p.0225 藏鉤ハ、テウカハカト訓ズ、今ノ謂ユル、ナンコノ類ナルベシ、
p.0225 藏鉤 三秦記云、昭帝母鉤弋夫人、手拳而國色、先帝寵レ之、世人爲二藏鉤之法一、是也、
p.0225 藏鉤〈テウカハカ〉
p.0225 藏鉤〈テウカハカ〉
p.0225 藏鉤
義陽臘日、飮祭之後、叟嫗兒童爲二藏鉤之戯一、分爲二二曹一、以校二勝負一、若人偶卽敵對、人奇卽人爲二遊附一、或屬二上曹一、或屬二下曹一、名爲二飛烏一、以齊二二曹人數一、一鉤藏在二數手中一、曹人當レ射二知所在一、一藏爲二一籌一、三籌爲二一都一、
p.0225 歲前又爲二藏彄之戯一
按、周處風土記曰、醇以吿レ蜡竭二恭敬于明祀一、乃有二藏彄一、臘日之後、叟嫗各隨二其儕一爲二藏彄一、分二二曹一以校二勝負一、辛氏三秦記、以爲鉤弋夫人所レ起、周處成公綏並作二彄字一、藝經廋闡則作二鉤字一、其事同也、俗云、此戯令二人生離一、有二禁忌之家一、則廢而不レ修、
p.0225 藏鉤似二今猜枚一、如二酉陽雜爼所一レ載、則衆人共藏二一鉤一、而一人求レ之、此卽古意錢之戯也、後漢 書梁冀能二挽滿、彈棊、格五、六博、蹴鞠、意錢之戯一、其法今亦不レ傳矣、猜枚雖二極鄙俚一、亦有下精二其術一者上、呉門袁君著有二拇經一、自二負天下無一レ對、然余未二之見一、惟德淸半月泉有二行者一、百發百中、人多疑レ有二他術一、然實無レ之也、惟記性高耳、能記二其人十次以上一、則縱横意レ之無レ不レ中、雜爼所レ謂察レ形觀レ色、若レ辨レ盜者得レ之矣、
p.0226 藏鈎又藏彄トモ云、酒飮賭ニスル戯ナリ、
p.0226 藏鈎、和名抄に和名を載ざるは、藏鈎と音にてとなへしなるべし、西土には藏鬮とも藏疆とも云へり、
p.0226 仁壽三年二月乙丑、帝覽二藏鉤戯一、左右相分、飛鳥遊附者不レ禁、
p.0226 貞觀八年九月廿二日甲子、是日大納言伴宿禰善男、右衞門佐伴宿禰中庸同謀者、紀豐城、伴秋實、伴淸繩等五人、坐レ燒二應天門一當レ斬、詔降二死一等一、並處二之遠流一、〈○中略〉相坐配流者八人、從五位上行肥後守紀朝臣夏井配二土佐國一、〈○中略〉夏井兼能二雜藝一、〈○中略〉又善二射覆一、文德天皇與二宮人一爲二藏鉤之戯一、一鉤藏在二百手之中一、密令二夏井筮一レ之、揲レ蓍布レ卦曰、有二小女一著二靑衣一、以二白花一插レ首者、鉤在二其左手中一、帝乃探得大悦焉、
p.0226 なんこ 奕の類にいへり、幾子の義、西土にて猜枚或は猪拳、又辨拳といふ、九紙子又は小石頭を掌中に握り、其數を猜著しあつるを勝とす、
p.0226 此戯〈○藏鉤〉をするさま古畫に往々あり、後世はよき人はせざりしにや、其内圓光大師傳の畫に最多し、皆下部のもの僧俗ともに見えたり、是をなごといふ、守武千句、今はよふとももどらしと思ふまけぬればなごの勝負もやめにけり、又握り拳はうき大はんにやなごよふに六百貫やまけぬらん、續山井、握る手をてうか半とやかきわらひ、と云る句も是をいふにや、一代男に、扇引なんこ呼て、おのづと子供心となつて云々、諸艶大鑑、手相撲なんご呼もありといへり、もとなごといふは、石なごの略なり、是をなんこといふより、何箇の義と思ふは非なり、何箇の義 ならんには、幾箇とこそいはめ、石なご握りてもするもの故、なごといひしなるべし、勘物御伽雙紙に、十にたらずといふ法あり、〈○中略〉是なごより出たる兒戯なるべし、又小兒兩手の指を組合せて、何の指にても一ツ掌の内に藏して、中さすることあり、是もなごを學びたるもの歟、
p.0227 なんこ圖
p.0227 命捨てゝの光物
よい年をして螺まはし、扇引、なんこ呼びて自と子供心になりて立噪ぎ、
p.0227 重酬 野相公〈○小野篁〉
野人閑散立レ身何、自課功夫文字魔、蹇歩更敎レ吹二退鷁一、醜嚬還被レ敵二横波一、水中投レ物浮沈異、手裏藏レ鉤得 失多、折レ軸孟門難レ進レ路、可レ怜騏驥坦途過、
p.0228 題二美人圖一十八首
相對學二藏鈎一、纖手紛未レ分、忽見初弦影、無レ端入二暮雲一、 右藏鈎