p.0476 乾飯ニハ、糒アリ、餉アリ、糒ハ、ホシイヒト云フ、干飯ノ義ニテ、糯米ヲ蒸シテ乾燥セシメタルモノナリ或ハ粟、黍等ニテ、製シタルモアリ、古ハ兵士ノ糧食、及ビ旅行ノ用ニ供シタルノミナラズ、或ハ日常ノ食用ニ供シタルコトモアリ、各地ニテ製スレドモ、就中河内國道明寺、陸奥國仙臺ノ産最モ名アリ、餉ハ、カレイヒト云フ、乾枯飯ノ義ニテ、其實、糒ニ異ナルトコロ無ケレド、旅行ニハ專ラ餉ト云ヒ、貯藏ニハ糒ト云ヒタルガ如シ、粮ハカテト云フ、カテハ、カリテノ略語ニテ、乾飯料ノ義ナリト云フ、 麨ハ、コガシト云ヒ、香煎ト云ヒ、又ハツタイトモ稱ス、米、麥等ヲ蒸シテ乾シ、之ヲ熬リテ細末ニシ、湯水ニ點ジテ服スルナリ、
p.0477 乾飯(ホシイヽ)、〈糒糗並同〉
p.0477 土師宿禰 天穗日命十二世孫、可美乾飯(○○○○)根命之後也、
p.0477 羊陟字嗣祖、太山梁父人也〈○中略〉帝嘉レ之拜二陟河南尹一、計レ日受レ奉、常食二乾食(○○)茄菜一、禁二制豪右一、京師憚レ之、
p.0477 及レ晩〈○中略〉浴後者雖レ不レ珍、干飯(ホシ井&○○)、凉麵之間、可レ隨二御好一也、
p.0477 干飯、飯而暴二乾之一也、
p.0477 餱〈胡溝反、平、乾飯也、食也、加禮伊比(○○○○)、又保志比(○○○)、〉
p.0477 粻〈加禮比(○○○)、又保志比、〉
p.0477 乾食也〈小雅乾餱以愆、釋言毛傳皆曰、餱食也、大雅毛傳又云、餱 食也、凡乾者曰レ餱、故許曰、乾食無羊、或負二其餱一亦必乾者、乃可レ負也、小徐曰、今人謂二飯乾一爲レ餱、〉从レ 候聲、〈乎溝切四部〉周書曰、時二乃 粻一、〈粊誓文今書作二糗糧一、據二正義引鄭注一、糗擣熬穀也、與二周禮注糗一同、然則古文尚書作レ糗矣、許或兼稱、歐陽夏矦書與二粮字一不レ見二米部一、而大雅云、以 二其粮一、釋言詩箋皆曰、粻糧也、大雅又云、乃裹二餱糧一、則餱粻即餱糧、〉
p.0477 好レ貨、〈○註略〉對曰、昔者公劉好レ貨、詩云、乃積乃倉、乃裹二餱糧(○○)一、于レ槖于レ囊、思二戢用光一、弓矢斯張、干戈戚揚、爰方啓レ行、故居者有二積倉一、行者有二裹糧一也、然後可二以爰方啓一レ行、王如好レ貨、與二百姓一同レ之、於レ王何有、〈註、詩大雅公劉之篇也、乃積二穀於倉一、乃裹二盛乾食之糧於槖囊一也、○下略〉
p.0477 糒 野王按、糒〈平秘反、與レ備同、和名保之以比、〉乾飯也、
p.0477 保之以比、見二榮花物語玉臺卷一、即干飯也、〈○中略〉今俗所レ呼同、亦干飯之急呼、
p.0477 乾飯也、〈飯字各本奪、今依二李賢明帝紀注、隗 傳注、李善文選注、元應書一補、乾音干、釋名曰干飯、飯而 二乾之一也、周禮廩人注曰、行道曰レ糧謂レ糒也、止居曰、食謂レ米也、按干飯、今多爲レ之者、〉从レ米 聲、〈平秘切、古音在、一部、〉
p.0478 糒〈音備 ホシイヒ〉 〈今〉 〈俗〉 〈俗歟〉 〈方目反〉 糗〈去友反 麨ムキイヒ〉
p.0478 〈俗糒字、音備、〉
p.0478 糗齲也、飯而磨レ之、使二齲碎一也、
p.0478 糒〈ホシイヒ〉 糗 〈已上ホシイヒ〉
p.0478 糗糒(ホシイ)〈二字義同〉
p.0478 糗(キウ)〈ホシイヽムギイヽ〉 糒〈ホシイヽ〉 (ホ)〈ホシイヽ〉 〈同上〉
p.0478 〈ホシイヽ〉
p.0478 伏兎曲煎餅、燒餅、粢、興米、索麪、糒、粽等、爲二客料一可レ被レ用二意之一、
p.0478 ほしいひ 倭名抄に糒をよめり、糗も同じ、ほしひともいふ、新撰字鏡に餱をよめり、字書に乾飯なりと見えたり、侍中群要に、巳刻供二朝干飯一事と見ゆ、埃囊抄に麨をよみて乾飯屑と見えたれば、ほしいひの粉なるべしといへり、正字通によるに粉がしの類なり、
p.0478 ほしいひ 俗にほしひといふ、糒、干飯〈○中略〉麨は、 に同じと字書にあり、共に訓ホシイヒ、餱糧、
p.0478 糒 いづれも強飯を乾たるをいふ也、かれいひも亦おなじ、舊本今昔物語〈十二の卷卅一語〉に干飯ノ粉云々、壒囊抄に麨乾飯屑など見ゆ、庭訓往來〈六月十一日状〉には糒袋あり、
p.0478 乾飯 周禮、地官廩人、治三其糧與二其食一、註曰、行道曰レ糧、謂レ糒也、止居曰レ食、謂レ米也、説文曰、糒乾飯也、餱乾食也、糗熬米麥也、春レ糗曰 〈其九切〉釋名曰、糗齲也、飯而磨レ之、使二齲碎一也、餱候也、候二人饑者一以食レ之也、干飯飯而乾レ之也、南齊書武帝紀曰、祭二我靈一唯設二餅、茶飮、干飯、酒脯一而已、干或从レ食、集韻曰、飦燥飯也、燥飯即乾飯、或 謂二之乾粥一、北堂書鈔引二陸翽鄴中記一曰、并州俗、冬至後百五日、爲二介子推一斷レ火冷食、三日作二乾粥一、今之糗是也、又謂二之寒粥一、國語曰、設二脯一束糗一筐一、以羞二子文一、注曰、糗寒粥也、周禮漿人、掌二王之六飮一、水章漿醴涼醫酏、注曰、涼今寒粥、若レ糗、飯雜レ水也、釋名曰、寒粥稻末投二寒水中一育々然也、翻譯名義集曰、怛鉢那此云レ麨、通慧指歸云、謂下將二雜米麨一碎蒸 上、 論二種散麨、又將二糠蜜一持レ之、或言糒與レ麨不レ同、後堂云、糒是連レ釜硬乾飯也、輔篇云、取二乾飯麨一三過磨、篩作レ之、稱爲レ糒也、尚書謂二之糗粮一、毛詩謂二之餱糧一、又謂二之乾餱一、左傳謂二之梁糗一、楚辭謂二之瓊粻一、又謂二之瓊靡一、或曰二糗糒一、〈列女傳〉曰二乾糒一、〈北堂書鈔、引二謝承後漢書一、〉曰二乾糗一、〈又引二會稽典録一〉俗謂二之米糊羮一、〈秇林伐山曰、瓊靡今之米糊羮、〉時珍食物本草曰、麨〈尺沼反〉一名糗、河東人以レ麥爲レ之、北人以レ粟爲レ之、東人以二粳米一爲レ之、炒二乾飯一磨成也、粗者爲二乾糗糧一、今陸奥人製以充二方物一、河内道明寺所レ製最精、可三稱爲二瓊粻一也、
p.0479 餉 四聲字苑云餉、〈式毫反、訓加禮比於久留、俗云、加禮比(○○○)、〉以レ食遣レ人也、
p.0479 説文、餉饟也、饋餉也、按、加禮比加禮以比之急呼、乾枯飯之義、其實與レ糒同、加禮比、保之以比其名亦同、故允恭紀糒字、釋日本紀訓二加禮以比一、蓋源君之時、俗謂二以レ食遣レ人一爲二加禮比於久留一、不三特遣二乾枯飯一也、又謂二所レ遣物一爲二加禮比一、皆語之轉也、然餉訓二以レ食遣一レ人、似レ不レ可レ擧二之飯餅類一、
p.0479 饟餉〈音向(シヤウ) カレヒオクル一云カレヒ〉 〈俗〉 䬲〈音鉤 カテカレイヒ〉
p.0479 餉(カレイ)
p.0479 (シヤウ&キヤウ)〈カレイヒ〉
p.0479 髑髏目穴笋掲脱以祈レ之示二靈表一縁第廿七 餉〈可禮意比〉
p.0479 餉〈可禮意比新撰字鏡、餱同訓、古今和歌集、伊勢物語、亦云二カレイヒ一、蓋乾飯之義、新撰字鏡、粻加禮比、和名抄云、餉訓二可禮比於久留一、俗云可體比、萬葉集云、可例比波奈之爾、並可禮意比之約也、〉
p.0480 予行路之次、歩道之間、徑邊傍有二一女人一、〈○中略〉頸係二一裹一、背負二一袋一、袋容何物、垢膩(クニ&アカツケル)之衣、裹容何物、粟豆之餉(カレイヒ&○)、
p.0480 食御粮は、御加禮比伎許志賣須(ミカレヒキコシメス)と訓べし、穴穗宮段にも、到二山代苅羽井一、食二御粮一(ミカレヒ)之時(トキ)とあり、〈彼をも此をもミチシスと訓るもさることなれども、殊に粮字をしも書るは、なほ美加禮比と訓べきなり、書紀に食字、又飮食、進食などをぞミチシスと訓る、〉字鏡に、粻加禮比、〈爾雅に、粮糧也と云り、〉和名抄には、四聲字苑云、餉以レ食遺レ人也〈ト〉訓、加禮比於久留、俗云加禮比、〈餉はカレヒオクルと云訓は、さもあるべし、カレヒにはあたらず、〉また考聲切韻云、糧〈字亦作レ粮〉行所レ賷米也、又云、儲レ食也、和名加天とあり、万葉五に、都禰斯良農(ツネシラヌ)、道乃長手袁(ミチノナガテヲ)、久禮久禮等(クレクレト)、伊可爾可由迦牟(イカニカユカム)、可利氐波奈斯爾(カリテハナシニ)、一云、可例比波奈之爾とある可利氐は、加禮比氐の約りたるなり、〈禮比は利と切(ツヽマ)る〉加禮比氐とは、加禮比の料と云意なり、〈加禮比にする料の米と云ことなり、加禮比の價と云意にはあらず、〉加氐は加理氐の理を省けるなれば、〈理を省く例常多し〉此も同く加禮比氐なり、さて加禮比は乾飯(カレイヒ)にて、旅には飯を乾て賷(モチユ)くなり、其より轉りて必しも乾(ホシ)たるならざれども、旅にて食ふ飯をば加禮比と云なり、古今集〈旅部詞書〉に、但馬國の湯へまかりける時に、二見浦と云所にとまりて、夕去(ユフサリ)のかれいひたうべけるに云々、伊勢物語に、其澤の邊(ホトリ)の木の陰におりゐて、かれいひ食けりなどあり、和名抄行旅具に、漢語抄云、樏子、加禮比計、〈今按、俗所レ謂破子是、破子讀二和利古一、蔣魴切韻云、樏樏子中有レ障之器也、〉とあり、〈計は笥なり、さて今世にいはゆる辨當なども加禮比なり、〉
p.0480 粮 考聲切韻云、糧〈音凉、字亦作レ粮、和名加天(○○)、〉行所レ賷米也、又儲レ食也、
p.0480 靈異記訓釋、糧加里氐、萬葉集、可利氐波奈斯爾、按加天即加里天之略語、加里天亦乾飯料之急呼也、〈○中略〉按周禮廩人注云、行道曰レ糧、僖四年左傳正義云、糧謂二米粟一、行道之食也、即此義、説文糧穀也、是似三宜在二行旅具一、此收者恐非レ是、
p.0480 糧〈音良音 〉 〈カテ〉 粮〈通 カテ〉 〈古〉 粻〈音 カテカレイヒ〉
p.0480 〈音隻イヒ〉 〈乾食 カレホシイヒクラフ正 〉
p.0481 粮〈カテ〉 饋〈亦作レ餽〉 饁 饟〈音餉、亦音商、〉 糧 粻〈已上同〉
p.0481 穀食也、〈周禮廩人、凡邦有二會同師役之事一、則治二其糧一、與二其食一、鄭云、行道曰レ糧、按詩云、乃裹二餱糧一、莊子云、適二百里一者、宿二春糧一、適二千里一者、三月聚レ糧、皆謂二行道一也、許云、穀食則兼二居者一、行者言レ糧、本是統名、故不レ爲二分析一也、〉从レ米量聲、〈呂張切、十部亦作レ粮、〉
p.0481 糧(カテ)〈又作レ粮、穀食也、〉
p.0481 粮カテ、倭名鈔に、考聲切韻を引て、糧又作レ粮カテといふ、行所レ賷米也、亦儲食也と注せり、カテの義不レ詳、
p.0481 かて 糧をいふ、日本紀に禀もよめり、かりての略也、かりてはかれひて也、れひ反りなり、萬葉集にかりてはなしにといふを、一にはかれひはなしにと見えたり、ては沓(ケツ)直酒直(サカテ)などいふての如し、琉球にて食をかてといふも、此邦より傳へたる詞なるべし、
p.0481 予行路之次、歩道之間、徑邊傍有二一人女人一、〈○中略〉裸形無レ衣、徒跣無レ履、聲振不レ能レ言、足蹇不レ能歩、糇糧(○○&カテ)已盡、朝夕之飡(アヂハヒ)難レ支、糖糠粃悉畢、旦暮之命不レ知、
p.0481 飯 かて、〈○註略〉かれ飯のつと、〈○註略〉かれいゐ〈朝かれいゐともいへり、旅の食也と云々、但不レ限レ旅、〉
p.0481 憶二持法華經一者舌著二 髑髏中一不レ朽縁第一 糧〈可里氐(○○○)乎〉
p.0481 かりて 萬葉集に見ゆ、糧を靈異記によみ、新六帖にもよめり、かての下考べし、
p.0481 都禰斯良農(ツネシラヌ)、道乃長手袁(ミチノナガテヲ)、久禮久禮等(クレクレド)、伊可爾可由迦牟(イカニカユカム)、可利氐(カリテ&○○○)波奈斯爾(ハナシニ)、〈一云可例比(○○○)波奈之爾〉
p.0481 日本紀通證の説に、粮糧和名加天と有、かてはかりての約言也、かりては、餉直(カリテ)也、禮比の約利也と有、直をてといふは、あたひの略言なるべしと云、かれひは餉也、乾飯(カレイヒ)の略言なり、
p.0482 繻米 附録、糒、〈訓二保之以比一、源順曰、乾飯也、用二好糯米一春篩洗淨令レ白、煮熟而後毎日中晒乾、再磨レ 篩落、以レ如二細砂一爲レ糒、夏月浸二冷水一而食、能辟二暑暍一、上下賞レ之以獻賜餽贈、或貯二收于兵器中一以爲二軍糧一、奥之仙臺所レ造最多爲二第一一以貢二獻之一、〉
p.0482 糒〈乾飯俗引飯、和名保之以比、〉 按、糒乾飯也、用レ糯煮レ飯、哂乾粗磨去二頭末一、取二中等者一用、夏月浸二冷水一啜レ之、奥州仙臺、河州道明寺所レ作者最佳、不レ可二多食一、在レ腹甚膨脹、
p.0482 麨(ホシイヒ) 蘇恭曰、蒸二米麥一熬過磨作レ之、藏器曰、粗者爲二乾糗糧一ホシイヒ也、コガシト訓ズルハ非也、作レ麨法、臘月ニ糯米ヲ一夜水二浸シ、翌日蒸テカタマリヲツミクダキ、薄クヒロゲ陰乾ニシ、ヨク乾キテカタマリヲクダキ、壺ニ納メ置、土器ニ入、ツヨキ武火ニテ俄ニ炒レバ脹ルヽヲ爲レ末、砂糖ヲ加ヘ、壺ニ納メ置テ、用ル時湯ニ和シ拌ゼ、餻トナルヲ充二晝食一食ス、又旅行ニ用ヒ軍粮トス、補レ脾止レ瀉助レ氣、療レ飢、性輕クシテ不二滯塞一、文火ニテ緩カニイレバフクレズアシヽ焦レザルホドニ炒ベシ、或コレヲ以、コガシトスベシ、臘日ニ不レ製、常時モ亦可也、
p.0482 小寒大寒三十日の間、今世俗に寒の中と稱す、此間に食物藥物等を製すれば、水の性よき故久しくたくはへて損せず、此時製する物下に記す、〈○中略〉 粳米を乾飯にする法 粳米を多く臘水に四五日浸し、蒸籠にてむし、曝乾して、瓶に入貯置べし、用る時、熱湯に漬せば速に飯となる、粘なふして胸腹に不レ塞甚可なり、旅行の時、布に包てこれを沸湯に投ずれば忽に飯となる、是日用道中、陣中不レ可レ 供也、
p.0482 仙臺干飯 もち米をいかにも上白にして、寒のうちに水にてあらひ桶に入、日々に水をかへ、十四五日もつけをきてさらし、扨よくむしてかげほしにして引わり、三段にふる ひ候てよし、こはのけ候て吉、中か計りよく候、
p.0483 供二新嘗一料 糯糒(○○)一升、粟糒(○○)、 子糒(○○○)、黍子糒(○○○)各二升、
p.0483 凡虫食并燒遣穀、及惡糒(○○)等、毎年申レ官、廻換以爲二全物一、
p.0483 年料 糯糒(○○)四斛六斗八升、〈御并中宮各一斛六斗二升、東宮一石四斗四升、〉粟糒(○○)一斛二斗八升六合二勺八撮、〈御并中宮各四斗四升四合、東宮三斗九升八合二勺八撮、〉明櫃十二合、箕二枚、長席四枚、長薦二枚、〈雜糒通用〉 造雜物法 糒料、糯米(○○)一石、得八斗、用薪一百廿斤、
p.0483 正月最勝王經齋會供養料、〈○中略〉糯糒(○○)二合、〈○中略〉 仁王經齋會供養料 糯糒(○○)、粟糒(○○)各一合、〈並菓餅料〉
p.0483 新嘗祭供御料 糯粟子等糒(○○○○○)、各二升、〈○中略〉 年料 熬笥廿四口〈熬(○)二雜(○)糒一料〉
p.0483 月料 粟子糒(○○○)三升三合七勺五撮
p.0483 倉庫令、凡倉貯積者、稻穀粟支二九年一、雜種支二二年一、糒支二廿年一、〈貯經二三年以上一、一斛聽二秏一升一、五年以上二升、〉明法曹司解、官 積年聽レ秏事、倉庫令云、凡倉貯積者、稻穀粟支二九年一、糒支二廿年一、糒支二廿年注云、貯經二三年以上一、一 解聽二秏一升一、五年以上二升者、熟案二令意一、穀糒難レ損、尚聽二其秏一 之易レ消、理須レ聽レ秏、〈三年以上、一解聽二秏二升一、五年以上四升、〉 寶龜四年正月廿三日
p.0484 定二受領功課一事 糒條〈糒條不動倉之糒也、交替式云、糒與二(與延喜交替式作レ支)二十年一云々、用殘有無者、見在之數也、〉
p.0484 凡兵士、人別備二糒六斗一、〈謂二兵士私自備一、即隊正以上亦自備レ之、若身死、及得レ替者、還レ故納レ新、其鹽亦准レ此也、〉 ○按ズルニ、兵粮ノ事ハ、兵事部軍糧篇ニ詳ナリ、
p.0484 寶龜十一年五月丁丑、勅曰、機要之備不レ可二闕乏一、宜下仰二坂東諸國及能登、越中、越後一令上レ備二糒三万斛一(○○○○)、炊曝有レ數、勿レ致二損失一、
p.0484 紀伊國天平二年大税帳 軍團糒(○○○) 天平元年定稻壹伯玖拾壹斛捌斗貳升壹合
p.0484 太政官符東海東山北陸山陰山陽南海等道諸國司、令二臥レ疫之日、治身及禁二食物等一事漆條、 一凡是疫病名二赤班瘡一〈○中略〉 若成二赤白痢一者、〈○中略〉糯糒、粳糒、以二湯饘一飡レ之、〈(中略)其糒春碎、勿レ令レ全、○中略〉 天平九年六月廿六日
p.0484 一うちがひに干飯よく候、木綿うちがひの中にあるをこしらへ置候て用候時入、腰に付候へば、さい〳〵嚙候によく候、又はうちがひながら水に入て少しおけば、程經て飯のやうになるものなりと、吉右語り被レ申候、 梅干の肉をさり、絹につゝみて、糸をつけて持べし、砂糖もよく候よし同人語申候、
p.0485 木曾の贄川驛に宿りし時、亭主某が家に、古く持傳えたる文に、讀解がたき節々、明らめてよと云ツヽ取出すをみれば、天文永祿の頃の消息にて、さのみ賞すべき書もなかりしが、慶長三年の端書なる帳に、御糒ほとばし過不レ申候樣念入可レ申候、夜の物御先ぶれに御書入なき分は、しかと御請分不レ申候と書たるあり、〈○中略〉慶長の頃は、旅人糒二合五勺を一日に充、十日路を行に二升五合を齎せ、驛舍に著て湯をわかし、糒を喰て寢る迄なりし、されば湯の木の代四錢、五錢を拂ひ往來せしと也、然るを旅人自ほしいを湯にほとばすを煩はしとて、驛舍に打任せて賴めば、ほとばし過して、糒のかさを殖し、誠は糒を掠むるものゝ有しより、帳のはじめに書付置こととなりしとなり、是に依て思へば、軍防令に兵士人ごとに糒六斗を儲しめしも伊勢物語の八橋にて糒食たる、源氏物語玉葛の長谷にて豊後介が御臺など打合(うちあは)すとむつかりしも、糒なるべきは論なし、道明寺にて製すも、根本旅行の用意なるべし、
p.0485 酒井家の藩士草野文右衞門といふ人、城中に宿直する時も辨當をば持ず、干飯の燒米の類を袋に入て持參り、用なきときは取出し、すこしづゝ食ひて多く食せず、一日二度あるひは三度と定て、度々は食することなし、用なき時は出して食ひけり、其故を問に多く食せざれば、中ることもなく、また隙をも費さず、陣中にて甚便利なりといへり、
p.0485 河内 道明寺 引飯〈比丘尼ノ業ナリ〉 陸奥 仙臺糒
p.0485 河内國道明寺は尼寺也、干飯を道明寺と云は、此寺より製し出せし物、精白にして黄なりし故名とす、今も飯糒を大家にまいらせ、又寺尼賣侍るとなん、寺領三百石、
p.0485 道明寺ハ河内國ニアル寺ナリ、然ルニ干飯ヲ、道明寺ニ住給フ道眞、筑紫ヘ流人ト成給フ故ニ、配所ヘ毎日陰膳ヲ居ヘ給フ、飯ヲ干飯ニシテ引ワリタルヲ、後ニ此寺ノ名ヲ呼ブ、
p.0485 道明尼寺所レ製之糗、世謂二道明寺一、天下之絶品也、
p.0486 道明尼寺 名産糒〈道明尼寺坊中これを製す、世に糒を道明寺と名に呼ふ、〉 干飯を道明寺とは名づけたり志ら梅のちる春の夕ぐれ 斑竹
p.0486 松平筑前守慶壽〈○仙臺〉時獻上 〈六月〉糒
p.0486 六月 一糒 拾袋 高木主水正樣 一糒 拾袋 道明寺樣 一糒 拾袋 松平陸奥守樣 一糒 拾袋 戸田因幡守樣 一糒 拾袋 戸田左近將監樣 一糒 壹箱 松平越中守樣 一糒 拾袋 酒井左衞門尉樣 一糒 一籠 米倉長門守樣 一糒 拾袋 久世長門守樣 七月 一糒 拾袋 牧野日向守樣 一糒 拾袋 田村左京大夫 一糒 一箱 芝增上寺方丈
p.0486 兵粮八木、鞍替糒袋(○○)、
p.0486 行幸城外 王卿裝束如レ常、〈○中略〉造酒橫甕(ヨコミカ)入レ酒負レ馬、大炊入二餉(○)櫃一負馬、
p.0487 凡出雲國四王寺春秋修法、毎季七箇日供養并燈分料、四王四前、〈一前一日供飯料、稻四把、(中略)煎餉(○○)料油一合八勺、〉
p.0487 諸司共收糒十斛 右毎年干收諸司撿納
p.0487 一ほしいゝ集養之事、水をうけ、ほしいゝをたべて鹽をはしにてくい、水にてはしをすゝぎ、いく度もそのぶんにくふべし、くいはてにしやくしを左の手にて集養あり、しやくしのなき時は、梅ぼしくしのかきたるべく候、
p.0487 一糒を出す時も式者土器也、間の土器に中を高く盛也、水は跡より出ル、向菜は鹽香物也、糒の跡に別に肴出さぬ時は、向の右の手先に鮎の白乾、又者からすみなど組付出す事も有、此時者糒の時白干喰べからず、此菜も大重也、輪に据ル也、〈○中略〉 一糒は五月の中より七月の中まで座敷へも出す事法也、根本河内國道明寺より初る也、是によりて俗に糒を呼て道明寺といふ也、
p.0487 沼田郷、郡家正西八里六十歩、宇乃治比古命、以二爾多水一而御乾飯爾多爾食坐詔而、爾多負給之、然則可レ謂二爾多郷一與、今人猶云二努多一耳、〈神龜三年、改二字沼田一、〉
p.0487 倭建命、〈○中略〉平二和山河荒神等一、而還上幸時、到二足柄之坂本一、於下食二御粮(ミカレヒ)一處上、〈○下略〉
p.0487 七年十二月壬戌朔、勅二一舎人中臣烏賊津使主一曰、皇后所レ進之娘子弟姫〈○衣通朗姫〉喚而不レ來、汝自往之、召二將弟姫一以來、必敦賞矣、爰烏賊津主承レ命退之、糒裹二 中一、到二坂田一、伏二、于弟姫庭中一言、天皇命以召レ之、弟姫對曰、豈非レ懼二天皇之命一、唯不レ欲レ傷二皇后之志一耳、妾雖二身亡一不二參赴一、時烏賊津使主對言、臣既被二天皇命一、必召率來矣、若不二將來一必罪レ之、故返被二極刑一、寧伏レ庭而死耳、仍經二七日一伏二於庭中一、與二飯食一而不レ食、密食二懐中之糒(○)一、於レ是弟姫以爲、妾因二皇后之嫉一、既拒二天皇命一、且亡二君之忠臣一、是亦妾罪、則從二烏 賊津使主一而來之、
p.0488 大長谷王、〈○中略〉倐忽之間自レ馬往雙、抜レ矢射二落其忍齒王一、〈○中略〉於レ是市邊王之王子等、意富祁王、袁祁王〈二柱〉聞二此亂一而逃去、故到二山代苅羽井一、食二御粮一之時、面黥老人來奪二其粮一、爾其二王言、不レ惜レ粮、然汝者誰人、答曰、我者山代之猪甘也、
p.0488 越前國天平三年正税帳 合定大税穀貳拾貳萬漆仟壹伯參拾玖斛漆斗陸升漆合漆勺〈振入斛別一斗、不動穀八万九千七百一十三斛一斗、○中略〉 糒(○)玖仟漆伯捌斛玖斗肆升〈爲二裹一万九千四百一十七一、裹 別五斗、餘四斗四升、〉 正倉貳伯捌拾肆間、〈○下略〉
p.0488 天平寶字四年八月辛未、轉二播磨國糒一千斛一、〈○中略〉貯二小治田宮一、
p.0488 憶二持法華經一者舌著二 髑髏中一不朽縁第一 諾樂宮御宇大八洲國之帝姫阿倍天皇〈○孝謙〉御代、紀伊國牟婁郡熊野村、有二永興禪師一、化二海邊之人一、時貴二其行一、故美二稱菩薩一、從二天皇城一有レ南、故號曰二南菩薩一、爾時有二一禪師一、來二於菩薩所一、〈○中略〉歴二一年餘一而思二別去一、敬二禮禪師一、奉レ施二繩床一、而語レ之曰、今者罷退欲レ居レ山、踰二於伊勢國一、禪師聞レ之、糯干飯春篩二斗、以レ之施レ師、
p.0488 髑髏目穴笋掲脱以祈レ之示二靈表一縁第廿七 白壁天皇〈○光仁〉世寶龜九年戊午冬十二月下旬、備後國葦田郡大山里人品知牧人、爲レ買二正月物一、向二同國深津郡於深津市一而往、中路日晩次二葦田郡於葦田竹原一、〈○中略〉明日見レ之有二一髑髏一、〈○中略〉自所レ食餉(○)以饗レ之、〈○下略〉
p.0488 むかし男有けり、その男、身をえうなき物に、思ひなして、京にはあらじ、あづまの方にすむべき國もとめにとて行けり、〈○中略〉みかはの國八はしといふ所にいたりぬ、〈○中略〉其さわのほとりの木のかげにおりゐて、かれいひ(○○○○)くひけり、そのさわにかきつばた、いとおもしろく咲たり、 それをみてある人のいはく、かきつばたといふ五もじを、句のかみにすへて、たびの心をよめといひければ、よめる、 から衣きつゝなれにしつましあればはる〴〵きぬる旅をしぞおもふ、とよめりければ、みな人かれいひのうべに涙おとして、ほとびにけり、
p.0489 かれひは乾飯也、和名抄に餉を加禮比於久留とも、加禮比とのみもよめり、いにしへよりかれいひを略してかれひといへる也、いを略せる例、もちいひをもちひと云類也、 〈首註〉旅にかれ飯を持は、昔の常也、今も山中へ入人は、こは飯を干てもたるをばちひさき布帒にとりわかちて水に打入、即引上て駄のかたへなどに付おくに、ほどなくほとびてもとのこは飯となる也、こはいにしへは驛の遠くてせんかたなく、又野山の旅には必用意せし物也、ある人餉をかれひおくるとよむにつきて、かれ飯は世の常の飯也といへるはわろし、今の常の飯はいにしへかた粥と云ふ物にてこそあれ、昔も今もかれひと云は、こは飯を干たる物のみ、〈○下略〉
p.0489 たぢまのくにのゆへまかりける時に、ふたみの浦といふ所にとまりて、夕さりのかれいひ(○○○○)たうべけるに、ともにありける人々、歌よみけるついでによめる、 藤原のかねすけ〈○歌略〉
p.0489 御ともにかぎりなくむつまじきかぎりの人二人、われと御むまにのりて〈○中略〉いづくとも人にはのたまはで、ほしいゐ(○○○○)たゞすこしゑぶくろに入て、いと忍びておはします、
p.0489 天延三年五月廿九日庚子、今夜大炊寮糒御倉(○○○)盗人開レ之、以二空車三輛一運二取之一、
p.0489 御厨子所の方をみれば、〈○中略〉又干飯(○○)などいふものをめし出て、池ほり木どもひくものにたまふ、かの信解品の窮子の樣なる、めしあつめては、いまをの〳〵にぞなどたまはすべ し、
p.0490 佛眼寺仁照阿闍梨房託二天狗女一來語第六 今昔、京ノ東山ニ佛眼寺ト云フ所有リ、其ニ仁照阿奢梨ト云フ人住ケリ、〈○中略〉七條邊ニ有ケル薄打者ノ妻ノ女ノ年卅餘許也ケルガ、此ノ阿闍梨ノ房ニ來タリ、餌袋ニ干飯ヲ入レテ、堅キ鹽和布ナド具シテ持來テ、阿闍梨ニ奉テ云フ樣、自然承ハレバ、貴ク御マスト聞テ仕ラムノ志有テ參タル也、〈○下略〉
p.0490 昔あたごの山に久しくおこなふ聖ありけり、年比行て坊をいづる事なし、西のかたに獵師あり、此聖をたうとみて、つねにはまうでゝ物たてまつりなどしけり、ひさしくまいらざりければ、餌袋に干飯など入てまうでたり、〈○下略〉
p.0490 信賴降參事并最後事 去程ニ信賴卿ハ義朝ニ被レ捨テ、八瀨松原ヨリ取テ被レ返ケリ、ソレ迄ハ、侍共五十騎計有ケルガ、〈○中略〉散々ニ落行シカバ、乳母子、式部大輔計ニゾ成ニケル、餘ニ疲レテ見ヘ給ヘバ、或谷河ニテ馬ヨリ抱下シ、干飯洗テ進セケレ共、今朝ノ鯢波ニ驚テ後ハ胸塞テ、ツヲダニモ墓々敷呑入給ハネバ、增テ一口モ不レ召ケリ、
p.0490 慶長四年閏三月二日、甚六勘七兄弟來、糒三袋持參也、廿九日、慶雲母儀妹兩人來、指樽一、糒三袋錫雙、次塗師甚左衞門シロ帚一本持參、
p.0490 つくしに侍りける比、すゝくらにほしゐ(○○○)の有けるをみて、 有僧 すゝくらにふるきほしゐぞつきもせぬ
p.0490 糒こそ昔も今も別義なし鹽と砂糖の違ひ計ぞ
p.0491 一麨ト云フハ何 大智律師ノ觀經ノ疏ニハ、麨ハ即乾飯ノ屑也ト云ヘリ、サレバホシイノコナルベシ、
p.0491 こがし(○○○) 雜事通考に、江淅民家來牟及ひ粳米焦熟磨レ之爲レ粉、名曰二芳雪霜一と見えたる是也といへり、豊太閤、北野大茶湯の時、一僧ありて漲たる白湯にふりうかして奉る、太閤其淡薄の一興を感ぜらる、今祇園林の茶店に用るは是より起たるにや、香煎と呼り、
p.0491 はつたへ(○○○○) 田家新穀を刈て、焦米を粉にして人に饗す、よて初田饗といふ成べし、粳糯小麥等の品あり、本草にいふ麨是也、
p.0491 はつたい 世風古渡里(ヨブコドリ)、はつたいは、くろ米壹升、糖壹升五合のつもりにて、兩方ともいり粉にひきふるひ、ハツタヒにする也、
p.0491 炒 こがし(○○○) 東國にて(○○○○)こがし又みづのこといふ(○)、畿内及(○○○)西國にて、はつたいと云、〈 粉と書て、はつたいと訓ず、〉上野或は越前にて、こぐはし(○○○○)と云、〈粉のくはし成といふ意とぞ〉加賀にてむぎいりこ(○○○○○)といふ、〈賀州の諺に、いろまぬさきの麥いりこよといふ事あり、〉近江にていりこ(○○○)といふ、奥州及總州、肥州にてかうせん(○○○○)と云、今按に香煎は是和品なり、洛陽祇園町、江戸にては下谷の池の端にて製し賣を名産とす、こがしとは其製少し事なり、然ども此國々にてはこがしを香煎と呼也、
p.0491 コガシ 國俗茶ヲ不レ好人コレヲ服ス、或飯後好ンデ呑ム人アリ、其方秈米ヲ爲レ君、慧苡仁陳皮ヲ爲レ臣、茴香山椒等ヲ爲二佐使一、開レ胸快レ氣、養レ胃有レ益二于人一、コガシノ方、秈米炒四十匁、大茴香微炒八匁、肉桂忌レ火去二麁皮一二匁、胡椒一匁、忌火橘皮去レ白炒八匁、慧苡仁炒八匁、山椒去レ白五合、右七味爲二細末一以レ匕首點二熱湯一服、開二胸膈鬱滯一、進レ食去二風邪一、又方、秈米黑炒十匁、陳皮炒四匁、山椒微炒、大茴香少炒、慧苡仁炒、右各一匁、右五味爲二細末一點レ湯服、又方、黑胡麻能蒸テ皮ヲモミ去、少炒十匁爲二麁末一、山椒微炒一匁、鹽七分、右 和合シテ服ス、潤レ身生二血液一、一方、モチ米ノ乾飯ヲ瓦器ニ入、武火ニテ俄ニイレバフクレテヨシ、ユルキ火ニテ炒レバフクレズ、細末トシテ温湯ニ點ジ服ス、又黑胡麻ニ鹽ヲ少加ヘイリテ末トシ、右ノ乾飯ト等分ニ合セ用ユ、コガシハ、中夏ノ人ノ湯ヲ服スルニ似タリ、然與レ湯不レ同、國ノ風土ニヨリテ俗ノ所好異リ、強テ一物トシガタシ、
p.0492 麨 コガシ〈東國〉 ミヅノコ〈同上〉 ハツタイ〈京〉 ハツタイゴ〈筑前〉 コグハシ〈上野越前〉 ムギイリコ〈加州〉 ムギノコ〈薩州〉 ムギコガシ〈江戸〉 カウセン〈奥州總州同名アリ〉 イリコ〈江州〉 麥ヲ炒リ磨シタル者ナリ、乾糗糧ハホシイヒナリ、奥州仙臺及河州道明寺ヨリ出ヅ、
p.0492 糗糧〈麨音、俗云波豆太伊、碎飯(ハタキイヒ)之略乎、〉 本綱、糗糧蒸二米麥一、熬過磨作レ之、成二其臭香一、故糗字從レ臭、麨字從二炒省一也、河東人以レ麥爲レ之、北人以レ粟爲レ之其粗者名二乾糗糧一、〈甘苦微寒〉和レ水服解二煩熱一止レ洩、 按糗糧炒レ麥磨細末、飛羅而浸二冷水一噀レ之、和二沙糖一愈佳、出二於紀州宮崎、泉州貝塚一者最良、以レ米爲レ之者稍劣、 糒者、煮レ飯乾レ之、糗者生麥熬レ之、製各異也、本草所レ言者、二物同製、而以二粗細一別レ之、似レ不レ精矣、
p.0492 古賀志 倭俗、糯米、陳皮、山椒、茴香、各細末點レ湯而用レ之、謂二香煎一、又稱二古賀志一、近世祇園町製レ之、故稱二祇園古賀志一、洛人專賞レ之、遠邦人亦求レ之、還レ郷贈レ人而充二方物一、其盛二香煎一筒、苦竹五寸許截レ之、存レ節爲レ底、盛二香煎於内一、以二檜木一爲レ蓋、其體製實都樣也、醫家吉田盛方院之香煎、是又爲二上品一、
p.0492 江府名産并近在近國 池の端香煎 煮山椒 池のはた中町 酒袋加兵衞
p.0492 酒袋香煎〈池ノ端仲町〉 祇園不レ及香煎味、下谷仲町酒袋方、買得家々皆便利、客來先出一杯湯、
p.0493 左〈持〉 麥こがし クハナ 馬伎 鹽なくてさたうのきかぬ麥こがしむねのにえ茶にかきくとけども