https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0131 將棊ハ、シヤウギトイヒ、或ハ象戲、將騎等ニ作ル、小將棊、中將棊、大將棊、大々將棊、摩訶大々將棊、泰將棊、廣將棊、七國將棊等ノ種類アレドモ、其法多クハ亡ビテ傳ハラズ、唯小將棊ノミ今モ行ハレテ、單ニ將棊ト稱ス、此將棊ハ我國ニテ創ムル所ニシテ、外國ノ象戲ト異ナリ、又將棊ノ類ニハ、此他ニ智惠將棊、挾將棊、飛將棊、廻リ將棊、盜ミ將棊、彈キ將棊等ノ數戲アリ、
將棊ハ巧拙ニ由リテ段位アリ、九段ヲ最上トシ、之ヲ名人ト稱ス、以下半名人、上手、上手間手合、上手並、强片馬、並片馬等ノ名目アリ、德川幕府ニ於テハ、將棊所數人ヲ置キテ、世々之ニ俸祿ヲ給セリ

名稱

〔伊呂波字類抄〕

〈志/人事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0131 象戯〈シヤウギ〉

〔藝經〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0131 象戯
周武帝造象戯

〔丹鉛總錄〕

〈八/物用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0131 象經
世傳象棊、爲周武帝製、按、後周書天和四年、帝製象經成、殿上集百寮講説、隋經籍志、象經一卷、周武帝撰、有王褒注、王裕注、何妥注、又有象經發題義、又據小説、周武帝象經、有日月星辰之象、意者以兵機孤虗衝破於局間、决非今之象戯車馬之類也、若如今之象戯、芸夫牧豎、俄頃可解、豈煩文人之 注、百寮之講哉、

〔下學集〕

〈下/態藝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0132 象碁(シヤウギ)

〔書言字考節用集〕

〈七/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0132 象戯(シヤウギ)〈太平御覽、周武帝所造者、〉 將棊(同)

〔和爾雅〕

〈五/嬉戲具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0132 象戯(シヤウギ)〈象棊同、其製有大中小數、〉

〔倭訓栞〕

〈後編九/志〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0132 しやうぎ 象棋也、將碁はあしゝ、類書纂要に、謂象牙上レ棋也と見えたり、

〔古今類書纂要〕

〈七/諸戲〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0132 象棋〈謂象牙上レ棋也〉

〔異制庭訓往來〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0132 將棊則合戰之行也、小則象三十六禽之列位、多則法三百六旬之甲子、不馬之進退、難王之運否

〔年山紀聞〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0132 將棊
圍碁雙六は、ふるくより物にも見えたれど、將棊はいつ頃よりといふ事をしらず、同記〈○明月記〉四年〈○建仁四年恐三年誤〉十二月十日、宇治御幸記、其傍置圍碁雙六將棊等盤とあり、後日に家兄爲實の云く、台記に大將棊といふ物みえたり、〈○下略〉

種類/小將棊

〔遊學往來〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0132 抑住山之間、余吟然之遊戯爲宗、然者改年初月遊宴、〈○中略〉將棊、〈○中略〉大將棊、中將棊、

〔雍州府志〕

〈七/土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0132 將棊盤〈○中略〉 凡將棊、有小將棊、中將棊、大將棊、大大將棊、摩訶大將棊之品、堪其事者有家領、猶碁所

〔翌檜〕

〈末〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0132 將棊
小將棊 和將棊 中將棊 天竺將棊 大將棊 大々將棊 摩https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02311.gif 太將棊

〔大象棋絹篩〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0132 象棋六種之圖式
象棋六種とは 小將棋 中象棋 大象棋 大々象棋 摩訶大々象棋 泰象棋
この六種なり、摩訶は梵語なり、此には大と譯す、泰はもと大音泰に作る、無上の義にして、大小の 大と異なり、大象棋と混ずべからず、ゆゑに今しばらく音を借て泰の字を用ゆ、遊宋の僧の傳ふる所にやと、三島氏のいへるはさる事にや、いまだ考へず、

中將棊

〔男重寶記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0133 盤上の事
中將棊(ちうしやうぎ)〈たてよこ各十二目、馬數九十三枚、〉
○按ズルニ、中將棊指南抄ニ、盤面之圖、成駒之並圖、駒行方ノ圖アリ、今之ヲ略ス、

〔諸人重寶記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0133 象戯の指樣
中將基、馬の行方圖にしるしをく也、〈○圖略〉師子 は、二間四方は我まゝにし、一間四方はゐぐひする也、鳳凰 角四方二間あひにもかまはず、てきの地へはいりて奔王に成也、麒麟 あとさきよこ二間は、あひにかまはず、てきの地へはいりては、師子に成也、角鷹 頭二間殘りはしる、頭一間いぐひ、飛鷲 さきのすみ二方二間、殘りはしる、二間の角いぐひ也、兩方共に、馬かへ次第、とり捨也、歩のなり金一枚にて、玉を詰申事法度也、太子 あれば、玉將なくてもくるしからむ、

〔中將棊絹篩〕

〈序〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0133 方今昇平之化、諸藝盛行、昨日所廢、今日再興、朝來所無、晩來忽有、元祿中所出中將棊圖前後二本、一則罹火、一則磨滅、書賈乘時、就余求爲絹篩、余案、將棊亦有小、中、大、大々、摩訶大々、泰將棊等數種、而坊間唯刻小中二種之書、未其他、如大、大々、摩訶大々、泰將棊等、其理原屬一致、宜兼而行一レ之、因原本中將棊舊圖、加之校正、更附諸種之圖式、以爲一書、書賈心花不言、要一時刻之流播廣遠、嗚呼坊間刻書、亦盛也哉、
文政改元之仲夏 鶴峯戊申識

〔中將棊絹篩〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0133 それ中象棋は、盤面二八の十六目づゝ九ツに分ち、これを九宮に配し、都て一百四十四目にして局をなす、これすなはち縱横各十二目なれば、十二支を以て合文とす、
駒數は、味方四十六枚、敵四十六枚、都合九十二枚なり、馬は取捨にて、小象棋のごとく、取馬を打事 を得ざるなり、
成馬の例は、敵地へ入るとき成なり、もし素馬にていれば、三の手にて成なり、二の手にては成事を得ず、但し敵の馬を取ては、内地にてもなるなり、歩は敵地の口にて成る、素馬にて入は、二の目三目にはならず、四目にてなる、是は歩ばかりなり、
象棋さしやうは、小馬にて、大馬をおとすやうに心を用ゆべし、たとへば玉と獅子とに、角などかけておとすやうに、大駒を落すときは、おのづから駒多き方勝になるなり、〈○中略〉
つきおとしの勝とは、象棋さし出しより廿手過て、走馬王手に當りたるを、敵よりこれを見つけぬをいふなり、
馬のうちにて尤おそるべきは、獅子、飛鷲、角鷹の類なり、
獅子の喰添とは、獅子は味方の獅子と敵の獅子と、一目間につきあひても、敵の獅子につなぎ駒あれば、獅子にて獅子を取(とら)ぬなり、しかれども兩獅子の間に何にても駒あれば、それを喰添にして、獅子にて獅子をとるなり、これを喰添と云なり、但し歩はくひぞへにならぬなり、
互に獅子をうつといふは、獅子につなぎの馬あれども喰添にて、獅子より獅子をとらるゝとき、つなぎの馬にて敵の獅子をとるをいふなり、
先(せん)獅子と云は、兩方の獅子はしり馬に當れば、先手より獅子をとる、後手は其次に獅子をとる事を得ず、一手過て取なり、これを先獅子といふ、先手の德なり、
居喰は、獅子、飛鷲、角鷹にあり、中にも獅子の居ぐひ甚し、獅子の居ぐひとは、獅子の廻りに有敵馬を、次の手にて取て、其座をなほらず居るをいふ、飛鷲、角鷹のゐぐひも同前なり、
獅子かげのつなぎといふ事あり、はなれたる獅子を、つなぎあるかたの獅子にて、落すやうに獅子を出すとき、其敵獅子へ當て、手前の獅子までつなぐやうに、角行か竪行か、何にてもはしりを 敵獅子のあとよりあてるを、かげのつなぎとて、獅子を獅子にてとらずひらくなり、

〔鵞峯文集〕

〈八十三/序〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0135 中象戯圖式序
象戯者、習武之一技也、昔周末戰國之際、有象棋陣圖、其制小者、曰一面布陳、其大者、曰内外四層圖、或圓之或方之、將士車馬象砲卒等名備矣、本朝象戯、有大中小之式、就中小象戯、久行于世、天文年中、後奈良帝甚嗜中象戯、當其時、在廷臣、則日野亞相藤晴光、高倉亞相藤永家、及卜部兼右、在士林則伊勢守平貞孝、蜷川親俊等、皆弄此技、以消長日永夜、而爲遊戯之一具也、近世大橋宗桂、其子宗古、其養子伊藤宗看、三世相續、以小象戯國手無雙、毎歲來江府、决勝於營中、以備御覽、且各作圖式、廣施于世、方今宗看、巧達中象戯、有妙手之名、蓋以小象戯之秘訣、推通之者乎、頃間宗看、始作中象戯圖式五十條、弄此技者、皆奇之嘆美之、將之於梓、以我先考序小象戯圖式之例、或憑紹价、或自來求一語、辭之不措、固請頻繁、余未曾知一レ以其爲一レ技、然觀其局面、則多是傚古之陣法乎、其四面各十二行、蓋夫表十二辰、而慕太公之法乎、抑亦李衞公所謂、畫地方一千二百歩之百分之一乎、以百相乘、則其數可以擬一レ之乎、主客之馬筭合九十二、以其兩王握奇、則一方各四十五、蓋夫九疇陣法之數偶合乎、且其筭有太子王、則寓撫軍https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00023.gif 國之意乎、獅子奔王之疾走者、貔貅之猛將乎、突衝之前鋒乎、或曰虎、或曰豹、或曰猪、或曰鹿、或曰牛、或曰馬、或曰龍、或曰鷲、或曰鷹、或曰鯨、或曰駒、皆取雄勇之義而勵壯氣之義乎、六將之挾王之左右者、六軍帥之髣髴乎、角行横行竪行之異技者、人各有一能、而有長、則有短、而將之用士、各取其所一レ長者乎、飛車反車香車之有名者、古車戰之遺法乎、仲人之在前者、請戦之人乎、窺軍之諜者乎、歩兵之成列者、伍伍之同隊乎、若夫麒麟鳳凰者非軍中之物、而雜陳於盤面者、凱旋國治而後、期望太平之靈瑞者乎、見其圖面、則形名如此、至其對敵勝敗之勢、則非我所一レ知、而宗看之技存焉、兵書無七書、七書人皆讀之、然用之於臨一レ軍、在其人之能不能而已、然則見此圖式者、小大雖異、其揆一者乎、所謂象戯飜能學兵是也、士林之徒、以是準陣法之、則治不亂之一備乎、 然亦玩物喪志之戒、不自省焉遂書以塞其請也、〈癸卯季冬〉

〔二水記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0136 永正十七年六月六日、早朝向中山亭、有朝飡、中將棊連歌等有之、 九月四日、入夜向三條西亭、逍遙院留守之程也、高倉令同道、指中將棊、及深更之間宿此亭、 十月十五日、晩頭參伏見殿、鹿苑院殿渡御、御田樂事御振舞也、逍遙院次參、有中碁

〔言繼卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0136 大永七年九月廿七日壬寅、四條中將來臨、中象戯三ばんサシ候了、
天文二年十一月廿五日癸亥、局務〈業賢朝臣〉暮ヨリ來、中將棊六盤サシ候、持也、夜八ツ時分迄指了、

〔時慶卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0136 文祿二年八月十四日、正親町六條來臨、振廻申付候、午刻ニ伯モ來儀候、中將棊、小將棊、雙六等在之、終日也、

〔言經卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0136 慶長九年四月九日己丑、當番ニ參了、宿ニハ倉部參了、番衆所へ出御、中將碁被遊了、之仲朝臣也、アメ、チマキ被下了、

〔因云碁話〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0136 金春大夫御答の事
本因坊道智、中將棊は聖所に至るといふ、一時中將棊を能くするもの、本因坊を尋ね來たる、某は長崎より罷り越し候、中將棊御達人と承り、御手合仕度と申入れ、本因坊對面樣子尋ね候ところ、其の者申すは、九州四國は勿論、五畿東海道、此の道に高名の人々へは、必ず相尋ね手合仕り候處、更に敵手に足り候ものこれなきよしにて、甚だ自慢の顏色なり、是れまで指し候將棊、一二局つくり見せ候やう申、試に熟覽するに、本因坊輕親して手合致すべくと申に付、彼の者對駒にて仕べく候哉と申す、本因坊曰く、奔王を落し可然といふに、彼の者驚く、奔王は飛角のきゝを兼たる駒なり、如何むぞ左やうの敵手、天下にこれあるべしとも覺へず候と、不得心の氣色なり、然ども其位の樣に見ゆるとありければ、そのもの憤りながら手合に及びけるに、本因坊負たり、其日は一局にて止みぬ、四五日過ぎて來るべしと約して、その日に至りければ、また指しけるに、また本 因坊負たり、そのものいよ〳〵大言して歸りぬ、また重ねて約束の日になりて指けるに、今度は三番さして三局ともに其の者負たり、是れ其のもの量をはかりて工夫ありしと見えたり、爰に於て長崎の者舌を吐て大に驚き感じ入り、他國遊歷に及ばず、直に歸國せしとなり、仙角が盤上の聖なりと云ひし果然たり、

〔梵舜日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0137 元和四年五月廿八日戊辰、休齋來、終日中將棊也、

〔大江俊光記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0137 元祿七年四月廿七日、南禪寺德松院長老、野宮中將、北小路主税助俊尚靑侍、晝より初昏迄、中將戯にて終日御遊、

〔堺鑑〕

〈下/人物〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0137 中將棊温故
北莊妙國寺寺内法林坊ノ住侶、日蓮宗ノ門徒而、中將棊ノ良手也、或時法皇ノ御所へ召出サレ、法橋宗知ト中將棊ヲサヽシメ、兩人ノ勝負ヲ叡覽アリケルニ、温故兩度勝利ヲ得タリ、因玆天下ノ名人ト聞ヲ取レリ、

〔當世武野俗談〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0137 中將碁
今江戸中にて、中將碁の上手にて其名高く、御旗本衆幷福祐の町人、皆其門弟となりて會合する其先生は、西丸御書院番大澤又左衞門と云人なり、濱町に住宅なり、六十計の老人なり、其生付(レ)少(シ)魯鈍なり、され共名人なり、

〔鴉鷺合戰物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0137 鷄漏刻博士禪法 九月廿六日合戰 鴉鷺發心事
知時、爰こそ遁ぬ死處よと云まゝに、手勢三百騎ばかり、一足もしりぞかず、靑鷺信濃守が手に懸合せ、勇士と勇士の相逢なれば、尋常に打合て、火花を散して戰ふたり、葉武者は多く打れて、わづかに一騎當千の兵ばかり戰ひ殘りたり、其有樣、勝負せめたる中將棊の盤(○○○○○)の上處すさまじき駒の足なみ入亂れて、鳳凰は、奔王と成て八方を破り、飛鷲角鷹は、威を振て當を居食ふ、その働にも 似たり、

〔梵舜日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0138 文祿五年八月九日、祇園へ脉罷也、於梅坊勸盃、當院普請方相濟了、自新造中將棊盤、予ニ給了、
元和八年六月廿五日庚寅、壽等誂之中將棊之盤出來也、大坂ニ而誂也、代は四文目五分ノ由也、少將棊盤ハ二文目分之由也、予覺ノ義也、 廿七日壬辰、壽等所へ茶一斤持遣也、又誂之中將棊盤持遣也、

〔大江俊光記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0138 元祿六年七月廿九日、德松院殿ゟ、昨夜預リ置候、中將基盤取ニ參遣、

〔言繼卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0138 天文廿一年三月廿九日辛亥、粟津修理亮申、中將棊馬(○○○○)書遣之

〔梵舜日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0138 元和八年四月十八日甲申、祇園壽等見廻來、一重〈キレナレ〉持來也、中將棊之駒、借用之申間、則箱ツヾラニ入馬共遣也、別而滿足之體也、

〔あぶらかす〕

〈雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0138 あはれにしゝはいづち行らん〈○中略〉 まけかたの馬はかひなし中將碁

大將棊

〔男重寶記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0138 盤上の事
大將棊(だいしやうぎ)〈たてよこ各十五目、馬數百三十枚、〉

〔倭訓栞〕

〈後編九/志〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0138 しやうぎ〈○中略〉 大象棋といふは、廣象棋也といへり、

〔二中歷〕

〈十三/博棊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0138 將棊〈棊一作騎〉
又大將棊十三間云、玉將各住一方、中金將在脇、銀將在金之次、次有銀將、次有銅將、次有鐵將、次有香車、銅將不四隅、鐵將不後三方、又横行在王之頂方、行前一歩、左右不多少、又有猛虎、在銀之頂、行四角一歩、飛龍在桂馬之上、行四隅起越、奔車在香車之頂、行前後多少、注人在中心歩兵之頂、行前後是、一方如此、行方准之、

〔大象棋絹篩〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0138 大象棋 縱横〈各十五目〉 馬數百三十枚 大象棋さしやう、中象棋に同じ、馬は取捨なり、およそ中象棋已上は、みな馬取捨としるべし、成馬中象棋に同じ、〈中象棋になき馬の成やうは、大々象棋に准ずべし、〉
○按ズルニ、大象棋絹篩ニ、大象棋圖式、大象棋馬行方圖式ヲ載セタリ、今之ヲ略ス、

〔台記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0139 康治元年九月十二日辛丑、參新院〈○崇德〉於御前師仲朝臣大將棊、余〈○藤原賴長〉負、

大々將棊

〔男重寶記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0139 盤上の事
大々將棊(だい〳〵しやうぎ)〈たてよこ各十七目、馬數百九十二枚、〉
○按ズルニ、大象棋絹篩ニ、大々象棋圖式、大々象棋馬行方ノ圖ヲ載セタリ、今之ヲ省略ス、

摩訶大々將棊

〔男重寶記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0139 盤上の事
摩訶大々將棊〈たてよこ各十九目、馬數百九十二枚、〉

〔大象棋絹篩〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0139 摩訶大々象棋 縱横〈各十九目〉 馬數百九十有二枚
盤面碁盤のごとし、此象棋中にも、佛經より出たる駒の名多し、佛家の作なるべし、
立馬略頌
玉醉獅犬奔王歩 提虎騏力摩羯歩 金豹惡羅龍王歩 銀蛇飛寵龍馬歩
銅將盲熊角歩仲 銕鶏猛牛竪行歩 瓦將嗔猪横飛歩 石猫桂馬横行歩
土將老鼠左車歩 香反驢馬飛車歩 歩兵左右不替者 走馬與利立
釣行龍龍角竪行 横飛横行右飛車 金夜飛龍牛桂驢 鳳惡盲熊嗔老鼠
虎豹臥龍猿猫反 無明金銀銅銕將 瓦將石將土將香 兩方相違對揚馬
提婆無明與王副 麒麟鳳皇獅子脇 金剛力士犬左右 釣行摩羯龍王内
羅刹夜叉龍王下 臥龍蟠蛇銀將上 古猿淮雞銕將上 左右兩車飛車内
右立馬略頌は、盤面駒立の式を敎たるものなり、玉醉獅犬奔王歩とは、十九目の中央王座より 馬の並びをいへるにて、醉は醉象なり、獅は獅子なり、犬は狛犬なり、奔王はすなはち奔王、歩は歩兵なり、寔より下香反驢馬飛車歩といふにいたりて、王座より下半面の駒だてなり、釣行龍龍角堅行は、王座の上、奔王の右にある釣行なり、龍々は龍王龍馬なり、角竪行は角行竪行なり、其次は横飛横行右飛車なり、是より瓦將石將土將香といふに至り、王座より上半面の馬立終る、尚圖を見てさとるべし、
○按ズルニ、本書此次ニ摩訶大々象棋圖式、摩訶大々象棋馬行方ノ圖ヲ載セタリ、今之ヲ省略ス、

泰將棊

〔男重寶記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0140 盤上の事
大將棊(おほしやうぎ)〈たてよこ各二十五目、馬數三百五十四枚、〉

〔大象棋絹篩〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0140 泰象棋 縱横〈各廿五目〉 馬數三百五十有四
泰象棋、もと大象棋に作る、大音泰、淸てこれを唱ふ、およそ大の字、濁音は大小の大なり、淸音は無上の義にして、この上なしといふこゝろなり、されば泰象棋とはいふなり、今しばらく音を借て泰の字を用ゆ、大象棋と混はん事を恐れてなり、或人問ふ、何ぞみだりに字を改むるや、答ふ、象棋を將戯に作る事久し、泰象棋何の子細あらん、
○按ズルニ、本書此衣ニ無上泰象棋圖式、泰象棋馬行方ノ圖ヲ載セタリ、今之ヲ省略ス、

廣將棊

〔先哲叢談〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0140 物茂卿、名雙松、有避以字行、荻生氏、小字總右衞門、號徂徠
造一家象棋、以寓兵機、名廣象棋、其子百八十、局則用棋局、而陣列軍伍、攻擊守備、無一不一レ備焉、可工極矣、嗟超群儒大業、又有何餘力、而及此等之事也、片山兼山、乃序廣象棋譜曰、命世之人、雖鞅掌拮据之際、胸中別有悠々閑日月而優爲之、信哉、

〔廣象棋譜〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0140 古象棋、以敎兵制也、然太簡淡似味、温公七國、錯雜弗專、此方廼有大小摩訶諸戯、亦鄙陋 甚、殊非雅士所一レ翫矣、夫博奕者、仲尼見取、君〈○荻生徂徠〉實豈無稽而然乎、今因古制而廣之、聊且俾童蒙嫺軍伍之名、不微益、中道而廢、有時乎游焉、亦何害耳、其局就用棋局更設也、路上列子、子凡一百有八十、而黑九十、白九十、圓如棋子亦古制也、面粉墨暑、隨黑白殊也、背黑白皆硃署弗殊也、其位置行法如左、〈○下略〉

〔五雜組〕

〈六/人〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0141 晁無咎有廣象棋、局十九路、九十一子、今不傳矣、

七國將棊

〔當世武野俗談〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0141 七國將棊
晉の七國將棊とて、近年朝鮮國ゟ將軍家へ獻じたり、晉の七雄將取合駒組にて、其盤大サ三間四方なり、駒數多く、是をさすに七人にてさすなり、將棊腰を懸て、杖のやう成る竹を以てさす故、七國將棊と名付たり、大納言樣、〈○德川家治〉殊の外御好き遊ばし、又田安右衞門督樣、〈○德川宗武〉最初に是を學び給ひ、田安にて御書院番戸田内藏助妹おくら殿と申女中、上手にさしならひ、此人に續し者は一人もなし、されば西丸家治公も田安へ被仰遣、右のおくら殿御借りよせ被遊て、此女中に七國將棊御稽古被遊候なり、其性により上手に成る事妙なり、

〔古局象棋圖〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0141 七國象戯用百有二十、周一、七國各十有七、周黃、秦白、楚赤、齊靑、燕黑、韓丹、魏綠、趙紫、周居中央動、諸侯亡犯、秦居西方、韓楚居南方、魏齊居東方、燕趙居北方、七國各有將、〈直斜行無遠近〉一偏、〈直行無遠近〉一裨、〈斜行無遠近、雖象戯、而無象及車者、車卽將及偏裨所乘、象不於中國故也、〉一行人、〈直斜行無遠近、不敵、敵亦不役、〉一砲、〈直行無遠近、前隔一棋、乃可物、前無隔、及隔兩棋以上、則不擊、〉一弓、〈直斜行四路〉一弩、〈直斜行五路〉二刀、〈斜行一路〉四劒、〈直行一路〉四騎、〈曲行四路、謂直一斜三、〉凡欲戯者、所得之國則相之、在坐七人、則各相一國、六人則秦與一國連衡、五人則楚與一國合從、四人則齊與一國合從、三人則秦與二國連衡、或但令坐之人各占一國、而空其餘國、其所與之國、惟相所擇、遂幷相之、先誓之曰、所相之國、亡妄代一レ之、謀及吿以犯者先罸酒、秦楚韓齊魏趙燕、以次移棋、棋已離故處復還、及悞移棋者、皆有罸、若擊與國、則盡撤去與國之棋、凡擒敵將者勝、雖獲一國吏 士、過十者勝、彼所獲吏士雖滿十、而此亡吏士已過十者負、于時坐上獲最多者勝、勝者飮負者、旣飮斂棋出局、有二將或獲諸吏士滿三十者覇、覇則諸國皆服、遍飮在坐而罷、一騎當弓弩刀劒之二、砲當三、裨當四、偏當五、

〔五雜組〕

〈六/人〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0142 司馬温公製七國象棋法、亦是推廣象戯遺意而近於腐爛

智惠將棊

〔藝術要覽〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0142 爰に我たま〳〵東寺の邊に遊ぶ事ありしに、翁貳人將棊をさすを見る、其駒いづれもかたち異なり、三角あり、四角あり、寶珠形、半月、細長、横平く、六角あり、八角有り、十二角有、十六角あり、劒形有り、菊形あり、矢玉刀鑓の形も有り、數枚の駒、悉くかたちかはれり、又駒に名、又字もなし、是はいかにと云に、翁是は智惠將棊と云ふ、此形によつて其きゝを定む、夫物はかたちによりて行をなす、大人は大人の働をなし、小人は小人のわざをなす、圓きは圓きはたらき、四角は四角、夫々のわざ、其德備る事かたちによれり、〈○中略〉我問ふ、かたちに隨て其行をなすは勿論なり、然るを智惠將棊と云はいかにと、答て、其行かたちに隨ふ事、人之知るといへども、其かたちに應ずる働をしらず、又は其形をはなれての妙ある事ありといへども、猶更得がたし、たとへば業藝の名人とても、身體手足はかはる事なけれども、其身體手足のまつたき用るわざをしらざるゆへ、同じ五體具足しても上手下手あるがごとし、此將棊專其形に應じつかふゆへ、智惠將棊となづく、〈○下略〉

挾將棊

〔梅園日記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0142 挾將棊
宋本太平御覽〈七百五十五〉藝經曰、夾食者二人、黃黑各十七基、横列於前第四道上、甲乙迭推、二棋夾一爲食、棋不兩、不邊食、不道則不行、棋入夾(井グヒ)不取食、一棋爲籌、賭多少、隨人所一レ制、これはこゝの挾將棊なるべし、金川瑣記に、夷俗奕棋有二種、一名板帶屑、二人對下枰内二十四位、人各十二枚、子先盡者爲輸、これも似たる戯にや、

飛將棊

〔嬉遊笑覽〕

〈四/雜伎〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0143 とび象棋は、によい〳〵といふ物也、〈○中略〉籰絨輪、わこの抱守り、袴きた馬蹴あふ時首でによんによを碁いし鷄、〈白黑の碁石にてもすればなり〉

〔梅園日記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0143 飛將棊
酉陽雜爼續集に、小戯中、於奕局一枰、各布五子遲速、名蹙融、予因讀坐右方、謂之蹙戎、言鯖に、夢溪筆談、蹙融漢書謂之格五、止用五棊、共行一道、亦有能否、徐德中善移、遂至敵、其法已常欲餘裕而致敵人于險、雖其術、止如是、然卒莫能勝一レ之、今之兒童、以黑白棊各五、共行中道、一移一歩、遇敵則跳越、以先抵敵境勝、疑卽格五歟、〈五雜爼に、委巷兒戯、則有行棋、或五或七、直行一道、先至者勝、此古蹙融製也、〉書隱叢説に、格五之戯、止用五棊、共行一道、謂之行棊相塞、其法已不傳、或云、卽今跳虎〈此下以黑白棊各五より爲勝に至りて廿七字、言鯖に同じき故に省く、〉是卽格五之遺、未然否、跳虎古名蹙融、小知錄に、奕碁取一道、人行五子蹙融融戒也、黃帝蹙鞠戎旅之間戯也、漢書謂之格五、今名豁馬跳などあり、こゝの飛將棊なり、

廻り將棊

〔嬉遊笑覽〕

〈四/雜伎〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0143 廻り將棊、これは兩人各こま一ツを盤の端に置、又こま三つを采となし、金か歩かと定めてふるに、そのこまあるは竪に立、横に立ことあめ、假令ば竪なるを十の數とし、横に立たるを五とし、その目をかぞへ盤の緣をめぐる、追越したるを勝とす、

盜み將棊

〔嬉遊笑覽〕

〈四/雜伎〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0143 盜み將棊、こまを殘らず箱に入、盤上に打ふせ箱を除け、よき駒取たるは勝なり、幾人にても次第を定め、その駒の音せぬやうにとるなり、

彈き將棊

〔嬉遊笑覽〕

〈四/雜伎〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0143 彈き將棊、一方は歩、一方は大ごまを用、各盤の端にならべ、中程の駒いづれにても、指にて敵のこまをねらひて彈き、敵の駒を盤より落せばとる、敵と共に落たるは、敵の方へとらる、こは彈碁の遣法にや、

手法

〔雍州府志〕

〈七/土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0143 將棊盤〈○中略〉 倭俗爲將碁之戲指(サスト)、以指點馬之謂也、

〔男重寶記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0143 將棊詞字 成(なる) 張(はる) 突(つく) 咀(つひ) 飛(けいまとび) 王手(わうて) 倒馬(さかこま) 替(かゆる) 昇(あがる) 扣(ひく) 指(さす) 二歩(にへう) 看手(みつてを)

〔翌檜〕

〈末〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0144 將棊
平手〈對馬同上〉 先手 後手 手見禁

〔二中歷〕

〈十三/博棊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0144 將棊〈棊一作騎〉
玉將八方得自在 金將不行下二目 銀將不行左右下 桂馬前角超一目 香車先方任意行歩兵一方不他行敵三目皆成金 敵玉一將則爲

〔和漢三才圖會〕

〈十七/嬉戲〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0144 將戯 將棊〈多用將字、故曰將戯、〉 長一尺二寸、幅一尺一寸、
按、將戯未於何世、不倭名抄、蓋近世盛行矣、而此與中華象戯大異也、其方罫縱横各九間、總計八十一、馬數四十枚、一方王加點如玉字、金將極官在左右、銀將亞之、飛車如大將、角行如副將
前三間爲我陣、向三間爲敵陣如入敵陣者、銀將以下至歩兵、皆飜成金、飛車成龍王、角行成龍馬、唯金將極官、故不易耳、凡擒捕敵馬、復用爲我黨、故千變萬化無盡也、

〔日本風土記〕

〈五/棊格〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0144 象棊
象棋彼國設名正棋(シヤウギ)、呼音少棋(シヤウギ)、以正字呼爲少者是也、棊盤横連、河界九行、直亦九行、與中國象棋盤相似、正用行而不路也、棋子兩營、各有王將、一營王將、一營玉將、各馬主其次序、一金將、次銀將、次桂馬、再次香車、排定九行之邊、左桂馬之前立一角行、右桂馬之前立一飛車、河界之次、各立九歩兵於九行内齊々排定、聽行例先擧歩兵、其角行飛車桂馬香車、皆次序聽行、其金將銀將皆附王、玉將逐歩徐行、不參差、歩兵亦逐歩序行、止許進而不退、桂馬斜行、如象棋之馬同式、則不退返、香車直行、與象棋之車同式、角行大行四角、飛車直中四路、玉王二將金銀將、逐歩斜行、若斜紋之狀、亦許河、倘路不通、可使退復、假若兵馬過河、除王玉金將不一レ陞外、其銀將過河界、卽陞金將、桂馬香車歩兵、皆陞金將之名、角行過河、陞爲龍馬、飛車過河、陞龍王、棊子兩面有字、若得戰過河界、則翻陞 之面之、倶與金將一例行之、無歩兵香車桂馬也、皆逐歩斜進攻戰、如兩營各輸子馬、仍聽嬴者放入盤内行用、兊去子馬亦如之、但彼各兵將旣臨我營、至主將之位、倘我盤中無子將、得彼子馬、聽下盤上レ敵、如盤中子少、手中馬盡必無、可防可抵、始分勝負、如營主將過河、是爲和局、〈○中略〉
棋子歩法
王將玉將例行共八歩、前三歩、後三歩、左一歩、右一歩、
金將例行、共六歩、前三歩、後一歩、左一歩、右一歩、
銀將例行、共五歩、前三歩、後傍左右各一歩、
角行例行、斜角四歩、過河陞龍馬、再加前後左右共四歩
飛車例行、横直四歩、過河陞龍王、左右前後、共加四歩
桂馬斜行二歩、過河陞金將、行歩與金將同、
香車直行一歩、過河陞金將、行歩與金將同、
歩兵直衝行一歩、過河陞金將、行歩亦與金將同、如前路難進、欲其退回、逐歩徐々倒退、如未陞之前例許進而不退也、
銀將過河陞金將、與金將行歩相同、其餘倣行、

〔金鵬秘訣〕

〈圖例〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0145 象棊下子法
將行一歩九宮内 士止一尖宮 象雖一尖四路 馬行一直一尖衝 砲須子打一子 車横直撞任西東 惟卒止能行一歩河横進退無
將〈四方へ一間づゝゆく、角きかず、尤本座の角筋をかぎりに、九ところの外へ出る事なし、〉
帥〈將とおなじ駒なり、但シ將と帥と、直通りに見合すことならぬなり、〉
士〈四すみ一間づゝきく、將のごとく、筋のうち九ところの内ばかりきくなり、〉 象〈一間飛に角がけに行なり、河をかまはず、但しあいに駒あればきかず、〉
馬〈常の將棊の桂馬は、上計きく、此馬四方へ桂馬飛にきくなり、但シ頭に駒あれば、上の方二所きかず、横はゞに駒あれば、其横の方二所きかす、下に駒あれば下の方二所きかず、〉
車〈常の飛車とおなじ、但しなる事なし、〉
砲〈駒のゆきやう、まづは車とおなじ、但シ直に駒をとる事なし、敵の駒にても味方の駒にても、一枚へだつれば、其うちこしの駒をとりて其所へ居る、是も竪横のかまひなし、〉
包〈砲におなじ〉
兵〈常の歩のごとし、但シ河をこゆると、右へも左へも一間づゝきく、跡へ戻る事なし、〉
卒〈兵とおなじ〉
都て駒は取捨としるべし
盤面相印
手前の右の
方を一ヒ定
る也、相手も
其人の右の
方が一なり、 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m0P146.gif 秘訣のことばをしる事
進 先へ行を進といふ
退 跡へ引を退といふ
平 横に行を平といふ〈○中略〉
河 敵味方の隔にて、盤の眞中に筋のなき所を河といふ、
但し駒の往來は、筋ある所とおなじ、

〔將棊絹篩〕

〈序〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0147 將棊者、我邦知兵者、效彼邦象戯而創製焉、然彼邦今之象戯、非周武集百寮殿上、講説象經之戯也、蓋古象戯、以象名者、寓日月星辰之象於局間也、若後世象戯天象、題棊子將卒車馬之名、然猶襲古名而不改、或別名曰金鵬、以表其異也、至我邦創製者、一以將略主、故名將棊焉、馬名雖眞率近一レ俗、寓兵機於此、較此於彼金鵬、馬兒進退、此由格爲道、彼取條爲路、此兩分棊子、排陣張營之外、盡屬戰地、彼界局面黃河、各占地方、是其同異也、此則有陣斫營立功績、必賞以勳階、銀爲金、角行爲龍馬之類是也、彼則無之、此則得敵將能爲我用、降敵卒必爲我役、彼則無之、此則上自裨將下至兵役、見危致命、躬當矢石、而蔭護主將敢避患難、棊辭所謂間(アヒ)馬(マ)兒是也、彼則無之、此則以局面布列棊子正兵、以握中遊馬兒奇兵、奇正幷用、故或能轉敗爲全、回危爲安、贏輪機變、如九天九地無窮極、彼則無之、是其有無也、若夫攻擊防禦有一定之法、不其破之、與之方、坐而取敗耳、雖然能知之、敵亦有變之備、勝敗利鈍、要之在其人矣、抑世將士講兵練武之餘暇、或翫此戯、通其進退變化之妙、則韜略蘊奧、全然在一局八十一格之上矣、〈○中略〉
文化紀元夏四月朔旦 北山 山本信有撰

〔將棊絹篩〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0147 駒組の大法
一助言の事 一相手の持駒、なに〳〵と問ふ事、
一駒ならぶる時、貴人の方へ王を雙と心得べし、
一同手三度までする事
〈但三度に及とき、仕掛のかたより替べし、是を千日手といふ、〉
一王早くかた付べし
一王角の筋、用捨すべし、
一王の脇、金銀はなるべからず、
一金銀、歩のかしらに上る事見合すべし、金は進事はやく退こと遲し、
一桂の飛、見合肝要なり、おそき時は勝少し、はやき時は損となるべし、
一持駒すぐに當るやうにうつは常なり、
一願はくはふくみありてうつべし
一端の歩、みだりに突べからず、手後れになる事多し、
一香ば一ト通りの駒たりといへども、端の仕懸肝要也、
一駒を手にもちては、はたらき格別なり、歩もちろんなり
一敵の歩、切勘べき事專一なり、
一歩二ツより大切にすべき事
一飛角の捨場大事なり
一駒はなれぬやうに上るべし
一龍馬手前にて遣ふ事よし
一龍王敵地にて遣ふ事よし 一駒打込て取ぬと勘べし
一王にげ置に能手ある事
一手前に歩うつ事大事なり
一進ては其駒にて前をかこひ、前を圍ては仕懸る事、駒組の大意、上手の態也、
一總じて五筋、或は端に手ある事多し、
一總じて勝事を專とすべからず、手前を全守り、負ざる事を肝要とする時は、自ら勝にむかふべし、
一駒組の定法は、雙方宜手を撰ての事なり、敵定法をはなれ仕懸る事あり、おどろくべからず、必末にさしつかへある也、

〔象戲百箇條之傳〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0149 象戯之心得
一象棋ハ初二三十手之内指組大事タルベシ、初之内ニ非手有之時ハ終迄弱ニナリ、指直ス事成マジキ也、二三十手之先ニ非有之バ、弱ニ乘テ其處不拔ヤウニ指時ニハ勝ニナルベシ、又手前ニ非手有之時ハ、先ヨリ如其指掛ル故、負ニナルト心得、一手々々ニ見合、始終ヲ見屆指ベキコト專一ト心得ベシ、詮儀ヲツメテ見ル時ハ、雙方不負ハズナレドモ、微塵之非手有之方負ナルベシ、尤振アシキ象戯指直スコトモ有ベシ、夫ハ先之下手故也、互ニ上手時ハ、其先拔指直スコト成ガタシ、下手ニハ如何ニテモ勝ベシ、〈○中略〉
一象戯モ負惜ミ名ヲ大事ニタシナミ專一タルベシ、嗜ガラニテ象戯モツヨク相見へ、嗜無之者ハ不指前ヨリ下手ト見ユル、能々心得ベシ、森田宗立ハ象戯大切ニ存、數番指不申段尤至極也、脇ヨリハ一入藝ノ上手ト感入セリ、宗立程之象棋ニ而、尚々以深切之心持肝要タルベシ、
一先年駿州ニ而松平五郎右衞門殿、日比半平指シ象戯ニツミ不申處ヲ、半平不思儀ニ詰、皆々感 入之由、定而此段不思儀ニ詰タルニ不有、ツミ有處ナレドモ皆々下手故ニ、見ヘカ子タルナルベシ、ツミナキ處ナラバ、誰ガツメタリトモ詰不申ハズナリ、ツミ有處故、半平能々案ジ詰タルベシ、上手ニハ不思儀之ツミ抔ト云コトハナシ、互之上手ハ位ヅメノ勝負ヨリ外ナシ、不思儀ノ手段ハ一方弱故也、ツミ有處モ不見、必究上手ニハ無之事ナルベシ、右之論ハ象戯不指者之了簡ナルベシ、兎角象戯ハ氣之持ヤウ大事タルベシ、常々右之通心掛彌可執行也、C 作法

〔宗五大草紙〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0150 色々の事
將棊を參らせば、馬の入たる箱の蓋をあけて、馬をうつして、貴人を見合て馬を立べし、中將棊も小將棊も同前、

〔將棊口傳書〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0150 對局ノ節、上手方ニテ駒箱ヲ明ケ、駒ヲ並べ始ム、相濟候節、下手方ニテ駒ヲ仕舞可申事也、

將棊例

〔明月記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0150 建久十年〈○正治元年〉五月十日、依番爲格子參上、殿下出御、於御前將碁〈國行被召合〉三盤、
元久二年十二月廿五日、於内之御所、有御將棊云々、
建曆三年〈○建保元年〉四月廿七日、定高辨云、〈○中略〉四位仲房、此間聊病氣、昨日自云、心神已不前後大惘然、是已及死期、試差將碁、卽與侍男始將碁、其馬行方皆忘、不一盤云、已以不覺悟、是卽死期也、大心細、

〔花營三代記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0150 應永卅一年正月二日、於大御所御前、元行與貞彌將棊差也、十一番、貞彌九番勝也、元行方へ奔王出也、 三日庚辰、貞彌於御前將棊、大館上總介元行兩人差也、 卅二年二月七日、於御方御所御前、下條與貞平將棊差、奔王ヲ出テ勝、懸物御太刀給也、

〔看聞日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0150 永享七年八月廿二日、於九條邊、宮御方御輿ニ召移、〈力者六人〉入江殿へ先落着、南御方同前、予〈○後崇光〉室町殿直ニ參、〈○中略〉三獻畢、盤上之可御遊之由主人張行、〈○中略〉主人與關白小將棊被遊、三番 關白被負、

〔親長卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0151 文明十一年九月廿九日、前藤宰相〈○政基〉來、有將棊、 後九月二日、中御門中納言、日野新中納言、前藤宰相等來、前藤相公、入夜又來、有將棊、光忠來、

〔元長卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0151 明應十年〈○文龜元年〉四月九日、萬松軒有象戯相伴、

〔二水記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0151 永正十七年五月廿日、早朝參萬松軒、〈○中略〉有將棊、晩歸家了、

〔言繼卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0151 大永七年七月廿七日壬寅、九時分ヨリ四條亞相資直卿來候て、暮々迄小將棊候、 十一月廿二日丙申、柳原罷候て御添番之事申候、又小象戯ヲ五バンサシ候、四バン勝候、

〔時慶卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0151 文祿二年閏九月七日、於番所將棊、久我富小路トサシ及更、是密々儀也、

〔川角太閤記〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0151 十五日、〈○文祿四年七月〉五ツ時分〈○中略〉關白樣〈○豐臣秀次〉は、龍西堂と御將棊被遊候處へ、篠部淡路奏者にて、福島大夫、池田伊豫守、御使に被參候と申上候處、何事にや御意なり、ケ樣に被成候上は、たとへ御中直り候共、此御遺恨はて申間敷と被思召候間、御切腹被成候へと兩人申上候と、淡路守申上候處に、左もあるか、然らば此將棊は秀次勝の將棊かと被思召候、皆々見よとの御意にて見申候處に、如御意御勝の御將棊にて御座候、桂馬にてつまり申候に相究候、御取被成候駒をば、箱の身の方へ御入被成、龍西堂方へ被取候駒をば、蓋に御入させ、駒崩すなと御意候て床へ御上させ被成置候、〈○下略〉

〔當代記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0151 慶長十二年六月、京師將棊指共、此頃駿府江戸へ下、此時ノ上手、名ハ宗桂ト云者也、是京都町人也、是ニ角行弱キサシ手、春知、觀乘坊宗古〈是ハ宗桂子〉等也、此宗桂ハ信長代ヨリノ指手也、今年五十三歲ナリ、 十三年三月、圍碁上手本因坊、自去正月江戸、將軍可象棊トテ、自京都宗桂被召下、十日ニ十番サシケル、〈一日ニ一番宛〉勝負相交成持、象棊ハ本因坊、宗桂對揚也、此頃從江戸駿府逗留

〔駿府政事錄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0152 慶長十七年三月三日、在府之諸武士出仕、於前殿本因坊筭砂、宗桂法師、圍將棊、宗桂勝云々、 廿三日、將軍家〈○德川秀忠〉於御前、本因坊筭砂、宗桂法印有將棊、筭砂勝云々、

〔藩翰譜〕

〈四中/大久保〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0152 同〈○慶長十九年正月〉廿四日、佐渡守正信父子、〈○本多〉忠隣に配流の奉書を下す、兼てより板倉内膳正重昌、父に久しく對面に及ねば、身の暇賜て上洛すと披露して、忠隣に先だつて都に上り、〈去年十二月十四日に江戸を立つ〉父伊賀守勝重に仰を傳ふ、勝重旣に其期に及びしかば、相摸守が旅館に行向ふ、忠隣折ふし象戯に對し居たりしが、勝重を座に請じ、忠隣配流の御使たるよし、さきに承り訖んぬ、流人の身となつて後、かゝる戯あるべしとも覺えず、待ち玉へ、事終て仰せ承るべしとて、靜に事を終て後、さらばとて、謹て仰を承り、さなきだに此間洛中洛外、物騒しかりしに、京童ども、忠隣罪蒙ると聞て、すはや事の起るぞとて、資財雜具等、こゝかしこに持運び、以の外に騷動す、忠隣此よし聞て、おのが弓箭兵具、悉く束ね縛て、伊賀守が許に送り、家子郎等皆暇賜て、關東に下しければ、洛中程なく鎭まりぬ、

〔甲子夜話〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0152 御茶ノ水ノ堀ハ、伊達政宗助役シテ鑿タリ、コレハ猷廟〈○德川家光〉ニ政宗對棋シ奉リシトキ、政宗常ノ癖ニテ、棋子ヲ下サントシテハ、イツモ獨言ヲ云ケルガ、城ノ後カラ這入ルゾ〳〵ト度々言ケル、コノ言ヨリシテ、彼ノ堀ノ助役ヲ政宗ニ命ゼラレシト云、

〔玉露叢〕

〈二十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0152 寬文九年閏十月廿日ニ、御城ニ於テ、圍碁幷ニ象戯ヲ仰セ付ラル、依テ見物ノ爲トシテ、松平讃岐守、井伊掃部頭、松平美作守登城ナリ、黑書院ニ於テ卯ノ剋ヨリ始ル、〈○中略〉宗桂角ヲ落シテ宗與トサス、始ハ宗桂勝、後ハ宗與勝也、右未ノ后剋ニ終ル、

〔大江俊光記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0152 寶永四年六月廿八日、南禪寺佐長老、晝ゟ招、夕飯夜食振廻、將棊會、長老竺首座、鈴鹿石見、村上伯元、北小路能登、相伴ニ呼、
正德二年八月二日、以樂庵來話、日向と小將戯、

〔大江俊在記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0153 享保二年六月九日、天授庵へ參、將戯之輩五六人來、終日樂、亥刻計歸、

〔雅筵醉狂集〕

〈六/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0153 鴨の祐之と將棊さしけるに、銀の露を賭にして、吾〈○正親町公通〉九番勝ければ、祐之、
しら玉の露を懸たる盤のうへ君はお手がら我はさん〴〵、と讀ける返し、
みちぬればかくるならひの露の玉とをに一つはひろひ殘さむ

〔浚明院殿御實紀附錄〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0153 御晩年〈○德川家治〉にいたりて、閑暇の御遊戯には、常に象棋をなされけり、その業の者にては、伊藤宗印宗鑑、大橋印壽をめして對手とせらる、御穎敏にまし〳〵けるゆゑ、ほどなく奧儀をきはめつくし玉ふ、後には詰物といふ書をさへあらはし玉へり、詰物といへるは、老成堪能にいたらざれば著しがたきを、わづか一二年の間にえらみ玉ひしかば、その職の者どもゝおそれ奉れりとぞ、その書なりて、名をば成島忠八郎和鼎に命ぜられしかば、象棋攷格として奉り、今も御文庫に現存せり、

將棊所

〔寶永三年武鑑〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0153 御將棊所
〈麻布六本木〉伊藤宗看 〈增山殿下屋敷〉大橋宗桂 〈上同斷〉大橋宗與

〔慶應三年武鑑〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0153 御將棊所
〈二十石十人フチ八丁ぼりやりや丁〉 伊藤宗印 〈二十石十人フチ下谷三枚ばし〉 大橋宗桂 〈十五人フチ山ぶし井戸〉 大橋宗珉〈父宗桂十人フチ〉 大橋宗金 〈祖父宗看弟子〉 和田印哲 〈宗桂弟子〉 天野宗歩

〔温知柳營秘鑑〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0153 京都連歌師、碁打、將棊指(○○○)役者、町人、知行御扶持方御切米被下置候者、〈○中略〉
米貳拾石外五人扶持 宗看 米貳拾石 宗養

〔將棊雜編〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0153 將棊家三家系
宗桂家宗桂 前名宗慶、九段、慶長年中被召出、寬永十一死、 宗古 九段、寬永十一家督、承應三死、
宗桂 萬治三九廿五死、墓碑ニヨル、
宗傳 寬文三五十五死、同上、
宗桂 前名伊藤宗銀、九段、明曆二再興、正德三死、
宗銀 養子、寶永六、正德三八月家督、同月死、廿歲、
宗桂 養子、六十六歲、正德三相續、享保九致仕、寶曆三死、
宗桂 養子、伊藤宗印三男、前名宗壽〈六十一歲〉八段、享保九養子、同年家督、安永三八月死、
宗桂 前名印壽、九段、寬政三八月死、五十六歲、明和元十一廿七、五段、同三七十六、六段、
宗桂 前名宗銀、七段、享和三十二一、六段、四十四歲、寬政元六月死、
宗桂 前名宗金、文政五四十九改宗桂、八段、明治七五月死、天保三十二廿三、七段、
宗金 嘉永六丑年正十六部屋住、十口ヲ賜フ、
宗與家
宗與 又宗有、慶安元死、
道仙 慶安元家督、萬治三死、
宗與 九段、萬治三十二歲ニテ家督、享保十三死、
宗與 前名宗民、八段、享保十三家督明和元申年八月十日死、
宗順 前名中村宗順、七段明和二酉年五月十四日新規被召出、明和三七十六、五段、同七十二一、六 段、寬政四十廿一死、
宗英 前名七之助、安永二改名、九段、
宗與 前名英長、七段ヨワシ、天保三十二廿三、七段、 宗珉 前名鐐英、七段ツヨシ、文化十四年生、
鐐英 宗珉ノ子部屋住ニテ死、文久午、
宗與 前名勝田仙吉、改桂仙、文久二年家督、七段ヨワシ、明治十四年十一月死、
英俊 前名中村英七代宗與ノ養子、後病氣ニ而引、柳雪ト改、七段、後宗英、文政元年養子、同年 部屋住十口ヲ賜フ、文政十三年廢嫡屆、天保十年死、
伊藤家
宗看 九段、寬永十二被石出、元祿四致仕、同七死、
宗印 九段、前名鶴田幻庵、元祿三養子、天保四家督、享保八死、
印達 五段、十五歲ニテ沒、正德二年九月死、
宗看 九段、二男ナリ、前名印壽、享保八家督、寶曆十一死、
看恕 四男前名助左衞門、七段、寶曆十七月死、四十五歲、
看壽 五男、八段、贈名人、寶曆十八月死、 子看壽、後壽三、寬政四六月死、
得壽 五段、廿四歲ニテ死、寶曆十一家督、同十三死、
宗印 養子、前名鳥飼忠七、七段、寶曆十三家督、寬政元致仕、同五死、六十六歲、
宗看 養子、前名松田印嘉、九段、天明四養子、寬政元家督、天保十五死、
看理 嫡子ナリ、文政七年四月死、三十一歲、
看佐 七段、ツヨシ、前名定次郎、二男ナリ、文政七十六七段弘、文政十年二月死、
金五郎 六段、天保十四三月死、天保八年十一月八日六段弘、
宗壽 養子、二代看壽ノ子ナリ、七段、天保十五家督、弘化三死、
宗印 前名印壽、實名政良、九段、弘化三家督、 印嘉 嫡子、文久二年十六歲ニテ死ス、初段、

〔台德院殿御實紀〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0156 慶長十二年六月四日、將棊師等、京より駿府にまかり、けふ江戸に至る、
○按ズルニ、將棊所ノ事ハ、碁所ト關連スルコト多シ、今彼ニ讓リテ此ニハ略セリ、參看スベシ、

階級

〔將棊奇戰〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0156 將棊段位駒落圖
九段(/名人) 八段(/半名人) 七段(/上手) 六段(/上手間手合) 五段(/上手並) 四段(/强片馬) 三段(/並片馬) 二段 初段〈○駒落略〉

〔半日閑話〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0156 一六誹園立路が隨筆寢覺硯の中に
將棊初段、飛車香車の兩馬を省く、二段は、飛車香落し壹番、飛車を落して一番也、三段は、飛車を落し、四段、飛車落し壹番、角行落し一番也、五段は、角行落し、六段は、角行香車落しの事也、七段、香車落し、八段、香車落しと平手の交り也、九段は、先々先といひて免狀を出す也、

名人

〔將棊自在〕

〈序〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0156 世間工於此技、而冠於六十州者、稱爲名人、又呼爲上手、古今不其人也、

〔羅山文集〕

〈五十/序〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0156 象戯圖式序
宗古謂余曰、初宗桂見信長公、公視其象戯曰、是象陣法、武人宜習知之藝也、於是改其舊名名宗桂、以筭有桂馬之號也、其後一謁秀吉公、乃去奉東照大神君、又拜台德院殿大相國、〈○德川秀忠〉時時在御前象戯者數矣、宗古預焉、恩遇不少擧世知焉、

〔早引人物故事〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0156 大橋宗桂 吉田宗恂といへる醫師の男にて、天性將棊に妙手ありしとぞ、

〔將棊早指南〕

〈序〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0156 古しへは將棊に秀たる人、いと稀なりしかば、敎へ導く師もなく、好む人々は、唯己が工夫にて勉學びたるを、二百年ばかり此かたは、つぎ〳〵ひらけ來て、上手ども多く世に聞えたり、近頃わが〈○大橋宗英〉祖父宗英翁は、此道の名人にて、凡三千に餘りたる弟子を敎へ喩されしかば、その中には世に名高きも多かりき、

〔象戲綱目〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0156 象戯綱目所列名姓 凡五十人 往世〈是より下はむかしの人をあつむ〉
象戯家〈五人〉 元祖大橋宗桂 二代大橋宗古 三代大橋宗桂 四代伊藤宗看 故大橋宗與 京師〈六人〉 廣庭中書 手相香車落 檜垣是安〈市兵衞事〉 手相香車落 石井承意〈泉屋善兵衞事〉 手相しらず 丹下圖書 手相しらず 田代市左衞門 手相かた馬御簾屋七郎右衞門 手相しらず 江戸〈四人〉 元祖本因坊 手相しらず 高橋道角手相角行落 久圓 手相角行落 十四屋宗安 手相角行落 大坂〈一人〉 住吉屋仁右衞門 手相飛車〈と〉一枚半 長門〈一人〉 萩野眞甫 手相香車落 肥前〈一人〉 松本常古〈宗左衞門事〉 手相香車と角 美濃〈三人〉 紹尊〈松本權兵衛事〉 手相しらず 北村何求 手相しらず 荒川道祐〈半平事〉 手相しらず 備前〈一人〉 河内屋以仙〈藤左衞門事〉 手相しらず 肥後〈一久〉 石田撿挍 手相しらず 未考〈一人〉 別所素安 手相角行落
當世〈是より下は今の世の人をあつむ〉
象戯家〈三人〉 五代大橋宗桂 伊藤宗印 大橋宗與 京師〈十三人〉 廣庭中務權少輔手相角行落 菅谷宮内卿 手相かた馬 望月仙閣〈勘解由事〉 手相かた馬 小原大介 手相しらず 石井承甫〈泉屋吉右衞門事〉 手相角行落 神善四郎 手相しらず 久須見小兵衞 手相しらず 大黑屋長右衞門 手相かた馬 菱屋喜右衞門 手相かた馬 布屋平左衞門 手相玄らず 奧田左平次 手相かた馬 瞽者與都〈谷都事〉 手相かた馬 瞽者誰都 手相かた馬 江戸〈三人〉 森田宗立〈鎰屋十兵衞事〉 手相香車落岩村撿挍 手相角行落 山崎勾當〈田川事、始は關井といふ、〉 手相しらず 大坂〈三人〉 原喜右衞門 手相かた馬 井田長左衞門 手相飛車〈と〉一枚半 弦屋傳左衞門 手相飛車〈と〉一枚半 加賀〈二人〉 添田宗大夫〈神山孫兵衞事〉 手相角行落 嶋川市之進 手相かた馬安藝〈一人〉 松岡宗悦 手相角行落 伊勢〈一人〉 萬屋仁左衞門 手相一枚半

將棊盤

〔增補下學集〕

〈下/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0158 將棊盤(シヤウギノバン)

〔男重寶記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0158 盤上の事
小將棊(しやう〳〵ぎ)〈たてよこ各九目、馬數四十枚、〉

〔塵滴問答〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0158 男問云、世ノ中ニ圍碁雙六、又ハ將基ナンド申、盤ノ上ノ遊ビ多ク侍リ、何樣ナル事ヲ哉、 聖答云、〈○中略〉將基ハ十人ノ惡神、我國ヲ立シ佛法ヲアラセジトスルヲ、十八ノ善神フセギタヽカヒテ、惡神ヲ滅シ失タル姿也、惡神ト云ルハ、煩惱ニバカナレテ、三毒ノ國賊、十惡ノ盜人盛ニシテ、惡行ワザトスル形也、善神ト云ハ、善戒ノ繩ニシバラレテ、三毒ノ國賊モ、十惡ノ盜人モ、煩惱ノ家ヲ出テ、井ノ寶所ニ至ル姿也、盤ノ目ノ八十一有ハ九品ヲ顯ス、九々ニワリテ、八十一目也、是皆淨土穢土、同所ニ非ル哉、何ゾ成佛セザラン哉、

〔柿園詠草〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0158 將棊盤
すみわぶるくゝめ屋形(○○○○○)とみらめどもさすがに賤が心をぞやる
二句、久安百首に見えたる詞に、盤面の八十一目をこめたれば、さはきこえがたかるべくや、

〔將棊口傳書〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0158 夫將戯ハ、盤上の一戯也、盤の製たるや、長一尺二寸、幅一尺一寸、その罫縱横おの〳〵九間、總計八十一、駒の數四十、〈○中略〉
盤ノ厚サ二寸七分〈是定寸也〉 盤ノ高サ定リナシ〈凡七寸也〉 木ハ日向ノ榧ヲ上品トス

〔明月記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0158 建仁三年十二月十日、宇治之間事々、問有長朝臣、小々散不審、〈○中略〉御座落居、炭櫃文机等、御座傍立置物厨子、置笛筥琶笋和琴等、其傍置圍碁、雙六、將騎等盤

〔太平記〕

〈十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0158 筑紫合戰事 英時〈○北條〉小貳ガ隱謀ノ企ヲ聞テ、事ノ實否ヲ伺見ヨトテ、長岡六郎ヲ小貳ガ許ヘゾ遣シケル、長岡則行向テ、小貳ニ可見參由ヲ云ケレバ、時節相勞事有トテ對面ニ不及、長岡無力、小貳入道ガ子息、筑後新小貳ガ許ニ行向、〈○中略〉長岡座席ニ著ト均シク、マサナキ人々ノ謀反ノ企哉ト云儘ニ、腰ノ刀ヲ拔テ、新小貳ニ飛デ懸ケル、新小貳飽マデ心早キ者ナリケレバ、側ナル將碁ノ盤ヲヲツ取テ、突刀ヲ受留メ、長岡ニムズト引組デ、上ヲ下ヘゾ返シケル、

〔親長卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0159 文明十九年十一月廿九日、召番匠將棊盤

〔梵舜日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0159 慶長十年正月十八日癸巳、碁盤屋禮ニ、少將棊盤馬ヲ添テ持來也、
寬永七年五月十七日丙申、碁盤〈○盤下疑脱屋字〉來、少將棊盤、シラゲ申付、手間一文目五分也、

〔大江俊矩記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0159 文化七年三月十一日乙丑、將棊盤一面〈栢古物、尺貳寸、厚サ三寸也、〉夷川道具屋ニ而調呉候由、和田良藏世話也、代錢壹貫四百文也、

〔退閑雜記〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0159 ある人のいふ、江都に火災なくば、なべてさぞ奢に長じぬらん、京大坂なんどの町々は、すでに調度などもさま〴〵風流をなし、家のうちにもかけ物かけ、はななど活たるは、いと多し、江戸の町々、富たるは猶質素にして、おひつゞらなどいへるもの、かたはらに出し、ゆたかなるは將棊なんどするものもあれど、箱のうらに紙はりて盤とする(○○○○○○○○○○○○○)など、ものゝ奢なきは、江戸の火災によると云しなり、

〔雙蝶記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0159 蛇くふと聞ばおそろし老女の懺悔
さて塵兵衞は、駕籠のうちに尻かけて、往來の旅人にむかひ、駕籠にめさずや、駕籠々々とよび居たるに、諸社の宮奴に、やとはるゝをなりはひとする幣又といふ者、烏帽子に白張をひきかけて、極樂寺の切通しの方より來つ、〈○中略〉幣又は打笑ひ、昨日星の御堂の軒下で、さしかけた將棊の勝負せまいか、ヲヽ昨日の駒組おぼえて居る、錢がとれいで此方も退屈、ヲヽ慰にさして見やれと、 幣又は、たづさへたる懷中將棊を取出して盤の紙(○○○)を芝のうへにおしひらけば、塵兵衞もむかひ合、たがひにならぶる駒の數、磯の小石と貝殼は、歩の不足とぞ見えにける、

棊子

〔書言字考節用集〕

〈七/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0160 棊子(コマ)〈將棊所言〉 駒(同)〈俗用此字

〔毛吹草〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0160 攝津 將棊馬(ノムマ)

〔將棊口傳書〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0160 駒ハ黃楊ニカギルベシ

〔日本風土記〕

〈五/棊格〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0160 棋子造法
棋子造製、上尖圓、下平方、乃天圓地方之象、上薄下厚、乃天淸地濁之形、棊勢將勝、亦云將軍之聲、倶手執歩兵、雖已陞金將之名、與玉將相征、止得將點行、不敢揚稱將軍之聲、亦不敢衝其將軍之鋒、如兵卒其功次、雖其銜祿、擧其力而不敢恃其威也、

〔麒麟抄〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0160 一將碁馬書事
眞ニモ書、行眞ニモ、細堅クユラメキテ可書造、馬ノ半上鮮々ト四角、點行眞ニ緩々ト可書成、金ヲバ極草可書、臺ニ入テ持手ニ書、

〔雍州府志〕

〈七/土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0160 將棊盤 於二條東或京極之、以榧木之、馬亦然也、其所用之簡、是稱馬、大凡樗蒲之賽、總稱馬者也、至其文字、則擇筆法之人、而使馬名、近世所用之馬、多有水無瀨家之筆跡、始水無瀨家兼成卿無男子、養高倉藤大納言永家卿子、號親具朝臣、于時兼成産實子、成長後號氏成、於是親具辭家督、剃髮號一齋、頗有能書之名、豐臣秀次公、使一齋書將棊馬名、是水無瀨家書馬名之始也、

〔群書一覽〕

〈六/雜書〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0160 將碁駒之記〈寫本〉 一卷 水無瀨兼成
將碁馬の銘の事、筆法に堪たる人これを書云々、

〔長春隨筆〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0160 一世に傳ふ、象戯駒の銘は、水無瀨家の筆を以て寶とす、此筆跡の駒を以、此手段を免許なきもの弄すべからずと云へり、

〔壒囊抄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0161 將棊ノ馬ニ玉ヲ王ト云ハ何ノ故ゾ
兩王イマサン事ヲ忌テ、必ズ一方ヲ玉ト書ク、是手跡家口傳ト云々、

〔御湯殿の上の日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0161 文祿四年五月五日、太かうより、きくてい、くわんしゆ寺、中山御つかいにて、しやうぎのむま、わうしやうをあらためて、大將になをされ候へのよし申さるゝ御心へあり、

〔半日閑話〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0161 赳六誹園六路が隨筆寐覺硯の中に
王將に點をうつ事、王二人なし、故に一ツの王には點を打とこそ、飛車は大將、角行は副將、金將は極官にしてなりなし、故になり馬はみな金になる也、總數三十六禽の表也、〈又手直りこまは、王二枚に點打て有、〉

〔萩原隨筆〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0161 象棋 駒銘水無瀨ヲ家トス、王ノ字ニ點ウツコト、ハ、國ニ二君ナシノ心ト云へリ、又二王イマサンコトヲ忌テ、一方ニ點ヲウツトモ云ヘリ、或説禁中ニテハ兩方ニ玉ヲ用、王ヲセムルト云コトヲ忌ユヘナリ云々、

〔善庵隨筆〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0161 予〈○朝川鼎〉先年大橋宗桂ノ需ニ應ジテ、其著述セル將棊ノ書ニ序スルコトノアリシニ、王將トイフ馬子(コマ)ハ、何トモ疑ハシキ名ナリ、王ナレバ王、將ナレバ將トイフベシ、王ト將ト混稱スルノ理アルマジト、將棊ノ諸書ヲ攷證スルニ、開祖宗桂ヨリ四代目宗桂マデ、代々著述スル所ノ將棊圖式ニ、雙方トモ玉將トアリテ、王將ノ名ナシ、因テ思フニ、玉ヲ以テ大將トシ、金銀ヲ副將トスルナルベシ、左スレバ金將銀將ノ名モ據アリテ、ヒトシホ面白ク覺ユ、蓋シ五代目宗桂以後、雙方ノ同ジク紛ハシキヲ嫌ヒ、一方ハ一點ヲ省キテ、差別セシニヤアラント、今ノ宗桂ニ語リシニ、宗桂曰ク、ソレハ必ラズ然ルベシ、其ワケハ毎年十一月十七日、御吉例ニテ御城ニ於テ將棊仰セ付ラレ、其圖譜ヲ上ルニ、雙方トモ玉將ト書スルコト先例ニテ、王將トハイハヌコトノ由、家ニ申シ傳へ、今ニ代々玉將ト書上レドモ、何故トイフコトヲ知ラザリシニ、コレニテ明白ナリト、遂ニ其嘗テ著述セル書ヲ將棊明玉ト名ヲ易へ上梓シ、予ガ序ヲ卷首ニ載タリキ、コレ細事トイヘド モ、邦俗先規ヲ固守シヲ、容易ニ傳承ノ字ヲ改易セザルヨリ、攷古ノ資トナルコトモアルハ、純樸ノ一得トイフベシ、

〔長秋記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0162 大治四年五月廿日丁酉、新院御方有覆物御占、覆以將基馬、其數十二也、

〔康富記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0162 文安四年五月八日己亥
此間(在裏)者積鬱候、〈○中略〉兼又先日借申候象戯馬進候、返々悦喜申候、以面謁心事候、恐々謹言、
五月四日 〈世尊寺衞門佐〉伊忠
〈表書〉日向殿 伊忠
十八日己酉
此間(在裏)久不見參候、背本意候、〈○中略〉兼又昨日内々申つる、象戯馬爲本申度候、明日明後間可返進候、借給候者、所仰候事々期面謁候、恐々謹言、
四月七日 〈世尊寺左衞門佐〉伊忠
〈表書〉日向殿 伊忠

〔宣胤卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0162 文明十二年正月廿六日丁未、晩景詣一條黃門〈○冬良〉亭、將碁馬被見、書樣等以次受口傳

〔梵舜日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0162 元和八年二月九日乙亥、塗師淨宗へ少將棊馬箱入、幷豆腐十丁持遣也、
寬永五年三月十四日、少甫上洛、少將棊馬一面持參也、

將棊書

〔大象棋絹篩〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0162 象戯六種之圖式
郡山柳氏の謄するところの象經奧書にいはく、
寫本云 嘉吉三稔卯十五寫焉、加一校云々、
右象戯種々之圖、曼殊院之宮所持之本、申請所記置也、
龍集天正壬辰淸和下澣 權中納言兼成禿齡七十九 とみえたり、この奧書をもて推はかるに、足利將軍の時代よりもてはやしたる事なるべし、

〔羅山文集〕

〈五十/序〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0163 象戯圖式序
象戯圖式者、洛人宗桂及子宗古之所撰次也、〈○中略〉宗桂嘗作象戯圖式一卷、以敎徒弟廣行諸世、而今大君幕下、治敎休明、勤政之暇、御覽象戯、凡其相對者、宗桂宗古雖一馬、而無勝、宗桂沒後、宗古頃補其圖式、以爲續卷、〈○中略〉今此圖式、父作之子述之、其箕裘之間、殊絶古人、誠國手無雙也、上自營内諸臣及列國達官、下至事之人、皆迎取而窺伺傚慕之、其名藉甚、益揚家業、可勤矣、

〔象戲綱目〕

〈一/隊伍〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0163 此卷は、いにしへ今の駒ぐみをしるす、その圖むかしより傳へ來るといへども、或は數すくなくして事みたず、又は混雜して知えがたし、今こゝに對馬七しなの馬法、しな〴〵のことなるをあつめ、又香車おち、左右のわかち、角おち、飛おちより、一枚半、ならびに兩馬おちの口授にいたるまで、つぶさにあらはしいだす、〈○下略〉

〔象戲訓〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0163 是一卷者、繼蜷川新右衞門傳、而今號蜷川流、予〈○原元喜〉正於其過不及、鑑象戯好惡、名謂將棊訓

〔浚明院殿御實紀附錄〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0163 御晩年〈○德川家治〉にいたりて、閑暇の御遊戯には、常に象棋をなされけり、その業の者にては、伊藤宗印、宗鑑、大橋印壽をめして對手とせらる、御穎敏にまし〳〵けるゆゑ、ほどなく奧儀をきはめつくし玉ふ、後には詰物といふ書をさへあらはし玉へり、詰物といへるは、老成堪能にいたらざれば著しがたきを、わづか一二年の間に、えらみ玉ひしかば、その職の者どもゝ、おそれ奉れりとぞ、その書なりて、名をば成島忠八郎和鼎に命ぜられしかば、象棋攷格として奉り、今も御文庫に現存せり、
○按ズルニ、將棊書ハ此他尚ホ少カラズ、今多ク省略ニ從フ、

雜載

〔類聚名物考〕

〈人事七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0163 象碁倒 せうぎたほし
小兒の遊戯に、局の上に駒を立ならべて、末の一ツをたほせば、みなつれてはら〳〵とたほるゝ をいふなり、

〔太平記〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0164 千劒破城軍事
城ノ逆木一重引破テ、切岸ノ下迄ゾ攻タリケル、〈○中略〉此時城ノ中ヨリ、切岸ノ上ニ横ヘテ置タル大木十計、切テ落シ懸タリケル間、將棊倒ヲスル如ク、寄手四五百人、壓ニ被討テ死ニケリ、

〔太平記〕

〈二十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0164 田樂事附長講見物事
今年多ノ不思議打續中ニ、洛中ニ田樂ヲ翫ブ事、法ニ過タリ、〈○中略〉將軍ノ御棧敷ノ邊ヨリ嚴シキ女房ノ練貫ノ妻高ク取ケルガ、扇ヲ以テ幕ヲ揚ルトゾ見ヘシ、大物ノ五六ニテ打付タル棧敷傾立タ、アレヤ〳〵ト云程コソアレ、上下二百四十九間共ニ、將碁倒ヲスルガ如ク、一度ニ同トゾ倒ケル、〈○中略〉梶井宮モ御腰ヲ打損ゼサセ給ヒタリト聞ヘシカバ、一首ノ狂歌ヲ四條川原ニ立タリ、
釘付ニシタル棧敷ノ倒ルヽハ梶井宮ノ不覺ナリケリ
又二條關白殿モ、御覽ジ給ヒタリト申ケレバ、
田樂ノ將碁倒ノ棧敷ニハ王計コソ登ラザリケレ〈○又見海人藻芥

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0164 享保十六年十月十九日、昔愛宕故大納言ハ、將棊ノ上手ナリシガ、志ハキタナキ物也、歩ノナリタルハ金也、金ナレバ何デアラウトモ、本ニハ構ヒアルマジキナルニ、歩ノナリタル金ト本ノ銀ト、カヘントハ思ハレヌモノ也、金ハ金ナレドモ、俗性ガ歩ナル故ナリト申サレタリ金ニナリテモ俗性ハ俗性ナルコト、尤也ト申サレタリ、

〔有德院殿御實紀附錄〕

〈十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0164 或時侍臣に宣ふには、群下を馭するに、象棋つかひおりばつかひといふ事あり、象棋つかひといふは、まづ盤にむかふより心をさだめ、王將の位を正しく守り、金銀桂馬各その職を犯さず、飛車角より歩兵にいたるまで一手いだすも踈略なく、ひづみのなきをもとゝし、時にのぞみ事により、狼狽せざるをよしとす、これ名將の士卒を指揮するにたとふ、また おりばつかひといふは、盤に向ふと其まゝ何の心得もなく、骰子の出るまゝにして、あたるを幸に世をわたる、これ愚將の下に莅むにたとへしものなりとぞ、

〔窻の須佐美追加〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0165 靑蓮院宮にや慥ならず、幼き宮方に中院前内府〈遁茂公〉御後見なりしが、常に棊雙六を制せられけり、或時參られしに、將棊盤の有しを見て、家司坊官御招、かねて申せしに、何とてか樣の物を置けるぞ、はしたなきわざは、本より惡しけれど、たとひ有ても御年もゆきぬれば、御心付有て止事有者なり、是ほどの類はさして惡事に非が故、其事に馴、空しく月日を過し、學問御修行の御志すさむ者なれば、第一の惡き物に社有とて、忽退られけり、公の言誠に確言にてぞ有れ、

〔傍廂〕

〈後編〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0165 將棋
門弟桐麻呂は、越後新發田の人なり、我方に來りて種々物語のつひでに、家な、る小兒どもの戯れわざにも、將棋はきびしくいましめ置けりとなり、其故を問へば、駒は取りたるは戰場にて敵を討ち取りたる趣なり、其とられし駒、敵方の兵となりてはたらくは、表裏二心の不忠ものなり、さる不正のなぐさみせんより、外の戯れあまたあるべしとて、いましめたりとなり、いかにもさる事なり、

〔隨意錄〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0165 瞽盲無局馬、而口相言以善將棊者、往々有焉、然圍碁則唯口相對者、未嘗之見也、

〔諢話浮世風呂〕

〈前編下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0165 午後の光景
〈後兵衞〉今飛車角二枚渡したもんだから、弱り切たア、酒落も出ねへ、 〈先〉飛車と角で將棊は指ぬツ、こつちは王を取やすツ、ソレ王手、 〈後〉そこで合馬サ、ヲツト待たケ、 〈先〉きたねへ將棊だナア 〈後〉銀は惜い、こゝは桂馬で、ソレそつちが王手だ〳〵、 〈先〉いま〳〵しい奴だ、やつはり銀にしておけば能のに、 〈後〉へヽン妙手を指てナ、ナア逃ろ〳〵、能か〳〵、迸たナ、そこで何を打てやら うな、ヤもう一間角を突込め、 〈先〉角を突込めとお出なすつたか、イヤ角を突込めとお出なされたかツ、ソコデト、かう打、あれで取るか、斯う來る、あゝ行く、若引たら尻からぴたりト、まづなんでも遣て見ろト、 〈後〉ハヽアおつな事をして來るナ、飛車手王手がはづれたら、銀を奪取る計略だナ、 〈先〉ナニ飛車もいらぬのさ、 〈源〉此手合の將棊は、王を詰やうとはしねへで、飛車と角ばつかり惜がつて居るぜ、コレ駒ばかり抓で居ずと、有つたけ打ツレナ、 〈先〉ハテだまつて見なさいツ、汝等がしる所にあらずだ、サア〳〵早くしねへか、下手の考休むに似たりだ、 〈後〉ナンノちつと能手をさすと洒落らア、下手の考休むに似たり、〈ベイ引と口まぬ〉ヤ此計究て好だぞ、ソレ來い、 〈先〉ヤ取れ取れ 〈後〉イヤ遣れ〳〵遣つてさせかい 〈先〉取てさせ〳〵ッ、能(いゝ)な〳〵、ツリヤ王手、ヤ逃たナ逃たナ、逃たの内に横木瓜ツ、イヤ逃たの内に横木瓜ツ、どうしてくれうナ、是で行うか、あれで行うか、まづ斯う行け、ヤきび助〳〵、ヤ逃たの内に横木瓜、王手サアどうだ、 〈後〉ハテきびしゝに牡丹唐草かい、斯う引く、天窓からぴしやり、 〈先〉アおなまめだん佛 〈太吉〉まだある〳〵、角を引て取捨てしまはつし、 〈後〉それでも能くないテ 〈太〉ナニ能よ、マア引て取捨さつし、 〈先〉アヽやかましい東西〳〵、一人に五人がゝりだナ、大勢の智惠でおれ一人に負るかい、可哀や〳〵、取捨たか、ソリヤ又王手、 〈太〉ソレ引たくれ〳〵 〈先〉アヽ、アなむざんそこに桂馬がゐるとはしらねへ、待て呉ともいはれまいス、 〈後〉そこでお手に 〈先〉お手は山々王が三枚、飛車角六枚、 〈後〉じやうだんぢやアねへ、 〈先〉お手には山々といふ内にも、香桂前にたゝむ、金角寺の和尚、 〈後〉銀があるか 〈先〉銀も一分や、二歩はありツ、 〈源〉いかい事渡したのか 〈後〉取捨る事は奇麗だ、駒はいらねへ、 〈先〉フム盤でばかり指がいゝ、負る氣遣ひなしの木さいかち猿辷ツ、ヤ入玉(いりわう)とさせまいとおうちなさる、歩を成(なれ)と打、 〈後〉まづ金をいたゞき女郎衆と 〈先〉ハヽア惜い成金(なりきん)を取れたかい、是にて將棊はおだ佛かい、ヤ是にて將棊はおだ佛と、斯うしろ、 〈後〉イヤ待たり、これは爰に居たの だの、そんなら此香で此金を取らう、斯うは逃めへ、 〈先〉ナンダ〳〵どうするのだ、二三手過た事を仕直すぜへ、此方の駒まで動して、大きにお世話な事た、一人で兩方指すの、アレ御覽なさいあの通りだ、若殿樣のお對手になるやうだ、夫でよしか、何でも佛のいふ通りにしてやらア、斯う氣の能將棊だ物を、名人だてナ、ソレ、よくは引たくれんげの皮財布と責るだ、 〈後〉おつに責よせたナ、待よ、爰が思案のあとや先ツ、ハテナ爰が思案のあとや先ツ、責られてはチト辟易だて、ハテこいつはチト辟易仕るて、ハテお責なさるかい、おまへがたも精出して、お責なさるが身のお勤ツ、 〈先〉勤といふ字に二ツはない、テテン、 〈源〉アヽそこへ逃ちやア損だ、其隣へ逃て、むだ駒を遣はせるがいゝ、 〈先〉能く口を出すナア 〈太〉ア能手があるツ、能手があれば大橋もありやすツ、 〈源〉ムフム目が暗で居るから見えねへ 〈先〉だまつてくたばれ、何にもいふなツ、 〈後〉何にもいふな人ではないはツ 〈先〉ヤ何にもいふな人ではないはツ、ソレどこへ行く、 〈後〉爰へ逃る 〈源〉アヽわるい〳〵、そう逃ちやアをへねへ、 〈太〉ソレひたりだ〈先〉アヽよんやらまかせうさト 〈後〉アヽよんやらまかせろさト、 〈先〉ソレよんやらまかせろさト 〈源〉ソレ〳〵そこが由斷 〈先〉ハテ何にもいふな人ではないはツ 〈後〉ヤ人ではないはと取る 〈太〉能か〳〵 〈先〉ソリヤ何にもいふな人ではないはト、雪隱へお出なさい、アヽ臭い〳〵、 〈後〉いま〳〵しい、とう〳〵雪隱へ、 〈先〉ヤよわい事〳〵 〈源〉ドレ〳〵おれが敵を打てやらう 〈太〉おれが出る 〈源〉マア待ツし、又へほめらが、金銀でもおかつたるい、

〔男重寶記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0167 將棊指南會所
一京婦屋町通二條下ル町、 田代市左衞門
一京衣棚三條下ル了頓辻子 いづみ屋吉右衞門

〔改正月令博物筌〕

〈八月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0167 四日 今日將棊をさして勝たる者は、年の終まで福あり、負たる者は病に かゝる、故に今日を圍棋占福(いきさいわひをうらなふ)の日といへり、

〔玉山遺稿〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0168 少年行〈象戯賭詩、代人、〉
翩翩龍馬七香車、玉勒銀鞍日醉花、冷笑歩兵非痛飮、黃金將盡不家、

〔男重寶記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0168 將基より出たる詞
一指手扣手 一倒馬に入 一王手づめにする 一將棊だをしにこける 一しやう事なくば端の歩をつけ


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Last-modified: 2023-04-14 (金) 14:48:18