p.0897 葟子 本朝式云、葟子、〈葟音皇、和名美乃(○○)、今案訓釋所レ出未レ詳、〉
p.0897 按葟本作レ皇、爾雅釋草、皇守田、郭注云、似二燕麥一、子如二彫胡米一可レ食、生二廢田中一、一名守氣、本草拾遺 米可レ爲レ 、生二水田中一、苗子似レ麥而小、四月熟、是也、俗從レ艸作レ葟、與二葟榮字一混無レ別、又齊民要術菜茄類有二葟菜一、云似レ 生二水中一、同名異物、
p.0897 葟子〈ミノ〉
p.0897 葟子〈ミノ、出二本朝式一、〉
p.0897 みの〈◯中略〉 倭名抄に葟子をよめり、實の毛の蓑に似たる成べし、今みのごめともいへり、新撰字鏡に莠を田のみの、葟を田にあるみのとよめり、
p.0897 草米 倭名抄ニ茴草米ナシ、多識篇和名ナシ、考二本草一、水田中ニ生ズ、其苗ハ小麥ニ似テ小シ、四月ニ盛ニ熟ス、飯ヲ作テ飢ニ充ベシ、 草米、味甘、性寒、毒ナシ、飯ニシテ熱ヲサリ、腸胃ヲ利シ、氣力ヲマス、久食スベシ、
p.0897 草 ミノゴメ(○○○○) ニノゴメ(○○○○)〈雲州〉 ハルムギ(○○○○) ヱツタムギ(○○○○○) ヱツタゴメ(○○○○○) 一名 〈通雅〉 䔮 〈共同上〉溝側或ハ田地ニ生ズ、宿根枯レズ、春早ク葉ヲ生ズ、形細長ニシテ、看麥娘(スヾメノテツポウ)ノ如シ、莖ヲ抽ルコト數 寸、或ハ一二尺、葉互生ス、梢ニ長穗ヲナス、枝アリテ直立シ、圓扁ナル小子多ク重リ著ク、初夏熟シテ白ク落テ自生ス、村民子ヲ採テ糊トス、又屠者子ヲ採リ飯トナシ食フ、獸肉ノ毒ニ中リ、發熱スルヲ解ス、故ニヱツタムギ等ノ名アリ、一種ミノゴメ、〈同名ナリ〉一名ミノグサ、〈和州〉スヾメノコメ、〈若州〉春時路旁樹下ニアリ、莖高サ一二尺、細長葉互生ス、梢ニ長穗ヲ出ス、正立セズ、二分許ノ苞ヲマバラニ垂ル、後内ニ小實アリ、漢名詳ナラズ、
p.0898 月料〈小月物別減二廿分之一一〉糯米、大豆、小豆、小麥、黍子、胡麻子、葟子(○○)各三斗、
p.0898 交易雜物大和國〈(中略)葟子六斗◯中略〉 河内國〈(中略)葟子五斗◯中略〉 攝津國〈(中略)葟子九斗◯中略〉 右以二正税一交易進、其運功食並用二正税一、
p.0898 供御月料葟子七升五合
p.0898 月料葟子五升六合四勺
p.0898 越前國郡稻帳越前國郡稻帳天平五年潤三月六日史生大初位下阿刀造佐美麻呂( 裏書 )葟子參斛直稻陸拾束〈以二廿束一充二二斛一〉足羽郡貳拾束 坂井郡肆拾束
p.0898 尾張國天平六年正税帳尾張國司解 申收納天平六年〈◯以下數字虫損〉 合八郡天平五年定穀貳拾伍萬捌阡肆伯肆拾斛壹斗捌升壹合〈◯中略〉葟子貳斛 直稻肆拾束〈束別五升〉
p.0899 薏苡子〈玉豆志(○○○)〉 苡〈玉豆志〉
p.0899 薏苡子一名解 、〈仁諝音禮〉一名屋菼、〈吐敢反〉一名起實、一名贛、〈仁諝音貢〉一名贛珠、〈交趾人名レ之、出二陶景注一、〉一名噎珠、〈悉噎人帶二其實一即愈、出二食經一、〉一名芋珠、〈出二兼名苑一〉一名感米、〈出二千金方一〉和名都之太末(○○○○)、
p.0899 薏苡 兼名苑云、薏苡〈億以二音〉一名芋珠、〈和名豆之太萬〉
p.0899 説文㠯、賈侍中説、意㠯實也、象形、 薏苢也、 一曰薏苢、廣雅、 㠯也、本草圖經、薏苡仁、春生レ苗、莖高三四尺如レ黍、開二紅白花一作二穗子一、五月六月結レ實、青白色、形如二珠子一而稍長、故呼二意珠子一、小兒多以レ線穿、如二貫珠一爲レ戲、按本草薏苡仁、一名贛、本草和名大觀本草如レ此、千金翼方作レ 、政和本草从レ竹、證類本草引二陶隱居一云、交趾者子最大、彼土呼爲二 珠一、本草和名引作二贛珠一、集韻云芋、草名、一云薏苡子則知贛 芋同字則兼名苑本二於陶注一也、
p.0899 薏苡仁、豆志多麻一種名二八石一、 粳
p.0899 薏苡(ヨクイ/ツヽタマ)
p.0899 薏苡仁(ヨクイニン)〈回々米、解蠡並同、〉 薏苡仁(ズヾダマ/○○○)〈本草、小兒以レ線穿如二貫珠一爲レ戲者、〉 回々米(同) 草珠兒(同)
p.0899 薏苡(スヽタマ) すヽハ數珠也、中をつらぬきて數珠とす、故に名づく、又つしだまと云、つしはすヽの通音也、これ漢字の音を和語としたる也、此類猶多し、
p.0899 薏苡、漢書曰、馬援在二交趾一、常餌二薏苡一、載還爲レ種、〈一名芑實、一名屈菼、一名 米、一名鮮蠡、一名薏珠子、一名西番蜀秫、一名回回米、一名草珠兒、處々有レ之、交趾者最大、春生レ苗、莖高三四尺、葉如レ黍、五六月結レ實、以顆小、色青、味甘、粘レ牙者良、形尖而殼薄、米白如二糯米一、此眞薏苡也、可レ粥可レ麪可二同米醸一、其一種、圓而殼厚者即菩提子也、〉
p.0899 薏苡仁 倭名抄ニツシタマ、多識編オナジ、一種八石ト名ヅク、元升〈◯向井〉 曰、西國ニテジユズタマ(○○○○○)ト云、俗ニ是ヲスヽタマ(○○○○)トイヘリ、考二本草一、二三月ニ宿根ヨリ自生ス、葉ハ初生ノ芭蕉ノ如シ、五六月ニ莖ヲ抽デ、花ヲ開キ子ヲムスブ、
p.0900 薏以仁 回々米 芑實 薏珠子 解蠡 米〈或作二 米一〉 和名豆之太萬、俗云數珠玉、〈◯中略〉按薏苡苗類レ黍、葉間分レ枝出レ穗結レ實、其梢耑開二小白花一、〈謂二紅白花一者非也〉凡草木花落而結レ實、此花與レ實別也、其實青白色滑 、形團、末微尖、端出二白絲三條一、略乾則絲脱去爲レ孔上下通、小兒貫レ線以爲二念珠一、其中子如二精麥一而大、即薏苡仁也、又能治二 痺一、呑二一二枚一、〈外臺方云、治二喉卒癰腫一、與レ此理相近一、〉近頃俗間八月朔日、用二果蓏餻餅一贈二答之一、必以二薏苡枝葉實連者一飾レ之、未レ知二其據一、
p.0900 昔在神代大地主神營レ田之日、以二牛宍一食二田人一、于レ時御歳神之子、至二於其田一唾レ饗而還、以レ状告レ父、御歳神發レ怒、以レ蝗放二其田一、苗葉忽枯損似二篠竹一、於レ是大地主神令三片巫〈志止止鳥〉肱巫〈今俗竃輪及米占也〉占二求其由一、御歳神爲レ祟、宜下獻二白猪白馬白鷄一以解中其怒上、依レ教奉レ謝、御歳神答曰、實吾意也、〈◯中略〉宜下以二牛宍一置二溝口一、作二男莖形一以加 之、〈是所三以厭二其心一也〉以二薏子(○○)蜀椒呉桃葉及鹽一、班二置其畔一、〈古語以(○)レ薏曰(○○)二都須(○○)一、〉仍從二其教一、苗葉復茂、年穀豐稔、
p.0900 薏苡仁〈◯中略〉二種アリ、一種ハ牙ニネバル、其形トガリテカラウスシ、是薏苡(○○)ナリ、其米白色ニシテ糯米ノ如シ、粥ニシ飯ニシ、麪ニシテ食スベシ、又米ト同ジク酒ニ作ルベシ、一種ハ圓ニシテカラ厚ク堅シ、是レ菩提子(○○○)也、其米スクナシ、即チ粳 ト云、但穿テ念經ノ數珠ニスベシ、
p.0900 薏苡仁〈◯中略〉有二二種一、而一種殼薄米多、一種殼厚 米少、堪レ爲二念珠一、故曰二之菩提子一、與二菩提樹之子一同レ名而別也、
p.0900 薏苡子(○○○)〈本草、本邦の古書に薏苡とあるは、皆下の川穀を誤充つるものなり、〉本漢種なり、今國中培養して、藥食の用とする者あれども稀れなり、 川穀(○○)〈救荒本草、古語拾遺、都須、本草和名和名鈔並都之太末、新撰字鏡玉豆志、延喜式ニツヽダマ、上の古名倶に薏苡子を訓ずるは誤なり、〉各郡原野水傍に多し、藥店にて薏苡に僞り售る、
p.0901 薏苡仁 シコクムギ(○○○○○)〈防州◯中略〉眞ノ薏苡(○○○○)ハ享保年中ニ渡ル、春種ヲ下シ、苗長ジテ高サ四五尺、葉互生シ、形蜀黍(トウキビノ)葉ニ似テ狹短、川穀葉ニ異ナラズ、一根ニ莖ヲ叢生ス、夏月葉間ニ實ヲ結ブ、形川穀ヨリ細小ナリ、實上ニ花アリ、玉蜀黍(ナンバンキビノ)花ニ似テ小シ、實熟シテ淺褐黒色、實中ニ自ラ穴アリテ貫クベシ、重纍シテ生ズル者モアリ、皆兩指ヲ以推ストキハ皮破ル、仁ハ麥ニ似テ濶ク、白色、外ニ褐衣アリ、實熟シテ苗根共ニ枯ル、一種トウムギ(○○○○)、一名朝鮮ムギ、クスダマ、〈作州〉城州山城郷ニ多ク栽ユ、仁ヲ採リ粉トナシ食用トス、藥舖ニ出サズ、苗形薏苡ニ異ナラズ、子形濶ク短クシテ尖リアリ皮厚ク シ、擊タザレバ破レズ、皮ノ色褐ニシテ微黒、竪ニ筋多シ、秋後苗根共ニ枯ル、一種ジユズダマ(○○○○○)、一名ヅシダマ、〈和名鈔〉スヽダマ、〈豫州〉ズヾゴ、〈東國〉ハチコク、〈上總〉スダメ、〈三州〉スヾダマ、〈阿州〉ズヾダマ、〈新校正〉野邊荒廢ノ地ニ多シ、春宿根ヨリ多ク叢生ス、莖葉ハ薏苡ニ異ナラズ、子大ニシテ白色光リアリ、或ハ黒色、或ハ黒白斑駁、皆皮甚厚 、擊トイヘドモ破レズ、實中ニ自ラ穴アリ、穿テ貫珠トナスベシ、小兒採テ玩トス、野人用テ馬飾トス、是救荒本草ニ載ル所ノ川穀ナリ、一名穿穀米、〈壽世保元〉菩蔞珠、〈秘傳花鏡〉一種オニジユズダマ(○○○○○○○)、亦宿根ヨリ叢生ス、形チ川穀ニ異ナラズ、實川穀ヨリ濶ク、扁クシテ竪ニヒダアリ、色モ同ジ、殼甚ダ堅シ、俚人穿テ數珠トス、イラタカノ數珠ト稱シ、役小角ヲ信ズル者コレヲ用ユ、是簳珠ナリ、藥舖ニ賣所ノ薏苡仁ハ、皆川殼仁ナリ、石臼ヲ用テ粗磨シ仁ヲ採ル、又簳珠仁ヲ以テ、唐ノ薏苡ト名ケ賣ル、皆僞品ナリ、藥ニハ眞ナル者ヲ用ユベシ、然レドモ眞物ハ未ダ藥舖ニ出ズ、
p.0901 薏苡薏苡是二種あり、其粒細長く、皮うすく米白く粘りて、糯米のごとくなるが、眞薏苡なり、藥にもこ れを用ゆべし、一種又丸く皮厚く、實は少くかたきあり、うゆべからず、又一種菩提子(ぼだいし)とて大きなるあり、數珠とす、うゆる地の事、尤も濕氣を好む物なり、何にても糞しを多く用ひ、旱せば水をそそぎ、常にうるほひを保つべし、畦作りつねのごとくし、五六寸に一本づヽ見合せうへ、厚く土をおほひ、藝り培ひ別法なし、苗長く心葉出るを、節をかけてぬき捨べし、心葉をぬかずして置たるは實少し、九月霜ふりて實を取收め、よく干して米にする事は、蒸し乾し、すりくだき、米のごとくこしらゆるなり、宿根より生るは、から堅く子少し、二三月蒔置て移しうゆべし、實は薏苡仁と云藥種なり、性のよき物なり、病人の食物に調て用ゆべし、粥になり飯に交へ、だんごにしたヽめ、様様料理多し、葉を米にまぜ、飯に調ずれば、その香早稻米の飯のごとし、茶を煎ずるに、葉を少入れば、香よく味もます物なり、
p.0902 薏苡 本艸綱目と農政全書を考るに、一種から光ありて薄く、米白して糯米の如く、牙に粘は眞薏苡なり、藥に入れ、粥となし麪として食す、一種圓してから厚くかたきは菩提子也、其米少し、即粳 なり、藥に不レ用、先實をまきて後、苗四五寸なる時うつしうふべし、水邊尤もよし、毎レ科相去事一尺、或云、宿根より生ずるはから堅くしてあしヽ、毎年まくべし、子をとるにはよくむして、日にほしからを去べし、農政全書曰、九月霜後收レ子、至二來年三月中一、隨二耕地一於二壠内一點種撈蓋令レ平、有レ草則鋤、居家必用云、熟耕地相去一尺種、一科不レ問二高下一、但肥良地即堪、薏苡葉青きも、乾たるも、茶に加へ煎ずれば香よく味よし、又これを煎じて飯をかしぐもよし、性よし濕痺にもよし、むねをひらき食をすヽむ、濕氣にあたりてしびるヽにもよし、
p.0902 薏苡仁、味甘、性寒、毒ナシ、筋骨拘攣シテ屈伸シガタキニ、久風濕痺ニ用フ、久服スレバ、身ヲ輕クシ氣ヲマシ、筋骨ノ中ノ邪氣ヲ除キ、腸胃ヲ利シ、水腫ヲ消シ、食ヲスヽム、飯ニシ麪ニシテ食スレバ飢ズ、煮クダシニタキ、センジ用レバ、病ヲ治スル功多シ、脾胃肺ニ益アリ、
p.0903 薏苡仁 寒味甘熱氣ヲ治スルニ、只焙テ用、毒腫ニハ白水ニ浸シテ使、胸腹ノ氣結ルニハ、鹽湯ニテ煮用、蟲積聚ヲ治スルニハ、餅米ニ交テ煎テ、擣碎テ心ヲ去用、筋攣骨痛大能攻、除二肺氣痿癰病一、
p.0903 諸國進年料雜藥大和國卅八種、〈◯中略〉薏苡芢十五兩、 近江國七十三種、〈◯中略〉薏苡芢一斤八兩、
p.0903 承保四年八月四日辛巳、自レ朝終日陰、心地雖二熱氣消散一、赤痢已發、辛苦無レ極、〈◯中略〉申時許、典藥頭雅忠朝臣入來、雖レ爲二物忌一相達問云、熱氣内不食之物、其氣消散後食レ之、可レ有二禁忌一乎、如何、答尤可レ忌之由、爲二腹痛一可食小粥干鯛等云々、談次主上〈◯白河〉御仍今夜所二參内一也、薏苡一二粒奉レ令レ飮、是一之方也者、
p.0903 遲二留江泊一戲賦二舟中一事 同人〈◯釋蓮禪〉舟中寂寞枕レ肱臥、見レ事聞レ言難レ染レ翰、厨女 嘲煎二夜藥一、〈予宿疲更發、煎(○)二薏苡(○○)一飮(○)レ之(○)、家奴等各以不レ請、其中老嫗一人、打レ掌殊以嘲レ之也、〉棹郞各怒乏二朝飡一、〈舟子曰、食常以不レ足、仍強怒レ之、〉持經二品收レ囊掛、〈提婆觀音二品、年來所二誦持一也、納二經囊一掛レ之、〉本佛一龕拂レ舳安、〈造二佛二體一、安二小厨子一、奉二提携一、〉寶不二外求一享二禿箒一、〈爲レ掃二舟塵一持二一藁箒一也、故云、〉粮依二中絶一閣二空箪一、風帆行路霽彌遠、水驛歸心秋早寒、愚息二人還咲レ父、爲何遥赴二海西瀾一、
p.0903 一九州大名衆よりよくいを江戸御苑中へ被レ爲レ進候を、安藤對馬殿にて見申候、米の如くにして見事に見へ申候、すヾ玉と申草にて、一たびまき候へば、次第々々年々に多く罷成、かうさくにも不レ及候、よくいは病者のかゆに用申候、こがしにもいりてくわへ申候、藥性一段よく候よし、
p.0903 年中諸大名獻上物之事三月 一薏苡仁 松平相模守
p.0904 蘆根、花名蓬蕽〈仁諝音而容反、出二蘇敬注一、〉一名葭、一名葦、〈已上出二兼名苑一〉和名阿之乃禰(○○○○)、
p.0904 蘆葦〈菼等附〉 兼名苑云、葭一名葦、〈家煒二音、和名阿之(○○)、〉爾雅注云、一名蘆、〈音盧〉玉篇云、 〈音亂〉菼也菼〈音毯、和名阿之豆乃、〉蘆之初生也、蘇敬本草注云、蓬蕽〈逢仍二音〉葦花名也、
p.0904 所レ引文郭注〈◯爾雅註〉不レ載、蓋舊注也、説文、葭葦之未レ秀者、葦大葭也、毛詩七月正義初生爲レ葭、長大爲レ蘆、成則名爲レ葦、證類本草蘆根條引二唐本餘一云、生二下溼地一、莖葉似レ竹、花若二荻花一、本草圖經云、蘆根生二下溼陂澤中一、其状都似レ竹、而葉抱レ莖生、無レ枝、花白作レ穗、若二茅花一、根亦若二竹根一而節疎、是、葭葦蘆充二阿之一爲レ允、李時珍曰、葭者嘉美也、葦者偉大也、蘆者色蘆黒也、按別有レ蒹亦蘆之種類、爾雅、蒹 、郭注似レ萑而細、高數尺、江東呼爲二蒹 一、本草圖經云、蒹今作レ簾者是也、是可レ充下今俗作レ簾呼二比米與之一、或呼二須太禮與之一者上、説文 蒹也、蒹萑之未レ秀者、然説文有レ 、云萑之初生、又解レ蒹不レ得レ云二萑之未レ秀者一、蒹字注當レ作二 之未レ秀者也一、〈◯中略〉今本玉篇云、 魚患切、廣韻云、五患切、並在二三十諫一、屬二疑母一、亂郞段切、在二二十九換一、屬二來母一、音韻並不レ同、此以レ亂音レ 恐非、〈◯中略〉今本玉篇云、 烏蓲也、與レ此不レ同、按説文、 音也、菼即 字、則知古本玉篇依二説文一也、〈◯中略〉按説文、 萑之初生、一曰 、一曰鵻、又載二菼字一云、 或从レ炎、蓋顧氏依二説文今本誤レ萑作 藋、源君引誤作レ蘆也、又按毛詩大車傳云、菼萑也、蘆之初生者也、顧氏或載レ之、源君節二引之一、以三其云二蘆之初生一、收二之蘆葦條一、訓爲二阿之豆乃一、遂引及二 字一也、然説文、葭葦之未レ秀者、葦大葭也、爾雅葭蘆、郭注葦也、毛詩七月正義、初生爲レ葭、長大爲レ蘆、成則名爲レ葦、説文、菼萑之初生、萑 也、 也、八月 爲レ萑、葭爲レ葦、爾雅、菼 、郭注似レ葦而中實、江東呼爲二烏蓲一、本草圖經云、或謂二之荻一、七月正義、初生者爲レ菼、長大爲レ 、成則爲レ萑、是葭葦蘆一物、菼 萑荻一物、葭葦蘆可レ充二阿之一、菼 萑荻可レ充二乎岐一、則二物判然然無レ混、毛傳以二蘆之初生一釋レ菼、蓋統言耳、或傳本有二轉寫之誤一、亦未レ可レ知也、
p.0905 葦(アシ) 葭(アシ)
p.0905 蘆(アシ) 葦(同)〈毛萇云、葦之初生曰レ葭、未レ秀曰レ蘆、長成曰レ葦、〉 蓬蕽(アシノハナ)〈本草芦花〉 蘆花(同)
p.0905 葦 あしははし也、はじめ也、草木のはじめ也、〈直指抄〉
p.0905 蘆葦アシ 天地開闢けし初に、葦牙(アシガヒ)の如くにして、化り出でし神の名を、可美葦牙彦舅(ウマシアシガヒヒコヂ)神と申せしと見え、また此國を葦原の國とも云ひしと見えたれば、〈舊事古事日本紀に〉我國にして凡そ物名の聞えし、これより先なるはあらず、舊説に俗にはこれをヨシともいひ、また伊勢國にては濱荻ともいふなりと見えたり、〈藻鹽草に〉此事によりても古も今も、其地によりて物名同じからぬ事をも知りぬべし、唯其アシといひ、ヨシといふ義の如きは知るべからず、倭名鈔には爾雅註玉篇本草註等を引て、葭一名葦、一名蘆、アシ、 はアシヅノ、蘆の初生也、蓬蕽は葦の花名也と註せり、本草圖經に據るに、葭は即蘆也、葦は即蘆の成れるもの、菼は 也、或謂二之 一、 は即荻也、蘆の初生をいふにはあらず、〈◯中略〉其花をば芍と云ひ、其萌の竹笋の如くなるをば、 (チ)といふは、古の時にアシガヒといひ、後にアシヅノといひしもの即此也、
p.0905 あし〈◯中略〉 葦は初めの義なりといへり、開闢の初めまづ生じたるものは葦なり、よて此國を葦原中國といふなり、白き條あるを難波あしといふ、篳篥の簧には、津國鵜殿の葦を用うといへり、あしのほわた 蘆の穗を衣の絮にするをいふ也、小窻清記に、製二柳絮枕蘆花被一以連レ牀夜話すとみえたり、眞に似たる中の僞といふ連歌に、蘆の穗はかさねし衣のわたならで、是は閔子騫の故事也、
p.0905 葭(ヨシ/○)〈一名蘆、事詳二本草一、〉
p.0905 よし〈◯中略〉 葦をよしともいふは、あしの反語也といへり、俊成卿の住吉社歌 合の判に、あづまの人の言葉なりと見ゆ、ふるくは歌に見えずとぞ、一説に、よしは葉もとに毛なし、根深く入もの也、あしは葉もとに毛ありて、根は土よりうへをはふもの也ともいへり、
p.0906 あしをよしといふは、俊成卿の住吉社歌合を判して、末にかき給へる言に、あづまの人のことばなるよしなり、齋宮忌詞に、法師を髮長といへるやうに、あしといふがゆヽしければ、よしといひなすにや、ふるくは歌にみえざるにや、眞淵云( 頭書 )、遠江などより東の方にては、今よしとのみいへり、又難波のあしに伊勢の濱をぎとて、此物を同じ事とよめるは、後の俗の歌にて、萬葉の意をよくしらでいへり、東歌には、さヽらをぎよしとひことかたりよらしもとよめるは、似て同じからぬをもていへれば、中々に別なる據なり、
p.0906 葭(ハマヲギ/○) 濱荻(同)
p.0906 はまおぎ 萬葉集に、伊勢の濱荻といへり、蘆をいふなりと顯注密勘にみえたり、されど武藏風土記に濱荻と葦とを並擧たり、濱邊の荻といふ事にて葦に雜りて生ずる物ゆへに、同集に、葦べなる荻の葉さやぎともよめり、葉のかたかたに著たるに荻多しといへり、今も二見〈ノ〉浦にかた葉の葦とて名物とせるあり、定家卿万葉の歌をとりて、二見がたいせの濱荻しきたへの衣手かれて夢もむすばず、後拾遺集の作者侍從命婦を濱荻といふは、祭主輔親が猶子なるをもてといへり、
p.0906 〈嘉應二年十月九日〉神風いせしまには、はまをぎとなづくれど、なにはわたりには、あしとのみいひ、あづまのかたには、よしといふなるがごとくに、おなじきうたなれども、人の心より〳〵になむある、〈◯下略〉
p.0906 浪速の蘆は伊勢の濱荻 これは連歌の句也、物の名も所によりてかはるなり、とい ふ句につけたり、
p.0907 葦 みだれ しほれ しほ〈万〉 ながれ よしとも云り 伊勢には濱をぎと云 あしつの あしつヽ たまえのあしと云は玉枝也、非レ江、但寄レ江多詠也、あしがきはまぢかしとも、思みだれてともいふ、はなほそきあしがきこえにといへり、是あしの花なり、なつかりは、夏かりたるなり、一説雁といへり、又鶴といふ可レ咲、凡夏雁不レ可レ然之由、殊に匡房稱レ之、
p.0907 蘆笋 味小苦極冷、法如二竹笋一堪レ食反二巴豆一、蘆根甘寒、主二消渇客熱一、止二小便利一、〈當堀取露出浮レ水不レ佳〉療二嘔逆不レ下レ食胃中熱噎噦不 止、治二孕人心熱并瀉痢人渇一、
p.0907 蘆〈音盧〉 葦〈音偉〉 葭〈音加〉 花名蓬蕽〈芀〉 笋名 〈音拳〉 和名阿之〈◯中略〉按蘆〈和名阿之〉青(アヲシ)之和訓中略也、未レ長高二三尺、其葉大似二馬篠一、而莖葉皆蒼蒼、用可レ裹レ粽者、攝州難波之産得レ名、葦〈俗云與之〉弱(ヨハシ)之和訓中略也、蘆既成長四五尺至二丈許一、其葉亦老衰纎莖、筠帶二白色一、似レ竹而弱也、山城鵜殿之産得レ名、用レ之作二篳篥之簧一佳也、近頃武家用レ葦、乾枯作二松明一、燒二乘馬之首毛一、〈燒訓二布留一〉勝二於破竹之松明一、又多作二筆鞘一、葦筒中白皮曰レ莩、〈音孚〉甚輕薄者也、葦花〈名蓬蕽一名芀〉説文云、葦花曰レ芀、抽レ條搖レ遠、生華而無二莩蕚一、今人取以爲レ帚、曰二芀帚一是也、琉球國有二大葦一、其周匝尺許、筠厚四五分、以爲二器物一、〈◯中略〉 〈音兼〉 〈一名蒹、俗云須太禮與之、〉本綱、似レ荻而細長、高數尺中實者也、按 多出二於豫州一、以編二駕窻之簾一甚美也、
p.0907 蘆 ヒムログサ タマエグサ ナニハグサ サヾレグサ ハマヲギ〈以上古歌名〉 アシ〈和名鈔〉 ヨシ 一名蒲蘆〈琅邪代酔編〉 華〈爾雅〉 蕟〈通雅〉 蕟〈同上〉 葦子草〈訓蒙字會〉 水邊ニ多ク生ズ、春舊根ヨリ苗ヲ生ズ、初メ出ル時筍ノ如シ、唐山ノ人ハ採リ食フ、コレヲ蘆筍ト云、然レドモ南土ノ者ハ堅クシテ食フベカラズ、北土ノ者ハ柔ニシテ食フベシ、今清商食用ニ持來ル者、長サ三寸許二ツニ剖テ蒸シ乾シタルモノ也、是ヲ水ニ浸シ煮食フ、苗長ズレバ高サ丈餘枝ナシ、葉ハ竹葉ニ似テ長大互生ス、秋ニ至テ莖梢ニ穗ヲ出ス、菅(カヤ)ノ穗ノ如クニシテ枝多シ、長サ一尺餘、秋ノ末莖葉共ニ枯ル、一種莖幹至テ粗大ナル者ヲ鵜殿ノヨシ(○○○○○)ト云、攝州島上郡鵜殿邑ノ名産ナリ、莖ヲ用テ篳篥ノ義嘴ニ作ル、コノヨシハ證類本草蘇頌ノ説ニ、深碧色ナル者、謂二之碧蘆一ト云者ナリ、集解ニコノ説ヲ引ケドモ、謂二之碧蘆一ノ四字ヲ脱セリ、宜シク補フベシ、〈◯中略〉 (○) ヒメヨシ(○○○○)一名ヨシモドキ、スダレヨシ、カナヨシ、〈仙臺〉ヒヨヒヨ、〈濃州〉蘆ノ一種形小ナル者ナリ、
p.0908 爲二庭上之景一、莊二嚴前栽一仕候、〈◯中略〉雜草木者、〈◯中略〉 葭、木賊、姫葦、
p.0908 片葉蘆(かたはのあし/○○○) 按ずるに、都て難波は川々多し、淀川其中の首たり、其岸に蘆生繁りて、兩葉に出たるも、水の流れ早きにより、隨ふてみな片葉の如く、晝夜たへず動く、終に其性を繼て、跡より生出るもの、片葉の蘆多し、故に水邊ならざる所にもあり、難波に際(かぎら)ず、八幡、淀、伏見、宇治等にも、片葉の蘆多し、或云、難波は常に西風烈しきにより、蘆の葉東へ吹靡きて、片葉なる物多しといふは僻案なり、
p.0908 雜樹増、片葉の蘆、淺草慶印寺の前片葉の蘆 〈あさぢがはら かヾみの池〉 片葉の蘆 淺草馬道ひし屋長や
p.0908 片葉の蘆 和歌津や村の北の入くちにあり、是また蘆邊の遺跡也、すべて川邊のあしは流につれて、自然と片葉となるものあり、又其性を受て芽いづるより、片葉蘆と 生ずるもあらん、此地もいにしへは、入江あるひは流水のところにて、其性をつたへて、今に片葉に生ずるか、風土の一奇事と云べし、つのくに鵜殿のあしと同品なり、
p.0909 難波蘆簾(○○○○) 同郡〈◯西成〉ニ屬ス、今モ以レ蘆篇(アメ)リ、〈夫木十四〉 すくもたく難波乙女があしすだれよにすヽけたる我身なりけり 爲家笙篳篥簧(○○○○) 島上郡鵜殿村ノ蘆ヲ宜トス、因テ樂人設レ之、簧ニ作リ音ヲ好スルト云ヘリ、
p.0909 國稚如二浮脂一而、久羅下那洲多陀用幣琉之時、〈琉字以上十字以レ音〉如二葦牙(○○)一因二萌騰之物一而成神名、宇麻志阿斯訶備比古遲(ウマシアシカビヒコヂ)神、
p.0909 葦牙は阿斯訶備(アシカビ)と訓べし、〈書紀にも然訓り、但し備を清(スミ)て、伊の如く讀はわろし、又訶を濁るもわろし、成坐る神御名の訶備にて、清濁炳焉し、〉葦のかつ〳〵生初たるを云名なり、牙字は芽と通へり、
p.0909 同石川女郞更贈二大伴田主中郞一歌一首吾聞之(ワガキヽシ)、耳爾好似(ミヽニヨクニバ)葦若未(アシカビ/○○○)乃(ノ)、足痛吾勢(アシナヘワガセ)、勤多扶倍思(ツトメタブベシ)、右依二中郞足疾一、贈二此歌一問訊也、
p.0909 あしがひの 〈あしなへわがせ〉 又あしなべの万葉卷二に、〈◯歌略〉この葦若未をあし加比と訓は、神代紀に、天地之中生二一物一、状如二葦牙(アシガヒ)一てふに依ぬ、さて葦牙は、葦の若めにて、そは即葦が苗なれば、葦牙の葦苗てふ意にて、人の蹇に轉じいひかけたる歟、又は葦若未は阿志奈倍(アシナヘ)と訓て、葦のわかき葉すゑの靡しなへるを、蹇にいひかけしにもや侍らん、
p.0909 旋頭歌水門(ミナトナル)、葦末葉(アシノウラバヲ/○○○)、誰手折(タレカタヲリシ)、吾背子(ワガセコガ)、振手見(フルテヲミムト)、我手折(ワレゾタヲリシ)、右二十三首、〈◯二十二首略〉柿本朝臣人麿之歌集出、
p.0910 陳二私拙懷一一首并短歌海原乃(ウナバラノ)、由多氣伎見都々(ユタケキミツツ)、安之我知流(アシガチル)、奈爾波爾等之波(ナニハニトシハ)、倍努倍久於毛保由(ヘヌベクオモホユ)、右二月〈◯天平勝寶七歳〉十三日、兵部少輔宿禰家持、
p.0910 弘仁六年十月庚子、安房國獻二蘆二枝一、長各三丈、圍一尺、
p.0910 嘉祥二年三月庚辰、興福寺大法師等爲レ奉レ賀三天皇寶算滿二于四十一、奉レ造二聖 卌軀一、〈◯中略〉副二之長歌一奉獻、其長歌詞曰、日本(ヒノモト)〈乃(ノ)〉、野馬臺(ヤマト)〈能(ノ)〉國(クニ)〈遠(ヲ)〉、賀美侶伎(カミロギ)〈能(ノ)〉、宿那毘古那(スクナヒコナ)〈加(ガ)〉、葦菅(アシスゲ)〈遠(ヲ)〉、殖生(ウエオホ)〈志津津(シツツ)〉國固(クニカタ)〈米(メ)〉、造介牟與理(ツクリケムヨリ)、〈◯下略〉
p.0910 つのかみに侍ける人のもとにて たヾみ難波がたしげりあへるは君が代にあしかるわざをせねばなるべし
p.0910 草の花はあしの花さらに見どころなけれど、みてぐらなどいはれたる、心ばへあらんとおもふにたヾならず、もじもすヽきにはをとらねど、水のつらにておかしうこそあらめと覺ゆ、
p.0910 なにはにはらへして、かへりなんとする時に、このわたりに見るべきことなむあるとて、いますこしとやれ、かくやれといひつヽ、このくるまをやらせつヽ、家のありしわたりを見るに、やもなし人もなし、いづかたへいにけんと、かなしうおもひけり、〈◯中略〉しばしといふほどに、あしになひたるおとこの、かたゐのやうなるすがたなる、このくるまのまへよりいきけり、これがかほをみるに、その人といふべくもあらず、いみじきさまなれど、わがおとこににたり、これを見てよく見まほしさに、このあしもちたるをのこよばせよ、あしかはんといはせける、さりければ、ようなきものかひ給とは思ひけれど、しうののたまふ事なればよびてかはす、車のもとちかくになひよせさせよ、見んなどいひて、この男のかほをよくみるにそれなりけり、いとあはれに かヽるものあきなひて、よにふる人いかならんといひてなきければ、ともの人は、なほおほかたのよを哀がるとなん思ける、かくてこのあしの男に、ものなどくはせよ、物いとおほくあしのあたひにとらせよといひければ、すヾろなるものに、なにかものおほく給はんなど、ある人々いひければ、しゐてもえいひにくヽて、いかで物をとらせんとおもふ間に、したすだれのはざまのあきたるより、この男まもれば、わがめににたり、あやしさに心をさめて見るに、かほもこゑもそれなりけりと思ふに、おもひあはせて、わがさまのいといらなく成たるを、おもひはかるに、いとはしたなくて、あしもうちすてヽ、はしりにげにけり、しばしといはせけれど、人の家ににげ入て、かまのしりへにかヾまりおりけり、この車よりなほこのをとこたづねてゐてこといひければ、ともの人、手をあかちてもとめさはぎけり、人そこなる家になん侍けるといへば、此おとこにかくおほせ事ありてめすなり、なにのうちひかせ給べきにもあらず、ものをこそは給はせんとすれ、おさなきものなりといふ、ときに硯をこひてふみかく、それにきみなくてあしかりけりと思にもいとヾなにはの浦ぞすみうき、とかきてふむして、これを御車に奉れといひければ、あやしと思ひてもてきて奉る、あけて見るにかなしき事ものににず、よヽとぞなきける、さてかへしはいかヾしたりけんしらず、くるまにきたりける衣ぬぎて、つヽみてふみなどかきぐしてやりける、さてなむかへりける、のちにはいかヾなりにけんしらず、あしからじとてこそ人のわかれけめなにか難波の浦は住うき
p.0911 むらさき生ときく野も、あし荻のみたかくおひて、馬にのりてゆみもたるすゑ見えぬまで、たかく生ひしげりて、中をわけ行に、たけしばといふ寺あり、
p.0911 正治二年後鳥羽院に、百首の歌奉りける時、後京極攝政前太政大臣霜枯のこやのやへぶきふきかへて蘆の若葉に春風ぞ吹
p.0912 荻 〈同、徒歴反、薕荻也、乎支(○○)、〉
p.0912 荻 野王案云、荻〈音狄、字亦作レ 、和名乎岐、〉與レ 相似而非二一種一矣、
p.0912 按本草圖經云、爾雅謂レ菼爲レ 、或謂二之荻一、荻至レ秋堅成、即謂二之萑一、補筆談云、 萑菼荻也、皆以二 荻一爲二一物一、顧氏相似非二一種一之説、未レ知レ所レ本、
p.0912 荻(ヲギ)〈蘆之屬、事詳二本草一、〉烏蓲(同) 菼(同) (同) 萑(同) (同) (同)
p.0912 荻ヲギ 倭名鈔に野王の説を引て、荻はヲギ、與レ 相似而非二一種一と註せり、本草圖經の如きは、菼は 似レ葦而小、中實、或謂二之 一、即荻也、至レ秋堅成、乃これを萑(スイ)といふ、 は似レ萑而細長、高數尺、其花其萌を呼ぶ事は、葦も荻も相同じと見えたり、さらば と荻とは一物にして、葦とは別にこれ一物也、ヲキといひしは、スヽキに對し云ひし所と見えて、オとは大也、キといふは其芒(ノキ)あるを云ひしと見えたり、即今俗にはウミガヤなどいふ是也、蒹は即今俗にスダレアシなどいふなり、〈むかし日向の國人の云ひし事を聞しに、彼國には猶今もウガヤといふ者のあるなり、これは葺不合尊の御産屋を、ふきし者也と云ひつぎぬといひけり、ウガヤといひ、ウミガヤといふ、其語相通じぬれば、太古の時にウガヤといひし物は、荻なりけむも知らず、〉
p.0912 荻〈野などによむ、水邊にもあるべし云々、〉したおき、荻原、荻のやけはら、庭荻、から荻、〈かれたる也〉荻の上風、荻のは風、そよぐとも、またなびくともよめり、〈◯中略〉荻の花〈万也、但猶以可レ尋歟、〉ともすりのをとのはげしさと讀り、〈葉風にそへて云り、新六、〉たかやかなる荻といへり、〈寺也、源氏、〉
p.0912 蘆荻 ヲギ(○○)、ヲギヨシ(○○○○)トモ云フ、古歌ニハフミミグサ、ヤマシタグサ、カゼキヽグサ、トハレグサ、ネカラグサ、ノモリグサ、メザマシグサ、ツユヤグサ、ネサメグサ、カゼモチグサト云、水邊ニ生ズ、陸地ニ移シテ繁殖シヤスシ、大抵菅茅(カヤ)ニ似テ長大ナリ、其莖蘆トハチガヒ、肉厚クシテ中ニ小孔アリ、花 モ菅茅花ノ如ニシテ長大ナリ、初ハ淡紫色後漸ク白色ニ變ズ、秋深テ苗枯ル、一名荻子草、〈訓蒙字會〉
p.0913 詠レ雁葦邊在(アシベナル)、荻之葉(ヲギノハ/○○○)左夜藝(サヤギ)、秋風之(アキカゼノ)、吹來苗丹(フキクルナベニ)、雁鳴渡(カリナキワタル)、
p.0913 雜歌伊毛奈呂我(イモナロガ)、都可布河泊豆乃(ツカフカハツノ)、佐左良乎疑(ササラヲギ/○○○○○)、安志等比登其等(アシトヒトゴト)、加多里與良斯毛(カタリヨラシモ)、
p.0913 秋大輔がうづまさの傍なる家に侍りけるに、おぎのはにふみをさしてつかはしける、 左大臣〈◯藤原實頼〉山ざとの物さびしきは荻のはのなびくごとにぞ思ひやらるヽ
p.0913 冬になりて、日暮し雨ふりくらひたる夜、雲かへる風はげしう打吹て、そら晴て月いみじうあかう成て、軒ちかき荻(○)のいみじう風にふかれて、くだけまどふがいと哀にて、秋をいかに思ひいづらむ冬深み嵐にまどふ荻の枯はは
p.0913 萓 廣益玉篇云、萓、〈魚飢反、與レ宜同、和名加夜(○○)、〉
p.0913 按玉篇梁顧野王撰、唐孫強増加字、宋大中祥符六年陳彭年等重修、名曰二大廣益會玉篇一、然則孫強増字者之廣益、至レ宋重修名曰二大廣益會一歟、然本書引二玉篇一、皆無レ有二廣益字一、唯此有レ之、疑是後人所レ増、下總本無者似レ是、魚飢反與二玉篇一合、在二五支一與レ宜同、與二廣韻一合、在二六指一、二音不レ同、此與字上恐脱二又字一、〈◯中略〉今本玉篇艸部云、萓萓 草、與二此所 引不レ同、按嘉祐本草云、萱草一名鹿葱、花名二宜男一、引二風土記一云、懷妊婦人佩二其花一生レ男也、則知萓 宜男俗字、然則玉篇萓字、可レ充二和須禮久佐一、上文所レ載菅茅、乃可三以充二加夜一也、〈◯中略〉按古事記云、訓二葺草一云二加夜一、則知古書訓レ草爲二加夜一者、謂二覆レ屋料草一、菅芒蘆荻之類皆是、而茅爲二葺屋料之最佳者一、故專二加夜之名一、
p.0913 萓〈音宜 カヤ〉
p.0914 茆(カヤ)
p.0914 地筋(カヤ)〈本草白茅類而小異也〉 萱(同)〈順和名〉
p.0914 菅スゲ 茅チ 萱カヤ〈◯中略〉 チといひカヤといふ義不レ詳、萱の字の如きも、倭名鈔に廣益玉篇を引て、草名也と註したれど、正しくカヤといふべき義とも見えず、此字また他書に見る所もなし、日本紀に草祖草野姫としるされしは、舊事紀古事記に、鹿屋野姫と見えし所にして、並に讀てカヤノヒメといふなり、さらば古の時にカヤと云ひしは、凡そ草を總言ひし言葉とこそ見えたれ、また彦波瀲武の御名の如きも、舊事紀日本紀には鸕鶿草讀てウカヤといふ、古事記には鵜葺草としるして、葺草二字を引合せて、讀てカヤといふと註せり、万葉集の如きも、又刈草の字讀てカルカヤとは云ひけり、
p.0914 加夜は、此卷末に、以二鵜羽一爲二葺草一とありて、訓二葺草一云二加夜一と註せるぞ本義にて、何にもあれ、屋葺む料の草を云名なり、〈◯中略〉芽(カヤ)と云一種あるも、屋ふくに主と用る故の名なり、
p.0914 相聞可波加美能(カハカミノ)、禰自路(ネジロ)多可我夜(タカガヤ/○○○○)、安也爾安夜爾(アヤニアヤニ)、左宿左寢氐許曾(サネサネテコソ)、己登爾氐爾思可(コトニデニシカ)、
p.0914 刈萓(○○)〈カルカヤ〉
p.0914 刈萓(カルカヤ)
p.0914 苅萱(カルカヤ)〈和名〉
p.0914 かるかや 苅萓の義、萬葉集にも刈草と見えたり、秋にかりとりたるをいふ、かるかやの關もしか也、〈◯中略〉後世一種のかるかやといふ草あり、雀麥(○○)也といへり、夫木集に、かち人のゆきヽの岡のかるかやは折ふすかたや道となるらん
p.0914 かるかやの みだれ 古今集、まめなれど、何ぞはよけく、かるかやの、亂れてあれど、あしけくもなし、實法めきたる人も、必よき事のみにはあらず、我おこなひの亂りざまなるも、はたあしきむくひのきたるのみにあらずと也、かるかやはみだれざまになる物也、今は一種の草の名にて、茅の類の、長だち二尺ばかりに、秋は葉も穗も共にもみぢする物也、古歌によみしは是にあらず、なべての草のおひたけ立たるを苅て、假初のいほりに取ふく名、神代紀に、野の神を茅野姫と申も、草といはぬは、家にとりふく用を、專らたとむ故也、そのかみは旅ゆきして、野山に夜ごとやどりをつくりてふせりし、それを行廬と云、萬葉集に、秋のたに眞草刈ふきやどれりし、宇治の都の、かりほしおもほゆ、又、我夫子は、かりほつくらす、かやなくば、小松がもとの、かやをからさね、又、拾遺集にもいにしへにならへる歌、旅人のかや刈おほひ作るてふまろやは人をおもひわするヽ〈丸屋を我をまろと云にかけたり〉是等は荒草なるを、假そめの屋をふくとて刈を、刈かやと云也、〈かやはかりやのつヾめ言也〉又坂上是則の集に、霜枯のあさぢがもとのかるかやの亂て物を思ふ比かな、壬生忠岑の集に、咲花のはかなかるかやにほひつヽ人の心をあだになすらん、是等は今の草の名なるべし、又源順のせんざいの歌合せに、ゆく秋の凡そみだるヽかるかやはしめゆふ露もとまらざりけり、右の方の歌、うつし植ばつかのまもなくかるかやの三千代の數をかぞふばかりぞ、此判の詞に、此かるかやは、たヾのぶが三千代のかずといへるわたり、秋のヽにかるかやにはあらで、春の野に咲けん物の花なん思ひ出らるると有て、言の葉の、こはく見ゆれどすまひ草露にはうつるものにざりけるといへるは、何の草にや、詞あきらかならねば、知がたし、
p.0915 苅萓 かるかや たヾかやともいふ たかヽや〈万〉 を さねかや ねしろたかかやとも
p.0915 題しらず よみ人しらず まめなれどなにぞはよけくかるかやの亂てあれどあしけくもなし
p.0916 かるかや 忠岑しら露のかヽるかやがてきえざらば草葉ぞ玉のくしげならまし
p.0916 草の花は かるかや
p.0916 かるかや我駒はしばしとかるかやましろのこはだの里に有とこたへよ
p.0916 三角入道謀叛事城ノ後ナル自二深山一、匐々忍寄テ、薄苅萱篠竹ナンドヲ切テ、鎧ノサネ頭冑ノ鉢付ノ板ニヒシト差テ、探竿影草ニ身ヲ隱シ、鼔ガ崎ノ切岸ノ下、岩尾ノ陰ニゾ臥タリケル、
p.0916 刈萱 正字未レ詳 俗云加留加也按、此草生二山原一、高二三尺、細莖細葉、毎五葉兩兩對生、八月抽レ莖開二細花一、状如二景夫草及胡蘿蔔花一、而粒粒青色、旣開則正黄、是亦可レ謂レ如二蒸粟一乎、隨結レ子、一云刈萱者芒之類也、秋出レ穗、
p.0916 刈萓(かるかや) 燕麥(○○)、穗七月初、方日向、地一分濕、土えらばず、肥淡小べん、移分株ともに春彼岸よし、
p.0916 黄茅(○○) 根名二地筋一 菅根 土筋 〈俗云加也(○○)◯中略〉按黄茅其根細纖而如二絲瓜筋及萆薢鬚一、束レ之可二以磨 物、呼名二宇豆久利(○○○○)一、出二於藝州廣島一、櫛挽家用レ之以琢レ櫛、
p.0916 白茅集解弘景曰、詩云、露二彼菅茅一、コノ詩ニ詠ズルハ菅ト茅ト二物ナリ、弘景引テ一物トスルモノハ誤 ナリ、時珍曰、菅茅(○○)ハカヤナリ、山中ニ生ズ、スヽキニ似テ大ナリ、菅ノ字ヲスゲト訓ズルハ非ナリ、カサスゲ(○○○○)ハ薹ナリ、ミノスゲ(○○○○)ハ蓑衣草〈通雅〉ナリ、黄茅(○○)ハアブラガヤ、アブラシバ、メガヤ、アイバサウ、〈勢州〉カヤニ似テ葉狹クシテ厚ク光アリ、莖ノ末ニ花叢垂シテ蜀黍ノ穗ノ如ニシテ黄褐色、又穗ニ油ノ香アリ、故ニアブラガヤト云フ、八月ニ花アリ、即穀部ノ蒯草ナリ、香茅(○○)ハ未ダ詳ナラズ、古ヘ三角スゲノ説アレドモ穩ナラズ、芭茅(○○)ハスヽキ次ニ本條アリ、荻(○)ハオギナリ、莖中實ス、花葉トモニ芒ニ似テ大ナリ、三脊茅(○○○)ハ香茅ナリ、屋敗茅ハヤネニフキタルフキチガヤナリ、四角茅ハ屋上ノヨスミノチガヤナリ、
p.0917 茅根 一名蕑根、〈仁諝音菅〉一名茄根、〈楊玄操音加〉一名地菅、一名地䈥、一名兼杜、一名白茅、〈出二陶景注一〉一名白華、一名藗杜、〈音速〉一名三稜、一名野菅、一名兼根、一名地根、〈已上六名出二兼名苑一〉一名白羽草、〈出二大清經一〉一名地煎、〈出二雜要訣一〉和名知乃禰(○○○)、
p.0917 菅也、〈按統言則茅、菅是一析言、則菅與レ茅殊、許菅茅互訓、此從二統言一也、陸璣曰、菅似レ茅而滑澤無レ毛、根〈下當作上〉五寸、中有二白粉一者、柔 宜レ爲二索漚一、乃尤善矣、此析言也、〉从草矛聲、〈莫交切、古音在二三部一、〉可二縮酒爲 藉、〈各本無二此五字一、依二韵會一所二引補一、縮酒見二左傳一、爲レ藉見二周易一、此與㆜葰以二以香口一蒻可㆛以爲㆚苹席㆛一例、〉
p.0917 茅 大清經云、茅一名白羽草、〈茅音莫交(/○○)反、和名智、〉
p.0917 白茅(チカヤ/○○)〈根名二茄根地筋一〉 茅針(ツハナ/○○)〈初生苗也〉 荑〈同上、見二于詩經一、〉
p.0917 茨(チカヤ)
p.0917 茅草(チクサ/○○)
p.0917 (ツバナ)
p.0917 茅(チガヤ)〈正曰二白茅一、時珍云、夏花者爲レ茅、秋花者爲レ菅、〉白羽草(同)〈順和名〉䔑(チガヤノホ)〈字 茅穗也〉 茅針(ツバナ/チバナ)〈匀會、茅苗出レ地曰二茅針一、〉荑(同)〈毛詩註、茅之始生曰レ荑、〉茅花(同)〈万葉〉秀茅(同)〈匀會、茅花也、〉
p.0917 菅スゲ 茅チ 萓カヤ〈◯中略〉 チといひカヤといふ義未レ詳、〈◯中略〉古の時にチと云ひしもの、即今俗にチガヤといひ、またチバナとも、ツバナともいひて、万葉集に茅花としるせしは、彼 にして茅針といふもの即是也、〈或人の説に茅をチといふは、其赤色なるが血の如くなるが故也といふなり、彦五瀬命御手の血をあらひ給ひし海を、血沼(チヌ)といふ、後に茅渟海(チヌウミ)といふ是也、また神武天皇の兄宇迦斯を斬給ひし地を、宇陀之血原といふとも見えしは、後に淺茅原などいふ事の如くにも聞えぬれば、かた〳〵其謂あるに似たれども、血と茅とチとよぶ所の同じければ、血といふ名を嫌ひて、後に茅の字を用ひしも知るべからず、血によりて茅の名ありといふ事、其徴とすべき事は見えず、またカヤといふ事は、刈りて屋を葺く草なるをいふ也ともいふなり、古事記に葺草の字をカヤと讀み、万葉集に刈草をカルカヤと讀む事も見えたれば、これも其謂あるに似たれど、草祖をカヤノヒメと云ひしと見えし如きは、草といふ者の初て生じたらむ時に、既にそれを刈りて、屋葺く料となすべきをもて、カヤといふの神名あるべしとも思はれず、〉
p.0918 ち〈◯中略〉 茅をよむも神代紀にみえ、倭名抄同じ、千の義多くあつまり生ずるをいふ成べし、
p.0918 茅花(ツバナ/○○) ちはな也、つとちと通ず、ちはちがや也、ちがやとは血のいろの如く赤きゆへ也、かやとはかりてやねをふくなり、又つばなを尾花とも云、けだものヽ尾の如し、
p.0918 紀女郞贈二大伴宿禰家持一歌二首戲奴(ワケ)〈變云和氣〉之爲(ガタメ)、吾手母須麻爾(ワガテモスマニ)、春野爾(ハルノヌニ)、拔流(ヌケル)茅花(ツバナ/○○)曾(ゾ)、御食而肥座(メシテコエマセ)、〈◯一首略〉右折二攀合歡花并茅花一贈也大伴家持贈和歌二首吾君爾(ワガキミニ)、戲奴者戀良思(ワケハコフラシ)、給有(タマヒタル)、茅花乎雖喫(ツバナヲクヘド)、彌痩爾夜須(イヤヤセニヤス)、〈◯一首略〉
p.0918 茅花をゐなかの童部はつみて食ふ、古へは是をくへば肥とて大人もくひたり、万葉〈八〉紀の女郞が家持と贈答に、〈◯中略〉本草にも益小兒といへり、〈◯註略〉五元集、やせたうてつばなも食はぬ花盛、と付句あり、
p.0918 草はつばないとをかし、はまちの葉はましておかし、〈◯中略〉あさぢ、
p.0918 怕物歌三首 天爾有哉(アメナルヤ)、神樂良能小野爾(サヽラノヲヌニ)、茅草苅(チカヤカリ)、草苅婆可爾(カヤカリバカニ)、鶉乎立毛(ウヅラヲタツモ)、〈◯二首略〉
p.0919 茅根 甘寒補レ中益レ氣、除二 血血閉寒熱一、利尿下レ淋、止レ渇堅レ筋久服利レ人、茅針主二惡瘡未 潰、煮服、〈益二小兒一可レ噉〉 〈生按傅二金瘡一止レ血、煮服主二鼻衂暴下血一、〉
p.0919 茅花芽〈俗訓二津波奈一〉釋名〈必大(平野)按本邦以レ茅訓レ知、知兼レ津同音通用、故稱二津波奈一歟、本邦自レ古倭語俗語此類多矣、〉集解、茅原野毎多有而民間葺屋者也、春初生レ芽即茅針也、二三月含レ花時、紅青交レ色、葉中含二碧白之絮一、兒女采レ之稱二津波奈一而噉レ之、或和レ鹽揉合而食レ之、其味甘脆、三四月開二白花一、如二白毛敗筆一而結二細子一、其根甚長白如レ筋軟脆、味甘、此亦兒女之弄也、花及根倶入レ藥用、凡茅類有二數品一、然所レ用者惟一種爾、茅花氣味甘温無レ毒、主治、止二吐血衂血一並塞レ鼻而止、又傅二灸瘡一、或止二金瘡之血及痛一、 茅根氣味甘寒無レ毒、主治、伏熱療二諸血噦逆喘急消渇黄疸水腫一、餘詳二于綱目一、
p.0919 白茅(○○) 根名二茹根一 蘭根 地筋 茅〈和名智、花曰二豆波奈一、豆與レ智通、◯中略〉按茅生二原野堤塘一、春月兒女拔二茅針一爲二野遊一、
p.0919 白茅 チ(○)〈和名鈔〉 ハクウサウ(○○○○○)〈同上〉 チガヤ(○○○) ヲモヒグサ(○○○○○)〈古歌〉 アサ(○○)ヂ ミチノシバグサ(○○○○○○○)〈共ニ同上〉 ツンバネ(○○○○)〈播州〉 カニスカシ(○○○○○)〈同上〉 ツバ(○○)〈作州〉 ツバウバナ(○○○○○)〈防州〉一名過山龍〈本草蒙筌〉 茅草〈訓蒙字會〉 茅柴〈品字箋〉 藗 秀茅〈共同上花名〉 苦菜〈通雅同上〉 兼杜〈證類本草根ノ名〉 増一名秋茅〈品字箋〉隨地皆アリ、葉ハ稻葉ノ如ニシテ薄ク、長サ一尺或三四尺許叢生ス、春新苗出ル時、葉中ニ花ヲ包ミ、細筍ノ形ノ如シ、コレヲ茅針ト云、一名茅荀、〈醤學入門〉茅椻、〈通雅〉荑、 、 〈共ニ同上〉共ニツバナト呼ブ、チバナナリ、今ノ人草ノ名ヲツバナト呼ブハ誤ナリ、小兒茅荀ヲ採リ、嫰穗ヲ出シテ食フ、集解ニモ小兒ニ益スト云、夏ニナレバ穗長出テ、狗尾草(ヱノコログサ)ノ穗ヨリ長ク、白キ絮アリ、此絮ヲ取テ焰焇ヲ加ヘ、 煮テ赤ク染テホクチトス、又燒酒ニテ煮製スルモアリ、
p.0920 茅香、〈宋開寶〉異名嗢尸羅、〈金光明經〉香麻、
p.0920 茅香 カウバウ(○○○○)〈江戸〉 一名綿子檀〈輟耕録〉漢渡ナシ、武州原野處處ニ自生アリ、葉ハ白茅(ツバナノ)葉ノ如ニシテ白色ヲ帶ブ、夏月穗ヲ出ス、スヾメノカタビラノ穗ニ似タリ、根ハ白色細長ク、茅根ノ如ク土中ニ繁延ス、根葉共ニ香氣多シ、葉ハ秋後ニ枯ル、
p.0920 薄 爾雅云、草聚生曰レ薄、〈新撰萬葉集和歌云、花薄波奈須須木(○○○○○)、今案即厚薄之薄字也、見二玉篇一、〉辨色立成云、芊〈和名上同、今案芊音千、草盛也、見二唐韻一、〉
p.0920 所レ引文、原書無レ載、按廣雅釋草云、草藂生爲レ薄、則爾雅當レ作二廣雅一、蓋傳寫之誤、文選注三引二廣雅一作レ曰レ薄、與二此所 引正合、則知源君襲二李善之誤一也、〈◯中略〉按古謂二草叢生者一爲二須須歧一、非二一草之名一、須痩清之義、洲訓レ須、謂レ無二汚泥一也、酢酒訓レ須、謂二其味之清一也、訓レ澄爲二須牟一、活二用是語一、直訓二須具一、進訓二須須牟一、皆同語、草叢生者其莖必細痩無レ枝、故云レ須、叢生故疊言云二須須一、歧謂レ草也、則知須須歧、是草叢生之名、赤染衞門集小序、謂二瞿麥叢生者一、云二奈天之古乃須須歧爾奈利多留一是也、故訓二薄芊字一、皆爲二須須歧一、又有下一種名二須須歧一之草上、其抽レ穗之状頗似二蘆荻一、故神功紀仁徳紀、用二荻字一爲二須須歧一、孝徳紀用二蘆字一爲二須須歧一、謂二其開レ花者一爲二波奈須須歧一、而花穗茸茸似二獸尾一、故呼二乎波奈一、抽レ莖放レ花、状似レ樹二旌旗一、故或謂二之波多須須歧一、花出二於苞一、未三全發二其色紫赤一、故謂二之萬曾保乃須須歧一、萬曾保眞 之義、蓋是草叢生過二于他草一、故專二須須歧之名一、猶二之乃輭條之總稱一、所レ謂之乃須須歧、葦乃之乃屋、皆是、而以二篠竹軟靡一專二是名一類也、如二新撰萬葉集一以レ薄爲二是草名一者、訓同二假借一耳、源君以二薄芊字一爲二即是草名一、非レ是、按釋草、莣杜榮、郭曰、今莣草似レ茅、皮可三以爲二繩索履屩一也、陳藏器曰、石芒生二高山一、如レ芒節短、江西人呼爲二折草一、六月七月生レ穗如レ荻也、李時珍曰、芒有二二種一、皆叢生、葉皆如レ茅而大、長四五尺、甚 快利、傷レ人如二鋒 一、七月抽二長莖一、開二白花一成レ穗如二蘆葦花一者芒也、五月抽二短莖一、開レ花如レ芒者石芒也、並於二花將レ放時一、剥二其籜皮一、可三以爲二繩箔草履諸物一、其莖穗可レ爲二掃帚一也、是芒可レ訓二須須歧一、石芒可レ訓二伊登須須歧一也、
p.0921 薄(スヽキ)〈韻府曰、木曰レ林、草曰レ薄、故云レ叢、〉
p.0921 芒(スヽキ)〈時珍云、葉如レ茅而長四五尺、甚快利、傷レ人如二鋒 一、〉芭茅(同)〈又云芭芒〉杜榮(同)〈並出二本草一〉薄(同)〈楚辭註、草木交曰レ薄、今按本朝俗所レ用據二順和名一、〉芒花(スヽキノハナ)
p.0921 薄スヽキ 倭名鈔に、爾雅には草の聚生を薄と云ふ、萬葉集の歌に、花薄の字よむでハナスヽキといふと註せり、其註せし所の如き、薄の字スヽキと讀む事、然るべしと思へりとも見えねど、また正しくいづれの字を用ゆべしといふ事も見えず、陳藏器李東璧等の本草に據るに、芒は爾雅に莣に作ると見えしは、此にしてスヽキといふ者也、一種莖の短きを石芒といふと見えしは、此にシノスヽキなど云ひし物に類して、其穗に出でぬるをば、ハナスヽキと云ひ、其花をばヲバナといふなり、スヽキとはヲギといふ名に對し云ふなり、スヽとは猶サヽと云ふが如し、其細くして細きをいふなり、キは其葉の人を傷ふ事、鋒 の如くなるをいふなり、ヲバナとは萬葉集に、麻花としるせり、絲などの亂れたるやうになるをいふと、舊説には見えたり、藻鹽草にススといひ、ササといふ、其語の轉ぜしにて、其義は同じ、たとへば雀をスヾメといひ、鵻鷯をサヽキといふ、共にこれ其小鳥なるをいふが如し、萬葉集抄にミクサとはスヽキなり、眞草の義にてミクサといふべし、此集義讀の中、草花とかきてヲバナとよむ、是スヽキは眞の草なるなり、萬木千草多かりといへども、神祇を祝ひかざり祭るに、榊をミサカキといひ、スヽキをミクサといふべし、天照大神天磐戸にこもり給ひし時、野槌者採二五百箇野薦八十五籤一と云云、これに因りて信濃諏訪明神のみさやまのかりやに、 花スヽキを取りて、ミヌサを奉るといふ是也と見えけり、日本紀には野薦の字スヾとよむを、纂疏には薦は小竹之名と註せられたり、万葉集抄の説によれば、スヽは、スヽキ也、纂疏之説に依れば、スヾといふは猶小竹よむでサヽといふが如し、いづれか是なる事を知らず、
p.0922 すヽきすヽきとは、あつまり生しげりたる草をいひし事にて、和名抄にも草聚生曰レ薄といへり、又日本書紀神功皇后の卷に、幡荻穗出吾也(ハタスヽキホニイデシワレヤ)、孝徳天皇の卷に、三河大伴直蘆(スヽキ)とありて、荻蘆のもじを、ともにすヽきとよめるも、あつまり生るゆゑにこそ、さて乎花はものよりことにあつまり生しげれば、中むかしよりはおのづからに、此草の亦の名のごとくなれるなるべし、
p.0922 薄 をばな はな しの むら いと 一むら 一もと はた〈万〉 いとすヽき〈俊頼難之〉 しのヽを薄 さきのをすくろと云は、春やけたる也、すくろのすヽき同事也、しのすヽきはたヾ薄の名也、ほにいでぬと云正説也、 しの薄ほにいづといへる歌多、但ほにいでぬる、ほにいづるといふに同事也、 又源氏にも、あきのすゑにほにいづといへり、 又源氏にほに出ぬもの思らししの薄 後撰にすヽきをみならぬといへり 同集、棟梁、はなすヽきそよともすればといへり、 源氏にをばなの物よりことにてをさしいでヽまねくと云り、 おほかたまねくとは、ほにいでヽまねくそでににたる也、
p.0922 額田王歌 未レ詳金野乃(アキノヌノ)、美草(ミクサ/○○)苅葺(カリフキ)、屋杼禮里之(ヤドレリシ)、兎道乃宮子能(ウヂノミヤコノ)、借五百磯所念(カリイホシオモホユ)、
p.0922 みくさとはすヽきなり、此歌點にも、或はおばなかりふきとも、或はみくさかりふきとも點レ之、此歌にはみくさと點せる殊宜也、みくさといふは、もろ〳〵の草の中に、たかくおおしき草なるがゆへに、眞草(まくさ)の義にて、みくさと云べし、難云、たかくおヽしきによらば、萩葦等 又これあり、何ぞかれをみくさと不レ云乎、答云、たとひ其義もありぬべくとも、古賢者殊秋のはなすヽきを賞せり、故柿本朝臣人麿歌云、人みなははぎを秋といふいなわれはおばなが末を秋とはいはむ云云、又諸草おほしといへども、此集のうたの義讀の中に、草花とかきておばなとよむ、これすヽきまことのくさなる故也、
p.0923 九年〈◯仲哀〉三月壬申朔、皇后選二吉日一入二齋宮一、親爲二神主一、〈◯中略〉亦問之、除二是神一有レ神乎、答曰、幡荻(ハタスヽキ/○○)穗出吾(ホニイデシアレ)也、於二尾田吾田節之淡郡一所レ居之有也、
p.0923 寄レ花吾妹兒爾(ワギモコニ)、相坂山之(アフサカヤマノ)、皮爲酢寸(ハタススキ/○○○○)、穗庭開不出(ホニハサキデズ)、戀渡鴨(コヒワタルカモ)、
p.0923 はたすヽきはたすヽきてふは、奈良人となりては、さま〴〵に意得しにや、うたがはしき事多し、されどまづ紀に幡荻、万葉卷一に、〈人麻呂〉旗須爲寸(ハタズヽキ)、四能乎押靡(シノヲオシナミ)など書たるによらば、秋野の中にすヽきは物より高く顯れて、葉も長くてはヾ有なれば、幡すヽきと云ならむ、
p.0923 詠レ草妹所等(イモガリト)、我通路(ワガカヨヒヂノ)、細竹爲酢寸(シヌススキ/○○○○○)、我通(ワレシカヨハバ)、靡細竹原(ナビケシヌハラ)、
p.0923 しのすヽきとは、ほにいでぬすヽきをいふ、しのと云はしのぶと云詞也、
p.0923 すぐろのすヽき(○○○○○○○)あはづ野のすぐろのすヽきつのくめばふゆたちなづむ駒ぞいはゆる顯昭云、すぐろのすヽきとは、春のやけのヽすヽきのすゑのくろき也、ゑもじを略してすぐろといへる也、〈◯下略〉
p.0923 ほやのすヽき(○○○○○○) しなのなるほやのすヽきも風ふけばそよ〳〵さこそいはまほしけれ顯昭云、ほやのといふ所しなのヽ國に有、その所にあるすヽき也、或書にはちゐさやかなるすヽきなりとかきたれど、それはいかヾとおぼゆ、
p.0924 一雨の降ける日、或人のもとに、おもふどちさしあつまりて、ふるき事などかたり出たりけるついでに、ますほのすヽき(○○○○○○○)といふは、いかなるすヽきぞなどいひしろふ程に、ある老人のいはく、わたのべといふ所にこそ、このことしりたるひじりひとりあるときヽ侍しかども、いまだ尋きかずといひ出たりけり、登 法師その中にありてこの事をきヽ、詞ずくなになりて、又とふこともなく、あるじにいふ様、みのかさちとかしたまへといひければ、あやしと思ひながらとりいでたり、物がたりどもきヽさして、みのうちきわらぐつさしはきて、いそぎ出けるを、人々あやしがりて、そのいはれをとふ、わたのべといふ所へまかるなり、年比いぶかしく思ひ給へしことを、しれる人ありと聞て、いかでか尋ねにまからむといふ、おどろきながら、さるにても雨やめて出たまへといさめけれど、いでやはかなきことをのたまふかな、命は我も人も雨のはれまなど待べき物か、なにごとも今しづかにとばかりいひすてヽいにけり、いみじかりけるすき物かな、さてほいのごとく此所へゆき、たづねあはせて、とひきヽて、いみじう秘藏しけり、このこと第三代の弟子につたへならひ侍ける、此薄のこと同じさまにてあまた侍也、ますほの薄まそをのすヽきますうの薄とて三品あり、ますほのすヽきといふは、ほのながくて一尺ばかりあるをいふ、かのますかヾみをば、万葉集には十寸鏡とかけるにて心うべし、まそをのすヽき(○○○○○○○)といふは、眞麻の心也、俊頼朝臣よみ侍る、まそをの絲をくりかけてと侍るとよ、絲などのみだれたるやうなり、ますうのすヽき(○○○○○○○)とは、まことにすはうなりといふ心なり、ますはうのすヽきといふべきを、ことばを略していふなり、色ふかき薄の名なるべし、是古集などにたしかにみえたることはな けれど、和歌のならひ、かやうのふることを用ひるも、又よのつねの事也、人あまねくしらず、みだりに是をとくべからず、
p.0925 芒(スヽキ/カヤ) 時珍曰、芒有二二種一、皆叢生、葉皆如レ茅而大、長四五尺甚快利、傷レ人如二鋒 一、七月抽二長莖一、開二白花一成レ穗、如二蘆葦花一者芒也、五月抽二短莖一開レ花、如レ芒者石芒也、今案本邦ニ所レ在モ、亦時珍ガイへル如ク長短二種アリ、短〈キ〉者〈ハ〉カヤト云、山野ニ遍ク生ズ、薪トシ屋ヲフク者是也、長キ者ヲスヽキト云、莖紅ナリ、秋花アリ、ウヘテ藩籬トシ、キリテ箔(スダレ)トシ、壁代トシ、箸トシ、其莖穗ハ帚トス、長短並ニ甚民用ニ利アル事、五穀麻棉ニツゲリ、屋上ノカヤフキノフルキト、カヤスダレノフルキモ、皆功能アリ、スヽキニモ亦類多シ、鷹ノ羽スヽキ(○○○○○○)、葉ニ白文アリ、鷹ノ羽ノ文ノゴトシ、トキハスヽキ(○○○○○○)アリ、冬ニ至テ葉不レ枯、歌ニ尾花トヨメルハ、秋ノ末スヽキノ穗ニ出タル、獸ノ尾ニ似タルヲ云、シノスヽキ(○○○○○)トハ、シノヽ如ナルヲ云、ハタスヽキ(○○○○○)トハ旗ヲアゲタルヤウニ穗ニ出タル也、ホヤノススキトハ、スヽキノ穗ニテ作タル屋ナリ、十寸穗(マスホ)ノスヽキトハ、穗ノ長クシテ一尺バカリナルヲ云、マスウノスヽキトハ、眞蘇方ノスヽキヲ略セリ、色赤キヲ云、糸スヽキハ、葉細ニシテ糸ノ如クナルヲ云、右何レモ歌ニ詠ゼリ、
p.0925 芒〈莣同〉 芭茅 杜榮 芭茅 〈俗云二尾花一、又云二須々木一、俗作二薄字一、◯中略〉石芒〈一名折草〉 生二高山一如レ芒而節短、五月抽二短莖一、開レ花亦如二芒花一、按莣〈俗用二薄字一〉其花作レ穗而翻翻似二物之尾一、故俗呼名二尾花一、順和名抄引二爾雅一云、草聚生曰レ薄、〈新撰萬葉集和歌云、花薄稱二波奈須須木一、〉此草以二數莖叢生一、竟以レ薄爲二此草名一、鬼莣(ヲニスヽキ/○○)〈一名常盤芒〉 葉濶二於常一、夏冬不レ凋、快利傷二人手一者也、綅莣〈之末須須木〉 葉有二縱白文一、如二綅織一者也、鷹羽芒〈太加乃波〉 葉有二白彪一、如二鷹羽一者也、 十寸穗芒〈末須保、或云末曾保、〉 登 法師問二二名何是一也
p.0926 芒 スヽキ(○○○) ミダレグサ(○○○○○)〈古名〉 ソデナミグサ(○○○○○○)〈同上〉 ツユソグサ(○○○○○)〈同上〉 ツキナミグサ(○○○○○○)〈同上〉 ミクサ(○○○)〈同上〉 テキリガヤ(○○○○○)〈阿州〉秋ニ至テ花アリ、和歌ニヲバナトヨメリ、獸ノ尾ニ似タルガ故ナリ、又アコメノハナト云、シマススキハ、葉ニ白キタテ筋アルヲ云、烏木(コクタン)ノ嫰キハ竪ニ白キ筋アリ、コレヲ間道烏木ト云、又葉ニ白キ筋アル紫蕚ヲ間道玉簪ト云、其例ニ傚テ間道芒(○○○)ト名クベシ、又一種一本スヽキ(○○○○○)ハ、鐵蕉(ソテツ)ノ如クカブ高ク立テ、其上ニ葉ヲ叢生ス、漢名未ダ詳ナラズ、トラフスヽキ(○○○○○○)ハ、葉ニ虎斑アルヲ云、鷹ノ羽スヽキハ、斜ニ黄ナル斑アリテ、鷹羽紋ノ如シ、瓶花ニ多ク用ユ、歌ニ十寸穗ノ芒ト云ハ、穗ノ長クシテ一尺許アルヲ云、マスウノスヽキト云ハ、眞蘇方(マスホ)ノスヽキヲ略スルナリ、色赤キヲ云、以上二名大和本草ニ見タリ、又在原スヽキ(○○○○○)ハ四季トモニ枯レズ、葉大ナリ、歌ニトキハスヽキト云フ、集解石芒(○○)ハイトスヽキ、小スヽキナリ、五月ニ花ヲ開ク、形状芒ニ同ジクシテ小ナリ、掃帚ハハハキ、敗芒箔ハフルキスヽキノスダレ、増、一種冬月葉ノ枯レザル者アリ、カンスヽキ(○○○○○)ト云、コレニモ竪ニ白キ筋ノ入タルアリ、シマカンスヽキト云、又葉邊ノミ白キモノヲカゲカンスヽキト云、至テ細キモノヲイトカンスヽキト云、共ニ正月ニ穗ヲ生ズ、
p.0926 薄 芽は春彼岸後より生ず、穗八月上旬に出るなり、穗葉共に用ふべし、郊野に生ずる物なり、よて育方はいはず、糸薄 葉至て細く縱斑あり、穗八月上旬なり、穗葉ともに用ふ、性質薄に同じ、
p.0926 一上總の内に山の根と云處あり、是諸星庄兵衞といふ人の御代官所也、是に池有、池の堤より水中へ六尺計有て、一本薄とて廿七本生ず、小さきは廻り壹尺餘、大は壹尺四寸廻り も可レ有レ之歟、根本三尺餘も蘇鐵の如く、夫より末に薄一本には、常の薄の如く數百本生ず、廿七本共に如レ此、一本に千本宛も生ると、古來よりの説也、穗の出る事も野に有と同事也、往古より人さわる事ならず、
p.0927 大同三年九月戊戌、幸二神泉苑一、有レ勅、令三從五位下平群朝臣賀是麻呂作二和歌一曰、伊賀爾布久、賀是爾阿禮波可、於保志万乃、乎波奈(○○○)能須惠乎、布岐牟須悲太留、皇帝〈◯平城〉歡悦授二從五位上一、
p.0927 故式部卿の宮のいではのごに、まヽちヽの少將すみけるを、はなれてのち、女すヽき(○○○)にふみをつけてやりたりければ、少將、秋風になびくをばなは昔見し袂ににてぞ戀しかりける、いではのごかへし、袂ともしのばざらまし秋風をなびく尾花のおどろかさずば
p.0927 題しらず 平貞文今よりはうゑてだに見じ花薄(○○)ほにいづる秋はわびしかりけり 寛平御時きさいの宮の歌合のうた ありはらのむねやな秋の野の草のたもとか花すヽきほに出てまねく袖とみゆらん
p.0927 かれ〴〵なる前栽の中に、おばなのものよりことに、手をさし出てまねくがおかしうみゆるに、またほに出さしたるも、露をつらぬきとむる玉のを、はかなげにうちなびきなど、例のことなれど、夕風なほあはれなりかし、
p.0927 草の花はこれにすヽきをいれぬ、いとあやしと人いふめり、秋の野のおしなべたるをかしさは、すヽきにこそあれ、ほさきのすはうにいとこきが、朝ぎりにぬれてうちなびきたるは、さばかりの物やはある、秋のはてぞいと見どころなき、色々にみだれ咲たりし花の、かたもなくちりたるのち、冬の すゑまでかしらいとしろく、おほどれたるをもしらで、むかしおもひ出がほになびきて、かひろぎたてる人にこそいみじうにためれ、よそふる事ありて、それをしもこそあはれともおもふべけれ、
p.0928 小々妻(○○○)山がつのむすびてかづくさヽめこそ衣のせきと雨もとをさね、月清みあけの野はらの白露にさヽめ分くる衣さぬれぬ、ますらをのみのにさヽむと澤に生るさヽめかるにも袖はぬれけり、
p.0928 小々妻(サヽメ) 藻鹽草ニアリ、山野ニ生ズ、賤民ハサヽミノト云、蓑ニ結ブ草也、茅ノ類(○○○)ナリ、長シ、又賤民編レ之爲レ筵、カヤムシロト云、
p.0928 蔣〈即郞反、又去、姓苽蔣草、己毛(○○)、〉
p.0928 菰根一名蔣、〈出二兼名苑一〉和名古毛乃禰、
p.0928 菰〈菰首附〉 本草云、菰一名蔣、〈上音孤、下音將、和名古毛、〉辨色立成云、茭草、〈茭音穀肴反、一云菰蔣草、〉七卷食經云、菰首味甘冷、〈和名古毛布豆呂、一云古毛豆乃、〉
p.0928 千金翼方證類本草下品有二菰根一、不レ載二一名一、本草和名云、菰根一名蔣出二兼名苑一、疑源君誤引レ之、廣雅云、菰蔣也、菰正作レ苽、説文云、苽雕苽、一名蔣、是兼名苑所レ本、蜀本圖經云、生二水中一、葉似二蔗荻一、圖經、葉如二蒲葦輩一、衍義菰根蒲類、花如レ葦、結二青子一、細若二青麻黄一長幾寸、〈◯中略〉本草和名云、菰根和名古毛乃禰、源君纂二節根字一、故單訓二古毛一也、王念孫曰、依二説文、周禮膳夫食醫注、内則注、楚辭大招注一、菰即蔣草之米、後以レ菰爲二大名一耳、高誘注淮南原道訓天文訓、西京雜記、上林賦、子虚賦注、皆以二菰蔣一爲二大名一、雕苽爲二米名一、〈◯中略〉證類本草云、菰根、別本注云、菰蔣草也、江南人呼爲二茭草一、辨色立成似レ本二於此一、圖經云、其苗有二莖梗一者謂二之菰蔣草一、時珍云、茭以二其根交結一也、蔣義未レ詳、〈◯中略〉所レ引七卷食經與二醫心方引一同、蜀本圖經云、三年已上、心中生レ臺、如二藕白一軟、中有二黒脉一堪レ食、名二菰首一也、陳藏器曰、菰首、 生二菰蔣草心一、至レ秋如二小兒臂一、故云二菰首一、〈依二蘇頌一當レ作レ手〉煮食レ之甘冷、圖經曰、其歳久者中心生二白臺一、如二小兒臂一、謂二之菰手一、今人作二菰首一非レ是、爾雅所レ謂 蔬、注云、似二土菌一、生二菰草中一正謂レ此也、〈◯中略〉本草和名、茭鬱、和名古毛都布良、都布良、不豆路必有二一誤一、按菰首與二茭鬱一不レ同、詳見下此恐誤、按本草和名、本草外藥載二新撰食經一云、茭弱、和名古毛乃古、茭鬱、和名古毛都布良、按鄭注二輪人一云、今人謂下蒲本在二水中一者上爲レ弱、然則茭弱謂下茭本在二水中一者上、按蜀本圖經曰、春亦生レ笋甜美堪レ噉、即菰菜也、又謂二之茭白一、食經茭蒻、蓋是訓二古毛乃古一爲レ允、陳藏器説二菰首一云、又有二一種小者一、臂肉如レ墨名二烏鬱一、蘇頌説二菰首一云、其臺有レ墨者謂二之茭鬱一、程瑤田九穀考云、菰首嫰則脆滑中實、老則心虚有二直理一、游泥漬入乃生二黒脉一、謂二之烏鬱一亦曰二茭鬱一、王念孫云、菰之可レ食者、小曰二菰菜一、蘇頌本草圖經所レ云茭白是也、大曰二菰首一、爾雅所レ云出隧 蔬、西京雜記緑節、是也、二者皆可レ爲レ蔬矣、
p.0929 菰(コモ)〈茭草、蔣草並同、菰笋名二菰菜、茭白一、菰手又名二菰首一、菰根名レ葑、〉
p.0929 蓆(コモ) 蔣(コモ)
p.0929 葑(マコモ)
p.0929 菰(マコモ) 蔣草(同)〈又云茭草、並見二本草一、〉 眞薦(同)〈俗字〉
p.0929 まこも 眞菰也、眞はほめていふ也、萬葉集には眞薦とかけり、
p.0929 菰〈訓二麻古毛一、古訓二古毛一、〉集解、菰生二於江湖池澤中一、二三月生二白茅一如レ筍、生熟可レ啖而甜美、是菰筍茭白菰菜也、筍之中心如二小兒臂一名二菰手一、此謂二菰首一者誤矣、菰葉類二蒲葦一而蔓茂、夏月水鳥宿二于此中一以乳、五月五日采二葉莖一作二角粽一、繫レ之以二燈心草一、此本邦端午佳例也、或七八月苅二葉莖一以造レ席、或晒乾綴作二天井一、八九月抽レ莖開花如レ葦、結レ實長寸許、霜後采レ之大如二茅針一、其皮黒褐色、其米甚白而滑膩煮蒸似二葛餅之粒一、華人作レ飯、本邦作レ餅、呼稱二佐牟古米一、其根似二蘆根一入レ藥用也、 筍手根、氣味、甘冷滑無レ毒、米氣味、甘冷無レ毒、主治、解二煩熱及酒毒一、止レ渇利二腸胃一、
p.0930 菰〈水菜〉菰米者菰實也、八月開レ花如レ葦、結二青子一、長寸許、霜後采レ之、大如二茅針一、皮黒褐色、其米甚白而滑膩、作レ飯香脆、或作レ餅、今世有二佐牟古米者一、華舶傳レ之、恐是彫胡米乎、
p.0930 菰〈音孤〉 茭草 蔣草 〈和名古毛、又云波奈加豆美、〉本綱、菰生二江湖陂澤水中一、葉如二蒲葦輩一、刈以飼レ馬作レ薦、春末生二白茅一如レ筍、謂二之菰菜一、〈又名二茭白一〉生熟皆可レ啖甜美、其中心如二小兒臂一者謂二之菰手一、〈又名二 蔬一〉作二菰首一者非也、其小者擘レ之、内有二黒灰如レ墨者一、謂二之烏鬱一、人亦食レ之、其根亦如二蘆根一、而相結而生、久則并生浮二於水上一、謂二之菰葑一、刈二去其葉一便可二耕蒔一、又名二葑田一、八月抽レ莖開レ花如レ葦、結二青子一長寸許、霜後采レ之、皮黒褐色、其中子甚白滑膩、是乃彫胡米(サンコヘイ)也、歳飢人以當レ粮爲レ餅、〈甘冷〉香脆、〈又出二于穀類下一〉菰之種類皆極冷、不レ可レ過二食之一、按菰葉織レ薦即稱二古毛一、今多用二稻藁一織二單薦一、亦名二古毛一、本出二於菰薦一也、又用レ葉 レ粽、烏鬱(コモノスミ) 用爲二婦人黛一甚良、無レ之時用二莖根一燒レ灰亦佳、又和レ油塗二軟癤痕禿一者能生二毛髮一、
p.0930 菰 コモ(○○)〈和名鈔〉 フシシバ(○○○○)〈古歌〉 カスミグサ(○○○○○)〈同上〉 マコモ(○○○) コモガヤ(○○○○)〈阿州〉 マキグサ(○○○○)〈南部〉 チマキグサ(○○○○○)〈仙臺〉 コモグサ(○○○○)〈同上〉 カツボ(○○○)〈越後〉 一名茭兒菜〈救荒野譜菰筍ノ名〉 削玉〈名物法言茭白ノ名〉池澤中甚多シ、春宿根ヨリ苗ヲ生ズ、初メ出ル時筍ノ形ヲナス、コレヲ菰筍ト云フ、マコモノ芽ナリ、漸ク長ジテ葉長サ二三尺、泥昌(セウブ)ニ似テ薄ク、邊ニ刃アリ、中ニ一縱道アリ、莖ニ互生ス、秋ニ至テ高サ三四尺、上ニ長穗ヲ發ス、又二尺許、小花多ク綴リテ、淡竹葉(サヽクサノ)花ノ如シ、實ヲ結バズ、秋中根上ニ筍ノ如キ者ヲ生ズ、即菰首ナリ、コレヲコモツノ、〈和名鈔〉コモフクロ〈同上〉ト云フ、今ガンヅルト呼ブ、老テ中ニ灰ノ如キ者滿ツ色黒シ、即烏鬱ナリ、一名茭鬱〈三才圖會〉コレヲマコモト云フ、一名ハタチカ ヅラ、コモクラ〈筑後〉マコモズミ、〈備前〉婦人首ノ禿スルニヌリ、或ハ油 ニ雜ヘテ黒クス、秋苗枯ル、根ハ枯レズ、甚ダ繁茂シ易シ、一種花後ニ實ヲ結ブ者ヲ、ハナガツミト云フ、苗葉最長大ナリ、
p.0931 凡神祇官ト竹、及諸祭諸節等所レ須箸竹柏生蔣山藍等類、亦仰二畿内一令レ進、
p.0931 供奉年料〈中宮准レ之◯中略〉御沐料蔣七十二圍〈月別六圍、受二掃部寮一、〉
p.0931 蔣沼一百九十町、〈在二河内國茨田郡一〉刈得蔣一千圍、菅二百圍、〈並刈運夫以二當國正税一雇役〉
p.0931 粽料〈◯中略〉蔣六十束〈物〉 右從二三月十日一迄二五月卅日一供料五月五日節〈◯中略〉 青蔣十圍
p.0931 寄レ草三島江之(ミシマエノ)、玉江之(タマエノ)薦(コモ/○)乎(ヲ)、從標之(シメシヨリ)、己我跡曾念(オノガトゾオモフ)、雖未刈(イマダカラネド)、
p.0931 題しらず つらゆきまこも(○○○)かる淀のさは水雨ふれば常よりことにまさる我こひ
p.0931 玉津島にまうでむとてあるに、〈◯中略〉あひの松ばらよりゆけば、まこもぐさ(○○○○○)生しげり、さはにこまあるに、〈◯下略〉
p.0931 草は こも
p.0931 本多美濃守忠政領地巡見ノ節、上田ト見ヘル田地ニ、蒲菰ヲ多ク作リ茂リテ有ケルヲ見テ代官ヲ呼ビ、此田地ハ上田ト見ユルニ、イカナレバ稻ヲ作ラデ、カクマコモヲ作ラセケルヤト尋ケレバ、代官答テ、此マコモハ馬具ニ用ヒ候ヘバ至テ宜敷、其價ヒモ稻ニ増リ候、大坂表ヘ廻シ、切付肌付ニ製シ候ニ、當地ノ蒲コモヲ第一ノ蒲コモト致候、是故ニ年々多ク作ラセ申也ト云、利勘第一ノ忠政モ、尤ノ事也迚、其儘過ギラレケル、
p.0932 山城 蘆眞菰〈同日(五月五日)洛中粽ニ用レ之〉
p.0932 照任曰、奧州マクナイト云フ所ヨリ菰ヲ産ス、即米ヲ生ズ、其形チ燕麥(カラスムギ)ノ如シ、又紀州熊野本宮ニモ菰米アリ、他所ノ菰ニ米穗ヲ生ルコトナシ、
p.0932 萊草 辨色立成云、萊草、〈上音來、和名之波(○○)、〉一名類草、
p.0932 北山有萊傳、萊草也、焦循曰、爾雅釐蔓華、説文萊蔓華也、萊釐古字通、詩貽二我麥牟一、漢書劉向封事引、作レ貽二我釐牟一、書、帝告二釐沃一、一作二來沃一是也、釐即藜、故玉篇以レ藜訓レ萊、月令孟春行二秋令一、藜莠蓬蒿並興、管子封禪篇云、嘉禾不レ生而蓬蒿藜莠茂、蓋田畝荒穢、故生二此諸草一、十月之交、言二汙萊一、周禮地官、言二萊田一、蓋不二耕治一則荒草生、藜莠之類也、言レ萊概二諸草一、正義以爲二草之總名一則非矣、齊民要術十引二詩義疏一云、萊藜也、莖葉皆似二菉王芻一、今 州人蒸以爲レ茹、謂二之萊蒸一、譙沛人謂二鷄蘇一爲レ萊、是知萊即藜、
p.0932 芝(シハ)
p.0932 芝(シバ)
p.0932 萊(シバ)〈字彙、田廢生レ草曰レ萊、〉 芝(同)〈本朝俗用二此字一、謬來舊矣、蓋芝者神仙靈瑞之草也、〉
p.0932 萊草シバ 和名鈔に辨色立成を引て、萊草一名類草、シバといふと註したり、万葉集に道之志波草と云ひしもの即是也、シバといふ義不レ詳、仙覺抄に數の字讀てシバといふ事を、シバとは頻(シハ〳〵)也と釋せし事も、草にもあれ、木にもあれ、其の小しくして繁りぬる、並に呼びてシバといひけるなり、〈日本紀に柴の字讀てフシと云ふ、万葉集には柴讀てシバといひ、小歴木の字亦讀む事上に同じ、また古にフシシバなど云ひし此義也、また万葉集に、道之志波草といふものも見えけり、されば草にもあれ、木にもあれ、其小にして繁りぬるをいひし詞也とは知られけり、又辨色立成に萊の字讀てシバと云ひしは、説文に萊は、蔓華也といひけり、これは後の俗に盤根草などいひしもの、則草萊などいふ萊の義也、或人の説に、爾雅の傳に、猛目一名結縷といふもの、即是也といふ、我國の俗、芝の字讀てシバとなして、此物となすは然るべからず、芝草は日本紀にも見えて、讀むこと字の音のまヽにす、瑞草にして今俗に靈芝といふものなり、〉
p.0933 しば〈◯中略〉 萊草をいふは去聲によべり、新撰字鏡に をよめり、是も繁葉成べし、一説に絲茅の音轉也といへり、万葉集に、道のしば草、新六帖に百敷の庭のきり芝と見えたり、結縷草也といへり、中山傳信録に、茸草如レ茵、極細軟柔、結二寸許一、連レ土不レ散、布二滿山上一と見えたるも同じ、芝字をよみ來れど、字書に其義なし、古へ萊と通用したるに譯あるべきにこそ、聖武紀に、内裏生二玉來一と見えたるは、萊音來なれば、玉芝を玉來と書せしと見えたり、
p.0933 結縷草(かうらいしば/からしば) 横目草 鼔箏草 傅〈音附〉 俗云高麗萊救荒本草云、師古漢書注曰、結縷蔓生著レ地之處、皆生二細根一如レ線相結故名レ之、今俗呼二鼔箏草一、兩幼童對二銜之一、手鼔二中央一則聲如レ箏也、按萊〈和名之波〉一名類草、田廢生レ草曰レ萊、今俗用二芝字一、芝〈音支〉瑞草也、凡荒野堤岸雜草自生、牛鹿常齩レ之、故夏野萊不レ過二數寸一、頗如二青氈一然、結縷草此一種萊、似二絲芒秧一而無二枝椏一、其根細似レ蔓而相延結、秋抽二細莖一出レ穗、似二雀麥(チヤヒキクサ)一細、冬枯春生、栽二假山一稍長時均苅レ之、則最美也、又其老莖以鼓レ箏也、如二上説一、
p.0933 芝ヲ植ル事一芝ヲ植ルニ水付ヲ好ム芝ト、水ヲ嫌フ芝アリ、水付ニ植テ能クツカヒテ強キ芝ハ、水ト鹽ト兩方兼タル入江ノ芝間、又ハ海邊ノ川岸ニ生ル、山ニアルカリヤスカ、野原ニアルカルカヤノ如ク育ツ芝アリ、潟ナドノ水氣サス處ヘハ、種ヲ求メ植ベシ、大小ノ繩ニナヒ使フニ、重寶ナル水草ナリ、
p.0933 同所〈◯天王寺〉芝 同村〈◯東成郡四天王村〉所々ノ培塿、岸端ヨリ切採、民家ニ商レ之、庭上ニ假山ヲ構ヘ、美景ヲ樂ム人必ズ設レ之、莖葉青シテ如(シカ)モ叢生ス、
p.0933 藎草(○○)〈仁諝音疾胤反〉一名菉蓐草、〈上閭燭反、下乳屬反、〉一名王 、〈已上二名出二蘇敬注一〉一名鴈脚、〈出二兼名苑一〉和名加伊奈(○○○)、一 名阿之爲(○○○)、
p.0934 藎草 本草云、藎草、〈上音疾胤反、和名加木奈(○○○)、一云阿之井、〉
p.0934 本草又云、藎草可三以染二黄金色一、蘇注云、此草葉似レ竹而細薄、莖亦圓小、生二平澤澗溪之側一、荊襄人煮以染二黄色一極鮮好、俗名二菉蓐草一、爾雅所レ謂王芻者也、嘉祐本草云、按爾雅疏云、菉鹿蓐也、詩衞風云、瞻二彼淇澳一、菉竹猗猗是也、疾胤反、與二仁諝音一合、〈◯中略〉按本書染色具有二黄草一即是物、引二辨色立成一云、加伊奈與二本草和名一合、而醫心方作二加歧奈一與レ此同、蓋歧伊一聲之轉耳、今播磨及筑紫人猶呼二加伊奈久左一、江戸俗呼二左左毛土歧、阿之井一、本草和名同、新井氏曰、是物如レ葦如レ藺故名、醫心方作二阿之乃阿爲一、愚按阿之井、蓋阿之乃阿爲之省、阿之其状似レ葦、其染レ物與レ藍同、故名二阿爲一、猶下謂二紅花一爲中久禮乃阿爲上也、
p.0934 黄草(○○) 辨色立成云、〈加伊奈(○○○)〉本朝式云、〈刈安草〉
p.0934 新井氏曰、是草刈採少レ用レ力、故曰二刈易一、按草類所レ載藎草即是、
p.0934 苅安(カリヤス) 黄草(カイナクサ)
p.0934 苅安(カリヤス)
p.0934 藎草(カリヤス)〈 艸、黄艸並同、時珍云、此草緑色以可レ染レ黄、〉菉竹(同)〈毛詩〉菉蓐(同)
p.0934 藎草 カリヤス(○○○○)〈和名鈔、同名アリ、〉 カイナ(○○○)〈同上〉 コブナグサ(○○○○○)〈京〉 サヽモドキ(○○○○○)〈江州〉 カイナグサ(○○○○○)〈播州、筑前、〉 一名白脚蘋〈資暇録〉 淡竹葉〈華夷考、同名多シ、〉 鹿蓐〈爾雅翼〉隨地ニ多ク生ズ、細莖地ニ鋪キ節節葉ヲ互生ス、竹葉ニ似テ短ク長サ一寸許、薄クシテ横ニ皺アリテ平ナラズ、秋月枝ノ末ゴトニ小穗ヲ出ス、馬唐穗ニ似テ小ク、七八分ニ過ギズシテ紫色ナリ、又緑色ナルモアリ、此莖葉ヲ煎ジテ紙帛ヲ染レバ黄色トナル、本邦染人黄色ヲ染ルニ用ユル草ハ、江州長濱ヨリ多ク出ス所ノカリヤスナリ、其草ハ伊吹山ニ多ク産ス、又伊賀伊勢阿波伊豫播 磨ニ多シ、葉穗共ニ芒ニ似テ小ナリ、コレ陸疏廣要ニ載ル所ノ青茅(○○)ナリ、藎草ト同ジカラズ、カリヤスノ名同ジキニヨリテ混ズベカラズ、一種葉細長ナル者アリ、穗モ異ニシテ狗尾草(エノコログサノ)穗ノ如シ、是一種ノ藎草ナリ、
p.0935 玉蒭(○○)かりやす、畠にうへて能生長す、春苗をうへて手入をし、秋分〈八月の中を云〉の後雨氣を去事、五七日もして、よく日にあはせて刈取べし、雨の後やがて刈ば黄色なし、刈ては日に干べし、若雨にあへば用に立ず、煎じて黄色を染べし、
p.0935 玉蒭ヲ作ルニハ、必ズシモ肥良ノ地ヲ撰ブニモ及バズ、畠ニ人糞馬糞ヲ入レテ能ク耕耙シ、春分後ニ根ヲ分テ植付ケ、時々上ノ草葉ヲ繁茂セシムル藥汁ヲ澆ギテ、育フトキハ、夥シク繁衍スル者ナリ、秋分頃晴天ノ永ク繼キタル時ニ此ヲ刈採ベシ、此物ハ若シ雨ニ遇タル後ニ刈採トキハ、此ヲ煎ジルトモ、黄色ナクシテ、染料ノ用ニハ立ザル者ナリ、總テ草木ノ葉ヲ採テ、日ニ乾シテ用ル者ハ、晴天ノ永ク繼キタル時ニ非レバ、功能皆薄シ、
p.0935 雜染用度青白橡綾一疋〈綿紬絲紬東絁亦同〉苅安草大九十六斤、紫草六斤、〈◯中略〉帛一疋苅安草大七十二斤、〈◯中略〉絲一絇苅安大二斤、貲布一端苅安草大卌八斤、〈◯中略〉 深緑綾一疋〈◯註略〉藍十圍、苅安草大三斤、〈◯中略〉深黄綾一疋〈◯註略〉苅安草大五斤〈◯中略〉 淺黄綾一疋〈◯註略〉 苅安草大三斤八兩
p.0935 交易雜物近江國〈(中略)苅安草五百圍◯中略〉 丹波國〈(中略)苅安草五百圍◯中略〉 右以二正税一交易進、其運功食並用二正税一、
p.0935 狗尾草 辨色立成云、狗尾草、〈惠沼能古久佐(○○○○○○)〉
p.0935 按太平御覽引二韋曜問答一曰、甫田維莠、今何草、答曰、今之狗尾也、毛傳莠似レ苗也、 説文繫傳引二字書一云、 狗尾草也、廣雅 莠也、故莠 皆云二狗尾一、戰國策魏西門豹云、幽莠之幼也似レ禾、幽即 假借字、夏小正、四月莠幽、毛詩作二四月莠 時珍曰、莠草秀而不レ實、故字從レ秀、穗形象二狗尾一、故俗名二狗尾草一、原野垣墻甚多生レ之、苗葉似レ粟而小、其穗亦似レ粟黄白色、而無レ實、程 田云、莠亂二禾粟一之草、一本或數莖、多至二五六穗一、與二禾一本惟一莖一穗一異、穗多芒類二狗尾一、俗呼二狗尾草一、實小二於粟一而形長、初生時草全似レ禾、故聖人惡レ之、北方人云、惟禾中有レ之、黍地則無、余叩二之老農一非二黍地本無一也、與レ黍異、見即鋤去、不レ爲レ所レ亂、生二於禾中一必成レ穗可レ辨耳、
p.0936 狗尾草(エノコログサ/エノコグサ) 莠(同) 光明草(同)〈並見二本草一〉
p.0936 ゑぬのこぐさ 和名抄に狗尾草を訓ぜり、莠草子也、今ゑのころ草といへり、夫木集に、ゑのこ草おのがころ〳〵ほに出て秋置露の玉やどるらん、七夕に、禁中にて芋の葉に露をうつし、ゑのこ草にて結て院中へ進ぜらるヽよし、年中行事に見えたり、牽牛をいぬかひぼしといへるによるなるべし、
p.0936 狗尾草 ヱヌノコグサ(○○○○○○)〈和名鈔〉 ヱノコグサ(○○○○○)〈古歌〉 ヱノコログサ(○○○○○○)〈今名〉 トウ〳〵グサ(○○○○○○)〈備後、狗子ヲ方言ニトウ〳〵ト云、〉 トウ〳〵ボ(○○○○○)〈備中〉 スヾメノアハ(○○○○○○) イノヂアハ(○○○○○)〈水戸〉 イノコグサ(○○○○○)〈長崎〉 イヌグサ(○○○○)〈泉州〉 ヱノコボ(○○○○)〈讃州〉 カニグサ(○○○○)〈長州〉 トヽコグサ(○○○○○)〈防州、犬ヲ方言ニトヽト云、〉 ヲヤリ(○○○)〈秋田〉 イヌコロ〳〵(○○○○○○)〈肥前〉 カイルトヽラ(○○○○○○)〈丹波〉 一名猫狗草〈簡便方〉原野隨地ニ皆アリ、庭際ニモ自ラ生ズ、苗穗共ニ粟ニ似テ小シ、穗ニ紫毛ノモノ、緑毛ノモノアリ、地ノ肥瘠ニ因テ苗ニ大小アリ、蝦夷ノ産ハ穗ニ五六岐ヲ分チ紫色ヲ帶ブ、〈◯中略〉増、一種カナーリサート(○○○○○○○)ト云モノアリ、即細葉ノ狗尾草ナリ、舊子地ニ落テ冬ヨリ苗ヲ生ズ、葉ノ形チ小麥ノ葉ニ似テ、一根數葉地ニ布テ叢生ス、夏ニ至テ莖ヲ抽ズルコト、六七寸ニシテ穗ヲ生 ズ、ソノ形粟ノ穗ニ似テ長サ一寸五分許、常ノ狗尾草ニ比スレバ、嬌嫰ニシテ毛ナシ、近年金雀(カナーリヤ)ノ巣ニ造リ渡リシ故ニ名クト云、カナーリヤハ蠻國ノ名ナリ、然レドモコノ草江州伊吹山ニ自生アリ、又一種朝鮮アハト云者アリ、春月穗ヲ生ズ、其穗細クシテ軟ナリ、
p.0937 龍常草 タツノヒゲ(○○○○○) キリギリスサウ(○○○○○○○)〈和漢三才圖會〉 ノスヽキ(○○○○)〈同上〉 カンズヽキ(○○○○○)〈種樹家〉 ジヤノヒゲ(○○○○○)〈江州〉野生路旁ニ多シ、小草ナリ、其葉至テ細クシテ絲ノ如シ、長サ二三寸、一根數百葉叢生ス、緑色ニシテ白ヲ帶ブ、必陽地ニ生ズ、草中ニ雜ノ生ル者ハ、葉長クシテ尺ニ至ルモノアリ、根ハ赤色ニシテ細シ、四月叢葉中ニ數莖ヲ抽、高サ二尺許、節ゴトニ葉ヲ互生ス、其葉大ニシテ鵞觀草(カモジグサノ)葉ニ類シ、脚葉ニ異ナリ、莖ノ梢ニ枝ヲ分チ長キ穗ヲナス、知風草(カゼクサ)ノ穗ニ似テ葉ト同色ナリ、花後實ヲ結ビ、莖枯テ新葉ヲ生ジ、舊葉代ル、
p.0937 今ひな草(○○○)といふは、龍常草なり、タツノヒゲ、又ノスヽキともいふ、路傍に多く生ず、葉の長さ四五寸、一根數百葉叢生す、他の草中に雜り生ずるは、葉長くして尺許に至る、
p.0937 淡竹葉、左左久左(○○○○)、
p.0937 淡竹(サヽクサ) 本草濕草下ニ出タリ、サヽノ葉ニ似タリ、根ニハ天門冬ノ如ク、長大ナル粒アリ、京ニテハ唐ザヽト云、能治二五淋一有レ效、淋病ノ藥ニ加ヘ用レバ效アリ、七八月有レ穗、
p.0937 淡竹葉 サヽグサ(○○○○) トウザヽ(○○○○)〈大和本草〉 サウチク(○○○○)〈薩州〉山足路旁ニ極メテ多シ、春時宿根ヨリ苗ヲ生ズ、竹ノ初生ニ似タリ、莖高サ六七寸、肥地ノモノハ一尺ニ至ル、上ニ六七葉互生ス、竹葉ニ似テ濶サ一寸許リ、長サ六七寸、秋ニ至テ莖ノ梢ニ穗ヲ生ズ、長サ一尺許リ、小枝多シテ小花ヲ生ズ茭(マコモ)ノ穗ノ形ノ如シ、後實ヲ結ブ、外ニ皮アリテコレヲ包ム、長サ三分許リ、熟スレバ衣服ニ粘著シテ落ズ、秋後苗枯ル、其根形天門冬ノ如クニシテ細ク黄 白色、至テ シ、淡竹葉ニ同名アリ、古方ニ用ユル所ノ者ハ、即淡竹ノ葉ニシテ、コノ淡竹葉ニ非ズ、又藎草(コブナクサ)鴨跖草ニモ此ノ名アリ、
p.0938 かにとりぐさ 細草也、蔓草の如し、其葉相對せず、是を生兒の祝儀に用ゐるは、蟹採の義也、又秧稻と豫知子とを産帶にもたヽみこみ、又産衣を贈るにも、是を添ておくるを古法とすといへり、
p.0938 カニトリ草 細草也、蔓草ノ如シ、其葉兩々相對セズ、和禮ニ祝儀ニ用ユ、シノブヲ用ルハアヤマリナリ、紋ニモ付ル、
p.0938 地楊梅、今案久左毛毛(○○○○)、
p.0938 地楊梅 和名ヒメスゲ(○○○○)、所在ニ多シ、藏器曰、苗如二沙草一、四五月有レ子、似二楊梅一也ト、此物穗ヲ出サヾル時、沙草ト紛レヤスシ、莖ヲ生ズルコト二三寸、子形頗楊梅ニ似テ色青シ、先輩地楊梅ヲスヾメノヤリトスルハ誤ナリ、スヾメノヤリハ救荒野譜ノ看麥娘ナリ、
p.0938 地楊梅 スヾメノヤリ(○○○○○○) シバクサ(○○○○) スヾメノハカマ(○○○○○○○)〈勢州〉 ヤリグサ(○○○○) スヾメノヒヱ(○○○○○○)〈播州〉 カマコシバ(○○○○○)〈河州〉 カヘルグサ(○○○○○)〈江州〉原野道傍ニ極テ多シ、細葉叢生シテ莎草葉(カヤツリクサ)ノ如シ、長サ二三寸ニシテ微毛アリ、冬春ハ紫色ヲ帶ブ、暖ニ向ヘバ緑色トナル、二月叢中ニ數莖ヲ抽テ、其頂ニ一毬ヲ結ブ、大サ三四分、形楊梅(ヤマモヽ)ノ如ク褐色ナリ、初メ毬外ニ小黄蘂ヲ吐ス、コレ其花ナリ、後毬中ニ細子ヲ結ブ、蓼子ノ如シ、肥地ニ生ズルモノハ、葉長サ七八寸、毬モ亦大ナリ、
p.0938 知風草(チカラクサ/○○○)〈 苑詳註云、南海有レ草、叢生如二藤蔓一、土人視二其節一以占二一歳之風一、毎二一節一則一風、無レ節則無レ風、出二瓊州廣志一、今按大明一統志、瓊州府土産亦有二知風草一、與二此文一同、焦氏類林、潛確類書亦載二此草一、〉
p.0938 ちから〈◯中略〉 ちから草は知風草也
p.0939 知風草(チカラクサ) 葉モ莖モ茅ニ似タリ、野ニアリ、倭俗曰、其クキニ節アレバ、其年大風フク、本ニアレバ春フク、中ニアレバ夏秋フク、末ニアレバ冬大風フク、二節アレバ二度フク、節ナケレバ其年大風フカズト云、節ノ文ハ人ノ指ノフシニ似タリ、大明一統志、瓊州府土産、知風草、南海有レ草叢生如二藤蔓一、土人視二其節一以占二一歳之風一、毎二一節一則一風、無レ節則無レ風、廣志所レ載亦與レ此同、今本邦ニ大風ヲ試ルハ非二蔓草一、
p.0939 旋復花〈須万比久佐、本云早人草、〉
p.0939 角觝草(すまふとりくさ/ちからくさ) 力草〈本名未レ詳〉按、角觝草、原野濕地有レ之、葉布レ地叢生、似二忍凌(シヤウガヒゲ)一微扁、似二石菖一而色淺、秋起レ莖嵿作レ穗、青白色、可レ有二細子一而不レ見、其莖扁強健、長六七寸、小兒取レ莖綰レ穗結如レ繦而用二二箇一一插二其 (ムスビメ)一兩人持レ莖相引、而切方爲輸以戯、因俗名二相撲取草一、自茂盛爲二農圃之妨一、引レ根強難レ拔、因名二力草一、一種相似而莖葉穗倶痩者、俗以爲二角觝草之雌一、
p.0939 すまひぐさ 金葉集、赤染衞門集などに見えたり、白慈艸なるべし、俗にすもとりぐさといふ、西偏にていふものは、かやつり草也、新撰字鏡に旋覆花とよめり、常樂會の舞人、すまひ艸を面々にとりてかざす事ありとぞ、
p.0939 すまふ取草にて童ども勝負を爭ふ戯あり、〈◯中略〉物類稱呼に、菫は畿内及び近江、加賀、能登、又東海道筋總てすまう取草と云ふ、江戸にてすみれといふ、〈◯中略〉又東武にてすまふとり草と云別種あり、江戸の鄙にては、はぐさ(○○○)と呼草の穗に出たるを云、尾州にてやつまた(○○○○)と云是也、貞砂が、足を空なるすまふ取草といひし附句合も、むかし語となりぬといへり、本草啓蒙、〈◯中略〉江戸にて相撲とり草と呼ものは、詩經名物辨解に、芩〈小雅鹿鳴章〉朱註、芩草名、莖如釵股一、葉如レ竹蔓生、郷名ヒシハ(○○○)云々、此物野外間あり、ヲヒジハ、メヒジハの二種ありといへり、此説誤れり、朱傳は陸璣が 草木疏の文に隨ふ、これは地しばりといふものなり、その根節ありて、葉も竹に似て蔓延するものなり、さて其ヒシハといふもの雄雌あり、叢生するものにて苅れ共苅れ共生ずる故、肥後にて小ざうころしといふ、漢名は馬唐なり、その穗四ツ五ツ叉になるをつみとりて倒に席上に置、二ツよせて席を敲けば、自ら跳りてすまふ取さまあり、組合せて席をうてば、一ツは倒るヽなり、ヒジハの名義おぼつかなけれど、旱(ヒ)芝にや、〈旱地に生て枯れざるなり〉
p.0940 はぐさ(○○○) 河内澀川郡の村名に蛇草をよめり、式波牟古曾神社此村にあり、尾州にやつまたといひ、江戸にはくさといふ、こもすまふとり草(○○○○○○)ともいへり、
p.0940 さてひごろおとせぬを、これよりはなにしにかはおどろかさん、ほどへてすまひ草(○○○○)にさして、すまひ草たふるヽかたに成ぬるか心こはしくかつはみえつヽ返し何にかは心もとらんすまひ草思ひうつるにかたこそあるらめ
p.0940 すまひぐさといふ草のおほかりけるを、ひきすてさせけるを見て、よみ人しらずひくにはよはきすまひ草かなとるてにははかなくうつる花なれど
p.0940 蕕 詳ナラズ 馬唐(○○)一名馬塔〈大明一統志◯中略〉集解説クトコロノ馬唐ハメヒジハ(○○○○)、京師ニテカヤツリグサ(○○○○○○)ト云、〈莎草ト同名〉イチゴザシ(○○○○○)、〈備後〉コゾウコロシ(○○○○○○)、〈同上〉スモトリグサ(○○○○○○)、〈仙臺〉スモウグサ(○○○○○)〈同上〉フヂハイ(○○○○)〈雲州〉トコロテンクサ(○○○○○○○)、〈淡州〉メシバ(○○○)〈薩州〉タケヒジハ(○○○○○)、〈石州〉ヂシバリ(○○○○)〈備前〉ホドグサ(○○○○)、アキボコリ(○○○○○)、ヤツマタ(○○○○)〈讃州〉ト云、夏已後自ラ生ジ、廢地ニ甚多シ、細莖地ニシキ蔓 延ス、節ゴトニ根アリテ、ヌキ去リ難シ、葉ハ狗尾草(ヱノコログサノ)葉ニ似テ小ク互生ス、夏秋ノ間、枝ノ末ゴトニ穗ヲ出ズ、芒(スヽキ)ノ形ニシテ至テ小シ、淡緑色ニシテ紫蘂ノモノアリ、又白蘂ノモノアリ、肥地ニ生ズルモノ蔓長クシテ二三尺ニ至ル、又オヒジハ(○○○○)アリ、是別種ニシテ馬唐ニ非ズ、田野阡陌、ニ多ク生ズ、一根數十莖叢生ス、葉ハ細長ニシテ莎草葉ノ如シ、秋ニ至リ數莖ヲ抽ヅ、扁ニシテ長サ八寸許、穗ノ形メヒジハヨリ大ニシテ扁ク深緑色、其根甚ツヨシ、引テヌケ難シ、故ニチカラ草(○○○○)〈淡州〉ト云、筑前ニテ小兒此穗ヲ採リ、兩穗倒ニオキ對シ、吹テ勝負ヲ決シ戯トス、故ニスモトリ草(○○○○○)〈紫花地丁ト同名〉ト云、豫州ニテカンザシ(○○○○)ト云、播州ニテシタキリ(○○○○)ト云、
p.0941 麻黄一名龍沙、一名卑相、一名卑鹽、一名狗骨、〈出二釋藥性一〉和名加都禰久佐(○○○○○)、一名阿末奈(○○○)、
p.0941 麻黄 本草云、麻黄、〈和名加豆禰久佐、一云阿萬奈、〉
p.0941 酉陽雜俎續集云、麻黄、莖端開レ花、花小而黄簇生、子如二覆盆子一可レ食、至レ冬枯死如レ草、及レ春郤青、圖經云、苗春生、至二夏五月一、長及二一尺已來一、梢上有二黄花一、結レ實如二百合瓣一而小、又似二皂莢子一味甜、微有二麻黄氣一外紅、皮裏仁子黒、根紫赤色、俗説有二雌雄二種一、雌者於二三月四月内一開レ花、六月内結レ實、雄者無レ花不レ結レ實、時珍曰、其根皮色黄赤、長者近レ尺、
p.0941 麻黄、加久麻久禮、今案以奴登久左、
p.0941 麻黄 和名イヌトクサ(○○○○○)、又カハラトクサ(○○○○○○)ト云、所在水濕ノ地ニ産ス、形木賊ニ似テ稍小ナリ、又 (スギナ)ニ似タリ、今藥肆ニ有トコロノ、漢産麻黄中堅實ナルモノハ雲花子ナリ、和産ヲ用ウベシ、駿河産形甚長大ニシテ木賊ノゴトシ、壬午客品中、伊豆北條四日市鎭㧾七具レ之、
p.0941 麻黄 カツネクサ アマナ〈共ニ和名鈔〉 一名中黄節士〈輟耕録〉 赤根〈瘡瘍全書、根ノ名、〉和産未ダ詳ナラズ、多ク舶來アリ、朝鮮ニモ古ハナシ、唐山ヨリ移シ栽テ、今ハ江原道慶尚道ニ之 アリト、東醫寶鑑ニ見タリ、海邊沙地ニ一根叢生ス、形木賊(トクサ)ニ似テ至テ細ク、中ノ孔甚小ニシテ、實スルガ如ニシテ黄色ナリ、葉ナク莖ノミニシテ節アリ、節ゴトニ寸許、下節ニ枝ヲワカツ、舶來ノ中ニ稀ニ花ノ著タルモ、實ノ著タルモアリ、其實ノ形蘇頌ノ説ノ如シ、外ニ皮アリテコレヲ包ム、故ニ如二百合瓣一ト云、濶サ一分許、長サ一分餘、其内ニ子アリ、形蕎麥粒ノ如ニシテ小シ、三角ニシテ色モ同ジ、其根徑寸許、長サ數尺、黄赤色ナリ、今市人イヌドクサ(○○○○○)ヲ以テ眞ノ麻黄トス、然レドモ此草ハ實ヲ結バズ、故ニ麻黄ニ非ズ、イヌドクサハ一名スギドクサ、〈江戸〉スギナドクサ、カハラドクサ、ハマドクサ、ミヅドクサ、〈種樹家〉チヤウセンドクサ、〈同上〉谷地スギナ、〈仙臺〉水邊沙地ニ多シ、形状問荊(スギナ)ノ如ニシテ枝少シ、枝ナキモノ多シ、年ヲ歴レバ粗大ニシテ、徑リ二三分、長サ四五尺ニ至ル、乾セバ輕虚、淡緑色ニシテ麻黄ノ形色ニ異ナリ、質薄クシテ中ノ空虚廣キ故ナリ、夏月中心ヨリ出タル莖端ニ花アリ、筆頭菜ニ同シテ實ヲ結バズ、是問荊ノ一種ナリ、決シテ麻黄ニ非ズ、本草原始ニ、麻黄莖類二節節草一ト云、又舶來麻黄中ニイヌドクサ多ク雜ル時ハ、河原ドクサハ節節草ナルベシ、此草根深ク土中ニ入ルコト、問荊ト同ジ大サニシテ色黒シ、麻黄根ノ黄赤色ナルニ異ナリ、
p.0942 麻黄(まわう) 草たち木賊に似てちいさくほそし、一本に多ク生ズ、海邊砂地雪ふりてはやくきゆる所に、よくはびこりて生ズ、夏冬ともにあり、雪ふりて片時もつもる所に植て枯る、麻黄は地へ敷ク、木賊は天へのび立なり、
p.0942 諸國進年料雜藥相模國卅二種、〈◯中略〉麻黄六斤八兩、 武藏國廿八種、〈◯中略〉麻黄五斤、 讃岐國卌七種、〈◯中略〉麻黄十六斤、
p.0942 蒲黄、〈陶景注云、此蒲花上黄也、〉一名蒲花、〈出二蘇敬注一〉一名覆章、〈出二神仙服餌方一〉和名加末乃波奈(○○○○○)、香蒲 一名睢、〈仁諝音雖、楊玄操音七余反、〉一名 、〈仁諝音子咲反〉菁茅、一名香茅、薫草、燕麥、〈陶景注云、已上四名皆此類也、蘇敬注云、曾非二香蒲類一也、〉一 名 蒲、〈出二釋藥一〉一名 石、〈出二釋藥性一〉一名瓊茅、一名菁 、〈音者〉一名香莆、一名苞 、一名 、一名香菅、一名香蘆、〈已上出二兼名苑一〉和名女加末(○○○)、
p.0943 蒱蒲〈上俗下正〉
p.0943 蒲〈蒲黄附〉 唐韻云、蒲〈薄胡反、和名加末(○○)、〉草名、似レ蘭可二以爲 席也、陶隱居本草注云、蒲黄〈和名加末乃波奈〉蒲花上黄者也、
p.0943 本草香蒲蘇注云、此即甘蒲、作レ薦者春初生、用レ白爲レ葅、亦堪二蒸食一、山南名二此蒲一爲二香蒲一、謂二菖蒲一爲二臭蒲一、蒲黄即此香蒲花是也、圖經曰、春初生二嫰葉一、未レ出レ水時、紅白色茸々然、周禮以爲レ葅、謂其始生取二其中心一入レ地、大如二匕柄一白色、生噉レ之甘脆、以二苦酒一浸、如レ食レ笋大美、亦可二以爲 鮓、今人罕三復有二食者一、時珍曰、蒲叢二生水際一、似レ莞而褊、有レ脊而柔、二三月苗、八九月收レ葉以爲レ席、〈◯中略〉按證類本草上品蒲黄條引云、此即蒲釐花上黄粉也、本草和名引作二此蒲花上黄也一、據二證類本草一、蒲下缺文是釐字、而源君節二此蒲釐一句一、則花上有二蒲字一非レ是、又按黄下粉字似レ不レ可レ無、按圖經云、至レ夏抽二梗於叢葉中一、花抱二梗端一、如二武士棒杵一、故俚俗謂二蒲槌一、亦謂二之蒲釐花一、黄即花中蘂屑也、細若二金粉一、當二其欲レ開時一有、
p.0943 蒲〈音匍 カマ〉 蒲黄〈カマノハナ〉
p.0943 蒲(ガマ)
p.0943 蒲(ガマ)〈正曰二香蒲一〉蒲黄(カツミ/ガマノハナ)〈蒲花也、本草形如二武士棒杵一、故俚俗謂二之蒲槌一、又云二蒲萼花一云々、〉蒲花(同)〈同上〉
p.0943 蒲黄は、花上の黄粉なるを直に波奈と云るは、此方にては別に黄粉の名は無くて其をも花と云るなるべし、さて漢籍にも蒲黄はもはら治レ血治レ痛藥とするは、本此神〈◯大國主神〉の靈に頼て上代よりしかつたへしものなり、今人は加を濁て賀麻(ガマ)といへど、凡て頭を濁言無し、今も蒲生(カマフ)など云地名などは清を以て古をしるべし、
p.0944 香蒲 甘平無レ毒、〈蒲黄即此香蒲花也〉春初生用レ白爲レ葅、亦堪二蒸食一、主二五臟心下邪氣口中爛臭一、堅レ齒明レ目聰レ耳、久服輕レ身耐レ老、
p.0944 蒲筍(ホジユン/カマツノ) 倭名鈔多識篇ニ蒲筍ナシ、考二本艸一下濕ノ地ニ生ズ、元升〈◯向井〉曰、案ニ倭名鈔ニ蘆之初生ヲアシツノトイヒテ蘆菼トカキ、菰ノ初生ヲコモツノト云テ菰首ト書リ、皆初生ヲ云、筍モ又初生ナレバ、蒲筍ハガマツノナルベシ、
p.0944 香蒲(かま) 甘蒲 石 〈和名加末〉 蒲黄 蒲槌 蒲蕚花 〈加末乃波奈〉本綱、香蒲春初叢二生水際一、似レ莞而偏有レ脊而柔、其嫰葉出レ水時、紅白色者取二其中心一啖レ之、至レ夏抽二梗於叢葉中一、花抱二梗端一、如二武士棒杵一、故俗謂二之蒲槌一、其花中蘂屑謂二之蒲黄一、細若二金粉一、當二欲レ開時一便取レ之、市廛以レ蜜捜(コネテ)作二果食一貨賣、八九月收レ葉以爲レ席亦可レ作、軟滑而温、蒲黄〈甘平〉手足厥陰血分藥也、故能治レ血、與二五靈指一同用、能治二一切心腹諸痛一、〈凡破レ血消レ腫者生用レ之、補レ血者須二炒用一、〉又舌脹滿レ口、或重舌生レ瘡者、傅レ之即瘥、按香蒲花状頗似レ鉾、故謂二蒲鉾一、作二松明一甚良、採二蒲黄一入レ藥、出二於尾州一者佳、攝州賀州者次レ之、
p.0944 香蒲 和名ガマ、所在ニアリ、一種細葉ノモノアリ、葉廣三四分ニ過ズ、蒲槌モ亦小ナリ、世俗妄ニ號シテアンペラト云、按ズルニアンペラハ南蠻語ニテ、席ノ總稱ナリ、草ノ名ニアラズ、
p.0944 香蒲 ミスクサ(○○○○)〈古歌〉 ガマ(○○) ヒラガマ(○○○○)〈莞ニ對シテ云フ〉 カバ(○○) 一名蒲黄草〈附方〉 雎〈救荒本草〉 〈同上〉 越〈品字箋〉 蒲黄 ガマノ花ノ上ノ粉 一名蒲灰〈本草 言〉 中央粉〈輟耕録〉水澤中ニ生ズ、春宿根ヨリ嫰芽ヲ出スヲ蒲笋ト名ク、唐山ノ人ハ食用トス、ソノ葉長サ四五尺、濶サ七八分ニシテ厚ク脊アリ、一根ニ叢生ス、甚繁茂シ易シ、夏圓莖ヲ抽ルコト葉ノ長サニヒトシ、上ニ穗ヲ生ジ、長サ七八寸濶サ一寸許、形 蠋ノ如シ、短毛アツマリテ形ヲナス、褐色ナリ、コレヲ ガマホコト云フ、魚肉糕(カマボコ)コレニカタドル、漢名蒲槌ト云フ、一名蒲棒〈救荒本草〉蒲槌上ニ小葉アリテ、黄粉ヲ包ム、ソノ粉ヲ蒲黄ト云ヒ、藥用ニ入ル、故ニ頌曰、黄即花中蘂屑也、本草 言ニ蒲黄即香蒲花上黄粉是也ト云フ、然ルニ釋名ノ下恭ノ説ニ、蒲黄即此蒲之花也ト云フハ非ナリ、一種ヒメガマアリ、葉濶サ三分許、長サ三四尺、槌モ亦細小ニシテ二層或三層ニモナル、 州府志ノ水燭廣東新語ノ水 蠋是ナリ、
p.0945 諸國進年料雜藥河内國三種、〈◯中略〉蒲黄一斤、上總國廿種、〈◯中略〉蒲黄四斤 下總國卅六種、〈◯中略〉蒲黄二斤、〈◯下略〉
p.0945 於レ是到二氣多之前一時、裸莵伏也、〈◯中略〉於レ是大穴牟遲神教二告其莵一、今急往二此水門一、以レ水洗二汝身一、即取二其水門之蒲黄一、敷散而輾二轉其上一者、汝身如二本膚一必差、故爲レ如レ教、其身如レ本也、
p.0945 五十三年八月、乘輿幸二伊勢一、轉入二東海一、十月至二上總國一、從二海路一渡二淡水門一、〈◯中略〉得二白蛤一、於レ是膳臣遠祖名磐鹿六雁以レ蒲爲二手繦一、白蛤爲レ膾而進レ之、
p.0945 欟折山、〈◯中略〉此山南有二石穴一、穴中生レ蒲、故號二蒲阜一、至レ今不〈◯不恐誤字〉生、
p.0945 ひるむしろ 枕草子にみゆ、〈◯中略〉今いふやぶじらみ(○○○○○)也、今稱する者は蛭藻なり、水草の品にて大に異也、さヽも(○○○)ともいふ、信州にびりこ(○○○)、津輕にびり物(○○○)といふ、
p.0945 ひるも(○○○) 蛭藻の義、葉の蛭に似たる也、眼子菜也といへり、大同類聚方にみゆ、
p.0945 眼子菜ひるむしろ 畿内及北越にてひるむしろと云、關東にてひるもといふ、信州にてびりこといふ、奧の津輕にてびり物といふ、田夫とりて瞼の腫にはるもの也、
p.0945 眼子(ヒルムシロ)葉 倭名ヒルムシロト云、水中ニ生ズ、莖長ク水中ニ蔓延ス、水上ニノボラズ、葉ノウラ紫色也、水面ニ葉ウカブ、葉ニ筋アリ光アリ、俗説ニ陰干ニシテ爲レ末服ス、治二傷食霍亂一甚有レ效、煎服亦可ナリト云、
p.0946 海藻大葉藻アマモ(○○○)、アヂモ(○○○)、〈播州〉ムクシホ(○○○○)、〈勢州〉モシホグサ(○○○○○)、〈同上二見〉カモメノヲビ(○○○○○○)、〈能州〉スゲモ(○○○)、〈土州〉サコキ(○○○)、〈同上〉ハマユフ(○○○○)、〈豐前〉カナクヅ(○○○○)、リウグウノヲトヒメノモトユヒノキリハヅシ(○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○)、モバ(○○)、〈雲州讃州〉モハ(○○)、〈讃州〉海中ニ生ジ、泥草(シヤウブノ)葉ニ似テ細ク長シ、生ハ青ク、枯ルレバ黒色、久シテ變ジテ白色トナル、土人生ナル者ヲ採リ麥ノ肥トシ、或ハ草履ニ造リテ甚輕シ、讃州ニテハ稻草ニテ小ク束ネ、春盤ノ飾トス、
p.0946 澤藛〈仁諝音昔、楊玄操音私也反、〉一名水寫、〈一名及寫〉一名芒芋、一名萮寫、一名鼠舄、一名鬼舄、一名水芒、一名鵲朱、一名蓬、〈已上六名出二釋藥性一〉一名澤足、一名禹芝、一名悲通天、一名鵠朱、一名蓬蔂、〈已上出二神仙服餌方一〉一名鵠珠、一名藥菜、〈葉名也、已上出二兼名苑一、〉和名柰末爲(○○○)、一名於毛多加(○○○○)、
p.0946 澤寫 本草云、澤寫一名芒芋、〈和名奈萬井〉
p.0946 按爾雅、 、 、蓋是草根如二舄履一、故名レ舄、生二池澤中一、故又名二澤舄一、後從レ艸作レ 或増レ宀作レ寫、或作レ 或連二澤字一増二水旁一作レ瀉、皆俗舄字、非レ假二借書寫字泄瀉字一也、李時珍謂、澤瀉之功長二於行 水、如二澤水之瀉一也、其説恐非レ是、陶注云、葉狹長、叢二生諸淺水中一、本草圖經云、春生レ苗、葉似二牛舌一、獨莖而長、秋時開二白花一、作レ叢、似二穀精草一、今俗呼二佐自於毛太加一、〈◯中略〉本草和名云和名奈末爲、一名於毛多加、新撰字鏡葫訓二奈万井一、按奈末爲不レ詳、於毛多加可下以二東醫寶鑑野慈姑、草花譜慈姑花一充 之、然其根不レ可レ食、則此所レ擧奈万爲、當下是今俗呼二久和爲一者上、本草、藉姑、二月生レ葉如レ芋、陶注云、生二水田中一、葉有二椏状一、如二澤寫一、不二正似 芋、其根黄、似二芋子一而小、煮食レ之乃可レ噉、蘇注云、此草一名槎牙、一名茨菰、生二水中一、花似二錍箭鏃一、澤寫之類也、本草圖經云、剪刀草、生二江湖及京東近水河溝沙磧中一、味甘微苦寒無レ毒、葉如二剪刀形一、莖 似二嫩蒲一、又似二三稜苗一、甚軟、其色深青緑、毎叢十餘莖、内抽二出一兩莖一、上分レ枝開二小白花一、四瓣蘂深黄色、根大者如レ杏、小者如二杏 一、色白而瑩滑、一名慈菰李時珍曰、慈姑生二淺水中一、人亦種レ之、三月生レ苗、青莖中空、其外有レ稜、葉如二燕尾一、前尖後岐、霜後葉枯、根乃練結、冬及春初、堀以爲レ果、嫩莖 亦可二煠食一、是皆可レ充二久和爲一也、
p.0947 澤 〈ナマヰ、一云オモタカ、〉
p.0947 澤寫〈ナマヰ オマタカ〉 烏芋 草 芒芋 芘 茈〈已上同芘〉 䕪蕮〈仁諝音昔、楊玄操音私也反澤寫、一云、藥草也、車前別名、〉
p.0947 澤舄〈オモタカ亦ナマヰ〉
p.0947 澤瀉(ヲモタカ)
p.0947 澤瀉(オモダカ)
p.0947 澤瀉(ヲモダカ)〈鵠瀉、禹孫並同、〉 (同)〈並見二本草一〉 澤瀉(ミヅナギ/○○) (同)
p.0947 澤瀉 ナマヰ(○○○)〈和名鈔〉 サジヲモダカ(○○○○○○)〈京〉 ナヽトウグサ(○○○○○○)〈佐州〉 ナヽト(○○○)〈新校正〉水澤中ニ生ズ、奧州仙臺ノ産眞物也、春舊根ヨリ苗ヲ生ズ、葉ノ形車前(オホバコ)ノ葉ニ似テ、大ニシテ厚ク、數葉叢生ス、夏ノ末莖ヲ抽コト高サ三四尺、節ゴトニ三枝ヲ分チ、枝ゴトニ三叉ヲ分チ、叉ゴトニ一花ヲ開ク、三瓣白色、大サ三分許、下ニ三蕚アリ、花後實ヲ結ブ、圓小ニシテ薄ク、圓ニ並ビテ冬葵(フユアフヒノ)子ノ如シ、霜後苗枯ル、諸國自生ノ者ハ、葉ノ形羊蹄(ギシギシ)ノ葉ニ似テ長ク、花ノ色淡紫、其根至テ小クシテ輕虚、コレ即本草原始ニ載ル所ノ水澤瀉ニシテ下品也、藥舖ニ鬻グ所舶來ノ者ヲ上品トスレドモ、今少シ、仙臺ヨリ出ル者多シ、舶來ニ次テ上品トス、古ハ丹波、近江、越後ヨリ水澤瀉ヲ出ス、今ハ否ズ、古ヨリ澤瀉ヲオモダカト訓ズルハ非ナリ、オモダカハ野茨菰、〈東醫寶鑑〉慈菰花〈草花譜〉ナリ、
p.0947 澤瀉(たくしや)たくしやは、水田にうへてよし、是も藥屋にうるべし、藺をうゆる法に同じ、丹波にて尤も多く是を作る、
p.0947 澤瀉 冷味甘鹹 土氣ヲ能洗テ、酒ニ一日一夜付テ、剉テ焙用、腎虚尤吉、止二泄精、頭旋、消渇、耳虚鳴一、治レ淋多服令二人眼病生一、
p.0948 諸國進年料雜藥大和國卅八種、〈◯中略〉澤寫當歸各四斤、 近江國七十三種、〈◯中略〉澤寫三斤、 若狹國廿四種、〈◯中略〉澤寫六兩、〈◯下略〉
p.0948 草はおもだか(○○○○)も名のおかしき也、心あがりしけんとおもふに、
p.0948 烏芋一名籍姑、一名水 鳬茨、〈仁諝音上府下在此反、出二陶景注一、〉一名槎牙、〈仁諝音錫加反〉一名茨菰、〈澤瀉之類也、已上出二蘇敬注一、〉鳥茈、〈出二崔禹一〉一名水芋、〈出二兼名苑一〉一名王銀、〈出二雜要訣一〉和名於毛多加、一名久呂久和爲(○○○○○)、
p.0948 烏芋 蘇敬本草云、烏芋〈和名久和井〉生二水中一、澤寫之類也、
p.0948 本草云、烏芋、一名藉姑、二月生レ葉、葉如レ芋、陶注云、今藉姑生二水田中一、葉有二椏状一、如二澤寫一、不二正似 芋、其根黄、似二芋子一而小、煮食乃可レ噉、疑三其有二烏名一、今有二烏者一、根極相似、細而美、葉乖異状頭如二莞草一、呼爲二鳬茨一、恐此非也、蘇注云、此草一名槎牙、一名茨菰、葉似二錍箭鏃一、按陶注籍姑、蘇注茨菰槎牙、詳二其形状一、可レ充二久和爲一、陶注 茨、其説不レ可レ讀、雖レ似レ有レ誤 茨即烏芋、故本草圖經云、烏芋今 茨也、苗似二龍鬚一而細、正青色、根黒如二指大一、輔仁訓爲二久呂久和爲一是也、然本草統言、以二藉姑一爲二烏芋一名一、陶注混二説二物一、蘇所レ説亦是藉姑故源君訓二久和爲一也、其實藉姑訓二久和爲一、烏芋訓二久呂久和爲一爲レ允、久和爲钁藺也、其莖似レ莞、其葉似二钁鑱一、故名レ之、烏芋根似二藉姑一而黒、故名二久呂久和爲一、其葉不レ似二钁鑱一也、又輔仁烏芋或訓二於毛多加一、按於毛多加其葉如二人仰見之状一、故有二是名一、當下似二東醫寶鑑野慈姑、草花譜慈姑花一充 之、其草頗似二藉姑一、則知輔仁所レ云於毛多加、以訓二藉姑一、非レ訓二烏芋一也、
p.0948 烏芋〈クワヰ澤寫類也、〉
p.0948 烏芋〈オモタカ〉
p.0949 烏芋(クワイ)
p.0949 烏芋(クハイ)
p.0949 荸薺〈クロクワイ、葧臍同、一名地栗、〉
p.0949 烏芋(クログハイ)〈葧臍、地栗、鳬茈、鳬茨並同、蓋皮黒肉 者、名二猪荸薺一、皮紫肉軟者、名二羊荸薺一、〉
p.0949 烏芋(クロクハ井)〈時珍云、烏芋慈姑原是二物、慈姑有レ葉、其根散生、烏芋有レ莖無レ葉、其根下生〉 葧臍(同) 鳬茈(同)〈黒三稜、地栗、並同、〉
p.0949 澤寫ナマヰ 烏芋クワヰ 倭名鈔に澤寫一名芒芋、ナマヰといふ、烏芋はクワヰ、生二水中一澤寫の類也と註せり、ナマヰといひ、クワヰといふ、義不レ詳、〈ヰといふは、イモといふ語の急なるなり、二物並に芋の名ありて、倭名鈔に亦芋類に收載せし即此也、ナマとは生也、クワとは鍬也、その莖葉をつらね見るに、鍬の形に似たる故也、頭鍪の飾に鍬形といふものを、古俗相傳へてヲモダカの葉のひらけたるにかたどれるなどいふも、此義なる也、〉後俗澤寫の字讀て、ヲモダカといふは、然るべからず、ヲモダカといふものは慈姑草也、澤寫には異なるものなり、〈古俗ヲモダカと云ひしもの、今俗にシログワヰといふなり、シログワヰは、陶弘景がいひし藉姑生二水田中一、葉有二椏状一如二澤瀉一、其根黄、似レ芋而小、煮レ之可レ啖といふものにして、即慈姑一名河鳬茈、一名白地栗、一名水萍、また剪刀草、箭搭草、槎牙草、などいふもの是也、それをシログワヰといふは、倭名鈔にみえし烏芋、彼俗に葧臍などいひ、此にクワヰといふものに、紫黒二種あるに對しいふなり、其慈姑は三瓣の小白花開くなり、慈姑の如くにして、深藍色の花を開きぬるをも、雨久花などいふなり、〉
p.0949 烏芋烏芋、荸臍、地栗とも云、農政全書に云、正月に種子をとる、芽を生ずる時、土がめなどに土をまぜて入置、二三月になり水田にうつし、扨芽さかへて後分ちうゆべし、冬春ほり取て菓子とし、生にても食ひ、煮ても食ふ、唐にては多く作りて、凶年には粮とすると見えたり、津の國河内邊に多く作る物なり、
p.0949 烏芋 黒白倶和惠之中、其白者味爲レ佳、烏芋亦其味淡脆而堪レ食共賣二京師一、
p.0949 烏芋 苦甘微寒、色〈黒名二鳬茨一、苗似二龍鬚一而細、正青色、根黒如二指大一、皮厚有レ毛、小名二葧薺一、大名二地栗一、白者名二茨菰一、皮薄澤、葉大根大、名二浂菰一、〉主二消渇痹熱一、多食患二脚氣一、有二冷氣一人不レ可レ食、腹脹滿與レ驢同食筋急、除二胸熱黄疸一、益レ氣下二丹石一、
p.0950 烏芋 クログワヰ(○○○○○) グワヰヅル(○○○○○) ギワヰヅル(○○○○○)〈播州〉 イゴ(○○) ズルリン(○○○○)〈共同上〉 コメカミ(○○○○)〈阿州土州〉 ゴヤ(○○)〈阿州〉 ズルリ(○○○)〈備前〉 ギワ(○○)〈防州〉 シリサシ(○○○○)〈越前〉 アブラスゲ(○○○○○)〈仙臺〉池澤中ニ多シ、葉ハ莞葉ニ似テ細小、長サ二三尺、多ク叢生ス、質柔ニシテ内空シ、夏ニ至リ葉上ニ穗ヲ出ス、長サ一寸許、黒色ニシテ白蘂アリ、薹(スゲ)ノ穗ニ似タリ、是花ナリ、根ニ細白條多シ、秋後苗枯ル、冬春ノ間泥ヲ掘レバ、白條ノ末ニ根アリ、形圓扁、大サ六七分、皮黒ク肉白シ、生熟皆食フベシ、唐山ニテ栽ル者アリ、本邦ニテ皆野生ナリ、
p.0950 慈姑〈ヲモダカシロクワイ(○○○○○)〉
p.0950 慈姑(シログハイ/ヲモダカ)〈水萍、白地栗、茨菰並同、苗名二剪刀艸、燕尾艸一、〉
p.0950 慈姑(クハ井/シロクハ井) 慈姑(シロクハイ)〈藉姑、白地栗並同、本草出二水田中一葉如二澤瀉一、其根黄似二芋子一而小、〉
p.0950 慈姑〈稱二於毛多加一、根稱二白久和井一、〉集解、慈姑生二淺水中一、或亦種レ之、三月生レ苗、青莖中空有レ稜、葉如二燕尾箭鏃一、而前尖後岐、四五月開二小白花一作レ穗、霜後葉枯、根乃結レ顆、如二小芋魁一、冬及春初掘以爲レ果、煮熟食則不三麻澀戟二人咽一、灰湯煮レ之亦佳、本邦有下以二澤瀉一爲中同物上、此據下陶弘景状如二澤瀉一、蘇恭爲二澤瀉一之類上歟澤瀉葉有二後岐一、而前不レ尖如二牛舌一、今處處別有レ之、近世藥市采レ之以鬻矣、
p.0950 茨菰 苦甘冷、多食生二脚氣、腸風、痔瘻一、孕婦勿レ食、主二消渇一益レ氣、産後餘血悶亂攻レ心、及胎衣不レ下、煮汁服レ之、下二石淋一除二癰腫一、久食發二癱緩風一、損レ齒失二顏色一、以上二種、〈◯烏芋茨菰〉藥罕用、荒歳多以充レ粮、
p.0950 慈姑 クワヰ(○○○)〈和名鈔〉 クワヱ(○○○) シログワヰ(○○○○○) ツラワレ(○○○○)〈越前◯中略〉水田ニ栽ユ、葉長シテ尖リ、下ハ二ツニ分レ、剪刀ノ形ノ如シ、故ニ剪刀草燕尾草ノ名アリ、一種オモダカ(○○○○)アリ、一名ハナグワヰ、葉ノ形状クワヰニ異ナラズ、只瘠小ナリ、夏月別ニ莖ヲ抽テ、三枝ヲ 分チ花ヲ開ク、白色三瓣ニシテ内ニ黄蘂アリ、頌ノ説ニ四瓣ト云ハ非ナリ、一種千葉ノ者ハ鈴子菊(コガネメヌキノ)花ノ如シ、コノ根狹小食用ニ堪ヘズ、只種テ花ヲ賞スルノミ、池澤ニ自生多シ、オモダカハ東醫寶鑑ノ野茨菰草、花譜ノ慈菰花ナリ、慈姑ハ花ヲ開カズ、稀ニ花ヲ開ク者アリ、其根夏秋ハ細白條ノミ、冬春堀ル時ハ塊根アリ、京師ノ産ハ、形圓ニシテ大サ七八分、或ハ一寸、皮淡青ニシテ肉白シ、皮ヲ去リ煮テ食用ニ供ス、他州ノ産ハ形大ニシテ、微長味劣レリ、一種根小ニシテ無患(ムクロジ)子ノ大サナル者アリ、マメグワヰ(○○○○○)ト云フ、又スイタグワヰト云フ、攝州吸田村ニテ多ク種ヘ出ス故ニ名ク、二三月京師ニ賣ル、ハカリグワヰト云、能州ニテゴワヰト云、苗形同ジク小ナリ、一種細葉ノヲモダカ(○○○○○○○)、池澤ニ自生アリ、葉濶サ三四分、長サ一尺許、花モ亦小シ、コレヲ鳥羽繪グワヰト云、一名アギナシ、〈筑前〉ヲトガイナシ、〈仙臺〉其初出ノ葉岐ナクシテ、竹葉ノ長キガ如シ、故名ク、是等皆慈姑ノ品ナリ、
p.0951 慈姑くはいは是泥中の珍物也、先たねを收めをく事、來年作るべき、分量をはかりて、水を落せば、即堅田となる所に、別にうへをき、春移しうゆる時分まで、其田にをき、うゆる時にいたりて掘取、中にてふとく見事なるを、ゑらびてうゆべし、うゆる地の事、第一は稻は出來すぎてよからず、濁水など流れ入て、他の物は過て、實りなき所を上とす、もとより稻に宜しき田なりとも、地心其外利潤をはかりて、所によりて作るべし、都或は國都などの、大邑に遠き所にては、過分には作るべからず、水濕絶ざる所の、泥深く肥たるに、糞しをも多く用ゐてうゆれば、厚利ある物なり、うゆる時分の事、三月初より四月初まではよし、耕しこなす事、稻田のごとくくはしからずしても苦しからず、凡七八寸ほど間を置て、一ツ宛芽の方を上にしてうゆるべし、臘月に水田にうへをき、來年四月苗生じて、稻をうゆるごとく種べしと、唐の書に記せり、同じく糞を用る事、稻の出來過る地に は入るに及ばず、稻によき程の地ならば、五月の中に、濃糞を一二遍もうつべし、若地の性つよく和らぎかぬる所ならば、くさりたる草、あくた、其外土の和らぐ物を入べし、但長ながらば入べからず、すさのごとく切て、ふるひかくべし、山草どほろ猶よし、されど肥過て、莖葉甚さかゆれば、根の實り少し、中うち藝る事も、うへ付てはなりがたき物なるゆへ、うゆる前方こなし、草生ぬ様にすべし、さて掘取事は、九十月水をおとし、乾してほり取べし、若水を落す事ならぬ田ならば、廻りをせき水をかへ、乾しをき、一方に鍬にて一筋掘口をあけて、手にて掘取べし、鍬にてほれば、根に疵付損ずる物なり、但一度に悉くほり取べからず、市町にうるとても、一度に過分には入ざるゆへ、度々におこすべし、清水にてきよく洗ひ、桶に水をため入て外にをき、日おひをし、日風に當べからず、夜は内に入べし、又は泥ながら濕地にいけ置て、用にまかせて、洗ひたるもよし、掘取て廿日ばかりは、折々水をかけ置ても、損ずる事なし、
p.0952 苗代 阿闍梨隆源くはゐ(○○○)生る野澤の荒田打かへしいそげるしろは室の種かも
p.0952 苦草 セキセウモ(○○○○○)〈江州〉 ヘラモ(○○○)〈同上〉江州琵琶湖ニ多シ、根ハ水底ニアリ、葉ハ黒三稜(ミクリ)ニ似テ薄ク、ネヂレテ叢生ス、一種葉邊ニ軟刺アルヲコウガイモト云フ、
p.0952 道灌山ノ産 苦草(せきしやうも)
p.0952 龍舌草、今案多豆乃之多(○○○○○)、
p.0952 龍舌草 水中ニ生ズ、葉如二車前一水中生レ花、花白如レ菱而大、處々有レ之、本草水草類載レ之、西土ノ方言水ホコリ(○○○○)ト云、水カハケバ葉枯ル、又水葵(○○)ト云、葵葉ニモ似タリ、花ハ三出ナリ、八月ニサク、實ハ三角アリ、細ナリ、
p.0953 龍舌草大和本草ニミヅアサガホ(○○○○○○)ニ充ツルハ穩ナラズ、ミヅアサガホハ胡蘿蔔(ナニンジン)ノ如キ根ナキ故ナリ、然レドモ其類ナルベシ、ミヅアサガホハ一名ミヅオホバコ、ミヅホコリ、〈筑前〉ミヅアフヒ、〈同上〉カハホウヅキ、〈備前〉タオホバコ、〈江州〉池澤及田中ニ生ズ、一根數葉形車前葉ニ似テ薄ク、黄緑色ニシテ常ニ水底ニアリ、秋ニ至テ莖ヲ抽テ頂ニ一花ヲ開テ水上ニ出ヅ、三瓣、大サ錢ノ如ク、淡紅色又白花ナル者アリ、共ニ花下ニ實アリ、長サ七八分、三稜ニシテ鋭ナリ、内ニ小子アリ、一種大葉ノ者ハ圓ニシテ尖リ、大サ五六寸、花實モ亦大ナリ、
p.0953 龍舌草(あだん)〈臺灣府志〉 油葱〈嶺南雜記〉とも云、其脂液を本草に蘊薈といふ、本暖國の産なり、阿蘭陀には種類甚多し、本邦には黄花と淡紅花と二種あり、葉は蘿蔔の莖の如にして大なり、その形鱟魚(かぶとがに)の尾に似たり、夏秋二度花咲ことあり、花の莖三四尺あり、根より生る小科を分植べし、夏中人糞魚洗汁など多く澆てよし、尤盆栽なれば、土乾たる時澆べし、濕過れば腐易し、十月中頃より唐むろへ入、清明過に出してよし、