p.0119 机〈牙脚附〉 唐韻云、机〈音與レ几同、和名都久惠、〉案屬也、史記云、持レ案進レ食、〈案音與レ按同〉唐式云、行床牙脚、〈今案、行床者食床屬也、牙脚者今所レ謂牙象脚也、〉
p.0119 按説文云、几踞几也、象形、徐鍇曰、人所二凭坐一也、〈○中略〉説文又云、案几屬、徐鍇曰、案所レ凭也、周禮掌次職云、張氈案、是案亦所二以憑倚一之器、故唐韻訓レ几爲二案屬一、又有下以レ案爲二食案一者上、考工記玉人之事、案十有二寸、棗栗十有二列、注、棗栗實二於器乃加二於案一、後漢書梁鴻傳、畢レ案齊レ眉、及史記持レ案進レ食、皆是、食案別是一義、源君以二唐韻案屬一、讀爲二食案之屬一、遂引レ机爲二都久惠一者誤、然古事記、日本書紀、萬葉集以下古書、皆以レ机爲二食案一、其誤不レ昉二源君一也、
p.0119 つくゑ 机案をいふ、坏居(ツキスエ)の義、きす反く也、今專らに文机を稱せり、されど飮食の具を本とす、日本紀にも百机飮食を、もゝとりのつくゑものとよめり、古事記に、百取机代物に作る、儀式帳に、机代二百十前と見ゆ、式に切案、高案、大案など見えたり、源氏に、みぞのつくゑ、おき物のつくゑ、建武年中に、白木のつくゑなどいへり、
p.0119 一机〈天祿二記、大臣赤木、自餘黑柿、辨少納言黑柿、外記史米佐木榻足、○中略〉
公卿料〈永承記云、皆用二樣器一、承平記大臣以下牙像脚、外記史榻脚、〉
赤木〈在二金銅菱釘一、脚別廿〉〈首一方四長一方六〉〈承平六記、參木已上用二黑柿牙象机簀薦一、〉 長二尺六寸 弘一尺四寸四分 面白生絹 中倍用二美紙一〈○註略〉
辨少納言料〈承平六記、辨少納言用二支佐木一、無二簀薦一、以上用二樣器一云々、〉
黑柿〈在二金銅菱釘一脚別十二〉〈首一方三長一方四〉
寸法同 面同〈或黃絹、其時上官机押紙歟、〉 中倍同
已上打二金銅金物一〈長方六短方四〉
上官料〈承平六記、史外記用二支佐木榻足一用二土器一云々、康和記、外記史榻足朴木机、面押二白絹一、延久記、面黃絹、倚子足、永保三記、倚子足、〉
朴〈康平記云、倚子足、年々記注搨足、而工等先例稱作倚子足一之由候、大殿御氣色之處仰云、令レ作二倚子足一者、〉
寸法同 面黃絹〈或押レ紙〉 中倍同 無二金物一
p.0120 一懸盤以下莊嚴綵色等事
懸盤机各其體事〈○中略〉
机者面弘一尺餘、長二尺餘歟、其左右ノ端ニ置緣〈其體如二常文机一〉如二圍碁局一足四角立レ之、〈高九寸許歟〉大饗時納言赤木机、大辨等黑柿也、各面押二白生絹一、上官朴木机面押二黃生絹一也、
p.0120 赤木机
今本宮ノ饗ノ度、大膳職ヨリ調進スル所ノ赤木机ハ檜木ニテ造リ、蘇芳ヲ以テ塗ルナリ、〈蘇芳木闕如ノ故ナリ〉面ニハ小葵ノ裂ヲ押ス、〈或ハ生ノ平絹ナルモアリ〉然シテ其ノ常ノ文机ノ如シト云フモノニ合へリ、本文ニ(三中口傳ノ)又云、如二圍碁局一足四角立レ之ト云ヘルハ、別ノ製作ニヤ、〈今ノ世、其モノヽ如ハ見ルコトナシ、〉難レ考、
寬政六年七月註レ之 嘉樹
p.0120 給二蘇甘栗一事
同記〈○吏部王記〉天慶八年正月五日、詣二右相府〈○藤原實賴〉饗所一、寢殿西放出設二客座尊者座一、以二赤木机(○○○)四前一、參議已上以二黑柿机(○○○)三前一、〈對座〉辨少納言濱椿二前、西對東廂榻外設二史座一、机用二榻足一云々、〈○中略〉刑部卿源 淸遠朝臣就二一世座一、以二支佐木机(○○○○)一羞レ饌、主公勸坏云々、
p.0121 觀硯聖人在俗時値二盜人一語第十八
今昔、兒共摩行シ觀硯聖人ト云者有キ、其ガ若クシテ在俗也ケル時、〈○中略〉關山ノ邊ニシテ盜人ニ合ヌ、〈○中略〉觀硯殺ンズルニ非ザリケリ、此ハ何ニ爲事ゾト思廻スニ更ニ不二心得一、見バ庵ノ前ニ郎等共居並テ、爼五六許並テ、樣々ノ魚鳥ヲ造リ極ク經營ス、此主人ノ男早ク食物奉ラセヨト行ヘバ、郎等共手毎ニ取テ、目ノ上ニ捧ツヽ持來ヲ、主人寄テ取居ウ、黑柿ノ机ノ淸氣ナル二ツヲ立タリ、
p.0121 治安元年七月廿五日戊戌、今日任大臣〈太政大臣公季、左大臣賴通、關白右大臣僕、(藤原實資)内大臣敎通、大納言賴宗、能信、〉大饗於二小野宮一行之、〈○中略〉尊者赤木机各二脚、簀薦二枚、自餘簀薦机面白絹、主人机一脚不レ敷二簀薦一、弁少納言黑柿机不レ敷二簀薦一、古昔例尊者只用二赤木机一、以次上達部黑柿、弁少納言支佐木也、〈○中略〉納言已下前赤木机〈机面白絹〉一脚、簀薦、尊者及已下兼立レ机弁備、但不レ居レ飯、有レ儀先所レ立也、如二左相一、蓋是正曆例也、弁少納言座在二西庇一、南上東面、兩端錦疊、黑柿机〈机面黃絹〉不レ敷二簀薦一、机面等絹色依二正曆例一、天慶例弁少納言已上、尊者机面皆白絹、外記史机面黃絹云々、後案猶可レ依二天曆例一、正曆例不レ慥歟、計レ宜所レ行歟、外記吏座西對南庇、東上對、〈南北相對〉綠端疊、朴木榻足机(○○○○○)、机面押レ紙、〈天慶例机面赤絹可レ依二此例一○下略〉
p.0121 久安三年三月廿八日辛卯 入道殿御賀〈○藤原忠實七十賀〉雜事〈○中略〉
一御前物 沈地螺鈿机(○○○○○)六前〈二重織物松重五重打敷〉 銀器 盛二珠玉香藥一〈在二御酒盞御汁物一、沈折敷二赦、御銚子、○中略〉
一後宴日〈○中略〉 御賀御前物目錄〈右大將調レ之、但於レ玉者予(藤原賴長)送レ之令レ調、〉
沈螺鈿机六脚〈金緣塗物、平折四角打、〉 金物〈塗物、平折角足角入レ筋、塗物、足有二伏輪一、塗物玉總角、左、銀笠瑠璃、以塗二文松枝一、右、瑠璃心葉、立二四角一懸之、二重織物面、〉
p.0121 仁平二年正月廿六日壬戌、今日於二東三條一再行二大饗一、〈朱器初度〉戌日也、 廿七日癸亥、撤二尊者已下辨已上膳一、〈○中略〉 饗膳〈前一日辨二備之一○中略〉 侍從座前、立二濱椿机(○○○)六前一〈一行〉居レ饗、〈不二勸盃一、不レ著レ汁、仍無二役送人一、〉諸大夫座前、立二同机六前一、〈一行〉居レ饗〈不二勸盃一、不レ著レ汁、仍無二役送人一、〉尊者陪從座前、立二黑柿机十前一〈一行〉居レ饗、
p.0122 嘉禎二年六月九日〈○中略〉
立二主人机一居二肴物一
地下四位各一人舁二赤木机一脚一、〈面押二白絹一〉自二簀子一進レ東〈四位在レ後〉入二第四間一立二主人座乾方一、〈艮坤妻無二簀薦一〉
p.0122 天皇加二元服一事
當日早朝、所司設二御座於紫宸殿御帳之内南一、〈○中略〉又南廂之西第三間設二酒饌等一、〈設二白木八足机三前一、就中二前居二御酒具一、一前居二八足小机一、二前居二御酒肴類一、唐禮設二脯醢一、今代以二乾鯛鯛醬一、並用二陶器一、其上覆以二白細布一、小机敷レ布、〉
p.0122 十三日、故攝政入道殿御忌日事、〈宇治○中略〉
六僧前一前 四種物、深草、六寸盤、〈○中略〉
已上下家司所レ課、方尺切机、敷二布二尺一備レ之、
p.0122 一書曰、〈○中略〉月夜見尊受レ勅而降、已到二于保食神許一、保食神乃廻レ首嚮レ國、則自レ口出レ飯、又嚮レ海、則鰭廣鰭狹亦自レ口出、又嚮レ山、則毛麁毛柔亦自レ口出、夫品物悉備、貯二之百机一而(モヽトリノツクヘ)饗之、
p.0122 爾海神自出見云、此人者天津日高之御子虚空津日高矣、卽於レ内率入而、美智皮之疊敷二八重一、亦絁疊八重敷二其上一、坐二其上而具二百取机代物(モヽトリノツクへシロモノ)一爲二御饗一、
p.0122 一書曰、〈○中略〉皇孫〈○瓊々杵尊〉因謂二大山祇神一曰、吾見二汝之女子一欲二以爲一レ妻、於レ是大山祇神乃使二二女一〈○磐長姫、木花開耶姫、〉持二百机飮食(モヽトリノツクへモノ)一奉進、
p.0122 於レ是赤猪子以爲望レ命之間、已經二多年一、姿體瘦萎、更無レ所レ恃、然非レ顯二待情一、不レ忍二於悒一、而令レ持二百取之机代物(モヽトリノツクヘシロノモノ)一、參二出貢獻一、
p.0122 能登國歌三首 所聞多禰乃(カシマネノ)、机之島能(ツクエノシマノ)、小螺乎(シタヾヲ)、伊拾持來而(イヒロヒモチキテ)、石以(イシモチ)、都追伎破夫利(ツツキハフリ)、早川爾(ハヤカハニ)、洗濯(アラヒソヽギ)、辛鹽爾(カラシホニ)、古胡登毛美(コヽトモミ)、高杯爾盛(タカツキニモリ)、机爾立而(ツクエニタテヽ、)、母爾奉都也(ハヽニマツリツヤ)、目豆兒乃負(メヅコノトジ)、父爾獻都也(チヽニマツリツヤ)、身女兒乃負(ミメツコノトジ)、
p.0123 さてうちよりいととものまいる、〈○中略〉やつくゑいといかめしうはあらぬ、からのなまものなどして、よきうないどもかぎりなくさうぞかせてまいらす、
p.0123 ろくろしどもいで、ごきどもおなじものしてひく、つくゑたてヽ、ものくふ、わんすゑて、さけのみなどす、
p.0123 元永二年五月三十日、三夜御養産也、〈○中略〉南庭立二粥案一、〈當階東間附南頭〉廳官一人、〈衣冠〉案下案上桶一口、入レ粥立レ杓、
p.0123 食單 唐式云、鐵鍋食單各一、〈漢語抄云、食單、須古毛、〉
p.0123 凡左右京五畿内國調、一丁輸錢隨レ時增減、其畿内輸雜物者、〈○中略〉一丁食薦七枚、〈長六尺、廣二尺五寸、〉
p.0123 雜給料〈○中略〉
編食薦一枚、〈長六尺、廣三尺、〉料擇藺一尺五寸、生絲五銖、長功一人、中功一人半、短功一人大半、
穉蔣食薦一枚、〈長六尺、廣三尺、〉料穉蔣二尺、麻十三兩、長功半人、中功大半人、短功一人、
p.0123 だいきやうのこと
つくゑをたてゝきやうをばすふるなり、其つくゑのしたに、すごもといひて、みすのやうにあみて、しろきすゞしのきぬのうらつけて、まはりにしろきへりさしたるが、つくゑのひろさなるを、つくゑごとのしたにしくなり、
p.0123 一簀薦事
裏ハ白生絹、其下ニ敷二油單一候也、鯖口折トハ、繪樣獻レ之、裏ハ閉付候也、 一簀薦
如レ簾編レ竹、裏ニ著二白生絹一、〈○中略〉
一簧薦〈保安三、尊者前簀薦二枚、二卷敷二尊者前一、永久尊者陪膳取二簀薦三枚一敷、五位四人舁二机二脚一立レ之、大中納言參木陪膳、五位各取二簀薦數枚一敷レ之、又五位等舁レ机立レ之、宰相座手長二人、依二二行一也、〉裏白絹 無二中倍紙一 弘長如二机寸法一 左右赤糸各二雙 中五筋、白糸立樣編レ之、 公卿柱下許敷レ之、辨少納言上官等机下不レ敷レ之、
p.0124 一母屋大饗
永久四年正月廿三日、内大臣殿〈○藤原忠通〉母屋大饗、寢殿指圖、東三條殿、〈○中略〉
机下ニハ簀薦敷レ之 簀薦ト云ハ、竹ヲ御簾ノ樣ニ編テ、白生平絹付レ裏也、弘長机定也、
p.0124 油單 唐式云、鴻臚蕃客等器皿油單及雜物並令二少府 支造一、
p.0124 ないらんのいゑに、もやのだいきやうを、すきのだい饗となづけてせらるゝ事あり、〈○中略〉大ばんのばちあしのしたにわたりて、くにのきぬをゆたん(○○○)にしたるをつけて、大ばんごとのあしのしたにしきまはしたり、うしとらのすみよりはじめてしくなり、このゆたんのすみをば、すびつのすみのやうに、すちかへてさばぐちにをるなり、それはかうけのいゑにする事なり、人のする事なれども、おりやうならひたるにあしからず、
p.0124 一油單
面生うす〳〵と靑歟、裏は練候也、雨皮體也、
p.0124 仁平二年正月廿六日壬戌、今日於二東三條一再行二大饗一〈朱器初度〉戌日也、〈○中略〉平旦、散位高階泰兼朝臣〈正四位下、衣冠靑鈍奴袴、〉來、折二油單一、〈四角、有二鯖口一、具見二饗饌篇一、〉辰刻許折了退出、〈泰兼、年來有二所勞一籠居、而依二禪閤(藤原忠實)仰一、扶レ病參入、仍大饗之間不參、唯爲レ折二油單一所參也、〉
廿七日癸亥、撤二尊者已下辨已上膳一、〈○中略〉 饗膳〈前一日辨備之〉 尊者兩座前、〈左大臣雖レ不レ來備レ饌〉各立二朱漆三尺臺 盤二脚一、〈○註略〉前別臺盤下、廻二敷油單絹(○○○)一、〈二脚副二一鋪一、四角折二鯖口一、○中略〉納言參議座前立二朱漆四尺臺盤十一脚一、〈二行別六脚〉其下敷二油單一、〈以二一鋪一廻二十二脚下、四角折鯖口之上一、油單、上客料理所獻之、○中略〉非參議大辨座前、立二朱漆四尺臺盤一脚一、〈無二油單一○下略〉
p.0125 大槃 唐式云、大槃、本朝式云、朱漆臺盤、黑漆臺盤、
p.0125 臺盤(ダイバン)〈載二食椀一之臺、支那所レ謂大槃也、〉
p.0125 大槃タイハン 倭名抄に、唐式の大槃は、本朝式にいふ朱漆臺槃、黑漆臺槃也と註せり、卽今の臺盤是也、大山津見神、其二女して、百取机代之物を持しめて、皇孫の尊に參らせしと見えし机といふもの、此物の始とぞ見えたる、南北史等に、我國の人、食に盤爼なしと見えしは、いかに傳へ謬りたりけん、覺束なき事なり、
p.0125 だいばん 臺盤は今寺院に用る飯臺の如し、小臺盤あり、長臺盤あり、ひらの御盤は丸盆の如き物也、薩州に飯をいへり、和名抄に、唐式の大槃を併注せり、
p.0125 朱漆器
臺盤一面、〈長八尺、廣三尺三寸三分、〉料漆一斗一升二合、朱沙一斤四兩、帛四尺、綿三斤十二兩、貲布二丈、調布六尺、掃墨二升、油二合、小麥一升、靑砥、伊豫砥一、〈其數隨レ用、下條不顯二顆數一者亦准レ此、〉炭一石、長功卅八人、中功卌四人、短功五十人、
臺盤一面、〈長四尺、廣三尺二寸五分、〉料漆五升六合、朱沙十兩、帛二尺、綿二斤、貲布一丈、調布三尺、掃墨一升、油一合、小麥五合、靑砥、伊豫砥、炭五斗、長功十九人、中功廿二人、短功廿五人、
八尺臺盤臺一脚、〈長七尺六寸、廣二尺五寸七分、高一尺五寸五分、〉料漆五升、絹一尺五寸、布二尺、綿一斤十兩、掃墨一升、油二合、細布五尺、〈黏料〉伊豫砥、靑砥各小半顆、炭五斗、單功廿五人、
四尺臺盤臺一脚、〈長三尺二寸、廣二尺三寸、高一尺五寸五分、〉料漆二升五合、絹布各一尺、綿十三兩、掃墨五合、油一合、細布三尺、〈黏料〉伊豫砥、靑砥各小半顆、炭二斗五升、單功十三人、〈○中略〉 賀茂初齋院幷野宮裝束
朱漆臺盤三面、〈各三尺、加レ臺、〉料漆九升、朱砂卅兩、掃墨三升、油五合、燒土五升、綿三屯、絹七尺、細布一丈二尺、信濃布一丈二尺、調布一丈五尺、伊豫砥一顆、靑砥二枚、阿膠十兩、炭一斛、單功廿五人、
p.0126 治承三年十一月廿八日壬午、今日造二始隨身所大盤一云々、依二吉日一也、細工所作レ之也、
p.0126 文政元年大嘗會御下行一件武邊往復紙面寫留
此度大嘗會本文御屛風御下行帳之内、臺盤四脚新造三拾石貳斗四升有レ之候處、天明度ニ者臺盤新造修復貳拾石と有レ之候、右者何故不レ殘新造相成候哉、且新造一脚ニ付、御下行米何程と申極り有レ之候哉、承知仕度奉レ存候〈○下略〉
p.0126 齋王定畢所レ請雜物
膳器 三尺朱漆臺盤(○○○○)三前〈加レ臺〉
p.0126 供御料雜器
朱漆臺盤四面〈二面尋常料二面節會料〉 黑漆臺盤(○○○○)二面潔齋料
p.0126 臣家大饗
藤氏一大臣大饗、用二朱器臺盤一、
p.0126 元日宴會
御帳内御座南立二朱御臺盤一脚一、〈○中略〉其上雙二立朱御臺盤二脚一、〈○中略〉設二侍從諸大夫床子幷黑漆臺盤一各立二二行一、辨二備饗饌一、
p.0126 七日節會裝束
其前立二朱臺盤五脚一、辨二備饗饌一、近例立二四尺四脚八尺一脚一、西第一臺盤、大臣並親王料、第二三四納言料、八尺參議料、
p.0127 天曆四年閏五月五日、此日自二中宮一給二産餉一、〈○中略〉有一男女房饗一、各用二朱臺盤一、
p.0127 元永二年十月廿一日、巳刻着二束帶一行二向二位經營所一、〈上皇御所大炊殿○藤原公實女嫁二源右仁一、中略、〉實行通季等卿、顯隆朝臣所々令レ立二調度一、〈○中略〉車宿西妻立二黑漆臺盤一脚一爲二隨身所一、〈不レ懸二垂布一、是暫居所也、〉同東妻爲二雜色所一、立二黑漆臺盤一、懸二紺垂布一、〈須レ懸二白布一也、而依レ可レ爲三隨身所一懸レ紺也、今度許可レ爲二雜色所一也云々、〉
p.0127 康和三年十月二日、今日院御賀定云々、〈○白河五十賀、中略、〉定文云、院御賀事、 一御膳〈御臺盤二脚蒔繪(○○)、銀器、〉
p.0127 治承三年正月六日乙丑、今日東宮〈○安德〉御五十日也、〈○中略〉所々居レ饗、内殿上垸飯、〈○註略〉飯廿坏、〈盛二樣器臺盤(○○○○)三脚一緣居レ之〉〈奧十坏端十坏〉
p.0127 小臺盤(コダイハン/○○○)〈兩面杷、切臺盤(○○○)、長臺盤(○○○)、〉
p.0127 供御藥
後取飮畢以レ坏出二於殿上一、置二於小臺盤下一、或置二於侍臣臺盤上一、〈○下略〉
p.0127 列見〈二月十一日〉
弁少納言着〈西上北面、非參議大辨絶席小臺盤、〉
p.0127 朝夕御膳事
殿上臺盤侍臣以下行之、上古公卿着二小臺盤一、〈用二土器一〉近代不レ然、匡房記云、其頃猶希有事也云々、
p.0127 久安三年十二月十二日壬寅、今日天子〈○近衞〉始讀二御注孝經一、〈○中略〉攝政〈○藤原忠通〉來レ自二上戸一著二圓座一、〈當二小大盤一〉爰予〈○藤原賴長〉退著二長大盤上頭一、〈依二父子禮一也〉攝政示下可レ著二小大盤一之由上、予辭不レ著、宗輔伊通參議淸隆卿著二此饗一、
p.0127 正治二年正月十七日、着二束帶一參二大内一、〈○中略〉日入以後、皇后宮權大夫參入、直着二幄座一、〈南座北面〉各進二出幄邊一、右衞門督入レ自レ北着二北座一、〈南面〉立二臺盤二脚一、上卿前小臺盤也、宰相弁少納言前長臺盤、〈各有レ饗〉
p.0127 殿上 臺盤三脚〈切臺盤(○○○)大臣〉
p.0128 切臺盤 きりだいはん
長きをば、長臺盤とも云ひ、小きをば、小臺盤とも云ふが如く、これは長きを中より二ツに切たるさまなればいふ、切妻戸きりめどうなどいへる類ひなり、これは壹人前の物載るばんなり、
p.0128 頭〈○藏人頭〉切臺盤につきたれば、つぎ〳〵の人下の戸に出、せいえきして頭のきそくにしたがひて、次第におくはしにつく、
p.0128 淸凉殿
後ノ方ハ、切臺盤ツキ八尺二脚也、
p.0128 立二調度一例事
永久三年七月廿一日戊子、關白右大臣殿〈○藤原忠實〉移二御東三條一、母屋庇御簾、〈○中略〉雜事等、如二以前古指圖一也、〈○中略〉
撥足脚臺盤(○○○○○)二脚、但足脚別四本二所ニ付レ之、
p.0128 八日〈○正月〉賜二女王祿一式〈十一月同〉
立二臺盤一置二銀筯匙一〈但饌各用二私物一○下略〉
p.0128 正月七日儀
勅使及客徒就二承歡堂一〈勅使對二大使一、客徒東面北上、其勅使大使者、熊羆皮上施二床子幷臺盤一、毯上施二酒器一、〉
p.0128 人給料
臺盤七基〈八尺一基、四尺六基、〉
p.0128 天皇奉二賀上皇御算一事
獻物之間供二上皇御膳一、辨二備御臺盤二基一、安二置御前一也、
p.0129 朝夕御膳事
殿上臺盤侍臣以下行之、上古公卿著二小臺盤一〈用二土器一〉近代不レ然、匡房記云、其頃猶希有事也云々、
主上著二倚子一御二覽臺盤一、近代絶畢、其時主殿司退、藏人居レ物也、倚子寄二臺盤上程一、凡出二御殿上一作法也、
p.0129 陪膳の人殿上にたちて、まづ手水をめす、頭はくら人これをかく、殿上人は主殿司かくる也、わた殿にたてたる臺盡を、だいながら二人してかきて、大床子のまへによこざまにすへたり、ばとう盤あり、次々の藏人二人、この御だいばんをかきて、一の御だいの南にたてざまにすふ、
p.0129 ないらんのいゑに、もやのだいきやうをすきのだい饗となづけてせらるゝ事あり、みさうぞくのてい、つねのもやのにおなじ事なり、そむざ以下の上達部に、ちいさき大ばんをすへて、がうしのやう〳〵なるにてきやうをすふるなり、だいばんのていそんざもおなじ、たゞしよこざの大納言已下はむかひざなり、大ばんはふたつをなかをすかさずをしあはせて、きやうをすふるなり、その臺盤のをしあはせたるなかにわたりて、ふちのうへにくだものをすふるを、なかすみ物といふなり、
p.0129 をとこども五十人ばかり、なみいてだいばむたてゝものくふ、
p.0129 わづらはしきことまされば、所せくつどひし馬車のかたもなく、さびしきに、世はうき物なりけりとおぼししらる、だいばんなどもかたへはちりばみて、たゝみ所々ひきかへしたり、
p.0129 おはしまし所をみるにつけても、殿上人もなくなりもてゆく、大盤もちりつもり、〈○下略〉
p.0129 大臣家大饗
藤氏一大臣 藤氏一大臣者、謂二氏長者一也、用二朱器臺盤一、此朱器等者、閑院左大臣冬嗣公御物、在二勸學 院一、關白初任之時渡之、正月大饗用二此器一也、
p.0130 久安六年九月廿六日己亥、禪閤〈○藤庫忠實〉曰、攝政〈○忠實子忠通〉於レ我不孝、〈○中略〉是以將レ絶二父子之義一、攝政者天子所授、我不レ得レ奪之、氏長者我所レ讓、無レ有二勅宣一、然則取二長者官一授レ爾、何有レ所二怖憚一矣、余〈○忠通弟賴長〉且諫且辭、禪閤不レ聽、卽召二仲行、賴賢、仲賢等一、仰下可レ取二出長者官渡左劵、朱器臺盤權衡笋之由上、〈○中略〉戌時、有成朝臣持二來朱器等一、授レ祿謝之、
p.0130 正應二年四月廿一日庚申、酉刻着二楚々束帶一、參二關白殿一、御拜賀事〈○藤原家基爲二藤氏長者一〉爲二申沙汰一也、〈○中略〉自二前長者一〈○藤原師忠〉被レ渡二朱器臺盤一、家司不二相副一、〈下家司許也〉
p.0130 檈 四聲字苑云、檈〈似泉反、與レ旋同、今案俗云臺是、〉圓案也、
p.0130 按、舊唐書五行志云、俗名レ盤爲レ臺、然則臺非三特國俗所二呼爲一爾、又按、依二圓案之注一、則知今俗呼二高杯一者蓋是、
p.0130 臺
臺といふ物のすがた知りたるは、古き年中行事の御齋會の卷に、衆僧に布施賜はる所は、淸凉殿の修法との間に、廊のやうなるがうちに、疊を向ふざまに敷て、著座したる前に、おほきなる朱漆の高坏の上のたひらけきにて、饗をすへわたしたるさまをかきたるに、江家次第をみれば、御齋會の條に、公卿著二右近陣座一、〈東西對坐、親王等西、〉陣官居二肴物一〈用二府圓臺一〉とあり、さは彼廊のさましたるは、右近の陣の座にて、おほきなる高坏は圓臺也けり、げにさればこそ臺をかぞふるには、何本とはいふなり、さて圓臺とあるは、臺てふ物は丸きにはかぎらねば也、春日驗記の繪にも、折敷高坏のさましておほきなる、うちは赤く外は黑きに、坏してあはせなど居あるあり、傍にそれがまたもすゑつけてあるを、うちかたむけて、ふきのごふかたなどかきたり、うちかたむけ、ふきのごふさまをもておもへば、上の折敷のやうなるは、それにもあらで、高坏の上をひろらかに、方に作りたるなりけ り、されば是も臺なり、かゝる臺もあればこそ、圓臺の名も有也けり、雅亮裝束抄の中に、小饗は高坏にて居るなり、此高坏の居やう、一人の前に三本なり、それを向ふざまに居れば、六本が差合て居らるゝ也とあるなり、此高坏の上丸やうならば、六本が差合てなどかくべうもあらずかし、さは是も方なる臺なるべし、雜要抄、關白右大臣殿、東三條に移御の御前の物の圖を見れば、是は彼圓臺なるべし、方なるをも圓なるをも、意にまかせ用ひたるにや、又高坏とも臺とも何れをもかよはしてよぶ也けり、
p.0131 陪膳事
右府〈○藤原實資〉命云、公卿陪膳時、以二御臺一雙一供二大床子上一、不レ用二御臺盤一、是故殿〈小野宮○藤原實賴〉敎命也云々、
p.0131 射場始〈幼主猶着二直衣一給〉
二度射 供二御膳一〈○註略〉 一御臺〈有二御箸臺、箸等一、六位持二來於無名門下一、頭傳取居レ西、〉 二御臺〈不二警蹕一、五位藏人取之、〉
p.0131 一貴賤饗應事
色目事
御臺四本 一本〈御飯無レ蓋、可レ用二銀器臺木箸一雙一也、〉菜七種〈荒菜高盛也〉御箸〈耳土器木箸一雙〉 一本〈比目菜八種 箸臺耳土器、酢鹽各一口、可レ用二土器一、〉 一本〈汁菜八種、土器可レ用之、〉 一本〈菓子八種、土器可レ用之、○中略〉
臺三本 一本〈飯 菜八種箸臺〉 一本〈汁菜八種〉 一本〈菓子八種〉
p.0131 おとなばらはさうぞくしたり、物まいるだい四して、もからぎぬきたる人まかなひす、〈○下略〉
p.0131 かくて物まいらせ給、まかなひは左衞門督つかうまつり給、とりつぎ給事は二位中將三位中將などせさせ給、御だいまいりてのほどに、大とのいでさせ給て、うるはしき御よそひにて、御かはらけ參らせ給ほど、いへばをろかにめでたし、
p.0132 大殿〈○藤原師實〉のふしみへおはしましたりける、〈○中略〉修理のかみ〈○藤原俊房〉たちいでてかへりまゐりて、あるじして、きこしめさすべきやうはべらざる也、御だいなどのあたらしきも、かく御らんずる、山のあなたのくらに、おきこめて侍れば、びんなくとりいづべきやうはべらず、あらはにはべるは、みな人のもちゐたるよし申ければ、なにのはばかりかあらん、ただとりいだせとおほせられければ、〈○下略〉
p.0132 一宇治平等院御幸御膳〈元永元年九月廿四日、大殿被レ下御日記定、〉
御臺二本〈面赤繪文錦被レ押在二伏輪一、裏ニ塗二金靑一天書二菊紅葉一同貝、又蝶小烏平貝居レ之、〉
p.0132 繪三方
臺の表とは今いふ内なり、うらとは今いふ外なり、〈○下略〉
p.0132 一仁和寺殿競馬行幸御膳幷御遊酒肴事〈保延三年九月廿三日、伊豫守忠隆奉行、〉
御膳 御臺二本 大盤二枚 中盤一枚
已上紫檀地、菊螺鈿、被二鶴松蒔摺一レ之、在二伏輪一、
p.0132 繪三方
案ずるに、此御臺は裏に菊を螺鈿にて摺りて、表には螺鈿に蒔繪まぜて、松鶴をつけられたるなめり、
p.0132 治承三年正月六日乙丑、今日東宮〈○安德〉御五十日也、〈○中略〉供御前物、〈御臺六本、蒔繪松鶴(○○○○)置二金銅布知一、無二御飯一御盤一枚居二銀垸一口一、入二漿煎一、〉〈ニイノサレオモユ也〉
p.0132 建久六年十月七日戊午、今日今上〈○後烏羽〉第一皇女〈○昇子〉御五十日也、〈○中略〉申刻諸卿參集之後、殿下〈○藤原兼實〉出二御賓筵一、〈○中略〉被レ催二皇女御前物一、卽供之、〈○中略〉役送殿上四五位、取二御臺一參進〈蒔繪小臺(○○○○)、銀器等悉可レ尋、〉傳之、〈○中略〉 姫宮御前物〈太政大臣調進〉 打敷〈裏濃蘇芳浮織物〉 御臺六本
p.0133 承久二年十一月五日辛卯、此日皇太子〈懷成(仲恭)三歲〉御著袴也、〈○中略〉被レ奉二御膳具一、〈御著袴了可レ供二御膳具一也、代々自二内裏一被レ進之流例也、○中略〉 御臺六本〈面朱漆不レ蒔レ之、正治例也、代代多蒔二鶴松一、今度有レ儀如レ之、〉
p.0133 食床 方言要目云、食床、〈盛レ食長床也〉
p.0133 仁平二年正月廿六日壬戌、今日於二東三條一再行二大饗一、〈朱器初度〉戌日也、 廿七日癸亥、撤二尊者已下辨已上膳一、〈○中略〉
饗膳〈前一日辨二備之一○中略〉 同〈○尊者〉車副牛飼座居レ饗〈車副座用レ机、本家車副役送、牛飼座用二食床一、本家公納役送、〉
p.0133 懸盤(ハン)
p.0133 人のいへにつき〴〵しき物 かけばん
p.0133 懸盤、〈○中略〉鐵輪以下進二注文一、悉以借預者、可レ進二使者一也、
p.0133 類聚雜要抄に、盤の數を七枚と云るが如く、盤を多く用る時は、臺も多く用ふべき事、雜要抄の圖の樣にてしるべし、臺一に盤一を置て、其上に窪一を居ればなり、然るに臺大きくて盤は別に無く、直に窪抔を多く居れば、多の臺を用ひず、其臺やがて盤の用をもかくる意なるによりて、其を懸盤と云へるなり、其臺と盤との二用をかけたる義にて付し名なり、延喜木工寮式には、懸案といへるがありて、そは分書に長五尺八寸、廣一尺八寸、高二尺五寸、左右著レ朸長各八尺といへり、是懸盤の本の名なり、世の常の物食ふつくゑにくらぶれば、いと大くて、數箇の用を一にてかけたれば、然はいへるなり、また官名の兼官なるを、云々の云々をかけたると云ふ言づかひ、假字とも、に見えたり、それと同じくて、臺の用をもかけたる盤なれば、かけ盤といふなり、
p.0133 懸盤口口鶴松褶貝
囗御産御膳用二榎木一、螺鈿白金物、面弘横一尺一寸八分、面竪一尺五分、厚三分、〈裏下端丸樣可レ削之〉 紫檀地螺鈿金銅布持、〈高二分餘、自二布持一外一分半許也、〉面押織物同折敷、〈但小文〉
四角立二心葉松一垂二總角一、毎レ末付二玉蘂一、〈○下略〉
p.0134 一打敷間事
打敷與二懸盤面一同色
必同色也、松重蘇芳白萌黃、裏疑冬等打敷常事也、其面色押二懸盤面一、
一懸盤以下莊嚴綵色等事
懸盤机各其體事
懸盤者如二高坏面一有二四方緣一、其面押二織物一也、裏幷足沈地摺貝、〈松鶴〉足者各別也、四角ニ立レ緣テ上下ニ 有二横緣一、四方ニ牙象ヲ彫也、足ノ四角ノ内ニ合テ、面ノ下裏ニ保曾ヲ付テ居レ之也、紫檀地花杏地 作レ之、〈○中略〉
懸盤面押物事
打敷被レ用二織物一者、可レ押二同者一、織物
綵色懸盤面用二唐物一事
依レ爲二卒爾一用レ之、又不レ可レ有二其難一、
懸盤綵色事〈付以レ足稱レ臺事〉
面綵色事總無レ之、必押レ面之故也、面四方緣幷足、綵二色之一可レ畫二松鶴一也、
面與レ足各別、仍稱レ臺、
綵色折敷事〈○中略〉
懸盤裏モ折敷面裏モ同色ニ雖レ可二綵色一、只裏ヲバ共ニ塗二胡粉一、〈○中略〉
懸盤裏足螺鈿事 足ト同樣、沈紫檀等ヲ伏テ摺レ貝之時、折敷面ヲモ沈紫檀ヲ伏テ摺レ貝也、
同綵色樣事
四角ニ立緣ニ、紺靑四面牙象、幷上下ノ緣ニ綠靑、如レ此可レ塗也、
p.0135 一掛盤之事
これは作り木にする、塗器の最上とするなり、〈○中略〉梨子地蒔繪紋ぢらし、梨子地紋ぢらし、黑塗まきへ紋ぢらし、黑塗絞ぢらし、黑塗いつかけ等あるべし、但し内はいづれも朱塗あり、是は常の器なれば、精進には朱塗を除べし、古法は上のはなれるよふにしたるもの也、當時はつくり付也、
p.0135 四方三方
掛盤も今やうは、泔坏の臺の足のさまにもうけたるすがたなれど、古くは板に穴をゑりたるにてありけるにや、古き年中行事の朝覲の行幸の供御の掛盤、鳥羽僧正のかゝれたる、卷物の繪にあなる掛盤、みな此定めなり、〈○中略〉いかさまにも板に穴をゑりて、其殘れるかたちを足のやうにおもはするはひが事なり、
p.0135 膳
懸盤〈○圖略〉貴人專用レ之、精製ハ外梨子地金蒔繪、或ハ内外トモ爲レ之歟、粗ナルハ黑漆等也、
p.0135 夜に入ぬれば、あるじの院がたも、まらうどの上達部たちも、みな御前にて、御あるじのことさうじ物にて、うるはしからず、なまめかしくせさせ給へり、院の御まへにせんかうのかけばん(○○○○○○○○○)に、御はちなど、昔にかはりてまいるを、人々涙をしのごひ給、
p.0135 建久六年十月七日戊午、今日今上〈○後鳥羽〉第一皇女〈○昇子〉御五十日也、〈○中略〉母后〈○藤原任子〉仰前物〈予調進〉
打敷〈松重浮織物文鶴丸〉 懸盤六脚〈須レ用二沈木(○○)一、但近代件物難レ得、仍用二榎木(○○)一、有二螺鈿(○○○)一〉〈松鶴〉〈面白龜甲浮織物總白組、〉
p.0136 建仁三年十一月廿三日丁亥、今日於二上皇〈○後鳥羽〉二條御所一、被レ賀二入道正三位釋阿〈○藤原俊成〉九十算一、〈○中略〉供二上皇御膳一、陪膳源大納言〈通資〉役送公信朝臣以下、殿上四位、白地錦打敷、〈榎木螺鈿懸盤六脚、御飯以下皆盛レ玉、〉
p.0136 懸盤
平生朝夕膳、諸家可レ用二此盤一事候、雖レ然各依二無沙汰一不レ用候、當所受用物者、一日晴ニテ號二檜懸盤(○○○)一候、打捨云々、再往不レ可レ用之器候、
p.0136 寬永三年九月行幸ノ日
主上御膳、黃金白銀製調、
晴ノ御膳
御掛盤六箇〈大小ナシ、白銀(○○)ヲ以テ製ス、○中略〉
御内々ノ御膳
御掛盤三箇〈一二三黃金(○○)ヲ以テ製ス〉
p.0136 一同年〈○寬永十六年〉ニ江戸大火、此時御城回祿ス、御城御普請出來シテ、御移徙ノ時、御一門及ビ諸大名衆ヨリ獻上物ノ品々、〈○中略〉
一銀御懸盤 一通 森内記長繼
p.0136 攝政關白家子書始
居レ饌公卿朱漆高坏、攝政料四本、大臣三本、〈一本菓子立レ後〉納言以下二本、殿上人懸盤兼居レ之、
p.0136 一貴賤饗應事
綵色懸盤六脚〈面織物〉
本數不レ可レ過二六本一 一脚〈御飯銀器御箸有レ臺〉 一脚〈四種高盛御菜〉 一脚〈御比目菜〉 一脚〈平盛汁物御菜〉 一脚〈同前〉 一脚〈御菓子〉
已上盛二銀平盞一
p.0137 殿中從二正月一十二月迄御對面御祝已下之事
一御祝〈○年始〉はてゝ朝供御參候、〈○中略〉丸桶とて、口一尺四五寸計なる鉢を、赤漆にぬりたるに、あさぎのすゞしの絹にてはりたるふたをして、持て參て御かけばんにならべ申候、常は御懸盤にて參候、御臺樣も同前に仕候、御精進の時は、あしの付たる折敷にてきこしめし候、御かけばんは〈○御かけばんは、原書作二御はんにて候一、據二一本一改、〉いづれも外をせいしつにぬり、内をば光明朱にてぬられたるにて候、
p.0137 あきのぶの朝臣のいへあり、そこもやがて見んといひて、車よせておりぬ、〈○中略〉からゑにあるやうなるかけばんなどして物くはせたるを、見いるゝ人なければ、家あるじいとわろくひなびたり、
p.0137 萬壽四年四月五日乙亥、余〈○藤原實資〉參二東宮一、若宮〈○後冷泉〉著袴日也、〈○中略〉余先著座、内大臣已下相從、居二衝重一盃酒一兩巡、次供二御膳一、〈懸盤六本、淺香歟、○下略〉
p.0137 かくて御もとにまいる人々、すこしもかたくなしきは、えりすてさせ給、おはしましていらせ給へば、〈○中略〉殿上人の座には、懸盤の物ども、いみじうしすへたり、
p.0137 れいの樣にはあらで、御懸盤のおもてを、うみのこゝちにして、山のやうにすはまのかたにつくりて、さま〴〵のものどもをもりたり、
p.0137 仁安三年七月十日己巳、今夕於二院殿上一有二朝覲行幸定一、〈○中略〉 定 行幸雜事
一御前物 攝政〈申二職人一了〉 懸盤六脚〈紫檀地在二打敷一〉 行事重家朝臣
p.0137 承久二年十一月五日辛卯、此日皇太子〈懷成(仲恭)三歲〉御著袴日也、〈○中略〉供二上皇〈○後鳥羽〉御膳一、予〈○藤原道家〉調 進之、〈○中略〉
懸盤六脚〈作螺鈿、四角有二心葉組三一垂之、其末有レ露、盤面押二打敷切一、〉
一脚〈御飯在二蓋盤一〉 一脚〈四重坏四口、馬頭盤、御箸二雙、〉〈銀一木一〉〈匕ニ枚、〉 一脚〈窪器四口〉 一脚〈菓子四坏〉 一脚〈干物四坏〉 一脚〈生物四坏〉
p.0138 太閤〈○豐臣秀吉〉東照宮〈○德川家康〉を饗禮有しに、かけ盤を始め器不レ殘葵の御紋を蒔繪にし、誠に美を盡したる次第なりしを、〈○下略〉
p.0138 堀越後守忠俊後室
後室王臈達へ悟サレケルハ、〈○中略〉掛盤ニ向ヒテ物參ルニ、カシコマリテハ居ヌ者ゾ、掛盤ノ料ハ古代ノ法式有也、〈○下略〉
p.0138 膳
p.0138 膳(ゼン)〈漢書註、熟食曰レ饗、具食曰レ膳、今按本朝俗以二食盤一爲レ膳者謬、〉
p.0138 ぜん 膳は字書に具食也と注せり、西土に槃といへり、よて靈異記に饍をよきくらひものとよめり、飾饍訓同じ、三本立の御膳六本立の御膳などもみゆ、
p.0138 椀折敷〈○中略〉 臺盤謂レ膳、或謂二折敷一、元折レ板而敷レ之居二椀具一、故謂二折敷一、
p.0138 食机(おしき) 食案 行床
倭名抄云、行床者食床屬也、
按、今俗云二折敷一者、乃御食机(ヲシキ)矣、蓋御者天子推尊之詞、而婢女不レ論二貴賤一、動則用二御字一、庶民衣服稱二御 衣(ヲンソ)一、屎桶名二御厠(ヲカハ)一之類可レ笑、而今呼二食机一爲二折敷一、又稱レ膳者甚誤也、膳者飮食兼備總名也、
食机之形有二數品一、金森宗和、雪齋、小堀遠江守等、皆善二茶道一、各好巧(モノスキ)異レ形、而蝶足、銀杏足、猫足、宗和足 不二勝計一、其漆髤色正黑者名レ眞、和二朱或辰砂一名二皆朱(カイシユ)一、同用二榜葛剌(ベンガラ)朱一者色不二鮮明一、用二倭土朱一者又次レ之、 和二藍靛一者名二靑漆(セイシツ)一、〈萌葱色也〉朱帶二黑色一者名二䰍朱(ウルミ)一、下髤二雌黃一上引レ漆者〈黃微赤色〉名二春慶一、
p.0139 器皿
室中皆席レ地坐、無二椅桌之用一、飮食諸具、皆低小以便レ用、其與二中土一異レ製者、圖レ之如レ左、〈○圖略〉
槃
凡飮食置レ碗之具、如二古爼豆一、槃器或方或圓、皆著レ脚、高五六寸許、食羅二數具於前一、
p.0139 一規式の膳部には、白木(○○)を用ひ、何をも土器に盛る事は、是一度切に用ひて、用ひ終て後打こはし捨て、それを二度用まじき故也、〈○中略〉後世に至りて白木の膳土器などを、金銀のはくにてだみ、彩色などをするは、おごりにして、白木土器を用る本意を取うしなひたる者也、
p.0139 享保十四年二月二十六日、大德寺龍光院へ渡御、 會席 御膳〈木地ノ杉(○○○○)、唐胡桃足、〉
p.0139 寬文三卯年九月
振舞膳部之覺
一御鷹之鳥拜領披之時老中於二招請一は檜之木具(○○○○)盃臺三迄は不レ苦、〈○中略〉常々振舞には可レ爲二塗膳(○○)一、向詰は無用事、〈○中略〉
九月
p.0139 古朴
邊國にても城下町家などは、都の風にも押移るものなるに、薩摩などは格別の遠國故にや、城下にも猶古風殘れり、〈○中略〉膳も宗和などいふ膳は一ツも見えず、皆二枚脚の木具(○○○○○○)なり、
p.0139 膳
今世木具膳(○○○)〈○圖略〉多クハ春慶ヌリ也、粗製ナレドモ貴人ニ用レ之、
p.0139 貞德文集に、雜餉之獻立、委細御書候て給候云々、就レ其椀折敷二十人前新ニ用意仕置候、但椀は朽木五器木具金箔押可レ然候哉、洛陽集に、〈目悦〉花に呼ぬ主の杣や朽木盆などみゆ、朽木(○○) の膳具(○○○)も古きもの也、金箔押の木具も、今は神に供する物とのみおもへり、
p.0140 一微妙公〈○前田利常〉或時内藤外記殿へ御咄に、手前隱居之身にて、毎日木具にて喰致候事、奢之儀と存、塗膳部(○○○)に可レ仕と申付て、二日三日たべ候得共、むさき樣にて、其後又木具にてたべ申候、過分之事に候へ共、責て是程の事はと、如レ斯と御咄の由、藤田内藏允殿咄承り候、
p.0140 出女説 木導
やがて衣引かづき、再寢(マタネ)の夢のさめ時は、腹の減期(ヘルゴ)を相圖とおもへり、高足打の塗膳(○○)にすはりながら、通りの馬士に言葉をかはす、〈○下略〉
p.0140 享保十年霜月十日晝、深諦院殿御茶ニ召サル、〈○中略〉 御會席〈膳シユンケイノ糸目(○○○○○○○○)、フチウラタメヌリノ黑、椀クロ、〉
p.0140 早天から借屋を見廻る俳人の宿這入
傍から四人が合槌うつひやうしにて、しからば惚朱のかた地(○○○○○○)にして、膳椀貳十人前、〈○中略〉しなじな明日御みせ下され、〈○下略〉
p.0140 吉原百膳
吉原百膳とは、いはゆる二の膳もそはりて二百膳あり、こと〴〵く春正蒔繪(○○○○)にて、下繪は狩野氏〈養卜法眼ト云〉の筆也、おの〳〵十人前づゝ持傳へて、ことゝあるをりからは、いづれの家にも持出て、用ゐしならひ也しかば、いつとなく吉原百膳とぞいひならしける、
p.0140 懸盤(かけばん) 螺足(ちやうあし/○○) 臺膳(だいのぜん/○○)
p.0140 蝶足の膳は、明曆万治のころの草子の繪に、菓物などを盛る圖あり、その時代の折敷なるべし、今の蝶足に較れば、足低く先尖りたり、按るに、これけそくの類也、足の形、蝶花形に似たれば、花足にむかへて、蝶足といふなるべし、
p.0140 膳 蝶足膳〈○圖略〉必ラズ外黑内朱也、此ゴトク高キハ女用也、然モ男用ハ蝶足ト云ザル歟、祝膳トモ云也、民間婚姻總客ニハ宗和ヲ用ヒ、新夫婦ニハ用レ之也、
京坂ハ正月必ラズ用レ之、平日用レ之者稀也、江戸ハ平日朝用レ之、午食夕食ニハ他ヲ用フ、此膳ニハ諸椀モ内朱外黑ヲ用ヒ、三都トモ然リ、江戸午食夕食ニハ茶碗也、
男用似レ之テ低キコト大略半也、故男女一組トスルハ高低ヲ本トス、
p.0141 猫足膳(○○○)
本膳 鏡板厚三分五厘、長一尺三寸七分、巾一尺三寸三分、緣高八分、足高七寸、
二膳 鏡板厚三分五厘、長一尺二寸一分、巾一尺一寸八分、緣高七分、足高六寸三分五厘、
三膳 鏡板厚三分、長一尺五分五厘、巾一尺、緣高六分五厘、足高五寸五分、
p.0141 膳
中足膳(○○○)〈○圖略〉 京坂俗或ハ猫足膳ト云、ネコノアシニ形似タル故也、略式ニ用レ之、專ラ黑漆也、
p.0141 一板足(○○)の事
足打のすかしなく、婚禮に用ゆるは大サ三方に准ずべし、
一大足打(○○○)の事
これを木具とも云、五位以上表向のふるまひに用ゆ、寸法三方に准ずべし、
一小足打(○○○)の事
右に同じ、内々の時は五位以下の人用、〈○中略〉何れも、式正のものに白木を用、其儀によりて素うるしを用ゆ、是も白木はよごれやすきものゆゑ、略してぬりたる也、實は白木の場所に用ゆる也、
p.0141 足打御膳
表壹尺壹寸四方、緣の高さ壹寸五歩、足の高さ四寸五歩、本膳也、 表壹尺五歩四方、緣の高さ壹寸貳歩、足の高さ四寸、二の膳也、
表壹尺四方、緣の高さ九歩、足の高さ三寸六歩、三の膳也、何も足にくりかた有べし、
右之寸法、主人の御位に依べし、御高官なれば式正の寸法あるべし、其家にとはるべし、是は先略儀を云也、何も栗色にぬるべし、〈○中略〉
一御相伴膳は、表壹尺四方、緣の高サ壹寸、足の高サ貳寸、本膳表九寸五分四方、緣の高サ九歩、足の高サ壹寸八歩、二の膳表九寸四方、緣の高サ八歩、足の高サ壹寸七歩、三の膳何も栗いろにぬるべし、
p.0142 あをき物のしな〴〵
いだす膳部はなに〳〵ぞ、ろくせうのゑのあしうち(○○○○)に、せいしつのわん、
p.0142 陽月舍
夕日さす内朱の椀に黑江やのかゝす蒔繪のみつあしの膳(○○○○○○)
p.0142 めしつかひける男の、國許より日光膳(○○○)をおくりおこせしとて、見せければ、
淸澄
名物の日光膳ときくなればはしも朱ぬりになしてくはまし
p.0142 第二回
叔母へ馳走の晝飯の膳、下女の持出たるは、野代の會席膳(○○○○○○)に黑の丸椀、〈○下略〉
p.0142 一總輪(○○)の事
一説に宗和(○○)とも云、茶人の好の名故宗和とも云、丸すみにして内丸くしたる也、黑塗にかぎるべし、當世いつかけにしたるもある也、
p.0142 膳 和宗膳〈○圖略〉三都トモニ民間以レ之本膳ト云、饗客用レ之テ本式トス、内外朱漆或ハ黑漆也、
p.0143 庋閣(ぜんだな) 俗云膳棚
字彙云、庋閣板爲レ之所三以藏二食物一也、禮内則云、天子之閣、左達レ五右達レ五、
按、庋閣、俗云、膳棚之屬也、棚〈音彭、訓二太奈一、〉棧也、閣也、
p.0143 一三がいのたな(○○○○○○)長サ六尺、貳組置べし、壹組は御膳道具上る、壹組は御相伴の膳を組すべし、
一三がいのたな長サ六尺貳組置べし、壹組は二御膳の道具上る、壹組は御相伴の二の膳、
一三がいのたな長サ六尺貳組置べし、壹組は三御膳の道具を上る、壹組は御相伴の三の膳、
一向詰貳色、御吸物、三がい六尺の壹組上る、
一御肴の類一色、御茶菓子總ぐわし類、三がい六尺の壹組上る、
右膳棚前に壹組に、奉行壹人下役の者一人二人宛付置、
p.0143 木屑の杉のやうじ一寸先の命
近所の出入のかゝども集り、椀家具、壺、平、るす、ちやつ迄取さばき、手毎にふきて膳棚にかさねける、
p.0143 食床〈俗云飯臺〉
倭名抄云、食床盛レ食長床、
按食床、今云飯臺之類、學寮衆僧並居吃レ飯之床、
p.0143 上方にて買(かう)て來るを、江戸にては買(かつ)て來る、〈○中略〉飯臺を膳箱、齊(さい)とうを飯臺、
p.0143 享保十一年二月二十日、百拙へ御成、〈○近衞冢煕〉 御會席〈○中略〉 御膳〈ハンダイ〉
p.0143 膳 飯臺〈○圖略〉蓋ヲフセタル所也、食スル時、下ノ如ク仰ケテ、其上ニ碗ヲ置キ、食テ後拭テ臺ニ碗ヲ納ム、下ノ如ク引出シアルモアリ、春慶ヌリ、或ハ黑カキ合セヌリ也、
京坂市民平日專用レ之、江戸ニテハ是ヲ折助膳(○○○)ト異名ス、其故ハ用レ之者、毎食後ニ膳椀ノ類ヲ洗ハズ、唯月ニ四五回洗レ之、其間ハ布巾ニテ拭レ之納ム、此故禪僧及ビ武家ノ奴僕用レ之也、奴僕俗ニ折助ト異名スルガ故也、
p.0144 重箱硯蓋
今の硯蓋といふものは、いと近年比造出したるものにや、古き繪に見えず、〈元祿十七年の〉印本の繪に、重箱ありて硯蓋なし、卵子酒〈寶永六年作享保七年板〉の繪に、硯蓋ありて重箱も交りてあり、自笑の草紙〈寶永七年板〉の繪には、硯蓋のみありて重箱なし、これより後西川祐信がかける印本の繪などを、あまた見るに、硯蓋のみありて重箱はなし、これ等をもておもふに、重箱に肴を盛ことは、元祿の末にすたれて、硯蓋に盛ことは、寶永年中に始りしとおもはる、但硯箱の蓋に菓などを載たる事は、古き記錄或は歌集などに見えたり、山の井〈慶安元年印本〉卷之五に、新黑谷の花見の事をいへる條に、あやなる硯箱やうの物のふたにくだものいれ、靑きひとりにたきものゝえならぬ、くゆらせたり云々といへるも、ふるき物語ぶみの體をうつせるものとおぼゆ、近世好事の者、古へ菓を盛たるにもとづきて、硯箱の蓋に肴を盛しが始となりて、つひに一種の器物になりしなるべし、されば硯蓋は式正に用ゆる器にあらず、〈○中略〉
三疋猿〈支考撰、上梓の年號なし、 按るに寶永の比なるべし、著作堂藏本、〉
〈附合の句〉菊の香に菓子とりまぜて硯蓋 蘭小
硯蓋に菓子を盛たる事、近は此に見えたり、本朝諸士百家記〈寶永五年印本〉卷之五云々なんど、とりつくろひての饗應、硯蓋に干菓子うづだかくもりて、結のしふさやかにけはふたるは云々、こゝにも かくいへり、硯蓋に干菓子を盛しは、いにしへ菓を盛しなごりにや、とまれかくまれ肴を盛一種の器物となりしは、寶永以後の事なるべし、今さま〴〵の形を造かへて、硯蓋と稱るは、原をうしなへる也、
p.0145 硯蓋は、元祿已後多く見えたれども、諸國咄〈貞京二年版卷二〉時代蒔繪の硯箱の蓋に、秋の野をうつせしが、此中に御所落雁煎榧さま〴〵の菓子つみてとあり、但しいまだ一種の器物に作りしにはあらず、俳徊三疋猿〈寶永元年支考撰〉末をとめたる竹のしら露〈季覽〉菊の香に菓子取ませて硯ぶた〈凉莵〉此頃よりのち、肴などをも盛るものとはなりしなるべし、
p.0145 黑御所御祝
靈鑑寺、圓照寺、中宮寺などの尼宮なり、長橋の奏者所より參らる、常御殿にてひし花びらきし大服茶硯蓋のさかなにて一獻參る、
p.0145 禁裏附となりて、節分の夜に、内侍所へ警固上げに廻りければ、定式白魚の吸物、地紙形白木の硯蓋に松の枝を立て、肴品々を盛りたるを出し、行事官と武家附と盃事をする定例也、
p.0145 天明元年辛丑、小石川布施氏〈狂歌の名山手白人〉の宅〈江〉洲崎望陀欄の主祝阿彌を招請獻立、〈客萬年氏、祝阿彌、文竿、予、○太田覃〉
十月十七日〈○中略〉
〈八幡木地蠟色いつかけ〉大硯蓋 〈大かまぼこ一色あられ鹽○中略〉 〈木地らういうまき繪〉硯ぶた 〈きす なし 白魚やき おにがらやき○中略〉
硯蓋 〈ふき 松風くわゐにくしうらたけ あはび○中略〉
あくるとし壬寅正月十六日、望陀欄へ布施氏夫婦、子息、予招請、料理付、
孟春十六日、望陀欄、〈○中略〉
〈文臺〉御硯蓋〈かや せん也 かちぐり せん也 ほたほら ところ いせゑび〉 〈のり巻酢 さけずし せうが○下略〉
p.0146 遣ひ盛の花の緣結び目の解けた太夫
華車洒落たる肴とて、櫻の花に酢味噌とり合せて、蒔繪の硯蓋にのせて持つて出られ、〈○下略〉
p.0146 總菓子盆〈○中略〉
菊の繪硯蓋 桐木地錫緣、菊の繪、花は胡粉、葉は紺靑なり、宗全好、
p.0146 菊繪硯蓋
外法 大サ八寸七分四方 高壹寸二分〈但内法〉 板厚壹分半 裏壹分シヽツケ カドノメン二分三厘 スヾノイカケ貳分 高サ壹分
p.0146 指物師利齋
菊繪硯蓋 貳拾五匁
p.0146 一閑張笹屋才右衞門
硯蓋 四匁五分
p.0146 菓子盆(クワシボン)
p.0146 盆〈本朝俗謂二受レ物之器一爲レ盆、義未レ詳、〉
p.0146 盆ぼん 中國にて、ぼにといふ、〈歌に蘭をらに、紫苑をしをにといふごとくにはぬる也、〉
p.0146 盆 音坌 瓫同 盎音翁 和名比良加 俗云保止岐 今只用二字音一呼
按、盆凡擂盆果子盆之類、上濶下窄而深、陶器也、然今緣僅寸許、如レ盤捲物皆稱レ盆、以爲二配膳之用一、或代二食机一、其深者皆稱レ 、如レ此有二古今名義相反者一、亦不レ少、
p.0146 津の國のかくれ里
其後は江戸酒貸銀田畠を求め、棟高ふ作りて住なし、心よき春をかさね、元日の嘉例とて、父親は胸前垂して蓬萊を丸盆に組つけ、代々伊勢海老なしにいはひける、
p.0147 一日暮しの中宿
はたらきさへいたせば、お氣に入事ぞと出尻あらしたる跡にて見れば、〈○中略〉十枚の挽盆を一枚もそのまゝは置ず、
p.0147 世盛の花嫁御寢覺の心安い貧家の祝言
祝言の夜も朽木盆に盃載て、淸水燒の皿に飛魚引裂入て、ちろりに小半入れて、千代の結びの盃事、〈○下略〉
p.0147 通盆
黑 利休形丸
一閑張 元伯好なり
杉の木地 利休形鏡ヘギ目
湯盆
黑角きらず 利休形
溜 長角、カンナ目、皮トジ、疊付黑、仙叟好、
一閑張 長角、溜塗、疊付黑、原叟好、
黑丸 元伯好、今千家に用ゆ、〈一書には不用とあり〉
菓子盆之部
一閑張 菱は如心齋好、角、溜塗、疊付黑は原叟好、
雜器 ナデ角黑、如心齋好なり、
總菓子盆
一閑四方 ヘギ目ゐるは元伯好、ヘギ目なきは宗全好、 砂張盆 南蠻 朝鮮
三足盆 利休形、朱疊付黑、
八角盆 朱塗、黑ツバメ、如心齋好、元來は唐物寫し也、
p.0148 杉丸盆
さしわたし七寸六分 高五分 厚壹分半 トヂ四ツ 内ヘギメ
入子八寸〈杉〉
大 さしわたし七寸九分 高八分半 厚壹分半 角六分半 そこヘギメ
小 さしわたし七寸四分 高七分
右うるみ朱ぬり
木地八寸〈杉〉
さしわたし壹尺 高七分半 厚壹分半ツヨシ 角六分 底ヘギメ 四方カワ壹分
同小 さしわたし八寸七分 高七分半 厚壹分半 角六分 四方ノカワ壹分 底ヘギ目
p.0148 指物師利齋
杉丸盆 三匁
p.0148 塗師宗哲
通盆 一枚八匁六分 通盆(仙叟好)溜銫目 一枚八匁六分 朱菓子盆 五枚箱入五拾目 山崎盆 五枚百目 高坏盆 五枚八拾六匁 溜湯(仙叟好)盆 一枚三拾三匁 八角菓子盆 一枚三拾三匁 四方盆 一枚四拾三匁 若狹盆 一枚四拾三匁 松木盆 一枚廿一匁五分
一閑張笹屋才右衞門 茶菓子盆類〈但シ五人前〉 拾貳匁九分 總菓子盆〈但シ四方形黑塗〉 四匁五分 湯盆〈但シ丸形〉 六匁五分
p.0149 山城 淺黃盆(アサギボン) 陸奧 薄椀(ハクワン)同盆(ボン)
p.0149 諸工商人所付〈いろは付〉
ほ 大坂之分 ぼん折敷 難波はしすぢ
p.0149 折敷(ヲシキ)
p.0149 折敷(ヲシサキ)
p.0149 をしき 東鑑に折敷と書り、所レ謂方盆也、一説に和卓の音とす、木の葉を折敷て杯盤となせし、上古の名の遺れるもの也、〈○中略〉所レ謂折敷物也、
p.0149 倭國、〈○中略〉俗無二盤爼一、藉以二懈葉一、
p.0149 北野通夜物語事附靑砥左衞門事
西明寺ノ時賴禪門、密ニ貌ヲ窶シテ、六十餘州ヲ修行シ給ニ、或時攝津國難波ノ浦ニ行到ヌ、〈○中略〉朝ニ成ヌレバ、主ノ尼公手ヅカラ飯匙取ル音シテ、椎ノ葉折敷タル上ニ、餉盛テ持出來タリ、
p.0149 上方にて買(かう)て來るを、江戸にては買(かつ)て來る、〈○中略〉神折敷(かみをしき)を組入
p.0149 一足付ヲ足打とも云、折敷に足を打付たる故也、足付の折敷といふ事を略して、足付足打などゝ云也、
一折敷と云ハ足なきを云也、足付の事を折敷といふ事もあり、足付の折敷なる故、折敷とも云なり、〈○中略〉
一かんなかけ、又かなかけとも云ハ、へぎたる板にかんなをかけて、うつくしくけづりて作たる折敷をいふ、
一角(カク)の折敷とも、又角とばかりも云ハ、四すみの角を切りたる折敷の事也、〈○圖略〉 一小角(コカク)と云ハ、右の角の折敷を、三寸四方にしたる也、中角ハ五寸四方にしたる也、大角と云ハ八寸四方也、是を八寸とも云、
一平折敷と云ハ、四角のかどを切らざる也、四角のまゝ也、足ハ無レ之、角の折敷のごとく足付る事も有べし、用に依べし、
一角切らずと云ハ、平折敷の事也、東山殿年中行事に、管領江引渡〈角不レ切〉と云事あり、所々に見たり、
一そば折敷と云ハ、角切らずにて、足にハくりかたなきを云、
一今時ハ年始などに、無位無官のいやしき者に至る迄、盃を三方にのする風俗になりたり、古ハ三方ハ平人の用る物にあらず、盃ハかくの折敷、又ハへぎにのせたる也、酌幷記に、主人貴人の在所へ盃を持て可レ出樣之事、角の折敷がへぎにすはりたりともとあり、是平人ハ三方を用ざる故、如レ此云たる也、
p.0150 一折敷高坏〈○中略〉
面折敷〈長九寸弘八寸〉 足折櫃〈口五寸六分、高二寸八分、〉 スベテ胡粉ヲ摺テ、ウツシノハナヲモテ、遠山ヲカク、面同前 但シ美麗ノトキハ、面バカリニ白平絹ヲ押ス、
p.0150 十五日 粥御節供事
殿下御料十二本〈○中略〉 四種一折敷 折敷面押白生絹供レ之、打敷一帖、〈六尺六幅〉
北政所御料十二本 同樣器高坏 色目同前、但打敷折敷面龜甲文、唐綾千壽鶴松巢レ之、
p.0150 樣器具
土高坏十二本〈○中略〉 同折敷十二枚〈弘〉 押レ面織物、綾平絹依二時儀一、 總角組〈長二尺六寸、九十六筋、略儀四十八筋、枚別四筋、〉 心葉松五十二本〈加二折敷二枚一定〉
p.0150 一高折敷之事 是は五位以下にまいらする器也、足高サ四寸計にて、一説に足付折敷高折敷一物と云、
一足付折敷之事
是も五位以下之人〈江〉參らする器也、足高サ三寸計とぞ、
一平折敷
全く平人に參らする也
一塗折敷
これも平人の用ゆるもの也
一小折敷
常の折敷をスハキにしたる也、又黑塗折敷もあり、是は女中に限るべし、
p.0151 折敷之分
角きらず 元來利休形の湯盆なり、膳に用ゆる事は仙叟より始る、依て曲折敷を湯盆にもちひても然るべき歟、
鐁目(カンナメ) 利休形溜角切、カンナ目あり、
曲 利休形溜角きり
朱 利休形黑ツハメ角きり
山折敷 飛驒作にならふて利休形なり、カンナメ内ニ櫻皮のトジメあり、側深くして打合せなり、
吉野折敷 根來作なり、鏡は黑ハケメ側朱也、裏は春慶、啐啄齋より吉野折敷と呼ぶ、吉野椀にとり合す、千家に本歌あり、
半月折敷 如心齋好一閑作、黑クルミ足、糸目椀にとりあはす、 山崎盆 織部好、溜塗鐁目、裏黑形丸、
p.0152 精進椀に付く皆朱之折敷形寸法
折敷 さしわたし壹尺五分外法、高さ八分、外に壹分くろのしゝ置あり、内深さ七分、角外壹寸六分、内壹寸四分、ふち厚さ二分半、宗左方の折敷寸法ハ、九寸壹分半四分、かハの高さ外にて六分半、内にて五分、厚さ貳分、角壹寸五分、
右角切の折敷形、これ皆朱の折敷といふなり、底いた外へのちりなし、
鐁目折敷寸法
一大さ一尺四分四方、〈但〉外法、底板のチリ共の寸也、五厘あり、 一緣の高さ六分半、〈但〉揔高さ板のしゝ置ともに九分あり、 一同厚さ二分 一角切目壹寸四分
一見付たてにかんな目あり、巾四分ヅヽ板の裏にしゝ置道、ふちの上端丸目もふちとゞめなく、眞のタメヌリなり、
曲折敷
一大さ九寸六分四方但内法なり、底の厚さ見延候分ハ壹分七八リン、底にしゝ置ハ此外也、 一緣の高さ五分二厘、揔高さ底のしゝ置とも、 一同厚さ貳分 一外のチリ四五厘 一角の切目壹寸四分、但曲目の中のすみより中すみまで、右檜木地上々の木、眞の溜塗なり、
不二角切一の折敷
外法さしわたし九寸六分四方、カワの高さ外にて八分、内にて五分半、同厚さ二分、右折敷底にて裏にしゝ置あり、眞の黑塗なり、
山折敷
さしわたし外法上端にて壹尺壹寸、底板外法にて壹尺貳分半、此壹分半ハ兩方のちりに成也、底 板内外かんなめあり、かわ高さ壹寸壹分二リン、内にて同斷の厚さ壹分、角丸なり、かわ底板へかはとぢ、一方に三所も有、かわの巾二分ヅヽ、とちめの下貳寸五分ヅヽ、かわ外にかわの所にて三分の所、内の底板ヘハ三分半の所有、かわのくひちがひ五寸貳分、〈○下略〉
p.0153 山城 折敷 大和 山折敷 石見 濱田折敷 紀伊 根來椀折敷〈昔寺繁昌之時拵タル道具ト云、當時方々ニテ賣二買之一、〉
p.0153 一國折敷百枚
一繪折敷五十枚之内、廿枚送二酒部所一、〈白十三枚靑七枚〉
〈白蝶小鳥尊者以下至二弁少納言一、靑蝶小鳥上官、白鶴松枝穩座折敷高坏也、〉
一綠靑折敷百枚 面押二白絹一
p.0153 一五節殿上饗目錄〈保延元年、右衞門督家成進二五節一時、玄蕃頭久長調進之、〉
雜物 繪折敷三百枚 白折敷百枚〈○下略〉
p.0153 繪三方
保延元年、五節の殿上の饗の雜物の中に、繪折敷三百枚、白き折敷百枚とみへたり、此白き折敷とは、胡粉塗たるのみにて、畫ぬなればなるべし、さはゑがゝぬをばぬりて、ゑがけるをば本のまゝにやはおくべき、〈繪をかゝぬにも、胡粉塗なりのあるに、今木地の上に畫きたるは誤り也けり、但し檜破子のやうの喰物たゞちにいるゝ物は、木地の上に晝くべし、それも折たてなど有べき物は、塗べきにや、古き繪の繪折櫃も胡粉にて木地のやうには見へず、〉彼三百枚の繪折敷も白き折敷の上に、猶繪をくはへたるなる事明らけし、當時近衞殿の元服し給ひし時の繪折敷も胡粉地なりき、また宮方の元服著袴などの御いはひの繪三方も胡粉地也き、是等誠に古きやうをうつされたりと覺ゆ、古しはいたくうるはしくせん料には、沈の折敷銀の折敷などは、物語などにもあなり、〈○註略〉されど箔してだみたる事は聞へず、宇治平等院御幸の御膳の御臺も、表には錦をおされ、 伏輪まではあれども、裏には紺靑地に畫き、貝摺られたり、〈○註略〉供御のだにかくあれば、たゞ人の料いかであらんや、誠に箔してだみて畫くは、いたく下れる世にし出きたる成べし、さて其繪もおさ〳〵しき事はあるべからず、〈○下略〉
p.0154 うちよりいとゝものまいる、したんのおしき(○○○○○○○)、ぢんのだいにすゑて、〈○下略〉
p.0154 その日に成て、まづにしのおとゞにあふみのかみ、せんかうのをしき(○○○○○○○○)はたちづつ、れいのごとして二十人のまうちきんだちとりてまいる、
p.0154 うへのきぬの色々けぢめをきて、おかしきかけばんとりつゞきて、ものまいりわたすをぞ、しも人などはめにつきて、めでたしとはおもへる、尼君のおまへにも、せんかうのおしきに、あをにびのおもておりて、さうじものを參るとて、めざましき女のすぐせかなと、をのがじゝはしりうごちけり、
p.0154 女御の君のまかなひ、民部卿御前に、ぢんのをしき(○○○○○○)、おなじ事してうちしきまいる、
p.0154 南おもてに、おまへの物はまいりすへたり、にしによりて、おほみや〈○東三條院〉のおものれいのぢんのおしき、なにくれのだいなりけんかし、
p.0154 くちばいろのおしき(○○○○○○○○○)
あし曳の山のこのはのおちくちばいろのおしきぞあはれなりける
p.0154 すぎおしき(○○○○○) 入道前太政大臣〈○藤原實兼〉
忘れずよ霜のしたなる花すゝきおしき形みの秋の面影
p.0154 梶川系圖
正治〈(中略)宿主賀出頭、角切折敷(○○○○)菱餅ヲスヘ進云、正治悦喜シテ則爲二家紋一、〉
p.0155 賴朝卿天下ヲ打靜給ヒ、鎌倉由井ノ濱ニテ大酒宴有ケルニ、諸侍坐ノ位定テ諍可レ被レ申、然者先初ヲバ御定可レ有トテ、賴朝小折敷(○○○)ヲ御取寄有、坐牌ヲ定メ給ヲ、〈○下略〉
p.0155 むかしさる人の云るは、〈○中略〉さて膳部の事、椀折敷ちいさめなるをよしとさだめて、〈○下略〉
p.0155 藤花宴
天曆三年四月十二日、於二飛香舍一有二藤花宴一、〈○中略〉供二御膳具一、〈○中略〉御折敷四枚立二御机上一、淺香折敷沈裏、以レ金閉之、朽葉色唐羅、花文綾敷物、有二心葉藤色閉組等一、但件組折敷一枚、各四所加二象牙臺一、表紫檀、裏蘇芳、有二銀筋一、供膳、〈料折敷二枚、以二橡木一作、无二心葉組等一、〉
p.0155 久安六年正月廿一日己亥、有二御射一、六七許度、兩矢中レ的、〈以二折敷一爲レ的〉有レ勅今麻呂亦射レ之、
p.0155 久安六年三月三日庚辰、三月三日御節供事、〈重方調進之〉
土高坏十二本〈以二金靑一畫二松鶴一〉
折敷〈面筥形萌木織物緣有二伏輪一〉 有二心葉一盛物如レ常 萌木筥形三重織物打敷
p.0155 建久元年十月十三日甲午、於二遠江國菊河宿一、佐々木三郎盛綱相二副小刀於鮭楚割一、〈居二折敷一〉以二子息小童一送二進御宿一、申云、只今削レ之令レ食之處、氣味頗懇切、早可二聞食一歟云云、殊御自愛、彼折敷被レ染二御自筆一曰、
まちえたる人のなさけもすはやりのわりなく見ゆる心ざしかな
p.0155 公家武家榮枯易レ地事
都ニハ佐々木佐渡判官入道道譽ヲ始トシテ、在京ノ大名衆ヲ結テ茶ノ會ヲ始メ、〈○中略〉異國ノ諸侯ハ遊宴ヲナス時、食膳方丈トテ、座ノ圍四方一丈ニ珍物ヲ備フナレバ、其ニ不レ可レ劣トテ、面五尺ノ折敷ニ、十番ノ齋羹、點心百種、五味ノ魚鳥、甘酸苦辛ノ菓子共、色々樣々居雙ベタリ、
p.0156 一攝家淸花門跡其外御公家衆御參會の樣體の事
堂上御參會の事は、悉に不二覺悟一候、歌鞠の御會に致二祗候一、細々見及申分は、攝家淸花門跡大臣迄は四方、大中納言殿上人は三方、官務外記、醫藥陰陽、賀茂衆、武家の面々は足付(○○)、
p.0156 一カナカケノ折敷ニ、直ニ參リ物入テ參ラスルコト不レ可レ有、責テハ花紅葉ノ下ニテハ、芝居ナレバ免ス處モ可レ有、古無レ之事也、御前ニテ舞々猿樂ノ道ノ者ニコソ、左樣ニ有テモ苦カラ子、カリソメニモ角ノ折敷ニ參物ヲ、直ニ打散シテ出シタラバ、可レ參モノ歟、カナカケハ角折敷土器ナドヲ可レ陶臺也、
p.0156 永正十四年十月五日丁未、今日一條大納言殿房家〈○註略〉御拜賀也、〈○中略〉
一三獻御酌、殿上人二人次第勤レ之、公卿前衝重諸大夫殿上人前、〈足付○下略〉
p.0156 御相伴衆〈○中略〉
〈左ノ六〉結城少將殿 足打 〈今枝勘右衞門 瀧川助九郎〉
〈右ノ六〉會津少將殿 同 〈大野彌一郎 甲田帶刀〉
p.0156 慶長拾一秊丙午江戸御屋形作日記〈○中略〉
永樂貳貫九百九十三文買にて 遣方〈○中略〉
〈五月十二日〉一永樂四十五文 折敷廿まひ
p.0156 緣高折敷 ふちだかのをしき
今俗には緣高とのみいふ、古へは折敷に緣高と、さもなきつねの物有りし故、わかちていひしなり、
p.0156 一ふち高は、ふち高の折敷と云物也、折敷のふちを高くしたる物也、菓子などをもる爲に、ふちを高くする也、大きさ五寸四方計、ふち高さ一寸五分ばかり、角切角也、廻りに桂を入 る也、
p.0157 按るに今緣高といふものは、足付の折敷〈木具とも八寸ともいふなり〉の緣の高きものなり、〈折櫃に足付たるは、緣高といふべからず、〉緣高きは、物を盛るによければ、櫃のごとく用ひ、蓋をも作りたる也、〈膳に用ひざれば、異ものの如くなれり、〉
p.0157 公方樣諸家へ御成の事
一御菓子のこと七種、ふち高にすはるべし、それを又御四方にすへて參候、
p.0157 通之次第同喰樣
一菓子出事、たとへば相伴申ほどの人へは、何へもいだす也、去ながら賞翫へは、足付のふちだか、各へは、足つけずにふちだか也、
p.0157 次之御供衆貳百人前〈○中略〉
御くわし七種 ふちだか〈○中略〉
御女房衆五十人前ノだい〈○中略〉
御菓子七種〈金ノすなごふちだか〉
p.0157 木屑の杉やうじ一寸先の命
納戸にありし菓子の品々を、緣高へ組付てと申せば、手元見合、まんぢう、御所柿、唐くるみ、落雁、榧、杉やうじ、是をあらましに取合、
p.0157 㮜(ヘギ)〈字彙、木版盛レ物也、〉 片木(同)
p.0157 一へぎと云は、板をうすくへぎたる儘、けづらずに作たる折敷を云、
p.0157 木具類引下ゲ直段取調書上
〈椴唐檜〉一白木打片木 〈六寸五分四方〉 〈當五月引下直段壹枚ニ付拾八文之處、當時猶又引下ゲ壹枚ニ付拾六文、〉 〈同〉一同斷 〈六寸八分四方〉 〈同斷壹枚ニ付貳拾文之處、同断同拾八文、○中略〉
右引下ゲ直段、銘々見勢先〈江〉張出し置候樣申達仕度候、
寅八月廿六日 諸色之内木具類掛牛込馬場下横町
名主 小兵衞〈○外一人略〉
p.0158 衝重(ツイカサネ)
p.0158 衝重(ツイガサネ)〈上下用レ之〉
p.0158 女房ことば
一つゐがさねは、そうみやうなり、くぎやう、四はうはつねの人はもちゐず、げんしやうを四方にあけたるをいふ也、
p.0158 一三方四方の下にあけたる穴を、今ハくりかたと云、古ハげんしやうと云、げんしやうをあくると云事、上臈名之記に見へたり、げんしやうとハ眼像と書て、眼ハ目也、目とハあなの事也、目の像といふ事也、引目、猪の目などと云目の字も、皆穴の事にて同意也、
p.0158 衝重の考
中比より人をあへする器の中に、衝重てふ物あり、〈衝の字はつくといへるがよみ也、されどついかさねと用しには、つくといふ事にはあらで、ついといへる詞によりて、此字假用ひたるなるべし、ついといへる詞こととまうけて、とみにしいへるをいヘり、衝立障子てふ物、古尋常の障子は、敷居鴨居なきにはたつべうもあらぬを、是はいづちにもとみに立ん料に、しいでつれば、さる名をばつけたるにて、つき立るにはあらざれど、衝の字を用る事も是をもてしるべし、〉元は何くれの物の蓋を打復して、身の上に居たれば、衝重とはいひにけんかし、五節所にて姫君の衝重には掛外居を用ゐ、女房のには長櫃を用ゐけるなどいへるも、さこそはありけめ、〈五節所の姫君、女房等衝重の事は、雜要抄五節所裝束料雜事とある條の末に、當日〉〈中略〉〈次女房衝重用二長櫃一、姫君料掛外居用レ之、凡自余日同前と見へたり、長櫃の衝重は女房のあまたある中に、すべてうちむかひに並居て、臺盤などのさまにてあるべきなり、〉されど打まかせては足なき折櫃を用ゐける也、古き賭射の繪の、射手の饗まうけたる所に、衝立のあ なるは、みな足なき折櫃也、〈古き賭射の繪の衝重は、折敷のふちもなく、下の折櫃のとぢめもかゝす、是は古き繪のくせにて、むつかしければかきもらしける也、狩衣などの鰭袖と大袖と縫目かきて、大袖と身との縫めはかきもらせるの類なり、且古き繪の折敷、皆ふちをばかきもらせり、もし今の人むかしの折敷は、かくふちもなくてありぬやといふべきか、されどふちの折曲られてあればこそ、折敷とはいふめれ、ふちなくば折敷の名あるべからねば、古しへよりふちはありつるを、むつかしければ書もらしたるに疑なし、〉げにも御前にて、王卿に肴物などたまはする衝重も、かくこそ有べき、〈祭の使庭座行幸の御前の簧子にて、衝重を給はする事は、諸家の記錄にあまねくあることなれば、委しく注するにおよばず、〉雜要抄に、仁和寺殿競馬行幸の御遊の肴物記したる所に、殿下の前の肴物菓子等の末に折敷二枚、大臣の前の末にも已上折敷二揃とあり、されどかゝる度に折敷のみにて給はする例のなければ、此折敷は折櫃の蓋にて、則折櫃の衝重なる事明らか也、かゝれば衝重には、足なき折櫃を用らる也、折まげたる定め也ける、
p.0159 一ついかさねとハ衝重と書て、三方、四方、供饗の總名也、皆ついがさね也、上の臺と下の足とをつきかさねたる物なる故、ついがさねと云也、三方に穴をあけたるを三方と云、四方に穴をあけたるを四方と云、穴を一ツもあけざるを供饗と云、此三品ハ何れも同じ形なり、足付ハ衝重の部にあらず、
p.0159 衝重寸法〈幷三方〉
一面八寸
一緣の高サ一寸〈但面八分の一〉
一厚サ一分六厘餘〈但緣の高サ六分の一〉
一面の餘リ五厘餘〈但厚サの三分の一〉
一筒の渡リ六寸四分〈但面の十分の八〉
一筒の高サ五寸七分六厘〈但筒の經リ十分の九〉
一緣筒の角の折目八分〈但面の十分の一〉 一總板緣の厚サに同じ
一くり形より上一寸一分六厘〈但緣の高サと緣の厚サと分たる寸法〉
一土居五分八厘〈但上の半分の寸法〉
一操形の左右狹所土居に同じ
p.0160 射場始〈幼主猶著二直衣一給〉
給二公卿饌一、〈○註略〉所雜色以下、給二出居幷的付前衝重一、藏寮官人、給二殿上侍臣前衝重一、〈有レ飯〉
p.0160 天曆四年閏五月五日、此日自二中宮一給二産餉一、息所前衝重廿枚、面打敷等用二蟬翼一、
p.0160 一條院御時、喚二諸卿於御前渡殿東第一間一、立二地火鑪一、〈○中略〉先供二御膳一、次給二衝重上達部一、
p.0160 治承三年正月六日乙丑、今日春宮〈○安德〉御五十日也、〈○中略〉諸卿著座、〈○中略〉居二衝重一、〈尾張國備進之、有レ飯、大宮大納言難不レ可レ居レ飯云、後聞、諸司穩座肴物不レ居之、只居二衝重一之時有レ飯者、〉
p.0160 建仁三年十一月廿三日丁亥、今日於二上皇〈○後鳥羽〉二條御所一、被レ賀二入道正三位釋阿〈○藤原俊成〉九十算一、〈○中略〉次賜二釋阿前物一、〈○中略〉次居二公卿衝重一、〈塗二胡粉一有二畫圖一、院廳儲之、〉
p.0160 仁治二年十二月一日甲寅、酒宴經營之間、或用二風流菓子一、或衝重外居等、畫圖爲レ事、御所中之外、向後一切可レ停三止如二此外過分式一之由、被レ觸二仰諸家一、凡禁二制過差一事先日雖レ被レ定、經營結構之時、動依レ有二違犯事一、今日重被二仰下一云云、
p.0160 慶長二年九月八日、德善院僧正參内、於二小御所一有二御對面一、勸修寺大納言、雖不參所、予、九條殿、二條殿參、僧正就二參内一、衝重テ可レ被レ下歟、但平押敷歟如何、御返事云、僧正用二衝重一事モ有レ之、又平押敷之事有レ之、大納言モ於二禁中一用二平折敷一事有レ之、是者攝家親王以下之爲二御相伴一之間、用二衝重一不レ可レ苦歟、殊當時事、德善院爲二權勢之人一、可レ被レ用二衝重一之由、有二御返答一也、仍今日被レ用二衝重一了、
p.0161 衝重といへる臺は、賀茂祭には必ず入事なるが、其製傳はらざりしを、元祿七年賀茂祭御再興の時、いろ〳〵僉儀ありて、出來たりしとぞ、通例の三方ぐりの臺の横長にして低きものなり、白く塗て摸樣を畫く、是をうつして、茶道に紺靑を以遠山を畫き、俗に遠山臺となづけ、早春の熨斗臺などに專ら用ゆ、故に有職の道に心あるものは、衝重といひて、豫て知といへども、餘人はしらず、只遠山臺といへる物と心得たり、原來有職の方には遠山は畫かず、若松あるひは松に鶴、錦花鳥、四季の花等なり、尤衝重といふは、急の設に筥の蓋を仰むけてのせ用ひしゆえに、つい重ねたるといふよりして、衝重とはいふよし、衝立の屛風なども、其時にのぞみて、つい立たるよりして號くるといへり、胡粉にて白く塗たるを樣塗(やうぬり)といへり、公事根源臨時客の條に、朱器樣器といへる事あり、樣器といへるは、木地の器のことにして、樣塗といへるは、生地にて用ゆるを、疎き木理を隱さんために、白く塗し物にて、生地と同樣なりとそ、寸法は普く知る所なれば、是を贅せず、折敷の面に册木(とぢき)とて、柳あるひは樺にて册たる結びあり、是なん蓋を仰むけて、筒に册つけたる形なり、又筒の打合せと、折敷の打合せと、左右の違ひあり、則ち翻したる證なりといふ、
p.0161 公卿〈臺(クギヤウ)器也〉
p.0161 供饗(キヤウ)
p.0161 供饗(クギヤウ)〈又作二公饗一、臺器也、〉
p.0161 供饗くぎやう 江戸及び四國にて、けそくといふ、東國にてろくがうと云、西國にてろくごう、又ごうと云、近江にてくげと云、越前にてくぎやうと云、加賀にてをけそくだいと云、〈供したる品を、をけそくといふ、〉今按にろくごうと云は、おくぎやうの訛か、
p.0161 一女房などの中にて、公卿にすはりたる盃を、こなた衆飮時は、盃を手に取て後、公卿をそばへをしのけて置て、酒を受る也、我飮たる盃をば、下にをくを、酌する人公卿へ上る也、
p.0162 くぎやうに、のしかちぐりこぶ置て、さて盃三重て出し候事、式三獻をりやくしたる體也、
○按ズルニ、梟首ニ供饗ヲ用イル事ハ、法律部中編梟首篇ニ載セタリ、
p.0162 小四方(コジハウ)〈小盤也、俗云足打、〉 三方(サンバウ)〈臺盤之屬、又有二二方、四方之制一、今世天子伏見家用二四方一、〉
p.0162 衝重の考
衝重の身のうちに物こむる事は常ならで、彼身をもうち復したるが常なれば、それを後には、上の折敷にとぢつけたるより、一ツの器とはなれりける、さてより置物の机などのさまに、穴ゑりて足となせるより、四方三方などてふ事はいできにけり、彼四方とはまたく四ツ足なり、飛驒守惟久がかきつる、八幡太郎の軍の繪に、武衡家衡等が郎等ども、なみ居てものくふ所に、皆四方にてすゑわたしたり、されば穴ゑりたるはじめは、穴だにゑればみな四方なりけめ、さるを後に親王大臣は四方、納言以下三位以上は三方、其已下は穴えらの衝重とは定められし成べし、さて四方三方も誠しくは四方ゑりの衝重、三方ゑりの衝重といふべきを、略して四方三方とはいふなり、今も四方三方の筒のとじめのきり前なるは、彼打復したる折の遺風なりけり、古へは王卿などは、公の御前ならで、いたく衝重用うる事はなし、私には臺、又は假初なるには折敷高坏を用ひたるに、彼四方ゑり三方ゑりなどいふ事のいできてよりぞ、折敷高坏にもかへ、臺にもかへて、用ゐけるより、何本立とも呼なるべし、
p.0162 大三方
一面一尺一寸五分
一緣の高サ一寸四分三厘〈但面の八分の一〉
一厚サ二分三厘餘〈但緣の高サ六分の一〉 一面の餘リ壹分五厘餘〈但厚サの三分の一〉
一筒の高サ八寸二分八厘〈但筒の徑リ十分の九〉
一緣筒の角の折目一寸一分五厘〈但面の十分の一〉
一總板厚サに同じ
一くり形より上一寸六分六厘〈但緣の高サと緣の厚サと合たる寸法〉
一土居八分三厘〈但上の半分の寸法〉
一くり形の左右狹所土居に同じ
一緣の高サは低キを好み、板の厚サは厚キを好み、面の餘りは長キをこのみ、筒の徑リは廣キをこのみ、筒の長サは短キを好み、角の打目は狹キをこのみ、操形の左右土居は狹キをこのむ、
一中三方面一尺一寸 一小三方面九寸五分 一廣三方面一尺三寸五分
p.0163 四方三方
四方三方の穴は、今はいとちいさき也、是はそのあなの名を寶珠形など俗にいへば、その名になづみて、燈籠のまどの月形などのやうに、またく寶珠の形をゑるぞと思ふより、かくはなれりけるなるべし、まことは穴には意なくて、殘れる板を足のさまに見するなれば、穴はいかにもおほらかにて、下は横ざまにたひらげて、掛盤の下の土居の樣に有べきなり、〈○下略〉
p.0163 一四方之事
普通の三方のごとくにて、すかし四方にあるなり、大臣以上の膳具にして、容易に用べきにあ らず、若大臣ならぬ人用る時は、前の一方をはりて用ゆるなりといふ、しかし公方樣には、四方 御用なく三方也、寸法三方に准ず、
一三方の事 常の三方に替る事なし、七五三の時、本膳差渡一尺五寸、ふちこし三寸二分、こし一尺、二三膳七 分落にて組入子也、五々三の時は、差渡一尺三寸五分、ふち二寸八分、こし九寸三分、のし三方一 尺二寸、盃三方一尺又九寸、小三方九寸、これは一名公卿トモ云テ、三位以上の用ゆるものにて、 其以下用るなし、婚禮の時、万石以上にて御緣女は三方にて參らせ、御聟〈江〉は板足にて參らす る也、内々にては御聟〈江〉も、三方にて參らする事、近頃の法なり、
一二方(○○)の事
三方のごとくにして、すかしを前後の二方へ明たる也、是は三位ならぬ人に用ゆると云、其品 傳らず、
一一方(○○)の事
右に同じ、前に計すかし有也、一説に二方は四位の人、一方は五位の人と云へども、其品傳らざ れば、容實知らず、云傳へし事也、
p.0164 善一按に、四方は臺の中にて、其横長き品、あるは圓き品にわけて、四方同じ形なるをぞ云べき、眼象四方にあるのみの事と思はんは合ふべからず、又三方と云あり、是は四方と同じ樣なる物なれど、四方は横目の木をまげたる、其縫合せを角にて爲けんか、又は古制は木を竪にして、四方に付け、各眼象ゑりけんかもしらず、其横目の木を用ふる者、眞中にて縫合する事、今の三方の制の如きが、たもちも好く万に便ありとて、然作る事始りて、中にて木を繼合すれば、そこには眼象ゑり難くなりて、三所に眼象を付れど、猶實は四方なり、然るを古の書に、四方は眼象四方にある由の名と思へるは、ひが事なるべし、又三方と云名は、其眼象の三ツあるに因ると思へば、聞ゆるが如くなれど、眼象四方にあるが常なるに、殊に三方につけて三方とよび、別に一の臺の品とし、種をわかちふやすべきいはれなし、然れば三方といふ名は、もとひが事にて、其もな ほ四方と云べき具なり、故に三方の名は古書に見及ばず、四方は中右記嘉保元年三月十一日の條に、朱大盤廿七とて、先ツ四方六ツ、次ニ小大盤十九、次八又二ツ、次第如レ之、此中八尺長二ツ、四方六、小大盤十九、已上例史所持之とあり、此四方と云物、推はかるに、眼象ある者をさして云べきにあらず、後に云ふ如く、小き物にもあるべからず、そは次に小大盤とあるにて知るべし、又八尺長二とあり、是は横長き臺を云ふなり、其長きに對へて、方なれば四方といへるなりと聞ゆ、方臺など云ふべき如くなれど、四邊同尺の義を云ひあらはさんとて、四方とは云ひならへるなるべくこそ、
p.0165 人の相伴する事
一相伴の人により膳の替事、殿中にては、公方樣攝家大臣門跡皆御四方、公卿は三方、攝家大臣門跡の御相伴の時は、武家の御相伴衆はなし、御配膳も役奏とて、殿上人御みやつかひ候、武家の御相伴の時は、公方樣御前四方、公家大中納言三方、武家は足付、御配膳御供衆、又長老の御相伴時は、公方樣にも御とぎは、ぬり折敷御わんにて候、長老同前、〈○中略〉又善法寺殿被レ出候時は、殿上人のごとく三方にて候間、飯湯づけともにかはらけ、内々にて又かはり候、武家へ參會之事、細川殿、畠山殿、山名殿、一色殿、赤松殿、大内殿、右馬頭殿、土岐殿、武田殿、金仙寺殿、大名の内衆には上原豐前、波々伯部、多賀豐後、陶、間田、杉、浦上など所にて見及候つる、各參會の所へ公家衆飛鳥井殿、藤中納言殿、御出候事候し時、三方にて御膳を調參候へば、殊外御酙酌にて、各のごとく足付にて御參候つる、又あつかひもなくこなたより足付に拵候ても參り候し、
p.0165 一盤〈四方三方事〉
大臣以上ハ四方、大納言以下ハ三方也、
攝家ハ不レ依二淺官一、自二幼少一於二公界一被レ用二四方一候、爲二一人一條、一向各別事候、然處淸華ノ諸流ハ、於二公界一可 レ用二四方一之由被レ存歟、曾以無二其謂一、所詮於二禁中一御相伴之時、淸花之大中納言、自二前々一三方ニ相定候上者、爭於二公界一可レ被レ用二四方一乎、諸家更不レ可レ免之事也、於二私宅一者、大臣之孫乎迄ハ用二四方一候、是ハ堅固内内ノ儀候、如二愚老一〈○藤原實枝〉モ内儀之時、四方受用理運事候、若如レ此之儀被二思直一、淸華之衆被レ及二異儀一哉ト推量候、細緣之三方ハ、六位藏人ニ用レ之候、公界參會之時如レ此、
私云、官女上臈分之人用二細緣一、
殿上人、四位、五位、公界參會之時、三方勿論也、然所於二親王家攝家宮門跡等一、被レ用二折敷一、隨分稱レ雄之雲客甚以不便、仍有二所存一之輩、酒肴之時者令二早出一、或平生不二昵近一、是故實也、愚老雲客之時於二伏見殿一給二細緣三方一了、於二攝家一モ如レ此之用捨尤可レ然哉、况諸門跡之儀、誰不レ可レ存二異儀一、於二家禮之輩一者、一向非レ可レ被レ量、依二此義一諸家之勝劣令二混亂一歟、無二有職一之所レ至也、
p.0166 一自然として、攝家淸花、其外の御公家樣、御出候時は、武家衆も參會候には、御肴御盃など參りやうの事、同殿中には、如何御座候哉の事、
右に申候ごとく、攝家淸花、御出の事は、稀成事にて候、於二殿中一も、公方樣攝家門跡大臣へは四方、 大中納言は三方如レ此、〈○中略〉又攝家門跡は無二御參賀一、武家の御相伴衆までの時は、公方樣御四方、 大中納言は三方、武家の御相伴衆は平おしきにて候、
p.0166 御相伴衆
〈左上だん〉聖護院殿 四方 〈安威攝津守 服部采女正〉
〈右上だん〉菊亭右大臣殿 四方 〈堀田圖書 河尻肥前守〉
〈右ノ一〉江戸大納言殿 三方 〈猪子内匠 本田若狭守〉
〈右ノ二〉大和中納言殿 同 〈片桐東市正 古田織部〉
p.0166 享保十二年八月十二日、參候、仰ニ、〈○近衞家煕〉來ル十八日ニハ、東宮御方〈○櫻町〉本殿へ渡御ナルべ シト仰出サレタリ、〈○中略〉渡御ノ間ハ、諸卿ヲ初トシテ、末マデノコラズ平折敷也、還御ノ跡ノ饗應ハ、大臣ハ大臣、公卿ハ公卿、殿上人ハ殿上人ト、ソレ〴〵ニ膳部ヲカヘテ、三寶(○○)モアレバ、足ウチモアリ、勿論ヒラヲシキモアリ、ソレ故二段ニナリテ、別シテヤカマシキコト也ト仰ラル、
○按ズルニ、神事ニ用イル四方三方ノ事ハ、神祇部祭具篇ニ在リ、
p.0167 一薄盤之事
當時薄盤と云は、一ツの名目になれども、實に前條之四方より平折敷まで薄盤也、然るを當時柳營を初諸侯方にて、薄盤と稱し、年頭などに式三獻、雜煮三こん、五々三などに用ゆ、白木又素うるしも有、大サは前の三方に同じ、又家々に依、いさゝか替りあり、薄き木を以て作るによりて、薄盤と稱するなり、
p.0167 櫃 蔣魴切韻云、櫃〈音與レ貴同、倭名比都、俗有二長櫃、韓櫃、明櫃、折櫃、小櫃等之名一、〉似レ厨向レ上開闔器也、
p.0167 折櫃屈二折一木一爲レ之、今盛二果物一有二名レ折之器一、卽是名之遺也、
p.0167 折櫃 をりひつ
をりびつを口にとのふるには、ヅウの如くツを濁りていふなり、さてかたちは卽今の世に菓子折といふものにて、足付のふち高の事なり、大小は物によりて殊なり、折といふ板のさし物の釘打にはあらで、曲物故に木を折まぐる故の名なり、この折櫃には、草木などかりに入る事も有り、
p.0167 一折櫃 古書に見えたり、ヲリウヅと云也、檜の薄板を折り曲げて筥に作る也、是は餅類肴などを盛りフタをして、四隅に作り花などを立てゝ飾る也、俗に折と云も同物也、然るに高橋家の傳也とて、形を繪圖にして寸尺を書たるあり、田舍人の所爲にて、餘りにカタクナヽル事也、如レ此の雜物に、何ノ法式寸尺ノ定あるべきや、形は四角にも六角にも心任せにすべし、フタもあり、臺もあり、筥の身に合せて作るべし、筥に直に足を打付たるは略也、此折ウヅ一ツ を一合と云也、折ウヅにかぎらず、すべて筥物の類をば、一合二合と云、又折櫃の類を胡粉にてぬりみがき、綠靑などをぬり、或は金銀の箔にてダミ、繪かき彩色などすれば穢らはし、古風にあらず、食類を盛る物なれば、白木にてこそ淸淨なれ、且古風にてよし、
p.0168 凡左右京五畿内國調、一丁輸錢隨レ時增減、其畿内蝓雜物者、一丁〈○中略〉折櫃五合、〈長二尺、廣一尺四寸、〉
p.0168 一菓子間事
折櫃事
古ハ以二紺靑綠靑等一靑丹二色〈二合二色〉綵二色之一、其上以二金銀泥一ダミ繪ヲ書、近代色々ニ染テ散薄タリ、 隨二時儀一可レ被レ調之、二色相計、古儀各二合ヲ一色被レ調可レ宜也、金銀帶二筋ヲ懸テ、上ノ帶ノ上ヲ口 ノハタマデ、白ミガキニテクヽミタル也、稱二伏輪一、折櫃ノ口ノハタ計ニ置二伏輪一無下事也、或上下 懸レ帶、不レ用二伏輪一、或雖二綵色散一レ薄不レ懸レ帶、共以不二法式一、但近代多在レ之、
居ル笥時彫二牙象一、或書二風流一不二打任一事歟、古ハ無レ之、近代面々意巧也、〈○中略〉
立レ紙事
云二薄樣一云二色紙一、褻時無二差別一、但薄樣猶刷時事也、折櫃懸レ帶、伏輪之時、猶立二薄樣色紙等一定事也、立二色 紙一時同書レ繪也、
p.0168 殿上垸飯〈○中略〉
折櫃二十合、〈口徑六寸、高三寸、〉綵色畫圖、〈淡繪美麗〉金銀布持、〈○中略〉
臺盤所垸飯〈○中略〉
折櫃〈徑五寸五分、高二寸五分、〉同前〈○淡繪如二殿上垸飯一
p.0168 宴會雜給 明櫃八合、〈○中略〉折櫃五十合、〈命婦料、但二十合、敷布別三尺、○中略〉
右新嘗祭宴會料依二前件一〈○下略〉
p.0169 治承三年正月六日乙丑、今日東宮〈○安德〉御五十日也、〈○中略〉所々居レ饗、内殿上垸飯、〈○中略〉菜廿坏、〈盛二方折櫃一、以二折櫃口寸法一爲二盛物高一、件櫃塗二銀泥一以二紺靑綠靑一畫二鶴松一、有二金銅口帶一、以二色々薄樣一立二四角一、盛物皆滿二折櫃之内一、高與二紙立一均、〉
p.0169 同〈○建長三年六月〉廿六日、院御所にて御遊有けり、〈○中略〉夜ふけて折櫃のうへに折敷をおきて、けづりひをすへて、公卿の前におかれけり、院には御臺にてぞ供せられける、
p.0169 享保十二年六月十日、今日ハ關白樣〈○近衞家久〉御有氣ノ御祝儀アリ、〈○中略〉諸卿ヨリノ獻上モノ、山ヲナシテ夥シ、仰ニ、諸方ヨリノ進物モ、大ヤウ同ジモノ也、但シ滋ノ井ヨリ參リタルモノコソ、故實ノモノナレ、拜見スベキノ由、仰ニテ拜見ス、折櫃二合、一方ニ餅、一方ニ干菓子也、仰ニ、昔ハ諸卿ノ集參ニテ、此折櫃ナリ、今ハメヅラシキ樣也、尤モ此上へ平折敷ヲ重ネタルヲ、ツイ重ネト云、今ノ三寶ハ、ソレヲトヂツケテ、便ニシタルモノ也、昔ハ二ツモノニテ、菓子ヲ喰テ其折敷ヲ、後へ投テ捨ル故實也、階ナドノ上ヨリ落スハ、スラセテ音セヌヤツニナドスルコトアリト仰也、〈聞モ及バヌ珍キコト、世ニアリガタクコソ、〉十一日、右御禮參上、〈○中略〉昨日ノ御ウワサ也、昨日ノ獻上物ノ、御裾分ヲ進ゼラル、彼滋野井殿ヨゾ獻上ノ折櫃ヲモ進ゼラル、皆胡粉ニテヌリテ、松竹鶴龜ヲ記ス、〈○圖略〉仰ニ、古ヨリ斯樣ノ器ハ、大ヤウ胡粉ヌリ也、コレヲ樣器ト云、漢ノ名ニテ候ヤト窺フ、和名也ト仰ナリ、銀ノ略ニデ、銀樣ト云心カト仰ラル、
p.0169 造器二人、〈一人木器、一人土器、〉月別所レ造折櫃卅合、平片坏八百口、其糂料、黑米日二升、鹽二勺、
p.0169 山作所作物雜工散役帳
樻工十六人〈○中略〉 四人折樻十合〈○中略〉
天平寶字六年三月卅日 領下道主 主典安都宿禰雄足
p.0170 越前國使等解 申勘定囗物事
合買雜物廿一物
價稻四百五十四束〈○中略〉
折樻十合 直五束〈東別二合〉
天平勝寶七歲五月三日 田使曾禰連弟麻呂〈○以下二人略〉
p.0170 莒陶司石山寺充二雜器一事
折樻參拾口〈○中略〉
天平寶字六年二月九日
正六位上行正林連黑人