p.0840 醬油ハ、シヤウユト云フ、大豆ヲ煮熟シ、大麥ヲ熬リテ、春キテ粉末トシタルモノト、相合セテ麴ヲ作リ、熟スルニ及ビテ水ヲ合セ、鹽ヲ加ヘテ攪匀シ、毎日數次槌杖ヲ以テ滾合スルコト七十餘日、而シテ糟ヲ布囊ニ盛リテ、壓搾シテ滴汁ヲ取リタルヲ一番醬油ト稱シ、其渣ヲ用イテ更ニ製シタルヲ、二番醬油ト稱ス、又味噌ヨリ製シタルヲ豆油(タマリ)ト云ウ、其他大豆醬、小豆醬等アリ、
p.0840 醬油(シヤウユ)
p.0840 豉〈○中略〉方穀本草纂要、品字箋有二醬油一、千金方有レ醬、淸山家淸供有二醬汁一、南方草木状有二豆醬汁一、皆可二以充二多未利一、多未利至二熟時一釃下取レ之、醬油窄去レ滓、再煮收用爲レ異耳、訓レ豉爲二久岐一不レ允、
p.0840 醬 唐山ノ醬一ナラズ、其造法皆本邦ト異ナリ、然レドモ大豆醬ハ本邦ノヒシホナリ、コレヲシヤウユノミ(○○○○○○)ト云、シボリタル汁ヲ醬油ト云、本草彙言醬ノ下ニ、取二面上汁一濾出名二醬油一ト云、傳家寶ニモ醬油ノ法アリ、大和本草ニ、豆油ヲシヤウユト訓ズルハ非ナリ、
p.0841 醬油 大和本草に俗に醬油と稱するは豆油也、順和名抄に、豆油をタマリと訓ずるは非也云云といへり、和名抄に豆油をタマリと訓ぜる文なし、必誤なり、また豆油も醬の一方なれば、シヤウユと訓ぜるも、、大に誤れるには非ざれ共、本草を考ふるに、今染家に用るマメノゴをも豆油といへれば、同名にてまぎらはし、かつ醬油といふ漢名なからましかば、假にしやうゆを豆油とも書まし、既にさる漢名ありて、本草彙言また傳家寶に、その法までも出たるよし、小野氏の本草綱目啓蒙にいへり、又この外諸書に醬油の名見えたれば、豆油と書はわろし、醬油のこと、こゝには、むかし無きものなり、庭訓往來、下學集には未記さず、節用集に始てその名見えたり、古は醬を用ひしなるべし、
p.0841 上方にて買(かう)て來るを、江戸にては買(かつ)て來る、〈○中略〉醬油を下地(したぢ&○○)、
p.0841 醬油 集解、醬油近世家々造レ之、其法大抵用二好大豆一斗一、水浸洗淨煮熟、別用二大麥春白一斗一、炒香磨レ礱飛羅作レ粉、先用二其滓一合二熟豆一拌匀、次用レ粉抹二上面一、同攤二席上一、罨作二黄衣一如レ麴而曝乾、用二鹽一斗水一斗五六升一攪合、慢火煎數十沸、放レ桶候レ冷入二前之豆麥麴一而拌匀、收二貯于大桶中一、自二次日一以レ竿而攪レ之毎日三五次、其竿者長短隨二桶之淺深一、其竹竿頭以二木片一著二釘頭一、恰如二枴杖之倒一也、至二七十五日一而中間建レ簀、其簀者編レ竹如レ席、捲而作レ圏、中空上下洞虚、爲二竹夫人状一也、建レ簀則醬油透二漏于簀内一盈レ簀、後汲而取レ油、此呼稱二一番醬油一(○○○○)也、候二其蔶中油盡一而去レ簀、又聚レ渣別用二鹽一斗水一斗四五升一煮熟、待レ冷入二麴四五升一、而合二初 時渣中一拌匀、自二次日一復以レ竿攬レ之、經二三四十日許一而熟、建レ簀取レ油者如レ前、此稱二二番醬油一(○○○○)也、候二其簀中油盡一而去レ簀取レ渣、渣亦可レ食、或渣中漬二蘿蔔茹瓜椒薑之類一亦佳、凡造二醬油一法、家々競造誇レ美、惟以下不レ取二煮豆之粘汁一與中麴之好美而多上爲レ勝、或有下用二炒豆一而造者上、有下從レ初米麴相和而造者上、有二用レ渣不レ用レ油者一、其不レ用レ油者、要二渣之美味一、不レ欲二油之美味一、故渣多油少、其法大豆炒二割一升大麥春篩、精白者一斗水漬一宿、洗淨滴去二水氣一、與二大豆一合蒸レ甑、陰乾作レ麴、麴成而後水一升三合、鹽三合半、拌合煎レ之、一二沸待レ冷入二煎麴一、攪匀收二藏于桶中一日々攪レ之、經二二十日許一而成、渣油味甘美而佳、此謂二甘醬油一(○○○)、若レ斯之類、不レ可二勝計一矣、但海國之民、用二經年淹鰯汁一(○○)、以代二醬油一(○○○○)、不レ足レ論レ之、最鄙陋耳、
p.0842 醬 華有二豆油、大豆醬、小豆醬、豌豆醬、麩醬、甜麪醬、小麥麪醬、大麥醬、麻滓醬、楡仁醬、蕪荑醬、鳥魚醫之類一、而豆油、大麥醬有レ汁、其餘皆無レ汁、本邦惟用二豆油一(○○)、而其法稍殊、事詳二于本條一、雖レ有二鰯魚(○○)醬一而非二上饌一也、
p.0842 醬油(しやうゆ)〈醬倭名比之保、本邦俗加二油字一、其未レ搾者爲レ醬、似レ爲二二物一、〉 本綱醬者將也、能制二食物之毒一、如三將之平二暴惡一也、故聖人不レ得レ醬不レ食矣、有二數品一、〈大麥、小麥、甜醬、麩醬、大豆醬、小豆醬、豆油、〉不二悉記一、 豆油(タマリ)造法用二大豆三斗一、水 糜、似二麪二十四斤一拌、罨成レ黄、毎十斤入二鹽八斤井水四十斤一、攪晒成レ油收二取之一、 大麥醬(○○○) 用二黑豆一斗一、炒熟、水浸半日同煮爛、似二大麥麪二十斤一、拌匀篩下レ麪用二煮豆(アメ)汁一和劑、切片蒸熟罨黄(ネサセテ)晒搗、毎一斗入二鹽二斤井水八斤一、晒成レ黑、甜而汁淸、 按今本邦用二大麥醬、小麥醬(○○○)二種一、大抵造法大豆〈一斗水煮〉精麥〈一斗炒粗磨〉似拌罨成レ麴略晒、別用二鹽〈一斗〉水〈二斗五升〉一煎沸、冷定盛レ桶、投二豆麥之麴一、毎日似二槌(エブリ)杖一攪レ之、夏七十五日、冬百日而成、搾レ之取レ油、其油色淺味不レ美、一沸煮レ之收レ桶、經宿則色深黑、而味亦美也、用二其渣一再和二鹽水一攪レ之搾レ油、謂二之二番醬油一、味最劣、 凡市鄽之醬油皆用二小麥一他、用二大麥一者味不レ佳、然病人吃レ之不レ妨、蓋未醬及醬油者、本朝庖厨一日不レ可レ無者也、猶三華人尚二麻油一、
p.0843 醬油 倭俗豉汁謂二醬油(○○)一、其製法、煮二大豆一熬二大麥一、各有二其量一、兩種共合レ之爲レ麴、及二其熟一則盛二大桶一、合レ水加レ鹽、是亦有二其量一、而後毎日兩三度、以レ械滾二合之一、械竿頭横二小片木一、其滾レ之也、似下以二櫓械一操レ舟故謂レ械、倭俗櫨棹謂レ械、又滾レ之謂レ搔、凡及二七十日餘一、盛二其糟於布囊一、置二石於其上一、而搾二取其滴汁一、以是煮二諸物一而食レ之、又有下取二未醬汁一者上、是謂二多磨利一(○○○)、比二醬油一則味又甜、二物共泉州堺酒家多造レ之、世稱二堺醬油一(○○○)爲二名産一、然如レ今則京師酒店多造レ之、又人家製レ之、堺醬油雖レ在二京師一、不レ及レ用之、
p.0843 正木醬油(○○○○) 大麥壹斗白につきいり引わる、大豆壹斗みそのごとくにる、小麥三升も白にして引わる、右之大豆に候て麥のこにあはせ、こを上へふり、板のうへにをき、にはとこの葉をふたにしてねさせ候、よくめ候はゞ、鹽八升水貮斗入つくり候、同二番ニハ鹽四升水壹斗こうじ四升入、三十日をきてあげ候也、 仙石流(○○○) 大豆壹斗、大麥壹斗、水壹斗一升、鹽四升、こうじ三升、右いづれもかき合、麥のこをかきあはせ、うへにもふりねさせ、右之水にてつくり入候也、
p.0843 醬油 大抵賣用しやうゆの仕こみやう、小麥壹石、よく焙てざつと引わり、白豆壹石、味噌のごとくよく煮て、右の小麥と一ツにかきまぜ、かうじ蓋にいれねさせ、花のあがりたる時、水貮石に鹽八斗〈但四合鹽の割也〉いれ造りこみ、毎日々々匕にてまはし、日數六十日nan末は久しきをよしとす、酒は寒造とて、寒き時造りこむを專とす、醬油は夏土用の中に仕こみ、秋の末に至りて上るをよしとす、右の通にしてそのまゝしぼりあぐれば、右麥、白豆、水の升目にて、しやうゆ貮石六七斗ヅヽ出る、是は 麥と豆nanもその滴出るゆへ、水の升目に增する也、是を此まゝにてつかふ時は、生じやうゆ(○○○○○)にて、風味よくかろく、何程に暑氣の時も、少も醭出ずよろしけれ共、今當代のねだんにては、中々賣當にあはねば、中古nanもどし(○○○)といふ事を仕出す、酒屋のふんごみ粕三貫目に、水壹斗鹽三升いれ、よく煮立れば、どびろくのごとくなる、それをよくさまし置、しやうゆ壹斗の中へ、右のもどし四升か四升五合の割を以て、醨の中へいれ、袋にいれ、しめ木にてしぼる、しぼりやう船のこしらへやう、大概酒に同じ、又もどしにもち米貮升をこはいゐにむして麴にねさせ、水壹斗に鹽三升入せんじ、右のもちかうじをいれ、もろみにして、右粕のもどしの積にいれてしぼる也、此ゆへに今此ごろのしやうゆ、いかにも風味よく色よくても、夏の季に入梅雨などのころほひは、しろく醭のいづる事あり、是まつたくもどしのわざなるべし、二番(○○)を取は冬計也、たとへば、しやうゆ貮斗取し跡へならば、水壹斗に鹽三升いれて、右しぼりあげし粕を打こみ、匕にてよくかきまぜ置、三十日計して、一番の通にしあぐる、又少シよきにはかうじ三升を、右の水へいれ、かうじながらしやうゆの實にまぜてしぼる、二番の水はざわ〳〵と、一せんじ煎じているゝ事よし、鹽は赤穗麥わら鹽、島鹽等をよしとす、 たまりじやうゆ(○○○○○○○)は、大麥一斗煎て引わり、黑大豆壹斗よく煮て、右の大麥と一ツにしてねさせ、麥一斗に、水八升、鹽貮升五合の割にて仕こみ、日數も大やう七十五日、あげやうは常しやうゆに同じ、其外溜りじやうゆの仕やう一概ならず、家々の調方、國所の風による、少しヅヽのわかちも有、大略は右のごとし、元來が大麥にて黑豆なるゆへ、重からずもたれげなく、いかなる病人へも許す事、右の調方ゆへなるべし、 造酒製法醬油造之法 一もやし 最初は米もやしヲ用、後者友もやしヲ用る事、 但米もやしと唱候は、酒ニ用るもやしニ而、京大坂江戸等、市中ニ商賣人有レ之、右ニ而買入候事、友もやしと唱候は、醬油之糀ヲ用るヲ、友もやしと云ふ、委敷は奥ニ記ス、 一糀仕法 一ト仕入申唱候は、小麥壹石大豆壹石合貳石也、〈○中略〉 一仕込之法 仕込桶へ淸水ヲ貳石汲入、鹽壹石入、〈五合鹽ノ積リ〉あめ七斗五升、〈是は大豆ヲ煮候煮汁也〉右あめニ鹽三斗入、〈あめニ四合鹽ノ積リ〉但右あめは釜nan樽へ取能冷し置也、右水ニ鹽あめヲ入置、其上へ前書之糀ヲ入能交置、但右仕込之醬油、毎日兩度宛櫂を以能々交可レ申事、尤絞揚之儀者、貳ケ年三ケ年過候而、諸味能潰色濃くなり候程味よろしく、併醬者品ニ奇、春仕込と申て、三月頃暖氣ニ相成候時節ニ仕込いたすも有レ之候得共、元來鹽ニ而仕込可レ致品ゆへ、五月ニ至リ薄暑ニ趣仕込ニ取掛り、遅く八九月頃迄ニ終り可レ申事、尤百姓向手造之醬油を用る者は、五月頃仕込いたし、同年九月又は十月ニ至り、絞り揚候もあり、 右ニ而も随分味ハ宜敷物ニ候得共、何分熟味行屆兼候品故、鹽辛キ醬油ニ而、元附之割より品柄不レ宜候事、 右諸味二夏又は三夏過候而、能熟味いたし候、醬油絞り揚之仕法左ニ、 仕込桶壹本 此仕入五仕入ト見テ、此仕込石拾石、右仕込桶へ戻キト唱テ、米壹石、 但右壹石之内九斗糀ニして、壹斗粥ニ燒キ、右糀と交合、一日一夜置ば、甘露之如く能キ甘酒ニ成る也、 右甘酒ニ淸水凡三石、内壹石は粥ヲ燒キ候節、壹斗之米へ入粥ニ燒キ、殘貳石ヲ湯ニ燒キ、能煮候湯之中〈江〉、右之甘酒ヲ入、又熱立候迄燒キ、此薄甘酒ヲ半白桶へ取一夜置、折々櫂ヲ入能冷し候而、右之諸味之中〈江〉打込、能々櫂ニ而交合し、夫より右諸味凡五石宛、船場之小出し桶へ汲出し、此儘 絞リ揚ゲ候分は極上醬油也、 中品は右船場之小出し桶ニ而、諸味五石之中へ二番醬油を、壹石五斗入テ絞リ揚ゲ候事、 但二番醬油之儀者奥ニ記ス、尤右中品と申分、大坂ニ而壹升ニ付凡壹匁三四分ニ賣候分、 下品は右中品ニ絞リ揚候後、釜ニ而火入之節、醬油壹石ニ、二番汁貳斗貳升ヅヽ入交合せ、火入いたし候事、 但此分大坂ニ而、壹升ニ付壹匁貳分位賣候分、 二番醬油○○○○仕法 壹番醬油絞リ揚ゲ之粕、船一艘分ニ淸水三石と鹽三斗入、能々櫂ニ而交、一夜置、翌日絞リ揚候事、 右絞リ揚候醬油者、何れも入口ニ而能澄し候而、火を入可レ申事、 但火ノ入樣ハ、釜ニ而能燒キ、熱エカヤリ候ヲ汲取、又桶〈江〉入置也、
p.0846 醬油 方穀本草纂要曰、醬油、盆レ脾養レ胃、殺二百物毒一、品字箋亦有二醬油一、孫思邈千金方有二醤淸一、山家淸供有二醬汁一、南方草木状有二豆醬汁一、本草綱目所レ謂豆油也、田家寶曰、造二醬油一法、用二大豆若干一、晩間煮起、煮熟透停一時、翻轉再煮、蓋過レ夜、次日將二熟豆一連レ汁取起、放二盆缸内用二麥麪拌匀、於二不レ通レ風處一用二蘆蓆一鋪匀、將二楮樹葉一蓋好、三四日後、俟レ上レ黄取出、晒略乾、入二熟鹽水一浸透、半月後可レ食、或可下再熬一滾、入二 内一泥好聽レ用、今此方人所レ造醬油法、大豆熬去レ殻、炒二小麥一同蒸熟、罨黄曝乾、龢二熟鹽水一入二大桶内一、日拌=凡七十日、候レ熟窄去レ滓、再煮收用、或臨レ熟挹二取其淸一者曰二多未釐一、按和名類聚鈔、有二煎汁一〈本朝式曰、堅魚煎汁、俗云二加豆乎以呂利一、〉無二醬油一、意當時作二龢羮二唯用二煎汁一、今雖レ用二煎汁一、待二醬油一而後爲レ味、煎汁即堅魚漿也、〈今俗云二加追屋儞陀式一〉
p.0846 造釀 豆ハ〈○中略〉小麥麴ヲ調和シテ、醬油ヲ極上品ニ造リ出スベシ、近來醬油ハ關東ノ造家モ、皆能ク精 好ノ醤油ヲ出ス、年々江戸ニ出ル所ハ二百四五十萬樽ニ及ブコトナレドモ、絶テ餘ルコトモナキヲ見レバ、醤油モ亦頗ル大ナル物産ナリ、醤油ノ糟ハ、再ビ下品ノ醤油ヲ醸スベク、其跡糟ヨリ燈油ヲ絞ルベク、其遺ノ糟ハ農業ノ要用アリ、故ニ醤油ヲ造ルノ利潤ハ、甚ダ厚キ者ニテ酒ヲ造ルト伯仲セリ、
p.0847 醤油 諸国nanいづるしやうゆの品、泉川堺(○○○)、これ上物、中物、次もの有、直に應じては風味よきゆへ、多は賣用に是を要す、備前の八濱(○○○○○)、攝州大坂(○○○○)、勢州白子(○○○○)、同松坂(○○○)、此邊nanいづるはみな大かたたまりじやうゆにて、至極風味よく上物のみ也、又常しやうゆも出る、尾州名古屋(○○○○○)、信州の植田じやうゆ(○○○○○○○○○)、扨江戸へいづる賣用しやうゆ、それと名をさして、めい物とするほどの事はなけれども、相州小田原(○○○○○)、上州藤岡(○○○○)、古河(○○)、關宿(○○)等nan、最寄々々にいづる事也、猶此外江戸近郷(○○○○)nan いづる分は、みな地廻りしやうゆといふ也、
p.0847 和泉 醤油溜
p.0847 醤油 堺を名物とす、大坂と兩所に造て、諸國にいだすなり、
p.0847 龍野〈○中略〉 土産〈○中略〉 醤油
p.0847 御醤油屋 〈ゆしま天じん町〉福田平吉 〈いせ丁〉上總屋庄助
p.0847 醤油 土浦ニコレヲ製スルモノ多シ、當時江戸府下ニテ多ク用フ、行方郡帆津倉邊ニテモ、龜甲セフト云醤油出ル、土浦ニテ大黒屋ト云モノヽ製スルヲ上品トス、印ニハ龜甲ノ内ニ大ノ字ヲカク、故ニ龜甲大ト稱ス、江戸ニテモ上品トセリ、行方郡板来ヨリモ出、其内堀田屋ト云者ノ製スルヲヨ シトス、サレドモ凡ニトリテハ中品ナリ、印ニハ山形ノ下ニ七ノ字ヲカク、仍テ山七ト稱ス、下總ノ銚子佐原ヨリモ出レドモ、土浦ノ龜甲大ニ及ブモノナシ、
p.0848 醤油 大坂ニハ製レ之家諸所有レ之、御堂ノ後河内屋、南久太郎町河六、大寶寺町奈良屋等、江戸ハ大坂ヨリモ買漕シ、又近國ニテモ製シ出ス、下總ノ野田町、常陸土浦等ヨリ出ル物上製也、%図% 名製ナルガ故ニ諸造トモニ%図% ノ中ニ種々ノ字ヲ書者近年多シ、
p.0848 ある人の持てるふるき引札を見るに左之通 〈げんきん御めじるし〉%図% 酒酢醤油直段附 〈鍛冶橋御門前南角〉小島屋嘉兵衞〈○中略〉 酢醤油壹升ニ付 一大坂河内屋 代百八文 一鴻池類 同七拾八文 一近江屋類 同七拾文 一てうし 同六拾文 一左京 代五拾四文 一結城 同四拾五文〈○中略〉 この引札年號なし、いつのころに哉とおもふに、前に記しぬる吉祥院の水戸〈江〉下りし時の諸色の直段のうちに、酒壹升四拾文とあり、爰にもまた同四拾貳文とあれば、右同時代と知られたり、さらば慶安年中の引札なるべし、
p.0848 酒酢醤油直段書上 〈下リ〉一極上醤油〈元直段金壹兩ニ付四樽八分替〉 〈八升入壹樽ニ付銀拾三匁、壹升ニ付代百九拾文、引下壹升ニ付代百八拾文、壹合ニ付代貳拾貳文引下ゲ壹合ニ付代拾八文、〉 〈地廻り〉一上醤油〈元直段金壹兩ニ付五樽貳分替〉 〈七升五合入壹樽ニ付代銀拾貳匁、壹升ニ付代百八拾八文、引下ゲ壹升ニ付代百七拾貳文、壹合ニ付代貳拾文、引下ゲ壹合ニ付代拾七文、〉 一中醤油〈元直段壹兩ニ付七樽半〉 〈七升入壹樽ニ付代銀八匁五分、壹升ニ付代百三拾貳文、引下ゲ壹升ニ付代百三拾文、壹合ニ付代拾四文、引下ゲ壹合ニ付代拾三文〉 一下醤油〈元直段金壹兩ニ付拾三樽替〉 〈七升入壹樽ニ付代五匁、壹升ニ付代八拾文、引下ゲ壹升ニ付代七拾七文、壹合ニ付代八文、引下ゲ壹合ニ付代七文、○中略〉 右者此度錢相場御定被二仰渡一御座候ニ付、右釣合を以、右之通直段引下ゲ賣買為レ仕度奉レ存候間、此段申上候、以上、 〈寅〉八月十二日 〈七番組南茅場町〉名主 甚七印 〈靈岸島濱町〉同 太一郎印 〈南新堀町〉同 平兵衛印
p.0849 上 一醤油上壹合ニ付代三拾貳文、中壹合ニ付代貳拾四文、下壹合ニ付代貳拾文、 右之通、當時小賣直段奉二申上一候、以上、 〈子〉六月〈○元治元年〉 〈深川永代大門前仲町家持〉儀右衞門印
p.0849 醤油一樽ハ八升入也、樽代を引て正味七升五合あり、みそ一樽ハ目形十九貫目也、是も樽代を壹貫目引て、正味十八貫目ある事也、
p.0849 一醤油は古なし、京都將軍家の庖丁人大草家の書の趣、醤油を用ることみえず、皆たれみそを用る也、
p.0849 一鴨煎鳥は、薄く切てよく鍋にて其儘いる也、醤油酒を指て吉也、〈○中略〉 一あぶり貝は、醤油にて丸ににて、少油でだす事も有、好次第に吉也、