https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0240 骨牌ハ初和蘭人ノ齎ス所ニシテ、紙ニテ札ヲ製シ、以テ輸贏ヲ決スルノ用ニ供ス、此ヲ宇牟須牟加留多ト稱ス、後其製ニ傚フ者ヲ凡テ加留多ト稱セリ、而シテ之ヲ博弈ニ用イル事ハ、法律部博葬篇ニ載セタリ、宜シク參看スベシ、

名稱

〔書言字考節用集〕

〈七/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0240 骨牌(カルタ)〈博戯之一種、見五雜組、〉

〔和爾雅〕

〈五/嬉戲具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 樗蒲(カリタ)

〔倭訓栞〕

〈中編四/加〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 かりた〈○中略〉 戯具にいふはhttps://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02320.gif 板の義なるべし、紙牌、骨牌などいへり、かるたともいふ、蠻人の玩ぶもの、其かううんすんなどいふ、皆蠻語也、牌の繪に四品ありて、いすといふは劒也、はうといふは靑色、こつぷといふは酒盞也、おをるといふは玉也といへり、かるた圖は阿蘭陀の舟を乘に用る地圖也といへり、

〔本朝世事談綺正誤〕

〈器用一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 賀留多
多田夜話曰、かるたと云は、梵語にて唐譯していふ時は、圖と云ことなり、繪圖の書ある物といふ意にて、博奕の具に限りたることにはあらず、樗蒲と云る博奕に用ふる札の名なり、ともに繪書にある故、かるたといふ、繪が付たなどゝいふ、能かるたの義にかなふ詞なり、これにては梵語のやうなれど、いづれもあしゝ、もとより寬永の先にあること辨をまつべからず、また春湊浪話卷の一曰、かるたは輕板といふ言葉の略なるにやといへど、いまだし、おもふに和名類聚抄卷の四、雜藝類樗蒲、兼各苑云、樗蒲一名九采、〈内典云樗蒲、和名加利宇知、〉とあるをもておもへば、かるたは加利宇知の約たるとおもはる、宇知の反つなり、つとたとかよへり、さればかるたといへるものは、中國のいとふるくよりあるものと見えたり、その言の蠻語に似かよひたれば、僻説したるものならんか、

傳來

〔本朝世事談椅〕

〈二/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 賀留多
阿蘭人これを翫ぶ、寬永のころ、長崎港の人民傚て戯とせり、
○按ズルニ、次ニ引ケル長曾我部元親式目ニ據ルニ、カルタハ慶長ノ頃、旣ニ盛ニ行ハレタルガ如シ、

〔長曾我部元親式目〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241
一博奕、カルタ、諸勝負令停止、〈附〉其外不作法令禁制事、〈○中略〉 右之條數、堅可相守、此外從先規相定數ケ條、今以不相違者也、
慶長二丁酉年三月朔日 元親

種類

〔人倫訓蒙圖彙〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0242 嘉留多師 かるたは阿蘭陀人の翫也、一種各十二枚、あつて、とつふ、わうる、はういすの四種あつて、合四十八枚なり、又歌がるた、詩がるたあり、歌がるた寺町通二條の上ひいなやにあり、四十八枚は五條通におほし、大坂久太郎町にあり、彩色外に出してもこれをつくる也、

〔毛吹草〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0242 山城 坊門賀留多(カルタ)〈麁相物也○中略〉 金賀留多 歌賀留多 筑後 三池賀留多

〔雍州府志〕

〈七/土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0242 賀留多 六條坊門製之、其良者解三池、以金銀箔之者謂箔賀留多、是於繪草子屋之、元阿蘭陀人玩之、長崎港土人效之爲戯、凡賀留多有四種紋、一種各十二枚、通計四十八枚也、一種紋謂伊須、蠻國稱劒曰伊須波多、此紋形似劒自一數九、第十畫法師之形、是表僧形者也、第十一畫馬人、是表士者也、第十二畫床之人、是表庶人者也、一種稱波宇、蠻國稱靑色波宇、此紋自一數九數、第十第十一第十二同前、一種紋謂古津不、蠻國酒盃謂古津不、是表酒盃者也、一種紋謂於宇留、蠻國稱玉謂於宇留、是表玉者也、其玩之法、其始三人或五人圍坐、其内一人左手取持賀留多、以裏面上下混雜、不其畫配分而置各々之前、是謂賀留多、其爲戯謂賀留多、然後人々所得之札數一二三次第、早拂盡所持之札是爲勝、是謂讀、倭俗毎事算之謂讀、又互所讀之札合其紋之同者、其紋無相同者、爲負是謂合、言合其紋之義也、或又謂加宇、又謂比伊幾、或又謂宇牟須牟加留多(〇〇〇〇〇〇〇)、其法有若干、畢竟博奕之戯也、

〔半日閑話〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0242 一うんすんかるた打方
〈第一〉一うん 五枚 布袋 福祿壽 大黑 惠び壽 達磨
〈第二〉一すん 五枚 唐人の黑冠するもの皆すん也
〈第三〉一そした 五枚 異國人のごときもの〈二枚不足〉 〈第四〉一ろはい 五枚 飛龍のごときもの〈虫と云ものか、壹枚不足、〉
〈第五〉一こし 五枚 武者のごときもの腰をかけし體〈きりと云もの、壹枚不足、〉
〈第六〉一馬 六枚 共に馬に乘る體也
〈第七〉一花 九枚 棒の先に花の付し體也〈ろばいに花の付候を貴、是より打出す也、一枚不足、〉
一ぐる 九枚 大鼓の模樣付也〈くるのうん太鼓に達磨、餘是に准ず、〉
一おふる 九枚 井 如此者おふるのうんは惠比壽也、前同斷、
一こつぷ 九枚 寶包みの如きもの也、こつぷのうんは布袋也、
一劒 九枚 利劒のもやふ也、劒のうん福祿壽、
都て丸きものは數すくなきをよしとす、長きものは員多きをよしとす、總數七十五枚、〈内四枚不足〉
打方は先札を合せ、きり交て、三人にて打ば、總札の内より一枚取て是を中へ置、跡を三人五枚づゝ順にくばり、末に成一枚か二枚餘りたるをば、別にのせ置、是は捨にして用ひず、扨初に一枚取てをきし札、たとへばくるの六なれば、則三人の者何もくるに付し札を人に見せず取よけ置、是其番のきしものといひて、尤大事にすべきもの也、これは總てうんすんの順によりて、うんにくるの付しかば、第一番のよきものにする故に、くるをとりのけしまひ、それよりうちかゝれり、第四番のろばいに花の付しを持し人ゟ打始る也、打初ると云は、ろばいに花の付候札をもたの人、先何にても手に有輕き札を兩人とも出す也、さて二人出候札、たとへば花の三を一人出し、一人は劒の三を出すときは、かのろばいに花の付候札ある者の手ゟ長きは、數多きをよしとすれば、劒の五をうちて手前へ取、其五の札を上に置て、膝の前に置也、夫より右にすわりし次の人、又うつ也、其うち方はみな同じ、何れにても長きものは數多きにて取、丸きものは數少きにて取也、夫ゟ段々札少くなれば、かの初にのけ置しくるのつきたるを出して打 也、是はくるとうには勝まけなれども、外の札はつゞくものなし、其打さすと云事あり、さすとは一人人物鳥か虫の類を以てふせ置、其次の人たゞの札を出すはすてといひて、初手ゟ捨てしまふ也、劒の札抔にては有とても取事ならず、今一人は手にある處のうんゟ馬までの繪の付たるを以てさす也、向ふの人、第六番めの馬をさせば、此方にて其より上の五ばんめのこしをさして取也、其順にてうんをさせば、是に紛もなし、かやうにしてみな取じまひ、壹はん多く札をとりしもの勝となる也、其札の取方さし方に、大に上手下手ある事也、亦最初一枚取、おくれ、もしうんゟ馬までの札なれば、あまりよき物ゆへ益なき事なれば、又かはより五枚づゝも取て切直し、其中ゟ一枚をく事も有、又棒の五、丸の五、丸の四、棒六にて取也、又棒の九、丸の四きき取所也、
又古き書付添一枚有之、すんうんそうたきり馬虫、右の外はぼうはあれども、數多き方へとり申候、丸きものは數少き所方へ取申候、殘りをおきと申候、おきに御座候むしを持候者ゟ打出し申候を、をきはたがひにふせ候てさし申候、おきをたがひにさし候ても、人の付候かたへ取申候人にても、をきにて御座なく候へば、丸きものにてもぼうにても、其時々のおきの方へ取申候、何れにても繪のつき次第、たがひにさしにてせうぶいたし候、

〔和漢三才圖會〕

〈十七/嬉戲〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0244 摴蒱(かりた)
按、摴蒲其製古今不同、今所用者、本出於南蠻矣、用厚紙之、外黑内白而有畫文、靑色〈名巴宇〉赤色〈名伊須〉圓形〈名於留〉半圓〈名骨扶〉之四品、各十二共四十八枚、其畫一則蟲形、〈名豆牟〉二至九畫數目也、十則僧形〈卽名十〉十一騎馬、〈卽名牟末〉十二似武將、〈名岐利〉其名目亦蠻語矣、

〔桂林漫錄〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0244 淸人詠歌
寬政庚子歲、安房國立澤 南京ノ商船漂著ス、〈○中略〉彼人難商ドモ出船ノ後、假小屋ヲ取リ拂ヒタ ル踪ニテ拾ヒタリトテ、骨牌一枚ヲ予ニ與フ、其形圖ノ如シ、〈○圖略〉傍ニ燕靑ト書キタルハ、浪子燕靑ノコトナル可シ、

〔屠龍工隨筆〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0245 かるたは蠻夷より來りて、十とキリとは歩武者、十一は騎馬武者にて、其外はことごとく楯の模樣なり、

〔雍州府志〕

〈七/土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0245 賀留多〈○中略〉 賀留多札百枚、半五、十札書古歌一首之上句並(ミヘ)床上、中央殘隙地、是謂地、又半五十枚書上歌之下句、是謂出、前所謂中央隙地出置所手之下句一枚、圍坐人各視之、所床上之上句、與今所出置之下句、有相合者則取之、然後其所合取之札算多者爲勝、算少者爲負、是稱歌賀留多(ウタ /〇〇〇〇)、元出貝合之戯者也、

〔〈女用敎訓〉繪本花の宴〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0245 つゐまつ(〇〇〇〇)
歌がるたの事なり、百人一首のほど、小町花合、三十六歌仙、そのたび〳〵數々つねにもてあそびて、そらんじぬべし、

〔春湊浪話〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0245 歌がるた貝覆
宇治十帖に、八宮のひめ君兄弟はかなきことをも、もとすゑをとりていひかはしといへるを、花鳥餘情、細流抄等に、歌などの上句下句など讀ことゝ注し、枕草子に歌のもとを仰られて、是が末はいかにと仰らるゝに、すべて夜ひる心にかゝりて覺ゆると見えしことなど見ゆる、此歌のもと末を覺えん料に、今の歌がるたといふは出來りけるにぞ、其比よりのものなるべし、此本に末を對するといふ事より、對末の歌がるたなどいふ名もあり、さらば宇治十帖、枕草子などに見えし歌がるたのおこりし根元ともいふべし、かるたとは輕板といふ言葉の異なるにや、

〔貞丈雜記〕

〈八/調度〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0245 一歌がるたといふ物は古なし、近代出來たる物也、本は貝おほひの貝より思ひよりて作りたる故、本名をば歌貝(〇〇)と云也、又伊勢物語に松明(ツイマツ)〈たいまつの事〉の炭にて、歌の下句を書たる事 ある故、歌貝も上の句に下の句をとり合するによりて、ついまつとも名付也、歌がるたといふは田舍詞也、かるたといふ物の形に似たる故云なるべし、かるたと云物は、異國より渡りたる博奕の道具也、歌貝も本は四角にはせず、將棊の馬形にする也、馬形にする事は、貝の形をまなびたる也、はまぐりの頭のとがりたるをかたどる也とぞ、又歌貝をばとると云也、歌がるたをばうつとはいはぬ也、

〔甲子夜話〕

〈十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0246 一世ニ名高キ人ハ、才モ優レタル所有ル者ナリ、〈○中略〉狩野榮川院、〈典信〉一侯家ニテ席畫ノ折カラ、百人一首歌加留多ノ、白木箱ニ納レシヲ持出テ、箱ニ何ナリトモ一筆ト所望アリケレバ、乃ユリノ花ヲ著色ニ繪ガキシトナリ、百合ト云ニテ思寄シハ、ハタラキタルコトナリ、〈林話〉

〔國花萬葉記〕

〈一上/山城〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0246 諸職名匠
歌がるた所 井上山城 鳥丸五條下

〔ひな人形の故實〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0246 弘法大師御作の實語敎のかるた(〇〇〇〇〇〇〇)、小兒方によませ給へば、實語敎を空におぼゆる品也、

〔柳亭筆記〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0246 順禮がるた(〇〇〇〇〇)考證
このかるたは、元祿年間のかぶき役者の姿繪にて、京順禮、江戸順禮などいふ事のおこなはれし頃の酒落なり、難波梅園子の藏なりしを、花笠文京におくられ、文京又それをわかちて予〈○柳亭種彦〉におくりしなり、京順禮といふは、〈さきにいふ如く、此事江戸及大坂にもあり、〉衣裳にだてを作り、笈褶をまとひ、胸札を掛け、實の順禮の如くいでたち、洛陽の觀音の靈場をうちめぐりしなり、寬文六年印本年代記に曰、萬治三年洛陽の三十三所の觀音、此頃より初り、老少あゆみをはこぶと見え、寶永の印本年代皇記には、寬文五年詔して洛陽三十三所の觀音を定らるとあり、〈此事玉滴隱見にも見えたり〉萬治三年、寬文五年、いづれが是か考得ざれども、寬文四年の印本に、老婆物語と題する洛陽三十三所觀音の緣起 をあつめし册子あれば、此事寬文のはじめよりおこり、寶永正德の頃までもありしなるべし、

〔吾吟我集〕

〈九/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0247 順禮を
くばりつゝ札をうちきる順禮やかぞへかるたの遊び成らん

〔享保集成絲綸錄〕

〈四十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0247 慶安元〈于〉年二月
一前々ゟ被仰付候ばくち、はうびき、けんねんじがるた(〇〇〇〇〇〇〇〇)、何ニ而も諸勝負堅仕間敷事、
二月

〔御定書百箇條〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0247 三笠附、博奕打、取退無盡御仕置之事、
〈享保十六年極〉一輕き賭之寶引、よみかるた(〇〇〇〇〇)打候者、 三十日鎖

〔張紙留〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0247 一博奕いたし重敲ニ相成候後、めくりかるた(〇〇〇〇〇〇)致候もの御仕置之事、

〔天保集成絲綸錄〕

〈百四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0247 寬政三〈亥〉年八月
町觸
博奕ニ限り用候かるた札(〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇)は、賣買致間敷儀勿論ニ候處、心得違之者も有之趣、相聞不埓之事ニ候、右之外ニも、總而博奕ニ而已用候品、致貞買おひては、其品取上、咎申付候間、其旨可心得者也、

〔守貞漫稿〕

〈二十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0247 カルタ〈○中略〉
花合(〇〇)、是モ小牌ニ櫻梅桐菊牡若等ヲ彩畫シ、勝負ヲナスノ戯レ也、或ハ賭トスルモアリ、

雜載

〔當世武野俗談〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0247 菱屋おりつかるた名譽
兩國橋向本所一ツ目近所、茶屋町寄合茶屋にて、菱屋小左衞門と云もの有、かれが父は常憲院樣御代御出頭たりし柳澤松平甲斐守殿氣に入、定紋花菱の小袖上下をゆるされ、其家の名も菱屋と名乗けり、今の菱屋小左衞門が女房おりつと云は、名高き女なり、瓜の仁助と云通り者の娘なり、兩國橋幾世餅の女房も仁助娘にて、菱やのかゝが妹なり、されば此りつ女の身にて、幼少より かるたを好き上手にて、所々方々へよみ打にあるきけるが、近年いよ〳〵かるた高下共に時花(ハヤリ)、歷々の分限者たち、又は淺草邊寺町の和尚住持智識長老御聖人迄、此わざを第一にて、かるたの上手と呼べば、猿江の專念寺と云寺の住持、よみ好き妙を得たり、又砂村の百姓縫右衞門は、專念寺に馬きりの劣り有と云、兩替町會津や五兵衞は、夫より海馬(アザ)だけ强しなど、其内にて申あへり、彼菱屋おりつは、是等の輩に勝負更に甲乙なき上手たり、尤黑札をまきちらしたる時、一まいうち出すと、其人の手跡に八枚何々といふ事、鏡にかけて見るよりもあきらけし、或人おりつに向ひ、其元かるた上手と申候得ども、凡かるたは繪付次第にて、下手も上手も入まじきか、たとへ上手にても馬が十にもなるまじといひければ、おりつ答て、いや〳〵左樣にあらず、繪のあしきを取たる時こそ上手の入る所なり、あながち手前の勝つ事を思はず、役のなきあがりの安き方へ打込やうに致をもつて、よみ打の上手と申べし、おのれぜひ勝んとするは下手なり、されば兼好が書し圍碁といふものゝ上手の曰、勝んと思ふ事なかれ、負まじと思ふてかこむべしと云しとなり、まけまいと思ふは、勝んと思ふ同じ心の樣なれ共、其事甚意味有、名人の詞なり、又二が三には打れまじ、十が馬には打れまじと御申候へ共、必ず打れるなり、下手は海馬(アザ)を二にも三にも打せ、上手は海馬(アザ)はあざに打、釋迦は十のかはりに打ず、釋迦の場にて打事なり、たとへば二三打て次へ四とやる、其四なくて返る、かへざれば馬を打てきりとやる、四の替りに馬をはなすは、馬を四にも打なり、爰を以て上手は自由に其繪をこなすこと、自然ふしぎの妙有と答けるとなり、今此おりつは、かるた打の輩しらざるはなし、


トップ   差分 履歴 リロード   一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2023-04-14 (金) 14:48:17