https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1094 雛遊ハ、ヒヒナアソビト云フ、往昔ハ、平生ニ之ヲ行ヒシガ、後ニハ三月三日ヲ期シテ之ヲ爲セリ、ヒヒナハ、原ト兒女ガ平日弄ブ所ノ小偶人ニシテ、略シテヒナト云ヒ、雛ノ字ヲ用ヰル、其雛ニハ土偶アリ、紙製アリテ一ナラズ、其附屬品モ亦甚ダ多シ、徳川幕府ノ時、盛ニ華美ヲ競フヲ以テ、幕府屢々之ガ制限ヲ立テタリ、

名稱

〔書言字考節用集〕

〈二時候〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1094 雛遊(ヒナアソビ)〈上古年始、於宮中此遊、上宮太子以來、期上巳女兒之戲、〉

〔和字正濫要略〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1094 ひヽなあそび 此假名いまだたしかなる證を見ず、又眞名はましてしらず、齋宮女御集に、うちにおはせし時、ひヽなあそびに云々、又おなじひな社の前の河に、紅葉ちる處にて云々、又中務集に、中宮のひヽなあはせに、かはらのかた、すはまにつくれり、ひヽなのくるまのなぬか、たなばたもけふはあふせと聞く物をかはとばかりや見て歸りなん、又云、れいけいでんの女御、中宮にたてまつれ給ふ、ひヽなのもに、あしでにて、しら浪にそひてぞ秋は立ちぬらしみぎはの蘆もそよといはなん、俗本の假名は證としがたけれど、これら一同に皆ひヽなとかき、又ひなともあれば是を引、俗書にひいなと書、眞名は雛の字を書けり、贔負の音は、ひきなるを、音便にひいきといふごとく、ひなの音便も、ひいなといへるかと思へるにや、假名にはさることなし、鳥のひなをいふ時、ひヽなといへることは見及ばねど、ひヽと聞えてなく物なれば、ひヽなきを略して、ひヽなといひて、それを猶略して、ひなといふにや、ひヽなをも俗にはひなとのみいひ、齋宮女御集に、ひなやしろとあれば、互にひヽなとも、ひなともいふべきにや、鳥のひなは、ちひさういたいけしたれば、裝束のかたなどをも、ひながたと云、これを思へば、ひヽなも、屋形人形よりよろづちひさういつくしきを、ひなにたとへて名づけたるにこそ、

〔玉勝間〕

〈十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1094 ひゐな 人の形をちひさく作りて、わらはのもてあそぶ物を、物語ぶみどもに、ひゐな

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1095 といへり、これはちひさくつくれるを、鳥のひなになずらへていへる名にて、字も雛とかき、今の世の人も、ひなといふを、ふるくひゐなとしもいへるは、詩歌をしいか、四時をしいじ、女房をにようばうといふたぐひにて、ひもじを引ていふなれば、假字はひいなと書べきを、ゐと書るはたがへり、物の雛形といふも、ちひさく物したるよしの名なり、

〔骨董集〕

〈上編下前〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1095 雛の假字の事 契冲雜記に、ひヽは、ひヽと聞ゆるこゑ、なは、鳴かといへり、古言梯も此説によれるにや、鳥の子のひヽと鳴音もて名づくるなるべしといへり、又或説に、宇津保物語〈藤原君の卷〉に、巣をいでヽねぐらもしらぬひな鳥もなぞやくれゆくひよとなくらん、とあるにて、ひよとも、ひヽともなくものゆゑに、ひヽなといふことわりしらるといへり、玉かつま〈卷十〉の説は、これらにたがへり、ふるくひゐなといへるは、ひもじをひきていふなれば、かなはひいなとかくべきを、ゐとかけるはたがへりといへり、おのれ〈◯岩瀬醒齋〉此説によりて、しばらくひいなのかなをもちふれども、釋日本紀、〈卷二十四〉比賣那素寐(ヒメナソビ)の釋に引る私記のことばに、比々奈遊(ヒヒナアソビ)とあり、江家次第〈卷十七〉立太子の條にも、比々奈とかける古例あれば、ひヽなとかくもわろきにはあらざるべし、されどひヽと鳴義とさだむるときは、ひヽなは本なり、ひなといふは略言にて末なるに、鳥の子を、ひな、ひな鳥などはいへれど、ひヽなと物にかけるをいまだ見あたらず、ふるきものにも、人形のたぐひ、すべてちひさくつくれる物のみを、ひヽなとかけるは、末を本とせるに似たり、又人形のたぐひを、ひなとつヾめていへるも、ふるき物にはすくなし、たま〳〵齋宮女御集〈下卷〉に、ひな社とあれど、契冲師の校本を見れば、古本には、ひヽなやしろとあるよしにて、ひきなほしたり、又御堂關白御集のことばがきに、たかまつのきみの御もとより、ひなやまゐらせ給ふとてとあれど、下の詞がきには、わかみやの御ひヽなやに云々とあれば、上にひなやとあるは、おぼつかなくぞおぼゆる、かく末を本にせるにて、ひヽなのかなにもうたがひなきにあらず、又ひヽとなく義と

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1096 せる説をやぶりて、和名鈔に比奈とあるを、本の名とせんときは、玉かつまの説のごとく、ひもじをひきていふなれば、ひいなのかなならまし、おのれがおろかなるこヽろには、いづれをよしともさだめがたし、

〔古今要覽稿〕

〈歳時〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1096 ひヽなあそび〈ひヽなあはせひヽなまつり(○○○○○○)〉 ひヽなあそびの始、さだかならず、崇神天皇の御時、和珥坂の少女の歌に、比賣那素寐殊望(ヒメナソビスモ)とあるを、私記に、今案、ひヽな遊なりといへり、弘仁私記か、公望私記か、しらずといへ共、公望、承平六年十二月八日、宜陽殿東廂に於て日本紀を講ずといへば、其ころの私記ならん、さらばたとひ崇神天皇の御時よりありといふことは、うたがはしくあり共、承平の前より行はれしことは、うたがひなかるべし、〈釋日本紀〉天暦四年、東宮御殿祭の條に、ひひなの料といふものをあげ、〈御産部類記引九記〉うつぼ物語に、右大將の、とう宮わかみやに、もてあそびもの奉り給ふといふ下に、ひいなに子の日させなどあるを合考ふるに、當時は、やごとなきあたりにても、せさせ給ふ事としらる、たヾしこれはあまがつ、はふこの類にて、それよりうつりて、ひヽなあはせなどいふこと、さかりにをこなはる、〈齋宮女御集、中務集、うつぼ物語、源氏物語、清少納言枕册子、〉されど時節はさだまらざりしを、今のごとく三月にかぎりて、家こどにかざりまつることも、後土御門院の御宇の比は、すでに有しと見えて、飛鳥井榮雅の三月三日雛遊の歌、月刈藻集に見えたり、〈たヾし本集には見えず、此卿は文明五年に出家して、延徳六年に薨ぜられたり、すなはち後土御門院の御時なり、〉さるを一條禪閤の世諺問答にしるされざりしは、世間一統の事にはあらざりしなるべし、さていにしへは、時節にかヽはらざりしを、今はかならず三月三日にをこなふことヽなりしは、上巳の祓の人形と、ひなあそびと混ぜしなるべしといへり、〈日次記事、鹽尻、伊勢貞丈ひな問答稻山行教説、〉一説には、幸の神祭の遺風なるべしともいへり、〈鹽尻〉

〔釋日本紀〕

〈二十四和歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1096 十年〈◯崇神〉九月壬子、大彦命到於和珥坂上、時有少女、歌之曰、〈◯中略〉比賣那素寐殊望(ヒメナソビスモ)〈私記曰、言不殺逆之謀、爲兒女之遊、今案、比比奈遊也、〉

〔日次紀事〕

〈三三月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1097 三日 雛遊〈今日良賤兒女製紙偶人、是稱雛、玩之者、元贖物之義、而乃祓具也、或名母子、蓋以斯物母子身體、於水邊除之、或飮桃花酒亦修禊事之微意者乎、〉

〔日本歳時記〕

〈三三月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1097 三日 今日めのわらはのたはぶれ事に、ひゐなあそびとて、ちいさき人形をもてあそぶ事あり、ひゐなあそびの事は、源氏物語などにも見え侍れば、いにしへより有し事なり、又源氏に、十にあまりぬる人は、ひゐなあそびはいみはべるものをとあれば、十よりうちにてする事ならし、又這子(○○)とて、ふとき人形に衣服をぬふてきせ、帶などさせて、これをもてあそぶ事あり、源氏にも見えたるあまがつ(○○○○)は此事なるべし、

〔倭訓栞〕

〈前編二十五比〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1097 ひヽなあそび 齋宮女御集、源氏物語、枕草紙などに見えたり、雛遊の義也、雛は小形をいふ、ひな形などいふが如し、よて人勝(○○)をもひヽなと呼り、源氏に、元朝にも野分の朝にも翫し事見えたれば、昔は平生の事たりしにや、 ひヽなあはせといふ事、中務家集に見え、ひなやしろは、齋宮女御集にみえたり、 上巳の雛遊は、もと贖物の義也といへり、源氏の君、須磨に左遷の時、三月巳の日陰陽師を召て祓へさせ給ひ、こと〴〵く人形を舟に載て流す事、彼物語に見えたり、一説に幸ノ神祭の義なるべしといへり、

〔秇苑日渉〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1097 民間歳節上 三月三日、〈◯中略〉是日家有女兒、必陳人勝(○○)、〈◯中略〉謂之雛會、〈◯中略〉 近世衣之以繍繢、飾之以金珠、一對價或至五六十金、比者嚴禁其淫靡者、雖領歸一レ質、要非復古制也、

〔名物六帖〕

〈器財三偶勝像説〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1097 人勝(ヒナ)〈武平一景龍文館記、中宗正月七日、御清暉閣、登高遇雪、因賜金綵人勝、令學士賦一レ詩、〉

〔荊楚歳時記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1097 正月七日爲人日、以七種菜羹、翦綵爲人、或鏤金簿人、以貼屏風、亦戴之頭鬢、又造華勝以相遺、登高賦詩、
◯按ズルニ、康熙字典ニ引ク所ノ荊楚歳時記ニハ、或鏤金簿人ノ人字ヲ人勝ノ二字ニ作リ、勝ハ婦人首飾ナリト解セリ、

〔骨董集〕

〈上編下前〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1098 三月三日の雛遊 古代のひいな遊びは、平日の玩なりし事は、前にいへるが如し、三月三日を期とせしは、いづれの比歟、詳ならず、〈◯中略〉無言抄に、雛、人形の事也とのみありて、季をさだめず、雜也、此書は天正七年より二とせあまりに、これを記すとあれば、天正の比も、いまだ三月三日にさだまらざりしか、御傘にも雛を雜とす、増山の井〈寛文三年印行〉三月三日の條に云、ひいな遊こそ慥なる期もあらねば、打まかせては雜なるべし云々、但聊あひしらひあらば、此比の俗にまかせて、今日の事にも成ぬべし云々とあり、是等を合せ考るに、三月三日を期とせしは、とほからぬ事なるべし、天正以後の事歟、 三月上の巳の日、水邊に祓する事、和漢ともに古し、源氏物語須磨の卷に、源氏須磨へ左遷の時、三月の朔日巳の日にて、浦邊に出、陰陽師をめして祓せさせ給ひ、舟にこと〴〵しき人形をのせて、流させ給ひし事見え、加茂保憲女集に、おほぬさにかきなでながすあまがつはいくその人のふちをみるらん、などもいへれば、上巳の祓に、天兒を水に流せし事もありしなるべし、後世に、三月上巳を雛遊の期とせしは、是等の遺意にて、天兒母子(アマガツハウコ/○○○○)等の贖物に酒食を供じ、もろ〳〵の凶事を是におはせ、おのれ〳〵が身を祝ひしが、やヽ古の雛遊びの方にうつりて、つひに今の如くにはなれるなるべし、國朝佳節録、三月三日、兒女制紙人翫者、贖物之義、乃祓具也云々といへり、然則原潔身の神事によりて起りたれば、今の世には、雛遊といはで雛祭と稱るも、縁なきにはあらざりけり、
〈古へのひいな遊びは、たはぶれのみ也、今のは、たはぶれの遊びわざにあらず、女は高きいやしき、嫁しては夫にしたがひ、男は外ををさめ、女は内ををさむるものなれば、幼時より嫁して夫につかふるわざ、家業の事も、ひいな遊びにてそのまねびをなし、手馴ならはしむるを本意とすめれば、民の童は、ことに飯かしぐわざまでもこれに手馴、家内むつまじき體をまねび、質素をむねとして、美巧をこのむまじきことぞかし、今の世の女兒の、男女のかたちをつくりて、夫婦こと、又奴婢のさまなどなして遊べるぞ、かへりて中昔のひいな遊びにもかよひ、伊勢の小米(コゴメ)びなにもかよへりといふべき、〉

〔松の落葉〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1098 比々奈 今の世、三月三日に、女のわらはのいはひごととて、比々奈をかしづきまつ

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1099 ることあり、此事おのれ〈◯藤井高尚〉がおもひとれるやうをいひてん、上巳のはらへとて、いにしへ三月のはじめの巳の日にせしはらへを、はやうより三日にかぎりてなすことヽなり、中ごろの陰陽師のはらへするやう、はらへどに神をまつり、人がたをおくなる、其人がたのちひさきを比々奈といひて、神をまつるかたへにあるからに、神のごとくおもひまがへて、まつることヽはなりぬるなめり、めのわらはのものとすなるは、源氏物語の若紫の卷に、源氏君の詞に、いざたまへよ、をかしきゑなどおほく、ひヽなあそびなどするところにと、いひたまふは、紫上のいとをさなきころにて、比々奈をもてあそびぐさにしたまふゆゑなり、さる世のならひより、めのわらはのものとはなれるなるべし、そのはじめをおもへば、しかるべくなんあらぬ、江家次第十七の卷、立太子のくだりに、或幼宮時、以女房陪膳云々、奉帳中阿末加津云々、但有常阿末加津土器撤、其後供比々奈、とあるを見れば、比々奈は阿末加津のたぐひにて、をさなき人のかたへにおく人がたなり、これも陰陽師のをしへてなさしむるわざにぞありける、をさなき人のかたへに、うちまきをおくと同じく、はらへより出たることなるべし、いとけなき子のれうなれば、ちひさきをつくれり、かたへにあれば、おのづからもてあそびぐさともなしつるになん、たヾしめのわらはの情にかなへるものなれば、そのかたには、かたよれるにこそ、さてこの比々奈、ふるくは紙にてのみつくれりとみな人いへど、そはしもざまにては、むかしは絹もてえつくらざりしゆゑに、ふるきは紙なるがおほければ、しかおもふにてたがへり、江家次第に、東宮の比々奈の事をいへるくだりに、比々奈料絹、本宮給之とあれば、絹にてもつくれることしるし、上のくだりに、ときあかせるにて、むかし今の比々奈のやう、大かたにはしられぬべくなん、

〔傍廂〕

〈前篇〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1099 雛 今世俗の内裏雛といへるは、冠服の姿なる故に、おしはかりもて内裏といへるにつきて、或は仲哀天皇神功皇后として、男女と次第をたて、または神功皇后應神天皇として、女男

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1100 と次第をたつるは、皆據もなき僻事なり、誰の姿といふことはなく、只男女の姿なり、源氏紅葉賀卷に、紫の上、よき雛によき衣きせて、源氏君と號け給ひしは、其時にとりての事なり、當世少女のもてあそぶ紙人形、みづからつくりて姉様と稱するが、即古の雛なり、同物語に、十にあまれる姫君は、ひヽなあそびせぬ由いひしも、今世の紙人形の事なり、いにしへも當世の紙人形の如く常の物にて、三月には限らず、紫の上の雛あそびに、いぬきといへる少女が、雛の屋こぼちたるは、正月元日なり、さるを三月初巳日に、身滌の祓あり、雛形の紙にて、身のはらへして川へ流す故に、なでものとも、形代ともいふ、同物語東屋の卷に、見し人のかたしろならば身にそへて戀ひしき瀬々の撫ものにせん、とよみしは、三月上の巳日の祓をよめるなり、そのなでものと、少女遊びの姉様の雛と混じて、三月上の巳日の物となり、又三月三日の重三と、上巳と混じて、ひとつになりたるなり、外戎にては魏晉の頃より混じたるよし宋書にあり、今は三日は、巳日ならでも上巳日といふがならはしなり、但ジヤウシの日を、音訓まじりにジヤウミと唱ふるは拙し、

〔嬉遊笑覽〕

〈六下兒戲〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1100 今の雛祭は、上巳の祓を思へるにや、俳諧水鏡に、ひヽなあそびこそ、慥なる故もあらねば、打まかせては雜なるべし、源氏物語には、元日にも野分の朝にも、ひヽなごとありし由侍れば、今日に限らぬ〈◯此間恐有脱字〉しられたり、但いさヽかあひしらひあらば、此ごろの俗に任せて、今日のことにもなりぬべしやとて、新續犬筑波集にも、少々まじへて入侍りし、〈此書、享保十五年、浪花人紹蓮といふものヽ撰なり、それを後に増山井と書名をかへ、作書の名を削りて季吟の名を入たるは、書肆が利を得むとての所爲なり、〉さて新犬筑波は季吟の撰なり、件の文は季吟が説を録したるなれば、此頃の俗とは、萬治前後をいふ歟、それより前にもさるべきあたりには、もてはやしヽ事ながら、民間にも專ら行はれしは、おほやう其頃よりなるべし、犬子集は貞徳の撰にて、寛永八年より同十年正月にしるし終る、守武千句、宗鑑が犬筑波に次での撰な

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1101 り、花の句よせたる中に、政直が句、ひなといへど花の都の細工かな、これ鄙に雛をよせたり、其頃は、いまだ遍くもてあつかふことにはあらずとみゆ、明暦二年刻したる世話燒草、三月の條、三日節句云々、ひな遊、巳日祓とつヾけて出たり、寛文元年一雪が獨吟百韻、もとむるにさても直段のやす屏風、ひヽなあそびはたヾ祝言のみ、〈是又雜に用〉

〔東都歳事記〕

〈一三月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1101 三日 女子雛遊び〈二月の末より、屋中に段をかまへて飾るなり、當才の女子ある家には、初の節句(○○○○)とて分て祝ふ、〉

古代雛遊

〔江家次第〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1101 立太子事
或幼宮時、〈◯中略〉奉帳中阿末加津云々、但有常阿末加津土器撤、其後供比々奈

〔空穗物語〕

〈嵯峨院〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1101 おほとのヽきたのかた、御物がたりし給ところ、きんだちあそびありき給、女ぎみ御ぐしかいしきばかり、いとおかしげにて、ひゐなあそびし給、

〔空穗物語〕

〈樓の上上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1101 宮は雪をぞ山につくらせ給て、まろと二宮とは、ならべてみ侍しかしとの給まヽに、〈◯中略〉ひヽなあそびなど、もろともにしてみせたてまつり給、

〔空穗物語〕

〈樓の上下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1101 あけぬればくるヽまで、いぬみやひな〈◯ひな、一本作ひいな、〉あそびしたまふ、

〔中務集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1101 七夕の繪の中宮のひヽなあはせ〈◯あはせ、一本作あそび、〉に、かはらのかた、すはまにつくれり、ひヽなの車のかた七月七日、〈◯歌略〉

〔齋宮女御集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1101 うちにおはせし時、ひヽなあそびに、神の御もとにまうづる女に、おとこまであひて、物いひかはす、〈◯歌略〉おなじひな社の前の河に、紅葉ちる所にて、〈◯歌略〉

〔枕草子〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1101 すぎにしかたこひしきもの ひいなあそびのてうど

〔源氏物語〕

〈五若紫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1101 ひゐな遊びにも、ゑかい給ふにも、源氏の君をつくり出て、きよらなるきぬきせかしづき給ふ、〈◯中略〉ひゐななど、わざとやどもつくりつヾけて、もろ共にあそびつヽ、こよなきもの

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1102 おもひのまぎらはしなり、

〔源氏物語〕

〈七紅葉賀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1102 おとこ君〈◯源氏君〉は、てうはいにまいり給とて、さしのぞき給へり、けふよりはおとなしく成給へりやとて、うちゑみ給へる、いとめでたうあいぎやうづき給へり、いつしかひゐなをしすへて、そヾきゐ給へり、三尺のみづしひとよろひに、しな〴〵しつらひすへて、又ちいさきや共つくりあつめて奉給へるを、所せきまであそびひろげ給へり、なやらふとて、いぬきがこれをこぼち侍にければ、つくろひ侍るぞとて、いとだいじとおぼいたり、げにいとこヽろなき人のしわざにも侍かな、いまつくろはせはべらん、けふ〈◯正月一日〉はこといみして、なない給そとて出給ふけしき、いと所せきを、人々はしにいでヽみたてまつれば、姫君〈◯紫上〉もたちいでヽみたてまつり給て、ひゐなの中の源氏のきみつくろひたてヽ、内にまいらせなどし給、

〔源氏物語〕

〈二十八野分〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1102 物さはがしげなりしかば、とのゐもつかうまつらんと思給へしを、みやのいと心ぐるしうおぼいたりしかばなん、ひゐなの殿は、いかヾおはすらんととひ給へば、人々わらひて、あふぎのかぜだにまいれば、いみじきことにおぼいたるを、ほど〳〵しくこそ吹みだり侍りにしか、此御とのあつかひにわびにて侍りなどかたる、

〔紫式部日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1102 わか宮〈◯後一條〉の御まかなひは、大納言のきみ、ひんがしによりてまいりすへたり、ちいさき御だい、御さらども、御箸のだい、すはまなども、ひいなあそびのぐとみゆ、

〔榮花物語〕

〈八初花〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1102 こひめ君〈◯藤原道長女〉は、こヽのつ十ばかりにて、いみじううつくしうひヽなのやうにて、こなたかなた、まぎれあるかせ給ふ、

〔榮花物語〕

〈十九御著裳〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1102 大宮のおまへ〈◯一條后藤原彰子〉ひめ宮〈◯禎子内親王〉を見たてまつらせ給、〈◯中略〉大宮、東宮〈◯後朱雀〉をこそきよらにおはしますと覺しめしけるに、是はいとこまかにうつくしう、あけくれ我物にて見奉らばやとのみ覺しめされけり、ないしのすけ、たヾいまの御ありさまながら、うへ〈◯後一條〉に

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1103 ならびきこえさせ給へらば、いかにひヽなあそびの様にて、おかしうおはしまさんとけいすれば、宮々笑はせ給、

〔蜻蛉日記〕

〈下之下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1103 けふかヽるあめにもさはらで、おなじところなる人、ものへまうでつ、さはることもなきにと、おもひていでたれば、あるもの、女かみには、きぬぬひてたてまつるこそよかなれ、さしたまへと、よりきてさヽめけば、いで心みむかしとて、かとりのひヽなぎぬ、みつぬひたり、したがひどもに、かうぞ書たりけるは、いかなる心ばへにかありけん、神ぞしらむかし、〈◯下略〉

〔台記別記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1103 久安六年正月廿三日辛丑、上〈◯近衞〉渡御女御〈◯近衞女御藤原多子〉廬、〈御冠御衣生御袴〉有比々奈遊事、遣召左兵衞佐實定所持之作物

雛人形

〔昔々物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1103 むかしのひな(○○○○○○)は侍烏帽子なり、尤神代質素の時を傳へしゆへ、紙にて作りしなり、いつの比よりか天子公卿の冠服を著す、諸道具に至るまで、あられぬ美を盡す、是古代を取失ひし故なり、

〔東都歳事記〕

〈一二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1103 廿五日 今日より三月二日迄、雛人形同調度の市立、〈(中略)内裏雛は寛政の頃、江戸の人形師原舟月といふ者、一般の製を工夫し、名づけて古今ひヽな(○○○○○)といふ、是より以來世に行れて、大かた此製作にならへり、〉

〔嬉遊笑覽〕

〈六下兒戲〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1103 ひなは、もとより小きものにて、後世までもしかありし、七八寸、或は一尺にもこゆるなどは、いと近き風俗なり、五元集、雛やそも碁ばんにたてしまろがたけ、折菓子や井筒になりてひなのたけ、温故集、超波が句に、落雁にのまれてみゆる雛かな、〈その小きをいへり〉いま古今ひな(○○○○)は、寛政年中、江戸にて原舟月と云ふ者製し出て世に行はる、〈◯中略〉今の紙ひな(○○○)といふもの、寛永頃の繪にみゆ、これ小兒平日の手遊なり、又古き裝束ひなは、今の次郞左衞門雛の體に似て、男雛は大刀なく、女ひな天冠なし、衣服の體はかはれ共、貞享元祿ごろのも其如くなり、おもふに江戸ひなと稱するものは、享保已後の製なるべし、新野問答、鳥頸劒の條

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1104 に云ふ、今世にも小兒の所翫、俗に裝束ひなと申候人形の劒、皆柄首鳥頸に候云々、奈良の在所帶解といふ處に、土燒の雛(○○○○)あり、〈◯註略〉この土雛古きも有べけれど、予〈◯喜多村信節〉が見しは、男雛太刀を帶、女雛天冠をきて、共に臺あり、高さ六寸五分許ありき、古風にはあらず、

〔雍州府志〕

〈七土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1104 繪草子 倭俗以紙作小偶人夫婦之形、是謂雛壹對、其外大人小兒之形各造之、女子並置座上酒食、爲人間而玩之、是謂雛遊、又稱雛事、女子平生雖雛、三月三日專爲此戲、凡雛諸鳥之子也、誤稱之者乎、

〔諸國圖會年中行事大成〕

〈二下三月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1104 三日 上巳、〈又桃の節供ともいふ〉今日を俗に節供と稱す、〈◯中略〉今日良賤の兒女子、雛祭とて雛人形を祭る、〈雛は小きの謂なり〉是少彦名命を祭なりとぞ、往古は紙偶人(○○○)を用、〈其形、烏帽子を著し袴をはきたる大なる形を男雛といふ、下髮に袖なしに卷たる小なる形を女雛と號し、是を紙雛と云、大なるは大己貴命、小きかたは少彦名命なりと云々、或云、今男雛といふは神功皇后にして、小なるは應神天皇いまだ襁褓の内に居たまふ體なりといふ、何れが是なるやしらず、〉近年は綾羅綿繍をもつて制したるを、衣裳雛(○○○)となづく、又御殿隨身橘櫻の造り花を莊り、小き調度をならべて饗應す、是兒女は幸福有んことを祝するなりと、

〔見た京物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1104 雛はよろしきあり、多く御殿作り、隨身衞士などあり、

〔ひな人形の故實〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1104 享保の頃は、宿禰ひな(○○○○)とて、土の比々奈用、丹青にて色飾、殿は男山八幡の土を以て作り、姫は加茂の土を用ゆ、 女は高きもいやしきも、よめ入して夫に隨ひ、男は外を納め、女は内を納るなれば、家業筋もひな祭になぞらへ、其まヽ手馴ならひ引を本意とすヽめ、家内むつましく質素をむねとなし、粟嶋大明神いたつて小き御すがた故、御ひなのすがたと云を、ひな人形神歟、唐土にも上巳鏤人(ヒナ/○○)祭(/○○)も有とか、〈◯中略〉 ひなは、ちいさき義なれば、女子ひなさま事とて、まヽごとなどして、紙びな作、色紙などべヽきせ、婢女奴等つくり、平紙にのりで付、人家むつましき體をいたし翫び、小米ひな(○○○○)といふ、〈◯下略〉

〔名物六帖〕

〈人事五節序禮俗〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1105 鏤人(ヒナマツリ)〈文昌雜録、唐歳時節物、三月三日則有縷人、寒食則有假花鷄毬鏤子堆蒸餅餳粥、〉

〔雛遊の記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1105 伊勢の神宮には、昔より女子のもて遊び草に、小米びいな(○○○○○)とて、ちいさき男女の人形を作り、宜岐(キヽ)とて衣服を著せ、家臺の上に居置て、夫婦むつましき粧ひをなして遊ぶと聞侍る、

〔骨董集〕

〈上編下前〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1105 伊勢の小米雛(○○○) おのれ〈◯岩瀬醒齋〉此事を伊勢山田の某氏にとひしに、伊勢山田あたりに、古へより傳へて、女兒平日の雛遊びに、小米雛とて、五六分許の紙びなを造り、その衣服にするものをきヽといひ、巾一寸許、長さ二寸許のちひさき鳥の子などの紙に、丹青もて文様をいろどり、或は行成紙などをちひさく裁て用ひ、或はちひさき紅絹のきれなどを添て、衣領つきをとヽのふるもあり、さて鳥の子などの巾ひろき一ひらの紙に、座敷、客間、居間、臺所など、家のさし圖をかき、小米びな夫婦、或は婢女奴僕などもつくりて、そのさし圖の所々に粘してつけ置、人家平日のさまむつましき體をまねびて、常のもて遊びにしたるよし、今より八十年許前〈享保の末にあたる〉までは、此事ありしが、今はたえて小米びなといふ名をだにしれる人稀なり、年八十餘の老人にあらではしらずとぞ答られける、童のもて遊びも、古はかく質素にてありし也、源氏の紫のうへのひいな遊びに、ちひさき屋形をつくり、ひいなをしすゑて、もて遊び給ひしことなど、おもひあはすれば、此小米びなは、古の民の童のひいな遊びにて、それが享保の末までも傳りしなるべし、ひいなは、もとちひさき義なれば、小米びなは、よしある事ぞかし、〈◯中略〉今も伊勢の山田あたりにて、孩兒にいろどりし物を見せて、きヽ〳〵とをしへ、又は端午の幟などを見せて、幟きヽ〳〵といふ言殘り、うつくしき衣服をきヽめヽともいふよし、きヽといふは、すべてうつくしき物をさしていふ言か、この言義は知がたし、

〔ひな人形の故實〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1105 草ひな(○○○) 九月九日髮葛子體、〈◯圖略〉女子ひなくさをとつて、雛のかみをゆひ、平日のもてあそびとす、むかし民のひなは、此るいのよし、

〔骨董集〕

〈上編下前〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1106 ひいな草(○○○○) 今の世の女童、ひいな草を採て雛の髮をゆひ、紙の衣服を著せなどして、平日の玩具とす、これもいと古き事なり、丹後守爲忠朝臣家百首、契久戀、源仲正、おもふとはつみしらせてきひいなぐさわらは遊びのてたはぶれより、 按るに、仲正は源三位頼政卿の父にて、堀河院の比の歌人なれば、今文化十年より、およそ七百二三十年ばかり前、わらはのひいな草つみて、もて遊びたる事のありし證とするにたれり、これらをもて思ふに、いにしへの民の童のひいな遊びは、彼ひめ瓜、此ひいな草のたぐひにてありしなるべし、古代は童のもて遊び物とて、別につくりて賣事まれなりしゆゑに、前に出せる竹馬のたぐひにて、自然に生ずる物を用ふ、今も田舍の童は、野山におのづから生て、食料にもならざる物をとりて、もて遊ぶゆゑに、つひえなくてよし、

〔骨董集〕

〈上編下前〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1106 姫瓜の雛(○○○○) 姫瓜は、漢名を金鵞蛋といふ、形鵞の卵に似たればなり、元祿の前後、女兒これを雛につくりて、平日にもて遊びたることありき、

〔ひな人形の故實〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1106 姫瓜雛(○○○)〈金鵞蛋といふ〉 八月一日ひめ瓜節句といふ、田間より出、大さ梨子のごとし、此求、其面白粉ぬり、墨にて、目、はな、口をかき、色紙を以、水引を帶となし、もてあそぶ、

〔甲子夜話〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1106 世ニ云ニハ、木下氏ノ〈備中ノ足守侯〉モトニハ、人ノ長ホドアル雛人形(○○○○○○○○○○)アリ、太閤秀吉ノモノニシテ、今彼家ニ傳フト、視シ人ノ語ヲ屢聞ケリ、然ルニ木下氏ニ問タルト言シ人ノ語ヲ聞クニ、如斯キ大偶人ハカノ家ニハ有ラズト、然レバ太閤傳來ト云コト虚説ナリト思シニ、或日、木下三之丞〈今ノ足守侯〉訪來テ物語セシ中ニ、彼ヒヽナノコトヲ問タレバ、是ハ秀吉公ノモノト云ハ非ナリ、吾ガ先代肥後守後長久ト云シガ、〈予ガ叔母眞隆夫人ノ夫ナリ〉造リタルモノナリ、成ホド人ノ長ヨリモ大キク、二間ノ處ニ一對ヲ置クベキホドナリ、今ハ女子ヲ嫁セシ水上織部ト云フ人ノモトニ、ソノ娘持行シト語リシ、イカニモ如斯大偶人ハ罕ナルベシ、大佛殿ノコトナド思比ベテ、太閤ノモノナド

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1107 世人ノ附會セシナルベシ、

雛調度

〔享保集成絲綸録〕

〈三十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1107 慶安二丑年二月
一如前々雛之道具に、蒔繪并金銀之箔付ケ、結構ニ仕間敷事、上り候雛之道具には各別之事、
  二月

〔享保集成絲綸録〕

〈十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1107 寛文八申年三月
    覺
一金銀之から紙、破魔弓、羽子板、雛の道具、五月之甲、金銀之押箔、一圓ニ無用之事、〈◯中略〉
右之通江戸町中へ、從町奉行相觸候間、可其意候、以上、
  三月日

〔享保集成絲綸録〕

〈十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1107 元祿十七〈申〉年二月
    覺
一はま弓、菖蒲甲、束帶之雛、并雛の道具結構ニ仕間敷候、〈◯中略〉
右之通被仰出候間、急度可相守候、以上、

〔享保集成絲綸録〕

〈三十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1107 享保六丑年七月
    覺
一雛 八寸より上可無用、近年結構成雛、段々有之候間、次第を追而輕く可仕事、
一同道具 梨子地者勿論、蒔繪無用ニ仕べく候、上之道具たりとも、黒塗に可仕候、金銀かな物可無用事、〈◯中略〉
右之通り職人共〈江〉可相觸候、以上、
  七月

〔享保集成絲綸録〕

〈三十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1108 享保二十卯年十一月
    覺
一雛寸法、并同衣服諸道具等之義、總而結構仕出し、商賣致間敷旨、拾五年已前、丑年七月、委細相觸候處、當春も御停止之雛商賣いたし候者有之、不屆に候、且亦只今迄組合〈江〉不入、雛商賣いたし候者有之由、自今雛商賣致度ものは、向々にて組合を定メ商賣いたし、組合互に遂吟味、御停止之雛商賣堅致間敷候、此上組合〈江〉も不入、雛商賣致者有之候はヾ、急度可申付候、若組合へ不入者有之候はヾ、其近邊之雛屋共より可申出候、吟味之上、急度可申付條、此旨町中可觸知者也、
  十一月

〔雛遊の記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1108 雛の調度の數々なる其中に、犬張子(○○○)といふ物あり、是も神代より事發りて、惡魔を退け、災異を拂ふ誓ひの物也、其始めは火酢芹命、御弟彦火々出見尊の御徳に及ざる事をしりて、我子孫のもの、隼人と成て仕へ申さんと誓ひ給ふ、此隼人は狗人ともいふて、常に天皇の宮墻のかたはらを離れず、吠る狗まねして、つかふまつるもの也、〈◯中略〉今の犬張子も、狗人といふ縁により、拒魔犬(コマイヌ)の形容をうつして、雛調度の中にても第一の物とするは、惡魔を拂ひ災害をしりぞくる、神代の傳へものなればなり、

〔還魂紙料〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1108 雛の蛤貝 古老の傳へて云、むかしはものごと質素にて、雛遊びの調度も、今のごとく美麗なるを用ひず、飯にもあれ、汁にもあれ、蛤の貝に盛て備へけるとぞ、〈柳亭曰、今も古風を存して、蛤の貝を用ふる家も、たま〳〵ありと聞り、〉百姓五節句遊といふ草紙に、雛遊のかたかきたる繪の賛に、蛤は雛に對して昔椀、といふ句を載たり、今の草册子の類にて、刻梓の年號なしといへども、寶暦元年の作なるべしと思はるヽこと卷中に見えたり、〈もどかしや雛に對して小盃、といふ、其角が句によりし狂吟なり、〉又、都老子、〈東都名張湖鏡編、寶暦二年印本、〉に曰、近年は雛配膳の調度など、殊の外美をつくし、金銀を鏤などすることヽはなりぬ、然れども貧賤

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1109 の家には、蛤の貝殼に飮食を盛て供ずるも又多し云々とあり、按に、五節供遊びに、昔椀に准へ、ここに貧賤の家にはといへるをもつて、寶暦のはじめより、此事のはやく廢たるをおもふべし、又、長水が著しヽ不思議物語〈寶暦十年〉の序に、雀海中に入て蛤となる、それによりて此物語、うそと實の行違ひ、うそばつかりとおもうても、蛤化して雛の椀、これは實の雛遊び云々、此文は美を盡したる器にて備るより、蛤貝の椀を用ふるこそ、實の雛遊びなれといふにやあらん、又、黛山が評したる前句附に、雀又椀と化したる雛節供、といふ句あり、是は又といふ字に、月令の古事を聞せ、蛤といふことを略たる利口なり、此帖に辰の八月とあり、寶暦十年なるべし、〈今かならず、雛あそびに蛤を備ふるは、この餘波にやあらん、〉又云、内田順也が俳諧五節句、〈元祿元年印本、尚齋藏書、〉三月の條に、桃の繪櫃、〈同柳〉木地の櫃に桃柳を畫、内に草の餅赤飯もいるヽ、御臺匙といふ物添、是には繪なし、おつぼ、是五器なり、木地の挽物に繪ありと記したれば、ふるく雛の五器(ワン)のなきにはあらず、こヽにいふ木地の挽物の漆器となり、緑青繪なんど畫たるが、蒔繪の美を盡すやうになりたるは、寶暦の都老子に近年といへば、享保元文の比に起る歟、高貴の人は別のことなれば、美麗なるもふるくよりありしなるべし、
俳諧坂東太郞〈延寶七年印本、才麻呂撰、〉 手道具や蒔繪の林雛の桃 調泉
是さきにいふ如く、高貴の人の雛遊びをいふ歟、又常の手具足に蒔繪あるを、雛のとき取出して飾りしにて、雛の具にはあらざる歟、

〔骨董集〕

〈上編下前〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1109 雛繪櫃 寛永より元祿のあひだの繪どもを參考するに、當時の雛遊はいたく質素なりき、たヾ座上に敷物してすゑ置のみにて、壇をまうくることなし、雍州府志、〈貞享三刻卷七〉倭俗以紙作小偶人夫婦之形、是謂雛壹對、其外大人小兒之形各造之、女子並置坐上云々といへり、これらにても知るべし、たヾし其角が五元集に、段のひな清水坂を一目かな、といへる發句もあれば、たま〳〵段をまうけたるもありし歟、享保にいたりて一段をまうけたる圖あり、下にあらはす

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1110 が如し、〈◯圖略〉 さて當時ひなの繪櫃といへる物あり、その圖を見るに、飯櫃形(イビツナリ)の曲物にて、蓋は方なり、祝ひの繪あり、江戸芝神明の御祭に賣ちぎ櫃といふ物に似たり、一雪が鋸屑、〈明暦中撰〉正業ガ句、ひな鶴の繪びつを祝ふ三日哉、嵐雪が其袋、〈元祿三年撰〉かしくガ句、山崎の櫃買てこよ雛あそび、續猿蓑、槐市が句、雀子や姉にもらひし雛の櫃、などもいへり、雍州府志卷七、正月兒女所用、毬杖、羽子并板、上巳所用、板櫃云々とも見えたり、 正徳三年印行の物に、商人には桃の節句をかけて繪びつ云云といへるは、二月の末より、ひなの繪櫃賣と云者ありきしをいへり、

〔嬉遊笑覽〕

〈六下兒戲〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1110 むかしは、雛遊びの調度も、今の如く美麗なるを用ひず、飯も汁も蛤の貝に盛て備へけるとぞ、其角が篗絨輪に、雛に世話局もおもき尻あげて、欠伸で棄る蛤の殼、〈寶角〉といふ句あり、配膳の老女をいふなるべし、又柳樽〈五編〉蛤であげるが娘氣にいらず、こは〈明和七年の刻なり〉都老子〈寶暦二年〉に、近年は雛配膳の調度など、殊の外美をつくし、金銀を鏤めなどする事とはなりぬ、然れども貧賤の家には、蛤の貝殼に飮食を盛て供するも又多しといへり、今その殼をば用ひざれども、必蛤を備ふることはこれによりてなり、但し高貴のあたりは、格別のこと、さらでも都下には、木地の五器などはありしなり、都老子に、近年美を盡すといへれば、寛保延享のころなどおもふべけれど、さにはあらじ、寛文七年町觸、商賣の雛の道具結構に不仕、かろく可致事、これ作り置て售ふをいふなり、然らば早くよろしき家などには、これを買ふて用ひし事とみゆ、

〔守貞漫稿〕

〈二十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1110 三月三日
上巳ト云、又桃花之節ナル故ニ、婦女子ハ桃ノ節句ト云、〈◯中略〉今世今日三都トモニ女子雛祭ス、〈◯中略〉古モ高貴ノ兒女ハ、雛ノ調度ト云テ、膳椀ノ類、其外モ小形ニ製シ、又善美ニモ造リ、人形モ精製ナルモアリシナラン、〈◯中略〉蓋古民間ニハ、紙土偶等ヲ並ベ、諸器モ木葉、蛤賣等ヲ用フノ類ナルベシ、近世迄、雛祭ニハ物ヲ供ズルニ、蛤賣ヲ用ヒシト聞リ、今三都ハ蛤ヲ供スモ、昔賣ヲ用ヒシ遺意

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1111 ナラン、〈◯中略〉
京坂ノ雛遊ハ、壇二段バカリニ赤毛氈ヲ掛ケ、上段ニハ幅尺五六寸、高モ同之許リノ無屋根ノ御殿ノ形ヲ居ヘ、殿中ニ夫婦一對ノ小雛ヲ居ヘ、楷下左右ニ隨身二人、及櫻ト橘ノ二樹ヲ並ベ飾ルヲ普通トス、又近年豆御殿ト號ケ、尺許ニテ屋根アル物ヲ造リ飾ルモアリ、他ハ准右也、調度ノ類ハ簟笥長持、其多クハ庖厨ノ諸具ヲ小摸シテ飾之、江戸ヨリ粗ニシテ、野卑ニ似タリトイヘドモ、兒ニ儉ヲ教ヘ、家事ヲ習ハシムルノ意ニ叶ヘリ、膳部ハ蝶足膳ヲ專トス、今日雛膳及ビ食事ニモ、必ラズ蛤ヲ用フヲ例トス、江戸ハ正月蛤ヲ用ヒ、今日雛膳ニ必ラズ榮螺ヲ用フ、
江戸ハ壇ヲ七八楷トシ、上段ニ夫婦雛ヲ置ク、蓋御殿ノ形ヲ用ヒズ、雛屏風ノ長尺許ナルヲ立廻シ、前上ニハ翠簾或ハ幕ヲ張リ、其内ニ一對雛ヲ飾ル、二段ニハ官女等ノ類ヲ置ク、又江戸ニハ必ラズ五人囃子ト號ケ、笛、太鼔、ツヾミヲ合奏スル木偶ヲ置ク、必ラズ五人也、或ハ音樂ノ形ヲ作リ、多クハ申樂ノ囃子也、其以下ノ棚ニハ琴、琵琶、三絃、碁、將棊、雙六ノ三盤、御厨子ダナ、黒棚、書棚、見臺、篳笥、長持、挟箱、鏡臺、櫛筥等ノ類、皆必ズ黒漆ヌリニ牡丹唐草ノ蒔繪アルヲ普通トシ、或ハ別ニ精製シテ、定紋ニ唐草ヲ金描シ、或ハ梨子地蒔繪ノ善美ヲ盡スアリ、凡テ京坂ヨリ雲上華美結構也、庖厨ノ具等ハ稀也、總蒔繪、女乘物、或ハ御所車アルモアリ、近年ハ臺時計ノ形サヘ摸造シテ賣之、〈◯中略〉江戸ノ雛及調度、トモニ其制精美ナル故ニヤ、古雛古調度ヲモ賣之、諸所ノ古道具店ニテ、上巳前專ラ賣之、又十軒店等ニテモ賣之中店アリ、蓋新古店ヲ別ニス、京坂ニテハ古雛古調度ヲ賣買スルコト極テ稀トス、

雛市

〔大江俊矩記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1111 文化六年三月一日辛酉、きく宿之者和田良藏、買物功者故相頼、四條雛店ニ而八寸之雛一對、壹分貳朱貳百文、燭臺〈ぼんぼり付〉一對三百廿文ニ而調呉、今夜持參、此方敬順兩人之料と同體也、至極心安令大慶、是下立賣ノおつね料也、此間被相頼故調遣也、膳ハ白木三方、茶碗三ツ、小皿貳

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1112 枚宛、是も一對、明朝此方ニ而相調、一所ニ明日爲持可遣心組也、

〔江戸鹿子〕

〈二年中行事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1112 二月 廿七日より三月二日迄、ひいな道具賣、 中橋、尾張町壹丁目、拾間棚、糀町四丁目、人形丁、此所ニ而賣也、

〔江戸名所圖會〕

〈一ノ一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1112 十軒店 本町と石町の間の大通をいふ、桃の佳節を待得ては、大裏雛、裸人形、手道具等の廊、軒端を並べたり、〈◯中略〉其市の繁昌言語に述盡すべからず、實に太平の美とも云んかし、〈其餘尾張町、淺草茅町、池の端仲町、麹町、駒込抔にも、雛市あれども、此所の市にはしかず、〉

〔東都歳事記〕

〈一二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1112 廿五日 今日より三月二日迄、雛人形同調度の市立、〈街上に假屋を補理(シツラ)ひ、雛人形諸器物に至る迄、金玉を鏤め造りて商ふ、是を求る人、晝夜大路に滿てり、中にも十軒店を繁花の第一とす、◯中略〉〈十軒店本町 尾張町 人形町 淺草茅町 池の端中町 牛込神樂坂上 麹町三丁目 芝神明前 元祿の總鹿子に、中橋の雛市を誌せり、今はなし、〉

〔諸國圖會年中行事大成〕

〈二上二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1112 廿五日 雛市、〈今日より三月二日の夜に至る迄、〉三月三日、女兒が飾弄ぶところの雛人形紙びいな、あるは御殿、または手道具、這子人形の類ひを商ふ、京師は、四條五條の東、江戸は、中橋、尾張町一町目、十軒店、麹町四町目、大坂は御堂前順慶町にあり、夜は燈燭を耀し、光影羅綺彩粉に映じ、行人の目を奪ふ、こヽにつどひて來るあり、還るあり、手を拍あり、留るあり、萬福の輻輳ところ、太平の美と謂んか、

〔天保度御改正諸事留〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1112 天保十四卯年二月十八日
  本石町貳丁目 同三丁目 同十軒店 尾張町壹丁目元地 同壹丁目新地 麹町五丁目
右町々、例年二月廿一日より三月四日迄、雛市仕候ニ付、御法度之八寸已上之雛、并梨子地蒔繪金銀等相用ひ候道具類、紋所之外、一切賣買致間敷旨被仰渡候、然ル處、道具類、花塗眞鍮鐵具に而、高價にも無之候はヾ、名主共心得に而、見免し置候而も苦かる間敷哉、都而去三月同様、當年之義も商爲仕可申哉、且又去十月中、總而商物正札に致置、符帳を相用候義は致間敷旨、被仰渡御座候得共、

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1113 正札直段に而買取候者は稀に有之、左候迚、正札より下直に賣渡候而者、正札附置候詮無御座、一體雛商之義者、際物と唱、魚市場同様之商に御座候間、可相成義に御座候はヾ正札に無之、多分之掛直不申、正路に賣買仕候様嚴敷申付、商爲仕可申哉、此段奉伺候、以上、
  本石町名主孫兵衞 尾張町壹丁目元地、同佐兵衞、 同一丁目新地、同、伊左衞門、 同文藏 麹町五丁目、同與兵衞、
右二月十八日小倉朝五郞殿〈江〉出ス
例年二月廿一日より雛市商仕候處、市中諸色、正札相用商可仕旨、被仰渡御座候處、右雛之義者、際物故、正札に而者景氣も沈候に付、正札相用不申、相當之直段に賣買仕度旨申之、右に付、是迄正札用不申商爲致候類、御聞濟被在候義、御尋に御座候處、差當右に類し候義者無御座候得共、都而市商之義は、正札相用候而者、日々景氣に而、直段高下も有之候に付、雛市之義も、市中に而市商内之振合を以、御聞濟被下置候はヾ、其筋商人共商内規縮不相成、辨利可相成哉奉存候、此段奉申上候、以上、
  二月十八日
          諸色掛 名主頭
右者南御年番所〈江〉差出候處、上ゲ置候様、仁杉八右衞門殿被仰渡、二月十九日、伺之通致候様被仰渡候事、

雛師

〔人倫訓蒙圖彙〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1113 雛師 紙ひいな、裝束ひいなあり、紙ひいなは紙をもて頭を造る、又ほうこのかしら、これをつくりて、ひいなやにうる也、雛屋これをもて品々仕立あきなふ也、

〔ひな人形の故實〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1113 享保年中迄は、京都に細工人二百二十軒御座候處、當時〈◯嘉永〉は相減候、

〔江戸買物獨案内〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1113 萬木彫細工 御雛師 原舟月(本町二丁目木戸際)

姫瓜節供/鬘子節供

〔骨董集〕

〈上編下後〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1114 〈追加〉姫瓜節供、髮葛子(カヅラコ)節供、 今伊勢桑名わたりの俗に、女童のことばに、八月朔日を、姫瓜の節供(○○○○○)ととなへ、ひめ瓜に顏を畫がき、べにおしろいをいろどりて頭とし、つけ木、又竹の筒などを身とし、紙又絹などの衣服をきせて、ひいな人形につくり、棚にすゑ、酒、赤飯などをそなへてまつる、又九月九日を、かづら子の節供(○○○○○○○)ととなへ、ひいな草つみて、ちひさく男女の頭をつくり、これも棚にすゑ、おなじごとく物そなへてまつるとぞ、前にもいへるごとく、瓜に顏かく事は、清少納言の草紙に見え、ひいな草つむ事は、源三位頼政卿の父、源仲正が歌によめれば、いといとふるき事なり、按に、これらはいにしへ質朴なりし世に、天兒、母子などの略儀とし、贖物のこヽろばへにてまつれる古俗のなごりなるべし、〈これらをこそひいなまつりともいふべけれ、今の上巳のひいなは、かへす〴〵もいにしへに似ず、和名抄を見るに、今のかもじを、古へはかづらといへれば、かづらこの節供と云も、ふるきとなへならまし、後のひいなは、此かづら子の事のうつれるにはあらずや、江戸ちかき地にても、ひいな草つみて、ひいなつくる事はすれど、物そなへてまつる事はせず、〉

〔骨董集〕

〈上編下前〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1114 後の雛 後の雛の事、古き物にいまだ見あたらず、元祿以後の事なるべし、滑稽雜談〈正徳三年撰〉卷十七に云、後の雛〈九月九日〉和國の女兒ひな遊びをなす事、古き物語にも出たり、上巳の節に據あるよし、三月の部に記す、今又九月九日に賞する女兒多し云々、俳諧是を名付て後の雛とす、其上巳に對して謂る也、晋子十七囘、〈享保八年刻〉乘物の歩みすくなき後の雛、といへる附合の句あり、されば正徳享保の比は、すでにありし事也、今も京大坂などにはあるよしなれど、三月の如くするにはあらず、雛を一〈ツ〉二〈ツ〉出してかたばかりなり、それもなべてにはあらずとなん、吾山が朱むらさきに、いづみの堺にもあるよし見えたり、 播州室の邊には、八朔にひなを立る所ありと或人いへり、其實否はしらず、

〔嬉遊笑覧〕

〈六下兒戲〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1114 後の雛は、〈◯中略〉續五元集、〈中〉穴いちに塵打はらひ草枕、ひヽなかざりていせの八朔、又入子枕、〈正徳元年草子〉二季のひヽなまつり、今も京難波には、後の雛あるよしなれば、三月の如くなべ

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1115 てもてあつかふにはあらずとなむ、播州室などには、八朔に雛を立るとぞ、

〔見た京物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1115 九月出かはりあり、雛賣る、

〔浪花襍誌街能噂〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1115 千長〈◯中略〉 イヤ雛を三月立て、又九月もかざるといひや〈ス〉が、さうでありやすか〈ネ、〉鶴人、九月は唯一寸と、かざるばかりさ〈ネ、〉五月の菖蒲人形は、綺麗なことで厶りやす、

雜載

〔御留守居勤方手扣留〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1115 御雛拜見心得
一御禮濟御雛爲拜見、御廣敷〈江〉相廻り候間、御表詰合不申段、當番より大目付并御同朋頭〈江〉申斷置、半袴著替、一同御廣敷〈江〉相廻り、御用人部屋に扣居、尤御雛爲拜見相廻リ候段、番之頭〈江〉達候得者、其段番之頭より奧〈江〉申込、其後拜見相廻り候而宜旨、番之頭申聞候間、御用人一同相廻ル、御廣座敷御縁より表使案内ニて、竪廊下罷越、千鳥之間御縁御杉戸内ニ而解劒致し、表使の案内ニ而、御對面所御三之間御縁ニ而案内之表使披き候間、一寸時宜いたし、猶又少々上之方ニ表使不殘著座致し居候間、右之處にて下ニ居挨拶致し、夫より御下段御縁ニ老女衆著座致し被居候間、圖之處〈江〉罷越、時宜致し相應申述候而罷立、御二之間〈江〉入、猶又拜見、不殘拜見、相濟、尚又圖之處〈江〉罷越相應申述、千鳥之間御縁御杉戸内ニ而帶劒いたし、御廣座敷〈江〉罷越候へ者、表使出居候間、御雛拜見之御禮申述ル、且多分御上り合之御肴、并御下夕等之被下有之候間、右等之御禮も申上、御用人部屋〈江〉引、夫より退散、〈◯拜見之圖略〉

〔甲子夜話〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1115 大城大奧ノ御雛ハ、世間ノ如ク高ク棚ヲ設テ並ベ置クコトハ無ク、席上ニ氈ヲ鋪テ並べ在リト云、三月ニハ拜見ヲ免サレテ、婦女ノ輩ハ市坊ノ人ニテモ、大奧ノ女員ニ親縁アルハ、ソレ〳〵ノ部屋ヨリ手引シテ、御庭ヨリ御間中ノ御雛ヲ見物スルヨシ、拜見セシ人ノ語ナリ、イカサマ雛ハ公卿ノ形ヲ作リシマデノモノナレバ、尊上ニテ貴ルベキモノニハ非ズ、世上ノ所爲ハ畢竟民間ノ習ハシナリ、

〔江戸名所圖會〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1116 明顯山祐天寺〈◯中略〉 開山大僧正長悦像〈開山小石川の傳通院在住の頃、元祿年中、大將軍家御前において法問説法ありしを、瑞春院殿御感賞のあまり、御親刻ませ給ひしを、上覽まし〳〵、長悦と呼べしと上意ありて、鶴姫君様へ進ぜられ、御雛祭の首席につらねさせ給ひしを、其後祐海上人へ給はりて、當寺に收む、此故に毎年三月當寺にて、雛祭の儀式執行事あり、〉

〔昔々物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1116 一昔は、〈◯中略〉三月は男子は鷄合とて、鷄を持出出會、女は雛遊とて、雛をかざり食事を備へ、色々の諸道具を飾り、草餅を雛の行器に入、甘酒を錫の器に入、小蛤等澤山に、節句の禮とて雛を乘物に乘せ、樽行器持て、親類の親方へ遣す、是は成人の時娶入して、世帶持の稽古なり、當分の事にあらず、

〔年中行事故實考〕

〈四三月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1116 串あさり 木の葉かれい 三日ひなに備ふ、京都にては、草の餅の上に、木の葉かれいをならべ祝とす、是又質素の風にして、正月の饌具と同じ、

〔嬉遊笑覽〕

〈六下兒戲〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1116 相摸愛甲郡敦木の里にて、年毎に古びなの損じたるを兒女共持出て、さがみ河に流し捨ることあり、白酒を一銚子携へて、河邊に至れば、他の兒女もこヽに來り、互にひなを流しやることを惜みて、彼白酒をもて離杯を汲かはして、ひなを俵の小口などに載て流しやり、一同に哀み泣くさまをなすことなり、此あたりのひな、内裏びなは異なることなし、其外に藤の花をかづける女人形多し、おもふにひなを河水に流すは、もと祓除のことによるなるべし、妹背山淨るりに、ひなの道具を水に流すことあるは、作り設しことヽのみ思ひしに、かく似たることもあり、

〔ひな人形の故實〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1116 子の日比々奈祭とて、女子生て初の正月子ノ日、又は百日にあたる日に、御ひな并御けんぞくの人形多、ひな諸道具、翫び品々釣臺乘、酒肴、赤飯、草餅等を、親るい遊友だちへくばり持行奉獻、三月上巳節供に勤候はヾ、則ひな便りといふ、

〔骨董集〕

〈上編下前〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1116 ひいな草 貞享三年著、婦人養草、〈卷一〉船にのるものは、雛一對をもちて海上をわ

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1117 たるに、風波のうれひをのがるヽといふ事、いかなるゆゑといふ事は未考、貞享四年刻、年中風俗考、案るに、ひいなをば、井をほり、やねふき、柱立などにも立用ひて、祝するものなれば云々、享保十四年印行、女用花鳥文章、ひいな云々、井の内に入て、清水をもいのるなど見えたり、

〔四方のあか〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1117 初雛賦
門びらきの御祝儀すみ、眞綿のつむのもてあそびもの所せく、桃のやう〳〵咲そむる頃、この子のこヽに嫁べき、雛あそびの調度求んと、十軒店の二階に、雲の上の雲を掴み、麹町の室咲に、つくり花の花を飾らんと、鷄合の牝鷄ときをすヽむれば、潮干のひかぬ父親の心こそをかしけれ、内裏雛の袖はかけ鯛の尾をさかだて、次郞左衞門の丸顏は、玉子に目鼻つけたらんがごとし、紙ひいなの雨ふりに腰は立ずと、てる〳〵法師の形にて事たりなんを、今は古今の雛の裝束の詮議より、大宮人を裸にして、折からの桃華蘂葉に、一條禪閤のお肝を潰させ、ふらそこの壺井も、義知ぎちと爪をくはふべし、小人形の寸は箱のふたにあらはれ、男とも見え、女とも見はやすべきかたはあらぬが、長たぶの首うちかたぶけ、足のうらより竹釘を打付けられたるもいた〳〵し、からくりこそ猶をかしけれ、〈◯中略〉近頃囃子方といへるものいで來て、切禿のぜんじをもて、芝居の下座にやうつしけん、笛小つヾみおほつヾみ、太鼔地謠まで一を欠ては事足ぬ心地ぞする、裸人形は腹掛に美をつくし、六尺の手まはりは、鉢卷に氣をつけたり、まして調度は乘物外居のみに限らず、御厨子黒棚は東山殿の床飾を欺き、箪笥長持は座敷杯の二間かと疑ふ、一雙の屏風は柳櫻をこきまぜ、式正の本膳にあさつき鱠蛤もをかし、毛氈しき幕うち廻し、落雁の鯛、杉折の沙魚、草餅の菱、豆ゐりの霰、山川白酒は豐島屋矢野を傾け、饅頭干果子は鈴木金澤を盡す、かヽれば紫清少が筆すさみはしらず、加田粟島の故實は、猶さら踈々しけれど、世にをのこヾもちて、のぼりいかめしげにたて並ても、柏餅粽の皮を剥もうるさく、干鰒かさごの齒にはさまらんより、先何

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1118 事もさし置て食物の多きこそ、こよなう賑はしき節句なれ、
 樟腦の匂ひもまだき箱入のむすめのごとしけふの初雛


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Last-modified: 2022-06-29 (水) 20:06:17