p.0793 鵤〈二字伊加留加(○○○○)〉
p.0793 鵤胡岳反、貌似レ鳹有二白喙一、鳹、音渠炎反、出二崔禹一、和名、以加留加、
p.0793 鵤 崔禹錫食經云鵤、〈胡岳反、和名伊加流加、〉貌似レ鴿而白喙者也、兼名苑注云、斑鳩〈和名上同、見二日本紀私記一、〉觜大尾短者也、
p.0793 以加留賀、又見二萬葉集雜歌一、其聲如二怒訽一故名、今俗呼二豆廻一、蓋豆甘之譌、〈○中略〉鵤字諸書無レ載、僅見二於此一、按爾雅云、春鳸鳻鶞、夏鳸竊玄、秋鳸竊藍、冬鳸竊黃、桑鳸竊脂、棘鳸竊丹、行鳸唶唶、宵鳸嘖嘖、郭注、諸鳸皆因二其毛色音聲一以爲レ名、竊藍靑色、李時珍曰、鳸鳥、處處山林有レ之、大如二鴝鵒一、蒼褐色、有二黃斑點一、好食二粟稻一、其觜喙微曲、而厚壯光瑩、或淺黃淺白、或淺靑淺黑、或淺玄淺丹、鳸類有二九種一、皆以二喙色及聲音一別レ之、非レ謂二毛色一也、爾雅又云、桑鳸、竊脂、郭注、俗謂二之靑雀一、觜曲食レ肉、好盜二脂膏一、因名云、左傳正義解二竊脂一爲二淺白一、李時珍又云桑鳸乃鳸之在二桑間一者、其脂或淡白如レ脂、或凝黃如レ蠟、故古名二竊脂一、俗名二蠟觜一、是可三以充二以加流賀一也、〈○中略〉按本草和名以レ鵤爲二以加流賀一、日本紀私記以二斑鳩一爲二以加流賀一、其説不レ同也、源君混爲二一條一、非レ是、
p.0793 イカルカ 鵃〈張交反、又照、音鶻、鵃、イカルカ、〉 〈イカルカ〉 斑鳩〈イカルカ〉 鵤〈古岳反、ウツフリ、イカルカ、〉
p.0793 鵤〈豆甘(マメウマシ)鳥也、或作二斑鳩一、〉
p.0794 斑鳩(イカルカ)〈玉篇曰、鶻鵤或爲二斑鳩一、〉 鵤(同) 豆甘(マメウマシ/○○)
p.0794 聖德皇太子示レ表緣第四
鵤〈イカルカ〉
p.0794 鵤〈古訓伊加流加、今稱二末米末和志(○○○○○)一、〉
釋名斑鳩、〈日本紀、源順曰、崔禹錫食經云、鵤貌似レ鴿而白喙者也、兼名苑注云、斑鳩觜大尾短者也、必大按、鵤者桑鳸也、非二斑鳩之名一、事詳二于異同一、〉
集解、鵤狀小二於鳩一、頂黑頂後背腹、靑灰或蒼褐色有二黑斑一、羽尾亦黑色、觜大短黃如レ蠟、脛掌倶紅、好食二粟及豆一、毎集二于桑柘間一、世以畜二之樊籠中一、其味不レ爲レ佳、
肉、氣味、甘温無レ毒、主治、補二虚羸一益二肌肉一、
p.0794 鵤
桑鳸一名蠟觜鳥也、又曰竊脂、又曰靑雀、詩曰、交交桑鳸有レ鶯二其羽一、左傳少皡氏以レ鳥名レ官、九鳸爲二九農一、爾雅述二九種之鳸一、此類最多矣、愚按鵲亦同類乎、
p.0794 桑鳸 イカルガ〈和名鈔、筑前、〉 イカルゴ(○○○○)〈防州、石州、〉 イカル(○○○)〈水戸、雲州、〉 マメドリ(○○○○)
マメマワシ マメウマシドリ〈下學集〉 マメワリ(○○○○)〈筑後〉 マメッポウ(○○○○○) マメグチ(○○○○)〈仙臺〉 三光鳥〈南部、仙臺、〉 一名靑嘴鳥〈卓氏藻林〉 靑扈〈同上〉 蛓毛鷹〈蘇州府志〉
深山中ニ棲、春夏ノ間、飛テ市中ヲ過グ、禽舖ニ多ク畜フ、形伯勞(モズ)ノ大サノ如ク、全身灰色ニシテ頂深黑色、 ヲ戴ガ如シ、翅端黑色ニシテ黃褐色ヲ帶ブ、尾ハ茶褐色、脚赤色、其觜濶大ニシテ短ク深黃色、五穀ヲ食フ、人家ニ畜フ者ハ、黍穇(キビヒエ)ヲ以飼フ、若豆一粒ヲソノ中ニ入ルヽ時ハ、コレヲ含ミ旋轉シテ止マズ、故ニマメマハシト呼ブ、春月囀聲高亮ニシテ淸ミ、シイノゴキ〈勢州龜山〉ト云ガ如シ、又月星日トモ鳴ク、故ニ三光鳥ノ方言アリ、又別ニ山中ニ月日星星トナク者ハ山鵲ナリ、コレモ亦三光鳥ト云フ、又日光ノ三光鳥アリ、皆同名異物ナリ、マメドリハ山鵲ヨリ聲高シ、
p.0795 粒餌小烏の分 何にても水を入る
〈まめまはし いかるがともまめつほうともいふ〉 〈ゑがひ〉 〈きび、米、すりゑ四分ゑよし〉
大きさひよ鳥にちいさくかしらくろく、總身うすねずみいろ尾羽くろし、はし黃いろにて太し、さゑづり高音なり、冬いづる、
〈小まめ鳥 島まめともいふ〉 〈ゑがひ〉 〈まめまはし同斷〉
大きさまめまはしに半分ちいさし、毛色諸事まめまはしにかはる事なし、まれに來る、
p.0795 いかる
此鳥秋澤山渡る鳥也、日光山より出る、當地〈○薩摩〉に而もとれる、此鳥觜みがき觜とて貳通有、黃色なるは親鳥、黑觜は雛なり、後には黃色の觜になる、勿論啼音に善惡有、餌飼麻の實、後に摺餌三分餌なり、
p.0795 近江之海(アフミノウミ)、泊八十有(トマリヤソアリ)、八十島之(ヤソシマノ)、島之埼邪伎(シマノサキザキ)、安利立有(アリタテル)、花橘乎(ハナタチバナヲ)、末枝爾(ホヅエニ)、毛知引懸(モチヒキカケ)、仲枝爾(ナカツエニ)、伊加流我(イカルガ/○○○○)懸(カケ)、下枝爾(シヅエニ)、此米乎懸(シメテカケ)、己之母乎(シガハヽヲ)、取久乎不知(トラクヲシラニ)、己之父乎(シガチヽヲ)、取久乎思良爾(トラクヲシラニ)、伊蘇婆比座與(イソバヒヲルヨ)、伊加流我等此米等(イカルガトシメト)、
p.0795 鳥は
いかるがのをどり
p.0795 二條中納言宣高卿いかるがを、家隆卿のもとへをくるとてよみ侍ける、いかるがよまめうましとはたれもさぞひしりこきとは何をなくらむ
p.0795 鳹 陸詞切韻云、鳹、〈音黔、又音琴、漢語抄云、比米(○○)、〉白喙鳥也、
p.0795 萬葉集雜歌、仲枝爾伊加流我懸、下枝爾此米乎懸、軍王歌左注、斑鳩此米二鳥大集、按此米蓋比米之譌、恐非二下條之米一、今俗有下小鳥呼二之由米一者上、其喙與二以加流賀一略同、是亦比 米之譌二之由米一、漢名未レ詳、松岡氏以二鐵觜一充レ之、小野氏以二竊玄一充レ之、〈○中略〉按爾雅釋文引二字林一云、鳹句喙鳥、是陸氏所レ本、句白必有二一誤一、説文作レ鳹、云鳥也、鳹未レ詳、
p.0796 鴲 孫愐切韻云、鴲、〈音脂、漢語抄云、之女(○○)、〉小靑雀也、
p.0796 鳹〈渠炎反、白啄鳥、ヒメ、シメ(○○)、〉 鵑 鴲〈今或正、音 鳥 、ヒメ、シメ〉 鷧ヒメ
p.0796 鴲
訓二志米一、〈○中略〉漢語抄云、比米、必大按、之米、比米、聲訓相近、恐是一物乎、今之志米者似レ鵤而稍大、頭腹黃白有二黃斑一、觜大短而白、背尾紫、翼之上黑下黑挾二白羽一、脛掌微黃、常棲二山林一網而捕レ之、氣味倶略與レ鵤同、
p.0796 鳹ヒメ〈○中略〉伊豫國風土記に據るに、岡本天皇〈○舒明〉皇后と共に、彼國温泉に幸しまします、大殿戸有レ椹云二臣木一、於レ其集二止鵤一、云二比米鳥一、天皇爲二此鳥一、枝繫二穗等一養賜也、と見えたり、其記せし所に據らば、鵤を呼て比米と云ひしに似たり、倭名抄には鵤鳹各別に載せたり、ヒメといふ義も不レ詳、〈古には臣を稱してオミといひ、女を尊稱してヒメと云ひけり、行宮にある所のもの、天皇の寵し給ふによりて、當時の人名づけ呼びし所、かくの如くせしなるべし、下學集には、鵤讀てイカルカと云ひ、豆甘鳥也と註し、鳹讀てヒワと云びけり、今俗にカハラヒハといふものは、マメウマシといふものゝ如くにして、小しきなるなり、ヒメの名ありしも、また此義に因れるにや、俗に凡物小しきなるを呼びて、ヒメといふ事は前に註せり、もし下學集にいふ所の如くならんには、風土記の比米の米の字、禾の字を誤寫せしも知るべからず、詳なる事は知らず、〉
p.0796 鳹〈音黔〉
按、鳹狀似二桑鳸(マメマハシ)一而稍小、頭淺黃赤肩、背灰白、翼黑中挾二白羽一、腹灰白、觜大短而灰白、眼下頤下正黑、脛掌微黃、常棲二山林一、鳴聲似二山雀一而大、春月囀出二數品聲一、畜レ之食二雜穀一、肉味有二油臭氣一不佳、爲レ囮亦捕二桑鳸一、蓋鳹〈本名比米、俗誤曰二志米一、〉鴲〈和名抄所レ謂志米是也〉小靑雀也、未レ詳二形狀一、
p.0796 しゆめ(○○○)
此鳥秋渡る鳥也、此鳥の内島しゆめとて、何ぞかわりと云にもあらず、しゆめだち違ふと云にもあらず、まゝ交り渡る、心をつけて見分べし、餌飼人のしる處なり、
p.0797 伊豫國風土記云、湯郡、天皇等於レ湯幸行降坐五度也、〈○中略〉以二岡本天皇〈○舒明〉幷皇后二軀一爲二一度一、于レ時於二大殿戸一有三椹與二臣木一、於二其上一集三〈○上集原作二集上一、今改、〉鵤與二比米鳥(○○○)一、天皇爲二此鳥一、枝繫二穗等一養賜也、
p.0797 幸二讃岐國安益郡之時、軍王見レ山作歌、〈○歌略〉
右撿二日本書紀一、無レ幸二於讃岐國一、亦軍王未レ詳也、但山上憶良大夫類聚歌林曰、紀曰、天皇〈○舒明〉十一年己亥冬十二月己巳朔壬午、幸二于伊豫温湯宮一云々、一書云、是時宮前在二二樹木一、此之二樹斑鳩(イカルガ)此米(シメ/○○)二鳥大集、時勅多掛二稻穗一而養レ之、乃作歌云々、若疑從二此便一幸之歟、
p.0797 近江之海(アフミノウミ)、泊八十有(トマリヤソアリ)、八十島之(ヤソシマノ)、島之埼邪伎(シマノサキザキ)、安利立有(アリタテル)、花橘乎(ハナタチバナヲ)、末枝爾(ホヅエニ)、毛知引懸(モチヒキカケ)、仲枝爾(ナカツエニ)、伊加流我懸(イカルガカケ)、下枝爾(シヅエニ)、此米(シメ/○○)乎懸(ヲカケ)、己之母乎(シガハヽヲ)、取久乎不知(トラクヲシラニ)、己之父乎(シガチヽヲ)、取久乎思良爾(トラクヲシラニ)、伊蘇婆比座與(イソバヒヲルヨ)、伊加流我等此米等(イカルガトシメト)、
p.0797 䳪〈毛受(○○)〉 伯勞〈毛受〉
p.0797 百勞、一名鵙、〈或云二伯奇一、化作也、故有二伯名一、〉和名、毛須、
p.0797 鶪 兼名苑云、鶪一名鷭、〈上音覔、下音煩、楊氏漢語抄云、伯勞毛受、一云鶪、〉伯勞也、日本紀私記云、百舌鳥、
p.0797 按玉篇、鶪公覓切、廣韻、古闃切、皆屬二牙音見母一、其他從二狊字一、或屬一牙音溪母一、或屬二喉音曉母一、而覔屬二脣音明母一、其音不レ同、此音覔恐誤、〈○中略〉按玉篇載二鷭字一無レ訓、廣韻云、鷭、鷭鵃鳥、而兼名苑以爲二鶪一名一、未レ知二何據一、伯勞也三字、蓋兼名苑注文、按爾雅云、鶪、伯勞也、説文同、是注文所レ本、爾雅郭注云、似二鶷 一而大、毛詩豳風七月正義、引二曹植惡鳥論一云、伯勞以二五月一鳴、應二陰氣一而動、陽爲レ生二仁義一、陰爲レ殺二殘賊一、伯勞蓋賊害之鳥也、其聲鶪鶪、故以二其音一名云、呂氏春秋仲夏紀注云、是月陰作二於下一、陽發二於上一、伯勞夏至後應レ陰、而殺レ蛇磔二之棘一、而鳴二於上一、爾雅翼引二易通卦驗一云、博勞性好單捷、其飛翪、其聲 、夏至應レ陰而鳴、冬至而止、郝懿行曰、今伯勞純黑色、似二鴝鵒一而大、其飛縱縱、其聲鶪鶪、喜食レ蟲、愚按秋日往往見下縛二蛙足一磔二於棘上一者上云、是鶪之所レ爲、未レ見二殺レ蛇磔レ之者一、〈○中略〉按禮記月令云、仲 夏之月鶪始鳴、反舌無レ聲、注云、鶪伯勞也、反舌、百舌鳥、是鶪與二百舌鳥一不レ同明矣、漢語抄以レ鶪爲二毛受一、日本書紀以二百舌鳥一爲二毛受一者、其説不レ同也、源君混爲レ一非レ是、按益部方物略記、百舌鳥、綠衣紺尾、一啼百囀、可二樊而畜一、爲二世嘉玩一、自注云、出二中蜀山谷間一、毛采翠碧、蜀人多畜レ之、一云二翠碧鳥一、喜效二他禽語一、凡數十種、詳二其所一レ言、與二李氏所レ説百舌一不レ同、李時珍曰、百舌又名二反舌一、又名二鶷 處處有レ之、居二樹中孔窟穴中一、狀如二鴝鵒一而小、身略長、灰黑色、微有二斑點一、喙亦尖黑、行則頭俯、好食二蚯蚓一、立春後鳴囀不レ已、夏至後則無レ聲、十月後則藏蟄、月令反舌無レ聲、卽此、其物未レ詳、以充二毛受一不レ穩、
p.0798 、伯勞也、〈夏小正作二百鷯一、月令注作二博勞一詩箋作二伯勞一、古音同也、鶪、夏小正孟子作レ鴂、乃雙聲假借字、小正月令皆云、五月鳴、惟豳風曰、七月鳴レ鶪、左傳曰、伯趙氏司至者也、〉从レ鳥狊聲、〈古闃切、十六部、〉
p.0798 鶪鵙〈或鶪、古闃反、伯勞、モズ、〉 鷭〈音煩、鳩、モズ、〉 〈モ爪〉
p.0798 鵙(モズ)〈百舌、又云伯勞也、〉
p.0798 伯勞鳥〈舌百鳥 普通には百舌鳥常事歟〉
をばながすゑ 又はしのたちえなどになく もずのくつては、わがみがはりにかへるやうの物を、物にさしてをく也、是郭公くつてをせむると云り、是に有レ説不レ可レ レ之、
p.0798 鵙モズ〈○中略〉 日本紀に百舌鳥としるされしは、其字を借りて讀てモズとせられしなり、正訓とは見えず、モズの義不レ詳、〈舜水朱氏モズを見て不知と云ひ、百舌をモズといふは非也と云ひしといふなり、呉元化が毛詩鳥獸草木考に、鵙似二鶷 一而大、性好二草棲一、毛羽灰色、黑眉鷹觜、能捕二燕雀一、伯趙氏司至官、伯趙は鵙也といひけり、此説の如きは、此に鵙讀てモズといふものに相合ヘり、其鶷 といふ物は、百舌とも反舌ともいふなり、其似たるに依りて、百舌をモズとなせしなるべし、〉
p.0798 一伯勞鳥トハ何鳥ゾ
打任テハモズト云フトリ也、万葉ニモズノクサグキミエズトモ云フ、歌ニハ伯勞鳥トカキテ、モズトヨマセタリ、鄭玄ガ禮注ニハ、鵙(モス)ハ博勞鳥也ト云ヘリ、百勞鳥トカケル事モアリ、百舌鳥トモ 反舌鳥トモ云フ、兼名苑ニハ、服鳥一名ハ伯趙、一名ハ鷭博勞也、其生レテ長大シテ便反テ食二其母一、一名ハ梟、不孝鳥ナリ、尹吉甫前婦子伯奇、爲二後母一所レ讒、遂身投二律河一、其靈爲二惡鳥一、今伯勞鳥之ト云ヘリ、此説ノ如クナラバ、フクロウト云フトリニコソ、兩説ノ是非バカリガタシ、梟ハ食レ母トリ、破鏡ハ父ヲクラフ獸トテ、一雙ノ物也、賈諠 鳥賦云、 似レ鴞不群鳥也云云、同注云、異物志ヲ引テ云、有レ鳥小如(シテ)レ鷄、體有(ニ)二文色一、土俗因レ形名曰レ ト云ヘリ、ツネノフクロウニハイツカ文色アル、又ニハトリニモニズ、別ノ鳥歟、又不レ能二遠飛行一ト云ヘリ、思玄賦云、鶗鴂鳴而不レ芳、向注云、鶗鴂之鳲使二衣草不一レ芳、又云、鶗鴂陰(ハ)鳥則(ナリ)草木凋木凋傷云々、衡曰、鶗鴂鳥名(ハノ)也、秋分鳴(ニ)、服虔曰、鶗鴂一名鶪伯勞也、異名志曰、鶗鴂一(ノ)名杜(ハ)鵑、至二三月一鳴、盡夜不(ニ)レ止云々、コレ大ニ相違セリ、伯勞モ鶗鴂モ大樣ハモズ也、ホトヽギス三月ニナクコトハ、ナヲ早速ナルカ、漢地ハアタヽカナルユヘニトクナク歟、禮記月令ニハ、五月鶪始テ鳴ト云ヘリ、草木シボムト云フ時節ニシタガヒヌ、打任テ此ノ邊ニハ、モズハ秋フカクナリテナクモノナリ、夏ナクコトハナキニヤ、カタ〳〵ニシタヒアヘリ、東方朔ガ内傳ノ心ニハ、東方朔弟子トトモニ長安ノミチヲユクトキ、水ヲモトム、弟子人家ノスモヽノ木ニ伯勞鳥トビアツマル、東方朔コレヲ見テ云ク、此ノ家ノ主ヲバ、李勞ト云フ也ト、弟子ソノ名ヲヨブニ、家主イデヽホメケリト一云フ事アリ、李木ニ伯勞キタレバ、李勞トコヽロエタリケルカ、タガハザリケルコソ不思議ナレ、ヒルフクロフノ木ニアツマルベキイハレナケレバ、コヽニ云ヘル伯勞ハモズ歟、
p.0799 鸎字幷百舌百千鳥
百舌もずにもあらず、又うぐひすにもあらず、是も一種の鳥なり、漢土の書に多く載せたり、易通卦驗云、反舌鳥百舌鳥、能反二覆其舌一、證二百鳥之音一、淮南子〈説山訓〉人有二多言者一、猶二百舌之聲一、格物總論云、百舌春二三月鳴、至二五月一無レ聲、亦候禽也、山堂肆考云、百舌一名、望春、一名喚起、江南之人謂二之喚春一、聲圓 轉如二絡絲一、〈喚起の事後に見ゆ、同名を以て誤る、〉其外益都方物記に、一名翠碧鳥ともいひ、事物異名に饒舌郎といふも能く諸鳥の眞似をする故なり、文同が詩に、就レ中百舌最無レ謂、滿口學盡衆鳥聲、自無三一語出二於己一、徒爾嘲音誇二縦横一といふも、其眞似を惡みてなり、〈王維が聽二百舌鳥一詩に、入レ春解作二千般語一、拂レ曙能先二百鳥一啼、唐詩紀事に見ゆ、〉然るを和名抄に、鵙の一名伯勞とし、百舌鳥とする、〈鸎の一名黃伯勞〉古昔よりの誤を承け傳へ、枕草子に鸎の關と書きたるを、季吟の春曙抄に、百舌鳥陵と注せしは、次第に誤り來れり、鶂は爾雅に云、鶨䳢郭注に、俗呼爲二癡鳥一といへるもの、鄭漈が草木略に、按此似二鸜鵒一無レ冠而長尾、多在二山寺厨濫間一、今謂二之鳥 一、と是なり、此鳥の癖として、最初の發聲に何となく諸鳥の眞似をする中に、うぐひすの眞似を能くする故に、彼此と誤りきたれり、
p.0800 鵙〈訓二毛須一〉
集解、鵙本草綱目不レ言二形色一、凡鵙似レ鳩而小、頭背至レ尾皂色帶レ赤似二 色一、顏氣眼容類二小鷂一、眼邊黑眼上白條引レ頗、觜黑而末曲亦如レ鷭、頰臆白腹黃赤有二黑横紋一、鷊靑羽黑脛掌黑赤、爪利而硬、毎摯二小鳥一而食、其聲高喧不レ好、故俗爲二惡聲一、夏鳴冬止、在レ野則結レ草磔レ蟲、歌人呼稱二鵙之草莖一、古談謂、昔有二狡童一、淫二人之侍婢一、然未レ知二女之居一、故指二鵙之草莖一爲レ證欲レ行、又有下鵙與二杜鵑一相約之事上、倶未レ知二其眞一也、近世野人以三野草莖上磔二蛙螽之類一、稱二鵙之草莖一、此亦不レ知二何故一矣、今官家之兒畜二之韝上一、比レ鷹以摯二小鳥一作二弄戯一耳、或有二食レ鵙者一、曰味苦有二臊氣一、常人尚未レ食レ之也、
肉、氣味、苦平無レ毒、主治、小兒魃病、
p.0800 鵙
李時珍擧二九説一而論レ之、惟以二郭璞之説一爲レ準郭註二爾雅一曰、鵙似二鶷 一而大、鶷 者百舌也、爾雅謂、鵲鵙之醜、其飛也 、歛レ足竦レ翅也、旣以二鵲鵙一並稱、而今之苦鳥、大如レ鳩黑色、以二四月一鳴、其鳴曰二苦苦一、又曰、姑惡人多惡レ之、必大按、此數言與二本邦之鵙一形色殊背未レ詳、或曰、鵙者本邦之鵯鳥也、鵙四五月鳴、鵯秋末鳴春 末止、此亦不レ爲レ當、
p.0801 伯勞 モズ〈和名鈔〉 サヽラヲトヾハ(○○○○○○○○)〈古歌〉 一名鶗鴂〈通雅〉
モズハツグミヨリ小クシテ、首大ニ眼淡黑圓大ニシテスルドナリ、眼邊黑クシテ鷹ニ似タリ、頭背赤褐色兩翼淡黑靑ニシテ、黑斑白點少シアリ、咽腹ハ白色、胸ハ赤褐ニシテ、小波文淺シ、觜ハ淡黑色末曲リ尖リ細長ク至テ鋭ナリ、脚ハ黑シ、常ニ小鳥ヲ捕へ食フ惡鳥ナリ、秋時鳴ク、此鳥ヲ捕ルニハ、其子ガヒノ瞼ヲ縫タ囮ト爲シ、鳴カシメテ誘ヒ取ル、
p.0801 百舌鳥 〈ゑがひ〉 〈右同斷○生ゑ壹匁五分、あをみ入、粉壹匁、〉
大きさすゞめにばいせり、總身かき色に赤し、つら白く、くろきすぢ目のよこに引たり、さへづりよし、あら鳥は小鳥をくらふ、かひ鳥に成がたし、子がひをすりゑにてかひ立、鷹のごとくならはしめて、はいをとらし、すゞめをとらしむ、
島もず(○○○) 〈ゑがひ〉 〈生ゑ壹匁五分、あをみ入、粉壹匁、〉
大きさもずににて、毛色ももずに似たり、少しのかはりあり、囀りよし、子がひ重寶す、めづらしきるいなり、
關東もず(○○○○)〈 ゑがび 右同斷〉
大きさひよ鳥に大きし、せの色あさぎにねずみ色なり、つら白く、目の邊にくろきすぢ有て、もずのつらににて、かたちはくわんとう尾長ににたり、小とりをくらふ、かひ鳥になりがたし、
p.0801 朝鮮百舌(○○○○)
此鳥頭淺黃にて背赤く腹白、形常の百舌同じ、少シ小ぶり也、春は三月末薩州指宿郡、頴娃の郡の内に見ゆる、此内赤百舌まじりて飛來、島百舌は雄赤百舌は雌と見ゆる、なんぞ別の種にあらず、
p.0801 入道百舌(○○○○) 此烏も近在にて産巢する也、外鳥よりは子早く出來る也、飼方魦にて八分餌なり、
朝鮮百舌
此鳥近在にて産巢すれ共、是はおそし、入道よりも拂底なる鳥也、餌飼右同斷、
島百舌
此鳥近在にて産巢すれ共、是もおそし、頭淺黃なるは雄也、此百舌の類、人々知る處故、委しく記さず、餌飼同斷、
大百舌(○○○)
此鳥上方よりまゝ江戸來る也、大さ尾長鳥程有、拂底なる鳥也、江戸にて取たる事覺なし、餌飼魦にてどう返し、
p.0802 六十七年十月甲申、幸二河内石津原一、以定二陵地一、 丁酉、始築レ陵、是日有レ鹿、忽起二野中一走之、人二役民之中一而仆死、時異二其忽死一、以探二其痍一、卽百舌鳥自レ耳出之飛去、因視二耳中一、悉咋割剝、故號二其塵周二百舌耳原一者、其是之緣也、
p.0802 元久三年〈○建永元年〉三月十二日癸巳、櫻井五郎〈信濃國住人〉殊鷹飼也、而今日於二將軍〈○源實朝〉御前一、飼レ鷹口傳故實等申レ之、頗及二白讃一、加之以レ鵙如レ鷹號レ可レ令レ取レ鳥云云、可レ覽一其證一之由、直雖レ被レ仰、於二當座一難レ治、可レ爲二後日一之由辭二申之一、 十三日甲午、相州依レ召參二御所一給、數刻及二御雜談一、將軍家仰云、有二櫻井五郎者一、以レ鵙可レ令レ取レ鳥之由申レ之、慥欲レ見二其實一、是似二嬰兒之戯一、無詮事歟云云、相州被レ申云、齊賴專二此術一云云、於二末代一者希有事也、縡若爲二虚誕一者彼不便、猶以内々可レ被二尋仰一者、此御詞未レ訖、櫻井五郎參入、著二紺直垂一、付二餌袋於右腰一、居二鵙一羽於左手一、相州自二簾中一見レ之頗入レ興、此上者早可レ有二御覽一云云、仍被レ上二御簾一、及二此時一、大官侖問注所入道已上群參、櫻井候二庭上一、黃雀在二草中一合レ鵙〈三寄〉取レ之畢、上下感嘆甚、櫻幷申云、小烏者尋常事也、雖レ雉不レ可レ有二相違一云云、卽被レ召二御前簀子一賜二御劒一、相州傳レ之給云云、
p.0803 鵙(モズ) 平右レ毒、百勞也、主二小兒繼病一、繼病母娠乳レ兒、兒病如レ 痢、相繼腹大、或瑳或發、他人相近相繼、姙人取二鵙毛一帶レ之、小兒令二速語一、又取二其蹋枝一鞭レ之、効亦同レ之、
p.0803 伯勞
百舌鳥こそはをとみつはるや疳の虫かたかひふるひ落ざるに吉 百舌鳥の灰よしおさなごの年月を經ても久しき物もいはぬに
p.0803 寄レ鳥
春之在者(ハルサレバ)、伯勞鳥之草具吉(モズノクサグキ)、雖不所見(ミエネドモ)、吾者見將遣(ワレハミヤラム)、君之當婆(キミガアタリハ)、
p.0803 詠レ鳥
秋野之(アキノノヽ)、草花我末(ヲバナガウレニ)、鳴百舌鳥(ナクモズノ)、音聞濫香(コエキクラムカ)、片聞吾妹(カタキクワギモ)、
p.0803 百首歌の中に 武子内親王
尋ればそことも見えず成にけりたのめし野べの鵙の草ぐき
p.0803 山鳥類 伯勞(もず)〈千住綾瀨邊〉
p.0803 八首鳥(ヤツカシラ)
狀如レ鳩而頭有二黃羽數枚一、羽端有二黑文一、常伏不レ起、如二 之平一、鳴時起如レ揮二羽扇一、江東俗呼曰二裹捧一、訓二豆豆美佐佐木(○○○○○○)一、裹者衣包也、捧載也、言頭羽不レ起如レ載二衣包一也服邊背上紫色觜長黑、如二伊須賀之觜一、觜端作レ叉、胸臆黃赤腹白有二黑斑一、翅羽黃白黑色相交、尾上下黑中白、予○平野必大未レ聞二其磬一、未レ知二其態一、未レ詳レ在二何地一矣、
p.0803 伯勞〈○中略〉
鷑鳩ハ詳ナラズ、一名鳥 、〈爾雅註〉 兢、〈格致鏡原〉戴勝ハヤツガシラナリ、和産ナク舶來アリ、形鳩ニ類シテ長ク、目淡赤色、觜細長クシテ、本ハ淡赤、末ハ淡黑色、脚ハ綠色、頂ニ細長冠毛多アリ、黃色ニシテ 端黑ク、儼トシテ帽ヲ著スル狀ノ如シ、囀スル時ハ其羽毛立起リテ羽扇ノ如シ、目邊及頰黃色、頸咽淡綠色、背肩モ同色ニシテ黑斑アリ、翅ハ白黑ノ横文相並ブ、風切ハ色黑シ、胸ハ淡黃、腹ハ白色、尾ハ黑クシテ中間白シ、一名戴鵀〈爾雅〉鶝䲹、〈爾雅疏〉鵀、戴鳻、服鶝、 鶝、共同上
p.0804 鷯豆久彌(○○○)
p.0804 鶇鳥 唐韻云鶇、〈音東、漢語抄云、鶇鳥豆久見、辨色立成云、馬鳥、〉鳥名也、
p.0804 廣韻云、鶇鵍、鳥名、按鶇鵍不レ説二形狀一、未レ詳二何物一、
p.0804 鵅〈音格、鵂鶹、ソクミ、〉 鶇〈音東、ツクミ、〉
p.0804 鶇(ツクミ)
p.0804 鳥類字 鶇(ツクミ)
p.0804 内裏仙洞ニハ、一切ノ食物ニ異名ヲ付テ被レ召事也、一向不二存知一者、當坐ニ迷惑スベキ者哉、〈○中略〉鶇ハツモジ、〈但ツグミヲ供御ニハ不レ備也○中略〉如レ此異名ヲ被レ付、近比ハ將軍家ニモ、女房達皆異名ヲ申スト云々、
p.0804 鶇つぐみ 五畿内の俗つむぎ(○○○)と云、關東にててうま(○○○)と呼、加賀にてかごめ(○○○)と云、遠江にてつぎめ(○○○)と云、仙臺にてつぐ(○○)と云、
本朝食鑑、鶇、釋名、馬鳥鳥馬也、螻蛄をつなぎ置て、此鳥を取、東國にて鳥馬をまはすと云、又諺に けら腹たてばつぐみよろこぶといへるも、かゝる事を云にや、京師にて除夜毎に是を炙り食 を祝例とす、
p.0804 つぐみ 此鳥口つぐんでなかず、故に名づく、又一種なくもあり、
p.0804 鶇〈訓二豆久美一〉
釋名、馬鳥、〈(中略)今俗誤二馬鳥一以稱二鳥馬一、字書曰、鶇鶎鳥名未レ詳、〉 集解、鶇大似二伯勞一、頭背胸臆紫灰色、腹黃白有二紫黃斑一、羽尾黑觜脛蒼、毎棲二山林一而能囀、性好食二螻蛄一、故捕レ之人、先多削二竹木一、塗レ黏爲レ 、以夾二樹枝一、或張二羅于林間一、用レ絲繫レ螻、著二竹竿一而掉レ之、則群鶇見レ螻相集、竟罹二羅 一、此俗謂レ舞二鳥馬一、其味極美、炙煮食以供二上饌一、故世以賞レ之、或曰、鶇食二山茶花一而腸皆盡、山茶者椿也、此時人殺レ鶇開レ嘴入レ醬、拔二羽毛一炙食、則肚無レ腸而味最佳、予〈○平野必大〉毎試レ之有レ驗、
肉、氣味、甘平無レ毒、主治、開レ胃進レ食、最宜二久痾之人一也、
附錄、黑鶇(クロツクミ/○○)、〈狀似レ鶇而灰黑色、有二黑斑一、頭純黑毛、羽尾亦黑、鵊白觜脛黃、毎棲二山林一能囀、作二百鳥之聲一、食二鳥魚肉一、故人畜二之樊籠一以弄レ之、未レ知二其氣味一也、〉
p.0805 黑鶇
黑鶇、或曰百舌也、必大按似レ是矣、百舌狀如二鴝鵒一而小、身略長灰黑色、微有二斑點一、嘴亦尖黑、易通曰、能反復如二百鳥之音一、必大按、全是似二本邦之黑鶇一、惟嘴脚黃與レ黑殊爾、
p.0805 ツグミ 其類多シ、常ニツグミト云一種アリ、其形狀ハアマネク人シレリ、黑ツグミ觜脚黃也、ヨク囀ル、他鳥ノマネヲスル、ウグヒス、雀ナドノ音ヲモマナブ、イソツグミ(○○○○○)色靑黑シ、海邊ニ出、シナイ(○○○)又クハツ鳥(○○○○)トモ云、赤シナイ(○○○○)、クハツ鳥ノムネ赤キナリ、クハツ鳥、其ナクコエクハツクハツト云、此外猶少ヅヽ毛ノ異ナルツグミ冬春多シ、味ヨシ、順倭名抄、鶇ヲツグミト訓ズ、出處未レ詳、
p.0805 百舌鳥(つくみ) 反舌 鶷 舍羅〈梵書〉 鶇〈音東〉 馬鳥 和名豆久〈○中略〉
按、百舌鳥、〈俗云眞豆久見〉狀如二鸚鵒一而灰黑色、京師毎除夜炙食レ之爲二祝例一矣、
p.0805 〈つむぎ つぐみなるべし〉 〈ゑがひ〉 〈生ゑ四分、あをみ入、粉壹匁、〉
大きさひよ鳥に小ぶり、總身あを黑く腹しうし、さへづりよろしからず、冬出る、〈○中略〉
〈ほし鶇(○○つぐみ) あかしなへともいふ〉 〈ゑがひ〉 〈生ゑ四分、あをみ入、粉壹匁、〉
大きさつむぎに同じ、つむぎの類なり、せの色黑赤し、はらうすかばいうにくろきごまふあり、さ ゑづりあしく、かきつむぎといふも、此るいにて同じたぐいなり、
〈まへつむぎ(○○○○○) こんなへともいふ〉 〈ゑがひ〉 〈生ゑ四分、あをみ入、粉壹匁、〉
大きさつむぎに同じ、總身くろく目の上に白き筋まゆのごとく有、さへづりほそし、冬いづる、
〈黑鶇 黑しなへともいふ〉 〈ゑがひ〉 〈生ゑ四分、あをみ入、粉壹匁、〉
大きさつむぎに同じ、總身くろくはら白し、くろきごまふ有、はしと足きにてきれいなり、さゑづり大おんにてよし、子がひ尤よし、
〈いわつむぎ(○○○○○) いそひよともいふ〉 〈ゑがひ〉 〈生ゑ四分、あをみ入、粉壹匁、〉
大きさつむぎに同じ、總身あをぐろくるりいうにて、はらかば色のふ有て見事なり、さへづりよし、あら鳥よろしからず、子がひよし、つむぎのるいのうち上品の鳥なり、
ぬえつむぎ(○○○○○) 〈ゑがひ〉 〈生ゑ四分、あをみ入、粉壹匁、〉
大きさつむぎに大きし、總身きいろにくろきふばら〳〵と有、さへづり惡し、
p.0806 朝鮮鶇(○○○)
此鳥の形つまり頭にて、薄き紅から色薄く黑色筋有り、脊綠靑色、尾の付根はぐんじやう色、羽色胸より腹迄は薄赤、腹の中極赤流レ筋あり、尾の下迄とをる也、尾羽短し、足は鳥の好合にて觜長く見へ、能くさへだるを不レ聞、薩州山川の邊にて間々あい渡る、筑前にて渡りたる事あり、何れにも九州へは朝鮮表の鳥、風に寄相渡る也、
p.0806 鶇
つぐみ平淋病に吉腎つかれ陰なへ腰の痛にそよき つぐみよく虚を補て氣力ます諸病に用ひさして毒なし
p.0806 つぐみ 大伴黑主 わが心あやしくあだに春くれば花につくみといかでなりけん
さく花におもひつくみのあぢきなさ身にいたつきのいるもしらずて
p.0807 應永廿八年正月十二日、野遊ニ出、重有朝臣、長資朝臣、隆富、慶壽丸、喝食兩人召具、廣定〈田向靑侍〉鶇一射落、高名也、
p.0807 山鳥類 鶇千住
p.0807 鴝鵒肉〈集略、上其倶反、下喩曲反、〉一名舍利、一名吉良、一名黃金、〈已上三名出二兼名苑一〉一名尸鳩、〈出二古今注一〉
p.0807 八八鳥(ハハテウ)
p.0807 鸜鵒(クロツクミ)〈哵哵鳥、鴝鵒、八哥並同、〉
p.0807 鸜鵒(ハヽテウ)〈周禮作二鴝鵒一、本草似レ鶪而頭上有レ幘、又有二無レ幘者一、身首倶黑、兩翼下各有二白點一、〉哵々(同)鳥〈八哥、寒皐並同、〉
p.0807 鸜鵒 一名鴝鵒、又哵哵鳥、俗ニ八八鳥ト云、昔年長崎ニ異國ヨリ來ル、烏ニ似テ小ナリ、斑鳩ノ大サホドナリ、黑色ナリ、諸鳥ノ語ヲ學ブ、人語ヲバ學バズ、本草綱目鸜鵒別名ヲ哵哵鳥ト云、時珍曰、身首倶黑、兩翼下各有二白點一、其舌如二人舌一、剪剔能作二人言一、鸜鵒ヲヒエドリト訓ジ、クロツグミト訓ズ、其ニ誤也、舌ヲキルトハ舌ノサキ爪ノ如キヲ切也、肉ヲキルニ非ズ、
p.0807 鸜鵒〈渠欲〉 鴝鵒 八哥 哵哵鳥 寒皐 俗云黑豆久見〈○中略〉
按鸜鵒大如二伯勞(モズ)一、其頭背正黑色、胸腹白而有二黑斑一、脛黑觜黑、其吻黃色能囀、人畜二之樊中一賞レ之、其雌者胸腹之斑、色不レ鮮、翮黑、其裏柹色、
眉白鸜鵒 形狀同二鸜鵒一、而眉白者、
p.0807 鸜鵒 ハヽツチヤウ(○○○○○○) ハヽチヤウ ハツカチヤウ(○○○○○○)〈共通名〉 一名鳲鳩〈古今注〉 鵒〈禽經注〉 乾睪〈典籍便覽〉 哥〈南寧府志〉 哵哥〈類書纂要〉 八八兒〈山堂肆考〉 歩鵒〈正字通〉 巧自〈柳崖外編〉花鵒〈荊楚歲時記子名〉 原舶來ナレドモ、今本邦ニ多シ、形烏ニ似テ小ク、全身黑色ナリ、只風切リノ本微シ白シ、翅ヲ開ケバ白色左右ニ長ク並ビテ、八ノ字ノ如シ、故ニ八八鳥ト名ク、卽釋名ノ哵哵鳥ニシテ、哵八同字ナリ、觜脚黃色、目赤黃色、觜根鼻上ニ少シカタマリタル毛アリ、贅(コブ)ノ如ク高ク出、是蘇恭有レ幘ト云モノナリ、ソノ性能諸鳥ノ聲ヲナス、舌ノ端尖リテ鍼ノ如シ、此尖ヲ剪テ敎レバ能人言ヲナス、ソノ剪法敎法、詳ニ秘傳花鏡ニ出、閩書ニ又有二白色者一差小、泉人謂二之番鸜鵒一ト云ヘリ、
p.0808 八々鳥〈八歌鳥共〉 餌かい 〈ハヤ〉 四分ゑ、靑味入、
鳥の風、和のむく鳥のごとくにて、また大なり、總身黑く、口觜薄淺黃にて、足も又黃にさめたり、額の毛、觜の上へつまみたるやうに、立出てかわりたる物なり、よく物まねを囀鳥有、若鳥は眞似ぬ物なり、巢も能なす鳥有、玉子は十三四日にて開出る也、子かへりては蜘を飼ふべし、是又十日程にて巢よりとりて、すりゑのさし餌にて飼立る也、二三日は兎角、うなぎの粉を交て飼立るがよし、巢くさは、枯芝、ところの毛亦は木の根の類、蒹も入たるがよし、鴨の毛抔もひく物也、とかく巢に作るつき物、いろ〳〵入置べし、巢箱は奧行八九寸程、横五六寸程、高さもまた六寸ばかりの箱を作り、穴を出入の成ほどに明、文鳥の巢箱のごとく棚を釣て其上へ置なり、
p.0808 八歌鳥
此鳥不レ絶長崎へ相廻り候鳥にて、心有人皆しる處也、總羽黑にて大羽の中白き府あり、目は淺黃にて蓮雀あり、觜足薄黃にて少しは物眞似もする、〈○中略〉飼方は魦にて三分餌也、
p.0808 天平四年五月壬子、新羅使金長孫等四十人入レ京、 庚申、金長孫等拜レ朝、進二種々財物、幷鸚鵡一口、鴝鵒一口一、〈○下略〉
p.0808 喉紅鳥(ノコトリ) 山中ニアリ、ヨシドリニ似テノドノ下紅也、又ツグミニ似タリ、ツグミノ大サアリ、里ニモ出ル事アリ、中華ノ書ニテ未レ見レ之、
p.0809 連雀 辨色立成云、連雀、〈唐雀也、時々群飛、今按雀有二黃雀、靑雀、白雀、大雀等之名一、所レ出未レ詳、但今俗所レ稱者、雀之有二毛冠一也、是鳥希見、疑異國之鳥歟、〉
p.0809 按連雀、木曾山中多有レ之、尾紅者名二緋連雀一、尾黃者名二黃連雀一、而連雀之名諸書無レ見、恐非二漢名一、小野氏曰、鎭江府志十二紅十二黃卽是、又嘉祐本草有二練鵲一、不二與レ此同一、又按黃雀、靑雀、白雀、大雀、見二藝文類聚一、蓋依二藝文類聚一擧レ之也、不レ應レ云二所レ出未一レ詳、
p.0809 連雀〈唐スヽミ(○○○○)〉
p.0809 連雀(レンジヤク)
p.0809 連雀
釋名、練鵲、〈俗稱或作二練雀一、源順曰、辨色立成云、連雀唐雀也、時時群飛、今按、俗所レ稱者雀之有二毛冠一也、是鳥希見、疑異國之鳥獸乎、必大按、連雀古希見レ之歟、今山中有レ之、練鵲者帶鳥與二本邦連雀一殊矣、〉集解、狀似二山雀一而小如二雀之大一、頭背臆灰赤似二褐色一、翅黑有二黃白圓文一、尾短黑、頂上戴二小冠一、眼頷有二黑色一、常棲二山林一、飛集成レ群故號二連雀一、其形麗其聲亦可レ賞、其遊嬉得レ意時披レ尾戴レ首、如二孔雀之舞一、畜二之籠中一、其味不レ佳也、
p.0809 連雀
本邦之連雀、或作二練鵲一、華之練鵲者、尾長白毛如二練帶一號二帶鳥一、又呼爲二拒白練一、是與二本邦之連雀一甚殊矣、或曰、帶鳥者本邦之尾長鳥、未レ詳、
p.0809 連雀〈○中略〉
按、連雀今處々有、狀如二雀之大一、〈○中略〉但聲不レ好、如レ曰二比伊比伊一、蓋此與二練鵲一、字同音而物異、其練鵲卽帶鳥〈尾長〉也、連雀卽冠鳥、〈有二毛冠一〉也、今人稱下有二毛冠一之鳥上不レ曰二毛冠一、某鳥謂レ有二連雀一、
黃連雀 形狀同二連雀一、而羽尾端共黃、
p.0810 練鵲〈○中略〉
別ニ一種和名ニレンジヤク(○○○○○)ト呼ブ鳥アリ、雀ヨリ大ニ、伯勞ヨリ小ク、全身灰紅色、首ニ冠毛アリ、咮黑色、尾ハ黑色ニシテ末ニ深紅アリ、兩翼風切ノ色黑クシテ、末深紅色ニシテ端白シ、コレヲヒレンジヤク(○○○○○○)ト云フ、漢名十二紅〈鎭江府志〉ト云フ、翼ノ深紅色相並ブ故ナリ、又形稍大ニシテ風切ノ末黃白深紅雜リテ、尾端黃色ナルヲキレンジヤク(○○○○○○)ト云、漢名十二黃〈同上〉ト云、木曾山中ニ多シ、ソノ性飛翔群ヲナス、因テレンジヤクト名ク、時ニ庭中ニ來リ樹實ヲ食フ、囮ヲ以テ捕へ樊畜ス、ソノ得意ノ時、尾ヲ披キ首ニ被リ、孔雀ノ舞ガ如シ、
p.0810 〈れんじやく ひれんじやく有、きれんじやく有、〉 〈ゑがひ〉 〈生ゑ四分、あをみ入、粉壹匁、〉
大きさひよ鳥にちいさし、總身すゝ竹色、かしらにれんじやく有、はらきいろ、羽さきと尾のはしにくれなゐのいろ有、きれんはうこんの色まじりたり、ひね鳥成べし、囀り惡し、秋の末に出る春又いづる、
p.0810 〈四字宇久比須(○○○○)〉
p.0810 鸎 陸詞切韻云、鸎、〈烏莖反、楊氏漢語抄云、春鳥子宇久比須、〉春鳥也、
p.0810 萬葉集所レ載田邊福麿歌集、哀二弟死去一作歌、春鳥訓二宇久比須一、新撰字鏡、 宇久比須、出雲風土記、法吉鳥、蓋是、按宇久比須、法吉、皆其鳴聲、〈○中略〉按説文無二鸎字一、段玉裁曰、詩鳥鳴嚶嚶、出レ自二幽谷一、本不レ言二何鳥一、昔人因下嚶嚶似二離黃之聲一、出レ谷遷レ高亦似中離黃出二熱土一而登上レ樹、故就レ嚶改レ鸎、爲二倉庚之名一、唐試士以二鸎出谷一命レ題、本二毛詩一也、古者倉庚名二離黃一、名二 黃一、名二楚雀一、名二黃栗留黃鸝留一、不レ名二黃鸎一、亦無二鸎字一也、惟高誘注二呂覽一曰、含桃鸎桃、鸎鳥所レ含、陸璣詩疏云、黃鸝留、幽州人謂二之黃鸎一、鸎字始見、要因二其聲一製レ字耳、果名依二高誘一作二鸎桃一爲二是、鄭注月令作二櫻桃一者、乃俗人所レ改、詩交交桑扈有二鶯其羽一、毛公云、鶯然有二文章一也、鶯絶非レ鸎、唐人耕韵、鶯注鳥羽文也、瞿注黃瞿也、一韵中可二 並用一、舊本唐詩黃瞿字皆如レ此、元明以後、淺人乃謂、古無二瞿字一、盡改爲レ鶯、而鶯失二其本義一、而昔人因レ嚶製レ瞿之理晦矣、玉篇、鶯、鳥有レ文、鸎、黃鳥也、分別亦是、至二集韵類篇一乃皆合二鶯鸎一爲二一字一、斯謂レ不レ識レ字、又曰、黃鳥今之黃雀、似レ雀而色純黃、戰國策、黃鳥俯啄二白粒一、仰棲一茂樹一者、是也、焦循曰、毛詩葛覃正義引二陸璣疏一、以三搏黍與二倉庚一爲二一物一、蓋本下方言以二倉庚二或謂中之黃鳥上、竊謂非也、爾雅、皇、黃鳥、此一物也、爾雅、倉庚、商庚、鵹黃、楚雀、又云、倉庚、黧黃也、此別一物也、毛傳於二黃鳥一訓二搏黍一、於二倉庚一訓二離黃一、不下以二倉庚一爲中搏黍上、卽不下以二黃鳥一爲中倉庚上也、説文、離黃、倉庚也、鳴則蠶生、又云、 、 黃也、一曰楚雀、其色黎黑而黃、未三嘗以爲二黃鳥一、鄭氏注二月令倉庚一爲二離黃一、而小雅、黃鳥黃鳥、毋レ啄二我粟一、箋云、黃宜レ食レ粟、今不聞二倉庚食一レ粟也、小雅緜蠻黃鳥、傳云、緜蠻小鳥貌、是毛以二黃鳥一爲二小鳥一、小鳥之狀與レ色有レ如二搏黍一、故以名レ之、黍色黃、不三雜以二黎黑一、斯黃鳥似レ之、直名爲レ黃、皇爲二黃白一、非二 黃之所一レ可混矣、姚炳詩識名解於二小雅黃鳥一、引二其世父首源九經通論一云、此黃鳥、黃雀也非二黃鶯一、黃鶯不レ啄レ粟、郝懿行曰、詩凡言二倉庚一、必在二春時一、其言二黃鳥一、不レ拘二時候一、爾雅馬屬云、黃白曰レ皇、黃鳥名レ皇、知黃鳥非二 黃之鳥一矣、按倉庚其色黍黑而黃、故名二 黃一、見二読文一、倉庚亦蓋以二其色蒼黃一得レ名、商庚一聲之轉耳、是鳥常在二 棘中一、故有二楚雀之名一、依二段説一是卽鸎鳥、然則皇國從來訓レ鸎爲二宇久比須一爲レ允、其黃鳥似レ謂下今俗藩養呼二加奈利也一者上、又有二一種黃鳥一、李時珍曰、鸎大二於鸜鵒一、雌雄雙飛、體毛黃色、羽及尾有二黑色一相間、黑眉尖觜靑脚、立春後卽鳴、麥黃椹熟時尤甚、其音圓滑如二織レ機聲一者、今俗呼二朝鮮宇久比須一是也、非二倉黃一、又非二詩黃鳥一也、又按方言謂二倉庚一、或謂二之黃鳥一者、方俗語言之偶同耳、非二毛詩黃鳥一、爾雅云、皇黃鳥、是正毛詩黃鳥、然郭注二爾雅皇黃鳥一云、俗呼二黃離留一、黃離留卽離黃、又玉篇云、鸎黃鳥也、並以二倉庚黃鳥一混爲レ一、不二特陸璣之談一也、
p.0811 黃鳥〈ウグヒス〉 春鳥子〈同〉 鶯鸚鸎〈鳥科反、烏鳴、ウクヒス、〉 〈俗歟〉 黃鸝〈ウグヒス〉 鷬〈ウグヒス〉 〈ウグヒス〉
p.0811 、鳥有二文章一皃、〈各本作二鳥也一、必淺人所レ改今正、毛詩曰、交交桑扈、有二鶯其羽一、有二鶯其領一、傳曰、鶯鶯然有二文章一皃、皃舊作レ也非、鶯鶯猶二熒熒一也、皃其光〉 〈彩不レ定、故从二焚省一會意、兼二形聲一、自三淺人謂二鶯卽鸎字一改、説文爲二鳥也一、而與二下引詩一不レ貫二於形聲一、會意亦不レ合、不レ可二以不一レ辨也、〉从レ鳥熒省聲、〈熒各本作レ榮今正、説文熒省聲之字、其十有九無二榮省聲之字一、烏莖切、十一部、〉詩曰、有二鶯其羽一、
p.0812 鶯(カラスウグヒス)〈黃鳥、黃鸝、倉庚、鸝鶹、商庚、鵹黃、黃鶯並同、亦或謂二黃栗留一、或謂二之黃袍一、和邦所レ謂宇久比須非二此鳥一、〉 報春鳥(ウグヒス)〈渚山記云、山鳥如二鴝鵒一而色蒼、毎至二正二月一鳴曰二春起一、至二三月一止レ鳴曰二春去一、採レ茶之候也、呼爲二報春鳥一、〉
p.0812 鶯 もゝちどり〈是は不レ限レ鶯、是春百千鳥之囀也、但鶯に詠有レ例、〉 はつ鶯
萬、山ぶきのしげみとびくると云り、 後撰、雲ゐにわびてなくこえといふ、 源氏に、なきてわたるといへり、なきてうつろふとも、 源氏に松にもすくうと云り、つくれる鶯の事なれど同事也、尋常には梅にすくうもの也、さくらにはやどらず、源氏に、すだちし松と云り、鶯のすはなべては竹也、萬十七、鶯のなきちらすはる花といへり、萬、やつかさになくと云り、〈やつかさは、山谷こえてといふ也、〉 萬、しばなくと云、〈しば〳〵なく也〉 又つまをもとむと云り、又靑竹の枝くひもちてさゝのうへに、おはうちふれてと云、 又榎みをくうと云り ねぐらは梅竹也、櫻をわきてねぐらとせずとは、在二源氏一、
p.0812 花見鳥(○○○) 鶯
春ははや比に成行山ざとの軒に來てなけけふ花見鳥
p.0812 報春鳥(ウグヒス) うくはおく也、おとうと通ず、ひすはいづ也相通ず、おくいづ也、春は谷のおくよりいづるもの也、幽谷をいでゝ喬木にうつる也、鶯の字うぐひすと訓ずれどもしからず、鶯はうぐひすより大にして黃色也、もろこしに多し、日本にもわたるからうぐひすと云、其いろかたちはすぐれてよけれど、こえはうぐひすにおとれり、
p.0812 春鳥ウグヒス 倭名抄に陸詞切韻を引て、鶯は春鳥也、楊氏漢語抄に春鳥子ウグヒスといふと註せり、萬葉集に、春鳥よむでウグヒスといひしも、楊氏の説に據れるなるべし、ウグヒ スといふ義も詳ならず、鶯といふものは、卽今海舶に載せ來れる黃鳥と云もの、此にウグヒスといふ物にあらず、〈(中略)ウグヒスとは、木にもあれ、竹にもあれ、その叢り生ふる所に、巢をくひぬる者なるを云ひしなゐべし、古語に凡そ草米の類、叢り生ふるをフといひ、轉じてはウと云ひけり、日本紀に竹村讀てタケフといひ、又萬葉集抄に麻の生ふる所をばウといふなりなど見えし此也、(中略)或人楊氏春鳥の事に依りて、其春鳥といひしは、惜春鳥、報春鳥などいひし者の類をや云ひぬらん、今試に漢音ひ操りてウグヒスの語な學びぬれば、惜春鳥の莫摘(モテ)花果(クワクワ)と啼が如く、又報春鳥の春起(シユンキ)春去(シユンキヨ)と啼が如し、護花鳥の無偷(ムチウ)花果(クワクワ)と啼が如くにもある也といふなり、されど惜春鳥は其形不レ踰レ燕と見え、報春鳥に如二鴝鵒一色蒼と見え、護花鳥は似レ燕而小と見えて、其形狀の詳なる事も見えず、舜水朱氏は、ウグヒスは黃頭鳥に似たるなりと云ひしといふなり、黃頭は小鳥の鷙なる者也、麻雀に似て羽色更に黃、濶觜小而尖、利爪剛而力强など見え六り、唯いづれにも此鳥の名、漢にして其呼ぶ所の如きは、古より詳ならぬ事と見えたり、〉
p.0813 鸎字幷百舌百千鳥
此邦古昔より鸎うぐひすと訓じ來れり、鸎は此邦にいふうぐひすにあらず、別に一種の鳥なり、鸎の形狀、漢土の書に數多載せたるを見てしるべし、
格物論云、鸎大勝二鸜鵒一、黑眉嘴尖紅、脚靑、遍身黃色、羽及尾有二黑色一相間、三四月間鳴、聲音圓滑、爾雅黃鳥注、幽州人曰二之黃鸎一、一名倉庚、説文云、鶬鶊鳴則蠶生、〈倉は淸なり、庚は新なり、感二靑陽淸新之氣一而初出故名と、章龜經に見ゆ、〉禽經云、商庚夏蠶候也、注云、此鳥鳴時、蠶事方興、蠶婦以爲レ候、陸璣草木疏云、黃鳥黃鸝留也、常以二甚熟時一來、桑間里語曰、黃粟留看二我麥黃莓熟一、亦應レ節趨レ時之鳥也、正韻云、雌雄雙飛、鳴聲如二織レ機聲一、時珍曰、冬月則藏蟄、入二田塘中一以レ泥自裹如レ卵、至レ春、始出、此等の諸説を考ふるに、鸎は此邦のうぐひすにあらず、朝鮮又は高麗に多く居るといふ、故に本草家にて、朝鮮うぐひす、唐うぐひすと和訓せり、〈○中略〉昔年伊豫の大洲山中にきたる事あり、又筑前於呂島に栖むともいふ、〈○中略〉石川丈山嘲三吾邦黃鸎非二眞黃鸎一詩に、春上二竹梢一雖二奏鳴一、形聲毛羽異二倉庚一、見來爾是鷦鷯類、幸被三人呼二黃鳥名一、といふも、うぐひすは鸎にあらざるを訾るなり、羅山文集には、姿餅焦といへる鳥、うぐひすに充てたり、是は事物紀原に、昔人有二遠戍一、其婦山頭望レ之、化爲レ石、其姿爲レ餅、將二以爲一レ餉、使二其子偵一レ之、恐其焦不レ可レ食也、往已無レ及矣、因化二此物一、但呼二婆餅焦一也、今江淮所在有レ之といへり、此鳥は重修鎭江府志、寧波府志等にも見え て、形狀大に相違するのみならず、舶來もせざるなり、〈○中略〉又百舌鳥うぐひすに充てたる説あり、是は本草綱目に、陳藏器曰、百舌今之鸎也上、其誤は集解に、時珍委しく論ぜり、〈○中略〉
石川丈山は剖葦うぐひすに充てたり、是亦大なる誤なり、〈○中略〉此邦うぐひすはいづれに充たるかといふに、貝原氏の本草名物附錄及び江村如圭が名物辨解に載せたる報春鳥は、大抵時候名稱も能く充たれるやうに覺ゆ、〈○中略〉余〈○茅原定〉先年癸未の夏、長崎に在りて、朝鮮學士將仕郎韓用楫と對坐筆語せし時、問ひて曰、鸎所レ謂黃鳥者、朝鮮之地多居乎、用楫答曰、黃鳥果多、人稱二喚友鳥一、又問曰、其大比二鸜鵒一如何、正二月之聞期二梅花一而來、發二圓滑之聲一乎、又曰、此邦所レ謂鸎者非二眞黃鳥一、形比二鷦鷯一稍大、其來必正二月之間、上二暗香樹枝一而鳴、用楫答曰、鷦鷯之謂正合當、而眞鸎三四月于二飛樹林間一鳴、此答形狀は詳ならざれども、喚友鳥といひ、三四月といへば、彼地に居る事疑なし、されば鸎も、婆餅焦も、百舌及剖葦も、皆此邦うぐひすに充たらず、凡べて是のみならず、此土に有りて、漢土に無きもの牽强して、漢名を充てむとするより、古今誤種するもの頗多し、其的充しがたきは、國字にて事足りぬべし、尤學者の心得べき事なり、
p.0814 法吉郷、郡家正西一十四里二百三十歩、神魂命御子宇武賀比比賣命、法吉鳥(○○○)化而飛度、靜二坐此處一、故云二法吉(ホヽキ)一、
p.0814 鸎〈訓二宇久比須一〉
集解、鸎似レ雀而靑黃褐色、腹白眼纖、觜細尖而蒼黑、脚掌亦然、啼則搖尾、立春前後有レ聲、季秋無レ聲、其聲淸高、圖滑曲節而多囀、飛啼則急而長、俗稱二日月星一、或苔藤、或寶法華經、此皆據二聲調一而言也、官家畜二之竹籠一、僉言、關西之鶯(○○○○)者音淸而和、關東之鶯(○○○○)者音濁而嚴、是有二其理一、人物亦然矣、此鳥能知二春氣之至一、籠中亦候至則啼、或九十月亦天氣温和如レ春則有レ聲、此亦應レ節趨レ時之禽乎、冬月棲二竹篁深處一、而蟄二于舊巢之邊一、毎窺二竹中之小蟲一而捕二食之一、一林之中雌雄相棲不レ交二他之同類一、若誤同類至則必逐レ之、凡鶯之 味亦稍佳、然不二至好之食一也、〈○中略〉
附錄、黃鳥(○○)、〈狀金黃色、故有二金衣黃袍之名一、羽及尾有二黑色相間一、黑眉尖觜紅脚掌、近時來レ自二中華一、官家畜一之樊籠一、然無下聞二其聲一者上、唯土地飮食不二相協一歟、易レ死不レ能二久養一、往年在二豫州大津之山中一大守捕レ之、無レ雌而雄一隻耳、此亦早死、其後又不レ見レ之、則誤脱二籠而來者哉、〉
p.0815 鸎
華之黃鳥兼二本邦之鸎一、形色大小其殊者甚矣、近頃黃鳥雖レ來二于本邦一、未レ得レ聞二雌雄相和晛睆綿蠻之聲一、則太有レ恨矣、本邦之鶯亦雖二至微一、狀色聲韵不レ肖二尋常之禽一、其幽艶淸美最可レ愛耳、
p.0815 鶯〈鸎同〉 黃鳥 黃鸝 倉庚 靑鳥 黧黃 黃袍 搏黍 楚雀 黃伯勞
金衣公子、
按鶯、〈和名宇久比須〉 出二于和州奈良(○○○○)一爲レ上、信州奈良井(○○○○○)之産次レ之、形似二目白鳥一而肥、黧黑(スヽクロク)而黃色、腹灰白、眼纖觜細尖、而觜脚掌共灰黑色、眉有二三毛一、灰白長二三分、吻有二三髭一、長四五分、雌及未レ老者其毛短、鳴則搖レ尾、冬月如レ曰二喞喞(ツエツ〳〵)一、似二人舌鼓一、至二立春一始囀、季春止、其聲淸亮圓滑、飛啼則急、而長如レ曰二法華經一、或如レ曰二古計不盡(コケフジ)一、或如レ曰二月星日一、〈謂レ囀二三光一〉和州人畜二鶯雛一、時敎レ之以二口笛一、竟令レ囀二三光一、而後又置二雛於側一亦令レ習レ之、今往々有レ之、蓋鶯形色和漢大異(○○○○○○○)也、但立春始囀也、聲淸亮也、古今詩歌稱二美之一者、和漢不レ異也、冬月蟄二於土一之説未レ知二是非一、倩因二土地一物有二異同一也、不二唯鶯一、而蕪菁〈湖東者微紅而長、湖西者正白而圓、〉纔隔レ地異二其形一、
p.0815 鸎 朝鮮ウグヒス(○○○○○○) カラウグヒス(○○○○○○) 一名鸝黃〈楊子方言〉 離黃〈説文〉 黃鶯〈禽經〉 黃栗流〈爾雅翼〉 黃流離 黃鸝留〈共同上〉 黃栗留〈禽經註〉 鸝鶹〈卓氏藻林〉 金衣 緜羽〈共同上〉 紅樹歌童〈開元遺事〉 皇黃〈典籍便覽〉 鸝庚〈同上〉 天女〈瑯邪代醉編〉 黃離留〈庶物異名疏〉 愁胡〈名物法言〉 賡詩友〈花鳥爭奇〉 菊衣〈事物紺珠〉 金梭〈同上〉 黃雀〈盛京通志〉 黃鴦〈事物異名〉 黃公 栗留〈同上〉 黃鶯兒〈群芳譜下註〉 黃袍郎〈同上〉 叫天兒〈訓蒙字會〉 雀〈同上〉
此鳥東國ニハ來ラズ、筑前領蛇(ヲロノ)島ニ稀ニ來ル、此島ハ朝鮮ニ近キ地故ナリ、又薩州夜久島ニモア リ、桑椹熟スル時ノミ早朝ニ來ル、柴鶺鴒トハ異ニシテ、大サ伯勞ノ如シ、全身黃色、眼ハ紅色ヲ帶ビ、目ノ通リ頸ヲメグリテ黑シ、風切黑ク、ホロハ微黑雜ハル、尾ハ本末黃色ニシテ中ハ黑色ナリ、尾尖ニ小紅アリ、甚鮮ナリ、觜尖リテ紅色、脚掌灰色、立春ノ後鳴ク、柴鶺鴒ノ聲ヨリ大ナリ、ウグヒスハ一名春鳥、〈萬葉集〉トヾメドリ(○○○○○)、〈古歌〉ハナミドリ(○○○○○)、ニホヒドリ(○○○○○)、三月スコドリ(○○○○○○)、〈共同上〉春鳥子、〈和名鈔〉ハルノトリ、〈源氏物語〉 漢名柴鶺鴒〈淸俗〉
p.0816 黃鳥(○○)
此鳥さへ宜敷、觜少し薄赤、總羽黃色にして、大羽の中に黑み有り、頭の目尻より黑みあり、頭にはち卷したるごとくに見へ、足少し赤く、鳥の程ひよどりより少し大形にて、間々日本へ見へる、先年薩州山川湊の邊に大松〈江〉とまり居て、松虫を取喰しを見たる也、何れも九州〈江〉渡る鳥なり、能ク心掛ケベし、
p.0816 鶯なども聲の引色、三光の囀などいひて、親鳥を撰み、つけ子とてかれがこゑを學ばしむとか、これも舊としの内に、聲しどうなるより、やう〳〵日影のどかに成行につけて、うちとくる音を、おのれもうれしげに枝うつりして遊ぶさまは、籠の内にさびしげなるにはいづれ、さるをこれは野鳥といやしみ、飼鳥の音あしくなるとて、竹棹などもて追やらふ人もありとなん、畢竟世の風に乘ると、價の貴きにまどふならしやは、あるは耳目の翫びにはあらで、利を求るがために、他の好みを射るも多しとか、士農工商各其業あるがうへに、かうやうの小徑によりて、利を謀るは論ずるに足らねども、また大息せらる、
p.0816 嘉多言に、鶯の子を巢よりおろして、よき鳴の籠にならべて飼そだて侍れば、程なく其聲を囀るといへり、其聲に三光を鳴をよしとすといへり、正章獨吟、鶯も三皇の御代をはつ音かな、貞德が判の長歌、月日ほしと、となふる鳥の、三くわうを、おもひもかけぬ、もろこしの、むか しのみつの、すべらぎに云々、櫻陰比事に、鶯の殊更に囃るに、三光あゆ〳〵と、聲のあやきれしたる、雅筵醉狂集に、鶯の月日星となくを俗に三光と稱するなり、片言に、日月ほしとなくとごきふせうとなくは、同じ鶯なれども、ならはしがらにて、よくもあしくもなる、堀川百首題狂歌、よみ人不レ知、山ざとや非時過ぬれば鶯の鳴なる聲は五器ふせうとか、三光と呼種々あり、鶯の聲は三光を呼とも聞えぬものなり、日光山の三光鳥は、月日星と啼、山鵲は月日星々とかさね、又桑鷹は月星となけども、是も三光鳥の名あり、〈○中略〉又下學集に、まめうましとりと有、次にいふひしりごきも、此鳥の啼聲なり、伊勢にてしいのごきと云ふも、これが啼聲によれり、聞なしにて異なるなり、
p.0817 宇倶比須總論
京大坂には三光を囀るを至れりとす、又近來吉日と鳴を佳として流行す、〈○中略〉江戸にては多く上方の鶯を賞せず、もつはら法華經と人の唱ふる如く、たゞしく啼くを貴ぶなり、但しその法華經とたゞしく啼く鳥は得難きなり、また法華經ときこゆる中に、なほ種々好惡ありて、かつ音色にも太口細口あり、ふとくちとは、こゑにはゞの有るをいふ、ほそくちとは、こゑにはゞの少きを云也、音色はいかにも美にして、高尚に聞ゆるを佳とす、上品なるは細口にあり、然れども太口にて音の最優美なるには如(シカ)ざる也、又聲の俗にいふ黃色に光るやうなる音色あるは、藪口と卑めて、口調佳也といへども畜ざる事也、すべて鶯は、一聲は高く、一聲は中音、一聲は低く、律中呂を雜へ啼くもの也、其高きをタカネといふ、是律也、其中音をナカネといふ、其低きをサゲといふ、是呂也、善通にこれを上中下(アグナカザゲ)の三音といふ、其三音の中に、サゲを肝要として、鶯の勝劣は、多く呂音サゲにあり、上はヒイーと發し、中はホウー下はホホホーと啼を玉と呼ぶ、又總て發音をダシと呼び、法華經と啼をムスビと呼ぶ、〈但し法華經の假字はボケキヤウ也、鶯の音はホケキヨオと聞ゆ、〉かくてホケキヨオのキとヨと分りて聞ゆるをカナグチといふ、キヨオと經(キヤウ)の字音に聞ゆるをムジグチといふ、按ずるにカナ は假字(カナ)也、ムジは文字の訛れる也、假字口と云に對しては、具字口(マナグチ)とこそいふべけれ、古老相傳ふ、五十年前の鶯は、みな假字口にてありしとなり、キヨオと聞ゆる鳥の出しは、近年のことにて、それよりカナ口の鳥は廢れたり、然れどもボケキヨオと人語のごとく啼鳥は、今尚稀にて、大概の鶯は假字にも至らず、ホケピウ、ボケピヨウ、ホケキヤ、ホケキヨ、ホチキヨ、ホゼキク、ホキケクなどやうに聞え、あるひはホケキ、ホケコ、ホケクとも啼に、かの藪鶯に至ては、ホウホケ々々、ホヽヽホケチなど、おのがさま〴〵に鳴故に、上ヒ引たる三才圖會に、或如レ曰二古計不盡(コケフジト)一とあるも、げにしか聞えけんかし、〈○中略〉
鶯籠(○○)幷籠桶(○○)の製方
鶯籠諸鳥の籠に異なる事なし、美惡共に普通の白竹にて、盆の足を高くするのみ、但し凡そ二寸許にて、其下に一寸許の臺を居て、其上に籠を置也、此籠の細工に工拙有り、今都下にて上手二人あり、其一人を甫助と云、籠に燒印にてホの字を銘す、假初に見れば尋常の製なれども、籠の四面少しも曲なくして、角と角とを兩手にて押動かすに、なほゆがまざるの妙あり、
鶯籠をいれ置箱をコヲケといふ、コは籠也、ヲは稱言、ケは笥にて箱也、宗五大草紙に、籠桶に作る是也、禽舖にて子桶と書は本字を知ざる故也、其製はかならず桐の薄板にて製する也、いかんとなれば、琴に桐を用ふるとひとしく、もし堅き木を用ふれば鶯の鳴音を害す、桐を用ふれば、其音やはらかに響て聞ゆるが故也、此箱大なるほどを佳とす、曲尺にて口徑およそ竪一尺五寸、横一尺一寸、長二尺七八寸許に製するを聞籠小笥(キヽコヲケ)といふ、または大籠小笥とも呼ぶ也、なほ人々のこのみによりて大小あるべし、つねの籠桶は、口のわたりおよそ竪一尺一二寸、横八寸、長一尺七八寸、これを小籠桶といふ、筥の上に環を打て提歩行に便ならしむ、大小ともに口は腰障子を少し内に入れ、建戸(ケントン)とし、其外また建戸蓋を作る、障子の紙は大高檀紙、或は奉書大癢を用ふ、聲をこも らする爲に紙の厚を可とする也、常の小籠桶は半紙または反古にても可也、大籠桶の障子の骨は、太く十文字にして俗にいはゆる、蒲鉾形に中を高くす、そは唯形容の美なるに取るのみにあらず、たてはづしに利あれば也、鶯を愛する事甚しきにいたりては、この障子を飾るに、骨は唐木を用ひ、或は黑漆に塗て、金粉をいかけ、腰板には金銀を蒔繪にして莊嚴を盡し、筥の桐も島桐の糸正目の細密なるを擇びて製するにいたれり、
p.0819 色々之事
一鶯を貴人の御目にかけ候事、籠桶のさまの方を御前へむけ、左の手にて蓋をあけて、籠桶の上にあをのけて、御前の方へ丸わをなしをくべし、扨そとこおほひを取べし、こざしはこばんのいためにさし候、又奏者に渡候時も、今のごとく取出候て見せて、さて丸輪の方をさまの方へなして、籠桶に入て緖をゆひて渡すべし、
p.0819 三番 左〈持〉 うぐひすかひ
羽かぜだに花のためにはあたこ鳥おはら巢だちにいかゞあはせん
左、羽風だに花のためにはあたこ鳥といへる、やさしくきこゆるに、をはらすだちにいかゞあ はせんと侍るこそ、いかなるゆへとも覺侍らね、おはらは花の名所なれば、かくいへるか、をし ほ山よめるも、せがひのし水よめるも、おほはらとこそ申ならはしたれ、狂歌なれば、わざとか くあるもさる事ながら、所の名などは、いくたびも歌によむやうにぞありたく侍る、十九番 左 鶯かひ
すゑあげてよきうぐひすとまむずればやがてとびなきするもおそろし
p.0819 鶯聲品定會の話
毎春三都に於て、鶯ノ聲の品を定むる會あり、江戸は正月下句、二月中旬兩度、牛島に集會して、品定 のすさびあり、毎歲季秋より翌年の早春に至るまで、禽舗の徒奔走して、處々家々に養ふ所の鶯の聲音を論談して、相互に競て交易す、或は雛に好鳥の出來たる家には、然るべき風流の名をつけて、其鳥主禽舖の功者なるを集めて、酒飯等を設て美惡を評せしむ、是を名弘といふ、大寄の會に至ては、江戸禽舖仲間五十八軒の中、一人催主を定め、正月中旬掲榜(ヒキフダ)を以て、およそ鶯を飼ふ家家には、尊卑を論ぜず、その定日を吿ぐ、其日に至れば、催主補助及鶯の口調を能聞分る者數人、前日より牛島洲崎村の梅本と呼ぶ茶亭に集會して、鳥の諸方より來るを待なり、列侯大夫方の鳥は、近侍の士携來て、翌日の會終るまで鳥の側を離れず、農商の鳥は、知己の禽舖に託して出す、其鳥共を置所は、小梅洲崎兩村の諸家の別業、或は隱者及農人の大家を、前方より借置て、一家に鶯一羽を置く、但し家の廣きは二羽も置く也、しかせずして一所に數多置く時は、群鶯互ひに聲を爭ひて、劣れる方は遂に聲を發する事をえざるに至る、是を計て別處に置く事也、かくて當日は早天より、禽舖の徒各手帳を携へ、鶯を置く處を屢行巡り、再三其聲音を聞て、其甲乙を一々密に手帳に記し畢て後、會亭に立かへり、各手帳を披きあはせ、衆評一決の上、其位を定むるに、聲音上品三音結句全備したるを賞して、江戸順、一と稱す、但し江戸一とのみ呼ばざるは、おほけなきを憚るなり、其他は東之一、或は西之一、三幅對の左右中等數階有り、すなはち大幅の紙に其褒詞を大文字に、其鳥の名の傍に書て、會亭の壁上に張出し、なほまた右の通を大高檀紙に書て、飼鳥屋 仲間と篆字に刻せし方印を朱にて押し、卷て白木の臺に載せ、これに扇子一對を添て、其鳥の主に贈る事、敢て貴賤を論ぜず、是に於て鳥の主より謝義あり、鳥の名譽を祝する也、其貨の多少は褒詞の甲乙、鳥主の分限によりて定格ある事なし、その謝物はすなはち會席の諸雜費に充るのみにて、全く催主等が利を貪るにはあらざる也、大家の鳥の世に聞ゆるは、此會あるがゆゑ也、されば其會の當日は、鶯の音のわいだめを、知るもしらぬも聞傳へて、彼方此方と聞歩行もの、雲 の如く霞の如く、小梅洲崎の兩村、貴賤市をなすに至る、かく鶯の音色を賞する事も、二百年來の太平の御恩澤、ことに五十年來の盛事、實にめでたき御代のためしと謂つべし、其會の盛なる比、鳥屋萬藏と云者、四方(ヨモ)の某といへる酒肆へ售たる雛を、四方(ヨモノ)春と號けて會に出せしに、順の一となりしかば、帚木塚(ハヽキヅカ)といふ處の豪家、若干の黃金に易て請得しより、其名いよ〳〵高く聞えぬ、
p.0821 鶯〈立春の十五六日目頃より新哢を發す〉 神田社地 小石川鶯谷 谷中鶯谷〈三崎(サンサキ)の大通りより西のかたへ入る〉根岸の里〈里諺に、關東の鶯はなまりあれども、この邊の鶯は、京のたねにて一入聲うるはしき由、古しへよりいへり、〉
p.0821 四時遊觀
黃鸝 根岸の里 東叡山北の麓なり
凡關東の諸鳥の聲は、みなだみたるといへり、此里の鶯は、元祿のころ御門主樣より、上方のうぐひすをあまた放させられしその卵なるゆへ、聲だみざるといふ、
p.0821 十一日、〈○天文二十二年三月〉けふは住吉へとぞ思ひたちける、こゝなる人のいふやう、この八尾〈○河内〉といふ所は鶯の名所なり、よの常のは尾十二枚重れり、此の所のは尾を八重ね、優れたる由申しけり、
契りおきてこゝにぞきかむ鶯の八尾のつばき八千歲の聲
p.0821 よしみねのむねさだの少將、ものへゆく道に、五條わたりにて雨いたうふりければ、あれたるかどに立かくれて見いるれば、〈○中略〉ことひとなど見えず、あゆみ入てみれば、はしのまに梅いとおかしう咲たり、鶯もなく、人有ともみえぬみすの内より、うすいろのきぬ、こききぬのうへにきて、たけたちいとよきほどなる人の、かみたけばかりならんとみゆなる、
よもぎをひてあれたるやどを鶯のひとくとなくやたれとかまたむ、とひとりごつ、少將、
きたれどもいひしなれねばうぐひすの君につげよとをしへてぞなく、とこゑおかしうてい へば、女をどろきて、人もなしと思ひつるに、物しきさまをみえぬる事と思ひて、物もいはずなりぬ、
p.0822 先帝〈○醍醐〉の御とき、卯月のついたちの日、うぐひすのなか跼をよませ給ふける、
公忠
はるはたゞきのふばかりをうぐひすのかぎれるごともなかぬけふかな、となんよみたりける、
p.0822 この天曆〈○村上〉の御時に、淸凉殿の御前の梅の木の枯たりしかば、もとめさせ給ひしに、なにのぬしのくらびとにていますかりしときうけ給はりて、わかきものどもはえ見しらじ、きんぢもとめよとの給しかば、ひと京まかりありきしかども侍らざりしに、西の京のそこ〳〵なる家に、色こくさきたる木のやうだいうつくしきが侍りしをほりとりしかば、家あるじの、木にこれゆひつけ候てもてまいれといはせたまひしかば、あるやうはこそはとて、もてまいりて候しを、なにぞとて御らんじければ、女の手にてかきて侍りける、
勅なればいともかしこしうぐひすのやどはととはゞいかゞこたへむ、とありけるに、あやしくおぼしめされて、なにものゝ家ぞとたづねさせ給ければ、づらゆきのぬしのみむすめのすむ所なりけり、遺恨のわざをもしたりけるかなとて、あまへおはしましける、〈○又見二拾遺和歌集九一〉
p.0822 七條の南室町の東一町は、祭主三位輔親が家なり、丹後の天橋立をまねびて、池の中島を遙にさし出して、小松を長くうへなどしたり、寢殿の南の庇をば、月の光いれんとてさゝざりけり、春の始軒近き梅がえに、鶯の定りて巳時計來て鳴けるを、有がたく思ひて、それを愛する外の事なかりけり、時の歌よみ共にかゝる事こそ侍れと吿めぐらして、あすの辰の刻計に渡りてきかせ給へとふれまはして、伊勢武者の直宿して有けるに、かゝる事あるぞ、人々わたりて聞んずるに、穴かしこ鶯打などしてやるなと云ければ、此男なじかはつかはし候はんと云、輔親とく 夜のあけよかしと待あかして、いつしかおきて寢殿の南面を取しつらひて營居たり、辰刻ばかりに、時の歌よみ共集り來りて、今や鶯なくとうめきしあひたるに、さき〴〵は巳時ばかりかならず鳴が、午時のさがりまでみえねば、いかならんと思て、此男をよびて、いかに鶯のまだみえぬは、今朝はいまだこざりつるかと問給へば、鶯のやつは、さき〴〵よりもとく參りて侍つるを、歸げに候つる間、召とゞめて候と云、めしとゞむとはいかむととへば、取て參らんとて立ぬ、心もえぬ事かなと思ほどに、木の枝に鶯をゆひつけてもて來れり、大かたあさまし共云ばかりなし、こはいかにかくはしたるぞととへば、昨日の仰に、鶯やるなと候しかば、いふかひなくにがし候はば、弓箭取身に心うくて、じんとうをはげていおとして侍ると申ければ、輔親も居集れる人々も、あさましと思て、此男の顏をみれば、脇かひとりていきまへひざまづきたり、祭主とく立ねと云けり、人々おかしかりけれ其、此男のけしきにおそれてえわらはず、ひとり立ふたり立て皆かへりにけり、興さむるなどはこともをうかなり、
p.0823 四月つごもりばかりに、うぐひすのす三つばかり、むめすちばかりいれたり、〈○中略〉うぐひすのあふすぢには、かくぞせんとあり、
わがすみか君はゆかしく思ほえずあな鶯のすのうちをみよ、かへし、〈○中略〉
鶯のすのうちみてもねをぞなく君がすみかはこれがと思へば
p.0823 うめすちばかり云々、この七字解がたし、下文を考るに、鶯のあうすぢとあれば、こゝも鶯のす三つばかりに、あうすぢばかりいれてと有しをあやまれるか、あうすぢは、和名抄菓類云、漢語抄云鸚實、〈俗云阿宇之智、一曰宇久比須乃岐乃美、今按所レ出未レ詳、〉
p.0823 承元五年〈○建曆元年〉閏正月九日壬戌、自二永福寺邊一、被レ移二殖梅樹一本於御所北面一、是北野廟庭種也、匪二濃香之絶妙一、南枝有二鶯栖一、依レ之被レ賞二翫之一云云、
p.0824 應永三十一年二月二日、日暮時分、鶯常御所ニ飛入、捕レ之入レ籠、凡野鳥入レ室恠異也、但鶯ハ有二何事一哉、吉凶不レ審、 鶯事(頭書)後思合、翌年有二親王宣下一、鶯ハ遷レ喬鳥也、昇進嘉瑞示レ之、尤珍重也、
p.0824 鸎巢記
甲辰端午退レ公暫休、赴二別墅一拜二考妣墳墓一、曳レ杖佇立、時見下粉團花樹枝葉茂密、隻鸎自二其中一飛去上、守者曰、此茂葉之中、彼營レ巢旣生レ卵、日日覆伏不レ離、人到則去、其去不レ遠、人去則來、余聞奇レ之、乃到二樹下一分レ葉見レ之、枯葉塵芥、拮据綢繆、如三小籠無二罅漏一、露滴不レ透、微蟲不レ穿、其口斜傾不レ直、自避二降雨一、雖二倕石之工一、恐不レ能レ如レ此、就窺レ之則中有二五卵一、其形如レ棗、其色如二珊瑚一、其大六七分、余爲レ之祝曰、風雨勿レ漂、烏鳶勿レ攫、待二其脱一レ卵、見二其數飛一、旣而退則母鸎果至、覆伏如レ前、鳴呼一巢之營、累二其葉一積二其芥一、口レ之而來、足レ之而結、其出入幾日乎、其字乳幾日乎、彼卵脱飛鳴之後、其知二母之恩一否未レ可レ知焉、然雛卵無レ知何必責レ之哉、若夫爲レ人不レ知二慈恩一、則不レ如二彼雛卵一乎、〈○下略〉
p.0824 鶯聲ヲ學ブ孝子ノ事
江州湖水ノ邊ニ鶯ノ某ト云者アリ、此者平生黃鳥ノ囀具似セリ、故ニヨンデ名トス、彼ガ志ヲ聞コソ哀ニモ亦奇特ナリ、母ハ先チ獨ノ父ヲナン養ヘリ、其身家貧シテ朝三暮四ノ煙モ時ヲ失ヒ、炭薪ヤウノ物ヲ賣テ渡世ノ營トス、〈○中略〉昔日家富ケル時ヨリ、其父鶯ヲ愛シテ飼ケリ、今家乏ケレドモ、鶯ヲ求テ世業無レ間身ナレドモ、餌ナンド用意シテ、鶯ヲソダテヽ父ヲナグサメケリ、猶又其身常ニ鶯ノ囀ヲ學テ、折々囀テ父ニ聞セケル、〈○中略〉父死シテ後ハ曾テ鶯聲ヲ不レ囀、世人擧テ望メドモ不レ言、終自削レ髮父ノ墓ノ上ニ廬シテケルト、湖水漫錄ニ見ヘタリ、
p.0824 鸎〈○中略〉
肉、氣味、甘温無レ毒、主治、煖二下焦一壯二陽道一、
p.0824 鸎(ウグヒス) 鶯は陽氣補ひ脾をたすけ物ねたみすることをへらする
p.0825 凡諸山野所レ在、〈○中略〉禽獸則有二〈○中略〉鶬一、字或作二黃離一
p.0825 梅花歌三十二首幷序
天平二年正月十三日、萃二于帥老之宅一、申二宴會一也、〈○中略〉宜下賦二園梅一聊成中短詠上、〈○中略〉
烏梅乃波奈(ウメノハナ)、知良麻久怨之美(チラマクヲシミ)、和家曾乃乃(ワガソノノ)、多氣乃波也之爾(タケノハヤシニ)、于具比須奈久母(ウグヒスナクモ)、〈少監阿氏奧島(オキシマ)〉
p.0825 大伴宿禰家持鸎歌一首
打霧之(ウチキラシ)、雪者零乍(ユキハフリツヽ)、然爲我二(シカスガニ)、吾宅乃苑爾(ワギヘノソノニ)、鸎鳴裳(ワグヒスナクモ)、
p.0825 春の始の歌 みぶのたゞみね
春きぬと人はいへども鶯のなかぬかぎりはあらじとぞ思ふ
寬平時時、きさいの宮の歌合のうた、 大江千里
鶯の谷より出る聲なくば春くることをたれかしらまし
p.0825 題しらず 讀人しらず
梅の花みにこそきつれ鶯のひとく〳〵といとひしもをる
p.0825 ねやのまへに竹のある所にやどり侍て 藤原伊衡朝臣
竹近く夜床ねはせじ鶯のなくこゑきけば朝いせられず
p.0825 四條宮大盤所に、これさだめてとのたまへるに、
鶯の春のはつねと時鳥よぶかくなくといづれまされり
とあるを人々さだめさせ給に
折からにいづれもまさる鳥の音を時ならぬみはいかゞ定めん
p.0825 延喜御時月次御屛風に 素性法師 あら玉のとしたちかへるあしたよりまたるゝ物は鶯のこゑ
おほきさいの宮に、宮内といふ人のわらはなりける時、だいごのみかどのおまへにさぶら ひけるほどに、おまへなる五葉に、鶯のなきければ、正月はつねのひつかうまつりける、松のうへになくうぐひすのこゑをこそはつねの日とはいふべかりけれ
p.0826 鳥は
鶯はふみなどにもめでたき物につくり、聲よりはじめて、さまかたちもさばかりあてにうつくしきほどよりは、こゝのへのうちになかぬぞいとわろき、人のさなんあるといひしを、さしもあらじと思ひしに、十とせばかりさぶらひてきゝしに、まことにさらにをともせざりき、さるは竹もちかく、こうばいもいとよくかよひぬべきたよりなりかし、まかでゝきけば、あやしきいへの見どころもなき梅などには花やかにぞ鳴、夜るなかぬもいぎたなきこちゝすれども、いまはいかゞせん、夏秋の末までおひごゑになきて、むしくひなどようもあらぬものは、名をつけかへていふぞくちをしくすごきこゝちする、それもすゞめなどやうに、つねにあるとりならば、さもおぼゆまじばるなくゆゑこそはあらめ、としたちかへるなどおかしき、ことに歌にもふみにもつくるなるは、なほ春のうちならましかば、いかにおかしからまし、人をも人げなう、世のおぼえあなづらはしうなりそめにたるをばそしりやはする、とびからすなどの上は、見いれきゝいれなどする人、世になしかし、さればいみじかるべきものとなりたればとおもふに、心ゆかぬこゝちする也、まつりのかへさ見るとて、うりんゐん知足院などのまへに車をたてたれば、郭公もしのばぬにやあらんなくに、いとようまねびにせて、木だかき木どもの中に、もろごゑになきたるこそさすがにをかしけれ、
p.0826 百鳥譜 支考 鶯の聲は滑にして、殊に住所もいやしからねば、是も美少年のたぐひにはあらめど、風情やゝおだやかならず、まして夜なかぬは、いぎたなしともいへりけり、
p.0827 一射まじき鳥の事 鶯
p.0827 菊吸(スヒ) ウグヒスニ似タル小鳥ナリ
p.0827 〈都聊、作聊二反、寺豆支(○○○)、〉 䳋〈徒冬反、寺豆支、〉
p.0827 喙木頭一名鴷、一名斵木鳥、〈雷公採藥吏化爲二此鳥一〉和名、天良都々岐(○○○○○)、
p.0827 斵木 爾雅集注云、斵木、一名鴷、〈音列、和名天良豆々木、〉好食二樹中蠹一者也、
p.0827 爾雅、鴷、斵木、郭注云、口如レ錐長數寸、常斵レ樹食レ蟲、此所レ引蓋舊注也、爾雅翼云、此鳥褐者是雌、斑者是雄、又有二靑黑者一、頭上紅毛如二鶴頂一、山中人呼二山啄木一、嘉祐本草、此鳥有レ大有レ小、有レ褐有レ斑、褐者是雌、斑者是雄、穿レ木食レ蠧、又有二靑黑者一、頭上有二紅毛一、生二山中一、土人呼爲二山啄木一、大如レ鵲、李時珍曰、啄木、小者如レ雀、大者如レ鴉、面如二桃花一、喙足皆靑色、剛爪利觜、觜如レ錐長數寸、舌長二於味一、其端有レ針刺啄、得レ蠹以レ舌鉤出食レ之、
p.0827 木〈テラツヽキ、鳥類、〉
p.0827 木〈テラツヽキ〉
p.0827 啄木鳥〈テラツヽキ〉 䳋 〈俗正、〉〈徒冬反、テラツヽキ、〉 鴷 〈今正、音列、 木鳥、テラツヽキ、〉
p.0827 啄木(ケラツヽキ)〈鳥名也、爾雅云鴷也、啄木或琴名也、見二器財門一也、〉
p.0827 鳥類字 都盧(テラツヽキ)
p.0827 虫食(ハミ) 啄木 鴷
p.0827 啄木鳥(テラツヽキ)〈斵木、鴷並同、〉
p.0827 啄木鳥
たくみ鳥(○○○○)〈これてらつゝきの事と云々〉
p.0828 木啄鳥てらつゝき〈又けらつゝきといふ〉 江戸にてきつゝき(○○○○)と稱す、又東國にてをげら(○○○)と呼、下總にて番匠鳥(○○○)と云、
p.0828 斵木テラツヽキ〈○中略〉 テラツヽキの義不レ詳、卽今キツヽキといふもの是也、〈(中略)東國の俗には、此物をケラツヽキといふなり、ケラとは俗にムシケラなど云ひて、蟲豸の類を總云ふ事にて、螻蛄をのみ云ひし語にもあらす、その木蠹を啄みぬるを云ひて、ケラツヽキといひし語の轉じて、テラツヽキといふなるべし、ケといひテといふは、卽轉聲なり、〉
p.0828 啄木鳥 平無レ毒、〈褐者雌、斑者雄、〉穿レ木食レ蠹、主二痔瘻及牙齒疳 蚛牙一、燒末内二牙齒孔中一、食レ之治二瘡疥一、兼治二白癜歷節風一、
p.0828 木鳥〈訓二天良豆豆木一、今稱二木豆豆岐一、〉釋名、喙木、〈本草〉鴷、〈源順〉都盧、〈壒囊、啄木斵二裂樹木一取レ蠹食、故有二斵木鴷之名一、啄木剝啄亦據レ態而名、都盧未レ詳、〉
集解、鴷大二於鳩一、或小者亦有、種類亦多、頭黃白帶レ赤面紅而黃、倶有二黑斑一、背翅尾黑白成レ斑、或靑色亦有、世稱是雌未レ詳、觜足皆靑色、剛爪利觜、觜如レ錐長數寸、舌長二於啄一、其端有二針刺一、針頭如二鋸齒一、啄二得蠹一以レ舌鉤出而食レ之、惟旦夕穿レ木而不レ息耳、
肉、氣味、甘酸平無レ毒、主治、齲齒痔瘻追二勞蟲一治二多年之癇一、
舌、主治、蛀牙最妙、或布裹搔二多年之疥癬一則愈、
p.0828 木
啄木鳥也、或稱二剝啄一、本邦以下靑色頂有二紅毛一者上爲レ雌、是山啄木火老鴉乎、
p.0828 啄木鳥〈○中略〉
蟻吸鳥 按、鴷(テラツヽキ)之小者、舌長二於觜一、啄二蟻及木蠹一、俗名二蟻吸鳥一、本草所レ謂啄木鳥小者、如レ雀者是乎、
p.0828 啄木鳥 タクミドリ〈藻鹽草〉 テラツヽキ〈和名鈔〉 キツヽキ〈江戸〉 ケラツヽキ〈仙臺〉 ヲゲラ〈東國〉 番匠ドリ〈下總〉 一名雷公採藥吏〈事物紺珠〉 匠木〈事物異名〉 刴木官子〈盛京〉 〈通志〉啄木官〈訓蒙字會〉 遖古里〈郷藥本草〉 刀木官〈説嵩〉
啄木鳥ハ總テ喙細長クシテ鑽ノ如ク、舌ハ喙ヨリ長クシテ端ニ鍼アリ、鍼頭鋸齒ノ如シ、木ヲ啄シ穿テ、舌ヲ以ソノ中ノ蠹蟲ヲ鉤出シテ食フ、枝葉ノ上ノ蟲ハ多シト雖ドモ食ハズ、惟終日木ヲ啄シテ息マズ、脚指前二後二、皆剛爪アリテ直ニ樹上ニモ能走リ上ル、至テ健ナリ、大小數品(○○○○)アリ、其雀ノ大サナルヲ小ゲラ(○○○)ト呼ブ、一名木ネズミ、木ハシリ、江州目ハ紅色ヲ帶ビ、ソノメグリ及後白シ、觜淡黑、脚淡靑、項ニ赤毛アリ、頭頰ハ灰白相間ハリ、背ハ白質黑章、胸白ク、腹白黃、尾黑色ニシテ、旁尾黃色灰文、其白頭鳥(ヒヨドリ)ヨリ小ク、頂深紅ニシテ背ハ黑白斑駁ナル者ヲオホゲラ(○○○○)ト云、一名ゴイシ、〈勢州〉其稍小ク頂深紅色ニシテ、喉胸腹並ニ黃赤色ナル者ヲアカゲラ(○○○○)ト云フ、額ヨリ頰下背尾皆黑色、頂ト頰トノ間、及翼尾中ニ白羽及白圈アリ、旁尾ノ末ニ白文アリ、觜脚倶ニ深灰色、其全身白色微黃ナル者ヲシロゲラ(○○○○)ト云フ、眼觜脚倶ニ淡黃微紅、眼下及項中ニ少赤毛アリ、其ツグミノ大サニシテ、背ヨリ尾ニ至マデ、淡綠色ニシテ淡黑文アリ、頂深紅色ナル者ヲアヲゲラ(○○○○)ト云フ、一名キゲラ、ヤマツヽキ、是山啄木ナリ、此鳥頭灰白色、額黑ク、頰黑クシテ深紅一點アリ、喉白ク胸灰色微黃、腹綠色黑文、目紅黃色、觜淺黑、脚綠色、翼ノ風切黑クシテ白圈アリ、其鴿ヨリ大ニシテ頭黃白色微紅、面紅黃色ニシテ並ニ黑斑アリ、背翅黑白斑駁、觜脚靑色ナル者ヲ、ヤマキツヽキ(○○○○○○)ト云フ、是亦山啄木ナリ、ソノ形大ニシテ全身黑色銀光、目黃、ソノ上下喉邊藍色ヲ帶ブ、觜淡黑微紅、脚灰色、頂ニ少赤毛アル者ヲ黑ゲラ(○○○)ト云フ、一名ミヤマゲラ、タマゲラ、仙臺ノ産ナリ、ソノ大サ小ゲラノ如クニシテ、背深綠色、翼亦深綠ニシテ小白點アル者ハ、シマゲラ(○○○○)ト云フ、尾ハ黃色ニシテ小點アリ、胸腹純白、臎(ヲヅ)綠色微黃、觜朱ノ如ク、脚黑色ナリ、ソノ至テ小ク繡眼兒(メジロ)ノ如ク、全身深綠色、頂ト脇ト少ク深紅毛アル者ハ、イハゲラ(○○○○)ナリ、深山ニ生ズ、ソノ一種小ゲラヨリ小ニシテ、形モ相似タルヲ、アリスヒ(○○○○)ト云フ、目赤ク白環アリ、頭背淡褐黑斑、喉ヨリ腹ニ至リ淡黃黑斑、尾長ク淡黃ニ シテ黑文アリ、脚亦淡黃色、
p.0830 きつゝき〈けらつゝきとも大けらとも〉 〈ゑがひ〉 〈生ゑ五分、あをみ入、粉壹匁、〉
大きさひよ鳥にほそく、かしらくれなゐ、はらの尾のきはくれなゐ、せはくろ白のふ有、見事なる鳥なれども、かごをやぶりてかひ鳥に成がたし、
〈きげら(○○○) あをけらともいふ〉 〈ゑがひ〉 〈生ゑ五分、あをみ入、粉壹匁、〉
大きさきつゝきに少し大ぶり、總身もえぎにて、目じろの色ににたり、かしらくれなゐにてしやぐまのごとし、見事成鳥なれども、木つゝきのごとくかごをやぶる、
小げら(○○○) 〈ゑがひ〉 〈生ゑ八分、あをみ入、粉壹匁、〉
大きさすゞめに大ぶり、總身くろに白きふちら〳〵有、冬出る、是又かごをやぶる鳥なり、右木つつきの類、ひろきかごにぼくを入かふべし、又かなあみのかごやぶれがたし、
p.0830 靑けら啄木(○○○○○)
此鳥近在にて巢組し子を生立る也、雌雄よくわかる也、餌飼魦にて三分餌なり、
赤けら啄木(○○○○○)
此鳥も近在にて子を生立、右鳥の内にも鬼けらと云、少し大ぶりの鳥あり、能心を付見分べし、飼方右同斷、
小けら啄木
此鳥は近在にて子をせざる鳥也、頭に少し赤き毛有、是も秋口渡る鳥也、飼方魦にて五分餌なり、
p.0830 守屋成二啄木鳥一事
昔聖德太子ノ御時、守屋ハ佛法ヲ背キ、太子ハ興之給、互ニ軍ヲ起シ、カドモ、守屋遂ニ被レ討ケリ、太子佛法最初ノ天王寺ヲ建立シ給タリケルニ、守屋ガ恐靈、彼ノ伽藍ヲ滅サンガ爲ニ、數千万羽 ノ啄木鳥(ケラツヽキ)ト成テ、堂舍ヲツヽキ亡サントシケルニ、太子ハ鷹ト變ジテ、カレヲ降伏シ給ケリ、サレバ今ノ世マデモ、天王寺ニハ啄木鳥ノ來ル事ナシトイヘリ、昔モ今モ怨靈ハオソロシキ事也、
p.0831 延曆十六年十月庚申、有二啄木鳥一入二前殿一、明日車駕將レ幸二于交野一、緣レ斯而止、
p.0831 一此御對陣、正月〈○永祿十二年〉十八日より同年四月廿日迄、九十三日なり、日夜のせりあひに、武田方跡部大炊介、一度松田尾張におはれたるより外は、みな小田原北條衆をくれなり、然れ共あまりに長陣故、信玄公家老衆をめし、口ぶりをきゝ給へば、〈○中略〉馬場美濃は、けらつつきがむしをたべるに、よの鳥にちがひ、あなのうしろをつゝき、口へ出るを取下され候と申す、
p.0831 山鳥類 啄木鳥〈けら也、千住、川口邊、〉
p.0831 ケラ 其大サ鳩ホドアリ、インコニ似タリ、日光山ニアリ、ケラツヽキニハ非ズ、
p.0831 〈餘據反、鷢、加良須、〉
p.0831 烏 唐韻云、烏、〈哀都反、和名加良須(○○○)、〉孝鳥也、兼名苑云、烏一名鵶、〈音阿、字亦作レ鴉〉爾雅云、純黑而反哺者謂二之烏一、〈哺薄故反、食在レ口也、〉
p.0831 按加良須、以二鳴聲一得レ名、〈○中略〉所レ引文原書〈○爾雅〉無レ載、唐韻引與レ此同、知此亦從二唐韻引レ之也、小爾雅、廣烏篇有二是文一、文選補亡詩注、盧諶贈二劉琨一詩注、後漢趙典傳注、並引二小爾雅一、亦與レ此全同、則此爾雅上脱二小字一無レ疑、蓋唐韻誤脱、源君唐韻並承二其誤一也、今不二徑增一、按水經注載二是文一、亦誤云二爾雅一、孫氏或因レ之、希麟音義引作二廣雅一亦非、説文又云、烏、象形、段玉裁曰、鳥字點レ睛、烏則不、以二純黑一故不レ見二其睛一也、注所レ載哺字、音義與二廣韻一同、蓋引二唐韻一也、〈○中略〉按玉篇云、鴉、烏也、今作レ鵶、廣韻亦云、鴉烏別名、鵶上同、卽此所レ引義、蓋統二言之一也、析二言之一則鴉 鶋也、
p.0831 鴉鵶〈上俗下正〉
p.0831 、孝鳥也、〈謂二其反哺一也、小爾雅曰、純黑而反哺者謂二之烏一、〉象形〈鳥字點レ晴、烏則不、以二純黑一故不レ見二其睛一也、哀都切、五部、〉孔子曰、烏亏 呼也、〈亏各本作レ盱今正、亏於也、象气之舒、亏呼者謂此鳥善舒气自叫、故謂二之烏一、〉取二其助气一故目爲二鳥呼一、〈此許語也、取二其字之聲一可二以助气一、故以爲烏呼字、此發二明假借之法一與下朋爲二朋黨一、韋爲二皮章一、來爲二行來一、西爲二東西一、止爲レ足、子爲中人偁上一例、古者短言於長言、烏呼於烏一字也、匡繆正俗曰、今文尚書悉爲二於戯字一、古文尚書悉爲二烏呼字一、而詩皆云、於乎中古以來文籍皆爲二烏呼字一、按經傳漢書烏呼無レ有下作二鳴呼一者上、唐石經誤爲レ鳴者十之一耳、近今學者無レ不二加レ口作一レ鳴殊乖、大雅又小顏云、古丈尚書作二烏呼一謂二枚頤一本也、今文尚書作二於戯一、謂漢古經也洪适載二石經尚書殘碑於戯字一、尚四見可レ證也、今匡繆正俗古今字互譌、〉凡烏之屬皆从レ烏、 、古文烏象形、 、象二古文烏一省、〈此卽今之於字也、象二古文烏一而省レ之、亦 省爲レ革之類、此字蓋古文之後出者、此字旣出、則又于於爲二古今字一、釋詰毛傳鄭注經皆云亏於也、凡經多用レ于、凡傳多用レ於、而烏鳥不レ用二此字一、〉
p.0832 鴉鵶〈俗、正、カラス、音阿、〉 鸒〈音豫、鸒䳢、鴉鳥、カラス〉 烏〈音惡、カラス、孝鳥、一名鵶、〉
p.0832 烏(カラス) 鵲(カラス) 烏(カラス)〈三字凡義同〉
p.0832 烏(カラス)〈慈烏、慈鴉、孝烏並同、〉 鴉(ハシフトカラス/○)〈老鴉、大嘴鳥、鴉鵶並同、〉
p.0832 烏 なつ とも やもめ ふたつ むれ こもち あさ 夜 月夜 やま三むれ〈稻荷社〉 やた〈神宮御使在レ天〉 もりしる〈在レ杜由也〉 おほをそ鳥〈異名〉 からすの頭しろきといふは、燕太子歸時相也、
p.0832 烏
夏烏 とも烏 ねぐらもとむる烏 朝烏 むら烏 やもめ烏 ふたつ烏 むれ烏 二もち烏 夜烏 月夜烏 山烏 三むれ烏〈稻荷社〉 やた烏〈神宮御使天に有〉 もりしる烏〈在二杜半一也〉 うかれ烏〈うかれからすのよただなくといへり〉 鷹烏 さち烏〈狩場に云り、からすのあるは鹿のとらるゝ想也と云々、〉 烏の頭白きと云〈燕太子歸時想也〉 日もす〈日本紀に有と云々〉 おほをそ鳥〈○註略〉 烏はむくひをかへす鳥といへり〈孝の鳥也〉 山烏うときかたへにわらはれぬべし
p.0832 相聞
可良須等布(カラストフ)、於保乎曾杼里能(オホヲソドリノ/○○○○○○ )、麻左低爾毛(マサデニモ)、伎麻左奴伎美乎(キマサヌキミヲ)、許呂久等曾奈久(コロクトゾナク)、
p.0832 オホヲソ鳥トハ何ナル鳥ゾ 烏ヲ東ニハ大ヲソ鳥ト曰、烏ハ物食ニキタナケレバ、大膩鳥ト申侍リ、サレバ萬葉ノ東歌曰、〈○歌在レ上〉マサデニモトハ正(マサシク)モト曰也、テト、トヲバ萬ヅノ詞ニ加フル也、コロクトハ東詞也、コハ來云(コヨト)心也、ロクハ詞ノ助ケ也、耳(スラクノミ)ナンド曰類也、萬ヅノ詞、終ニロヲ加ト云リ、人ノ子ヲコロトヨミ、山ノ根ヲ子ロト讀リ、仍烏ノコカ〳〵ト鳴ヲ、コロク鳴ト云也、ヲソハ黑(キタナシ)ト云詞也、サレバ日本紀ニモ、似レ烏食糞ト書キ侍リ、又萬葉ノ浦島ガ歌ニモ、キタナシト云ヲヲソヤトヨメリ、〈○中略〉文ニモ烏ヲバ貪鳥、又ハ烏合之群ナンド云テ、鳥ノ中ニハ心貪欲ニ、凡ソ非常ナル物ニ申習ハシ侍ル也、又大黑鳥共書リ、黑ノ字ヲモキタナシトヨム、今ハ黑キ義ニハ非ザル也、
p.0833 明月如レ晝
くまもなき月の光にはかられておほをそどりもひるとなく也
p.0833 鳥名十首
いつもきくおほをそ鳥の聲までもねざめ悲しき有明の月
p.0833 からす 慈烏をいふ、里がらす是也、黑しと音通ずるよし、萬葉集抄に見えたり、詩に莫二黑匪一レ烏といへる是也、一説に鳴聲を稱すともいへり、歌に山がらす、むらがらす、うかれがらす、こもちがらす、やもめがらすなどもよめり、享保戊申の八月に、西京に烏ありて人語す、草履を賣の聲也、加賀人のいへるは、我郷國にもまたみると、はしぶとは鴉也、白鴉たま〳〵西國にあり、暹羅國の鴉は皆白色也といへり、また唐がらすあり、喜鵲也といへり、あけがらすは曙烏也、梁詩にみゆ、とまりがらすは栖鳥也、隋詩にみゆ、づきよがらすは夜月烏也唐詩にみえたり、朝がらすは萬葉集にみゅ、今もいへり、俗に七月のわかれがらすといふは、春雛を生て、その雛長じて後は、反哺して七月には、必ず他所に別れ去もの也とぞ、是孝鳥也、禽鳥の内、首尾毛色雌雄のわいためなし、よて誰か烏の雌雄を知らんなどもいへり、尾張の熱田、安藝の嚴島、伯耆の大山(セン)に、靈鵶あり て神供を取し事あり、唐山の洞庭湖にもあり、杜詩に迎レ橈神鵶舞と作れり、入蜀記にもみゆ、烏は諸鳥をなぶる、鷹さへも多くより來りてなぶれども、三光鳥に逢ては甚居すくみてちゞまれり、尾を畏るといへり、俗に烏の啼をもて凶兆を占ふことあり、黃山谷が詩に、慈母毎占烏鵲喜といひ、群談採餘の詩に、鵲噪未レ爲レ吉、鴉鳴豈是凶、人間凶與レ吉、不レ在二鳥音中一、とみえたり、烏の鵜の眞似といふ諺あり、
p.0834 からすの鳴聲
皇朝にて、からすと號けしは、から〳〵と鳴く故なり、外戎にて烏とも鴉とも號けしも聲なり、
p.0834 烏鴉
集解、今村市所レ有之烏皆慈孝鳥(○○○)也、初生、母哺六十日、長則反哺六十日、可レ謂二慈孝一矣毎旦日出之前噪二出林藪一、群飛啼度集二于漁市郊野一、貪二腥羶朽腐之肉一、鷙二燕雀雞鴨之雛一、至二黃昏一又啼噪宿二于叢篁一、其寺院之山陵、社祠之苑岡尤多、今本邦自レ古稱二熊野之神使一、此常人之所レ未レ曉也乎、然鳥中有レ智而囂貪者、惟垓レ有レ孝爲二鳥中之曾參一則幸哉、一種大二於慈鳥一而嘴肥大者、俗稱二觜太鴉(○○○)一、常棲二山中之樹一而不レ出二村市一、一種大二似鴷一頸靑白而赤觜、穴二居于深山一者、稱二深山鴉(○○○)一、此皆類同而居殊耳、
p.0834 山烏(○○) 今云深山烏〈○中略〉
按、此鳥深山中希有レ之、小二於烏一而觜大、頭身黑光色、胸背有二白斑一、尾黑而長一尺許、俗名二深山烏一、
一種有二川烏(○○)一 谷川有レ之小鳥〈出二于水禽類一〉
鴉舅(○○)〈一名鴉兢〉 似レ鴉而小、黑色觜邊有レ毛、甚勁能逐レ鴉、鴉見レ之則避、
鷹舅(○○)〈一名鷹兢〉 似レ鷹而小、蒼色能逐レ鷹、蓋此二物本朝未レ見、
p.0834 慈烏〈○中略〉
市中ニ多ク居ルカラスナリ、故ニサトガラスト云フ、古ヨリ反哺ノ孝アリトテ、孝烏或ハ孝鳥ト 云フ、〈○中略〉一種ミヤマガラスハ、一名ダケガラス、卽山烏一名鷁ト云者ナリ、深山ニ非ザレバ居ラズ、大サ鴿ノ如クニシテ肥ユ、頭大ニ黑ク、頸ヨリ背及胸腹皆黑クシテ綠光アリ、翼ハ靑ク、風切ハ黑シ、尾微長シテ黑シ、目大ニシテ靑ク、觜大ニシテ赤色微黃、目ノメグリ及左右赤色、脚淡赤色ニシテ爪黑シ、俗ニ佛法僧ト呼ハ非ナリ、佛法僧ハ觜小ニシテ身モ鴿ヨリ狹瘦自別ナリ、一種熊野ガラス(○○○○○)ハ、一名那智ガラス、大サ白頭鳥(ヒヨドリ)ノ如ク、全身黑ク、頂毛立テ白頭鳥ノ如シ、一種蝦夷ガラス(○○○○○)ハ大サ上ノ如ニシテ、背腹共ニ小白斑黑アリ、一種コクマルガラス(○○○○○○○)ハ、慈烏ヨリ小サク、頂ヨリ腹下ニ連リテ白色、喉胸ハ黑シ、翼長ク尾短シ、是燕烏(○○)ナリ、
烏鴉 ヤマガラス ハシブトガラス ミヤコガラス(○○○○○○)〈筑後○中略〉
山中ニ棲テ市中ニハ出デス、偶一羽里ニ出レバ群烏噪鳴テ之ヲ害ス、國ニヨリ烏鴉多クシテ慈烏少キ地モアリ、形慈烏ヨリ大ニシテ嘴尤肥大、食ヲ貪ルコト甚シ、
p.0835 山鳥類 慈烏〈御藏に多し さとがらす(○○○○○)、山がらす(○○○○)あり、〉
p.0835 祥瑞
靑烏(○○)〈南海輸レ之〉赤烏(○○)、三足烏(○○○)、〈日之精也○中略〉 右上瑞〈○中略〉
白烏(○○)〈大陽之精也〉 蒼鳥(○○)〈烏而蒼色、江海不レ揚二洪波一、東海輸レ之、○中略〉翠烏(○○)〈羽有二光耀一也○中略〉 右中瑞
p.0835 六年十一月己未朔、筑紫太宰獻二赤烏一、則太宰府諸司人賜レ祿各有レ差、且專捕二赤烏一者賜二爵五級一、乃當郡郡司等加二增爵位一、因給二復郡内百姓一以二一年一之、是日大二赦天下一、
p.0835 十一年、太宰府貢二三足烏一、
p.0835 六年五月辛未、相模國司獻二赤烏雛二隻一、言獲二於御浦郡一、 七月乙未、大二赦天下一、但十惡盜賊不三在二赦例一、賜乙相模國司布勢朝臣色布智等、御浦郡少領、〈闕二姓名一〉與下獲二赤烏一者、鹿島臣櫲樟上位及祿、甲復二御浦郡三年調役一、
p.0836 二年七月乙亥、下野備前二國獻二赤烏一、
p.0836 慶雲元年七月丙戌、下總國獻二白烏一、 二年九月癸卯、越前國獻二赤烏一、國司幷出レ瑞郡司等進二位一階一、百姓給二復一年一、獲レ瑞人宍人臣國特授從八位下一、並賜二絁綿布鍬一各有レ差、
p.0836 養老五年正月戊申朔、武藏上野二國並獻二赤烏一、
p.0836 天平十一年正月甲午朔、出雲國獻二赤烏一、越中國獻二白烏一、
p.0836 天平勝寶六歲正月丁酉朔、上野國獻二白烏一、 七歲六月癸卯、安藝國獻二白烏一、
p.0836 神護景雲二年八月己酉、參河國獻二白烏一、 九月辛巳、勅今年七月八日、得二參河國碧海郡人長谷部文選所レ獻白烏一、〈○中略〉付二所司一令レ勘二圖牒一、奏偁、顧野王符瑞圖曰、白烏者大陽之精也、孝經援神契曰、德至二鳥獸一則白烏下、〈○中略〉仍勘二瑞式一、白烏是爲二中瑞一、〈○中略〉朕以二菲薄一頻荷二鴻貺一、思レ順二先典一、式覃二惠澤一、〈○中略〉長谷部文選授二少初位上一、賜二正税五百束一、
p.0836 寶龜元年七月戊寅、常陸國那賀郡人、文〈○文恐丈誤〉部龍麻呂、占部小足獲二白鳥一、筑前國嘉麻郡人財部宇代獲二白雉一、賜二爵人二級、稻五百束一、
p.0836 寶龜三年六月癸丑、參河國獻二白烏一、 四年九月丁亥、常陸國獻二白烏一、
p.0836 寶龜五年七月丁未、上總國獻二白烏一、
p.0836 延曆三年六月辛亥、普光寺僧勤韓獲二赤烏一、授二大法師一、幷施二稻一千束一、
p.0836 延曆十三年五月乙未、甲斐國獻二白烏二一、
p.0836 大同元年八月己卯、武藏國獻二白烏一、賜二獲者伊福部淨主稻五百束一、
p.0836 大同四年五月癸酉、伊勢國獲二白烏一、
弘仁二年五月戊午、信濃國獲二白烏一、
p.0836 承和十一年六月己未、太宰府獻二白烏〈○烏原作レ鳥、今據二類聚國史百六十五一改、〉一雙一、
p.0837 元慶六年五月二日癸卯、大和國司言、管高市郡從五位下天川俣神社樹、有レ烏巢、産得二四雛一、其一雛毛色純白、
p.0837 延長三年三月廿七日、山城國獻二白烏一、外記勘二申先例一、
p.0837 後冷泉院の御時、近江國より白き烏を奉りたりけるを、かくして人にも見せさせ
給はざりければ、女房たちゆかしがり申ければ、をの〳〵歌よみて奉れ、さてよくよみたら ん人に見せんと、おほせ事ありければつかうまつれる、 少將内侍
たぐひなくよにおもしろき鳥なればゆかしからすと誰か思はん
p.0837 文治二年七月十七日壬辰、大外記師尚令レ勘二申白烏例一、去比白烏出來云々、
p.0837 天明ノ末力、京師ノ近鄙ヨリ白烏ヲ獲テ朝庭ニ獻ジタルコトアリ、ミナ人祥瑞ト云ケル、然ニ翌年京都大火シ、禁闕モ炎上ス、其後松平信濃守ニ〈御書院番頭、モト豐後岡侯中川久貞ノ子、此家ニ義子トナル、〉會シテ聞タルハ、曰某ガ實家中川ノ領内ニテハ、タマ〳〵白烏ヲ觀ルコト有レバ、輕卒ヲ使テコレヲ逐索メ、鳥銃ヲ以テ遂ニ打殺スコトナリ、其ユヘハ白烏ハ城枯(シロカラス)ノ兆トテ、其名ヲ忌テ然リ、野俗ノナラハシ也ト云テ笑タリシカ、
p.0837 天稚彦之妻下照姫、哭泣悲哀、聲達二于天一、是時天國玉聞二其哭聲一、則知二夫天稚彦巳死一、乃遣二疾風一、擧レ尸致レ天、便造二喪屋一而殯之、卽以二川鴈一爲二持傾頭者(キサリモチ)及持帚者(ハヽキモチ)一、〈一云、(中略)以レ烏爲二宍人者一、〉
p.0837 故神倭伊波禮毘古命、從二其地一廻幸到二熊野村一之時、大熊髮〈○髮蓋誤字〉出入卽失、〈○中略〉於レ是亦高木大神之命以、覺白之、天神御子、自レ此於二奧方一莫レ使二入幸一、荒神甚多、今自天遣二八咫烏一、故其八咫烏引道、從二其立後一應二幸行一、故隨二其敎覺一、從二其八咫烏之後一幸行者、到二吉野河(エシヌガハ)之河尻一、
p.0837 神倭天皇、經二歷于秋津島一、〈○中略〉大烏導二於吉野一、
p.0837 延喜公望私記云、于レ時戸部藤卿進曰、嘗聞或説八咫烏者、凡讀レ咫爲二阿多一者、手之義 也、一手之廣四寸、兩手相加、正是八寸也、
p.0838 八咫烏、名義は八頭烏(ヤアタマガラス)にて、頭の八ある由なり、〈○中略〉八頭なりしは、彼八俣蛇の八頭八尾ありし類なり、八は必しも七八の八ならねども、幾箇もあるをいふべし、
p.0838 戊午年六月丁巳、皇師欲レ趣二中洲一、而山中嶮絶、無二復可レ行之路一、乃棲遑不レ知三其所二跋渉一、時夜夢、天照大神訓二于天皇一曰、朕今遣二頭八咫烏一、宜三以爲二郷導者一、果有二頭八咫烏一、自レ空翔降、天皇曰、此烏之來、自叶二祥夢一、大哉赫矣、我皇祖天照大神、欲三以助二成基業一乎、是時大伴氏之遠祖日臣命、帥二大來目督將元戎一、蹈レ山啓行、乃尋二烏所一レ向仰視而追之、遂達二于菟田下縣一、 十一月己巳、皇師大擧、將レ攻二磯城彦一、先遣二使者一徵二兄磯城一、兄磯城不レ承レ命、更遣二頭八咫烏一召之、時烏到二其營一而鳴之曰、天神子召レ汝怡弉過(イザワ)、怡弉過(イザワ)、〈過音倭〉兄磯城忿之曰、聞二天壓神至一、而吾爲二慨憤一時、奈何烏鳥若レ此惡鳴耶、〈壓者飫蒭〉乃彎レ弓射之、烏卽避去、次到二弟磯城宅一而鳴之曰、天神子召レ汝、怡弉過、怡弉過、時弟磯城 然改レ容曰、臣聞二天壓神至一、旦夕畏懼、善乎烏汝鳴之若レ此者歟、卽作二葉盡八枚一、盛レ食饗之、〈葉盤此云二毗羅耐一〉因以隨レ烏詣到、 二年二月乙巳、天皇定レ功行レ賞、〈○中略〉頭八咫烏亦入二賞例一、其苗裔卽葛野主殿縣主部是也、
p.0838 慶雲二年九月丙戌、置二八咫烏社于大倭國宇太郡一祭レ之、
p.0838 元年五月丙辰、天皇執二高麗表疏一授二於大臣一、召二聚諸吏一令二讀解一之、〈○中略〉高麗上表疏書二于烏羽一、字隨二羽黑一旣無レ識者、辰爾乃蒸二羽於飯氣一、以レ帛印レ羽、悉寫二其字一、朝庭悉異之、
p.0838 見二烏邪淫一厭レ世修レ善緣第二
禪師信嚴者、和泉國泉郡大領血沼縣主倭麻呂也、聖武天皇御世人也、此大領家之門有二大樹一、烏作レ巢産レ兒抱レ之而臥、雄烏遐邇飛行、求レ食養二拘レ兒之妻一、求レ食行之頃、他烏遞來婚姧婚二今夫一、就レ心共高翥レ空、指二於北一而飛、棄レ兒不レ腃、于レ時先夫烏、食物哺持來見レ之無二妻烏一、于レ時慈レ兒抱レ之而臥、不レ求二食物一而經二數日一、大領見レ之、使三人登レ樹見二其巢一、抱レ兒而死、大領見レ之、大悲愍レ心、觀二烏邪淫一、厭レ世出家、離二妻子一拾二官位一、隨二行基大 德一、修レ善求レ道、名曰信嚴一、〈○中略〉信嚴禪師无レ幸少レ緣、自二行基大德一先命終也、大德哭詠作レ歌曰、〈加良須止伊布、於保乎蘇止利能、去止乎能米、止母爾止伊比天、佐岐陁智伊奴留、〉
p.0839 唐皮小烏拔丸事
小烏ト云太刀ハ、彼唐皮〈○鎧名〉出來タ後、七日ト申未刻ニ、主上〈○桓武〉南殿ニ御座テ、東天ヲ御拜有ケル折節ニ、八尺ノ靈烏飛來テ大床ニ侍リ、主上以二御笏一被レ招召一ケリ、烏依レ勅命一躍上、御座ノ御緣ニ嘴ヲ懸テ奏シ申サク、我ハ是太神宮ヨリ劒ノ使者ニ參レリトテ、羽刷シテ罷立ケルガ、其懷ヨリ一ツノ太刀ヲ御前ニ落シ留メケリ、主上御自此劒ヲ被レ召テ、八尺ノ大靈烏ノ中ヨリ出タル物ナレバトテ、小烏トゾ名付サセ給ヒケル、
p.0839 大同三年四月丁卯、有レ二烏一、集レ於若犬養門樹枝上一、接レ翼交レ頭倶死、終日不レ墜遂爲レ人被二打墜一、時人以爲レ北陸道觀察使從四位上藤原朝臣仲成、典侍正三位藤原朝臣藥子兄妹、招レ尤之兆一也
十月庚午、群烏集レ朝堂院東一殿一、啄レ剝座茵一、四年正月壬辰、有レ犬登レ大極殿西樓上一吠、烏數百群レ翔其上一、
p.0839 貞觀十八年三月廿九日丁未、内藏寮御服倉院松樹有レ烏巢一、烏一雙棲宿、毎年生レ五六子一、今春修レ巢將一棲乳一、有レ鵄一雙一、奪レ烏巢一鵄止生レ雛、烏鵄相鬪、經レ旬不レ止、遂鵄戰勝矣、
p.0839 承平四年春、弘徽殿前柿樹烏作レ巢、爲レ令レ移去一、勅レ座主尊意一令レ修レ不動法一、從レ第三日一、烏日日咋レ巢飛レ去北山一、七日之内悉以咋去、〈已上傳〉
p.0839 承平四年二月五日乙亥、官正廳梁上烏巢、
p.0839 寬仁三年二月廿三日辛亥、今日仁壽殿西簷、呉竹臺烏巢、
p.0839 基隆朝臣周防國をしりける頃、保安三年十月にかたりけるは、彼國にしまの明神とておはします、神主牢籠の事有て論じけるもの有とて、神田をかりとらんとしければ、寶前 より蛇三百計出たり、其内につの有二つ有けり、しばしありて入ぬ、其後猶からんとしければ、烏數萬とび來りて、神田の稻の穗をくひぬきて、みな神殿の上に葺けり、ふしぎの事也、本國の神かかる事、中々おはする物也、
p.0840 二品〈時賢卿〉の綾小路壬生の家に、鞠のかゝりに柳三本有けり、其中戌亥の隅の木に烏すをくひ侍けるを、いかゞおもひけん、其からす其すをはこびて、むかひの桃の木につくりてけり、人々あやしみあへりけるほどに、一兩日を經て、關白殿より柳をめされたりけり、二品其とき他所にいられたりける程成ければ、御つかひにむかつて、御敎書を付だりければ、すみやかにむかひて、いづれにてもはからひて、ほりて參べきよしいひければ、御つかひ、かのていにむかつて、其柳のうち二本をほりて參うち、からすのすくひたりし木を、むねと堀てけり、烏は此事をかねてさとりけるにこそ、
p.0840 熊野にまいりて、あすいでなんとし侍けるに、人々しばしはさぶらひなんや、
神もゆるし給はじなどいひ侍ける程に、をとなしの川のほとりに、かしら白きからすのは べりければよめる、 增基法師
山がらすかしらもしろく成にけり我歸るべき時やきぬらん
p.0840 貞應二年四月廿八日、若君〈○藤原賴經〉出二御西御壼一、有二例手鞠會一、此間令二懸二烏糞(○○)一給、有二驚御沙汰一占申、御病事之由云云、 三年〈○元仁元年〉三月十四日、若君御亭南廊御蔀上烏作二巢、今日見出云云、先例不快之由、有二其沙汰一、内々被二卜筮一、御病事之由、國道親職等占二申之一、
p.0840 七月〈○文明十八年、中略、〉上野國大藏坊といへる山伏の坊に、十日あまりとゞまりて、同國杉本といふ山伏の所へうつりける、道にからす川といへる川に、鵜からすなどあひまじはりて侍りけるを見て、又俳諧、 とりもえぬ魚の心を恥もせでうのまねしたる烏川かな
p.0841 法林寺説法を烏きく事
江戸法林寺上人の談義殊勝のよし、其聞え有りしかば、諸宗共に參詣す、上人高座にあがり説法して云く、本來の面目と云は、卽身卽佛にして外に佛なし、不立文字にして經意を用ひず、以心傳心に有り、願くは今佛出世ならば、此法林寺一不審かけんに、中々一答もおよぶべからずと放言し給ふ、折節庭の樹のとまりがらす、俄にかしましく鳴出す、上人の此説法を鳴けす所に、上人扨もにくき烏めかな、説法ものべられぬとの給ふ座中にて一人聲高に、いや烏がわらふよと云ければ、聽衆聞て一同に實にもからすがわらふよ鳴よと云ひやまず、坐中さわぎどうよふする、
p.0841 天明いつの頃にかありけむ、休息御所の御庭に烏來りて、飼置玉へる鴿を追しかば、近習の人々其烏をとらへ打ころさんとせしを御覽ぜられ、飼鳥を捉んとせしは、にくむべきことなれど、子烏へ哺む心ならんか、子を思ふはみな同じかるべしと宣ひ、制し玉ひしとなむ、御年十二三ばかりの時の御事なりとぞ、
p.0841 日光山御宮の邊に鴉二羽あり、二王門前茶店をはなれず、此茶店にて團子を賣る、これをもとめて一ツ宛串を拔て、高く空中になげ上れば、彼鴉出來て、宙にて團子はむ、一ツも落すことなし、按るに筒廊偶筆、楚江富池鎭有二呉王廟祠一、甘將軍寧也云々、有二鴉數百一飛二集廟旁林木一、往來迎レ舟數里、舞二噪帆檣一、上下、舟人恒投二肉空中一餒レ之、百不二一墮一、其送レ舟亦然と云り、滇行紀程にも此事出づ、不レ抱二餅餌粒食一撤レ空餧レ之、群鴉飛舞、接レ食百無二一墮一云々あり、
p.0841 封内平戸ノ中ニ安滿岳ト云ル森山アリ、山上ニ神祠アリ、久ク靈場ト稱ス、又寺院アリ、頗大寺ナリ、密樹屋ヲ繞ル、後山ニ雙鴉棲メリ、予○松浦淸モ登山ノトキコレヲ視ルニ、翅下ニ一圓白アリ、又寺前ニ一盤ヲ設ク、日々神供ノ食ヲ盤上ニ置ケバ、鴉食シテ殘スコトナシ、從來コ ノ如シト云、コノ鴉タヾ一雙ニシテ餘鴉ノ混ゼズ、又蕃生セズシテ、年々産スルモノ雌雄ノミニシテ、其餘アルコトナシ、年毎ニ父烏雛ノ成長ヲ待テ、十月廿日ヲ以テ必ズ去ル、ソノ夜月出ノ前ニ悲鳴良久ク別ヲ惜ムノ狀アリ、而遠ク飛去ル、歲日違フコトナシ、父鴉コレヨリシテ黑髮山ニ往テ棲ムト云、靈奇トモ云ベキコトナリ、
p.0842 烏鴉〈○中略〉
肉、氣味、酸澀平無レ毒、〈最名二臊羶之氣一、妄不レ可レ食、止治レ病則忍レ之可レ食、宜二炙食一不二煮食一、〉主治、骨蒸勞嗽、婦人血症小兒癇疳、或殺レ蟲治レ瘦、
p.0842 慈鳥(カラス)
烏すくしはゝゆく平毒はなし勞を補ひ人をこやせる〈○中略〉 烏こそ魚のほねたちぬけざるに煮て食すべし又灰も吉也
p.0842 臨時
曉跡(アカトキト)、夜烏雖鳴(ヨガラスナケド)、此山上之(コノミネノ)、木末之於者(コヌレガウヘハ)、未靜之(イマダシヅケシ)、
p.0842 高宮王詠二數種物一歌二首
婆羅門乃(バラモムノ)、作有流小田乎(ツクレルヲダヲ)、喫鳥(ハムカラス)、瞼腫而(マナブタハレテ)、幡幢爾居(ハタホコニヲリ)一、〈○一首略〉
p.0842 秋は夕ぐれ、夕日はなやかにさして、山ぎはいとちかくなりたるに、烏のねどころへゆくとて、みつよつふたつなど、とびゆくさへあはれなり、
p.0842 にくきもの
からすのあつまりて、とびちがひ鳴たる、
p.0842 からすのす(○○○○○)
いづみからすのすきひたりあま君にあまのりあふれさゝせもうさん
p.0842 六帖題 權僧正公朝 おほゐがはゐぐひにきゐる山烏うのまねすともうをはとらじな
p.0843 根津の烏お岩
根津の遊女に川島やのお岩と云有、是を烏岩々々と云、其いはれ、此女小袖のもやう、すべての道具に、悉く烏を付たり、塗枕にまで烏を繪がゝせり、夏各の衣裳寢道具にも、皆烏を付るなり、何として烏を付、ると謂を聞けるに、此女が親甚かるき者にて、今日のいとなみもつきはて、據なきに付、二人の親の爲に、此根津へ身を賣られたり、されども更に親を恨る心なく、此お岩が平生申けるは、人倫として親を思はぬは有べからず、烏と云鳥は、反哺の孝とて、親を養ひ返すとかや、然ば人間の子として、親を養はずんば有べからずとて、勤の中も兩親を大切にして、客を大事によく勤を丁寧にして、金銀不時に得る時は、己が爲にせず、兩親をみつぎける、されば反哺の孝を忘れまじきとて、烏を何にもかにも付たり、夫故烏お岩といふ名をば取けり、
p.0843 からすかん左衞門、うぬが内はやける、早くいつて水かけうといふ童こそ、鵜のまねする烏は、水をのむといへる諺よりいへるものならん鵜のまねするなら早く行て水あびろなど云けむを、内は燒ると誤りたるは、〈再按に、からすの行水と云ことより出たるなり、〉鴟とべば火ばやしといへるを混ひしなるべし、宗因獨吟、鴟の飛ほど油斷せず、京火ばやいとよその夕暮御用心、また鵜のまねは、佐夜中山集に、水心もや波の河筋鵜のまねを洲崎の烏羽つくろい、〈○下略〉
p.0843 或人曰、烏ハ神ヲ喜テ佛ヲ喜バズ、日光山御宮ノ森ニ夥シク棲デ、猷庿ノ森ニハ宿セズ、都下ニテモ御城内ノ紅葉山、烏ノ宿所トナリテ、芝上野兩山ニハ多ク宿セズ、是ヲ以テ見ルベシト云、イカサマ其如クナリ、何ノ故ナルヲ知ルベカラズ、
p.0843 鷺烏巧拙
鷺と烏と遊ぶ、烏の云、〈○中略〉我は人家に凶事あれば、往て未然に吿しらしむ、然るに人々奇特也と はいはずして、却てからすなきがあしきなどいふて、我を不祥の物として忌嫌ふ、是ほど心得ぬ事はなしと云、鷺の云、汝人に凶を吿るとて、恩に著するも、人の烏なきがあしきとていやがるも、共に非也、然れ共其德なく其實なくして、人を正し、人の非を吿る時は、聞く者信ぜず、却て我をそしれりとして、忌嫌ふは人の情也、汝の常をみるに、鼠をとらんとて、人家の屋根をむしり、畑に蒔付植付たる物をつゝきあらし、人の秘藏する樹木の菓をぬすみ何なり共人の乾しておく物を、遠慮もなくとり喰て、人ににくまるゝ事のみ也、其なく聲さへ、餘鳥よりもやかましく、人のいやがるは尤也、汝の人に凶を吿るといふも、其德あり其實有て吿るにはあらず、雨氣に感じて靑蛙の鳴がごとし、汝の啼故に凶事の來るにもあらず、只汝不祥の氣ある故に、人家に不祥の事あれば、汝必ず其氣に感じて其所へ集り啼のみ也、是同聲相應じ、同氣相求るものなり、何ぞ是を以て人に恩有とせんや、〈○下略〉
p.0844 烏はむくつけき鳥なれど、孝つくす心ばへあはれなり、元日のあけぼの、東の方しらみ行くほど、黑き林の中より、聲のみ聞えて飛び行くもをかし、星みえぬばかり、月さえたる夜晝の心地ちして、梢に打ちさはりて鳴きたる又をかし、夏の夕つかた、日もいりはてゝ凉しき頃、ねぐらとひおくれたるが、二つ三つ飛び行くもをかし、雪ふり積りて、庭も野山もこというなきに、獨飛びかふもはえありてをかし、
p.0844 烏之賦
一烏小大有て名を異にす、小を烏鵲といふ、大を觜太といふ、此鳥反哺の孝を讃して、鳥中の曾子に比す、或は人家に行人をつげ、天の川に翅をならべて二星の媒となれり、或ひは大年のやどりをしりて春風をさとり、巢をあらたむといへり、雲の曙の聲寒げに、夕に寐所へ行なんど、詩歌の才士も情あるに云なし、繪にもかゝれてかたちを愛す、只貪猶の中にいふ時はその德大いなり、 又汝が罪をかぞふる時は、其德小にして害又大なり、就中かの嘴太は性佞强惡にして、鷲の翅をあなどり、鷹の爪の利ことを恐れず、肉は鴻雁の味もなく、聲は黃鳥の吟にも似ず、啼時は人不正の氣を抱て、かならず凶事をひいて愁をむかふ、里にありては栗柹の梢をゐらし、田野に有ては田畑を費す、粮々辛苦の勞をしらずや、或は雀のかい子をつかみ、池の蛙をくらふ、人の尸をまち、牛馬の腸をむさぼりて、終にいかの爲に命をあやまり、鵜の眞似をしてゐやまりを傳ふ、是みな汝むさぼること大にして、其智を責ざる誤りなり、汝がごときは心貪慾にして、かたちを墨に染たる、人に有て賣僧といふ、釋氏も是をにくみ、俗士も甚うとむ、鳴呼汝よくつゝしめ、羿が矢先にかゝつて、三足の金烏に罪せられんことを、
p.0845 鴉箴
孝は百行のもとゝこそきくに、かれは反哺の孝心はありながら、いかで啼聲をさへ、不祥の物ににくまれけむ、夫も夕ぐれの端居に、泊がらすの三ツ四ツつれたるは、淸少納言もあはれとはみしを、まだ曉の鐘もならぬに、月夜あるきに起さわぎて、常に廓の夢をやぶり、かの楓橋の漿枕に、唐人の寐言をも驚しぬ、これらは人にかこたれながら、かへつて風雅の種となりて、烏丸殿の歌にもよまれべきか、田畑にむらがりては、麥をほぜり、大根をつゝき、曾哲が隱居屋のなつめも栗栖野の秘藏の柑子も、などいたづらにあらしけむ、然るに古きためしには、かの烏羽玉も汝が寶にて、名劒に小烏あり、おふけなくも日輪に三足のからすもおはしませば、さのみさがなき物ともおもひくだされず、されば一たび己を顧て、鵜の眞似をする僣上をやめ、鷺を烏の無理をたしなみ、烏麥烏瓜の備はりたる食もあれば、身を墨染の善心に發起して、今かくいへるしめしをも、よくあゝ〳〵と打うなづかば、あんかうがらす、のら烏、うかれがらすの浮名もきえて、長くお烏大明神のめぐみかうむるべし、さらば鳴子の枝もならさず、案山子も弓を袋の世となりてん、ア ア人の爲におそるべし、身のために愼むべし、
p.0846 百鳥譜 支考
鳶烏の世をさみたる中にも、烏ばかり觜のいやしきものはあらじ、夕〈へ〉には寐まどひ、朝〈タ〉にははやく起て、前栽の木の實などにつきては、えおもひ捨ずや、いかなる時にか息などもつまるやうに帰て、いとゞにくさげには侍るなり、それをも神のつかひのみならば、かゝる事いひもせまじ、
p.0846 慈烏〈○中略〉
佛法僧鳥(○○○○)ノ雄ハ、形チ鳩ノ如ク瘦テチイサク、頭淡黑ク、羽毛綠色ニシテ腹背碧綠交リ、咽ノ下碧色翼及ビ尾ノ端黑色、嘴細クシテ鳩ノ如ク、脚ト共ニ赤色ナリ、鳴聲ブッポウソウト云フ、雌ハ同形ニシテ蚕身淡黑ニ白毛雜リ、深黑ノ斑アリ、喉及ビ腹白色ニ黑點アリ、嘴淡綠ニシテ脚淡褐ナリ、天台山方外志云、念佛鳥聲喚二阿彌陀佛一、華夷鳥獸考ニ九華山志ヲ引テ曰ク、念佛鳥大如レ 、羽尾黃褐翠碧間而成レ文、音韻淸滑如二誦佛聲一、一名念佛子、唐韋蟾詩、靜聽林飛念佛鳥、細看壁畫䭾徑馬念佛鳥此有レ之也、池北偶淡ニ曰、王得臣塵史安陸有二念佛鳥一、小二於鸜鵒一色靑黑、常言二一切諸佛一、宋元憲詩鳥解、佛經言、張齋賢守群日爲作二舌詩一篇一、按ニ諸鳥各啼聲ヲ異ニスト雖ドモ、佛聲ニ疑似スル者數品有ベキノ理ナシ、鳥聲固ヨリ五音ノ別ナシ、惟音情ノ紛紜タルヲ聞テ、己ガ意ニ迎テコレヲ解スルノミ、然ラザレバ何ゾ一鳥ニシテ、阿彌陀佛ト云、又一切諸佛ト呼ノ理アランヤ、然レドモ佛法僧鳥ヲ念佛鳥ニ充ツレバ、彼彌陀佛諸佛ノ兩義ニ於テ的當セズ、余〈○小野蘭山〉謂、佛法僧鳥ハ羅漢鳥ニ充ツルヲ穩ナリトス、衡嶽志曰、羅漢鳥見二于羅念菴先生別楚石詩自註一、烟霞峯下谷中有二鳥類一、呼二佛聲一俗名二羅漢鳥一ト是ナリ、伊藤長胤ノ輶軒小錄ニ曰、高野山ニ佛法僧ト鳴鳥アヲト云、日光山ニ慈悲心ト鳴鳥アリト云コト、昔ヨリ和歌ニ詠ジ、人々傳誦スルコトアリ、是モ唐ニアリ、蜀都雜抄合セ按ズベシ、凡テ鳥獸ノ音、碓磨ノ聲、此方ノキヽヤウニ依テ、樣々ニ聞取ナリ、深山幽谷禪 佛ノ境ニハ、常々佛事ヲ談ジ、佛語ヲ誦スルニ依テ、鳥獸ノ音ニ佛事ニ聞ナスト見ヘタリ、何事モ人ノ心ノ呼ト知ベシ、慈悲心鳥(○○○○)ハ形鷹ニ似テ、大サ白頭鳥ヨリ一層大ニシテ、頭背翅尾共ニ黑シ、胸腹淡褐ニシテ細黑ノ横條三行アリ、嘴脚黑シト、桃洞遺筆ニ見ヘタリ、
p.0847 佛法僧
此鳥日光曲ゟ雛鳥にて出る鳥也、勿論江戸へ持參候、ひとり餌までは能持也、形は時鳥ゟ少し、胸の黑み多く、腹の斑もあかく、目は黃色の輪あり、黑目也、此鳥塒したるをいまだみず、餌飼鱣にて等分餌也、是を實心と言人も有、
實心鳥(○○○)
此鳥高野山ゟ出るといへ共、未現鳥を見ず、去旅人實心の皮と言て持來るを見たるに、時鳥の雌の赤ふにて餘程大きく、勿論かつこう程もあり、其後外方ゟ實心と言を見たるに、先年大坂表ゟ伊達烏(○○○)と云て來たる鳥也、此鳥總身こんじやうの毛色、觜赤くして口の内まつ黃也、足赤く尾羽黑し、至て鳥の形ぶきようなるもの也、實心と云てみたるは右之鳥也、其後九州へ渡見たる時は雨烏(○○)と云て見たり、又其後達摩鳥(○○○)とて、江戸へ來りたる事有、程なく落たり、餌飼鱣にて等分餌、尤玉子の黃實を入る也、此鳥を佛法僧と云人もあり、間違なり、
p.0847 後夜聞二佛法僧鳥(○○○○)一
閑林獨坐草堂曉、三寳之聲聞二一鳥一、一鳥有レ聲人有レ心、聲心雲水倶了々、
p.0847 延喜六年八月右大臣〈○源光〉修二法華八講一、佛法僧鳥(○○○○)來鳴、 十八年八月十三日癸丑、右大臣忠平於二五條家一、限二五日一十座講二説法華經一、佛法僧鳥來鳴二樹上一、令二文人詠一レ詩、 十四日甲寅、夜五條后宮講説之間、佛法僧鳥鳴二松樹上一、在レ座詩人賦レ詩、
p.0847 延喜十八年八月十三日、右大臣家〈○藤原忠平〉八講おこなふ夜、于レ時佛法僧といふ鳥(○○○○○○○)なく、有レ感 此歌奉る、
あし引の、み山にすらも、このとりは、谷にやはなく、いかなれば、しげき林の、おほかるを、たかき稍も、あまたあれど、羽打はぶき、とびすぎて、春夏多の、時もあるを、君が秋しも、もみぢばの、からくれなゐの、ふりいでゝ、なくねさだかに、きかせそめつる、
山にすら稀に聞ゆる鳥なれど里にも君が時よりぞなく
其ひとも君はつげしもせじ物をいかでか鳥のかねてしりけん
とのゝ御返し
法を思ふ心しふかく成ぬれば里にも鳥のみゆるなるらん
p.0848 暮春於醍醐寺卽事 中原廣俊
艶陽三月欲闌程、一訪巖扉出洛城一、春寺門深春草滿、暮山梯遠碧雲横、櫻桃李色花空盡、佛法僧音鳥獨鳴、〈此山有二佛法僧(○○○)一故云〉塵境隔蹤人事少、松風澗水響彌淸、
p.0848 とり
松のおのみねしづかなるあけぼのにあふぎて聞ば佛法そう(○○○○)なく
p.0848 慈鎭和尚
わが國はみのりの道のひろければ鳥もとなふる佛法僧哉
家隆卿
とりのねも三の御のりをきかす也み山の庵の明がたの夢
十題百首 寂蓮法師
うき事をきかぬみ山の鳥だにもなくねにたつる三の御法を
p.0848 二月五日、〈○建長二年、中略、〉佛注僧となくとり(○○○○○○○○)、太政大臣殿〈○藤原實氏〉よりまいりたるを、常の御 所の御えむにおかれたりしが、雨などの降日はことになく、げにぞなもさやかにきこゆ、すがたはひえどりのやうにて、いますこし大きなり、辨内侍、
とにかくにかしこき君が御代なれば三のたからの鳥もなく也
p.0849 忍岡南塾乘抄
二十四日〈○寬文十一年四月〉快晴、春常談曰、今度日光法會中、深山有レ鳥囀二慈悲一、梶定良聞レ之、小田原拾遺以レ之問二春常一、常曰、傳稱此山有二佛法僧鳥(○○○○)一、乃是三寶鳥(○○○)也、慈悲心亦是此鳥乎、引二空海詩敦光記一呈レ之、大使喜曰、今度晴日多而雨少、且聞二此稀鳥一云云山人稱曰、癸卯歲大猷公〈○德川家光〉十三回忌法會、聞二此鳥發聲一、其後九年不レ聞、而今月朔日以來數鳴、可レ謂レ奇也、山人之言不レ足レ信焉、定良平生所レ言皆實、擧世所レ知、此人言二自聞一レ之、故知二其不一レ虚也、朔日者大使發二江戸一日也、故大使甚喜云云、定良又談曰、堀田備中守登山拜二大猷公靈堂一時、此鳥囀二慈悲心兩聲一、定良亦切聞レ之云云、大使亦聞レ之云云、由レ是登山人傳寫常所レ記、頃間巳達二江戸一云云、余聞レ之、謂想深山中可レ有二奇鳥一、不レ審下慈悲爲二三寶一否上、常雖レ不三自聞二此鳥一、以敦光記謹此山有奇鳥、其一座之谷不レ爲二不當一、然大使推レ之以爲二實證一、非二必爲レ常附會成一レ之、
p.0849 慈悲心鳥(○○○○)といふものは、下野の黑髮山にあり、〈日光山なり、此鳥の形狀鵯のごとく、羽は鼠色にして尾長く、足と觜は黑し、聲勝れて高く、夏の氣候に入ば、晝夜ともに啼と、百井塘雨筆記にしるせり、此人は足跡天下に周さ人なり、〉さるに其宮に仕まつる鵜川氏、はからず比えの山にても聞つけしと語られしかば、栢原瓦全なる人、彼ますほの薄をとひにまうでし登蓮法師が昔にならひて、やがてふりはへて比えにのぼりしに、比は水無月計、唯老の鶯駒鳥などの聲のみなりしかば、口をしながら諸堂ども拜みめぐり、暑さに汗あへて、こうじたれば、よしや今はとて下りしに、水呑みと云人舍リのほどにて、ほのかに聞つけたり、あはやと心をしづめ、耳を澄すに、十聲計淸らに鳴つゞけたるうれしさ、いはんかたなかりしといへり、〈○中略〉比えに詣る人は、心にかくべきことぞ、又佛法僧(○○○)といふ鳥も、同じく鳴聲につきて名付たる類也、高野山に名高き は大師の性靈集に見えしが本也、〈○中略〉又高野山通念集に、佛法僧の鳥のことは、靈屈の閑林の内にて、曉がだ一夏の間啼と也、雄、佛法となけば、䳄、僧と聲をあはす也と見ゆとかや、此二書は予〈○伴蒿蹊〉いまだみねども他の説による、又古歌にもよめり、吾國はみのりのみちの廣ければ鳥も唱ふる佛法僧哉、またうきことをきかぬ太山の鳥だにも鳴ね、はたつなみつのみのりに、また此ごろ或人の筆記を見れば、靈元法皇の御製御集に有とかや、御詞書、佛法僧の巢をつくりたるを見て、聲をきゝ姿をいつのよにかみん佛法僧のありし梢に、此巢はいとめづらし、いづこより採きて叡覽に入けるにや、京ちかくにては松尾によめり、是につきて一話あり、近古に京師に名ある醫師を夜更て迎ふる者有、かねて相識ル人の名をいひたれば、速に輿に乘しを、頓て物にて押つゝみ、數人圍〻ていづこともしらず勾引し行ぬ、さていと山深き所の大なる家の内に舁いれ、家あるじとおぼしき者の金瘡を療ぜしめ、藥をこひて後あつく謝物をあたへ、また先のごとくかこみてかへしたり、いかさまにも賊の隱れたる所とおぼしく、ものをも得たるからに、默してはあられず、官に訟たれば、時の京兆尹板倉侯、其所のさまを尋給へども、東西をもわきまふる所なかりし旨、上の件をのべけるが、唯一ツめづらしとおぼえしは、佛法僧と鳴鳥有しとまうす、侯さては松尾成べし、松尾に此鳥をよめる古歌ありとて、速に吏をつかはして、彼山深くもとめさせ給ひしかば、はたして賊の首領居りしと也、これは新六帖に、光俊、松尾の峯靜なる曙にあふぎて聞ば佛法僧啼、といふ歌なるべし、今は彼山にて聞たるといふ人なし、絶たるにや、又下野那須の雲巖寺に此烏あり、及び慈悲心鳥もありと、播磨玉拙法師話せり、
p.0850 宇治郡
佛法僧谷(○○○○) 在二北華山一、土人言、古斯谷有レ寺、故號二佛法僧谷一、一説斯谷有二三寶鳥一、偶鳴故稱レ之云、本朝深山幽谷有レ鳥、形類二鸜鵒一、多入レ夜則鳴、静聽レ之則其音聲如レ謂二佛法僧一、故號二三寶鳥一、又稱二佛法僧一、紀州高野 山亦偶鳴、山僧傳言、斯鳥鳴則山中宿德僧出、弘法大師性靈集有二三寶鳥之詩一、然斯詩弘法住二河内國高貴山一時所レ賦レ之也、
p.0851 慈悲心鳥(○○○○) 此鳥當山にて別に名あることを聞ず、唯其喚呼するを以て名に稱するにて、佛法僧鳥と名附るが如き歟、初夏の頃よく聲を發せり、此山中にかぎらず、荒澤寂光又は栗山邊にも多く栖る由、時として御山内へも廻翔し來り鳴ことあり、人家多き所へは來ること稀なり、足の前後二本宛にわかれたり、羽色等圖の如し、〈○圖略〉かたちは鵯程の鳥なり、おのれ〈○植田孟縉〉先に榛名山へゆきて、社家の家に舍りしに、あるじが話(かた)れるに、當山に三寶鳥(○○○)、戒行鳥(○○○)などすめり、三寶鳥は啼こと稀なり、戒行鳥は夜更てなけりといひしかど、春はやく行しゆゑ啼ず、其戒行鳥といへるは慈悲心鳥なりと、舍のあるじが話れり、
p.0851 雄鵲一名飛駮、〈楊玄操、音補角反、出二陶景注一、〉一名神女雀、一名嘉賓、一名 、〈音䳄〉一名鵯、〈音卑、已上四名出一兼名苑一、〉飛駮馬泥、〈腦也、出二墨子五行記一、〉和名、加佐々岐(○○○○)、
p.0851 鵲〈飛駮馬泥附〉 本草云、鵲、〈且略反、和名加佐々木、〉飛駮馬泥、鵲腦名也、
p.0851 新修本草獸禽部中品雄鵲條、陶注云、五月五日、鵲腦入二術家用一、一名飛駮、無二馬泥之名一、按本草和名雄鵲條云、飛駮馬泥、腦也、出二墨子五行記一、則知源君從二本草和名一引レ之、誤二五行記一爲二本草一也、按説文作レ 、云䧿也、象形、又載レ䧿、篆文舄、从二隹㫺一、是烏䧿字本作レ舄、借爲二舄履一、爲二借義所一レ專、別作レ䧿以避レ之、俗又變レ隹从レ鳥、作レ鵲、李時珍曰、䧿、烏屬也、大如レ鴉、而長尾、尖觜、黑爪、綠背、白腹、尾翮黑白駮雜、上下飛鳴、以レ音感而孕、以レ視而抱、
p.0851 鵲 〈今正、七爵反、カサヽギ、カラス、〉
p.0851 鵲(カサヽギ/カウライカラス)〈喜鵲、飛駁鳥並同、〉
p.0851 鵲(カサヽギ)〈段成式云、鵲有二隱巢木一如レ梁、令二鷙鳥不一レ見、人若見レ之主二富貴一也、〉 鴶 喜鵲(マロウトカラス/○○)〈本名鵲〉乾鵲(同)〈時珍云、鵲能報レ喜故謂二喜鵲一、又知二來歲風多一巢〉 〈必卑下、故謂二之乾鵲一、〉
p.0852 鵲
かさゝ かさゝぎの橋〈是いはれ七夕の所にあり、七月七日に二のさぎきて爲レ橋云、〉 鵲のみねとびこえてなく かさゝわたせる橋におく霜〈是はたゞ雲のかけはし也、まことにあるにはあらず、〉 鵲のはねに霜ふり 鵲には木をめぐると云也
鵲のゆきあひのま〈○註略〉 鵲のよりはの橋 稍をめぐる鵲〈月きよみこずゑをめぐるかさゝぎのよるべもしらぬ身をいかにせん、わがみのよるべもしらぬによせたり、此かさゝぎ有二由緖一、魏武帝、月明星稀烏鵲南飛、繞レ樹三返何枝可レ任と云心也と云々、かさゝぎのつかさなにふるはしつくりいかて雲ゐにわたしそめけむ、〉
p.0852 一カサヽギト云フハミノ毛ノ頭ニアル鷺歟
鵲ハ(カヽサキ)尾キハメテナガク、ハシミジカクシテ、水邊ニスマズ、山木ニスム、一名ニハ飛駮(ハケ)ト云ヘリ、アマノ河ノカサヽギノ橋ト云フモ是也、マタ白鷺ノタグヒニ非ズ、烏鵲橋ツラナテ浪往來スナド申テ、アヤマチクロキ物ニコソ云ヒナラハシタレ、冬至ノ日スツクリソメテ、春子ヲウムモノ也、〈見二毛詩箋一〉成尋阿闍梨ノ在唐記云、見二鵶鳥一似レ烏頗小、腹白背黑羽白斑也ト云ヘリ、鵶鵲ハ烏鵲也、兼名苑ニハ犬ノ異名ヲ飛鵲ト云ヘリ、オモヒガケヌ樣也、播磨國ノ風土記ヲミレバ、佐用郡ニ船引山ト云フ山アリ、此ノ山ニ有二鵲鳥一、世俗云二韓國烏(○○○)一、栖二枯木穴一、春見レ之夏不レ見云へリ、此ノ國ニモアルモノニコソ、
p.0852 鵲かさゝぎ 西國に有、唐がらすと云、又高麗烏と云、五畿内及東國になし、鳩より小、羽に黑白有、
p.0852 鵲カサナギ 推古天皇の御時に、難波吉士磐金、新羅より至りて、鵲二隻を獻ず、難波の杜に養はしむ、因以巢レ枝而産レ子といふ事見えたり、〈日本紀に〉これ我國の鵲の來りし事の始なり、カササギとは、新羅の方言と、此國の方言とを倂せ呼びしと見えたり、卽今も朝鮮の方言に、鵲を呼び てカシといふなり、カサといひ、カシといふは轉語なり、サギは卽噪(サワギ)なり、鵲噪ぎぬれば喜あるなど、漢人の説に見えたり、
p.0853 かさゝぎといふ鳥に二種(○○)ある事
かさゝぎと云ふ鳥に二種あり、まづ其一種はもと韓國の産にて、漢國にて鵲(○)といへるものにて、〈○中略〉其が名は本草、和名抄等に、鵲は和名加佐々木と訓るものこれなり、さて其はもと皇華言もて負せたる名にはあらで、新羅の國言もて呼びならへるものになんありける、其はもろこし宋世に孫穆と云へるが、朝鮮國の事を記せる鷄林類事と云書に、その國語どもを載たる中に、鵲曰喝則寄(カツソキ)と註せり、しかるに朝鮮の崔世珍が著せる訓蒙字會と云書に、〈○註略〉漢字の鵲をおのが朝鮮にて呼名に當て、諺文字もて加佐とよむべく注せり、〈字會鵲字の下に諺文にて、 と注せり、これを諺文の例に據りて讀むに、 は加、 は佐なり、此二字引合て加佐とよむべし、さて其下なる は志也久なり、鵲字の音を注せるなり、然るに新井君美主の書されたるものに、今の朝鮮語に鵲を加之と云ヘりと云はれたるは、かの加佐とやうに云へうだみ言を、然きゝなし亡る説なるべし、〉いはゆる喝則寄の略言なるべし、しかれば鵲を加佐々木と云ふは、もと韓言の名なるを、そのかみ磐金が新羅より持歸りて、その國言に加佐々木と呼ぶ由奏して獻りけるが、今に其名の傳はれるものなりけり、〈○中略〉さていま一種(○○)かさゝぎといふがあり、そはまづ源氏物語浮船卷に、〈○中略〉山のかたはかすみへだてゝ、さむき洲崎にたてるかさゝぎのすがたも、所からはいとおかしく見ゆるに、宇治橋のはる〴〵と見わたさるゝに云々とある、かささぎこれなり、〈こをかのから國よりわたれる鵲とせむは、いとつさなし、〉其は鷺の類に、蒼鷺(○○)とてあるが、今の世になべてあをさぎといふものゝ、又の名とこそおもはるれ、〈○下略〉
p.0853 鵲〈訓二加佐佐木一〉
集解、鵲大如二慈烏一、或大者似レ鴉、長尾、尖觜、黑爪、綠背、白腹、尾翮黑白駁雜、自レ古聞レ名者久、然本邦未二常有一焉、近頃自レ華來二肥之長崎一、今在二貴公家之別莊一畜二之樊中一、予〈○平野必大〉偶遊二其莊一而觀レ之、上下飛啼、驚躁惡 食、寔烏鴉之屬也、其知二來往一及營巢之事未レ詳レ之、世未二蕃類一、故不レ知肉之氣味一焉、
p.0854 鵲 畿内東北州ニ無レ之、筑紫ニ多シ、朝鮮ヨリ來リシニヤ、高麗烏卜云、鳩ヨリ小ニ、ツグミヨリ大也、羽ニ黑白アリ、尾長シ、本草ニノセタル鵲ニヨク合ヘリ、日本紀天武帝ノ時、新羅王鵲二隻ヲ獻ズ、
p.0854 鵲 カサヽギ〈和名鈔〉 カサヽ(○○○)〈古歌〉 朝鮮ガラス(○○○○○) 高麗ガラス(○○○○○)〈筑前筑後〉 トウガラス(○○○○○)〈肥前〉 カチガラス(○○○○○)〈同上〉 肥後ガラス(○○○○○)〈薩州〉 一名靈鵲〈禽經〉 喜奈何〈淸異錄〉 不奈 何〈事物紺珠〉 靑喜〈同上〉 乾鵠〈蘇氏韻輯〉 唐則寄〈雞林類聚〉 喜郎〈事物異名〉 鳷鵲〈通雅〉
此鳥東國ニ來ラズ、筑前後、肥前後ニハ多シ、桑椹熟スル時殊ニ多シト云フ、常ニ慈烏ト雜居シ燥鳴ス、多クハ慈烏ニ害セラル、頭背黑色微褐、肩ノ處ニ白羽アリ、翅ハ黑色碧光、風切本ハ綠光、末ハ黑褐、重リタル内ハ雪白色、尾身ヨリ長クシテ黑色綠光、末ニ近クシテ紫光アリテ八ノ字ノ如シ、尾ノ裏ハ黑色微褐、胸腹ハ白色徹褐、觜脚深黑色光アリ、肥後ニハ白斑ナル者アリ、白翅ナル者アリト云、唐山人慈烏喋ゲバ凶アリ、鵲噪ゲバ吉ナリトテ、喜鵲ト呼ブ、朱文公ノ詩ニ、鵲噪未レ爲レ吉、鴉鳴豈是凶、吉凶人自召、不レ在二鳥聲中一ト群談採餘ニ出ス、
p.0854 唐烏 飼かい〈ハヤ〉四分ゑ、靑味入、
きじやくといふ、大きさ八々鳥三かけ有べし、總身黑くして、腹白く、かたのあたり白毛有、兩羽にまた白き所あり、總體からすに似たり、觜の上へからすのごとく髭かしりて、足黑く、尾長し、觜つよく籠をやぶる物なり、巢もなすべし、此鳥唐烏共言、筑前國あたりには多居よし、よつて筑前がらすともいふ、さりながら唐にも有と見えて、唐畫に此鳥多し、
p.0854 祥瑞
白鵲〈○中略〉 右下瑞
p.0855 船引山、〈○中略〉此山住鵲、一云、韓國烏、栖二古木之穴一、春時見、夏不レ見、
p.0855 四年癸巳、鶏生二鵲巢中一、生レ子四足、
p.0855 六年四月、難波吉士磐金至レ自二新羅一而獻二鵲二隻一、乃俾レ養二於難波杜一、因以巢レ枝而産之、
p.0855 十四年五月辛未、高向朝臣麻呂、都努朝臣牛飼等、至レ自二新羅一、〈○中略〉新羅王獻物、〈○中略〉鵲二隻、及種々寶物、
p.0855 だいしらず よみ人しらず
かさゝぎの峯とびこえて鳴ゆけば夏のよわたる月ぞかくるゝ
p.0855 修理大夫顯季の八條の家にて、人々戀の歌よみけるによめる、
增鏡うら傳ひするかさゝぎに心かろさの程をみるかな
p.0855 貞治七年〈○應安元年〉九月十八日、御前白鵲居レ之、
p.0855 山鵲
狀如レ鵲而烏色有二文采一、白頂白冠、靑項黑頰、赤臆白腹、其尾長白而末有二黑斑一、赤觜赤足、性惡如レ烏、往年自レ華至二長崎一、食不レ應歟、水土不レ遇歟、不レ能二永養一レ之而易レ死、故不二蕃息一也、
p.0855 山鵲
此鳥繪書たる通り見事也、觜赤く頭は淺黃にて、目の下より胸へ黑羽有り、脊淺黃にて大羽の先黑し、足は極亦也、尾の長壹尺五寸計有り、尾持羽短し、行き宜敷そろい、至て奇麗也、鳥の程かけす程可レ有也、繪書たるは蓮雀至而長く見へ候得共、現鳥はれんじやく畫にかいたる程は無レ之、日向國高鍋の城主被二飼置一、後には薩州に出たるといふ事を聞、唐繪抔には此鳥の圖多し、唐に多キ鳥と思ふ也、いかさま貳拾年も過て落たり、
p.0855 山鵲 サンジヤク(○○○○○)〈通名〉 三光チヤウ(○○○○○)〈伯州〉 サンコチヤウ(○○○○○○)〈防州〉 關 東ヲナガ 一名知來烏〈通雅〉 山雀〈典籍便覽〉 山喜鵲〈廣東新語〉
深山高木ニ棲ミ、人聲ヲ聞ク時ハ鳴ク、ソノ聲月日星星ト云ガ如シ、故ニ三光鳥ト名ク、三光鳥ニハ同名多シ、野州日光山ノ三光鳥ノ形狀ハ、大和本草ニ詳ナリ、桑鳸(マメマハシ)ニモ此名アリ、此鳥ハ鵲ヨリ小ク、頭白ク額ヨリ頰下喉ニ至リ黑毛アリ腹白色、背淡紫色、翅淺藍色ニシテ少白斑アリ、尾ハ二羽甚長クシテ五六羽短シ、皆淺藍色ナリ、長毛ハ端白シ、尾ノ裏皆黑白淡靑相間ハル、觜尖リテ赤色末微黃、脚赤色ニシテ爪黃ナリ、目黃赤色ニシテ淡紅郭ナリ、其巢ハ馬尾ヲ集メテ毬ノ如クシ、入口二ツアリ、前後行ヌケニ作ル、尾長クシテ反ルコト能ザル故ナリ、ソノ性猛クシテ鳥モ侵スコト能ハズ、
p.0856 〈さんじやく 尾なが鳥とも三光鳥とも云〉 〈ゑがひ〉 〈生ゑ壹匁五分、あをみ入、粉壹匁、くるみ入、〉
大きされんじやくにちいさくほそし、總身くろるり色にて、目の内あをく、はし淺ぎ、はら白し尾の長さ尺にあまる、囀りよし、三光をさへづる、此鳥よはき類にて、かひ鳥に成がたし、子がひも冬のかん氣をこへがたし、
p.0856 山鳥類 山鵲(さんくわうてう) 〈上野、千住、〉
p.0856 三光鳥
集解、狀似二山鵲一而小、卽烏鳳也、紺碧色、背上帶二赤色一、腹白羽黑而微赤、頂毛亂起如レ鵯、頂上有レ冠、尾二長五六短、長者尺半許、短七八寸二三寸也、雖二長尾一能廻轉入二繁茂之枝間一、其聲淸越圓囀如レ言二日日月星一、故里俗號二三光鳥一、其雌似レ雄色淺、尾短似二鳩之尾一、倶性勇而耿介、育二其雛一時、烏鳶窺レ雛、三光振レ羽拒レ之、若烏鳶不レ去、則忿啄二其眼一、故不レ能レ近レ之、凡營レ巢作薗如レ鞠、綴レ之用二馬尾毛一、似二華人之滿巾一、巢口在二兩端一而圓、性尾長不二自由、入レ巢時入レ自二一口一出二于一口一、此亦性慧可レ嘆耳、今養レ雛長二于籠中一、其美色艶聲最可レ愛、然性弱易レ死、其味不レ佳、故不レ知二氣味之好惡一焉、
p.0857 三光鳥
范成大虞衡志謂烏鳳是也、李時珍曰、能爲二百鳥之音一、必大按雖二鳥語巧一、而非二鸚鵡秦吉了之比一、惟唱日月 一耳、
p.0857 尾長(ヲナガ)鳥
p.0857 一尾長鳥ト云フハサ云ベキ鳥ノアル歟
繪ニオナガ鳥ヲカケバ、サ云フ歟、ツ子ニハオシハカラヒ、カラトリト云フモノヲカキテ、尾ナガキユヘニ、ヲナガ鳥ト云ヒナラハセリ、但常陸國記云、別有レ鳥名二尾長一、亦號二酒鳥(○○)一、其狀頂黑尾長、色似二靑鷺一、取レ雀、而略似二鷄子一、非レ準〈○非準恐誤字〉栖二山野一、亦住二里村一ト云ヘリ、
p.0857 尾長鳥
集解、朕略似二山鵲一而頂純黑如二黑帽一、胸臆白背腹灰色、翅尾友靑、二尾長三尾稍短、長者麗而尾端白者一二寸許、嘴脛灰黑、山中處處有レ之、性雖レ不二躁惡一而不レ靜、其聲短、其飛不レ遠、其味稍好、
p.0857 練鵲(○○) 俗云尾長烏
按、練鵲大如レ鳩、狀似二山鵲一而頂純黑如二黑帽一、胸柹灰色、背靑碧尾長、其中二尾最長一尺許、端白成二團環形一甚美、嘴脛灰惡色、將レ雨時羣飛、其聲短、其飛也不レ遠也、關東山中多有レ之、畿内曾不レ見レ之、俗呼名二尾長鳥一、
p.0857 くはんとう尾なが 〈ゑがひ〉 〈生ゑ四分、あをみ入、粉壹匁、〉
大きさひよ鳥にて、かしら黑く、せはねずみ色にて、尾羽淺黃なり、尾ながき事八九寸、囀り惡し、冬出る、
p.0857 山鳥類 をながどり〈本所雨前に鳴〉
p.0857 鶻嘲、阿左那幾土利(○○○○○○)異名、屈鳩、〈爾雅〉
p.0858 鶻嘲 カムリドリ(○○○○○)
此鳥ハ東印度ノ中アンボンノ地ニ産ス、偶紅毛人將來シ觀場ニ供スルコトアリ、蠻名コローソ〈冠〉ホーゴル〈鳥〉ト云、又コローン〈冠〉ドイへ〈鴿〉ト云フ、形鴿ニ似テ甚大ナリ、眼赤ク觜ノ形鴿ノ如ク、末淡靑ニシテ太ハ微黑色、脚白色ニシテ黑文アリ、魚鱗ノ如シ、背灰色微靑、頂ニ同色ノ毛高ク立チテ、アミガサノ如シ、眼邊深蒼色、羽翮紫色ニ白羽雜レリ、性馴ヤスク、庭樹ニテモ巢ヲ營ト云、飼フニ蜀黍及粳米ヲ以テス、
p.0858 號〈爲驕反、平、鸋鵊保止々支須(○○○○○)、〉 郭公鳥〈保止々支須〉
p.0858 鳥 唐韻云、 、〈藍縷二音、和名保度度木須、〉今之郭公也、 qW 箋注倭名類聚抄
p.0858 按保度度岐須、以二鳴聲一爲レ名、〈○中略〉爾雅翼、今有二郭公鳥者一、名二襤褸鳥一、按嘉祐本草、鶻 、北人呼二 鷜鳥一、其説不レ同、未レ知二孰是一、按本草拾遺云、布穀、江東呼爲二郭公一、爾雅翼云、今有二郭公鳥者一、名二襤褸鳥一、然則 鷜、郭公、皆是布穀、布穀上有二本條一、訓二布布止利一、此別載訓二保度度岐須一非レ是、又按爾雅、嶲周、郭注、子雋鳥、出二蜀中一、説文、雋、周燕也、从レ隹屮象二其冠一也、王念孫曰、今子嶲、毛色慘黑、頭有二小冠一、一如二叔重之説一矣、陳藏器曰、杜鵑鳥小似レ鷂、鳴呼不レ已、李時珍曰、杜鵑出二蜀中一、今南方亦有レ之、狀如二雀鷂一、而色慘黑、赤口、有二小冠一、春暮卽鳴、夜啼達レ旦、鳴必向レ北、至レ夏尤甚、晝夜不レ止、其聲哀切、若レ曰二不如歸去一、田家候レ之、以興二農事一、惟食二虫蠧一不レ能レ爲二巢居一、他巢生レ子、冬月則藏蟄、説文、子嶲鳥、史記曆書、百草奮興、 鳺先 、徐廣以爲二卽子規一、皆是也、是可三以訓一保登登伎須一也、御覽引二臨海異物志一云、鷤䳏一名杜鵑、春三月鳴、晝夜不レ止、至二當陸子孰一、鳴乃得レ止耳、説文又云、一曰、蜀王望帝婬二其相妻一、慙亡去、爲二子嶲鳥一、故蜀人聞二子雋鳴一皆起云二望帝一、又作二 鳺一、史記曆書、百草奮興、 鳺先 、徐廣注、卽子規也、又作二姊歸一、高唐賦云、姉歸思レ婦、李善引二郭爾雅注一、或曰、子規一名姊歸、又作二子規一、廣雅、鷤䳏、鷶 、子規也、鳺俗規字、規猶レ嶲也、御覽引二蜀王本紀一作二子䳏一、華陽國志作二子鵑一、皆聲轉也、鷤䳏又見二漢書楊雄傳一、轉 爲二鵜鴂一、離騒云、恐二鵜鴂之先鳴一兮、王逸注、鵜鴂一名買 、常以二春分一鳴也、漢書注、買 作二買䤥一、鷤䳏、枚乘梁王菟園賦作二蝭蛙一、張衡思玄賦作二鶗鴃一、又轉爲二杜鵑一、御覽引臨海異物志、及本草拾遺有二杜鵑之名一、李時珍亦云、其鳴若レ曰二不如歸去一、是鵑與二子嶲子規鶗䳏催歸諸名一、皆因一其聲一、似下各隨二方音二呼上レ之而已、蜀王望帝之説、固雖レ屬二傳會一、其實爲二俗間所一レ傳、因三啼聲似二人語一也、唯杜甫杜鵑詩云、我見常再拜、重二是古帝魂一、生レ子百鳥巢、百鳥不二敢嗔一、栃爲飯二其子一、禮若レ奉二至尊一、是以二其姓杜一、賦レ此竊有レ所レ寄也、皇國亦有二保土土伎須宇久比須之巢乎加利末久良之俗諺一、相似、又按後漢書張衡傳注引二廣雅一云、鷤䳏、布穀也、不四與下今本廣雅以二鷤䳏一爲中子規上同乙其説甲、蓋誤、然則 鷜鳥郭公訓二保度度岐須一者、襲二是誤一也、
p.0859 時鳥〈ホトヽギス〉 郭公〈ホトヽギス〉 〈藍縷二音、ホトヽギス、〉 ホトヽギス
p.0859 杜鵑(ホトヽギス)〈又云二蜀魄一、又云二子規一、又云二杜宇一、又云二郭公一云云、見二事文類聚一矣、事林廣記呼レ鳩曰二郭公一也、〉 別都頓宜壽(ヘツトトンキス/○○○○○)〈卽杜鵑也、見二十王經一、〉
p.0859 一切衆生臨二命終時一閻魔法王遣二閻魔卛一、一名二奪魂鬼一、二名二奪精鬼一、三名二縛魄鬼一、卽縛二三魂一、至二門關樹下一、樹有二 棘一、宛如二鋒刃一、二鳥栖掌一名二無常鳥一、二名二拔目鳥一、我汝舊里化成二 一示怪、語鳴二別都頓宜壽一、〈此鳥近二呉語一云祈家命鳴〉我汝舊里化成二烏鳥一示レ怪、語鳴二阿和薩加一、〈此鳥遠二呉語一病來將命盡〉
p.0859 郭公〈於二田舍一書レ之〉 田長〈死出山〉 別都頓宜壽〈十王經〉
p.0859 杜鵑(ホトヽギス)〈杜宇、子規、子嶲(キ)、蜀魄、鶗鴂、鶙鴂鷤䳏並同、和俗以二郭公一爲二杜鵑一者誤、〉 買䤥(ホトヽギス)〈同レ上、出二于王商傳一、〉
p.0859 杜鵑(ホトヽギス)〈杜宇、杜主、鷤䳏、周燕、陽雀、催歸、鴛鳥並同、事詳二本草綱目一、〉蜀魄(同)〈事出二蜀王本紀、花陽國志一、〉子規(同)〈事見二代醉、三才圖會一、〉謝豹(同)〈事見二事丈、五雜組一、〉田鵑(同)〈異物志〉鶗鴂(同)〈增韵〉買䤥(同)〈王商傳〉不如歸(同)〈格物論、杜鵑其鳴不如歸去、〉別都頓宜壽(同)〈杜鵑鳴聲、出二十王經一、〉時鳥(同)〈和俗所レ用〉郭公(同)〈和俗又用二此字一、謬來舊、郭公布穀也、〉田長(タヲサ)〈杜鵑一稱、蓋田家候二其鳴一興二農事一、故云レ爾、〉沓代鳥(クツテドリ/○○○)〈本朝俗呼二子規一云レ爾〉四手田長(シデノタヲサ/○○○○)〈本朝俗呼二杜鵑一云レ爾〉
p.0859 杜鵑ほとゝぎす 伊豫國松山邊にてこつて鳥(○○○○)と稱す、是子規一名を沓代(くつて)鳥といふ、くつてこつて縛じたる詞なるべし、
p.0859 郭公爲二鶯子一事 戸部卿談曰、郭公者非レ眞也、負二沓手一タル鳥ノ呼云、保止々岐爪、保止々岐爪止云也、眞實郭公鳥者、隱二居於卯花垣一云、コトゴトシト云也、又萬葉集云、藍縷鳥者鶯子也、昔人宅之樹蔭ニ造レ巢生レ子、漸生長之比近臨見レ之、自レ鶯頗大鳥羽毛漸具ニハ舐二其羽一、卽奇思之間、ホトヽキスト鳴去了云云、
p.0860 郭公 山郭公 ときの鳥(○○○○) しでのたをさ うなひご(○○○○)〈童になるゆへなり〉 つまごひ〈萬、よぶとも云、〉 萬十八、九、依二夏節一喧と見たり、 もとななくとよめるは、わが名をよぶ心なり、萬、いにしへこふる烏とよめり、 橘はやとり也 萬、さ月の玉にぬくまでと云り、是郭公をくす玉にぐせんといへる也、 萬、鶯のかひこの中に一ありと見えたり、ちゝは郭公也、はゝが鶯也、うつゝまこと云り、まこは眞子なり、又卯月にたてばよごもりになく、 さ月まつまはしのびね、又いさりなく、よなきをしつゝなどいへり、 萬、又あみとりといふは、郭公をあみにてとりて、明年夏まづなかせんと云心なり、又萬、朝ざりのやへ山こえてと云、又あふちの枝にゆきてゐばと云り、又萬、をとのかれかにしはつは、さは〳〵ときくもはつときく心也、をちかへりは無二風情一、 はつね 忍びね
p.0860 橘鳥(堀川院異名) 時鳥 くきら(奥義集)郭公
p.0860 時鳥 〈依二夏節一鳴と見えたり〉
初時鳥〈但宗祇法師云、未歌に見えず、連歌にもすまじき也と云々、〉 山時鳥 ときの烏 しでのたをさ たをさ鳥 うなひご鳥〈○中略〉 橘鳥〈藏玉〉 くきら〈同○中略〉 常詞鳥 百聲鳥 よたゞ鳥 玉迎鳥 五露鳥 田歌鳥 早苗鳥 草つく鳥 賤鳥 たそがれ鳥 いもせ鳥 玉さか鳥 鏡暮鳥 うつた鳥 さくめ鳥 めづら鳥 さくも鳥 夕かけとり〈是不審、鷄歟、時鳥ならば夕影歟、○下略〉
p.0860 杜鵑ホトヽギス 倭名抄に唐韻を引て、 鷜はホトヽギス今之郭公也と註せり、ホトトギスとは 鷜の啼聲なり、十王經に見えたり、倭名抄に見えし所の如きは、我國の中世より云 ひつぎし所によりしなるべし、されど 鷜郭公もとこれ一物にもあらず、二鳥またホトヽギスといふ者とも見えず、杜鵑の如きは、此に云ひ傳へし所と、漢に云ひ傳へしところと、相合へる事共あり、杜鵑子規等の字は、古人もまた用ひし所とこそ見えたれ、〈李東璧本草に據るに、杜鵑狀如二雀鷂一、而色慘黑、春暮卽鳴、夜啼達レ旦、至レ夏尤甚、其聲哀切、其鳴如レ曰二不如歸去一、田家候レ之、以興二農事一、不レ能レ爲レ檗、居二他巢一生レ子、冬月則藏蟄と見えしが如き、其形狀相似て、其啼聲も亦相似たり、此にして卯月に來てに夜半に啼くといふが如きは、春暮則鳴、夜啼達レ旦也、しでの田長の朝な〳〵よぶと云ふが如きは、以興二農事一なり、驚のかひ子の中のほとゝぎすと云ふが如きは、居二他巢一生レ子なり、舜水朱氏も、本國の杜鵑は、其聲高くして惨むべし、碧春より啼て、多くは夜啼くと云ひけり、其馨の高低、其候の早晩はあれど、異なるものとは聞えず、唐韻に見えし 鷜は、部爾雅に見えし鶻鵃なり、郭公は爾雅に見えし鳲鳩なり、全是別物なり、其詳なる事をば、東璧本草、通雅、正字通等を倂見るべし、〉
p.0861 ほとゝぎすを時鳥と書事
文選の悲哉行といふ詩に、時鳥多二好音一とあるは春の事にて、春鳴もろ〳〵の鳥を時鳥といへる也、さればほとゝぎすを時鳥とかくも、その鳴ころ然いへるが、つひに名のごとなれるにや、
p.0861 杜鵑〈訓二保度度木須一〉
釋名、郭公、〈古稱〉 、〈源順曰、 今之郭公也、必大按、本邦稱二郭公一者久矣、歌人最言レ之、然布穀一名郭公、今假用乎、杜鵑近二于人家一、布穀非二深山郊野一聞レ之者希、然則歌人所レ咏者似二杜鵑一、不レ知下郭公之名於二二物一其所レ指何是下也、 亦鶻嘲之名、源順引二唐韻一證レ之亦訛矣、萬葉集作二霍公鳥一、亦未レ知二其證據一也、〉
集解、狀類二雀鷂一而色灰黑、腹白有二鷹斑一、翅羽亦有二白斑一、口中純赤、頭有二小冠毛一、脛掌蒼色、其前指二後趾二、與二諸鳥一殊矣^春暮夜夜啼叫達レ旦、至レ夏尤甚、晝夕亦啼叫不レ止而悲切、至二秋初二而聲止、農家候レ之以興二耕稼一、毎覔二虫蠧一而食レ之、不レ能レ營レ巢而生二卵于他鳥之巢一、冬月則藏二蟄于深山中一、凡本邦自レ古爲二哀切之禽一、不レ預二賀慶之事一、是據二亡帝之怨魂一乎、 楚歲時記云、杜鳥初鳴先聞者主二別離一、學二其磬一令二人嘔血一、登レ厠聞レ之不祥厭法但作二狗聲一應レ之、本邦亦言、正月元日早晨登レ厠思二杜鵑一則凶、或曰杜鵑一名死出田長(シデノタヲサ)、以爲二冥土之鳥一、最可レ爲二昏愚一、自レ古歌人聞二初聲一則仍費(シキリニ)二吟情一、覔二新句一也、萬葉集所レ謂鸎之生卵中霍公(カヒコノナカノホトヽギス)、則杜鵑生二卵于鶯巢中一、今亦時見レ之者多矣、然則生二于他鳥巢一者必焉、 肉氣味、甘冷無レ毒、〈有二臊氣一不レ可レ食〉主治、除二痘疹之熱毒一、驅二瘧邪一、殺レ虫故袪二疥癬痔瘻有レ蟲者一也、
附方、痘熱紅陷、〈杜鵑一隻燒作レ霜、三分以二人牙煎湯一送下、〉
p.0862 杜鵑 子規 杜宇 蜀魂 子嶲 鶗鴂 陽雀 怨鳥 周燕 催歸〈○中略〉按〈○中略〉杜鵑狀類二雀鷂一、〈○中略〉季春鳴聲如レ曰二本尊掛歟(ホソンカケタカ)一、〈○中略〉人畜レ之在二樊中一乃不レ鳴、冬月不レ育故難レ蓄、京洛近處多有レ之、以爲二哀愁之鳥一、然歌人喜レ聞二初鳴聲一、此與二歲時記之説一異、
肉〈甘平〉味有二臊氣不レ佳、或云、燒末服レ之、能治二痘疹熱毒一、
p.0862 杜鵑 ホトヽギス ウナヒ〈八雲御抄〉 五露鳥〈古歌〉 イモセドリ トキハドリ イニシヘコフルトリ ヨタヾドリ モヽコヘドリ シヅドリ タヲサドリ タチバナドリ タマムカヘドリ タウタドリ タソガレドリ ウナヒコドリ タマサカドリ ウツタドリ カヾミクレドリ メヅラドリ タカケドリ クキラ クサツクドリシデノタヲサ サナヘドリ サクメドリ サクモドリ アミドリ コヒシドリ クツテトリ〈共同上〉 コツテドリ〈豫州〉 一名鵜鴂〈楚辭〉 鷶 〈廣雅〉 買䤥〈典籍便覽〉 巧婦 鴂〈共同上〉 謝豹〈禽經註〉 田鵑〈臨海異物志〉 觀自在〈淸異錄〉 淵明鬼〈同上〉 姊歸〈楊愼外集〉 射豹〈寧波府志〉 海南烏〈南寧府志〉 歸去藥〈同上〉 撥羊〈八閩通志〉 蜀帝〈事物紺珠〉 催耕鳥〈貴州通志〉 寒火蟲〈訓蒙字會〉 子鴂〈同上〉 杜主〈事物異名〉 蜀魄〈同上〉 思歸藥〈見聞記〉 接召〈郷藥本草〉
古ヨリ郭公ヲホトヽギスト訓ズルハ非ナリ、郭公ハカツコウドリ(○○○○○○)ナリ、ホトヽギス(○○○○○)ハ四五月鳴テ晝夜ヲ問ハズ、初秋ニ至テ止ム、京師市中ニハ多ク來ラズ、稀ニ夜中ニ鳴キ飛ブコトアリ、天台愛宕等高山ニハ甚多シ、關東ニハ殊ニ多ク、庭間ニ巢ヲナスモノアリ、形白頭鳥ヨリ瘦長ク、上觜ハ黑色微靑、下觜ハ淡黑色、吻ハ白シ、額靑黑色頭ハ黑褐色ニシテ淡褐斑アリ、背ハ淡靑色、背後ハ黑褐色、肩翅ホロニ至リ黑褐色、カザキリハ深黑色、喉ハ淺靑色ニシテ、黃褐ノ横斑アリ、胸ト腹ハ 色淡クシテ黑色ノ横斑アフテ、鷹腹斑ノ如シ、尾ハ深黑色ニシテ大白斑三ツアリ、脚ハ淡紅徹黃、前指ニツ後指ニツ、雌ナル者ハ上觜黑色、下觜ハ本淡黃末淺黑色、吻ハ深黃色、額頭深黑褐色ニシテ淺靑ヲ帶ビ、黑色ノ横斑アリ、肩、翼黑色、喉ヨリ胸ニ至リ淡褐色、其下ヨリ尾ノウラニ至リ白色、胸ヨリ腹マデハ黑色ノ横斑アリ、尾ハ黑色ニシテ白斑甚細クシテ四箇アリ、此鳥自ラ巢ヲ營ムコト能ハズシテ、他鳥ノ巢ニ於テ卵ヲ育ス、多クハ柴鶺鴒(ウグヒス)三番子ノ時、ソノ卵ヲ拙シ去リテ、己ガ卵ヲ生ジ置ク、萬葉集ニモウグヒスノカヒコノ中ノホトヽギスト讀メリ、又大ムシクヒ(○○○○○)ト云鳥アリ、形色略相似テ混ジヤスシ、一説ニ大ムシクヒハ杜鵑ノ雌ナリト云ハ非ナリ、
p.0863 杜鵑 餌飼 〈生ゑ壹匁五分、くるみ一ツ、粉萱匁、 當分にしらゑよし〉
大きさ鳩のごとし、鷹のふににたり、あら鳥、かい鳥に成がたし、子がいともに飼にくきるいなり、夏の間に巢子出る、しらゑのさしゑにて飼上るなり、寒氣にはゑびずる多くかふべし、ほとゝぎすの孑ににたる鳥あり、大むしくい、又かつはう鳥、みねかいり、此類よくにたるもめなり、色あさ、く、口中べにのことく赤きを、ほとゝぎすとしるべし、ゆびは何れも二本づゝ前後へふみわけてとまるなり、寒氣をいたみ、其年をこへがたし、
p.0863 時鳥
此鳥四月何國共なく渡り來る、子は鶯の巢へ産落し、鶯是を生立也、七月末より又何國へか行方しれず、此鳥功能あり、第一疱瘡の妙藥也、其夜酒味噌のかわりし時、此羽根をさし置ば、かわりし酒味噌直ると云、尤子供かんの虫の藥にも妙也、至て功能あるもの也、昔時鳥の子飼籠にて啼をばめづらしく覺へしが、今は所々に多く飼置也、めづらしからず、去ながら冬は至つて六ツケ敷鳥也、冬を凌ば飼よきもの也、尤正月より啼する事也、尾羽のきれいなるはなし、餌飼魦にて玉子の黃み入七分餌也、生鱣の皮むきにしたるを細かく切、一日に二度ばかり是を飼べし、
p.0864 杜鵑〈○中略〉
按〈○中略〉杜鵑〈○中略〉不レ能レ營レ巢、窺二鶯之虚巢一借生レ卵、
p.0864 詠二霍公鳥一一首幷短歌
鸎之(ウグヒスノ)、生卵乃中爾(カヒコノナカニ)、霍公鳥(ホトヽギス)、獨所生而(ヒトリウマレテ)、己父爾(シガチヽニ)、似而者不鳴(ニテハナカズ)、己母爾(シガハヽニ)、似而者不鳴(ニテハナカズ)、宇能花乃(ウノハナノ)、開有野邊從(サキタルヌベユ)、飛翻(トビカヘリ)、來鳴令響(キナキトヨモシ)丶橘之(タチバナノ)、花乎居令散(ハナヲ井チラシ)、終日(ヒネモスニ)、雖喧聞吉(ナケドキヽヨシ)、幣者將爲(マヒハセム)、遐莫去(トホクナユキソ)、吾屋戸之(ワガヤドノ)、花橘爾(ハナタチバナニ)、住度鳥(スミワタレトリ)、
反歌
搔霧之(カキヽラシ)、雨零夜乎(アメノフルヨヲ)、霍公鳥(ホトヽギス)、鳴而去成(ナキテヽユクナリ)、 怜其鳥(アハレソノトリ)、
p.0864 菩提樹院といふ寺に、ある僧房のいけのはちすに、鳥の子をうみたりけるをとりて、籠にいれてかひけるほどに、うぐひすのこより入て、ものくゝめなどしければ、うぐひすのこなりけりとしりにけれど、子はおほきにて、おやにもにざりければ、あやしくおもひけるほどに、子のやう〳〵おとなしくなりて、ほとゝぎすとなきければ、むかしよりいひつたへたるふるきこと、まことなりと思ひて、ある人よめる、
親のおやぞいまはゆかしき郭公はや鶯のこは子也けり、とよめりける、萬葉集の長歌に、うぐひすの、かひこの中の、ほとゝぎすなどいひて、このことに侍なるを、いとけふあることにも侍なるかな、藏人實兼ときこえし人の、匡房の中納言の物がたり〈○江談抄〉にかける文にも、中ごろの人、このことみあらはしたることなど、かきて侍とかや、かやうにこそつたへきくことにて侍を、まぢかくかゝることにて侍らんこそ、いとやさしく侍なれ、右京權大夫賴政といひて、歌よめる人のさることありときゝて、わざをたづねきて、その鳥の籠にむすびつけられ侍けるうた、
鶯のこになりにける時鳥いづれのねにかなかんとすらん、萬葉集には、ちゝににてもなかず、はゝににてもなかずと侍なれば、うぐひすとはなかずや有けんなど、いとやさしくこそ申めり しか、
p.0865 杜鵑松 在二四條道場金蓮寺中慶松庵庭一、毎年春末夏初、杜鵑早遷二此松一發レ音、普廣院義敎公毎二春末一枉レ駕聽二杜鵑一、自レ茲號二杜鵑松一、古來倭俗專愛二杜鵑一、愛惡與二中華一異、故春末早聽二其音一爲二口實一、凡嗜二詩歌一人特賞レ之、傾二耳於樹林一也、此外堀河東中立賣西町稱二杜鵑岡一、中古京師人來二斯處一聽二杜鵑一云、
p.0865 杜鵑〈大かた立夏を過てより啼初る、都て江戸の邊はこの鳥多しといへども、とりわけ西の方は樹林繁きが故に、この烏多く又啼事早し、〉
小石川白山の邊〈諺に當國の時鳥は、このわたりゟ啼初るといふ、故に初音の里の名あり、〉高田雜司が谷 四谷邊〈大番町〉 駿河臺御茶ノ水 神田社 谷中 〈芝〉增上寺杜 隅田川の邊 根岸里 根津邊
p.0865 四時遊觀
時鳥 高田の里毘沙門堂の林 寶泉寺
禪英山といふ毘沙門堂は小高き山のうへに有、千とせの松ふもとにいもりが池など、古き跡をとゞめ、新樹は空をとぢてすゞしく、行かふ人おほからで、いと靜なる台林なり、
時鳥 初音の里 小石川白山御殿の舊地の邊を云、指谷町へかけて、此邊山里のかひありて初音はやし、〈○中略〉
時鳥 幸稻荷社 芝切通しのうへ
含海山の峯三緣山の梢、靑葉にふさぎて一聲の二聲にわたる、
時鳥 駿河臺 御茶水の茂み、府内にては此所はやし、
p.0865 昔かやのみこと申すみこおはしましけり、其みこ女をおぼしめして、いとかしこくめぐみつかうたまひけるを、人なまめきて有けるを、我のみと思ひけるを、又人きゝつけて文やる、ほとゝぎすのかたをかきて、 ほとゝぎすながなく里のあまたあればなをうとまれぬおもふものから、といへり、この女けしきをとりて、
名のみ立しでの田をさはけさぞなくいほりあまたとうとまれぬれば、時はさ月になん有ける、をとこかへし、
庵おほきしでの田をさはなほたのむわがすむ里に聲したえずば
p.0866 宮づかひをのみしけるに、時の帝〈○宇多〉めしつかはせ給けり、〈○中略〉男君をぞうみたりけ る、〈○中略〉うみたてまつりし君八ツに成給ふとし、うせ給にければ、いみじうかなしと思にも おろかにおぼゆれば、さらにいひがひなし、〈○中略〉かへるとしの五月の曉、時鳥の鳴を聞て、ひ とりごちける、
しでの山越てきつらん時烏戀しき人のうへかたらなむ
p.0866 圓融院のうへ、うぐひすと郭公と、いづれかまさると申せとおほせられければ、
大納言朝光
をりからにいづれともなき鳥の音もいかゞさだめん時ならぬ身は
p.0866 祭主大中臣輔親郭公讀二和歌一語第五十三
今昔、御堂〈○藤原道長〉ノ大納言ニテ、一條殿ニ住マセ給ヒケル時、四月ノ朔比、日漸ク暮レ方ニ成ケルニ、男共ヲ召シテ御隔子參レト被レ仰ケレバ、祭主ノ三位輔親ガ勘解由ノ判官ニテ有ケルガ參テ、御簾ノ内ニ入テ御隔子ヲ下ス程ニ、南面ノ木末ニ珍ク郭公ノ一音鳴テ過ケレバ、殿ノ此レヲ聞食テ、輔親ハ此ノ鳴音ヲバ聞クヤト被レ仰ケルニ、輔親御隔子ヲ參リサシテ突居テ承ハルト申ケレバ、殿然ラバ遲キト被レ仰ケルニ、輔親此ナム申ケル、
足引ノ山ホトヽギス里ナレテタソガレドキニナノリスラシモ、ト殿此レヲ聞食テ極ク讃サ セ給テ、表ニ奉タリケル紅ノ御衣一ツヲ取テ、打被サセ給ヒツレバ、輔親給ハリテ臥禮テ御隔子ヲ參ハ畢テ、御衣ヲ肩ニ懸テ侍ニ出タリケレバ、侍美コレヲ見テ、此レハ何ナル事ゾト問ケレバ、輔親有ツル樣ヲ語ケルニ、侍共皆聞テ極ク讃メ喤ケリ、
p.0867 長德元年、今年郭公聲不レ絶、尤不吉事也、先々有レ恐、
p.0867 五月の御さうじのほど、しきにおはしますに、ぬりごめのまへ、ふたまなる所を、ことにしつらひしたれば、れいざまならぬもおかし、つゐたちより雨がちにてくもりくらす、つれ〴〵なるを、郭公の聲尋ありかばやといふをきゝて、われも〳〵と出たつ、賀茂のおくになにがしとかや、七夕のわたるはしにはあらで、にくき名ぞきこえし、そのわたりになん日ごとになくと人のいへば、それは日ぐらしなりといらふる人もあり、そこへとて、五日のあした、みやづかさ車のこといひて、北のぢんより、さみだれはとがめなき物ぞとて、さしよせて四人ばかりそのりてゆく、うらやましがりていま一つしておなじくはなどいへば、いなとおほせらるればきゝもいれず、なさけなきさまにて行に、〈○中略〉道もまつりのころおもひ出られておかし、かういふ所にはあきのぶの朝臣のいへあり、そこ、もやがて見んといひて、車よせておりぬ、〈○中略〉雨ふりぬべしといへば、いそぎて車にのるに、さてこのうたはこゝにてこそよまめといへば、さばれみちにてもなどいひて、卯花いみじくさきたるを折つゝ、くるまのすだれそばなどに、ながき枝をふきさしたれば、たゞうのはながさねをこゝにかけたるやうにぞ見えける、ともなるをのこどもゝいみじうわらひつゝ、あじろをさへつきうがちつゝ、こゝまだし〳〵とさしあつむなり、〈○中略〉此車のさまをだに人にかたらせてこそやまめとて、一條殿のもとにとゞめて、侍從殿やおはします、郭公のこゑきゝていまなんかへり侍るといはせたる、つかひ、たゞ今まいる、あがきみ〳〵となんのたまへる、〈○中略〉あへぎまどひておはして、まづ此ーるまのさまをいみじくわらひ給ふ、うつゝの 人ののりたるとなんさらに見えぬ、猶おりて見よなどわらひ給へば、ともなりつる人どもゝ興じわらふ、歌はいかにか、それきかんとのたまへば、いまおまへに御覽ぜさせてこそはなどいふほどに、雨まことにふりぬ、〈○中略〉さてまいりたれば、ありさまなどとはせ給ふ、〈○中略〉いづら歌はととはせ給ふ、かう〳〵とけいすれば、くちおしの事や、うへ人などのきかんに、いかでかおかしきなくてあらん、其きゝつらん所にて、ふとこそよまゝしか、あまりぎしき事ざめつらんぞあやしきや、こゝにてもよめ、いふがひなしなどのたまはすれば、げにと思ふにいとわびしきを、いひあはせなどするほどに、藤侍從の、ありつるうの花につけて、卯花のうすやうに、
ほとゝぎすなくねたづねに君ゆくときかばこゝろをそへもしてまし、かへしまつらんなどつぼねへすゞりとりにやれば、たゞこれしてとくいへとて、御すゞりのふたにかみなどいれてたまはせたれば、宰相のきみかき給へといふを、なをそこになどいふほどに、かきくらし雨ふりて、神もおどろ〳〵しうなりたれば、物もおぼえず、たゞおろしにおろす、〈○下略〉
p.0868 この右のおとゞ〈○源雅定、中略、〉殿上人におはせしとき、いはしみづのりんじのまつりの使したまへりけるに、その宮にて、御かぐらなどはてゝ、まかりいで給けるほどに、まへのこずゑに郭公のなきけるをきゝたまひて、としよりの君の、陪從にておはしけるに、むくのかうの殿、これはきゝたまふやと侍りければ、思ひがけぬはるなけばこそはへめれと、心とくこたへ給けるこそ、いとしもなき歌よみ給たらむには、はるかにまさりてきこえける、四條中納言〈○藤原定賴〉このれうによみをき給けるにやとさへおぼえて、又きゝ給ておどろかし給もいふにこそ侍りけれ、
p.0868 三月つごもりに、郭公のなてをきゝてよみ侍ける、 中納言定賴
郭公おもひもかけぬ春なけばことしぞまたで初音きゝつる
p.0868 新院御卽位同崩御附郭公幷雨禁獄事 今年〈○永萬元年〉ノ夏、郭公京中ニミチ〳〵テ、頻ニ群リ啼ケリ、此鳥ハ初音ユカシキ鳥ナリトテ、スキ人ハ深山ノ奧ヘモ尋入例多キ事ナルニ、今ハケシカラヌ事ナリトテ、人耳ヲ峙ル程ナリケルニ、二羽ノ郭公空ニテ食ヒ合、殿上ニ飛落タリケリ、野鳥入レ室、主人將レ去ト云本文アリ、此レ怪異ナリトテ、二羽ノ郭公ヲ捕テ、獄舍ニ被レ禁ニケリ、
p.0869 新院ほうぎよの事
このやうえんは、ゆうにやさしき人にておはしけり、ある時ほとゝぎすのなくをきいて、
きく度にめづらしければ時鳥いつもはつねの心ち社すれ、といふ歌をよふでこそ、はつねの僧正とはいはれ給ひけれ、
p.0869 承元五年〈○建曆元年〉四月廿九日庚戌、未明、將軍家〈○源實朝〉渡二御永福寺一、相模太郎殿候二御共一給、其外範高、知親、行村、重胤、康俊等也、上下爲二歩儀一、是於二此所一、昨朝聞二郭公初聲一之由、依レ有二申之輩一也、至二林頭一、數刻雖二令レ待レ之給一、無二其聲一之間空以還御、
p.0869 う月のすゑになりければ、ほとゝぎすのはつねほのかにもおもひたえたり、人づてに聞ば、ひきのやつといふ所にあまた聲なきけるを、人きゝたりなどいふをきゝて、
忍びねはひきのやつなる郭公雲ゐにたかくいつかなのらん、などひとり思へども、そのかひもなし、もとより東路はみちのおくまで、昔より時鳥まれなるならひにやありけん、ひとすぢに又なかずはよし、稀にもきく人ありけるこそ、人わきしけるよと、心づくしにうらめしけれ、
p.0869 女の物いひかけたる返事、とりあへずよきほどにする男は有がたきものぞとて、龜山院の御時、しれたる女房ども、わかき男たちの參らるゝごとに、郭公やきゝ給へると問て、心見られけるに、なにがしの大納言とかやは、數ならぬ身はえきゝ候はずと答られけり、堀河内大臣殿〈○源通成〉は、岩倉にてきゝて候ひしやらんと仰られたりけるを、是は難なし、かずならぬ身むつかし など定あはれけり、
p.0870 元亨二年四月廿六日癸亥、今日郭公滿レ耳、朕於二隱所一聞レ之、世俗近古以來忌レ之、可二祈禱一之由、女房等諷諫、未レ聞二本説一、不レ見二由緖一、太以不レ足二信用一、凡近來凡俗多如レ此諱忌、是倂愚迷之甚也、信二恠誕之説一非二聖人之旨一、朕所レ不レ取也、仍不二許容一、如二天變地妖一者、本文所指有レ所レ象、而猶聖人不レ爲二本説一、至二如レ此末事一、太以不レ足レ言、縱雖レ實妖不レ勝レ德、不レ足レ畏レ之、
p.0870 杜鵑〈○中略〉 楚歲時記云、杜鵑初鳴、先聞者主二別離一、登レ厠聞レ之不祥、今按カヤウノ俗説ヲ日本ニ傳聞、杜鵑ノ聲ヲ厠ニテキクヲ忌ハ、拘忌ノ説ニ遼へル也、子規ノ聲、本邦ノ人ハ好レ聞、中華ノ人ハ惡レ聞、唐詩ト和歌ニ見エタリ、是和漢ノ好惡異レリ、或曰、中夏ノ杜鵑ノ聲悲シ、
p.0870 貴人之行跡
河内の國に交野といふ所あり、かた野の御狩とかけるこれなり、彼領主に大塚彦兵衞とかやいふて、あたりまで崇敬の人ありき、宗祗と入魂他にことなり、卯月のはじめつかた、祗公たちより給ひ休息のほどありし、いろ〳〵風流の物語に時うつりて、なにと祗公はいまだ郭公のはつ音をば聞給はぬや、いな夢にだもおとづれずとあり、大塚さらばわれ發句を仕なかせんとて、
なけやなけわが領内の郭公とあれば、祗公の脇に、
孫子をつれてなけ時鳥、第三をする人なし、迚の事にさた候へとあれば、又祗公、
とにかくに御意にしたがへ郭公、時にあたり人の心をやぶらんは、興さめて見えぬべし、祗公のあいさついたされるかな、
p.0870 十四日、〈○天正十五年七月〉こよひの玉祭の手向などかまへをかれけるに、又時鳥の二こゑ三聲なけるを、爰には〈○安藝嚴島〉いつもかやうに有かと尋ねしに、めづらしき事なりと云、一首をよみてつかはしける、 しでの山をくりやきつる郭公玉まつる夜の空に鳴なり
p.0871 郭公
大永の頃、宗祗弟子宗長といふ人書ける書に、八月中旬の頃まで、子規晝夜となく鳴きければ齋非時にもたへかねて、
聞くたびに胸わろければ郭公返吐とぎすとそいふべかりける
又山崎宗鑑が
かしがましこの里過ぎよ郭公都のうつけさぞやまつらん
貞丈曰く、郭公の聲は愁はしく物淋しき音なり、されば好みて聞くべき物にあらず、鶯の聲とはいたく異なり、唐詩などには、此聲を聞きて愁情を生じ、故郷を思ひいだし哀しめる意を作れり、實にさこそあるべき事なれば、歌には時鳥を待ちかね、野山に出でゝ尋ねありき、又初音をば命にかへてもきかまほしき意をよみ、人より先きに聞く事をほまれとし、實に風雅の事にあらず、俗情なる人といどみあらそひて、其音を人より先に聞きて、愁はしくも悲しくも聞きなさゞるは、其音に感ずる心もなく、いどみあらそふうかれ心のさわがしきなり、宗鑑が都のうつけさぞや待つらんといへるは、子規の音聲をよく聞きしるものとやいはんといはれたり、彦麿云く、師翁の説實にさる事なり、されど愁はしくもゆかしくもおもしろくもかなしくも、聞きなす人の心の喜怒哀樂に隨ひて、いかにも聞きなさるゝ物なれば、あながちに愁はしきのみにもあらず、曙の空のけしきたゞならぬに、一聲鳴きて過ぎ行くゆふぐれの村雨のはれ間に、名のり出でたるなど、むげに愁はしく、いまはしくは聞きなされず、されど近きほとりの木にやどりて、鳴きかはすはかしましく、逆上するのみにて、愁はしくはなし、一とせ芝切通しに住ひしけるころ、あまたの時鳥、金地院山内の樹木に宿りて、終日をりはへてたれかまさると鳴きたつるに、困じはて てかしらいたきこゝちしたり、
p.0872 禁中無二蜥蜴一事〈付子規事〉
後桃園院仰せられけるは、〈○中略〉去年の夏、女御方の内へ渡御ありしに、子規の木にゐしを間近く御覽ぜらるとそ、この鳥宮中に集まる事このましからず、ともにめづらしき事なり、
p.0872 讃岐國阿野郡白峯山には、崇德天皇の御廟御陵等あり、〈○中略〉一年遊歷の時(をり)から此に逗留して、寺記及び種々の説話を聞り、此時郭公の落文といへるを、里人より得たり、其品樫あるひは栗などの葉の如きを以て、堅く卷たるが、何さま文の形せしものにして奇なり、按ずるに彼蓑虫の如き虫の、木の葉を卷て中に蟄し巢となしたる者ならんか、爾有を時鳥の餌と爲んとて咥へて飛行、遏つて落せる者なるべく思へども、里人の云く、往古崇德天皇此國に左遷の時、年毎の夏、蜀魂來つて啼音づるゝを聞し召、頻りに都の事を思ひ出し給ひて、歎かせ給ふ餘り、啼ばきく聞ば都ぞ慕はるゝ此里すぎよ山杜鵑、と御製ありしより、子規音をとゞめて更に啼ず、翌る年の夏よりして、年毎に來ると雖も聲を發さず、音づれ奉りし印にして、此文を落し置ける、其例により今も猶御廟の邊には、必ず夏毎には許多ありと語れり、御いたわしくも最哀れなる物語なり、然れども此説に似たる事、佐渡國なる順德帝にもありて、其是非をゑらず、因に云、南都の二皓亭故松壽、〈奈良人形師〉一年の夏の夜、杜鵑一聲發せしと思ふと、其儘向ふなる藏の壁に崎(あたつ)て死し地に落たり、壁白くして鳥の目に見紛ひしにや不便なりと、頓て其地に至つて、死せし鳥を携上(とりあげ)見るに觜を堅く閉たり、父なる人是をひらき見るべし、必ず血を含めりと有に、觜を幸ふじて開きたるに、鮮血夥しく出て膝を汚せり、啼て血を吐といへるは、是等の事ならんかと語られし、
p.0872 中宮の御をぢ左大臣
うぐひすと ほとゝぎす 梅がえにさへづる春のあしたよりなほめづらしきほとゝぎすかな
p.0873 鶯鵑爭奇
某年四月某日、陽軒主人開二南榮一、倚二淨几一、愛二夏日之長一、待二凱風之吹一、時聞三杜鵑殘鶯交二啼於庭樹一、毛穎子進曰、主人解二二鳥語一乎、曰我非二冶長一何爲解レ之、穎曰、我爲二主人一記レ之、曰諾、〈○中略〉
鵑叫曰、〈○中略〉我元是蜀帝魂也、其先出レ自二黃帝一、經二夏殷周一以至二杜宇一、號二望帝一、大開二蜀地一、旣而得二鼈令一爲レ相、以レ有下鑿二巫峽一通レ水之功上、而禪二其國於彼一遂自隱焉、其德之高、竊比二舜禹之禪繼一、且夫漢高之洪業、起レ自二巴蜀一、昭烈之垂統、峙二鼎足之勢一、皆是我之餘風也、故化爲レ鵑、寄二巢於群鳥一、無二敢嗔者一、皆爲餧哺、況我卵雖レ入二汝巢一、能奉二養之一乎、猶不レ失二至尊之義一、有レ守二君臣之禮一乎、汝自下負爲二詩人一被上レ稱、其詩人無下過二於子美一者上未レ聞子美見レ汝常再拜、然則汝何望レ我乎、幸免二海棠花下之金彈一、謹勿多言一也、鶯丁寧語曰、〈○中略〉司空曙謂養レ雛不レ能二自哺一、亦足レ爲二愚蒙一、若以爲二至尊一、則鳩拙不レ能レ營レ菓、亦是帝魂乎、唯恐被二鼯鼠笑一也、且夫望帝化レ鵑許叔重始言レ之、其眞僞何以證レ之乎、唯是尋常微細物乎、未レ可レ知也、我曾頡二頏於禁苑一、唐帝呼爲二金衣公子一、其名旣顯重、且黃袍者天子之服、而宋祖之所レ著也、是我生而貴也、況爾雅謂二皇黃鳥一、以レ皇爲二我名一、若假爲二美稱一、則其尊不レ可レ加焉、所四以非三望帝之所二能及一也、子美之再拜者、蓋其比興之一端有レ所レ託乎、非二汝之所一レ知焉、然汝以二彼之所一レ言爲レ榮乎、孰二與我被一レ載二於國風小雅一歟、旣不レ見二於經一、則何與レ我相抗乎、宜レ緘レ口、貴人庭樹之金彈不レ可レ饒殆哉、〈○下略〉
p.0873 幸二〈○持統〉于吉野宮一時、弓削皇子贈二與額田王一歌一首、
古爾(イニシヘニ)、戀流鳥鴨(コフルトリカモ)、弓弦葉乃(ユヅルハノ)、三井能上從(ミイノウヘヨリ)、鳴渡遊久(ナキワタリユク)、
額田王奉レ和歌一首
古爾(イニシヘニ)、戀良武鳥者(コフラムトリハ)、霍公鳥(ホトヽギス)、蓋哉鳴之(ケダシヤナキシ)、吾戀流其騰(ワガコフルゴト)、
p.0873 獨居二幄裏一遙聞二霍公鳥喧一作歌一首幷短歌 高御座(タカミクラ)、安麻能日繼登(アマノヒツギト)、須賣呂伎能(スメロギノ)、可未能美許登能(カミノミコトノ)、伎己之乎須(キコシヲス)、久爾能麻保良爾(クニノマホラニ)、山乎之毛(ヤマヲシモ)、佐波爾於保美等(サハニオホミト)、百鳥能(モヽトリノ)、使居氏奈久許惠(キイテナクコエ)、春佐禮波(ハルサレバ)、伎吉能可奈之母(キヽノカナシモ)、伊豆禮乎可(イヅレヲカ)、和枳氐之努波無(ワキテシヌバム)、宇能花乃(ウノハナノ)、佐久月多氐婆(サクツキタテバ)、米都良之久(メヅラシク)、鳴保等登藝須(ナクホトヽギス)、安夜女具佐(アヤメグサ)、珠奴久麻泥爾(タマヌクマデニ)、比流久良之(ヒルクラシ)、欲和多之伎氣騰(ヨワタシキケド)、伎久其等爾(キクゴトニ)、許已呂宇呉枳氐(コヽロウゴキテ)、宇知奈氣伎(ウチナゲキ)、安波禮能登里等(アハレノトリト)、伊波奴登枳奈思(イハヌトキナシ)、〈○反歌略〉
右四首、十日、〈○天平感寶元年五月〉大伴宿禰家持作レ之、
p.0874 延曆十五年四月丙寅、曲宴庭、酒酣、上〈○桓武〉乃歌曰、氣左(今朝)能阿沙氣(朝明)、奈呼(啼)登以(云)非都留、保登登(郭公)擬須、伊萬(今)毛奈可奴加、比登(人)能綺久(聞)倍久、
p.0874 弘仁四年四月甲辰、幸二皇太弟○淳和南池一、命二文人一賦レ詩、右大臣從二位藤原朝臣園人上レ歌日、祁布能比乃、伊介能保度理爾、保止度支須、多比良波知與止、那久波企企都夜、天皇和曰、保度止伎須、那久己惠企介波、宇多奴志度、度毛爾千世爾度、和禮母企企多理、大臣儛踏、雅樂寮奏レ樂、賜二五位以上衣被、及諸王藤氏六位已下、幷文人等綿二各有レ差、
p.0874 はやくすみける所にて、郭公のなきけるをきゝてよめる、 たゞみね
むかしべや今も戀しき時鳥故郷にしも鳴てきつらん
p.0874 題しらず 藤原敏行朝臣
いくばくのたをつくればか郭公しでのたをさ(○○○○○○)を朝な〳〵よぶ
p.0874 郭(顯注)公はしでの山より來て、農をすゝむる故に、しでのたをさといへり、○中略但しでの田長を朝な〳〵よぶといふは、しでのたをさとは郭公にはあらで、別の物ときこえたり、いかでみづからの名をよぶべき、〈是迄顯注〉伊物に、名のみたつしでのたをさはけさぞなく、此しでのたをさは郭公也、〈○中略〉此いくばくの歌もおなじ心にや、しかればしでのたをさとは郭公の異名にて、賎の田長をよぶとは、只賎の事をいふなるべし、
p.0875 まつりのころぞいみじうをかしき、〈○中略〉すこしくもりたる夕つかた、よるなど、しのびたるほとゝぎすの、とほうそらみゝかとおぽゆるまで、たど〳〵しきをきゝつけたらん何ごゝちかはせん、
p.0875 鳥は
郭公は猶さらにいふべきかたなし、いつしかしたり顏にもきこえ、歌に卯花はな橘などにやどりをして、はたかくれたるもねたげなる心ばへなり、五月雨のみじか夜にねざめをして、いかで人よりさきにきかんとまたれて、夜ふかくうちいでたるこゑのらう〳〵じふあいぎやうづきたるいみじうこゝろあくがれせんかたなし、みなづきになりぬればをともせずなりぬる、すべていふもおろかなり、よるなくものすべていづれもいづれもめでたし、ちごどものみぞさしもなき、
p.0875 まつりのかへさいみじうおかし、〈○中略〉日は出だれど、空は獪うちくもりたるに、いかできかんと、目をさましおきゐてまたるゝ郭公の、あまたさへあるにやときこゆるまでなきひゞかせば、いみじうめでだしとおもふほどに、鶯の老たる聲にて、かれにせんとおぼしくうちそへたるこそ、にくけれどまたおかし、
p.0875 高野山にほとゝぎすの歸後れたるが、木の節穴などにかゞまり居て、やゝさむくなるときは、得動かず、餌ばみももとより得せぬを、雀がつどひて餌をあたへ、來るとしの夏に及ぶまで養ふ、いと不思議なることにて、これを雀のほいとゝいふ、ほいとは乞食のことにて、雀のための食客といふことゝぞ、しかるに其邊の山賤ども、夫を探出て燒鳥などにして食ふは、甚だ惡むべし、其情雀にだにしかずといはんと、和田泰順醫生の話なり、
p.0875 蟲喰鳥 狀全似二杜鵑一而色灰白、掌指亦同、但口中黃而無レ聲、凡杜鵑上レ樹啼時、其樹邊必有二無聲杜鵑一、此則蟲喰也、故世俗以爲二杜鵑之雌一、果然乎、其味亦輿二杜鵑一不レ異耳、
p.0876 蟲喰鳥
按、虫喰鳥狀似二杜鵑一、〈○中略〉蓋淸少納言曰、鶯至二夏秋之末一老聲鳴時、名二之蟲喰一云々、此説非也、非二鶯之老者一、少似レ鶯而多似二杜鵑一、
p.0876 大むしくひ(○○○○○) 〈ゑがひ〉 〈生ゑ八分、あなみ入、粉壹匁、〉
大きさひよ鳥に大きし、毛色ほとゝぎすににて黑し、あら鳥かいがたし、子がいも其年をこしがたし、
鶯むしくひ(○○○○○) 〈ゑがび〉 〈生ゑ壹匁、あをみ入、粉壹匁、〉
大きさ鶯の半分ちいさし、毛色鶯ににたり囀りよし、秋のすゑに出て春また少しあり、よはきるいにて、かんきにいたみそのとしこしがたし、
めばち虫くひ(○○○○○○) 〈ゑがひ 右同斷〉
大きさうぐひすに小ぶり、毛色うす黑くあをみあり、總身ねずみ色にふ有、さへづりほそし、秋の末より冬まで出る、かい鳥の下品なり、
たかむしくひ(○○○○○○) 〈ゑがひ〉 〈生ゑ壹匁、あをみ入、粉壹匁、〉
大きさめばちに大ぶり、毛色めばちににてふあらく、きれいなり、囀りほそく、諸事めばちにをなじ、
島鴐(むしくひ/○○) 〈ゑがひ 右同斷〉
大きさたかむしくひ、毛色あかみ有、さへづりほそし、
せんだい虫くひ(○○○○○○○) 〈ゑがひ 右同断〉 大きさ鶯むしくひに似て、そうたいよくにたり、き色のまゆきつはりと有、かしらに又黃色のすぢあり、諸事うぐひすむしくひ同前、
p.0877 山鳥類 むしくひ〈千住、竹の塚、〉
p.0877 みねかいり 〈ゑがひ〉 〈生ゑ壹匁、あをみ入、粉壹匁、〉
大きさひよ鳥に大ぶり、總身くろくはら白し、黑きふ有、ゆび二本づゝ前後へふみわけ、ほとゝぎすににたり、
p.0877 蚊母鳥かつこうどり(○○○○○○)〈俗かんこ鳥(○○○○)共いふ〉甲州にて豆うへどり(○○○○○)と云、東國にて豆まき鳥(○○○○)ともいふ、
p.0877 加津古宇鳥
狀似二蟲喰一而帶二赤色一、腹白無二黑斑一、其掌亦二前指二後趾、其聲大而圓吭、仲夏後有レ聲、秋後聲止、與二布穀一同、故或謂布穀之類也、然掌指非二鳩類一而蟲喰類也、毎棲二山林一不レ近二人家一、其味稍好、而不レ足レ爲レ佳也、
p.0877 蚊母鳥(カツコウトリ)〈ツヽドリ〉俗ニカンコドリト云、又カツコウドリト云、山中ノ木ニ止リテナク、其聲カツコウト云、春夏ナク、予〈○貝原篤信〉處々民俗ノ言ヲ聞シニ、杜鵑ノ雌也ト云ヘリ、其聲不レ喧閑寂ナリ、其ナク時杜鵑ニ同ク、其形モ似タリ、其音不レ同トイヘド毛、其風韻同ジ、虫クヒ鷹ニ似タリ、或曰ヨダカノ類ナルベシ、或曰鳲鳩是カツコウ鳥ナルベシ、
p.0877 鳲鳩 カツコウドリ カンコドリ カツコドリ ムギウラシ(○○○○○)〈讃州〉
アワマキドリ(○○○○○○○)〈伯州〉 マメウヘドリ〈甲州〉 マメマキドリ〈東國〉 カツポウドリ〈水戸西國〉 一名秸鞠〈埤雅〉 搏黍〈同上〉 〈韻府〉 拙鳥〈禽經註〉 護穀〈典籍便覽〉 搏穀〈同上〉 擊穀〈事物異名〉 看蠶看火鳥〈戒菴漫筆〉 郭公鳥〈同上〉 布谷〈通雅〉
此鳥四月時分ニカツコウト鳴ク、聲甚高ク淸ミテ山谷ニ震響ス、卽郭公ト自呼ブナリ、俗誤テカ ンコドリト呼ブ、此鳥深山ナラデハ居ラズ、故ニ俗諺ニ幽閑ナルコトヲカンコドリ鳴ト云フ、然ルニ古ヨリホトヽギスヲ郭公ト書スルハ非ナリ、鳲鳩ノ形鷂(ハイタカ)ニ似テ大サ鳩ノ如シ、尾長ク目ハ鷹ニ似テ淡黃褐色ナリ、郭公ハ淡赤ニシテキザアリ、觜黑ク下ノ本黃色末尖リテ鳩ニ似ズ、脚ハ黃色ニシテ赤皺アリ、ソノ指前二後二、ソノ爪尖テ黑シ、全身黑文灰黑雜ル、吻ト腹ハ淡黃ニシテ白黑文アリ、喉下ハ微ク淡黑ヲ帶ブ、尾ヅヽ赤褐色ニシテ端淡靑色、尾ハ灰赤ニシテ白點アリ、尾ノ端白シ、農夫此鳥ノ鳴ヲ聞テ、豇豆(サヽゲ)粟等ヲ下種スルノ候トス、此鳥形大ナレドモ、柴鶺鴒(ウグヒス)又ホジロノ巢ニテ子ヲ育ス、又一種佐州ニテカツコウドリト呼ブ者ハ、形小クシテ伯勞(モズ)ニ似タリ、觜モ大抵似タレドモ末曲ラズ、其尾微長ク頭背肩共ニ淡赤微黑色、咽胸腹ハ白色、翅尾共ニ黑色、脚ハ黃赤、其指亦前後各二、フミ分テ啄木(キツヽキ)ノ如ク、其飛ブコト最疾シ、是八閩通志、福州府志ニ、郭公頭尾黑而身赤、一名赤鳥ト云、泰順縣志ニ、郭公身赤頭尾黑、ト云フモノナリ、又鳲鳩ヲツヽドリト訓ズル説アリ非ナリ、
p.0878 かつほう鳥(○○○○○) 〈ゑがひ〉 〈生ゑ壹匁、あをみ入、粉壹匁、〉
大きさみねかいりに同じ、總身ねずみくろし、さへづり大おんなり、かい鳥に成がたし、大むしくひ、ほとゝぎす、みねかいりがつほう、何れもまぎらはしくにたるものなり、よはきたぐひにて、冬をこしがたし、
p.0878 かつかう鳥 〈一名大虫喰(○○○○○)と云〉
此鳥春より五月頃迄、江戸在にて産巢して啼なり、勿論子も親も其節出るもの也、籠の内にては野にて鳴やうには啼ざる鳥也、よつて人々あまり賞翫せざる鳥也、尤頰白の巢へ玉子落し、頰白に生立さするなり、餌飼時鳥と同斷、
p.0878 布穀鳥兼名苑云、 、一名鴶鵴、〈虚葛吉菊四音、和名布々土利(○○○○)、〉布穀也、
p.0879 按今俗呼二加久古宇鳥(○○○○○)一、是鳥鳴云二加久古不一、見二高光日記一、〈○中略〉按爾雅云、鳲鳩、鴶鵴、郭注云、今之布穀也、是注文所レ本、陳藏器曰、布穀似レ鷂長尾、牝牡飛鳴、以レ翼相拂、六書故云、其聲若レ曰二布穀一、故謂二之布穀一、王念孫曰、身灰色、翅末尾末並雜二黑毛一、以二三四月間一鳴也、郝懿行曰、農人候二此鳥之鳴一、布二種其穀一矣、又按鴶鵴、詩毛傳作二秸鞠一、説文作二秸 一、字異音同、又詩鄭箋搏穀、方言結誥擊穀、爾雅注、獲穀布穀、本草拾遺撥穀郭公並同、皆因二其聲似一而呼レ之也、
p.0879 布穀鳥つゝどり(○○○○)〈いにしへふゝどり〉 伊豆駿河邊にてすみだ鳥(○○○○)と云、〈土人のいはく、此鳥鳴頃田の水澄とぞ、〉
p.0879 布穀鳥〈訓二布布止利一、今稱二豆豆止利一、〉
集解、狀似レ鳩而蒼灰色帶レ黃、毎鳴相呼而不二相集一、天氣晴和則最鳴、此亦不レ能レ營レ巢、而居二樹穴一、毎棲二田舍之林篁一、穀兩後有レ聲、夏至後乃止、田家所レ謂豆豆鳴而下二雜穀種一、江東俗聽二此鳥聲一、而後種二角豆一、然則布穀之名爲二相當一焉、其味稍佳、炙食亦好、然不レ爲二上饌一、
肉、氣味、甘温無レ毒、主治、安レ神定レ志少レ睡、
p.0879 布穀
卽鳴鳩也、鴶鵴、獲穀、郭公亦一種也、鷹爲レ鳩、鳩爲レ鷹、或鸇爲二布穀一、又三子一爲レ鸇之事並未レ詳、他日尋一問、山中人一而可レ曉耳、
p.0879 鳲鳩(○○) 布穀(○○) 郭公(○○)、此三ハ一物也(○○○○○○)、本草似レ鷂長尾、大如レ鳩而帶二黃色一、啼鳴相呼而不二相集一、不レ能レ爲巢云云、此鳥日本無レ之歟未レ詳、鳩類ナり、トシヨリコヒ(○○○○○○)ト訓ズルハ非ナリ、
p.0879 鳲鳩 布穀 獲穀 郭公 鴶鵴 和名布布止利〈○中略〉
按、布穀鳥、石州藝州多有レ之、二月至二五月一有レ聲、其鳴也如レ言二豆豆豆豆一、田家此鳥鳴卽下二雜穀種一、江東亦種レ豆、〈稱二末女末(○○○○○○)む木止利一〉俗以二郭公一爲二杜鵑一、考甚謬也、
肉〈甘温〉安レ神定レ志
p.0880 鳲鳩〈○中略〉
ツヽドリハ古名フヽドリ、〈和名鈔〉一名ナハシロド(○○○○○)リ、〈播州〉ムギウラシ(○○○○○)、〈土州〉スミタドリ(○○○○○)、〈豆州、駿州、鳴時田水淸故也、〉ヨブコドリ、古歌大サ鴿ノ如、背黑ク小白點アリ、鳴聲竹筒ヲタヽクガ如シ、
p.0880 筒鳥
此鳥も五月頃江戸在にてよく鳴鳥也、此類虫喰とて、かつこうつゝどりといへ共、みな虫喰故、人の賞翫せざるもの也、飼方は右同斷、〈○餌飼魦にて玉子の黃み入、七分餌也、生鱣の皮むきにしたるを細かく切、一日に二度ばかり是を飼べし、〉
p.0880 寂蓮法師
これも又さすがにものぞあはれなるかた山かげのつゝどりのこゑ
p.0880 鳥の中には、〈○中略〉侍大將には〈○中略〉つゝ鳥、
p.0880 寄レ物陳レ思
白檀(シラマユミ)、斐太乃細江之(ヒダノホソエノ)、菅鳥乃(スガトリノ)、妹爾戀哉(イモニコフレヤ)、寢宿金鶴(イヲネ カネヅル)、
p.0880 菅鳥といふもしられず、〈○中略〉菅は管の誤歟、集中つゝ鳥とよある有と、翁〈○賀茂眞淵〉はいはれき、猶考ふべし、
p.0880 仁安二年歌林苑歌合水鳥 祐盛法師
いづかたもおなじうきねをなにとかはうらわたりするさよのすがとり(○○○○)
p.0880 獵子鳥又云臘觜鳥〈阿止利(○○○)〉
V 倭名類聚抄
p.0880 獦子鳥 辨色立成云、臈觜鳥、〈阿止里、一云胡雀、〉楊氏漢語抄云獦子鳥、〈和名上同、今按兩説所レ出未レ詳、但本朝國史用二獦子鳥一、又或説云、此鳥群飛如三列卒之滿二山林一、故名二獦子鳥一也、〉
p.0880 按日本書紀、欽明天皇皇子、有二臘雌鳥皇子一、古事記作二足取王一、則阿止利之名、自レ古有レ之、非二俗語一也、〈○中略〉按蠟觜鳥、觜色黃白如レ蠟、故名二蠟觜一、其獦子、﨟觜、﨟子、皆是假借耳、如二列卒一 之説、依レ文生レ義、不レ可二據信一、按蠟觜見二夢梁錄一、李時珍以爲二桑鳸一名一、按桑鳸卽以加流賀、
p.0881 臈觜鳥〈アトリ〉 獦子鳥〈同、一云胡雀、〉 〈アトリ〉 鴑〈アトリ〉
p.0881 臈 〈アトリ〉
p.0881 獦子鳥〈訓阿二止利一〉
集解、獦子大如レ雀、頭頸灰靑色有二黑斑一、領觜黃赤、背蒼黑帶レ赤有二黑斑一、臆腹赤色帶レ黑、腹下黃白、翅尾黑、脚黃赤色、好成レ群、而不レ知二幾千百一、蔽レ地掠レ天而飛、故日本紀曰、天武帝七年、臘子鳥蔽天、後世亦有之、以爲二天變一焉、今捕レ之者爲レ媒誘レ地、以レ網打而捕レ之、一擧數百、其味苦不レ佳、
p.0881 獦子鳥
源順和名曰、胡雀故或謂陳藏器曰、突厥雀生二塞北一、狀如レ雀而身赤、此鳥亦胸腹赤色、自レ古群飛蔽レ天則必有レ災、故歷史記レ之、恐是突厥雀歟、突厥亦胡國、而胡雀之名亦相當矣、必大按、突厥雀出二于唐書一、高宗時、突厥犯レ塞、有二鳴鵽一群飛入レ塞故名、爾雅鵽鳩冦雉也、冦者奪冠之義也郭璞曰、鵽鳩大如鴿、形似二雌雉一、然則鳩類也、據二陳氏説一則似二獦子胡雀之類一、據二郭氏説則甚殊矣、今倂考レ之、爾雅莊周張華郭璞所レ言倶鵽鳩、李時珍亦從レ之、此非二胡雀一者明矣、陳言レ似レ雀者非乎、
p.0881 花鷄 和名獦子鳥(アツトリ/○○○)、其形大如レ雀、其色多赤黃黑白斑點、此鳥數十爲レ群來、或棲レ樹或壓二城壁一死、故俗語人以二進退躁卒失一レ度、謂レ如二火鷄投一レ火是也、
通州志云、花鷄秋日來レ自二海東外一、大者名二麻鷄一、
p.0881 粒餌小鳥の分 何にても水を入る
あつ鳥 〈ゑがひ〉 〈右同断○きび、あは、ひゑ、米、すりゑ四分ゑよし、〉
大きさすゞめに大ぶり、毛色黑白かば色まじはり、見事成鳥なり、年を重ねていよ〳〵見事なる鳥なり、然れども囀りなく、多き鳥にてかひ鳥の下品なり、
p.0881 七年十二月己卯、臘子鳥(アトリ)敝レ天、自二西南一飛二東北一、 九年十一月辛丑、獵子鳥敝レ天、自二東 南一飛、以度二西北一、
p.0882 久爾米具留(クニメグル)、阿等利加麻氣利(アトリカマケリ)、由伎米具利(ユキメグリ)、可比利久麻氐爾(カヒリクマデニ)、已波比氐麻多禰(イハヒテマタネ)、
右一首、刑部虫麻呂、〈○天平勝寶七歲所レ差駿河國防人〉
p.0882 一鳥の群 寬政八九年の頃なりしや、嵯峨野に蠟觜鳥(ろふしてう)多く集り、木毎にむれゐること、一樹百二百羽にくだらず、山多く樹茂りたる處なれば、いづくを見ても、此鳥ならぬ所もなかりしかば、京より見に行く人多くて、茶酒の店などもこゝかしこに設くるほどの事なりしよし、六如上人より吿知らせらる、其より四五年も後なりしや、吾郷備後神邊(かんのへ)に、うそ鳥多く來り、予〈○菅茶山〉が庭の樹竹軒ちかき枝まで、この鳥ならぬ處もなかりし、かの蠟觜鳥も、その年の前後に、常より多かりし事もなかりしとなり、予が郷里のうそ鳥もしかり、山中雪ふりければ、鳥多く里に出るといへども、其歲わきて雪多くもあらざりし、さらば此鳥のみ多くもあらざるべきに、
p.0882 鵯〈俾彌反〉又有レ鸄、〈音鼓歷反、貌似レ烏而色蒼白也、出二崔禹一、〉和名、比衣止利(○○○○)、
p.0882 鵯 崔禹錫食經云、鵯〈音卑、一音匹、和名比衣土里、〉貌似レ烏而色蒼白者也、爾雅集注云、鵯一名鸄〈音激〉一名鵯鶋、〈匹居二音〉一名鸒䳢、〈譽斯二音〉飛而多レ群、腹下白者、江東呼爲二鵯烏一、
p.0882 按本草和名所レ擧鵯、卽鵯鶋、鵯鶋鸄二物不レ同、爾雅兼擧二二鳥一、下文詳引レ之、故輔仁云二鵯俾彌反又有一レ鸄、則鵯鸄非二一物一、蓋以二鸄鵯相類一並擧レ之、而和名則訓二條首之鵯一、不レ訓二別種之鸄一、輔仁書之通例也、故源君從レ之、訓レ鵯爲二比衣止利一、然云二似レ烏而色蒼白一者、是鸄之形狀、非二鵯之形狀一、此引レ之誤、又按鸄似レ烏蒼白色、依二郭璞爾雅注一也、下文詳引レ之、而其物則未レ詳、〈○中略〉按所レ引〈○爾雅注〉與二郭注一大同小異、蓋是舊注也、按釋鳥云、鸄、鶶鷵、郭注云、似レ烏蒼白色、釋鳥又云、鸒斯鵯鶋、郭注云鴉烏也、小而多群、腹下白、江東亦呼爲二鵯烏一、是鸄與二鵯鶋一二物不レ同、此引云二鸄一名鵯鶋一者誤、舊注亦必不レ如レ此、疑鸄音激一名五字、似レ當下作二一名鸄音激一、在中上文貌似レ烏之上上蓋本草和名引二食經一兼載二鵯鸄一、源君 誤以レ鸄爲二鵯之別名一、遂增二一名二字一、後人又傳寫錯亂在二于此一也、改作若レ此、則雖下以レ鸄爲二鵲一名一者誤一、然所下引二爾雅注一釋中正文鸒斯鵯鶋上之意始明矣、按鵯鶋、鴉也、鴉説文作レ雅、云楚烏也、一名卑居、一名鸒、秦謂二之雅一、小爾雅云、純黑而反哺者謂二之烏一、小而腹下白不二反哺一者謂二之雅烏一、按説文曰レ鸒、毛詩爾雅曰二騫斯一、斯語辭、猶三毛詩謂レ螽爲二螽斯一、源君所レ引爾雅注作レ 、俗字耳、鵯鶋亦當下依二説文一作中卑居上、李時珍曰、小而純黑、小觜反哺者慈烏也、似二慈烏一而大觜、腹下白、不二反哺一者雅烏也、郝懿行曰、今此烏大如レ鴿、百千爲レ群、其形如レ烏、其聲雅雅、故名二雅烏一、其物未レ詳、加賀白山所レ有禪定烏殆近レ之、又酉陽雜爼云、鸄、色黃、一變爲二靑鴘一靑灰色、鴘之後乃至三屢變二横理轉細、臆前微微漸白一者、別是一鳥、蓋鷹屬也、其物又不レ詳、輔仁訓レ鵯爲二比衣止利一、非レ是、源君幷レ鸄爲二比衣止利一、益非、廣本鸄上有二鵯一名三字一、亦非、
p.0883 鵯〈卑匹二音、ヒエトリ、一名鸄、〉 鵯鶋〈匹居二音、ヒエドリ、〉 鶄〈精靑二音、鵁鶄烏、ヒエトリ、〉 鸄〈似レ烏蒼白色、音激、ヒエトリ、〉 鶋〈音居、鵯鶋、又鶢鶋、海鳥、ヒエトリ、〉 鶶 〈今正、音唐、鷵鸄、〉 鸒 〈ヒエトリ〉 鴑〈ヒエトリ〉
p.0883 鳥類字 鵯(ヒエトリ)、 鶋(ヒエトリ)
p.0883 鵯(ヒエトリ/○)、
p.0883 鵯〈訓二比衣土里一、今稱二比與止利一、〉
集解、狀似二小烏一而蒼灰色、頭上毛亂起、眼邊有二微赤色一、胸臆灰靑、腹下灰白、倶有二黑斑一、觜利而黑、脛掌亦蒼黑、常成レ群飛集、啼叫喧躁、然不二惡食一、惟貪一樹菓一、秋末至而夏不レ見、其味最佳、或曰、鵯食二山茶花一而腸皆盡、此時殺レ鵯開レ嘴入レ醬、拔二毛羽一炙食、則肚無レ腸而味尚美、予〈○平野必大〉試レ之有レ驗、
肉、氣味、甘温無レ毒、主治、煖レ中壯レ氣、
附錄、島鵯、〈狀類レ鵯而頭頸丕レ臆雪白、背翅尾純黑有レ光、腹灰黑、觜脛倶紅、聲喧似レ鵯、樊中能孕育、官家愛レ之、常畜二樊籠一、或作二鳥語一亦有、近世自二蕃國一來、言海州捕レ之、故稱二島鵯一、然未レ詳レ之、或曰、白頭翁也、此亦未レ詳、〉
p.0883 鵯 鵯鶋、郭璞曰雅鳥也、小而多レ群、腹下白、江東亦呼爲二鵯鳥一、源順亦載レ之、是似二本邦之鵯鳥一也、詩話卑居卽鴉也、李時珍亦曰、鵯鶋鴉也、又曰似二慈鳥一而大嘴、腹下白不二反哺一者雅鳥也、必大按從二郭説一則似二今之鵯一、從二李説一則烏、倶是難レ決、大抵鵯亦邇二烏類一、今暫據二本邦古來之傳稱一也、
p.0884 鵯〈音卑〉 和名比衣止里 俗云比與土里
按、鵯形似二鸜鵒(ツクミ)一而尾長、〈○中略〉其聲如レ言二奇異奇異一、好食二草木子一、〈川棟(センタン)、南天、鵯上戸草等、子赤者特好食レ之、○中略〉凡草木種蒔難レ生者、采二其實一瘠二鵯啄一レ之、取下全出二於糞中一子上、蒔則無レ不レ生也、鵯性 不レ覊二 擌(モチハゴ)一、適著レ擌則倒縋下俟二䅻離一去、如レ中二罟網一亦逃去、故不レ用二常罟一、別作二小罟一設二擌下一捕レ之、其罟如二深囊一謂二之鵯網一、
p.0884 ひよ鳥 〈ゑがひ〉 〈生ゑ四分、あをみ入、粉壹匁、〉
大きさ鳩にちいさく、毛色あをぐろく靑し、さゑづり大をん、子がいよく、物まねをさへづる、
p.0884 島鵯 餌がい〈ハヤ〉五分ゑ、靑味入、
大さ和の鴨によほど小ぶり也、鳥の風常のひよ鳥にかはることなし、聲もまたひよ鳥に同じ、能物眞似を囀、諸鳥の聲を眞似る物にて面白きもの也、毛色世に知るごとし略レ之、むかしより三歲より巢に掛るといへ共、二歲にても隨分子をなす物也、能鳥有時は、巢年々多く子出來る物なれども、とかく巢くせ有てよき鳥まれなり、三番子迄能出來る也、玉子は十三日にてかへる、子かへると直に蜘を飼ふなり、十日め又は子のつよきは、九日にても取てよし、よわきは十一日もおくべし、生つよき鳥にて乎も飼立よし、世せうにてはみな四月になり、庭籠へ放すなり、右之通するもよけれども、兎角冬も庭籠へはなし置事よし、四月はじめごろ、盛の見ゆる時、庭籠よりとりて小籠に入、六七日も置、又庭籠へはなすべし、庭籠はせまくても隨分よし、世上ともにしまの庭籠は大きく作といへども、さのみそれ程廣にも限らず、三尺に奧行壹間あればよし、廣きはいかほどにてもあしき事はなし、留木はあまり多く打は惡し、能舞物なれば、かけ障りのなきやうに留 木打べし、巢草は野老の髭、又しゆうの毛よし、又美濃紙をほそくたちて入もよし、子はうなぎの粉を交て、まづ二三日は七八分のゑにて飼立べし、其中にもよわき子、つよき子にて餌も段々計ひ有べし、巢をなす頃はうなぎを交て用ゆべし、庭籠にては如何程つよき餌を飼ふとも障に(リ)ならず、其外いろ〳〵飼かけ、鳥によりて心得有事なれば、ひとつにおぼへては中々ゆかざる物なり、第一鳥の氣をはかり見る事をしらざれば、みな間違て、能産巢の鳥も巢をなさぬなり、しかし島ひよどりは、丈夫になすに、産巢は年々出來る也、能子そだてる雌は秘藏すべし、まれなり、凡子は産ず、世にしまは、舞ながらつがふといふ者多し、夫ゆへ庭籠をひろくして能と言、みな僞なり、やはり留木の上にてつがふ也、見とめたる者むかしより少し、其外鳥の見やう、島鵯には秘事有、口傳、とかく諸鳥ともに見樣第一心得あり、
p.0885 島鵯
此鳥いつの比より日本へ渡し鳥といふ事、知りし人もなく、古老の人に聞傳へも無レ之よし、唐人長崎へ持渡りたるも無レ之、朝鮮産の鳥にても有間敷、今以江都にて子を生立、何れ此鳥巢組生立方は末の人に極り、是迚も能き産巢之親鳥ある故、庭籠は九尺四方にて、にはこの内へ、植木をまばらに植込み、泊り木又は蜘代にて巢掛ケをし、巢草常にかはらず、其内にきよき白紙をさきてちらし置、是を是非巢の内へ紙を引、玉子を落すもの也雌雄好合は、庭籠の内飛廻り中にて、喰合よふにしてかゝり候もの也、其時植木多は惡し、泊り木も澤山は不レ宜、玉子開わりかへり候上は、蜘を飼、無二油斷一十二三日も過候はゞ取揚ゲ、さし餌にて飼生立る事、此さし餌には人々流義有り、東都櫻田久保町大坂屋善藏忰岩次郎は、此鳥摺餌にて生立候事名人也、尤芝源助丁海老屋市九郎と申者、諸所より此鳥の巢子生立方請合、さし餌飼に線香を立、初日は五六度も餌飼、漸く度數を重ね、盛長にしたがつて餌も七分位にて仕立候よし、爰に又麹町平川町三丁目大和屋彌兵衞 は、此鳥とても何ぞ六ケ敷事もなく、常のひよどりと同樣の心得にて、初から五分餌にて日々何度と云數なく、巢ふこの内不レ殘口を割申節、直に餌をさし、其内口をわるも有、割ざるも有時はささざるとの噺を傳へ聞、何れにも鳥は手六敷なき方にて、其鳥能く進み、塒も見事に仕舞、年を重ね飼たる人が上手也、何にも皆利有ども、拙には無口にて能キ方を聞覺度、此鳥生立方、右之外にも功者あまた有、我ト玉子を産せ、我ト生立る程の功有る人もあり、此鳥あまり見事の羽ぶりもなく、のぞみみても薄く、鳥のあたへも下直ならば、さのみ功者も入間敷、たとへば常のひよどりの子を生立方にも、差而心苦は有間敷、初而島鵯の生立方ならば、人にも尋、我も工夫も可レ有事、先は何鳥にても子を生立、三度産巢の親鳥を求る節は、先其年の雛鳥を致二調達一、翌春より巢組に掛り度、直に子を生立取ル考にて、親鳥の産巢致二吟味一候而も、鳥主段々と試、もはや古鳥にて産あがりたる鳥か、又若鳥にても番不レ宜鳥を手放シ可レ申候、此處は鳥數寄の大切所也、
p.0886 鵯
ひよどりは其能毒はきはめねどいかさま氣をば補やせむ ひよどりは寒空又は水をはひていさめば性は温と見えにき
p.0886 山鳥類 鵯(ひよどり)本所
p.0886 貞觀六年九月廿日己丑、有レ鵯當二宮城一而翺翔、
p.0886 同卿〈○藤原家隆〉の許に、權寺主圓慶といふ僧侍りけり、件の僧ひへどりをかひけり、毛をおそくかへけるを、いろ〳〵しき物にて、其鳥をとらへて、毛をつるりとむしりてげり、二品きかれて比興の事に思ひて、歌をよみて、ふだにかきて、壬生の辻に立られける、
ひへ鳥をむしりつゝみのはたかはらしりすゝにしてなほわたるなり
p.0886 宮内卿家隆卿ひざうのひよどりおぎのはといふを、子息の侍從すみよし へもちてくだりたりけるを、とりにやるとて、はやまといふ鳥をかはりにやりたりければ、侍從おぎのはををくるとて、鳥につけ侍りける、
すゞしさはは山のかげもかはらねどなほふきをくれ荻のうはかぜ、このうたをかんじて、やがて又おぎのはをかへしやるとて、宮内卿、
これも又秋のこゝろぞたのまれぬはやまにかはるおぎのうはかぜ
後久我太政大臣家におもながといふ鵯の有けるを、家隆卿所望せられけるを、おとゞしばしつき見給ひければ、よみてつかはしける、
いかにせん山鳥のをもながき夜をおひのねざめに戀つゝぞなく、すなはちつかひにつけてをくられけり、さだめてかへしありけんかし、たづねてしるべし、
p.0887 鳥名十首
このうちにまだすみなれぬひえ鳥は心ならでも世をすぐす哉
p.0887 文明十三年四月六日庚戌、土岐殿より貴殿へ鵯一まゐる、〈苻替、但號二白頭公一者歟、〉御返事あり、 八日壬子、土岐どのへ鵯之御返事被レ進レ之、
p.0887 天文七年五月二日甲戌、道運島鵯貴殿へ懸二御目一之、 三日乙亥、細川殿以二佛地院一種々御所望之間鵯進レ之、道運以二太刀一佛地院禮 五日丁丑、就二島鵯之儀一、細川殿御アリ、佛地院ヨリ大田使ニ來、
p.0887 鵯鷯得失
鵯小鳥共をあつめて謂て云、汝等畑の作物につき、又は庭の菓を喰ふに、いらざる高ごゑをして、友を呼びさわぐによりて、人其來り集るを知て、網を張り黏を置也、我冬になり山に食物なき時は、人家に來りて椽先にある南天の實を喰へ共、亭主知る事なし、あまりをかしさに、立ざまに大 きな聲をして、禮をいふてかへる也、万一黏にかゝりても、少しもさわがず身をすくめて、そつとあをのけになりてぶらさがり居れば、はこは上に殘り、身ばかり下に落時、こそ〳〵と飛でゆく也、汝等は黏にかゝりたる時、あはてさわぎはためく故に、總身に黏をぬり付て、動くこともならずしてとらへらるゝ、不調法の至り也と、才智がましく語る、末座より鷦鷯といふ小鳥笑て云、人は鳥よりもかしこくて、一たび此手にあひたる者は、下にも細きはごを置き、例の如くぶらさがりて下へ落れば、下なるはごをせなかに付、おもひよらぬ事なれば、さすがの鵯殿もあはて躁ぎ給ふ故に、總身に黏を塗りてとらへらるゝ事は同じ事也、
p.0888 〈資昔反、志止々(○○○)、〉
p.0888 鵐鳥 唐韻云、鵐〈音巫、漢語抄云巫鳥之止々、〉鳥名也、
p.0888 〈力ウナイシトヽ(○○○○○○○)〉 鷝〈通正、音必、如レ鵄、一足赤文白啄、其鳴自呼、〉 鵄 〈通今鴟正、冒脂反、シトヽ、〉 鵐〈音 、雀中大鳥、シトト、〉 〈シト、〉 〈シトヽ〉
p.0888 鵐 しとゞなくなりなどは、をろ狂たる詞なり、 しとゞといへどぬれぬなど、中古歌人詠レ之歟、
p.0888 かう鳥(○○○)〈かうないしとゝ〉
p.0888 鵐〈訓二之止止一、或今訓二阿於之(○○○)一、〉
集解、鵐似レ雀而色亦略同、頭背有レ斑、眉頰稍黃白有レ斑、臆胸及脇間黃有二紫斑一、翅間有二白羽黑斑一、腹白脛微赤帶レ黃、聲短而小囀、味稍美可レ食レ之、古昔天武帝九年、攝津國獻二白巫鳥一、今未レ見二白者一也、
肉、氣味、甘温無レ毒、主治、壯レ陽益レ精、
附方、傷食腹痛、〈用二巫烏一個一、去二頭足羽毛反肚腸一、充二梅干肉一、入二土器一泥封燒存レ性、爲二細末一毎二三分、温湯入二好酒少許一服尤驗、或治二下血日久一亦如二前法一、〉
p.0888 鵐 鵐蒿雀也、陳藏器曰、蒿雀似レ雀靑黑色、在二蒿間一、必大按、今巫鳥在二山中之田野一、不二蒿間而已一、其味亦劣二於雀一者遠矣、
p.0889 昔在神代、大地主神營田之日、以二牛宍一食二田人一、〈○中略〉御歲神發レ怒、以レ蝗放二其田一、苗葉忽枯損似二篠竹一、於レ是大地主神、令三片巫〈志止止鳥〉肱巫〈今俗竈輪及米占也〉占二求其由一、御歲神爲レ祟、〈○中略〉依レ敎奉レ謝、
p.0889 爾大久米命以二天皇之命一、詔二其伊須氣余理比賣之時、見二其大久米命黥利目一、而思レ奇歌曰、阿米都々(アメツヽ)、知杼理(チドリ)麻斯登々(マシトヽ/○○○○)、那杼佐祁流斗米(ナドサケルトメ)、
p.0889 阿米都々(アメツヽ)〈四音一句なり〉智杼理麻斯登々(チドリマシトト)、此二句甚解り難し、されど例の試に强て云ば、〈○中略〉麻斯登々は、書紀天武卷に、巫鳥此云二芝苔々一、和名抄にも鵐之止々とある鳥にて、眞鵐ならむか、〈眞といふは、眞鴨眞牡鹿などの例なり、〉
p.0889 九年三月乙酉、攝津國貢二白巫鳥一、〈巫鳥此言二芝苫々一〉
p.0889 常磐井百首閑中春雨 源仲正
あめふればかきねのしとゞそぼぬれてさへづりくらすはるの山もと
p.0889 鸚鵡 山海經云、靑羽赤喙能言、名曰二鸚䳇一、〈櫻母二音〉郭璞注云、今之鸚鵡〈音武〉脚指前後各兩者也、
p.0889 説文、鸚䳇、能言鳥也、羅願曰、鸚鵡能言之鳥、其狀似レ鴞、靑羽赤啄足、隴右及南中皆有レ之、然有二三種一、大抵五色者尤慧、白者次レ之、靑者爲レ下、説者以爲似二小兒脚指一、亦其舌似二小兒一、又鳥目下瞼貶レ上、唯此鳥兩瞼倶動如二人目一、〈○中略〉按説文依レ䳇、玉篇廣韻並云、鵡䳇同上、原書脚上有二舌似小見舌五字一無二者也二字一、有下扶南徼外出二五色者一、亦有二純赤白者一大如レ鴈也十九字上、
p.0889 、鸚䳇〈逗〉、能言鳥也〈曲禮曰、嬰母能言、不レ離二飛鳥一、〉从レ鳥嬰聲、〈鳥莖切十一部、〉 、鸚䳇也、从レ鳥母聲、〈曲禮釋文嬰本或作レ鸚、母本或作レ鵡、同音武、諸葛恪茂后反、按裴松之引二江表傳一曰、恪呼二殿前鳥爲二白頭翁一、張昭欲下使恪復求中白頭母上、恪亦以二鳥名鸚母、未一レ有二鸚父一相難、此陸氏所レ謂茂后反也據レ此知、彼時作レ母作レ䳇〉 〈不レ作レ鵡、至二唐武后時一狄仁傑對云、鵡者陛下之姓、起二二子一則兩翼振矣、其字其音皆與二三國時一不レ同、此古今語言文字變移之證也、釋文當レ云二母本或作一レ䳇、古茂后反、今作レ鵡音武乃合、李善注文選云、鵡一作レ䳇、莫口反、較明析、大徐用二唐韻一文甫切、亦鵡音非二䳇音一也、古音母在二一部一、〉
]H 鸚鴫〈櫻母二音、今之鸚鵡、コトマナビ、多識編四禽鸚䳇(アウム)、毛乃伊比止利〉
p.0890 鸚鵡
俗訓二伊牟古一、源順曰、山海經靑羽赤啄能言、名曰二鸚鵡一、必大按、此類有二數種一、然自レ華來者紅白、其餘不レ見レ之、有二小伊牟古者一、綠色黑觜、紫脚紅掌、是綠鸚鵡之雛歟、或曰、雄者啄變レ丹、雌者黑不レ變、然則綠之雌歟未レ詳、大抵李時珍曰、丹味鉤吻長尾赤足金晴深目、上下目瞼皆能貶動、舌如二嬰兒一、本邦今所レ有如レ此、其趾前後各二、似二蟲喰鳥之類一、然籠中未レ見二孕者一、故類不レ多也、其味鹹甘温無レ毒、治二虚嗽一未レ試レ之、
p.0890 鸚䳇 アウム〈通名○中略〉
此鳥海南ノ産ニシテ、北方ニハ産セズ、和産ナシ、故ニ通名ナリ、禽舖ニテバタント呼ブ、今ハ舶來多クシテ、毎毎觀場ニ出ス、白鸚䳇ハ形大ニシテ雌雞ノ如ク、全身白色ナリ、塒ニ立コト鷹ノ如シ、其頭大ニ觜モ巨大ニシテ短ク、長濶一般ナリ、上味ノ末下ニ曲ル、色靑黑シテ本ハ微白色、下味ハ鋸齒アリ、舌ヲ以テ物ヲ食フテ觜ヲ動カサズ、好テ蕎麥及雞卵ヲ食フ、凡鸚䳇嫩ナル者、雌雄共ニ喙黑シ、雄ハ長シテ赤色ニ變ジ、雌ハ變ズルコトナシト云フ、頂上ノ冠毛上ニ餐ユ、喜ブ時ハ披キテ菊花ノ開ケルガ如ク、蓮花ノ如クシテ内ノ黃赤色アラハル、コレヲ開花ト名ケ、亦芙蓉冠ト名クルコト、廣東新語ニ詳ナリ、俗ニレンゲ毛ト云、
p.0890 はたんあふむ(○○○○○○) 〈餌がい 西爪種、キビ、米、〉
大きさあふばなゐん古に少し大ぶり總體白し、粉のふきたるやう成物也、毛をなでれば手へ白粉付物なり、折々頭の毛を立るなり、毛の裏かば色なり、皆黑く白く粉を付たるごとし、能馴染物 なり、人の言語を眞似るもあり、若鳥は眞似ず、
小あふむ(○○○○) 〈餌がい〉 〈キビ、米、ゑりゑはくじゑ〉
大きさ緋ゐんこに少し大ぶりにて、丸みあり、諸事あふむに替りなし、頭をばたんのごとく立る、形總體替事なし、此外にもいんこは大小、毛いろの摸樣のかわり有は多しといへども、先たいがい有所なり、猶類違のところ品定がたし、
p.0891 鸚鵡
此鳥形半鷄の程、總羽白し、觜足黑シ、蓮雀の立たる時は、羽の内黃色にて、能く〳〵もの眞似する也、こへ大きくして耳に當る也、餌飼は籾米の類飼レ之也、
ハタン
此鳥はハタン國の鸚鵡にて形大方也、總羽櫻色也、蓮雀立たる時は、羽の裏薄丹色見ゆる、觜足黑し、鳴こへ大きく就レ中もの眞似能くいたし、別而身强く長命の鳥也、都而音呼(ノンコ)の類、己の毛をぬく病ひ出ル也、工夫ありて直すべし、總而音呼に夜鳥にて夜分餌を喰もの也、總體音呼鸚鵡の類、刺子薩州芋を燒て飼レ之也、西瓜の種、別而好物也、但シ西瓜の種を詰て飼ば、鼻血いづるもの也、
p.0891 大化三年十二月、是歲〈○中略〉新羅遣二上臣大阿飡金春秋等一、送二博士小德高向黑麻呂、小山中中臣連押熊一、來獻二孔雀一隻、鸚鵡一隻一、
p.0891 二年九月、西海使佐伯連栲繩、〈闕二位階級一〉小山下難波吉士國勝等、自二百濟一還、獻二鸚鵡一隻一、
p.0891 十四年五月辛未、高向朝臣麻呂、都努朝臣牛飼等至レ自二新羅一、〈○中略〉新羅王獻物〈○中略〉鸚鵡二隻、鵲二隻、及種々寶物、
p.0891 天平四年五月壬子新羅使金長孫等四十人入レ京、 庚申、金長孫拜レ爭朝、進二種々財物、拜鸚鵡一口、〈○中略〉騾二頭一、
p.0892 承和十四年九月庚辰、入唐求法僧慧雲、獻二孔雀一、鸚鵡三、狗三一、
p.0892 治曆二年五月一日甲寅、大宋國商客王滿、獻二種々靈藥等一、但鸚鵡於二途中一死了、只獻二其羽毛一、〈○又見二百練抄一〉
p.0892 聞三大宋商人獻二鸚鵡一 大江佐國
隴西翅入二漢宮深一、采々麗容馴二德音一、巧語能言同二辨士一、綠衣紅觜異二衆禽一、可レ憐舶上經二遼海一、誰知籠中思二鄧林一、商客獻來鸚鵡鳥、禁圍委レ命勿二長吟一、
p.0892 永保二年八月八日、覽二大宋商客楊宥所レ獻之鸚鵡一、〈九月十一日返二給之一〉
p.0892 久安三年十一月十日庚午、傳聞、攝政〈○藤原忠通〉獻二孔雀鸚鵡於法皇一、〈○鳥羽〉是西海莊所レ貢云々、廿八日戊子、法皇借二給鸚鵡於禪閤一、〈○藤原忠實〉余〈○藤原賴長〉見レ之、舌如レ人、能言是故歟、但聞二其鳴一無二言語一、疑是依三漢語日域人不二聞知一歟、
p.0892 久安四年閏六月五日辛酉、抑去春頃、太宰府博多津、宋朝商客、渡二孔雀及鸚鵡於本朝一、卽獻二宇治入道大相國一、〈○藤原忠實〉大相國被レ傳二獻法皇一、〈○鳥羽〉
p.0892 一一色修理大夫滿範〈○中略〉
同〈○應永〉十五年六月廿二日に南蕃船著岸、帝王御名亞烈進卿、番使使臣〈問丸本阿〉彼帝より日本の國王への進物等、〈○中略〉鸚鵡二對、其外色々、
p.0892 土佐國寄船之事
土州長曾我部居城ちようかの森かつら濱宇羅戸の湊より、十八里沖におびたゞしき大船、慶長元年九月八日寄來之旨、長曾我部方へ吿來りしなり、〈○中略〉注文〈○中略〉一鸚鵡二、
p.0892 慶長十五年九月、安南國〈天竺内ト云々〉日本エ爲二音信一、船薩摩浦〈江〉去頃著岸、進物之事、〈○中略〉 一鸚鵡一ツ
p.0893 嘉祥三年二月庚戌朔、聖躬不豫、 甲寅、御病殊劇、〈○中略〉放二諸鷹犬及籠鳥一、唯留二鸚鵡一、
p.0893 鳥は
ことゞころの物なれど、あふむいとゐはれ也、人のいふらんことをまねぶらんよ、
p.0893 正治二年百首 寂蓮法師
あはれともいはゞやいはんことのはをかへすあふむのおなじ心に
p.0893 音呼鳥(インコテウ)〈鸚鵡小者〉
p.0893 九官
郎秦(ス)吉了也、〈○中略〉或以二九官一稱二鸚哥一、然九官者秦吉了也、鸚鵡之小也、李時珍曰、秦吉了卽了哥也、今俗誤以二了哥一爲二鸚哥一、華音曰、伊武古、故本邦俗以二小鸚鵡一呼爲二伊武古一焉、
p.0893 鸚䳇〈○中略〉
一種インコ(○○○)ト呼モノアリテ、暹羅ヨリ來ル、卽鸚哥ノ音ナリ、大ナ伯勞(モズ)ノ如ク、或ハ伯勞ヨリ大ナルモアリ、凡ソ數十種皆羽色鮮麗比スベキモノナシ、丹靑絲造皆及バズ、熊大古大者爲二鸚䳇一、小者爲二鸚哥一ノ文アルニ因リ、秘傳花鏡ニ鸚哥ヲ以テ子トシ、鸚鴫ヲ以ヲ母トス、此説非ナリ、鸚寄ニ靑インコ(○○○○)、猩猩インコ(○○○○○)、ベニインコ(○○○○○)、五色インコ(○○○○○)、ヲバナインコ(○○○○○○)、セイガイインコ(○○○○○○○)、ダルマインコ(○○○○○○)、ムラサキインコ(○○○○○○○)等アリ、
p.0893 あふはないんこ(○○○○○○○) 〈餌がい〉 〈米、キビ、西瓜之種もよし〉
音呼は類多キ物ゆへ、其毛色大小きわめがたし、先あらましをしるす、あふはなゐんこといふは、大きさ土鳩に似て、總身こくもえぎの綠靑色也、尾羽黑き上に、群靑の照り有、兩羽の裏紅のごとく赤し、其色至而見事也、上觜黃にかば色下觜黑し、さつま芋、飯も喰ふ、羊かんなども喰ふ也、西瓜の種もよし、 頭黑ゐんこ(○○○○○)七毛 〈餌がい〉 〈はや三分、砂糖入、靑味入、〉
緋いんこの同牲にて、大きさ總體の色ともにび音呼に同じ頭黑く足の付根之毛群靑色なり、緋ゐんことは此毛替り有、尾黑とび色、頭に黑き内に紫の色有、兩羽に黃いろのふあり、聲ともに、ひゐんこ同類也、
緋音呼(○○○) 〈餌がい〉 〈ハヤ三分ゑ、靑味入、砂糖入、〉
大さ、和の靑げらに少し大ぶりにて、總身皆赤し、ほろの羽に靑き所有、尾羽うす飛色にて、羽黑く赤きふ有、いんこ類大かた此兩羽にふあり、跡にふ書を印す、足の付根の毛もえ黃也、頭黑音呼とは此所又違ふ、總體同物なり、
靑海音呼 〈餌がい〉 〈ハヤ三分ゑ、砂糖入、靑床入、〉
大せいがいと云は、右緋ゐんこに少し小ぶり、總身もえぎの綠靑色也、咽むねの上迄、赤と黃の横筋有、見事なる物也聲は緋ゐんこ同前にて少し細し、是又羽に赤きふ有、羽うらより見ゆる、ぬけ羽にはおもて裏共に打通してふあり、
小靑海音呼(○○○○○) 〈餌がい〉 〈ハヤ三分ゑ、砂糖入、靑味入、〉
小靑海は大さ緋ゐんこ、半分ちいさく、大靑海に毛いろは替りなし、又赤き所少ク、黃色の横筋計むねに有而、頭に群靑色有もあり、毛色品々多く種類も多し、
類違緋いんこ(○○○○○○) 〈餌がい〉 〈ハヤ三分ゑ、砂糖入、靑味入、〉
大さ常の緋いんこより少しちいさく細み有て、尾少し長み也、總身赤く、脊中あたり群靑の色有り、足の付根の毛群靑色にて、又風替り成ものなり、
大紫音呼(○○○○) 〈餌がい〉 〈ハヤ三分ゑ、砂糖入、靑み入、〉
大さあふはなゐんこに似て、頭薄赤く、脊中又薄赤く、飛色にかばの色も交たり、胸より腹極むら さきにて見事成、觜黑ク尾と羽黑し、群靑色あり、足の付根の毛群靑色なり、
小紫ゐんこ(○○○○○) 〈餌がい 右同斷〉
大さ小靑海に同じ、總身紫に赤き毛交り見事なる鳥也、氣がるくてよし、
五色いん古 〈餌がい 右同斷〉
大さ緋ゐんこに少し小ぶり歟、毛いろ尤五色交り見事也、音呼類の内、此五色いんこにこしたる見事成物なし、すくなし、
白音呼(○○○) 〈餌がい〉 〈ハヤ三分ゑ、砂糖少入、靑味入、〉
大きさ不同あり、白いんこは今は一向拂底也、いんこの内、此類は至而少し、
p.0895 秦吉了毛乃伊比土利(○○○○○○)
p.0895 秦吉了(サルカ/○○○)〈李白詩云、安得二秦吉了一、爲ジ人導二寸心一、注秦吉了出二琶及古城一、卽結遼鳥、能言勝二鸚鵡一、黑色兩眉獨黃、〉 鷯歌(サルカ)〈廣西通志云、秦吉了、一名鷯歌、〉
p.0895 三光鳥
附錄〈○中略〉九官〈郎秦吉了也、華商九官者畜レ籠來而鬻レ之、故長崎土人以二九官一爲レ名乎、或稱二鸚哥一、狀大如二小鳥一紺黑色、丹昧黃吻、爽レ腦有二黃肉冠一、眼似二人目一、脚掌倶黃、兩翅裏白、其性慧利、作二鳥語人言一者、勝二于鸚鵡一、傳稱有二白者一、予(平野必大)未レ見レ之レ也〉
p.0895 秦吉了(サルカ) 唐會要曰、能言勝二于鸚鵡一、黑色兩眉獨黃、一云、色白頂微黃、頂毛有レ縫、又本草鸚鵡附錄詳ニ見エタリ、范石湖ガ桂海志曰、鸚鵡如二兒女一、吉了聲則如二丈夫一、今案ツグミノ大サホドアリ、昔年外國ヨリ來ル、其毛紺黑色、又白色モアリ、其外本草ニ云處ノ如シ、人語ヲナラヒテヨクイフ、恰人語ノ如シ、ハジメハ異國ノ言語ヲイフ、日本ニ來テ後日本ノ言ヲナラヒテヨクイフ、白樂天有二秦吉了詞一、
p.0895 鸚䳇〈○中略〉
秦吉了ハサルガ、〈長崎〉今ハ九官鳥(○○○)ト云フ、淸商九官ナル者始テ將來スル故名クト云、又鳩喚トモ 書ス、舶來ノ鳥ナレドモ、今ハ多ク有リテ、時時觀場ニ供ス、大サツムギノ如ク、全ク黑色ニシテ光アリ、觜赤ク脚黃色、頭ノ左右後ニヨリテ長ク、黃色ナル者アリ、夾レ腦有二黃肉冠一ト云、是ナリ、翅ノカザキリノ本ニ微白色アリ、唐山ニハ全ク白色ナル者モアリト云フ、此鳥人言ヲ能クシ、長語モ能言フ、廣東新語ニ以レ眼爲レ別、眼黃者金了、白者銀了、黑者鐵了、鐵了品最下ト云ヘリ、
p.0896 秦吉了(さるか)〈きうくわんとも〉 〈餌がい〉 〈ハヤ五分ゑ、靑味入、〉
大さ唐がらすに小ぶりにて、總身紺黑色なり、毛に光有て見事なり、黃の肉冠有、觜黃にもとの方にく色にて肉冠少し有、巢も隨分なすべき鳥なり、
p.0896 九官鳥
此鳥唐方紅毛共に持渡る、鳥能ク物眞似して、總羽黑にして黃色の耳あり、觜少しあかき色にて足は黃色也、渡多鳥にて見たる人多し、東都にて出來たる事あり、いまにおひては無二多事一クなり、隨分飼易鳥也、勿論大の方は紅毛、小の方は唐方也、尤唐方は物眞似能くするものなり、隨分氣を付御覽可レ有事、
p.0896 年毎に洛北今宮の御旅所、四條河原の納凉などに出る、奇獸異鳥の類さま〴〵也、〈○中略〉求歡鳥(キウクワニテウ)とて見せしは、秦吉了(シンキツレウ)なりとか、鵯鳥(ヒヨトリ)よりも大に鳩より小也、色は眞黑に光リあり、言語全、十二三計の童の聲にて、人敎へねども戯場の隣にて、かしこにて人をよぶ聲をたゞちにうつしいふ、敎る言はもとより也、從來人の知る鸚鵡のだぐひにあらず、其音さはやかなりき、形も大に異也、
p.0896 瑠璃鳥(ルリテウ)
p.0896 翠鳥(ルリ)〈翠雀同〉
p.0896 琉璃鳥〈訓如レ字〉 集解、狀大如レ雀而頭背翮上翠碧色、頰頷至二臆下一皆純黑、腹白觜羽尾、脚蒼色、其聲圓滑淸囀、官家籠中弄レ之、其味不レ佳、
p.0897 瑠璃鳥 碧鳥 俗云留里
按瑠璃鳥、狀大如レ雀、〈○中略〉其聲圓滑淸囀、如レ曰二知與豆比知與豆比一、畜二之籠中一弄レ之、
p.0897 大るり(○○○) 〈ゑがひ〉 〈生ゑ七分、あをみ入、粉壹匁、〉
大きさ鶯に大ぶり、かしらより尾までるり色にて、むねくろくはら白し、さへづり高音にてよし、色鳥の第一にてうつくしき鳥なり、春のすゑにいづる、ふゆまたまれにあり、
同ひよころ 〈ゑがい 右同斷〉
大るりの若鳥なり、總身ちやいうにうすぐうし、尾羽にすこしるりの色あり、
小るり(○○○) 〈ゑがい〉 〈生ゑ壹匁、あなみ入、粉壹匁、〉
大きさ鶯ににて、總身大るりの色にこくるりいうなり、のどより腹まで白し、さへづりよし、春のすゑに出る、此鳥寒氣をいたみ、飼にくき類なり、
p.0897 鵯〈○中略〉
附錄〈○中略〉碧鳥〈狀如レ雀而頭頸至レ臆碧白、故名レ之乎、背翅尾蒼赤有二黑斑一、腹黑黃相交有レ斑、嘴脚倶黑、近世自二外國一來、官家畜二之籠中一、聲短不レ佳、惟弄二美色一耳、此功白頭翁也、亦未レ詳、〉
p.0897 島鵯、碧鳥、
二禽倶不レ載二方書一、惟有白頭翁者一稍相似、王思茂三才圖會曰、有下名二白頭翁一者上、形似二鶺領一、其飛似二燕之頡頏一、頭上有二白毛一身蒼色、宋魏野有二白頭翁詩甚佳、然則與二二鳥一殊矣、按魏野詩、有二何辛苦一有二何愁一、箇箇林間盡白頭、細葉累レ巢花影暖、徵蟲共レ食竹陰秋、淸音豈許一黃鶯伏一、素羽曾敎二白鷺羞一、唯爾鬢毛應レ似レ我、相逢不レ用二話因由一、
p.0897 碧鳥(へきてう)、 餌がい 前同〈○キビ、毛ミ、米、アワ、〉 鳥の風諸事きんばらに能似たり、同類也、巢をなす物也、總身きんばらより色うすき歟、鳥おもく囀なくあしき物なり、諸事毛いろきんばらにまぎらわしく似たる物也、
p.0898 碧鳥
此鳥頭は淺黃にて觜も淺黃、首より裾はかわらけ色羽也、鳥の樣子十姉妹に同じ、尤粒餌鳥にて、爪の延びたる鳥也、澤山相渡候はゞ、日本にて子を可レ取に、未子を取たると云事を不レ聞、是も親鳥若くさへあらば、隨分能出來そうな鳥と被レ思候也、
p.0898 鷽(ウソ)〈音學、日本嘯鳥(ウソ)、〉
p.0898 鸒(ウソ)
p.0898 鸒(ウソ) 嘯鳥(同)
p.0898 鸒〈訓二宇曾一〉
釋名〈鸒音預、鴉鵯之名也、古來借用爲二此名一乎、〉
集解、狀肥二大於鶯一、頭純黑兩頰至レ頸深紅、嘴短肥而黑、背胸腹及翮灰靑帶二微赤一、羽尾黑、其聲圓滑而短、鳴時隨レ聲兩脚互擧、如二彈レ琴搖一レ手、故僅俗稱二鸒彈一レ琴、或以二形麗聲艶一曰二宇曾姫一、雄曰二照鷽(テリウソ)一、此亦美彩之稱、常呼レ晴、雌頷下淡黑、常鳴呼レ雨、故曰二雨(アマ)鸒一、山林處處有レ之、官家畜レ籠而弄レ之、其味不レ佳、
p.0898 肥鳥(ウソ)
うそは温つねに食せよ身を肥す胸ふさがるに是を用る うそはよく氣のみじかきに藥也虚勞にも吉目を淸くする
p.0898 粒餌小鳥の分 何にても水を入る
うそ鳥 〈ゑがひ〉 〈ゑのごますりゑ五分ゑよし〉
大きさすゞめにばいせり、かしらくろく尾羽くろし、目の下にくれなゐの色あり、胸はらうすく あかし、うつくしき鳥なり、さゑづりほそし、冬の内來る、年によりわたらぬ事もあり、
p.0899 照うそ 香うそ 黑鸒 頰赤うそ 四色
此鳥黑うそは雌也、香うそ照うそは色に甲乙あり、塒すれば色さめる也、此鳥日光ちゝぶより澤山出る也、黑うそ照うそ是を庭籠に入、寬政申年、愛宕下邊にて子出來たる事あり、此外に大うそと云有、まゝ江戸へ來る事あり、尤享和元年に、江戸所々にて取しと有、勿論大うそと黑頰赤てりうそ、何れも照りは至て丹色也、外のてりとは違ふ色なり、大さかるほど有、
p.0899 山鳥類 うそ四ツ谷邊
p.0899 ことりどものうたよみける中に
もゝそのゝ花にまがへるてりうそのむれ立をりは散心ちする
p.0899 永享七年六月廿五日、養二小鳥一〈ウソ三、ヒハ二、〉入レ籠、簾代之内に鈎、夜付レ寢時分、鳥共ふためく、南御方指燭を指て一見、口繩籠内に入、ウソ一呑畢、又ウソ一、ヒハ一死、言語道斷、驚畏、雜男共參、口繩打殺畢、ウソ一、ヒハ一希有に生、自餘三は死畢、不便云々、口繩所行可レ恐々々、
p.0899 天文十一年五月廿日、小鳥一〈うそ〉高信獻レ之、
p.0899 ぶんてう 文鳥と書り、狀うそに似て麗はし、よて名とす、近來外國より渡すといふ、
p.0899 鸒〈○中略〉
附錄〈○中略〉文鳥〈狀似レ鸒而背腹帶レ紅、兩頰純白、觜脚倶紅、聲短不二圓滑一、近時自二外國一來、以二形麗一號二文鳥一、今畜レ籠而孕育、類多矣、〉
p.0899 文鳥 〈餌がい〉 〈キビ、モミ、米、アワ、〉
大きさ毛色世にしるごとし、奇麗なる鳥也、古鳥若鳥しれかねる物なり、盛りつよき物故、見合ておく時は風子を産て、親鳥のため散々あしゝ巢も能なす物也、しかもせ話なく親鳥飼立る物に て、巢を立て後、親鳥の少し追頃を見て、小籠へ取べし、巢くさは野老の毛、藁のみごのかたを、はかま少しかけて切、是を入べし、まつ大かたは藁にて作り立る物なり、又鴨の腹毛抔入もあり、しかし是は入らぬものなり、巢は春秋になす、玉子産時分、雌よく落るもの也、至て産のおもき鳥也、庭籠の廣きはさん〴〵あしきもの也、玉子は十六日にてかへる、粟きびのもやしを飼ふ、又菜をこまかにたゝきて、庭籠へ入置事よし赤土を少しヅヽ入置べし、餌にかみ交て子に喰せる物也、子は三十日餘も過ざれば巢を立ず、子にはきびと、あわ、ゑごまも飼ふべし、春はひがんの頃庭籠へ放すべし、餘寒つよき年は、其心得にて少し遲く放すべし、又井戸繩の古きを二三寸程ヅヽに切、て入たるもよし、然共これはあまり巢に引鳥なし、文鳥に巢の時人參をかふ事散々惡し、度々ためして是をしる、初心の者とかく人參を用ゆ、人參を飼ふ時は必雌を落す、秋の巢の時は、きびあわともにもやしの間に合ぬ事有、其時はきびあわともに摺鉢へ入、湯にてしばらくひやし、扨それをさら〳〵とかるくするべし、右のごとくにする時は、上の皮取れて實所計に成なり、是を庭籠の中へ入おくべし、
p.0900 文鳥
此鳥世に澤山に相成、鳥のよふすは勿論、飼方人々委しく候間書レ之ず、庭籠玉子産込巢に付候節、水入の水洗不レ申、水の上江たし水にてよろし、水きよければ雄水をあび、おひ盛りいづるもの也、尤盛り薄き鳥は、水きよくして度々かへる事よし、世の人是をしる事なれども此處に記す、
p.0900 鳥類字 鶍(イスカ)
p.0900 いすか 其口ばしくひすがひてあはず、上下を略せり、
p.0900 伊須加鳥〈訓如レ字〉
集解、狀大如レ鶫而頭背蒼赤、腹臆最赤紫色、觜蒼而齟齬作レ叉、故俗稱二世之相違者一曰レ如二伊須加之觜一、食二 荏稈一者最妙、其味稍佳、
p.0901 粒餌小鳥の分 何にても水を入る
いすか 〈ゑがひ〉 〈ゑのごますりゑ五分ゑよし〉
大きさうそ鳥に大きし、總身いろこくあかし、口ばしまがりてくひちがひたり、さへづり少し有、冬の内に來る、年によりてわたらず、
p.0901 いすか
此鳥日光ちゝぶより出る、江戸にても澤山取、但シ靑いすか雄なり、塒すれば赤き色も靑くなる、其内に鳴いすか肩に白き毛あり、能心をつけ見分べし、
p.0901 山鳥類 交喙(いすか)〈べにいすか(○○○○○)、あをいすか(○○○○○)、四ツ谷、〉
p.0901 錦波羅
或作二金腹一、狀似二文鳥一頭頷黑、全身紫紅、觜靑脛黃、亦外國之産而來者希也、
p.0901 きんばら 餌がい 前同〈○キビ、モミ、米、アワ、〉
大さじやがたらに大ぶりにて、總身とび色に光有、頭白く、咽むね黑く、腹中程また薄くとび色にて、下腹黑し、口觜太くじやがたらのごとし、觜足ともに淺黃也、巢は先たいがひなさぬ物なり、碧鳥も此鳥も巢はよく作りて、子はなさず、
p.0901 金腹鳥
此鳥十姉妹より少し大振に而、府合格別なり、何れも脊は黑羽にて、胸に白赤首玉のよふに色合有り、近年不レ渡鳥にて、今人委敷からず候得共、至而よろしき鳥にて奇麗也、一向不レ渡、殘り多事に候也、
p.0901 十姉妹 〈餌がい〉 〈キビ、モミ、米、アワ、〉 大さきんばらに似て、總たひ鳥の風じやがたらに同じ、毛色じやがたらに靑味有て腹薄白し、又腹の白からず、薄赤くきたなきも有、尾兩羽黑し、口觜上のかた薄黑く、下觜はあひ色なり、じやがたらをも十姉妹といふと見えたり、巢は春秋なすなり、隨分能子の出來る物にてせ話なく、文鳥のごとく獨そだてあぐる也、〈○中略〉玉子は十六日にてかへる、巢に付たる日を書付おきて、十二三日前より、きみ粟のもやしを作リ置、かへる前日あだりよりもはや入おきてよし、夏はもやしも早く出來安し、秋の末頃は出來遲し心得有べし、子はかへりたる日より、廿三四日にて巢を出る物也、春夏も早く出來たる子は、もはや其秋直に子をなす物なり、常も小籠へちいさきふごを釣おくべし、其中にとまる、巢くさはじやがたらの所にしるす通り、同じ事にてよし、
p.0902 類違十姉妹
此鳥天明年中に、紅毛人日本渡海の節、本カタラ國に在し内、知る人の方より何鳥とも不レ知、小サ成雛鳥を送りし故に、其儘長崎に持渡り、漸々と塒に掛り、古今無類の麗羽を出したり、尤十姉妹程にて、頭より脊迄綠靑にこんじやうを引たる色合也、胸より腹は朱のごとし、觜は黑ク常の鳥よりも尾羽長く柳葉尾にて、畫工のさいしきにも不レ及、色合よく、此鳥薩州江相廻り、夫より江都江廻りたる節、和唐之諸鳥の曾有、これを出ス、出會の人々皆々目を驚かし、則其日壹番に付、古今無雙と書いだしたる也、今老の鳥にて無レ程相落、其後此鳥見たる事なし、暫も飼とめしならば、巢組に入子を取べきにおしき事也、未此正寫の噂計而巳、殘念なりし事也、〈○中略〉
十姉妹
此鳥類先年より澤山長崎江相渡、子を取事心安相成、巢組生立方、世の人能クしりし事ながら、あらましは書置也、檀どくと十姉妹の掛合にて出來たるは、檀どくの方へ近くといへども、胸の白黑能クわからず、大目にだんどくとは見得候得共、委しく見れば掛合の府合相わかり申候、巢は 蘆ふごにて巢草を入、就レ中しろの毛を能く望ムもの也、玉子産落シ、巢に入候日より十三日目に玉子開割、己と生立、春秋二腹宛生立、近年餘り澤山に生立候故、人是を不レ愛、此後に至、子又無二多事一可二相成一候間、鳥數寄の方心掛、無二油斷一生立置べく心得可レ有也、
p.0903 駒鳥(コマドリ)
p.0903 駒鳥(コマドリ)
p.0903 駒鳥〈訓二古麻止利一〉
釋名〈鳥聲如二走駒之鳴一レ鑾故名〉
集解、狀似レ鶯而稍大、頭背蒼赤、頷類赤色、腹灰黑、腹下白、羽尾倶蒼黑、嘴細利、脚細長而蒼、其聲高淸而長滑、初似二走馬之鳴一レ鑾、春夏之際最多囀、籠中亦久囀、爲二宮中之弄一、惟恐脚弱易レ損、山林處處有レ之、但和州播州之産最爲レ勝、其味不レ足レ用也、
p.0903 駒鳥
按駒鳥狀似レ鸎而稍大、〈○中略〉其聲高淸而長滑、如レ曰二必加羅加羅一、似二走馬之鳴一レ轡、其頭毎振二左右一、亦如二走馬之形勢一、故名二駒鳥一矣、春夏能囀、畜レ之甚愛レ之惟恐脚弱易レ損、性畏レ寒難レ育也、雌者頷頰色不二甚赤一、不二能囀一也、和州葛城洞籠(ドロ)川山中多有レ之、勢州宇治、城州比叡、攝州有馬、作州高津有レ之、然不レ如二和州之者一、島駒鳥 狀相似而略小、頭背灰自胸腹白而有二黑彪一、〈其彪如二俗稱蛇腹絞者一〉甚美、囀聲如レ曰二珍古呂呂一、其囀也略値レ時、代二鷄鳴一者爲二最珍一、
p.0903 こま鳥 〈ゑがい〉 〈生ゑ四分、あをみ入、粉壹匁、〉
大きさすゞめに大ぶりにてせい高し、總身赤色はらねずみ色、さへづりたかねにていさぎよく、おもしろきものなり、あら鳥春のすへに出る、あら烏其年はさへづりほそし、す子はなつ出る、尤子がい重寶とす、手について羽をひろげ、尾を立てさへづるをてふりといふ、子は吉野どう川よ り出る、よつてよし野こまともいふ、子のとし暑氣をきらふゆへ、夜る晝すゞしき樣にかふべし、ほめきつよき時は目をわづらふ、
島こま(○○○) 〈ゑがい 右同斷〉
大きさこま鳥に少し小ぶり、總身うす赤鼠色にて、むねにうろこのふあり、さへづりこまににてほそし、此とりきんごくにすまず、おん國よりきたる、よつて子がいなし、
〈野ごま(○○○) のごとりともいふ〉 〈ゑがい〉 〈生ゑ壹匁、あをみ入、粉壹匁、かんきにはくるみ入よし、〉
大きさこまに大ぶり、毛色うぐひすににたり、咽にくれなゐの毛あり、其いろ鳥類になき見事なる赤色なり、秋のすへ冬出る、春またまれに出る、寒氣にいたみ飼にくき類なり、さへづりすこしあり、こゑほそし、
とうごま(○○○○) 〈ゑがい〉 〈生ゑ七分、あをみ入、粉壹匁、〉
大きさこまに小ぶり、毛色こまどりにくろみあり、さへづりほそし、此鳥めづらしきるいなり、から鳥にはあらず、和鳥ながらまれに出る、
大ごま(○○○) 〈ゑがい〉 〈生ゑ四分、あをみ入、粉壹匁、〉
大きさこまどりより大なり、毛色こまにかはる事なし、さへづりこまにをなじ、まれにあり、めづらしき類なり、
p.0904 吉野駒鳥(○○○○)
此鳥は脊高く鳥も大形にて音さへあり、足の色但し二通りあり、白足あり、黑足の方は至て丈夫也、白足は足に病出る也、
秩父駒鳥(○○○○)
但し何れ高下なし、右鳥の出處もちゝぶ大瀧と云處にて出る、小瀨戸と云處よりも出る、尤につ 原と云處からも出る、右三ケ處の内大瀧より出る鳥よろし、
日光駒鳥(○○○○)
右の處よりも出る、尤高下なし、何れも春秋は荒鳥、夏は子駒出る、但し荒鳥飼込にても、さかりつよき時は、尾をかぶり手につくもの也、子駒には尤かぎらず、ざかりぬけ候へば、元の飼込となる也、子駒はしじうおたゝき也、勿論泊木にて、尾をひろげあげざるを海老尾と云、尤右鳥は長尺三ツ頭ひしぎ啼は、何れの鳥にても宜しきと云、長尺なるを上とす、飼方人々知る處也、但し春おそく出る鳥はかねつけとて、至て易きもの也、此事心得て飼べし、但シ惡しく相見へ候時は、蚓用候へば早速よろし、
p.0905 駒鳥
駒鳥は冷なり淋病痰に吉しはぶきをやめこゑいだすなり 駒鳥は虚勞久しくいへず骨蒸となりて熱氣のさめつひきつに
p.0905 天文十一年閏三月廿一日、駒鳥高信かたより獻レ之、
p.0905 百鳥譜 支考
木々の花の咲こぼれて、明ぼのゝ雪にもまがへる時は、駒鳥の聲のみひやゝかにしていとよし、されば此鳥の名は聲のたぐひをいへるならん、
p.0905 繡眼兒(メジロ)〈出二于常熟縣志一〉
p.0905 目白(メジロ)
p.0905 繡眼兒めじろ 薩摩にて花吸と云、上總にてをかまの鳥と云、
p.0905 目白鳥〈訓如レ字〉
集解、狀大二於鷦鷯一而林鳥中之最小者也、眼睚有二白圈一、頭背綠色、臆腰黃、翅尾黑腹白、性能成レ群集二于枝上一、相依互推、啼而喧喧、其中一隻飛出拔レ群、則餘又相推、又自レ中拔去而如レ初、終爲二兩雙一皆飛盡、復群二集 于他枝一、故俚語、稱三人之群集相並如二目白之推一、或好集二菓樹一、故捕レ之者以二熟柿一懸二于 (ハゴ)邊一爲媒、其味不レ佳、
p.0906 繡眼兒(メシロ) 常熟縣志曰、最小而巧、今案目白目ブチ縫ルガゴトシ、故繡眼ト名ヅク、其羽色靑褐色、靑バトノ色ニ似タリ、是モフタリ鳥也、群ヲナス、枝上ニテ同類ト押合フ、
p.0906 眼白鳥 正字未レ詳
按眼白鳥小禽也、〈○中略〉毎好レ柿、故捕レ之以レ囮、或用二熟柿安二于 傍一、畜レ之以二柿硏餌沙糖一、其鳴聲曰二豆伊豆伊一、囀如レ曰二比伊豆留一、其雌者稍小、胸白不レ帶二柿色一、最不レ能レ囀也、
p.0906 めじろ 〈ゑがい〉 〈生ゑ四分、あをみ入、粉壹匁〉
大きさ鶯によほどちいさく、毛色もへぎ、むねき色、はら白し、さへづり善惡あり、よきはひばりのごとく大おんに、おもしろき者なり、大ていはくせりなり、くぜりとは小ごゑの義なり、此鳥しやうつよく飼よきものにて、しかも多き鳥なり、又山がらのごとく中がゑりするもあり、秋のすゑ多く出る、
p.0906 朝鮮目白(○○○○) 餌がい、〈ハヤ〉四分ゑ、靑味入、
大さ十姉まつに似て、諸事和の目白に似て奇麗なり、總身の靑みすぐれて色よし、咽の黃色も格別見事なり、腹白く脇はらにかき色の毛有、口觜薄あひいうなり、さへづり小音なるおゝし、巢もなす物なり、唐鳥にや、または島鳥にや、明和三丙戌年より、予〈○泉花堂三蝶〉が庭籠にて、年々子をなしたり、巢草は苧を能もみて四五寸位に切、是を引、蜘のすを取りて入置べし、苧へ蜘のすを付て巢を作る也、野老の毛、しゆうの毛、尤入おくべし、玉子十三日にてかへる、蜘を飼ふべし、
p.0906 山鳥類 繡眼兒〈白山邊〉
p.0906 畫眉鳥(ホヽジロ)〈又作二 鶥一〉
p.0906 畫眉鳥ほうじろ 遠州にて赤ちゝんと云 其聲ちゝりといふ物を片鈴(かたすゞ)と名付、又ちりゝころゝちゝりと云が如のものを諸鈴(もろすゞ)と云、此鳥巧に聲をなす故に、東國にては一筆令二啓上レ候と鳴くと云、遠州にてはつんと五粒(いつゝふ)貳朱まけたと鳴くと云、薩州にてはをらがとゝは三八二十四と囀と云、歐陽公詩、百囀千聲隨レ意移と有、異域同談なり、
p.0907 頰白鳥〈訓二保宇之呂止利一〉
集解、狀大二於雀一而灰赤色、眉白如レ畫、頰亦白間黑、背上有二黑斑一、翅尾略黑、尾兩端有二白毛一、腹微黃白、臆下有二赤斑一、黑觜黃脚、其聲關滑多囀、中有下如レ振二小鈴一之聲上、其味亦佳、山中處處有レ之、近時好事之人養二之畫籠一、以誇二于鈴音多者一、又有二白者一、有二黃赤者一、倶畜レ之爲レ珍、關西諸州之産爲レ勝、關東亦多、
肉、氣味、甘平無レ毒、主治、未レ詳、
p.0907 頰白烏
頰白者畫眉鳥也、南産志曰、白眉褐質好鬪善鳴、泉人以レ鬪賭レ金、興化志、聲似レ鶯而小、淸圓可レ聽、必大按、今頰白非二眉之白一而頰亦白、極難レ爲二畫眉一、其鬪亦不レ詳、歐陽永叔詩、百囀千聲隨レ意移、山花紅紫樹高低、始知鎖向二金籠一聽、不レ及二林間自在啼一、今本邦亦畜二之金籠一也、
p.0907 畫眉黑 大サツグミホドアリ、〈○中略〉今國俗ホヽジロト訓ズルハ非也、
p.0907 畫眉鳥(ほうしろ)
按、畫眉俗云、頰白鳥也、〈○中略〉其聲關滑多囀、中有下如二小鈴之音一者い人畜二寵中一弄レ之、其聲如レ曰二知里里一者名二片鈴一、如レ曰二知里里古呂呂知里里一者名二諸鈴一、而以爲レ珍、
深山畫眉鳥 狀似二畫眉鳥一而頭黑、胸腹灰白、臆下有二黑圈彪一、兩羽亦有二黑點一、其尾兩端白、囀時起二毛冠一、其裏正黃而美、
p.0907 粒餌小鳥の分 何にても水を入 ほじろ 〈ゑがひ〉 〈きび、あは、ひゑ、米、すりゑ四分ゑよし〉
大きさすゞめに大ぶり、毛色すゞめにあかみあり、目の邊に黑白のすぢ引たり、よつてほじろといふか、さゑづりよし、片すゞ、もろすゞとて、さへづりに善惡あり、尤子がひ調法とす、もろすゞ音まれなり、あら鳥ふゆより春さきまでおほくいづる、す子は夏のはじめよりいづる、
みやまほじろ(○○○○○○) 〈ゑがひ〉 〈あは、きび、すりゑ五分ゑよし〉
大きさほじろににて、けいろうすく、ほじろの白きところうこんに黃いろなり、むねにくろき月のかたち有、大むね小むねとて、月がた大きなるをよしとす、さへづりよし、かひ鳥の上ぼんなり、ふゆいのこよりいづる、仍ていのこ鳥ともいふ、
p.0908 畫眉鳥 餌がい、〈ハヤ〉五分ゑ、靑味入、
大さしまひよ鳥のごとく、總身茶色に、頭のあたりこまかきふ有、總身黑き細筋、茶いろの内に有、總身光り有、觜足ともに茶色に黃味あり、囀高音にていさぎよく、おもしろきもの也、鳥かるく尾羽を遣ふて籠のうちよし、白き眉有、まことに繪書るがごとし、巢はなしかはる沙汰なし、
p.0908 峩眉鳥
此鳥長崎〈江〉持渡りし鳥也、先年澤山持渡りし時、長崎にて甚下直故に、唐〈江〉持歸りたるよし、其以後不二持渡一由、呉越の境に峩眉山と云山有り、此山桂木多故に、論山となりて終に火を付燒たり、此山に居泊り候峩眉鳥にて、燒し故に鳥も不レ住、夫ゆへ不二持渡一と云噺をしたる人あり、是は往古の事、峩眉鳥は目の廻り目尻へ、見事に白く繪を書たるごとくの府合ありし故に、畫眉鳥と名付たる也、何ぞ出生の山を名付るにはあらず、唐にては〆鳥を料理に不レ仕よし、活鳥にて持行商賣するのよし、其内にも此鳥の類種々見得候との咄を聞しなり、何ぞ珍數本朝にても秘藏の人も可レ有に、漸々噺を聞しまで也、
p.0909 深山頰白
此鳥京都大坂より出る、まゝ江戸にても取也、勿論大胸小むねとて貳通り、尤大胸の方は年數飼ば、啼音よろしくなくなり、
頰白
此鳥春秋澤山に渡る鳥匙、子は雌雄一向分り兼候、右見分樣、泊木へとまる頃、ひかへの爪の先キ少し黑み出たるが雄也、但シ此子鳥に虫付とて、鈴虫松虫こうろぎの類、或はのじこ川原鶸かやくゞり、又は笛つけとて色々のもの聞せ、よく付候鳥を寵愛いたし候也、外にかけ啼する事甚あしく、外家に入障子をたて、棚などに置啼せる事宜し、貳歲の内晴たる處にてくぜらせ啼すれば其鈴音ぬけるもの也、三歲迄はずいぶんしづかなる處に置てよろし、三歲よりは構なし、右頰白親鳥九州にても、啼方よろしき鳥を所々聞廻り、諸鈴片鈴の啼音を段々聞分、よろしき親鳥を野移し賞美し飼事專ら也、子飼のつけ子なき方、鈴色あしきとて、野鳥を寵愛し、年數三年もかへば、やう〳〵と下音にて啼、四年もたてば、野の通りいつはいになく、いづれ九州は鳥を氣長に飼事名人也、總別鳴鳥は氣長にして、野の親鳥を取、年をかさね、寵愛する事至つて上手也、
p.0909 山鳥類 ほうじろ〈干住榎戸邊〉
p.0909 菊戴鳥(イタヽキ)
集解、狀似二目白一而背翅靑綠色、頂上有下黃毛如二菊花一者上而似レ戴レ之故名、眉邊有二黑斑一、翅尾黑、腰黃腹白、其聲短小、形亦極小、而目白鷦鷯之類也、
p.0909 菊戴鳥
或曰菊戴者戴勝也、必大按、戴勝禮月令、季春戴勝降二于桑一注織經之鳥、衞雅戴鵀註云、鵀卽頭上勝、今呼爲二戴勝一、或謂戴頒、師曠禽經、揚雄方言爲二鳴鳩一、郭璞曰、非也、呂氏春秋注曰、鴟也、李時珍曰、山鵲有二文 采一如レ戴二花勝一、人名二戴鵀戴頒一、凡戴勝諸説不レ同、雖レ未レ詳二其形一、而似二鳩之大一、今本邦菊戴極小之烏、非二鳩鴟山鵲之比一、其戴菊亦不レ似二花勝一、袁了凡曰、戴勝首戴毛如二花勝一、司馬相如傳、西王母白首戴勝、勝者婦人首飾、漢代曰二花勝一、字書亦旛勝者婦人首飾也、
p.0910 菊戴鳥 正字未レ詳俗云菊以太々木
按、菊戴鳥狀似二眼白鳥一、鷲其聲如レ曰二豆伊豆伊一而短小、性怕レ寒難レ育、
p.0910 きくいたゞぎ 〈ゑがひ〉 〈生ゑ壹匁五分、あをみ入、粉壹匁、くるみ入、〉
大きささゞいにちいさし、毛色あをくろく、かしらにきいろのすぢ有、さへづりよし、よはき鳥にて冬を越がたし、夏はつよし、冬いづる、
p.0910 山鳥類 きくいたゞき〈高田邊〉
p.0910 百鳥譜 支考
おのれがかたちを名になせるものは、目白頰白のたぐひなるに、鶎(きくいたゞき)は殊におかし、年々菊をいただきける自然の理はあやまたねど、ことしは珍しう、梅花をもかざせよかし、
p.0910 仙遊鳥 正字未レ詳
按仙遊鳥狀小似二眼白鳥一、形色似二雲雀一、觜黑色、其尾能開合、擴則如二孔雀尾一、人畜レ之弄翫、其聲不レ應レ形高亮、似二瞿啷瑯聲一、性畏レ寒不レ易レ育、
p.0910 鶖〈俗或正、音秋、ミツトリ、大トリ、カシドリ(○○○○)、〉 〈カシドリ〉
p.0910 鶖(カシドリ)
p.0910 鶖(カシドリ)
p.0910 懸巢鳥〈訓加(○○○)二計須一〉
釋名、樫(カシ)鳥、〈俗稱、斯鳥營二巢于深山樹上一而不レ能二堅固一、但懸二一枝一而垂下、故名云未レ詳、堅木者橿也、毎棲二堅木之樹一而鳴、因名レ之、〉 集解、懸巢大似レ鳩、頭白有二黑斑一、眼邊及頰有二黑紋一、頰上至二背腹翮上一灰赤色、翮端白有二靑斑一、羽黑白相分、白處有二靑斑一、啄尾黑脛黃、鳴聲極喧、能成二諸鳥之聲一、性躁惡摯二小鳥一而食、其類相値則搏鬪、或畜二之樊中一成二百鳥之聲一、然不レ能下與二餘鳥一同居上、若同居必爲レ害、毎養レ之不レ以二魚鳥之肉一則死焉、其味極躁腥不レ可レ食、故不レ詳二氣味之性一也、
p.0911 橿鳥 好棲二橿樹一、故俗呼曰二橿鳥一、又名二懸集鳥一、
按、橿鳥形小二於鳩一、〈○中略〉今商家除夜元旦炙食、以祝二借而取之義一矣、肉味不レ美、有二臊腥氣一、
p.0911 〈かし鳥 かけすともいふ〉 〈ゑがひ〉 〈生ゑ四分、あをみ入、粉壹匁、〉
大きさひよ鳥に大きく鳩のごとし、かしらねずみ色にごまふあり、總身こいねずみいろ、尾羽のはしくろく、羽のもとにるりいろの羽あり、此とり子がひによくものまねをさへづる、
島かし鳥(○○○○) 〈ゑがひ〉 〈生ゑ四分、あをみ入、粉壹匁、〉
大きさ鳩に大ぶり、いたゞきくろく、總身ねずみにくろきごまふ有、さへづりからすににたり、はしつよく木つゝきのごとくかごをやぶる、近國にはまれなり、
p.0911 鵥(カシドリ)
鵥は平にて甘く膈に吉食を消しつゝ氣を下す也 鵥は疵や瘡にはふかく毒氣力をぞ益常に食せよ 鵥を串指あぶり用れば、盜汗をとめ諸藥にもます
p.0911 椎柴 俊賴
夏そひくうながみ山のしゐしばにかし鳥なきつ夕あさりして
p.0911 山鳥類 かけす〈上野、芝、〉
p.0911 椋鳥〈訓二武久止利(○○○○)一〉
釋名〈此鳥常棲二椋木一故名レ之〉 集解、狀如二小鳩一而頭背灰紫色、背下黑白相重、眉淡黃、領以下至レ腹倶白、翮上淡紫有レ斑、翅上白有二波紫斑一、羽黑間レ白、翅下交二淡紫一、羽尾亦純黑也、其聲似レ鵯而喧、常好成レ群、其味亦似レ鵯而佳、
p.0912 椋(ムク)鳥 大ずハ、ツグミホドアリ、形鳩ニ似テ、音ヒエドリニ似タリ、味ヨシ、群飛ブ、ムクワリト不レ同、
p.0912 〈小むく(○○○) 島むくともいふ〉 〈ゑがい〉 〈生ゑ四分、あをみ入、粉壹匁、〉
大きさむく鳥にちいさし、かしら白く、せくろく、腹白く、かき色まじりたり、此鳥いうに不同ありて、かしらの白みよくさへたるはうつくしき物なり、さへづり大をんなれどもよろしからず、冬多く出る、
むく鳥 〈ゑがい〉 〈生ゑ四分、あをみ入、粉壹匁、〉
大きさ小むくに大きし、總身くろねずみ色にて、目の邊白き毛あり、ひね鳥はかしら白く、はしあかく、見事に成ものなり、さゑづり大おんなれどもよろしからず、冬いづる、
p.0912 山鳥類 山胡(むくどり)小石川邊
p.0912 ムクワリ 其大〈サ〉ヒエ鳥ノ如シ、苴ハ形モ亦似タリ、頭黑ク頰頒白ナリ、背翅ノ表ノ色淡黑色、背ノ末白、腹白シ、ノドノ下尾ノ上黑シ、尾ノ末微白、ヒエドリヨリ尾頭觜少長、觜末尖リ色黃ナリ、脚モ淡黃、食レ之而其味ヨシ、林鳥ナリ、群飛ス、本草不レ載、故漢名不レ知、本書亦不レ載、
p.0912 萩(ハギ)鳥
釋名〈此鳥棲二萩叢一故名〉
集解、萩鳥似二椋鳥一而頭背臆紫色有二黑斑一、眼邊及頰領黑、頸腹淡黃有二紫斑一、翮端紺翠有レ斑、羽黑白相交、嘴脚黃、其聲短、其味亦不レ佳、
p.0912 增子(マシコ)
p.0913 猿子鳥〈訓二麻之古一〉
釋名〈鳥性慧利、聲亦喧似二猿子一故名、〉
集解、猿子大如二小鳩一、而頂前半靑、後半黃、目之前後有二紫色條一而作二上半圈一、至二兩頰一作二白圓一、頷下亦有二紫色一而作二下半圈一、自二頷下一至レ臆亦紫色腹下白、背上赤黑有二黑斑一、翅羽灰黑交レ白、嘴脚倶蒼、其聲淸滑、其味不レ佳、官家畜レ籠以弄レ之、
p.0913 猿子鳥 正字未レ詳 俗云末之古
按猿子鳥狀大如レ雀、全體灰黑胸腹淡赤色、羽灰黑色而有二黑彪一、尾下兩端白者二、其觜短而赤黑脚黑頂灰黑、自レ頭至レ胸淡赤而有二白圈一、如二千葉菊花紋一、鳴聲如レ曰二比宇比宇一、囀則曰二比宇知由留比宇知由留一、猿(サル/○)麻之古鳥(/○○○○) 狀似二猿子鳥一、而無二菊花紋一、 照(テリ/○)麻之古鳥(/○○○○)狀同猿子墨而自レ賴至レ胸正紅、 大(オホ/○)麻之古鳥(/○○○○) 狀色同二猿子鳥一而大、其菊花紋亦鮮明、
凡猿子鳥之屬、性 利而聲亦喧、宛然似二猿之子一故名レ之、蓋麻之者猿猴異名也、
p.0913 粒餌小鳥の分 何にても水を入る
かやましこ(○○○○○) 〈ゑがひ〉 〈きび、ゑのごま、すりゑ四分ゑよし〉
大きさすゞめにちいさし、け色すゞめににてあかみあり、年をかさねてつらくろく、外あかみます、さゑづりほそし、まれに出る、すくなき類なり、
〈ましこ 上品きくましこ、下品さるましこ、〉 〈ゑがひ〉 〈ゑのごますりゑ五分ゑよし〉
大きさすゞめににて、せの色赤うすくろく、うす白き毛もまじり、むねはらべにのごとく赤し、のどに白きけ、きくのごとくなりたるをきくましこといひ、でりのうすきをさるましこといふ、年をかさねて毛色さめしらけ惡敷なる、さゑづりよし、よくさへづるはまれなり、
〈はぎましこ(○○○○○) 大ましこともいふ〉 〈 ゑがひ 右同斷〉 大きさましこに大きし、諸事ましこにかはりなし、
p.0914 大ましこ(○○○○) 小ましこ(○○○○) 萩ましこ(○○○○)〈一名萩鳥共云〉
右何れも鳥は日光山より多く出る鳥也、照色はいろ〳〵有、極赤きを上とする、但し萩ましこは黑く紫の毛色有、雌雄はよく分る也、江戸にても大ましこ、小ましこ、照に甲乙有故、猿ましこ、菊ましこ共云也、餌飼人々知る處也、
p.0914 昔を思ふといふことを 源仲正
ましこゐるゐのくつちはらうちはらひみきはかたてし昔こひしも
十題百首 寂蓮法師
時雨こし木ずゑの色を思へとやえだにもきゐるてりましこ哉
正治二年百首御歌 第三のみこ
冬がれのをかべに來ゐるてりましこ紅葉にかへるこずゑ也けり
p.0914 山鳥類 ましこ〈目黑〉
p.0914 野子(ノコ)
頭背灰赤色、眉白頰白、頰下及頷深紅色、翅靑羽尾黑、兩脇亦靑、腹白、其聲艶、
p.0914 天文十一年閏三月廿五日、のこ鳥一、富はら持參也、仍給候、御太刀遣レ之也、
p.0914 粒餌小鳥の分 何にても水を入る
のじこ 〈ゑがひ〉 〈きび、あは、ひゑ、米、すりゑ四分ゑよし、〉
大きさすゞめに小ぶり、けいうすゞめにあをくきなり、むねはら尤きなり、さへづり高音にてすずねも有、さゑづりおもしろき鳥なり、
島のじこ(○○○○) 〈ゑがび〉 〈きび、あは、びゑ、米、すりゑ四分ゑよし、〉 大きさのじこに少し大ぶり、毛色また少しあかみ有、さへづりよし、のじこににたる物にてめづらし、
p.0915 朝鮮野路子(○○○○○)
此鳥脊赤く胸も赤くして腹黃色、雛は脊の赤み薄し、雌は尾の樣に少し赤羽有り、啼音は靑地のさへずりに似たり、多は薩州に渡來る、太古檀香鳥とて、唐人長崎〈江〉持渡るよしにて、通詞林百助所持にて、書寫したる事あり、唐には澤山見る鳥也、
p.0915 野路子(ノジコ)
此鳥秋渡る鳥なり、尤諸國より出る鳥也、子も所々より出なり、此鳥雛鳥にて雌雄わかりかね、茶色なるを雌といへ共、雄のひなにも茶色あり、あごの下に黑き毛あるを雌とする也、此鳥能鈴あるを賞翫す、しかし荒鳥翌年は鈴音ぬけるもまゝあり、餌飼粟にて後三分餌、
大野じ子(○○○○)
此鳥靑地の形にて、のじこの形はなし、まゝ上方より來る事あり、餌飼魦にて三分餌、
p.0915 山鳥類 のじこ〈山の手邊〉
p.0915 鶸
p.0915 鶸〈訓二比和一〉
釋名〈鶸字書而灼切、音弱、昆鳥也、字義未レ詳、〉
集解、鶸小二於雀一、全體黃色、頭背頸翅交レ黑、羽毛黑腹黃白、聲淸滑多囀、其味苦不レ佳、
附錄河原鶸(カハラ /○○○)〈狀似レ鶸稍大、頭背灰白、眼後微黑、背有二黑斑一、翅蒼黑而交二黃羽一、腹白聲亦相似、味微甘不レ苦、俗稱河畔水淺多二砂石一處曰二河原一、此鳥常居二山中水邊一故名、〉
p.0915 ヒハ 漢名未レ知、カラヒハ(○○○○)ハ、タデヒハヨリ小也、頰ト腹ト尾上黃ナリ、背ト翅ハ黑廿真マジレリ、觜小ナリ、マヒハトモ云、粟稗食(ヲス)、ベニヒバ、カラヒハト大サ同ジ、形モ同、(シ)頭ノ上眞紅、ム 子ハ淡紅脚黑シ、タテヒハ處々靑黃ナリ、カラヒハヨリ微大、麻ノ實ヲコノンデ食フ、河原ヒハ、タデヒハノ大ナルナリ、國俗ニ鶸ノ字ヲヒハトヨム、於二中華之書一出處未レ詳、
p.0916 粒餌小鳥の分 何にても水を入る
まひは 〈ゑがひ〉 〈ゑのごますりゑ五分ゑよし〉
大きさすゞめにちいさく、靑く黃色にて尾羽にひは色右て、きやしやにしほらしき鳥なり、囀りよし、冬多く來る、年によりてわたらぬ事あり、
洞原ひは 〈ゑがひ〉 〈きび、あは、びゑ、米、すりゑ四分ゑよし、〉
大きさすゞめにふとし、大かはら小かはらとて、少し大小二品有、けいろ眞ひはに似て鳥がらいやし、囀り有、子がひ尤さへづりよし、冬おほく出る、
p.0916 ことりどものうたよみける中に
こゑせずと色こくなるとおもはまし柳のめはむひはの村鳥
p.0916 永享七年六月廿五日、養二小鳥一〈ウソ三、ヒハ二、〉入レ籠、簾代之内ニ釣、〈○下略〉
p.0916 山鳥類 鶸〈ぬかひは、べにひは、かわらひは等有、四ツ谷邊、〉
p.0916 鳥類字 山雀(ヤマカラ)
p.0916 山雀(ヤマガラ)
p.0916 (ヤマガラ)〈所出未レ詳、俗又用二鶂字一謬甚矣、〉山陵鳥(同)〈夫木〉山連(同)〈或作二山柄一〉
p.0916 山雀〈訓二也末加良一〉
集解、狀似二頰白一而頭黃白帶二赤色一、眼之前後及頷有二黑條一、背灰赤色、嘴胸翅尾倶黑、腹赤色、性慧巧能囀、久養馴致、則籠中飛舞者最巧、故兒女以レ紙レ造二細繩一、結レ之作二環輪形一、重重懸二于籠中一、則鳥遶二穿其隙及輪中一而反飜、常好二胡桃一食、又食二荏子一、其平生所レ養者用二硏餌(スリエ)一、其法用二生蕪菁莖葉一而硏爛、合二米粉生魚肉一硏 レ泥以レ水煉レ之、名曰二硏餌一、其生魚者用二川鯽泥鰌小鰻等之生肉一、用二溪川之魚一不レ用二鹽水之魚一也、大抵養二山鳥之小一者用二硏餌一者多、或用二荏麻(エノゴマ)子、稗子(ヒエ)、細杭(コヾメ)一、亦有レ之、
p.0917 山ガラ 性タクミニシテ慧ナリ、能ナヘヅル、又小ガラアリ、山ガラニ似テ小ナリ、
p.0917 山雀 山陵鳥 正字未レ詳 俗云也末加良
按、山雀狀似二畫眉鳥(ホシロ)一、陀常鳴如レ曰二豆伊豆伊一、〈○中略〉毎攫レ物也有二鷹鳶之勢一、其屬小雀、四十雀、火雀皆亦然矣、共其肉味不レ佳、故人不二敢食一、又不レ入二藥用一、止畜二樊中一爲二兒女之弄戯一耳、
p.0917 粒餌小鳥の分 何にても水を入る
山がら 〈ゑがひ〉 〈くるみ、ゑのごま、花のみ、何れも水入、すりゑは生ゑ八分、粉壹匁、あをみ入、〉
大きさすゞめににて、毛色かばいうに、白くろこいねずみまだらふなり、此鳥羽づかひかろく、籠の内にて中歸りするかるき鳥を、小がへりの内、とまり木の上にいとをよこにはり、段々高くかゑるにしたがひ、其いとを上へ高くはりふさげ、のちには輪をかけ五尺六尺のかごにても、よくかゑりわぬけするものなり、又藝あり、かごのぞとへ出しやかごを仕出し、くるまぎにつるべを仕かけ、一方に水を入、一方にくるみを入、常に水とゑをひかへするときは、かの水をくみあげ、又はくるみの方を引あげ、よきなぐさみなり、籠の内上の方に、ひやうたんにぜにほどのあなをあけつるべし、夜は其内にとまるなり、此鳥秋の末渡る、其内にて、かろき鳥を見たて、げいを付るなり、さへづりよし、
p.0917 山雀(ヤマガラ)
山雀は平に温也物わすれ心をつよふし智惠をよくます 山雀は身をかろくして年をのべ鬚髮くろく長生となる
p.0917 山がらめ(○○○○) すけみ もみぢ葉に衣の色はしみにけり秋の山からめぐりこしまに
p.0918 くるみ 光俊
山がらのまはすくるみのとにかくにもちあつかふは心なりけり
p.0918 十題百首 寂蓮法師
この内も猶うらやまし山がらのみのほどかくすゆふがほのやど
○按ズルニ、平家物語山門御幸ノ條ニハ、此歌ヲ紀伊守範光ノ作トナセドモ、恐ラクハ誤ナラン、
p.0918 成通卿いまだ若かりけるに、庭にて鞠をあげられけるが、まり格子と簾との中に入けるに、つゞきて飛入られけるが、父の前無骨なりければ、まりを足にのせて、其板敷をふまずして、山がらのもどりうつ(○○○○○○○○○)やうに飛かへられたりける、凡夫のしわざにあらざりけり、
p.0918 寶治二年十月廿五日戊戌、島津豐後左衞門尉忠綱、以二高麗山山柄(ヤマガラ/○○)一獻二將軍家一、〈○藤原賴嗣〉其色白而如レ雪、其聲不レ相二似吾國鳥一、幕府賞翫只此事也、
p.0918 還幸供奉人々被二禁殺一事
宇都宮ハ放召人ノ如ニテ、逃ヌベキ隙モ多カリケレ共、出家ノ體ニ成テ徒ニ向居タリケルヲ、惡シト思フ者ヤ爲タリケン、門ノ扉ニ山雀ヲ繪書キ、其下ニ一首ノ歌ヲゾ書タリケル、
山ガラガサノミモドハヲウツノミヤ都ニ入テ出モヤラヌハ
p.0918 高戸善七
備中國鴨方村に、高戸善七郎後に孫兵衞といへるは、父に仕ふること極て孝也、〈○中略〉老後人の飼たる山雀の翅を殺たるを憐み、乞得て愛養し、翅長ずるに及び、籠を開きて去しめんとするにさらず、程なく翁京へのぼらんとて、家より一里計出たる、竹輿のうちにて頓死しければ、家にかへ してとかく事をはかる間、彼山雀を其家の東一丁計ある親族のもとへうつしたるに、翁の死をや知けん、籠を破りて飛去ぬ、さて葬儀など終りて後、妻子翁の墓にまうでゝみれば、彼鳥そこにあり、此墓所は翁の家より西にて、うつしたる家よりは五丁計もあらんに、いかにしりて來りしにかと、人々ゐやしみて、例のごとく手を動して試れば、手につきて舞鳴ぬ、いと悲しうてつれかへらんとしたれど、やがて又空に飛さりぬとぞ、
p.0919 雀類字 (シヾウカラ)
p.0919 四十雀(シジウカラ)
p.0919 〈又作レ 、並未レ詳、〉四十雀(同)
p.0919 四十雀
訓二四十加良一、俗稱以二雀四十隻一代二一鳥一故名、或謂以二其類多集一而名、倶名義未レ詳一、狀似二小雀(コガラ)一而大、頭黑兩頰白、白圓紋黑圈至レ鵛胸背灰靑、翅尾黑腹白、其聲淸滑多囀、其味微苦不レ佳、
p.0919 四十雀 正字未レ詳
按、四十雀似二小雀一而大、〈○中略〉其聲淸滑多囀、如レ曰二四十加羅一、故名レ之、其老者換レ毛色稍異形亦大、俗呼曰二五十雀一、雌者腹雲紋幽微、
p.0919 粒餌小鳥の分 何にても水を入る
〈四十雀〉 〈ゑがび〉 〈右同斷○くるみ、ゑのごま、花のみ、何れも水入、すりゑは生ゑ八分、紛壹匁、あをみ入、〉
大きさ山がらにちいさし、かしらくろ白まだら、せはあさぎに黃色、ねずみいうまじりたり、はら白くくろきすぢ有、諸事山がら同事にて、藝もつく鳥なり、さゑづりよし、子がひ尤よし、あら鳥秋のすゑより冬まで出る、へうたんにとまる、
p.0919 四十雀(シヾウカラ) 四十雀平なり甘く氣力まし身をかろくして足を强す 四十雀五疳に藥勞を去氣のおもきにはなを藥なり
p.0920 十題百首 寂蓮法師
あさまだき四十からめ(○○○○○)ぞたゝくなる冬ごもりせるむしのすみかを
p.0920 山鳥類 白頰鳥(しゞうから)〈こがら、びがら有、上野、〉
p.0920 五十ガラ 四十ガジノ類也、腹白背ウス靑シ、
p.0920 粒餌小鳥の分 何にても水を入
〈五十柄 八十がらとも、さかつほう共、さかほこ共、木ねずみ共いふ、〉 〈ゑがび〉 〈右同斷○くるみ、ゑのごま、花のみ、何れも水入、すりゑは生ゑ八分、粉壹匁、あをみ入、〉
大きさ山がらにて、かしらより尾までうすねずみ色にて、のどよりはら白し、此鳥は少し大きなる籠に、ぼくなど入、へうたんを釣かふべし、方々へかるくつたひまはり、籠の内おもしろき鳥なり、囀りよし、近國にまれなり、へうたんにとまる、
p.0920 山鳥類 五十から〈稀なり〉
p.0920 鳥類字 鴶(コガラ)
p.0920 鴶(コガラ)未レ詳小陵鳥(同)〈夫木〉
p.0920 小雀
訓二古加良一、或號二小陵鳥一、名義未レ詳、狀似二山雀一而小、頭黑頸頰白如二圓紋一、背腹白翅尾黑、聲滑多囀、身輕上下、繞レ枝度レ樹、隔レ葉難レ見、其味不レ佳、
p.0920 小がら 〈十二からともいふ〉 〈ゑがひ〉 〈生ゑ萱匁、あをみ入、粉壹匁、くるみ入、〉
大きさ四十からに小ぶり、毛色かしら黑く、せはねずみにてはら白し、かごの内四十からににたり、さゑづり少しあり、冬出る、近國にはまれなり、
p.0921 冬の野 行實
冬野にはこがら山がらとびちりてまた色々の草のはらかな
p.0921 ことりどものうたよみける中に
ならびゐてともをはなれぬこがらめのねぐらにたのむしひの下枝
p.0921 詠百首和歌 春二十首
春きてもみよかし人の山ざとにこがらむれゐる梅のたちえを
p.0921 鳥名十首
み山べの嵐にうつるこがらめは時雨にのこる木のはとぞみる
p.0921 鴰(ヒガラ)
p.0921 鴰(ヒガラ)
p.0921 ひがら 小鳥の名にもいへり、其眼の瞟なるをもて也、鵦鵠也といへり、鴰字をよめるは心得がたし、
p.0921 日鵲
訓二比加良一、名義不レ詳、或曰火雀(ヒガラ)、以二色赤一而稱、此亦不レ爲レ當矣、狀似二四十雀一而小、頭背灰赤色、眼頰白黑相交、腹白翅尾黑、聲亦似二三雀一、其味尚不レ佳、
p.0921 ひがら 〈ゑがい〉 〈生ゑ壹匁、あをみ入、粉壹匁、くるみ入、〉
大きさ小がらにちいさし、毛色白くろねずみまじり、四十からににたり、さゑづり少し有、ちいさくゑほらしき鳥なり、山がらのごとく中がへりするも有物なり、
p.0921 粒餌小鳥の分 何にても水を入る
あいぜんがら 〈ゑがひ〉 〈山がら同斷○くるみ、ゑのごま、花のみ、何れも水入、すりゑは生ゑ八分、粉壹匁、あをみ入、〉 大きさ山がらににて、けいろ山がらの白き所も不レ殘かば色に赤し、山がらのるいなり、諸事山がらにかはる事なし、まれに山がらの内にまじりわたる、
p.0922 愛染柄
此鳥秋日光ちゝぶよりも出、江戸にても間々とれし事有、此鳥山がらの替り共付ず、尤塒をすれば山がらとなる、飼方山がらに同樣也、
p.0922 山鳥類 あんじんから(○○○○○○)〈稀なり〉
p.0922 烏類字 鶲(ヒタキ)
p.0922 鶲(ヒタキ)
p.0922 鶲(ヒタキ) 鵚(同)
p.0922 火燒鳥〈訓二比多岐一〉
釋名、鶲〈壒囊〉鵚〈古俗、按、鶲、字書音翁、鳥名、字義未レ詳、鵚者老鶬之名、此鳥頭不レ禿則亦未レ詳、從レ翁從レ鵚倶訓二比多岐一、不レ知二何故一爾、〉
集解、鶲大如レ雀、頭靑頷頰純黑、背翮灰赤有二黑斑一、翅上有二一重白羽一重黑羽一而相次、觜脚蒼黑、其聲淸而多囀、一種有二黃(キ)火燒者一、狀稍小而頭黑、眉黃頻頷胸腹亦皆黃、自二眼後一至レ背純黑、背後腰間並黃、翅尾純黑而翅間有二白羽三四箇一、其聲亦淸滑、兩種皆不レ知二其味一也、
p.0922 鶲〈音翁〉 鶲〈出二壒囊抄一、字義未レ詳、〉 俗云比太木
按、鶲大如レ雀、〈○中略〉其聲淸亮多囀、如レ曰二比伊古止比伊古止一、
黃鶲(キ /○○)〈(中略)一名金花〉
一種 形色似レ鶯而眼圓大、其鳴聲與レ鶲相似、
p.0922 雪ひたき(○○○○) 〈ゑがひ〉 〈生ゑ八分、あをみ入、粉壹匁、〉
大きさかたち鶯ににたり、總身あい色のるりいろ、のどよりはら白くわきばらにかきいろの毛 少しあり、目のうへにしろきまゆげ有、さへづりほそし、ひろき籠にとまりすくなく入べし、冬のはじめ春のはじめに出る、此鳥わかきときは毛色外也、總身うぐひすの色ににて、少し尾羽にるりいろあり、是を半なりといふ、本け雪ひたきより半なり多く出る、め鳥又半なりににたり、
きひたき 〈ゑがい〉 〈生ゑ壹匁、あをみ入、粉壹匁、〉
大きさ鶯にちいさし、總身黑く黃色のまゆ有て、羽に白き毛少し、せに又き色入、のどよりむねまでき色にて、うつくしき鳥なり、囀りほそし、春のすへと秋の末に出る、す子は夏出るまれなり、
ぜうひたき(○○○○○) 〈ゑがい〉 〈生ゑ、七分、あをみ入、粉壹匁、〉
大きさ鶯にして首ねずみ色にて、せのいろうす黑く、かたに白き毛あり、尾羽かば色にあかし、むねつら黑く、腹かばにあかし、さへづりほそし、秋の末より春の初めまで多く出る、
野ひたき(○○○○)〈ゑがい〉 〈生ゑ七分、あをみ入、粉壹匁、〉
大きさ鶯に小ぶり、あをく淺ぐうし、さゑづりほそし、たまに冬出る、めづらしき類なり、
島ひたき(○○○○) 〈ゑがい〉 〈生ゑ壹匁、あをみ入、粉壹匁、〉
大きさうぐひすに大ぶり、鳥のふうぜうひたきににたり、毛色ぜうひたきに赤き所多し、世にぜうひたきのかはりといふ、たとへばやまがらとあいぜんがらとのごとし、
りうきうひたき(○○○○○○○) 〈ゑがい〉 〈右同斷〉
大きさ鶯に小ぶり、かしら黑く、白き首だま尾羽靑ぐろくかば色まじりたり、さへづりほそじ、りうきう鳥にはあらず、和鳥なれどもめづらしゝ、
あつ鳥ひたき(○○○○○○) 〈ゑがい 右同斷〉
大きさ鶯に小ぶりにて、赤白黑色まじり、あつ烏のふににたり、さへづりほそし、めづらしき類なり、但しりうきうひたきのわか烏ならんか、
p.0924 源師光
百數にすみかさだめよひたきどりなれがやどりも庭にみゆめり
十題百首 寂蓮法師
思ひかね柴とりくぶる山里を猶さびしとやひたきなく也
p.0924 山鳥類ひたき〈白山邊きひたき、るりひたき(○○○○○)、上ひたき等有、〉
p.0924 〈訓二志那比(○○○)一〉
釋名、赤腹、〈俚俗據レ色之レ名、按字書 者與レ鶺同、今借用歟、未レ詳、〉
集解、 大如レ雀、頭背翅蒼灰色、腹赤、聲短不レ囀、其味最佳、性能成レ群、故捕レ之者窺二其成一レ群、而於二庭上一散レ餌以待レ之、群 拾レ食則投レ網取レ之、一擧數百、或爲レ媒設レ 亦捕レ之、
p.0924 〈鶺同〉 正未レ詳 一名赤腹(アカハラ) 俗云志奈比
按 者百舌鳥之屬、形大亦相似、而背灰蒼色、腹赤、其聲短、能群飛、故多易レ捕、於二其來處一撒レ餌張レ罟、或以レ囮取レ之、炙食味美、
p.0924 あかつはら(○○○○○) 〈ゑがひ〉 〈生ゑ四分、あをみ入、粉壹匁、〉
大きさつむぎにおなじ、〈○ひよ鳥に小ぶり〉つむぎの類なり、せはあをくろく、はらかばにあかし、さへづりよろしからず、ふゆいづる、
p.0924 山鳥類 あかはら〈千住砂村邊〉
p.0924 鳥類字 (ヌカ)
p.0924 (ヌカ)
p.0924 〈訓二奴加一、本朝訓レ額爲二奴加一不レ知レ有二 義一乎、〉
集解 似二四十雀一而極小、色灰白帶レ靑、聲淸圓多轉、味不レ爲レ佳、一種色赤鮮明者稱二照 (テリヌカ/○○)一、照者光明也、
p.0925 鳥 名義未レ詳 俗云奴加止利
按、額鳥狀似レ鶸而小、灰白色帶レ靑、其聲淸圓多囀、
照(テリ)額鳥 形色相似鮮明、而頂有二小紫點一、
p.0925 粒餌小鳥の分 何にても水を入る
ぬか烏 〈ゑがひ〉 〈ゑのごますりゑ五分ゑよし〉
大きさすゞめにちいさし、毛色すべめにしらけたり、いたゞきに赤き毛あり、さへづり少しあり、冬の内に來る、年によりてわたらず、
p.0925 惠那加鳥〈訓如レ字〉
集解、狀如レ雀而全體純白、眼後背上翮端羽上有二黑紋一、尾亦純黑、其聲淸滑可レ愛、其味不レ美、
p.0925 エナガ 頭上白ク、ム子、ハラモ白シ、觜短ク尾長シ、背ノ色ウグヒスニ似タリ、四十カラヨリ小也、聲ヨシ、
p.0925 惠奈加鳥 正字未レ詳
按、惠奈加鳥大如二鷦鷯一、全體似二四十雀一而背淡赤、雜色不二鮮明一、眼後背上翮端羽上有二黑紋一、其尾半白半黑、頭圓小二於常鳥一、其聲淸亮而似レ喘、毎鳴如レ曰二豆伊豆伊一、蓋此四十雀之屬乎、性怕レ寒難レ育、
p.0925 ゑなが 〈ゑがい〉 〈生ゑ壹匁、あをみ入、粉壹匁、〉
大きささゞいににて、毛色白くろかき色まじり、はしみじかく尾ながし、さゑづり少し有、しほらしき鳥なり、あら鳥ふゆ出る、春またすこし有、子は夏いづる、尤子がいよし、
p.0925 柄長
此鳥春江戸在にて子をうむ、巢草に靑苔をもつて、ひようたんの形にかけ、子數多きもの也、飼方魦にて五分餌、白餌にてくるみを入る、此内に菊柄長(○○○)とて頭に白き毛あるを、心をつけ見分べし、
p.0926 山鳥類 ゑなが〈綾瀨邊〉
p.0926 頭鳥〈訓二加志良一〉
集解、狀似レ雀而色如レ鶉、頭蒼赤頰赤有二白斑一、腹白臆及兩脇有二赤斑一、其聲短不レ淸、其味稍佳、此亦能成レ群、
p.0926 頭鳥 正字未レ詳 俗云加志良
按、加志良鳥狀似二深山畫眉鳥一、而毛色如レ鶉、頭黑柿色、頰赤有二白斑一、腹白臆及兩脇有二赤斑一、能成レ群、其聲短不レ淸、囀時起二毛冠一、其裏黑、
p.0926 殊頂紅 一名珠頂紅、一名貯點紅、一名千里紅、一名老鎗雀、和名カシラ
百鳥圖贊、〈有レ圖〉張廷玉詩、飜飛西復東、珠頂鶴頭紅、赤幘原無レ異、朱纓謌二許同一、辟塵光並耀、照乘焰具融、欲レ覔二牟尼寶一、何須レ到二梵宮一、〈○中略〉
冬月多渡ル小鳥ナリ、大サ雀ノ如ク全身ニ斑文アヲ、脊毛色淡綠色ニシテ黑ミアリ、淡黑ノ斑 點アリ、胸ヨリ腹ノ間色白シテ黑斑アリ、兩翅幷尾淡黑ニシテ白色ノ緣アリ、觜雀ノ如ク色黃 ナリ、頂深紅色、胭脂ヲ塗ルガ如シ、故ニカシラト云、
p.0926 粒餌小鳥の分 何にても水を入る
かしら 〈ゑがひ〉 〈きび、あは、ひへ、米、ずりゑ五分ゑよし、〉
大きさすゞめににて毛色すゞめににたり、むねに赤きごまふ有、山がしら田がしらとて、少しかはりて二色あり、山がしらをてりがしらといふ、年を重ねてくろ白のふわかりて見事になる、囀りよし冬多く出る、
島がしら(○○○○) 〈ゑがひ〉 〈ゑのごますりゑ五分ゑよし〉
大きさすゞめにちいさし、け色かしらににて、つら又ほあかににたり、冬まれに有、めづらし、
p.0926 深山鳥〈訓二美也末一〉 釋名〈此烏棲二深山之樹一故名〉
集解、狀小二於雀一、黑頭玄冠黃眉、眼之前後有二黑條一、頰頷黃白臆有二黑文一、背翅黑赤有レ斑、羽尾倶黑、聲淸多囀最可レ愛、其味不レ佳、
p.0927 深山鳥 俗云美也末止里 別有二深山頰白鳥一與レ此異
按、深山鳥狀小二於雀一、而頭黑有二小冠一、眉黃、眼之前後有二黑條一、頰頷黃白、臆有二黑文一、背翅黑赤有レ斑、羽尾倶黑、其聲淸而多囀可レ愛、
p.0927 松菟
み山ぎの雪ふるすよりうかれきて軒ばにつたふ松むしりかな
p.0927 松むしり〈藻鹽草〉 漢名未レ詳 今名マツクヾリ
p.0927 松くゞり 〈ゑがい〉 〈生ゑ壹匁五分、あをみ入、粉壹匁、くるみ入、〉
大きさすゞめにちいさし、毛色あを黑く、こまかにうす白きふ有、さゑづりほそし、よはき類なり、
p.0927 鳥の中には、〈○中略〉侍大將には〈○中略〉松むしり、
p.0927 金雀 一名金絲雀、一名黃雀、和名カナーリヤ
事物紺珠、金雀如レ雀色黃、 盛京通志、金絲雀黃色亦善鳴、土人多畜二之樊籠一、 臨淸州志、黃雀黃色而小、南來北去之鳥也、村兒繫而豢レ之、幾輔通志、黃雀形似二瓦雀一其色黃、
蠻國カナーリヤヨリ渡ス故名ク、大サ雀ノ如ク、全身金黃色ニシテ腹ノ處色淡シ、尾長ク喙脚共ニ淡白色ナリ、囀聲淸亮ナリ、人家多ク畜モノナリ、古來鎭江府志ノ金翅雀ト同物ニシテ、河原ヒハノコトトスルハ誤ナリ、又雀ノ雛ノ觜ノ黃色ナル者ヲ黃雀ト云、此ト同名異物ナリ、
p.0927 かなありや鳥 餌がい〈キビ、アワ、〉
大さ十姉妹にすこし大ぶり、總身薄く黃色に白く、ゑりの所に少しうす墨の曇り有、頭とむね尾 の上つよく黃色にて見事也、和のかわらひわの聲に似て、囀至て高音にていさぎよく面白き物也、巢の所未レ考、尾長くめづらしき類にて少し、
p.0928 カナアリヤ
此鳥大古より間々紅毛人長崎へ持渡たる鳥に候得共、皆雄計相渡り、雌は不レ渡候故、日本の地にて子を生立る事なし、然處天明年中、紅毛人自分なぐさみに初而持渡番鳥也、長崎出島屋敷にて年々子を取り生立、此親鳥其節之御奉行御所望に而、初て東都〈江〉御持歸り、然る處駿河臺の御旗本何某と申御方御貰にて、直に子出來たるよし、生立無功して皆とも落鳥と相成、又候翌年工夫を以澤山生立、二三年も外方へ持出候而、段々被レ出候、夫ゟ今以江戸中は勿論、日本國中皆飼覺、子は何方にても生立、當時カナアリヤにも、極黃幷ぶちカナアリヤ、又はカハフスとて色々名ありけれ共、極黃といへるは紅毛人持渡し羽色也、無地黃といふは日本にて生立羽色也、黃色拔て白色毛に也しを、則無地黃とて名附、のしこ府のぶち抔も出來、此内に色合能きをカアフスと名附、東にて飼立たる人の見立し名なり、古へ紅毛ゟ相渡りたるは皆極黃也、しかしぶちもあれ共、是迚も極黃筋のぶち、此鳥を飼に紅毛國より持渡りしものに、カナアリヤサアと云麥の小サナよふのものあり、是を飼て子を生立、何鳥にても粒餌鳥は能く好む品也、十月植付、來三四月頃は實のり、葉も麥に似て能く出來るもの、しかし麥ほど澤山には、實を取る事なし、
カアフスカナリヤ
天明年中、紅毛人貳羽持渡、薩州江相廻り候處、貳勿共雄也、此鳥のしこ府のカナアリヤにて、總羽至て靑シ、頭平にして尾長し、鳥の姿は別によろしく、當時カナアリヤカアフスとて候が大キな違ひ、紅毛渡りのカアフス見たる人は、其處能くわきまへ有べし、今世にては其鳥をば不レ知故、鳥に面々の名を付候處、是にはむりなる名もある也、餌飼人知る處也、
p.0929 からくん 餌がい 〈玄米、菜、〉
大きさ毛色鳥形世にしるごとし、きたなきもの也、玉子は廿七八日にて開かへりたてば、中々足のよわき物にて、一日は殊之外よろつく物なり、しかしつよきものにて飼よし、飼立やうは菜をこまかに切、當分は小米を水につけ、其内へ菜も交飼ふべし、よわき子には、うなぎのすりゑをわり飼にすべし、開りて取出したる日は、よう〳〵して、餌もろくに喰ぬものゆへ、二度ばかり摺餌をわりて喰すべし、ずい分餌をちいさくしてかため飼るよし、虫もよし、多はあしゝ、
p.0929 カラクン
此鳥紅毛人持渡、長崎出島屋敷江飼置き、世上にも流布の鳥也、此鳥の飼方紅毛人尋しに、すり餌に玉子を入、ひともじを割、飼置候よし、勿論米も粒餌飼致との事、細々に敎しかど、出島にては飼置たるを見れば、米と飯とを燒物に入飼置、了簡可レ有候事、此鳥の羽莖を以筆を拵へ、紅毛人文字を書、肉玉子は至て賞味候よし、客人江料理するに、甚厚馳走に成るよし、本朝にて鶴を料理すると同じ事の由、産巢には雄三才ゟ内胸にかもじ初不レ出、貳才の内にてなければ、つごう事不レ成、三才以上は身重くして、つごう事不レ叶、玉子は三十二日目にかへる也、三分餌に菜の葉交て飼也、餌至而强くしては飼方ならず、頭に腫もの出來て不レ宜、いづれにもひともじは大好物也、いたみたる節是用べし、
p.0929 ありすい 〈ゑがい〉 〈生ゑ壹匁、あをみ入、粉壹匁、〉
大きさひよ鳥にちいさくほそし、け色ねずみにしらけ、ふくろうのふににたり、舌を出し、へびのごとし、足貳本づゝふみわけなり、さゑづりほそし、
p.0929 大䳑 ( アリスイ/○○○) 小有水(○○○)
此鳥秋春よく渡る鳥也、三四月比までは、所々にも飼置ものなり、尤塒したるを見たることなし、 至て弱鳥也、小有水は猶餌付方六ケ敷ものにて候、委しくは餌方本にて見べし、まづこゝにざつと記す、魦にて六分餌、尤玉子の黃實を入、隨分和らかに致し、深き飼入れてよし、
p.0930 粒餌小鳥の分 何にても水を入る
〈じゆりん なべかづきともいふ〉 〈ゑがひ きび、めは、ゑごま、すりゑ七分ゑよし、大きさすゞめに少し大ぶり、けいうすゞめにうすく、年をかさねてかしらくろく白きくび玉入、見事になる、わか鳥はおほく、なべかづきはまれにあり、さへづりすこしあり、
p.0930 大壽林(○○○)
此烏春秋渡る鳥也、雛鳥の内は頭鷹に似て、塒上候へば鍋かぶりとなり、胸腹は白くなる也、粟にて後摺餌三分餌也、
小壽林(○○○)
此鳥大壽林より小ぶりにて、塒すれば頭黑くなる也、雛鳥の内雌雄わかりかぬる也、能心をつけ見分べし、餌飼粟にて後すりゑ三分飼也、
p.0930 せんにう 〈ゑがい〉 〈生ゑ壹匁五分、粉壹匁、あをみ入、〉
大きささゞいに大ぶり、毛色すゞめにうすし、せい高く尾ながし、尾のすゑに白き玉あり、さゑづりほそし、ふゆ出る、よはきるいにてかいにくき鳥なり、
p.0930 せんにう
此鳥堺筋に澤山居鳥也、巢子にて來る也、尤親鳥も來るもの也、これも至て弱鳥にて、飼方魦六分飼にて飼也、
p.0930 ひんすい
此鳥秋澤山渡る鳥也、いづくにて子を生立るや是を知らず、餌飼かるき三分餌、
p.0931 朝鮮ヒンスイ(○○○○○○○)
此鳥常の和のひんすいに似て府合別也、脊は薄赤く、和のひんすいの通り黑筋もあり、胸も赤くして黑府なし、雌に少シ黑府ある也、
p.0931 山鳥類 びんずい〈たひばりともいふ、王子へん、〉
p.0931 せつか 〈ゑがい〉 〈生ゑ壹匁五分、あをみ入、粉壹匁、〉
大きささゞいによほど大きく、毛色せんにうに黑し、囀りほそく、せんにうににたり、よはき類にて飼がたし、
p.0931 せつか
此鳥雛の内半なれとて有を、ひたき(○○○)とも云也、九州に澤山有、野ひたき共いふ、至て弱鳥にて魦六分餌にて飼也、
p.0931 相思鳥 餌がい、五分ゑ、 靑味入
大きさ鶯に似て、總身もへ黃に鼠色なり、觜赤く足黃尾羽黑く、兩羽之元に紅かば色の所あり、腹うすく黃色、目のうへに薄黃のまゆ有、尾のうへに二枚、先の丸き尾あり、下の尾は皆燕の子の尾のごとく也、かろき鳥にて羽遣などして、籠の内見鳥によし、囀高音にて面白きもの也、巢もなす鳥なり、子かへりては蜘を飼ふべし、十日程にて巢よりとり、すりゑのさしゑにて飼立る也、餌はだん〳〵子のつよきよわきによりて、品々飼方有、極がたし、とかくはじめは先うなぎの粉を、はやの下餌に交て飼立るがよし、段々に諸鳥共によわくゑを引べし、其外巢の仕かけ、木竹の植込いろ〳〵鳥の心によりて、見はからひあり、略レ之、
p.0931 相思鳥
此烏古より唐人持渡、日本の地にて澤山生立たる鳥なれ共、近年持渡薄く、親鳥無二多く一事故か、子 生立兼候、此鳥巢組の庭籠は、ずひぶん心得可レ有事、世の人是を知る也、勿論足の色二通り有り、黃足黑足あり、黃足の上をするなり、秋より冬迄飼方に氣を付可レ申事、四季ともに盛りあり、薩州屋久島にて見掛ケたる事あり、