ノ少事ニ可猶豫アラズ、兎モ角モ相模入道ノ申ン儘ニ隨テ、其不審ヲ令散、御上洛候テ後、大儀ノ御計略ヲ可回トコソ存候ヘト被申ケレバ、足利殿此道理ニ服シテ、御子息千壽王殿ト、御臺赤橋相州ノ御妹トヲバ、鎌倉ニ留置奉リテ、一紙ノ起請文 ヲ書テ、相模入道ノ方へ被遣、

〔太平記〕

〈十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0905 新田左中將被赤松
義貞是ヲ聞給テ、此事ナラバ子細アラジト被仰テ、頓テ京都へ飛脚ヲ立、守護職補任ノ綸旨ヲゾ申成レケル、其使節往反ノ間、已ニ十餘日ヲ過ケル間ニ、圓心城ヲ拵スマシテ、當國ノ守護國司ヲバ將軍ヨリ給テ候間、手ノ裏ヲ返ス(○○○○○○)樣ナル綸旨ヲバ、何カハ仕候ベキト、嘲哢シテコソ返サレケレ、

〔沙石集〕

〈三上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0905 忠言有感事
サテ領家ノ代官モ、日來が事ノ子細キヽホドキ給ハザリケリ、コトサラノ僻事ハナカリケルニコソトテ、マケヤウヲ感ジテ、六年ノ未進ノ物ノ、三年ハユルシテケリ、ワリナキナサケナリ、是コソマケタレバコソカチタレ(○○○○○○○○○○)ノ風情ニテ侍レ、

〔北條五代記〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0905 岡山彌五郎木下源藏討死の事
その上軍は勝て負る(○○○○)事あり、負て勝(○○○)事あり、木下源藏敵の首を取といへ共、却てをのが首を敵にとられぬ、是進退をわきまへず、不義の働ゆへ、勝て負るとは是也、〈○中略〉扨又千葉勘兵衞此中日々のせりあひに、彌五郎源藏があとに有て、見えがくれ成しが、今日に至て、雙方の軍旗を見定、兵氣をはかつて諸人に抽て、敵を討取、是をこそ懸引の上手の武士、負て勝とはいふべけれ、

〔北條五代記〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0905 北條家の軍に貝太鼓を用る事
物見の武者歸り來ていはく、義弘かつて甲胄をぬぐ(○○○○○○○○)と云々、氏康此よしを聞、油斷强敵(○○○○)とすと云古老のいさめを肝心と取さだめ、霞たつを幸とし、貝太鼓をもならさず、敵陣間近くをしよせ、鬨音をあげ、無二に責かゝり、勝利をえられたり、

〔甲陽軍鑑〕

〈九上/品第二十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0905 信州平澤大門到下等合戰之事 今度は敵の大將晴信、わかげと申、少人數といひ、旁もつて油斷强敵(○○○○)といふことを忘れ、味方よりはり番をも一人出さず、〈○下略〉

〔駿臺雜話〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0906 大敵外になし いよゝ御聞めり度候はゞ、某が宅へ御越候へといはれしかば、日を定て、禮服を著し、彼宅へ往れしに、掃部頭〈○井伊直孝〉出て對面の後、世話に、油斷大敵(○○○○)といふ事定て御覺へあるべし、某が傳授外にはなく候、此一言にて候ぞ、必御忘れあるな、〈○下略〉

〔甲陽軍鑑〕

〈九上/品第二十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0906 信州平澤大門到下合戰之事
又かたはらにては、鬼神の樣なる父信虎を押出し、其後信將衆に度々勝、しかも若氣のやうにもなく、勝ては甲の緖をしむる(○○○○○○○○○○)やうにせらるゝは、如何樣たゞ人の體には見えず候〈○下略〉

〔駿臺雜話〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0906 手折手にふく春風 もし時のもやうにつきて、覺悟を變じ、世話にいふ、えりもとにつく(○○○○○○○)やうにては、なにを以て、士と申し侍るべき、

〔義貞記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0906 一奉公用意事
隱テノ信ハ顯テノ德(○○○○○○○○○)ト云事アレバ、愚人ノ前ナリ共、心中終ニ隔アラジ、

〔壒囊抄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0906 世謠以恩報怨(○○○○)云、證據アリヤ、常个(ニハ)云ザレ共、論語、或曰、以德報怨何如、子曰、何以報德、以直報怨、以德報德云リ、然共佛法、又報怨以德爲善、以恩報怨怨永亡、自他安穩故、〈○下略〉

〔嘉吉物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0906 入道殿淚を抑へ、かさねてのたまふやう、何事もうやまはゞしたがへ(○○○○○○○○○)と申す譬あり、

〔駿臺雜話〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0906 秘事は睫 さて諸客いひけるは、〈○中略〉此程世の諺に申傳しはかなき事につきて御物がたりを承候て、いづれもふかき意味ある事を覺え侍る、誠に秘事は睫(○○○○)にて、あまりちかきは、反て見へぬものにて候故、我等どもの意得ぬにて侍るべし、

〔明德記〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0906 暫ク引エテ都ノ方ヲ顧タレバ、我逃ツル跡ニハ人一人モ見エズ、猶内野ニハ軍ノ有ト覺エテ、時ノ聲幽カニ聞ケレバ、是ハソモ何事ニ是迄逃タリケルゾヤ、我ナガラモカ程臆病マデ、 弓矢ノ道ニ携リケル不當サニ、白晝ノワザナレバ、惡事千里ヲ走ル(○○○○○○○)、此事世ニハ隱有ベカラズ、然ラバ何ノ面有テカ、憑タル人ニモ對面スベキ、〈○下略〉

〔駿臺雜話〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0907 聖人の誠 是誠の感應にして、恩威智力の及ぶ所にあらず、是をもていふに、好事門を出ず(○○○○○○)、惡事千里を行(○○○○○○)と、世話にいへど、これ僻言なる也、好事惡事ともに、其實ある事の、いづれか千里にゆかざる事あるべき、惡事のみに限るべからず、

〔太閤記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0907 秀吉初て普請奉行の事
さらば割普請に沙汰し申さんとて、下奉行共と謀り、百間を十組に分割符、面々に宛しかば、翌日出來し、腕木ごとに松明をも掛置、掃除以下きらよく見へし折節、信長公御鷹野より歸らせ給ふて、御覽じもあへず御感有て、御褒美不淺、其晩に被召出、御扶持方加增有けるこそ、終を初に立る(○○○○○○)徵兆也と、後にぞ思ひ知れたる、

〔明良洪範〕

〈十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0907 大坂方ニテハ、神君ニ先ヲ越サレ、氣ヲ失ヒ、攻寄セン評議ハ忽チ止ミテ、却テ島津ヲ賴ミ、島津中ノ島へ行キテ、神君ヲ宥メ事濟ケル、先ンズル時ハ人ヲ制ス(○○○○○○○○○○)トハ、是等ノコトヲヤ云フナルベシ、

〔醒睡笑〕

〈二/謂被謂物之由來〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0907 いそがばまはれ(○○○○○○○)といふ事は、物毎にあるべき遠慮なり、宗長のよめる、武士のやばせの舟は早くともいそがばまはれ瀨多の長橋、〈○下略〉

〔關八州古戰錄〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0907 笠懸山陣營事
此後秀吉公大神君ヲ招カレ、御同道ニテ高揚ノ地へ打出、小田原ノ城ヲ視下シ給ヒ、家康公ノ御手ヲ執テ、アレ見給へ、北條家ノ滅亡、程有ベカラズ、氣味ノ克キ事ニテコソアレ、左アラバ關八州ハ貴客ニ進ラスベシト契約有テ、家康主モイザ小便ヲメサセトテ、敵城ノ方へ向ヒ、打連テ小便シ給ケリ、サレバ今ノ世マデモ、東國ノ兒女相謂テ、關東ノ連小便ト申ス事ハ、此吉兆ヲ傳ヘタリ、

〔甲陽軍鑑〕

〈十五/品第四十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0908陣所制札
一喧嘩は(○○○○)、兩方共に成敗(○○○○○○)、但穿鑿の沙汰有て、道理非を分、坂をこさすべき事、

〔駿臺雜話〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0908 風俗は政の田地 しかるに、天下國家には、風俗といふ物ばかり大切なるはなし、君上の威は天の如く、其恐るべき事は雷の如し、たれか背くべき、なれども世話に大勢に手なし(○○○○○○)といふやうに、一世の風俗には勝ちがたし、

〔瓦礫雜考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0908 瓢簟で鯰(○○○○) 此諺は、もと禪家などに起りしことにや、相國寺如拙といへる僧、この圖を作れり、〈○圖略〉其序詞云、大相公俾如拙畫新樣於坐右小屛之間とあり、〈○中略〉大相公とは義滿公にや、此の頃より專いひ弘し事なるか、

〔下學集〕

〈下/態藝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0908 忠言逆耳(チウゲンサカフミヽニ/○○○○)〈孔子曰、良藥苦於口、而利於病、忠言逆於耳、而利於行也、〉

〔日本靈異記〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0908 智者誹昌妬變化聖人而現至閻羅闕地獄苦緣第七
行基聞之言、歡矣貴哉、誠知、口傷身之灾門(○○○○○○)、舌剪善之銛鉞(○○○○○○)、

〔平家物語〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0908 淸水えんしやうの事
院中のきりものに、さいくはうほうしといふ者有、おりふし御前ちかう候けるが、進み出て、天に口なし、人をもつていはせよと申す、平家もつての外にくわぶんに候間、天の御はからひにやとぞ申ける、人々此事よしなし、かべにみゝ有(○○○○○○)、おそろし〳〵とぞ、各さゝやきあはれける、

〔義經記〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0908 かゞみの宿にて吉次宿にがうとう入事保元平治よりこのかた、源氏の子孫こゝやかしこにうちこめられておはするぞかし、成人しておもひ立給ふ事あらば、よく〳〵こしらへ奉りてわたし參らせ給へ、かべにみゝ(○○○○○)、岩にくち(○○○○)といふ事あり、くれなゐは園生にうへてもかくれなしと申、〈○下略〉

〔大鏡〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0908 おぼしき事いはぬは(○○○○○○○○○)、げにぞはらふくるゝ(○○○○○○)心ちしける、かゝればこそむかしの人は、もの いはまほしくなれば、あなをほりては、いひいれ侍りけめとおぼえ侍る、

〔徒然草〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0909 おぼしき事いはねば(○○○○○○○○○)、腹ふくるゝ(○○○○○)わざなれば、筆にまかせつゝ、あぢきなきすさびにて、かいやりすつべきものなれば、人の見るべきにもあらず、

〔太閤記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0909 秀吉初て普請奉行の事
信長公きこしめして、猿めは何を云ぞ、何事ぞと問給へ共、さすが可申上義にあらざれば、猶豫し給へる處に、是非に申候へとて、かひなを取てねぢかゞめ給ふ、有のまゝに申せば、宿老共を讒するに似たり、又申さねば君の仰を背に似たり、呼(アゝ)口は禍門なり(○○○○○○)と世の諺に傳へし事、今おもひあたりたり、

〔關八州古戰錄〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0909 秀吉公湯本著陣事
小田原ノ本城へ莟(ツホ)ミシカバ、氏政父子、畑、湯本、石橋、米神ヘモ出張シテ、防戰ヲ遂ベキヤノ旨、評議セラレケル處ニ、松田尾張入道進ミ出テ、氣ニ乘タル大敵ニ向ヒ、後レ色付タル味方ノ勢、徒ニ打向テ敗北セバ、重テ有無ノ一戰叶フベカラズ、只先籠城有テ、守成堅固ヲ專トシ、敵ノ勞ヲ伺ハレ、然ルベシト申ケレバ、サシモノ諸將奉行頭人マテモ、直諫シデ巧夫ノ計略ヲ出シ、敵ヲ挫クベキ適當ノ貪著ナク、彼モ是モ手ヲ拱ヌキ、松田ガ吻而已ヲ守テ、虚々ト日ヲ送ケルハ、情ナカリシ次第ナリ、〈○中略〉サレバ其比關東ノ俚俗、果敢々々シカラヌ評議ヲバ、小田原談合(○○○○○)ト云觸シテ、今ノ世マデノ常談ニ傳へ、此時ニ起レル事ナリトゾ、

〔松屋筆記〕

〈百〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0909 般頭多くて山へ船を漕上る
俗に評議のまち〳〵にて、決せざるを、船頭が多くて山へ船を擧る(○○○○○○○○○○○○)とも、又小田原評諚(○○○○○)ともいへり、〈○下略〉

〔明良洪範〕

〈十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0909 此作左衞門〈○本多〉三州ニ奉行タリシ時、法度書ヲ出サレシニ、農人一向用ヒズ、コレ ニ依リテ下役人、用ヒザル農人ヲ召捕テ差出ス、作左衞門默然トシテ暫ラク考へ居タリ、シテヤガテ其農人ヲユルシ遣リ、法度書ノ高札ヲ取寄セ、先ノ文字ヲ皆删ラセ、イロハノ假字ニテ、何々ノ事ヲスルト、作左作衞門ガ切ゾト、殘ラズ平ガナニ書キカヘテ、建サセケレバ、其後ハ法度ヲ犯ス者一人モ無リシトナリ、農人ナドハ文字ノ讀メヌモノ、十人ニ九人アリ、此故ニ作左衞門平ラガナニ書カヘタルナリ、人ヲ觀テ法ヲ説ク(○○○○○○○○)コソ肝要ナレ、

〔燕居雜話〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0910 ひざとも談合
諺にひざとも談合(○○○○○○)といふ事、出所も定かならず、其うへ膝ともと心得て居る故、何其わからぬなるべし、是は詩大雅板ノ篇に、先民有言、詢芻蕘、といへるに原きたるにて、卑者とも相談すると云ことなるべし、源氏などに、大悲者をだいひざといひし例にて、ひざは卽卑者の字音ならむ、武者をむさ、修行者をすぎやうざ、從者をずさなど云をもて知るべし、是余が久しく疑ひて、近きころ考得し所なり、

〔松屋筆記〕

〈八十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0910 繁文無益 俗に下手の長口上(○○○○○○)といへるごとく、繁文にして拙劣なるもおほかり、

〔古事記〕

〈中/應神〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0910 又秦造之祖漢直之祖、及知酒人名仁番、亦名須須許理等參渡來也、故是須々許理釀大御酒以獻、於是天皇宇羅宜是所獻之大御酒而、宇羅宜三字以音御歌曰、須須許理賀(スヽコリガ)、迦美斯美岐邇(カミシミキニ)、和禮惠比邇祁理(ワレエヒニケリ)、許登那具志(コトナグシ)、惠具志爾(エグシニ)、和禮惠比邇祁理(ワレエヒニケリ)、如此之歌、幸行時、以御杖大坂道中之大石者、其石走避、故諺曰、堅石避醉人(カタシハモエヒビトヲサクル/○○○○○)也、

〔大鏡〕

〈七/太政大臣道長〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0910 又山階寺にて、十月十日より維摩會七日、みなこれらのたびに勅使下向して、ふすまつかはす、藤氏の殿ばらより五位までたてまつり給ふ、南京法師は三會講師しつれば、已講となづけて、その次第をつくりて律師僧綱になる、かゝれば彼御寺いかめしくやむごとなき ところなり、いみじき非道の事も、山階寺にかゝりぬれば、又ともかくも人ものいはず、山しなだうり(○○○○○○)とつけてをきつ、

〔漢語大和故事〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0911 仰(アヲノヒ/○)テ(/○)唾(ツバハク/○) コレハ人ヲ害セントテ、還テ己ガ身ヲソコナフト云諺ナリ、四十二章經曰、惡人欲賢者、仰天而唾、唾不天、還汚己面、世話是ヨリ本ケリ、

〔日本靈異記〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0911 己作寺用其寺物牛役緣第九
冀无慙愧者、覽乎斯錄、改心行善、寧飢苦所迫、飮銅湯、而不寺物、古人諺曰、現在甘露(○○○○)、未來鐵丸(○○○○)者、其斯謂之矣、

〔平家物語〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0911 祇園精舍之事
祇園精舍のかねのこゑ、諸行むじやうのひゞきあり、しやらさうじゆの花の色、盛者必衰のことはりをあらはす、おごれるもの久しからず(○○○○○○○○○○○)、只春の夜の夢の如し、

〔漢語大和故事〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0911 奢者不久 老子經曰、自敖者不長、

〔日本靈異記〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0911烏邪淫世修善緣第二
夫將火炬時(○○○○)、先備蘭松(○○○○)、將雨降時(○○○○)、兼潤石板(○○○○)、示鳥鄙事、領發道心、先善方便、見苦悟道者、其斯謂之矣、

〔平家物語〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0911 福原おちの事
平家はふく原のきうりに著て、大臣殿しかるべき侍、老少數百人召ての給ひけるは、しやく善のよけい家につきせず、せき惡のよわう身におよぶが故に、神明にもはなたれ奉り、君にもすてられまゐらせて、帝都を出て旅泊にたゞよふ上は、何の賴か有べきなれども、一じゆのかげにやど(○○○○○○○○○)るも(○○)、先世のちぎりあさからず(○○○○○○○○○○○)、同じながれをむすぶも(○○○○○○○○○○)、他生のえん猶ふかし(○○○○○○○○○)、〈○下略〉

〔義經記〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0911 伊勢三郎義經の臣下に初て成事
御ざうし今夜一夜はたゞかし給へ、色をも香をも知る人そしるとて、とをさぶらひへするりと 入てこそをはしける、女力をよばず、内に入て、おとなしき人にいかにせんずるぞといひければ、一河のな(○○○○)、がれをくむもみなたしやうのえん(○○○○○○○○○○○○○○○)なり、なにかくるしく候べき、〈○下略〉

〔萬葉集〕

〈五/雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0912 沈痾自哀文 山上憶良作
我犯何罪此重疾、〈○註略〉初沈痾已來、年月稍多、〈謂經十餘年也〉是時年七十有四、鬢髮班白、筋力尫羸、不但年老、復加斯病、諺曰、痛瘡灌鹽(○○○○)、短材截端(○○○○)、此之謂也、〈○中略〉 老身重病經年辛苦及思兒等歌七首〈長一首短六首〉 山上憶良作
靈剋(タマキハル)、内限者(ウチノカギリハ)〈謂瞻浮州人壽一百二十年也、〉平氣久(タイラケク)、安久母阿良矣遠(ヤスクモアラムヲ)、事母無(コトモナク)、裳無母阿良牟遠(モナクモアラムヲ)、世間能(ヨノナカノ)、宇計久都良計久(ウケクツラケグ)、伊等能伎提(イトノキテ)、痛伎瘡爾波(イタキキズニハ/○○○○○)、鹹鹽遠(カラシホヲ/○○○)、灌知布何其等久(ソヽグチフガゴトク)、益益母(マス〳〵モ)、重馬荷爾(ヲモキウマニニ/○○○○)、表荷打等(ウハニウツト/○○○ )、伊布許等能其等(イフコトノゴト)、老爾氏阿留(オイニテアル)、我身上爾(ワガミノウヘニ)、病遠等(ヤマヒヲラ)、加氐阿禮婆(クハヘテアレバ)、〈○下略〉

〔後撰和歌集〕

〈二十/賀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0912 今上梅壼におはしましゝ時、木こらせて奉り給ける、 今上御製
山人のこれるたき木は君が爲おほくのとしをつまむとそ思
御かへし 御製
としのかずつまむとすなるおもにゝはいとゞこづけ(○○○○○○○○○○○)をこりもそへなむ

〔年々隨筆〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0912 重荷に小附(○○○○○)といふことわざいと古し、後撰集に、村上御製、事の數つまんとすなるおもにゝはいとゞ小附をこりもそへなんとあり、近き代、蘆庵といひし人、やせ馬に重荷にこづけつけそへて鞭をおほする世にこそありけれとよめり、〈○下略〉

〔言志錄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0912 諺云、禍自下起(○○○○)、余謂、是亡國之言也、不使人主誤信一レ之、凡禍皆自上而起、雖其出下者、而亦有致、成湯之誥曰、爾萬方有罪、在予一人、爲人主者、當此言

〔駿臺雜話〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0912 年内の立春 されば千里の謬も毫釐の差よりおこる(○○○○○○○○○○○○○○)といふも、こゝにある事なり、濂溪先生の幾は善惡といへるも此事なり、是非のさかひ善惡の關としるべし、

〔下學集〕

〈下/言辭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0913 人間萬事塞翁馬(ニンゲンバンジサイヲウカムマ/○○○○○○○)〈是宋人晦機師頌句也、人間萬事塞翁馬、推枕軒頭雨眠、此句意、人間萬事善不必善、惡不必惡、不喜不悲義也、淮南子云、塞上有一翁馬、人皆弔之、翁曰、惡何必惡、數月此馬將駿馬而來、人皆賀之、翁曰、善何必善、其子好騎馬、墮而折臂、人皆弔之翁曰、惡何必惡、一年胡國大亂、壯年者戰死矣、此子獨以臂折戰而得壽矣、由是視之、則寔善惡不測、世態在今皆然、達者鑒馬、世俗口號吟此句、豈云意哉、〉

〔朝倉始末記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0913 朝倉太郎左衞門入道宗滴進發加州
宮千代心思樣、角テ故郷ニ歸ナバ、諸人ニ面ヲ曝シツヽ、後指ヲサヽレン事、永ク弓矢ノ瑕ナルベシ、身ハ一代名ハ末代(○○○○○○○○)ト聞ナレバ、軍功ヲコソ勤メズトモ、自害ニ耻ヲ雪ント、〈○中略〉腹搔切テ北枕ニゾ臥ニケル、

〔平家物語〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0913 さねもりさいごの事
今度北國へまかり下り候はゞ、定而討死仕り候ふべし、實盛もとは、越前の國の者にて候しが、近年御れうに付られて、むさしの國長井に居住仕り候き、事のたとへの候ぞかし、故郷へは錦を著て歸る(○○○○○○○○○○)と申事の候へば、何かくるしく候べき、錦の直垂を御免候へかしと申ければ、〈○下略〉

政治

〔下學集〕

〈下/言辭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0913 綸言如汗〈禮記云、綸言如汗、出而不再返云々、〉

〔平家物語〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0913 らいがう事
らいがうあじやり〈○中略〉おそろしげなる聲して、天子にたはむれのことばなし、りんげんあせのごとし(○○○○○○○○○○)とこそ承つて候へ、〈○下略〉

〔駿臺雜話〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0913 運慶が口傳 いやしき諺にいふごとく、國の仕置は(○○○○○)、すり木にて升の底をまはす(○○○○○○○○○○○○)がごとくすべし、すみ〴〵すり木の行とゞかぬところあり、其行とゞかぬ所、かへりて人のくつろぎ、事のよけいともなる程に、久しうしておのづから行とゞくものなり、

文學

〔空穗物語〕

〈藏開上一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0913 ゆきまさの少將のかきつく、御すゞりのちかきをさらぬやうにて、ふでをとり給て、おほむくだ物のしたなるはまゆふに、かくかき給、あなめづらしや、
よろづよにまに〳〵みえむあしたづもふりにしことはわすれやはする、とて、奉り給へば、みやいり給ぬ、左のおとゞ、かくおいがくもん(○○○○○○)みなせらるゝなかに、などか衞門督の、いとまめやかにとて、おさめられけむ、〈○下略〉

〔淸水物語〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0914 四條四條の辻に、こま物みせとて、たなひとつに、色々さま〴〵の物を取あつめておき、人の用次第にうるものゝ候、此者に一色にてもあつらへて見候へば、いづれにてもわがしよくにはあらず候、上手のしおきたるを讀賣にいたし候間、御用ならば、其人にあつらへてまいらせんといふ、學文にもうけ賣(○○○○○○○)の人こそおほく候へ、

〔九州のみちの記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0914 太宰帥隆家筑紫に下りける時、扇たまはせ給ふとて、枇杷大后宮、凉しさはいきの松原とよみし所にぞあなるが、誠に歌人は行ずして名所をしる(○○○○○○○○○○○○)と、諺にいへるが如く、松原の景氣海に近く、ちとさしあがり、高き所なれば、すゞしかるべき境地なり、

〔嬉遊笑覽〕

〈三/詩歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0914 諺に連歌師が露字を質に置(○○○○○○○○○○)といふは、何よりいひ出たることか、世の人心〈五〉昔日立花の家より、鳶尾(シヤカ)の前置を金子百兩の質に入れ、連歌の花の下より、露といふ字を黃金二拾枚に置れける、質にあるうちは、花さしに鳶尾をつかはせず、連歌師に露といふことをいださせぬは、此約束を迷惑して請られけるといへり、おもふに作者の滑稽なるべし、さりながら立花連歌はやりたれば、かゝる説も有なり、温故集にむかし露といふ字を質に置たまへるとは、連歌師の風流なり、しら露の手形もとりて今朝の秋、〈蓮谷〉今これらの趣向に倣ひたる事にや、

〔嬉遊笑覽〕

〈三/詩歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0914 世の諺に、俳諧師を、座しき乞食(○○○○○)といやしむこと、もと連歌師をいへり、歌林雜話に、紹巴がことをいふ處、古今は近衞殿より御傳あり、稱名院殿は、かれは乞食の客なればとて、御ゆるしなきなり、

〔元祿太平記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0914 世の中に學問をばしながら、惡きふるまひの人を見て、凡夫の口より、<ruby><rb>論語よみの論 語しらず</rb>○○○○○○○○○○</ruby>と申し候へども、〈○下略〉

〔瓦礫雜考〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0915 能書筆をえらばず(○○○○○○○○)
こは歐陽詢が傳の虞世南が語に、吾聞詢不紙筆皆得志といへるより起りて、唐人も專いふことゝ見えて、淸暑筆談に、余無字學、兼不書云々、或謂善書者不筆紙、また丹鉛總錄に、李白が浣沙詩を評して、張愈光云、李可謂能書不筆矣などあり、

樂舞

〔承久兵亂記〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0915 きやうがたのつはものちうりくの事
山しろのかみごとうのはうぐはんいけどられてきらる、ごとうをば、しそくさゑもんもとつな、申うけてきりてけり、た人にきらせて、首を申うけて、けうやうせよかし、これやほうげんに、ためよしを、よしともきられたりしにをそれず、それはじやうこのことなり、せんぎなかりき、それをこそまつ代までのそしりなるに、二のまひ(○○○○)したるもとつなかなと、萬人つまはじきをぞしたりける、

〔徒然草〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0915 唐橋中將といふ人の子に、行雅僧都とて、敎相の人の師する僧ありけり、氣のあがる病ありて、〈○中略〉目眉額なども腫れまどひて、うちおほひければ、物もみえず、二の舞(○○○)のおもてのやうに見えけるが、〈○下略〉

〔嬉遊笑覽〕

〈附錄〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0915 垣下座(エンシタノザ)とは、舞樂等の時、舞人樂人など、著座する所なり、此外、公事の時もあることなり、地下の座にて、饗などにつく所なり、此處にて舞などある時は、堂上へはみえず、此故に俗に晴たゝぬことを、垣下舞(○○○)といひけるにや、後世の俗談に、椽の下の舞(○○○○○)といふは、垣下の舞をあやまりたるなるべしと、或人はいへり、

兵事

〔下學集〕

〈下/態藝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0915軍作矢(ミテイクサヲハグヤヲ/○○○○)〈晏子春秋云、臨難鑄兵、臨渇堀井此類也、○下略〉

〔書言字考節用集〕

〈八/言辭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0915軍作矢(ミテイクサヲハグヤヲ)〈本朝俗語、蓋据難鑄兵之語、〉

〔淸水物語〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0916 何事も佛の方便にまかせ、正直なるこそよけれ、なま兵法は大疵のもとゐ(○○○○○○○○○○○)、ぢごくのあたりあらあぶなといふ、

武技

〔古今著聞集〕

〈十六/興言利口〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0916 建長元年閑院殿燒失の次日、宮左衞門なにがしとかやいふもの、ぼんのくぼに太刀はき(○○○○○○○○○○)、袖くゝりて、昨日の燒亡に、醍醐に候所にまかり候てはせまいらず候とて、大納言の二品のつぼねへ參りたりける、人々平給する事かぎりなし、

〔嵯峨野物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0916 余〈○二條良基〉此道〈○鷹〉の事はさらにわきまへしらず、たゞ舊記を披覽の次に、さることありしとおもふことばかりをしるし侍なり、はたけすいれん(○○○○○○○)とかやの風情ばかりおほく侍り、〈○下略〉

飮食

〔源平盛衰記〕

〈三十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0916 光隆卿向木曾許附木曾院參頑事
木曾モ其時意得テ、奉見參ケリ、暫ク物語シ給ヒテ、木曾根井ヲ招テヤ給ヘナン、テマレ饗申セト云、中納言淺猿ト思ヒテ、只今不有宣ケレ共、イカヾ食時ニ座タルニ、、物メサデハ有ベキ、食べキ折ニ不食バ粮ナキ者ト成ナリ(○○○○○○○○○○○○○○○○)、トク急グ急ゲト云、

〔十訓抄〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0916 第三不人倫
是はすゝみて、人をあなづるにはあらねども、思はぬ外の事なり、これらまでに心すべきにや、藪にはかうの物(○○○○○○○)といへる兒女士がたとへ、むねをたがへざりけり、

〔松屋筆記〕

〈九十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0916 藪にかうのもの
按、おもひかけぬ藪の中に、馥郁たる香物のありしたとへ也、香物は、今の食料の漬物にも限らず、すべて香はしき物といふ義なるべし、

〔塵袋〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0916 一酒ハ本心ヲアラハス(○○○○○○○○)ト云フハ所見アル歟〈○中略〉
コレハ本心ヲアラハス心也、學生ノエイタルハ、面白キ事ヲモイヒ、才覺ヲモハキ、武士ノエイタ ルハ、タケキ事ヲモアラハスト云ヘル也、エハヌホドハ、ヒカヘテイロニイダサヌガ、エイテ本心ヲアラハストキ、其ノ事カクレヌヲ云フニコソ、

〔倭訓栞〕

〈中編十三/多〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0917 たしむ 嗜をよめり、〈○中略〉俗に好物に崇なし(○○○○○○)といふ、間情偶奇に、平生愛食之物、卽可身と見えたり、

〔漢語大和故事〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0917 千斛万斛モ(/○○○○○)食(メシ/○)一杯(/○○) 俗字ニ、千石万石(○○○○)、コノ諺ハ千石万石ハ、大名ノ知行ナリ、彼俸祿萬斛ノ大家モ、食スル所ハ、一杯ニハ不過、食物ノ美惡ハアレドモ、其所飽貴賎ヒトツナリト、

器用

〔日本書紀〕

〈六/垂仁〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0917 八十七年二月辛卯、五十瓊敷命謂妹大中姫曰、我老也、不神寶、自今以後、必汝主焉、大中姫辭曰、吾手弱女人也、何能登天神庫耶、〈神庫此云保玖釋〉五十瓊敷命曰、神庫雖高、我能爲神庫梯、豈煩庫乎、故諺曰神之神(/○○○)庫隨樹梯之(モハシダテノマヽニ/○○○○○)、此其緣也、

〔枕草子〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0917 はるかなるもの
まさひろはいみじく人にわらはるゝものかな、〈○中略〉里にとのゐ物とりにやるに、男二人まかれといふに、ひとりして取りにまかりなんものをといふに、あやしの男や、一人して二人のものをばいかでもつべきぞ、ひとますがめに二ますはいるや(○○○○○○○○○○○○○○)といふを、なでう事と知る人はなけれどいみじうわらふ、

〔沙石集〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0917 貧窮追出事
或山寺法師ノ弟子、餘ニ貧シカリケルガ、他國へ落ユカント、師ニイトマコヒケンベヤ御房一升入瓶ハイヅクニテモ一升入ゾ(○○○○○○○○○)ト云ケル、有漏ノ法ハ繋地各別ニ候ニヤト答ケル、

〔大鏡〕

〈七/太政大臣道長〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0917 あがりてのよにも、かく大臣公卿七八人、二三月のうちにかきはらひうせ給ふは、けうなりしわざなり、それもたゞこの入道殿〈○藤原道長〉の御幸のかみおほし給へるにこそ侍るめれ、〈○中略〉それにまたおとゞ〈○道長兄道隆〉うせさせ給ひにしかば、いかでかは、ちごみどり乎のやう なる心おはする、との〈○道隆子伊周〉のよのまつりごとし給はむとて、あはたどの〈○道長兄道兼〉にわたりにしそかし(○○○)、ふりをこはべうつはものをまうけよ(○○○○○○○○○○○○○○○○)、と申事、まことにあることなり、

〔源平盛衰記〕

〈二十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0918 佐殿漕會三浦
和田小太郎〈○義盛〉申ケルハ、〈○中略〉君カクテ御座セバ、今ハ具ニ一入思ヒ入テ、平家ヲ亡シ、本意ヲ遂テ、君ノ御代ニナシ參セ、庄園ヲ賜リ、國ヲ知行セン事ヲ評定シ給フベシ、食ヲ願ハヾ器(○○○○○○)ト云下説ノ喩アリ、君モ疾々國々庄々ヲ分ケ給リ候ベシ、中ニモ義盛ニハ日本國ノ侍ノ別當ヲ賜リ候へ〈○中略〉トゾ申ケル、

〔長明無名抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0918歌仙之由敎訓事
おなじ人〈○故筑州〉常に敎ていはく、〈○中略〉さてなにごとをもこのむほどに、その道にすぐれ蹌れば、きりふくろにたまらず(○○○○○○○○○○)とて、そのきこえありて、然るべき所の會にもまじはり、雲客月卿のむしろのすゑにのぞむ事もありぬべし、

〔北條五代記〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0918 岡山彌五郎木下源藏討死の事
かるが故に、武士は先もつて文をまなび、武略をたしなんで、忠を盡し名を萬天の雲井にあげ、面目をしそんにほどこさんとす、今のわかき衆は文武の學びはかつてなく、人より先だてば武威をあらはし、くびをも取と心えて、兩人が如きの犬死し、却て敵に德をゆづり、みかたにをくれをとらせ、忠はなくして不忠をかせぎ、人間一大事の命、徒に失ひぬ、縱ば出るくゐのうたるゝ(○○○○○○○○○)と俗にいふごとし、牛馬をつなぐ杭に德あり、德なくして出る杭いかかでうたれざらん〈○下略〉

〔世鏡抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0918 兒垂髮之法儀事
前車ノ覆ヲ後車ノイマシメ(○○○○○○○○○○○○)トスベシ、唯侍ハ蝸牛ノ角ヲ惜テ、梢ヨリ身ヲ捨テ死シ、虎ノ一毛ヲ惜ミテ、含風死シ、龍ノ龍門ノ瀧ヲ望テ、原上ノ土トナル事ヲ、ツヤ〳〵羨ミ思ベキ也、

〔骨董集〕

〈上編中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0919 宗祇の蚊帳
今俗に見えをいふといふたぐひ、虚言して自誇事を、百七八十年前の諺に、宗祇の蚊帳(○○○○○)といひたるよし、宗祇法師とおなじ、蚊帳に寐たりと、虚言して誇し者ありしより、 の諺になりしとなん

〔世鏡抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0919 八十氏人振舞之事
筆ハ師(○○○)、紙ハ弟子(○○○○)、筆ノマヽニ何事モ書ヨシ、皺(シハヨリ)テ惡キ紙ニ字ヲ書バ、筆ノ損スルガ如クニ、師モロトモニ人ノ口ニ漏テ、師弟地獄ニ落ツ、

〔駿臺雜話〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0919 燈臺もと暗し しばらくありて燭もて至りぬるに、翁ふとおもひよりしまゝ、燭臺をさして、世俗の諺に、燈臺もと暗し(○○○○○○)といふは、いかやうの事にたとへていふにやあらん、をのをのいふて見給へとあれば、座客の中ひとりいひけるは、世に何事にてもあれ、外にはかくれなき事を、其もとにてきけば、却て分明ならぬやうの事にかく申ならし候、〈○中略〉翁きゝてすべて比喩の語は、義理のとりやうにて、色々に申さるゝ物にて候、此諺も各たがひに其義をつくされしにて、もはや此外はあるまじく覺え侍る、但各の申さるゝは、いづれも燈臺もと暗しを、あしきかたにたとへらるゝにて候、翁は又此諺を、よろしき方に取なしてきゝ度こそ侍れ、又一種の道理もあるべきにや、韓退之が短檠の歌に、長檠八尺空自長、短檠二尺便且光と作れるごとく、燭臺も長きは燭のもとくらく、短きは燭のもとあかるし、〈○中略〉しかればもとをあかるくしては、遠きをてらし難し、遠きをてらすは、必もとくらきものとしるべし、〈○中略〉此諺を考ふるに、燭臺はながくしてもとのくらきにて、其明おのづから遠きにおよぶ、君子の道は闇然として日にあきらかなるがごとし、もし短うしてもとあかるければ、其明わづかに近うしてやみぬ、〈○下略〉

〔瓦礫雜考〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0919 ちやうちんにつりがね(○○○○○○○○○○)といふ諺
さて此諺は、ちやうちん出來てよりの後のことなれば、宗鑑法師が新撰犬筑波集に、片荷かるく て持(モチ)やかねけん、
釣がねおちやうちん賣にことづけて
とあるなどや、はじめて物に見えたるならむ、

〔梅園叢書〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0920 人のあしきを捨てよきを取れといふ訓物の直からむ事を欲せば、準繩規矩を用ふべし、これをばさしおきて、杓子を取りて、定規とせんには、千萬年を歷るとも、直くはなるまじきことなり、今の人惡しきを取りて、身の過を覆ふは、これぞ誠の杓子定規(○○○○)なるべし、

〔萬葉集〕

〈五/雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0920 貧窮問答歌 山上憶良〈○中略〉
飯炊事毛和須禮提(イヒカグシコトモワスレテ)、奴延鳥乃(ヌエトリノ)、能杼與比居爾(ノドヨヒヲルニ)、伊等乃伎提(イトノキテ)、短物乎(ミジカキモノヲ/○○○)、端伎流等(ハシキルト/○○○ )、云之如(イヘルガゴトク)、楚取(シモトトル)、五十戸良加許惠波(イトラガコエハ)、寢屋度麻底(ネヤドマデ)、來立呼比奴(キタテヨバヒヌ)〈○下略〉

〔老人雜話〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0920 太閤小田原陣の前に、關東土地の圖を見る、東照宮近侍す、時に眞田阿波守末席にあり、太閤の云、阿波來て圖を見よ、汝を中山道の先手に云付るといへり、此時は家康と同輩に呼て圖を見せ玉ふこと、國郡を何程拜領したらんよりも忝かりしと云、阿波守は伊豆守が父也、東照宮と意趣ありて、中惡き人也、其後太閤阿波を近ふ召て云、汝家康へ禮に往て、間をよくすべし、長き物には卷れよ(○○○○○○○○)と云事あり、旅にて不如意ならんとて、袷二枚進物までを遣され、富田左近を副て遣はさる、

〔漢語大和故事〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0920 大物ハハツリドリ(○○○○○○○○) コノ諺ハ、萬事功ヲ積テ成就スベシ、急速ニハ成ガタシトイハンタメニ、大ナル物ハ少ヅヽ、ハツリトレトハイフナリ、

動物

〔下學集〕

〈下/態藝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0920 師子身中虫(シヽシンチウノムシ/○○○○○)〈喩人自損其身也、言師子雖已死、百獸尚畏其威、不其肉、故身中生虫、自食其肉也、見仁王經矣、〉

〔義經記〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0920 義經みささぎがたちをやき給事
左馬のかみ殿の公達〈○義經、中略、〉この人々をたすけ奉りて、日本國おかれん事こそ獅子虎を千里の野へはなつにて(○○○○○○○○○○○○○○)あれ、〈○下略〉

〔奧州後三年記〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0921 次に千任丸をめし出して、先日矢倉の上にていひし事、たゞ今申てんやといふ、千任かうべをたれてものいはず、その舌をきるべきよしをいふ、源直といふものあり、寄て手を持て、舌を引出さんとす、將軍大きに怒りていはく、虎の口に手をいれんとす(○○○○○○○○○○○)、甚だをろかなりとて追立、

〔甲陽軍鑑〕

〈三/品第十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0921 鈍過たる大將の事
下﨟の喩に、牛は牛づれ(○○○○○)、馬は馬づれ(○○○○○)と申ごとく、我に等者に諸役を申付るにより、馳廻ほどの人、皆たはけ也、

〔淸水物語〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0921 水と水とはあつまりやすく、火と火とはともなひやすし、いやしきこと葉にも、牛はうしづれ(○○○○○○)、馬は馬づれ(○○○○○)といへることばあり、

〔駿臺雜話〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0921 浩然の氣 世話に、牛の一さん(○○○○○)といふやうに、やゝもすれば、機嫌にまかせ、調子に乘じなどして、一概に物を決行して快しとす、是は眞のきれにあらず、反て大に氣をそこなひ、心の刃こぼれつべし、

〔竹齋物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0921 佛の道を願ひたまふとも、人の心を破り給はゞ、角は直りて牛は死ぬる(○○○○○○○○○○)ことゝなるべし、

〔漢語大和故事〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0921 馬ノ耳ニ風(○○○○○)トハ 愚人利欲ニノミ沈溺シテ、聖賢ノ敎誡、更ニ耳ニイラズ、心ニ納得セザルハ、サナガラ馬ノ耳ヲ風ノサソウタルガゴトシトナリ、東坡詩曰、靑山自是絶世、無人誰與爲容、説向市朝公子、何殊馬耳東風(○○○○)、〈○下略〉

〔鹽尻〕

〈五十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0921 瓢より駒を出す(○○○○○○○)繪あり、是は卯月江錄に、張果老踏破故盧といふと、亦張果紙を以て 驢馬とせし事、太平廣記なんどにあるを取合せて、好事の者描し成べし、

〔今昔物語〕

〈二十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0922 美作國神依獵師謀生贄語第七
年來飼付タリケル犬山ノ犬ヲ二ツ撰リ勝リテ、汝ヨ我ニ代レト云ヒ聞セテ、懃ニ飼ケルニ、山ヨリ密ニ猿ヲ乍生捕テ持來テ、人モ無所ニテ役ト犬ニ敷ヘテ噉セ習ハス、本ヨリ犬ト猿(○○○)トハ中不吉者ヲ、然力敎へ習ハスレバ、猿ダニ見レバ飛懸テハ噉殺ス、〈○又見宇治拾遺物語十

〔長門本平家物語〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0922 猿眼の赤髭なるが、もえ黃糸をどしの腹卷鎧に、白柄の長刀持ちたりけるが、〈○中略〉信つら太刀をさげて丁と合す、二の太刀をうたせず、むずとくんで、此男を左の脇にかいはさみて、右の手にて太刀を打振りて、出羽判官は是をば見候はぬかや、〈○中略〉信つらにさきざまに追立られて、逃ちりたりける下部ども、まかげをさして見けるが、さる眼(○○○)の赤髭のさうにはよらざりけりといひあひければ、誠にかなしげなる顏をもちあげて申けるは、まさる犬まなこ(○○○○○○○)にあひぬれば、かなはぬぞかしと申けるぞおかしかりける、

〔太閤記〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0922 石動山由來之事
信長公能考がへつ丶、延曆寺累年法威に驕り、惡逆多かりしかば、燒亡し給ひてより、内裏仙洞の玉殿も立直り、攝家淸花等も舊例に粗立かへりぬるように有しなり、然則延曆寺は王城之鎭守と云傳へ侍りしは妄語也、吁あさましかりし聖德太子之用ゐなり、此屬は皆一犬吠虚萬犬傳實(○○○○○○○○)と一味之淺智なるべし、

〔渡邊幸庵對話〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0922 予は左樣の事不存、總て押立たる尚齒の會、此度ともに日本に三度とかや云へり、左もあるか不知、連衆の年數に限り有、餘りは不宜、不足はならぬ事といへり、年齡共詩か歌かに達し、其うへ手蹟も入なり、今の作を自分に書く故、世にむく犬の如くに年計り寄りたる(○○○○○○○○○○○○○○)とて、かならず是を撰ゆへに、古今稀にある事といふか、

〔赤染衞門集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0923 日ごろこもりたるに、夜谷に猿の啼しに、
たよりなき猿とはわれぞおもひつる木をはなれたる猿(○○○○○○○○)もなくなり、

〔源平盛衰記〕

〈二十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0923 南都合戰同燒失附胡德樂河南浦樂事
入道〈○平淸盛、中略、〉イカ樣ニ毛南都ニハ、謀叛人ノ籠タルト覺ユ、追討使ヲ遣テ可攻トゾ披露セラレケル、南都ノ大衆此事ヲ聞キテ、落籠タル謀叛人ハ誰ガシゾ、一天ノ君ヲ始メ奉リ、卿相雲客奉流失、天下ヲ亂テ、今ハノコル處ナク振舞テ、無實ヲ構へ佛法ヲ亡サンヤ、目醒シキ事ナリ、恐クハ木ヲ離タル猿(○○○○○○)ノ迎ヤ儲セヨトテ、木津川ニ廣ナ一町計ノ浮橋渡シテ、左右ニ高欄ヲ立タリケリ、

〔松屋筆記〕

〈八十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0923耳偷
明高僧傳法忠傳に、假使淨名杜口毘耶、釋迦掩室摩竭、大似耳偷一レ鈴、未天機漏泄云々、俗諺に猿が耳を掩て笋を盜(○○○○○○○○○)といふにおなじ、

〔源平盛衰記〕

〈二十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0923 賴朝鎌倉入勸賞附平家方人罪科ノ事
山内瀧口三郎同四郎ハ、廻文ノ時、〈○中略〉猫ノ額ノ物ヲ鼠ノ伺フ(○○○○○○○○○○)定ヤナンドヽ、惡口シタリシ者也、

〔日本書紀〕

〈十一/仁德〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0923 三十八年七月、天皇與皇后高臺而避暑時、毎夜自兎餓野鹿鳴、〈○中略〉俗曰、昔有一人、往兎餓宿于野中、時二鹿臥傍、將雞鳴、牡鹿謂牝鹿、曰、吾今夜夢之、白霜多降之覆吾身、是何祥焉、牝鹿答曰、汝之出行、必爲人見射而死、卽以白鹽其身、如霜素之應也、時宿人心裏異之、未昧爽、有獵人以射牡鹿而殺、是以時人諺曰、鳴牡鹿矣隨相夢也(ナキシシカモイメアハセノマヽニ/○○○○○○○○)、

〔漢語大和故事〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0923 鹿ヲ追者ハ山ヲ不見(○○○○○○○○○) コノ諺ハ、愚人ハ利欲ニノミ目ヲカケテ、道理ノアルトコロヲ不知事、鹿ヲ逐テ山ノ目ニ見ヘヌガゴトクトナリ、淮南子云、逐レ鹿者不兎、又曰逐獸者目不大山、嗜欲有外、則明所蔽矣、コレラノ語ヨリ本キ出タリ、

〔塵袋〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0923 一キツネトラノ威ヲカルト(○○○○○○○○○○○)云フ如何
https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00080.gif ノ宣王時、昭奚恤ト云フモノヲ北國ニスエテ、ツハモノヲシタガへタリ、北方エビス是ヲヲソル、宣王群臣ニトイタマフ、北方昭奚恤ヲヲンルトキク、イカント、諸臣申スモノナシ、江乙ト云フ者申サク、虎ハ百獸ヲモトメテ是ヲクラフ、狐ヲエテクラハントスルトキ、狐タバカテ云ハク、汝我ヲクラフ事ナカレ、天帝ワレニ命ジテ、モロ〳〵ノケダモノヽ長タラシム、汝モシ我ヲクラハヾ、ヲソラクハ天命ヲナイガシロニスルニナリナン、汝フガコトヲモチイズバ、我諸ノケダモノヽ有ン所ヲスギユカン、汝ワガシリへニシタガヒテ、ユキテ見ヨ、モロ〳〵ノケダモノヽ、ワレヲヲソレン事、タチドコロニアラハレナント、ソノトキニ虎コトハリナリト思テ、ステヽニゲサリヌ、狐カク云心ハ、虎若我シリへニシタガハヾ、モロ〳〵ノケダモノ虎ヲ見テ、ヲソレテニゲ、ハシリナン、ケダモノモシニゲバ、フガケダモノヽ長タルガユヘニ、ヲソレテエグルトオモハレント、コノユへニ虎ヲ相具シテケダモノヽモトニユカント、タバカルヲ、トラコノハカリゴトヲサトラズ、クハズシテサリヌナリ、

〔漢語大和故事〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0924 狠ニ衣(オホカミコロモ/○○○) 此諺ハ、世間ニ頭ヲ圓シテ、衣ヲ墨ニシ、容儀ハ出家ヲ標ストイヘドモ、心暴惡ニ、虚假不實ノ僧法師ヲ云世話ナリ、

〔源平盛衰記〕

〈三十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0924行家謀叛木曾上洛事
斯リケル處ニ、木曾西國下向之時、乳母子ノ樋口次郎兼光ヲバ、京ノ守護ニ候ヘトテ、留置タリケルガ、十一月二日早馬ヲ立テ、十郎藏人殿コソ鼬ノナキ間ノ貂誇(○○○○○○○○)トカヤノ樣ニ、院ノキリ人シテ、院宣ヲ給リ、木曾殿ヲ可誅其聞へ候ヘト、申下シタリケレバ、木曾大ニ驚キテ、平家ヲ打捨テ、夜ヲ日ニ繼デ馳上リケリ、

〔松屋筆記〕

〈八十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0924 狐(/○)鼬鼠(イタチ/○○)が最後の(/○○○○)一屁(ヒトツベ/○○)
按に本朝の俗、これを最後のひとつ屁といへり、狐のみにあらず、鼬鼠(イタチ)また最後屁を放(ヒリ)て犬猫を なやましむる事あり、余が故郷にて、鼬鼠誤て造酒家の六尺桶の中に陷り、出るに便なく、最後屁を放(ヒリ)たるに、其臭氣數十日に及べども消(サラ)ずして、これに酒を釀(ツク)る事あたはざりき、

〔駿臺雜話〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0925 朝がほの花一時 翁も其歌にならひて〈○歌略〉
まことに、世話にいふ兎唇の嘯も心なぐさみ(○○○○○○○○○○)にて侍る、各さぞおかしくおぼすらめ、たゞ詞をすてゝ、意をとり給へかし、

〔瓦礫雜考〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0925 尻尾(シツホ/○○)を見せぬ(/○○○○)
陸游が姚平仲小傳に、西子入五湖、姚平仲入靑城山、它年未必不一レ死、直是不末後一段醜境耳、故諺曰、神龍使人見首而不一レ尻などあるも、似たるやうなり、但しこゝにていふは、狐狸のたぐひ、物に化(バケ)をふせて、終に本身を顯さぬ事をいふ成べし、

〔平家物語〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0925 大衆そろえの事
きうてうふところに入(○○○○○○○○○○)、人りんこれをあはれむ(○○○○○○○○○○)といふ本文有、自餘はしらず、きやうしうがもんとにおいては、今夜六はらにをしよせて、討死せよやとぞせんぎしける、

〔平家物語〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0925 かんやう宮の事
其中に花やう婦人とて、ならびなき琴の上手をはしき、凡此后の琴のねを聞ば、たけきものゝふのいかれる心も和ぎ、とぶ鳥も地にをち(○○○○○○○○)、草木もゆるぐ計なり、〈○下略〉

〔平家物語〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0925 もんがくのあら行
大みね三ど、かつらぎ二度、高野、こ川、金峯山、白山、立山、ふじのたけ、伊豆はこね、しなの戸がくし、出羽のはぐろ、そうじて日本國のこる所なふ行ひまはり、さすが猶ふるさとこひしかりけん、都へ歸り上りたりければ、凡飛鳥をも祈り落す(○○○○○○○○)ほどの、やいばのげんじやとそ聞えし、

〔川角太閤記〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0925 太閤樣は播州一國一城に候、西は大敵の輝元をかゝへ、明智はおこり出候へば、太 閤は籠の内の鳥(○○○○○)なり迚身上立間敷と見切、かる羽を被使候事、料簡無之國を打て被出候、自然の仕合せにてこそ明智をば御討被成候、籠城の無用意所は是は感じ入候、

〔八幡愚重訓〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0926 夜ノ鶴ハ思子(○○○○○○)聲九皐高ク、林烏反哺孝(○○○○○)三月ヲヨビ、〈○下略〉

〔沙石集〕

〈五上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0926 學匠之蟻蟎之問答事
サレバ鶴ノハギモキルベカラズ(○○○○○○○○○○○)、鴨ノハギモ續ベカラズ(○○○○○○○○○○)トイへリ、此ハヲノ〳〵自位ニ住シテ、天然ノ道ヲ守リ、愁ズ悦ザル心ニテ、無爲ノ化ヲ行フ事ヲイヘルナルベシ、カヤウノ古事ヲ聞ニハ、學匠ノ蟻蟎ナドカ問答セザラン、

〔新撰六帖〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0926 わし 行家
またはよもはねをならぶる鳥もあらじうへみぬ鷲(○○○○○)の空のかよひぢ

〔義經記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0926 吉次が奧州物語の事
ひでひら〈○藤原氏〉も、くらまと申山寺に、左馬のかうの殿の君達おはしますなれば、だざいの大二位淸盛の日本六十六ケ國をしたがへんと、常はのたまふなるに、源氏の御君達を一人下し參らせ、いは井の郡に京をたて、二人の子どもを兩國のりやうしゆさせて、ひでひら生たらん程は、大炊介に成て、源氏を君とかしづき奉り、うへ見ぬわし(○○○○○○)のごとくにてあらばやとの給ひ候、

〔諺草〕

〈三/太〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0926 鷹は死ぬれど(○○○○○○)、穗をつまず(○○○○○)、 つむとは食事なり、枕草子に椎つみたるとかけり、此諺の意は、義を守る武士は、たとひ飢に及ぶ共、不義の俸祿をば受けずとなり、李白詩曰、鳳飢不粟、所食唯琅玕、焉能與群雞、剌促爭一餐、世諺よく似たり、

〔宇槐雜抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0926 保延三年九月廿四日、左方〈○仁和寺競馬〉依琴柱事由、召渡右將監近方、然而件近方依舞漿束、不琴、如祭之烏(○○○○○)

〔十訓抄〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0926 第七可思慮
乾燥の土の中より、只一度に水を得事はかたかるべし、自又不能不忠の者もよきためしもあれども、それは前生の宿緣厚くこたへて有樣こそはあるらめ、打任せたる習ひとたのまん鵜のまねする烏(○○○○○○○)に似たり、株を守る愚夫にことならず、

〔夫木和歌抄〕

〈二十七/烏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0927 同からす 權僧正公朝
おほゐがは井ぐひにきゐる山烏うのまねす(○○○○○○○)ともうをはとらじな

〔關八州古戰錄〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0927 秀吉公湯本著陣事
氏政、氏直ハ、不器ニシテ徒ニ父祖ノ餘耀ニ誇リ、時機ヲ辨ヘズ、其敵ヲ考ヘズ、險ニ據リ衆ヲ賴テ、竒正虚實ノ作略ヲ忘レ、茫然トシテ如此ノ仕儀ニ及ビ、果シテ國家ヲ失ハレタルハ、悉皆諺ニ云フ、鵜ノ眞似スル烏(○○○○○○○)ノ水ヲ呑テ死スルガ如シ、

〔世事百談〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0927 俚諺
目かどをつけて人を見るを、諺にうの目たかの目(○○○○○○○)にて、油斷のならぬなどいふことあり、この二鳥は目の疾きものゆゑに、たとへていへることゝのみおもひたるに、六俳園立路隨筆に、世の諺に、うの目たかの目といふことあり、〈○中略〉硫黃にうの目たかの目といふありて、いづれも上品なり、是にておもへば、おとらざるにいひ侍るなるべし、

〔義經記〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0927 伊勢三郎義經の臣下に初て成事
男扨も〳〵わごぜをば、志賀の都のふくろ心(○○○○○○○○○)は東のおくのものにこそおもひつるに、色をも香をもしる人ぞ知と、仰られけることばのすゑをわきまへて、宿をかしぬるこそやさしけれ、

〔寶物集〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0927 田舍山寺ニ只暫居住シテ侍リシニ、勸學院ノ雀(○○○○○)ハ蒙求ヲ囀リ、七金山ノ鳥ノ黃ナル翅生タルランヤウニ、ヲ、ロ〳〵承リシハ、諸行無常ヲ觀ズルヲ、佛法ノ大意トハ申ストコソ承リシカ、

〔八幡愚童訓〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0928 勸學院雀(○○○○)囀蒙求、神泉苑鷺ハ勅使ニ被取、

〔齊東俗談〕

〈七/世諺〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0928 勸學院雀 諺ニ勸學院ノ雀ハ蒙求ヲ囀(○○○○○○○○○○)ト云、又雀讀論語(○○○○)ト云コト、笑苑千金ニ出タリ、又紫燕讀論語、百舌敎之、笑海ニアリ、

〔和泉式部家集〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0928 おとここれはなどかすてつる、とりにたまへ、とりかへなくば、あしかりなんと て、をこせたる、
人もなくとりもなからむしまにては此かはほり(○○○○○○○○○○○○○○○○○)もきみもたづねん

〔北條五代記〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0928 北條家の軍に貝太鼓を用る事
是を見てのけ貝を吹、太鼓を擿ければ、入亂れたるいくさなれ共、引聲を聞て、先を見捨て皆引返す、誠に鰐の口をのがれたる(○○○○○○○○○)心ちにて、貝太鼓の威德をかんじたり、

〔太閤記〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0928 秀吉卿從美濃國柳瀨表出勢之事
評曰、筑前守殿去年三月以來、こゝかしこはかをやり給ひし事の、聊不足なる事なをき能考へみずんば徹せじ、諸人皆なみ〳〵の事に思へり、其人も亦倫々の心なるべきか、噫宜乎、非蛇不蛇道(○○○○○○)と云置し事、

〔松屋筆記〕

〈八十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0928 蛙の子は蛙になる(○○○○○○○○)、又管子曰是故、士之子恒爲士云々、按に俗に蛙の子は蛙になるといふに、そのこ、ろ相おなじ、

〔源平盛衰記〕

〈二十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0928 南都合戰同燒失附胡德樂河南浦樂事
播磨國住人頑井庄下司次郎大夫俊方ト云者、重衡朝臣ノ下知ニ依テ、楯ヲ破テ續松トシテ、酒野在家ヨリ火ヲ懸タリ、師走廿日アマリノ事ナレバ、折節乾ノ風烈シテ、黑煙寺内ニ吹覆、大衆猛火ニ責ラレ、炎ニ咽ケレバ、不堪シテ、蜘ノ子ヲ散ス(○○○○○○)ガ如ク落行ケリ、

〔黑谷上人語燈錄〕

〈十二/和語二之二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0928 念佛往生要義抄第四
問ていはく、その他力の樣いかむ、たゞひとすぢに我身の善惡をかへり見ず、決定往生せんとをもひて申を、他力の念佛といふ、たとへば騏驎の尾につきたる蠅の(○○○○○○○○○○)、ひとはねに千里を翥(カケリ)、〈○下略〉

〔漢語大和故事〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0929 愚人夏ノ蟲飛デ火ニ入(○○○○○○○○) 事文類聚續集曰、愚人貪財、如蛾赴一レ火、コノ語ニ本ケリ、
C 植物

〔平家物語〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0929 でんかののりあひ
小松殿〈○平重盛〉此よしを聞給ひて、〈○中略〉およそはすけもりらきくわい也、せんだんは二葉よりかうばし(○○○○○○○○○○○○○)とこそ見えたれ、

〔甲陽軍鑑〕

〈十三/品第四十上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0929 信玄公を始奉り家老衆大身小身善惡の儀分別之事、附物の事宜作法手本 に成事
一或夜信玄公宣は、澀柹をきりて木練をつぐ(○○○○○○○○○○○)は、小身なる者のことわざなり、中身よりうへの侍、殊に國もつ人は、猶以澀柹にて其用所達すること多し、但德おほしと申て、つぎてある木練をきるにはあらず、一切の仕置かくの分なるべきかとのたまふなり、

〔淸水物語〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0929 人にはこのよのすぎはひをいらぬものといひなして、捨ば我拾はんとの心持に候なり、上人こそみゝはあかぬ人とおぼえて候へ、かやうに申しても、げにもと思ひたまはぬは、ゑのみはならばなれ(○○○○○○○○○)、木はむくの木(○○○○○○)といひたるにおなじ、それは情のこはきといふ物也、

〔萬葉集〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0929大伴家持歌 大伴池主
忽辱芳音、翰苑凌雲、兼垂倭詩、詞林舒錦、以吟以詠、能蠲意緖、春可樂、暮春風景最可怜、〈○中略〉不默止、俗語云、以藤績錦(○○○○)、聊擬談咲耳、

〔鴉鷺合戰物語〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0929 にはとりろうこくはかせ禪法、九月廿六日合戰あろう發心事、
先度の合戰、あまりに敵おたやすくおもひで、あなづるかつらにたをされつ(○○○○○○○○○○○○○)、〈○下略〉

〔伊達日記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0929 其上大内長門ト申者備前好身候、節々米澤へ使ニ參、御父子其ニ御存知之者ニ候、後 加齋ト申候、此者休雪、意休ニ會申、瓜ノツルニハ瓜ガナリ(○○○○○○○○○○)、夕顏ノツルニハ夕顏ガナリ(○○○○○○○○○○○○)申候間、深事ハ有間敷候、

〔平家物語〕

〈十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0930 志度かつせんの事
去程に、渡邊福島兩所に殘り留りたりける二百餘艘の船ども、梶原を先として、同じく廿二日の辰め一天に、八島め磯にぞ著にける、四國をば、九郎判官せめ落されぬ、今は何の用にかあふべき、六日のしやうぶ(○○○○○○○)、ゑにあはぬ花いさかひはこゝのちぎりきかなとぞ笑れける、

諺書

〔諺草〕

〈一/序〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0930 われさきに、わらはべのおのこ、文字しるたよりにもなれかしとて、和爾雅といふふみをつゞりて、旣に梓人にさづけ侍る、されどもかの書はもはら、眞茗にかたよりたれば、女文字ならでは解がたき言語などをば、皆是をもらしぬ、故に今又世俗にとなふる諺、兒女のいふ詞どもの、からめやまとの文どもに本づきたる、出所正しきをゑらびて、これをしるし、ちかき人のあつめおけるかんな文どもに、和語をとけるものあるをもひろひとりて、册子となし侍る、もとよりつたなきことはざなれば、よし見る人もあらしとおもひ侍れど、かねてより〳〵心を用ひし事、今更かいやりすてんも本意なければ、吾家の弊帚に加へ侍りぬ、門類のはじめに、先諺を擧たれば、名づけて諺草といふ、誠に無益のわざながら、ひねもす心を用ひざらんより、これをするは猶やむにまさらんかも、

〔毛吹草〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0930 としごろ俳諧に心をよせ侍ける友だちのたれかれより、あふ毎にかたはらいたき事共を去つ丶、たがひにそゝのかして、これをもてあそび侍、凡俳諧の德義を思ふに、詩歌連歌の詞は申に及ず、あらゆる俗語に至る迄、大かた其嫌なく、ひろく云おけるにや、なべての人耳にうとかちずして、和歌の友となる事をのづからなり、〈○中略〉抑此度書集ける其品多し、先句體のそれぞれ、指合のあらまし、次には四季の詞、戀の詞、同連歌の詞も追加しけるは、今めかしき事也、扨又世 話の詞は、俳諧の種にもならんやいなや、あらぬ事迄拾集て、是をつがはす、まして諸國の名物付合等にも、放埓の類多し、皆用捨有べき事にて、發句付句は犬子集の以後、人の語きかせる爰かしこの句、予が愚なるをもあまた入申侍、みる人目をたつべし、いよ〳〵嘲をまねくに似たり、よしよしもとより塵の身なれば、人の詞の玉箒にははき捨られんもさる事ならし、實やかゝる惡事は千里を走ると云、しかもことしは寬永十五年戊寅の毛を吹て疵をもとめん事うたがひなし、すべて發句の數は行歸る虎のあゆみにひとしく、付句といへば、狐住べき國所の道ののりに同じ、よりて睦月後の五日に、大むね是をしるしをはりぬ、
https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00001.gif
謎ハ、ナゾ、又ハナゾダテト云ヒ、古クハナゾナゾトモ云ヘリ、ナゾトハ、何ゾノ義ニシテ、卽チ人ニ問フニ、隱語ヲ寓シタル言語、若シクハ詩歌ヲ以テシ、之ヲ解クモノヲシテ、能ク問者ノ意ニ的中セシムル戲ヲ謂フナリ、謎ニハ又字體ヲ分析シ、或ハ其邊旁ヲ離合シテ判スルモノアリ、之ヲ字謎ト云フ、又歌合ニ倣ヒテ、互ニ優劣ヲ爭フモノアリ、之ヲ謎合ト云フ、後世、繼連歌、謎附、判ジ物等アリ、何レモ皆謎ヨリ出タル遊戲ナリ、

名稱

〔類聚名義抄〕

〈五/言〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0931 謎〈莫閉反、隱語、カクスコト、セム、〉

〔下學集〕

〈下/態藝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0931 謎(ナソダテ)〈迷言也〉

〔運歩色葉集〕

〈那〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0931 謎立(ナゾタテ)

〔易林本節用集〕

〈奈/言辭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0931 謎(ナゾダテ)

〔書言字考節用集〕

〈八/言辭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0931 謎(ナゾ)〈玉篇、隱言也、〉庾詞〈代醉、古之所謂庾詞、卽今之隱語、而俗所謂謎也、〉

〔史記〕

〈四十/楚世家〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0931 莊王卽位三年不號令、日夜爲樂、令國中曰、有敢諫者死無赦、伍擧入諫、莊王左抱鄭姫、右抱越女、坐鐘鼓之間、伍擧曰、願有隱、〈隱調隱、藏其意、〉曰、有鳥在於阜、三年不蜚不鳴、是何鳥也、莊王曰、 三年不蜚、蜚將天、三年不鳴、鳴將人、擧退矣、吾知之矣、居數月、淫益甚、大夫蘇從乃入諫、王曰、若不令乎、對曰、殺身以明君、臣之願也、於是乃罷淫樂政、所誅者數百人、所進者數百人、任伍擧蘇從政、國人大説、

〔史記〕

〈百二十六/滑稽列傳〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0932 淳于髭者、齊之贅壻也、〈○註略〉長不滿七尺、滑稽多辨、數使諸侯嘗屈辱、齊威王之時喜隱、〈索隱曰、喜音許旣反、喜好也、喜隱謂〉好隱語、好爲淫樂長夜之飮、沈湎不治、委政卿大夫、百官荒亂、諸侯並侵、國且危亡、在於旦暮、左右莫敢諫、淳于髭説之以レ隱日、國中有大鳥止主之庭、三年不蜚、又不鳴、王知此鳥何也、王曰、此鳥不飛則巳、一飛沖天、不鳴則已、一鳴驚人、於是乃朝諸縣令長七十二人、賞一人、誅一人、奮兵而出、諸侯振驚、皆還薺侵地、威行三十六年、

〔一話一言〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0932 或書の中に〈題號不見〉
一謎(なぞ〳〵)を なんど(○○○) 〈覃按、今童のことばに、ナゾ〳〵ナアニ、ナンドノカケガネハヅスガ大事と云るは、此ナンドといふ訛によれるにや、〉

〔鹽尻〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0932 謎(ナゾ)は玉篇に隱言なりといへり、和訓は何ぞ〳〵ととひかけて、其事(カクシゴト)をあかす故、なぞ〳〵といふ、

謎例

〔日本書紀〕

〈二十九/天武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0932 朱鳥元年正月癸卯、御大極殿、而賜宴於諸王卿、是日、詔曰朕問王卿、以端事(アトナシコト/○○○)、仍對言得實、必有賜、於是高市皇子、被問以實對、賜蓁摺御衣三具、錦袴二具、幷絁二十匹、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00209.gif 五十斤、緜百斤、布一百端、伊勢王亦得實、卽賜皂御衣三具、紫袴二具、絁七匹、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00209.gif 二十斤、緜四十斤、布四十端

〔釋日本紀〕

〈十五/述義〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0932 無端事(アトナシコト) 兼方案之今世何何(ノナド〳〵/○○)歟、

〔拾遺和歌集〕

〈九/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0932 なぞ〳〵ものがたりしける所に 曾禰好忠
わが事はゑもいはしろのむすび松千とせをふともたれかとくべき

〔讃岐入道集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0932 ある宮ばらの女房のもとより、なぞ〳〵とてかくいひたる、
かひなしや社のみしていのることなくてみそかに成にけるかな
返し〈○藤原顯綱〉かくぞ
みそかまでいのる社のかひなくば神無月とやいふべかるらん

〔夫木和歌抄〕

〈二十八/竹〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0933 天元四年四月小野宮歌合、なぞ〳〵、いねのおひたるかひつ物、
よみ人不
秋またぬいねかと見しはなよ竹のしたばにねざすこにこそありけれ

〔長秋記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0933 保延元年六月六日戊申、於院有和歌、〈○中略〉事畢有連歌幷なぞ〳〵ものがたり(○○○○○○○○○)の事等云々、

〔散木弃謌集〕

〈七/戀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0933 ある人のもとに、なぞ〳〵物語(○○○○○○)をあまたつくりて、とかせにつかはしたりけるを、 ことざまにときたりけるを、又つかはすとてよめる、
いかでもと思ふ心のみだれをばあはぬにとくる物とやはしる

〔散木弃謌集〕

〈十/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0933 沓冠折句歌
なぞ〳〵物がたりよくとくと聞えける人のもとへ、つくりてつかはしける歌、
小倉山峯より出て行月もあふ坂まではくまなかりけり

〔徒然草〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0933 大覺寺殿にて、近習の人ども、なぞ〳〵をつくりて、とかれける所ヘ、くすし忠守參りたりけるに、侍從大納言公明卿、我朝のものとも見えぬ忠守かなと、なぞ〳〵にせられけるを、唐瓶子とときてわらひあはせられければ、腹だちて退出にけり、〈○中略〉
資季大納言入道とかやきこえける人、其氏宰相中將にあひて、わぬしのとはれん程のこと、何事なりとも答申さゞらんやといはれければ、具氏いかゞ侍らんと申されけるを、さらば、あらがひ給へといはれて、はか〴〵しき事はかたはしもまねびしり侍らねば、尋申すまでもなし、何となきそゞうごとの中に、おぼつかなきことをこそ問奉らめと申されけり、ましてこゝもとのあさきことは、何事なりともあきらめ申さんといはれければ、近習の人々、女房なども、興あるあらが ひなり、おなじくは御前にてあらそはるべし、負けたらん人は、供御をまふけらるべしとさだめて御前にめしあはせられたりけるに、具氏おさなくよりきゝならひ侍れど、其心しらぬこと侍り、馬のきつりやう、きつにのをか、中くぼれ、いりくれんどうと申す事は、いかなる心にか侍らん、承らんと申されけるに、大納言入道はたとつまりて、是はそゞうごとなれば、いふにもたらずといはれけるを、もとよりふかき道はしり侍らず、そゞろごとをたづね奉らんと、さだめ申しつと申されければ、大納言入道まけになりて、所課いかめしくせられたりけるとぞ、

〔三養雜記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0934 なぞ〳〵
徒然草に、註釋の書も多かれど、この馬のきつのなぞ〳〵を解たるものなし、南畝翁の筆記に、眞字徒然草に、馬之吉了狐之尾之中凹入衢連動とかきて、吉了を秦吉了といへるはいかゞあるべき、南郭の大東世語には、馬吃糧狐丘凹入九連等とかき、保己一撿狡は、馬吉駺狐丘凹入九連倒なり、山海經に、犬封國に文馬あり、縞身朱鬣、名づけて吉駺といふ、駿馬も、狐の丘につまづきてぐれんだうと倒るゝことありと云いましめなりとかやとゐり、これにて謎の字面はしらるゝものから、その意までの解に及ばず、閑田耕筆に解たるを倂て明解といふべし、柏原瓦全が記せるものに見えたるよし、〈○中略〉かくいへば、いとむつかしく聞ゆれども、今童兒の常のたはぶれにいふなぞ〳〵に、これと全おもむきの似たるは、厠のわきにて狐こんと啼、それは空言よ、みゝのなきみゝつくがもんどりをうつ、これ馬のきつと同例にて、空言よにてこれまでをはぶくなり、みゝのなきみゝづくは、みゝがなければ、づくの二文字ばかり存(のこ)るを、もんどりをうつといふにて、倒置すれば、屑(くづ)といふ謎となれるなり、

〔閑田耕筆〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0934 謎語といふもの、やまともろこしも、古へより聞ゆ、絶妙好辭を謎字にせるがごとしこゝに柏原の瓦全記せるもの有、をかしければあぐ、
あたり近きにある宮がたの古女房の住ておはしけるが、雨夜のつれ〴〵なるに、なぞ〳〵をかけて興じ給ふ、椿葉落て露となるとかけて、雲ととく、椿葉落てとは、はの言を除く也、露となるとは、つばきのつをゆに置かふに也、さてゆきとはなりぬ、これにつきて、かの兼好の書給ふつれ〴〵草の中に、馬のきつりやうきつにの岡中くぼれいりぐれんどうといふことの、わきがたきに、ものしりの大納言殿もまけになりて、負わざいかめしうせられしといふこと見ゆるが、心にうかびてかうがへ見るに、馬のきつは、馬といふ言のく也、りやうきつにのをか、中くぼれいりとは、り(○)とか(○)と上しもの二文字をのこして、中の七文字をのくるを、中くぼれいりとは、いひまぎらはしたるなり、ぐれんどうは、顚倒(テントウ)にて、殘れるりか(○○)の二文字をさかしまによみ、雁(カリ)になるなぞ〳〵とはとけたり、さしも深くいひかすめて興せし、むかしの風流なるべしといへり、おのれおもふに、此うちれいりの三もじは、いひまぎらはしたるとはいへど、猶いかにともおもはるゝものから、かりと判ずるはおもしろし、

〔宣胤卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0935 文明十三年二月二日丁未、參内番也、今日請取、菅原和長、第二葉室前大納言、家余、次西用前宰相、〈忠顯朝臣番代〉次右衞門督等所參也、宿同前、但葉前大不歸參、勸修寺中納言爲代參之近臣、源大納言、侍從中納言滋野井前宰相中將、言國朝臣、元長等參會、有一獻云々、番衆所同被天酒、又以元長仰下云、なぞ〳〵當座各令新作申入一云々、乍迷惑思案則申入候、有叡感、又有製作、被尋下、各解申之、余殊有御感、小折三合被下也、可面目祝著也、注左、
一殿上の下侍のうへにをくすゞりみうしなひぬ、〈當時番衆所下侍也、余新作、〉石上(セキシヤウ)〈於御前各ときかねけるを、親王御方御ときありと云云、下侍よく置侍り、ことはりおもしろく思食よし、ことに有叡感、〉
一の(野)なかの雪 西川前宰相進之、但右衞門督作之、
ゆの木
一うはぎゑしたる雪はいつもこそあれ右衞門督作進之、
きつね
一やまのかねこゑありて、野に水あり、〈勸修寺中納言作、經茂卿進之、これはよろしからず、〉
さんせうのかは
重てなほ可作進之由被仰下之間、又申入分、
一さけのさかな 余作進之 袈裟と解べし
一くつのうらを穿て、いさごにすこしのこゑあり、〈右衞門督作進之〉くしと解べし
一けんちやうじのさむ門ニ、ちやうもんもなし、門もなし、〈菅原和長作進之〉源氏の一門(モン)ととく、これは舊 院の御さくにありし、ことにてには相違、以外の由、たゝりおほせ下され、和長赤面、眞實新作の由申之、尤不審、
一うぐひすのわかきこゑをたづねて、木々のうへにあり、勸修寺中納言申之、是は一向不其意、 作者所存被尋下、四句のうへの字をとりてうはたきと申之太不然之由被仰下
又被尋下分、兩度ニ三ヅ丶、
一ゆめかへりて、よゐすきぬ、めゆゐと爲廣卿とき申
一あふぎやぶれて、ふたつになる、 あきと余申之のよし被仰下
一せんき(先規)のれいをぞんじて、右大臣ニかへりなりぬ、鬼神太夫と、爲廣卿とき申、
一平ちう(製作)が涙、すみながしと解申之
一木のぬし(親王御作)がこよかし、はしらまつと、勸中とき申、
一鹿(製作)をさしていふもたとへ、むまひゆと、余とき申、
廿五日庚午、昨日新作之なぞだて(○○○○)進上、 一法華經は無二亦無三、法師品は只中、 法師
一日吉祭は中申二あれば、下申、さき追はらふてさき、
日から
一關白申に及ばずとて、山城守をはなしをかれたり、 關山
一さか月を、ねざめにめさゞるは、よしなきとゞけゆへ、 きつね戸屆(トヽク)
一世中の人は、道理ありながら無道也、 ひよどり
一かりはひかしと、花をかへるゆへ、 かなは
三月四日戊寅、申刻參内〈衣冠〉番也、〈○中略〉今日新作之なぞだて注進之、解進之、解樣は不付進
一やどの柳よなど花のころ 花のなきところ
一海棠はむげに匂もなけれども、欺冬にはまさりしを吹ちらしぬ、 板屋
一陶淵明が門ニうへし木は、なばかりに成ぬれども、文字のあとはのこれり、 梨
一堰にせきこめられて、水さかさまにながる、 泉
一秋色維https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00790.gif 五行終 泉
五月五日己卯、〈○中略〉又別紙注之進親王御方、 解樣ハ不
一とし立かへる年のはじめ シトヽ
一梅の木を水にたてかへよ 海
一やの軒のあやめ 雨
一氷の上魚躍て孝子の例(アト)をのこす、 〈孔子又小牛〉
一無上無二なるは、雪のうちの箏、 巫(カンナギ)
一空ニ入てうへを飛去ハ列子が乘物 迦葉
一そのかみうせしうら島かへる マシラ 一西行はさとりて後髮をそる 經
一あま日にひまなし舟の上浪のそこ 鐙
一紅の糸くさりて虫となる 虹
一水魚丿乀(ヘツホツ)双テ成字 漁人
一風終成雨聲 香、又せウ、鷹名

〔後奈良院御撰何曾〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0938 三輪のやまもりくる月はかげもなし すぎまくら
あかしの浦には月すまず はりまくら
瀧のひゞきに夢ぞおどろく あいさめ
ゆきは下よりとけて水のうへそふ 弓
春は花夏は卯のはな秋楓冬は氷のしたくゞる水 しきがは
おとゝひもきのふもけふもこもりゐて月をも日をもおがまざりけり 御神樂
おもふ事いはでたゞにややみぬべき我にひとしき人しなければ おしき
ろはにほへと 岩なし
ろはにほへと さきおれかんな
いろはならへ かんなかけ
いちご岩なし ちご
さい とのいもの
やぶれ蚊帳 かいる
みづ ゆでなし
まへなは目あき、うしろなは目くら、 みゝず ちりはなし はいたか
田 もみぢ
いもじ かながしら
御おんばくだい ふちだか
七日にまはりて、人さすむし、 尺八
うみなかのかへる つた
母には二たびあいたれども、父には一度もあはず、 くちびる
三位の中將は、何ゆへうたれ給ふぞ、 なら火鉢
四季のさきに鬼あり 花あふぎ
花の山ははなの木、はゝその森ははゝその木、 山もり
梅の木を水にたてかへよ 海
鷹心ありて鳥をとる 應
嵐は山を去て、軒のへんにあり、 風車
竹生嶋には山鳥もなし 笙
道風がみちのく紙に山といふ字をかく 嵐
みやつかひかひこそなけれ身を捨てしはさかさまに引は何ぞも 八はし
情有人の娘に心かけゆふぐれことにこひそわづらふ 姫小松
もろこしにたのむ社のあればこそまいらぬまでも身をばきよむれ 唐紙せうじ〈○中略〉
永正十三年正月

〔後奈良院御撰何曾之解〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0939 後奈良院天皇御撰何曾 三輪の山もりくる月は影もなし 杉枕
三輪の山は杉を神木(古事によりて)とするより杉といふなり、もりくる月の影なきは眞闇の意なり、〈杉枕は杉木にて製したるなるべし、透枕にて彫透しあるかとおもへど、淸濁たがへば、さにあらじ、〉上の語は何者と問かけたる語にて、是によりて何曾といふなり、下なるは、それを解たること葉なり、以下皆同じていはず、一々准へてしるべし、〈○中略〉
上を見れば下にあり、下を見れば上にあり、母の腹を通つて子の肩にあり、 一
上の字の下の畫は一なり、下の字の上畫も同じ、母の字の中腹をつらぬき通じたるも、子の字の肩に引たるも皆同じく一の字なり、かくさま〴〵にいふも、何曾の一格なり、是をかねては一の字四つなりなどいふは、たとへなどの例をひろくしらぬ誤なり、〈○中略〉
鐵の柱に綱つけて綱をば引かで柱をぞひく 針
かねのはしらは、針をたとへいふにて、綱つけては、針に糸をつけたるたとへなり、柱に綱(ツナ)つくるは、柱をひくべき爲なるべきを、今いふ所にかへりて綱は引かずして、柱のかたを揃引て、綱をそへてうごかすなりといひて、物縫ふさまをたとへ、全章みなたとへていふ何曾の一種の體なり、〈○中略〉
谷の虎 たゝうがみ
たにはたの字二つの意にてたゝなり、寅は十二支の卯の上にあれば、つらねてたゝうがみと解きたり、簡易(コトスクナ)にいひてたゝみにおもしろし、すべて何曾いひかけたる語は長く、解きたる語は短き物なるに、是はかけたるも、解たるも五言にて、同じほどなるはめづらし、〈○中略〉
嘉永二年正月十一日、君上自去年十二月御所營中爲御慰注解差出旨承命、自卽日稿、割宇爲中卷淨書、而同十七日獻之、爾來卒稿、以下又淨書爲下卷、竟酉二月朔日再獻之、右畢數日之 間、元來承命所之謠曲一番述作之、以正月廿八日之、稿有別卷、以此餘暇急卒之解也、追而可再考、於上卷者、以諸書散在之何曾雜考他日欲輯錄矣、
本居内遠

〔三養雜記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0941 なぞ〳〵
後奈良院御撰何曾といふ書あり、羣書類從にも收めたり、そのかみのなぞ〳〵は、今やうとはすこしく異なり、予かつてきゝたるに、こばたひつくりかへして七月半を、たばこぼん、雀が利を持ながら目をぬかれ、されども子をぼ羽の下にありを、硯ばこ、うみ中てんだうして月なかなかすまずを、蔦葛(つたかづら)、あさつてはあたご參りを、たまごと解ける類、大かたこのおもむきなり、今兒戯にいへるが中にも巧拙あり、破れ障子とかけて、冬の鶯ととく、心ははるをまつ、こはれ三味線とかけて、男の氣性ととく、心はひくにひかれぬ、などやうのことあまたあれど、鄙俚なるものゝみいと多し、

〔翁草〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0941 勅製謎の御歌
秋風のはらへば露の跡もなし荻の上葉もみだれてぞ散る
是を月と解く、心は上の句露の跡なければ、つ文字也、下の句荻の上ばを散らせば、き文字のこる故に、月と成、其頃謎を好ませられ、勅製あまた有しとて、人のいへるは、四國の刀、麻糸ととく、〈心ハ〉阿波、讃岐、伊與、土佐の片名也、
待宵にふけ行かねの聲きけば くるまうし(車牛)
あかぬ別れのとりはものかは はなれうし(放牛)
是らも勅製とかや云める、實否は不知、 渭北春天ノ樹 江東日暮ノ雲 是を藻と解 心は、渭北―退き、江東―退く、右の跡はもの一 文字のこる、是等も右の類ひ歟、

〔寒用入道筆記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0942 謎語之事
一春夏秋冬を昆布に裹だ、何ぞ、 小式部
一ふすべぬかわ衣打きせた、何ぞ、 北白川
一燒亡打れした、何ぞ、 人丸
一股藏のたぬき、何ぞ、 枕
一むらさきの袈裟、すみ染の袈裟、何ぞ、 さゝ
一山がらが、山にはなれて、去年ことし、何ぞ、 唐錦
一山々に風が入た、何ぞ、 嵐山
一わたましのあした、何ぞ、 すみ染の袈裟
一くさゝにさつた、何ぞ、 かいでの木
一ほの〴〵とあかしのうらの朝ぎりにしまかくれ行舟おしぞおもふ、このうたは字あま に て候、何ぞ、 筆
一古今の序やぶれて、歌人の中終る、何ぞ、 きんかん
一酒の入物十、何ぞ、 すゞむし
一あかぬわかれ、何ぞ、 はなれうし
一田、何ぞ、 もみぢ
一花、何ぞ、 なるみ崎
一はらから、何ぞ、 鏡臺
一太山路や深山がくれの薄もみぢ紅葉は散てあとかたもなし何ぞ、 茶磨〈○下略〉

〔甲陽軍鑑〕

〈十一/品第三十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0943 一永祿十二年巳の七月中は、信玄公御内談あり、〈○中略〉其時馬場美濃守より、早川彌三左衞門と云者を使として、内藤修理殿へ、なぞをかけらるゝ、いとげの具足、敵をきる、なに、内藤則とかるゝ、小太刀、馬場聞て、本手よりは、ましなりとほめらるゝ、是は馬場美濃も、内藤修理も、日來なぞずきにて如此、使の早川彌三左衞門ゆきもとりともに、鐵炮手二ケ所負申候、〈○中略〉十月八日〈○永祿十二年〉には、信玄公〈○中略〉一戰をいそぎ度思召候へども、山縣をはじめ、ゆうぐんの八備を、にろねより、志田澤の道へおりて、おしかへり、ちやうしやの首尾あふ事、おそき子細は、八かしらの人數、五千あまりなるをもつて、かくのごとし、然れどもよき時分におしつけ、山縣三郎兵衞備さきのみゆる時に、小荷駄奉行内藤修理方より、寺尾豐後を使にして、馬場美濃守かたへ、なぞかくる、待よひに更行かねのこゑきけば、あかぬ別の鳥は物かは、馬場美濃守則ちとく、車牛、はなれ牛、遣もどるなり、〈○下略〉

字謎

〔三養雜記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0943 字謎
大覺禪師卽心是佛頌に云、有節不竹、三星繞月宮、一人居日下、弗衆人、節の竹冠を除けば、則卽の字なり、星の如く三點して、下に半月をおけば、心といふ字なり、日下と書て、下に一の人といふ字をおけば、是の字なり、弗と人と同ずれば、佛の字なり、これ字謎(○○)の詩なり、四箇口盡皆方、十字在中央、不田字、道不器字、これは詩にあらで字謎なり、解て圖字の謎とせり、〈予かつて和漢の字謎、離合詩、隱語の類を集め二卷とし、猜彚と名つく、〉古歌に、雪ふれば木毎に華ぞ咲にけるいづれを梅とわきてをらまし、といふは、梅字をわかちて詠なり、吹からに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらん、といふも、嵐字をわかちよめるなり、近來の唄淨瑠璃の文句にも、百日曾我〈近松門左衞門作〉に、言しがらむから糸のとくにとかれぬ下心といへるは、戀といふ字の謎なり、江戸節夜の編笠に、山にも松のみだれ髮といふも、謎にみだれるといふ訓あればなり、今の童謠に、松といふ字は木邊に公(キミ)よ、きみ にはなれてきがのこるといふなども、雅俗の分は、自殊なりといへども、おもむきは絶て相似たりといふべし、

〔嬉遊笑覽〕

〈三/詩歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0944 文字を謎にすることあり、無惡善(ナクハサガヨケン)、しゝ子のこのしゝなどの類也、千載集に、季通、ことごとにかなしかりけりむべしこそ秋の心は愁といひけれ、こはむべ山風の歌の類にて、謎にはあらず、文字を解るなり、見る石の面に物はかゝざりきといへるは、謎といふべし、池田正式が、狂歌合に、蘭を草ふきに門をかまへて、西かはのむかひにあきの花ぞかほれる、是いま童のいふ草冠やはたちの下に門建て、とうや東やらんやあらゝぎ、といへるに似たり、漢土の字謎といふもの是なり、桂花叢談、〈唐馮翊〉太保令狐相出鎭淮海日、支使班蒙與從事、倶遊大明寺之西廊、忽覩前壁題云、一人堂々、二曜重光、泉深尺一、點去氷旁、二人相連、不欠一邊、三梁四柱烈火燃、添却雙勾兩日全、諸賓至而顧之、皆莫能辨、獨班支使曰、一人非大字乎、二曜者日月、非明字乎、尺一者寸土、非寺字乎、點去冰旁、水字也、二人相連、天字也、不欠一邊、下字也、三梁四柱烈、火燃、無字也、添却雙勾雨日全、比字也、以此觀之、得大明寺水天下無比八字乎、衆皆恍然曰、黃絹之奇智亦何異哉、また雞肋編宋莊綽筋屐之謎載于前史、鮑昭集中亦有之、如一士弓張泉非衣金卯刀十里草之類、其原出于反正止戈、而詩人因字作謎とありて、王介甫が作れる字謎を多く擧たり、

〔北邊隨筆〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0944 なぞ〳〵
又落書といふ事あり、江談抄〈ニ〉云、嵯峨天皇之時、無惡善といふ落書、世間〈爾〉多々也、篁讀て云、无惡〈サカナクハ〉善〈ヨカリナマシ〉讀云々、天皇聞給〈天〉、篁〈カ〉所爲也〈ト〉被仰〈天〉、蒙罪(ランヲ)〈卜スル〉之處、篁申〈テ〉云更不作事也、才學之道然君自今以後不絶申(テ)云々、天皇尤以道理也(トシ給フ)、然者此文可讀(シト)被仰(レテセ)令書給(フ)とて、さま〴〵よみにくき事どもをあけられたり、此落書といふ物も、なほなぞ〳〵に似たるわざなれど、なぞ〳〵は、今俗にいふに同じかるべし、

謎合

〔實方朝臣集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0945 小一條殿の人々、なぞ〳〵物がたりす、
かたずまけずの花の上の露
といひけるに
すまひ草あはする人のなければや

〔枕草子〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0945 故とのなどおはしまさで、世の中にこと出き物さはがしく成て、宮又うちにもいらせ給はず、小二條といふ所におはしますに、何ともなくてうたてありしかば、久しう里にゐたり、御まへわたりおぼつかなさにぞ、猶えかくてはあるまじかりける、〈○中略〉日ごろになれば、こゝろぼそくてうちながむるほどに、おさめ、文をもてきたり、〈○中略〉御かへりまいらせて、すこしほどへてまゐりたり、いかゞとれいよりはつゝましうて、御木丁にはたかくれたるを、あれは今まいりかなどわらはせ給ひて、にくき歌なれど、此おりはさもいひつべかりけりとなん思ふを、見つけてはしばしえこそ慰むまじけれなどのたまはせて、かはりたる御けしきもなし、わらはにをしへられしことそなどけいすれば、いみじくわらはせ給ひて、さる事ぞ、あまりあなづるふる事はさもありぬべしなど仰せられて、つゐでに人のなぞ〳〵あはせしける所に、かたくなにはあらで、さやうの事にらう〳〵しかりけるが、左の一番はをのれいはん、さ思ひ給へなどたのむるに、さりともわろき事はいひ出じとえりさだむるに、其詞をきかんいかになどとふ、たゞまかせて物し給へ、さ申ていと口おしうはあらじといふを、げにとおしはかる、日いとちかふ成ぬれば、猶この事の給へ、ひざうにおかしき事もこそあれといふを、いさしらず、さらばなたのまれそなどむつかれば、おぼつかなしと思ひながら、其日になりて、みなかた人のおとこ女ゐわけて、殿上人などよき人々おほく居なみてあはするに、左の一ばんにいみじうよういしもてなしたるさまの、いかなる事をかいひ出んと見えたれば、あなたの人もこなたの人も、心もとなく打まもりて、な ぞなぞといふほどいと心もとなし、天にはりゆみといひ出たり、右のかたの人は、いとけうありと思ひたるに、こなたのかたの人は物をおぼえずあさましうなりて、いとにくゝあいぎやうなくて、あなたによりてことさらにまけさせんとしけるをなど、かたときの程におもふに、右の人おこに思ひてうちわらひて、やゝさらにしらずと口引たれて、さるがふしかくるに、數させ〳〵とてさゝせつ、いとあやしき事、是しらぬ物たれかあらん、さらにかずさすまじとろんずれど、しらずといひいでんは、などてかまくるにならざらんとて、つぎ〳〵のも此人に論じかたせける、いみじう人の知たる事なれど、覺ぬ事はさこそはあれ、何かはえしらずといひしと後に恨られて、罪さりける事を語出させたまへば、おまへなるかぎりはさはおもふべし、口おしく思ひけん、こなたの人の心ちきこしめしたりけん、いかににくかりけんなどわらふ、これはわすれたることかは、みなひとしりたることにや、

〔小野宮右衞門督家歌合〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0946 をのゝ宮の右衞門のかみのきむだちの、物がたりよりいできたりける なぞあはせ、左あをきうすやうひとかさねにかきて、松のえだにつけたり、かくなむ、
我ことはえもいはしろのむすび松千とせをふとも誰かとくべき
右はむらさきのうすやうひとかさねにかきて、あふぢの花につけたりしは、かくぞ
おくていねの今はさなへとおひたちて待てふるねもあらじとぞ思
かくてえとかぬをば、をのがかた〳〵にとかせて、かちまけをさだむるに、人の心いづれもいづれもおなじやうなりければ、いとよくときつゝ、ぢにてあはせ〳〵たるにあなり、なかにかしこくもあらぬことに思ひあなづりたるにやありけむ、えたしかにとかず、右かたにかずひとつさゝれてまけぬ、
左 なぞこのごろにふるめかしきかするもの いそのかみふるめかしかのするものは花橘のにほふなるべし
右 なぞあづまのかたにひらけたるもの
東路のしづの垣ねの卯花はあやなくなにととふぞはかなき
左右そのことをば思ひえながら、ことはじめにかくまくといふ、左にやありけむ、かたみにしらずとて、とかずなりぬ、ぢにさだめて、をのがかた〳〵、とくことのわすれがたければ、花たちばなにやあらむ、右はやまかつのかきねなる、うのはなかとて、地にさだむ、
左 なぞなを名のり人だのめなるもの
たのめつゝなつくよもなしほとゝぎすかたらふことのあらばこそあらめ
右 なぞうつくしかりし物
うつくしと思ひにしかば撫子の花はいづれの秋かわすれん
左のとふやうは、うつくしかりしものは、おひたちてのちは、うとましかりけれど、をさなかりしほどを思へば、なでしこかといふ、
右かた思ひえたりけれど、つねにぢならむもむつかしとやありけむ、
左 なぞおやをわすれぬ〈○歌闕〉
右 なぞちとせまでおとづれぬ
今こむといひしばかりを命にて杉のこずゑといふぞわりなき
右のいふやう、おやをわすれぬは、こだかき杉のはゝそなりといふ、左はさま〴〵思ひえたれど、いづれならんとおもふ程に、ひさしくなりのとて、まけぬとさだめつれば、左のいふやう、よしさらばなにぞととへば、ちぎりし人を杉のこずゑといふにやあらんとて、
左 わたのはらの戀ぢ あさりせし浦を見しかばわたつうみの磯のはまぐり色こかりしを
右 としの内にときをうしなふもの
ひととせに夏なしとだに思ひては〈○下闕〉
左のいふやう、年の内に時をうしなふ物とあるは、あつくるしきほどなれば、くだ物はなつなしと思ふにやあらむ、右のいふやう、わたのはらの戀ぢは、あま人のもすそしぼるはまぐりなどいひて、これもかれも心ゆきいとおかし、ぢ、
左 なぞおとゝひよりうそぶきかたにいとはるゝもの
千早ぶる神のやり水よどなれてけふみかはぢのおそろしき哉
右 はきものならべたるいのりのし
はき物もふたつならべてつとめこしくつ〳〵ほうしいづこ成らむ
左のいふやう、はきものならべたるいのりのしは、夏の末秋のはじめに聲するくつ〳〵ほうし歟、右解難かりとぞうけ日古天たの事を〈○右以下恐有誤字〉ゑこゝろよくときやらず、かゝれば左みかは地とくかちぬ、
左 なぞおほそらにつはものゝきたる
弓はりのかたとの月を山のはにそらつはものゝいるかとぞみる
右 なぞあてならぬたき物

繼連歌

〔明月記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0948 嘉祿二年二月十日、午時許參大納言殿、〈北邊大宮○中略〉少時知家卿參入、信實朝臣、家長朝臣等在御前、被頭申將未時許參入、〈著直衣〉卽以淸定講師、被上三首題、訖有連歌、賦何乎何乎(○○○○)、自然及五十韻、乘月退出、

〔宣胤卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0948 文明十三年五月五日己卯、顯乘來、今日繼連歌付待從中納言、禁裏可書進之由、以彼卿先 日被仰下之故也、昨日持參之處、御聯句無骨之間不進、他人無此類、余始而沙汰之、〈○中略〉
ふる雨の晴ぬるあとや草の露 蕗也
こゑはうへなり萩の下かせ 御器 發句腋後日直進之
曉の月のいる後まとろみて 茜(アカネ)
菊のうへはらへは露のあともなし 沓
鐘にかばかり夢ぞみしかき 粥
草にごゑある萩の下かせ 將棊
立かへる旅とてたれをさそはまし 直垂
みるをはじめのあづまぢの末 道
春のくる方より花のほころびて 東方朔 莞〈此分可然之由被仰下
山の尾上ぞまつかすみぬる 鎌 松山同
V 新增犬筑波集

〈春〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0949 玉をつり緖の靑柳の糸
春風にぶらめき渡る松ふぐり
永き日門にたてる傾城
傾城の門立といふなぞは、まつふぐりととくゆゑなり、

謎付

〔我衣〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0949 又寬保元年ノ冬、ナゾ付(○○○)トテハヤル、點者ヨリ題ヲ出ス是ハ今ノ物ハ付(○○○)ナリ、
赤イものは 黑イものは 車でする物は 四角なるものは くゝるものは
カヨウナル品十種ホドヅヽ書テ、イヅレナリトモ心付タル題へ付ル、料十銅ニテ、一番勝百疋、夫ヨリダン〳〵下ル、是モ赤艸紙ニ有、タトヘバ、
赤イものは 親の讓りの黑小袖 黑イものは 田舍ものゝ綿帽子
四角な物は 豆腐の耳
く丶るものは 山ねこ廻しの手
車でする物は 文七元結の尺八の音色
三年ホドハヤル、後御停止ニナル、
ケ樣ナル物ハ付ハ、今ハ七八歲ノ小兒モ云兼ズ、時世ノ是カ非カ、

〔嬉遊笑覽〕

〈三/詩歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0950 古への謎合をみるに、なぞ何々のものと端書あり、俗にものは(○○○)といふも是なり、故に寬保のはじめ謎付といひしは、今の物は付なり、

剣じ物

〔嬉遊笑覽〕

〈三/詩歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0950 又判じ物といふも卽謎ながら、其内書畫などにて、曉らせたるをいふ、淨瑠璃十二段〈枕もんだう〉野中の淸水のたとへとは、ひとり心をすますとや、つゝゐの水の心とは、やるせもなきとの仰かや、尺なし帶のたとへとは、結びかねたとの給ふかや、きのふはけふの物語に、御茶を進上申せ、もみぢにたてゝ參らせよ、こうようたてよと申事ぢや、同物語、ふろやにかう〳〵ふろといふが有、これはいかなるいはれやらんといへば、ふかうにおよばぬ、醒睡笑に、いづれもおなじことなるに、常にたくをば風呂といひ、たてあけの戸なきを、柘榴風呂とはなんぞいふや、かゞみいるとの心なり、
判じ物、歌林雜話に、上京に新城の出きし正月に、御門のからゐしきに、われたる蛤貝を九ツならべ置たり、いかなる心そしる人なかりしに、信長公さとき御智惠にて、これは公方の御心うつけて、くがいかけたるといふことを、京重が笑ひて、したる物ぞと、さゝやかせ給ひしとなり、〈○中略〉願人坊の、判じ物を、鼠半切を小くきりて、摺たるをもてきて錢を乞ふ、明和二年の用柳點の句に、一つかみやりながらきく判じ物、こは文化の末の頃迄は、多くもてありきしが、其後はおのづか らすくなくなりぬ、此頃に至りては止しやうなり、其始はいつの頃よりかしらざれども、享保十四年己酉四月廿五日、願人共なぞはんじ物板行いたし、町々へ持廻り候儀、無用に可致候旨、奈良屋にて申渡これあり、

謎解

〔塵塚談〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0951 當戌年十月より、淺草觀音境内奧山え、頓智なぞと云看板をかけ、盲坊主廿一二歲と見ゆるもの出たり、見物一人に付、錢十六文宛にて入る、見物人より、なぞをかけるに、更にさし支る事なし、解けずといふ事なし、若解けざる時は、掛し人へ、景物に蛇の目の傘などをくれる事也、故に見物の人景物を取らんと、なぞをかける人多し、たま〳〵解ざるなぞ出る事も有よし、此者の才覺頓智なる事を感心驚ざるものはなし、奇なる盲者にて、奧州二本松の産なるよし、撿挍保己一が類の奇人と云べし、


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Last-modified: 2022-06-29 (水) 20:06:25