p.0403 熊〈胡弓反、久萬、〉
p.0403 熊 陸詞切韻云、熊〈音雄、和名久萬、〉獣之似レ羆而小也、
p.0403 説文、熊獸似レ豕、山居冬蟄、上林賦注、張揖曰、熊犬身人足、黑色堅中、當心有二白脂一如レ玉、埤雅、熊似レ豕、本草圖經云、熊形類二犬豕一、爾雅翼、性輕捷、好緣二高木一、見レ人則顚倒、自投レ地而下、
p.0403 㷱熊〈音雄、クマ、今正、〉
p.0403 熊クマ〈○中略〉 クマといふ義不レ詳、百濟の方言にも、熊をばクマと云ひけり、今の如きも、朝鮮の俗、熊を呼びてはコムといふ、クマの音の轉ぜし也、猶此にはウマといふ語轉じて、コマといふが如くなりと見えたり、
太古の俗、神を畏れてカミといひ、亦轉じてクマと云ひしは前に註せり、熊の如きも、其猛なるを畏れて、クマと云ひし、猶大蛇をイカヅチといふが如くなりしと見えけり、熊鰐、熊鷲、熊鷹、また猫をネコマといひ、狻猊をコマイヌと云ひしが如き、又此義なる、〈○下略〉
p.0403 彼梟師どものいと建かりし故に、熊曾とは云なり、熊鰐一熊鷲、熊鷹なども、皆猛きを云稱なり〈熊は獸ノ冲に猛き物なれば、其に准へて猛き物をも云か、はた久麻と云は本より猛きを云言なるを、熊も名に負るか本末はしらず、〉
p.0403 熊 集解、熊類二大豕一、目眥高擧如レ竪、四肢似レ人而肥勁、全體黑色、其色黃白、謂二白熊一、黃赤者謂二黃熊一、倶居二深山一而希矣、凡熊春夏升レ木登巖、而引レ氣墜レ地自快、胸上有二白處一、如二偃月一、俗號二月輪一、常以レ手掩レ之而護焉、人不レ脅レ之、熊亦不レ敵、若欲レ害レ人、則必立、故獵人脅レ之、向レ彼而立、窺二月輪一而刺レ之則斃、若刺二外邊一則挫二刀鎗一、或制レ人、其剛猛不レ可レ當、以レ炮擊レ之、負二玉子三四一而遂死、然恐レ損二外皮及膽血一、毎窺二月輪一而刺レ之爾、冬月棲レ穴以禦レ寒、或孕育、獵欲レ取レ之、則先聚二木片㭬橛棘刺之類一、而投二于穴中一、性惡二穢物及傷殘一、故自攫投二于穴奧一、從二投物之多一、而穴中塡塞熊居窮迫、次第出二于穴口一、獵人待二斯時一而斃レ之、大抵春夏者、膽微小而色透黃、秋冬者膽肥大而色深黃、晒乾則春夏微黑透黃、秋冬者深黑如レ漆、倶入二藥用一、其皮造二泥障座褥軍 、及矛鎗弓砲刀劒之鞘袋一、而世以賞レ之、其黃白者最爲二奇珍一、
肉、氣味、〈古謂〉甘平無レ毒、〈肉硬人食者少、惟山人儘食レ之、〉主治、祛レ風補レ虚、
膽、氣味、〈古謂〉苦寒無レ毒、〈其眞僞詳二于李氏綱目一、入レ水飛轉碎レ塵者、猴膽亦然、惟熊膽入レ水轉時、常曳二一線黃縷一而透明、猴膽亦雖レ曳レ黃、散亂如レ煙、以レ是爲レ證耳、〉主治、淸レ心平レ肝退レ熱止レ痛、明レ目收レ瘡殺レ蟲、愈二蟲牙痔瘡及小兒驚癇一、餘詳二于綱目一、
發明、今本邦治二諸痛疝積小兒驚癇一、用二返魂丹一以療レ之、其方用二熊膽一爲レ主、又治二癖塊諸痛急症一用二熊膽、麝香、沈香、人參、金箔一而療レ之、名曰二奇應丸一、最有レ驗矣、
p.0404 熊 クマ
是ハ毛ノ色黑シ、故ニ總體黑色ナル物ヲクマトツケテ云也、クマゼミ、クマ蜂ノ類ノ如シ、日本ノコト也、前アシノカ多シ、故ニ棒ネヂヲサスナリ、力ツヨシ、東國北國ヨリ皮ヲ多出ス也、大ナルハ長六尺餘、生テイル時ハ形ヲ長シ短フスルト云戸ト也、
p.0404 按二本草所一レ載、熊有二三種一、曰レ熊、曰レ魋、曰レ羆、熊魋二種大同小異、土民呼二末久末一、或呼二志良賀一者爲レ熊、呼二伊志久末一者爲レ魋、又爲二赤熊一、所レ謂末久末者、長毫黑稠密有二光澤一爲二上品一、背上毛短、毛根帶二赤色一、無二光澤一者、爲二伊志久末一、次二末久末一、羆未レ詳二本邦所產之處一、一曰二黃熊一、或曰二豭熊一、又爾雅翼所レ載、猪熊馬熊人熊、並 皆爲二羆之別名一、又或説爲下牡熊毛色如二熊白一者上、卽仙臺別封宇和島侯世子粧二鎗鞘一者是也、蓋世子所レ用以二華渡熊毛一乎、抑出二於封内一乎、余〈○難波義材〉未四嘗聞三南海山中獲二白熊一、又有下奧東松前獲二白熊一説上、而傳聞、曖昧最不レ可レ信也、別錄曰、以二十一月一獲レ熊、今審二本邦所一レ獲、冬至之候、熊掘一山中枯樹根若巖下地一、設二窟穴一蟄伏、所レ謂熊館者是也、蟄時噉二榛皮一、取二瀉下一、絶二飮啄一、據二窟口一、蹲踞如二窺レ人狀一者數日、乃更入レ窟熟寐、至二春月一而始覺、浪二遊四方一、然以二亂山峭絶行歩艱一、春初冰雪稍泮時多獲レ之、不二特十一月一也、時珍曰、蟄時不レ食、饑則舐レ掌傳會甚矣、蓋本三之於熊蹯有二美味之稱一、去レ窟數里、必別作二一二處之窟一、方二其浪遊一、彼此交棲宿、是以節候、或失二其期一、不レ能レ獲レ熊、亦認二舊栖處一、因索二別窟一、爲二後圖一、不レ出二二三年一、棲蟄故也、窟口徑僅一尺許、熊能屈二伸其身一、踊躍出入華元化稱二熊經戲一、非二虚語一也、
p.0405 熊捕
そもそも熊は和獸の王、猛くして義を知る、菓木の皮、虫のるゐを食として、同類の獸を喰ず田圃を荒す、稀に荒は、食の盡たる時也、詩經には男子の祥とし、或は六雄將軍の名を得たるも、義獸なればなるべし、夏は食をもとむるの外、山蟻を掌中に捺著、冬の藏蟄にはこれを䑜て飢を凌ぐ、牝牡同く穴に蟄らず、牝の子あるは子とおなじくこもる、其藏蟄する所は、大木の雪頽に倒れて朽たる洞、〈なだれの事下にしるす〉又は岩間土穴かれが心に隨て居る處さだめがたし、雪中の熊は右のごとく他食を求ざるゆゑ、その膽の良功ある事夏の膽に比ぶれば百倍也、我國にては、飴膽、琥珀膽、黑膽と唱へ、色をもつてこれをいふ、琥珀を上品とし、黑膽を下品とす、僞物は黑膽に多し、〈○中略〉
白熊
熊の黑(○)は雪の白がごとく、天然の常なれども、天公機を轉じて、白熊(○○)を出せり、天保三年辰の春、我が住魚沼郡の内、浦佐宿の在大倉村の樵夫八海山に入りし時、いかにしてか、白き兒熊を虜り、世に珍とて飼おきしに、香具師〈江戸にいふ見世もの師の古風なるもの〉これを買求め、市場又は祭禮すべて人の群る 所へいでゝ看物にせしが、ある所にて、余〈○鈴木牧之〉も見つるに、大さ狗のごとく、狀は全く熊にして白毛雪を欺き、しかも光澤ありて、天鵞織のごとく、眼と爪は紅也、よく人に馴て、はなはだ愛べきもの也、こゝかしこに持あるきしが、その終をしらず、白龜の改元、白鳥の神瑞、八幡の鳩、源家の旗すべて白きは皇國の祥象なれば、天機白熊をいだしゝも、昇平万歲の吉瑞成べし、
山家の人の話に、熊を殺こと二三疋、或ひは年歷たる熊一疋を殺も、其山かならず荒る事あり、 山家の人これを熊荒といふ、このゆゑに山村の農夫は、需て熊を捕事なしといへり、熊に靈あ りし事古書にも見えたり、
p.0406 熊膽
此地〈○琉球〉に木熊土熊(○○○○)とて二種あり、土熊は土の穴の中に住て、其體大ひなれども鈍し、木熊は枯木のうつろに住、其體小さくして建かなり、よく樹木の上に登る、其故に木熊の膽は小さけれども、氣味猛なり、土熊の膽は大にして鈍しといふ、又木熊の膽の中に琥珀手といふ物有、是も又上品なり、京都にて撰む所は加賀の熊膽を最上とす、信濃は少し大也、蝦夷松前より出るは格別大ひなり、然れども皆加賀の膽にはおとるといふ、熊も又松前は甚だ大ひにして、就レ中羆などは殊に大ひにして、よく牛馬を掴裂て喰ふ、人を害する事大かたならず、猛勢あたるべからずとぞ、彼地より來る熊の皮をみるに、毛甚だ深く皮大にして、毛の色金色なるも有、毛至て厚きものは、人の手を五ツ重ねて、猶よく毛の中に隱るゝあり、皮の大きさも疊三帖を隱すもの有、虎の皮三枚の大さあり、他國にはかゝる熊はたへてなし、
p.0406 一熊茄子をいむ事
熊は茄子をいむ、深山の人、薪をこりにゆくに、かならず茄子を帶ぶことを見れば、熊必ずはしりさる、茄子野にあるときは熊膽小なり、茄子なき時は大なり、茄子を見せて、とりたる熊は、膽かな らず小なりとぞ、又馬に恐る、狼は馬をころし、其狼は熊に制せらる、物性いかなればかくあるにか、
p.0407 むじな、たぬき、 海棠庵記
彼〈○羽州由利郡農民〉與兵衞いふ、熊につきのわとて咽喉の下に、白き毛あり、形月の輪(○○○)の如くなれば、しかいふとなん、さるにそのつきの輪に不同あり、圓なるあり、半輪あり、纖月のごときあり、またつきのわのなきあり、こはその熊の生るゝ日十五日なれば輪圓なり、晦日なれば輪なし、餘は月の盈缺によりて、准知すべしといふ、一奇事なり、
p.0407 六帖題 衣笠内大臣
おく山に住あらくまの月のわ(○○○)に夜めこそいとゞくもらざるらめ
p.0407 熊掌(○○)狸澤渡、〈○中略〉氷魚等或買㒃、或乞索、令レ進レ之候、
p.0407 熊掌、狸澤渡、猿木取、いづれも皆手足の事也、
p.0407 熊脂(○○)一名熊白、〈陶景注云、是背上膏也、〉羆〈似レ熊而頭長脚高、 聡多力、〉一名狼羆〈音鄙宜反、關西名之、已上二名出二崔禹一、〉和名、久末乃阿布良、
p.0407 熊白(○○) 本草云、熊脂一名熊白、〈和名久萬乃阿布良〉熊背上膏也、
p.0407 原書獸部上品熊脂條陶注云、此脂卽是熊白、是背上膏、則知此所レ引陶注也、本草和名亦云、熊脂一名熊白、陶景注云、是背上膏也、此有二一名字一、似下從二本草和名一引上レ之、
p.0407 熊脂〈クマノアブラ〉 熊白〈訓同〉
p.0407 祥瑞
赤熊(○○)〈○中略〉 右上瑞〈○中略〉
靑熊(○○)〈○中略〉 右中瑞
p.0408 故神倭伊波禮毘古命、從二其地一〈○紀伊國男水門〉廻幸、到二熊野村一之時、大熊髮出入卽失、爾神倭伊波禮毘古命、倐忽爲二遠延一、及御軍皆遠延而伏、〈遠延二字以レ音〉
p.0408 延喜二年九月七日庚戌、西京不意熊出來、咋二損人一、卽於二淳和院北邊一被二射殺一、
四年十一丹六日丙寅、熊入二來左衞門陣一、卽捕繫、
p.0408 薩摩の獵師にや有けむ、山路を通るとてがけ道をふみはづし、谷底へ陷り、幸にあやまちはせざりけれど、絶倒しけるを、大なる熊出て、掌を口に當てすりければ、をのづから嘗めけるが、甘き事限りなし、さて有て熊先に立てゆきけるに付て住ほどに、窟の中に入ぬ、草を置てその上にをらしめ、いたはる體に見へ、時々掌を出候て舐らするに、飢る事なかりけり、明日歸べきと思ひ、人に暇こふ如して出けるに、熊はなごりおしげに見へてのぼるべき路まで案内して別れ去けり、此者不仁なる者にや、其のち鐵砲を持つゝ、かの道よりつたひ下りて、かの窟にゆき、熊の臥居たるを打ころし、膽を取て奉行所に捧しに、そのしだいを尋られて、中將綱久朝臣聞たまひ、獸さへ人の難義を救ひいたはりしに、其恩を不レ知のみならず、是を害せしとて、人にして獸にをとれり、かゝる者は世のみせしめなりとて、其窟の前に磔に行れけり、
p.0408 山獸の中には熊は人に馴安きもの也、華山のさき牛尾道と三條への別路に、菓賣女のかり初に出居るが、熊の子をつなぎたるをおのれ立よりて見て、其菓物を買て熊に與へたれば、女うまいと申せといふ聲に隨ひてうなりたる、いかにもうまい〳〵と聞ゆ、幾度も同じ、伊吹山よりいまだ乳をのむものを、人のとらへ來るを買て、初は物を嚙てあたへしに、今は三とせになれりといひしが猶小なりし、旅人來あひて是は大にして觀場の料に賣んとにやといひしに、女いなかく養ひて何かは賣べき、生涯飼ひぬべし、もとより是がために物買かふ人も多しといはれて、旅人は得ものいはざりき、殊勝のこたへ也と思ひてわすれず、
p.0409 强勇
夫凡獸を見聞及びぬるに、熊ほど强力なる物はなしと覺ゆ、薩摩國にて、獵人は山の岨をねらひ歩きけるに、濱邊に大熊一雙、子熊を連て蟹をとらせ居たり、傍へなる大石を引起し手して是を差上て、其下に子熊を入て、蟹をとらせける、子は只餘念なく喰居ける、親熊は大石を持上ながら、四方を見廻す處に、忍び寄て思ふ儘に月の輪をねらひ濟して打放す、何かは以てたまるべき、彼石を打落し、倒れて一箭に留りければ、村人歸りて人を集め親熊をば取得たり、扨子熊を取らんと十人計りして彼石を引起さんとするに、更に動きもやらず、追て人を增て三十二三人して漸に引起し見れば、子熊は打栗の如くひしげて砥の如し、是を以て計り見るに、左程の犬石を輕々と引立て、大切に養育せる子を下へ入て置事を、容易く思ふ程にあらざれば、危き事はなすべからず、然ば先四五十人力は有べきかといへり、〈○下略〉
p.0409 熊捕
越後の西北は、大洋に對して高山なし、東南は連山巍々として、越中、上信、奧、羽の五ケ國に跨り、重岳高嶺肩を並べて、數十里をなすゆゑ、大小の獸甚多し、此獸雪を避て他國へ去るもあり、さらざるもあり、動ずして雪中に穴居するは、熊のみ也、熊膽は越後を上品とす、雪中の熊膽はことさらに價貴し、其重價を得んと欲して、春暖を得て、雪の降止たるころ、出羽あたりの獵師ども、五七人心を合せ、三四疋の猛犬を牽き、米と鹽と鍋を貯へ、水と薪は山中在るに隨て用をなし、山より山を越、晝は獵して獸を食とし、夜は樹根岩窟を寢所となし、生木を燒て寒を凌ぎ、且明しとなし、著たまゝにて寢臥をなす頭より足にいたるまで、身に著る物悉く獸の皮をもつてこれを作る、遠く視れば猿にして顏は人也、金革を衽にすとは、かゝる人をやいふべき、此者らが志所は、我國〈○越後〉の熊にあり、さて我山中に入り、場所よきを見立、木の枝藤蔓を以て、假に小屋を作り、これを居所 となし、おの〳〵犬を牽き、四方に別て熊を窺ふ、熊の穴居たる所を認むれば、目幟(めしるし)をのこして、小屋にかへり、一連の力を倂て、これを捕る、その道具は、柄の長さ四尺ばかりの手鎗、或は山刀を、薙刀のごとくに作りたるもの、鐵炮山刀斧の類也、刃鈍る時は、貯へたる砥をもつて自硏ぐ、此道具も獸の皮を以て鞘となす、此者ら春にもかぎらず、冬より山に入るをりもあり、〈○中略〉
さて熊を捕に種々の術あり、かれが居所の地理にしたがつて、捕得やすき術をほどこす、熊は秋の土用より穴に入り、春の土用に穴より出るといふ、又一説に穴に入りてより穴を出まで、一睡にねむるといふ、人の視ざるところなれば信じがたし、
沫雪の條にいへるごとく、冬の雪は軟にして、足場あしきゆえ、熊を捕は、雪の凍たる春の土用まへ、かれが穴よりいでんとする頃を、程よき時節とする也岩壁の裾、又は大樹の根などに藏蟄たるを捕には、壓といふ術を用ふ、天井釣ともいふ、その制作は、木の枝藤の蔓にて、穴に倚掛て、棚を作り、たなの端は地に付て、杌を以てこれを縛り、たなの横木に柱ありて、棚の上に大石を積ならべ、横木より繩を下し、繩に輪を結びて穴に臨す、これを蹴綱といふ、此蹴綱に轉機あり、全く作りをはりてのち、穴にのぞんで玉蜀烟草の莖のるゐ、熊の惡む物を焚、しきりに扇て烟を穴に入るれば、熊烟りに噎て、大に怒り、穴を飛出る時、かならずかの蹴綱に觸るれば、轉機にて棚落て、熊大石の下に死す、手を下さずして熊を捕るの上術也、是は熊の居所による也、これらは樵夫も折によりてはする事也、
又熊捕の場數を踏たる剛勇の者は、一連の獵師を、熊の居る穴の前に待せ、己一人ひろゝ蓑を頭より被り、〈ひろゝは山にある草の名也、みのに作れば藁よりかろし、獵師常にこれを用ふ、〉穴にそろ〳〵と這入り、熊に蓑の毛を觸れば、熊はみのゝ毛を嫌ふものゆえ、除て前にすゝむ、又後よりみの毛を障らす、熊又まへにすゝむ、又さはり、又すゝんで、熊終には穴の口に至る、これを視て待かまへたる獵師ども、手練の鎗尖にか けて突留る、一鎗失ときは、熊の一揆に一命を失ふ、その危を踏で熊を捕は、僅かの黃金の爲也、金慾の人を過事、色慾よりも甚し、されば黃金は道を以て得べし、不道をもつて得べからず、又上に覆ふ所ありて、その下には雪のつもらざるを知り、土穴を堀て蟄るもあり、然れどもこゝにも三五尺は吹積也、熊の穴ある所の雪には、かならず細孔ありて管のごとし、これ熊の氣息にて雪の解たる孔也、獵師これを見れば、雪を堀て穴をあらはし、木の枝柴のるゐを穴に插入れば、熊これを搔とりて穴に入るゝ、かくする事しば〳〵なれば、穴逼りて、熊穴の口にいづる時、鎗にかくる、突たりと見れば、數疋の猛犬いちどに飛かゝりて囓つく、犬は人を力とし、人は犬を力として殺もあり、此術は椌木にこもりたるにもする事也、
p.0411 捕熊 〈熊の一名子路(しろ)〉
熊は必大樹の洞中に住みて、よく眠る物なれば、丸木を藤かづらにて、格子のごとく結たるを以て洞口を閉塞し、さて木の枝を切て其洞中へ多く入るれば、熊其枝を引入れ〳〵て洞中を埋、終におのれと洞口にあらはるを待て、美濃の國にては竹鎗、因幡にては鎗、肥後には鐵炮、北國にてはなたきといへる薙刀のごとき物にて、或は切或は突ころす、何れも月の輪の少上を急所とす、又石見國の山中には昔多く炭燒し古穴に住めり、是を捕に、鎗鐵炮にて頓にうちては膽甚小さしとて、飽まで苦しめ憤怒せて打取なり、又一法には、落しにて捕るなり、是を豫州にて天井釣と云、〈又ヲソとも云〉阿州にておすといふ、〈ヲスはヲンにて在語也〉其樣圖〈○圖略〉にて知るべし、長さ二間餘の竹筏のごとき下に鹿の肉を穴に燻べたるを餌とす、又柏の實シヤ〳〵キ實なども蒔也、上には大石二十荷ばかり置く〈又阿州にて七十五荷置くといふなり〉ものなれば、落る時の音雷のごとし、落て尚下より機を動かすこと三日ばかり、其止時を見て石を除き、機をあぐれば、熊は立ながら、足は土中に一尺許り踏入て死することみなしかり、 又一法に陷し穴あれども、機の制に似り、中にも飛驒加賀越の國に は、大身鎗を以て追廻しても捕れり、逃ることの甚しければ、歸せと一聲をあぐれば、熊立かへりて人にむかふ、此時又月の輪といふ一聲に恐るゝ體あるに、忽ちつけいりて突留めり、これ獵師め剛勇且手練早業にあらざれば、却て危きこども多し、
又一法に、駿州府中に捕るは、熊の窠穴の左右に兩人大なる斧を振擧持て待ちかけ、外に一兩人の人して、樹の枝ながらをもつて、窠穴の中を突探ぐれば、熊其樹を窠中へひきいれんと手をかけて引に、横たはりて任せざれば、尚枝の爰かしこに手をかくるをうかゞひて、かの兩方より斧にて兩手を打落す、熊は手に力多き物なれば、是に勢つきて終に獲るかくて膽を取て皮を出すこと奧州に多し、津輕にては脚の肉を食ふて、貴人の膳にも是を加ふ、熊常に食とするものは、山蟻、笋、ズカニ、凡木の實は甘きを好めり、獸肉も喰はぬにあらず、蝦夷には人の乳にて養ひ置ともいへり、
p.0412 熊(クマ)〈本草 和名鈔ニ久萬〉
日高牟婁兩郡の深山中に產す、年々官より鐵銃にて打獲しめて、膽を採りて用に備へ、又皮採りて馬具に製す、神祇式に紀伊國熊皮五張とあり、 但馬考二物產熊ハ養父七美二方ノ深山ニアリ、然レドモコレヲトルコトマレナリ、
p.0412 熊 クマ〈○中略〉
奧州津輕ニテハアシノ肉ヲ食用ニス、大守へ熊膽ヲ上グ、和俗クマノイト云、是ニ僞物ヲシ、是ヲ夏イ冬イト云二ツニ分ツ、其ノ取時節ニヨツテ名ヲチガフ、形モ亦異也、春夏ハ形小ク皮厚シテ、此トキトレバイスクナシ、其色赤黃少シ黑ミアリ、スキトホル、是ヲ琥珀手ト云、上品也、是ハ得ガタシ、
p.0412 熊ハ痼疾アル人、或ハ積聚寒氣アル人々ハ不レ可レ食、
p.0413 諸國進年料雜藥〈○中略〉
美濃國六十二種〈○中略〉熊膽四具〈○中略〉熊掌二具〈○中略〉 信濃國十七種〈○中略〉熊膽九具〈○中略〉 越中國十六種、〈○中略〉能膽四具
p.0413 捕熊 取膽
熊膽は加賀を上品とす、越後、越中出羽に出る物これに亞ぐ、其餘四國、因幡、肥後、信濃、美濃、紀州、其外所々よりも出す、松前蝦夷に出す物下品多し、されども加賀必ず上品にもあらず、松前かならず下品にもあらず、其性其時節其屠者の手練工拙にも有て、一概には論じがたし、加賀に上品とするもの三種黑樣(くろて)、豆粉(まめのこ)樣、琥珀樣是なり、中にも琥珀樣尤も勝れり、是は夏膽冬膽といひ、取る時節によりて名を異にす、夏の物は皮厚く膽汁少し、下品とす、八月以後を冬膽とす、是皮薄く膽汁滿てり、上品とす、されども琥珀樣は夏膽なれども冬の膽に勝る、黃赤色にて透明り、黑樣はさにあらず、黑色光あるは是世に多し、
試二眞僞一法
和漢ともに僞物多きものと見へて、本草綱目にも試法を載けり、膽を米粒許水面に點ずるに、塵を避て運轉し、一道に水底へ線のごとくに引物を眞なりと云々、按ずるに是古質の法にして未つくさぬに似たり、凡て獸の膽何の物たりとも、水面に運轉こと熊膽に限べからず、或は獸肉を屠り或は煮熬などせし家の煤を、是亦水面に運轉すること試みてしれり、されども素人業に試みるには、此方の外なし、若得水に點じて、水底に線を引を試みるならば、運轉飛がごとく疾く、其線至て細くして、尤疾勢物をよしとす、運轉遲き物、又舒にめぐりて止まる物は、皆よろしからず、又運轉速きといへども、盡く消ざる物も佳からず、不佳物はおのづから勢ひ碎け、線進疾ならず、又粉のごとき物の落るも下品とすべし、又水底にて黃赤色なるは上品にて、褐色なるは 極めて僞物なり、作業者は香味の有無を以て分別す、をよそ眞物にして其上品なる物は、舌上にありて、俄に濃き苦味をあらはす、彼苦甘口に入て粘つかず、苦味浸潤に增り、口中分然として淸潔、たゞ苦味のみある物は僞物なり、苦甘の物を良とす、また羶臭香味の物は良らずといへども、是は肉に養はれし熊の性にして、必僞物とも定めがたく、其中初甘く後苦物は劣れり、又焦氣(こげくさき)物は良品なり、是試法敎へて敎べからず、必年來の練妙たりとも、眞僞は辨じやすくして、美惡は辨じがたし、
制二僞膽一法
黃柏、山梔子、毛黃蓮の三味を極細末とし、山梔子を少し熬て其香を除き、三味合せて水を和して煎じ詰むれば、黑色光澤乾て眞物のごとく、是を裹むに美濃紙二枚を合せ、水仙花の根の汁をひきて乾かせば、裹て物を洩らすことなく、包みて絞り、板に挾みて陰乾(かげぼし)とすれば、紙の雛又藥汁の潤入みて實の膽皮のごとし、尤冬月に製すれば、暑中に至て爛潤やすく、故に必夏日に製す、是は備後邊の製にして、他國も大抵かくのごとし、他方悉く知がたし、又俗説には、こねり柿といふ物味苦し、是を古傘の紙につゝむもありと云へり、或は眞の膽皮に僞物を納れし物もまゝありて、是大に人を惑はすの甚しき也、
p.0414 熊膽
肥後國球 (くま)に遊びける頃、彼地の高き人病み給ふことのありて、余〈○橘南谿〉に治療を求められけるに、熊膽を用ゆる藥なりければ、請求めて一具を拜領せり、其膽に紙札ありて皆越村新兵衞と書付たり、いかなるものぞと聞くに、獵師熊を取りたる時は、其旨を案内するに、役人來りて見分して、其熊を解かしめ、其膽に取得たる獵師の名を書付て獻ぜしむる事也、故に少しも贋物の氣遣ひなきなり、余が得たる膽重さ纔に壹匁三分、加賀などより出る膽とは甚だ小し、此地の產は皆 小さし、尤眞物の事なれば、気味は甚だ上品にして、賣買にある熊膽とは格別のもの也、
p.0415 ツクナイの事 日本の過料
松前家臣に、上乘といふ役目あり、獵虎皮鷹の羽、〈松前にて鷲の羽を鷹の羽ともいふなり〉海鱸(アシカ)、水豹(アザラシ)、熊反熊膽、エブリコ等の課を採るが主役なり、此役松井茂兵衞あたりて、アツケシに上乘し行たり、ときに同處の近村にビバセイ村といふ處あり、この村の乙名熊膽一ツ租税とす、鑑定役ありて目利をすれば、僞物に究む、よつて松井茂兵衞大きに憤り、アツケシの 乙名イコトイを呼出し、吟味を究れば贋なり、贋を貢物に出すは、 乙名の科也、日頃の敎爾の不埓なりと大に呵り威されたり、依てイコトイ彼熊膽の出處を委しく糺しければ、ビバセイ乙名クナシリ島へ渡海せし時に、交易して求得る熊膽なる事慥にしれたり、
p.0415 飼赤熊の殺禮の事
蝦夷村々乙名家に飼置く赤熊盛長し、大赤熊となりたるをゑらび、その乙名、赤熊にむかひ因果因緣を説しめして曰、大幸なる哉我熊よくきけ、此秋の氏神の犧牲に備ふなり、汝未來は人聞と變生すべし、依て是を樂んでいさぎよく犧牲にたつべしといひふくめ、そのゝち其赤熊を縛縊し、一室にひき至り、前後左右よりつなぎとめ、土人大勢群集し、手枷せ足枷いれ、堅固にかこひて、さて首前に幣を建て、鉾太刀長刀、其外種々の長器をかざり、其後其村の乙名をはじめ、其親類及近郷近村の乙名、及び長立たる者あつまりて、大祭禮の祝儀あり、このとき家格新古によりて、其席に先後上下ありて、其席々に急度著座あり、於レ是射禮あり、銘々次第をそろへて矢を放つ、蟇目の射法のごとし、其式禮終れば、赤熊猛勢起り、死にのぞまんとす、此ときをまち、大勢群り、棒責にして殺すなり、ころし終りて後、其死骸に種々の供物をそなへ、佛家の百味の飮食をそなへ、施餓鬼供養するに似たり、此式禮終りて其供物をもて、近郷近村の老若男女にわかちあたへ、賑恤す る事甚し、其後其熊の皮を剝ぎ肉を料理て喰ふなり、さて皮は首を正面に向け、耳環をかけ、靈前にかざりおく、前庭には二行に旗幟を建、武具をかざり、嚴重にこそは見へにけれ、祝儀の大酒宴あり、赤熊の肉を肴とし、次に鹿肉狐肉魚肉澤山にして、終日終夜賑ふなり、是を毎秋乙名家豪富の名利とする也、此ときは衣服をあらため、器財寶物を披露し藝術をもて鳴り、才德器量を輝して、格式をとらん事をはかるとなり、才德爵祿を布くは、此大祭禮の入用を一人にて度々するをもてなるなり、土人此大祭禮を號けてイヨウマンテといふなり、年中海上にて漁獵を無難にするの祝儀なりといふ、日本の大古則斯のごとし、その法遺り農民の秋祭是なり、
p.0416 凡諸山野所レ在、〈○中略〉禽獸則有二〈○中略〉熊、〈○中略〉獼猴之族一、
p.0416 三百首御歌 後嵯峨院御製
あらくまのなれてすむなるしはつ山やまもいかにかはげしかるらん
p.0416 羆〈彼宜反、平、志久萬、〉
p.0416 羆 爾雅集注云、羆〈音 、和名之久萬、〉似レ熊而黃白、又猛烈多力、能拔二樹木一者也、
p.0416 釋獸云、羆如レ熊黃白文、郭注云、似レ熊而長頭高脚、猛憨多力、能拔二樹木一、毛詩斯干正義引二舍人一曰、羆如レ熊、色黃白也則此所レ引或舊注、郭依レ之也、猛烈疑猛憨之誤、説文依二爾雅一、陸璣疏云、羆有二黃羆一、有二赤羆一、大二於熊一、其脂如二熊白一、而麁理不レ如二熊白之美也、埤雅羆似レ熊而大、爲レ獸亦堅中從目、能緣能立、遇レ人則擘而攫レ之、爾雅翼、柳宗元羆説稱、鹿畏貙、貙畏レ虎、虎畏レ羆、羆之狀被髮人立、絶有レ力而甚害レ人、則羆之力非二熊比一矣、是條舊〈○天文本〉及伊勢本無、下總本廣本有レ之、今錄存、
p.0416 羆〈音俾シクマ〉 羆〈或〉
p.0416 羆 本草ニ載タリ、順和名抄シクマト倭訓ヲ付タリ、上ニ罒ノ字アルユヘニシクマト訓ゼシニヤ、罒ハ网ナリ、四五ノ四ノ字ニ非ザレドモ、似タルヲ以稱ス、
p.0417 一羆をしぐまといふは、何ものゝつけたる訓ならん、
p.0417 熊〈○中略〉
附錄、〈羆音碑、和名訓二之久萬一、此熊之大者、色黃白頭長脚高、猛憨多力、亦倍二于熊一、能拔レ木轉レ巖、豺狼剪畏レ之、見レ人則立而攫二破之一、凡熊不レ食レ人、羆或食レ之、本邦希見レ之、世稱二黃白熊一者乎、〉
p.0417 祥瑞
赤羆(○○)〈神獸也○中略〉 右上瑞〈○中略〉
黃羆(○○)〈○中略〉 右中瑞
p.0417 四年、是歲、越國守阿部引田臣比羅夫討二肅愼一、獻二生羆二、羆皮七十枚一、
p.0417 弘仁元年九月乙丑、公卿奏言、〈○中略〉去大同二年八月十九日、下二彈正臺一例云、〈○中略〉獨射犴葦鹿 羆皮等、一切禁斷者、〈○中略〉伏望雜石及毛皮等、悉聽レ用レ之、〈○中略〉並許レ之、
p.0417 凡羆皮障泥、聽二五位以上著一レ之、
p.0417 此日は十里の行程しかも遠道、故に戸切知歸宿夜の四ツ頃にて、人々湯へ入り食事などする内に、八九ツにもなりなんとおもひし頃、村中大に騷動して、山も崩るゝときの聲をあげ、上を下へと大勢まぜかへす、御巡見使始メ何事やらんとおもふ所へ、松前より付添ひし役人來り、例の羆、馬を取に來りし故に、かく騷動仕る、是より鐵炮も數挺うたせ候まゝ、御驚下され間敷よしの案内あり、夫よりして明松星の如く、鐵炮ひまなく打し也漸く八ツ比に靜りし故に、聞ば羆二疋來り、馬を二ツ取歸りし也、御巡見に付ては、松前より來りし諸役案内者人足迄、都合千四五百人、馬も百餘疋も集りて賑々敷、中へはいかなる猛き惡虎なりとも、來るべきとはおもはざりしに、羆來りて馬を二疋も取りしと聞ば、何れも大に驚きし也、土人を呼出され尋有しに羆は日本の熊に大概似たる形にて月の輪なく、前足短く後足長く、毛深く黑しといへど、底に赤色を帶て光りなく、日、本の熊の色とは大に劣し也、顏は犬の子の如くかはゆらしく見ゆ、急に走ら ざる時は、人の如くに立てあゆむ也、大ひ成るは立し形一丈二三尺餘、敷革にするに二疊歟と成る、小なる羆にても、日本の熊よりも大ひ也、力は何程ある事や、馬を取に頭と尻とをつかみ、中より折て夫を脊にかつぎて走るに矢の如し、馬にても人にても、骨までも喰ひ盡すもの故に、松前におゐては羆とはいはず、鬼熊(○○)と云、人里近くおれば、幾日も往來の止る也、其時には松前より鐵炮打に奉行添ひて幾組も來り、羆を打事なり、たま〳〵打取事もあり、鐵炮一人にては中々打るるものにあらず、鐵炮の中り所あしければ、疵口に草の葉を取ておし入れ、其儘人を見かけて飛かゝるなり、刃物はつかみ取、羆にかぎり刀術など間に合ふものにあらず、鎗にて突の外なしといへり、此夜もとられざる馬所々へ逃走り、夜明迄に彼こに三疋、爰にて五疋と、漸々に尋ね歸りし也一羆は臭氣ありて、松前の馬は生レながら羆の臭氣は知りて、いかよふに强き綱にでも、羆一二町も近づき來れば、臭氣をかぎ綱を切て逃走るよし、是故に松前にて羆を恐るゝ事、鬼神の如し然るを蝦夷人は羆をとりて食事とす、山林に入りて羆に出合ても少しも恐れず、却て羆は夷人の服の異成るに、髭ぼう〳〵とはへしが、彼弓矢を携へし姿を見ては恐れ逃るよし、世に云、蝦夷人は羆に出合ても柴かくれといふて、一葉の影にもかくるゝ術有りと聞しに虚説也、夷人山中岩石の上にても、徒足にて嶮しき所も平地の如く走りめぐりて、高きよりも飛事、羆にも劣らず、丈夫なる故に、右の怪説を加へしならん、鮭の川々へ登る時箚には、羆二三疋も川の瀨に伏し、鮭を取事人の如く、夫を藤かづらに幾つともなくつらのき、山にかへる時は脊にかつぎて走るに、木の枝岩の角に引かけて、鮭のすたる事、己が力强きゆへか、覺へず知らずして穴に入時におよび、空しき蔓ばかりを見て、友羆の取りしとおもひ、喰合かき合大ひに爭といふ、寒中雪深き節はやゝもすれば、夜中海濱の數の子藏のある所へ來り、板を破り數の子を喰ふよし、夫故に海濱の藏は何れも念の入りて、厚板にて包まはして有り、或時松前近所の藏を破りて、數の子を喰ひ し羆二疋迄、淨川の谷川の邊りに伏し居たり、數の子藏の破れを見て、さては數の子を飽まで喰ひて水を呑に相違なしと、各鎗にて突殺せしに、服中にて數の子ふへ增して、腹大にふくれし故にうごき得ずして、安々と松前人にとられしと物語なり、〈奧路にも〉馬を取し事、數の子を喰し事、すべて同樣也、
p.0419 熊膽
松前邊にては乘馬にても、小荷駄馬にても野外に出て、其山の近きあたりに羆居れば、匂ひを嗅と得て、その馬恐れ立すくみて、小便おのづから出て、一歩もあゆむ事能はず、斯のごくなれば、武家などの乘馬は、多く南部の馬を用る事とそ、奧州地には羆無きゆへ、南部生れの馬は知らざるゆへ羆を恐れず、初にこれを試るに、馬場の真中に羆の皮を敷て馬をすゝむるに、松前生れの馬りは恐れてあゆまず、南部生れの馬は皮の上をもよくあゆむなとそ、
p.0419 猪一名 、〈魚賴反、長過三尺者、曰レ 〉一名老豬、又有 〈山甲反、牝猪大者名也、出二崔禹一、〉猪、一名蒙貴、一名鳫員、〈出二兼名苑一〉一名參軍、〈出二古今注一〉和名、爲乃之(○○○)、〈○之下恐脱二之字一〉
野猪黃、和名久佐爲奈岐(○○○○○)、
p.0419 野猪 本草云、野猪、〈和名久佐井奈岐〉
p.0419 原書獸部下品載二野猪黃一、此所レ引卽是、本草衍、義云、野猪、形如二家猪一、但腹小脚長、毛色褐、作レ群行、獵人惟敢射二最後者一、射中二前奔者一、則群猪散走傷レ人、李時珍曰、野猪、其形似レ猪而大、牙出二口外一、如二象牙一、其肉有下至二二三百斤一者上、或云、能掠二松脂一曳二沙泥一、塗レ身以禦レ矢也、是猪之在レ野者可二以充一レ爲、今俗謂二之爲乃志志一、蓋轉二猪肉之名一呼レ之也、〈○中略〉按八雲抄、狸訓二久佐爲奈岐一、則知久佐爲奈岐爲二狸屬一、而爾雅狸狐貒貈爲二一類一、廣雅、貒貛也、説文、貛野豕也、玉篇、猯野猪、故訓二野猪一、爲二久佐爲奈岐一、蓋輔仁載二崔氏食經猪一、訓二爲乃志之一、故本草野猪无二可レ充者一、而玉篇、以二野猪一爲二猯一名一、於レ是訓二久佐爲 奈岐一也、其實崔氏所レ擧猪謂二家猪一、卽本草所レ載豚、今俗呼二夫多一者是也、本草野猪乃可レ訓レ爲、源君襲二輔仁之誤一、以二本草野猪一訓二久佐爲奈岐一、非レ是、而其久佐爲奈岐未レ詳、王念孫曰、貛有二二種一、或如レ豬、或如レ狗、皆穴二于地中一、夜出食二人雞鴨一、久佐爲奈岐、豈非二貛一種一耶、又按、爲乃志志、卽野猪肉也、本草和名引二崔氏食經猪一、云二和名爲乃之之一者、蓋謂二猪肉一也、今俗直呼レ猪爲二爲乃志志一者、轉譌也、
p.0420 野猪〈クサイナキ〉
p.0420 猪 しながどり〈白猪と云、能因説、俊賴云、雄略天皇ゐなのまでかりしたまひけるに、白しゝのみありて、猪のなかりければ、しながどりゐなのとは云り、かりぎぬのしりといふ事有、俊賴も不レ用、凡沙汰外事歟、〉 ふすゐ〈かるもなかきてぬるなり〉 景行天皇御宇、日本武尊於二信の國一所レ見、白猪など云事もあれど、其も異説也、凡如レ此事説々多、皆不レ可二決定一、
p.0420 しながどり 〈ゐな あは〉
萬葉集卷七に、〈攝津のうた〉志長鳥(シナガドリ)、居名野乎來者(イナノヲクレバ)、また〈旅のうた〉四長鳥(シナガドリ)、居名之湖爾(イナノミナトニ)云々、〈集中に猶多し〉こはにほ鳥の卒(イ)とつゞけて、卒(イ)とは雌雄ひきゐるをいふ、抑しながてふ事は、旣神風の條にいへる如く、かの級萇津彥(シナツヒコ)、級長戸邊(シナトベ)命は、大御神の息より成給へば、志長と息長(オキナガ)と同じ事也、されば志長鳥と息長鳥とは同じ物にして、息長鳥は鸊鷉(ニホトリ)の事なる也、
p.0420 野猪 いかりしゝ也、しゝとは肉也、
p.0420 野猪イ 倭名鈔に本草を引て、野猪はクサイナキ、又兼名苑、方言註等を引て、猪一名彘一名豕イ豚亦作レ㹠、豕子也と註せり、舊事古事等の記に、八十神其弟大國主神を殺さむとして、伯耆國之手向山の本に赤猪ありと云ひて、火をもて猪に似たる大石を燒きて、轉し落されしといふ事見え、古語拾遺には、大國主神の田、蝗のために枯損せしを、片巫肱巫して占はしめ、白猪白馬白雞をもて、御歲神に獻られしと見えて、猪幷に讀てイといひ、また古語古歌にもイと讀みし如きは、皆野猪の事にして、俗にもイノシヽなどいひて、家猪をばブタといふなり、野猪をクサイナ キと云ひ、豕猪をイと云ひし、並に詳ならず、
p.0421 野猪いのしゝ 牡を四國にて、うのを(○○○)とよぶ、牝をかるい(○○○)といふ、兒を江戸にて瓜ぼう(○○○)といふ、畿内にてこぶりこ(○○○○)とよぶ、
p.0421 猪鹿の肉を京攝にて鹿(ろく)と云ひ、山鯨と異名すれど、江戸にてはモヽンヂイ、又モモンガアと云ふ、文華日夜にひらけて、牡丹紅葉などゝ呼ことゝなりぬ、
p.0421 野猪〈和名久佐井奈岐、今穩二伊乃之志一、〉
集解、野猪處處山林多有レ之、狀似二家猪一而大、大者至二四五斤一、兩牙相對出二口外一、如二象牙之小一、春夏出二園圃一爲レ害、至レ冬入二深山一、構二大窟一、以二蘆茅雚葦之類一而覆レ穴、隱二伏其中一以禦レ寒、自レ古歌人稱レ之曰二臥猪床(フスイノトコ)一、性多力沈剛、一狼一熊不レ能一妄敵一、若被二小創一、則奮激振レ牙、倒レ人拔レ樹、不レ可二相當一、怒則背上毛起如レ針、呼號二志加利毛一、疾奔如レ流、直馳不レ曲、所レ觸無レ不二摧破一、故稱下人之直衝二敵陣一、不レ顧レ死者上曰二猪武者(イノシヽムシヤ)一、今獵夫毎識二猪之通路一、能覘二其脚蹤印痕一、而察二一山中之猪數一、濳迎レ所レ過而匿伏射レ之、或放レ炮而斃、但箭炮鎗劒傷二猪之鼻柱一、突二腋下一而入レ内必斃、其餘不レ屑、獵場放レ犬逐レ猪者、先群犬成レ陣、並吠不二妄進一、爲二相挑狀一、猪亦回レ頭含レ怒相對、若有二窘窮就レ死之容一、其中有二犬之絶猛者一而突出囓レ彼、則群犬旋進、竟囓二伏之一、凡人不レ脅レ之猪亦不レ敵、害二田圃一者求レ食、毎好食二蔬穀一而不二肉食一、偶有下食二蛇蝎一者上、最爲レ希矣、野猪肉味太甘美、優二牛鹿之肉一、惟以二肉硬一爲レ恨、雌肉美、雄肉不レ佳、或割二股脛之皮肉一、和レ醬炙過而食、俗稱二燒皮一、味絶佳然、倶純甘美、膩太過不レ能二多食一也、一種有二白野猪一、或有二帶レ黃者一、東北深山希得レ之、剝レ皮造二兵器一、映レ日發レ光、最可二珍賞一、故其價亦貴、肉、氣味、〈古謂〉甘平無レ毒、〈野猪肉雖レ不レ爲三專宜二百病一、而無レ毒、雖レ不レ發レ病而減二藥力一、但動二微風一耳、俗所レ謂有レ毒發二百病一者有レ故乎、〉主治、久痔下血、
膽、氣味、〈古謂〉苦寒無レ毒、主治、霍亂蟲痛、
p.0421 野豬〈イノシヽクサイナギ古名〉 フスイ〈古歌〉 フスイドリ シナガドリ〈皆歌〉 此獸山中ニ多シ、ヨク茂タル處ノ谷ニ日中ニ隱テ、夜ハ外ニ出田畠ヲ荒ス、毎夜通ル道ガ定ル故ニ、シヽ道ト云テ深山ニ道スジアリ、人ノ通路ノ如シ、形ハブタニ似テ大也、
p.0422 野猪 世俗往々以爲二性不一レ良爲レ不レ益レ人、然今試ニ、少食ヘバ不レ發レ病、世人貧二其味美一、喫過レ多、故損レ人而已、目野猪説日、不三發レ病減二藥力一與二家猪一不レ同、又曰、不レ發レ風虚レ氣炙食腸風瀉血ヲ治ス、食醫心鏡曰、久痔下血、野猪肉二斤著二五味一炙空腹食レ之、作レ羮亦得、 孟詵曰、脂令二婦人多一レ乳、治二疥癬一、今按ニ、癬瘡久不レ愈ニ野猪ノ肉ヲ食シテ愈、
p.0422 野猪膽、猿膽鑒法、
野猪膽(○)、藥舖所レ藏僞物希、要レ之獲レ熊少、獲レ猪多故也、刮二視之一茶褐色者常多、又有二黃褐色相雜者一、是所レ謂生レ黃者最爲二佳品一、孟同州曰、冬月野猪在二林中一食二橡子一、踰二三年一其膽生レ黃、今試レ所レ獲噉二木實一者、其膽柔軟如レ糊、而未二必生一レ黃、是非二老猪一也、時珍曰、出二關西一者、時或有二生レ黃者一固希、豈以二土之出一爲レ異哉、經二焙乾一者、稱レ之得二一錢若一錢五六分一、最大者至二三錢若四錢餘一、猿膽亦僞造希、而姦商或濫以二狸膽貉膽一經二焙乾一者、形狀甚肖故也、試レ之奉二膽於日下一、如三 不二明淨一者、爲二狸膽若貉膽一、牡膽汁少、牝猿膽汁多、老猿膽汁或多或少、焙乾稱レ之得二二三分一、最大者至二一錢餘一、然甚 、野猪膽猿膽、倶繫二膽蒂一、懸二爐上一謹二焙乾一、不下復從中製二熊膽一法上、
p.0422 伐二新羅一之明年〈○攝政元年〉二月、麛坂王忍熊王、共出二莵餓野一、而祈狩之、〈○中略〉赤猪(○○)忽出之登二假庪一、咋二麛坂王一而殺焉、
p.0422 白野猪(シロイノシヽ/○○○)
國中深山稀にあり、文化七年の春、在田郡湯淺莊寺杣山にて獲る物は、足の爪までも白く、遠望すれば白犬の如し、
p.0422 於レ是八上比賣答二八十神一言、吾者不レ聞二汝等之言一、將レ嫁二大穴牟遲神一、故爾八十神怒欲レ殺二大穴 牟暹神一、共議而至二伯伎國之手間山本一云、赤猪(○○)在二此山一、故和禮〈此二字以レ音〉共追下者、汝待取、若不二待取一者必將レ殺、
p.0423 赤猪(アカイ)、書紀神功卷にも見ゆ、今は石を火に燒(ヤキ)て欺(アザムカ)むために、赤と色を云るなるべし、
p.0423 於レ是詔、玆山神者徒手直取而、騰二其山一之時、白猪逢二于山邊一、其大如レ牛、爾爲二言擧一而詔、是化二白猪一者、其神之使者、雖二今不一レ殺、還時將レ殺而騰坐、於レ是零二大氷兩一、打二感倭建命一、〈此化二白猪一者、非二其神之使者一、當二其神之正身一、因二言擧一見レ感也、〉故送下坐之、到二玉倉部之淸泉一、以息坐之時、御心稍梧、故號二其淸泉一謂二居寐淸泉一也、V 古事記
p.0423 息長帶日賣命〈○神功〉於レ倭還上之時、因レ疑二人心一、一具二喪船一、御子〈○應神〉載二其喪船一、先令レ言二漏之御子旣崩一、如レ此上幸之時、香坂王、忍熊干〈○二人並仲哀皇子〉聞而、思二將待取一、進二出於斗賀野一、爲二宇氣比臈一也、爾香坂王騰二坐歷木一而見、大怒猪出堀二其歷木一、卽咋二食其香坂王一、
p.0423 欟折山、品太天皇〈○應神〉狩二於此山一、以二欟弓一射二走猪一、卽折二其弓一、故曰二欟折山一、
○按ズルニ、野猪ヲ狩獵スル事ハ、產業部畋獵篇ニ在リ、
p.0423 一時天皇登二幸葛城之山上一、爾大猪出、卽天皇以二鳴鏑一射二其猪一之時、其猪怒而宇多岐依來、〈宇多岐三字以レ音〉故天皇畏二其字多岐一登二坐榛上一、爾歌曰、夜須美斯志(ヤスミシヽ)、和賀意富岐美能(ワがオホキミノ)、阿蘇婆志斯(アソバシヽ)、志斯能(シヽノ)、夜美斯志能(ヤミシヽノ)、宇多岐加斯古美(ウタキカシコミ)、和賀爾宜能煩理斯(ワガニゲノボリシ)、阿理袁能(アリヲノ)、波理能紀能延陀(ハリノキノエダ)、
p.0423 五年二月、天皇狡二獵于葛城山一、靈鳥忽來、其大如レ雀、尾長曳レ地、而且鳴曰、努力々々、俄而見レ逐、嗔猪從二草中一暴出逐レ人、獵徒緣レ樹大懼、天皇詔二含人一曰、猛獸逢レ人則止、宜二逆射而且刺一、舍人性懦弱、緣レ樹失レ色、五情無レ主、嗔猪直來、欲レ噬一天皇一、天皇用レ弓刺止、擧レ脚踏殺、於レ是田罷、欲レ斬二舍人一、舍人臨レ刑而作レ歌曰、〈○下略〉
p.0423 五年十月丙子、有レ獻二山猪一、天皇指レ猪詔曰、何時如レ斷二此猪之頸一、斷二朕所レ嫌之人一、 壬午、蘇我馬子宿禰、聞二天皇所一レ詔、恐レ嫌二於己一、招二聚儻者一、謀レ弑二天皇一、
八/桓武
p.0424 延曆十八年二月乙未、贈正三位行民部卿兼造宮大夫美作備前國造和氣朝臣淸麻呂斃、〈○中略〉淸麻呂脚痿不レ能二起立一、爲レ拜二八幡神一〈○宇佐〉輿レ病卽レ路、及レ至二豐前國宇佐郡柘田村一、有二野猪三百許一、挾レ路而列、徐歩前駈十許里、走入二山中一、見人共異レ之、拜レ社之日始得二起歩一、
p.0424 樵者七兵衞妻 同久兵衞妻
享保三年戊戌十一月廿八日晡時、丹波國舟井縣に野猪傷をかふむりて怒走り、八木村より南廣瀨村に入、山本をめぐりて直に山室村に向ひ、鳥羽村を過、一人田かへしてありけるものを牙て、尚荒まさりぬ、樵者久兵衞なるもの年六十四、薪を負て歸るさにあひて、俄にさけかくれん所なく、そこにありける柎を攀、地を離るゝことはつかに三尺許、猪裳の端を て引落しければ、せんかたなく相敵すること久うして遂に崖下に墜、猪いよ〳〵猛りて喰ひ嚙て、あまた所やぶられしかば、頻にさけび呼といへども、答ふるものなし、是が妻某年五十四、聞つけてとみに走來て袂をもて猪の首におほひ、頸に跨て抱とゞむ、猪動くことを得ざる間に、頻に命を救へと呼、こゝにして村民貳人相繼て來り、短刀をもて刺、また一人來て、斧をもて其脚をうつ、旣にしてあまた集り、其疲たるに乘て殪しぬ、樵者は終に活ことを得、月日をへて創も痊たり、其所龜山の領地なれば、その妻の烈を賞し給ひて、穀を賜ぬと、東涯先生の筆記に見ゆ、
p.0424 愛宕護山聖人被レ謀二野猪一語第十三
今昔、愛宕護ノ山ニ久ク行フ持經者ノ聖人有ケリ、年來法華經ヲ持奉テ、他ノ念无シテ、坊ノ外ニ出事无リケリ、智惠无クシテ法文ヲ不レ學ケリ、而ルニ其山ノ西ノ方ニ一人ノ獵師有ケリ、鹿猪ヲ射殺スヲ以テ役トセリ、然レドモ此ノ獵師、此ノ聖人ヲナム、懃ニ貴ビテ常ニ自モ來リ、折節ニハ可レ然物ナドヲ志ケル、而ル間獵師久ク此ノ聖人ノ許ニ不レ詣ザリケレバ、餌袋ニ可レ然菓子ナド入テ持詣タリ、聖人喜テ日來ノ不審キ事共ナド云ニ、聖人居寄テ獵師ニ云ク、近來極テ貴キ事ナム 侍ル、我レ年來他ノ念无ク法花經ヲ持テ奉テ有ル驗ニヤ有ラム、近來夜々普賢ナム現ムジ給フ、然レバ今夜モ留テ禮ミ奉リ給ベキ、獵師極テ貴キ事ニコソ候ナレ、然ラバ留テ禮ミ奉ラムト云テ留ヌ、而ル間聖人ノ弟子ニ幼キ童有リ、此ノ獵師童ニ問テ云、聖人ノ普賢ノ現ジ給フト宣フハ、汝モヤ其普賢ヲバ見奉ルト、童然カ五六度許ハ見奉タリト答フレバ、獵師ノ思ハク、然ラバ我モ見奉ル樣モ有ナムト思テ、獵師聖人ノ後ニ不レ寢ズシテ居タリ、九月廿日餘ノ事ナレバ夜尤モ長シ、夕ヨリ今ヤ〳〵ト待テ居タルニ、夜中ハ過ヤシヌラムト思フ程ニ、東ノ峯ノ方ヨリ月ノ初メテ出ガ如ク白ミ明ル、峯ノ嵐ノ風吹キ掃フ樣ニシテ、此坊ノ内ニ月ノ光ノ指入タル樣ニ明ク成ヌ、見レバ白キ色ノ善薩白象ニ乘テ漸ク下リ御座マス、其有樣實ニ哀レニ貴シ、菩薩來テ房ニ向タル所ニ近ク立給ヘリ、聖人泣々禮拜恭敬シテ、後ニ有獵師ニ云ク、何ゾ主ハ禮ミ奉給フヤト、獵師極テ貴ク禮ミ奉ルト答テ、心ノ内ニ思ハク、聖人ノ年來ノ法花經ヲ持チ奉リ給ハム目ニ見エ給ハムハ尤可レ然シ、此童我身ナドハ經ヲモ知リ不レ奉、又目ニ此ク見エ給フハ極テ恠キ事也、此ヲ試ミ奉ラムニ信ヲ發サムガ爲ナレバ、更ニ罪可レ得事ニモ非ズト思テ、鋭鴈矢ヲ弓ニ番テ聖人ノ禮ミ入テ低レ臥タル上ヨリ、差シ越シテ弓ヲ强ク引テ射タレバ、善薩ノ御胸ニ當ル樣ニシテ、火ヲ打消ツ樣ニ光モ失ヌ、各サケビ動テ逃ヌル音ス、其時ニ聖人此ハ何ニシ給ヒツル事ゾト云テ、呼ビ泣キ迷フ事无レ限シ、獵師ノ云ク、穴鎌給へ、心モ不レ得ズ恠ク思エツレバ、試ムト思テ射ツル也、更ニ罪不二得給一ハジト懃ニ誘へ云ヒケレバ、聖人ノ悲ビ不レ止ズ、夜明テ後菩薩ノ立給ヘル所ヲ行キ見レバ血多流タリ、其血ヲ尋テ行テ見レバ、一町許下テ谷底ニ大ナル野猪ノ胸ヨリ、鋭鴈矢ヲ背ニ射通サレテ死ニ臥セリケリ、聖人此ヲ見テ悲ビノ心醒ニケリ、然レバ聖人也ト云トモ、智惠无キ者ハ此ク被レ謀ル也、役ト罪ヲ造ル獵師也ト云ヘドモ、思慮有レバ此ク野猪ヲモ射顯ハス也ケリ、此樣ノ獸ハ此ク人ヲ謀ラムト爲ル也、然ル程ニ此ク命ヲ亡ス、益无キ事也トナム語リ 傳ヘタルトヤ、
p.0426 被レ呼二姓名一射二顯野猪一語第卅四
今昔ノ國ノ郡ニ、兄弟二人ノ男住ケリ、兄ハ本國ニ有テ朝夕ニ狩スルヲ役トシケリ、弟ハ京ニ上テ宮仕シテ時々ゾ本國ニハ來ケル、而ル間其ノ兄九月ノ下ツ暗ノ比、燈ト云フ事ヲシテ大キナル林ノ當リヲ過ケルニ、林ノ中ニ辛ヒタル音ノ氣色異ナルヲ以テ、此ノ燈爲ル者ノ姓名ヲ呼ケレバ、恠ト思テ馬ヲ押返シテ其ノ呼ブ音ヲ弓手樣ニ成シテ、火ヲ焰串ニ懸テ行ケレバ、其時ニハ不レ呼ザリケリ、本ノ如ク女手ニ成シテ火ヲ手ニ取テ行ク時ニハ必ラズ呼ケリ、然レバ構テ此レヲ射バヤト思ヒケレドモ、女手ナレバ可レ射キ樣モ无クテ、此樣ニシツヽ夜來ヲ過ケル程ニ、此ノ事ヲ人ニモ不レ語ザリケリ、而ル間其ノ弟京ヨリ下ダリケルニ、兄然々ノ事ナン有ルト語ケレバ、弟糸希有ナル事ニコソ侍ナレ、己レ罷リ試ムト云テ燈シニ行ニケリ、彼ノ林ノ當リヲ過ケルニ、其ノ弟ノ名ヲバ不レ呼ズシテ本ノ兄ガ名ヲ呼ケレバ、弟其ノ夜ハ其ノ音ヲ聞ツル許ニテ返ニケリ、兄何カニゾ聞給ツヤト問ケレバ、弟實ニ候ヒケリ、但シエセ者ニコソ候ヌレ、其ノ故ハ實ノ鬼神ナラバ己ガ名コソ可レ呼キニ、其ノ御名ヲコソ尚呼ビ候ヒツレ、其レヲ不レ悟ヌ許ノ者ナレバ、明日ノ夜罷テ必ズ射顯シテ見セ奉ラムト云テ其夜ハ明ヌ、亦ノ夜々前ノ如ク行テ火ヲ燃シテ其ヲ通ケルニ、女手ナル時ニハ呼ビ、弓手ナル時ニハ不レ呼ザリケレバ、馬ヨリ下テ鞍ヲ下テ馬ニ逆樣ニ置テ、逆樣ニ乘テ呼ブ者ニハ女手ト思ハセテ、我レハ弓手ニ成テ火ヲ焰串ニ懸テ箭ヲ番ヒ儲テ過ケル時ニ、女手ト思ケルニヤ前ノ如ク兄ガ名ヲ呼ケルヲ、音ヲ押量テ射タリケレバ尻答へツト思エテ、其ノ後鞍ヲ例ノ樣ニ置直シテ馬ニ乘テ女手ニテ過ケレドモ、音モ不レ爲ザリケレバ家ニ返ニケリ、兄何ニカト問ケレバ、弟音ニ付テ射候ツレバ尻答フル心地シツ、明テコソハ當リ不レ當ズハ行テ見ムト云テ、夜明ケルマヽニ兄弟搔列テ行テ見ケレバ、林ノ中ニ大キ ナル野猪木ニ被二射付一テゾ死テ有ケル、此樣ノ者ノ人謀ラムト爲ル程ニ由无キ命ヲ亡ス也、此レ弟ノ思量有テ射顯カシタル也トテゾ、人讃ケルトナム語リ傳へタルトヤ、
有レ光來二死人傍一野猪被レ殺語第卅五
今昔 ノ國 ノ郡ニ、兄弟二人ノ男有ケリ、其ニ心猛クシテ思量有ケル、而ルニ其ノ祖死ニケレバ、棺ニ入レテ蓋ヲ覆テ、一間有ケル離タル所ニ置テ、葬送ノ日ノ遠カリケレバ、日來有ケル程ニ、自然ラ髴ニ人ノ見テ云ケル樣、此ノ死人置タル所ノ夜半許ニ、光ル事ナム有ル恠キ事也ト吿ケレバ、兄弟此レヲ聞テ、此レハ若シ死人ノ物ナドニ成テ光ルニヤ有ラム、亦死人ノ所ニ物ノ來ルニヤ有ラム、然ラバ此レ構ヘテ見顯カサバヤト云合セテ、弟兄ニ云ク、我ガ音セム時ニ火ヲ燃シテ必ズ疾ク持來レト契テ、夜ニ成テ弟密ニ彼ノ棺ノ許ニ行テ、棺ノ蓋ヲ仰樣ニ置テ、其ノ上ニ裸ニテ髻ヲ放チ仰樣ニ臥シテ、刀ヲ身ニ引副へテ隱シテ持タリケルニ、夜半ニハ成ヌラムト思フ程ニ、和ラ細目ニ見ケレバ、天井ニ光ル樣ニス、二度許光テ後天井ヲ搔開テ下來ル者ノ有リ、目ヲ不二見開一ネバ ニ何者トハ不レ見ズ、大キヤカナル者板敷ニドウト著スナリ、此ル程ニ眞サヲニ光タリ、此ノ者臥タル棺ノ蓋ヲ取テ傍ニ置ムト爲ルヲ押量テ、ヒタト抱付テ音ヲ高ク擧テ得タリウウト云テ、脇ト思シキ所ニ刀ヲ𣠽口マデ突立テツ、其ノ時ニ光モ失ヌ、而間兄ノ儲ケ待ツ事ナレバ、兄程无ク火ヲ燃テ持來タリ抱キ付乍ラ見レバ、大キナル野猪ノ毛モ无キニ抱付テ、脇ニ刀ヲ被二突立一テ死テ有リ、見ルニ糸奇異キ事无レ限シ、此ヲ思フニ棺ノ上ニ臥タル弟ノ心糸ムクツケシ、死人ノ所ニハ必ズ鬼有リト云フニ、然カ臥タリケム心極テ難レ有シ、野猪ト思ル時ニコソ心安ケレ、其ノ前ハ唯鬼トコソ可レ思ケレ、火燃シテ疾ク來ル人ハ有ナム、亦野猪ハ由无キ命亡ス奴也トナム語リ傳ヘタルトヤ、
於二播磨國印南野一殺二野猪一語第卅六 今昔、西ノ國ヨリ脚力ニテ上ケル男有ケリ、夜ヲ晝ニ成シテ只獨リ上ケル程ニ、播磨ノ國ノ印南野ヲ通ケルニ、日暮ニケレバ可二立寄一キ所ヤ有ルト見廻シケレドモ、人氣遠キ野中ナレバ可レ宿キ所モ无シ、只山田守ル賤ノ小サキ菴ノ有ケルヲ見付テ、今夜許ハ此ノ菴ニテ夜ヲ明サムト思テ這入テ居テケリ、此ノ男ハ心猛ク也ケル者ニテ、糸輕ビヤカニテ大刀許ヲ帶テゾ有ケル、此ク人離レタル田居中ナレバ、夜ナレドモ服物ナドモ不レ脱ズ、不レ寢ズシテ音モ不レ爲デ居タリケル程ニ、夜打深更ル程ニ髴ニ聞ケバ、西ノ方ニ金ヲ扣キ念佛ヲシテ、數ノ人遙ヨリ來ル音有リ、男糸恠ク思テ來ル方ヲ見遣レバ、多ノ人多ノ火其ヲ燃シ列テ、僧共ナド數金ヲ打念佛ヲ唱へ、只ノ人共多シテ來ル也ケリ、漸ク近ク來ルヲ見レバ、早ク葬送也ケルト見ルニ、此ノ男ノ居タル菴ノ傍糸近ク只來ニ來レバ、氣六借キ事无レ限シ、然テ此ノ菴ヨリ二三段許ヲ去テ、死人ノ棺ヲ持來テ葬送ス、然レバ此ノ男彌ヨ音モ不レ爲デ不レ動デ居タリ、若シ人ナド見付テ問ハヾ、有ノマヽニ西ノ國ヨリ上ル者ノ、日ノ暮レテ菴ニ宿レル由ヲ云ハムナド思テ有ルニ、亦葬送スル所ハ兼テヨリ皆其ノ儲シテ驗キ物ヲ、此レハ晝ル然モ不レ見ザリツレバ、極テ恠キ事カナト思ヒ居タル程ニ、多ノ人集リ立並テ然葬畢テゾ、其ノ後亦鋤鍬ナド持タル下衆共員不レ知ズ出來テ、墓ヲ只築ニ築テ、其ノ上ニ卒都婆ヲ持來テ起ツ、程无ク皆拈畢テ後ニ、多ノ人皆返ヌ、此ノ男其ノ後中々ニ頭毛太リテ怖シキ事无レ限シ、夜ノ疾ク明ヨカシト、心トモ无ク思ヒ居タルニ、怖シキマヽニ、此ノ墓ノ方ヲ見遣テ居タリ見レバ、此ノ墓ノ上動ク樣ニ見エ、僻目カト思テ吉ク見レバ、現ニ動ク、何デ動クニカ有ラム奇異キ事カナト思フ程ニ、動ク所ヨリ只出ニ出ヅル物有リ、見レバ裸ナル人ノ土ヨリ出テ、肱身ナドニ火ノ付タルヲ吹拂ヒツヽ立走テ、此ノ男ノ居タル菴ノ方樣ニ只來ニ來ル也ケリ、暗ケレバ何物トハ否不レ見ズ、器量ク大キヤカナル物也、其ノ時ニ男ノ思ハク、葬送ノ所ニハ必ズ鬼有ナリ、其ノ鬼ノ我レヲ噉ハムトテ來ニコソ有ケレ、何樣ニテモ我身ハ今ハ限リナリケリト 思フニ、同死ニテ此ノ菴ハ狹ケレバ入ナバ惡カリナム、不レ入ヌ前ニ鬼ニ走リ向テ切ラムト思テ、大刀ヲ拔テ菴ヨリ踊出テ鬼ニ走リ向テ、鬼ヲフツト切ツレバ、鬼被レ切テ逆樣ニ倒レヌ、其ノ時ニ男人郷ノ近キ方樣へ走リ逃ル事无レ限シ、遙ニ遠ク走リ逃テ人郷ノ有ケルニ走リ入ヌ、人ノ家ノ有ケルニ、和ラ寄テ門脇ニ曲マリ居テ、夜ノ明ルヲ待ツ程心モト无シ、夜明テ後ニ男其ノ郷ノ人共ニ會テ、然々ノ事ノ有ツレバ、此ク逃テ來レル由ヲ語レバ、郷ノ人共此レヲ聞テ奇異ト思テ、去來行テ見ムト云テ、若キ男共ノ勇タル數男ヲ具シテ行テ見ケレバ、夜前葬送セシ所ニ墓モ卒都婆モ无シ、火ナドモ不レ散ズ、只大キナル野猪ヲ切殺シテ置タリ、實ニ奇異キ事无レ限シ、此レヲ思フニ野猪ノ此ノ男ノ菴ニ入ケルヲ見テ、恐サムト思テ謀タリケル事ニコソ有メレ、益无キ態シテ死タル奴カナヽトゾ皆人云喤ケル、然レバ人離レタラム野中ナムドニハ人少ニテハ不レ宿マジキ事也ケリ、然テ男ノ京ニ上テ語ケルヲ聞繼テ、此ク語リ傳ヘタルトヤ、
p.0429 上遠野伊豆
昔富士の御狩には、仁田の四郎、猪にのりしといふよりくふうにて、御山追の度毎に、いつも猪に乘しと云傳ふ、正左衞門けい母は上遠野家より來りし人也、〈この伊豆にはまたをいなり〉この人のはなしに、伊豆は狐をつかひしならん、あやしきこと有と云しとぞ、手りけんと、猪にのるとのくふうなどあやうきこと也、さるをなるやならずやといふことをとひあはする物有て、思立しこと也と語しとそ、ざれば正左衞門もいづなの法習はんとはせしなるべし、八彌若年の頃迄は伊豆も老年にてながらへ有しかば、夜ばなしなどには猪にのることを常に語りて有しとぞ、逃てゆく猪にはのられず、手追に成て人をすくはんとむかひ來る時、人の本にいたりては少しためらふもの也、その時さかさまにとびのる也、猪はかたほねひろくしりのほそきもの故、しり尾にすがりて下はらにあしをからみてをれば、いかなる藪中をくゞるとてもさはらぬもの也、扨おもふまゝく るはせて少し弱りめに成たる時、足場よろしき所にてわきざしをぬきて、しりの穴にさし通し、下はらの皮をさけば、けして仕とめぬことなしと云しと也、
p.0430 應擧が臥猪幷野馬の話
九山應擧に臥猪の畫を乞ふものあり、應擧いまだ嘗野 の臥たるを見ず、こゝうにこれをおもふ、矢脊(ヤセ)に老婆あり、薪を負てつねに擧が家に來る、應擧婆に問、儞野猪の臥たるを見たるか、婆云、山中たま〳〵これを視る、擧云、儞かさねてこれを見ば、はやくわれにしらせよ、篤く賞すべし、婆諾す、一月ばかりありて老婆が家のうしろなる竹篁中に野猪來りて臥す、〈○中略〉擧すなはち筆を採てこれをうつし、婆に謝してその夜家にかへり、そのゝちこれを淸畫して、工描旣にとゝのふ、時に擧が家に鞍馬より來る老翁あり、この翁めづらしく來ぬ、擧こゝろに臥猪の事をおもふ、〈○中略〉擧畫するところの臥猪をしめして云、この畫如何、翁熟視することやゝひさしくして云、この畫よしといへども臥猪にあらず、是病猪なりといふ、擧おどろきてそのゆゑを問、翁云、凡野猪の叢中に眠るや、毛髮憤起、四足屈蟠、おのづからいきほひあり、〈○中略〉こゝにおいて擧さきの畫をすてゝ、更に臥猪を圖す、工夫もつはら翁が口傳によれり、四五日ありて矢脊の老婆來ぬ、擧さきに見たりし野猪をとへば、婆云、あやしむべし、彼野猪その詰朝竹中に死たり、擧これを聞て、いよいよ翁が卓見を感じ、ふたゝびそのおとづれをまつに、一旬ばかりを經て、翁又來ぬ、擧後に圖するところの畫幅をひらきて、これを見せしむ、翁驚歎じて云、是眞の臥猪なりと、擧よろこびて、あつく翁に謝す、その畫もつとも奇絶なり、今なほ京師某の家にあり、擧が畫に心をもちゐしこと斯のごとし、〈嘯風亭話〉
p.0430 總別武具に猪目を明る事、猪は豪獸にて食レ苦不レ避之物也、兵士遇二辛苦强敵一不レ避之象にたとふ、松殿關白記に書れたり、又秋の寐覺下卷に云、院の御覺他に異なりとて、高ぶる心おは しなば、後の悔もはかりがたし、猪と申けだ物は猛なる上に、松の脂を以て身をか亢め候故、箭もたつ事候はのよしなれば、其心を武士の眼として、猪の目すかす事になん覺候、よからんうへには世のそしり人のへんしうと申事、御用心候へかしなんと云々、是一條禪閤兼良公の御作なり、本草綱目五十一ニ、野猪能與レ虎鬪、或云能掠二松脂一曳二沙石一、塗レ身以禦レ矢云々、此文を以て書給ひし物ならん、
p.0431 題しらず 和泉式部
かるもかきふすゐのとこのいをやすみさこそねられめ〈○ねられめ、一本本二ねざらめ一、〉かゝらずもがな
p.0431 豪豬(ヤマアラシ)
p.0431 山豕(ヤマアラシ)
p.0431 野猪〈○中略〉
附錄、豪猪、〈俗稱二山阿良志一、近世來レ自二外國一、而官家有二畜レ之者一、予(平野必大)往年得レ見レ之、其狀類レ猪、而頭面稍短、細頂背有二棘鬣一長近二尺許一、怒則激發如レ矢、本邦之人未レ得レ食レ之、〉
p.0431 豪豬 ヤマアラシ 和產ナシ蕃國ノ產、古へ日本へ渡ル見セ物ニ出、本朝食鑑、安永元年、紅毛人ジヤガタラノ產ヲ持來ル、京師出、エーヅルハール、コエヅルハルフトモ云、此ハ兎ノ如ニシテ耳ハ大ニアラズ、ニテミセモノニ鼠ノ耳ノ如ク、頭ハ兎ヨリ細ク、體ハ毛長キ故ニ、兎ヨリ大ニミユル、毛長キ刺也、腹ハ常ノ獸ノ毛ト同ジ、見ラルヽ毛ハミナ刺ナリ、
p.0431 豪豬(がうちよ)俗云、也末阿良之、山豬、蒿豬、豲瑜(ぐわんゆ)、鸞豬等の名あり、安永元年阿蘭陀より薩摩國へ傳來し、翌二年巳の春、浪華に來りて觀物とす、其形豬の如く、頭兎に似て色白し、身毛長く平くして髮搔(かうがい)のごとく、恰も管を以て作し蓑を著たるが如し、身を奮ひ動かす時は、鳴音金具を打合すがごとし、毛の色白き中に、所々茶色の斑あり、實に奇異の獸なり、一説に、唐土南陽の深山に生 ずるサルマントウ是なり、又靈獸目鑑に見へたるは、身毛其年の氣によりて變ず、唐人其色を見て歲の運氣を考るといふ、當時の豪豬は咬瑠吧(じやがたら)國の產なるを、蘭人捕獲て持渡しといふ、本草綱目にいへる豪豬の説とは大同小異なり、略レ之、
p.0432 一西山公〈○德川光圀〉むかしより、禽獸草木の類ひまでも、〈○中略〉この國〈○営陸〉へ御うつしなされ候、〈○中略〉
獸の類〈○中略〉 豪猪(ヤマアララシ)〈山林へ御はなち候〉
p.0432 犲皮一名野犴、〈出二兼名苑一〉和名於保加美、
p.0432 狼血〈治二久疥一良〉和名於保加美乃知、
p.0432 豺狼〈獥附〉 兼名苑云、狼一名豺、〈音オ〉説文云、狼〈音郎、和名於保加美、〉似レ犬而鋭頭白頰者也、爾雅注云、獥〈音呌〉狼子也、
p.0432 按爾雅云、狼、牡貛、牝狼、又云、豺、狗足、急就章云、豹狐驢豺犀兕、狸兎飛鼯狼麋 、並豺狼兼擧、則非二一物一明矣、而説文云、豺、狼屬、狗聲、爾雅釋文引二字林一云、豺狼屬、狗足、並以レ豺爲二狼屬一、兼名苑以レ豺爲二狼一名一者、統レ之也、高誘注二呂氏春秋季秋紀一、豺、似レ狗而長毛、其色黃、淮南子時則訓注、豺似レ狗而長尾、其色黃、玄應引二蒼頡解詁一云、豺、似レ狗白色、有二爪牙一迅捷、善搏噬也、史記索隱引二杜林一云、豺似レ貊白色埤雅豺、似レ狗長尾白頰、高前廣後爾雅翼、牙如レ錐、足前矮后高、瘦健、今人稱二豺狗一、郝懿行曰、豺瘦而猛健、俗名二豺狗一、群行虎亦畏レ之、牧誓云、如レ熊如レ羆、史記作二如レ豺如レ離、其猛可レ知、〈○中略〉貝原氏曰、狼、於保加美、犲、也末以奴也、本草拾遺、狼大如レ狗、蒼色、作レ聲諸孔皆沸、李時珍曰、狼、犲屬也、其形大如レ犬、而鋭頭尖喙、白頰駢脇、脚不二甚高一、能食二鷄鴨鼠物一、其色雜二黃黑一、亦有二蒼灰色者一、毛詩正義引一陸璣疏一云、其鳴能小能大、善爲二小兒啼聲一、以誘レ人、去數十歩止、其捷者人不レ能レ制、雖二善用レ兵者一、不レ能レ免也、郝懿行曰、按今狼全似二蒼犬一、唯目縱爲レ異耳、其腹直、故鳴則竅沸也、〈○中略〉釋獸云、狼、牡貛、牝狼、其子獥、 郭無レ注、按毛詩正義引二舍人一云、狼牡名レ貛、牝名レ狼、其子名レ獥、此所レ引或是、
p.0433 豺〈正犲字ホホカミ〉
p.0433 犲狼〈音オ郎オホカミ〉 豺狼〈ノオホカミ〉
p.0433 狼(ヲヽカミ)
p.0433 狼 大咬(ヲホカミ)也、口ひろくして大にかむ也、
p.0433 狼オホカミ 義未レ詳、〈○中略〉狼をオホカミと云ひしは、これも熊をクマと云ふが如くに、其畏るべきを云ひし事、たとへば雄略天皇紀に、三諸山の蛇を神と云ひ、豐後國風土記に、直入郡球覃郷の蛇を、オガミといひしが如くなるべし、さればオホカミとは大神也、
p.0433 狼
釋名、〈源順曰、狼一名豺、和名於保加美、爾雅注云、獥音呼、狼子也、必大(平野)按、源順以二豺狼一爲二一物一不レ然、豺狼相類、倶似レ犬、而狼肥豺瘦、毛色亦殊、其健猛不レ殊矣、〉
集解、狼似レ狗而大豺屬、山野處處多有、鋭頭尖喙、白頰駢脇高前廣後脚稍短、其色雜二黃黑或蒼灰一、其聲大而遠聞、口闊大拆而及レ耳、齒牙剛利而噬二金鐵一、故一噬レ物無レ不レ斷、一噬レ物無レ不レ盡、其力亦强能負二人畜一、春夏夜夜出二山林一、至二村 一、竊二食牛馬鷄犬及兒女一、偶出竟一村作レ空、秋冬濳而穴居、性敏能知レ機、若人欲レ獵、則預識深匿不レ出四趾有レ蹼而能渡レ水、或齅二砲火繩之氣一、則遠辟而去、獵夫能謀取レ之、若斃二一二一、則其餘不二久至一、待二人之怠慢一而來、獵夫亦迎而擊レ之、或謂人不レ讎、則狼不レ害、人善遇レ彼則狼亦報以レ善、若人夜獨行二山野之幽蹊一、而狼見レ人或前或後成レ列隨行、此俚俗謂二送狼一、人不レ敵レ彼、肅懼請レ命、則狼亦氐首而伏、反護二其人一、拒二盜豺狐狸之害一、或狼見二人屍一、必躍二超其上一者、一進一退尿レ之、而後食レ之、若レ斯者雖二猛獸之戻一、猶レ有二仁義之端一、然獸心之暴忍、及饑豈有二是非之情一哉、人之貪レ利害レ物、比二之虎狼一、故俚諺以二内猛外懦一如三狼之著二衲衣一焉、本邦素無二虎象一、但以二豺狼熊、羆一、爲二走獸之長一也、凡狼生レ子、必近二村里一而穴居、此爲レ覔一人之食餘一、若人知而弄レ之、則易レ處、江東山人好食レ狼、謂令二人勇悍一、然肉硬味靱而不レ佳、惟寒疝冷積之人宜レ食レ之、 肉、氣味、〈古謂〉甘鹹熱無レ毒、主治、補レ中壯レ氣、寒疝冷積、及婦人気滯、癥瘕屬レ寒者最宜、
豺
釋名、〈今俗呼稱二山犬(○○)一、或與レ狼相混互稱、〉
集解、豺大抵與レ狼同、故通俗互名、若細辨レ之、則其體細瘦而頗白、前矮後高而長尾、四趾無レ蹼而不レ能レ渡レ水、其氣臊臭可レ惡、其健猛多力勁牙大口與レ狼相同、豺狼食レ犬、反二一犬一不レ能レ制レ之、見レ犬輙跪、亦相制爾、肉、氣味、〈古謂〉酸熱有レ毒、主治、未レ詳、〈或曰、損二人之精神一、又令二人瘦一、〉
p.0434 豺 ヤマノイヌ(○○○○○) ヤマイヌ ヲヽイヌノトヲガラ(○○○○○○○○○) ヤマヲガラ(○○○○○)
是ハ豺狼トツヾキテ似タルモノ猛獸也、人ヲ害ス、山居ス、常ハヲラズ、山ニ雪フリ、冬春食物ナケレバ出ル、形イヌヨリ大ニシテヤセテ臭氣アリ、間々見セ物ニスル、狼ハ足ニミヅカキアリ、河ヲワタル、是ハミヅカキナシ、常ノ犬ト同ジ、河ヲ渡ラズ、狼ハ食用ニナル、豺ハ毒アリテ食用ニナラズ、足ノ爪竪ニスヂアリ、アサガラノ如クミユル故、ヲガラト名ヅク、一説ニ、豺類ニヲガラト云獸アリト云、其似タル故山ヲガラト云フ説モアリ、本條一名豺犬〈八閩〉祭獸、〈法言〉
p.0434 狼 ヲホカミ ヲヽカメ(○○○○)誤
山中ニ多シ、冬春ノ間雪多故、里ニ出テ食ヲ求ム、又病アツテ出テアレルコトアリ、形犬ノ如ニシテ、常ノ犬ヨリ大長ナリ、セイモ高シ、頭ハヤセテ嘴長シ、故ニ唯犬ヨリ大也、耳カツコウヨリ小也、目ノ形チ三角ニスルドシ、暗夜ニハ目ノヒカリ星ノ如シ、牙ツヨシ、故ニ犬ヤ猪鹿ヲ食フカミ切ル也、足ハ犬ヨリ高シ、爪モ長シ、指ニ水カキアリ、水中ヲハシル、聲犬ノ如シ、遠ク聞ユ、此糞山中ニアリ、ケモノヽ毛ヲ堅シタル如シ、コレヲノロシニ入ルハ眞直ニタツ也、風ニモユガマヌ也、一名 滄浪君〈異名〉 當路君〈紺珠〉
p.0434 狼〈○中略〉 狼狽 狼前二足長後二足短、狽前二足短後二足長、狼無レ狽不レ行、狽亦無レ狼不レ行、若相離則進退不レ得、 按、二物相依賴者、 與二蛩蛩一、〈見二鼠部一〉蝦與一水母一、〈見二魚部一〉和母與二黃栢一〈見二木部一〉狼與レ狽亦然矣、而狽未レ知二其何物一、
p.0435 祥瑞
白狼(○○)金精也○中略 右上瑞
p.0435 天國排開廣庭天皇、男大迹天皇嫡子也、母曰二手白香皇后一、天皇愛之、常置一左右一、天皇幼時夢有レ人云、天皇寵二愛秦大津父者一、及二壯大一必有二天下一、寐驚遣レ使普求、得レ自二山背國紀伊郡深草里一、姓字果如二所夢一、於レ是所レ喜遍レ身、歎二未曾夢一、乃吿之曰、汝有二何事一、答云、無也、但臣向二伊勢一商價來還、山逢二二狼相鬬汚一レ血、乃下レ馬洗二漱口手一、祈請曰、汝是貴神而樂二麁行一、儻逢二獵士一見レ禽尤速、乃抑二正相鬬一、拭二洗血毛一、遂遣放之、倶令レ全レ命、天皇曰、必此報也、乃令二近侍一、優寵日新、大致二饒富ハ及レ至二踐祚一、拜二大藏省一、
p.0435 寶龜五年正月乙丑、山背國言、去年十二月、於二管内乙訓郡乙訓社一、狼及鹿多、野狐一百許毎夜鳴、七日而止、
p.0435 延曆二十一年七月丙寅、有レ狼走二朱雀道一、爲レ人所レ殺、
p.0435 弘仁二年八月戊寅、是日有レ狼入二造兵司一、爲レ人所レ殺、
p.0435 寬平十年〈○昌泰元年〉閏十月十四日庚辰、狼入二西獄所一、鉗徒打殺云々〈○又見二日本紀略一〉
p.0435 安和元年三月廿六日己酉、狼自二春宮坊酉門一入二中院一、爲二瀧口武者一被二射殺一、
p.0435 寬仁二年閏四月廿四日、參二法性寺一、人々被レ示云、内〈○禁内〉狼死定穢依二藏人仰一諸陣立レ札云々、是甚無レ故事也、不レ入二六畜一、何爲レ穢哉者、仍候レ内人々皆被レ入云々、不レ可レ爲レ穢之由、改定已了、
p.0435 母牛突二殺狼一語第卅八
今昔、奈良ノ西ノ京邊ニ住ケル下衆ノ、農業ノ爲ニ家ニ特牛ヲ飼ケルガ、子ヲ一ツ持タリケルヲ、秋比田居ニ放タリケルニ、定マツテ夕サリハ小童部行テ追入レケル事ヲ、家主モ小童部モ皆忘 レテ不二追入一ザリケレバ、其ノ牛子ヲ具シテ田居ニ食行ケル程ニ、夕暮方ニ大キナル狼一ツ出來テ、此ノ牛ノ子ヲ咋ハムトテ、付テ廻リ行ケルニ、母牛子ヲ悲ガ故ニ、狼ノ廻ルニ付テ子ヲ不レ咋セジト思テ、狼ニ向テ防ギ廻ケル程ニ、狼片岸ノ築垣ノ樣ナルガ有ケル所ヲ後ニシテ廻ケル間ニ、母牛狼ニ向樣ニテ、俄ニハタト寄テ突ケレバ、狼其ノ岸ニ仰樣ニ、腹ヲ被二突付一ニケレバ、否不レ動デ有ケルニ、母牛ハ放ツル物ナラバ、我ハ被二咋殺一ナムズト思ケルニ、力ヲ發シテ後足ヲ强ク踏張テ、强ク突カヘタリケル程ニ、狼ハ否不レ堪ズシテ死ニケリ、
p.0436 鰥婦狼を害す
武州榛原郡ひかや村の庄左衞門といふが、耕作に出て狼にくひ殺されしを、二十歲ばかりの妻いか計口惜き事におもひ、いかにもして狼をうちとらんと、九尺柄の手鎗を提げ、方々と尋ねしに、ある畔に大なる狼ふし居たるを、これぞ夫のかたきぞと悦びいさみ件の鎗をとりなをし、咽より上につき立しに、狼奮ひ怒て起あがらんとせしかど、中々鎗を放たずして聲をたてければ、人あまた馳來り、つゐに打殺してけり、舅その志の貞節なるを感じ、聟を取て家をつがせけるとなり、
童子狼を害す
丹後岑山領の内にて、子ども草をかりに行しに、狼の出しかば、みな〳〵逃さりしに、八歲になる女の子逃かねて狼にとられしを、十一歲になる兄竹藏、逃ながらこれをみて取てかへし、持たる鎌を狼の眉間にうちこみ引けるに、鼻柱かけて切さき〳〵、狼は噉へし子を一ふり振てすて、竹藏が頰さきにくらひ付し時、鎌をとりなをし咽にうちこみ引しかば、狼たちまちに死す、竹藏絶死し居けるを、人々走り來て藥を與へしかば蘇りし、疵平愈して後、守護の京極主膳正殿きこしめして、奇特の者なりとて召出されしとなり、
p.0437 婦人擊レ狼
天保四〈巳〉年三月 私支配所
飛驒國大野郡宮村百姓彥助母
巳(より)七十三歲
巳(同人妻 はち)四十八歲
巳(同人娘 よね)二十三歲
右之者共、狼を仕留候段風聞御座候ニ付、支配所飛驒國高山陣屋〈江〉、右之者共呼出始末相糺候處、彥助儀無高ニ而、農業之間、杣木挽等之渡世仕、家内四人暮ニ而、去辰十二月中、他國〈江〉稼ニ罷越留守中、當正月十二日夜四半時頃、彥助母より儀、當年六歲ニ相成候孫を召連、居宅裏口より四五聞程も離居候雪隱〈江〉參り候處、狼壹疋何方よりか駈來り、右孫〈江〉可二飛懸一體ニ付、より儀驚、孫を構ひ側に有合候薪ニ而狼を敲き候處、右狼振返り、よりの左の腕〈江〉喰付候を振放し、猶又薪にて可二追拂一と存候處、可レ喰體ニ而前後左右〈江〉飛廻り候ニ付、種々相防候得共、極老之後ニ付氣力も疲れ、三ケ所程手を負候處、彥助妻はち娘よね、右物音に驚、一同裏口〈江〉立出候處、右の次第ニ而老母危相見候ニ付、兩人其驚駈付候處、狼兩人を見付、よりを捨置、はちに飛懸り肩〈江〉喰付、猶又よね〈江〉飛掛り候ニ付、よね、儀祖母並母に怪我無レ之樣ニト存、其身ハ一向ニ不二相厭一、狼ニ組付仰向ニ押倒し、咽を〆付居内、はち儀臺所ニ有レ之候山鉈を取來り、狼の天窓を散々に切碎仕留候儀ニ而、よね儀所所疵請候得共、淺疵ニ而、老母幷はち疵所も格別之儀ニ者無二御座一、三人共追々平愈いたし、小兒は老母之働にて少しも怪我無レ之旨申候ニ付、猶又村役人共相糺候處、村役人共者、餘程住居も隔り罷在、翌朝右之趣及レ承候ニ付、早速罷越、仕留候狼等見請、始末承り候儀ニ而、三人之者共申立候通相違無二御座一候處、右はちよね共、平日老母〈江〉孝養相盡し、家内睦敷相暮候儀ニ而、畢竟老母を大切ニ存居、右體危急之場合ニ臨、必死に相成相防候儀ニ付、女子之働ニ而猛獸をも仕留候儀ト相見 候段、村役人共申聞候ニ付、近村之風聞等相糺候處、右申立之趣無二相違一、村役人共申立候、右はちよね儀、平日トモ老母〈江〉孝行いたし候心底より、其身を不レ厭相防、老母を救ひ、其上狼を仕留、村内は勿論、近村迄害を除、母儀も極老の身ニ而最初ニ手强相支候ニ付、小兒にも怪我等無レ之、三人共女子之働ニハ稀成儀ニ御座候間、可二相成一儀ニ御座候ハヾ、三人共相應之御褒美被二下置一候樣仕度奉レ存候、此段奉レ願候、已上、
〈巳〉三月 大井帶刀
同年九月 生涯貳人扶持被レ下 より
はち
銀拾枚ヅヽ
よね
右之通御褒美被レ下候
p.0438 舍人娘子雪歌一首
大口能(オホクチノ)、眞神之原爾(マガミノハラニ)、零雪者(フルユキハ)、甚莫零(イタクナフリソ)、家母不有國(イヘモアラナクニ)、
p.0438 三諸之(ミモロノ)、神奈備山從(カミナビヤマユ)、登能陰(トノグモリ)、雨者落來奴(アメハフリキヌ)、雨霧相(アマギラヒ)、風左倍吹奴(カゼサヘフキヌ)、大口乃(オホクチノ)、眞神之原從(マガミノハラユ)、思管(オモヒツヽ)、還爾之人(カヘリニシヒト)、家爾到伎也(イヘニイタリキヤ)、
p.0438 おほぐちの 〈まがみのはら〉
萬葉卷八に、〈○中略〉卷十三に、〈○中略〉こは狼の事にて、よに猛き獸なれば、かしこみて眞神といひならひ、且かれが口は殊に大きにしあれば、大口の眞神の原とはいひかけたり、大口と書たるは、卽おほかみと訓ぬべくおぼゆれど、古事記に、口大之尾翼鱸(クチブトノヲヒレスヾキ)ともあれば、字のまゝによむ、
p.0438 凡諸山野所レ在、〈○中略〉禽獸則有二〈○中略〉狼、〈○中略〉獼猴之族一、
p.0438 狼(ヤマイヌ/オホカメ) 國誌云、倭訓於保加美、俗曰二山狗一、 按俗間多クハ山狗ト云、タマ々々オホカメト云モノアリ、大神ノ意ナリ、凡國中深山大原ノ間ニハ、所トシテ住セザルコトナシ、