p.0587 瓠〈胡古反、去、匏〉 〈文交反、以レ瓠爲二飮器一也、〉
p.0587 苦瓠、〈仁諝音胡故反〉瓠 〈亦瓠類也、楊玄操上作レ觚、音侯、下力侯反、〉一名瓢、〈小者出二蘇敬注一〉甘瓠、〈味甘出二崔禹一〉一名赤陽藏温、〈出二養性要集一〉和名爾加比佐古(○○○○○)、
p.0587 杓〈瓢附〉 唐韻云、〈◯中略〉瓢〈符宵反、和名奈利比佐古(○○○○○)、〉瓠也、瓠〈音與レ護同〉匏也、匏〈薄交反〉可レ爲二飮器一者也、
p.0587 按瓢、古單言二比佐古一、其長項者、割レ之爲二斟レ水器一、所レ謂長項壺盧勺也、後以二木勺一代レ之、然其名依レ舊呼二比佐古一、比佐古遂爲二木勺之專名一、故瓢云二奈利比佐古一以別レ之、奈利草木之結實之謂也、與下訓二蜀椒一爲中奈流波之加美上同、
p.0587 苦瓠〈仁諝音〉 瓠 〈亦瓠類也、楊玄操上作レ觚、音侯、下力侯反、〉 瓢〈小者出二蘇敬注一〉 甘瓠〈味甘出二崔禹一〉赤陽藏温〈出二養性要集一、已五名ニカヒサコ、見二本草一、〉
p.0587 瓠〈ヒサゴ〉 薮 匏瓜 〈八月期也〉 王瓜 玄瓜〈已上同瓠也〉 〈ヒサゴノサネ〉 瓣〈同〉 烏蘝苺〈ヒサコツラ〉 白 萑 菼〈已上ヒサコツラ、見二本草一、出二兼名苑一、〉
p.0587 瓢簟(ヘウタン)
p.0587 瓢簟(ヘウタン)〈或作二瓢 一〉
p.0587 壺盧(ユフガホ/フクベ)〈瓠瓜同、或名二葫蘆一非也、〉 匏瓜(ヲホフクベ) 懸瓠(ナリヒサゴ/ヒヤウタン) 苦瓠(ニカヒサゴ)〈苦壺盧、苦匏並同、〉 敗瓢(ヤブレフクベ) 匏子(フクベ) 蒲盧(ヒヤクナリ)
p.0588 匏亦瓜之類也、與レ瓠一種而有二甘苦之異一、甘者爲レ瓠、詩所レ謂幡幡瓠葉是也、苦者爲レ匏不レ可レ食、但可二用以渡 水而已、詩所レ謂匏有二苦葉一、濟有二深渉一是也、故夫子謂二子路一、吾豈匏瓜也哉焉、能繫而不レ食、言二但可レ翫而不 可レ食也、注者乃以下繫二於一處一而不 能二飮食一、解レ之則凡草木之類皆然、何必瓠瓜、此大可レ笑也、然匏瓠古亦通用、廣雅曰匏瓠也、惠子謂二莊子一、魏王貽二我五石之瓠一、則亦匏也、河汾之寶、有二曲沃之懸匏一焉、則亦瓠也、今人以二長而曲者一爲レ瓠、短項而大腹者爲二葫蘆一、即匏也、亦謂二之壺一、豳風八月斷レ壺、鶡冠子、中流失レ船、一壺千金是也、然則壺嫩而甘者亦可レ食、老而苦者、古人皆用以渡レ水、今人則用以盛レ水而已、與レ瓠形質旣殊、其熟瓠先而匏後、而古人通用レ之者一種也、〈陸佃埤雅斷以爲二二種一、固亦無レ害、乃釋レ匏而又釋二壺與 瓠爲レ三誤矣、〉余於二市場戲劇中一見二葫蘆一、多有二方者一、又有下突起成レ字爲二一首詩一者上、蓋生時板夾使レ然不レ足レ異也、最後於二閩中一見二一葫蘆一、甚長而拗二其頸一結レ之若二繩状一、此物甚脆、而蔓係二於樹一、腹又甚大、不レ知何以能結レ之也、〈或云、以二燒酒一沃レ之、則軟而可レ結、山東亦嘗見レ之、但長頸者另一種耳、〉
p.0588 ゆふがほ 壺盧也、夕顏の義今俗ゆふごといひ、信濃にてよふがふともいへり、六百番歌合にも、夕露にひもとく花とよめり、枕草子に、夕がほは朝がほに似て、いひつヾけたるをかしかりぬべき姿にて、花のありさまこそいとくちをしけれと云り、一説にふるき源氏繪などに云るは、王瓜也といへども、その花夕かげには却てしぼめり、夕がほの雪といへるは花をいへり、
p.0588 瓢簟瓢と簟とは別物にて一物にあらず、一簟の食、一瓢の飮といふは、竹にて組みたる器に、飯を入れたるを一簟の食といひ、ふくべに入れたる酒を、一瓢の飮といへるにて、瓢と簟とは似よりたるものにあらず、さるを瓢のみをへうたんといへるは、いみじき誤なり、
p.0589 六條わたりの御忍びありきの比、うちよりまかで給なかやどりに、大貳のめのといたくわづらひて、あまに成にけるとぶらはんとて、五でうなるいへたづねておはしたり、〈◯中略〉さきもをはせ給はず、誰とかしらんとうちとけ給て、すこしさしのぞき給へれば、かどはしとみのやうなるをしあげたるみいれの程なく、ものはかなきすまゐを、哀にいづこかさしてとおもほしなせば、玉のうてなもおなじことなり、きりかけだつ物に、いとあをやかなるかづらの、こヽちよげにはひかヽれるに、しろき花ぞをのれひとりゑみのまゆひらけたる、をちかた人に物申とひとりごちたまふを、御隨身ついゐて、かのしろくさけるをなん、夕がほ(○○○)と申侍る、花の名はひとめきて、かうあやしきかきねになんさき侍けると申、げにいと小家がちに、むづかしげなるわたりの、このもかのもあやしう打よろぼひて、むね〳〵しからぬのきのつまなどに、はひまつはれるを、口おしの花のちぎりや、ひとふさおりてまいれとの給へば、このをしあけたる門に入ておる、さすがにされたるやり戸口に、きなるすヾしのひとへばかま、ながくきなしたるわらはの、おかしげなる出きて、うちまねく、しろき扇のいたうこがしたるをこれにをきてまいらせよ、枝もなさけなげなめる花をとてとらせたれば、かどあけて惟光の朝臣のいできたるして、たてまつらす、〈◯中略〉修法など又々はじむべきことなど、をきての給はせて、出給とて、これみつにしそくめして、ありつる扇御らんずれば、もてならしたるうつり香、いとしみふかうなつかしうて、おかしうすさびかきたり、心あてにそれかとぞみる白露の光そへたる夕がほの花
p.0589 六月の比、あやしき家に、夕顏のしろくみえて、かやり火ふすぶるもあはれなり、
p.0589 十二番 夕顏 右〈勝〉 中宮權大夫折てこそみるべかりけれ夕露にひもとく花の光ありとは
p.0590 壺盧 或謂二葫蘆一、又稱二瓠瓜一、又謂二匏瓜一、倭俗謂二瓢簟一、又稱二浮壺便一、凡壺酒器也、盧飯器也、老 者作二盛レ藥佳器一、或盛二山椒粒一、或用レ縄繫レ腰、盛二酒茶一爲二遊山之具一、是稱二約腹壺一、以三其腹有二約束一也、其大者盛レ飯、又一種長如二越瓜一、而首尾如レ一者爲レ瓠(○)、又瓠之一頭有レ腹、長柄者爲二懸瓠(○○)一、又稱二杓瓢一、老 者作レ杓、輕快堪レ用、倭俗謂二柄杓瓢簟一、又短柄大腹者、存二短柄之心一、伐二其側之左右一、盛二炭於腹内一、以レ手提二携短柄之所 存、置二爐邊一、倭俗稱二手浮壺便一、又一切伐二短柄一盛レ炭者、是謂二炭斗浮壺便一、茶人專用レ之、是亦爲二茶亭之一具一、凡瓠瓢小者處々有レ之、其大而盛レ炭者、自二近江國武佐一來、又洛東田中村人、農業暇種レ之、到レ秋成レ實、其未レ熟時、好事茶人自行二其棚頭一、就二蔓上之有 所、而約二其形状之所レ稱レ心者一、或以レ繩縛レ之、則其形隨レ所レ好、而成後伐レ之、陰乾而用レ之、其外皮黴腐而有二斑點一者爲レ良、又大瓢去二瓤 一、緊塞二其口一、著二胸膈之間一、以レ緒縛レ胴、而浮レ水則不レ沈、有レ便二游泳一、故倭俗或稱二浮壺便一、
p.0590 乾瓢(○○)〈俗作二干瓢一、干與レ乾通、 乾也、故可二互用一、〉釋名、夕顏、〈必大(平野)按、用二乾瓢之花一、本邦自レ古稱二夕顏一、顏訓二加保一、歌人最賞レ之、其花午凋暮盛、故曰二夕顏一、實及葉莖亦倶稱二夕顏一也、〉集解、處處多有、正二月下レ種、生レ苗引レ蔓、延縁二于門牆屋及樹竹一、其葉似二冬瓜葉一而稍團、有二柔毛一、嫰時爲レ蔬可レ食、去二青皮及瓤一細剉令レ長、日晒則白長、如レ製二紙及布一、其味甘美、代二乾鰹一爲二僧家用一、或煮熟食亦佳、此俗曰二乾瓢一、五六月開二白花一、状閑雅有二野姿一、故歌人詠二賞之一、以二其夕美一、呼曰二夕顏一、結レ實青白色而長、老則晒乾、渡レ水憑河者著レ之、其瓠中之子、齒列而長、此詩所レ謂瓠 也、又一頭狹腹長柄者懸瓠(○○)也、本邦作レ瓶作レ杓也、〈◯中略〉附録、瓢〈瓢及壺盧者總稱也、瓠子(○○)訓二布久邊一、瓠瓜亦同、蒲盧(○○)者俗謂二百生瓢箪一也、倶不レ食、倶暴乾可レ用レ器、此亦正二月下レ種、莖葉花通與レ瓠同、大者作二酒瓢炭瓢一、小者去レ犀入二椒及丸散香煎之類一、或作二佩瓢一、生時治二形之不 好、則乾後全好、近代爭誇レ奇爾、〉
p.0590 壺盧 瓠瓜〈瓢同〉 匏瓜 由不加保 俗云由不古 味甘、故對二苦瓢一名二甘瓢一、本綱壺盧象レ形〈壺酒器、盧飯器、〉也、長瓠、懸瓠、匏瓜、蒲盧、名状不レ一、其實一類、有二遲早之殊一、〈◯中略〉 瓠(○) 形長如二越瓜一、首尾如レ一者也、懸瓠(○○) 瓠之一頭有レ腹長柄者也匏(○) 無レ柄、忉圓大形扁者也、壺(○) 匏之有二短柄一而大腹者也蒲蘆(○○) 壺之細腰者也、蒲蘆今之藥壺盧是也、〈◯中略〉按壺盧彼岸中下レ種、立夏前後移種レ苗、五六月開二正白花一、日午凋暮盛、故俗稱二夕顏一、〈朝顏即牽牛花、晝顏即旋花、〉結レ實有二早晩二種一、早者多結レ實而不レ久、晩者久結レ實而不レ多、苦瓠(○○) 苦壺盧 苦匏 蒲盧 〈和名比佐古、又云不久倍、〉 俗云瓢箪〈◯中略〉按苦瓠〈俗云瓢箪〉與二壺盧一一類別種者明、葉花小似二壺盧一、瓤味苦不レ堪レ食、圓大者多作二炭斗一、有二長而細腰者一、可レ作二酒樽一、有二長五七寸者一、俗稱二百生一、有二二三寸者一、稱二千生一、佩レ腰盛二藥物及椒顆一久不レ失レ味、本草所レ謂蒲盧是也、細腰本末相均者、俗呼曰二闇夜(ヤミノヨ)一爲レ珍、
p.0591 壺盧 スヽケバナ〈古歌〉 スヽケノハナ タソガレグサ〈共ニ同上〉 ユウガホ ユウガウ〈防州〉 ユウゴ〈阿州、勢州、〉 ナリヒサゴ シトミグサ〈葉名◯中略〉凡ソフクベ、ヒヤウタン類ハ、皆白花ニシテ、夕ニ開キ朝ニ萎ム、故ニ總ジテユウガホト呼ブ、品類多シ、分別ノ説一ナラズ、釋名ノ註ニ説ク所ヲ正トス、瓠(○)ハナガユウガホ、一名ナガフクベ、形長シテ首尾同ジ大サニシテ越瓜(アサウリ)ノ形ノ如ヲ云フ、一名淨街槌、〈事物紺珠〉甜瓠〈千金方〉扁蒲、〈群芳譜〉匾蒲、〈大倉州志〉ウスク片ニシテ乾タルヲ、カンピヤウト云、勢州ヨリ出ル者佳ナリ、他州ヨリモ出ス、加州ノ者ハ劣レリ、漢名瓠畜、〈劉熙釋名〉葫蘆乾、〈物類相感志〉又甚ダ長キ者ハ、五六尺ニ過グ、用テ花瓶トス、肥後ヨリ出ス、懸瓠(○○)ハヒサゴ、一名ツルクビ、シヤクユウガホ、シヤクビヤウタン、其形圓ニシテ大サ四五寸ニシテ、長サ尺餘ノ狹柄アリ、竪ニ二ツニ剖ク時ハ、自然ノ杓トナル、一名長柄葫蘆、〈汝南圃史〉瓢子、〈本草蒙筌〉東呉、〈名物法言〉 長頸葫蘆、〈授時通考〉小柄葫盧、〈苦瓠附方〉長柄茶壺盧、〈敗瓢附方〉匏(○)ハフクベ、一名ヲホフクベ、スミトリフクベ、カンピヤウユウゴ、〈雲州〉其形大ニシテ圓扁、茶人炭斗ニ製スル者ナリ、一名盒盤葫蘆、〈汝南圃史〉其形至テ小ニシテ煙合トナスベキ者ヲ、肥後ビヤウタント呼ブ、考槃餘事ニ、小匾葫蘆ノ名アリ、壺ハクビアルフクベ、番南瓜(カボチヤ)ノ形ノ如キヲ云、一名扁蒲、〈汝南圃史〉蒲蘆(○○)ハヒヤウタン、其形二重ニナリタル者、今用テ酒ヲ入ルヽ器トス、コレヲ酒葫蘆〈水滸傳〉ト云、油ヲ入ルヽヲ油葫蘆〈漁隱叢話〉ト云、又形小ナル者アリ、百ナリビヤウタン(○○○○○○○○)ト云、考槃餘事ニ二三寸葫蘆ト云、苦瓠ノ附方ニ小藥壺盧ト云、又至テ小ナル者ヲ千ナリビヤウタン(○○○○○○○○)ト云、考槃餘事ニ天生一寸小葫蘆ノ名アリ、苦瓠(○○) ニガヒサゴ 一名苦不老〈附方〉 秋壺盧〈同上〉 苦瓢〈郷藥本草〉甘瓠培養宜シカラザレバ變ジテ味苦クナルヲ云、又本經逢原ニハ、即細頸葫蘆ト云、是ハ一説ナリ、ヒヤウタンハ味苦キ故ナリ、
p.0592 瓢の種類瓢にくさ〴〵の種類あり、その水に浮べること泡の如く、また漂ふがごとくなれば、匏とも瓢ともいへり、和名フクベ〈◯圖略〉その長こと越瓜の如く、首尾一のごとくにして、大なるものを瓠(○)と云、和名ユウガホ、〈◯圖略〉小にして細腰のものを蒲盧(○○)といへり、葫蘆といふは非なり、俗にいふヘウタン、〈◯圖略〉同じかたちにて、至て小ものを藥壺盧(○○○)といふ、これを〈◯圖略〉俗にセンナリといへり、匏に似て圓く大きく、短柄のあるもの壺(○)といふ、〈◯圖略〉瓠の頭大からで、柄の長きものを懸瓠(○○)と云、〈◯圖略〉本草に苦匏(○○)あり、國語に苦盧といふ、綱目に苦壺盧と名く、その味膽の如し、詩に苦葉といふものこれなり、和名ニガフクベといふ、〈◯圖略〉
p.0592 瓠種る法肥地を深く耕し區(まち)を作り、深さ廣さ各一尺ばかり、杵にて土をつきかため、うるほひの下 にもれざる様にして、其中に肥たる土を入、蠶のふん或鷄家鴨の糞などを多く入をし付、水をかけ、土と思ひ合せ、たねを四粒宛入、灰糞を以ておほひ、生出て後も力次第、糞水を度々そヽぎ、つる長く成てはなり花を見て先を留べし、あやしき屋の上にはヽせ、或は棚をゆひて、其上にまとはするもよし、地にはヽする時は、瓜の下に、わらなどをしかせ、折々上を下に取返しをくべし、又手にてなでさすれば、ながくはならずして厚く成ものなり、三月うへて、八月收むべし、器物にするは、よく熟し堅くなりたるを取て、水濕なき地を四五尺も深くほり、わらかこもを、土肌にしき隔て、下には尚厚くしき、瓠を其中に頭の方を下にしてならべ、土を二尺ばかりおほひ、廿日ほどして取出せば、黄色に成たるを、口をきりあけ、さねを出し、それ〴〵の器物とすべし、〈◯中略〉又大瓢を作る法、穴を深さ廣さ各三尺ばかりに掘、其中に糞と土とを等分にまぜ合せ、穴の中一盃に入ふみ付、底までしめりとをる程水を入、水のひいるを待て、たねを十粒ばかり、ばらりと蒔、土糞をおほひ、生じて長さ二尺餘の時、十筋のつるを一つに取合せて、土ぎは五六寸ばかりを布にて卷、其上を苧を以てまとひ、其上を泥を用ひて厚くぬりをけば、十日も過ずして、卷たる所付合て、つる一筋に成なり、其莖の中にてうるはしく性の強きを、一筋殘して、餘は悉く切去べし、其後一つのつるを棚に引上れば、やがて花咲實を結ぶ、其内にて性のつよく、難なくふとるべきを一つ二つ殘し、餘は枝をも皆々つみ去べし、つるのさきをも長くはのばすべからず、但もとなりの一つ二つは、つる付よはくて、ふとりて後あやうし、中なりのふとるべきを二つ殘し置べし、もし旱せば、たび〳〵水をそヽぎ、つねにうるほひを持すべし、かくのごとくすれば、水の四五斗も入ふときが出來るものなり、十筋のみにかぎらず、二筋三筋にても、右のごとくゆひ合せ、糞を多く用れば、如レ形ふとし、又苗をうへをき、三月移しうゆる事冬瓜に同じ、
p.0593 苦瓠 甘寒有レ毒、多食發二痼疾脚氣一、虚脹冷氣人忌レ之、瓠忽苦如レ膽者不レ可レ食、似二越瓜一長 尺餘、主二大水面目四肢浮腫一、食レ之令二人吐利一、壓レ熱服二丹石一人方可レ食、餘人不レ可二輙食一、匏甘冷圓而扁、日華子曰、除二煩渇心熱一、利二小腸一潤二心肺一、治二石淋一、孫眞人曰、甜瓠患二腰脚腫氣及虚腫一者、食レ之永不レ瘥、
p.0594 瓠(ひさご)瓠、夕がほとも云、丸き長き又短きもあり、又ひさくにするは、つる付の方いかにも細長く、末の所丸し、長き方を柄にして水を汲手水のひさくにして、おかしき物なり、唐の許由が木の枝にかけしが、風に鳴たるをむづかしといひし事、つれ〴〵草にも書たり、則此物なり、又丸く大なるは、水を泳ぐに用ゆべし、炭取にし、或器物とし、菜のたねなどを入置てよし、又腰のほど細きは、古より酒器に用ひ來れり、ひさごに苦きと甘きと二色あり、甘き物わかき時色々料理に用ひ、干瓠にして賞翫なる物なり、
p.0594 干瓢(カンヘウ)
p.0594 鴈瓢(カンヘウ)
p.0594 干瓢(カンヘウ)
p.0594 匏蓄(カンヘウ)〈俗云二乾瓢一、按釋名云、瓠蓄皮レ瓠以爲レ脯、蓄積以待二冬月時一用レ之也、〉
p.0594 壺盧乾瓢 土用中取レ之横切片去二皮及瓤一用二白肉一、薄剥連一二丈、如二紙紉一、掛レ架晒乾、如逢レ雨變レ色不レ佳、釋名云、皮瓠以爲レ脯、蓄積以待二冬月一時用レ之、故名二瓠蓄一、〈即此乾瓢也〉信州尾州剥二冬瓜一作、〈幅廣尺短〉眞干瓢河州木本、攝州木津難波多出レ之、送二于四方一、可二煮食一、味甚甜美也、瓠長二尺許、最長者三四尺、味少苦、煮食則甘、匏圓大〈呼レ之名不久倍一〉堪レ爲二腰舟一、味甘、懸瓠、柄長以爲二杓及花瓶一、味甘、〈性忌レ莞、古蓆在二甘瓢圃一味皆苦、〉
p.0594 同國〈◯河内〉名物出所干瓢
p.0594 年中諸大名獻上物之事 五月一福野干瓢(○○○○)、鯖腸、 松平加賀守
p.0595 交易雜物遠江國〈(中略)大匏卅口◯中略〉 常陸國〈(中略)大瓢十口◯中略〉 右以二正税一交易進、其運功食並用二正税一、
p.0595 攝津 今宮千生瓢簟
p.0595 陸奧國法花最勝二人持者語第四十今昔、陸奧ノ國ニ二人ノ僧有ケリ、一人ハ最勝王經ヲ持ツ、名ヲ光勝ト云フ、〈◯此間恐有二脱文二〉本興福寺ノ僧也、此ノ國本ノ生國ナルニ依テ、各本寺ヲ去テ來リ住ス、此ノ二人ノ 人、皆心直ク身清クシテ、各法花最勝ヲ持テ靈驗ヲ施ス、〈◯中略〉而ルニ光勝云ク、此ノ二ノ經〈◯最勝王經、法花經、〉何レカ勝レ給ヘル、勝負ヲ可レ知シ、若シ法花ノ驗勝レ給ヘラバ、我レ最勝ヲ棄テヽ法花ニ隨ハム、若シ亦最勝ノ驗勝レ給ヘラバ、法蓮法花ヲ棄テヽ最勝ヲ可レ持シト、如レ此ク云ヘドモ、法蓮更ニ此レヲ執スル心无シ、光勝亦云ク、然ラバ我等二人各一町ノ田ヲ作テ、年作ノ勝劣ニ依テ、二ノ經ノ驗ノ勝劣ヲ可レ知シト、郷ノ人此ノ事ヲ聞テ、各一町ノ田ノ同程ナルヲ、二人ノ ニ預ケツ、而ルニ光勝 此ノ田ニ水ヲ入レテ、心ヲ至シテ最勝ニ申シテ云ク、經ノ威力ニ依テ、種ヲ不レ蒔ズ、苗ヲ不レ植ズシテ年作ヲ令レ増メ給ヘト祈請シテ、田ヲ作ルニ、一町ノ田ノ苗等クシテ茂リ生タル事無レ並シ、日ヲ經月ヲ重ネテ、稔ヒ豐ナル事勝レタリ、法蓮 ノ田ハ作ル事モ无ク、心ノ如ク入ルヽ人モ无クシテ荒レテ草多カリ、然レバ馬牛心ニ任セテ、田ノ中ニ入テ食ミ遊ブ、國ノ内ノ上中下ノ人此レヲ見テ、最勝ノ ヲ貴ビ、法花ノ ヲ輕シム、而ル間七月ノ上旬ニ、法花ノ ノ田一町ガ中央ニ、瓠一本生タリ、此ノ瓠漸ク見レバ、枝八方ニ指テ、普ク一町ニ敷満タリ、高キ莖有リテ隟無シ、二三日計ヲ經テ、花開テ實成レリ、一々ノ瓠ヲ見ルニ、大ナル事壺ノ如クシテ、隟无ク並ビ臥タリ、此レヲ見ルニ付テモ、人 皆最勝ノ ヲ讚ム、法花ノ 田ノ瓠ヲ見テ、奇異ノ思ヒヲ成シテ、一瓠ヲ取テ、破テ其ノ中ヲ見ルニ、精タル米満テ有リ、粒大ニシテ、白キ事雪ノ如シ、 人此レヲ見テ希有也ト思テ、斗ヲ以テ此レヲ量ルニ一ノ瓠ノ中ニ、五斗ノ白米有リ、亦他ノ瓠ヲ破テ見ルニ、毎レ瓠ニ皆如レ此シ、爰ニ法蓮 喜ビ悲テ、郷ノ諸ノ人ニ告テ、此レヲ令レ見ム、其後先ヅ此ノ白米ヲ佛經ニ供養シ、諸ノ僧ヲ請ジテ令レ食ム、又一果ノ瓠ヲ、光勝 ノ房ニ送リ遣ル、光勝 此レヲ見テ、妬ミノ心有ト云ヘドモ、法花ノ威力ヲ見テ悲ミ貴テ、法蓮 ヲ輕メツル事ヲ悔テ返テ隨ヌ、即チ行テ禮拜シテ懺悔シケリ、法蓮 其ノ瓠ノ米ヲ以テ、國ノ内ノ道俗男女ニ施シ與フ、人皆心ニ任セテ荷ヒ取ル、然レドモ瓠尚十二月ニ至ルマデ更ニ不レ枯ズシテ、取ルニ隨テ多ク成ニケリ、此レヲ見聞ク人、法花經ノ威力ノ殊勝ナル事ヲ知テ、法蓮 ヲ歸依シケリトナム、語リ傳ヘタルトヤ、
p.0596 今はむかし、春つかた日うらヽかなりけるに、六十計の女のありけるが、虫うちとりてゐたりけるに、庭に雀のしありきけるを、童部石をとりてうちたれば、あたりてこしをうちおられにけり、羽をふためかしてまどふほどに、烏のかけりありきければ、あな心うからす取てんとて、此女いそぎてとりて、いきしかけなどして物くはす、〈◯中略〉あからさまに物へいくとても、人に此すヾめみよ、物くはせよなどいひをきければ、子まごなど、あはれなんでう雀かはるヽとて、にくみわらへども、さばれいとおしければとて飼ほどに、飛ほどに成にけり、今はよも烏にとられじとて、外にいでヽ、手にすへて、飛やするみんとてさヽげたれば、ふら〳〵ととびていぬ、女おほくの月比日比、くるればおさめ明ればものくはせならひて、あはれや飛ていぬるよ、又來やするとみんなど、つれ〴〵に思ていひければ、人にわらはれけり、さて廿日ばかりありて、此女のゐたるかたに、すヾめのいたくこゑしければ、すヾめこそいたくなくなれ、ありしすヾめのくるにやあらんと思て、いでヽ見れば、此すヾめ也、あはれにわすれずきたるこそあはれなれとい ふほどに、女のかほをうちみて、くちより露ばかりのものをおとしをくやうにして、とびていぬ、女なにヽかあらん、すヾめのおとしていぬる物はとて、よりてみれば、ひさごのたねをたヾひとつおとしてをきたり、もてきたる様こそあらめとて、とりてもちたり、あないみじ、すヾめの物えて寶にし給とて、子どもわらへば、さばれ植てみんとて、うへたれは、秋になるまヽに、いみじくおほくおいひろごりて、なべての杓にもにず、大におほく成たり、女悦けうじて、さと隣の人にもくはせ、とれども〳〵つきもせずおほかり、わらひし子孫もこれをあけくれ食てあり、一里くばりなどして、はてにはまことにすぐれて大なる七八は、ひさごにせんと思て、内につりつけておきたり、さて月比へて、いまはよく成ぬらんとて見れば、よくなりにけり、とりおろしてくちあけんとするに、すこしおもし、あやしけれどもきりあけてみれば、物ひとはた入たり、なにヽかあらんとて、うつしてみれば、白米の入たる也、思がけずあさましとおもひて、大なる物にみなをうつしたるに、おなじやうに入てあれば、たヾごとにはあらざりけり、すヾめのしたるにこそと、あさましくうれしければ、物にいれてかくしおきて、のこりの杓どもをみれば、おなじやうに入てあり、これをうつし〳〵つかへば、せんかたなく多かり、さてまことにたのもしき人にぞ成にける、となり里の人も見あざみ、いみじきことにうらやみけり、
p.0597 苽 〈二形同、古胡反、彫胡、〉
p.0597 瓜〈二形作古花反、平、菓苽也、食子菓三百六十一、以レ瓜爲レ長也、〉
p.0597 〈宇利(○○)〉
p.0597 瓜〈瓣附〉 唐韻云、瓣〈音辨、和名宇利乃佐禰、〉瓜瓠瓣也、
p.0597 瓜〈ウリ〉 〈廣雅云、龍蹄獸掌羊骹兎頭、桂髓、密筩、小青、大班、皆瓜名也、〉 苽 㼐〈已上〉 瓤〈ウリノサネ、瓜實也、〉 白瓜子〈ウリノサネ、蘇敬注曰、白字誤、當二攺爲 甘、〉 水芝 苽子 水芝瓜〈出二蘇敬注一〉 甘瓜子〈出二崔禹一〉 兎延〈白瓜辨也、出二神仙服餌方一、已上六名ウリノサネ見二本草一、〉 瓣〈ウリノサネ〉
p.0598 瓜(ウリ)〈或作レ苽也〉 青門(セイモン) 東門(トウモン)〈共瓜異名也、秦東陵侯、種二瓜長安城東一、瓜有二五色一甚美、謂二之青門瓜、東門瓜一也、〉
p.0598 茶子菓子類、集二山海之珍産一度存候、尋出分有レ之、〈◯中略〉瓜〈◯中略〉 〈胡白〉瓜 〈諸冬〉瓜 〈熟唐〉瓜 細地 梵天 瓠 榎子瓜
p.0598 瓜(ウリ)〈五色青門〉 瓣(ウリザネ)
p.0598 五色(コシヨク)〈瓜名〉
p.0598 青門(セイモン)〈瓜名〉
p.0598 苽瓜〈上俗下正〉
p.0598 无二慈心一而馬負二重駄一以現得二惡報一縁第廿一昔河内國有二 販(○○)之人一、名曰二石別一也、過二馬之力一而負二重荷一、馬不レ往時、瞋恚捶駈、負レ荷勞レ之、兩目出レ 、賣レ 竟者、即殺二其馬一、如レ是殺レ之爲二多遍一、
p.0598 〈即苽字、苽瓜俗字、見二干祿字書一、按瓜與レ爪字體相近易レ混、故加レ艸以分レ之也、説文苽彫苽、非二此義一、又按、本草和名作レ 、新猿樂記作レ 、皆筆迹少異耳、醫心方亦瓜作レ 、〉
p.0598 うつくしきものふり(○○)にかきたるちごのかほ
p.0598 ふりにかきたる 姫瓜の事なるべし
p.0598 六帖 衣笠内大臣〈◯藤原家良〉百敷やくらのつかさのふり(○○)うりに我おとらじとつどふうなひこ
p.0598 瓜ウリ 義不レ詳、ウリとは其熟ぬるをいひしに似たり、〈梅の註を可二併考一〉古事記にも、小碓命筑紫の熊曾が衣をとりて、劒をもて其胸より刺通し、熟瓜の如く振折而殺し給へりといふこと見えたり、〈或説に、俗に瓜をフリとしるす事よからずといふなり、古語にウといひフといふは、相通じていひけり、されば古事記にもフリサクといふ枕詞に、ウリの如くとはしるしたりけり、〉熟瓜をば、倭名鈔にはホソヂと云ひて、俗用二熟瓜二字一、或説に極て熟し蔕落つるの義なりと註し、また青瓜アヲウリ、斑瓜マダラウリ、黄㼐キウリと註せり、其キウリといふものは、胡瓜の事を いふにあらず、此等皆甜瓜の類、漢人のいひし果瓜也、又白瓜はシロウリ、冬瓜はカモウリ、胡瓜はソバウリ、俗にキウリといふと註せし、白瓜は、陳藏器がいふ所の越瓜にて、白冬瓜子を白瓜子といふものにはあらず、冬瓜をカモウリといふは、カモとは殕(カビ)也、皮の上白を生じて殕の如くなるを云ひしなり、胡瓜をソバウリといひしは、其稜(ソバ)あるを云ひて、又キウリとも云ひしは、其老て色黄なるに因れる也、漢にも亦一名を黄瓜とも云ひけり、此等は漢人の云ひし菜瓜也、また兼名苑を引て、寒瓜はカヅウリ、至レ冬熟也と註したり、永嘉記の襄瓜、李東璧本草に寒瓜と云ひし物ならむには、これもまた果瓜也、今に於ては我國に是等の種ありとも聞えず、されど永嘉記に據るに、其寒瓜といふも、八月熟すと見えたれば、即今の晩瓜の如きをや云ひぬらん、亦別に此種もやありつらむ、カツウリといふは名をあはせて不レ詳、爾雅集註を引て、瓞瓝はタチフウリ、小瓜名也と註せしは、毛詩疏に據るに、瓜實近レ本而小なるをいふなりとあり、さらばいづれの瓜にもあれ、其本に近きが小しきなるをば、タチフウリといふべし、別に其種ありとは見えず、タチフといふ義もまた不レ詳、〈胡瓜をキウリといふ、或は其臭あるをいふ歟、猶漢に胡瓜といふが如き、此俗臭をばキといふ、五辛菜を併考ふべし、〉
p.0599 うり 瓜をよめり、口渇をうるほすより名とせる成べし、ふりと書は非なり、其名を專らにする者は甜瓜也、からうりとも、あまうりともいへり、
p.0599 一瓜をふりとかく事は、壺盧をとり違へたるにや、壺盧の唐音うるなり、うとふとの間をいふより、ふとかくなるべしるもりゆといふやうなれば、りといふなるべし、
p.0599 瓜類不レ同、其用有レ二、供レ果者、甜瓜、西瓜、供レ菜者、胡瓜、越瓜、凡實在レ木曰レ果、在レ地曰レ蓏、大曰レ瓜、小曰レ瓞、〈和名多知布宇里〉其子曰レ 、〈音廉〉其肉曰レ瓤、〈曰二 瓤一、俗云奈加古、〉其跗曰レ環、謂二脱レ花處一也、〈俗云豆之、猶二人頭之旋毛一、〉其蔕曰レ疐、〈一名瓜丁〉謂二繫レ蔓處一也、
p.0599 熟瓜、〈陶景注曰、熟瓜有二數種一、去レ瓤食レ之、〉一名水芝、一名蜜筩、一名 樓、一名厭須、〈熟瓜揔名也、已上四名出二兼名苑一、〉和名 保曾知(○○○)
p.0600 熟瓜 廣雅云、虎掌、羊骹、小青、大斑、〈和名保曾知、俗用二熟瓜二字一、或説極熟蔕落之義也、〉皆熟瓜名也、
p.0600 按保曾知、甜瓜之熟者、甜瓜以二美濃國眞桑村産一爲レ佳、故今俗呼二眞桑瓜一、
p.0600 熟瓜〈ホソチ〉
p.0600 菓子者、柚柑、柑子、橘、熟瓜、澤茄子等、可レ隨二時景物一也、
p.0600 ほぞち 和名抄に熟瓜をよめり、極熟して蔕落るの義也といへり、枕草紙にほうちはうたうまいらせんと見、うは の誤字なるべし、
p.0600 ホゾチ 清愼公の集に云、女御すの子みかふし(御隔子)おろしたるまぎれにうせたれば、ぬす人はほぞちを見ても雨ふればほしうりとてや取かくすらん和名抄に、熟瓜和名保曾知、俗用二熟瓜二字一、或説極テ熟蔕落ノ義也とあり、ほぞちはほぞおちの略語にて、うりの至極うみたるは、おのづからほぞはなれ落るゆへほぞちと云也、是今俗にまくわうりといふもの也、まくわうりといふを、甜瓜の本名と心得は誤なり、美濃國本巣の郡眞桑といふ地所より作る甜瓜を、眞桑瓜といふ、味よきゆへ賞する也、他所にて作りたるを眞桑瓜といふは非也、甜瓜と書てカラウリとよむ、唯うりと計も云也、白瓜きうり其外さま〴〵の瓜と名付る物多き中に、唯甜瓜のみをうりといふ事は、花もさま〴〵多き中に、櫻のみ花といふが如し、又かな文字にて瓜を書くには、うりと書ずしてふりと書事、かなづかひの習也といふ説あり、甚あやまり也、ふの字を上に置て、うとよむ古例なし、和名抄に宇利と書れば、うりと書を本とすべし、定家假名遣ひなどヽ云俗書は、日本紀、古事記、萬葉集、其外の古書のかなづかひと相違する事、俗説は取にたらず、
p.0601 蜜筒(ミツトウ/○○)〈甘瓜異名也〉
p.0601 甜瓜(カラフリ/○○)
p.0601 甜瓜(カラウリ)
p.0601 甜瓜まくはうり(○○○○○) 西國にてあじうり、奧の仙臺にてでうり、佐渡にてちんめうと云、又江戸にて云きんまくはを、備前にてせんしかと云奧の津輕又松前にてしまうり、南部にてはきんくはと云ふ、眞桑瓜は美濃國眞桑村の産を上品とす、故に名づくとぞ又越前にてねづみ眞瓜といふ、味ひ甚美なり、吐方に用る所の瓜葶是なり、其味ひ甚苦し、餘國の産は吐方に用ひて功なし、
p.0601 甜瓜 甘瓜 果瓜 甜〈甜同、音簟、甘也、〉 阿末宇里(○○○○) 熟蔕落者〈和名保曾知〉 今云眞桑瓜本綱、甜瓜味甜二于諸瓜一故名、二三月下レ種延レ蔓而生、葉大數寸、五六月花開黄色、六七月瓜熟、其類最繁、有レ團、有レ長、有レ尖、有レ扁、大或徑尺、小或一捻、其稜或有、或無、其色或青、或緑、或黄斑、糝斑、或白路、黄路、其瓤或白、或紅、其子或黄、或赤、或白、或黒、凡瓜最畏二 香一、觸レ之即至二一帶不 收、〈◯中略〉按甜瓜〈◯中略〉一種有二韓瓜(○○)一、〈似二甜瓜一而大、皮不レ濃、味劣、〉 一種有二阿古陀瓜一〈宛似二南瓜一、今人不レ好、〉有二鹽味一、誤瓜汁著二刀劒一則忽生レ鏽、
p.0601 眞桑瓜は、濃州眞桑村の種を京師東寺邊に栽し故、夫を眞桑瓜といひしが、今は一般にしか呼なり、一種皮の白めなるあり、増補江戸鹿子、本所瓜味美ならず、本田瓜といふ、形甚大なり云々いへり、是ほんでん瓜なり、今これを銀まくは(○○○○)といふ、金まくは(○○○○)に對しての名なり、寛永發句帳に、後藤判とあるべき金まくは哉、〈貞徳〉懷子集、大和人こんと賣なり白まくは、〈方好〉續山井、類ひなき佳味の梵天の眞瓜かな、〈沙長〉今も肉多く肥たるをホテタルと云是なり、おもふに本田瓜は、梵天瓜なるを、本田と書、ほんだと誤れるなり、醒睡笑、和州より出るほでんと云瓜は、延暦寺慈覺大 師、天長十年四十にて身つかれ眼くらし、命久しかるまじと思ひ、叡山の北谷に草庵をむすび、三年つとめ行ひて、おわりをまたれければ、ある夜夢に、天人來りたり、これ靈藥なりとてあとふ、其形瓜に似たり半片を食す、其味蜜の如し、人ありて告るやう、これ梵天王の妙藥なりと、夢さめて口中餘味あり、しかして後やせたるかたち更にすくやかに、くらきまなじります〳〵明らかなり、その半片を土にまきければ、全き瓜の生ぜしいまの梵天これなり、元亨釋書に見えたり、〈これ附會の説なり、釋書には有二一人告曰、是忉利天妙藥也云々、羸形更健、昏眸益明、於レ是以二石墨草筆一、書二妙法華云々一、この以下彼の半片の瓜の事なし、そのうへ忉利天と梵天とは異なり、ほでん瓜の名によりて、かヽることを云そへたるなり、〉瓜を六かは半にむくといふも久き事にや、五元集に、あたまから章魚になりける六皮半、
p.0602 爾其熊曾建、白信然也、於二西方一、除二吾二人一、無二建強人一、然於二大倭國一、益二吾二人一、而建男者坐祁理、是以吾獻二御名一、自今以後應レ稱二倭建御子一、是事白訖、即如二熟瓜(○○)一振折〈◯折恐拆誤〉而殺、
p.0602 熟苽ハ本叙知(ホゾチ)と訓、〈◯註略〉和名抄に熟瓜、和名保曾知、或説、極熟蔕落之義也とあり、〈甚く熟て、おのづから蔕より絶て落たる由の名なり、(中略)さて熟瓜は、保曾知宇理と云べきを、宇理をば省きて云は此例常に多し、〉
p.0602 釋善珠、姓安部氏、京兆人、或曰、太皇后藤宮子之蘖子也、少魯鈍、而以レ此爲レ耻、學二唯識宗一、習二因明論一、昏窒不レ通、励レ志無撓、時毒暑、頭腫如二熟瓜(○○)一、鬢髮盡落、珠之 業率類レ之、以レ故博該二三藏一、延暦十六年正月、侍二皇太子病一、事在二資治表一、其年四月化、歳七十五、
p.0602 村上の御日記に、蜜瓜(○○)のたねを鴻臚館のあづかりに給ひて、鴻臚にうへさせられたりとこそ候めれ、おほやけはよき瓜うへさせて、きこしめしけるにこそ候めれ、
p.0602 又集二神嶺之美果一、聚二靈澤之味菜一、東門五色之(/○○○○○)苽(ウリ/○)、西窓七班之茄(ナスビ)、
p.0602 桂邊有二領地一、尋二邵平之跡一、令レ殖二五色之苽一、而隣子村男毎レ夜掠レ之、令條所レ指准レ盜論歟、已乖二不レ納レ履之儀一、兼仰二里長一、可レ加二制止一、彼邊散所雜色多以居止、可レ被レ仰二案内一也、謹言、 六月日 散位橘謹上博士判官殿
p.0603 宇治合戰附頼政最後事平家ノ方ヨリ惡キ法師ノ振舞哉、サノミ一人ニ多者討レタルコソ安カラネトテ、シコロヲ傾テ、ナガヘヲ指出タル兵アリ、明春是ヲ見テ、面白シ、東門五色ノ熟瓜ゾヤトテ甲ノ鉢ヲ打破テ、喉笛マデ打サカント打タリケルニ、太刀モコラヘズシテ、目貫穴ノモトヨリ折ニケリ、太刀ハ折タレ共、甲モ頭モ打破レテ、眞逆ニ川中ヘゾ落ニケル、
p.0603 治承四年八月十一日辛卯、巳刻出二守部一、午刻著二西宮一、暫休息未レ知レ出二西宮一、申終刻著二福原宿所一、依二窮屈一今日不參、參二告參入之由於頭辨一、自二大理許一被レ送二五色一、
p.0603 建久二年八月一日丁丑、今日大庭平太景能、於二新造御亭一獻二酒盃一、其儀強不レ極美、以二五色鱸魚等一爲二肴物一、
p.0603 曉行法印人の許へまかりたりけるに、瓜を取出たりけるが、わろく成て水ぐみたりければよめる、山しろのほぞちと人やおもふらん水くみたるはひさごなりけり季經卿泰覺法印がもとへ、瓜をつかはして、此瓜くいて、これがかはりには、此般若かきてとて、料紙一兩卷をくりたりける返事に、なめ見つる五の色のあぢはひもきはだの紙ににがくなりぬる
p.0603 慶長二年六月十八日、幽齋女房衆爲二見廻一、〈マクハ瓜(○○○○)卅音信也〉
p.0603 十六日天台熟瓜會(○○○○○)事 瓜佐保殿卅五駄 宿院卅五駄 平田卅五駄 吉田廿駄件事六月下旬、式日、七月十五日可二進上一之由雖二下知一、寄二事於負田牢籠并權門寄人對捍一、進二三分二一之間、依レ不レ満二百駄一、山所等請取不二申行一之、因レ之行事出納、徒於二送文一數日經廻、叡岳五包漬損不レ能レ會二用之一、慥満二本數一、可レ被二糺行一事歟、
p.0604 遣二天台一瓜送文關白前太政大臣家政所奉レ送瓜百駄事右天台熟瓜會分、奉送如レ件、永久四年七月日 造東大寺長官兼左中辨藤原朝臣
p.0604 貞享三寅年五月野菜もの之儀節ニ入候日より賣出之事覺〈◯中略〉一眞桑瓜 六月節より
p.0604 姫瓜 俗稱按姫瓜、葉花小、五六月生レ瓜、大二寸許、圓而淺青色、味苦不レ可レ食、熟則稍黄、雖二微甘一不レ堪レ食、唯小兒取レ之畫二眼鼻口之状、以爲レ翫耳、故俗名二姫瓜一、
p.0604 姫瓜 出レ自二九條田間一、其大如レ梨、其色至白、故以レ姫稱レ之、女兒求二斯瓜一、少留レ莖傅二白粉於其面一、以レ墨畫二鬢髮眉目口鼻一、以二水引一結二其莖一、提携爲二玩具一、
p.0604 ひめうり 金鵞胥也といへり、稍大なるをかきうりといふ、野生によぶは王 瓜の類也、雀瓜といふ、西國によめのごき、安房にきんぶんしきといふ、合子草なり、
p.0605 姫瓜姫瓜のまがきや深きまどのうち すてほそおちは獨ころびか小姫瓜 未覺(出羽山形)
p.0605 越瓜、〈陶景注曰、作レ葅食レ之、出二孟詵食經一、〉一名春白、一名女臂、一名羊角、一名羊 、〈已上四名出二兼名苑一〉女臂瓜、一名玉臂、〈出二七卷食經一〉和名都乃宇利(○○○○)、
p.0605 白瓜子、〈蘇敬注曰、白字誤、當二攺爲 甘、〉一名水芝、一名瓜子、一名水芝瓜、〈出二蘇敬注一〉一名甘瓜子、〈出二崔禹一〉一名兎延、〈白瓜瓣也、出二神仙服餌方一、〉和名宇利乃佐禰、瓜蔕、〈陶景注曰、用早青蔕也、〉和名爾加宇利乃保曾、
p.0605 白瓜 兼名苑云、女臂一名羊角、〈和名之路宇利(○○○○)〉白瓜名也、
p.0605 白瓜〈シロウリ〉 女臂 羊角〈已上同〉
p.0605 越瓜(シロフリ)
p.0605 越瓜(アサウリ/○○)〈稍瓜、菜瓜並同、長者名二羊角瓜一、〉 醤瓜(アヲウリ/○○)〈或云枕頭花〉
p.0605 越瓜しろうり 京にてあさうりといふ、一種筑紫にてつけうり(○○○○)といふ有、江戸にてはなまる(○○○○)といふ、菜瓜(○○)なうり 京にてあをうり、大坂にてなうり、大和にてはなんぼ(○○○)、江戸にて、まるづけ(○○○○)、相模にてかたうり(○○○○)といふ、〈東國にあを瓜と稱する有、別種也、〉
p.0605 白瓜〈訓古今如レ字、京俗稱二淺瓜一、〉釋名、羊角、〈源順曰、女臂、一名羊角、白瓜名也、必大(平野)按、李時珍曰、長者至二二尺許一、俗呼二羊角瓜女臂一、亦謂二其長白一乎、源順和名曰、兼名苑曰、龍蹄一名青登、青 瓜也、唐韵曰、 直禁反、與レ鴆同、青皮瓜名也、有下與二白瓜一同種者上併號二越瓜一、今毎レ種二白瓜一、中有二青皮者一、又別有下一種稱二醤瓜一者上、花號二枕頭花一也、〉 集解、白瓜處處多有、二三月下レ種生レ苗、就レ地引レ蔓青葉黄花、如二甜瓜花葉一、夏秋結レ瓜、有二青白二色一、一種長者至二二尺許一則羊角也、其子状如二麥粒一、其瓜肉淡而微甘、瓠苦、去レ瓤而生食、或鹽漬晒乾可レ充二果蔬一、味醤糟鹽漬而藏、皆宜、此則香物也、一種皮色深青、如二青甜瓜一、有二縱文一不二光滑一、其肉如一越瓜一、俗呼稱二漬瓜一、此即醤瓜乎、又有下似二漬瓜一、而甚少如中桃李上、俗呼稱二小瓜一、此二瓜最宜二香物一也、近時以二醃藏一越レ年、瓜色不レ變、如二生時一者、其法、豆腐滓一升、白鹽三合、揉合數次令二鹽滓相交不 滯、陰晒一日、用二白瓜一劈作二二片一、以二蛤殼一去レ瓤令レ淨、如二舟形一、用レ紙拭二去水濕一、縱入二鹽滓中一、要三使レ瓜不二相捎一、若横入相捎、則腐熟不レ久、如二此法一、則至二明年一、瓜色不レ變、而如レ生也、乾瓜法、用二生瓜一細切作レ片入レ盤、抹レ鹽拌匀、待二晴日炎盛時一、晒乾一日、自レ辰至レ申、取收入二壺甕一而貯レ之、則香味脆美、久而不レ變、又法用二生瓜一二劈去レ瓤如レ舟、舟中盛レ鹽、放二屋上一而暴レ日、經二數日一待二白乾一而收藏、則經二兩年一用時、洗淨細切、浸レ水去レ鹹、和二好酒一而食、或漬二味醤一而食、亦佳矣、
p.0606 越瓜 菜瓜 稍瓜 羊角瓜 青瓜 〈和名阿乎宇利〉 白瓜 〈和名之呂宇利◯中略〉按青瓜、〈一名龍蹄、又名青登、〉白瓜〈一名女臂、又名羊角、〉二種一物也、通名二淺瓜一、田舍呼曰二白瓜一、凡毎枝結二二瓜一、但有二早晩二種一、早者〈俗云伊良利〉結レ瓜多而白色、肉薄瓤多、味不レ美、晩者結レ瓜少而青色、肉厚瓤少、味亦美、菜瓜 俗云奈宇利 本草曰二菜瓜一者越瓜也按菜瓜葉似二越瓜一而小、背有二微毛一、六七月結レ瓜、似二甜瓜一、皮厚深青色、有二縱白紋一、肉似二越瓜一、而不レ宜二煮食一、藏二糟及糖一〈俗名二之香之物一〉 脆美、然不二上品一、一種有下似二菜瓜一而小如二鵝卵一者上、名二小瓜一、漬レ糟食、
p.0606 越瓜 アサウリ 一名生瓜〈本經逢原〉胡瓜ニ次テ出、形胡瓜ヨリ長大ニシテ刺ナシ、青白色、糟ニ藏シテ食用トス、又生食熟食亦可ナリ、和州ニハシロウリ、アサウリ二品アリ、竪ニ筋アルヲアサウリト云フ、豫州ニテハ通ジテシロウリト呼ブ、讃州ニハクロウリト呼ブアリ、皮色深ク肉ハ白シ、ナマスニ上品トス、故ニ又モミウリ トモ云、是田雞瓜ナリ、本經逢原ニ、有二青白二色一、青者尤勝卜云、〈◯中略〉釋名、菜瓜同名アリ、一種ノ菜瓜ハ、カタウリ〈若州、加州、〉ナリ、一名カキウリ、〈豫州松山、筑前、同名アリ、〉ナウリ、〈和州、讃州、〉ハナボ、〈和州〉ハナンボ、ナウリソ、〈共同上〉ヤサイウリ、〈若州、加州、〉アヲサギ、〈伊州、勢州、〉マルヅケウリ、〈同上〉マルヅケ、〈江戸〉センシカ、〈備前〉センシクハ、〈同上〉ツケウリ、〈阿州〉ツケモノウリ、〈防州〉形状甜瓜ト同シテ大ナリ、用テ漬物トス、初ハ緑色、熟シテ黄色トナル、
p.0607 貞享三寅年五月野菜もの之儀節に入候日より賣出之事覺〈◯中略〉一白瓜(○○) 五月節より
p.0607 青瓜 兼名苑云、龍蹄一名青登、〈和名阿乎宇利(○○○○)〉青 瓜也、唐韻云 、〈直禁反、與レ鴆同、〉青皮瓜名也、
p.0607 青瓜〈アヲウリ〉 龍蹄 青登 〈已上同〉
p.0607 年中節會支度〈寛平年中日記〉一七月用 七日節供〈◯中略〉 青瓜二果〈代五合〉
p.0607 斑瓜 兼名苑云、虎蹯一名狸首、〈和名末太良宇利(○○○○○)〉黄斑文瓜也、
p.0607 寒瓜 兼名苑注云、寒瓜〈和名加豆宇利(○○○○)〉至レ冬熟也、
p.0607 〈徒結反、 瓜也小瓜、〉 〈浦卓反、小瓜也、 、〉
p.0607 瓞瓜 爾雅集注曰、瓞瓝〈姪雹二音、和名多知布宇里(○○○○○)、〉小瓜名也、
p.0607 釋草、瓞、瓝、郭注、俗呼二瓝瓜一爲レ瓞、與レ此異、毛詩正義引二舍人一曰、瓞名レ瓝、小瓜也、此所レ引蓋是、則名宇當レ在二瓝字上一、然標目題二瓞瓝二字一、則源君所レ見本錯亂、遂連二讀瓞瓝二字一、爲二小瓜名一也、按毛詩傳云、瓞瓝也、鄭箋云、瓜之本實、繼二先歳一之瓜必小、状似レ瓝、故謂二之瓞一、正義引二孫炎一曰、瓞小瓜、 子如レ瓝、正義又云、瓞是瓝之別名、爾雅疏亦云、瓞一名瓝、皆可レ證二釋草瓞瓝以レ瓝釋 瓞也、源君連二引瓞瓝二字一者誤、説文、瓞 也、又云、 小瓜也、徐音蒲角切、無二瓝字一、則知瓝俗 字、新井氏曰、據二詩箋一、瓞謂二瓜之近レ本而小者一、非二一種小瓜之名一、源君引爲二瓜名一、非レ是、
p.0608 おなじ人、〈◯平兼盛〉大監物なりし時、ないし所にみかきまうしに、おほどねりのひきいでにきたりて、ある人内侍のすけのしるやうありて、そこに有けるおりなりければ、まへにありけるたちふといふうり(○○○○○○○○)を、きなるしきしにつヽみて、おほどねりなりけるおきなにとらせたりければ、くらづかさにつきて、そこよりいふ、山しろのとはにかよひてみてしがなうりつくりける人のかきねをかへしとことはにゆけばなりけりうりつくりそのことなきにたてりしや君
p.0608 㼐(○)〈甫田反、平、黄瓜(○○)也、〉
p.0608 胡瓜、〈胡域多レ之、故以名レ之、出二孟詵食經一、〉一名再熟瓜、〈出二崔禹一〉一名 瓜、〈小而多レ汁〉一名青瓜、〈已上二名出二兼名苑一〉和名加良宇利(○○○○)、
p.0608 黄㼐 陸機瓜賦云、黄㼐白 、〈音鶓、㼐音蒲田反、黄㼐和名木宇利、〉陸詞切韻云、㼐黄瓜也、胡瓜 孟詵食經云、胡瓜寒不レ可二多食一、勳二寒熱一發二瘧病一、〈和名曾波宇里(○○○○)、俗云木宇利(○○○)、〉
p.0608 胡瓜〈胡地多レ之、故以名レ之、出二孟詵食經一、〉 再熟瓜〈出二崔禹一〉 瓜〈小而多レ汁〉 早青瓜〈已上二名出二兼名苑一、已上四名カラフリ、見二本艸一、〉
p.0608 黄瓜〈キウリ〉 黄㼐〈蒲田反、黄瓜名也、〉白 胡瓜〈已上同、キウリ、〉
p.0608 七御許者、食飮愛酒女也、所レ好何物、〈◯中略〉菓物者、無レ核温餅、勝レ粉團子、熟梅和、胡苽(キウリ)黄、
p.0608 胡瓜(キフリ)
p.0608 胡瓜(キウリ/ソバウリ)〈黄瓜同〉
p.0609 胡瓜 白アリ、黄アリ、白ハ味黄ニマサリ久ニ堪フ、臭アシカラズ、黄ヲ不レ植シテ白ヲ可レ栽、
p.0609 胡瓜〈和名曾波宇里、俗謂二木宇里一、近代亦同、〉集解、正二月下レ種、三月生レ苗引レ蔓葉如二冬瓜一、亦有レ毛、四五月開二黄花一結レ瓜、圍二三寸、長者至二尺許一、青皮上多二瘖 一如二疣子一、至レ老則黄赤色、其子與二越瓜一同、大抵爲レ蔬不レ佳、惟鹽糟漬藏作二香物一爲レ佳、京俗所レ謂祇園神社氏人、食二胡瓜一必得レ祟、此社頭及神輿、自レ古畫二瓜紋一故也、凡禁裏及神祇帷幕、畫二瓜紋一者不レ少、此胡瓜横截作レ圈之形也、予〈◯平野必大〉未レ詳レ之、
p.0609 胡瓜(きうり) 黄瓜〈唐音〉 和名曾波宇里、俗云黄瓜、本綱、漢張騫使二西域一得レ種、故名二胡瓜一、隋朝避レ諱、改爲二黄瓜一、〈◯中略〉一種五月種者、霜時結レ瓜、白色而短、並生熟可レ食、兼二蔬蓏之用一、糟醤不レ及二菜瓜一、〈◯中略〉祇園神禁レ入二胡瓜於社地一、土生人忌レ食レ之、八幡之鳥肉、御靈之鮎(ナマヅ)、春日之鹿、食則爲レ被レ祟、理不レ可レ推之類亦不レ少、蓋祇園社棟神輿以二瓜〈音寡〉之紋一爲レ飾、瓜以二爲胡瓜切片(キリヘギタル)形一而忌レ之乎、愚之甚者也、瓜紋乃木瓜〈果木之名〉之花形、而織田信長公幟文也、信長再二興當社一、用二其紋一爲二後記一耳、
p.0609 胡瓜 ツバウリ〈和名抄〉 キウリ〈同上◯中略〉瓜ノ最早ク熟スル者ナリ、緑色ニシテ刺アリテ海參ノ肌ノ如シ、熟シテ黄色ナリ、故ニキウリト呼ブ、生食シ、或ハ鹽藏ス、和州ニハ熟シテ白色ナル者アリ、
p.0609 年中節會支度〈寛平年中日記〉一七月用 七日節供〈◯中略〉 黄瓜一果〈代五合〉
p.0609 一西山公〈◯徳川光圀〉仰られ候は、黄瓜をば一名胡瓜といふ、又癩瓜といふ、此瓜甚穢多し、食して佛神へ參詣すべからず、又毒多して能少し、いづれにしても植べからず、不レ可レ食との仰也、
p.0610 〈其及反、冬瓜、〉
p.0610 白冬瓜、一名冬瓜人、一名地芝、〈出二蘇敬注一〉一名温食、一名秋泉、一名桂枝、〈已上三名出二兼名苑一〉和名加毛宇利(○○○○)、
p.0610 冬瓜 神農食經云、冬瓜味甘寒無レ毒、止レ渇除レ熱、〈和名加毛宇利〉
p.0610 冬瓜〈カモウリ〉 白冬瓜 冬瓜人 地芝〈出二蘇敬注一〉 温食 秋泉 桂枝〈已上三名出二兼名苑一已上六名カモフリ、見二本草一、〉
p.0610 鴨瓜(カモウリ)〈冬瓜也〉
p.0610 冬瓜(カモフリ)
p.0610 冬草(カモウリ/トウグハ)〈白瓜同、又云木芝、地芝、〉
p.0610 冬瓜冬瓜以二其冬熟一也、廣志謂二之蔬 一、神仙本草曰、一名水芝、一名白瓜、嵩高平澤、今在處園圃皆蒔レ之、其實生レ苗、蔓下大者如レ斗而更長、皮厚而有レ毛、初生正青緑、經レ霜則白如レ塗レ粉、其中肉及子亦白、故謂二之白瓜一、
p.0610 冬瓜(カモウリ) かもハ氈也、順和名にかもと訓ず、毛むしろ也、冬瓜に毛あり、氈のごとし、故に名づく、
p.0610 冬瓜かもうり〈とうぐは〉 畿内及中國北陸道、或は上總にてかもうりといふ、東國にてとうぐはといふ、東國にてとうぐはをとうがんとはねてよび、又大こんをば大こといふこそをかしけれ、
p.0610 冬瓜〈訓二加毛宇利一、近俗亦同、〉集解、冬瓜園圃多種レ之、正月下レ種、三月生レ苗引レ蔓、葉大團而有レ尖、略似二諸瓜一而大者也、莖葉有二刺毛一、六七 月開二黄花一、此亦大二於諸瓜一、結レ實、大者徑尺餘、長一二尺、嫰時緑色有レ毛、老則蒼色著レ粉、霜後尤白、其皮厚 、其肉肥碧、其瓤白虚如レ絮、其核亦白、在二碧白瓤中一而成レ列、其肉可二爲レ蔬食一、近代霜後采レ之、煮熟而飧、然不レ爲二上饌一、民間野人之所レ用、或有二冬種者一、至二明年一而肥大也、世俗所レ謂治二久疝一未レ詳レ之、
p.0611 冬瓜 白瓜 水芝 地芝 和名加毛宇利、或用二字音一呼、〈◯中略〉按冬瓜處處皆有、攝州西成郡多出レ之、藏二蓄之一、以二無レ痕者一置二棚上及煤行處一、至二翌夏一亦不レ敗、如有レ痕者不レ經レ旬而腐、
p.0611 冬瓜 カモウリ(○○○○) トウガン(○○○○)〈防州〉 トンガ(○○○)〈伊州◯中略〉外皮ニ白毛アリ、故ニカモウリト云、カモハ氈ノコトナリト、大和本草ニ云リ、京師ノ産ハ皆形圓ニシテ西瓜ノ如シ、他州ノ者ハ多クハ形長シ、伊州ニハ長サ三尺餘ナルアリ、方言江戸トウガント云、〈◯中略〉凡ソ冬瓜ハ遲ク熟シテ霜ヲ經ル者ヲ良トス、故ニ冬瓜ト名ク、然ルニ今ハ早ク種、早ク採ルヲ尚ブ、故ニ六七月ニ多ク出ス、名實ニカナハズ、増、附方ニ、楊氏家藏方ヲ引テ、十種ノ水氣ヲ治スルニ、大冬瓜一枚蓋ヲ切テサナゴヲ去リ、蓋ヲ合シ、ソノ合シタル所ヲ封ジクヽリテ、日ニ乾シ、糯糠ニ大蘿ノ内ニテ煨シ、火盡テ後取出シ、焙乾シテ末トシ、梧子ノ大サニ丸シ、毎服七十丸、冬瓜子ノ煎汁ニテ日ニ三服ス、此方神效アリ、京師ノ一醫秘方トシテ、專ラ水病ヲ治ス、余〈◯小野職孝〉嘗テ水腫荏 トシテ愈ヘズ、已ニ喘満氣急スル者ニ、冬瓜一味ヲ黒燒ニシテ服セシム、敷十日ヲ經テ全癒ヲ得タリ、
p.0611 唐冬瓜唐種の冬瓜は、唐人館内抔に、唐人自ら作りて食料とするなり、此を見るに到つて長大也、小口切にして、差わたし壹尺四五寸ばかり、其長三尺四寸計、日本にて作る冬瓜には、緑色の上白粉あり、彼地の冬瓜は白粉なき也、
p.0612 冬瓜仁右衞門本所吉田町に御小性組御番衆兼松又四郞と申、御旗本衆の地を借りて、立派に普請をして住居し、大勢家來召仕、子分方多く有て、其土地は云ふに不レ及、吉原境町すべて慰所にて、悉く人に用ひられ、名を得たる所の仁右衞門といふもの有、かれが異名を冬瓜と呼、其根元は、此者本所邊旗本屋敷の中間奉公して居たりしが、瘡毒を煩ひ、中年より骨折奉公不レ成して、本所三ツ目通輕き御家人衆の寄合辻番の番人に入けり、此もの辻番より又々出て、少々瘡毒本復して商をしけるに、西瓜のたち賣より思ひ付て、冬瓜のたち賣一文づヽ、裏店住居かるき人々の、一朝の汁の實と成程づつ賣ける、此たち賣大にはやり、わづか成事なれども、是に利を得て、少々元手つきけり、兹を以て今とても、冬瓜仁右衞門と呼ばれて、其名高きこと甚し、
p.0612 卑うして便利なる物は、冬瓜のきり賣なり、武野俗談に、本所三つ目寄合辻番のものに、仁右衞門といへる者、西瓜の裁賣より思ひ付て、冬瓜をたち賣にして、一錢づヽに裏屋の者に賣たり、大にはやりて冬瓜仁右衞門と異名をとりしとなむ、これ元文寛保ごろの事なり、又或人語りけるは淺草瓦町に大和屋某といふ者、文魚とかいひて、人の知たる放蕩ものあり、その邊に冬瓜のきり賣來りければ、其荷へるを殘らず買ひていひけるやう、此邊にかヽる物もてくるは土地の耻なり、重ねて賣に來ば、其儘にはおかじとて歸したりとか、いと〳〵おこがまし、
p.0612 耕種園圃營早瓜一段、種子四合五勺、總單功卌六人、耕地二遍、把犁一人、馭牛一人、牛一頭、料理平和三人、堀畦溝三人、糞七十五擔、運功十二人半、位三百六十座、踏位一人、下子半人、〈二月〉拂虫十二人、壅并芸三遍、第一遍五人、〈三月上〉第二遍四人、〈三月下〉第三遍三人〈四月〉營晩瓜一段、種子四合五勺、總單功卅五人半、耕地二遍、把犁一人、馭牛一人、牛一頭、料理平和三人、堀 畦溝三人、位三百六十座、踏位一人、下子半人、壅一人、〈三度〉芸三遍、第一遍十人、〈三月〉第二遍八人、〈四月〉第三遍七人、〈五月〉
p.0613 瓜之類〈甜瓜、菜瓜、越瓜、胡瓜、冬瓜、西瓜、南瓜、絲瓜、瓠瓜、〉瓜に大小あり、小き物甘く、大きなる物淡(あは)し、甜瓜甘瓜と云、唐瓜といふ、〈◯中略〉種子を收め置く事は、さかりの熟瓜の味勝れたるを、あとさきを切さり中程の實ばかりを取て、段々灰にまぜ、多くあつめをきて後、ゆかきに入、清く洗ひ、粘り氣少もなく成たる時、浮きたるをさり、なる程よく干して、布の袋か箱に入おさめ置べし、若其まヽあとさきのたねも共にうゆるか、本なり、又は末なりのたねを用れば、必たねがはりする物なれば、中なりの味よく、形よきをもちゆべし、さきの方の子は瓜短し、本の方の子は、口ゆがみ曲りて細し、又種子を收る法、瓜を食して勝れて、甜きをゑらび、すりぬかにまぜて、日に干し晒して、揉てぬかと粃を簸去て、おさめ置もよし、瓜を植る地の事、黒地赤土黄色の、少は沙交りて光色ありて、粘り氣すくなきがよし、さのみ肥たるを好ず、土性よく強く濕氣はなくして、旱に水を引に便りよきをゑらぶべし、土地肥和らかにして、ふくやかなるは、よくさかへふとるといへども、味よからず、瓜を作るべき地は、前年に小豆を作りたるよし、其次は黍跡もよし、冬より耕し、雪霜にさらし、幾度もうちこなし置べし、〈◯中略〉さて根のわきをたびたび打こなし、心葉(しんは)出る時、四五寸わきに、手のはらほど少しながく穴をなし、但深さ二寸餘り、其中へ濃糞のよく熟したるを、一盃入干付置、其後やがて土をおほひ、又五七日も間を置て、右の所より五六寸も遠のけて穴を廣くし、糞を入、土を覆ふこと前のごとくし、又其後も段々かくのごとくすべし、凡かやうに、四方に穴をなし、先四度入るを中分とするなり、又糞は二番までは桶糞を用ひ、其後は廻りを丸くほりまはし、油糟を入べし、かくのごとくする事、二三遍なれば、瓜の味勝れてよき物なり、摠じて糞を入るには、うへ物のわき根のさきと、こゑの氣と五六日も過て 後行合心得するものなり、急に根の上にかくれば、却て痛みくせ付物なり、さきを留る事は、三葉四葉の時しんをつみさるべし、長くのばすべからず、さて葉の間より出る枝を、四方八方へ手くばりするなり、其蔓又四五葉の付たる時、各さきを摘去るべし、此度出るつるになる瓜よし、もとの一番づるには、よき瓜はならぬ物なり、枝ごとに二つばかり瓜のなり花あるを見て、又さきを留るもよし、とかく初め終り糸のごときつるの出るを見て、其後梢(こづゑ)をつみ去べし、凡枝ごとに葉をつくる事、四つ五つには過べからず、若し又なり花もなき細きよはきつる間(あひ)に出るをば、土ぎはより切て捨べし、此つるにはたとひなり付ても、用に立べからず、其まヽ置ば是に精ぬけて、殘るつるまで妨る物なり、摠じて瓜は一區(まち)に一本づヽ立置くべしといへども、畦の廣さと、間の遠近によりて二本宛、或一まちは一本、一まちには二本をきたるもよし、大かたの畦にては、二本の上は必をくべからず、つるつよくしてうすきが、枝ごとによくなる物なり、しげくもつれあひぬれば、いか程こやし手入をしても、よき瓜ならぬ物なり、其上永雨旱には早く痛む物なれば、つるのしげからずすくやかにて、なり付たるは、瓜のなりよく疵なく、十分熟し落るなり、瓜の多くなる事を好みて、つる數多く生立(そだて)をきたるは、必うるはしくなりのよき瓜はならぬ物なり〈◯中略〉又東寺鳥羽にて瓜を作る法、たねを取をく事右に同じ、うゆる時分の事、二月の中より十日ばかりを定る時とするといへども、其年の寒暖又は霜の考へをして、少のさしひきはあるべし、畦作り、横はヾ一間、溝一尺餘、横一間の内、兩方の端に少よせて、竪筋をかき、麥を蒔置、中のおきたるところを冬より深く打返しさらし、春に成てよくこなし、三尺づヽ間を置て、さし渡し五六寸に小まちを作り、手にて少たヽき付、わきの地よりは少高く成て、水たまりなきほどにして、其小區の中に、たねを十粒ばかりばらりと蒔、其上に片手一盃ほど沙土をおほひ、生そろひて少づヽ間引、心葉二つ出るまで、段々間引て、心葉ふとく成てより、中にて性の強く大きくなるを一本をきて、殘 は皆ぬき捨べし、〈右は上方にて上手の作る法也、よのつねの手入にては、一くろに瓜二三本うゆべし、◯中略〉菜瓜其作りやう、甘瓜に同じ、越瓜越瓜又白瓜とも云、〈◯中略〉地のこしらへ區作り甘瓜に同じ、二月上旬早くうへて、四月取糟に漬、其外菜の絶間に出來て、取分賞翫なり、色白きゆへ、是を古來白瓜と云ならはせり、南向の暖かなる所をゑらびて、一しほ早く作るべし、〈◯中略〉黄瓜黄瓜又の名は胡瓜、〈◯中略〉うへ様大かた菜園の廻りなど、冬より地をこしらへをき、種子を下す事、正月晦日、又は二月も三月も晦日にうへて、土を少おほひ、或灰糞をおほひたるは猶よし、但きうりは早きを專にする物なれば、なるほど早くうゆべし、又所によりて多く作る事は、甘瓜のごとく區(まち)うへにし、こやしをよくすれば、過分になるものなり、さきをとめ手くばり、其外甘瓜にかはる事なし、たねにをく物は中なりよし、本なりは子少なし、うへておほくならず、冬瓜冬瓜うゆる法、灰に小便をうちしめし置て、是を泥とかきまぜ、地に厚くしき、はヾ二尺〈ばかりに筋を切、間四五寸ほどに、〉一粒づヽ蒔、たねの上にも又右の灰ごゑを厚くおほひ、水をそヽぎ置て、其後又水糞をそそぐべし、乾く時は、水をそヽぎたるよし、芽立灰をいたヾきて出るを見て、灰をもみくだき、根のわきに覆ふべし、其後も糞水をそヽぎ、三月中旬苗ふとく成て移しうゆべし、うゆる地の事、畦のはヾ五尺ばかりに作り、又其間を四五尺をきて穴を作り、肥土を入置、雨を見て一本づヽ土をつけて、ほり取てうゆべし、灰糞を多く置、水ごゑは度々そヽぐべし、さてつるながく出るを、棚をか き引上をくべし、又地にはヽせたるもよし、是も柴などを立て手をとらすべし、凡黄瓜とかはる事なし、
p.0616 熟瓜 甘寒、〈水沈者不レ可レ食、雙蔕者殺レ人〉多食下痢貧者多食、至二深秋一作レ痢爲二難治一、除レ瓤食不レ害レ人、若覺レ多即入レ水漬即消、止レ渇利レ尿、通二壅氣一、多食陰下濕痒、生レ瘡、動二宿冷一、癥瘕人不レ可レ食、瓜蔕(クワテイ/ウリノホゾ) 苦寒有レ毒、吐レ痰用レ之、主二面目四肢浮腫一、下レ水殺レ虫、去二鼻中息肉一、療二黄疸一、早青者尤甚、〈去レ皮用レ蔕約半寸許暴乾〉胡瓜(キウリ) 甘寒有レ毒、不レ可二多食一、動二寒熱一、多瘧病、發二痰氣虚熱一、發二百病瘡疥一、損二陰血脈氣一、發二脚氣一、天行後不レ可レ食、小兒切忌、滑レ中生二疳虫一、不二與レ醋同食一、葉苦平、主二小兒閃癖一、一歳服二一葉一、生按汁服、越瓜(シロウリ) 甘寒小者可二糟藏用一、長青白色不レ可二多食一、動レ氣令二人虚弱一不レ能レ行、不レ益二小兒一、爲レ灰傅二口吻瘡陰瘡一、利二腸胃一去二煩熱一、解二酒毒一止レ渇、泄二熱氣一利レ尿、心鏡云、越瓜鮓久食益二腸胃一、和レ飯作レ鮓並虀得、
p.0616 七月節〈九月亦同〉宮人已下料、鮭廿隻、熟瓜一百顆、
p.0616 正月最勝王經齋會供養料、〈◯註略〉僧別日菓菜料、〈◯中略〉瓜糟漬瓜荏裹各一顆、味醤漬糟漬冬瓜、〈各以二一顆一充二三口一〉仁王經齋會供養料僧一口別菓菜料、〈◯中略〉瓜五顆、〈醤漬糟漬好物羹生菜等料各一顆◯中略〉冬瓜〈漬菜醤漬糟漬料、各以二一顆一充二十口一、顆長二尺、生菜料以二一顆一充二廿口一、顆長一尺、〉
p.0616 漬年料雜菜瓜八石、〈料鹽四斗八升〉糟漬瓜九斗、〈料鹽一斗九升八合、汁糟一斗九升八合、滓醤二斗七升、醤二斗七升、〉醤漬瓜九斗、〈料鹽醤滓醤各一斗九升八合〉糟漬冬瓜一石、〈料鹽二斗二升、汁糟四斗六升、〉醤漬冬瓜四斗、〈料鹽八升八合、醤滓醤未醤各一斗六升八合、◯中略〉 右漬二秋菜一料
p.0616 七月相撲召合事〈◯中略〉 後日〈◯中略〉給二王卿饌一如レ昨、王卿移候二南殿一、此間撤二張筵一、近衞次將等、以二酒熟瓜(ホソチ)一給二王卿一、
p.0617 新任大臣大饗七八獻主人勸盃、〈◯中略〉王卿著二穩座一、〈敷二菅圓座於第三間簀子敷一〉羞二肴物一、〈暑月削冰甘瓜等云云〉
p.0617 甘苽氷魚給二侍從所一使凡賜二甘瓜氷魚侍從所一、以下侍臣堪二大飮一者上爲レ使、還來奏二見參一、〈口奏也〉
p.0617 七日、夕方御祝に初獻〈そろそろ〉御汁を供す、土器に少し御汁をかけられて後、少しづヽ三口めす、〈◯中略〉次に御盃參る、二獻〈御まな〉三獻〈からうり(○○○○)〉を供ず、女中御前のをしきに、半そろ〳〵なわるヽ索へい入てたぶ、三獻の唐瓜も御はんに入てもて出て、一臠づヽたぶ、
p.0617 産物 嫰甜瓜(カリモリ/○○○) 出二今村一、不レ用二熟瓜一、採二其嫰瓜一糟醃、風味殊美也、四方貴物之、
p.0617 かりもり 瓜の末なりをいふ尾張に今もさいへり、〈◯中略〉伊勢にてはかりもぎといへり、
p.0617 遣諸蕃使渤海使十七種〈◯中略〉 藥草(○○)八十種、〈◯中略〉瓜蔕四升、諸國進年料雜藥伊豆國十八種、〈◯中略〉瓜蔕五兩、 相模國卅二種、〈◯中略〉瓜蔕二兩、 下總國卅六種、〈◯中略〉瓜蔕三兩、
p.0617 江府名産〈并近在近國〉暑に傷られて膿血惡痢を病て痛むに、水を以甜瓜をひたし、數枚食はしめて愈し事、奇效良方に見えたり、
p.0617 供奉雜菜日別一斗、〈◯中略〉生瓜卅顆、〈准二三升一、自二五月一迄二八月一所レ進、〉 五月五日、山科園進(○)二早瓜一捧(○○○○)一、〈若不レ實者、獻二花根一、〉
p.0618 内膳司供二早瓜一事差二内竪一遣二常住寺一、件早瓜山城國御園所レ供也、而件御園、桓武天皇所二建給一也、又常住寺彼御願也、仍遣レ之歟、
p.0618 延暦十一年十月丁未、停二相模國獻レ橘、伊豫國獻 瓜、以二路遠一也、
p.0618 從二永正十三丙子一至二同十七庚辰歳一記録事、六月二日一初瓜(禁裏様ヘ參/此三ケ所(覆盆子梅漬初瓜)式日不定) 一籠 佐々木中務少輔入道十八日一江瓜 一籠〈例年進上之〉 佐々木近江守一阿古陀(アコダ) 五籠〈例年進上之〉 八幡田中一五色 二籠〈例年進上之〉 遍照心院七月朔日一瓜 十籠 佐々木近江守九日一江瓜 百籠 佐々木中務少輔入道〈◯中略〉一江瓜 百籠 佐々木近江守一瓜 三荷〈例年進上之〉 赤松兵部少輔
p.0618 五月四日初瓜進上、京大夫殿、同右馬頭、伊勢守、日不定、初度は禁裏様へ參候也、次鹿苑院へ參、 干瓜并香子梅むぎなど、御所々々より參、月日不定、十六日瓜遍照院進上之、月日不定、五月六月七月中、三籠瓜、次に三籠、次に十籠、次三十籠、次五十籠、次百籠、佐々木六角進上之六月廿四日瓜日吉樹下進上之、日不定、 瓜水主備前守進上之、日不定、
p.0619 慶長九年六月廿六日、しやうぐん〈◯徳川家康〉より、うりのひげこ三つ參る、
p.0619 尾張大納言宗睦卿〈◯尾張名古屋〉 時獻上 〈六七月内〉上條瓜
p.0619 年中諸大名獻上物之事六月〈暑中之獻上ニ此月ニ入ル〉一熟瓜 青山下野守一熟瓜 〈暑中〉 三宅肥後守一熟瓜 加納遠江守
p.0619 七日乞巧 供物〈◯中略〉 瓜〈以二白瓜(○○)一飯鉢盛レ之、一裹、〉
p.0619 藍園熟瓜等送進文菜苽(○○)壹伯貳拾果天平勝寶二年七月四日 倉垣三倉
p.0619 宇治平等院御幸御膳〈元永元年九月廿四日、大殿(藤原忠實)被レ下御日記定、〉三寸五分様器〈◯中略〉 生物五坏〈古布、白瓜、黒瓜、白根、蕪、◯中略〉 御湯津ケ〈様器、和布干苽、居二中盤一、〉
p.0620 慶長二年六月廿一日、淨土寺百姓中ヘ樽廿五、盃綜廿五、白瓜十遣レ之、田地水爲レ禮也、
p.0620 慶長八年五月十三、自レ朝晴天、未明ニ赴二尊勝院一、以心西堂光駕、寺志州、同半左衞門尉、玄仍、永旬、藏人、朝之會席、汁糟糖ニ蔓草、白瓜、煎昆布、〈◯中略〉俗客者本膳汁、同白瓜、同煎昆布ノ處ニ、シヲ引二切、二ノ汁ニ笋ニ加レ鳥、
p.0620 晦日、〈◯中略〉御三間のたれたる簾上げ渡せば、御引直衣めさしまして御座につかしめ給ひぬ、〈◯中略〉先御盃、次に初獻、〈白瓜なすび〉を供ず、御盃參りて女中に通る、次に二獻〈南瓜〉を供じて已後男をめさる、公卿はすのこの疊につく、殿上人は公卿の座の後に候ず、次に藏人瓜をもて出す、各一臠をたぶ、公卿は座ながら、殿上人は座末にて、一人宛召出してたぶ、
p.0620 山城 九條眞桑 鳥羽瓜 大和 梵天瓜 攝津 木津瓜 和泉 舳松瓜 武藏 江戸葵瓜〈葵ノ御紋有ト云〉 美濃 眞桑瓜〈根本ト云〉
p.0620 日域諸國名産果 眞桑瓜〈濃州〉木津瓜〈攝州〉梵天瓜〈和州〉葵瓜〈武州〉鳴子瓜〈同上〉天野瓜〈越後〉
p.0620 甜瓜按甜瓜出二於濃州眞桑村一者良、故總名稱二眞桑一、武州川越、尾州青鷺、洛之東寺爲レ上駿州府中、羽州七浦攝州氷野泉州堺舳松皆得レ名、參州銀甜瓜、白色而有二銀筋一、加州田中、和州梵田白色也、
p.0620 甜瓜 倭俗專賞レ之、所々有レ之、然東寺邊其味爲レ勝、世稱二東寺眞桑(○○○○)一、然其種毎年用二美濃國眞桑瓜之瓤核一也、故元稱二眞桑瓜一、至レ今略二瓜字一直謂二眞桑一、上賀茂邊所レ産、謂二賀茂田瓜(○○○○)一、其形肥大、然其味劣、凡東寺邊爲二腴田一、依レ近二京師一、不淨之穢水流二委溝洫一故乎、所レ作之瓜、土人自擇二其良者一、貼二黒印於瓜皮面一而賣レ之、是謂二判瓜(○○)一倭俗印稱二印判一、其風味不レ及レ擇レ之、倭俗於レ瓜十箇謂二一頭一、近世西郊川勝寺村谷 川甜瓜風味爲レ勝、又和州南都梵天瓜、泉州界艫松瓜亦在二京師一、
p.0621 四郞君、受領郞等刺史執鞭之圖也、〈◯中略〉得二萬民追從一、宅常擔二集諸國土産一、貯甚豐也、所レ謂〈◯中略〉大和(/○○)苽(ウリ/○)、
p.0621 菓子者可レ爲二荔枝龍眼生栗一候也、夏者唐瓜、大和瓜(○○○)、白瓜、杏、梅、李、桃、水茄子、芡菱也、
p.0621 大和國(○○○)中名物之出所梵天瓜(○○○)〈外白色内黄色〉
p.0621 眞桑瓜もあれども、大にして銀まくは(○○○○)と呼ぶものにて、味ひよろしからず、江戸の眞桑に類せし黄色なるもの、偶には見ることあれども稀なり、鳴子瓜の如きものは、絶てあることなし、
p.0621 土産 上條瓜(○○○) 出二上條村一、至レ今毎年供御、爲二尾州名物一、里老傳曰、慶長十四年酉夏、東照神祖命令レ獻レ之、時寺西藤左衞門爲二奉行一、其吏竹腰又兵衞、高麗又五郞指二揮之一、如下濃州獻二眞桑瓜一例上、以二甜瓜十五顆一爲二一筐一以二四筐一爲二一擔一、凡十擔獻二之駿府一、其後毎年以爲レ式、賜二證文二十通一、元和四年午夏、藤田民部爲二奉行一、其吏日比十右衞門指二揮之一、先以二甜瓜二擔一、獻二之江戸一、六月十五日大雨水沒二田園一、瓜悉潰敗、故以二證文十八通一返上、爾後不レ賜二證文一、從二瓜有無一、驛遞獻レ之、毎レ獻以二瓜十顆一充二米一升一、且復二其租一、寛永三年子夏、原田右衞門再爲二奉行一、然以二上條村一、爲二劇邑一、不二敢蒞一百姓困窮請レ吏、翌五年原田諭二里人一云、移レ租仍レ舊、以レ瓜充レ米、及雇役送レ筐一切罷レ之、里人從レ之、其后獻レ瓜之事、或有或無、後年但以レ瓜進二官府一、驛遞獻二之東都一、但賜二瓜價一不レ復二租税一、
p.0621 駿河國(○○○)中名物出所之部府中眞瓜(○○○○)
p.0621 江府(○○)名産〈并近在近國〉 鳴子瓜(○○○) 甜瓜也 柏木村鳴子宿 瓜の名物也 江戸より三里程府中瓜(○○○) 同 甲州道高井土の先〈キ〉 名物 江戸より六里程鳴子、牟禮、石原、谷保(やほ)、〈俗ニ藪ト云〉國分、水神、府中是等を西山と稱す、此所々江府より西にあたる、山瓜と稱して上品なり、又豆州(○○)香貫(かぬき)、志下(しけ)、猪濱、蛇塚、槇島、下總(○○)の柏井、御門、折立、道邊、中澤等より出るを東と云、西山より稱美うすし、その外目黒、千束、旗ケ谷、喜多見、衾、渡田、綱島、道澤、矢口、鶴見、八幡塚等よりも出る、これらを南といふ也、是も味ひ西山に劣れり、又江府へ一番に出る瓜は、駿州安西、井宮、河原也、
p.0622 美濃國(○○○)郡名物出所之部眞桑瓜(○○○)〈世に眞桑瓜と云、此處根本也、〉
p.0622 眞桑瓜 本名甜瓜、〈カラウリ〉眞桑爪は美濃國の地名也、其地の瓜名産也、
p.0622 一夏食する瓜は、甜瓜(テンクワ/カラウリ)と云物也、黄色にてもえぎ色の細きたて筋あり、古代はほぞちと云し也、今江戸にてまくはうりと云也、美濃の國眞桑と云所より出る瓜名物也、他國他所にて作り出すを、おしなべて眞桑瓜と云は無理なれども、今江戸にてはすべてまくはうりといふ也、
p.0622 眞桑瓜御湯殿のうへの日記に、天正三年六月廿九日のぶながより、みのヽまくはと申す名所のうりとて、二こしん上とあり、眞桑村は本巣郡也、
p.0622 眞瓜甜瓜俗謂二之眞瓜(マクワ)一、朝鮮郷名也、見二村家急救方一、美濃有二眞瓜村一、其地所レ産、香味異常、開レ香如レ有二負擔過レ門者一、清異録曰、瓜最盛者、無レ踰二齊趙一、車擔列レ市、道路濃香、故彼人云、未レ至二舌交一、先以レ鼻選、眞瓜村所レ産、亦鼻 選之種耳、在昔三韓朝貢及歸化者、絡繹不レ絶、是以三韓郷名、傳至二于今一者頗多、眞瓜密祖〈詳二味噌條一〉之類是也、
p.0623 熟瓜 以二名取郡(○○○)北口村所 産爲二住品一、有二白瓜一、謂二之梵天一、〈俗曰二幣帛一、而稱二梵天一、取二其潔清純白一、呼レ瓜亦 、〉或有二青碧而黄筋者一、謂二之筋好瓜(スヂマクワ)一、近年以二他邦種一植レ之、往時有二名護屋種一、爾後有二淺碧瓜(アサキウリ)一、近歳用二伊具郡佐倉種一、其色青黒而有二緑筋細點者一、其味有二破レ霜嚼レ氷之美一、曰二之幾都(キツ)一、又有二黄色青筋而短小者一、謂二之玞鍮一、尤好瓜也、
p.0623 出雲國(○○○)中名物出所瓜〈のき村と云所より出る〉
p.0623 山城 八條淺瓜(○○) 青瓜(○○) 狛越瓜(○○)
p.0623 越瓜 越瓜諸處皆有、特山城狛邊(○○○○)多種レ之賣二京師一、此外茄子角豆生薑等物亦多出レ自二斯所一、凡瓜茄子等早熟者、俗謂二初(ハツ)物一、皆出レ自二斯邊一、俗此邊專謂二山城一、此地向レ陽、故土地和暖、依レ之諸物早生早實、然至二越瓜一風味不レ及二賀茂河東吉田邊之所 種、泉州府志、莦瓜質長而色白、或名二白瓜一、或稱二菜瓜一云云、依レ此則越瓜或稱二莦瓜一、又稱二莦瓜一、又一種有二青瓜一、其形状小而味又甘美也、
p.0623 三位國章、ちひさき瓜を扇にをきて、藤原かねのりにもたせて、大納言朝光が、兵衞佐に侍りける時、つかはしたりければ、をとにきくこまのわたりのうりつくり(○○○○○○○○○○○○)となりかくなりなる心かな返しさだめなくなるなりうりのつら見てもたちやよりこむこまのすきもの
p.0623 瓜の類、白瓜といふもの大きなるもの多し、冬瓜の如く烹て食ひ、又は漬物とす、丸づけと唱ふるもの絶てなし、夫故雷り干といへるもの抔製することなし、予〈◯久須美祐雋〉は香のものを好 む故に、丸づけに替て、白瓜にて雷り干を作るに、柔らかにして至極よろし、
p.0624 江府名産〈并近在近國〉田畑瓜 越瓜(しろうり)也 田畑村、江府より二里計丑寅にあたる、 大サ尺餘、肉厚く中子すくなし、色青磁也、糟に藏して上品なり、
p.0624 或曰、俗禮に瓜を貴人の前にて進むる時、其皮を去て先上のかたを横に薄く輪切にして、是を捨侍るは如何なるゆゑと問へども、さだかならずと、予〈◯天野信景〉曰、是禮の玉藻に見えはべる、曰瓜祭二上環一食レ中、棄レ所レ操と、註に先神に進めて後食ふ、瓜は昔ことに重んじ侍る故、先一輪を進めて後、君にも奉る古法也、
p.0624 世俗瓜を割に、上の方をきりて先くらふを、鬼をするといへり、禮記玉藻に、瓜祭二上環一食レ中棄レ所レ操とみえたり、鬼神をまつる事なれば、をにのものといひたるなるべし、又天子諸侯大夫庶人の、瓜をさく禮も、曲禮に見え侍る、
p.0624 瓜祭二上環一食レ中、棄レ所レ操、〈註、上環頭忖也、〉
p.0624 一瓜を參らするに、うりさしをそへて參らすること、條々聞書などに見えたり、うりさしとは、楊枝のごとく成物也、串を五寸二三分に丸くけづり、一方にかど有べし、めんを取るべしと、三議一統にみえたり、〈瓜はウリと書べし、和名抄ウのかな也、俗にフリと書はあやまり也、〉
p.0624 一うりをけづりて、人の給候時、そとたべてそばに置候事、くわんたいなる事にて候、そのうりあしく共、みなくふ事也、
p.0624 割レ瓜刀子廿枚〈刃長五寸、毎年五月一日、七月一日兩度、盛二楊筥一合一進レ之、其筥用二年料内一、〉料、堅鐵大六斤四兩、膠小十二兩、木賊小八兩、伊豫砥二顆、檜小半村、〈鞘料〉紙十張、〈敷二刀子筥一料〉和炭三斛、單功七十五人、〈工七十人、夫五人、〉
p.0624 諸使事 賜二 侍從所一使〈殿上五位六位高戸者〉
p.0625 西市庄解 申二進上雜物一事生苽參佰陸拾果 直壹佰捌拾文大七十果別一文 中百五十果一文充二二果、 小百卌果一一文充二四果一〈◯中略〉右依二今月十日符一、買取進上如レ件、以解、天平寶字二年八月十二日 布勢足人
p.0625 二十五年六月、出雲國言、於二神戸郡一有レ瓜、大如レ缶、
p.0625 思二子等一歌一首并序〈◯序略〉宇利波米波(ウリハメバ)、胡藤母意母保由(コドモオモホユ)、久利波米婆(クリハメバ)、麻斯提斯農波由(マシテシヌバユ)、〈◯下略〉
p.0625 ちいさきうりのきなるを、おなじ色のかみにつヽみて、あさみつの少將のがりやるを、きヽたがへて、よりひらにとらせたれば、雲のたつうりふの里のをみなべしくちなし色はくひぞわづらふこヽろときめきして、いひたりしかひなければ、かへしもせで、とりかへして、はじめの人のがりやるとて、われかとないひそといひければ、ありどころこまかにいづらしらうりのつらを尋ねて我ならさなん、左近のきみにとのたまへりしかば、われとしられにけりとねたくて、うりどころこヽにはあらじ山城のこまかにしらぬ人なたづねそ
p.0625 以二外術一被レ盜二食瓜一語第四十今昔、七月許ニ、大和ノ國ヨリ多ノ馬共、瓜ヲ負セ列テ、下衆共多ク京ヘ上ケルニ、宇治ノ北ニ不レ成ヌ柿ノ木ト云フ木アリ、其木ノ下ノ木影ニ、此ノ下衆共皆留リ居テ、瓜ノ籠共ヲモ皆馬ヨリ下シ ナドシテ、息居テ冷ケル程ニ、私ニ此ノ下衆共ノ具シタリケル瓜共ノ有ケルヲ、少々取出テ切リ食ナドシケルニ、其邊ニ有ケル者ニヤ有ラム、年極ク老タル翁ノ、帷ニ中ヲ結ヒテ、平足駄ヲ履テ、杖ヲ突テ出來テ、此ノ瓜食フ下衆共ノ傍ニ居テ、力弱氣ニ扇打仕ヒテ、此ノ瓜食フヲマモラヒ居タリ、暫許護テ翁ノ云ク、其ノ瓜一ツ我レニ食ハセ給ヒ、喉乾テ術无シト、瓜ノ下衆共ノ云ク、此ノ瓜ハ皆己等ガ私物ニハ非ズ、糸惜サニ一ツヲモ可レ進ケレドモ、人ノ京ニ遣ス物ナレバ、否不レ食マジキ也ト、翁ノ云ク、情不レ座ザリケル主達カナ、年老タル者ヲバ、哀レト云フコソ吉キコトナレ、然レバ何ニ得サセ給フ、然ラバ翁瓜ヲ作テ食ハムト云ヘバ、此ノ下衆共戲言ヲ云フナメリト、可咲ト思テ咲ヒ合タルニ、翁傍ニ木ノ端ノ有ルヲ取テ、居タル傍ノ地ヲ堀ツヽ、畠ノ様ニ成シツ、其ノ後ニ此ノ下衆共、何態ヲ此レハ爲ルゾト見レバ、此ノ食ヒ散シタル瓜ノ 共ヲ取リ集メテ、此ノ習シタル地ニ植ツ、其後チ程モ无ク、其ノ種瓜ニテ二葉ニテ生出タリ、此ノ下衆共此レヲ見テ、奇異ト思テ見ル程、其ノ二葉ノ瓜只生ヒニ生テ這 ヌ、只繁リニ繁テ、花榮テ瓜成ヌ、其ノ瓜只大キニ成テ皆微妙キ瓜ニ熟シヌ、其ノ時ニ此ノ下衆共此レヲ見テ、此ハ神ナドニヤ有ラムト、恐テ思フ程ニ、翁此ノ瓜ヲ取テ食ヒテ、此ノ下衆共ニ云ク、主達ノ不レ食ザリツル瓜ハ、此ク瓜作リ出シテ食ト云テ、下衆共ニモ皆食ハス、瓜多カリケレバ、道行ク者共ヲモ呼ビツヽ食ハスレバ喜テ食ヒケリ、食畢ツレバ、翁今ハ罷ナムト云テ立チ去ヌ、行方ヲ不レ知ラズ、其後下衆共馬ニ瓜ヲ負セテ行カムトテ見ルニ、籠ハ有テ其ノ内ノ瓜一ツモ无シ、其ノ時ニ下衆共手ヲ打テ、奇異ガルコト无レ限シ、早ウ翁ノ籠ノ瓜ヲ取リ出シケルヲ、我等ガ目ヲ暗マシテ不見セザリケル也ケリト知テ、嫉ガリケレドモ、翁行ケム方ヲ不レ知ズシテ、更ニ甲斐无クテ、皆大和ニ返テケリ、道行ケル者共此ヲ見テ、且ハ奇ミ且ハ咲ヒケリ、下衆共瓜ヲ不レ惜ズシテ、二ツ三ツニテモ翁ニ食セタラマシカバ、皆ハ不レ被レ取ザラマシ、惜ミケルヲ、翁モ テ此モシタルナメリ、亦變化ノ者ナドニテモヤ有ケム、其ノ 後チ其ノ翁ヲ、遂ニ誰人ト不レ知デ止ニケリトナム語リ傳ヘタルト也、
p.0627 幼兒盜レ瓜蒙二父不孝一語第十一今昔ノト云フ者有ケリ、夏比吉キ瓜ヲ得タリケレバ、此レハ難レ有キ物ナレバ、夕サリ方返來テ、人許ヘ遣ラムト云テ、十菓計ヲ厨子ニ入レテ、納メ置テ出ヅトテ云ク、努々此ノ瓜不レ可レ取ズト云置テ出ヌル後ニ、七八歳許ナル男子ノ厨子ヲ開テ、瓜一菓ヲ取テ食テケリ、夕サリ方祖返テ、厨子ヲ開テ瓜ヲ見ルニ、一菓失ニケリ、然レバ又此ノ瓜一菓失ニケリ、此ハ誰ガ取タルゾト云ヘバ、家ノ者共、我モ不レ取ズ我モ不レ取ズト諍合タレバ、正シク此レハ此ノ家ノ人ノ爲態也、外ヨリ人來テ可レ取キニ非ズト云テ、半无ク責問フ時ニ、上ニ仕ヒケル女ノ云ク、晝見候ツレバ、阿字丸コソ御厨子ヲ開テ、瓜一ツヲ取リ出テ食ツレト、祖此レヲ聞テ、此モ彼モ不レ云テ、其ノ町ニ住ケル長シキ人々ヲ數呼集メケリ、家ノ内ノ上下ノ男女此レヲ見テ、此ハ何ノ故ニ此ハ呼給フニカ有ラムト思ヒ合タル程ニ、郷ノ人共被レ呼テ皆來ヌ、其ノ時ニ父、其ノ瓜取タル兒ヲ永ク不孝シテ、此ノ人々ノ判ヲ取ル也ケリ、然レバ判スル人共、此ハ何ナルコトゾト問ヘバ、只然思フ様ノ侍ル也ト云テ、皆判ヲ取ツ、家ノ内ノ者共ハ此ヲ見テ、此許ノ瓜一菓ニ依テ、子ヲ不孝シ可レ給キニ非ズ、糸物狂ハシキ事カナト云ヘドモ、外ノ人ハ何カハ可レ爲キ、母ハタ可レ云キニモ非ズ、極ク恨ミ云ケレドモ、父由无キ事ナ不云ソト云テ、耳ニモ不二聞入一レズシテ止ニケリ、〈◯下略〉
p.0627 あやしげなるげすおとこの、禪林寺僧正に、瓜を四奉りたりければ、凡夫やつ四果のうりをぞえさせたりひじりのつらにならんと思ふか人々あつまりて、瓜をくいける所にて、或人萬法はみな空なりと云法問を出したりけるを聞て、寂蓮法師よみ侍ける、なにもみなくうになるべき物ならばいざこのうりにかは〈◯は原脱、今據二一本一補、〉ものこさじ、
p.0628 貞治五年、七夕、無外大照五六人來遊、勝句、句未レ央聽二賣レ瓜聲一、乃命二侍衣一令レ買レ之、少頃出謂、瓜太半熟損、不レ能レ取レ之、勿レ吃、客去、侍衣曰、初取レ茗以二沽具一、亦無二質可 買レ瓜、是以謂二之熟損一、余咲曰、眞个薄福住山矣、
p.0628 聞昔内園春進レ瓜、華清風雨野人家、温湯一掬山河潰、萬里橋西二月花、 二月進瓜
p.0628 秀吉公異形の御出立にて御遊興之事文祿三年六月廿八日之事なるに、瓜畑などひろく作りなしたる所におゐて、瓜屋旅籠屋を、いかにも麁相にいとなみ、瓜あき人のまねをなされつヽ、各をも慰め、又御心をも慰み給ひつヽ、長陣の勞を補ひ給ひしなり、御出立は柿帷をめされ、わらのこしみの黒き頭巾、菅笠を御肩に物し、味よしの瓜めされ候へ〳〵と有しは、聊商人に違ふ所もなふて、つぎ〳〵しく有しなり、〈◯中略〉一 波中納言秀勝は、漬物瓜をになふて、かりもりの瓜、瓜めせ〳〵とふつヽかに、のヽしり給ひしが、ぶてうほうに有しなり、げにも若きは何事も無功に有よなど思はれて、年はよるべき物なり、いやよるまじき物でも有と云人も多かりしなり、
p.0628 南瓜(ボウブラ)
p.0628 南瓜は回紇の瓜也、同じ物に亦かぼちやといふあり、
p.0628 南瓜ぼうふら 西國にてぼうふら、備前にてさつまゆふがほ、津國にてなんきん、東上總にてとうぐはん、大坂にてなんきんうり、又ぼうぶら、江戸にて先年はぼうふらといひ、今はかぼちやと云、
p.0628 かぼちや 柬埔寨と譯す、もと暹邏の内今別國と成とも、南天竺の内也とも、眞臘國也ともいへり、かすたとも云とぞ、慶長の頃より通ぜしともいへり、瓜の類にいふは、此國より出たる種なるべし、よて群芳譜に蠻南瓜と見えたり、
p.0629 アコダ瓜 京都ニ多シ、南瓜ニ似テ小ナリ、味不レ好、其蔓長ク、其葉蜀葵ニ似テ大ナリ、黄花ヲヒラク、南瓜ヲアコダト訓ズルハ誤レリ、
p.0629 茶入之部 同薄茶器南瓜(アコダ) 山中宗有遺愛の櫻の木を以て、其子宗智、天然に茶器の好を頼みしに、如心齋夢中にアコダ瓜の形を得て、此器を好む、細工成就せざる内に天然は卒す、故に天然の書付はなし、身は内黒外溜、蓋は木地なり、
p.0629 近村ノ氏神牛御前ノ祭禮ノトキ、市坊ノ戸外ニ掛連ネタル燈籠ニ、種々ノ狂畫奇句ヲ書クコト例歳ナリ、今年出行ノトキ見ルニ、畫ニ一僧〈眞言宗ノ衣體ナリ〉柬埔寨〈瓜菜ノ實〉ノ下ニアルヲ俯シ視ル體ノ上ニ、 コノカボチヤ黄色ダノウ負ケルダラウ
p.0629 南瓜 俗云保宇不良、形色似二阿古陀瓜一、阿古陀不レ煮食、蓏果之類也、本綱、此種出二南番一、故名二南瓜一、今處處有レ之、三月下レ種、宜二沙沃地一、四月生レ苗、引レ蔓甚繁、一蔓可レ延二十餘丈一、節節有レ根、近レ地即著、其莖中空、其葉状如二蜀葵一、而大如二荷葉一、八九月開二黄花一、如二西瓜花一、結レ瓜正圓、大如二西瓜一、皮上有レ稜、如二甜瓜一、一本可レ結二數十顆一、其色或緑或黄或紅、經レ霜收置二暖處一、可二留至 春、其子如二冬瓜子一、其肉厚色黄、不レ可二生食一、惟去二皮穰一瀹食、其味如二山藥一、同二猪肉一煮食更良、亦可二蜜煎一、陰瓜 出二淅中一宜二陰地一、種レ之秋熟、色黄如レ金、皮膚稍厚、可二藏至春食 之如レ新、疑此即南瓜、南瓜〈甘温〉 補レ中益レ氣、然多食發二脚氣黄疸一、南京瓜 柬埔寨瓜 唐茄子 共俗稱按南京瓜、本草南瓜下所謂陰瓜是也、乃南瓜之屬、而出二於淅江一、淅江隣二于南京一、故自二南京一、得二種於長崎一、初種レ之、或名二甘埔寨瓜一、亦本南蠻之種故耳、其瓜大小似二南瓜一、而 筋淺細、形末大本小、似二備前甒(トクリ)之状一、初緑色、熟淡甘帶二微赤一、似二老茄子(ヒネナスビ)之形色一、故俗又名二唐茄子一、秋採剥レ皮煮食、味甚甜、或和レ鱠、或用二 番椒未醤一炙食亦佳、
p.0630 南瓜(○○) ボウブラ(○○○○) ボウブナ(○○○○)〈肥前〉 ボブラ(○○○)〈加州〉 ナングハ(○○○○)〈仙臺◯中略〉京師ニテハ誤テカボチヤト呼ブ瓜形圓扁ニシテ竪ニヒダアリ、初ハ深緑色、熟スレバ黄赤色、筑紫ニ産スル者ハ、形甚大ニシテ徑リ尺餘ニ至ル、一種形長ククビアリテ、壺ノ形ノ如シテ深緑色、又熟シテ黄色ニナル者アリ、是ヲトウナスビト(○○○○○○)云、一名カボチヤ、カボチヤボウブラ、ナンキンボウブラ、日向ウリ、〈豫州〉是群芳譜ノ番南瓜(○○○)ナリ、一種細腰、壺盧ノ形ノ如クナルヲ、クヽリボウブラ(○○○○○○○)ト云、又一種アコダウリ(○○○○○)ハ、紅小ニシテ六寸許、正圓ニシテヒダナク、皮色赤シ、集解ニ、或紅ノ字アレバ、紅南瓜(○○○)ト名クベシ、汝南圃史ニ、南瓜紅皮如二 楓色一ト云ハ、アコダウリナリ、北瓜青皮如二碧苔色一ト云ハ、ボウブラナリ、備前ニ金冬瓜ト呼者アリ、形長ク越瓜ノ如ニシテ、皮赤色ナリ、傳言フ、浮腫ヲ治スト、増、〈◯中略〉盛京通志云、南瓜種出二南番一、故名、其形圓而長、倭瓜類、南瓜深黄色而味較其形扁、本草不二分爲 二、今因二俗呼一分レ之、コノ説ニ據ル時ハ、南瓜ト云モノ、トウナスビニシテ、番南瓜ハボウブラナリ、ソノ倭瓜ハ番南瓜ノ一名ナリ、コレ群芳譜ノ説ニ反ス、京師ニテカボチヤト呼モノハ、春月種ヲ下シ、甚ダ蔓延ス、葉ノ形蜀葵ノ如ニシテ五尖アリ、處處ニ白斑點アリ、夏月葉間ニ花ヲ開ク、大サ三寸許、五瓣ニシテ黄色、瓣ニ皺多シ、中ニ淡黄色ノ蘂アリ、甚アダバナ多シ、
p.0630 南瓜 カボチヤと云、一名ボウフラと云、カボチヤは其出處の地名にてボウフラは其瓜の變名なるべし、暹邏と云國の東南に占臘國あり、又眞臘とも書く、一名柬埔寨とも云、カンボチヤとよむ、採覽異言に見たり、此カボチヤ瓜、予〈◯伊勢貞丈〉が幼少より弱冠のころ、享保年中までは市にて賣らず、無が故也、稀に人の家園に種る者も有し、長崎などより、其種を傳來せし にや、常見なれざる物なれば、毒物ならんかとて、食せざる人もありし、元文の頃より所々にて種へ弘めて、今は市に多く賣り、夏秋の菜物となれり、
p.0631 南瓜元和年中に渡る、京都には延寶天和の頃より種をうゆる也、又南京南瓜あり、おなじころにわたるか、
p.0631 長崎土産物南瓜 紅毛詞ぼうぶらといふ、此種唐土日本ともに、亞媽港呂宋等の南蠻國より傳へたり、長崎にも天正年中より普ねく農家に造り、唐人紅毛に賣て生計とす、しかれども本草綱目等にも、毒ありて人に益なきよし見へたれば、恐れて世に食する人すくなかりし、近世は諸國に流布して、人毎に食すといへ共、其害ある事をしらず、民家常に食して朝夕の助となれり、是を食して害ありしといふを尋るに、みな肉食の祟りにて、南瓜の祟りにはあらず、牛羊豬肉等を加へ煮て、甚だ過食し、又は熱酒を飮るに依て、食滯諸病を生ぜし時は、即南瓜の毒なりといひて、肉食酒飮の毒なりし事を察せず、山家の民は、たヾ南瓜一味あるひは麥粉餅を合せ煮て喰ふといへ共、過食のとがめもなく、病氣を生ぜし事をしらず、本草綱目時代までは、いまだ南瓜の性詳かに知者すくなかりしにや、
p.0631 かぼちやの小なるを唐茄子と名付、はやり出しは明和七八年の頃なり、唐なすさつま芋の類は、初ものとて賞する人もなし、此二種享保のころ迄は、江戸にはなきものなり、元文のころより近國にて作り出す、〈◯中略〉江戸名物鑑、唐茄子、初夢や一ふじ二たか十なすび、薩摩芋、後の月みよ七またのくだり芋、これ專行はるヽの始なり、
p.0631 明和八年辛卯六月、柬埔寨瓜(かぼちやうり)の小きを、唐茄子と號してはやり出す、
p.0632 南瓜南瓜是南方よりたね來る故、かく云なるべし、甘瓜西瓜のごとく、菓子になる物にはあらず、猪肉、鷄、鴨のあつ物、其外魚鳥と合せて煮て食し、料理色々あり、唐人甚賞す、西國にては賞翫する物なり、農書に、陰地によしとあれど、日あて能所よし、うへ様西瓜に替事なし、區(まち)を廣く深くし、蒔付にも、又苗うへもよし、取分海邊汐風の當る、南向の肥地沙地に宜し、鷄家鴨の糞など多く用ひてなる程肥し、草屋の上にはヽせ、又高き岸などに引上、或は棚をかき、冬瓜夕がほのごとくするもよし、柴など折しきて、平地にはヽするもよし、根の廻り五三尺の間、いかにもよく肥して、つるのゆくさき〴〵は、芝原猶よし、土手などある所ならば、是又宜し、或屋敷の肥地に根を種へ、民の屋の上にはヽせ、又は前に云ごときの空地、屋敷の邊にあらばはヽすべし、勝れてつる長くはふ物なれば、よき畠には作りがたし、但やせ地に糞すくなくては盛長せず、又是もさきを留る事なし、深き肥たる砂地に、糞にあかせて作りたるには、甚ふとき瓜、一本に二三十もなる物なり、いか程もふとく外堅くすね、色あかく成たる時取て、下に竹のす又は蘆、すヽきなどの簀をしき、日のあたらざるにはの内などにならべ置か、又かづらにて痛まぬやうにからげ、屋の内につり置もよし、
p.0632 肥前 ボブラ
p.0632 西瓜(スイクハ)〈寒瓜同〉
p.0632 西瓜(スイクハ)〈一名寒瓜、大元世祖皇帝征二西域一之後、此種入二于中華一、見二五雜組一、〉
p.0632 古人於レ瓜極重、大戴禮、夏小正、五月乃瓜、八月剥レ瓜、豳風、七月食レ瓜小雅、中田有レ盧、疆場有レ瓜、是剥是葅、獻二之皇祖一、曾孫壽考、受二天之祜一、今人醃レ瓜爲葅、不レ可三以享二下賓一、而況祭二祖考一乎、但古人之瓜亦多二種類一、非二今之西瓜一也、西瓜自二宋洪皓一、始携歸二中國一、自レ此而外、有二木瓜王瓜金瓜甜瓜一、廣志所レ載、又有二烏瓜魚瓜密筩瓜等十餘種一、不レ知古人所レ云、食レ瓜、的是何種、今人西瓜之外、無レ有下薦二賓客一會食者 漢陰貴人夢食二煌燉瓜一甚美燉煌西羗地也、豈此時西瓜已有下傳入二中國一者上、但不レ得二其種一耶、今時諸瓜、其色澤香味、豈復有下出二西瓜之上一者上、始信邵平五色浪得レ名耳、
p.0630 西瓜すいくわ 大阪にてさいうり(○○○○)といふ
p.0630 和二西瓜一詩西瓜今見生二東海一、剖破猶含玉露濃、種性不レ同二江北枳一、益レ人強似二麥門冬一、
p.0630 西瓜 寒瓜 俗云須以久波、唐音之訛也、本綱、五代之先、瓜種已入二淅東一、但無二西瓜一、五代時胡嶠征二回紇一得二此種一、始入二中國一、名曰二西瓜一、北地多有レ之、今則南北皆有、而南方者味稍不レ及也、二月下レ種、以二牛糞一覆而種レ之、蔓生花葉皆如二甜瓜一七八月實熟、有下圍及徑尺者、長至二二尺一者上、其稜或有或無、其色或青或緑、其瓤或白或紅、紅者味尤勝、其子或黄或紅或黒或白、白者味更劣、其味有レ甘有レ淡有レ酸、酸者爲レ下、以レ瓜劃破曝二日中一、少頃食即冷如レ水也、得二酒氣一近二糯米一即易レ爛、貓踏レ之即易レ沙(ジヤキツキ)、食二西子一後食二其子一、即不レ噫二瓜氣一、〈◯中略〉一種正圓而稍小、瓤正赤味甚甜、其皮白肉薄、近頃出レ之、俗呼曰二韓西瓜(○○○)一、然瓤沙而不レ如二常西瓜之柔潤一、
p.0630 西瓜 スイクハ〈唐音ノ轉ナリ〉 サイウリ〈大坂◯中略〉數種アリ、皮深緑色ニシテ、瓤赤ク子黒キ者ハ、尋常ノ西瓜ナリ、其子未ダ熟セザル時ハ色白シ、熟スル時ハ黒シ、又黒白斑駁ナルアリ、珴瑁子(○○○)ト云、奧州津輕ニハ、皮白ク瓤黄子赤キ者アリ、シロ西瓜(○○○○)ト呼ブ、本草原始ノ月明瓜ナリ、城州木津ニハ、皮黄ニシテ瓤赤キ者アリ、木津西瓜(○○○○)ト呼ブ、勢州ニハ皮瓤共ニ黄色ナルアリ、下品トス、北伊勢赤堀村ノ産ハ、皮瓤黄ニシテ子赤シ、上品トス、赤ボリ(○○○)ト名ク、又九州ノ産ハ瓤子共ニ赤シ、又ナガスイクハ(○○○○○○)ハ、潤サ五寸許、長サ一尺、皮淺緑色ニシテ越瓜(アサウリ)ノ如シ、瓤赤シテ味佳ナリ、京師ノ菜店ニテ南京ト呼ブ、是西江志ノ雪瓜ナリ、時珍ノ説ニモ、長至二二三尺一ト云リ、雲州筑州ニテ南京(○○)ト呼ブ者ハ、尋常ノ形ニシテ、皮薄ク瓤、ニ粉アリテ、味沙糖 ノ如シト云ウ、〈◯中略〉増、桃洞遺筆ニ、近年讃州ヨリ一種ノ西瓜ヲ出ス、シロスイクハト云、常ノ西瓜ヨリ皮薄ク白色ニシテ、瓤子共ニ紅色ナリ、味至テ甘味ニシテ、常品ニ勝レリ、コレ群芳譜西瓜ノ附録ニ、北瓜形如二西瓜一而小、皮色白甚薄、瓤甚紅、亦如二西瓜一而微小狹長、味甚甘美、與二西瓜一同レ時、想亦西瓜別種也ト云、即是ナリ、所レ謂月明瓜トハ別ナリト云ヘリ、
p.0630 西瓜西瓜は昔は日本になし、寛永の末初て其種子來り、其後やうやく諸州にひろまる、
p.0630 西瓜〈◯中略〉按西瓜慶安中、黄檗隱元入朝時、携二西瓜扁豆等之種一來、始種二於長崎一、然亦惡二青臭氣一、或瓤汁赤色、以爲レ似二血肉一、兒女特不レ食、今則處處多有レ之、貴賤老幼皆嗜レ之、而武陽之産最良、攝州鳴尾亦美、瓤赤 黒者爲レ上、其瓤近レ皮處、白色而味淡、故不レ堪レ食、乃連レ皮藏レ糟爲二香物一、或煮食亦佳、凡熟者敲レ之音和、如二中虚一、未レ熟者、音 如二中實一也、
p.0630 西瓜は寛永中に、肥前國に來る、寛文の頃、京田舍に種て人是を食といふ、但し我國僧義堂が空花集第一に和二西瓜一詩あり、其略、西瓜今見生二東海一 剖破含レ紅玉露濃此僧は後小松院の御宇の人也、然れば當時有て中絶し、近世亦來るにや、凡そ應永末より文明の以後に至り、我國未曾有の大亂ゆゑ、稻麥粟粱の外、かヽる瓜の類も種る所なかりし故、絶て世に知らざりしが、今四海しづけく、唐土人の船も年々我に通商して、萬新なる物を見侍る、
p.0630 西瓜は東垣、禮の削瓜の文によりて、古より中國に有とす、然れども中世契 より傳えしといふもの、實を得たる歟、
p.0635 香月牛山〈名啓益〉卷懷食鏡西瓜の條に、啓益按、西瓜は寛永年中に、異邦より來れり、然れども義堂和尚の空華集に、和二西瓜一の詩あり、此時西瓜いまだあるべからず、しらず何物を以てこれを稱するや、或は此物古來ある所にして、其種亡びて近年亦異邦より來れるやといへり、
p.0635 西瓜西瓜一名寒瓜といふ、西域より出でたる故に、西瓜といひ、冷なる故に、寒瓜といひ、水中に冷し食ふ故に、水瓜といふ、今は西字を水の音によめり、五雜俎に、大元世祖皇帝、征二西域一之後、此種入二于中華一、代酔四十云、五代史、契 破二回紇一因得二西瓜一如二中國冬瓜一、而味甘、 鉛餘録に、據レ此謂二西瓜一、五代始入二中國一、故本草不レ載、水東日記に、西瓜、自三大元大祖征二西域一始得云々と見えたり、
p.0635 西瓜西瓜、水の多き物なるゆへ水瓜と云にはあらず、是もと西域より出たる物也、故に西瓜の號あり、うゆる法、甘瓜にかはる事なし、種子下す時分も、大かた同じ、少遲も苦しからず、又苗をうへ置て、移しうゆるもよし、畦も區(まち)も甘瓜より廣く、こやしもなる程多く用ゆべし、海藻ある所ならば、是を多く入たるがよし、區(まち)ごとに立をく數も、畦のひろきせばきにしたがひ、一本若は二本も置べし、多くはをくべからず、又子をば、一本に二つ三つまではをくべし、甚大なるを好まば、一つをきたるにはしかず、わきのつるも花も皆々つみ切べし、是は甘瓜のごとく、先を留る事はなし、無用のつるの出るをきりさるべし、其まヽ置ば瓜ふとからず、甘瓜の終りて後熟し、味よく、暑氣をさまし、酒毒を解し、渇きをやめ、多く食しても人にたヽらず、いさぎよき食物なり、たねに色々ありじやがたらと云あり、肉赤く味勝れたり、是を專作るべし、海邊ちかき南向の肥たる沙地を好む物にて、山中など取分宜しからず、
p.0635 西瓜 本州ハ昔此物ナシ、享保三年、北山筋山宮村市郞右衞門云者、始獲二種 子一植レ之、藩主ニ獻ゼシヨリ、其名ヲ得タリキ、今ハ近村千塚村羽黒村邊ニテモ多ク植ウ、
p.0636 肥前 水瓜 薩摩 水瓜
p.0636 日域諸國名産果蓏 大西瓜、〈肥前〉琉球西瓜、〈薩摩〉西瓜、〈武州、有二黒核赤核一也、〉
p.0636 本所砂村新田 小名木川の南、此所西瓜の名物也、
p.0636 江府名産〈并近在近國〉山西瓜 世田ヶ谷 大丸 北澤 此三ヶ所より出ルを西ノ西瓜と云、上品也、砂村 龜戸 西袋 鷺沼 馬加 金町 以上を東と云大森 羽田 此邊より出るを、南の西瓜といふ也、山西瓜、又東の内砂村西瓜は上品也、白肉うすく中濃紅ゐ、子黒色、舌あたりあらく、至つて甘美也、これをさつまと云、又子白きあり、甚味ひ劣れり、凡西瓜は、寛永年中に初てわたり、薩摩にうゆる、よつてさつまの種を上品とす、京江戸へ來るは延寶の比也、
p.0636 名産鳴尾西瓜、〈鳴尾村より多く出る、上品とす、〉つめつてはこヽろのしれぬ西瓜かな 〈加賀女〉珈凉西瓜くふ跡は安達が原なれや 其角出女(でをんな)の口紅おしむ西瓜かな 支考
p.0636 一むかしは西瓜は、歴々其外小身共に喰ふ事なし、道辻番などにて切賣にするを、下々中間抔喰ふ計なり、町にて賣ても喰ふ人なし、女抔は勿論なり、寛文の比より小身調て喰ふ、夫より段々大身小身大名もまいる様に成、結構なる菓子に成ぬ、西瓜大立身なり、
p.0637 七夕には西瓜を賞玩す
p.0637 西瓜を輪ちがひなどに切ることあり、諸艷大鑑嘉祥喰する處に、西瓜を香の圖に切ちらし云々あり、又番南瓜を木魚に作ることは、天明ごろよりといへり定ならず、西瓜の灯籠、俳諧三疋猿附録、暮るとも盆の節季は月ありて、西瓜にとぼす橋の行燈、これはたち賣の赤き紙の行燈なるべし、西瓜の肉をほり取て、中に火を點す事は、近きことヽ見ゆ、火光青くみゆるものなり、廣東新語に似たることあり、廣州時序の條、八月十五日之夕、兒童燃二番燈一持二柚火一、踏二歌於道一、曰灑樂仔灑樂、兒無レ咋レ糜、塔累碎レ瓦、爲レ象二花塔一者、其塔多、象二光塔一者其燈少、柚火者以二紅柚皮一彫二鏤人物一、花草中置二一琉璃盞一、朱光四射與二素馨茉莉燈一交映、蓋素馨茉莉燈、以レ香勝、紅柚燈以レ色勝、〈◯中略〉類柑子、西瓜は卅年來のはやりものにして、今は和歌所へもめしあげらるべかりしを、女房達のきらはせらるヽ方もあるにや、去來抄に、猪の鼻ぐすつかす西瓜かな、〈卯七〉正秀云、猪なればこそ鼻はぐすつかしけん、去來云、させることなし、此頃はいまだ上方に西瓜珍し、正秀も珍しと思より、猪の怪しみたるとは風聞出せり、予は西國生れにて、西瓜も瓜茄子の如し、曾て心ゆかず、總じて人の句を聞に、我知る場しらざる場違ひに有べしと有り、西國より漸々京に上りしなり、娘容儀に、奢り者のことを云て、奧様の御用とて、西瓜の代三百六十五匁、新小判にて八百屋が請取て云々あり、大に行はれたる也、
p.0637 諸職人商人買物所付〈いろは分〉す 西瓜 〈鳴尾新田、同今宮、同天滿、〉
p.0637 江府名匠諸職商人西瓜賣 四日市〈日本橋廣小路〉芝〈新堀端〉兩國橋〈廣小路〉中橋〈廣小路〉京橋〈南がし〉四谷〈鹽町〉糀町〈五丁目、此所毎日市有、〉
p.0637 砂村の邊にて、小鷹にて、雲雀をからせたまふ事ありしに、折しも六月 の暑き日にて、供奉の人々これをくるしみ、のむどかはきけれど、あたりに結ぶべき清水もなし、此邊のはたは西瓜を一般につくる事なれば、こヽもかしこも累々としてあるをみれど、田圃のものを損ずる事は、常々かたく禁じ玉ふことなれば、指さすものもなかりしに、いづれもの疲たるさまを御覽じ、其地の代官伊奈半左衞門忠達をめされ、何事にやひそかに仰あり、半左衞門心を得しさまなりしが、やがて圃中に入て、なかにも大きなる西瓜一つをとり來り、手にてつきやぶり一口食ひ、あら心よや、これにて咽を潤したりといふに、あたりの人々これをみて、半左衞門代官の身にてさへ、かヽる擧動すれば、我々とても憚るべきにあらずと、いそぎはたの中に分入、思ひ〳〵にとりくひて、いづれも渇を忘れけり、これ田圃のものを、みだりにとるべしとは仰られ難きにより、わざと半左衞門に御心をさとし玉ひ、衆人の渇を救はせ玉ひしなるべし、さて其後西瓜の數をあらためしめて、其價を農民に賜ひしとなり、
p.0638 苦瓜(ツルレイシ)〈錦茘枝同又云癩葡萄、〉
p.0638 錦荔枝(ツルレイシ)
p.0638 錦荔枝つるれいし 長崎にてにがごうりといふ、是は苦瓜(にがうり)の轉語なるべし、
p.0638 錦荔枝(ツルレイシ) 一名苦瓜ト云、春子ヲマキ、長ジテ籬垣ニ延シム、本草蓏菜部ニノセタリ、本草ニ其實青キ時瓤ヲ去テ青キ皮ヲ煮テ、肉ト豆油ニ入テ煮食スト云、皮ノ味甚苦シ、故苦瓜ト云、其實ノ形荔枝ニ似タリ、熟シテ色黄ナリ、錦色ノ如シ、皮開破ル、其中ノ子紅ニシテ甘シ、小兒好ンデ食フ、本草ニ大如二鷄卵一ト云、今又一種長八九寸アルモノアリ、
p.0638 苦瓜 錦荔枝 癩葡萄 爾加古宇里、一云蔓荔枝、本綱、苦瓜原出二南番一、今閩廣皆有レ之、五月下レ子、生レ苗引レ蔓、莖葉卷鬚並如二葡萄一而小、七八月開二小黄花一、五瓣如二椀形一、結レ瓜長者四五寸、短者二三寸、青色皮上痱 、如二癩及荔枝殼状一、熟則黄色自裂、内有二紅瓤一 レ子、瓤味甘可レ食、其子形扁如二瓜子一、亦有二痱 一、南人以二青皮一、煮二肉及鹽醤一充レ蔬、苦澀有二青氣一、
p.0639 苦瓜 ツルレイシ(○○○○○) レイシ(○○○) ニガウリ(○○○○)〈防州〉 ゴウリカヅラ(○○○○○○)〈長崎〉 ニガゴヲリ(○○○○○)〈筑後〉 トウゴヲリ(○○○○○)〈島原◯中略〉春種ヲ下ス、藤葉諸瓜ヨリ小ナリ、葉大サ三寸許、五七岐ニシテ鋸齒アリ、淺緑色、毎葉一鬚、葉間ニ花ヲ生ズ、大サ六七分、五瓣ニシテ黄色、莖ハ細シテ絲ノ如シ、 花(アダバナ)多シ、蒂下ニ小塊アル者ハ、花謝シテ瓜ヲ結ビ下垂ス、皮ニ疙瘩多シ、長サ三寸、徑リ二寸許、初ハ緑色、瓜ノ末ヨリ漸ク黄色ニ變ジ、自ラ裂テ紅肉ヲ見ス、是其熟スルナリ、其肉ハ六七分許ノ大ニシテ多ク重ル、味甚ダ甜シ、内ニ皆一核アリ、形木鼈子ニ似テ小ナリ、霜後苗根共ニ枯ル、一種長レイシ(○○○○)ハ、長サ一尺五六寸、九州ニ多シ、東國ニ栽ユレバ六七寸ニ過ズ、
p.0639 絲瓜(ヘチマ)〈布瓜、蓏瓜、天羅、蠻瓜、並同、〉
p.0639 絲瓜(ヘチマ)〈一名魚 、支那俚民曰二洗鍋羅瓜一、〉 蠻瓜(同)〈並出二本草一〉
p.0639 絲瓜へちま 信濃にてとうりと云、薩州にてながうりと云、とうりは糸瓜(いとうり)の上略なるべし、或人の曰、へちまといふ名は、とうりより出たり、其故はとうりのとの字は、いろはのへの字と、ちの字の間なれば、へちの間といふ意にて、へちまとなづくるとぞ、
p.0639 絲瓜〈訓二邊知麻一〉集解、二月下レ種生レ苗引レ蔓、延二樹竹或竹棚架一、其葉大如二蜀葵一而多二了尖一、有二細毛刺一、其莖有レ稜、六七月開二黄花一、五出、微似二胡瓜花一蕊瓣倶黄、其瓜圍六七寸許、長一二尺、甚則三四尺、深緑色有二皺點一、瓜頭如二鱉首一、嫩時食レ之者儘有尤希、老則筋絡纏紐如二織成一、經レ霜乃枯、華人造レ器、本邦惟作二垢摩(アカスリ)一、浴湯中用レ之、而摩二去肌膚之垢一、則舊垢凝脂悉脱焉、
p.0639 絲瓜 天絲瓜 天羅蠻瓜 魚 布瓜 俗云閉知末 本綱、始自二南方一來、故名二蠻瓜一、唐宋以前無レ聞、今以爲二常蔬一、〈◯中略〉按絲瓜攝州住吉多作レ之、不レ爲二食品一、唯用二老瓜皮一、爲二浴室之垢磨一而已、
p.0640 絲瓜 ヘチマ(○○○) ナガウリ(○○○○)〈薩州〉 トウリ(○○○)〈信州◯中略〉瓜小ナル時ハ漬物トナシ食フベシ、成熟スル者ハ、皮肉ノ筋絡堅シテ食フベカラズ、一種ナガヘチマアリ、瓜長サ三尺餘、筑後ニテハ長サ六尺ニ至ル、薩州ニテハ琉球ヘチマト云、未ダ熟セザル者ヲ食用シテ、苦味ナク柔軟ナリ、又生食スベシ、集解ニ甚則三四尺ト云者是ナリ、ヘチマノ水ハ、蔓ノ本地ヨリ一二尺ニ切リ、瓶中ニ挿ミ入置バ、多ク水出、甚清白ナリ、俗ニ美人水ト云、附方ニ絲瓜汁ト云、赤水玄珠ニ、西來甘露飮ト云、秘方集驗ニ、痰火取二兩三碗一、加二瓜蔞仁、天花粉、羗活、紅花、薑汁一、煉レ膏服即愈ト云、
p.0640 絲瓜絲瓜わかき時は料理にして食す、同漬物にして極めてよき物なり、老て皮厚く堅くなりたるを干して、其後水に漬置ば、肉くさり上皮のきて、其筋あらき布のごとく成たるをもみ洗ひ乾し置、是にて器物をあらへば、たとひぬりたる物にても引めも付ず、物のあかを能とり、又湯手に用て甚よし、うへ様雜瓜に同じ、かきにはヽせ、かややねにはヽせたるよし、此瓜は痘疹の藥なり、其外にも功多し、
p.0640 絲瓜 倭俗所謂倍知麻是也、去二肉并瓤一陰乾則其形状如二紗巾一、如二羅網一、故有二絲瓜之名一、剃レ髮時以レ是浸レ湯、洗二頭髮一則柔軟而易レ剃、或亦洗二鍋釜底一亦可也、故中華村人、呼爲二洗鍋羅瓜一、或藉二鞾履一、所々有レ之、然稻荷社前町所レ有爲レ佳、
p.0640 寛文五年作者不レ知東海道路の記に、袋井に泊り、行水し侍るに、むさきへちまを出しければ、 心なくむさきへちまを出す哉たん袋井の宿のおかかは、と見ゆ、當時湯殿にて絲瓜を以て垢すりしと知る、農業全書に、其上皮をさり、其筋あらき布の如きをもみ洗ひ乾かし、是にて器物をあらへば、たとひ塗たるものにても、引めも付ず物の垢をよくとり、又湯手に用て甚よしと云と、合考ふべし、南宋の僧斷崖の詩に、不レ成二蔬菜一不レ成レ瓜、沿レ墻傍レ壁也開レ花、只與二諸人一除二垢穢一、不レ知自己一團滓、とあるにて、西土にも垢除に用ふることしるべし、又本草にも釜器を滌べし、故に村人洗鍋羅瓜と云とあり、
p.0641 絲瓜〈◯中略〉 諺にへちまのかはのだんぶくろといふ事有、是は此へちまにはあらず、へちくわんが馬の革一駄袋といふ事也、へちくはんは茶人にて、茶器を革袋に入、馬につけて遊行せしとなり、侍の隱遁したるにて、粟田口に住めり、
p.0641 山城 深草絲瓜
p.0641 深草民家賣二絲瓜一
p.0641 栝樓、一名地樓、一名菓 、〈楊玄操音魯果反〉一名天苽、一名澤姑、實名黄苽〈已上本條〉一名澤巨、一名苦蔞、一名烏服、一名椑朴、〈已上四名出二釋藥性一〉一名 、一名 、〈圭姑二音出二兼名苑一、〉一名苦樓、〈出二雜要訣一〉和名加良須宇利(○○○○○)、
p.0641 栝樓 兼名苑云、栝樓一名 、〈圭姑二音、和名加良須宇里、〉
p.0641 栝樓 〈味苦寒无レ毒、和加良須宇里乃禰、二月八月採レ根、曝乾三十日、〉
p.0641 〈カラスウリ〉 地樓 菓 〈楊玄操〉 栝樓 天瓜 澤姑 實名黄瓜 澤巨 椑朴〈已上二名、出二釋藥性一、已上七名カラスウリ、見二本草一也、〉
p.0641 栝樓〈木經中品〉時珍曰、 與レ蓏同、許愼云、木上曰レ果、地下曰レ蓏、此物蔓生附レ木、故得レ兼レ名、詩云、果 之實、亦施二于宇一、是矣、栝樓即果 二字音轉也、亦作二 一、後人又轉爲二瓜蔞一、愈轉愈失二其眞一矣、古者瓜姑同音、故有二澤姑 之名一、齊人謂二之天瓜一、象レ形也、雷斅炮炙論、以二圓者一爲レ栝、長者爲レ樓、亦出二牽強一、但分二雌雄一、可也、其根作レ粉、潔白如レ雪、故謂二之天花粉一、
p.0642 栝樓カラスウリ 倭名鈔に兼名苑註を引て、栝樓一名 、カラスウリといふと註せり、毛詩爾雅本草等の註に依るに、栝樓は天瓜也、 は爾雅の 姑、一名王瓜也、即是二物也、兼名苑註、栝樓一名 と云ひしは、二物をもて一物とするに似たり、 を呼びて、カラスウリとするは、此物一名老鴉瓜といふに因れるなり、天瓜王瓜同じく是れ蔓生にして、其葉も又相似たれば、我國の俗共に呼でカラスウリと云ひしと見えたり、此物もと果蓏の類にあらざれども、名づけてウリといひぬれば、こヽに准ず、〈老鴉瓜の名、始て本草圖經に見えて、李東璧が本草には、王瓜熟しぬれば色赤し、鴉喜食レ之、故に此名ありと見えたり、〉
p.0642 栝樓からす瓜 伊勢及紀伊熊野邊にてうりねと云、越前にてくそうりといふ、土佐にてぐどうじと云、〈其根を同國にてこびと云〉肥前にてごうりといふ、〈和産二三種有、其 玉づさの如くなるものは王瓜なり、〉
p.0642 栝樓(○○) キカラスウリ〈王瓜ニ混ズル故ニ、黄ノ字ヲ冠ス、〉 クリウリ〈越前〉 ミヅカラスウリ〈同上〉 カルリ〈伯州〉 ゴウリ〈筑前、肥前、〉 ゴリ〈薩州〉 ウシゴウリ〈筑後〉 カラスコンビ〈豫州〉 ウシコベ〈豐後〉 ヤマウリカヅラ〈泉州〉 ニガウリ〈城州貴船〉 ムベウリ〈同上〉 コビノコ〈土州根名〉 烏塊〈和方書實名◯中略〉春舊根ヨリ苗ヲ生ズ、蔓甚長ク葉互生ス、形チ圓ニシテ五七尖アリ、胡瓜葉ニ似テ毛茸ナク光リアリ、王瓜葉ノ厚クシテ毛刺アルニ異ナリ、一葉ゴトニ數鬚アリテ物ニ纏フ、五月葉間ニ白花ヲ開ク、本ハ筒子、末ハ圓ニ濶ク五出ニシテ、洛陽花(サヅマナデシコ)ノ如シ、瓣末細ク分レテ亂絲ノ如シ、花後瓜ヲ結ブ、王瓜ヨリ大ニシテ微短、生ハ青ク熟スレバ黄色、王瓜ノ形小ニシテ、熟シテ赤色ナルニ異ナリ、瓜ヲ用テ醤藏鹽藏シ食フベシ、瓜中ニ黄肉アリ、味甘シ、肉中ニ子アリ、即栝樓子ナリ、〈◯中略〉栝樓ノ根ハ、土中ニ長ク蔓延シ、葛根ノ如シ、或ハ連珠シテ瓜ノ如ク白色ナリ、採乾シテ用ユ、切レバ内ニ 花紋アリ、冬月〈夏ハ粉少シ〉葛粉ヲ製スル如ク、水飛シ粉ヲ採ルヲ天花粉ト云フ、〈◯中略〉王瓜(○○) カラスウリ タマヅサ キツネノマクラ〈丹波〉 ゴウリ〈筑後〉 タマヅサゴウリ〈筑前〉 ムスビゼウ〈阿州〉 グドウジ〈土州〉 ヂヤウチゴフ〈豫州◯中略〉路旁林側籬邊ニ甚多シ、春舊根ヨリ苗ヲ生ズ、蔓長シテ線稜アリ、葉互生ス、共ニ深緑色ニシテ黒色ヲ帶ブ、葉ノ形圓ニシテ尖リアリ、或ハ三尖或ハ五尖齊シカラズ、皆鋸齒アリ、體厚ク毛刺アリ、一葉ゴトニ鬚アリテ瓜ノ鬚ノ如シ、五月葉間ニ白花ヲ開ク、形栝樓花ニ異ナラズ、其瓜大サ倭鷄卵ノ如シ、栝樓ヨリ小ニシテ長ク、秋冬熟シテ朱紅色ナリ、瓜蔞實ノ形大ニシテ、熟シテ黄色ナルニ異ナリ、
p.0643 栝樓根 寒味苦 鐵忌 天瓜粉トモ云土氣ヲ能洗テ、白水ニ付テ、臼ニ入テ擣碎テ、水ニスリ立テコシテイサセテ用、除レ熱生津并治二乳癰疽痔漏一、補レ勞潤レ肺實尤良、
p.0643 諸國進年料雜藥伊勢國五十種〈◯中略〉 栝樓十九斤
p.0643 王瓜〈ひさごうり、たまづさ、◯中略〉關東などにて、此實をとり、つきつぶして土鍋に入、酒を加へ煮て貯へおき、婦人などの胼にぬれば忽ち治し、痛を忘るヽといふ、又此根より取たる粉に、龍腦を少し加へ匂ひをつけ、菊童と名づけ鬻ぐ家あり、夏は婦人もとめて白粉の代りに用ふるに、面皰(にきび)そばかすを治し、その外顏のできものを治するといへり、もつとも若き婦人は白粉下にぬりて、其上におしろいをぬるに、きめをこまかにし艷を出すといへり、又老婦は此粉ばかりをぬりてふきとれば、顏のきめこまかになり、白粉を付たるやうにして、おしろいのごとく白き粉うくことなしとて專ら用ふ、是は江戸に 多く用ひて、いまだ京大坂にても專ら用ふることをきかず、又此瓜を日にほし貯へおき、婦人顏をあらふとき、糠の中にまじへあらへば、きめを細にし、顏にできもの生ぜずといへり、殊に藥種ともなれば、左に功能をあげ、根を掘て粉に製し、粕は荒年の備ともなれることをのぶる也、根を掘事并に製法根を掘旬は、九十月より冬一ぱい、翌正月までに掘べし、夏なれば粉至て少し、掘には其蔓をたぐり、尖鍬にてそろ〳〵わきの土をほり、根に疵付ぬやう掘べし、さて掘て家に持かへり、水にてあらひ、平面の廣き石の上にのせ、槌か又は樫の棒もて、貳人向ひあひて打べし、至つて粉の澤山なるものゆゑ、白き汁顏衣類にかヽるものなれば、前に筵切やうのものをあてヽ叩くべし、能ひしぎて半切桶やうの物に入おき、夫より四斗樽やうの桶の口に をのせ、其中にひしぎたる根を入、壹人は檜杓をもて水をかけ、壹人は兩手にてもむべし、さすれば粉は水にて下へもり、粕の筋は にのこる也、よくしぼり取又入て、右のごとくしぼり終りて、又別桶に木綿の袋をすけ、其中に右の水をくみ込み、袋をふれば、袋の中に細なる粕たまる也、悉く右のごとく仕終らば、右水は其まヽに置、日にほし貯ふべし、荒年の時は、是を細にきざみ、碓にてつき粉となし、麥きびの粉など合して、だんごとし食してよし、扨右こしたる水は上の方すみて、粉は底にをりたまる也、そのとき上水は桶をかたむけすたみすて、又水を入、竹の棒をもてまぜて、又一日も置て、元のごとく上水の澄たるをすたみて、又水を入かきまずること四五度すべし、さすれば溜りたる粉ますます白く、おしろいのごとくなるなり、終りには猶よく上水をすたみ捨、底なる粉を庖丁をもて起しとり、糀ぶたやうのものに入、日に乾べし、則王瓜の粉にして、江戸にて菊童といへる家にて鬻ぐ、おしろいしたと名付るもの是なり、
p.0644 仙沼子、〈生二仙人沼池一、故以名レ之、〉一名救疾子、〈帶二於身上一治レ病、故以名之、〉一名預知子(○○○)、〈帶入二蠱毒家一藥自鳴、故以名レ之、〉神變子、 〈服レ之變レ容益レ氣、故以名レ之、〉一名總持子、〈此藥神驗萬不レ失レ一、故以名レ之、〉和名之多都岐(○○○○)、
p.0645 スヽメウリ(○○○○○) 京都ニテヒメウリ(○○○○)ト云、甜瓜ノ類ノ姫瓜ニハ非ズ、野生ス、蔓葉王瓜栝樓ニ似タリ、葉下ニ有レ鬚チヾメリ、栝樓ノ如シ、八九月實ヲ結ブ、實ノ大サ如二木槵子一、小ニシテ丸シ、内ニ子アリ、薄片多クカサナリミテリ、實ノ半上ノ皮ヲ去レバ、下ニ實付テ殘ル、食器ノ蓋ヲ去テ食ヲ盛ルガ如シ、西土ノ鄙俗ヨメノゴキ(○○○○○)ト云、氣味瓜ニ似タリ、是王瓜ノ類ナルベシ、根ハ括蔞王瓜ニ似ズ、漢名不レ詳、
p.0645 合子草 ゴキヅル(○○○○) ヨメガサラ(○○○○○) カハホウヅキ(○○○○○○)〈肥前〉 ヒナノガウシ(○○○○○○)〈筑前〉 ヨメノゴキ(○○○○○)〈同上〉 ヨメノワン(○○○○○)〈勢州〉 スヽウリ(○○○○)〈肥後〉 カラスノゴキ(○○○○○○) カラスノコキヅル(○○○○○○○○)〈江州〉 スヾメノウリ(○○○○○○)〈東國〉 キンブンシキ(○○○○○○)〈房州〉溝涜ノ傍ニ多シ、藤蔓(ツル)長クヒキ葉五生ス、王瓜(タマヅサ)葉ニ似テ小ニシテ長シ、馬 兒(スヾメウリ)葉ヨリ長シテ五尖アリ、深緑色葉ゴトニ鬚アリテモノニ纏フ、夏月葉間ニ花アリ、棗花ニ似テ白色、大サ四分許、後實ヲ結ブ、形棗ノ如シ、莖長ク下垂ス、皮ニイボアリ、蘿藦(ガヽイモ)實ノ皮如ク深緑色ナリ、實熟スル時ハ、皮ノ正中ヨリ横ニ離レ自ラ落ツ、人觸ルモ亦然リ、其形椀ノ如シ、中ニ二 ヲ盛ル、形苦瓜(ツルレイシ)子ノ如ニシテ小ク黒色ナリ、又一核三核ノ者稀ニアリ、皆地ニ落テ春ニ至リ自ラ苗ヲ生ジ、秋後苗カル、領知子 一名馘毒仙〈輟耕録〉 詔子〈本草精義〉此集解ニ説クトコロノ者ハ未ダ詳ナラズ、正字通ニテハ、上ノ附録ノ合子草ノコトニシテ、ゴキツルナリ、正字通ニ、預知子一名僊沼子、賛寧曰生二池間一、苗似二牽牛一、有二逆刺一、節有二房殼一殼内二子、陰陽和合能除二蠱毒一、子状似レ龜、經レ霜則黒色如二采子一、滿升其間爆鳴似二人兩爪相擊聲一、將所采者分爲レ二聽二有聲一者何在、又分爲レ二有レ鳴、則記レ之佩二衣襟間一、入二蠱毒處一自鳴爆、三子爲レ偏氣不レ足、不二必采用一、本草謂蔓生依レ木子似二皂莢一非、
p.0646 したつき〈すヽめうり 仙沼子 合子草〉したつきは、一名すヾめうり、一名すヾめのうり、一名ひめうり、一名よめのごき、一名よめがさら、一名ごきづる、一名からすのごき、一名ひなのかうし、一名かはほうづき、一名からすのごきづる、一名よめのわん、一名きんぶんしきといひ、漢名を仙沼子、一名合子草、一名盍合子、一名 知子、一名 先子、一名預知子、一名救疾子、一名神變子、一名總持子、一名馘毒仙、一名詔子といふ、此草はいづれの國にても、池沼及び溝渠のかたはらに多し、春苗を生じ蔓をなし、葉は一種の馬 兒葉に似て長く、又頗る旋華葉に似て三尖あり、葉ごとに細鬚ありて、物をまとふ事、又馬 兒の如し、夏に至れば、その葉の間に白花を開き後實を結ぶ、大さ棗の如し、其中に二子ありて、形龜子に似て至て小にして、又頗る縮砂の仁のごとし、その子嫩なる時は、外皮白くして中に粘汁あり、老る時はその汁凝りて仁となり、外皮黒色に變じ、曝乾すれば、又灰色或は淡褐色に變ず、その味少しく苦し、此子をとりて延喜の比には、漬物の料と〈延喜式〉せしを、又旋用多レ驗と〈本草和名〉いひ、又治二一切風一、補二五勞七傷一、其功不レ可二備述一〈日華本草〉いふ時は、たヾ食料に供せしのみにはあらず、それより降りて永暦承安の比に至りては、后宮御懷妊の時は、必ず此子二七粒を典藥頭より奉りて、御著帶の中へ入て、專ら催生の料に供せられしなり、〈山槐記、玉海定長卿記、〉それを奉るに和氣氏より奉れるは、皮を除かざれども、 波氏より奉れるは皮を去ると〈醫師經長記〉いへり、又その數を二七粒に定められしは、まさに盍合子催生云々、又治二一切病一、毎日取レ仁二七粒と〈日華本草〉みえたるによりてなり、また方言本草に、預知子難産に用ゆ、又産前に三十粒を帶に付るは、〈按にこヽに三十粒を帶に付るといへるは、日華本草に患者服不レ過二三十粒一永差といひしによれる也、〉まさに産する時に用ゆべき爲也といひ、又萬安方の六物麝香丸の方中に仙沼子あり、小兒大人腹脹氣塊を治すといへり、かく功能多き一奇藥のいと得やすきものを、今にいたりては、絶てこれを用ゆる事をしるものなきは、くち惜き事也、扨圖經本草に、預知子蔓生、依二大木一實作レ房、初 青至レ熟深紅色、毎房有レ子、五七枚如二皂莢子一、斑褐色といひしは、これと同名異物也、
p.0647 治承二年六月廿八日辛卯、中宮〈徳子◯高倉后、中略、〉御懷妊當二五ヶ月一、仍有二御著帶事一、初度也、〈◯中略〉御著帶之後、典藥頭和氣定成朝臣、〈衣冠、男主税頭定長相具參入、〉持二參仙沼子(○○○)一、〈二七粒、其裹様藥裹也、納二折櫃一不レ居二於高杯一、〉自二臺盤所方一獻レ之、中將局取レ之縫二付御帶左方一、◯按ズルニ、仙沼子ヲ著帶ノ時ニ用ヰル事ハ、禮式部誕生祝篇著帶條ニ載ス、
p.0647 木鼈子、古可米久左(○○○○○)、異名木蟹、
p.0647 木鼈子 一名木別子〈遵生八牋〉 土木鼈 土鼈〈共本經逢原、外科正宗ニ土鼈ト云者是也、又 蟲モ亦土鼈ト名ク、同名ナリ、〉 正木鼈〈本草原始〉和産ナシ、舶來ノ者ハ核ノ形錦荔枝(ツルレイシ)核ニ似テ大也、長サ八分許、濶サ六分許、厚サ一二分、肌粗ク灰白色、中ニ仁アリ、コレヲ撼バ聲アリ、仁ヲトリ藥ニ入ル、又生食スベシ、次條ノ番木鼈ニ對シテ土木鼈ト云、土ハ本土ノ義、唐山ニ産スル故ナリ、