p.1284 江ハ、エト云フ、海水又ハ河水ノ深ク陸地ニ入リタル處ヲ謂フ、因テ又入江トモ云ヘリ、而シテ人工ヲ以テ開鑿シタルモノ、之ヲ堀江ト稱ス、
p.1284 江 唐韻云、江海也、古雙反、〈和名衣〉
p.1284 山田本無二和名二字一按、應神紀大鷦鷯尊御歌、伽破摩多曳、謂二川派江一、仁徳紀、有二難波堀江一、〈◯中略〉廣韻同、按唐韻注レ江云二江海也一者、猶レ言二江海之江一也、下條、沼、池沼也、殿、宮殿也、錫、鉛錫也、羅、綺羅也之類、皆與レ此同、又按、説文、江水出二蜀湔氐徼外㟭山一入レ海、則知、江本所レ出レ自二㟭山一之水名、轉爲二江海字一、尚書正義、江以南、水無二大小一、俗人皆呼爲レ江、左傳正義、江海水之大者是也、風俗通、江者貢也、出二珍物一可二貢獻一也、
p.1284 江〈音公〉 和名衣 釋名江公也、小水流入二其中一所二公共一也、く巛之大者、皆曰レ江、禹貢所レ謂三江者、松江、婁江、東江是也、今所レ稱三江者、荊州荊江、蘇州松江杭州淅江是也、
p.1284 江エ 義不レ詳、我國にして江といふものは、河にもあれ、海にもあれ、其水深く入りたる所をいふ、入江、細江などいふ即是也、漢に江といふものには同じからず、〈天智紀に、高麗國寒極溟冰れりといふ事をしるされ、溟の字讀てエといふなり、即溟江也、溟讀てエといふは、彼方言によれる所なり、さらば此にして江をエといふ事も、彼方言に出しも知るべからず、〉
p.1285 え 江は海の枝ともいふにや、歌にほそ江、にごり江、ほり江、ながれ江などよめり、
p.1285 江 いりえ たまえ にごりえ みさひえ 海にも河にもあり
p.1285 柿本朝臣人麻呂羈旅歌八首 三津埼(ミツノサキ)、浪矣恐(ナミヲカシコミ)、隱江乃(コモリエノ)、舟公宣奴島爾(フネコグキミノユクカヌジマニ)、
p.1285 日くれがたになりゆく、夕鹽みちきて、いりえ(○○○)のたづもこゑおしまぬほどの哀なるおりからなればにや、人めもつヽまず、あひみまほしくさへおぼさる、
p.1285 江 すみのえ〈攝◯中略〉なには〈同◯中略〉みしま〈同◯中略〉たま〈同◯中略〉ほり〈同、万、〉つくま〈同、良暹法師、清輔云、近江有、〉たちつくり〈同、法成寺、〉さひ〈忠岺〉みづの〈丹波◯中略〉つたのほそ〈播、万、〉ひだのほそ〈飛◯中略〉いなさほそ〈遠◯中略〉さきもりのほそ〈駿◯中略〉なごの〈越中◯中略〉まヽの入〈下總◯中略〉まのヽ入〈近、金、俊頼、〉くさか〈筑前、万、〉すさの入〈◯中略〉おほくらのいり〈山◯中略〉ほそ〈◯中略〉をのヽふる〈伊勢◯中略〉たこの入 たま江〈越前◯下略〉
p.1285 江〈同名所〉 引佐細江〈遠江◯中略〉濱松江〈同名〉細江〈◯中略〉堀江〈攝州◯中略〉都富羅江〈攝州、難波に在レ之と云々〉筑磨入江、〈信の◯中略〉知多江〈紀州〉小野内江〈伊勢◯中略〉小野湊江〈同上◯中略〉和田入江〈攝州◯中略〉可思布江〈筑前◯中略〉余古入江〈あふみ◯中略〉たつのほそ江〈但未レ決〉多胡入江〈相州◯中略〉玉津島江〈紀州〉たちつくり江〈つの國◯中略〉玉江〈ゑちぜん◯中略〉玉造江〈陸奥◯中略〉津田細江〈はりま◯中略〉筑摩江〈近江◯中略〉難波江〈つの國◯中略〉難波入江〈◯中略〉奈古江〈越中◯中略〉流江〈伊勢◯中略〉室江〈きの國◯中略〉武庫入江〈つの國◯中略〉大藏入江〈山城◯中略〉大輪田入江〈つの國◯中略〉草香江〈ちくぜん◯中略〉眞間入江〈下總◯中略〉眞野入江〈あふみ◯中略〉蘆若江〈つの國◯中略〉佐比江〈同上◯中略〉安野細江〈するが◯中略〉崎守堀江〈するが◯中略〉水江〈丹後◯中略〉三島江〈攝津◯中略〉飛騨細江〈常陸◯中略〉陬磨江〈攝津國◯中略〉須佐入江〈◯中略〉住江〈◯中略〉住吉堀江〈◯下略〉
p.1285 爾赤猪子之泣涙、悉濕二所服之丹揩袖一、答二其大御歌一、〈◯中略〉又歌曰、【久佐迦延】能(クサカエノ)、伊理延能波(イリエノハ)
p.1286 知須(チス)、波那婆知須(ハナハチス)、微能佐加理毘登(ミノサカリビト)、登母志岐呂加母(トモシキロカモ)、
p.1286 十三年三月、大鷦鷯尊〈◯仁徳〉蒙二御歌一、便知レ得レ賜二髮長媛一、而大悦之、報歌曰、〈◯中略〉委愚比菟區(ヰグヒツク)、【伽破摩多曳】能(カハマタエノ)、比辭餓羅能(ヒシガラノ)、佐辭雞區辭羅珥(サシケルシラニ)、阿餓許居呂辭(アガココロシ)、伊夜于古珥辭氐(イヤウコニシテ)、
p.1286 十一年四月甲午、詔二群臣一曰、今朕視二是國一〈◯攝津〉者、郊澤曠遠、而田圃少乏、且河水横逝、以流末不レ駃、聊逢二霖雨一、海潮逆上、而巷里乘船、道路亦埿、故群臣共視之、決二横源一而通レ海、塞二逆流一以全二田宅一、 十月、掘二宮北之郊原一、引二南水一以入二西海一、因以號二其水一曰二掘江(○○)一、
p.1286 十三年十月、有司乃以二佛像一、流二棄難波堀江(○○○○)一、
p.1286 攝津作 作夜深而(サヨフケテ)、穿江水手鳴(ホリエコグナル)、松浦船(マツラブネ)、梶音高之(カヂノトタカシ)、水尾早見鴨(ミヲハヤミカモ)、
p.1286 北方うせ侍りて後、天王寺にまいりけるみちにてよめる、 六條右大臣 難波江(○○○)の蘆のわかねのしげければ心もゆかぬ舟出をぞする
p.1286 遣二新羅一使人等悲レ別贈答、及海路慟情陳レ思、并當レ所誦詠之古歌、 【武庫能浦乃】(ムコノウラノ)、【伊里江】能渚鳥(イリエノスドリ)、羽具久毛流(ハグクモル)、伎美乎波奈禮氐(キミヲハナレテ)、古非爾之奴倍之(コヒニシヌベシ)、
p.1286 寄レ草 【三島江】之(ミシマエノ)、玉江之薦乎(タマエノコモヲ)、從標之(シメシヨリ)、己我跡曾念(オノガトゾオモフ)、雖未苅(イマダカラネド)、
p.1286 等保都安布美(トホツアフミ)、【伊奈佐保曾江】乃(イナサホソエノ)、水乎都久思(ミヲツクシ)、安禮乎多能米氐(アレヲタノメテ)、安佐麻之物能乎(アサマシモノヲ)、 右一首、遠江國歌、
p.1286 過二勝鹿眞間娘子墓一時、山部宿禰赤人作歌一首并短歌、〈◯中略〉 反歌〈◯中略〉 勝壯鹿乃(カツシカノ)、【眞々乃入江】爾(ママノイリエニ)、打麻(ウチナビキ)、玉藻苅兼(タマモカリケム)、手兒名志所念(テコナシオモホユ)、
p.1287 美奈刀可世(ミナトカゼ)、佐牟久布久良之(サムクフクラシ)、【奈呉乃江】爾(ナゴノエニ)、都麻欲比可波之(ツマヨヒカハシ)、多豆左波爾奈久(タヅサハニナク)、〈◯中略〉 右四首、天平二十年春正月二十九日、大伴宿禰家持、