點茶作法

〔茶道早合點〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0475 茶の湯の大概
茶をたつる所作を、手まへと云、

〔退閑雜記後編〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0475 總て萬づの事、法則のなきはあらず、〈○中略〉茶たつるいやしき事にも、茶匕のとりやう、茶のてんずる作法のこりなく侍りたり、これには法ある事をしりて、まれ人のまへにて、その法しらで茶てんずる事をば恥るぞかし、

〔老の波〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0475 茶は一時の心やりなりといへば、いかに茶たて侍りても、心のまに〳〵なるべしなどいはんが、左にもあらざるなり、其ゆゑは宗易らを始めとして、茶に名あるもの、其ほど〳〵のふしをそへ、文をくはへて、おのづからの法をつくり出したるなり、されば臺子より薄茶手前に至るまで、强て求めいだしたる所作はなく、皆ちりあれば拭ひ、けがるれば洗ふにて、客を敬ひ親しみをあつくして、たゞ其ほどに心を、用ゐるなりけり、遠州流にても、石州千家のたぐひにても、いづれも其とり所はある事にて、何れの流派よきのあしきのといふ論はあらざるなり、たゞわが覺えしところにてなすべきなり、

〔茶道獨言〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0475 薄茶手前をはじめ、諸具の取扱に及んで、肩をいからしひぢをはり、無言の行をなすごとく、顔をいからしてなすこと、いらぬこと也、只主客和順にして驚くことなく、靜にしてねばる ことなく、いつ働となく取扱ふて手前をなすこそ本意なれ、古人の無言などいはれしことも有なん、只世間の雜談をいみ、今時の人、何の淸談有べきとて、いましめられし言葉なり、切磋琢磨に於て無言といふもの有べき哉、勿論雜談は誰制せずとても、茶の本意を觀ぜんと思ふ者、かほどのことは、もとより得心も有べし、

〔茶道早合點〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0476 茶室
水指を自身の横てに置、水指と爐との間にむかひ茶を立るを、四疊半だてと云、水指を爐の隣に置、爐に向ひて茶を立るを向立といふ、亭主の右の方に客居るを左勝手と云、又本勝手とも云、亭主の左の方に客居るを右勝手と云、又非勝手とも云、

〔茶道八爐圖式〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0476 初心薄茶點樣の事〈四疊半點平手前〉

〔和泉草〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0476 左勝手之德
一長板ノ上ニ釜一ツ置時吉、但シ中ニハ置ベカラズ、水指ノ上ニ物置ニ見ヘテ吉、壺取テ茶調ニ吉、其外侘數寄ニよし、道具ヲ見下シテ吉、德多シ、

〔茶道筌蹄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0476 點茶前
四疊半點 水さしの向か、間中の眞にかゝる、左右は、間中の眞より少し客付へよる、倂し大ぶりなる水指は心得有べし、いづれ爐緣の外づらより水指の前まで、八寸になるやうに置付る、茶器茶碗の間、疊の目四ツ、水さしとの間は、茶わんへ置たる茶杓の先、水さしより八分あく程に置付て、茶器茶筅を流すは、爐緣の角筋にして、爐緣の角と水さしとの眞中を、茶器茶筅の間の眞にとる、茶器茶筅の間の疊の目四ツなり、居前は爐緣の角を眞にとる、蓋置と茶入とを兩膝の目どにすわり、釜の蓋を取るに、少し居敷の上る程にすわるべし、夫故人の長短によつて、前へ進むと後へよるとあるべし、建水、初めは爐のすじぎりに置き、點前にかゝるとき、爐緣のすじを建水の眞 に當るやうにおき直す、蓋置は疊の目一ツ、五寸已上の蓋は取ときあしらふ、カキタテ鐶はとりたる時向へこかす、大蓋は向へこかすにおよばず、〈鐶の事也〉茶巾をのせるにさはらざるゆへなり、茶碗囲し樣は、爐の右のかき疊を爐程とさだめ、其半割の眞にて鐶付の通り、杓は爐緣の内づら三ツ割一ツ分を居前の通りに引く、
古流點は、疊の眞中、水さしの眞大小にかゝはらず、茶器茶碗は、爐緣左の角と水指との筋へ茶入の眞中を置き、蓋置は疊の緣の内、杓は手なりに引、釜へ掛る時は眞直に引、居前は少し向へ寄る、〈○圖略、以下同、〉
四疊半流點 水さし、圖のごとく置付る、茶器茶わん初より流す、居前、四疊半手前と釜の眞との間、當時は爐に向ふ事眞すぐ、フタ置は緣をこして水さしの前へ、大蓋はへりより内へあしらふ、茶わんは香合出す所へ出す、濃茶のときは、帛紗茶わんのまへ、建水四疊半の通り、水さしの蓋は、水さしの右ヘハジキを外へなしてよせかける、手數は三ツ、花月の折居は、茶碗とすじかい、
四疊半左手前 居前は臺目茶入の蓋、すべて茶わんの前へ取、釜の蓋、帛紗にて取時は、其フクサ建水のむかふに疊ながら置き、杓を左の手へ渡し、帛紗を右の手にて取、すぐに蓋をとる也、後建水のうしろに置べし、
臺目 曲水さしは、客付の方の疊のへりより九ツ目、釣羝は七ツ目、此割合にて餘の水指作略すべし、爐緣の外筋と壁との眞に置く、居前は三角、茶器茶碗は間中の眞、疊の目四ツ、兩方へ開く、杓引やうは、爐緣の外四ツ割一ツ分、炭手前は羽箒香合も添て眞すぐ、此羽箒の置やうは眞の手前なり、〈但し竹臺子長板等、羽箒眞直に置もよし、〉
向切 水指は、釜の鐶付の通りより少し先へよる、茶筅を茶器よりすゝめて置、茶器と筋違ふ、炭手前は、釜を爐緣より八寸勝手の方へ引付、手燭は向板の上へ爐の眞にをく、向板なき時は香合 置所に置也、香合小なれば小板の眞に置、大なれば炭とりの前におく、
但し向板なきときは小板二寸二分、疊六尺五寸の寸法也、六尺三寸の疊にては小板一寸八分、向切左手前 右手前のうち返し也、但し茶器茶筅と並置也、柄杓は筋違に引、茶器フタは茶碗の前、
向切左手前流點 常のごとく水さし茶器茶碗を置つけ、建水に杓蓋置仕込ながら例の所に置き、膝をくりて爐の方へ向ふ、此膝圖のごとく三方とも同じ明きに坐す、尤はじめ蓋置へ杓を引ず、茶器茶碗常のごとく居前へとり出し、帛紗にて淨め、圖のごとく左の疊の緣一はいに茶器を置き、茶筅を茶器より少し爐の方へよせ斜に置き付、杓をとり左へ渡し、蓋置を建水より取出し、右の手にて水指の眞に置き、釜の蓋をとり、蓋置の上へおき、茶を點る事常のごとし、仕廻は茶筅すゝぎして、茶碗を茶器の跡に直し、水を張て蓋を釜へ仕舞ひ、フタ置をこぼしの後方へ置き、杓を建水にかけ、茶碗をとりて左の手に渡し、右の手にて茶器をとり、膝をくりて水さしの前に元のごとく順に建水より引く、
隅爐 茶手前、本勝手の風爐のごとし、炭手前の節、客爐邊へ寄りて拜見せず、但し添炭置たる時拜見する也、尤右には非勝手なし、〈○中略〉
風爐手前 水さしは釜鐶付より向へ喰違ひ、横疊の緣と風呂との間中也、建水は膝一はいに置付ケ、後膝より半分出す、仕舞ひの節は、茶器茶碗中仕舞ひ棚物などにて飾も〈○も下恐有脱字〉とす、〈○中略〉風呂左手前 中仕舞ひなし、茶器の蓋は何にても茶碗の前へ取、居前は眞直、杓も眞直、風呂も眞直、蓋おきは本勝手の打返し也、
風呂一ツ置、〈中置といふはあしし、左手前に用ひず、〉間中の中央に風呂を置なり、小板竹臺子長板にかざる、小板を用るときは、水さしを風呂と勝手との間へ押込、客付の方へ筋違に置く、但し小板の角を目當とす する也、尤細水さしを用ゆ、水さしの蓋は左の手にて、勝手の方より水さしへもたす、茶器茶わん茶筅常の如く、蓋置は水さしの胴へ置く、中仕舞ひなし、炭取は小ぶりなるを用ゆ、火箸をおろさず、帒は棚か建水の向ふ、

〔和泉草〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0479 風爐手前之有增
一釜ニ向茶ヲ立ル時、眞行草ノツクバイ有、眞ノツクバイト云ハ、兩ノ膝ヲ割、足ヲヒラキ敷テ、カメノ尾ヲ疊へ付樣ニ居ル也、是拜賀ノツクバイト云也、行ハカシコマルナリ、草ハ片ヒザ立ル也、片膝立ル時、風爐圍爐裏トモニ、道具ノ有方ノヒザノ、ヒクキ樣ニヒザヲ鋪物也、片々ノ膝ハ前ヘハヅシ、衣裝ノ内ニ足ノ有樣ニ敷吉、拜賀ノツクバイト云ハ、禁中ニテ公家衆加冠ノ時ノカシコマリ樣也、後ヘモ前ヘモ脇ヘモコロバヌ畏樣也、
一釜ニ向、客ニ背ト云居住居有、風爐ト居住居ノ間ハ、少遠キ方吉、近キ時ハ諸具ノ扱ヒニ構也釜ニ柄杓ヲ掛ル時ノ身ヲ、前へ掛ル樣ニシテ柄杓ヲ掛ル物也、此時少尻ノ浮心程ニ風爐へ遠ク居テ吉、
一諸具扱所々へ直シ、水飜ハ左ノ膝ヲハヅシ、向へ出置べシ、
一柄杓ノ扱、釜ニ置時肩ニテ置ベシ、手サキニテ置ハ惡シ、肩ニテ置ク心持吉、
一釜ニ柄杓置樣、ムスビテ置一ツ、引柄杓二ツ三ツ、切柄杓一ツ二ツ、世上ニサマ〴〵有之ト見ヘタリ、高人御前ニテ、目ニ立柄杓扱セヌ事也、
一左勝手右勝手置合、有增ハ左勝手ヲ打返シタル物也、少宛ノ違有トモ、書ニ難顯也、

〔貞要集〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0479 略手前之事
一略手前と云は、有樂流の極秘にて貞置、侯〈○織田〉も、むざと傳授は無之候、御門弟の内二三人ならでは知人無之候、總而手前の内に我人忘るゝ事是おほし、此略手前は忘たる所を手前の其一ツ に用る事也、或は釜の蓋を先へとり、茶入を迹に取、茶杓を置わすれ、柄杓を遲ク取、茶調候内、色々怪我有之時、手前をたて直ス作法也、極秘なれば書面に難知、傳授なくては難成事也、貞翁常々被仰候は茶の立前、道具の置合等、如何樣にしても不苦と淸談ありしも、此略手前有之故也、茶湯を我物にして發明自由ならねば、右の手前は難立、依之初心の人に許ては、手前猥に成申ゆへ、其仁の器量次第に傳へべしとて秘事し給ふ事也、流儀の事理融通成事しらしめん爲に、有增書記者也、
一主君貴人、家來其外輕き者に御茶給候時は、略手前を一所二所も御加へ、御茶手前有之事に候、然共高貴の御方は、茶の湯一通り計にて、餘り古實を御麑無之ても、御慰の茶湯なれば、今の世にはやすらかなるが本意也、しかれ共略手前至極の事有之故に書加ル也、

〔海人藻芥〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0480 若人ノ人前ニテ茶持アツカヒ不知バ無下也、大方可習知事也、建盞ニ茶一服入テ、湯ヲ半計入テ茶筅ニテタツル時、タヾフサフサト湯ノ音ノ聞ユル樣ニタツルナリト、阿伽井顯弁上人被申キ、サレバ彼同宿ドモノ茶タツル音ヲ聞ハ尤可然也、

〔喫茶雜話〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0480 一茶筅にて茶ふる事、まはりに茶のつかざるやう、かたまらざるやうに、底にかたまりなき樣に、いきのうせざるやうに、泡のきゆる樣、餘り久しくふらざるやうに、手先にてふるべからず、肩にてふるべし、是深き故實也、

〔貞要集〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0480 茶調る心持之事
一茶調ル心持有、拍子立、あら立、ねらい立、りきみ立ユ目慢しやん〳〵立、こはし立、其外目にたつ立やう、みな惡し、麁相に取かと見れば眞に置、眞に取かと思へば草に置、味に取、味に置ず、拍子にかまはず拍子に置、はやくもなく、おそくもなく、ねばくらず、さらめかず茶を調るを、手前の心持といふ也、右此心持にて茶道可嗜事と、利休三齋之物語のよし古書に有之候、あまりおもしろき事 成故書記す、

〔茶道獨言〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0481 茶をふり立て客に出すこと、能々心を入て、第一にふりをよくすべきなり、休〈○千利休〉の詠にも、ふりやはらげて隔心もなし、などいわれし、至極のことなり、能ふるに至つて茶の味ひを出し、茶味やわらかになること、能ひとのしる所なり、しかし嚴寒の時に至つて其味ひを忘れ、湯のさむる迄もふるなどのことは、是又よろしからんこと、誰もしる所也、是にこそ常々の稽古の有こと也、

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0481 享保十二年霜月十日、參候、今ノ上流ノ茶人ノ濃茶ヲ立ルハ、全ク茶筌ヲフルコトヲ用ヒズ、只コネマハスヤウニシテ出ス故、泡ナド立コトハ勿論ナシ、惡ク下手ノ立ルニハ、底ニ殘ルコト多シ、茶ハ好クフリタルガ味好ト存ズ、久シクフレバ茶氣ヲ脱スト申ス説ハ、イカヾニ候ヤト窺フ、仰ニ、〈○近衞家煕〉茶筌ノブリヤウハ、茶ニヨルコトナリ、初むかしナドハ、味ハ薄ク氣ヌケシ故ニ、久クフリテハ惡シヽ、茶ノ下ヲ上ヘフリタテヽ、サツト建ルガ好シ、後むかしハ、氣味トモニ厚キ故ニ、上下トモニヨクフリタテヽ、ヨク〳〵立ルガ好ト仰ラル、

〔備前老人物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0481 風爐の茶湯に、中水をさすといふことは、利休不時の茶湯に茶をたてし時、茶碗へ茶をすくひ入、そののち水さしの水をたぶ〳〵と汲て釜へ入れしより、中水をさすといふこと、何の故もなくはやりし也、ある人兩輩不審にをよび、利休に問ければ、さればよ、その朝客ありて、その釜の湯なかりしかば、湯をあらためんがために水をさしける也、定りて中水をさすといふ事をばしらず、とひ給はずば申すまじきに、よくこそ問給ひたれといひてよろこびしとなり、これをとひける人は、高山右近、柴田監物なりし、

〔茶道獨言〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0481 風爐にて茶を立るとき、一柄杓釜に水をさし、其後立る事、炎氣の時なれば、ねつてつの湯にて茶を立出す事如何故、水をさすなど心得る人もまゝあるよし、大なる心得違ひなり、茶味 の樣子によりて、水をさす事專なり、炎氣をいとゐて水をさすにあらず此事茶道の第一なり、能能本末をたゞして働くべし、ごれらのことある故、茶の茶たる事をしる主の思ひ入、尤至極なり、

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0482 享保十一年十月二日、參候、先日ノ道乙、茶ノ話ヲ申シ上タルニ付テ、今ノ人ノ茶ノ湯ニ濃茶ヲ立テ客へ出シヲキ、喜主ハ釜ノ蓋ヲシメ柄杓ヲ直シ、跡へ退キテ點ジ、二番目ノアタリへ茶ノ度ル時分ニ、又進ミテ蓋ヲトリ水ヲサシ、柄杓ヲカザリテ相待コト、コレ尋常也、定テ先日ノ茶モ左アルベシ、アレハ何トシタルト云譯ヲ存知タルヤ、コレハ常修院殿〈○慈胤法親王〉ノ常ニ仰ラレシコト、普通ニハセヌコト也、一度茶ヲ出シテ、何ノ爲ニ半ニ仕廻ベキヤウナシ、何時モ後西院へ御茶上ラレシニ折ニフレテ、上ヨリ拜領ノ茶トカ、左ナクテモ御相伴アルベキ由ノ仰アレバ、必釜ノ蓋ヲシメ柄杓ヲ直シテ坐ヲ立チ、末坐ニ付テ御相伴ナサレシ也、總ジテ亭主ノ相伴ナラデハセヌコト也ト仰〈○近衞家煕〉ラル、

〔槐記續編〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0482 享保十七年七月十六日、如例參候、二服三服ノウス茶ノトキ、湯スヽギスルコト、他流ニハ絶テコレナキコト也、御流義ニカギリタルコトナルカ、此度加州へ下向ノ節、金森ニ相尋シニモ、湯ス ギハ一遍也、二遍ハセズト申ス、二遍スヽゲバ濃茶ニナルノ由ヲ申ス、イカヾト伺フ、仰ニ、〈○近衞家熙〉古へ後西院ノ御前ニテ、常修院殿〈○愨胤法親王〉ヲ初メ、三菩提院、〈○貞敬法親王〉並ニ御前ニモ、度々御薄茶ノコトアリシニモ、湯スヽギ一遍、茶筌湯スヽギ一遍、凡テ二遍也ト御覺エナリ、是モ何トゾ堂上堂下ノ差別ナリヤ、イサシラズト仰也、

〔貞要集〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0482 茶調る心持之事
一針屋宗眞は名ある茶人、老後に其比好者ども、利休織部茶道前、如何やうに有之哉と相尋候へば、宗眞答に、織部手前は、扨も〳〵りつはなる事、今に目に付候樣におもはれ候、あのごとくにも立申さるゝ事かと感に絶る、利休手前は、見とり候半と目を付るに、いつ立出し、又仕廻申まで見 とめ見覺不申候、利休手前は、凡慮を離れたるよし常に語しと云傳あり、

〔茶傳集〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0483 一秀吉公の御前にて、利休宗久に廻り立被仰付候、利休無事に茶立、其次ニ宗久茶立申迚、殊之外せきてふるへて、天目臺に湯を落を、秀吉公御覽被成、宗久より利休上手の由被思沼、其後利休に茶の湯御習被成候、名物の臺に湯を落し跡付、今ニ跡うせ不申候故、瑕になり申由仰〈○細川三齋〉也、

〔甲子夜話〕

〈四十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0483 松浦鎭信茶湯ヲ以テ名高キハ、世人皆知所ナリ、常ニ申サルヽハ、茶ハ遊戯ナレドモ、其中ニ武邊ノ心得コモルコドナリ、イカニトナレバ、物事一トシテ心付ザルコトナク、隅々迄屆キ、立前ノ手續モイサヽ力油斷ナキヤウナラザレバ叶ハヌ也、又定法ノ外、時ニ臨ミテ作前アル所、其人ノ才智ヲ見ルベシ、コレヲモテ心得トセバ、武邊モ皆カクアル可シト申サレシトナリ、

臺子作法

〔茶話指月集〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0483 ある時豐臣關白秀吉公、始て千宗易に臺子の茶湯仕べきよし仰出さる、そのころ辻玄哉といふもの古來の臺子をしる、宗易玄哉所へゆきて古流をならひ、御殿においてつかうまつる、公上覽の後、われもむかし臺子をならふ、汝が茶湯格にたがふところあり、奈(イカン)と御尤候を、宗易、古流はそこ〳〵品おほくおもはしからず候により、略して仕候と申上る、公さては其ならひしらざるにあらず、最におぼしめす、向後茶に嗜(スケ)るめん〳〵宗易が臺子見ならふべきよし仰られ、却て御感に預る、夫より千家古流を閣、利休が當流相承し來る、

〔和泉草〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0483 眞臺子手前
一茶筌置に茶筌茶巾仕込、長茶杓あをむけて置持出、左の膝の脇に置て臺子の前へ寄、長盆臺子の天井の端へ兩手にて引出シ跡へ少シサリ、長盆臺子の前へ下シ、水指の前目當能所に考置、身構居住居する也、 一臺天目を兩手にて長盆の下、左の脇へ暇初に下、茶入を盆の眞中へ兩手にて直ス、臺天目を風爐の前、目當能所へ直シ、蜻蛉の尾を向へ廻シ、長緖如習解て袋の口を廣ゲ、天目を左の手へ取上ゲ、取出し臺に置、天目の袋を左の手にて風爐先の屛風に懸る、屛風無之時は、臺子の天井左の角、緖を下へ折返シ、袋の口の方を前へなして置、
一茶入臺天目前へ下し、長緖をときかけ、天目の右の方に置、腰の服紗にて長盆をふき絹を納め、茶入右の手に而取、左の手へ取上、袋より取出シ天目の前に置、茶入の袋、天目の袋と同事に納め、茶人如習服紗絹に而改、兩手にて長盆の眞中に置、茶筌置に有長茶杓右にて取、如常改、茶入の左りの方に、盆の緣へ茶杓の本をかけて置なり、
一臺天目手前へ目當能所へ引寄、臺子に有、水覆を風爐の方へ少寄て、蓋置を臺子板の上か疊の上、兩所の内蓋の大小を考て置、釜の蓋を取、蓋の雫水覆の内へ落る樣に取て蓋置に置、柄杓立の火箸向へ横に廻シ、柄杓をぬき取、湯を少汲、天目へ入る時、天目に左の手を添る、柄杓釜の上に置、天目の湯をこぼし、又湯を汲入、柄杓をさし、釜の蓋を〆て、茶せん右の手にて取、天目へ入、天目を兩手にて取、長盆の右の方前の角通りに假初に置、但シ天目の置所此外も有べし、臺を巾て元の所へ置、天目を左へ取上、茶筌の音のなき樣にして、廻し〳〵て湯しみを和て、茶筌を如作法、天目の中にて上へぬきとりて茶筌置に置、臺天目の時に、茶筌天目のふちに當て引事は無之也、茶巾を取天目のふちに當、そろ〳〵と湯廻、天目を暖め、左の手にて水覆へこぼす時、右の手も添るもの也、茶巾にて内をぬぐひ、外は露を押て取、茶巾茶筌置に最前之如く茶筌の下に成る樣に置、若又茶筌の前にも置、天目兩手にて臺に載るなり、
一茶入を兩手にて取、盆より三四寸持上、茶入の蓋を取て、盆の眞中茶入の跡に置、茶杓を取、兩手にて茶入をかため、茶杓の先茶入の口へかけて、茶杓取直シ茶を汲入、茶杓の先を天目の内へ置、 茶入の口に茶付たらば、和巾にて改、緖を此時は左の前にはさみ、茶入の蓋をして如前盆に置、茶杓にて天目の内の茶をほこし、茶杓改て長盆の内茶入の左りに置なり、
一釜の蓋を取、柄杓をぬき、左の手へ渡、右に持直し、湯を汲、天目へ入、柄杓釜の上へ置、茶筌を取、茶を立て茶筌置に置、天目臺共に兩手にて持、疊をすらせ、客の方へこぎ出す、客手前へこぎ寄、茶を呑終て前に置、亭主の出したる所へ臺天目返シ置、臺に天目をのせて、風爐の前へ直す時、一禮如常、天目へ湯を入すゝぎ、又湯を入、盆の角通り目當能所に置、臺を和巾にて改め、天目取上湯をこぼし、茶巾を取如前改め、茶巾此時は釜の蓋の上に置、天目臺にのする茶杓取改、天目の上、に成共、臺の端になり共あをのけて置、天目を左りの方へそと寄て置なり、茶入を取、天目の右の方にならべ置、長盆をふき改、茶入をとり上ふきて、和巾腰にはさみ、茶入を盆の上右之方に如前に置、次に臺天目を取、盆の内左りの方に、如前置合るなり、
一茶筌置風爐の前へ右の手にて取出シ、茶筌を取、茶筌置の跡に置、水指の蓋を取、臺子の前の右角柱より水指の方へ立掛置、柄杓を取、水を汲、茶筌置に入、柄杓は釜の上に置、茶筌を取すゝぎて、元の所に置、茶筌置を取上水をこぼし、茶巾にて改事、天目同前、但茶碗布巾にしても不苦、茶筌仕込て如前左の膝の脇に置、客薄茶所望之時は、茶筌置にて立る、別之茶碗出す事無之なり、
一釜へ水をさし、如常湯を汲立、柄杓を差、火箸元の如く直し、釜の蓋をしめ、水指の蓋をする、
一長盆最前下ス時の、如くに持、臺子の天井前の方に假初に置、身を臺子の方へ寄、最前餝置如く臺子の天井眞中へ上る、
一水雫を下へ假初に下シ、蓋置最前疊の上に置たるを、水覆の跡へ上、水覆と茶入の袋天目の袋を持、勝手へ入、水をこぼす内、茶筌置を入、水覆持出、臺子の前にかりに置、蓋置を中へ入て如最前置合、蓋置初ゟ風爐の脇板の上に置合タル時は其儘置、水覆計如前置なり、釜の蓋を取かけて退 なり、
一片口を持出、水指に水を繼仕廻候也、

臺天目作法

〔臺子しきしやうの時かざり樣の事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0486 臺天目の習
一臺天目にて茶を立る時は、臺の上にて湯をも茶をも入て立ると紹鷗は相傳せられ候、然ども天目を臺よりおろして立て客へいだす時、臺にのせてまいらするもよし、
一臺は初水こぼしのわきへよせ置候を、茶わんに湯を入て置候時分に臺をとつてよくふく也、一臺天目にて茶をのみ候に、むかしは臺をもともに持てのみしなり、是あぶなくてあしく候ゆへ、臺ともにとつて臺を下に置、天目ばがり持て呑たるがよく候、次の人にわたす時は、又臺にのせてわたすべし、
一茶のみはてゝ、茶わんを見て其次にわたし、又臺をも見るなり、見やうは盆の見やうと同前なり、扨ていしゆにかへし候時は、臺にのせてかへすこと本なり、貴人の御前ならば下にも置べきが、いづれも當座のしゆびたるべし、
右之條々すき道の一秘事にて侍れば、漫に人に相傳あるまじく候、あなかしこ〳〵、
天正十五亥ノ二月吉日 利休宗易判
〈万貫や〉新四郎殿〈參〉

〔茶道織有傳〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0486 眞の臺子の事〈附リ風爐〉
臺天目にて茶をのむには、上客は臺ともにとりていたゞき、臺と天目との間にふくさ有べし、臺を下におき、ふくさともに茶埦をとり、色を見てのみ、次の人にはつねのごとくわたし、臺を順々におくる也、扨茶をのみしまい、つねのごとく茶埦を見て、ふくさ共に茶婉ばかり返し、一禮してさて手前のふくさとり出し、臺を見て返し、扨茶入をのぞむなり、茶入ぼんともにとり、いづれも うち寄手をつき見る、亭主くるしからずと云とも、一兩度ぢたいして、さて手にとり、順々見て茶入を返し、茶しやく、袋をのぞむ也、そのうちふくさとりそへ、ぼんを見て返し、さて茶しやくをも、ふくさにてとりそへ見て返し、扨袋を見る也、そのほかつねのとをり也、

〔茶道便蒙抄〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0487 貴人〈江〉上る臺天目之事
一臺も天目も名物にあらずとも、必茶筅置を出すなり、御相伴あらば別の茶碗にて立出すか、又は御殘を被下時は、茶碗をあたゝめ、ふきて出すべし、それへあけうつし呑事也、
一盆立の時は、臺天目にて茶を立る事、二色を取合て立る計也、能々了簡可之事也、

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0487 享保十一年極月十五日、參候、此ゴロ坊城大納言ノ〈坊城俊將卿、權大納言正二位、學茶法於豫樂殿下、寬延二年正月朔日薨、年五十一、鷹司輔信公、號有鄰軒、受茶法於慈胤法親王、後患眼疾、而愈嗜茶事、寬保元年十月薨、年六十二、〉有隣君〈○鷹司輔信〉へ御茶申サレシ話ヲ承リキ、臺天目ノ由也、〈意齋話ニ承ル〉私ノ存ジ候ハ如何アルベキヤ、尤ゾカシ、有隣君ハ鷹司家ノ御連枝ナレバ、尊キコトハ申モ愚カナレドモ、無位無官ノ御方也、坊城ハ大納言ニテ公卿也、若執柄ノ御方ガ、天子へ御茶ヲ獻上セバ、イカヾスベキヤト存ズルト申上シカバ、仰ニ、〈○近衞家煕〉サレバトヨ、今ノ臺天目ハ、臺天目ノ主意ヲトリチガヘテ居ルト見エタリ、其方ハジメトシタ、貴人高位ノ人ニハ、臺天目ニテ茶ヲ申スヤウニ麑エタルハアヤマリ也、臺子ニ七飾リト云コトアリテ、茶碗ヲ三ツカザル、茶筌、〈チヤセンノセニノセ〉茶巾、〈チヤキンノセニノセ〉茶入、〈盆ニノセ〉棗ト七ツ也、此時モ天目ハ臺ニノセテカザル也、總ジテ天目ト云モノハ、尻スボリナルモノニテ、臺ニノセザレバ、茶ヲ立ルコトモ飮コトモナラヌモノ故ニ、臺ニノセタルモノ也、ソレ故ニ、天目ニアラザレバ、臺ニ乘ルコトハセヌコト也、ソレヲオロシテ、臺天目ダテニスルコトハ其略也、故ニ昔ノ臺天目立ト云ハ、名物ノ天目ヲ所持ノ人ハ臺天目ヲ立ル、天目ナキ人ハ臺ダテヲスベキヤウナシ、別ニ先ノ人ヲ尊ンデ立ルコトニハアラズ、丁ド盆ダテ唐物ダテノ格ニテ、臺天目ダテモ又一格ナリ、御前ニモ終ニ御タテナサレタルコトナシ ト仰ラル、尤モ昔後西院ノ御所望ニテ、常修院殿〈○慈胤法親王〉ノ臺天目ダテナサレタルガ、ソノ後所望シテナラヒ置カレタレドモ、終ニ出サレタルコトハナシ、御前ニハ、文昭院殿〈○德川家宣〉ヨリ進セラレシ、名物ノ天目ヲモ御所持ナサレ、臺モ名物ノヲ二ツ迄御所持ナサレタレバ、イヅレ何時ゾハ遊バスベシト思召也、昔ノ人ハ、某ニハ名物ノ天目アリテ、臺天目ノ茶湯アリトテ、ウラヤミシコト也、私ニイザトテ天目立ヲスルコトニハアラズ、世間流ノ臺ダテノ心持ナレバ、坊城ノ評ハ、其方ガ云ゴトクニタモアルベキカト仰ラル、ソレニ付、其方ナドガ臺天目ダテヲ習ヒシハ、臺ハフクコトカト御尋アリシ故、其通リ也ト申上グ、茶碗ハオロシテ湯スヽギヲスルカト仰ラル、其通也ト申上グ、仰ニ、コレモ二ヤウアリ、大事ノコト也、唐物ノ臺ニテモ、只ノ塗物ハ、ヤハリ臺ニスエテ湯スヽギスルガヨシ、組モノヤ、グリナドノ臺ハ、オロシテ湯スヽギスルガヨシ、ソレナゼナレバ、ヒヨツ 湯ガ臺ノ上ニコボルレバ、何トシテモフクコトガナラヌ器也、ソレユヘノコト也ト仰ラル、

盆點作法

〔茶之湯六宗匠傳記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0488 千利休宗易居士自筆寫
一盆點當代通法の大鉢にて、茶入を右にて取上、末に有ごとく袋さばきをして、茶入をてに置、帉巾(フクサ)物をとり出し、盆をふくさ物ながら右にて取、左の手にて盆のふちを持、順にまわし、緣を巾い、内をのこひ、扨左の方のふちの角にてふき治め、又ふくさ物ながらふちを持、左のゆび先をふちの外へ掛下に置、先盆のひづみを能直して、扨茶入右にて取、左へ渡し、美敷持て右にてふくさ物を取、右のひざの上にて帛(フクサ)物を取、能樣に取持、蓋から肩胴(カタドウ)まで能々品を合せ、目にたゝぬ樣に口のごひて、帛物を腰にはさむか、懷に入るかして、茶入を右にて盆の眞中に可置、正面を見すること前に書たる如し、扨三角の印の所へ置たる茶碗を、右にて前へ引寄、帛を左の手に乘、茶酌をのごひ、盆の右のふちのきわに置也、 一茶酌の先を盆のひらに置、ゑ先をば前の緣より外へ五步も出して置事も有、出さぬ事も有、又茶酌に寄て茶入の前に横に置事も有、又茶入の右の方の緣の外へ柄先(エサキ)出事も、有口傳師傳を、先大體は茶入の右の脇、外のふちより五步計もえさきを出して置也、茶巾は水差のふた置時の次第上に有り、
一茶筌は初はひしやくのえさき疊のへりとの間に置て、湯を汲入、茶碗をとうし、茶筌茶巾の事は前に見へたるごとし、扨茶入を右にて取左へ預、右にて茶酌を持ながら茶入の蓋を取、盆の前の緣ぎわに置、茶を捄(一ク「)也、〈○中略〉
一盆點に色々樣々の大事口傳習有る間、猶師傳を可受也、貴人高位などへは、臺天目にて盆點又は二ツ茶碗、又茶入などと云事、大體の分也、
一盆に不乘して、から物あしらい樣有、右の盆點の時、茶酌を盆なければ常の如くに致す計にて、萬事同前也、
盆點に付て古風より式目は、先茶筌入を取出し其座に置、茶酌か茶筌の右の方へ取直して置、柄杓を茶筌の右の方へ取直して置なり、
一柄杓を右にて取、常のごとく左に持、引切を其座に置て釜の蓋を取、茶碗へ湯を汲入、釜の蓋をして、ひしやく引切に置、
一茶碗をあたゝむる間に、茶入袋さばき、其外の仕舞をする也、是式正の下の内の上の手前也、總而右に云事は、盆點當時の八段の中に、常に侘人の手前也、貳つ肩とて、茶入と茶碗とほう盆に乘置茶點候事は、八段の内の下の中の手前也、

〔茶之湯六宗匠傳記〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0489 名物之茶入盆だて之事
一名物ニ云、公方樣御物なげづきんか、あきの守殿之侘助か、小堀遠州之在中庵などゝ云、世に名 之爲知茶入は名物と云物也、何れも茶之湯之時は、必盆點也、取あつかひも大事ニかくべし、

〔茶之湯六宗匠傳記六〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0490 一盆點はむかしの式正の茶之湯なり、當世の盆點は、昔ノ式正の中より下の侘のする事也、

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0490 享保十二年五月廿三日、參候、今ノ世ニハ唐物トサヘイヘバ、盆ニノセテ盆ダテニスル、ナキコトナリ、唐物ニテ盆ニノスル物ハ、ブンリン、丸ツボ、肩衝小ツボ、コノ四ツノミナリ、其外ノ唐物ハ盆ニノセズ、唐物ダテニスルコトナリ、常修院殿〈○慈胤法親王〉ニ所望セシカドモ、其道具ナシトテ終ニアソバサレズ、三菩提院〈○貞敬法親王〉ニハ小壺アリシ故、御手前ニテモ、後西院ニテモナサレシ故、其法ハ見知リヌト仰〈○近衞家熙〉ラル、

〔茶窻閒話謂〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0490 瀨月の茶入、其外本邦にて燒く所の茶入は、いかやうの名物にても、盆立にせぬといふ人あれども、休師〈○千利休〉も瀨戸の肩衝を一兩度も盆立にせられし事あれば、苦しからぬにや、殊に貴人より拜領の茶入は、今燒にても盆立にすべしとそ、一概に思ふべからず、

茶通箱作法

〔茶之湯六宗匠傳記〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0490 茶通箱之習事
茶通箱は、兩種の茶を入るため、たとへば客ゟ明日被招、忝奉存候、折ふし御茶挽おき候故、幸と存ジ、其樣へおくり候と申來る時は、手前ニも濃茶を挽てある故、兩種ともニ出し振舞可申と思ふときは、茶通箱ニ茶入二〈ツ〉にすることも有、又一種棗に入來れば、此方のは茶入也、何時も取ちがへたるが吉、又宇治の茶師方ゟ、兩種を進るとて來ル事有、是又茶通箱菱皮籠ニ入〈ル〉こと有、紊は棚に横おくべし、亭主出て右のあいさつ也、先棚に向ひ箱をおろし、ふたを取てまづ客の茶ゟとり出し、初ハ茶入取出し、跡なる茶入ヲ眞中へよせ、本のごとく蓋をして、如本たなへ上ておき、扨手前にかゝる也、是第一の習也、たて仕廻、茶入出シ、後の炭をすることもあり、又茶菓子出し、手水ニ客立たる跡ニは、又掛物にても花にてもする也、扨後の茶をたつる也、菱皮籠の手前も茶通と 同じことなり、

〔貞要集一〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0491 茶桶箱茶湯の事
一肩衝半切茶入に濃茶を入、尤袋に入、茶桶箱の内へ手前の方に入置、塗棗に薄茶を入、和巾にて包、箱の向の方に入置、架の上に竪に上ゲ置なり、但二重架には下の架に上ゲ置也、四疊半には水指の前に竪に置合、茶碗はすこし壁際へはづし莊合也、則繪圖に記す、〈○圖略〉
一茄子、丸壺、柿茶入、總而せひのひくき茶入のときは、薄茶は中次、又は藥窓雪吹等用る也、宗易作意にて小㯙に濃茶を入、袋に入て薄茶を大㯙に入て用ひる事如何、棗中次に入申たき事なり、一中立の中に、水指如法置合、前に茶桶箱置合せ、茶立前は茶碗に三品仕込持出、左の壁際に置、扨水覆に蓋置柄杓組て持出、蓋置定座へ直し、時宜をして茶碗如法直し、茶桶箱引寄、我前に置、蓋を取、ふたは左の方に箱のごとく置、茶入取出し前に置、棗を箱の中へ直し、蓋をして水覆の向へ置合、扨茶入袋を取、和巾にてふき、定座へ直し、茶立前は常のごとくなり、又大目架にも茶桶箱置合ル、其時は茶入取出シ、元のごとく架へ上ゲ置、〈○中略〉
一何れの小座鋪にても、道幸有之時は、茶桶箱を道幸の中へ入置、此時は茶碗を水差の前に置合、立前は替る事なし、
一濃茶二種、一度に立る事有之、又濃茶薄茶を一度に立る次第六ケ敷事也、〈口傳〉濃茶を兩種調る時は、茶桶箱の中の茶入を取出し、前に記す通にして茶立出し、客茶を呑終り、茶碗を見ずに返し、今一種給可申と挨拶有也、其時茶の禮をして茶碗を洗申時、客より湯を御出し候樣にと乞申也、此湯を出し樣に效有り、下洗して茶巾にて茶碗をふき、また湯を入さつと捨、熱くまいり候や、ぬるくまいり候やと亭主たづね申時、あつく御出しあれなどとこのみ申也、其時湯をすこし入て出シ、釜のふたをしめ置、客湯を呑仕廻申内に、茶桶箱の棗を取出し、箱は水覆の向に置、和巾にて さつと拭て、箱の前はづれ棗の中墨間二寸程に置、茶かへりて、又釜のふたをとり、茶碗下洗してまた湯を汲入、茶筌さつと洗て置、茶碗の湯を捨、茶巾にてふく、此間も極寒、には釜の蓋をしめて置なり、扨茶杓を取、和巾にてさつとふき、棗を取茶を匙ひ入、棗持ながら茶を茶杓にてくだき、茶杓を持ながら棗のふたをしめ、元の所に置、茶杓は茶入に懸置、釜の蓋をとり茶立出す、客後の茶給申内に、釜へ水をさして蓋をしめ、柄杓は架へ上ゲ、勝手を明て覆を捨に立申也、二種立申故に水覆捨申事也、客は茶を呑仕廻、茶碗を見申事也、茶碗返し一禮有、仕舞は如法なり、扨茶入所望の時茶入を出シ、茶入の跡へ棗を直し置なり、茶杓袋を乞出し、又棗をも乞出す、棗中繼ともに、古キか又は利休などは出申也、名もなき物は出し申に不及也、出す時は茶入を先へ棗を跡に、脇に袋茶杓出す也、箱に入たるごとく出し申が能也、扨箱は其儘置、すきと道具返り取入仕廻申也、客ゟ返し申も、茶入を前に棗を跡に箱に入申樣にして返し申候、亭主出、箱をそばへ寄、蓋を明、茶入を前へ棗を向へ入、蓋をしめ、蓋の上に袋を置、茶杓を持添て取入る也、右茶桶箱茶道前は、客より濃茶持參、又は貴高より御茶被下候時、手前の茶と兩種箱に入立申次第也、是を古來より茶桶立と申て、輕き草の茶湯に用る効の一ツなり、中々六ケ敷手前故、委書記申也、濃茶薄茶も調申候、替る事なし、但薄茶立申候時は、湯を乞出し不申也、
一風爐一ツ居の時、茶桶箱は長板の右の方に置合る、立前の時は茶桶箱前へ引寄、蓋を取、左のかたに置、茶入を取出し、右の膝際に置、棗を箱の眞中へ引直し、蓋をして左の水指の前に横に置合る也、是一ツ居の風爐の會釋也、

炭置作法

〔茶道織有傳〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0492 眞の臺子の事〈附り風爐〉
眞の臺子風爐の炭は、色々ならひありとて秘事すれども、あへてかわる事なし、炭よくおこり、釜かけて炭のひしげぬやうにするのみ也、風爐も釜かけておちつきのかつこうよく、前にかわら けを三が一うちかき、丸みを上へしてたて、風爐のあたりに灰のつかぬやうに、灰すくなからず、又おほからず、前にばかり見ゆるとをり灰する也、さのみかわる事もなきを、本をしらぬ人におどされて、臺子風爐の炭灰はならぬ物と云おもふはおろか也、臺子風爐の炭は、客入前にしてをく也、臺子風爐の炭を釜あげて見ると云事、かつてなき法也、

〔茶道織有傳〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0493 炭茶の手前の大體
それ炭を置には、炭取持出、いろりの右のわき眞中に、ふちより三寸ばかりのけて置、ふくさにて、ふたをしめ、棚にある羽ばうきを取、いろりのふちをはき入、釜もはきて、炭取の前のたゝみに炭取のとをりに置也、扨ふところより釜しきの紙を取出し、水さしの置所におきて、其かへりに棚のくわんをとり、釜をあげて、少居なをりて勝手の地しき窓の下まで釜をにじりのけて、くわんをはづし、勝手のかべと釜とのはづれに置也、火箸を取て圍爐裏の中へ入とき、客もいろりの中を見て、炭のながれに氣をつけほむる也、扨下地の火をよき比になをし、勝手のしやうじをあけ、はいほうろく薰物入取てあとをしめ、炭取を右の方のかべぎわに置、爐のふちのあたりまで、はいほうろくをよせて、爐中へはいをする也、そのはいほうろくを羽ぼうき置たる右の方に置て、扨炭取をば又爐ぎわへなをし、白すみを手にてはいほうろくの中へとりて、長すみを手にて前の方に一もんじに置、どうずみ、輪ずみ、へぎずみなどを、十もんじ、はしかけ、きれのなきやうにおき、上に白ずみを二ツ三ツあいしらい、下の火うつりよきやうにする事專用也、又炭ひくきは惡し、さりながら釜かけておせぬやう尤也、扨薰物を取てくべ、炭取をわきへよせ、爐のあたりをはき入、土だんも五とくのつめをもはき、釜の有方の地敷窓のしやうじをあけて、釜のふたをふくさにて取て、内を見て水へりたると思はゞ、またふたをして、勝手のしやうじをあけ、はいほうろくと薰物入とを持て入、ぬり小口に水を入、ふたの上に茶巾をしぼりさばきて置、其上にふた置 をのせて持出、ふだおきをおろし、茶巾にて釜のふたを取て、ふたおきの上に置、小口のとつ手を左の手にとり、右の手に茶巾持たるを、小口の口へ持そへ、釜へ水を九分め計に入、その茶巾にて小口の口をなであげて、釜に水かゝりたらばぬぐひ、その茶巾にて釜のふにをして、茶巾を小口の上に置、ふた置を上へのせ、勝手へ居ながら入て、爐中を見て、もし炭がしらなど有てふすぼる事あらばとりあげ、扨にじりなをり、釜をもとの水さしの置所へなをし、身をにじりながら釜かくる也、その時釜しきの紙、釜のそこにつき爐中へおつるもの也、よく〳〵氣をつくる事專用也、

〔茶之湯六宗匠傳記〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0494 小堀遠江守宗甫公自筆の寫
一炭のきらひは、十文字、しもく、五德をはさむ事、割炭をうつむける事、輪を横に置事、爐ぎはへ八步より内へ入事、若寄時は切と云習有、〈○中略〉
一輪遣候事は、其身器量次第に御入候、貳つにても三つ四つ五つまでは遣申候、
一細炭七寸八寸九寸まで遣申候、いろ〳〵とまがりくねりたるを賞翫す、〈○中略〉
一折節は筋違炭を遣申候、景に成程能物也、

〔草人木〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0494 一炭をくに心持あり、大釜ならば大炭にをき、小釜ならば小炭にをくべし、又きはめて寒ずる日は大炭、にをき、あたゝかにして二三月ならば、縱大釜成共小炭にをくべし、
一當世炭をくに色々の異説あり、古き歷々衆に問侍れば、當代の人の云説不審と云々、故人の炭の定には、同炭を十文字にをく事を嫌ふ、又手柄だてに大炭をして土檀へをき懸る事、又爐の角角へ置懸て、いつくしくしたる灰のかどをくづす事、以上これらを昔より嫌ふ、此外に別に指合おぼえずと云々、同炭を十文字にをくとは、黑炭とくろずみ、或は白炭としろずみなどの事也、黑炭と白炭との十文字はきらはずと也、取分五德のあしを、あらはにはさみたるやうなるを嫌ふと也、

〔貞要集〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0495 生花之事附爐風爐炭置樣の事
一炭は胴炭相手炭置合、十文字、切手木同樣に置候を、長くらべとて嫌之、其外如何樣にも作意次第、竪長に初炭は多ク置て、湯早ク沸候樣に置なし候事、第一後の炭には、半駄、底取、長火ばし取添、底取申候、是には品々仕形在之候、功者仕なしを可見效、後の炭は輕ク置、形を面白キやうに置申事肝要也、書面に記がたし、後の炭過て、其儘座敷へ出る事に成申候、炭を輕ク面白置なしたるが能候也、後の炭には心持有事也、
一風爐の炭は、胴炭を置、輪炭、割炭置、前より火移を見て能樣に置申候、横長ク炭置不申候へば品無之候、勿論去り嫌ひも無之、しかれ共當世は、風爐にても炭見申事に成申候故、置形も見立能置申候、爐風爐共に炭は置にくき物なり、能々稽古鍛錬可有事、

炭所望

〔草人木〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0495 一名殘炭を客に所望する事あり、常の炭に殊外かはりて、同中にも別而きれいなるをたしなみていだすべし、あたらしき木具のあし付に紙を敷て、すみをくみて出すべし、茶湯功者の客か、又は貴高の御客など茶湯にすかせ給はゞ申べし、さしてもあらぬ儀ならば所望すべからず、
一客に炭のぞむ時は、釜を上ざるさきに炭入計を持て出、炭所望の由を云べし、若客の炭をくに極りたらば、客亭主に向て御釜上給へといふ、其時亭主釜を上、いつもの所にくはんをぬきてをき、座を去てそこ取ほうろく取出して客に進べし、其時客亭主座に居かはりて、つまの風にてほこりのたゝぬやうに居て、もろ手をつき、先釜を見、其次に炭入を見、其次に爐中を見て、さのみ灰つかへずば、そこを取べからず、いまださのみなれ過ずば、卒爾に火をわりくだき、又は火をせゝりくづすべからず、なだれかゝりたる火をかばいて炭をすれば、猶面白物也、
一そこをとる時は、ぬりぶち、あたらしき栗ぶちにても、ふところよりはな紙を取出し、ふちの内 へ出ぬやうにしき、其上に灰ほうろくの三つある其内の一つの足を紙の上にのせて灰をとるべし、扨灰をとり、跡に火のすくなくみえば、そこ取の火をひばしにて爐によき比に入て炭を置べし、灰のまきやう、其外の時宜、炭の指合、前にみえたるごとし、
一勿論の事なれ共、大なる炭をば手にてをき、中比なるをも手にてをきたるはよし、炭をはしにてはさみかねたるは見ぐるし、別而老人中風氣の人など見てあぶなき、返々すべからず、
一客炭終らば、色々の道具勝手へ入て、亭主座敷へ出、爐中を見、一段の出來の由などいひて釜をすゆる也、釜のたぎり出てより薄茶立べし、薄茶過ての炭ならば、亭主釜すへ終候はゞ、其儘歸宅の由を申べし、

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0496 享保十四年十二月朔日、石見守へ渡御、〈○近衞家熙〉内府公〈○鷹司房熙〉拙〈○山科道安〉午半、〈○中略〉後ノ炭ヲ道安ニ請ハル、致スベキノ由仰ニ因テ置之、七ツ半時還御、
内府公ノ御尋ニ、今日ノ道安ガ置タル炭ハイカヾ候ヤ、仰ニ、〈○近衛家煕〉今日ノヤウニ亭主ヨリ客へ炭ヲ請フトキハ、二樣ノ差別アリ、道安ガ其心得ナキ故ニ仕ヤウアシヽ、先一通リハ今日ノ如ク、亭主ノフトコロヨリ釜シキヲ出シテ釜ヲアゲ、サテ炭ヲト所望スルトキハ、炭ヲシテ後ニ亭主へ會釋シテ、亭主ニ釜ヲカケサスルガヨキナリ、左ナケレバ釜シキノヲサメヤウガナキモノナリ、又一通リ、炭トリニ釜シキマデヲノセテ出スカ、客カマシキヲ出シテ、釜ヲ客ガアゲタルトキハ、後ニモ釜ヲカケテ退クガ法ナリトノ仰ナリ、アリガタクモ恐感ジ奉ルバカリナリ、 炭ノヲキヤウハ、イカヾニ候ト仰ラ声、仰ニ、亭主ノヲキタル炭ヲミダリニ動カサヌヤクニオクトバカリ覺ヘテハチガフナリ、亭主ノ力ヲ入テヲキタル炭ハ、ウゴカサヌヤウニシタルガ好ナリ、胴炭バカリハ、サシテ亭主ノ上手下手ニモ及バズ、是非トモニ其場所ナラデハヲカヌモノナレバ、是バカリヲイロイテモ、苦シカラズ、サレドモ此炭ガ黑ケレバ、少シアヲムケテ火ニナリタル處ヲ、 上ノ方ニシテ私ノ炭ヲオケバ、格別ニアラタマリテ本意モタチ、私ノ炭ノカヒモミユル也、今日ノ道安ガ炭ノヤウニテハ、最前ノ炭トカハリナキヤウニテ面白カラズ、第一初手ノ炭ト模樣ノカハルヤウニスルコト第一ナリ、初後ノ炭モ同ジコトナリ、今日ナドノ道安ガ白炭ノアシライ、全ク初ト同ジコトナリ、初ニ本ニアシライタルハ、必ズ標ノ方ニシ、初メニ標ニシタル方ヲ、必ズ本ノ方ニスルヤウニアシラヘバ、自ラ姿モカハルナリ、サテ炭ハ第一ベタリトナラヌヤウニ、インガリトナルヤウニヲケバ、ヲコリモ早シ、見聞モミゴトナリ、第一白炭ノベタリトシタルハ、何ノ詮ナキモノナリ、インガリトオクヤウニスベシト仰ラル、

〔茶話指月集〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0497 一ある時道安、我、〈○千宗旦〉をつれて古織の茶湯にゆきしが、亭主鏁の間にて炭所望あり、安灰土鍋(ホウロク)を、ひきよせ、爐中をとくと直して後炭を置ク、その炭ことに興に入ル、予歸路におよんで、織部は今の宗匠なるに、爐中の直し以の外に覺え候といへば、安よし宗匠にもあれ何にもあれ、爐中あしくては炭が置れぬといひし、

〔雍州府志〕

〈六/土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0497 炭 所々出、然於山城國鞍馬山幷小野里之産爲宜、是俗稱燒炭、又茶亭爐中之所用、是謂切炭、攝津池田、丹波一倉土人燒之、柞木或樫木、隨其木之狀長三尺許伐之、連皮燒之、而後或五寸、或三寸、任心以鋸截之、是謂切炭、其圓大者謂胴炭、置是於爐中央、自是左右比並小炭、猶人身之胴加手足、或其大者薄切之、其狀如車輪、是號輪炭、或半割而用之謂割炭、又河内國光瀧士人、伐樹枝五七寸許、連小枝而燒之、其色白灰色也、是稱白炭、又謂細炭、雜置黑切炭之間爐中之飾、今躑躅枝、又連葉松柯、連葉竹枝燒用之

〔和漢茶誌〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0497 炭〈記月令、季秋、乃命伐薪爲炭、中春至初秋製者劣、〉
丁謂茶圖曰、黑謂烏金、白謂烏銀、〈皆炭也〉取槶皮柞木之、〈槶皮櫟也、實謂橡實、或老夫云、出山置於床下、經十二月者、勢香共長也、〉
本國槶柞、多出於攝州丹州之諸山、生攝州者、其勢强、其香長、生丹州者、其勢弱、其香短、且桑槐桐櫪栢 桂檜等不用、其他枯櫪朽腐者、絶不取矣、
白炭 本國之俗、白炭或云枝炭
於泉州香瀧者、其製精、出於丹州者、其品粗、雜木之梢、或根或節、或桂枝松竹實業以新伐之、此其要也、全書曰、能通颷起燼、昔日所用者、多躑躅山茶也、今時不之、
本國傳來而世同之矣、爐中如山澤溪澗瀧湍波流、而賓主互見悦目樂耳、實風雅之助也、茶圖曰、烏金烏銀、蓋贊嘆之辭也、
本國槶炭、白炭其遺製、〈用躑躅山茶、亦本國陳説也、茶圖或茶譜茶經等中、以何等木乎、未其設、唯本國今以桐柞之枝佳、〉

〔茶譜〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0498 一池田炭ト云コト、攝津國池田ト云所ヨリ燒出ス、昔ヨリ此所炭ノ燒樣上手也、池田炭ハ、第一炭性强シ、依之湯ノ〓ヤウモ外ノ炭トハ各別也、性强ユへ火モ久不流、第二見物モキレイニテ、又炭ノ香吉、如此成ユへ、古ヨリ不捨シテ此炭ヲ用來レリ、
右池田炭引切樣、成ホド目ノ細ナル鋸ヲ以タ、少モ曲ザルヤウニ引切テ吉、マワシ切ニスベカラズ、切口惡シ、皮ノ不損ヤウニ引ベシ、則引切、其兩切口ヲ板ニアテヽタヽキ、引粉ヲ拂落シテ吉、其引粉殘テハ爐中火ニ逢テ飛者也、又取扱其粉落テムサシ、
一古田織部時代ヨリ、池田炭引切テ、兩切口ヲ拂テ水へ入、茶筌ノ穗ヲ以皮メヲ竪ニ洗テ、日ニ四五日ホド干テ仕之、然バ鼠クサイ香モ無之、又手ニモ不付、又炭ノ性モ愈强シ、其比大名衆ハ、其洗水へ薰物ヲ入テ洗ヒシト云、
一菊屋宗有云、炭ヲ洗ハ惡シ、皮メ離ルト云々、羽箒デ拂テ吉ト也、然ドモ之ハ宗有誤ナリ、皮メ細ニテ竪燒タ炭ハ、皮メ離ルコト無之、池田炭ニ似タ爲、中炭ハ和ニテ皮メモ荒シ性モ惡シ、茶湯ノ用ニハ不立、宗有ハ此田舍炭ヲ見テ云シカ、〈○中略〉
一白炭ハ、和泉國光瀧ト云所ヨリ燒出デ、又河内クニ、サヤマト云所ヨリ燒出スヲ光ノ瀧炭ト云 説モ有、尤サヤマヨリ出ル炭モ一段吉、光ノ瀧炭ハ、鼠色ニ粉ノ有白炭也、燒色也、利休モ光瀧ニ增白炭ハ無之ト云シ也、
右光瀧ハ、ユビノ太サボドニシテ小枝有之、或ハ二ツニ割モ有之、夫ヨリ次第ニホソイモ有、其燒色薄白ク灰色ナリ、
一古田織部時代ノ白炭ハ小枝有之、細イ躑躅ナドヲ炭ニ燒テ、胡粉ヲ水溶テ之ヲ上へ塗故、其色白粉ノゴトシ、小堀遠州時代マデ用之人多シ、然ドモ如此炭ニ胡粉ヲ塗テ白スルハ初心ナリ、燒色ノ光瀧ハ勝タリ、
一小堀遠州時代ノ白炭ハ、織部時分ノ胡粉塗ノシラ炭ニ、種々品ヲ替テ取合テ用之、或ハ竹ノ小枝、或ハ松葉ヲ手一束ニ結、或ハ松笠、如此色々ノ物ヲ集テ炭ニヤキ、胡粉ヲ塗、或ハ胡粉ニ墨ヲ入テ鼠色ニ塗、或ハ埋木ノ灰ヲ塗テ、赤土色シテ用之、偏ニ彩色人形ヲ見ルゴトシ、遠州以後ハ、世ニモ初心成物ト知テ不用捨ル、

〔茶窻閒話〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0499 池田炭といへど、池田にて燒にあらず、攝津國多田の庄一倉といふ所にて燒、池田へ出し、池田より諸方へ送る故池田炭といふ、本名は一倉炭なり、むかしより茶道には是を最上とす、但し侘には京ならば小野炭、鞍馬の炭、美濃尾張邊にては伊勢炭、關東にてはさくら炭を用ふ、切て雨にあて用ふ、白炭は上古より和泉の横山にて燒出し、公卿官女の手にふれられてもよごれざりしゆゑ、御堂上にて用ひられしなり、

〔和泉名所圖會〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0499 堺名産
白炭 河州光瀧の山中にて燒たる炭を、こゝにて白く塗、茶湯の爐中に用ゆ、

〔改正月令博物筌〕

〈三冬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0499 白炭〈花炭、枝炭、多くは躑躅の木をやきて、灰中に埋みぬれば白くなる也、枝の形あるゆへ枝炭ともいふ、河州光の瀧にてやく也、花炭も同所より出、或は梅の花ともにやき、竹も葉ともに存す、名品なり、〉

〔茶道要錄〕

〈上/主法〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0500 炭之事
蔣魴ガ切韻ニ、炭ハ仙人嚴靑ガ造也ト云、字書ニ燒木未ダ灰ナラザル者ト注ス、本肥火用タリ、故ニ見物ヲ次ニシテ、火ノ熾ル事ヲ肝要トスベシ、長サ七寸五分程吉、夫ヨリ五分劣リニ可伐、丸炭、割炭、輪炭有ベシ、輪ノ厚サ一寸程ニスベシ、末流ニハ薄キヲ好ム、不用也、細炭ハ自然ノ燒色ヲ用ユ、白ク染タルヲバ必ズ不之、細炭ト云テ白炭ト不言、然ルニ當世五色ニ彩シテ用ト也、又竹葉、松笠、茶筅等ヲ炭ニナスアリ、大ニ嫌之、鳥府ニ炭ヲ組入ヤウ、各竪ニナスベシ、大ナル炭程上ニ置ベシ、風爐ノ炭ハ長サ四寸ヨリ段々短ク可伐用ナリ、

〔南方錄〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0500 炭切やう附組樣
炭の切樣、胴炭、相手炭、長、わり、輪炭、品々有といへども、本意は釜の大小に隨て寸を極てよし、何寸何分と定法はなし、爐の間は二炭分の程、休公〈○千利休〉は炭斗に入られしと也、相手に寄炭を加る事あり、其時爲也、風爐にては其心得に不及、

〔貞要集〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0500 風爐炭爐炭切樣之事
一風爐胴炭 〈大四寸 小四寸二三分、切口一寸五分、〉 一相手炭〈大二寸六分 小三寸迄、切口一寸一二分迄、〉 一輪炭 〈輪厚六分七分、切木口二寸餘、〉但半月にも 一割炭 二寸より三寸餘迄、但炭大小に寄、 一細炭
二寸四五分三寸四寸迄 一留炭 一寸三四分一寸七分迄
右風爐炭之切樣如
爐炭之寸法
一胴炭 〈大五寸六七分、小六寸、切小口ニ寸五六分迄、〉 一相手炭 〈大四寸、小四寸五分迄、切小口二寸餘迄、〉 一大割炭 〈大二寸五分、小五寸迄、〉割口無寸法 一輪炭 〈大八分小一寸〉割小口無寸法、大成吉、 一細炭 四寸五分より五寸迄
一中割炭 三寸より四寸二三分迄、色々長短可之、 一留炭 〈大一寸六七分小二寸迄〉 右は爐炭の寸法、炭の大小見合、第一に切べし、總じて爐中冬は爐深ク、春に成ては淺ク致候、寒中は下火も多ク入、炭も多ク置申候、春二月比は下火も輕ク、炭も心持可之事也、炭切申候て、とくと水にて洗ひ、日にほしてつかひ申候、洗ひ不申候ては、炭の粉落て惡敷有之候也、
一白炭寸法無之候

〔茶之湯六宗匠傳記〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0501 小堀遠江守宗甫公自筆の寫
一輪炭は壹寸八步と定りたりと云ども、うすきニあきはなく候、
一炭は色々切が能候、胴炭七寸に切が能候、
一點取炭、壹寸五步に切べし、又物數寄有炭には寸法不定、〈○中略〉
一風爐の炭、胴炭三寸五步、三寸も吉、輪は壹寸、又は壹寸五分に定る、其外には寸法なし、子細は風爐は炭は口ばかり也、

〔茶道筌蹄〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0501 炭の事
胴炭 爐は五寸 風呂は四寸 輪炭 爐は二寸二分 風呂は一寸五分 管炭 胴炭と寸法同じ 四方炭 爐は二寸五分 風呂は二寸

〔茶道聞書集〕

〈甲〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0501 胴炭、輪炭、白炎、毬杖炭と云、長キ炭、小キ炭と云よし、他流にテン炭と云有、輪も薄し、家の風はあつし、
胴炭 管炭 爐五寸 風爐四寸 輪炭 爐二寸二分 風爐一寸五分 四方炭 毬杖炭 爐二寸五分 風爐二寸
炭の寸法右の如し、本文長キ炭といへるは管炭、小き炭といへるは添炭、小キ炭の寸、四方炭に同じ、

〔茶具備討集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0501 灰 焦灰 粒灰 豆粉灰

〔茶道筌蹄〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0502 灰 見付〈ケ〉 見込 切落し 山
眞 透木風呂 二文字なり
紹鷗はひとふり 丸釜 四方 阿彌陀堂 面 道安〈○風爐〉と同じ、大風呂は山を二ツ取る、

〔長闇堂記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0502 一大昔八寸六寸の圍爐裏の時は、火箸にて灰を上段のうはろ迄かきあげ、炭置て後、火ばしかた〳〵を以て、くるり〳〵と灰廻したるよしなり、此數寄には逢たる事なし、其後けさう灰を小きかはらけしてかけたる時は我もせるなり、後にはあはび貝をしやくしのごとくすりて、それを用ひしなり、扨金杓子、柄火箸は利休始らるゝなり、

〔茶之湯六宗匠傳記〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0502 小堀遠江守宗甫公自筆の寫
一あられ灰を用ゆる事、爐中がきれいに成故也、ふくさ灰にてすれば、炭心の儘に入にくし、あられに付ても三段のならい有、大あられ中あられ小あられ、釜に依て遣樣口傳、面談ならでは難成、

〔喫茶指掌編〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0502 庸軒常に云、遠州の風爐の灰は至て手際よく、實に刺刀にて切たる如く立派にて、前に灰を立炭を置時、土器の灰を不掃、灰の仕樣は一通りに極たる也、亦宗旦の灰は古風にて、行かゝりさつと致たる灰なり、前土器の上に灰を掛るもかけぬも有て、立派なる事もなく、初より土器の中程は見えて有也、灰は何となく勢有て位よく、さつと灰を致て風呂へ火を入るなり、故に一通とは格別に極たる事なく、只位と勢を專と致也、夫故に素人は、宗旦の灰は仕易樣に思共、遠州織部のは、手際計にて立派なれども仕習やすし、宗旦流は手ぎはいらぬ替りに、勢と位とは中々初心の人の眼には入らぬものなりと云り、

〔茶道要錄〕

〈上/主法〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0502 爐同緣之事
一灰之事、爐ニハ霰灰ニ、フクサ灰トテ微塵ヲ交テ用ユ、春ハ陽氣堁リヲ立ル故ニ、微塵ヲフルヒヌキ、霰灰計ヲ用、侘人ハイツトテモフクサ灰計ヲ用也、末流ニ霰灰ノ粒ヲ大小汰(ソロ)ユル事アリ、尤 嫌フ、大小交リタルヲ好メリ、砂些モナク色ノ黃バシリタルヲ吉トス、微塵モ霰モ、爐ニ入ル時水ニテ能濕リヲ可掛、燥時ハ落ツカズシテホコリ上ル也、世寒スル時ハ、灰少ク火多ク、暖ナル時ハ灰多ク火少キ也、風爐ニ可擧前ニハ、別シテ灰多ク成ベシ、土鍋ニ入ル灰ハ、猶以能濕シテ吉、燥キタルハ炭衣ヲ消ニ堁立テ惡シ、總ジテ爐中ノ法、大概ヲ雷盆ノ内ノ如クスベシ、隅ヲ欠事、別ノ子細ナシ、見物ノ爲也、大釜ノ時ハ少ク、小釜ノ時ハ大ク欠ナリ、四方釜ノ時丸クスル事モアリ、
風爐ノ灰、極テ輕キヲ用、其法前ノ方ニテ、右低ク向右高クシ、前五德ノ脇、右短ク左長ク、前ノ方兩間ハ杓子次第也、口傳、

〔茶道筌蹄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0503 點茶前
風爐置付樣幷灰仕樣〈○中略〉 灰をなすには、先風呂を眞にて置き、五德も眞直に居へて、風呂を少し客付へにじらして灰をなす也、客付の灰は、見込の方の五德の爪の外づらを廻す、見付の方の爪は灰眞になす也、琉球風呂、臺子風呂は、押切灰、二文字、雲龍風呂、其餘眞風呂、又はふところ挾きは二文字蒔(マキ)灰也、鐵風呂は押切かき上〈ゲ〉なり、
風呂灰の名所 風呂に向ひて、左りは見付、右は見込、向は山、大風呂は山二〈ツ〉、五德の爪を挾む、小風呂は山一〈ツ〉、五德の向、向爪を眞に取る、山と見込との間は切落し、
大風呂といふは、大尻張、大阿彌陀堂の類也、

〔喫茶指掌編〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0503 豐臣殿下〈○秀吉〉小田原御陣拂の時、古田織部と利休、由井が濱を馬上にて同伴し登りける、其濱邊をみて利休云、此鹽濱の景色如何、茶に付て思し召有にやと問、織部なしと云、利休云、此濱邊の浪うちよせたる風情を、風爐の内の灰にうたせ度と云ば、織部存外の思ひ付なれば大に感稱しぬ、〈○中略〉
宗旦の嫡子宗拙、故有て勘當を蒙、其頃大德寺大源庵天室和尚笑止に思ひ、我寺に招寄養しが、或 時宗旦大源庵へ詣す、天室小座敷へ招入茶を振舞しに、宗旦風爐の灰を見て驚、再三感心して、和尚はかほどの御數寄とは曾て不存、さても能被成るもの哉と入興し歸りぬ、其後和尚庸軒に斯と物語し、其風爐の灰は、日々宗拙に賴置たりと云事もならす、其趣にて過せしが、風爐の灰は我等何とも氣も付ねども、其家の人は、これらまでも仕樣有事にてや、見處有と聞たりと感心せり、

〔喫茶指掌編〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0504 庸軒が妹聟茶屋三四郎と云者、京川西の別莊にて常に茶を嗜、或時庸子北野社參の次年に別莊へ尋しに、三四郎云、扨善折御出なり、今日は藪内紹有を茶に呼約束せし故に、雲龍風爐を出しつるに、灰に困り居る折也、幸の事御賴申上度と强て申に付、庸子戯に、今日我等不來ば如何致さるゝやと打笑て灰をせしに、無程紹有笹屋宗淸兩人來て小座敷に入、風呂の内を見て大におどろき、主はこれ程の茶人にてはなしと思しに恐入事と、中起の後までも稱嘆して不止、三四郎こらへず事實を以語れば、紹有さも有べし、庸子ならば尤也と尚感じける、庸子後に聞て、紹有が見たる處を賞て、互に後は親しく成しと也、其後紹有宗淸に云るは、庸子の茶、兼て功者とのみ聞及しに、彼風爐の灰をみては、中々及まじく、此人の茶にはうかと不行と、庸子へ行ごとに、前に彼宗淸懇意なれば、座敷の樣子萬事を能聞正して、大事掛て行しと也、

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0504 享保十一年四月十三日、灰ヲ直スコトハ、遠州流ニハ炭ノ後ニスルコトカト御尋〈○近衞宗熙〉ナリ、イカニモ左ヤウニ候ト申上ル、御流儀ニハ風爐ノ灰ハ、炭ノ前ニスルコト也ト仰ラル、 十三年五月三日、風爐ノ灰ヲスルコトハ、六ケ敷ヤウニイヘドモ、今時ノ灰ハ、サマデムツカシキヤウニモ見エズ、灰ノ高下棧深曲直ハ、風爐ト五德ト、前ノカハラケトノ間ニヨレバ、兼テ定メガタシ、此ハ常修院殿〈○慈胤法親王〉ノ敎へ、尤ナルコト也、大秘藏ノコト也、先風爐ニ五德ヲロクニ入テ、眞中ニ灰ヲイカホドナリトモ入テ、ソレヲ四方ヘカキ出セバ、自ラ高下ノ出來ルヲ、又別ノ灰ニテ其高下ノナリニ灰ヲマキテ、キレイニスルバカリ也、前カワラケモ、灰ヲ大方ニ四方ヘマキテ、好カゲ ンニカワラケヲカタメテ、風爐ノ前口ヨリ、恰好ヨキヤウニ堅メテ、又前ノ方ノ灰ヲ、別ノ灰ニテ程ヨキホドニ直スコト也、前ノ灰ノ出入ハ、五德ノ右ノ方ハ角ヨリ引出シ、左ノ方ハ五德ノ腹ニテトメル故、〈コレモ左勝手ナレバ、左ノ角ヨリ引出ス、〉灰ヲ五德ヨリ奧カラ引キ出シテロクニス、右ノ方ハ右ノ角ヨリ引出ス故ニ、自ラトマリナキカラ一面ニス、前ハソレニテ一文字ニナルトガテンスベシ、〈マドフロハ、ツキアゲニシテ山ヲセズ、前ノ方モヒヅミヲセズ、一文字ニスル、尤灰ヲ丸クスルコトモアリ、凸ニスルコトモアルナリ、〉 十四年四月七日、總別灰ノ仕ヤウノコト、先初メニ風爐五德ヲスエテソノ眞中ニヨシトオモフホド灰ヲ入テ、扨カワラケヲ定メ、〈五観ノスエヤウノコト末二見ユ、土器ノサダメヤウ亦同、〉ソノ眞中ノ灰ヲ、匙ニテワキヘカキアゲタルナリノ自然ト山ニナリタルモノナリ、ワザト拵ヘタルモノニ非ズ、サテ土器ノウチソトヲヨク堅メテ推付々々シテ、灰ハ前ニテ五德ノ三分ガ二ヲ埋ム、灰ノヒヅミハ、五德ノ腹カラ五德ノ角マデ直一文字ニツクル、左右ノカハリアリ、左ノ方腹ヨリツケツムレバ、右ノ方角マデニテトムルモアリ、風爐ノ脇上マデ付ルモアリ、ソノ左右ハ客付次第、ナリ、亭主ノ左ノ方客付ナレバ、亭主ノ右ノ方ノ五德ノハラヨリツケソメテ、左ノ方ノ角マデツクル、兎角客ノミコミ、灰ノ付シマイノ見ユルヤウニスルコトナリ、サテ前ノ灰ハ、カへシ灰トテ、マキザマニ下カラ半分ホド一通マキテ、土ツキノ處ヲ羽ニタハキカヘス、コノハキカヘシノ羽トミエヌヤウニスルコトナリ、化粧灰ハ、半腹ヨリ上ヲキザミテヲロス、漸クニ出來タルトキ、風爐ノ兩脇ヲ外カラ手ニテタヽク、タヽケバ灰ガヅリタイホドヅリテカタマル、サテ化粧ヲスルナリ、化粧ノ仕ヤウ筆頭ニ盡サレズ、口傳ナリ、サテ山ヲモノコラズ化粧シテ後、中ノ炭ノヲキヨイヤウニクツログルナリ、灰ノツケダシ〓隨分五德ノ本ノクツログヤウニ谷ヲスベシ、 十一月廿日、參候、世間ニ何ゴトニモセヨ、スルホドノコトヲ利休々々トイヘドモ、利休ヨリ後ニ出來タルコトモ多シ、〈○中略〉爐ノ角ヲカキタル事モ、利休ノトキハナカリシコトナリ、コレハ金森法印ガ、利休ヲ呼テ爐ノ釜ヲカケタレバ、火氣ニテ白キヂヤ ウノ多ク散タルヲ、火箸ニテ四方ノ角ヲツキ、穴ヲアケテ火箸ニテカキナデケルガ、輕浮ノモノ故、クボキ處ニタマリテケルヲ、利休ガ見テ尤ト思ヒホメケルガ、重ネテ利休ガ法印ヲヨビケルトキニ、始メヨリ四方ノ角ヲカキケルトナリ、故ニ角ヲカクコトハ金森法印ヨリ始タルト云、

〔槐記續編〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0506 享保十六年四月十五日、參候、所司代參ラルヨシ承リ、朝ノ内ニ參候シ風爐ヲ拜見ス、見ゴトナルコト申モオロカナリ、ソモ此灰ハ入江樣ヨリ被進シ灰ニテ、類稀ナル灰ナリ、少シ拜領ス、例ニバカハリタル灰ノヨウニ見受タルヨシ申上、仰ニ、イカニモコレハ風爐モ大ナリ、カタガタ此灰ノカタニシタリ、コレヲ昔ノ人ハ、杉ト云、山ト云灰ノ仕樣ト、杉ト云灰ノ仕樣トニ色アリ、コレヲ杉ト云、上ノ開タル風爐ニハ、コレモ又面白シト仰ラル、

〔喫茶指掌編〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0506 又玄齋八月の末に、今日菴にて風爐の名殘とて、雲龍釜にて茶有し、相伴は豐田長傳、井上宗惠なり、此時雲龍の灰を工夫せしと敎示ありし也、
又玄齋五十二歲の時の事にて、生涯の名殘にて有ける、予〈○速水宗達〉加州下向餞別かた〴〵の茶也、 其敎示の趣は、克爐談に著ぬ、何風呂にても、雲龍釜を執合す時は、いつも向一文字に爲との事也、面しろし、

器物扱法

〔茶道織有傳〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0506 茶の手前善惡の大體
それ茶の手前善惡は、その生れつきによる也、扨茶入、茶埦、茶しやく、茶せん、ひしやくなどの手つづきは、うでくびのまがらぬやうに、りきみなきやう尤也、或ひぢをはり、ちやん〳〵とはづみ、ゆびをはね、りはつに見ゆる事、大に惡しき事也、なるほど目にかゝらぬやうに、ぢつていにするときは、をのづからしほらしく見ゆるもの也、又ひしやくをたかくあぐる事惡し、扨釜をあげるには、兩ひぢをひざへつけ、くわんを右はさきへ、左は前へ、又はづすには、右は前へ、左はさきへはづす也、扨釜をあぐるに、大ゆびと人さしゆびは上に殘、外三ツゆびをくわんの中へ入あぐる也、か たひざをたて、かけおろしをするといへども、不禮に見へて惡し居ながらかけおろし尤也、

〔和泉草〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0507 棗中次茶桶雪吹茶入
一棗五ツ指ニテ形能持テ、棗ノ上ヲロクニ成ル樣ニ持茶ヲ汲物也、茶杓置時、茶杓ノ先ノ方ヨリ蓋ノ上ニ置ベシ、
一中次ノ持樣、五ツ指二ツ中次ノ底へ當テ持テ、蓋ヲ取時、中次ノ上ヲ右ノ方ヘカタムケテ蓋ヲ取也、中次ノ蓋ト下ハ、兩方へ引分ル樣ニ蓋ヲ取物也、茶杓ハ上ヨリスグニ置也、中次之角へ茶杓ヲ當ヌ樣ニトノ用捨也、
一棗中次茶ヲ立ル前、フクサ絹ニテ改事、棗ハ上ヲソツト和巾絹ニテ拂ヒ、脇モザツトフク樣ニシテ置合ベシ、中次ハ上ノ角ニ當ラヌ樣ニ、上ヲ卒トフク心シテ、脇モ少シフク心モ吉、蓋ノ上計拂樣ニシテ、脇ハ其儘置合タル方增ニテ候、棗中次和巾アイシライ、功者ノスルヲ見テ覺習フベシ、
一茶桶モ棗中次同前也、茶杓ノ置樣、棗ニ同前也、

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0507 享保十二年三月廿七日、參候、ツルツキノ茶入、テガメナドノアシライ、同前ナリ、和物ノ茶入ハ左ニテ取ル、唐物ノ茶入ハ右ノ手ニテトル、故ニツルツキ、手ガメ、右手ニテトル方へ手ヲ直ストノ仰ナリ、〈○近衞家煕〉今ノ當流ニハ、皆茶入ノ分ハ右ニテ取候ト申シ上グ、マコトニ左アレバ、其論ハナキ筈也ト仰ラル、 十四年十一月廿日、參候、昨日ノ茶湯ノ御ウワサトリ〴〵ナリ、大茶入ノアシライノコトヲ申上グ、仰ニ、朝日春慶ノ類ハ、大ナルホドヲ尊ブ、御前御所持ノハ、昨日ノ茶入ニ今二カサモ大ナリ、ソレ故左ノ手ニテ横ニハトラレヌナリ、大茶入ニカギリテハ、右ノ手ニテ上カラ鷲ヅカミニトルコドナリ、コレ習ナリト仰ラル、尤ナル御コトナリ、ナナケレバハナハダ危シ、ソレ故ニ唐物ダテノ如ク茶筌ヲハヅスナリ、左ナケレバ茶、筌ト茶入トノ間へ手、ガ入故ナ リ、昨日ノ茶入ニハ、マダ蓋ガ大ニシテ茶杓ガカケラルヽ、甚ダ大ニシテ蓋ノ小キニハ杓ノカヽラヌアリ、コノ故ニ大茶入ニハ、茶杓ノヲキ處ナキモノナリ、ソレ故大茶入ノ茶杓ノカヽラヌホドナルハ盆ニノセテ、茶杓ヲ盆ニオクガヨキナリ、此等ノコト大茶入ノナライナリト仰ラル、

〔茶道要錄〕

〈上/主法〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0508 茶盛之事
一袋之事、〈○中略〉帒ヲハヅシテハ釘ニ可掛、右ノ手ニテ緖ノ打留ト輪ノ方ヲ持、左手ニテ帒ノ底ヲ取テ引伸シ、打留ノ方ヲ壁付ニスベシ、堂庫モ同之、臺子ノ時ハ、帒ノ幅ニ引延テ、中ヲ甲盛高ニシテ、天井ノ勝手ノ方ニ置、帒棚ニハ乃帒棚ニ置、丸香臺ニハ天井ノ眞中ニ置、何レモ口ノ方ヲ前ニシ、打留ヲ勝手ノ方ヘナス、ベシ、又掛所揚所ナキ時ハ水滴ノ迹ノ方ニ置、此時ハ口ヲ水滴ノ方へナシテ、尤打留ヲ勝手ノ方ヘスベシ、水壺取時袋アラバ、其蓋ノ上ニ、口ヲ前ニシテ載テ勝手へ可入、總ジテ蹟見ト風爐ニハ袋ヲ不用ナリ、

〔槐記續編〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0508 享保十九年霜月三日、夜參候、大覺寺君岡屋右近、拙〈○山科道安〉へ茶入ノアシライヲ敎ラル、凡ソ茶入幷ニ袋ノアシライハ、手ヲハナサヾルヤウニスルコト肝要也、先ヅ本座ノ茶入ヲ左ノ手ニテ前へ引寄セ、結ビ目ヲトキテ右ノ手ヲカケ、前へ紐ヲ引ザマニヒト引ニ引ケバ、紐ノビスギテ見グルシ、半バ引テ、又紐ノモトへ指ヲカケテ、フタ引キニ引テ、中ニテ指ヲ反ヘシ、大指ヲ上ニナルヤウニ引キ、直ニ右ノ手ニテ、ヒボノツガリノモトヲ指ニテシメヨセテ、ウチヲサメノ紐ヲ左ノ手ニテ引サゲレバ、ツガリノ所紛亂シテ見グルシ、コノウチヲサメトワナト、正直ニ兩方エ引テヨシ、下ヘタルヽハミグルシ、〈今世上ノハ、ワザト下ヘ引ナリ、〉ソノ左右ノ手ニテ、スグニ先ノ方ノツガリヒダヲヒロゲ、次ニ前ノ方ノツガリヒダヲヒロゲ、又兩タビ先ノ方ノツガリヒダヲヒロゲテ、ソノ手ヲスグニ袋ニツケテ、右手ニ袋ナガラモチテ左ノ手ノ上ニノセ、右ノ手ニテ先ノ方ヲヒログテ茶入ヲ出ス、左ノ手ハ、袋ノ口ノヒラカヌヤウニ、ウツムキメニ左右ノ方エ引ケバ、始終茶入 ニ手ハナレザル也、兩タビ先ノ方ノツガリヒダヲノブルコト、宗和流ニカギリタルコト也、〈遶州流ニハ、コノ時袋ヲタテニスル也、〉ソレハスダニ袋ニ手ヲハナスマジト云心也ト仰セラル、〈○近衛家熙〉總ジテ今ノ人茶湯ヲ稽古スルハ、アタマカラ茶湯ノ式ヲケイコシテ、早自分ニ茶湯スル也、古ヘノ人ハ、アシライハアシライ、道具ノサバキハサバキト、一色々々ニテケイコシタル事ナリト仰ラル、

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0509 享保十二年霜月十日、茶杓ノ茶ヲハラフニ、茶碗ノフチヲタヽクコトハ常ノコトナリ、天目類ハ、フチヲタヽカズ、中ニテタヽクト覺ユ、天目ニカギルコトニ非ズ、フクリンモノトテ、フチヲ銀錫ノ類ニテトリタルモノハ、總ジテフチヲタヽクベカラズ、天目ハフクリンモノナレバ、勿論ナリト仰〈○近衞家熙〉ラル、 十三年五月三日、濃茶立ノトキ茶杓ノカケヤウ、他流卜全ク異ナリ、他流ニテハ縱ニカクル、御流儀ニテハ横ニカクル也、縱ハ茶杓ノ常座ナレバ也、

〔茶道要錄〕

〈上/主法〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0509 茶盌之事
一茶筅之事、〈○中略〉茶盌ニ入時モ、茶ヲ點ル時モ、前後相違有ベカラズ、取時ハ披キタル手ニテ直ニ取、置時ハ握リタル手ニテ直ニ可置、盌ニ入ル事、茶巾ノ上ニ穗ヲ向ノ緣ニ持セ、筅ノ不動ヤウニ入置ベシ、口大キニ開キタル盌ニハ、穗ヲ下ヘシテ軸ヲ前ノ緣へ持セ掛置ベシ、是ハ大盌前ノ方アキテ見惡キ故ニ爾ス、見合有ベシ、

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0509 享保十二年閏正月九日、茶筌ウチヲスルコトハ、先後ニ差別アリ、初メハ湯スヽギノ茶筌ハ湯ニテ穗ヲヤハラグル爲ナレバ、イカニモヤハラカニ打反シ、茶筌スヽギモ靜ニ音セヌホドニスベシ、〈仕方口傳〉後ノ水スヽギハ、茶筌ニ茶ノツキタルヲスヽギ、淸クスル爲ナレバ、如何ニモタシカニ音ヲシテ、茶碗ノ内四方トモニヨクアラヒ、穗ヲシゴク樣ニシテ茶ヲオトスベシ、〈世間ノ茶、大ヤウ此差別ナシ、〉

〔茶道獨言〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0509 茶筌投しなどいへる人あり、是もいかゞ有べき、茶をふり立る爲の筌なるを、何の爲に 投るといへる哉、心得ぬことなり、湯にて茶筌をとおす事なり、

〔茶道要錄〕

〈上/主法〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0510 釜之事同水遣具
一柄杓之事形アリ、〈○中略〉風爐ノ時、釜ノ上ニ杓ヲ置ヤウ三品ノ傳アリ、爐ノ時ハ、杓ヲ釜ノ口へ掛テ、内へ合ヲ入ル事本意也ト云共、湯多シテ合ノ浸(ツカ)ル程ナレバ、釜ノ緣ニ合ヲ掛置也、合湯ノ沸ニ付テ杓動ク故ニ、如此湯少シク、又ハ緣高シテ、釜湯杓ニ不障、則合ヲ釜ノ内へ入置ベシ、

〔貞要集〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0510 蓋置之事
一五德の蓋置は、釣釜の時、五德の爪を上になしてひさくを掛ル、又五德居の時は、輪を上にして蓋を置也、穗屋の蓋置會釋有之、柄杓を掛ル、〈口傳〉

〔槐記續編〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0510 享保十六年十月廿三日、參候、此日三人唐子ノ御蓋置出テアリ、茶ヲタツベキノ由仰〈○近衞家煕〉ニテ立ル、三人唐子ノアシライハ、セイ高キ人形ノ方ヲ前ノ方ヘシテヲクガ習ナリ、ナゼナレバ、蓋ノカタブキガ客ノ方ノサガルヤウニト云コトナリ、蓋ノ客ノ方ガサガレバウラガミエヌ故ナリ、何ニテモ裏ヲ見スルヲ嫌フナリト仰ラル、

〔茶道要錄〕

〈上/主法〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0510 茶盛之事
一不洗絹之事、〈○中略〉隅ト隅ヲ取テ四ツニ折、常用之、眞ト云時ハ、横ニ中ヨリ折、又竪ニ折、四角ニシテ、又横二ツニ折、竪三ツニ折テ用ユ、是ハ名物ノ茶盛、同盆天目ノ臺ヲ拭時ニ用、茶桶ノ上ニ結テ置事有、横二ツニ折、其隅ト隅ヲ取テ結ナリ、此外ニ色々品アリト云共甚不用、茶盛ヲバ先蓋ヲ拭ヒ、茶盛ヲモ拭フ、棗ハ蓋ノ上バカリヲ拭ベシ、茶桶モ同ジ、風爐ノ小板、水壺ノ蓋、臺子袋棚、各茶巾ヲ置所ヲ必ズ拭ベシ、水壺陶カ鑵ノ時ハ、蓋濡ル故不拭、茶主常ニ腰ニ帶ス、末流ニハ右ニ帶ス不之、必ズ左ニ可帶也、茶盌ニ敷テ出シ、三人目ノ客必ズハヅスト云モ末説ナリ、熱湯ヲ厭フ爲ノ帛ナラバ、三人ニ不限、總ジテ利休ハ帛ヲ客前へ不出ナリ、最可之、

〔和泉草〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0511 茶巾寸法同アシライ
一茶巾サバキ、眞ノ時ハ、如何ニモモヂレヌ樣ニ情ヲ入テ吉、茶巾ヲ何方ニ成共置時モ、カロクイキヤカニ置テ吉、茶巾ヲサバク間敷時ハ、茶碗下ニ不置以前ニ、茶巾ヲ水指ノ方ヘヤリテ吉、茶巾三ツ折用シ人有心ニヤ、二ツ折用モ有シ也、
一茶巾アイシライ難筆ニ盡、功者ノアイシライヲ見習ベシ、〈○中略〉
一茶巾、天目ニハ三ツ折、薄茶ノ茶碗ニハ二ツ折ト云、口ノ廣狹似合折歟、

〔寫本茶道筌蹄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0511 茶巾捌之事
茶碗へ仕込候節、能程にしめり在之樣にして仕込置、茶碗ふき仕込候て、捌樣は、右の大指と人差指と二本にて取上、左勝手左の方へ耳を四度にのす、〈一四二三〉左右の手で角かけ候樣にのし、左の手にて中程より少下の方を取、内の方へ二ツに折、右の方二ツ指にて、又中程より少下をとり内へ折込、左の小指無名指へ、右の中指にてのせ、右を放し、扨右の手大指を、上より茶巾の中へ當て、人差指と二本にて折ながら持、左の手を拔直し、夫々の場へ遣し置、右の捌方をふくさめ茶巾といふ、右勝手は、茶巾の耳延し候節、右のかたへ、〈一二四三〉段々に引延し、其外替事なし、
但右左勝手ともに耳を延し候節、一より二三四とうつり候節、茶巾持手の緣の切れざるやうに移りてのすなり、
○按ズルニ、凡ソ茶器ハ皆扱方アレドモ、今多ク省略ニ從フ、

器物所望

〔南方錄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0511 茶具客より所望して見る事作用差排爰に略す
主の秘藏一物抔は、かねにても知れ、又はあしらいにて賞翫の道具と見ゆるものは、其一物を乞て見るべし、其外さあらぬ道具品々乞事不有、茶入茶碗の袋、又は盆抔は賞翫の一具なれば乞て可見、又茶入茶碗に添たる茶杓有物なり、乞て見るべし、主よりはかき疊に茶入茶碗も出す、客 より戻す時も同然也、主勝手口をさしおく事も有、又は明ながら挨拶して居ル亭主もあり、其時は秘藏の物たりともかき疊に戻す、勝手口さし置時は、道具により秘藏の物ならば、客の内功者成人道具疊に行て、扨道具を別入、かき疊へやつて受取て、臺目所に道具相應にかねよく置て坐に歸る事有、勿論常の物ならば、主勝手口をさし置たりともかき疊にかへすべし、

〔客之次第〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0512 一茶入こふ時分は、茶をとり置ざまに、亭主ちやわん茶巾茶せんをも仕廻、さゝくをふくさにてのごひしまふ時分に所望してよし、是は亭主ふくさ物の手にある次而にて侍れば、其ふくさにて茶入をふき出させん手づかひなり、
一茶入出され候時、總客ひぢをつかへ、茶入をのぞき見てほめる、名物の茶入なれば、亭主より手に御取候て御覽候へと申、其時ふところより手拭を取出し、手をのごひひぢをたゝみに付て茶入をとり、まづなりをちと見てふたを取、其ふたの内、ばかりを見て、ふたを右のかたに置、茶入の口つき内の體云、くすりどまり、いときりのやうす不殘見て、よく〳〵ほめておしいたゞき、次へ渡す時に、又初の所に置なり、次の人も同前なるべし、但せとやき日本物ならば、客より何と手にとり見申度と云て、扨手拭にて手をのごひ、右のごとくに見申なり、客いづれも同前に見て、下座の人又上座の人に渡す、上座の人いよ〳〵又見て又いたゞきて、本の所に茶入の表を亭主の方になしおくなり、此見る間には亭主は勝手へ入、各見仕廻たる時分に、亭主また出て茶入をとり申さるゝ、其時客おの〳〵ゐんぎんに禮をする事なり、

〔茶道正傳集〕

〈上一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0512 眞爐臺子諸作法
一亭主少間を置、炭斗を持出、薄茶前の炭を直し候、但炭置候作法、前後替る事なし、但薰物をくべおはる時、上客より火箸所望有、則火箸を左へ持替、右の手に而釜數紙を取出し、火箸の先を拭ひ、火箸を揃て頭のかたを上客の方へなして、炭斗の向、疊の目に隨て直に置、炭斗を持て勝手へ入 障子を立候也、
○按ズルニ、此他茶杓蓋置等ノ諸器物ヲ所望シテ見ル事アリ、今省略ニ從フ、

〔茶話指月集〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0513 一ある時蒲生飛驒殿、長岡幽齋翁兩人、利休所にて茶湯過て後、蒲生殿千鳥の香爐所望あり、休無興のていにて香爐をとり出し、灰を打あけころばし出す、幽翁淸見潟の歌の心にやと御申候へば、休氣分なをり、いかにもさやうに候との返事なり、順德院御百首の中に、
淸見がた雲もまよはぬ浪のうへに月のくまなるむら千鳥かな、このこゝろは、けふの茶湯おもしろく仕舞たるに、なんぞや無用の所望かなとおもはるゝより、村千鳥を香爐に比したるなるべし、すべて何事も興の過たるはあしゝ、こどたらぬ所に風流餘りある理、古き書にも見え侍る、

臺子飾

〔臺子しきしやうの時かざり樣の事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0513 一臺子の置樣は別書にあり、しきしやうにかざる時は、茶入、茶碗、其外いづれも唐物名物ならではなるまじき事にてあり、かざり樣は常のごとく、ふくろ、水指、水こぼし、ひしやく立の置樣は、ふろのきめんを臺子のはしらの内のかどの通を一すぢに置なり、水指もとつ手のとをりを一通りに置なり、ふろと同前なり、ひしやく立は、ふろと水さしとのまん中のさきの方に置、ひしやくをさして置なち、水こぼしひしやく立の中前に置なり、ふた置は水こぼしの中に入て置なり、いづれも此ぶんは常にかはる事なし、茶入は盆にのせて、臺子の上にまん中に一ツ置なり、およそこのゑづのごとし、〈○圖略〉
一しきしやうの時は、茶せん置とて別にあり、茶せん、茶きん、さゝく、此三色を入て、茶たつる時もちていづる也、茶きんを四ツにおりたゝみ、茶せんを其上に置、さゝくはあをのけて置なり、一茶入を置に、のせ床の右の方へよせ、かざり置事もあり、地しきいより七寸五分、床がまちより盆の間、たゝみの目廿一めよし、 一茶入を棚にかざる事もあり、ちとかべの方へよせて、棚の時は羽ばうき置そゆるなり、

〔喫茶雜話〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0514 臺子の事
一四つかざりといへるは、下の棚に釜、水指、ひしやく立、水こぼし也、但事により蓋をきをふろの左に置事も有、是は四の外也、有てなきものなり、口傳、
一七つかざりといへるは、此上のたなに、臺天目盆に茶入あり、是もふろの脇に蓋置あり、但事にょる也、多分は置なり、蓋置ともに七具なり、

〔茶道織有傳〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0514 眞の臺子の事〈附り風爐〉
それ眞の臺子の七ツ餝二ツ組といふは、此圖〈○圖略〉のとをり也、皆唐かねの道具を用べし、炭とりはさいろうにても、ふくべにてもくるしからず、これを略して六ツ餝三組、五ツ餝四ツ組、四ツ餝三ツ組、三ツ餝二ツ組、二ツ餝一ツ置、添置とも添組ともいふ也、天井の上に或は茶入と臺天目を置を二ツ組といひ、下に釜、水指、柄杓たて、ふたおき、火箸、水こぼし、柄杓ともに七ツ、これを七ツ餝といふ、上を組又置と云、下を餝と云也、眞の七ツ餝二ツ組を略して、作意にて色々に餝なり、扨座敷のつきに、右あがり左あがりといふあり、右の方客座なれば右あがりと云、左の方客座なれば左あがりと云、道具の組合手前もちがひしやうにいへども、あへてかはる事なし、上の組合の茶入を客の方に置、臺天目を勝手の方に置、下へおろしてもをなじ心也、扨手前は客座左の方ならば、身を左へひねり、水こぼしを右の脇へおろし、ふたおきを水こぼしの跡へなをすのみ也、又茶入をぼんともにおろし、臺天目も臺ともにおろすなり、手前の順々つねのとをりかわる事なし、又客入て道具もち出、かざるといふ事惡き傳なり、眞のかざりを本として、略の時もありやうに客まへかたにかざり置、亭主は手ぶりにて出、茶たてたるがよし、略の作意の傳用にたらず、〈口傳〉臺子の寸法は眞の風爐釜より出る也、天井ひくければ火氣湯氣にて板ひぞり、又柄杓のさしと りにつかへて惡し、むざとたかきは見ぐるし、横はゞたての長はよき比の七ツ餝の道具を置合せきあはず又ひろからず、よき比を寸法とする也、廣間臺子などは惡しきかつこう也、よく〳〵置合見て吟味あるべし、

〔貞要集〕

〈一上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0515 眞臺子之事
一臺子、長盆茶入、臺天目一莊、往昔有之候得ども、茶調樣區々にして、茶道前不極處に、奈良の稱名院住僧珠光、臺子七莊にして茶調樣工夫鍛錬して、東山義政公へ被召出、於御前茶道仕、夫より代代に臺子の茶湯弘り申也、紹鷗利休よりすこし替り有、段々奧に茶道前記す也、
一臺子の置樣は、道具疊の向四寸餘五寸迄間を明ケ、左右は疊の眞中に置、客付の方疊の丸目を見る樣に置也、左の方に風爐を置、風爐の左の鐶付と臺子の柱と、見通し申樣に置也、又釜の蓋柱際に置候て見合する也、釜の蓋大小により申也、〈口傳〉右の方水指を置、是も柱と水さしの脇とを見通す、臺子の眞中向柄杓立に唐金の火箸柄杓と立添て置、柄杓立の底には濡紙を敷、是は差引にならの樣にとの事也、柄杓立の前に水覆を置、覆の内に蓋置を入置也、是を隱架と云也、右の通、臺子に水指、柄杓立、水覆、風爐を置合、とくと見合、片ひづみ無之樣に置合する事第一也、金風爐の鐶、水指の左右上ゲ下ル也、是は箆蒙釜の會釋也、
一上の架には茄子の茶入袋に入、天目袋に入、組長緖也、兩種を長盆の左右に置、臺子の眞中に置也、昔より臺子には唐物茄子の茶入を用也、天目臺共に名物也、茶入は右の方、臺天目は左に莊なり、
一床には掛物と花生と、臺子上下の莊五種と、以上七種也、是を眞の七莊と云也、總じて釜は、爐風爐共に道具の數にいれず、一座の亭主と定て珠光よりの法也、釜を數に入る事、效なき故也、

〔長闇堂記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0515 一大坂にて秀吉公を桑山法印御成し給ひし時、道庵來て臺子を飾り置れしを、さつま や道七御見廻申て、彼臺子を見て、何者かかくしらぬ事仕たると散々にいひて、則道七飾直せしなり、道庵次の間に在て其聲をも聞、歷々餘の人も聞て、いかにも咲止に有しに、道庵きかぬ體にもてなせる仕方、松倉豐州其坐に有しとて御物語有り、其時は道七飾尤のやうに思ひし間、其仕方も知給ふべき人にひそかに尋申に、道七は古風の仕形、利休道庵は當世樣なり、臺子は道の秘傳なれば、道庵人にしらせじとのたくみ、尤心深き事なりとぞ、心構のよしなり、

壺飾

〔南方錄〕

〈拾遺一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0516 葉茶壺、小座敷にもかざる事あり、大方口切の時の事也、初入にかけ物かけて前にかざるべし、小座敷にてのかざりは、口おゝひ、口緖までにてよし、自然に長緖などむすぶとも、やすやすと目だゝぬやうにすべし、さま〴〵世にやかましきむすびかたなど、物しりがほにてあしく、網は凡小座敷にてはかけぬなれども、口切にてなき時は壺によりかくるも不苦、
捨壺といふ事あり、小嶋屋道察に眞壺を求られしに、其比沙汰あるほど見事のつぼにて、人々見物の所望ありしに、名もなきつぼかざる事いかゞとて卑下して出されず、ある時客衆常の會の約束にて參られ、腰かけより人を以、今日我等ども參候事、第一壺一覽大望ゆへなり、御壺かざられず候はゞ入まじきよし被申入、道察據なくにじり上りの脇の方に、口覆ばかりしてころがしをき、むかひに出られたり、客くゞりをひらきて見るに、脇につぼをころがし置たり、床へ御かざり候へと申入しに、道察出て、重々御所望候故出しては候へども、床へ上ゲ可申壺にては候はず、せめて御通りがけにと存捨置候、其まゝ御覽候へとの挨拶也、しかれどもいくたびも斷にて、つゐに一覽の後、床にかざられしと也、この壺則小嶋屋の時雨と後には名を得たり、この所作を人人感じ、捨壺とてはやりたる事也、宗易云、尤時にとりては、左樣のはたらきもあるべき事なれども、只所望の上壺を出すほどならば、床にかざりたちんは、おとなしき所作なるべし、捨壺むつかしき事也、勿論又まねてなどすべき事にあらずと云々、

〔茶道要錄〕

〈上/主法〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0517 座席之段々同床之事
一葉茶壺ヲ置時ハ、軸前床ノ四方ヨリ眞中に置也、必ズ口覆網ヲ掛ベシ、網ノ色ハ紫力黑ヲ用ユ、口緖同色也、此外ノ色ヲ不用、手繩ノ輪ヲ取上ニテ眞結ニス、口覆ハ乳ヲハヅシ、角ノ方ヲ前ヘスベシ、壺ニ表アラバ覆ノ角ヲ向ベシ、緖ハ八打也、二重ニ取、輪ノ方ヲ左ニ持、向ヨリ掛前ニテ眞結ニシテ、輪ノ方ラ少高ク、打留ノ方少低クス、筋違ニ見ルヤウニスベシ、覆ノ織物、地モ色モ用捨ナシ、金入又不入モ用ユ、末派ニ覆ト網ト共ニ掛ルト也、惡シ、如此調へ客ヨリ前ニ床ニ置也、客見物ノ望アラバ牀ヨリ下シ、網ニテモ覆ニテモ取テ出スベシ、

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0517 享保十三年正月四日、ツボカザリト云コト、昔モメヅラシキコトニテ、常修院殿〈○慈胤法親王〉へ所望セシカドモ度々ハナサレズ、唯一度ソノ茶ニアヒタリ、今ノ流ニハ、セキモリトヤランニテ、ニジリ上リノ口ニ、ツボヲ飾ルコト也ト云、御流儀ニハナキコト也、床ニキハメテカザラレタリ、客入テ常ノ如ク拜見シデ、亭主出テ御壺ヲカザラレタリ、先以テ御口切ト見ヘテ、別シテ忝シ、迚ノ儀ニ藷ツガリヲハヅシテ見セラレヨト云、覆ノアルモ、緖ノツガリアルモ、アミメアルモアリ、ソレゾレノアシラヒ也、鼻紙ヲシキテ底マデヲ見テ亭主ヘモドス、亭主入テ口ヲ切ル、〈客ノ前ニテキルト申スハ僻ガコトニヤト窺フ、ナシト仰ナリ、〉

器物置合

〔和漢茶誌〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0517 器玩位置
器玩未得、則講購求、及其旣得、則講位置、位置器玩置人才同一理也、設官授職者、期于人地相宜、安器置物者、務在縱横得一レ當、高閣房舍列于案頭、是猶繁治劇之材、處淸靜無爲之堤方圓曲直、齊整參差、皆有位置立局之方、因時制宜之法、能于此等處其才略、使人入其戸、登其堂、見物物皆非苟設、事事具有深情、未倒其家、而能整齊其國
排偶 古玩切忌排偶、此陳説也、予〈○三谷宗鎭〉生平恥唾餘更蹈其轍、但排偶之中、亦有分別、有排非排、非偶是偶、又有偶其名而不偶其實、如天生一日、復生一月、似乎排矣、然二曜出不時、且有極明微明之別、是同中有異、不竟以排比上レ之矣、所乎排偶者、謂其有意使一レ然、如左置一物、右無一物以配之、必求一色相倶同者、與之相並、是則非偶而是偶、所急忌者矣、若夫天生一對、地生一壁、如雌雄二劔、鴛鴦二壺、本來原在一處者、而我必欲之以避排偶之跡、亦矯揉執滯、大失物理人情之正矣、卽避排偶之跡、亦不必强使分開、或比肩其、形、或連環其勢、使二物合成一物、卽排偶其名而不偶其實矣、大約擺列之法、忌八字形、二物並列、不前後、不分寸者是也、忌四方形、毎角一物、勢如小菜楪者是也、忌梅花體、中置一大物、周遭以小物是也、餘可類推、當行之法、則與時變化、就地權宜、視形體縱横曲直、非預設規模也、如必欲强拈一一、若三物相倶、宜品字格、或一前二後、或一後二前、或左一右二、或右一左二、皆謂錯綜、若以三者並列、則犯排矣、四物相共、宜心字及火字格、擇一或高或長者主、餘前後左右列之、但宜踈密斷連、不一レ均匀配合、是謂參差、若左右各二、不使單行、則犯偶矣、此其大略也、若夫潤澤之、則在雅人君子

〔南方錄〕

〈拾遺一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0518 小座敷の道具は、よろづことたらぬがよし、少の損じも嫌ふ人あり、一向不得心の事也、今やきなどのひびきたるは用ひがたし、唐の茶入などやうのしかるべき道具は、うるしつぎもても一段用ひ來りし也、さて又道具の取合と申すは、今燒茶盌と唐の茶入、如此心得べし、珠光の時は、未物ごと結構にありしだに、秘藏の井出茶盌袋に入て、天目同前にあしらわるゝには、かならずなつめ今燒などの茶入を出されしとなり、

〔長闇堂記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0518 一四疊半の置合、三疊敷の置合の外、利〈○千利休〉より一疊大目の置合始なり、

〔和泉草〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0518 一疊大目ノ大概
一古田織部へ、淺野紀伊守一疊半構ノ置合、右勝手、左勝手、右勝手ノ右構、右勝手ノ左構、左勝手ノ 右構、左勝手ノ左構、段々尋ラレシ時、織部暫思案シテ、最前其元ニテ、此儀何ト申候哉ト云シ也、紀伊守失念ト云、某モ失念シタル也、織部云、兎角其座敷ニテ置合テ見ネバ〓ニ不知トテ、其座ニテ埓明ザル也、物語ニ候へ共、古人モ此儀六ケ鋪被存タル所ヲ印置候也、

〔茶道要錄〕

〈上/主法〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0519 道具與道具取合之事
夫器ト器ノ取合、物好ノ肝要、數奇者タルノ眼也、方ニ圓ト、大ニ小ト、高ニ低ト、廣ニ狹、各體用相應アリ、是道ノ元ニシテ、易ニ所謂ル一陰一陽道ノ始ナリ、不止ノ理是也、利休能識テ用行モノカ、當道ヲ勤テ名アル人ノ説トテ云ク、釜ノ大ニ水壺ノ小ヲ用ル事、湯多ガ故ニ水ノ所用ナシ、小釜ニ大水壺ヲ用ル事、水多ク可用爲ト也、尤一理達シテ聞ニ悦ブ、我所傳不然、各大小ヲ應ズル事、陰陽體用ノ至極如前ト、或説モ亦善理ニ似タリト云共、本理ニ非ルヲ以テ不合ス、其四方ト圓形ノ辨ハ如何ン、又茶盛ノ小ニ茶盌ノ大ヲ如何トカセン、諸道其本ヲ學バンニハ不如、故ニ聖語ニ本立而道生ト云リ、

〔貞要集〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0519 諸道具莊置合數を定ル事附組合の事
一四疊半に、臺子袋架簞笥、其外何〓の架にても、道具爐先半疊の眞中に置合する也、客着の方に疊の丸めを見申樣に置合する、勿論水さし計も半疊の眞中に置也、
一薄板に花入を載セ莊たるは、一ツに用、
一燒香爐を盆に載セ莊たるは、一ツに用、
一中央の卓下に花を生、上に香爐盆に載セて莊たるは、二ツに用、
一茶入を袋に入盆に載、片々に茶杓載たるは、二ツに用、
一茶碗に、茶巾茶杓茶筅仕込たるは、一ツに用、
一炭斗の内に、羽箒香合火ばし組合ても、一ツに用、 一水さしの上に、茶巾茶筅茶杓置合ても、一ツに用、
一架に道具を置合ル時、羽箒に香合、環もたせ懸置たるは、一ツに用、放して置たるは、二ツに用、
一釜は爐風爐共に座しきの亭主と定めて、珠光より以後、道具の數に用不申候、よろづ道具の莊數定法は、右之段々心得數を可定數々在之候、扨又道具によりて、莊合、置合、組合と云事在、茶入、茶碗、水さし、花生、香合、其外名物の類は莊合と云、又柄杓、竹輪、環、羽箒等は置合ルと云、又炭斗に環、火箸、羽箒を入、半駄に底取長火箸を組、炭斗には色々炭入ルを組合ルと云也、

〔總見記〕

〈十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0520 伊達別所飛驒國司等參味方事附御茶湯事
同月〈○天正三年十月〉廿八日、御遊興ノタメ、京堺ニ於テ、茶湯ニ名ヲ得シ者ドモヲ十七人エラビ召寄ラレ御茶被下、生前ノ大幸、冥加至極ノ仕合ト申シ悦ビ奉ル、御座敷飾ノ次第、御床ニ晩鐘三日月、扮違棚ノ置物茶臺ニ、白天目内赤ノ盆ニ御茶入ツクモガミ、下ニハ香合シメキリ被置、オトゴセト云フ御釜、松島ト云フ御壺ノ茶ナリ、御茶童ハ千宗易、後ニハ利休居士ト云フ、當世無雙ノ名人ナリトテ、此者ニ被仰付ケリ、

〔茶窻閒話〕

〈上一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0520 金森宗和、加藤何がしへ示されしは、茶道は取合が肝要なり、たとへば白木造りの結構なる書院の庭に、松椵栢など植込し中に、藁屋の數奇屋を見わたせば、奧深く寂ておもしろく見ゆるなり、田舍邊の草屋ばかりの中に、二階作りの家土藏など高く見ゆるは、さびたる中の富貴なる體、何となくおくゆかしく思はるゝなり、こゝが茶道の取合の心得ぞといはれしよし、今も掛物は名僧の墨跡のあとに、瓢の花いけ、又は靑竹などを用ひ、唐物か古瀨戸の名ある茶入に、今出の樂燒國燒などの茶碗を取合するの類も面白し、但しあまりにおもしろがらせんとては、却て不道化におちいる事多し、又いつも〳〵同じ取合せもよろしからず、其時々の機變こそ肝要なれとなむ、

〔茶譜〕

〈十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0521 一鎰屋道語ト云人、加藤左馬殿物語仕玉フ、古田織部小棚ニ手瓢單置ヤウ、莖ノ切口ヲ前ヘシテ置、火ヲナヲス時、棚ヨリ下テ疊ノ上デ前ヲ先ヘマワシテ、切口ヲ客人ノ方ヘシテ、如常火爐裏ノ脇へ置、一段其品振見事ナリト語シト也、

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0521 享保十一年正月廿八日、參候、御閑ニナラセラルヽ間、夜マデ御伽スベキ由仰ナリ、〈○近衞家熙〉サマザマノ御説ノ中、コノ頃ノ野村某ガ茶ノ噂ヲ申上テ、御流ノ者ユエ窺フニテ候、テンメウノ釜ノ尻張ニ、伊賀ノ水指ノ下ニテ、ハリタルニ、車軸ノ茶入ニ、長次郎ガシヲケノ樂茶碗ニテ候ヨシ、コレハ指合ノヤウニ候、イカヾト窺フ、仰ニ、亭主ノ心ハイサシラズ、其ハアルコト也、結句一ツ二ツナラバ指合タリトモ云ベシ、加樣ニジロヒタルコトハ、好テモスルコト也ト仰ラル、表ハ宗和ノ二重棚ニ、フヾキノ茶入也、コレハイカヾト窺フ、仰ニ、ソレモ亭主ノ心ハシラネドモ、車軸ノ茶入ニハ、フヾキ相應也ト仰ラル、〈棗目ハカタツキノ類也、口傳、〉 霜月十二日、棚ニ飾ルコト、强チ尊キ物ナルホドニト云コトハナシ、何ニ限ラズ飾ル、茶入ヲカザルコトモアリ、フクベヲ飾ルコトモアリ、是モ折折同ジコトモ興ナキ故也、サレドモ一ツカザリ、三ツカザリト云コトアリ、二ツニナリ、四ツニナルコトヲ嫌、是ハイカフ大事ノコト也、人ニ語ルベカラズ、水指ノ前ニ茶入ヲ飾ルコトアリ、脇ヘハヅシテ飾ルコトアリ、是ニハイカフ譯アルコト也、釜バカリハ、常カザリトテ飾付ノ外也、水指ト掛物トバカリニテハ、二ツカザリニナル、其時ハ茶入ヲハヅシテ飾レバ、三ツカザリニナル、水指ノ前ニカザレバ、見通シニナリテ一ツニ立故ニ、茶碗トモニカザレバ、道具ハ四ツニテ、飾リハ三ツニ立ツ、是甚ダ秘藏ノコト也ト仰ラル、棚カザリニ香合ヲカザルニハ、必羽箒ヲソヘルカ、環箒トカ、香合箒トカ、二ツカザルモ上ニ云譯也、若シ茶入トカ、香合トカ、一ツアルトキハ、入ザマニ箒ヲ棚ニヲキテハイル、是ニテアトガ三ツニナル、

茶七事

〔茶道七字要書〕

〈目錄〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0521 廻花之式 廻炭之式 茶カブキ之式 花月之式 數茶之式 旦座之式 一二三之式

〔茶人大系譜〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0522 千宗佐〈號天然、稱如心齋、又丁々軒、原叟男也、仕紀州、性敏而數奇才秀於衆、嘗與弟一燈議定茶道七事之法、至今爲茶道家之淸賞、寬延四年八月十三日沒、〉

〔博道隨筆〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0522 博道〈○板倉〉曰、今喫茶家七事とやいふ事なすに、其一事に十種の茶なる有、是は香より起しとのみおもひしに、其事初めしは千の宗左なるものなせし、此事知りてなせし歟、

〔茶道筌蹄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0522 七事〈別に七事の書あり、故に略す、〉
七事の内、回花、回炭、茶カブキの三事は、むかしよりあり來る者也、其餘の四事は、如心齋新に製す、六事出來の後の碧嵓の語に、七事隨身といふにもとづき、樂人の及第より工夫をなし、一二三の式を製し七事の數に合す、
花月 始は花鳥といふ、四季の花鳥の札にて主客を定む、春は梅に雉子、夏は桐に鸞、秋は菊に鶴、冬は松に鷹の札を用ひたりしを、後四季通用に花月に定む、此とき花月の二字を書して花鳥の札に換ふ、
旦座 趙州の語に、旦座喫茶去の語をかり用ゆ、
茶カブキ 假名にて書べし、大折居は五寸四方、總て白紙にて金砂子、小折居は表淺黃生漉、裏金布目、大〈サ〉一寸五分四方、小は花月に用ゆ、
一二三 月は上の上中下、空は中の上中下、花は下の上中下、客の札は亭主に踈粗ある歟、目のおよばざるに用ゆ、硯蓋は十種香箱のフタをかり用ゆ、

〔茶道七字要書〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0522 廻花之式
一時節之花品々花臺ニ組、水次之上ニ茶巾ヲ疊ミ置、花切小刀何レモ花臺ニ取ソエ持出、花一遍二遍、或ハ何遍ニテモ、各花ヲ入替ル也、
但茶湯ニ不用、花モ時宜ニヨリ用ユ、或ハ紅葉梅モトキノ類、 一床例之如ク花入ヲ掛置、案内スル客座ニ着テ、主方花臺持出テ、座敷ノ口ニテ花臺前ニ置テ一禮ス、各總禮也、主方花臺ヲ持行床ノ右ノ方、
但座敷ニヨリ見合タルベシ、始ヨリ花臺置付テモ置ク、
一主ト上座ト一禮在テ後、上座次エ一禮在テ、花ヲ入終テ本座ニ着ク、次ノ客又次エ一禮在テ、前ノ如ク行テ花ヲ見、上座エ一禮在テ花ヲ揚ゲ、又自ラ花ヲ入テ座ニ着ク、但シ、〈花揚ル一禮ハ、直ニ次エ一禮シタル跡ニテ、其座ニテ上エ一禮在テ立モヨシ、〉評ニ曰、上客花ヲ入〈ル〉ト、次客立テ花ヲ見、又次ノ客次エ一禮シテ花見、ダンダン花ヲ見仕廻タルトキ、上客座ヲ立テ、自分ノ入タル花ヲ揚テ、モトノ座ニ居ルト、次ノ客一禮シテ花ヲ入ル也、人ノ生タル花ヲ揚テ、自分之花ヲ入レルハ失禮也、
一何遍廻リテモ如是、二遍目ヨリハ次エ一禮花揚ル例ナシ、又引ト思フ者ハ次エ一禮スル、
一仕廻ノ花モ主上客時宜ニ依テ、何レ成トモ仕廻フ、尤客花ヲ入タル時ハ、主方エ挨拶在テ水ヲ次グナリ、終テ座ニ着タル時、主方立テ花臺ヲ持、初メニ同ク座敷ノ口ニテ一禮在テ取入也、
一花ノ内、閑話在テモヨシ、
一茶ノ湯ニ付タル時ハ、前後ノ禮ナシ、〈○中略〉
廻炭之式
一客各座ニ着、主方炭取ヲ持出、勝手口ニテ炭取前ニ置、一禮有、各總禮ナリ、炭取ヲ持出、例ノ所エ置付ケ、羽箒ヲ出、釜置ヲ出シテ、釜ヲ揚ゲ、圖〈○圖略、以下同、〉ノ所エ引寄セ、客總禮有テ爐邊エヨル、鐶ハ例ノ如ク鐶付ノ通エ置、羽箒ヲ取、爐邊ヲ掃、本ノ如ク炭取エ掛、炭取ヲ片付ク、〈但シ所ハ圖ニ記ス〉
一主方勝手エ入、半田例ノ如クシテ持出、底ヲ取ル事常ノ如シ、サテ下火ヲ能ホド入レ、火箸底取ヲ右手ニ持添、半田ヲ持入也、灰保錄ヲ持出、例ノ所エ置、炭取ヲ本座エ置付ケ、常ノ如ク道具合セ灰ヲマキ仕廻、上座エ一禮スルナリ、主炭置時ハ、常ノ如ク炭ヲ置、薰物ヲ焚、道具夫々炭取エ入、炭 取又最前ノ圖ノ所エ片付ル、〈但シ大キナル香合ハ、炭取ト釜トノ闘エ置テモヨシ、尤羽箒モ同ジ、〉主勝手エ入、半田エ長火箸添持出、炭取ノ坐エ置付、末座エ着、〈但シ灰保錄ハ鐶ノ通エ片付ル也、勝手エ入テモヨシ、〉
一上座次エ一禮シテ爐前エ行、其上座立タル跡ヲ明ケ不置、サテ炭ヲ見テ一禮有テ、長火箸ニテ置タル炭ヲ半田エ揚ゲ、長火箸半田エ掛置、〈但シ壁有時ハ壁ヘモ立カケル〉サテ炭取ヨリ火箸ヲ取、炭ヲ置、其火箸ハ又炭取エ入置力、半田ニ掛置カ也、元ノ坐ヘ着、
一段々如是何遍ニテモ同事也、次々エノ一禮、又炭揚ル、一禮ハ二遍目ヨリハナシ、〈但シ引ント思フ時ハ、次エ一禮スルナリ、〉
一仕廻ノ炭モ上座カ主方ノ炭ナリ、何レニモ時宜ニ依、主方仕廻時ハ、前ノ如ク炭ヲ揚ゲ、灰ホウロクヲ出シ、灰ヲマキ炭ヲ置キ仕廻、〈客各初座エモドルナリ〉灰保錄ヲ片付、次ニ半田ヲ取入、又出テ炭取ヲ本坐エ置付グ、羽箒ニテ爐邊ヲハキ、薰物ヲ焚、〈香合所望アラバ出スベシ〉釜ヲ掛、灰保錄ヲ取リ入リ、炭取ヲ持、始ノ所エ坐シテ一禮有テ入ル也、
一上座始メ炭置時ハ、主方灰マキ終テ本座ニ着居テ、上座炭置仕廻坐ニ着タル時、勝手エ入半田ヲ持出、其所エ置付、坐ニ着也、
一上座仕廻ノ炭置タル時ハ炭仕廻、上座本座ニ着タル時、主方釜ヲ掛ル事如何、
一臺子長板ノ時ハ、炭取ヲ持出置付テ、臺子ノ前ニ寄リ、臺子ヲ先エ能ボドニ突寄ル也、其外棚類見合隨之、此時ハ釜掛タル後、前ノ如ク臺子引寄置付ル、
一炭ノ内、閑話有テモヨシ、
一茶ノ、湯ニ付タル時ハ、前後ノ禮ナシ、
茶カブキ之式
一茶四種ニ客一種ヲ棗二宛ニ分ケ、〈但四種ハ試ノ茶也〉客一棗加エテ都合九ツ、〈但シ三種ニ客ハ、二種二客、一種二客也、〉長盆ニ ノセ、臺子又ハ、棚ニ餝リ置點出シ、切掛ノ札紙ヲ用テ茶ヲ打合スナリ、〈但試之茶ハ、棗蓋ノ上ニ名ヲ書付テ、キヽ茶ハフタノ裏ニ印、〉
一茶ハ茶師ノ名字ヲ用、棗札紙記錄何レモ名字ヲ書也、〈但札紙ハ上ニ茶師ノ名字ヲカキ、下ニ人々ノ名ヲ書ナリ、〉
一掛板ハ其日組合セタル茶師ノ名字ヲ書付、書院程能所柱ニ掛ル、〈但勝手ノ方ニテモ、客ヨリ見ユル所見合タルベシ、葭屏風ニモ掛ル、〉
一札紙ハ人數ニ合セ切、掛紙勿論折居五ツ共ニ重ネ、奉書硯箱其上ニ折居札紙ヲ重ネル也、文鎭ニテ押エ、書院次ノ間ノ床或違棚ナドエ餝ル、尤床ナキ所ハ程能所ヲ見合セ餝ル、又ハ勝手ヨリ持出テモヨシ、
一通ツキ通ナシ勝手二人、〈但一人ハ客方、一人ハ主方、一人ノ時ハ主方ノ勝手兼ル、〉座席閑話在テモヨシ、〈○中略〉
花月之式〈○圖略〉
十種香ノ札或ハ松ノ紋梅ノ紋、何レニテモ一組ヲ借リ用ヒ、花ヲバ主方トシテ茶ヲ點、月ヲ客方トシテ茶ヲ飮、賓主互ニ換札十二枚之内、花ノ札一枚、月ノ印ノ札一枚、月花ノ印ナキ札三枚、客ノ札三枚、都合八枚ヲ用、〈但月花ノ札四枚ノコル〉札ハシタン、黑タン、タガヤサン、竹櫻、其外何レニテモ、其人々ノ所持ニマカセテ用、札ノ紋凡松竹梅ヲ好、其外各乘能紋ヲ見合用ユナリ、
十種香ノ折居
札ニ同所持次第借リ用、文字一ヨリ十マデノ内、何レニテモ用ユ、
一八疊敷ニ側アル書院ニ人數八人、〈名札假ニ足袋〉通ヒ少年ノ者ヲ用、〈座席ニヲイテ札ヲ名乘計、始終各無言、〉銘々フクサ結フクサノ内用ユ、臺子棚類ヲモ用、折居モ飾ル、〈札ノ數ハ人數ニ合セテウツムケニシテ折居エ入置ナリ、人數スクナキ時ハ花月ノ印ナキ札ヲ除、〉時宜ニ依テ風爐先屛風ヲモ用、衣桁ノ間在ニハ形ノ衣桁抔用べシ、〈但ナカンヅク人數ハ主客五人ヲ好、札ハ月花二枚、客三枚尤逎アリ、○中略〉 數茶之式
一香ノ札十組ノ内一組ヨリ二枚ヅヽ出シ、或ハ一ナレバ何レモ一ヲ揃ヒ、客ノ札一枚ヅヽ主客五人ニ札五枚、客ノ札五枚、主客十人ニ札二十枚、折居ニ仰ムケ入用、〈但シ十人ヨリ多キ時ハ、同ジ通ノ香ノ札ニテ、紋ノ替リタルヲ二枚ヅヽ入用、札多キ時ハ折居ニ置出シ、客ノ札ヲ取ツクシ後疊ム、尤奉書切合セヘダテニ入事在、折居モ大ヲ用、〉
一亭主菓子盆煙草盆ヲ出シ折居ヲ持出、上客ノ前ニ置、茶具運ブ内、上客ヨリ次エ一禮在テ、客ノ札ヲ一枚取リ順ニ廻ス、末座ニ至而亭主モ札ヲ取、末座エ折居ヲ渡シ、茶ヲ點事常ノ如ク、〈尤通ノ者ニテモ苦カヲズ、通ノ時ハ主札ヲ見テ何ト覺エ置、其札ヲ紋ヲ上ニシテ折居エ入通ヒエ遣ス、通其札ヲイダシ置、タヽミノ目ニテカズヲ取、多クナラバ二ツニ折タルガヨシ、〉
一末座札一枚取出シ置見テ、紋ヲ名乘合タル方茶ヲ飮ナリ、時宜ニ依テ二人三人、又ハ幾人ニテモモヤイ茶ヲ廻シ飮事モアリ、此時ハ二人ナレバ札二枚出シ、上ノ人ヨリ飮廻ス、札ヲ興ニ外ノ者ノ札ト取替ル事モ在、〈但シ末座桎ナレバ松、水仙ナレバ水仙ト言、此時紋合タル客、同ジ松ナレバ松、水仙ナレバ水仙水仙ト言デ茶碗ヲトルナリ、〉
一札ヲ引事モ在リ、又入事モ在、〈但シ引タル人ノ札ハ、折居エ入ズ出シ置、〉
一茶ノ數ハ主客五人ニ五フク、十人ニ十フクヲ定トス、菓手煙草盆抔モ用ヒ、靜ニ咄シテ茶飮ナリ、
一客多キ時ハ釜二ケ所ニ掛テ、兩方一度ニ立ル、タガイニ炭ヲ直シ點ル故、百フクニテモ續テナルナリ、
一末座ハ茶ヲ飮、通ハ尤茶ヲノマズ、
一數茶ノヤハラカナルヲ好、夫故座モ不定也、合ニ著ク、倂ナガラ稽古ノ爲用ル時、隨分正敷シテ可勤、花月ナドノ式ヲ見合作略可時宜、〈但シ正シキトキハ煙草盆ナシ、カザリ菓子類出ル、主ムカイニ出ルカ、案内アルベシ、又モヤイノ茶末座ニテモヨキホドライヲ見合ツヽカケテ用ルナリ、初中後所ヲキヲハズ、併モ先ハ仕廻ヨキナリ、〉
旦座之式 一花、炭、香、濃茶、薄茶、
此五品ヲ以テ花炭香ヲ客方エ所望シ、濃茶薄茶ハ東半東勤之、〈但シ通付通ナシ、東ト云ハ亭主、半東ト云ハ脇亭主也、〉
一客三人東半東五人ヲ定トシテ、凡客四人迄ニ東半東以上六人マデ限トス、
一座敷ハ何レノ座敷ヲモ用ユ、シカシ花月式法ノ坐敷ヲ好テ、假ニハ疊敷ニテ凡其形ヲ定ム、〈○中略〉
一二三ノ式 濃茶
一客方九人迄、十〓香札ヲ借テ、上中下ノ位ヲ打也、〈但シ月ノ札一二三ヲ上トシ、印ナキ三段ヲ中トシ、花ノ三段ヲ下トス、客一枚ヲ自由ニ用、月ハ天、花ハ地ト見ルベシ、〉
一香ノ札、小筥共五人ニ五筥、九人ニ九筥借用ヒ、上ニ二枚客札ヲ蓋ニ置、硯蓋ニノセ、尤折居十ノ内一ツ借テ、同ク硯蓋ニ置合ス、
一宗匠在バ扇子ヲ合、〈但宗匠茶點テモ扇子ヲ出ス〉宗匠ナケレバ扇子不出札打捨ナリ、〈但シ主方札打事ナシ〉

〔茶窻閒話〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0527 僧行譽が曰、十服茶記錄の中に、回茶貢茶といへる事は、回者聞一而知十、賜者聞一而知二との語に本づきて名づけしなり、是本非といふ茶の勝負を、風流になしたる後人の作意にして、茶道の本式にあらずとて、宗旦はこれらを茶歌舞妓と異名して用ひられざりし、

〔茶道聞書集〕

〈甲〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0527 茶香風聞(チヤカブキ)、茶歌舞妓、是は世上にて取扱ふ文字、
茶カブキの名、元伯居士の頃よりもてはやせしにや、利休居士の文に、カブキ茶と云事有、如心齋其式を改正せしより、文字も片假名を用ゆ、

〔茶道聞書集〕

〈乙〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0527 良休、宗佐年忌の時、流芳軒茶カブキ、此追善の爲茶盌五十作る、晝時より茶カブキ始、書院風爐釜四方棚の上に、茶盌二ツ重ね眞中に置、下に水指、上段に良休椿の畫掛る、前に三ツ具足蠟燭立香爐花入、附書院眞中に張文庫の蓋に棗とも入れ飾る、客は宗安自分上坐、其外鬮ド リにして坐に付く、風爐右の方宗安より十人任尺末座、八疊敷目分初め十人善次末座、二の間床に利休像掛る、三疊敷金風爐に大阿彌陀堂掛、長四疊に宗也、宗鎭、道圓、喜齋、右は茶のまず、玄關に、立賢、宗哲、筆者如水、三疊敷に秋波、宗閑、棗の蓋に胡粉を以て一二を付る、流芳茶二服ヅヽ一度に點る也、試みあり、試すみて菓子口取を出す、此茶カブキ客の茶なし、札入は十種香の札入借り用ゆ、尤茶の目掛て、左のカンバン上段の柱に掛試、此通圖す、
○ 片岡 森 馬場 上林 竹田
片岡 宗安
森 宗安
馬場 宗安
上林 宗安
竹田 宗安
〈昔の札一枚宛なれど、流芳五枚ヅヽゆるす也、此札五枚ヅヽ一人前也、棗の蓋のうらにはり紙有、蓋の上に胡粉にて流芳合紋を作る也、不審、〉アタリ、宗安〈ニ〉、山下總左衞門〈ニ〉、知仙院、自分、
右濟て、一汁一菜の非時を出す也、
良休居士年忌二十五回忌成ベシ、此年流芳高野へ參詣あり、正德五乙未年也、良休居士卒年は、元祿四辛未年七月十九日也、追善茶カブキの樣子、いまだ其式も治定せる事なしと見へたり、

〔東都歲事記〕

〈一/三月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0528 廿八日、品川東海寺中少林院利休忌、千家の茶人集會して、茶の湯の七事を行ふ、

鬬茶

〔異制庭訓往來〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0529 芳札遙絶、思仰無極之處、擬曲水宴、可鬪茶會之由承候、然學古風之式、不當世之體之由承候、尤不心得者乎、雖尾籠之申狀候、此御會凡可無興乎、茶香之翫者、只當世樣以珍體風情、以淳朴比興之義、雖然非末捨一レ本、又捨本取末者、異端攸攻也、取本捨末兩共可嫌、釋儒二門嫌偏執也、雖末不捨、所以者何、子張曰、雖小道必有見、君子道何先何後、加之佛家嫌末崇本爲高見慢、大乘修行人動起此見、小乘謂之增上慢也、有本者必有末、有源者又有流也、夫茶之爲茶、始植而後摘之、始植則本、後摘則末也、植之不摘、則豈有之服之之茶哉、故桑苧翁之茶經、陸龜蒙之茶記、言之備、異朝名山者、建溪、蒙山、廬山、浮梁、我朝名山者、以栂尾第二也、仁和寺、醍醐宇治、葉室、般若寺、神尾寺、是爲補佐、此外大和寶尾、伊賀八鳥、伊勢河居、駿河淸見、武藏河越茶、皆是天下所指言也、仁和寺及大和伊賀之名所比處々園、如瑪瑙瓦礫、又以栂尾仁和寺醍醐、如黃金鉛鐵、以末流之名譽、殊振本所之價聲、依之有樣々之按排、所謂十種茶、六色茶、四種十服、二種四服、三種釣茶、四季季茶、新古打拔按排、無合不合、茶磨之遠近、葉之大小、壺之善惡、靑火之調也、又御大事之由承及候間、雖隨分之秘藏、深瀨、河上、小畠、天狗谷、一瀨、外畑、岩傳、門不見、橋反等、各入眞壺淸江之候、御批判之後、可本銘、當世樣如此、恐々謹言、
姑洗二日
謹上北谷實禪御坊

〔喫茶往來〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0529 祗今月或所、本非已下之批判、可後日之稽古之由令之、色々茶五種、兼茶桶之蓋書一二銘送進之處、且々如思食愚身被當世之風儀、時々雖好士之坐右出所等之判、一切不存知一レ之、無心所望、雖其憚、賜御礼之詞、遣彼所一レ欲、備愚慮之面目、仍作恐進覽之、定有秀逸之譽歟、不御意、委細記給者、生前之大幸也、恐惶謹言、
〓賓十九日 周防守幸村 謹上五十位君源藏人殿〈侍所〉

〔海人藻芥〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0530 葉上僧正入唐之時、重而茶ノ種ヲ被渡、栂尾明恵上人翫之、サレバ本ノ茶ト云ハ栂尾也、非ト云ハ宇治等ノ事也、

〔狂言記〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0530 茶つぼ
わが物ゆへにほねをおる〳〵、心のうちぞおかしき、さ候へばかうこそ、さ候へばこそ、さてもわれがしうとの、中國一の法師にて、ひの茶をたてぬ事なし、いやいちぞくの寄合に、ほんの茶をたてんとて、五十くわんの、くりをもち、おほくのあしをつかふて、ひやうごのつにも著たり、兵庫たつて二日に、とがのおにも著しかば、みねの坊、谷の坊、ことにめいゑんしけるは、あかいの坊のほうさきを十斤ばかりかいとり、此つぼにうち入、うしろにせおふて、國をさいて下れば、〈○下略〉

〔昆陽漫錄〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0530 本非茶
太平記に曰く、佐々木道譽、我宿所に七所を粧りて、七番菜を調へ、七百種の課物を積み、七十服の本非の茶を可呑、〈(中略)明惠上人茶を栂の尾へ植ゑしより、栂の尾の茶名品にして、本の茶には、栂の尾の茶を用ふるなるべし、〉これにて本の茶は式多く、非の茶は式少なくして、今の濃茶薄茶と云ふが如きことしるべし、辻某の家の貞和の頃の殘本の中に、祇園社家記の殘册あり、その文左の如し、
祇園社家記に、茶何種と云ふこと有之、或云、十二種、或有四十種、數ケ所有之、
巡立本非茶次第
一番〈五日〉良 二番〈九日〉仲 三番〈七日〉仙 四番〈七日〉美
五番〈六日〉親尊 六番〈九日〉岐 七番〈十日〉秋 八番〈十日〉中
九番〈十一日〉妙 十番〈十一日〉中 十一番〈十二日午〉目 十二番〈十三日午〉菊 右會過毎日午刻者雖五人取行、於遲參之輩者、不親疎待之、茶十種、懸物二種、可當人沙汰、仍所定如件、
康永二年九月五日
これは五日六日七日九日十日十一日十二日の七日を會日と極め、今の十種香の如く、茶何種にてものこらず飮み當たる者を一番とし、それより飮み當たる數によりて番を立て、七日の會をはりて、勝負を定め賭を得とみゆ、太平記にて見れば、必ず七日を一會とするにもあらず、日數は勝手次第とみえたり、下の良仲等の字は、十種香の目錄の如く名の一字なるべし、親尊の二字は、位賤き人ゆゑ二字書なるべし、さて七所を粧るは、石州流の眞の臺子の七所飾のことなるべし、七番菜は、今の卓子の六碗菜八碗菜と云ふごとく茶湯は菜を一番二番と段々に出だすゆゑ、七菜のことなるべし、盧㒰謝新茶歌に、一椀喉吻潤、二椀破孤悶、三椀搜枯膓、惟有文字五千卷、四椀發輕汗、平生不平事、盡向毛孔散、五椀肌骨淸、六椀通仙靈、七椀喫不得也、惟覺兩腋脅々淸風生とあるにようて、本非の茶に多く七の數を用ふるなるべし、さて本非の茶は、賭の多くして財を費すゆゑ、紹鷗いまの茶湯をはじめしなるべし、

〔壒囊抄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0531 十服茶、記錄ニ回茶ト書、又回ト書ハ圓座ニシテ飮巡ス心歟、廻ト書ハ誤ナリ、又ハ貢茶共云、豈メグル心ナランヤ、十服茶法、茶三種ヲ以テ各四服ヲ裹テ、各一服ヲ取テ試トス、仍殘所三三九服也、不試茶一種アルガ故ニ、是ヲ客ト云也、是ヲ三種試ト云也、近來ハ茶三種ヲ以テ、各三服ヲ裹テ客ヲ加フ、仍テ是ヲ裹攻(ツヽミヅメ)共云、无試茶共云也、最初ニ聞ヲ一ト定テ札ヲ不打故ニ、一種試共云也、是ヲ回茶ト云、回ハ顔回ガ回也、聞一ヲ十故ニ爾云也、又貢茶ト云モ子貢ガ貢也、子貢ハ聞一以テ知ト二云リ、以四種十服茶ナレバ、一種ヲ以テ三服ヲ裹ムヲ、聞一知二卽知三ヲ也、同ジ茶ナルガ故ニ、四ケ度ニ知所ハ劣ナレ共、十ヲ知義同キガ故也、

〔博道隨筆〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0532 北條執權の末に及んで、七十服茶、百服茶などいふ事聞えし、京都將軍慈昭院殿、〈○足利義政〉の頃より專らになりける、其比の茶禮は、今の樣とはかわりて、本の茶、非の茶といふを分ち、品々の茶を點じ出す事十服より百服にも至る、是を呑もの褒貶をなして勝負を爭ふ、相阿彌が君臺觀に茶器を多く長盆にならべすゑたる事の見えたる、茶數品なればなり、其中に十服茶などいいふ式は、茶三種を各四服づゝ包み、三種四服の中、各一服を取て試とし、殘る處三々九服に客といふ茶を一種そへて、以上十服を點じ出す、是を十服茶といふ、又三種試初に呑を一と定、其次を二三客として出す、試なき式あり、これをツヽゼメとも無試茶ともいふなり、これを又回茶といふ、顔回の回にて、一を聞て十を知るといふ事にとりたり、又試の有を貢茶と云、子貢の貢にて一を聞て二を知るといふ事にとりたりといふこと壒囊抄に見へたり、今考るに、當時の十炷香の式に相同じ、東山殿〈○足利義政〉の時に、山名宗全十服茶を能呑覺へしといふ事、蜷川覺書といふものに見へたり、其茶式轉じて今のごとくなりけり、元龜天正の頃より千利休が作り出せるにはじまる、今も其子孫千と稱して、茶禮を以て家を建て京師に住せり、

〔光嚴院御記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0532 元弘二年六月五日癸卯、資名卿實定卿已下少々近臣等祗候、有飲茶勝負、被賭物、知茶之同異也、實繼朝臣、兼什法印、各一度勝也、給懸物、其後小一公秀卿參、賴定卿包一、又有勝負、孔子分方可調進繪一弓之由被定之、

〔太平記〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0532 千劔破城軍事
大將ノ下知ニ隨テ軍勢皆軍ヲ止ケレバ、慰ム方ヤ無リケン、或ハ碁雙六ヲ打テ日ヲ過シ、或ハ百服茶、褒貶ノ歌合ナンドヲ翫テ夜ヲ明ス、

〔太平記〕

〈三十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0532 公家武家榮枯易地事
公家ノ人ハ加樣ニ窮困シテ、溝壑ニ塡(リ)、道路ニ迷ヒケレ共、武家ノ族ハ富貴日來ニ百倍シテ、身ニ ハ錦繡ヲ纒ヒ、食ニハ八珍ヲ盡セリ、〈○中略〉都昌ハ佐々木佐渡判官入道道譽ヲ始トシテ、在京ノ大名、衆ヲ結テ茶ノ會ヲ始メ、日々寄合、活計ヲ盡スニ異國本朝ノ重寶ヲ集メ、百座ノ粧ヲシテ、皆曲彔ノ上ニ豹虎ノ皮ヲ布キ、思々ノ段子金襴ヲ裁キテ、四主頭ノ座ニ列ヲナシテ並居タレバ、只百福莊嚴ノ床ノ上ニ、千佛ノ光ヲ雙ベテ坐シ給ルニ不異、異國ノ諸侯ハ、遊宴ヲナス時、食膳方丈トテ、座ノ圍四方一丈ニ珍物ヲ備フナレバ、其ニ不劣トテ、面五尺ノ折敷ニ、十番ノ齋羮、點心百種、五味ノ魚鳥、甘酸苦辛ノ菓子共、色々樣々居雙ベタリ、飯後ニ旨酒三獻過テ、茶ノ懸物ニ百物百ノ外ニ、又前引ノ置物ヲシケルニ、初度ノ頭人ハ、奧染物各百充、六十三人ガ前ニ積ム、第二度ノ頭人ハ、色々ノ小袖十重充置、三番ノ頭人ハ、沈ノホタ百兩充、麝香ノ臍三充副テ置、四番ノ頭人ハ、沙金百兩充、金絲花ノ盆ニ入テ置、五番ノ頭人ハ、只今爲立タル鎧一縮ニ、鮫懸タル白太刀、柄鞘皆金ニテ打クヽミタル刀ニ、虎ノ皮ノ火打袋ヲサゲ、一樣ニ是ヲ引ク、以後ノ頭人二十餘人、我人ニ勝(スグ)レント、樣ヲカへ數ヲ盡シテ如山積重ヌ、サレバ其費幾千萬ト云事ヲ不知、是ヲモセメテ取テ歸ラバ、互ニ以此彼ニ替タル物共トスベシ、トモニツレタル遁世者、見物ノ爲ニ集ル、田樂猿樂傾城白拍子ナンドニ皆取クレテ、手ヲ空シテ歸シカバ、窮民孤獨ノ飢ヲ資ルニモ非ズ、又供佛施僧ノ檀施エモ非ズ、只金ヲ泥ニ捨テ、玉ヲ淵ニ沈メタルニ相同ジ、此茶事過テ、又博奕ヲシテ遊ケル、〈○中略〉抑此人々、長者ノ果報有テ、地ヨリ物ガ涌ケル歟、天ヨリ財ガ降ケルカ、非降非湧、只寺社本所ノ所領ヲ押へ取リ、土民百姓ノ資財ヲ責取、論人訴人ノ賄賂ヲ取集メタル物共也、古ノ公人タリシ人ハ、賄賂ヲモ不取、勝負ヲモセズ、圍碁雙六ヲダニ酷禁ゼシニ、萬事ノ沙汰ヲ閣テ、訴人來レバ、酒宴茶ノ會ナンド云テ、不對面、人ノ歎ヲモ不知、嘲ヲモ不顧、長時ニ遊ビ狂ヒケルハ、前代未聞ノ癖事ナリ、

〔太平記〕

〈三十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0533 淸氏叛逆事附相模守子息元服事 京都ニ希代ノ事有テ、將軍〈○足利義詮〉ノ執事細河相模守淸氏、其弟左馬助、猶子仁木中務少輔三人共ニ都ヲ落テ、武家ノ怨敵ト成ニケリ、事ノ根元ヲ尋ヌレバ、佐々木佐渡判官入道道譽ト、細河相模守淸氏ト内々怨ヲ含事有シニ依ヲ、遂ニ君臣犲狼ノ心ヲ結ブトゾ聞ヘシ、〈○中略〉今度七夕ノ夜ハ、新將軍相模守ガ館ヘヲハシテ、七百番ノ歌合ヲシテ可遊ナリト、兼テ被仰ケレバ、相模守誠ニ興ジ思テ、樣々ノ珍膳ヲ認、歌讀共數十人ヲ誘引シテ、已ニ案内ヲ申ケル處ニ、道譽又我宿所ニ七所ヲ粧テ、七番菜ヲ調へ、七百種ノ課物ヲ積ミ、七十服ノ本非ノ茶ヲ可呑由ヲ申テ、宰相中將殿ヲ招請シ奉ケル間、歌合ハヨシヤ後日ニテモアリナン、七所ノ飾ハ、珍キ遊ナルベシトテ、兼日ノ約束ヲ引違、道譽ガ方ヘヲハシケレバ、相模守ガ用意徒ニ成テ、數奇ノ人モ空ク歸ニケリ、是又淸氏ガ鬱憤ノ其二也、

〔太平記〕

〈三十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0534 畠山兄弟修禪寺城楯籠事附遊佐入道事
遊佐入道性阿ハ主ノ被落妝ヲ軈テ知タリケレ共、暫ク人ニアヒシラヒテ、主ヲ何クヘモ落延サセン爲ニ、少モ騷タル氣色ヲ不見、碁雙六十服茶ナド呑テ、サリゲナキ體ニテ、笑戯テ居タリケレバ、〈○下略〉

〔太平記〕

〈三十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0534 諸大名讒道朝事附道譽大原野花會事
柳營庭前ノ花、紅紫ノ色ヲ交テ、其興無類ケレバ、道朝〈○尾張〉種々ノ酒肴ヲ用意シテ、貞治五年、三月四日ヲ點ジ、將軍〈○足利義詮〉ノ御所ニテ花下ノ遊宴アルベシト被催、殊更道譽〈○佐佐木〉ニゾ相觸ケル、道譽兼テハ可參由領狀シタリケルガ、態ト引違ヘテ、京中ノ道々ノ物ノ上手ドモ、獨モ不殘皆引具シテ、大原野ノ花ノ本ニ宴ヲ設ケ席ヲ嚴テ、世ニ無類遊ヲゾシタリケル、已ニ其日ニ成シカバ、輕裘肥馬ノ家ヲ伴ヒ、大原ヤ小鹽ノ山ニゾ趣キケル、〈○中略〉遙ニ風磴ヲ登レバ、竹筧ニ甘泉ヲ分テ、石鼎ニ茶ノ湯ヲ立置タリ、松籟聲ヲ讓テ、芳甘春濃ナレバ、一椀ノ中ニ天仙ヲモ得ツベシ、〈○中略〉一步 三嘆シテ遙ニ躋バ、本堂ノ庭ニ、十圍ノ花木四本アリ、此下ニ一丈餘リノ鍮石ノ花瓶ヲ鑄懸テ、一雙ノ華ニ作り成シ、其交ニ兩圍ノ香爐ヲ兩机ニ並ベテ、一斤ノ名香ヲ一度ニ炷上タレバ、香風四方ニ散ジテ、人皆浮香世界ノ中ニ在ガ如シ、其陰ニ幔ヲ引、曲彔ヲ立雙テ、百味ノ珍膳ヲ調へ、百服ノ本非ヲ飮テ、懸物如山積上タリ、

〔建内記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0535 文安四年四月廿五日、向淨花院、依招引也、飾方丈點心、有回茶、出珍物孔子、其體盡風流、其興添風味、今度數日列行無爲之儀、自他大慶也、

〔筆のすさび〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0535 三谷丹下は、後に宗鎭と改名す、名良朴、南川と號し、又不偏齋ともいふ、原叟の弟子にて、四天王と呼びし一人なり、〈○中略〉藝侯へ召るゝ時に、茶道坊主同格なればまゐらずと云につけ、儒者格にて召るゝにより、承知して往きし人なり、千家の茶敎に七事といふ事を習はす内に、茶歌舞妓といふ事ありて、十炷香の式に傚ひて、茶を呑わけ利(きく)事を主とせり、しかるに良朴この茶歌舞妓といふ名の譯もなき名と、且卑俗に聞ゆるを嫌ひ、同藩の堀南湖先生に議して、一種鬪茶と云事を編出し、その家にては茶かぶきは不用、そのかはり鬪茶を敎ゆ、
鬪茶
蔡忠惠茶錄云、建安鬪試以水痕先者負、耐久者爲勝、故〓勝負之説曰、相去一水兩水、此鬪茶之由也、谷南川講茶禮者、其鬪茶會、約有試茶、有〓茶、毎茶一服、分其香氣味、蓋與香式爲表裏、別自有傳凖、而原蔡氏、掲鬪茶二字、以吿其社友、乃其賞會標置、爲茗仙家一色、請余作詩、
鬪茶傳舊法、心賞輙開場、覆中品初定、不須問蔡襄
元文己未〈○四年〉九月後一日南湖堀正修題

茶品

〔茶道筌蹄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0535 茶師幷茶名
茶名 初昔は慶長の頃より始る、むかしは白といふ製にて有しが、中頃より靑といふ製になり しを、慶長の頃、むかしの白の製に定め給ふに、當時白の製を知りたるは上林の後室のみ成し故、婆々昔と御銘し給へり、〈祖毋昔ともいふ〉但し白靑といふは畑の名といへり、
七園の歌 森、祝、う文字、川下、奧の山、旭の麓、琵琶をひく也、〈○中略〉
薄茶
極詰 別儀 極揃 別儀揃 宇治の茶園此四名の外ニなし
茶一斤 二百目也
濃茶 一袋二十目入、半と云は十匁入、小半と云は五匁入、
半の直段、〈下三匁九分、中五匁七厘、〉昔といふ名よりは、南鐐一片の禮也、
別儀揃 一斤ニ付 十三匁 極揃 同 廿六匁 別儀 同 五十二匁 極詰 同七十八匁
通例の濃茶、此直段と同じ、綾森は三割增、
宇治いづれの家にても此定りなり、三十目代、四十目代といふは、好の茶といふて、定直にあらず、初昔 後昔は壺の大小にかゝはらず、黃金一枚、
此茶賣物にてはなし、據なく所望に依て讓り受取時、一袋金百疋、半袋南鐐一片位の禮也、

〔柳營新編年中行事〕

〈二/二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0536 一宇治の茶被召上次第、上林家之起り、其外茶師家々の名付幷茶之銘、
宇治茶之次第
一茶一斤ト云は貳百目也
一はんたい壹つと云は拾匁也
一上之初むかし 上白むかし 中後むかし 下むかし
上林味卜ひかへのゑん 一宇もじもり ゆわひ ゆづりは 木戸 大祝 小祝 かしま
上林竹庵ひかへのゑん
一あやのもり びわ 若もり はゞら きちもり
末の二色は當代出來茶也 上〈江〉上ル御茶也
法順ひかへのゑん
一内うもじ 外うもじ うろこがた

〔茶譜〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0537 一茶ノ袋ニ極上ト書コト、無上ニ究ルト云ヲ以ノコト也、
一初昔後昔ト云コト、古ハ畠ノ名ヲ則茶ノ名トス、依之森ト云、畠ノ園ハ森ト云、宇文字ト云、今ハ其畠ノ名ヲ、吾々ノ名字ニ付故、茶ノ名ニ唱ガタシ、依之家々ノ名園、上々ノ茶ヲ初後ト云、然バ初後ノ文字ニハ不限處ニ、何レモ家々ニテ初昔後昔ト書ハ如何、答曰、其家々ノ上々ノ園ノ一番ニ摘、最初ニ仕立ルヲ初ト云、翌日摘テ翌日仕立ルヲ後ト云、依之入日記幷茶袋ニ、三月幾日摘初昔ト書、翌日摘テ後昔ト書、其外ノ茶ハ摘ノ日付モ不書、尤家々ニテ名ヲ種々ニ付ル、
一初後トバカリ可書ヲ、昔ト云文字ヲ書コト如何、古ハ蒸茶ニ仕立ル、中奧ハユデ茶ニシテ仕立シ、然ヲ其以後ユデ茶ハ靑香有テ、色モ靑黑惡ト云テ、又古ノ蒸茶ニ仕立ル故、古ノ仕立ナリト云ヲ以、昔ト云文字ヲ書加、
一白ト云コト如何、中奧ユデ茶ノ時ハ、色靑黑シ、蒸茶ハ靑白シ、其白ハハナヤカニウルハシ、依之靑イ中ニ白靑ヲ第一ニ好ムコト也、故白茶ト云心ヲ以、白ト云字ヲ書入ル、
一別儀ト云茶ハ如何、或書物ニ曰、昔珠光所持ノ葉茶壺ニ松花ト云有、此壺茶ヲ持過、煎色味トモニ惡ク成、珠光宇治へ云付テ蒸ヲヒカヘサセシト也、其砌此仕立常ニ替リ、別ニ仕立ルト云ヲ以、茶師ノ云初シト有、然ドモ茶ノ味强シテ次成ユへ、今ハ仕立樣ハ極ト同事ナレドモ、味ノ次成ヲ 別儀ト並テ云ナリ、尤別儀ヲ袋ニ入ルコトハ無之、
一揃ト云ハ極別儀ノ掄クヅヲ揃ヘテ、惡キ詰茶ニ用、其中ニモ能ヲ極ソヽリト云、惡キハ別儀ソソリト云、ソヽリハ揃也、之ヨリ次ヲ上ソヽリト云モアリ、又粉ト云ハ、極ノフルイカスナリ、又吟ト云モ有之ハ、袋茶ニ仕立ル中ニ、若葉ノ蘂ニ白クキラ〳〵トシテ卷葉アリ、之ヲ掄出スヲ云也、

〔甲子夜話〕

〈十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0538 宇治茶ノ名品、初昔後昔ハ世ノ知所ナリ、然ニ上林六郎ノ年々獻品二種ノウヘニ、バヾ昔ト云ヲ獻ズ、コレハ神君〈○德川家康〉ノ御時、六郎ノ祖掃部允ノ祖母〈六角祥禎ノ女ナリ〉ノ摘トコロノモノ、其製ヨカリケレバ、神君戯ニバヾ昔ト仰アリシヨリ、至今テ祖母(バヾ)昔トシ獻ズ、又神君カノ祖母ニ若林ト云處ヲ茶園ニ賜ヘリ、因テ今其處ニ産スル茶ト雖ドモ、餘家ハ此稱ヲ以テスルコトヲ許サズ、別ニ若林昔ナド稱呼スト云、

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0538 享保十二年霜月十日、參候、濃茶ニ初むかし後むかしト云名ニ付テ、昔ノ字ニサマ〴〵ノ説アリト申ス、廿一日ニ取タル茶故ニ、昔ノ字アリナド附會シテ申スハイカヾト窺フ、仰ニ、〈○近衞家煕〉サレバトヨ、無禪ガイツモ申セシ、唯今ノ昔ニマサリタルモノハ茶ナリ、秀吉ナドノ時分ハ、シブ茶トテ味ノ澁キヲ用タルヲ、其後製シテ白茶ト云モノヲ出シテ、又モトノシブ茶ニナリシガ、ドフシテモ昔ノ白茶ガヨシトテ、白茶ニ極リシト也、初後ハ、初メテ芽ヲ出シタル眞ヲツミタルガ初ナリ、其ワキヲカヽエタルヲ二番ニツミタルガ後也、右ノ白茶ニ極リタルカラ、昔ノ初、昔ノ後ト云心ニテ、初むかしト云也ト仰ラル、

〔好古日錄〕

〈末〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0538 ハクムカシ
古茶書ニハクムカシト云茶ノ名アリ、余〈○藤非貞幹〉按ルニ、散牙ハ茶ノ名品ナレバ、若〓ノ字ヲ分テ、攴昔(ハクムカシ)ト讀テ、上品ノ茶ノ名トセシカ、又今初昔ト云ハ、若攴昔(ハクムカシ)ノ誤リカ、廿一日ヨリ前ヲハツト云コト其意通ゼズ、然ルニ後昔ハ初昔ヨリ名ケシナラム、

〔甲子夜話〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0539 宇治ノ初昔後昔ノ名アルモ何トカ時節アリテ、其時ヨリ廿一日前ニ摘タルヲ初昔ト云ヒ、夫ヨリ廿一日後ニ摘タルヲ後昔ト云フトゾ、是モ廿一日ノ字ヲ合セシ也、

〔甲子夜話〕

〈四十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0539 予〈○松浦淸〉ガ祖先天祥院殿ノ茶事ニ高名ナリシハ、今尚人コレヲ知レリ、然シテコノ殿ヨリ今ニ至テ、宇治ヨリ年々摘上ル所ノ茶銘ヲ一ノ白昔ト呼テ、予ガ家ニ限ル、コノ名義予モ審ニセザリシガ、頃聞宇治ノ茶園ニ、一ノ畠ト稱シテ、茶ヲ産スル最上ノ地アリ、コレヲ殿ノ買求メラレテ、其地ヲ西村了以ト云シ茶師ニ與ヘラレ精製セラレキ、是ヨリ了以代々予ガ家ノ口切ニハ、必ズ茶壺ニ初昔後昔ト共ニ、コレヲツメテ送上リキ、コノ昔ト云シコトノ廿一日ノ合字ナルコトハ、旣ニ第三卷ニ云ヘリ、今茲ヲ以テ考レバ、一ノト云シハ一ノ畠ノコトヲ譽テ、白ハ吾朝ノ俗寫ナレドモ畠ノ字ノ省文、昔ハ初後ノ日期ノ如ケレバ、一ノ白昔トハ一ノ畠ノ廿一日摘ト云コトヽ始テ知リヌ、又コノ一ノ畠ノ地、了以ノ末貧困シテ人ニ賣ル、然ルニ今復舊ニ回レリト聞ク、因テシルス、

〔醒睡笑〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0539 茶の湯
古田織部正に數寄あり、こい茶たちて出けるに、客のいふ、此茶士は誰やらんととふ、上林春松が雲切なるよし返答あれば、かの客、今朝の御茶別して忝かな、春宵一ふく直千金とあり、

水品

〔和漢茶誌〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0539 水品
陸處士茶經中論水次第、凡二十一、水皆以山江井佳、宋歐陽修論水以七等、懸邑山村地里悉見乎茶經
本國所取之水亦同山江井矣、茶經曰、山水乳泉石池漫流者上、江水取人遠者、井水取汲多者、和漢同、意如此者不茶眞味也、茶集曰、江山井之淸泉輕甘者、沫餑如花、花薄者曰沫、厚者曰餑、輕細者曰花、浮盌中雲脚、又如廻潭曲渚靑萍之始生、又如晴天爽朗有浮雲鱗然、其沫者若綠錢浮於水湄、又 如菊英重花、累沫皎皎然若積雪者、益其眞香美味、以其水勢淸潔之、可辨乎、〈於本國汲之水尤同、山水遠流其色如乳白者上、江以平旦之、過日出者不取、井水亦同之、不然盞中之茶色神香薄、〉

〔南方錄〕

〈拾遺一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0540 總て朝晝夜ともに、茶の水、曉汲たるを用る也、これ茶の湯者の心がけにて、曉より夜までの茶の水絶ぬやうに用意する事也、夜會とて晝已後の水は不用也、晩景半夜迄は陰分にて、水氣沈みて毒あり、曉の水は陽分の初にて淸氣さかふ、井華水也、茶に對して大切の水なれば、茶の用心肝要なり、

〔筆のすさび〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0540 本邦の水品は 宇治橋の三の間 糺 淸瀧 音羽の瀧水 朧の淸水 大堰川井出の玉水 木津川の淀へ落口 天王寺の增井 布引の瀧 豐樂の榎の葉井 醒井 養老 富士の雪解 羽州最上川 肥後の求摩河

〔雍州府志〕

〈八/古蹟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0540 愛宕郡 柳水 在西洞院三條南、元内府織田信雄公之宅井也、斯水至淸冷也、植柳於井上日色、因號柳水、千利休專賞此水茶、故茶人無之、一説柳水元在本能寺之舊地、今茶屋中島氏之宅地、然今無其井
松本井 在四條東洞院、茶人松本正樂棲焉、常汲斯水茶、今爲他人之有
醒井 在六條堀河佐目牛通西、此水至淸、故茶人專用之、相傳茶人珠光、元南都淨家稱名寺之僧也、還俗後來住此所、慈政〈○政恐照誤〉相公〈○足利義政〉專嗜茶、故時々有來臨、珠光以此水茶而獻之、今井垣石、織田有樂齋改築之者也、

〔雍州府志〕

〈九/古蹟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0540 葛野郡 利休井 在北野西方尼寺東南竹林中、曾豐臣秀吉公使列侯及都下良賤嗜茶人於北野社甫林間各從好而結構茶亭、千利休茶亭汲此水湯、自茲後號利休水
宇治郡 三間水 宇治橋自西方第三柱間、其流水至淸、點茶人必汲斯水、然川流或爲淵爲瀨、故淸水之所有、今必不其處

〔茶窻閒話〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0541 丿貫といひしもの、京都の住人にて、數寄道の逸人なりけり、〈○中略〉或時休師〈○千利休〉日比聞及しものなり、いざ尋んとて、二三子を携へ、其許とひしが、家のそともに石井あり、直に街道にて、人馬のちりほこり立こみて、いぶせかりしを見て、此水にて茶はのまれず、各歸らんといひしを、丿桓聞つけ、表へ出て呼かへし、茶の水は筧にて取が、それでも御歸り有かと、高聲にてよばはりければ、休師それならばとて、人々ともなひ立かへり、舊知のごとくしたしくかたりて、それより交深かりしとなん、


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Last-modified: 2023-04-14 (金) 14:48:17