https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0215 投扇ハ、投壺ヲ摸シテ作リタルモノニテ、蝶ノ形ニ擬シタル物ヲ、方枕ノ如キ物ノ上ニ置キ、扇ヲ以テ之ニ投ジ、其狀ニ隨ヒテ優劣ヲ判ジ、其點ノ多少ヲ算ヘテ勝敗ヲ定ム、其點ニハ皆名目アリ、初メ百人一首ノ歌ニ取リシガ、後ニ源氏物語ノ卷ノ名ヲ用イル、此戲ハ安永年間ニ起ル、

名稱

〔投扇式〕

〈序〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0216 投樂散人其扇とかや云へる人は、花都の産なり、頃しも安永二つのとし、水無月のゑんしよに堪かね、晝寐の夢覺て、席上に殘せる木枕の上に、胡蝶一つ羽を休む、其扇傍に有りし扇を取つて、彼蝶に投打ば、扇は枕の上に止り、胡蝶は遙に飛去りぬ、そのさま久しき手練なりとも、斯はあらじと、我ながらいみじき事に覺て、今一度と扇を取つて幾十返うか是を投るといへども、枕の前後に落て枕上に止らず、是より投壺の遊を思ひよりて、通寶十二字を懷紙に包み、枕の上におゐて扇を以て彼に投、勝負をあらそひ、酒宴を設たらんには、彼の投壺の禮法をごそかに、調度數にして、其業の煩らわしきにはしかざらんかと、投扇興と名付て、專是を翫、遊興の一助となしてより、其業の禮法をあづさにちりばめ、書林にあたへしとぞ、

手法

〔投扇新興〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0216 一扇を投て枕上の十二字を落し、その落たる形を見て勝負をさだめ、酒盛をなすの興とす、仍て字賭等の類を嚴しく製禁する事なり、只宴興のもてあそびとする而已、
席法之事
一枕の前後に席を定め、枕より扇たけ四ツ、或は三つを隔て座す、〈左に字扇取役一人、右に銘定行事一人、〉
但し記錄を付る役人外ニ一人
番數を定置投事
一一席を十番と定ル法也、又は五番とも定、但し高砂白妙をうつ時は、褒美として座中一盃づゝ呑べし、又嵐瀧川を投ば、過料として其人二盃づゝ呑べし、又其定のうちにて、高砂白妙をうてば過料ゆるす、
席上の事
一猩々緋羅紗又はさらさ毛氈之類、長さ八尺幅一尺七寸にして鋪べし、眞中に枕をすへ置也、 但し毛氈は尺不足なるゆへ、扇寸法尺ひさり居るべし、敷物より要出る時は無也、 枕之事
一塗まくら或は蒔繪いつかけ等、物ずき次第、
但し蒔繪には、銘之内にて繪柄能を用ゆ、
扇之事
一金銀の扇に極彩色にて、山櫻あるひは紅葉等、銘の内にて繪柄能を書べし、骨は十二軒、黑塗蒔繪毛ぼり等をもちゆ、要は金銀たるべし、
字之事
一十二字〈但文錢〉錦金入等之きれに包、金紙か銀紙にてうら打をして包べし、金銀の水引にて是を結、枕の上に乘せ置也、
但し十二字の形に、なまりにて作り用ゆべし、

〔投扇式〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0217 禮式傳
通寶十二字を銀紙五寸四方にたちて包み、蝶の形に似せて玉簾の水引にて結ぶべし、十二字は月の數に表す、是を的玉と云なり、
但卽席には有合の紙にて包べし、本式の時は本文のごとし、
扇は十二骨の俗扇を用ゆべし、地紙は淺黃色にして、金銀にて散紅葉を摸樣とすべし、
但卽席は前に同じ
枕は常の木枕の寸法なり、是にも散る紅葉の蒔繪なり、或は梨子地黑ぬり等也、是を的臺といふ、
但卽席は前に同じ
敷物は猩々非羅紗或は毛氈等也、幅は扇丈にたち切て用ゆべし、是を投席といふ、
但卽席は前に同じ 枕と投席の間は、四季をかたどりて四扇を隔べし、投壺のごとく向ひ合て著座し、扇をかまへ、互に先投の辭義ありて投はじむる也、投る事都て十二遍にして滿投す、只かり染の翫といへども、三十一文字になぞらへ、勝負によりて褒美さま〴〵有、香のごとく記錄にのせ、百人一首の歌を書く業なれば、禮法をみだるべからず、
投席之圖〈○圖略〉
左右扇四たけづゝ下りてならぶ、投席のまん中に的臺をなをすべし、的臺の左右に執筆一人と的玉をなす人さし向ひて座すべし
相撲にして催〈ス〉時は四本柱を用〈ユ〉、圖のごとし、〈○圖略〉
四本柱太〈サ〉三寸、廻り長〈サ〉疊ぎわより屋根のきわ迄、扇二〈タ〉たけヅヽ、
屋根靑土佐紙のるいニて張〈ル〉ベし、尤屋根障子は格好見合、
幕は紅白ちりめん布交也、はゞ三布ニて四寸、丈〈ケ〉は四本柱の四方一〈ツ〉はい、四本柱紅白ちりめんニてまくべし、
投席は前に有圖のごとし
東西をわかち、關關脇小結前頭段々ニ定メ組合事也、執筆の向に座し、的玉ヲ直ス人、軍配ヲ上ケて勝負ヲわかつ、則行司也、

〔投扇新興〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0218 表十組の圖〈○圖略〉
瀧川 瀨をはやみ岩にせかるゝたき川の 〈過料〉二點引
散花 久かたのひかりのどけき春の日に 三點
龍田川 ちはやぶる神代もきかずたつた川 七點
秋風 あき風にたなびく雲のたへまより 八點 富士 田子の浦にうち出見れば白妙の 十一點〈要枕の脇へはづるゝ時は〉八點也
筑波根 つくばねの峯より落るみなの川 十二點〈字包たをるゝ時は〉八點也
橋立 大江山いくのゝ道は遠けれど 十三點
千鳥 淡路島かよふちどりのなくこゑに 十四點
春の野 君がため春の野に出てわかなつむ 二十點〈枕よりあふぎはづれて下に有る時は〉十五點也
白妙 はる過てなつ來にけらし白妙の 廿五點〈褒美 包枕に付ばほう美なし〉
裏十二組之圖
高砂 高砂の尾上のさくら咲にけり 三十點〈褒美〉
小筵 きり〴〵すなくや霜夜のさむしろに 廿二點
假寢 なには江のあしのかりねのひと夜ゆへ 廿一點
山櫻 もろともにあはれと思へ山ざくら 十九點
沖ノ石 我袖はしほひに見へぬおきのいしの 十八點
小倉山 小倉山みねの紅葉ば心あらば 十五點
軒端 百敷やふるき軒端のしのぶにも 十二點
有明 あり明のつれなく見へし別れより 十點〈包扇の下に入ば〉五點
玉の緖 たまのをよたへなばたへねながらへば 九點
我庵 わがいほは都のたつみ鹿ぞすむ 五點
嵐 あらしふくみむろの山のもみぢ葉は 三點の過料引〈包起る時は過料二點〉
手枕 はるの夜の夢ばかりなる手まくらに 二點

〔投扇式〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0220 かりほの庵〈○圖略、以下同、〉 秋の田の苅穗の庵の苫をあらみ我衣手は露にぬれつゝ 十(高點)二扇〈○中略〉
御幸 おぐら山の歌なり 〈點〉十一扇〈○中略〉
筑羽根 つくばねの歌也 〈點〉 十扇
千鳥 あわぢしまかよふちどりの歌也 〈點〉 九扇
富士 田子の浦の歌也 〈點〉 八扇
三笠 あまのはらの歌也 〈點〉 七扇
有明 あさぼらけの歌也 〈點〉 六扇
錦 あらしふくの歌也 〈點〉 五扇
秋の野 しらつゆに風のふきしく歌也 〈點〉 四扇
初霜 心あてにおらばやをらんの歌也 三扇
松山 ちぎりきなかたみに袖の歌也 二扇
ちる花 久かたの光りのどけき歌也 〈點〉 一扇
山颪 うかりける人をはつ瀨の歌也 〈過料〉三扇
雲がくれ めぐりあひてみしやの歌也 〈同〉 二扇
おく霜 かさゝぎのわたせるはしの歌也 〈同〉 一扇
むら雨 むら雨の露もまだひぬの歌也 不中扇
あだ浪 おとにきくたかしがはまの歌也
ゆらの戸 ゆらの戸をわたる舟人の歌也

投扇例

〔半日閑話〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0220 冬〈○安永二年〉の初ゟ投扇興流行す

〔續史愚抄〕

〈後桃園〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0220 安永三年六月十九日辛丑、於御前投扇戯、關白〈内前○近衞〉已下上達部、權中納言紀 光〈○柳原〉爲人數、殿上人等參仕、頃日此戯世間流行、

〔武江年表〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0221 安永三年、投扇の戯行れ、貴賤是を弄べり、

〔武江年表〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0221 文政五年、投扇の戯世に行れしが、辻々に見世をかまへ賭をなして、甲乙を爭ひしかば、八月にいたりて停らる、

〔武江年表〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0221 嘉永二年七月、投扇の戯行はる、大坂よりはやり來れり、〈投扇は投壺より出て、安永の頃、大坂の人工夫しけるとか、源氏物語五十餘帖の題號によりて、其名目を定め、甲乙を爭ふ、寬政の頃また天保中にも江戸に行れしなり、〉

雜載

〔海錄〕

〈十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0221 投扇興といふ戯れあり、そは近く安永三年に專ら世にもて興ぜしより、都鄙あまねくしらざるものなし、そのころの册子に、投扇興譜といふ小册あり、その後また文化十年にも行はる、そのころ投扇興圖式といふ小册あり、その後また文政にいたりても、予〈○山崎美成〉しれる中川五兵衞といふもの淺草寺の境内にて、この戯を始たりしが、公より禁ぜられて止みぬ、この間にも猶ありや、さて西川〈○祐信〉の繪本の零册を得たるに、投扇興をもて興ずる圖あり、その書表題なし、紙數を記せし所に世中の字あり、尋ぬべし、祐信の繪ならば享保頃の證とすべし、しかる時はその來るも亦ふるしと云べし、

〔投扇式〕

〈序〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0221 投壺は聖人の翫び、其あらそひは君子也とは、世の知る所にして捨べきにあらねども、易く翫ぶ事かたし、此投扇は兒女小童をして卽席になし易く、酒宴の席に一座の興を催し、勞をやすんじ笑を求む、延氣なる事又類なし、木枕は悠々たる時用るの具なれば、四海太平の時に順じ、扇を披てに送るは、末廣がりの目出度に基く、又通寶十二字は月の數に表し、何れも祝遊の種なれば、其法を聞まほしく思ひし折から、或人投扇の圖を予にみせしむ、予又是を携て獨考すれども、其意味分明ならず、爰に予と信友の交りを結ぶ秀邦齋といへる人あり、兼てより此業をほの聞て、此業に工夫をこらす折からなれば、直に此圖を秀邦に與ふ、是より彌手練をかんがへ、 投扇する事良久し、終に此業を練磨して、圖する所に違ざるにより、捨おかんもほゐなく、いざや日待の興ともせんかと、櫻木にちりばめん事を思ひぬれども、今花都の翫、專此業有るが故に、其書板に顯れたればいかん、しかはあれども其趣昆雜して、易意にわかつ事かたし、斯ては卽席の興ならじと、東都におゐて秀邦是を撰、兒女小童の眼に安からしめんと、予に增减の意味を語り、自投扇庵好之と名乘りて、手練彌極りぬれば、尚又風雅の種を蒔て、予に序文の趣述をこひ、圖畫つまびらかに記せよと、再三の進めによりて、彼れが手練の心ざしを、日陰の紅葉と散さんも心うく、都にまけぬ東の花に彫刻する事にはなりぬ、
安永二みづのとの巳初冬 東都 泉花堂三蝶述
同 投扇庵好之撰之


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Last-modified: 2023-04-14 (金) 14:48:18