https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png [[p.0456:https://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/pdf/jinb_2/jinb_2_0456.pdf]] 懷舊ハ、往時ヲ追想スルヲ謂フ、凡ソ懷舊ノ事タル、其範圍極テ廣ク、悉ク擧グルニ堪ヘズ、而シテ舊都ノ荒廢ヲ嘆ズル事ノ如キハ、地理部皇都篇舊都條ニ載セタレバ、宜シク參照スベシ、
*&aname(E687B7E8888AE5908DE7A8B1){名稱};
**〔運歩色葉集〕
***〈久〉
>https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png [[p.0456:https://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/pdf/jinb_2/jinb_2_0456.pdf]] 懷舊(クワイキウ)
**〔書言字考節用集〕
***〈八/言辭〉
>https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png [[p.0456:https://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/pdf/jinb_2/jinb_2_0456.pdf]] 懷舊(クハイキウ)
*&aname(E687B7E8888AE687B7E5A5AEE4BE8B){懷奮例};
**〔日本書紀〕
***〈七/景行〉
>https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png [[p.0456:https://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/pdf/jinb_2/jinb_2_0456.pdf]] 四十年十月癸丑、日本武尊發路之、〈○中略〉自&size(5){二};甲斐&size(5){一};北轉&size(5){二};歷武藏、上野&size(5){一};、西逮&size(5){二};于碓日坂&size(5){一};、時日本武尊、毎有&size(5){下};顧&size(5){二};弟橘媛&size(5){一};之情&size(5){上};、故登&size(5){二};碓日嶺&size(5){一};而東南望之三歎曰、吾嬬者耶、〈嬬此云&size(5){二};菟摩&size(5){一};〉故因號&size(5){二};山東諸國&size(5){一};曰&size(5){二};吾嬬國&size(5){一};也、 五十三年八月丁卯朔、天皇詔&size(5){二};群卿&size(5){一};曰、朕顧&size(5){二};愛子&size(5){一};何日止乎、冀欲&size(5){レ};巡&size(5){二};狩小碓王〈○日本武尊〉所&size(5){レ};平之國&size(5){一};、是月、乘輿幸&size(5){二};伊勢&size(5){一};轉入&size(5){二};東海&size(5){一};、
**〔日本書紀〕
***〈八/仲哀〉
>https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png [[p.0456:https://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/pdf/jinb_2/jinb_2_0456.pdf]] 元年十一月乙酉朔、詔&size(5){二};群臣&size(5){一};曰、朕未&size(5){レ};逮&size(5){二};于弱冠&size(5){一};、而父王旣崩之、乃神靈化&size(5){二};白鳥&size(5){一};上天、仰望之情、一日勿&size(5){レ};息、是以冀獲&size(5){二};白鳥&size(5){一};、養&size(5){二};之於陵域之池&size(5){一};、因以覩&size(5){二};其鳥&size(5){一};、欲&size(5){レ};慰&size(5){二};顧情&size(5){一};、則令&size(5){二};諸國&size(5){一};、俾&size(5){レ};貢&size(5){二};白鳥&size(5){一};、
**〔古今和歌集〕
***〈十五/戀〉
>https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png [[p.0456:https://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/pdf/jinb_2/jinb_2_0456.pdf]] 五條のきさきの宮のにしのたいに、住ける人に、ほいにはあらで、物いひわたりけるを、む月のとをかあまりになん、ほかへかくれにける、あり所は聞けれど、え物もいはで、
又のとしの春、梅の花さかりに、月のおもしろかりける夜、こぞをこひて、かのにしのたいにいきて、月のかたぶくまで、あばらなるいたじきにふせりてよめる、&br;                              在原業平朝臣&br;月やあらぬ春や昔の春ならぬ我身ひとつはもとのみにして
**〔伊勢物語〕
***〈下〉
>https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png [[p.0457:https://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/pdf/jinb_2/jinb_2_0457.pdf]] むかし二條のきさきの、まだ東宮のみゃすん所と申ける時、氏神にまうで給ひけるに、このゑづかさにさぶらひける翁、人々のろく給はるついでに、御車より給はりて、よみて奉りける、&br; 大はらやをしほの山もけふこそは神代のこともおもひ出らめとて、心にもかなしとや思ひけん、いかゞ思ひけん知ずかし、
**〔大鏡〕
***〈二/左大臣時平〉
>https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png [[p.0457:https://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/pdf/jinb_2/jinb_2_0457.pdf]] 右大臣〈○菅原道眞〉の御ためによからぬ事いできて、昌泰四年正月廿九日、太宰權帥になしたてまつりてながされ給ふ、〈○中略〉かのつくしにて、九月九日菊花を御らんじけるついでに、又京におはしましゝ時、九月のこよひ内裏にて菊のえんありしに、このおとゞつくらしめ給へりける詩を、みかど〈○醍醐〉かしこぐかんじたまひて、御衣たまはり給へりしを、つくしまでくだらしめ給へりければ、御らんずるにいとゞそのおりおぼしめしいでゝ、つくらせ給ひける、&br;  去年今夜侍&size(5){二};淸凉&size(5){一}; 秋思詩篇獨斷腸 恩賜御衣今在&size(5){レ};此 捧持毎日拜&size(5){二};餘香&size(5){一};&br;この詩いとかしこく、人々かんじ申されき、
**〔土佐日記〕
>https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png [[p.0457:https://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/pdf/jinb_2/jinb_2_0457.pdf]] 廿七日、〈○承平四年十二月〉おほつよりうらとをさしてこぎいづ、かくあるうちに、京にてうまれたりしをんな、こゝにてにはかにうせにしかば、このころのいでたちいそぎをみれど、なにごともいはず、京へかへるにをむなごのなきのみぞかなしびこふる、〈○中略〉 十一日、〈○同五年正月〉あかつきに船をいだして、むろつをおふ、〈○中略〉このはねといふ所とふわらはのついでにて、又むかしの人
をおもひいでゝ、いづれの時にかわするゝ、けふはましてはゝのかなしがらるゝことは、くだりし時の人のかずたらねば、ふるうたに、かずはたらでぞかへるべらなるといふことを、おもひいでゝ人のよめる、&br; 世のなかにおもひやれどもこをこふるおもひにまさるおもひなきかな、といひつゝなん、九日、〈○二月、中略、〉かくのぼる人々のなかに、京よりくだりし時に、みなひと子どもなかりき、いたれりし國にてぞ、子うめるものども有あへる、人みな船のとまる所に、いだきつゝおりのりす、これを見て、むかしのこのはゝ、かなしきにたへずして、&br; なかりしもありつゝかへるひとの子をありしもなくてくるがかなしさ、といひてぞなきける、ちゝもこれをきゝて、いかゞあらん、かうやうの事ども、うたもこのむとて、あるにもあらざるべし、もろこしもこゝも、おもふことにたへぬ時のわざとか、十六日、京にいりたちてうれし、家にいたりてかどにいるに、月あかければ、いとよくありさま見ゆ、〈○中略〉この家にてうまれしをんなごの、もろともにかへらねば、いかゞはかなしき、〈○下略〉
**〔平家物語〕
***〈一〉
>https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png [[p.0458:https://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/pdf/jinb_2/jinb_2_0458.pdf]] 二代の后の事&br;故近衞の院のきさき太皇太后宮〈○藤原多子〉と申しは、大炊のみかどの右大臣公能公の御むすめなり、〈○中略〉主上〈○二條〉きさき御入内有べきよし、右大臣家にせんじをくださる、〈○中略〉御じゆだいの後は、れいけい殿にぞまし〳〵ける、〈○中略〉かのせいりやうでんの、ぐはとの御しやうじには、むかし、かなおかゞかきたりし、ゑんざんのあり明の月もありとかや、故院のいまだ幼主にて、ましませしそのかみ、なにとなき御てまさぐりの、つゐでに、かきぐもらかさせ給ひたりしが、有しながらに、少もたがはせ給はぬを御らんじて、先帝のむかしもや、御戀しうおぼしめされけん、&br; おもひきやうき身ながらにめぐりきておなじ雲ゐの月を見んとは、そのあひだの御なから
ひ、いひしらずあはれにやさしき御ことなり、
**〔平家物語〕
***〈三〉
>https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png [[p.0459:https://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/pdf/jinb_2/jinb_2_0459.pdf]] 少將みやこかへりの事&br;正月げじゆん〈○治承三年〉に、丹波の少將なりつね、平判官やすより入道、二人の人々は、肥前の國かせのしやうを立て、都へといそがれけれども、〈○中略〉二月十日ごろにぞ、備前のこじまにはつき給ふ、それより父大納言殿〈○成經父成親治承元年薨〉の御わたり有なる、有木の別所とかやにたづね入て見給へば、竹のはしら、ふりたるしやうじなどに、かきをき給ひつる筆のすさびをみ給ひて、あはれ人のかたみには、手跡にすぎたる物ぞなき、かきをき給はずば、いかでか是を見るべきとて、やすより入道と二人、よみてはなき泣てはよむ安元三年七月廿日出家、おなじき二十六日、のぶとし下向ともかゝれたり、さてこそ源左衞門のぜうのぶとしが、まいりたるをもしられけれ、そばなるかべには、三尊らいがうたより有九品わうじやう疑なしともかゝれたり、此かたみを見給ひてこそ、さすが欣求淨土ののぞみもおはしけりと、かぎりなきなげきの中にも、いさゝかたのもしげにはのたまひけれ、
**〔吾妻鏡〕
***〈一〉
>https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png [[p.0459:https://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/pdf/jinb_2/jinb_2_0459.pdf]] 治承四年十月廿一日庚子、令&size(5){レ};遷&size(5){二};宿黃瀨河&size(5){一};給、〈○源賴朝、中略、〉今日弱冠一人、御旅館之砌、稱&size(5){下};可&size(5){レ};奉&size(5){レ};謁&size(5){二};鎌倉殿&size(5){一};之由&size(5){上};、實平、宗遠、義實等恠&size(5){レ};之、不&size(5){レ};能&size(5){二};執啓&size(5){一};、移&size(5){レ};剋之處、武衞自令&size(5){レ};聞&size(5){二};此事&size(5){一};給、思&size(5){二};年齡之程&size(5){一};、奧州九郎歟、早可&size(5){レ};有&size(5){二};御對面&size(5){一};者、仍實平請&size(5){二};彼人&size(5){一};、果而義經主也、卽參&size(5){二};進御前&size(5){一};、互談&size(5){二};往事&size(5){一};催&size(5){二};懷舊之涙&size(5){一};、
**〔十六夜日記〕
>https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png [[p.0459:https://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/pdf/jinb_2/jinb_2_0459.pdf]] 人やりならぬ道なれば、いきうしとてもとゞまるべきにもあらで、なにとなくいそぎたちぬ、〈○中略〉侍從大夫などの、あながちにうちくつしたるさま、いと心ぐるしければ、さま〴〵いひこしらへ、ねやのうちをみれば、むかしの枕さへ、さながらかはらぬをみるにも、今さらかなしくて、かたはらにかきつく、&br; とゞめをくふるき枕の塵をだに我たちさらば誰か拂はん
*&aname(E687B7E8888AE99B9CE8BC89){雜載};
**〔倭訓栞〕
***〈中編二十八/與〉
>https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png [[p.0460:https://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/pdf/jinb_2/jinb_2_0460.pdf]] よはもとしのび(○○○○○○○) 諺にいへり、世は故忍の義なり、人の世にある何事によらず、むかしを思ふ意なり、新古今集に、&br; 行末は我をもしのぶ人やあらんむかしをおもふ心ならひに
**〔源氏物語〕
***〈一/桐壷〉
>https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png [[p.0460:https://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/pdf/jinb_2/jinb_2_0460.pdf]] 物思ひしり給ふは、さまかたちなどのめでたかりしこと、心ばせのなだらかにめやすくにくみがたかりし事など、いまぞおぼしいづる、さまあしき御もてなしゆへこそ、すげなうそねみ給しが、人がらのあはれになさけありし御心を、うへの女房なども戀しのびあへり、なくてぞとは、かゝるおりにやとみたり、
**〔河海抄〕
***〈一/桐壺〉
>https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png [[p.0460:https://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/pdf/jinb_2/jinb_2_0460.pdf]] なくてぞとは、かゝるおりにやと、&br;ある時はありのすさびににくかりきなくてぞ人は戀しかりける
**〔枕草子〕
***〈二〉
>https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png [[p.0460:https://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/pdf/jinb_2/jinb_2_0460.pdf]] すぎにしかたこひしきもの&br;かれたるあふひ ひいなあそびのてうど ふたあゐ、ゑびぞめなどのさいでのをしへされて、さうしのなかにありけるを見つけたる、 又おりからあはれなりし人の文、雨などのふりて、つれづれなる日、さがし出たる、 こぞのかはほり 月のあかき夜
**〔徒然草〕
***〈上〉
>https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png [[p.0460:https://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/pdf/jinb_2/jinb_2_0460.pdf]] しづかに思へば、ようづに過にしかたの戀しさのみぞせんかたなき、人しづまりて後、ながき夜のすさびに、なにとなきぐそくとりしたゝめ、のこしをかじとおもふ反古などやりすつる中に、なき人の手ならひ、ゑかきすさびたる、見出たるこそ、たゞ其おりのこゝちすれ、此比ある人の文だに、久しくなりて、いかなるおり、いつの年なりけんとおもふは、哀れなるぞかし、手なれしぐそくなども、心もなくてかはらずひさしき、いとかなし、〈○中略〉
**〔萬葉集〕
***〈一/雜歌〉
>https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png [[p.0460:https://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/pdf/jinb_2/jinb_2_0460.pdf]] 高市古人感&size(5){二};傷近江舊堵&size(5){一};作歌&br;古(イニシヘノ)、人爾和禮有哉(ヒトニワレアレヤ)、樂浪乃(サヽナミノ)、故京乎(フルキミヤコヲ)、見者悲寸(ミレバカナシキ)、
**〔萬葉集〕
***〈三/雜歌〉
>https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png [[p.0461:https://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/pdf/jinb_2/jinb_2_0461.pdf]] 柿本人麻呂歌一首&br;淡海乃海(アフミノウミ)、夕浪千鳥(ユフナミチドリ)、汝鳴者(ナガナケバ)、情毛思努爾(コヽロモシヌニ)、古所念(イニシヘオモホユ)、

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