https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1055 御事ハ二月八日ト十二月八日トニ行フ、十二月ニ於テスルヲ事始ト云ヒ、二月ニ於テスルヲ事納ト云フ、或ハ云ク、二月ナルヲ事始ト云ヒ、十二月ナルヲ事納ト云フト、此日民間ニテハ竿ヲ屋上ニ樹テ、籠ヲ以テ之ニ懸クルヲ例ト爲シ、又婦人ハ針供養ト稱シテ、裁縫ノ業ヲ執ラザルモノアリ、

名稱

〔書言字考節用集〕

〈二時候〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1055 御事(ヲコト)〈關左俚民以二八事始(○○)、以臘八事收(○○)、本據未詳、今按、祝東作西收之業功之義乎、〉

二月御事

〔江戸總鹿子新増大全〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1055 江都年中行事 二月八日事納 江戸中町々の家毎に、籠を竿に懸て高く屋上に建置く、いかなる故とも知り難し、或書に九字の形を表して魔除也と云は、附會の説成べし、殊更今日を事始と云は彌心得がたし、十二月八日を始として、今日を納めといはヾ可ならんか、暦にも十二月に正月事始よしと記せし日多し、然ば此日を事納とせん事、勿論なるべきにや、

〔歳時故實大概〕

〈二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1055 事始〈一説には事納なりともいへり、いづれか詳ならず、〉或説に、神代武甕槌命魔鬼制伏出陣の日なり、〈十二月八日は、歸陣の日なりとはいへり、〉むかし神託の告ありて、此日靫に矢をもりて神へ奉りしより、今も目籠を竿の先にかけて庭中へ建る、是則靫を捧し遺風なりと云り、〈俗説不詳、いづれの書にも此事見えず、〉 又國俗十二月八日を事始として、正月の事を取り賄ひ始る日とし、二月八日を正月の事を賄ひ納る日といへ

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1056 り、是又據なし、十二月八日は臘八とて、竈を祭るの日なり、是等は十二月の部に記し申べき也、又案に、靫をさヽげし遺風にて、目かごを用るも尤據あり、元來矢を盛を箙又胡籙ともに、元ト蠶を養ひし筐なり、夫を用ひて矢を盛りたるが故に、箙の字は竹冠にして服の字作りたり、エビラと云は衣枚の訓也、胡籙は漢字にて、訓は矢の杭とも、又矢の根を喰せ置故に、矢の喰ともいえり、〈二説也〉如此其起る所は筐よりなれば、今の世目籠を用るも然るべし、或云、籠の目の多きによて、鬼魅をして恐れしむとも、何も俗論なり、

〔俳諧歳時記〕

〈二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1056 事納〈八日〉 針供養(○○○)、六質汁(むしつしる/○○○)、武江の俗二月八日を事おさめとし、十二月八日を事はじめといひて、竹竿の先に目笊を付ケて家々の軒に出す、又今日芋、牛房、大根、赤小豆等の六種を烹て汁とし、これを六質汁と名づく、婦人は針の折たるを集て、淡島の宮へ納め、一日線針の業を停、これを針供養といふ、いまだその由來をしらず、或はいふ、大凡十二月八日ごろより、年頭嘉祝の事を始メ、二月初旬に至りてそのこと終る故に、この名ありと、或はいふ、廿日源義家朝臣奧羽征伐の日、先ヅ大屋大夫が家に陣す、この時東國半はいまだ服せず、大夫同志の者に約すらく、八幡殿に志あらん者は、門に識を出して證とせよと、こヽに於各門に靫を掛て、二心なきことを示す、義家朝臣奧羽征伐の事を始たまひしは、十二月八日にして、軍機の事を納給ひしは、二月八日也、今も軒に目籠を出すこと、此遺意也と、この言無稽にちかし、何ぞ信ずるに足らん、しかれども二月線針を停ることは已に久し、五雜爼に云、唐宋以前皆以社日針線、而不其所從起也云云、謝肇淛云、呂公忌云、社日男女輟業一日、否則令人不一レ聰、始知俗傳社日飮酒治耳聾者如此、而停針線者亦如此也、本朝の俗二月線針を停ることは、これによる歟、しかれども社日を以せずして、八日を以し、八月をいはずして十二月とす、是いまだ解べからざるもの也、

〔近世事物考〕

〈初編〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1056 事始いとこ煮(○○○○)の事 世俗、年の二月八日を事始と云、是は年始の規式事畢て、一

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1057 年の政事萬端の事も、此頃より初る故に、事始と云、又十二月の八日も、此頃より追々歳暮の規式初る故に、一年の雜事は事納る故にいふ、此日色々の物を汁に煮て、いとこにの汁と云、是はいも、牛房、大豆などのにゑ難き物を、まづ入て、おひ〳〵に煮安き品を入てにるなり、よりて追々煮るといふより、甥々似ると云て、甥とおひは從弟なれば、追々にるといふことを、いとこにとは戲て云し物なり、夫より此名始れり、

〔用捨箱〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1057 お事始 節供といふは、此日必神に物を供する設なんどなすにより、如此いふよしなれば、節供といひて食物の事とせば、理なきにもあるまじけれど、女童は唯式日の事とおもひ、節とのみいへば、却て正月式日の食物の事と思ひあやまれり、お事といふも、彼お節といふに齊く食物の事にて、是は僧家より起り、在家に移りし歟と思はるヽ事あり、無住雜談集三卷に、昔は寺寺只一食にて、朝食一度しけり、次第に器量弱くして、非時と名づけて日中に食し、後には山も奈良も三度食す、夕のをば事と山にはいへり、未申の時ばかりに非時して、法師原坂本へ下りぬれば、夕方寄合て事と名づけて、我々世事して食すと云りといふ事を載たり、按るに、十二月は日の短き頃にて、年の暮は事せはしくなる故に、八日を限り二食となるが、當時の僧家の風俗にして、事納めととなへ、二月は日も漸ながくなれば、八日より三度食する故に、事始といひしにはあらずや、〈二月八日は、周正に依ば釋迦佛生日なり、十二月八日は浴佛日なる事、事物紀原に見えたれば、此日を用ひし歟、〉此日調ずる汁をお事煎といふ、〈從弟煎、意得煎、ともに附會の説なるべし、〉芋、牛房、人參やうの物に、粒赤大豆をいるヽ〈近年はさヽげ〉をもて、又案るに、赤小豆の汁に、醤油を和して煎たる豆腐を、黄檗豆腐といふ、お事煎もその類にて、赤小豆にて味をつくるは、僧家の食物なればなるべし、古風を守る家にては、此汁夜食に調じて朝は調ぜず、その原は知らずして、自然に昔風俗の殘りしにやあらん、雜談集に、山といへるは叡山の事なり、彼所に事始事納の久しく傳はりてありしが、故ありて寛永中ヨリ、江戸の在家へ移りしなるべし、是はとりわ

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1058 け證據もなき異説なれど、思ひいづるまヽに書載ておきつ、扇の透へ捨給へ、
江戸鹿子、〈貞享〉二月八日事初、〈江府中にて籠をつるなり〉十二月八日事納、〈上同〉
誰袖の海、〈寶永〉吉原の事をいふ條に、二月八日事初、師走八日事納めといふ、此日吉原にかぎらず、棹のさきへhttps://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001e5de.gif (いがき)つけて出す、京の卯月八日の如しとあり、今の俗は二月を事納、十二月を事初とおもふもあるめり、正月の式にかヽはりし事にはあらず、二月が事初めなりといふ證に録す、〈◯中略〉
萬世節用集廣益大成〈寶永三年印本〉に載たる年中行事月並世話
二月八日御事といふ事、〈極月八日門戸に籠をつる事〉字彙、事は業也ト云々、二月お事はじめ、十二月御事をはり、田家にてなす事なり、土佐日記注に云、節忌也、精進をするといふなり、春は農事のはじめ、冬はをはりなれば祝義なり、八日は齋日の中なれば、たま〳〵此日を用ひきたる事ならし、戸口に籠をつるは、籠の目といへば、方相の目になぞらへ、邪氣をはらふ事なり、〈金葉〉逢事の今はかたみの目をあらみもりてながれん名こそをしけれ、方相は邪氣のおそるヽ物なれば、其面をかけて、儺のとき追はらふ事なり、或説に、籠をつる事は九字の形なり、籠に似たる九字とは、臨兵鬪者、皆列前行の九字也、道字の秘呪なり、今は佛家にも用るなり、居家必(きよかかならず)用ゆと云、縱横之秘法門https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000650a3c.gif 〈門内ニ立テコレヲ呪スト云々、コレ九字ト同心也、カゴヲツル事ハ縱横ノカタチ也、以上月並世話に見ゆ、畫もすき模にしたるなり、〉農家になす事なりといひしは、予〈◯柳亭種彦〉が推考とは異なれども、此説凡よかるべし、〈此後の册子には、種々の説あれども、唯人おどしなる古書を引たるのみ、當れりとも思はれず、故にここに不載、〉籠の目の事は、こヽに云或説と、予が聞しと略同、〈按るに、此書の作者も、老人の傳へを聞しが、九字とのみにて、晴明九字の事を聞もらし、籠目にてはhttps://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000650a3c.gif に似ざるゆゑ、味噌漉と二ツ畫しなるべし、〉江戸鹿子に籠をつるとありて、此書と同、されば畫の如く門へ釣、又今のさまに棹にて高く出しヽは、袖の海にて明なり、〈此草紙の作者は、由之軒とて京の者なり、古郷の人に江戸の風俗を知らせんとて、都にては、潅佛の日、つヽじの枝を棹へつけて出すゆゑ、卯月八日の如と記たるなり、〉三州の事は知らず、遠州にて節分の日、棹に笊をつけて

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1059 出すをば、したしく見たりと、友人の物がたれり、江戸にてかの追儺に、薄き板に晴明九字を書、それと柊を門戸へさし、赤鰯を用ひざる舊家あり、〈ある島國にて、いと暗き夜、鬼の遊行するとて、戸外へ出ざる事のあり、其夜さりがたき用あれば、目籠を持て出るなり、さすれば禍なしと、かの島人の話なり、〉それかれ思ふに、節分にhttps://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001e5de.gif は出すべきを、お事の日にあやまりしといふ説は是なるべし、

〔年年隨筆〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1059 江戸にて、二月八日、十二月八日、芋、菎蒻、小豆などをいれて汁をにる、これをおこと汁と云、二度ともに事はじめ也とも、事おさめなりともいひて、さだかならず、尾張にては、二月は不沙汰なり、骨のなき物をくふ事なりといふ、むじつ講(○○○○)とて、無實の難をまぬかるヽ義也といひ傳へたり、臘八は釋迦成道の義なりといふは附會なり、おことヽは何事ならんと、年比不審なりしを、出雲國日御崎の神職神西左門行䄻が語けらく、出雲にては、十二月十三日に、煤取などやうの正月の事をしそめて、芋、菎蒻、小豆等の汁をくふ、これを事始といふ、さて年神をまつりて、正月廿日に鏡餅を撤却して飯を供す、是を飯くらへと云、二月一日鱠を供す、是をなますくらへと云、鱠くらへ七日ありて、八日に年神の棚を取、これを事おさめと云、十二月と同じ汁をくふといへりき、これにて事とは正月の事なることも、初終もよくわかれたり、

〔江戸鹿子〕

〈二年中行事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1059 二月 八日 事初 江府中に而、籠つる也、

〔増補江戸年中行事〕

〈二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1059 八日 正月事おさめ、江戸中家々に、ざるかごを出す、

〔東都歳事記〕

〈一二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1059 八日 正月事納め、家々笊目籠を竹の先に付て、屋上に立る、〈或は事始といふ〉

〔大江俊矩記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1059 文化六年十二月八日甲午、針供養(○○○)、こんにやく煮付、

十二月御事

〔日次紀事〕

〈十二十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1059 十三日、事始日、〈今日、正月萬事之經營始修之、俗是謂事始日、正月所用之物亦多買之、〉

〔江戸鹿子〕

〈二御城之年中行事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1059 十二月 十三日 御事納御祝 御すヽはらい

〔江戸鹿子〕

〈二年中行事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1059 十二月 八日 事納 江府中、籠つる也、

〔歳時故實大概〕

〈十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1060 一事納メ同日、〈◯八日〉今日は此年中の家事雜用をいはひ納るの日なり、故に事納と云といへり、又一説には、けふは事初なり、新に迎ふる年の祝事を始るの日なりとも云へり、何れとも定めがたし、兩説共に俗説にて、古き書にも、此名目曾て見えざる事也、されどもけふは、年の終り佳日にて、和漢共に竈を祭るの期日なれば、誠に年の終りの祀り納メなれば、事納めと稱せん事先可なるべし、此後煤納め餅搗など、さま〴〵の祝事あれども、みな〳〵新に迎ふる年のための營みなれば、今年の事を納るは、實にけふの祀りなるべし、〈二月八日を事初事納めといへるの説と、けふの名目と共に反對也、猶二月の處に合せ考べし、〉

〔増補江戸年中行事〕

〈十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1060 八日 正月事はじめ、家々にざるをつるす、

〔東都歳事記〕

〈四十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1060 八日 正月事始め、〈世俗お事といふ〉家々笊目籠を竿の先に付て、屋上に出す、〈二月八日のごとし、又今日を事納とし、二月八日を事始とするは、可ならざるよし、總鹿子名所大全に既にいへり、されど中古よりも、かくとなへ來りしにや、芭蕉庵小文庫に載る冬の句に、一雨や相場の替る事納、嵐竹、 身代も籠でしれけり事納、史邦、〉

〔道の幸〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1060 廿一日、〈◯寛政四年十二月〉御油を過ぐ、〈◯中略〉此あたりは十二月八日を事おさめといひ、正月八日を事はじめといふ、藁にて人形つくり、竹をまげて舟のかたちをして、かね太鼔打て、村ざかひにをくりすつるを、しはすのせんきのかみといふは、節季のかみといふことにや、


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Last-modified: 2022-06-29 (水) 20:06:18