p.0208 投壺ハ、コレヲツボウチ、又ツボナゲト云ヒ、又音讀シテ、トウコトモイフ、矢ヲ以テ壺ニ投ジ、以テ勝敗ヲ決スルモノナリ、投壺ハ原ト支那ノ古禮器ニシテ、禮節最モ備リシガ、後ニ變ジテ俳劇ノ具トナル、我國ニ於テハ上古ヨリ之ヲ傳ヘシガ、一旦久シク中絶シ、德川氏ノ時ニ、民間ニ於テ之ヲ再興シ、以テ文雅ノ遊戲ニ供セシト雖モ、終ニ盛ニ行ハルヽニ至ラズ、
p.0208 投壺 投壺經云、投壺〈内典云、豆保宇知、一云都保奈介、〉古禮也、壺長一尺二寸二分、籌長一尺二寸、〈籌卽投壺矢名也、見二同經一、〉
p.0208 按、大戴禮投壺篇云、壺高尺二寸、禮記投壺篇云、壺頸修七寸、腹長五寸、合二頸與一レ腹、亦其長一尺二寸也、此二分二字恐衍、大戴禮云、矢八分、堂上七扶、室中五扶、庭下九扶、禮記云、籌室中五扶、堂上七扶、庭中九扶、鄭注、鋪二四指一曰レ扶、與レ此不レ同、又大戴禮禮記並云、筭長尺二寸、鄭注、筭用當乙視下坐二投壺一者之衆寡上爲甲レ數也、則知此籌卽筭字之譌、蓋源君所レ見投壺經、譌レ筭爲レ籌、籌卽投壺矢、見二禮記鄭注及説文一、故釋爲二投壺矢一也、其實一尺二寸筭長、非二矢長一也、
p.0208 投壺〈ツホウチツホナケ〉
p.0209 投壺〈ツホウチツヽホホナゲ〉
p.0209 抑住山之間、余吟然之遊戯爲レ宗、然者改年初月遊宴、〈○中略〉投壺、
p.0209 つぼうち 倭名鈔に投壺をよめり、又つぼなげと訓ず、司馬温公新格を定め、投壺格範を作りて詳に記せり、
p.0209 雅遊
投壺(トウコ)〈一筭五筭十筭二十筭などいふ事右、司馬温公投壺格範くはし、〉
p.0209 投壺、視二諸戯一最爲二古雅一、郭舍人投壺、激レ矢令レ反謂二之驍一、一矢至二百餘驍一、王胡之閉レ目、賀革置レ障、石崇妓隔二屛風一、薛眘惑背坐反投而無レ不レ中、技亦至矣、今之投壺名最多、有二春睡聽琴、倒插、卷簾、鴈銜蘆、翻蝴蝶等項一、不レ下二三十餘種一、惟習レ之之至熟、自可二心手相應一、大率急則反、緩則斜、過急則倒、過緩則睡、又有二天壺一高八尺餘、賓主坐二地上一仰投レ之、西北士夫多習二此戯一、
p.0209 附言
一投壺禮古也、天子諸侯禮雖二亡矣一、以二戴記所レ存、左氏所一レ傳觀レ之、則古投壺粲然可レ見也、至二漢武帝時一郭舍人爲二驍箭一、而投壺變爲二俳劇一、魏晉名家一段風流、奇投以興、石崇王愷之驕奢、妓女戯投、繁華踰レ矩、東晉郝冲虞譚怋レ之作二投壺經及道變一、而投壺禮幾近二乎古一矣、六朝俗尚二侈靡一、故於二此伎一亦妖艶華麗、廣寧蘭陵二王樹レ社結レ黨、事二戯謔一衒二壯觀一、巧箸妙驍、聞レ奇競レ雋、齊有二官中投一、梁爲二驍壺歌一、而后投壺變爲二雜萟一唐上官儀深患レ之、復述二投壺經一、雖レ欲レ救二過文一、廼五季之卑陋、却爲二賭具一、寅姦游手投二奇巧難レ得之術一、以射二不解事之錢一焉、宋司馬温公悲二古禮之塗炭一、更二正世法一、作二投壺新格儀節一、以救二其滔溺一、而后禮正儀行、而投壺殆復二乎古一、可レ謂温公之功大矣、
p.0209 投壺 和名豆保宇知、一云都保奈介、〈○中略〉
按、投壺周之制也、有二投壷經一、而内典載レ之、禮記有二投壺篇一、儒士亦或弄レ之、今絶不レ用レ之、貴賤射二楊弓一、爭二勝 負一爲レ戯者多矣、古今風俗之變不二惟投壺一也、
p.0210 投壺するには、毛氈を敷、其中央に候板(こうはん)を施、其上に壺を置き、矢筩(しとう/やたて)に籌(や)一手づゝ入、氈の端と壺との正中に、靑龍の籌は東、白虎の籌は西におく、東西に中局計局ありて、矢算を執るべし、戯者出座して氈より二尺手前にて一禮し、進て毛氈の際まで出、兩手にて矢筩を取、兩手にて矢を拔、左の手に握り、左の膝の上に竪に持、右の手にて左の握居る矢を一本取、壺の底の所へかやうに置き、又其次に置、三本置てまた一本横に かやうに撞木狀に置き、座をかため、矢を一本づゝ取揚、兩方一禮して西より投出すべし、左の肩と右の肩と一整に齊ひ、身の動かぬやうにすべし、手を伸し尻を持上、肩を出すこと有べからず、矢壺の上五寸位にて、正直に立て入るにてなければ、眞の中にあらず、矢の立やうに心掛べし、十二箭投終り、記錄に載、算數にて賢劣を定て又投べし、勝の事は賢、負の事は不勝、持の事は釣、一番を一壺又一競、一相手は一耦、一壺は短競、三壺は長競、負逃は更代など云種々の名目あり、 負たる人は罰杯一壺に一杯も有、また一算に一盃、十算に一盃も有、 賢者は慶爵三番勝、二獻肴有べし、 負たる人は綽興とて酒を飮ずば、謠にても肴とすべし、
p.0210 投壺之禮、主人奉レ矢、司射奉レ中、使二人執一レ壺、主人請曰、某有二枉矢哨壺一、請以樂レ賓、賓曰、子有二旨酒嘉肴一、某旣賜矣、又重以レ樂、敢辭、主人曰、枉矢哨壺不レ足レ辭也、敢固以請、賓曰、某旣賜矣、又重以レ樂、敢固辭、主人曰、枉矢哨壺不レ足レ辭也、敢固以請、賓曰、某固辭不レ得レ命、敢不二敬從一、賓再拜受、主人般還曰、辟、主人昨階上拜送、賓般還曰、辟、已拜受レ矢、進卽二兩楹間一、退反レ位、攝レ賓就レ筵、司射進度レ壺、間以二二矢半一、反レ位、設レ中東面執二八筭一與、請レ賓曰、順投爲レ入、比投不レ釋、勝飮二不レ勝者一、正爵旣行、請下爲二勝者一立上レ馬、一馬從二二馬一、三馬旣立請レ慶二多馬一、請二主人一亦如レ之、命二弦者一曰、請奏二貍首一間若レ一、大師曰、諾、左右吿二矢具一、請二拾投一、有二入者一、則司射坐而釋二一筭一焉、賓黨於レ右、主黨於レ左、卒レ投司射執レ筭曰、左右卒レ投請レ數、二筭爲レ純、一純以 取、一筭爲レ奇、遂以二奇筭一吿曰、某賢二於某一若干純、奇則曰レ奇、鈞則曰二左右鈞一、命レ酌曰、請行レ觴、酌者曰、諾、當レ飮者皆跪奉レ觴曰二賜灌一、勝者跪曰二敬養一、正爵旣行請レ立レ馬、馬各直二其筭一、一馬從二二馬一以慶、慶禮曰、三馬旣備、請慶二多馬一、賓主皆曰、諾、正爵旣行請レ徹レ馬、筭多少視二其坐一、籌室中五扶、堂上七扶、庭中九扶、筭長尺二寸、壺頸修七寸、腹修五寸、口徑二寸半、容二斗五升一、壺中實二少豆一焉、爲二其矢之躍而出一也、壺去レ席手矢半、矢以二柘若棘一、毋レ去二其皮一、
p.0211 投壺之禮、近世愈精、古者實以二小豆一、爲二其矢之躍一也、今則唯欲二其驍一、益多益喜、乃有二倚竿帶劒、狼壺、豹尾、龍首之名一、其尤妙者有二蓮花驍一、汝南周璝、宏正之子、會稽賀徽、賀革之子、並能一箭四十餘驍、賀又嘗爲二小障一置二壺其外一、隔レ障投レ之、無レ所レ失也、至レ鄴以來、亦見三廣寧蘭陵諸王有二此校具一、擧國遂無下投二得一驍一者上、
p.0211 投壺凡例
一大壺投と云は、中の大なる壺ばかり投なり、耳を投ことは爲ぬなり、常投法一格、構板八格、外に五十章あり、
一常壺と云は、壺にても耳にても、勝手次第に投なり、馬氏常壺、山家常壺、新律常壺、新式常壺、新格常壺とて五格あり、
一雜耳投と云は、一束にては六箭壺を投、六箭耳を投つ法なり、百章あり、
一投耳法と云は、壺を投ず、耳ばかり投法なり、亦百章あり、
一參投法と云は、壺兩耳を次第を立て投法なり、又百章二百格あり、
一奇投法と云は、遠より投、横より投等の法なり、七十法、三十二法、三十格あり、
一箸法と云は、俗に云箸のことなり、箸に三百箸あり、
一驍法と云は反箭にて箸を投なり、其法二百格あり、〈○中略〉 一壺間は十歲以下二箭半、十歲以上三箭たるべし、衰尺は三箭半より半箭づゝ倍し、四箭、四箭半、五箭より十箭までにて投べし、
p.0212 大壺常投格籌勢名目
善容算位十五章〈以下中、本一算に褒賞幾純と付くなり、〉
有初(いうしよ)〈第一の矢中るを云〉 賞三純 有初連中(いうしよれんちう)〈第一中りて、第二の矢つゞきて中るを云、〉 同二純 連中(れんちう)〈何れの矢にても、つゞきて中たりしを云、〉 同一純 定四才(ていしさい)〈何れの矢にても、四箭つゞきて中るを連中の第三の矢なり、〉 同一純 散箭(さんせん)〈何れの矢にても、前へつゞかず、はなれて一本中るを云、〉 本算〈ノミ〉 先登(せんとう)〈兩方ともに有初をはづして、先に投入たるを云、〉 賞二純 續前功(ぞくせんこう)〈一方先登して、一方其位の矢をつゞきてあてしを云、〉 同二純 次登(じとう)〈何れの方にても、先登の次に中しを云、續前功の次も次登と云傳有、〉 同一純奇 有終(いうしう)〈第十二の終の箭中たるを云〉 賞五純 連中有終(れんちういうしう)〈十一十二とつゞき中りて、有終するなり、〉 同七純 全壺(ぜんこ)〈卞二箭皆中せるなり〉 總計三十純となる
矢籌貶除算位八章
磯驍飛(きぎやうひ)〈筈あたり、又箭へ中りて、壺より外へとび出るなり、〉 算純除レ半 〈何れの矢にても磯驍となりしは、十算のものは五算、一算のものは零とす、次に中りしは連中に取る、〉 倚竿(いかん)〈何れの矢にても、壺の邊へたてかゝりしを云、おはりまで落ねば零、落れば無、次に中りしは散箭にとるべし、〉 支礙(しかい)〈矢二十以上入りて、十一十二の箭入かねて、さしつかへて入かねるを云、用捨して眞の入とす、〉 横壺(わうこ)〈矢壺の上へ横にのりて居るを云、終りまで落ざるは零、落れば無算、〉 浪壺(らんこ)〈矢壺の中へ入るといへども、壺の口をくる〳〵めぐりて入るを云、〉 零 倒竿(とうかん)〈矢さかしまに入りしを云、五純の算を除き落すべし、若算なくば有又除くべし、〉 敗壺(はいこ)〈十二箭皆すつたるを云〉 籌過中レ人(やあやまつてあたるひとに)〈投所の矢人に投付たる也、驍飛して中りしは、それになる故過とせず、〉 除二純
善籌別賞四章
驍飛(ぎやうひ)〈壺底の正中にあたりて、外へ飛出るなり、小豆入りし壺よりとび出しは、十純の賞たるべし、小豆なき壺ならば、一純の質たるべし、〉 驍箭(ぎやうせん)〈驍飛の矢の壺中へ入りしなり、小豆入りしは二十純、小豆なきは十純の賞たるべし、〉 躍龍(やくりやう)〈驍箭のひきく壺の口をはなれざるなり、小豆入りし壺は十純、小豆なきは五純の賞たるべし、〉 降龍(かうりやう)〈驍飛の耳へ入りしなり、何の耳へ入りても、七純の賞たるべし、〉 右何れにても褒美の籌は算を倍してこれを賞す、失過の籌は算を除てこれを貶す、中は一算なり、二算を一純と云、一算を奇と云、奇の半分を零と云、善籌別賞と云は、上の善容の矢の上にまた善籌なれば、是を褒美して別に算を加るなり、連中有終にて定四才となり、又驍箭にてもすれば、連中有終の中一算、賞七純、定四才の賞一純、驍箭の賞十純、總合十八純奇となるなり、除と云は、定四才の連中有終にても倚竿になれば、只零とばかり取也、皆此意にて算を執るべし、
p.0213 有初箭十算、〈○中略〉金壺無算、〈○中略〉有終十五算、〈○中略〉散箭一算、〈○中略〉貫耳十算、〈○中略〉驍箭十算、〈○中略〉敗壺不レ問二己有之算一皆負、〈○中略〉横耳、横壺、皆依二常算一無レ賞、〈○中略〉倚竿、龍首、龍尾、狼壺、帶劒、耳倚竿、皆廢二其算一、〈○中略〉倒中、倒耳、壺中之算盡廢レ之、〈○下略〉
p.0213 附言
一投壺新格雖レ爲二世之規則一、然多二可レ疑者一、今擧レ一論レ之、其算法曰、中レ壺者、有初十算、連中皆五算、有終十五算、合七十五算矣、貫耳者初算貫耳二十算、常貫耳十算、連中貫耳無二算法一、仍レ例各十五算、有終貫耳三十算、十二箭合二百算、半レ之百算矣、然於二全壺下一曰、全壺無算、無算者不レ以二耦之算數多少一皆勝之也夫壺三寸而大、耳一寸而小、小難而大易、以レ易故少レ算、以レ難故多レ算、然温公之法律射二易而少レ算者一而全則爲レ賢、射二難而多レ算者一而全則却爲レ劣、或射中二其半一者、亦其算百數、以過二於中壺全箭之算一、然尚以爲レ負、則誰敢釋二其易一而爲レ難也、難易多寡同レ價、廼許行之道、於二物情一殊爲二不通一矣、人々就下易而得二多算一者上、則誰敢投二其耳一之爲、其耳不レ投、則寧若二古壺無レ耳者一乎、不レ思之甚也、其他胡説太多矣、皆於二各章下一贅二愚按一以補二正之一、伏案、温公道德博識、何爲其如レ是鹵莽哉、蓋經レ世久、傳寫之所レ訛歟、不レ然彼狡童借二温公之聲譽一爲二譸張一者也、予〈○田中淸〉所二補正一、要在レ雪二其寃一焉矣耳、
p.0213 安永四年九月、投壺の技行る、〈京ゟはやりしと見えたり、大内熊耳の門人田江南といへる人、投壺の禮を硏尋し、其法を傳ふ、投壺指揮、投壺矢勢圖解等梓行せり、〉
p.0214 いでさらば投壺まゐらせん菊の花
投壺は禮記にありて、壺を置て矢をなげこむ事なり、三才圖繪には壺うちと假名をつけたり、京都その外、ちかきとし〈○天保頃〉專ら流行したる事あり、
p.0214 投壺凡例
一壺は三寸、二寸半、二寸、一寸六分、一寸五分、四寸、五寸あり、耳は三寸、二寸五分、二寸、一寸五分、一寸、七分、五分、四分あり、高耳、低耳、環耳、貫耳、四耳等あり、壺都て三十八品あり、
一籌は古籌、漢竹箭、羽箭、晉籌、九扶、七扶、五扶、四扶、三扶あり、
p.0214 投壺記
投壺(ツボウチ)の遊びは、其始旣に久しく、禮記に投壺の篇有て、ことに漢武の世にくはしく、むかしは其籌(ヤ)も棘のおどろ〳〵しきを用ひしが、後は呉竹のすなほなるにかへ、其のりはいにしへによつてさだめ、其妙は今にいたつてきはむ、わざに長じたるものは養由が歩をも耻ず、宗高が扇にも肝つぶさず、もろこしには王侯の前に宴の興をたすけ、我國には靑樓の席に風流士の心を悦ばしむ、其かたち瓢に似てかしましからざれば、許由が譏りもなく、腹に赤小豆をたくはへながら、高辛氏が祭りにも奪はれず、一ツの口、鼻のごとく守り、二ツの耳、うき世の事をきかず、唯宴席に侍て樂みをことゝす、もとより是を投るに錢を賭せざれば、博奕のそしりをまぬかる、〈○中略〉鳴呼いたれるかな、投壺々々、弓は袋に納めたれば、手をもつて籌を投げ、籌に簇なければ、そこなひやぶる事なし、實に太平の姿なり、壺中の赤小豆に千代をかぞへ、呉竹の矢に万世をいはひて、永く君が代の翫とすべしといふ、
p.0214 吾江南先生〈○田中淸〉奉二守山黃龍君之遺命一、硏二究投壺禮一、明和丁亥〈○四年〉秋來、始唱二此道一、然其傳秘二諸帳中一、而未三敢敎二諸世之校童一焉爾、奈何好事者傳レ聲吠レ影、孟浪自放、甚者以代二賭具一焉、先生怋二其 若一レ是、欲レ救二其溺一、今春西遊、暗夜明珠無二人之知一矣廼爲著下其所二祖述一投壺禮巨細上、附二之梓人一使レ公二行之一、簡編侈大、棗梨未レ果、間初學者私就二不佞一、請二要路之標一、不佞入社初、從二其兒阿菊一而受下甘谷園中指二揮兒童一之敎紀上今亦後進之初受レ業者、則先生令三不佞傳謄而備二遺忘一焉、諸生復詢三梓レ之而公二于世一、廼請二先生一遂梓行、菊輔者先生之兒也、今玆年甫十歲、敏㨗穎悟、於二投藝一則百發百中、巧妙無レ耦、是書也先生之口授、而菊輔兒所二筆記一、而授二於初學之童蒙一也、故以二指南一爲レ目云、
明和庚寅冬十二月 門人列樹榮
p.0215 附言
一投壺書善者、郝冲虞譚投壺經、投壺道、投壺變、唐上官儀淺投壷經、趙承 投壺圖經、劉仁敏傾壺集、是其古奇、倂二温公新格一而稱二投壺七部一、卜恕投壺新律、投壺儀制、原覽投壺格、類書或收レ之、劉温道投壺譜、投壺錄、收二羅古今一、於二此道一可レ謂レ盡矣、然温公一作二新格一、世來取二法是一、况其人道德博識、兒童莫レ不レ知、則唯其敎之奉揚、不二復他求一、於レ是説郛以下類書、大低收二新格一爲二玉條一、我邦投壺有無無レ有二知者一、猶美玉韜藏在二櫝中一、則何人有下識二古投壺一者上、秪謂三投壺新格之外無二復古書一矣、宜哉、予〈○田中淸〉則自二少小一投壺惟志、索レ隱探レ奇、獲二其別趨一而自喜、猶二蔡氏帳中之物一、則不三亦奇二新格一也、