https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0249 物合トハ、汎ク事物ニ就キテ左右ヲ對比シ、優劣ヲ判シ、輸贏ヲ決スルヲ云フ、故ニ其事物ハ一ナラズ、動物ニハ、鬬鷄、虫合ノ如キアリ、植物ニハ、鬬草、前栽合、根合ノ如キアリ、器物ニハ扇合、貝合ノ如キアリ、文書ニハ物語合ノ如キアリ、多クハ上流ノ娯樂ニ供スルニ過ギズ、其盛ナルモノニハ、左右ニ各々頭アリ、念人アリ、籌刺アリ、奏樂アルコト、相撲ノ節等ニ同ジク、又歌ヲ詠ジテ之ヲ其物ニ加フルアリ
此ニ列擧セル物合ノ外ニ、鬬牛鬬犬アリ、動物部ニ見エ、競馬アリ、武技部ニ見エ、繪合、歌合アリ、文學部ニ見エ、琵琶合、今樣合アリ、樂舞部ニ見エタリ、

名耨

〔紫式部日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0249 御いかは、霜月のついたちの日、れいの人々のしたてゝのぼりつどひたる、御前の有さま、繪にかきたる、物あはせの所にぞ、いとようにて侍し

〔枕草子〕

〈十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0249 うれしき物 物あはせ何くれといどむ事にかちたる、いかでかうれしからざらん、

〔安齋隨筆〕

〈前編十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0249 一物合 すべて物合は多の人をあつめて、左方右方と二わけにして、右と左と相つがひて、雙方の物を合て、判者あうて其勝負を判斷する也、雙方同位にて勝負なきを持と云、〈持の字をヂとよむ〉本歌合より起るなるべし、詩合にもあり、たき物合、香合、〈香はキヤラの事也〉草合は草花を合する也、貝合〈貝おほひの事にはあらず〉と云は、種々の貝がらを合する也、根合と云は菖蒲の根を合する也、根の 長きを勝とす、繪合は繪にて物を合する也、古は琵琶合もありし、古く名あるびはを合せし也、すべて何を合する、何は合せずと定りもなし、時によりて何をも合する遊び也、草合、貝合、根合の類は、各歌をよみて其物にそゆる也、其歌によせ作り物をすはまなどの臺にして、その臺に草にても貝にても根にてもすべて出す也、其歌に勝負あり、又草子合は古き物語の草子を合す也、又扇合もあり、鴨合もあり、皆古代の遊び事也、勝負の舞樂ある事もあり、花奢風流をいとなみあらそひ、其料に多くの財をついやせり、尤婦女の悦ぶ事也、

鬬鷄

〔倭名類聚抄〕

〈四/雜藝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0250 鬪雞 玉燭寶典云、寒食之節、城市多爲鬪雞之戯、〈鬪雞此間云、止利阿波世、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈二/雜藝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0250 原書作此節城市尤多鬪鷄鬪卵之戯、按、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00080.gif 楚歲時記云、去冬節一百五日、卽有疾風甚雨、謂之寒食、禁火三日、造https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00076.gif 大麥粥、鬪雞鏤雞子雞子、是寒食之節、鬪雞鬪卵並有之、源君引證鬪鷄、故節鬪卵二字也、

〔類聚名義抄〕

〈七/門〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0250 鬪鷄〈トリアハセ〉

〔伊呂波字類抄〕

〈止/術藝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0250 鬪鷄(トリアハセ)

〔世諺問答〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0250 鷄合と申侍る事は、何のゆへにて侍るぞや、
答、もろこしの事にや、明皇〈○唐〉と申御門、たはぶれに鷄を鬪はしめ給ひしに、ほどなく位につき給ひしより、小兒五百人をえらみ、治鷄坊といふ所をたてゝ、鷄をかはせられしとかや、またかの明皇は乙酉のとし生れ給ひしゆへ、鬪鷄をこのみ給ひしよし、東城老子傳と申ものにてみ侍りし、

〔塵袋〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0250 一ニハトリヲアハセ、鷹ヲアハスニハ合ノ字ヲ用ル歟、トリアハセ、草アハセニハ鬪鷄、鬪草トカク、〈○下略〉

〔禁秘御抄〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0250 一鳥
幼主時、小鳥合幷鷄鬪常事也、子細無定樣、又遣馬部吉上小家小鳥鷄流例也、如此興遊、幼主御時 事歟、

〔禁秘御抄〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0251 一出納
御壺體事無先例、堀川院御時、如鳥鬪召連、猶不甘心事也、
一小舍人
出納鷄鬪參事、彼御時例ナレドモ不甘心

〔後水尾院當時年中行事〕

〈上/三月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0251 三日、あさ御盃參ル、朔日におなじ、鬪鷄あり、兼日極﨟殿上人のかぎり觸催して、各にはとりを進上ス、牛かひ兩人參りて鷄を合す、高やり戸にて此事あり、あさがれひゟ御覽あり、

〔洞中年中行事〕

〈三月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0251 三日、〈○中略〉鬪鷄ノ事不指事、禁秘抄に幼主時常の事なりと有、洞中にても童體宮々ある時ならば御沙汰あり、此外無指事

〔故實拾要〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0251 同日〈○三月三日〉鬪鷄
是今日鷄合也、天子出御淸凉殿天覽、極﨟催之、但鬪鷄ハ四位五位ノ殿上人ヨリ三羽宛獻之、於淸凉殿ノ南庭鬪鷄アリ、但頭辨、頭中將ヨリ獻ズル鳥ヲ鬪鶏ノ始ニ出之也、又令鬬鷄事ハ御牛飼〈仙納丸彌一丸〉合之也、奉行ハ極﨟勤之也、

〔日本書紀〕

〈十四/雄略〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0251 七年八月、官者吉備弓削部虚空、取急還家、吉備下道臣前津屋、留使虚空、經月不聽上京都、天皇遣身毛君丈夫召焉、虚空被召來言、前津屋以小女天皇人、以大女己人、競令相鬬、見幼女勝卽拔刀而殺、復以小雄雞呼爲天皇鷄、拔毛剪翼、以大雄鷄呼爲己鷄、著鈴金距、競令之、見禿鷄勝亦拔刀而殺、天皇聞是語、遣物部兵士三十人、誅殺前津屋幷族七十人

〔春秋左氏傳〕

〈二十五/昭公〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0251 傳二十五年〈○中略〉季郈之雞鬪、季氏介其雞、郈氏爲之金距、平氏怒、益宮於郈氏、且讓之、

〔三餘淸事〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0252 女人鞦韆
若夫鬪鷄而芥其羽、金其距、又鬪蟋蟀場、盛之有器、餉之以黃豆糜、必大小相配、兩家審視數回、然後登場决勝負、其健而善鬪者、號將軍、或驍大將軍、死以金棺之、將軍以銀、瘞之原得之所、甚者或至其家産、日本亦有此等戯、而未嘗至於如是之愚癡迷惑、蓋日本人氣格高古、自無此等童心兒習焉耳、

〔三代實錄〕

〈四十一/陽成〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0252 元慶六年二局廿八日辛丑、天皇於弘徽殿前鬪鷄

〔日本紀略〕

〈二/朱雀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0252 天慶元年三月四日、於御前鬪雞事、十番爲限、

〔日本紀略〕

〈八/花山〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0252 寬和二年三月七日乙亥、東宮有鬪雞事、〈八十番〉

〔榮花物語〕

〈八/初花〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0252 寬弘三年になりぬ、〈○中略〉三月ばかり花山院には、五六宮をもてはやしきこえさせ給とて、とりあはせせさせ給てみせたてまつらせたまふ、おやはらの五のみや〈○昭登〉をば、いみじうあいしおぼし、むすめばらの六宮〈○淸仁〉をばことのほかにぞおぼされける、かゝる程に世の中の京わらはべ、かたりきゝてとり〴〵のゝしる、人の國までゆきて、いさかひのゝしりけり、かゝるいまめく事どもを、殿〈○藤原道長〉きこしめして、かいひそめて、おはしますこそよけれ、いでやとおぼしきゝ奉らせ給ふ程に、院のうちの有樣をきて給ふ事ども、いとおどろ〳〵しういみじ、その日に成ぬれば、左右の樂屋つくりて、さま〴〵の樂舞などとゝのへさせ給へり、とのゝ君たちおはすべう御せうそくあれば、みなまいり給、さるべき殿ばらなどもまいりたまふて、いまは事どもなりぬるきはに、このとりの左のしきりにまけ、右のみかつに、むげに物はらだゝしう心やましうおぼされて、たゞむつかりにむつからせ給へば、見きゝ給人々も、心のうちおかしうおぼしみ奉りたまひけり、左萬におぼえむつかりて、ことなる物のはへなくてそれにけり、いとこそおかしかりけれ、

〔日本紀略〕

〈十三/後一條〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0253 萬壽二年三月十七日己亥、内大臣家〈○藤原敎通〉有鬪鷄遊

〔中右記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0253 寬治八年〈○嘉保元年〉正月廿八日庚子、早旦參内、於殿上小庭、御覽鬪鷄、數刻無勝負、各可翹楚之歟、 二月廿八日庚午、午後與源中將参内、於殿上小庭覽鬪鷄、 三月十三日甲申、終日候御前、依當番朝夕膳、終日有鬪鷄興、因幡守長實所獻黑鳥毛負了、頗雖異物、無雄飛興歟、

〔百練抄〕

〈五/鳥羽〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0253 永久五年五月廿九日、内裏有鬪鷄鬪草

〔長秋記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0253 保延元年三月三日丙子、女院有鬪鷄事、左方限合之、〈摸臨時祭方〉右頭經宗、依病不參之故也、

〔台記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0253 久壽二年四月廿四日庚子、今日隆長具鷄十羽、參宇治鬪之、

〔百練抄〕

〈七/後白河〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0253 保元三年二月十三日、於弘徽殿壺鬪鷄事、月卿雲客爲左右念人、有勝負舞

〔古今著聞集〕

〈二十/魚虫禽獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0253 承安二年五月二日、東山仙洞にて鷄合の事ありけり、公卿侍從僧徒、上下の北面の輩、つねに祗候のものども左右をわかたれ、左方頭内藏頭親信朝臣、右方頭右近中將定能朝臣也、前夜寢殿の巽にあたりて地臺一面ををく、五節造物の臺のごとし、欺冬をむすびてうへたり、其上に銀の賢木をうへて、葉枝に用之銀臺をすへたり、たかさ八尺ばかり也、色どりて藤花をむすびてかけたり、葉柯の南に玉の鷄籠をおく、其北に銀鷄を入てをく、かり屋の東の砌に第一間にあたりて、かざしの花臺をたてゝ勝負の美とす、其北に錦の圓座をしきて大鼓鉦鼓をたつ、かり屋の艮に盧橘樹をつくりてうへたり、同北妻には薔薇をつくりてうへたり、牡丹欵冬などをつくりてうへたり、左方の念人御前に參集す、右方念人は蓮花王院に集會しけり、をの〳〵皆參の後、列參して西南の門より入て、殿上に參著しけり、たゞし公卿の外はつかず、右方頭中將定能朝臣事具するよしを奏す、すなはち法皇〈○後白河〉出御ありて人をめす、權中辨經房朝臣おほせを承て、はやくはじむべきよしをおほす、其後卿相以下にしの中門の外にくだり立けり、先左方念人首座、次に右方念人西中門を入て參進のあひだ、まいり音聲あり、竹屋をつくりて黑木の屋 に擬して、春日まうでに准じけり、新源中納言拍子を取て、春日なる御室の山のあをやまのとうたふ、右中將定能朝臣篳篥をふく、右少將雅賢和琴を彈ず、府の隨人二人〈壺脛巾著亂緖〉和琴をかく、くだんの兩人助音しけり、又陪從信綱も同くつけけり、右兵衞佐基範笛をふく、念人中雅賢朝臣、基範朝臣、家保等、舞人の裝束をして參進、見る人嗟歎せずといふことなし、念人等右に著座の後、左右の頭をめす、左方伊豫守親信朝臣、右方右中將定能朝臣御前に參る、左右の鳥同時に持參すべきよしをおほす、すなはち兩方の鳥を持參して、南階の間のすのこにをく、一番左衞門督の鳥字無名丸、左少將盛賴朝臣持參す、右五條大納言の鳥字千與丸、右少將雅賢朝臣持參す、左右ともにうそをふく、其興なきにあらず、勝負いかやうにみゆるやうのよし、定能朝臣をもてたづね仰られければ、右のとり終頭理ありといへ共、中間に又左の鳥理を得たり、かつ又一番右かつ、をそれありとて、左右持にさだめられにけり、よて兩方かずをさす、左方のかずの判〈○かずの判恐算刺誤〉藏人右少辨親宗、銀鴨一羽とりて〈兼置鳥屋内〉參進して葉柯につく、次に雅賢朝臣まづ插冠の花をぬきて錦圓座につく、次鳥を取てしりぞきいる、盛賴朝臣おなじく鳥を取てしりぞき入、其後十二番有けり、左方勝四番、右方勝二番、持六番也、次左方樂器をたつ、次樂人參進して樂を奏す、次陵王、〈醍醐童也〉陵王の終頭に右方より定能朝臣をもて、如此の興遊に左右勝負舞を奏する事先例有、いかやうにぞんずべきやのよし奏しければ、用意の事等をの〳〵つとむべきのよしおほせられけり、次に納蘇利を奏す、右近將曹多好方、右近多成長等、つかうまつりけり、次に右方樂人散樂、北面下﨟等、にしきの地鋪を庭上に敷て舞臺に擬す、妓女二人甘洲をまふ、負方妓女舞奏する事いはれなき事なれども、用意のこと勤仕すべきよし、仰下さるゝ間奏しける也、源中納言鞨鞁をうちて、たかく唱歌有けり、此間盃をすゝむ、右方人座を立て退去して、中門廊の邊に徘徊しけり、次に左右歌女唱歌、舞妓なを興遊にたえず、公卿以下庭上にて亂舞有けり、一日の放宴たりといへども、さだめ て備萬代之美談、昬黑事をはつてをの〳〵退出、此事中御門左大臣殿の御たづねによりて、ぶぎやうにん經房朝臣かきてたてまつりける也、

〔玉海〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0255 承安三年三月廿二日甲寅、或人云、明後日別當成親可鷄合云々、

〔百練抄〕

〈八/高倉〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0255 承安四年二月五日、行幸法住寺殿、〈上皇御所〉六七兩日御逗留、有鬪鷄呪師猿樂等事

〔義經記〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0255 へいせんじ御見物の事
辨慶ばかりまかり候はんとて、をひとつてひつかけてたゞひとり行けるが、とがしが城をみれば、三月三日の事なれば、かたはらにまり小弓のあそび、かたはらに鳥あわせ、又くはんげんさかもりに打みえて、酒にゑひたる所もあり、

〔明月記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0255 建久九年二月十九日、一日於鳥羽殿先競馬、次俄鳥合、〈取聚近邊雞合也〉左右分方云々、左方〈大納言〉負、仍爲負態御久我、事了、又還御鳥羽、又鳥合右方負、爲其負態、今日又御幸云々、無才貫首總不覺、鳴才貫首又現尾籠、木工勾勘不左右、職事奉行總暗夜歟、可悲之世也、

〔吾妻鏡〕

〈十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0255 建永二年〈○承元元年〉三月三日戊寅、於北御壺鶏鬪會、時房朝臣、親廣、朝光、義盛、遠元、景盛、常秀、常盛、義村、宗政等爲其衆云云、

〔吾妻鏡〕

〈三十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0255 寬元五年〈○寶治元年〉三月三日丙辰、營中有鬪鷄會也、此間若狹前司等聊喧嘩、

〔辨内侍日記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0255 二十七日〈○建長元年二月〉は七社のほうへいなり、〈○中略〉三日の御烏あはせに、ことしは女房のも合せらるべしときゝしかば、わかき女房たち、心つくしてよきとりども尋られしに、宮内卿のすけどのは、爲敎の中將がはりまといふ鳥をいださんなどぞありし、萬里小路大納言〈○公基〉のまいらせられたるあかとりの、いしとさかあるかけ、いうもうつくしきをたまはりて、あきつぼねにほこらかしてをきたるを、もりありといふ六位が、そのとりきとまいらせよといふ、かまへてとりなどにあはせらるまじきよし、よく〳〵いひてまいらせつ、とばかりありて、かためは つぶれ、とさかよりちたり、おぬけなどして、見わするほどになりてかへりたり、おほかた思ふばかりなし、今はゆゝしき鳥ありとも、なにゝかはせん、たまはりの鳥なれば、きくもいみじからむとこそ思ひしになど、かへす〴〵こゝろうくて、辨内侍、
われぞまづねにたつばかりおぼえけるゆふつけ鳥のなれるすがたに、三日、〈○三月〉御鳥合なり、御所〈○後深草〉もひろ御所へいでさせおはします、冷泉大納言、〈○公相〉萬里の小路大納言、左衞門督、〈○藤原實藤〉三條中納言、〈公親〉頭中將、〈公保〉伊與中將、〈公忠〉すけやすの中將、藏人はのこりなし、はつゆきなるあかこくろなどいふ鳥ども、かねてよりふせごにつきて、をの〳〵あづかりて、丁子じやかうすりつけ、たきものなどして、いづれかにほひうつくしきとぞあらそひし、みすのうちより出されしかば、萬里小路の大納言たまはりてあはせられし、ゆゝしかりし君なり、ひよ〳〵より御所に御手ならさせおはしまして、かひたてられしいみじさばかりにてこそ侍れ、御とりがらはあやしげなれば、かたせんとて、それよりをとりたる鳥どもに合せられしもおかし、公忠公保がとりあはせしおり、伊與中將がとり、そらおどりするとて人々わらひしに、冷泉大納言、ひさかたのそらおどりこそおかしけれとのたまへば、公忠さこそといひたりし、おかしくて、辨内侍、
雲ゐとはなれさへしるや久かたのそらおどりする鳥にも有哉

〔看聞日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0256 應永廿三年三月三日、桃花宴如例、但鷄鬪之儀被略、當所鷄不養、仍無之、 廿五年三月三日、早旦鷄鬪三番合之、當所鳥難得之間、纔五羽尋出了、

〔管見記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0256 永享五年三月三日、相當上巳、一段之佳節也、慶壽院殿依三回之中鷄鬪略之、 五月一日、召集家僕等下殘鵝眼雌雄尤乘興、

〔建内記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0256 嘉吉三年二月十三日己亥、藏人中務丞源定仲〈一﨟也〉送御敎書於右兵衞佐成房、來月三日鬪鷄三羽可召進之由也、可領狀請文由仰含候、 來月三日可鬪鶏三羽、可召進之狀、謹所請如件、
二月十三日
三月三日己未、禁裏鬪鷄三羽可召進之由、過日一﨟藏人中務丞源定仲相催、成房出領狀請文、今日可尋進也、殿上人少々進之、於東庭此事云々、

〔宣胤卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0257 長享三年〈○延德元年〉二月廿一日庚戌、極﨟源富仲以狀云、來月三日鬪鷄事、諒闇中可如何哉、可予之由被仰下云々、先例不覺悟、近例永享無所見、停止可然歟、鬪鷄事根元幼年之御沙汰歟、長君之御時〈近代勿論〉不打任事歟、旁御無沙汰可然歟、但於御尋歟之由返答了、 廿二日辛亥、源富仲以使者鬪鷄事〈以昨日予申分〉伺申之處、勾當返事如此云々、迦一見遣之、其返事分は尋予可定由被仰下候上者、重不披露之、罪々敷事停止可然分也、 三月三日辛酉、今日内裏鬪鷄停止、依諒闇也、於例者不勘知、准不例之有無、停止可然之由、先日予所計申也、凡鬪鷄事、幼主儀也云々、近代長君之御時有此事、不打任計、

〔和長卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0257 明應七年三月三日己亥、禁中例年之鬪鷄召進之、雖鬪鷄之節、何空浮蟻之、賞桃花紅吾顏耳、呵々、

〔二水記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0257 永正十四年三月三日、於東庭鬪鷄如常、御祝令祗候

〔言繼卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0257 天文二年二月三十日癸卯、來月三日鬪鶏催、廻文了、如此、
宿紙拂底之間、内々令申候也、
來月三日、鬪鶏三羽如例年持參旨被仰候、可御意候也、
二月廿九日 以緖
頭辨殿〈奉○以下十六人名略〉
三日丙午、今朝鬪鷄見物候、九番有之、予鳥は如例年野村持來、被參候輩、頭中將、〈公叙朝臣〉予、橘以 緖等也、

〔晴右記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0258 永祿八年三月三日、禁中御鳥合也、今日御鷹山より御歸、

〔晴豐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0258 天正十年三月三日、鳥合祗候申也、禮者共有之、内物鈴、高橋鈴、衞士鈴、嵯峨すみくら二百疋、小阿彌二らさか月〈一〉二條御盃參候卜より御成、禁裏御盃參候、

〔大江俊光記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0258 貞享元年十一月廿二日、町ゟ鷄合仕度之由、公義ゟ申來由申參、近年鷄合時花候也、鷄ニ色々ノ名ヲ付、一羽金五兩十兩、金二枚三枚ノ賣買也、鬪鷄時花候ヘバ、古來ゟ兵亂有之沙汰也、

〔百一錄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0258 貞享三年三月三日、鬪鷄先於東宮御前行、次於禁掖之、

〔大江俊矩記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0258 文化元年二月廿六日丙戌、午後參洞、謁評定卿、來月三日鬪鷄申沙汰、如例年相伺哉之旨申入處、當番唐橋前中納言承知、追付可示間、暫可相待旨被示、後刻被招被申渡曰、例年之通可沙汰旨被示、仍以表使相伺哉尋申處、可其通之、
前黃門口上曰、鬪鷄之儀相伺候處、可出御御覽間、如例可沙汰、御裝束之儀も如例、隨藏人申合覺悟旨被示也、愚按、如是ハ更以表使伺定儀不及事也、與禁中時儀同、然年々如此之上、更以表使相伺事故、於今年も先輩處置之通、卽招出表使申込左の通、
一以表使來月三日鬪雞如例年沙汰哉、相伺之旨兩上﨟局迄申込也、且又於伺之通被仰下者、如例料紙〈中奉書一帖〉筆墨〈一對一廷〉申出度、御文匣一講釋來月三日迄拜借申度旨、以便申含置也、暫時後御返事申出、鬪鷄の儀如例可沙汰旨被仰下、則料紙筆墨御文匣等持出也、
一暇服帳拜借、〈以非藏人評定卿申出〉候殿上人院司殿上人等令吟味了返上、
一右相濟未刻前退出〈目錄文匣持參入料紙持歸〉
一院司候殿上人可觸分十五人也、歸宅後早速折紙書認、以靑侍〈續上下也、下部持文匣從行、〉觸書左之通〈中奉書三ツ折、同〉 〈紙上包、外ニ次奉書四ツ折一紙添、同入包紙中、〉
追申午刻
獻候也
來三日鬪雞〈三羽〉
持參

院御氣色所候也
〈二月廿六日俊矩〉
烏丸
頭辨殿
庭田中將殿
藪中將殿
東坊城
菅少納言殿
唐橋侍從殿
岩倉少將殿
倉橋
中務少輔殿
西洞院
肥後權守殿
石井
大膳權大夫殿
萬里小路
藏人右少辨殿
押小路
阿波權介殿
大原
備後權介殿
平松
安藝權守殿
橋本大夫殿
北小路
藏人主税助殿
追書、或上包書之兩説也、俊幹賴望皆書上包、予有所存同紙此、先考曾祖考遺風也、
鬪鷄被獻候節、以小舍人童或雜色獻候事、
六條少將 〈梅小路〉勘解由次官 〈藤谷〉大和權介 已上三人依重服者之、其餘無故障、 尤輕服者無構觸之也 主税助一﨟故〈禁中〉申沙汰奉行也 依院司觸之間、兩御所獻上也、年々如此、

〔年中行事繪卷〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0260 鷄合圖 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m0P260.gif https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m0P261.gif 右之通也、納拜借之御文匣持參、〈靑侍於玄關匣入蓋差出也〉先持參第一頭辨家、其後任便巡路持廻、未半刻より秉燭前迄七軒相濟持歸、
烏丸〈留主出〉庭田〈留主出〉平松〈有奉〉東坊城〈留主出〉藪〈有奉〉大原〈有奉〉唐橋〈有奉〉

〔立圃句集〕

〈春〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0262 三月三日鷄合に
にはとりの蹴爪も永き日あし哉

〔續山之井〕

〈春〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0262 鷄合
桃柳とりあはせみる節供哉 重信
鷄も角くむあしの蹴爪哉 如貞

〔古今夷曲集〕

〈八/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0262 三月三日相坂邊にて、鷄合けるをみてよめる、 淡路守奈僧
鷄も相撲に似たり相坂の關のかち聲あぐる勢ひ

〔百練抄〕

〈四/後冷泉〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0262 永承六年三月廿四日、禁裏有鷄合、以木造之、以造樣勝勝、盡其美、 五月五日、禁裏有根合蓋雞合後宴也、

小鳥合

〔禁秘御抄〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0262 一鳥
幼主時、小鳥合幷鷄鬪常事也、子細無定樣又遣馬部吉上小家小鳥鷄流例也、如此興遊、幼主御時事歟、

〔百練抄〕

〈五/堀河〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0262 寬治五年九月六日、内裏小鳥合、

〔爲房卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0262 寬治五年十月六日辛酉、今日有殿上小鳥合事去月上旬、自院被進可小鳥人々、其後於殿上駒取方人、〈各六人〉然而依御忌月去月延引、今日被此事也、但密々事、上南御格子、書御座改南面殿下幷三位中將令御前給、秉燭持參鳥籠左方、頭中將仲實朝臣、源中將國信朝臣、四位少將俊忠朝臣、源少將師隆、侍從定輔、右兵衞佐宗政、〈已上著直衣〉石方、新中將宗通朝臣、四位少將顯雅朝臣、少 將忠敎、因幡守長實、周防守經忠、侍從實隆、〈以上著夏袍〉十二人、人別就小鳥籠、或盡風流、或亦例籠、藏人六人、各三人相分、自餘侍召不分、居置南弘庇疑覽、後朝被覽院、先予參院幷殿下

〔中右記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0263 寬治五年十月六日、殿上有小鳥合興

〔古今著聞集〕

〈二十/魚虫禽獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0263 寬治五年十月六日、殿上人所衆瀧口小舍人、左右をわかちて小鳥合の事有けり、公卿はまいられず、殿下三位中將ばかりぞさむらはれける、殿上人左方頭中將仲實朝臣、右方中將宗通朝臣以下、夏の袍どもに冬指貫をぞ著たりける、左勝て殿上にとまりて、朗詠今樣猿樂など有けり、右はみな逃ちりにけり、小鳥は後に院へ參らせられにけり、〈くはしくはべちの記に有〉

〔小鳥合記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0263 安政四とせといふとし、神無づきのはじめにやありけむ、小鳥合すべきよしの仰ごとくだることありけり、まづおのれ〈○梅田三彦〉して、右の頭たるべく人々のすゝめらるゝに、初學のいかでかゝることせむと、ふたゝびみたびいなみしが、しひてすゝめらるゝももだしがたくて、その役とはなりぬ、まづわが方人は石川優、井口安行、仁科久迪、上松千年、門奈俊信、豐田勝豐、小笠原常樹、森部好謙なり、奉行には吉岡鶴群、宿老にてつとむ、籌さしの童は中根方樹、役送は福原行功、佐藤正廣などなり、左方は野村勝明、水上廣房、伊達忠正、川北愼信、赤堀保水、辻高文、三井正正、岩田則博、奉行は長井裁之、頭は吉岡鶴成、籌さしの童は浮穴爲經、役送は野志矩鎭、松本正直なり、おなじ霜月の末、こととゝのひしよし司につげたれば、極月はじめ四日に、まづからぶみまなびの館にて習禮あり、おなじ七日といふ日、大殿の御小書院といふにて、其作法みそなはし給ふべき仰下りければ、その日の辰の刻、人々御殿にまうのぼる、方人いづれも素襖、鶴群は布衣、籌さしの童、黃丹の水干、上下紅梅の小袖、童髮して紅ひの薄樣にてゆふ、柳の間といふを左右の局とす、午刻事とゝのひしよし奉行につげたれば、奉行司につぐ、やがて司して執行べきよし仰下る、そもそも御ましの裝束はすべてめぐりに簾かけ渡し、母屋の上段に君まし〳〵、西の庇かけてたれた る簾の中に、實成院尼公おはしまし、女房どもあまたかしづきたり、二の間のひさしの間には、國老土佐守忠央朝臣をはじめて、司々あまた並居たり、まづ判者本居豐穎、村田春野座につく、豐穎は南おもて、春野は北おもて、次に左の頭吉岡鶴成まづかずさしの地敷をとりてこの間にのべしく、次に左役送野志矩鎭洲濱をかきたつ、次におのれこなたの籌さしの地敷をとりて、おなじく二の間にしく、次に右役送福原行功おなじく洲濱を出す、次に左役送文臺を二の間の中ほど、西おもてにおく、こは黑柿もてつくる、其さまは永久四年正月内大臣家の大饗の時、辨少納言の前にありし机のさまをうつしたるなり、次に右の文臺は蘇芳也、こもおなじとき尊者のまへの机をうつしたるなり、次に左役送豐穎のまへに硯箱と料紙を置、右役送春野の前に硯箱料紙を置、次に鶴成おのれ文臺につく、まづ左籌さしの詞をよみあぐ、〈○中略〉歌合はありしこと、史にもしるし、つぎ〳〵さま〴〵の合もの行れしよしは、くさ〴〵の書どもにみえぬ、小鳥合は堀河院御門、寬治五年十月六日、殿上にてありしよし、中御門右府の記、爲房記をはじめ、あれこれのふみどもにみえたれど、いかなる業したりとも、くはしきさまつたはらざれば、今まねばんによしなし、こたびはたゞふるき書どもに、とりの事跡あるをえり出し、あるは今目のまへにみたるさまによりて、まうけ出たれば、ひがごとも多からむかし、そも〳〵建曆の御抄に、小鳥合は幼主の御時、常せらるゝことのよし記させ給へり、ひそかにかぞへ奉るに、寬治五年は堀河院御年十三の御時にあたれり、今我君御年十二の冬、かゝるわざ人々にせさせ給ふも、ふかきよしある神の御心ならひと、いと〳〵かしこうおぼゆ、堀河の御門は、末代の聖主におはしましゝこと、其世の書、あるはのちのにもあまたゑるしつたへたり、夫にかよひ給ふ我君が代にうまれいでゝ、かゝる御あそびにつかふまつるうれしさは、みじかき紙にいかでかのべつくさむ、たゞありし大かたをわすれぬまにとそのよさり筆とりてかつ〳〵しるし侍るは、右の方人にてこととりつかうま つりし梅田三彦、

鵯合

〔尺素往來〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0265 賀茂競馬幷深草祭、上下之見物、鶯鵯之鬪鳥可此時歟、

〔競物名彙〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0265 春村曰、此文に據て考ふるに、上卷に載する鴨合も、疑ふらくは鵯の寫誤なるべし、鴨字を鵯とかける本もあるうへに、鴨は飼鳥とせし例も見えねば、とにかくにおぼつかなし、

鴨合

〔玉海〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0265 承安三年三月廿二日甲寅、入夜參女院御方、近日事外有御减悦云々、先是中將定能朝臣來、來月院中可鴨合〈○鴨合、一本作鷄合、〉云々、公卿殿上人北面分方、 五月二日、此日院中有鴨合〈○鴨合、一本作鵯合、〉事、公卿殿上人已下、北面〈上下〉僧入道等、左右念人其數繁多云々、左打錦幄、右作黑木假屋云々、各其風流盡善盡美、但右殊依禁制、不金銀錦等之類云々、然而甚優美也、摸臨時祭舞人插頭花等云々、左乖制法金銀云々、凡此經營、其費不勝計云々、左頭大納言重盛卿、右頭中納言國綱卿云々、左右念人之外餘人所見云々、子細尋參仕之人置之縡希有也、 三日甲午、今日北面鴨合、〈○鴨合、一本作鵯合、〉内々事也、

〔百練抄〕

〈八/高倉〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0265 承安三年五月二日、於上皇〈○六條〉御所鴨合事、近習月卿雲客及北面下﨟等分左右念人、縡起兼日之儀、爲當時之壯觀、有勝負舞

〔競物名彙〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0265 春村曰、右鴨字或は鵯に作れり、もし鵯に從ふべき歟、されど寬喜二年六月廿二日明月記に、一日比在信成前相公宅、翫鴨鳥云云といふ事も見ゆれば、ひたぶるにさも决めがたし、猶鵯合條にも云を見るべし、

鳩合

〔明月記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0265 建曆二年七月十日、今日前大納言實輔卿於西坊城泉鳩合負態云々、 十二月十日、今日於馬場殿鳩合負態、左金吾經營也、其風流只金銀錦繡、盡善盡美云々、

〔明月記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0265 承元二年九月廿七日、夜半許西方有火、望之煙甚細高、 朱雀門燒亡云々、末代滅亡、慟哭而有餘、依所勞久籠居、不門、 廿八日、傳聞、常陸介朝俊〈生干朝澄卿末孫、只以弓馬相撲藝、殊官也、〉取松明門取鳩、 歸去之間、件火成此災、近年天子上皇皆好鳩給、長房卿保敎等本自養鳩、得時而馳走、登奮塔鐘樓取鳩、此事遂以滅社稷、嗟乎悲哉、例幣大宮大路只有灰燼之跡、無人家、京洛之磨滅、尤可奇驚事也、是又非鳩一事、只國家之衰微歟、

鶯合

〔運歩色葉集〕

〈宇〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0266 鶯合(アセ)

〔日次紀事〕

〈臨時〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0266 鶯合

〔看聞日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0266 永享七年五月一日、早朝鶯合、一方不鳴無興也、 三日、朝鶯合、行豐朝臣、重賢持參、行豐朝臣鳥勝、
○按ズルニ、鶯會ノ事ハ、動物部鳥篇ニ載セタリ、

鶉合

〔日次紀事〕

〈臨時〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0266 鶉合

虫合

〔山家集〕

〈下/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0266 八條院の宮と申けるをり、白河殿にてむしあはせられけるにかはりて、虫入てとう出しける物に、水に月のうつりたるよしをつくりて、其心をよみける、
行すゑの名にやながれん常よりも月すみ渡る白川の水

蜘合

〔閑窻自語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0266蜘蛛
土御門故二位泰邦卿かたられけるは、享保のはじめ、世に蠅とりぐもとかやいふ虫をもてあそぶ事あり、風流なるちいさき筒に入れて、蠅のいる所へとばせてとらしむ、一尺二尺など遠くとぶをもて最上とす、よくとぶ蜘は、あまたのこがねにかへてあらそひもとめ、蜘合をし、博奕に及ぶのあいだ、武家より制してやめしむとぞ、世にめづらしきもてあそびもありけるなり、

鬬草

〔倭名類聚抄〕

〈四/雜藝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0266 鬪草 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00080.gif 楚歲時記云、五月五日、有百草之戯、〈鬪草、此間云、久佐阿波世、〉

〔白氏文集〕

〈十/感傷〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0266 觀兒戯
齠齕七八歲、綺紈三四兒、弄塵復鬪草、盡日樂嬉嬉、堂上長年客、鬢間新有絲、一看竹馬戯、毎憶童騃 時、童騃饒戯樂、老大多憂悲、靜念彼奧此、不知誰是癡、

〔類聚名義抄〕

〈七/門〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0267 鬪草〈クサアハセ〉

〔伊呂波字類抄〕

〈久/人事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0267 鬪草〈クサアハセ〉

〔字鏡集〕

〈艸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0267 芝(シ)〈クサアハセ〉

〔翌檜〕

〈末〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0267 雅遊
鬪草(クサアハセ)〈花だんすに百草をかくし持出て合せ、勝負をなす、五月五日百草を鬪すたはふれ、荊楚歲時記に委し、〉

〔平家物語〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0267 小朝拜
平家はさぬきの國八島のいそにおくりむかへて、年の始〈○嘉永三年〉なれ共、元日元三のぎしき事よろしからず、〈○中略〉花のあした月の夜、詩歌、くはんげん、まり、小弓、扇合、ゑ合せ、草づくし、虫づくし、さまざまけう有し事共思ひ出、かたりつゞけて、永き日をくらしかね給ふぞ哀なる、

〔今昔物語〕

〈二十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0267 右近馬場殿上人種合語第卅五
今昔、後一條ノ院ノ天皇ノ御代ニ、殿上人藏人有ル限員ヲ盡シテ、方ヲ分テ種合セ爲ル事有ケリ、二人ノ頭ヲ左右ノ首トシテ書分チテケリ、其ノ頭ハ左ハ頭ノ弁藤原ノ重尹、右ハ頭ノ中將源ノ顯基ノ朝臣等也、此ク書分テ後ハ互ニ挑ムコト无限シ、日ヲ定メテ北野ノ右近ノ馬場ニシテ可有キ由ヲ契リツ、而ル間方人共各世ノ中ニ難有キ物ヲバ、諸宮諸院寺々國々京田舍ト无ク、心ヲ盡シ肝モ迷ハシテ、求メ騒ギ合タル事物ニ似ズ、殿上人藏人ノミニ非ズ、藏人所ノ衆出納小舍人ニ至ルマデ書分チタリケレバ、其レモ皆世々ノ敵ノ如ク行合リ、所々モ書分テ後ハ物ヲダニ不云合有ケル、何况ヤ殿上人藏人ハ兄弟得意ナル人ナレドモ、左右ニ別レニケレバ挑ム事只思ヒ可遣シ、此ク爲ル程ニ旣ニ其日ニ成タレバ、右近ノ馬場ノ大臣屋ニ各渡リヌ、殿上人ハ微妙キ襴(ナホシ)姿ニテ、車ニ乘リ列テ、集會ノ所ヨリ渡リヌ、其ノ集會ノ所ヲバ兼テヨリ定メタリケレバ、各宵ニ 集ニケリ、其ノ所ヨリ大臣屋へ渡ル有樣不云盡ス、大臣屋ノ前ニ埓ヨリ東ニ南北向樣ニ錦ノ平屋ヲ卯酉ニ長ク立テ、同錦ノ幔ヲ引廻シテ、其ノ内ニ種合セノ物共ヲバ、悉ク取置タリ、出納小舍人ナド平張ノ内ニテ皆此レヲ捧ツ、殿上人ハ大臣屋ノ中ノ間ヲ分テ、左ハ南、右ハ北ニ別レテ皆著並ヌ、藏人所ノ衆瀧口モ皆列レテ皆著並ヌ、藏人所ノ左右ニ居ヌ、埓ヨリ西ニハ其レモ南北ニ向樣ニ勝負ノ舞ノ料ニ錦ノ平張ヲ立テ、其ノ内ニ樂器ヲ儲ケ、舞人樂人等各居タリ、其喬々ニハ京中ノ上中下見物ニ市ヲ成タリ、女車立不敢ス所无シ、〈○中略〉而ル間旣ニ其ノ時ニ成ヌレバ、大臣屋ノ前ニシテ次第ニ座ヲ敷テ、口聞キ吻有テ物可咲ク云フ者ヲ各儲テ、其座ニ向樣ニ居テ、員ヲ可差物ノ風流財ヲ盡シテ金銀ヲ以テ莊レリ、亦員差座ニ居ヌレバ、旣ニ合スルニ互ニ勝負アル間、言ヲ盡シ論ズルコト共多カリ、
○按ズルニ、種ハクサノ借字、種合ハ卽チクサアハセナリ、敎訓抄ニ今昔物語ノ文ヲ引キテ、草合ニ作レリ、以テ證トスベシ、

〔古今著聞集〕

〈十一/畫圖〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0268 永承五年四月廿六日、麗景殿女御に繪合ありけり、彌生の十日あまりの比より其沙汰有けるは、〈○中略〉むかしよりきこゆる花合は、散てふるき根にかへりぬればにほひ戀し、草合は尋て本の所へ返しやれば名殘うるさし、

〔百練抄〕

〈五/鳥羽〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0268 永久五年五月廿九日、内裏有鬪雞鬪草

〔長秋記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0268 保延元年三月二日乙亥、女院有種合事、左方摸五節所體云々、

〔台記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0268 久安六年四月十五日辛酉、午刻參内、上〈○近衞〉御后廬、有鬪草、 八月六日己酉、午刻參朝餉、卽渡御皇后宮御方、忽有鬪草之興、了還御、

〔文華秀麗集〕

〈下/雜詠〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0268百草朋執一首 滋貞主
三陽仲月風光暖、美少繁華春意奢、曉鏡照顏粧黛畢、相將戯逐覓紅花、紅花綠樹煙霞處、弱體行疲園 逕遐、芍藥花蘼蕪葉、隨攀迸落受輕紗、薔籬綠刺障羅衣、柳陌靑絲遮畫眉、環坐各相猜、他妓亦尋來、試傾雙袖口、先出一枝梅、千葉不樣、百花是異香、樓中皆艶灼、院裡悉芬芳、菲散蓄慮競風流、巧咲便娟矜數籌、鬪罷不勳績顯、華筵但使前人差
野柱史觀百草朋執之作一首 巨識人
聞道春色遍園中、閨裡春情不窮、結伴共言鬪百草、競來先就一枝叢、尋花萬貴攀桃李、摘葉千廻繞薔薇、或取倒葩或尖蕚、人人相隱不相知、彼心猜我我猜彼、竊遣小兒行密窺、團欒七八者、重樓粉窓下、百香懷裡薫、數樣掌中把、擁裙集綺筵、此首雜華鈿、相催猶未出、相讓丕肯先、鬪百草千花、矜有嗤無意遞奢、初出紅莖紫葉、後將一蘂兩葩、證者一判籌初負、奇名未盡日又斜、勝人不聽後朝報、脱贈羅衣耻向家、

〔拾遺和歌集〕

〈九/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0269 草合し侍ける所に 惠慶法師
たねなくてなき物くさはおいにけりまくてふ事はあらじとぞ思

〔八代集抄〕

〈十七/拾遺雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0269 草合 色々の草を合せて、類なき草を勝とする戯也、鬪草鬪花など唐にもせし事也、

〔後拾遺和歌集〕

〈二十/誹諧〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0269 人の草あはせしけるに、朝がほかゞみ草などあはせけるに、かゞみ草かちければ、 よみ人しらず
まけがたのはづかしげなるあさがほを鏡草にもみせてけるかな

〔京華集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0269 本朝風俗、七月七日例鬪草花、如楚人重五有百草之戯矣、丙申之載、吉田民部藤公、見仙翁花幷茶、余時在唯稱院、累七諱席、書誦夜禪、懶困不堪耳、而花以打香供、茶以降睡魔、感幸々々、仍題小詩以謝惠意云、

〔玉山遺稿〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0269美人圖十八首 鬪草芳原上、風吹羅帶輕、愁來不肯採、中有王孫名
輕風動羅衣、城東春色早、相逐向芳原、爭採宜男草、 右鬪草

〔續視聽草〕

〈五集五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0270 友野煥幻玉集 美人鬪草
上林春色年々好、羯鼓催花花發早、鞦韆戯罷晴晝長、又喚女群百草、笑語携手出房櫳、採擷菁英筠籠、覔芳爭向蘼蕪逕、避伴潛來芍藥叢、分曹成隊互相進、羅裙排列臙脂陣、衒奇角勝誰最多、賭取金釵儁、棄時不似摘時惜、玉纖揉碎輕抛擲、斜陽滿地無人收、亂紅殘翠香狼藉、君不見金屋阿嬌閉長門、莫怪人情俄頃易、

前栽合

〔禁秘御抄〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0270 前栽
前栽者、昔瀧口承之、植萩戸萩云々、草無沙汰、有根樹忌方角、但上古無其沙汰如何、菊合前栽合時植之、

〔伊勢集〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0270 式部卿の宮の前栽合に、草のかう、
くさのかう色かはりゆく白露はこゝろをきてもおもふべき哉

〔扶桑略記〕

〈二十三/醍醐〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0270 昌泰四年〈○延喜元年〉八月廿五日、有前栽合

〔拾遺和歌集〕

〈五/賀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0270 右大臣源のひかるの家に前栽合し侍けるまけわざを、うどねりたちばなのすけずみがし侍ける、ちどりのかたつくりて侍けるによませはべりける、 つらゆき
たがとしの數とかはみん行かへりちどりなくなる濱のまさごを

〔拾遺和歌集〕

〈五/賀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0270 天曆〈○村上〉御時、前栽のえんせさせ給ける時、 小野宮太政大臣〈○藤原實賴〉
萬代にかはらぬ花の色なればいづれの秋か君は見ざらむ

〔藤原淸正集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0270 天曆の御時、かたわかちて前栽合せさせ給ひけるに、中宮の御方に、花の枝にてふのかた作てつけさせ給ひけるに、 九重に露をおけばや花の色の外の秋には匂ひまされる
百敷に花の色々匂ひつゝ千とせの秋は君がまに〳〵

〔榮花物語〕

〈一/月の宴〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0271 康保三年八月十五夜、月宴せさせ給はんとて、淸涼殿の御前にみなかたわかちて前栽うへさせたまふ、左の頭には繪所別當藏人少將濟時とあるは、小一條の師尹のおとゞの御子、いまの宣耀殿の女御の御せうとなり、右の頭にはつくも所の別當右近少將爲光、これは九條殿の九郎君なり、おとらじまけじといどみかはして、繪所の方にはすはまを繪にかきて、くさぐさの花、おひたるにまさりてかきたり、やりみづ岩ほみなかきて、しろがねをませのかたにして、ようづの虫どもをすませ、大井に逍遙したるかたをかきて、うぶねにかゞり火ともしたるかたをかきて、むしのかたはらにうたはかきたり、造物所のかたには、おもしろきすはまをゑりて、しほみちたるかたをつくりて、いろ〳〵のつくり花をうへ、松竹などをゑりつけて、いとおもしろし、かゝれども歌はをみなへしにぞつけたる、
左方
君がためはなうへそむとつげねどもちよまつむしのねにぞなきぬる
右方
心してことしはにほへをみなへしさかぬ花ぞと人は見るとも、御遊ありて上達部おほく參り給て、御祿さま〴〵なり、〈○又見内裏前栽合

〔日本紀略〕

〈四/村上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0271 康保三年閏八月十五日丙子、朝干飯御座前、兩壺分方有前栽合、 十六日丁丑、東宮同宴、

〔古今著聞集〕

〈十九/草木〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0271 康保三年閏八月十五日、作物所繪所あいわかつて、殿の西の小庭に前栽をうへられけり、右大將藤原朝臣、治部卿源朝臣、朝成朝臣、中渡殿に候、侍臣等後凉殿のひがしのすのこ にこうす、つぎに兩所酒饌をもて男女房にたまふ、夜に入て侍臣唱歌し管絃を奏す、又高光永賴に、花の枝にゆひつくりところの和歌をとりてよませられけり、公卿侍臣に仰てうたを奉りけり、右大將延光朝臣ぞ題をば奉りける、十五夜翫後庭秋花とぞ侍ける、深更に及で侍臣和歌を奉る、保光朝臣をしてよませられけり、さらに又管絃の興ありて、其後公卿に祿を給はせけり、

〔源順集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0272 ある所の前栽合の歌の判ある所に、男女かたわきて、御前の庭のすゝき、荻、しらに、しをに、くさのかう、をみなへし、かるかや、なでしこ、萩などうゑさせ給ひ、松虫鈴虫をはなたせ給ひて、人人にやがてその物どもにつけて歌を奉らせ給に、おのが心々に我も〳〵と、あるは山里の垣ねにさをしかの立より、あるはかぎりなきすはまの磯づらに、あしたづのおりゐるかたをつくりて、草をもおほし、虫をもなかせたる、仰ごとゝて、花の有樣むしのすがた、いづれも〳〵いとをかしかめり、歌のおとりまさりは、さだめでやはあるべき、たれしてかさだめ申さすべきと仰給に、これかれまうす、さきのいづみのかみ源順朝臣なん、おほやけには梨壺の五人がうちにめされ、宮にはおもと人八人がうちにてさぶらひし人也、これをめしてこそさだめられんに、よろしからめと申によりて、かねて其事とはなくて、こよひすぐすまじきまめごとなんあるとてめしたり、かみのつかさ、たゞすつかさのおほいすけたち、こなたかなたにさぶらひ給ひ、かゞの掾橘のまさみちによみあげさせ、順朝臣にことわらせ、學生ためのりに今日のことをかきおかせ給ふなかに、ためのりなん源といふ人にもあらず、千種に匂ふ花のあたりにはもぎ木のやうにて、まじりにくゝ侍れども、やんごとなくさぶらふべき、みやまのふもとよりおひ出たる草のゆかりにて、仰ごとのいなびがたさに、みづぐきして書しるして奉りおく、其歌ども順朝臣さだめ申さる處かくなん、〈○中略〉天祿といふ年はじまりて、みとせの秋の半、長月のしもの十月に今二日おきて、大井にての事なり、〈○又見古今著聞集

〔中右記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0273 嘉保二年八月廿八日、上皇〈○白河〉於鳥羽殿前栽合興、先此五六日以前相分方人、權中納言基忠爲左方頭、宰相中將宗通爲右方頭、此外公卿二人、殿上人十餘輩被相分也、是前栽堀體也、酉時許南殿寢殿巽角方〈南面女院御方也〉有此興、先大殿、〈烏帽子直衣〉關白殿、〈直衣〉左大將、〈直衣〉相分令左方給、左大臣、〈直衣〉中宮大夫、〈同〉民部卿〈同〉令右方、是依仰當座相分也、取方人、左、右衞門督、〈直衣、公實、〉藤中納言基忠、〈布衣〉江中納言、〈直衣、匡房、〉右、左兵衞督、〈直衣、俊實、〉治部卿、〈直衣、通俊、〉宰相中將、〈布衣、宗通、〉先右方人々參來立燈臺、但兼日依仰止風流、又被籌指等、雖然尋常燈臺美麗也、居銀盤、左方數刻不燈臺、雖相尋已及數刻、大略右方人々取隱歟、左方頗無面目事也、纔立小燈臺、〈殿上六位役之〉前栽舁立前庭、左右各風流、作花入臺、以御隨身之、方人皆布衣、方六位下庭中、取歌書物御前、次召講師、〈左方予、(藤原宗忠)右方能俊朝臣、二番被講間、右方取虫入小籠進、額有逸興、〉依仰左大臣爲判者方勝了、人々退出、右方暫留御前和歌

〔百練抄〕

〈五/堀河〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0273 嘉保二年八月廿八日、於鳥羽前栽合事

〔金葉和歌集〕

〈三/秋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0273 鳥羽殿の前栽合に、女郎花のこゝろをよめる、 春宮大夫公實
あだしのゝ露吹みだる秋風になびきもあへぬをみなへしかな
鳥羽殿の前栽合にきくをよめる 修理大夫顯季
千年まで君がつむべき菊なれば露もあだにはをかじとぞ思

〔詞花和歌集〕

〈三/秋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0273 白河、院鳥羽殿にて、前栽あはせせさせ給けるによめる、 周防内侍
あさな〳〵露をもげなる萩がえに心をさへもかけてみる哉
敦輔王
おぎのはに事とふ人もなきものをくる秋ごとにそよとこたふる

〔千載和歌集〕

〈四/秋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0273 郁芳門院の前栽合に、荻をよめる、 大藏卿行宗物ごとに秋のけしきはしるけれど先身にしむは荻の上風

〔續古今和歌集〕

〈四/秋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0274 嘉保二年、郁芳門院前栽合の歌に 權大納言公實
眞葛はひおぎのしげらぬ宿ならばをそくや秋の風をきかまし

〔續後撰和歌集〕

〈五/秋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0274 鳥羽院御時、前栽合に、 大藏卿行宗
花すゝきまねかざりせばいかにして秋の野風の方をしらまし

菖蒲根合

〔赤染衞門集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0274 五月五日、右大將殿より、さうぶあはせしたるあふぎにくす玉ををきて、これがかちまけさだめさせ給へとありしに、とのは左大臣におはしましゝかば、
ひだりにやたもとのたまも結ぶらん右はあやめのねこそあさけれ

〔續世繼〕

〈一/菊宴〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0274 六年〈○永承〉さ月五日、殿上のあやめねあはせせさせたまひき、そのうたども、歌合の中にはべるらん、

〔扶桑略記〕

〈二十九/後冷泉〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0274 永承六年五月端午日、殿上侍臣、左右相分、有菖蒲合事、和歌五首、

〔百練抄〕

〈四/後冷泉〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0274 永承六年五月五日、禁裏有根合、蓋雞合後宴也、

〔古今著聞集〕

〈十九/草木〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0274 永承六年五月五日、内裏に菖蒲の根合有けり、此こと去三月晦日、堪能の上達部ひとりふたり殿上人等をめして、弓の勝負ありけり、又鷄合も有けり、其勝負なきによりて、菖蒲の根をあはせて勝負を决せられける也、御裝束、永承四年十月歌合の儀のごとし、中宮皇后宮みなさぶらはせ給ふ、内大臣賴宗、民部卿長家、按察大納言信家、小野宮中納言兼賴、さへもんのかみ隆國、侍從中納言信長、二條中納言俊家、中宮大夫經輔、左宰相中將能長、三位中將俊房、三位少將忠家など參り給ひけり、左右の方人夕べにおよんでまいりけり、まづ御殿にあぶらを供ず、其後左右の文臺をたつ、高サ四尺なりけり、南のひさしの座の東の間に、東面の妻にかきたつ、洲濱をつくりてしろがねの松をうへたり、又おなじき鶴龜をすへたり、沈香をもて岩石を作りたてたり、其あいだに銀のやり水をながして、其前に机を立て、そのうへに書一卷ををく、像眼をもて紙し て、色紙形を摸して、をの〳〵和歌五首をかく、しろがねをのべて表紙として、彩色あをくみどり也、虎魄を軸として、しろがねをひもとす、すはまにうちしきあり、あをき色のうすものをもて浪の文になずらふ、長根五筋をわがねて松の上にをき、洲のほとりにをけり、かずさしの洲のうへにもをけり、又藥玉五流わがねて洲のうへにをく、方の人々東のゑんの上に候、つぎにかずさしのすはまをたつ、藏人是をかきて、文臺のひがしにをく、石たてゝ小松をうへたり、菖蒲をつくりてかずさしの物とす、次に又藏人右方の文臺をかきたつ、方二尺ばかりなる其うへに大鼓だいを立て、其上に大鼓をたつ、そのまへに蝶舞の童六人をつくりたてゝ、其根の上にをの〳〵和歌をかく、みな銀をもてつくれり、又藥玉ながき根をわがねてすはまの邊にをく、藥玉みな金銀にてつくれり、方の人西のすのこに候ず、次に籌刺のすはまをたつ、藏人一人これをかきて文臺の西のかたにをく、すはまに竹臺のていをつくりて、竹をうへてかずさしの物とす、其後仰によりて公卿をわかちて左右とす、左のかたの公卿相引て、御前の簀子をへて東にわたりて座につく、内大臣師方卿、兼賴卿、信長卿、經輔卿、俊房卿也、左頭頭辨經家朝臣、右頭頭中將資綱朝臣すゝみて文臺の下に候す、此間に左右のかざしの童をの〳〵一人其所に候、くだんの童二人隆國卿の子息也、みな殿上に候しけり、頭辨經家朝臣、良基朝臣を召、頭中將資綱朝臣、基家朝臣を召、左右あひわかつて御まへに候す、經家朝臣ながき根を取て、良基朝臣にさづけて、南のひさしにのべおかしむ、右又かくのごとし、其長みじかをあらそふ、左の根一丈一尺、右の根一丈二尺にて右勝にけり、但右かたすこしまさりたりけるによりて勝に定められけり、三番を限りとしてとゞめられぬ、次に和歌五首をよむ、左の講師長方朝臣、讀師經家朝臣、右の講師隆俊朝臣、讀師資綱朝臣也、判者内大臣題菖蒲、郭公、早苗、戀、祝也、をの〳〵よみ終りてしりぞきて、本の座にかへりつく、次に管絃の御調度をめす、和琴民部卿、箏二位中納言、琵琶經信朝臣、笙定家朝臣、笛篳篥隆俊、唱歌資仲朝 臣、子調子ののち内大臣御氣色によりて、笏をさして御笛を取て、御座の下にすゝみてこれを奉る、主上〈○後冷泉〉御ふえをとらせおはしまして後、拍子奉仕せらるべきよし内大臣に仰らる、大臣仰を承て座に歸りつきて安名尊をとなふ、律曲の終りに諸卿に御衣をたまはす、をの〳〵退出、今度殿上人の祿はなかりけるとかや、

〔後冷泉院根合〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0276 殿上根合 永承六年五月五日
題 菖蒲 時鳥 早苗 祝 戀
作者 左方 左馬頭源經信朝臣〈持一〉 權左中辨藤原資行〈持一〉 藏人修理亮藤原隆資〈勝一〉式部大輔藤原國成朝臣〈持一〉 相模〈持一〉 右方 右近中將源顯房〈持一〉 右近中將資綱朝臣〈持一〉 右近中將源經俊〈持一〉 少納言源信房〈負一〉 良暹法師〈持一〉
一番 菖蒲
左〈持〉 左馬頭源經信朝臣
萬代にかはらぬものは五月雨のしづくにかほるあやめなりけり
右 良暹法師
つくま江のそこのふかきはよそながらひけるあやめのねにてしる哉
二番 時鳥
左〈持〉 權左中辨藤原資行
ほとゝぎすたゞ一聲に過ぬれば又まつ人になりぬべきかな
右 右近中將源顯房
うたゝねの夢にやあらんほとゝぎすまたともきかで過ぬなる哉
三番 早苗 左〈勝〉 藏人修理亮藤原隆資
五月雨に日はくれぬめり里遠み山田のさなへとりもはてぬに
右 少納言源信房
小乙女の山田のしみにおりたちていそげやさなへむろのはやわせ
四番 戀
左〈持〉 相模
うらみわびほさぬ袖だにある物を戀に朽なん名こそおしけれ
右 右近中將源經俊
下もゆるなげきをだにもしらせばやたゞ火のかげのしばしばかりに
五番 祝
左〈持〉 式部大輔藤原國成朝臣
秋のそらいづる月日のさやかにもよろづ代すめるくものうへかな
右 右近中將資綱朝臣
春日山枝さしそむる松の葉は君が千とせの數にぞありける

〔中右記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0277 寬治七年五月五日辛巳、今日新女院〈○郁芳門院媞子内親王〉女房之根合也、未刻左右方人參集東泉殿、〈左方西御所、右方東屋、〉但右方儀式不之、右方念人二位宰相中將、右大弁、兩貫首以下來會之後、源大納言〈雅〉淸書方和歌、書後從御所大納言、聞右中無淸書之人、仍遣此大納言也、此間左方人々議定云、此哥〈○哥恐事誤〉若有風聞者如何、然者講席之間可此由歟、酉時左方人々乘船進御前、是開水之中門道其路也、〈船頗輕、幄上葺菖蒲、本院侍四人、著布衣船差、其裝朿靑狩衣、紅梅袴、白單衣也、所々畫繪、〉二位中將著直衣此船、〈殿上人皆著直衣、此中伊豫守顯季朝臣、左少弁重資、兵衞佐房遠衣冠、〉吹雙調、次歌席田、爲參音聲、〈笙左近府生時之、拍子下官(藤原宗忠)頭少將付歌、刑部卿顯仲朝臣、今日可笙也、俄稱所勞由參仕也、復聞得右方之〉 〈女房語、申所勞之由不參云々、仍察乘時之一人令笙也、顯仲朝臣所爲奇恠也、〉秉燭之程進前庭、昇寢殿東階、先左方之六位等供燭、〈公卿之座上下二本、又切燈臺一本、立講師之圓座前、右方如此、〉右方人未參進前、公卿相分左右候、左方〈内大臣、民部卿、〉〈經〉〈源大納言、〉〈雅〉〈治部卿、〉〈俊〉〈左衞門督、〉〈家〉〈中納言中將、〉〈忠〉〈右大弁、〉〈通〉〈新宰相中將、〉〈仲〉 右方〈右大臣、判者中宮大夫師、新大納言宗、右衞門督藤中納言、左大弁匡、三位侍從、〉〈能〉又左右女房此前打出簾前、于時左方舁立文臺、〈左少弁重資先取打敷、自簀子御前之、六位二人舁文臺之、文臺調度之鏡筥也、入鏡有臺、横鏡枕體、〉續色紙一卷、〈銀表紙、瑠璃軸、〉書和歌、菖蒲五筋入此筥、以茵爲打敷、金銀紫檀沈等顯皆用之、次方殿上人進簀子候、〈二位宰相中將被左方公卿座〉次右方人參進、先右中弁師賴朝臣、右少將俊忠朝臣二人、取紙燭前行、童女二人、取文臺之机帳與一レ茵、進御前、置之〈文臺是枕机帳之帷也、色紙形書和歌、有懸角一、納菖蒲根也、地敷筵爲地敷、是又金銀也以藥玉机帳上、〉童女幷方殿上人等候簀子敷、次殿下召講讀〈此間院隨身等立明庭中布衣〉師等之間、左方之念人、中納言中將進令奏給云、先日籌刺燈臺之風流、如此事皆以可停止之由被仰下了、今右方已有童女者、此事不有者、再三被奏、時刻推遷之後、有仰被入童女、左方頗有咲氣、次左右講讀師進御前、〈左讀師頭弁季仲朝臣、講師宗忠、右讀帥顯賴朝臣、講師左少將能俊朝臣、〉午時漸卷上中央之間御簾、上皇〈○白河〉御覺、殿下自御簾中出、令同間之西柱邊給、已入幽興也、次合根、〈頭弁取出根、左少將忠敎進御前講師之前、左方根一丈六尺計、根之上有藥玉之花枚、次右方師賴朝臣與能俊朝臣、置御前八九尺計、無藥玉負、〉次右方〈依負方又進根六七尺許、根上有菖蒲葉、次左方根一丈三四尺許重左勝、〉次又右進銀根、于時中納言中將令奏給云、作銀大奇恠也、不合、雖然有仰、右方進銀根、有論無勝負、三番根依永承六年殿上之根合例、左方合根之人、講讀師之外、左少將忠敦勤之、而右方次合和歌、先左方讀師被然如何若失歟、和歌之書卷講師讀上之、先讀題目あやめ、〈不一番云事〉次歌、 一番
左 右少將忠敎
ナガキ子ゾハルカニミユルアヤメ草ヒクベキ末ヲ千トセト思ヘバ
右〈不題〉 齋院女房〈云攝津君
タヅノイルイハガキヌマノアヤメ草チヨマデヒカムキミガタノミニ
判者令奏給云、左右共比類興、爲持、〈○下略〉

〔續世繼〕

〈七/根合〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0279 媞子の内親王と申は、〈○中略〉ほりかはのみかどのあねにて、御はゝぎさきになぞらへて、皇后宮にたゝせたまふ、院號ありて、郁芳門院と申き、寬治七年五月五日、あやめのねあはせせさせたまひて、歌合の題菖蒲、郭公、五月雨、祝、戀なん侍りける、こまかには、歌合日記などに侍るらん、判者は六條のおほい殿せさせ給へり、周防内侍戀歌、
こひわびてながむるそらのうき雲や我下もえの烟成らん、とよめりけるを、判者あはれつかふまつりたるうたかなと侍ければ、右歌人かちぬとて、このうた詠じてたちにけるとなん、二位大納言の宰相におはせしにかはりて、孝善が、ひくてもたゆくながきねのとよみとゞめ侍るぞかし、

〔金葉和歌集〕

〈二/夏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0279 郁芳門院根合に、あやめをよめる、 藤原孝善
あやめ草ひくてもたゆくながきねのいかであさかの沼に生けん

〔百練抄〕

〈五/堀河〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0279 寬治七年五月五日、郁芳門院根合、兼日定兩方念人、有歌合、蓋大儀也、

〔古事談〕

〈二/臣節〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0279 郁芳門院根合之時、右方有五丈之根云々、件根備前國牟古計ノ狹戸ニアル似菖蒲物之根云々、凡菖蒲根長不丈也、前例尤長根ハ杜若ノ根也云々、

〔詞花和歌集〕

〈二/夏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0279 郁芳門院のあやめのねあはせによめる 中納言通俊
もしほやくすまのうら人うちはへていとひやすらん五月雨の空

〔〈康和二年五月五日〉備中守仲實朝臣女子根合歌〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0279 題 一番 菖蒲根
左〈持〉 周防掌侍
あやめ草ながきためしに引ばかりまたかゝるねはあらじとぞ思ふ
右 俊賴朝臣
みかきもる衞士のたま江におり立てひけばあやめのねもはるかなり〈○下略〉

〔續山之井〕

〈夏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0280 根合
根合やいはゞこと葉の花しやうぶ 〈江戸成瀨氏〉重政

瞿麥合

〔古今著聞集〕

〈五/和歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0280 東三條院〈○一條母藤原詮子〉皇太后宮と申ける時七月七日撫子あはせせさせ給けり、少輔内侍、少將のおもと左右の頭にて、あまたの女房をわかたれけり、うすものゝふたあゐがさねのかざみきたるわらは四人、なでしこのすはまかきて、御前にまいれり、其風流さま〴〵になん侍ける、なでしこに付たりける、
なでしこのけふは心をかよはしていかにかすらんひこぼしの空
時のまにかすと思へど七夕にかつおしまるゝなでしこのはな
すはまにたちたるつるに付ける
數しらぬ眞砂をふめるあしたづはよはひをきみにゆづるとぞみる
瑠璃のつぼに花さしたる臺に、あしでにてぬひ侍ける、
たなばたやわきてそむらんなでしこのはなのこなたは色のまされる
むしをはなちて
松虫のしきりにこしめ聞ゆるは千世をかさぬるこゝうなりけり
右のなでしこのませにはひかゝりたる、いもづるのはにかきつけ侍る、
萬代に見るともあかぬ色なれやわがまがきなるなでしこの花
すはまのこゝろばに、みづてにて、
とこなつのはなもみぎはに咲ぬれば秋までいろはふかく見へけり
久しくもにほふべきかな秋なれど猶とこなつの花といひつゝ
七夕まつりしたりけるかたあり、すはまのさきにみづてにて、 ちぎりけん心ぞながきたなばたのきてはうちふすとこなつのはな
ぢんのいはほをたてゝ、くろばうを土にて、なでしこをうへたるところに、
代々をへていうもかはらぬなでしこもけふのためにそにほひましける
此歌其は兼盛能宣ぞつかうまつり侍ける、これを見る人々、おのがひき〳〵心々にいひつくるとて、左の人、
かちわたりけふぞしつべき天の川つねよりことにみぎはをとれば
右の人
天の川みぎはことなくまさるかないかにしつらんかさゝぎのはし
此あそびいと興ありてこそ侍れ

〔前大納言公任卿集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0281 七月七日藤つぼの撫子あはせに、人讀半都滿字計たりける、〈○人以下恐有誤脱
たなばたの秋のよをへて撫子の花をぞけふはあはせつとみよ

〔中務集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0281 三條の女御なでしこ合し給に
あしたづのおれるはまべのなでしこは千世をや色も引はそふらん

女郎花合

〔朱雀院女郎花合〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0281 亭子院の御〈○字多〉おりゐさせ給ふて、またのとしきさきとみかどのせさせ給ふ、をみなへし合なり、
一番 左
草がれの秋過ぬべきをみなへしにほひゆへにやまづみえぬらん

あらがねの土の下にて秋まちてけふのうらでにあふをみなへし
二番 左 秋のゝにをみなへしみんとさしはへてぬれにしそでや花とみゆらん

をみなへし秋のゝ風にうちなびきこゝろひとつを誰によすらん〈○中略〉
花は右をとり、歌は左かちけり、

萩花競

〔藤原相如集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0282 一品宮、むめつぼのはぎの花くらべさせ給しに、
くらぶれどまさらざりけり花ながらこの宮城のゝ萩の下葉は

菊合

〔寬平菊合〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0282 題菊
左方占手の菊は、殿上童に立君を、女につくりて、花におもてをかざさせてもたせたり、いま九本をば、すはまをつくりてぞしたる、そのすはまのさまは、思ひやるべし、面白き所の名をつけつゝ、き、くにはゆひつけたり、
占手 山城皆瀨菊
うちつけにみなせはにほひまされるはおる人がらか花のかげかも
二番 嵯峨大澤池菊
一もとゝおもひしきくを大澤のいけのそこにもたれかうへけむ〈○下略〉

〔古今著聞集〕

〈十九/草木〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0282 延喜十三年十月十三日御記云、仰侍臣新菊花各十本分三番、相爭勝劣賭、以申時各方領花參入、〈一番入仙花、二番入瀧口、〉次第進花立庭中、〈一番種花以右洲形、二番栽火桶、各藏人所二人取立御前、〉左衞門督藤原朝臣候御前、傳作勝負總十番、勝方簾中拜舞、選進菊中各四本、栽西方小庭、十二月九日二番侍臣獻負柚、〈菊時負物也、此柚於射庭獻、而貢獻違失也、〉入夜出待賢門、左衞門督權中納言侍之飮酒、
天曆七年十月十八日、殿上の侍臣左右をわかちて、をの〳〵殘菊を奉りけり、主上〈○村上〉淸凉殿東の孫庇南の第三間に出御、王卿東の簀子に候、仰に云、延喜十三年侍臣獻菊、かの日只左衞門藤原 定公一人候、仍不分左右、至于今日數人旣候可相分とて、右大臣、大納言源朝臣、參議師氏朝臣三人を左方とす、大納言藤原朝臣、左衞門督藤原朝臣二人を右方とす、左菊いまだ仰かうむらざるさきに弓場殿にかきたつ、其後召によりて御前の東庭にまいる、洲濱に菊一本をうへたる、藏人所衆六人してこれをかく、仁壽殿の西の砌にしの邊に、兵衞府の圓座一枚をしきて、殿上の小舍人壹人矢三をもちて候、洲濱の風流さま〴〵なり、中に銀の鶴に菊の枝をくはへさせて、其葉に歌一首をかく、其後右菊やゝひさしうしてまいらせざりければ、たび〳〵もよほしおほせらるるほどに、秉燭に及て奉りければ、それも所衆ぞかきたりける、かずさしの圓座はなし、風流左におとりたりけり、しろがねの鶴にきくをくはへさせて、歌を書たる事左におなじ、右大臣奏し申されけるは、右花其粧劣也、加之數度雖召良久不獻、然則第一花可左勝、仰云、事理也、仍左かずをます、其時大臣座を立て負方の公卿に罰酒をこなはれけり、勝負あるごとにかくなんをこなはるべきに、左第二花をたてまつる、其花あざやかなれど、かたぶきふしたりければ、仰によりて負に成にけり、仍左數をぬく、第三の花左かちてすなはち亂聲をはつして龍王を奏す、左衞門權佐公輔息に小舍人橘知信がつかうまつりける、次左方公卿侍臣前庭にして拜舞ありけり、其後左方有相朝臣、右方延光朝臣に仰てつるのふくむ和歌をめさる、をの〳〵とりてまいりて、御座の南邊にこうす、則兩人をもてよませられけり、
〈左歌〉 ちとせふるしものつるをばをきながらきくのはなこそ久しかりけれ
〈右歌〉 たづのすむ汀のきくはしらなみのおれどつきせぬかげそ見へける
其後舞を奏す、左方澁川鳥、左近將曹船木茂眞、舞師長尾秋吉ぞつかうまつりける、右方綾切、右衞門府生秦良佐、近衞身高つかうまつる、後々舞くだんの四人更に奉仕しけり、左右たゞ勝負まひのまうけばかりにて、他舞のまうけなかりけるを、俄の仰によりて餘曲をば供しけり、左萬歲樂、 太平樂、右石川樂、長保樂等也、舞終て更に雙調を奏す、管絃にたえたる侍臣等、河竹の北邊にこうす、又樂所の輩も同所のひがしの邊に候て、或は謠、或は吹彈、此間に御膳を供ず、又侍臣に仰て御箏を奉る、これよりさきに御座の南邊に置物御厨子一脚をたてゝ、くだんの御箏ををきまうけたり、式部卿の親王和琴を彈じ、源大納言琵琶を彈じけり、御遊をはりて王卿以下に祿を給ふ、又御みきまいりて式部卿親王にたまはせける、親王すなはち御前の階間より庭にをりて、拜舞し給ひけり、南の長階よりのほりて座につく、さらに盃をとりて次第にくだりけり、納言御插頭のまうけ有、獻ずべきよし申されけり、

〔上東門院菊合和歌〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0284 一番 左 伊勢大輔
ながきよのためしにうふる八重の花行すゑとをく君のみに見む
右 伊與中納言
むらさきの匂ひことなる八重の花はつしもよりやわきてをくらむ

〔後拾遺和歌集〕

〈五/秋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0284 上東門院〈○一條后藤原彰子〉きくあはせせさせ給けるに、左のとうつかまつるとてよめる、 伊勢大輔
めもかれず見つゝくらさんしら菊の花より後の花しなければ

〔鶉衣〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0284 菊合賦〈與成田某
此あるじの菊作るに、すけるすかずは誠にかくあらましや、されば作るべき花のこれならで何ならん、白は吉野の雲をなびかせ、黃は玉川の露をあらそふ、あるは二月の紅にまさり、あるは八橋の紫をうばひて、詩客の車も停むべし、昔をとこの袖もぬれなん、淺深濃淡の色はさら也、花形は百種の新奇を咲て年々に其目をおどろかし、國々に其名を聞ゆ、〈○中略〉いざ我判者せんといふに、物定のはかせにはあらねど、只賦つくりて其日の笑とはなせりける、

荊合

〔中右記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0285 寬治六年四月廿二日甲戌、上皇〈○白河〉爲御見物、有幸紫野、〈○中略〉此間供奉所司被催公卿、於御車前、或有https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00080.gif 合興

芝競

〔新撰六帖〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0285 しば 知家
こまはなつ野邊のうなひが芝くらべながき曰くらすこれやなぐさめ

〔答問雜稿〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0285 按、芝くらべといふは、うなゐわらはどもの、つばなすみれなどをつみあつめて、おのがどちくらべあそぶをいふ、草をたゝかはすといふも同じこと也、

紅梅合

〔藤原高光集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0285 紅梅あはせに
鶯のすをくひそむる梅のはな色もにほひもおしくも有哉

花合

〔古今著聞集〕

〈十一/畫圖〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0285 永承五年四月廿六日、麗景殿女御に繪合ありけり、彌生の十日あまりの比より其沙汰有けるは、〈○中略〉むかしよりきこゆる花合は、散てふるき根にかへりぬればにほひ戀し、草合は尋て本の所へ返しやれば、名殘うるさし、

〔長秋記〕

〈目錄〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0285 承德二年三月二日、依召參内、明日中宮〈○堀河后篤子内親王〉御方花合云々、望夜聞延引由

〔殿曆〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0285 長治二年閏二月廿四日壬辰、申時許爲隆來云、中宮〈○堀河后篤子内親王〉女房今日有花合、非兼日支度、自昨日始云々、

〔新千載和歌集〕

〈二/春〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0285 長治二年閏二月、中宮花合によみ侍ける、 權中納言國信
手折もて宿にぞかざす櫻花稍は風のこゝろめたさに

〔散木弃謌集〕

〈一/春〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0285 堀河院御時、きさいの宮の御方にて、かたをわかちて花をおりにつかはして、御前のいづみにたてならべて、歌よませ給けるによめる、
吹風をいとひてのみもすぐすかな花みぬ年の春しなければ

〔十訓抄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0285 同〈○堀河院〉御時、中宮の御方にて花合といふ事有けるに、越前守仲實が歌に、玉の身といふ ことをよめりける、いま〳〵しき事と人申けるほどに、宮やがてうせ給にけり、

〔藤原光經集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0286 内裏女房花合にまけて、花にさしていだすべき歌こひ侍しかば、吹風も治れる世は音もせでのどかに匂ふ花ざくらかな

紅葉合

〔淸原元輔集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0286 村上の御時に、紅葉合殿上人にせさせ給ふに、
わが思ふくらぶの山のもみぢばにおとらぬものはこゝろなりけり

〔藤原淸正集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0286 うちの紅葉あはせ、九月ふたつあるとし、
くれなゐのやしほの色はもみぢばの秋くはゝれる年にぞ有ける

道具競

〔拾遺狂言記〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0286
罷出たる者は、此邊りに住居いたす者でござる、此間のあなたこなたに、お道具くらべはおびただしい事でござる、それにつき此度は、よろひをくらべさせられうとある、身どもの内によろひがあるか存ぜぬ、まづ太郎冠者にたづねうと存ずる、

扇合

〔紀貫之集〕

〈七/賀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0286 恒佐中納言殿の扇合の歌、すはまに入たり、
住の江の松のかぜをもこめたればあふぐ扇のいつか絶せん

〔圓融院扇合〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0286 宮の御方にうへおはしましてらごとらせ給ひて、かたせ給へるかちわざ、六月十六日にうへせさせ給ふ、梅つぼにわたらせ給へるに、殿上人中少將をはじめてとりつゞきまいる、南は御すだれより外にあげて袖ぐちどもとりいる、したんのをきくちしたるらてんの御筥に、緋扇十枚入させ給ひて、からのうすものゝすはうのすそごのさいでにつゝみて、おなじ紫のくみして、白がねを桔梗をみなへしの枝に造りて付させ給へり、白がねこがねのこものしたに、からの羅をあゐ色に染て、ひとへにてはれるもぬへるもあしでにて、
君が代をまつふく風にたぐへてぞかへすちとせのためし也ける しろがねをばまづ萩のかたに色どりて、からの羅を淺みどりにしてはれり、それにあしでにてぬへるなんめりき、
澤に住たづの羽かぜに凉しきは君が千とせをあふぎ成べし〈○下略〉

〔十訓抄〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0287 行成は道風が跡を繼て、めでたき能書なりけり、いまだ殿上人の比、殿上にて扇合といふ事有けるに、人々珠玉をかざり、金銀をみがきて我をとらじといとなみあへりけり、彼卿はくろくぬりたる細ぼねのたけたかきに、黃なるかみはりて、樂府の要文を眞草に打まぜて、所々書て出されたりけるを召て御らんじて、是こそいづれにも勝れたれとて、御文机にをかれけり、

〔中右記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0287 寬治三年八月廿三日、大后〈○後冷泉后藤原寬子〉於宇治、有女房扇合、基綱朝臣、予〈○藤原宗忠〉爲講師

〔金葉和歌集〕

〈三/秋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0287 太皇太后宮の扇合に、月の心をよめる、 大納言經信
みかさ山みねより出る月影はさほの河せの氷なりけり
太皇太后宮の扇合に、人にかはりてもみぢの心をよめる、 源俊賴朝臣
音羽山もみぢちるらしあふさかの關のを川ににしきをりかく

〔長秋記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0287 保延元年五月十七日己丑、女院近習女房殿上人、左右各十餘人、調扇紙合之由日來云々、今日有其事、左方坊門殿、〈故關白息女〉小因幡、美濃、〈光淸娘〉大宮少將、少輔男公能朝臣、公道、光忠、光隆、爲盛、藏人淸則、右大炊殿、〈顯能妻〉土佐、侍從、小少將、紀伊、男經宗朝臣、爲通、師仲、爲成、範高、淸重臨期上皇〈○鳥羽〉御幸、右方女房著種々裝束、出儿丁帷、寢殿於南廂此事、垂母屋御簾、右方二階上置紙筥十一、各所進也、敷龍鬢其上、二階敷唐錦茵、以扇爲樣、左方無其設、只進紙不合筥、或以銀作是、或卷付、或只裹紙云々、

〔源平盛衰記〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0287 主上鳥羽御籠居御歎事
折々ノ御遊、所々ノ御幸、御賀ノ儀式ノ目出カリシ、今樣朗詠ノ興アリシ事、扇合繪合マデモ忘ル ル御隙ナク、只今ノ樣ニゾ、被思召出ケル、

〔平家物語〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0288 小朝拜
平家はさぬきの國八嶋のいそにおくりむかへて、年の始〈○壽永三年〉なれ共、元日元三のぎしき事よろしからず、〈○中略〉花のあした月の夜、詩歌くはんげん、まり、小弓、扇合(○○)ゑ合せ、草づくし、虫づくし、さまざまけう有し事共思ひ出、かたりつゞけて、永き日をくらしかね給ふぞ哀なる、

小筥合

〔伊勢集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0288 九の宮〈○九の宮、一本作九條、〉のみやすどころの御もとに、こばこあはせのころ、はこにこうばいのつぼめるを入てまいらせたるに、
君にとし思ひかくればうぐひすの花のくしげもをしまざりけり〈○返歌略〉

貝合

〔倭訓栞〕

〈中編四/加〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0288 かひあはせ 貝合也、かひおほひともいへり、徒然草に見ゆ、耳白と蛤を用うといへり、或はおだまの貝とて、鹿島香取の浦の蛤を用うともいへり、

〔東海道名所記〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0288 桑名より四日市まで三里八町
右の方に城あり、町中を上るに、大手の橋、左のかたにあり、爰は蛤の名物あり、蛤は諸國にあれども、貝合の貝になるは、伊勢はまぐりにまさる事なし、〈○中略〉貝厚くして破れがたしといふ、

〔萬寶全書〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0288 貝合之貝之事
一桑名貝 勢州名物尤吉、耳白、横さしわたし貳寸三分、或は貳寸五分、此大きさなるが貝合によ、し、かた手にて取物なるゆへなり、貝の員數三百六十合有、左右にて七百貳拾片有、
一朝鮮貝 上々耳白、大なるは横さしわたし貳寸八分程有、貝合の貝には朝鮮貝の大なるは惡しと也、され共大にて見事なるゆへに直段高直成ものなり、

〔貝盡浦の錦〕

〈上/凡例〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0288 夫かいを弄(ならぶ)る事、古來は只蛤の大なるを三百六十を集め、これをかざるに中を絹を以てhttps://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02321.gif (ねん)し、金銀を點じ、五彩の畫をほどこす、六角の笥に納てこれを合を以て兒女の翫 とす、未もろ〳〵の介をあげ用ゆる事をしらず、元祿の始の頃より大に此弄おこりて、都鄙全く時行(はやら)す、賞鑑彖古人の貝をよみをける古歌を取集て、四條大納言公任の撰び給ふ三十六の歌仙の數に配して、つゐに三十六歌仙介となしてもてはやしぬ、其時歌を集る事ひろからず、不審なる引歌多し、因て其後これを考て、新撰の歌仙介世に行る事は、後歌仙集序中に見えたり、前後の三十六介となりぬ、今按るに、後に撰し方尤委し、取用べし、

〔山槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0289 應保二年三月七日、參内、貝合事、右方人右大將以下、於宮殿上議定云々、 八日、午刻參内、貝合、左方人中宮權大夫實長卿、參議親隆卿、能登守重家朝臣、右少將通能朝臣、左衞門權佐爲親、予、〈○藤原忠親〉等於宮御方議定、大略令爲親書折紙、送右府御許、令子細、爲親所參向也、
一奉幣事、八幡賀茂住吉、已上使、所衆、〈前右府御沙汰歟〉爲意使所衆事、召仰出納仲政丁、
一願事、八幡、〈御神樂〉賀茂、〈競馬〉住吉、〈參詣〉
一當日誦經事
一貝風流〈可伊勢海
一方人裝束〈束帶〉
哺時參花山院、申承雜事退出、 九日、未刻參内奏事、〈○中略〉晩頭右府被參、貝合事等申承、 十日、今日爲貝合祈禱左方奉幣、〈石淸水、賀茂、住吉、〉右府被幣帛沙汰、彼家仕丁持之、下家司相具、向近衞河原、藏人左兵衞尉平信季、向彼所發遣之、使可藏人所衆之由有議定、仍三人可差遣之由、兼所出納仲政也、抑陰陽師不參、藏人可沙汰歟、又自右府沙汰歟、 十一日、申刻許於宮殿上、貝合方人有之事、右府爲弘有結構、而頗不定事、仍不過差之由、以左衞門權佐爲親〈左方人也〉被遣仰、有出御、此後參大殿之處、職事等退出、仍空以退出、

〔袋草紙〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0289 予應保二年三月三日昇殿、來十三日中宮〈○二條后藤原育子〉御方可貝合事、仍俄所仰下也、同七 日賜和歌題二首云々、同日可講、廻風情早可初參云々、仍不吉凶件夜付籍了、〈御所高倉殿〉翌日御會、〈東向御所〉月卿兩三、雲客數十講云々、

〔出觀集〕

〈雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0290 おなじ御とき〈○二條〉内裏にてかひあはせあるべしときこえけるに、ある人のうたを申ければ、
もゝしきの玉の臺の簾貝あしやがうらに波やかけゝん
雲の上にちりぞまがへる春風の吹あげの濱の梅の花かひ

〔山家集〕

〈下/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0290 内〈○二條〉に貝あはせせむとせさせ給けるに、人にかはりて、
風たゝで波をおさむるうら〳〵に小貝をむれてひろふ也けり
なにはがたしほひにむれて出たゝむしらすのさきのこ貝ひろいに
風吹ば花咲波のおるたびに櫻貝よるみしま江のうら
波あらふ衣のうらの袖がひをみぎはに風のたゝみをくかな
なみかくる吹上の濱の箔貝風もぞおろすいそにひろはん
しほそむるますをのこ貝ひろふとて色の濱とは云にや有らん
波よするたけのとまりのすゞめ貝うれしきよにもあひにける哉
波よするしらゝの濱のからす貝ひろひやすくもおもほゆる哉
かひありな君が御袖におほはれて心にあはぬことしなき世は〈○中略〉
伊せのふたみのうらに、さるやうなるめのわらはどものあつまりて、わざとのことゝおぼしく、はまぐりをとりあつめけるを、いふかひなきあま人こそあらめ、うたてきことなりと申ければ、かひあはせに京よりひとの申させ給たれば、えりつゝとるなりと申けるに、
今ぞしるふたみのうらのはまぐりをかびあはせとておほふ也けり

〔競物名彙〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0291 春村按ふに、右のうち山家集の、かひありな云云と、今ぞしる云云との歌は、貝合と貝覆とを、ひとつにおぼえてよまれたるに似たり、抑貝合はさま〴〵の貝をあはせて、それに歌をもよみそへ、さて甲乙を定むるなり、又貝覆ははまぐりの貝を、片おもてづゝそこら散しおきて、其片おもてをおほひ合せて、勝まけを爭ふなり、さるをひとつにせられたるは、いかにぞやおぼゆるぞかし、

〔風葉和歌集〕

〈十八/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0291 人々つどひ侍て貝合し侍りける所に、負なんずと幼きものゝ歎きけるに、誰ともなくて云ける、 貝合の藏人少將
かひなしと何歎くらんしら浪も君が方には心よせてん

〔堤中納言物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0291 かひあはせ
このひめ君とうへの御かたのひめ君と、かひあはせせさせ給はんとて、月ごろいみじゆあつめさせ給ふに、あなたの御かたは、だいぶの君侍從の君と、かひあはせせさせ給はんとて、いみじくもとめさせ給ふなり、まうが御まへはたゞわかぎみ一ところにて、いみじくわりなくおぼゆれば、〈○下略〉

〔雍州府志〕

〈七/土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0291 貝 倭俗婦人合貝爲遊戯、其法以三百六十之貝左右分之、圍並床上、空其中央、貝一雙内右貝稱地而並床上、左貝稱出(ダシ)、毎一箇而出置中央、之隙地、各圍坐視之、則出貝與地貝其紋采有合者則取出貝地貝、其所合之貝多者爲勝、少者爲負、其貝大蛤蜊也、始出伊勢桑名海濱今大者絶、故多用朝鮮貝也、桑名貝其形色麗而有温潤、朝鮮貝形色共麁惡而不之、畫草子屋幷張子屋多製貝幷桶而賣之、凡盛貝器、其形似桶、故稱貝桶

〔めのとのさうし〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0291 御かひめしいだされ候はゞ、まづひだりをもちてまいり、のちにみぎをまいらせ候、御かひうつして、二かたへわけて、くちにしろきを、十二にても、おほきならば十にても、げに げにくちひろくば、八つもたて申候、それも中にかひのゐ候はんほどを御らんじて、あはせ候べし、ちいさきは十六もたて候はんにせぬ事にて候、いだし候事はちとさがりたるやくなり、すゝまずしんしやくせぬ事にて候、さていだし候へとある時、かひを手のうちにもちて出すべし、うへとある人の御かたへ、かしらをむけて出すべし、うへに御あはせ候はんほど、まちまいらせて出すべし、また下の人おほひ候はゞ、やがて出し候べし、上をまたせ申さぬ事にて候、めしつかふ人にも御をしへ候へ、みやづかひのひとしつけ候はねば、御うへにものをしろしめさぬになり候べし、

〔宣胤卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0292 長享三年八月九日乙未、今日自中山黃門貝歌事所望書樣事、一條亞相返事如此、但貝事、左右各一首書之、贈答歌書之間、贈ヲ右ニ答ヲ左ニ所書也、古今戀歌書之、

〔嫁入記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0292 一御物行やうのしだい
一ばん 御貝桶〈○中略〉
一おいかいおけの事、角口のひろさ九寸三四分、たかさ九寸以上、四所にかつらを可入、二すぢづつならべて、そこきはに一ところ、ふたと身とのあはせめに一所、中ほどに一所、ふたのまはりとかうのいたのさかいに一ところなり、みのかたにのみいれをするなり、かみにて上をよくはりてゑをかくべし、ゑにはげんじのところ、また松竹などしかるべし、ふたにつるかめなど二ツづつむかひ合候てしかるべし、あしはつかぬものなり、
一かひのかずは三百六十なり

〔貞丈雜記〕

〈十六/諸結〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0292 一今世間に貝桶の結は鬼結と云むすび樣有と云人あり、鬼むすびと云事古傳になし、貝桶の結やうの事も包結記にしるし置く也、

貝覆

〔蓮歩色葉集〕

〈賀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0292 貝掩(カイヲフ)

〔徒然草〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0293 貝をおほふ人の、我まへなるをばをきて、よそを見わたして、人の袖のかげ、ひざの下まで目をくばるまに、前なるをば人におほはれぬ、よくおほふ人は、よそまでわりなくとるとは見えずして、ちかきばかりおほふやうなれど、おほくおほふなり、

〔野槌〕

〈下二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0293 貝をおほふ 貝あはせの事なるべし

〔〈女用敎訓〉繪本花の宴〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0293 貝おほひ
まづ我かたの貝をみつくして、扨よその貝え目をくばるべし、出し貝のたび〳〵に、われはやくおほはんとそう〴〵しきはみぐるし、しとやかならんには、二見の浦めるけしきもなく、誠のすさみを今ぞしる、とよめる西行にも見せたし、

〔源平盛衰記〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0293 行綱中言事
多田藏人行綱ハ、〈○中略〉五月〈○治承元年〉廿日、西八條へ推參シテ見レバ、馬車數モ知ズ集タリ、藏人何事ヤラント思テ尋問ケレバ、案内者トオボシクテ答ケルハ、是ハ入道殿〈○平淸盛〉福原御下向ノ御留守ニ、君達會合シテ、貝覆ノ御勝負也ト云ケレバ、〈○下略〉

〔玉海〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0293 壽永元年二月十八日己未、午刻參御堂、今日供養百種於舍利之、次有佛經供養事、佛者如意輪繪像、御平生之時雖圖寫供養、今日依吉曜之、經者蛤貝書之、聖靈〈○皇嘉門院〉平日殊令貝覆之戯給、仍爲彼罪、所眞實之妙文也、且先例多存故也、

〔藤原隆祐朝臣集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0293 住吉に侍しに、都より知たる女房あまた天王寺に詣でゝ侍しかば、住吉の神主
經國女に、おほひかひこはんとおもふに、歌のそへたきよし申侍しかば、讀てつかはし侍し、波よするつもりのうらによる貝をひろはぬ袖にうつせとぞ思ふ
返し貝にかきて
たづねきてひろはぬ浦のつらければ袖、につゝむにかひやなからん

〔看聞日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0294 應永廿八年三月十二日、雨降、雨中徒然之間有貝覆、分左右、予〈○後崇光〉椎野御喝食女中御寮等覆之、左負畢、則有所課、 卅年三月十四日、甚雨降、有雙六、其後女中男共分左右貝覆、女中一方、男一方也、女中負畢、則負態有盃酌、壽藏主候、雨中一興也、 十九日、先日貝覆女中負之間、殊無念事歟、妬被張行、手分如先度、又男方勝、二番覆毎度男勝畢、高名無極、所課責伏有盃酌、 四月五日、先日貝覆女中兩度負態、被行其還禮、男衆又表其禮畢、

〔管見記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0294 文龜三年二月十三日、女房衆貝遊有勝負事

〔二水記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0294 永正十四年五月八日、參山科番代、宮千代丸令候、有勝負之御貝、今日女中申御沙汰也、先日御負事云々、今日男衆負、御酒宴入興、萬松軒、勸修寺宮、中務卿宮、竹内殿等御參、奏聲巡舞等狼藉之、及深更各退出了、 十二日、御貝之負事有之、今日男衆申沙汰也、宮御方御負衆也、宮千代丸令祗候、萬松軒、中務卿宮、竹内殿等御參、甘露寺、冷泉前中納言等祗候、及五更果了、各沈醉入興、無是非者也、
廿三日、參當番、有御貝負、宮千代丸祗候、今日宮御方伏見殿親王御方御負事有之、御酒宴及深更
六月六日、宮千代丸祗候、有御貝、伏見殿宮御方曼珠院宮等御參、 十四日五日兩日有御貝、宮千代令祗候、上乗院、妙法院、勸修寺宮等御參、

〔甲陽軍鑑〕

〈二/品第六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0294 信玄公御時代諸大將之事
一武田信玄晴信公十三歲の御時、駿州義元の御前は信玄のあね子にておはします、此姉子の御方より母公へ貝おほひのためにとて、蛤をおくりまいらせらるゝ、信玄公を勝千代殿と申時なれば、御母公より上﨟をもつて、此蛤の大小を扈從どもに申付、ゑりわけて給はれとの御事也、卽大をばえりてまいらせられ、小き蛤たゝみ二帖敷ばかりに大方塞り、たかさ一尺も有つらん、是を扈從どもにかぞへさせ給へば、三千七百あまりなり、〈○下略〉

〔言繼卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0294 永祿七年三月卅日壬申、自禁裏參之由有之、申下刻參、御貝覆勝負有之云々、女中御銚 子被進、御若宮御方、岡殿女中衆、中山大納言、源中納言、輔房朝臣、公遠朝臣、重通朝臣、親綱等也、此予三條中納言被參、御酒於御三間之出御無之、音曲有之、及黃昏各退出了、

〔御湯殿の上の日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0295 慶長三年四月八日、御貝覆あり、女二の宮の御かた、女三の宮〈○淸子内親王〉の御かた、准后大御ちの人、御まけかたにて、やがて御せうぶ、今度のことなり、 十一日、けふ御貝覆の御せうぶあり、女二の宮の御かた、女三の宮の御かた、御ふるまいおはしまし候、内々の男達十人ばかりしかうにて、御ひし〳〵にてめでたし、だいのもの色々まいる、 九年うるう八月四日、御かいおほいの御しやうぶの御ふるまいあり、女院の御所ならします、八でう殿、大しやう寺殿もなる、御まけしゆうにて、女御の御かたより、だいの物まつたけ一折、御たるまいる、新ないし殿より、くり一折、かき一折參る、いよ殿より、御たる參る、あぜち殿より、折、御たる參る、おとこたちしかうあり、く御參る、

〔四十二のものあらそひ〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0295 貝おほひと すぐろくと
ひし〳〵とつどひておほふ貝よりもたゞふたりゐてめをやろんぜむ

〔四十二のものあらそひ〕

〈補遺〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0295 かひおほひと 手まりと
くろかしのみだれてさわぐまりよりも貝におほへる袖はなつかし

〔立圃句集〕

〈冬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0295 貝おほひのあそびに馴ざる間は、取にくし、よく目なれたる貝は、出す手の下より合せてとる也、
逸物の鷹や目なれの貝おほひ

角合

〔山槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0295 治承二年六月十九日壬午、今日於院〈○後白河〉有火打角合云々、一方公卿殿上人僧幷四十餘人、一方北面下﨟等也、公卿方作銀海銀船、〈都合銀三千云々〉其内納角、北面下﨟、厨子一脚上、置銀手桶二合之、此事近日天下經營、諸人愁歎、或下知莊園生牛角數十、適持來、稱下品之、罪業之因緣之 由或人來談也、

〔百練抄〕

〈八/高倉〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0296 治承二年六月十九日、上皇御所有角合事、天下營只在此事、

物語合

〔榮花物語〕

〈三十七/烟の後〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0296 せんだいをば後朱雀院とぞ申める、その院のたかくらどのゝ女四宮をこそは齋院とは申めれ、〈○中略〉物語合とて、いまあたらしくつくりて、ひだり右かたわきて、廿人あはせなどせさせ給て、いとおかしかりけり、

〔後拾遺和歌集〕

〈十五/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0296 五月五日、六條前齋院に、ものがたりあはせし侍けるに、小辨をそくいだすとて、かたの人々とめて、つぎの物がたりをいだし侍ければ、宇治の前太政大臣、かの小辨がもの語は、見どころなどやあらんとて、ことものがたりをとゞめてまち侍ければ、岩がきぬまといふものがたりをいだすとてよみはべりける、 小辨
引すつる岩がきぬまの菖蒲草思しらずもけふにあふかな

雙紙合

〔袋草紙遺編〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0296 後朱雀皇女正子内親王造紙合、判者〈不之〉講師〈左四位少將、右兵衞佐、〉左銀透筥、蓋入古今繪七帖、新繪銀造紙一帖、右銀透筥、納繪造紙六帖、新歌繪銀草子一帖

〔續世繼〕

〈二/紅葉の御狩〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0296 白河院は、〈○中略〉御めのとの二位も、かん日に參りそめられたりけるとかや、〈○中略〉從二位親子のさうし合とて、人々よき歌どもよみて侍るも、いとやさしくこそきこえ侍りしか、

〔金葉和歌集〕

〈四/冬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0296 從二位藤原親子家のさうし合に、しぐれをよめる、 修理大夫顯季
しぐれつゝかつちる山の紅葉をいかに吹よのあらしなるらむ

〔金葉和歌集〕

〈七/戀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0296 從二位藤原親子家の雙紙合に、戀の心をよめる、 宣源法師
いまはたゞねられぬいをぞ友にする戀しき人のゆかりとおもへば

〔吾妻鏡〕

〈二十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0296 建曆三年〈○建保元年〉正月十二日甲寅、幕府女房等有雙紙合會、將軍家〈○源實朝〉令之給云 云、

かみ〴〵合

〔散木弃謌集〕

〈九/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0297 大殿にてかみ〴〵あはせといふことせさせ給けるに、師のこひければよめる、君がよを神々いかにまもるらんしげきめゆひの數にまかせて〈○中略〉
人のもとにまかりたりけるに、かみ〴〵をひきて、ものにとりいでゝ侍りければよめる、嬉しさのあまのみ空にみちぬればいとなくかみをあふぎみる哉

寶競

〔狂言記〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0297 あはだ口
〈大名〉罷出たるは、遠國の大名、太郎くわじや有か、〈くわじや〉おまへに、〈大名〉ねんなふはやかつた、此中のたからくらべは、おびたゞしい事ではなかつたか、〈くわじや〉中々おびたゞしい事で御ざりました、〈大名〉いづれものたからにまけいでうれしいな、〈くわじや〉いやも、わたくしらていまでが、うれしう御ざりまする、〈大名〉それよ〳〵、さりながら明日は、あはた口を、くらべさつしやれうと有、してそれがしがたからの内に、あはた口といふものはないか、〈くわじや〉されば殿樣の七萬寶のたからの中に、あはた口は御ざりませぬ、〈○下略〉

〔續狂言記〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0297 寶の笠
〈初アト〉大果報の者、誠に天下をさまり、あなたこなたの御參會お振舞は、おびたゞしいことでござる、それについて、此度は、目の前にきどくの見ゆるたからを、くらべうと有、某が藏の内に、さや、うの寶が有か存ぜぬ、尋ねませふ、やい〳〵太郎くわじやあるか、〈○下略〉


トップ   差分 履歴 リロード   一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2023-04-14 (金) 14:48:17