https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1060 涅槃ハ、大圓寂ノ謂ニシテ、二月十五日釋迦入滅ノ日ヲ指スモノナリ、涅槃會ハ、山階寺ニ行ヒシヲ始トシテ、其後諸寺ニ之ヲ行ヒ、涅槃像ノ圖ヲ懸ケテ、衆人ニ拜セシム、京都千本引接寺ノ涅槃會ハ、一種ノ異例ニシテ、毎春櫻花ノ候念佛ヲ修ス、傳ヘテ足利義滿ノ創メシ所ト https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1061 云フ、又同所大報恩寺等ニテハ、遺教經ヲ訓讀シテ、遺教經會又ハ訓讀會トモ云フ、又此涅槃ハ、經ニ、常樂我淨ヲ涅槃ノ四徳ト云フ事アルニヨリテ、興福寺、四天王寺、金剛峯寺等ニハ、之ヲ常樂會トモ云ヘリ、此日民間ニテハ寺ニ詣デ、又炒豆、糕餅等ヲ佛ニ供スルヲ例トス、

名稱

〔隨意録〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1061 釋迦之死、稱涅槃、涅槃梵語、釋曰示寂、釋氏之説云、佛之死示寂而已、非眞死也、今謂、其死非眞死也、則其生亦以爲眞生、斯其不生不死、畢竟空之説、與莊周冥死生以爲虚無、其見全同焉耳、

〔祖庭事苑〕

〈六法眼〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1061 涅槃、〈此云(○)大圓寂(○○○)、刊定唯識論説、有四種涅槃、一自性清淨涅槃、凡聖同有、二有餘依、即出煩惱障、有苦依身故、三無餘依、身出生死苦依故、然小乘、以灰身滅智無餘、無餘有三、一煩惱餘、二業餘、三果報餘、大乘則以究竟寶所無餘、故智論説四住地煩惱、盡名有餘依、四無住處悲智相兼、不生死涅槃故、即大乘之無餘、四種之中、無住處涅槃也、謂不菩薩變易生死、不二乘灰斷涅槃、即眞無住、名爲無餘、〉

〔閲藏知津〕

〈二十五涅槃〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1061 大般涅般經〈四十卷〉 〈南率賓歸王、北賓歸王鳴、〉 北涼中天竺沙門曇無讖譯
壽門品第一、佛在拘尸那城、力士生地、阿利羅跋提河邊、娑羅雙樹間、二月十五日(○○○○○)、臨(○)涅槃(○○)時、大聲普告衆生、若有疑、今悉可問、爲最後問、面門放光、徧照十方、爾時八十百千諸比丘、六十億比丘尼、一恒河沙菩薩、二恒河沙優娑塞、三恒河沙優婆夷、四恒河沙諸離車等男女大小、五恒河沙大臣長者、六恒河沙諸王眷屬、七恒河沙諸王夫人、八恒河沙諸天女等、九恒河沙諸龍王等、十恒河沙諸鬼神王、二十恒河沙金翅鳥王、三十恒河沙乾闥婆王、四十恒河沙緊那羅王、五十恒河沙摩睺羅伽王、六十恒河沙阿修羅王、七十恒河沙陀那婆王、八十恒河沙羅刹王、九十恒河沙樹林神王、千恒河沙持呪王、億恒河沙貪色鬼魅、百億恒河沙天諸采女、千億恒河地諸鬼王、千萬億恒河沙諸天子、十萬億恒河沙四方風神、十萬億恒河沙主雲雨神、二十恒河沙大香像王、二十恒河沙師子獸王、二十恒河沙諸飛鳥王、二十恒河沙水牛牛羊、二十恒河沙諸神仙人、一切蜂王、一切山神、海神、河神、皆悉集會(○○○○)、樹林變(○○○)白(○)、猶(○)如白鶴(○○○)、四天王、三十三天、乃至第六天、大梵天王、阿修羅王、所設供養、倍々勝前、佛皆不受、魔王獻供并護法呪、佛受其呪其供、大自在天王設供倍前、東方虚空等佛、遣無邊身菩薩

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1062 來獻香飯、大地震動(○○○○)、南西北方諸佛世界、亦有無量無邊身菩薩、所持供養、倍勝於前、乃至毒蛇及惡業者(○○○○○○)、一切來集(○○○○)、唯除摩訶迦葉、阿難二衆、阿闍世王、及其眷屬

朝廷涅槃

〔後水尾院當時年中行事〕

〈上二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1062 十五日、御三間のひがしの方に、北首西面に涅槃像を掛て、前に机を置、香花佛供、餅等をそなふ、また佛前便宜の所に、柳の枝を立て捧物をかけらる、供御の御捧物、院、女院、御所々々などのは勿論、女中内々、外様の番衆、采女、女官〈ニ〉至るまで、たてまつりあつめたるもの共を佛前におく、少分の物は柳の枝につく、秉燭のヽち〈舊院御ゆどのヽうへの日記は、或は翌日、或は一兩日已後のことヽ見えたり、近年如此、〉捧物共の鬮とりあり、禁中よりも院、女院へ捧物參る、般舟三昧院へも杉原十帖、扇一本參る、女中衆よりも扇參る、下行あり、

〔内院年中行事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1062 二月十五日、涅槃ノ像被洞中ニ、前ニ白木ノ机、其上ニ香花燭備ナリ、左方ニ柳枝長一間計ナルニ、色々ノ掛物ヲ結付ル、洞中ノ男女上下獻之ナリ、此時ニ出御アリテ御拜セラル、いかヾナル事か不知、此外爲指事ナシ、

〔看聞日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1062 永享五年二月十五日、今日涅槃之儀、梵佑是明等參、讀(○)講式(○○)如(○)例(○)、捧物人々獻之、入江殿、水無瀬殿捧物如例進之、

〔四座講式〕

〈涅槃講式〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1062 先總禮 拘尸那城跋提河、在娑羅林雙樹下、頭北面西右脇臥、貳月十五夜半滅、南無大恩教主釋迦牟尼如來、生々世々値遇頂戴、 次導師著座 次法用 次表白 敬白大恩教主釋迦牟尼如來、涅槃遺教、八萬聖教、娑羅林中五十二類、一々微塵毛端刹海不可説不可説、三寶境界而言、
夫法性絶動靜、動靜任物、如來無生滅、生滅約機、至彼鞞瑟長者https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000650a3e.gif 檀塔中、見常住佛身、海雲比丘、大海水上聞普眼契經、誰含歡喜之咲于藍薗誕生、流痛惜之涙于雙林入滅乎、是知八相一代之化儀、驚長眠群類之明燈、三百五十之諸度、渡沈淪諸子之飛梯也、其光照遠迄於末代、其濟度不

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1063 闡提、嗚呼憑哉快哉、我等有聞信之功徳者、長夜將曉、有結縁之善根者、苦海當渡〈矣、〉依之毎今月今日、開演四座法筵、泣戀雙林入滅之昔、慇忍現在遺跡之徳、且爲滅後孤露之悲歎、且爲當來値遇之大願也、開一々旨趣、在後々講席、當座是開白涅槃之初度也、於中立入滅荼毘涅槃因縁雙林遺跡發願廻向五門、粗顯戀慕悲歎之旨〈矣、〉

〔御湯殿の上の日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1063 慶長三年二月十五日、けふはねはん、いつものごとく御みまにかヽりて、かちん、みやかし(燈明)まいる、御ほうもつ(捧物)十でう、しヾら一たん、ぢんかう文ばこいづる、じゆごう、女御、女中より御ほうもつまいる、三位どのよりも御ほうもつまいる、ない〳〵の御はんしゆ、すへのしゆも、いつものごとく御ほうもつかけまいらする、御所々々、わかみやの御かた、女二の宮の御かた、女三の宮の御かたも、御ほうもつかけさせらるヽ、夕かた御くぢ(鬮)とりあり、御所様御ほうもつ、しん大すけ御くち御とりあり、ちおん院より御ちやのこの折まいる、とうさいしやうたね丸げんぶくにつきて、御かふり申いださるヽ、しんないしどのより、御ひつしまいる、はんしゆゐんへ上、わたくしより御ほうもつまいる、

諸寺涅槃會

〔今昔物語〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1063山階寺(○○○)涅槃會語第六
今昔、山階寺ニ涅槃會ト云フ會有リ、此レハ二月十五日ハ、釋迦如來涅槃ニ入給ヒシ日也、然レバ彼ノ寺ノ僧等、昔ノ沙羅林ノ儀式ヲ思フニ、必无キ草木ソラ、皆其ヲ知テ戀慕ノ形チ有キ、何况ヤ、心有悟リ有ラム人ハ、釋迦大師ノ恩徳ヲ報ジ可奉シト、儀シ思テ、彼ノ寺ノ佛ハ、釋迦如來ニ在セバ、其ノ御前ニシテ、彼ノ二月ノ十五日ニ、一日ノ法會ヲ行フ也ケリ、〈◯中略〉尾張ノ國ノ書生ナル者有リケリ、國司ノ政ノ枉レル事ヲ見テ、心ヲ佛法ニ係テ、頭ヲ剃テ本國ヲ去ナムト思ケル間、山階寺ノ僧善殊僧正ト云フ人、請ヲ得テ彼ノ國ニ至ルニ、此ノ書生大意有ルニ依テ、彼ノ僧正ニ伴ヒテ、本國ヲ棄テ、山階寺ニ行テ頭ヲ剃リ、衣ヲ染テ彼ノ僧正ノ弟子ト成ヌ、名ヲ壽廣ト云フ、〈◯中略〉此

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1064 ノ壽廣、更ニ此ノ涅槃會ノ儀式ヲ造テ、色衆ヲ調ヘ、樂器ヲ副ヘテ、改テ嚴重ニ行ヘリ、〈◯中略〉但シ此ノ會ノ儀式作法、舞樂ノ興微妙クシテ、他所ニ不似ズ、心ノ及ブ所ニ非ズ、極樂モ此ヤ有ラムトゾ人云メル、日本第一ノ事也トナム、語リ傳ヘタルトヤ、

〔後拾遺和歌集〕

〈二十釋教〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1064 山階寺の涅槃講にまうでヽ、よみ侍ける、   光源法師
いにしへの別れの庭にあへりともけふの涙ぞなみだならまし

〔千載和歌集〕

〈十九釋教〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1064 山階寺の涅槃會の暮がたに、遮羅入滅のむかしを思ひ、よみ侍ける、   惠章法師
もち月の雲がくれけんいにしへのあはれをけふの空にしる哉

〔長秋記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1064 天永四年二月十五日、中宮〈◯鳥羽后藤原璋子〉涅槃講、進捧物三捧、〈付錫杖、袈裟付作蓬萊、木蓮子念珠居金剛五古等也、〉毎物有御感、件物中宮親人、并女房等相營、調五十領云々、請僧十二人、内僧綱六人、公伊大僧都、定圓少僧都、仁惠法眼、經賢律師、覺教律師、定暹已講、覺基已講、齊意、寛嚴、阿波阿闍梨、常陸公宰相阿闍梨等也、御堂(○○)南廂西向戸内懸三幅涅槃像、其前立花机五前、南廂之三四間敷高麗端各三枚、二行爲僧座、其末立机五脚、居供花佛供燈明等、臨期可傳故也、源大納言、本宮權大夫、皇后宮權大夫、大宮權大夫被參、各有捧物、但右衞門督不奉云々、大宮權大夫俄進所持念珠、御導師定圓僧都、事了給布施并捧物等

〔東寶記〕

〈六法寶下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1064 涅槃講〈二月十五日〉 佛生講〈四月八日〉
已上二ケ法會、始行年紀不分明之、凡御影供、舍利講、修正、并涅槃講、佛生講、捧物、皆以寺領尾張國大成庄年貢進之、定濟大僧正寺務之時、被置之、徳治三年公文頼尊注進云、毎月舍利講、御影供二ケ度、捧物雜紙八十帖、涅槃講、佛生講捧物、雜紙各卅帖云々、

〔續史愚抄〕

〈龜山〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1064 文永九年二月十五日癸卯、於淨金剛院(○○○○)涅槃講(○○○)、今年殊當于釋尊入滅支干云、〈(中略)或記、〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1065 〈五代物語、歴代編年、〉

〔實悟記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1065 一二月〈◯永祿三年〉十五日ニ勤行、齋ナド御入ナキヲ、他宗ノ聞及候テ、事ノホカニ不審ヲナシテ、難ジ申候事ニテ候カ、如何ノ御事候ヤ、蓮如上人ノ御時ハ、勤御入候ト申人モ候、圓如上人モ又難ジ申事、御聞候、一段ト勝事ト思食、實如上人ノ御時、可御申トノ御事ニテ候キ、既ニ盆モ彼岸モ、就佛説御入候ウヘハ、涅槃ハソト御入候ハデ、不叶御事ニテ候ツル、諸宗一同、涅槃儀有事ニテ候由ニサフラウ、

〔花洛名勝圖會〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1065 惠日山東福寺(○○○)〈◯中略〉 例年二月十四日、十五日、佛殿に懸るところの涅槃像の大幅は、應永十五年六月、兆殿司五十七歳にして圖するよし、脇書にあり、〈竪八間横四間〉其筆精の絶妙たるや、實に本朝無雙といふべければ、其名畫の聞え高く、彼兩日、詣人に縱觀せしむ、この日貴賤の遊客、辨當始と號して群集す、

〔諸國圖會年中行事大成〕

〈二上二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1065 十五日今日、諸寺に掛る所の涅槃像の中、名畫と稱するもの、佛光寺新坊の像、〈唐筆、涅槃前十四日の體相也、〉西の岡長法寺の像、〈唐筆、十六日の圖なり、〉京極通廬山寺の像、〈思恭筆、佛足を摩る人を、耆婆醫王如來と云は非なり、一老婆哀んで佛足に涙を落し、異色となすものなりと、釋迦譜を引て、此像を證とす、〉又今日、二條通木屋町善導寺に掛る所の、三十二相の觀音、十六羅漢の像、最奇觀なり、其餘寺院に安ずる所の名畫多し、繁によつて略之、〈江戸、大坂、及び諸國の分は、後編に記す、〉
大雲院(○○○)涅槃會 京極通四條の南にあり 巳刻、釋迦佛像〈惠心作、長二尺三寸、〉輿に乘せ、衆僧香華を捧げ、行樂を奏して、本堂より羅漢堂に迁し、樂法事あり、日中舍利會を修し、申刻、釋尊の像を本堂に還座なさしめ、〈行粧始に同じ〉法事音樂あり、開山貞安上人よりこれを勤む、〈◯中略〉 嵯峨柱炬(さがのはしらたいまつ) 清凉寺(○○○)釋迦堂前に於て、大續松三基を建て、暮に及び火を點じ、各續松を繞り、彌陀號を唱ふ、是西域に於て、釋尊の遺骸を荼毘せし遺意なりとぞ、〈其式、釋迦堂の前に、四間許の大炬を三ケ所に立、めぐりには竹を立て、夫に竹の葉、杉葉の燥きたるを數多結び付、堂前には、近〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1066 〈郷十三ケ村、所謂毘沙門町、大門町、中院町、川端村、立石造道、池裏村、小淵村、仙翁寺村、山本村、往生院村、新在家村、小嵯峨村、觀空寺村の百姓、各かはる〴〵に笧火を燒き、鉦をうち、念佛を唱ふ、暮六ツ半時に至れば、大覺寺御門跡の候人、挑灯を照らし、火消役の者を數多召連、堂前に來りて、をのをの炬火の前に列し、火消役は、過半大門の階上に登る、是大門非常の備にあつる所、又本堂の方にも居ならび、其體嚴重にこれを備ふ、其後常磐村の西なる中野村といへる穢多の者七人來る、其内の魁首たる者一人、烏帽子素襖を著して、炬火の圍に立、刻限に至ば、此穢多の者、火を燧(すり)て藁に燃し、竿頭に付て、大炬火の上より落すと等しく、此火竹の葉、杉葉にもえ付、大炬に移りて、次第に下の方へ火移り、一度に焰々と燃あがる、其餘二本の炬も亦斯の如くして、三本等しく炎熾んなる時、魁首一人刀を拔きて、あたりをめぐる事三度す、むかしは七人のもの、みな刀を拔き、めぐりしと云へり、此火熾んなりし程に、火消の者、纏をふり立、前後を警固す、見物遠近より群參して、堂上或は茶店諸堂の軒端に、稻麻のごとく逼合たり、炬は半燃たつ時、横に倒し、消終るを限りとす、〉

〔古今著聞集〕

〈二釋教〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1066 湛空上人、嵯峨の二尊院(○○○)にて、涅槃會をおこなはれける時、人々五十二種の供物(○○○○○○○)をそなへけるに、花をうへにたてヽ(○○○○○○○○)、歌をよみて付けるに、西音法師、水瓶に櫻を立ておくるとて、よみける、
 きさらぎの中のいつかの夜半の月入にしあとのやみぞかなしき
   返し   湛雲上人
 闇路をばみだのひかりにまかせつヽ春のなかばの月はいりにき
   又一首をそへられける
 會をてらすひかりのもとをたづぬれば勢至ぼさつのいたヾきのかめ

〔諸國圖會年中行事大成〕

〈二下三月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1066 花盛 閻魔堂大念佛 千本の北、引接寺(○○○)に於て勤之、〈此法會定日なし、但境内の櫻開次第開闢ありて、十ケ日の間、(中略)一説云、千本の念佛は、二月中旬、涅槃會昔行はれしなり、應永十五年三月八日(○○○○)、後小松帝、北山義滿公の御所へ行幸の事あり、此時、當寺普賢像の櫻、名木の由御沙汰あり、將軍家より、斯波治部大輔義重を使として、明年より、花の盛に念佛を執行すべしと上意あり、則粮米五十石を賜ふと云々、 其式、毎年堂前の普賢像の櫻、開花を期として、寺僧一枝を折て、是を京兆尹に獻る、即米三石五斗を賜ふ、是を以七ケ日法會の料とし、堂前に於て俳優をなす、其技壬生念佛、嵯峨念佛の扮戲に等く、其様各假面を被り、堂前舞臺の上に於て俳優をなす、壬生寺の俳優は、無言にして、手技(てじな)を以て其態を知らしむ、當寺は言を發して、技をなせり、今十ケ日の間、これを勤む、〉

〔吹塵録〕

〈三十五皇室追加〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1066 御所御賄向(慶應三年三月)其外凡取調書〈◯中略〉 千本念佛料 一米三石 是は前同斷〈◯前ニ、是〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1067 〈は年々二條御藏より相渡候トアリ、〉

〔江戸名所圖繪〕

〈十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1067 東叡山寛永寺(○○○)〈◯中略〉 常行堂〈おなじく左の方にあり、阿彌陀如來を安置す、此ふたつ(法華、常行、)の堂の中間に、渡殿を設くる故に、世に荷擔(にない)堂と云ならはせり、毎歳二月十五日、涅槃會修行あり、此日、狩野常信の筆の涅槃の畫像をかくる、此堂は尾州公の御建立なり、〉

〔房總志料續〕

〈五長柄郡〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1067 玉崎山觀明寺(○○○)〈◯中略〉 經堂、本尊釋迦如來、〈玉崎社の西にあり、玉前の神輿、八月祭禮の日、此所に出て、十社の來を待、〉二月十五日、涅槃會、里人、きやういりまちと云、經納の義なるべし、經堂の東北の隅に井あり、祭の日、此堂へ涅槃像を掛、〈横九尺許、竪丈二尺許、〉經文を一紙一枚に押て賣れり、參詣の人是を買、井中に納る、

〔秇苑日渉〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1067 民間歳節上 二月十五日、寺院懸臥佛圖像、爲涅槃會、茶棚酒店糖果之舖、藏擫、呑刀、舞盤、沙書、聚觀戲場、在々叢集、士女托拈香遊觀者、道路接踵、俗以黄黒諸豆霰子糕炒之、以供佛、薦祖先、〈霰子糕見十二月下

遺教經會

〔諸國圖會年中行事大成〕

〈二上二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1067 九日 釋迦堂遺教經會、〈又訓讀會共云、今日より十五日迄、〉上京五辻千本にあり、瑞應山大報恩寺、〈又千本釋迦堂ともいふ〉眞言新義、洛東智積院の別院なり、依て智積院の僧衆これを勤む、此經は、釋尊入滅の時、佛弟子の爲に遺誡し給ふの經なり、故に遺教經と云(○○○○○○○)、訓讀會とは、此經を訓讀するの謂なり、此寺は、用明天皇の御宇に草創して、後猫間中納言光隆卿、此所に住せ給ふよし、今の本堂は、奧州の藤原秀衡建營して、如珠上人を請ず、是當寺の中興なり、〈秀衡上洛の時の車の輪、今尚存して寺内にあり、諺に遺教經に參より、竈の前に參れと云へり、此節風烈く、尚餘寒あれば、京童の斯いふなり、〉寺記云、等持院殿尊氏降府命、命本寺令(○)行(○)涅槃講(○○○)云々、

〔佛遺教經〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1067 〈亦名佛垂般涅槃略説教誡經〉 姚秦三藏法師鳩摩羅什奉詔譯
釋迦牟尼佛、初轉法輪、度阿若憍陳如、最後説法度須跋陀羅、所度者、皆已度訖、於娑羅雙樹間、將涅槃、是時中夜、寂然無聲、爲諸弟子、略説法要、〈◯下略〉

〔親長卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1067 文明七年二月八日、千本釋迦堂遺教經(○○○)始行云々、 十四日、詣千本釋迦堂、聽聞遺教經、源

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1068 大納言入道、武者小路大納言已下數輩同道了、 十五日、依召參内、於室町殿〈舞十二間〉有遺教經、〈亂已前毎年事也、依(○)亂中絶(○○○)、又再興(○○○)、〉爲御聽聞主上出御之故被召云々、元長同祗候、 十八年二月十二日、參詣遺教經、中御門中納言、日野中納言等同道、有樂〈八、〉樂林軒、〈有幡〉新中納言、〈季經〉慶秋、景兼、景益等也、

〔言繼卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1068 天文十四年二月九日壬寅 一四辻薄等令同道、千本維教經ニ參詣、先出立に廣橋にて一盞有之、舍利講式第一段中程也、雙調胡飮酒破、酒胡子、武徳樂等有之、

常樂會

〔諸國圖會年中行事大成〕

〈二上二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1068 十五日 南都興福寺常樂會 東金堂に、閻浮檀金の釋迦佛の像あり、厨子に安ず、其扉に涅槃像を畫く、相傳ふ、巨勢金岡が筆なりと云、今日其扉を開く、〈涅槃は梵語なり譯して滅度と云、又常樂我淨を、涅槃の四徳と云、しかれば常樂會といふは、即涅槃會ならん歟、〉

〔華實年浪草〕

〈二二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1068 常樂會〈拾芥抄曰、二月十五日、南都興福寺(○○○)常樂會云々、 紀事曰、今日、東金堂有閻浮檀金釋迦像、其扉面有涅槃像、相傳、金岡之所畫也、今日開其扉、 常樂會者、涅槃經文、常樂我淨四徳波羅蜜云々、 隋書經籍志曰、涅槃譯言(○○○○)滅度(○○)、亦言(○○)常樂我淨(○○○○)、注曰、常不遷不變、樂謂生死苦、我謂大自在、淨謂三業清淨、 弘傳序云、早淨六根、速成四徳、四徳謂涅槃具常樂我淨之四徳也云々、常樂會モ涅槃會ニ同ジ、(中略)諸宗毎寺院、修涅槃之法會、攝州四天王寺(○○○○)ニ於テモ、常樂會ト云、〉

〔百練抄〕

〈十四四條〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1068 仁治二年二月十五日癸酉、南都常樂會(○○○)、入道相國被參、被會料米百石云々、

〔野山名靈集〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1068 常樂會 毎年二月朔日より同十日まで、大樂院に於て、涅槃經の講筵をひらき、十一日には、遺教經を講じ、十五日には、涅槃會を修す、其儀頗嚴重なり、中頃龜山院、此會の殊勝なる事を聞召て、宸筆を以、涅槃會の式文を寫させ給ひ、其外羅漢遺跡舍利の式をば、當時能書の公卿に仰て、寫さしめ給ひ、又大師御作の舍利塔、并に數躯の尊像共に、大師より嵯峨天皇に奉り給ひ、御代々御相傳ありけるを、今般院主信日阿遮梨御歸依によりて、ことごとく寄附し玉ひ、剩備後國太田の庄等を以、涅槃會の料として、これを宛行はる、夫より已來、勅願の涅槃會(○○○○○○)と號するものなり、

雜載

〔守貞漫稿〕

〈二十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1068 二月十五日涅槃會 諸所佛寺ニハ涅槃像ノ掛物ヲカケ、往々詣人アレドモ、三

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1069 都トモニ群集ト云程ノコトハ無之、 大坂ニテハ正月ノ餅ニテ製シタル霰ニ、白豆青ヲ交ヘ煎テ、供之家モアリ、俗ノ言ニ、是ヲ御釋迦サマノ鼻糞ト云也、 江戸ハ今日イタヾキト名付テ、新粉製ニ赤小豆饀ヲツケテ供物トス、大坂上巳ノ物ト同製ニテ小形也、


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Last-modified: 2022-06-29 (水) 20:06:18