https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0375 茶ノ我國ニ傳來セシ年代詳ナラズ、嵯峨天皇弘仁六年、勅シテ畿内及ビ近江、丹波、播磨等ノ諸國ニ茶ヲ植エシメシ事アリ、順德天皇建保二年、將軍源實朝飮酒ニ因リテ病ニ罹ル、僧榮西爲ニ茶一盞ヲ獻ジ、稱シテ良藥ト爲シ、別ニ一書ヲ獻ジ茶ノ功ヲ記ス、今世ニ傳フル所ノ喫茶養生記或ハ是ナラン、其法ニ方寸ノ匙ヲ用イルコトアレバ、其茶ハ則チ抹茶ナルベシ、南北朝ノ初、茶會ト稱スル事盛ニ行ハル、而シテ其茶會ハ專ラ茶ヲ賞スルニアラズシテ、其席ニ珍器ヲ陳ネ、酒肴ヲ設ケ、本茶非茶ヲ判シテ勝負ヲ決ス、本茶トハ栂尾ノ茶ヲ云ヒ、非茶トハ本茶ニ非ザルヲ云フ、時ニ搢紳武家榮枯地ヲ易へ、武家ハ大ニ富豪ナリシヲ以テ、佐佐木道譽等ノ大名、頻ニ茶會ヲ催シ、盛饌ヲ設ケ、沈香、麝香、沙金、絹帛、鎧、大刀ノ類ヲ以テ賭ト爲シ、勝テバ則チ之ヲ己ニ入レズ、其物ヲ擧ゲテ之ヲ其席ニ在ル田樂、白拍子等ニ投與ス、其後足利義政洛外東山ニ退隱シ、東求堂ニ居リ、堂内ニ四疊半ノ茶室ヲ作リ、同仁齋ト名ヅケ、屢、茶宴ヲ設ケテ品質ヲ論ジ、同朋眞能、及ビ奈良稱名寺ノ僧珠光等、茶事ニ通ズルヲ以テ、常ニ之ニ侍セシム、是ヨリ茶事盛ニ天下ニ行ハル、眞能一ニ能阿彌ト稱ス、其子眞藝、藝阿彌ト稱シ、眞藝ノ子眞相、相阿彌ト稱ス、共ニ茶事ヲ以テ義政ニ仕フ、珠光始テ臺子ノ式ヲ定ム、是ヨリ後織田信長、豐臣秀吉等ヲ初メ、將士ヨリ市賈ニ至ルマデ、之ヲ學ブ者頗ル多シ、信長ハ天 正六年正月元日ニ、安土城ニ於テ、將士ニ茶ヲ饗シ、送迎配膳ヲ躬ラセリ、又秀吉ハ天正十五年、北野ニ於テ茶湯ノ會ヲ催シ、高札ヲ京都奈良等ノ地ニ立テヽ、諸國ノ茶人ヲ召集セリ、是ニ於テ名器ヲ携ヘテ來集スル者極メテ多ク、茶席ヲ各所ニ設ク、秀吉之ヲ巡覽シ、毎席之ニ臨ミテ茶ヲ喫セリ、當時千宗易茶事ヲ以テ寵ヲ秀吉ニ受ク、利休是ナリ、利休ハ堺ノ市人ニシテ、茶事ヲ眞能ノ末流ナル北向道陳ト、珠光ノ流ヲ受ケシ武野紹鷗トニ學ビ、諸家ヲ大成シテ式法ヲ定メタリ、故ニ後世利休ヲ以テ、茶道ノ中興ノ祖ト爲ス、利休ノ門弟古田織部正重勝、織田有樂軒長益、藪内紹智、細川忠興等尤モ名アリ、重勝ハ德川秀忠ノ師範ニシテ、茶道ノ和尚ト云フ、茶ハ禪宗茶湯ノ式ヨリ出デタルモノナレバ、其師範トナル者ヲ和尚トハ云ヒシナラン、重勝ノ門弟小堀遠江守政一、德川家光ノ師範タリ、又片桐石見守貞昌茶法ヲ桑山宗佐ニ學ブ、或ハ利休、若シクハ小堀政一ニ學ブトモ云フ、又船越吉勝、多賀左近ノ二人アリ、政一ト共ニ茶家宗匠ト稱ス、又利休ノ孫宗旦ニ至リ、其子分レテ三派トナル、乃チ二子宗佐ヲ表流ト稱シ、三子宗室ヲ裏流ト稱シ、季子宗守ヲ武者小路流ト稱ス、又重勝ノ流ヲ織部流ト稱シ、政一ノ流ヲ遠州流ト稱シ、紹智ノ流ヲ藪内流ト稱シ、貞昌ノ流ヲ石州流ト稱ス、其餘ノ流派極メテ多シ、
茶室ハ一ニ小座敷(コザシキ)ト云ヒ、又數奇屋(スキヤ)ト云フ、離座敷ニシテ、四疊半、四疊、三疊、二疊等ノ數種アリ、家内ノ一部ヲ區劃シテ茶室トナスヲ圍(カコヒ)ト云フ、茶室ノ一隅ニハ必ズ床アリテ、掛物或ハ花入ヲ具ス、又窻アリテ明ヲ室内ニ取ル、冬季ハ爐ヲ設ク、其位置ニヨリテ、向爐隅爐等ノ稱アリ客ノ茶室ニ出入スル所ヲ潛口(クヾリクチ)ト云ヒ、又隣上(ニヂリアガリ)トモ云フ、主人ノ出入スル所ヲ勝手口ト云ヒ、又茶立口ト云フ、其形狀ニ由リテ、火竇口、又櫛形等ノ稱アリ、水屋(ミヅヤ)アリ、茶室ニ屬ス、
露地ハ茶室ニ到ルノ小路ニシテ、此ニ待合、堂腰掛、中腰掛アルモノヲ三重露地ト稱シテ、正 式ノモノトスレド、多クハ中潛ヲ以テ内外ヲ分チ、内露地、外露地ト稱スルモノヲ二重露地ト云フ、露地ニハ、石ヲ配置シテ行步ニ便ニシ、庭中ニハ多ク樹木ヲ植エテ、幽靜ノ趣ヲ添フ、腰掛ハ又待合ト云フ、來客先ヅ相會シ、又中立ノ時ニ休息スル所ナリ、而シテ二重露地ニハ、外腰掛、内腰掛ノ二アリ、

名稱

〔茶道筌蹄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0377 茶會
往昔は茶會(チヤエ)といへり、太平記に佐々木道譽など茶會を催すといふ事あり、紹鷗、利休居士の時代に至て、茶(チヤ)の湯(ユ)と稱す、茶の湯と佛家に奠茶(テンチヤ)、奠湯(テントウ)を略して茶湯(チヤトウ)といふ、居士是に混ぜざるやうに、茶の湯といへりしとぞ、

〔對淸雜記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0377 茶ノ湯 茶ノ會
或人茶ノ湯ハ、佛ノ茶湯(チヤトウ)ニモアラズ、湯ハ會ノ誤ニテ、茶ノ會(エ)ト云事也トイハレシハ、恐クハ僻ガ事ナラン、案ルニ會ハ聚也、〈聚ハ多也〉然レバ茶ノ會ハ、數人ウチ集テ茶ヲ點ズルコトヲイフ、又湯ハ茶ヲ和スベキ爲ニ湯ヲ設クレバ、茶ノ湯トハイフナリ、〈醫家者流ニ用ル所ノ、ナニノ湯(トウ)、ソレノ湯(卜ウ)トイヘルモ、其藥ヲ湯モテ調和スレバ、湯ノ字ハオホセタルナリ、〉サレバ其本ハ異ナレドモ、皆茶事ヲ設ルコトニテ、後々ハ茶ノ會、茶ノ湯、共ニ通ジ云へル例多シ、

〔柳亭記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0377 茶の湯 たばこの煙
茶の湯と古くいひしは、手業の事にはあらず、茶を煎じたる湯の事なり、今茶をのむ、茶をまいらせよなどいふは、湯の字を略たるなり、茶の湯をのむ、茶の湯をまいらせよといはざれば、本來は聞えず、麥を煎じだるを麥湯といふに同じ、それが茶式の名となりてより、常にのむを茶の湯といはざるもおかし、榮西僧正の著、喫茶養生記に、茶及桑葉の德をあげて、唯可茶飮桑湯、勿他湯、桑湯茶湯不飮、則生種々病とあるにて知るべし、此書建保二甲戌春正月とあり、茶の湯とつゞ けいひたる事、是より古くもあるかたづぬべし、友人指山云、今佛に備ふるのみ茶たうといふ是なり、のゝ字を略たるが故に、湯を音にたうなり、

〔茶道要錄〕

〈下/賓法〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0378 茶之湯之起付掛物之事
一數奇之事、字書曰、一者奇也、二者耦也ト注ス、其文彩从大从可、俗作竒非也ト見タリ、又數之餘零謂之奇、易大傳云、歸奇於扐以象閏トナリ、李廣傳云、大將軍陰受上誡以爲李廣數奇也、毋單于、按ニ、單于者匈奴ト云テ北狄主ナリ、是數奇ノ字義ノ解也、世ノ富賑ト忩々タルヲ遁テ、寒素ニシテ聚螢映雪、貧乏ヲ樂ミ、山居シテ遣世慮者、世俗ノ眼ヨリ見時ハ、誠ニ人タル數ノ餘零數奇者ト云ツベシ、數奇屋ト云モ、是以推テ知ベシ、數奇ト連綿ノ字也、繫辭本義ニモ、奇者所揲數之餘也ト云リ、曾テ聞事アリ茶道ハ侘(ワビ)ヲ本トス、故ニ茶具一色ヲ數度ニ用ユ、奇ハ一也、是以テ數奇ト云ト、大ニ異也、不數音主也、奇音鷄、从大从可、俗作竒非也、
一侘之字之事、音嗏、侘傺ト續キ、志ヲ失フノ貌トテ、我心ノ之所ニ任セズ、事不足ヲ云、離騷ノ注ニ、侘立也、傺住也、憂思失意、住立而不前也ト云リ、傺音掣、止也、宋玉九辯曰、欿傺而沈藏トアリ、欿同窞、音坎ニシテ物不足、故ニ自ラ沈ミ藏レ居也、

〔筆のすさび〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0378 茶事を嗜むに、侘といひ數奇といふ事、第一の義なり、風雅に物好をし、閑寂のわびたるをたのしむ事よりいふなり、そのわびをたのしむ中に、好古の志ありて、古器の雅趣ある品を鑒定して翫びたのしむ、是卽數奇なり、雅韻風致を賞する處、彼禪味と同じきゆゑに、禪林の高德とも旨趣の愜ふと仕たるものなり、その趣を露しらずして、只がぶ〳〵と茶をのむ人を茶人とはいふべからず、

〔隨意錄〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0378 方俗謂茶技數奇道、不何謂也、問之其好事徒則曰、多集古奇故也、予〈○冢田虎〉謂是臆説耳、漢書李廣傳曰、李廣數奇、毋單于、恐不欲、註、數音所角反、非也、師古云、言廣命隻不耦合、是也、 數命數、如字、然則數奇命數不遇之謂也、杜子美云、數奇謫關塞、道廣存箕潁、白樂天詩云、文士多數奇、詩人尤命薄、唐人用數奇字、猶不鮮也、皆原乎李廣傳、以是謂之、好茶技者、薄命不遇之人、故稱其室、以爲數奇舍與、今俗誤奇作寄也、

喫茶沿革

〔木芽説〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0379 茶といふもの、いとも上津代にはありとも聞えず、いづれのころよりか吾御國にはうゑそめけむ、さだかにしるし傳ふるものなし、類聚國史に、嵯峨のみかどの弘仁といふ年のむとせの夏、近江國にみゆきまし〳〵て、滋賀韓崎など見そなはし給ふみちのたよりに、ちかきわたりの寺々にわたらせおはしましける時、梵釋寺の永忠大僧都、手づから茶を煮て奉られしに、みかどこれをいみじくよろこばせ給ひて、かづけものなど給はせつ、やがてそのみな月に、五の内つ國をはじめて、近江丹波播磨などの國々におほせて、國ごとに茶をうゑしめて、とし〴〵の貢ものにさだめ給へりしよししるされたり、わが御國にてこれを用ふること、こゝにさだかに見えたれば、世の人まづこれを引出て、此時をそのはじめといひ傳ふめり、〈○中略〉おなじ御時に撰び集めたる凌雲集に、みかど春宮の御方にわたらせおはしましける時、又冬嗣の大將の閑居院に、みゆきありしときなど、これをもてあそぶさまに作らせ給へりし御ふみもはやう見ゆれば、この近江のみゆきより事はじまれるにはあらで、其頃はやゝ世に用ひそめたりしことしられたり、〈○中略〉さてこれは湯に煮て用ふるが、まづはじめなりけむはいふも更なり、此ごろはもはらさのみなん有べきと思はるゝに、茶をつくといふ詞も、此ころの詩にかつ〳〵見えそめたるに、源順の和名抄にも、茶碾子といふものをのせて、世人はこれを茶硏といひならふよししるされたる、これかれ合せておもひみれば、末茶なども、はやう好むまゝにし出たりしにこそ、經國集にみゆる惟良のおもとが茶歌に、くれの鹽あぢはひを和して味はひ更によしと作れりしは、さし鹽など用ひてのむ事も、はやそのかみ有けるにやと覺ゆ、また田口の忠臣が家集に、滋十三に茶をこ ふといふ詩をのせて、そは其人おのれが園の中にこれをうゑおけるを求るよしにみゆれば、元慶仁和の比となりては、さるみや人の家にさへ、そのふをしめておほしいとなむやうにもなりぬれど、いまだなべてのもてあつかひぐさにはあらで、たゞから歌うたふ人、おこなひつとむる法師などのみ、さかりにめでよろこぶならひなりけむかし、〈○中略〉かくのみ世を經つゝ、になきものともてはやさんには、かの弘仁のころ植そめられし國々より、其種ををちこちにもとり傳へて、あめのしたに茂くさかりにおひひろごりぬべきを、さしもあらざりしは、ふるき世には都人こそあれ、ゐなかうどらは、あながちにめで用ふべき物としもしらざりしにこそ、慶滋のやすたねが、三河國あをみの郡なる藥王寺といふてらにまうでて、そこに茶園藥園などあるよしいへるをみれば、まれ〳〵にはさる所も有しならめど、それはたひさしくはさかえざりしなるべし、かのはやうおほやけよりうゑおほさせ給へりし國々にも、此木にかなふ所を得ざりしにや、またとゝのへいとなむわざやいたらざりけむ、ありしみさだめのごとく、とし〴〵のみつぎものの數にそなへてはめさずなりぬとおぼえて、延喜式の國々のみつぎのさだめどもの中にはしるされずなむありける、〈○中略〉天曆の御時〈○村上〉御佛名のあした、入道親王に給はする祿の中に、御茶一つゝみ、茶具そへて、五葉の枝につけてかづけさせ給ひしこと、ものに見ゆれど、それはなべてのためしにはあらざりけり、〈○中略〉後白河法皇の五十ぢの御賀を内より奉らせ給ひし時康和の御賀のためしによりて、御茶まゐらせ給へりしこと、その時右のおとゞにておはせし月輪のおほいどの〈○藤原兼實〉の御日記〈○玉海〉にしるされたれど、此頃となりては、もはら世にもてあつかへるものにはあらざりけむを、かのはやく亭子院〈○宇多〉の御賀に用ひられしよりのち、其ためしにしたがはるゝ事ありて、康和にも奉られしなるべければ、たゞふるき跡のまゝにとて物せられしのみなりけんかし、さればいつしかとその木だちもなごりすくなう枯うせて、つひにはさる ものありとあぢはひしれる人だに、世にいとまれになりゆきしなるべし、さばかりおとろへはてけむを、葉上僧正〈○榮西〉明惠上人とて、これもかれもすぐれたる人のおなじ世に出逢れて、ともにこれをこよなきものとめでたふとばれしより、ふたゝび世になべてもてあつかラやうにひろごりて、かくは今の世までにたえせぬものと成こし事、ひとへに此ひじりのいさをによりてなりけり、しかありしはじめは、かの僧正もろこしより、此種をおほくもて傳へられて、建久の二とせといふに、筑紫まで歸りつきて、背揮山といふ所に、こゝうみにうゑそめられしぞ岩上茶といふものゝはじめなりける、〈○中略〉この僧正いまだみやこにおはしけるとき、栂のをの明惠上人法問のために、建仁寺にしたしくおはせしかば、これを贈り給へる事ありき、そのかみ栂尾にて、いかなるものぞとくすしに尋ねとはれしに、しか〴〵の能おほかれども、わが御國には、をさをさある事なしとこたへしかば、さはめでたきものよ、おこなひつとむる法師ら、かならずのみてたすけおほかりぬべしとて、其種をかの僧正よりもとめえうして、はじめて栂尾にうゑそめられしよし上人の傳記にみゆ、このつたへにても其世のおもむきはしられたり、さてのち宇治の里におほしたてしよりなむ、あめのしたにたえてたぐひなきものはいできそめたるなりける、

〔凌雲集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0381 御製〈○嵯峨〉廿二首〈○中略〉
秋日皇太弟池亭賦天字〈五言〉
玄圃秋云肅、池亭望爽天、遠聲驚旅雁、寒引聽林蟬、岸柳惟初、潭荷葉欲穿、肅然幽興處、院裏滿茶煙
夏日左大將軍藤冬嗣閑居院
避暑時來間院裏、池亭一把釣魚竿、廻塘柳翠夕陽暗、曲岸松聲炎節寒、吟詩不香茗、乘興偏宜雅彈、暫對淸泉煩慮、况乎寂寞日成歡、$從七位上守少内記滋野宿禰貞主二首 夏日陪左大將藤原冬嗣閑居院
寂然閑院當馳道、祗候仙輿一路、酌茗藥室經行入、横琴玳席倚岩居、松陰絶冷午時後、花氣猶薰風罷餘、水上靑蘋莫浪、君王少選愛遊魚

〔文華秀麗集〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0382 夏日左大將軍藤原朝臣閑院納凉探得閑字製一首 令製〈○淳和〉
此院由來人事少、况乎水竹毎成閑、送春薔棘珊瑚色、迎夏巖苔玳瑁斑、避景追風長松下、提琴搗茗老梧間、知貪鸞駕忘囂處、日落西山還、

〔文華秀麗集〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0382澄公奉獻詩一首 御製〈○嵯峨〉
遠傳南岳敎、夏久老天台、〈○中略〉羽客親講席、山精供茶杯、深房春不暖、花雨自然來、賴有護持力、定知輸廻
光上人山院一首 錦彦公
梵宇深峯裏、高僧往不還、經行金策振、安坐草衣閑、寒竹留殘雪、春蔬採舊山、相談酌綠茗、煙火暮雲間、

〔類聚國史〕

〈三十一/帝王〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0382 弘仁六年四月癸亥、幸近江國滋賀韓崎、便過崇福寺、大僧都永忠、護命法師等、率衆僧於門外、皇帝〈○嵯峨〉降輿、升堂禮佛、更過梵釋寺、停輿賦詩、皇太弟〈○淳和〉及群臣奉和者衆、大僧都永忠、手自煎茶奉御、施御被

〔經國集〕

〈十四/詩〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0382 雜言和出雲巨太守茶歌一首 惟氏
山中茗、早春枝、萌芽採擷爲茶時、山傍老、愛爲寶、獨對金鑢炙令燥、空林下、淸流水、沙中漉仍銀鎗子、獸炭須臾炎氣盛、盆浮沸浪花起鞏縣琓商家盤、呉鹽和味味更美、物性由來是幽潔、深巖石髓不此、煎罷餘香處々薰、飲之無事臥白雲、應知仙氣日氛氲、

〔都氏文集〕

〈三/銘〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0382 銚子廻文銘
多煮茶茗、飲來如何、和調體内、散悶除痾、

〔眞俗交談記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0383 一朝覲行幸之時、御引出物用和琴一張給事、自何御時始哉、資實云、延喜二年、醍醐天皇仁和寺行幸御時、法皇〈○宇多〉御對面後、茶二盞有御勸、和琴一張、爲御引出物之給、歸幸後、彼和琴被進掖主畢、自爾以降、不其御例、毎度如斯云々、

〔花鳥餘情〕

〈十九/若菜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0383 宇多御門御出家の後、正月二日朝覲行幸のため、延喜御門〈○醍醐〉仁和寺へ行幸ありし時は、御笏靴をば撤せられて、叉手三拜し給へり、又主上にも法皇にも、同御茶を供せし事もあり、御法體の時の儀かくの如く、在位の時の禮にかはる事のみあり、

〔新儀式〕

〈四/臨時上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0383 天皇奉上皇御算
獻物之間、供上皇御膳弁備、御臺盤二基安置御前也、參議一人陪膳、殿上四位五位供膳、〈○註略〉次供御膳臺盤二脚、〈延喜六年供御高坏〉次供御酒、〈延喜十六年、法皇供御茶也、〉

〔菅家文草〕

〈四/詩〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0383 八月十五日夜思舊有
菅家故事世人知、翫月今爲月期、茗葉香湯免酒、蓮華妙法換吟詩、如何露溢思親處、况復潮寒望闕時、從始南來長鬱悒、就中此夜不悲、

〔西宮記〕

〈臨時一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0383 御讀經
上卿依仰、於陣定僧名、〈○中略〉夏引茶、仰内藏藥殿、〈四位行香、五位六位引茶、甘葛煎所茶、藥殿土器等之類、○下略〉

〔江家次第〕

〈五/二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0383 季御讀經事
上卿一人著南殿例〈天喜四年、三ケ日毎夕座侍臣施煎茶衆僧、相加甘葛煎、亦厚朴生薑等、隨要施之、紫宸殿所雜色等參上、施件茶於大極殿、修時亦同、但茶用器等見所例也、〉〈〓人所〉

〔西宮記〕

〈九月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0383 季御讀經事
先一日、〈○中略〉召典藥厚朴引茶料、〈○中略〉春夏藏人所引茶、〈初後日不引〉御前殿上人引、

〔河海抄〕

〈十/胡蝶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0383 季御讀經とは、春秋内裏にて大般若を講讀せらるゝ也、引茶とて僧に茶をひかる也、中宮東宮これにおなじ、

〔年中行事歌合〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0384 二十五番 右 季御讀經〈○中略〉
右は季御讀經とて、大磐若經を、春秋百敷にて講ぜられ侍るにや、引茶とて僧に茶を給也、されば茶は昔よりおほやけのもてなしものにて有ければ、大内にても茶園など侍なり、中比栂尾の何の上人とやらん、茶の種を樹たるよしなど申は、ひが事にて侍るにこそ、

〔海人藻芥〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0384 茶者自上古我朝ニアリ、挽茶節會トテ、於内裏公事儀式

〔嬉遊笑覽〕

〈十下/飲食〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0384 橘嘉樹云、公事根源御讀經の度ごとに、第二日には、行茶とて、僧に茶を給ふ事あり、藏人式〈○藏人式恐江家次第誤〉云、天喜四年、三箇日毎夕座、侍臣施煎茶衆僧、相加甘葛煎亦厚朴生薑等隨要施之云々、是は全く煎茶なり、然るを行茶を引茶と誤り、引を挽に作り、海人藻芥には書たるやうなり、

〔木芽説〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0384 あるふみに、いにしへおほやけに、ひき茶の節會とておこなはるゝ公事ありしとしるせれど、ことさらにさる節會あらば、いにしへぶみどもに、かならず其程のとかくのさだめども見えぬべきを、さもあらぬは、かの春秋の御讀經にひき茶とてたまふ式有けるを、其事たえてのちの世に聞ひがめつるつたへなるべし、

〔北山抄〕

〈二/十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0384 十九日御佛名事
同〈○天曆〉九年十二月廿二日、寅刻左大臣參入、入道親王〈○敦實〉依召參候、〈○中略〉賜法親王祿、紅染細長一襲、〈御衣〉櫻色綾細長一襲、茶幷茶具二裹、〈付五葉枝

〔玉海〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0384 承安五年〈○安元元年〉七月四日癸未、未刻藏人右衞門權佐光雅來、〈○中略〉此次光雅語云、御賀事、〈○後白河五十賀〉去四月比、奉奉行之仰、先是中宮大夫隆季、〈上卿〉以左中弁長方等仰云々、今度偏被康和〈○白河御賀〉例云々、〈○中略〉煎茶具任康和例調之、〈仁平無之〉而彼度物具等被鳥羽御倉之處、已以紛失、仍今度開仁和寺圓堂、取出其具等、可本樣云々、〈康和如此〉

〔吾妻鏡〕

〈二十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0385 建保二年二月四日己亥、將軍家〈○原實朝〉聊御病惱、諸人奔走、但無殊御事、是若去夜御淵醉餘氣歟、爰葉上僧正候御加持之處、聞此事良藥、自本寺進茶一盞、而相副一卷書之、所茶德之書也、將軍家及御感悦云云、

〔喫茶養生記〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0385 一喫茶法
極熱湯以服之、方寸匙二三匙、多少隨意、但湯少好、其又隨意云々、
次必喫茶消食也、引飮之時、唯可茶飮桑湯、勿他湯、桑湯茶湯不飮、則生種種病、茶功能上記畢、此茶諸天嗜愛、故供天等矣、勸孝文云、孝子唯供親云々、是爲父母無病長壽也、宋人歌云、疫神捨駕禮茶木云々、
本草拾遺云、止渴除疫云々、貴哉茶乎、上通諸天境界、下資人倫矣、諸樂各爲 種病之藥、茶能爲萬病藥而已云々、

〔喫茶養生記〕

〈上/序〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0385 入唐前權僧正法印大和尚位榮西錄
茶也養生之仙藥也、延齡之妙術也、山谷生之、其地神靈也、人倫採之、其人長命也、天竺唐土同貴重之、我朝日本曾嗜愛矣、古今奇特仙藥也、不摘乎、〈○中略〉偷聞今世之醫術、則含藥而損心地、病與藥乖故也、帶灸而夭身命、脉與灸戰故也、不如訪大國之風、示近代治方乎、仍立二門、〈○五藏和合遣除鬼魅〉示末世病相、留賜後昆、共利群生矣、于時建保二甲戌春正月日、謹叙、

〔太平記〕

〈十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0385 瓜生擧旗事
瓜生判官是ヲ聞テ、サテハ此人々モ野心ヲ插ム所存有ケリト嬉ク思テ、常ニ酒ヲ送リ茶ヲ進テ、連々ニ昵近付テ後、大儀ヲ思立候由ヲ語リケレバ、字都宮モ天野モ子細非ジトゾ同ジケル、

〔太平記〕

〈三十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0385 持明院殿吉野遷幸事附梶井宮事
此宮〈○梶井宮〉ハ本院〈○後伏見〉ノ御弟、慈覺大師ノ嫡流ニテ、三度天台座主ニ成セ給ヒシカバ、門跡ノ富貴 無雙、御門徒ノ群集如雲、〈○中略〉茶飮ミ連歌仕ヲ集メテ、朝夕遊ビ興ゼサセ給シカバ、〈○下略〉

茶式沿革

〔木芽説〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0386 このころ〈○後醍醐〉より茶禮といふ事いひそめたれば、そのまとゐにては、いふもさらなり、さらぬ時人の前にすゝむるにも、やう〳〵其手わざゆゑよしあることゝは成にけむ、應永の比、大勝金剛院の僧正、閼伽井の顯辨上人に、茶たつるやう學びつたへてしるしおかれたり、かく世々につたはるうちに、慈照院のおとゞ〈○足利義政〉とりわきてもてはやさせ給へりしかば、そのころ奈良の稱名寺に、よの中うちわびてこもりゐたる珠光といふもの、いみじくこのみて、これをもてあつかふこゝろしらひ、はた至りふかき聞えありしを、いとけうある事に聞しめして、ちかくめし給ひつゝ、それにおほせて、こをもて遊ぶくさ〴〵のさだめども、さたしおきてさせ給へるより、世に茶の式はさだまれりとなむ、〈○中略〉さて珠光がとりなしつるおきてを、宗悟紹鷗などいふもの、學びつぎつゝ、紹鷗よりせむの宗易に傳へて、つひに今の世の式の如くには移り來しなりけり、

〔嬉遊笑覽〕

〈十下/飲食〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0386 茶式の起りは僧家より傳れば、其式も宋の德煇が百丈淸規などに本づく、鹽尻に妙心寺再住開衣の會を見しに、祝詞畢て饌を設け、後餅果をすゝめ、これを徹して濃茶を出す、數十輩の僧なれば、一椀にて茶を點じ、五六人して次第に喫しぬ、しかして立て、主賓揖し堂を下りかへる、今濃茶といへば、必一椀を數人して喫ることゝ思ふは拙し云々といへり、俗説贅辨に、筑前國崇福寺の開山南浦紹明、正元のころ入宋し、徑山寺虚堂に嗣法し、文永四年に歸朝す、其頃臺一かざり、徑山寺より將來し、崇福寺の什物とす、是茶式の始なるにや、後臺子を紫野大德寺へ送り、又天龍寺の開山夢窓へ渡り、夢窓この臺子にて茶の湯を始め、茶式を定むといへり、

〔百丈淸規〕

〈上二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0386 住持日用
嗣法人煎點、若法嗣到寺煎點、令蔕行知事庫司會計、營辨合用錢物送納、隔宿先到侍司、咨禀 通覆、詣方丈插香展拜、免則觸禮、請云、〈來晨就雲堂、聊具菲供、伏望慈悲特垂降重、〉令客頭兩序單寮諸寮、掛煎點牌、至日僧堂住持位、嚴設敷陳及卓袱䞋幣之具、火板鳴、大衆赴堂、煎點人隨住持堂揖坐、轉身聖僧前燒香、叉手往住持前問訊、轉聖僧後出、住持引手、揖煎點人坐、位居知客板頭、行者喝云、〈請大衆下鉢〉行食徧、煎點人起、燒香下䞋、問訊住持及行衆䞋、厨司方鳴齋板、就行飻、飻訖、衆收鉢、退住持卓、煎點人燒香、往住持前問訊、從聖僧後爐前問訊、鳴鐘行茶徧、往住持前茶、復從聖僧後出、進住持前、展坐具云、〈此日薄禮屑濆、特辱降重、下情不感激之至、〉二展寒温、觸禮三拜、送住持出、煎點人復歸堂燒香、上下間問訊、以謝光伴、復中間訊、鳴鐘收盞、次詣方丈降重、住持隨到客位致謝、若諸山煎點候齋辨、請住持同赴堂、揖住持坐、住持當行禮、揖煎點人位、待食徧起燒香、往住持前問訊下䞋、俵衆人䞋、燒光伴香位、伴食茶禮講否、隨宜斟酌、

〔茶人大系譜〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0387 眞能 按舊記、普廣院義敎公雖眞能掌茶事、其道未於當時、至義政將軍時、令珠光定眞臺子之規矩、而茶禮大備焉、從是眞能珠光之流分爲二、眞能之流、傳于空海、空海傳之荒木道陳、道陳傳之宗易、珠光之流傳于宗陳宗悟、宗陳宗悟傳之紹鷗、紹鷗縛之宗易、然則宗易傳眞能珠光之二流、而大成於其道者也、

〔續視聽草〕

〈五集九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0387 茶道之系
筑州崇福寺開山南浦紹明和尚入唐シテ、於徑山寺虚堂知愚和尚之得嗣法、龜山院文永四年、大應國師歸朝之砌、徑山寺ヨリ臺子餝日本エ渡ス、崇福寺數代打捨有之、厥后大德寺エ渡之、是又久々捨置有之處、尊氏公之時代ニ、夢想國師之弟子絶海和尚入唐シテ歸朝之后、夢想國師右之以臺子ヲ茶之湯ヲ始、夫ヨリ世上エ廣マルト云ヘドモ、輕キ者取扱事ナシ、尊氏公三代目鹿苑院義滿公、同慈昭院義政公、此二代茶之湯專發向ス、慈昭院相公剃髮有之、東山エ閑居故、東山殿ト稱、能阿彌、相阿彌、藝阿彌、同朋之爲役、座鋪餝臺子ニテ御茶獻之、其頃南都之珠光ト云茶人召呼、則能阿彌立 花之弟子ニ成、無程慈昭院相公茶之湯師トナル、初ハ能阿彌上座ス、後ハ珠光上座ス、珠光拾七八歲迄奈良稱明寺ニ住ス、年廿五ヨリ京三條之街ニ結屋テ啓茶席、出京シテ慈昭院殿出頭ス、珠光以前、茶事往々雖之未載、故珠光臺子之眞行草茶之湯之法式撰極ル、因茲珠光ヲ普系之爲茶祖已、

〔貞丈雜記〕

〈六/飮食〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0388 一伊勢家は東山殿〈○足利義政〉時代の禮法の家なる間東山殿の茶の湯の法式傳るべしと、世間の人の云は推量違ひ也、慈昭院義政公、應仁の亂にて、世の中さわがしきによりて、東山に隱居し給ひ、さびしさのなぐさみに、御手づから茶を立て近臣に給ひしと也、將軍の御手づから立給ひし茶なる故、一椀の茶を一口づゝ呑て廻し頂戴しけると也、是は茶坊主のするわざを、御手づから時のたわぶれにし給ひし事にて、法式などを定められしにはあらず、されば我先祖伊勢守などうけ給りて、諸士に敎へ指南する程の事にてはなかりし故に、茶の湯の法式と云事、家の舊記にはなき也、今時數寄道と名づけて、こと〴〵敷式法を立て、秘事口傳多く、大事の習事とする樣に成たるは、東山殿よりはるか後、秀吉公の代、天正年中の比、千利休と云者の仕出したるを、又其後片桐石見守、小堀遠江守などいふ人、色々の事を付添て、各流義を立て、遠州流、石州流などゝ云也、大名などゝ人にいはるゝ者、わざと貧者のまねをして、いやしげにせばき庵を作て、數寄屋と名付、かけ茶椀のよごれてきたなげなるに、色々の古道具あつめ、客も亭主も無刀になりて茶を立て樂とする事、武士たる者のすべきなぐさみにあらず、おろかなる遊事也、

茶會

〔太平記〕

〈十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0388 光嚴院殿重祚御事
建武三年六月十日、光嚴院太上天皇、重祚ノ御位ニ卽進セタリシガ、〈○中略〉其比物ニモ覺ヘヌ田舍ノ者共、茶ノ會酒宴ノ砌ニテ、ソヾロナル物語シケルニモ、〈○下略〉

〔太平記〕

〈二十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0389 天龍寺建立事
武家ノ輩ラ如此諸國ヲ押領スル事モ、軍用ヲ支ン爲ナラバ、セメテハ無力折節ナレバ、心ヲヤル方モ有ベキニ、ソヾロナルバサラニ耽テ、身ニハ五色ヲ粧リ、食ニハ八珍ヲ盡シ、茶ノ會酒宴ニ若干ノ費ヲ入、傾城田樂ニ無量ノ財ヲ與ヘシカバ、國費へ人疲テ、飢饉疫癘盜賊兵亂止時ナシ、

〔太平記〕

〈三十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0389 新將軍歸洛事附擬仁木義長
南方ノ敵軍無事故退治シヌトテ、將軍義詮朝臣歸洛シ給ヒケレバ、京中ノ貴賤悦合へル事不斜、〈○中略〉其比畠山入道道誓ガ宿所ニ、細川相模守、土岐大膳大夫入道、佐々木佐渡判官入道以下、日々寄合テ、此間ノ辛苦ヲ忘ントテ、酒宴茶ノ會ナンドシテ、夜晝遊ケルガ、〈○下略〉

〔喫茶往來〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0389 昨日茶會無光臨之條、無念之至恐恨不少、滿坐之鬱望多端、御故障何事、抑彼會所爲體、内客殿懸珠簾、前大庭鋪玉沙、軒牽幕、窓垂帷、好士漸來、會衆旣集之後、初水纎酒三獻、次索麺茶一返、然後以山海珍物飯、以林園美菓哺、其後起坐退席、或對北窓之築山、避暑於松柏之陰、或臨南軒之飛泉、披襟於水風之凉、爰有奇殿、峙棧敷於二階、排眺望於四方、是則喫茶之亭、對月之砌也、左思恭之彩色釋迦、靈山説化之粧巍々、右牧溪之墨繪觀音、普陀示現之委蕩々、普賢文殊爲脇繪、寒山拾得爲面餝、前重陽、後對月、不言丹菓之脣吻々、無瞬靑蓮之眸妖々、卓懸金〓、置胡銅之花瓶、机敷錦繡、立鍮石之香匙火箸、嬋娟兮瓶外之花飛、疑於呉山千葉之粧、芬郁兮爐中之香、誤於海岸三銖之煙、客位之胡床敷豹皮、主位之竹倚臨金沙、加之於處々障子、餝種々唐繪、四皓遁世於商山之丹、七賢隱身於竹林之雲、龍得水而昇、虎靠山而眠、白鷺戯蓼花之下、紫鴛遊柳絮之上、皆非日域之後素、悉以漢朝之丹靑、香臺並衝朱衝紅之香箱、茶壺各栂尾高雄之茶袋、西廂前置弌對之餝棚、而積種々珍菓、北壁下建一雙之屛風、而構色々懸物、中立鑵子而練湯、廻並飮物而覆巾、會衆列坐之後、亭主之息男獻茶菓、梅桃之若冠通建盞、左提湯瓶、右曳茶筅、從上位末坐、獻茶次第不雜亂、茶雖重請、敬數返之禮、酒雖 順點、未一滴之飮、或四種十服之勝負、或都鄙善惡之批判、非啻催當坐之興、將又生前之活計、何事如之、盧同云、茶少湯多、則雲脚散、茶多湯少、則粥面聚云々、誠以有興有感、誰不之哉、而日景漸傾、茶禮將終、則退茶具、調美肴、勸酒飛盃、先三遲而論戸、引十分而勵飮、醉顏如霜葉之紅、狂粧似風樹之動、或歌或舞、增一座之興、又絃又管、驚四方之聽、夕陽沒峯、夜陰移窓、堂上挑紅蠟之燈、簾外飛紫麝之薰、䓗々遊宴不申盡、委曲倂期面謁候、恐惶頓首、
林鍾七日 掃部助氏淸
謹上彈正少弼殿〈幕下〉

〔親長卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0390 文明五年六月八日、有御茶事、伏見殿宮御方御沙汰也、予十服飮之、

〔二水記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0390 大永六年八月廿三日、午時參靑蓮院、萬里小路、阿野少將、高倉少納言等同道、於池中島御茶、種々儀尤有興、當時數奇宗珠祗候、下京地下入道也、數奇之上手也、入夜有盃酌、知恩院長老被參了、

〔親俊日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0390 天文十一年卯月十六日丙申、繁田將監所ニ茶湯見物之、和尚筆鷄名物也、 廿三日癸卯、繁田將監所ニ茶湯會在之、

〔總見記〕

〈十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0390 大臣家御父子御茶湯興行事
天正六年戊寅、從二位右大臣兼右近衞大將平信長公四十五歲ナリ、正月朔日、五畿内、若州、江州、勢州、尾州、濃州、隣國ノ諸侍等、在安土ノ面々、各出仕御禮有之、同日御茶被下候、十二人衆、中將殿、〈信忠卿〉二位法印、林佐渡守、瀧河左近將、監、長岡兵部大輔、惟任日向守、荒木攝津守、惟住五郎左衞門、羽柴筑前守、長谷川與次、金森五郎八、御座敷右勝手六疊敷四尺綠、御飾ノ次第、床ニハ、波岸ノ繪、東ニ松島、西ニ三日月、四方盆萬歲、大海ノ水指、カヘリ花、周光茶碗、圍爐裏ニ御釜姥口、鎖筒竹ノ御花入ナリ、御茶童宮内卿法印是ヲ勤ム、寅ノ刻各登城ス、大臣家御迎ニ出、御配膳誠以忝次第ナリ、御茶過テ 出仕ノ次第、諸侯ノ面々、三獻ノ御土器御盃是ヲ被下、御酌矢部善七郎、大津傳十郎、犬塚又市、靑山虎千代ナリ、諸侍又品々有之、其後御殿ノ内御座所各見物仰付ラレ、其座席三國ノ名所ノ景、狩野永德法印濃繪色々、天下無雙ノ壯觀ナリ、此御坐敷へ各召上ラレ、御雜煮幷ニ唐物ノ御菓子色々是ヲ下サレ、當城成就ノ儀、各多年辛勞故、御珍重ノ由御諚有之、何レキ忝キ由是ヲ拜服ス、同月四日、萬見仙千代宅ニ於テ、中將殿御茶ノ會有之、是ハ舊臘御拜領ノ御茶道具御ヒラキノ會ナリ、御人數九人、二位法印、宮内卿法印、林佐渡守、瀧河左近、羽柴筑前守、惟住五郎左衞門、市橋九郎右衞門、長谷川丹波守、長谷川與次、以上是等ナリ、
信長公仰九鬼舟軍風情御覽事附荒木村重逆心事
大臣〈○織田信長〉御感悦斜ナラズ、九鬼所持ノ大船へ只御一人御沼有テ上覽有之、ソレヨリ御上津有テ、堺ノ町今井宗久居宅へ御成、御茶召上ラレ候、誠ニ以テ忝キ仕合ナリ、其御歸リ宗易宗及道叱等ガ座數御一覽有ルベキノタメ、御立寄御通リナリ、皆以過分ノ仕合茶湯ノ面目是ニ不過、

〔明良洪範〕

〈十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0391 佐久間右衞門尉信盛ハ、信長ノ老臣ナレド、石山本願寺攻ノ時ニ、信盛ハ住吉ニ陣取リシテ居タレド、本願寺强クシテ容易ニ攻ラレズ、一年餘モ對陣シテ戰ル〈○ル恐フ誤〉事無レバ、戰必見合セ、休息ノ間、茶ノ湯ヲ催シタルヲ信長聞レテ、軍事ニ怠ル事以テノ外也トテ大ニ怒ラレ、領所ヲ取上ゲ、其儘陣中ヨリ直ニ追放セラレクリ、

〔北野大茶湯之記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0391 一北野の於森、十月朔日より十日の間、天氣次第、大茶湯被成御沙汰に付而、御名物共不殘被相揃、數寄執心之者に可見御ため、御催被成候事、
一茶湯執心においては、また若黨町人百姓以下によらず、釜一、つるべ一、呑物一、茶なきものは、こがしにても不苦候間、提來可仕候事、
一座鋪之儀は、松原にて候間、疊二疊、但侘者はとぢ付にても、いなばきにても苦力ル間敷事、着所 之儀は次第不同たるべし、
一日本之儀は不申、數寄心懸有之ものは、唐國の者までも可罷出候事、
一遠國之者まで爲見、十月朔日まで日限御延被成候事、
一如斯被仰出は、侘者不便に思召之儀候所に、今度不罷出者は、向後おいて、こがしをもたて候事、
無用との御意見事候、不罷出者之所〈江〉參候者も、同前たるべき事、
一侘者においては、誰々遠國之者によら命、御手前にて御茶可下旨被仰與候事、
右以上
一番
一わたり茄子〈付赤盆〉 一あらみ御茶杓 一紹鷗臺天目
一かねの蓋置 一靑楓御繪 一なかそろり
一ほうろく釜 一柄杓さし桃尻 一紹鷗備前水こぼし
二番 金之御座敷分
一御茶入〈ひやうたん曲方盆〉 一しゆとく竹茶杓 一掛物墨跡
一花入かぶらなし
三番
一紹鷗茄子〈付赤盆〉 一ざうげの茶杓〈但しゆとく〉 一ふた置ごとく
一かねの御繪〈八ふくの内〉 一花入そろり圓取 一釜こあられ
一水こぼしかうし 一柄杓さしくるみ 一白天目
御棚後
一四十石 大壺 一志賀 同 一御茶入 龍田 一同めんはく 一おりだめ茶杓 一てうさんの御繪
一備前筒の花入 一やせかけ天目 一かねの水さし
一釜おとごせ 一かめのふた水こぼし 一ほそぐさり
宗及請取分
一大壺なでしこ 一御繪枯木 一茶入はつ花
一あまこ天目 一かうらい茶碗 一おりだめ茶杓
一竹の蓋をき 一水こぼしめんつう 一釜入道くも
利休請取分
一大壺 捨子 一御茶入ならしば 一ぬり天目
一高麗茶わん 一おりだめ茶杓 一水こぼしたこつぼ
一竹のふた置 一雁の御繪 一かねのつるべ
一せいじの筒 花入 一御茶入 尻ふくら
宗久請取分
一大壺 せうくわ 一御茶入〈曲方盆しきかたつき〉 一釜 うば口
一はかたいもがしら 一みしま茶碗 一おりだめ茶杓
一竹のふた置 一水こぼしめんつう 一月の繪 牧溪
左座之方
利久 民部法印 茶院 紹安 宗安 圓乘坊 大納言殿 少庵 日野殿 古溪和尚 水野惚兵衛殿 稻種與八郎殿 山崎志摩殿 羽柴下野殿 長谷川宗閑
右座之分 宗久 三枝松 宗及 長岡玄旨 羽柴筑前守殿 羽柴出羽守殿 富田左近殿 羽柴監物殿
津由隼人殿 羽柴左衞門殿 卷村兵大夫殿
天正十五年

〔長闇堂記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0394 一我茶湯を仕初し時を思ふに、北野の大茶湯の年に當れり、大茶湯を考ふれば、天正十五年十月朔日なり、秀吉公八月二日に高札を五畿七道に打せられ給ひて、都鄙の茶湯に志せるもの、松原に於てかこふべしとの上意なりし、南都より東大寺、興福寺、禰宜町方合三十六人、幼年なれども、此道すけるまゝ、見物のため同道して覺候事をしるせり、聖廟前はよし垣ありて、東口より西口へ出入あり、上樣御かこひ四ツ、禮堂の隅を品々にかこはせ、秀吉公、宗易、宗及、宗見四人の御手前也、各御道具の記ろくあり、大和大納言殿〈○豐臣秀長〉は西門筋西側にして、郡山武家衆、其次南都寺社町方なり、松原中のかこひ、思ひ〳〵品々有、中にも覺へて侍りしは、引退小松原有所に、美濃の國の一人、芝より草ふきあげ、内二帖敷間中四方砂まき、一帖敷のこる所瓦にて、ふち〳〵爐に釜かけ、通ひ口の内に主人居て、垣に柄杓かけ、瓶子のふた茶碗に丸服部を入て、それにこがしを用意せり、扨晦日に御觸有て、朔日曉天より御社の東口にてくじ取、五人組にして四ツ御座敷にて御茶被下候、御西の口へすぐに出立ごとくにして、數百人の御數寄、朝九〈○九恐誤字〉過に相濟なり、扨御膳過晝前より御出有て、一所も不殘御覽ぜし時、かの美濃の國の人、其名は一作、松葉をかこひの脇にてふすべ、其烟立上りしが、秀吉公右より御のよしにて、一服と御意あれば、そのこがしを上奉る、御機嫌殊勝にして、御手に持せられし白の扇を拜領して、今日一の㝠加とぞいひし、又經堂の東の方、京衆の末にあたりて、へちくわんと云し者、一間半の大傘を朱ぬりにし、柄も七尺計にして二尺程間をおき、よしがきにてかこひし、照日にかの朱傘かゞやきわたり人の目を驚せり、是も一入興に入らせ給ひて、則諸役御免を下され、八ツ者〈○八ツ者蓋誤字〉には皆々御暇被 下、それより二棧敷分散して、その日も又本の松原となせり丙々には諸方の名物をも召上らるべきとの取沙汰あれども、そのさたにも不及、十日計も茶湯仕べきともいへども、其日計なれば、多く見物をせし人もなかりし、

〔晴豐卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0395 天正十九年閏正月五日、明日上杉茶湯ニ可來之由候間、用意申付候也、さう〳〵あと取みだし申候事候也、 六日、早天ト申候へ共、上杉余醉にて晝被來候、茶湯上杉なを江山城兩人、ひろ間にて千坂其外十五人、しやう伴ニ高岡出雲守、五りやうの別當など、さけのあいて也、賀茂松下民部少輔よび申候、まり一人けさせ見せ申候へば、中々きもをつぶし被申候、大さけにて立歸りの事也、

〔時慶卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0395 文祿二年十二月十四日、從施藥院明後日十六ニ茶ヲ約束候、同心之趣返答、久我右衞門督ト三人也、〈○中略〉藥院へ一禮ニ人ヲ遣、 十五日、久我ヨリ預使者候、明日同道ノ義被語候、又此方ヨリモ以使者申入、右衞門督へモ遣候、 十六日、早天、藥院ニ茶湯アリテ行、久我右衞門督ト三人也、茶ヲバ小性ニ被振〈○振下恐脱舞字〉候、藥院ハ太閤ヨリ被召テ大坂へ下向也、禮ニハ以使者申候、

〔太閤記〕

〈十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0395 大明之使於船入之地秀吉公催船遊
二人の勅使、〈○明使謝用梓、徐一貫、〉幷蘇西堂船中にて御約束し給ひ、翌日六月〈○文祿三年〉十日の朝、山里におゐて御茶給りぬ、露地には色々の菜園などもあり、ふもとの里をのづから物ふりて、諸木枝をつらね、岩つたふながれもいとすゞしく、山里の名に應じ、そのさまつきぬ、
一四疊半之御數寄屋飾之次第
一玉磵歸帆之繪 一細口之花入 一新田肩衝
棚之飾
一茄子之茶入 内赤之盆に在 一臺天目 一釜 一ゑんおけの水指 一水こぼしがうし 一象牙の茶杓
みづから御かよひ物したまへば、いづれも不言の唇のみにして感じあへりぬ、卽御茶も手づから點し給へれば、其樣をつくし、かたしけなく存ずる體、異國人のやうにもなく、今世佳名の風に見えて、そしる所もまれなりけり、
一五疊布のくさりの間 一玉磵枯木の繪 一蕪なしの花入
一富士香爐 一肩衝なげづきん
一勝手のかざり
一せめひほの釜 一いもがしらの水さし 一茶入尻膨 一井土ちやわん
此間にては、諸侯犬夫の衆も茶堂友阿彌に仰付られ、御茶濟々たまはりぬ、

〔時慶卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0396 慶長八年二月廿日、於大坂桑山法印ヘ近衞殿御茶申入御供申、又照門聖悶一門モ御同心也、圓座肩衝出、床ニハ貴堂墨跡ヲ懸、十六クダリニ五字ヅヽ在之、終ニハ三字在之、花ヲ入、カ籠ノ花生也、其後茶過、於勝手歸雁ト云葉茶壺ヲ懸御目、御茶一袋ヅヽ、照門聖門一門へ進上也、振廻ハ精進分ハ座敷ニテ、魚類ハ勝手ニテ振廻也、茶ノ時ニ近衞殿御入、予モ入也、コイ茶一服吸也、薄キヲ又御所望ニテ參也、

〔駿府政事錄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0396 慶長十六年十二月十四日、織田如菴有樂於御數奇屋御茶、日野入道唯心、山名入道禪高爲御相伴云々、楢柴肩衝御茶入、朱衣肩衝御茶入、〈薄茶入〉虚堂御掛物、古銅御花入令之給、大御所〈○德川家康〉令花給、有樂立御茶、 十九年三月廿五日、於御數奇屋、一乘院、喜多院、東北院阿彌陀院賜御茶、御茶入大海、

〔梵舜日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0396 元和八年十二月十三日甲戌、午刻神光院數奇屋、始而振廻也、萩原、予、瑛藏主、主殿、座敷四人也、

〔台德院殿御實紀附錄〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0397 寬永六年九月二十日、西丸山里にて口切の御茶ありて、大猷院殿〈○德川家光〉にも渡御ありて、おなじ廿二日、又諸大名を山里へめして御茶下さる、その折しも紀水の兩卿は、御けしき伺のため西城へまうのぼられしが、山里へ成らせられし後なれば、しばし還御を待しめらるゝに、大猷院殿また渡御ありければ、兩卿まづ見え奉らる、とかうして山里より靑山夫藏少輔幸成御使して、過し二十日ならせられし時は、空打しぐれて、ふじの山さだかならぎりしを、いと名殘多くおぼしめすに、けふはいとよく晴わたりたれば御覽あるべし、よて御鏁の間にて御茶進らせらるべければ、兩卿をも伴ひて渡らせ玉へと仰ければ、則ち兩卿を、伴ひて山里へ渡御あり、露地數奇屋など御覽の後、鏁の間に入せ玉ふ、やがて御みづから茶を點じて進らせらる、大猷院殿いたゞかせ玉ひし後、兩卿に賜はりをさむ、後の炭は大猷院殿あそばされ、事はてゝ富士御覽あり、〈○中略〉とかくして時刻うつり、黃昏に及びて大猷院殿還御ありければ、諸卿も恩を謝してまかでられしとぞ、

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0397 享保十一年四月二十一日、御茶、〈上田養安、拙、○山科道安〉 午半參集、雨天、
御待合〈圓座バカリ〉 御手水鉢〈雨覆アリ、杉ノ長ヘギ細竹ウチ、同ジク竹ノ四本アシ、〉 御圍ノニジリアカリ戻障子バカリ、簾ナシ、 御床掛物〈日寬葡萄、自畫自賛、是前カド御茶ニテ拜見ス、日寬印五月廿八日トアリ、風爐ニ別シテ興アリ、〉 御棚〈シヨンズイノ四角平香合、赤繪マジリ、甲ニ揮ノ字アリ、肩ニ直印アリ、角ニ平印アリ、メヅラシキ由ナリ、〉 御釜〈大口ノコシキタチ、端ト端トイ下ニ粒々アリ、○中略〉
中立 待合〈烟草盆圓座計、〉 御圍〈障子カハリ半腰、障子紙、上ハミナ油布ニテ卸ハリ、油有ハ唐物、黃色ノモシノ形ニ似テアヲキモのナリ、〉 御床花生〈二尺マハリホドノ竹、内眞ノ黑ヌリ、外ウルシツクロヒ、常修院樣、○慈胤法親王〉 御花〈杜若、下ノ段ニ御イケ、川骨、上ノ段ニ水ハリ、〉 御水指〈セトノアメ色、筋アリ、ヌリブタ黑、〉 御茶入〈キリギリス、靑色ニテ筋幾ツモアリ、肩ヨリ置方ニ黃藥アリ、〉 袋〈紹鷗純子、裏タテニスヂアルカイキ、〉 御茶杓〈福島大夫作〉 御茶碗〈ハギ〉

曉會

〔茶道筌蹄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0397 茶會
曉 七ツ時に露地入するなり、當時は七ツ半なり、 前日黃昏に露地へ水を打、燈籠幷待合行燈まで火を入れ、暫して火を消し、曉七ツどきに火を入る也、或人の云、通草(トウシン)を宥に消したるまゝにてかき立て火をともすれば、殘燈の趣有て一入風情あるよし、偖釜は前夜より仕懸置、客待合へ來るとき、炭を一ツ二ツ加へ、手水鉢の水を改め、迎ひ入るゝなり、偖生姜酒ぜんざい餅など樣の物を出し、薄茶を寬々(ユル〳〵)點て閑話をなす也、薄茶濟て底を取、釜を勝手へ持ゆき、水を仕かけ濡釜にてかくる故、板釜置か竹釜置を用ゆ、しかし水をみなみな仕替るときは烹おそき故に、少しばかり水を仕替るがよし、偖炭手前濟て膳を出す時、突上〈ゲ〉を明〈ケ〉行燈を引〈キ〉、夜もほの〴〵と明るが至極の時刻なれども、餘りにケヌキ合とせんとするはよろしからず、膳を出すに席も暗ければ、行燈をくり引にそろ〳〵と引べし、猶また座中ほの暗くあらば膳を出すに、汁は何、むかふはなにと、亭主より名乗るもさびて面白し、小間にて突上〈ゲ〉窓の下へ參りがたき時は、末座へたのむべし、突上ゲなき席は、連子の戸を障子と仕替る、是も客へたのみてもよろし、偖中立までは隨分ゆる〳〵となすべし、中立後は隨分さら〳〵となすべし、客もつゞきなど乞ふもよし、

〔南方錄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0398 曉來會
三炭第一の火相也、初心の人の成がたき所作也、功者の亭主ならば、明朝の御會とてもの事に、曉より某御火相幷に殘燈をも見申度と云入べし、主よりは大凡に辭退有べし、しいて來分には其分也、又は雪の曉など不圖尋來客も有物也、ケ樣之事書付て傳る體にあらず、能々自得すべし、曉天の事成故、主客共に刻限遲延有物也、其變に應じて相對する事不言、先定法定刻を以て言時は、寅の刻に爐中改むべし、是朝會の下火也、腰掛露地行燈釣燈籠等法の如し、但露地行燈抔、淺影の心持に不及、常の夜會同前也、行燈の内土器に竹輪有、亂れ燈心五筋よし、かき分て物押へあるべし、 石燈籠の内土器竹輸、燈籠の大小に寄て、燈心三筋五筋可然、曉の會、石燈籠の蓋を取て内に氣を付、殘燈に感をなす抔と云説有、髓分ひが事也、殘燈の物さびしき光を感ずると云事は、内の事にてはなく、露地入の遠目を云事也、蓋を明て燈心の數をかぞうるやうなるふつゝかの事にては以の外也、第一風吹入て消やすき殘燈、若吹消ては殊更不作法也、手水鉢ふた、前にも記すごとし、曉會夜會雨雪の時は蓋すべし、井華水の事、總て朝晝夜共に茶の水は曉汲たるを用る也、〈○中略〉
濡釜の事、客座入、早速釜引揚て勝手へ持入、底取大ほうろく組合持出、宵よりつかへたる爐中改一炭して井華水をたゝへ爐にかくる、濡釜とも水釜ともいへり、火うつりはやく湧立樣にすべし、とにかく待遠成もの故、初の炭輕く早移りたるをよしとす、常の會、時により炭を加る事有、初の殘り炭を用てよし、曉會夜明ての炭は、炭斗は始のにても炭新に組入て仕たるよし、後の炭客を設ル所作なれば、殘炭はわうし、草庵かべ戸障子等夜中の儘、窓にはかへ戸有べし、明はなるゝ時分を考へて、障子にはめ代てよし、それ共不殘代戸在ては明離るゝも知がたし、あかりのかげを料簡して、一所抔は障子立置るゝよし、水打樣、夜中の事故、草木抔たふ〳〵と水打事にてはなし、腰掛の邊飛石等輕くはくべし、夜、の明はなるゝを考へて、露地内外水打べし、總て朝會の掃除寅の刻、露地草庵共に掃除に取掛てよしと云へ共、夜中の事故、掃除もはきとしがたし、夜の明る程を考へて、早掃除に取掛てよし、客早々腰掛に音づれては不仕廻のもの也、
迎の手燈籠の事、主のむかひの手燈籠よし、唐燈籠抔の、物さびたる有、手燭持出す人有、風吹夜抔別て難義也、殊に殊勝げなし、あざやか過て惡し、客腰掛に來り案内あらば、常より早迎入る、座中行燈殘燈之事、四疊半抔は源氏燈臺もよし、數寄屋行燈、又はかけ燈覆しても用ゆ、土器竹輪下皿等法のごとし、亂れ燈心三筋五筋の間殘燈肝要なり、かゝげ殘しは、凡燈心一寸五分二寸許よし、燈心のもへさし抔不改、かゝげ殘しなる體の儘にて殊勝のもの也、是又覆を取て見ると云には あらず、油のへり科簡すべし、燈のあかりにて爐中等見ゆる程あらば、手燭出すに不及、殊勝氣なきもの也、されともすまいに寄て爐中見へがたき時は、爐中改る時計手、燭出もよし、
初坐配合等心用、掛物墨跡類は大字あざやか成よし、筆者に寄繪抔もよし、必と云にはあらず、曉會三ツかけの事、秘事口傳有、

〔茶道聞書集〕

〈甲〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0400 夜込に行燈置、料理出す時、手燭出すがよし、行燈引前にとるよし、
夜込に料理出すは、夜の明はなれたる時、行燈引、突揚も揚、出すが一通り也、本文に書せるは又一體なり、
行燈引料理出す時は、汁は何、燒物は何と申すがよし、是はうそぐらき故也、時によるべし、
料理の調味、委細に客へことわる事、さも有べきことなり、〈○中略〉
夜込、夜の中は宵の殘の心持、薄茶の時も極侘たる體にぼつと、〳〵立テ、夜明候ては新しき心を持、少しさつはりと致し候がよし、
夜込、夜の内は閑なる體、明はなればさらりと、客よりもつゞき薄乞たるなど、心得有べし、夜明ては兎角だれぬよりよしとぞ、
夜込の後の炭の時、底取候がよし、夜薄茶の前、酒煙草なども出し候がよし、是等は時の見合にあり、
夜込の後の炭の時、底を取候がよしといふは、濃茶後の炭にはあらざるべし、初坐入して、埋火などかきさがし、薄茶ゆる〳〵點、其後の炭に底など取てよし〈○中略〉
夜込の爐中、下火あんばい六ケ敷ものと覺々齋云、自方を夜込に呼候時は、下火半分ほど埋みあり、
夜込の下火、前夜より留置たる釜なれば、心得工夫有べし、自方は家原氏なるべし、 夜込、亭主路次へ行燈持迎に出る、路次によるべし、此時待合へ行燈不置、宗室間にしられ候由、〈○中略〉
夜込、初の薄茶の時、手燭出して炭の時先ヅは出す、仙叟抔は行燈引よせ置被申よし、
夜込炭の時行燈を引寄る事、極侘たる體成べし、〈○中略〉
夜込、先は冬落葉の跡よしと流芳云、殘月か、又は殘燈を見て可申と申候はゞ、月なき時分か、大雪風雨などの夜宜しからず、延引がよし、

〔茶道望月集〕

〈二十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0401 一晝の茶事、昔は別に云ごとく茶事の樂しみ深き故、口切の比は、大かた好士の人は、夜をこめて行迎へて樂みし事なれども、當時は茶事名聞にのみなりて、春夏は打捨置し人も、十月中旬より思ひよりて、口切とて茶事催する事になれり、夫故夜込の仕かた各別の習事になりて、道しらぬ人はこと〴〵敷云なす故、少し心得たる人も、我しりがほに適々夜込の茶事をする人、聞はつりたる仕かたにて、彼世俗の云、耳を取て鼻をかむ樣の事を取合て、是こそ夜込夜の會釋習など、初心の輩に云聞す故、常に馴ぬ事故、いか樣左樣にてこそあるらめと心得たる事はなけれども、たま〳〵夜込の茶に招れ行し輩は、互に其仕かたを隱し合て、打過る事になり來りし故、愈其道せまく成て、たゞ書の茶事のみの樣に成ぬ、

〔喫茶指掌編〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0401 道安宅へ細川三齋朝の茶に御約束の處、曉七ツ時前に御出有けるに、其儘出合、忝とて先書院へ招入、蒲團を持出火燵に懸、何も寬々とあしらい、東雲に成てより數奇をせし、一段と善仕樣と稱美有しと云り、

朝會

〔茶道早合點〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0401 茶の湯の大概
古茶の湯と云は、定りて朝の事なり、丑の中刻より寅卯の刻迄なり、是を朝の茶の湯と云、又夜ごみとも云、又朝ごみとも云、

〔茶道筌蹄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0402 茶會
朝 六ツ時と五ツ時なり、客六ツ半に來る時は、爐風呂とも食前に炭をなをし、釜に水を加ふ、是は朝六ツ時に、少水にて釜を仕懸し下火のまゝなる故也、五ツ時に來るときは、爐風呂とも晝の茶湯におなじ、

〔臺子しきしやうの時かざり樣の事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0402 一鳥より前は夜すきなり、鳥なきては朝すきなり、朝すきは手水つかはず、たゞ手水鉢につくばいてよく見て、そのまゝ立て行事よし、是は今朝手水つかひて、則間もなく候へば、今さらつかふに及ばずとなり、晝より曉までは、手水つかひてすきや入するに定る、

〔貞要集〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0402 朝會之事〈附蕣花之事〉
一朝會と約束のときは、七ツ時分に支度をして可參、道の程遠近を考、七ツ過に待合へ可入、客揃候へば亭主迎に出、七ツ過に座入可有、極寒時分は、下火を多入置釜を揚、下火をひろげて、爐邊へ寄申樣にと挨拶有之也、路次に水を打不申、燈籠迎暗燈とうしんも短ク數三筋計、宵より待たる體に仕なし、あかつき方あかりのすごく無之樣に仕候、小座敷の内は木地の暗燈出し申候、是は夜明て取入る時に、やすらかに有之故也、時分を見合、夜の内に炭を致候、ほの〴〵と明る時分、路地の石燈籠、又は釣燈籠の火も消申節、替戸を取、圍の内暗燈を取入、膳を出し申候、古來は右の時分を第一に仕、朝會はやり申候、當代は朝會といへども夜明て路次入、五ツ時會席を出シ、此時は中立に路次へ水打申候、それも極寒の節は心得可有、風爐の茶湯には、朝會にても初後ともに水打申候、其外常の作法に替る事なし、

〔梵舜日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0402 慶長三年十二月四日、於數寄屋朝會興行、大東院慶音、松樂庵、

晝會

〔茶道筌蹄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0402 茶會 晝 利休居士の時代までは二食なり、巳の刻頃を晝飯といひ、哺時を夕飯といふ、夫故晝の茶の湯といへば、巳の刻時分をいふ、當時一日に三食なるゆへ、晝の茶といふは、午時のごとくなりぬ、C 夜會

〔茶道筌蹄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0403 茶會
夜咄 むかしは脯時より露地入せし故、中立に露地小坐敷とも火を入れる也、晝、夜咄とも、いにしへの事にて、當時は夜咄も暮六ツ時に露地入する也、〈但し客入込て、炭をせずに前茶點じ、跡にて炭をいたし、水を張、食事出す事、〉

〔茶道早合點〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0403 茶の湯の大概
夜咄と云は酉の刻なり、夜會とは云ず、

〔茶道便蒙抄〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0403 夜咄之事
一主客ともに隙入無之時を申合て、互に緩々とはなしあかさんと心得て呼よばるゝなり、萬事其心得あるべし、客の入來は、酉の刻に案内乞べし、

〔臺子しきしやうの時かざり樣の事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0403 夜會の樣子
一夜のすきは晝より大事の物なり、まづ心しづかに、手前もさはがしくなきやうにしなす事せんなり、庭には石どうろに火をともし、路地には水うつべからず、あつき時分ならば、うへ木ばかりに打てよし、
一こしかけにはあんどん置なり、置所はこしかけの前のはづれに、すみかけて置なり、
一朝にても夜會にても、石どうろに火をともしては、しやうじを立る物なり、ともし火には、あぶらたくさんに置なり、客にあかせぬ道理をせり、
一すきやの内には、たんけいをとぼす事本なり、置所はゆるりぶちより、たゝみ廿三め、但かねにては壹尺五分あり、中程の地、しきいよりは一寸、但二目半なり、火口はにじり上りへむけて置なり、客入てすみする時は、たんけいをゆるりのふちぎわまでよせるなり、すみもたくさんに置事 よし、
一軒のまどは、しやうじをはづしかけ、戸ばかりかけて置なり、其ためにかけ戸に色を付る事なり、
一すみの時は、手そくいだして、ゆるりぶちの右のさきのすみに、ゑをさきへなして置なり、
一茶の時は、たんけいを床の内へ入、左りの方に置なり、前の床ぶちより四目、左りのわきの地しきいより七寸五分に置なり、火口を前の方になしてよし、
一茶立る時、手そくは水さしと中程の間に、えをさきへ火を前になして置なり、
一茶の時は、手そく出して、水さしと中程の間に、釜の口も手前もよく見ゆる樣に置物なり、茶出し候てより、手そく客より御こひ事本なり、えをさきへなし、ゆるりの右の方へいだすなり、

〔茶之湯六宗匠傳記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0404 古田織部殿自筆の寫
一貴人珍客を夜會に申入事いかゞなり、夜は物事不自由なる物也、又は腹かげんもちがい、ごみほこりもみへざる物なればあしきと、常に紹鷗被申由、〈○中略〉
一夜會の時、たんけひも、あんどうも、客の取あつかふ事なし、懸物など見度時は、手燭を乞て見る、
古田織部正殿自筆の寫
夜會之事
一夜會は心安き樣にて、昔はむつかしき事などゝ申事も候、先ロジニ水ウタヌコトナリ、客ロヂ入候はゞ、てい主アンドウにて出向ふ事也、則路地へ出す事、スキニ惡敷コト也、扨其アンドウ腰懸の上に置、てい主入コト、正座の人其アンドウヲ持候而、ロヂ所々に氣を付、水鉢の本に置、手水つかい入なり、かこひの内は、タンケイニ火ヲトボシ置也、置所樣々アリ、床の内クラキ勝手ナレバ、床ニモタンケイ置コト有、乍去掛物名物ナレバ置ヌコト也、手シヨク乞候而、懸物ミルガヨシ、 手シヨク亭主ゟ心得出置コトアル口傳、〈○中略〉
一夜會茶湯の事、路地石燈籠ニ火ヲトボシ、夜のあけぬ内は、路地ニ水うたぬ事也、中立之時分夜あけぬれば、水打申事也、扨カコイノ内アンドウ也、亭主炭の時、手シヨク出ス事定りたる事也、

〔茶之湯六宗匠傳記〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0405 小堀遠江守宗甫公自筆の寫
一夜會に所々の道筋に石燈籠有、みな〳〵火を燈すべし、又石燈籠うへ込の内に有、景の能物なり、是にも燈すべし、
一夜會の時待合腰懸共に行燈を燈し置べし、刀かけの脇の石には、手燭に火を燈すべし、數寄屋の床に短檠に油火を燈すべし、燈眞五筋か七筋たるべし、尤長どうしんにして、後穴よりさげ置べし、

〔和泉草〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0405 夜會
一夜會ノ仕方種々有之儀也、畢竟ハ朝ニモ晩ニモ晝ニモ不似樣ニ万事ヲ可仕成、此外ハ功者ノ夜會ニ逢テ知ルベシ、

〔三百箇條〕

〈上之上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0405 一夜會に、時により掛物をかけざることも有、掛る事も有、

〔三百箇條〕

〈下之上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0405 一總別夜會之事
口傳曰、夜會は中にも心持肝要之數奇にて候、然るにおき合せも別のおき合せあり、幾度も不審し相傳を請べし、利休織部も、本の夜會は度々は無之よし申つたへ候也、

〔茶式花月集〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0405 夜咄之事
前茶ノ道具、水指ノ代リ藥鑵片口ノ類ヲ用ユ、前茶ノ道具、後座ニハ殘ラズ替ル、建水替ルニ不及、前茶ノ節、烟草盆カ、ヌハ總菓子力、兩ヤウノ内一品出ス、後薄茶ノ節ハ、濃茶ノ道具遣フ、
素床ノ節、掛物好ム事ナシ、〈但シ口切等通リ道具ニテ相用候、掛物格別聞及タルナラバ好ム、見終テハヅサレヨトノ挨拶ニ不及、〉

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0406 享保十一年正月廿五日、參候、近日ハレナル夜茶湯ニ參ルコトアリ、然ドモ御流ノ茶主ニテコレナク、客ニナリテノ致シヤウ、心得ナキコトニヤトウカヾフ、仰ニ、〈○近衛家煕〉サシテ別ノコトハナケレドモ、今ハ昔ノヤウニハ大ニ、替リタルコトアリ、第一ノ心得ニハ、外ヨリ見入タルトキ、數寄屋ノ窓障子ノ明リノトリヤウニ氣ヲ付テ見ベシ、此亭主ノ上手下手ノ大イニ見ユルコトナリ、窓ゴトニ必ズ、掛戸、ハアルコトナレドモ、是非ニ一方ハ明ルコトナリ、コレヲイキダシト云、上ノ窓ヲ明ルコトモアリ、下ノ窓ヲ明ルコトモアリ、月夜ト暗トノ違モアリ、月ノサシ込處ナドへ、燈ノ明ニミユルヤウニスルコトハ、大ニアヤマリ也、前カド宗巴ニ、夜ノ茶ヲ仰付ラレシトキハ、窓ゴトノ戸ヲ殘ラズ掛タリ、譯コソアルラメト仰ラル、手燭ヲモ今ハトモシナガラ障子ノ外ニ捨置テ、勝手ヨリ取ルヤウニスルコトハ、先第一ノ不用心ナリ、風ナドアル夜ハアブナキコト也、露地ニヨリテ、アシク戸ヲシメテ入ガタキ處モアルベシ、古へ常修院殿〈○慈胤法親王〉ナドハ、究テ戸ノ外ニテ、下客ノ手水ツカヒ仕廻ヲ待テ、燭ヲ持テ御入アリテ、掛物ナドソノ燭ニテ見マハシ、下客ソノ手燭ヲ亭主ノ出テトリヨキ處ニ直シオキテ、火ヲ消スベカラズ、 十二年三月廿一日、參候、夜ノ茶ハ、畫ノ茶トハ各別、何トカアシライアルコトニヤト窺フ、仰ニ、サマデカワリハナシ、今ノヲ見レバ全ク同ジ、只燈籠ノ火ノカゲント、手水鉢ニヌキスヲカケテ置コトヽ、手燭ノアシライナリ、手燭ナシニ庭アカリ、ニジリアガリ、ソレトシラセノ燈ノ影、コレ一ツナリ、客モヌキスヲ半分アケテ手水ツカフベシ、アトヲ又カケテ置コトナリ、今ハ、ヌキスノ沙汰ナシ、〈前カドノ御噂ニ、夜ハ正客モ相客ヲマチアハセテ、内ロジクラカラヌヤウニシテ、内ヘ入テモマチアハセ、手燭ヲ入サセテ、床ノカケモノモ、カハリ〴〵ニ見テ、下座ノ人、勝手口ヘ手燭ヲトモシナガラ、柄ノ方ヲ前ニシテ直シヲク、今ノ人ハ外ニテトボシヲク、風ナドノ吹カ、若客ガ中戸シメレバ危キコトナリ、○中略〉 夜ノ茶ニ、前ニ薄茶ヲ立ルコト、必シモト云コトニアラズ、御前〈○近衞家煕〉ナドハ、終ニ其式ニ御アイナサレヌコト其筈ナリ、イツモタ御膳後ナド、フト催ナレテ、迚ノコトニ、夜食ハ圍居ニテトアルヤウナコトモ、是非御相客トモニ揃ハセラレテ 入ラセラルヽナレバ其式ナシ、下々ナド、客ノ遲速ナドアリテ、格式バカリノヤウナレバ、會席モ早過テ興ナキモノト云カラ、前ニ咄ナドアル爲ニ立ルコトモアルベキコトナリ、夜ノ茶ニハ、香ナド一段ヨキモノナリト仰ラル、 霜月十六日、參候、夜會ノ茶湯ニ手燭ヲ出スコトヽ、短檠ノ置處トヲ窺フ、今ノ人迎ニ出ルニハ、手燭ヲ持出デテ、客ノ中立ニハ手燭ナシ、コレハ如何ニ候ヤ、仰ニ、ソレハ御流儀ナドニハナキコト也、客ノ出ルニハ、尚以テ手燭アルベシ、〈コレニ分ケアリ、奧ニ詳ニ記之、〉 先手燭ハ出シ入レト、眞ノキリ時ト、此二ツナリ、先亭主手燭ヲ持出デテ客ヲ迎フ、客ソノ手燭ニテ手水シ、其燭ヲ持チ入テ掛物ヲ見終リテ、其燭ヲ道具出ス疊ノ眞中ニヲク、柄ヲ主ノ方ニス、兎角手燭ヲ持ツハ、イツニテモ二ツ足ヲ持ベシ、手ヲ持ベカラズ、其子細ハ纔ニ柄ヲ持テバ必ユガム、ユガメバ蠟ナガルヽ故也、〈前カドノ御咄ニ、手燭ノ柄ハ柄ニアラズ、ヤハリ三本ノ足ヲ一方ハノバシタル物也ト仰ラル、〉亭主出デテ其燭ヲ入レ、相應ノアイサツシ、眞ヲキリテ持出デテ炭ヲスル、其燭ノ置處ハ、主ノ向ノ上ニ角カケテ爐中ノ見ユル樣昌置コト也、扨炭ヲ仕廻ト又燭ヲ入テ眞ヲキル、〈燭ヲ一度々々ニ立テカユルモ仰山也、又初ノ燭バカリニテ、眞ヲキルバカリニテハ短クナル、所詮二丁立テヽ置テ取替ルガヨシトナリ、〉膳ヲ出シザマニ、暗キホドニ燭ヲ出スベシト挨拶ス、客ノ方ヨリ、幸ニ燈ニテ閑寂ニテ好シ、燭ニ及ベカラズト云ヘバ不出コ下モアリ、出サネバ菓子ノ時ハ必ズ出ス、其燭ヲ客持テ出デテ中立ス、亭主ムカイニ出ルニハ、別ニ手燭ノ眞ヲヨクキリテ持テ出テ、待合ノ手燭ニカヘテ入ル、中入ノ後ノ燭ノアシライ、最前ノ初入ニ同ジ、 短檠ノ置處ハ爐ノ脇ノ十一目、十二目、或ハ九目ニヲクト申ス説ノ候、トカク爐ノ檀ノ上ニ、燈影ノ半分ノコル樣ニヲクト申スハイカヾニ候ヤ、仰ニ、燈ヲ出スコトハ、全ク爐ノ爲ニアラズ、燈ハ座ノアカリノ爲バカリナリ、手燭ハ全ク爐ノ爲バカリニテ、座ノ爲ニアラズ、故ニ短檠ノヲキ處ハ、一座ノアカリヨキト、給仕ノ邪魔ニナラヌ處トニヲクコト肝要也、但シ床ノ影ノウツリヲ能々考フベシ、床ノ掛物ヲ畫ニテモ、墨蹟ニテモ、半分ニキルヽヲ嫌フナリ、大軸ノモノニテ、全ク明リニナラネバ、一向 ニ影バカリカ、一向ニ明リバカリカニスルコト也、 夜會ノ掛物ハ、大字ノモノカ、トカクハキトシタル物ヲ掛ケテ、燭ナラデモ見好キ物ヲカクベシ、食物ナドモ其心得ニテ、骨ナキ喰好キ物ヲ出スベシ、

飯後會

〔茶道筌蹄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0408 茶會
飯後〈菓子茶ともいふ〉 朝飯後は五ツ半時、晝飯後は九ツ半どき、いづれも菓子の茶也、朝飯後は正午の茶會の邪魔にならぬやう、畫飯後は夜ばなしの邪魔にならぬやうに、客の心得第一也、

〔南方錄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0408 菓子會
是も不時會也、いとまなき人は、わび數寄の饗應をはぶきて、菓子にて可參と云、菓子にて一服可進といふたぐひ也、案内有ての不時と心得べし、

〔和泉草〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0408 菓子之茶の湯
一菓子ノ茶湯ハ、不時之茶湯ノ又輕キ物ナリ、常ノ茶之湯ノ格ニ替テ、面白仕成專一也、

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0408 享保十二年八月十二日、參候、昔在常修院殿〈○慈胤法親王〉ノ茶入ノ袋切ヲ、後西院へ御所望ナサレシニ、迚ノ義ニ、蓋袋トモニ此御方ニテ調進アルベシトテ、其出來シタル日ニ、公〈○近衞家煕〉ニモ御出ニテ、共々ニ御遊アリシガ、飯後ニ不圖後西院ノ勅詔ニ、幸ニ此茶入ニテ一服獻ゼラレヨ、卽チ龜ガ茶屋ニ掃除モ出來タリ、アレニテ菓子ノ茶湯セラレヨ、御茶ヲ初メ道具ハ坊城平松へ云付テ、何ナリトモ恩借セラレヨ、早々ト御所望ナリシカバ、サレバトヨ、如何アルベキヤトテ、御立アリテ御茶屋へ御座アリシガ、程ナク御案内アリテ、後西院、無上方院、公モ御入アリシ時ノ花生ニ、靑竹ヲクロギ柴ノ大小黑靑ヲマゼアハセテ、クルリト卷テ、二所ヲ藤蔓ニテクヽリテ、ソレニ連翹ノ大枝ト、根ジメニ花トヲ入ラレタリ、時ニトリテノ御働ト云、 十五年三月廿二日、參候、野村新兵衞ガ伺ヒ奉リテクレヨト申スコトノ侍リ、古ヘヨリ飯後ノ茶ト申スコトノ侍ルヨシニテ、亡 父モ仕リタリ、他ヘモ召シツレテ參リシカドモ、幼少ノトキニテ、シカトモ覺エ申サネドモ、大方ニ常體ニカハルコトナシ、炭ヲシテ菓子ヲ出シ、中立シテ入テ茶ヲタツルコトナリ、上流ノ茶人ノ方へ相伴ニ參リシニ、中立ノ後ニ羽箒ノ音ノ聞ヘシカバ、イザ參ルベシトテ入ラレタリ、〈案内ヲマタズ〉ソノ後其方ザマノ人ニ尋ネンニ、羽箒ニテノ掃ヤウニヨリテ、案内ヲウクルコトモウケヌコトモアリ、圍ヨリ内ヲハケバ、案内ヲマタズ障子ヲ開キテ、シキイノ外マデヲ掃ケバ、案内ニヨリテ入ルコトナリト申ス、御流儀ニモ侍ルコトニヤト伺フ、仰ニ、〈○近衞家熙〉是ハ常修院殿ノ直ニ御物語ニテ御聽ナサレシコトナリ、其節飯後ノ茶ト云名目流行シタリト見エ、飯後ノ茶ト申モ、菓子ノ茶ト申スモカハルコトナシ、菓子ノ茶ノコトナリ、飯ハタベテ參ルベシ、茶ヲ御フルマイ候ヘト申シツカハスカ、他處へ茶ニユキタル歸ルナニ、一服タベタシナド云ヲクル是ナリ、サルニヨツテ、菓子ニテ茶ヲフルマフコト、常ノ通リヨリ外ニカハリタルコトアルベキヤウナシ、中立ヲスルトセヌトハ、菓子ニ差別アリ、亭主ヨリモ、タヽスルヤウニ仕カケテユケバ、立ザレバナラズ、尤モタツガヨシ、タヽサヌヤウニスレバ、タヽヌガヨシ、同ジ菓子ニテモ、シカトシタルモノニテ〈スヽリダンゴトカ、ゼンザイ餠トカ、〉出ルヤウナルハ、亭主モタヽセルヤウニスルガヨシ、客モタツガヨシ、又格別カロキモノニテ、ハシヤギモノナド出ルヤウナルハ、亭主カラモ、タヽセヌヤウニスルガヨシ、客モ其氣ヲ承リテタヽヌガヨシ、是ハ一概ナラズ、日外寸松庵へ飯後ノ、茶ニ行タリシトキノ菓子ニ、スヽリダンゴヲ出サレテ、其マヽニテ御立下サレヌヤウニ、御ウシロニ御手水ヲモ設ケタリト申サレシカドモ、少シ庭ヲモ見タシ、幸ナガラ立ベシトテ立タリ、古へ常修院殿へ親ク參リ通ヒタルモノニ、安部信濃〈飛驒ガ弟〉ト申スアリシガ殊ノ外茶湯ズキニテ、主ガサビタル圍居ニ額ヲ掛タキ由ヲ申テ、飯後庵ト號シ、菓子バカリニテ茶ヲ仕タルコトアリ、是時分ノハヤリコトバト見ヘタリ、必ズハコビノ物ナリ、〈此事ヲ新兵鵆ヘ傳フベシト仰ナリ〉 古へ御所樣ニ三菩提院樣〈○貞敬法親王〉ト御一處ニ、 大佛ノ獅子吼院樣〈○堯恕法親王〉ニ御出ノ次手、常修院樣へ立寄テ、一服タベタシトテ菓子ノ茶ニアイタリ、右ノ通リニテカハルコトナシ、菓子ハハシヤギモノヲ出サレタリ、總ジテ茶ノカヘリトカナニゾニテ立寄ル人ニハ、急度菓子ハ出サヌガヨシ、ハシヤギモノナド然リ、先ノ茶菓子ニサシアハヌヤウニシタルガヨシ、菓子ニテ一服タベタシナド云送ルニハ、スヽリダンゴ、ゼンザイ、或ハ吸物抔出スコトモアルベシト仰セラル、

不時會

〔茶道筌蹄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0410 茶會
不時 兼約なしに、差かゝりて催すゆへ、道具萬端心得荒ましなり、

〔南方錄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0410 不時之會 急接共云
朝晝夜三時の外を不時と云、朝飯稜にても門前を通掛に云入て、一服と所望の事あり、是急接也、露地は手水鉢の水改むるまでにて、早く案内をすべし、中立前露地内外雪隱等、水たふ〳〵と打べし、床臺目共に薄茶の棗抔、棚にありの儘にて呼入、炭加へて濡釜に改、あぶり昆布水栗の類茶請に出し、引合たる濃茶あらば濃茶にすべし、さなくば薄茶を眞にはたらきてよし、炭の時棚の棗茶は取入べし、後座掛物卷て客へ花所望すべし、又は初座花ならば取入て、秘藏物抔外題をかざりてもよし、ケ樣の事時宜に寄べし、必と云にはあらす急接の時、にしめの類、茶請に出す事ひが事也、我食事の殘の樣にて惡し、利休壯年、奈良住人宗泉と云者、不圖不時に一服所望しけるに、煮染の茶請出され、後悔のよし、度々門弟子に語られしとかや、又は前日前々日にても、朝飯後何時比御茶被下候へと申入、又は主よりも不時に一服と約諾したるは、露地數寄屋のもうけ常の會同前也、少宛の心持は、主の作用分に寄べし、勿論煮染の類、又は吸物にて一獻、何にても茶菓子心次第也、不時の會いかにも秘藏の道具抔、一色も二色も出し、所作眞にすべし、心は草がよし、

跡見會

〔茶道筌蹄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0410 茶會 跡見 跡見は朝茶正午の後に限る、夜咄には跡見なし、客は近邊まで來り、何方にて御案内を相待と亭主方へ申入るゝ也、亭主朝茶午時の茶濟次第花を殘し、〈ケ樣の節は、初めの客に花所望したるも宜し、〉客方へ案内をなす、客は案内に隨て露地へ入る、亭主炭を一ツ二ツ置添て爐中を奇麗になし、〈但し火未落す、釜もよく烹るならば、其ままにてもよし、〉偖水さしの前へ、袋をはずしたる茶器をかざりつけ、手水鉢の水をあらため迎に出る、但し露地へ水を打す、客座につくとき、亭主茶碗を膝の脇にをき、勝手口明、如例挨拶して、直樣に點茶をなし、客は茶入茶杓をかへし、一禮して退出するなり、夫程に急なる事もなき時は、濃茶の跡にて炭をなをし、菓子を出し、薄茶を點るもよし、菓子ははじめに待合に出しをくもよし、元來跡見の趣意は、遠方へ旅立をする日限急にせまる歟、用事繁くして、半日の閑を得る事もならざるに、何とぞ此度の催に洩るゝ事の殘念さよと、客方より乞ふ事故、誠に火急なる場合をたのしむことなれば、主客とも心得あるべき事也、

〔茶道便蒙抄〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0411 跡見之茶之湯之事
一座敷置合は、菓子の茶之湯に懸物と茶入の袋なき物也、食物は菓子にても出さず、扨客行時分は、茶主より案内あるもの也、但客の住宅亭主よりも隔り候はゞ、近所何方へ參り居候半の間、時分御知らせあれと、兼て茶主へ約束致し置たるがよし、

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0411 享保十五年三月廿二日、參候、跡見ノ茶ノコトヲ申シ上テ、頃日吉田某ガ〈庸軒流〉申サレシハ、去方へ迹見ノ茶ニ參リタリシニ、例ノ通リ初手ハ花ニテ菓子ヲ出シ、炭ヲシテ中立シ、後ニ入ルトキハ花ナシ、メクラ床トス、庸軒流ソノ外ニテモ、後ノ花ニ水ヲスルコトアリトナリ、茶スミテ後ニ、正客ノ申サレシハ、迚ノ義ニ、御掛物ヲモ拜見仕タシト申サレシカバ、日外御目ニカケタルモノニテ候トテ出サヾリシハ、主客トモニ尤モニヲボヘテ候ハイカニト申シキ、〈迹見ノ茶ニユクホドノ人ガラナレバ、カ子テノ入魂ナルベシ、尤ナルアイサツナリ、モシ初テノ人アリテ、右ノ如ク所望セバ、只一二幅ノモノニテ、數ハ所持イタサズ、重ネテ御茶申ス節、御目ニカクベシト云ハンカト、〉尤モ 面白ク覺へ候ト申セシハ、イカニヤト伺フ、仰ニ、迹見ト云フコトハ不知コトナリ、終ニユキタルコトモ、呼ビタルコトモナキナリト仰ラル、左コソアルベキコトニ候、御所樣ナド、迹見ニ呼人モ參ル人モアルマジケレバト申シ上シカバ、イナトヨ、昔シ利休ヤ織部ナドガ方へ、迹見ニ大名ノ參リタルコトヒタトアリ、是レハ秀吉ナドノ茶ニユカレシ迹故ニ、眞ノカザリトカ、名物カザリトカニテ、又面々ガ茶ニユキテハ、再ビ其目ニアイガタキコト故ニ、强テ所望スルコトナリ、ワザトコシラヘテ、イザ迹見ニ參ラント云ハ、客モ客ナリ、亭主ノクタビレヲモ不顧シテ所望スルモ不仕付ナリ、亭主モ人ニ飮マセタルアトノ殘リ茶ヲ振舞コトモ由ナキコトナリ、迹見ト云コトアルベカラズト仰ラル、

〔槐記續編〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0412 享保十八年十一月廿五日、參候、〈右京大夫、拙、○山科道安〉總ジテ跡見ノ茶湯ト云ゴト、今モ人ノヨク云コト也、跡見ト云コトハ、御成ナラデハナキコト也、今ノ跡見ト云コトハ、今日御茶アリト聞シ、御殘リアラバ參リ度ト云ノ儀也、ソレ故今日ノアトミト云ヲ、又一ツ其儀アルベシト仰〈○近衞家熙〉ナリ、 古へ秀吉ナドノ跡見ト云ハ、色々ノ名物ヲ御成ノ爲ニ設ケタルガ故ニ、此度ナラデ又見ンコトモ難カルベシト云心ニテ、御跡ヲ拜見スル心ナリ、ソレ故二三人ニカギラズ、七八人ノコトモアリ、ソノトキハ珞次ニ立コトトミヘタリ、今ノハ客ノ數モ大カタ極リアレバ、茶ノ殘リヲ所望スル意ナリ、 跡見ニテ大勢ノトキガ、重ネ茶碗ノ作法アリ、 茶後ニ參ルハ、極メテ花ガ先也、菓子ニテモ出シテ、而シテ掛物ヲ持參シ、掛物竿ヲ持チソへ、先ノ掛物ニテ候、茶具ヲ調ズルノ間ニ御カケ下サルベシト云テ、花ヲ取リイルヽ、〈圍居ノ内ノ竿ハ、又別ノ制法アリ、〉掛ケヤウ、持テ出ヤウニ尤習アリ、茶入ハキハメテハダカ茶入也、客モシ袋ヲコヘバ、勝手ヨリ出シテミスルコト也、 道具ハ極メテハコビ茶ノ湯ニスルコト也、ソノ外仕ヤウ共アルコト也、重ネテ仰聞サルベシトナリ、 掛物ハ、卷キナガラ床ニカザルコトモアリ、竿ヲソユルコトモアリ、此トキ軸先軸本ノ吟味アリ、

獨客會

〔茶道筌蹄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0413 茶會
獨客 客待合に腰をかくるも、中央より下へさがりて席につくも同樣なり、主人の心得は、客の淋しくなき樣にもてなすを肝要とす、主人の座は茶點疊の末席に、座敷の勝手に隨ひ見はからふべし、料理は膳を客へ進め、手前の膳を持出し相伴する也、其後は通ひ用ゆ事例のごとし、偖通ひ飯器間鍋(カンナベ)を引とき、亭主煮物の椀を我膳へ乘せ勝手へ持行、勝手にて吸物を相伴するなり、又吸物まで相伴して、吸物椀を膳に乗せ勝手へ持行、湯を通ひに出さすもよし、偖通ひ吸物を引付勝手へ入る時、亭主間鍋八寸持出るもよし、通ひ盃を納め勝手へ入るとき、亭主吸物椀を膳へ乘せ勝手へ持入、湯を勝手にて相伴し、客の膳を下ぐるもよし、點茶の節、客より御手前も沼上られ候やうなど挨拶ある時は、二人分の茶を點る也、客より右の挨拶なき時は、亭主より御相伴いたし候といひて二人分の茶を點べし、御手前と一禮して茶を呑むとき、亭主旦坐の半東のやうに座つく也、至て小坐敷ならば少し坐を進めてもよし、茶碗は手より手へ受取、帛紗をはずして呑む、客一澄すれば、茶碗を客の前に置き、帛紗をさげ、定座に歸る、

〔南方錄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0413 獨客之會
主客共に未熟の人不叶、客腰掛に來らば早く迎入れ、或は懷石をも挨拶の上相伴し、或は中立の跡仕廻を急て、腰掛へ出て挨拶する類、色々主客共に心づかひ有也、後坐入の事、右の如く腰掛に一所に居る故、漸湯相能成申べし、御入あれと云て先に歸るべし、此時鉦抔不打、雨雪の時、笠二ツ、圓坐をも二ツ置べし、口傳多し、

〔和泉草〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0413 獨客
一碣客六ケ舖物也、何時も下座に居る物也、亭主ト諸事請取渡にも、手前モ能見ユル物也、客亭主共に挨拶可心得ナリ、

〔貞要集〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0414 一客一亭之事附、花所望次第之事
一一客之事は、貴高には無之事也、茶の友自然に壹人茶所望の時に、待合へ來ルと其儘出迎、當座の挨拶はなしなど致し、又は薄茶を出し、追付御案内可申入と、内路次へ水を打、中潜に迎に出、戸を不差内路次へ入て、亭主も路次に彳て挨拶して、客手水を遣候刻、亭主蹸上りの口より勝手へ入、戸少明て置、客座入著座を聞合、茶道口より出、此時は客功者なれば、炭所望の事有、又初座に花所望の事も有り、いづれも二品の内所望可申、若客炭辭退あらば、後座に花所望可申、花の出し樣は、花臺に花を取揃、木柄の小刀、茶巾、水繼、花臺に載、下座床上座床ともに、花臺は軸先客の右のかたに置也、はなを生申とき、かろく花形に不構早速生るがよし、尤水を加て、花臺に殘花も取そろへ、客本座へ直る時に、亭主床前へ寄一覽申、花臺を取入、勝手次第會席を出す、後座の時は、其儘水覆を取出茶を立る也、花を若客生不申候はゞ、亭主花を生申候、かならず後座に炭所望可之なり、風爐の時は、初座に花所望有之事也、其外常の如く替る事なし、道具も所持の内、秘藏の道具を一色出し見せ可申候、料理亭主相伴申事有、其時は、客は床前の疊を除て居申候、亭主は大目にて相伴申候、夫も他人は給仕も無之候へば、段々給仕をして馳走第一也、古來より一客一亭とて效有事に云傳、中立の時腰掛に出て、しばらく挨拶して、追付御案内可申とて、内に入莊合せ、早速案内鉦打なり、諸事氣を可付事也、

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0414 享保十二年三月廿一日、參候、一亭一客ニハ、料理ニ心得アルコトナリ、モツソウハ勿論ノコト、香物ヲ置合セテ出ス、其外ノ物モ、煮物燒物等、客ノハ面々各々ニ器物ニ入テ出ス、亭主ノハ、一器ニモラルヽモノヲ用意シテ引テ、後ヨリ出スモノハ、皆己ガ皿力煮物椀ニ一ツニ入ルヽコトナリ、ソノガテンニスベシ、 十四年十二月朔日、仰ニ、〈○近衞家熙、中略、〉一亭一客ノコトヲイツゾヤモ咄セシガ、又ハナシテ聞カスベシ、凡ソ一亭一客ノ時ハ、〈御前(近衞家熙)ニモ常修院殿(慈胤法親王)ヘ御所望アリシカドモ、内證ニ功者ノモノナ〉 〈クテハナラズトテアソバサズ、ソノノチ三菩提院殿(貞敬法親王)ノアソバセシニアイタリトノ仰ニテ、コレヲウケタマハル、〉亭主ムカイニ出デテ、待合ニテユルユルト語リ、サテ時分モ好カルベシ御入アレトテ、同道シテ同ジク入ル、〈客ヲ先ヘ、亭主ハアトヨリ入ルナリ、〉此時ニ掛物ヲカケズ、客ニカケサスルナリ、〈追而會席ヲ進ズベシ、コノ掛物ヲ御掛ケ候ヘトデ内ニ入ル、〉客カケモノヲトリテコレヲ掛ル、掛物ノオキヤウ、掛物竿ノオキヤウアリ、掛ケ仕舞タルトキ、亭主出テ釜ヲアゲ、炭ヲスルトキニ客ニ所望スル、〈コレ前ニ記シタル通リニス〉亭主炭ヲ見テ釜ヲカケ、サテ會席ヲ出シ、亭主モ同ジク相伴ス、〈亭主ノ膳ニハ、幾色ニテモモリアハセテ、カハラヌヤウニス、〉客ノ汁ヲハジメ、カユルモノヲ亭主コレヲ盆ニテ、カへ、勝手口ヨリ取カユル、サテ中立ニモ又ツレダチテ出ル、〈ソノ間ニ臟手ヨリ花生ヲ掛カエテ掛物ニスル、〉又待合ニテ話シテ、又ツレダチテ入ル、〈此トキニ手水鉢ノワキニ花ヲヲクコトアリ、此トキハ花カゴニテ、幾色モヲクコトナリ、花臺ハ座敷ノモノナリ、花籠ハコノトキノモノナリ、〉サテ又同道シテ入リテ、茶入茶等ヲ吟味致スベシ、其間ニ花生ラレヨト云テ内へ入、ル、客花ヲクバリテ、下ノ重ニ生ケ、亭主出テ花ヲ見テホムルトキ、亭主ニ向テ、花ニモ餘慶アリ、チト生ラレヨト云、生ルコトモ生ヌコトモアリ、〈生レバ上重ナリ、宗匠ニテ弟子ナド呼タラバ、生テモクルシカルマジ、〉サテ水指ヲハジメテハコビテカザルナリ、茶モ相伴ス、

殘火會

〔南方錄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0415 殘火會
誰にても會するを問合、功者の亭主へ殘火所望の事有、口傳多、未熟の人成がたき事也、

黃昏會

〔和泉草〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0415 侘之格
一黃昏ノ茶湯ト云アリ、不慮ニ暮ニ客來ルニ、風爐ノ内ノ火ヲ能シテ呼入、次ノ間ヨリ燈ヲ取寄、シミ〴〵ト座敷へ取出ス物也、是黃昏ノ茶湯ノ仕樣也、諸邊其覺悟有ベキ也、

〔備前老人物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0415 暮の茶湯といふことあり、會席をつねよりはやめに食し、酒すぎ湯呑終らば、膳をこなたよりをし出すほどにして、はやく座をたち露地へ出べし、亭主もその心をしらば、これは忝とて茶請をもち露地へ出べし、客も忝とて則食し、手水鵜飼して、はやく座敷へ入べし亭主も その心得にて茶をたつべし、掛もの花など見る事も、其外一座の禮みな心得あるべし、畢竟燭の出ぬ前に、道具などみて仕廻うがよきとの心もち也、

雨會

〔南方錄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0416 雨中會
竹がわ笠腰掛に置事勿論也、木履時宜に寄事、露地入往來必さわがしく足早に成事、つゝしみ無故也、籜笠腰掛に置べし、凡はかざして濟事なれ共、手水抔の時不自由也、紐を輕くしめてよし、夜雨の時、灯に雨のかゝらぬ樣に前へ引付て持たるよし、小雨の時は木履に不及、强雨ならば木履腰掛に出し置べし、手水鉢の蓋してよし、亭主ゟは、中立なしに茶立る樣にする事なれども、手水せず茶を呑事、ゆめ〳〵不有なれば、亭主よりもしいていふ事にあらず、玄關ひさし下、又は塵穴の石に手水出し、雪の會の如く、御獨々々御手水候へと云もよし、雨さへふれば、小雨にても自由して玄關へ手水出すにてはなし、

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0416 享保十三年十二月十一日、鷹司内府樣〈房熙公〉ノ御疂咢ニ、雨ノトキノアシラヒハアルモノニヤト、仰ニ、〈○近衞家熙〉手水鉢ノ蓋ニ、竹子笠、路次ゲタ等也、ソノ外ハアルベカラズ、總タイニテ雨ノ日ノ心持ハアルベキコトト仰ラル、

雪會

〔南方錄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0416 雪の會
雪の會は何とぞ足跡多くならざるやうに心得べし、飛石の上計、水にてそゝぎ消すべし、雪國抔の雪は早氷やすし、飛石の上すべりて惡し、飛石なしの露地雪かきにて道を付れば、殊外能道も付き見所有、飛石ありとても、雪のやうすに寄て、飛石の上は其儘置て脇に道を付てよし、露地に寄べ七、手水鉢の水は入ずして叶ぬ事なれば、見能樣に水を掛て消べし、但手水鉢の石、又は其邊の木共に、景氣面白く降積りたるには其儘置て、手水は腰掛に片口にて出すもよし、主雪かきを携へてむかひに出べし、中立の時跡をいとひて、手水に腰掛迄たゝせぬ樣に塵穴を用もよし、去 故穴のきわに石をすへ置事也、又玄關ひさし下に、片口にて手水を廻し、御獨々々かわる〴〵御手水候へと云もよし、塵穴の時も同前也、其時は客衆ひとり〳〵たちて手水すべし、故實口傳、雪の夜會、露地の燈籠は、凡とぼすべからず、雪白きにうばはれて見所なし、光うすし、但露地の木だち樣子に寄て、一筋には云がたし、花は古來用捨す、梅はきやうに寄すべし、火相常より强うしてよし、香爐抔出して可然、常よりは大振よし、手をあたゝむる心あり、風雅人は詩歌もよし、

〔茶之湯六宗匠傳記〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0417 雪之茶之湯之事
一雪之茶之湯といふは、初雪の事より傳授故、あらわには申がたし、第一雪は十月比初ゆきふる也、雪ふる朝茶之ゆ者は、我が方に爐に火入、茶をしかけおき、雪を見て歌をよみ詩を作、常の習とす、釜を仕かけおけば、おもふどしの人、見舞にくるなり、是をよび入、雪ごと云て珍敷存候、それ故に釜をしかけ置申とて、うす茶をたつる也、我も呑仕舞申候、其とき客、さらば我等侘へ御同道可申とて、先へ出らるゝ、てい主釜仕かけ置往時、道すがら木々の小ずへにゆきのかゝりたるを見て、雪ごとをほめつれ立往ば、ほどなく向へ付たり、そこにて又薄茶呑などする内に炭をする也、さて料理出し、酒も能かげんにのみ、湯出ると茶菓子喰、手水に立て、どらなると床敷舍内に茶具紊あるを、如常みて座に付を、てい主出て濃茶をたてらるゝ也、總菓子迄くひ客立なり、是を雪茶之湯之大事として、印可條々内也、

〔茶傳集〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0417 雪掃除心得の事
一雪雨の時は、外露地に竹の子笠を、客の數程一ツニ重ね、又下駄も同前に置べし、但置所不定、物に不障所に置べし、書院より露地へ出候時は、雪駄より下駄を置て吉、
一雪月の夜は客早く來るもの也、子細有事なり、亭主も其心得して可待事なり、
一寒氣の雪雨には、客露地に久敷不置樣、急ぎ内を仕廻呼入が吉、

〔和泉草〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0418 雪中月ノ夜
一月サへ雪ノ光、一入面白折カラナレバ、座中燈モ如何、夫モ座中暗バ用ベシ、花ナド入ル事ハ以之外嫌也、月雪花トテ、三ツノ事ニ云習ワスル程ニ、花ヲ用バ茶湯ノ本意ニタガフ所也、其上月雪ヨリモ見事ニハ、珠光モ及ヌ所也、口傳、

〔喫茶指掌編〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0418 或宮方へ武臣何某、折にふれては御伽に出し、御懇命も厚かりし、ある冬雪ふらば必可來、一服可下の由仰に、難有と申上候に、其後雪降ければ、騎馬にて御殿へ參、斯と申上しかば、御近習其趣を申上しに、能來たり、馬にて來しか、駕にて來しか尋よとの仰に、近習其旨を問、馬にて參上と答、故に亦其趣申上る、然ば先温にして且可待との仰に付、火鉢など出し待せ置、稍且有て待合へ行べしとの案内に付て、御待合へ出しに、粟田山より待合御小座敷の庭まで、目前木木の梢迄も雪はなかりけり、こはいかにと思ふ間もなく御迎有ければ、御小座敷へ入ぬ、宮御出にて、遠方能約を不違來りし、聞ば馬にて來よし、淀塘よら道すがら、雪の景嘸面白かるべし、夫故に庭の雪を取らせしに、存の外手間入たり、待久しかりつらんとの御意に驚恐入たり、

〔桃源遺事〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0418 一西山公、御風雅なる御事も、今の世には稀なるべきか、〈○中略〉昔下總國小がね〈江戸より六里〉といふ所へ、狩に御出被成、數日狩暮させ給ひて、大瀨と云村家に御宿被成候、其夜宵より雪こぼつが如く降出けるに、西山公風と思召よりて、武州小石川の御屋鋪へ人を遣され、世子綱條公へ被仰候は、今宵此地を御立有之、明朝御著有べし、其節は直に御數寄屋へ入せらるべきとの御事也、扨西山公夜半に大瀨村を御發駕被成、〈○中略〉卯刻に小石川の御屋形に御著被成候へば、綱條公御待請、直に御數寄屋へ被入候、御路次入之節、綱條公へ、雪中ひだ笠のあいしらへ御債授遊ばし候、

月會

〔南方錄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0418 月の會 良夜の外、常の月夜成、其石燈籠抔とぼすべからず、されども其所により深みたる木蔭は、月夜程闇きもの也、都而灯心を增してとぼす事も有べし、良夜に會を催す事、風雅の人ならでは無用の事也、四疊半にては短尺硯抔配合、詩歌等の催し有べし、窓の簾障子抔可心用也、

〔茶之湯六宗匠傳記〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0419 月之茶之湯之事
一月は何れもあれ共、分て秋八月十五夜を名月とて、詩にも歌にも賞翫する也、又九月十三夜の月を名月とて、分て茶之ゆ之時は大事印可習也、名月之夜はざしきに習有、月を賞翫故、床にも花も掛物もかくることなし、爐に釜かけおき、扨月よくば、腰掛に圓座を客之かずほど敷おく也、扨客よび入、でい主水こぼし持出、先〈ツ〉薄茶をたつる也、此ときは座に火不出、勝手にたか〴〵とらうそくを立べし、其あかりにて茶をたつるなり、客三人あらば三服たてゝ、一服はてい主呑べし、其後うす茶をしまひ、扨炭入持出て、すみを如常する也、其時はらうそく持出べし、扨夜食を出すべし、夜食濟に手水に立べし、扨數奇屋へ入濃茶たつる也、總くわし出し、禮云立也、是も印可之大事なり、常のしかたとは大にちがい候、印可ケ條之内也、

花會

〔南方錄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0419 花之會附送花花持參名花
花の會とさ七て云事まれ成べし、花を送り、又は客衆花持參の事もあり、花入にいくるやうに、下葉抔取のけて、こしらへ過したる惡し、名花抔求めて會を催す事も有べし、

名水會

〔茶之湯六宗匠傳記〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0419 名水茶之湯之習之事
一名水と云は、京にては宇治の三の間の水、柳之水、たゞす水、尼寺之水、さめがい之水、惡王子淸水、小柳水、菊水、大坂にては天王寺水、龜之水、江府にては井伊の淸水、御茶水などゝ云水は上水とする、是を釜しかけおけよ、〈○中略〉田舍にても能水には金氣おもみうつりがもなきを上水とする、かけみることは前に出たり、それを見ればしるゝ也手前には替ことなし、湯にて乞出し呑べし、か ざりがならい也、かざりと云は、三疊大にても、水さしの前に竹輸置、横にひしやくを置べし、又は大目の外へ出しかざることも有、四疊半にても、一疊半に而もかざるべし、但し一疊半は、いつとても水指の前に置べし、又棚物の時は、たなの前にもおく、ふたおきにひしやくかけ置ことは、何にても名水の紊と云物也、扨は名水にて可有と、必湯にて呑ことが客ぶりの大事也、か樣にせざれば、てい主に恥をあたゆると云物也、是をぬからずに客ぶりすべし、去方にか樣にして有を、常のごとく座に付れたれば、後にはてい主不機嫌に而、そこ〳〵あいしらいて、てい主俄に用が出來たるとて他出せられ、其日の茶之湯は無之由、去人はなしにておどろき入たり、是といふも客に參られたる衆々の、茶之ゆ不功者故也、とかく習を知て出さするは、客の大功者と云物也、

柴火會

〔南方錄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0420 柴火之會 ふすべ茶湯也、野がけとも云々、
ふすべ茶湯と云事は俗名也、野がけの事也、大善寺山、又當國〈○筑前〉箱崎松原とて、休居士のはたらきに、松陰成故、松に雲龍の小釜を釣て、松葉をかき寄、さわ〳〵と湯をわかし、わき立のぼる松風の一聲、煙の立のぼる體面白しとて、殿下〈○豐臣秀吉〉其後野遊の御時は、たび〳〵休にも宗無宗及にも、かのふすべ茶の湯を出候へと被仰しより、皆人ふすべ茶湯と云也、糺にての時は水邊故、三本竹にて釜掛られしと也、主客の心も淸淨潔白をもとゝす、此時計り淸淨にするにはあらず、茶一道もとより得道の所にごりなし、出離の人にあらずしてはなりがたかるべし、手わざの諸具共に定法なきが故に、定法大法有其子細、唯一心得道の取おこなひ、形の外のわざ成故に、なまじいの茶人、かまいて〳〵無用也、天然と取行べき時あるべし、器物抔水そゝぎて、さわやかにするを第一とす、興を催し過れば雜席のやうに成、うと〳〵しげれば、景氣にうばはるゝなり、かの千山萬水の景氣も、此釣釜のへり取、一二席の眞味にもとづきて、しかも他の境にあらず、景氣が體に成て、茶席が用に成と、茶席が體に成て、景氣が用に成るの違也、茶を體にする程の茶人、今世に難 有、誠に向上底也、手わざの所作は、さのみ六ツ敷事にもあらず、手前の大概を云へば、松陰抔景氣を見立、釜を釣やう取毛氈抔見合敷て、主客の座を設て、拆敷に茶箱柄杓置合置也、客著座後、榻乎か提物の類にて菓子を出す、〈此茶請は、時に應じて色々了簡有べし、〉茶に取掛以前、主茶構への所へ向ひ、松葉木の葉抔、釜の右の方にかきたて有を、火箸にて釜の下にさしくべ、扇を以てさつ〳〵とあふぎ立れば、釜一聲を發つす、扨釣をはづし、釜を水桶の際へ持行、左の手にてつるをとらへながら、右の手にて捲、柄杓たて水を汲て、釜の蓋の上よりさつと流し改む、緣取の上に紛巾を出し置て底の露を取、直に持出てもとのごとく釜を掛、扨折數にある茶箱を取て前に置引出し、折數を我右の方にかりに置、茶箱袋の結目をとき、蓋を明てあをのけて、小手桶の前に置、其上に茶入をあげ、茶杓共同前に置、扨茶盌茶筌茶巾を折敷の上に置、茶箱の内にある薄茶入を箱の眞中に置、袋の長緖箱の内へ押入、勝手の方へなをし、折敷なりとも持て、火桶の際へ行、茶盌茶筌茶巾柄杓皆々すゝぎ改め、折敷にのせ、爐がまへの所へ持出、前に置て折敷の上にてさばく手前也、茶立る茶筌を茶盌に付ながら左手に持、右の手に扇を開きおほひて、客前に持行渡す時、扇をのけて少々ふり點て客へ渡す也、此已下は仕廻別義なし、向爐がまへ、臺目がまへ抔、いくやうにもする也、夏冬の了簡も有べき事也、大悟の茶人、其時に應ずる作用、差排筆舌に及がたし、

〔茶之湯六宗匠傳記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0421 古田織部正殿自筆の寫
一へぎの紊の事、野がけナドニテ、貴人へ御茶上ゲ申時、自然有事也、茶入へぎにのせかざる事也、茶の時はへぎをはづし、飜の少先脇ニ角チガヘテ置事也、茶入唐物の茶入ならば、唐物あいしらいにする也、

唐物會

〔鹽尻〕

〈九十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0421 或茶人に唐物の荼の湯を望ける程に、其器物みな唐土の物を盡して珍らしかりしが、掛物計り何がしの卿の書給ひし、あまの原ふりさけ見ればの和歌也、客心得侍らざる事哉と、 て問けるに、さる事に侍る、此歌は仲麿、もろこしにて月を見て讀げる由、古今集にか侍りし、されば歌は我やまとの風なれ共、唐土にて讀しかば、唐物にこそ侍れといひしかば、水鏡にも仲麿唐土にて、三笠の山にいでし月かもと讀し事見えたり、誠に物がたき文字の懸物ならば、異やう過なんを、おもしろくこそ侍るとて、客も共に感じけるとかや、茶會を斯風流にして、文雅ならんこそをかしく侍らんを、田舍の茶會はおごれるのみにして、年老ひ物むづかしげにふとり過たるものゝ、萬づ自慢したる客のかほにくげにおもひやり、異なる事なき有さまのどち、いと愚かなる物語などして、物食ひ茶すゝりて長居したる、心づきなく見苦し、

香爐會

〔老人雜話〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0422 香爐の茶會と云ことあり、主人炭をなをして後、長盆に香爐と香合と香筋とを置て出す、料理まだしき時是を出して、勝手口の障子をはたとたつる也、其時上客香爐にある香を聞、左の袖より懷に入れ、たきとめて右の袖よう出し、たきがらを懷中して次の人へ廻す、次の客、また香合の香を銀盤へつぎ、聞て左の袖より入れて右へ出すこと、初客の如し、末座に至りたき終て、殘りたる一爐を香爐に置き上客に呈すれば、上客勝手口に置き、主人の爲にする也、客五人なれば香五片、六人なれば六片、香合に入るなり、大さは二分四方、厚さは分半也、若し料理間もなく、又は客を試みんと思へば、勝手口の障子を細目にあけて置く、其時は初よりつぎて出たる香ばかりを聞てまはし、勝手口へなをす法也、香爐も必ず靑磁のすぐれたるを用るにも非ず、瀨戸などのこびたるなどよし、心得あるべし、

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0422 享保十四年正月廿四日、香ノ茶ハ、必ズ聞香爐ヲ不用口ヨセカ、スベリ口ヲカキアケ灰ニシテ、銀ヲシカズ直ニ燒ナリ、客ヨリハ古キ御香ニ候、ナゾ火布(シキ)ヲシカレズヤナド挨拶ス、若シ名香ハ必ズ銀ヲシキテ燒ナリ、銀ヲ敷ホドナレバ、亭主チト續ガレ候ヘト云、客固辭スレバ、其通リニシテ入ルガヨロシ、シカレドモ續グベキカト云ヘバ、亭主勝手ヨリ香盆ニ香箸木箸並ニ銀盤ニ 入レ、燒ガラ入レマデヲノセテ持出、サイゼンノ銀ヲヲロシ客ノ前ニヲク、客銀ヲトリ香ヲ燒テ亭主ニ廻ス、亭主香爐ヲトリテ、棚ニテモ床ニテモ直シオク、此トキハ燒物ヲ燒カズ、香爐ヲ入ルレバ燒物ヲタカズ、席ニ香爐アレバ、タカズト合點セラレヨ、

花見歸會/風呂後會

〔備前老人物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0423 花見歸風呂上りの茶湯といふあり、これは人に依て花見の歸るさ、風呂の後の席に茶をまひらする也、その時はつねの衣服を著て迎に出、座へ請じて、麁相なる道具にて、まづ薄茶を以、次第にすゝむべし、其茶過てのち爐火をなをし、つねのごとくぜんを出し、それより眞にかまへ、衣服等もあらためよと也、悉略す、

茶會節序

〔茶道筌蹄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0423 同〈○茶會〉節序
大福 正月元日より十五日までの茶會をいふ 春 正月十五日以後を春茶といふ 風爐 曉夜咄はなし、七ツどきまでに釜仕舞ふ事、 名殘 古茶の名殘といふ事也、風爐の名殘といふにはあらず、八月末より九月へかけて催す、 口切 九月の末より催す、當年新茶め口切也、

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0423 享保十年正月七日、參候、今日ノ風雪ニ能參リタリトテ、保君御方御盃頂戴、イトアリガタキヲ覺ユ、而シテ御前ニ出、今日ハ御嘉例ニテ大服ノ御茶湯アリ、久米玄察、宗也ナド參ル、雪モ一段トフリツヾキヌルハ最面白ケレドモ、路次ノ行粧大キスギテ苦勞ナリ、後ハ晴ヤシヌラント御笑ナサル、

〔改正月令博物筌〕

〈四月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0423 朔日 風爐の茶〈三月卅日爐をふさぎ、朔日より風爐にかはる、〉

〔茶之湯六宗匠傳記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0423 古田織部殿自筆の寫
一夏は風爐の茶の湯の時、總而の障子を明、茶をたつる、てい主出て茶を點るにも、茶道口の戸をあけたつる、夏は暑き故、客も凉敷、てい主も凉敷茶をたつるなり、

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0424 享保十四年二月十八日、參候、今ノ人、風爐ノ茶ニ伽羅ヲ燒ヌコトハ、心得ガタシト、無禪ガ常ニ申シギ、宗旦ガ應山へ參リテ御物語ヲ申シ上ゲシ序ニ、、風爐ノ茶ハ、イカホド出シケルニヤト仰アリシニ、宗旦ガ最早今一兩度ナラデハナラズ候、伽羅ガナクナリタリト申タリケレバ、夫コソトテ伽羅ヲ下サレケルトナン、ソレホドノワビ人ニテモ、風爐ニハ伽羅ヲ燒ケルニ、今ノ人ノ、古金襴ハ愛シテ、伽羅ヲツケボシニ易ルコトハ何ゾヤト申シキ、 五月十八日、風爐ノ茶湯ニハ、亭主口ノ戸ヲタテヌコトアリ、此ゴロノ御茶ニモタテラレズ、ヲボエアリヤ、先一ツ羽ノ箒ヲ出サントシテ、先棚ニ三ツ羽ノ箒ヲカザルトキハ、勝手口ノ戸ハタテヌガヨシ、先出デテ棚ヨリ香合羽箒ヲ下シ、釜風爐ノマハリヲ掃テ、ソノ羽箒ヲ勝手へ入レザマニ、灰ノホウロクニ一ツ羽ヲノセタルト引カヘテ出ス、ソノ爲ニ勝手ヲ開キオクナリ、先ハアツキ時分ニテ、開キヲキテモ好シ、羽箒ノ二ツ、一場へ出ヌヤウニトノコトナリト仰セラル、

〔茶道聞書集〕

〈乙〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0424 少庵風爐の名殘は、六ケ敷ものと被仰候由、流芳軒御申候、興に成凉しく候由、人の物語也、
風爐名殘、本文の樣子にては、如心齋若年の頃迄は至て稀成事のよし、啐啄齋も名殘面白きものと毎日申されし、

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0424 享保十二年八月廿一日、參候、風爐ノ名殘ト申スコトハ、何トゾ其アシライアルコトニヤト窺フ、〈爐ノ名殘ト云コトハアリ、風爐ノ名殘ト云コトハ先ハナシ、〉風爐ノ名殘ト云ヘバ、八月九月也、古ヨリ八月九月ハ、至極茶湯ノナラヌ時ナリト、常修院殿〈○慈胤法親王〉モ常ニ仰ラル、八九月ハ、何トシテムツカシキゾナレバ、口切ノ用意ニ、庭ヲモ道具ヲモ直ス時ニシテ、口切ニ間モナシ、至極仕ニクキ時也ト仰ラル、ソレハ如何ニヤト窺フ、常修院殿ナド毎度仰ラルヽ、風爐ハ奇麗ヲ第一トシテ、凉シキヲヲモトス、八九月ハ新凉ニ、ソノアシライモ仕難シ、又爐ノ檬ニモナラズ、其間ヲ料理一ツニモ氣ヲ付ベキナレ バ最ムツカシ、常修院殿ノ、瓢ノ花生ヲキリテ下サレシ時ニ、是等ナド八九月ニヨキモノナリ、秋ノ艸花ナド入テ面白シ、フクベナレバ、炭取ニサシアイテ冬ハ出サレズ、水ノナラヌモノナレバ、風爐ニモ出シガタシト仰ラル、

〔茶道聞書集〕

〈甲〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0425 或處へ爐の名殘の茶に參り申候時、殊の外ほか〳〵と致し候、香合に薰物白檀と二品入出、流芳ほめ被申候、
暖氣の節、薰物あしらい定りたる事にはあらねども、心得有べし、爐の名殘といふ事、他流にはあれども、當流には用ひず、名殘は風爐ばかり也、

〔和泉草〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0425 口切ノ時分ヲ知事
一口切ノ時分考知ハ、二霜三霜降テ後吉、霜已前ニ壺ノ口切レバ茶損ズル也、

〔茶式花月集〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0425 一茶湯當日口切
〈竹バカリニテ木ノウケ筒ハナシ、庭ニ大木アラバツタハセ可申候、〉樋或ハ戸押緣ナド、所々見合靑竹ニ改ル、 チリ箸、サイ箸、蓋置、灰吹、靑竹ニ改ル、 所々戸留リ靑竹ニ改ル、 路次ニ松葉ヲ敷、但シシキヤウ前ニ記、 手水鉢柄杓、内外トモ新ニ改ル、 路衣水ヲ打 塵穴ニ靑葉ヲ入、〈靑竹ニ改ル〉竹箸付置、

〔南方錄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0425 壺口切之會 火相之事 香出す事 茶の服心用之事、茶入心用之事、初入掛物かけて前に壺かざるべし、草庵體の口切は火相を心得べし、火を强すべし、客座入あらば主出て一禮濟、早々挨拶して壺をさばき、壺を客より請て見る事勿論也、口切の時は大方はだか壺に口緖口覆まで可然、口緖も半切のたやすきが能也、手ばやにさばく事本意也、見物濟て道具疊に直し、封をさらりとしるし計に切て勝手へ持入る、封の切樣、前の印より小刀をはじめ、三刀に切事口傳有、壺室のふたを出して見する事有、凡夫にも不及、香爐抔出して、待遠になきはたらきすべし、主は茶批判してひかする、扨程を見合せ、炭をして懷石を出す也、中立等別儀なし、總 而坐をゆる〳〵とする心得なり、又火相に依て、先炭をする事ある時は、懷石の間見合て炭を すべてよし、功者の客程、火相に心を用て心いそぎする故、炭加へ候へば、客落付て心閑なるもの也、坐を延す事は、香には不限、主力心持次第也、後坐の配合、水指に茶碗計有べし、茶入は小棗渦棗の類、又土物茶入も小きがよし、茶漸々引出來したる心也、服常よりも薄くして、能振たてるよし、湯相も雷鳴の峠、いかにも强火相肝要也、壺客衆見物の時、こかして出す事、名物に限りする事也、名物は底に名又は判等有との故、こかして出す、常の壺はこかして出す事惡し、

〔喫茶指掌編〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0426 貞置云、口切の節、古昔は爐緣までも木地となし、春は塗緣として有つるを、近代執違しよし、やと云、側に見休居合て、是は必御覺違にてや可有、田舍も京もなべて木地は春とし、俳諧の四季の部にも木地緣と云て、春の季になるといふよしなれば、必思召違にてや有んと云、貞翁いや左にあらず、口切の時分には水次は片口、建水は面桶に至迄木地とし、又窓竹なども靑竹に相替る也、然ば爐緣も木地を用る筈なりと强て被申けれ共、兼て聞しに相違せし故に、いかにも疑しく存居し處に、丹羽五郎左衞門長重の直筆の書に、古田織部かたへ、十月四日口切に參りし道具付に、釜霰、爐緣木地、せい高の茶入、袋なしと有、其外諸方の茶に行し自分の留書有を軸物になして、玉峯の家臣大谷彦十郎より送りしを所持す、見すべしと被出しを我も寫し置し也、古代は皆口切は木地緣に致たる事也、然るに其後卑賤の小賢き者有て、春は埃立見ゆるなど云て、木地が善と風と云出せしを、俚人何の思慮もなく用たるを、終に斯は唱來ぞおかしけれ、

〔駒井日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0426 文祿二年後九月十二日 一十七日八日比ニ御上り被成、〈○豐臣秀吉〉四十石などを伏見にて御口切有べきにて候、 廿二日 一於伏見御口切、廿二日、一番家康、加賀宰相、とひだ、 二會津少將、うらく、施藥院、〈○中略〉 八そうくんそうほんそうあん、 廿三日、一番常眞、かなもり、はしば與市郎、〈○中略〉 一右御口切之御壺四十石之由

〔殿居囊〕

〈武家年中行事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0427 九月十八日、自御三家方使者御茶口切被上之

〔將軍德川家禮典錄〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0427 九月廿一日
一御茶口切ニ付、御茶一箱、鯛一折、松平加賀守より獻上之、謁老中

〔將軍德川家禮典錄〕

〈十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0427 十一月十七日
一御茶口切ニ付、御茶一箱、蜜柑一箱、日光准后より以使、者上之

〔駿府政事錄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0427 慶長十六年十月廿五日、今朝幕下〈○德川家康〉依鎭西壺之口、則於御數奇屋本多佐渡守、同上野介、大久保石見守、安藤帶刀、成瀨隼人、村越茂助、永井右近、松平右衞門、後藤少三郎、長谷左兵衞、鶴御料理賜御茶云々、

〔長闇堂記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0427 一堺藪内宗也、口切に利休を、約束せし前夜、利休一禮に參られし時、宗也立出、尤忝し御入有て一服可參由申せば、利休明朝の口切なれば、先入まじき由申さるれば、明日は明日の御事なり、先は入有べしとて請じ入、茶を立いろ〳〵の物語にて、思の外はなししみて、はや曉になる程に、利休さらば釜御改候へとて、朝の數寄迄居つゞけて、口切心よく有しとなり、

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0427 享保十一年霜月十二日、參候、先日何某ガ茶ニ參リタリシニ、後ノ出ニ亭主茶椀ト羽箒トヲ持出テ、爐ブチヲ一遍ハキテ入テ、コボシヒサクヲ指出タリ、珍キコト、終ニ見ザリシコトニ候、コレアルコトニヤト申上ル、仰ニ〈○近衞家煕〉イサシラズ、後ニ羽箒ヲ持出ルコトハアルコト也、口切冬ノ茶ニハキカヌコト也、冬何トゾ口切ニ呼バデカナハヌ人トカ、口切ニ冬ノ約束ノ延テ春ニナリタルトキハ、諸事ミナ冬ノアシラヒナリ、炭取モフクベ、爐ブチモ黑ヌヲ也、其時ハ茶碗羽箒ヲ持出テ爐ブチヲ犬ク、是ヲ爐ブチノアシラヒト云、冬ハシラヌコト也ト仰ラル、

〔改正月令博物筌〕

〈十月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0427 朔日 爐開〈煖爐會、爐開會、今日爐を開き、三月卅日爐をふさぐ、唐にて今日爐を開さ、燈中にて肉をあぶり飮食す、是をだんろ會といふ、此例により本朝茶人此日より爐を開き、賓客と茶を喫す、〉

〔華實年浪草〕

〈十/十月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0428 爐開〈(中略)茶人設茶會、於爐邊飲燕、謂之爐開會、〉

〔東都歲事記〕

〈四/十月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0428 朔日爐開〈良賤茶會を催し、親戚朋友を饗す、〉

〔改正月令博物筌〕

〈三月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0428 晦日 爐閉(ろふさぎ)〈又爐塞ともかげり、茶人の爐をふさぐ也、およそ茶湯の法、十月より今月晦日限りにして、四月朔日より風爐なり〉

〔和泉草〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0428 開爐閉爐ノ時分
一老者ハ十月ニ早ク開、二月ノ末ニ閉、少壯ノ人ハ十月遅ク開テ、正月末閉、又床ノ具名物所持ノ人ハ遲ク開爐シ、春早ク閉、天目茶碗釜ノ類所持ノ人ハ、初冬早ク開爐シテ、春モ遲閉ト云、

〔茶道要錄〕

〈上/主法〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0428 風爐之事
風爐ハ元春秋ノ差別ナク暖氣ノ時用ユ、火ハ極陽ノ純精故ニ上レリ、爐ハ下ニ有テ火氣强熾タリ、是以冬專ニ用ユ、煖カナル時ハ必ズ風爐ニ上テ凉カラシム、其文字ヲ以テ考ベシ、末流ニ、四月朔日ヨリ風爐、十月朔日ヨリ開爐スト云リ、不之、唯時節ニ不拘、寒温ノ其日ニ隨フ事肝要也、世間寒則七八月ニモ開爐スベシ、暖氣ニ付テ正月三日ニ風爐ニ揚シ利休之例アリ、

〔喫茶指掌編〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0428 宗旦時代までは、春暖なれど未風爐に難上時に、爐蓋の上に風爐を置て點茶せし事有、四疊半切の爐に蓋をして、其上に風呂を置て、釣釜などをもせし、
こは道安利休を招し時の執向より始の趣なり、宗旦より風爐の釣釜やみしは尤なり、潤色して善に至と云べし、

〔茶話指月集〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0428 むかしは四疊半の爐、夏に成りて板にて塞ぎ、風爐をそのうへになをし、釜をば鏁夂は自在にても釣さげ、圍爐裏だてのやうに、水指を置合せ茶をたつる也、侘などには似合て、ことさら面白く覺えし、

〔喫茶指掌編〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0428 或時紹智忰了智を召連、古田織部へ茶に行し、卯月の初めなりしが、未爐にて有ける、織部云、古人爐を惜し故、我も名殘多く存る故、今日も爐に致たりと也、此事後に了智庸軒に咄 せしとて、常に庸軒物語すと也、されば早く風爐に上るがよしと、己一編に不申、利休宗旦などは、二月三月の頃、風呂に致たる咄もあれど、兎角其時候に依事と、庸軒も常に申せしと云り、

茶會式法/約束/前禮

〔南方錄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0429 茶會案内幷會後謝禮之法
客により主により自身行て約し、又は書通にても申入べし、主客のいとまあると、いとまなきとの趣に隨ひ、二三日五七日前にも約すべし、分限親踈によること云に不及、後日の禮も是に准ず、

〔客之次第〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0429 一ちや給るべきの狀うけたる時に、忝候可參と返事に、狀之表其位々に慇勤に書て、忝奉存候、必御參可下と、此必と云事を文章に書べし、これ數寄之大法をしれるなり、さて則禮にまいるなり、ていしゆも出合てあふ事よし、對面の時、扨御客は誰、たれ樣ぞと尋て、正客大名高家ならば、則その大名へまいりて、御光儀により御相伴に被仰下候間、被召寄候はゞ可參由御禮申上る事なり、同輩の人ならば、狀にて可申遣なり、拐すきの時刻に成て、大名ならば、よりつけ迄又行て伺公仕たる由申入る、さきへ參相待可申旨被仰出る事なり、又大名とても位によつて、案内なくさきへ行て路地に待申事もあり、同輩の人ならば、いかにも別に路地口へゆきて待事本なり、とかくおそく行事あしし、〈○中略〉
一數寄約束して、雨ふり雪ふりはげしき天氣あるに、亭主より數寄をのべ申べきと申遣事大法なり、客は一、入雨面白候、必々參るべしと返事する事本なり、

〔細川茶湯之書〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0429 一當世の万民、はやる事として、しるもしらぬも數奇と號して、茶の湯座敷をこしらへ、大名高家老若共に、懇切をあらはさんため日限をさし、或は不時客人を申入といへ共、初心の者は數奇におそれて虚病をかまへ、斟酌するもの多し、數奇にて呼にて、呼るゝ義は、別而懇切なれば、忝と存參べし、乍去少も不知ば、不審在之べき事也、但さりがたき用所あらば、其子細委敷ことはるべき也、いやあふの返事慥に申べし、有無の返事あきらかならねば、亭主心元なく存 るものなり、相手にはよれ共、大略自身參りて一禮申べき事なり、
一禮狀遣候か、自身參て一禮申時、相客衆をとふべし、相客しれたらば、其相客人直談か、しからずば書狀、日限遠くは用意仕るべし、

〔草人木〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0430 一むかしは茶湯に上中下の三段をわけたり、上は其身世にすぐれ、或は其身に財あれば、名物所持ある故に是を上とす、中は財あれ共、名物の道具に不足なるか、あるひは道具あれ共、其身まどしければ是を中とす、下は財も道具もまどしき故に下とす、これを侘といふ、然共財寶道具共にとぼしからざれ共、茶湯下手なれば此道の下とす、縱わび成共、此道通達して茶湯に利根なるを此道の上手とす、さるによつていにしへは眞壺所持の人は、人に御茶可申といひ、眞壺不持の侘は、御茶可申とは云ざる也、しかはあれ共、此道は茶を以正意とす、何ぞまつぼを持ざるとて、正意のことばをうしなふべきやとて、中興より以來上中下をしなべて、御茶可申といふ、尤此儀速に可用、

〔茶道便蒙抄〕

〈一/亭主方〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0430 客約束の事
一客我と同輩ならば、何月の何時に御茶可申候、御相客は誰々に可仕候と書狀に認め遣すべし、又相客を連朕にても可遣也、
一敬客ならば、何日の何時に御茶進上申度候、御相伴は誰に仕可然候哉と、參て伺てよし、狀にて成とも時宜によるべし、
一客の日限相究る以後、御出可有由忝との一禮あるべし、客め品により、自身行か、狀使の了簡あるべし、

〔茶道便蒙抄〕

〈二/客方〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0430 茶之湯約束之事
一茶主より何幾日に、御茶進じ度との狀來る時、必其節可參と返狀遣すべし、相客誰々のよし得 其意候、何樣以參御禮可申と可之、
一互禮なしとの時は其通りに致し可然、又茶主より右の通り申參候とも茶主、名物持ならば返事と相違にても不苦、必禮に參るべし、其外は客と主との位によるべし、了簡肝要なり、

〔はいかい袋〕

〈下/秋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0431 寬政十一年未九月、雪中菴蓼太空摩居士正當十三回追慕俳諧、 兩吟
遠州茶の前禮に行ばなや 大江丸
城の太鼓も雨ちかげなる 不二菴

主客

〔茶道早合點〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0431 茶の湯の大概
上座の客を正客と云、末に居る客を結と云、客三人を三人結と云、四人を四人結と云、

〔南方錄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0431 上客世禮之貴賤に不寄事
草菴の會、賞客といふは、貴賤に不寄申入たる人を上客とあしらふ也、平生の高下によらず、休〈○千利休〉の會に錢屋宗納賞客にて入來有けるに、木村常陸不圖案内して腰掛に入、能折からに候、座に加へたまはるべき由云入らる、居士むかひに出て一禮し、常陸殿宗納の御相伴有て玉わり候へと被申、元よりその心得に候とて、常陸末坐にて相濟けると也、草菴の作法如是、貴賤一同露地のの本意、誠に殊勝の事共也、

〔備前老人物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0431 多賀左近、客二三人を請じて茶湯興行すべき約ありしに、ある大名此事をつたへきゝ給ひ、此人の茶會つねにのぞみ思ふ所なれば、人々と同じく參らんとのたまひけり、人々もしかるべしといひて、左近の許へかくといひつかはして、つれだちてゆく、左近迎に出、忝よしをいひて、かの大名にうちむかい、今日の御來駕思ひよらず、ことに忝き仕合也、さりながら今日の義、三人の人々、本きやくの事に候得ば、はゞかりながらあとより入らせられ候やうにねがひおもふ所也、後日にあらためて御儲をば仕べきとありけれ、そののち客衆前後の辭退再三におよ びしかど、亭主の申せしごとくにぞなりける、これ此事の本意なるべき評判ありしとぞ、

〔雲萍雜志〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0432 ある人茶は諂ひありといふことを、利休に問ひし時こたへけるは、わが友に丿貫といふものあり、われを茶に招きしとき、時刻を違たる文をこしたり、刻限をたがへずして行きけるに、内なる潜り戸の前に穴を穿り、上に簀のこを敷てあらたに土を置たり、われは心なくそのうへにのりて入らんとする折から、地の土くえて穴に落たり、穴の底に土のねりたるが中へふみ込たれば、とりあへず湯あみして再び入りけるを人々の興としたり、此事かねて期明といふ者、山科へおはさばかくと、はやく我にものがたれと、主のこゝろづかひを、われかねて知りたりとて、穴に落ざらんは志しをむなしくすることのほいなさに、穴と耄、りつゝ落入りぬ、拐こそその日の興とはなりたり、茶はひたすらにへつらふとにもあらねど、賓主ともに應ぜざれば、茶の道にあらずといはれし、

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0432 享保十一年霜月十二日、參候、倩主客ノ樣子ヲ見ルニ、互ニ上手下手ハアルベシ、主ヨリモ客ニハナラルマジキモノト存ジ奉ル、主ハ心一ハイニテ獨リ藝也、客ハナスコトモナクテ、三人トモニ引張合ネバ、不出來ノマキゾヘニ合コトモアリト申上シニ、後西院ノ勅ニ、御上々ニハ、上客ナラデハナサレヌコト也下坐ノ者ノ迷惑セヌヤウニノ心得第一タルベシトノ仰也、〈○近衛家熙〉上客ニヨリテ下坐ノ難儀多シト仰ラル、此ニヨリテ見奉ルニ、イツモ御前ニ湯ヲ召上ラルヽニ、下坐ノ人飮テ後再ビ御請ナサレテ召上ラル、毎々如此、下坐ノ人ノ致シヨキコト也、 十六日、參候、今日初テ宗佐ヲ召シテ末座ヲ勤ラル、御茶碗ヲ返奉ルトキ、改メ申サシトテ、懷中ヨリ奉書ニツツミタル紫袱紗ト、茶巾ノウチシメシタルヲ取出シテ、口付ノ處ヲフキテ上座ヘカヘシケルハ、最興アリケルトノ御事也、

衣服

〔茶道筌蹄〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0432 著用類 十德 利休より古し、絽紗の類、
八德 原叟より千家に用ゆ、絽縮緬の類、
手巾 緋は原叟 利休茶は啐啄齋 八德著用の節に用ゆ
頭巾 黑繻子モミ裏、利休形、
足袋 白 薄玉子 淺黃 紺は如心齋好、啐啄齋ゟ茶會の節、爐風呂ともに用ゆ、
印籠 利休形は金粉雨龍の蒔繪、内金外黑、三重、
同一閑 啐啄齋好、小高張、内黑外溜の一重なり、
提鞘 利休形、紐花色四ツ打、小刀は花切小刀を用ゆ、鞘ゴマ竹節留め、紐付紫革、
火打袋 利休形、アヅキ皮、紐利休茶、小刀は提鞘同樣、節なし杉入底、
扇子 利休形十本立、地紙銀スナゴ、片面に胡粉にて菊、片面は墨畫の山水なり、 如心齋好は親ボネ油竹、上に節あり、白紙に布目打なり、
香袋 千家隨流齋より所持なり

〔南方錄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0433 亭主裝束之事
肩衣 十德等 僧侶ハ直綴 繯絡(クワラ)等 鼻紙 楊枝 帨巾 紛巾 足袋
衣服を改ル事いふに不及、月額行水等改て、分々の衣服、たとひ麻木綿の麁服にても、程々に改メ有べし、足袋は寒暑に不寄、四季共に用ゆ、鼻紙の間に皮付の楊枝帨巾を入べし、帨巾は白布の手拭也、紛巾は袖に入べし、是紺染の雜巾也、鼻紙の事、休公〈○千利休〉は美濃紙の四ツ折を入られしと也、楊枝根本文字のごとく柳の枝よし、楊枝淨木にて淸淨の子細もあり、黑もじにてけづる事は、古織〈○古田織部正〉の庭に黑もじの垣有り、又ある時折々楊枝にし、匂ひも能ゆへに用と云々、帕初座炭の間は帨帕を用ゆ、後座茶時紫を用てよし、帨帕にては爐緣抔も拭ひ、雜巾に用故、茶の時紫に改め てよし、今時洛邊の僧侶衣を脱て露地に入、又は茶を點す、是皆遊僧のならはす所か、法に背きみだり也と云べし、

〔客之次第〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0434 一年の内に主君、或は大名貴人などの口切の御茶可下約束ありて、自然延引有て五六月までも相のびて、壺をとりよせ口切あらば、あつくとも上にひとへ物きるなり、亭主ももちろん著事本なり、
一九月十月までもふろの茶ならば、上にかたびらきるなり、是によつて春秋の堺の時分には、かたびらひとへ物、或はあわせにても、うす綿入の小袖にても用意してもたする事よし、
一夏冬ともに、たびははくべしと紹鷗申されし也、夏はあせあり、不慮に茶ある事あり、其時はあたらしきたびにてもぬぎすてゝ、あしあらひよくぬぐいて數寄屋に入ものなり、

〔細川茶湯之書〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0434 一禮狀遣候か、自身參て一禮申時相客衆をとふべし、〈○中略〉先きる物、袴肩衣帶手拭下帶以下迄、新敷は上々、古くは洗ても不苦也、
一はながみ扇せきだ、此類は侘人も新敷が吉、
一刀脇指下緖つか以下迄も、ほこりを取あらたむるが心よし、
一金銀をちりばめて登、よごれたるは不然也、人によりて、古小袍、そさうなるはかみこ、ぬの木綿これも不苦、但よごれたるは惡し、又立允公へ御すきにて六庵御相伴にて被參候に、木綿の單物上に著候へば御意に不入候、かみこ木綿など著申候も、侘人の事也、

〔茶傳集〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0434 一數奇の衣裳は何にても不苦、乍去昔はかちんの物を着せず、茶の道と差合故也、利休は黑き物着して可然由申たる也、昔は亭主の掛もの表具の色抔に似たるもの着せず、當代は左樣に吟味もなし、併今以貴人秘藏の掛物表具色合尋て、其色は着せざると將監申候、
一數奇屋へ道服着するもの共、不着物とも、利休に御蕁不成候、道服に若道具引掛る事も可有、 着せざるが然べし、坊主は道服の代りに、一重物を上に着したる時は、白衣に而も不苦候、一重ものは、衣の代りなりと被仰候、

〔茶道聞書集〕

〈甲〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0435 八德夏向きも着る
八德、流芳晩年着用せられしとぞ、其時の手巾千家にあり、緋にて唐打也、啐啄齋も隱居後は八德を着せられ、手巾は利休茶唐打也、
羽織、小坐敷茶點候時は着ぬもの、
點茶の節、羽織を脱は勿論也、平常にても小坐敷に釜掛りたる處へ入には、必羽織を脱べし、

〔茶道獨言〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0435 茶會に呼るゝに、麻上下着用のこと常禮なり、夫につき羽織を着することは略儀のこと故、常々の交會にも、羽織は次の間、または待合などにて取置、茶の座敷に入などのこと、少々心得違ひ有べし、元來羽織といふものは略のものにて、内々往來などするとき、己の紋所をかくさん爲に、紋かくしとて着せし由、略儀のものは誰もしれること也、然るにいつの比よりか、羽織に己の紋所を染こみ、上下に繼ての禮服とはなりぬ、されば凡工商などの交り、大禮には上下を着し、次の禮には必羽織を着することになりぬ、されば今の茶に趣くとても、大體の會には、先羽織を着して然るべき哉、略儀とはいひながら、一向なきよりはましならんか、茶雅の人は、十德八德の類、心の儘なり、然るに羽織を着たる人は、其羽織を徹し、着ながしにて茶の座敷に入こと、一向失禮なり、出家の法服を徹して人に對するに同じ、只略儀のものとのみ心得て、其時に隨ふて用ゆることをしらざるなり、是もまた自然なり、譬へば休〈○千利休〉の世には、いまだ煙草繁昌ならざる時故、茶に煙草盆の具なし、然るに今は煙草世間一統なり、故に是を用ることになちぬ、是も自然のことなり、今の羽織を用ゆるも自然のことなり、何の憚ることかあるべき、

〔閑田耕筆〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0435 茶禮に心得がたき事あり、招るゝ俗體の客は麻上下の禮服をつけ、迎ふる主僧は法 衣を脱てあらぬ服をつけ、茶をたつるに辨利なるやうをはからふ、禮の相當らぬをいかん、又必禮服をつくべきならば、官位ある人はゑぼうし裝束なるべきを、さてはせばき入口の名におふ、にじりあがりかなふべからねば、首服を脱、上をとり、さしぬき計にておはさんか、凡かゝればはたして禮による歟、よらざるか、書院のあつかひは別なるべけれど、これはたゞざまの茶室のうへにておもへる也、

〔茶湯古事談〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0436 一或宗匠のおしへに、今の世の武士、露地へむかひに出る時、無刀にて出る事はあやまり也、腰懸にては、客何も大小さして居るに、いかに馳走なればとて、無刀は不心掛なり、小座敷にては、客無刀なれば、亭主猶更無刀にて出るが本意也となん、

〔茶道要錄〕

〈下/賓法〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0436 刀掛附扇子之事
扇子ハ禮義ノ一具トテ必ズ持、座中ニハサヽズシテ持ベシ、最モ不遣、扇子ニ形アリ、長サ一尺七分ニシテ、地紙ノ色、淺黃ト柿色トノ大小ノ筋揉砂子也、是ヲ表トス、裏ハ總金ニシテ、白萩白薄ヲ畫ス、利休ハ俵屋正叱ニ令書トナリ、居士〈○千利休〉ガ所持ノ扇子四方庵ニ有テ見之、扇子ノ禮器タル事、笏ノ遺式ヲ以テ也、

〔梵舜日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0436 元和二年正月廿二日、關東江戸越中殿へ萩原殿方ヨリ年甫禮、鈴鹿藤十郎差下也、次而ニ予爲音信、數奇屋踏皮二足差下也、則書狀文言、
新春之御慶雖事舊候休期候、萩原方ヨリ以使者申入候由候間令啓上候、隨而數奇屋踏皮二足進上候、目出度御祝儀計候、猶遂餘音貴意候、恐惶謹言、
正月廿二日 近源
羽柴越中殿〈人々御中〉

〔柳亭記〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0436 數奇屋足袋 昔は革足袋おこなはれしゆゑ、唯たびとのみいふが革足袋なり、數奇屋足袋は、則今の木綿足袋なり、革足袋は數奇屋へはく事なし、木綿足袋は數奇屋へもはくゆゑに如此名づけしなり、呑海味、〈天文廿三年茶書〉革袴革タビ二重ダウブク著スベカラズとあり、革タビとことわりしを見れば、天文の頃も、木綿足袋は茶席へはきたるなるべし、

〔客之次第〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0437 一ていしゆ茶の時、いしやうを初と悉くきかへ申候により、昔は客も中立よりいしやうしかへたる事にて候、近年は亭主ばかり著かへるなり、

〔槐記續編〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0437 享保十六年四月廿四日、參候、總ジテ茶ノ湯ニ、中立ヨリ衣服著易ルコト、初メ花ヤカニ、後シメヤカナルカ、初メシメヤカナル物ヲ著シ申ガヨキコトニ候ヤ、但シハジメハシメヤカニ、後花ヤカナルガ宜候カト伺フ、仰ニ、〈○近衞家煕〉夫ハ昔ヨリ咄ノアルコトナリ、嚴有殿〈○德川家綱〉ノトキ、病中ニ慰ニ皆々茶湯ヲ申付ラレタルニ、稻葉美濃守ガ中立以後、大小紋ノ衣服ニ花ヤカナル上下ヲ著テ仕タルヲ、人々異風ナルコトニ思テ、此事ヲ片桐石見守ニ咄セシニ、石見守ガ云ケルハ、ソコガ茶湯ナリ、必シモト兼テ定ラレヌ處ナリ、今度ノ茶ハ、大樹ノ御慰ニ被仰付タルコトナレバ、何ガナ珍敷コトニテ、慰ニナル樣ニトノ心得尤ナリト被申シ由ニテ、此時代ノ咄ニナリタルコトノ由ナリ、此事ヲ三菩提院殿〈○貞敬法親王〉ヘハナシタリシ人ノアリシヲ、一門ノ仰ニ、ソレハ合點ノ行ヌコトナリ、慰ニナラバ左樣ノ事ニテナクトモ、如何樣ニモ慰樣アルベキコトナリ、衣服ヲ異風ニシタテヽ慰ニナル樣ニト云フコトハ、茶ノ本意ニハアルベカラズ、合點ノ行ヌコトナリト仰ラレタリ、總ジテ花ヤカナル衣服、シメリタル衣服ト云コトニハアラズ、著替ルハ初メヨリ給仕ヲシ、花ヲ生ケナドシテ、ケガレタル衣服ユエ、茶ヲ立ルニ臨テ改メ出ント云コトナレバ、衣服ノモヤウニ心ハアルベカラズ、尤所ニモ客ニモ場ニモ時節ニモヨルベキコト、著カヘヌコトモアルベシ、必ズシモト云コトニハアルベカラズ、

露地入

〔南方錄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0438 客來時刻肝要之事
朝會は寅の下火にて客を待故、夜明はなるゝと其儘腰掛に來てもよし、され共石燈籠の内、又は數寄屋の内、かべ戸等の仕廻も有故、其程を考べき事勿論也、晝會夜會共に下火の心得して午の中刻、酉の中刻、座入するやうにすべしとかや、遲滯して火相のさわりに成樣にするは、亭主に成て心づかひのものなり、さればとて考なしにはや過れば惡し、時刻肝要に心を用べきなり、
客腰掛待合案内を報ずる等の事
同道人相揃はゞ、主の掛置たるにまかせ、版にても喚鐘にても柝にても打べし、數は三ツ可然、主の沓の音聞ば、立渡りて迎を待べし、

〔茶道織有傳〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0438 客入の大體
扨そと路次あけかけてある物也、その内まではぞうり取めしつれ入べし、此内に有せつゐんを下腹せつゐんと云、束杖を可置、扨腰かけ又は堂などあらば、こしをかけ相客を待合べし、客そろひなば、亭主出ざるうちに上客その外、その日の座配を云合、順をよくはなれ〴〵になきやうにこしかけ居る事尤也、亭主出て禮する時順よきため也、

〔南方錄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0438 亭主迎に出るの法
賓客腰掛に來り、看板のむねにまかせ、版を打て案内あらば、やがて帚を携へて迎に出べし、枝折戸猿戸抔は開て一禮し、紛巾を以て柱戸のさん抔掃ひて、帚にて其邊を淸めて、戸を開たる儘にて立歸べし、中くゞりも同前也、戸口左右紛巾にてさら〳〵と拭てよし、擧簀戸はつきあげの竿一本も又は二本もする也、所作かわる事なし、

〔茶之湯六宗匠傳記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0438 千利休宗易居士自筆
一客來りてくゞりの前にやすらふ時、能時分をうかゞい、亭主くゞり戸をひらく、時宜を互にし て、くゞりの敷居など、のごひなどして、くゞりの戸を立、少開掛て亭主は内へ入べし、くゞり開て亭主と客と時宜過て、客に衣御取候へと云べし、其時亭主と客との位に依て、客の衣肩衣など取事もあり、とらざる事も、客に依、亭主の位高く、白衣にても御出有べし、大形は其身によりて、肩衣成共善七て、亭主も取べし、〈○中略〉
一亭主くゞりの口をしめて内へ入候共、客其儘くゞりを開き内へ入べからず、其子細は亭主は前に氣を付、路地の失念に心を入て吟味する物也、少相待、亭主の内へ入候半とおもふ時分をうかゞいて、路地の口を開きて入べし、此くゞりの口を入に、大事の心持あれ共、委細は書付がたき也、
一くゞりの外にての座配の時宜は、亭主の出ざる先にもすべし、又亭主くゞりの戸をしめてよりも不苦、時の仕合仕第、
一客次第々々路地に入て、飛石其外植木何も氣を付ほむべし、餘り物知顔は無益也、又功者顔、高聲にほむる事もおこがまし、分別してほむべし、

〔細川茶湯之書〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0439 一昔はかならず外の廬路口まで亭主迎に出たれ共、近年は廬路の内、中のしきりくゞり迄來り、外のくちひらきて、供の者までも外の腰かけへはいりて、そこにてかみゆひなをし、衣裳をきる客人もあり、
一亭主むかひに出て、亭主よりなにとぞ申べし、其返事仕、此方は何とも不申、承はり一禮可仕事也、
一相客により先へは御免可成候と勘酌可申、おなじくは中に有がよし、先には其日の道引也、跡は後見衆也、中は初心の人もよし、先人のまね功者にまかする事多し、
一廬路口まで上たびはき、少かたはらにてぬぎ、新敷せきだ手に持て、廬路口のはじめの石より、 手にもちたるせきだはきかへ廬路入すべし、
一廬路の石の外の土をふむ事一切惡し、石によりてすべる事有、石の眞中とく〳〵とふむべし、爰かしこ見物する時は、立留りて見べし、あるく時はあしもとに心をつけべし、
一廬路へ入て聲のたかき事いや也、又餘さゝやき參るもいやなり、常の言をそろ〳〵とひきく申なり、
一朝夜ぶかならば行燈もちて出べし、その行燈を持て道を見て行也、夜會の時も同前也、行燈もつ事は、大略わかき者の役也、後に座敷の上り口、刀かけの見ゆるやうに、ろくにゆがまぬやうに、手燭同前なり、
一雪隱の内をかならず見る事也、但いつもさい〳〵出合ふ間には、めん〳〵主次第たるべし、一晝會夕會、又跡見などは、かならず手水をつかひて座敷へ入べし、

〔南方錄拾遺〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0440 宗易茶に參られば、必手水鉢の水を自身手桶にてはこび入らるゝほどに、子細とひ候へば易のいわく、露地にて亭主の初の所作に水運び、客も初の所作に手水をつかふ、これ露地草菴の大本也、此露地向ひ向はるゝ人、たがひに世塵のけがれをすゝぐ爲の手水鉢也、寒中には其寒をいとわず汲はこび、暑氣には淸凉を催し、ともに皆馳走の一ツ也、いつ入たりともしれぬ水こゝろよからず、客の目の前にて、いかにもいさ淸く入てよし、但宗及の手水鉢の如く、腰掛につきてあらば、客來前考て入べし、常の如く露地の中にあるか、玄關ひさしにつきてあるは、腰掛に客入て後、亭主水をはこび入べし、夫故にこそ紹鷗已來、手水鉢の水ためは、小桶一ツの水にて、ぞろりとこぼるゝほどの大さに切たるがよきと申也と被答、

〔南方錄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0440 客手水遣ひ樣の事
客初の所作に手水をつかふ事、是露地第一の法式也、看板にも記すごとく、心頭をすゝぐを以て 肝要とす、柄杓亭主の置たるに違ぬ樣にすべし、猿戸枝折戸にても、末坐是を立べし、

〔貞要集〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0441 數寄屋外内路地入客亭作法之事附禮義之事
一手水の事、古來は朝會初入に手水遣不申候、晝は手水を遣申候、其子細は、昔は待合無之、客來り次第數奇屋へ入、相客を待合申候、亭主出て挨拶して、薄茶を立出し申候、それ故晝の會には手水遣申候、朝は空腹にて候へば、うす茶出不申候故、手水遣不申候、當世は朝夕共に手水遣申候事に成申候、數奇屋圍へ入申に、手水なしには不快候、扨手水鉢に柄杓置樣、亭主置申候を見置て手水を遣ひ、さて置方違不申候樣に可置、次々の客も同事、柄杓は横に置たるが能候、爐風爐に柄杓を掛候樣には可無用事、若風吹柄杓を吹散候はゞ、水を半分程汲入、仰てをきたるが能候、
一極寒の時湯桶を出し申候、古來は中立に出し申候、朝會に手水を遣不申候故也、當世は初入中立共に湯桶可出事也、

〔茶道要錄〕

〈下/賓法〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0441 手水之事
水門へ立寄、先柄杓ノ置ヤウヲ能見テ、同友ニモ能見セシムベシ、鉢ノ形ニ因テ置ヤウアリ、善惡共ニ如元置ベシ、是法ナリ、水門前石ニトクト上リテ手水遒フベシ、又極寒ノ時分ハ、塗片口ニ湯ヲ入テ、卽片口ノ石ニ置其湯ヲ遣、則蓋ヲ取テ水ヲ加テ、生熱湯(ウメユ)トシテ掛テ可遣、湯多時ハ口ヨリ掛テ遣フ事難成、因テ柄杓ニテ汲用ユベシ、必熱キ湯ヲ置事ナリ、
一朝ハ手水不遣事、凡ソ手ヲ澡フノ本意、脂氣ヲ淸テ茶具ヲ取携ンガ爲也、然ルニ朝ハ膩氣ナシ、此故ニ手ヲ不澡共ヨシ、但シ可淸事アラバ各別ノ事也、

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0441 享保十二年極月十一日、先日左馬頭ガ手水鉢ニサシタル湯ハ、アツスギタルニハアラズヤト仰也、〈○近衞家煕〉覺悟不仕ト申ス、常修院殿〈○慈胤法親王〉常々冬ノ手水鉢ニ湯ヲサスハ、ツメタクナキヲ專トス、手ヲ温ル爲ニ非ズ、ソレニハ湯桶アリト仰ナリト、尤ナルコトナリト、

初入

〔南方錄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0442 多客少客心用之事
小座敷の會客五人に過べからず、凡は二三人を吉と云、露地入坐入配合を見る抔の隙入に、火相心得ざればひが事多し、二三人迄は大方程拍子能もの也、夫故主客未熟なれば、遲速のべちゞめを知らず、火相湯相惡敷成也、五人にも成と、客のたちふるまひ手間入れば、火相散々に惡敷成也、凡客多き時は、主も早々迎ひ入れ、ようつ客ぶりもはかり行し樣子心得が能也、夜會の時燭を乞て床臺目等見る事も、灯のあかりにて見ゆる程ならば、燭を乞て再見無用也、配合に寄、一ツ物抔の時は、たとひ大勢たりとも燭を乞て疾と見るべし、先初に座に入たる時、灯のあかりはきとならば、床臺目を見ずに直に座に付、主出て後、燭を乞見るもよし、やすき樣にて主客の功不功此所也、能々煆煉有べし、

〔客之次第〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0442 一にじりあがりの内へ入ざまに、兩わき次に上を見て、扨床を見やりて入事よきなり、亭主により、めづらしく色々の手とりなる事をする人あり、にじりのあがりの上に花などをいけて、水をあびせたる人もありし也、總じてにじり上りと云て、頭と手と入て、やがて片膝をおり、よこにうつぶしにじり入事なり、たゞうつぶしてはい入にいれば、ひざを入る時に、こしあがるに依て、くゞりにてせなかをうつ物なり、殊にうつぶしては、前さき左右見えずして、かならずしそこなひ致す事なり、
一ていしゆ出合一禮して、炭の時釜を上、ろ中へ火箸を入候時分、客もさしよつて、はつる迄よく見物するなり、炭に氣を付る事專なり、

〔細川茶湯之書〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0442 一刀掛に脇指上て置べし、そろ〳〵としづかにをく也、
一先次第なれども、人によりてくゞりの前にて、諸の人へ一禮申入べし、
一せきだを石の上にろくにぬぎそろへ、手をくゞりにかけ、そろりとしづかに戸をあけて内を 見いれ、いづれへなをるべきぞと見合すべし、不審にてしらずば、跡の人にとふべし、先床の間に目を付べし、
一くゞりへ上りまわりもどり、ぬぎたるせきだを前のかべに引かけて置、若又わきへよせ、ろくに下にをきたるもよし、とかくぬぎたるまゝにて其儘は不置也、
一座敷へ上りて、床に道具あらば先見る也、手をつきつくばいて見て、又亭主の居座へ參りて、釜爐中たなの内、とく〳〵と見て、本の居座へなをるべし、
一亭主出合て、言葉をかはすまでは物をいはぬがよし、さゝやけば亭主氣遣する也、だうこうだなのうち見るは惡し、抱別何にても物をいろふまじき也、
一亭主勝手より出時、客の功者よりか、又は亭主よりか、忝と申はじめ、双方手をつき、じぎをして、似合たる雜談をはじめる也、初心なるものは、なにをもいはぬがよし、但かたづまりて、きうくつなる體は惡し、何となく常の居なりかしこまりて居るがよし、
一亭主よりろくに居よとゆるされ、亭主もろくにゐる時は、其身もろくに居べし、但相手により、貴人老人の一座、若者はひざをたてつめたるがよし、
一座敷の道具、座敷の竹柱なににても所をさしてほむるは、功者の役なり、若者は人の緖に付て感じて居るがよし、
一道具をほむるに、たとへば墨跡を見て手跡をほめ、語をほめ、紙の内、或は表具中にも、一もんじなどをほむるは下手のくせ也、しりだてをして、しらぬものなり、まことの功者は、心にほめて重而わすれず、以來沙汰をするなり、
一亭主咄をするに、たとへばわやめく共、心をうつさず、はり弓のごとく心をきつともち、うしろのかべに寄かゝりせぬやうに、こしをつよくきつと居るべし、

〔茶之湯六宗匠傳記〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0444 小堀遠江守宗甫公自筆の寫
一客になりあるき樣、何方にても爐疊へは上り不申候、
一風爐の座敷へ入申には、靜に可然存候、灰くづれ安き故、此ならひ有、
一外へ出申には、勝手へきこゆるやうにすべし、〈○中略〉
一上座路地へ入、手水遣、刀懸に刀脇指かくる時分に次座入べし、其次々もかくの如し、夜會にては、引つゞき入が能なり、
一座入に手水遣ぬ筈也、不遣してかなはざる數寄屋あり、又手水をつかい入ても不苦候、不遣して不叶事は、食後茶之湯は是非に手水つかい入べし、
一入替座敷と入不替座敷有、四疊半、三疊大は大形が入替る、一疊半と風爐は大形が入不替、先は通口に心を可付也、功者の入場也、
一不功成人は、床をいつも上座と思ひ座付人有、家作り勝手次第にする事なれば、床は勝手にも上座方にも付るゆへ、中々床を上座と思ひては、客は成にくき物也、通ひ口に心付るが一の習也、

〔茶道要錄〕

〈下/賓法〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0444 茶之湯之起附掛物之事
一茶席へ刀脇指ヲ不帶事、茶主道人ノ事業タル上ハ、劒刀ヲネ佩、主如此、則客モ亦猶此、又ハ席ノ狹ヲ以テ也、家語ニ所謂載仁而行、拘義而處ト云ニ合ヘリ、大座席ト云共、主刀劒ヲ不帶則可之、是禮也、〈○中略〉
刀掛附扇子之事
刀掛ノ蹈石ニ上リ、先刀ヲ掛、次ニ脇指ヲ可掛也、後ニ掛ル者ハ、棚ノ角木ニ降緖ヲ掛テ吉、貴人高位ノ御供ナラバ、我刀脇指ハ鐺(コジリ)ニ紙ヲ敷テ、棚ノ下壁ニ可立掛也、座ヨリ御先へ出ル時ハ、刀掛ヨリ脇へ寄居テ、貴人ヨリ早ク刀脇指帶スベカラズ、角木ニ脇指ヲ掛ル事、好ムニハ非ズ、棚塞リタ ル時ノ義也、

〔臺子しきしやうの時かざり樣の事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0445 一座中せばき時は、床へあがりてもくるしからぬおきてなり、紹鷗のすき出したまふ時、四條の辨殿をしやうじたまひしに、二帖だい目に人六人ありて、ちとせばく侍りければ、辨殿床へあがらせ給へと申されしに、辨殿たんけいの前に上り給ひて、
とこやみの夜も明がたのともし火にほの〴〵見ゆるはなのおちやの香、とよみ給ひ侍りければ、みなゑつぼに入けりとなん、かやうの例もある事なり、

〔和泉草〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0445 侘之格
一客俄ニ多成時、座鋪ツマリタラバ、床へ片膝上テモ不苦ト利休云シナリ、

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0445 享保十一年霜月八日、深諦院殿イツモ上坐ヲツトメラルヽニ、床ニハツカズ、ニジリアガリノ口ニ坐セラル、此席下坐ユヘナリ、今日ニカギリテ床ニツカセラル、イナコトヽ思テ窺シカドモ、〈○山科道安〉コレガヨカラント仰ラル、〈○近衞家煕〉扨會席ノ出ケルトキ、床疊ヲヨケテ平ニ向フエナヲラレタリ、初テ感思ケルハ、今日ノ掛物勅筆ナルガ故ニ、床ヲ上坐ニセラレタルト見ヘタリト申上シニ、尤サアルベシト仰ラル、 十二年閏正月廿三日、御茶、〈○中略〉今日ノ御茶ニ、深諦院殿ニ坐ノコトヲウカヾヒシニ、床ヲ上坐ニトアリシ故、初メハ左ヤウニ着シガ、存ズレバ給仕ノ爲ヨロシカラズト存ジ、御斷ヲ申シテ下坐床ノ向ニ着ス、イカヾト伺フ、イカニモ好シ、當流ノ人ハ、勝手ニカマハズ、兎角ニ床ヲ上坐トシテ坐ス、御流儀ニハカマハズ、何デアロフト、勝手口ヲ下坐ニスルトナへ合點スレバヨシ、

炭置

〔南方錄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0445 客炭を見る心用之事
昔隅切の爐までは、炭をつぎたる時、客者見物すると云事はなし、是臺子よう移りたる折からなれば、臺子にて炭見物なき儘にて有ける、古風成けるに、右切の向爐に成て、客の眼下成故、釜引上 る時爐中を見入て火相に心を付、扨炭を次たるを見て、其座延縮め、火の移りを急ぎ、又は移りを遠くする等の主の心遣に感を起し、挨拶しける事成を、偏に炭を饗膳のもり形のやうに心得、主も夫を專らに置ならべ、客も其盛かたを見物して、炭出來不出來を挨拶する事、大成ひが事なり、然共根本露地の茶の本意、湯相火相三炭の次第をもわきまへぬ輩は、さこそ有べけれ、

〔細川茶湯之書〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0446 一亭主火をなをしによる時、そさうに見によるべからず、釜をあげて、ふくべの上なる火ばし羽箒をおろし、ほこりなどをはらひて火ばしに取つくを見て、相客衆へうかゞひ合、そろりとにじりより、炭置を見べし、たゞ感じて置べし、所をさしてほむるは惡し、功者より炭はい爐中五德にいたるまで、どこもなしにほめて、かけぬさきに釜を見てのくべし、すみ不出來なれば功者もほめず、感じてきれいなる體をほめてすます也、惡をほめらるれば、ほめられぬよりをとり也、但一口すみをなをす時は見によらず、亭主のきて一人宛見る、のかずば所望してのくる也、

〔茶道織有傳〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0446 客入の大體
亭主茶たて口をあけ、たがひに一禮し、扨大目へ入、ふりかへり炭取を入、跡をしめ、釜をあげ、頓而炭おかんとする時、客をの〳〵うち寄、手をつきて爐中を見る也、よき程に炭をほめ、薰物を爐中に入、香箱のふたをする時、香箱をのぞむ也、上客一禮して順々見て、初亭主出したる所に置也、

懷石

〔南方錄〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0446 懷石號
懷石は禪林にて菜石と云に同じ、温石を懷にして懷中をあたゝむる迄の事なり、禪林の小食夜食など、菜石共點心共云同意なり、草庵相應の名なり、わびて一段面白き文字なり、

〔茶話眞向翁〕

〈坤〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0446 茶湯の獻立を懷石とかく事、其文解せざるを以て會席と書す、是もおもはしからずとて、會膳獻立料理などしるす人あれど、猶懷石と書べし、此字もと禪語なりときけり、

〔南方錄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0447 懷石之法
小座敷の料理、汁一ツ、菜二ツ三、酒も輕くすべし、わび座敷の料理だては不相應也、勿論取合ごくうすき事は、釜の湯同前の心得なり、上方衆は盃事もする、是皆世間會の取交、草菴露地入抔にて、盃事の本意にては更に不有、菜數出すさへ大に本意を忘れたる事也、主給仕の事は、膳は兎角すべてよし、菜抔は給仕の者に出さすべし、客料理喰仕舞、椀を改め折敷をかさね、給仕口へ出し置を主出て膳を取べし、一説に主膳を取べきも難計、折敷を重て主にとれとあしらう、是いかゞと云り、たとひ主とらずとても、小座敷賞客の前まで給仕の者踏込よりは、一ツに重て給仕の者しよきやうにして可然、主取候へば尚更也、茶菓子別に出さずば、楊枝膳に付てよし、扨茶うけに餅を出す事、休〈○千利休〉時代には大方なき事なり、やうかんの類、或はふのやき、或はまき栗椎茸川茸抔の煮しめ口取也、古織〈○古田織部正〉の時分、淺野彈正殿すぐれて餅好なり、古織も餅を被好し故、相談のうへ茶うけに餅出されたるよし、土屋宗俊物語なりと云々、

〔茶器名物集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0447 一會席之事、色々樣々毎度替也、其内正體ナルハ日々幾度モ可然、其内珍キテダテハ十度ニ一度二度カ、名物持ハ卅日ヨリ内、茶湯仕出衆ハ五度迄モ可赦、第一物ヲ入テソサウニ見ル樣ニスルガ專也、口傳ニ申渡者也、又大名ヲ申入時ハ、珍敷作分可出ス又會席當代ハソサウ也、紹鷗代ヨリ此十年先マデハ、二膳三膳、金銀ヲ嚴候菓子ニ結花ナドアリ、

〔客之次第〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0447 一會席は、まづ汁をすきとよくしまひて出し申事賞翫なり、出來申の、能料理にて候のとほめ候ても、さん〴〵くいちらしのこし申候へば、みなけいはくにほめたるに成候、但汁は二度より外は出し申事あるべからず、

〔茶道織有傳〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0447 亭主の大體
會席の品は客によるべし、上の客にも、せばき所にて二の膳出す事惡し、二汁五さいより上は無 用也、二の汁をも、へぎか小ぼんか、さて引おとしたるべし、木具は貴人の時出すべし、そのほかは、二汁三さい、一汁三さいたるべし、總別數奇屋料理は、ほねひれのたぐひ、はおとたかき、くいがたきものをせぬもの也、又なにゝよらず、たくさんにもり出す事惡し、とかくでかしだてなる、かはりたる料理かつて無用也、

〔茶道織有傳〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0448 客入の大體
炭おかんとする時、客をの〳〵うち寄、手をつきて爐中を見る也、〈○中略〉扨客本座へなをらば、御時分はいかゞ、御茶うけ可進かと云時、御勝手次第とあいさつ尤也、扨會席出ば、つねのごとくくふべし、とかく膳のうち、椀の内、箸などきれいに、めしをもるにも、酒をつぐにも、膳の上にてうけべし、たゝみへこぼさぬため也、亭主出て、ろくにといはゞ、ろくにゆる〳〵と居たるもよし、とかく客主こゝろよきあいさつ專一也、酒も上戸ならば、よはぬ程のむべし、扨膳すぎ茶ぐはし出ば、つねのごとくくふべし、めん〳〵菓子ならば、ぼんの内きれいにして、くはしあまらば紙につゝみ、ぼんを順々にかさね、どうじりの人かよひ口のわきに置也、少見合押つけ中だちする也、

〔茶道織有傳〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0448 炭茶の手前の大體
會席出すには、かよひ口をあけ、上中下、亭主心持次第かよひする事尤也、めしつぎを出し、上客の前に置、汁をかへ、ひき物酒も上客の前に置、客人めん〳〵にとりてまはす也、酒一こんとをり、すい物出す也、亭主も出て酒をのみ、あいさつ尤也、あいさつに出るには、茶たて口より出るもの也、又ひきざかな二色三色も見合出し、初而の客などは、亭主と盃ごとなどして、相すみ湯を出す也、大ぶりなるぼんに、湯つぎ、水入、ゆのこすくひ、こがしなどおき合もよし、膳すみて茶ぐはしを出す也、

〔草人木〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0448 一釜すへ終て、亭主勝手へいり障子を立置也、會席出來せば出すべき時、高位の客なら ば本膳をば亭主すゆべし、御相客には御前の小性衆を賴むが本也、亭主のすゆる事もあり、貴人高位主君などの御出の時は、給仕には本小性を賴み、又勝手にては御内の包丁人を賴申べし、いかに亭主の振舞といふ共、右の御客の時は、よくてもあしくても、獻立は御意に參樣に御内衆に任スベシ、
一客と亭主と同輩ならば、何もの膳を若衆に給仕賴ても苦しからず、其中二三度程亭主出けうたいあるべし、其時にはより候へ共、中酒の時か、引菜を持てか、今一へん酒をしひ給ふ時か、又は菓子を持てか也、高官の御人、無官の者に御茶被下候はゞ、御使にて座敷の興を仰られしは忝物也、まして一度も直に御意被成は、猶有難き御事也、
一菓子と茶うけと別に出す事もあり、又ひとつに組合て、めん〳〵に出事もあり、總菓子とめんめん菓子との義也、〈○中略〉
一面々菓子の臺ならば、立ざまに菓子入を重而、勝手ちかき所に置べし、此仕舞は下座の人のしたるがよし、
一菓子過たるとて、客はやく立べからず、亭主も勝手にて身のつくろひをし、茶具をこしらへなどする、其程ありて立べし、

〔和泉草〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0449 侘之格
一上古ハ飯ナシニ茶菓子計也、然所ニ有侘、我ガ所茶ノ子ニ而ハ、茶ノ氣味惡シトテ、常ノ飯ヲ暖ニシテ用テハ、御茶ノ氣味一段能トテ、侘ノ初タル儀也、近代夫ヲ例ニスル也、
一侘ノ料理心得有ベキ儀也、濁リタル料理惡シ、淸シ切タル心得吉、諸色物數モ惡シ、サノミ取繕ヌ物ナリ、シヤント奇麗成料理肝要也、〈○中略〉
一高位高官ノ御方ヘハ、侘ノ料理モ不入物也、菓子ニ而御茶上候儀尤也、

〔茶道望月集〕

〈二十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0450 一夜込の茶請料理の心持は、餘り手の込て働の有は不好、只隨分暖成物にしく事なし、必是をかふと云事はなし、寒氣の折、夜明テ早々食事する銘々の心持にて、取合如何樣にも可工夫、鱠さしみはツキなき物と可知也、

〔茶道望月集〕

〈二十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0450 一茶請料理の事、夏は凉敷仕かたのしかけ計にてよし、冬は別て寒氣强き霜臘二ケ月の中、心掛惡しければ、かげんさめはてゝ不興成物也、もと茶の料理は、數を少くして鹽梅を第一と心がけたる物也、夫ゆへ座數も小座敷を賞翫して、人數も三人よりして五人に限るとは、膳を出し揃へねば、客中食はざる禮法なれば、何ほど勝手にてかげん能仕立ても、座敷多人數なれば、其間にかげん損ずるとの吟味也、又菜數多からぬも右の趣に同じ心得也、

〔茶道獨言〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0450 懷石料理とて、其文字さへ辨へぬものゝ、茶湯などゝいふて、めつたにふしぎ奇妙の料理をなして、其見るのみならず、食ての上にても、互に額をあつめて、何なちしやなどいふて、面白がることいかゞ、亭主も客も其味ひを忘れ、料理のはんじものゝやうに心得、しきりにおもしろがり、其はんじもの料理を書付などして、噺し合ひとなど、何とこゝろへしものにや、總じて懷石は、前にもいふ如き心得のものなれば、必々ふしぎのものを出すことなかれ、誰もよく見しりて、人々きらひの有まじきやう、正風體のものよし、奇妙の料理を出せば、客も何ともしれぬものながら、これはもし我きらひの物にてはなきや、いかゞなど心づかひ有べし、大に禮を失ふなり、最初見るよりしれたるものなれば、これはわが嫌ひのものと思へば箸を下さず、其儘にして置ことなれば、主客ともに心づかひなし、また辨へぬものゝ此事をきけば、食へ共其味ひをしらぬなどいはん、わけもなきことなり、誰にもせよ、是は何々といふ樣に、常々喫するもの然るべし、多くは異物を珍味と心得る人多し、皆まちが、ひのことなり、何の懷石料理の事あらん、おかし、

〔茶式花月集〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0450 一主方香合取入レ、膳出可申、挨拶有テ勝手口シメル、 一膳出順 一、本膳出シ勝手口シメル、 二、カウノ物カ平皿カ、〈此所ニテ平皿出ストキハ、香ノモノハ、ヤキ物ト一シヨニ出ス、モリ合スカ重筥ニテ出ス、〉 三、食鉢汁カへ、 四、中酒出シ、引盃ニテ廻ス、銚子引、 五、燒物、〈但シヤキ物無時ハ平皿〉 六、食鉢汁カへ、 七、酒出シ上客ニ渡ス、勝手口ニテセウバンノ挨拶有テ、勝手口シメル、 八、吸物出シ平皿引、 九、銚子硯蓋持出酒ヲスヽメ、挨拶有テ引事常ノ如シ、 十、湯出シ吸物椀引、勝手口シメル、
但シ湯トウ、爐ノ時ハ湯ノコスクヒ入、蓋致シ出ス、風爐ノ節ハ、カナイロニテ蓋ナシニ出ス、シバラク盆ニテ湯トウ食鉢モ引、 十一、本膳ヲ引、口シメル、 十二、菓子出シ勝手口シメル、 但シ風爐ノ時ハ膳ヲ引キ、直ニ炭ヲ致シ、菓子出シ口シメル、菓子出、炭ヲ仕テモ吉、

〔茶傳集〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0451 一ある時道安、利休に茶の湯仕候、其前日利休セントウニ入、歸ニ道安方へ立寄候而申樣、錢湯に入て咽乾キ候故立寄候、茶を給度と申、道安其時錫の茶碗にて食を持出、利休ニ給させ、炭を置、釜を上ゲ、水を入替、長圍爐裏に炭火澤山におこし、鮭の魚を持出、利休見申前にて殘らず切ル、利休申は、別に客もなきに、皆切事如何と云、御相伴に女ナ子召使のものにも給させ可申迚、不殘燒て下々へも給させ、其後茶を立申、利休不及心とて感ジ申、初鮭にて、明日の茶湯に、是一種にて懷石出可申と存調候へ共、今日の客被參候に不出候へば、數寄の道に不入候とて、明日の懷石に如何にも取あへず料理て、今日の茶の湯仕事、數寄の意なりと仰なり、

〔明良洪範〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0451 片桐石見守モ、茶事ハ衆ニ勝レシ人也、會席モ上手ニテ、輕キ品ヲ出サレテモ風味至極宜シ、諸人片桐ニ效ヒテ料理スレドモ、風味中々及ズ、或人片桐ニ料理ノ仕方ヲ問フ、片桐答テ、渾テ料理ハ輕キ料理ニテ、風味ヲヨクセント思ハヾ、マヅ重キ料理ヲ拵へ、其重キ内ヨリ出タル輕キハ風ウミ宜也、最初ヨリ輕ク拵ヘテハ麁末ニ成テ、客ニハ出サレズト云ヘリ、

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0451 享保十一年正月廿八日、參候、先日ノ左典厩ガ茶ニ、一ツノ仕損ジアリ、氣ガ付タルヤト仰ラル、〈○近衞家熙〉曾テ氣付申サヌヨシヲ申ス、花ガ欺冬ノトウナルニ、吸物ニフキノトウハ指合也、コト ニフキノトウノ花ガイト珍シ、餘寒ノ甚シサニ、未ダ出ベカラザリシニ、最コヽチヨク開キタルヲ興ニ入テ思ヒシニ、吸物ニマデ入タルハ、澤山ナリケルヨト推量スト、昨日モ如石ト御ウハサナサレシト也、コレ昌付テ、古へ三菩提院殿〈○貞敬法親王〉ト、昔シ何某ガ茶ニ御成アリシニ、會席ノ膾ニ、ナメノ軸ヲ多クツカヒタリ、一段オモシロキ風味也、三菩提院殿ノ耳ニ口ヲヨセテ、晩ノ夜食ニ、ナメヲツカバネバヨキガ、コヽロモトナシト仰ラレシニ、案ニタガハズ、イトモ澤山ニ吸物ニシタリ、扨コソトテ大笑シタリト仰ラル、
二月廿四日、御茶、〈深諦院殿、拙、○中略〉 御會席 御汁〈小鳥タヽキ、靑ミニ小菜小タタキ、ウドメ二切、ウスフクサ、〉 御煮物〈豆腐ヲ千葉ノ菊ノ形ニキリ、眞中ニ鷄卵ノ黃ミヲ、スイノゴシニシテマキテ、〉 御鱠〈セトノ皿、鯛バカリ、防風ケン、モリフケ、一方ハ平作リ、一方ハホソヅクリニシテ、〉 御酒 靑漆ノ重箱〈タイラギ、燒テ靑グシ、芝川ノリ、菱ニキリテ、〉 御吸物〈マテ貝共、身四切、〉 猪口〈ネウルカ〉 御菓子〈靑モチヲシヤキン袋ニシテ、ムキグリ、〉盆〈厶力シノ形ノ由、黑ヌリニシテ、ウラヨリ見テ、茶臺ノ穴ナキヤウノモノナリ、〉
十四年正月廿四日、春ノ茶ノ料理ニハ、必靑物ヲツカフコトハ、此流ニイカフ大事ニスルコトナリ、〈イカサマニモ、冬ハコスゴシ、〉先年常修院殿〈○慈胤法親王〉ノ後西院へ御茶ヲ上ラレシトキ、冬ナガラ節分ヲ過タルホドニトテ、靑アエヲ出サレタルヲ、後ホド由モナゲニ問テ見ヨト、仰ゴトアタシホドニ、茶後ニ尋ネシカバ、常修院殿ノ後西院へ、内府〈此時公(近衞家賠)内府ニテアラセラル〉ノ珍キコトヲ尋ラレ候ト申ス、〈後西院目クハセシテ笑ハセラル〉ソレハイカヤウノ義ゾヤ、今日ノ靑アエハ、何トシテゾト問ハレシホドニ、春ノ茶ニハアラズトカ、アヲアエトカ、必靑キモノヲツカフガ習ニテ候ト仰ラル、大秘藏ノコトナリト仰ラル、〈イカサマニモ、冬ノ料理ニアラズバ、勿論アヲアエモコスゴキモノナリ、又靑キモノ宅、菜ヨリ外ハナキハズナリト仰ラル、イカサマニモ、春ハ若菜ツムテフ、靑キモノハハンナリトスベキト申シ上グ、〉 十二月朔日、平五〈○平野屋五兵衞〉ガ茶湯ニ、餘儀ナキコトニテ三客ノ上へ、二客ノ押力ケニテ、二疊題目ノ圍居ニ五客アリケルトナリ、加樣ノ時ハ、タトへ、前カドヨリノ會席ノ物ズキアリトモ、一菜ヲモ減ジテ、膳ギリニ仕マフ樣ニアリタキモノニ候ハズヤト窺フ、〈一亭一客ノコトヲ承リニシモ、膳ギリニシ〉 〈マフコトアリ、コノ格ニテ、〉仰ニ左モアルベシ、

飯臺懷石

〔南方錄〕

〈拾遺一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0453 飯臺はつくゑの如くして、二人三人四人も、臺一ツにて食する、これ禪林日用の作法也、しかるを紹鷗、宗易、大德寺、南宗寺の衆の茶の時、折々飯臺を出されし也、一疊臺目などは、あまりにせばき故出入成がたし、二疊三疊四疊、別而四疊半によし、茶立口の外に、今一ツ口ある坐席ならでは、茶立口よりは出し入不好事也、亭主先臺を座へかゝへ出し、ふきんにて淸め、さて食椀にもつその飯を入蓋をし、下に汁の椀をかさね、如此客の數次第引、盆にならべはこび出て、臺の上に上ゲ、汁次にて出す、さゐも鍋にても又鉢にても出、其品次第の見合也、酒はなし、客の喰やう、別而きれいに喰べし、總而飯臺の料理、ことさらかろくする事也、汁一ツ、菜一ツ、强て二ツ、茶うけの菓子は是非出ス、出しやうに傳あり、又一樣は、食椀、汁わん、蓋、この三ツをめい〳〵靑染のもめんぶくさにつゝみて出し、もつそは寺にての如く、はちに入て運び出し、亭主めい〳〵客へくばる、客も椀を、出してうくる仕やうもあり、勿論飯臺は、必々魚肉料理の時の事にてはなし、椀の蓋一も二も、菜の樣子次第出すべし、

中立

〔茶道早合點〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0453 茶湯中座の心得
一手水に出る是を中立と云、同輩のとき、下座にくゞりあらば、下座より出る、少し上めなる正客のときは、道を明て正客を通すべし、 但し立ざまにも、又懸物を見るもよし、

〔客之次第〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0453 一路地に水う、ちしまひたる時中立するなり、さきへ出たる人、腰かけのゑんざをくばるべし、

〔南方錄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0453 中立の時火相心を用ル事 夏冬別有事
菓子仕廻て、菓子盆を給仕口の際へかさね置、臺目に行て、棚を見廻し、火相を考へ、掛物をも今一度疾と見て、蹸上りの口を開て出べし、火相を考へて出ル故、火移り早時は、茶案内あらば其儘坐 入すべし、火移り遲ときは支度して待べし、火移早過たらば、たがひに手水つかひて待もよし、中立の後火移早過れば炭をさし添、又火を減ずる類の事、大成本意の違也、火相湯相の遲速を考へて、露地出入し、松風雷鳴の的然に、一服の茶を點じ喫してこそ茶湯の出來たるとは云べけれ、扨火相の考へ、賞客末客專心を用べし、中坐の客とても火相不考と云事にてはなし夏は懷石後炭をするゆへ、中立も緩々としてよし、

〔茶道要錄〕

〈下/賓法〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0454 中立之事
菓子ヲ食終テ見合立ベシ、上客貴人ノ時ハ、下座一人先へ出テ御履ヲ直スベシ、少シ上メナル客有之者、下座ノ者、潜口ノ道ヲアケテ上座ヨリ出スベシ、是下座ニ口有時ノ事也、上座ヨリ下座へ、其ヨリ出玉ヘトノ時宜アラバ、互辭シ讓ルベシ、各同輩ノ時ハ、潜口ノ方ヨリ可出也、風爐ノ時ハ、釜ノ煮音出ルヲ待聞テ立ベシ、煮音出ナバ、一人ヅヽ立寄テ炭ヲ見物シ、直ニ可出、是ハ火移ヲ見ルバカリ也、
腰掛法之事
刀掛ニ有脇指バカリ帶シテ腰掛へ可行、又腰掛遠、則刀モ指ベシ、小座席ノ口見ユル時ハ、心ヲ付テ潜リノ戸ヲ見ベシ座敷ノ置合調ヘバ、戸ヲ明カクル也、是座ノ仕廻ノ相圖ナリ、程遠則或喚鐘或鉦鐲(ドラ)ヲ以テ案内有ベシ、

〔茶式花月集〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0454 一此間〈○主菓子ヲ出シテ後〉ニ手水鉢へ水ヲハリ、腰掛へ烟草盆出ス、 但シ腰掛近ク、客へ近ク、手水鉢ノ水入難キトキハ、湯出置、手水ノ水入置、
一客中立
客爐ノ時ハ掛物ヲ見テ立、風爐ノ時ハ掛物ヲ見、風爐ノ前へ行、風爐前ヲ見テ立、
夜咄ノ時ハ、菓子ヲ出ス時ニ、手燭ヲ路次刀掛ノヘンへ出シ置ク、上坐此手燭ヲ持、不殘一所ニ 行ク、貴人ノ時ハ、末坐手燭ヲ持テ先へ立、

〔茶之湯六宗匠傳記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0455 古田織部殿自筆の寫
一中立に腰かけへ出たる時、腰かけの角に圓座有、上座より段々取て我居る所に敷、上へあがり、とくとろくにいる也、腰をかけているは無禮なり、

〔細川茶湯之書〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0455 一中立して用有ものは、外へ出て用をかなへ、又雪隱へも行なり、
一雪隱へ行に二つ有せつちんなれば、外のせつちんへ行べし、一つ有ば猶又外の雪隱を尋、餘所へも行べし、袴は外の腰かけにてぬぎ、又きて内の腰懸へもどるべし、
一雪隱に居時、私に云、先下に紙をたくさんにちらし、上に居て又紙を敷かくし、其上に砂を置なり、
一腰懸にて長咄いや也、はなせばたちばを忘、座敷へおそし、手水をつかひ座敷の左右を待べし、座敷の左右とは、昔は座敷仕舞て、箒の音が左右なり、近年は鐘をたゝく也、此二左右次第に座敷に入べし、夏の數奇におそくはいる惡し、水かはひて石共惡し、又花入水指水かはく也、

〔南方錄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0455 亭主後坐を設る事
客中立の跡、數奇屋の内掃除し、一座陽に心得べし、掛物を卷、花を生、簾をはづし、突上をも明ル、數もかねて陽を用ユ、
床掛物卷、花入、釜、水指、茶入、茶盆、〈茶巾、茶釜、茶杓、〉
是の時、棚に羽帚抔置には、數を考へてはづしに置べし、はづしかね口傳、器の三ツ組、水指小ぶりを用る事、つゞきのかね、秘事口傳、掛物に寄、其儘かけながし、別に薄板も花入置て花を生る、又は掛物卷て、薄板の事も有、配合の品と一ツ物等、委敷書付がたし、師傳可聞、

〔茶道織有傳〕

〈干〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0455 炭茶の手前の大體 中だちのうち、床のかけ物をとり花をいけべし、花は一色か二色、時のさかんなる花を、なるほどかろくいけべし、不時の花はいけぬもの也、茶の湯の花に法はなし、惡にほいある花は無用也、
中だちのうち、水さしをまがり柱と、風爐先きの壁とのなか、まがり柱の地敷より五寸ばかり間あけ置、茶入を右、茶椀に茶巾茶せん穗先下へして置、茶しやく上に置、水さしの前に三ツがなわにかざり、柄杓を大目だゝみの左の壁のなりに、ふたおきにのせ置、水こぼしを柄杓の柄さきより二寸ばかり下にかざり置、亭主は手ぶりにて出、茶たつる事、具の臺子より出る本意なり、色々作意の略義用にたらず、

後入

〔南方錄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0456 案内の鉦打樣之事
主後坐の配合を仕廻鉦を打べし、禪林の規繩に、飯に三下、茶に二下、版を打と云へり、其故實を以て、五の數は可然か、千家大方は三聲を被用、とかく案内を報ずる所本意也、版喚鐘其外にても主の料簡次第打べし、他流にどらの音、色々口傳を云へ共不用、
客手水つかひて後坐に入る事
案内あらば、火相を考次第、相さそひて坐入すべし、手水初坐の心持同前、

〔客之次第〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0456 一數寄屋へ入やう、同見やう、前におなじ、又ほめやうは、あまりにむざとほむる事あしく候、又ほめざるも猶あしゝ、掛物花のほめ時分は、掛物は達摩にとへ、花はうす花の時と古實の習なり、中立より前は多分掛物なり、むざと物をほめまはししては、亭主の手前しまひにかまひ、やかましく侍る故に、まづ物しづかに亭主のしまひを見て、炭も入、くわんすもすへてくわんをぬかんとせらるゝ時分に、見事成御掛物、扨かれこれとほむるなり、達摩の耳にくわんあれば、達摩の時とは心得るなり、
一此くわんを掛、くわんすをなをして、何とろくに御座候かと、亭主客へ尋る事、是時のあひなり、 一段ろくさうに御座候と云てよし、亭主すねものにて、くわんすを少ゆがめ置て客に尋る人あり、ろくさうに御座候といわせず、まして後にろくになをせり、然時は客のけいはくに成候、少ゆがみ申候といへば、ていしゆのきよくなし、其時は只一禮の時のやうにあひしらふ物なり、

〔茶道便蒙抄〕

〈一/亭主方〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0457 置合の事
一座敷掃除して、道具置合も相濟て、客座入の案内に、くゞりの戸三ツぶせほどあけ懸る也、客是を見て手水つかひ入事也、又此時くゞりの戸あけず鉦打事あり、是は古織より初る也、古織伏見に居住之時、數奇屋より腰掛まで程遠きゆへ、座敷の仕廻客へしれざるに付て、案内の爲に鉦をうたれ候と也、其以後座敷檐下の腰懸にても、人毎に鉦を打事不心得

〔貞要集〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0457 數寄屋〈江〉入客亭作法之事附茶調ル心持之事
一中立の内、懸物取て花を生ケ、大目疊に道具莊合、釜の湯相、第一可心得、能時分を考て案内鉦喚鐘を可打、貴高の御客には、腰懸まで案内に罷出候、極寒の時分は、少もはやく案内申事、暑氣の時分は腰懸に緩々と汗を入候樣に遲速を可考、客互に時宜ありて手水を遣、小座敷へ入申候、床前花を見、花入を見、大目の莊を見申事、初座同事也、客座定て亭主勝手口を明ケ、御茶に可仕と挨拶有之、其時に先花を譽、花生を譽申事、是も懸物のごとく三ケ所の譽所有と知べし、亭主茶を調申内は、謹て手前一覽可申候、茶立出す時、上客居寄て茶碗を取、相客の前に置、一禮をして戴呑申候、次々の客茶呑終て、下座より上客へ茶碗を遣申候、上客の香を欺、茶椀一覽して次々へ廻し、上客へ戻候時、少居直り茶椀とりなをし、鎰疊へ返し申候、貴高の御手前のときは、茶椀を返し申候、亭主茶椀を取、定座に置申時、一座一同禮有之事也、茶椀洗て下に置候時、御仕廻候樣にと申儀如法、茶巾茶筅仕廻、茶杓を茶椀へ懸申時、茶入袋茶杓乞事有、又茶入茶椀莊付ケ、水をさし、水差のふたしめ申時乞事有、又透と仕廻、水覆柄杓蓋置勝手へ取入、茶入をとりに出候時乞事有、是にて以上 三度の乞所有と可知、眞行臺子、眞長板の定法、運茶湯に用ル事也、茶椀一覽の内、釜のふたをとり、水指の蓋を取、茶碗返るを相待申候は、四方盆眞行の作法と知べし、段々臺子立、前に記す故略之、亭主勝手へ水さし取入、勝手口を立、茶入、茶杓、袋返りを相待也、客道具見終、勝手口障子際、又は鎰疊の眞中へ三品持寄、亭主取能樣に、茶入はわが左の方、袋茶杓は我が右の方に、袋の上に茶杓を載て返し申候、亭主取に出申時一禮して、後の炭所望申事也、いにしへは薄茶前の炭とて所望なしに炭を置足し、薄茶の道具を持出、うす茶立仕廻、其上にて立炭所望仕候、當世は二度目の炭にて相濟、客座鋪へ通り申事に罷成候、今も後の炭濟て、薄茶の道具運び出し、茶を立申方も有之候、京都にては、いづれも右の通の仕かたに候、古法の殘て面白く候、

濃茶

〔南方錄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0458 亭主出て挨拶して茶を點ずる事
作用差排ての次第は爰に略
客坐入、床臺目見畢、坐につきたらば、茶堂口を大羽帚にて三ツ五ツ拂、開出て御茶可致よし輕く挨拶し、手前に取つくべし、
客前へ茶出す法、客茶を喫する法、
帕物をかき疊に出し、其上に茶盌を置べし、茶碗の前後心得て出すべし、帕ニツ目の折を客前へなして出、す、客茶盌帕共に受取て座中へ出し、各茶の色を寄て見る、扨賞客受取て、小指を帕ようはづし、茶盌の臺脇に付て呑べし、茶香を心づけこぼしかた心得呑べし、逆勝手の時は、右の手にて茶盌をこぼす、去によりて客前へ出す時、茶碗の前を客前へなす事云に不及、こぼしかた客の左にいる、客請取逆に廻し、左のかたこぼし方より呑む、戻す時茶碗の前を主の方になし、こぼしかた主の左にして戻す也、總而向爐風爐の時は茶盌を戻し、亭主茶碗を請取んとする時禮すべし、四疊半臺目かきの爐は、茶碗受取、下に置たる時に禮してよし、主茶碗受取、茶の香をかぐ事大 成ひが事也、客衆一通り茶碗見物し、あたゝまりもなき茶碗なるを、茶の香をかぐ事無益の所作なり、ふくのこき薄きを見て下に置べし、客茶香をかぐは、茶碗のあたゝまり有内故、茶の氣をかぎて可然事也、茶碗戻り、湯と水と入れ、其すゝぎ湯を主呑事有、故實等秘事口傳、尊客の時は必呑むべし、かへ茶碗抔へうつして呑む事も有、大凡にて呑む事にてはなし、

〔茶窻閒話〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0459 むかしは濃茶を一人一服づゝに點しを、其間あまり久しくて、主客ともに退屈なりとて、利休より吸茶に仕はじめられけるとなん、

〔客之次第〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0459 一茶を三すくひほど入、茶入のふたをとらんやうにする時に、客より御茶今少一兩度も所望する事よし、亭主はしんしやく心に、茶入を引、ふたをとらんとする體なり、
一茶は一へんにて、のこらすみなのむべし、二へんまはす事有べからず、ていしゆもずいぶんのこらぬやうに、小服に立出し申に、のみあまし申義は、以之外の不調法也、初に今少茶御入候へと申たることは、みなけいはくに成申なり、よく心得べき事なり、
一のみじまひて、下座の人其茶わんを上座へわたす、是によつて手ひまなきゆへに、下座より二番目の人、ふくさをとつて茶ばかりを下座へ渡し、下座の人茶をのむ内に、ふくさを亭主へわたすなり、
一上座の人茶わんを請取て、香をきゝ、色をほめ、たてやうの茶わんの内をほめ、茶わんを見などして、其次へ渡、其敎々の人も同前に見てほむるなり、扨下座の人、又上座へ茶わんを渡すなり、上座の人また少見て、亭主の初出したる所に置なり、
一茶をのむに、上座の人ののみたる其のみ口をちがはぬやうに、其次々の人も、其のみ口よりのむ事肝要にて、亭主じまんして、茶わんの内きれいにたてなし出したるを、方々よりのみちらし、さん〴〵のたてなしになして、あゝ御茶たちて候と申さるゝは、亭主をきよくれるしかたなり、 茶のいきも方々よりちりさんじて、よしともあしともいひがたし、うつくしくきれいに、一所よりのみ口こまやかにある所をむかふへなして、香をきく事なり、むかふへなしぬれば、のみ口の方上になるに依て、茶のいきも上へあがり、能いきもきこへ候、前になし、我はなを茶わんの中へのぞき入れば、あせやいらん、はなやいらんと、人目には見ぐるしくて、お上がいに茶のいききかせたるに成候なり、
一亭主茶碗を下に置、湯を入、水をむめ合て、二口三口のむ事なり、其時も客そと禮すべし、此時亭主のむ道理は、茶に毒などの入たる事もあり、其時宜と、一は又後うす茶の時、水のむめかげんを見んためにて侍るなり、

〔茶道織有傳〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0460 客入の大體
亭主出、茶たつる也、茶たつる時は、ろくに居る事惡し、其うち花などのほうびする也、扨茶をすくふ時、とてもの義に、御茶をこくたてられよなどゝあいしらふべし、扨茶出すならば、上客相客へ一禮して、ふくさをひだりの手にしき茶埦をのせ、茶をいたゞき手をさげ、茶埦を少かたぶけ茶の色を見て、扨二口三口もあいそうなし、五口六口はひやうしぬけ、あと人の心なし、あへて定法はなけれども、四口のむはほどよし、扨茶をのみ、茶埦ののみ口手にて少ぬぐいて次へわたす也、扨上客の人、茶を二口ほどのむとき、次の人下座へ一禮して、扨上客茶埦を出す時うけ取いたゞき、禮すみて手をさげ、茶埦を少かたぶけ茶の色を見て、のみ口ちがへぬやうに順々どうじりまでまはり、茶ののこらぬやうにのみ合て、のみ口を手にてぬぐい、上客の前へ茶埦を置べし、上客茶埦のうちそとよく見て、順々に廻す也、下座まで廻り、又上客の前に置、上客茶埦とふくさを取、亭主茶たて出たる所に置、亭主うけとり前にをく時、總客一同にかたじけなきとて禮をする也、此時御茶の御禮と云はおろかなり、たゞかたじけなきと云もの也、扨亭主其茶埦へ湯を入のむ 也、その時總客一同に少手をつき、少禮こゝろ有べし、扨亭主うす茶をと云、まづ御仕廻候へとあいさつ尤也、

〔茶之湯六宗匠傳記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0461 古田織部殿自筆の寫
一濃茶をのむに、上座中座茶碗廻す事は見苦敷、下座にてはまわしのむべし子細は茶のふくを能せんが爲なり、

〔和泉草〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0461 濃茶立樣同呑樣
一茶筌ニ而フル時、廻リニ茶ノツカヌ樣ニ、カタマリ振ホドク樣ニ、底ニカタマリノ殘ラヌ樣ニ、イキノ失ヌ樣ニ、泡ノキエ候樣ニ、餘リ久敷フラヌ樣ニ、手先ニテイソガシク振ベカラズ、肩ニテ靜ニ振ベシ、何時モ小服成吉、呑人モ三口ヨリ多呑ハ惡シ、亭主客ノ數ヲ考テ服ヲ立ル物也、呑アマシテ再返廻スハ不仕付也、
一小口ニ一口々々呑切タル跡、齒ヲ喰ツメル樣ニシテ茶ヲカム樣ニ呑也、如敎呑バ、茶ノ味ヲ能善惡ヲ覺物也、濃茶ヲ呑内、余所目遣セヌモノ也、
一濃茶ヲ草ニ立、薄茶ヲ眞ニ立ルト云習有、口傳、
濃茶ノ後湯ヲ乞テ呑事
一湯ヲ乞テ呑儀、利休時分ニナキ事也、亭主情ヲ出シタル茶ヲ、湯ニテ早々洗流ハ不仕儀也、茶ヲサエ被下間敷ト云事有之也、

薄茶

〔草人木〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0461 一薄茶世にはやり出しは、根本東陽より事おこり侍也、利休いまだゐんびの時迄は、無上の日に、一時の間は、うすちやなどのむ事はと各申されしを、書置たる物語などあれ共、此東陽はじまりしより一段然べき薄茶也、客を請じても、養生などにてこひ茶をのまぬ人もあり、又侘たる道具などほり出し、薄茶に事をよせて、其道具出し候なかだちにもなり、又は會席の上にこ ひを一服づゝにても、のどのかはかんはこたへがたきに、ましてすひ茶の二口三口などにて、いかに忝なければとて、のどのかはきをやめては也、殊におもひあひたる友のなぐさみとて、薄茶はそれよりはやるといへども、いまだむかしの例を引人ありて、貴人高位などへは申上ざれば、かつ〴〵はやりしを、此例を以てにや、さる故ありて古織公〈○古田織部正〉よりこのかた、亭も薄茶を立ではかなはず、客ものまではかへらざる物と盛に成也、こひ茶たてゝ、程有て薄茶を專立て申事は、利休より其例今に引事右のごとし、こひ茶立たる小壺の茶をひつ付、うすく一服も二服も立る事、古織公より始る、

〔南方錄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0462 淡茶之事
水指運び入たらば、水を入添改メて持出で、薄茶中次か棗かに入、薄茶茶碗仕込運び出で、茶をもたつべし、初濃茶の時、茶碗戻りて湯と水と入て一すゝぎ、其次湯にてすゝぎ、直に薄茶可仕と主ゟ挨拶し、又は客より御仕廻あれとの挨拶、世人なべて如此也、道具の賞翫により、茶巾捨る不捨との差別意味重々也、茶巾にて釜の蓋を取ル、是捨たる茶巾也、秘藏の道具に寄てわざと捨る事有、凡は不捨に用てよし、捨ぬ茶巾の時は、時宜に寄、直に薄茶立べし、主客の挨拶次第也、捨たる茶巾の時、主より直に薄茶可進と云、客より御仕廻あれ抔との挨拶、何の分ケもしらぬ事共也、故實口傳、後の薄茶の時、茶巾釜の蓋の上に置たらば、捨たるにてはなし、中ふたせずに立る故、ふたの上にかりに茶巾を置たるは捨たるにてはなし、鐵蓋に置事、少心の有事也、口傳、火衰へたらば炭かへて薄茶立べし、眞の薄茶と云事有、濃茶後の事にてはなし、不斗したる珍客か、又は殘火會抔に有事也、秘事口傳、

〔茶道便蒙抄〕

〈一/亭主方〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0462 薄茶の事
一客亭主隙にて、緩々とはなし在時は、薄茶立べきよしを云て、水壺持出、茶を點る事也、其品濃茶 の時とおなじ事にて、釜の蓋をしめざるもの也、外に替る事なし、諸道具も最前の物にてよし、品をかゆ、るは惡し、尤茶入は薄茶を入て堂庫にあらば、茶碗計持出置合る也、薄茶必別の物に入てよし、但濃ちやの殘りを薄茶に立る時は、初めの茶入に入たるま、置合立てよし、尤袋には不入也、
一薄茶立る時、ならひの心持、あり、濃茶はさむる事をいとひて、さら〳〵と立る也、薄茶は其いとひなければ、しづかに爰にて茶を立る手前の心得を眞に致すべし、總て薄茶の立樣一通り手熟すれば、万事の手前成能物也、此ゆへに宗易も薄茶立る一通り、大事に心得よとしめしたるとなり、

〔茶之湯六宗匠傳記〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0463 一薄茶點る畤、或人利休にとふ、初め小壺を出し、薄茶の時はたとへ類座、或は小大海、或は内海などは、くるしかるまじきかと思ひ侍れば、利休答ていわく、其は惡し、薄茶は貴人の御前御遊び被成ての事也、若座敷替りてならば、くるしかるまじきか、同座にて二度御茶まいらば、初は眞なる故結構なる道具よし、後の薄茶は草也、物毎に眞草行の三段あり、其にしだがわざれば物の品を失のふ、其上唐物も唐物計數多出すべからず、一種か二種かとの故人の式目也、殊更貴人など請じ申さば、左樣の道具出してもくるしかるまじきかなれ共、乍去茶入能て大海の類茶入程にあらずば益有まじ、又内海能ば、初の茶入を人々のさげすむべし、所詮片々はいづれやむべしと云々、又或人京のじゆらくにて利休に問、某の持たる道具を初の度に出し、客遊び居て後に又薄茶たてん時、大海か内海を出し候はんやと問侍れば、利休の曰、初め瀨戸を出し、後から物を出し給はん事、たとへば貴人を申入て、百姓のもてなしをするに似たりと答られ侍れば、此人一言の返答にも及ばずと也、此人は世にかくれなき古瀨戸の茶入持にて、其一色の茶湯者と聞へ侍る也、又大坂にて古織公〈○古田織部正〉に問、初小壺を出し、後今燒のふりのかわりたる 道具にて薄茶をたつべきやと問侍ば、古織公かれに對して、くるしかるまじ、其故は當代の人、何事もじやうずになれば、から物に取まぎらかす物也、我も人も出來物を所持する事なれば、新物の見事なるにて唐物をもどかれんよりは、薄茶の時花ぬり物吉、乍去座をかへてならば、ふりの替りたる唐物を二度出すべきかと云々、此吟味も利休の傳も同也、

〔槐記續編〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0464 享保十六年三月十九日、參候、昔ヨリカサネ茶碗ト云コトアリ、三ツモ五ツモ茶碗ヲ重干テ出シテ薄茶ヲ立ルコトアリ、此ノ時ノナラヒアリ、上ノ茶碗ノ湯ヲ次ノ茶碗へアケテ立ルガ習ナリ、夫故ニ次ノ茶碗ハコボシノ處ニ直スナリ、コボシハ夫ダケ跡へ引ナリト仰ラル、〈○近衞家熙〉シカシカヤウノコトハ必セヌガヨキナリ、先ハ人々ノシラヌコトハ異風ナルヤウニ思ヒテ、目ヲドムルモノニハミトラルヽガ、センナキコトナリト仰ラル、

〔客之次第〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0464 一うす茶も上座よりのみまはして、一ふくも二ふくものみ侍らん、うす茶の時は、茶わんを返しざまにいたゞきて返し、一禮はなし、

〔茶譜〕

〈十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0464 一利休流客人薄茶呑ヤウ、茶湯ノ時ニ不限、不時ノ砌モ、茶碗ヲ取テ本座ヘシザリ、兩手ニテ茶碗ヲ持、最初一服呑茶ハ戴テ呑ベシ、各一人々々如此、幷薄茶ヲ一服呑テ、仕舞玉ヘト云ハ惡シ、然ドモ又客數ノ砌、二三服呑モ又惡シ、見合可之コト也、

後炭/立炭

〔南方錄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0464 後の炭之事
薄茶濟、火相衰たらば、客衆へ一炭と所望し、又客よりも今一炭と所望する事有、炭輕く置て其儘湧立やうにすべし、底つかへたらば輕取べし、客より炭する時、胴炭抔の流れ見能ば殘して、輕く底取て吉、又薄茶をも立る事有、大かたは夫に不及畧衆暇乞すべし、炭をして湯わかし、一坐を陽にして客を戻すと云説有り、祝したる心也さも有べき事か、廻り炭の事、古織已來の事也、露地草庵にて炭の置方抔、面々自慢らしく置並べ、何の益もなき事也、是皆本意の違ひなり、其上利休流 のふくさ灰にて廻り炭は成がたし、

〔客之次第〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0465 一立炭は、多分は亭主炭持て出で入るもあり、又客より、とてもの御事に立炭被遊候へと云もよし、亭主は炭の用意も無御座候、今少御くつろぎ有て、御あそび被成候へと云時宜なり、客いかに御用意の無御座事の候はん哉、只被遊候へと、再三にこふ物なりもちろん用意したる事なれば、則亭主炭せられば、そこ御とり候へとろのそこの火をとらせておかせる物なり、扨炭をおかるゝ時、各さし寄て見物すべし、又亭主炭持て出て、客にちと御慰に炭被遊候へと所望あらば、再三しんしやく有べし、客めいよの數寄しやなどにて、慰にいれんとおもはれ候はゞ、さればいれ申べきかとはいわぬ物なり、まづ釜をあげさせられよと云なり、是則いれんとのすき道のことばなり、扨亭主釜をあげて、炭所望の時客すみ入べし、客大名か數寄無雙の人ならば、御相伴の中より、御取合を申などして、まづ釜をあげさせられよと、相伴衆一人云もよし、
一炭の後、釜を客かくる事もあるべし、又立のき亭主に釜はかけさするもよし、亭主は炭に見入て、釜いつまでもかけぬ體よし、然間炭の後、亭主に向て釜かけさせられよと云時宜、尤ある義なり、

〔茶道織有傳〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0465 客入の大體
扨道具見仕廻、亭主に今一度御炭拜見申度とのぞむべし、又その時上客の數寄こうしやあらば、客にのぞみたるもよし、客心得たるとあらば、そことり、火箸ほうろく持出、火箸にかゝる火は火箸にて取、こまかなる火は、そことりにてすくいあげ、中ほどに少火をのこし、そことりほうろくを勝手へ入、扨あしうちに紙をしき、すみくみて持出、亭主はわきへのき居る也、すみする人大目へ廻り炭する也、客同前に亭主もうち寄見る也、

〔草人木〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0465 右の禮儀過て、客歸宅の由を申べし、其時に亭主、各御隙いらずば薄茶申べきといふ、客 と亭主とたがひに隙をうかゞひて、透あらば客とまりて、亭主もろ共に少々はなしなどして、爐にても火相をうかゞひて、なだれば茶よりさきに炭を置茶をたつべし、いまだ火相よくば、茶過てより炭をきすべし、此たびの炭をべ名殘炭共、立ずみ共いふ、尤の異名也、

〔茶道便蒙抄〕

〈一/亭主方〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0466 後火を直す事
一菓子喰終る時分に炭斗を持出、土鍋取に立、其時菓子の器取て入、土鍋を持出、前のごとく圖〈○圖略〉の所に置、障子をさす、火を直す事前のごとし、扨炭を仕廻、道具炭斗へ入る事、いづれも前に同じ、
一此火直す時、爐中つかへたらば、下取の土鍋を持出灰を取たるがよし、當代は客より下御取あれと申也、一切不心得、下取事、客への不禮にて有間敷事也、不斷茶の湯仕懸候へば、時ならず灰つかゆる也、其節客よび合候へば、客有とも辭儀に不構、下を取て炭をかで叶間敷也、當代は客よび候時、爲其に灰を直し、茶の湯仕懸るなれば、中々下つかゆる事無之、然れども客より下御取あれと申せば、客に任せ、つかへざる下を心得がほにて取事、おかしき事也、扨此時の炭は、前のよりかろく、樣子見事に置たるがよし、

客退座

〔南方錄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0466 客暇乞て歸る時、亭主露地口迄送り出て揖する事、
後の炭濟と立水の程を考へ、いとま乞して立べし、主も露地口まで相送、初終の禮相揖すべし、

〔細川茶湯之書〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0466 一うす茶取置て亭主出ばはやしほ也、其時亭主へ暇乞して時宜をし、口より出る、これも中立のごとく、釜花入座敷などに、名ごりをおしむ心をとめて出べし、
一刀掛の刀脇指、其内の若きもの取て各へ遣もよし、めん〳〵もとる也、
一歸ときも入時のごとく、先の人を先へ立て歸る、亭主送り出ば、中くゞりにて暇乞すべし、しゐて出は、亭主次第たるべし、

〔草人木〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0467 一立水訂事は、薄茶過て炭の節打也、又薄茶の前に炭あらば、薄茶の内に打べし、此立水といふことを近き比仕出し候也、其已前はかつてなき事也、由來はおくにあり、
一歸宅の時は、座敷にてたがひに禮をいたして、亭主は勝手へ入、障子を立べし、客立樣に、床の内と棚などの物の置合を見べし、
一路地へ出たり共、にげ口の樣にすべからず、置たる道具共失念なき樣に、萬の置目ちがはざるやうに、跡にて人にわらはれぬやうに、たとひ水打に出たる男共のしわざ成共見て、惡き事はなをしてかへるべし、くゞりの口をば本より跡より出る人戸をしめて、初のごとくに亭主の出る迄はならびゐて、しづかにたがひに禮をなすべし、いかに心安き中成共、取わき客方は謹忝體をなすべし、終日のくらうは、たがひの身に覺あるならば、かへす〴〵客かろく禮をなすべからず、

後禮

〔細川茶湯之書〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0467 一宿へ歸、大略自身禮に行、しからずば書中にて御茶の禮、御道具拜見の體、禮を申なり、

〔茶道便蒙抄〕

〈二/客方〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0467 炭所望の事
一後の禮の事、主客共に互の宅へ參り禮あるもの也、心やすき間は、其座にて膿に參るまじきよしを約束致し、書狀使も取かはすまじきといひ合する事もあり、主客位を心得べし、
一名物の道具出たる時は、縱互に禮なき筈に申合たりとも、翌日必禮に行、名物拜見致し過分の由、謹て禮可有之也、是我壹人の名物ならず、天下の名物たるゆへなり、

對貴人式

〔備前老人物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0467 ある人茶湯に貴人のあいしらいといふことは、さのみはなしといひけるに、いやいやしかはあらず、禮の外なる事はなし、その上茶いりの袋といふものは、なにゆへにか、つくれるにや、貴人を請ぜる時は、その御前にて茶入のふくろの封をきる習ある也といひけり、

〔茶道織有傳〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0467 亭主の大體〈又曰、主人に茶奉る時は、今やき新茶わん、臺天目に用、唐物にあらずとも盆たて也、口傳、〉 それ客をうけんと思はゞ、貴人ならばぢきに參、御茶可指上旨、家老か近習出頭人などを以申上、御出あらむとあらば、御あいては御意次第にする事尤也、扨さきだつて御禮に參、その日にいたりても、御むかひとて參べし、人をつけおき、御出の節道まで出むかひ、御ともして入べし、扨御あいて衆をたのみ、亭主は御茶の湯しかけ仕などとて勝手へ入、少もはやく中くゞりまで出むかひたる事尤也、扨御歸の節御供して行、御禮申上、翌日も御機嫌伺とて參上尤也、御あいて衆へも翌朝禮に行べし、尤小性衆料理人をよびてよし、其外品によるべし、

〔茶之湯六宗匠傳記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0468 千利休宗易居士自筆
一客貴人高位ならば、御出の時刻に一時成共二時なり共、あるひは半時成共、亭主御迎に出、我宿まで御同道申て我は内へ入べし、
一亭主より客高位ならば、二重路地の外へ出向て禮をなして、後にはくゞりひらひて、御入候得と計言也、高位などへ餘り物を申さぬ物也、同じくは外路地へ出向ひたる時、同じくは直に入る事が本也、

〔茶之湯六宗匠傳記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0468 古田織部殿自筆の寫
一御成又は貴人高位を申入るは、冬寒氣の時分は片口に湯を入、てい主持出、手水鉢の上に置、又御近習に爲持て出しかけさする事あり、

〔喫茶雜話〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0468 一適の貴客には茶巾茶筅あたらしきをもちゆ、それ程の時は、茶巾のたちめぬはざるものなり、口傳色々あり、かくのごときの尊客の時は、茶碗などに茶筅茶巾等を入、勝手より取出し、賓に御茶進上して後、亭〈○亭下恐有誤脱〉此茶碗にてお茶を服すべし、一には憚、一には御用心の時宜なり、

〔和泉草〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0468 高位高官之御方茶湯 一公方ノ御茶ヲ立ルヲバ、御天目茶筌茶巾迄も棚の上に置ベシ、御相伴ノ諸具、棚の下ニ置物也、御茶調時、柄杓ニ殘ル湯釜ヘモドス、御相伴衆ノ湯殘ラヌ樣ニ汲物也、
一茶湯、極眞ト、眞ト、草トノ差異有リ、或大名御門跡ナドノ御茶湯ハ、木具七器金銀ノ鬼足緣高ナド可然也、
一御餝も床に掛物、或盆香合香爐、臺子の上に茄子の丸壺、文琳か天目臺ナド有ベシ、
一棚ニ釜水指置時、一寸四五分向へ寄餝、口傳也、
一棚の下ハ必四ツ組也、眞ノ釜風爐ニ掛、水指銅南蠻、熟柿色吉、古銅ノ柄杓立、クルミ口、鉉口ノ間吉、合子ハ唐金ノカナ色吉、四ツ組ノ時、蓋置風爐ノ方ニ置也、
一如此御茶立樣、如何にも眞にシツシテ、如作法愼テ立ル物なち、珍敷仕合取出べカラズ、一御人體ノ御茶湯ナレバ、別人御茶立候也、
一以前極眞ノ時ハ、一座ノ物語モ實ナル吉、飯ノ喰樣、菓子ノ用樣、楊枝遣樣、茶ノ呑樣、以上公家方ノ仕付ノ挫治ニシツシテ吉、
一座席ノ廣狹、貴人ノ御茶湯六疊鋪相應ス、御相伴も少間ヲ置著座有故也、高位高官ノ外は四疊半も吉、
一座鋪ノ樣子、無異風結構ニナク、サスガ手際能目ニ立ヌ樣吉、第一其人ニ相應有ベキ儀也、老人貴人富者ハ眞ニ構テ吉、少年壯年貧者侘ハ草ニ構テ吉、
一庭ノ樣體、石不立砂マカズ、諸邊脇へ目ノウツラヌガ吉、御茶情ヲ入、名物ニ心ヲ付シメン爲也、一次ノ間ニハ、手水所ノ邊ニ靑々タル草木少シ有テ吉、爐邊座中ニ居ル上、氣ヲ晴シ窮屈ヲも延ン爲也、廊下ノ外小便所、其外奧に雪隠有、テ士只貴人ノ御來儀ニナクテ不叶物也、平生用ヲカナヘズ、サハヤカニシテ用ル也、 一貴人兼而ヨリ招待スルニハ、瀨戸天目成共、新キヲ用テ吉、
一貴人御來儀ノ時、御膳夫一人勝手へ呼入、試ナセルモノ也、
小座敷ヘ被入、御腰物床中ヘ上テ吉、御身近御家來一兩輩置テ吉、門外ニ亭主ノ方ノ番士二三輩置テ吉、次ノ間ニハ硯料紙御手水ノ道具置、御枕、御衣桁、ハンザウ、手拭置也、
一御前ニハ古圍爐裏ナシ、火鉢ニ釜ヲ掛タリ、御茶ハ何時モ臺子也、
一眞釜ニテ茶立ル時ハ、柄杓ノ柄サキ、三フセモ、手一束モ出ス、圍爐裏ノ平釜ノ時ハ、柄先少シ出ス也、
一拜領ノ物ハ初座に餝テ吉、頂戴ノ仕樣、諸具品々有之ベシ、筆にも不盡所也、口傳、

〔茶道聞書集〕

〈甲〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0470 流芳或時貴人を菓子茶湯に呼れ候時、勝手にて菓子盛候時相伴の菓子を先きへもり被申候、
流芳貴人を招かれし時、菓子の盛やう、相伴より先へせられしは、そゝらぬ爲にや猶考ふべし、貴人に茶を上る時、亭主草履をくゞりに不置、流芳貴人を招き候時、くゞり脇竹の下へ入置、
貴人の草履と、亭主の草履と並ぶを、遠慮存りしなるべし、
流芳貴人へ茶を上る時、圓坐一枚腰掛の上坐に置、二枚は下坐の方に重ね置き、烟管一本、吸口の處を紙にて包む、外の烟管は下に置、
此條も亭主の働き、深く考ふべし、
流芳貴人に茶を上る時、桑原の茶盌、段々挨拶、其茶盌にて茶上る、
桑原茶盌茶事にも用ひたる跡なれども、格別の品なれば、貴人の御所望に任せ點茶せし成べし、
貴人を招き薄茶の時、貴人へ指上候茶盌で點、扨夫を外の茶盌に明ケ、相伴の衆へ出す、

〔草人木〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0471 一貴人高位の御客ならば、座敷を御出なさるゝとひとしく、勝手より亭主路地へ出、くぐりをひらき、くゞりの外につくばひて御供申、外迄出、のり物に召、とく歸れと被仰所迄御供仕、又御馬に召候はゞ、其所迄同道可申也、

〔客之次第〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0471 一茶過てやがて正客大仁なれば、亭主又いしやうあらためて禮に行に依て、其前に相伴に行たる人はやく裝束を著かへて、亭主方へ禮に行て、扨正客大仁の前へ行て禮可申候、大略の位ならば、後の禮は、狀までにてたがひにすませるもよし、

〔茶道望月集〕

〈三十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0471 一近衞應山公〈○信尋〉初而宗旦の小座敷へ茶事に御成の時、宗旦は御會釋は、御迎何かは能愼て、小座敷の茶事は如常御會釋申時、御茶濟て御尋には、茶事に臺天目にて點る事有と聞、夫は如何樣成時する事と御尋有しに、旦御請に、同輩の主客の時は、名物の臺か天目所持の者、其道具に付て會釋、又其御客貴高の御方なれば、御客へ對して、新敷茶碗、新敷臺にても臺天目にて點る事有之候と申上る、其時又夫は如何樣の貴人への時、する事ぞと御尋の時、御前のごとく成貴客の時仕る事に候へども、今日ケ樣の折は、此茅屋を一興として御成被下候時宜に候へば、茶道の德を以、尊卑不相隔の道義を以、御會釋申上ル故、常の草の茶事を輿に御會釋申上ル事也、後刻廣座敷へ御成の時、薄茶は臺天目にて進上可申と申上る時、甚御感心と也、如此の心持なければ、愼としても茶の本意を失ふては益もなし、能々工夫可有、如何樣の貴公の御方にても、御客の器量による事、茶道御功者なれば、とかく其期に臨て働を第一と可知也、

〔備前老人物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0471 雲州の大守松平出羽守殿を、家老朝日丹波請待せしむる時、爐のわきの棚の茶具に薄茶茶碗をおき合たり、濃茶過てのち、かの茶碗にて進上せられしと也、丹波は利休の弟子なりとぞ、

〔客之次第〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0471 一主君の御供にて數寄にあわば、路地の戸をも立寄てあけ、手水をもかけ申てよし、其 ために大名を申入る時は、手水鉢の前のふみ石の右のわきに、又石一ツ少ひきくすへる事なり、にじりあがりにては、もちろんせきだをもなをさるべし、
一刀脇指、主君のは二腰ながら刀かけにあげ置て、我刀は中路地より小者にわたし、脇指ばかりにて參るなれば、我脇指を刀懸の下に立かけてをくべし、

〔茶之湯六宗匠傳記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0472 千利休宗易居士自筆
一高位の御客、肩衣或は被取給ふ共、其時相客に參る人は上衣取べからず、取と高位よりも御免御意にまかせ可申、一旦とれと被仰候共不取也、

〔和泉草〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0472 貴人ノ御供ニ參時之事
貴人ノ御供ニ參リ、クヾリ際ニ雪駄不立ロクニフミ揃テ置テ吉、腰掛上リ候ヘト御意有時、上リ踞リ居テ吉、御意ナキ以前ハ、圓座ヲ飛石ノ上ニ置、其上ニ居テ吉、

〔貞要集〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0472 數寄屋外内路次入客亭作法之事附禮義之事
一貴高の御相伴にまいり候節は、其身をあらためたしなみ、待合にまで御先へ參居可申候、御客揃候時、亭主御迎に出、中潜敷居に手を掛、御挨拶ありて、手巾にて敷居をふき戸を立る、一二寸明て置也、また主君などへは、中潜より外へ出て、御挨拶申事本意なり、扨上客中潜の内へ御入候と、次の御客に構申さず、引つゞき内へ入、砂雪隱の戸を明ケ掛御目、路地の内植込飛石等譽申す御挨拶仕り、手水の前へ御先へまいり、中腰にて柄杓を取、御手水掛ケ申候、此時あたらしき手拭、紙に包、封して懷中にたしなむべし、若手拭御用達可申ため也、御手水濟して御跡につき、隣上り際へ參、御腰の物をうけ取、刀かけに大小掛、蹸上りより御入候と、御草履を直し申候、それより御相客段々に御入候うちに、手水を遣、刀掛の下可然所に、自分脇ざしをぬき、小尻の〓に鼻紙四五枚四ツ折にして敷、脇指立かけ置なり、扇子はさして入たるがよし、茶入の蓋を載せ、或は塵埃も拂 ふためなれば、下座のものかならず持て入べし、担隣上り敷居に手をかけ、内の樣子見合蹸上り、蹈石の脇に草履蹈揃上り申候、立返り草履を直し候へば、貴人を後に成申候故、はき捨置也、床のかけ物大目のかざりも見不申候、しかれども貴人見申樣にと被仰候時は、床前の脇より掛物のぞき見て、道具疊へうつり、かざりを見申候、貴人御傍通り申候はゞ、腰をかゞめ目に立ざる樣に可嗜、料理出申候ときも上座を見合、物を多く給不申候樣に可嗜、茶菓子濟候はゞ、菓子盆栗鉢等勝手口へよせ置、扇子など殘り不申樣見はからひ、御出之節も蹸上りより御先へ出ル、罷出しに〈口傳〉御草履を直し、御腰物を取さし上、中腰懸へ參圓座をなをし、腰懸のすゑに緣ばなに手を懸踞ひ居申候、中立以後の作法も右之通りなり、主人貴人御相伴の時、だん〴〵仕形可嗜事、

〔茶道要錄〕

〈下/賓法〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0473 腰掛法之事
主人貴人ノ御相伴ノ時ハ、御腰物ヲ持テ御腰懸へ御供致シ、腰掛ノ下ニ蹲踞テ居ベシ、貴人ヨリ腰ヲ掛ヨト仰アラバ、腰掛へ上リテ畏リテ可居ナリ、

〔茶之湯六宗匠傳記〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0473 小堀遠江守宗甫公自筆の寫
茶碗を跡先にいたゞく事
一御茶飮候而、跡さきにいたゞく事、鹿薗院殿〈○足利義滿〉御馬屋の者に御茶被下候時、あまり忝さ身にあまりたるゆへ、雨度いたゞく也、其を世に見ならひ、尤なる事とて跡先に戴也、

〔諸聞書條々〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0473 一貴人の前にて茶呑事、兩方の手を開て、茶碗を抱て呑也、端へ指をかくる事比興なる事、

〔備前老人物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0473 貴人の御前にて御茶被下候時、左に貴人ましまさば、右の手に茶碗をよくもち、左の手を副べし、右に貴人ましまさば、左の手に茶碗をよくもち、右手を副べし、もし物おほせかけられたらん時、貴人のましますかたの手をつくべきがため也、相伴の時の事也、

〔備前老人物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0474 一或は主人、或は貴人の御茶給る時は、中露地まで、つねのせきだにて參る、主人御出ありて、中露地のくゞりを開き給ひ、會釋し給ひて、くゞりを少々あしらい、ほそめにあけておき立入給ふべし、其時先後の辭退ありて、先にたつ人まづ中くゞり外のふみ石につくばい、くゞりの數居に手をかけ、内々露地の體を見て、それよりあたらしきせきだをとり出し、右手にて内露地のふみ石になをしをき、扨敷居に手をかけ、越してせきだをはき、あとをかへりみ、まへのせきだをなをしをきて露地入する也、その次々に入る人みな同じ、その故は、主人の御手のかゝりたる敷居の上を、せきだはきながら、越まじきとの禮なりといへり、

〔明良洪範〕

〈二十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0474 寬文九年、家綱公御手前ニテ、光、國卿へ御茶ヲ下サル時、御相伴ハ井伊直澄ナリ、御自身則御茶ナレバ、相公モ掃部ヘト讓ラルヽ事モナラズ、サレドモ大服ナレバ引兼給ヒシ故、掃部頭力ヽル御坐昌列ナリ奉ラズバ、爭デ御茶ヲ拜領申スベキ、御殘リヲト乞ハレシカバ、相公御挨拶アリテ、御氣色ヲ窺ハレケルニ、掃部ニモト上意有テ則下シ給ヒケル、掃部頭タベ仕舞、端香ヲ相公聞シ召レ、掃部頭受取テ是ヲ頂戴シ、直ニ懷中有テ退出セラレケル、翌日直澄水戸家へ參ラレケレバ、光國卿宣ヒケルハ、扨モ昨日ノ御茶碗ヲ自分拜領申サント存レドモ、大服ナル故ニ引兼テ居タル所ニ心付テ、大慶ナリト仰セラレシ、公方家ノ御手前ニテノ茶碗ヲバ、返シ上申サヌ事、古キ傳有事也、


トップ   差分 履歴 リロード   一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2023-04-14 (金) 14:48:17