p.0729 茶筅(セン)
p.0729 茶筅(セン)
p.0729 茶筅(チヤセン)〈又作二茶箋一〉
p.0729 ちや〈○中略〉 茶筅の字、大觀茶論にみえたり、茶はもと末茶にて、點茶に茶筅を用たり、今も末茶の時は然り、元の時よりは葉茶を專らにす、此方にても、始には煎茶にも茶筅を用ゐたりとぞ、今は然らず、
p.0729 茶箋
奈良茶箋 蟠枝沫切、尾張〈幷〉加賀、昔用今廢
p.0729 竺副帥 十二先生之一〈俗云二茶筅一、或作二筌字一、形見二茶具圖贊一、〉
茶具圖贊曰、首陽餓夫毅二諫於兵沸之時一、方今鼎揚レ湯、能探二其沸一者幾希、子之淸節獨以レ身試、非二臨レ難不レ顧者一疇見レ爾、〈茶譜曰、歸潔是也、註曰、筅箒也、〉按、其軸書畫雕鏤飾レ之、
本國以二白竹或紫竹一節一造レ之、紺絲綴レ之、先時用二寶莱之製一、今高山造レ之、〈竇萊高山皆邑名〉
p.0729 茶筌之事
一荒穗、中荒穗、數穗、三色也、其内常體は中荒穗を用、數穗は眞成時用、荒穗は信樂、伊羅保抔、さはが しき茶碗ニ用、尤さびたるもの也、筒茶碗ニ用ゆるは、右三色之内何れなりとも用、竹は油竹ヲ用高山と云所ゟ出ル、
荒穗三十貳本立 中荒穗四十六本立 數穗五十七本立
茶筌色々候得共、如心齋右三色ニ被レ極、此内ニ而筒茶碗は何れなり共勝手次第、
p.0730 水遣之部
茶筅 油竹のみ用ゆ、白竹靑竹は用ひず、
寶來 八十本立 數穗 六十九本 中穗 五十八本 荒穗 四十七本
p.0730 茶筌
軸長 〈長茶筌〉 常茶筌
軸長穗の方常のごとくにて、軸の方計四分計長し、休〈○千利休〉の所持狂言袴に用らる、總じて筒茶空に相應也、長茶筌は前に記す如く湖〈○茶椀名〉に用らるゝ事、茶盌大ぶりには長茶筌よし、常の茶筌にて別義なし、
p.0730 茶盌之事
一茶箲之事圖アリ、又蓬萊流ト云アリ、京師畑枝ノ與太郎ト云者、爾レ今在テ造ル、穗ヲ太クアラアラトシ、眞穗ヲ細ク輭ニ外ヘハヌルト、内ヲ直ニスルニ付テ、眞穗少長クナル也、好テ用ユ、總ジテ利休形ハ編目ヲ絲二筋ニスベシ、竹ノ目ノ方前ニシテ編留後也、
p.0730 一茶筌是は定寸なし、筒茶碗などに軸長を用てよし、白竹すゝ竹ごま竹とも用、茶碗の大小によりて、茶筌の大小吟味すべし、
p.0730 茶せんつくるは、まづその長さに竹きり、穗になすべきところの皮をうすくけ、づり、ろくろにかけて竹のなかをけづり、至てうすく成たるとき、小刀にて八十たも六十にもわ り、またそれをふたつにわるとき、小刀にて一ツ〳〵内と外へきめて割にぞ、内なるは蘂の如く、そとなるは花の如くになるなり、それを絲にてあみてのち、穗のかたちにゑりたる木をあてゝ、絲にてしかとくゝり、湯につけてのち水へいるれば、穗のかたち定り侍るなり、
p.0731 茶箲
按、茶筅削レ竹作レ穗如レ帚甚纖密、振レ茶發レ泡者也、和州高山石政之作爲レ勝、
p.0731 茶筅 河内國高山幷寶來人製レ之賣二京師一、其内寶來之所レ造者、是利休之所レ好也、比二尋常所レ用之茶筅一、則良大、而滾レ茶爲レ宜、四條坊門極樂寺空也上人之徒、亦專造レ之、然麁工而充下滾二煎茶一之用上而已、
p.0731 享保十一年正月十一日、參候、茶筌ノ吟味ナドハ、世間ニクエテナキコト也、アラホノ筌ハ此茶碗、コノ茶筌ハコレト、ソレ〴〵カハリアルハ、風流ニノミスルコトニアラズ、ソレデナケレバ立ラレヌユエナリ、 十四日、參候、筌ノコトモ再ビ窺フ、仰ニ、〈○近衞家熙〉七通リアルモノ也、先アラホ、シゲホ、ツボミ、ヒラキ、節ドマリトテ、七通リ也ト仰ラル、 五月三日、參候、兼テ御物語ノ、茶筌七種ノ形、御ミセナサル、アラホ、〈大小〉シゲホ、〈大小〉ツボミ、〈大小〉大茶筌、 十三年三月五日、參候、昨日御室へ參リテ花ヲ見物致セシガ、友梅ト云ヘル老人、提茶箱ヲ持參シテ茶ヲ立シガ、筒茶碗ノ染付ニテ侍リシ、茶ヲ仕廻ノトキ、岡崎ノ二三ガ余〈○山科道安〉ガ袂ヲ引テ、筒ノ茶碗ニハ茶筌ニ極リアリ、覺悟セシヤト云、不レ知ト對シガ、茶筌ニ節止ト云アリ、アレハ筒茶碗ノ茶筌也ト云、是ニ付、日外節止ノ茶筌ヲ獻上ノ方アリテ、御尋アリシトキ、何ノ爲ヤラント申シ上シガ、尤ナルコトヲ申タリト存ズ、イカニ思召ヤト窺フ、是ハ面白キコトナリ、御流儀ニモ終ニナキコトナガラ、節止ニテナクテハ叶ハヌコト也、上〈○近衞家熙〉ニモ仰付ラレテ、今年ノ御茶ニハ遊バスベシト思石也ト仰ラル、
p.0731 山城 坊門茶筌〈麁相物、空也堂ニテ鉢扣作レ之、〉 大和 高山茶筅
p.0732 奈良の二月堂にて、むかしは靑竹にて麁末なる茶筅を賣り、老若男女これをとゝのへて、詣たるしるしとしてかへりぬ、家にありては是をもて茶をたて客をもてなすこと、南都の風なり、今はこの茶筅たえてなし、むかしを思ふに、靑竹の茶筅麁なるに、茶を立て老をやしなふこと、ならはしとせしを、今時はあたひたうとき器にて茶をして、心を勞し壽を縮る人少なからず、むかしの人、今の人と懸隔あることかくの如し、
p.0732 茶筅置の事
一臺も天目も名物なれば、天目に茶筅茶杓不二仕込一置合る也、茶を立る時、茶筅置に茶巾茶筅茶杓仕込持て出、建水の先に置、茶杓茶筅を取出し、常のごとく置合る也、茶巾をば其儘置、天目をふきて後も茶筅置に置くよし、幾度も同然也、扨茶筅置の茶碗は、高麗のねずみ色くはんにうの手か、靑磁か、形は當代薄茶碗と云形比を用る也、
p.0732 茶筌置之事
一茶筌置は、薄茶茶碗のごとく形あさき物也、古來は、靑磁、三嶋、高麗染付を用ひ申候、此時は茶巾、を疊茶巾にして、茶杓は象牙にて有レ之候、今も瀨戸唐津燒などにて、あさき茶碗を用ひ申候、茶せんを取時は茶巾を片寄せ置、又茶巾を取時は茶筅を片寄せ、二品共に取能樣にいたす事效なり、
p.0732 茶筌置の茶碗に志野といふ名物あり、是は白磁の手なり、白藥がこり、こまかなる裂文あり、茶碗の耳を五葉の花形にきざみ付たるものなり、今はいづかたに有やらんしらずと、
p.0732 茶筌立之事
一杉ノ板ニ竹四角成針三本打たる物也、水遣棚ニ置テ茶筌ヲ立形物也、
p.0732 集雜
茶筅筒 竹にて底紫檀を入る、利休形なり、杉の曲物上のひらきたるも利休形なり、
p.0733 茶酌(シヤク)〈酌可レ作レ杓〉
p.0733 茶匙(サジ)〈茶鍬同〉
p.0733 茶杓(チヤシヤク)〈一名撩雲、見二必用一、〉
p.0733 ちや〈○中略〉 茶杓と稱するは茶匙也、撩雲も同じ、
p.0733 茶匙(ちやしやく)〈俗云茶杓〉
〈一〉露
〈ニ〉匕(カヒ)
〈三〉桶中
〈四〉節
〈一名〉雉股
〈五〉追取(ヲツトリ)
〈六〉切詰
長六寸一分 節〈以上 席(タヽミ)目七ツ以下 席目六ツ〉
按、俗誤以二藥匙一稱二茶匙一、而茶匙乃稱二茶杓一以別レ之、珠光、宗珠、紹鷗、利休、慶首座、瀨田掃部、少庵、道安、道珍等茶人、自所レ削者價貴爲二家珍一、又泉州堺有二甫竹者一、世削二茶匙一得レ名、其長二以二疊目一爲レ寸、或以二指横寸一、
p.0733 茶杓の名所 先のとがりを露(ツユ)といふ、其留りを卯先といふ、茶をすくふ所を總名匙形(カヒカタ)といふ、又かひさきともいふ、眞中に一筋落入たる樋のあるをうば樋といふ、眞中に高き筋ありて、前の方に落入たる樋のあるを兩樋といふ、節柄(フシツカ)の留(トメ)、うらおもて、又ふしなしの茶杓もあり、柄のはづれに節の有もあり、二代目宗佐の作などにはあり、
p.0733 茶匙〈總名也〉 唐宋元明、或以レ銀造レ之、以レ竹造レ之、以レ梨造レ之、以二海貝一造レ之、茶匙其總名也、又有二以レ銅造レ之者一、可レ謂レ陋矣、
玉掲 象牙茶匙也〈珠德作二一品一、二當二本能寺亂一失レ之、適有下柄作二葱臺一者上、〉
蔡襄以レ金造レ之、蓋供二尚茶之職一也、茶錄曰、竹輕不レ便三於取二建茶一、故以レ金造レ之、玉掲亦同、
撩、雲 十六事之一
茶譜曰、撩雲者、竹茶匙也、
本國自レ古至レ今、茶人所レ作品形不レ一、長短縱レ之、撩雲之中、有レ節者未レ見レ之、或表質裏漆、或以二金銀泥一畫二草花一也、珠光、引拙、珠德、紹鷗所レ造、有レ節者蓋鮮矣、柄端五六分之間餘レ節者亦有レ之、中世宗易節置二諸中分一、諸家傚レ之、又曰、茶匙本末隨レ處有二五名一、人人能知レ之、象牙者、珠德及宗易倶作レ之、中世漆レ之、或人曰始二於宗易一也、
p.0734 茶杓之辨
象牙 元來唐物イモ茶杓などを寫したるなり
珠德形 珠光門人南都衆徒なり、珠德形はイモ茶杓のイモをとりたるなり、夫ゆヘヲツトリ太くして短し、大小あり、今にては小の方を通じ用ゆ、
利休形〈大小〉 今行ては小の方を通じ用ゆ
塗茶杓 いにしへは象牙得がたかりし故、侘人は鼈甲又は角を塗用ゆ、黑塗は利休形、溜塗は紹鷗、一閑張は元伯也、
桑 利休形は象牙と形同じ、甫竹齋は桑にて竹の通に削たる有、
節なし 竹茶杓の眞削なり、珠光より始る、珠德、窓栖、羽洲、宗予、〈此人三代あり〉何れも皆節なし、 茶杓を削るに紹鷗はキリ留サカリ節を削る、利休は中に節ある也、〈○圖略〉
元伯已上は湯ダメなり、元伯已後は火ダメなり、 遠州公の歌に ゆがまする人にまかせてゆがむなりこれぞすぐなる竹の心よ
いにしへ茶杓をヲリダメと云は、かならず竹の事也、元伯より草の削始りて、如心齋に至て、草削を盡すなり、それゆへ啐啄齋初は利休兩口を寫す、是は疊の目十二半、老年に至て十三目の草削になるなり、利休兩口の本歌は山中氏所持なり、筒に聚樂とあり、
p.0735 茶酌
一竹茶杓ノ開山周德ト云者削初、羽淵秀廣ト云者傳テ竹茶杓ヲ削、兩代ノ茶杓、其比世上ニ貲翫セシ也、當代稀也、
一珠光紹鷗ノ時代迄ハ、茶杓ノカタギ大形定リタル故、見知者ハ見能也、上代名人ノ作故、人作不レ及也、
一利休茶杓ノ習サマ〴〵也、物毎ノ恰好ヲ茶杓一本ノ内ニ籠タリト、古ヨリ云傳也、目ニ見へ、言葉ニ不レ及也、能傳受シテ受用スベシ、大秘事也、
一茶杓ノ大概、貝先、打合、節裏、節シメ、移リ、兩脇カスリ、方タメ、下切留メ、色々有、
一臺天目ニテ式正ノ時ハ象牙ノ茶杓、竹茶杓ハ略也、常ノ茶湯ニ用、長茶杓ハ臺天目ノ時用也、
p.0735 茶杓之事
鄭煾ガ茶譜ヲ按ズルニ、撩雲ハ茶具十六箇ノ内、竹ノ茶匙也ト云リ、撩ハ取物ヲ攏ルト注ス、竹ノ茶杓唐朝ニ初ル、倭朝ニハ往昔象牙ヲ以テ作ル、其比象牙希有ナリ、故ニ侘人ハ水牛ノ角ニテ作、汚穢ヲ厭テ漆ニテ塗テ用ユ、然ヲ祖師珠光輕ク侘テ、竹ノ目ノ添樋有テ節ナキヲ以テ作ル、紹鷗モ亦從レ之、其後利休ニ至テ、竹ニテ作ランニハ節アラデハトテ、添樋ナキ節竹ヲ以テ造ル、自レ此已往皆從レ之、樋ハ茶ヲ匙フニ便タス、故ニ能茶ヲ杓(クム)者ヲシテ、樋無ノ竹ニテ削リ與ヘタリト也、象牙ニ丸柄ト角柄ト二ツノ形アリ、竹ニハ形ナシ、茶盛ノ大小ニ因テ削ル、勿論大格ノ制アリ、匕形(カヒナリ)ニ 極秘ノ傳アリ、裏ノ肉置ニ習アリ、筒ノ制モ亦傳受アリ、盆立臺天目ノ時ハ、必ズ象牙又ハ珠光ヲ可レ用、盆立臺立ハ古法ナル故ニ、器物モ亦如レ此、茶盛陶ノ時ハ、茶杓ヲ盤ノ緣ニ可レ置、扨茶盛ヲ其座ニ直シ茶ヲ可レ解、塗物ノ時ハ、其儘右手ニ持ナガラ茶盛ヲ座へ直シ茶ヲ解也、又圭首座ノ作アリ是ハ利休下削ヲセラレシ故ニ、其自作ハ添樋有テ、節ヲ本へ寄、格ヲ替テ少傳アリ、最モ可レ用也、
p.0736 一茶杓 朱德象牙、昔紹鷗所持、茄子ノ茶杓也、
一茶杓 朱德二ツ目結象牙、總見殿〈○織田信長〉御代、火ニ入失申、此外朱德之茶杓可レ有レ數、次ニハネブチモ茶杓ケヅリ也、
右兩作、當世ハ捨リ申候、如何、
一竹茶杓 朱德作アサキ代千貫、總見院殿御代ニ、火ニ入失申、
p.0736 坂和田喜六落穗の茶杓堀田へ參らする事、天王寺屋慶子田くらの茶杓の事、一淀の城主の家來坂和田喜六と云者、好んで茶の道をたしなみけるに、いづくともなく茶杓を求たり、何とやらんしほら敷出來たる樣に覺ければ、右茶杓を或時小堀遠江守を招請して見せければ、是は萬屋の作なりと被レ申たり、扨々左樣には不レ存して麤相に仕たり、此上は大切に可レ仕とぞ申、大きに歡びけり、其茶の席に天王寺屋慶子も居たりけるが、私所持の茶杓も何とやらん是に似申たりと云ければ、取よせ見せ給へと有故、慶子則茶杓を遠州へ見せければ、是も同作の物也、隨分大事に被レ致よと被レ申たり、其節坂和田喜六は、右の茶杓に名をつけ給はれと、小堀へ賴みければ、遠州此茶杓誠に拾物なれば、落穗と名付給ふべしといわれし故、坂和田も歡び、此以後落穗とぞ云ける、慶子も其時、何卒私の茶杓も名を御附可レ被レ下と賴ければ、則中村慶子茶杓を田くらと名附可レ申とぞ被レ申けると也、兩人隨分大事にせしを、時の老中堀田相模守是を被レ及レ聞て、坂和田喜六方へ所望被レ致けり、喜六不レ得二止事一して相州へ參らせけり、拾ひ物とて落穗と附し貰 はれけるも是非なし、天王寺や慶子の田くらは、隨分大切にして慶子家に傳へしと也、
p.0737 眞能〈稱二能阿彌一、(中略)按、眞能仕二足利家一爲二同朋一事、蓋普廣院義敎將軍之時也、又造二茶杓一有レ名、是宗師造二茶杓一之初歟、〉
p.0737 一千宗旦曰、昔ノ茶杓創人ハ 春溪 周德 羽淵宗温
右ノ三人上手ト云々、利休時代ニハ、慶首座ト云出家ニ上手有レ之、利休モ下創ハ此慶首座ニ削セシト云々、古田織部時代ハ、甫竹ト云者上手ニテ、織部モ下削ヲ此甫竹ニ削セシトヤ、小堀遠州時代ハ、一齋ト云則茶堂坊主ニ下削サセシト也、
p.0737 いにしへ茶杓は象牙なりしを、紹鷗初て南都宗淸といふものに、竹にてけづらせしとなん、あさぢいもなどいひて節なし、居士〈○千利休〉にいたりて、はじめて節をこめられし也、甫竹慶首座下けづりをなせりとかや、其後茶杓の上手ありて、利休、織部、遠州、石州、宗和など、夫々の風をよくうつしければ、茶を嗜むもの、我流々々の朽を、此ものにあつらへもとめし事にてありしに、是等の杓、後世にいたりて、皆其宗匠達の眞作に混じけるとそ、又遠州の茶道逸齋といふ者けづりし杓おほく有は、寺町二條邊に、竹屋一齋といふ茶杓の上手ありしかば、いつとなく此者の作、逸齋作と相混ぜしと見えたり、又細川三齋翁茶道にも、一齋と云者有て茶杓を造りしが、此人百餘歲の長壽をたもちしとなん、
p.0737 茶杓の作者 守德〈東山殿時代〉羽淵〈守德が次〉鹽瀨〈羽淵が次〉此三人は南都の住人なり、宗淸これも南都にて紹鷗の頃のものなり、かくれなき侘ずきの名家にて、茶杓を削る事上手なり、慶首座堺南宗寺の僧にて、利休同時茶道に名あり、茶杓上手なり、石川六左衞門尾州に住して茶杓を削る事上手なり、
p.0737 一尾一庵〈江戸人、稱二伊織一、諱道高、造二花筒茶杓一有レ名、〉
p.0737 茶杓 揉二竹片一掬二抹茶一、是謂二茶杓一、〈○中略〉凡於二茶杓一專謂レ〓レ之、今洛下人依二前作之摸樣一而 造レ之者多、
p.0738 名茶杓辭
茶杓に名を付て得させよといふ人あり、其いふ人はわが此道によらざるをしりていふなれば、おもしろくおぼえて、雪の夜と書て贈る、君しるや書はしろく夜は寒し、
茶にたはむ竹や雪より猶寒し
p.0738 茶杓記〈石原氏に代りて作れり〉
いにし寬延己巳〈○二年〉の秋、近江の國三井寺の櫻の根をわかちて庭に植置しに、志賀のうら浪たちかへり、とし〴〵春のながめ絶せす、ことし聊その下枝をきりて、茶杓となし、人のもとに贈るとて、そのよし箱の蓋にかきつく、猶一爐の淸風を添て、百花の餘香に飽んとなり、
p.0738 茶杓師 所々に住す、是をあきなふ家、茶ひさく竹輪自在等これあり、堺の甫竹名人也、利久のながれといふ、寺町一齋、
p.0738 和泉 茶酌
p.0738 茶杓 揉二竹片一掬二抹茶一、是謂二茶杓一、利休之所レ造專爲レ珍、常盛二茶杓於竹筒一而藏レ之、其筒亦作二茶杓一人之所レ設也、或筒上記二茶杓號一、又有二作者名一者間有レ之、故無レ筒則不レ爲レ眞、
p.0738 此時〈○利休ノ時〉より其茶杓入を比能竹にて作りて茶杓筒と云、夫に杉か檜にて其口を詰て用、夫より其竹の摸樣、又竹の出所などに思ひよりて作銘をなし、又作者の名印を其筒に記す事也、
p.0738 茶杓花入の事
一茶杓の筒は、樋深き茶杓には、樋なしに本末同太サに削ル、樋ノ淺キ平樋茶杓には、竹ノ目を殘、中ぶくらにけづる、二色計也、削樣習なし、如何にも踈早にソコノメンナドもあらく太く切テ置 也、口は筒に入ル所四分計、外へ出ル所貳分半也、
p.0739 茶巾(キン)
p.0739 茶巾(キン)
p.0739 ちや〈○中略〉 茶巾は拭盞巾也、受汚も同じ、
p.0739 受汚(チヤキン)〈拭抹同〉
p.0739 手幀 受汚(ちやきん)〈今云茶巾〉
受汚以二單布一拭二去茶甌滴露一也、以二朝鮮照布一爲レ佳、大抵一幅五寸許、〈利休流四寸三分〉
p.0739 茶巾
曝布 越中河上 天留布〈當字、天留高麗郡名、不レ知二其字一、〉
p.0739 受汚 十六事之一〈俗云茶巾〉
茶譜曰、茶水點止之巾以二精布一、要レ之長二尺、作二二枚一互用レ之、以潔二諸器一、
本國云二茶巾一者、長一尺、或九寸、幅五寸、或六寸、凡不レ過二於此一、出二於江州高宮一者上、出二於和州南都一者、雖二其製美一、入レ水柔靭合二水濕一、故次レ之、
p.0739 茶盌之事
一茶巾之事、照布又高宮曝ヲモ用ユ、長サノ定ナシ、茶盌ノ大小相應ノ心得アリ、露ヲ能取ベキ爲也、端ヲ縫事、表裏ナキヤウニ互折返シ白絲ニテ縫也、末流ニ寸法ヲ定色絲ヲ用ユ、堅ク不レ用、
p.0739 茶巾之事
一茶巾ハてり布、高宮巾二色也、
一寸法一尺に五寸也、又壹尺五分に五寸五分、二色也、原曳宗左之時ゟ、京一條通よしや町西〈江〉入町伊勢屋勘兵衛〈江〉茶巾地申付、寸法之通り出來也、
p.0740 水遣之部
茶巾 金指一尺に五寸、大の方は一尺五分に五寸五分也、むかしは近江上布を用ゆ、今は奈良晒布を用ゆ、
p.0740 享保十一年極月十五日、夜參候、茶巾ノコトモ、今ノ世ノ茶巾ハ、甚ダ幅セバシ、トリアツカヒガ在ヨキヤウナレドモ、今御前〈○近衞家煕〉ナドノ御流儀ニテハ、イカイ違ヒ也、是モ若クハトリチガヘニテハナキカ、心許ナシ、アノ幅ノセヽキ茶巾ハ、天目ノ茶巾也、天目ハ中バカリヲフキテ、外ヲフカヌモノ也、ソレ故セマキヲ用ルコト也、
p.0740 さる田舍の侘、利休へ金子壹兩のぼせて、何にても茶湯道具求て給はれと也、休この金にて殘らず白布を買てつかはすとて、侘は何なくても、茶巾だにきれいなれば、茶はのめるとぞいひやりける、
p.0740 茶巾 白布七寸許裁レ之、拭二茶碗一、是號二茶巾一、南都瀑布雖レ用レ之、不レ及二朝鮮照布一、此布乾レ濕甚速也、京師室町卷物屋賣レ之、
p.0740 集雜
茶巾筒 竹は利休形、染付類もよし、
p.0740 水差
茶桶 餌蕢(エフゴ)漁大具、以レ竹組、口開頸細、腹大而圓者佳、士請二之篠(アジカ)一、野人謂二之蕢一也、船以二小魚一、蕢爲二取レ魚之餌一、故曰二餌蕢一、南蠻水差似レ之、故水差名二餌蕢一、鷹獒之具名二餌袋一非、 抱桶 半桶 引切 桔 反花飯銅 甑 水續 湯瓶 煎茶瓶 篠耳 茶盆 雷盆 磬形 芋頭土物也、當世數寄者愛名レ之、滋賀樂物 備前物
p.0740 注子 水壺也〈金紫銅胡銅之屬、今俗名二其器一云二金水指一、〉 古者用二金紫銅一、元明皆以二胡銅一爲レ之、今亦同、又有二鐵製一、〈或有二水提點一、其説詳二於居家必備一、傍有二兩耳一者、其形大小低昂、任二人之所一レ用、〉
本國有二水瓶一、其形各異、間有二銅鐵一、或花紋禽獸鑄レ之雕レ之、又有二眞鍮白銅一、白銅者尚二南蠻之製一、胡銅者其次也、朝鮮白銅又其次也、
本邦用二陶器一、出二於伊賀、信樂、備前、唐津一、且京師東乾山亦造レ之、然經緯剛柔之理、不レ能レ得二其趣一、又曰有二染付之製一、摸二草木山澤花鳥雲堂之屬一、間亦加二金銀一以銷二鑠之一、漢土器亦然、其瓷膚靑白者、皆雲脚不レ浮也、又曰、京師有二樂燒一、其形各異、其色有二赤黑一、昔日有二朝次郎者一造二茶盞一、〈○中略〉又彼作二水壺一、宜レ盛二熟水一、〈其解見レ水〉其用與二前所レ謂信樂等五産一並用、雖レ有二苦窳一、人皆爲二雅器一而取レ之、若有二提梁一而舊者、世人好尚レ之、〈○中略〉
熟盂 又水壺也、受二水二升一、〈受二其水一不レ可二一定一、二升者大概其宜、〉
按、茶經曰、貯二熟水一、或以レ瓷以レ沙、曰熟水者汲二淸泉一、而以二水囊一灑レ之者也、
又有二曲水指者一、以二杉片一屈曲、其厚三重、蓋亦同以レ杉爲レ之、猶二古之椦杉合子一、而高凡四寸八分、受二水一升半一、其水未レ滿二十分一爲レ雅、源出二珠光之所レ造建水一也、紹鷗之時、固有二此器一、然宗易損二益之一以傳レ之、其製内漆筋三行、外以二櫻皮一縫レ之底設二三足一、内外倶質、又曰、宗易嘗獻二朝廷一、以レ粉畫二白菊一添二靑葉一、蓋權時之製也、或曰、其孫元伯禁レ之也、師曰、此器用レ之不レ宜二於夏一、不レ宜二於寒一、春秋所レ用器也、亦可レ思焉耳、
瓶 和製、宗易以二雌松一、元伯以二檜樹一、
本井中瓶也、俗冠二釣字一以二釣瓶一呼レ之、以レ槍造レ之、蓋徒以二瓶一字一、則疑二於花瓶、酒瓶、水瓶、銀瓶、銅瓶一也、井卦曰、羸二其瓶一、漢書註曰、盛レ水瓶、禪語曰、雲在レ天、水在レ瓶、是也、
本邦宗易始用レ之、以代二水壺一、其形方如レ箱、以二五版一造レ之、上大下細、又以レ版爲レ蓋以剖二其半一、四面及底皆以レ鐵釘レ之、或人曰、紹鷗作レ之也、不レ知二其所一レ據、蓋宗易以降也、覗三其底面有二花聟可レ見也、其釘浸二鐵花水一凡五十日、〈尺度見二圖書一、多以二五葉松一造レ之、其製精然、興二檜樹一難レ辨、〉
p.0741 水指之部 唐物〈抱桶、天竺、西瓜金、モウル金、〉 靑磁類〈雲鶴、碪、天龍寺、七官、〉 南蠻物〈繩簾、但し横簾、堅簾、〉
冬寒 海老手に似たる物にて、元伯書付に冬カンとあり、此手をいふ、郡山侯御所藏なり、
〆切 南蠻物横筋
南蠻芋頭 碗の手と云、口の廣きを、三谷宗鎭年始の茶に、誤てわりけるを、原叟太箸と銘し祝ひ遣す、
朝鮮芋頭 同細 同平 啐啄齋好、割蓋黑塗、銀の蝶ツガヒ、裏に金の立浪、
海老手 耳に海老あり、なきもあり、
不識 利休所持、化物は友蓋なり、少庵宗旦、宗全、宗也まで傳來、此後尾州大野濱島傳左衞門へ傳ふ、此外に元伯銘の不識といふあり、是は不識の始なり、山中氏所持原叟好の盆の蓋あり、ブセウモノ、不働の二銘あり、不働は郡山侯御所藏、ブセウモノは浪華今宮宗了所持なり、
染付〈古染付虫喰手〉 祥瑞 呉洲
菱馬 御本にて等顔の下繪なりと云、團扇の内に馬二疋と一疋とあり、共蓋、竹の節のツマミあり、
井戸〈擂盆に限る、摺鉢の形なり、〉 紅毛 宋胡錄 繪高麗 安南
同和物金類
渦(ウヅ) 原叟好、大西五兵衞作、千家所持なり、後に如心齋寫し數二十あり、淨益作なり、
廣口 舟の形にて雲耳、花生に兼用、塗蓋也、〈○中略〉
釣瓶 利休所持、塗蓋、花入に兼用、花クバリあり、山中氏所持、
藥鑵 利休所持、少庵元伯仙叟へ傳來、近來浪華油屋彦三郎より近江屋休兵衞へ傳來、則當時所持也、〈津田氏といふ〉 同土物之部
瀨戸〈黃瀨戸〉 鷹取〈筑前〉 薩摩 伊賀 信樂 備前 尹部 唐津 萩 丹波 宇治
仁淸 仁和寺村淸助を略して仁淸と云、御室燒ともいふ、
乾山 光琳の弟と云、尾形三省、鳴瀧村に住する故乾山と號す、京より乾の方なれば也、
同塗物之部
眞手桶 紹鷗好、江岑箱書付あるは山中氏所持、底に朱にて大黑庵とあり、元來は臺子の水指なり、竹臺子に取合すは仙叟なり、又四方棚にとり合すは原叟なり、風爐には一〈ツ〉足を向へなす、平手前は爐風呂とも一〈ツ〉足を前になすなり、
朱手桶 朱に銀の輪、江岑好は内黑塗なり、
黑片口 利休形なり、木地の大の方を檜木地にして、黑塗にしたるは仙叟好なり、
海松貝片口 原叟好なり、外溜内黑、金と朱にてミル貝の蒔繪なり、
同木地之類
曲 利休形に少庵足を付るなり、胴のトジメは〈○此間有二誤脱一〉前蓋のトジメは向ふなり、風呂には不レ用、同菊の繪 利休形なり 正親町帝へ進獻の内
釣瓶 利休形、檜の木地柾目、 松の板目は妙喜庵形なり、尤利休形、
同樂燒之部
福の神 仙叟好、元伯銘す、元は大樋燒、アメ藥、共蓋、
舟曳 常叟好なり、赤、共蓋、
鐘樓堂 元はノンカウ作、アメ色藥、落込み蓋、是を原叟寫して左入に造らしむ、數の内二十歟、
竹の節 原叟好、數の内左入作、赤、共蓋桑原家御茶碗開きの節の好なり、後に蓋を如心齋カンナ メに好む、
飴藥丸 アメ藥、竪に箆目あり、内銀溜、蓋桐の一文字黑搔合せ、原叟好、數二十之内左入作なり、
梔子 如心齋好、左入作、赤、一閑張、ヘギメ蓋、箱表長入名判、如心齋書付あり、數の内なり、元來は利休所持、金の水指を寫したるなり、〈但し水指を造り置て左入卒す、其後箱表書付は長入筆なり、〉利休所持金の水指は、當時平野車屋に所持なり、
手付 元伯好赤は低して共蓋、白は高ふして塗蓋、とも蓋もあり、
黑筒 一入作なり、千家所持なり、〈是は共蓋なし〉
p.0744 水指
一南蠻ノ銅、熟柿色ヲ上トスル、ウツクシク赤キ吉、一ニ南蠻二ニ日本、三ニ大明也、
p.0744 水壺之事
陶ニ壺形芋頭盥ト云アリ、此外色々ノ品多シ、大方ハ友蓋也、盥其外モ塗蓋ニモスル也、鈕ノ彈蓋ノ肉置肝要也、雷盆恰合有テ用ユ、罐、眞手桶、曲水壺ニハ寸法アリ、罐ノ木利休ハ檜ヲ用ユ、元伯ハ松ヲ用ユ、其座ニ置ヤウ、取手ヲ竪ニ置、蓋ノ開閉口傳、釜トノ取合、四方釜ノ外ハ、何レニモ相應タリ、手桶ハ取手ヲ横ニ置ベシ、釜ハ緘桶ノ外、何ニモ應ズベシ、臺子ニモ用ユ、岱棚香臺ニハ難レ用、盥ハ專ラ雲龍ニ用ユ、其外細キ釜、緘桶ニ相應セリ、曲水壺縫目ヲ前トス、總ジテ釜ト水壺ノ取合肝要也、尤茶盛茶盌ト釜炭斗モ同然タリト云共、釜ト水壺ハ大道具、別シラ心ヲ可レ付也、略義ニ片口ヲ用ユ、蓋ヲ取掛テ口ト緣ニ持スベシ、口アル物ヲバ、必ズ釜ノ方べ口ヲ向ベシ、
p.0744 千宗左召ニ因テ江都ニ出ルノ間、紀邸ノ長屋ニ寓シ、茶器ヲ求テ客中ノ用ニ當タルガ、皆麁惡ヲ極タリ、就レ中水サシノ水ヲ度々カユルハ煩シトテ、僕ニ命ジテ大ナル水瓶ヲ錢三百文ニ買テ、コレヲ爐邊ニ置テ用ヒタリ、其瓶ニ不性者ト銘題シケリ、暇ヲ賜リ發足スルニ及デ、門 人所レ置ノ茶器ヲ乞需ム、宗左コレニ應テ配分セリ、
p.0745 茶柄酌(ビシヤク)
p.0745 一宗言云、柄杓ト二字ニ書ハ誤也、杓ト一字ニ書テ吉ト云、
p.0745 茶杓(ちやひしやく)〈俗云茶比左久、用二茶湯一者、唯云二比左久一、〉
按、茶杓可三以斟二煎茶一、如二茶湯用一者、唯稱二和名一、皆以レ竹作、柄長一尺一寸許、〈不レ定〉中間有レ節、自レ節至レ末五寸半許、有三月之輪與二指徹(トヲシ)之異一、而風爐杓柄少屈耳、京師照元之杓得レ名、
p.0745 分盈 十六事之一、俗呼レ之云二柄杓一、
陸子都藍中、及器局各收レ之、以爲二六事之一一也、中世宗易應二于釜一而分二其大小差等一、其柄或臺子之中、上下相迫、或自レ爐近二于身一者少切レ之、五分六分許而止、此其陳説也、應二乎釜一之製、凡冬夏之用、總二十二品、雖レ有二二十二品之別一、無レ冬無レ夏其合大小皆同、唯辨以二其柄所レ反之多少一、
p.0745 柄杓之事
一爐之柄杓は、柄先ニ而竹之皮之方短き也、風爐は、柄先竹の身の方短き也、
一柄杓夫々の釜ニ取合する也、其外遠き釜ニは見合用、指通しは臺子ニ用、又常風呂ニ間々用不レ苦、此さし通しは夫々之釜ニ取合せ有る内、何れ成共差通しニスル也、爐の柄杓、風呂の柄杓、指通しの柄杓、何れも柄のはね五分違と有り、是は宗匠方の古き書付ニ如レ斯有、
p.0745 一昔のひさくはかう二寸なり、柄を三分利休きられしなり、〈○中略〉
一柄杓柄のふとく成し事も、遠州〈○小堀政一〉初給へり、
p.0745 釜之事同水遣具
一柄杓之事、形アリ、又惠美須堂庄之柄杓ト云モアリ、此分ヲ用ユ、風爐ノ杓ハ爐ヨリ直ナル事七分也、
p.0746 一柄杓のはねは、風爐ひしやくは六寸、爐ひしやくは八寸也、柄は一尺一寸貳分半三分にも、昔は引通し也、
合口差渡二寸程、又一寸七八分、是も夏冬茶碗ノ大小に見計持出ル故、定寸なし、
p.0746 一柄杓の名所は、柄裏の指込たるキワを三ツ角とも殻首(ケラクビ)とも云、節子細なし、節裏を雉子モヽと云、柄の先キを留と云、柄のいりは、風爐柄杓は六寸六七分より七寸二三分まで、爐ひさくは七寸八九分より八寸二三分迄も有、恰好よしと可レ知、此寸はづれたるは用がたき物也、正言など細工、此吟味能キ也、扨留の所を風爐のさくは分半表のかたヘソギて有、イロリは裏の方ヘソギたる物也、柄の長さは一尺貳寸にして、六寸メに節有と可レ知也、
p.0746 享保十四年三月四日、柄杓ヲ靑竹ニテ致シタルハ、定テ淸ヲ專ニシタル意カ、引切モ靑ク、柄杓モ靑ク、イカヾニヤト申シ上グ、仰ニ〈○近衞家熙〉靑竹ニスルコトメシラヌコトナリ、總ジテ茶筌ナド靑竹ヲ用ルコトイカヾナリ、生ノ竹ハ必油氣アリテ、湯ヲ汲タルトキ必香氣アルモノナリトテ、昔ヨリモ宗匠達ノ仕ラレヌコトナレバ、其分アルベキカ、新ヲ用ルハ、靑竹ナラズトモ淸カルベシト申シ上グ、
p.0746 一宗言云、昔ノ杓指ノ上手ニ庄ト云者有、其後利休時分ハ市阿彌ト云者上手也、市阿彌ハ京六條邊醒井ト云所ニ住ト也、
一宗言ニ問、言云、近代杓指、大津茶柄杓屋ト書コト、其以前江州大津ニ居テ柄杓造出、其末孫京へ來住、其末流ユヘト云、
p.0746 柄杓にも名作有、惠比須堂、〈東山殿時代○足利義政〉養仙坊、〈紹鷗時代〉厄川、仙三郎、〈利休時代〉一阿彌〈佐女牛、水守、豐太閤、天下一に命じ給ふ、〉是等名人なれど、柄杓は茶杓に反して新しきを賞翫すれば、其作の物、其名とともに埋れしは、いと遺恨ならずや、
p.0747 茶柄杓師
室町今出川下ル町 黑田正玄 東洞院丸太町下ル町 柄杓師總言
p.0747 竹屋 近世二條京極所々、幷四條京極東、以レ竹造二諸品物一、第一傚二茶人之舊製一而以二大竹一切二插花之筒一、〈○中略〉或柄杓悉製レ之、〈○中略〉柄杓汲レ湯之具也、竹筒存レ節二寸許切レ之、横貫二竹柄一、以レ之杓二湯幷水一、
p.0747 杓立(シヤクタテ)
鍔口 柑子口〈角而雉尾、或波紋有レ之、〉 雲耳 管耳 糸底無 沙糖壺裏 小羝
p.0747 杓立之部〈古名ヒシヤク立〉
唐物金類
靑磁〈○圖略〉 碪の手の本哥なり、此杓立に似たる靑磁を碪といふ、衣を擣つ槌に似たるゆへなり、 金禰手 瓶子に限る、瓶子とは手口の付たるをいふなり、千家には用ゆる事不レ好なり、 交趾〈形定まらず〉 染付〈同〉 祥瑞〈同〉
同和物之部金類
四葉桃底 小は原叟好、大は如心齋好、〈大臺子に用ゆ〉
瀨戸 黃瀨戸 唐津 樂燒 皆々寫し物也
p.0747 蓋置(ふたをき) 釜の蓋、柄杓をのせ置道具なり、
p.0747 蓋置
蓋居(フタオキ)〈布太乎岐〉用二竹節際一作レ之、其徑高共一寸、
p.0747 竹屋 近世二條京極所々幷四條京極東以レ竹造二諸品物一、〈○中略〉倭俗圓竹徑二寸許、長二寸餘、存レ節切レ之、置二爐邊一安二釜蓋於竹頭一、是謂二引切一、言以レ鋸引二切之一謂也、或稱二竹輪一、又謂二蓋置一、
p.0748 蓋置之部
火屋(ホヤ) ホヤ香爐をかり用ゆ
靑磁一閑人 元來香爐なり、仙叟箱書付には、靑磁香爐一閑人とあり、何れの時よりかフタ置となる、
同無閑人 人形のなきをいふ
同三人形 唐子三人、手を組合せたる形也、
同夜學 足四ツと五ツとあり
赤繪の獅子 一閑人のごとく、人形の所が獅子になる也、
染付三方 竹の節
祥瑞 〈形定まらず〉
交趾 〈同〉
和物金類
火屋 一閑人
榮螺 大は眞鍮、千家にては用ひず、小は唐金、利休所持、
三人形 利休所持、原叟書付あり、和物なり、冬木氏傳來、〈喜平次と稱す〉當時は浪花殿村平右衞門所持なり、
五德 開山五德といふは、紹鷗所持、臺子は切懸釜ゆへ、いにしへは多く五德を用ゆ、〈作は奈良也〉
印 東山殿〈○足利義政〉臨濟禪師の銅印を假用ひられしが始なり、
蟹 筆架假用ひしが始なり
輪 唐物うつしなり 禪鞠 坐禪の時、頭に戴る具なり、形丸し、平なるは驛鈴也、
瀨戸 利休所持、太鼓の、胴とい、ふあり、百會に出す、
樂燒 ツクネ、原叟手造、輪〈赤〉五德〈黑〉と一箱〈ニ〉入、數五十の内、
同穗屋 啐啄齋好、タンハン内金、彌助作、
同榮螺 了々齋好、赤内金、彌助作、今は了入にも有レ之、
竹〈靑〉 〈白〉 紹鷗始なり、節合を切、一寸三分なり、元水屋の具なりしを、利休一寸八步に改め、中節と上節とを製して、道安と少庵兩人へ贈らる、上に節あるを少庵に送り、中に節あるを道安取られしなり、是よりして席に用ひ來る、爐には中節、風呂には上節と定む、少庵ゟ元伯に傳へ、元伯より加州利長公へ獻ぜしに、殊の外御秘藏有しとぞ、白竹を棚にも用ゆるは、啐啄齋より始る、判なきも用ゆ、
p.0749 蓋置
穗屋
天子四方拜の時、用玉ふ香爐といへり、さまによりて蓋置に用る時も、殊外賞翫の一ツ物なり、草菴に用たる例なし、袋棚以上に用、手前の時、賞翫の置所等秘事口傳、
印 夜學
印の文字よむやうにして柄杓のゑに付てよし、生類抔も同前也、能阿彌已來、臨濟禪師の印を蓋置にて用れしなり、是名物也、手前時賞翫置所、穗屋同前と心得べし、印は草菴にも用ゆ、夜學はならさま〴〵あり、夜學の獅子、東山殿〈○足利義政〉御物名物なり、
火卓
爪を上にしても、又は下にしても用、火卓掛の爐、又は風爐に相應せず、釣釜によし、 引切
竹の目客つきに向べからず、印の文字にて料簡すべし、總而置合せたる道具、其外取さばき等、替替我身に對する事なり、引切の大さ釜の蓋に應ずべし、高さも同前、
p.0750 小堀遠江守宗甫公自筆の寫
唐物の蓋置は、古の物、かねの物、共におしなべて總名を夜學のふた置と申ならはし候、其子細は、夜唐にては學問をする時分に、此ふた置を置、かわらけにあぶらを入、とうしんをたふと入、火をとぼし、卓の上に置、何にても書物を見ゐために、夜學の蓋置と云、
p.0750 蓋置之事
一蓋置は、榮螺、五德、夜學、印判穗屋香爐、其外、見立次第蓋置に用ひ申候、竹輪は紹鷗作にて、茶屋に置合申候を、利休小座鋪に用來り申候、〈○中略〉總而蓋置を隱架と云也、此心は、水覆の内に入、臺子に置候は、架に隱すと云儀なり、それを五德の蓋置計を隱架と云は誤也、
p.0750 一利休流蓋置靑竹ヲ用、尤根竹ヲ用コトモ有、然ドモ根竹ハ老人ナド用テ吉、若輩成者ハ靑竹ヲ用テ潔ト云々、鋸ノメ細成ヲ以、皮メニ疵不二出來一樣ニ引切テ、鋸メヲ用、小刀ヲ以切口ヲ繕ベカラズ、節ニ穴ヲアケテ吉、穴ノ丸ク美成ハ、ヌルイト云テ嫌、〈○中略〉竹ヲ能々洗ベシ、節際ノ黑ト垢、或ハ白キ竹ノサビヲ念ヲ入、疵ノ不レ付ヤウニ洗テ吉、竹ノ中ハ鹽ヲ少入、楊枝ヲ以洗ベシ、
p.0750 一引切の寸法、長サ一寸六分、節ゟ上四分、差渡一寸六七分程能候、竹を逆にして用、枝の有竹、枝の元少し置て切も吉、他流に而は上節中節といふ事有由、當流〈○一尾〉に而は夏冬別儀なし、節の眞中に穴明ケ方口傳也、
p.0750 享保十四年二月十八日、參候、世ニ用ユルカクレガト云コトヲ、先日モ申シケレドモ、外ニ人アリシ故ニ仰ラレズ、〈○近衞家熙〉今ノ人、五德ノ蓋置ノ名ヲ、カクレガト云ト覺ヘタルハ、大ナル僻事 ナリ、ソレハ五德ノフタヲキト云也、臺子ノ七カザリニ、風爐釜水指ヲ初トシテ、ミナカ子ノモノヲ用ル、柄杓ハ柄杓立アリ、茶筌ハ茶饗ノセアリテ、蓋置バカリハカザリツクル處ナシ、モロ〳〵カザリツケテ、亭主ノ持出ルモノハコボシバカリナリ、ソレ故フタヲキヲコボシノ内へ入込テ出ルヲカクレガト云、コボシノ内へ入ヲミヘザレバナリ、イカサマニモ是バカリハカザリツクル處アルマジ、〈蓋置ト名ノツキタルモノヲ、又フタモトラズニカザルベキヤウナシト申シ上グ、夫モソウ、マヅカザラレマジ、〉ソレ故ニ、力ネノフタヲキヲコボシヘクミタルヲ、カクレガト云カラシテ、力ネノモノヲカクレガト云、五德ノ名ニアラズ、此御流儀ノ御傳ニテ、大秘密ノコトナリ、必ズ他人ニカタルベカラズト仰ラル、
p.0751 一東山殿〈○足利義政〉軸の蓋置といふ物あり、東坡が南山の軸とて、南山の懸物の軸の金具也、筑前の國宗福寺より紫野大德寺へわたりて、東山殿に傳り蓋置になりたるよし、
p.0751 雜賀一揆等降參幷勢州敵徒蜂起事
同月〈○天正五年三月〉廿三日、若江ノ城迄御凱陣〈○織田信長〉ナリ、當城ニ於テ化狄ト云フ茶入、天王寺屋龍雲ト云者所持候ヲ召上ラレ、開山ト云フ、蓋置、今井宗久ト云者ヨリ召上サセラレ、二銘ト云フ茶杓、以上三種ノ御茶道具、過分ノ金銀ヲ代物ニ被レ下沼上ラレ御悦ビナリ、
p.0751 みづこぼし 建盞をいふ、下水ともいへり、又建水の音轉じて、けすいといふともいへり、
p.0751 手岶 建水(みづこぼし)〈水古保之〉
建水磁器銅器隨レ有用、所三以棄二餘滴一也、
p.0751 水倒 〈水覆 下水〉
合子 骨吐 棒頭 鑁〈塞二底穴一者是也〉 茶飯裏(サハリ)〈當字也、高麗總食器之言也、〉 瓮蓋 鴟口古餌磨 〈粉鉢也〉
p.0752 建水 以レ杉製レ之、一名滴器、
世用二飜覆滴三字一、漢書曰、建二領水一、今從レ之、古多用二銅器一、榲杉之製、珠光之所二始作一、後世諸家皆用レ之、自二珠光一以降、其形不レ變、以二榲杉一版一屈曲爲レ之、相合處櫻皮縫レ之、内外無レ漆、〈尺度見二圖書一〉
又曰、後世或雖レ有二鐵銅瓷三物一、皆借二其名一稱二建水一、其銅制自レ古諸家所レ尚者、蠻人所レ造白銅也、形有二大小低昂一、間有二胡銅之制一、其價貴賤萬變也、〈南蠻白銅上、朝鮮次レ之、本邦白銅又次レ之、然中華胡銅有下勝二朝鮮一者上、以三其品形有二優劣一也、擇二其品一而用レ之、則不レ可三以限二於南轡一也、〉
p.0752 水こぼしの事
一曲、紹鷗好、 龜ノふた、ナンバン物ナリ、宜もの、 骨ハキ、水こぼしに用、唐に而食ノ時、骨ヲ吐ものにてかねなり、 からかね〈○中略〉右之外、燒物、かねの物、何れなり共、其宜を見合用、 水こぼし利休銘大脇指、黃瀨戸百會茶ニ出ル名物也、樂燒ニ寫、
p.0752 水こぼし げすいつぼなり
水こぼしは水屋に置なり、面桶、佐張、南蠻物、備前物、紫香城、其外諸國名物多し、茶室へ持て出て遣ふ、
p.0752 建水〈本字受汚〉
唐物金類
砂張 平コボシのはじめなり 紺籮 砂張のうつしなり 棒〈ノ〉先 古説不分明也
合子 物をはかる合なり〈○圖略〉 骨吐 文字のごとし 鉢〈ノ〉子 則鐵鉢の事なり
ウル金
古染付
雲堂 松竹梅 唐花 靑磁
南蠻物
甕ノ蓋 〆切 内澁藥
朝鮮 島物 籠拔 安南
同和物之類 瀨戸
大脇指 利休所持、黃瀨戸也、 紀州御所藏
サシカへ 利休所持、捻貫なり、 加州御所藏
備前 信樂 伊賀 丹波
金物 うつし物
曲物 利休形也
p.0753 水滴之事
建水其品類多シ、金ノ物ハ必ズ臺子ニ用ユ、最モ平常モ用テ吉也、名物アリ、此ハ臺子ニ置事、及臺式ニ記ス、陶モ色々有、甕蓋專ラ用ユ、尤希有ノ物也、尊貴へ獻茶ノ時ハ、必ズ面桶ヲ用ユ、杉ニテ曲ルヲ云、
p.0753 水覆之事
一水覆は瀨戸信樂さはり銅等の類、合子覆數々有レ之候、〈○中略〉面桶の覆は、是も紹鷗作意にて、茶屋に置れ候を、利休數奇屋へ出し候、今の世の口切には、木地の面桶專用來り候、
p.0753 一又水こぼしに形さま〴〵有、先有增を左にいふ、
一先ヅ合子、是を臺子にて用て建水中の眞也、勿論唐金物也、口外へそりたる物也、又左もなきも有、ゑふごの少し口の立タル物也、元來は書院座敷本飾の時、棚下に饋りて塵壺に用し具と也、唐 土にては、魚鳥の骨を吐入ル爲の用に飾ルと也、然ども往古鎌倉の時代に、徑山寺より渡りし臺子の具はしからず、今和、朝にて細工人の形として用ル事、往古より寫し傳へし形にや、
一棒の先きといふ物有、名物も有と云、碁笥の大さにて、高三寸五分、或は四寸程にして、眞錄にツツ立タル物也、棒の先に似たる故の名と云、又底の角ニメンの取たるも有、唐物にてはなしと也、
一瓶ふた、南蠻の土の物と也、口廣くひきゝ物也、元來は壺のふた成故と也、備前物にも有也、
一茶飯裏、高麗の食器也、金の色黃色也、此金色をさはりの手といふ、
一麪桶、是はもと順禮者の食器に似たる故云と也、ナシ渡シ五寸五分、高サ二寸五分法と也、紹鷗茶屋道具を利休見立て座敷へ出ル、しかれども臺子には不レ用、とぢ目を壁付へなす、道安織部は勝手の方角へ掛て置れしと也、遠州宗和は、とぢめ客着へなして置れしと也、夫當時は持出候刻は、とちめむかふへなし、點かゝる刻は、左の手にて會釋、とぢめ跡へなす、古法にケ樣の會釋なし、若宗旦左樣に會釋し事有や、何とやらん目立ていかゞ也、宗旦は道義第一として、侘をもとゝして、古法にもかゝわらぬ程の事は、むつかしき事は仕られぬ趣なれば、恐らくは後世の仕方ならんと也、扨麪桶紹鷗古法の道具をはなれて、初物すかれし物と也、追付に又杉大形の片口も出來しと也、小形なるは利休の好と也、
一其外樂燒に利休の大脇指とて、眞錄にツヽ立て、ひとへ口にて、ロクロメ有建水、長次郎に始て好にて器にして燒かせたると也、本哥は黑藥と也、小形成を、小脇指とて用るは後世の事也、名は黑藥にてロクロメあれば、脇指の割さやに似たる故の名ぞと也、
p.0754 手帕(フクサモノ)〈倭俗啜レ茶之時、以二手帕一包二茶碗一以飮レ之、故謂二之服茶(フクサ)一、〉
p.0754 ふくさ 枕草紙に、白きふくさ、無名抄に、ふくさの絹などのやうにてといへり、帛をいふ也、今もはら手帕をいふは、茶湯の會に起りて、服茶の音也といへど、袱子の音なるべ しといへり、資暇錄に襯二茶椀一といへるは、茶會のふくさの如し、職方など見えたり、
p.0755 手帕(ふくさ)〈服茶、俗服紗、俗云不久佐、〉
按、手帕拭二茶湯諸器一、又啜時被レ掌持二熱甌一、用二紫光絹(ハブタヘ)一袷縫、大抵方八寸、横少短、洛陽鹽瀨氏之手帕得レ名、
p.0755 覆茶物(フクサ) 凡裹二茶器一拭二茶杓一之紫方巾、總謂二覆茶物(フクサ)一、或稱二覆茶絹一、雖レ有二靑白黃之別一、不レ及二紫色一、洛下鹽瀨家裁縫爲レ宜、依レ之世號二鹽瀨覆茶一、
p.0755 帛(ふくさ)
水けなき道具をふく、ふつきんなり、
紫羽二重、又は黃羽二重を用ゆ、大てい八九寸なり、京都の鹽瀨名を得たり、不洗絹といふ、又老人少年の人は緋ふくさをも用ゆ、又しよはといふきのをも用ゆ、
p.0755 司職方 十二先生之一〈俗呼レ之云二服紗一、又曰袱子、或不洗巾、〉
茶具固贊曰、互郷童子、聖人猶且與二其進一、况端方質素經緯有レ理、終レ身涅而不レ緇者、此孔子所二以與一レ潔也、丁謂茶圖曰、以二紋絹一也、
本邦以二染絹一、其色五品、紫、栗梅、淺蔥、絳色、壽福、是也、〈紫、栗梅、淺蔥、緯色之四品者、本國所レ織羽二重、壽福純子之屬、或壽福之字、或偶人、或草花、其文不レ一、〉古以二方五寸許爲レ式、後及二宗易一爲二九寸一尺一、今也依レ之、世人所二常用一之色多紫也、婦人或少年適以二絳絹一、茶黃二色者、老長間用レ之、又曰、其用レ之者、欲レ除二器中塵一也、又賓造二于門一、則主人插レ帶、出以迎接、便爲二禮容一、旣入二茶亭一、賓主相對之時亦然、是卽茶禮之一、全書曰、如レ代二佩玉一、擊レ筑出迎披時無レ不レ佩レ玉、由レ此視レ之、則插レ帶蓋如レ代二佩玉一也、珠光蓋法レ之、可レ謂下和漢並行而不二相悖一者上矣、點茶之巾八寸九寸爲二之凖一、行レ禮之巾九寸一尺、是蓋本國陳説也、
p.0755 服紗之事
一服紗は羽二重也、余は二色也、〈○余以下五字不レ詳〉色は紫、黃がら茶、紅、此三色を用、此内常體紫ヲ用、黃がら 茶は老人の用也、紅は若年之もの、又は極老人用也、
一濃茶の時、紫服紗を茶碗〈江〉付出スハ、茶碗あつき計にあらず、臺〈江〉のせたる心也、又紫は物を淸メる故其心有、依而茶之湯には、初ゟ仕廻迄亭主服紗を腰に附る也、是全身を淸める爲メ也、
一寸法は疊の目十九ト貳拾壹目也、此寸法は利休妻宗音ゟ、利休戰場〈江〉御供之時、服紗に藥を包被レ贈、此ふくさ寸法能候、今日ゟ是を可レ用とて、此寸法に極候也、
p.0756 水遣之部
帛紗 紫 茶 紅 利休形なり、〈兮黃色なるは利休茶といふ〉蜀羽は相傳物に用ゆ、啐啄齋日本新織蜀羽をこのむ、純子風津の類は、出し帛紗に用ゆ、
p.0756 和巾絹ノ寸法
一横一尺一寸、又一尺一寸五分ニモ、下ハ八寸三分五分、九寸五分ニモスル、三方ヲ縫也、九寸四方ノ絹ハ、茶入ヲ包用也、綾シヨハ、北絹ニ而古來ハシタル也、薄キ羽二重、色ハ紫、茶色、赤キモ用也、是ハ二重也、二重ニ而用、厚キ物ハ一重ヲ用也、色ハ紫、茶色也、古ハ赤モ用シ也、和巾絹ト云吉、フクサ物ト云ハアシヽ、
p.0756 幅紗所〈又作二服茶一〉
烏丸通三條下ル町 鹽瀨九郎右衞門 同三條上ル町 鹽瀨淨爾
p.0756 幅沙所
日本橋南一丁目 鹽瀨山城 南槇町中通 藤重當元 京橋南四丁目 祝權七
p.0756 茶通箱之事
一利休好、桐ヤロク蓋、同笹蓋、同三ツ入勝手物也、原叟好同、同樣滑茶箱、如心好、サシ蓋茶通箱、溜塗茶道箱好不レ知勝手物也、茶通箱と通之字ヨシ、茶入ノ桶ノ字ヨシ、
p.0757 集雜
茶箱 桐無地、大小とも利休形、
菊繪茶箱 大は利休形、小は宗全好、
一閑張茶箱 外溜、内黑、大小とも原叟好、小の方に鐁目あるは啐啄齋好、
桐唐戸面茶箱 了々齋好
p.0757 茶通箱
箱は桐にて蓋はさん打ツなり、緖は不レ付、白き紙よりにて眞中をくゝりて封をする、封の三刀と云事秘事なり、人の方へ茶を贈る時、持參する事もあり、又先達て持せ遣す書もあり、濃茶薄茶兩種も、又濃茶一種も又濃茶計り二種も、それ〴〵の心持次第なり、茶入も濃茶を秘藏のものにも入ル、又唐和にても心次第也、薄茶棗中次の類也、封穴のある茶通もあり、茶通に箱取あつかひ、封の切樣等大秘事也、口傳多し、箱の大サは茶入に依て違有り、
p.0757 茶盛之事
一茶桶箱之事、算蓋、藥籠蓋アリ、又極箱詰箱、碾木箱アリ、悉ク寸法ノ書ニアリ、
p.0757 茶桶箱茶湯の事
一茶桶箱は桐の木地さん蓋也、細川三齋流は桐のやらう蓋也、寸法別書に有レ之、
p.0757 一茶通箱ノ事、此形世上にまれなり、利休より去大家へ進上ノ形これ也、利休ノ袖日記には古ノ形とあり、利休ノ作とも見えず、又何人ノ作共なし、世上にまれ成形ゆへ此書にいだす、〈○中略〉
箱ノタカサ三寸三分 幅二寸七分 タケ五寸三分 右いづれも内ノリ也
蓋ノ兩はしに、うらはしばみあり、六分、 蓋ノサン幅一分 タカサ一分リン 總板ノアツミ一 分リン 底より一寸上に鑚ヲ付ル、これにこよりを付テ、左のくわんに符ヲ付ル、 木は嶋桐ノ白木也 箱ノさしやうは、四方おがみざしにする、
利休茶通箱ノ形〈○圖略〉
此形は筑前宗福寺の禪師へ、利休より茶ヲ兩種をくられし時の茶通ノ形也、 寸法ハ前ノ箱同前、木も同前、
p.0758 茶硏 章孝標集、有二黃楊木茶碾子詩一、〈碾音與レ展同、訓岐之流、茶碾子俗謂二之茶硏一、硏音加彦反、〉
p.0758 水遣之部
茶臼〈挽米箱〉 和漢ともに用ゆ、挽木箱は桐さし込み蓋にす、
p.0758 茶磨記
脇坂安親語レ余曰、家藏二一茶磨一、其石者中華傳來之物也、其製者倭工之所レ爲也、舊主淡牧愛レ之弄レ之、作二倭歌二首一、其一曰、年於歷天加與不奈美知也宇須末久和比久志保阿比乃瀨爾古曾阿利計禮(ヲヘテカヨフナミチヤウスマクハヒクシホアヒノセニコソアリケレ)、其二曰、紅乃毛美地乃(ノモミチノ)錦龍田知也宇須幾毛古幾毛(チヤウスキモコキモ)露乃多天奴幾(ノタテヌキ)、舊王謝レ世以來、毎レ對二茶磨一、如レ見二淸容一、毎レ吟二倭歌一、如レ聽二雅音一、願請二一記一、以爲二後證一、余聞レ之感嘆殊甚、長吁不レ止、所以者何、淡牧與二余先考一、金蘭之交、拔レ群絶レ倫、安親者爲二淡牧一被二登庸一之家長也、余昔屢從二先考一應二淡牧之招一、常見三安親執二事於左右一、今所レ請良有レ以也、余亦何可二揶揄一哉、熟誦二二首之歌一、則於二茶磨一似レ不二關渉一、然三十一字之内、共有二知也宇須四字一、與二茶磨二字一同レ訓、乃是倭歌者流之一格曰二物名體一者乎、今又推而試言レ之、則波之齊汨成二巴字勢一者、茶磨旋轉之彷彿乎、薄也濃也、露經緯者、落レ磑霏霏之碾乎、玉塵點雪之屑乎、然則雖レ不二直斥一、暗寓二其名一、而兼二譬喩之義一也、余不レ通二倭歌一不審、識者謂レ何也、鳴呼淡牧不レ可二喚起一、唯有二遺歌之存一、歌因二茶磨一而起磨因二倭歌一而顯、磨不レ可レ磷、歌不レ可レ嗄、歌與レ磨永存、則淡牧雖レ沒、其風流不レ在レ茲乎、頃年安親從二嗣君一、自二信州一移二播陽一、往二還東武一、遂及二斯事一、彼此云云如レ此、〈乙卯仲夏〉
p.0759 諸職名匠
茶臼直し 四條通高倉東へ入町
p.0759 茶臼直 京橋南四丁目
p.0759 勝手道具類
茶上戸 茶入へ茶を入る上戸なり
釜洗 きりわらなり 長さ四寸ばかり、しゆうの毛にて作る、炭も是にて洗、〈○中略〉
茶巾ほし 水屋の天井にかける、流義により用ひず、
炭消 火けしつぼなり
助炭 わり助炭 くさり自在の時用ゆ
爐の上につねに掛置、炭のへらざるためなり、客のときは用ひず、中より分るゝを割助炭といふ、引出しあり、ほいろなり、雪洞 助炭に同じ、風爐にかける助炭なり、
こげぶち 爐壇より爐ぶちへ懸る、客の時は用ひず、〈○中略〉
水こし そこにきぬをはる事、すいのふのごとし、
茶巾盥 茶巾を洗ふたらいなり、かね又は木にても作る、
大口 片口に似て取手なし、是へ水をこして入置、水屋にあり、
釜居 かまをのせをきて、あらふ道具なり、
p.0759 水遣之部
水桶 利休形、杉に檜の割蓋、
水壺 和漢宜しき品を假用ゆ 搔器 水漉 二品とも杉曲〓〈○〓恐物誤〉
三ツ入茶通箱 桐蓋のシヤクリ、二方にあるは利休形、四方にあるは元伯好也、
茶巾洗 利休形杉の曲、金は千家所持砂張寫しなり、燒物染付等も用ゆ、
藥鑵 和漢とも形宜敷古き物を用ゆ、腰黑の藥鑵も利休形にあらず、是野藥鑵を假用ひられし也、
片口 大中小利休形也、中は裏に用ゆ、大小は表に用ゆ、釜へ水を加ふるときは、小はフタ置を用ひず、大は蓋置を用ゆ、〈○圖略〉
夫口 好なし、元來水遣の具にて、釜仕懸の節に、釜へ水を入れ、水さしへ水を入るゝ器也、水指に用ゆるは如心齋より始る、むかしの切立歟、
釜居 利休形、兩面杉
釜洗 椶ハリガネ卷
拭巾 麻布長〈サ〉一尺二寸横布巾、端ヌイ、
雜巾 寸法同樣、木綿なり、
手拭 晒木綿長〈サ〉一尺五寸、端ヌイ乳上より三寸下〈ゲ〉、
右三品の寸法、了々齋より定る、何れも鯨ざし、〈○中略〉
箱炭斗 利休形は桑、元來勝手道具也、老人侘者は平生に持てもよろし、ツカミ結、ツボ羽十五枚、〈左右なきをツボ羽といふ〉いづれの勝手にても用ゆる爲也、
板釜置 利休形、釜をあげるとき角違ひに用ゆ、
炭斗の内、羽根は釜に添ふ、釜置は打かへし、風呂の時は鐵張火箸、爐は桑柄、
茶ハキ箱 利休形、桐の二重廻〈リ〉サン、茶の革紐、内に茶合と二重茶漏斗と、銀の茶杓とを入るゝ 茶合は挽茶一人前九分の積りにて、三人前二匁七分入るゝ器也、茶漏斗、大は櫻、小は柊、茶杓は銀にて桑柄、菊置上〈ゲ〉藥籠ブタ、革紐は宗全好なり、
茶篩 利休形、櫻木地、
挽溜 むかしは唐物大海を用ひたれども、土の物にては茶入を損じやせんと、利休大茶桶一對に薄茶を貯ふ、其後元伯極詰の字を甲に朱書して濃茶を分つ、〈濃茶入甲に極の字あり、薄茶入甲に詰の字あり、今千家に有レ之、〉
挽溜茶桶箱 桐藥籠ブタ、元伯好、桐サン蓋は原叟好、桐木地眞溜藥籠ブタは織部好、〈○中略〉
火吹竹 利休形、サビ竹節二〈ツ〉、
臺十能 利休形、鐵臺柄桑、
炭切溜 檜十文字足
炭箸 杉の八角
炭割 鐵のナタ、檜の柄、
掃込 白鳥は右の片羽、鴻はモロ羽、兩樣とも客の前にて用ゆ、但し白鳥は老人僧體の者、鴻は上下著用の者よろし、
座掃 鴻の片羽、勝手物なり、客の前にては不レ用、中立〈ニ〉用ゆ、
塵取 利休形、桐裏に竹のハシバミ入る、
懸燈臺 利休形、樂の二枚土器、小の方を用ゆ、總じて燈火に添る楊枝は、坐の内はクロモジ、庭は杉と覺ゆべし、
p.0761 釜之事同水遣具
一水遣具之事、大口ト云物アリ、片口ニ似テ取手ノ無物也、是ニ水ヲ入置、釜ニ盛也、尤水ヲ吟味シテ漉用、釜洗ト云アリ、馬藺ノ根ヲ一束ニ結テ、其切口ニテ釜ヲ洗也、 茶巾盥ト云アリ、カネノ物也、則茶巾ヲ可レ洗、
釜居ト云アリ、釜ヲ載置テ洗フ、寸法別ニ記アリ、片口アリ、大中小各形アリ、
p.0762 一水屋雜巾、寸法定りなし、淺黃か紺木綿貳尺計ニ切て水屋に置べし、〈○中略〉
一水屋柄杓 杉柾目
差渡三寸八分半 深サ貳寸壹分半 木厚一分ニヨハシ 底板貳分 柄ノ長サ甲際迄七寸貳分、柄甲際ノ巾三分五リ、同厚貳分、 柄ノ元巾四分、同厚三分、 木口ゟ六分下リ、柄通シノ穴有レ之、先キノ處は、輪ノ下ゟ七分上りて、柄先五厘計出して引通有レ之、ハネハ三寸計にして吉、
一水こし 杉柾目
右同寸にして底なし、布輪巾三分半、厚壹分也、
一水屋手桶
寸法なし、大小ノ五ツたがの桶又は燒物ノ瓶を用、〈○中略〉
一茶巾たらひ 杉柾目
面桶のごとくにして、差渡七寸五分、深サ三寸三分、板の厚サ貳分半、底三分ニよわし、足無曲物也、
p.0762 茶巾洗之事
一杉曲物形也 眞鍮たらい
p.0762 筥 俗云炭斗 圓曰レ筥
字書曰、圓如二箱篋一、古盛二饔餼之米一、致二於賓館一之器也、按、茶經曰、以レ竹織レ之、高一尺二寸、徑一尺、或用レ藤、或用レ茘、如二筥形一織レ之、六出圓眼、其底蓋若二利篋一、又方曰レ篋、適有下鋈二其口一者上、〈鋈者不レ足レ爲二風雅一、今時不レ用、至二宋元明一、嗜レ茶之好士等異二其形一、或高一尺、徑九寸、或八寸、七寸、大者徑一尺一二寸、高三寸、此外大小各有二異同一、〉
烏府 炭斗也〈見二茶譜一〉 鳥府貯レ炭之籃籠也 和名曰二手菜籠一是也
品形不二一定一、以レ竹織レ之、或以二藤茘一造レ之、必以下有二提梁一者上曰二烏府一、贊見レ下、
菜籠〈本國以二細籠之字一者誤焉〉
茶籠茶賦註曰、茶菜籃子之屬、蓋以謂靑茶猶二靑菜之謂一乎、由二茶菜籃一、而轉來謂二菜籠一、〈本茶藍也〉
本國因レ之、以レ竹織レ之、或出二於吉野一〈和州〉者剖レ木造レ之、出二於有馬一、〈攝州〉出二於府中一〈駿州〉者、以レ竹爲レ之、洛陽之制、多以レ竹、或用二藤茘一、其形圓方低昂、唯其意所レ縱、然不レ及二漢器一、造レ之以レ竹、則所レ提共竹、以二藤茘一亦同、其内以二紺紙一糊レ之、或以レ漆塗レ之、〈適有下以二紅漆一者上、其舊者可、新不可、所レ好二新漆一者黑髹耳、又曰、先以二細布一貼レ之、後可レ以レ漆、紙者不レ耐レ久、不レ糊則漏レ塵、〉
籃蔑 炭斗也
籃篤皆用レ有二脣口一尚レ之、間方隅員旁縫レ紋爲レ花、以二藤竹一系レ之矣、亦有下加二竹籜一者上、適有二三足四足者一、其用亦取レ便、茶譜稱二烏府一者、皆以下有二提梁一者上也、籃蔑者以二竹皮一縫二花紋一、有二脣口一者、上脣一者、次口一者、亦其次也、〈脣與レ口之問、有二凹凸一者愈尚焉、〉
烏府圖賛曰、〈形見二茶譜一〉炭之爲レ物、貌玄性剛、遇レ火則威靈、氣燄赫然可レ畏、觸レ之者腐、犯レ之者焦、殆猶二憲司行レ部、而姦宄無レ狀者望レ風自靡一、苦節君得レ此、甚利二於用一也、况其別號二鳥銀一、故特表二章其所レ藏之具一曰二烏府一、不二亦宜一哉、〈見二於茶譜一者有二提梁一、今貯レ炭者總云二烏府一、品形不レ一、高低長短、精粗共有二異同一、於二本邦一造者亦如レ之、〉
烏楦 箱炭斗〈楦古箱字、漢以二槐檀一造レ之、〉
本國以二眞桑與二白桐一造レ之、俗云箱炭取、或抹二精漆一抹二粗漆一、且精漆之製者以レ檜、粗漆之製者以レ桐、其漆淺深、其用隨二時措之宜一、人人以レ有二提梁一、好レ之者、便二於日用一之故也、中世宗易所レ作之尺度圖書見レ之、〈圖書者本國之茶圖也、下傚レ之、〉茶家者流、各隨二其所一レ好、其形不レ一
〓〈漢書註曰、音盈、所レ謂黃金滿〓不レ如二一經一、顔師古曰、〓竹器也、按、今俗用レ之、茶籠蓋也、本國云二亂箱一、借用レ之、〉
按、茶經山谷採レ茗之器、執二其蓋一以貯レ炭、一、曰籃、二曰籠、三曰筥、〈有二圓方大小一、取二便宜者一、〉各以レ竹織レ之、兒婦相共負レ之 以採レ茗、其形大小皆有レ蓋也、用二其蓋一以貯レ炭也、其制有二精粗一、有二脣口一者最尚レ之、〈右三者茶菜籠、受二茶五升一、大者或一㪷二㪷三㪷、負以採レ茶蘯也、〉
本國一曰二菜籠一、或由二其形一、呼曰二圓菜籠、角菜籠、平菜籠一、〈石三者皆本國所レ呼之名也、大小精粗有二異同一、〉皆以二是等者一一統二其名一、而曰二菜籠一、〈可二以爲一レ用者用レ之、不レ足二於其用一者捨レ之、〉
本國俗以二菜籠一曰二組物一、又曰二籃菜籠一、〈○中略〉
瓢 一名胡蘆、〈一本壺盧、俗云夕顔、〉 和名一曰普胡邊、二曰普胡部、三曰浮壺便、四曰福部、五曰福便、或曰服部、〈本國於二城州田中村一産レ之者上、産二攝州泉州一者次レ之、有二厚薄一、肉厚者最好、〉
昔於二攝州服部一〈縣名〉種レ之、故從二其音一呼レ之云二服部一、此二字上所レ謂五樣通音也、近世用二福便字一、今改レ之、茶集中無二貯レ炭瓢一、後始二本國一也、且按、茶集王畢氏並張氏之書内外十有一卷、其餘杜育荈賦其書多、未レ見二以レ瓢貯レ炭者一、今也本國以二風雅一好レ之也、各取二團瓢一、虚二其中一以貯レ炭、蓋以謂無二裁成縫織之費一、亦無二屈曲口脣之煩一、其形寂然不レ動、其性自虚也、新生之瓢、其用一年乃止、明年復以レ新換レ之、實酒落物也、又鑿二開其兩肩一、則殘者自爲二提梁一、或内以レ漆一再抹乃止、歲歲不レ捨用レ之、其便宜哉、
p.0764 炭取之事
一爐はふくべを用、風爐は組物を用、倂春に成り而は爐も組物を用候、瓢を用ても能候、是も口切を出し不レ申、春に成り茶を出したる時抔、ふくべの新しきを遣ふ事よし、常體春は組物能候、組物は何成共用、ふくべは年々出來候物故、新しきを用、古きは惡シ、爐の時、古きを用候よりは組物を遣ひたるがまし也、併古き迚も宗匠の判抔有ルハ能候、是は内黑塗にいたし候がよし、菊桐の繪緣高炭斗を遣時は紙を敷也、内一はいに折て入ル、紙は奉書又色奉書也、炭臺を遣時は、奉書之兩方を臺の内一はいに折、前の緣をはづし、内〈江〉落シ、向を先〈江〉出し敷也、桑の炭取利休、是は勝手物也、常體座敷には廻り炭の時など遣ふ、松の木皮付にて炭取、覺々癆好テ大名〈江〉上ル、さくづ箱、是 は禁裏にて唐粉箱也、
p.0765 澡豆 按、類聚名義抄云、澡豆、和語佐久川、佐久豆、卽澡豆音訛也、今俗呼二洗粉一者卽是、又今茶家有下炭斗名二佐久豆箱一者上、蓋借下古盛二操豆一器上爲二炭斗一也、
p.0765 炭取之部
唐物籠 竹組 卜組あり
和物籠 竹組利休形 有馬土産、啐啄齋好、 寐覺籠、ト組、藤組、宗全好、
菊の繪緣高 利休形 正親町帝へ進獻の形なり〈杉の木地〉
瓢 利休形 手付は元伯好
神折敷 一閑張、大は元伯好、小は原叟好、
葛桶 一閑張、元伯好、大は底に輪なくして深し、小は底に輪ありて淺し、
炭臺 檜、利休形なり、
桑箱 利休形、勝手物、釜の仕懸仕舞に用ゆ、老人侘者は、坐敷に用てもよし、
p.0765 壺盧 或謂二葫盧一、又稱二瓠瓜一、又謂二匏瓜一、倭俗謂二瓢簞一、又稱二浮壺便一、凡壺酒器也、盧飯器也、〈○中略〉又一切伐二短柄一盛レ炭者、是謂二炭斗(スミトリ)浮壺便一、茶人專用レ之、是亦爲二茶亭之一具一、凡瓠瓢小者處々有レ之、其大而盛レ炭者、自二近江國武佐一來、又洛東田中村人、農業暇種レ之、到レ秋成レ實、其未レ熟時、好事茶人自行二其棚頭一、就二蔓上之所一レ有、而約二其形狀之所レ稱レ心者一、或以レ繩縛レ之、則其形隨レ所レ好而成、後伐レ之、陰乾而用レ之、其外皮黴腐而有二斑點一者爲レ良、
p.0765 一炭取
紹鷗カゴ宗久ニ有、昔バカコノ手、又ハ食籠炭取ハヤル、當世ハ瓢簞マデニ候、
p.0765 炭之事 一炭斗之事、夏ハ菜籠カ組物ヲ用、色々形アリ、冬ハ瓢ヲ用ユ、大瓢ハ取手ヲ付テ伐ベシ、必ズ莖ヲ少殘シテ鐶ヲ置ベシ、瓢ノ切口鋸目ノ儘用ユベシ、手瓢ハ必ズ老人ノ用具トス、各釜ノ形ニ因テ取合肝要也、總ジテ爐ハ瓢ヲ用、風爐ハ籠ナリ、勝手ノ鳥府ハ桐ニテ作リ、漆塗テ用ユ、寸法別ニ記アリ、此ヲ用ル時ハ取手ノ角ニ鐶ヲ掛置也、板ニテ作ル、釜置此具タリ、炭色々ヲ組入、上ニ火筯、釜置、香盒、鐶、羽帚ヲ置ベシ、炭斗少クシテ各難レ載時ハ、香盒ヲ棚、帚ヲ栓ニ掛ベシ、棚ナキ時ハ香盒ヲバ必ズ炭斗ニ置、釜置ヲバ紙ヲ用テ懷中ス、後ノ炭ノ時ハ、香盒ヲ杓子エ載テ、土鍋ニ入持出、其杓子ノ入時、香器ヲ其座へ直ス也、都テ炭斗ニ前後アリ、口傳、侘人ハ〓(トヲシ)ノ内ヲ湊紙ニテ張テ用ユ、
p.0766 一炭斗ノコト、口切ニハ新キ瓢單ヲ用ユ、至レ春ハ菜籠、或ハ籠ノ組初ノ炭斗ヲ用テ吉、右口切ニ新瓢單ヲ用コト、口切ハ諸事新改ルヲ本意ニシテ用レ之、然バ瓢單ハ毎年新ヲ用テ吉、
古ハ不レ可レ用、幷至レ春バ籠ノ類ニ替テ吉ト云モ、又改タ心也、瓢單ハ冬ノ古キヲ用ルヤウニテ汚シ尤冬組物ノ類ヲ不レ用ト、〈○中略〉
一利休流炭斗ニ炭ノ入樣、何ノ子細モ無レ之折入テ出ル、然ドモツカミサガシタヤタニ入ルハ惡シ、幷積重テ多入ルモ惡シ、又餘ニ少モ惡シ、其程可レ有レ之、
一千宗旦曰炭斗ニ炭ノ入樣、始可レ置大炭ヲ上へ入テ、夫ヨリ夫第々々ニ後ニ可レ置、スミヲ下へ入テ出ル心吉、之ヲ不レ知シテ、當代ハ始可レ置大炭ヲ下へ入、後ニ可レ置小炭、或ハ白炭ヲ上へ入テ出ル、依レ之上ニ有炭ヲ灰繼ナドヘ取分テ、下ニアル炭ヲ堀出スコト下手藝也、幷炭斗ノ中ハ、成次第ニ炭ヲ入テ、何ノ手モ子細モ無レ之入テ出ル吉、當代ハ炭斗ノ中ニテ、炭ヲ成ホドミゴトニ置スマイテ持出、剰於二爐中一ハ置崩スト云々、
一金森宗和云、瓢單ニ不レ限炭斗ニ炭入ヤウ、中ヘハ小炭割炭ヲ入、上ニハ大炭中炭長炭白炭ヲ入テ出ル吉ト云々、幷口ノ窄瓢單ニ、中ヘハ中炭小炭ヲ入テ、上ニ長ナ六寸程ノ炭ヲ、向フノ方 ハ炭斗ノ緣ニモタセ前ノ方ハ炭斗ノ中へ落シテ入シコトモ有、
一或人云、炭斗ニハ炭ヲ少入テ持出、多不レ殘ヤウニ置テ歸ルハ手柄也ト云シ、之モ當世云初シコトナリ、手柄ト云ホドノコトハアルマジキ、
一大文字屋宗味云、手瓢單ニ炭入樣、中ヘハ大炭輪炭ヲ入、其上ノ脇ヘヨセテ小炭割炭ヲ入、上ニ白炭又ハ細イ炭ヲ入テ吉、瓢單ノ手ヘツカユルボドニシテ、見事ニ兩方ヨリ指入テ吉、火箸ハ前ノ方ニ横ニ指入テ吉ト云々、
右宗味ハ先於二疊ノ上ニ一下炭ヲ置テ見、夫ヲ炭斗へ入テ持出シ也、如レ此於二勝手一下置ヲ仕テ、夫ヲ入テ出ルコト、茶湯者ノ可レ仕コトニハ無レ之、幷大炭ヲ下へ入テ、上ニ小炭ヲ入テ出シ、剰炭斗ノ手ヘツカユルホドニ多入テ出ルハ不レ可レ然、
p.0767 享保十九年正月廿九日、炭取ニ炭ヲ組コトバカリコソ、亭主ノ物ズキタレトテ、コレバカリハ大事ニス、昨日ノクミヤウアシヽ、胴炭ハキハメテ一ツチウヘヲクガヨシ、初手ニ入ルモノナリ、是ガ下ニアレバ、是ヲトリタル時、外ノ炭ノ行儀アシクナルモノナリ、ソレユへ此ヲ上ニ置テ、是ヲ取テ、アトノ炭客方ヨリ見苦シクナキ樣ニ組物ナタ、昨日ノ組ヤウアシキ由ナリ、炭ヲスルニ、前後ノ炭ノサシアハヌヤウニスルハ勿論ナリ、キノウノ炭ニ、輸ノツカイ處同ジケレバ目ニ立ナリト仰セ〈○近衞家熙〉ナリ、
p.0767 火箸〈或象眼、或鍮石、〉
鐵箸用二極古物一 高麗箸
p.0767 炭檛 俗名云二金火箸一
按、茶經以レ鐵六稜制レ之、長一尺、鏡一豐レ中執二細頭一、系二一小銀一、以飾レ檛也、若二今之河隴軍人木吾一也、或作レ鎚作レ斧、隨二其便一也、陸子所二常用一者是也、後世以二眞銅白銅一製レ之、四稜六稜、或長短、各有二異同一、 又云、義政公所レ用之炭檛、珠光常尚レ之、蓋漢物也、今在二何所一乎、〈此外漢土炭檛至レ今猶多、有二古甎遠近一、長一尺及二一尺一寸一者、人人玩レ之、或六寸七寸者、置二手爐一罨二煙盤一、總蠻人所レ造者爲レ佳、〉
降紅 火箸也 見二茶譜十六事中一
以レ銅造者謂二降紅一
本國眞鍮火筯亦同歸、頭有二蔥臺勾鎭一、適有レ如二炭檛一、作レ鎚作レ斧、其色如二眞鍮一、故別二其名一云二降紅一也、炭檛火筴皆以レ銅造、然分二其品一云二白銅一云二靑銅一者、以二其色異一也、無レ虚二其内一而充實者也、
火筴 火箸也
茶經云、一名筯、〈筯、箸也、〉頂平截無二蔥臺勾鎭之屬一、以二鐵或熟銅一製レ之、無二勾臺屈曲一、謂二之火筴一、漢土雖下以二文字一分中其品上、其實同也、有二蔥臺勾鎭一之箸、多以レ銅爲レ之、實二其内一者也、又張箸、本以レ鐵造レ之、虚レ内者也、無レ鳥無レ鎚無レ斧、只有二蔥臺勾鎭一耳、或頭屈曲、共總二其名一謂二之張箸一、諸家動有二以レ銅造者一、其製不レ古矣、今所レ尚之箸、皆漢器也、擇下其長短勾鎭適二於籃籠一者上、是乃茶人之巧也、昔日珠光所二常用一之箸、各漢器也、引拙紹鷗傳レ之、中世宗易以二鐵銅一爲レ之、便二於茶事之用一、可レ謂深思之至矣、又云、朝鮮國製以レ鐵爲レ之、以レ銀加レ紋、頭有二蔥臺一、千氏世世傳二來之一、〈昔日珠光所レ用筯者、非二此火筴一、其實白銅、頭作二烏形一、此火筴者、頂平截無二蔥臺勾鎭鳥形屈曲一、故別二其名一云二火筴一、其實赤銅也、以二其品異一而別呼レ之耳、〉
柄火箸 和名
柄者以二眞桑一爲レ之、其長短異同隨二其便一、多圍爐之間用レ之、或置二于瓢一、置二于箱一、置二于籠一、皆所三以對二圍爐一之具也、若對二風爐一則無レ柄也、漢器銅鐵共製レ之、又曰、全置二諸具於臺子一而對二風爐一、則四時通用、且比レ及二暮秋一以二桑柄一、又比レ及二中春一不レ以レ柄、可レ知下對三臺子與二風爐一則六物兼備上、〈六物者、風爐、釜、水壺、柄杓立、建水、火箸、是也、〉唐陸季疵玉川子、宋蔡襄所二常用一箸、炭檛、火筴、降紅之三耳、未レ聞二有レ柄者一、元明亦然、
本國珠光紹鷗以降、用二有レ柄者一以對二圍爐一、用二無レ柄者一以当二風爐一、及二宗易一專由レ之也、然間長短有二異同一、其品形長短、諸家各異レ之適二其用一、何以爲二一定一乎、凡此類推レ之而可レ識也、於二本國一家家以二銅鐵一、少異二其形一、或有二 内實者一、又或有二内虚者一、各任二其所一レ好、
p.0769 火箸之事
一爐は桑柄火箸二通り利休好、大小、小は六角なり、老人用、 風呂象眼入利休好、鐵はり貫同好、眞鍮椎實頭宗全好、眞鍮耳づく頭如心齋、其外風爐は何れなり共かねの火箸用、 長火著爐二通り、輪の頭、けしの實頭、兩頭共鐵竹の皮に而卷、 風爐長火箸、鐵張拔長きもの也、
p.0769 同〈○炭取〉小道具
火箸 サハリ、炭力ヽリなきは飾火箸、炭取へは桑柄を用ゆ、サハリは紹鷗の所持寫し、椎頭紹鷗所持は當時平野にありといふ、
石蠶子(チヨウロギ) 利休所持、鐵の象眼、千家に傅來す、
鳥頭 角鴟の形なり、如心齋好、眞鍮火箸の表裏の分るために好みしなり、
椎頭 具鍮サハリ寫し
桑柄 利休形、金の所を袋に仕たるもあり、
鐵張 利休形、風呂に用ゆ、
p.0769 火箸
火箸、爐には桑の柄を用ひ、風爐にはかねの火箸よし、
p.0769 小堀遠江守宗甫公自筆の寫
一冬はぬり物の香合、柄付火筯、夏は染付の香箱、さはり火箸、もしは袋火筯もよし、
p.0769 炭之事
一火筴之事、大中小各形アリ、共ニ桑柄也、必ズ瓢ニ用ユ、是冬ノ用具タル故也、瓢ノ大ニハ大ヲ用ユ、三段各如レ此、籠ニハ打延ト云テ、柄ナシニ鐵ニテ作ル、是又形アリ、必ズ夏用レ之、
p.0770 火箸之事附火箸莊之事
風爐の時は鏁火ばし、爐には桑柄を用申候事、利休以來也、爐にて火を多く取あつかひ申候ゆへ、桑柄を用申候、又長火ばしは、爐中底を取申時、半駄に底取長火ばしを組合出シ申候、
p.0770 一圍爐裏火箸寸法
力ネの所五寸、又四寸五分、柄の長サ四寸九分、又五寸三分、 小口ゟ一分半置て、巾一分程針金ニ而卷なり、柄の形チは先細く少中ふくらにして、太キ所にて貳分に强キ程にして恰好見合、
一長火箸長サ一尺三寸、竹ノ皮ニ而柄を卷、間四寸一分、輪之所にて分半スカシ、染麻糸にて卷なり、
一風爐火箸寸法、長サ九寸三分、元ノ所茶の實の如く丸くして、先キ壹寸程ツチメ付ル、鐵サビ色かるはりなり、
p.0770 香合之事
一梅鉢香合利休 こぼし梅香合利休とは申候得共、聢と不レ知、元は宗全方ゟ出たるもの歟、 つぶ菊少庵好 蛤菊の繪利休好、正親町の院樣〈江〉上ル、今以用レ之、 蛤金ふんニテ詩有り、紹鷗好、道安好棗程にして、底三四分計り上テ一文字にしたる也、 くはら香合隨流好、是はニ付ル、くはらん木に而作り、墨塗にて中穴也、廻り〈江〉香を入ル、 木魚、袴腰、地紙箱、樂燒如心好、 雀香合、樂燒宗旦、 やしほ仙叟好 一閑ニテ蔦結文覺々齋好、松之木おし鳥覺々齋好、 ぶり〳〵玉原叟、如心も有り、 紹鷗形は黑塗、梅へ鉢ゟ少シ平目、 屛風箱南京也、蓋に穴なく直成がよし、地紙ノ形は惡シ、摸樣は桔梗に蘆がよし、穴有ルハ虫入也、
p.0770 香合之部
香合は道具中にても至て輕き物ゆへ、利休百會にも香合の書付なし、夫故名物も少し、名物 は堆朱靑貝に限る、張成、楊茂、周明、此三人は宋朝にて堆朱の三作といふ、張源、錢珍、呂甫、金甫、王圓、王賢、印堆、此七人は、元明の間の人、時代定めがたし、前の三人と合せて、堆朱の十作といふ、
存星 彫に星のやうなる物ある故に存星といふ、又存淸と書て人の名といふ説もあり、時代不分明なり、但し東山殿飾書には存淸とあり、
堆黑 唐物にて新古あり、十作の内にもあり、
綠葉紅花 摸樣文字の通り也、十作の内にもあり、
蒟漿(キンマ) 安南國にてキンマを入るゝ器なり、キンマの葉に、梹榔子(ビンロウシ)を包み、石灰を付て、食後に用るよし、木地とカゴ地と二通りあり、此器に似よりのをキンマといふ、〈○中略〉
コマ 高麗(コマ)といふ事ならん、狛樂といふは非なり、
靑貝 唐物と、琉球と二品あり、
象牙 唐物、山中氏に紹鷗所持寶珠形あり、
靑磁類
雲鶴 至て古し
角牛 至て少き物なり、名高きは雲州侯、淀侯、山中氏にあり、角にして蓋の上に牛の浮もやうあり、至て白き物にて、白呉洲ならんか、
桔梗〈七官〉 木瓜〈七官〉 一葉〈七官〉 木葉形〈七官〉 元和慶長の頃、七官といへる唐人の持渡る手を七官といふ、
蜜柑〈七官〉
犬鷹桃 一種の物、桃の上に犬と鷹と向ひあわす物なり、 開扇〈七官〉 木魚〈七官〉 獅子〈七官〉 角〈七官〉 丸〈七官〉
裏白 〈南京靑磁にて内白し、姿いろ〳〵 あり、〉七官よりは時代若し、南京靑磁ともいふ、
p.0772 香合の事
一夏は塗物、冬はやき物を用ゆ、子細は夏は伽羅合香、冬は薰物を用る故也、塗物に色々甲乙あり、難レ及レ筆
p.0772 宗從事 十二先生之一〈俗呼レ之云二茶掃羽一〉
茶具圖贊曰、孔門高弟當二洒掃應對一、事之末者、亦所レ不レ棄、又况能萃二其旣散一、拾二其已遺一、運二寸毫一而使二邊塵不一レ飛、功亦善哉、〈渓以二獸毫一爲レ之、形見二茶具圖贊一、〉蓋宗從事、以二其一柄一運二掃左右一、
本國以二鳥羽一作レ之、或有二一羽者一、有二三羽者一、有下束二用衆羽一者上、又或取二抹茶一、以二左右鳥羽一掃二碾上一、使二英花不一レ飛、是亦宗從事之屬、
p.0772 羽箒之事
三ツ羽には大鳥、鶴、野鴈、トキ、山烏、梟、鴻也、掃込ハ白鳥、鷺也、
一掃込つかみ結には、鴻の羽をあつめ一ツニ結たる物也、是は炭取にも用ゆ、さびたるもの也、桑の炭取抔によし、又掃込にも遣ふ、鴻の大掃込は勝手物也中立或は客前に座敷掃物也、
一四疊半と大目には左羽を用、向點ト風爐には右羽を用、一ツ羽は酷暑に用、
一三ツ羽に寸法ナシ、羽ニ依テ大小有り、格好宜きニス、結樣はこより也、尤掛ル所有がよし、炭取の小サキニ大キ成ルハ惡シ、炭取ニ依而大小可レ用、
p.0772 同〈○炭取〉小道具
羽箒 むかしは鶴、野鴈、梟、鷲など用ひたれども、啐啄齋より鶴に限る、但し三ツ羽は利休形なり、一ツ羽 利休形桑柄極暑によし、勝手により左右共にあり、 ツカミ結 桑箱に用ゆ、ツボ羽十五枚なり、
p.0773 一一手野雁と云烏の羽箒世にはやりし、其始は遠州殿〈○小堀政一〉備中下國の時、野雁を打給ひて、其羽を箒につかひ給ひしより起れり、
p.0773 小堀遠江守宗甫公自筆の寫
一羽箒は、羽の間五寸壹步、柄三寸壹分、羽と柄の間壹分、此寸法を用ゆ、然ども羽に依て長みじか有、取合惡敷故也、さは謂ど棚に寸法極(キハマル)故、圖の無き事は難レ成、其中間了簡有べし、
p.0773 座席之段々同床之事
一羽帚之事、三羽一羽アリ、三羽ハ三枚ヲ重テ、柄ノ所ヲ籜ニテ包ミ二所ヲ結也、本ノ方ヲバ籜ヲ折返ユヒ、其緖ヲ伸テ輪ニシテ掛ルヤウニモ、又別ニ輪ヲシテ、其折返ノ間ヘモ入ル、利休ハ卽籜ニテ結、元伯ハ紙捻ニテ結、コノ時ハ綺(ヨリ)ノ上ニ粘ヲ引也、後ニ毛立故ナリ、柄ノ包ヤウ末流ノ異アリ、羽ハ鶴ノ本白ト鵁鶄ヲ用、此外堅ク不レ用、一羽ト云ハ、鶴ノツボ羽ト云ヲ一枚、桑ノ柄ヲ入テ用、柄ノ削ヤウ形有、廬地ノ腰掛ニ置帚ハ、鵁鶄カ鸛ノ羽ヲ翅ノ節ヲ付テ切テ、籜二枚ヲ以テ、靑麻繩ニテ結也、籜ヲ捻テモ結ナリ、
p.0773 下取土鍋(したとりほうろく)
下に火灰をゝくつかへたる時、此ほうろくへ取入、爐中をならす、又底取土鍋(そことりほうろく)ともいふ、
p.0773 炮烙之部
甕蓋 南蠻のツボの蓋なり 島物 備前、信樂、 樂素燒 利休形なり 同藥懸り 利休形、風呂に用ゆ、 同燒拔 如心齋好、長入より前になし、 同ノンカウ形 素燒に押判あり 同内藥 啐啄齋好、爐に用ゆ、 金入 丁々齋好、善五郎作、黑に金入、爐に用ゆ、
半田之事 泉州半田村にて燒、素燒は爐に用ひ、藥懸風呂也、仙叟好、素燒にて少々小形押形あり爐に用ゆ、大炮烙あり、むかしは底取に用ゆ、長二郎作ある物也、
p.0774 爐同緣之事
一土鍋之事、圖アリ、爐風爐共ニ一ツヲ用、是ヲ灰土鍋ト云、大ナルヲ下取土鍋ト云、灰土鍋ニ灰ヲ盛事、末流ニハ少容ル也、不レ用、七分目バカリ入テ吉、杓子ハ俯テ置ベシ、
p.0774 埴田焙爐具(ハンダホウロク) 茶人入二炭火於埴田一盛二末灰於焙爐具一、以二末灰一粧二爐中一、而置レ炭安レ釜也、
p.0774 下取杓子〈爐中をならすとき、此しやくしにてとる、〉
爐の下取、風爐の下取あり、又底とりともいふ、
p.0774 灰杓子之事
一爐灰杓子二通り、利茶好みは無紋、是は道安好みを利休一見宜由被レ申、形と成ル、紹鷗好みは形角丸の角ニテ柄打延也、横筋有テ菊桐の紋はうらに有、柄は竹之皮ニテ卷、細き靑繩ニテ結、 樂燒灰杓子、紹鷗好とも仙叟好とも云、仙叟にて可レ有、 風呂灰杓子二通り、常體用ルハしきみの葉形也、又少シ小ぶりにて、きつくりと曲りたるあり、
p.0774 灰杓子
利休形 桑柄ニクロミさし込 少庵形 桑柄ベウ打火色 宗全形 大判形竹皮卷仙里形 同斷大形なり 長二郎形 赤樂燒竹皮卷延付燒なり
p.0774 灰さじも、むかしは竹に土器などさしはさめるを、安〈○千道安〉かねにして柄を付たり、休〈○千利休〉はじめは道安が灰すくひ、飯杓子のやうなとて笑ひけるが、是も後はそれを用ゆ、
p.0774 小堀遠江守宗甫公自筆の寫
一冬ほうろくへ大灰すくひ計、夏は大小の灰すくひ吉、
p.0775 爐同緣之事
一杓子之事、爐ノ灰杓子三本、各形アリ、共ニ桑柄也、風爐ハ打延ニテ、柄ノ所ヲ籜ニテ包ミ、紙捻ニテ三所結、籜ヲ綺テモ結ナリ、結目下ノ方ニスベシ、
一下取杓子之事、爐風爐共ニ打延ニテ、取柄ヲ籜ニテ包ミ、靑麻繩ニテ卷ナリ、爐ハ大、風爐ハ小也、末流ニ底取ト云不レ用、
p.0775 火箸之事附火箸莊之事
灰捄、古來は小土器にて灰をまき申候、道安作にて銅の灰捄ひに桑の柄を付申候、今の世迄用申候、
p.0775 遠州〈○小堀政一〉云、唯一簞一瓢の足事を知、身の外を願事を不レ可レ爲、小欲知足の本意を不二了得一故に、一を得ては二を願、以レ三五になす事を不レ知、他の珍器をかぞへうらやみ、きたなき心と成もて行事、同前の道具の新古、價の輕重を論ずる事は拙しと、
實殊勝なり、今の世の喫茶者流の癖こゝに有、いたむべし
山上宗二云、道具一種にても、珠光、宗珠、此衆の心に掛られたる物を所持すべきなりと、
p.0775 近き世に人のもてあそぶ茶の道こそいと心得ぬことなれ、器は古きをもとむるにあらず、唯新らしきをすと尚書に云へるに、今の茶人は、幾年を經たりともしれぬ、舊き茶碗の汚穢不淨にして、しかもかけ損じたるを、うるしなどにて繕ひて用ふ、けがらはしさ云ふばかりなし、朝鮮國の人の常に用ふる唾壺の舊きを求めて、抹茶を貯へて、是を茶入と云ふ、是もけがらはしき竹箆を撓めて匙として茶を杓ふ、是を茶杓と云ふ、〈○中略〉凡萬の器の中に、舊くて善き物は樂器なり、昔の上手のつくりて、多の年を歷たるは、必妙なる聲出でゝ、あやしきこともある故に、樂器は少しも舊きを寶とす、樂器の外は、大方何の器も舊きは新しきにしくことなし、〈○中略〉今の世の茶を もてあそぶ人は、何の珍しきこともなく、すぐれたる德もなき常の磁器を、千金萬金に買ひ取りて、上もなき寶と思ひ、させることも無き人の作れる竹の筒、竹の箆などを、百金にも買ひて、世に珍らしき物と思ふは、大なる惑なり、
p.0776 茶器といへば高料なる物と心得る、いと笑ふべし、高料を好まば、いかけ地螺鈿の臺に、こがねの茶椀のせたらんかた遙にまさるべし、宗易のかたへ或農夫來りて、月ごろ日ごろ財をたくはへて、よき茶器を得侍らんと心がけぬ、此金もて茶器を買ひ給はれといひけり、後の日農夫來りければ、かのこがねにて買置たりとて、白布多く出したるを、農夫驚きて是は如何にと問へば、茶巾だに新らしくば、いかほども客は呼ばるゝもの也とはいひけるとぞ、いと感ずべき事也今宗易が書きたるもの、又は持ちたる器ものゝたぐひまで、千々のこがね出してかひえてんとするは、宗易を貴ぶゆゑに、かくはしたふにてありけり、左程にも貴びしたはゞ、千々のこがね出して、其手澤の存する器をかはんよりは、まづ此茶巾の事いひたる金言を我物とすべし、この金言を我物とすると、手澤の品を我物とするとは、いづれが宗易の心に叶ひぬらんと思ふにや、かの遠州〈○小堀政一〉のいはれしにも、器は新らしきをすと、古きにもあんなり、然るに茶は事そげて奢らぬをせにすればこそ、世の人のこは古きとて捨侍る器物も、かの數奇者は捨てずして、新らしき器物よりも、心あたらしくつかひぬるを、眞の數奇者といふとをしへられけめ、今此意しる人だに稀れなり、持傳へし器ならばさらなり、されど新らしき器得るほどの事いできなば、猶夫れをもうちまじへてこそ有るべけれ、殊に今の人は茶とだにいへば器ものよと心得、その器よといふも、實にわがよきと思ふにもあらず、唯人まねして、此頃は靑磁の香合もてはやすなり、堆朱は人々好まざれば、茶會に用ゐがたしと、皆世上に雷同瓦鳴して、いはゞ婦女の髮のさま、衣服の色目、世の流行を心として、いさゝかも我實見なく、世もてはやせばよきと思ひ、もてはやす事 薄くなりゆくは、はやあしく思ふ情に異ならず、是にてもかの禪意はある事にやあらん、
p.0777 享保十三年九月十四日、參候、宗和ノ説ニ、何ニテモ形ヲ利休々々ト云ヘドモ、利休ノ形ノ今用ヒラレヌモノアリ、强テ用ルハ通屈ナシト云ベシ、今ノ世ノ湯盆ノ形ナド、古へ利休ノトキハサゾアラン今ニテハ全ク鷹ノヲトシ盆ノ形ニ少シモ違ハズ、ソレ故京大坂ノ道具屋ニ、美ヲ盡シタル恰好ノ湯盆ハ、多ク鷹ノヲトシ盆也、若シ左ニアラズトモ、其嫌アレバ、其ノ形ハサクベキコト也、故ニ宗和ノ形ハ、ドチラヘドウコケテモ、ヲトシ盆ノ形ニ似ヌヤウニ製セラレシト也、尤ナルコト也ト仰〈○近衞家煕〉ラル、
p.0777 慶長十二年二月廿九日、大御所江戸ヲ御立、相模國中原ニ爲二鷹野一逗留シ玉フ處ニ、金ノ茶具、釜、天目、水指、同柄杓、同柄杓置、茶酌以下悉紛失、是近習ノ輩ノ仕ワザカトテ、供ノ衆上下其夜ノ泊所之宿ヲ被レ改ト云共、分明ノ儀無レ之、其夜番之衆アイバ勝七、落合長作、岡部藤十郎、是三人ヲ方方城へ被レ預、勝七ハカケ川、長作田中、藤十郎ハ沼津ナリ、 翌朝右ノ釜ノ蓋ヲ藪ニヲトシ置カ、是ヲ見出言上ス、爲二其褒美一金三枚引出物ナリ、 十五年二児二日己未、去未年二月、於二相模國中原一失タリシ、金子茶具水指金已下出ル、
p.0777 此忠興〈○細川〉ニハ、父幽齋ニモ勝リタル行狀多カリケル、後年豐前小倉ノ城主タリシ時、一歲領分大早シテ一向ニ作物モナク、百姓共餓死ニ及バントシケル、其旨役人共ヨリ訴へ、當時ノ飢渴ノミニ非ズ、來年ノ手當モ心元ナシト申ケレバ、忠興大ニ心痛セラレ、中々尋常ノ事ニテハ屆カジ迚、父幽齋ヨリ相傳セラレシ名物ノ茶器等、殘ズ近臣ニ持セ京都へ遣シ、此品質物等ニ入、金子調達シ、急愛ヲシノギ申度候ヘドモ、其位ニテハ行屆クマジケレバ、好キ相手ヲ聞合セ、殘ラズ夏拂ヒ候ヘトノ事ニテ、早々上京シ候所、望ム者多ク候ヘドモ、名高キ品々ニテ、天下ノ銘器ナレバ後難ヲ恐レ、所詮表向ニテ買求メン迚、所司代板倉殿へ伺ヒ候ヘバ、周防守聞レテ、 其茶器ノ由緖ハ何レニモ致セ、當時歷々ノ細川家ニテ賣拂ハレ候ト有ナレバ、別條之無事也、所望ノ者ハ勝手次第買取ベシ、代金等ノ事相濟シ上ニテハ我等モ一覽スベシ、名ノミ聞及ビタル計リニテ今迄見ザリシニ、幸ノ事ト申サレシ故、扨ハ氣遣ヒナシ迚、有德成者ドモ爭ヒテ求メケル、右金子早々大坂へ持セ遣シ、米麥ヲ始メ、何ニ因ズ食ニ成ベキ品々ヲ金子限リニ買調へ、船ニテ小倉ニ差下シ、殘ラズ領中へ分ケ與ヘシ故、大勢ノ者共飢ヲ助リケルト也、
p.0778 榊原康政嫡子遠江守康勝死去、實子有シカド、子細有テ隱セシ故、家斷絶ニ及ントス、弟忠政大須賀ノ養子ナリシガ、養家ヲ捨テ實家ヲ繼グ、稱號ヲ給リテ松平式部大輔ト云、德川家ノ士大將トナリ播州姫路ヲ給リシ所、勝手甚不如意ナリシ故、所持ノ名器ヲ賣レシ、其中ニ天下ニ沙汰セシ名物ノ茶入アリ、京極丹後守廣高望ミテ金一萬兩ニ買レケル、式部ハトテモ天下ニ恥ヲ晒ス上ハ、右一萬兩ヲ錢ニテ申受度ト望レシ故、江戸中ノ錢ヲ買入、車數千輛ニ積送ラレシ、式部ハ是ヲ以總家士ヲ救ヒ、廣高ハ、領内ノ民百姓ヲシエタゲテ、己ガ樂ミヲ極ム、其頃世上ノ評ニ、式部名器ヲ捨テ名ヲ天下ニ上シト云リ、
p.0778 おなじ正盛〈○堀田〉が亭へ渡御ありし時、床の上に嚴子陵の壺といふ名器を陳設せしを見玉ひ、御けしき損じ、かゝるよき壺を公に獻ぜずして世に出すは、長崎奉行唐物査撿至らざる處なりと仰有て、彼地に仰下されしに、その時の奉行は誰なりしや、元より茶技こころ得ねば、とかく茶には、まがりひづみし物を尊むと承れば、舶載の内にて、異樣の物のみ撰みて公に獻り、その外尋常の品は奉らざるよし言上す、老臣等相議し、此事御聞に入なば、尚さら御けしきあしかるべし、されどもせんすべなくて聞え上しに、はたと御手を拍て大に笑はせられ、げに茶技心得跼者はかく有べしとて、以前とは引かへし御樣なれば、みな公の喜怒、その節に當らせらるゝを感じ奉りしとぞ、
p.0779 茶具繕所
御幸町夷川上ル町 川崎儀左衞門〈○中略〉
數寄屋道具師〈一閑細工〉
室町蓮後藤辻子下ル町 岸喜右衞門
數寄屋木具師
御池通烏丸西〈江〉入町 戸田正次 小川通上立賣上ル町 木具師五左衞門
茶湯杉道具師
新町中立賣下ル町 伊兵衞
茶湯指物師
小川通上立賣上ル射場町 駒汲理右衞門
茶湯道且ハ一色所
寺町三條上ル丁 栗田玄竺 四條寺町東〈江〉入町 竹屋吉兵衞 寺町竹屋町下ル町 竹屋嘉介
p.0779 茶湯道具直
京橋金六町 四郎兵衞 南槇町中通 藤重當元