茄子/名稱

〔眞本新撰字鏡〕

〈七/草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0515 茄〈求佉反、茄子、又荷莖也、〉

〔倭名類聚抄〕

〈十七/蓏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0515 茄子〈https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001c154.gif 字附〉 釋氏切韻云、茄子一名紫瓜子、〈茄音荷、和名、奈須比(○○○)、〉崔禹錫食經云、茄子味甘https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001c154.gif 、〈唐韻力減反、䤘味也、䤘音初減反、酢味也、俗語云惠久之、〉温有小毒、蒸煮及以水醸之食爲快菜

〔伊呂波字類抄〕

〈奈/植物附殖物具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0515 茄子〈ナスビ〉 紫瓜子〈同〉 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001b3a2.gif https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/S01000000316.gif  落蘇〈出拾遺、已上二名ナスヒ、見本草、〉

〔下學集〕

〈下/草木〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0515 茄子(ナスビ)〈又名落蘇、又名崑崙瓜、花時取葉布路、人踐之、則其實多生也、〉

〔和爾雅〕

〈七/菜蔬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0515 茄(ナスビ)〈落蘇、崑崙瓜並同、或稱https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/000000016e48.gif 、〉 銀茄(シロナスビ) 水茄(ナカナスビ) 青茄(アヲナスビ)

〔東雅〕

〈十三/穀蔬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0515 茄子ナスビ 義詳ならず、倭名鈔に註せし所に依らば、ナとは中也、スとは酸也、ビとは實也、其實の味澀りぬるをいふ也、倭名鈔茄子の下に、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001c154.gif 字を附して、崔禹錫食經に、茄子味甘https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001c154.gif といへり、唐韻にhttps://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001c154.gif は䤘味也と見ゆ、䤘は酢味也、俗にヱグシといふと註せり、〈今俗にヱグシといふは、酸味には同じからず、されど古の時に是を酸澀の味となせしと見えたり、諸家の本草によるに、芋のエグキ、茄子のシブキ、並に澀をもて云ひけり、〉

〔大上https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001fd67.gif 御名之事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0515 女房ことば一なすび なす(○○)

〔見た京物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0515 茄子をなぎそう(○○○○)といふ

茄子種類

〔本朝食鑑〕

〈三/蓏菜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0515 茄〈訓奈須比〉 集解、茄者四方民間多栽之以貨之、二月下種、四五月移苗五六寸者、至高二三尺葉大如掌、莖紫黒有刺、自夏至秋開紫花、五瓣相連、五稜如縷、黄蘂緑蔕蒂包其茄、茄中有瓤、瓤中有子、子如脂麻、其茄有團、有長四五寸者、有大如斗者、色有青紫白及雜青紫黄斑、旣老則變成黄、白如銀者其味不佳、故種之者少、

〔和漢三才圖會〕

〈百/蓏菜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0516 茄子 落蘇 崑崙瓜 草鼈甲 和名奈須比本綱、茄子種宜九月黄熟時收取、乾至二月種移栽、株高二三尺、葉大如掌、自夏至秋開紫花、五瓣相連、五稜如縷、黄蕊緑蒂、蒂包其茄、茄中有瓤、瓤中有子、子如脂麻、其茄有團如栝樓者、長四五寸者、有青茄、紫茄、白茄、白茄〈一名銀茄〉更勝青者、諸茄至老皆黄也、茄葉摘布路上、以灰圍之、則子必繁、謂之嫁茄、茄多食必腹痛下利、圃人又下於暖處、厚加糞壤、遂於小滿前後、求貴價以售、旣不時、損人益多、茄類有數種、渤海茄(○○○)、白色而堅實 番茄(○○)白而扁、甘脆不澀、生熟可食、 紫茄(○○)色紫、蒂長味甘、 水茄(○○)形長味甘、可以止https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif 渇、江南一種藤茄(○○)、作蔓生、皮薄似壺盧、交嶺茄樹(○○○○)、經冬不凋、有二三年漸成大樹、其實如瓜也、大明一統志云、蘇門荅刺(ソモタラ)有大茄樹者、乃此類也、〈◯中略〉按、茄子白者味不美、黒者次之、紫者最良、小而多結子者、俗呼曰錫杖茄(○○○)、皆二月下種、芒種前後移栽、有早晩、其早者六月取食、俗稱伊羅里、小而圓、其瓤稍https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001a849.gif 、晩者七八月取之、大而帶長結子不多、味最美、故諺云、勿秋茄於子婦、又有長如瓜者、味不美、故人不種用

〔重修本草綱目啓蒙〕

〈二十/蓏菜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0516 茄 ナスビ ナス〈◯中略〉數品アリ、色紫ニシテ形圓ナル者ハ尋常ノ茄ナリ、コレヲ荷包茄(○○○)〈廣東新語〉ト云、土地ニ隨ヒ皮ニ厚薄 アリ、薄キ者ヲ良トス、臨桂雜識ニ、徑五寸者名合包茄ト云、形圓ニシテ横ニ濶ヲ好トス、又横ニ濶シテ竪ニメヒダアル者ヲキンチヤクナスビ(○○○○○○○○)〈南部〉ト云、豫州松山ニハアフギナスビ(○○○○○○)アリ、形扁ク縱ニヒダアリテ、本狹ク末廣ク一尺許アリ、又一蒂ニ七八實ナルモノアリ、又一莖ニ連珠シテ重リ生ズルモノアリ、又尾州勢州ニハ、白色ニシテ圓ナル者アリ、即チ白茄(○○)一名銀茄(○○)ナリ、和名ニギンナスビト云ハ別ナリ、一名キンナスビ(○○○○○)、タマゴナスビ(○○○○○○)、是ハ苗小ク實モ亦小シテ雞卵ノ如シ、初ハ白色、熟スレバ黄色、故ニ漢名黄茄〈肇慶府志〉ト云フ、此書ニ黄茄ト云ハ、タネナスビニシテ、常茄ノ黄熟スル也、附方ニ黄老茄子老黄茄ト云是ナリ、又形長キ者アリ、ナガナスビ(○○○○○)ト云、即水茄也、筑前及東國ニハ長サ尺ニ過ル者アリ、色白シテ長キ者モ筑前ニアリ、又緑色ナル者ハ水ナスビ(○○○○)ト云、奧州ノ産ナリ、群芳譜ニ、一種水茄、形稍長、亦有紫青白三色ト云、増、酉陽雜爼云、有新羅種者、色稍白、形如雞卵、コレ即和名ノタマゴナスビニシテ、肇慶府志ノ黄茄ナリ、格致鏡原引花木考云、大食國茄樹、高丈食〈◯食餘誤〉經三四年瘁、子大如西瓜、重十餘觔、以梯摘之、又南方草木状ニ、茄樹ノコトヲ云ヘリ、阿州海部郡出羽島ニ、茄子年ヲ經テ枯レズ、三年ニ至レバ子ヲ結ブコト甚少ナシ、冬月掩ハザレバ苗枯ル、又秋ニ至テ大ニナラズシテ、芥醃トナスベキモノヲ、俗ニヒトクチナスビト云、即遵生八牋ノ牛https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000084380.gif 茄ナリ、

茄子栽培

〔延喜式〕

〈三十九/内膳〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0517 耕種園圃營茄一段、種子二升、總單功卌一人、耕地二遍、把犁一人、馭牛一人、牛一頭、畦料理平和三人、下子半人、〈三月〉採苗一人半、殖功十人、〈四月〉壅二遍、第一遍三人、〈五月〉第二遍三人、〈六月〉藝三遍十八人、〈度別六人〉

〔本朝食鑑〕

〈三/蓏菜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0517 茄茄之樹葉莖生小黒蟲、如黒胡麻子、又生青蟲如芥子、俗稱油蟲、黒蟲易除、油蟲不取捨、故蠹葉及芽枯若欲之、四五月移苗時、用竹針根莖之分處、入眞硫黄末而植之、則不蟲、近時種茄四五 樹、自七八月九十月、毎旦采茄子七八個蔬、其法、前年九月、先掘好地、方三尺深三尺許、以爲窖、窖中充糞、至十一月十二月、其糞乾減半時、復取溝渠泥以充其半、至正月又減半時、取園圃之好土、以充其半、經四五日、鋤耕其窖中之糞土、取出攤于地上、暴乾十日餘、而別復用好土揉合、以埋窖中、與地令平均、至春二月彼岸時、耕其糞土種、其苗至五六寸許、殘留其中最長者五個、而要長後枝葉不相捎、若相捎易枯、其餘苗悉拔去、移栽于他圃矣、五個殘苗過尺時、於早晨日出已前、用好硫黄細末、入馬尾篩于苗上、則不油蟲黒蟲也、

〔農業全書〕

〈三/菜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0518 茄なすびに紫白青の三色あり、又丸きあり、長きあり、此内丸くして紫なるを作るべし、餘はおとれり、丸きは味甘く和らかにして肉實し、料理に用ひ能煮ても、みだりにとけくだくる事なし、かうの物其外にも專ら是を用ゆべし、又長き茄子にをそく老て大なるあり、是又よきたねなり、種子を收め置事、二番なりのうるはしきに札を付置、九月よく熟したるをわりて、子を水にて洗ひ、洗たるをゆり取、其まヽよくさらし乾し、さら〳〵とする程よく干たる時、收め置べし、又丸ながら庭の火たくあたりに埋み置て、春ほり出し、洗ひゆり取、灰に合せ蒔もよし、是早く萌るなり、又二つにわり、かづらなどにつらぬき、軒の下につりをきて、蒔時ぬる湯にひたし、しばし有て子を洗ひ取、灰沙に合せ蒔もよし、苗地の事、冬より度々うち、細かにこなしをきたるを、正月早くこゑをうちよく〳〵こやし、細かにこなし、塊少もなくして、畦作り横三尺あまりにして、正月雪きえて蒔べし所により二月の中を以て、蒔たるもよし、又一説に、苗地をいかほどもよくこしらへ熟しをき、三月の初雨を得て蒔たるは、二月蒔たるにをとらず、却て早く生ずるものなり、或盛長の早きを望む者は、種子を灰と肥たる細土に交ぜ、ゆるりの邊り火氣近くをき、又あたヽかなる日は外の日にあて、家の内にて萌たるを、世間漸く暖かになりて後、よく才覺して苗地にうつすべし、 さて苗地のこしらへは、馬糞を埋みこゑをうち、冬より晒し置たるに、何にてもやき草を用意し置、寒氣も漸く退きたる比、土のこがるヽ程やき、細かにかきならし、むらなく蒔て、灰糞と肥土とを合せ、種子おほひ指の厚さにして、かるく踐付、古むしろ古ごもにてもおほひ置、晝の間はおほひをのけ、日にあて、泔(しろみづ)に小便を少し合せ、或水糞を合せて、わらのはヽきにて、日中に小雨のふりかヽる様に、度々ふりかくれば、夕立のする心にて、苗ほどなくふとりさかへ、時ならずうへしほどなる物なり、尤暖かなる肥地、やしき内などの肥熟したるに、移しうゆれば、四月に早くなる物なり、さてうつしうゆる事、早麥を間を廣く蒔て、中うちを細くしをきたるに、一本づヽうゆべき所に、穴の深さ五六寸ほどにほり、やき土を一盃入、其上より濃糞をかけをきて、さて苗のふとるにまかせて、うつしうゆべし、尤燒ごゑなくては、他の糞土にても入べし、麥の中なるゆへ、うるほひなくても、晝過よりうへて、泔を少そヽぎをけば、痛む事なし、茄は移しうゆる事、少は遲くなるとも、苗よくふとり、草のせいつよくなりてうへたるは、早くあり付てさかへやすき物なり、いまだちいさくよはき苗を、いそぎて早くうへたるは、ありつきおそき物なり、すべて苗を取うゆるに、うるほひある時、ほりくいにて、根のきれぬ様にほり取べし、うるほひなくば、水をそヽぎてほり取べし、手あらく引とれば、いたみてありつきおそし、又うゆる法、茄子をうゆる麥畦は、麥を蒔時より、凡其間の能程をはかりて、たてのならびは一尺二三寸、横の間は一筋は二尺ばかり、一筋は三尺餘にし、草を取糞をする時も、廣き筋を通り、せばきはとほらずして、培ふ事も廣きすぢばかりより、土をかい上れば、せばき筋の中は小溝と成て、うるほひをよくたもち、又は糞水をそヽぐにも、此みぞよりながし入れば、うるほひともなり、根の土廣く厚ければ、わき根よくはびこり、風雨の時たをれず、其上根に日風とをらず、旁以てよくさかへしげりて、實多くなる物なり、〈但茄子一つ二つなるまでは、少土かひて、根に糞だまりを、くぼめ置、水糞と小便をたび〳〵かくべし、小便は五日に一度ほどかくべし、凡なすび二ツ三ツもとる時分、草だち大きになりて後、右にいふご〉 〈とく、ひろみぞのかたより、おほく土かふべし、小便は秋までもかけたるがよし、〉茄子たばこなど、葉ひろくさかへ、上の重き物の類は、何れも木の動く事を嫌ふゆべ、培ふ事を厚くし、少は堅くすべし、又麥をまかず菜園などにうゆる事は、細雨の中か、晴たる晩方、苗の土ぎはの所を紙にて卷てうゆべし、日おほひは、ふきの葉、桐の葉、何にても少しおほひてよし、尤こもなどにておほふは、上もなく宜し、覆よければ旱にうへてもいたまず、茄子は肥過てあしき事なきゆへ、夏中は云に及ばず秋に成ても、糞水を五七日もをきて、たび〳〵そヽぐべし、しかればます〳〵さかへ實多し、又云、苗を移しうゆる時、立根の先を少ばかりきりたるは、わき根に力入てよく有付物なり、又は立根の先長ければ、底のにが土に當りて、痛みかるヽ事あり、いか様長き立根あるをば、少ばかりづヽ切てうゆべし、糞しを用る事は、くろきしん葉少出て、よくあり付たるを見て、根のわきをかきくぼめ、鰯にても油糟にても入て、土をおほひ置、ふとるに隨て段々多く入べし、されども二色の糞の求めなりがたくば、わきを能程ほり、粉糞を入、其上に濃糞度々かくべし、又硫黄を粉にして、根のわきに少入れば、よくなりてふとく、味も常にまされり、凡一本に豆粒ほど置とあれども、薄茶一服程も入べし、甚驗あるよし、農書に記せり、茄子は小き時つよき雨にあへば、根の下の土をたヽき上て、葉をけがせば、痛む事あり、うゆる時大雨ならばうゆべからず、苗を種て後、根の廻りの土をきれいにをし付て置べし、切虫の用心ともなるべし、又茄子を區うへする事は、冬の中うゆべき畠の中に、はヾ二尺四方、ふかさ一尺四五寸に穴をほり、其中に牛馬糞、其外何にてもこやしに成べき物を半分も入、其上に土を一重かけ、其上より又濃糞を多く入、土をおほひ置て、さて雪のふりつみたるを、穴の所にかきあつめて、上をふみ付をき、春苗のふとるを待て、うゆる事前のごとし、一區に三四本うゆれば、草立の高き事五六尺もありて、枝葉殊にさかへ、其實り勝れて大きにて、甚多くなるなり、芋瓜などもかくのごとくしてうゆる法あり、土地のすくなき所にて、取分用てよき法なり、

茄子利用

〔宜禁本草〕

〈乾/五菜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0521 茄子 甘寒、久冷人不多食、損人動氣、發瘡及痼疾、〈熱者少食之、冷者即損胃氣、〉根莖葉、煮湯洗凍脚瘡、茄蔕灰止腸風下血、食前米飮下、

〔大草家料理書〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0521 一生青鷺料理之事、〈◯中略〉すましみその時は、なすびを酒煎にしても吉也、

〔本朝食鑑〕

〈三/蓏菜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0521 茄凡今賞茄子者、不獨蔬食、而醃藏糟糠味噌漬呼稱香物、爲經年之用、而上下賞之、故民家多鬻而貨之、

〔養生訓〕

〈四/飮食〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0521 茄子本草等の書に性不好と云、生なるは毒あり、食ふべからず、煮たるも瘧痢傷寒などには誠に忌べし、他病には皮を去り、切て米泔に浸し、一夜か半日を歴て、やはらかに煮て食す、害なし、葛粉水に溲て切て線條とし、水にて煮、又豉汁に堅魚の末を加へ、再煮て食す、瀉を止、胃を補ふ、保養に益あり、

〔重修本草綱目啓蒙〕

〈二十/蓏菜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0521 茄本邦ノ俗瘧疾ヲ患フルモノ、必ズ茄ヲ食フコトヲ忌ム、甚キニ至テハ、茄園ヲ過ルモ亦再發スト云、然ルニ唐山ニテハ、乾茄子ヲ以テ瘧疾ヲ治ルコト、釋名ノ注ニ見ユ、又格致鏡原ニ、芝田録ヲ引テ、茄子ノ瘧ヲ治スルコトヲ云ヘリ、蓋シ茄子熟スルニ至ルト雖モ、落ズシテ仍枝上ニアリ、故ニ瘧ノ落ズト云フコトヲ忌テ、久シテ風ヲナシ、遂ニ醫家患者ヲシテ禁ゼシムルニ至ル、

〔春波樓筆記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0521 茄子の性寒、本草に皆言ふ、人を損じ炁を動かし、瘡及痼疾を發し、人をして腹痛下痢せしむ、余江漢曰く、此の二の物〈◯茶、茄子、〉毒ある事、本草に述ぶる如し、然れども吾日本これを喰ふをつねとす、其の毒に當る事なし、

〔延喜式〕

〈三十三/大膳〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0521 仁王經齋會供養料僧一口別菓菜料、〈◯中略〉茄子六顆半、〈醬漬料二顆、糟漬料二顆、熬菁料一顆、荏裹料一顆、中子料半顆◯中略〉干茄子五勺、

〔延喜式〕

〈三十九/内膳〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0522 供奉雜菜日別一斗、〈◯中略〉茄子卌顆〈准二升、六七八九月、〉

〔續々修東大寺正倉院文書〕

〈四十六帙六/裏書〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0522 藍園茄子送進文藍園進上茄子伍㪷天平勝寶二年六月廿一日 資人倉垣三倉

〔執政所抄〕

〈下/七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0522 七日乞巧奠 供物〈◯中略〉茄子〈乍丸盛之〉

〔類聚雜要抄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0522 一供御御齒固從内膳司貢定、自弓場殿之、〈從元日三日〉用途料 山城國〈◯中略〉奈良御園〈苽、茄子蘿蔔、〉

〔年中恒例記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0522 九月十三日明日御祝參、於内儀也、茄きこしめさるヽ、御祝調進儀、八月十五日同、

茄子産地

〔新猿樂記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0522 四郞君、受領郞等刺史執鞭之圖也、〈◯中略〉得萬民追從、宅常擔集諸國土産、貯甚豐也、所謂〈◯中略〉山城茄子、

〔毛吹草〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0522 山城 狛茄子〈外ヨリ早シ〉

〔雍州府志〕

〈六/土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0522 茄子 處々種之、或有紫茄黄茄白茄之異、然紫色者爲佳、其於形状也、或有細長者、民間稱長茄、然風味不圓大者、洛東河原之産爲殊絶

〔浪花の風〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0522 茄子は長茄、子の方多し、尤常の茄子も有れども、風味は同様にして優劣なし、いづれも色合等、江戸よりはあしき方にて、漬物などにしても美ならず、

〔續江戸砂子〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0522 江府名産〈并近在近國〉 千住茄子 足立郡也、江戸より二里東に當り、寺島茄子 西葛西の内也、中の郷の先、江戸より一里餘、形長きあり、丸きあり、横ひらくしてみぞあるあり、

茄子雜載

〔續修東大寺正倉院文書〕

〈三十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0523 造佛所作物帳斷簡〈年紀不詳、按成卷文書四十五卷書收天平六年造佛所作物帳中卷斷簡恐與此同物也、〉買雜菜直錢廿一貫七百十六文〈◯中略〉茄子十一斛直一貫三百五十六文〈二斛五斗六升、升別二文、八斛四升四斗、升別一文、〉

〔時慶卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0523 慶長八年五月廿七日、茄子初而賣聲アリ、

〔徳川禁令考〕

〈四十九/魚鳥野菜諸食物〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0523 貞享三寅年五月野菜もの之儀、節に入候日より賣出之事、覺〈◯中略〉一なすび 五月節より

〔日次紀事〕

〈七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0523 凡茄子自此月尾九月首、其味特美、俗言秋茄子不使婦食https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif 之、凡婦姑間多相惡、故不使婦食味良者、此言元出姑語

〔安齋隨筆〕

〈後編一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0523 一秋茄子 秋茄子娶にくはせぬ歌、秋なすびわさヽのかすにつけまぜて娵にはくれじたなにおくとも、夫木集にあり、予按に、生々編、茄子性寒利、多食必腹痛下利、女人能傷子宮也と、これに據る歌なるべし、俗に茄子味佳也、姑たる者娵を憎みて食すまじきと云意也と解くは捧腹すべし、ワサヽは早酒新酒也、秋なすび云々((頭註))、夫木にありといへるは誤也、此歌春雨抄に出たり、

〔筆のすさび〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0523 一熊茄子をいむ事 熊は茄子をいむ、深山の人薪をこりにゆくに、かならず茄子を帶ぶことを見れば、熊必ずはしりさる、茄子野にあるときは、熊膽小なり、茄子なき時は大なり、 茄子を見せてとりたる熊は、膽かならず小なりとぞ、〈(中略)高橋文亮話〉

〔梅園日記〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0524茄子一富士、二鷹、三茄子とて、これらを夢に見るを吉徴とす、その子細をしらず、笈埃隨筆に、或人いふ、この三事、夢の判にあらず、皆駿州の名産の次第をいふ事なり、富士はさらなり、二鷹は富士より出る鷹は、唐種にて良なり、こまかへりと云、三茄子は此國第一に早く出す所の名産なりとみえたり、しかるに唐土にては、茄子を夢に見る事を忌なり、宋の樓鑰が攻https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/000000018cc7.gif 集〈七十二〉に、劉允叔夢茄子、而作舍萠其後して云、退之送窮而延上坐、子厚乞巧而甘拙、若允叔之舍萠、則眞驅之、雖紫瓜之生、畏君之詞、自爾當復敢入吾夢矣、然此種一名不落、彼夢滿甑三顆、不甲科釋褐者、殆以此、又似必力驅https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif 之也、爲書其後、以壯昆季西上之氣、〈舍萠は周禮占夢に、舍萠于四方、以贈惡夢、注に玄謂、舍讀爲釋、舍萠、猶釋菜也、萠菜始生也、贈送也、釋文に、萠芒耕反とあり、〉西湖遊覽志餘二十二、〈委https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01245.gif 叢談〉紹興二年、兩浙進士、類試於臨安、湖州談誼謁上天竺觀音、祈夢、夢人以二楪六茄餽、惡之、蓋杭人以茄爲落蘇、而應試者、以落蘇下第也、

〔甲子夜話〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0524 樂翁ノ話ラレシハ、世ニ一富士二鷹三茄子ト謂コトアリ、此起リハ神君駿城ニ御坐アリシトキ、初茄子ノ價貴クシテ、數錢ヲ以テ買得ルユヱ、其價ノ高キヲ云ハン迚、マヅ一ニ高キハ富士山ナリ、ソノ次ハ足高山ナリ、其次ハ初茄子ナリト云シコトナリ、彼土俗ハ足高山ヲタカトノミ略語ニ云ユヱナルヲ、今ニテハ鷹ト訛リ、其末ハ三物ハ目出度モノヲヨセタルナド必得、畫ニカキ掛テ翫ブニ至ルハ、餘リナルコトナリ、

〔嬉遊笑覽〕

〈十上/飮食〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0524 初ものを賞すること、昔も今もかはる事なし、唯賞するものとさもなき物と有り、茄子は昔はめでたる物なり、懷子集、庄屋さへやく田樂を食かねてと云句に、〈意翔〉初茄子とて守護にとらるヽ、寛永發句帳に、〈幸和〉初なりや先是式のさヽげ物、〈此句瓜茄子の句中にあり、其頃賄賂を是式と云り、〉永代藏〈貞享五年〉東寺邊りの里人、茄子の初生(ナリ)を目籠に入て賣來るを、七十五日の齡、これ樂みの一つは二文、二つ は三文に直段を定めと云り、これ其頃初茄子の價なり、五元集、さみだれや酒匂でくさる初茄子、寶永ごろの吟なるべし、そのかみ駿河より五月出すを初茄子とす、今は年の寒暖に拘らず、三月に砂村より出るなり、初茄子の賞翫こヽのみにも非ず、東京夢華録大内の條下に、其歳時果瓜蔬茄新上市、并茄瓠之類新出、毎對可直三五十千、諸閤分爭以貴價之、また秋茄子わさヽのかすにつけまぜてよめにはくれじ架におくとも、といへる古諺あり、望一後度千句のこれるもはや末なりの秋茄子にくまれにたる娶がしうとめ、大弊に、なれ〳〵なすび、せどのやのなすび、ならねばよめの名のたつに、洛陽集に、切形や青梅水に茄子浮〈元好〉鹽鯨茄子の浪に寄にけり、〈友吉〉今まつもどきといふやうに切たるなるべし、松もどきとは、松茸に似せて切たるなり、又丸ながら竪にきりめを多く付る茶筅茄子と云ふ、所見なけれど、近頃の名には有べからず、又竪に二つにわりてきり目付たるは、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000651145.gif の花びらに似たり、これをhttps://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000651145.gif 花茄子といへり、矢の根鍛冶後集、和尚への馳走煮物もれんげ茄子、篗絨輪、伊勢講は料理にも忌https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000651145.gif 花茄子、といふ付句あり、

〔本朝無題詩〕

〈七/旅館附路次〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0525葦屋津感 同人〈◯釋蓮禪〉沙月渚風秋皓々、自然遊子感呑胸、問津上下客、舟集、分岸東南民戸重、〈夾岸有二庄、土民比屋云、〉土俗毎朝先賣菜、〈黄瓜、紫茄(○○)、土人賣之、故云、〉釣魚終夜幾燒松、〈漁舟篝火、終夜燒松也、〉不圖再到於斯地、思舊欄干涙忽降、〈往年隨養親、路次此泊、今又來、故云、〉

〔翰林葫蘆集〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0525 紫茄含露傍籬笆、再摘分來野老家、堪咲一僧夢求命、夜行蹈殺作蝦蟆、 題茄畫

〔鵞峯文集〕

〈百五/贊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0525 茄子〈高澤乞贊〉誰家垻裏、植箇茄子、維葉之青其實之紫、旣見於眼、盍于齒、孟乎莊乎、須彼此

珊瑚茄

〔大和本草〕

〈九/雜草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0525 唐ガキ 又珊瑚茄(○○○)ト云俗名ナリ、葉ハ艾葉ニ似テ大ナリ、又南天燭西瓜ノ葉ニ似タリ、毎葉小片兩々相對シテ大小相挾メリ、實ハホウヅキヨリ大ニシテ殼苞ナシ、熟スレバ赤シ、其サネハ龍葵ノ如シ、稻若水曰、天茄子ナリ、老鴉眼晴茄ヲモ天茄子ト云、ソレニハ非ズ、

蕃椒/名稱

〔書言字考節用集〕

〈六/生植〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0526 白芥(タウガラシ/カウライコセウ) 蕃椒(同)

〔物類稱呼〕

〈三/生植〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0526 番椒たうがらし 京にてかうらいごせう(○○○○○○○)と云、大閤秀吉公朝鮮を伐ち給ふ時、種を取來る、故に此名有、西國及奧の仙臺にてこせう(○○○)といふ、〈東國にて眞の胡椒をゑのみこせうといふ〉出羽にてとこぼし(○○○○)といふ、但奧羽のうちにてもなんばん(○○○○)と稱する所もあり、上總及參遠にてなんばんといふ、越前にてまづものこなし(○○○○○○○)といふ、〈是は江戸にて番匠の隱語に、かけやといふもおなじ心なり、〉

〔倭訓栞〕

〈後編十一/多〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0526 たうがらし 番椒也、秀吉公朝鮮征伐の時種を得たり、よて高麗胡椒といふと、貝原氏説也、色に黄赤ありて百餘品に及べり、出羽にとこぼし、參遠總に南蠻、西國仙臺に胡椒といふ、東國に眞の胡椒をえのみこせうといふ、味甘き一種あり、

〔内安録〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0526 長崎にて蕃椒を胡椒と唱へ、トウガラシは、唐を枯しといふ同音なれば、必ず胡椒といふ、長崎の地役人共、唐船の爲に扶助せらるヽなれば、唐國を尊み敬ふ事如此、

蕃椒種類

〔成形圖説〕

〈二十五/菜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0526 唐芥(タウガラシ)〈即番椒也、芥菜に依て命ぜし名なり、里言にマヅモノコナシなども呼べり、〉 南蕃胡椒(ナンバンコセウ)〈或説に原その種を蕃國より漢國に傳ける故にかくいへり、我東北國にてはたヾ南蕃とのみいひ、九州地方にては胡椒とのみいふ、胡椒は即蕃地よりいづる蔓艸の實にして味辛し、故に此物の辛よりその名を借用るなり、〉 高麗胡椒(カウライコセウ)〈或曰、豐太閤朝鮮を征れし時に、此種を携來しより、この名ありといへり、◯中略〉大なるは實の長さ五六寸にいたる、幹立は七八尺に近し、頃間花師養得て目(ナツケ)て一丈紅(○○○)といふ、小なるは鳩爪の如し、目て鷹爪(○○)といふ、圓大なるは王瓜(カラスウリ)の如く微尖あり、目て胡頽(グミ/○○)胡椒(/○○)と云、圓小なるは南天燭子の如し、その實上に向ふをば天上守(テンシヤウモリ/○○○)など呼べり、〈遵生八牋云、白花子儼如秃筆頭、〉又下に垂るものを垂(サガリ/○)胡椒(/○○)とも、下(クダリ/○)胡椒(/○○)とも稱ふ、一種短肥にして味辣からずて甘きものあり、是を甘唐辛子(アマタウガラシ/○○○○)といひ、黄熟のを黄唐辛子(○○○○)といひ、金橘の如きのを金柑唐辛子(○○○○○)など呼べり、其種族多く皇國に入て化生れるなり、蓋暖地に生ものは最辣し、本藩〈◯鹿兒島〉南邊に生ふるは愈太く愈辛し、其木冬を經て槁れず、又南島に及び沖繩に至りて、皆木本となりて、高さ四五尺に長ツヽ、宛然として一灌木に似 たり、さらば椒屬にして、南方の水土に應ひ、その本邦西土に入ては、自艸本と變れるにぞ、亦奇むべし、

〔經濟要録〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0527 諸菜番椒ニハ數種アリ、其丈ケ二丈餘ニ至ルアリ、十丈辣茄(トウカラシ)ト名ク、龍葵(イヌホウヅキ)ノ子ノ如クナル有リ、金橘辣茄ト名ク、其實丸クシテ茄子ノ如クナル有リ、或ハ長クシテ筆ノ管ノ如クニ尺餘ニ及ブ者アリ、深紅色アリ、黄色アリ、下野ノ國日光、及ビ江戸内藤新宿名産ナリ、

蕃椒傳來

〔對州編年略〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0527 慶長十年、此比自朝鮮蕃椒渡、

〔和漢三才圖會〕

〈八十九/味果〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0527 番椒(たうがらし) 番者南番之義也、俗云南蠻胡椒、今云唐芥、〈◯中略〉按番椒出於南蠻、慶長年中、此與煙草同時將來也、中華亦大明之末始有之、故本草綱目未之、

〔鹽尻〕

〈九十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0527 番椒〈トウガラシ〉我國是を食する事、百年に過ず、淡婆姑(タバコ)と相前後す、倶に蠻人より傳へ種して、今世に廣く食ふ、むかしはもろこしになかりしにや、本草等に見えず、近代明の黄氏が畫譜に是を載す、今我國見る所、實の大なる小なる圓にしてほうづきの如き、長くしてくこの實の如き、黄なるも紫なるも、種々ありて、愛觀すべき物也、

〔本朝世事談綺〕

〈二/生植〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0527 番椒秀吉朝鮮柾伐の時、はじめて取來ると云、又慶長十年、たばことおなじく蠻國よりわたるともあり、南蠻胡椒と云、中華には番椒と云、番は南蠻の事也、

〔草木六部耕種法〕

〈十七/需實〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0527 抑蕃椒ノ最初ハ南亞墨利加洲ノ東海濱ナル伯西兒(ブラシリア)國ヨリ生ジタル物ニテ、天文十一年ニ波爾杜瓦爾(ホルトガル)人ノ持來ル所ナリ、〈◯中略〉故ニ西洋人ハ此物ヲ「ブラシリペイブル」ト名ク、「ペイブル」ハ辛キ實ノ義ニテ、胡椒ヲ番人ハ「ペイプル」ト呼ブナリ、

〔成形圖説〕

〈二十五/菜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0527 唐芥〈◯中略〉 此種の皇國に入しは、文祿の比ほひ、煙草と共に將來ると云、

蕃椒栽培

〔農業全書〕

〈四/菜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0528 蕃椒苗を種る事、又地ごしらへの時分も、皆茄子と同じ、苗長じて後移しうゆべし、其實赤きあり、紫色なるあり、黄なるあり、天に向ふあり、地にむかふあり、大あり、小あり、長き短き、丸き角なるあり、其品さま〴〵おほし、手入よければ、一本にも多くなる物なり、盆にうへて雅玩をたすく、人家おほき大邑に近き所は、多くつくりて賣べし、其性つよきものなり、つかへたる食氣を消じ、氣の滯を散じ、脾胃をくつろげ、魚肉などのあしき氣をけす物なり、

蕃椒利用

〔大和本草〕

〈附録一/菜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0528 蕃椒 能ホシ、ヨクカハキタル時、俄ニ末シテ糊ニ和シ、紙或綿布ニヒロゲ、凡人身疼痛ノ處ニ貼ベシ、能愈ユ、腹痛ニハ腹ニ貼、頭痛ニハ頭ニ貼、手足痛ニハ其處ニツク、甚效アリ、時氣感冒ニハ、三四ノ椎ノ間ニ貼テ、被ヲアツクキテ汗ヲ出スベシ、又蕃椒青キ時トリ、細ニスリクダキ鹽ヲ加ヘテヲサメ置、諸食ニ少加フ、蕃椒ヲ諸鳥好ンデ食フ、鷄ナド甚好ム、諸鳥ノ藥ナリト云、猫ノ藤天蓼(マタヽビ)ヲ好ンデ食フガ如シ、

〔一話一言〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0528 蕃椒西瓜の毒を治す西瓜に食傷したるには、蕃椒を一味きざみて煎じ用ゆれば、即座に瀉して毒を解するよし、徳廟〈◯徳川吉宗〉の御時、朝鮮の聘使西瓜にあてられたる時、朝鮮の醫これを以て藥を解したるよし、淺草醫師荒川樂記の話也、〈天明二年八月十八日の朝聞之〉

〔塵塚談〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0528 蕃椒は齒牙を損ずるの毒ありと思はる、喰ふべからず、人毎にすき好む者多し、是を嗜む事甚き者を見るに、壯歳にして齒も弱く、或は脱(モヌク)る類の人多ければ、喰ふべきものにあらず、記して識者の是正を待也、後藤左一郞が蕃椒説あり、新奇にして僻説多し、

蕃椒産地

〔毛吹草〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0528 山城 稻荷唐菘(タウガラシ)

〔雍州府志〕

〈六/土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0529 唐芥子 所々有之、稻荷邊所種爲佳、唐芥子中華所謂番椒是也、

〔甲子夜話〕

〈五十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0529 久能山ノ麓ニ、八年枯ズ毎歳花咲キ實ナル唐ガラシアリシニ、去年〈◯文政五年〉カ大風ニテ吹キ折リテ絶タリト、併シ六年ニナル者今ニ存セリト云、コレ暖國ユヘナリ、右ハ駿河ニ限ル由、又蕃椒ハ久能ノ名物トテ、日光漬ノヤウ成ル卷キ漬ヲ、紫蘇ニ染テ大分造リ出ス、

〔日光山志〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0529 日光諸處の名産飮食類 漬蕃椒

蕃椒雜載

〔風俗文選〕

〈五/序〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0529 番椒序 野坡とうがらしの名を、南蠻がらしといへるは、かれが治世、南蠻にて久しかりしゆへにや、未詳、酸醬子、天覗き、空見、八(ヤツ)なりなどいへるは、おのがかたちを好める人々の、翫びて付たるなるべし、皆やさしからぬ名目は、汝が生得のふつヽかなれば、天資自然の理、さら〳〵うらむべからず、かれが愛をうくるや、石臺にのせられて、竹椽の端のかたにあるは、上々の仕合なり、ともすれば擂鉢のわれ、底ぬけ釣瓶に培れて、やねのはづれ、二階のつま、物ほしの日陰をたのめるなど、あやうく見え侍るを、朝貌のはかなきたぐひには、誰も〳〵おもはず、大かたはかづら髭つり髭の益雄にかしづかれて、貪乏樽の口をうつすみさかなとなり、不食無菜の時、不圖取出され、おほくは奴僕豆腐の比、紅葉の色を見するを、榮花の最上とせり、かくはいへど、ある人北野詣の歸るさに、道の邊の小童に、こがね一兩くれて、汝が青々とひとつみのりしを、所望せし事ありといへば、いやしめらるべきにもあらず、しかじ今は其人々も此世をさりつれば、いよ〳〵愛をも頼むべからず、からき目も見すべからずと、小序をしかいふ、石臺を終に根こぎや番椒

馬鈴薯/名稱

〔草木育種〕

〈下/菜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0529 馬鈴薯(ぢやがたらいも)〈松溪府志〉 せうろいも(○○○○○)、又ゑぞいも(○○○○)、又おらんだいも(○○○○○○)とも云、蠻名カイトース、〈亞墨利加〉 〈方言〉ヤアフルキト〈同上〉ともいふ、葉は菊に似て大なり、〈◯中略〉植るには四月頃野土の肥地へ植、人糞を澆てよし、十月根を掘採、種にするには芋を貯如く、日向よき地を深く掘埋置、春の末ほり出して植べし、

〔農家備要〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0530 馬鈴薯(なんきんいも)莖の高さ凡一尺五六寸、状ち如圖、〈◯圖略〉莖葉共に毛茸あり、春三月の初め球根を分ち植置く時は、一根より二三莖を出し、六七月に至て、根に三四の球根を生ず、培養至て易きものなり、糞も水糞一兩度にてよし、地合は先砂地を好む、然れども何れの地にも能く生育するもの也、甘薯に比すれば、甘味少く、皮も至て薄く、風味格別勝れしものなり、甘味少きを以て、酸敗液を醸す事なく、餘分に喰ふてさまたげなし、今長崎其外諸國に培養し、酒を醸し味噌を作る所多し、又甘薯より永く貯ふ事出來るもの也、

〔二物考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0530 題言同國〈◯上野〉伊勢街(/イセイチ)ナル柳田鼎藏ト云フ者、一種ノ芋ヲ贈レリ、之ヲ見ルニ、其形萆薢( /トコロ)ノ如ク、又土https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/0000000189cd.gif 兒ノ如シ、土俗之ヲ咬吧芋(/ジヤガタライモ)ト稱ス、是レ即チ和蘭ニ所謂アルド、アップルナリ、炮炙シテ之ヲ食フニ、其淡白ナルコト薯蕷(/ヤマイモ)ノ如ク、其甘キコト甘藷(/サツマイモ)ノ如ク、更ニ滋味粘氣アリ、其性毒ナシ、以テ日用ノ食ニ充ツ可シ、和蘭地方單ニ之ヲ以テ食トスル處アリ、而シテ甘藷ノ寒ヲ恐ルヽガ如クナラズ、寒地熱國ニ關セズ、荒野瘠地ヲ厭ハズシテ、一根數十塊ヲ得ベシ、〈◯中略〉丙申〈◯天保七年〉重陽之夜、高野讓識於東都麴街甲斐坂之大觀堂

〔二物考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0530 馬鈴薯〈和名ジヤガタライモ(○○○○○○○)、甲州イモ(○○○○)、チヽブイモ(○○○○○)、アツプラ(○○○○)、清大夫イモ(○○○○○)、八升イモ(○○○○)、カツネンイモ(○○○○○○)、ジユミヨウイモ(○○○○○○○)、テイゾウイモ(○○○○○○)、蘭名アールド、アツプル、〉此薯モ又其傳ル所ヲ詳ニセズ、甲信等ニハ古ク傳ハリテ播殖スト云フ、蓋シヂヤガタラ芋、又アツプラ〈奧地ノ方言ナリ、按ズルニ此ハアールド、アツプルノ略言ナリ、〉ノ稱名ニ因テ之ヲ考ルニ、此ハ蘭人ノ齎來シテ種ヲ傳フ ルナリ、蘭書ニ質スルニ、此薯ハ元來西印度ニ産セリ、而シテ、拂郞察(フランス)人及漢厄利亞(アンゲリア)人之ヲ得テ播殖シ、其後之ヲ和蘭地方ニ傳タリト云フ、又此薯、亞墨利加州ニ甚ダ多シ、西洋ヨリ此ニ遷ル者、常ニ之ヲ以テ糧ト爲スト云フ、然ラバ則此ハ其始ハ西印度及ビ亞墨利加ニ産スルナリ、而シテ西洋紀元千六百年ノ後、〈今丙申ノ歳(天保七年)ニ先ダツコト二百有餘年ナリ〉和蘭始メテ之ヲ播殖シ、今ニ及ンデハ專ラ其糧食トナスト云フ、林娜斯(リンナウス)〈上ニ詳カニス〉ノ書ニ、此薯ノ三益ヲ擧グ、其一ハ、砂土石田穀類熟セザル地ニ、好ンデ蕃茂スルナリ、其二ハ、烈風暴雨久霖ニ逢フテ害ヲ受ケザルナリ、其三、蕃殖容易ニシテ、人力ヲ勞スルコトナシト云フ、其他寸地ニ耕シ、尺地ノhttps://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001eacb.gif アリ、故ニ又八升芋ノ名アリ、誠ニ以テ荒年ノ善糧ト云フベシ、

〔經濟要録〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0531 諸菜近來渡リタル馬鈴薯、俗ニジヤガタライモ、或ハオランダイモト云フ者アリ、葉ハ菊ノ如クニシテ大ニ、根ハ黄獨(カシウ)ニ似テ毛ナク、燒テモ煮テモ食フベク、葉モ菜ニ用ベシ、

馬鈴薯種類

〔二物考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0531 馬鈴薯 種類馬鈴薯ニ三種アリ、一ハ白ク、一ハ赤ク、一ハ黄色ナリ、赤キ者ハ大塊トナル、然レドモ水氣多シ、故ニ滋味薄シ、黄色ノ者ハ稍薟味アリ、故ニ白キ者ヲ上トス、和蘭地方殊ニ白色ノ者ヲ培養シテ食用ニ供スト云フ、然レドモ土地ノ性ニ從テ、赤色ノ者肥大セズシテ、白色ノ者却テ大塊ヲナシ、黄色ノ者ニ薟味ナキコトアリ、故ニ一定シテ之ヲ言ヒ難シ、宜シク先ヅ其地ニ播殖スルノ後、其地ノ性ヲ詳ニシ、此ニ適合スル品ヲ撰ミテ培養スベキナリ、

〔草木六部耕種法〕

〈三/需根〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0531 馬鈴薯ハ〈◯中略〉白色ト微赤色ノ二種アリ、煮テモ燒テモ此ヲ食フベシ、白色ノ者ハ味勝レリ、此芋ハ土地ノ瘠薄タル畑ニモ能ク豐熟ス、

馬鈴薯栽培

〔二物考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0531 馬鈴薯 培養 八十八夜頃ニ、此ヲ種ユベキ地ヲ耕シ、其土塊ヲ細碎シ、其後馬鈴薯ヲ取リ、毎處二三塊ヅヽ種ヱテ、其上ニ輕ク土ヲ覆ヒ、逐次ニ此ノ如クニシテ種ルナリ、其法常ニ甘藷ヲ種ル法ト同ジ、又此薯ハ地ヲ揀ムニ及バズ、田畔路傍砂石交錯スル地、其外他ノ穀類播殖ニ妨害トナラザル處ニ、培養ス可シ、又其性寒ニ堪ユルヲ以テ、山野ニ種ルモ佳ナリ、大抵播種ヨリ三十日計ヲ經レバ、嫰芽ヲ萌出シ、莖ヲ生ジ蔓生スルナリ、蔓二尺餘ニ至レバ、其端末ハ殘シテ、其中央ノ處ニ輕ク土ヲ覆フ可シ、此ヨリ新根ヲ出シ蔓ヲ生ズルナリ、凡ソ此ノ如クニシテ、莖葉次第ニ蕃茂スルニ至レバ、一根ヲ以テ數十塊ノ薯ヲ得ルナリ、但シ新根ノ薯ハ其數少ナク、其形小ニシテ又水氣多シ、舊根ノ纖根ニ附ク者ハ、連珠ノ如ク數十塊攅簇シテ、其形モ太ク、且ツ滋味多シ、故ニ之ヲ上トス、又之ヲ以テ明年ノ種子トナス可シ、和蘭地方ニ於テハ、一根ヲ以テ、百塊若クハ百四五十塊ノ薯ヲ得ルト云フ、然レドモ本邦ニ於テハ、大率一根ヲ以テ、四五十塊ヨリ六七十塊ニ至ルヲ極トス、

馬鈴薯利用

〔二物考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0532 馬鈴薯 食用新生ノ者ハ直チニ煮熟シ、又ハ蒸熟シ用ユ、若シ薟味アルトキハ、先ヅ灰汁ニ投入シテ其氣ヲ去リ、又乾固スル者ハ、温湯ニ浸シ、軟和スルニ至リ、其後煮蒸シテ、或ハ單味之ヲ食トシ、或ハ飯ニ和シテ之ヲ用ヒ、或ハ羮ニ調シ、菜蔬ニ代テ之ヲ用ユ、其他人ノ好ム所ニ從テ用法頗ル多シ、〈◯中略〉製粉薯粉ハ、葛粉蕨粉ト同ジ、此ヲ製スルノ法、此薯ヲ取リ、水ニ浸スコト凡ソ六時ニシテ取リ出シ、其皮ヲ去リ、又水ニ浸スコト一二時ニシテ、後切リテ薄片トナシ、臼ニ入レ搗爛シテ餅ノ如クナラシメ、水ヲ加エテ稀解シ、緻布ヲ以テ濾過シ、白汁ヲ取リ、又其滓ヲ臼ニ入レ、更ニ搗爛シ、又水ヲ加テ攪動シ、濾過シテ白汁ヲ絞リ取リ、幾次モ此ノ如クニシテ、白汁出デザルヲ度トシ、其汁ヲ沈定シ、薯粉悉ク器底ニ沈著スルヲ俟テ、徐々ニ其上清(/ウハスミ)ヲ傾ケ出シ、又水ヲ加テ攪動シ、又沈定スルヲ 俟テ、其上清ヲ傾ケ去リ、幾次モ此ノ如クニナシテ、其上清無色無味ニ至ルヲ度トシ、水氣ヲ去リ太陽ニ曝シ、或ハ微火ニ上セ乾カスナリ、用法葛粉蕨粉ノ如クニシテ、此ニ勝ルコト萬々ナリト云フ、醸酒馬鈴薯モ亦甘藷ノ如ク、製シテ酒トナス可シ、但シ濁醪トナシテハ用ヒ難シ、蒸露シテ火酒トナス可シ、然ルトキハ其性猛烈其味芳辛ニシテ、上好ノ琉球(/アハモリ)酒ニ減ゼザルナリ、

酸醬

〔新撰字鏡〕

〈草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0533 酸醬〈加我彌吾(○○○○)、又奴加豆支(○○○○)、〉

〔本草和名〕

〈八/草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0533 酸漿、一名酢漿、一名酢菜、〈出雜要訣〉一名苦薝子、〈出小品方〉一名洛神珠、一名王母苦葴珠、〈葴音針〉一名寒漿、〈已上出兼名苑〉一名苦箴、一名苦https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/S01000000195.gif 子、一名王母珠、一名皮弁草、〈已上出古今注〉一名酸芳草、〈出刪繁論〉和名保々都岐(○○○○)、一名奴加都岐、

〔倭名類聚抄〕

〈二十/草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0533 酸漿 兼名苑云、酸漿一名洛神珠、〈和名保保豆木〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈十/草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0533 按爾雅、葴寒漿、郭注云、今酸漿草、江東呼曰苦葴、古今注、苦葴、長安兒童謂爲洛神珠、兼名苑蓋本於此、陶云、子作房、房中有子、如梅李大、皆黄赤色、蜀本圖經云、根如葅芹、白色絶苦、圖經曰、苗似水茄而小、實作房如囊、囊中有子、蘇敬曰、燈籠草、枝https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/S01000000147.gif 高三四尺、有花紅色、状如燈籠、内有子、紅色可愛、嘉祐本草云、苦耽、生故墟垣壍間、高二三尺、子作角如撮口袋、中有子如珠、熟則赤色、關中人謂洛神珠、一名王母珠、一名皮辨草、衍義、苗如天茄子、開小白花、結青殼、熟則深紅、殼中子大如櫻亦紅色、櫻中腹有細子、如落蘇之子、此即苦耽也、今圖經又立苦耽條、顯然重複、本經無苦耽、時珍曰、楊愼巵言云、本草燈籠草苦耽酸漿皆一物也、修本草者、非一時一人、故重複耳、此説得之、酸漿以子之味名也、苦耽以苗之味名也、燈籠皮弁以角之形名也、王母洛神珠以子之形名也、又云、龍葵酸漿一類二種也、酸漿苦https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001b6b2.gif 一種二物也、但大者爲酸漿、小者爲https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001b6b2.gif 、以此爲別、其龍葵酸漿苗葉一 様、但龍葵莖光無毛、五月入秋開小白花、五出黄蘂、結子無殼、纍々數顆同枝、子有蒂生青熟紫黒、其酸漿同時開小花、黄白色紫心白蘂、其花如盃状瓣、但有五尖、結一鈴https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/000000019ce2.gif 、凡五稜一枝、一顆下懸如燈籠之状https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/000000019ce2.gif 中一子状如龍葵子、生青熟赤、以此分別、便自明白、

〔下學集〕

〈下/草木〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0534 山茨菰(ホウヅキ/サンシコ)〈又云鬼燈、其實赤如灯也、〉

〔東雅〕

〈十五/草卉〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0534 酸漿ホヽヅキ 舊事紀に八岐大蛇の眼如赤酸漿と見え、日本紀もこれに依られて、赤酸漿はアカカヾチと註せられたり、古事記にも赤加賀智としるして、今の酸漿といふ者也と註し、又猿田彦神の眼の事をも、かくぞしるされたりける、太古の俗の常語とこそ見えたれ、倭名鈔には兼名苑を引て、酸漿一名洛神珠、ホヽツキと註せり、並に義詳ならず、〈萬葉集抄に、カとは赤き也と見えたり、カヾとは其赤くして赤きをいひ、チとは其汁の血の如くなるを云ひしなるべし、ホヽヅキとは或人の説に、ホヽといふ蟲のつきぬる者なればかく云ふなり、ホヽとは蝥(イチムシ)也といふなり、〉

〔古今要覽稿〕

〈草木〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0534 くたに(○○○)くたに、〈古今物名、源氏物語、古今六帖、〉くたには苦薝の轉音にて、酸醤のことなり、たんのんをにといふことは、しをんをしをに、せんをせにといふに同じ、古今集の打聞に、木丹の略也といひしは信じがたし、かがち(○○○)、〈日本書紀神代卷〉通證云、重遠云赤燭血也、譬其蓏三色也云々、この説いかヾ、按にかヽは赫の字の意にて、明らかなることをいへり、出雲風土記に、光加賀明也と云ことみえたり、酸醤はその色赤くかヾやくものなれば、かヽとはいふなるべし、ちはそへいふことば也、ほヽつき、〈和名抄〉篤信云、保々は虫の名好て食之、故に名づく云々の説非なり、谷川士清云、保々都伎は火々著なり、この説よし從ふべし、火々は加賀と同じく、その色の熟するに從ひて、あかくかヾやくいろのそはる故に、火火著といふなり、ぬかつき、〈本草和名〉按にぬははつ語にて、かづきは加賀著の中略なり、〈◯中略〉洛神珠、〈嘉祐本草〉本草綱目釋名時珍云、以子之形名也、三母珠、〈嘉祐本草、名義同上、〉苦葴、〈郭璞注爾雅〉本草綱目釋名時珍云、以苗之味名也、皮辨草、〈本草和名引古今注〉本草釋名時珍云、以角之形名也、〈◯下略〉

〔本朝食鑑〕

〈四/山果〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0535 酸醤子〈和名保保豆木、今訓保宇豆木、〉集解、酸醤者世常所用之保宇豆木也、田園家圃皆種之、草不二三尺、葉如藥匙頭而薄、四五月開小花黄白色、紫心白蘂、状如中華之盃辨、但有五尖一鈴殼、凡五稜一枝、一兩顆下懸如燈籠之状、夏青至秋變赤、殼中一顆如金橘、而深紅作珊瑚色、女兒愛翫去https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/000000019a0e.gif 之嚼之而鳴、作草鞋之聲、或鹽漬藏封爲冬春之用、以爲庖厨之供、或貯夏土用之井水、漬連赤殼之酸漿子、則至冬春而外殼如紗、漏中間之紅子、似白紗燈籠中之火、若過秋不水則易敗也、近時浣衣之舊汚不脱者、用酸醤汁而澣之則脱去、脱後復醤汁色不消者、用木患子皮或赤豆粉、而再澣之則悉脱盡矣、今農家與西瓜番椒同作貨殖者也、江都甚多、關西京師倶不多者土地不應乎、子、氣味、甘酸寒無毒、主治、消酒毒、發明、蘇頌曰、尤益小兒、必大〈◯平野〉按、今時不然、予往見小兒誤食之發驚吐而斃、後又聞斯者、然亦有常嗜食之而竟不毒者、此二者因其腸胃之強弱耶、因其時之幸不幸耶、然則曰毒而可也、未益者耳、

〔重修本草綱目啓蒙〕

〈十一/隰草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0535 酸漿 カヾチ(○○○) アカヾチ(○○○○) ヌカヅキ(○○○○) ホウヅキ(○○○○)〈ホウト云虫ツク故ニ名クト、大和本草ニ見ヘタリ、〉 一名姑娘茱〈救急本草〉 燈籠兒〈同上〉 掛金燈〈本經逢原〉 絳囊〈行厨集〉 叱利阿里〈郷藥本草〉春月宿根ヨリ苗ヲ生ズ、形状時珍ノ説ニ詳ナリ、夏月葉間ニ花ヲ開ク、一瓣ニシテ牽牛花ノ如ク、五尖アリテ五瓣ノ如クニ見ユ、故ニ如盃状瓣、但有五尖ト云リ、花後實ヲ結ビ下垂ス、熟スレバ外殼紅色ニシテ美ハシ、一種外殼矮扁ナルアリ、コレヲキンチヤクホウヅキ(○○○○○○○○○)ト云、カボチヤホウヅキ(○○○○○○○○)、ヒラホウヅキ(○○○○○○)、〈作州〉クヽリヅキン(○○○○○○)、〈江戸〉其餘數品アリ、凡酸漿實已熟スルモノヲ盆ニ栽ヘ、冬月紙袋ヲ覆テ寒ヲ防時ハ能久ニ堪ヘ、其殼筋脈ノミ殘リ、蝉翼ノ如クシテ、中ノ紅實ヲ透見シテ燈籠ノ如シ、

〔百姓傳記〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0536 ホウヅキヲ作ル事一ホウヅキノ種今三色見ヘタリ、地ホウヅキ(○○○○○)ハ節間永ク、葉大キニ育チ、サヤ大キニトヲナリシテ、ホウヅキ小サク、秋ノ末ナラデハ熟セズ、惡キ種ナリ、サツマホウヅキ(○○○○○○○)ト云テ、フシ合短カク、葉地ホウヅキヨリ小サク、サヤモツマリ、ホウヅキ大キニシテ、フシ毎ニナリ、ヂク際ヨリ赤クナリ、ホウヅキ大キナル種アリ、又南蠻ホウヅキ(○○○○○○)共云、チンチクリン(○○○○○○)トモ云テ、木タデフシニシテ、葉小サク、ホウヅキノサヤ小サク、先ヲ内ヘ押込タルヤウニシテ、五月末ツ方ニ赤ラミ、大キナル種アリ、必フシ毎ニナル見事ナルモノナリ、土地ニ嫌ヒナク育ツ、然ドモ黒フク土輕土、日蔭木下ニハ忌ムベシ、フシ間延過、虫付テ葉枯花落テホウヅキナシ、濕ケ地ニ猶能ラズ、種ヲ二月蒔テ夏中ニ實ナリ、秋ニ色付、夫ハ六ツ箇敷キナリ、植付ノ根ヲ冬ヨリ正月ノ節ニ入マデ植直シテヨシ、其儘置テハ茂ク生ヘ出、木ニ病ヒ付、ホウヅキナラズ、植直スニ根ノフシヲ助ケ、フシ間ヨリ折テ間ヲ遠ク植ヨ、肥エ地ニ植テハ、木蔓コリ花付ズ、瘠地ニ好ミテ植ヨ、

〔草木育種〕

〈下/藥品〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0536 酸漿〈本草〉 根分ハ二八月よし、濕地を好もの也、魚洗汁人糞を澆ぐべし、又瓔珞ほヽづき(○○○○○○)は、實の形長刀ほヽづき(○○○○○○)に似たり、

〔古事記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0536 須佐之男命、〈◯中略〉問汝哭由者何、答白、言我之女者自本在八稚女、是高志之八俣遠呂智〈此三字以音〉毎年來喫、今其可來時故泣、爾問其形如何、答白、彼目如赤加賀智而、身一有八頭八尾、〈(中略)此謂赤加賀智者、今酸醤者也、〉

〔日本書紀〕

〈二/神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0536 一書云、〈◯中略〉先驅者還白有一神、〈◯中略〉眼如八咫鏡而赩然似赤酸醤(アカカヾチ)也、

〔枕草子〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0536 おほきにてよき物ほうづき

〔還魂紙料〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0536 江戸酸漿 案内者〈寛文二年印本中川喜雲著〉四の卷、七月七日東西本願寺の花、東西ともに對面所の簷に立らる、造物籠にさす、〈◯中略〉近年は江戸酸漿子とて、七月に色のあかきをもとめ出して、よき綵色の物とすといふ事あり、寛文の初に近年といへば、此江戸ほヽづきは萬治のころよりありし物歟、俳諧毛吹草〈寛永十五年撰〉の季寄八月の條に、鬼灯〈青ほヽづきは夏なり〉とあり、案内者にいふところを見れば、七月に色づく鬼灯は萬治前はなかりしなるべし、江戸新道〈延寶六年印本言水撰〉 里の子やすゑに吹らん江戸鬼灯 心色 柳亭云、此句江戸廣小路には、上の五文字いかなる風とあり、〈◯中略〉いま丹波鬼灯の名をいひて、江戸鬼灯の名をいはず、今六月より色づきたる鬼灯あるは、是則江戸鬼灯歟、又いつか江戸鬼灯は絶て、丹波の國の種をもとめて、植けるもの歟、江戸酸漿の條〈◯追考〉延寶四年梅盛が著しヽ類船集に、山茨菰(ホヽヅキ)むかしよりありつらめど、近年江戸酸漿とて、美しく赤きあり、青ほヽづきの時分に、はや珍らしければ、もてはやす事とぞ、丹波より來る青酸漿は吹散されぬべし、肴になり、鱠にはさまれ云々、かヽれば前にもいふごとく、いま夏より色づくは、江戸鬼灯にて、丹波の種にはあらざるなるべし、

龍葵

〔本草和名〕

〈十八/菜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0537 龍葵、一名苦菜、〈出蘇敬注〉和名古奈須比(○○○○)、一名久佐奈須比(○○○○○)、

〔倭名類聚抄〕

〈十七/野菜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0537 龍葵 本草云、龍葵〈和名古奈須比〉味苦寒無毒者也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈九/菜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0537 蘇敬曰、龍葵即關河間謂之苦菜者、葉圓花白、子若牛李子、生青熟黒、但堪煮食、不生噉、本草圖經云、葉圓似排風而無毛、子亦似排風子、李時珍曰、四月生苗、嫩時可食柔滑、漸高二三尺、莖大如筯、似燈籠草而無毛、葉似茄葉而小、五月以後開小白花、五出黄蕊、結子正圓、大如五味子、上有小蒂、數顆同綴、其味酸、中有細子、亦如茄子之子

〔東雅〕

〈十三/穀蔬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0538 茄子ナスビ〈◯中略〉 倭名抄に、〈◯中略〉龍葵はコナスビといふと註せしは、本草に據るに、其葉如茄子、其實味酸、中有細子、亦如茄子なるによりて、此名ありし也、もとこれ茄子の類にはあらず、防葵を呼てヤマナスビといふが如きは未詳、〈今俗に玫瑰をハマナスビといふなり、此物東國の地方にては、海濱に生じて、其實を結ぶこと茄子の如くなれば、方俗呼びて此名あるなり、〉

〔古名録〕

〈四十三/瓜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0538 古奈須比〈倭名類聚抄〉 漢名牛嬭茄〈中饋録〉 今名〈コナスビ ヒトクチナスビ〉正誤按ニ後人臆度ヲ以テ、龍葵古訓古奈須比ト云ニ據、イヌホウヅキトス、非也、古奈須比ハ今一口茄子ト云者此也、古ヘ龍葵ニ誤リ充、イヌホウヅキハ實黒色、南天子ノ大ニシテ、食用ニナルベキモノニ非ズ、

〔大和本草〕

〈九/雜草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0538 龍葵 コナスビ、一名イヌホウヅキ、又ヒタイホウヅキ、葉ハ茄ニ似テ子小ニシテマルシ、熟スレバ黒シ、茄子ニハ似ズ、且大小甚異、其實ヲ汗瘡ニ付レバ愈ユ、本草ニ此能アル事ヲ不載、又一種實ノ赤アリ、龍珠ト云、日本ニハ此種未之、

〔草木育種後編〕

〈下/藥品〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0538 龍葵(いぬほゝづき)〈本草〉 山中にあり、原野の濕地に實熟するをとりすぐにまき、又春蒔て生じ易し、糞水を澆ぐ時は別て勢よし、又畦へ蒔てもよし、和蘭にて偏痱に用ふ、

〔重修本草綱目啓蒙〕

〈十一/隰草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0538 龍葵 イヌホウヅキ(○○○○○○) コナスビ(○○○○) ウシホウヅキ(○○○○○○)〈城州〉 ヒタヒホウヅキ(○○○○○○○)〈大和本草〉 イノホウヅキ(○○○○○○)〈讃州〉 イヌゴセウ(○○○○○)〈豐前〉 一名狗尿珠〈千金翼方〉 天茄兒苗〈救荒本草〉 老鴉睛〈正字通〉 鴉睛〈同上〉 加个曹而〈採取月令〉原野及人家ニ自生多シ、宿子地ニアリテ春苗ヲ發ス、高サ一二尺、或ハ三四尺ニ至ル、枝葉トモニ互生ス、枝ハ多ク横ニ廣ク繁布ス、葉ハ酸漿(ホウヅキ)ノ葉ニ似テ、短毛多シテ臭氣アリ、夏月葉間ニ花開ク、數十蕚一莖ニ簇垂ス、五瓣ニシテ白色黄蘂、形番椒(トウガラシ)花ニ似タリ、花後圓實ヲ結ブ、大サ南燭子ノ如シ、生ハ青ク、熟スレバ紫色後黒色ニ變ズ、内ニ小扁子アリ、苦https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001b6b2.gif (コホウヅキノ)子ニ似テ淡黄色ナリ、霜後根枯ル、 ソノ葉實根外家ノ要藥ナリ、

〔延喜式〕

〈三十九/内膳〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0539 漬年料雜菜龍葵味葅六斗、〈料鹽四斗八合、楡三升、◯中略〉 右漬春菜料〈◯中略〉 龍葵葅六斗、〈料鹽六升、楡二升四合、〉龍葵子漬三斗、〈料鹽九升◯中略〉 右漬秋菜

〔續々修東大寺正倉院文書〕

〈四十六帙六/裏書〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0539 藍園熟瓜等送進文龍葵拾五把〈◯中略〉天平勝實二年七月四日 倉垣三倉

〔武江産物志〕

〈藥草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0539 道灌山ノ産 龍葵(うしほうづき)

龍珠

〔重修本草綱目啓蒙〕

〈十一/隰草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0539 龍珠 ヤマホウヅキ(○○○○○○) ハダカホウヅキ(○○○○○○○)幽谷及山足陰地ニ生ズ、其形龍葵ト相似リ、唯葉龍葵ニ比スレバ狹シテ毛茸ナシ、夏月葉間ニ花ヲ開ク、一莖ニ簇ラズ、形チ苦https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001b6b2.gif 花ニ似テ淡黄色、其實蜀羊泉ニ似タリ、生ハ青ク熟スレバ深紅色、已ニ實ヲ結ブ者ハ、秋深テ根枯ル、未實ヲ結バザル者ハ、春ニ至テ更ニ苗ヲ生ズ、

蜀羊泉

〔本草和名〕

〈九/草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0539 蜀羊泉、〈隱居本草泉作全字〉一名羊泉、一名羊飴、一名漆姑、〈出蘇敬注〉一名羊全、〈出雜要訣〉唐

〔多識編〕

〈二/隰草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0539 蜀羊泉、今案于流之計之(○○○○○)、異名羊飴、〈別録〉

〔重修本草綱目啓蒙〕

〈十一/隰草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0539 蜀羊泉 ホロシ(○○○)〈古名〉 ヒヨトリジヤウゴ(○○○○○○○○) ツタサンゴジユ(○○○○○○○)〈仙臺〉 ツルサンゴジユ(○○○○○○○)〈同上備前〉 ツルサンゴ(○○○○○) チヤボノホウヅキ(○○○○○○○○)〈筑前〉 ウルシケシ(○○○○○) 烏葛〈和方書〉 一名青https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00164.gif 〈救荒本草〉 雪下紅〈秘傳花鏡〉 珊瑚珠〈同上〉 雪裏珊瑚〈農圃六書〉 漆草〈附方〉 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/S01000000318.gif https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000650a6c.gif 〈品字箋〉原野ニ多シ、蔓草ナリ、春月舊蔓ヨリ苗ヲ生ジ、草木ニ纏繞ス、毛アリテ牽牛藤(アサガホノツル)ノ如シ、葉ハ菊葉ニ似テ、薄ク柔ニシテ鋸齒ナシ、毛アリ互生ス、夏葉間ニ小枝ヲ生ジ、上ニ多ク小叉ヲ分チ、叉ゴトニ一花ヲ開ク、白色黄蘂大サ四分許、形番椒(トウガラシ)花ニ似リ、後圓實ヲ結ブ、南天燭(ナンテンノ)子ヨリ大也、生ハ青ク、秋 冬熟シテ深紅色、白頭鳥好テ食フ、霜後苗枯ル、

白英

〔新撰字鏡〕

〈草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0540 白英〈保呂志草(○○○○)、又豆具彌乃伊比禰(○○○○○○○)、〉

〔本草和名〕

〈六/草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0540 白莫、〈◯莫恐英誤、本草綱目引拾遺一名白幕、〉一名穀菜、一名白草苦菜、〈陶景注云疑或是〉一名鬼目草、〈出蘇敬注〉一名排風草、一名鬼目、〈出拾遺〉一名酸述、〈出稽疑〉和名保呂之、一名都久美乃以比禰、

〔倭名類聚抄〕

〈二十/草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0540 白英 蘇敬本草注云、白英一名鬼目草、〈和名保曾之(○○○)、一云豆久美乃伊比禰、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈十/草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0540 本草和名、保曾之作保呂之、與新撰字鏡合、此作曾恐誤、蘇又云、蔓生、葉似王瓜、小長而五椏、實圓如龍葵子、生熟紫黒、今按爾雅、符、鬼目、注、似葛葉有毛、子赤如耳璫珠、若云子熟黒誤矣、

〔和爾雅〕

〈七/草木〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0540 白英(ヒヨドリジヤウゴ/或云ホロシ)〈穀菜、白草並同、〉

〔和漢三才圖會〕

〈五十六/蔓草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0540 白英〈◯中略〉按、白英葉似菊葉、而柔大深叉、七月開小白花、五瓣、抱子翻外、有飛鳥之状、其子赤、熟時鵯喜啄之、故俗曰鵯上戸、亦鸜鵒嗜之、〈故曰鸜鵒之飯稻乎〉然鸜鵒不螻蛄

〔重修本草綱目啓蒙〕

〈十五/蔓草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0540 白英 マルバノホロシ(○○○○○○○) マルバノヒヨドリジヤウゴ(○○○○○○○○○○○○) ムマノナンバン(○○○○○○○)〈北國〉 イヌノナンバン(○○○○○○○)〈同上〉 ノナンバン(○○○○○)〈越後〉 ノゴシヤウ(○○○○○)〈同上〉 ツルトウガラシ(○○○○○○○)〈大坂〉ホロシト訓ズルハ非ナリ、ホロシハ蜀羊泉(ヒヨドリジヤウゴ)ナリ、此草ハ即蜀羊泉ノ刻缺ナキモノナリ、故ニマルバノホロシト云フ、山ノ幽谷又江邊ニモアリ、春舊根ヨリ苗ヲ生ジ甚繁延ス、藤葉共ニ毛ナシ、葉ハ圓長ニシテ尖リ互生ス、夏花ヲ開キ穗ヲナスコト、蜀羊泉ニ同シテ、邊ハ淡紫色、内ハ深紫色ニシテ黄心ナリ、其實亦蜀羊泉ニ似タリ、秋ニ至リ熟シテ深紅色、ソノ形圓ナル者アリ、微長ナル者アリ、微長ナル者ハ番椒ノ形ニ似タリ、故ニナンバンノ名アリ、番椒ヲ東北國ニテナンバント呼ブ、秋深テ苗枯ル、

〔廣益地錦抄〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0541 白英(はくゑい) 蔓草、冬もかれずして有、春葉を出す、葉に白色あり、四五月に白小花を開く、實は葉の間々より下へさがりて、一所に十數ほどづヽ付テ、秋じゆくして色赤、竹にからませてながめ有、花壇にうへべし、俗ひよどりぜうごといふ、

莨蓎

〔本草和名〕

〈十/草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0541 莨蓎、〈楊玄操音義、作狼唐、〉一名行唐、一名横唐、一名狼陽根、〈出雜要決〉和名於保美留久佐(○○○○○○)、

〔倭名類聚抄〕

〈二十/草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0541 茸蓎子 本草云、茸蓎子〈和名於保美流久佐〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈十/草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0541 千金翼方、證類本草不載、本草和名亦無有、按下條有莨蓎子、和名與此同、則知茸是莨字之誤、而複重者、宜删去也、

〔倭名類聚抄〕

〈二十/草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0541 莨蓎子 本草云、莨蓎、〈狼唐二音、和名於保美流久佐、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈十/草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0541 千金翼方、證類本草下品作莨菪子、本草和名作莨蓎、無子字、與舊同伊呂波字類抄莨蓎莨蓎子並載、蓋其所見本、或有或無、故兼擧二名也、按無子字、雖其實非https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif 是、然源君所載草本名、似多從本草和名https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4d.gif 之、則有子字者、恐是後人挍増、非源君之蕉、〈◯中略〉玄應音義引埤倉云、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/S01000000319.gif 碭毒草也、廣雅、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/S01000000319.gif 苹、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/S01000000320.gif https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001e0c6.gif 也、玉篇廣韵並云、恐、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/S01000000319.gif https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001e0c6.gif 藥也、史記倉公傳、作https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001e0c6.gif

〔和漢三才圖會〕

〈九十五/毒草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0541 莨菪〈◯中略〉按莨菪海濱有之、其葉形略似野菊、而莖葉皆有白細毛、四五月開花、有白有赤、結實如罌子、俗稱之河原艾非也、〈河原蓬別有一種、今人不莨菪和名、而漫稱之而已、或以莨菪煙草甚誤、〉

〔重修本草綱目啓蒙〕

〈十三/毒草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0541 莨菪 オニシルグサ(○○○○○○)〈延喜式〉 オホミルグサ(○○○○○○)〈和名鈔〉 ヲメキグサ(○○○○○) ホメキグサ(○○○○○) ヤマサ(○○○) ナヽツ桔梗(○○○○○)〈江戸〉 ハシリトコロ(○○○○○○)〈肥後〉 一名狼蓎〈類書纂要〉 虎茄〈月令廣義〉 草牛黄〈郷藥本草〉 牙疼子〈本草原始〉肆中ニ漢渡ナシ、深山幽谷ニ生ズ、宿根ヨリ早春ニ苗ヲ生ズ、紫黒色、長ズレバ淡緑色、圓莖高サ一尺餘、葉ハ互生ス、形ハ商陸ノ葉ニ似テ小ク狹シ、又長葉ナル者アリ、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/000000019a4f.gif 葉ノ間ニ花ヲ生ズ、本ハ筒 ニシテ末ハ五瓣、小キ桔梗花ノ如シ、色紫又黄色モアリ、共ニ蒂ハ沙參桔梗花ノ蒂ノ如シ、花謝シテ蒂漸ク大ニ成テ楝子(センダンノ)ノ如ク、淡緑色、中ニ細子多シ、褐色ナリ、三月ニ實熟シテ苗枯ル、根ノ形山萆薢(オニドコロノ)根ノ如シ、誤テ食ヘバ其味腹内ニアルアイダハ狂氣奔走ス、故ニハシリトコロノ名アリ、和俗誤テ烟草ヲ以テ莨菪トス、大ニ非ナリ、コレハ證類本草及ビ綱目莨菪ノ圖、實ノ形チ烟草ノ花ニ似タルヲ以テ誤ルナリ、

〔草木育種後編〕

〈下/藥品〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0542 莨蓎〈本草〉 醫心方おにほみぐさといふ、俗にハシリドコロ、ホメギグサ〈肥後〉などいふ、番名にてベルラドンナ〈羅甸〉といふ、處々深山に生ず、根の芽を一ツ付てかき、木口へ灰を付、赤土の陰地に栽てよし、山の崕樹木の下によし、春早く根を分てよし、油かす干鰯等少し根に入てよし、

〔延喜式〕

〈三十七/典藥〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0542 諸國進年料雜藥伊豆國十八種〈◯中略〉莨蓎子一斗、 相模國卅二種、〈◯中略〉莨蓎子二升、〈◯下略〉

〔北窻瑣談〕

〈前篇四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0542 肥後の國の山中に、方言ドウタウ(○○○○)といふ草あり、烟草の葉に似たり、甚毒草にて、是を喰へば發狂して、三日計はさめずといふ、ドウタウとは、莨菪(らうとう/○○)の事なるにや、

烟草/名稱

〔本朝食鑑〕

〈四/味果〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0542 烟草〈俗稱多波古(タバコ)〉 釋名、煙酒、〈韓客稱之、言吸煙則面熱眼眩如酒也、〉

〔雍州府志〕

〈六/土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0542 多波古 倭俗莨菪謂多波古、然其形状氣味小異、本草洞詮所載煙草是也、

〔蔫録〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0542 附考並餘考答跋菰(タバコ)名通行于萬國、是以其所https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif 産爲名者、猶我俗稱其地産甘孛知亞(カンボチア)、加奈乃兒(カナノル)、應帝亞(インデン)、沒厠箇未亞(ムスコビア)也、雖然乎世人未答跋菰之爲地名、其偶有之者、亦未答跋菰地屬何洲、其長廣幾何、今考喎蘭萬國輿地略、其第一千零五十九葉曰、答https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001bd8d.gif 鶴(タバゴ)〈一名泥物(ニーウエ)、哇兒設力(ワルセレ)、一名泥可止亞奈(ニコシアナ)、〉者、北亞墨利加北海安止兒力斯(アンシルレス)、諸島中跋兒路扁咄(バルロヘント)所屬之一小島也、其地東西十六里許、南北六里餘、乃西北水路之一要港、而此 地多産答跋菰草云、〈此地土宇開拓、及産物等説、別有譯文、故略、〉又采覽異言曰、係南亞墨利加洲中、屬加蠟哥斯(カラコス)、海上諸島都十八、其中一島、始出煙草之所也、其地雖稍相近、有南北之異、當時傳譯之日、偶致此錯誤也乎、

〔燕石雜志〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0543 物の名煙草、たばこは蠻呼なり、

〔和漢三才圖會〕

〈九十九/葷草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0543 煙草(たんばこ) 相思草〈本草洞筌〉 淡婆姑〈蓬溪類記〉 淡芭菰〈漳州府志〉 煙酒

〔煙草記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0543 異號〈凡一百餘今擧過半〉煙   芬   切芬  煙草  蔫草  煙兒  煙火  煙花  煙葉  煙酒煙草火 返魂草 返魂草 金絲煙 金絲草 相思草 擔不歸 淡婆姑 淡把姑 淡芭菰南蠻煙 南蠻草 南靈草 南草  慶長草 貧報草 貧乏草 愛敬草 敬愛草 思案草分別草 長命草 延命草 延壽草 慶喜草 常樂草 永樂草 常盤草 養氣草 長嗜草長嗜煙 延嗜草 愛煙草 閑友草 太平草 丹波粉 多葉粉 多波古 太羽古 太婆古打破魂 痰發粉 た   莨菪  https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/S01000000319.gif https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001e0c6.gif   莨https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001e0c6.gif   https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001b6dd.gif 蕩  https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/S01000000319.gif https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001b5c0.gif   https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001d8c3.gif https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001b5c0.gif   https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/S01000000321.gif https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001e0c6.gif ◯按ズルニ、本書此下ニ於テ、上文掲ル所ノ稱呼ニツキテ、一々釋義ヲ下シタレドモ、要スルニ固ヨリ俗傳ニ過ギザレバ、今姑ク稱呼ノミヲ摘録シテ、此ニ異聞ヲ廣ム、

〔羅山文集〕

〈五十六/雜著〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0543 佗波古希施婁佗波古(○○○)、希施婁、皆番語也、無義釋矣〈◯中略〉或曰、此藥番舶載來而自長崎於群國、其盛行如此、然出何醫書歟、曰比年諸醫不之、頃聞醫者如見撿本草綱目而到莨菪、其状貌主治及竹筩、引煙之事、皆似之、蓋其流乎云爾、

〔一本堂藥選續編〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0543 煙草此物在古未人間、故無其名之可https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif 定、按本草、莨菪爲尤近、後世盛行、呼爲煙草、〈本草洞詮〉又名相思草〈同上〉煙 花、〈花鏡〉淡把姑、〈同〉擔不歸、〈同〉淡芭菰、〈漳州府志〉淡婆姑、〈芝峯類説〉南靈草、〈同〉淡肉果、〈物理小識〉蔫、〈行厨集〉芬、煙、〈張介賓景岳全書〉返魂草、〈李時珍食物本草〉細切如線、名金絲煙、〈花鏡〉返魂煙〈同上〉煙酒

〔大和本草〕

〈六/民用草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0544 煙花 タバコハ、蓬溪類説ニ、淡婆姑草ト云、漳州府志ニ、淡芭菰トカク、タバコ異國ノ方言ナリ、或曰、日本ニ初來リ、丹波ヨリ其粉ヲキザミ出ス、故ニ丹波粉ト云、此説妄語也、〈◯中略〉今案本草洞筌ニ所載ノ煙草モ、亦淡婆姑ト同物ナリ、今南京ニハ烟ト云、漳州福州ニハ芬ト云、キザミタバコヲ切芬ト云、朝鮮ニハタバコヲ南草ト云、〈◯中略〉今國俗スベテ莨菪ヲタバコト訓ズ、アヤマレリ、中華ニ莨菪ハ古ヨリアリ、延喜式ニ莨菪ヲノセタレバ、日本ニモ昔ヨリアル草ナルベシ、タバコハ日本ニモ中華ニモ古ハナシ、近代外國ヨリワタルト云、故ニ本草綱目ニハノセズ、〈◯中略〉長崎ニテ、唐人ハミナ煙草ト云、莨菪トハイハズ、是ヲ以莨菪ニ非ル事ヲシルベシ、

〔秉燭譚〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0544 煙草ノコトタバコハ南蠻ノ産ナリ、百年前ニ日本ニ來ル、ソノカミハ本草ノ莨菪ナリトイヘリ、此ハアヤマリナリ、ソノ後沈穆ガ本草洞詮ト云書新ニ渡リ、ソノ九卷ニ煙草ヲ出ス、曰煙草一名相思草、言人食之、則時時思想不https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif離也ト、ソノ説甚詳ナリ、コレヨリ世間ノ人、タバコハ煙草タルコトヲシル、四五十年前ニ朝鮮人ノ撰スル、芝峯類説ト云モノアリ、ソノ十九卷ニ曰、淡婆姑、草名、亦號南靈草、近歳始出倭國云々、或傳、南蠻國有女人淡婆姑者、患痰疾、積年服此草瘳、故名ト、此書ハ朝鮮ニテ、何人ノ撰ト云事ヲ知ズ、相國寺白長老ノ從子ニ、松村昌庵ト云老人アリ、先子ノ舊キ門人ナリ、タダコノ一段ヲ寫シテ傳フ、全部ハ何ホドアルコトヲシラズ、對州ヨリ携ヘ來ルナルベシ、予〈◯伊藤長胤〉弱年ノ時ニ寫シヲケリ、コレヨリ淡婆姑ノ名世ニ弘リ、比日市店ヲ見レバ、招牌ニコノ字ヲ書ケリ、近年清人陳淏子ガ花鏡一套東來シ、金絲烟、擔不歸等ノ名、サマ〴〵ノセヲケリ、擔不歸モタバコノ唐音トミエタリ、又行厨集ヲミレバ、蔫ノ字ヲ書リ、是モ日本ニテ、マキノ木ヲ槇トカキ、ム ロノ木ヲ榁トカクト同キコトニテ、煙ノ音ヲカリテ草冠ニ從ヒ、蔫ノ字ヲ用タルトミエタリ、コノ外近年ノ本草ノ末疏ニハ、種々詳ニ載ヲケリ、又嘗テ記ス、唐詩紀ノ内、李白ガ詩ニ、相思如煙草、歴亂無冬春ト云リ、相思草ト名クルハ、コレヨリ出ルニヤ、偶然ニ符合セルニヤ、李ガ詩ハ本ヨリ烟ト草トノコトナリ、

〔煙草考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0545 震軒云、烟草初至于本邦、人不其正名、只以番名稱焉、鉅儒宿醫、或以爲莨菪、或以爲然、是非不一、信疑相半、近世漢舶、載來本草詷診、人讀之、初識煙草之名也、其後諸書續至、益知烟草非莨菪也、

〔長崎夜話草〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0545 長崎土産物煙草〈◯中略〉 此草は、日本の東方にあびりかといふ國あり、此國に一人の美女あり、名を淡婆姑(たんばこ)といふ、國中の男子、此女を戀したふもの甚多かりし、死せし後まで世になつかしむ人多くて、ある時一人の男子、此墓に詣でしに、秋の日早く暮にければ、其儘にて通夜せしに、夜更て甚飢たり、仍そのあたりを探りみれば、草のかうばしきあり、一葉をとりて喰ふに、飢忽ちにやみ、身温かに冷風肌を犯す事なくして、嶂氣を防ぐ事、酒を飮るが如し、此故に南靈草と號し、又は煙酒共いひ、あるひは相思草ともいへり、是より世界萬國に流布す、一度此煙を吸ぬる人は、是を忘れんとてしも忘るヽ事あたはず、相思草の名最なるかな、

〔おほうみのはし〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0545 延寳の帝、〈◯靈元〉煙草をよませ給ひける、蜑のかる藻にはあらねどけぶり草(○○○○)なみゐる人のしほとこそなれ◯按ズルニ、此歌近代世事談〈一飮食金絲烟〉ニハ、後水尾天皇ノ御製トセリ、

〔雅筵酔狂集〕

〈戀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0545烟戀ねられぬ夜むせぶ思ひにくらぶればきざみたばこ(○○○○○○)のけぶりうす色

〔昆陽漫録〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0546 絲煙(○○)前年或人西土のきざみ煙草一包を惠む、その包内の小票に云く、福建陳元禮、向在浦城西關馬頭開張、特選上々項葉佳制生烟、發販四方、味甘絲明、色鮮觔足、向有異路低烟、冒稱浦城者多、但買者眞假難辨、今本號特設包内小票、凡賜顧者、請認富有圖記、庶不冒稱、眞假辨矣、謹白と、何處にても後世はことみな便利なるを好むなり、且そのきざみ甚だほそきゆゑ、絲煙と云ふなり、

〔蜀山百首〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0546 戀うづみ火のしたにさはらでやはらかにいひよらん言の葉烟草(○○○)もがな

〔嬉遊笑覽〕

〈十上/飮食〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0546 一種嗅たばこ(○○○○)と云もの有り、其器物紅毛の細工にて、犀角瑪瑙などに金銀を飾り、精巧に造れる物あり、〈其形圓扁にして、昔の薄き鬂水入の如く、蓋は蝶つがひなり、〉

烟草傳來

〔蔫録〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0546 附考並餘考玄澤氏曰答跋菰(タバコ)之傳種乎歐羅巴洲也、距今不甚遠矣、〈◯中略〉古老相傳、此物傳於我邦、在元龜天正際(○○○○○)、顧是波爾杜瓦兒(ポルトガル)人所傳、何者按白石先生采覽異言、西蕃之來、自波爾杜瓦兒國始到于豐之神宮浦、實爲天文十年辛丑秋矣、十二年癸卯、又泊于多禰島、爾後來我西鄙、歳歳不絶、元龜元年庚午春、至肥前國、求以互市、置場於彼杵海口、今長崎港即此、由是觀之、其初傳之、果波爾杜瓦兒國人、而在元龜天正之際者、可以知也、

〔落穗集追加〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0546 多葉粉初りの事問曰、世上の貴賤上下共にもてはやす多葉粉の義は、上古來は無之物にて、近來のはやり物に有之由、其元には、如何聞き被及候や、答曰、我等若年の比、或老人の物語り仕るは、多葉粉と申者は、古來は無之所に、天正年中(○○○○)の切支丹宗門と申事の世に廣り候時節より、多葉粉も初る也、然ば元來は無之所、南蠻國の土産の草抔にても有之や、〈◯下略〉

〔大和本草〕

〈六/民用草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0547 烟花〈◯中略〉 日本ニ初テ來ルコト、天正ノ初年(○○○○○)ナルベシ、或曰、慶長十年(○○○○)初テ來ル、

〔和漢三才圖會〕

〈九十九/葷草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0547 煙草〈◯中略〉按煙草天正年中(○○○○)、南蠻商舶、始貢此種、〈◯註略〉以植於長崎東土山

〔奧州會津四家合考〕

〈十二/附録〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0547 會津舊事土苴考〈釆摭於先輩略記者之土苴、而不其虚實載焉、以備後之博覽矣、〉第百八代後陽成院 慶長四年(○○○○)〈己亥〉 此年、〈◯中略〉莨菪始用焉、

〔武江年表〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0547 慶長十年(○○○○)乙巳、南蠻よりタバコ蕃椒(たうがらし)を渡す、長崎にて櫻馬場へ、はじめてタバコを栽る、〈一説天正中、蠻人持渡るともいふ、〉

〔地方凡例録〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0547 田畑名目之事附四木三草莨菪始之事一莨菪は、三草〈◯紅花、藍、麻、〉には非ざれ共、倭漢高卑共是を嗜、三草に續たる物也、元蠻國に生じたる由、本朝へ種草之渡たる始は、慶長十乙巳年、南蠻國より肥前國長崎へ種渡り、同所櫻之馬場へ作り始、其後海内に廣まり、今國々に名産有、併禁庭柳營には不之、諸侯方に而も賓客招請には用ゐざる事なり、

〔北窻瑣談〕

〈前篇二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0547 一後世などはだん〳〵諸國の通路ひらけ、産物器物等迄も多くなれり、或人の話に、煙草は慶長十年、南蠻國より種を渡せり、漢土へ渡れるも大抵同じ頃とぞ、始の程は火災のおそれありとて、官よりも禁ぜられしかど、其禁終に破れて、今にては飮食につぐものとなれり、漢土も始は禁ぜしに、其禁破れたりとぞ、味の美なるにもあらず、酔て面白きにもあらず、腹滿るにもあらず、何の事無きに、かくまで人の好めるはいかなる故とも知がたし、

〔慶長日記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0547 慶長十二(○○○○)丁未二月、此比たばこと云事はやる、是は南蠻ヨリ渡と云々、〈廣草葉を刻、火ヲ付煙をのむ、〉

〔嬉遊笑覽〕

〈十上/飮食〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0547 煙草は慶長十二年の頃はやりて、其種を長崎櫻の馬場に植しとかや、望一千句に、たばこやも君の御恩や思ふらん治れる世の末も長さき、或書に、其頃の日記に、此ごろ多葉粉と いふことはやれり、是は南蠻より渡りたりといふ、廣き草の葉をきざみ、火をつけて烟をのむなり、

〔煙草考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0548 芝峰類説曰、淡婆姑、草名、亦號南靈草、近歳始出倭國、震軒曰、謂煙草出倭國者誤也、蔣氏詳説、西洋人得其種於東洋、通震旦以傳日本琉球、此説甚明矣、

烟草禁制

〔慶長日記〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0548 慶長十四己酉年卯月、一此比荊組、皮袴組とて、徒者京都に充滿ス、五月中搦取之、〈◯中略〉依此儀たばこ法度也、右の徒者も、たばこより組ニ成と云々、きせるを大にして、腰にさし下人にもたせ候、 七月、一たばこ法度之事、彌被禁、火事其外有費故也、〈◯泰平年表爲七月十四日

〔安齋叢書〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0548 烟草集説腐纜集〈俳諧師立志著〉曰〈◯中略〉條々一たばこ吸事被禁斷畢、然上は賣買者迄も見付輩は、雙方家財を可下也、若又於路次見付候に付ては、たばこ并賣主を所に押置可言上、則付たる馬荷物以下、改出すものに可下事、附於何地もたばこ作べからざる事右の趣御領内へ、急度可相觸候、此旨被仰出者也、仍而執達如件、慶長十七年八月六日

〔武家嚴制録〕

〈二十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0548 一たばこ作并賣買御停止札條々一たばこ作者、町人は五十日、百姓は三十日、自分兵粮にて籠舍たるべき事、一同賣買候もの同前之事 一同作候在所者、爲過料、百姓壹人に付て、鳥目百文づヽ可出之事、一同作候所々代官、爲過錢五貫文出すべき事、〈◯中略〉右條々堅所仰出也、仍下知如件、元和二年十月三日 安藤對馬守土井大炊頭酒井備後守本多上野介板倉伊賀守

〔梵舜日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0549 元和四年六月十七日甲戌、タバコ賣者共、伊州〈◯板倉伊賀守〉ヨリ俄改、數十人取搦、雜色ニ申付奉行也、

〔落穗集追加〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0549 多葉粉初りの事問曰、何れの御代の義に有之や、多葉粉を作る義、諸國共に御法度被仰出、御城内にては、多葉粉を給る義、御制禁堅被仰出と申觸るヽは、其通りの義にて有之や、答曰、我等承り及候は、多葉粉御制禁の義は、台徳院様〈◯徳川秀忠〉御代の義に有之由、多葉粉作り申間敷旨、諸國へ被仰出を以て、向後御城内に於ては、多葉粉給る義、堅御法度被仰出るヽ由、其砌之義にも有之候哉、御城にて御番衆の湯呑所へ各々寄り集り、多葉粉を呑被居るヽ所へ、土井大炊頭殿御老中の節、ふと御越の義有之、何も驚天被致、手ん手に多葉粉道具を取りかくし候を、大炊頭殿見給ふに付、御番衆に、其御ふすまを立て被申候様にと御申、則著座有りて、只今何れもの呑れし物を、我等へも振舞れ候様にと御申され候へば、何れも迷惑被致、兎角の挨拶無く、赤面の體にて居られければ、達て所望に付、無是非袖の中より多葉粉入きせる抔取り出して差上られければ、大炊頭殿被取て、二三ふくも御 呑み、不存寄珍ら敷物を給べ、過分也とて座を立て又立かへり、今日の義は、手前も各も同前の事なり、重てより必御無用也、御上にて殊之外御嫌ひ被遊候事に候へば、此以後は無用にと御申有るに付、其段内々にて入申送となり、其以後湯呑所の多葉粉、ひしと相止むとなり、

〔翁草〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0550 當代奇覽と題せるものにあらゆる雜談有り、十が一爰に拾ふ、寛文の頃迄有し古老の云く、〈◯中略〉大猷院殿〈◯徳川家光〉御代に、烟草は世の費也とて、堅く御停止に成、江戸町々烟草狩を仰付られ、日本橋の傍に矢來を結、江戸中のきせるを其中へ取捨る、夥敷事云計なし、如此堅御法度なりしが、其後間もなく破れぬと老翁の語き、

〔本朝世事談綺〕

〈二/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0550 烟管元和元年六月二十八日、天下一統に多波古御停止ありける、そのころ白木屋といふ者、柳原の封彊を通るに、つかれたる乞食の、菰の下にしのびて、たばこを呑を見る、渠がおもふは、かくきびしき御停止に、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001dc9f.gif につきたる者だに、これを捨得ざる事、かほどに世の人好むなれば、近ほどにゆるやかならん事を考へ、江戸京大坂の捨れるきせる、其外たばこの器の、當時用だヽざるを買求め庫に納む、はたして程なく此禁の弛けり、時に右の器物を賣て、大きに利を得て、富有と成りて今に榮ふ、

〔本朝世事談綺正誤〕

〈器用一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0550 烟管按るに程なく御制禁の弛けりといへるはひがことなり、ひと度御禁しのありしより、今に御免はなきを、つき〴〵ことゆるやかになりもて行しなり、そがゆへにきせるのみ、御用とて名のれる職はあらず、今兩國に村田屋といへる喜世留〈◯留下恐脱職字〉も、御飾御用といへるとぞ、また白木屋の事、俗間に傳ふる所のもの、本文にかはれることなし、今現にかの家の印に、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/S01000000322.gif此なるものをつくるは、きせるをもて、ふたつうちちがへたるかたちを、かたどりたるものといへ り、◯按ズルニ烟草百首ニ、上文白木屋ノ事ヲ載セテ、此れ甚非なり、元和の頃は、下ざまにてきせるを用べき筈なし、羅山文集に合て考べしトアリ、

〔煙草記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0551 禁免或書にいはく、日本元和寛永のころ、天下に令して、たばこをうゆることを禁ぜしむ、然れども止ことをゑず、つゐに茶酒の上にたつ、

〔原城紀事〕

〈十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0551 小笠原右近大夫、捕賊僞將山田右衞門作、致之信綱、〈◯松平伊豆守〉右衞門作、素爲良民、未嘗與賊通https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif 謀、住口津村、及事起、賊捕其妻子質不已從賊、陽爲其用、欲釁干https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001bcd2.gif 其罪、〈◯中略〉信綱携右衞門作還、畜諸邸中、密撿教匪殘黨、時都下屢失火、毎多延燒、信綱邸、嚴禁喫烟、有邏所卒竊喫烟燋其席、信綱處之斬、且曰、非其尸、未人心、而邸中無尸、則使右衞門作描其始末、掲之邸中稠人所、〈◯中略〉右衞門作、更名古庵、以西洋畫世、

〔嬉遊笑覽〕

〈十上/飮食〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0551 慶安四年辛卯町觸に、烟草呑候處、家内ニ定め置候て、其場所より外にて、たばこ呑ざる様可仕事、

〔徳川禁令考〕

〈四十四/烟草作業〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0551 寛文七未年閏二月十九日本田畑にたばこ作候事停止、野山は不苦旨、覺於諸國在々所々、本田畑ニたばこ作候事、自今以後可止之、但野山を新規〈ニ〉切起〈シ〉作〈リ〉候儀ハ不苦候、右之趣、各御代官中〈江〉堅可申付候、以上、〈未〉閏二月十九日

〔常憲院殿御實紀〕

〈二十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0551 元祿六年十月、此月令せられしは、東西内外の下馬所にて、煙草喫べから ざるむね、前々令せられしに、このころ犯すものあり、東は保科肥後守正容が邸邊、西は牧野備後守成貞が表門邊まで、小人目付して見廻らしめ、煙草用ふるものあらば、其主の姓名をも聞糺さしむべしとなり、

〔常憲院殿御實紀〕

〈三十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0552 元祿八年十月二日、町奉行に命ありて、所屬の與力をして、晝夜ともに途上にて煙草喫ながら往來する者あらば、見及ぶまヽにいましめしむべしとなり、

〔徳川禁令考〕

〈四十四/烟草作業〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0552 元祿十五午年十二月たばこ作之儀、當年迄作り來候半分可作事、覺前々よりたば粉本田畑〈ニ〉作〈リ〉間敷旨、度々相觸候得共、連々たばこ大分作出し候、來〈未〉年たばこ作候儀、當年迄作來候半分作之、殘半分之處ニハ、土地相應之穀類可之候、若相背輩於之ハ、可曲事者也、〈午〉十二月覺相觸候書付之通、御料ハ奉行御代官、私領ハ地頭より申付候、當年迄たばこ作候、前々町未〈◯町未恐作來誤〉候高書付、其内半分たばこ作候様申付、殘半分ハ穀類作〈リ〉候様〈ニ〉申付候段書記之、來年二月迄之内、御勘定所へ可差出候、且又穀類可作之所々、種不足之所ハ、奉行御代官地頭より種之儀申付之、田畑荒ざる様可致候、以上、〈午〉十二月元祿十六未年十二月〈申〉年多葉粉作候儀達 覺一來〈申〉年多葉粉作候儀、當〈未〉年之通、去〈午〉年迄作〈リ〉候高之半分作之、殘〈ル〉半分之所にハ、土地相應之穀類可之候、若相背輩於之ハ、曲事たるべく由、御料ハ奉行御代官、私領ハ地頭より、急度可申付候、右之趣、此方より可申通由、御老中被仰候間如此候、去冬御觸書之通、無相違様〈ニ〉可申付候旨被仰出候、以上、〈未〉十二月 永井伊賀守松平伊豆守丹羽遠江守萩原近江守

〔享保集成絲綸録〕

〈二十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0553 享保六丑年六月一御祭禮〈◯江戸山王祭禮〉御供之者共、〈◯中略〉御曲輪之内ニ而、烟草一切給申間敷候、

〔和漢三才圖會〕

〈九十九/葷草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0553 煙草〈◯中略〉和漢煙草、凡同時始矣、初出海外、後傳種https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/000000019f58.gif 州泉州、今處處有之、葉大於菜、開紫白細花、葉老曝乾、細切如線、大明崇禎十一年令云、有私販煙酒通外夷者、不多寡梟斬、由此觀之、則大明季人最貴之〈當本朝寛永年中〉矣、往古無煙草、而莫足、多吸之亦不一匊糧、費田圃穀類、故呼曰貧報草(ビンボウクサ)、元和寛永之比、天下令禁之、然不止、竟以立於茶酒之上、不嗜者百中唯二三人耳、雖小毒、多嗜者亦無害矣、〈阿蘭陀朝鮮琉球人、亦皆嗜之、〉

〔閑際筆記〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0553 近世烟草ヲ嗜コト愈衆シテ、之樹ル者モ亦多、最良田美地不限、所以穀少ナリ、夫酒ハ天ノ美祿、羞https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001aea7.gif祀、人ノ爲ニ歡ヲ合ス、如闕ハ、聖賢猶コレヲ彜トセズ、或之ヲ制止ス、而ヲ況 ヤ煙草ニ於テヲ乎、君子如何ゾ是ヲ禁ズルコトノ晏乎、

〔春波樓筆記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0554 夫タバコの大害は、田畑を損ず、又火災の患、此の微火より發る、屢禁ありと雖も敗る、戻る事なき術あり、今よりして小兒に之を吸はしむべからず、若禁を背く者あらば、父子をして共に死罪にす、大約三十年四十年にして、漸々止むべし

〔宇佐問答〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0554 或云、天下の奢美故、諸士の用不足にて、年々に高めんになりぬれば、百姓も地の者計り作りては、年貢にまどふ故に、烟草を作りて商人へ賣、年貢の足しとす、御たばこに塞ぐ地計りも、日本國中を合せて、近江程なる大國、二三ケ國は空しからん、それにかヽりて過る者は、皆々遊民也、烟草の道具に費ゆる竹木銅鐵やきもの、其外あげて數へがたし、煙草きざみになりて世を渡る者計りも、三萬餘人あるべしといへり、烟草を作らぬやうに、それに懸りたる者共もいたまぬ様に、五六年程に御止めなされたらば、此一色にても日本の國々廣くなり、諸人ゆる〳〵と可仕候、此御仕置計りにても、奉公人は多くなり侍らん、其なされやうは長々しければ略しぬ、

〔我衣〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0554 寶永ノ比、鶴ト云名高キ比丘尼アリ、〈◯中略〉宿ハ神田ニテ、同店ノ裏ヨリ出火アリケリ、〈◯中略〉御吟味有ケルニ、一人彼鶴ト申比丘尼、朝クハヘギセルシテ、廁ヘ行タル由申上ル、彼鶴ヲ召シテ、右クハヘギセル致セシト申者ト對決ニ及ブ、鶴申ヒラキ成ガタクシテ火附ノ科ニオチ、火罪ニナリタリ、〈◯中略〉前々ヨリ往還并門外クハヘギセル御停止ニテアリケル、可愼々々、

〔見た京物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0554 町々掛行燈或は張紙に御法度たばこの火出し不申候くはへぎせる無用とあり 乞食集りて、摺火打にてたばこのむ、呵る體なし、

〔新増犬筑波集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0555 にが〳〵敷もたうとかりけり皆人のまいるやふきの塔供養たばこ法度の春の山でら當世ふきのたうをたばこの代にのむ故なり、逢著僧房款冬花といふ詩もあり、

烟草産地

〔毛吹草〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0555 山城(○○) 刻多葉粉 花山多葉粉  伊賀(○○) 多葉古  丹波(○○) 野々村多葉粉  肥前(○○) 白多葉粉

〔本朝食鑑〕

〈四/味果〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0555 煙草〈◯中略〉今諸州多産、攝州服部(○○)之産、葉色赤黄赤黒、有奇香異味、爲當世第一、和州吉野萱村(○○○○)之産、亦葉色赤黒、有異香美味而次之、此兩品倶競美、其氣不烈不弱、多吸不口舌、最少膠脂、泉州新田(○○)之産、亦有佳香、然氣弱者香多、氣烈者香少、亦次之、甲州之門前(○○)、小松(○○)、信州之和田(○○)、玄古(○○)、上野州高崎(○○)之産、葉色或赤黄、或黄黒、亦有異香、而不相劣佳品、就中氣最烈者、丹之周山(○○)、甲之石火箭(○○○)也、常之赤土(○○)、世人有儘賞者、然味重氣濁、而不佳、肥之長崎(○○)者、雖煙草初起之地、其産葉色黄青、氣柔薄有臭、而不用耳、

〔大和本草〕

〈六/民用草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0555 烟花〈◯中略〉 初山州花山ニ刻ミウル、花山タバコ(○○○○○)ト云、又吉野(○○)ニ植フ、後ニ丹波(○○)ニウフ、

〔和漢三才圖會〕

〈九十九/葷草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0555 煙草〈◯中略〉備後備中、及關東多出之、今攝州服部之産爲第一、泉河新田次之、上州高崎、和州吉野、甲州小松、萩原信州玄古、薩州國分、丹波大野、皆得其名者也、

〔烟草百首〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0555 これ〈◯和漢三才圖會〉正徳二年の印本にて、いまだ此頃は常州野州の産は著ざるなり、本朝 食鑑に、水戸赤土の産を著、然る時は天正の頃、タバコ島より渡て、大隅國囎唹郡國府へ植、又慶長頃、西洋の種を長崎へ栽しものか、其後丹波の笹山、攝州服部、和泉河内、及中國筋、信州埴科郡、甲州小松、上州山名館、奧州邊迄、諸國種せざるといふ事なし、野州常州(○○○○)は、遙後年の産地なり、江戸にておほく吸へるところの、武州秩父(○○)の名葉出初しは、四十年以來、又信州生坂(○○)は、三十年にたらず、昔服部を第一の名産とすれども、あじはひ辛烈故、今は國府(○○)を極上品となす、芬郁なるが故〈價も高し〉なり、和柔(やはらか)を好めるものは館を良とす、辛とも香氣を好者は舞留を上品とす、

〔烟草百首〕

〈頭書〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0556 烟草諸國名産大隅〈囎唹郡〉國府 砂走 車田 武元 龍王 伊勢ケ屋舖 砂ケ町大隅の名産にて諸葉の最上とす、薫り高く風味佳、國分寺の境内に産する葉、勝れて美味也、其故に國分の名あり、産する地聊なる故販賣するに足ず、皆囎唹郡の内より出る、薩摩の産といふは誤也、島國府と云は、薩摩の國の部也、葉形も賤く下品とす、一體此國暖なる故、中春種蒔、夏土用明頃曝乾、初秋には江戸へ積出、故に葉に粘脂なく、火を點ずるにうつりよく消ざるを賞す、三四年圍置、古葉(ひねは)になる時は薫り勝れて美也、價高し、葉に力ありて、細刻するに碎けざる故髢(カモジ)たばこの名あり、長崎は初て栽し土地なれども、至て下品なり、日向の葉形に似たり、攝津〈島下郡〉服部 塚脇 西河原山城〈乙訓郡〉石津 丹波〈桑田郡〉山本國府に續きたる名葉にて、奇香異味國分舞留美を競、然といへども此葉甚辛烈(きつき)故、人是を好ず、近來弱和(やはらかき)を吸所似(ゆゑ)なり、上を留葉(とめは)と云、〈至てきつし〉中を舞葉(まいは)と云、下を薄舞(うすまい)と云、上土地に産すれば、葉に力なくとも薫有、畠地へ産するを上品として俗に舞と云、田地へ産するを下品にして服部(はつとり)と云、下品なるは火を點ずるに忽滅、都て我國は、何地にても田へ産る烟草は皆下品也、稻を耕すに聊障なし、舞留上中下の葉、ともに五年七年の古葉を賞美す、殊に止葉は數年圍置しを上品とす、氣味辛といへども香氣強、口中清潔にして水を嗽がごとし、薫〈◯橘〉考るに、中葉未熟せずして枯萎する者味薄けれども芬郁也、これを舞と云、〈葉の表横莖に搦みて見ゆ〉中葉下力なきを婆娑(ばさ)と云、俗にばヽアとも云、舞といふ名あるによりて、姫の老たる意なるべし、〈◯中略〉烟草は味辛く氣温にして毒ありと、諸書に見ゆれども、一體異國の烟草は、葉に力ありて辛烈(からき)故に毒多し、東洋の烟草は人命を助るほどの能あるが故に、又毒もあるべし、我邦のたばこは、能もなく毒もなし、明和安永の頃までは、辛を上品とせしが、近來作方肥を撰み、和柔に乾晒す、中にも館は葉に力ありて、和らかなる名葉なれば、日本の中にても、江戸の烟草は名産なり、都て關西の品はきつく、關東は和らかなり、蠻國にても東洋は勝れて、西洋は劣といふ、唐土にても閩の産は上品とす、燕の産は中品、浙江石門は下品なりといふ、〈◯中略〉

〔烟草百首〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0557 烟草至て好る人旅行の時用る、五町烟草(○○○○)の取合は、野州馬頭山の最上の油脂の深きに、秩父薄邊の脂つよき葉と等分に合せ刻、道中は度々つき替ことを厭へば、右の烟草に火を點る時はきゆることなく、きせるに息をいれざれども、五町が間滅ざるを奇とす、前にもいへるごと く、秩父館大山田は、脂ふかしといへども、和らかき事餘葉のおよぶ所にあらず、是を五町烟草といふ、又曰、館大山田(○○○○)、脂ふかきは至て汐風を嫌ふ、もし汐風あたる時は、きつく脂臭くなるもの也、遠國へおくるにも心得ざるときは、東都の名産もほいなく、餘國の葉にも劣るべし、一ケ年の内に、諸國より江戸へ來る烟草の高、大概を左に記す、最江戸近在へ贈荷物聊出る有、又諸國より呑料の葉江戸へ入あり、これを差つぎて凡を見る、國分舞留下り物十四萬八千斤餘 上州秩父館百六十萬斤餘 水戸下野大山田二百十六萬斤餘 甲州其外諸國三十萬斤餘 水戸下野奧州切粉百六十五萬斤餘 信州切粉百五十萬斤餘都合七百三十五萬八千斤餘大概の積、人數百十餘萬人に割付て見る時は、一人に一ケ年六斤六分八厘九毛餘、是を以て之を見る時は、百中喫ざる者、唯二三人といへるも宜なり、常州水戸領赤土年員は、寛文の初より烟草を植けるに、元祿の末は盛(さかんなり)し、其斤高左に記す、常州 畑千百五十八町七反二畝五歩〈畝二十五斤積〉百七十三萬八千八十斤餘、下野 畑三百十五町七反九畝二十八歩 四十七萬三千六百八十斤餘合テ二百二十一萬千七百六十斤餘右は元祿十五午年、常州野州兩國にて種する所也、其内近國及上方筋へも登すことなり、この頃は切粉にては出ず、全葉のみなり、〈當時より見る時は半にも足ず〉然處作方盛にして、米穀の妨ならんと、元祿十七〈◯七恐六誤〉未年より、半減の作方仰付らる、紀州勢州兩國にて 畑八百五十二町八反四畝 百二十七萬九千二百六十斤餘攝州服部の地 畑二町九反二畝歩 四千三百八十斤餘 尾州 畑百五十三町八畝歩 二萬三千七百斤餘濃州 畑百二十三町八反歩 一萬八千五百七十斤餘江州 畑一町八反歩 二千七百斤餘肥前基肄養父兩郡の内 畑一町四反歩 二千百斤餘右聊の地所たりとも、午年より半減の作方なり、その後諸國新田開發し、烟草を種することおびたヾし、當時に至りては、國々の葉筭るに遑あらず、

〔雍州府志〕

〈六/土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0559 多波古〈◯中略〉 多波古、山城州山科華山(○○○○)、攝津州服部、丹波新田、河内、和泉新田産爲宜、悉賣京師

〔雅筵酔狂集〕

〈雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0559 たばこを人の來てさしの言の葉きれ口によしや芳野のたばこ(○○○○○○)一ふく

〔新編相模國風土記稿〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0559 山川名所國産附國中山海原野ニ産スル物ハ、〈◯中略〉煙草〈大住郡波多野庄村々ノ産ヲ、波多野煙草(○○○○○)ト稱シテ佳品ナリ、足柄上郡、八澤、菖蒲、柳川、虫澤、境、境別所、朸窪、松田總領、同庶子等ノ、九村ニ産スルヲモ、波多野煙草ノ佳稱ヲ負セリ、其内松田二所ノ産ハ、松田煙草(○○○○)トモ云フ、〉

〔善光寺道名所圖會〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0559 生阪莨御前生坂など、世に賞する其根元を尋るに、犀川の河上に、川並十三ケ村といふあり、其内の上生坂村にて製するを莨の上品といふ、慶長の頃、生阪稱名寺の禪僧、西國筋修行し侍りし砌、長崎にて煙草の種を得て持歸り、我菴室の庭に植て作りしより段々廣まり、異村にても多く作り出し、諸國へ運送して産物となりし也、今も其寺中に出來たるを上品とす、御前生阪といふは、上生阪村につくるをのみいふとぞ、

〔蔫録〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0559 土宜茂質〈◯大槻〉曰、近時煙草之盛也、我邦毎州至處不https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif 産、但其品類有好惡耳、〈◯中略〉如吾奧中所https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif 出、亦極多 矣、所謂登米郡狼(オイヌ)河原、鱒淵、岩井郡東山之保呂波、舞草、膽澤郡衣川、宮城郡國分之三十人街、皆上人口者、而狼河之長崎村、衣水之常法院、三十人街之杉下、其尤也、氣味芬香、不隅州國府煙、近時輸奧煙中最麤惡者於都下、奸商僞呼狼河原、懸牌販賣、故都人士、以狼河原凡煙、何其寃也、余郷之土産、以其素所https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif 知附記焉、

〔色音論〕

〈末〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0560 此ごろ世間には、いかなることやはやるらん、かたり賜へといひければ、〈◯中略〉さればしよてらも多けれど、ほつけのおてら御門跡、上手のくすし、もろはくと、丹波たばこ(○○○○○)に肥後ぎせる、くはんぜがしまひこんばるが、うたひは今のはやり物、

〔長崎夜話草〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0560 長崎土産物煙草 蠻人種子を持來りて、長崎櫻馬場(○○○○○)といふ所に植てより、普ねく世にひろまれり、此故に今も櫻馬場のたばこは、色も香ほりも他所とは各別なるもの也、

〔賤のをだ卷〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0560 其比は〈◯寛延年間〉女は、龍王、もきの類、男は館服部などを呑たり、今はうつりかはりて、もき〈至て和かく色は黄なり〉など呑む女は一人もなし、貴賤男女ともに、國府(○○)たばこならでは、呑ぬやうに成たり、

〔後は昔物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0560 彼萍也といふ隱居が云、近頃は薩摩國府といふたばこ、所々に見ゆ、火附のよきたばこなりといへり、其頃は和泉新田とて、白く黄色なるたばこを、女は多分のみたりと見ゆ、傾城もこれをのみたりと聞く、

〔南方海島志〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0560 八丈島(○○○)土産烟草、 頗ル佳也

烟草栽培/烟草製方

〔本朝食鑑〕

〈四/味果〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0560 煙草集解、煙草素自南蠻國來、移種于本邦、不六七十年、此苗叢生類蒚苣、莖高三四尺、葉似南星商陸而 長大、八九月開小花、莖頭簇簇、葩厚而淡赤色、略似石蒜紫苑之類、結子如桐實、而有稜黄色、七八月采葉晒乾、青變作赤黄褐色、而厚爲上、深赤黒而厚者次之、淡赤黒者、淡赤黄者又其次也、薄黄淡青而薄者爲下品、農家場圃多種之、以貨于四方、得利者不小、種之若種去年之田、則苗短葉微而薄、色淺味惡、故年年易田鋤新地而種則佳、略似瓜法

〔和漢三才圖會〕

〈九十九/葷草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0561 煙草〈◯中略〉按〈◯中略〉煙草二月下種五月移栽、摘去新芽蟲也、毎旦不怠、高三四尺、葉似商陸而長大、七八月采葉、覆藁筵https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001a6dd.gif 之、一宿取出、毎一葉繩如編成而晒乾、一夜露宿、復晒乾、則成黄赤色、擴皺收之、八九月莖頭出朶椏、開小白花赤色、略似紫苑花子、内有細子黄褐色、有小蟲而食其子、故能不蟲、則難其種

〔烟草百首〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0561 薫〈◯橘〉考るに、高三四尺とあれども、館大山田の類、豐作の時は五六尺に延、葉三十四五枚もつくなり、其地所にあひしものなるべし、國府安房葉龍王は、六月末に葉をとり、館は八月、大山田沼田の類は、九月末に葉をかくなり、國府は葉を掻ず、根本より刈、莖のまヽ乾し、黄赤の色つきし時葉をとる故、葉の莖形よく、駒の爪のごとし、

〔烟草百首〕

〈頭書〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0561 烟草和漢ともに禁むること、一體此草腴田にあらざれば味惡、これを種するに、若去年の畠に植る時は、則苗短く葉微にして、枯葉多く色淺、味宜からず、年々畠を易肥を入、新地に種する時は、則葉の實入よく、力ありて薫よし、至て地所を荒す草故、五穀の妨をなす、殊に日用一匊の糧にもならざれば、天下に令して、是を種することを禁ず、本朝は田地異國に勝れて、米穀は悉多、新地年々増、中にも常州水戸、武州秩父山は、田面少く畑地多、山々谷々、新地を開きてこの草を種するに、地所にあひけるや、季夏のころは、莖長さ五六尺に延、葉三十枚餘を生ず、初冬に至て、東都へ出し販賣するに、五穀に利を倍し、其國潤へる故、自然と盛なりしも愛度(めてたき)御代の驗なるべ し、

〔本朝食鑑〕

〈四/味果〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0562 煙草〈◯中略〉煙草有新葉、有去年葉者、或有二三七八年之陳葉、最宜者倶有之法、先用厚紙包封、重用油紙之、或柿澀紙、及用稻草薦而緊縛之、而收于桐匱、或磁壺中、及舊酒槽中亦好、其剉之法、氣烈者極細、氣柔者粗麁、不風乾、不火乾、不日乾、不水濕、不湯氣濕、不酒濕、不雨雪濕、惟自然半乾半濕爲佳、今市上販之者、脂于葉面、以其柔滑易細剉、然油臭熏咽、不之、最爲人、若甚乾甚濕難速剉者、酒水各半合、以筌帚輕輕點之則易剉、此爲急促、而不常用爾、

〔塵https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/000000018aa1.gif 談〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0562 多葉粉刻やうのかはれる事、我等二十歳頃迄は、五分切といふて、あらく刻を伊達にせしに、近歳は至て細く糸の如くに刻む也、四五年已來は、そのうへにこまかになり、こすりとかいふを賞翫す、刻むに押ゆる板をこまといふ、其こまの木口をすりてのみゐるやうに刻む事なり、

〔烟草百首〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0562 上州館秩父館大山田の土葉、江戸にて用ざる烟草は、大坂へ登事夥し、彼地にては土砂を箒、豐後葉を以卷、鐁にて切に、一日に壹人にて三四十斤切事也、細く猫の毛のごとく、手ざわり至て和らか、然れども油のしめりぬけざる故、快晴の日に干、能乾し、日を經て賣出す、甚油臭し、味も土葉なれば下品なり、唯和かにして火を點ずるによく、價賤しきを賞してこれを吸、關東の人、此油の匂ひを嫌ふ、鐁にて切工能せしもの故右に圖す、〈◯圖略〉

烟草利害

〔一話一言〕

〈十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0562 烟草ノ事世ハ末法ニ下リ、人ニ一ノ大病付ク、所以者何ハ、慶長元和ノ比ヨリ、烟草ト云妖草、異國ヨリ亘リ、人年々ニ賞翫シ用ルコト、日々ニhttps://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001a148.gif 也、無徳ニシテ失多トイヘドモ、風味ノ美ニ迷、此失ヲ顧ル人ナシ、聖人ノ世ニ此草出ナバ、五辛五戒ノ誡ヨリ堅カルベシ、第一座席ヲ穢シ、火艱是ヨリ起トイヘドモ更不厭、好マザルモノヽ氣ヲ破リ、剩體義ヲ不知、ケブリシタヽカニ吹カケ、呑ガラノ灰ヲ 吹出シ、菓子食物ニ入事ヲシラズ、ヒトヘニ己ガスケル心ニマカスルハ、サリトハアサマシキ愚人ト云ツベシ、イカナル好物トテモ、二六晝夜用ルコトナシ、此草ニ於テハ、片時ノヒマナク是ヲ用ユ、人四五人モ寄合トキハ、キリフカキ山中ニ居スルガ如ク、飢タル者ノ食ヲムカヘ、渇シタル者ノ水ヲ求ムルニ不異、甚見苦敷アリサマ也、若キ女兒法師ナド、責テ用ヒヤウノタシナミ、心付ベキコト也、是ヨリ名香ハ名ノミ殘リテ、惡臭世間ニ滿々タリ、著心ヲ厭事ハ三道一致ナレドモ、此草ニ於ハ、誰免トハナケレドモ、此失ヲ不尤、禪律ノ師モ甚是ヲ著スル所ニ、隱元來朝、是ヲ忌バ、彼寺計ハ禁ズルト見ヘタリ、ヤサシクモ心付ラレケリ、只物ハ見馴キヽナレシコトハ、誤事モ人是ヲトガメズ、此ニ痰淫ノ病有人、痰壺ヲサゲテ人ノ交ヲセバ、誰カ是ニ近付者アラン、然ニ灰吹ト號、痰ヲ吐事一人ニ限ラズ、數多ノ痰ヲ吐タメ、座中ニ是ヲ置、其匂ヒ已ニ糞土ニコトナラズトイヘドモ、好所ノ迷ニ是ヲ知ザル也、或時ハ堂社佛閣ノ靈場、談義講釋ニモ、半時一時ヲ堪ヘズ、火ヲ覓、痰ヲ吐、又ハ前後ノ人ノ衣類ヲ燒穢スコト、歎テモ餘リアリ、カヽル人ノ參詣ハ、惡業ノ種ヲ蒔ナルベシ、是末法ノ出來病ナラズヤ、辛事ヲ蓼葉ニ習、臭事ヲカハヤニ忘ルヽトハ是ナルベシ、又人ノ喰穢シタル箸ハ、イタク是ヲ忌嫌トイヘドモ、キセルニ於テハ、イカナル癩病瘡毒ノ者ノ痰咽ノ付タルヲモ更ニ不厭、是ヲ用テ樂トナスコト、アサマシキ迷也、業深止メ難キモノハ、責テ大分ノ無作法ヲタシナムベシ、一第一痰ヲ吐事一談義講釋ノ時不用事一呑ガラノ灰ヲ吹出時可心付事一食事ノ時、煙草出スベカラズ、尤呑ベカラズ事、一風上ニテ人ノ面ニ煙ヲ可恐事 一キセル掃除、人前遠慮ノ事、一上下トモニキセルクハヘ、コトワザ成ベカラザル事、一夭草飽マデネヂ入、永呑殊ニウヘラセ、度々痰ヲハキ、咄スベカラザル事、此外惡事數多有トイヘドモ、右九〈◯九或八誤〉ケ條ハ極タル罪業也、總テ威イカヽリ、續ザマニ飽マデ呑風情、見苦コソアレ、願クハ我子孫相續セバ、此書ヲ傳テ堅ク守リ、カヽル惡草ヲ手ニダモトルベカラズ、悲哉、此草ハヤリ初シ時、其比ノ明君、末代ノ失ヲ考思召、御法度堅仰出サレ、或時ハタバコ作リタル者ヲ籠舍セシメ、或時ハタバコキセル、辻ニサラシ燒捨、商賣人禁玉フトイヘドモ、此草ニ一度フレ、味ニ著シタルモノハ、命ヲ捨ルコトヲ更ニ不厭、御成敗ニカナハズ、切支丹ヨリモ止ガタク、依之ソロ〳〵高人ノ中ニモ用玉フ方出來ル、故ニ今ハ是ヲ嫌者アレバ、却テ希有ノ思ヲナセリ、鼻有猿ノ笑ヲ得ガ如ノ世トゾナリケレ、〈中略〉紀州笠寺ノ住僧、六十歳ニシテ煙草ノ惡ヲ知テ止ケリト、唐ノ蘧伯玉ハ、五十ニシテ四十九年ノ非ヲ知リ、今ノ住僧ハ、六十ニシテ、五十九年ノ非ヲ知トイヘリ、其國ノ大守、ヲリ〳〵彼寺ヘ御來臨トゾ、此守護モ煙草アナガチニ嫌玉ヘリ、彼御守殿ヘハ、常ニ戸ザシテ人ヲ入ザル處ニ、或人所望シテ拜見シケルヲリカラ、縁ノホトリニテカノ惡草ヲ呑ケル所ニ、三旬ヲ經テ、守護入セ玉ヒ、此所ニ太破己(タバコ)ノ息氣サカンナリトテ、忌玉ヒシト彼僧ノ語レリ、清淨ノ鼻ヘハ、一入惡臭ウツルベシ、〈下略〉明暦酉歳、武州大火ノ節、予ガ知人本郷ニアリ、淺草ヨリカケ付見舞ケレバ、亭主病人ニテ、疾家ヲ明退ケリ、亭主ノ伯父ガ家モ疾類火ニ逢、此處ヘ退來ル處ニ、ハヤ鄰マデ火移ケレバ、トク〳〵出ラレヨト申セドモ、イロリノハタヲ離ヤラズ、何ゾ尋ルテイニ見ヘシホドニ、イカヤウノ大切ノ物ヲ失ヒタルカト問ケレバ、イヤトヨタバコヲ一服呑タキトテ、キセルヲ尋ルトゾ答ケリ、モハ ヤ戸口マデ火ノ付ケレバ、早々出ラレヨトムリニ引立出シケリ、路スガラモ是ヲホイナク、予ヲ恨、セメテ一服ノマセザラデト云ツブヤキケレ、其後世モ靜ニ成、參會ノタビゴトニ、カノタバコノ意恨、今ニアリトゾ申ケリ、此者ノ嫁ハ、其日産後七夜ニ當リ、女房ハ眼病ニテ嫁モロトモニ下人ニ手ヲヒカレテ、行方不知ナリケリ、風ノハゲシキコト云バカリナシ、日ノ光モ見ヘズ、百千ノ雷ノ一度ニ落カヽル様ニテ、四方鳴ワタリシ也、カヽルヲリカラ、夭草ノ望、サテ〳〵思ヘバ、著心妄執ノ深草ゾヤ、其比ノ舊記、多ク家々ニ有ベシ、故ニ詳ニ記サズ、一歳淺草堀田殿ノ屋舖ニテ、鹽焇ヲハタクトテ、夭草ノ火移リ、四五人打殺サレ、江府カクレ無、響雷ノゴトシ、其時廣間ノ番人、朝請取ノ者遲參トテ、二人ノ内一人、屋舖ヨリ直ニ他出スルトテ、相番ヲ頼、代ヲ待ウケズ出ケリ、其以後ノ事也、番人科ニ行ハルヽ次第ハ、請取遲參ノ者ハ閉門也、他出ノ者ハ追放、請合ノ者切腹シケリ、常々カヤウノ頼ミタノマルヽコトハ多事ナレドモ、互ノ事トテ、弓斷スル也、吟味ノ上ニハ、カヤウゾト知ベキ爲ニ記置也、廣間番人ヘ、火ノ用心申付ベキ由仰渡ノ故也、近年大坂ニテモ鹽焇飛ケルモ、カヽルタバコノ故ナルベシ、カヽル惡事日々ナレドモ、夭草ノアヤマチハ、人トガムル者更ニナシ、御父上野守〈◯守恐介誤〉殿ハ、タバコ嫌玉ヒ、常ニ仰ラルルハ、無類ノ侍ヨシトイヘドモ、夭草ヲ含ヲ見テハ、無類ノタハケトコソ見ナセト仰ラレシト也、又御祖父ハ、タバコ初ハスキタマヒケレドモ、其後上ニ御嫌トテ、宿ニテバカリ用玉フ處ニ、或時念比ノ衆來、咄居ラレシニ、タバコヲ用玉フヲ見、此人ノ云、貴公ニ於テハ、御用有マジキ事ト申サレケレバ、其時赤面シ玉ヒ、其タバコヲ呑サシ、烟ヲ吹出シ捨、夫ヨリ堅ク御止リアリケリ、其一服ハ、吸ハタシ玉フベキ事ナルニ、誤ヲ改ハ、即座ニカヤウナルヲ手本ニナシタキモノト沙汰セリ、誤ヲ人トガムレバ、明日ヨリアラタメン、來月ヨリトテヲクル人ハ、一生アラタメザルモノ也、歴歴道ヲ論ズル人モ、此草ノ迷ニ於ハ、法ヲ破リカクレ忍テ用ヒ玉フ、況ヤ凡下ノ者ヲヤ、一切物ヲ 隱ス一念ノ起處ハ同事也、ハヅカシキ一念トゾ、是獨愼ノ人ニ非ンバ、是ヲ感得スベカラズ、凡飮食モ多中ニ、火煙ヲ以慰トスル事、末法惡世ノ印也、人ノ短氣短才ナルハ、皆火ノ情也、此一凶ヲ止ズンバ、往々彌火難燁ナラン、以上、〈◯中略〉或人ノ隨筆三卷中ヨリ抄出ス、此隨筆未作者名字、文中ヲ按ズルニ、元祿ノ比ノ人ニテ、明暦ノ火事ヲモ見シ人ト見ユ、

〔閑際筆記〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0566 煙草此ヲ多波古ト云、林羅浮、以本草ニ載所ノ莨菪ト爲ナリ、未知然ヤ否ヤ、大清人呉興沈穆ガ著所ノ本草洞詮ニ、稱之煙草ト爲、其言ニ曰、煙草味辛氣温毒アリ、寒濕痹ヲ治ス、胸中ノ痞膈ヲ消(ケシ)、經絡ノ結滯ヲ開、然ニ臟腑經絡、皆氣ヲ胃ニ禀ク、煙胃中ニ入、頃刻ニシテ身ニ周(アマネシ)、是以氣道頓ニ開通、體倶快(コヽロヨシ)、然ドモ火元氣ト共立ズ、人ノ元氣、豈此邪火終日薫灼スルニ堪ヤ、眞氣日ニ衰、陰血日ニ涸、暗ニ天年ヲ損ズレドモ、人不覺耳ト、竊謂洞詮ニ言所、略其能ヲ説ト雖、實ハ則人ヲシテ其毒ヲ知ラ俾(シメン)ト欲而已、豈須臾ノ快ヲ爲テ、終身之患ヲ遺哉、且夫人初テ吸之、眩瞀ザルコト鮮(スクナシ)、煙管ノ中ニ油煤アルヲ禽蟲誤テ甜之即死、峻烈如此、咸常ニ見所ナリ、曷洞詮ニ言所ヲ竢テ、而後多毒ヲ知哉、或人曰、豆醤能煙草ノ毒ヲ解、故ニ吸者病ヲ不成ト、然ドモ豆醬ノ力、安其峻烈ノ氣ニ克コトヲ得、銖積寸累、遂爲大患必矣、

〔本朝食鑑〕

〈四/味果〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0566 煙草近代瘍醫、煉生煙草葉膏、和腫止痛、或合白占以吮膿、最得奇效、是蕃國之流也、煙草之黒脂塞竅不通、則味噌汁鹽湯能通之、本邦之人、常飮噌汁鹽湯、故膠脂自不咽喉胃口也哉、〈◯中略〉葉氣味辛温有毒、〈實亦同、俗言食子墮胎、未詳、若然則得味噌汁鹽湯冷水之類、自可其毒耳、〉主治通胸膈、開胃口、拂鬱破悶、消憂解飽、固齒牙二便、利九竅皮毛、能令一身之氣而上下之、運轉之利之散之、若有熱湯病者宜之、發明、明順治年中呉興沈穆集本草洞詮、初載煙草曰、一名相思草、言人吸之、則時時思想不離也、味 辛氣温有毒、又論四功者詳矣、至於臟腑經絡、皆禀氣於胃、煙入胃中、頃刻而周於身、不常度、而有駛疾之勢、是以氣道頓開、通體倶快、然火與元氣兩立、一勝則一負、人之元氣、豈堪此邪火終日薫灼乎、勢必眞氣日衰、陰血日涸、暗損天年、人不覺耳、則能論煙草之害者亦詳矣、然煙草之煙氣、聚則薫灼有毒、散則發越無痕、今人人吸煙吐煙、漸至咽喉之間、不胃口而出、若有遺薫則時飮湯水噌汁、悉下降而去竭、故不氣火勝負之害者可知矣、加旃吸煙草之人得壽者多、不煙草之人得夭者多、是以亦可知、若自初不嗜者、不是非矣、附方、熱毒眼痛、〈用黒脂少許、以水點之、則止、〉剪刀誤傷、〈血出不止者、用乾煙草葉之、壓之而愈、〉

〔大和本草〕

〈六/民用草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0567 烟花〈◯中略〉 猿ハ好ンデタバコヲ食ス、犬ハ甚キラフ、物性各異也、蛇ニダバコノヤニヲツクレバ、忽色カハリテ死ス、

〔兎園小説〕

〈八集〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0567 文政八年八月兎園會京 角鹿比豆流筑前御儒者井上佐市より、京都若槻幾齊翁へ之書状奧に、怪談らしく思召さるべく候へ共、實事に付、爲御慰申上候、去る六月初、弊邑管内宗像郡初の浦と申す所の山圃に、煙草を作り置候處、何物かあらし候者有之候に付、百姓共申合、獼猴之所爲にて可御座候間、逐拂可申とて、數十人一山に入候處、獼猴五十餘群居候に付、扨こそと能々見候處、中に長一丈二三尺、圍一尺五六寸の大蛇を取り圍み、方に鬪居申候、猿ども口と手に、煙草の葉を持ち、蛇前猿にかヽり候へば、後猿蛇尾を曳、其鬪果しなき模様に御座候故、所之獵師、鳥銃にて蛇を打殺し申候、猴は火音に驚き逃去申候、猴共蛇の煙草を嫌ひ候儀を能く存候事驚入申候、〈◯中略〉其所は治下より八里計の處にて、うきたる儀にては無御座候、是は去年申七月の書状なり 七月念三

〔養生訓〕

〈四/飮食〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0568 飮茶〈烟草附〉烟草は性毒あり、烟をふくみて眩ひ倒るヽ事あり、習へば大なる害なく、少は益ありといへども損多し、病をなす事あり、又火災のうれひあり、習へばくせになり、むさぼりて後には止めがたし、事多くなり、いたづかはしく家僕を勞す、初よりふくまざるにしかず、貧民は費多し、

〔和事始〕

〈四/飮食〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0568 烟草慶長十年の比ほひ、始て日本に渡る、そのヽち諸人これを賞飮す〈◯中略〉今俗に飮食のうちにも、ことに酒、茶、烟草の三飮は、貴となく賤となく、智あるもおろかなるも、わきてこれを賞す、されば酒は毒ありといへども、少く飮時は、人に益ある事醫書に見えたり、ことに聖人もこれをすて給はず、茶は渇を潤し、煩膩を去の能あり、たヾ烟草のみ、益なく害多き事これに過たるものなし、俗輩奴婢のこれを吮は責るにたらず、士君子たる人の蠻國の俗をしたひ、身に害あるものをこのみ賞する事は、甚ひが事成べし、元和元年六月廿八日、將軍家より天下に命を下して、烟草を吸事を禁じ給ひしは、理ある御おきてなりしが、今其禁の弛げるこそなげかしけれ、

〔和漢三才圖會〕

〈九十九/葷草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0568 煙草〈◯中略〉南蠻流外科、青膏藥中、入煙草嫰葉汁、用能止痛排膿、止血殺蟲、凡藍及諸草葉生蟲者、以煙草莖汁之、猫犬蛇諸鳥皆惡煙氣、獨猿見刻煙草則抓食、凡人酔煙草者、啜未醬汁之、冷水亦可、

〔煙草考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0568 震軒云、烟草氣味辛、性熱有毒、諸家之説皆同也、〈◯中略〉其有毒、試以管中凝脂少許蛇口、脂之所至、肉色隨變、遂疆直死、田野人被蝮蛇噛、急揉青葉、絞汁塗患處即愈、永無遺毒之禍、或藏書以紙包葉、或莖置于卷帖之間笈笥之内、能辟https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001d25b.gif、最勝藝草銀杏葉及樟腦等、諸虫恐其毒此、亦嗜之者、朝夕起臥、采管不厭、雖甚有https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif 害也、其暗損天年亦不知矣、其過服雖穀肉酒茶平和之物、亦能爲害、其要只在之耳、

〔長崎夜話草〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0569 長崎土産物煙草〈◯中略〉 能は煙を吸て鬱氣を開き、氣力を益し、山嵐嶂氣を避け、冷濕を散ず、葉を書笈に入て、蠹虫を除く、脂は蛇毒を解し、虫齒を堅くす、金瘡に葉を付て血を止む、内障(とこひ)の眼、又は青盲に好といへども、いまだ其驗を見ず、又煙を吸て食を消すといふ、毒は、多く煙を吸ぬれば口中損ず、又上氣耳鳴に忌べし、眼病に可禁、但虚眼には忌ずといへども、多く吸ては、相火を助くる故に仇となるべし、常に多く吸ときは、呼息を暴くして、血脉進數なり、故に壽命を減ずるの恐あり、いはんや壯年血氣強盛なる人をや、痰喘の人可之、勞痎の病大に禁ずべし、胃火を生じ、心熱を壯にす、煙草の毒を解するの方、麥門冬、紫蘇子、瓜蔞仁、枇杷葉、甘草、已上五味等〈ク〉料〈シ〉如常煎じ、査を去て、砂糖一兩を入て服す、尤妙なり、

〔煙草記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0569 調法書物の間に、たばこをはさみおけば、しみさりぬ、

〔安齋隨筆〕

〈前編十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0569 煙草 烟草は古代なき物也、慶長の頃、蠻國より渡り來ると云傳たり、是を不好人は、毒物也とて、其害を論ずる人もあり、酒を多く呑人は、酒毒にて終に内損の病になり、或は吐血、或は浮腫、或は黄疸等にて死する人あり、烟草を好て烟毒に中り内損し、病を發して死したる人を不見不聞、然れば毒物に非ず、良物にも非ず、烟を吸て試るに、讀書寫字に而、心倦み氣鬱したる時には氣を運し鬱を開くを覺ゆ、食後に煙を吸へば、口中爽になるを覺ゆ、此外には何の事もなし、尤無益の物也、

〔閑田次筆〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0569 烟草は唐山も此方も、なべて二百年來、もはら人の嗜むものにて、一たび吸ては、忘れがたきゆゑに、相思草ともいへり、蠻國より出て世に弘まれるにて、本草備要などにも是を出し て利害を論じ、害は多く益は尠きさまに書り、然も極老まで嗜む人さしたる害もなし、おのれも亦此たぐひなり、例せば茄子は食物本草の類、害多きよしに記せれども、本邦には中夏の比めづらしとてもてはやすより、晩秋に至り、或は糠に漬しては終年喰へども、一人も此害をおぼえたる人なし、脾胃に馴ては害なきものにや、唐山の人の獸肉を常に喰ひて其害をしらず、かへりて本邦の米の美味に過て、泥滯をおぼゆるといへるに同じ、

〔蔫録〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0570 附考並餘考蓋此物〈◯烟草〉除惡氣、驅寒濕、通痰滯之類、僅僅三四功已、而其爲害者非淺鮮、如諸書所https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif 説矣、夫石匏氏、嘗論四功、余試定八害、按人身元與天地一橐籥也、天氣降、地氣升、人在其中、呼吸吐納、亦是清淨之氣也、其壽而靈、豈有它乎、而是邪火、日夜薫灼臟腑、而暗殘賊清淨之氣焉、其害一也、人之有飮食也、唯後天之氣是養、於是五味各有司、而如煙者、五味亡當、故多服、則其人頭痛目眩、卒然發病也、其害二也、酒曰禍泉狂藥、先王之大禮必將、茶曰偏味、廟堂以薦鬼神、今夫煙也、進不大禮、退不君父師前、只猥褻閨閤之物、而千金之價是競、其害三也、植煙草也、非腴地則不殖、通萬國之費稼地者、其壤殆大於公侯之國焉、且民情趍利、於是用力於煙草、而公田稍生莠者不少、其害四也、煙草之初生也、培養灌漑拂蠹蟲風露、其採也、曝乾修造、大妨農暇、其害五也、雖天下之大乎、則錦繡金銀之費於煙具者許多、恐王侯之服器爲之不給、其害六也、都會接宇之地、火制甚嚴、而必亡頼之徒、慢煙灰而失火者往々有之其害七也、老人小兒以煙管傷咽喉者、余嘗見十數人、是自煙草出後之患也、其害八也、八害中費腴地、妨農暇、賊人壽者、尤爲惡、〈◯中略〉余一日、訪苅屋侯醫官推元玄長、談次及之、〈◯中略〉主人又曰、予嘗歴見漢土朝鮮流求、及和蘭人所用之煙管、皆長管也、服之僅一二吸而止、嘗聞之古老、我古之製亦然也、距今三十年所有坂本製(バリ)、其管接續、而長及二尺餘、則煙氣之薫咽喉者、亦應稱疎乎、未短管競美、日夜不口者也、由是觀之、今之盛不亦怪乎、此説實與余所https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif 論符、〈◯中略〉余亦細考之、漢 土流求及朝鮮等、所用之管皆長、而其製亦不我邦屢改者、且也如和蘭人所https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif 用磁器而長管、其管頭通内之孔細小、而似煙氣、又有煙葉、先湯煠、而去其辛辣獰惡之氣、曝乾之數日、而後切爲縷、故其味至淡薄也、服之亦至一二吸而止、蓋彼方俗、凡百之制極精凝妙、有他邦之不企及、獨煙管不巧、只磁器而不改者、義取之于不頻服邪、又見瓜哇(ジヤワ)、韃而靼(タルタ)等煙管之圖、其長或及四五尺餘、夫他邦之管、用皆長者、爲其煙氣不灼藏府、而有瘴氣之功乎、其如是、而始可害已、嗚呼八害之論不行、則請別立一法、先長其管乎、而十日一換、以要管中不https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif煙脂已、〈◯中略〉庶幾世之嗜之者、亦當余之所懼者焉、天明壬寅之春、玄澤大槻茂質識、

〔北窗瑣談〕

〈後篇一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0571 備後福山の家中内藤何某といふ人、或時庭に出たりしに、烏蛇を見付たりしかば、杖もて強く打けるに、其まヽ走りて、草中へ入りければ、草の上より頻りに打て尋求けれどもつひに見失ひぬ、暫程へて、奴僕見當りて、草中に蛇死し居れりと告しかば、内藤出て杖もてかきのけんとしける時、其蛇頭をあげ内藤に向ひ、煙草の煙のごときものを吹かけヽるが、其烟内藤が左の目に當りて、蛇はそのまヽ倒れ死しける、内藤が眼俄に痛てはれあがり、寒熱出て苦惱言んかたなし、旣に命も失なふべく見えし程に、内藤煙草のやにの蛇に毒なることを思ひ出して、煙管のやにを眼中に入れしに、やう〳〵に腫消し痛みやはらぎて、一日計に苦惱退き、眼赤きばかりなりしかば、日々やにを入れたるに、五六日にして全く癒たり、其翌年其時節、又眼痛出したるに、色々の眼科醫の治療を施しけれども癒ざりしかば、蛇毒の事を思ひ出し、又煙管のやにを入れしに忽ち癒たり、二三年も其時節には必目痛みければ、いつも其後はやにを入れて癒ぬ、此事村上彦峻物語なりき、又云、蛇を打し人は助右衞門と云人にて、毒に當りし人は、その庭に居合せし内藤なりとぞ、

〔茅窗漫録〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0571 烟草 此物元來毒草にして人に益なし、性辛烈にして無病に津を生ず、津は一身の液なり、潤養せずして、反て枯竭する時は損あるべし、畢竟は少々鬱を開く能あるのみ、〈本草備要に、飽則易https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/000000017140.gifhttps://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/000000017140.gif 則飽と載せたれども、烟草のhttps://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/000000017140.gif 渇を救ひし事を見ず、〉

〔烟草百首〕

〈頭書〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0572 功能佗波古は、〈◯中略〉霜露風雨の寒を禦ぎ、山蠱鬼邪の氣を避、小兒食て疳積を殺し、婦人食へばよく癥痞を消す、氣血を廻し、二便を通じ、惡瘡を治す、〈◯中略〉大飮飽食して腹脹滿時、二葉を採、熱灰を其中に包、暫ありて腹の上を按(もむ)ときは、其脹即解す、〈◯中略〉煙草の水を絞て膏藥に入る時は、能痛を止、膿を吸、腐肉を蝕し肌を生ず、金瘡によし、皆人即時の血留にするを以、功能しるべし、葉色青緑なるを錫蒸(らんびき)にして、其露を採、硝子器に入置、金瘡惡瘡腫物一切にぬる時功有、又眼かすむ時は、眶にぬりて寢ときは、翌旦あきらかに見ゆ、きせるの脂にても妙なり、水腫には、烟草の末を香爐に焚、烟を呑、其水氣能消す、又吐劑にも用、粉を燻らし、これを齅ば嚏ことを止、灸治を嫌ふ小兒には、きせるの脂をとり、灸點におす時は蟲の病を去、大人にも功能あり、蛇蚖諸蠱此烟を嫌ふ、蛇の皮を剥、一葉を刺時は速に死、又これを薫しても宜し、きせるの脂口にいるヽ時は死、蚤虱蚊遣に用ゆるは、皆人の知る所なり、諸鳥犬猫、皆烟氣を惡、獨猿のみこれを好、又金魚などの病つきたるに、烟糞(ふきから)を集め、鱗をこくときは忽活、奇妙なり、烟草の實を食へば、胎を墮といふ、味噌汁鹽湯冷水其毒を解す、烟毒を解には、砂糖檳榔子よし、又多く服して酔て頭痛する時は味噌汁よし、なき時は生味噌嘗、烟毒方 麥門冬 紫蘇子 瓜蔞仁 枇杷葉 甘草〈右等分〉 砂糖〈一兩〉痔疾には、脂深き烟草の刻たるを丸め、肛門にはさみ居れば、忽痛を去、烟草の黒脂(やに)、竅を塞通ざる時は、味噌汁鹽湯奇妙也、和國の人は常に是を飮故脂の患なし、烟脂衣類につきたるには、瓜子仁を碎て洗ば即去、又味噌汁の熱にて洗ても忽散ず、又昆布を噛、汁をとりて揉あらうも又良といふ、

〔養生法〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0573 煙草煙草は其質を委しく論ずれば、害のみにして良とすべき所なし、されど今世界中追々盛に成て、貴賤に限らず、好嗜し馴たるもの、其害なきが如くなれど、馴ざるものは眼前に瞑眩し、咳嗽を發し、口舌を荒し、又胃の氣を弱らする事著し、煙草に種々有、嗅ぎたばことて、粉末にして嗅ぐもの有、喫み煙草とて、口に入て直ちに其葉を喫るものあり、又煙管もて只其煙を吸ふもの有、則我國の刻煙草、西洋人の卷煙草など此類也、西洋人の煙草をふくを見るに、皆只煙りを口に入て是を吹出すのみ、我國人の習はしは、氣息に深く引て腹の中に入、これを吐くに鼻より出す、されば西洋人にくらぶれば、其害尤多しといへども、年來のならはしにて、幸に其毒にあたる事なし、煙草は一二吹して、つれ〴〵を慰め勞れを忘るヽなど、其煙の口に入て一種の佳味を覺え、精神を鼔舞せしむるが故也吸ひ入ると吸ひ入ざるにはよらず、されど弱き葉は吸ひこまざれば功なきが如くなれば、強き葉を口中のみにて吹去る事とすべし、今俄に禁ずれば、又これが爲に害あり、年若き人は、つとめて呑ならはざる中に禁ずべし、豐城〈◯本書補注者山内氏〉云、煙草はもとより害多く益なき事、皆人のしる所にして、既に昔制禁せられしとかきけど、今は大やけにして制するものなし、されど旅行する人、道にいこふ程煙草一ふくに遠足の勞を忘れ、或は閑居のつれ〴〵を慰め、深窗に書見する人など、是をもて鬱を發し、 浩然の氣を養ふ、〈◯中略〉其なす所によりては、害ありとのみもいひ難かるべし、今時の人さのみ好まざるも、煙管の一具不揃は、事闕たる如く思ふより、つひに呑習ひて側をはなたず、されば若年よりよくいましめて呑さヾらしむべし、

烟草商

〔目ざまし草〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0574 考證雜話近頃ある人の話に、越後出雲崎、天正十七八年の頃の撿地帳を見つるに、たばこや(○○○○)何某といへる名を載せたり、されば古き事なりといひき、

〔人倫訓蒙圖彙〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0574 菪莨屋(タバコヤ) 丹波吉野高崎新田、其外國々のたばこをかい、これをあきなふ、刻師此所にてかふ、きざみは大津柴屋町よりはじめしとかや、駒臺やあり、庖丁は堺よりいづる、黒うち三文字石わりよし、代二匁なり、

〔我衣〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0574 貞享年中迄、刻多葉粉、見世賣計リニテ、世利ウリナシ、葉烟草ヲ調ヘ、手前ニテ刻ムナリ、然レドモ若キ女中ナドノ類ハ、ヤニ深キヲキラヒ、刻ミタバコヤニテ、色合キナル和ラカナルヲ調ヘノミタリ、元祿年中ヨリ、刻烟草セリ賣出ル、箱圖ノ如シ、〈◯圖略〉夫ヨリ寶永年中ニ至テ、世利箱丁寧ニ致ス、其後元文年中、神田鍋町ニ、叶ヤト云、刻多バコヤ出ル、十餘人切子ヲカヽヘ、カツギ荷、六七荷出ス、江戸中ヲ賣弘メタリ、此時ヨリカツギ荷始ル、寶暦年中ニ至テ、スベテ刻タバコヤ、ニナヒ箱ニナル、

〔塵塚談〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0574 ガチヤ〳〵多葉粉賣の事、我等幼年頃は、〈◯寶暦年間〉藥簟笥のやうなる箱に引出しを附けて、引出しの中に仕切りを入、二行に刻多葉粉を入、蕨拳の鐶を引出し毎に附、肩へかたかけにして賣歩行けり、鐶がガチヤ〳〵と鳴により、其音を聞て呼入かひけるなり、此箱にて商ふもの、五十ケ年以前より絶たり、

〔賤のをだ卷〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0575 前に記す地紙〈◯扇面〉賣の歩行時分、きざみたばこやとて、是も小奇麗なる形をして、〈是は年ぱいの者おやぢなども歩行たり〉いくつも引出しを付たる、小簟笥様なる箱を脊負て、品々の刻たばこを入、商に歩行たり、是は不限〈◯限恐繼誤〉四季ともに家々を廻り、出入取付など出來て重寶なりき、地紙やと同じく、今〈◯享和〉はすたりて知る人もなし、

〔江戸町鑑〕

〈天保十五年版〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0575 新材木町〈里俗多葉粉河岸ト唱候場所有之〉

〔煙草記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0575 歌仙東風吹や赤柿色の長暖簾(○○○○○○○)柏子をそろへきざむ(○○○)七くさ◯按ズルニ、煙草記ハ、寶暦六年ノ出板ニ係ル、赤柿色ノ長暖簾ハ、烟草賈店頭ノ光景ナルベシ、

〔八水隨筆〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0575 多葉粉のひろまりしは、色々の書に様々記して見えたり、予が父弱年の頃、大坂高麗橋にて、唐人の裝束したる商人、竹のきせるにて、一ふく一錢づヽにて、人にのませたるよし常にかたりぬ、

〔還魂紙料〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0575 煙草の一服一錢此書〈◯八水隨筆〉の作者、姓名は詳ならざれど、江戸の士にて、享保元文中を經たる事、卷中に見えたり、其父の弱年の比といふは、承應明暦のころにやあらん、

〔尾張名所圖會〕

〈前編四/愛智郡〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0575 高倉結御子神社〈◯中略〉 本地堂に毘沙門天を安置せしも、今は社人の家に納む、しかれども例年正月三日には、當社の神供所にて此像を開扉し、諸人に拜せしむ、〈◯中略〉此日神前にて、きざみたばこ(○○○○○○)、或は飴にて作りし小判を商ふ、

〔商人職人懷日記〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0575 信州に涌出る金のべ澤の金山最中の時分、賑はしきに目とまり、よろづ見めぐるに、〈◯中略〉葉たばこは賣て、きざみ 賣なき故か、閙しき中に、手々に菜切にして、あたら莨菪を粉灰にするを、是はとおもひ寄、合口計殘りしを賣て、うすば一丁、たばこ一斤求めて、竹のはかり、石のおもりして、小屋々々を賣りあるく、

烟草雜載

〔梵舜日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0576 寛永五年正月一日癸亥、長三郞タバコ持來也、安田九郞兵衞筆一對、

〔羅山文集〕

〈五十六/雜著〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0576 佗波古希施婁雜佗波古丁香沈香黄熟香、方今細馬輕轎綺綾佩玉之薄倖郞、金雀銀麟翠https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/0000000185be.gif 珠衱之歌舞妓、朝遊于東阜、暮出于北野、必執此佗波古、以爲聲通意之媒、一吸一呑、必相酬酢、謂之何哉、闔國禽獸行而不知焉、穿穴隙之女、隘巷不撿之人、未之、於乎悲夫、

〔羅山文集〕

〈五十九/雜著〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0576 莨菪文奉水戸羽林君神農去久矣、吾邦五十易草木以前有一奇草自舶上來者、曝乾其葉剪抹燒之、以竹筒煙吸之、不其爲主治也、有損而無益、但爲幣爲費而已、然年引一年俗習不休、考諸本草則莨菪歟、焉知神農中七十毒時有此草否、倉公所用莨蕩、唐兵所餌毒飯蓋是乎、初試吸者多瞑眩、然及其盛行而無貴賤男女之者衆、故擇小竹良者筒通解谷、其本末或用銅鍮筒接之、遂至于作金銀筒、其末曲鉤形如牽牛花様、以盛抹葉、其本稍細、含之附炭火及燭火以牽煙、三韓呼之曰煙酒、以煙瞑眩如https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif 酔故也、嘗問之韓人乃云、頃年此草來南方、然則與吾邦之弊習異、醫方只熏其子蟲牙孔、未其葉、近歳往々栽植、以衆所嗜好也、花開逢風不落、以白樂天所謂、不見莨蕩花、狂風吹不https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif 落、并考之則益知此物爲之歟、杜鵑花羊喫之躑躅而倒、故號躑躅花、其有毒明矣、於人亦宜然、其習慣漸久則毒變爲藥亦有之歟、故譚紫霄以莨菪之油躑躅之酒、并論俗習嗜好之不https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif害也、雖中華復有之者乎、其弊不改焉、然有時慰閑寂https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006519ba.gif亦不之歟、石皤石媼好嘗醋、喙三尺面百摺、其所嗜好此、柳柳州有云、奇異之草、苦醎酸辛、雖吻裂鼻縮舌澀https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif 齒而有篤好之者、援文王之蒲葅以證之、如孔子聞而 效之、縮頸而食蒲葅三年然後勝之、蓋是呂覽所記、其有無不知也、郷黨篇所載可以見https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif 之、然世之所傳、可以傳https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif 疑、若其嗜與嗜、殆如大戸小戸之於https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif 酒乎、拙者性癖有時吸之、若而人欲之未能、聊因循至今、唯暫代酒當茶而已歟、非西域幻人吐火誑https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif 人、是誠可憎可誅也、乃者三品羽林源君、賜赤土莨蕩(○○○○)幾多束一筥、厚荷之至、謝而有餘、赤土者君封國内之腴地、此草良産之勝區也、嘗之則尋常煙火食之所及也、可謂神農所試之https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001d371.gif 咀耶、倉公處劑之刀圭耶、若進之文王孔子則未知、彼此孰取孰捨哉、今所言頗類俳非恐懼、然戯言出於思也、故捧滑稽之鄙詞以期電矚之莞爾、頓首再拜謹言、

〔鵞峯文集〕

〈五十二/文〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0577 戯答煙酒文〈來書假設漂泊子清靜子、故答之亦然、〉清靜子出、漂泊子顏色不平、侍童見而問曰、何爲不平哉、漂泊子曰、清靜子偶來、怪余嗜烟酒、余爲説其所以嗜https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif 之、彼述其無益而有https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif 害、其言如流、其辨如爛、余不之、然亦不退烟酒、是以不平也、童曰、其言奈何、其辨奈何、漂泊子曰、彼匪啻出於其口、既筆之於剡藤、名曰烟酒、童曰、其文何在曰在案上示之、童展視曰、餘爲君解嘲、乃出門、追之不及、於是呈一簡於清靜子曰、大禹惡旨酒、桀紂以是亡國果其可惡乎、然周官有酒正、孔聖亦曰、酒無量、果不惡乎、惡與惡不酒、唯是在人乎、烟酒亦然、不彼俗客乎、其葉之纖、以畫牋之、而他適出懷中、以漆雕器之而代酒茶客之具、其管之美、以金銀小皿、以容其葉、以彩竹筒、以通其烟、其細口亦以金銀之、或鞍上携之、或市中提之、或花前吸之、或月前吹之、代鳥使以通蜂媒、如此者惡之而可也、若其方夜讀書、氣體倦勞、更闌燈幽、則一啜之間、破孤悶懶睡、而一管之烟、謂之塵裏https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/000000018286.gif https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif 閑乎、謂之靜中同參乎、聊擬先儒之微https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/000000016e55.gif 乎、啜了而又啜、飮了而又飮者、抑其一盃一盃又一盃之彷彿乎、果是一椀重二三四、及五六七椀之流亞乎、如此者何必惡之哉、方今流俗、比比無家不https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif之、無人不https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif之、且往歳屢見韓客嗜https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif 之、其筆談之間、乃知國俗所謂多波古、是烟酒也、其廣布如此、今子雖惡而絶https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif 之、亦可得乎、自烟酒行於我國以來、考諸方書、未是爲何草也、強以莨菪之、疑其有毒、然未烟酒以中毒者、果其無毒乎、況其尋常朝夕所食、魚也 鳥也草也菓也、本草稱毒者非之、然常食之而無妨、則何必惡莨菪乎、凡人所嗜不同、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001b510.gif 韮之葷、誰不之、然食而不飽、齅而不厭、何必惡烟酒之臭乎、且適其口、則以文王之聖、不蒲葅、從其俗則以昌黎之賢、不蝦蟇、今人於烟酒、亦如此乎、若以蠻國、故甚惡之、則琵琶篳篥之聲、可耳乎、海棠海榴之花、不目乎、若其中華食物可之、則牛羊豕、何不朝夕之膳乎、加之内則所記品物、以今見之、則難箸者多多、然則食物何必論華夷、哉、鶉是鼠所化也、鼠之不食、孰與烟酒之不https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif飮乎、然鶉者人人食之、鼠者人人嫌之、所以者何則化流俗也、近歳多蕎麥麵、盛器成堆、放飯流歠、張口脹臉、滿腹擁喉、更十餘椀、果然不厭、非消麵蟲、則不此乎、蓋是田舍野人之食也、然侯伯之席、文雅之筵、往往以是爲頓點、流俗之化、無奈之何、烟酒之行、既五十餘年、蕎麵之行、殆三十年、共是雖於人、亦無害者必矣、蕎麵可以救https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/000000017140.gif 、烟酒可以消https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif 食、小皿之草、一管之烟、不毒、大器之堆、十椀之食、恐有脾胃之煩、取捨以爲如何、彼和汁之葷、使嗜者在其傍、則殆成嘔吐、其害果孰與烟酒之臭哉、烟酒果可惡、則蕎麵亦可惡也、嗜與嗜者、人之性也、二物何必惡之哉、強惡之者僻也、強好之者亦癖也、古人之癖、有於蕎麵、又有於烟酒、所謂錢癖瘡痂癖之類是也、嗚呼我國本神國也、爲胡佛掠既千年、可惡之甚無於此、今不其大、而及烟酒之小、不亦僻乎、近歳顯達、而好儒者非之、然惡浮屠、而不之、則子之力、雖烟酒、果其不之、余是非烟酒、然爲子之惡之甚過、聊以解嘲而已、〈辛丑孟冬〉

〔昔々物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0578 一むかしは懷中たばこと云事なし、よくともあしくとも、亭主のたばこ盆に有を呑なり、のみやうも、亭主座敷へ出る迄は呑ず、亭主物語して、たばこ參れと進むれば、客は先御亭主より參れと、盃茶の如く二三度は言、其時亭主鼻紙をへぎて、きせるのつば(○○)をはづし、きせるを拭ひ、是にてまゐれと差出す、客戴きて呑、たばこ能はほむる、一ふくも二ふくも吸、つばかけて我前に置、歸る時は鼻紙にて拭ひ、たばこ盆へ入る、尤ぬぐふ時、亭主其儘差置れと云、若亭主頭役か親か たなれば、のめといはるヽとも給ずとて不給、其比かくれなき奴といはるヽ人も、六ほううでだて我意を盡す人も、慇懃の座敷又は親方老人の前にて、たばこ呑人なし、

〔大和本草〕

〈六/民用草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0579 烟花〈◯中略〉 初ハ竹筒ニ入テ火ヲ吸フ、後ニ眞鍮ノ煙筒ヲ用、請取ワタシノ禮アリ、今ハ其禮スタレリ、

〔盍簪録〕

〈四/雜載〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0579 酒始乎儀狄、其來也遠矣、茶則始於晉、今通五方日用之物、今日人家、見客必設烟具、先於茶酒、此則百年前所无、傳諸耆舊、寛永中自南蠻國來、其始以種植甚廣、致本業、官禁甚嚴而不止、至於今日其用甚盛、毎爲應酬之乘韋

〔翁草〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0579 當代奇覽と題せるものに、あらゆる雜談有り、十が一爰に拾ふ、一寛文の比迄有し古老の云く、多波粉の渡りしは近き事也、〈◯中略〉其時分世にこせ瘡と云物はやりしに、多波粉呑む人は、此煩ひ無きと云ひはやらせて、世にはやり廣まりし也、

〔煙草考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0579 煙草所于世、蓋百有餘年、至今則遍寰宇、無處不https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif 植焉、无人不https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif 嗜焉、饗甕會宴、野歩舟行、登山臨水、花下月前、對雨賞雪、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/S01000000323.gif 旅寓店、群談獨居、幽樓市廛、讀書吟詠、起居坐臥、无處不https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif 好矣、无時不https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif 宜矣、〈◯中略〉余〈◯向井震軒〉幼時、見世人服https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif 烟者、吸烟數口、不噴而呑焉、少時悉從鼻孔出、當時人皆然矣、其吸而不呑者、此謂伊達多波古、或花多波古、只風流奢子徒爲容態之、實不吸也、今世人呑納者鮮矣、間老翁有之而已、

〔おほうみのはし〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0579 久世大納言、〈通夏延享四年薨〉ものへまうづとて湯あみ給ひけるに、此湯には穢れたることあるべし、火をあらためてこそ更におほせよとて、あみはてずしてあらためさせ給ひけり、後に火たきたるもの、あやまちて烟草をたびて侍ると申しけり、此大納言の常にかヽることおはしければ、只人にはおはせずとぞ申しける、

〔ひとりね〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0579 多葉粉ににほひを入て呑人多し、青樓の人などすべて有、伽羅など入てのむ事、一入 あしき事也、伽羅を入て呑し人に、健忘の症を煩ひ、死なざる人あらずと云事なし、さのみ是計は好色にもならぬことなれば、さりとてはいらぬ事也、

〔ひとりね〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0580 たばこのむに、輪をいくつとなく吹く人あり、壁に針を打て、それに輪をかける人あり、はじめ一つ吹出して、其内をまた吹様に、ちいさく輪を吹人有、或は又けむりを外へ出さず、ことごとく内へ呑て、ほの〴〵とあかしの浦の朝霧にと、一首よみしまいて、けむりを出す人有、今のごとく引て鼻の元より出す人有、女郞様などの、鼻の穴より吹出し給はんは、いまり燒の香爐の如く、見苦しなんどはおろかの事なり、けふもさめはてぬべし、〈◯中略〉余はきらひにて、たばこのむことならねども、人の呑をいとふにしはあらぬに、人によりて手まへの嫌ひなれば、人の呑もいとふ生れ有、やまひといへども心つくべし、心つくれば其儘なをるもの也、我まヽよりおこることなり、

〔閑田次筆〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0580 黄檗開祖隱元禪師は、煙草を惡み給ふこと甚し、其偈にいはく、一管狼烟呑復吐、恰如炎口鬼神身、當年鹿苑有此草、不五辛六辛、此偈語録には洩たるよしなり、昔彼宗徒に聞しが遺亡せしを、又此比一和尚語られき、座禪看經の勤を空しくせるを惡み給ふならん、されば此物と飮酒は、彼僧衆凡て不喫ことなりしが、當時は不喫人は數ふる計也とぞ、

〔蔫録〕

〈下/追譯増補〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0580 吹煙戯曲説烟草之盛行于世也久矣、其極至吹烟爲戯曲、元祿年間、有貓莊兵衞者、〈◯中略〉都下近有幇間吉藏者、兼爲此戲云、余未之、頃亦城西有一狎客、好善此戯、其技最奇、自號輪玉亭吹烟、〈俗稱韈源〉茂質〈◯大槻〉一夜、在一友人宅親視之、其人暗處設坐、煙盆煙具在其側、戯曲數番、先向諸客其曲名、把管裝烟、點火仰噴之、則坐上起一推之雲、雲中忽爲輪、或圓或楕推頰扣頦、大小綿連迸出、或爲連環、或爲連珠、或握扇貫其所噴之輪、或一或二三、或令輪在扇上、或吹入於一管中、管尾噴出數輪、或吹己懷中、則自其袖 而出或傀儡口中令出之、或所吸之烟、入兩鼻孔他洩之類、曲曲怪異、千状萬態、愈出愈奇、衆皆奇之、未其所https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif 爲、彼又自謂、恐諸客疑余之縷烟中別有https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000003ac4a.gif設、乃請傍人之煙、一吸乍爲奇状初、曲名數十、難盡臆記、都下人毎有饗宴、爭召助其興云、嗟此技固出於獨得、而入此妙境、何用心之至于此、可一奇技乎、夫煙草之盛于天下也、終至此、可奇亦甚矣、實昇平之餘事也、

〔春波樓筆記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0581 余江漢曰く、タバコは天正の頃、異人持ち來る、長崎の櫻の馬場に之を種ゑ、遂に天下に流行す、此を今思ふに、長崎の者十人あれば、三四人之を吸ふ、京の者十人あれば、七八人之を吸ふ、江戸の者十人あれば、九人之を吸ふ、其吸ふ事甚夥し、東奧の人十人にして、十人吸はざる者なし、蝦夷國に至りては之を嚙む、

〔鶉衣〕

〈前篇拾遺〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0581 煙草説夜道の旅のねぶたきとて、腰に茶瓶も提られず、秋の寐覺の淋しきとて、棚の餅にも手のとヾかねば、只この烟草の友となるこそ、琴詩酒の三つにもまさるべけれ、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001e234.gif のもえ杭をさがしたるは、宰予が晝寢の目ざましにて、行燈に首延したるは、小侍從が待宵ならむ、達摩は九年の壁にむかひて、炭團の重寶を悟り、西行は柳陰にしばし火打の光を樂む、されば出女の長きせるは、夕ぐれの柱にもたれて、口紅兀さじと吸たる、少は心づかひすらんを、船頭の短きせるは、舳さきに匍匐て、有明の月を詠ながら、大海へ吸がら投たるよ、いかに心のはれやかならむ、やごとなき座敷に、綟子張の煙草盆を、あまた數に引わたしたるより、路次の待合に、吸口包たるはにくからぬ風流なれど、さすがに辭義合に手間も取べし、只木がらしの松陰に駕立て、繼きせる取まはせば、茶屋の嚊のさし心得て、蚫がらに藁火もりてさし出したる、一瓠千金のたとへも此時をいふにや、または雲雀なく空のどかに、行先の渡場とひながら、畑打のきせるに、がん首さしあはせて、一ふく吸付たる心こそ、漂母が飯の情より、うれしさはまさらめ、そも煙草の徳も、むかしより人のかぞ へ古して、今さらいふもくどければ、かの愛https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000651145.gif にならひて、たヾ此類の品定せむに、酒は富貴なる者なり、茶は隱逸なる者なり、煙草はさしづめ君子の番にあたりて、用る時は一座に雲を起し、しりぞく時は袖の内に隱る、こヽに神龍の働ありともいふべし、下戸と妖物は世にすたれて、下戸は猶少からず、今や稀なるは、たばこぎらひにして、野にも吸、山にも吸へば、たばこ入の風流、日々にさかんに、きせるの物ずき、とし〳〵にあたらしくて、若輩の目を迷せども、楠が金剛山の壁書をみて思ふに、たばこははさがぬを專とし、きせるはよく通り、灰吹はころばぬを最上とこそ、さらば色みえでうつろふ花の人心にも、畢竟そのものヽ本情實儀をうしなはざれとなり、

〔めざまし草〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0582 古今形勢たばこといふもの、異國よりこヽへ傳來せしより二百年にあまりて、久しきならはしとなりぬれば、世の人貴賤ともに、其謂をも知らず、よるひるとなくけふらすることヽなりて、今はひとひもこのきみなくてはともいふべく、まことに酒にも茶にもまさるものになん、されば手と口とに離さず、しばしもかたはらにおかねば事かくるがごとしげにも飽けばうゑしめ、飢ればあかしめ、醒ればゑはしめ、酔ばさますとぞ、世の人なべて此功徳を知り、世界のかぎり、所として此草を植ぬもなく、人として此葉を嗜ぬもなく、世に行れて、年暦百年にも及びしころほひより、詩にも賦し、歌にも詠じ、これを稱美して止ず、其くさ〴〵の徳をいはんには、あつさをも忘れ、寒さをもしのぎ、夏の日永の眠がちなるをさまし、春の曉の覺めがたき夢をもやぶり、あるは秋冬の夜ながき、老が身のねぶりがたきには、從者女童など、たばこ吸ふ火はありやなしやと問ひて、わびしきを助くる心しらひを喜び、又何くれと物がなしきうきをもわすれ、あるはすまのうらさびしき、ひとり住の身の上には、よきしほがまのけぶり草とも知らるヽなり、或人の口ずさめるに、昔し誰が寢覺の床のさびしさを忘るヽ草の種はまきけん、とあるもさることなり、又貞柳と かいへるものヽ狂歌とて、雲と見る芳野たばこのうすけふりはなのあたりを立のぼるかな、と戯むれしもおかし、又親しき友どちよりつどひて、舊きをかたらひつるにも、これなくては其しほなきにも似たり、たとひ山海の珍味をつくせる酒宴のむしろにも、時々これを吸ざれば、物たらぬ心地す、又野邊の遊び、川せうえう、月の前、花のもと、酒の後、茶のさきにも、この煙をかをらし、雨に對し、雪を賞し、閑窻のうちに、ひとりつくゑによりて物かうがふる折ふし又旅ゆく朝戸出に、たばこ吸ながらにあゆめる趣、又家のうちにありても、あやにくに事しげきころ、たヾひとひきすひたるは、いはんかたなくぞおぼゆる、憂につけ、樂しきにつけても、これを伴はざれば、悶る氣もひらかず、嬉しき心ものびざるがごとし、近き世の人のはいかいのほくとて、西行の秋はたばこもなき世かな、といひしもさることぞかし、すでに此物世にあまねくひろまり、人ごと家ごとに用ふることになりては、客人をもてなすにも、まつ前に是を進むるを常のならはしとすることになんなりける、いはんもかしこけれど、それのみかどの御製とて、もくづたくあまならねどもけぶりぐさなみよる人のしほとこそなれ、とよませ給へりとか、また妙法院の宮の御言葉とて、たばこに七の徳ありとの給ひしものも見えたり、又もろこし人は、一名を相思草といひて、人ひとたびこれを吸ふときは、朝夕思ひこがれて止ときなしとなん、とにもかくにも、あやしきまで人のめづる草にこそありけれ、

〔嬉遊笑覽〕

〈十上/飮食〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0583 六玉川に、せきの小まんもうす色をのむ、といふ句有り、昔はたばこのむ女稀なりしとぞ、娘容儀草子に、昔は女のたばこ呑むこと、遊女の外は怪我にもなかりしことなるに、今たばこのまぬ女と、精進する出家は稀なりと云り、

曼陀羅花

〔多識編〕

〈二/毒草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0583 曼陀羅花、今案也末奈須比(○○○○○)、

〔大和本草〕

〈九/雜草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0584 曼陀羅花(テウセンアサガホ) 本草毒草ニ載ス蔓草ニハ非ズ、葉如茄、八月開白花、アサガホニ似タリ、花不觀、

〔和漢三才圖會〕

〈九十五/毒草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0584 曼陀羅花(ちやうせんあさがほ/まんだらげ) 風茄兒 山茄子〈◯中略〉按近頃來於朝鮮、今人家多栽之、花似大牽牛花及博多百合花、故俗曰朝鮮牽牛花、其實似檳榔子而有細礧文、又別有曼陀花、同名異種、

〔重修本草綱目啓蒙〕

〈十三下/毒草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0584 曼陀羅花 テウセンアサガホ(○○○○○○○○) ヤマナスビ(○○○○○) ナンバンアサガホ(○○○○○○○○) ハリナスビ(○○○○○)〈豫州〉 トウナスビ(○○○○○)〈同上〉 外科コロシ(○○○○○)〈讃州〉 外科ダヲシ(○○○○○)〈石州、伯州、豫州、〉 天竺ナスビ(○○○○○)〈防州〉 イガナスビ(○○○○○)〈同上〉 ギバサウ(○○○○)〈豐前〉 チヤメラサウ(○○○○○○)〈江戸〉 キチガイナスビ(○○○○○○○)〈石見〉 アヰス(○○○)〈備後〉 イガナス(○○○○)〈長州〉 キアサガホ(○○○○○)〈下總〉 テウセンタバコ(○○○○○○○)〈遠州〉 トウアサガホ(○○○○○○) バラモンサウ(○○○○○○) 一名佛花〈幼幼新書〉 顚茄〈香山縣志〉 悶陀羅草〈名山勝概記〉 天茄彌陀花〈花暦百詠〉 増、一名風茄、〈本草逢原實ノ名〉伯耆、豐前、周防、及諸州ニハ野生アリ、京師近道ニハナシ、春種ヲ下ス、葉ノ形茄葉(ナスビ)ニ似テ、刺無ク、緑色ニシテ互生ス、莖高サ二三尺、枝ノ形状モ亦茄ニ同ジ、夏秋ノ間梢葉ノ間ニ白花ヲ開ク、形牽牛(アサガホノ)花ノ如クニシテ、長太一瓣ニシテ端ニ五尖アリ、其本ハ筒ニシテ長サ三寸許、花後實ヲ結ブ、大サ一寸許、圓ニシテイボアリ、故ニハリナスビト呼ブ、内子圓扁、黒色ニシテ褐色ヲ帶ブ、秋深テ根苗共ニ枯ル、若誤テ此花及葉ヲ食ヘバ、狂亂ス、然レドモ其毒氣盡レバ自ラ愈ユ、

〔廣益地錦抄〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0584 曼陀羅花(まんだらげ) 春たねをうゆる、はへ出は茄子苗のごとくにて、段々枝出て葉も茄子のごとし、故に異名山茄といふ、秋花さく白大りん、花形あさがほのごとく、たくましく異形なれば、俗に唐人笛といふ、尤そのかたちなり、花壇に植て朝鮮あさがほといふ朝にひらき夕にしぼむ、時珍が曰、曼陀羅花人家に植、春苗生夏長、獨巠直上高四五尺、葉茄子の如ク、八月白花開云、葉牽牛花の如ク大シ、朝に開夕に合ストいへり、よくも見たり、此葉を湯にせんじ、寒濕脚氣を治、小兒 慢驚風の藥ニ用云、

〔草木育種後編〕

〈下/藥品〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0585 蔓陀羅花(きちがひなす)〈本草〉 花戸にて朝鮮朝貌といふ、和蘭にてドル、アツプルといふ、春分に實を蒔てよし、度々糞水魚腥血水を澆ぎ、漸長じて花實あり、實をとり藥用とすべし、之を多服すれば昏睡するに至る、容易に口中に入る事なかれ、

〔浚明院殿御實紀附録〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0585 弘福寺のほとりを過させ玉ふことのありしに、その邊の村長中田彦右衞門といへる翁、なにとかして御こヽろに應ずるばかりのこと設て、御覽に備むとて、夏菊の花と曼陀羅花とを寺内に植置て見せ奉りしかば、めで興じ玉ひ、曼陀羅花は實一つ摘てもちかへらせ玉ひしかば、彼邊の者どもいと有がたく忝き事に申傳へたり、何事もわざとこヽろを用ひ設たることは、かりそめにはせさせ玉はずといへり、これよりして曼陀羅花は、江戸にもてはやすことヽなれりしとぞ、

〔採藥使記〕

〈中/總州〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0585 重康曰、此比總州ニテアル寺ニ一宿セシニ、十五六歳ノ沙彌、戯レニ曼陀羅花ノ實ヲ食ヒケルガ、卒ニ發熱シ、譫語シテ狂人ノ如クニテ有リシニ、色々藥ナド用ヒケレドモ、暫ク癒ヘズ、一夜煩ヒ翌朝瀉下シテヨリ平愈セリ、誠ニ本艸ニ毒草ノ部ニ入タルモムベナリ、此所ニテハ木アサガホト云フ、江戸ニテ朝鮮アサガホ、又チヤメラ草トモ云フ、


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Last-modified: 2022-06-29 (水) 20:06:14