産地 名酒

〔尺素往來〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0743 酒者柳一荷、加之天野(○○)、南京(○○)之名物、兵庫(○○)、西宮(○○)之旨酒、及越州豐原(○○○○)、賀州宮腰(○○○○)等、相副瓶子并銚子、提子、所調設之也、

〔毛吹草〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0743 山城 南蠻酒(○○○) 大和 僧坊酒(○○○) 河内 天野酒 攝津 伊丹酒 富田酒 遠江 菊川酒 若狹 小濱酒 越前 大野酒 出雲 杵築酒 備前 小島酒 備後 尾道酒 三原酒 伊豫 島後酒 豐前 小倉酒

〔太閤記〕

〈十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0743 醍醐の花見 秀吉公父子其外上臈衆かちにて、いとしづかなる有さま、人間の住家にはあらざるにやとおもはれて艶也、〈○中略〉御供にあらぬ諸侯大夫并京堺の歴々より、折作物珍物其員をつくし、名酒には加賀の菊酒(○○○○○)、麻池酒(○○○)、其外天野(○○)、平野(○○)、奈良の僧坊酒(○○○○○○)、尾の道(○○○)、兒島(○○)、博多の煉(○○○○)、江川酒(○○○)等を捧奉り、院内にみちて院外にあふれにけり、

〔雍州府志〕

〈六土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0743 酒 凡京師井水、其性淸而柔、其味淡而芳、以斯水酒、故其味甘美、總謂京酒(○○)、又稱地酒、凡其他之出生、其所之造釀總謂地、堀川大炊通北花橘酒(○○○)、近世又有蘭菊酒(○○○)等特宜、又京北町口一條北酒店、有重衡(○○)者、平重衡滅南都伽藍、凡酒自古以南都勝、此酒味勝南都之酒、故有此號

〔寛政武鑑〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0743 松平甲斐守保光〈○大和郡山〉 時獻上〈二月〉南都酒(○○○)

〔河内名所圖會〕

〈前篇中石川郡〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0744 富田林(○○○)、〈南河内都會の地也〉いにしへは富田芝とて、廣き野にてありしが、天正の頃、公命によりて、市店建續きて商人多し、特には水勝れて善れば、酒造る業の家數の軒をならぶ、

〔江家次第〕

〈十一十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0744 御佛名 今夜羞栢梨(○○)、〈左近衞府攝津莊名(○○○○)也、以彼地利造之甘糟也、〉小大盤以下以折敷之、左近官人等取繼、令主殿司居一レ之、公卿候殿上者、六位藏人以下居之、毎折數甘糟一坏〈入乳垸〉菓子二坏精進物二坏、箸臺〈居箸一雙〉空器一口也、公卿以下著殿上、近衞次將勸盃、〈藏人執瓶子小板敷、四位勸大臣者繼酌、於納言以下者不之、五位取繼酌二獻云云、〉 裏書曰、栢梨昔府中將和氣、某以攝津國之栢梨庄寄左近府、以其地利官人以下酒醪料

〔公事根源〕

〈十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0744 御佛名 十九日 けふより廿一日まで三ケ日なり、或は一夜も例あり、〈○中略〉栢梨の勸盃などいふ事有、それは左近衞府の領に、攝津國栢梨莊といふ所より御酒を奉りて、殿上にて勸盃のあるなり、

〔攝津名所圖會〕

〈六河邊郡〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0744 伊丹(○○)〈町名廿八、屬邑十二、河邊郡都會の地にして商人多し、京師大坂有馬三田等の驛也、〉 名産伊丹酒〈酒匠の家六十餘戸あり、みな美酒數千斛を造りて、諸國へ運送す、特には禁裏調貢の御銘を老松(○○)と稱して、山本氏にて造る、あるひは富士白雪(○○○○)は、筒井氏にて造る、菊名酒(○○○)は八尾氏にて造る、其外家々の銘を、斗樽の外卷に印して、神崎の濱に送り、渡海の船に積て、多くは關東へ遣す、〉

〔日本山海名産圖會〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0744 袋洗 新酒成就の後、猪名川の流に袋を濯ふ、其頃を待て近卿の賤民、此洗瀝を乞えり、其味うすき醴のごとし、是又他に異なり、俳人鬼貫、 賤の女や袋あらひの水の汁 愛宕祭 七月二十四日、愛宕火とて、伊丹本町通りに燈を照らし、好事の作り物など營みて、天滿天神の川祓にも、おさ〳〵おとることなし、此日酒家の藏立等の大なるを見んとて、四方より群集す、是を題して、宗因、 天も燈に醉りいたみの大燈籠 酒家の雇人、此日より百日の期を定めて抱へさだむるの日にして、丹波丹後の困人多く幅奏すなり、

〔攝津名所圖會〕

〈七菟原郡〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0745 名産灘酒匠(○○○○○)〈五百崎、御田、大石、脇濱、神戸等にて酒造し、多く諸國へ運送す、これを灘目酒(○○○)といふ、〉

〔童蒙酒造記〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0745 麻生酒(○○○)之事 一麻蒔頃造りて麻苅頃口を開る故、麻生酒といふ、又或説に曰、元來麻蒔時畑に造りたる故、麻生酒と云也、醅共に呑酒也、 一二月中旬造りて、三月末四月初に口開る也、但し造り込より日數三十日さへ過候へば、口開けて不苦、假令右の酒夏を越、秋冬自然來年迄有之候ても、風味替る事無之候、 一麻生酒の法、世間に多しといへ共、就中此方勝れ候、依之寛文年中尾州(○○)大守大納言光友公へ、家臣成瀨氏獻上、風味異他由御褒美、其後嘉例として毎年被差上方也、

〔渡邊幸庵對話〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0745 一江川酒(○○○)の事、文字如此にては無之候、豆州之内大川(○○○○○○)と申處有之候、則大之宇を書てエと讀申候、鎭守は大川大明神也、此處にあり、水にて造り出申酒にて、昔江川酒と名付申事、小川をエ川と讀申候、江川には鱒鮭無之物に候故、ます酒なきと稱美の詞にて、エ川酒と申候、處の名とは、唱は同じ事ながら、文字替り申候、小川長左衞門殿と申仁、大番より此處の御代官被仰付、御收納米にて此酒を造らせ獻上に候、代々長左衞門殿は二百石取被申候、

〔信長記〕

〈十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0745 信長公東國御進發并勝賴父子討死之事 同日〈○天正十年三月二十一日〉北條氏政ヨリ端山大膳大夫使者トシテ御太刀馬黄金千兩、并江川樽(○○○)十樽、白鳥十、漆樽二十進上ス、

〔近江國輿地志略〕

〈九十七土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0745 酒 大津(○○)の出す處なり、此地の水の性淸して柔に、其味淡してよし、故に酒も其味甘美にして、京都の酒に劣らず、造釀する多しといへども、箱の松(○○○)、松梅(○○)、打出濱(○○○)、我宿(○○)等の 酒殊によろし、石原澤村など云もの造釀に名ありとす、

〔白河樂翁公傳〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0746 土地米多けれども、酒味惡ければ、他方へも賣れ難く、所の益も薄ければ、上方の造酒の方を學べとて、會津より杜氏を請ひ、藤屋といふ酒屋へ預け酒を造らせ、其後も追々上方の造方、灰の品を撰びなどする方を聞せ、御世話ありし故に、近年はむかしに替り、味宜しく成たり、

〔紹述先生文集〕

〈五記〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0746 野中淸水釀酒記 昔者王猷之盛、凡任國者、三歳考績、黜陟幽明、歴七考而入爲參議、其參佐僚屬、亦皆遷轉、故當時搢紳之士、東遷西徒多歴郡縣、所至必述悲歌感慨之情、形諸賦詠、其土之風俗氣候、山水之趣、物産之品、賴以可識、而傳至于今、凡經其品題者、今謂之名所、好古者稽焉、野中淸水此其一也播之印南郡(○○○○○)界有小池、東距明石郡城、以今里計二里而遠、其南半里許、而山陽往來之途在焉、其池南北五歩許、東西倍而稍濶、其水淸徹紺寒冬夏不涸、可以釀一レ酒、今屬明石城主左兵衞佐源侯之管内、相傳所云野中淸水(○○○○)者乃是也、明石治下酒匠有櫻井氏者、以善釀名、候爲給其地、汲池醞製、冬間將釀必遣吏人掃除、又以持明院基時卿搢紳之望也、請其歌章以示後世、其好古也篤矣、向物介醫人宗函其事、荏苒未果、督益追、因謂今方内又安、四陲無虞、不唯春誦夏絃之慕一レ古、而一器物之製、一泉石之趣、嘗經古名流之賞者、毎必咨嗟低徊以相夸、非徒可一レ世之承平、亦可以見厚道之尚存矣、其事雖細、君子樂之、是爲野中淸水釀酒記、〈正德二年壬辰二月〉

〔明良洪範〕

〈二十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0746 本多平八郎政武ノ臣三浦忠右衞門ト云モノハ、忠義無雙ニテ經濟ノ名人ナリ、〈○中略〉酒ハ何方ニテモ多ク用ユルモノナリ、姫路ハ所柄別シテ酒ノ多ヲ見テ、此地ノ金銀他ヘ出ル事夥シケレバ、何卒此費ヲ省カン事ヲ考フルニ、土地ニテ酒造リセンニハシカジトテ、其事ヲ申立テ、若造リ損ジタランニハ、其罪アラント町中ヘ申付、其道々ノ人ヲ集メテ議シ、美酒ハ陶師ニヨルトイヘバ、南都伊丹ノ名アル酒造リヲ呼ビヨセ、第一米ト水ト次第ニ吟味シ、淸水ヲ汲セ、マ タ瀧水ヲ用ヒ、我身上ニカハリテ意ヲツクシ、ヨク出來テ汝等ガ德分ナレバ、必念入造ルベシト下知シ、樽モ杉ノ上木ヲ以テ作ラセ、彼是骨折、世話致シアリケルニ、其誠信ニヨレバニヤ、美酒ドモ造リ出シテ、佳味南都伊丹ニオトラヌ上酒トナリ、價モ下直ニ賣シメケレバ、土地大ニ其利ヲ得テ、今ハ姫路酒(○○○)ニテ西國マデモ通用ス、其上米ハ皆大坂ニテ運送セシニ、酒ヲ造リ初メテヨリ、地拂ノ米モ多キ故、米直段モ自然トヨロシク、土民ドモ潤ヒケル、

〔倭訓栞〕

〈前編十佐〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0747 さけ 吉備の酒(○○○○)は萬葉集に見ゆ、庭訓にも備後の酒といへり、

〔萬葉集〕

〈四相聞〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0747 丹生女王贈太宰帥大伴卿歌二首〈○一首略〉 古(イニシヘノ)、人乃令食有(ヒトノノマセル)、吉備能酒(キビノサケ)、痛者爲便無(ヤモハヾスベナ)、貫簀賜牟(ヌキスタマハム)、

〔庭訓往來〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0747 能登釜、河内鍋、備後酒(○○○)、

〔寛政武鑑〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0747 松平安藝守重晟〈○安藝廣島〉 時獻上〈三月〉三原酒(○○○)〈○備後〉

〔紀伊續風土記〕

〈物産十下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0747 酒 麻地酒(○○○)は府下廣瀨嘉左衞門が家に製す、是も亦公儀へ獻じ給ふこと、元和年中より始まるといふ、

〔筑前續風土記〕

〈二十七土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0747 酒 近年福岡博多(○○○○)に釀す酒甚美なり、其上品は南都北都の産に相つげり、新しき杉樽に入、大坂に上すれば、彼地の人も又大坂の産に勝れると稱す、各其かもせる酒に新に名を付、其品あげて數へがたし、其美名を著さんとなり、直方にも良醞を作る、宰府にて染川(○○)、思川(○○)など云酒を釀す、其味頗美也、〈○中略〉亦福岡博多に燒酒をも多く製す、

〔寛政武鑑〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0747 松平美濃守齊隆〈○筑前福岡〉 時獻上〈十一月〉博多煉酒

〔毛吹草〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0747 豐後(○○) 麻地酒(○○○)〈朝生(○○)酒トモ書、土カブリ(○○○○)トモ云、〉

〔寛政武鑑〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0747 木下主計頭俊懋〈○豐後日出〉 時獻上〈在邑十一月〉麻地酒

〔類聚名物考〕

〈飮食三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0748 麻地酒(○○○) あさぢざけ 肥後の國より出る名産(○○○○○○○○○○)也、その糟の米子うかびてたゞよふ也、是を製する時六月なるにや、俳諧の季夏六月也、

〔寬政武鑑〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0748 細川越中守齋玆〈○肥後熊本〉 時獻上〈三月〉麻地生酒

酒銘

〔先哲叢談〕

〈續編十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0748 内田頑石、名升、字叔明以字行、號頑石道人、冠嶽鵜洲皆別號通稱文道、江戸人、 頑石嘗使攝津伊丹造釀家某製醇粹酒、其氣味淸酸而苦辛、不是苦甘軟淡、自題之銘云、消憂散鬱、透徹黄泉、百藥之長、暢潤山川、蓋關東之人、性嗜酒味辛苦猛烈、不關西之人好酤醪軟甘温濃者、自依於土地肥瘠與人氣強弱、自是以降、此造釀之法、盛行于時、江戸十里四方之所飮、以此爲稱謂、至今號泉川(○○)、七十年來飮客、無泉川、氣味殊以芳辛淸苦于世

〔山陽遺稿〕

〈六記〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0748 長古堂記 伊丹之酒、醇天下、而坂上氏最醇云、蓋釀戸亡慮七十餘家、舶載輸江都、歳以三十餘萬斛率、凡其運酒、以木罍缶、薦包席裹、署號於一レ上、而其號爭新鬪奇、歳更月革、務刮人目、聳衆觀、而坂上氏唯墨畫一縱一橫、爲劔鋒菱角形状而已、自昔未之或改、故視其號可以知其釀法之變與不變矣、江都人呼坂上家釀劍菱(○○)、天下酒價低昂、皆視劍菱準、遂亦呼其家劍菱氏、〈○下略〉

〔山陽詩鈔〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0748 戯作攝州歌 兵可用、酒可飮、海内何州當此品、屠販豪俠墮地異、腹貯五州水淰淰、阿吉不肎損與一レ人、阿藤營宅城如錦、龍顚虎倒兩逝波、戰血滿地化嘉禾、伊丹劒稜美如何、各酹一杯能飮麼、〈余書此詩攝人、劔稜主人偶見奪取、即贄其酒來謁、定交始于此、〉

〔山陽詩鈔〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0748 西遊稿 七星(○○)春歌〈伊丹酒名、碕港所致皆泉釀、伊丹獨有此一品、或招余供此、賦謝、〉 重碧瀲灔漲長缾、何縁命名喚七星(○○)、腕擎琥珀光迸掌、訝佗寒芒照畫檽、吾戸雖小嫌甜酒、常恨泉釀不口、宴闌煩君更往賖、始覺萬愁付一帚、君不見我胸未二十八宿、我腹猶堪北斗

〔蛻巖集〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0749兵庫樽氏曙光酒(○○○) 鷄鳴海驛曙光開、紅靄紫霞春滿臺、君自神仙多異術、一齊釀入甕中來、

〔瓦礫雜考〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0749 酒 攝津國伊丹にて造るよき酒に、星の井(○○○)と名づくる酒あり、俗にこれを七ツ梅といふ、〈樽つゝみたるむしろに七星をしるしにつけたるが、うめばちといふもんのかたちに似たる故なり、〉星の井は井によりて名づけたる也、

〔明和新增京羽二重大全〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0749 名酒所 後水尾院樣御銘有明 堀川六角下ル町 八文字屋 東福門院〈○後水尾后德川和子〉樣御銘花橘 堀川丸太町 坂田屋 鷹司前關白樣御銘蘭菊 油小路竹屋町下ル町 關東屋 女院御所樣御銘竹葉若みどり 右同斷 井筒屋 日光御門跡樣御銘初ざくら 烏丸夷川上ル町 廣長屋 妙法院御門跡樣御銘さゞれ石〈又〉まひ鶴 新町通一條上ル 重衡 北野經王堂前 この花 津國屋 富小路松原下ル町 榊葉 近江屋 四條烏丸東〈江〉入町 みたらし 穗積屋〈○下略〉

〔元冶改正京羽津根〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0749 銘酒所 〈御所献上〉養老菊水酒 〈不明門通七條上〉藤岡友三郎 さゞれ石 まひ鶴 〈新町一條上〉重衡 この花 〈北野經王堂前〉津の國屋 さゞれ石 〈河原町四條下〉ひし屋 三笠山 〈二條堀川東へ入〉萬屋吉兵衞 君が代はくもりもあらじ三笠山峯に朝日のさらぬかぎりは わか竹 〈下立賣堀川西〉菱屋平兵衞 わか竹に麥の穗風のそよぎかな 〈御銘〉龜の井 〈烏丸御池上〉萬屋吉右衞門 麥酒 〈高倉五條下〉穗積屋喜八 不老酒 〈油小路五條下二丁め〉鍵屋 楚龍 〈寺町今出川下〉菱屋宗助 音羽〈洛東〉 〈大黑町五條上〉八文字屋小兵衞 龍の水 〈伏見海道五條下〉紀伊國屋儀兵衞 瀧の水 〈建仁寺町四條下二丁メ〉つぼや 糺川 〈建仁寺町松原下〉八文字屋元七 松の聲 〈三條東洞院東〉若松屋藤七 鶴の齡 濱のまつ 〈堺町松原下〉濱屋三右衞門

輸送

〔東都歳時記〕

〈四冬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0750 十一月日不定 新酒〈むかしは九月著船す、近年次第に遅くなりて十月頃となり、今は正月或は二月初旬に著す、攝州は伊丹、傳法、西の宮、池田、今津、大坂在、尼が崎、北在、灘目、大石、兵庫、其餘泉州、勢州、濃州、尾州、三州等の國々より、新酒の船江府へ積送り、品川沖に著す、早船を以て回船の問屋へ報じ、同問屋より大茶船を出し、先を爭ふて是を瀨取し、新川新堀の酒問屋銘々の河岸へ積來り、諸方へ運送す、繋昌いはん方なし、喧https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001d37c.gif して早ふあやまる新酒哉、百史、打よする浪ぞ新酒の安房上總、蓮之、〉

〔一もと草〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0751 新酒 糟丘亭 よしあしの難波の浦には、神無月の頃に、ゐざけ下さんと、舟もよひして、名にしあふ伊丹、西の宮、なだめ、大坂、でんぼう、兵庫など、その外のも問丸にあつめて、一番舟十あまり四艘に、番舟もおなじほど積そろへつゝ、いつの日いつの時などさだめて、ひかへ綱きりてはなてば、思ひ〳〵にぞ海原を風にまかするなれ、このよしはやうこゝにつたふれば、新川新堀に家居せる問屋の、むかしは八十あまり四軒となん聞しを、いかなるにか今は四十あまり六家とや、その家この賣場といへるに、かのくだれる數の舟主の名を壁にしるして、誰々はよくのる、たれ舟はいつもたのまれず、又今年なにがしは新造のるなど云ふめるころは、ふる酒もかれ〳〵なれば、家々つどひて、細き枯木をけづりて、きゝ酒の釘なん用意するとぞ、これにかゝづらふをのこどもは、しぶ染とかやいへるあらきひとへに、小倉といへる帶して、太神樂といへる獅子の脊中みるやうなる、前垂てふものかけて、やゝともすれば、藏前川岸前に集りて、樽石など持くらべて誇りあへるにこそ、時雨もはれやかに、小春の天暖かなれば、この夜さりや曉などゝまつ頃かの舟どものはやきは品川の沖にこそつくめる、いかりもまだおろしあへざるに、天滿とかいへる舟して、とく大川端なるこゝの問丸に案内したるこそ、一番船とは定りて、舟のりもめいぼくあれば、くる年中もこの舟のさちにぞなれる、さは沖には早う付ても、この案内におくれければ、二番三番ともいはれて本意なし、荷物受るにも通請支配請問屋など、いづれとくだ〳〵しければもらしつ、問丸は大茶船といへる、しるしたてゝ荷わけにぞゆくなる、問屋のあるじは、初相場立るとて、例のところにぞあつまるなれ、荷分せし舟の乘り入るほどこそ、いとゞ小川のところせきに、あゆみ板打渡して、まろばしあけるも、いみじくしつけたるはやすげなれ、藏々に入るほど、とくゐへ積送るなど、いそぎあへるもをかし、靑き旗たてたるは、八百あまり八町はさらなり、しるしの杉かざせ るすゑ〴〵の家居まで、一二日のうちに送りくれば、まづ神棚にこそさゝげて、下り新諸白と書て、かどのはしらにかけぬるならし、

〔塵塚談〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0752 江戸中酒店、毎年十月大坂より新酒下り來ると、早速に場末の小酒店迄も、出入の屋敷并町屋までも、一升二升或は五合充も、洩さず相應に配り送りし事なり、文化五辰年冬、新川新堀の酒問屋共より、向後酒配り止べきのよし、酒店へ觸出し、それより一統酒配り止になりけり、

〔萬金産業袋〕

〈六酒食〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0752 酒之部 伊丹富田の作り酒、生もろはくといふは、元來水のわざにや、作りあげたる時は、酒の氣はなはだからく、鼻をはじき、何とやらんにがみの有やうなれども、遙の海路を經て江戸に下れば、滿願寺は甘く、稻寺には氣あり、鴻の池こそは、甘からず辛からずなどとて、その下りしまゝの樽にてのむに、味ひ各別也、これ四斗樽の内にて、浪にゆられ、鹽風にもまれたるゆへ、酒の性やはらぎ、味ひ異になる事也、總じて江戸にては、一切地造りの酒はなし、時として今繁花の江戸、いく八百八十やらん、方量無邊の其所に、日夜朝暮につかふ酒、みな右にいへる、伊丹富田、あるひは池田の下り酒也、靈岸島、茅場町邊、叉呉服町の酒問屋にて、右下りの四斗樽、家々の印にて買ふ、問屋には藏手代といふが有て、買人をば藏へ伴ひ、望に應じて利酒をさせ、拾兩に幾樽といふ直に極めて賣買す、扨此外に、少しは江戸の地酒も有、信州の上田ざけ、尾州の名古屋もろはく、地まはり奥酒なんどとて、取まじへ賣用もすれども、所詮下り酒とのみくらべては、いづれにもにがみ有やうにて、京にて至極次なる新酒の淡き味より、色うすく氣淺くて、さすが田舎の水すぢあらはれ、各別味ひよろしからず、

〔見た京物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0752 酒は富士見酒とて、一たび江戸へ乘出したるを賞翫す、

酒商

〔日本靈異記〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0752 強非理以徴債取多倍而現得惡死報縁第廿六 田中眞人廣忠女者、讃岐國美貴郡大領外從六位上小屋縣主宮手之妻也、産生八子、富貴多寶、有馬牛奴婢稻錢田畠等、天年無道心、慳貪無給與、酒加水多沽取多直、貸日與小升、償日受大升、出擧時用小斤收大斤、息利強徴、大甚非理、或十倍徴、或百倍徴、債人澀取不甘心、多人方愁、棄家逃返、趻跰他國此甚、廣忠女以寶龜七年六月一日病床、而歴數日、故至七月廿日、呼集其夫並八男子、語夢見状而言、閻羅王闕所召而示三種之夢、一者三寶物多用不報之罪、二者沽酒加多水多直之罪、三者斗升斤兩種用之、與他時用七目、乞徴時用十二目而收、依此罪汝應現報、今示汝耳、傳語夢状、即日死亡、〈○下略〉

〔沙石集〕

〈六上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0753 能説房之説法事 嵯峨ニ能説房ト云説經師有ケリ、隨分辨説ノ僧也ケリ、隣ニ沽酒家ノ德人ノ尼有ケリ、能説房キワメタル愛酒ノ上戸ニテ布施物ヲモツテ一向酒ヲカヒテノミケリ、或時此尼公佛事スル事アリテ、能説房ヲ導師ニ請ズ、近邊ノ者是ヲキヽテ、能説房ニ申ケルハ、此尼公ノサケヲウリ候ニ、一ノ難ニ水ヲ入ルヽニヨリテ思程モナシ、今日ノ御説法ノ次ニ、サケニ水入テ賣ルハ罪ナルヨシ、コマカニ仰ラレ候ヘトイフ、能説房各ノ仰ラレヌサキニ、法師モ存ジテ候、今日日來ノ本懷申聞クベシトテ、佛經ノ釋ハ、タヾ大方バカリニテ、サケニ水入ルヽ罪障ヲ勘ヘアツメテ、少々ハナキ事マデサシマジヘテ、思ホドニイヒケリ、サテ説法ヲハリテ、尼公其邊ノ聽衆マデ、皆ヨビアツメテ、大ナル桶ニ酒ヲ入テ取出テスヽム、能説房一座セメテ、サカヅキトリアゲテノミケリ、此尼公アサマシク候ケル事カナ、サケニ水イルヽハ罪ニテ候ケルヲ、シリ候ハザリケルヨトイフニ、水ノスコシ入タルダニヨシ、今日イカニ目出タクアラント思程ニ、能説房一度ノミテ、アトイヒケレバ、イカニヨカルラン、感ズル音カト聞クホドニ、日來ハチト水クサキサケニテコソ候ツルニ、コレハチト酒クサキ水ニテ候ハ、イカニト云ケレバ、サモ候ラン、酒ニ水ヲイルヽハ、罪ゾト仰ラ レ候ツル時ニ、是ハ水ニサケヲ入テ候トテ、大桶ニ水ヲ入テ、酒ヲ一鍉バカリ入タリケル、此尼公興懷ニシタリケルニヤ、又惡クコヽロエタリケルニヤ、

〔昨日は今日の物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0754 一ならのいせやと云さか屋、やすざけには水を入てうりければ、ある人是をかい、伊勢屋のさけはさん〴〵あしきとて、きやう歌をよみける、 酒の名も所によりてかはりけりいせやのさけはよそのどぶろく、伊勢や是を聞、返し、 よしあしといふはなにはの人やらんおあしをそへてよきをめされよ

〔見た京物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0754 酒屋に酒ばやしとあり、居酒屋には酒小賣とあり、飮人甚少し、

〔明和新增京羽二重大全〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0754 同〈○禁裏〉御酒所 上立賣室町西〈江〉入町 權兵衞 富小路松原下〈ル〉町 伊右衞門 今出川新町西〈江〉入町 大黑屋七右衞門 同御名酒所 丸太町富小路東〈江〉入町 尾道屋次郎右衞門

〔天保武鑑〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0754 御膳御酒所 〈本石丁二丁メ〉正法院八左衞門 〈南大工丁〉菊屋次左衞門 御酒所 〈上まき丁〉高島彌兵衞 〈兩國元丁〉木津屋理兵衞

〔江戸總鹿子〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0754 名酒屋 南傳馬町一丁目 播磨や七兵衞 同所 大和大目 藤原重次 南鍋町 中村淸兵衞 深川大島町 三笠酒 伊阿彌新之丞 數寄屋町 霰酒 讃岐や兵助 下槇町 山川酒 天滿や

〔江戸總鹿子〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0755 下り酒屋(○○○○) 中橋廣子路 呉服町壹丁目 貮丁目 瀨戸物町壹丁目

〔嬉遊笑覽〕

〈十上飮食〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0755 下り酒、昔は江戸にて多く酒を造りて、下り酒はなかりし、事跡合考に、南川語て云、津の國鴻池の酒屋勝屋三郎右衞門と云もの、酒二斗づゝ入る桶二つを一荷として、其上に草鞋數足置きたるを擔て、江戸に下り、大名の家々に至りて、一升を錢二百文づゝに賣たり、其頃いまだ麁酒のみにて、これが酒の如き美酒なき故、ばいとりがちに買はやらかし、頻りに上下して夥しく利を得たり、其頃は米は下直なり、木錢は十二文ほどしたる故、鴻池より一上下錢二百五六十文にて仕廻たり、肩の上ばかりにてはかゆかざる故、その一荷四斗の酒を一樽として、二樽を馬一駄とて、數十駄づゝ持下りて、勝屋賣たり、依之末代に至りて、酒の價を極るとき、十駄金子何十兩と立るもの、廿樽酒八石の積りなり、追日酒うれる故、馬の背にても及びがたく、終に東海を何十萬樽と云に至りて、船につみ入津する事、今日盛りなりと云り、此いつ頃のことにか、江戸鹿子に、下り酒や、中橋廣小路、呉服町一丁目、二丁目、せと物町一丁目と見えたり、

〔江戸名物詩〕

〈初編〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0755 内田屋酒店〈外神田昌平橋外〉 昌平橋外内田前、德利如山酒爲泉、孔子門人多上戸、瓢簟携至是顏淵、

〔我衣〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0755 前々ヨリ酒樽割醬油樽割トテ、一ト樽賣ノ代物割ヲ以テ、一合二合ノ小賣ヲシ、或ハ上酒ヨリ次酒、段々價下直ニ書付ヲ廻シ、所々ヨリ出ルトイヘドモ、當分計ニテ末ハ外ノ酒店ニカワル事ナシ、爰ニ元文元年、鎌倉河岸ニ豐島屋ト云酒屋、見世ヲ大ニシテ、外々ヨリ格別下直ニ賣タリ、毎日空樽十廿ヲ小賣ニテ、明ルホドニ、酒ハ元直段ニテ樽ヲモフケニシケリ、其頃ハ樽一匁ヨリ 一匁二三分迄ニ賣リタリ、其仕方ヲ見ルニ、片見世ニ豆腐作リ酒店ニテ田樂ヲヤク、豆腐一丁ヲ十四ニ切ル、甚ダ大キナリ、豆腐外ヘハ賣ラズ、手前ノ田樂計リナリ、ソノ比豆腐一丁ニテ廿八文ナリ、是モ元直段ニテ味噌モ人モ皆々外物ナリ、サレドモ酒ノ明クヲ肝要トスルユヘ、田樂ヲ大キク安クミセ、酒モ多クツギテ安ク賣ユヘ、當前ニハ荷商人中間小者馬士駕籠ノ者、船頭日傭乞食ノ類多クシテ、門前ニ賣物ヲ下シオキテ、酒ヲノム、コレニヨツテ野菜等ヲ求メント思フ人ハ、皆此豐島屋ガ見世先ヘ行ケバ、望ノ物アルユヘ、自ラ見世先人立多キユヘ、往來ノ人モ立寄、内ノテイヲ見テ繁昌ナリト沙汰ス、後々ハ樽賣或ハ五升三升ノ通(カヨヒ)樽ニテ求ニ來ル、寛保ノ比ヨリハ、大名ノ御用酒ヲモ被仰付、旗本衆小役人中ノ寄合ニモ必ズ豐島屋ノ樽ナキコトナシ、夫ユヘ糀町、四ツ谷、靑山、本郷邊、小石川、番町、小川町邊ノ屋敷ヨリ遠方ヲ苦ニモセズ、山ノ手向車力馬足ニテ積送ル所ノ酒屋ヨリハ、格別下直ニテシカモ酒ヨク、猶々評判ヲ得タリ、新堀新川ノ酒問屋ニテモ金廻リ惡敷問屋ハ、元直段ヲ引テモ豐島屋ヘ積送ルニ、何百駄ニテモカヘスコトナシ、問屋モ前金ヲ借リテ著船次第ニ、酒ヲコスベキナドヽ約束シテ、借用スル問屋モアリ、夏ニ至テ十日廿日ナラデ持マジキ酒ヲバ、皆々直段格別ニ引下ゲ、豐島屋ヘ送ルニ、一兩日ノ内ニハ飮盡ス、是ヨリ段々繁昌ス、其後近隣ニ此通ノ酒屋出タレドモ、手ゼマクシテ豐島屋ニ不及、是酒醬油カケ直ナシ安賣ノ元祖ナリ、

〔名家略傳〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0756 賣酒郎(○○○) 賣酒郎は何れのところの人といふことをしらず、將その姓氏をも詳にせず、自稱して噲々といへり、あるひは彦四郎と通稱す、年三十歳ばかりにして、京師白河の西街に僑居し、書畫および篆刻を善くし、常に傭書をもてその母を養ふといへども、生計いと乏しく、賑贍することあたはず、こゝに於て自嘆じておもへらく、文雅はすなはち孝養に礙りあり、我はもと酒家の子なり、され ば酒を售りて産業とし、わが親を養ひ、且安逸ならしむるにはしかじといひて、やがて橐中の書畫をこと〴〵く散鬻して、陶器酒具を購ひ求むるに、猶舊癖依然として、その買ふところの器具、みな唐山舶來の品物のみ、ことに酒は洛市の美醞を備へたりしうへに、七重の絹もて七たび漉たれば、その味ひ淸芳にして烈ならず、醒意甚だ快く、かつて宿酲せず、かくて門簾に竹醉館の三大字を書し、外に招牌を掲げて、その面に、此肆下物、一則漢書、二則雙柑、三則黄鳥一聲としるしたり、かゝれば好事の年少つねに往て宴を催す、これによりて來賓たえず、されどもその價は、酒の多寡によりて贏利を貪らず、毎歳春の半にいたりては、櫻花の盛開にあたりて、日ごとに大樽酒器を荷擔ひて、東山に座を設け、嵐山の江畔に行鬻ぎ、また秋の末になりては、霜葉の紅に染る頃ほひ、東福精舎に席をひらき、臨川禪院のあたりに賣りありきつゝ、般若湯の三字をしるしたる酒旗を建たるを、遊人の認て、はじめはあやしみ、さては笑ふものもあり、されどもその酒の精好にめでゝ、後にはあらそひ就て飮めりとかや、ことに文人才子其風流を愛し、詩を賦し歌を詠じて、これに贈るもの多ければ、その詩歌をあつめて卷となし、賓客の觀に備へけるとぞ、

〔和漢三才圖會〕

〈三十二家飾具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0757 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_ins013693.gif (○)〈音慌、帘音簾、左加波太、今云酒林、〉 按https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_ins013693.gif 酒家望子也、望子即幟也、〈○中略〉近世倭所用望子多束杉葉之、形如鼓、凡酒性喜杉、用杉材酒桶、投杉柿於酒中之類亦然也、不自釀而沽酒家則出看板幟、

〔瓦礫雜考〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0757 酒 酒屋の軒に杉の葉束ねたるをつることは、杉の葉を酒にひたす事あり、又木香といひて、よき杉木の根を削りたるを、酒の中に入るゝこともあり、又酒に用る器物みな杉にて造るものなれば、これらによりてかくする歟ともおもへど、猶よくおもふに、杉の葉を酒にひたすことは、味變りたるをなほさむとてすること也、又中品の酒は、六七月の比、遠方に運送するには、途中にて損ず る故に、木香をば入るゝ也、木香はよく酒の氣味を助けて、そこなはぬものなれど、上品の酒は變る事なければ、用るに及ばず、〈至て下品の酒には、番椒をも入るゝことあり、〉さればもとより秘すべきことなるを、いかで家のめじるしにおもひよりて付始むべき、又器物に杉を用るは、酢も醬油もおなじ、酒にのみ限れるにあらず、按ずるに崇神紀に、宇磨佐開濔和(ウマザケミワ)云々とあり、厚顏抄に、神に奉る酒をみわと云故に、味酒のみわとつゞけたりといへり、又三輪にしるしのすぎ、杉たてる門などよめる古歌多し、件の杉の葉はこれによりてうまき酒ありとのしるしにはしたるなるべし、舊説の大物主神の酒を造り給ひし故に、其神のます三輪山に味酒とはかむらせたり、かつ神酒と書て、美和とよむといへるに誤あることゞも、委しく冠辭考に解明せれど、此杉の葉の事などは、只よの常の説を用べし、又今神に奉るをのみみきといふと心得るも非也、御酒は貴人ならでも、御といふ、きは酒の古語也とぞ、みきに數説ありて、或は三季とし、あるひは三寸とすれ共、みなひがこと也、

〔先哲叢談〕

〈後編八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0758 龍草廬、名公美、〈○中略〉伏見人仕于彦根侯、 草廬遊嵯峨、飮賣酒舗、酒舗主人、請其書字、乃書一聯曰、釀成春夏秋冬酒、醉倒東西南北人、主人大喜、乃懸諸門上、以爲招望云、蓋先是賣酒樓、未此文字、爲招望、其他娼樓肉舗茶肆麵店之類、出橫匾柱聯、皆草廬昉於好事之所一レ致也、

酒價

〔經済録〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0758 商賣ノ利ヲ貪ルコトヲ云フニ、譬ヘバ酒ハ米ト水トヲ以テ造ル物ナレバ、米價タツトキ時ハ酒價ヲモ貴クシ、米價賤シクナレバ酒價ヲモ賤クスベキ筈ナルニ、今ハ米價貴クナレバ頻ニ酒價ヲ貴クシ、米價賤クナレバ米價貴キ時ニ造レル酒也ト云テ、急ニハ價ヲ減ゼズ、諸物皆此類也、種々ニ假託シテ、トモスレバ價ヲ增テ、一度增タル價ヲ輙クハ減ゼズ、

〔東寺百合文書〕

〈ク一之四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0758 一國司上御使入部之時雜事注文事〈元弘三十二月十九日〉 合〈○中略〉 一淸酒貮斗五升〈朝夕分〉 酒直五百文〈百文別五升宛〉 一白酒七斗貮升〈朝夕分〉 同直物四百三十二文〈○中略〉 此外細々折敷瓦氣以下、雜用事雖之不注進之、 建武元年三月七日 上御使則宗〈花押〉 御代官〈花押〉

〔柳葊雜筆〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0759 南都般若寺の古牒に、慶長七年三月十三日、厨事下行米三石六斗、〈代七貫二百卅二文〉上酒壹斗、〈代二百十八文〉下酒二斗三升、〈代二百三十七文〉ミリン酒三升、〈代百九十五文〉とあり、三石六斗の代、七貫二百卅二文は一石二貫八文の交易なり、〈米一升廿文餘に當る〉上酒一斗二百十八文は米一斗八合餘の代なり、今は米より酒價倍せり、酒好故としらる、

〔三省録〕

〈四附言〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0759 水藩の檜山氏が慶安五〈辰〉年四月十五日より同廿二日まで〈慶安五年より天保元寅年まで七十九年ニ成ル〉水府の御宮別當なる東叡山中吉祥院が江戸より水戸〈江〉下りたりし時分の賄料請取品直段書付〈井〉入用をしるしたるものを見せたるが、其直段の下直なる事おどろく計也、〈○中略〉 一酒五升 〈壹升ニ付〉代四拾文〈○中略〉 一酒のかす 壹升 代貮拾文〈○中略〉 またある人の持てるふるき引札を見るに、左之通 〈げんきん御めじるし〉https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/insyo_075901.gif 酒酢醬油直段附 〈鍛冶橋御門前南角〉小島屋嘉兵衞 新諸白壹升ニ付 一大坂上酒 代四拾貮文 一西宮上酒 同五拾貮文 一西宮極上酒 同六拾四文 一伊丹上酒 同八拾文 一山路木綿屋 同九拾文〈○中略〉 古酒壹升ニ付 一大坂上酒 代六拾四文 一西宮上酒 同七拾貮文 一伊丹西宮上酒 同八拾文 一池田極上酒 同百文 一大極上酒 同百拾六文 一大極上々酒 同百三拾貮文〈○中略〉 この引札年號なし、いつのころに哉とおもふに、前に記しぬる吉祥院の水戸〈江〉下りし時の、諸色の直段のうちに、酒壹升四拾文とあり、爰にもまた同四拾貮文とあれば、右同時代と知られたり、さらば慶安年中の引札なるべし、

〔江戸町中喰物重寶記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0760 御藥酒直段 山川酒代五匁 五味酒同 白ざけ二匁五分 甘口 延命酒七匁五分 桑酒同 むめ酒七匁 保命酒七匁五分 くこ酒同 みかん酒同 かや酒同 松井酒同 龍眼酒十匁 梅花酒七匁五分 菊花酒同 紫そ酒同 萬歳酒十匁 中から口 忍冬酒九匁 丁子酒七匁五分 ぶどう酒八匁 肉桂酒五匁 さとふ粟もり十五匁極から口 しやうちう七匁五分 あわもり十二匁 生諸白二匁 角田川三匁 龍田川同 さくら川同 末ひろ同 田村川同 松枝同 養老五匁 羽衣三匁五分 薄衣同 鶴の井三匁 杉の井同 玉の井同 九年酒七匁五分 みたらし麥酒五匁 吉の川三匁 この花同 相生酒同 しらぎく同 千代世同 滿願寺同 薄もみぢ酒同 あられ酒五匁 三年酒同 雨雪酒四匁五分 白梅九重五匁 壹升入桐箱眞田紐付代一匁八分 五合入箱一匁三分 次備前一升入とくり六分 次五合入四分 次三合入三分 白木繩まき樽御望次第 南都出店 〈江戸本町一丁目〉龍田川小三郎

〔江戸買物獨案内〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0761 酒賣場 〈名酒〉大國酒〈一升ニ付〉代三百卅二文 〈名酒〉布袋酒 〈同〉 代三百文 〈名酒〉明の鶴 〈同〉 代二百六十文 〈琉球〉砂糖酒〈同〉 代廿匁 〈御藥〉麥酒 〈同〉 代三匁 〈名酒〉末廣酒 〈同〉 代三百五十文 〈尾州〉藤袴 〈同〉 代十二匁 〈薩州〉燒酎 〈同〉 代五百文 〈名酒〉稻の露 〈同〉 代二百五十文 〈名酒〉羽衣酒〈同〉 代四百文 〈御酒〉忍冬酒 〈同〉 代六匁 〈御藥〉梅酒 〈同〉 代八匁 〈名酒〉九年酒〈同〉 代十匁 〈名酒〉萬歳酒 〈同〉 代三匁 〈地黄〉保命酒 〈同〉 代五匁 〈砂糖〉あわもり〈同〉代廿匁 〈名酒〉富士颪 〈同〉 代二百文 〈名酒〉蓬萊酒 〈同〉 代三百五十文 〈御結納〉黑酒 〈同〉代三匁五分 〈御藥〉櫁柑酒 〈同〉 代五匁 〈名酒〉旭鶴 〈同〉 代二百廿四匁 〈名酒〉隅田川 〈同〉代三匁 〈砂糖〉古味淋 〈同〉 代四百文 〈砂糖〉せうちう〈同〉 代十匁 〈名酒〉不老酒 〈同〉代四匁 〈名酒〉養老酒 〈同〉 代七匁五分〈御藥〉肉桂酒 〈同〉 代六匁 〈御藥〉淫羊霍 〈同〉代五匁 〈名酒〉瀧水 〈同〉 代三百文 〈名酒〉七年酒 〈同〉 代五匁 〈御酒〉葡萄酒 〈同〉代七匁五分 〈御藥〉桑酒 〈同〉 代五匁 〈名酒〉高砂 〈同〉 代百八十文 〈薩州〉あはもり〈同〉代金百疋 〈薩州〉あくね 〈同〉 代八百文 〈名酒〉中汲〈九月より正月まで〉 〈極製〉山川白酒〈十二月下旬より三月節句まで〉 御進物〈繩卷樽備前德利〉品々 〈名酒爲弘〉樽割壹升ニ付〈上酒代百六十四文上味啉代二百文○中略〉 本店 〈御藏前猿屋町角〉常陸屋權兵衞

〔江戸買物獨案内〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0762 歌仙の名酒 家傳三十六酒一升ニ付直段附 泡盛還生酒〈一升〉代十二匁 人參葡萄酒 代同 神仙茴香酒 代同 九花甘露酒 代同 素白薯蕷酒 代同 地黄保命酒 代同 竹力酒 代十匁 梅酒 代同 丁子酒 代同 菊酒 代同 喜撰酒 代同 橘酒 代同 肉桂酒 代九匁 仙齡酒 代同 桃酒 代同 枸杞酒 代同 桑酒 代同 砂糖泡盛 代同 葱冬酒〈一升〉 代八匁 虎溪酒 代同 紫蘇酒 代同 達摩酒 代同 獨活酒 代同 春風酒 代同 凉風酒 代七匁 柚園酒 代同 雲雀酒 代同 山吹酒 代同 松露酒 代同 冥加酒 代同 養老酒 代六匁 覆盆子酒 代同 椎果酒 代同 防風酒 代同 豆淋酒 代同 六年酒 代同〈○中略〉 〈江戸本町二丁目北側中程〉廣瀨忠兵衞

〔天保十三年物價書上〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0762 酒酢醬油直段書上 一極上酒 貮拾樽ニ付金貮拾兩 〈壹樽ニ付金壹兩、三〈ツ〉割代金壹分ト五匁、壹升ニ付代貮百三十六文、引下〈ゲ〉代貮百廿八文、壹合ニ付代貮拾四文引下〈ゲ〉貮拾三文、〉一上酒 同金十六兩貮分 〈壹樽ニ付金三分ト四匁五分、三ツ割代金壹分ト壹匁五分、一升ニ付代百八拾壹文、引下ゲ代百七拾六文、一合ニ付代拾八文、引下ゲ拾七文、〉 一中酒 同金拾三兩貮分 〈壹樽ニ付金貮分ト拾匁五分、三ツ割代金貮朱ト六匁、壹升ニ付代百四拾八文、引下代百四拾五文、壹合ニ付代拾五文、引下ゲ代拾四文、〉 一下酒 同金拾壹兩壹分 〈壹樽ニ付金貮分三匁七分五厘、三ツ割代銀拾壹匁貮分五厘、壹升ニ付代百貮拾四文、引下ゲ代百拾九文、壹合ニ付代拾貮文、引下ゲ代拾壹文、○中略〉 右者此度錢相場御定被仰渡御座候ニ付、右釣合を以、右之通直段引下ゲ賣買爲仕度奉存候間、此段申上候、以上、 〈寅〉八月十二日 〈七番組南茅場町〉名主 甚七印 〈靈岸島濱町〉同 太一郎印 〈南新堀町〉同 平兵衞印

〔元治物價上報〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0763 酒當時小賣直段書上 一酒上壹合ニ付代錢五拾貮文、中壹合ニ付代錢四拾八文、下壹合ニ付代錢四拾文、 右之通當時小賣直段奉申上候、以上、 〈子〉六月〈○元治元年〉 深川材木町 〈五人組持地借〉長八印

〔西遊記〕

〈續編三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0763 濁り酒 西國にて酒の賣買、壹升二升とはいはず、壹はい二はいとて賣る事なり、其一はいと云もの、大抵四合二三勺ばかりなり、球https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_ins076301.gif 郡などは酒下直にして、壹坏の價錢八九文より、十二三文程なり、此所は格別下直の地也、薩摩は餘ほど高直なり、壹はい二はいの名は琉球までも皆斯のごとしとなり、

飮酒法

〔今川大雙紙〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0763 酒に付て式法の事 一せんぢやうへの酌の事、てう〳〵二度して扨つぐべし、大將に大指のさきをむけべからず、酌取人もか用の人もしらざる事を嫌也、〈○中略〉 一酌に上かい下かいと云事、右の手を先へ左を跡にして、銚子の柄を執べし、左の大指を右の手の下に成やうに取べし、上へなる樣にとれば、さか手に見えてわろし、心得べし、銚子のぎぼうし に、大指を懸るはわろし、ぎぼうしのきわせめの有まはりをば、上手にて取べし、 一客人酌などさめるゝ事有ば、つぎ酒の提をも其供の人に渡べし、又よ所へ主人の供に行て、其座につらなりて、主人酌めさるゝ事あらば、提を所望して持て畏べし、主人の酌など御取りあるをよそに見ること有べからず、是は人のひくわんの身にかぎらず、兄酌をとらば弟提を取て其躾を、ふるまふべきなり、〈○中略〉 一兒女房男の酒うくる事、兒女房は下へさげべし、男は盞をあげべし、是は酌取は盞をさぐるにおしてもらぬ事也、出家も侍もおしてもる事、ひけふぶしつけ也、

〔宗五大草紙〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0764 公私御かよひの事 一酌取やう、先ひもを能おさむべし、すはうと小袖との間へ可入、扇をぬきてをき、鼻紙あせのごひをば、出ぬやうにをし入べし、さて銚子を諸手に、ちと先上りに持て可出、かた手には不持、先座敷の末に可畏、かしこまり樣は、右のひざを立、左のひざをつきて、きびすを尻にあてゝ敷べし、久ければひざをたてかへ候、又もろひざをつきても畏候、ながえの取やう、みじかく取たるは見にくし、ながきは又尾籠に見え候、ながえの中程のかつらの上に、右の手の大指をかけ、左手を折めにかけて、持たるが見よく候由申候、又或説に、祝の時ながえのほしを取かくさずと云いかゞ、〈○中略〉 一盃に酒を入候樣、盃持たる人に、さのみきほひかゝりたるも惡候、又をよびさまに入候もわろし、能程にはからはるべし、盃の上をたかく入候事不然候、殊に痛み入候人などには、心得て入らるべし、をさへて入るは尾籠なり、盃持たる人も、さのみあげひきはせらるまじく候、又銚子の口を盃に不付、酒を盃に入ては、ちとしざりて可畏候、又貴人の御持候盃に酒を入候時は、酌の人ちと我身をしづむる心にて、銚子のさきをあげて入候心有べし、是敬義也、乍去こと〴〵敷人 の目にたつやうには不有候、又亂酒に成りてつまりたる人などには、うへを心えて可入、左樣の心得なき人は、いにしへより故實なき人と申候也、又酒の下をすて候事は、返々不然、殊に貴人の御前にては、らうぜきしごくの事也、又貴人下樣へ御酌の時、銚子の柄をながく取て御入候也、人によりてかた手にてもいれられ候、〈○中略〉 一御酌の人、盃色代之時、盃をばちと高く、銚子をば少ひきく、引入て持べし、〈○中略〉 一まはり酌の事、殊なる事なし、人に盃をさして酌を取べし、

〔松の落葉〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0765 酒のむさほふ三度三獻の事 ひと杯の酒のむを一度といひ、三度のむを一獻といひき、なみゐたる座にてさかづきを一たびめぐらしのむをば一巡といへり、さてものゝ儀式に、うるはしくのむは三度と三獻とにぞありける、西宮記一の卷に、藥子嘗之、次供御第三度と見え、大鏡六の卷に、御加茂詣の日は、社頭にて三度の御かはらけ、空にてまゐらするわざなるを、その御時には禰宜神主も心えて、大かはらけをぞまゐらせしに云々とあるなどを見れば、三度は酒のむさほふになん、西宮記一の卷、臣下大饗のくだりには、三獻間客人不動座、四獻以後諸卿起座獻盃と見えて、三獻もうるはしく酒のむさほふにぞありける、又同記五の卷、定考のくだりに、三獻後居粉熟飯、數巡後居餅餤と見え、北山抄一の卷、二宮大饗のくだりには、三獻後有音樂、數巡之後云々とあるをみれば、三獻うるはしくのみをはりてのち、度々さかづきめぐらすこともありしなり、されどこれも大かたのさだまりはありとしられつ、北山抄に、節會酒巡不七許巡、而今日及十一巡、王公唱歌擊笏、公宴酒興延長云云と見えたり、酒といふもののめばうれひをわすれ、くすりとなるをはじめとして、まじらひのむすびにもよろしく、何くれとよきことおほかるものなれど、ゑひすぎてはあやまちもしいで、身の病ともなれば、三度三獻とかぎりたるさほうありしはうべなりけり、酒のみかは、すべてよ しとおもふことも、すぎてはあしきことゝなるぞおほかる、胡盧山といへるから人の、酒飮微醉、花看半開といひしは、げにさることぞかし、

〔今川大雙紙〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0766 酒に付て式法の事 一梅の花の盃(○○○○○)をのむ樣、左の方よりのみ初めて、下を中なる盞に入て、其盞を本の所に置て、皆順にのむべし、さて後は中成を呑む也、みつ星(○○○)も左より呑なり、 一主人貴人などの御前にて、中のみ(○○○)をせよと仰候時は、罷出て片膝を立て出て、いたゞかずして左の手をつきて、右の手にて盃を執て呑てしざる也、相構て少も下をせざる物也、〈○中略〉 一あふむ返しの盞(○○○○○○○)の事、是は七返まではすべし、八返はせず、但れうじに指べからず、總じて我がぬしにあらずんば、斟酌すべき也、

〔宗五大草紙〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0766 大酒の時の事〈同殿中一獻の事〉 一公私共に召出に參る人の身體、酒ののみやう以下、にこ〳〵となきは惡よし、金仙寺〈○伊勢貞宗〉いつも被申候て、若き人には稽古させられ候し、〈○中略〉 一盃の臺にすはりたる盃の事、貴人の御盃ならば、いくつもあれ一ツヾ戴きてのむべし、臺ともに戴くと申人候へ共、それはわろきよし、金仙寺の給ひ候ひし、〈○中略〉 一三ぼし(○○○)、五ぼし(○○○)ののみやう如此といふ、但金仙寺にも、故勢州にも尋候はず候、 前 書付のごとくのむべし 同前 一十度のみとは、縱ば十人丸く居て、盃を十中に置て、先壹人盃と、てうしを取てはじめさせ申し、さて次の人にさして、其人にてうしを可渡、扨又次の人のみて、前のごとくすべし、まはり酌也、盃を請取てから、銚子を人に渡し候迄、物をもいはず、肴をもくはず、口をものごふべからず、若さやうの事あれば、とがおとしをのませらるゝ也、盃は人の器用によりて、三ど入白土器などにても侍る也、あひの物などにては、見をよび候はず候つる、とがおとしの盃はあひの物五ど入などにて候し、又十度のみの盃には、酒の入候程墨を付候、 一鶯呑(○○)とは、兩人出て十はいとくのみたるを勝と申候、盃不定候、

〔大草殿より相傳之聞書〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0767 一三星(○○)拵之事、星の臺を我前へ酌持てこへられたる時、禮儀いつものごとく、自然先はじめ候へば、左右を見合て、三星の中の盃を取おろし、我左の盃をとりて、三ぼしの臺の上にて酒をうけ候、そばにて酒を請てのみて、盃の下をば右の方の盃に入て、其盃をば臺の上以前の所に置て、又右の盃を取て酒をうけてのみて、盃の下をば臺の下におろしたる盃に入て、又臺盃をば以前の所にをきて、又とりおろしたる盃に酒を請て、恐惶の人には酒をたべて、貴人の御前に盃を持て參り、いたゞきて手渡しに申也、臺の盃二ツは、酌取候人持てまいられ候、 一三ツぼし等輩よりさゝれたる時は、中の盃をいたゞきて、左の盃にかさねて、酒をうけてかさねながら下に置て少のみ、下の盃にうつし、上の盃をば臺のそばにをきて、うつしたる酒を又のみかけて、右の方の盃にうつし、先の盃をばほしの上に、已前の所に置て、又右の盃の酒をのみて、其盃又以前の處にをく、其後におろしたる盃をいたゞき、中にをきて人にさし候、恐惶の人には已前のやうに持參してよし、等輩には臺の上にすへてさし候、此分は下戸の仕合に候、上戸たりとも、先此分に仕候て、人によりしいられ候へば、又三ぼしにて一ツづゝ三ツたべ候時は、最前の仕合たるべく候、又盃をはじめ候とき、人よりおさへ物給候時は、我右の方の盃をたべ候時、はさ み物あるべく候、其時は酒をうけて臺の下に置て、はさみ物をうけとりいたゞき、集養して御酒をたべ候、又等輩よりさゝれたる時は、中の盃を請てたべて、我左の盃をたべ候時、はさみ物あるべく候、其時も盃の臺のそばに置て、はさみ物をいたゞき、たべて御酒をたべ候、 一五ツ梅(○○○)の拵の事、自然はじめさせられ候へば、禮義いつものごとく、扨五ツの中の盃を取おろし、臺のそばに置て、さて我左の方のはしの盃を、その方の内の盃にかさねて酒をうけ、かさねながら酒をのみかけて、下の盃に入て、上の盃を又下にかさねて、皆酒をのみかさねながら、臺のはしにをきて、又右の方のはしの盃を取て、其方の内の盃にかさねて、酒をうけて是ものみかけて、又下の盃に入て、上の盃をば下にかさねて、入たる酒を皆のみて、かさねながら臺の右の方のはしにをきて、先の中の盃をばのまずして、臺にすへて人にさし候時、兩方かさねたる盃を、左右の手にて取て、前のごとく五ツ梅の上にならべてをき候時、中の盃を頻に人よりたべよと申され候とも、しんしやく申候てさし候へば、其時人nanはさみ物にても、おさへ物にてもあれ、いだされ候時、取ていたゞき、くい候共、懷中候共、時宜によるべく候、又中の盃を取て、其時たべ候、しゐられ候へば、時宜よき程たべ候て、恐惶の人ならば、臺は酌取候人持て參られ候、其盃一ツ我持參申す也、等輩ならば中の盃はのみて、いたゞきて臺に置て遣す也、

煖酒

〔饅頭屋本節用集〕

〈加雜用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0768 間(カン/○)〈酒〉

〔倭訓栞〕

〈前編六加〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0768 かん 酒をかんするといふは、温むるをいふ、かもするに同じ、或は間字を用るは、白氏文集に、林間煖酒燒紅葉といへるに据にや、

〔壒囊抄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0768 酒并茶ナドノアツキヌルキヲカント云、何ノ字ゾ、間字ヲ用、寒温間ヲ能程ニスルナルベシ、或ハ寒ヲ書、或ハ酣ヲ書ク、酣ヲバタケナハトヨム、盛ナル貌也、誠ニカンワロクシテ无興ナラバ、酣ナルベカラザル歟、然共茶并湯カンニハ通ジ難シ、仍間ノ字ヲ勝レタリトス、

〔貞順故實聞書條々〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0769 一御酒のかんは、九月九日nan明年の三月二日迄たるべし、上巳より寒酒也、桃花を酒に入候て用る也、又九月九日には菊花を酒に入る也、燖したる酒をかんの御酒と申候、ひやざけをかんしゆと申候也、

〔延喜式〕

〈四十造酒〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0769 新嘗會直相日雜器 瓫四口、〈盛參議已上白貴黑貴酒、并煖酒器、〉炭一斛、〈五位已上煖酒料、受直買用、○中略〉 供奉料〈中宮亦同○中略〉 凡〈○中略〉煖御酒料炭日一斗、申内侍司主殿寮

〔西宮記〕

〈臨時四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0769 侍從所 巽角庇地火爐〈有盃酌之時、於此温酒云々、〉

〔江家次第〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0769御藥〈正月元二三〉 主殿寮設火爐〈暖御酒料〉造酒司渡御酒、〈或用銀鎗子酒云云〉

〔平家物語〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0769 紅葉の事 此君〈○近衞〉は、いまだよう主の御時より、せいをにうわにうけさせおはします、去ぬるせうあんのころほひは、御とし十さいばかりにもやならせおはしましけん、あまりにこうえうをあひせさせ給ひて、北のぢんに小山をつかせ、はぢかいでの、誠に色をうつくしうもみぢたるをうゑさせ、もみぢの山となづけて、ひねもすにゑいらん有に、猶あきたらせ給はず、然るを有夜、野わきはしたなうふきて、こうえう皆ふきちらし、らくえうすこぶるらうぜき也、殿もりのともの宮づこ、あさきよめすとて、是をこと〴〵くはきすてゝけり、のこれるえだちれる木のはをばかきあつめて、風すさまじかりけるあしたなれば、ぬいどののぢんにて、さけあたゝめてたべける、たきゞにこそしてけれ、〈○中略〉主上いとゞしく、夜るのおとゞを出させもあへず、かしこへ行かう成て、もみ ぢをゑいらん有に、なかりければ、いかにと御たづね有けり、藏人なにとそうすべきむねもなし有のまゝにそうもんす、てんきことに御心よげにうちゑませ給ひて、林間に酒をあたゝめてこうえうをたくといふ詩の心をば、さればそれらにはたがをしへけるぞや、やさしうもつかまつたる物かなとて、かへつてゑいかんにあづかりしうへは、あへてちよつかんなかりけり、

〔江吏部集〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0770 七言、初冬於左親衞藤亞相亭、同賦寒飮一レ酒、〈以盃爲韻、并序、○序略〉 煖寒皆導酒爲媒、燕飮不知幾許盃、蘸甲自然消日月、開眉何必在爐灰、醉中暖露折籌識、暦外春風隨戸催、汝號憂吾未信、豈圖吾載歴霜臺

〔臨時客應接〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0770 酒の間は、銅壺歟茶釜にても湯煎にすべし、必直問にすべからず、

冷酒

〔明良洪範〕

〈十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0770 神君〈○德川家康〉遠州諸所御巡見ノ時、武田信玄是ヲ知リテ、俄ニ出陣シテ追討事甚急也、此時見附番ノ上村淸兵衞ト云者、吾居宅并ニ宿内ヘ三ケ所一度ニ火ヲ付ケ燒立テ、武田勢ノ進來ル前路ヲ塞グ、〈○中略〉神君其日ノ淸兵衞ガ働キヲ賞シ給ヒ、御指料ノ御刀ヲ御手ヅカラ賜ル、其後カノ邊ヘ御出馬ノ度毎、淸兵衞ガ居宅ヘ御立寄有リ、淸兵衞酒好ナレバ、常ニ酒ヲ造リ置シカバ、其酒ヲ神君ヘモ御供ノ人々ヘモ進ラセケル、此淸兵衞酒好キナレド、簡ヲシタル酒ハ呑マデ、冷酒(○○)ニテ呑ム、或時神君御戯レニ、冷酒淸兵衞ト呼ビ給フ、夫ヨリ國中ノ者、皆冷酒淸兵衞ト云テ、新參ノ者ハ冷酒ト云姓也ト思フモ有シト也、

嗜酒

〔書言字考節用集〕

〈四人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0770 上戸(ジヤウコ)〈江次第、文選註、白文集註、以飮食多者大戸、小者爲小戸、〉

〔松の落葉〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0770 上戸下戸 酒をよくのむ人を上戸といひ、えのまぬを下戸といふは、いにしへ百姓の戸口をいふに、その口の多少によりて、上戸中戸下戸といふことのありしかば、酒のむことの多少を、それになぞらへていへるになん、戸口のことは、日本書紀持統天皇の卷に、大臣よりつぎ〳〵宅地をたまふこと をいへるくだりに、至無位其戸口、其上戸一町、中戸半町、下戸四分之一とあるを見てしるべし、

〔隨意録〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0771 飮酒上戸下戸、唐宋小説中、有大戸小戸之稱、蓋是三國以來之言歟、呉孫皓饗宴、人以七升限、小戸雖入、並燒灌取盡、自此以前無見焉、今謂戸者室之口、而所入也、故取乎入口之多少、以謂大戸耳、我方轉大小以言上下歟、

〔酒食論〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0771 一人の男は造酒正糟屋朝臣長持とて、酒を飮ける大上戸(○○○)なり、ひとりの僧は飯室律師好飯とて、小づけをこのむ最下戸(○○○)なり、ひとりのをのこは中左衞門大夫中原仲成とて、酒も小づけもこのむ中戸(○○)なり、

〔江家次第〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0771御藥 晦日、藏人定後取於殿上北壁角柱、〈西第一間柱也〉 後取 〈元日某朝臣〉 〈廣一寸八分高一寸六分、元日四位、二日五位、三日六位、並用高戸者(○○○)、近代不必然、但元日不近衞次將、〉 〈二日某〉 〈三日某〉

〔公事根源〕

〈正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0771御藥 同日〈○元日〉 女官にかへし給へば、是を後取の人にのましむ、昔は上戸(○○)を撰て後取にめしけるとかや、

〔侍中群要〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0771 諸使事 賜苽侍從所使〈殿上五位六位高戸者(○○○)〉 摘大歌所辛荑使〈藏人所高戸〉

〔續日本後紀〕

〈十四仁明〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0771 承和十一年九月丙寅、近江權守從四位下藤原朝臣貞主卒、〈○中略〉立性温慧、莅政幹 淆、雖案牘成堆、庶務猥積、而飮酒之興、不曾休廢、醉後彌明、割斷如流、故吏民不敢斯一レ之、

〔大鏡〕

〈五太政大臣爲光〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0772 太政大臣爲光のおとゞ〈○中略〉男君太郎は、左衞門督さねのぶときこえさせし、〈○中略〉いみじき上ご(○○)にてぞおはせし、この關白殿〈○藤原賴通〉のひととせの臨時客に、あまりゑひて御座にゐながらたちもあへ給はで、ものつき給へるにこそ、かう名のもろたかがかきたる樂府の御屏風に、かゝりてそこなはれたれ、

〔大鏡〕

〈六内大臣道隆〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0772 このおとゞ、これ東三條おとゞ〈○藤原兼家〉の一男なり、御母は女院の同腹也、關白になりさかへ給ひて、六年ばかりやおはしましけん、大疫癘の年にてうせさせ給へしが、されどもそのやまひにはあらで、御みきのみだれさせ給ひにしなり、おのこは上戸(○○)ひとつの興の事にすれど、過ぬるはいと不便なるおりはべりや、祭のかへさ御らんずとて、小一條大將〈○藤原濟時〉閑院大將〈○藤原朝光〉と一御車にて、紫野に出させたまひぬ、鳥のついゐたるかたをかめにつくらせ給ひて、興あるものにおぼして、ともすればおほみきいれてめす、今日もそれにてまいらする、もてはやさせ給ふほどに、あまりやう〳〵すぎさせ給ひて後は、御車のしりくちのすだれみなあげて、三所ながら御もとゞりはなちておはしましけるは、いとゞ見ぐるしかりけりな、おほかたこの大將殿達のまいり給へる、尋常にて出給ふをば、いとほいなく口おしき事におぼしめしたりけり、ものもおぼえず御裝束もひきみだりて、御車さしよせつゝ、人にかゝりて乘給ふをそ、いと興ある事にせさせ給ひける、但この醉のほどよりはとくさむることをぞせさせ給ひし、御賀茂詣日は、社頭にて三度の御かはらけ、空にてまいらするわざなるを、その御時には禰宜神主も心えて、大かはらけをぞまいらせしに、三度はさらなる事にて、七八度などめして、上社にまいり給ふ道にては、やがてのけ、ざまにしりのかたを御まくらにて、不覺におほとのごもりぬ、一の大納言にては、この御堂〈○藤原道長〉ぞおはしましゝかば、御らんずるに、夜に入ぬれば、御前の松のひかりにと ほりて、御すきかげのおはしまさぬは、あやしとおぼしめしけるに、まいりつかせ給ひて、御車かきおろしたれど、えしらせ給はず、いかにと思へど、御前どもゝえおどろかしまうさで、只さぶらふなめるに、入道殿おりさせ給へるに、さてあるべきことならねば、轅のとながらたかやかに、ややと御扇をならしなど、せさせ給へど、おどろきたまはねば、近くゐよりて表御袴のすそをあららかにひかせ給ふおりぞ、おどろかせ給ひて、さる御用意はならはせ給へれば、御櫛かうがいかくし給へりける、とりいでゝつくろひなどして、おりさせ給ひけるに、跡さりげなくきよげにおはしましければ、さばかり醉なん人の、其夜はおきあがるべきかは、それぞこの殿の御上戸はよくおはしましける、その御心のなををはりまでも、わすれ給はざりけるにや、御病付てうせ給ひける時、西にかきむかせたてまつりて、念佛申させ給へと、人々のすゝめたてまつりければ、濟時朝光などもや、極樂にはあらんずらんと、仰けるこそあはれなれ、

〔續古事談〕

〈二臣節〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0773 右大將通房、臨時祭ノ舞人セラレケルニ、宇治殿ニテ拍子合アリケルニ、人々マイリアツマリテ、舞ノ師武方ニ纒頭セラレケリ、盃酌カサナリテ人皆醉ニケリ、播磨守行任朝臣ヲ殿上人ノ座ニメシテ、酒ノマセラレケルニ、オホキナル鉢ニテ、十盃ノミタリケリ、事ノ外ノ大飮トゾ人々云ケル、

〔古事談〕

〈六亭宅諸道〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0773 敦光朝臣愛酒之間、不斷置酒於褻居棚、或夜寢後、子息弟成光放本鳥裸形取之、爰長光連句ヲ云懸、其詞云、酒是正衣裳、成光無程云、盗則亂禮儀云々、父朝臣空寢之間聞之、不感情落涙云々、

〔三愛記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0773 此ごろ世にひとりの居士あり、儒釋道によらず、其形自然にして、九重の中に年を送りしが、ちかきころほひ、つのくにゐなのゝわたりにいほりをむすびて夢と號し、みずから牡丹花をなとせり、みにおはぬやうにきこえ侍れど、萬物一體のことはりをおもふにや、つねのことぐさ に、はなをもてあそび、香を執し、さけをあいす、〈○中略〉さけはもろこし南蠻はあぢはひをこゝろみ、九州のねりぬき、加州の菊花、天野の出群なるをもとめ、薄と濁醪にいたるまで、一酌に千憂を散じ、あるひは春衣をおきぬひて醉をつくし、これを以て風寒をさけて、稀なる齡にもこえたり、〈○下略〉

〔二老略傳〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0774 雪山先生〈○北村〉在江戸の間は、潔病甚しく萬の物を洗ひきよめたるに、長崎にかへりて後、十六年の間沐浴せず、爪きらず、半風子身にあまりたり、尤産を破りたるゆゑ、至て貧窮なり、然といへども崎人尊敬して、名いふ人なし、先生とのみ人々稱したり、酒價なき時は寫字をなして酒家につかはす、文字の數は、字幅の格好に隨て酒をおくりたり、雪山先生の書は、唐船に價を貴くゆゑに、酒家に利有りしとなり、唐にても雪山先生の書を褒稱したり、

〔假名世説〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0774 君修云、日本近來の學者、皆酒量あり、仁齋は其中下戸なり、東涯も上戸なり、闇齋、淺見重次郎も上戸なり、徂來は下戸、南郭、春臺も上戸なり、

〔紫芝園漫筆〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0774 徠翁以風流自許、人亦與之、予謂徠翁不風流者三焉、善飮而惡酒一也、不夜坐二也、不舟三也、

〔先哲叢談〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0774 平玄中、字子和、小字源右衞門、號金華、〈○中略〉 金華好酒痛飮、徂徠送其之三河序曰、子和飮酒傲睨、深慕伯倫靑蓮之爲一レ人、紫芝園漫筆曰、何充善飮、劉惔常云、見何次道飮一レ酒、使人欲一レ家釀、予於平子和、亦云、南郭記墓曰、飮酒忼慨、時或激烈至泣下

〔先哲叢談〕

〈續編十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0774 内田頑石 頑石不婚官、人説之婚、則曰、一身之外、亦復何須、便有婦吾恐劉伶之見酒毀一レ器矣、人説之官、則曰、山野之性、不愜元冠、其眞率自放如此、 頑石性嗜酒、酣暢之餘、脱遺世埃、飮多益温、醉甚愈克、杯鐺盤壜、不坐側、無朝無暮、常帶酒臭、〈○中略〉 頑石知命之後、酒量益甚、或諫以其節一レ飮、則曰、糟邱數仭、是我崤函之險也、爲我固守者、持壺抱樽而來更不與校、自號醉卿太守、或酣樂都督、皆戯謔所表也、

〔先哲叢談〕

〈後編六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0775 永富獨嘯庵、名鳳字朝陽號獨嘯庵、通稱昌安、後改鳳介、長門人、 嘯庵資性豪放、好爲曠達自縱之行、雄飮盡斗酒、其毎沈醉、遇友人至、不新知與舊識、必牽挽使飮、有性不飮者必強之、至其醉嘔而已、

〔山陽遺稿〕

〈附録〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0775 山陽先生行状 日夕置酒草堂、必呼門生對飮、飮有限、限既盈、不一杯、酒皆伊丹之釀、尤愛劍菱、酒醒、輙挑燈讀書、至五更而後就寢、

讃酒

〔萬葉集〕

〈三雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0775 太宰帥大伴卿讃酒歌十三首 験無(シルシナキ)、物乎不念者(モノヲオモハズハ)、一坏乃(ヒトツキノ)、濁酒乎(ニゴレルサケヲ)、可飮有良師(ノムベクアラシ)、 酒名乎(サケノナヲ)、聖跡負師(ヒジリトオヒシ)、古昔(イニシヘノ)、大聖之(オホキヒジリノ)、言乃宜左(コトノヨロシサ)、 古之(イニシヘノ)、七賢(ナヽノカシコキ)、人等毛(ヒトトラモ)、欲爲物者(ホリスルモノハ)、酒西有良師(サケニシアルラシ)、 賢跡(カシコシト)、物言從者(モノイフヨリハ)、酒飮而(サケノミテ)、醉哭爲師(エヒナキスルシ)、益有良之(マサリテアルラシ)、 將言爲便(イハムスベ)、將爲便不知(セムスベシラズ)、極(キハマリテ)、貴物者(カシコキモノハ)、酒西有良之(サケニシアルラシ)、 中々二(ナカナカニ)、人跡不有者(ヒトトアラズハ)、酒壺二(サカツボニ)、成而師鴨(ナリニテシカモ)、酒二染嘗(サケニシミナム)、 痛醜賢良乎爲跡(アナミニクサカシラヲスト)、酒不飮(サケノマヌ)、人乎熟見者(ヒトヲヨクミレバ)、猿二鴨似(サルニカモニル)、 價無(アタヒナキ)、寶跡言十方(タカラトイフトモ)、一坏乃(ヒトツキノ)、濁酒爾(ニゴレルサケニ)、豈益目八(アニマサラメヤ)、 夜光(ヨルヒカル)、玉跡言十方(タマトイフトモ)、酒醉而情乎遣爾(サケノミテコヽロヲヤルニ)、豈若目八目(アニシカメヤモ)、〈一云八方〉 世間之(ヨノナカノ)、遊道爾(アソビノミチニ)、冷者醉哭爲爾(サブシクバエヒナキスルニ)、可有良師(アリヌベカラシ)、 今代爾之(コノヨニシ)、樂有者(タノシクアラバ)、來生者(コムヨニハ)、蟲爾鳥爾毛(ムシニトリニモ)、吾羽成奈武(ワレハナリナム)、 生者(イケルヒト)、遂毛死(ツヒニモシヌル)、物爾有者(モノニアレバ)、今生在間者(コノヨナルマハ)、樂乎有名(タノシクヲアレナ)、 默然居而(タヾニイテ)、賢良爲者(サカシラスルハ)、飮酒而(サケノミテ)、醉泣爲爾(エヒナキスルニ)、尚不如來(ナホシカズケリ)、

〔本朝續文粹〕

〈十一賛〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0776 酒讃 孝言朝臣 米泉遺味、杜康濫觸、香含晩桂、釀落秋桑、眼界花發、肝家葉張、騰騰乘興、携入醉鄕

〔酒茶論〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0776 春晝https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_ins231279.gif 然、而四無人聲、唯花片染眼、鳥聲湍耳而已、當此時空谷有聲、二客跫然而來、一人者花間開筵而飮酒不茶、一人者松邊下榻而喫茶不酒、兩人相對、春遊移刻、問其姓名、花間開筵者曰、吾無姓名、自號忘憂君、松邊下榻者曰、自號滌煩子、於茲忘憂君謂滌煩子曰、此中不俗談、汝須茶德、吾乃論酒之德、滌煩子曰、止止、不論矣、汝酒何類吾茶、汝酒者世尊在世時、娑竭陀醉臥吐泣、衣鉢縱横、以彼因縁飮酒、又一鬼問目連言、我頑無知、何罪所致、答言、汝爲人時、強勸人酒、令其顚倒、又曰、酒有三十六失、人飮酒皆犯三十六失、故世尊深戒之、然而失天下身者酒也、忘憂君怒曰、汝饒舌如鸚鵡叫煎茶上レ人、汝纔知小而不大、世尊曰、酒者甘露良藥、又波斯匿王末利夫人犯飮酒、世尊曰、如此犯戒得大功德、又曰、菩薩以酒施人、於佛無過、又四天王有天漿、名爲花酒、又阿修羅以四大海、爲酒、而飮之猶不足、阿修羅此翻云無酒、上自四天王、下至阿修羅界、悉用酒、如來藏中、酒之德惟夥、未茶德、亦復六經不茶、〈○中略〉忘憂君曰、吾酒者、第七祖婆須密、手執酒器、與六祖彌遮迦問答、婆須密從是得大法器、的的相承而至今日、又曇橘州者蜀英也、性器酒、諸方謂之酒曇、或芭蕉泉禪師以杖荷大酒瓢、往來山中、馬祖有浮和尚、黄檗有https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_ins004297.gif 酒糟漢、或曹山白家酒、猶未唇、靑峯蒲萄酒、飮者方知、且又晉陶醉酒漢常愛酒而無一點俗、繼呼爲第一達磨、抑又僧家號般若湯、專用之、汝前道失天下身者酒也、此事如何、滌煩子曰、桀紂兩王酣飮而果失天下、羲和二氏沈湎而竟亡其身、豈虚言乎哉、忘憂君曰、不然、昔堯帝累千觴、則其仁傳萬古、孔子傾百盞、則其德溢四海、儀狄作酒、禹王飮之、杜康造酒、武帝歌曰、何以解我憂、唯有杜康酒、高宗中興殷、夢以得麴孽也、又以淸爲聖、以濁爲賢、則聖賢道亦 起酒、又飯後飮謂之中酒、古經曰、不醉不醒、飮謂之中、由之觀之、中庸之道亦起酒焉、又史記云、百藥長矣、酒哉酒、〈○中略〉滌煩子曰、汝如猩猩之醉能言、狒弗之叨笑一レ人、吾雖禽獸、隨汝言、若以禽獸之、吾茶者有時成鳳凰團、有時作璧龍團、煎之以麒麟炭、皆是禽獸之長也、恁麼時節、水邊鳥向何處翼若論茶具、金銀珠玉、銅鐵土石、作茶具、則其價不幾千萬、好事者秘則爲無上寶、若得一時者、表聲名天下、汝酒具何直半文錢、忘憂君曰、吁汝陋如何、風流蘊藉、不價、夫盃有金杯、有銀杯、有藥玉船、豈非重器哉、且又宜四時者酒也、春者宴桃李園、坐花醉月、夏者酌竹葉酒、掃暑迎凉、秋者林間燒葉、冬者雪裏避寒、高適亦曰、飮酒勝茶、〈○中略〉忘憂君曰、酒星麗天、酒泉湧地、天地中間有人、無酒者、晉有七賢八達、唐有六逸八仙、或漢家七十二人、桐馬之賜金谷二十四友、櫻花之觀、劉玄石一千日、淳于髠七八斗、元次山者隱三吾、漫稱漫郎、歐陽修者貯一壺、醉號醉翁、王績作酒經、劉伯倫作酒德頌、略曰、枕麴藉糟、無思無慮、其樂陶陶云云、大哉酒德、若論酒之靈地、有魯趙齊革矣、趙厚、魯薄、齊到臍、革止鬲、或有上若下若二村、有烏程、烏祈、蒲城、桑落酒、蘭亭桃節宴、此是酒美而地靈也、王侯將相者、以酒成治國之策、士農工商者、以酒得慰勞之術、鰥寡孤獨者、以酒作愁箒、盡乾坤一時變作醉乾坤、則汝輩無處措手足、蓋楚屈原大夫者、以獨醒放逐、宋蘇大夫者、以飮爲不能、此二人者、因酒減名者也、酒獨醒而不飮、則放逐徒耶不能徒耶、又元結以酒者惡客、則汝又惡客也、〈○中略〉傍有一閑人、出云、今天下無虞、國家有道、好箇時節、兩翁雖論、可事生一レ事、以虚空口、以須彌舌、論而至阿僧祗劫、酒之德以不盡、茶之德以不極、吾能飮酒、又能喫茶、此二物、孰勝孰負乎哉、兩翁請聽吾歌、曰、 松上雲閑花上霞 翁翁相對鬭豪奢 吾言天下兩尤物 酒亦酒哉茶亦茶

〔酒食論〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0777 造酒正長持申樣 酒のいみじき事はみな、むかしも今も事ふりぬ、さけをこのみてのむ人は、むかしは封戸もましましき、後の世までもかはらけに、ならんとちかひし人もあり、竹を愛せし樂天も、酒をのめとぞ 詩につくる、別をおしみし詩の序にも、三百盃とぞすゝめける、桃李の花の盛には天さへゑへるけしきなり、花のもとにてすゝめける、樽のまへなる春のかぜ、林間に酒をあたゝめて、紅葉をたくもいとやさし、千とせの春のはじめには、屠蘇白散をのみぬれば、よろづの壽命をふくみつゝ一里の中にはやまひなし、すべて酒をば百藥の、長とぞいしもさだめける、されば萬の祝にも、酒をもちてぞ先とする、元服わたまし詩歌の會、むことりよめ取いまゝいり、勝負のざしきにいたるまで、酒のなくてはいかゞせむ、中にも曲水重陽の、えんくわいことにおもしろし、あるひはうかぶる鸚鵡盃、あるひはながれのらんしやうも、みなさか月のゆへぞかし、世繼のおきなのことばにも、光さしそふ盃は、もちながらこそ世をばふれ、源氏のおとこになりしにも、みきとぞ是をすゝめける、さ衣の大將二の宮に、さかづきそへてたてまつる、なりひら人をつゝみしにも、うちよりさかづきいだしつゝ、わたれどぬれぬとかきつけて、ちの涙をぞながしける、さればこの世のゑいぐわには、酒に過たる物ぞなき、糸竹くわげんやさしきも、酒もりにこそ興はあれ、雪月花をながめても、酒のなきには興もなし、されば天神地祗までも、さけを供ずることぞかし、人にちか付德も、有、我身をたつる功もあり、心をのぶる道もあり、いくらの美物ありとても、氣味とゝのふるれうりまで、酒をはなれてかひもなし、下戸のまれ人得たるこそ、ことばも心もなかりけれ、ゑしやくなげなるそらわらひ、實法びたるかほつきは、くるひあはんとふるまへど、はがみてこそは見えわたれ、ゑひぬる後はさるねふり、たま〳〵のみてはひたるがる、かほづえつきてひざをたて、あるにもあらぬけしきかな、さて又すへたるさかなこそ、みぐるしきまでうせにけれ、上戸のくはぬおろしさへ、人めはかりてしのばかす、あはれ上戸のすき物は、たかきいやしきひざをくみ、そのさか月を取かはし、三度も五度も過ぬれば、あはひこぶかき大ちやわん、くろぬり白ぬりあかうるし、わたとつくりの大がうし(合子)、おもひ〳〵にはじめつゝ、しめのみあれのみ一口の み、はつ春はまづにほふなる、梅の花のみいとやさし、秋もさがのゝ草かれて、露なしうちふり一文字、げうだう(凝濁)なしのふりかつぎ、そばざしひらざしちがへざし、ゑひす(數)かけとのおもひざし、送り肴の色々に、をき物やりもの引出物、くわんげん亂舞白拍子、たちまひゐまひあづま舞、いまやうこ柳しぼりはぎ、神樂さいばらそのこまと、さるがく物まねいろ〳〵に、こは(聲)わざほねわざ力わざ、つくさぬ事こそなかりけれ、いかなるなげきのある時も、心ぐるしきおりふしも、よろづわすれて心やる、さかもりこそはめでたけれ、まして祝のある時は、賀酒とてさけをまづぞのむ、上戸は酒にまとひつゝ、世さまわびしと申せども、生れつきたるひんふくは、下戸のたてたる藏もなし、夏六月のあつきにも、しも月しはすのさむきにも、にはかにあだはらやむ時も、酒をのみてぞなをしける、たとひ失錯したれども、酒のゑひとてゆるされぬ、もとより我らは凡夫にて、無明の酒にゑひしより、さむるうつゝもえぞしらぬ、かゝるざいあく生死には、中々魚鳥さかなにて、酒をのみたるくちにても、みだの名號となふれば、不論不淨とすてられず、不問破戒ときらはれず、光明遍照十方の、光にいる事うたがはず、南無阿彌陀佛々々々々々々、 長持か新酒も古酒もゑひぬればねぶつ宗をぞ深く賴める 飯室律師好飯申樣 上戸の德をあらはして、下戸をわろしとそしれ共、飮とのまぬとくらぶれば、上戸のとかぞつもりぬる、先は佛のみのりにも、五かいの中にて不沽酒戒、さけをばうらずのみもせず、いづれの内外典籍に、酒をのめとはをしへける、〈○中略〉さても上戸の御れうをば、くはでもやまぬ物ゆへぞ、おほくの米穀くさらかし、さけにつくるぞついえなる、〈○中略〉扨又ゑひのさめがたに、有し事どもはづかしや、二日ゑひするあしたこそ、つくりやまひになりにけれ、〈○下略〉

〔正月揃〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0779 酒屋の孟趣 まづ屠蘇を酌で令辰を祝す、初春の目出度、腹を鼓にうたふもまふも、此水よりさいはひなるはなし、飮ば甘露もかくやあらんと、心も飛たちうきたちて、わかやぎあそべり、かゝるいみじき物を、何として佛は戒め給ふやらん、〈○中略〉昔晉陶淵明葛巾をもつて酒を漉、これ千古の風流なり、今にいたつて淵明が漉酒巾といへり、酒におほくの異名諸書にいだせり、竹葉といふより笹といひならはせるか、あるひは天竺にては石祚、我朝にては竹叟など、つくりはじめけるとかけるものもあり、〈○中略〉花の下雪月の前、紅葉を燒てあたゝめ酒、三月は桃花の酒、五月は菖蒲酒、七月七夕祭酒、九月菊酒、名酒は葱冬、阿羅泣酒、奈良酒、京酒、鎌倉酒、博多の練ざけ、宰府酒、琉球泡盛酒、伊丹鴻之池、保命酒、桑酒、覆盆酒、燒酎、龍眼酒、丁子酒、榧酒、梅酒、雹ざけ、麻地ざけ、あまたの名酒を酌かはし、一睡の間に多生功を送る樂あり、祝言移徙、酒迎、元服、首途をはじめとし、相生の松風と三國一の聲するは、みな酒がうたふいはひの詞也、目出度座敷へ出されぬ物は、啼上戸、人を送るたち酒、のませられぬ物はわらひ上戸なり、公界の座敷に肩脱上戸、心閙敷にねぢ上戸、機嫌しらずのおどけ上戸、よはぬ貌する水瓜上戸、おもしろからぬ唄ひ上戸、時分をしらぬ長尻上戸、あとさきつまらぬ贅上戸、後には悔む物遣上戸、佗こと好の喧嘩上戸、詞はうまし振舞上戸、おかせたし物まね上戸、燒石にかくるかはき上戸、さい〳〵きく系圖上戸、佛のゆるす分別上戸、人のしらぬ手柄上戸、いんぎん上戸、色欲上戸、皺面上戸、押柄上戸、惡口上戸、寢上戸、大氣上戸、無言上戸、押上戸、肴上戸、霧吹上戸、見世出し上戸、自慢上戸、無禮上戸、これ〳〵〳〵のもゝ上戸、いや〳〵〳〵の女上戸、だらり上戸、短氣上戸、上戸の上戸、屑はみな粕上戸とかけるものあり、むかしよりかしこき人の、酒のまぬはまれなりと、兼好もしるせり、〈○中略〉李白は醉ても常とたがはず、詩文論談濃かなり、よつて醉聖といへり、鹿車に乘うかれて、女房にいためられしもあり、京の又六は、我死ば備前の國の土となせもしも德利にならば極樂、と辭世せしも殊勝なり、津の國のほとりに箒木賣翁あり、下 戸の建たる藏もなしと、うたひながら往生うたがひなし、孔子も、酒ははかりなふして亂におよぶや不と、點をつけて讀しもあり、醉なやみて臥て、あけの日またのまんといふ、いかなりととへば、墻をへだてゝ蛤を賣聲をきくと述しも又命なり、すべて酒の德おほく、古人書おける中にも、旅の霧の身をとをさぬ、雪の中をくゞるにもいたまぬ、花を花と酒がいはする京哉といへるも奇特かな、〈○下略〉

鬪飮

〔本朝文粹〕

〈十二記〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0781 亭子院賜飮記 紀納言 延喜十一年夏六月十五日、太上法皇〈○宇多〉開水閣、排風亭、別喚大戸、賜以淳酒、蓋禪觀之暇、法慮之餘、遺暑之情、助閑之趣也、然應其選者、唯參議藤原仲平、兵部大輔源嗣、右近衞少將藤原兼茂、藤原俊蔭、出羽守藤原經邦、兵部少輔良峯遠視、右兵衞佐藤原伊衡、散位平希世等八人而已、並皆當時無雙、名號甚高、雖酒及一レ石、如水沃一レ沙者也、爰有勅命、限二十盃、盃内點墨、定其痕際、不增不減、深淺平均、遞各稱雄、任口而飮、及六七巡、滿座酩酊、不寒温、不東西、數稱見風、起居不靜、其尤甚者希世、偃臥門外、次極者仲平、歐吐殿上、其餘我而非我、泥之又泥也、或魂銷心迷、尸居不驚、或舌結語戻、鳥囀難辨、至經邦、始示快飮、意氣湯湯、終事反瀉、窮聲喧々、纔不亂者伊衡一人、殊有抽賞、賜一駿馬、事止十盃、不更復酌、于時光景漸暮、笙謌數奏、各々纏頭、倒載而歸、有一病臣、不飮獨醒、具見行事、走筆記之、嗟呼始聞其名、皆謂伯倫再生、猶難相抗、至其實、即雖病老半死、厥幾可及、古之所謂羊公鶴者、諸君之喩歟、

〔嬉遊笑覽〕

〈十上飮食〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0781 酒の飮くらべ、昔しよりあれど、慶安のころ、地黄坊樽次が、大師河原の底深と酒戰の事、水鳥記にしるして世に聞えたり、底深樽次は作名なり、水鳥記に、大師河原に池上太郎左衞門底深とあり、洞房語園に、縣升見といふ醫師、大師河原甚哲と酒戰の事をいへり、その酒戰の杯は、蜂と龍とを蒔繪にしたる大杯なり、さすのむといふ謎なり、七部集、〈沽圃〉大師河原に遊びて、樽 次といふものゝ孫に逢ひて、そのつるや西瓜上戸の花の種、

〔近世奇跡考〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0782 地黄坊樽次酒戰 慶安の頃、江戸大塚に地黄坊樽次と云人あり、〈實名茨木春朔、某侯の侍醫也、〉古今稀有の大酒にて、酒友門人甚おほく、其頃名高き人也、〈○中略〉 おなじ頃武州大師河原に、大蛇丸底深と云富農あり、樽次におとらざる大酒にて、酒友門人おほく名高き人也、其子孫今に榮ふ、〈○中略〉 又おなじ頃鎌倉に甚鐵坊常赤と云者あり、もとは眞言宗の僧なりしが、還俗し樽次に醫を學びて業とす、樽次底深につゞきたる大酒也、〈洞房語園に、江戸吉原の醫師縣升見と云者、淺茅が原心月庵にて大師川原甚哲と酒戰、勝劣なしと記せるは此坊が事なるべし、〉 酒戰〈慶安の頃、大におこなはる、樽次底深兩大將となり、敵味方とわかれ、あまた酒兵をあつめ、大盃をもつて酒量をたゝかはしめて、勝劣をわかつたはむれなり、是に大居目禮古佛の座などいふ法禮あるよし、水鳥記に見ゆ、○中略〉 水鳥記〈一卷あり、樽次の自作、底深と酒合戰の戯書也、原本大師川原にあり、〉

〔擁書漫筆〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0782 文化十二年十月廿一日、千住宿壹丁目にすめる中屋六右衞門が家にて、六十の年賀に酒の呑くらべせり、その酒戰記一卷畫一鋪あり、今要を摭て記す、 伊勢屋言慶〈新吉原中の町にすめり、齡六十二、三升五合餘を飮、〉 大坂屋長兵衞〈馬喰町に住、齡四十餘、四升餘を のむ、〉 市兵衞〈千住かもん宿に住、萬壽無量杯にて三杯呑けりといへり、萬壽無量杯は壹升五合盛とぞ、〉 松勘〈千住宿人也、五合盛のいつくしま杯、七合盛の鎌倉杯、九合盛の江島杯、壹升五合の萬壽無量杯、貳升五合の綠毛龜、三升の丹頂鶴などにて、こと〴〵くのみけりとぞ、〉 佐兵衞〈下野小山人、七升五合のみけりとなん、〉 大野屋茂兵衞〈新吉原中の町大野屋熊次郎が父也、小盞數杯の後に萬壽無量杯にて飮、〉 藏前正太〈淺草御藏前森田屋が出入の左官也、三升飮、〉 石屋市兵衞〈千住掃部宿の人也、萬壽無量杯にて飮、〉 大門長次〈新吉原にすめり、水壹升、醬油一升、酢一升、酒一升を三味線にて、拍子をとらせ口鼓をうちつゝ飮、〉 茂三〈馬喰町人也、齡三十一、綠毛龜を傾盡す、〉 鮒屋與兵衞〈千住掃部宿の人也、齡三十四五計、小盞にてあまた飮ける上に、綠毛龜をかたぶく、〉 天滿屋五郎左衞門〈千住掃部宿の人也、三四升許飮、〉 おいく〈酌取の女也、江のしま鎌倉などにて終日のみぬ、〉 おぶん〈酌取の女也、同上、〉 天滿屋みよ女〈天滿屋五郎左衞門が妻也、萬壽無量杯をかたぶけて、醉たる色なし、〉 菊屋おすみ〈千住人也、綠毛龜にて飮、〉 おつた〈千住の人、鎌倉などにてあまたのむ、〉 料理人太助〈終日茶碗などにて飮、はてに丹頂鶴をかたぶけぬ、〉 會津の旅人河田〈江島より始て綠毛龜にいたるまで、五杯を飮つくし、たゞ丹頂鶴を殘せるをなげく、〉 龜田鵩齋谷寫山など、此むしろに招がれて、もの見せしとぞ、そのをり千住掃部宿の八兵衞といへるものは、壹分饅頭九十九くひつといへり、この酒戰記は、平秩東作が書つめたりし也、

〔兎園小説〕

〈十二集〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0783 大酒大食の會 文化十四年丁丑三月廿三日、兩國柳橋萬屋八郎兵衞方にて、大酒大食の會興行、連中の内稀人の分書拔、 酒組 一三升入盃にて三盃 〈小田原町〉堺屋忠藏〈丑六十八〉 一同六盃半 〈芝口〉鯉屋利兵衞〈三十〉 其座に倒れ、餘程の間休息致し、目を覺し、茶碗にて水十七盃飮む、 一五升入丼鉢にて壹盃半 〈小石川春日町〉天堀屋七右衞門〈七十三〉 直に歸り、聖堂の土手に倒れ、明七時迄打臥す、 一五合入の盃にて拾壹盃 〈本所石原町〉美濃屋儀兵衞〈五十一〉 跡にて五大力をうたひ、茶を十四盃飮む、 一三合入にて貳拾七盃 〈金杉〉伊勢屋傳兵衞〈四十七〉 跡にて飯三盃、茶九盃じんくを躍る、 一壹升入にて四盃 〈山の手〉藩中之人〈六十三〉 跡にて東西の謠をうたひ、一禮して直にかえる、 一三升入にて三盃半 明屋敷の者 跡にて少の間倒れ、目を覺し、砂糖湯を茶碗にて七盃飮む、 右之外酒三四十人計り有之候へども、二三升位のもの故不之、

〔三養雜記〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0784 對酌奇事 天保二年のことゝかや、讃岐國高松なる津高屋周藏といふものあり、生れえたる大酒なれども、常には人なみに肴をまうけて對酌すれども、いざ飮まんとおもふときは、玄米に生鹽を肴として飮むほどに、その數量いくらといふをしらずといへり、ある時かの周藏が檀那寺へ、日蓮宗の僧來りていふやう、われは肥後の熊本の者なるが、かね〴〵傳へうけたまはりしにこの地に津高屋周藏どのといふ人、玄米に生鹽を肴にして、大酒せらるゝのよしきゝ及べり、いよ〳〵さやうに候はゞ、願はくは我らその周藏どのに逢ひて、酒を飮くらべ試たしといふに、さいはひその 周藏は、わが寺の檀家なれば、いとやすきことなりとて、やがて周藏がもとにいひやりければ、とりあへず來りて、かの僧に面會し、はる〴〵と尋來らるゝ心底、いと悦ばしとてあいさつありて、さていふやうは、たゞ空しく對酌すべきにあらず、このわたりの酒徒を催しあつめて、ともに飮んこそ興あらめとて、こゝかしこふれけるに、凡そ五十人あまりもあつまりぬ、さればその人々には、次の間にて酒肴をまうけてもてなし、かの二人は上の間に坐をしめ、玄米と生鹽にてあひ互に飮ほどに、やゝありて二人ながらはや足れりとてやみぬ、その升數をはかるに、壹斗四升八合とかや、次にては人毎に二三升ばかりものみたらんとおもふに、あるひは頭をなやまし、または嘔吐に苦しむもありし、周藏とかの僧は、つねにかはりしおももちもなく、ことに周藏が家居は一里ばかりもへだゝり、僧の旅宿はそれよりなほ十七八丁も遠かりけるが、をりふし雨ふり出たるに、二人ともに雨具をつけ、足駄をはきてうちかたらひつゝ、かへりけるとぞ、

禁飮酒

〔令義解〕

〈二僧尼〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0785 凡僧尼飮酒食宍、服五辛者、〈謂飮酒者不醉亂也○中略〉卅日苦使、若爲疾病藥分須、三綱給其日限、若飮酒醉亂、及與人鬪打者各還俗、

〔玉勝間〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0785 ほうしの酒をのむ事 僧の酒をのむことは、釋迦の重きいましめにて、魚肉を食ふよりは、罪重きわざとしたるに、今ははゞかることなく、のむならひとなれるは、ちかき世の事かと思へば、萬葉十八の卷に、家持卿の越中の國師の從僧淸見に、酒をおくられたること、又東大寺の使僧平榮に、酒をおくられたる事など見えたれば、そのかみもはゞからざりしにこそ、

〔續日本紀〕

〈十二聖武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0785 天平九年五月壬辰、詔曰、四月以來疫旱並行、田苗燋萎、由是祈禱山川、奠祭神祗、未効驗、至今猶苦、朕以不德實致茲災、思布寛仁以救民患、宜國郡審録寃獄骼埋胔禁酒(○○)斷上レ屠、〈○下略〉

〔醒睡笑〕

〈一謂被謂物之由來〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0785 痩法師の酢ごのみとは、やせの寺は昔より禁酒にて酒をいれず、僧の中 に酒をこのみ、えこらえぬあり、常に土工李をもちて行かよふ、若人とふ事あれば、すにて候といふ、日を經ずかよひしげし、又とふ時も同返事なるまゝ、諺にいひならはし、やせの法師はすごのみや、

禁多飮

〔豐太閤大坂城中壁書〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0786 御掟追加〈○中略〉 一酒者隨根器、但大酒御制禁之事、〈○中略〉 右條々於違犯之輩者、可嚴科者也、 文禄四年八月三日 隆景〈○以下四名略〉

〔薩藩舊記〕

〈後集二十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0786 法度〈○中略〉 一私之大酒可停止、然ば常之寄合之時は、一篇たるべし、酒望之輩は、一篇之内、盃數を重ても受用すべし、若難默止儀有之者、篇〈○篇上有脱字〉をも可望歟、かたく三篇には過べからず、〈○中略〉 右之條々、若有違犯之輩者、到侍可收所領、於凡下者、堅可成敗者也、 閏八月〈○慶長九年〉十九日 龍伯〈御判○島津〉

〔享保集成絲綸録〕

〈三十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0786 元祿九子年八月 一酒に醉、心ならず、不屆仕候もの粗有之候、兼而より大酒仕儀停止候得共、彌以酒給候儀、人々愼可申候事、 一客等有之候而も、酒強候儀無用ニ候事、 附酒狂之もの有之候はゞ、酒給させ候ものも可越度事、〈○中略〉 右之通、急度可相守、於違背は、可曲事者也、 八月

戒多飮

〔徒然草〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0787 世にはこゝろえぬことのおほきなり、ともあることには、まづ酒をすゝめて、しゐのませたるを興とする事、いかなるゆへとも心えず、のむ人のかほいとたえがたげに眉をひそめ、人めをはかりてすてんとし、にげんとするをとらへて、ひきとゞめて、すゞろにのませつれば、うるはしき人も、たちまちに狂人となりて、をこがましく、息災なる人も、めのまへに大事の病者となりて、前後もしらずたふれふす、いはふべき日などは、淺ましかりぬべし、あくる日まで、頭いたく物くはずによひふし、生をへだてたるやうにして、昨日のことおぼえず、おほやけわたくしの大事をかきて、わづらひとなる、人をしてかゝるめを見すること、慈悲もなく、禮義にもそむけり、かくからきめにあひたらん人、ねたく口おしと思はざらんや、人の國にかゝるならひ有なりと、これらになき人事にてつたへきゝたらんは、あやしくふしぎにおぼえぬべし、人の上にてみたるだに心うし、思ひ入たるさまに心にくしとみし人も、おもふ所なく、わらひのゝしり、ことばおほくゑぼうしゆがみ、ひもはづし、はぎたかくかゝげて、よういなき氣色、日ごろの人ともおぼえず、女はひたひがみはれらかにかきやり、まばゆからず顏うちさゝげてうちわらひ、盃もてる手にとりつき、よからぬ人は、さかなとりて口にさしあて、みづからもくひたるさまあし、聲のかぎり出して、各うたひまひ、年老たる法師めし出されて、くろくきたなき身をかたぬぎて、目もあてられずすぢりたるを、興じ見る人さへうとましくにくし、あるは又我身いみじき事ども、かたはらいたくいひきかせ、あるは醉なきし、下ざまの人は、のりあひいさかひてあさましくおそろし、恥がましく心うき事のみ有て、はてはゆるさぬ物どもをしとりて縁よりおち、馬車よりおちてあやまちしつ、物にものらぬきはゝ、大路をよろぼひゆきて、つゐひぢ、門の下などにむきて、えもいはぬ事どもしちらし、年老けさかけたる法師の、小童のかたをおさへて、聞えぬ事どもいひつゝよろめきたる、いとかはゆし、かゝることをしても、此世も後の世も益あるべきわざならば、いか がはせん、此世にはあやまちおほく、財をうしなひ病をまうく、百藥の長とはいへど、萬の病は酒よりこそおこれ、うれへを忘るといへど、ゑひたる人ぞ、過にしうさをも思ひ出てなくめる、後の世は人の智惠をうしなひ、善根をやく事火のごとくして、惡をましよろづの戒を破りて地獄に墜べし、酒を取て人にのませたる人、五百生が間、手なき者に生るとこそ、佛は説給ふなれ、かくうとましとおもふ物なれど、をのづからすてがたきおりもあるべし、月の夜、雪のあした、花のもとにても、心のどかに物語して盃出したる、よろづの興をそふるわざ也、つれ〴〵なる日、思ひの外に友の入來て、とりおこなひたるも心なぐさむ、なれ〳〵しからぬあたりのみすのうちより、御くだ物みきなど、よきやうなるけはひしてさし出されたる、いとよし、冬せばき所にて火にて物いりなどして、へだてなきどちさしむかひて、おほくのみたる、いとおかし、たびのかり屋、野山などにて、御さかな何なといひて、しばの上にてのみたるもおかし、いたういたむ人のしゐられて、すこしのみたるもいとよし、よき人のとりわきて、今ひとつうへすくなしなど、のたまはせたるもうれし、近づかまほしき人の上戸にて、ひし〳〵となれぬる又うれし、さはいへど上戸はおかしくつみゆるさるゝもの也、醉くたびれて、あさゐしたる所を、主のひきあけたるにまどひて、ほれたるかほながら、ほそきもとどりさし出し、物もきあへずいだきもち、ひきしろひてにぐる、かひどりすがたのうしろ手、毛おひたるほそきはぎのほどおかしくつき〴〵し、

〔薩藩舊記〕

〈後集二十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0788 呂宋船之儀ニ付、〈○中略〉今日までは圓乘坊不罷歸候、無心元存候、〈○中略〉次ニ毎度申儀ニ候へ共、在京中御酒過候はぬやうに御分別專一候、諸篇失儀は御酒より出來候事、先證多事に候、殊更貴所事は、先年難成所を上洛候而以來、人々手ををくよし候處、自然酒ニ被取亂、不入事共、於出界一言も被仰候者、前々之儀共うすく可罷成候間、能々可愼事專一に候、〈○中略〉 五月〈○慶長九年〉十日 惟新〈○島津〉判 少將殿〈○島津忠恒〉參る

〔梅園叢書〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0789 酒食欲の誡 近き比松平伊豆守信綱は、一時の賢君なりしが、ある夜咄の序、臣等酒の德をのべ君にすゝむ、信綱の宣ひけるは、汝等みな子あり、その子の悉く酒を呑まん事を願ふか、飮まざらん事を願ふかと有りければ、臣等暫く默して居たりしが、子は酒を飮ざらんこそ親のこゝろやすく候へとこたへける、

〔鵞峯文集〕

〈百十八雑著〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0789酒 古人謂酒爲愁箒、又爲詩鉤、其性所嗜而有量、則其然乎、若夫嗜之過、不量則及亂者必矣、然則愁不拂而病乍生、詩不釣而睡先來、不早誡一レ之則或闕其勤、或有失禮、故曰、厚味腊毒、又曰病入口、嗚呼耽一啜之味、不莫邪割一レ喉、不誡焉、

〔自娯集〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0789 酒禍論 酒天之美祿、先王所以祭百神嘉賓老成一レ禮也、微醺則能合歡寫憂、助陽氣之衰乏、開胸次之伊鬱、且禦風寒腸胃、其爲功不鮮、此得酒之節度者、苟如此則以爲百藥之長亦宜也、嗚呼彼昏不知、崇飮無節、嗜之無度、沈湎以爲常、不其郵、不死、若夫損者有三樂、流連荒亡爲諸候憂者、亦皆因酒爲患也、其禍輕則生病患威儀、重則覆邦家軀命、其害不擧言、故夏禹惡旨酒、周公作酒誥、所以可上レ萬世之警戒也、夫酒之能敗德亂行者、其訓戒既昭々乎典籍、何待區々之簡書乎、但其能致病損壽者、其害有三焉、蓋嘗論之、酒入胃、其熱毒慓悍之氣驅迫之、則能行諸經而不止、與附子之暴烈其性、是以其氣血之流行不常度、而有急疾之勢、故醉者氣脉速開、通體忽快、診其寸口之脉、常浮大而急數、此其證也、其流行急疾如此、人之元氣耗散可知而已矣、此其爲害之一也、酒力能生熱、邪火薰灼眞陰、而血液亦日涸如中風、亦酒熱生風也、非外邪、其爲害之二也、脾胃好燥惡濕、酒之浸漬、平日停滯 而致傷、此其爲害之三也、嗚呼其耗氣涸血傷胃、其害如此、是以暗損天年而減人壽、然人昏迷而不覺耳、五湖漫聞載、飮酒不多者、往々其壽考者數人歴々可見矣、方今吾郷土、士類之壽考到八十以上者凡十數人、問之平素皆不酒者也、於此可見古人所記可信也、以是歴觀世人、飮酒多而長壽者極少、多飮者宜之以爲一レ戒、古語曰、快意事過必傷身、凡天下之事快於初者、必有於終、欲于終、則勿快于初、縱一時之慾者、必成終身之禍、苟不于始、雖于後追乎、此多飮之輩、所以可悔悟、而保養之士亦所患豫防也、

斷酒 節酒

〔運歩色葉集〕

〈多〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0790 斷酒(タンシユ)

〔台記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0790 久安二年九月廿七日、此日詣石山寺、依先年所立之願成就也、〈○中略〉 裏書〈○中略〉歸路公春醉狂、因之自粟田口家、後日公春耻之、請曰、盟定飮酒盃數、余〈○藤原賴長〉許之、十月四日、公春詣中堂盟曰、御共日一盃、不然日五盃可用、若過之者毎毛孔中堂罰、〈其盟書先於中堂讀上、後獻余、〉

〔吾妻鏡〕

〈二十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0790 建暦三年〈○建保元年〉五月三日癸卯、昨今兩日致合戰之輩、多以參匠作〈○北條泰時〉御亭、亭主勸盃酒件來客給、此間被仰云、於飮酒者永欲止之、其故者、朔日入夜有數獻會、而暁天〈二日〉義盛襲來刻、憖著甲冑馬、依淵醉之餘氣、爲忙然之間、向後可酒之由、誓願訖、而度々相戰之後爲喉、尋水之處、葛西六郎〈武藏國住人〉取副小筒與一レ盞勸之、臨其期、以前之意忽變用之、人性於時不定、比興事也、但自今以後猶不大飮云云、

〔花營三代記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0790 應永廿八年六月廿五日、御所樣〈○足利義持〉以毎阿彌、御方御所樣〈○足利義量〉大御酒甚以不然、御方伺公之面々、於向後御方御酒被聞食、并私ニ酒ヲ自御所樣御免テ不用之由、以起請文申上之由、被仰出也、 廿九日、可大酒飮之由起請、熊野牛王裏ニ以連判畠山中務少輔持淸於宿所、三十六人書畢、注文有別紙、在國其外少々人數ヲ加ヘズ、

〔承應遺事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0791 御酒をこのませ給ひ、〈○後光明〉時々御量を過させ給ふを、諸臣ひそかにおそれけれども、諫奉る人もなかりけり、或とき御宴の興も盛にて、天機うるはしきに、德大寺公信御前に出て、度々御酒過させ給ふは、玉體の御ため、其おそれすくなからず、聖人の敎、程朱の敎にもそむかせ給ひなんと、諫奉られければ、天機忽かはらせ給ひ、御劔をとらせられ、逆鱗甚しかりしに、從容として又申上られけるは、古昔より聖君の御手づから臣をきらせ給ふをきかざれども、公信が諫をきこしめしいれさせ給はゞ、身命はおしむにたらずとて、立もさらずぞさぶらはれける、陪侍の人人しりぞかしめらる、上も御劔をもたせ給ひながら、入御なりにけり、〈○中略〉あくるあしたはやく出御ましまし、近習の人に、さてもよべの御ふるまひ、いたく悔させ給ひ、御寢もならせ給はず、此後公信が參らんもおぼつかなくおぼしめすと仰ありしに、公信は天機を伺ひ奉らんとて、とくより參内しさぶらふと申上られければ、よろこばせ給ひ、座を賜ひてめされにけり、公信はよべ天機に忤ひ奉られしをおそれつゝしみ、御前に出られける、龍顏殊にうるはしく、さてもよべの忠諫叡感淺からずおぼしめせり、此後は御酒をいましめて、たゝせ給ふべし、よべの御ありさま、かへすがへす御恥かしくおぼしめすなり、今よりいよ〳〵忠諫をいれ、不德をたゞし、嘉德をたすくべしとて、よべとらせ給ふ御劔を、御手づから賜はりけり、

〔先哲叢談〕

〈後編六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0791 南宮大湫、名岳、字喬卿號大湫、又號煙波釣叟、通稱彌六、信濃人、 大湫善飮盡斗、至歳五十、刻留罷酒、安淸河訪之、儲侍以豐饌、大湫與之獻酬、未嘗飮酒滴、淸河酣暢之餘、與坐客語曰、南宮眞君子、能容包衆、特於杜康相善、而與之絶、是爲可憾、淸河之意、在刺罷一レ酒、其言甚傲焉、大湫遜言正色曰、寒家素乏酒錢、罷飮後、幸不厨釀之費多矣、淸河大慙、爲之自失、

〔文恭院殿御實紀附録〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0791 御壯年〈○徳川家齊〉のころより酒を御嗜ありて、常々めし上られ、花紅葉の折にふれては、御過酒もおはしましゝ、左様の時も常に替らせらるゝ御容子は、曾てあらせられざ りしかど、御齡たけさせ玉ひては、殊更御身の為宜しかるまじと、一橋邸よりひそかに御諫言ありしとなむ、夫より後は三獻の外は召上られざりき、一とせ御放鷹として、近郊に渡らせ玉ひしに、その日風雪にて寒氣凛冽なりしかば、御供の人々堪難きさまを、あはれませ玉ひ、あまぬく御酒賜はりし事あり、其時傍に候せし某、今日などはちと御過し遊ばさるとても、寒氣御凌の爲なれば苦しかるまじと申上しに、そこを呑ぬが男なりと御戯言あり、三獻の外召上られざりしとなむ、これらは假初の御事なれど、人々嗜物抑遏するは、いかにも難きことなるに、かゝる御振舞は、すべて凡慮の計りしりがたき御事なり、

〔雨窻閑話〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0792 奥州泉領孝子〈并〉名君行状の事 一奥州泉の領主本多彈正少弼忠籌侯、領分の内に甚孝心の百姓あり、年頃四十餘、父はもはや八十にちかし、其孝志是までつひに父の氣にさかひし事なく、一圖に孝道をつくすこと、いふべくもあらず、〈○中略〉老人若き時よりして冷酒をこのみ、毎日農作に出づる時、先冷酒を茶碗に三つづつ飮み出づる事、一日もかく事なし、〈○中略〉ある日老父いつもの農業より歸りて、泫然として落涙する事あり、孝子其樣子ことなるを尋ねけるに、老父の曰く、さればの事よ、今日農作に往きたる所、勿體なき噺を聞きて、有難さに涙こぼるゝなり、殿樣には、平日御汁をも御あがり遊ばされず、〈○中略〉御近習の衆、御養生になるまじき由申し上げられしに、か樣にして、下々の者をこやしてやりたしとの御意有りし旨をきゝ、誠に身にこたへ、骨に通りて有りがたく、覺えず涙を流して、其方に早くいひきかせ、我らも是迄の酒をやめ申さんとて、急ぎて歸りしなり、あゝ勿體なし〳〵とて、夫より一向に禁酒せりとぞ、

〔鶉衣〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0792 斷酒辨 もとより李杜が酒腸もなければ、上戸の目には下戸なりといへども、下戸なる人には上戸とも いはれて、酒に剛臆の座をわかてば、おのづからのむ人のかたにかずまへられて、南郭が竽をふきけるほども、思へば四十の年にもちかし、されば衆人みな酒臭しと、世に鼻覆ひたる心はしらず、まして五十にして非を知りしとか、かしこきためしにはたぐひも似ず、近き比いたましう酒のあたりけるまゝに、藻にすむ虫と思ひたつ事ありて、試に一月の飮をたてば、身はなら柴の木下戸となりて、花のあした月の夕べ、かくてもあられけるものをと、はじめて夢のさめし心ぞする、けふより春の蝶の醉心をわすれ、秋のもみぢも茶の下にたきて、長く下戸の樂に老を待べし、さもあれ此誓ひ、みたらし川に御祓もせねば、たとへば仙の一座なりともまねがば、柳の靑眼に交り、吸物さかなは人よりもあらして、おなじ醉郷にあそぶべくは、いさ松の尾の山がらすも、月にはもとのうかれ仲まと思ふべし、 花あらば花の留守せん下戸ひとり、

酒神

〔神道名目類聚抄〕

〈四神祇〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0793 酒造祖神 酒解神〈大山祇神〉酒解子神ハ神吾鹿葦津姫〈又ハ木花開耶姫○中略〉 按ニ酒店ノ輩、松尾神社ヲ以酒ノ守護トス、イマダ其由ヲ知ラズ、酒解神酒解子ノ神ハ、梅宮ノ神ナリ、蓋酒家ノ輩、梅宮ト松尾トヲ思過ルカ、

〔見た京物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0793 松の尾の神は、酒屋ことの外に祈る、 ○按ズルニ、造酒神ノ事ハ、尚ホ神祇部神祇總載篇ニ在リ、

雜載

〔延喜式〕

〈四十造酒〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0793 諸節會料酒 正月元日一斛八斗、七日三石四斗、十六日二斛三斗、十七日一斛四斗、五月五日一斛八斗、相撲節一斛八斗、九月九日一斛六斗、十一月新嘗會四斗、若可此限辨官處分、 供奉神事諸司給酒法 親王已下三位已上二升、四位五位一升、六位已下五合、五位已上命婦一升、六位已下女孺并御巫五 合、 凡縣釀酒、山城國四斛二斗一升五合、大和河内攝津等國各四斛、並十一月卅日以前進訖、〈給諸王已下國栖已上料〉

〔延喜式〕

〈三十三大膳〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0794 仁王經齋會供養料〈○中略〉 酒一合六勺〈好物料六勺、海菜料三勺、汁物料二勺、生菜料二勺、羹料一勺、漬菜料二勺、〉

〔年中行事秘抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0794 淸凉殿行事 霧朝置霧酒(○○)

〔台記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0794 久安二年五月十七日乙酉、依仰午初詣無動寺、〈○中略〉同刻終臨幸、〈○中略〉次渡南山房、〈余(藤原賴長)歩行、在輿前、〉先供御膳、又余已下賜膳、一如水飮儀、〈座主房預膳〉座主申云、山霧於人有毒、飮酒消之云、中堂禁酒者禁醉也、願上飮之、上則飮之、〈忠隆朝臣供之〉了使忠隆朝臣賜盃於余、余曰可他盃、〈存禮也〉上曰莫替、予以御盃之一啐、

〔大鏡〕

〈五太政大臣兼通〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0794 この殿〈○兼通〉には、後夜にめすばうす(○○○)の御さかなには、たゞ今ころしたるきじをぞまいらせをけるに、もてまいりあふべきならねば、よひよりぞまうけてをかれける、

〔梅園日記〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0794 卯酒 大鏡云、〈○本文略〉ばうすを一本には卯酒と書り、後夜は、雲圖抄裏書に、後夜自子之刻、至丑二刻半とあり、されば夜中より、卯の時まで飮む酒の意と聞えたり、然れども、卯酒は夜中より飮む事にあらず、朗詠集私注に、卯時飮酒謂之卯酒とある説是なり、白居易が詩に多き語なり、中州集に、宋九嘉が卯酒詩に、臘蟻初浮社甕https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_ins026309.gif 宿醒正渇卯時投、醉郷几几陶陶裏、底事形骸底事愁、東坡集蘇軾が午窻座睡詩に、體適劇卯酒、李厚が注に、白樂天詩、未卯時酒、神速功力倍、これらを見てさとるべし、

〔田氏家集〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0795 毒醉吟呈座客酒卯前及百鍾、黄昏主客醉相從、〈○下略〉

〔延喜式〕

〈四十造酒〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0795 供奉料〈中宮亦同〉 日酒一斗五升、〈○中略〉韲酒(○○)二升五合、〈○中略〉 右日料司家所進、但韲料内膳司毎月受、〈○中略〉 諸節日酒四斗、〈○中略〉韲酒(○○)五升、〈五月七月九月十一月各一斗○中略〉 東宮 日酒六升、〈諸節別二斗、已上付主膳監、〉汁糟(○○)五合、韲酒(○○)四合、酢四合、 右韲料酒汁糟並行彼宮進物所、〈○下略〉

〔菅家文草〕

〈一詩〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0795 九日侍宴同賦吹花酒(○○○)應製 恩容九日醉顔酣、酒湛兼淸菊採甘、把盞無嫌斟分十、吹花乍到唱遲三、脣頭泛色金猶點、口上餘香麝半含、暮景雙行多得力、松喬更向小臣慙、

〔小右記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0795 寛弘二年五月三日庚戌、馬場所官人等獻藤蕨糟酒(○○○○)等左荒手結、 長和三年五月五日庚寅、馬場所進藤蕨酒等、 治安三年五月五日丁卯、馬場進藤蕨酒ニ瓶等酒

〔播磨風土記〕

〈賀古都〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0795 昔大帶日子命〈○景行〉誂印南別孃之時、〈○中略〉勅云此處浪響鳥聲甚譁、遷於高宮、故日高宮村、是時造酒殿(○○)之處、即號酒屋村

〔播磨風土記〕

〈楫保郡〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0795 廣山里〈舊名握村○中略〉品太天皇〈○應神〉之世、出雲御蔭大神坐於枚方里神尾山、毎遮行人半死、〈○中略〉於是遣額田部連久等等禱、于時作屋形於屋形田、作酒屋(○○)於佐々山而祭之、〈○中略〉 酒井野、右所以稱酒井者、品太天皇之世、造宮於大宅里、闢井此野、造立酒殿、故號酒井野

〔播磨風土記〕

〈印南郡〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0796 含藝里〈本名瓶落土中上〉所以號瓶落者、難波高津御宮〈○仁德〉御世、私部局取等遠祖他田熊千、瓶酒著於馬尻、求行家地、其瓶落於此村、故曰瓶落、又有酒山、大帶日子天皇〈○景行〉御世、酒泉(○○)涌出、故曰酒山、百姓飮者、即醉相鬭相亂、故令埋塞、後庚午年有人堀出、于今猶有酒氣

〔十訓抄〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0796 昔元正天皇御時、美濃國に貧く賤き男有けるが、老たる父を持たり、此男山の草木を取て、其直を得て父を養ひけり、此父朝夕あながちに酒を愛しほしがる、依之男なりひさごと云物を腰に付て、酒を沽家に行て、常に是を乞て父を養ふ、或時山に入て薪をとらんとするに、苔深き石にすべりて、うつふしにまろびたりけるに、酒の香しければ、思はずにあやしとて、其あたりをみるに、石中より水流出事有、其色酒に似たり、汲てなむるにめでたき酒也、うれしく覺えて、其後日々に是を汲てあくまで父を養ふ、時に帝此事をきこしめして、靈龜三年九月に某所へ行幸有て御覽じけり、

〔續日本紀〕

〈七元正〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0796 養老元年九月丙辰、幸當耆郡〈○美濃〉多度山美泉、賜駕五位已上物各有差、

〔續日本後紀〕

〈十三仁明〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0796 承和十年三月丙辰、出雲權守正四位下文室朝臣秋津卒、〈○中略〉七月、〈○承和二年〉任右衞門督、監察非違、最是其人也、亦論武藝、足驍將、但在飮酒席、似大夫、毎酒三四杯、必有醉泣之癖(○○○○)故也、

〔徒然草〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0796 下部に酒のまする事は心すべき事也、宇治に住侍けるおのこ、京に具覺房とてなまめきたる遁世の僧を、こじうとなりければ、つねに申むつびけり、ある時迎に馬をつかはしたりければ、はるかなる程なり、口つきのおのこに、先一度せさせよとて、酒をいだしたれば、さしうけさしうけよゝとのみぬ、太刀打はきてかひ〴〵しげなれば、賴もしく覺えて召ぐして行程に、木幡の邊にて、奈良法師の兵士あまたぐしてあひたるに、此男たちむかひて日暮にたり、此山中にあやしきぞ、とまり候へといひて、太刀をひきぬきければ、人も皆太刀ぬき矢はげなどしけるを、具 覺坊手をすりてうつし心なく、醉たる者に候、まげてゆるし給はらんといひければ、をの〳〵嘲て過ぬ、此男具覺房にあひて、御坊は口をしき事し給つる物かな、をのれゑひたる事侍らず、高名仕らんとするを、ぬける太刀むなしくなし給ひつる事といかりて、ひたぎりにきりおとしつ、さて山だちありとのゝしりければ、里人おこりて出あへば、われこそ山だちよといひて、はしりかかりつゝ、きりまはりけるを、あまたして手おふせ打ふせてしばりけり、馬は血つきて宇治大路の家にはしり入たり、淺ましくて、をのこどもあまたはしらかしたれば、具覺坊はくちなしはらにゑひふしたるを、もとめ出てかきもてきつ、からき命いきたれど、腰きり損ぜられてかたはに成にけり、

〔本朝食鑑〕

〈四菓〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0797 柿 或語予〈○平野必大〉曰、毎好大酒者、割乾柿兩片、用一片臍令帶緊縛、而後飮酒則連日不倒、予既試之沈醉後取臍中柿而見之、酒浸熟甚臭、是柿内引酒於臍竅者也、故知柿之解酒毒而已、

〔江戸買物獨案内〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0797 〈仙傳一家〉酒禁丸〈藤田氏製〉 夫酒は養壽の奇品と雖ども、多く喫する時は氣を慓し、行を敗り心を亂、甚しきは家邦を喪す、輕ければ病を致し命を隕す、故に長壽は下戸に多し、愼むべし、〈○中略〉此藥を用ゆる時は、胸中の酒癖をさる故に、上戸と雖ども酒を飮んとするの心疎くなりて、自然と下戸となる也、又大酒豪飮の人も、三兩杯の樂酒となりて、身の害をなす事なし、吐血を止め胃熱を淸し氣血を行し、胸腹の留飮をさり、齒をかたくし、目を明にし、ざくろ鼻を治し、内損を補ひ、若癩、中風、よい〳〵、水腫、黄胖、總て酒より發る病治せずといふ事なし、酒ぐせのわるき人需服すべし、 賣弘所 〈日本橋通三丁目東側中程〉藤田屋熊治郎製

〔催馬樂〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0797 呂 此殿〈ノ〉奥〈二段、拍子各八、與此殿〈ノ〉西同音、〉 このとのゝ、此とのゝ、おくの、おくの、さかや(○○○)の、うばたまり、あはれ、うばたまり、はれ、 〈二段〉うばたまり、われを、われをこふらし、こざかこゆなるや、こざかこゆなるや、〈○中略〉 酒飮〈一段、拍子十五、藤家五拍子用之、〉 さけをたうべて、たべゑうて、たふとこりんぞや、まうでくる、なよろぼひそ、まうでくる、たんな、たんな、たりや、らんな、たりちりら、


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Last-modified: 2022-06-29 (水) 20:06:27