p.0001 歳ハ分チテ十二月ト爲シ、月ハ分チテ三十日ト爲ス、歳ニ閏年アリ、月ニ大盡小盡アリ、閏年ハ十二月ノ外ニ、更ニ一月ノ餘アルヲ謂フ、三年ニ一閏、五年ニ再閏ヲ立テ、十九年ニシテ七閏ニ及ベバ復タ餘分ナシ、之ヲ一章ト云ヘリ、大盡ハ月ノ三十箇日ニテ盡クルヲ謂ヒ、小盡ハ二十九箇日ニテ盡クルヲ謂フ、而シテ其第一日ヲ朔ト爲シ、十五日ヲ望ト爲シ、月盡ヲ晦ト爲ス、朔ト望トハ夙ニ之ヲ祝セシガ、徳川氏ノ始メ、二十八日ヲ加ヘテ三日ト稱シ、汎ク之ヲ祝スルニ至レリ、四時ハ又四季ト云フ、一年十二箇月ヲ四分シ、各三箇月ヲ以テ一季ト爲シ、温暑冷寒ノ序ニ循ヒテ、之ヲ春夏秋冬ニ分ツナリ、又別ニ一歳三百六十五日有奇ヲ分チテ二十四氣トス、即チ立春ヨリ大寒ニ至ルモノニシテ、立春ヲ以テ正月ノ節ト爲シ、雨水ヲ以テ正月ノ中ト爲シ、冬至ヲ以テ十一月ノ中ト爲シ、大寒ヲ以テ十二月ノ中トスルガ如シ、而シテ冬至若シ十一月朔日ニ當ルトキハ、朔旦冬至ト稱シテ、朝廷ニ於テ群臣之ヲ賀ス、又七十二候アリ、五日ニ一候、十五日ニ三候アリ、之ヲ一氣トス、即チ一月三十日六候二氣ニシテ、一歳十二月二十四氣七十二候ナリ、又社日、八十八夜、梅雨等ノ雜節アリ、亦二十四氣ヨリ出ヅルモノナリ、二十四氣ニ關セザルモノニ、別ニ節日アリ、舊クハ正月一日、七日、十六日、三月三日、五月五日、七 p.0002 月七日、十一月大嘗日ヲ謂ヒテ、宴會アリ、後ニ正月七日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日ヲ五節供ト稱シテ相祝ス、又三元アリ、正月十五日ヲ上元ト云ヒ、七月十五日ヲ中元ト云ヒ、十月十五日ヲ下元ト云フ、並ニ之ヲ祝セリ、
p.0002 年〈トシ亦作レ季〉 歳 載〈年也歳也〉
p.0002 年進也、進而前也、 歳越也、越二故限一也、唐虞曰レ載、載二生物一也、殷曰レ祀、祀已也、新氣升故氣已也、
p.0002 年秊〈上通、下正、トシ、〉 〈則天作レ此、トシ、〉
p.0002 白(トシ)〈僧史音釋、印度以二一年一爲二一白一、〉年(同)〈爾雅稔也〉秊(同)〈説文古年字〉歳(同)〈爾雅、夏曰レ歳、商曰レ祀、周曰レ年、唐虞曰レ載、名不レ同而義一也、〉稔(同)〈音枕、唐匀年也、古人謂二一年一爲二一稔一、取二穀一熟一、〉 (同)〈年字也、代酔武后改二易新字一千々萬々爲レ年、〉一歳(ヒトトセ)〈終期、終歳、卒歳、旬歳、四運、一齡、周星、春秋、並同、〉
p.0002 一年(イチネン/ヒトヽセ)〈又云、一歳、淮南子、三月爲二一時一、四時而爲二一歳一、〉
p.0002 半年(ハンネン)
p.0002 年名 唐虞曰レ載(サイ)〈取二物終亦始一〉 夏曰レ歳(サイ)〈取二歳星行一次一〉 商曰レ祀(シ)〈取二祭祀一終一、亦作レ禩、〉 周曰レ年(子ン)〈取二禾穀一熟一〉
p.0002 はるのとくすぐるをよめる みつね
あづさゆみ春たちしより年月(○○)のいるがごとくもおもほゆる哉
p.0002 とヾめあへずむべもとし(○○)とはいはれけりしかもつれなくすぐる齡か
p.0002 年 としは疾(トシ)也、はやき意、光陰矢の如く、年月は早くすぐる物なる故にとしと云、古今集の歌に、とヾめやらずむべもとしとはいはれけりさてもつれなくすぐるよはひか、とよめるがごとし、
p.0002 歳トシ 義不レ詳、年の字を讀事亦同じ、トシ亦轉じてトセともいふ、一年をヒトトセといひ、二年をフタトセといふが如き是也、三十年をミソヂといひ、四十年をヨソヂといふがごときは、トシといふことば、轉じてシといひ、シ亦轉じてチといひし也、
p.0003 とし 年をよむも疾の義也、文選に年往迅二勁矢一といへり、左傳正義に、年歳載祀、異レ代殊レ名、而其實一也と見えたり、
p.0003 年は田寄(タヨシ)なり、〈多余を切て登となる、さて余世を余佐志とも餘志とも云る例古に多し、〉然云故は、まづ登志とは穀のことなる、其は神の御靈以て、田に成して、天皇に寄奉賜ふゆゑに云り、〈田より寄すと云こヽろにて、穀を登志とはいふなり、〉祈年祭祝詞に、皇神等能依左志奉牟、奧津御年乎云々、八束穗能伊加志穗爾、皇神等能依左志奉者云々、とあるを以知べし、〈天下に成とし成る穀は、悉く天皇に神の依し奉給ふなるを云り、◯中略〉さて穀を一度取收るを、一年とは云なり、〈されば登志と云名は、穀を本にて、年月の登志は末なり、〉
p.0003 年 としなみ(○○○○) としのを(○○○○) としのは(○○○○) 萬年は〈よろづよ〉 千年は〈ちとせ〉 五百年は〈いほとせ〉 百年は〈もヽとせ〉 八十年は〈やそち〉 七十年は〈なヽそぢ〉 六〈む〉 五〈い〉 四〈よ〉 三〈み〉 廿〈はたとせ〉
p.0003 幾年(イクトセ) 年矢(トシノヤ/○○)〈文選、長歌行、年往迅二勁矢一、千字文註、日月迅速、流年如レ箭、催レ人易レ老也、〉 年緒(トシノヲ) 年來(トシゴロ/○○) 年次(トシナミ) 毎年(トシノハ/トシゴト)〈萬葉〉 比年(トシゴロ)〈文選註、比近也、〉 累年(ルイネン)〈又、云累歳、連年也、〉 多年〈積年、積歳、並同、〉 他年(タネン) 連年(レンネン)〈比歳、多年、並同、〉 毎年(マイネン)〈累年義同〉 後年(コウネン) 數年(スネン)
p.0003 嗣歳(ジサイ) 比歳(ヒサイ) 洊(セン)歳〈再歳也〉 頻(ヒン)年〈比年也〉 積歳(セキサイ)〈多年也〉 累歳(ルイサイ)〈連年也〉
p.0003 としなみ 年次の義、月次日次といふがごとし、歌には多く波に寄たり、としのを 萬葉集、續日本紀の宣命に年緒と書り、よて長く絶ぬ意、又むすぶなど屬けり、緒は年年のつなぎをいふ成べし、俗に命の綱などいふめり、西土にも心緒愁緒などの語あり、又年の尾の義にもよめりといへり、
p.0003 としのや 年次のはやく過行をいふ、光陰如レ矢の意也、千字文に年矢毎催と見えたり、としのは 萬葉集に、毎年謂二等之乃波一と見えたり、としごろ 眞名伊勢物語に年來と塡られたり、今音にもいへり、
p.0004 詠レ花
毎年(トシノハニ)、梅者開友(ウメハサケドモ)、空蝉之(ウツセミノ)、世人君羊(ヨノヒトキミシ)蹄、春無有來(ハルナカリケリ)、
p.0004 詠二霍公鳥并時花一歌一首并短歌〈◯中略〉
毎年爾(トシノハニ)、來喧毛能由惠(キナクモノユヱ)、霍公鳥(ホトヽギス)、聞婆之努波久(キケバシヌハク)、不相日乎於保美(アハヌヒヲオホミ)、〈毎年謂二之等之乃波一〉
p.0004 中臣朝臣宅守與二狹野茅上娘子一贈答歌〈◯中略〉
安良多麻能(アラタマノ)、等之能乎奈我久(トシノヲナガク)、安波射禮杼(アハザレド)、家之伎許己呂乎(ケシキコヽロヲ)、安我毛波奈久爾(アガモハナクニ)、
p.0004 五十首歌よませ侍ける時、年の暮をおしむといへる心を、 入道二品親王道助
とヾめばや流れて早き年波(○○)のよどまぬ水はしがらみもなし
p.0004 ふるとしに春たちける日よめる 在原元方
年の内に春はきにけり一とせをこぞとやいはんことしとやいはん
p.0004 小野よしふるの朝臣、にしのくにのうてのつかいにまかりて、二年といふとし、四位にはかならずまかりなるべかりけるを、さもあらずなりにければ、〈◯中略〉 源公忠朝臣
玉くしけふたとせ(○○○○)あはぬ君が身をあけながらやはあらんと思ひし
p.0004 昔男かたゐ中に住けり、〈◯中略〉此戸あけ給へとたヽきけれど、あけで歌をなんよみていだしたりける、
あら玉の年の三とせ(○○○)を待わびてたヾこよひこそ新枕すれ
p.0004 みのヽすけのくだるに送る
ひと日だにみねば戀しき君がいなば年のよとせ(○○○)をいかですぐさん
p.0005 筑前國志賀白水郞歌十首〈◯中略〉
荒雄良者(アラヲラハ)、妻子之産業乎婆(メコノナリヲバ)、不念呂(オモハズロ)、年之八歳乎(トシノヤトセヲ)、待騰來不座(マテドキマサズ)、
p.0005 故其赤猪子、仰二待天皇之命一、既經二八十歳一、於レ是赤猪子以爲、望レ命之間、已經二多年(○○)一、姿體痩萎、更無レ所レ恃、
p.0005 多年は許々陀久能登志(コヽダクノトシ)と訓べし、大祓詞に、許々太久乃罪乎(コヽダクノツミヲ)と見え、萬葉四〈四十四丁〉に、幾許雖待(コヽダクマテド)、〈◯中略〉十八〈六丁〉に、許己太久爾(コヽダクニ)など、其外幾許(コヽダク)と云こと卷々に多し、
p.0005 今年(○○)〈コトシ〉 今玆
p.0005 今年
p.0005 今年(コンネン/コトシ) 是歳 今玆〈左傳〉
p.0005 是歳(コトシ/コノトシ)〈又作二此歳一〉 今年(同)〈又作二今歳一〉 今玆(同)〈呂氏春秋註、玆年也、公羊傳、玆新生草也、一年草生一番以レ玆爲レ年、〉
p.0005 臨時
今年去(コトシユク)、新島守之(ニヒサキモリガ)、麻衣(アサゴロモ)、肩乃間亂者(カタノマヨヒハ)、許誰取見(タレカトリミム)、
p.0005 去年(○○)〈コソ〉 昔歳〈已上同〉
p.0005 去歳(キヨサイ/コゾ) 客歳(カクサイ)〈去年也〉 徂歳(ソサイ)〈已去之歳也〉
p.0005 往年(インジトシ/イニシトシ)〈先年、義同、〉 去歳(同)〈文選〉 舊年(フルトシ)〈又云舊歳〉 去歳(コゾ)〈又云去年〉 往年(サキノトシ)〈白文集〉 先年(同) 近年(キンネン) 去歳(キヨサイ)〈客歳、徂歳、並同、〉 去年(キヨネン)〈同レ上〉 舊年(キウネン)〈又云舊歳〉 先年(センネン)
p.0005 去年(コゾ) こずの年也、さりて重ねてこざるとし也、ぞとずと通ず、
p.0005 詠レ花
去年咲之(コゾサキシ)、久木今開(ヒサキイマサク)、徒(イタヅラニ)、土哉將墮(ツチニヤオチム)、見人名四二(ミルヒトナシニ)、
p.0005 正月一日よみ侍りける 小大君
いかにねておくるあしたにいふことぞ昨日をこぞ(○○)とけふを今年と
p.0006 去々歳(ヲトトシ/○○○)
p.0006 去々年(オトヽシ) 萬葉には前年とかけり、あとヽしなり、去年のあとの年也、をとあと通ず、一昨日をおとつひと云が如し、此外にも説多し、不レ可レ用、
p.0006 大伴宿禰家持贈二娘子一歌
前年之(ヲトドシノ)、先年從(サキツトシヨリ)、至今年(コトシマデ)、戀跡奈何毛(コフレドナゾモ)、妹爾相難(イモニアヒガタキ)、
p.0006 題しらず 中納言安陪廣庭
いにし年(○○○○)ねこじてうへし我宿のわか木の梅は花さきにけり
p.0006 二月廿日あまり、いにし年京をわかれし時、心ぐるしかりし人々の御ありさまなど、いとこひしく、〈◯下略〉
p.0006 來年(○○)
p.0006 明年(メイネン) 翌歳(ヨクサイ) 來玆(ライジ)
p.0006 翌年(ヨクネン)〈爾雅、翌明也、〉 來年(ライネン)〈來歳、來玆、翌歳、明年、並同、〉 明年(アケノトシ)〈又云翌年〉 明年(ミヤウネン)
p.0006 伐二新羅一之明年(クルツトシ)春二月、皇后領二群卿及百寮一移二于穴門豐浦宮一、
p.0006 やうか〈◯七月〉のひよめる みぶのたヾみね
けふよりはいまこん年の昨日をぞいつしかとのみ待わたるべき
p.0006 周歳(シウサイ/○○) 期年(キネン) 一稔(シン)〈穀熟曰レ稔、古人謂二一年一爲二一稔一、取二穀一熟一也、〉 晬時(スイジ)〈晬者周時也、又生レ子一歳曰レ晬、〉 終期(シウキ)〈一歳終也〉 卒(ソツ/ヲフ)レ歳(サイ) 竟(キヤウ)歳 周星(シウセイ)〈星辰周二一年一也〉 春秋〈一年也〉 星霜(セイサウ)〈同上〉 發歛(ハツレン)〈説文春夏曰レ發、秋冬曰レ歛、〉 旬(ジユン)歳〈滿歳也〉 一齡(レイ)〈一年也〉 期(キ)月〈期年也、出二于論語一、〉 四運(ウン)〈四時也、文選詩、四運忽代レ序、〉
p.0006 期年(ムカハリドシ)〈期本字朞、文選註、一歳也、周伯温曰、日行三百六十日、則復二其初度一、謂二之期年一、〉 周年(同)〈韵會、唐明皇諱隆基、故改レ朞爲二周年一、〉
p.0006 太政官符
p.0007 應レ校レ田事
右得二美濃國解一偁、准レ令百姓口分田六年一班、〈◯中略〉因レ玆人民易レ逃戸口難レ増、纔隨二官符來一乃始班レ田、文案未レ究還及二紀年一、昨日班レ田今日校レ田、吏民之煩無レ不レ由レ此、望請期年(○○)至者、國郡官司校二定國内之田數一、揔二計當年之見口一、且校班且言上、〈◯中略〉
仁壽三年五月廿五日
p.0007 五服〈◯中略〉 期年〈實一十二箇月、謂應二天道之四時一、如三物有二終始一也、〉
p.0007 十(/○)稔(シン/○)〈十年也〉 一紀(キ)〈十二年也〉 一終(シウ)〈十二年也〉 積(/○)紀(キ/○)〈二十五年也〉 一章(○○)〈十九年也〉 三霜(○○)〈三年也〉
p.0007 一紀〈十二年也〉
p.0007 畢命 既歴二三紀一、世變風移、四方無レ虞、予一人以寧、〈傳言殷民遷レ周已經二三紀一、(中略)十二年曰レ紀、〉
p.0007 天應元年正月辛酉朔、詔曰、〈◯中略〉朕以二寡薄一、恭承二寶基一、無レ盖二〈◯盖、原作レ善、據二類聚國史一改、〉萬民一空歴二一紀(○○)、〈◯下略〉
p.0007 太政官符
應レ勤二行班田一事
右田令云、六年一班、承和元年格云、畿内一紀(○○)一班、〈◯中略〉左大臣宣、奉レ勅六年一班、期限短促、宜下仰二下諸國一一紀一度校レ田言上、并進二授口帳一待レ裁班給上、〈◯中略〉
延喜二年三月十三日
p.0007 一月(イチゲツ/ヒトツキ)〈淮南子、三十日爲二一月一、〉
p.0007 幾月(イクツキ) 同月(ドウゲツ) 同月(ヲナジツキ) 翌月(ヨクゲツ) 當月(タウゲツ)〈又云今月〉 例月(レイゲツ) 月並(ツキナミ) 月毎(ツキゴト) 何月(ナングハツ) 來月(ライゲツ)〈後月、明月並同、〉 期月(ムカハリツキ)〈月行十有二月而歳周、謂二之期月一、〉 毎月(マイゲツ) 今月(コンゲツ/コノツキ)〈又云當月〉 明月(アケノツキ) 去月(キヨゲツ)〈指南、先一月曰二去月一、猶レ言二去年一、〉 明月(ミヤウゲツ)〈又云來月〉 先(セン)
p.0008 月(ゲツ) 數月(スゲツ)
p.0008 つき 月は盡るの義をもて名とす、西土の書に、以二明一盡一爲二一月一といへり、
p.0008 またかの空なる月による月と、年の來經とをしひてひとつに合すわざなどもなくて、ただ天地のあるがまヽにてなむ有ける、此二方を、暦に一つに合せたるは、いと宜しきに似たれども、まことは天地のありかたにはあらず、もししか一つなるべきことわりなりせば、もとよりおのづからひとつなるべきに、さはあらで、おくれさきだち行たがふは、必別事にて有ぬべきことわりあることなるべし、〈◯中略〉これぞこの天地のはじめの時に、皇祖神の造らして、萬の國に授けおき給へる、天地のおのづからの暦にして、もろこしの國などのごと、人の巧みて作れるにあらざれば、八百萬千萬年を經ゆけども、いさヽかもたがふふしなく、あらたむるいたづきもなき、たふときめでたき眞の暦には有ける、〈◯中略〉然有けるを、やヽくだりて、もろこしの國書わたりまうで來て後に、かの國のさだめにならひてぞ、一とせを十二月とはして、その月次を四時にくばりついでヽ、もろこしの十二月は、天の月による月をもて定めたるを、皇國にてそのかみさだまりしは、猶もとよりのまヽに、年のめぐりにしたがひて、暦の節氣と同じかりき、むつき、きさらぎなどと、その月々の名をも定められたりける、すべてこれを月と名づけられたるも、ともにかの國のにならへるか、又こヽにも、本よりかの天の月による月といふ事の有つれば、その名をとれるにも有べし、萬葉集にむ月たつとよめるなど、月に立といふも、こヽの詞なり、此時よりぞ、春某月、秋某月などと、月の名をあげ、又それを季へかけていふことなどもはじまりける、さて此月々の名ども、古事記、書紀などの歌には、一つも見えたるはなけれど、そはおのづか
p.0009 らもれたるにこそあらめ、皆いとふるければ、月次の定まりし世よりのなるべし、萬葉集にはおほく見えたり、此名どもヽ、もろこしのにならはヾ、やがて正月、二月、三月などとこそつけらるべきに、さはあらで、あらたにまうけて、むつき、きさらぎ、やよひ、などとしもつけられたるは、上にいへるごとく、物の次第を一二三などいふことは、古はなかりし故なり、さてかく月次のさだまりて、月々の名どもヽ出來つれども、かの天の月による月と、此月次とは、別事なりし、又いくかの日といふ日次、一月の日數の定まらざりしなど、これらはなほ本のまヽにてなむ有ける、
p.0009 十二支配二十二月一 正月〈寅〉二〈卯〉三〈辰〉四〈巳〉五〈午〉六〈未〉七〈申〉八〈酉〉九〈戌〉十〈亥〉十一〈子〉十二〈丑〉
p.0009 月ツキ 正月ムツキ、二月キサラギ、三月ヤヨヒ、四月ウヅキ、五月サツキ、六月ミナヅキ、七月フヅキ、八月ハヅキ、九月ナガヅキ、十月カミナヅキ、十一月シモツキ、十二月シハス、義共に不レ詳、我國の月名、太古よりいひつぎしことばとも聞えず、舊事記に、邪神の音サバへなせしといふ事三たびみえたり、それが中二ツは狹蝿の字を用ひ、讀てサバへとし、一ツは五月蠅の字を用ひ、讀事狹蠅のごとし、さらば上宮太子の比ほひ、五月をよびてサツキといひし事、既にありしにや、其餘のごとき、いかにやありけむ、陰陽の二神、日神、月神を生給ひしに、其月神の御名、一ツには月讀とも申せしは、上古の語に讀といひしは、後世にカゾフルといふことば也などもいひ傳へたり、月の數をかぞへいはむには、かぞへいふ所の名なき事をも得べからず、天地より始て、凡物の名に至るまで、後世にいふ所のごとき、上古にいひし所のまヽ也とも見えず、古をさる事の久しくて、世のうつりかはりぬるに隨ひて、いふ所も又うつりかはりぬる故也、たとへば初空月、梅見
p.0010 月などいふがごとし、後代の歌詞に出たれど、遂に其月の名となりし事のごとく、古を去事久しき世の人のいひし所の、つゐに其名となりて、古にいひし所のごときはしる人もなくなるにいたれり、五月をサツキといひ、又世の人今もなを、つヽしむべき月也などもいふ也、此月の事は、舊事記に見へし所なれば、古の時の名也けむともしらるヽ也、卯月、長月、陽月、歳終(シハス)などいふがごとき、漢にもふるくいひ傳へにし所なれば、此等のごときは、我國に漢字傳へ得し後の人のいひし所なるにや、またたま〳〵其名の相同じかりしにや、すべて其詳なる事をしらず、
p.0010 凡て月々の名ども、昔より説どもあれど皆わろし、其中にたヾ三月(ヤヨヒ)を彌生(イヤオヒ)なりと云るのみはよし、又師の考へに、七月(フミヅキ)は穗含月(ホフヽミヅキ)、八月(ハヅキ)は穗發月(ホハリヅキ)、九月(ナガツキ)は稻刈月(イナカリヅキ)なりと云れたるなどは、さもあるべし、其餘はいかヾあらむ、又九月は稻熟月(イナアカリヅキ)にてもあらむか、但賀(ガ)を濁るは、刈にても、熟(アカリ)にても、いかヾなるは、音便にて濁るか、はた異意か決めがたし、此外にも己も考出て、さもあらむと思ふ彼此はあれど、十二月みながらは未考得ざれば、今云ず、なほよく考へて云べし、
p.0010 正月(○○)〈ムツキ律中二太簇一〉
p.0010 神護景雲三年正月戊戌、授二無位牟都岐(○○○)王從五位下一、
p.0010 牟都岐王〈寶龜二年十月紀、天應元年五月紀、延暦十年七月紀、並作二正月(○○)王一、〉
p.0010 經、元年春王正月、〈注、隱公之始年、周王之正月也、凡人君即位、欲二其體レ元以居一レ正、故不レ言二一年一月一也、〉
p.0010 正月 むつき
p.0010 大簇(ソク)〈正月〉履端(リタン)〈正月履二一切之事端一、故曰二履端一也、〉肇歳(テウサイ)〈正月也、肇始也、〉甫(ホ)年〈正月也、甫始也、〉睦月(ムツキ)〈正月也、睦或作レ眤、新春親類相依娯樂遊宴、故云二睦月一也、〉獻歳(ケンサイ)〈正月也、獻與レ献同、〉陬月(ムツキ)〈正月也〉始和〈正月也〉解凍(カイトウ)〈正月也〉
p.0010 正月
p.0011 太郞月(タロウヅキ)〈本朝俗、斥二正月一云レ爾、〉睦月(ムツキ)〈又作二眤月一、正月也、新春親族相依娯樂遊宴、故云レ爾、〉正月(シヤウグハツ)〈夏以レ寅、殷以レ丑、周以レ子、秦以レ亥、漢武大初元以來、改用二夏正建レ寅月一、〉
p.0011 月倭名 正月〈俗説云、正月元三日、貴賎往來致二拜禮一、各結二和親一、故稱二此月一爲二親月一、今所レ謂ムツキハ、是ムツビヅキノ訛也、〉
p.0011 正月(ムツキ)、たかき、いやしき、ゆきヽたるがゆゑに、むつびづきといへるをあやまれる也、
p.0011 問て云、まづ正月をむ月と申侍るは、いかなるいはれぞや、 答、正月はとしの始の祝事をして、しる人なるはたがひに行かよひ、いよ〳〵したしみむつぶるわざをし侍るによりて、この月をむつび月となづけ侍り、そのこと葉を略して、む月といふとぞきヽをよびし、
p.0011 ムツキといふ事は、ムツビヅキと云也、上古の語に、スメムツ神などいふ事はあれど、ムとのみいひ、睦の義ありとも見えず、又ムツビといひ、ツキと云、ツといふことばのかさなれる故に、ひとつのツといふことばに、ふたつのツといふことばは、こもれりなどもいふべけれど、それもまたしかるべしとも思はれず、
p.0011 一月を牟月(ムツキ)といふは、毛登都(モトツ/本)月てふ事也、其毛都の約は牟なればしかいふ、
p.0011 むつき 正月をいふ、親(ムツ)ましてふ月なればいふ、又生(ウム)月の義、春陽發生の初なれば、かく名くる成べし、〈◯中略〉蝦夷に此月をとひたんねといふ、日ながしといふ事也、
p.0011 むつき〈正月〉 むつきは正月の和名なり、日本書紀〈神武紀〉四十有二年壬寅春正月とみえたるぞ、正月をムツキとよみし初なる、武都紀多知(ムツキタチ)、波流能吉多良婆(ハルノキタラバ)と〈萬葉集〉みえ、二條の后のとう宮のみやすむ所ときこえける時、むつき三日おまへにめしてと〈古今和歌集春歌上〉見え、むつきたつしるしとてやはいつしかとよもの山邊にかすみ立らんと〈躬恒秘藏抄〉見え、正月むつき、高き賎き、ゆきヽたる故に、むつみ月といふと〈清輔奧義抄〉いひしは、はじめてむつきの義を解に似たり、正月むつきと〈八雲御抄〉みえ、正月、睦月、睦或作レ眤、新春親類相依娯樂遊宴、故云二睦月一也と〈下學集〉云へるも、奧義抄
p.0012 によりしなるべし、正月はとしの始の祝事をして、しる人なるはたがひに行かよひ、いよ〳〵したしみむつぶるわざをしけるによりて、この月をむつび月となづけ侍り、その言葉を略して、む月といふとぞきヽ及びしと〈世諺問答〉みえ、正月むつき、睦の意にて、むつましく親族朋友も、相したしめばいふ事、舊説のごとく成べしと、〈類集名物考〉辨ぜり、然るに平田篤胤曰、ムツキはもゆ(萌)月なり、モユの約ムなり、これ草木の萌きざすをいふ、きさらぎはクミ(芽)サラ月にて、それよりイヤ生といふ順なりといへり、この説古人未發なり、賀茂眞淵が一月(ヒトツキ)を牟月(ムツキ)といふは毛登都(モトツ)月てふ事なり、毛都の約は牟なれば、しかいふといへるはおぼつかなし、正月を初春と〈和名類聚鈔〉いひ、又異名をさみとり月と〈躬恒秘藏抄〉いひ、暮新月と〈俊頼朝臣莫傳抄〉いひ、年初月と〈同上〉いひ、初空月と〈藏玉集〉いひ、霞初月と〈同上〉いひ、初春月と〈同上〉いふも、みな異名にして、後世にいできしところなり、もとの起りは、躬恒秘藏抄よりはじまれることならんを、俊頼朝臣みづから歌をよみたまひて、月々の異名をいひ初しなり、それより中昔にいたりては、藏玉集などにのせたる異名も、おなじく歌によませ給ふが、そのまヽ異名となれるながら、またく藏玉集の月々の異名は、異名をもとめたまひて、歌によみたまふとおもはれぬる故は、定家卿、家隆卿なども、月々の異名の歌をよまれ、後鳥羽院御製も藏玉集に載られたれば、仰をかうむり奉りて、よまれしとみえたり、歌がらも、其月々の時候、又は景物など、とりどりに讀こまれたれば、あたらしく、月々の異名をよみいだされし事としられたり、又西土にて、ものにみえしは、正月上日と〈尚書舜典〉いふ、是正月をいふ名目の物に見えし始なり、正月は月の初なり、又月正元日〈同上〉と書る也、元日もおなじく日のはじめなれば、もとつ日といへる義にて、元日と書る也、元年春王正月と〈春秋〉いふも、物正しきの義にとりていふなり、正月謂二之端月一と〈史記〉いひ侍るも、正月といふと義おなじ、端正の二字、いづれもたヾしき義なれば、文字をかへて端月とかけるなり、玉燭寶典も正月爲二端月一といへり、又孟春之月、日在二營室一〈禮記月令〉いひ、また正月を爲レ陬と〈爾雅〉い
p.0013 ふは、正月の別名といふべし、郭璞曰、以レ日配レ月之名也といへり、又攝提貞二於孟陬一と〈離騷經〉いふも、正月の事也、正月を曰二孟陬一と〈元帝纂要〉いひ侍るも、離騷によりしなるべし、又曰、孟陽、上春、開春、發春、獻春、首歳、獻歳、發歳、初歳、肇歳、方歳、華歳と〈同上〉いひ、また正月律名あり、これを太簇と〈拾芥抄〉いひ侍るも、其音角、律中二太簇一と〈禮記月令〉いへるによられしなり、太簇の義解は、劉熙釋名、班固白虎通にくはしく辨あり、ゆへにこヽに略せり、又芳春、青春、陽春、三春、九春と〈元帝纂要〉みえたれども、あながち正月の月にあつるにもあらずして、春の三月をすべていへる名目と、おしはからる、さてまた正月を一月と書る物、ふるくよりみえたり、附説曰、正月者、古文尚書云、一月也と〈玉燭寶典〉見え、また漢書表亦云、一月鷄鳴而起と〈同上〉みえたれども、是正月を一月といふべからざる證あり、杜預春秋傳注云、人君即位欲二其體レ元以居一レ正、故不レ言二一年一月一とみえたるぞ、正しき據とすべし、故に和漢ともに、人君即位の年をさして、元年とさだめ、年月のはじめをさして、正月といふ、
p.0013 辛酉年春正月(ムツキ)
p.0013 正月(ムツキ)〈生月也、謂二發生之初一、正韻歳之首月也、垂加翁曰、歳首不レ曰二一月一而曰二正月一、蓋取三王者居二其正一也、〉
p.0013 梅花歌三十二首并序〈◯中略〉
武都紀多知(ムツキタチ)、波流能吉多良婆(ハルノキタラバ)、可久斯許曾(カクシコソ)、烏梅乎乎利都々(ウメヲヲリツヽ)、多努之岐乎倍米(タヌシキヲヘメ)、〈大貳紀卿〉
p.0013 二條の后のとう宮の御息所ときこえける時、正月三日、おまへにめして、おほせごとあるあひだに、〈◯中略〉 ぶんやのやすひで〈◯歌略〉
p.0013 十二月異名 正月むつき〈◯中略〉 さみどり月
p.0013 十二月異名 暮新(クレシ)月 正月〈◯歌略、下同、〉 年初月 同
p.0013 十二月異名〈後鳥羽院御時、十二月異名にて、歌を被レ召時、歌付二花鳥一、雖レ有レ歌無用之間略レ之、〉 正〈柳鶯〉 初空月 霞初月 初春月〈◯歌略、下同、〉
p.0014 二月(○○)〈キサラキ〉
p.0014 二月 きさらぎ
p.0014 夾鐘(ケウシヤウ)〈二月〉衣更著(キサラキ)〈二月也、此月餘寒猶嚴、故衣更著也、〉華朝(クワテウ)〈二月也、朝々待レ華、故云二華朝一、〉美景(ビケイ)〈二月也〉惠(ケイ)風〈二月也〉星鳥(セイテウ)〈二月〉
p.0014 月倭名 二月〈俗説云、正月和暖、此月天氣還寒、更著二冬衣一、故稱二此月一爲二衣更著一也、今所レ謂キサラギハ、是キヌサラニキツキノ略也、〉
p.0014 二月(きさらぎ) さむくてさらにきぬをきれば、きぬさらぎといふをあやまれるなり、
p.0014 キサラギ、ヤヨヒなどいふごときも、ふるく釋せし所のごときは、其釋なからんには、空さへかへりぬる月也とも、草木のをひそふる月也とも、しかるべしとも覺えず、古語にキサとも、キサケとも、キサキとも、キサイともいひし事どもあれば、其釋せし所の義とは同じからず、
p.0014 二月は伎佐良藝(キサラギ)月と云は、久佐伎波里(クサキハリ)月也、草木の芽を張出すは二月也、其久佐伎(クサキ)の三言の約めは伎(キ)なれば、伎(キ)とのみもいふべく、又は草は略くともすべし、佐良(サラ)と波里は韻通へり、
p.0014 きさらぎ 二月をいふ、氣更に來るの義、陽氣の發達する時也、
p.0014 きさらぎ〈二月〉 きさらぎとは二月をいふ、いとふるき和訓なり、日本書紀に〈神武紀〉出たり、〈◯中略〉二月を伎佐良藝月、言は久佐伎波里月(クサキハリツキ)也、草木の芽を張出すは二月也、其久佐伎ノ三言の約めは伎なれば、伎とのみ云べくも、又は草は略くともすべし、佐良と波里(ハリ)は韻通へりと〈語意〉云は、古人未發の考なれども、平田篤胤が、くみ(芽)さら月にて、夫よりいや生とつヾくといへるかた然るべし、跡部光海翁は、衣更衣陽氣を更にむかふるを云といひ、きさらぎ二月をいふ、氣更に來るの義、陽氣の發達するときなりと〈和訓栞〉いひ、又此月玄鳥到と月令にみゆれば、去年の八月に雁來りしが、また更に來るの意歟と〈類聚名物考〉いへり、また二月の異名あまたあるが中に、むめつさ月と〈躬恒秘藏抄〉いひ、雪消月、〈俊頼朝臣莫傳抄〉梅津月と〈同上〉みえたり、後世にいたりて、月々の名目もいとおほくなりたり、いはゆる梅見月、〈藏玉集〉小草生月と〈同上〉いふたぐひなり、西土にても、異名さま〴〵ある
p.0015 なかに、二月爲レ如と〈爾雅〉いひたるによりて、如月〈事物別名〉と月の字を入て書る様になれり、又二月得レ乙曰二橘如一と〈同上〉みえたり、此月を仲春といふは、仲春之月日在レ釜と〈禮記月令〉いへるにはじまれり、又降入と〈史記〉いへり、又二月曰二仲陽一と〈元帝纂要〉いひ、又令月と〈張子歸田賦〉みえたり、異名は和漢ともにいづれも詩に詠じ、歌によめる句の、後世にいたりて、をのづから異名となれるなるべし、しかればます〳〵月々の名目も、多くなれるならん、たとへば春を青帝といへるを、青皇ともいひ、又春の時氣を青陽といへるを、後には孟陽、仲陽、載陽ともいへるがごとし、孟陽は正月、仲陽は二月也、陽字の上に孟仲の文字を加へて、月々に配當せる名なり、陽春などいへるは、たヾ春をいへるなり、月々にあてたる名目にはあらず、陽字の義、春といふ意と同じ、初春、仲春といふべきを、孟陽、仲陽といひ、又春風を陽風といひ、春の木を陽樹と〈元帝纂要〉みえたり、
p.0015 戊午年春二月(キサラギ)
p.0015 二月(キサラギ)〈氣(イキ)更ニ來ル也、言生氣更發達也、〉
p.0015 中の春二月のはじめ
わぎもこが衣きさらぎ風寒みありしにまさる心地かもする
p.0015 十二月異名 二月きさらぎ きぬさらき共云也〈◯中略〉 むめつさ月
p.0015 十二月異名 雪消月 梅津月〈二月〉
p.0015 十二月異名〈◯中略〉 二〈櫻雉〉 梅見月 小草生月 衣更著
p.0015 三月(○○)〈ヤヨヒ律中二姑洗一〉
p.0015 三月 やよひ
p.0015 姑洗(コセン)〈三月也〉彌生(ヤヨイ)〈一切草葉芽至二此月一彌生、故云二彌生一也、〉桃浪(トウラウ)〈三月〉
p.0015 月倭名 三月〈俗説云、風雨共暖、草木彌生、故稱二此月一爲二彌生月一、今所レ謂ヤヨヒハ、是イヤヲヒヅキノ訛也、〉
p.0016 三月 風雨あらたまりて、草木いよ〳〵おふるゆゑに、いやおひ月といふをあやまれり、
p.0016 三月を也與比と云は、草木伊也於比(イヤオヒ)月也、二月に芽を張、三月に繁る故に彌生といふ、〈いやのいを略くは常多し〉草木をいはぬは、上に二月にいひしかば、ゆづりて略けり、月の名は多くは他の月と相對へていふ也、
p.0016 やよひ 三月をいふ、彌生の義、よとおと通ず、春三月を生月、氣更來、彌生と次第したる名なるべし、
p.0016 やよひ〈三月〉 やよひとは三月をいふ、日本書紀〈神武紀〉の訓に、はじめてみえたり、中むかしよりして、やよひの文字彌生と〈奧義抄〉かけり、草木のいやおひしげれる比なればいふなるべし、やよひにうるふ月の有ける年と〈古今和歌集詞書〉いひ、草木いよ〳〵おふる故にいやおひ月といふを、あやまれりと〈奧義抄〉いひ、一切草木芽至二此月一彌生、故云二彌生一也と〈下學集〉いひ、草木の彌生てふよし、古説のごとく成べしと〈類聚名物考〉いひ、萬物彌生するなりと〈跡部光海翁説〉みえたり、三月をやよひ月といふは、草木いやおい月也、二月に芽をはり、三月にしげる故に、彌生といふと〈語意〉いひ、やよひ、三月をいふ、彌生の義、よとおと通ず、春三月を生(ム)月、氣更來、彌生と次第したる名成べしと〈和訓栞〉いへるぞ、げにもとおもはるヽ説なり、本居宣長いひけらく、凡て月々の名ども、昔より説共あれど皆わろし、其中にたヾ三月を彌生なりと云類のみは、よしと〈古事記傳訶志比宮卷〉みえたり、彌生は古今人々の説々同一致なれば、義論はいさヽかもなき也、扨異名は暮春と〈和名類聚抄〉いひ、律名を沽洗と〈拾芥抄〉みえしは、律中沽洗と〈禮記月令〉みえしによられしなり、さはなつきと〈秘藏抄〉いひ侍るも、此月の異名なり、又花津月と〈莫傳抄〉いひ、夢見月とも〈同上〉いひ、花見月、櫻月、春惜月とも〈藏玉集〉いへり、西土にては、季春と〈禮記月令〉いふも、此月なり、又宿と〈爾雅〉書るも別名にして、三月得レ丙、則曰二修寎一、と〈同上〉みえたり、季春之月、
p.0017 其音角、律中姑洗と〈淮南子〉いひ、三月其名青章と〈史記〉いひ、三月を暮春、末春、晩春と〈元帝纂要〉いひ、三月季春、暮春、載陽、華節、寎月、末垂と〈事物別名〉みえたり、いづれも此月の別名なり、
p.0017 乙卯年春三月(ヤヨヒ)
p.0017 三月(ヤヨヒ)〈彌生也、月令、季春是月也、生氣方盛、〉
p.0017 やよひにうるふ月のありける年(とし)よめる 伊勢
櫻花春くはヽれるとしだにも人の心にあかれやはせぬ
p.0017 暮の春三月はじめ
はヽ子つむやよひの月になりぬればひらけぬらしなわがやどの桃
p.0017 十二月異名 三月やよひ〈◯中略〉 さはなさ月
p.0017 十二月異名 花津月 夢見月〈三月〉
p.0017 十二月異名〈◯中略〉 三〈藤雲雀〉 花見月 櫻月 春惜月
p.0017 四月(○○)〈ウヅキ律中二仲呂一、俗云二卯月一、〉
p.0017 四月 うづき
p.0017 仲呂(チウリヨ)〈四月〉麥秋(バクシユ)〈四月〉卯(ウ)月〈此月卯華盛開、故云二卯月一也、〉修景(シユケイ)〈四月〉
p.0017 月倭名 四月〈俗説云、四月山家墻根之間、溲疏花盛開、故稱二此月一爲二溲疏花月一、今所レ謂ウヅキハ、是ウノハナヅキノ訛也、〉
p.0017 四月(うづき) うの花さかりにひらくるゆゑに、うの花づきといふをあやまれり、
p.0017 卯月といふ事は、詩の豳風に四之日といふ事を、周正の四月は卯月也と、見えしものともある也、周正のごときはさもこそあらめ、夏時を行はれんに至ては、四月を卯月といふべき事にあらず、などいふ事もあるべけれども、なを卯月といふ事は、たとへば上巳といふは、もとこれ三月上旬の巳の日をいふ事なれど、魏晋より後には、巳の日にはあらねど、三日をもて上巳とい
p.0018 ふ事のごとし、卯の花のさきぬる月なれば、卯月といふ也といふ説のごとき、しかるべしとも思はれず、ウツギといふ木は、其中のウツボなれば、ウツギと名づけしに、其花のたま〳〵卯月にさきぬれば、卯花などとしるせし也、
p.0018 うづき 卯花月ともいふの義といへり、四月には此花盛り也、又周正の四月は卯月也と、詩の注に見えたりともいへり、
p.0018 うづき〈四月〉 うづきは四月の和名なり、ふるくより所見あり、時當四月之上旬(ヲリシモウヅキノハジメツカタ)と〈古事記訶志比宮記〉いひ、戊午年夏四月(ウヅキ)と〈日本書紀神武紀〉いひ、八重疊(ヤヘダヽミ)、平群乃山爾(ヘグリノヤマニ)、四月與(ウヅキトヤ)と〈萬葉集〉いひ、宇能花能佐久都奇多知奴(ウノハナノサクツキタチヌ)とも〈同上〉みえたり、今少し世くだりては、うづきにさける櫻をみてと〈古今和歌集詞書〉いひ、うつきとて、咲うの花にこつたひてと〈秘藏抄〉いひ、うの花月をなにといはましと〈莫傳抄〉いひ侍るは、萬葉集のうの花の咲月立ぬといふによりしなり、又卯の花月夜さかりすぎ行と〈藏玉集〉いひ、四月うづきと〈八雲御抄〉みえたり、さて四月を卯月と名付たる義を解きしは、奧義抄に、うのはなさかりにひらくる故に、うの花月といふをあやまれりとみえたり、〈下學集、萬葉考別記、類聚名物考、歳時語苑、日本歳時記、和訓栞等書、この説によれり、〉扨また四月の異名のごときにいたりては、秘藏抄などに出たるを、はじめとやいはん、いはゆる此月をこのはとり月と〈秘藏抄〉いひ、又夏初月(ナツハツキ)と〈莫傳抄〉いひ、ゑとりばの月と〈藏玉集〉いひ、花殘月と〈同上〉いひ、又首夏と〈和名類聚鈔〉いひ、孟夏と〈年中行事秘抄〉いひつるも漢名なり、仲呂と〈拾芥抄〉いふは律名なり、是則禮記月令に、其音徴、律中二中呂一といふによりしなり、
p.0018 戊午年夏四月(ウヅキ)
p.0018 四月(ウツキ)〈種月也、播二稻種一之義、古説爲二卯花月一、詩註、周正四月卯月也、〉
p.0018 四月〈◯天平二十年〉一日、掾久米朝臣廣繩之館宴歌四首、
宇能花能(ウノハナノ)、佐久都奇多知奴(サクツキタチヌ)、保等登藝須(ホトトギス)、伎奈吉等與米余(キナキトヨメヨ)、敷布美多里登母(フヽミタリトモ)、p.0019 右一首、守〈◯越中〉大伴宿禰家持作レ之、
p.0019 うづきにさけるさくらをみてよめる 紀としさだ〈◯歌略〉
p.0019 十二月異名 四月卯月〈◯中略〉 このはとり
p.0019 十二月異名 卯花月 夏初月〈四月〉
p.0019 十二月異名〈◯中略〉 四〈卯花時鳥〉 卯花月 得鳥羽月 花殘月
p.0019 五月(○○)〈サツキ律中二蕤賓一〉
p.0019 五月 さつき
p.0019 蕤賓(スイヒン)〈五月〉梅(バイ)月〈五月、又云二送梅月一、此月送二盡梅子一故云レ爾也、〉星火(セイクワ)〈五月〉東井(トウセイ)〈五月〉皐月(サツキ)
p.0019 月倭名 五月〈俗説云、五月農事有時、耕種尤盛、採二早苗一營二播植一、故此月爲二早苗月一、今所レ謂サツキハ、是サナヘヅキノ訛也、〉
p.0019 五月(さつき) 田うふることさかりなるゆゑに、さなへ月といふをあやまれり、
p.0019 サツキといふ事は、早苗とる月なれば、早苗月といひしを、サツキとはいふ也といふ説もまたあるべき、舊事記に見えし所は前にしるせし事のごとし、サナヘといふも、サバヘといふがごとくに、此月の名によりてこそ、いひしことばなるべけれ、
p.0019 さつき 五月をいふ、早苗月也といへれど、幸月なるべし、狩は五月を主とす、
p.0019 さつき〈五月〉 さつきは五月の和名なり、日本書紀、〈神武紀〉萬葉集〈夏雜歌〉等にみえたり、これよりいとふるく神代に、五月の文字みえたるは、いはゆる晝如五月蠅(ヒルハサバヘナス)而沸騰(ワキアガル)之云々と、〈日本書紀神代卷〉みえしぞ始なる、さてさばへなすわきあがるとみえしは、此月にかぎりて蠅多く群がれる事をいへるならん、さて五月蠅、此云二左魔陪(サバヘ)一〈同上〉と、みえたるをもて考ふるに、五月の二字を以て、サと訓ずるは、五十鈴姫命(イスヾヒメノミコト)と〈同上〉見えたる、五十の二字、イといふにおなじく、二字一言なり、しかれば五月をサとのみもいふべけれど、月の名にとなふる故に、さつきと訓たり、さは小なる義なり、
p.0020 すべて物小なるを、さヽやかといひ、小石をさヾれといへれば、さなへ(小苗)月といふべきを中略して、さ月とはいふなるべし、猶卯花月をうづきといふが如し、さなへといふは、文字早苗とのみふるくより書たれども、小苗の義しかるべし、いかにとなれば、早苗ははや苗の義也、はや苗といふは、今いふ早稻(ワセ)の事なり、歌にかつしかわせなどよめる、わせといふべきを、早稻、晩稻をしなべて、苗を植るを、さなへとるといふは、わせおくての差別なきに似たり、早稻の苗を植るを、早苗とるといはヾあたれり、晩稻の苗を植るを、早苗とるとはいふべからず、さなへとはささなへといふ語の、下略とおもはる、小苗と書せば、早稻晩稻をしなべて、さなへとるといひてもしかるべし、凡さなへ植る事は、土地により早晩の差別はあれど、大かたは五月にもはら植るなり、古人さ月の訓義をとくこと、まち〳〵なれども、多くさなへ植月といふ義に説をたてヽ、さなへの訓義に、心づかざりしなり、さて萬葉集より後の書に、さつきといふ名目のみえしは、古今集さつきまつ山ほとヽぎすと、よめる歌をはじめとして、後撰集、拾遺集以下代々の勅撰に出たり、五(サ)月といふ義を解るは、田うふる事、さかりなる故に、早苗月といふを誤れりと、〈奧義抄〉みえしぞはじめなる、八雲御抄には、五月さつきとのみしるし給ひ、又五月、さつき、さみだれ月なるよし古説にみゆ、されどもさみだれをさとのみ一言にいふ事、あまりの略言にや、此月を早苗の頃とすれば、さなへの略言かともみゆ、既に或説にしかいへりと〈類聚名物考〉いひ、五月をサツキといひ、又世の人今もなをつヽしむべき月也などもいふ也、此月の事は、舊事記にみえし所なれば、古の時の名也けむともしらるヽ也、サツキといふ事は、早苗とる月なれば、早苗月と云しを、サツキとはいふ也といふ説も、いかヾあるべきと〈東雅〉いへるはいぶかし、五月稻苗月也と〈跡部光海翁説〉いひ、五月の和名をさつきといふ、田うふる事、さかりなるゆへ、さなへ月といふと〈日本歳時記〉いひたり、此月の異名も授雲月、又たぐさ月と〈秘藏抄〉いひ、賤男染月、又月不見月、又橘月、吹喜月と〈藏玉集〉いへり、さて又仲夏と〈和名類聚鈔〉いひしは、
p.0021 星火、以正二仲夏一と〈尚書堯典〉いへるにより、蕤賓と〈拾芥抄〉みえしは、ともに禮記月令によりし名目なり、
p.0021 戊午年五月(サツキ)
p.0021 五月(サツキ)〈小苗月也、謂レ植レ苗也、〉
p.0021 大伴坂上郞女歌一首
五月之(サツキノ)、花橘乎(ハナタチバナヲ)、爲君(キミガタメ)、珠爾社貫(タマニコソヌケ)、零卷惜美(オチマクヲシミ)、
p.0021 題しらず よみ人しらず
さつきまつ山時鳥うちはぶきいまもなかなんこぞのふるこゑ
p.0021 十二月異名 五月さ月〈◯中略〉 さくも月
p.0021 十二月異名 狡雲月 五月多草月
p.0021 十二月異名〈◯中略〉 五〈橘水鷄〉 賤男染月 月不見月 橘月 吹喜月
p.0021 六月(○○)〈ミナツキ〉
p.0021 六月 みなつき
p.0021 林鐘(リンシヤウ)〈六月〉
p.0021 月倭名 六月〈俗説云、六月農事已畢、舊穀皆盡、故稱二此月一爲二皆盡月一、今所レ謂ミナツキハ、是ミナツキ月ノ略也、一説云、無水月、是月天熱殊甚、水泉枯盡、故以レ無レ水爲レ名也、〉
p.0021 六月(みなつき) 農のことどもヽ、みなしつきたるゆゑに、みなしつきといふをあやまれり、 一説には、此月まことにあつくして、ことに水泉かれつきたるゆゑに、みづなし月といふをあやまれり、
p.0021 水無月といふは、水かれて盡るの義也といふ也、水無瀬などいふ地名もあれば、さもあるべしや、されど此月は、疫やみする事ありとて、御祓する事なれば、これらの事にやよりぬらん、
p.0022 六月をみな月といふは、加美那利(カミナリ)月の上下を略けり、
p.0022 みなつき 六月をいふ、水月の義なるべし、此月は田ごとに、水をたヽへたるをもて名とせり、さなへ月よりうつれる詞也、一に神鳴月の上下略也といへり、神は雷也、
p.0022 みなつき〈六月〉 みなつきは六月の和名にして、ふるくより物にみえたり、いはゆる戊午年六月(ミナツキ)と、日本書紀〈神武紀〉にしるせるぞはじめなる、夫より以下は、萬葉集に不盡嶺爾(フジノネニ)、零置雪者(フリヲクユキハ)、六月(ミナツキノ)、十五日消者(モチニキユレバ)、其夜布里家利(ソノヨフリケリ)とよみ、古今和歌集夏歌詞書に、みなつきつごもりの日ともいひ、みなつきの河邊のはらへに夜更てと〈秘藏抄〉いひ、和名類聚鈔には、此月の名季夏とのみしるして、みな月の和名を出さず、八雲御抄にも、六月みなつきとしるさせ給ひたるを、ひとり此月の名義を解るは、いはゆる農の事も、みなしつきたる故に、みなし月といふをあやまれり、一説に、此月まことにあつくして、ことに水泉かれつきたる故に、水なし月といふをあやまれりと、〈奧義抄〉いへるぞはじめなる、しかれば清輔朝臣の比ほひ、既に二説なるを、後世おほく前説をとらず、後説にのみよれり、水無月といふは、水かれて盡るの義也と〈東雅〉いひ、六月和名水無月といふ、まことにあつくして、ことに水泉かれつきたるゆへに、みづなし月といふと〈日本歳時記〉いひ、水無月、六月之和名也、此月炎暑甚、水泉涸盡、故曰二水無月一と〈歳時語苑〉いひ、水無月水氣干發スルヲ云フと〈跡部光海翁説〉いひ、水なし月といふを略して、水無月といふと〈惠美須草〉いふたぐひ、奧義抄の後説によりしなり、又此月の名を、かみなし月と解く説あり、類聚名物考に、六月、みな月、或人の雷月なるべしといへる理にこそといひ、加茂眞淵も、六月を美奈月といふ、加美那利月の上下を略けり、十月は除月にて雷のならねば、かみ無月といひ、六月は專ら雷の鳴故にむかひて、此名ありと〈語意〉いへるは、藏玉集、此月を鳴雷月といへるにかなへば、亦此説もすてがたしといへども、農事によりて、とく方然るべし、扨異名のごときは、六月、すヽくれ月と〈秘藏抄〉いひ、すヽくれ月、松風月と〈莫傳抄〉いひ、風待月、鳴雷月、常
p.0023 夏月と〈藏玉集〉いへり、林鐘と〈年中行事秘抄〉みえたるは律名にして、禮記月令、史記律書、淮南子時則訓、春秋元命苞、白虎通等に見えたり、
p.0023 戊午年六月(ミナツキ)
p.0023 六月(ミナツキ)〈水月也、言田皆引(マカス)二苗代水一也、〉
p.0023 みな月つごもりの日よめる みつね〈◯歌略〉
p.0023 十二月異名 六月みな月〈◯中略〉 いすヽくれ月〈◯頭書云、彌凉暮月(イスヽクレツキ)、〉
p.0023 十二月異名 凉暮月 松風月〈六月〉
p.0023 十二月異名〈◯中略〉 六〈常夏鵜〉 風待月 鳴電月 常夏月
p.0023 七月(○○)〈フツキ律中二夷則一〉
p.0023 七月 ふづき〈本はふむ月なり〉
p.0023 夷則(イソク)〈七月〉文(フミ)月〈此月七夕諸人以二詩歌之文一獻二於二星一、或晒二書篇一以供レ星、故云二文月一也、〉親月(シンゲツ)〈此月諸人詣二親墳墓一、故云二親月一也、〉
p.0023 月倭名 七月〈俗説云、七月七夕、俗人稱、借二與織女一、令レ披二書於庭戸一、故稱二此月一爲二書披月一、今所レ謂フミヅキハ、是フミヒロゲヅキノ略也、〉
p.0023 七月(ふづき) 七日たなばたにかすとて、ふみどもをひらくゆゑに、ふみつきといふをあやまれり、
p.0023 七月を布美月といふは、保布々美(ホフフミ)月の上下を略きいふ也、稻は七月に穗を含めり、萬葉にふくむをば布々萬里と云を、布々と略き、又ほとのみもいへり、かの春の二月三月は、草木の萌茂るもていひ、秋三月は、稻もていふ也、
p.0023 ふみづき 七月をいふ、穗見月の義なるべし、小苗月、水月、穗見月と次第し、稻穗の出そむるをいふ也、物にふづきともいふは略語也、藏玉集にふみひろげ月と見えたり、
p.0023 ふづき〈七月〉 ふづきは七月の和名なり、ふみづきともいへり、さて此名目のは
p.0024 じめて書にみえしは、孝昭天皇元年七月(フツキ)、遷二都於掖上一と、〈日本書紀〉しるされしぞ始なる、されど此御時よりはるかに上つよに、ふづきの名ありし事明なり、神代に五月蠅(サバヘ)〈同上〉といふ事みえたるも、いまいふ五月の事にて、神武天皇紀にむ月よりしはすまでの、和名みえたりしかど、ふづきのみしるされず、されど月々の名、此御時にみえたれば、孝昭天皇の御代より、はるかに上つ代の和名なる事著るし、萬葉集には、秋雜歌に、七月七日之夕者(フミヅキナヌカノヨヒハ)、吾毛悲烏(ワレモカナシヲ)などみえたり、既にこの集に、ふみ月とふづきを讀りしより、古今集、後撰集の時代には、七月を文月などいふ文字に書しるしたれば、ふみづきとよめる事とはなれり、扨七月織女にかすとて、書どもをひらく故に、文月といふを誤れりと〈奧義抄〉いへるは、其時代よりふるくいひ傳たる所なるべし、されどこの説にては、文月はふみひらく月と云義にとりしも、西土にて七月七日、曝書する事あるによりて、ふみひらく月といふ義に、とりなせしならんとおもはる、曝書の事は、早くは四民月令に、七月七日曝二經書及衣裳一不レ蠹とみえたり、崔國輔が詩、韓諤が歳華記麗等にもいでたり、さて八雲御抄には、ふづき、本はふむ月なりとしるさせ給ひ、藏玉集などにも、ふみひろげ月としるせる曝書の意と、おなじくおもはるれど、下學集、壒囊鈔などにしるせるは、七月七日二星に、文書を手向祭る義にいへり、藻鹽草もこれにしたがひ、日本歳時記、歳時語苑、毫品通考等も、みな七月七日二星に、文書を備へてまつるよしみえて、此月を文月といふ、七日たなばたにかすとて、ふみどもをひらく故に、ふみづきといふを略せりと〈日本歳時記〉いへり、これらの説どもは、皆曝書よりこと起りて、後世終に二星に、文書、衣裳、其外種々の物共を備へて、二星を祭る事とはなれり、さてふみづきの名は、ふくみ月の義にとるかたしかるべし、此月稻穗を含めり、八月穗を張、九月かりとるなり、類聚名物考にも、此時に稻の穗の出んとして、妊む時なればいふか、加茂眞淵もしかいへり、跡部光海翁は、穗見月なりといひ、谷川士清もしかいへり、此等の説えたりといふべし、扨また奧義抄の説は、文月といふかたにつ
p.0025 きて用ゆべし、又此月の異名を、めであひ月と〈秘藏抄〉いひ、七夜(ナヽヨ)月、秋初月と〈莫傳抄〉いひ、ふみひろげ月、女郞花月、七夕月と〈藏玉集〉いへり、
p.0025 神渟名川耳天皇〈◯綏靖、中略、〉三十三年〈◯中略〉其年七月(フヅキ)、
p.0025 七月(フミツキ)〈穗見月也、言此月方見二稻穗之脱一也、〉
p.0025 女のもとより、文月ばかりにいひおこせて侍ける、〈◯歌略〉
p.0025 十二月異名 七月ふみづき〈◯中略〉 めであひ月
p.0025 十二月異名 七夜月 秋初月〈七月〉
p.0025 十二月異名〈◯中略〉 七〈女郞花鵲〉 文披月 七夕月 女郞花月
p.0025 八月(○○)〈ハツキ〉
p.0025 八月 はつき
p.0025 南呂(ナンロ)〈八月也、又云二葉月一、落葉時節故云也、〉
p.0025 月倭名 八月〈俗説云、八月木葉漸以搖落、故稱二此月一爲二葉落月一、今所レ謂ハツキハ、是ハヲチヅキノ略也、〉
p.0025 八月(はつき) 木のはもみぢておつるゆゑに、葉おちづきといふをあやまれり、
p.0025 八月を波(ハ)月といふは、保波利(ホハリ)月の上下を略きいへり、稻は皆八月に穗を張也、
p.0025 はつき 八月をいふ、葉月の義、黄葉の時に及ぶをいふめり、西土にも葉月の名あり、
p.0025 はつき〈八月〉 はつきは八月の和名なり、葉月などもかけり、さて此月の名の始てみえしは、戊午年秋八月甲午朔乙未、天皇使レ徴二兄猾及弟猾一と〈日本書紀〉書しるされたれど、五月蠅の文字、既に神代の卷に出たれば、其時代に月々の名目ありしもしるべからず、朱鳥七年癸巳秋八月、幸二藤原宮地一と〈萬葉集卷一〉記せるは、朱鳥の年號天武天皇の御宇なれば、神武天皇の御代より、遙に
p.0026 年歴へだたれり、又萬葉集の歌に、みなつき、ふ月、長月などの名目はよめれど、は月とよめる歌みえず、後撰和歌集に、は月ばかりに、又は月なかの十日計になどみえ、八月、はつきと〈秘藏抄〉いへれど、此月の名義を沙汰せるは、奧義抄に、八月木のはもみぢておつる故に、葉落月といふを、よこなまれりといへるぞ初なる、漢武帝の秋風辭に、秋風起兮白雲飛、草木黄落兮鴈南歸、とあるによれるか、黄落の字、葉落月の義に合り、鴈南歸の字、久方の雲井のかりのこしぢより初てくるやはつき成らん、とよめるに合り、下學集、日本歳時記、歳時語苑等、皆此説によれり、秘藏抄歌に、初鴈の聲きこゆなりはつき立朝の原のうす霧のまに、又新撰六帖爲家卿の歌に、久方の雲井のかりのこしぢよりはじめてくるやはつき成らん、とあるに、類聚名物考、月令を引て、此月初めて鴈の來れば、初來(ハツキ)月なるを、辭をはぶきて、はつきとはいふなるべしといへるは、秘藏抄の歌とあへり、亦一説は葉月、稻葉月也、稻葉茂ルを云フト〈跡部光海翁説〉いひ、八月を波月といふは、保波利月の上下をはぶきいへり、稻は皆八月穗を張也と〈語意〉いへり、本居宣長も語意の説にしたがへり、〈委細に古事記傳訶志比宮の卷に、辨じ置けり、〉さて以上三説を合せ考ふるに、古説新説ともに何れも理りなきにしもあらねど、秋三月は稻の成熟する次第もて解かたしかるべし、所レ謂七月をふくみ月といふは、穗莟むをいひ、八月は穗張りみのる義もて名付る也、いかにとなれば、秋といふ名は、百穀成熟の時をいふ、穀物のあき滿る義にとれるなれば、かた〴〵秋三月は、稻の事もてとくかたしかるべし、さて此月の異名を、さヽはなさ月と〈秘藏抄〉いひ、木染月、草津月と〈莫傳抄〉いひ、秋風月、月見月、紅染月と〈藏玉集〉いへるも、和歌よりいでし名目なり、橘春といふ名目は、漢名なるべけれど、出所詳ならず、たヾ日本歳時記にみえたれど、たしかなる書に未二見當一、鴈來月、燕去月などいふは、世俗の稱する名目にして、古書に載ざれども、仲秋之月、鴻鴈來賓と〈禮記月令〉いへるによりて名付し也、燕去月と云は、玄鳥歸と〈同上〉いへり、〈玄鳥は燕を云〉鴈來月に對して名付しなり、秋半ととなふるも、八月は秋三月の半なればなり、あけば又
p.0027 秋の半も過ぬべし、とよまれたる、定家卿の詠などにもとづきて、名付しならん、新撰六帖はつきの歌に、秋もはや半になれやと、衣笠内大臣〈家良公〉もよまれたり、
p.0027 戊午年秋八月(ハツキ)
p.0027 八月(ハツキ)〈葉月也、謂二黄葉可一レ愛、〉
p.0027 あひしりて侍ける女の、あだ名たちて侍ければ、久しくとぶらはざりけり、八月ばかりに女のもとより、などかいとつれなきと、いひをこせて侍りければ、〈◯歌略〉
p.0027 十二月異名 八月はつき〈◯中略〉 さヽはなさ月
p.0027 十二月異名 木染月 草津月〈八月〉
p.0027 十二月異名〈◯中略〉 八〈萩雁〉 秋風月 月見月 紅染月
p.0027 九月(○○)〈ナガツキ律中二無射一〉
p.0027 九月 ながつき
p.0027 無射(ブヱキ)〈九月〉長月〈夜長時分故云也〉
p.0027 月倭名 九月〈俗説云、九月夜漏漸長、故此月爲二夜長月一、今所レ謂ナガヅキハ、是ヨナガヅキノ略也、〉
p.0027 九月(ながつき) 夜やう〳〵ながきゆゑに、夜なが月といふをあやまれり、
p.0027 九月を奈我(ナガ)月と云は、伊奈我利(イナガリ)月の上下を略きいへり、稻は九月に苅をさむる也、
p.0027 ながつき 九月をいふ、長月の義、夜長月ともいへり、拾遺集に、夜を長月とよめり、漢にもふるくいひ傳へたり、
p.0027 ながつき〈九月〉 ながつきは九月の和名なり、さて皇國にてこの月の名始めてみえしは、戊午九月(ナガツキ)甲子朔戊辰と〈日本書紀神武紀〉しるせるぞはじめなる、しかれども此前より、此月の名目のみにあらず、月々の和名は有しなるべし、歌にふるくよめるは、石田王卒之時、山前王哀傷
p.0028 作歌に、角障(ツヌサハフ)、石村之道乎(イハレノミチヲ)云々、九月能(ナガツキノ)、四具禮能時者(シグレノトキハ)、黄葉乎(モミヂバヲ)、折插頭跡(ヲリテカザスト)云々と〈萬葉集卷第三雜歌〉みえたり、猶同集に、ながつきとよめる歌數多あり、擧にいとまあらず、扨なが月の解をなせるは、みつね忠岑にとひ侍ける歌に、よるひるの數はみそぢにあまらぬをなど長月といひ初けん、とよめる答に、秋ふかみ戀する人のあかしかね夜をなが月といふにやあるらむ、〈拾遺和歌集卷第九雜下〉とみえたるを初にて、九月夜漸くながき故に、夜長月といふを誤れりと〈奧義抄〉いひ、長月夜の長き時分也と〈下學集〉いひ、九月、なが月、古説に夜の長きをいふとあり、さもあるべきと〈類聚名物考〉いひ、ながつき九月をいふ、長月の義、夜長月ともいへりと〈和訓栞〉解るも、皆拾遺和歌集の歌の意とおなじく、此月分て夜の長ければ稱せるなり、然るを加茂眞淵は、九月をなが月と云は、伊奈我利月の上下を略きいへり、稻は九月に苅をさむる也と〈語意〉いへるを、本居宣長は是によりて、師の考に九月は稻苅月なりといひ、又九月は稻熟(イネアカリ)月にてもあらんか、但シ賀を濁るは、刈にても熟(アカリ)にてもいかヾなるは、音便にて濁るか、はた異意か決めがたしと〈古事記傳訶志比宮卷〉いへり、凡秋三月みながら稻の事もて、月の名を成事、既に七月八月の考にいひ置り、又此月の異名を、いろどり月と〈秘藏抄〉いへるを始として、菊開月、紅葉月と〈莫傳抄〉いひ、小田刈月、寢覺月と〈藏玉集〉いへり、
p.0028 戊午年九月(ナガツキ)
p.0028 九月(ナガツキ)〈夜長月也〉
p.0028 遠江守櫻井王奉二天皇一歌一首
九月(ナガツキ/○○)之(ノ)、其始雁乃(ソノハツカリノ)、使爾毛(ツカヒニモ)、念心者(オモフコヽロハ)、可聞來奴鴨(キコエコヌカモ)、
p.0028 なが月のつごもりの日、大井にてよめる、 つらゆき〈◯歌略〉
p.0028 みつね、たヾみねにとひ侍ける、 參議伊衡
よるひるのかずはみそじにあまらぬをなど長月といひはじめけむp.0029 こたふ みつね
秋ふかみ戀する人のあかしかね夜をなが月といふにやあるらん
p.0029 十二月異名 九月ながづき〈◯中略〉 いろどり月
p.0029 十二月異名 菊開月 紅葉月〈九月〉
p.0029 十二月異名〈◯中略〉 九〈薄鶉〉 紅葉月 小田刈月 ね覺月
p.0029 天文十八〈己酉〉此年菊月四日〈◯下略〉
p.0029 十月(○○)〈カミナツキ律中二應鐘一〉
p.0029 十月 かみなづき 出雲國には鎭祭月といふ
p.0029 應鐘(ヲウシヨウ)〈十月〉神無月(カミナツキ)〈十月諸神皆集二出雲大社一、故云二神無月一也、出雲國神有月云也、〉
p.0029 陽月(カミナツキ)〈十月於レ卦爲レ坤、恐三人疑二其無一レ陽、故特謂二之陽月一、所三以見二陽氣已萌一、見二西京雜記一、〉神無月(同)〈本朝俗説、見二奧儀抄一、〉
p.0029 月倭名 十月〈俗説云、十月天下衆神輻二湊出雲國一、而他國無レ神、仍都鄙總無二禊祭之禮一、故稱二此月一爲二無レ神月一、今所レ謂カミナヅキハ、是カミナシヅキノ略也、〉
p.0029 十月(かみなづき) 天下のもろ〳〵の神、出雲國にゆきて、こと國に神なきがゆゑに、かみなし月といふをあやまれり、
p.0029 問て云、十月を神無月と申は、何のゆへにて侍るにや、 答、此月を神無月と申は、伊弉册尊崩給月なれば申なり、また四方の木葉ちりすさむ頃なりとて、葉みな月と申人あり、いとおぼつかなし、また諸神、いづもの大やしろへ下給へば、申ともいへり、
p.0029 長月陽月のごときは、漢にもふるくいひ傳へし所也、其中陽月を讀てカミナヅキといひしは、カミノツキといひしことば也、たとへば萬葉集の歌に、神邊山(カミノベヤマ)としるせしを讀て、カミナビヤマといふがごとし、古語にはノといふは轉じてナとなりし事はいくらもあり、水上のごとき、ミノカミといふべきをミナカミといひ、田上のごとき、タノカミといふべきをタナカミとい
p.0030 ふがごときこれ也、
p.0030 六月をみな月といふは、加美那利(カミナリ)月の上下を略けり、十月は陰月にて雷のならねば、かみ無月といひ、六月は專ら雷の鳴故にむかへて此名有、雷をかみとのみいへる事、古への常也、
p.0030 民間歳節下
十月謂二之上無月(カミナツキ)一〈◯中略〉 按、上無、本邦律名、〈上無、此讀云二加彌模一〉本名二鳳音一、樂家相傳爲二應鐘一、應鐘十月律也、故呼二是月一爲二上無一、〈月名呼爲二加彌那詩一、義相通、俗或作二神無一、以二國讀近一誤耳、〉
p.0030 かみなづき 十月をいふ、十は數の極なれば、數皆月の義といへど、神嘗月の義なるべし、我邦の古へも西土にも、神嘗祭は十月なりし事其證多し、古説に神無月の義とし、出雲の故事をいひ傳へり、新續古今集に、
逢ふことを何にいのらん神無月をりわびしくもわかれぬる或、
大物主神の八十萬神を帥ひて、天にのぼりたまふは此月也と、出雲國造家の説也、或は雷無月の義なりといへり、
p.0030 かみなづき〈十月〉 かみなづきは十月の和名なり、皇國にてかみな月の名目の始てみえしは、甲寅年冬十月(カミナツキ)丁巳朔辛酉と〈日本書紀神武天皇紀〉よまれたり、夫より以下は十月(カミナヅキ)、鐘禮爾相有(シグレニアヘル)、黄葉乃(モミヂバノ)と〈萬葉集〉いひ、十月(カミナヅキ)、鐘禮乃雨丹(シグレノアメニ)とも、十月(カミナヅキ)、雨之間毛不置(アメノマモオカズ)とも〈同上〉みえたり、古今和歌集以下は、擧るにいとまあらず、扨十月を神無月といふは、雷のなき月ゆへ、かみな月と〈義公御隨筆〉仰られし、又神無月といふによりて、無陽などいふもあまりに事むづかし、月令に雷聲ををさむる時なれば、雷無月なるべしと〈類聚名物考〉いへり、又説に應鐘のしらべ、日本にては上無調といへり、應鐘は十月の律なれば、上無月といふ義也と〈兩朝時令、速水見聞私記、秇苑日渉、〉いへり、十月の律、上無調といふ事は、はやく拾芥抄にみえたり、されば此月を上無月と書ても、しかるべしと思ひしに、かみな月と云は、上無月なるべきか、元は上を書して、後に神の字にかへたるは、上無と書ては、名目あたる所ありてよ
p.0031 ろしからず、よりて神の字を書歟と〈速水見聞私記〉いへり、又十は數の極也と〈同上〉いひ、左傳に以二十月一入、曰二良月一也、就二盈數一焉といへるによれば、十は盈數にて上なきの稱、故に上無月といひしにや、されば此三説のうちをとるべきなり、西土に陽月といふ、十月は坤の卦に當りて、純陰の月也、陽なきを嫌ふ故に、無陽の月なれども、却て陽月といへり、〈兩朝時令、日本歳時記、〉天下の諸神出雲の國に行給ひて、こと國には神なきが故に、神無月といふ、〈奧義抄〉伊弉册尊崩じ給ふ月なれば、神無月と申なり、〈世諺問答〉四方の木すゑちりすさむ頃なりとて、葉みな月と申人ありと〈同上〉みえたり、陽月のごときは、漢にもふるくいひ傳へし所なり、其中陽月を讀て、神無月カミナヅキといひしは、カミノツキといひしことば也と〈東雅〉いひ、又神嘗月といふ説もあれど、いづれも信じがたし、西土にて國於レ是乎蒸嘗、家於レ是乎嘗祀と〈國語〉いへるなどにもとづきて、神嘗月といふ義にとりしとみえて、我邦の古へも、西土にも神嘗祭は十月なりし事、其證多しと〈和訓栞〉いひしなり、さて異名のごときは、かみなかり月と〈秘藏抄〉いひ、神去月と〈莫傳抄〉いひ、鎭祭月と〈八雲御抄〉いひ、時雨月、拾月、初霜月と〈藏玉集〉いへり、
p.0031 甲寅其年冬十月(カミナツキ)
p.0031 十月(カムナツキ)〈冬寒也、十月神嘗月也、下文曰、冬十月癸巳朔、天皇嘗二其嚴瓫之粮一、天武紀曰、十月祭二幣帛於相新嘗諸神祇一、神祇令、季秋神嘗祭、仲冬上卯相嘗祭、下卯大嘗祭、此不レ言二十月一、類書纂要、薦新民俗于二十月一炊二新秔一薦二之于先塋一、後漢書註、正祭外十月嘗レ稻等、謂二之間祀一、〉
p.0031 十月(カミナヅキ)、鐘禮爾相有(シグレニアヘル)、黄葉乃(モミヂバノ)、吹者將落(フカバナリナム)、風之隨(カゼノマニマニ)、
右一首、 大伴宿禰池主、
p.0031 題しらず よみ人しらず
神無月時雨もいまだふらなくにかねてうつろふ神なびのもり
p.0031 十二月異名 十月神無月〈◯中略〉 かみなかり月
p.0031 十二月異名 神去月 神無月〈十月〉
p.0032 十月を神無月といひて、神事にはヾかるべきよしは、しるしたる物なし、本文も見えず、但當月諸社のまつりなき故に、此名あるか、此月よろづの神たち太神宮へあつまり給ふなどいふ説あれども、其本説なし、さる事ならば、伊勢にはことに祭月とすべきに其例もなし、十月諸社の行幸其例も多し、但おほくは不吉の例也、
p.0032 十二月異名〈◯中略〉 十〈菊鶴〉 時雨月 拾月 初霜月
p.0032 十一月(○○○)〈シモツキ〉
p.0032 十一月 しもつき
p.0032 黄(クワウ)鐘〈十一月〉霜(シモ)月〈此月霜初降也〉暢(チヤウ)月〈月令中冬命レ之曰二暢月一也〉六呂〈十一月〉陽復(ヤウフク)〈十一月〉
p.0032 月倭名 十一月〈俗説云、十一月天頻霜降、故稱二此月一爲二霜降月一、今所レ謂シモツキハ、是シモフリヅキノ略也、〉
p.0032 十一月(しもつき) 霜しきりにふるゆゑに、しもふり月といふをあやまれり、
p.0032 霜月といふ事、漢にもふるくいひし事なれども、それは九月をこそいひけれ、我國にては十一月をいひし也、その月は異なれど、其義をとる事は相同じ、
p.0032 民間歳節下
十一月謂二之霜月一 月令廣義曰、集古録韓明府修二孔子廟一碑曰、永壽二年歳在二涒灘一、霜月之靈、皇極之日、蓋九月五日也、又曰二霜辰一、皇極日九月五日也、 熙按、詩豳風、九月肅霜此以二夏正一言、故九月謂二之霜月一、今十一月謂二之霜月一者、各土風氣不レ同、在二本邦一大抵十一月乃繁霜、故謂二之霜月一、豳之土北鄰二戎狄一、所レ謂一之日觱發意、雪已降故、在レ彼九月爲二霜月一、在レ此十一月爲二霜月一、理宜レ然耳、
p.0032 しもつき 十一月をいふ、霜月の義也、霜の盛にふるときなれば、名くる成べし、漢には九月を霜降とするは、其初めをいふ也、
p.0032 しもつき〈十一月〉 しもつきは十一月の和名なり、皇國にて此月の名のふるく
p.0033 より見えしは、冬十有一月(シモツキ)丙戌朔甲午と〈日本書紀神武天皇紀〉あるを始とす、夫より以下は、以二天平五年冬十一月一、供二祭大伴氏神一と〈萬葉集〉みえたり、歌に舊く此月の名をよめるは、見るまヽに雪げの空と成にけりさらぬにさゆるしもつきの空、と〈秘藏抄〉みえたるを初とす、霜しきりにふるゆへ、霜降月といふを誤れりと〈奧義抄〉いひ、風寒み霜降月の空よりや雪げとみえてくもり初らん、と〈藏玉集〉みえたり、又霜月といふ事、漢にもふるくいひし事なれど、それは九月をこそいひけれ、我國にては十一月をいひし也、その月は異なれど、其義をとる事は相同じと〈東雅〉いへり、又しもつき、この月には霜のいたくふればいふ、舊説さもあるべしと〈類聚名物考〉いひ、十一月の和名を霜月といふ、霜しきりにふる故、霜降月といふと〈日本歳時記〉いひ、霜盛降故曰二霜降月一と〈歳時語苑〉いひ、しもつき、十一月をいふ、霜月の義なりと〈和訓栞〉いへるがごとく、もはら此月霜降故月の名とせるは、四月を卯月といふも、卯の花盛にひらくる故、卯月といふがごとし、源君美がいへるごとく、西土にては霜初てふれる義をとりて、月の名となし、皇國にては霜盛にふれる月を名付て、霜月といへり、藤原宇萬伎曰、志保美都伎也、保を母に通はせ、美を略ける也、此月にして、木草皆凋ば也と〈十二月名の解〉いへり、按に此月をしも月と云ふは、下の義にもとれり、いかにとなれば、十よりして一にかへりて、十一十二と數をとれば、十一は下にかへる義にて、しも月といふなり、左傳に十は盈數也と、みえたるにても義明かなり、此月の異名のごときは、なかの冬と〈曾丹集〉いひ、つゆこもりのは月と〈秘藏抄〉いひ、雪待月、神歸月と〈莫傳抄〉いひ、雪見月、神樂月と〈藏玉集〉いひ、子月と〈壒囊抄〉いへり、
p.0033 是年也、太歳甲寅、其年冬、〈◯中略〉十有一月(シモツキ)、
p.0033 十有一月(シモツキ)〈霜月也、言、霜盛降之時也、詩註有又也、〉
p.0033 右歌者〈◯歌略〉以二天平五年冬十一月(シモツキ)一供二祭大伴氏神一之時、聊作二此謌一、
p.0033 十二月異名 十一月霜月〈◯中略〉 露こもりのは月
p.0034 十二月異名 雪待月 神歸月〈十一月〉
p.0034 十二月異名〈◯中略〉 十一〈りうたん千鳥〉 霜降月 神無月 霜見月
p.0034 十二月(○○○)〈シハス 俗云師馳、律中二大呂一、〉 臈月〈同十二月〉
p.0034 十二月 しはす
p.0034 大呂〈十二月〉臘月〈支那十二月之祭名レ臘、故云二臘月一也、臘與レ臈同字也、〉師趨(シハス)〈十二月一年終、諸人事繁而不二暫居一レ家、雖二師匠一亦趨走、故云二師趨一也、〉
p.0034 師趨(シハス)〈歳之終、庶人事多不二暫住一レ家、雖二師匠一亦趨走、故云レ爾、〉臘月(同)、季冬(同)、〈日本紀〉
p.0034 月倭名 十二月〈俗説云、十二月俗競迎二法師一、或禮二佛名經一、或令レ讀二誦諸經一、東西馳走、故稱二此月一爲二師馳月一、今所レ謂シハスハ、是シハセヅキノ略也、〉
p.0034 十二月(しはす) 僧をむかへて、佛名をおこなひ、あるひは經をよませ、東西にはせはしるゆゑに、師はせ月といふをあやまれり、
p.0034 シハスとは、これも漢に十二月を歳終と云しごとく、歳の終を云也、古語に、年をトシともいひ、トセともいひ、またチともいひし事、前に注せし事のごとく、そのチといひしは、トシといふことば、一たび轉じてシとなり、シといふことば、ふたヽび轉じてチとなりし也、シハスといふがごとき、シとはトシといふことばのひとたび轉ぜし所也、ハスといふはハツ也、スといひツといふも、其語轉ぜし也、我國の語に、凡事の終りをハツといふも、その語の轉ぜし也、凡事の終をばハツとしハテと言也、されば萬葉集に、極の字讀てハツともいへば、俗に極月の字を用ひて、シハスともいふなるべし、
p.0034 十二月を志波須(シハス)といふは、登志波都留(トシハツル)月の上下を略き、波(ハ)は本の如し、都(ツ)と須(ス)を通はしいへり、
p.0034 民間歳節下
十二月謂二之四極一、又曰二極月一、 貝原損軒曰、是月也四時極盡、故曰二四極一、〈此讀云二四波須一〉俗名二極月一亦此意、豐後p.0035 有二四極山一、亦讀云二四波都山一、〈都須皆一音之轉〉可二以徴一矣、 熙按、元日曰二四始一、言二歳之始、時之始、日之始、月之始一也、四極即四者之極也、極月猶レ言二窮稔窮月一也、〈四始見二潛確類書一、窮稔窮月見二月令廣義一、〉
p.0035 しはす 十二月をいふ、歳極るの義なるべし、萬葉集に、昨日社年者極之賀と見えたり、俗に此月を極月といふも、はつる月の義也、漢にも歳終といふなり、
p.0035 しはす しはすは十二月の和名なり、師走又四極ともかけり、さて此月の名の始てみえしは、十有二(シハス)月丙辰朔壬午、至二安藝國一と〈日本書紀神武天皇紀〉書記されたれど、是より前に月々の名目ありし事は、既に上にしるす如し、和歌に此月の名をよめるは、十二月爾者(シハスニハ)、沫雪零跡(アワユキフレド)、不知可毛(シラヌカモ)と〈萬葉集〉みえ、なにとなくしはすの空になりにけりと〈秘藏抄〉よめり、又物へまかりける人を待て、しはすのつもごりにと、〈古今集〉詞書にしるせるをおもへば、あがれる世には今の世の十一月十二月と、音をもてよばずして、しもつきしはすと、となへし事明かなり、さて此月の名義を解はじめたるは、十二月僧をむかへて、經をよませ、東西にはせはしるが故に、師走月といふをあやまれりと〈奧義抄〉いへれど、いと覺束なし、下れる世の説なれども、シハスといふが如き、シとはトシといふ詞の、ひと度轉ぜし所也、ハスといふはハツなり、スといひツといふも、その語の轉ぜし也、我國の語に、凡事の終りをば、ハツともハテともいふなり、されば萬葉集に、極の字讀てハツともいへば、俗に極月の字を用ひて、シハスともいふなるべしと、〈東雅〉辨じたるこそ的當の説にして、はるかに勝れたれ、加茂眞淵、谷川士清、楫取魚彦、藤原宇萬伎等の四人の説、自己の考の如く、此月の名義を辨じたれども、皆前に辨じたる所の、東雅の説なれば、是によりしならん、さて此月の異名を、年はつむ月と〈秘藏抄〉いひ、暮古(クレコ)月、親子月と〈莫傳抄〉いひ、春待月、梅初月、三冬月と〈藏玉集〉いひ、をとこ月と〈年浪草〉いへり、
p.0035 戊午年十有二(シハス)月
p.0036 十有二月(シハス)〈歳極(ハツル)也、萬葉集四極(シハツ)山、俗稱二極月一、亦此意、〉
p.0036 紀少鹿女郞 梅花歌
十二月爾者(シハスニハ)、沫雪零跡(アワユキフルト)、不知可毛(シラヌカモ)、梅花開(ウメノハナサク)、含不有而(フヽメラズシテ)、
p.0036 しはすのつもごりの夜なのおにを〈◯歌略〉
p.0036 十二月異名 十二月しはす〈◯中略〉 年よつむ月
p.0036 十二月異名 暮古月 親子月〈十二月〉
p.0036 十二月異名〈◯中略〉 十二〈梅鴛〉 春待月 梅初月 三冬月
p.0036 閏月〈漢書云、以二歳之餘一爲レ閏、易曰、五歳再閏、俗云二潤月一訛也、然與二依俗説一合、〉
p.0036 帝曰、咨汝羲曁和、朞三百有六旬有六日、以二閏月一定二四時一成レ歳、〈傳、咨嗟、曁與也、匝二四時一曰レ朞、一歳十二月、月三十日、正三百六十日、除二小月六一爲二六日一、是爲二一歳有餘十二日一、未レ盈二三歳一、是得二一月一則置レ閏焉、以定二四時之氣一、成二一歳之暦象一、〉
p.0036 閏月(ジユンゲツ/ウルフツキ) 門玉(モンギヨク)〈杜預以二門中玉一爲レ閏〉 王門〈禮〉 陽餘〈白虎通〉 餘月 二終〈唐書暦志〉 閏餘(ジユンヨ)〈史〉 贏餘(ヱイヨ) 非常(ヒジヤウ)月〈公羊傳〉 叢殘(ソウザン)〈谷梁傳註〉 贏閏(エイジユン) 附餘(フヨ)〈穀梁傳、閏月者附二月之餘日一也、〉 章閏(シヤウジユン) 歸餘 章月 備閏(ビジユン) 蔀閏(ホウジユン) 門中王〈字彙〉
p.0036 閏月(ウルフヅキ)〈書言大全、積レ歳之餘日爲二閏月一、三年一閏、五年再閏、〉
p.0036 うるふづき 閏月をいふ、閏は潤餘の義なれば、日本紀に潤月ともかけり、 うるふどしといふも、西土に潤年と見えたり、 天の運行、三百六十五度四分度の一にて、一年三百六十日と立て、月に大小あり、過る六日を氣盈とし、不足の六日を朔虚とす、此過不足を合せ、十二日三年積て、三十六日の餘りあるをもて、三年に一閏を立る、五歳に再閏、十九年にして七閏に及べば餘分なし、是を一章といふ、
p.0037 のちのつき〈閏月〉 閏月を以て、うるふづきとよめるは、皇國にては後世の事なり、ふるくはのちの幾月とよめり、日本書紀仲哀天皇紀に、元年冬閏十一月(ノチノシモツキ)とみえたるをはじめとせり、此天皇の御時より以下皆閏月を以て、のちの幾月とよみ來りしを、三百九十年を經て、敏達天皇の十年にあたり、二月に閏あり、潤字を用ひて、のちとよみたり、西土にては秦漢よりして、閏を以て後のそれの月といへり、いはゆる秦二世二年後九月と〈史記秦楚之際月表〉みえ、後九月懷王并二呂臣項羽軍一と〈漢書高帝紀〉みえたり、且閏を以て歳終に置事古例なり、左傳によるよし、師古が漢書注に辨ぜり、秦用二顓帝暦一、十月爲二歳首一と〈天中記引左傳講釋〉いへり、漢は秦の制を用て、以二十月一爲二歳首一、故秦漢以二九月一爲二歳首一、是によりて史記秦楚之際月表、漢書高帝紀等、閏月をばみな歳終に置ゆゑに、後九月と記せり、書紀に閏月を記せる所あまたあれども、潤字を以て塡しは、敏達紀、持統紀のみなり、持統紀には閏月ある毎に、皆潤字を書たり、此頃より潤字にうるふの訓あれば、潤字をうるふとよみならひしなるべし、古今和歌集にうるふ月とみえたれば、その前よりいひし事しられたり、此をもつて考ふるに、持統天皇の紀に閏をしるすに、潤字のみを用ひたりしより、いつとなくのちの月といはずして、うるふとのみとなへし事なるべし、萬葉集には、閏をよめる歌見えずして、延喜の頃より閏月をよめる歌多くみえたり、又五月二つある年、みな月二つある年など、撰集歌集等にあまた出たり、閏をうるひとよみしも歌あり、又同じ歌の初句ばかり、あまりさへとかへて、以下は句上におなじきを、後撰集に入て、よみぬしも貫之なれば同歌也、あまりとよめるもいと面白きことなり、いはゆる先王之正レ時也、履二端於始一、擧二正於中一、歸二餘於終一と〈左傳文公傳〉みえ、閏月者附月之餘月也と〈穀梁傳〉みえ、黄帝起二消息一正二潤餘一、則閏蓋餘分之月也と〈史記〉みえ、閏餘分之月と〈説文〉見えたるを以て見れば、是等の説に貫之もよられしなり、また月日のそふとよめるは、歌に、織女のまつに月日のそふよりはあまる七日のあらばあれかし、と〈赤染衞門集〉見え、月のかさなる、或は數くはヽれる
p.0038 としと〈新撰六帖〉みえたり、又春の閏月を、春くはヽれる年と〈古今和歌集〉よみ、秋にはあまりある秋とよみ、冬は冬のあまりにと〈六帖古今〉よみ、三冬しそへばとも〈新撰六帖〉よめり、詳にあぐるにいとまあらず、扨西土の書初て閏の事をしるせるは、歸奇於扐以象レ閏と〈易繫辭〉みえたるを始とせり、年に閏を置事は、四時の氣候をさだめ、水旱風雨の憂を推量し、寒熱温凉其時に應ぜしめて、正時を以て元とせり、且民時農業にかヽはりて肝要の事也、故に期三百有六旬有六日、以二閏月一定二四時一成レ歳以授二民事一と〈尚書堯典〉みえたるにても、三代の時より閏を置て以て時を正し、順不順の時氣を補ふ事、聖人以定置給ひし事なり、故に閏は失ふべからず、もし閏を失ふ時は、則百姓何以てか其生を安んぜんや、左氏曰、閏以正レ時、時以作レ事、事以厚レ生、生民之道、於レ是乎在矣と〈文公傳〉みえたるにても、閏を置ずして、かなはざる事しられたり、又置レ閏定め大數極まりあり、いはゆる十一歳四閏、十九歳七閏是也と、〈漢書律暦志〉純奏曰、三年一閏天氣小備、五年再閏天氣大備と〈後漢書〉みえ、三年一閏、五歳再閏也、明二陰不レ足陽有一レ餘也、閏也者陽之餘也と〈白虎通〉みえ、凡閏六歳再閏、又五歳再閏、又三歳一閏、凡十九歳七閏爲二一章一と、〈玉燭寶典引王輔嗣注〉みえたるを以て、置レ閏の定め次第ある事しられたり、又閏と閏との間月を、隔事三十二月にして、一閏をうるなり、いはゆる大率三十二月則置レ閏と〈正字通陳氏説引〉みえ、古暦十九歳爲二一章一、章有二七閏一、三年閏九月、六年閏六月、九年閏三月、十一年閏十一月、十四年閏八月、十七年閏四月、十九年閏十二月と〈同上〉いへるは、其大率を月に配當せるなり、もし一度失レ閏ば、十二月螽出るに至れり、是時猶温なればなり、故に十有二年冬十有二月螽と〈春秋〉記せり、又康季子問二於孔子一曰、今周十二月、夏之十月、而猶有レ螽何也、孔子對曰、丘聞レ之火伏而後蟄者畢、今火猶西流、司歴過也と〈家語〉いへり、此閏を失へる事をいはれし也、草木鳥獸無心にして、自から時をしれり、いはゆる惟有二黄楊厄閏年一と〈東坡詩〉いひ、黄楊木歳長一寸、閏年倒長二一寸一と〈埤雅〉いひ、俗説歳長一寸過、閏則退、今試レ之、但閏年不レ長耳と〈本草綱目〉いへり、梧桐可レ知二閏月一、無レ閏生二十二葉一云々、有レ閏則生二十三葉一、視二葉小者一則知レ閏二何月一也と〈遁甲〉
p.0039 〈書〉いへるは、尤よく閏をしるものなり、閏生應レ月、月生二一節一、閏輙益レ一と〈埤雅〉いひ、茈菰歳有レ閏則十三實と〈爾雅翼〉いひ、牡丹遇二閏歳一花輙小と〈同上〉みえたり、又椶櫚遇レ閏則生二半片一、歳長十二節、閏年増二半節一と、〈石室奇方〉雲南和山花樹高六七丈、其質似レ桂、其花白、毎朶十二瓣應二十二月一、遇レ閏輙多二一瓣一と、〈雲南志〉優曇花在二安寧州西北十里曹溪寺右一、状如レ蓮有二十二瓣一、閏月則多二一瓣一と、〈同上〉鳳尾十二翖、遇二閏歳一生二十三翖一と〈羽毛考異〉いへり、草木禽鳥よく閏をしれり、
p.0039 釋閏月第十九
或問、閏月何也、 答曰、堯典曰、三百有六旬有六日、定二四時一成レ歳云々、又朱子曰、天體至圓、三百六十五度四分度之一、繞レ地左旋、常一日一周、而過二一度一、日麗レ天而少遲、故日一日亦繞レ地一周、而在レ天爲二不及一度一、月麗レ天尤遲一日、常不及十三度十九分度之七、積二二十九日九百四十分日之四百九十九一、而月與レ日會、又日與レ天會、而多二五日二百三十五分一者、爲二氣盈一、月與レ日會、而少二五日五百九十二分一者、爲二朔虚一、合二氣盈朔虚一、一歳之内、餘二十日九百四十分一名二潤率一、故三年有二一潤一、五歳有二再閏一、十九年有二七閏一、而氣朔分齊無二毫髮之差一、是爲二一章之運一、今按、失二一潤一則子之一月入二于丑月一、失二三閏一則春季入二于夏一、失二十二潤一則子歳入二于丑年一、故聖人作レ暦、必歸二餘潤一、以補下月行不レ及二於日一之數上也、其日與レ天會成二二十四氣一、必有二三百六十日一、故自二今年冬至一至二來年冬至前一日一、必三百六十六日、上會而成二一歳一、雖レ遇二閏年一亦同、又一月三十日、十二月三百六十日、一歳之常數也、以二朔虚一言レ之、三百五十四日也、則成二日月交會一、謂二之朔一也、於レ是按二乎漢儒之説一、日日行一度尤遲、月日行十三度尤速、此法本朝暦家久所レ用也、但朱子曰、日速月遲、故日月會二於晦朔一之間、初一日之晩日西墜、微月亦隨レ之墜矣、初三生レ明以後、相去漸遠、是日行速進而至二半天一、月行遲退而不レ及、亦半天遠矣、自二十六日一至二月晦一、日行全遠盡二一天一、月行全不三亦盡二一天一、即日進至二本數一、月退在二本數一、而晦朔之間、復相會也、又按、漢宋兩儒之説、可否不レ知レ之、古今暦家之法、日在二進數一、月有二退數一、是以日速月遲乎、凡閏月法雖レ多レ説、乃三百六十六日、名二氣盈一、日之不レ及二天數一六日、則成二沒日一、p.0040 又三百五十四日、小歳之法也、日與レ月會、而月之不レ及二日數一六日、則成二小月一也、名二朔虚一、此氣朔合、一歳十二日餘、故一年三百五十四日也、三歳得二三十六日一、則有二一閏一、猶六日餘、又至二于二年一得二二十四日一、前餘六日與二今二十四日一合得二一月之數一、故五歳有二再閏一、但知二何月一者、以二推歳之術一決定矣、一歳之大數、自二今年立春一至二來年立春前日一、三百六十六ケ日、是大歳數也、
p.0040 閏月 左氏傳文公元年、於レ是閏三月、非レ禮也、襄公二十七年十一月乙亥朔、日有レ食之、辰在レ申、司歴過也、再失レ閏矣、哀公十二年冬十二月螽、仲尼曰、今火猶西流、司歴過也、並是魯歴、春秋時、各國之歴、亦自有二不レ同者一、經特據二魯歴一書レ之耳、〈史記秦宣公享國十二年、初志二閏月一、此各國歴法不レ同之一證、〉成公十八年春王正月、晉殺二其大夫胥童一、傳在二上年閏月一、〈上有二十二月一〉哀公十二年春王正月己卯、衞世子蒯瞶自戚入二于衞一、衞侯輙來奔傳在二上年閏月一、〈上有レ冬〉皆魯失レ閏之證、杜以爲レ從レ告、非也、 史記周襄王二十六年閏三月、而春秋非レ之、則以二魯歴一爲二周歴一非也、平王東遷以後、周朔之不レ頒久矣、故漢書律歴志、六歴有二黄帝、顓頊、夏、殷、周、及魯歴一、其於二左氏之言一失レ閏、皆謂二魯歴一、蓋本二劉歆之説一、〈五行志周衰、天子不レ班レ朔、魯歴不レ正、置レ閏不レ得二其月一、月大小不レ得二其度一、〉
p.0040 潤月 月の數そふ 月のかさなる 春くはヽれる〈夏、秋、冬も同かるべし、但歌には未レ見、春過て衣ははやくかへてしを又その日にもなるぞあやしき、閏四月一日によめる、〉秋より後の秋とも〈これ閏九月盡をよめる、春夏冬も是をもつて心得おなじことなるべし、〉おなじふ月のかずそふ〈後のふ月共よめり、閏七月をよめる、いづれの月にも云べし、〉日かずをそふ〈これも閏月の心也、但只日數をそふと計にてはいかヾ、閏月のあつかい有べし、〉
p.0040 元年閏十一月(ノチノシモツキ)
p.0040 閏(ノチノ)十一月〈閏訓二乃知一、漢書作二後某月一、穀梁傳曰、閏月者附二月之餘日一也、積レ分而成二于月一者也、説文曰、餘分之月五歳再閏、告朔之禮、天子居二宗廟一、閏月居二門中一、从三王在二門中一、〉
◯按ズルニ、コレ閏月ノ事ノ見エタル始ナリ、
p.0040 十年潤二月
p.0041 三年閏八月
p.0041 越前國郡稻帳天平五年潤三月六日史生大初位下阿刀造佐美麿
p.0041 やよひにうるふ月のありけるとしよみける 伊勢
さくらばな春くはヽれるとしだにも人の心にあかれやはせぬ
p.0041 閏九月盡燈下即事應レ製〈寛平二扶三〉
年有二三秋一、秋有二九月一、九月之有二此閏一、閏亦盡二於今 一矣、夫得而易レ失者時也、感而難レ堪者情也、〈◯下略〉
p.0041 うるふ月 つらゆき
うるひさへ有て行べき年だにも春にかならず逢よしもがな
p.0041 後三月陪二都督大王華亭一、同賦二今年又有一レ春、各分二一字一應レ教、 源順
p.0041 五月ふたつ侍けるに、おもふ事侍て、 よみ人しらず
さみだれのつヾけるとしのながめには物思ひあへる我ぞ侘しき
p.0041 大殿〈◯藤原師實〉ヤヨヒノツモゴリニ、齋院ニ參給テ、次官惟實シテ女房ニタマハセケリ、三月ニ閏月アリケルニ、
春ハマダノコレルモノヲ櫻花シメノ中ニハ散ニケルカナ 女房ノカヘシアリケリ
p.0041 永祿九年丙寅初の八月廿六日辰刻に、法性院信玄公甲府を御立なされ、後の八月二日に、上野蓑輪へ御著あり、
p.0041 萬壽三五〈大〉 長元二二〈大〉 同四年十 同七年六〈大〉 長暦元四 同三十二 長久三九〈大〉 寛徳二五 永承三正 同五年十 天喜元七 同四年三 康平元十二 同四年八 同七年五 治暦三正 延久元十 同四年七 承保二四 承暦元十二 同四年八〈大〉 永保三六 應徳三二 寛治二十〈大〉 同五年七 嘉保元三 承徳元正〈大〉 康和元九 同四年五 長
p.0042 治二二 嘉承二十 天永元七〈大〉 永久元三 同四年正 元永元九 保安二五 天治元二 大治元十〈大〉 同四年七 長承元四 同三十二(已下係二他本寫加一)〈大〉 保延三九 同六年五 康治二二〈大〉 久安元十〈大〉 同四年六 仁平元四 同三十二 保元元九〈大〉 平治元五 應保二二 長寛二十 仁安二七 嘉應二四 承安二十二 安元元九 治承二六 養和元二〈大〉 壽永二十 文治二七 同五年四〈大〉 建久二十二 同五年八〈大〉 同八年六 正治二二 建仁二十 元久二七 承元二四 同五年正(建暦元)〈大〉 建暦三九(建保元) 建保四六 同七年二(承久元) 承久三十 貞應三七(元仁元) 嘉祿三三(安貞元) 寛喜二正 貞永元九 嘉禎元六〈大〉 暦仁元二(嘉禎四) 仁治元十〈大〉 寛元元七 同四年四 寶治二十二(/十日立春) 建長三九 同六年五 正嘉元三〈大〉 正元元十〈大◯大恐衍〉 弘長二七 文永二四 文永五正 文永七九 文永十五〈大〉 建治二三 弘安元十(建治四) 弘安四七〈大◯大恐衍〉 弘安七四 同九十二(/十五日立春) 正應二十 正應五六 永仁三二 永仁五十 正安二七 嘉元元四 同三十二 延慶元八 應長元六 正和三三 正和五十 元應元七〈大〉 元亨二五 正中二正 嘉暦二九〈大〉 元徳二六 元弘三二(正慶二) 建武二十 同五年七(暦應元) 暦應四四〈大〉 康永三二 貞和二九 同五年六〈大〉 觀應三二 文和三十 延文二〈◯南朝正平十二年〉七 延文五四 貞治二正 同四年九〈大〉 應安元六 同四年三 同六年十 永和二七〈小〉 康暦元四〈小〉 永徳二正〈大〉 至徳元九〈小◯本書有二誤脱一、以二三正綜覽一補正、〉
p.0042 太陽暦閏年、必在二我子辰申歳一、故不二別識一レ之、
p.0042 朕閏年ニ關スル件ヲ裁可シ、玆ニ之ヲ公布セシム、
御名 御璽
明治三十一年五月十一日
内閣總理大臣 侯爵伊藤博文
文部大臣 文學博士外山正一p.0043 勅令第九十號
神武天皇即位紀元年數ノ、四ヲ以テ整除シ得ベキ年ヲ閏年トス、但シ紀元年數ヨリ六百六十ヲ減ジテ、百ヲ以テ整除シ得ベキモノヽ中、更ニ四ヲ以テ其ノ商ヲ整除シ得ザル年ハ平年トス、
p.0043 世俗、正五九月とて、此三月を拘忌事はなはだし、中華にもかくのごとくなると見えたり、五雜爼に正五九不レ上レ官、唐より以來此忌あり、清波雜志にいはく、佛法以二此三月一爲二齋素月一、不レ宜二宰殺一、足レ破二俗見一、今京師官命下、則任初不レ忌二此三月一、而差跌更少、外官無二不レ避レ之者一、而禍敗更多、何不レ思之甚也とあり、又瑯琊代酔編にいはく、正五九月不レ上レ官、戴埴がいはく、釋氏の智論に、天帝釋寶鏡を以て四大神州をてらす、毎月一たび移して人の善惡を察す、此三月南贍部州をてらす、唐人これを以て死刑を行はず、曰三長月(○○○)節鎭因て屠宰をいましむ、不レ上レ官、後世因レ之となん、これを以てみれば、浮屠氏の説より出て、儒家の説にあらざれば、是非を論ずるに及ばず、世人かならず、此拘忌になづまずして可なり、
p.0043 正五九月
正五九月を避るといふ事は、宋の時の俗忌なれば、本邦には諱〈マ〉でもあるべし、〈◯中略〉我俗この三箇月は娶招(ヨメトリムコトリ)さへ禁るといふこと、いよ〳〵心得がたし、
p.0043 三長月
釋氏、以二正五九月一爲二三長月一、故奉レ佛者皆茹レ素、其説云、天帝釋以二大寶鏡輪一照二四天下一、寅午戌月正臨二南贍部洲一、故當二食レ素以徼一レ福、官司謂二之斷月一、故受二驛券一、有二所レ謂羊肉者一則不レ支、俗謂二之惡月一、士大夫赴レ官者輙避レ之、或人以謂、唐日藩鎭蒞レ事、必大享レ軍、屠二殺羊豕一至多、故不レ欲下以二其月一上上レ事、今之他官不レ當レ爾也、然此説亦無レ所二經見一、予讀二晉書禮志一、穆帝納レ后、欲レ用二九月一、九月是忌月、北齊書云、高洋謀レ簒レ魏、其p.0044 臣宋景業言、宜下以二仲夏一受上レ禪、或曰、五月不レ可レ入レ官、犯レ之終二於其位一、景業曰、王爲二天子一、無二復下期一、豈得レ不レ終二於其位一乎、乃知此忌相承、由來已久、竟不レ能レ曉三其義及出二何經典一也、
p.0044 陰陽〈◯中略〉 三長月、〈三長避忌已見、國憲家猷、今上官者多忌二正五九月一、或謂、宋火徳、火生レ寅旺レ午墓レ戌、此三月爲二災月一、官員減二祿料一無レ羊、謂二之無羊月一、宛委餘編、天帝釋此三月鏡二照南贍州一、故禁二刑罰一云々、實祿、武徳三年詔、正五九月十値日不レ得レ行二刑屠殺一、此三長月斷二屠殺一之始、〉
p.0044 諸立春以後、秋分以前、決二死刑一者徒一年、其所レ犯雖レ不レ待レ時、若於二斷屠月(○○○)及禁殺日一而決者、各杖六十、待レ時而違者加二二等一、
疏議曰、依二獄官令一、從二立春一至二秋分一、不レ得レ奏二決死刑一、違者徒一年、若犯二惡逆以上一、及奴婢部曲殺レ主者、不レ拘二此令一、其大祭祀、及致齊、朔望上下弦、二十四氣、雨未レ晴、夜未レ明、斷屠月日、及假日、並不レ得レ奏二決死刑一、其所レ犯雖レ不レ待レ時、若於二斷屠月(○○○)一、謂(○)二正月五月九月(○○○○○○)一、
p.0044 建長四年四月廿九日壬午、於二相州一可レ被レ壞二棄古御所一事、五月憚否有二其沙汰一、陰陽師等依レ召參上、被レ尋二所存一之處、各申状不二一揆一、所レ謂晴賢晴茂申二可レ憚之由一、以平申云、於レ被二壞棄一者更無レ憚、又禁忌方同レ之云云、爲親申云、壞二家屋一事、五月有(○○○)レ憚(○)勿論也、但是爲二棄置一之儀不レ可レ有レ憚云云、就二面々申詞一被レ凝二評議一、相州被レ仰云、古賢云、我居宅於レ壞者、大將軍王相凡不レ忌云云、況於二前將軍幕下一哉云云、仍雖二五月一可レ被二破却一之由被レ定云云、
p.0044 嘉祿元年五月三日癸亥、二品御方、〈◯政子〉鰭板中門、並織戸可レ被レ立之由有二其沙汰一、然夏季可レ有二其憚一哉否、武州〈◯北條泰時〉以二御書一令レ問二陰陽師一給、入二六月一而後、鰭板可レ被レ造云云、雖レ爲二五月(○○)一不レ可レ憚之由云云、
◯按ズルニ、正五九月ノ事ハ、神祇部第宅神篇竈神祭條ニ詳ナリ、
p.0044 日〈人一反 ヒ ヒル 和(/○)ニチ〉 日者〈ヒゴロ コノゴロ〉 日來〈ヒゴロ〉 連日
p.0044 一時〈日、月、歳、年准レ之、〉
p.0044 日〈ヒ〉
p.0045 幾日(イクカ) 一日(イチジツ)〈一蓂、一輻、並同、〉 半日(ハンジツ)
p.0045 一輻(フク)〈稱二一日一爲二一輻一、按老子云、三十輻共二一轂一據レ此以稱二一輻一也、〉 一蓂(メイ)〈稱二一日一爲二一蓂一、是據下于帝王世記所レ謂堯庭生二蓂莢一之説上、〉
p.0045 一ふつか、みか、よかなどのか文字は箇なり、ふつかのひ、みかの日などいふ事を、日を略しつれば、日の字の訓をかといふやうなり、
p.0045 か 日をよむは二日三日の類也、日本紀、古今集にいくかの日と書しは、かさね辭也、かは明らかなるをいふ詞也、かすがを春日と書も亦同じ、
p.0045 八日は〈◯中略〉耶加と訓べし、〈◯中略〉さて此〈二日三日八日十日(フツカミカヤカトヲカ)などの〉加(カ)は、日數を云言にて、彼〈◯倭建命〉御歌の迦賀那倍氐も、日々並而にて、日數を並べ計ふるを云なり、〈屈並(カヽナベ)考へなど云説は、みな非なり、〉加(カ)とは、氣(ケ)を通はし云る言にて、氣(ケ)は、經(フル)日數の長きを、此記、又万葉の歌に、多く氣長(ケナガキ)と云、又毎日を、朝爾食爾(アサニケニ)と多くよめる〈食は借字なり〉氣是なり、さてその朝爾食爾を、或は朝爾日爾(アサニヒニ)ともよめるを以て、氣は日數なることを思ひ定めよ、かくて氣は來經(キヘ)の切まりたるなり、來經と云ことは、倭建命段の歌に見えたり、なほ彼處〈傳廿七の九十丁〉に委く云べし、されば二日三日など云は、二來經三來經(フタキヘミキヘ)と云ことなり、〈師説に此加を、數の略にて、七日は七數、八日は八數と云ことなり、故に七日の日八日の日とも云りと云れしはわろし、若數と云言ならば、日にのみはかぎらで、何の數にも云べきに、他には例なくて、只日數にのみ云るはいかに、且七數八數などヽ、數てふ言を添て計むも煩しく、さること有べくも所思ずなむ、又七日の日八日の日などヽ云も、七來經の日八來經の日と云むも、なでふことかあらむ、さて二日より以上はみな伊久加と云を、一日のみは、比止加とは云ぬは、いかなる故にか、未思得ず、凡てかヽる言は、神代のまヽの古言なれば、必所由ありなむ物ぞ、又二日七日は布多加那々加と云べきを、多を都、那を奴と轉し云は、たヾ何となく通音にいひなれたるものなるべし、〉さて日數を計へて、幾日と云には、夜も其中にこもれるを、此の如く八日八夜などヽ分て云も、古語の文なり、〈此は八日の間、夜も晝もと云意ならむと、思人も有ぬべけれど、左に引鎭火祭詞なるは、其意無き例を思ふべし、〉鎭火祭祝詞にも、夜七夜晝七日(ヨナヽヨヒナヌカ)、〈下の夜字、今本には、日と作れども誤なり、元々集に引るに、夜とあるを用ふべし、〉山城風土記にも、神集々而、七日七夜(ナヌカナヽヨ)樂遊とあり、さて此の八も、例の彌の意にて、たヾ幾日もと云意か、又正しく八日八夜にも有べし、
p.0046 一書曰、〈◯中略〉天照大神怒甚之曰、汝是惡神、不レ須二相見一、乃與二月夜見尊一一日一夜(ヒトヒヒトヨ/○○○○)隔離而住、
p.0046 昔おとこ有けり、〈◯中略〉女がたにゑかく人成ければ、書にやれりけるを、今の男の物すとて、ひとひふつか(○○○○○○)、をこせざりけり、〈◯下略〉
p.0046 二日(○○)〈フツカ〉
p.0046 思二放逸鷹一夢見感悦作歌一首并短歌
知加久安良波(チカクアラバ)、伊麻(イマ)布都可(フツカ/○○○)太未(ダミ)、等保久安良婆(トホクアラバ)、奈奴可(ナヌカ/○○○)乃宇知波(ノウチハ)、須疑米也母(スギメヤモ)、伎奈牟和我勢故(キナムワガセコ)、〈◯下略〉
p.0046 卷十三、〈◯萬葉集〉久にあらば今七日(○○)ばかり、遠くあらば今ふつか(○○○)ばかりあらんとぞと、いへるに同じ詞なれば、此だみは、ばかりといふ詞とはきこゆ、北國の人は、ばかりといふを、だみといふよし或人いへり、春海は未は爾の誤かといへり、元暦本、未を米に作る、猶考べし、
p.0046 日々にをもり給て、たヾ五六日(○○○)のほどに、いとよはうなれば、〈◯下略〉
p.0046 五六日 細〈◯細流抄〉いつかむゆかと日(か)の字をいれて讀也、
p.0046 山城國風土記曰、〈◯中略〉玉依日賣〈◯中略〉孕生二男子一、至二成人時一、外祖父建角身命造二八尋屋一、堅二八戸扉一、醸二八腹酒一、而神集集而七日七夜(○○○○)樂遊、
p.0046 寄レ雨
春雨爾(ハルサメニ)、衣甚(コロモハイタク)、將通哉(トホラメヤ)、七日(ナヌカ/○○)四零者(シフラバ)、七夜不來哉(ナヽヨコジトヤ)、
p.0046 於レ是在レ天天若日子之父天津國玉神、及其妻子聞而、降來哭悲、乃於二其處一作二喪屋一而、河鴈爲二岐佐理持一、〈自レ岐下三字以音〉鷺爲二掃持一、翠鳥爲二御食人一、雀爲二碓女一、雉爲二哭女一、如レ此行定而、日八日夜八夜(○○○○○○)以遊也、
p.0046 日八日夜八夜、八日は八夜に對ひたれば、耶比と訓べきが如くなれども、猶耶加
p.0047 と訓べし、中卷倭建命段歌に、迦賀那倍氐、用邇波許々能用、比邇波登袁加袁、これ夜に對へても、日は伊久加と云證なり、〈さて八日は、古今集などに耶宇加と見え、常にも然いへど、そは音便にて、耶を延たるものにて、古言の正しき例には非ず、六日を牟由加と云も同じ、されば耶加牟加と書て、耶宇加牟由加と讀はさもあるべし、〉
p.0047 やうかの日(○○○○○)よめる みぶのたヾみね〈◯歌略〉
p.0047 安藝守の婦、子うみたるこヽぬかの日(○○○○○○)、ちごのきぬやるとて、
なぬか(○○○)ゆくはまのまさごをかずにしてこヽぬか(○○○○)さへもかずへつる哉
p.0047 四十年十月癸丑、日本武尊發路之、〈◯中略〉自二日高見國一還之、西南歴二常陸一至二甲斐國一、居二于酒折宮一、時擧レ燭而進レ食、是夜以レ歌之問二侍者一曰、珥比麼利(ニヒハリ)、莵玖波塢須擬氐(ツクバヲスギテ)、異玖用加禰莵流(イクヨカネツル)、諸侍者不レ能二答言一、時有二秉レ燭者一、續二王歌之末一而歌曰、伽餓奈倍氐(カガナベテ)、用珥波虚虚能用(ヨニハココノヨ/○○○○○○○)、比珥波苫塢伽塢(ヒニハトヲカヲ/○○○○○○○)、
p.0047 題しらず よみ人しらず
かすがのヽとぶひののもり出て見よいまいくか(○○○)有て若なつみてん
p.0047 今日(○○)〈イマケフ〉 此日〈ケフ〉 今明〈ケフアス〉
p.0047 今日〈ケフ〉
p.0047 今日
p.0047 今日(コンニチ/ケフ) 當日 是日 此日 即(ソク/ソノ)日(/ヒ) 不日(フジツ)〈不レ終レ日也〉 登(トウ)日 登時(/ソノトキ) 時下〈即時也〉 即辰 玆(シ)者〈今日也〉
p.0047 今日(ケフ) 此日なり、ことけと通ず、
p.0047 晝ヒル〈◯中略〉 今朝をケサといひ、今日をケフ(○○)といふは、今夜をコヨヒといひ、今年をコトシといふに同じ、ケといひ、コといふは轉語にて、共にコノといふ詞なり、ケサといふはコノアサなり、ケフといふはコノヒなり、ケフといひ、キノフといふ、フといふ詞は、日といふ語の轉ぜしなり、
p.0048 けふ 今日をいふ、此日の義也、ことけと、ひとふと通ぜり、萬葉集に見ゆ、又こふともよみ、菅萬に當日もよめり、
p.0048 出雲國造神賀詞
八十日日〈波〉在〈止毛、〉今日(ケフ)〈能〉生(イク)日〈能〉足(タル)日〈爾、〉出雲國國造姓名恐〈美〉恐〈美毛〉申賜〈久、◯下略〉
p.0048 題しらず よみ人しらず
世中は何かつねなるあすかヾは昨日の淵ぞけふは瀬になる
p.0048 としのはてによめる はるみちのつらき
昨日といひけふとくらしてあすか川ながれてはやき月日成けり
p.0048 けふはじむべきいのりども、さるべき人々うけたまはれる、
p.0048 昨(○)〈音鑿 キノフムカシ サク〉
p.0048 昨〈キノフ〉
p.0048 疇昔(チウセキ)〈昨日也〉
p.0048 昨日(サクジツ)〈廣韻隔二一宵一也〉
p.0048 昨(きのふ)〈音、一名昔日、疇昔、又名二日前一、〉 明日(あす)
廣韻云、隔二一宵一曰レ昨、〈訓二木乃不一〉昨之昨、〈訓二乎止止比一〉昨夕〈訓二與牟部一、見二日本紀一、〉明日〈訓二阿須一〉明之明、俗謂二明後日一、〈阿左天〉翌日、〈音赤〉翌明也、 按、今呼二有レ事日之次一曰二其翌日一、則翌用二過去一、明用二未來一、
p.0048 昨日(キノフ) きのふは、さきの日也、さの字を略す、ふは日也、ふとひと通ず、
p.0048 晝ヒル〈◯中略〉 昨日をキノフといふ詞は、古語にはキソといひしなり、去年をコゾといひしに同じくして、古をコシカタといふが如く、コゾといひ、キゾといふ、ソといふ詞は、共に語助なるべし、
p.0049 きのふ きのふはけふのむかしといへるは、孟子に昔者をよめり、昨日の義、疇昔之夜は昨夜也、新後拾遺集に、
わかれにし月日やなにの隔にてきのふは人のむかしなるらん
p.0049 元年正月己卯、初天皇生日、木莵入二于産殿一、〈◯中略〉大臣對言、吉祥也、復當二昨日(キス/○○)臣妻産時一鷦鷯入二于産屋一、
p.0049 きのふ今日、帝の宣はん事につかむ人聞やさしといへば、〈◯下略〉
p.0049 昔男わづらひて、心ちしぬべくおぼえければ、
つゐにゆく道とはかねて聞しかどきのふけふとは思はざりしを
p.0049 一昨日(ヲトツイ/○○○)〈萬葉〉
p.0049 一昨日(オトツヒ)〈◯中略〉 おとはあとなり、あとおと通ず、あとつ日なり、昨日のあと也、つはやすめ字也、俗にはおとヽひと云、つととと通ず、
p.0049 晝ヒル〈◯中略〉 俗にキノフの前日を、ヲトツヒ(○○○○)といひ、コゾの前年をヲトヽシといふが如き、ヲトといふはヲチ也、今を去る事の遠き也、古語に遠きをいひて、ヲチともヲテともいふ、チといひテといひトといふ、皆轉語にて、ヲトツヒといふ、ツは語助なり、俗にヲトヽヒといふは轉語なり、
p.0049 九年〈◯天平〉丁丑春正月、橘少卿并諸大夫等集二彈正尹門部王家一宴歌二首、
前日毛(ヲトツヒモ)、昨日毛今日毛(キノフモケフモ)、雖見(ミツレドモ)、明日左倍見卷(アスサヘミマク)、欲寸君香聞(ホシキキミカモ)、
右一首、橘宿禰文成、
p.0049 思二放逸鷹一夢見感悦作歌一首并短歌
安之我母能(アシガモノ)、須太久舊江爾(スダクフルエニ)、乎等都日毛(ヲトツヒモ)、伎能敷母安里追(キノフモアリツ)、〈◯下略〉
p.0050 明日(○○)〈アス〉
p.0050 明日 翌日〈アクルヒ〉
p.0050 明日
p.0050 翌日(ヨクジツ)
p.0050 翌(ヨク)日〈次日也〉
p.0050 明日 翌日(ヨクジツ)〈又作二翼日一〉 來日 來辰(シン) 詰(キツ)日〈次日也〉 嗣(シ)日 昱(イク)日〈昱音育、明也、〉
p.0050 明日(アクルヒ) 翌日(アケノヒ/アクルヒ)〈韻會、明日也、〉 明日(ミヤウニチ)〈來日、來辰、詰日、翌日、並同、〉
p.0050 明日(アス) あすとはあかす也、けふあかして後の日也、
p.0050 晝ヒル〈◯中略〉 明日をアスといふは、アは開(アク)なり、スと云ふは、キソといふソと同じく語助なり、今夜の明けなむ日をいふなり、
p.0050 あす 明日をいふ、あかすの義也、よて眞名伊勢物語に明とのみかけり、列子に日をよめり、來日也、書牘に明幾日といふも通鑑に見えたり、
p.0050 爾其大神出見而、告三此者謂二之葦原色許男一、即喚入而、令レ寢二其蛇室一、〈◯中略〉亦來日(クルヒノ/○○)夜者、入三呉公與二蜂室一、〈◯下略〉
p.0050 來日は久流比(クルヒ)と訓べし、書紀に明日(クルツヒ)、明旦(クルツアシタ)、明年(クルツトシ)などある訓を見るに、明字なるを、阿久流(アクル)とは訓まで、久流(クル)と訓るは、是古言なるべし、〈但助辭の都(ツ)は心得ず、此助辭を置べき言には非ず、そのかみ此ばかりのことは、誰もよく辨へたるべきを、いかなることにか、〉久流比は翌日(アクルヒ)をいふ、
p.0050 戊午年六月、帥レ軍而進、至二熊野荒坂津一、〈◯中略〉彼處有レ人、號曰二熊野高倉下一、〈◯中略〉明旦(クルツアシタ/○○)依二夢中教一、開レ庫視レ之、果有二落劍一、倒立二於庫底板一、
p.0050 爾坐二其地一伊奢沙和氣大神之命、見二於夜夢一云、〈◯中略〉亦其神詔、明日(クルツヒ)之旦應レ幸二於濱一、獻二易名之幣一、
p.0050 明日之旦は、阿須能阿斯多(アスノアシタ)と、師〈◯賀茂眞淵〉の訓れたる宜し、〈萬葉十五に、安久流安之多(アクルアシタ)ともあり、又書紀〉
p.0051 〈に、明旦をクルツアシタなど訓れど、此は然るべからず、〉
p.0051 十二年八月己酉、饗二高麗客於朝一、〈◯中略〉明日(クルツヒ)美二盾人宿禰一、而賜レ名曰二的戸田宿禰一、
p.0051 くるつひ 日本紀に明日をよめり、來るつ日といふ也、つは助語なり、
p.0051 二年九月、置目老困乞レ還曰、〈◯中略〉天皇聞惋痛賜二物千段一、逆傷岐レ路重感レ難レ期、乃賜レ歌曰、於岐毎慕與(オキメモヨ)、阿甫彌能於岐毎(アフミノオキメ)、阿須用利簸(アスヨリハ)、彌野磨我倶利底(ミヤマガクリテ)、彌曳 哿謨阿羅牟(ミエヌカモアラム)、
p.0051 題しらず よみ人しらず
梓弓をして春雨けふふりぬあすさへふらばわかなつみてん
p.0051 中臣朝臣宅守與二狹野茅上娘子一贈答歌
奴婆多麻乃(ヌバタマノ)、欲流見之君乎(ヨルミシキミヲ)、安久流安之多(アクルアシタ/○○○○○○)、安波受麻爾之氐(アハズマニシテ)、伊麻曾久夜思吉(イマゾクヤシキ)、〈◯中略〉
右八首、娘子、
p.0051 信濃國盲僧誦二法花一開二兩眼一語第十八
今昔、信濃ノ國ニ二ノ目盲タル僧有ケリ、〈◯中略〉盲僧一人寺ニ留テ住持ヲ待ツニ、明ル日(○○○)不レ來ズ、
p.0051 あした(○○○) 鄙俗にあすといふべきを、あしたともいふめり、
p.0051 明日(あす)、明後日(あさつて)といふ事を、播州赤穗にてあすてり(○○○○)、あさつて(○○○○)照(てり)といふ、〈この所鹽濱なれば、日和よかれと祝していふなるべし、土佐にてきのふり(○○○○)、ゆふべり(○○○○)と云も、是に同じきか、〉
p.0051 明朝後日(○○○○)〈アサテ〉
p.0051 明後日(アサテ)
p.0051 明後日(アサテ) あさつてと云ことば、古書にも見えたり、あすさつての後の日なり、
p.0051 晝ヒル〈◯中略〉 アスの明日をアサテといふは、アは明日なり、サとは去なり、テは語助なり、明日の去りての日をさしいふなり、
p.0052 あさつて 明後日をいふ、あす去て後の日といふ義也といへり、されど西土には、翌日を明日といひ、其次を後日といふ也、大後日も同じ、此明後日を俗に明後々日といひ、さヽつてともいへり、もとしあさつて(○○○○○)と呼べり、今日より第四日にあたる故也、しあ反さなるをもて、ささつてともいふめり、全淅兵制には、後日をあさつて、大後日をしあさつてと譯す、
p.0052 京よりも御むかへに人々參り、〈◯中略〉あさてばかりになりて、れいのやうにいたうもふかさで、わたりたまへり、
p.0052 けふあすの程にとなんときこえさすれば、あさて佛にいとよき日なり、〈◯中略〉おいほうしのゐ所もはらはせ侍らん、わがおもとたちの物わらひ給ことはづかしとの給はせて、いそぎかへらせ給ぬ、
p.0052 兼日(ケンジツ/○○)〈兩日也〉 併日 淹宿(エンシユク)〈經レ宿也〉 間(カン)日〈隔レ日也〉 連(レン)日 累(ルイ)日 積日 盈旬(エイシユン) 彌(ビ)旬 刻(コク)日〈刻二定期日一〉 繼(ケイ)日〈稱二後日一〉 越(エツ)宿 信宿 幾蓂(キメイ) 多日 屢(ル)日〈◯中略〉 前(セン)日 往昔(ワウセキ)〈往時也、又前代也、〉 疇(チウ)昔〈左傳注、猶二前日一也、〉 昨(サク)者 日昨 日前 向日 曩(ノウ)日 嚮(キヤウ)時 嚮者 昨之昨 日之前 遥(ヨウ)日 近日 往日 往者(/コノコロ)〈已過之日〉 曩者 平日 日者(/コノコロ)〈往日也〉 曩昔 嚮日〈曩日也〉 乃者(/コノコロ)〈師古云、猶レ言二曩者一、〉
p.0052 累日(ルイジツ)〈又云積日、翰墨全書、〉 他日(タジツ)〈指南、已往日曰二他日一、孟子章句、異日也、〉 連日(レンジツ)〈累日、貫旦、積日、多日、並同、〉 來日(ライジツ)〈又云後日〉 毎日(マイニチ) 兼日(ケンジツ)〈兼辰、併日、淹宿、並同、兩日之義、〉 後日(コウジツ/ゴニチ) 往日(サキノヒ) 先日(同)〈前日、遙日、向日、並同、〉 曩昔(同)〈増韻、嚮日也、〉 近日(キンジツ)〈又云幾蓂〉 先日(センジツ) 數日(スジツ)
p.0052 朔(○)〈ツイタチ、月一日也、〉
p.0052 朔蘇也、月死復蘇生也、
p.0052 初一日、月朔、〈日月會度爲レ朔、釋韵、月始蘇也、〉
p.0052 朔日(ツイタチ)〈蘇也、生也、〉
p.0053 朔日(ツイタチ)〈又云吉月、活法初一日爲レ朔、十五日爲レ望、三十日謂二之晦一、〉上日(同)〈尚書〉初吉(同)〈毛詩〉
p.0053 朔 月たつ也
p.0053 日ヒ 朔をツイタチといふは月立也、我國の俗、凡事の始をタツといふ、立春、立秋を、春たつ、秋たつと云がごときこれ也、
p.0053 ついたち 朔をよめり、月立也、月の立初るをいふ、春たつ秋たつといふがごとし、月吉とも見ゆ、〈◯中略〉白虎通に、朔之言蘇也、明消更生故言レ蘇也と見ゆ、
p.0053 朔日 乙子(オトゴ)朔日とて、諸人餅を製し祝ふ、〈(中略)今日製する餅を、乙子のもちといふ、又川浸(カハヒダリ)餅ともいふ、水土を祀るの義ともいへり、此日餅を食へば、水難なしといへる俗習によりて、武家にてもこの事あり、交代の砌、海上安全を祈らるヽこヽろなるべし、船宿船頭の家にては、とりわき祝ふなり、〉
p.0053 朔日 俗に乙子のついたちといふ、人家の末子餅をつき祝をなす、いつ頃より始れるといふ義をしらず、一年の終にあたる朔日なるゆゑ、いはひたるにや、
p.0053 十年十一月癸卯、對馬國司、遣二使於筑紫太宰府一言、月生二日(○○○○)、沙門道久、筑紫君薩野馬、韓島勝、娑々、布師首磐、四人從レ唐來曰、〈◯下略〉
p.0053 はかなくて萬壽二年正月になりぬ、〈◯中略〉枇杷殿〈◯三條后藤原研子〉には、ことし大饗せさせ給はんとていそがせ給、〈◯中略〉ついたち二日(○○○○○○)臨時客とて、其日女房かずをつくしていろ〳〵をきたり、
p.0053 同〈◯大伴〉坂上郞女初月歌一首
月立而(ツキタチテ/○○○)、直三日月(タヾミカヅキ/○○○○)之(ノ)、眉根掻(マユネカキ)、氣長戀之(ケナガクコヒシ)、君爾相有鴨(キミニアヘルカモ)、
p.0053 なほありのことやとまち見るまで、ついたち三日(○○○○○○)〈◯天延元年二月〉の程に、むまの時ばかりに見へたり、
p.0053 かくて皇后宮〈◯三條后藤原娀子、中略、〉つねに三月〈◯萬壽二年〉つごもりに、花とともに別れさせ
p.0054 給ぬ、〈◯中略〉ついたち三四日(○○○○○○○)の程に、そうりう院のにしの院といふ所に、おはしまさせ給、
p.0054 災與レ善表相先現而後其災善答被縁第卅八
同天皇〈◯桓武〉御世、延暦六年丁卯秋九月朔四日(○○○)甲寅酉時、僧景戒發二慚愧心一、憂愁嗟言、〈◯下略〉
p.0054 おとヾ居たちいそぎたまふ、十二月のついたち五日(○○○○○○)と定めたるほどは、しも月のつごもりばかりよりいそぎ給ふ、
p.0054 かくて内大臣殿のうへ〈◯藤原教通妻、中略、〉しはすのつごもりばかりに、いとたひらかにて男君生れたまひぬ、〈◯中略〉ついたち六日(○○○○○○)は、七日の夜なれば、めづらしげなき御事なれども、としのはじめ〈◯萬壽元年正月〉とて、いみじきころなれば、いとヾめでたし、
p.0054 假二官勢一非理爲レ政得二惡報一縁第卅五
天皇〈◯桓武〉悲以二延暦十五年三月朔七日(○○○)一、始召二經師四人一、爲二古麿一奉レ寫二法花經一部宛一、經六萬九千三百八十四文字一、〈◯下略〉
p.0054 はかなくついたち七日(○○○○○○)もすぎぬれば、關白どの〈◯藤原頼通〉の大饗は廿日なれば、此みやのは廿三日とさだめさせ給て、われも〳〵おとらじまけじと、急ぎのヽしりたり、
p.0054 ついたち七八日(○○○○○○○)〈◯天延二年三月〉のほどのひるつかた、むまのかみおはしたりといふ、
p.0054 左兵衞督〈◯藤原公信〉のこのついたち八日(○○○○○○)〈◯萬壽三月五月〉より、世中心ちわづらひ給し、おなじ月の十五日のあかつきがたに、うせ給にけり、
p.0054 望日(モチ/○○)〈十五日也〉
p.0054 望月滿之名也、月大十六日、小十五日、日在レ東月在レ西、遙相望也、
p.0054 十五日、望日、〈月盈也〉
p.0054 朔望之望、以二日月東西相望一謂レ之、則與二觀望之望一同、説文別作レ朢、經傳所レ無焉、聰明之明、與二日
p.0055 月之明一義亦全同、別作レ明、亦古之所レ無焉、佗如二斯類一、漢以後字學家失レ古者不レ寡也、
p.0055 もちづき倭名抄に望月をよめり、海望は十五日なれば滿の義、萬葉集に望月の滿はしけんといふ是也、釋名に望月滿之名也、
p.0055 詠二不盡山一歌一首并短歌〈◯中略〉
不盡嶺爾(フジノネニ)、零置雪者(フリヲケルユキハ)、六月(ミナヅキノ)、十五日消者(モチニケヌレバ)、其夜布里家利(ソノヨフリケリ)、
p.0055 一五條三位入道〈◯藤原俊成〉談云、そのかみとし廿五なりし時、基俊の弟子にならむとて、和泉前司道經をなかだちにて、かの車にあひのりて、基俊のいへに行むかひたる事ありき、かの人その時八十五なり、その夜八月十五夜にてさへありしかば、亭主もことにけうに入て、歌の上句をいふ、
なかの秋とをかいつか(○○○○○○)の月を見て、と様々しくながめいでられたりしかば、是をつぐ、きみがやどにて君とあかさむ、とつけたるを、なにの珍らしげもなきを、いみじう感ぜられき、
p.0055 觀世音菩薩造像記
歳次丙寅年正月生十八日(○○○○○○)記、高屋大夫爲レ分二韓婦夫人名阿麻古顚一、南无頂禮作奏也、
右金銅二臂如意輪觀音像、藏在二大和國法隆寺綱封庫一、記在二其座下一、按、丙寅推古天皇十四年也、正月生十八日、謂正月月始見之後第十八日也、當時未レ用二暦日一、非レ因二月之明晦一、莫レ知二毎月之更改一、故以三月初見二於西方一爲レ朔、〈訓レ朔爲二月立一者以レ是故也〉猶二尚書哉生明一、其後雖レ行二暦法一、然邊鄙猶認レ月見二數日一、故天智天皇十年十一月記、對馬國司上言云、月生二日、是足三以見二古時素樸之風一也、
p.0055 おほぎさきの宮〈◯一條后藤原彰子、中略、〉ながづきのとうかやうか(○○○○○○)〈◯萬壽元年〉にあからさまに、わたらせ給へるが故に、〈◯下略〉
p.0055 十八日をとをかやうかといへる事 榮花物語こまくらべの卷、善滋爲政が文に、
p.0056 九月十八日をながつきのとをかやうかといへり、とをかあまりやうかといふべきを、はぶきていへるはいかヾなれども、上のかをはぶかざるは、さすがにいにしへなり、今の人、上のかをいはずして、とをあまりやうかとやうにかくは、古の例にたがへり、
p.0056 初の冬庚申の夜、伊勢のいつきの宮にさぶらひて、松の聲よるのことにいるといふ題にて、奉る歌の序、いせのいつきの宮、秋野の宮にわたり給ひて後、冬の山風さむくなりての初、はつか七日の夜(○○○○○○○)庚申にあたれり、〈◯下略〉
p.0056 (○)〈扶菊反、晦也、豆支己毛利、〉
p.0056 晦灰也、火死爲レ灰、月光盡似レ之也、
p.0056 三十日、晦日、〈月盡無レ光也〉
p.0056 晦〈音悔ツゴモリ〉
p.0056 晦日(ツゴモリ)〈灰也、死也、〉
p.0056 晦日(ツゴモリ)、提月(同)、〈又云二晦日一、公羊傳、月晦日也、〉三十日(ミソカ)、晦日(同)、
p.0056 大年(おほとし)〈大晦日、年のはてゆへ、大の字をそゆるなるべし、〉
p.0056 日ヒ 晦日をツゴモリといふは月隱也、古語にコモルといひしは隱の義也、此夜月晦なればかくいひし也、
p.0056 つごもり 晦をいふ、靈異記に見ゆ、月隱るの義、新撰字鏡につきごもりとよめり、日本紀に、月盡をよめり、つもごりといふはあしヽ、阿波にてこもりといふは略せしなり、津輕にて十二月小なれば、翌朔日を大晦日とし、正月二日を元日とす、是を津輕の私大といへり、
p.0056 晦日つごもり、阿波の國にてこもりといふ、
p.0056 晦日掃(○○○) 今の世に晦日掃とて、毎月の晦日に、家内を掃除するものあり、是は久しき
p.0057 ならはし也、延喜民部式、左右兵衞式並云、毎月晦日、令三諸司仕丁掃二除宮中一、大内家壁書云、從二築山社頭一至二松原同小川一、掃除之事、可レ爲二毎月晦日一也など云り、もろこしにも似たる事あり、荊楚歳時記〈廣秘笈本〉云、正月晦日送窮、注云、金谷園記云、高陽氏子痩約、好二衣レ敝食一レ糜、人作二新衣一與レ之、即裂破、以レ火燒穿著レ之、宮中號曰二窮子一、正月晦日巷死、今人作レ糜棄二破衣一、是日祀二于巷一曰二送窮鬼一、猗覺寮雜記云、唐人以二正月下旬一送レ窮、韓退之有レ文、姚合有レ詩云、萬戸千門看、無二人不一レ送レ窮、海録碎事云、池陽風俗、以一正月二十九日一爲二窮九一、掃二除屋室一、塵穢投二之水中一、謂二之送窮一、などあるを見て、唐土にても、正月晦日掃除する事をしるべし、
p.0057 三旬(ジユン)〈十日曰レ旬、又曰二三澣、三浣一、〉 上旬〈又曰二上澣、上浣一、〉中旬〈又曰二中澣、中浣一、〉下旬〈又曰二下澣、下浣一、〉
p.0057 三旬〈十日曰レ旬、三十日爲二三旬一、上旬、中旬、下旬、〉三浣〈亦作レ澣、三旬也、〉三正〈三旬之政、因曰二三正一、〉盈旬〈滿十日也〉浹旬〈禮、十日曰レ旬、十二日曰レ浹、〉
p.0057 三旬(ジユン)〈十日曰レ旬、三十日爲二三旬一、三旬成二一月一、〉 三浣(クハン)〈亦作レ澣、三旬也、◯中略〉 盈旬(エイジユン)〈滿十日也〉 浹(セフ)旬〈十二日曰二浹旬一〉 浹日 浹辰(セフシン)〈十二日也〉 周(シウ)旬〈十日也〉 周辰〈十二日也〉 信次(シンジ)〈左傳云、一宿爲レ舍、二宿爲レ信、過レ信爲レ次、〉 經(ケイ)旬 上浣(クハン)〈又曰上旬、初一至二十日一爲二上浣一、十一日至二二十日一爲二中浣一、廿一日至二廿九一爲二下浣一、浣與レ澣同、沐浴也、古制朝臣十日一給レ假休沐、一月三給レ假爲二浣沐之期一、〉
p.0057 上澣(カン/クワン) 中澣 下澣〈上旬、中旬、下旬之義也、凡百官在二朝廷一而勤仕時、毎月一旬一度出二私宅一澣二衣服一、謂二之上澣一也、澣洗也、浣同、又云二上浣、中浣、下浣一也、往來書状之畢所レ用之語也、〉
p.0057 浣澣〈上通下正〉
p.0057 承議郞新通守清江郡事瑯瑘王評漢卿奉使岐雍展先塋回登慈恩塔、元祐三年八月上澣題、
按、漢制、公卿以下皆五日一休沐、唐會要、永徽三年、上以二天下無レ虞百司務簡一、毎レ至二旬假一許不レ視レ事、以便二百僚休沐一、則唐時十日一休沐矣、休沐亦謂二之休澣一、唐書劉晏傳、質明視レ事至二夜分一止、雖二休澣一不レ廢是也、宋時百官旬假、循二唐故事一、故有二上澣、中澣、下澣一、周益公撰光堯丁亥本命道場滿散朱表、p.0058 有下日逾二中澣一之句上、攷二其日一乃十月二十一日、又撰四月十八日丁亥本命道場朱表、亦云三日近二中休一、然則毎月之二十日爲二中澣日一、上澣必月之十日矣、一旬之中止二一澣日一、今人以二上澣、中澣、下澣一、當二上旬、中旬、下旬一、既失二其旨一、又休澣惟有二官人一乃可レ用レ之、不レ當レ通二於士庶一也、〈◯下略〉
p.0058 一月を三つにきざみて、ついたち、もち、つごもりといへり、そはまづ西の方の空に、日の入ぬるあとに、月のほのかに見えそむる比を始として、それより十日ばかりがほどかけて、月立(ツイタチ)といへり、月のやう〳〵に立ゆくほどなればなり、
月立はついたち 朔の始を定むること、日次にはかヽはらず、今の二日の日にまれ、三日の日にまれ、昏に月の見えそむる日を始とせり、暦に朔とする日は、いまだ月見えざれば、なほ晦の末なり、から國にては、合朔といひて、月と日とまさしく一方に會て、いさヽかも月の光の見えざる日を、朔とはすめれど、皇國の古は然らず、ついたちとは、月立の意にて、月のそらに立て見ゆるをいふなり、立とは空に見ゆるをいふ、霞霧などの立は、下より立のぼるをいふを、これは西の方へ下るころなれば、立といふ意たがへるに似たれども、昨日まで見えざりしが、初めてみゆるは、立のぼるに同じ、さてやう〳〵に昏に高く見えゆくころをかけて、ひろく月立とはいへり、倭健命の、美夜受比賣のおすひのすそに、月水のつきたるを見そなはして、月立にけりとよませ給へるも、天の月の立によせて、月とはのたまへるなり、月立といふ事、これにて心得べし、さて春の立秋のたつなどいふは、から國にいはゆる立春立秋より出たる言か、又はこの月の立よりうつれるか、わきまへがたし、萬葉集に、正月たつとよめるは、月のたつをいへるなり、又今の世の言に、月日のたつといふは、過行ことにて、こは今月の立を、先の月の過たる方へうつしていう言なり、
さて中ごろ十日ばかりがほどを、もちといへり、月の形の滿たればなり、その中に、月立の初よりp.0059 十四五日にあたる日の夜の月は、望のきはみなり、
十四五日はとをかあまりよかいつか 望はもち もちとは滿てふ意にて、月の滿たるをいふ名なり、中旬のあひだみながら、空の月まさしく圓にはあらざれども、缺たる所なく、やヽみちたれば然いふなり、さて今望の極みを十五六日といはずして、十四五日にあたる日といへるは、上つ代の朔は、暦の二日三日ごろなればなり、さて伊勢物語に、そのころみな月のもちばかりなりければとあるは、中旬をひろくいへり、六月へかけていへるは、後の詞なれど、中旬をもちばかりといへるは、古の言ののこれりしなり、又萬葉集三の卷の歌に、富士の嶺の雪の事を、六月十五日に消ぬればとよめり、空の月の事ならで、十五日をもちといひしは、これも古言なり、
さて末十日ばかりがほどを、月隱といへり、月のやう〳〵に隱り行ほどなればなり、その中に三十日ごろにあたる夜は、月隱のきはみなり、
月隱はつごもり 此ほどは、月の出ることおそくなりて、やう〳〵に見ゆることすくなくなりゆく故に、月ごもりといふ、つごもりは月隱の意にて、月のかくれて見えぬをいふ名なり、さて暦法に依て見るに、天の月の一めぐりの來經は、廿九日六時あまりにて、廿九日にはあまり、卅日にはたらざる故に、卅日と定めて見れば、月の出入時の、先の月よりは遲くなりて、二月のほどには、おほかた一日たがふ故に、暦には大小の月を分て、二月に一月をば廿九日として、晦朔をとヽのふる事なれども、皇國の上代には、すべて日數にかヽはらざりし故に、たヾ空の月を見て、朔のはじめを、一人は今日ぞと思ひ、いまひとりは昨日ぞと思ひ、今一人は明日ぞとおもひて、心々に定めても、みな違ふことなかりしかば、大小を分ざれども、晦朔のみだれ行ことなかりき、
p.0060 月日をかく事 すこしくはしくいひてよからんには、む月のついたち比、〈又はついたちばかり〉みな月のもちばかり、しはすのつごもり比〈又はつごもりかた〉などヽかくべし、〈(中略)ついたち頃は上旬の事、望ばかりは中旬のこと、つごもり比は下旬の事なり、今いふついたち、つごもりとはことなり、ついたちの日、つごもりの日といふは、いまとおなじ、〉又む月かみの十日ばかり、みな月の中の十日ばかり、しはすのしもの十日ばかりともかくべし、〈又む月の十日あまり、みな月の廿日あまりなどともかくべきなり、さてついでにいはん、今の歌人の、む月のはじめの五日ほどやうにかくは、ひがごとなり、こはたヾいつかとかくべし、はじめといふまじき也、十五日廿五日を、中の五日、下の五日とかくなども、ことわりはさる事なれど、そはいかヾなり、〉
p.0060 亦到二坐筑紫末羅縣之玉島里一而、御二食其河邊一之時、當二四月之(ウツキノ)上旬(カムノトヲカ/○○)一、
p.0060 上旬は波士米能許呂(ハジメノコロ)とも訓べし、都紀多知能許呂(ツキタチノコロ)とも訓べし、〈かみのとをかと云ことは、信明集の歌にもあれど、なほ上代の言には非めれば、然訓はわろけむ、〉都紀多知は月立なり、〈後に朔字を當て、ついたちと云、つきをついと云は音便なり、〇中略〉此に四月上旬とあるは、當時然言しには非ず、後の名を以て語傳へたるなり、
p.0060 四月のついたちごろ(○○○○○○)おまへの藤の花、いとおもしろうさきみだれて、よのつねの色ならず、〈〇下略〉
p.0060 四月のついたち頃
今案、これは七日也、然るをついたち頃といふは、朔日二日のついたちにはあらず、卯月のたちたる頃なればかくいへり、萬葉第六三日月の歌にも、月たちてたヾみか月と讀り、
p.0060 これ〈〇雪山〉いつまでありなんと、人々のたまはするに、〈〇中略〉む月の十五日までさぶらひなんと申を、御前にもえさはあらじとおぼすめり、女房などはすべて年の内つごもりまで(○○○○○○)もあらじとのみ申に、あまりとをくも申てけるかな、げにえしもさはあらざらん、ついたちなど(○○○○○○)ぞ申べかりけると、下にはおもへど、さばれさまでななどいひそめてん事はとて、かたうあらがひつ、
p.0060 三十八年七月、天皇與二皇后一居二高臺一而避レ暑時、毎夜自二兎餓野一有レ聞二鹿鳴一、其聲寥亮而悲
p.0061 之、共起二可レ憐之情一、及(/○)二月盡(ツゴモリ/○○)一以鹿鳴不レ聆、
p.0061 すさまじきもの しはすのつごもりのなが雨
p.0061 もろこしのうむれいといふ處に、七月上の十日(○○○○)におはしましつきぬ、
p.0061 十月中の十日(○○○○)なれば、神のいがきにはふくずも色かはりて、〈〇下略〉
p.0061 藤
三月しもの十日(○○○○○)、京ごくのふぢのはなのえ、しはべりけるとき、かれこれまうできて、さけたうべけるついでに、三條右大臣のうたのかへし、〈〇歌略〉
p.0061 盛綱渡二藤戸一兒嶋合戰附海佐介渡レ海事
佐々木三郞盛綱〈〇中略〉其邊ヲ走廻テ浦人ヲ一人語ヒ寄テ、白鞘卷ヲ取セテ、ヤ殿向ノ嶋ヘ渡ス瀬ハ無カ教給ヘ、悦ハ猶モ申サント云ヘバ、浦人答テ云、瀬ハ二ツ候、月頭(○○)ニハ東ガ瀬ニナリ候、是ヲバ大根渡ト申、月尻(○○)ニハ西ガ瀬ニ成候、是ヲバ藤戸ノ渡ト申、〈〇下略〉
p.0061 白月(ハクゲツ/○○)〈俗云、上十五日、西域記、月盈至レ滿謂二之白分一、月虧至レ晦謂二之黒分一、又出二倶舍論一、〉黒月(コクゲツ/○○)〈俗云、下十五日、西域記、白分黒分前後合爲二一月一、詳二倶舍論一、〉
p.0061 朔日、十五日、二十八日、之ヲ三日(○○)ト云、サンジツト訓ジ、式日トモ云、大内ニモ儀式アル歟、未レ聞レ之、追書スベシ、幕府ニテハ諸大名、旗本、御家人ニ至ル迄總登城ニ、大名旗本ハ熨斗目麻上下ヲ着ス、駕籠脇ノ供人、或ハ見附番及ビ辻番迄モ、此三日ニハ麻上下ヲ着ス、
p.0061 例月祝日之起根 朔望の禮に廿八日を加へ、三日と祝せしは、徳川家に始れり、〈〇下略〉
p.0061 廿八日(ニチ)〈近世準二朔望一、是日設レ禮爲レ祝、蓋据二宿數之義一者乎、〉
p.0061 或時伏見ニテ神君、〈〇徳川家康、中略、〉先生〈〇藤原惺窩〉ニ御尋有シハ、毎月朔望ノ禮ハ如何成故ト問給フ、先生、是ハ日月ノ明ヲ尊ブヨリ、朔日ハ日ノ始ヲ祝ヒ、十五日ハ月ノ滿ルヲ壽クヨリ起レ
p.0062 リト答申サル、然バ日月並ニ星ヲモ祝フ可キ義也ト有シニ、サレバコソ廿八日ヲ廿八宿ニ値テテ星ノ終リトテ、漢土ニテハ祝ヒ申事ノ由申サレシカバ、以後我家ノ禮ヲモ定メラレル可ト仰ラレシ由、
p.0062 一御當家、朔日、十五日、廿八日の御禮出仕之事、朔日、十五日は昔より有し事也、御禮の事は、權現様三河に御座の時、御家人皆々三河の内、我が在所々々に居てけり、御家人は皆門徒衆なれば、廿八日寺詣して、此上下ついでには御機嫌をうかヾひし也、君御待ありて御逢被レ遊しと也、此例にて今も廿八日御禮ある也、或説に朔日は日の禮、十五日は月の禮、廿八日は星の禮也と云て、廿八日も上古より御禮有る事のやうにいふは誤り也、朔〈朔日也〉望〈十五日也〉是ノ禮和漢ともに上古より有と、
p.0062 ついたち 毎月の朔望を祝ふは通例にて、内々行事に、毎月朔日、廿八日、御昆布鮑と見えたり、されば廿八日は、神君の時に始るといふ説は心得がたし、
p.0062 享保十乙巳年
西丸〈江〉出仕之覺
月次朔日
一御三家方、并松平加賀守、溜詰、大廊下、御譜代、詰衆、御奏者番、嫡子、高家、御留守居、大御番頭、
十五日
一萬石以上、并嫡子、 一交代寄合之内、表向より御禮罷出候分、 一表高家、金地院、護持院、
廿八日
一布衣以上之御役人 一交代寄合 一三千石以上之寄合 一布衣以上之寄合 一法印、法眼之醫師、 一中奧御小性 一中奧御番
p.0063 元文二巳年十月
朔望之外、廿八日御禮可レ有レ之分、 正月 二月 四月 七月 十二月
廿八日御禮無レ之分 三月 五月 六月 八月 九月 十月 十一月
右之通、向後可レ被二相心得一候、若右之内、廿八日御禮被レ爲レ請候はヾ、前以可二相觸一候、
一只今迄月次御禮無レ之時は、四品以上〈江〉、從二老中一以二切紙一相達候得共、向後は大目付より可二申通一候間、可レ被レ得二其意一候、
右之趣可レ被二相觸一候
十月
p.0063 公〈〇松平定信、中略、〉同年〈〇天明五年〉十二月朔日、將軍家〈〇徳川家治〉ヨリ召サセラレ、三日及ビ五節句等登城ノ時、溜ノ間ニ出座アルベシ、拜謁ハ、三日ハ御黒書院、五節句ハ御白書院ト特命ヲ蒙リ玉フ、
p.0063 元日 毎月産土神參〈毎月朔日、十五日、廿八日の三日には、貴賤生土神へ詣す、〇中略〉鐵炮洲稻荷社〈毎月朔日、十五日、廿八日參詣多し、〇中略〉妙見參〈朔日、十五日縁日なり、廿八日にも參詣あり、〇中略〉 十五日 毎月産土參〈朔日に同じ〉 妙見參〈朔日に同じ〇中略〉 廿八日 毎月産土神參〈朔日十五日に同じ〉妙見參〈〇下略〉
p.0063 凡毎月朔日、十一日、廿一日、三首日、神明、二十一社詣、
p.0063 時〈是夷反トキ〉 時〈古〉
p.0063 四時也〈本春秋冬夏之稱、引二伸之一爲二凡歳月日刻之用一、釋詁曰、時是也、此時之本義、言レ時則無レ有二不レ是者一也、〇中略〉从レ日寺聲〈市之切、一部、〉 、古文時从二日 一作、〈之聲也、小篆从レ寺、寺亦之聲也、漢隷亦有二用時者一、〉
p.0063 時(トキ)〈字彙、古時字、〉 時(同) 辰(同)〈説文、時也、又日也、〉 節(同) 刻(同) 于(ニ)レ時(トキ)〈文選註、謂二當時一也、〉
p.0063 時 ときは疾(トキ)也、はやき意、時は、はやくすぐる物なれば也、
p.0064 とき 時辰をいふ、常(トコ)の義也、一日の十二時も、一年の四時も、千萬世の時世も、歳月のうつり行まヽに、其常を失はざるをいふなるべし、日本紀に期をよみ、諱訓抄に代もよめり、又疾の義、文選に時來亮二急絃一と見えたり、
p.0064 時中 ときなか(○○○○) 半時の事なり、一時の半なればいふ、なかは、なかばの略にて、中といふも前後をのぞけるによりていふべし、
p.0064 九條殿は〈◯中略〉時中(ときなか)ばかりありてぞ、御すだれあげさせ給ひて、〈◯下略〉
p.0064 片時(ヘンシ/○○)
p.0064 片時(カタトキ/○○)
p.0064 かたとき 僧清珙が詩に、不下放二心身一靜片時上と見えたり、今片時を音にもいへり、半時(○○)ともいふ也、
p.0064 七條の家、四條の家え、はじめて、かたはらより火をつけて、かたとき(○○○○)にやきほろぼして、山にこもりぬ、
p.0064 暫(○)〈正、蹔今䟅或、 藏濫反 シバラク(○○○○)カリソメ アカラサマ〉
p.0064 斯頃〈シバラク〉 何頃〈同〉 少頃〈同〉 俄頃〈同〉
p.0064 時間(ジカン/シバラク)〈頃刻之間也〉 斯須(シシユ/シバラク) 倏忽(シユクコツ) 頃間(キヤウカン) 有頃 食頃(シヨクキヤウ) 俄頃(ガキヤウ) 須臾(シユユ/シバラク) 俄間 少間(/シバラク) 少(/シバ)焉(エン/ラク) 少(/シバ)選(セン/ラク) 歘吸(コツキウ) 造次(サウシ/カリソメ) 瞬息(シユンソク/シバシ) 電(テン/シバ)頃(/シ) 暫時(ザンジ) 一伏(フク)時〈一周時也、又一周日也、〉
p.0064 浹辰(シバシ)〈日本紀〉 須臾(シユユ/シバラク)〈文選註少時也〉 斯須(シバラク)〈禮記註、斯須、一離一合之時也、〉 聊且(同)〈文選〉 俄傾(同)〈韵端〉 頃刻(同)〈同上〉 少選(同)〈韵會〉 少時(同)〈頃間、食頃、少間、瞬息、電頃並同、〉 暫(同)〈活法不レ久也〉 蹔(同) 少焉(シバラクアツテ)〈赤壁賦〉
p.0064 しばし 日本紀に且をよめり、苟且也、今瞬息の意にいへり、
しばらく 暫をよめり、らく反る也、しばしあるを略せる詞なるべし、姑をよめるは姑且の意也、神代紀に頃時をしばらくありてとよめり、聊をよむも苟且より轉ぜるなり、頃之、少之もよめり、頃はほどありての意、少は少時の略也、斯須、須臾、少間なども同じ、又居頃をよめり、居無レ幾、居無レ何p.0065 と見えしに同意なり、又少選をよめり、
p.0065 素戔嗚尊請曰、吾今奉レ教、將レ就二根國一、故欲下暫(シバラク)向二高天原一、與レ姉相見而後永退上矣、
p.0065 一書曰〈◯中略〉弟往二海濱一低佪愁吟、時有二川鴈一、嬰レ羂困厄、即起二憐心一解而放去、須臾(シバラク)有二鹽土老翁一、
p.0065 二十七年十二月、川上梟帥叩頭曰、且(シバシ)待之、吾有レ所レ言、
p.0065 反歌〈◯長歌略〉
數數丹(シクシクニ)、不思人者(オモハズヒトハ)、雖有(アラメドモ)、暫文吾者(シバシモワレハ)、忘枝沼鴨(ワスラエヌカモ)、
p.0065 暫時(ツカノマ/○○) 節間(同)〈萬葉〉 束間(同)〈事見二藻鹽一〉
p.0065 つかのま 喜撰式に、若詠レ時時つかのまといふと見ゆ、時の間也、つかは時と通ず、又萬葉集に束間とありて、一握の間にて暫時をいふともいへり、夏野行牡鹿の角のつかの間といへるは、角落てまた手一束ほどに生出たるをいふ也、
p.0065 柿本朝臣人麻呂歌三首
夏野去(ナツヌユク)、小牡鹿之角乃(ヲジカノツヌノ)、束間毛(ツカノマモ)、妹之心乎(イモガコヽロヲ)、忘而念哉(ワスレテモヘヤ)、
p.0065 時計(トバカリ)〈俗字〉 須臾(同)
p.0065 とばかり 詞にいふは、それとばかりの義也、とばかり見つる、とばかりやすむなどは、しばしの意なりといへり、細流に時ばかりの義とも見ゆ、
p.0065 この男いたくすヾろぎて、門ちかきらうのすのこだつものにしりかけて、とばかり(○○○○)月をみる、
p.0065 暫時(タマユラ/○○)〈日本紀、用二玲 字一、〉
p.0065 たまゆら 玉ゆらに昨日の夕べ見し物をなどいへるは、たまさかの意也と、公
p.0066 任卿の説也、喜撰式にも、邂逅たまゆらと云と見え、八雲御抄には、しばしの義ともみえたり、
p.0066 たまゆら〈しばし也、公任説、わくらは同事、不レ可レ然歟、〉
p.0066 正述二心緒一
玉響(タマユラニ)、昨 夕(キノフノユウベ)、見物(ミシモノヲ)、今朝(ケフノアシタニ)、可戀物(コフベキモノカ)、
p.0066 わくらはにとは たまさかにと云也
p.0066 田むらの御時に、事にあたりて、津の國のすまといふところに、こもり侍けるに、宮のうちに侍ける人につかはしける、 在原行平朝臣
わくらばに(○○○○○)とふ人あらばすまの浦にもしほたれつヽわぶとこたへよ
p.0066 久〈ヒサシ(○○○)長久也〉
p.0066 ひさし 久をよめり、ひさにとも、ひさヽとも見ゆ、神代直指抄に日去の義といへり、靈異記に淹をよめり、出羽にては、ひやし(○○○)といふ、華巖經維摩經に久如と見ゆ、こは幾時といふに同じ、關西、關東に口語にいふは、やつと(○○○)といひ、又ゑつと(○○○)といふ、出羽によつぱる(○○○○)といふ、世遙(ハルカ)の意なるべし、
p.0066 題しらず よみ人しらず
我みてもひさしく成ぬ住の江の岸のひめ松いくよへぬらん
p.0066 何時(イツ/○○) いづれの時を略せり、萬葉に何時をいつとよめり、
p.0066 いつ〈俗に同、イツ何時のイツ也、過去にも、未來にもいふ、〉
p.0066 正述二心緒一
夕卜爾毛(ユフケニモ)、占爾毛告有(ウラニモノレル)、今夜谷(コヨヒダニ)、不來君乎(キマサヌキミヲ)、何時將待(イツトカマタム)、
p.0066 いつも 毎をよめり、何時もの義也、
p.0067 吹黄刀自歌
河上乃(カハノヘノ)、伊都藻之花乃(イツモノハナノ)、何時何時(イツモイツモ)、來益我背子(キマセワガセコ)、時自異目八方(トキジケメヤモ)、
p.0067 これさだのみこの家の歌合のうた 讀人しらず
いつはとは時はわかねど秋のよぞ物思ふことの限成ける
p.0067 何時(イツゴロ/○○) 何比(同)
p.0067 貞觀御時、萬葉集は、いつばかり(○○○○○)つくれるぞと、とはせたまひければ、讀てたてまつりける、〈◯歌略〉
p.0067 いづれの御時(○○○○○○)にか、女御更衣あまたさぶらひ給けるなかに、〈◯下略〉
p.0067 古今(○○)
p.0067 古今(イニシヘイマ)〈増韵、古遠代也、又久也、韵瑞、今是時也、又對レ古之稱、〉
p.0067 歌のさまをもしり、ことの心をえたらん人は、おほぞらの月をみるがごとくに、いにしへをあふぎて、いまをこひざらめかも、
p.0067 かうどもは、昔今(○○)のとりならべさせ給て、御かた〴〵にくばり奉らせ給、
p.0067 今(○)〈音金 コム イマ〉 如今〈イマ〉 今者〈イマ〉 方今〈イマニ〉
p.0067 今是時也〈今者對レ古之偁、古不レ一二其時一、今亦不レ一二其時一也、云二是時一者、如言二目前一、則目前爲レ今、目前已上皆古、如言二趙宋一、則趙宋爲レ今、趙宋已上爲レ古、如言二魏晉一、則魏晉爲レ今、魏晉已上爲レ古、班固作二古今人表一、漢人不レ與焉、而謂二之古今人一者、謂近二乎漢一者爲二今人一、遠二乎漢一者爲二古人一也、作二古今人表一者、所三以補二漢書一之所無レ存二漢已前之厓略一也、亦謂三皇至レ漢以前、迭爲二古今人一也、古今人用字不レ同、謂二之古今字一、張揖作二古今字詁一是也、自二張揖一已後、其爲二古今字一、又不レ知二幾更一也、古今音之不レ同、近世言レ之最詳、自二商周一至二近世一、不レ知二凡幾古今一也、故今者無二定之䛐一、約レ之以二是時一則兼賅矣、召南傳曰、今急辭也、今急疊韵、〉从二亼⺄一〈會意⺄逮也、⺄亦聲、居音切、七部、〉⺄古文及〈見二又部一〉
p.0067 如今(イマ)〈白文集〉 且今且今(イマカイマカ)〈萬葉〉 于レ今(イマニ)
p.0067 今イマ〈◯中略〉 今イマ、古語にはウマともいひけり、〈日本紀〉イといひ、ウといふは轉語なり、
p.0068 たとへば、魚をイヲとも、ウヲともいふが如し、イマといひ、ウマといふ義の如きは并に不レ詳、〈イは發語の詞なるべし、古語には、目をマといひぬれば、イマとは目前の時をさして云ひしにや、〉
p.0068 いま 今をいふ、是時也と注す、日本紀にうまとも見えたり、されば濃州のあたりに、馬と今とを互に謬りたる所あり、或は如今、而今、乃今、今者、在今、今也などをよめり、いは發語、まは目の義、目前の意成べしといへり、中庸に今夫天云々、今夫地云々の如きは、まのあたりをもていふ辭也といへり、我邦の口語も亦然り、又説文には今急也と見ゆ、是も口語に多し、俗にやがてといふに同じ、
p.0068 莵答言、〈◯中略〉今將レ下レ地時、吾云、汝者我見レ欺言竟、即伏二最端一和邇捕レ我、悉剥二我衣服一、
p.0068 今將レ下レ地時、凡そ今と云に三意あり(○○○○○○○○)、一には字の如く常云今なり、二には今一など云て、有が上に猶添むとするを云、三には將レ然ことの近きを云、〈俗にやがてとも、おつヽけとも云に同じ、即今にともいふなり、〉今返來むなど云是なり、〈此に又一意あり、今早と催すにいふ是なり、又今者と云て、今は此ぞ限と云意に用ることあり、〉こヽは其意にて、地に下むとするほどの近きを云、
p.0068 戊午年十月、我卒聞レ歌、倶拔二其頭椎劒一、一時殺レ虜、虜無二復噍類者一、皇軍大悦、仰レ天而咲、因歌之曰、伊莽波豫(イマハヨ)、伊莽波豫(イマハヨ)、阿阿時夜塢(アアシヤヲ)、伊莽懷而毛(イマダニモ)、阿誤豫(アコヨ)、伊莽儾而毛(イマダニモ)、阿誤豫(アコヨ)、 十一月、皇軍攻必取、戰必勝、而介冑之士不レ無二疲弊一、故聊爲二御謠一、以慰二將卒之心一焉、謠曰、〈◯中略〉之摩途等利(シマツトリ)、宇介譬餓等茂(ウカヒガトモ)、伊莽(イマ/○○)輪開珥虚禰(スケニコネ)、
p.0068 九年〈◯仲哀〉十月、新羅王遙望以爲、非常之兵、將レ滅二己國一、讋焉失レ志、乃今(イマシ)醒之曰、〈◯下略〉
p.0068 昔わかき男、けしうはあらぬ女を思ひけり、〈◯中略〉昔のわか人は、さるすける物思ひをなんしける、今のおきな、まさにしなんや、
p.0068 題しらず 在原行平朝臣
p.0069 立わかれいなばの山の嶺におふる松としきかば今かへりこん
p.0069 この男〈◯藤原忠文子〉みちの國へくだりけるたよりにつけて、〈◯中略〉道にてやまひしてなんしにけるときヽて、〈◯中略〉をんな、〈◯監命婦〉
しのづかのむまや〳〵と待わびし戀はむなしく成ぞしにける、とよみてなんなきける、
p.0069 古(○)〈イニシヘムカシ〉
p.0069 故也、〈◯中略〉从二十口一識二前言一者也、〈識二前言一者口也、至二於十一則展轉因襲、是爲二自レ古在一レ昔矣、〉
p.0069 往〈羽网反 ムカシイニシヘ〉 以往〈イニシヘ〉 既往〈イニシヘ〉 乃往〈同〉
p.0069 往昔(イニシヘ) 上世(同)
p.0069 いにしへは、へはうつぼ字、いにしは去といふ義也、
p.0069 古(イニシヘ) 今案、いにしはいぬる也、去の義なり、一説へは世也、へとよと通ず、いにし世也、此説も又よし、
p.0069 古イニシヘ〈◯中略〉 イニシとは往(イニシ)也、ヘとは語助也、〈春邊夕邊などいふが如し〉
p.0069 いにしへ 古をいふ、往し方(ヘ)なり、むかしをむかしべといふが如し、祝詞に去前をよめり、いにしへのむかしといへるは古昔の訓なるべし、
p.0069 古(イニシヘ)天地未レ剖、陰陽不レ分、渾沌如二雞子一、
p.0069 柿本朝臣人麻呂歌四首
今耳之(イマノミノ)、行事庭不有(ワザニハアラズ)、古(イニシヘノ)、人曾益而(ヒトゾマサリテ)、哭左倍鳴四(ナキサヘナキシ)、
p.0069 詠レ河
古毛(イニシヘモ)、如此聞乍哉(カクキヽツヽヤ)、偲兼(シヌビケム)、此古河之(コノフルカハノ)、清瀬之音矣(キヨキセノトヲ)、
p.0069 往昔(○○)〈ムカシ〉 往者〈同〉 往日〈同〉 往古〈同〉
p.0069 昔〈音惜 始 ムカシ イニシヘ〉 在昔〈ムカシ〉
p.0070 昔在〈同〉 昔時〈同〉 昔者〈同〉 曩〈奴黨反ムカシ〉 曩者〈ムカシ〉 曾〈昨稜反ムカシ〉
p.0070 昔(ムカシ) むなしといふ詞、横の通音にて、かとなと通ず、過去たるあとの事はむなしき也、
p.0070 むかし 昔をよめり、神代紀に嘗をよみ、古語拾遺に久代とも書り、向ひしの義なり、向字をさきにともよめる意、過にしかたといふなり、昔在、在昔、昔者皆同じ、古今集、土左日記などに、むかしべともいへり、へはいにしへの如し、
p.0070 今はむかし(○○○○○)、竹とりの翁といふものありけり、〈◯下略〉
p.0070 釋迦如來人界宿給語第一
今昔(○○)、釋迦如來未ダ佛ニ不二成給一ケル時ハ釋迦菩薩ト申テ、兜卛天ノ内院ト云所ニ住給ケル、
p.0070 昔有二新羅國主之子一、名謂二天之日矛一、是人參渡來也、
p.0070 大化二年三月壬午、皇太子使レ使奏請曰、昔在(ムカシ)天皇等、世混二齊天下一而治、〈◯中略〉現爲二明神一御二八島國一、天皇問二於臣一曰、其群臣連及伴造國造所レ有、昔在天皇日所レ置子代入部、皇子等私有御名入部、皇祖大兄御名入部、〈謂二彦人大兄一也〉及其屯倉、猶如二古代(ムカシ)一而置以不、〈◯下略〉
p.0070 昔ものいひける女に、年ごろありて、古のしづのおだまきくりかへしむかしを今になすよしもがな、といえりけれど、なにとも思はずや有けん、
p.0070 ふるうたにくはへて、たてまつれるながうた、 壬生忠岑
あはれむかしへ(○○○○)、ありきてふ、人まろこそは、うれしけれ、〈◯下略〉
p.0070 當時(○○)〈ソノカミ〉 憶昔〈ソノカミ〉
p.0070 誰昔(ソノカミ)〈毛詩〉 當時(同)〈史記〉 當年(同)〈事文前集〉 當初(同) 宿昔(同)〈白文集〉 徑前(同)〈虚堂録〉 上世(同)〈日本紀〉
p.0071 久代(同)〈同上〉 曩時(同) 往代(同)〈又作二往時一〉 昔年(同)〈又作二昔日一〉
p.0071 そのかみ 昔時をよめり、禁河書に久代をよめり、石(イソノ)上の義、上世といふが如し、當時をよめるも、上に昔の事をいひて、其時と指の詞なりといへり、もと石上ふるてふ詞より、ふるき事はいひならはせり、
p.0071 そのかみとしかげこのしら木ごとを、この人々に一づヽたてまつる、
p.0071 そのかみむつまじう思ひ給へし、おなじ程の人おほくうせ侍にける世の末に、〈◯下略〉
p.0071 土佐守にありけるさかゐのひとざねといひける人、やまひしてよはくなりて、とばなりける家にゆくとてよみける、
行人はそのかみこんといふものを心ぼそしやけふの別れは
p.0071 そのかみ〈◯中略〉 上の語をうけて、その時といへるやうの意也、行さきをもいふといへる説はよろしからず、
p.0071 廣足云、こヽは上の語は地の詞、そのかみは病者の歌にて、常いふとは異也、其時といふ意にて、こヽは行さきをさす也、
p.0071 こしかた(○○○○) 來しかたの義也、きしかた(○○○○)も同じ、
p.0071 たヾつく〴〵と聞給て
きしかた(○○○○)を思ひ出るもはかなきを行末かけてなにたのむらん、とほのかにの給、
p.0071 題しらず 權中納言資實
こしかたをさながら夢になしつればさむるうつヽのなきぞ悲しき
p.0071 前比(サイツコロ/○○) さきの比也、つはやすめ字也、
p.0072 さいつころ(○○○○○)、雲林院のぼだいかうにまうでヽ侍りしかば、〈◯下略〉
p.0072 ちかごろ(○○○○) 近をよめり、或は近者とみゆ、又屬をよむは師古近なりと注せり、
p.0072 日者〈ヒコロ コノコロ(○○○○)〉
p.0072 頃〈丘頴反 コノコロ〉 頃來〈コノコロ〉 頃者〈同〉
p.0072 今屬〈コノコロ〉 今來〈同〉
p.0072 近日〈コノコロ〉 近來 頃 迺者〈已上同、コノコロ、〉
p.0072 憶二持心經一女現至二閻羅王闕一示二奇表一縁第十九
比頃〈コノコロ〉
p.0072 近頃 頃者(/コノゴロ) 屬(シヨク/コノ)者(/ゴロ) 廼者(/コノゴロ) 近者 邇(ジ)者 比(ヒ)者 玆者 比(/チカゴロ) 近(/同) 屬(シヨク/コノゴロ) 廼間(サイカン) 古昔(コセキ) 在昔(ザイセキ) 遂(スイ)古〈後漢書注、猶二往古一也、 往古(ワウコ) 往昔 上世 上古〉
p.0072 このごろ 比乃頃、屬間、字或は間者、頃者などをよめり、靈異記に此頃ともみゆ、
p.0072 大伴坂上郞女歌
比者(コノゴロニ)、千歳八往裳(チトセヤユキモ)、過與(スギヌルト)、吾哉然念(ワレヤシカモフ)、欲見鴨(ミマクホレカモ)、
p.0072 未來(○○)
p.0072 將來
p.0072 自(ヨリ)レ今以後(イマノチ) 向後(同)〈白文集〉 以後(イゴ)〈又作二已後一〉 餘年(ユクスエ)〈萬葉〉 將來(同) 向後(同/ユクエ) 未然(ユクサキ)〈日本紀舊事紀〉 已後(同)〈同上〉 向前(同)〈文粹〉 未來(ミライ)〈當來、將來並同、〉 自今以後(ジコンイゴ)〈漢王莽傳、又自今以來出二史記一、〉
p.0072 ゆくすゑ 行末の義也、萬葉集に餘年をよみ、續日本後紀の長歌に、將來をよめり、前程をも譯すべし、
p.0072 二十七年十二月、川梟帥〈◯中略〉即啓曰、自今以後號二皇子一應レ稱二日本武皇子一、
p.0072 嘉祥二年三月庚辰、興福寺大法師等、爲レ奉レ賀三天皇寶算滿二于四十一、〈◯中略〉長歌詞曰、〈◯中略〉今我帝(イマワガキミ)〈波(ハ)、〉往古(ムカシ)〈爾毛(ニモ)、〉不御坐(オホマシマサ)〈志(ジ)、〉將來(コムヨニ/○○)〈毛(モ)、〉何申(イカニマウサム)〈牟、◯下略〉
p.0072 あるかなきかに、きえいりつヽものし給を、御らんずるに、きしかた、行末おぼしめ
p.0073 されず、
p.0073 わが心ながら、かヽるすぢに、おほけなくあるまじきこヽろのむくひに、かくきしかた、行さき(○○○)のためしとなりぬべきことはあるなめり、
p.0073 一日四時(○○○○) 旦 晝 暮 夜 素問、岐伯曰、以二一日一分爲二四時一、朝則爲レ春、日中爲レ夏、日入爲レ秋、夜半爲レ冬、
p.0073 晝夜
p.0073 朝夕
p.0073 晝夜(チウヤ/ヒルヨル) 朝夕(テウセキ) 旦暮(タンボ) 早晩(サウバン) 晨夕(シンセキ) 旦夕(タンセキ) 晨昏(シンコン) 昏明(コンメイ) 蚤晏(サウアン) 曉(ケウ)夜 夙(シク)夜 昕(キン)夕 日夜 旦(タン)々〈日々也〉 日夕鼂暮(テウボ)〈鼂、古文朝字、〉
p.0073 日夜(ニチヤ) 晝夜(チウヤ)〈昏明義同〉 旦暮(タンボ)〈又云朝暮〉 旦夕(タンセキ)〈又云朝夕〉 朝暮(テウボ)〈旦暮、昏明、晨昏、蚤晏、晨夕、夙夜、昕夜、日夜、日夕並同、〉 朝夕(テウセキ)〈同上〉 晨昏(アケクレ) 旭曛(同) 暾晡(同) 朝暮(同/アサナユフナ) 寅酉(同)〈後太平記〉
p.0073 此比あけくれ御らんずる、ちやうごんかの御ゑ、〈◯下略〉
p.0073 昕〈許斤反、平、晨也、於保安加止支、又阿志太(○○○)〉
p.0073 朝(○)〈陟驕反 アシタ(○○○) ツトメテ〉
p.0073 旦也〈旦者朝也、以レ形聲、會意分別、庸風崇朝其雨、傳云、崇終也、從レ旦至二食時一爲レ終、朝此謂至二食時一乃終二其朝一、其實朝之義、主謂二日出レ地時一也、◯中略〉从レ倝舟聲、〈陟遙切、二部、〉
p.0073 晨(アシ/シン)朝(タ)〈二字義同〉
p.0073 晨朝(ジンデウ)
p.0073 晨(アシタ/アサ)〈文選註、朝謂二日未レ出時一、晨謂二日出時一、〉 朝(同) 旦(同) 夙(同)
p.0073 あくとも、あしたともいふは、しろくなる詞也、
p.0073 晨(アシタ) あは、あさき也、したは、下也、日のいまだあさくして、天の下にひきくある時也、
p.0074 一説足立也、夜いねたる者、足たちておくる也、前説を用ゆべし、
p.0074 朝アサ〈◯中略〉 アシタともいふは、萬葉集抄に、古語にシタといふは、間(ヒマ)といふ詞なりといふなり、さらばアケシホドなどいふが如し、
p.0074 あした 朝旦などをよめり、した反さ也、あさと同じ、
p.0074 吉備津采女死時、柿本朝臣人麿作歌一首并短歌、
露己曾婆(ツユコソハ)、朝爾置而(アシタニオキテ)、夕者(ユフベニハ)、消等言(キユトイヘ)、霧己曾婆(キリコソハ)、夕立而(ユフベニタチテ)、明者(アシタニハ)、失等言(ウストイヘ)、〈◯下略〉
p.0074 おとこ君はとくおき給て、女君はさらにおき給はぬあしたあり、
p.0074 朝(○) たまひこ〈或はたまひのとも〉 あさな あさけ〈朝開、朝飯をも、〉 朝あけ 萬には、つととよめり あさまだき 朝びらき〈是朝也〉 あけたつ〈是も朝也〉
p.0074 朝(アサ) ひるのいまだあさき也
p.0074 朝アサ〈◯中略〉 朝、アサといふは、アサは開也、〈日本紀釋に、開の字讀て、アサといふなり、〉天開き明かなるをいふ也、
p.0074 あさ 朝をいふ、あは明く也、さは少也、狹也、豐後の方言に、あすらといへり、すら反さ也、
p.0074 祈年祭
水分坐皇神等〈能〉前〈爾〉白〈久、◯中略〉皇御孫命〈能〉朝御食夕御食〈能〉加牟加比〈爾、〉長御食〈能〉遠御食〈登〉赤丹穗〈爾〉聞食故、〈◯下略〉
p.0074 笠女郞賜二大伴宿禰家持一歌一首
毎朝(アサゴトニ/○○)、吾見屋戸乃(ワガミルヤドノ)、瞿麦之(ナデシコノ)、花爾毛君波(ハナニモキミハ)、有許世奴香裳(アリコセヌカモ)、
p.0074 旦々(アサナ〳〵/○○)
p.0075 旦々(アサナ〳〵)〈又云朝々〉
p.0075 寄レ物陳レ思
大海之(オホウミノ)、荒礒之渚鳥(アリソノスドリ)、朝名旦名(アサナサナ)、見卷欲乎(ミマクホシキヲ)、不所見公可問(ミエヌキミカモ)、
p.0075 三月〈◯天平勝寶七歳〉三日撿二挍防人一勅使并兵部使人等、同集飮宴作歌、
阿佐奈佐奈(アサナサナ/○○○○○)、安我流比婆理爾(アガルヒバリニ)、奈里氐之可(ナリテシカ)、美也古爾由伎氐(ミヤコニユキテ)、波夜加弊里許牟(ハヤカヘリコム)、
右一首、勅使紫微大弼安倍沙美麿朝臣、
p.0075 和語の習、重點を云には、後にはかみの字を略する也、たとへばきら〳〵といはんとてはきらヽといひ、はら〳〵といはんとてははらヽといひ、とを〳〵といはむとては、とををなんど云たぐひ也、又今の人のあさな〳〵と云事を、あさなさなといへる也、
p.0075 旦開(アサケ/アサアケ)〈萬葉、又奧儀抄、〉 朝明(同)〈萬葉〉
p.0075 安貴王歌一首
秋立而(アキタチテ)、幾日毛不有者(イクカモアラネバ)、此宿流(コノネヌル)、朝開(アサケ/○○)之風者(ノカゼハ)、手本寒母(タモトサムシモ)、
p.0075 中將の朝けのすがたはきよげなりな〈◯下略〉
p.0075 昢〈芳昧布佩二反、去、向レ曙色、阿加止支(○○○○)、〉 旭〈許玉反、旦日欲レ除也、日乃氐留、又阿加止支、〉 〈各音、阿加止支、〉
p.0075 曉〈呼鳥反 アカツキ アケヌ アシタ〉
p.0075 明也、〈此亦謂レ旦也、俗云、天曉是也、引伸爲二凡明之偁一、◯中略〉从レ日堯聲、
p.0075 曙〈音署 アカツキ アキラカ アケヌ アサホラケ ヒル〉
p.0075 曉曙(アカツキアケボノ)〈二字義同〉
p.0075 厥明(アカツキ)〈代酔、厥明、質明並則已曉也、〉 質明(同)〈見レ上〉 曉(同)〈廣韵曙也〉 五更〈萬葉〉 旭(同)時〈萬葉〉
p.0075 曉 しのヽめ〈凌晨とかけり〉 山かつら〈曉天雲也〉 ありあけ あけくれ 曉をば、萬にあか
p.0076 ときともいへり、たまくしげ〈曉名也〉 萬、あかつきこめて、〈夜中心也〉 しぎのはねがきなどよめるは、たヾあか月ある事なり、ねざめといふおなじ事也、 いなのめともいへり〈稻目とかけり、在二六帖一、〉 いなひめ、いなのめ、〈同事也〉 萬十に、いなひめのあけ行と云り、これ曉なり、あかつきを、あけがたとはよむべからざるよし、定家説也、
p.0076 曉(アカツキ) 夜のあけ方、あか時也、つととと相通ず、
p.0076 晝ヒル〈◯中略〉 曉、アカツキといふは、古語にはアカトキといひけり、アカとは開(アク)也、トキとは時也、天開け明なる時をいふ也、
p.0076 あかつき 曉をいふ、日本紀に雞明を訓じ、萬葉集には旭時と書り、あかときともよめり、明時の義也、新撰字鏡に昕をおほあかときとよめり、
p.0076 十九年五月五日、藥二獵於莵田野一、取二鷄(アカ)鳴時一集二于藤原池上一、以二會明(アケボノ)一乃往之、
p.0076 大津皇子竊下二於伊勢神宮一上來時、大伯皇御作歌、
吾勢枯乎(ワガセコヲ)、倭邊遣登(ヤマトヘヤルト)、佐與深而(サヨフケテ)、鷄鳴(アカトキ/○○)露爾(ツユニ)、吾立所霑之(ワレタチヌレシヽ)、
p.0076 寄レ物陳レ思
旭時(アカトキ/○○)等(ト)、鷄鳴成(カケハナクナリ)、縱惠也思(ヨシエヤシ)、獨宿夜者(ヒトリヌルヨハ)、開者雖時(アケバアケヌトモ)、
p.0076 寄レ物陳レ思
夕月夜(ユフヅクヨ)、五更(アカトキ/○○)闇之(ヤミノ)、不明(ホノカニモ)、見之人故(ミシヒトユエニ)、戀渡鴨(コヒワタルカモ)、
p.0076 海邊望レ月作歌
伊母乎於毛比(イモヲオモヒ)、伊能禰良延奴爾(イノネラエヌニ)、安可等吉(アカトキ/○○○○)能(ノ)、安左宜理其問理(アサギリコモリ)、可里我禰曾奈久(カリガネゾナク)、
p.0076 曉がた(/○○○)に成にければ、法花三昧をこなふだうの懺法のこゑ、山おろしにつきて聞えくる、
p.0077 彼誰時(カハタレドキ/○○○)〈本朝俗、斥二黎明一云レ爾、猶下斥二黄昏一曰中誰彼時上、蓋對二人面一不二分明一之謂、〉
p.0077 かはたれどきとは、かれはたれどきと云也、ゆふべをたそかれどきと云がごとくに、曉をかはたれどきといへる也、
p.0077 二月〈◯天平勝寶七歳〉十四日下野國防人部領使正六位上田口朝臣大戸進歌數十八首、〈◯中略〉
阿加等岐乃(アカトキノ)、加波多例等枳爾(カハタレドキニ)、之麻加枳乎(シマカキヲ)、己枳爾之布禰乃(コギニシフネノ)、他都枳之良受母(タヅキシラズモ)、
p.0077 未明〈アケホノ(○○○○)〉
p.0077 曙(アケボノ)
p.0077 未明(アケボノ) 平明(同) 早旦(アケボノ) 凌晨(アケボノ)
p.0077 晨明(アケボノ)〈淮南子、日拂二於扶桑一曰二晨明一、〉 明發(同)〈文選註、初曉時也、〉 凌晨(同)〈平明、昒昕、早旦、未明、並同、〉 曙(同)〈文選註、旦明也、又云曉也、〉 會明(同)〈舊事紀〉
p.0077 あけぼの 曙をよめり、詩經に明發をよみ、日本紀に會明、昧爽、古事記に開明など書り、明んとして物のほのかに見ゆる時也、よてほの〴〵とあかしの浦などともつヾけり、歌の題に春曙といふ時は、花などもまだ咲出ぬむ月の末より、二月の初めのほど成べしといへり、
p.0077 四十八年正月戊子、會明(アケボノ)兄豐城命以二夢辭一、奏二于天皇一、〈◯下略〉
p.0077 三十八年、俗曰、昔有二一人一、往二兎餓一宿二于野中一、時二鹿臥レ傍、將レ及二鷄鳴(アカツキ)一、牡鹿謂二牡鹿一曰、〈◯中略〉時宿人心裏異之、未レ及二昧爽(アケボノ)一、有二獵人一以射二牡鹿一而殺、
p.0077 八年、高麗諸將未下與二膳臣等一相戰上皆怖、〈◯中略〉會明(アケボノ)、高麗謂、膳臣等爲レ遁也、悉レ軍來追、乃縱二奇兵一、歩騎夾攻、大破レ之、
p.0077 春はあけぼの、やう〳〵しろくなりゆく、山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる、
p.0078 昧莫(ホノクラシ/○○)〈欲レ明之時也、出二文選一、〉 黎明(同) 行黒(同) 晻々(同)〈説文、晻不レ明也、〉
p.0078 ほのくらし 明ぼのヽうすぐらき時をいふ、日本紀に凌晨、昧旦などを訓ぜり、
p.0078 十四年十月己酉、百濟王子餘昌〈◯註略〉悉發二國中兵一向二高麗國一、〈◯中略〉餘昌〈◯中略〉凌晨(ホノクラキ)起見二曠野之中一、覆如二青山一、旌旗充滿、
p.0078 大化元年八月庚子、是日、設二鍾匱於朝一、詔曰、〈◯中略〉其收レ牒者、昧旦(ホノクラキトキ/アケボノ)執レ牒、奏二於内裏一、
p.0078 まだほのぐらけれど、ゆきの光に、いとヾきよらにわかうみえ給ふを、老人どもゑみさかえてみ奉る、
p.0078 昧爽(アケグレ/○○)〈代酔、(中略)昧暗也、爽明也、明暗相雜也、〉 昧旦(同)〈毛詩註、天欲レ明、昧晦未レ辨之際也、〉 遲明(同)〈漢書〉
p.0078 あけぐれ 文選に昧爽をよめり、あけやみともいふ、夜の明んとして一しきり暗くなる時なり、
p.0078 丹比眞人笠麻呂下二筑紫國一時作歌一首并短歌
吾妹兒爾(ワギモコニ)、戀乍居者(コヒツヽヲレバ)、明晩乃(アケグレノ)、旦霧隱(アサギリガクリ)、鳴多頭乃(ナクタヅノ)、哭耳之所哭(ネノミシナカユ)、〈◯下略〉
p.0078 あけぐれのほど、あやにくにきりわたりて、空のけはひひやヽかなるに、月はきりにへだてられて、木のしたもくらくなまめきたり、山里の哀なる有様思出給、
p.0078 旦未(アサマダキ/○○) 朝速(同)
p.0078 まだき 未しき也、〈◯中略〉朝まだき起てといふも、おくべき時分のまだいたらぬ也、
p.0078 題しらず 兵部卿元良親王
あさまだきおきてぞみつる梅花夜のまの風のうしろめたさに
p.0079 篠目(シノヽメ/○○)
p.0079 凌晨(イナノメ/○○) 凌晨(シノヽメ)〈白文集、八雲抄、〉 五更(同)〈萬葉〉 篠目(同)〈俗字〉 東雲(同)〈同上〉
p.0079 いなのめの〈あけゆきにけり〉又しのヽめの〈ほから〳〵と明行ば〉
萬葉卷十に、〈七夕の歌〉相見久(アヒミマク)、猒雖不足(アキタラネドモ)、稻目(イナノメノ)、明去來理(アケユキニケリ)、舟出爲牟孋(フナデセムイモ)、こを曉のことヽは誰もいへど、そのよしをいはねば、おもふに、いなのめとはあしたの目てふ語也けり、何ぞなれば、古事記に、〈神武條〉降二此刀一状者、穿二高倉下之倉頂一、自レ其墮入、故阿佐米余玖汝取持、獻二天神御子一、故如二夢教一而、旦見二己倉一者、信有二横刀一といへり、この阿佐米余玖は旦目吉(アシタメヨク)也、〈後世の人も、あしたに吉もの見れば、朝目よしと悦ぶ是也、〉日本紀にも、高倉曰二唯唯一而寤之明旦云々と同じ事あり、この寤之明旦と、右の阿佐米と同じことにて、かつ阿佐(アサ)と阿志多(アシタ)と又同じ語也、〈志多反は佐なれば也〉さて其阿志多の阿志を反せば伊となる、多と奈は韻通へり、然れば伊奈(イナ)のめの明ゆくとは、あしたの目の明ゆくてふこと也、故に此語を夜の明ることに冠らせたり、〈◯中略〉古今和歌集に、しのヽめのほがら〳〵と明ゆけばてふも、朗らかに明行とつヾけて、右の伊奈の目の明ゆくと同じ語也、いかにぞなれば、しのヽめは、しなのめともいはる、〈奈と乃は常に通ふ〉そのしなを反せば佐(サ)となりて、しなのめは佐の目となる、さてその佐の目は、阿佐(朝)の目のあを略きたるなれば、右に伊奈のめは阿志多の目てふ事といへるに全く同じき也、〈上にいふ如く志多反も佐也、志奈反も佐也、多と奈とは同じ韻也、〉田舍人の、夜の目佐の目もあはせずといふは、夜の目朝の目をも合せぬてふなるを思へ、又おもふに、いなのめの明とは、寢目明(イネノメノアク)とも意得べし、宿(イ)を寢たる目の覺るを、目の開といふは俗なるやうして古語也、
p.0079 しのヽめ 東雲をよめるは、曉の雲の細やかに明わたるを、篠の芽にたとへいふなるべしといへり、神代紀に細開二磐戸一窺之と見えたる、是しのヽめの明行空の言本也とぞ、
p.0079 題しらず よみ人しらず
p.0080 しのヽめのほがら〳〵と明ゆけばおのが衣々なるぞかなしき
p.0080 天明(ホノ〳〵)〈平旦之義〉 朗々(同) 會明(同)〈萬葉〉 髴々(同)〈若々、幽幽並同、〉
p.0080 ほの〴〵 ほのかに明る貌なり、人麻呂のほの〴〵の詠は、晋謝靈運が詩に、中流袂就レ判、欲レ去情不レ忍、顧望脰未レ悁、汀曲舟已隱といへる意なるべし、
p.0080 うちなきてあばらなるいたじきに、月のかたぶくまでふせりて、こぞを思ひ出てよめる、〈◯中略〉夜のほの〴〵と明るに、なく〳〵歸りにけり、
p.0080 題しらず よみ人しらず
ほの〴〵と明石の浦のあさ霧に島がくれゆく舟をしぞ思ふ
この歌は、ある人のいはく、かきのもとの人丸が也、
◯按ズルニ、此歌今昔物語卷二十四ニハ小野篁ノ歌トセリ、
p.0080 有明(アリアケ/○○)
p.0080 稱明(アリアケ)〈又作二有晨一〉
p.0080 ありあけ 有明の義、十六夜以下は夜は已に明るに、月は猶入らで有る故にいふなり、或は晨明をよめり、
p.0080 題しらず みぶのたヾみね
有明のつれなくみえし別より曉ばかりうき物はなし
p.0080 秋比山寺にて讀侍ける 藤原良清
おもふこと有明かたの鹿の音は猶山ふかく家ゐせよとや
p.0080 平旦(アサボラケ/○○)
p.0080 朝開(アサボラケ)〈萬葉〉 朝朗(同) 明卒(同)
p.0081 世間乎(よのなかを)、何物爾將譬(なににたとへん)、旦開(あさぼらけ/あさびらき)榜(こぎ)去師(ゆく/こし)船之(ふねの)、跡無加如(あとなきがごと)、この歌の中の五文字、古點にはあさぼらけと點せり、此詞ふるくはあさひらけ(きイ)といひけりとみえたり、〈◯中略〉あさひらきといへる、なにのきヽにくヽ、あはざる心あれば也、あさぼらけと點したるとおぼつかなし、
p.0081 旦開(アサボラケ) 朝びらけなり、仙覺が説也、あした雲のひらけ、夜のあくる也、
p.0081 あさぼらけ 朝ぼの明の約りたる辭なるべしといへり、常に朝朗とかけり、古今集より見えたり、
p.0081 あさぼらけ 朝朗 あさぼらけとは、〈◯中略〉朝朗といふ字の如し、朝ぼの明の略語かともいへり、
p.0081 やまとのくににまかれりける時に、ゆきのふりけるをみてよめる、 坂上これのり
朝ぼらけ(○○○○)有明の月と見るまでに吉野の里にふれる白雪
p.0081 暾 旽〈同土屯反、平、日初出時也、明也、豆止女天(○○○○)、又阿志太、〉
p.0081 旦〈音但 アシタ アケヌ アカツキ ツトメテ〉
p.0081 明也〈明當レ作レ朝、下文云、朝者旦也、二字互訓、大雅板毛傳曰、旦明也、此旦引伸之義非二其本義一、衞風信誓旦旦、傳曰、信誓旦旦、然謂二明明然一也、〉从レ日見一上一地也〈易曰、明出二地上一㬜、得案切、十四部、〉
p.0081 夙(ツト/シユク)〈早也〉
p.0081 晨(ツト)〈早朝也〉 夙(同) 始旦(同)
p.0081 夙(ツト) つとめて也、はやき意、あしたはやきを云、
p.0081 高倉下答曰、〈◯中略〉故如二夢教一而旦(○)見二己倉一者、信有二横刀一、故以二是横刀一而獻耳、
p.0082 旦は都登米氐(ツトメテ)と訓べし、凡て夜有し事を云て、其明旦(アクルアシタ)のことを、都登米氐とは云なり、
p.0082 昔おほやけおぼして、〈◯中略〉在原なりける男の、まだいとわかヽりけるを、此女あひしりたりけり、〈◯中略〉つとめて(○○○○)とのもづかさの見るに、くつは取て、おくになげ入てのぼりぬ、
p.0082 つとめては、朝とくの意にはあれども、おほくはよべの事よりかけていふやうの所にいふ詞也、こヽもよべは女の里にゆきてねて朝とく也、
p.0082 つとめて(○○○○)すこしねすぐし給て、日さし出る程にいでたまふ、
p.0082 あくるころほひ(○○○○○○○) 黎明遲明などをよめり
p.0082 朏明(アケガタ/○○)〈淮南子、將明曰二朏明一、〉 邌旦(同)
p.0082 明がたちかくなりぬらんと思ふ程に、ありししのヽめおもひ出られて、〈◯下略〉
p.0082 いざよふ月にゆくりなくあくがれんことを、女はおもひやすらひ、とかくのたまふ程、にはかに雲がくれて、あけ行空いとおかし、
p.0082 更大伴宿禰家持贈二坂上大孃一歌
夜之穗杼呂(ヨノホドロ/○○○○○)、吾出而來者(ワガデヽクレバ)、吾妹子之(ワギモコガ)、念有四九四(オモヘリシクシ)、面影二三湯(オモカゲニミユ)、
p.0082 よのほどろとは、よのひかると云也、夜のあくるを云也、しのヽめのほがら〳〵とあけゆけばなど云も、ひかりあくる心也、
p.0082 雞鳴(ケイメイ)〈丑八時〉 平旦(ヘイタン)〈寅七時〉 日出〈卯六時〉
p.0082 遲明(チメイ)〈早朝〉
p.0082 曉旦之類 昧爽(バイサウ/アケグレ)〈欲レ明而未レ明之時〉 昧旦(バイタン) (バイ)爽〈未レ曉曰二 爽一〉 嚮晨(キヤウシン)〈詩〉 向(キヤウ)曉 五曉(ケウ)〈五更將レ曉也、李詩、夜々達二五曉一、〉 爽旦(サウタン) 黎明(レイメイ/アクルコロヲヒ)〈天未レ明之間〉 黎旦(レイタン)〈天將レ曉也〉 爽曙(シヨ) 曙(シヨ/アケボノ)〈東方明也〉 平明 旦(タン)明〈平旦也〉 平曉 雞晨(ケイシン) 昒昕(コツキン)〈初曉〉
p.0083 〈也〉 明發(メイハツ)〈同上〉 厥明(ケツメイ)〈其日之曉也、周禮、〉 質明(シツメイ)〈平明也〉 凌(レウ)朝〈清晨也〉 詰(キツ)朝〈左傳注、平旦也、〉 侵(シン)早 夙晨(シクシン) 詰旦(キツタン)〈平旦也、又翌日、〉 崇朝(ソウテウ)〈自レ朝至二食時一〉 清朝 平旦 際明(サイメイ)〈徹レ曉曰二際明一〉 大昕(キン)〈説文、昕旦明也、〉 朝朗(テウラウ/アサボラケ)〈明旦、朝旦並同、〉
p.0083 七年四月丁亥朔、欲レ幸二齋宮一卜レ之、癸巳食レ卜、仍取二平(トラ/○)旦(/○)時一驚蹕、
p.0083 十六日踏歌式
早旦(○○)、天皇御二豐樂殿一、賜二宴次侍從以上一、
p.0083 五月五日觀二馬射一式
其日未明(○○)、中務省置二尋常位於庭中一、〈◯中略〉平明(○○)、皇帝出レ宮就二御座一、〈◯中略〉
十一月新嘗會式
其日遲明(○○)、皇帝廻レ自二神嘉殿一祭二御殿一訖、
p.0083 釋奠講論儀
其日〈◯二月上丁〉質明(○○)、所司立二高座於堂上一、
p.0083 今朝〈ケサ〉 明朝〈アス〉
p.0083 今朝をケサといひ、今日をケフといふは、今夜をコヨヒといひ、今年をコトシといふに同じ、ケといひ、コといふは轉語にて、共にコノといふ詞なり、ケサといふはコノアサなり、
p.0083 晝〈音宙 ヒル(○○) 和チウ〉
p.0083 日之出入、與レ夜爲レ介、从レ畫省从レ日、〈按、今篆體蓋亦少二一横一、陟救切、四部、〉
p.0083 晝〈ヒル、日中也、日晝、〉
p.0083 晝(ヒル)〈活法、日中也、〉 日午(同) 亭午(ヒルナカ/マヒル) 卓午(同) 日中(同)
p.0083 晝 ひのぼる也、中天に日のぼる也、中略也、日は母語也、ひるは子語なり、一説、此時物のうるほひひるゆへにひると云、
p.0084 日のあるあひだを晝といひ、日のいりて後を夜といふは、いかさま仔細あらんやとおもひ、我が折角思案して、いとしあてたはとかたる、なにと工夫したぞ、〈◯中略〉日ひんがしにかがやけば、そめやはそめてかけ、ぬる者はぬりてほし、きたなき物をもあらひてほすに、いづれものこらずひるほどに、さてなむひるとはいふ物よと、
p.0084 晝ヒル〈◯中略〉 晝、ヒルといふ、ヒは日也、ルは語助なり、日の中する義なるべし、
p.0084 ひる 神代紀に日をよめり、晝も同じ、日をはたらかしたる詞也、又日中をさしていへり、伊勢物語にも見えたり、武備志に午をよめる是也、
p.0084 晝分(チウブン) 晌午(シヤウゴ) 亭午(テイゴ)〈日在レ午曰二亭午一、亭至也、中也、〉 白晝(ハクチウ)〈史記〉 通日〈自レ早至レ晩也〉 竟日〈盡日也〉 終日(シウジツ) 彌(ビ)日〈盡日也〉 移(イ)日 日旰(カン)〈日影昃也〉 日昃(シヨク)〈午后也〉 終晷(キ) 卓午(タクゴ)〈午時也〉 薄午(ハクゴ)〈薄迫也〉
p.0084 白晝(ハクチウ)〈賈誼策註、晝日也、〉 日中(ニツチウ)〈午時〉
p.0084 一書曰、〈◯中略〉高皇産靈尊勅二八十諸神一曰、葦原中國者、磐根、木株、草葉、猶能言語、夜者若二熛火一而喧響之、晝(ヒル)者如二五月蠅一而沸騰之云々、
p.0084 冬は雪のふりたるはいふべきにもあらず、霜などのいとしろく、又さらでもいとさむき、火などいそぎおこして、すみもてわたるもいとつぎ〳〵し、ひる(○○)になりてぬるくゆるびもてゆけば、すびつ火おけの火も、しろきはいがちになりぬるはわろし、
p.0084 題しらず きよはらのふかやぶ
みつしほのながれひるま(○○○)をあひがたみみるめのうらによるをこそまて
p.0084 盡日〈ヒメモスニ(○○○○○)ヒネモスニ〉 終日〈同ヒメムスニ〉
p.0084 終日(シウジツ)〈竟日、盡日、通日、彌日、移日、終晷並同、〉 終日(ヒネモソ/ヒメモソ)〈又云盡日〉
p.0084 ひねもす 終日、又盡日をよめり、日目もさながらてふを略す、今も日の目て
p.0085 ふ語はいふ也、さながらは、そのまヽに同じ、又ひねもすがらの略也、夜もすがらに對したる詞也、仁明天皇寶算の賀歌に、茜刺須終日須加良爾と見えたり、ひねは日也、ねは助語、又ねも反の也、夜をよはといふがごとし、すがらは物の末になりて、盡んとするをいふ詞也、ひめもすといふも同じ、めも反も也、
p.0085 詠二霍公鳥一一首并短歌
鸎之(ウグヒスノ)、生卵乃中爾(カヒコノナカニ)、霍公鳥(ホトトギス)、獨所生而(ヒトリウマレテ)、〈◯中略〉橘之(タチバナノ)、花乎居令散(ハナヲヰチラシ)、終日(ヒネモスニ)、雖喧聞吉(ナケドキヽヨシ)、〈◯下略〉
p.0085 嘉祥二年三月庚辰、興福寺大法師等爲レ奉レ賀三天皇寶算滿二于四十一、〈◯中略〉長歌詞曰、〈◯中略〉茜刺(アカネサ)〈須(ス)、〉終日須加良(ヒネモスカラ)〈爾(ニ)〉烏玉(ウバタマ)〈乃(ノ)、〉狹夜通(サヨトホス)〈左右(マデ)、〉時日經(ヒトキヘ)〈天(テ)、〉思時(オホヘルトキ)〈爾(ニ)、◯下略〉
p.0085 昬〈ユフヘ(○○○) ヒクル 音惽〉 昏 暮〈音慕 ユフヘ〉
p.0085 夕〈音席 ユフヘ ヨヒ〉
p.0085 晡〈ユフヘ 且後晡日〉 夕〈字從二出月一也〉 昬〈亦作レ昏〉 穉 暝〈又云、冥、晦暝也、〉 晏〈已上同夕也〉
p.0085 也、〈 者日旦冥也、日旦冥而月旦生矣、故字从二月半見一、旦者日全見二地上一、 者日在二茻中一、夕者月半見、皆會意象形也、〉从二月半見一、〈祥易切、古音在二五部一、〉
p.0085 暮(ユフベ)〈字彙、日晩也、〉 (同)〈代酔、日出一上爲レ旦、日入一下爲レ 、 古昏字也、一地也、〉 晩(同)〈説文暮也〉 晏(同) 旰(同) 夕(同)〈説文、暮也、除云、月字之半也、月初生則暮見二西方一、故半月爲レ夕、〉
p.0085 夕(ゆふべ)を東國の詞によんべと云、今案に、遊仙屈ニ宿ヨベ、ヨンベと訓ず、
p.0085 暮クレ〈◯中略〉 夕、ユフベといふは、ユフは夜といふ詞の轉也、へは語助也、
p.0085 夕 ゆふやみ ゆふけ すみぞめ ゆふな 夕け ゆふまぐれ くものはたて〈夕日雲也〉 とよはた雲〈同〉 たそがれ〈物をとふていによむべし〉 夕され 夕ぐれ うらひこ〈ゆふべの名也〉 萬八にねての夕べのともよめり むばたまのゆふべとよめり すみぞめと云、これくらきこヽろ也、
p.0086 正述二心緒一
狛錦(コマニシキ)、紐解開(ヒモトキアケテ)、夕谷(ユフベダニ)〈◯谷原作レ戸、據二略解説一改、〉不知有命(シラザルイノチ)、戀 有(コヒツヽカアラム)、
p.0086 題しらず 讀人しらず
すみぞめの、ゆふべになれば、ひとりゐて、あはれ〳〵と、なげきあまり、せんすべなみに、〈◯下略〉
p.0086 昏(クレ/○)〈活法、日暮也、〉 暮(同) 晩(同)
p.0086 日のくるヽを、くるとも、くれともいふは、くろくなる詞也、
p.0086 暮クレ〈◯中略〉 暮、クレといふは、クレは暗(クラ)なり、天昏く暗きをいふ也、
p.0086 十三年十一月戊辰、昏(イヌ/○)時(/○)七星倶流二東北一則隕之、
p.0086 詠レ月
朝霞(アサガスミ)、春日之晩者(ハルビノクレハ)、從木間(コノマヨリ)、移歴月乎(ウツロフツキヲ)、何時將待(イツトカマタム)、
p.0086 晩頭〈ユフクレ(○○○○)〉 薄暮
p.0086 黄昏(ユフグレ) 迫晩(同)〈又作二薄晩一〉 薄暮(同)〈文選〉 夕曛(同)〈同上〉 曛黄(同)〈遊仙窟〉
p.0086 ゆふぐれ 夕暮は殊に秋を賞するは、物さびしきをもてなり、よて歌にも三夕の稱を得たり、
p.0086 人の花山にまうできて、夕さりつかたかへりなんとしける時によめる、 僧正遍昭
夕暮のまがきは山とみえななむよるはこえじとやどりとるべく
p.0086 秋は夕ぐれ、夕日はなやかにさして、山ぎはいとちかくなりたるに、烏のねどころへゆくとて、みつよつふたつなど、とびゆくさへあはれなり、まいて鴈などのつらねたるが、いとちいさくみゆるいとおかし、日いりはてヽ、風のをと、蟲のねなど、いとあはれなり、
p.0087 晩闇(ユフマグレ)〈萬葉〉 曛黒(同)
p.0087 ゆふまぐれ 夕間暮なり、夕暮に同じ、
p.0087 御めのといと心ぐるしうみて、宮にとかくきこえたばかりて、夕間暮の人のまよひに、對面せさせ給へり、
p.0087 黄昏(タソガレドキ)〈戌刻也〉 誰彼時(同)〈俗字〉
p.0087 昏黒(タソカレ) 誰彼(タソカレ)也、日くれてたれかれとうたがひて、分明ならざる也、晩〈◯晩恐曉誤〉を萬葉に彼誰(カハタレ)時とよめるが如し、
p.0087 すのこちかくよりて、宰相、夕暮のたそがれどきはなかりけりかくたちよれどとふ人もなし、とてのぼりてゐ給ぬ、
p.0087 題しらず 大中臣輔親
あし曳の山郭公里なれてたそがれ時になのりすらしも
p.0087 花の香さそふ夕風、のどかに打咲たるに、おまへの梅やう〳〵ひもときて、あれは誰どき(○○○○○○)なるに、物のしらべどもおもしろく、〈◯下略〉
p.0087 晡時(ユフカタ)〈又云晡夕〉 晩刻(同)
p.0087 夕かた、かのたいに侍る人の、しげいさに對面せんとて、いでたつついでに、〈◯下略〉
p.0087 ほたるをうすきかたに、此夕つかた(○○○○)いとおほくつヽみをきて、〈◯下略〉
p.0087 晡〈甫干反、平、申時、由不佐利(○○○○)、〉
p.0087 ゆふさり 新撰字鏡に晡をよめり、夕かたを云、夕にしありと云義、しあ反さ也、よてゆふさりつかたともいへり、
p.0087 御祖伊須氣余理比賣患苦而、以レ歌令レ知二其御子等一、〈◯中略〉歌曰、
宇泥備夜麻(ウネビヤマ)、比流波久毛登(ヒルハクモト)p.0088 韋(ヰ)、由布佐禮婆(ユフサレバ)、加是布加牟登曾(カゼフカムトゾ)、許能波佐夜牙流(コノハサヤゲル)、
p.0088 由布佐禮婆は、夕去者(ユフサレバ)にて、夕になればと云むが如し、萬葉に多き詞なり、明去(アケサレ)ば、朝去(アササレ)ば、春去(ハルサレ)ば、秋去(アキサレ)ば、又春去(ハルサリ)ぬればなどもいひ、夕(ユフ)さらば、春さらば、秋さらばなどもいひ、又夕去來(ユフサリク)れば、春去(ハルサリ)來ればとも、春去(ハルサリ)にけりとも、又春去往(ハルサリユク)とも、さま〴〵に云る、みな去(サル)は其時になる意に云り、〈◯註略〉今の俗言に、夜(ヨル)を夕さりとも、夜(ヨ)さりとも云は、此より出たる言なるべし、
p.0088 詠レ雪
暮去者(ユフサレバ)、衣袖寒之(コロモデサムシ)、高松之(タカマトノ)、山木毎(ヤマノキゴトニ)、雪曾零有(ユキゾフリタル)、
p.0088 大將げかうはて、かへり給て、せちにきこえ給へば、そのひのゆふさりつかた(○○○○○○○)、なしつぼもとぶらひきこえ給はんとてわたり給ぬ、
p.0088 昔男有けり、その男伊勢の國に、かりの使にいきけるに、かの伊勢の齋宮なりける人のおや、〈◯中略〉あしたには、かりにいだしたてヽやり、ゆふさればかへりつヽそこにこさせけり、
p.0088 かんなりのつぼにめしたりける日、〈◯中略〉夕さりまで侍て、まかりいで侍けるおりに、さかづきをとりて、 つらゆき〈◯歌略〉
p.0088 日沒〈イリアヒ(○○○○)〉
p.0088 日沒(イリアヒ) 落照(同)〈又云夕照〉 晩鐘(同)
p.0088 いりあひ 日沒をいふ、日の入間だなり、よて晩鐘をもしかいへり、或は返照をよめり、
p.0088 昔わかき男、〈◯中略〉けふのいりあひばかりに絶入て、又の日のいぬのときばかりになん、からうじていき出たりける、
p.0088 山里にまかりてよみ侍ける 能因法師
p.0089 山ざと〈◯さと、一本作レ寺、〉の春の夕暮きてみればいりあひのかねに花ぞ散ける
p.0089 曛〈許軍反ヒクレ(○○○)〉
p.0089 晩(ヒクレ) 晏(同) 迫晩(同) 薄暮(同) 曛黒(同)
p.0089 ひぐれ 日暮を云、諺に日暮て道いそぐといふは、白居易が傳に、日暮道遠、吾生蹉跎とみえたり、
p.0089 元年六月甲申、是日發途入二東國一、〈◯中略〉到二大野一以日落(ヒクレヌ)也、
p.0089 晼晩(ホノクレ)〈日沒之時〉 曛黒(同)
p.0089 十三年十一月庚午、日沒(トリ/○○)時、星隕二東方一、
p.0089 禮讃の時刻は、日沒(にちもつ)〈申時〉初夜(しよや)〈戌時〉半夜(はんや)〈子時〉後(ご)夜〈寅時〉晨朝(しんでう)〈辰時〉日中〈午時〉なるべし、
p.0089 薄暮(ハクボ)〈太平御覽、日將レ落曰二薄暮一、〉 晡時(ホジ)〈韵會、日加レ申時也、〉 晡夕(ホセキ)〈義同レ上〉
p.0089 㫄暮(バウボ)〈日將レ晩也〉 薄暮(ハクボ)〈迫暮同〉 時竟(キヤウ)〈日暮之時、盡二一日一也、〉 景(ケイ)夕 頽(タイ)暮 黄昏(クハウコン)〈日落天地之色玄黄而昏々然也、又云二昏黄一、〉定昏(テイコン)〈已冥也〉 向晩(バン) 熏(クン)夕 王莽時(ワウマウガトキ/ヲモトキ/カマトキ)〈羅山子曰、倭俗稱二黄昏一曰二王莽時一、言晝前漢也、夜後漢也、以二日氣已沒夜氣未一レ萌故也、然則名二王莽時一當哉、〉
p.0089 王莽時(ヲマガトキ/○○○)〈俚俗、斥二黄昏一云レ爾、〉 昏鐘鳴(コジミ/○○○)〈俚俗、謂二黄昏時一爲二昏鐘鳴一、〉
p.0089 昏鐘鳴(コジミ/○○○)
p.0089 こじみ 昏鐘鳴の音なりといへり、入相をいふ、
p.0089 ゆふやみ 夕闇の義、俗にいふ、よひやみなり、
p.0089 豐前國娘子大宅女歌一首
夕闇者(ユフヤミハ)、路多豆多頭四(ミチタヅタヅシ)、待月而(ツキマチテ)、行吾背子(イマセワガセコ)、其間爾母將見(ソノマニモミム)、
p.0089 夜(○)〈音射 ヨハ〉
p.0090 夜〈ヨル〉
p.0090 舍也、〈以二疊韵一爲レ訓〉天下休舍〈休舍猶休息也、舍止也、夜與レ夕渾言不レ別、析言則殊、小雅莫レ肎二夙夜一、莫レ肎二朝夕一、朝夕猶夙夜也、春秋經夏四月辛卯夜即辛卯夕也、〉从レ夕亦省聲、〈羊謝切、古音、在二五部一、〉
p.0090 宵(ヨル)〈夜也〉
p.0090 寢夜(ヌルヨ)〈萬葉〉 夜(ヨ/ヨル) 小夜(サヨ)〈萬葉、作二狹夜一、〉
p.0090 さよ(○○) 萬葉集に小夜と書れど、さとまと通ふ、眞夜の義成べし、さよなか、さよ衣の類是なり、或はさは發語ともいへり、
p.0090 夜 よるはいる也、日入なり、いとよと通ず、又晝出たる人、夜は一所へよる也、よるはあつまる意、前説よし、
p.0090 日のいりて後を夜といふは、いかさま仔細あらんやとおもひ、我が折角思案して、いとしあてたはとかたる、なにと工夫したぞ、たとへば、朝になれば、とくからおきて山にゆく者もあり、海にうかぶもあり、市にたつもあり、奉公に出仕するあり、日のくるれば、いづれもみな我宿々に、かへりよるほどに、さてぞよるとはいふなるべし、
p.0090 よと、よはと、よひと皆同じ、萬葉に初夜をよひとよめるは、まだよひにてふけぬさきなり、眞淵云(頭書)、後の人は、この初夜のことをのみよひとはいへど、すべての夜をよひとよめること、萬葉に多し、古今集にもあり、
p.0090 夜ヨ〈◯中略〉 夜ヨといひ、ヨルといふ、ヨとは、今日と明日との中間なればなり、古語に凡事の節限ある中間をさして、ヨといひけり、夜をヨといひ、前世をサキノヨといひ、後世をノチノヨなどいふが如きも、たとへば竹節の間をいひて、ヨといふが如し、ヨルといふが如き、ルといふ
p.0091 は語助なり、
p.0091 よ 夜は世のうつりかはるが如し、同語なるべし、日本紀に更をよめり、夜に初更、二更といふより出たり、よる 夜を、よとも、よるともいへり、體用の詞也、日を、ひるとも轉ずるが如く、およるは御夜也、おひなるは御晝なる也、
p.0091 夜 むばたま さよ ひとよ〈次第にかくのごとし〉 もヽよ ちよ ぬばたまは本説云、萬葉にむばたまといへり、又ぬばたまともいへり、萬には兩説なり、 五百〈いほ夜なり〉 ゆきもよ あめもよ あま夜 月夜 しも夜 よは みじかよ なが〳〵しきよ さよ中〈小夜中也〉 萬十に、したよのこひとよめり、〈夜中也〉 よごろ よかず〈源氏詞也〉 よひヽかり〈やう〳〵ふくる心也〉 よくたち〈同事也、源なり、〉
p.0091 一霄〈セウ〉 一夜 一夕
p.0091 信〈フタヨ、二夜也、〉
p.0091 暮夜(ボヤ) 夜分〈後漢書注云、分猶レ半、〉 初夜(シヨヤ)〈初更之時〉 五夜(ゴヤ)〈分二一夜一爲二五夜一、又五更也、〉 五鼔(ゴコ)〈五更〉 一昔(セキ)〈一夕也〉 子夜〈子時〉 午夜(ゴヤ)〈午中也、半夜也、〉 闌(ラン)夕 終夜(シウヤ/ヨモスガラ) 盡宵(ジンセウ/同) 徹宵(テツ /同) 盡夕(/同) 極夜(ゴクヤ) 通音(ツウ /ヨモスガラ) 通宵(/ヨモスガラ) 遥音(ヨウ /ナガキヨ)〈永夜也〉 修夜〈同上〉
p.0091 寄レ物陳レ思
念管(オモヒツヽ)、座者苦毛(ヲレバクルシモ)、夜干玉之(ヌバタマノ/○○○○)、夜(ヨル/○)爾至者(ニシナラバ)、吾社湯龜(ワレコソユカメ)、
p.0091 ぬば玉とも、うばたまともいへるは、よるをいふなり、うばたまとは、くろきたまと云心也、よるはくろきいろなれば、うばたまと云べし、
p.0091 中納言〈◯中略〉みそかにつかさにいまして、をのこどもの中にまじりて、夜をひるになしてとらしめ給ふ、
p.0091 だいしらず よみ人しらず
p.0092 我やどの梅の初花ひるは雪夜る(○○)は月かとみえまがふ哉
p.0092 夏はよる、月のころはさらなり、やみもなをほたるとびちがひたる、雨などのふるさへおかし、
p.0092 夜に入て、物のはへなしといふ人、いと口おし、萬の物のきらかざり、色ふしもよるのみこそめでたけれ、ひるはことそぎ、およすげたる姿にてもありなん、よるはきらヽかに、はなやかなるさうぞくいとよし、人のけしきも、よるのほかげぞよきはよく、物いひたるこゑも、くらくて聞たる、用意ある心にくし、匂ひも物のねも、たヾよるぞひときはめでたき、さしてことなることなき夜うち更て、まいれる人の、きよげなるさましたるいとよし、わかきどち、心とヾめて見る人は、時をもわかぬ物なれば、ことにうちとけぬべきおりふしぞ、けはれなくひきつくろはまほしき、よき男の日くれてゆするし、女も夜更るほどにすべりつヽ、鏡とりてかほなどつくろひて出るこそおかしけれ、神佛にも、人のまうでぬ日、夜まいりたるがよし、
p.0092 二年〈◯神龜〉乙丑春三月、枽二三香原離宮一之時得二娘子一作歌一首并短歌、 笠朝臣金村
今(コノ)夜(ヨラ/○)之(ノ)、早開者(ハヤクアクレバ)、爲便乎無三(スベヲナミ)、秋百夜乎(アキノモヽヨヲ)、願鶴鴨(ネガヒツルカモ)、
p.0092 この歌、古點には、こよひのはやくあくれと點ず、古語には、このよらのといへり、男聲をよぶ故成べし、
p.0092 夜半〈ヨナ〳〵(○○○○)ヨナカ〉
p.0092 ひとめをおぼして、へだてをき給よな〳〵などは、いとしのびがたく、くるしきまでおもほえたまへば、〈◯下略〉
p.0093 短夜(みじかよ/○○)〈(中略)古來長日を春とし、短夜を夏とし、長夜を秋とし、短日を冬とす、〉
p.0093 寛平御時きさいのみやの歌合のうた きのつらゆき
夏の夜のふすかとすれば郭公鳴一こゑにあくるしのヽめ〈◯中略〉
月のおもしろかりける夜、あかつきがたによめる、 ふかやぶ
夏のよはまだ宵ながらあけぬるを雲のいづこに月やどるらん
p.0093 長夜(チヤウヤ/○○)〈文選註、基中不レ明、是曰二長夜一、〉 遙昔(ヨナガシ)〈文選、夜旻也、〉 修夜(同)〈同上〉
p.0093 長夜(ながきよ)〈夜の至りて長きは冬なるに、永き夜を秋の季とするは、夏の夜の餘りにみじかきに、此月はたヾちに長く覺ゆる故なるべし、八月より九月に渡るべし、〉
p.0093 寄レ物陳レ思
念友(オモヘドモ)、念毛金津(オモヒモカネツ)、足檜之(アシビキノ)、山鳥尾之(ヤマドリノヲノ)、永此夜乎(ナガキコノヨヲ)、或本歌曰、足日木乃(アシビキノ)、山鳥之尾乃(ヤマドリノヲノ)、四垂尾乃(シダリヲノ)、長永夜乎(ナガナガシヨヲ)、一鴨將宿(ヒトリカモネム)、
p.0093 人のもとにまかれりける夜、きり〴〵すのなきけるをきヽてよめる、 藤原たヾふさ
蛬いたくななきそ秋の夜のながき思ひは我ぞまされる
p.0093 霄〈ヨル(○○)◯一本作二ヨイ一〉
p.0093 宵(ヨヰ/ヨル) 初更(同)
p.0093 よひとは、心よくいをぬるを云也、
p.0093 宵 夜居なり、夜いまだねずして居る時を云、
p.0093 夜ヨ〈◯中略〉 宵ヨヒといふは、ヨとは夜(ヨ)也、ヒとは間(ヒ)也、古語にヒといひしには間之の義あり、
p.0094 よひ 日本紀に見ゆ、宵をよめり、萬葉集に初夜もよめり、夜間(アヒ)の義成べし、畢竟は夜なり、されど、よひ、よなか、あかつきなどいふは、初更を指ていふ詞也、宵も夜也とも、定昏也とも注せり、六帖に、あかねさすひるはこちたしあぢさゐの花のよひら(○○○)に相見てし哉、あぢさゐの花は四ひらある物なれば、宵らによせたり、よひらは夜をよらとよめるに同じ、
p.0094 長皇子御歌
暮相而(ヨヒニアヒテ)、朝面無美(アシタオモナミ)、隱爾加(ナバリニカ)、氣長妹之(ケナガキイモガ)、廬利爲里計武(イホリセリケム)、
p.0094 詠レ花
奧山爾(オクヤマニ)、住云男鹿之(スムチフシカノ)、初夜(ヨヒ/○○)不去(サラズ)、妻問芽子之(ツマトフハギノ)、散久惜裳(チラマクヲシモ)、
p.0094 むかし男有けり、〈◯中略〉そのかよひぢに、夜ごとに人をすへてまもらせければ、〈◯中略〉
人しれぬわがかよひぢのせきもりはよひ〳〵(○○○○)ごとにうちもねななむ
p.0094 是夜〈コヨヒ(○○○)〉
p.0094 此夕〈コヨヒ〉 此夜 今霄〈已上同〉
p.0094 於レ是火遠理命、思二其初事一而大一歎、故豐玉毘賣命聞二其歎一、以白二其父一言、三年雖レ住、恒無レ歎、今夜爲二大一歎一、若有二何由故一、其父大神問二其聟夫一曰、今旦聞二我女之語一云、三年雖レ坐、恒無レ歎、今夜爲二大歎一、若有レ由哉、
p.0094 今夜(コヨヒ)は昨夜を云るなり、此は次の父神の言に、今旦(ケサ)云々とあれば、御歎を聞賜ひし、明朝の詞なればなり、其夜明て後も、なほ今夜(コヨヒ)と云こと、津國風土記、夢野鹿事を記せる處に、明旦牡鹿語二其嫡一云、今夜夢、吾背爾雪零於祁利止見支、伊勢物語に、今夜夢になむ見え給ひつると云りければ、源氏物語野分卷、野分せし明旦の詞に、今夜(コヨヒ)の風とあり、和泉式部物語に、いたく
p.0095 零明(フリアカ)して、明旦(ツトメテ)、今夜の雨の音は云々、
p.0095 八年二月、幸二于藤原宮一、密察二衣通姫之消息一、是夕衣通郞姫戀二天皇一而獨居、其不レ知二天皇之臨一、而歌曰、和餓勢故餓(ワガセコガ)、勾倍枳(クベキ)豫臂(ヨヒ/○○)奈利(ナリ)、佐瑳餓泥能(ササガニノ)、區茂能於虚奈比(クモノオコナヒ)、虚豫比辭流辭毛(コヨヒシルシモ)、
p.0095 二十三年三月、太子〈◯木梨輕〉恒念レ合二大娘皇女一、〈◯中略〉遂竊通、乃悒懷少息、因以歌之曰、〈◯中略〉去罇去曾(コソコソ)、椰主區津娜布例(ヤスクツダフレ)、
p.0095 去罇去曾(コソコソ)〈(中略)私説曰、去罇如レ謂二與倍一、〉
p.0095 私記ニ與倍古曾トハ、夜部コソナリ、日本紀ニ昨日昨夜ヲ、共ニキスト點ゼリ、萬葉第二云、君曾伎賊乃夜、夢所見鶴、此キソノ夜ハ、キスト同ジクシテ、昨夜ナレバ夜部也、キトコト通ズレバ、私記ノ説然ルベシ、
p.0095 七年八月己酉、三人共同レ夢而奏言、昨夜(キス)夢之有二一貴人一、
p.0095 きそのよとは、きのふの夜といふなり、見二日本紀一、きのふのよとは、あけつる夜を云也、それをこよひと云は、うるしくは非説なり、けふのよをこよひとは云也、
p.0095 八十八年七月戊午、即日遣二使者一詔二天日槍之曾孫清彦一而令レ獻、於レ是清彦被レ勅乃自捧二神寶一而獻レ之、〈◯中略〉皆藏二於神府一、然後開二寶府一而視レ之、小刀自失、則使レ問二清彦一曰、爾所レ獻刀子忽失矣、若至二汝所一乎、清彦答曰、昨夕(ヨムヘ/○○)刀子自然至二於臣家一、乃明旦(ケサ)失焉、天皇則惶之、且更勿レ覔、
p.0095 九日、〈◯承平五年正月、中略、〉ふなこかぢとりはふなうたうたひて、なにともおもへらず、そのうたふうたは、〈◯中略〉よんべのうなゐもがな、ぜにこはん、そらごとをして、おぎのりわざをして、ぜにももてこず、おのれだにこず、
p.0095 夜(/○)更(フクル/○) 夜深(同)
p.0095 夜更(ヨフケ)〈又云深更〉 闌夕(同)〈文選〉 三更(ヨブカシ)〈萬葉〉 更深(サヨフケ)〈遊仙〉 深夜(シンヤ)〈又云良夜〉 深更(シンカウ)
p.0096 二十七年十二月、更深(ヨフケ)人闌川上梟帥且被レ酒、
p.0096 寄レ霜
甚毛(ハナハダモ)、夜深勿行(ヨフケテナユキ)、道邊之(ミチノベノ)、湯小竹之於爾(ユザヽガウヘニ)、霜降夜烏(シモノフルヨヲ)、
p.0096 夜半(ヨナカ/○○)〈定〉
p.0096 夜半(ヨナカ/ヨハ)〈中夜也〉 中宵(ヨナカゾラ)〈白文集〉
p.0096 四十一年〈◯應神〉二月、譽田天皇崩、〈◯應神、中略、〉大山守皇子毎恨二先帝廢之非一レ立、而重有二是怨一、則謀レ之曰、我殺二太子一〈◯莵道稚郞子〉遂發二帝位一、〈◯中略〉太子設レ兵待レ之、大山守皇子不レ知二其備一レ兵、獨領二數百兵士一、夜半發而行之、會明詣二莵道一、
p.0096 二十九年二月癸巳、半夜(ヨナカ)廐戸豐聰耳皇子命薨二于斑鳩宮一、
p.0096 元年六月甲申、是日發途入二東國一、〈◯中略〉及二夜半一到二隱郡一、焚二隱驛家一、
p.0096 殿の御まへ〈◯藤原道長、中略、〉みゆる御くだ物たびごとに、よる夜なかわかず奉らせ給、
p.0096 大神女郞贈二大伴宿禰家持一歌一首
狹夜中(サヨナカ/○○○)爾(ニ)、友喚千鳥(トモヨブチドリ)、物念跡(モノオモフト)、和備居時二(ワビヲルトキニ)、鳴乍本名(ナキツヽモトナ)、
p.0096 初夜(シヨヤ/○○)
p.0096 初夜(シヨヤ/ソヤ)〈戌刻、初更之時也、〉
p.0096 御佛名次第
亥一刻打レ鐘、仰二御導師等一、〈初夜御導師、自二亥二刻一至二子二刻一、後夜御導師、自二子三刻一至二丑四刻一、〉
p.0096 寺々のそや(○○)もみなをこなひはてヽ、いとしめやかなり、
p.0096 後夜(ゴヤ)〈寅刻〉
p.0096 後夜(○○)のをこなひし侍らむとて、手あらひにまかりたるに、〈◯中略〉高辨上人、〈◯歌略〉
p.0097 通夕〈ヨモスカラ(○○○○○)〉 竟夜〈ヨスカラ(○○○○)〉 通夜 達夜
p.0097 終夜(ヨモスガラ)〈終宵、竟夜並同、〉 通夕(同)〈通昔、通宵並同、〉 盡宵(同)〈又云盡夕〉 徹宵(同) 連宵(同)〈白文集〉 終夜(シウヤ)
p.0097 八十七年〈◯仁徳〉正月、仲皇子不レ知二太子〈◯履仲〉不一レ在、而焚二太子宮一、通夜(ヨモスガラ)火不レ滅
p.0097 元年三月、童女君者本是采女、天皇與二一夜一而脤、遂生二女子一、天皇疑不レ養、〈◯中略〉大連〈◯物部目〉曰、〈◯中略〉臣聞易二産腹一者、以レ褌觸レ體、即便懷脤、况與二終宵(ヨモスガラ/○○)一而妄生レ疑也、
p.0097 十四年十月己酉、百濟王子餘昌、〈◯註略〉悉發二國中兵一、向二高麗國一、〈◯中略〉餘昌乃大驚、打レ鼔相應、通夜(ヨモスガラ)固守、
p.0097 題しらず よみ人しらず
戀しねとするわざならしむば玉のよるはすがら(○○○○○○)に夢に見えつヽ
p.0097 あつよしのみこまうできたりけれど、あはずしてかへして、又のあしたにつかはしける、 桂のみこ
から衣きてかへりにしさよすがら(○○○○○)哀とおもふをうらむらんはた
p.0097 歸鴈
契りけんほどやすぎぬといそぐらんよるもすがら(○○○○○○)にかへる鴈がね