p.0001 植物ノ種類甚ダ多シ、今之ヲ大別シテ、木、竹、草、苔蕨、菌、藻ノ六類トス、就中草木二類ニ屬スルモノ最モ多キニ居ル、 本篇ニハ植物一般ニ關スル、根、幹、枝、葉、花、種子等ノ大要ヲ掲ゲ、栽培、移植、及ビ伐採等ニ就キテ其二三ヲ收載ス、而シテ果蓏ノ事ハ、尚ホ食物部菓子篇ニ在レバ、宜シク參看スベシ、
p.0001 殖物〈付殖物具〉
p.0001 殖 〈今正、音食、ウフ、タ子、タツ、和シキ、シヨク、〉
p.0001 植〈音寔、ウフ、オフ、タツ、〉
p.0001 植物(ウエモノ)〈文選註、草木也、〉
p.0001 うゑぐさ(○○○○) 古事記の歌に見ゆ、殖草(○○)也、万葉集にうゑたけ(○○○○)、後撰集にうゑ木(○○○)ともよめり、
p.0001 根株〈荄附〉 東宮切韻云、根株〈痕誅二音、訓上禰、下久比世、〉草木本也、唐韻云、荄〈音皆〉草根也、
p.0001 字鏡柮櫪並訓二久比一、本居氏曰、久比、杙也、世當二須惠之急呼一、謂二近レ根之處一、與三礎訓二伊之須惠一同、愚按、伊之須惠、蓋石居之義、植レ柱以レ之爲レ基也、久比世、恐不二與レ此同語一、疑杙末之急呼、〈◯中略〉説文、根、木株也、株、木根也〈◯中略〉説文荄艸、根也、孫氏蓋依レ之、爾雅云、荄、根、郭注云、俗呼二韭根一爲レ荄、韓詩外傳云、草木根荄淺、王念孫曰、根荄之言根基也、古聲荄與レ基同、易箕子之明夷、劉向云、今易箕 子作二荄滋一、淮南時則訓、爨二萁燧火一、高誘注云、萁讀二該備之該一、是其例也、
p.0002 根(ネ)〈草木本也〉 柢〈木根 又音 又音 〉 荄〈巳上 草根也〉
p.0002 ね〈◯中略〉 根はかくれてあらはれぬ事にいへば、宿の義に通へり、たつね(○○○)を命根といふ、種樹書に見え、こね(○○)を根鬚といふ、燕居筆語に見えたり、
p.0002 凡ソ根ヲ需メテ作ル者(○○○○○○○○)ハ、木類ニハ有ルコト無シ、肉桂(ニクケイ)ト枸杞(クコ)ノ根皮ヲ採ハ、即其皮ヲ需ルノ事ニ屬シ、樟根(クスノネ)ヨリ樟腦ヲ採リ、松根ヨリ松香(ツマヤニ)ヲ採リ、漆樹根(ウルシノキノネ)ヨリ、零漆(タリウルシ)ヲ採ガ如キハ、畢竟其幹ニ係レル事ニシテ、根ヲ需ムルノ業ニ非ルナリ、草類ニハ根ヲ需テ作ル者極テ多クシテ、擧テ記載スベカラズ、先ヅ其中ニ於テ人世ノ有用最モ多キ者ハ、蔬菜ニ午蒡(ゴボウ)、蘿蔔(ダイコン)、胡蘿蔔(ニンジン)、蕪菁(カブラ)、青芋(サトイモ)、紫芋(タウノイモ)、車轂芋(ヤツガシラ)、馬鈴薯(ジヤガタライモ)、蒟蒻(コンニヤク)、薯蕷(ヤマノイモ)、佛掌藷黄獨(ツクネイモカシウ)、土 兒(ホドイモ)、草薢(トコロ)、甘藷(サツマイモ)、甘露兒(チヨロギ)、百合(ユリ)、生薑(シヤウガ)、大蒜(ニンニク)、薤(ラツケウ)、葱(ネギ)、蓮根(ハスノネ)、水慈姑(クワ )、蔊菜(ワサビ)等アリ、染艸ニ紫根(ムラサキネ)、茜根(アカネ)、鬱金(ウコン)等有リ、藥物ニ人 (ニンジン)、白朮(ビヤクジユツ)、蒼朮(ソウジユツ)、大黄(ダイワウ)、附子(ブシ)、川 (センキウ)、當歸(タウキ)、白芷(ビヤクシ)、地黄(ヂワウ)、知母(チモ)、貝母(バイモ)、莪朮(ガジユツ)、良薑(リヤウキヤウ)、黄連(ワウレン)、黄 (ワウゴン)、延胡索(エンゴサク)、山慈姑(ヤマクワイ)、天門冬(テンモンドウ)、麥門冬(バクモンドウ)、天南星(テンナンシヤウ)、芍藥(シヤクヤク)、牡丹(ボタン)、黄蜀葵(ワウシヨクキ)、山奇來(サンキライ)、活蔞根(クワロウコン)、商陸(シヤウリク)、天麻(テンマ)、防風(バウフウ)、獨活(ドククワツ)、羗活前胡(キヤウクワツゼンゴ)、細辛(サイシン)等有リ、其他甚ダ多シ、藥艸ハ總テ山野ノ自然生ハ氣味ノ強キヲ以テ、此ヲ上品トシテ此ヲ貴重スル事ナンドモ、世上有用ノ多キ、萬分ノ一ニモ足ルベキニ非ザルヲ以テ、多分ニ此ヲ作リ出シテ、豐饒ナルニ非ザレバ、病者ノ難澀ニ及ブ事必定ナリ、是故ニ國事ハ農政ヨリ急ナルハ無シ、
p.0002 是以八百萬神、於二天安之河原一神集集而、〈◯中略〉天香山之五百津眞賢木矣根許士爾許士而(○○○○○○○)、〈◯下略〉
p.0002 根許士爾許士而、書紀に掘とあり、又神武卷に拔取、景行卷に拔などもあり、拾遺には、古語佐禰居自能禰居自と見ゆ、万葉八〈十四丁〉に、去年春(コゾノハル)、伊許自而植之(イコジテウヱシ)、吾屋外之(ワガヤドノ)、若樹梅者(ワカキノウメハ)、花咲爾家里(ハナサキニケリ)、〈拾遺集には、去し年根こじて植しと直して入れり、〉古今六帖に、秋野は根許士にこじて持去とも巖の種は遺し やはせぬなどよみて、根ながらに掘取を云、俗にいふ根引にするなり、
p.0003 六月月次レ〈十二月准レ此◯中略〉 辭別、伊勢〈爾〉坐天照大御神〈乃〉太前〈爾〉白〈久〉、皇神〈乃〉見霽〈志〉坐四方國者、〈◯中略〉自レ陸往道者、荷緒結堅〈氐〉、盤根木根(○○)履佐久彌〈氐、◯下略〉
p.0003 莖 玉篇云、莖〈戸耕反、和名久木、〉枝之主也、
p.0003 字鏡同訓、桱亦同訓、今本艸部云、莖、枝本、按、説文云、莖、枝主也、古本玉篇蓋引レ之、今本説文作二枝柱一誤、
p.0003 莖〈クキ 戸耕反 草木幹也〉 莢〈クキ 古脇反 莢〉 〈クキ 蔓箐苗也、數空反、正作二 豆一、又云レ峯、菜名、〉茄〈同、芙蕖莖也、〉
p.0003 榦(カラ)〈幹同、枝幹、後人門木、匀會、〉
p.0003 みき〈◯中略〉 幹をよむは、身木の義也、
p.0003 くき〈◯中略〉 莖をよめるはくヽみの義、くみ反き也、枝葉を含める事也、
p.0003 凡草木ノ幹ヲ需テ作ル者(○○○○○○○○○○)ハ、草類ニハ少ケレドモ、木類ニハ極テ多シ、宮室及ビ家財器物薪炭等ニ至ルマデ、皆木幹ヲ以テ製スベキガ故ナリ、然シテ其中ニ於テ先ヅ艸ノ食菜ト爲スベキ者ハ、獨活(ウド)、莖芋(ネイモ)、欵冬(フキ)、蘘荷莖(ミヨウガ)、竹筍(タケノコ)、芋艿(ズイキ)、甘 (カンシヤ/サタウノキ)等アリ又雜草ノ作ルベキ者ニハ、席艸( グサ)、茳蘺(リウキウフ)、莞(ト )等アリ、又木類ノ作リテ良材ト爲スベキ者ハ、杉(スギ)、扁柏(ヒノキ)、松(マツ)、樅(モミ)、欅(ケヤキ)、樟(クス)、櫧(カシ)、檞(ナラカシハ)等有リ、器物ヲ製スベキ者ニハ、桐(キリ)、黄楊(ツゲ)、七葉樹(トチノキ)、槐(エンジユ)等有リ、又薪炭ノ料ニハ、櫟(クヌギ)、孛落樹(ナラノキ)、朴(エノキ)、榿(ハリノキ)等アリ、且ツ竹類モ亦要用ノ品ナリ、宜シク此ヲ作ルベシ、以上諸種ハ皆是レ莖幹ヲ需テ作ル者ナリ、
p.0003 大殿祭〈◯中略〉 今奧山〈乃〉大峽小峽〈爾〉立〈留〉木〈乎〉、齋部〈能〉齋斧〈乎〉以伐採〈氐〉、本末(○○)〈乎波〉山神〈爾〉祭〈氐〉中間〈乎〉持出來〈氐、◯下略〉
p.0004 將レ擊二登美毘古一之時、歌曰、美都美都斯(ミツミツシ)、久米能古良賀(クメノコラガ)、阿波布爾波(アハフニハ)、賀美良比登母登(カミラヒトモト)、曾(ソ)泥賀母登(ネガモト)、曾泥米都那藝氐(ソネメツナギテ)、宇知氐志夜麻牟(ウチテシヤマム)、
p.0004 曾泥賀母登(ソネガモト)は其根之莖(ソネガモト)なり、〈◯中略〉根之莖(ネガモト)とは、先凡て本草に母登(モト)と云は、立る幹のことにて、〈必しも末に對へて云本には非ず〉大祓詞に繁木本乎(シミキノモトヲ)とあるも、繁木の木立(コダチ)を云、孝徳紀歌に、模騰渠等爾(モトゴトニ)、波那播左該騰模(ハナハサケドモ)とあるも、木毎と云ことなり、又一もと二もとなど云も、木にては一木二木(ヒトキフタキ)と云に同じければ、草も其意にて生立る莖を以云なり、
p.0004 半天河(○○○) 本草云、半天河、〈和名、木乃宇豆保乃見豆、〉陶隱居曰、竹 頭水也、
p.0004 千金翼方草部下品載レ之、本草和名同、證類本草玉石部下品載レ之、云唐本元在二草部一、〈◯中略〉證類本草引、竹上有二此字一、本草和名引同、
p.0004 うつほ(○○○) 空の義なり、〈◯中略〉うつほ木は 木也、うつほぶねは獨木舟也といへり、〈◯中略〉倭名鈔に半天河水、きのうつほのみづと見えたり、うつろといふもうつほと同じ、窕をよめり、
p.0004 兵衞佐殿隱二臥木一附梶原助二佐殿一事 兵衞佐殿ハ、土肥杉山ヲ守テ、搔分々々落給フ、〈◯中略〉鵐ノ岩屋ト云谷ニヲリ下リ見廻セバ、七八人ガ程入ヌベキ大ナル臥木アリ、〈◯中略〉佐殿今ハ遙ニ落延給ヒヌラント思ケレバ、木ヨリ飛下テ、跡目ニ付テ落給ヒ、同伏木ノ天河(○○)ニゾ入ニケル、〈◯中略〉大場伏木ノ上ニ登テ弓杖ヲツキ踏マタガリテ、正ク佐殿ハ此マデオハシツル物ヲ、臥木不審ナリ、空(ウツホ)ニ入テ捜セ者共ト下知シケルニ、〈◯下略〉
p.0004 莭 四聲字苑云、莭〈子結反、和名布之(○○)、今案從レ竹者竹節、從レ草者木 、見二玉篇一、〉草木擁腫處也、
p.0004 按今本玉篇不レ載二莭字一、其他字書亦無レ有、從レ草者蓋俗字也、此云レ見二玉篇一恐有レ誤、節又見二竹具一、
p.0004 ふし 竹木の節は經より出たる詞にや、草には莭と書り、又信也と見ゆ、歌曲 のふしも義通へり、
p.0005 〈之客反、平、竹筒、竹乃與(○○○)、又竹乃豆々、〉
p.0005 よ〈◯中略〉 兩節間をよむは和名抄にみゆ、竹節之間をいふ莭もよめり、古事記に一節竹とみゆ、世の義に通へり、新撰字鏡に を竹のよと訓ぜり、
p.0005 樸 玉篇云、樸〈音璞、字亦作レ朴、和名古波(○○)太、〉木皮也、
p.0005 今本木部云、樸(○)眞也、木素也、又云、朴、本也、與二此所 引不レ同、按、説文云、樸、木素也、又云、朴、木皮也、玉篇蓋依レ之、則今本朴本也、當二是朴木皮也之譌脱一、又按樸朴二字、其義不レ同而質樸字古多借レ朴、老子、敦兮其若レ樸、釋文、樸又作レ朴、荀子、生而離二其朴一、其他尚多、未レ有下借レ樸爲二木皮一者上、此恐源君誤引也、又按、広韻云、樸、木素、又載二朴字一云、上同、厚朴藥名、是雖二二字通一、然厚朴之訓、不レ在二樸字下一、而在二朴字下一、亦可下以見中質樸或可レ用二朴字一、木皮不 可レ借二樸字一也、
p.0005 あまかは(○○○○) 材木又は子實の粗皮の内に、又甘皮といふあり、實にいふは稃也、俗にいふあまかはなことヽいふは是成べし、又あまはだといふ義同じ、
p.0005 枝條 玉篇云、枝柯〈支哥二音、和名衣太、〉木之別也、纂要云、大枝曰レ幹、〈音翰、和名加良、〉細枝曰レ條、〈音迢、訓與レ枝同、〉唐韻云、葼〈音聰、和名之毛止、〉木細枝也、
p.0005 衣太、肢同訓、〈◯中略〉今本木部云、枝、枝柯也按、王念孫云、柯、榦也、古聲柯與レ榦同、鄭玄考工記法、笴、矢榦也、箭莖謂二之榦一、亦謂二之笴一、樹莖謂二之榦一、亦謂二之柯一、聲義並同、柯本莖名、因而枝亦通稱レ柯、説文云、枝、木別生レ條也、〈◯中略〉山田本幹作レ榦、詳見二身體類脅肋條一、可二併攷一、花嚴經音義引二字書一云、榦謂二麁枝一也、〈◯中略〉加良與二柯柄一同訓、〈◯中略〉伊勢広本迢作レ超、説文云、條、小枝也、並此義、〈◯中略〉按、広韻葼、子紅切、屬二精母一、聰倉紅切、屬二清母一、其音不レ同、此以レ聰音レ葼恐誤、〈◯中略〉谷川氏曰、當二茂本之義一、〈◯中略〉所レ引唐韻與二広韻一同、説文、青兗冀謂二木細枝一、曰葼、孫氏本レ之、方言與二説文一同、許本二方言一也、
p.0006 枝(エタ) 朶(エタ)〈同〉 條(エタ)〈同〉
p.0006 ほづえ 万葉集に、末枝又最末枝など書り、ほは秀なり、つは助語なり、日本紀に上枝(カンツ)といふが如し、大工などのいふ辭に、ほづをつけるといふも、最末の義なるべし、ほヽづともいふ、穗末の義なるべし、
p.0006 是以八百萬神、於二天安之河原一神集集而、〈◯中略〉天香山之五百津眞賢木矣根許士爾許士而、〈自レ許下五字以レ音〉於二上枝(○○)一取二著八尺勾璁之五百津之御須麻流之玉一、於二中枝(○○)一取二繫八尺鏡一、〈訓二八尺一云二八阿多一〉於二下枝(○○)一取二垂白丹寸手、青丹寸手一而、〈訓レ垂云二志殿一〉此種種物者、布刀玉命、布刀御幣登取持而、〈◯下略〉
p.0006 上枝、中枝、下枝は、譽田天皇御歌、又長谷朝倉朝段三重婇歌に、本都延、那加都延、志豆延とあるに依て訓べし、〈下枝は彼婇が歌の中に三たび出たる、二は志豆延といひ、一志毛都延(○○○○)といへり、〉
p.0006 天皇即以二髮長比賣一賜二于其御子一、〈◯仁徳〉所レ賜状者、天皇聞二看豐明一之日、於二髮長比賣一令レ握二大御酒柏一、賜二其太子一、爾御歌曰、伊邪古杼母(イザコドモ)、怒毘流都美邇(ヌビルツミニ)、比流都美邇(ヒルツミニ)、和賀由久美知能(ワガユクミチノ)、迦具波斯(カグハシ)、波那多知婆那波(ハナタチバナハ)、本都延波(ホツエハ)、登理韋賀良斯(トリヰガラシ)、志豆延波(シヅエハ)、比登登理賀良斯(ヒトトリガラシ)、美都具理能(ミツグリノ)、那迦都延能(ナカツエノ)、本都毛理(ホツモリ)、阿迦良袁登賣袁(アカラヲトメヲ)、伊邪佐佐婆(イザササバ)、余良斯那(ヨラシナ)
p.0006 本都延波(ホツエハ)は〈都を濁るは非なり〉上枝者(ホツエハ)なり、本(ホ)は秀(ホ)の意ぞ、萬葉九〈二十丁〉に、最末枝者落過去祁利(ホツエハチリスギユケリ)、十〈六十一丁〉に、末枝梅乎(ホツエノウメヲ)、十三〈二十四丁〉に橘末枝乎過而(タチバナノホツエヲスギテ)、十九〈四十八丁〉に青柳乃保都枝與治等理(アヲヤギノホツエヨヂトリ)などあり、上卷石屋戸段に、上枝中枝下枝と見え、下卷朝倉朝段歌に、本都延那加都延志豆延(ホツエナカツエシヅエ)とよめり、〈◯中略〉志豆延波(シヅエハ)は〈◯註略〉下枝者(シヅエハ)なり、書紀には辭豆曳羅波(シヅエラハ)とあり、萬葉五〈十八丁〉に、和我夜度能(ワガヤドノ)、烏梅能之豆延爾(ウメノシヅエニ)、七〈三十五丁〉に向岡之(ムカツヲノ)、若楓木(ワカヽツラノキ)、下枝取(シヅエトリ)、九〈二十丁〉に、下枝爾遺有花者(シヅエニノコレルハナハ)、十〈六十一丁〉に梅之下枝(ウメノシヅエ)、
p.0006 山部宿禰赤人作歌一首并短歌〈◯中略〉反歌二首 三吉野乃(ミヨシノヽ)、象山際乃(キサヤマキハノ)、木末爾波(コヌレニハ)、幾許毛散和口(ココダモサワグ)、鳥之聲可聞(トリノコヱカモ)、
p.0007 天平勝寶二年正月二日、於二國廳一給二饗郡司等一宴歌一首、 安之比奇能夜麻能(アシビキノヤマノ)、許奴禮能(コヌレノ)、保與等里天(ホヨトリテ)、可射之都良久波(カザシツラクハ)、知等世保久等曾(チトセホグトゾ)、 右一首、守大伴宿禰家持作、
p.0007 柯〈割多反、法也、枝也、莖也、己牟良(○○○)、〉
p.0007 樾 纂要云、木枝相交、下陰曰レ樾〈音越、和名吉無良、〉
p.0007 樾〈コムラ、楷陰也、樹陰也、木枝相交、〉
p.0007 樾(コカケノムラ)
p.0007 こむら 倭名鈔に樾字をよめり、纂要に、木枝相交、下陰曰レ樾といへり、木 の義也、万葉集に樹村と見ゆ、新撰字鏡にも柯をよめり、式大和國高市郡輕樹村坐神社と見えたり、
p.0007 えだをならさず(○○○○○○○) 西京雜記に、太平世則風不レ鳴レ條、雨不レ破レ塊と見へたり、
p.0007 百首の歌めしける時祝の心をよませ給ふける 崇徳院御製 吹風も木々の枝をばならさねど山は久しき聲ぞきこゆる
p.0007 樹梢 唐韻云、梢〈所交反、和名古須惠、〉枝梢也、
p.0007 廣韻同、王念孫曰、梢之爲レ言稍々然小也、廣雅、稍、稍小也、按、説文、梢梢木也、蓋木名、其木未レ詳、説文手部有二捎字一、云、自レ關已西、凡取二物之上一者爲二撟捎一、方言同、轉謂二物之上一爲レ捎、又木捎字从レ木作レ梢、釋木、梢、梢擢、是也、與二木名之梢一、自別、
p.0007 杪〈亡少彌小二反、上、木末也、木細枝也、木高也、梢也、木乃枝、又比古江、〉
p.0007 梢〈コスヱ枝梢也〉杪〈木末也〉 標〈下杪〉 槇〈已上同、木上也、〉
p.0007 杪(コスヘ) 梢〈同〉
p.0007 こずゑ 倭名抄に梢をよめり、木末の義なり、こずゑの春、こずゑの秋は、杪春、杪秋 の漢名よりいへる詞なり、
p.0008 文集百集插レ柳作二高林院一種レ桃成二老樹一 慈鎭和尚 ひきうゑし木々の梢(○)にとしたけてやどもあるじもおひにける哉
p.0008 楉(○)〈スハエ、心 、〉 楚〈同〉
p.0008 楉(スワヘ) 氣條(スワヘ)〈同〉
p.0008 ずはえ 氣條をいふ唐詩に見ゆ、直生の義成べし、倭名抄に楚をよめり、万葉集に、楚取五十戸良がこゑといへるも、ずはえとるさとらがこゑとよむべし、貧窮問答の歌なれば、箠楚をもて里長の租税をはたるをいふ也、〈◯中略〉日本紀に、笞杖をほそずはえ、ふとずはえとよめり、
p.0008 はじめを濁る詞 言のはじめを濁るもまれ〳〵にはあるは、蒲(ガマ)、石榴(ザクロ)、楚(ズワエ)、斑(ブチ)、紅粉(ベニ)などのごとし、これらふるき物にも見たる詞也、後世にこそ濁りていへ、古はみな清(スミ)ていへりし也、〈◯中略〉楚(ズワヱ)は末枝(スワエ)也、末(スエ)をすわといふは、聲をこわづくりなどいふと同じ、
p.0008 蘖 纂要云、斬而復生曰レ蘖、〈魚列反、和名比古波衣、〉
p.0008 毛詩汝墳篇傳、斬而復生曰レ肄、方言、陳鄭之間曰レ 、秦晉之間曰レ肄、廣雅按尚書般庚由 釋文、本又作レ 、則纂要本二於毛傳一也、説文、 伐木餘也、又載二 字一云、 或从レ木蘖聲、下總本 作レ蘖、那波本同、按廣韻云、 書作レ蘖、伊勢廣本作レ蘖、按薛字或作レ 、故蘖亦作レ 也、〈◯中略〉字鏡云、 穀亦更生、比古波江、又云、荑死木更生、比古波由、比古波衣、孫生也、
p.0008 蘖(ヒコハヘ)
p.0008 ひこばえ 倭名鈔に蘖をよみ、書に由蘖と見ゆ、孫生の義なるべし、新撰字鏡 に をよみ、荑をひこばゆとよめり、童蒙頌韻に に作る、 見渡せば山田のひつぢひこばえてほに出るほどに成にける哉
p.0009 十四日〈◯十二月〉万燈會〈◯中略〉 七石四合樂人食祿〈在支度、〉一石四面默家 (○)〈◯ 一本作レ栟〉木直、
p.0009 椏〈烏可反、江南謂二樹岐一爲二杈椏一、木乃万太(○○○○)、〉
p.0009 杈椏 方言云、河東謂二樹岐一、曰二杈椏一、〈砂鵶二音、和名末多布里、〉
p.0009 所レ引文原書無レ載、按廣韵引、作下江東言二樹枝一爲二椏杈一也上、説文、杈杈枝也、末太不利、見二源氏浮舟卷一、字鏡訓二木乃万太一、
p.0009 故其八上比賣者、雖二率來一、畏二其嫡妻須世理毘賣一而、其所レ生子者、刺二狹木俣(キノマタ)一而返、故其子云二木俣神一、亦名謂二御井神一也、
p.0009 葉 陸詞切韻云、葉〈與渉反、和名波(○)、萬葉集黄葉、紅葉、 皆毛美知波(○○○○)、〉草木之敷二於莖枝一者也、
p.0009 黄葉、萬葉集卷一始見、集中凡四十餘見、紅葉、卷十唯一見、〈◯下略〉説文、葉、艸木之葉也、
p.0009 葉〈ハ、黄葉、紅葉、〉
p.0009 は 葉はひら反也、和名抄に葉手をひらでとよみ、新猿樂記にも千葉をちひらとよめり、
p.0009 草木ノ葉ヲ需テ作ル者(○○○○○○○○○○)ハ、蔬菜、藥物染料ノ三種アリ、木類ニハ茶料、香料、藥物、養蠶料ノ四種アリ、玆ニ其作法ヲ説示ス、讀者其心ヲ沈潛シテ、宜ク自然ノ天理ヲ精究スベシ、予〈◯佐藤信淵〉ガ文章ノ拙キト、演説ノ鄙キトヲ藐視シテ、輕々シク看過スルコト勿レ、實ニ上天ノ賜物ヲ圓滿ニ拜受スル事業ナリ、〈◯中略〉草木ヲ繁盛スル藥汁法、艸木灰八斗、小便八斗、馬溺(バネウ/ムマノセウベン)八斗、厨(ナガシ)下ノ 溝(トブ)水一荷、以上四品久シク調煉シ置テ用フ、此藥汁ノ能ク草木ノ葉ヲ肥太繁盛スル理ヲ玆ニ略論センニ、先ヅ大人〈◯佐藤信季〉ノ糞培秘録ニ精ク説レタル如ク、凡ソ草木ヲ燒タル灰ノ中ニハ、神妙不可思議ナル鹽氣アリテ、能ク草木繁榮ノ生氣ヲ雄壯ニス、何トナレバ、草木ノ生長スルハ、總テ是レ天地生々ノ靈機ニテ、自然ニ揮發ナル鹽ト、滋潤アル油トヲ含ヲ以テ、其條達ノ勢ト、肥滿ノ養トヲ得テ以テ、成熟ノ功ヲ遂ル者ナリ、故ニ此ヲ燒テ灰ト爲ストキハ、其質(シツ)ト膏(アブラ)トハ燃去テ、消滅スルガ如シト雖ドモ、精神ハ尚其灰ノ中ニ遺ル者ナリ、所レ謂ル揮發ナル鹵鹽(シホ)ハ上天ノ神氣ナリ、滋潤ナル膏油ハ大地ノ精液ナリ、故ニ其精神ノ尚遺ル所ノ灰ヲ以テ田畠ニ培ヒ、此ヲ大地ニ歸シテ、天日ノ光映ヲ受シムルトキハ、直ニ天地ノ神ト精トヲ (アハセ)テ、再ビ揮發ナル鹵鹽ト、滋潤ナル膏油ヲ湊(アツ)メ、大ニ草木ヲ繁生セシムルノ業ナリ、古來老農、老圃草木ノ種子ヲ蒔ニ、必ズ此物ヲ肥培トスルコトハ、此理ヲ些ク窺得タルナリ、且此草木灰ト云フ者ハ、透竄(シミトホス)ノ性氣甚強クシテ、艸木ニ生(ツキ)タル蟲ヲ殺ニ妙ナル功能アリ、又人小便ハ其性功能、草木ヲ肥養スルコト、人糞ニ異ナルコトナシ、但彼人糞ハ滋潤、肥養ノ脂膏ヲ含畜ムコト多キヲ以テ、能ク土ト合體シテ、作物ノ根ヲ肥太ラセ、且其實ヲ成熟セシムルノ功能ニ於テハ、世界第一ノ肥養ナレドモ、揮發運動スル鹽氣少キヲ以テ、葉ヲ繁衍セシムルニ十分ナラズ、而此小便ハ揮發、運動ノ鹽氣ヲ含有(フクム)コト多キヲ以テ、能ク水ト合體シテ、作物ノ幹ヲ延長シ、且ツ其葉ヲ豐美ニスルコト、他ノ肥養ノ絶テ及バザル所ナリ、
p.0010 城内の植木は、葉の食物に成木を植べし、
p.0010 岩桂(モクセイ)、茶梅(サヾンクワ)、山茶(ツバキ)等ハ花ヲモ葉ヲモ愛スベキ者ナリ、檉柳(ギヨリウ)、八角金盤(ヤツデ)等ハ、花モ有レドモ葉ヲ愛ス、又百兩金(タチバナ)、硃砂根(マンリヤウ)、珊瑚樹(サンゴジユ)、桃葉珊瑚(トウヨウサンゴ)、虎刺(アリトホシ)、紫金牛(ヤブコウジ)、賽珊瑚(ムメモドキ)、南天(ナンテン)竹等ハ、葉モ愛シ實ヲモ愛シテ栽覽スル者ナリ松金松(カウヤマツ)、羅漢松(カウヤマキ)、檜(ビヤク)、檜柏(シンイブキ)、雁翅柏(アスナラフ)、扁柏(ヒノキ)、仙柏(イヌマキ)、側柏(コノテガシ)、瓔珞柏(ハナカレヒハ)、狗骨(ヒヽラギ)、石果(モツコク)等ハ、葉 ノ四時青々タルヲ愛テ栽ル者ナリ、竹ニモ雅ニシテ愛スベキ者多シ、棕竹(シユロチク)、金絲竹(スヂタケ)、鳳尾竹(ホウワウチク)、龍絲竹(イヨタケ)、江南竹(モウソウチク)等是ナリ、
p.0011 養老五年十月庚寅、太上天皇〈◯元明〉又詔曰、〈◯中略〉就レ山作レ竈、芟レ棘開レ場、即爲二喪處一、又其地者皆殖二常葉之樹(○○○○)一、即立二刻字之碑一、
p.0011 葉守神(○○○) 枕草紙に、かしは木いとおかし、葉守の神のますらんも、いとかしこしとある、これは拾遺集に、かしは木に葉守の神のましけるをしらでぞをりしたゝりなさるな、といふ歌よりいふなるべし、其後にも、新古今集に、雨中木繁基俊、玉がしはしげりにけりな五月雨に葉もりの神のしめはふるまで、ともみえたり葉もりの神といふ神は、神書にみえず、これはかしは木の葉のおちぬがゆゑに、葉を守りたまひて、おとし給はぬ神のおはしますらんとていふなるべし、されどかしは木にかぎれるは心えがたし、たヾいひならへるにしたがふなるべし、
p.0011 詠黄葉(○○) 黄葉之(モミヂバノ)、丹穗日者繁(ニホヒハシゲシ)、然鞆(シカレドモ)、妻梨木乎(ツマナシノキヲ)、手折可佐寒(タヲリテカサム)、 妹許跡(イモガリト)、馬鞍置而(ウマニクラオキテ)、射駒山(イコマヤマ)、擊越來者(ウチコエクレバ)、紅葉散筒(モミヂチリツヽ)、
p.0011 モミヂと云字 栬(○)の字をモミヂと訓は、色木の合字にて、いはゆる連歌文字也、類聚名義抄艸部に、 蒙芸などの字をモミヂ葉、 、黄葉、紅葉をモミヂバとよめり、万葉には黄葉をモミヂバ、紅をモミヅなどよみたり、
p.0011 栬〈音 、黄木、〉
p.0011 後撰集に 雁鳴きてさむき朝の露ならし龍田の山を捫み出だすものは、此紅葉をいふなり此歌本萬葉集に出でヽ、下句春日山を令黄物者(もみだすものは)とあり、凡萬葉集もみぢ用二黄葉字一、唯一首用二紅葉字一、第十卷に見えたり、
p.0012 斑葉間(いさは)道の事 邦俗いさ葉といふもの、古へは是を愛玩する事も聞かず、近來享保の此より世に愛玩する人あり、今はこれを斑(ふ)入り】といふ、戸々愛玩せざるはなし、唐山にいふ斑ありといふ、杜衡の類此にいふ斑入とは互へり、又瑞香の類の葉の周圍に白色なるを銀邊といふ、黄色なるを金邊といふ、玉簪萱艸(ぎぼしわすくさ)の類、條に筋あるを絲紋また間道といふ、灌園先生云、白色をしろふ(○○○)といふ、黄色なるを黄斑(○○)といふ、初黄後白色になるを後ざへ(○○○)といふ、上品なり、春の葉白く斑ありて、秋に至り斑のきゆるを、後くら(○○○)みといふ、下品なり、又はけめの如くすぢあるをはき込(○○○)といふ、葉中心にのみあるを、中斑(○○)又中おさへ(○○○○)といふ、葉の邊緑色なるを青覆輪(○○○)といふ、圓くぼやしたるをぼだふ(○○○)といふ、小圓點又細白點あるを砂子(○○)といふ、其外千變万化逐件しるすにいとまあらず、都而斑葉(いさは)は人の癜風(なまづ)の如く、毛のある處に至れば、少年の人にても白髮となるが如し、斑入は實生よりも生じ、又一枝偶然斑葉になるもあり、自然に出るものなれば、深山にもあるものなりと、又近來荷蘭の説、花の雌雄蘂(ずい)あり、雄木雌木(をきめき)ありて、花蘂交接の論によりて考るに、譬へば菘或は萊蔔(だいこん)に斑入ありて、又別種の菘萊蔔に斑を生ぜしめんと思はヾ、其菘の花開く比に、斑葉の菘の花粉を振蕩て、實を結びたるを採りて蒔けば、斑いりの奇菘を得べし、喜任〈◯阿部〉按に、今花戸にいふ處斑入に各の稱呼あり、芽の出る比に赤みあるを紅かけ(○○○)といふ、青葉同様に見え、うらに少し斑の見ゆるをかげふ(○○○)といふ、この品を接木とし、又手入にて眞の上斑となる事あり、又枝に斑ありて、其次の葉は青く、又其次の枝に斑あるをもぐり(○○○)といふ、金邊烏木(ふくりんおもと)毒など、折々中にすぢの入るをけ込(○○)といふ、又木 を斑葉にするに奇法あり、よく考へ見るべし、藪下の勇藏といふもの、羅漢松を砧(たい)として、これに斑葉の品翁まきと呼ものを接置たり、砧よりも芽を生じたれど、又景色にもとすて置たれバ、砧芽に實を結びたり、是を蒔たるに斑入二本青葉二本出たり、是に依り考るに、砧の勢を吸上る計りにてもなく、砧へも穗の氣を吸下るものと見ゆ、この例によりて外の品も接て試みたきものなり、
p.0013 花 爾雅云、木謂二之華一、〈戸花反〉草謂二之榮一、〈永兵反〉榮而不レ實、謂二之英一、〈於驚反、訓阿太波奈(○○○○)、〉
p.0013 説文 艸木華也、又云 、榮也、二字其義略同、後二字皆作レ華無レ別、按説文無二花字一、古蓋用二葩字一、説文、葩華也、葩字艸書譌作レ花、蓋其體葩作レ 、是譌爲レ花之漸也、文選琴賦注、引二郭璞一曰、葩爲二古花字一、
p.0013 花〈ハナ、本作レ華、今通用、〉 菁 華絮 榮〈草榮〉 茄 英 〈已上同、〉
p.0013 花(ハナ) 華(タテハナ)
p.0013 花、〈ハナ〉はなとははじめをいへば、實にのぞめていふか、鼻の字をはなとも、はじめともよむにて思ふべし、 楊子方言云、鼻始也、獸之初生謂二之鼻一、人之初生謂二之首一、 蠡海集云、人之受レ氣而生、則先生レ鼻、鼻通レ肺主レ氣也、 野客叢書云、考二法言一、獸之初生謂二之鼻一、人之初生謂二之首一、梁益之間謂レ鼻爲レ初、或謂二之祖一、然則鼻與レ祖皆始之別名、以二鼻祖一爲二始祖一、似未レ爲レ是、凡人孕胎、必先有レ鼻、然後有二耳目之屬一、今畫レ人亦然、必先畫レ鼻、
p.0013 はな 花をいふ、春化(ナル)の訓義にや、神代紀に春を花ノ時と見ゆ、唐音にもはあといへり、單葉はひとへ也、千葉は音にてせんよといひ、又八重あり、樓子はやぐらざき也、筒子はつつざき也、花の雲、花の雪、花の波、花の瀧、花の袖、花の衣など歌によめり、正花也、花五色といひて、獨 黒色なしと、蠡海集に見えたれど、蠶豆の花は黒白分明に見ゆあり、群芳譜に、黒梅、花黒如レ墨、或云、以二苦棟樹一接者とあり、古今集に、 年ふれば齡は老ぬしかはあれど花をし見れば物おもひもなし、是は詩に、窈窕淑女君子好逑とあるが如き、染殿后の風情を、かたはらに照してのたまふなり、花とのみいひて櫻の事とするは、後の事也、鶴林玉露に、洛陽人謂二牡丹一爲レ花、成都人謂二海棠一爲レ花、尊二貴之一也と見ゆ、鎌倉右大臣集に、 みよしのヽ山に入けん山人となり見てしがな花にあくやと、古今集、菅家万葉なども、櫻とよめるは勿論にて、花とのみよめるは百花をいへり、よて詩も其意に見えたり、農家に花といふは紅花也、
p.0014 華花(○○)二字、兩漢以上唯有レ華而無レ花、凡草木皆用二華字一、魏晉以下、物華、年華、繁華、京華之類、唯用二華字一、凡草木皆用二花字一、而獨蓮用二華字一何也、
p.0014 五經四書諸子楚辭先秦西漢以上ノ書ニ、花ト云字一字モ無シ、唯後漢書ノ李諧ガ傳ノ述身賦ニ、樹先レ春而動レ色、草迎レ歳而發レ花トアリテ、末ニ肆二雕章之膄旨一咀二文藝之英華一ト云ヘリ、是レ花ノ字ノ見エ始メニテ、其上一賦ノ内ニ花ト華ト並ビニ韻ニ用ユル出所ナリ、故ニ後世ノ詩人モ、一首ノ詩ノ内ニ、花ト華トヲ並ビ用ヒ來レリ、
p.0014 論二物理一〈◯中略〉 凡群花多クハ五出也六出、四出、二出ハ稀ニアリ、五出ノ花ノ六出ニサキタルハ、其實ノ ニ雙仁アリ、紫陽花、連翹花ナドハ四出ニサク、此外ニモ四出ノ花アリ、梔子、威靈仙、鹿 射干等ノ花ハ皆六出ニサク、虎耳草ノ花ハ二出ナリ、諸果蓏ハ花ノ後ニミノル、ミノリテ後ニ花サク者ハ、只瓜壺盧瓜蔞ノ類也、蓮ハ花ト實ト同レ時、男麻ハ有レ花テ實ナシ、女麻ハ實有テ無レ花、此類亦多シ、木ニモ無花果アリ、棣棠、山礬、水仙等ハ、花サキテ實ナシ、此類亦多シ、山椒、檍ナド、雄木ニハ花アリ無レ實、菠稜 モ亦然リ、凡草木ニ雌雄アリ、雄ニハ無レ子、〈◯中略〉 土之生レ物、其成數在レ五、故草木皆五出、桃杏花有二六出一者必雙仁、皆能殺レ人、〈瑯 代酔〉 造化無二全功一、物無二全美一、豐二其花一者嗇二其實一、豐二其實一者嗇二其花一、天地ノ物ヲ生ズル兩ナガラ全カラズ、梅櫻、海棠、薔薇、山茶、牡丹、芍藥等ハ、花美シケレバ其實不レ可レ食、棣棠、水仙等ハ、花美クシテ實ナシ、又花ノ千葉ナル者ハ實ナク、或ハ少シ、實ノ美キ者、柿、栗、棗、瓜、橘、柑等ハ花不美、
p.0015 蠡海集云、草木の花雖レ曰二五色一、獨無(○○)二黒色(○○)一、黒を水の色とす母道也、母は但陰二育於中一故不レ現也、按蠶豆花のごとき、白黒相雜るといへども、其黒色 々墨のごとし、古人此色を紫といふものは甚非なり、唯此花此色をあらはす、いまだしらず、此他此色ある事を、恨らくは不二純色一、雖レ然黒白相半、尤分明則化工之妙、不レ可二測識一矣、
p.0015 藝州侯の醫官武島氏春碩曰、諸木眞黒の花を不レ開、事いまだ諸書に見ず、人に問へども、其説を不レ聞、此義如何、予〈◯新井祐登〉が曰、足下もしらず、人も又しらず、豫が譾劣、なんぞ是を知ん、然れども古老の話あり、青黄赤白黒の五色を以て、水火木金土の五行に配當するに、黒は水に屬し、四季に當れば、冬の色也、諸木花を開くは、陽氣發顯なれば、極陰閉藏の冬のいろを發く事なき、自然の至理なり、扨又會津に、うすずみ櫻有といへども、變にして常理にあらず、又五色の蓮華の説のごときも、常の事にあらず、
p.0015 木類ノ花ハ古來栽覽シテ樂ムガ爲ニ作ルコトニ限ルト雖ドモ、杜鵑花(サツキ)ハ其味酸美ニシテ、酒ノ肴ト爲ルニ宜シ、又棣棠梅櫻等ノ花ハ飯ヲ和シテ鮓ト作ベシ、味頗ル美ナリ、仙家ニ此ヲ玉結(タマムスビ)ト名ク、又榴花(ザクロ)ハ染料ニ用ヒ、芫花(サツマフヂノハナ)、玫瑰花(ハマナスノハナ)、薔薇花(バラノハナ)、柚花、白桃花等ハ皆藥物ト爲ル者ナリ、
p.0015 當世實生にてかはり花出來るは珍花なり、古花といへども、好花はいつまでも上 花なり、新花といへども、すぐれざる花は雜色なり、衆目の見る所かはるまじ、今世間に牡丹菊等手前實生に植出し、さして秀ざる花も上々花といひ、殊に他の花を惡敷と譏るあり、自讃毀他にて花の好士というべからず、我他の花を譏らば、人又我が花を惡敷といはん、言悖て出るものは、又悖て入るの聖言必せり、是則花をそしり合といふにて、花遊に慢心無益なるべしや、われ實生に植出したればとて、不レ宜花は世間に用ひず、能花は卑下すれども人褒美す、世上のながめとなりて、他の褒美にあふこそ花の威光にて、花主の規模なれ、總て好花はよく、惡敷花は雜花とほどほどにながめて捨ざるを花好士といふなるべし、佐々羅(さゝら)、山布(さつほう)、烏頭(うづ)、鷄頭(けいとう)、空穗(うつほ)、瓢蕈(へうたん)、絲瓜(へちま)の川骨破笠(かはほねはりつ)、鼔小花(つゞみこはな)にいたるまで、花盛りに開く時は、一花一景のながめありて、心をやはらげ、鬱氣をひらき、容止を咲するは萬花の景氣なり、尺地にも植べきものは、草花が中にも、藥草は朝夕ながめて花葉を知り、藥性の宜なるもの百品の葉を摘黒燒として藥を調ぜば、眞の百草霜なるべし、藥店に賣る物いかヾ、疑らくは百藥草はあつめがたきもの也、又は其根をとりて、古人の教のごとくに製法して見たるも慰ならずや、唐和のかたち、大小の異あるは土地にもよるべし、草花のるい土地に合たるは花大りんにして、色よくひらく、土地に合ざるは花形不出來也、牡丹、芍藥、菊等も、花壇の土相應なるを、毎年入かえ吟味して植れば、花形よく艷色して大りんにひらく、その根は日に干てほそらず、油ぎりて性よし、野土に植たるは牡芍の根日に干てほそくしなびて、各別なるにてしるべし、其根つよくして花葉さかふるの理なれば、草花を植作る一助ともなりぬべし、
p.0016 花 いにしへは木にても草にても、今目のまへに花の咲いたるを見ながらよめるは、たヾ花とのみよみし歌、萬葉集にあまたあり、古今集の頃は、さくらをむねと花といへれど、中には花の鏡となる水は云々、流るヽ川を花と見て云々、花ぞむかしの香に匂ひける、これらは梅を花とのみよめ り、又花見つヽ人まつ時は云々、是は菊なり、たなびく山の花のかげかも、これは桃、さくら、藤、山吹、つヽじなど、おしなべて花とのみよみしなり、後世にいたりては、花といへば、題も歌もさくらに限れり、いかにも打ちまかせて櫻を花とのみいはんに、憚るべきにはあらず、花てふ花の中にすぐれてめでたくたぐひなき花はさくらなり、かばかりすぐれたる花なき外戎は、國がらいやしき故なり、鶴林玉露に、洛陽人謂二牡丹一爲レ花、西都人謂二海棠一爲レ花尊二貴之一也といへるは、事のかけたる國故なり、牡丹、海棠などこちたくいやしげにて、くらぶべきにあらず、たとへていはヾ、容貌美麗の女官の打ちとけたる姿と、厚化粧の俳優人の粧ひたる姿とのごとし、
p.0017 一書曰、伊弉册尊生二火神一時、被レ灼而神退去矣、故葬二於紀伊國熊野之有馬村一焉、土俗祭二此神之魂一者、花時亦以(○○○○)レ花祭(○○)、
p.0017 故乞二遣其父大山津見神一之時、大歡喜而、副一其姉石長比賣一、令レ持二百取机代之物一奉レ出、故爾其姉者、因二甚凶醜一、見畏而返送、唯留二其弟木花之佐久夜毘賣一以、一宿爲レ婚、爾大山津見神、因レ返二石長比賣一而大恥、白送言、我之女二並立奉由者、使二石長比賣一者、天神御子之命、雖二雪零風吹一、恒如レ石而、常堅不二動坐一、亦使二木花之佐久夜毘賣一者、如二木花之榮一、榮坐宇氣比氐〈自レ宇下四字以レ音〉貢進、此令レ返二石長比賣一而、獨留二木花之佐久夜毘賣一、故天神御子之御壽者、木花之阿摩比能微〈此五字以レ音〉坐、故是以至二于今一、天皇命等之御命不レ長也、
p.0017 三十四年正月、桃李華之、
p.0017 十年九月、霖雨、桃李華、
p.0017 延喜十五年九月一日己未、近者萬木華發、諸人煩二赤痢、
p.0017 嘉應二年九月上旬、京中櫻梅桃李花開て、春のそらのごとく成けり、延喜九年八月にもかヽる事侍りけるとかや、そのたびは藤柚柿などもさきたりけり、聖代に此事有、いかな る瑞にか侍らん、
p.0018 明和九年八月、當月末より紅梅梨櫻桃李の類ひ、花ひらく事春のごとし、 上野山門際の櫻こと〴〵く開、尋常の歸り花(○○○)に異なり、 信州善光寺より便あるに、彼國にても紅梅彼岸櫻など花咲候由、
p.0018 草木者有レ時、以昔(ソノカミ)、伊弉諾伊弉册尊、既生二木祖句々迺馳一、次生二草野姫一、於戯春有二櫻梅桃李之花一、秋有二紅蘭紫菊之花一、皆是錦繡之色、酷烈之匂也、然而昨開今落、遲速雖レ異、隨レ風任レ露、變衰不レ遁、似レ樂二有爲一可レ觀二無常一矣、
p.0018 花のさかりは冬至より百五十日とも、時正の後七日ともいへど、立春より七十五日おほやうたがはず、
p.0018 早春 東岸西岸之柳、遲速不レ同、南枝北枝之梅、開落已異、〈春生逐二地形一序、保胤、〉
p.0018 花は枝毎に陰處より花開(○○○○○○)けり、南枝花初て開くと云は理の屈にして差へり、唯一理に葛藤せらるれば、古人の糟粕を嘗て聲に吼る徒となり、無見識の域を出がたし、殊に梅は就レ中北枝陰所よりひらく物なり、陸務觀が北枝の吟、思ひあたれるかな、
p.0018 花のちるは、うてなのうちの實のおほきやかになりて、はなびらの居どころなき故にちるなり、この雨に花はちりぬといふは、雨のうるほひにて、かの實の大きくなればなり、秋冬に至りて、葉の落つるは、わかめのくきのうらよりめぐみて、そのわかめの大きくなれば、ふるき葉の居どころなければちるなりけり、
p.0018 同御時〈◯順徳〉内裏にて花あはせ(○○○○)有せり、人々めん〳〵に風流をほどこして、花奉りけるに、非藏人孝時、大きなる櫻の枝を兩三人してかヽせて、南殿の池のはたにほりたてたり ける、簡を付て大花と書たりけり、此事は孝道がたうは、みな鼻の大きなるによりて、院の仰にも、鼻がたうとぞ有ける、これによりて大花と簡を付たりけり、比興の沙汰にてこそ侍ける、
p.0019 花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは、〈◯下略〉
p.0019 東宮切韻云、 〈而髓反、和名之倍、〉花心也、
p.0019 (シベ)
p.0019 (ハナノシベ)〈廣匀、花外曰レ萼、内、曰レ 、〉
p.0019 しべ 心瓣の音にや、藁心をわらしべといひ、花瓣を花のしべといへり、後拾遺集に花のしべ、紅葉の下葉と見えたり、倭名抄に蘂を訓ぜり、
p.0019 陽蘂陰蘂(○○○○) 梅花に陽蘂陰蘂有り、陰は中に在り、陽は周廻に在り、陰陽氣を通はすによりて香氣を發し、此營あるが故に實を結ぶといへり、
p.0019 葩 東宮切韻云、葩〈音巴、和名波奈比良、〉草木花片也
p.0019 説文、葩、華也、説文又有二皅字一、云、艸華白也、
p.0019 葩〈ハナヒラ、花新也、亦作レ皅、草木、〉
p.0019 葩(ハナビラ) 〈順和名、草木花片也、〉
p.0019 花形分解之辨〈◯中略〉 一に曰、葩は花枚(はなびら)の義、ちれば幾枚(いくひら)となる也、又花開(はなひら)くの義、又花ひらけば平になる義あり、
p.0019 萼(ハナフサ) 東宮切韻云、萼、〈五各反、和名波奈布佐、一云花房、〉承レ花跗也、
p.0019 按、韻會云、萼俗作レ蕚、
p.0019 萼〈ハナフサ〉 花房 柎 蔕 蕤〈已上ハナ、ハナフサ、〉
p.0020 英(ハナフサ) 蕚(ハナフサ) 〈萼正〉
p.0020 英(ハナブサ) 〈字 、華也、草木之英花也、〉 蕚(同)〈順和名、承レ花跗也、字 、草木花房也、〉柎(同)〈匀略〉
p.0020 はなぶさ 花房の義、常に英をよみ、倭名抄日本紀に萼をよめり、
p.0020 花形分解之辨〈◯中略〉三に曰、萼は花總(はなぶさ)とよぶ、花形の總ての括なれば也、又花萼とよぶ、葩の萼にして、齒に齶(はぐき)あるがごとし、又蔕(へた)とよぶ、葩と莖とを隔つの義、劒に鍔あるがごとし、蓋ツバは刃と柄(つか)との間をツバメルの義、されば萼は花總のツバメにて、ツボミのもと也、故にツバメ、ツボムなどゝ音義通へり、萼齶鍔三字の形音義ともにひとしきをおもふべし、
p.0020 蕾(ツボミ) 含(ツホム)〈同レ莟〉
p.0020 莟(ツボミ)
p.0020 莟(ツボミ)〈類書纂要、花含レ心而未レ開也、〉 蓓蕾(同)〈俗用二此字一謬矣〉
p.0020 つぼみ 莟をよめり、つぼむ義也、 蕾も同じ、
p.0020 花形分解之辨 夫冬より春の花は、莟(がん)なるもの久くして蕾(らい)となり、一旬許して蓓(ばい/つぼみ)となり、三五七日許して開花するなり、夏より秋の花は、今朝の莟、午の刻までに蕾となり、夕方より蓓に成、翌早朝開花する也扨莟は麁(あら)皮にて包めるをいふ、蕾は葩の貌、既に莟の中に萌し滿て綻るものをいふ、蓓は葩既に半外に顯て、開花せんとするものをいへり、乃上層に摸するごとし、〈◯圖略〉 右各樹艸によて、萼(はなぐき)の形ち異同あり、 再云、莟蕾蓓をいづれもつぼみとよべり、初を莟といひ、中を蕾といひ、後を蓓といふ、莟は含(がん/ふくむ)也、是牙( /おくば)音にて堅く、奧に在ていまだ發せず、 蕾は雷( /なるかみ)也、是舌音にて、内に鳴響て既に萌し發す、蓓は 倍也、是唇音にて外に發し葩を顯す、形蕾に倍せり、
p.0021 花形分解之辨〈◯中略〉 二に曰、苞は麁皮(あらかは)也、莟を包むの義、蓋花の萌しある芽を花袋(○○)といへり、此芽は拔群大にして、萌せる莟の形、漸々蔓る時、麁皮を被り出る、故に苞をつぼみともよべり、
p.0021 種子 日本紀私記云、水田種子〈太奈都毛乃〉陸田種子、〈波太介豆毛乃〉種〈之隴反、太禰、〉
p.0021 穀〈タナツモノ〉 種子〈同〉
p.0021 たね 種をよめり、田根の義なるべし、
p.0021 子(○)〈即里反 コ ミ タネ〉
p.0021 諸國進年料雜藥 大和國三十八種 榧子(カヘノミ)一斗六升、〈◯中略〉車前子(オホバコノミ)二斗八升、 攝津國四十四種 葵子(アフヒノミ)大五升、
p.0021 實(○)〈時質反 ミ サネ ミノル ミツ 和シチ〉
p.0021 實〈ミ〉 子〈同〉
p.0021 み〈◯中略〉 實は身に同じ、子もよめり、
p.0021 諸國進年料雜藥 大和國三十八種 枳實、通草、大戟各十斤、
p.0021 (○) 爾雅云、桃李之類、皆有レ 、〈僞革反、和名佐禰、今按一名人(○)、醫家書云、桃人杏人等是也、〉蔣魴切韻云、 者子中之骨也、
p.0021 原書釋木、桃李醜、 、郭注云、子中有二 人一、此所レ引恐舊注也、單引二爾雅一、非レ是、按説文、 、蠻夷以二木皮一爲レ篋、状如二 尊一、又云、覈實也、二字不レ同、果中之 、覈實之義、轉注者、宜レ用二覈字一、以レ 爲レ之者、古音近而假借也、下總本僞作レ爲、伊勢廣本同、按廣韻、 下革切屬二匣母一、僞危睡切屬二疑 母一、爲遠支切、又于僞切、並屬二喩母一、其音皆不レ同、〈◯中略〉按 者子中骨、人者 中肉、醫方所レ謂桃人杏人者、皆用二 中肉一、則明 人不レ同也、而有二謂レ人爲レ 者一、如三桃人承氣湯或名二桃 承氣湯一是也、未レ有二謂レ 爲レ人者一、源君云、 一名人、恐誤、
p.0022 椀〈サ子、果子中之骨也、桃李皆有レ之、〉 實 人(○)〈桃人、李人、杏人等也、〉 奴 奴〈サ子犀同〉 〈已上同、カンシノサ子、李 出二馬琰食經一、〉
p.0022 諸國進年料雜藥 攝津國卌四種 桃人(○○)一升、〈◯中略〉杏人(○○)一斗九升、
p.0022 疐 爾雅云、棗李之類皆有レ疐、〈都計反、和名保曾(○○)今按疐蔕相通、〉
p.0022 原書釋木棗李曰レ疐レ之、郭注云、啖食治擇之名、初學記引二孫炎一亦云、疐二去其抵一皆以レ疐爲二用語一、與レ此其義不レ同、則此所レ引或是樊光李巡等注文也、按説文、疐礎不レ行也、蔕瓜當也、二字不レ同、保曾宜レ用二蔕字一、而曲禮爲二天子一削レ瓜者、士疐レ之、正義云、謂レ脱二華處一、廣韻云、疐抵也、則知借レ疐爲レ蔕、又轉爲二用語一也、按保曾以レ似二 臍一名レ之、
p.0022 菓蓏 唐韻云、説文、木上曰レ果、〈字或作レ菓、日本紀私記云、古乃美(○○○)、俗云、久太毛乃(○○○○)、〉地上曰レ蓏、〈力果反、和名久佐久太毛乃(○○○○○○)、〉漢書注、張晏曰、有レ 曰レ菓、無レ 曰レ蓏、〈 見二菓具一〉應劭曰、木實曰レ、菓、草實曰レ蓏、
p.0022 干祿字書、菓果上俗下正、果見二神代紀上及垂仁九十年紀一、古能美見二後撰集一、按古能美、樹實也、久多毛乃、朽物之義、謂二果蓏熟則朽腐一也、〈◯中略〉廣韻、郞果切、説文徐音同、按字異音同、然此引二唐韻一、則似レ當レ作二郞果一、〈◯中略〉已上皆廣韻蓏字注同、伊勢廣本、説文下有二曰字一、與二廣韻一合、説文今本木部云、果木實也、从レ木象二果形一、在二木之上一、艸部云、蓏、在レ木曰レ果、在レ地曰レ蓏、此所レ引艸部文、齊民要術引作二在レ艸曰 蓏、廣韻張説在レ下、應説在レ上、二菓皆作レ果、張應二説、並漢書食貨志注文、原書菓作レ果、與二廣韻一同、
p.0023 蓏在レ木曰レ果、在レ艸曰蓏、〈各本作二在レ地曰 、今正、考二齊民要術一引二説文在レ木曰レ果在レ艸曰 蓏以別二於許愼注一、淮南云、在レ樹曰レ果、在レ地曰レ蓏、然則賈氏所レ據未レ誤、後人用二許淮南注臣瓚漢書注一改レ之、惟在レ艸曰レ蓏、故蓏字从レ艸、凡爲二傳注一者、主レ説二大義一、造二字書一者、主レ説二字形一、此所下以注二淮南一作二説文一出二一手一而互異上也、應劭宋襄云、木實曰レ果、艸實曰レ蓏、與二説文一合、若張晏云、有レ 曰レ果、無レ 曰レ蓏、臣瓚云、木上曰レ果、地上曰レ蓏、馬融鄭康成云、果桃李屬、高注呂氏春秋云、有レ實曰レ果、無レ實曰レ蓏沈約注二春秋元命苞一云、木實曰レ果蓏瓠之屬、韓康伯注二易傳一云、果蓏者物之實、説各不レ同、皆無レ不レ合、高云、有レ實無レ實、即有レ 無レ 也、〉从レ艸 〈此合二二體一會意、 者本不レ勝二末微弱一也、謂凡艸結レ實如二瓜瓞一下垂者統謂二之蓏一、郞果切十七部、鍇本作レ 聲誤、 窳聲蓋在二五部一、此會意形聲之必當レ辨者也、〉
p.0023 目録 李時珍曰、木實曰レ果、草實曰レ蓏、熟則可レ食、乾則可レ脯、豐儉可二以濟 時、疾苦可二以備 藥、輔二助粒食一、以養二民生一、故素問云、五果爲レ助、五果者、以二五味五色一、應二五臟一、李、杏、桃、栗、棗是矣、占書欲レ知二五穀之收否一、但看二五果之盛衰一、〈李主二小豆一、杏主二大麥一、挑主二小麥一、栗主レ稻、棗主レ禾、〉禮記内則列二果品一、蔆椇榛瓜之類、周官職方氏辨二五地之物一、山林宜二皁物一、〈柞栗之屬〉川澤宜二膏物一、〈蔆芡之屬〉丘陵宜二 物一、〈梅李之屬〉甸師掌二野果蓏一、場人樹二果蓏一、珍異之物以レ時藏レ之、觀レ此則果蓏之土産常異、性味良毒、豈可下縱二嗜欲一而不レ知中物理上乎、於レ是集下草木之實、號爲二果蓏一、者上爲二果部一、凡一百二十七種、分爲二六類一、曰五果、曰山、曰夷、曰味、曰蓏、曰水、〈舊本果部三品共五十三種、今移二一種一、入二菜部一、四種入二草部一、自二木部一移入併二附三十一種一、草部移二入四種一、菜部移二入一種一、外類移二入四種一、〉
p.0023 菓〈俗果子 クタモノ コノミ〉
p.0023 くだもの 菓をいふ、木(コ)種物の義也、木種は日本紀に見えたり、倭名鈔に蓏をくさくだものとよめり、今の俗菓子の音を用ゐて、餹餅の類を併せよぶは、朝野群載に見ゆ、又贄の菓子は庭訓に見ゆ、西土にもしかあればにや、市肆記に、果子部ありて、餅餹を多く載たり、寒具の類は、乾菓子と稱せり、又交(マセ)菓子の稱あり、
p.0023 賢所〈◯中略〉 自二僧尼及憚人許一所レ進之物不レ奉レ之、源雖レ出二僧尼家一、男女進物奉レ之、所レ謂關白所レ進菓、多興福寺別當所 レ進也、然而不レ憚レ之、
p.0024 このみ 神代紀に菓をよみ、古事記に木實と見ゆ、應劭云、木實曰レ菓、俗にきのみかやのみといへり、かやのみは草の實也、金葉集に、 淺ましや劒の枝のたわむまでこは何のみのなれるなるらん、菓子、因果、此身の三義を兼てよめるなり、此身を佛足石の歌にこれのみと見えたり、
p.0024 一書曰、〈◯中略〉素戔嗚尊乃教之曰、汝可下以二衆菓一醸中酒八甕上、吾當二爲レ汝殺 蛇、
p.0024 二十四年正月、桃李實之、
p.0024 九年正月丙申、攝津國言、活田村桃李實也、
p.0024 世俗除夜に果樹の實のならぬに、一人杖を持て木のもとに行、ならうか、なるまいかとて打むとするを、又一人その樹に代りてならうと申ますといふなり、寶倉に、或時、婦にはかりて云、君みずや柿木などいへるものヽ年ぎりせるには、節分の夕に、一人斧をとりて、此木をきらんといらなめば、今一人其木に代りて、明年より年ぎりせまじ、ゆるし給へなど、口かためする時は、必明年より年ぎりする事なし云々、汝南圃史に、正月元旦辰刻、將レ斧班駁敲レ樹、則結レ子不レ落、名曰二嫁樹一と是なり、又文昌襍録云、楊州李冠卿所レ居堂前、杏一株極大、多レ花而不レ實、一老嫗曰、來春爲レ嫁二此杏一、冬深忽携二尊酒一云、是婚嫁撞門酒、索二處子裾一繫二樹上一、已尊酒辭祝再三、家人咸哂レ之、明年結レ子無レ數とあり、これ嫁樹の義なり、
p.0024 種レ果法 同接木〈◯中略〉 果樹茂盛不レ結レ實者、元日五更、或除夜、以レ斧斫レ之、即結レ實、一云辰日將レ斧斫二果樹一、結レ子不レ落、 按、除夜一人在二樹上一、一人在二其下一、誚曰、汝宜レ結レ子乎否、今當二斫棄一也、樹上人答曰、諾、自レ今以後宜レ結レ子也、果翌年多有レ子、蓋雖三俗傳一、和漢趣相似矣、 諸木卒然將レ枯者、急宜レ灸二地上三寸向レ陽處一多活、
p.0025 論二物理一〈◯中略〉 草木及竹、有レ雄有レ雌、雄者無レ實、雌者有レ實、雖二枝葉相同一、然不レ實者多矣、此植物亦有二陰陽一也、
p.0025 公孫樹〈◯中略〉 榧( /かや)、〈本草綱目〉雌木の枝横斜し、花あらずして果を結ぶ、雄木の枝直立す、花を生じ果を結ばず、 秦椒( /さんせう)、〈本草綱目〉雄木に花有て實を結ばず、雌木は花を生じ實を結ぶ、柴繩を以て縛すること勿れ、縛すれば即枯る、 鳳尾蕉( /そてつ)〈秘傳花鏡〉 實名 無漏子〈本草綱目〉雌に實有て花を開ず、雄は花を開き實を結ばず、 桑、〈本草綱目〉雄木に花有て實を結ばず、雌木は花あらずして實を結ぶ、 羅漢松( /いぬまき)、〈函史綱〉雄木に花を生じ實を結ばず、雌木は花あらずして實を結ぶ、 牡麻( /あをさ)、〈本草綱目大麻釋名〉に花有て實を結ばず、苴麻( /めあさ)〈同上〉は花あらずして實を結ぶ、即雌雄なり、 菠薐( /はうれんさう)、〈本草綱目〉雌に花を生ぜずして實を結ぶ、雄は花を生じ實を結ばず、 凡草木の常性は、雌雄ある者は前條の如し、又花あれば實を結ぶ、是天理なり、然るに實を結ばざるものあり、巖桂( /もくせい)、〈本草綱目桂集解〉茉莉(/もうりんくわ)〈本草綱目〉瑞香( /ぢんちやうげ)、〈同上〉芫花( /志げんし)〈同上〉水仙、〈同上〉胡蝶花、〈秘傳花鏡〉等の類なり、此餘略す、
p.0025 論二物理一〈◯中略〉 竹者非レ草非レ木、而別爲二一種一、如二戴凱之所 謂也、猶二動物之中有レ魚而非レ禽非 獸也、蓋植物之有二草木竹(○○○)一、猶三動物之有二鳥獸魚一、而動物各自有二這三等一耳、植物類復有レ苔(○)有レ菌(○)、其爲レ物也最細微、不レ可下與二草木竹一相比並上也、動物類復有レ蟲有レ介、此亦其爲レ物也最細微、不レ可下與二禽獸魚一相比並上也、動物之中有二蟲介一、猶三植物之中有二苔菌一也、
p.0025 草木三品(○○○○) 仙神隱曰、草木之種類極雜、而別二其大較一有レ三、木本(○○)、藤本(○○)、草本(○○)是也、
p.0026 論二物理一〈◯中略〉 本草李時珍曰、木中有レ草、草中有レ木、 是木ニモ非ズ、草ニモ非ズト云ニ似タリ、草中有レ木ハ、牡丹、玫瑰花、天竺花、紫陽花、薔薇、迎春花、連翹之類、木中有レ草ハ、枸 、棣棠、平地木、懸鉤子、茅藤果等之類也、
p.0026 論二物理一〈◯中略〉 蔓草(○○)ハ皆左旋ス、順二天之左旋一也、左旋トハ左ヨリ上リ、右ニ落ルヲ云、天道ハ左旋ス、日月星皆同、人ハ北ヲ背ニシ、南ニ向ヘバ、左ハ東、右ハ西ナリ、日月天行皆東ニノボリ、西ニヲツ、是左旋ナリ、順ナリ、茶臼ノメグルモ、蔓草ノ物ニマトフモ、皆左旋ナリ、右ヨリ上リ左ニ落ルハ右旋ナリ、逆ナリ、或ハ茶臼ノ旋ルモ、蔓草ノ物ニマトフモ、右旋ト云人アリ、非ナリ、ヨク思フベシ、人力ヲ以テセズシテ、天氣ト茶臼ト蔓草トノメグリヲ以テ考フベシ、
p.0026 論二物理一〈◯中略〉 史記、貨殖傳、言二植木之利一云、安邑千樹棗燕秦千樹栗、蜀漢江陵千樹橘、淮北千樹萩、注梓木也、陳夏千畝漆、齊魯千畝桑麻、渭川千畝竹云々、千畝巵茜、千畦薑韭、此其人皆與二千戸侯一等、今案、史記所レ言皆植テ有レ益物ナリ、吾邦植テ爲二民用一有レ益物多シ、木則白桐、梧桐、梓、桃、杏、栗、棗、橘、柑、金橘、茶、楮、漆、桑、朴、椿、山茶、櫧、檞、椶櫚、柳、榿、柿數種、山椒、梔、梨、榛、杉、檜、樅、羅漢松等也、草類則麻、苧、藍、紅花、薯 、油菜、紫草、茜、芋等也、又竹類可レ植者多シ、史記ニイヘル植テ有レ益物ハ、棗、栗、橘、梓、漆、桑、麻、竹、梔、薑、韭、是イヅレモ日本ニモ植テ宜キ物也、
p.0026 園籬(ゑんり)を作る法 いけがきに作る木は臭橘(からたち)、枸 (くこ)、五加(うこき)、秦椒(さんせう)、梔子(くちなし)、刺杉(はりすぎ)、楮(かうぢ)、桑、櫻、桃、細竹、色々多し、此等の類よし、中にも臭橘、うこぎ、枸 、勝れて宜し、臭橘は盜賊のふせぎ是にこゆる物なし、くこ、うこぎの二色は葉は菜にし茶にしても用ゆべし、根は共に良藥なり、酒にも造る、枸 子は功能ある物なり、
p.0027 論二物理一〈◯中略〉 凡草木ノ味辛シテ可レ食物、生薑、胡椒、芥子(カラシ)、蘿蔔根(ダイコン)、蓼、蒜、和佐美(ビ)、藤天蓼(マタヽビ)、蕃椒(タウガラシ)、 右九種ハ草ナリ、山椒、肉桂、此二種ハ木ナリ、右十一種、凡辛キ物ハ邪氣ヲ散ジ、瘴氣ヲ去リ、食滯ヲ消シ、蟲積ヲ抑ヘ、寒ヲフセグ、然ドモ多ク食ヘバ、氣ヲ耗散シ、津液ヲ乾涸シ、氣ヲ逆上シ、熱ヲ生ジ、瘡瘍ヲ發シ、目ヲ昏クス、少食フニ宜シ、多キヲ禁ズベシ、
p.0027 栽〈ウフ、前栽、栽二草木一、〉 秧〈秧稻〉 殖 植 樹 橎 時 種〈藝〉 蒔
p.0027 栽(ウユル) 種(同)
p.0027 栽(ウユル) 種(同) 植(同)
p.0027 うヽる 植をいふ、万葉集に見ゆ、うゑとはたらく故也、
p.0027 壅〈ツチカフ 或云壅二瓜茄一〉
p.0027 培(ツチカフ) 糞(同)
p.0027 つちかふ 培をよめり、土をかふ也、糞もよめり、
p.0027 論二物理一〈◯中略〉 草木ノ性各異ナリ、植ルニ天ノ時(○○○)アリ、春夏秋冬ト十二月ト、各植テ宜時アリ、天ノ時ニ順テ植ベシ、又植ルニ地ノ宜(○○○)アリ、黄黒ノ埴土ニ宜アリ、軟沙土ニ宜アリ、陰地ニ宜アリ、陽地ニ宜アリ、燥溼水陸各宜不宜アリ、糞肥ヲ好ムアリ、惡ムアリ、地ノ宜ニ順テ植ベシ、是孝經ニ所レ謂、用二天之道一因二地之利一也、是種二草木一之法也、不レ可レ不レ識、〈◯中略〉 橘柑金橘ハ寒ヲ畏ル、故ニ深山ノ中、又寒國ニハウヘテモ榮ヘズ、活シテモ實ナラズ、京都モ寒土ナレバ橘柑マレナリ、北土及信州ニハ橘類ナシ、柚ハ山中ニモアリ、朝鮮ハ寒國ナル故、橘柑ノ類及茶ナシト云、此類南方ノ暖地ニ宜シ、故ニ紀州駿州肥後ニ多シ、芭蕉、鳳尾蕉、蕃薯等寒國ニハナ シ、茶ハ山中ニモ亦有レ之然レドモ北土及信濃ハ甚寒キ故茶ナシ、北土、奧州、羽州ニハ、畿内、近江、美濃ヨリ、茶ヲ越前ノ敦賀ニツカハシ、舟ニノセテ右ノ諸州ニ賣ル、竹モ北州ニハマレナリ、信州岐岨ノ谷中ニハ竹ナシ、檜ノ小枝ヲ以テ桶ノ トス、竹壁竹簀スベテナシ、中華ニモ南方ノ閩中ニハ、荔枝、龍眼、佛手柑、橄欖、甘蔗等アリ、北土ニハ無二此品一、 周禮考工記曰、橘踰レ淮而北爲レ枳、鸚鵒不レ踰レ濟、貉踰レ汶則死、此地氣然也、 含南方草木状曰、嶺嶠已南無二蕪菁一、種レ之則變爲レ芥、〈◯中略〉 莪朮、鬱金、生薑、紅蕉、幽蘭、赬桐、蕃薯、芋之類皆畏レ寒、冬在二圃中一則根悉爛死矣、埋二之於向レ陽煖處一則活、若夫在二南州煖地一者、栽二彼土圃中一亦不レ死、是地氣(○○)之令レ然也、
p.0028 草木植作様之卷 一草木は植作り様、土地によりて好惡あり、其性山谷原隰の異あるを以て、それ〳〵の榮をなす、剛柔にまぢわりて根荄をなし、やはらかかたきにまぢわりて枝 をなすとなり、たとへば水草を原地に植れば枯、野草を泥中に植ればくさる事必せり、故に土の品々をわかち、草木の植作り様をしるすのみ、
p.0028 題言 此ノ書ハ愚老〈◯佐藤信淵〉ガ曾祖父元庵翁、初心ノ門生等ニ、切リ紙ニテ傳授セラレタル培養方ナリ、抑々我家農政學ヲ講ジテ、遍子ク人ニ教ユルト雖ドモ、其ノ天意ヲ奉ルベキ窮理ノ説ト、培養ニ用フベキ品物三十六種ノ性功トニ至テハ、一子相傳ノ口授ト定メラレタリ、故ニ此書ニ述ブル處ノ十字號ノ方ヲ以テ、糞培ノ定例ト爲セル者ナリ、蓋田畑ヲ開發シテ草木ヲ作ランコトヲ欲スト雖ドモ、其ノ土地天然ニ瘠薄、陰冷、浮洋、太肥、亢陽ノ不同有リテ、作物ヲ妨障シ、需ムル處ヲ成熟セザルコト有リ、此ヲ土地ノ五患(○○○○○)ト名ヅク、故ニ氣候良和ナル國ト雖ドモ、此ノ五患ニ因テ、其 ノ耕作往々難澀ナルコト多シ、所レ謂瘠薄(○○)トハ、土地堅實太ダ過ギテ凝リ固リ、作物ヲ植ユルト雖ドモ、生長スルコト難ク、或ハ輕虚太ダ過ギ、軟膨( /ボヤケ)ニシテ種植スル處ノ作物、成熟ヲ遂グルコト能ハザルヲ云フ、又陰冷(○○)トハ其ノ地赤道下ヲ離ルゝコト遠ク、或ハ山谷ノ間、及ビ深林ノ陰等ニシテ、風冷カニ水寒ヘ、作物ヲ成就スルコト能ハザルヲ云フ、又浮洋(○○)トハ、水多ク泥濘(ドロ)甚深ク、六七月頃ノ日光ト雖ドモ、炎熱ノ氣其地底ニ徹スルコトヲ得ズシテ、作物ノ熟スルコト能ハザルヲ云フ、又太肥(○○)ハ、土地墳壚ニシテ作物ヲ植ユルトキハ、其ノ繁茂スルコト太ダ過ギテ、實ヲ結ブコト能ハズ、或ハ墳壚ニ非ズト雖ドモ、莖葉ノミ蕃衍シテ、需ムル所ヲ成就セザルヲ云フ、又亢陽(○○)トハ、土地高燥ニシテ用水足ラズ、或ハ低處ニテモ乾シ渇クノ禍アリテ、旱損常ニ多キヲ云ヘリ、是ヲ以テ元庵翁ハ此ノ五患ヲ免ルベキノ法ヲ工夫シ、本篇ニ述ベタル三十六種ノ糞培料ヲ辨別シテ、或ハ二三種、若シクハ五六種ヲ配合シ、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸ノ十字號ナル糞培ノ例ヲ著ハシ、所レ謂瘠薄ノ地ニハ、甲乙二號ノ糞苴ヲ用ヒ、陰冷ニハ丙丁ノ二號、浮洋ニハ戊己ノ二號、亢陽ニハ壬癸二號ノ糞苴ヲ用ヒシメ、以テ其ノ太過ト不及ヲ平等ニシ、陰陽虚實ヲ中和セリ、是レヨリ以後ハ我ガ家ノ門人等ハ、所レ謂五患ニ罹ルノ地タリト雖ドモ、草木ヲ耕種シテ成熟ヲ全クスルコトヲ得タリ、信ニ世上ノ大幸ト云フベシ、故ニ其ノ定例ヲ筆記シテ家塾ニ藏セリ、若シ夫レ農事ヲ學ブコト初心ナル者タリト雖ドモ、此書ニ就キテ、田畑ノ耕作、及ビ糞苴( /コヤシ)ノ用法ヲ工夫ナサバ、絶ヘテ五患ノ難苦アルコト無クシテ、身ヲ終ルマデ此ヲ用ルモ、尚ホ其ノ利ヲ盡クスコト能ハザルノ妙アラン者ナリ、 文政七甲申年二月初吉 玄海 佐藤信淵 識
p.0029 諸草可レ養土の事 一眞土(まつち)〈細にはたきふるい用也、水仙花并柑類に宜し、又菊の類非レ草の分に少加へ用也、〉 一砂眞土(すなつち)〈こまかにふるい用也、芍藥に用て宜し、〉 一野土(のつち)〈細にはたきふ〉 〈るい、野花の類に宜し、〉 一赤土(あかつち)〈こまかにはたきふるい、蘭百合草の類、又ゑびね、けいとうのたぐひに宜し、〉 一肥土(こへつち)〈赤土の肥て黒みやわらかに成たるを云、此土は諸草に用てよろしきなり、〉 一沙〈石竹、瞿麥の類にふるい用て宜し、〉 一田土(たつち)〈杜、若、蓮、河骨、水葵、澤 、大底此類に用て宜し、但水をこのみ用る草花に宜し、〉 一合土(あわせつち)〈眞土野土赤土肥土沙、是を等分に交てはたきふるい用也、万草に宜し、是又五土とも云也、〉 一しのぶ土〈赤沙にしのぶ草を切交てはたきふるい、是は躑躅の類亦取木指木に用て妙なり、〉
p.0030 草木植土の事 冬木の類植る土は畑の並土よし、合土なれば別して吉、植方は植付心得の部にあり、土の違ふ品は其品へ記す、 呼接(よびつぎ)の品切落、七月中頃より後に植る品は、すべて肥(こえ)なき並土を用ひてよし、 夏木類諸品とも並土にてよし、尤年々植替べし、植法(よう)は植付の部にあり、 草類は諸品とも掃溜上下水土よし、合土は前年寒中肥を懸置たる土なれば別して吉、
p.0030 江府三土(かうふのさんつち) 武陽の名土といふにもあらず、江府にて草木植作ルに集合して肥良の土なり、何國にても如レ此の土見合可レ用、 葛西眞土(かさいのまつち) かめいど邊よりなり平、隅田川の筋、みな眞土にて、かさいに似たり、小石まじりたるは砂眞土なり、よくふるいてつかふべし、 武藏野土(むさしのゝつち) 巣鴨村邊より板橋染井筋、野土にてむさし野に似たり、但シくろめなるを上とす、赤めなるは土の性おとれり、八王子ノ砂(すな) 目黒邊にも間々あり、雜司谷王子の筋大方似たる砂なり、但シ白めなるを上とす、黒め赤め成はわるく、小石あらばふるひて用、 右三色の土等分に合たるは、何レの草木を植テも相應せり、但シ草木により、少宛かわるも有べし、たとへ牡芍(ぼしやく)といへ共、牡丹は三土よし、芍藥は砂と眞土等分に野土無用にてよし、蘭は砂眞土等 分に、蘇鐵は砂ばかり眞土少入たるも吉、さつききりしまは野土ほどよし、砂眞土あしきたぐいそれ〴〵かんがへべし、古キ土藏などこぼちたる壁土、是三土集合と同、〈土藏はへな土多ク入りてよろしからず、中ぬりかべは最上の三土也、〉雨のあたらぬ様にたくわへ置て草木に用べし、
p.0031 雪霜忌避之事 凡園中の樹木、冬月雪霜の候、預め其法を施して、枝葉をして其凍威を防べし、花鏡云、凡生果花盛時、逢レ霜則無レ實、しかのみにあらず、雪の爲に枝を折り、芽を損ずる事あり、十一月の中に、園中の樹木ハ、弱き枝ハ下より竹をたて結置、又細き繩にて釣置べし、雪積りても折れる事なし、小木枝多きもの、杜鵑花(つゝじ)類、金松土蘇木(かふやまききやらぼく)の一種の類、繩にて卷おくべし、蘇鐵芭蕉類も立冬の頃より藁にてまくべし、又草類の盆栽其まヽ鉢を埋置て、春の彼岸比より堀り出してよし、地植のものはわら木葉などかけ置てよし、喜任〈◯阿部〉按に、或人の説に、山中のものは雪霜を除ける事もなくして、自然に勢よし、園中に移す時は煩ハしといふあり、左にあらず、予冬月深山に行きたるに、葉落て根下に重り、一尺もかきわけて、漸く下に生ずる處雜草を得るなり、造物自然の妙にて、自ら根の霜雪を避くるなり、
p.0031 論二物理一〈◯中略〉 今世民俗ノ時好ニヨツテ、草木花容變態百出、是皆人ノ愛賞スル處、人力ニヨツテ造化ノ力ヲ不レ借ナリ、其變化ノ品色多キ物、草類ニ、牡丹、芍藥、菊、幽蘭、燕子花(カキツバタ)、紫羅襴(ハナアヤメ)花、石竹、桔梗、百合、牽牛花、剪春羅、剪秋羅、葵、鷄冠花、鳳仙花、木類ニ、梅、桃、櫻、山茶、茶、梅、躑躅、杜鵑花等也、此外草木ノ花ニ變態ノ品色多シ、
p.0031 僧榮傳は東都澀谷金王祠の別當にして、寶暦の頃の人なり、奇品を弄、諸州の好人と贈答す、特に百兩金(たちばな)の斑を愛して、後世金王斑と唱る物有に至る、又一年菊と辣茄(とうがらし)の長大 生育を成すに、皆其丈二三丈に及、菊は黄英白葩爛燦として金玉盤を捧るがごとく、辣茄は紅緑實離離として、琅玗珊瑚を懸るがごとし、都下爭趨てこれを見るに、數百歩を隔、屋上樹罅に其状認、實に一大奇觀なりしと云、始八丈島及崎嶴(ながさき)には此法有、關東には之を長大生育の鼻祖とす、培養に長る推知べし、
p.0032 下種之事 南天は十月の比霜の降らざる前にとり皮を去り、直に鉢へ蒔てよし、上へ細きごみを鋪き置べし、雨のかヽらぬ様にすべし、水の翁云、地蒔は土の上へうす薦一まいかけ置き、七月末にこもを段々にとり、十月頃迄には殘らず芽生ずる也といへり、雅楓(とうかへで)、野雞楓(もみぢ)の類は、紙の袋へ實を貯へ、春の彼岸に地に布べし、
p.0032 下種之事 喜任〈◯阿部〉嘗て諸木の實をうゑ試みるに、各良非あり、今逐一左方にしるす、鳳尾松(もみ)、羅漢松(まき)、木こく、秋實の熟したるをとり、土に雜へ置、春分に畦に布てよし、羅漢松はとり蒔にても生ずれども、霜に痛む事あり、又暖國にては其心得ありてよし、肉桂樟(にくけいくす)類は實へきずを付、とり蒔にしてよし、鳥のはみかへしにてハよく生ず、はぜうるしハ、牛に實を喰せ、其糞の中にあるを、糞と共に植れバよく生ず、櫧(かし)、柯樹(しい)、一位(い)櫧(かし)、檞櫟(くぬぎなら)の類は、實落たる時土に雜へ置べし、直に鉢へ蒔てもよし、實の皮と皮と付時は、中に蟲を生ず、貯ふる時床の下などへ埋おくべし、鼠の用心すべし、春の彼岸の比より出し植べし、松の實ハ秋の彼岸の後に松毬(まつかさ)をとり乾かし、落たる をとり、砂に交へ置、春の彼岸の比まきてよし、根上りの小松を作るにハ、箱の下へころ土を入れ、上へあら砂をしき、其上へ細き土を入て蒔べし、根に叉椏(また)を生ずる故に、石をまたがせなどするによし、根一本になるは用ず、
p.0033 草木植作様之卷〈◯中略〉 一草木種蒔に、毎月の節の日まくべからず、暦に節と有ル日なり、耕作には節蒔とて大にきらふ事なり、接木指木も無用成べし、 但シ節に入ル刻ヲのぞき其餘はくるしからずといへ共、一日不用たるべし、
p.0033 接法の事并圖 按に農政全書に、接様又審なり、本邦に接様色々あり、其木によりて時節のよき時接べし、何も九焦、南風、天火、地火の日を忌べし、先その接砧(つぎだい)の木は三四歳より六七歳までの木は勢よし、又四五歳といへどもこせたる木は惡し、十歳餘の木にても勢よきは又接べし、大樹へ接ときは枝の勢よき所を殘、外の枝は皆截すて、その殘たる枝へ接なり、是を高つぎと云、又砧樹(だいき)を拔て接時は、長き根を切はさむがよし、又切過はいたむもの也、接(つゞ)梢の事は、去年のびたるほを今年接なりほは長くのびて勢よく、肥たる所を切とりて接なり、又弱木は接たるほの枯ぬやうにすべし藁にてかこひ、又土藏などへ入置なり、風を忌べし、又接て跡にて臺の切口と穗の切口へ、蠟或は墨を塗ことよし、 換接(きりつぎ) 又根接(こんせつ)とも云、則だいつぎなり、仕様は先ほを大根の切口へさし、或は水にいけ置、砧樹(だいき)をきり、其切口の鋸めを小刀にてけづり、人行こと四五町程間を置て接べし、但し木口に水けなき木は、直に接てよし、その砧の木口の方より、木の心と皮との間を、竪に小刀にて一寸程、けづる様にへぐなり、尤へぐに甚かげんあり、木によりて皮の厚きものあり、薄きものあり、又大木は厚く、小木は薄し、若薄き皮を厚くけづりて、木のしんに小刀かヽる時はつかず、其時は接口を替てけづり直すべし、扨ほに眼を二ツ三ツかけて、二寸餘にきり、片々の皮を心にかヽらぬやうに竪にけづり、口へ含むべし、砧のへぎめ一寸なれば、ほは一寸一分ほどにけづるなり、外の方の皮より はすに切捨て、そのけづりめの長き方を内にして、砧へはさむなり、尤砧の切口よりほのけづりめを一分ほど出してはさめば、其處より砧の切口へ肉あがるなり、砧太ければ二口も三口も接べし、扨其上を、打藁にても、水きたる麻にても、ほの動ぬやうに卷なり、尤あわせめのすかぬやうにまくべし、打藁なればかたく卷、麻などにてはかたくしめ、多く卷は惡し、多くまく時は木くびれて、肉のあがり甚惡し、然ども柿砧梅砧などをやわらかに卷ばつかず、木にもよるべし、扨砧の木口よりつぎめの所を打わらにて包、又紙にて封ずる法もあり、其上を竹の皮にてほにさわらぬやうにおほひ、雨をふせぐべし、又多く數百本も接には、藁にて包たるまヽにて、ほの先を少し土の上に出し、皆うづめうへて、低く平に蘆づをかけ、又圍をこもにてかこひ、風雨をふせぐべし、穗の勢氣をたすくるために、土をかくるゆへ、芽を生ずるにしたがつて、土をだん〳〵に去るべし、扨其接たる所へ、物のさはる事を忌、よくかこひて鳥獸をふせぐべし、時々根廻りをうかヾひ、砧より芽を生ずれば、早くかき取べし、だいめ多く出ればつかず、又ほより葉を生ずる頃は見合、竹の皮を切去べし、移植るには、夏の土用を過て、秋又春うへかえてよし、 高接(たかつぎ) 一二丈も上の枝へ接なり、多く枝の垂るヽを接、其法は右にかわる事なし、但し砧の切口并にほのかれぬために、接たる所へ割竹か又茅の類にてかこひ、其内へ土を入、ほを少し出し置、其上へ少(ちいさき)草をうえ置なり、是を漏斗といふ、又竹の皮の内へ土を入、草を植置ば、日をよけて潤なり、又竹の皮の外へ木の枝を添置て、鳥の止るをふせぐべし、又節々砧芽をかき取べし、又枝ごとに色々接を枝接(しせつ)といふ、則つぎわけなり、 壓接(よびつぎ) 仕方は切つぎの頃に接てよし、又葉を生じて其葉かたまりたる時接もよし、又よび接には時節なく、四季ともに接事もあり、何も接方は同事也、まづ其接べき親木を横へ伏て、植枝の地に近き所に砧木をうへそへ、枝をよびてほを切放ずして接なり、但シ砧の皮をへぐには、小刀を 下より上へけづり、皮は捨てよし、扨其寸法ぐらひにほの皮を、片々ばかり薄くけづり合せて接也、跡の手入は前のごとし、 身接(はらつぎ) 是は夏など接に、砧の切口より一寸も二寸も接口をさげて接なり、夏は木の勢早く枯くだるゆえなり、百兩金大山れんげほうの木の類、皆腹へ接なり、 皮接(よせつぎ) これはほにする親木をうへかえずして、其まヽ置て接なり、是は砧の木を盆にうへ、或は根へ土をつけ、藁づとのごとくにして、其接べき枝の所へ木をそへ、しかと結付つるし置つぐなり、藁にて根を包たるは、夏中日々根もとへ水をそヽぐべし、右何も切はなすには、夏接たるは秋の頃肉あがりて、砧木より十分にほへ勢氣かよふを見て、まづほの元の所を半分程切、又數日の後、殘る半分を切はなすなり、然れどもよくつきたるは、一度に切はなしてもよし、 劈接(わりつぎ) 松などは皆わりつぎ也、總て木軟にしてつき易きものはわりつぎよし、假令ば砧のふとさ指の如くなれば、接ほも指のふとさにて、砧とほと同じ大さなるべし、扨砧の切口の正中を少し割て、兩方をけづり、ほの方も元を兩方より兩刃にそぎ、砧へはさみ卷也、 搭接(そぎつぎ) 砧もほと同ふとさにて、砧をはすにそぎ、又ほもはすにそぎ合て卷、其上へ割竹を竪にそへ、其上をしかとまき、うごかぬやうにして、接めまで土をかけうゆる也、牡丹を接には此法也、 插接(さしつぎ) 是はまづ其接べきほを長く切取、 (さしき)をする様に土へさして、そのほの先をよび接の如にして接なり、 水つぎと云あり、是は其接ほの元を水へ入て、插花(いけばな)の如にして、其先を接なり、そのいけたる水は、二日ぐらいに入替てよし、右さし接、水つぎなどは、ほ早く枯てつき難きたぐひにて、よび接にもなし難きものを接法なり、 根を砧として接法あり、是は砧にする木を掘、其根の勢よく皮のきれいなる所より切取て、これ を砧の如にして接なり、大木一本をほれば、砧木數十本を得べし、總て根へ接時はしばらく置て、土中の水氣をかわかして接べし、又珍き木など、但一本にして外に砧とする木もなければ、其木の根を切取て砧となして接べし、臘梅連翹などは根より芽を多生ずるゆへ、常の砧木の如にしてはつぎ惡し、根を砧にして接べし、
p.0036 接木之法 木を接法様々あり、先臺木を兼て子種(みうへ)にし置きたるがよし、山野より俄にほり取たるは、第一は細根多く付ずして皮めもあらく生付かぬ物なり、假令つきても盛長をそく、後々年をへては、子うへのだい木に接たるには劣れり、山林より取たりとも、根に疵なきを用ゆべし、其ふとさ凡やりの柄ほどなるを中分とすべし、梨柿桃栗梅櫻の類は、大き木に中つぎにしたるもつく物なり、柑橘の類は高くはつぐべからず、だい木の大小をよく見合せ、ふとき程高かるべし、されど高くとも一尺ばかりには過べからず、又下(ひき)くとも四五寸に越べからず、下きは活やすけれども、臺木の皮切口を包む事遲し、小き木高ければ、木の精上りかねて、穗に及ぶ生氣乏しきゆへ、枯るヽ事あり、四五寸一尺の間を中分とすべし、齒の細かなる能きるヽ鋸にて引きり、切口を見ればまきめあり、其卷目の遠き方に穗を付る物なれば、其方を少高く削り、接穗の長さ三四寸、本の方を一寸餘、肉を三分一ほどかけてそぎ、返し刀少しして口にふくみ、口中の生氣を借り、扨だい木の穗を付る所を、穗のそぎたる分寸に合せ、肉の内に少かけて皮をひらき、小刀のきりたる肌をむらなくして穗をさし入、竹の皮か、おもとの葉、古油紙にても、一重まき、其上をあら苧か打わら、又は葛かつらの皮目にて、手心にて、しかと一寸四五分も卷て、其上を又雨露もとをらず、蟻も入ざるやうに稠しく包み卷て、日おほひはおもとか竹の皮にて、日かげの方よりは、穗のさき見ゆる様にあけて包み置、廻りを鷄犬もさはらぬやうに竹をさしかこひ、わらかこもにて包み、上を 少し明けて雨露の氣少し通じ、氣のこもらざるやうにすべし、尤泥にてだい木の切口の下二寸程まで厚くぬり廻し、雀草(すゞめぐさ)をうへて、うるほひを引べし、其後旱つよくば、水をわきより、朝夕少づつそヽぎ、だい木の廻りをかはかすべからず、だい木の皮の一方を切はなさずして接たるを、袋接(ふくろつぎ)といふなり、又皮を穗のそぎたる寸によく合せ、そぎはなして穗の皮目と、だい木の皮の方と付合、心得して少かたよせて、穗を付る事よし、 又水接(みづつぎ)は穗の本をながくし、だい木に付る所を、一寸半も穗の肉を少かけて、むらなく削り、口にふくみ、さてだい木のそぎやうは替る事なし、但きりひらくに下の所を少横に切、皮をわきにをしひらき、穗を合せ卷包む事前に同じ、さヽいがらにてもなき所ならば、竹の筒にても穗の本をさし入れ、風にもうごかぬやうに臺木に結付をき、冷水を入れ、夏中は水のぬるまざるやうに、頻りに水をかゆべし、よく付て皮肉よくとりあひたるを見て、冬になりて穗の下に出たる本の所を、よくきるヽ物にて切はなすべし、其まヽ置けば痛み枯るものなり、 又さし接とは、穗をながくして、芋魁(いもがしら)か蕪菁(かぶら)にても、だい木のきはに肥土にて埋みいけて、雀草をうへ廻し、穗の本をよくそぎて、いもがしらに深くさしこみ、接やうは水つぎに同じ、 又木を接に三の秘事あり、一つには木の肌への少青みたるを見るなり、二つには穗もだいも節の所を切合するなり、三つには穗とだいとの皮肉の取合をよく見て接なり、此三術を違へずして接たるは、活ずといふ事なし、〈◯註略〉 又よせつぎはよきほどの臺木を樹のわきにうへをき、或は木によりて桶などにうへ、其木のわきによせ置て、穗のある枝を引たはめ、木を立て地に打こみ、其木にしかとゆひ付置て、接事は前に同じ、是は百活うたがひなし、されどはなし接のよくつぎたるよりは、盛長遲し、いかんとなれば、接時手心其外思はしからざる故なり、此外も接法ありといへども、さのみ替事なし、但壯年の人の接たるはよくつきて、老人は精神乏しきゆへ、多くは付かぬ物なり、
p.0038 接換(つぎほ)之事 明月記曰、寛喜二年三月七日兩株八重櫻〈一條殿枝續木〉花漸開、永日徒然、令レ栽二菊苗一、〈草不レ憚二土用一〉これ本邦にても續木の事舊し、花鏡曰、如下樹發生時、或將二黄落一時上、皆宜二接換一、大約春分前、秋分後、是其脱胎換骨之候也、凡樹生二三年者易レ接云云、貝原花譜云、樹をつぐに、日あての方南にむかへる、うるはしき高き枝をきりて、客(ほ)木としつぐべし、實多し、日かげの枝を用ゆべからず、接木の枝を遠方より取寄するに、小箱に土を入、枝を横にうづみてよし、數十日をへてかれずといふ、喜任〈◯阿部〉按に、今は蘿蔔をきり、これへ穗を して遠に送り、又日を過ても新に切りとるものに同じといふ、貝原云、接木のだいよりひこばへ出ば、はやくつみさるべし、接頭つきて後とき〴〵心がけて、ひこばへをつみ去るべし、もし是を去らざればつぎほ枯る、或はかじけて長ぜず、喜任按に、砧より芽を生ずる時は、根にも新根も生ずる故に勢よし、必ずとり去るものなれども、こヽに又少し見合てよき場もあり考べし、接ほも勢よき時、砧芽を生じたるは少し置き、芽四五寸にも及ぶ時、切り去るべし、灌園先生云、諸木ともに春少々暖氣にて、根より枝幹へ精氣のぼりて、芽未破れざる時をよしとす、故に諸木共に葉を生ずる十五六日前に接てよし、近來扁柏(ひのき)ひば類の穗を樹皮に挾み接ぐ事あり、砧は比翼ひば扁柏花柏(さわら)等に接、鉢植なればつくあひだ日陰に置、節々きりを吹かけてよし、〈◯下略〉
p.0038 接苗早仕立之傳 近頃〈◯文化〉豐前の國中津の在、原井村といへるに、櫨を多く植立、太實の苗を接弘む、其銘を太公望と號し、松山の實よりも太く、生(ナ)り方勝れり、是は豐後國川内村に生りたる實を、原井村の寺の住僧取り來り、七度接かへしたるゆへに、肉厚く仁小く成たるよし、〈接かゆるほど仁小さく、肉あつくなるものなり、〉
p.0038 梅を植て農家之益とする事〈◯中略〉 梅はみな接木にすべし、實蒔の儘にては實小さく、却て成長惡し、園中詠めとする計ならば、梅臺に接てよけれども、多く接んと思はヾ桃臺にすべし、先桃の實をふせ、生出たるを肥して育れば、其年一尺、又一尺三四寸にも五寸にも伸るもの也、夫を翌春間五寸位置、綿を育る如く肥しを多く施し作なば、三尺位生立べし、夫を臺木にして接て宜し、 州邊の梅は殘らず桃臺也、 先接旬は、花の盛りより過る頃迄に接べし、花みな落ては、少し青葉出る頃まではつぐべし、それよりおくれてはつき方惡し、 接やうは、此奧に蜜柑の接方を委しく記せば、是に見合接給ふべし、 接て後、臺木の桃より茅を生ずる事夥し、油斷なく二三日間置てはかき〳〵すべし、 其冬は霜覆ひして翌春本植すべし、
p.0039 一接木は本の臺木(だいもく)より養ふに、臺木の善惡によらず、末の接穗(つぎほ)によるはいかにぞや、桃の臺木に梅を接ぬれば梅也、あやまりても桃とならぬ、いかなる道理ぞと不破翁いぶかる、されば臺木は土地とおなじ、接穗はたね也、土地は泥土にても砂土にても、梅のたねをうヽれば梅生じ、桃のたねをうヽれば桃生る、土地はたねを養ふのみ也、臺木も接穗をやしなふのみなり、
p.0039 寛喜二年三月七日己亥、早旦重以二宗弘一問二有長朝臣一、〈◯註略〉兩株八重櫻、〈一條殿枝 木(○○)〉花漸開、永日徒然、令レ分二栽菊苗一、〈草不レ憚二土用一〉
p.0039 老僧が接木 されば是につけて思ひ出し事あり、忍が岡のあなた谷中のさとに、何がしの院とてひとつの眞言寺あり、翁〈◯室鳩巣〉いとけなかりしころ、其住僧をしりて、しば〳〵寺に行つヽ、木の實ひろひなどして遊びしが、住僧かたへの人にむかひて、前住の時の事をなん語りしをきヽ侍りしに、寛永のころの事になん、將軍家〈◯徳川家光〉谷中わたり御鷹狩のありし時、御かちにてこヽやかしこ御過が てに御覽まし〳〵けるが、此寺へもおもほへず渡御ありしに折ふし其時の住僧はや八旬に及て、庭に出てみつわくみつヽ、手づから接木して居けるが、御供の人々おくれ奉りて、御側に二人三人つき奉りしを、中々やんごとなき御事をば、思ひよらねば、そのまヽ背き居たりしを、房主なに事するぞと仰られしを、老僧心にあやしと思ひて、いとはしたなく、接木するよと御いらへ申せしかば、御わらひありて、老僧が年にて、今接木したりとも、其木の大きになるまでの命をしれがたし、それにさやうに心をつくす事ふようなるぞと上意ありしかば、老僧、御身は誰人なれば、かく心なき事をきこゆるものかな、よくおもふて見給へ、今此木どもつぎておきなば、後住の代に至て、いづれも大きくなりぬべし、然らば林もしげり寺も黒みなんと、我は寺の爲をおもふてする事なり、あながちに我一代に限るべき事かはといひしをきこしめして、老僧が申こそ實も理なれと御感ありけり、その程に御供の人々おひ〳〵來りつヽ、御紋の御物ども多くつどひしかば、老僧それに心得て、大きにおそれて奧へにげ入しを、御めしありて、物など賜りけるとなん、
p.0040 杉のさし木の傳 中陵漫録四の卷插杉條に、杉は插木にしたるは皮目の處少シ白く、其内は皆赤身也、薩州にては毎年四月の比、杉の枝を二尺許に切取り、六本を二把として、山中の泉に浸し置事四五日、取上て赤土の泥中に塗て、山野の空地に杖を立て穴を爲し、深さ七八寸に至る、尤地の堅き處は穿つ事なし、此穴中に插む、風吹時は迴轉す、雨露の潤を歴て自ラ堅定する也、大抵百本の内七八十本活(ツク)、是より手附るに及ばず、土地の宜き所には尤長じ易し、先春に至てその木の素情を見立、葉の先新葉を出さんとするを〈俗にあうめと云〉採て插時は、百に一失なし、苗を仕立植るに勝れり云々、與清曰、 (サシキ)は今年延(ノビ)の若枝(バエ)を插には、葉莖かたまりてさす、長さ二三寸、或は四五寸にし、葉おほければ切捨て、その本をよく切て、赤土の中に黄色なるを採て、煉て丸くして、それに插てさて植る也、これを 玉 (タマザシ)といふ、良法也、何の木にても此定也、時刻は雨氣の日巳の刻以前がよし、未明より巳刻までを限とすべし、さて後に度々水を漑がよし、物理小識九に、杉 (カワクハ)不レ宜、水壤種レ之、亦發(ホコル)、然挺茂不レ久焦枯也と見ゆ、
p.0041 插之事 花鏡曰、草木之有二 插一、雖二賣花傭之取レ巧捷徑法一、然亦有二至理一存焉、凡未二 插一時、先取二肥地熟劚細土一、成レ畦用レ水滲定、待一二三月間樹木芽蘖將レ出時一、須㆚揀下肥旺發條( /スハイ)如三拇指大一者上斷㆙、長一尺五寸許、毎條下、削二成馬耳状一、別以レ杖刺レ土成レ孔、約深五六寸、然後將二花條一、插二入孔中一、築令二土著 木、毎レ穴相去尺餘、稀密相等、常澆令二潤澤一、不レ可レ使二之乾燥一、夏搭二矮棚( /ひよけ)一蔽レ日、至レ冬則換二煖蔭( /しもよけ)一、仲春方去候二其長成高樹一、始可二移栽一、毎レ欲二 插一、必遇二天陰一方可レ動レ手、又曰、若 二薔薇、木香、月季、及諸色藤本花條一、必在二驚蟄前後一、捒二嫩枝一斫下長二尺許、用二指甲一、刮二去枝下皮三四分一、插二於背陰之處一、四旁築實不レ動、其根自生、灌園先生云、草類は葉も莖も實入かたまりたる處を切てさせば活(つく)ものなり、菊などは莟の形少し見えたる頃させば、根を生じ花を開く、八月上旬をよしとす、早くさす時は、根は多く生ずれども、花少もなし、又中菊洋菊(おほぎく)は夏の中肥土へ せば、鉢も小く莖も短くして、花ある故に形よし、木類は春の末葉を生ぜざる前さすによし、落葉の木は夏に至り葉かたまりたる時さすもよし、常磐木は新芽のかたまりたる頃よし、薔薇は八月よし、〈◯下略〉
p.0041 木( /サシキ)ノ法 木ヲ スニ四法アリ、一ニ管 ( /クダサシ)、二ニ撞木 ( /シユモクサシ)、三ニ玉 、四ニ(割 /ワリザシ)是ナリ、總テ 木ハ種兒ヲ蒔ク如クニシテ、世ニ名高キ美味ノ果實ト、麗艷ナル名花等ヲ、無造作ニ生ズル業ナルヲ以テ、種樹家ニ於テ講習セズンバアルベカラザルノ法ナリ、凡ソ此 木ノ仕方ハ、二三月ニ致スベキ者ナリ、或ハ梅雨中ニ行フベキ有リ、或ハ八九月頃ニ ベキ者アリ、其中ニ梅雨中ニ ベキ者ハ殊ニ多シ、 總テ此法ハ、大風或ハ俄照( /ニハカヒヨリ)ノ日ニハ、決シテ宜ラズ、但シ風無ク平和ナル日ノ雨氣ヲ催シタル日ハ最モ宜シ、其刻限ハ太陽ノ高ク上ラザル以前、巳ノ上刻マデヲ良トス、土性ハ赤野土黒野土ニテモ、粘氣( /ネバリケ)ノ少ナク常ニ潤ノアル日陰ナル處ヲ撰テ ベシ、 一管 ハ其枝ノ梢ニ勢ヒ充テ、未ダ芽ノ出ザル前カ、或ハ今年延タル、新枝ナラバ、葉ノ莖固マリタルヲ、長サ二三尺許ニ切リ、葉多ケレバ二三枚殘シ、其餘ハ悉ク剪ミ捨テ、 方ヲバ小刀ニテ削テ、赤土ノ濕氣ノ有ル陰ニ ベシ、〈◯圖略〉或ハ 方ヲ利刀ニテハスニ搭モ宜シ、 二撞木 ハ拇指許ニ太リタル枝ノ椏枝( /マタ)アルヲ二三尺ニ切リ、下ニ爲リタル一枚ヲ殘シ、其餘ヲバ皆切捨テ、 ス所ノ切目ヲ小刀ニテ清楚ニ能ク削テ スナリ、〈◯圖略〉 三玉 ハ ( /サス)ベキ梢ヲ長サ三四寸ニ切リ、葉多ケレバ二三枚殘シ、其餘ハ悉ク剪ミ捨テ、 方ヲバ小刀ニテ清楚ニ削リ、黄色ナル土ヲ煉テ、團子ノ如クニ丸メ、此土ニ テ土中ニ植ウ、此ヲ玉 ト名ク、所レ謂此黄土ハ地ヲ三尺モ掘ルトキ、底ニ黄色ニシテ堅ク粘氣アル土ヲ生ズ、此土ヲ煉テ 木ノ玉ニ用フ、總テ此土ハ 木ノ根ヲ生ズルコト妙效アリ、〈(圖略)若シ黄色土ノ無キトキハ、赤土ヲ用フベシ、〉 四割 、凡ソ山茶( /ツバキ)、茶梅( /サヾンクワ)、櫧木( /カシ)、欅木( /ケヤキ)等、性ノ堅キ木ハ、其本ヲ二ツニ割テ、割タル間ニ小石ヲ一ツ挟ミ植ルノ法ナリ、〈◯圖略〉 陳扶搖ガ祕傳花鏡曰、若二果木一須下揀二好枝一先插中於芋頭或萊菔上上、再下レ土時則易レ活ト、今夫レ江戸ノ北郊大久保村ニテ、薔薇類ハ八月其枝ヲ管ニ切リ、芋ニ一本ヅヽ插テ、園中ニ植ルニ、皆悉ク活テ蕃衍ス、又花鏡瑞香ノ條ニ云、剪二取嫩條一、破開放二大麥一粒一、用二亂髮一纒レ之、入二土中一ト、然レバ此割 ニ小石ヲ挟ムヨリハ、大麥一粒或ハ大豆一粒ヲ挟タランニハ、啻ニ根ヲ生ズルノミナラズ、肥養トモ成ヌベシ、〈◯圖略〉 信淵按ズルニ、 木ニ種々ノ説アリ、其中ニ於テ便良ナルヲ撰ビ用フベシ、玉 ニ芋ヲ用ヒ割 ニ大豆ヲ用ル如キハ良法ナリ、玉 ニ芋ヲ用ルトキハ、旱繼テモ乾燥スルコト無ク、霖久ニモ濕ヒ過ルコト無ク、 タル枝ハ傷マズシテ、其芋ノ腐テ根ヲ生ズベキヲ以テナリ、〈◯中略〉 松、杉、扁柏( /ヒノキ)、樅、櫧、欅、椋( /ムク)、七葉樹( /トチノキ)、皆新枝ヲ切採テ、 木スルトキハ、能ク活ク者ニテ、苗ヲ仕立ルニ宜シ、多ク仕立テ植著クベシ、其中松ヲ植ルニ、濕地ハ宜シカラズ、凡ソ 木スルニハ春葉ノ生ゼザル前ト、秋葉ノ落タル後トニ ベシ、 草類ヲ ニハ、葉モ莖モ能ク固マリタル處ヲ切テ セバ活ク者ナリ、菊ハ莟ノ少シ見エタル頃ニ ベシ、其前ニ早ク トキハ、根ハ多ク生ズレドモ花ハ無キ者ナリ、故ニ秋菊ハ八月上旬ニ ヲ良トス、斯ノ如クスルトキハ、莖短クシテ花アルガ故ニ形色甚ダ宜シ、
p.0043 壓條(とりき)之事 花鏡云、驚蟄前後并八月中皆可二過貼(トリキ)一、喜任〈◯阿部〉按、とり木は大底椄木と時節同じ、とり木は枝を曲げるに、段々と曲てよし、四五日も過て又曲ぐれば、枝折れずしてよし、曲る處の皮を少し計り剥ぎてよし、切るも十月の比よし、一度にきるはよろしからず、二三度に段々と切るべし、其まヽ置、來春に至り移し栽べし、又夏木の類は二月に壓條してよし、尤前の 木(さしき)と同じ事にて、木の皮を少し剥おき、其處に肉かけたるとき、其處の皮をまた少しとりて、其處へ土を付べし、種樹書に、用二竹筒一破二兩半一封二 之一といふもの、亦下に圖〈◯圖略〉すると同じ趣也、
p.0043 清淨の肥用ひ方心得 草木とも下肥を懸て能と記しある品は、豆肥を用ひてよし、梛槇(なぎまき)其外丈夫なる品へは置肥もよし水肥を懸て能と記す品は、豆肥へ風呂の湯を加へ用ゆべし、又下水を懸ると記す品は、風呂の湯をさまし置懸るか、又は女の手水の湯を懸てよし、鰹節肥は前に記す品へ用ひてよし、魚肥もよけれど、匂ひ甚あしきゆへ見計べし、懸て試んとおもはヾ下肥を用ゆる品へ用ゆべし、都て分 量は前文に記し有ごとく也、
p.0044 穀肥ノ用法ヲ論ズ 翁〈◯佐藤玄明〉曰、草木類ノ培養ニ用フベキモノ都テ十二種アリ、第一穀肥、第二苗肥、第三芝草肥、第四草木埋肥、第五草木腐肥、第六厩肥、第七草木灰、第八稃( /アラヌカ)肥、第九糠肥、第十油糟、第十一造醸物糟、第十二水藻是ナリ、能其土地ノ剛柔ト、氣候ノ温冷トヲ察シ、作物ヲ 悦シ、十分ニ豐熟セシムルヲ良農家ノ手段トスル也、穀肥トハ穀類ヲ肥養ニ用ユルヲ云フ、總テ粳米糯米ヲ始トシテ、大豆、小豆、踠豆、祿豆、蠶豆、鵲豆( / ングン)、大麥、小麥、蕎麥、黍、稷等、皆此ヲ用ユベシ、然ドモ粳米糯米ヲ糞培ニ用ユルコトハ、近來制禁トナレリ、凡ソ穀類ノ實ヲ生ニテ糞培ニ用ユルトキハ、其滋潤温煖ノ性ト、生氣發達ノ勢トニ因テ、其作物ノ精神ヲ、專ラ莖葉ト穗トニ上湊シム、故ニ能其莖葉ヲ肥大ラセ、殊更ニ其種子ヲ十分に實セシム、是其天性ニ從フ法ナリ、然レバ根ヲ需テ作ル者ニハ、穀類ノ肥ヲ用ルハ無益ナリト知ルベシ、
p.0044 澆灌(こやし)并培養の事 按るに山野自然に生ずる草木は、實熟して自落腐爛すれば、則その物の肥となる也、冬木は葉繁て暑寒を厭、夏木は秋葉落て土を覆ひ寒を凌、是自然の理なり、しかるを實を採盡、或は葉を掃除などするは、理に逆もの也、故に手入培養の法を用ざれば生長せざる也、花鏡云、人力亦以奪二天功一と誠に然り、又曰澆灌人之需二飮食一也、不レ可二太 一、亦不レ可二太飽一と云り、凡草木に用る肥二十一品あり、後に審にす、又人糞馬糞などの穢物を嫌ものあり、種樹書曰、花木有レ不レ宜二糞穢一者甚多、尤宜二問用 之、非二其宜一立稿と云り、蘭、百兩金(たちばな)、杜鵑(りうきう)、虎 (ありどうし)、枇杷、杜衡(とかう)などに糞を用事を忌が如し、又神社の庭或は神前に供するは草木等にて、糞穢の物を用難事あり、かくの如き時は代に用る肥あり、干鰯(ほしか)、灰汁(はい)、油糟(あぶらかす)、酒粕等を合せ腐して用ば、大抵同様に肥るなり、左傳曰、蘋蘩薀藻之菜、可レ薦二於鬼神一と云、これ水 草にて、うきくさ、又もの類は糞汚に觸ざる故、清潔にして神に供すべしと云り、
p.0045 培(こやし)甕之事 韓詩外傳云、孔子曰、夫土者堀レ之得二甘泉一焉、樹レ之得二五穀一焉、喜任〈◯阿部〉按に、土能萬物を生じ、人命の系する處、百果草木都て又地より生ぜざるはなし、然れども地に高下肥瘠あり、水に寒冷淡鹹あり、若人力の滋培各其宜しきを得ざれば、百果をして盡く欣々として榮へに向はしむるべけんや、古へにいふ、花師の類、園主必ず肥を貯ふるを事とすべし、下條に肥に用ふべきもの數品を擧ぐ、用るもの其好惡にまかすべし、 本肥(もとこえ)といふは、人糞十升、水十升合せ、糞窖の中に貯へ置くもの也、陳氏云、塘水を和すれば諸水に勝るといへり、 下肥(くだしごえ)といふは、金(ふん)汁一升、水三升和し貯るものなり、 水肥といふは、人糞一升、水七升和し貯ふるものなり、 魚肥(うをこへ) 即魚腥血水といふも同じ、魚の腸又肉又洗ひしるを、貯へ置ものなり、是亦水を和し貯へ用ふべし、〈◯下略〉
p.0045 諸草可レ肥事 一馬糞(ばふん)〈寒氣を痛草に宜し、暑氣を嫌草にも少宛根のまわりへ用也、〉 一下肥(げごへ)〈強こやしてよき草に用べし、但土にまぜ置、久しくして用也、〉 一田作(たつくり)〈下肥を痛草に用べし、能いりて粉にして用宜し、〉 一溝水土(みぞみづつち)〈干て粉にして沙を三分一程交てふるい、石竹の類に用て宜し、〉 一魚洗汁(うをあらひしる)〈根に肥の入かねる草に用なり、諸草ともに少づつ根廻へ用て宜し、〉 一荏油糟(ゑのあぶらかす)〈牡丹芍藥の類に少宛用てよろし、但秋冬計用て宜し、〉 一小便(せうべん)〈大方の草にくるしからず、但葉花に不レ懸、根廻へ雨の降まへを見合かくべきなり、〉 一馬便(ばべん)〈右より少やわらか也、諸草とも少づヽ用てよろし、用所同前なり、〉 一猫鼠類(ねこねずみのるい)〈牡丹柑類によろしと云、未二用知一、〉 一油土器(かわらけ)〈粉にして、牡丹の根にちらして宜し、〉 一茶がら〈万草に用て宜し、夏中に少根廻に置べし、〉 一藁灰〈さんじこ、青蘭、水仙等に用也、其外下肥に交、少宛用なり、〉 一油糟〈牡丹菊芍藥の類、其外之草に少用てくるしからず、〉 一ごみほこり〈牡丹、蓮、河骨、水葵、澤瀉、大かた、此類の草に用て宜し、其外の草にも土にまぜ用てくるしからず、〉
p.0046 除蟲法〈并〉圖 種樹書曰、種レ木無レ時、戴二毛蟲一、於二根下皮一、以二甘草末一 レ之亦佳、又曰 月二十四日、種二楊樹一、不レ生レ蟲、又曰、斫二松樹一、五更初斫倒、便削去レ皮、則無二白螘一、又須下擇二血忌日一以レ斧敵 之云、今日血忌、則白螘自出、又曰、元日天未レ明、將二火把一、於二園中百樹土一、從レ頭用二水燎一、過可レ免二百蟲食葉之患一、又曰、園圃中四旁、種二決明草一、蛇不二敢入一、〈◯註略〉又曰、濯二洗布衣、灰汁澆二瑞香一、必能去二蚯蚓一、且肥レ花、以二瑞香根甜灰汁一、則蚯蚓不レ食而衣垢又自肥也、又曰、柑樹爲二蟲所 食、取二螘窠於其上一、則蟲自去、又曰、果樹有レ蠧出者、以二芫花一納二孔中一、即或納二百部葉一、又曰、果木有二蟲蠧處一、以二杉木一削二小丁一塞レ之、其蟲立死、又曰、生人髟掛二樹上一、鳥不三散食二其實一、又曰、桃李蛀者、以二煮猪頭汁一冷澆即不レ蛀、又曰、果樹生二小青蟲一、 蜻 掛レ樹自無、按に、白蘝末置二花根下一、辟レ蟲易レ活、凡樹をうへかへる時、根の下へ大蒜一ツ、甘草少ばかり入て植ば、久く蟲を生ぜずと、花鏡に見へたり、凡草木に生る蟲甚多し、其内大に害をなす蟲をこヽにしるす也、土中に古根芥などあれば、蟲を生る也、間を遠く植て、風を入る様にすれば、虫少し、木の類は古枝を切すかし、風を入べし、又肥へ烟草の莖を切まぜて用ば、蟲生ぜず、黒小(ねきりむし)地蚕又芽きりむしとも云、其形いもむしに似て小く、鼠色なり、早春の頃土中に居て、朝など出て、草の芽を食、よく見てひろふべし、又土中に蠐螬(ぢむし)あり、此類は皆草の根を嚙切ときは忽枯る也、甚害をなす、根廻りの土中を尋て取捨べし、虫多き時は石灰を水にてとき澆ば死す、暫ありて其石灰に水をそヽぎ去べし、木蠧蟲(きくいむし)は形長く色黒し、林檎無花果などの木の心を喰、皮の所へ小き穴をあけ、鋸屑の如きものを多く出す、此穴へ硫黄を粉にして入てよし、又針金を穴より入て突殺もよし、又 炮の焰硝を、 紙により込、穴へさし入て火を付れば、忽穴の中へ火氣通じて、虫殘ず死す、又虫の穴へ燈油をさしてよし、此虫諸木に付ものなり、草木ともに風入あしき所には、木蝨(あぶらむし)又ありまきともいふ虫、多新葉の所へ付、日々にふへてひしととり卷ときは其芽枯るなり、其時は、虫の聚り居る所へ、烟草の水を度々澆てよし、又鰻鱺の 骨を燒て煙(ゑぶし)てよし、又麥藁の灰をふりかけてもよし、又常の灰にても度々振べし、あぶらむし生ずる時、必蟻多く聚り、虫をふやす故、蟻を拂捨べし、又鼈甲を其邊へ置ば、蟻集るを遠く持行て拂べし、又砂糖を置、蟻を聚て取捨もよし、花鏡に云、蟻穴以二香油或羊骨一引二出之一、又蟻做レ窠須下置二一淺盆一坐 水、使二蟻不 能レ渡といへり、こ蟲といふものもあり、百兩金(からたちばな)、紫金牛(やぶかうじ)、柑、橘、橙類の葉のうらに、砂の如小き虫多付ときは、葉落ちて傷なり、つき初りなれば、刷毛を以て水を澆洗てよし、又柑橘建蘭類に疣の如にして、扁蟲を生ず、群芳譜に、是を蘭蝨といふ、これを去法は、魚洗汁をそヽぎ、或は大蒜を摺て水に解、筆を以て洗べし、土中に生ずる糸虫と云あり、形糸の如にして、長さ二三分、色白し、是肥強して濕熱より生るなり、草の根を腐かすものなり、集り居る所を土ともに取捨てよし、桃樹に生ずる小き蠐螬(いもむし)あり、初二分ばかりにして色薄青し、掃帚にて拂べし、此虫桃實の皮よりくひ入て實を喰、螟蛉(なむし)は菘蘿葡芥などに付青虫なり、毎朝拾捨べし、蠐螬は夏中大なる蝶飛來て、葡萄薯蕷類の新枝へ卵をうみ付て去なり、二三日めに一二分のいもむしとなる、青きもの茶色のもの黒きものあり、生長すれば指の大さになり、脊に星ありて眼のごとし、橘虫(ゆむし)と云あり、橘柑橙柚茱萸椒類の香ある木に多し、これも蝶飛來て卵を新枝へ著る也、是は頭大にして蠶の如く、此を挾ば黄赤色の角を出し、甚臭し尺蠖(志やくとりむし)も諸木に生ず、よく見て拾取べし、 蟲(けむし)に種々あり、梅桃李林檎などの枝に卵を著置なり、形鮫のごとし、冬の内取捨べし、此卵三四月頃かへりて虫となり、木の又へ巣をかけ、數百あつまりて、新葉を喰ふ、其形あさき色にして島あり、是を取法は、燈油を筆か布に浸、虫の巣を拭取べし、又油をたヾ澆てもよし、虫忽死す、樹の根もと或は割竹の内、又は板屏壁などの日陰に、綿の如にして長く産付たる卵あり、削さるべし、捨置ときは春になりて、皆小き毛蟲となる也、此類に毛多くありて、脊に金色の光あるを、半夏太郞(はんげたらう)といふ、枝或は樹の皮に居るなり、又八九月頃桑櫻あり、あめかしわ類の木、又草の葉にも生ずる桑樹蟲(すむし)あり、初は蜘蛛の巣 の様に見ゆ、葉を喰、筋をのこして、其葉茶袋の如し、巣の小なる時、枝を切捨べし、捨置ば冬に至て虫皆根もとに下り、枯葉の下或は土中に寒を凌て、春に至て草木の芽出を喰、又桃梅林檎等の實を食、大に害をなす、林檎海紅等に一種の毛蟲を生ず、三四月頃一葉巣になり、段々ふへて一枝皆蜘蛛の巣の如になり、葉を殘さず喰盡、巣の小なる時、葉を取、枝を剪て遠く捨べし、其まヽ置時は、枯木の姿となる、或は云、此虫後にみのむしとなりて、外の木へ移、葉又は實を喰害をなす、菊虎(きくすい)は形螢に似てほそ長し、菊艾類の宿根より生ずるといふ、故に菊は古根を植うべからず、四月頃早朝に出て、菊艾類の若ばへを吸からし、跡へ卵を産置なり、其吸たる跡二ケ所横に筋あり、下の吸めより折取て、莖を二ツに割ば、中に黄色の長き卵あり、其まヽ置時は、菊の心に喰入て、蛀(ずむし)となる、秋になりて菊俄に枯るもの也、さんせうむしは、形てんとうむしに似て黒く甲羽あり、夏の頃瞿麥の花を喰、又柳に集りて葉を食ふ、又酸漿にも集り葉を食もの也、節々拂べし、蛞蝓蝸牛(なめくじまい〳〵)は草木の葉を喰事、毛蟲の如し、遠へ捨べし、鼹鼠(むぐらもち)は草木を根を掘あげ害をなす、珍重なる植物は、竹にて簀をあみ、土中に埋、其中に植ば來らず、又妙法あり、海參(なまこ)を切て所々へ埋置ば、遠く逃去と云、なまこは虫を除ものなり、鉢うゑ類に蚯蚓升ときは、水拔惡なり、植物くさるものなり、無患子(むくろじのみ)の殼を煎、其汁を澆ば皆死す、又生なる小便を澆ば、みヽず逃去もの也、跡へ水を多くそヽぐべし、
p.0048 温暖の頃、開花の速なるを、冷窖(ひやし)にて保たせる等は素の業なり、然るに冷寒の頃、未開の花を急ぎ、温室(むろ)に開かせる業などは、人作にして、天時に順はざるに似たれども、さにあらず、椿梅の類は秋より萌して、冷寒の至る迄に漸々咲出しぬれど、寒風霜雪行れては窮し凋みて、暫く開くこと能はず、されど春に至て悉く開花せり、是既に自ら萌し發ける蕾なるが故に、温室に助る時は忽ち開花するもの也、寒風霜雪の候、輕淡なる風土は、秋より冬に續て漸々咲出べし、かヽればいまだ萌さざる花を、温室にして開かせるにはあらじ、故に是を辨じ出せり、
p.0049 塘窖(むろあなくら)ぬりだれの事〈并〉圖 按に、本邦の北國寒地などへ、天竺安南等の暖國の草木を植には、冬の手當專要なり、冬は皆唐むろに入置べし、其唐むろの建様は、北塞て南あきたる地は猶よし、南に陰なく、朝日より夕日までよくあたる所へ建べし、形は圖の如藏を建と同じ、土は厚きほどよし、南の方皆障子なり、九月頃にも寒風來ば、扶桑花、山丹花、使君子の類は、早く塘(むろ)の内へ入、障子をかけ置、立冬の頃、十月中旬より、嶺南琉球等の暖國より來る草木は、皆入べし、其内日陰を好物は、奧へ入、前には龍舌草(あたん)、覇王樹(さぼてん)の類を置、冬も塘の内は土乾ゆへ、水を折々かくべし、天晴て暖き日には、障子をはづし、日をあててよし、然れども南風吹時は、障子を取べからず、寒中の南風は甚だ惡し、寒中又曇りたる日などは、障子を取べからず、夕七ツ時頃より、酒むしろを三重四重も覆べし、若晝中にても、俄にくもれば、直にむしろをかけべし、八ツ時過には、障子を明る事惡し、又塘の内へ鼠入て草木を喰事あり、其時は針がねへ小鈴を付て置ば、鼠入る事なしと云り、塘の家根は茅にても杉皮にても葺べし、春の彼岸頃より、丈夫なるものを先へ出し、追々出すべし、唐物類は清明の頃には皆出してよし、 方燈(あんどん)むろの圖〈◯圖略〉 其造様は、南向に茅にても、藁にても雨覆を拵へ、ひさしの下は、地まで葺下すなり、其形高く、唐むろの雨覆の如にして、其内へ圖のごとく、後は壁にしたるもあり、又障子にてもよし、四方皆障子を合せ、植木を入て、合せめへ目ばりをする也、此むろへ入るものは、梅、桃、櫻、海紅、紫藤の類、其外諸の草木、早く花を開せんと思ふには、是へ入べし、内の様子を見るために、小く口をあけ置べし、外よりむろの下へかけて土を掘て、火鉢へ炭火をよく埋、消ぬ様にして入べし、尤寒日は晝も火を絶べからず、むろの内火のある所の上は、竹すのこを渡して、上へ濕むしろを敷べし、此むろへ入て大抵三十日程にて、盡花開ものなり、然ども櫻は白咲、紅梅は色薄し、是を暖日に出して日にあ てる時は色を出すなり、又夕方よりむろの内へ入置べし、 窖(あなぐら)の事 あなぐらは南向に入口を明、障子をかけ置なり、深さは五尺より一丈ばかり深く掘、下を平にして、又四方へ棚を拵へ植木を入置べし、然ども窖は濕氣多きゆへ、扶桑花、山丹花、使君子、覇王樹の類の陽氣を好て、甚寒にいたむ物は入べからず、必腐枯るものなり、さして寒をも恐ずして、陰氣を好類を入べし、又はきかけむろと云あり、是はまづから掘を長くほり、左右へ植木を置、段を作、中を通行するなり、其上へ橋の様に木を渡し、簀をあみてかけ、上へ土をかける也、土は厚程よし、兩方口にして明りをとり、夜はむしろにて覆べし、是に入る物は萬年青(おもと)、石菖(せきせう)など又冬木類、葉物を入てよし、 土藏(どぞう)の事 塗垂(ぬりだれ)も同東西へ長く建て、皆壁にして、入口も窻も皆南向に明、晝は障子をかけ、夜は戸を立る也、是に入る草木は、格別寒をも恐ざる百兩金(からたちばな)、珠砂根(まんりよう)、蘭(らん)の類、其外斑入物(ふいりもの)冬木類を入べし、又高き土地にては、藏の椽の下を掘窖にして、又植木を入べし、上の家根は茅葺又は瓦にてもよし、
p.0050 唐むろ出入の時節 立冬十月節に入、清明三月節に出すを定とす、但し年の時候によりて遲早あるべし、其草木のうち寒氣を恐るヽものは、早く入て遲く出すなり、 をかむろ出入の時節 これも十月節に入、三月中に出す、但し唐むろとは入るものことなり、 あなぐらむろ 出入をかむろと時節おなじことなり 唐むろ作方 是は草木育草に詳なり をかむろ 是は人によりて大小あるべし、まづ二間に九尺程ならば、入口四尺、窻一尺に二尺程なるを一つあけて吉、此割を以て大小にて程をし、又一間に四尺位なるむろならば、入口三尺程、窻は無共吉、方角は東西南うけて吉、晝は障子をたて、夜は土戸を引べし、鼠の用心大節なり、 穴藏むろ 山の手にかぎれり、深さ四尺許、横竪かぎりなし、上へ藁にて屋根をつくりて可也、上なるは、をかむろの如く作、内を三尺も堀、穴藏にしたる、是上也、室高さ五尺程にて吉、
p.0051 變花催花(○○○○)の法 凡花の非時に發(ひら)くもの堂花といふ、亦温棚にて開かしむるものも、亦堂花唐花などいふ、是助け長ずるの類といふも、亦都下競ひ其早きこと以壯觀とす、花鏡曰、似レ紙糊二密室一、鑿レ地作レ坎、緶レ竹置二花其上一、糞レ土以二牛溲馬尿硫黄一、盡二培漑之功一、然後置二沸湯於坎中一、少候二湯氣熏蒸一則扇レ之、以二微風一、花得二盎然融淑之氣一、不二數朝一而自放矣、是近時の穴蒸(あなむし)の法に似たり、梅櫻桃李都て春暖の氣を得て發くものは、皆此法にてよし、霜に逢ふもの別してよし、其法は日あたりの山の横へ横穴を堀り、形竈に類す、入口狹くして三四尺計り、中間は四五尺の廣さなり、中檀へ竹をあみて棚をつり、上にぬれごもをしき、其上へ盆栽を並べ霧を吹かけ、棚の下へ埋火をおき、こもにて穴の口を塞ぐときは、温氣昇りて俄然花開く、しかあれ共大陽の光を得ざる故に色薄し、日にあてる時は色を生ずるなり、尤日に當るにも紙を隔て當る方よし、又薦にてちひさい小舍を作り、竹を緶みて棚とし、上へ樹花を並べ、四方をこものぬらしこもにて口を塞ぎ、下へ剛炭を大火爐に入れ、花に霧を吹かけ、 半時の間毎にこもと花とへきりを吹べし、少しにても乾くときは莟落るなり、一日一夜にして發くなり、泰崎氏云、西洋人某、崎陽にて冬月西瓜を作らんとて、盡日大陽の當る地に穴を堀り、其中に西瓜の苗を植ゑ、培養力を盡し、上に硝子の障子を施し、其上へ油紙一葉隔て養ひけり、寒月に至る頃、果して一瓜を結び大さも十分、皮の色深緑色なりければ、某大ひに喜び、日を卜して人を招き、右の西瓜を出し、これを食せんとて割りたるに、外皮とは大ひにたがひて、瓤は白色なり、味ひ更になしとかや、人力にて大陽の光力をからざれば、果も花も十分の香色はなし、唐花唯一時目を喜ばするのみなり、又翠藍桂川先生の説に、西洋にてガラスホイスといふものありて、硝子を以て果木を覆ひ養ひて、冬月葡萄を漂流の人に食はせし事ありと、
p.0052 朝比奈は東都四谷新邸の人なり、永島先生の門に入て好人の聞あり、奇品を愛すること衆に殊なり、寒夜に不レ寐して草木の寒を想像(おもひやり)、窖(むろ)を造て舶來の種を養、今の唐窖(たうむろ)是なり、〈但唐窖其頃は床下に造と云、今の法に異なり、後世改て今の法とすと云、〉始て草木の性に隨て、寒暑陰陽の護持を別ち、及百兩金の葉を洗てこむしを除、且當歳に花芽を著ることを考傳、萬種培養、斯人最拔群なりと云、
p.0052 登盆(はちうへ)の事〈附り〉養花插瓶の事 按に盆栽は土乾ず濕ず、よく下へ水の拔るを第一とす、陶盎(はんど)にても、又花盆(せきだい)にても、水拔の穴肝要なり、其穴は漏斗の如、少も水のたまりなきをよしとす、穴の所内へ引込たるは、廻りへ水滯て惡し、穴の所低がよし、扨穴を覆に、何の 器にてもくだき、其まヽふせて穴を覆べし、文蛤などは鉢によりて水拔惡事あり、花鏡に建蘭を植る法に云、用レ盆先瓦片塡底後以二煉過土一覆レ上と、これ妙法なり、蘭、百兩金などを鉢へ植るには、盆の底の穴を大くして、其上を覆に、赤土の黄めにて、かたまりたる土をあらくくだきふるひて、其篩に殘たる粗土を入て植れば、水よく拔て根腐事なし、物によりて植る土へ、合肥を切まぜたるもよし、總て植る法は、まづ陶盎を下に置、植木の根元を以 て、はんどへあてがひ、四方より土をさら〳〵と入、土一盃になりたる時、前後左右へ暫く動べし、土の空虚のなきためなり、植て一兩日多水をそヽぎ、或は大雨に逢事を忌、土のかたまるを恐るなり、肥を嫌草木は、年々土をあらたに入替てよし、又肥を好物は、土の乾めなる時、先土を箸の様なる物にて和げ置、よくねりたる肥を根廻りへそヽぐべし、又鉢植を地に置て、久く居つく時は、水拔の穴より、蚯蚓升りて、鉢の内にすむときは、必濕てついに根腐する事あり、節々置所を替てよし、其蚯蚓を去る法は、後に見ゆ、又蘇鐵、松の類は、棚にのせ置ても、まヽ蟻の付事あり、早く土を取替てよし、
p.0053 盆栽之事 考盤餘事云、盆景以二几案可レ置者一爲レ佳、其次則列二之庭榭中一物也、花鏡曰、至レ若二城市狹隘之所一、安能比戸皆園、高人韻士惟多種二盆花小景一、庶二幾免 俗、然而盆中之保護灌漑、更難二於園圃一、花木燥濕冷煖更煩二於喬林一、喜任〈◯阿部〉按に、盆中は實に土力薄くして養ひ難し、殊に千山萬野の奇艸異木を盆栽にし、一架に置て愛玩する故に、肥水時を得、乾濕其性に從はざれば立所に枯槁に至るべし、灌園先生云、盆はすやきを上とす、土燥く故に根腐朽事なし、盆は土の上に置時は、上半分は乾けども、半は濕りあり、外氣を内へ透す故なり、但夏月は度々水を澆ぐべし、冬は鉢のまヽ土中へ埋め、春に至り堀出してよし、鉢は粗き土にて燒たるもの、内外氣通ず、さる故に樹木自ら瘠るものなり、又盆の形によりて燥濕あり、上濶く下狹く淺きは陽氣を含むゆゑに植物によし、上下同して深きは陰氣を含むゆゑに濕易く、植物腐る、上狹く下廣きは濕り強く、又拔く事なりがたくして甚惡し、都て鉢へ植たるは、當ぶんは雨を厭ふべし、植て直に雨にあたれば、土かたまりて根くさるなり、又盆栽は置場所肝要なり、たとへば南方の暖國より來る物は、南風をうけて亢陽の處に置てよし、又南方にても陰地にあるものは、暖處の内にて日をよけたるがよし、喜任曰、寒地より來るもの は北風を受て、盛夏は凉處に置べし、故に暖國の草木冬月枯槁事は人多知るといふとも、寒地の産物夏月いたむ事は知る人稀なり、
p.0054 鉢〈并〉石臺の心得 草木ともに、植る鉢、石臺とも、其品の恪恰より、小ぶりなる鉢へ植るかたよし、鉢大ぶりなれば、雨天の節、其品、水を呑過るゆへ、痛ムなり、
p.0054 永島先生は東都四谷に住して、享保の頃の人也、天資花木を好み奇品を愛す、其始花壇植木とて區を別地に種しを、後器に栽て壺木(つぼき)と呼、先生始て尾陽瀬戸の陶工に命じて盆を制せしむ、是を縁付(えんつき)と唱、白鍔黒鍔鉢是なり、其辨利今に於て專用る所なり、此頃より奇品大に行て、好人黨を結、相唱和して是を玩、其巨擘として、世人永島先生と推崇、今ニ榮フル永島連是也、珍品を玩事、實に先生を中興の祖とす、集る盆栽千を以算、自培養灌園(つちかひみづうち)に他事を廢して、老將レ至をしらず、或詰曰、先生彼兼好が徒然草を閲すや、先生笑答曰、資朝卿の雨舍して棄給ひしは、今我徒の玩奇品には非、夫我愛る錦葉銀樹皚々として白きは、月下の花にも勝り、また時しらぬ雪かと 、斑斕帶紅の絳なるは、末秋の紅葉をみす、筆も及ぬ葉形、變砂子、黄斑、黄金色に至迄、天生の麗質にして、人作の能する所に非、斯珍品奇種誰是を愛重せざらんやと、問人此答に感伏して、乍此門に入て好人と成、朝比奈、初鹿野の二氏これなり、今好人の盛る、此人々を以嚆失とす、
p.0054 高室は明和安永の頃、專奇品を弄し人なり、後年王事に遑なくして、今は絶て廢せり、此人高年にして矍鑠、肌膚光潤、容貌壯年のごとし、或人これを問に、我昔盆栽を深く好み玩弄してもつて興を遣る、今廢すといへども猶日夜忘れず、心の中に想像して慰むかたとす、此ゆゑに自老せぬなりとこたへしと云、
p.0054 諸樹木栽(うゆる)法 凡木をうつしうゆるには先念を入れ、東西にしるしを付て、其方角を替ふべからず、大きなる木は枝のふとき分は程よく切去、梢をも長く切捨べし、〈かやうにすれば木の上の體すくなくなり、枝葉もうすくなるゆへ、風にもさのみうごかず、又根いたむといへども、木の上(うへ)の體すくなくなり、根の方の力つよきゆへ、木いたみて枯ることなし、〉凡木を種るには第一ほりとる事に念を入べし、もし横根遠く出てほりがたくは、大なる根は能比より伐べし、〈大なるは鋸小さき木ならば、刄のよき道具にてきるべし、〉 根にはちを付る事、木のかつかうより、少しはちを大く付べし、 大なる木ならば、此次の木を種る所に記すごとく、鳥居を立、中に釣上るやうにすべし、かくせざれば木の根を底まで掘まはしたる時、そこの立根上のおもりにをされて、おるヽ事あればなり、尤細き木は夫に及ばず、 はちを包む事、古きこもかたはらの類を、一尺ばかりに切て、殘らず押あて、其上を繩にて念を入、幾所も多くからげ、少も土の落ざるやうに包むべし、 木の枝に印を付て、前生たる時の東西の方角かはらざるやうに種べし、 木の根のかつかうより種る地を、ひろく深くほるべし、
p.0055 草木植作様之卷〈◯中略〉 一諸木植替時分は、夏木のるひはすべて春秋也、春は葉の未レ出時、秋は落葉して後植替べし、故に二月と九十月よし、冬木るひは夏植替べし、春葉出てかたまりしげりたる時よし、四五月也、
p.0055 移栽(うへかへ)之事 花鏡曰、凡木有二直根一條一、謂二之命根一、 二小時一栽便盤屈、或以二磚瓦一盛レ之、勿レ令二直下一、則易二於移動一、若大樹稱二春初未レ芽時一、或霜降後、根旁寛深堀開、斜將二鑽心一、釘レ地根截去、惟留二四邊亂根一、轉二成圓 一、仍覆レ土築實、不二但移栽便一、而結レ實亦肥大、灌園先生云、久しく植付たる木を荒根といふ、これを植かへる事大事なり、大樹は直ぐに拔がたし、時のよき時、根の廻り半分堀り、根を切て元の如く土をかけ置、枝も少しきり置、來年に至り枝を多くきり、前年殘したる根を皆伐りて、繩にて卷き、土の落ぬやうにすべし、扨植て根の下へ土のゆきとヾくやうに棒にて突込べし、又根の上へ細き土をかけ、水を多 く入ながら棒にて突ば、水土を引て根の間へ入る、これを水うゑといふ、然れども性濕を嫌ふ物には宜しからず、右の如くし、荒根を一度植かへたるものをかたしといふ、喜任〈◯阿部〉按に、是花鏡にいふ轉 (てんだ)なり、これは時節にかヽはらず移して活し易し、されど寒中暑天にはあしヽ、凡て落葉するものは、春月芽の未生ぜざる前、二月三月の比、秋は落葉して後九月十月の頃よし、冬木の類は新葉を生じてかたまりたる比四五月よし、柿は二三葉を生じ、四月の頃よし、商州厚朴(ほうのき)は四五月よし、〈◯中略〉 〈附〉諸木砧木仕立方の事 梅は春彼岸に氣條(すあい)をきり、根も鉢へ入る程にきりつめ、横植にして置べし、芽少し出る頃鉢へ植付、十五日計り過て水肥(みづごへ)一度、又六七日過て一度かけてよし、水乾けば葉落るなり、土用前に落葉すれば花付ず、又肥過ては土用芽出て花付ず、土用明て十日計り過て水肥一度、又十日計り過て一度澆ぎてよし、しかすれば葉も落ず、花格別の勢あり、鉢うゑは生かさずころさず、少しヅヽ一日に二度ヅヽ水を澆ぎてよし、 桃櫻は接て畑にて芽の出る比より曲冬の初に堀りかたし置べし、よきほどにきりつめてよし、櫻は枝先迄まげてよし、切るはわるし、すべて 木、接木、ともに春分前にうゑかへてよし、〈◯下略〉
p.0056 草木植替手入に惡き日の事 接(つぎ)木、さし木、種蒔(たねまき)、植替(うゑかえ)等に地火(ぢくわ)とある日を用ひず、大歳(さい)の方に向ひて木を切らず、さいけうの方、又は節に入たる日、草木とも種を蒔ず、此外あしき日あれども、古より諸國此日は用ひず、予〈◯水野忠敬〉も昔は此日を用ひざりしが、中年の頃より萬事繁多にして、いつも手おくれになるゆへ、據なく手入抔に日を撰まず、
p.0056 草木 凡植二草樹一、自二親王已下家一移常事也、左右衞門府、近來承レ之植、或又隨二勅命一、便宜進二草木一之人植レ之、前栽者首瀧口承レ之、植二萩戸萩一云々、草無二沙汰一、有レ根樹忌二方角一、但上古無二其沙汰一、如何、菊合前栽合時植レ之、東庭竹臺、近代木工寮役歟、天徳、内匠寮作二呉竹架一云々、 凡清凉殿及瀧口透垣等、皆木工寮役、他殿舍修理職役也、内匠寮近代如二障子破損一許奉仕歟、昔與レ今異、
p.0057 植木荷物遠國持様 海陸共に籠に入たるがよし、せきだい、又は桶に植たるはとりまはしわろく、おもくしてしかも水のかげんしられず、箱の内に水滯て根くさる事なり、籠は水多くかけても走不(はしりて)レ滯とて、根によきほどしめりをふくみ、とヾこほらずしてよし、陸荷は壹駄に四ツ荷に拵へたるが取まはしよし、二ツ荷はおもくてわろし、籠の大さかつかう、共に大方蜜柑籠よし、〈みつかんを入レて來ル籠たくさん有物なり、なくばそのごとくこしらへて用べし、〉籠の内にいとだてむしろを敷、植木壹本宛うちわらを以て枝をまきよせ、段々入、多く木數を入ルほど友性にてよし、土も間々少入たるがよし、水苔にてつめる、〈所により水ごけ才覺なりがたく、なくば打わりをやわらかにして、こけの様にもみて入、少もこけにかわることなし、〉籠の上をわり竹にてまろかごにして、ござか又いとだてむしろにて、日のさヽぬ様におほひ、春秋は七日に一度宛水をかけ、夏は三日五日に一度宛水をかくる、舟荷ならばしほ氣なき水を吟味すべし、但根本へばかりかけべし、葉に水かくる事をきらふなり、雨ふらば葉へ水のかヽらぬやうに、よく〳〵おほいすべし、
p.0057 伐二草木一罪也ト云ハ如何 切二損草木一、律ニハ爲二輕垢罪一也、大莊嚴論第二卷、草繫ノ沙門ノ處曰、佛説二諸草木一、悉ク是鬼神ノ樹ナリ、我等不二敢違一、是ヲ以不レ能レ絶、〈文〉
p.0057 樹木を伐る事 草木黄落して山林に入ると、樹木を伐て人用と爲といふとも、又其時にあらざれば伐る事なかれ、空しく其材をそこなへばなり、月令にも孟春樹木發生の時なれば、伐木を禁止せり、都て財を用ふるは秋分より後に伐るべし、小寒前別してよし、春伐るは輕く、秋冬伐る者は財重し、實すればなり、又葉を愛するもの盆栽など枝をきり込は三月迄なり、かき植こみなどは梅雨の中よし、土用の芽は葉寒に痛まずしてよし、灌園先生云、木を伐鋸は齒を圖の如くすべし、下の圖の如くなるは惡し、木の屑齒の間に夾りてわるし、又高き木を伐るには、上より段々伐りて下るなり、大枝をきり落して、下の物傷むと思ふ時は、長き綱を付て上の叉へかけて、伐りて後つなをゆるめ、段々と下ろすなり、又根より伐る時は、木へ綱を付て遠くにて挽なり、右へ倒すには右半分きり、左半分は少上を切るなり、きり口の合はぬ様にするなり、又諸木ともに皮を剥ぎて用ふるものは、春分より秋分迄よし、此間は皮剥易くしてよし、杉木扁柏黄蘖山椒等なり、喜任〈◯阿部〉按に、奧州の邊にてシナの皮を剥ぎ用ゆるには、立木のまヽ下を切りまはし、又竪に切りて其のまヽ剥ぎ、段々と遠くにて引なり、根より梢まで剥るなり、これを水に浸し布に織り又繩とす、
p.0058 伐時〈◯杉木〉の事并に皮の事 吉野郡にては、春彼岸より十日立て、十日が間を至極の伐時とす、夫より十日ほどは中とす、又六月土用中ほどより八月彼岸までは、伐事あり、春は伐てすぐに皮をはぎ、卷ながら三日ほど水に浸して干あぐる也、左なければ虫入てあしヽ、秋伐は水に浸すに及ばず、すぐにうらの黄色になるまで干べし、薄皮は凡一日ほし、厚皮は二日干て宜し、
p.0058 一食二瓜菓一伐二樹木一事 雜律云、於二官私田園一輙食二瓜菓之類一、坐レ贓論、棄毀者亦如レ之、即持去者准レ盜論、主司給與與同罪、強持去 者以レ盜論、主司即言者不レ坐、又條云、毀二伐樹木稼穡一者准レ盜論、 按レ之、稱二瓜菓之類一即雜蔬菜等皆是也、若於二官私田園之内一而輙私食者坐レ贓論、持去者計レ贓准レ盜論、並徴二所レ費之贓一各還二官主一矣、
p.0059 論二物理一〈◯中略〉 南方諸蠻、風土温熱、故草木庶類繁殖、其奇卉珍樹、往々流來二于中夏 本邦一者不レ寡矣、如二木綿、秈米、番薯、鳳尾蕉、南瓜、諸香木一是也、其餘尚爲レ多、北土則不レ然、由二寒威嚴肅發生之氣少一也、〈以上五條篤信◯中略〉 日本ニ上世ナクシテ、後世ニ中華及外國ヨリ來ル物多シ、畜ニハ、羊、豕、鵝、鶩、植類ニハ、橘、柑、菊、水仙、菩提樹、鳳尾蕉、番蕉、沙糖、秈米、茶、煙草、番椒、木綿、秋海棠、朱欒、南瓜、美人蕉、番薯、蠟梅、千日紅、迎春花、甘藷等不レ可二枚記一、就レ中秈米、木綿、甚有レ益二于民用一、非二他物可 比、
p.0059 唐土より渡り來る花木草花、何れの時より渡りたるはしらず、正保年中以後來るもの左りに記録す、牡丹、芍藥、梅、椿等、花木草花の品類一通りづヽ渡り來るを、和朝にて、其實生、年年にかはり、花の品々、好土の庭々より出たるよし、今にそのごとく、年々實生多く、花葉かはりたるもの、各々名をよび愛賞せり、其品類花壇地錦抄大全に名記して、凡二千八百三十有餘品が中絶なく種植せば、万歳も有りぬべし、草木の種生々絶ざるものにして、天地とともにつきず、三皇の時の花、今に莖葉花實かはらずして花開く、人は眺るほどありて後の人又ながむ、前の人古花といふ花、今の人珍花といひ、今は古花といふて捨たる花、後人初て見て珍花といふべし、万治寛文比渡り來る花中絶して、今又渡り來るを見て、今の人珍花といふがごとし、
p.0059 一西山公むかしより、禽獸草木の類ひまでも、日本になき物をば唐土より御取寄被レ成、又日本の國にても、其國に有て此國になきものをば、其國よりこの國へ御うつしなされ候、覺し召末にしるす、 草之類 朝鮮人參〈江戸駒込の御屋敷、并水戸にも御植候、〉 薩摩人參 蘭 葵〈加茂のまつりにかくるあふひなり〉 ケンヤウ草 落花生 唐鬼灯 ロウサ〈一名ハマタブ、俗云ハマナスビ、〉 唐チサ〈又云タウチシヤ〉 唐芥子 黒葡萄 阿蘭陀茄子 ハラスマレイナ〈一名ロウスマレイナ〉 麭橘(サボン) 朝鮮茄子 ヘンルウダ〈一名ヘンアルウタ、俗云ルウタ草、〉 日蔭蔓 草蓮華 絲蓮花 ツノ蓮華 金絲蓮 唐蓮〈紅白〉 烏芋(クロクワイ) フツカウ草 蓴菜〈水戸城下、及御領内所々の堀、又西山の池へ御はなち候、〉 南部薯蕷 何首鳥 水松 眼茄 昆布〈松前の海より御取寄、大津濱那珂湊へ御はなち候、〉 若紫〈此草は西山の山中へ出生仕候を、西山公はじめて御見出し被レ成、わかむらさきと御號候、二月に花咲、〉 濱木綿(ユフ)〈潮來の濱に御座候へども、人不レ存候、所にては濱芭蕉と申候也、西山公御見出し候より、人是を存知候、〉 木之類 難波早梅〈咲やこのはな冬籠とよみし梅也〉 玉蘭 黒梅 江南所無〈梅也〉 木犀〈又云カツヲノ木〉 菩提樹 シデ辛夷(コブシ) 娑羅雙樹 雨椿(アマツバキ) 紀州熊野杉 佛手柑 臘梅 柚山椒〈青柚の香に同じきがゆへに名とす〉 榲桲(マルメル) 冬山椒 ソナレ松 唐杉 白木蓮 雪下〈躑躅也〉 ヤシヤノ木 メイサ カキウ 果李(クハリン) 木樓子 楊梅 新羅松子 藤松 會津林檎(リンキン) 林檎 沙菓(リンゴ) 有檎橘(ミカン) 咬 吧橘(シヤガタラミカン) 紀伊國橘 大殿堂柚 岩梨實 赤梨實 マテハ椎實 白輪柑子 無花果 巴旦杏 唐川練子 鐵樹(ソテツ)桐油木〈此實雨具の油によし〉 香椿(ヒヤンチン)〈よく諸毒を消事妙也〉 唐枸 龍眼肉 桐〈俗云唐桐〉 リヤウブ〈京都にては一名常若、常州にてはハダカボウ、〉 櫨〈一名山漆、俗云ハゼノ木、讃岐より來、實は蠟に宜く、木は弓に用る木也、〉 椶櫚竹 鳳凰竹 肉桂 甘蔗(サトウタケ) 胡椒 キンメイ竹〈是は自然と江戸駒込御屋敷に生〉 瓢木(ヒヨンノキ)〈葉はモチの木に似、其實瓢箪の如し、常磐木也、〉虎フ竹 要木(カナメ)
p.0061 諸木并花草 北野種樹家諸品樹木高低大小、應レ所レ好而賣レ之、又接二柿梨橘一、凡一切菓實或花木無レ不レ有、至二草部一凡有レ花類悉種レ之、是謂二草花一、近世草木上中下分二三段一、限二百種一應二價之貴賤一而賣レ之、北野外亦所々有レ之、又近世河内國土人携二藕根一來種二家園池中一、其歳必花開、赤白隨二其所 好、一種自二中華一所レ來紅蓮、小而色紅、尤堪二愛玩一、
p.0061 明和の頃、四谷に藥草吉兵衞といふ植木屋あり、藥草多しとて、内山先生大森見昌など ともなひて見にゆきしは、わが〈◯太田覃〉十六七の年の頃なり、〈吉兵衞楊梅瘡にて、苦しげに案内せしなり、〉 染井の植木屋伊兵衞がもとに、享保の頃拜領せしといふ躑躅の大きなるが三本あり、面向無三唐松といふ木なり、其のち尋ね見れば、其木もいづちにゆきけんみえず、伊兵衞は地錦抄つくりしものなりしが、其子孫おとろへて植木もすくなし、花屋十軒の内小左衞門八五郞などが植木よろしくありしが、是また久しくみざればいかヾにや、
p.0062 浪花あたりの俗言に剪出(きりだし)といへる者頗る六七十個(にん)あり、嘗て近郷近國二日路三日路、又甚きは四五日を歴て、草木の花葉を剪得て、賣花市に鬻ぎ家業とせり、此徒の中に代々傳へて業とせる老錬のものヽ、手馴覺えし剪花保育の温室冷窖升水(みづあげ)藥水等の專要たる精義を、今更に著して、插花者流の目近くなし易きためにせり、
p.0062 凡課(○)二桑漆(○○)一、上戸柔三百根、漆一百根以上、〈謂、凡戸上中下者、計二口多少一、臨時量定、其餘條稱二上上戸中中戸等一亦准二此例一也、〉中戸、桑二百根、漆七十根以上、下戸桑一百根、漆卌根以上、五年種畢、〈謂、新別爲レ戸者亦依二此限一、其桑漆者、皆於二園地一種、若無二園地一者不レ在二課限一也、〉郷土不レ宜、及狹郷者、不二必滿 數、
p.0062 慶雲三年三月丁巳、詔曰、〈◯中略〉頃者王公諸臣多占二山澤一、不レ事二耕種一、〈◯中略〉自今以後、不レ得二更然一、但氏氏祖墓、及百姓宅邊、栽レ樹爲レ林、并周二三十許歩、不レ在二禁限一、
p.0062 太政官符 應三盡收二入公一勅旨并寺王臣百姓等所レ占山川海島濱野林原等事 古件撿二案内一、從二乙亥年一〈◯天武三年〉 二于延暦廿年一、一百廿七歳之間、或頒二詔旨一、或下二格符一、數禁二占兼一、頻斷二獨利一、加以氏々祖墓及百姓宅邊栽レ樹爲レ林等、所レ許歩數具在二明文一、又五位以上、六位以下、及僧尼神主等、違犯之類、復立二科法一、今山陽道觀察使正四位下守皇太子傳兼行宮内卿勳五等藤原朝臣園人解偁、山海之利、公私可レ共、而勢家專點、絶二百姓活一、愚吏阿容、不二敢諫止一、頑民之亡、莫レ過二此甚一、伏請依二慶雲三年 詔旨一、一切停止、謹請二處分一者、右大臣宣、奉レ勅、今如レ所レ申、則知徒設二憲章一、曾無二遵行一、〈◯中略〉諸國若有二斯類一者、不レ論二公私一、不レ在二收限一、其寄二語有要一、輙占二无要一者、事覺之日、必處二重科一、 大同元年閏六月八日〈◯又見二日本後紀十四一〉
p.0063 凡桑漆帳率二戸數一有レ闕者、其帳令二殖塡一、
p.0063 乾政官符 畿内七道諸國驛路兩邊遍種(○○○○○○)二菓樹(○○)一事 右東大寺普照法師奏状偁、道路百姓、來去不レ絶、樹在二其傍一、足レ息二疲乏一、夏則就レ蔭避レ熱、飢則摘レ子噉レ之、伏願城外道路兩邊、栽二種菓子樹木一者、奉レ勅、依レ奏、 天平寶字三年六月廿二日
p.0063 太政官符〈◯中略〉 一應レ禁三制斫二損路邊樹木一事 右同前解偁、道邊之木、夏垂レ蔭爲二休息處一、秋結レ實民得レ食焉、而或頑民徒致二伐損一、去來之輩並失レ便、望請特加二禁制一、莫レ令二更然一者、依レ請、 以前右大臣宣、奉レ勅如レ件、諸國宜レ准レ此、 弘仁十二年四月廿一日
p.0063 凡諸國驛路邊植二菓樹一、令三往還人得二休息一、若無レ水處、量レ便掘レ井、
p.0063 寛政二〈戌〉年九月 道中奉行へ 五海道往還並木之儀、手入植足シ、并土手築立、田畑境定杭立等之儀迄、寶暦年中も相觸、其後安永年中も、猶又並木敷地者定杭、立杭植足之儀、委細達候上者、風折、根返、立枯等有レ之候ハヾ奉行所〈江〉 も相屆、伐取之儀可二申付一筈ニ候、以來猶更道中筋並木之儀ハ、何ニ不レ依一己ニ取計間敷候、尤枝折根返等有レ之、通路之差支ニ相成候ハヾ、早速取除置、其段相屆、其外手入植足之儀ハ、先年觸候通、彌以無二遺失一嚴敷可レ被二申付一候、右之趣其向々〈江〉可レ被レ達候、 右之通、松伊豆守殿〈◯老中松平信明〉被二仰渡一候間、被レ得二其意一、宿場并間々村々〈江〉可二申渡一、各々も無二怠慢一可レ被二心得一候、勿論御勘定所より差遣候御用往來之者〈江〉並木之様子見分爲レ致、若等閑之取計方候ハヾ、急度相糺ニ而可レ有レ之條、此旨可レ被二相心得一候、 九月
p.0064 欲下立二皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊一以爲中葦原中國之主上、然彼地多有二螢火光神、及蠅聲邪神一、復有二草木咸能言語(○○○○○○)一、
p.0064 古老曰、天地權輿、草木言語之時、自レ天降來神名、稱二普都大神一、巡二行葦原之中津國一、和二平山河荒梗之類一、
p.0064 六月晦大祓〈十二月准レ之◯中略〉 如レ此依〈志〉奉〈志〉國中〈爾〉荒振神等〈乎波〉神問〈志爾〉問〈志〉賜、神掃掃賜〈比氐、〉語問〈志〉磐根樹立、草之垣葉〈乎毛〉語止〈氐、〉天之磐座放、天之八重雲〈乎〉伊頭〈乃〉千別〈爾〉千別〈氐、〉天降依〈志〉奉〈支、〉
p.0064 論二物理一〈◯中略〉 四生〈◯中略〉植物四生アリ、挾(サ)シテ活クハ胎生類也、實マキテ生スルハ卵生類也、荷芡ナドハ濕生也、菌ハ化生也、又曰、植物皮ヲ去バ枯、氣在レ外也、動物ハ内敗バ死、神在レ中也、又曰、動物天ニ本ヅキテ頭上ニアリ、呼吸氣ヲ以テス、氣ヲ天ニトル也、身温ナリ、植物ハ地ニ本ヅキテ、根地ニアリ、升降以レ津、津ヲ地ニトル也、體ヒヤヽカナリ、〈◯中略〉 凡諸木、春至則萌芽ヲ生ジ、夏ハ枝長ジ、秋ハ葉枯レ、冬ハ葉落チ實熟ス、是陰陽ノ生長、收藏ノ時ニ 順フ常理也、葉ノ堅厚ナル木ハ秋冬葉不レ凋、常ニ葉アリ、草モ春生、夏長ジ、秋實ノリ、冬枯ルヽハ常理ナリ、又草ニハ春不レ生シテ夏秋冬生ズル者多シ、夏生ズル者ハ、秋海棠、雞冠花、莧、薑、及諸竹等ナリ、又秋生ジ冬春長ジ、夏枯ルアリ、夏枯草、水仙、菘、蔓菁、薺、菠稜、大小麥等是也、是陰氣肅殺ノ時生ジ、陽氣生長ノ時枯ル、草木春夏花サク物アリ、秋冬花サク物アリ、一年ノ内四時花サカザル時ナシ、就レ中春サク物多シ、夏秋次レ之、冬サク物ハ稀ナリ、冬花サクハ、只梅、山茶、海紅、寒菊、枇杷、水仙、臘梅、迎春花等ナリ、秋冬ハ霜雪ニ百草千樹皆枯ル時ナルニ、此等ノ花榮開ク事性異ナリ、董仲舒曰、葶藶枯二于仲夏一、欵冬華二于嚴冬一、韋應物ガ詩ニ、霜露悴二百草一、時菊獨姸華、林和靖ガ梅花ノ詩ニ、衆芳搖落獨暄姸ト云ヘルガゴトシ、 諸ノ草木、百穀ノ果實多クハ秋熟ス、又冬ニイタリテ熟スルアリ、橘、柚、柑子ノ類是也、夏熟スルアリ、櫻桃、枇杷、蠶豆、大小麥、豌豆、瓜、苺等是也、只春熟スル物マレ也、棗ハ夏ニ至リ葉ヲ生ズ、ユヅリ葉ハ春至リテ葉ヲツ、百物ノ性各コトナル事如レ此、自然ノ理ナリ、學記曰、大時不レ齊トハ此之謂也、〈◯中略〉 漢名未レ詳類 穀類(○○) 鶉豆 隱元豆 菜類(○○) 山葵(ワサビ) 花草類(○○○) ヲカカハホ子 ホトヽキス 福壽草 草棣棠(ヤマブキ) 三波丁子 草牡丹 白粉花(ヲシロイ) 小藤 アツモリ 熊谷 草下毛(ツ) 櫻草 エビ子 一花草 蔓草類(○○○) 正木ノカヅラ スヾメ瓜 高蓼 シホデ 松フサ 海草類(○○○) ツルモ 索麪苔(ノリ) ヲゴ ナゴヤ 海羅(フノリ) 鳥ノ足 水草類(○○○) 沼ヨモギ 河薀(カハモヅク) 雜草類(○○○) タカラカウ 觀音草 モジズリ シヤウ〴〵バカマ 張良草 樊噌草 コイ草 シヽヤキ草 シヽカクレユリ 濱木綿(ユフ) 雁足 大根菜(ナ) 蛆(ウジ)草 爾許(ニコ)草 小々妻(サヽメ) ハフテコブラ ハクリ 岩藤 葉ガラ松 草ハギ カニトリ草 岩蓮花 ノコギリ草 猫草 サギクサ 岩菊 カウワウ草 虎ノ尾 カヤツリ草 丁子草 鐵線花 梅バチ ソバ菜 杉菜〈土筆〉 千振 ヲトギリ草 カタコ 唐柿 菌類(○○) 金菌 松露 山松露 鼠菌(ネズタケ) 針菌(タケ) 舞菌(マヒタケ) シメジ 土栗 果類(○○) トチノ木 岩梨 和活力柚 園木類(○○○) イザリ松 白丁花 梅モドキ モクコク ビヤクシ ヒムロ 花木類(○○○) 彼岸櫻 花丁子 鳥ノ足 下ツ毛 ウツ木 雲柳鈴掛 雜木類(○○○) 八手木 チシヤノ木 三マタ栂 タブノ木 ヒヾ ハヽソノ木 犬樫(カシ) 玉ミヅキ ヘラノ木 玉葉 ハイノ木 トビラ 肝木 山燈心 タンガラ カンヒ〈楮類也〉 イチヂク〈非二無花果一〉 黒モジ フクラ 濱モクコク 濱木蓮 ウバシバ 胡麻木(ギ) ケラノ木 犬椶櫚